【切ない】涙が出るような話inほの板3.75【記憶】
1 :
ほんわか名無しさん:
2 :
ほんわか名無しさん:2008/03/25(火) 15:04:02 0
>>1さん
乙です。
前スレは圧縮までが予想以上に早くて
ホシュ間に合わなかったです、ごめんなさい(つД`)
ほしゅ
5 :
ほんわか名無しさん:2008/03/28(金) 15:11:24 0
ほしゅage
涙が出るような話・・・ココの現状
7 :
ほんわか名無しさん:2008/03/30(日) 00:51:15 0
>>1 乙!!
個人的にここは2chのオアシスだ。
ググレカス
とマジレス
君が噂の…
10 :
ほんわか名無しさん:2008/03/31(月) 12:49:23 O
復活したんや
11 :
ほんわか名無しさん:2008/04/02(水) 04:21:53 O
そうやで
12 :
ほんわか名無しさん:2008/04/02(水) 18:17:34 0
nice
13 :
ほんわか名無しさん:2008/04/04(金) 10:08:17 O
boat
and
感傷的
16 :
ほんわか名無しさん:2008/04/08(火) 10:39:05 0
おお
17 :
ほんわか名無しさん:2008/04/09(水) 19:24:12 O
ああ
18 :
ほんわか名無しさん:2008/04/12(土) 11:36:26 O
ええ
いつ始まるんだ?
20 :
ほんわか名無しさん:2008/04/15(火) 21:51:01 O
安部元首相が辞職して入院中の話し。
元大臣に首相から電話がかかってきたそうです、
電話で首相は「在任中は大臣として頑張ってくれてありがとう、
これからもこの国がよくなるように一緒に頑張ろうね」
という内容の電話だったそうです、当時安部さんは入院中で
精神的にも肉体的にも相当弱っていたはずです、
当時国会が開かれたばかりの辞意表明で安部さんはたたかれていました
マスコミだけでなく国民の大多数から無責任だ、逃げるな、と非難されていました
誰よりもこの国のことを考え、想っている人がテレビなどで毎日たたかれていることに
涙がとまりませんでした。
23 :
ほんわか名無しさん:2008/04/20(日) 21:29:07 O
ホシュage
24 :
ほんわか名無しさん:2008/04/23(水) 20:24:20 O
>>20 たたかれても尚、この国の行く末を案じた安部さんの電話が泣けるね。
さあ次の方いらっしゃいませんか〜?
25 :
ほんわか名無しさん:2008/04/23(水) 20:48:01 0
本当にあった話
俺の高校は寮生活方式で1週間に2度、ひどければ2週間に2度という頻度でしか自宅に帰れなかった。
まあそのせいか1人暮らしの時に役立つことがかなり実に付いたから逆に良かったという所もある。
いつごろかはあまり覚えてないが、ある時寮内で友人と会話してると物凄い腹痛で一時帰る事になった。
母が迎えにきたその時にはもう9時を過ぎたころだから病院は明日行くことになった。
その帰り途中、後部座席で横になって寝ていたから何が起こったのかまったくわからなかったが
音だけははっきり聞こえた。大きな音で「ドガンッ!!」って・・・
そんで目開けて運転席の方見たらハンドルに母が挟まってて意識失ってたんだ。
事故の原因は居眠りなのかわからないが電柱に思い切り正面衝突していた。
そんな事よりもまずは母を助けようと思い外からドアを開けようにもガッチリしてて開かない・・
中からひっぱっても意味の無い事はわかってたがパニックで正直なにしてるかわからなかった。
2へ・・
26 :
ほんわか名無しさん:2008/04/23(水) 21:04:50 0
人を呼ぼうにもその道の周りは畑だらけで人がいなかったため呼ぼうにも呼べなかった。
携帯?そんときはまだ持って無かったよ。親からイラナイだろ!て反対されてたんだ。
正直こんなときに警察に連絡すらできないのかと悔しく思った。
そんな事考えててもキリがないから母を車から出そうとしたがやっぱりどうやってもでない・・
でそっから走って20分のとこに電気がついてる住宅があって息切らしながら
ドア叩いてでてきたおばさんに事故の事情を話して警察に連絡してもらったよ。
警察が来たころにはもう息をしてなくてさ・・・
病院にいったらいったで死亡通告されるしもう散々だった。
「腹痛いくらいで母呼ぶんじゃなかった」と自分のことを責め続けて
自分で顔を殴ったりした。すごく痛かったけどそんなんまったく気にせず殴ってた。
んで数日後、葬儀してその時なぜか涙がでなかった
あの時めいいっぱい泣いたからかな。よくわかんないや
それからはもう母はなくなり父、弟、俺の3人暮らし。
いまは21歳で仕事はホームセンター業。
書いてる途中だけど涙出てきて何かいてるのかわかんなくなってきた・・・
ごめん
27 :
ほんわか名無しさん:2008/04/23(水) 21:34:45 O
事故だったんだから自分をあまり責めないで、
そんなことよりあなたが幸せになる事がなによりも一番の願いです、、、母より。
ほしゅ
ほしゅ
30 :
ほんわか名無しさん:2008/04/28(月) 15:11:34 O
それでは皆様お手元にハンカチをご用意下さい
ほしゅ
32 :
ほんわか名無しさん:2008/05/04(日) 23:21:52 O
保守
33 :
ほんわか名無しさん:2008/05/04(日) 23:26:42 0
自転車、駅の駐輪場に置いていたら、ケツのサドルだけ盗られていた。
自転車にアナルファツクされながら、帰ったよ
それは泣ける…
かボケ!
