21 :
関連スレッド相互リンク:02/04/01 21:11 ID:o80rfSQU
22 :
卵の名無しさん:02/04/02 20:38 ID:H5aCsBD+
23 :
卵の名無しさん:02/04/05 06:56 ID:7h20oCh7
旧ミドリ十字、国の再評価後も3年販売 C型肝炎問題
http://www.asahi.com/national/update/0405/001.html 非加熱の濃縮血液製剤「フィブリノゲン」によるC型肝炎感染問題で、
製造・販売元の旧ミドリ十字(現三菱ウェルファーマ)が77年に米国で
同じ成分の製剤が承認取り消しになった直後に、その事実を把握していた
ことが関係者の証言でわかった。84年には、旧厚生省に対して、承認を
取り消した米国の関連資料などを提出していた。しかし、旧厚生省は即座
に対応をとらず、結果的に安全性を高めた加熱製剤に切り替える3年後ま
で、販売が継続された。厚生労働省は、この経緯を調べることにしている。
同社は5日、厚生労働省に正式な報告書を提出する。 フィブリノゲン
は、旧ミドリ十字が64年に承認を受けて製造販売していた止血剤。古い
医薬品の効果や安全性を見直す再評価を進めていた当時の厚生省に対し、
旧ミドリ十字は84年、フィブリノゲンの再評価のための資料を提出した。
旧ミドリ十字が厚生省の中央薬事審議会の調査会に提出した資料は、
(1)フィブリノゲンと同じ成分の製剤が77年に米国で承認を取り消さ
れたことを示す資料(2)国立予防衛生研究所(現感染症研究所)の血液
製剤部長が79年に発行した著書のコピーなど。この著書は、米国での承
認取り消しに触れ、「(この製剤は)肝炎感染の危険が大きい」と指摘する
意見を紹介していた。
しかし、再評価を検討した調査会では、承認を取り消したり、使用を限
定したりするなどの結論には至らなかった。フィブリノゲンが投与された
産婦8人が肝炎を発症したことが発覚し、旧ミドリ十字が製剤を自主回収
する87年まで対応策がとられなかった。
血液を固める血中成分からつくったフィブリノゲン製剤は、手術で出血
した患者の止血などに使われていた。
調査会でなぜ、使用継続が認められたかは明らかではないが、この製剤
は、妊婦の大量出血時に使われることが多く、当時の再評価に当たった調
査会のメンバーの1人は、「産婦人科の医師から『使用できなくなると困
る』と言われた」と振り返る。
84年当時、C型肝炎は非A非B型肝炎と呼ばれていた。C型肝炎ウイ
ルスはまだ発見されていなかったため、汚染された血液が製剤原料に混入
するのを防ぐことはできなかった。しかし、感染者が肝硬変や肝がんにな
る可能性は、研究の結果から示されていた。
厚生労働省は当時、調査会でどのような議論が交わされたのか調べると
ともに、承認を取り消した理由を米食品医薬品局(FDA)に照会中だ。
米国での取り消しから84年の再評価までの間に、ミドリ十字から厚生
省にFDAの措置について報告があったのかどうかは今のところ判明して
いないという。(03:07)
24 :
卵の名無しさん:02/04/05 07:00 ID:7h20oCh7
「血液製剤、米で禁止」集団感染2年前に承知
http://www.yomiuri.co.jp/top/20020405it01.htm 血液製剤「フィブリノゲン」でC型肝炎ウィルス(HCV)に感染した
薬害肝炎問題で、米国で同製剤が1977年に製造禁止となったことを、
旧ミドリ十字(三菱ウェルファーマ)が7年後の84年に旧厚生省に報告
していたことが、4日、関係者の話でわかった。同省は、86―87年に
日本国内で集団肝炎感染が発生するまで、適切な対策を取っていなかった。
これまで米国での製造禁止措置への国内対応は「わからない」としてい
た厚生労働省は、ミドリ側の報告の時期や当時の厚生省の対応などに問題
がなかったかどうか、調査を行う方針。
関係者によると、同社は85年、すでに製造承認を受けていたフィブリ
ノゲン製剤の「再評価」を厚生省に申請した。これに先立つ84年、同社
は、再評価のための準備資料を同省に提出したが、その中に、米食品医薬
品局(FDA)が同製剤を製造禁止にしていたことを示す資料も含まれて
いたという。
再評価制度は、既に市販されている医薬品の安全性や効能を再確認する
もの。同省では当時、67年以前に製造承認を受けた医薬品について順次、
再評価を行っていた。
フィブリノゲン製剤についても、中央薬事審議会で再評価が進められた
が、87年に青森県内の産科医院で、8人の女性がフィブリノゲンを投与
された後に非A非B型肝炎ウイルス(現在のC型肝炎ウイルス)に集団感
染していたことが発覚。これをきっかけに、同省が肝炎感染の実態調査を
ミドリ十字に指示。同社は同製剤の自主回収を始め、加熱製剤に切り替えた。
このため、非加熱のフィブリノゲン製剤は、安全性評価などの結論が出
ないまま、再評価の申請は取り下げられていた。
こうした経緯について、三菱ウェルファーマは5日にも、厚生労働省に
報告する予定。これを受けて同省も、〈1〉同省がFDAの承認取り消し
をいつ把握したか〈2〉フィブリノゲン製剤の再評価の審議内容――など
について、当時の担当職員らから大規模な聞き取り調査を行う方針だ。ま
た、FDAにも職員を派遣し、承認取り消しの背景などを確認することに
している。
25 :
卵の名無しさん:02/04/05 15:24 ID:ERjnM7Er
ageru
26 :
卵の名無しさん:02/04/06 14:54 ID:tArWgPUf
病との闘い続く 血液製剤感染の被害者
「黙って死んでいけばいいのか」「真相、絶対究明して」
http://www.sankei.co.jp/news/morning/06na1001.htm C型肝炎ウイルス感染問題で、製造・販売していた旧ミドリ十字(現三菱ウェ
ルファーマ)が五日、厚生労働省に提出した報告書。この中からはミドリ十字の
責任だけでなく、旧厚生省の行政責任まで見え始めた。が、事実が明らかになっ
ていく一方で、C型肝炎の感染者たちは、体の不調を訴えながら、病気との闘い
に明け暮れる毎日だ。
「体が言うことを聞かない」「黙って死んでいけばいいのか」「毎月五十万円
