1 :
ほんわか名無しさん:
あっそ
前スレ埋まってないけど書いてもいいですか?
泣けるか分からないけど…
しかも携帯からですが。
4 :
1 ◆zBvvMGYmRg :2007/02/17(土) 18:24:06 O
>>1 本当にお疲れ様でした。
マジで感謝ですm(__)m
>>3 遠慮なくどうぞ〜( ^ω^)
5 :
ほんわか名無しさん:2007/02/17(土) 18:32:05 O
6 :
2*女:2007/02/17(土) 18:50:50 O
>>4>>5どもです。
出先でしかも先程あった出来事なので長文になるかもしれませんが。
↓書きますね
7 :
2*歳女:2007/02/17(土) 18:54:58 O
私は帰る場所も仕事も彼も無くした、そんな時期がありました。
彼の就職先が決まり、私は都内の仕事を辞め地元で就活してました。
親にも挨拶し、子供は結婚してからにするかとか、そんな将来の話をするのが日課で。
しかし彼は、好きな仕事を一生懸命頑張ってる私が好きだったそうです。
仕事を辞めてからの私は一気に生力を失い、結婚する為だけに何とか体を動かしてた、そんな状態だと彼は気づいた。
8 :
2*歳女:2007/02/17(土) 18:58:56 O
それが別れのキッカケ。
絶望的でした。
仕事も彼も失った。帰る場所はあの狭い部屋。家族は昔に亡くなった。
彼と連絡を取るのを辞め、携帯を変え、暫くしてから偶然彼を見かけました。女性が助手席に座ってました。
一緒の事なのに女性が元カノ(既婚)だと分かった。行き先は私と同じ駅だった。
9 :
2*歳女:2007/02/17(土) 19:02:32 O
彼は彼女だけを下ろしUターン。
…私は異常な程泣いてました。
彼女は結婚しているし子供もいる。離婚して寄り戻すなんてあり得無い事、いくらネガティブな私でも分かった。
私も駅へ歩いた。恥ずかしながら、号泣しながら彼の表情が脳裏を過ぎって離れなかった。
今まで見た事の無い悲しい表情だった。
10 :
2*歳女:2007/02/17(土) 19:22:19 O
ホームで電車待ちをしてる時、彼女が旦那さんの所へ駆け寄るのが分かった。
私、全身震えたよ。
そろそろ電車が来る時刻。電車に乗り込めない程号泣していた私。
小走りで改札に戻ろうとした時
その時彼女が私を引き止めたんだ。
『ハンカチあげます』
たったそれだけ言いハンカチを渡し旦那の所へ戻ってった。
先程まで正直ムカついていた。彼を利用するな!こんな素敵な旦那がいるのに!と発狂しそうだった。
しかしそんな感情が徐々に薄れてった。
11 :
2*歳女:2007/02/17(土) 19:27:53 O
彼は彼女と長年付き合ってて、結婚を考えてたらしい。まさか彼女にフラれるなんて思ってもいなかったそうです。
理由は私が彼と別れた時と同じ
『我慢しないで好きなことをして欲しい。無理して相手の言うこと聞く必要ない』
ああ、彼女も彼も私も、同じ呪いにかかってると感じた。
彼女もまた、彼女が彼に言った様に、彼が私に言った様に、私や彼の知らない誰か、愛する誰かにそう言われ悲しい別れを選択したのではないかと。
だって彼女は他人である私にハンカチをくれた。誰もが出来る事じゃない。彼も彼女の様にとても優しい人だった。
12 :
2*歳女:2007/02/17(土) 19:32:17 O
しかも私はそれに気付かず同じ過ちを侵そうとしてた。仲良かった友人と何となく付き合う雰囲気にまで発展させていた。
勿論嫌いじゃないが、傷を癒やす為の道具として利用してた。
今駅のトイレにいます。
泣きそ…
13 :
2*歳女:2007/02/17(土) 19:47:16 O
今改札出て駅前のマックへ移動してます。
ここに書き込みする前に現在の彼に別れを告げました。『好きな人がいるから』と。
多分一時間以上トイレに籠もってました。
今日遊ぶ約束をしてた友人に断りの電話をしなくちゃと電話をしたら『あんたの地元まで来た。何かあったんでしょ?』
駅前マックにいるみたい。
嬉しくてまた泣けてきた。何が言いたいか分からない上に文章滅茶苦茶だけど。
人を思い続けるのはとても辛いし、時間が解決するなんて迷信だと思う、だけど誰かがまず全身しなきゃ何も解決しないと気づけた。心配してくれる友人もいる。それだけで何気幸せだ。
長文スマソ名無しに戻ります
14 :
ほんわか名無しさん:2007/02/17(土) 20:47:16 O
幸せになれ( ;ω;)
16 :
ほんわか名無しさん:2007/02/17(土) 23:30:44 O
age
18 :
ほんわか名無しさん:2007/02/18(日) 04:32:37 0
大学が決まり一人暮らしの前日の日
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽者であることが判明した。
すぐに親父電話した。
俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ
最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」
正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。往年の面影も消え、ガリガリになった親父が
また時計をくれた。まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」
オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。
俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
二人で笑った三日後親父は死んだ・・・・
親父が死んだ今も金ピカの時計はメッキもはげたがまだ時を刻んでいる。
19 :
ほんわか名無しさん:2007/02/18(日) 09:43:58 O
私は小さな頃〜青年期まで虐待を受けていて、それが心の傷になってる
今でも人に大してうまく向き合えない。
でも夢がある。小説家になるっていう。
大人になってから開いたブログで、たまに虐待のことを書き込むと
「大変だったね」とか、短い文章を返してくれる人がいる
ここ最近妄想や幻聴が酷くて、精神科に行った。
自分では統合失調症を発症したんだろうと思う。そうブログに書いた。
そしたらその人から珍しく長文レスが帰ってきた。
「ほらもう妄想してるwそこは100人に1人の才能に目覚めたんだと
思わないと! 人ごとだからかも知れないけど、マイナスをプラスに
変える気持ちは大事だよ。頑張れ!」だってさ。
バカやろう。何そんな短い文章で人泣かせてんだよ。
こんな情けない私でも、丸ごと受け止めてくれてありがとう。
21 :
ほんわか名無しさん:2007/02/18(日) 17:07:58 O
人は人と共に成長してくんだね
22 :
ほんわか名無しさん:2007/02/18(日) 22:05:51 O
良スレ
23 :
R.D. ◆Roku..thsQ :2007/02/19(月) 07:17:19 O
久々に来てみたよ。やっぱオレ好きだなぁこのスレ(*´ω`)保守w
24 :
ほんわか名無しさん:2007/02/19(月) 07:29:11 O
踊ろうぜ
25 :
ほんわか名無しさん:2007/02/19(月) 19:49:57 0
ついさっき、猫を手放したんだ。
別に里親に出したとかそういう訳じゃないぞ!
六日前に、家の親父が四ヶ月くらいの迷い猫を保護してきたんだ。
マンションの入り口んとこにいて、住人の後を追っかけまわしてたらしい。
首輪してたしテラ毛並み良かったもんだから、
多分室内飼いだったんだろうな。
で、ウチに来たはいいんだが、奴めウチで普段飼い猫やってるフリスキー
喰わねえのww
どんだけいいもん喰っとんのかと。ウチは十一匹も猫飼ってるから安物買わないと
やってらんないわけ。軽い財布から絞りだしたエサを、喰わないの。
その上仕方がなく缶詰やったら今度は玄関にウソコしやがるww
親父も俺もキレたね。
怒りの余り何故か家族中で喧嘩して、家庭崩壊しかけたヨwww
(続く)
26 :
ほんわか名無しさん:2007/02/19(月) 20:05:52 0
25続き
険悪なムードの漂う中、俺はしみじみ思ったわけよ。
コイツ疫病神だ!テラヤバス
他の猫とも全然仲良くならないし。
で、今日やっと飼い主が見つかって、厄介払いしてきた。
これでスッキリサパーリするはずだったんだが…、
何だ俺、涙止マラナスwwwwwwwww
何毎日玄関でドアに向って鳴いてんだよww
何窓から外見て悲しげな顔してんだよww
何初対面の俺に甘えてんだよww
何飼い主が迎えにくる当日になって突然他の猫と仲良くなってんだよww
何じゃれついてきてんだよww家に帰せってかwww?wwww
バカジャネーノオマイwwwm9(^Д^)プギャー!