ほしゅ
36 :
ほんわか名無しさん:2008/05/11(日) 22:49:27 0
ほしゅ
37 :
ほんわか名無しさん:2008/05/12(月) 00:53:27 0
私は小さな漁村で生まれ育ちました。人口は5000人。私の学年は全員で33人しかおらず、
幼稚園から中学校まで12年間ずーっと33人一緒でした。(クラスも一クラスだったし)
その中に一人障害をもってた男の子がいました。
小学生のとき隣町に住んでた従兄弟に「障害者の子は気を使うよな」と言われてよくわからなかったのを覚えています。
幼稚園から一緒なもんだから私たちはそういう感覚が全く無かったんでしょう。
その子のことを特別親切にする人もいじめる人もいませんでした。それが普通でした。
中学校の卒業式の前の日、朝礼のときにその子のお母さんがやってきました。
「この子は、高校は養護学校に行きます。本当のことを言うと、中学校も養護学校に行かせようと思ってたんです。
この学校でもあなたたちとなら、あなたたちとだから、この子は楽しそうに中学校を卒業できました。
本当にありがとう。」
そういってお母さんとその子はボロボロ泣いてました。
それを見たら、なんか知らないけど目頭あつくなって、気づいたら皆泣いてました。
先生も泣いてました。
私たちの普通が、お母さんにはこんなに嬉しいことだったんだな、
この村に生まれてよかったな、と心底思いました。
そして今年の1月、私たちの成人式。全員参加しました。
現像した同窓会の写真には、
酔っ払った皆と肩を組んでピースをするその子の昔と変わらない笑顔がありました。
;;
39 :
ほんわか名無しさん:2008/05/14(水) 09:27:28 0
:;
40 :
ほんわか名無しさん:2008/05/16(金) 19:50:44 O
41 :
ほんわか名無しさん:2008/05/16(金) 20:01:31 O
(T-T)イイハナシダナー
42 :
ほんわか名無しさん:2008/05/18(日) 18:03:18 O
そろそろ泣きたい↓
43 :
◆1y4mcEUxQQ :2008/05/18(日) 18:05:23 0
パソコンで86万円なんてボリすぎだろ
44 :
ほんわか名無しさん:2008/05/20(火) 22:16:36 0
うむ
45 :
◆1y4mcEUxQQ :2008/05/20(火) 22:21:13 0
ノチノフォレストガンプデシタ。
ナンノハナシ?
47 :
ほんわか名無しさん:2008/05/24(土) 10:22:36 O
ワカンナゐ
48 :
ほんわか名無しさん:2008/05/24(土) 13:08:51 O
子供の頃の話だけど
俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。
俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの
母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。
どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の
前まで来て買うのやめた。
そのかわりに小3の妹にアシックスの
ジヤージを買ってやった。いままで俺のお下がりを折って着ていたから。
母にはハンドクリーム買ってやった。いっつも手が荒れてたから。
去年俺は結婚したんだけど、結婚式前日に母に大事そうに錆びた
ハンドクリームの缶を見せられた。
泣いたね、、。
初めて言ったよ
「生んでくれてありがとう」って。
まあ、給食費盗んだのは俺なんだけどね。
49 :
ほんわか名無しさん:2008/05/24(土) 14:58:48 O
>>48 てめえ!
泣いた後にんまりして気持ちわるくなっちゃったじゃねえかw
51 :
ほんわか名無しさん@全板トナメ参戦中:2008/05/28(水) 17:36:27 O
保守
52 :
ほんわか名無しさん@全板トナメ参戦中:2008/05/31(土) 09:50:48 0
ほしゅ
53 :
ほんわか名無しさん@全板トナメ参戦中:2008/05/31(土) 15:27:35 O
ホシュ
54 :
ほんわか名無しさん@全板トナメ参戦中:2008/06/03(火) 23:11:17 0
ほしゅ
55 :
ほんわか名無しさん@全板トナメ参戦中:2008/06/04(水) 05:52:40 O
保守
56 :
ほんわか名無しさん@全板トナメ参戦中:2008/06/06(金) 09:19:37 O
age
57 :
ほんわか名無しさん@全板トナメ参戦中:2008/06/08(日) 19:12:31 O
保守
優レス(^∧^)
58 :
ほんわか名無しさん@全板トナメ参戦中:2008/06/09(月) 08:56:29 O
ほしゅ
59 :
ほんわか名無しさん@全板トナメ参戦中:2008/06/11(水) 21:51:52 0
ほしゅ
60 :
ほんわか名無しさん@全板トナメ参戦中:2008/06/14(土) 22:32:54 O
保守
小6の夏、両親が離婚した。
何の前触れもなくいきなり。
清流のほとりで告げられたそのことに、俺は声も出なかった。
ただ、泣いてはいけないと思った。
でも幼かった俺に涙をおさえる術はなくて、唇を噛み締めてぼろぼろ涙を零した。
その時父がかけてくれた言葉は今でも忘れられない。
「×××(俺の名前)は強いな」
頭を撫でてくれた大きな手。
母方に引き取られることになった俺にとって、それが父との最後の思い出。
あれ以来、俺は泣いていない。
62 :
ほんわか名無しさん@全板トナメ参戦中:2008/06/14(土) 23:22:53 0
568 名前:番組の途中ですが名無しです :2005/08/01(月) 05:04:54 ID:zK1x4kqF0
Saga2は思い出のソフトなんだ……今でもよく思いだしては切なくなってます。
俺さ、産まれた時から酷い小児喘息だったのよ。