も治療代を使っている」−。輸血や非加熱血液製剤の投与などで感染したC型肝
炎の相談を行う薬害肝炎研究会(代表・鈴木利廣弁護士)が一日から五日まで実施
した「薬害肝炎被害ホットライン」には、思わぬところから感染した人たちから
の悲鳴や憤りの声が聞こえてきた。
電話回線四本とファクスによるホットラインに五日間で寄せられた相談は七百
八十四件。受話器を置けばすぐ鳴る状態だったという。輸血が原因だったのは約
八割を占めたが、そのほか約一割が血液製剤が原因だった。四日までに寄せられ
た五百四十五件のうち、血液製剤が原因と疑われるものは五十七件。そのうち、
血液製剤「フィブリノゲン」が強く疑われるものは十二件。特に一九八〇年代後
半に九件が集中している。
五日に厚生労働省で会見した鈴木弁護士は「一九八四(昭和五十九)年に旧ミド
リ十字が旧厚生省に米国での製造禁止について報告したならば、すぐに対策を取
れば血液製剤による感染者の四割は防げた計算になる」と語る。そして、感染者
のやるせない思いを代弁し、「治療に苦しみ、原因究明すらされず、行き場のな
い憤りを感じている人たちが山のようにいる。行政は治療費の無料化などの対策
を取らなければならない」と訴えた。
C型肝炎の感染者は国内で約二百万人いるとされ、感染者による仲間の会が全
国で作られている。 そのうちの一つ、全国肝臓患者連合会(東京)の男性会員は
「すごくいい止血剤がある」と医者にフィブリノゲンを勧められ、C型肝炎に感
染し、現在でも苦しんでいるという。手術の際の輸血からC型肝炎を感染した都
内の女性会員は「感染の可能性なんて患者には分からない。旧厚生省や旧ミドリ
十字は責任を明らかにし、真相を絶対に究明してほしい」と語気を強めた。
【C型肝炎】C型肝炎ウイルス(HCV)に感染することによって発症し、全身
の倦怠(けんたい)感や黄疸(おうだん)などの症状がある肝臓病。血液を介して感
染する。感染すると約7割が慢性化し、特別に治療しないと15%程度が肝硬変
になり、うち半数が肝臓がんなどで死亡する。15−20年かけて少しずつ進行す
る。輸血後に発症することが多いため「輸血後肝炎」とよばれ、ウイルスが昭和63
年に米国で分離されるまでは「非A非B型肝炎」とされた。有効な治療法として
インターフェロン投与があるが、感染者の約3割は救えないという難治病。
27 :
卵の名無しさん:02/04/06 14:57 ID:tArWgPUf
≪フィブリノゲンをめぐる動き≫
昭和39(1964)年 非加熱フィブリノゲン製造承認
昭和52(1977)年 米食品医薬品局(FDA)がフィブリノゲン製造承認取り消し
昭和54(1979)年 旧国立予防衛生研究所の血液製剤部長が著書でFDAの措置を報告
昭和59(1984)年 旧ミドリ十字が再評価資料提出。FDAの措置について触れる
昭和60(1985)年 旧厚生省がフィブリノゲンの再評価開始
昭和61(1986)〜62(1987)年 青森県の産婦人科医院でフィブリノゲン投与の産婦
8人が非A非B型肝炎(後のC型肝炎)に感染
昭和62(1987)年 非加熱フィブリノゲンの自主回収開始。加熱フィブリノゲン販
売開始
昭和63(1988)年 相変わらず感染が報告され、旧ミドリ十字が緊急安全性情報を
出し、製造中止の文書を医療機関に配布するが、製造続く
平成6(1994)年 加熱処理とS/D(界面活性剤)処理による安全性を高めたフィ
ブリノゲンの製造承認
28 :
卵の名無しさん:02/04/06 15:10 ID:UjtH4ZzA
旧ミドリ十字、肝炎感染問題で国に報告書
http://www.asahi.com/national/update/0405/027.html 旧ミドリ十字(現三菱ウェルファーマ)の血液製剤「フィブリノゲン」による
C型肝炎感染問題で、77年に米国で同じ成分の製剤が承認を取り消される2年
前、同社は製剤の添付文書に「米国では使用者の15〜20%が急性肝炎を発症
したとの報告がある」と追記していたことが5日、厚生労働省にウ社が提出した
報告書でわかった。旧ミドリ十字は「米国とは安全対策が異なる」などとして、
87年に集団感染が発生するまで販売を続けていた。厚労省は報告書の内容を確
認し、必要なら再調査を求める。
報告書によると、旧ミドリ十字は74年5月、厚生省の指導により使用上の注
意を改定する際、フィブリノゲンの添付文書を「本剤の使用により、まれに血清
肝炎に罹患(りかん)することがある」と全面改定。さらに、75年11月には
「アメリカにおいては本剤の使用により、15〜20%の急性肝炎の発症がある
との報告がある」との一文を追加していた。
その2年後の77年12月、米食品医薬品局(FDA)が同じ成分の製剤の承
認を取り消したことは、78年1月末には米国の官報で把握していた。官報は取
り消しの理由について、B型肝炎感染の危険性が代替製品よりも高い、と記して
いた。
米国での承認取り消し後も販売を続けた理由については、(1)米国と違い、
血清肝炎対策として紫外線照射に加えて化学処理もしていた(2)当時、フィブ
リノゲンによる肝炎感染の報告が少なかった−−などと主張。承認を取り消した
のは米国だけで、欧州では販売が続いていたとも説明している。
薬効の再評価のために旧厚生省に資料を提出した84年9月までに、米国での
承認取り消しを厚生省に報告したかどうかや、会社としての対応を検討したこと
を示す資料は見つからなかった、としている。
フィブリノゲンは、80年以降でも国内で約28万人に使われ、うち1万人余
りが肝炎ウイルスに感染したと推定されており、同社の化学処理などは結果的に
効果がなかった、と指摘されている。
三菱ウェルファーマは報告書の中で、「安全対策に限界がある」などとして、
フィブリノゲンの販売中止を検討していることを明らかにした。(22:11)
29 :
卵の名無しさん:02/04/08 13:01 ID:OGNRH9Vy
age
30 :
卵の名無しさん:02/04/09 20:09 ID:dZkHZAk/
>>27 フィブリノゲンの承認・製造・問題など流れを
分かりやすくまとめていただいて感謝です。
それから、どこかで読んだのですが、紫外線処理とかってのも
行われてませんでしたか?
