ゾロの名門!!沢井製薬バンザ〜イ!

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342卵の名無しさん:02/05/26 16:27 ID:9Pl7LsDD

>脅迫で結ばれた条約は無効
投稿者: kusuo1 (999歳/男性/城) 2002/ 3/18 19:30
日本史 > 日韓併合の是非 メッセージ: 52 / 214

>1969年の条約に関するウィーン条約で無効っていう決断が出たのさ。

1969年のウィーン条約では、1963年以前に結ばれた日韓併合条約を無効とは出来ないで
しょう、1969年のウィーン条約では1969年以後の条約にしか適用することは不可能です。

>剣で威嚇しつつ調印・・・・

日本側が韓国に併合を強要したのは事実だろう。しかし、何故日本が韓国を併合しなければならなくなったかを考える必要がある。日本側は最初から韓国を併合を望んでいたのではなく、初めは韓国自身による韓国の改革を期待し韓国内の改革派を支援した。ところが、
韓国政府は韓国国内の改革派を弾圧し根絶やしにしてしまった。その結果、日本側は韓国
が韓国自身の手で自己改革を行うのは不可能になったと判断し韓国の併合を決意した、韓
国の近代化は日本にとっても安全保障上不可欠な事であったからだ。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffc4zjbb9ga4nc0a7hs&sid=1835208&mid=52
343卵の名無しさん:02/05/26 16:30 ID:9Pl7LsDD

創始改名?
投稿者: sekai_s2 2002/ 3/20  メッセージ: 65 / 214

創始改名は、何故韓国だけであったのでしょうね?台湾では聞かない話ですよね!台湾の
方が日本統治は長いのに・・大体、韓国独自の姓と云いつつ、金とか李なんて中華風じゃ
ないの?古代の韓国人の名前はそんなのじゃなかったみたいだけど・・・

>創始改名?
投稿者: history756 2002/ 3/20  メッセージ: 66 / 214

元元朝鮮には長ったらしい名前があったのです、著名な渡来人の名前は日本の歴史書に書
いてあります。中国はどの時代もアジアの中心だったので、朝鮮人は中華名をそのまま真
似改名し、中国風の服まで着て中国と同じように他国を卑下して好い気になっていました。

ですが此処最近民族の独自性が叫ばれるようになってきました、韓国人は開き直って、自
分の国は独自の文化を育んだなどと言っています。名前からして明らかなのに・・・。

まあ、中国と朝鮮は陸続きだったから仕方なかったのでしょうね。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffc4zjbb9ga4nc0a7hs&sid=1835208&mid=65

344卵の名無しさん:02/05/26 16:31 ID:9Pl7LsDD

韓国併合
投稿者: tonbikantoku (31歳/jp) 2002/ 3/22 12:04
日本史 > 日韓併合の是非メッセージ: 72 / 214

韓国併合ニ関スル条約(明治43年条約第4号)

日本国皇帝陛下及韓国皇帝陛下ハ両国間ノ特殊ニシテ親密ナル関係ヲ顧ヒ

相互ノ幸福ヲ増進シ東洋ノ平和ヲ永久ニ確保セムコトヲ欲シ

此ノ目的ヲ達セムカ為ニハ韓国ヲ日本帝国ニ
併合スルニ如カサルコトヲ確信シ茲ニ両国間ニ併合条約ヲ
締結スルコトニ決シ之カ為

日本国皇帝陛下ハ統監子爵寺内正毅ヲ
韓国皇帝陛下ハ内閣総理大臣李完用ヲ
各其ノ全権委員ニ任命セリ

因テ右全権委員ハ会同協議ノ上左ノ諸条ヲ協定セリ

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffc4zjbb9ga4nc0a7hs&sid=1835208&mid=72

345卵の名無しさん:02/05/26 16:31 ID:9Pl7LsDD
条約
投稿者: tonbikantoku (31歳/jp) 2002/ 3/22 メッセージ: 73 / 214

第一条 
韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ
完全且永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲与ス

第二条 
日本国皇帝陛下ハ前条ニ掲ケタル譲与ヲ受諾シ且全然韓国ヲ
日本帝国ニ併合スルコトヲ承諾ス

第三条 
日本国皇帝陛下ハ韓国皇帝陛下太皇帝陛下皇太子殿下
並其ノ后妃及後裔ヲシテ各其ノ地位ニ応シ相当ナル
尊称威厳及名誉ヲ享有セシメ且之ヲ保持スルニ十分ナル
歳費ヲ供給スヘキコトヲ約ス

第四条 
日本国皇帝陛下ハ前条以外ノ韓国皇族及其ノ後裔ニ対シ
各相当ノ名誉及待遇ヲ享有セシメ且之ヲ維持スルニ必要ナル
資金ヲ供与スルコトヲ約ス

第五条 
日本国皇帝陛下ハ勲功アル韓人ニシテ特ニ表彰ヲ為スヲ
適当ナリト認メタル者ニ対シ栄爵ヲ授ケ且恩金ヲ与フヘシ

第六条 
日本国政府ハ前記併合ノ結果トシテ全然韓国ノ施政ヲ
担任シ同地ニ施行スル法規ヲ遵守スル韓人ノ
身体及財産ニ対シ十分ナル保護ヲ与ヘ且其ノ福利ノ増進ヲ図ルヘシ

第七条 
日本国政府ハ誠意忠実ニ新制度ヲ尊重スル韓人ニシテ
相当ノ資格アル者ヲ事情ノ許ス限リ韓国ニ於ケル帝国官吏ニ登用スヘシ

第八条 
本条約ハ日本国皇帝陛下及韓国皇帝陛下ノ裁可ヲ経タルモノニシテ
公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

右証拠トシテ両全権委員ハ本条約ニ記名調印スルモノナリ

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffc4zjbb9ga4nc0a7hs&sid=1835208&mid=73

346卵の名無しさん:02/05/26 16:36 ID:jpKOBmBI

素朴な疑問の数々 投稿者: chacha_insert 2002/ 3/26 1:46 メッセージ: 80 / 214

数点ご教授ください。

>1905年の韓国保護条約は韓国政府高官一人一人を脅迫することで成立した条約
(1)1905年の韓国保護条約とは、おそらく(第二次)日韓協約のこと
   だと思われますが、一人一人脅迫したというのは事実なのでしょうか?
(2)ここでいう「脅迫」とは、伊藤が韓国大臣一人一人に賛否を尋ねたこと
   を指すものなのでしょうか?

>11月17ー18日、歩兵一大隊−砲兵中隊−騎兵連隊が王宮前や目抜き通りの鐘路
>で演習と称する示威を行い、日本兵が物情騒然とした市中を巡回し市民を脅かした。

(3)このときの日本兵の行動は、韓国側と結ばれたなにがしかの条約に基
   づいて行われたものなのでしょうか?それとも全く法的根拠を持たない
   ものだったのでしょうか?
(4)また「日本兵が物情騒然とした市中を巡回し市民をおびやかした」と
   いうことですが、この判断はどういった根拠に基づくものなのでしょうか?

>慶雲宮内も日本兵が満ちていた。『大韓季年史』は「銃刀森列すること鉄桶の如く、
>内政府及び宮中、日兵また排立し、其の恐喝の気勢、以て言葉に表し難し」と述べて
>いる。窓に映る銃剣の影が大臣たちを戦慄させたことだろう。

(5)『大韓季年史』は、きちんとした史料批判がなされたのもなのでしょうか?
(6)というのも、この著者が独立協会の人間であるという時点で、かなりのバイ
   アスがかかっていると思われますが、その点はいかがでしょうか?
(7)そもそも、この著者自身は現場に居合わせた人物なのでしょうか?
(8)また、「窓に映る銃剣の影が大臣たちを戦慄させたことだろう」とは、全く
   の推測にすぎないと思われますが、なにか根拠があってのことでしょうか?

>しかし、あくまで反対の韓圭ソル参政は、涕泣しながら辞意をもらして退
>室した。伊藤は「余り駄々を捏ねる様だったら殺ってしまえ、と大きな声で囁
>いた」(西四辻公堯『韓国外交秘話』)という。大臣たちに聞こえる程度の声
>でいった、という意味だろうか。

(9)伊藤のこの「余り駄々を捏ねる様だったら殺ってしまえ」というのは、
   日本語で言ったのでしょうか?それとも韓国語で言ったのでしょうか?
(10)日本語で言ったとするならば、韓国大臣達ははその意味を理解したのでしょうか?
(11)それらをふまえて、伊藤のこの発言が「脅迫」に当たるかどうか、

よろしくお願いします。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffc4zjbb9ga4nc0a7hs&sid=1835208&mid=80
347卵の名無しさん:02/05/26 16:50 ID:4NatvyIQ

普通に考えれば
投稿者: tonbikantoku (31歳/jp) 2002/ 3/26 9:12
メッセージ: 81 / 214

条約は国家間で結ぶもので、
その有効無効は当事者である国家によって判断される。

無効と判断すれば条約を破棄するだけのこと。
日本帝国、韓帝のいずれも条約の破棄をおこなっていないんだから
有効に決まっている。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffc4zjbb9ga4nc0a7hs&sid=1835208&mid=81
348卵の名無しさん:02/05/26 16:51 ID:4NatvyIQ

素直になろうね
投稿者: omegatribes (男性/杉並区) 2002/ 4/ 1 22:34メッセージ: 87 / 214

回答に値すると思われたところだけ答える。

>(1)1905年の韓国保護条約とは、おそらく(第二次)日韓協約のこと
   だと思われますが、一人一人脅迫したというのは事実なのでしょうか?