飼い主もう来てんだよwwとっとと帰れやアフォwww
何で俺の猫だったわけでもねえのに泣いてんの俺ww
よかったな帰れて。
幸せに暮らせよ。もう脱走とかすんじゃねーぞ。
後、俺のこと忘れたりしたらあうあうあーするぞ。
もし…、もしもっかいだけ会えたら、またじゃれてくれな。
俺、おまいのこと好きだったからさ。
27 :
ほんわか名無しさん:2007/02/20(火) 13:06:38 O
28 :
みつばち:2007/02/21(水) 05:06:47 O
皆さんどうもo(^-^)o
ケータイから失礼します。
私のちっちゃい時からの幼なじみKがいるんですけど、
Kの家では猫を飼ってるんですけどね。
その猫の名前はジャブって言います。
スッゴい目つき悪くてまっ白なデブ猫です。
そいつはK宅の主といった感じで、いつも堂々ベットやらソファーの真ん中を占領。
普通の猫なら多少は愛想が良いものなのにそいつきたら、
客人は無差別に自慢の爪で反撃。いつもフゥーフゥー威嚇。
飼い主であるK家族でさえ引っかかれ傷多数。
寝てる隙に触ろうとしてもすぐさま起き、マジ切れ。
生意気を通り越し、私にとっては恐ろしい存在になりました。
いや、友人もみんなそう思っているだろう。
そのせいかそいつの呼び方もジャブさん。と、さん付け。
多分ここまで怖い猫はいないと思う。ここまで人を威嚇する猫はジャブさんぐらいだ。
でも、それは無理もない事なんです。
ジャブさんは捨て猫でした。
29 :
みつばち:2007/02/21(水) 05:08:14 O
まだ子猫なのに親猫はいなく、本来真っ白いはずの毛並みは薄汚れていて、今とは想像つかないほど痩せっぽっちなチビ猫でした。
そして真冬の公園をウロウロしていたらしいです。
それを、まだ幼稚園児だったKと一個上の近所のおねぇさんMがたまたま発見したそうです。
しかしそのおねぇさんMは、家でいろいろな動物を飼っているのに虐待したりする、私たちの間では動物虐待で有名の人だったのです。
まだか弱いジャブさんは当然のようにターゲットにされ、真冬の一番寒い時期だというのに公園の水道でジャブジャブと水洗いました。
おもちゃで遊ぶ様に楽しそうに。
子供って残酷ですよね。
ちなみに名前の由来はジャブジャブ洗われてた所からきてるそうです。
Kって単純。
一個上と言うこともありKはおねぇさんM逆らえず、
必死で抵抗するジャブさんを見てるしかできなかったそうです。
飽きたのか、洗うのを止めたおねぇさんMは水びたしのジャブさんを放置して家に帰ったそうです。
そんな季節に水びたしのなんで凍死するじゃないですか。
Kはほっておけず自分の上着にジャブさんを包み、家へ連れて帰り飼うことにしたそうです。
こんな過去から、ジャブさんは人間不信になったのだとおもいます。
というより敵意。
ジャブさんは本物にすごい怖い。けど実は結構好き。
30 :
みつばち:2007/02/21(水) 05:09:52 O
Kとは今まで一緒だったが高校で別れてしまい、家はめちゃ近所なのにお互いの新しい生活であまり遊んだりしなくなった。
それでもたまには電話したりする。
電話するたび私の第一声は「元気〜?ジャブさん生きてる〜?」だ。
そしたらKが「おん、生きとるよ〜超元気」と返事。毎回最初はこのやり取りだ。
だからいつものように「元気しとる〜?ジャブさん生きてるか〜?」って、聞いた。
当然いつもの様に同じ返事がくるだろ。そう思ってたけど違った。
「・・・・あぁ、ジャブな、死んだんよ。ちょっと前に。」
マジですか。
最初は信じられなかった。あの強さだから余裕で百年近く生きて化け猫にでもなるんじゃねーかと思ってたくらいだから。
Kとはちっちゃい時から一緒にいて、その時すでにジャブさんはすでにK宅の主だった奴だから。
信じられなかった。
電話が終わった後、ちょっぴり涙でた。
ジャブさんとの思い出は威嚇されたり、引っかかれたり、追いかけられたり、
恐ろしい記憶しかないけど
やっぱり好きだ。
きっと友人たちもそうであろう。
ジャブさんはみんなの記憶に恐怖な印象お残して星になりました。
でも記憶の中でジャブさんは強烈に存在し続けてます。
きっとジャブさんはあっちの世界にいってもボス的キャラで堂々としてるだろうな〜
と、思ったりした今日この頃でした。
以上、長文駄文失礼しましたo(_ _*)o
書き逃げ三 (/ ^^)/
それは辛かったね
ジャブさんの冥福をお祈りします
でも悪いこと言わないから2ちゃんで顔文字はやめとけ。叩かれるから。
33 :
ほんわか名無しさん:2007/02/22(木) 23:58:52 O
33GET
34 :
ほんわか名無しさん:2007/02/24(土) 12:52:14 O
age
保守
36 :
ほんわか名無しさん:2007/02/26(月) 01:55:29 0
ほす
37 :
ほんわか名無しさん:2007/02/26(月) 14:18:23 O
いい話募集age
38 :
ほんわか名無しさん:2007/02/28(水) 14:31:24 O
☆
39 :
ほんわか名無しさん:2007/02/28(水) 18:29:51 O
あれは一年前の夏、自分はオーストラリアに短期留学したんだ
留学先はオーストラリアでもかなりの田舎で、もう訛りがすんごいの!何言ってるかわかんない。そんなのも手伝って引っ込み思案な自分はなかなか現地の人達とコミュニケーションとれなかった
そんな時に自分は学校がえりに降りるバス停間違えて道に迷ったんだよ
会話もロクに通じない見たこともない土地でどうしていいのか分からなくて、真っ昼間の田舎だから人も通らない
心細くて泣きながら歩いてたらどっかの家の子供3、4人がかけよってきて『どうしたの?泣かないで?』って話し掛けてくれてさ
見てくれなんかまだ小学校の低学年と幼稚園児なのにね
しゃくりあげてしゃべれなかった自分の背中をさすって、大丈夫大丈夫っていってくれて、住所書いた紙見せたらそこまで連れてってくれてさー
どんだけしっかりしてんの!こっちは当時高校二年生だっつーのに!
涙で顔ぐちゃぐちゃ、しかも炎天下で鼻血までふいてるってどんだけ情けないの!恥ずかしかったわ!
しかも、後日、手紙とお菓子をわざわざ持ってきてくれて『友達になってね?』ってどれだけ可愛いの!こっちが土下座してお願いいたしますだよ
留学中優しい君達にホントに助けられましたありがとう!元気にしてるかな?ロナーニ達?久しぶりにメールしてみようかな
君達を見習って今では街で困ってる人を見るとサッと助けることが出来るようになったよ。優しさは伝染するってホントなんだね
心細かっただろうね
うんと気持ちが温かくなった・・・
見習おうっと
42 :
ほんわか名無しさん:2007/03/03(土) 17:26:16 O
>>1さんお久しぶりです。
初代スレの時に自分の話を載せた者ですが、大学に合格しました!
久々に2ちゃんをしていたらこのスレを思いだしたので書き込んでみました。
43 :
ほんわか名無しさん:2007/03/03(土) 23:44:07 O
44 :
ほんわか名無しさん:2007/03/04(日) 00:18:08 O
おめでとうございます!
45 :
1 ◆zBvvMGYmRg :2007/03/04(日) 02:24:29 O
>>42 おおお!マジでおめでとうございます!
努力が実ったんですね。尊敬します。
そして、このスレを思い出してくれたことに感謝です 笑
中学の頃、バスケ部だった。背が低かったけど、足がまあまあ速くてすばしっこかったのと何より負けず嫌いだったので、2年になった時に念願のレギュラーを貰えた。一番高い番号だったんだけどね。
でも、自分と同じくらいのレベルの子は沢山いたし、前にその番号だった子がバスケ部のリーダー(みたいな感じだった)子と仲良くて、
「なんで○○(自分)がその番号しょってんの?」
「下手くそ」
とか、そんな悪口を聞こえるように言ってくるようになった。いじめ(というほどでも無い気がするけど…)られるようになった。
だけど、そんな事で自分の力で取ったこの番号を渡したくなかったから黙って耐えた。
2年の終わり位。自分とは違う部活で親友といっていい程仲が良かった子と一緒に登校してる時に突然、
「○○(自分)なんか死ねって、バスケ部の子が言ってたよー」
って、笑いながら言われた。馬鹿にした笑いじゃなくって、本当に楽しそうに笑ってた。何も言えずに黙った自分を、面白そうに見ていた。
…裏切られたとかは無くて、ただ悲しかった。なんか全てがどうでもよくなった。→
卒業するまであまり学校に行かず、高校の後期試験に落ちて、まあ頭はそんなに悪く無かったから二次募集の通学が通学が登下校合わせて3時間かかる学校に通う事になった。
誰も知り合いが居ないし、一からやり直せるかなあと思った。
そこで一人の子とすごく仲良くなった。ある時、なんとなく中学の事を言ったら
「そ、」
とだけ言って、他には何も言わずに隣にいてくれた。それがなんだか、すごく嬉しかった。あの子とは違うんだよーって、自分の中で確認できた気がした。
それから一年くらいして、私が中学の時の話したの、覚えてる?と聞いたら
「…何か聞いたっけ?」(真面目顔で)
と、本当に忘れているみたいだった。いや、興味あるもの以外は全て忘れる君の事だ、忘れているに違いない。
今じゃ何も言わずとも通じあえる、熟年夫婦みたいな私達。ジュースをこぼされても、「あーあ…」とこぼしたジュースの心配をする貴方が大好きです。
過去は忘れられないし、変えられない。
来年は進学で、違う道を行く私達だけど。今、こうして、親友というよりは悪友の君と一緒にいられる事もきっと、一生忘れないよ。
かなりの乱文失礼しました……見てはいないだろうけど、悪友Rへ。沢山のありがとうとこれからもよろしく、を込めて。
泣けた………
良い友達に巡り会えて良かったね。
49 :
1 ◆zBvvMGYmRg :2007/03/04(日) 14:51:34 O
>>47-48 いい友達ですなあ…
何も言わないでも通じ合える関係って憧れます。
過去に辛い経験があったからこそ、その親友との出会いがあったんですね。
すこし長くなりますが、父の話をします。
うちは5人家族に犬が2匹、父は小さな会社の平社員で、決して裕福な家庭ではありませんでした。
無口でシャイな父は、普段から家族ともあまり話さず、友人も少ないようでした。