別の血液製剤だったんでしょうか?
31 :
卵の名無しさん:02/04/10 18:11 ID:IQE3WjTg
ageage
32 :
卵の名無しさん:02/04/11 16:07 ID:9FPOvDpB
ageageage
33 :
卵の名無しさん:02/04/11 21:06 ID:TsRfIBB5
薬害エイズ・HIV訴訟でミドリ十字が謝罪
http://www.asahi.com/edu/lookback/092.html HIV訴訟で謝罪するミドリ十字の社長ら
1996年(平成8年)3月14日、輸入血液製剤によってエイズウイルス(HIV)に感染した
血友病患者と家族が国と製薬会社を訴えているHIV訴訟で、製薬会社のミドリ十字は加
害責任を認めて、社長、役員らが床に手をついて謝罪した。大阪市の同社本社で
http://www.asahi.com/edu/lookback/photo/092.jpg 輸入された非加熱の血液製剤によってエイズウイルス(HIV)に感染した血友病患者、
家族が国と製薬会社を訴えている東京、大阪両地裁のHIV訴訟に絡んで、菅直人厚相は
1996年(平成8年)2月16日、厚生省で患者ら200人と会い、「厚生省を代表して本当に
心からおわびを申し上げます」と述べ、国の責任を全面的に認め、謝罪した。厚相が正式
に責任を認めて謝罪するのは初めてのことだった。
面会は、2日前から座り込みを続けてきた患者らの強い要望で実現したが、原告の男性が
「これまで国や企業の責任が指摘されていたにもかかわらず、一切反省することもなく責
任を認めようとしない」と厳しく批判したのに対し菅厚相は、前年10月の東京、大阪両
地裁の和解勧告で指摘された(1)厚生省がエイズ研究班を設置した1983年には非加熱製剤
とエイズの関係を認識できた(2)対策の遅れが被害の拡大を招いた――などの国の責任を
全面的に認めることを表明した。
東京・大阪両地裁でのHIV訴訟はこのあと和解が成立、提訴から7年で決着したが、危
険な輸入非加熱製剤による治療を指導していた安部英・前帝京大副学長、厚生省課長、さ
らに製薬会社「ミドリ十字」の歴代3社長らが業務上過失致死容疑で逮捕、起訴され裁判
が続いている。
■CD-ROMソフト『ドキュメント20世紀』より。
(C)朝日新聞社・インクリメントP
34 :
卵の名無しさん:02/04/12 07:18 ID:ceUiRA20
薬害肝炎、加熱製剤でも集団感染…長野の病院で
http://www.yomiuri.co.jp/04/20020412i201.htm 長野県内の総合病院で1987年9月、出産時の止血のために、加熱処理された
血液製剤「フィブリノゲン」を投与された女性3人が、非A非B型肝炎ウイルス
(現在のC型肝炎ウイルス)に集団感染していたことが、11日までにわかった。
フィブリノゲン製剤を巡っては、青森県内の産科医院で発生した女性8人の同ウイ
ルス集団感染をきっかけに、旧ミドリ十字(現三菱ウェルファーマ)が同年4月に
非加熱製剤を自主回収していたが、直後に販売された加熱製剤でも、深刻な薬害
肝炎被害が発生していたことが、あらためて浮き彫りとなった。
長野県の病院で発生した集団感染の原因となったのは、同社が87年6月から
発売した加熱製剤「フィブリノゲンHT―ミドリ」。
同病院の院長の説明によると、87年8月に出産のため入院した当時30歳の
女性は、翌9月の分べんの際、出血が多かったため、輸血とともに同製剤の投与を
受けた。 また、同病院に同月、入院した当時38歳と同29歳の女性2人も、
分べん時の出血が多く、同製剤が投与された。この2人に輸血は行われなかった。
3人はいずれも、出産から約1か月後に黄だんや肝機能障害などの症状を訴え、
それぞれ別の病院に入院。その後、全員が非A非B型肝炎と診断された。
3人の肝炎感染を知った出産病院の内科医(現院長)が原因を調べた結果、フィ
ブリノゲン製剤による集団感染の疑いが強いことが判明した。同病院でフィブリノ
ゲン製剤が使われたのは、この3人だけだった。
院長によると、当時の同病院の産科医は、ミドリ十字の営業担当者から「加熱さ
れた血液製剤だから肝炎感染の心配はない」などと説明されたため、安心してフィ
ブリノゲン製剤を使用したという。輸血を行っていない2人は、肝炎感染が分かる
まで、止血剤として同製剤を投与されたことを知らなかった。
加熱製剤の投与を受けた女性が全員、肝炎感染したことについて、院長は「他の
病院でも当時は、加熱製剤を多用していたのではないか。加熱製剤でも被害が出て
いることを、もっと広く知ってもらいたい」と話している。
旧ミドリ十字は、加熱製剤でも非A非B型肝炎の症例が報告されているとして、
88年6月、緊急安全性情報を出すとともに、医療機関の在庫品の回収を行っ
ている。
35 :
卵の名無しさん :02/04/12 09:07 ID:+WOHIzRW
1989年C型肝炎の遺伝子の一部が始めて同定される、というのも年表に入れるべきでは?
それはそうと、フィブリノゲン販売中止も考えてるって?
まあ、これだけ問題が多発するというか、過去の問題を穿り返されれば
嫌気が差すのも仕方ないかもしれないけど、患者はどうなるんだろう?
そのへんのところも考えて欲しいね。
無フィブリノゲン血症の患者に代替製剤なんてないんだから
発売中止=氏ねって事に限りなく近いんじゃないのかね?