軍隊が王宮に囲んだ状態で条約をサインさせたんですよ。それが脅迫でなくて何ですか?

>(3)このときの日本兵の行動は、韓国側と結ばれたなにがしかの条約に基
   づいて行われたものなのでしょうか?それとも全く法的根拠を持たない
   ものだったのでしょうか?

法的根拠なんてないよ。

>(4)また「日本兵が物情騒然とした市中を巡回し市民をおびやかした」と
   いうことですが、この判断はどういった根拠に基づくものなのでしょうか?

彼らは前進し、背進し、攻撃演習を行って、城門を占拠し、大砲を配置し
て、実際の暴行こそなけれ、ありとあらゆることを行った。そして、日本は自
分たちの要求を強行することができるということを、韓国人に示威しようとし
たのである。(英国人記者、マッケンジー)http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm039.html#No.268

>(5)『大韓季年史』は、きちんとした史料批判がなされたのもなのでしょうか?

そう思うのならば、根拠を出しなよ。

>(8)また、「窓に映る銃剣の影が大臣たちを戦慄させたことだろう」とは、全く
   の推測にすぎないと思われますが、なにか根拠があってのことでしょうか?

命令次第ではいつでも王宮に突撃できるじゃん。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffc4zjbb9ga4nc0a7hs&sid=1835208&mid=87
349卵の名無しさん:02/05/26 17:21 ID:5DOlZTS1
こんな事ばかりする社員がいるって
新しい板つくろっかな
350卵の名無しさん:02/05/26 17:54 ID:g46Pei2B
>荒らし
止めろって
おまえのためにどれだけゾロスレッドがたくさん立ったことか考えたことあるのか?
ここもほかの掲示板でもすごく評判(もちろん悪い)になってるぜ
351卵の名無しさん:02/05/26 20:26 ID:4dv71HMG
どうも臍がねじ曲がっておるようで−1 投稿者: chacha_insert 2002/ 4/ 2 0:16
メッセージ: 90 / 214

回答ありがとうございました。しかしながらポツリポツリと抜けてしまったことは残念でしたね。

>1)1905年の韓国保護条約とは、おそらく(第二次)日韓協約のこと
   だと思われますが、一人一人脅迫したというのは事実なのでしょうか?

>軍隊が王宮に囲んだ状態で条約をサインさせたんですよ。それが脅迫でなくて何ですか?

なるほど。この質問に対する回答から考えて、日本による脅迫とは、伊藤が各大臣に賛否
を質したことではなく、日本軍が王宮を取り囲んだことを指すわけですね。しかし「軍隊
で取り囲んだ」という点だけでいうと、戦艦ミズーリに日本側代表団を呼びつけて、連合
国兵士が取り囲む状況の中で調印された降伏文書も脅迫になってしまいますよ?でもあれ
は日本側代表に対する脅迫ではありませんね。何故だかわかりますか?当然お気づきのこ
ととは存じますが、これは(3)の質問と対になっています。ですが

>3)このときの日本兵の行動は、韓国側と結ばれたなにがしかの条約に基
   づいて行われたものなのでしょうか?それとも全く法的根拠を持たない
   ものだったのでしょうか?

>法的根拠なんてないよ。

ぶぶー。不正解。これならば、日本軍が王宮を取り囲んだことを「脅迫」と思われるのも
宜なるかな、ですね。実は、この時の日本軍の行動は1904年の日韓議定書第4条に
基づくものです。ご存じだのこととは思いますけれども、日韓議定書の第4条には、韓国
皇室の安全のために日本は臨機応変の措置を取ることが出来るとされています。

このときの日本軍の展開は、京城市民が日韓協約の締結を実力で阻止する可能性を排除出
来なかったために、王宮を警護する(つまり韓国皇室を保護する)目的で展開されたもの
です。それに対して、市民はおびえたかもしれません。銃口は市民の反乱に向けられてい
たのですから。ところが、

>4)また「日本兵が物情騒然とした市中を巡回し市民をおびやかした」と
   いうことですが、この判断はどういった根拠に基づくものなのでしょうか?
>(英国人記者、マッケンジー)http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm039.html#No.268

このマッケンジーの観察はあくまで市民に対するものであって、韓国大臣に対するもので
はありませんね。つまり、京城市民が日本軍に怯えた事を立証することは出来るかもしれ
ませんが、韓国大臣が怯えたというには不充分なわけですし、まして、韓国大臣を脅迫し
たということには成り得ません。今のところは。半月城さんのところは、そのあたりの検
証をもう少し詳しくされておられたのでは?
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffc4zjbb9ga4nc0a7hs&sid=1835208&mid=90
352卵の名無しさん:02/05/26 21:00 ID:IStsjIvF
これやってるのは社長だという噂を沢○のMRから聞いたことがあるが
353卵の名無しさん:02/05/26 22:01 ID:eGGSDkZN

どうも臍がねじ曲がっておるようで−2 投稿者: chacha_insert 2002/ 4/ 2 メッセージ: 91

>(5)『大韓季年史』は、きちんとした史料批判がなされたのもなのでしょうか?
>そう思うのならば、根拠を出しなよ。

この回答はよくわかりません。史料批判がなされたものであるか否かを質問したのに、(い
わばYESかNOかと問うているのに)「そう思うならば根拠を出しなよ」とはどういう
事なのでしょうか?どちらかといえば、omegatribes様のYESorNOとの回答に対して、
こちらが投げかけるセリフですね。よろしければ再度回答をお願いします。

また、『大韓季年史』の著者に関しての質問(6)(7)は「回答に値しない」ものと位
置づけられてしまいましたが、これは実に不可解です。というのも、史料というのは書き
手がいて、その書き手には思想の偏りや事実の隠蔽・歪曲などがなされてしまうものです。
無論、史料のすべてがそうであるとはいいませんが、『大韓季年史』の著者の素性をみて
みると、なんと独立協会に所属している人間です。普通、こういう人物が書いたものは疑
ってかかるものでは?

omegatribes様だって、黒龍会や杉山茂丸の書いたものを”素直”に受け入れられないでし
ょう?それと同じですよ。しかもomegatribes様は日本語訳されたものを提示してらっし
ゃいますよね?訳者は誰ですか?引用するなら、せめて著者の素性や訳者ぐらいは載せて
おいて下さいね。まぁ出典は海野さんの著書からですから、ある意味、omegatribes様では
回答することの出来ない質問だったかもしれませんね。ですが、この点は史料の取り扱い
という基本的かつ重要な点だと思われますので、再度質問させていただきます。omegatribes
様では責任をもって回答できない性質の質問であるならば、「俺に聞くな!海野に聞け!」
とでもご回答下さい。
354卵の名無しさん:02/05/26 22:02 ID:eGGSDkZN

(再5)『大韓季年史』は、きちんとした史料批判がなされたのもなのでしょうか?
(再6)というのも、この著者が独立協会の人間であるという時点で、かなりのバイ
    アスがかかっていると思われますが、その点はいかがでしょうか?
(再7)そもそも、この著者自身は現場に居合わせた人物なのでしょうか?
(追加)omegatribes様は黒龍会編の『日韓合邦秘史』を”素直”に受け入れること
     が出来ますか?受け入れられないとしたらそれはなぜですか?

>(8)また、「窓に映る銃剣の影が大臣たちを戦慄させたことだろう」とは、全く
   の推測にすぎないと思われますが、なにか根拠があってのことでしょうか?
>命令次第ではいつでも王宮に突撃できるじゃん。

うまい回答ですね。「窓に映る銃剣の影が大臣たちを戦慄させたことだろう」との推測は、
海野さんの『韓国併合』をみてみると(以下引用)慶雲宮内も日本兵が満ちていた。『大
韓季年史』は「銃刀森列すること鉄桶の如く、内政府及び宮中、日兵亦た排立し、其の恐
喝の気勢、以て言に形し難し」と述べている。(引用おわり)が下地になっています。と
ころがその『大韓季年史』の史料としての価値、いうなれば「銃刀森列・・・」が事実なのかどうか。著者自身が現場にいたならまだわかりますが、

omegatribes様にその点をお伺いしても回答がない。
だから(5)〜(7)で質問したのですよ。その点をうまくご回答いただければ、モヤ
モヤしたものがスッキリ晴れそうなのですが・・・と、発破をかけつつ、omegatribes様か
らの回答を心待ちにしております。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffc4zjbb9ga4nc0a7hs&sid=1835208&mid=91

355卵の名無しさん:02/05/27 01:29 ID:My+Wjv/j
>>352
>これやってるのは社長だという噂を沢○のMRから聞いたことがあるが

統領さまの弟子一門でしょう。
一般人が見て荒らしでも、彼らにとっては修行なのかも。
356卵の名無しさん:02/05/27 06:58 ID:9nI1+3DL
全然悪くありませんよ〜その1
投稿者: chacha_insert 2002/ 4/ 2 17:11メッセージ: 99 / 214

>ふーん、その時どんな騒乱があったのですか?