私はそんな父が大好きでしたし、時々休みの日に何も言わず遊びに連れ出してくれるのが、とても嬉しかったです。
母、姉、妹は明るくてお喋りでしたが、私だけは父に似たのか小さい頃から物静かで、
父とは言葉を交わさなくても、一緒にいるととても幸せでした。
今まで母には数え切れないくらい叱られ、叩かれたことも星の数ほどあります。
でも父に叱られた記憶はありません。もちろん叩かれたことも。
母に叱られて泣いている私を、やんわりと庇ってくれる優しい父でした。
そんな父が、突然入院しました。私が高校2年生の夏でした。
身体が大きくて丈夫だった父ですから、私も最初は軽い気持ちで、すぐ退院できるものだと考えていました。
でも、日を追うごとに父は痩せ細り、お見舞いに行く度に酸素マスクやら呼吸器やらが増えていきました。
それでも父は私がお見舞いに行くと嬉しそうで、特に言葉も交わさず、
病室に備え付けられたテレビを長いこと一緒に観たりしていました。
しかし、入院してから1ヶ月近く経ち、父は自分で呼吸ができなくなりました。
体内に機械を入れて呼吸しなければならない、
でもそうすると物も食べれないし言葉も話せなくなると、先生に言われました。
父は「治ればまたもとに戻るんだから」と言って、機械を入れる直前も、
特にたくさん物を食べたり話したりすることもありませんでした。
それから1週間も経たずに、父は眠るように亡くなりました。入院から1ヶ月とすこしでした。
私はすぐに現実を受け入れることができなくて、涙が出てきませんでした。
まだあのベッドに父が横になっているような気がして。
また父が家に帰ってきて、靴箱の上に自転車の鍵を置く音がするような気がして。
お通夜の日に、父の友人の奥さんが私に話をしてくださいました。
無口な父が、友人に私の話をしていたそうです。
「あの子は教えてもないのに、昔から絵がすごく上手なんだ」と、私の自慢をしていたそうです。
それを聞いて、私は涙が止まりませんでした。
私は小さい頃から絵が好きで、よく絵を描いていたのですが、
父が面と向かってそれを褒めてくれたことなんてなかったからです。
ああ、お父さんは何も言わないけど私のことをちゃんと見ててくれたんだ。
そう思うと嬉しくて、それにありがとうと言えないのが悲しくて、涙が溢れて止まりませんでした。
それから数日後、父の遺品を整理しているとき、私が幼稚園くらいの頃に描いた下手くそな絵が
大事にしまわれているのを見つけて、また泣きました。
あれから2年半が経ちました。
私は今、芸術系の大学で、絵の勉強をしています。
奨学金を受けながら、ギリギリの生活だけど、毎日頑張っています。
あのとき、父の話を聞いて、真っ直ぐ夢に向かって進む決心がつきました。
お父さん、私、お父さんのおかげで、今、とっても毎日が充実しているよ。
何も言わなくていいから、天国から見守っていてね。ずっと大好きだよ。
>>51 泣けた(;ω;)何だか私ととても似ている気がします。私も絵が好きで、昔父に見せて褒めてもらった思い出があります。でも父は4年前に亡くなりました。今でも実感がわきません。
あなたのお父さんはきっと優しくあなたを見守ってくれてると思います。私の父も見守ってくれてるかな………。
53 :
ほんわか名無しさん:2007/03/05(月) 21:33:13 O
右
54 :
ほんわか名無しさん:2007/03/06(火) 01:44:02 0
俺は今日久しぶりに泣いたよ。
去年、高校を辞めて、春からは「船長になる」という夢をかなえるための学校に行く俺。
今日はアルバイトだった。国際展示場のイベントの荷物を運ぶクロネコヤマトのバイト。
仕事は、重いものもあったけど、タバコも吸えたし、仲良くなった人がいたからまあよかった。
四時に仕事が終わり、帰路につく。国際展示場から新木場までの無料バスが出ていると聞き乗り場へ向かった。
いつまでたってもバスがこないので、タクシーの運ちゃんに聞くと「イベントがある日しか出てないよ」
俺は金が無かったので、臨海線の駅まで歩いた。そしていざ切符を買おうとしたら金が無かった。
恥ずかしい話だが、そのときの俺は190円すら無かった。
俺は困り果てて、駅員に「すみませんが、お金を忘れてしまったので貸していただけませんか?」と聞くも拒否された。
この時点で半泣きだったが、道行く人々に声をかけるも「知りません!」とか「ごめんなさい!」って逃げられた。
そりゃそうだよな、色めがねかけていてゴツイやつが話しかけたら引くわな。
当方に暮れて、駅の壁に座り込んでうつむいていたら、ホームレスのおじさんが話しかけてきた。
「そこのゴツイ兄ちゃん、どうした?」って。そのおじさんに事情を話したら、なにも言わずに俺の手に300円握らせてきた。
「必ず返しますから!」って名前を聞いたが、「そんな立派な人間じゃねえよw」って言いながら言ってしまった。
駅員も誰も助けてくれない、このとき俺は「冷たいなあ」って思ったが、人の優しさに触れてその場で涙が出てきた。
新木場に着いたら俺の自転車は無くなっていた。たぶん撤去されたんだ。
たまにはいいかなと思いながら、南砂の家まで歩いた。
歩いているあいだ、暖かい気持ちで、涙が止まらなかった。
おじさん、本当にありがとう。
55 :
ほんわか名無しさん:2007/03/06(火) 02:27:26 O
>>54 明日 返しに池。
借りた金は 返すんだぞ。
56 :
ほんわか名無しさん:2007/03/07(水) 11:49:10 O
agare
57 :
ダメ娘:2007/03/07(水) 12:54:34 0
おかん、あんたは凄いわ。
母子家庭で毎日働いて、でも、毎日ウチのご飯作ってくれてて。
ウチが17の時、馬鹿して捕まって鑑別所入ってってした時も、気丈に振る舞ってたな。
後から周りに聞いたけど、陰で泣いてたらしいやん。
そんで面会の時ジュース2本買ってきてくれて、しかもちゃっかりウチの好きなジュース。
覚えててくれたんが嬉しくて、部屋戻ってから泣きまくったわ。
そんなこんなで馬鹿ばっかりして、散々困らせたウチやけど、今年結婚します。
今は病気で辛いかもしれんけど、おかんにはウチがおるから、もう無理せんでいいよ。
これからはウチがおかんの面倒見るから、安心しててな。
私の父と母は、昔から仲が悪かった。
喧嘩する仲というよりも、冷え切っていた。それは、小学生だった頃の私にもわかる程だった
気付いたら父が別居していたりと、どちらかというと母と一緒にいた記憶のほうが多い。
強くて美しい母は、私には冷たかった。理由は未だにわからない。
母が夜に遊びに出掛けるのを、私が泣いて嫌がると、重いソファーに潰して出掛けたり
学校帰りが少しでも遅くなると、遠くから走って家に入ろうとする私を、母は玄関から冷たい目で睨み、玄関の鍵を締めたり
とにかく、嫌われていた
そして私は、どんどん壁を作った
傷つかないように
大好きなママに、これ以上嫌われないように
続きます
私が中学生になった時には、既に完全に別居となっていて、父と会う事はほぼなくなっていた。
兄はグレてしまい、高校を中退し家を出ていってしまった
冷え切った関係のまま、母と私の二人暮しで数年過ごした
中学三年の半ばのある日
ママは、夜遊びをせず家にいた
嫌な予感がした
ご飯を食べ終わった後、ママは言った
『ママ、離婚して東京に行くから』
美人で、気丈なママが、私の膝の上で泣いた
初めて泣いた
壁が出来上がっていた私には
無表情で『そう』『うん』としか言えなかった
でも、そんなママの姿を見て私の涙は止まらなかった。ママは私を嫌っているのに
なぜ泣く?
続きます
私が高校に上がったら出ていく、とママは宣言した。
ママとの二人暮しも、高校に上がったら終わり。それからのママは、壁はあるものの優しかった。
高校の入学式の朝
ママは数年ぶりに『おはよう』と言ってくれた。気恥ずかしいせいか、笑顔ではなかった。でもママなりに頑張ったんだと思う
部屋の中の片隅には、ママの荷物がまとまっていた。洗濯や掃除も、すべて片付いていた。
『○○が家に帰ってきたら、ママいないからね』と念を押した
泣かない。絶対に泣かない
そして、私は玄関を出た。薄いカーテン越しに、私を見ているのがわかった。どんな気持ちで見ているのかはわからなかった。
入学式が終わると、走って家に帰った
もちろんママは、いなかった
大好きなママ、ひとりぼっちの家、ひとりぼっちの高校生活
手料理の味
涙が、止まらなかった
すごく切ない話ですね…なんとも言えません…。
62 :
ほんわか名無しさん:2007/03/08(木) 21:47:14 O
まとめサイト作らん?
63 :
ほんわか名無しさん:2007/03/11(日) 01:55:34 O
すでにあるよ
64 :
ほんわか名無しさん:2007/03/11(日) 05:38:44 0
ママン。。。。
65 :
ほんわか名無しさん:2007/03/14(水) 16:54:07 0
ほしゅage
66 :
ほんわか名無しさん:2007/03/14(水) 17:51:19 O
いい話がききたい
67 :
ほんわか名無しさん:2007/03/15(木) 15:26:02 0
子供の頃、父が飲んだくれだった我が家は極度の貧乏だった
しかし明るい母は4人の子供とアル中の父を抱え朝は築地の魚市場、
昼は貝類加工場、夜は寿司屋の店員と3つの仕事をこなしていて
寝てる間に帰って来る、目が覚めるともういないの繰り返しで
1週間のうち、貝類加工場が休みの土曜日の昼間だけしか顔を見る事が
出来ない毎日だった。そんなある土曜日、母がまだ就学前だった私を
野草摘みに連れて行ってくれた。普段、母と過ごす時間が無い私には
春の野原で母と2人、つくしやフキを積んだ事が本当に楽しく嬉しかった。
それから数十年が経ち飲んだくれだった父は他界し子供達も大きくなった。
今では昔の苦労が嘘のような楽隠居生活を送る母に、ふっと野草積みの事を
思い出し「あ〜ちゃん(母の事)と野草積みに行ったよね!普段は顔も
満足に見られなかったから、あの時は本当に楽しかった!」と何気なく
言った私に「あの頃は貧乏だったからね…。あんな野っ原に生えてる
草まで食べさせて…すまなかったね。」と母が泣いた。
子供だった私には、ただの楽しい野遊びだったけど母に取っては
子供達を飢えさせない為の苦肉の策だったんだね。ありがとう。
それ以来、毎年この季節になると、あの楽しかった野草積みを
思い出しては、ちょっと胸がつまる…あ〜ちゃん長生きしてね!
