買ってきたよ。新潮のだけど。
近所の本屋に岩波売ってなかった。
家に帰ってアマゾンで買おうかとも思ったけど、Yonda?につられてつい(;´д`)
149 :
ほんわか名無しさん:2007/02/24(土) 20:26:11 0
とりあえず第1章を読み終えた。
・標高1600m
・結核隔離病棟
という日常から切り離された生活キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!
て感じ。
旅に出たときの空間の表現が印象的。
151 :
ほんわか名無しさん:2007/02/24(土) 20:29:14 0
ハンブルク 現在は(当時ではない)造船などの工業が有名で、中世のハンザ同盟の中核ともして知られている。
魔の山との関連
造船などの工業が有名 ハンスがトゥンダー・アンド・ヴィルムス商会へ見習いとして就職予定
中世のハンザ同盟の中核 ヨーロッパの歴史区分のひとつ中世のころにハンザ(商人の仲間)が
同盟を組んで貿易の権利を主張した。
また貿易の権利を得るためにデンマークと戦争したりして軍事連合という一面もある。
あとから、ヨーアヒムが軍隊に興味があることがわかるが、ヨーアヒムは昔ハンザ同盟の軍が戦ったことも知っているだろう。
ハンザ同盟の名残は、中世以降のハンザ同盟の都市にも残っているらしく、ハンブルクが造船などの工業が有名なのはこの点も関係するのではないかと思われる。
ここまでのレスを読む限りでは、訳はそんなに大差ないといった感じ。
ただ、食堂の給仕は「広間嬢」と訳されていた。
153 :
ほんわか名無しさん:2007/02/24(土) 20:30:57 0
広間嬢ですか。
トーマス・マン自身がハンザ同盟の中心都市、リューベックの出身だね
155 :
ほんわか名無しさん:2007/02/24(土) 20:31:54 0
訳の違いを見るのも面白いな。
他にやらなきゃいけないことがあるから
なかなか来られないかもしれないけど
たまに覗いてみるよ
157 :
ほんわか名無しさん:2007/02/24(土) 20:34:10 0
>>154 そうなんですか。なるほど。
トーマス・マンもそれを意識している可能性高くなりました。
158 :
ほんわか名無しさん:2007/02/24(土) 20:35:41 0
>>156 とんでもない。
いつでも来られるときでいいんで。
159 :
ほんわか名無しさん:2007/02/24(土) 20:35:51 0
マン家
160 :
ほんわか名無しさん:2007/02/24(土) 20:45:43 0
新潮と岩波だったら新潮のほうがいい訳ってアマゾンのレビューにも書いてあった。
161 :
ほんわか名無しさん:2007/02/24(土) 20:48:02 0
まあ高橋訳だからか
162 :
ほんわか名無しさん:2007/02/24(土) 20:51:56 0
車輪の下 高橋 健二
魔の山 高橋 義孝
俺は車輪の下読んだから勘違いしてたのか。
高橋 義孝の訳どんなんだろう?
163 :
ほんわか名無しさん:2007/02/24(土) 20:58:07 0
ちなみに高橋 健二の訳は車輪の下はいいと思う。
デミアンは分からないところがあったが、分かるところはいいと思う。
164 :
ほんわか名無しさん:2007/02/24(土) 22:01:17 0
ハンスの両親は彼が七歳までに死んでしまった。
母は、笑いながら死んだ。父は2年後に肺炎になり高熱で死んだ。
165 :
ほんわか名無しさん:2007/02/24(土) 22:11:39 0
ハンスの祖父はフィーテ老人を親しみのあるときに使う「君」と呼んだ。
この「君」は日本語の君と違って特別な間柄のときだけ使う。
祖父はその「君」をみんなに対して使っていた。
166 :
ほんわか名無しさん:2007/02/25(日) 00:28:31 0
ほ
167 :
ほんわか名無しさん:2007/02/25(日) 13:39:03 0
ほ
168 :
ほんわか名無しさん:2007/02/25(日) 19:41:10 0
と
169 :
ほんわか名無しさん:2007/02/27(火) 02:47:30 0
岩波文庫の上の4分の1ほどを読んだ。
こりゃ、定年して気分がゆっくりしてから読むことにした。
とてもいい本だが、今は読めない。
第二章 洗礼盤とふたつの姿を持つ祖父について
まで読んだ。
肖像画に描かれた祖父の姿が完全なる祖父の姿で、日常の祖父の姿は不完全なかりそめの姿
ってプラトンのイデアの世界みたい。
祖父は保守的な政治思想の持ち主。変革の時代にあって、昔ながらの制度を重視し、
新しいことを阻止・抑圧しようとした。
ハンスはそういった祖父の態度に共感している。
変革の時代ってハンザ同盟が結ばれたりした時代かな。
173 :
ほんわか名無しさん:2007/02/28(水) 11:35:05 0
174 :
ほんわか名無しさん:2007/02/28(水) 11:49:28 0
>>172 変革の時代では、革新的な新しいことが、もてはやされる。
そんな時代にあって、保守的な思想つまり伝統を重んじることは必ず必要だ。
伝統的があるということはそれだけ長い年月を経てきているということ。
その間に対抗する思想が必ず出てくる。それでも残っているということは
それなりに信用してもいいものなのだ。
ただし、時代の特殊性というものがある。
昔、通用したものが今は通用しなくなることもある。その場合変える必要が出てくるがな。
>>173 この世にある様々なモノは、イデア(=理想)の世界にある様々なモノそのものが
不完全な形で分け与えられているにすぎない。
ってプラトンは考えたらしい。
例えば、人は花を見て「美しい」と言うけれど、では「美しい」「美」って何?