大赤字な製品らしいって事もMRから聞いてるけども
それならばそれで功労省もすこし考えて薬価設定すればいいだろ?
肝炎問題が発覚し始めた20年前ほどに販売中止してれば
実際の所、今C型肝炎で苦しんでる無フィブリノゲン血症は苦しまずに
済んでるのは間違いないだろうね。だって今まで生存できなかっただろうから。
36 :
卵の名無しさん:02/04/12 09:45 ID:cMowACCT
>>22 東京田辺出身者は50歳以上どころか20代でさえリストラされまくってます。
東京田辺の人間は徹底的に淘汰されるよん。
37 :
卵の名無しさん :02/04/12 14:35 ID:uwIho8yO
>>35 今苦しむか、さっさっとお亡くなりになっていたか…
究極の洗濯ですか
長野の医師みたいな奴って結局自分がやった事実をなんとか丸め込みたいのでは?
実際使ったのは自分であって、メーカーが大丈夫だと言っただのなんだのは
単なる言い訳に過ぎないわけで。
MRが大丈夫だと言ったのを信じるほどのバカ医師だったと言うことでしょ?
もともと血液製剤の加熱処理ってのはB型肝炎およびその後の非A非B肝炎の
感染発覚が原因で進められたと言う事実はな〜〜〜〜んも語られていないような
気がするのは気のせい?
肝炎が元で進んだ話がHIVに摩り替えられて、その挙句に「今度は肝炎です!」ですか?
日本のマスコミも本当にレベル低いね。
HIVよりも先に肝炎だろっ!と気付いていた医師もかなり少ないんだろうな。
40 :
卵の名無しさん:02/04/12 16:39 ID:u0qmluQs
41 :
関連年表:02/04/12 17:09 ID:vXGHqD2J
≪フィブリノゲンをめぐる動き≫ 産経新聞より(
>>27の追加)
昭和39(1964)年 非加熱フィブリノゲン製造承認
昭和52(1977)年 米食品医薬品局(FDA)がフィブリノゲン製造承認取り消し
昭和54(1979)年 旧国立予防衛生研究所の血液製剤部長が著書でFDAの措置を報告
昭和59(1984)年 旧ミドリ十字が再評価資料提出。FDAの措置について触れる
昭和60(1985)年 旧厚生省がフィブリノゲンの再評価開始
昭和61(1986)〜62(1987)年 青森県の産婦人科医院でフィブリノゲン投与の産婦
8人が非A非B型肝炎(後のC型肝炎)に感染
昭和62(1987)年 非加熱フィブリノゲンの自主回収開始。加熱フィブリノゲン販
売開始
昭和63(1988)年 相変わらず感染が報告され、旧ミドリ十字が緊急安全性情報を
出し、製造中止の文書を医療機関に配布するが、製造続く
昭和64(1989)年 C型肝炎の遺伝子の一部が始めて同定される
平成6(1994)年 加熱処理とS/D(界面活性剤)処理による安全性を高めたフィ
ブリノゲンの製造承認
42 :
関連年表:02/04/12 17:11 ID:vXGHqD2J
43 :
関連年表:02/04/12 19:39 ID:lGbI8JDg
ミドリ十字(日本ブラッドバンク)設立の背景
1950(S25)年 6月25日、朝鮮戦争が勃発、北軍は3日でソウルを占領、
8月には南(国連)軍は釜山まで追いつめられた。
9月15日、国連軍は仁川上陸作戦敢行、10月19日平壌占領
10月末から中国軍が参戦する。
1951(S26)年 1月1日 北朝鮮・中国軍が反撃、38度線を超える。
1月4日 国連軍、ソウルを撤退。
2月23日 日本共産党、4全協で武装闘争方針を提起。
2月26日、日本初の血液銀行、日本ブラッド・バンク(後のミドリ
十字)が大阪で開業、創立当初の役員の半数は石井機関の関係者。
4月16日 マッカーサー、アメリカへ帰国。(マッカーサー離日)
44 :
関連年表:02/04/12 19:47 ID:7CSLTLFC
<<石井部隊の人体実験>>
日本軍によって行われた人体実験(生体を用いた殺人的実験)には、次のようなものが
あります
(2) 病気に感染させる
ペスト、脾脱疽【炭疽】、鼻疽、チフス、コレラ、赤痢、流行性出血熱など。その目的
は、未知の病原体を発見するため、病原体の感染力を測定するため、感染力の弱い菌株
を淘汰し強力な菌株を得るため、細菌爆弾や空中散布の効果を調べるため、など、様々
被験者は死後に解剖されたり、感染確認後に生きたまま解剖されて殺されました。
(3) 確立されていない治療法を試す
手足を人為的に凍傷にしてぬるま湯や熱湯で温める[凍傷実験]、病原体を感染させて
開発中のワクチンを投与する、馬の血を輸血する、など
(4) 極限状態における人体の変化や限界を知る
毒ガスを吸入させる、空気を血管に注射する、気密室に入れて減圧する、食事を与え
ずに餓死させる、水分を与えずに脱水状態にする、食物を与えずに水や蒸留水だけを
与える、血液を抜いて失血死させる、感電死させる、新兵器の殺傷力テストを行う。
45 :
関連年表:02/04/12 19:52 ID:jys04SJ7
実行者たちは戦後どうなったか-1
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/~tsuchiya/vuniv99/exp-lec4.html (
>>44も)
1945年8月9日、ソ連が太平洋戦争に参戦して満州へ攻め込んできました。この日か
ら石井機関は、細菌兵器の開発や使用、および被験者虐殺の証拠を隠滅することに全力
を傾けます。七三一部隊ではまず、生き残っていた「マルタ」を全員殺害し、遺体を焼
却して捨てました。実験を記録した書類やフィルムなども焼却されました。主要な施設
は工兵隊によって爆破され、とくに「ロ」号棟や特設監獄は念入りに破壊されました。
また、部隊員やその家族は、ソ連に捕らえられないよう、特別列車でいち早く帰国しま
した。そのおかげで、ソ連や中国の捕虜になった七三一部隊の幹部や部隊員はわずかし
かいませんでした。