夜中にかーちゃん起こして病院連れてってもらうなんてしょっちゅうだったし、
小学校あがって更に病状が悪くなって。もちろん体育なんかでれないし、
みんなと外で遊ぶ事すらできなかった。
んで、小五になってからほぼ毎日病院行って吸入するくらいまで悪化しちゃって、
そのまま3週間入院する事になって。。。
んでね、そん時4人部屋の病室だったんだけど
二人はおばあちゃんとおじさん、んでもう一人は俺と同い年くらいの女の子だった。
俺、昔からすげぇ人見知りが激しい上に物凄い照れ屋で、なかなかその同室の人達と仲良くなれないで
一人で勉強してるかゲームボーイやってるかだったのよ。
そん時家から持ってきたソフトが「Saga2」で、もう一回クリアしたやつだったんだけど
ヒマだしもっかいやるかな、って毎日やってたワケさ。
63 :
ほんわか名無しさん@全板トナメ参戦中:2008/06/14(土) 23:23:17 0
569 名前:番組の途中ですが名無しです :2005/08/01(月) 05:08:05 ID:zK1x4kqF0
んで入院して一週間立った頃、俺がゲームボーイやってる時は
なんかその同室の女の子がじーっとこっち見てる事に気づいたんよ。俺が彼女の方みると慌てて目逸らすんだけどね。
もしかしてやってみたいのかな?と思って、「良かったらコレ借そうか?」って聞いたのよ。
そしたら目ぇ輝かせて「いいの?」っていうもんだから、「もう飽きたからな」とか照れ隠しして借してあげたさ。
でも案の定操作が分からないらしく、画面とずっとにらめっこしてるもんだから
俺が操作教えながら一緒にゲーム進めることにしたんよ。
パーティーは人間・男の主人公「リョータ(俺の名前)」で、仲間は人間・女「さやか(彼女の名前)」
あとはエスパーガールとロボットにそれぞれ同室のばあちゃんとおじさんの名前つけたっけ。
それからどんどんそのコと仲良くなって、二人でゲームボーイやるだけじゃなく、色んな話もするようになった。
学校の事、家族の事、好きな音楽の事、近くに迫った夏休みの事…
64 :
ほんわか名無しさん@全板トナメ参戦中:2008/06/14(土) 23:23:41 0
572 名前:番組の途中ですが名無しです :2005/08/01(月) 05:20:22 ID:8DhtM64i0
それからの時間はあっという間だった。すぐに俺が退院する時がやってきた。
看護婦や同室のおじさん、ばあちゃん達が口々に「おめでとう」って言ってくれてる中
彼女だけ泣いてた。それ見て俺も泣きそうになったさ。でもグッと堪えて
「オマエ退院するまでコレ借してやるよ。退院したら連絡くれよな」ってそのままゲームボーイとSaga2置いていったのよ。
それから何回もお見舞しに行こうと思った。…でもいざ行こうかと思うとなんか照れくさくて行けなかった。
連絡がないまま1年半が過ぎて、俺も小学校を卒業する頃になった。
せめて卒業前にもう1度会っておきたいな、と思って意を決してお見舞に行く事にしたんよ
病室に行ったけど彼女はいなかった。病室入口の名前欄にもない。
もうとっくに退院してたのかな…?と思ってとりあえずナースセンターで聞いてみた。
「遠い所にいった」とかうまくはぐらかされたけど、俺も小6だったし、そこまでバカじゃない。
その場の空気や後ろの看護婦が泣き出したのを見ても明らかだった。
65 :
ほんわか名無しさん@全板トナメ参戦中:2008/06/14(土) 23:24:18 0
573 名前:番組の途中ですが名無しです :2005/08/01(月) 05:22:33 ID:8DhtM64i0
俺がショック状態で呆然としてる中、その看護婦が
「ああ、そういえばさやかちゃんから、リョータ君が来たら渡しといて、って言われた物があるのよ」
と言って俺にそれを渡してくれた。借してあげたゲームボーイとSaga2だった。
俺はそれを受けとって家に帰った。
帰るなりメシも食わないで、暗い自分の部屋でゲームボーイのスイッチを入れた。
懐かしいあのOPの音楽。それと一緒にでてくるロード画面。
一つは彼女と俺が一緒にプレイしたデータ。あの時からほとんど変わってない。
懐かしさと悲しさで胸がいっぱいになった
もう一つのデータはやたらレベルの低いデータだった。
最初から始めてすぐ飽きたんかな?と思ってそのデータをロードしてみた。
パーティー四人の名前がこうなっていた。
「リョータ」
「いろいろ」
「ありがと」
「バイバイ」
…今でもSaga2のOPの曲を聞くと涙が出るよ。
お見舞行ってあげられなくてゴメンな…。
66 :
ほんわか名無しさん:2008/06/19(木) 00:07:19 0
ほしゅ
67 :
ほんわか名無しさん:2008/06/21(土) 23:29:22 O
ほす
ほしゅ
g
ほしゅ
71 :
ほんわか名無しさん:2008/07/01(火) 08:57:10 0
ほ
☆ゅ
337 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2008/06/30(月) 22:29:19 ID:aB83MjQyO
さっき絆創膏買ったんです。一箱20個くらい入ってるヤツ。
んで早速貼ろうとしたんですが、全部中身が無かったんです。
箱の中から出てきたのは、絆創膏本体の入ってない袋だけ…
こんなに切ない気持ちになったのは初めてです。
ほしゅ
ほしゅ
保守
ほしゅ
78 :
ほんわか名無しさん:2008/07/11(金) 17:33:34 O
ほしゅ
そうそう良い話って無いよね、やっぱ。
だからこそ、度々このスレに自分は来てる。
数が少なくっても、そういう話に出会えるとウレシイ。
☆ゅ
今日も暑いですねー;
暑いねぇ
今日も暑くなるようですよ。
皆さん、熱中症には気を付けましょうノシ
85 :
ほんわか名無しさん:2008/07/18(金) 11:51:40 O
体調気をつけてのホシュ
暑い時は、水分だけじゃなく、ミネラル分も取りましょうホシュ
ほしゅ
ほ
東北の人〜地震平気か?