って考えるとなんだかよく分からない。
プラトンによると、「美」そのもの、完全なる「美」がイデアの世界に存在する。
人間の魂はもともとイデアの世界からやってきたから、花を見て美しいと感じる
ことができる。
らしい。違ってたらごめん。
↓哲学板でこんなの拾ってきた。
67 :考える名無しさん :2006/03/10(金) 21:53:57
>>66 「これがイデアだ」「ここにイデアが存在する」と名指されたものは、すでにイデアではない。
プラトンの作品『国家』によれば、
「イデアは存在の彼方に超越してある」。
言い換えると、英語のbe動詞で述定できないし、論理学でも説明できない。
従って、プラトンの作品の中で、イデアとは何かについての定義は、結局まったくなされない。ちなみにプラトンは「(イデアとは何か)わかったつもり」で議論が進むとどうなるかをも、作品の中で示していて、
その典型が『パルメニデス』。
68 :考える名無しさん :2006/03/10(金) 21:57:07
(続き)
ちなみに、カントやハイデガーなど、独自に「プラトンのイデア」を定義した論者は多いが、この意味でいずれも正確ではない。
人の抱く理念とか、何か存在性を持つものとか、名指された瞬間、すでにプラトンのイデアとずれが生じてしまっている。
こんな訳で、プラトンの説明は神秘的で所詮は近代科学以前の粗野な時代の人の言うことだとか、あるいはプラトン自身が不十分にしか分かっていないのだとか、いろいろとヤケクソ気味の言い掛かりがつけられる。
178 :
ほんわか名無しさん:2007/03/01(木) 21:49:04 0
ちなみにプラトンは「(イデアとは何か)わかったつもり」で議論が進むとどうなるかをも、作品の中で示していて、
その典型が『パルメニデス』。
分かったつもりで進むとどうなったか気になるな。
もしよければ教えて。
哲学板で書いた本人に聞いてみるといい。
第2章を読み終えた。
「時代に欠陥があった場合、個人の精神的・道徳的な面だけでなく、肉体的・有機的な
面にまで麻痺作用を及ぼす云々」
のあたりが重要なポイントなんだと思うけれど、すごく抽象的で理解しづらい。
読み進めていくうちになるほどと思えるようになるだろうか・・・
水曜日にページ指定するの忘れてました。
とりあえず、来週の水曜日にに指定しますが。
もちろん、指定ページがこのスレで話題にする内容ですが
そのページ数より早く読む分にはかまいません。
>>179 とりあえず、哲学版に書き込みました。
ただ、答えが返ってくる保証はないです。
自分でも調べてみて分かったら改めて書き込みます。
前に書いてあったらすまないが、
岩波の魔の山の表紙に『ファウスト』と並ぶ人生の書という紹介がされている。
『ファウスト』はゲーテの書いた代表的な作品です。
この本を読んでいたら魔の山をもっと楽しめるかもしれません。
ゲーテは『若きウェルテルの悩み』という作品も有名です。
この作品はウェルテルの失恋が描かれています。
ゲーテは晩年、詩人は「もし生涯に『ウェルテル』が自分のために書かれたと感じるような時期がないなら、
その人は不幸だ」と語ったそうです。
正直、 僕はこの作品を読んだのですがあまり面白くなかったです。
私は失恋、いや恋すらもまともにした経験がないからかもしれません。
文学板に「トーマス・マンに登る」ってスレッドがありました。
ネタバレが怖いのでまだ見てないですが。
読み終わったら見て書き込もうと思っています。
ちなみに、俺は今日で86ページまで読みました。
今週は24にあるように56ページまでか。早く来週にならないかな。
書きたいことがあるんだよなぁ。来週がまちどおしいなぁ。
ロシア人の夫婦が読み所だからまだ読んでない人は気に留めて読んでいってほしい。
文学板に「トーマス・マンに登る」ってスレタイは
『魔法の山に登る―トーマス・マンと身体』(田村 和彦) が元ネタらしいですよ。
『魔の山』を新たな視角から読み解く意欲的な試みの書物らしいです。
魔の山を楽しみ、疑問点を解決するという点で役に立つと思いますので、買ってみようかなと思いました。
でも、この作品は推測するところによると、従来の読み方と違う読みなので注意が必要だと思います。
ひとつの読み方としてこんな読み方もあるなぁと思って読む必要があります。
もし、このレスを読んだ人でこの本のほかに魔の山の関連書があったら教えてください。
「第3章 朝食」 まで読んだ。
舞台がサナトリウムに戻って、風景・人物描写が主。
第二章で頭を使ったので少し楽に読めた。
>>183「若きウェルテルの悩み」は高1のとき読んだけど(゚Д゚)ハァ?て感じだった。
今読めばまた違った印象になるかもしれないけど。
>>184書きたいことあったら書いてもいいんじゃない?