「対応」という表現を用いたのは適当でなかったかもしれませんね。ここで使用した
「対応」とは予防、騒乱を予め防ぐという意味です。メッセージ90,95でも申し上
げましたが、韓国皇室を内乱の危険から守るのは日本が法的に負った責任です。京城市
民が騒乱を起こし、場合によっては王宮に突入して皇帝を担ぎ出すという可能性が皆無
だったなら、わざわざ日本軍が警備に当たる必要はなかったでしょうが、現実にはその
可能性が排除できなかったのです。
 蛇足ながら申し加えますと、現在の条約調印においても、要人警護という観点から調
印会場周辺の警備が行われるのは当然のことです。そのような警備上の責任を、第二次
日韓協約締結時の日本は負っていた、それだけの話なのですよ。

>>契約に至るまでの過程を無視し、かつ、ヤクザという悪印象を与える表現
>いいや契約に至る過程を無視しているのは貴方じゃないですか?江華島事件以来、日本政府は絶えず朝鮮を武力を用いて侵略をしていますよ。

 第二次日韓協約以前の条約が、第二次日韓締結当時に法的に無効であったならomegatribes様の
おっしゃることもわかります。しかしそうではなく、「武力を用いて侵略」というよう
な曖昧な語彙を持ち出されては困ってしまいますね。大事なことは、第二次日韓協約以
前に日韓(朝)で結ばれた条約は、法的に有効なものだったかどうかですね。有効だと
するならば、それらに則った日本の行動は正当なものといわざるを得ません。日韓(朝)
間で合意形成されたものですから。極端な話、王宮を日本軍が警備のために取り囲むと
いう事態も、日韓議定書が締結された時点で予想できることなのですよ。それをこの場
になって「脅迫」であるというのは、如何にも事実から遊離したものではないか、と思
ってしまうのですよ。

>>この史料を引用している海野さんや半月城さんが「史料批判」を行ったのかどうか、
それを確認しているのですよ?
>資料批判をしない歴史家っていますか?

 質問には的確にお答え下さい。私は、史料批判が行われたのか否かを質問しています。
にもかかわらず、質問に質問で返すのは、議論を混乱させるだけですよ。再度お伺いし
ます。この史料を引用している海野さんや半月城さんは『大韓季年史』の「史料批判」
を行われたのですか?そして可能なら、

>ある資料を検証する際には、何か別の資料や証言を参照する必要があるのです。

とのomegatribes様のお言葉通り、どのような史料や証言が参照されたか、ご存じの範囲
で結構ですからご教授下さいませ。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffc4zjbb9ga4nc0a7hs&sid=1835208&mid=99
357卵の名無しさん:02/05/27 07:05 ID:uGHm7XaZ
>統領さまの弟子一門でしょう
業務命令とのことです。
358卵の名無しさん:02/05/27 07:11 ID:BUSem551

全然悪くありませんよ〜その2
投稿者: chacha_insert 2002/ 4/ 2 17:12
メッセージ: 100 / 214

>>その違いはおわかりですか?おわかりなら、『朝鮮の悲劇』を『大韓季年史』の裏付け
として使用することは出来ないと思われますが・・・?
>韓国政府高官は精神的強圧下におかれたんでしょう。

 なぜ『大韓季年史』の記述のこだわるかというと、その後の「窓に映る銃剣の影が大臣
たちを戦慄させたことだろう」という「日本による大臣個人に対する脅迫」論の下地とし
てなっているからです。しかし、ここには2つのあやふやな点があります。ひとつは、窓
の外に銃剣がちらついただけで「脅迫」に該当するのかどうか、ふたつめは、そもそも
『大韓季年史』の記述が事実であるかどうかです。ひとつめは、大臣個人の日記なり回想
なりで裏付けを取ることが出来るかもしれませんが、個人個人によって解釈が異なる類の
問題です。つまり、これを議論し出すと泥沼にはまりかねないのです。ですがふたつめの
方は、事実か否かという単純な問題を争うだけであるため、割合と議論がかみ合う類の問
題です。だから私は、『大韓季年史』の記述にこだわっているのです。ひとつめの問題を
論ずる場合や、「韓国政府高官は精神的強圧下におかれた」かどうかを判断するのは『大
韓季年史』の裏付けが取れてからの話です。
 ですが、『朝鮮の悲劇』はあくまで京城市街の観察しか行われていないようですね?そ
れを『大韓季年史』にある王宮内の日本兵の描写の裏付けとするのは、やはり無理がある
ように思われますがいかがですか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(確認事項)
 第一、この著者自身が王宮内にいたかどうかも分からない時点では、「其の恐喝の気勢、
以て言に形し難し」という『大韓季年史』の記述(訳者不明)を信じる気にはなれません。
 というか、その場にいた韓国大臣の日記や何かは残っているのではないでしょうか?

>マッケンジー著「朝鮮の悲劇」で裏づけが取れているでしょう。

だから取れていませんってばっ。

>貴方は右翼的な史観もやだし、朝鮮人の史観もやだ。だから敢えてバランスを取る必要
がないのに、むりやりバランスを取っているんだけですね。

 そう。結局いろんな情報があってわからんから、勉強されているあなたのような方にお
伺いしているわけですよ。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffc4zjbb9ga4nc0a7hs&sid=1835208&mid=100

359卵の名無しさん:02/05/27 07:23 ID:ZXs+3Ag2

産経新聞のインターネット版でこんな見出しをみかけた。

■英の学者ら「日韓併合不法論」支持せず

だそうな。見出しを見た時点でだいたい内容の見当がついてしまったが(ま、見出しの機
能って本来そういうもんだが) 、とりあえず記事を読んでみる。なんでも11月16日
と17日にアメリカのハーバード大学アジアセンター主催で国際学術会議が開かれてい
た。テーマは日本による韓国の併合(1910年)が合法か否かを論じるもので、韓国・
日本・アメリカ・イギリス・ドイツの学者が参加していた。同様の会議はこれまでハワイ
と東京で開催され、今回は三回目にして一応の「結論」を出す性格のものであったという。
「という」と僕も伝聞調で書くしかないのだが、この記事自体も会議の内容については「会
議参加者によると…という」という伝聞調になっていたりするんだけどね。

この記事によるとこの学術会議は韓国政府傘下の国際交流財団が財政的に支援し、韓国の
学者たちの主導で進められたものだという。その狙いはもちろん 「韓国併合は非合法な
ものだった」ということを国際舞台で「公認」してもらいたい、ということにあるという
わけだ。

ところがこの学術会議において、「第三者」的立場であるイギリスのケンブリッジ大学の
クロフォード教授 らが「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点
からその国を取り込むということは当時よくあったことで、日韓併合条約は国際法上は不
法なものではなかった」 と「合法論」を述べ、「韓国側のもくろみは失敗に終わったと
いう」とこの記事は記している。なんだか鬼の首でもとったみたいに筆者が喜んでいるよ
うに見える記事なんだが、あんなに世界中植民地にしちゃった国の学者に「合法」と言っ
てもらって単純に喜ぶってのもな (まぁ「非合法」の国際的定説化をもくろんだ韓国の
思惑が外れただけでもこの人は喜ぶんだろうけど)。全部検証したことはないけど、帝国
主義時代の当時においてあらゆる地域の「植民地化」は全部「合法的手続き」の形式をと
っているものだ。韓国併合を「非合法」と認定したら欧米の各国は全て不法行為をやって
いたことになってしまう。この手の話は今年夏に南アフリカで開かれた「世界人種差別撤
廃会議」でも議題になってましたな。

さて、この学術会議に出席していた韓国の学者たちはもちろん全部「非合法論」を主張し
ていた。その根拠は「併合は強制的なものであり、また条約にも国王の署名がない」 と
いうものだったが、やはりイギリス側から「強制されたから不法というのは第一次大戦以
後のものだから当時としては問題になるとは言えない。また国王の署名についても国際法
上必ずしも必要ではない」 という見解が出されたという。まぁその調子で世界中植民地
にしたんだよね、この国は。

なお、問題の当事者である日本側からは五人の学者が参加し、「非合法説」と「合法だが
不当説」とが主張されたという。

360卵の名無しさん:02/05/27 07:24 ID:ZXs+3Ag2
学術会議の場からはちと離れて「韓国併合」に関して「史点」的にちょいと考えてみよう。
あくまで法律論議として「合法」「非合法」にこだわるなら、「合法」という結論になっ
ちゃうんじゃないかな、ってのが僕の感触だ。少なくとも外見上の「形式」としては法的
手続きを経ている。まさにそれは弱肉強食の帝国主義時代の「法」の上でのことだったわ
けだし (まぁ今だって「俺が法律だ」と勝手に暴れて全て「合法」にしちゃう国がある
けどね)。もちろんその行為じたいを正当化しているわけでは全くない。この会議でも出
された「非合法とも言えないが不当」説の立場になるのかな。

韓国の歴史教科書ってのを以前見たことがあるのだが、意外にも韓国併合についてはあっ
さりとしか触れていなかった (少し前のバージョンなので現在どうなってるかは未確
認)。むしろ重要視されているのは日本が大韓帝国の外交権を奪って「保護国」化した
「第二次日韓協約」(乙巳条約)を締結した際のことだ。このとき伊藤博文 をはじめと
する日本側は軍隊で宮殿を包囲し、反対しそうな韓国側大臣たちには監視をつけるなど有
無を言わせず条約締結を強制させている。この辺りの事情は当時の駐韓公使・ 林権助が
自慢げに回想録で書いていて、読んだ僕などは「三国志演義」の魏が漢から「簒奪」する
場面とソックリで驚いたものだ (「反対する大臣は殺ってしまえ」と言ったり国璽を強
制的に分捕ったりしている)。そしてこの条約に合意した大臣たちは「乙巳五賊」などと
呼ばれて韓国では長らく売国奴扱いされることになる。韓国にとっては「併合」はその延
長線上にあるものととらえているせいか、それともあまりに「国辱」なので触れたくない
のか (そういう心理もこの国の人は強いようだ)、併合については教科書では「やがて
国権を奪われた」と書いている程度であまり記述はしていない。このため「併合」が条約
という形式で行われたことを知らない韓国人も多いと聞く (日本人にいたっては併合そ
のものの歴史を知らない人が多そうだが)。ところで上の産経の記事でも、どうも併合の
話と保護国化の話がどっかでゴッチャになってる印象があるんだけど…。
 