地震、死者がでなかったのが不幸中の幸いでしたね。
ほしゅ
保守に来ました
夜空いっぱいの流星群 飛び散る光 あなたの横顔照らしてる
無口なまま 微笑む瞳は もう逢えないこと 気づいてる
誰より大切だった… 花火が終わる頃 きっと言える あなただけ愛してた…
言葉はどうしてすれちがうの 想いの半分も伝えられずに
二人の未来 ゆっく閉じてく 音もなく
思い出がキラキラ落ちてゆく
ひきとめてしまう前に 早く去ってお願い 花火が終わる頃 声にならない あなただけ愛してた…
ほしゅっとな
ほしゅ
ほしゅ
99 :
ほんわか名無しさん:2008/08/23(土) 22:24:34 0
ほしゅ
100 :
ほんわか名無しさん:2008/08/23(土) 22:26:42 0
100ゲロ
101 :
ほんわか名無しさん:2008/08/26(火) 00:16:50 0
ほしゅ
102 :
ほんわか名無しさん:2008/08/29(金) 06:38:47 0
ほしゅ
俺が結婚したのは二十歳の時、いわゆるできちゃった婚だ。
相手は同じ学部のコ。双方の親から猛反対され結局勘当された。
俺は大学をスッパリと辞めて働きだした。彼女はとりあえず休学
して出産に備え、俺は掛け持ちで仕事をこなしていたがそれ程の
稼ぎがある訳でもなく、身重の彼女もパートに出てくれて家計を
助けてくれていた。
後ろ盾もなにもない二人だったけどそれでも幸せだった。
何とかなる、そんな根拠のない思いで生活できていたのは若さだけでなく
二人のちゃんとした思いがあったからだと思う。
いよいよ出産の時に彼女はこう言ってくれた。
「ちゃんと産んでくるからね…待っててね。」
陣痛で苦痛に歪みながらも笑顔を作ってくれた。
それが最後の言葉になった…
出産直後に脳内の血管が切れ意識不明の重体になった。
一週間後彼女は帰らぬ人になった…
彼女は子供抱くことさえ出来なかった。
結婚式もしてやれず指輪もろくな物を送ってやれなかった。
子供だけ産んで亡くなった…
激しい後悔と無念さに心底打ちのめされた。俺に出来たことは
彼女にウエディングドレスを着せて送ってやることぐらいだった。
だけど泣いている暇など俺にはなかった。
俺の元には生まれたばかりの子供がいる。まだ目も開かない幼すぎる命だ。
こいつをちゃんと育てなきゃ。俺のやるべき事は泣くことじゃない。
親として男として一人前になるまで育て上げる事だ。二十歳そこそこの
俺に出来るのか?親とはもう絶縁状態で頼るわけにはいかない。
結婚する以上の不安感に押しつぶされそうだった。
実際0歳児を抱えて仕事をするのは無理だった。家政婦に頼むにはいかないし
保育所に頼むにしてもどちらにしても俺の稼ぎでは無理だった。金がかかり
すぎる。仕事を辞めて育児に専念していたが仕事をしないと行き詰まるのは
目に見えてた。貯金もなくなっていた。
託児所完備。0歳児からでもOK。
そんな仕事先を見つけた。仕事はソープランド。選んでる事など
出来なかった。事情を話すと
「嬢達の為の託児所だけどいいよ。今日から働ける?」
俺は即決した。
オーナーは言った。
「よかった。もしね、明日からとか答えたら不採用だったんですよ。
明日から頑張る者に本当の明日はこないと思うよ。
いまこの瞬間から頑張る者に明日が来ると私は思うんだよね。」
その日の内に簡単に荷物をまとめ子供を24時間の託児所に預け
夕方には俺はソープの従業員になってた。
何も考えず夢中で働いた。世間体など気にする余裕もなかった。
朝は7時から夜中の2時過ぎまで働いた。託児所は格安で利用でき
それまで借りていたアパートも引き払った。寝るところは休憩室で
寝た。辛くはなかった。この位しかおれに出来ることはなかったからだ。
一年半で店長になった。忙しいと時間はあっという間に過ぎていく。
子供が小学生に上がる年になってた。それなりの収入もあったが
子供と遊ぶ時間などなくただ仕事をしていた。ただ俺の中でこのままで
いいのか?という小さな疑問が生まれていた。子供に
「仕事は何をしてるの?」と聞かれても答えられないでいた。
ちゃんと答えられる仕事に付きたい。
今のオーナーには感謝しているし恩義もある。
だけど…
俺はやめる事にした。
我侭だけど辞める決意をした。
オーナーは快く承諾してくれた。
俺の両親とはもう縁が切れていたし親戚付き合いもなかったので
子供からは
「うちにはじいちゃんとばあちゃんはいないの?」とよく言われて
たのだけどオーナーが親戚の叔父さんと偽ってよく遊びに来てくれていた。
子供もそれを喜んでいた。
「叔父さん役は継続させてくれないかな?」
それだけ言って俺を送り出してくれた。
もちろんOKだった。
その後俺は飲食店を展開する小さな会社に入った。厨房に入り一から
やり直した。先輩達に怒鳴られキツク当たられたがそれを嫌だとは
思わなかった。小さいがちゃんとした会社員になり子供にも誇れる
仕事だ。「お父さんは料理を作ってるんだ」と。
そんな思いだったから修行は逆に楽しかった。後に先輩達から言われた。
「お前は怒っても怒っても笑顔で返してくるから
怒り甲斐がね〜んだよな。普通の奴はシュンとするのによ。」
今は会社が大きくなって調理の現場から外れ店舗の管理をする仕事を
している。ソープのオーナーも親戚の叔父さんのままで今でも
遊びに来てくれる。子供は今年から大学生だ。法律を学んでいる。
志望する事にした理由を聞いたら澄ました顔で答えた。
「お父さんもお母さんも同じ学部だったんでしょ?お母さんは
死んでお父さんは私を育てる為に大学辞めちゃったんだよね。
なんていうのかな…二人の夢は私が受け継ぐって事かな…」
俺ももう40歳に近くなった。娘ももう少しで成人だ。
そろそろ自分の役目も終わりだ。妻には何もしてやれなかった
事だけは今でも後悔するばかりだ。それだけだな心残りは。
昨日が命日で墓参りに行ってきたのだけど天気は雨の予報だったけ。
お墓掃除してる時は雲が厚くて雨が降りそうだったな。
花を添えて俺は君に聞いたんだ。
これで良かったですか?
親としてダメでしたか?
男としてはどうですか?