(1) 米国による戦犯免責 --詳細は、常石敬一『医学者たちの組織犯罪』;太田昌克
『731免責の系譜』、を参照
日本を占領した米軍は、ただちに石井機関の調査を始めました。しかし、それは戦犯告
発のための調査ではなく、細菌兵器研究の成果についての調査でした。1942年に細菌
兵器の研究開発に着手したばかりの米国にとって、石井機関の研究成果は国防上非常に
重要なものとみなされたのです。8月28日に厚木に到着した第一陣の調査団は、細菌
兵器のみならず、日本における原爆や化学兵器などの研究成果を調査するためのもの
でした。
この調査団で石井機関の調査を担当したのは、米国の細菌兵器の研究施設キャンプ・デ
トリックのマレー・サンダース軍医中佐でした。そして通訳として呼ばれたのは偶然に
も、石井機関の中核である陸軍軍医学校防疫研究室を実質的に取り仕切っていた「石井
の番頭」内藤良一軍医中佐でした。最初の一ヶ月間、めぼしい成果をまったく上げられ
なかったサンダースは、焦って内藤に、戦犯として訴追しないことを約束する代わりに
真実を語るよう迫ります。この戦犯免責の約束は、参謀二部のウィロビー少将や連合国
軍最高司令官のマッカーサー元帥と相談の上でしたが、ワシントンDCの米本国政府の
承認を得たものではありませんでした。いずれにせよ内藤はそこで、人体実験は決して
やっていないこと、そして、石井機関の中心は平房の七三一部隊にあったこと、という
二つの重要な点でサンダースを欺く一方、それ以外の点では七三一部隊の組織や研究内
容について、ある程度踏み込んだ情報を提供しました。内藤の二つの嘘のうち「人体実
験はやっていない」という嘘はやがて米国にもばれることになりますが、「石井機関の
中心は七三一部隊」という嘘は国際的にも国内的にもその後長く通用し、石井機関の活
動に組織的に荷担していた日本の医学界を護る役割を果たしています。
46 :
関連年表:02/04/12 19:53 ID:jys04SJ7
実行者たちは戦後どうなったか-2
病気で帰国したサンダースの後を受けたアーヴォ・トンプソン獣医中佐は、石井四郎
と、1942年8月から1945年3月まで石井に代わって七三一部隊の部隊長だった北野政
次を尋問しますが、その際にも再び、戦犯に問わないという約束を確認しています。
GHQには元七三一部隊員から人体実験に関する匿名の告発が多数寄せられていたに
もかかわらず、トンプソンもサンダースと同じく、人体実験が行われていた事実を突き
止めることはできませんでした。
米国が人体実験の事実を明確に認識したのは、1947年1月にソ連から、石井らの身柄
を引き渡すよう要求を受けたときです。ソ連は、押収した文書や捕らえた七三一部隊関
係者の供述から、細菌戦が実行されたことと、人体実験によって多数の中国人やロシア
人などが殺されていたことの証拠をつかんでいました。ソ連は米国に、七三一部隊が蓄
積していた細菌戦のノウハウを米ソの2国で共有するよう暗にもちかけ、米国がこの提
案に応じなければ、七三一部隊の幹部を公開裁判にかけて事実を世界中に暴露する、と
迫りました。しかしマッカーサーのGHQは米本国政府と協議した上で、ソ連の引き渡
し要求を退ける一方、キャンプ・デトリックから再び調査官を迎えて内藤や石井を再尋
問します。その過程で《細菌兵器の研究成果を全面的に米国に提供すれば、石井らを戦
犯には問わない》という取引が、米本国政府の承認の下に確定します。
47 :
関連年表:02/04/12 19:57 ID:mVu60GJd
実行者たちは戦後どうなったか-3-日本ブラッドバンク(ミドリ十字)の発足
調査官として来日したノーバート・フェル博士と、フェルの後を継いだエドウィン・ヒ
ル、ジョゼフ・ヴィクターの両博士は、人体実験に基づく細菌兵器の研究資料や、生体
解剖によって得られた大量の標本などを、米国に持ち帰りました。
こうして、ニュルンベルク裁判ではナチスの医師たちを裁いた米国が、石井機関の細菌
兵器開発や人体実験による大量殺人に関しては、下手人たちと共犯関係を結ぶことにな
ったのです。石井や内藤をはじめとして、石井機関の中枢を担った軍医や、七三一部隊
に派遣され「マルタ」を虐殺していた研究者たちの多くは、戦後まったく罪を問われる
ことなく、大学などの研究機関や企業の要職に着きました(内藤は自分の専門の凍結乾
燥技術を生かして乾燥血漿を製造する「日本ブラッド・バンク」【後に「ミドリ十字」
と改称】を設立します。内藤も含め、創立当初の役員の半数は石井機関の関係者でした)
そして石井機関に全面的に協力した医学界も、その過去を隠蔽することに成功したのでした。
48 :
関連年表:02/04/12 20:01 ID:faW4eslP
実行者たちは戦後どうなったか-4
(2) ハバロフスク裁判
【詳細は『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル
公判書類』;三友一男『細菌戦の罪』、を参照】
米国との取引に失敗し、東京に出向いて石井らの尋問を行ってもまったく成果が得られ
なかったソ連は、捕虜にしていた関東軍や七三一部隊・一〇〇部隊などの関係者を、公
開の軍事法廷で裁きました。この公判は1949年12月25日から30日にかけて沿海州の
ハバロフスク市で行われたので「ハバロフスク裁判」と通称されています。被告になっ
たのは12人でした。
刑はいずれも収容所での矯正労働で、彼らはモスクワから250kmほど東のイワノボ将
官収容所に入れられましたが、刑期が長かった者も、1956年の日ソ国交回復に伴い
(病死した高橋と自殺した柄沢を除いて)全員帰国しています。
ソ連はこのハバロフスク裁判を、ニュルンベルク裁判や東京裁判に匹敵するものとして世
界中に印象づけようとしましたが、ソ連一国だけで行わざるを得ず、裁判団も検事も弁護
人もすべてソ連人で、ソ連以外の報道機関による現地取材もなかったので、すでに始まっ