68 :
ほんわか名無しさん:2007/03/15(木) 15:31:53 O
>>67 泣ける(´;ω;`)
あーちゃんの偉大さ 感じたし、きっとアナタも もっとあーちゃんとの時間が、幸せだったのね。
69 :
ほんわか名無しさん:2007/03/15(木) 16:25:01 0
>>67 母視点で読んでみると、
>>67の「楽しかったね!」が不憫で
二度泣ける・・・。
70 :
ほんわか名無しさん:2007/03/16(金) 17:39:36 O
71 :
ほんわか名無しさん:2007/03/17(土) 22:59:13 O
泣ける話やなあ
72 :
ほんわか名無しさん:2007/03/19(月) 13:44:33 O
ある夏のツーリング。
初めてのロング。初めての北海道。出逢いと発見の連続だった。
その旅路も終わりに近づいたころ、直江津郷津で一人の老人に出逢った。
その日の朝は快晴だった。
数日続いた雨で荷物が濡れていたこと、またキャンプ場が海水浴場を兼ねていたこともあって
俺は荷物とともに日光浴をしていた。まるで干物になったような気分だ。
「もう何日目?」
ふいに声がする。目を開け、強い日差しのせいで青色がかった視界に入ってきたのは、
白髪でサングラスのご老人と車。話を聞けば、先々で出逢った人に聞いたおすすめの所や名所をたどる、
予定のない旅をしているそうだ。
「私はね、病気で胃もほとんど取ってしまったし、もう長くはないんだ。だからね、
向こうへの土産のつもりでね、この旅してるんだよ。」
昔の人は言っていた。旅は日常から非日常へのシフトだ、と。そして旅の終わりは、非日常から日常へと還ってゆくことだと。
またある人は教えてくれた。
73 :
ほんわか名無しさん:2007/03/19(月) 13:46:14 O
旅を表す英語は色々あるんだが、特に journey は、長い旅、終わらない旅、人生の縮図という意味もあるのさ、と。
この人はその縮図の果てに、何を見たいんだろうか。
「君は北海道から帰ってきたのか! そうか、北海道も行ってみようかな。」
変わったところがいいと言うので、礼文島の桃岩荘ユースを勧めてみた。
そうだ、10月に東京でそのユースの大会が行われるそうなんで、よかったらそこで会いませんか?と日時を勧めてみる。
「じゃ私がそのユース行けばわかるから、その件は私の宿題にしましょう。その方が楽しみがあるでしょう。」
と返された。一本とられた。
「じゃ、また会いましょう。」
と言って、ご老人は行ってしまった。
俺はご老人が勧めてくれた「おわら祭風の盆」を見に、富山へ向かった。
夏は終わり、10月のユースの大会を前に、この人に手紙を出した。
東京での再会を楽しみにしています、と。
ご老人は大会に来なかった。
再度手紙を出しても、返事はなかった。
ご老人がどうなったか、わからない。
この人は人生の果ての間際に、旅という人生の縮図の中で、
何を求め、何を想ったんだろうか。
南会津の中嶋さん。
俺はその答えを聞きたかった
74 :
ほんわか名無しさん:2007/03/19(月) 23:41:20 0
旅っていいよね。
75 :
ほんわか名無しさん:2007/03/21(水) 11:20:39 O
うん
76 :
ほんわか名無しさん:2007/03/21(水) 11:25:39 0
77 :
ほんわか名無しさん:2007/03/22(木) 12:12:13 O
さあ
78 :
ほんわか名無しさん:2007/03/24(土) 14:18:11 O
なに
79 :
ほんわか名無しさん:2007/03/26(月) 23:06:15 O
79get
80 :
ほんわか名無しさん:2007/03/28(水) 01:35:21 O
最近伸びないな
(´;ω;`)
ほしゅ
83 :
ほんわか名無しさん:2007/03/31(土) 21:42:43 O
ageときますね
(;ω;)
なぜ泣いてる
86 :
ほんわか名無しさん:2007/04/02(月) 05:52:22 O
いい話載せたいけど文才がねえw
87 :
ほんわか名無しさん:2007/04/06(金) 13:06:25 0
88 :
ほんわか名無しさん:2007/04/06(金) 14:03:43 O
携帯からスマソ
俺の嫁さんは結婚して子供産んでから、急に体が弱くなった。医者の話によると、甲状腺の病気だそうだ。
そのため、入退院を繰り返す日々が一年位続いた。そんなある日嫁さんの妊娠が発覚した。
医者に相談したら、「今は無理だ」とのこと。(もっとオブラートに包んで言ってました。)嫁さんにも子供にも申し訳なくて、ただただゴメンと謝るしかできなかった。
一週間位、入院し手術する事になった。入院中、担当してくれた看護師さんはどうやら新人らしく、常連である嫁さんの事をしらなかった。
「はじめまして!今回担当する事になった、Tです!宜しくお願いします!」
めちゃくちゃ元気いっぱいな子で、入院中は嫁さんも俺も気分が落ち込むことがあまりなかった。
89 :
88:2007/04/06(金) 14:51:06 O
続き
手術当日、朝一番で嫁さんのところに行き、お腹の子にサヨナラした。手術は午後からで一時間位で終わるとのことだった。もっと時間がかかると思っていた俺は、そんなもんなのか。と思っていた。
手術の時間が近づくにつれ、不安と申し訳ないという気持ちが強くなり、情けなくも俺は病室で泣いてしまった。
それを見た担当の看護師さんは、俺に
「お子さんの為にもあなたは常にスーパーマンでいないとダメですよ!」 といってくれた。
手術が無事終わり、病室に戻ってきた嫁さんは2〜3時間程寝ていた。
麻酔が切れ目が覚めた嫁さんは俺に「もういないんだね…」といいながら、お腹を触っていた。
俺はまた泣きそうになったが、スーパーマンだ!俺はスーパーマンだ!と言い聞かせ泣くのを我慢した。
数分後、担当の看護師さんがやってきた。病室に入りお腹をさする嫁さんを見ると、
「ごめんね。私、あなたに何もしてあげられなかった…看護師なのに…何もできなかった…。」
そういうとボロボロと泣き出した。テンパった俺と嫁さんは、大丈夫だからと訳のわからない事を言っていた。
90 :
88:2007/04/06(金) 15:22:54 O
退院の日、担当の看護師さんが俺に「幸せにしてあげてくださいね。」といってくれた。
ありふれた言葉だが、やけに重みを感じた。現在、俺は家族のスーパーマンとして家族を守っている。
おそらく嫁さんも子供もみんな幸せだろうと思う。これからも幸せな家庭でいたい。
長文乱文すみません。
(;ω;)
92 :
ほんわか名無しさん:2007/04/07(土) 23:24:39 O
末永くお幸せに
(ノД`)
想い出は思いでー
良スレ保
95 :
ほんわか名無しさん:2007/04/10(火) 22:53:52 0
96 :
ほんわか名無しさん:2007/04/10(火) 23:06:59 O
97 :
ほんわか名無しさん:2007/04/11(水) 01:06:49 0
親父は会社を興して小さいながらも田舎の権力者として
君臨した暴れ者だった。
町長選挙も親父のさじ加減だったらしい・・・
たくさんの人に好かれてたくさんの人の恨みをかった。
いつも周りには人がいっぱいだった。
口癖は「うっせーわ!俺の言うとうりにしろ」だった。
親父は毎月海や山や東京や大阪・京都色んなところにつれていってくれた。
大阪見物に行くのに学校より勉強させてやるといって平日に三日も高校を休んだ。
いったのは、親父の仕事関係の工場とキャバクラと俺の大好きだったお笑いの梅田花月。
いつも豪快に笑いわがままで、情に厚かった。ただ、あまりの傍若無人ぶりにかーちゃんもでてった。
ただ俺は親父が好きでいっつも一緒にいた。
俺が社会人3年目にガンが見つかってすぐ親父の会社にはいって勉強した。
2年後アルツハイマーも併発して、たった一人の身内だった俺が看病した。
あれほど回りに人がいたのに誰も親父にはちかよらなくなった。
俺は俺の名前すら言えなくなった親父を必死で看病した。
親父はガリガリになり自分で排泄もできなくなった体で、病院から2日消えた。
病院に帰ってきた親父の手には、地元のお笑いライブの招待券との時計。
クシャクシャの招待券を俺にわたして「おい、お前誕生日だろ?これは世界最高の時計だ!お前にふさわしいな!」
とかすれた声で精一杯いってた。
バカみたいに泣きながら、3000円のところ2000円で入れる招待券と
ROREXと書いてあるずっと親父がしてた時計を受け取った。
俺の誕生日の丁度一月前の暑すぎた五月のできごとだった。
俺は今でも地元じゃ「お父さんそっくり」
といやみったらしくいわれたり、尊敬のまなざしで言われたりする。
そんなことはかまわない。むしろ、「父が迷惑かけました」と謝罪する。
ただ「おとうさん見たくなるなよ」とありがたい説教くれる奴にはいってやる。
「親父の二倍お前に迷惑かけてやるよ」
98 :
ほんわか名無しさん:2007/04/11(水) 17:01:34 0
ナイス
99 :
ほんわか名無しさん:2007/04/13(金) 13:11:00 O
ホシュ
100 :
ほんわか名無しさん:2007/04/14(土) 17:59:30 O
いい話待ちage
ほす
102 :
ほんわか名無しさん:2007/04/18(水) 00:32:57 0
そう言われてみると、俺の家には俺の小さい頃の写真が一枚もなかった。
姉貴の写真はたくさんあるのにな。
まあ、そういう家なんだと勝手に納得してた。
今日、学校から帰ってきたら両親に突然知らされたよ。
俺が捨て子だったってことを。
父さん母さん、赤の他人なのに今の今まで育ててくれてありがとう。
血が繋がってないのに、食事をさせてくれたり、学校行かせてくれたりしてありがとう。
今まで生意気言ったりしてごめん。
あー、なんか不思議な気分。
明日からどういう風に振舞えば良いんだろう。
103 :
ほんわか名無しさん:2007/04/18(水) 04:28:37 O
どこでも一番上が写真はダントツに多いよ! 本当の両親じゃないかもしれないけど、愛情をもってくれてたならこれからは『ありがとう』って感謝の気持ちで
104 :
ほんわか名無しさん:2007/04/18(水) 04:31:17 O
【続き】接したらいいんじゃないかな。 今まで気づかなかったのは鈍感だったから気づかなかったのではなく、両親が息子として ちゃんと見てくれたからだよ。
105 :