>>185へぇ。「トーマス・マンに登る」ってスレも『魔法の山に登る―トーマス・マンと身体』も
「魔の山」を一通り読み終えてから目を通すことにする。
×第二章で頭を使ったので少し楽に読めた。
○頭を使った第二章に比べて楽に読めた。
「第三章 からかい。臨終の聖体拝領。中断された上機嫌」 まで読んだ。
キリスト教では死ぬ間際に、それも意識のあるうちから僧侶が来るのか....
あなたは今から死にますよ、みたいな。
子供だとショックだろうな。
>>188 「からかい」読んだ。
ヘルミーネ・クレーフェルト出てきた。
この女のエピソードは印象に残った。
「ぴいっ」とやるもんね。
「片肺クラブ」ってネーミングはいいね。
「第三章 悪魔」まで読んだ。
セテムブリーニ(イタリアの人文学者)登場。
なんて言うか・・・おもしろかった。
教養ある陽気なイタリア男。でも憂いを帯びた感じ。病気のせいか。
自分の主義主張をはっきりと述べる人。
この小説の重要人物になりそう。
主義主張の部分は、「へぇ、そうですか。」って受け身で読んでいくしかないな。
どうでもいいけど、セテムブリーニが言ってたギリシャ神話の
ラダマンテュスってベーレンスのことを指してるのね。
葉巻の箇所で気づいた。
だとしたら、ミーノスはクロコフスキーか。
ページ指定は特になし。
自分の読んだ所までの感想を述べることにしよう。
とにかく、読んで思ったことあったら書き込む形式で。
セテムブリーニ関連について書く。
セテムブリーニは30代だな。ハンスより年上。
教養のありそうな顔つき、自由で美しいとも言える態度、柔らかくはねあがった口ひげ。
ハンスにいろいろ助言をしてくれそうな予感。
ハンスはセテムブリーニを見たとき「手まわしオルガンひき」という言葉が浮かんだ。
こういう「あだな」的なものは覚えておいて損はない。
イタリア人の彼はドイツ語を話せる。
それも発音が正確すぎて驚くほどだ。
ハンスはセテムブリーニの名前をセテムバーといい間違える。笑った。
セテムブリーニはヨーアヒムを「少尉さん」と呼んでいる。
「少尉さん」っていわれてヨアヒムうれしそう。
ここの住民は週などという単位を知らない、ここの最小単位は1ヶ月だとハンスに教える。
ここは理由があとから出てくる予感。
ここは時間の流れ方が違う
って初めの方でヨーアヒムも言っていたね。
詳しいことは後から分かるのかもしれないけど、治療期間が長いことと
関係しているのかな、とも思う。
全部読んだ35の男だ
初出のセテムブリーニの服装の描写をもう一度確認して気に留めておけ
時間についての文も気に留めておけ
セテムはハンスをエンジニアと呼んでいくから気に留めておけ
全部読んだら文学板を必ず見ろ、必ずなw
べんけい縞の太いズボン。
襟がすごく大きい、粗ラシャのダブルの長すぎる上衣。
角の丸いシングルカラーは洗濯で角がほほけていた。
古びた黒いネクタイ。
手首のまわりに上衣の袖がだらりとまつわりついている。
正直ハンスもいい印象ではない。
ただ、格好はいい印象ではないが顔つきなどから教養がありそうでいい印象を持っていることは言うまでもない
195はセテムブリーニの服装について
「第三章 頭の冴え」まで読んだ。
ハンスの「時間」の考えの一部が書かれていた。
時間感覚・時の流れ方なんて人それぞれ。それに、そのときどきの
その人の置かれている状況によっても変わってくる。
同じ1分でも長いと感じる人もいれば短いと感じる人もいる。
また、同じ人間でも1分を長いと感じるときもあれば、短いと感じるときもある。
時・分などの単位は便宜上の決まりごとに過ぎない。
ハンスが言いたいことはもっと奥が深いのかも知れないけれど。