その時急に晴れてきたんだよ。10分位だったけど。
それが君の答えだったのなら僕はそれで十分だ…
ほしゅ
ほしゅ
111話
s
v
114 :
ほんわか名無しさん:2008/09/21(日) 05:35:28 0
a
40近いダメサラリーマンです…ちょっと場違いな話ですが、吐き出させて下さい。
行き着けのキャバクラは、安いけど×1子持ちのホステスさんが多いお店。そこでの、顔見知りのホステスさんと何気ない話しなんです。
そのホステスさんは、いつも店でお酒を飲んでハイテンション。自宅でも結構飲むみたいなんですが、小学生の娘さんには厳しく躾をしているみたい。ちょっと、昼夜働くストレスや母子家庭のストレスも有るのかな〜なんて勘ぐり…
そんなお母さんを見て、小学生の娘さんが言ったそうです。
「酔っぱらってるお母さんは、大好き。だって、凄く楽しそうなんだもん。」
その話を聞いて、めっちゃ切なくなりました。
もうお店は止めちゃたんだけど、2人とも幸せになっていて欲しいなと、切に願ました。
ほしゅ
ほしゅ
ほしゅ
ほしゅ
ほしゅ
ほしゅ
122 :
ほんわか名無しさん:2008/10/26(日) 21:47:27 0
ほしゅ
123 :
ほんわか名無しさん:2008/10/28(火) 00:43:53 0
hp
124 :
ほんわか名無しさん:2008/10/28(火) 04:16:02 O
マスター、泣かせる話を
聞かせておくれよぉ
125 :
ほんわか名無しさん:2008/10/28(火) 09:28:57 O
私が、店長をしてた時の話です。
その店に、20歳のうつ病の女の子が居ました。
夏になると、辞めたい病が出て、毎年辞めていましたでも、今年は乗り切りたいと本人も頑張ってました。
126 :
ほんわか名無しさん:2008/10/28(火) 09:36:00 O
【続】そして今年の夏は、その目標が達成出来たので大喜びでした。
私の転勤が決まり、最終勤務の日、彼女が私にこう言いました。
今年、乗り切れたのは、店長のお陰です。私が、次、辞める時は、子供が出来た時です。
店長してて良かった。
127 :
ほんわか名無しさん:2008/10/28(火) 10:32:37 O
現在23歳
中3〜高1まで付き合っていた年下の人がいまだに忘れられません
高3の時久しぶりにрオました
大学1の時は向こうからメール来ました
その後のやりとりは皆無です
たまたま今日も夢に出てきました
私は付き合っていて一番したかったのは彼の試合してる姿です
県下で指折りの選手でした
私は夢の中で彼の試合する後ろ姿をずっとみていたした
試合後彼と話をして私はか細い声で「すき」と言いましたが
彼には聞こえていなかったです
彼はもう引きずらないで幸せになって欲しい様な事を言ってた気がします
久しぶりに彼の夢をみまして良かった
結婚するなら絶対彼だと思ってたけど現実はもう遠い過去
現在は誰よりも優しく想ってくれてる人がいます
私も強くその人を想います
昔の彼がどうか幸せに暮らしています様に。
128 :
ほんわか名無しさん:2008/10/28(火) 11:02:46 0
今も昔も幸せそうでいいね
>>127 外国の人ですか?ちょっと日本語が不自然だね。
130 :
ほんわか名無しさん:2008/10/28(火) 19:59:07 0
うらやましい〜
j
k
大好き
おめでとう〜ノシ どうぞお幸せにね。
ほしゅ
aa
ほしゅ
ほしゅ
140 :
ほんわか名無しさん:2008/11/27(木) 13:01:12 0
【審議中】
( 'A`)/ ('A` )
ノ( ヘヘ ノ( ヘヘ
. ( 'A) (A` ,)
ノ( ヘヘ ヘヘ )ヽ
( ) ( )
ノ( ) ( )ヽ
【可決】
ヽ('A`)人('A`)人('A`)人('A`)人('A`)人('A`)/
( ) ( ) ( ) ( ) .( ) ( )
. <ω\ <ω\ <ω\/ω>/ω> /ω>
【否決】
__[警]
( ).('A`)'A`)'A`)'A`)'A`)'A`)
( )Vノ )ノ )ノ )ノ )ノ )ノ )
| | | | | | | | | | | | | |
【とんずら】
__[警] ωωωωωω
( )/ \('A`\'A`)\'A`)\'A`)\'A`)\'A`)
-( ) ( /)( /) ( /) ( /) ( /) ( /)
< \ >く >く >く >く >く >く ...
:::::::::::::
お
マスター!
オブ パペッツ!
女多梨花
146 :
ほんわか名無しさん:2008/12/17(水) 05:37:36 O
あ
147 :
あい:2008/12/17(水) 23:20:26 0
大変なんね
148 :
ほんわか名無しさん:2008/12/17(水) 23:26:03 O
好きな子がいた。
メールでいい感じになった。
電話もした。
電話中、「彼氏いるの?」「うん!」
ヒデブ!
全く泣けないかもしれないけど保守がてら投下。
高校の頃、欝病&対人恐怖症&神経性胃炎になった。
しかも突然。理由は明確にはわからないけど、
色々小さなことが積もり積もっちゃったんだと思う。
今、考えると結構ひどい状態だった。
でもなんとか学校には登校してた。保健室登校だけど。
はじめは担任も保健室の先生も優しかった。
保健室登校でも出席になると言われて、毎日必死で登校した。
でも一向によくならなかった。病院にも通ってたんだけどね。
そしたら、段々先生方の態度が変わってきた。進学校だったから仕方なかったと思う。
「早く教室に行け」「保健室登校は登校じゃない」
話が違うと思ったけど、言うことを聞かなきゃ進級できない。
教室に行こうとするけど、足は震えるし、涙は勝手に出てくるし、パニックになるしでとてもいけなかった。
「どうして泣くの!」と怒鳴られたこともある。
「すみません」と泣きながら謝って、這うようにして教室に歩いていったこともあった。
当然大泣きしながら教室には入れないから、
涙が出るのを痛みでごまかそうとポジティブなリストカット常習犯になっていた。
本当に参ってたんだろうと思う。立ち直った今、1万円くれると言われても手首なんか切れないw
しかも散々頑張ったのに、保健室からも追い出されちゃったんだけどね。
そんなお先真っ暗だった時。思い出しても震えが走るようなドン底地獄だったけど、
どうしても忘れられない思い出がある。
一生、「先生」と思い続ける人達と友人だ。
150 :
149:2008/12/20(土) 05:05:35 0
始めは保健室に来て、わざわざ教えに来てくれた先生たちもだんだん来なくなった。
私が忘れられないのはそんな中、残ってくれた3人の先生。
一人目は国語のS先生(仮)