ほんわか名無しさん:2007/04/18(水) 04:59:13 O
私の父親も両親と血つながってなかったよ。
しかも一人息子…。
私がそれを聞いたのはおじいちゃんが死んだ5年前のお通夜の夜に母親から聞いた。
二人で線香の番をしてる時「あのね、本当はお父さんはおじいちゃんの子と違うねん」と、
どこかの議員さんの隠し子らしい。
私はおじいちゃん子で、いつもおじいちゃんは私の写真を持って自慢してくれてた。
もちろん私も血の繋がりのない孫なのに。
産まれ育った家とも今年の9月にサヨナラする。
家は売って、区画整理され誰か知らない人が住むんだろぉと思うと
ちょっと寂しい気もするけど、おじいちゃんのお墓も近くだし
一言ゴメンねと報告に明日行ってきます。
初めて聞いた時はショックだったけど
血の繋がりなんてあまり関係ないと思います。
大好きだったおじいちゃんであることに今までもこれからも変わりはないから…。
死んでから聞かされたから何も孝行出来なかったけど、あなたはこれからも
孝行出来るし、今までもこれからも変わりなく
家族であることには変わりないのですから。
106 :
ほんわか名無しさん:2007/04/20(金) 01:34:43 0
会社の机に部下である僕らの席と名前を書いた紙をセロテープでとめて
手帳は僕らの特徴で真っ黒
10年付き合った若年性アルツハイマーの上司
彼の書いた注文書を確認する担当
彼の受注をもう一回お客さんに確認する担当
彼のアルツハイマーシフトは僕らのせめてものお返しだった
笑って「アルツの上司だぞ好きにやってしまえ!期待してるぞ!」
という笑えないジョークで涙を誘うバカな上司
新入社員の倍手間のかかる上司
新入社員を俺と勘違いして10分説教してしまう上司
まちがって俺に辞表を提出した彼は会社をやめることができなかった
最後に彼の率いる支店はダントツの一位をとって
「勇退」という花束を僕らは渡した
107 :
ほんわか名無しさん:2007/04/20(金) 01:45:58 0
乱文スマソ・・
108 :
ほんわか名無しさん:2007/04/20(金) 04:21:07 O
最高の上司と最高の部下ですね。
109 :
ほんわか名無しさん:2007/04/20(金) 05:51:35 O
私が小学校高学年の頃の話です。
家族でディズニーランドへ行きました。
その当時トゥーンタウンという施設が出来たばかりで
その中にミッキーの家がありました。
なんでもそこではミッキーに会えるということで
小さい頃から彼のファンだった私は当然そこに行きたがりました。
しかし私以外の家族は全く興味なく、またそこには長蛇の列が並んでいたので敬遠し、
しかたなく私は一人で並びました。
1時間位並んだでしょうか。ミッキーに会えるという期待感で胸が本当にワクワクしていました。
とうとう中に入れた時、ミッキーの家の夢溢れる内装に心踊らせていました。
最奥の部屋には待ちに待ったミッキーが待っています。私はドキドキしながら足を踏み入れました。
110 :
ほんわか名無しさん:2007/04/20(金) 05:53:48 O
部屋の中にはミッキーと係の人が一人いました。どうやら持ち込みのカメラで記念撮影をしてもらえるらしいです。
私の前後にはカップルがいました。両者ともカメラを持って。
私の前のカップルは最速ミッキーと記念撮影をしました。
私はそれを持っていなかったので、ミッキーと握手出来るだけでもいい!と自分の番を心待ちにしていました。
「次の方こちらへどうぞ」
係員の人が言いました。目線は私を通りこして後ろのカップルの方へ…。
多分子供の私に気付かなかったのでしょう。一人でくる子もあまりいないだろうし。
111 :
ほんわか名無しさん:2007/04/20(金) 05:55:27 O
ショックでした。ミッキーは後ろにいたカップルと記念撮影をしています。
私はそこを後にしようとしました。幼いながらも変なプライドがあったので、「こんなこともある、泣くなんてばかだ」なんて思いながら…。
悔しい…でも平静を装うと出口に向かおうとしたまさにその時、私の肩がポンポンと叩かれました。
振り向くとそこにはミッキーがいました。両腕を広げながら…。
次の瞬間彼はぎゅっと私を抱き締めました。
私がボーゼンとしているとミッキーは私の手をとり握手をしてくれて、頭をポンポンと撫でてくれました。
帰りの通路の途中私は嬉しくて泣きました。
112 :
ほんわか名無しさん:2007/04/20(金) 05:57:37 0
さっき、私の祖母が死んだ。原因は聞いていない。聞いたって何にもならないから。病室には祖母が眠っていて布団の上に花と子供のメッセージカードが乗っていた。涙は出なかった。
昨日の11時頃に危篤だと聞いて病院へ向かったんだが、病室で祖母を見たとき、痩せこけていて驚愕した。祖母が目を開けた。「久しぶりだね」と言って手を握ってやるとうんうんと頷いてくれた。私だと分かったみたいだった。
祖母の手は温かくて、まだ生きてるんだと分からせてくれた。何だか嬉しくて鼻水ズクズクになって泣きながらもずっと手を握ってやった。
一緒に来てた母が、「とりあえず家で寝てきなさい」と言われても私は行かなかった。明日学校があるのを無視し、ずっと祖母の近くに居た。
朝の4時くらいになり、祖母の血圧も上昇してたので私は一旦家に帰った。そして9時くらいまで眠った。
起きて支度をし、祖母の部屋を覗いてみた。(私の家には祖母も住んでいた)畳の匂いと祖母独特の匂いが混ざりあって、懐かしい気持ちになりまた泣いてしまった。『少しでも長く生きてくれますように…』と祈って。
私は病院へと向かった。まだ大丈夫かな、と思って、元気だったら何を話そうなどとバスの中で考えていた。
病院に着き、祖母の病室まで来るとある変化に気付いた。病室の扉が空いている━━。
中へ入ると一番に目に飛び込んできたのは、祖母が眠っている布団の上に乗っている花と子供からのメッセージカードだった。
瞬間、祖母が死んだんだと確信した。
祖母と母は仲があまり良くなかった。私の家は母子家庭なのだが、血の繋がらない母は祖母の今後の介護の面倒を見るのを嫌がっていた。
一層祖母との距離を置き出したのは去年の10月くらいで、ふとしたキッカケが原因だった。そこから一緒に食べていたご飯も食べなくなり、一緒の家に居るのに他人のような扱いだった。
しかし、私は祖母のことが大好きだった。母には嫌がらせまがいのことを時々してたみたいだが、私には昔遊びを教えてくれたり、仕事場で作ったお菓子などを分けてくれたりした。祖母は近所の人とも仲が良くて、人に好かれる性分だったのではないかと思っている。
祖母を家で敬遠し始めてから、私の兄弟も祖母と口を聞かなくなっていった。4月の始め、兄が上京するのに兄は家を出るとき祖母に挨拶をしなかった。私はそれがとても悲しかった。挨拶くらいすればいいのに、と思った。悔しかった。
祖母は幸せだっただろうか、と考える。確かに頑固な部分はあったが、よく笑い、話し、尊敬する人物だった。最後に会ったとき、うんうんと私が来たことを分かってくれた仕草と体温が、まだ残っている。大好きだったおばあちゃん、安らかに━━━。そして、ごめんなさい。
乱文&長文スマソ
118 :
ほんわか名無しさん:2007/04/21(土) 00:45:57 0
なんという両スレ
真夜中のほしゅ。
120 :
ほんわか名無しさん:2007/04/24(火) 21:22:32 O
久しぶりに泣いた。
ホシュ
122 :
ほんわか名無しさん:2007/04/26(木) 23:13:47 0
>>113 うちと環境が似ていて、考えさせられました。
うちも、母と父方の祖母は仲が悪いんです。
ご飯も別々です。兄2人も祖母を避けます。
もう80歳で今は健康ですが、いずれ祖母が亡くなった時、
お母さんやお兄ちゃん達は悲しむのかな、と考えてしまいます…
123 :
133:2007/04/27(金) 18:23:18 O
>>122 ちょっと続くと、葬式の時、あんなに祖母を嫌っていた母や兄弟が声を上げて泣いていました。やっぱり悪い思い出ばかりではなく良い思い出の方が多かったからだと思います…。「今までありがとう」と母は安らかな顔をして眠っている祖母に言っていました。
祖母は今は骨となって仏壇の前に居ます。122さんも、祖母を少しでも労ってあげてください。
124 :
ほんわか名無しさん:2007/04/27(金) 22:24:21 O
>>123 そうなんですか‥
うちもうまくやってた時期もあったんですけどね‥。
ありがとうございます。
圧縮後だけどホシュ。
まとめサイトは5月中に何か動きがあるようにします。
本当にすみません><
126 :
ほんわか名無しさん:2007/04/30(月) 20:31:05 0
ggg
127 :
ほんわか名無しさん:2007/05/02(水) 03:19:49 O
ほし
ほしゅ
129 :
ほんわか名無しさん:2007/05/06(日) 05:43:17 0
結婚して一年・・
子供が生まれた。
女の子だった。
親父はバカみたいに喜んで、金を送ってきたり
40万もする雛人形を買ったりした。
でも、嫁はなぜか離婚してくれとのことだった・・
親父に虐待を受け、男性恐怖症なのは知ってた
俺は彼女にとって特別な男性だと思ってた
でも違ってたらしい・・・
離婚の理由は・・
喧嘩したことから俺のダメなとこまで全部あげられて
人間を否定された気分だった。
しかし、俺には人には理解しがたい彼女の本当の理由がわかってた
「旦那さんは要らないけど子供はほしいの」
付き合う前の彼女の言葉だ
生まれたばっかりの子供を二度ほど抱いて俺は離婚することになった
身を引きちがれそうな思いだった
親戚中に言いふらされた
俺は言葉の暴力と性的暴力を振るったと
いつ死んでもいいと毎日思ってた
今はいってる保険が子供に入るように設定した
何度も首をつろうとしたが涙ばかり出て足がすくんで動けなくなった
そんな時親父が電話口からこういった
「俺はお前とずっと一緒にくらせて幸せだった。」
「お前のいまの気持ちは想像絶するものだろうな」
「頼む、死なんでくれな」
>>129 俺も結婚したばっかりだから
先が見えず不安ばかりだ
お互い頑張ろうとはとても言えないが、
どんな場面でも変わらないことはないから、
今はただ今の場面を耐えてくれ。
君を必要としている人はほかにも身近にも
きっといるものだ。
そして逆に自分が支えられていることを
あとで知るから...