ていた東西冷戦のさなか、ソ連の宣伝工作にすぎないとして西側各国からはほとんど黙殺
されてしまいました。裁判の中身も、たとえば弁護人は日本帝国主義と財閥支配を非難し
て被告の情状酌量を求めるのみで具体的事実に関してはまったく争わず、被告たちもいっ
さい反論せず懺悔するばかり、という一方的な内容でした。しかしながら、法廷に提出さ
れた証拠や、被告や証人の供述調書は、七三一部隊や一〇〇部隊の実態を示すまとまった
資料として、なお一級の価値を保っています。
ただし、ハバロフスク裁判の被告には、石井機関の全貌を知る中枢の幹部は含まれてい
ませんでした。石井機関の全体像を把握していたのは、石井や内藤など、陸軍軍医学校
防疫研究室の業務に携わっていたごく一部の幹部だけで、七三一部隊など現場の幹部は
自分の関係した業務のこと以外はほとんど知らなかったのです。このことが、石井機関
の全貌と医学界の組織的関与を、戦犯を追及したソ連の目からも隠すことを可能にした
のでした。
49 :
関連年表:02/04/12 20:11 ID:IGcdhh8c
薬害エイズと731部隊-1
【ミドリ十字創立者・内藤良一の731部隊創設者・石井四郎とのつながり】
内藤は、1927年京都大学医学部に入学して、そこで陸軍委託学生になる(委託学
生とは、卒業後陸軍に入ることを条件に陸軍が学資を給付する制度)。それを彼に勧
めたのは増田知貞という陸軍から大学院生として京大微生物教室に来ていた人物(の
ち731部隊員)。またその増田に委託学生を進めていたのが、後に731部隊創設
者で知られる石井四郎であった。
【防疫研究室と細菌部隊の誕生】
軍医学校の教官となった石井四郎は、陸軍上層部を動かし細菌戦構想を進めていった。
1932年、軍医学校内に後の細菌部隊の中枢機関となる「防疫研究室」が設置され、
翌年ハルビン郊外に731部隊の前身である加茂部隊が発足する。1941年8月こ
の部隊が「満州731部隊」と名を変える。
【内藤良−と防疫研究室】
1936年に京大大学院を卒業した内藤は、翌37年からヨーロッパ、アメリカで研
究、情報収集(いわゆるスパイ)をしていた。ヨーロッパでは細菌に関する研究、ア
メリカでは細菌の他に乾燥血漿に関する技術などを学ぶ。帰国後、軍医学校防疫研究
室の教官に就任。終戦まで石井四郎らの下で「石井の右腕」として働く。
【日本初の献血制度】
1943年、内藤は乾燥血漿の製造に着手する。乾燥血漿の技術は戦前、アメリカで
修得して研究室で組み立てられていた。献血制度を組織し、初めて日本で献血を行っ
たのが、後に売血によって血液を集めた内藤であった。
【終戦と731部隊の免責】
1945年敗戦の後、GHQによって東京裁判が行われる。しかし、GHQは731
部隊による人体実験、虐殺などの事実を知りながら、それらのデータを手に入れる事
を条件に、731部隊に対する一切の責任を免除した。この交渉に当たったのが内藤
良一であった。内藤はこの過程でGHQとの結びつきを強める。
50 :
関連年表:02/04/12 20:11 ID:IGcdhh8c
薬害エイズと731部隊-2
【日本ブラッドバンクの誕生】
1950年、大阪の茨木市で開業医として生活していた内藤の所に2人の旧友が訪れ
る。宮本光一(日本特珠工業社長、陶器製爆弾、石井式濾水器製作)、二木秀夫(二
木班班長として生体実験、主に結核菌の研究)である。この2人の尽力を得て、内藤
は厚生省、日本赤十字、GHQに働きかけ、同年11月に「日本ブラッドバンク社」
が誕生する。
【元731部隊員を結集させ、売血を開始】
日本ブラッドバンク社が設立され、まず内藤らが手がけたことは血液の収集とそれを
さばく販売ルートであった。まず、血液を集めるために大阪、神戸に採血プラントを
設置。名古屋、東京にも採血プラントを設置し、各所長は野口圭一(731部隊隊員)、
北野政次(731部隊部隊長)が務めた。1957年には京都プラントができ、やは
り所長には731部隊関係者の太田黒猪一郎が就任している。販売ルートに関しては
当時、日本国内での絶対的な乾燥血漿の不足、朝鮮戦争への供給など十分あった。
【血液製剤の商品化を推進】
厚生省や血液産業に絶大な影響力を持っていた内藤は、厚生省を動かし、1954年
に血液製剤を薬と同じように健康保険の対象にすることに成功する。1964年、駐
日アメリカ大使のライシャワーが刺され、その時の輸血で肝炎に感染するという事件
が起こり、売血に対する非難が高まり、政府は保存血液を日赤などによる献血によっ
てまかなうという決定をする。しかし、それは同時に保存血液以外の血液製剤は民間
企業の売血によって作ることを可能にした。
【日本ブラッドバンクからミドリ十字へ】
日本ブラッドバンクは社名をミドリ十字に変え、後にアメリカに子会社アルファ社を
設立し、日本国内の血液産業では他の追随を許さないシェアを誇る大企業へと成長し
ていく。
51 :
関連年表:02/04/12 21:05 ID:faW4eslP
七三一部隊の陰を引きずったミドリ十字
http://www.ifnet.or.jp/~yoshiki/aids/unit731.html ミドリ十字が設立されたのは1950年11月で、朝鮮戦争が勃発した5ヶ月後です。
当時は「日本ブラッド・バンク」という名称で、設立者は内藤良一という人物です。
内藤は、侵略戦争当時、陸軍軍医学校「防疫研究室」の主任でした。この「防疫研究
室」の主幹は、かの有名な七三一部隊の石井四郎でした。石井は満州で細菌戦の人体
実験を行いながら、一方で侵略戦争全域での細菌戦展開の作戦についてはこの内藤に
命じていたのです。ですから内藤はいわば七三一部隊の総参謀役ともいえる人物でし
た。
アウシュビッツにも匹敵する戦争犯罪だった七三一部隊の罪状がアメリカ進駐軍によ
って意識的に免罪され、データがアメリカに売り渡され、それと引き換えに七三一部