この記事では直接的には触れてなかったが、よく韓国併合について「国際的に承認された
から合法なのだ」 と主張する意見がある。その承認したってのがまさに世界を植民地化
しまくっていた欧米諸国のことであるのは言うまでもない。べつに征服される側の承認を
受けたわけではないんだよな。

これについて僕が勉強してみた限りでは、「『併合』は各国の承認を受けた」と言うより
むしろ 「『併合』は各国が承認してくれたためようやく実現した」と見るほうが正確で
あるらしい。一見同じ事を言っているようだが、前者と後者では日本の主体性の度合いが
かなり違ってくる。実際のところ日本の政府内でも韓国を「保護国」にはしても「併合」
まではしなくていいんじゃないかという意見もそれなりに有力で、その意見の代表者が初
代韓国統監・伊藤博文だったりする。彼が併合に気が進まなかったのは何も韓国のためを
考えたというわけでもなく欧米諸国の反発を恐れてのことだったようだ (日清・日露戦
争で一貫して「韓国の独立」を主張していただけに道義的にも問題があるし)。結果的に
「併合」となったのはその伊藤の保護政策が義兵闘争などの韓国側の激しい抵抗を受けて
行き詰まったこと、日露戦争後の満州と中国大陸をめぐるロシア・アメリカ・イギリスな
どの思惑が入り乱れる国際情勢を背景に、勢力均衡の論理から列国が日本の韓国領有を認
めることになったと見た方がいいようだ。日韓関係だけで併合問題を考えると実像をとら
えにくいということは肝に銘じておいた方がいい。
361卵の名無しさん:02/05/27 07:24 ID:ZXs+3Ag2

「合法」「非合法」の話だが、当時における「法」とは何だったのかが問題になる。あえ
て言うなら当時における国際法としては、あの 坂本龍馬も懐に入れていたと言われる「万
国公法」がある。もちろんそれは実際には欧米諸国の間でのみ通用するものだったのだが、
アジア諸国においてこれの翻訳が出回り、知識人層に受け入れられたのも事実だ。

ただ当時の韓国の国王・大臣や知識人層の言動を見ていると、これを額面どおり信じすぎ
たな、という印象を強く受ける。例えば日露戦争が勃発したとき韓国は中立を宣言し、も
しも日本なりロシアが韓国を戦争に巻き込もうとしたら「万国公法」によって諸国がそれ
を阻止してくれると信じていた (もちろん開戦後すぐに日本が韓国に戦争協力を強制し
た)。さらに当時の韓国皇帝・高宗 がオランダのハーグで開かれた万国平和会議に密使
を送り日本の不当を訴えた事件があるが(ハーグ密使事件) 、これも諸国が「万国公法」
にのっとって日本の横暴を阻止してくれると信じていたわけで(もちろん完璧に無視され
てしまった) 。

これが当時における「法」の実態だった。あえて言ってしまえば当時の韓国の政治家たち
はいささか馬鹿正直な「甘ちゃん」であったにすぎない。しかしその「甘ちゃん」に付け
入ってお家乗っ取りをしたような国々にはもっと感心しませんがね。

http://www4.airnet.ne.jp/otto/sitenlog/news011215.html
362卵の名無しさん:02/05/27 07:57 ID:A/LQfV+/
経済からみた台湾・朝鮮統治。

投稿者: penguin_nitarinov (8歳/男性/南氷洋) 2002/ 4/10 21:37メッセージ: 148 / 214

「両地域が日本植民地として「成熟」期をむかえ、かつ大1次世界大戦ブームの終結した
1920年(対象9)年前後において、台湾の127円(GDE=国民所得)に対し朝鮮
の103円と実に25円ちかい大幅な初期格差が見られる。(中略)1930年代末にお
いて、台湾の165円に対し朝鮮の107円と、両地域の1人当りの国民所得格差は大き
く乖離して、第二次世界大戦期にはいったのである。
(名古屋大学出版会刊 日本の植民地経済研究 山本有造著)

因みに、P156ページの台湾・朝鮮1陣当り実質GDEの推移図では、1934年に格
差は最大となり、台湾150円、朝鮮、僅か90円となる。

台湾の安定的繁栄は、特産品である砂糖栽培で、台湾総督府が柔軟な「糖米相剋」政策=
砂糖、米を台湾農民に選択的に栽培させる機会の拡大があったが、朝鮮では「米増産計画」
により、選択権が無く、常に日本国内米との市場競合関係に曝され、不安定な相場に苦し
んだ結果であろう。

つまり、台湾は日本統治の恩恵がそれなりにあっただろうが、朝鮮では恩恵よりも弊害が
大きく、朝鮮民族の困窮と零落が目立つ結果に終わっている。こうした背景が台湾と韓国
の植民地支配に対する感情のズレに表れているのかもしれない。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffc4zjbb9ga4nc0a7hs&sid=1835208&mid=148
363卵の名無しさん:02/05/27 11:03 ID:wrRpWzko
364卵の名無しさん:02/05/27 18:23 ID:Nh9+XRLG
>>357
>業務命令とのことです。

弟子の皆様方にとっては、統領さまの御宣択。
365卵の名無しさん:02/05/27 19:01 ID:bnOTRz65

なるほど
投稿者: gerura21 (29歳/男性/神奈川県横浜市) 2002/ 4/11 0:41
メッセージ: 150 / 214

面白い資料ですね。勉強になります。
確かに内鮮一体といいつつ、本土・台湾と格差が開いていたならば、彼らが不満に思う気持ちも解らなくもないですね。

しかし恩恵よりも弊害が大きくというのは、事実に正確な表現とは言えないのではないですか?
この文脈上における比較の対象が日本統治以前と以後であるからして。

国民所得向上という側面において、朝鮮半島では台湾ほど統治が上手くいったとはいえない、とまでは言えますが。

ただ思うのは、仮に現代の台湾の人口2000万人に対して韓国・朝鮮の人口6000万
人の人口比1:3を当時にも適用すれば、朝鮮への一人当たりの投資額が台湾のそれを下
回るだろうことは明白です。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffc4zjbb9ga4nc0a7hs&sid=1835208&mid=150

366卵の名無しさん:02/05/27 19:02 ID:bnOTRz65

仮の話としても、
投稿者: penguin_nitarinov (8歳/男性/南氷洋) 2002/ 4/11 1:05
メッセージ: 151 / 214

>ただ思うのは、仮に現代の台湾の人口2000万人に対して韓国・朝鮮の人口6000
万人の人口比1:3を当時にも適用すれば、朝鮮への一人当たりの投資額が台湾のそれを
下回るだろうことは明白です。

前提がいい加減すぎませんか?
植民地当時の朝鮮は、高々2000万人弱。
台湾は、どれぐらいか知りませんがね。

それはそうと、日本政府は、台湾の投資に力を入れていた様です。
・・・・・・・
『朝鮮における「産米増殖計画」にあっても灌漑改善が主要な目的とされたが、その成果
は台湾において格段に顕著であった。その理由を政府支出に限っていえば、朝鮮の場合の
背策が主に水利組合を通じての低利資金の貸付にとどまったのに対し、台湾にあっては政
府直営工事と農民への政府補助金の組み合わせにあったと要約できよう。そしてのこ方式
の「成功」については、農民側の積極的な反応と同時に、政府側の潤沢な資金供給の原因
についても考えなければならない。』P162
・・・・・・・
因みに、朝鮮からは、満州に200万人、ソ連に50万人、日本に100万人以上に上る
生活苦を理由とした大量の移民があったそうですが、台湾では大規模な移民は、聞いたこ
とがありません。

人口の2割に達する人口流失は、19世紀のジャガイモ飢饉時のアイルランドに並ぶ困窮
状態だったのではないでしょうか?