欝でどうしようもない日々を過ごしていた
俺はわずらわしかった周りの人間が
逆に影となり支えてくれてたんだなぁと思うと
泣けてなけて仕方がなかった。
よくわからないところで人は支えられてんだよねぇ
131 :
ほんわか名無しさん:2007/05/08(火) 22:48:54 0
なにこのスレ・・・
(;ω;)
132 :
ほんわか名無しさん:2007/05/09(水) 03:15:43 O
>>129 いつか子供が大きくなった時、会えたらいいですね。わたしは その子供の方でした。親がいなくてとてもとても寂しく、あなたのように辛い思いをたくさんしました。
133 :
ほんわか名無しさん:2007/05/09(水) 03:18:48 O
あなたもつらいだろうけど 子供も物心ついた時 父親のいない寂しさを知るのです。その子にとっての父は あなた一人です。生きて下さい。
134 :
ほんわか名無しさん:2007/05/10(木) 21:36:53 0
涙の数だけつよくなれるんだよ。
今日は母の日ですね。
俺の母上は天国だけど、
一応、ここでも、感謝しておきます。
母上、
俺を生んで育ててくれてありがとう。
>>136 ありがとう。
長文の駄文は得意なのに、
肝心なことは短い文でしか書けない。。
>>137 こちらこそ感動をありがとう…!お母さんは幸せですね。あなたにもたくさんの幸せがありますように。
139 :
ほんわか名無しさん:2007/05/16(水) 09:05:47 O
なにこの良スレ
本当に良スレですよね?
HP更新しようと
過去ログを拾ってたのですが
スレ2.5の
>>927以降が飛んでしまってましたorz
今でも過去ログ見れるサイトは生きてますか?
それか、誰かログを保存されてる方いませんか?
メールなり何なりくれると大変嬉しいです。
141 :
穴開き靴下 ◆v.T/dshbsQ :2007/05/18(金) 00:49:13 0
約9ヶ月ぶりにまとめサイトを更新したしました。
一気に41の話をうpしたので少し疲れますた。
これからも現行スレに追いつけるように努力したいと思います。
142 :
ほんわか名無しさん:2007/05/18(金) 01:00:58 O
プリティ長嶋が未だに長嶋さんの真似をしてるのは
長嶋が現役引退の時に当時全然売れてなかったプリティの所に大スター長嶋が尋ね
プリティに長嶋さんが「お前、俺が引退して食ってけるか?やっていけるか?ごめんな、引退して本当にごめんな」と言いに来た
以来プリティは長嶋の真似をする芸を生涯辞めない事にした
143 :
ほんわか名無しさん:2007/05/19(土) 03:39:31 O
144 :
ほんわか名無しさん:2007/05/19(土) 19:02:03 0
146 :
サク:2007/05/21(月) 23:33:06 0
2chでの話をひとつ...
女に振られ、なんとなくやる気も出ない。何をするともなくパソコンに向かって、
「2chってやつでも覗いてみるか」と思い、いろいろ覗いているうちに
30代が若者となれあうスレにたどり着いた...
聴いている音楽もファッションの話もことごとく違い、
本来なら会話など成立しないはずなのに、
なぜか寛容こそがスレのモットーというスローガンの下に、
およそ1年間ほのぼのと馴れ合い、時に反目しあってまた仲直りして宴して。
まぁみんな仕事が忙しかったり結婚したりリアルな世界で
それぞれ頑張ってスレもいつの間にか一人二人いなくなって。
さびしい気もしたがみんな頑張ってるって言うのはそれなりに
嬉しかったりして。そのうち本スレもなくなって。
それでも同じ板をうろうろしていたら、
そのスレで知り合った女の子が結婚するという報告が
書いてあった。その子は年下だったがしっかりした人で
いろいろ励ましてくれたし、応援もしてくれて、
俺が彼女ができたり結婚するって言ったときは本当に嬉しがってくれた。
俺もその子の結婚を祝ってあげたくなって、
具体的にどこに住んでるなんて知りもしないのに、
とある都市の大きな駅の近くの電話ボックスに、
祝儀袋を隠しておいた。宝探しだ。
さっきとある板をうろうろしていたら、
宝探し成功したとの報告がありました。嬉しかったってさ。
中身は千円だったのに...もうチョイ入れとけばよかったかな。
ごめん、あんまいい文じゃなかったや。ただのじこまんだな
>>146 会わないまま ご祝儀まで渡せちゃうなんて…なんだかスゴい!本当に心から祝福しあってる姿が浮かんでジーンとしました。そんな大事な友達をたくさん作りたいッ!!
>>141 穴開き靴下さん、あなたのおかげで 過去スレ見ました。
それを読みはじめる事になった日 かなり立ち直れない、人間不信な事がありました。
でも みなさんのお話を読んでいたら…そんなつらい思いは消えました。休憩中、ベットの中、電車の中…ひたすら読みました。
涙がとまりませんでした。自分の周りに起きている事が とてもちっぽけに思えました…ありがとう。
149 :
ほんわか名無しさん:2007/05/22(火) 11:16:21 O
150 :
ヒロト ◆zBvvMGYmRg :2007/05/22(火) 20:44:50 0
151 :
ほんわか名無しさん:2007/05/22(火) 22:39:38 O
なんかここの人のレスを見てると落ち着くわw
私事ですが・・・最近改めて
2ちゃんねるもまだまだ捨てたモンじゃないって思ってます。。
>>146 やっぱり金額じゃなくて気持ちだと思います。
ネット上の人と人のつながりっていいですよね。
>>148 そう言ってもらえると嬉しいですし、
やる気も出てきます。
俺こそ
>>148さんにお礼が言いたいです。
実際、このスレから多くのエネルギーをもらっています。
>>150=ヒロさん
サイト更新が
亀進行で本当に申し訳ありません_| ̄|○
貼られたアドから飛んだところ全部見れましたので
早速ログを保存しました。
ありがとう^^
153 :
ほんわか名無しさん:2007/05/24(木) 13:15:05 O
良スレage
154 :
ほんわか名無しさん:2007/05/24(木) 14:47:09 0
高校1年の時、すぐに仲良くなった子がいた。本当に仲良くて、いっつも一緒に
いたし、毎日楽しかった。でも些細なことでケンカになって、それから口をきかなくなった。
帰りも同じ駅で同じ電車なのに、お互い一切無視。
小さな駅だったからイスも少ししかなくて、電車を待ってる間私は右端、友達は左端のイスに座った。
2人共メールに夢中になってると、向かいの駅から「△△ちゃーん!(私)○○ちゃーん!(友達)」
と、あんまり話したことのないクラスメイトが大声で呼んできた。そして、何を思ったか自分のいる
ホームを飛び降りて、こちら側のホームに走ってきた。私と友達は「いや!危ないって!」と同時に叫んだ。
はあはあ言いながら私と友達の所に来た彼女が「なんだ!仲直りしたの?よかった!今2人にメール送ったんだ〜」
携帯を見るとその子から「ケンカするほど仲がいいってか!」というメールが。
友達にも同じメールが届いていた。
なんかじ〜んときた。
今は仲良し3人組です。
155 :
ほんわか名無しさん:2007/05/26(土) 00:19:11 0
もう何年も前になるが、じいさんが死んだ。
孫は自分以外にもたくさんいて、本家の孫じゃないんで、正直そんなに可愛がられている
っていうイメージもなかった。
正月と盆に挨拶に行って、お年玉を貰う・・・そのくらいのじいさんだ。
亡くなる少し前、自分は中学生で、あまり詳しい話はされなかったけど、
もう先は長くない・・・っていうのはなんとなく判った。
それで、親に連れられて見舞いに行くと、いつもはオヤジとしか話をしない
じいさんが、突然俺のほうを向いて
「身長、いくつだ?」
と聞いてきた。
俺はそこそこガタイもよかった。
身長をいうと「そうかそうか、昔なら兵隊で歓迎されるな」などといっていた。
じいさんはその後死んだ。
死に目には会えなかった。
じいさんは、背が低く、体も弱くて、徴兵検査に落ちて、周りからずいぶん冷たい目で見られたそうだ。
幸いなことに、今、俺は元気だ。少し太りすぎぐらいかも・・・
他の孫もみんな元気でいて、ひ孫もたくさんいる。
あんたが戦争に行かずに、一生懸命働いたから生まれてきた、孫たち、ひ孫たちだ。
あんたは立派だったよ。
孫たちはみんなわかっているよ。
156 :
ほんわか名無しさん:2007/05/26(土) 11:00:48 0
保育園児の時、「将来の夢はキティちゃん」とか
言ってたバカが、来月あたりでもう大人になるのか…。
なんとも言えない気持ちになった。
大人になっても、その素直で優しい心をわすれんなよ。
お前に対しては絶対言わないが、結構お前のコト誇りに思ってるんだよ。
看護士になって、たくさん人を救ってやれよ。
独り言スマソ
ほしゅっとな
158 :
ほんわか名無しさん:2007/05/27(日) 18:07:37 O
携帯からの書き込みな上、文才が全くないので読み辛いと思いますが長文失礼致します。
物心ついた頃から父親との折り合いが悪く、ほとんど話をした記憶がなかった。
20代半ばで結婚を意識する人と出会い、同棲をする為に地元を離れる時も、母親とは仲が良かったのもあってお互い涙ながらに別れたけれど、父親からの言葉はありませんでした。
地元を離れて1年程経った時。父親の浮気が発覚。
私が高校の時にも同じ事があり「もう許せない」と母親は妹を連れて家を出て、アパートでの生活を始めました。
母親は「1年くらい別居してからどうするか考える」と言ってましたが、私には両親の離婚と言うのがいい歳をしてどうしても受け入れられず、母親には色々説得したりもしました。
ちょうどその頃、母親の勤め先の病院が業務を閉める事になり、母親は無職になってしまいます。
それを父親に話ました。
「母さん無職になっちゃうんだよ?□□(妹)もいずれ離れるだろうし、母さん一人で老後過ごすのは厳しいんじゃないのかな…」
二人共時々連絡は取り合ってはいたみたいなのですが、その話は父親には話していなかったらしく、私が話すと「そうか……」と一言呟き、少し考え込んだ様子でした。
159 :
ほんわか名無しさん:2007/05/27(日) 18:08:28 O
それから1年程経ち、離婚はまだしていないものの両親の別居が続いている中で、私の結婚が決まりました。
母親に話すとものすごく喜び、結婚式の段取りなど、頼んでもいない事まで手伝ってくれました。
父親に話すと「おめでとう」と一言だけ嬉しそうに、でも少しだけ寂しそうに呟きました。
無事に結婚式当日を迎え、挙式・披露宴と滞りなく進み、私から両親への手紙を読む時。
マイクへ向かう時にふと前方に目をやると、時折涙を拭っている父親の姿。
泣いている父親を見たのはこれが初めてでした。
その姿を見た私は、まだ手紙を1行も読んでいないにもかかわらず号泣。
なかなか声にならない声でなんとか手紙を読み終え、両親へのプレゼントに用意しておいたウェイトベアを渡す為父親の前へ。(母親には主人からの花束が渡されていたので)
改めて父親の顔を見ると、さっきよりもさらに泣き、必死で真っ赤な目を拭っていました。
ウェイトベアを渡すと大事そうに大事そうに抱き、やはり一言「頑張れよ」とだけ。
160 :
ほんわか名無しさん:2007/05/27(日) 18:09:34 O
その時に初めて気付きました。
学生時代にものすごく細かい所まで叱られた時「私の事が嫌いだからこんなに目ざとく見つけて私を叱るんだ」いつもそう思ってた。
でも違ったんだね。
私の事を大事に思ってくれてたから、きちんと叱ってくれてたんだね。
気付くのが遅くてホントにごめん。
今現在結婚して2年が経ちますが、私の身体に原因がありなかなか子供が授かりません。
いつも何も言わない父親だけど、こないだ母親から聞きました。
「〇〇の身体の調子はどう?無理はしないで欲しいけど、孫は見たいね」ってメールが父さんから来たと。
直接言って来ないから関心ないのかと思ってたよ。
私の事気遣って言わないでくれてたんだね。
あんまり話した事ないから、私いまだに父さんの事わかってないみたいだよ。
だからこれからはもっともっと話しようね。
いっぱい親孝行させてね。
来月頭にそっちに帰るけど、なかなか出来なかった報告がやっと出来るよ。
もうすぐ3ヶ月だって。
口下手な父さんだけど、ちゃんと喜んでくれるといいな。
161 :
ほんわか名無しさん:2007/05/27(日) 18:13:09 O
後日談として母親から聞いたのですが、父親と母親が結婚する時も、父親の父親、つまり私の祖父が浮気をしていて祖母にばれ、それが親族にも知れ渡っていた為、体裁もあって結局結婚式には祖父だけ呼ばなかったそうなんです。
その時と全く同じ状況だった為私から結婚の報告を受けた時は驚き、同時に自分も絶対に呼ばれないだろうと思っていたそうです。
親子って似なくて良いところまで似てしまうものなのでしょうか…
私はそうならないように気をつけます(汗
今はまだ夫婦間以外の問題があって別居は続いてますが、以前よりも仲良くなっています。
そのままずっと仲良しでいて、子供が産まれたら一番に抱っこしてね。
長文乱文失礼いたしました。
162 :
サク:2007/05/27(日) 21:59:13 0
>>158 うーん、おれも最近結婚したばかりだが、
男のおれもおやじとはあんまり話しなかった...