隊関係者はその庇護のもとに戦後の社会で活動したことは周知の事実です。そして、
朝鮮戦争でアメリカ軍人の輸血の必要が生じたことを契機に、内藤は売血制度を中心
にして「日本ブラッド・バンク」を設立したのです。設立当時は石井の後の七三一部
隊の部隊長だった北野政次が東京の工場長をしています。また石井の京都大学在籍時
の指導教官だった木村廉が会社の顧問的役割を果たしていたようです。
52 :
関連年表:02/04/12 21:06 ID:faW4eslP
細菌戦部隊を支えた主な人物
戦後の就職先
http://www1.ocn.ne.jp/~sinryaku/731butaiseturitu.htm 安東洪次(大連衛生研究所→武田薬品顧問)/石川太
刀雄丸(731郡隊→金沢大医学部)/江島真平(731部
隊→国立予防研究所〔予研〕)緒方富雄(防疫研究所
〔防研〕→東大医学部)/岡本耕造(731部隊→兵庫医
大・東北大等)/小川透(1644部隊→名古屋大医学
部)/笠原四郎(731部隊→北里研究所)/春日仲善
(731部隊→北里研究所)/北野政次(731部隊→ミド
リ十字取蹄役)/木村廉(防研→京大細菌学教室)/
草味正夫(731部隊→昭和薬科大)/小島三郎(1644
部隊→予研第2代所長)/児玉鴻(731部隊→予研初
代所長)/正路倫之助(防研→京大)/園口忠男
(731部隊→陸上自衛隊衛生病学校、熊本大)/田中英
雄(731部隊→大阪市立大医学部長)/田部井和(731
部隊→京大医学部)/所安夫(731部隊→東大病理学、
帝京大医学部)/内藤良一(防研→ミドリ十字会長)
/中黒秀外之(731部隊→陸上自衛隊衛生学校校
長)/細谷省吾(防研→東大伝染病研究所長)/増田
美保(731部隊→防衛大学)/湊正男(731部隊→京
大)/村田良介(防研→予研第7代所長)/八木沢行
正(731部隊→抗生物質協会)/山口一季(731部隊→
国立衛生試験所)/吉村寿人(731部隊→京大航空医
学教室、京都府立医大)/柳沢謙(防研→予研第5代
所長)
53 :
関連年表:02/04/12 21:11 ID:faW4eslP
三菱ウエルファーマを構成する「ミドリ十字」、「吉富製薬」、「東京田辺製薬」の3社
悪いのは「ミドリ十字」だけと思っているひとが多いと思うが、東京田辺(後の三菱
東京製薬)もひどい事をしている。
東京田辺製薬が製造依頼したメーカーが、誤って去痰剤にテガフールを混入させると
言う大失敗をした。これは100万錠出荷したが、20万錠は未回収のようである。
<<去痰剤の中身はテガフールだった>> ***コピペ***
誤って混入されていたのは、三菱東京製薬(当時は東京田辺製薬)の「ムコトロン」と言
うカルボシスティン製剤(杏林製薬:ムコダイン)のジェネリック製品でしたが、製造
はジェネ リック専業の大洋薬品でした。 当時の報道を紹介します。
副作用強い別の薬品が混入−厚生省回収指示 1994.08.12 共同通信 ***コピペ***
大洋薬品が製造した去痰剤「ムコトロン錠」の箱に、副作用の強い消化器疾患の薬「フ
ロフ トランE錠」が混入したまま出荷されていたことが分かり、厚生省は12日、大洋
薬品に回収措置や医療機関への連絡を指示、患者に対して注意を呼び掛けた。製造工場
がある岐阜県も緊急の立ち入り検査を15日に実施、原因調査に乗り出す。
厚生省や大洋薬品の説明によると、このムコトロン錠は3月中旬、岐阜県C市の大洋薬
品工場で製造・箱詰め作業が行われ、計1,049箱(1,000錠入り)が6月27日から東京
田辺製薬の 販売ルートで全国403の医療機関に出荷された。
8月10日、関西の病院の薬剤師が混入に気づき、大洋薬品に連絡した。この病院では
10箱 のうち9箱は異常がなかったが、残り1箱にフロフトランEが400錠混入してお
り、患者1人 が2錠服用した時点で気付いた。出荷前の在庫品からも10錠の混入が発
見されている。
混入事故が発生したのは製造ラインが重なった3月14〜15日と見られているが、原因
は不明、どの程度混入したかも分からず、同時期に製造したフロフトランE錠1,678箱
(100錠 入、注:正しくは1000錠入)の中にムコトロン錠が入っている可能性もある。
フロフトランE錠は副作用が強く、食欲不振や吐気、目眩などに加え、貧血や白血球減
少などの重い症状を引き起こす場合もあり、通常は2週間以上飲み続けると影響が出る
が、人によっては1回の服用でも起きるという。
大洋薬品の製造ミスで厚生省−回収借置など終了後に厳重処分も ***コピペ***
日刊薬業 1994.08.16
薬品が製造した去痰剤「ムコトロン錠」の1,000錠入箱の中に、代謝拮抗剤「フロフト
ランE錠」が混入していた事について厚生省は12日、TY薬品および販売元の東京田辺
製薬 に対し、製品回収を行うとともに医療機関を通じて処方内容を確認するよう指示
した。
回収されるのはムコトロンが1,049箱、フロフトランE錠が1,687箱だが、厚生省薬務
局監視指導課によると、現在までに1人の患者にフロフトランが誤って処方されたとの
報告を受け ているが副作用の発生は認められてない。しかし、製造工程上の重大なミ
スだけに、回収など当面の措置を取った後、薬事法からの処分(GMP違反)も検討さ
れるとみられる。
フロフトランは本来、副作用の強い医薬品だが、薬務局は「(誤って服用しても)ムコ
トロン錠としての通常使用量で長期でない場合には副作用の可能性は少ない」としている。
大洋薬品、東京田辺製薬への指示は、製品回収のほか、
1) 至急医療機関に対して正確な情報提供を行う。
2) 現在、ムコトロン錠として処方されている医薬品の内容を医療機関を通じ確認する。
3) 現在、当該医薬品を服用している患者がいる場合には、至急適切な処置を実施する。
これまでに重篤な副作用報告はないが、別の医薬品が混入というミスは極めて重大で、