ものすごく怖いことで有名だった。
でも教え方がすごく上手で、授業の1時間がものすごく勉強した〜って気になるそんな先生。
多忙だったにも関わらず、週に一度は必ず来て勉強を教えてくれた。
変わらず怖かったけど。
「お前は人の痛みがわかるからカウンセラーになれ。私立の短大に行け」
最後まで私の進路を考えてくれた。
忙しい人だったから時には誰もいない時間を見計らって帰る私を捕まえて、
廊下で猛ダッシュ10分授業をしたこともある。
「勉強はどこでだって出来る。だから諦めるな」
S先生、あなたの言葉に泣きながら帰りました。
大事な思い出をありがとうございます。
151 :
149:2008/12/20(土) 05:13:43 0
二人目は数学のO先生。
先生が私のところへくるたびに持ってきたのは、プリントでも問題集でもなかった。
イラストロジックだった。
「これをやりなさい」と言われるがままに、不思議に思いながらも解いていた。
難易度が徐々に増していったけど、楽しかった。
ある日、先生が言った。
「君はずっと辛いことを溜めこんできちゃったから、たまには頭を休めなさい。
今の君に必要なのは勉強じゃないんだよ。
数学よりももっと大事なことがある。だからこれが今の宿題です」
そう言ってやっぱりイラストロジックを渡してくれた。
O先生、イラストロジックを見るたびに思い出します。
正直、数学の先生が数学なんて必要じゃないと言ったのには驚きました。
結局その後、私は遅れた時間を取り戻そうと焦ってばかりです。凹みそうになります。
でもそんなとき、イラストロジックを見るとゆっくり頑張ろうという気持になります。
ありがとうございます。
152 :
149:2008/12/20(土) 05:24:25 0
三人目は倫理のR先生。
本当に空き時間、空き時間生真面目に授業をしてくれました。
わざわざ保健室から追い出されて、空き部屋にいる私のところで。
たった一人の授業なのに、きっちり一時間。
「倫理の授業を受けることで、お前の気が楽になるといいと思った」
そう言いながら、教室と同じ授業をしてくれました。
その中で自然主義の話が出た時、(つまりは人間は社会にもまれるのではなく、自然体でいることが大切という思想)
という授業の後、
「先生はお前が逃げてもいいと思うんだ。
辛いことにつかるのではなくて、そこから逃げる生き方だってあるんだ。
お前は同世代の人間と話すことが怖くてできない分、
自分自身とたくさん話してるんだよな。それはくだらないことじゃない。
大切な尊いことだと先生は思う」
R先生、先生の言葉を何度も何度も思い出しました。
「逃げてもいい」それを思い出せたから、頑張れたと思います。
ダメで逃げても大丈夫と言ってくれる人がいると思えたから、ここまでこれたのだと思います。
素敵な言葉をありがとうございます。
153 :
149:2008/12/20(土) 05:37:44 0
そして最後に友人達。
人に合うのが怖くて、特に同世代の人が怖くて、いつも授業中に移動していた。
移動しながら楽しかった部活の部室を覗きこむのがいつの間にか習慣になっていた。
ある日、部室を除くと見慣れない箱がある。
なんだろうと思ってよく見てみるとその箱に「○○へ」と私の名前が書いてあった。
ビックリして箱を開けると中には手紙が。
どれも普通のことだった。
連絡も一切とっていなかった。
私がここに来るかどうかも分らないのに、
みんなは『もしかしたら』という思いだけで手紙を書いてくれていた。
大好きな友達なのに、人がとにかく怖くて連絡すらできなかった。
なのに、心の中ではみんなに会いたくて仕方なかった。
とにかく必死になって学校に来ていたのも、このまま学校を辞めることになったら、
もう二度とみんなと話せないんじゃないのかと思っていたからだ。
何か月も会ってない、話してもいない。
私はうつ病になって全部を失くしたと思っていたのに、
元気だったときの時間が戻ってきたみたいだった。
どれも普通のことだった。
「朝礼での校長先生の話が長くてだるい」
「今日、予習しないでミニテストだ。どうしよう」
中には先生の写真に落書きがしてあるものまである。
とにかく泣いた。
鼻毛を描かれたおっさんの顔を見て泣いたのは、後にも先にもこれきりだと思う。
毎日、悲しくて泣いていたけどこの時は嬉しくて鼻水が出るまで泣きまくった。
154 :
149:2008/12/20(土) 05:53:50 0
結局、保健室→空き部屋→さらに移動。
とタライ回しに合った上、私より重い欝の子の面倒までみろ的なことをされて、
このままでは本当にダメになると思いきって退学。
別の学校に編入して、今はなんとか立ち直れた。
「ありがとう」を言いそびれてしまった先生達が見ていてくれたらいいと思う。
そして友達。周囲の人たちには驚かれるけれど、まだちゃんと交流がある。
フツー辞めた人間と会っておしゃべりなんてできない。と言われるけれど、
みんな気にせずに話してくれる。
欝真っ盛りだったあの頃は、とても友達と恋バナなんてできないと思っていたw
大袈裟じゃなく、いつ死を選んでもおかしくなかった最悪の状態から、
ここまで引っ張り上げてくれたのは先生と友達がいてくれたからだと思う。
5年前に出来た彼氏の力も大きいとは思うけれど、一番、救ってくれたのは友達と先生だ。
彼自身もそうだと言ってくれている。
辛い時期もあったけれど、優しい人がいてくれたから今の私がある。携帯小説が原作のドラマみたいだけど本当にそう思う。
だから恥ずかしくて未だに友達には「ありがとう」と言えていない。
この前、居酒屋で酔った勢いでちょっと「ありがとう」と言ってみたが、きちんとお礼を言うことはできなかった。
いつかきちんと、ありがとうとみんなに伝えたいと思う。
長くなってしまって本当にすみませんでした。
しかも泣けずに二重にすみません。
決意の意味で書き込ませていただきました。
スレ汚し失礼しました。
もしも、だらだらと長い文章を読んでくれた方がいましたら、本当にありがとうございます。
ちゃんと読んだよ。ほのぼのしたぞ。
良い人たちに出会えてよかったね。
156 :
149:2008/12/21(日) 00:30:07 0
>155
ありがとうございます。私もレスにほのぼのさせてもらいましたw
本当に良い人たちに巡り合えたと、今でも感謝感謝です。
こちらこそ 良い話をありがとう
158 :
ほんわか名無しさん:2008/12/23(火) 15:18:04 0
( ^ω^)←この顔文字見る度に切なくなる
なんでかっていうと昔高校のとき好きだった友達(女、おそらく2chとか知らない)がよくメールで使ってた
でも卒業して気付いたらその子にはもう彼氏がいたんだ