嫁と結婚しようと思ってそれで親父にも相談とかして
それでやっと話すようになったけど。
いろいろあるよな、やっぱり家族ってやつには。
おれもうまくかけないや。
163 :
ほんわか名無しさん:2007/05/27(日) 22:02:38 0
弟がいる。
5歳離れていて、面倒を見たというほど離れてもいなく
友達として遊んだ・・・というほど近くもない。
正直、小さい時はちょこちょことうっとうしいとも思った。
自分が小6、弟が小1の時、修学旅行に行った。
友達と一緒にお土産を買い、親とか自分には高いお土産をいろいろ買ったが、
弟には、何をかっていいかわからず、竹の笛を買った。
理由は簡単、一番安かったから。50円だった。
おみやげを配ってお土産渡すと弟は異常に喜んだ。
そして、寝るときもその笛を放さなかった。
そんな弟も今は父親。甥っ子にはもう少しちゃんとした土産を買ってきてやろう。
164 :
ほんわか名無しさん:2007/05/28(月) 08:45:09 0
二人で椅子に座ってたね
あのくそ寒い中
165 :
ほんわか名無しさん:2007/05/30(水) 12:00:32 O
保守
166 :
ほんわか名無しさん:2007/06/01(金) 23:04:29 0
保守
ほしゅ
169 :
ほんわか名無しさん:2007/06/06(水) 00:45:46 O
高一の夏に祖父が癌で他界しました。長いこと入院していて亡くなる前には痛みと薬で誰がお見舞いに行っても名前すら分からなくなっていました。
私は高一で遊ぶのやバイトが忙がしい毎日で長い入院生活の中で最初の頃に一度しかお見舞いにいってませんでした。
祖父はすごく厳しい人でお酒とタバコが大好きで小さい頃は酔っ払ってタバコをふかす祖父が大嫌いでした。
170 :
ほんわか名無しさん:2007/06/06(水) 00:48:34 O
祖父が亡くなったと聞いても涙も出ませんでした。
お葬式が終わって火葬場に移動中に母が 「おじいちゃんは皆の名前も顔も忘れてしまってたけどあんた(私)の事だけは忘れてなかったんだよ。なくなる前はずっと痛みにうなされながら名前を呼んでたよ」
「あいつは大物になる。絶対立派な大人になる!信じてる」と同じ事を何回も言ってたそうです。
171 :
ほんわか名無しさん:2007/06/06(水) 00:49:46 O
私は涙が止まりませんでした。お見舞いにも一回しか行ってないのに…本当にごめんなさい…
祖父は私の成長を一番楽しみにしていたらしいです。
あれから10年。立派な人間じゃないけど とても素敵な人に巡り会えました。今度結婚の報告をおじいちゃんの大好きだったお酒とタバコを持ってしに行きます。
とてもとても自慢の祖父です。
172 :
ほんわか名無しさん:2007/06/07(木) 00:43:22 0
母がなくなり母の荷物を掃除してると
「お年ボール」
と汚いじで書いた小さな封筒をみつけた
私が自転車を買ってもらった御礼に
正月母にお年玉の代わりにあげた手紙だった
子供の自分に爆笑しながら涙が止まらなくなった
かあちゃんバカな俺でも愛してくれてありがとな
気分が落ち込んだときはこのスレを見て
プラスのエネルギーを吸収してる俺がホシュ。
>>169-171 御結婚おめでとうございます!
お幸せに^^
天国の祖父さんもきっとお幸せでしょね^^
>>172 俺も母を無くして1年が経ちました。
こんな俺でも愛情をこめて育てられた。
天国の母上様
俺を育ててくれてありがとう^^
立派とは言えないけど社会に恥じない大人になったつもりです。
ほしゅ
175 :
ほんわか名無しさん:2007/06/13(水) 20:00:44 0
ほほほほ
176 :
ほんわか名無しさん:2007/06/15(金) 16:12:21 O
しししし
ゅゅゅゅ
177 :
1/2:2007/06/16(土) 02:44:50 0
中学の時、突然いじめられるようになった。
中学は隣町の小学校と2校が一緒になるんだけど、何も知らないで友達になった
隣町の小学校出身の子が実は小学生時代からその子の幼馴染みの男子(同じ学校)
と家族ぐるみで仲が良くて、幼稚園生くらいの時に2人で
一緒に風呂に入ったということがバレて、子供の頃なんて
あんまり男女の差なんか気にしないで風呂とか入ると思うけど
そのせいで「汚い!」「エロい!」「いやらしい!」といじめられていたらしい。
それでその子と友達になったがために私まで「お前もエロい!」といじめられるように・・・
私はその子は優しくていい子だし、私だって小さい時は
親戚の男の子と一緒に風呂に入ったことだってあったし、
バカバカしいから、いじめてくるヤツらなんか相手にしてなかったんだけど
2年生、3年生になるといじめの輪が学年全体に広がって
暴力的ないじめは受けなかったけど「汚い!」「臭い!」と
言葉のいじめや、ある日朝学校に行くと私の机に
違う組の男子のカバンが置かれててカバンを探しに来た男子が
「うわぁーーー!誰だよ○○の机に俺のカバン置いたの!汚くなるじゃねぇか!もうこれ使えねぇよ!」
と叫んで、カバンの中から教科書を取り出し教室にあった
ウエットティッシュで「消毒!」と言って教科書やノートを拭き、
カバンは指でつまんで別の男子のほうに放り投げると
教室から「ぎゃぁぁぁ!汚ねぇー!」とか女子からは笑いが起こった。
学級委員がほうきでそのカバンを教室の隅に掃き、ちりとりで取ってゴミ箱に捨てた。
→続く
178 :
2/2:2007/06/16(土) 02:47:20 0
続き
私のせいじゃないのに
「LLビーンのカバン高かったんだゾ!てめぇ弁償しろよ!明日2万持ってこい!汚いから金はビニール袋に入れて来い!」
と言われた。
泣きそうになりながらも授業が始まるから席についた。
女子がヒソヒソと「○○さんってヒドイよね〜」「弁償するべきだよね」
と言うのが聞こえた。
それなのに、3年生の修学旅行の時に同じ班(班分けは仲のいい者同士)
になった男子達が「俺達勇気がなくて学校では言えないけど、
俺達はお前のこと汚いとか全然そんなの思ってないから!」
と言ってくれて、母に頼まれたおみやげ(八つ橋)の箱の入った袋を
「重いだろ?駅まで遠いから持つよ♪俺、陸上やってるし力だけはあるからさ(^-^)」
と笑顔で荷物を持ってくれて、最終的にはカバンも全部持ってくれた。
修学旅行から卒業まで何かと優しくしてくれた。
席替えの時も他の男子は私を避けるのに、その子達だけ
周りになんと言われようとも私と同じ班になってくれた。
当時は自殺も考えたこともあったけどそれが救いで二十歳を過ぎた今も生きてる。
ありがとうと言いたいです。
長文失礼しました・・・
179 :
サク:2007/06/16(土) 09:37:12 0
>>178 いいやつっているよなぁ...
心の支えになるんだよなぁ...
180 :
はむ星:2007/06/16(土) 21:30:31 0
内輪の話になってしまいますが・・・
私が高校を卒業した次の年に、小学生の頃から飼っていた愛犬が死んでしまいました。
家族みんながショックを受け、特に私はそのワンコがいたおかげで
トリマーの専門学校に進んだこともあって目の前が真っ暗になってしまいました。
それからは家族でケンカが絶えず、親からは
「もううちには犬がいなくなったのだから専門学校に行かなくてもいいだろう?