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffc4zjbb9ga4nc0a7hs&sid=1835208&mid=151

367卵の名無しさん:02/05/27 19:05 ID:bnOTRz65
そうですかね?
投稿者: gerura21 (29歳/男性/神奈川県横浜市) 2002/ 4/11 1:12
メッセージ: 154 / 214

いい加減とおっしゃるならば、当時の台湾の人口・・・調べて欲しいなー。

植民地当時の朝鮮の人口は、さっき挙げたHPの資料上では、最終的に(満州・日本等に
移住した人も合わせ)2600〜2700万人になってますね。

しかし貴方の仰るとおりならば、当時の日本政府が台湾を朝鮮より優遇した意図って何な
んでしょう?そこの動機が今ひとつ不明確な気がします。自分としては台湾の方が統治開
始年が16年程度早いせいではないかとも思ってるのですけども。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffc4zjbb9ga4nc0a7hs&sid=1835208&mid=154
368卵の名無しさん:02/05/27 19:07 ID:wrRpWzko
369卵の名無しさん:02/05/27 19:09 ID:bnOTRz65

<経済からみた台湾・朝鮮統治
投稿者: tonbikantoku (31歳/jp) 2002/ 4/11 9:29
メッセージ: 162 / 214

併合以前は半島は極貧だよ。

台湾・朝鮮も人口が増えてなおかつ個人の所得も増え、
教育、医療、衛生も同時期の中国や東南アジア、
アフリカの植民地に比べて良いはずだよ。

●つまり、台湾は日本統治の恩恵がそれなりにあっただろうが、
朝鮮では恩恵よりも弊害が大きく、
朝鮮民族の困窮と零落が目立つ結果に終わっている。
こうした背景が台湾と韓国の植民地支配に対する
感情のズレに表れているのかもしれない。

たんに韓国、北朝鮮は国策で反日なだけ。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffc4zjbb9ga4nc0a7hs&sid=1835208&mid=162
370卵の名無しさん:02/05/27 19:17 ID:wrRpWzko
371卵の名無しさん:02/05/27 19:30 ID:ehxk2I7n

ほう
投稿者: isiyamadera 2002/ 4/21 3:29
メッセージ: 198 / 214

私の資料(東洋経済新報社 旧日本植民地経済統計)とはだいぶ違いますね。
これによると1920年前後には台湾125円に対し朝鮮80-90円、
1930年代末において台湾175円に対し朝鮮125円となっていますね。
台湾と朝鮮の格差は当初からあったものであり、バラツキはあるものの
台湾と朝鮮の国民所得はほぼ平行して増大しています。

>台湾の安定的繁栄は、特産品である砂糖栽培で、台湾総督府が柔軟な「糖米相剋」政策
=砂糖、米を台湾農民に選択的に栽培させる機会の拡大があったが、朝鮮では「米増産計
画」により、選択権が無く、常に日本国内米との市場競合関係に曝され、不安定な相場に
苦しんだ結果であろう。

朝鮮で砂糖が作れるものか、バカ!
いかにも日本のせいみたいに書くな!

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835208&tid=ffc4zjbb9ga4nc0a7hs&sid=1835208&mid=198
372卵の名無しさん:02/05/27 19:32 ID:ehxk2I7n

国民所得の差
投稿者: nash_824 2002/ 4/21 23:22
メッセージ: 200 / 214

昔から現在に至るまで、台湾の方が韓国より所得が高いですよね。
ところで、朝鮮独立以後の方が、日本との経済格差が開いたとするのが一般的認識です。
北鮮も含めれば圧倒的に差が開く。


ありがとうございます。
投稿者: gerura21 (29歳/男性/神奈川県横浜市) 2002/ 4/21 17:15
メッセージ: 199 / 214

7509人という数字は良く出てきますね。
しかし、7509人というのは膨大な数字ですね。十分「虐殺」という言葉に匹敵するので
はないでしょうか?だとすれば、韓国の教科書修正要求でまっ先に挙ってきたり、「3/
1虐殺」謝罪キャンペーンが有っても良いようにも思いますけどね。。。そこが疑問です。

体16分割ってのは、金玉均の末路と一緒で完全に朝鮮式の罪人の曝し方ですね。日本人
の伝統ではない。(日本人なら曝し首だが、明治維新後は全くない)これは間違いなく完
全に大嘘でしょう。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffc4zjbb9ga4nc0a7hs&sid=1835208&mid=199
373卵の名無しさん:02/05/27 19:37 ID:gTp3myPF
噂を聞いてここにきましたが、なんともはや・・・・
374卵の名無しさん:02/05/27 19:46 ID:wrRpWzko


昭和4年 大阪市旭区に澤井範平、乃よ(薬剤師)が沢井製薬の前身、澤井薬局を創業。
昭和23年 大阪市旭区に澤井製薬株式会社(現 沢井製薬株式会社)を資本金195千円で設立。
昭和36年 本社工場に一般薬の生産ラインを設置。
昭和37年 ニンニクエキスの製法特許を取得し、ニンニクエキス入りビタミン剤「ヨロンP」「アリアロン」発売。医療用にも進出。
昭和40年 一般用医薬品メーカーから医療用医薬品メーカーへシフト。
昭和43年 大阪第2工場(現 大阪工場)完成。
昭和47年 製造から販売に至るまでの物流整備を行う目的で発送センター設立。
昭和49年 本社社屋完成、現住所に移転。
昭和53年 澤井治郎、代表取締役社長、澤井弘行、代表取締役専務に就任。
昭和54年 商号を沢井製薬株式会社に変更。
昭和56年 九州工場第1期工事(抗生物質製剤製造設備)完成。
昭和58年 九州工場第2期工事(一般製剤及びシロップ剤製造設備)完成。
昭和59年 研究設備の増設と充実を目的として大阪研究所開設。
昭和60年 メディサ新薬株式会社設立。
九州工場第3期工事(注射剤製造設備)完成。
昭和63年 メディサ新薬九州工場第1期工事完成。
澤井治郎、代表取締役会長、澤井弘行、代表取締役社長に就任。
平成元年 九州工場第4期工事(注射剤製造設備増設他)完成。
平成2年 研究開発部門拡大を目的として研究開発センター新設。
平成3年 発送センターを分離独立して、全額出資子会社、株式会社アクティブワークを設立。メディサ新薬株式会社を子会社化。
平成4年 メディサ新薬九州工場第2期工事完成。
三田工場第1期工事(一般製剤製造設備)完成。
平成6年 製剤研究の充実を目的として製剤研究センターを開設。
平成7年 株式店頭登録。
平成9年 全国紙に全面カラー広告掲載。
メディサ新薬九州工場第4〜5期工事完成。
沢井製薬主催医療経営セミナーを全国で開催。
平成11年 創業70周年記念で、全国紙に全面カラー広告掲載。
平成12年 九州工場注射剤製造設備増設。
東京証券取引所市場第二部上場。
平成13年 メディサ新薬九州工場ISO9002認証取得。

375卵の名無しさん:02/05/27 20:31 ID:qnN6PQ9w

> 3・1独立運動
投稿者: kusuo1 (999歳/男性/城) 2002/ 4/22 12:23
メッセージ: 204 / 214

7509人は明らかに過大な数字で信憑性が全く無い、現地調査をせずに上海でかってに、
報告ではなく(報告をしてくれる組織自体が無かった)噂を元に作成した数字。武力闘争
であった義兵でも17000名程度の犠牲者しか出ていないのに、3・1独立運動(実際は独
立運動ではなくもっと穏やかな権利要求運動)で千人単位の死者がでたとは考えられない。
百数十人とする資料もあったと思います。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835208&tid=ffc4zjbb9ga4nc0a7hs&sid=1835208&mid=204

376卵の名無しさん:02/05/27 20:36 ID:qnN6PQ9w

沖縄と朝鮮
投稿者: nash_824 2002/ 4/26 22:16
歴史教科書問題についてどう思いますか? メッセージ: 506 / 528

江戸時代、両方とも朝貢していて、形式的には清帝国の属国ですよね。

ただし、沖縄は単に貿易上の必要から朝貢してただけで、清帝国に対しては独立国です。
貢物を持って行っても、多くの返礼があった。
ただ実質は薩摩藩の属国。

それに対し、朝鮮は清帝国に対しては紛れもない属国だ。
(服属とか、従属とか言うのは、つまるところ属国ですよ)
何しろ、貢物が多大なんですからね。


むしろ統一新羅の頃は、従属が弱く、目下の同盟者というべき存在だった。これが可能だ
ったのは、満州に渤海が在って、それと対抗するため唐と連帯する事が両国にとって利益
となったからである。総じて、時代が下がるほど従属性が高まって行く傾向がある。誤解
の無いよう付加えると、朝鮮は独立心が無い、と言ってるのではなく、むしろその逆だ。
大国と渡り合いながら、上手く生存して来たと認識している。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=nrbbk652jbdqldbja4ka4da4a4a4fa4ia4a6bbwa4a4a4dea49a4aba1a9&sid=1835396&mid=506
377卵の名無しさん:02/05/27 20:39 ID:ianWtT3x
統領さま、御自嘲を。
378卵の名無しさん:02/05/27 20:43 ID:qnN6PQ9w
歪曲されている、朝鮮戦争の“歴史”
投稿者: Mishi_Mishi_01 (57歳/統一モンゴル) 2001/ 8/10 23:12メッセージ: 205 / 528

まず最初に、誤解のないように断っておくが、今回の騒動の発端となった『新しい歴史教
科書』については、私自身、どうにも胡散臭いものを感じている。報道されている前後の
事情を勘案すると、この教科書の製作者達にとっては、子供達に正しい歴史を教えたい、
という情熱よりも、それを口実に政治や外交に揺さぶりをかけようという狙いの方が、重
要なようだ。こういう企みに、教育が道具として使われるのは、あまり感心しない。

しかし、しかしだ、その教科書に対して、『歴史の事実を歪曲するな』と抗議しているの
が中国と韓国である、という事実に私は唖然としてしまう。いったいこれは、何かの冗談
ではないのか?日本の教科書に抗議をするよりも先に、この二国はお互い同士の間で、対
立している歴史認識について、まず“歪曲”を正すべきだろう。

言うまでも無い。1950年に勃発した朝鮮戦争に関する記述だ。この闘いは、韓国の教科
書では『北の南進・先制攻撃によって始まった。』と記述されている。反対に中国の教科
書は、『アメリカとその傀儡政府が、北朝鮮を侵略した。』と書かれている。

全く、正反対の内容(!)だ。どちらかが事実を“歪曲”していなければ、こんなことに
はならない。いったい嘘をついているのは、韓国なのか、中国なのか。

もし韓国の教科書の方が正しいのだとすれば、中国政府は日本の教科書を追求しているど
ころではない。今すぐにでも韓国に謝罪と反省を示し、遅れていた戦後補償について、話
し合いをはじめる必要があるだろう。しかる後に歴史教科書についても、もちろん記述を
改め、ついでに個人補償の方も忘れないようにしたほうが良い。

逆に、中国の主張が事実なのだとしたら、中国政府は韓国に対して、謝罪と反省を要求す
るべきだろう。何せ韓国の教科書の中では、中国の人民志願軍は“侵略者の一味”として
描かれているのだ。これでは、あの戦争で長男を戦死させた毛沢東や、敵の銃弾を我が身
で阻んだ黄継光烈士に申し訳が立つまい。いったい彼等は、人民の模範なのか? それと
も血に飢えた侵略者だったのか?