でたまたまメールもらう機会があったんだけど、もうそこには( ^ω^)←コイツはいなかった・・・
切なくなった( ^ω^)
真剣に泣いた。
漏れさあ。知り合いは沢山居るけど親友と
胸はって言える奴いないんだ。
自分からカラオケとか誘えない。断られんの怖いから。
自分で壁作ってんのも自覚してる。
卒業まであと2ヵ月。もうちょっと
素直に生きてみるわ
ありがとう
>>149-154 と 、 マ ジ レ ス wwww
160 :
149:2008/12/24(水) 03:37:54 0
>>159 読んでくれてありがとうございます。
私は欝の時の恐怖体験が尾を引いて、今でも誘われても頷けないときが、
たくさんあります。友達は大丈夫なんだけど。
誘おうって思う
>>159はすごく勇気があると思う。
思い切って新しい世界に飛び込んで、知り合った人達と一緒に笑って御飯が食べられるようになるまで、
情けないけど私は7年かかった。
1度くらいダメだったとしても友達と笑い合える日は、時間がかかってもちゃんと来ると思う。
>>159がそのうち誰かと大笑い出来るように、私も楽しみにしてます。
優しい言葉に少し泣きそうになりました。
ありがとうという言葉をありがとう。
と、同じくマジレスwwwww
161 :
ほんわか名無しさん:2008/12/27(土) 00:46:21 0
育児板からコピペ
693 :名無しの心子知らず:2008/12/26(金) 13:36:27 ID:ZLuBX3wZ
6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いてお いたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。
「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」
夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw
昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と「ガンがなおるおくすり」と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。
朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。
早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」っていって、夫に薬を飲ませた。
夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、
「ああ! 良かった〜。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、
動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね〜」……っていうと夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。
私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。
夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。
その後、娘が近所の子の家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が
「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。
162 :
ほんわか名無しさん:2008/12/27(土) 01:21:28 O
ほしゅ
164 :
ほんわか名無しさん:2009/01/16(金) 07:32:51 O
ホシュ
泣いた
166 :
ほんわか名無しさん:2009/01/23(金) 23:01:26 O
去年爺ちゃんが亡くなった。
俺は爺ちゃん子で小さい頃から爺ちゃんの後ろばっかり歩いてた。
爺ちゃんは初孫の俺をとても可愛がってくれたけどとても厳しい人だったのでよく叱られた。
小さい頃の俺はすぐ泣く泣き虫だったもんで泣く度に爺ちゃんに
「男は泣いたらいかん!!悲しみも悔しさも噛み砕いて糧にせな。」
と言われてた。
そんなこんなで高校生になり俺は泣かなくなったんだが高校一年の春にオヤジが亡くなってしまった。
葬式で俺は泣いてしまいそれを見た爺ちゃんは言った
「葬式で泣いたらいかん。
お前は○○(オヤジ)の息子として皆の代表でそこにいるんだ。
お前が泣いてたら○○が心配で成仏出来んやろ。」
俺は誓った。もう泣くまいと。
そして時は流れ三年前。爺ちゃんは脳梗塞で倒れた。幸い命は助かったが半身麻痺に陥り言語障害まで出てしまった。
そのうちに胃ガンも見つかり余命いくばくも無いとのこと。
俺は泣いた。かなり久々に声を上げてうずくまり。
家族を養うために必死で働いていたが毎日爺ちゃんのお見舞いに行った。
そんなある日。俺が帰ろうとすると爺ちゃんが言った。
「○○(俺)、頑張らないかんぞ。強くならないかんぞ。優しくなきゃいかんぞ。泣いたらいかんぞ。」
実際は言語障害のせいで聞き取るのに苦労した。しかも爺ちゃんは泣いていた。人生で初めて見る爺ちゃんの涙。
俺は涙を堪え笑顔で頷いた。
そして爺ちゃんは無くなった。葬式の時皆が泣くなか俺は泣かなかった。
出棺の前の最後のお別れの時、皆が爺ちゃんの顔に触れながらお別れを言っている。
俺は爺ちゃんに触れて泣いてしまうのが怖くて最後まで近付けずにいた。
そしたら親戚達が俺を呼んだんだ「あんたが一番可愛がられてたんだからお前が最後のお別れをしろ」って。
実際は親戚一同が泣くなか一人だけ泣かない俺を皆非難したかったらしい。
爺ちゃんのそばに立ち、冷たくなった爺ちゃんの頬に触れて、涙が出そうなのを我慢して笑顔を作って振り絞った。
爺ちゃん…俺今頑張ってるよ。俺泣かないよ。俺強くなるよ。俺優しくなるよ。だから安心して爺ちゃん。
俺の声が聞こえたらしく周りは皆号泣。そのまま爺ちゃんは煙になって天に登って行った。
俺は爺ちゃんとの約束を果たしたと思ってる。
泣いた
168
ほしゅ
今日は友達の命日だ。
172 :
ほんわか名無しさん:2009/03/11(水) 20:15:11 0
保守
ほしゅ
174 :
ほんわか名無しさん:2009/03/30(月) 01:45:26 O
ほしゅ
175 :
ほんわか名無しさん:2009/03/30(月) 03:11:39 O
涙目なオレ
4月から
??