薬務局も「製造過程での作業ミスが疑われる」とし、TY薬品への立ち入り検査の結果
を待ち、行 政処分を検討する方針。
痰除去薬パックに別薬−過密工程で混入か 1994.08.13 毎日新聞 (中部) ***コピペ***
厚生省に入った報告では十日、関西の民間病院からムコトロン錠のパックの中に「FFR」
のシート(10錠入り)が交じっていると、販売会社の東京田辺製薬に連絡があった。
入荷済みの10箱(100シート入り)を調べたところ1箱だけ40シート(400錠)が混入。
その日すでに1人の患者に対し誤って「FFR」を二錠処方していた。東京田辺製薬の
在庫品からも1シート(10錠)が混入しているのが見つかった。
厚生省、2社を業務停止に 1995.04.06 毎日新聞 ***コピペ***
厚生省は4月5日、薬事法違反に基づく業務停止処分を発表したが、処分を受ける大洋
薬品は 業務停止15日間、6日から製造、製品の出荷停止が実施される。
大洋薬品は94年3月、痰たんを取り除く薬に、製造工程のミスから別の消化器疾患の
治療薬を 混入させ販売し、混入の疑いのある約100万錠のうち80万錠を回収している。
これまでに2人が計3錠を服用した事が判明しているが、2人に異状はなかった。
<<20万錠が未回収だった>>
製造元の大洋薬品を責めるのは当然かもしれないけど
販売元はそれを有る意味横流ししてるだけなので
東京田辺製薬を責めるのはどうかと思う。
ちなみに東京田辺関係者ではない(藁
>製造元の大洋薬品を責めるのは当然かもしれないけど
>販売元はそれを有る意味横流ししてるだけなので
>東京田辺製薬を責めるのはどうかと思う。
責任-1 製造を大洋に依頼した。
医療関係者の中で大洋はある意味、有名なのだ。
それを医薬品会社が知らないはずはない。
コスト重視で企業の選定を誤ったと言う責任はある。
責任-2 未回収と広報の不足
未回収の20万錠はどの地域で販売されたのか?
「風邪引きの際の去痰剤」と言う説明を受け薬を貰っていたひともあるだろう。
どの地域(施設名までも)に出荷したのかは、確認できるはず。
(薬を飲まずに持っていた)患者レベルまで回収すべきだった。
61 :
卵の名無しさん :02/04/13 13:49 ID:2h4o5pWI
>(薬を飲まずに持っていた)患者レベルまで回収すべきだった。
無理無理。患者レベルまで回収できるとすれば、それは処方元だけだって。
メーカーが回収できるはず無いでしょ。
患者の中には面白がってかどうかは知らないが返さない奴だっているはず。
っていうか、俺なら返さない。普通の手段で抗がん剤なんて手に入らないからね。
そういえばフィブリノゲンだって持って医者がいたよね?
何で持ってたと思う?で、何いまさら出してきたと思う?
HIVの時にだって出すタイミングはあったんだよね?
でも今更出した。何故?
回収した時にも返さない医者がいたって事実でしょ?
回収させなかった目的は?
未来に公表するために保存してた?んなこたぁ無いでしょ。
手に入らないと困る=緊急時に必要
あるいは単にウイルスが入っているかもしれない=所有欲か・・・
いずれにせよ、危険と判断されたものを回収させなかった医師の責任は?
どんな理由であれ市場に一度出回ったものを全て回収するのは
不可能としか言いようが無い。それが事実だ。
歪めて考えたがる医療ジャーナリストなんてただの知ったかぶりだ。
62 :
卵の名無しさん:02/04/16 17:46 ID:koYl887O
age
63 :
卵の名無しさん:02/04/16 19:18 ID:0Nyk+Aiz
>>61 回収できるかどうかより、この場合どの程度、回収しようとしたか
と言うことが問題なのでは?
実際問題全て回収することは不可能な事は容易に想像できますが
他の薬剤が混入した事による回収の連絡があったにも関わらず、
医師が所有欲でも何でも、その薬を持っていて、そして副作用が
ある事を知りながら使用した場合、以後の責任は、その医師又は、
服用を承諾した患者自身が取る事になるだろうし、患者に対して
回収の連絡をしていた場合、その連絡以後に、その薬を服用して
副作用が出た場合、その患者の自己責任という事になるのでは?
三菱化学が赤字拡大で1100人を削減へ
http://www.yomiuri.co.jp/00/20020417i301.htm 化学大手の三菱化学は16日、2002年度中に、本体従業員約1万4700人のう
ち7・5%にあたる1100人以上を削減する方針を明らかにした。グループ企業への
転籍や早期退職の募集で削減する。三菱化学が同日発表した2002年3月期連結決算
の業績見通しで、税引き後利益の赤字額が、昨年11月時点予想の90億円から450
億円に拡大する見込みとなったため、人員削減による労務費削減が必要と判断した。
今後、人員削減幅を上積みする可能性もある。
三菱化学は、化学品の内外需要の低迷とIT(情報技術)不況の影響により、収益が
圧迫されている。
65 :
umu:02/04/17 09:33 ID:5/eS9QEE
>>61回収させなかった目的は?
未来に公表するために保存してた?んなこたぁ無いでしょ。
↓
やってる人多いと思うけれど。
それが医学の分野でなくても。
66 :
卵の名無しさん:02/04/17 19:57 ID:9WV0NeYN
犯罪企業の幹部達を呪殺行脚なんていうのをすればいいんだね。
先月号の雑誌、メー(仮名)に載ってたよ。実際に効果があったとかなかったとか...
67 :
卵の名無しさん:02/04/17 19:59 ID:9WV0NeYN
岩崎家族って今もいるのかな?いたらやっぱり陰でなんかやってんですか?
ロスチャイルドみたいにさ。
68 :
卵の名無しさん:02/04/17 20:45 ID:cPyW68ZH
69 :
卵の名無しさん:02/04/18 16:27 ID:TsDzTCrY
age
70 :
卵の名無しさん:
68氏:んだね。