幸いにも両国は、『歴史の歪曲は許さない!』という認識では一致しているようだから、
今すぐにでもこの作業は始められる筈だ。いったい中国と韓国の間で、朝鮮戦争について
どのような“歴史の共通認識”が持てるのか、これは非常に興味深い。

あれだけ“歴史の歪曲”を憎む国の事だ、徹底して事実を暴き出してくれるのだろう。ま
ず両国は、かつて戦火を交えた国同士でも、共通した歴史認識が持てるのだ、という事を
実証して見せるべきではないのか? はたして彼等に、『それができる』というのならば、
だが……。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=nrbbk652jbdqldbja4ka4da4a4a4fa4ia4a6bbwa4a4a4dea49a4aba1a9&sid=1835396&mid=205
379卵の名無しさん:02/05/27 20:47 ID:qnN6PQ9w

朝鮮は中国の属国だった
投稿者: kurukuruchoki (137歳/男性/礫川) 2001/ 8/11 11:32 メッセージ: 213 / 528

先達の朝日新聞の社説が扶桑社本について「事実でない糸が混ざっています。 例えば、
昭和天皇は第124代、と記述されています。 実在しない天皇も含めた数字です」と書
いたことに対し、産経新聞の社説で、「朝日新聞社発行の朝日人物事典でも、昭和天皇を
「第124代天皇」と書かれている。 実在しない天皇がいたとしても、昭和天皇を第百
二十四代天皇と記述するのは常識」と指摘されて失笑を買った。

一方、韓国政府は「新しい歴史教科書」にある「朝鮮は中国の支配下にあったが、日本は
早くから中華秩序の外にあり中国支配から自由だった」とする点に、「過去の朝鮮と中国
に関係を「服属」とする記述は誤り」と噛み付いてきたが、韓国の専門学者を動員してか
かれた「韓国史大事典」には朝鮮が中国に従属していた事実を明確にしていた。 

韓国の歴史事典で朝鮮は中国に「服属」し「属国」だったとの記述をしていたことを鑑み
れば、「新しい歴史教科書」の記述はとくに問題ないことになる。 日本を攻撃するため
に、このなり振り構わない一貫性のなさは何を意図するのか。
-------------------------------------------------------------------
韓国政府は日本の中学歴史教科書について「歪曲」として三十五項目の修正要求を日本政
府に突き付け、その中で過去の朝鮮と中国の関係を「服属」とした記述を誤りとしている
が、韓国で発行されている歴史事典は「属国」あるいは「従属」と記述していることが明
らかになった。

これは韓国で最も権威がある「韓国史大事典」(柳洪烈監修、一九九六年・高麗出版社刊、
千八百十九n)に記載されているもので、朝鮮王朝(李朝)と中国(明)の関係について
は「朝鮮」という国号を明に選んでもらったことを指摘した後、さらに「従属の象徴とし
て明の年号を使った」と説明している。

また後の清についても「宗主国」とし、日清戦争(一八九四−九五年)で清が破れた結果
として「朝鮮が完全な独立国であると確認するにいたり、政治的な従属関係はなくなった」
と解説している。 また日清戦争後、国号を朝鮮から「大韓帝国」に変えた経緯について
も「清の属国から脱して独立し帝国として発展すると言う意味」あったと説明している。
《産経新聞 ソウル10日=黒田勝弘》

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=nrbbk652jbdqldbja4ka4da4a4a4fa4ia4a6bbwa4a4a4dea49a4aba1a9&sid=1835396&mid=213
380卵の名無しさん:02/05/27 20:51 ID:qnN6PQ9w

JOG-MacNo.201韓国の歴史教科書拝見
-----JapanOntheGlobe(201)国際派日本人養成講座----------
_/_/
_/CommonSense:韓国の歴史教科書拝見
_/_/
_/_/_/_/「朝鮮は中国の属国ではなかった」とする韓国
_/_/_/の歴史教科書にもの申す。
-----H13.08.05----34,878Copies----293,039HomepageView----

■1.韓国による歴史教科書修正要求は内政干渉か?■

「朝鮮を中国の『服属国』として表現したものは削除必要」

韓国はこのような修正要求を35項目、文部科学省の検定を
終えたわが国の中学歴史教科書に対して、本年5月7日に突き
つけてきた。これは扶桑社の「新しい歴史教科書」だけでなく、
他の7社のすべてを含んでいる。ついで、中国も5月16日に
「新しい歴史教科書」に8項目の修正要求を行った。

これに対して日本の世論は「不当な内政干渉」だ、という声
が圧倒的であった。5月25日にテレビ朝日で放映された「朝
まで生テレビ」の視聴者からの電話アンケートでは、有効回答
数598件中、「明らかな内政干渉である」とする回答(28
6件)が、「要求されて当然だ」とする回答(117件)の2
倍以上であった。

検定途中に扶桑社版の不合格工作を元・外交官が行ったり、
田中外相が「事実をねじ曲げていることを承知の上でつくった
教科書を合格とするような検定制度は問題だ」と発言したりと、
あいかわらず国籍不明の外務省は別にして、文部科学省、およ
び、首相官邸の対応はおおむね毅然としたものであった。

遠山敦子・文部科学相は、韓国の修正要求の翌日、「検定制
度上、明白な誤りがない以上、合格後に修正を行うことはでき
ない」と述べ、小泉首相も森前首相以来の干渉拒否の姿勢を支
持した。

381卵の名無しさん:02/05/27 20:52 ID:qnN6PQ9w

■2.民対民で国際ディベートを■

事実上のゼロ回答に、韓国政府は次々の報復措置を打ち出し
た。来年のサッカー・ワールドカップまでに行う予定であった
日本の歌謡曲のCD販売や娯楽番組のテレビ放映の規制解除の
中断(これは陰で韓国の国内産業の保護という見方もあるが)、
小、中、高等学校の相互訪問中止、8月末に南アフリカで開か
れる世界人種差別撤廃会議での問題提起、等々。

日本政府はこれらについては静観しているが、民間では韓国
内の反日感情の高まりを危惧して、日本からの観光客が7月に
は急減したという。さすがに韓国でも「学生交流までやめさせ
る必要はあるのか」との冷静な声も出てきた。

韓国政府が日本の民間が書いた歴史教科書を修正させろと日
本政府に要求することは、内政干渉であり、かつ言論の自由を
侵すものとして拒否したのは正しい態度であるが、韓国側の要
求内容が妥当なものかどうかを批判するのは、わが国の民間の
役割だろう。

日韓の民間同志で、相互の歴史観をぶつけあうことは、許さ
れることでもあるし、また意味があると考える。これは一種の
国際ディベートとして、相互の歴史観を鍛える機会ともなろう。

■3.朝鮮は服属国であったか?■

本号では、その練習として、「韓国は中国の服属国であった
か」という点に絞って、韓国側の修正要求と歴史教科書記述に
対して、本講座なりの考察を加えてみたい。この点をどう見る
かで、明治期の日韓関係の見方が大きく変わってしまうからで
ある。

韓国の修正要求は、東京書籍、教育出版、帝国書院、日本文
教出版の「征韓論」の部分で、

中国の属国として位置づけられていた朝鮮は、・・・日
本との国交を断った。

とある表現に対して、「当時の朝貢関係につき説明せずに、朝
鮮を中国の属国として表現している」という検討意見をつけて
いる。

382卵の名無しさん:02/05/27 20:53 ID:qnN6PQ9w

扶桑社版にも同様に、「中国の服属国であった朝鮮も」とい
う表現に対して、「朝鮮を中国の『服属国』として表現したも
のは削除必要」とクレームをつけた。扶桑社側は、これを「強
い影響下にあった」と自主修正した。

■4.国号を決めてもらうのが「親善関係」?■

韓国側は教科書でも朝鮮が中国に対して服属国であったこと
を絶対に認めない。まず李氏朝鮮の成立にあたって、

新王朝は、国号を朝鮮と定めた。「朝鮮」は、すなわち
古朝鮮の伝統を受け継ぐという意味で、壇君(JOG注:朝
鮮の開国神話で、天命によって降臨した、古朝鮮の開祖)
に民族の独自性を求めるという意味が含まれている。

と述べるが、国号を朝鮮自身で定めたというのは、歴史事実
ではない。「朝鮮王朝実録」には、太祖・李成桂は使いを明に
送って、国号として「朝鮮」と「和寧」という二つのうちのど
ちらかを採択することを請い、「朝鮮」を選んでもらったので
ある。