7
179 :
ほんわか名無しさん:2009/04/15(水) 23:11:11 O
8
9
10
182 :
ほんわか名無しさん:2009/05/03(日) 20:22:44 O
ほしゅage
183 :
ほんわか名無しさん:2009/05/03(日) 20:24:32 0
愛する方への想い
184 :
ほんわか名無しさん:2009/05/18(月) 21:49:43 O
185 :
ほんわか名無しさん:2009/05/18(月) 21:56:13 O
>>185 写真があるって事は、誰かが見てたって事で…。
なので、誰かが救ってくれてるはずと思いたい(`;ω;`)
それからそれから
h
g
e
191 :
ほんわか名無しさん:2009/07/18(土) 13:12:10 0
俺ブログやってるんだけど何故か毎日1アクセスだけあるんだよ多分1人だけ毎日アクセスして
くれるんだろうな特にコメントはしてくれないんだけど見てくれているのは間違いない。時間的には
俺がブログ更新するのとだいたい同じ時刻。つまり最新の情報をチェックしてくれているわけだ。
これがすげー嬉しい。その人がいるから頑張って毎日更新してるって言ってもいいくらい。 いつか
その人からブログの感想とか聞けたらな、って思ってる。ちょっとしたことが励みになったりするんだよな
頑張れ
ここからでも応援するよ。
193 :
ほんわか名無しさん:2009/07/20(月) 23:05:45 0
これは去年の話なんだが職場での雑談で「今度地元で花火大会が有るんだよな」
みたいな話をしていたらそこにある女が割り込んで来て俺に
「私も花火大会行きたいから連れてって欲しい」と言うんだ、
なんだか一人でwktkして、俺の地元の駅で待ち合わせして、三十分前から待ってたんだ
そうこうしているうちにその女が来たんだよ、彼氏つれて…orz
でも仕方が無いので会場まで案内してそこそこ良い場所が取れ、花火を見始めたらその女が
「喉乾いた〜」なんて言うので彼氏が俺に「すいませんがこれで何か飲み物を三人分買って来て下さい」
と俺に千円札を渡した、まあ初めての土地だから仕方が無いなと思い、
買いに行ったが、飲み物を買って戻って来るとそこにはもう誰も居なかった
これではもう俺はただのお人好しバカである、がその日はそのまま三人分の飲み物を持って、帰った
後日、その女に「お前は何を考えてるんだ、非常識にも程が有るぞ」と注意したら
「誰もあなたと二人で行きたいとは言って無いし迷ったのはそっちじゃないの」
なんて平然と言ってのけやがる、最初から俺を現地ガイドとして使うつもりだったらしい
泣くに泣けなかったよ…
嫌いだ、花火大会なんて
長文スマソ
ほしゅ
>>191 ネット上の情報って誰でも簡単に見る事が出来ますので、
けっこう意外な人に見られてる可能性があります。
1アクセスも身内だったりするかもしれませんね。
>>193 アレですね。
俺はその「ただのお人好しバカ」がけっこう好きですw
自分がそうだから他人事のように思えませんでした。
住んでる所近かってもしよかったた、今度一緒に飲みませう。
196 :
ほんわか名無しさん:2009/08/16(日) 20:52:25 O
今日、大分の明豊に敗れてしまいました。
僕は高3なのでもう来年はありません。
でも負けたことに不思議と悔しさは感じないんです。
高1から今までひたすら毎日練習を続けて
後悔なんてしないほど全力を尽くしたから
最高の充実感を感じているのかもしれません。
負けが決まった瞬間も、明豊の校歌が甲子園に流れた瞬間も涙は出ませんでしたが、
それでもやはり、監督から労いの言葉をかけてもらったときは泣き崩れてしまいました。
これが悔し涙ではないなんて言ったら負け惜しみになるのかな?(笑)
でも僕は高校3年間を野球に捧げられて、さらに甲子園にまで出られて、本当に幸せだという気持ちでいっぱいです!
(一部の方しか共感できない話でごめんなさい^ー^;
よく頑張ったね
感動した
愛媛の西条か
俺は高校野球のことはよくわからないが、公立なのに甲子園に行けたって相当すごいことなんじゃ?
四国は以外と公立も強い
有名どころだと 松山商業 高松商業 徳島商業 高知商業
あれ 全部商業だw
200 :
ほんわか名無しさん:2009/08/23(日) 15:41:43 O
泣ける
201 :
ほんわか名無しさん:2009/08/27(木) 06:59:33 O
今年の中京大中京と日本文理の試合は泣けた
ほしゅ
ほしゅ
ほしゅ
ここんとこいやーなことがあって・・・なんかやさしいことないかなって
このスレ開いて・・・ずーと読んでてないちゃった・・・
ほしゅ
hoshu
208 :
ほんわか名無しさん:2009/11/18(水) 07:20:58 O
ほしゅあげ
209 :
ほんわか名無しさん:2009/11/19(木) 02:23:57 O
私が泣いた出来事だけど…。
プロポーズは夜景の綺麗な所で指輪を出され「結婚して下さい」が幼い頃からの夢。
この間私の誕生日に不二家のケーキを買ってきた彼
家で、せっせと彼がお皿にケーキを移し変えて出してくれた。
そのケーキをパクパク食べる私
そんな私の横で彼は、もじもじしながら、もう一つ不二家のケーキ箱を私に差し出した。
「もぅ食べれないよ〜」と言いながら、ちゃっかり受け取る私
なんのケーキかな?と開けてみると、中には指輪が…。「結婚して下さい」と言った彼
ワンルームに不二家の箱。
それでも
泣けた。
あんなに憧れていたのに、不思議。「不二家の箱。」でも、「ワンルーム」でも、私は幸せだよ。ありがとう。
私が15の時に姉が事故で亡くなった当時、姉の一人娘が生後半年でした。
生前、姉に旦那さんはいなく、母や私に迷惑をかけまいと必死に働き、そんな姉の手助けができればと、
たまに家事を手伝ったり姪とミルクあげて遊んだり…(私の姪)猿みたいな顔でした。叔母さんって言われるんだろな、とか物言わぬ赤ちゃんの姪に愛おしくもあり実感の湧かない私は、姪を[モンチッチ]と呼んでいました。
姉に、猿ちゃうわッて怒られましたが、私はモンチッチと呼び続けました。
(つづく)
私と母。母子家庭でした。私が小学校卒業前に父が病死でした。
母は看護師に復帰し、私は中学卒業→アルバイト。
好き勝手生きました。
そして姉の死。
母は声を殺して泣き、私はたぶん呆然としてたと思います。生後半年のモンチッチを抱きながら記憶が曖昧ですが、葬式中母を失った姪を抱きしめてる記憶しかあまりありません。
しばらくして普通の生活がもどり、父と姉の遺影を並べモンチッチに「じいさんと母さんだよ」と、言い続けました。
指指し、モンチッチは日本語にならない赤ちゃんの声で言うんです。
私は初めて泣きました。
姪をモンチッチと自然と言わなくなったと同時に母が、
姪を今後どうするかの話になりました。
姪が二歳。姉に似た目元。施設に入れる話も出ましたが、母と私は姪を見て抱きしめる事で確認しました。
母の養子縁組。
私と母で育て今、姪は中学三年生です。色んな事がありすぎて書き足りませんが、姉ちゃんそっくりです。
私の事「なっちゃん」て言い、
姪の事「モンチッチ」て呼んでます。
私も五年前に結婚し、娘をもうけました。
娘もカワイイ。けど、モンチッチは特別カワイイです。
長文失礼しました。
モンチッチを育ててくれてありがとうって お母さんとあなたに言いたい