中国皇帝が地方の諸侯に封禄・爵位を授ける事を「册封」と
言うが、転じて、周辺諸国の君主に官号・爵位などを与えて、
擬似的な君臣関係を結ぶシステムを「册封体制」(または華夷
秩序、中華秩序)と呼ぶ。朝鮮王も、中国皇帝の柵封を受けて、
初めて朝鮮の国王として認められた。だから、国号でさえ自分
では決められないのである。

朝鮮王朝は、外は明と親善関係を維持して国家の安定を
はかり、女真や日本に対しては交隣政策をとって国際的な
平和を維持した。

国号まで決めて貰う宗主国との関係を対等であるかのような
「親善関係」と記述するのは、相当に無理がある。

明との外交は朝鮮側がより積極的であった。朝鮮は朝貢
を通じて明の名分を立ててやり、使臣の往来を通して経済
的・文化的実利を得た。しかし後にはいきすぎた親明政策
に流れる傾向があらわれた。

宗主国に対して定期的に貢ぎ物を送る「朝貢」も、柵封体制
の特徴の一つである。これを「明の名分を立ててやり」とは、
中国が読んだら、怒って修正要求を出すのではないか?
383卵の名無しさん:02/05/27 20:54 ID:qnN6PQ9w

■5.清国への「君臣の礼」■

明との主従関係は、女真族から起こった清朝にも引き継がれ
た。

後金は勢力を強め、国の名称を清とかえ、朝鮮王朝に対
しては君臣の礼を要求して再び侵入し、漢陽を占領した。

そのため仁祖は臣下とともに南漢山城に移り、45日間
抗戦したが、ついに清の要求を受け入れて講和を結んだ。
この戦争を丙子胡乱という(1636)。

「講和」の結果、清は王子一族をはじめ、3公6卿とその家
族数百人を人質にし、民衆50万人を北方に連行した。その後
1636年から1881年までの244年間に、朝鮮から清へ
の朝貢使は500回以上に及んだ。また清の勅使を迎えるたび
に、朝鮮国王は漢城郊外の迎恩門に至り、土下座して恭しく勅
使を迎えた後、慕華館で勅使の接待をすることを余儀なくされ
ていた。「君臣の礼」とは、このように過酷なものであった。

■6.日本からの無礼・傲慢な国書■

1868(明治元)年、12月19日、日本の新政府の樹立を通告
する国書を携えた使節が釜山浦にやってきた。しかし国王高宗
の父・大院君が実権を握る李朝政府は国書の受取りを拒否した。

その第一の理由として挙げられていたのが、日本からの国書
に「皇上」「奉勅」の文字が使われていたことであった。朝鮮
から見れば、「皇」は中国皇帝にのみ許される称号であり、
「勅」は中国皇帝の詔勅を意味した。朝鮮王は中国皇帝の臣下
であり、このような傲慢かつ無礼な国書を受け取ることはでき
ない、というのが、朝鮮の考えであった。

そのような国書を勝手に受け取ったら、宗主国・清国からど
のような懲罰が下るかもしれぬ、という恐怖感もあったであろ
う。日本の新政府は、その後もたびたび使節を送って交渉を続
けたが、朝鮮側の受け取り拒否は変わらなかった。この時の事
情を、韓国教科書は次のように記述する。

日本は明治維新以降、新しい国家体制を築き、勢力を広
げようと交渉を要請してきたが、朝鮮政府はこれを拒否し
た。これは、日本と修交すれば、西洋の侵略が後に続くと
見なしたためであった。
384卵の名無しさん:02/05/27 21:23 ID:DPB1VBnl

国書を拒否した第一の理由は伏せられたままである。

■7.「朝鮮国は自主の邦にして日本と平等の権を保有せり」■

ひたひたとアジアに押し寄せてくる欧米勢力から、国家の独
立を守るには、内に近代的な国民国家を作り上げ、外に開国し
て早急に近代的経済力・軍事力を身につける必要がある。そう
した危機感をもとに維新を敢行した明治日本の指導者から見れ
ば、古代からの柵封体制から一歩も出ない李朝朝鮮の姿勢は、
火事が迫っているのにも気がつかずに惰眠を貪る老人のように
見えたであろう。

業を煮やした明治政府は、軍艦を派遣して、李朝政府を威圧
し、日朝修好条約(江華島条約)を結ばせた。条文の第一条は
「朝鮮国は自主の邦にして日本と平等の権を保有せり」と始ま
り、朝鮮を清国の柵封体制から独立させようという意図は明白
であった。このあたりを韓国の歴史教科書はこう記述する。

江華島条約は、わが国最初の近代的条約であったが、治
外法権の認定など朝鮮に不利な条約であった。これをきっ
かけにして釜山、元山、仁川の3港を開港し、日本はソウ
ルに公使館を設置し、朝鮮に大きく勢力を浸透させはじめ
た。

たしかに日本の手口はペリーと同じ砲艦外交であり、西郷隆
盛が「天理に於いて恥ずべき所為」と憤ったほどであるが、朝
鮮を冒頭で「自主の邦」と宣言した事については、韓国教科書
では何も触れられていない。

■8.清国軍のソウル制圧と朝鮮属国化■

この条約によって朝鮮は開国し、留学生や使節団をさかんに
日本に送って、近代化への努力を始める。しかしその後、近代
化政策に不満を持つ勢力や、役人の腐敗に不満を抱く民衆によ
る暴動が発生する。日本人軍事教官など数名が暴徒に殺害され、
日本公使館も襲われて、公使らは命からがら脱出した。

高宗の皇后閔妃(びんひ)はこれを失脚していた大院君の策
謀として、清国に暴動平定のための派兵を要請した。清国軍は
3千の兵力と、3隻の軍艦で反乱を制圧し、大院君を清国軍艦
で天津に強制連行してしまう。日本側も居留民保護にために、
1500人規模の出兵を行った。
385卵の名無しさん:02/05/27 21:24 ID:DPB1VBnl

この壬午(じんご)軍乱(1882)の後、清国は対朝鮮干渉を強
化し、ソウルを軍事制圧下に置き、清国朝鮮商民水陸貿易章程
を結んだ。これは朝鮮を清国の属国であると明記し、宗主国と
して貿易上の特権を独占することを規定していた。これにより、
朝鮮を「自主独立の邦」とした日朝修好条約は名ばかりのもの
になってしまった。

わが国の農民たちは、日本の経済的侵略に強い反感をも
つようになり、しだいに日本を排斥する機運が広がってい
った。・・・

壬午軍乱後、朝鮮は清の内政干渉を受けるようになり、
政権についた閔氏勢力は開化政策に消極的になり、近代的
改革をきちんと進められなくなった。

治外法権はあったにせよ、朝鮮を「自主独立の邦」として交
易を求めた日本を「経済的侵略」とし、清国の軍事制圧や貿易
特権の独占を「内政干渉」と言うのは、あまりにバランスを欠
いた記述ではないか。

■9.日清・日露への道■

この後も、日本の支援を受けて近代化と独立を押し進めよう
とする若手官僚を中心とする「開化党」と、清国の軍事力で国
内を抑えようとする閔氏勢力の争いが続く。それが日清戦争に
まで発展するのだが、日本の勝利後、清国と結ばれた下関条約
の第一条で、朝鮮を「自主独立の国」と規定した。朝鮮はよう
やく清国の柵封体制から独立しえたのである。

清日戦争の結果、下関条約が結ばれた。この条約で日本
は遼東半島と台湾を手に入れた。

と、韓国の歴史教科書は、ここでもこの第一条の意義を伏せ
ている。日本がロシア、フランス、ドイツによる三国干渉で、
遼東半島を放棄すると、閔氏勢力は今度はロシアに接近してい
く。これがさらに日露戦争の原因となっていくのである。

386卵の名無しさん:02/05/27 21:25 ID:DPB1VBnl

三国干渉に屈した事実を見れば、日本の当時の国力では、欧
米勢力を向こうに回して、朝鮮の侵略と植民地化などという大
それた野望は持つべくもなかった事は明白である。日清、日露
と日本が自国の存亡を賭けて中露二大国と戦ってきた目的は、
ひとえに自存自衛の為に、隣国朝鮮を「自主独立の国」として、
清国やロシアの属国化を防ぐことにあった。もし、本当に朝鮮
が自主独立の国であったとすれば、わが国は日清戦争も日露戦
争も戦う事なく、もっと安全で幸福な道を歩めたであろう。

韓国が、清国との貿易章程で「属国」と規定した事実までも
隠蔽して「朝鮮を中国の『服属国』として表現したものは削除
必要」と要求するのは勝手である。しかし、それは我らが父祖
が、朝鮮の独立保全のために必死に戦った意義を無視し、逆に、
その努力を朝鮮侵略と曲解することにつながる。日本人の歴史
観としては到底、受け入れられない要求である。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a.JOG(190)「お家の事情」の歴史観
http://macky.nifty.com/cgi-bin/bndisp.cgi?M-ID=0367&FN=20010520000012
b.JOG(056)忘れられた国土開発
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog056.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1.勝岡寛次、「韓国・中国歴史教科書を徹底批判する」★★★、
小学館文庫、H13
2.呉善花、「韓国併合への道」★★、文春新書、H12
3.名越二荒之助、「日韓2000年の真実」★★★★、国際企画、H9

http://macky.nifty.com/cgi-bin/bndisp.cgi?M-ID=0367&FN=20010805000014
387卵の名無しさん:02/05/27 22:30 ID:BsUp6Nw+
もはや狂気だな・・・この人
388卵の名無しさん:02/05/28 00:09 ID:3/xdrExK
瀋陽事件:これこそが本当の真実です
若生疆雄H14.05.205,475部
JOGWingNo.510

*弱腰の日本

とにかく驚いた。瀋陽の日本総領事館に駆け込んだ北朝鮮家
族の亡命事件を巡る外務省の「事実調査」の後に新たな事実が
次々に出てくる。それも、中国側が出して日本側が渋々認める
パターンで、これでは「日本側と中国側のどちらを信じるんで
すか」と首相や官房長官に気色ばまれても、素直に「日本側で
す」とは、とても言えない。「中国側です」と言わないだけ有
り難いと思ってもらいたいくらい。

驚いたのはそれだけではない。私はできる限り固定観念を排
除して客観的に物事を見るようにしているのだけれど、主権国
家に「主権」の意識がないことにまでは考えが及ばず、我が政
府/我が外務省/我が官僚には当然主権意識があるとの「固定
観念」に囚われていたので前のメールのような的外れの推理に
なってしまった。しかしながら、彼らに主権意識など全くない
ことが分かった今は政府の真実/外務省の真実/官僚の真実が
よく見える。特に、阿南在北京大使の発言が漏れ伝えられた後
は。

阿南大使は事件の当日5月8日の午前中に大使館の定例会議で
次のような発言をした:「(北朝鮮からの)亡命者が日本大使
館に入ってきた場合は不審者とみなして押し戻せ。人道問題に
なれば私が責任を取る」と。

その4時間後にまさに彼の言った通りの人道問題が発生した
にも拘らず、政府には大使の責任追及の動きがなく、動きがな
いどころか、逆に、与党からまで噴出する更迭要求からなんと
か彼を守ろうと必死。普通なら、こんなとんでもない発言が出
たら即座に首のはず。それが、まるで逆の対応とは不可解極ま
りない。

そもそも事件発生時の政府の対応にしてからがおかしかった。
小泉首相は当日の夜「外国のことでもあるし、その国の事情が
あるから。よく調査して冷静に慎重にやりなさいと言ってあ
る」と、いかにも中国に配慮した発言をした。そして、その後
決定的なビデオの映像から中国警官が無断で総領事館内に入っ
た主権侵害が明らかになったにも拘らず「抗議」や「陳謝」の
要求が遅れ、どこか腰が引けていた。ここまで主権国家の主権
をないがしろにされたら、他の国なら即大使の引き揚げだ。
389卵の名無しさん:02/05/28 00:10 ID:3/xdrExK

*小泉首相の意向

この日本の弱腰外交と阿南大使の発言から浮かび上がるもの。
それは大使の発言が彼個人の考えを越えて、外務省/政府のそ
れに基づくもの。すなわち、日本国の方針を受けてのものだと
いうことであり、瀋陽の総領事館もその指示を忠実に実行した
に過ぎない。だから中国に「抗議」以上の強硬な措置を取れな
いし、在北京大使の責任追及もできないのである。もっとはっ
きり、歯に衣着せずに言えば、この事件の背景には小泉首相の
意向が強く働いている。その根拠はこうだ。

今回の事件で外務省の「チャイナスクール」が悪者にされて
いる。「チャイナスクール」とは中国語を話し、中国外交に特
化した外交官の集団である。彼らは中国に入れ込む余り、全て
において中国寄りの見方をし、中国一辺倒になって、日本より
も中国のために働いているのではないかと保守派から批判され
る人達だ。そのチャイナスクールのトップである阿南大使であ
ってみれば、あのような発言も頷けるというわけなのだ。しか
しながら、それは誤りだ。

確かに亡命者は厄介な存在で、中国べったりの日本大使であ
ってみれば、あの発言は彼の本音であるかもしれない。しかし
ながら、外交官はプロトコルとまでは言わないが、慣例や国際
慣行を重んじる。そして、北朝鮮の亡命希望者が各国の公館に
駆け込む事件が続いたことで、彼らの対処法は、身元を明かさ
ないまま第三国に出国させて韓国へ送るとの方式ができた。つ
まり、北朝鮮亡命者の扱いにおける国際方式が既に確立されて
いる。

だとすれば、「右へならえ」が大好きな日本人である日本の
外交官がこれに従わないわけがない。確かに亡命者の駆け込み
は事件だが、もはやルーチン化された手続きであってみれば、
中国が文句を言うはずもなく、それで対処して何の不都合もな
い。何の不都合もない国際方式/国際慣行を敢えて排除してま
で「亡命者を不審者とみなして追い出せ」と大使が言うからに
は上からの特別な指示があったと見るのが自然だ。そして、そ
の「上から」が小泉首相であったことに疑念を挟む余地はない。
すなわち、今回の総領事館の不手際は去年の8月13日の靖国参
拝で中国に大きな借りができて以来続けてきた首相の中国に対
する土下座外交の一環だったというのが真相なのである。

390卵の名無しさん:02/05/28 00:11 ID:3/xdrExK

小泉首相は今年も先月靖国神社に参拝して中国の怒りを買っ
た。「終戦の日だろうと例大祭だろうと同じこと。戦犯を祀っ
た靖国神社への首相の参拝は絶対に認められない」と怒る中国
に対して、「A級戦犯に参ったわけではない」と「見解の相
違」を主張した首相であるが、問題は、その主張が国内向けで
あって、中国と韓国に対してはただひたすら謝っていることだ。
小泉純一郎ほど内弁慶な政治家もいない。内では強気、外には
這いつくばる。

アメリカに対する「這いつくばり外交」はアフガン戦争への
協力や有事法制でよく知られる(この件に関する国民の意識が
低い以上、これは仕方がないと私自身は考えている)が、実は
中国や韓国にも同じことで、靖国参拝や教科書問題でトラブり、
一見対立しているから見えにくいだけ。彼は自分の面子のため
だけに靖国に参拝し、その後で埋め合わせを懸命にやっている。
彼の尻拭いのために外務官僚はどれだけ土下座させられたこと
か。中韓両国に散々謝り譲歩し、謝罪行脚をさせられたのは記
憶に新しい。有力国の要人が誰も出ない海南島での会議に出席
したのもそう。あの時は小泉さんが中国に協力して「貸しを作
った」から不審船の引き揚げにOKをもらえるのではないかと期
待する向きがマスコミにあったが何の見返りもなく、逆に、中
国に対する首相の立場がどれほど弱いかを浮き彫りにした。

そして「亡命者が日本大使館に入ってきた場合は不審者とみ
なして押し戻せ」もこの延長線上にあり、中国国内に30万人も
いると言われる脱北者問題で、友好国の北朝鮮と世界との板挟
みにある中国のために「少しでもお役に立ちたい」と考えての
阿南大使(=小泉首相)の指示だったのである。だから事件当
日の夜「外国のことでもあるし、その国の事情があるから。よ
く調査して冷静に慎重にやりなさい」とインタビューに答えた
時の首相には「計算通り」の余裕があった。

*狂ったシナリオ

総領事館に入った亡命者を引き渡しながらも、国内向け/国
際向けには館外で起きた出来事で済ます(最初の発表がその通
りになっている)。そうやって事件を揉み消してやれば、他国
の公館ではありえないから、中国に喜んでもらえる−はずだっ
た。すなわち、「その国の事情があるから、よく調査して冷静
に慎重にやりなさいと言ってある」は中国に対する気配りを発
信するメッセージだったのである。

391卵の名無しさん

要するに、靖国問題で国内向けには「見解の相違」などと言
いながら、中韓には謝り譲歩し這いつくばるのと同じ構図であ
り、いかにも主権意識が高いような顔をしていながら、裏では
主権も人権も棚上げして中国に這いつくばるシナリオだったの
だ。そして、亡命事件が起き、総領事館では全てがシナリオ通
りにスムーズに進められた。

ところが、このシナリオは意外なところから崩れる。すなわ
ち、事件の一部始終が亡命家族を支援するNGOのお膳立てでビ
デオに撮られて世界に配信されたから、さあ大変。国家主権が
掛かった外交問題になってしまい、「愛国者・小泉純一郎」と
しては引くに引けなくなった。

事件の翌日、亡命の情報が事前に日本側に伝えられていたか
どうかとの質問に首相は「よく写真撮ってあったね。しかし私
は聞いてません」と答えている。しかしながら、この件に関わ
った日本のジャーナリストが「伝えた」と明言しているから、
「亡命者が来るかもしれない」ことは知っていたはず。だから
こそ小泉さんの指示で「押し戻せ」になったのだ。

ここで注目すべきは、質問に対する本来の答えである「聞い
てません」の前に「よく写真撮ってあったね」とあること。
「聞いてません」は実は聞いていたわけだから、この「よく写
真撮ってあったね」の「よく」には「まさか写真を撮られてい
るとは思わなかった」、「よくもまあ」という彼の本音が込め
られているのである。

*絶体絶命

それはともかく、中国にはそうした小泉さんの「配慮」が分
かっていたから、「陳謝」だ何だと日本側が居丈高になっても
当初は穏やかに対応していたのだが、ビデオの世界配信で中国
のイメージが傷つくに至っては黙っているわけに行かず、当事
者の具体的発言まで引用して反論。それでも尚日本側に配慮し
て、洗いざらいぶちまけるようなことをせずに自制していたの
に、面子が掛かって引くに引けない日本側は益々エスカレート。
日本人が聞いても日本側の主張は嘘と分かる支離滅裂ぶりで、
もはや外交の体をなしていない。