2年生の前期の学費を納めるまでに退学届けを出しなさい」
と毎日のように言われ続け、ケンカも日常茶飯事。
当時高校生だった妹はそんな家庭に嫌気がさして夜遊びする毎日。
毎日そんなことが続き、私はストレスで胃腸の状態が悪くなり
学校も休む日が増えてきて、大げさだけど家庭崩壊寸前状態でした。
そんな時、学校でハムスターの里親を募集していました。
私は飼いたくて仕方なかったのですが親は猛反対!
「もう生き物を飼うのはたくさんだ!死んだ時かわいそうだ!」と。
特に父は幼少の頃に自宅にドブネズミが出たのがトラウマで、大のネズミ嫌いでした。
それでも私はペットショップでハムスター用のケージやオガクズを購入し、
学校に里親希望の申込もしてしまいました。
その頃には父も「絶対俺に近付けるな!」と言いつつ渋々許してくれました。
実際に家にハムスターがくると母も妹も手や肩に乗せたりして「かわいいねぇ〜」状態。
私に内緒でおやつを買ってきたりする始末。
でもハムスターの寿命は短く、1年半ちょっとで天国に行ってしまいました。
最期は私の手の中で看取りました。
ハムスターが天国に行った翌日、庭に埋めるかワンコを火葬してもらった
ペット霊園で火葬してもらうか悩んでいた時に父が会社に行く前にスーツ姿で
火のついたお線香を持ってきてハムに供えて手を合わせてくれました。
そして少し涙目になりながら、ハムに
「またいつか生まれ変わっても、○子(私の名前)に飼ってもらいなさい、うちに生まれて来なさい、ね?ありがとね」
と話しかけて会社に行きました、涙が止まりませんでした。
飼うことを反対していた父なのに・・・
今でも思い出すと涙が溢れて止まりません。
183 :
むく:2007/06/19(火) 01:58:06 0
良スレ発見してまとめ見て心の洗濯させてもらったよ。
自分も思い出したことがあるのでちょっと長文だけどカキコするよ。
自分が大学生だった頃、近所に真っ黒い長毛のメス犬が飼われていた。
犬好きだけど犬を飼ったことが無い私は、時々遊びに行って撫でて可愛がってた。
面識の無い家で本当の名前は知らなかったけど、ムクムクした子だったので勝手に心の中でムックと呼んでた。
ある日、確か恋愛関係で凄く傷つく事があって、まっすぐ家に帰る気にもならずムックの所へ寄った。
雨の日で濡れるにも関わらずムックは犬小屋から出てきて、いつもの位置におすわりした。
わたしも傘をさしながらムックの前にしゃがみ込んだ。
ムックの真っ黒い澄んだ瞳を覗き込みながらその日の出来事を目で語りかけていたら、悲しくなってきて思わずポロリと涙がこぼれた。
「雨がほっぺに当たったんだよ」と強がっていたら、ムックが
ポン
と、私の膝にお手をするように手を載せた。真っ黒な瞳でまっすぐ私の目を見て。まるで人間同士が肩をたたいて励ますみたいに。
「ああ、この子わかってるんだ。慰めてくれてるんだ」と思うとボロボロと泣けてきてムックを撫でながら泣いた。
その涙もムックがぺロリと舐めてくれたっけ。
今はもういなくなってしまったけれど、色々なことで救ってくれた犬でした。
本当に動物は人間の感情がわかるんだなぁ…と思わずには居られない出来事でした。
184 :
その1:2007/06/21(木) 04:00:56 0
寝る時間もとっくに過ぎてんだけど
誰かに聞いて欲しいから書き込みして寝る。
長文ごめん。
つい先週仕事から逃げ出した。
積もりに積もった物が爆発した勢いで。
会社から帰る途中ものすごい将来への不安とそこまでに至った
諸々の会社への怒りと我慢が効かなかった自分への情けなさが
こみ上げてきて気づいたら人気のない山奥の展望台に居た。
結構これが高い山でその日は丁度雨上がったばっかりで霧が
すごかった。
もうね、昼間だってのに1m先が見えない。
そんな中ほぼ記憶に頼って展望台に向かった。
なんつーかもう人生どうでもいいや状態。
死んだら死んだでいいやって状態で車走らせた。
185 :
その2:2007/06/21(木) 04:02:39 0
展望台の駐車場着いたらガラスの向こう真っ白で
案の定人っ子一人居なければ車もない。
心霊スボットにもなってるような場所だから
ビビリな自分は普段なら5分と居られないような場所だったけど
ごちゃ混ぜの頭ん中じゃその場所がすごく落ち着くんだ。
車ん中で暗くなるまで親に何て言おうかとか考えて過ごした。
直接顔見て親に報告するより電話でかるく前置きでもするかと思ったら
携帯の充電残り一本しかない。
外は暗いしますます情けなくなって
普段会社での愚痴聞いてもらってた連れにメールした。
「仕事結局辞めちまった( ゚∀゚)すまん」
そしたらすぐに電話かかってきた。
今どこにいる?と。
場所を告げた途端に「すぐ行く」と返ってきて電話の充電落ちた。
186 :
その3:2007/06/21(木) 04:03:58 0
連れの家から一時間以上ある上に暗くなってからこの霧の中
自分が居る場所まで来るのは危険すぎる。
でも携帯の充電切れて画面真っ黒。orz
40分後、真っ白な霧ん中見慣れた車のライトが見えた。
普通に一時間以上かかる道どんだけ飛ばしてきてくれたんだろうな。
しかも麓のコンビニでありったけの甘いモン買ってきてくれた。
普段甘い物一切食わない奴が一緒になってシュークリーム食ってくれた。
シュー頬張りながら泣いた。
次の日会社行った。
退職届書く為じゃなくもう少し頑張ろうと思って。
今日も寝たら元気に仕事いってくる。
朝から電車の中で涙ぐんでまつ(つд`)
189 :
ほんわか名無しさん:2007/06/22(金) 20:28:44 0
ヽ j .す
い. ゙, l. ご
い ! ', く
話 ', ', :
で ト-、,,_ l
す ! `ヽ、 ヽ、 _
; / ヽ、`゙γ'´
/ \
! ト, ヽ
ヽ__ ___ノ ,! | | ト, ゙、
レ'゙ ,イ ./|! .リ | リ ! .|! | ト|ト}
,イ ,/ ./〃/ / | / .リ/ //イ|.リ
// //ノノ //゙ ノ'////|.リ/
´彡'゙,∠-‐一彡〃 ト.、,,,,,,,,,,,レ゙
二ニ-‐'''"´ /`二、゙゙7
,,ァ''7;伝 ` {.7ぎ゙`7゙
ゞ‐゙'' ,. ,. ,. l`'''゙" ,'
〃〃" ! |
! l
! (....、 ,ノ !
j `'゙´ ,'
ー--===ァ /
_ _ ./
\ ` ̄ ,/
` .、 /
:ミ:ー.、._ /``'''ー-、
`゙三厂´
190 :
ほんわか名無しさん:2007/06/24(日) 12:20:21 0
,,;f::::::::::::::::::::::ヽ /ふ(⌒r_-_、_
i::::::::/'" ̄ ̄ヾi l'、そrィ(_,,},}ニ)
|:::::::| ,,,,,, ,,,,,,| l ` ''ー<´..... __゙!
|r-==( 。);( 。) ゝ.,,______ |
,r( ヽ ::..__) } | ^ ^ | <あまり私を幸せにしない方がいい
,/ヾ< .. ー== ; | >ノ(、_, )ヽ、| これまでの幸せですらどう返そうか
,.、‐'":ヽ::::\ \___ ! | ! -=ニ=-ノ 困ってるんだから
/::::::::::::::::ヽ::::::ヽ `/)乙二ス、 ,r ̄`ヽ`ニニ´ノ
/:::::::::::::::::::::::::::ヽ::::;/ ーンノハヾ,!} /- ... `ヽ、 ,! ! ヽ
/::::::::::::::::::::::::::::::/^i´ /(_, イヽ' :.. \,! : ',
. i:::::::::::::::::::(⌒/:::::::::::l,r‐ァ''";!/:i, |:::::::゙! :.. \: ',
!:::::::::::::;:、-'":::::::::::::::::::|::/::::;:':{;::::i, |:::::::::} :. i :.. ヽ :. ',
}::::::;:::'::::::::::::::::::::::::::::::::|'::::;:':__:i;::::::i, l;::::::::| ヽ _,,..、、-‐ 'i ゝ,
|::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|:;:':::|ll|::l;:::::ヽ.',:::::;! ゙i ノ .: )
,!:::::::::(⌒)::::::::::::::::::::::::::|::::::|ll|,r;|:::::::::'J:/ ``ヽ、 __,,. r=ニ=ュ __
. |::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|:::::|ll|/::|:::::::::::iノ r=''.,,´__::::::( )::::`_,''=ォ
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|:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::| ;'::|::::::::::::::! \ |::::{´ `i;::::l:::l::i´ `i::|
三年前死んだ祖父は末期になっても、一切治療を拒み医者や看護婦が顔を歪める
ほどの苦痛に耐えながら死んだ。
体中癌が転移し、せめて痛みを和らげる治療(非延命)をと、息子(父)や娘たち
(伯母)が懇願しても絶対に首を縦に振らなかった。
葬式の後、親しかったご近所の将棋仲間が家族に宛てた祖父の手紙を渡してくれた。
祖父が生前用意していた物だそうだ。
手紙の中には自分が家族を悲しませ、苦しませるのを承知で苦しみながら死んだ理由
が書かれていた。
20年近く前、孫の一人が生存率20%を切る難病で闘病していたとき、祖父は神様に誓った
のだそうだ。
自分は今後どんな病気や怪我になろうとも、絶対に医者にもかからないし薬も飲まない。
だから孫を助けてくれと願を掛けたのだそうだ。
幸いその孫は無事手術も成功し、成長して成人もした。
孫の成長を見届けること画できたのだからもう思い残すことはない。
あとは神様との約束を果たすだけだ。
だから家族は悲しまないで欲しい。自分は満足して一生を終えるのだから。
そう綴られていた。
孫は当時一歳にもならない赤ん坊で、病気だったことも覚えていない。
祖父は自分の決意を貫いて一生を終えた。
その孫である兄は葬儀でわんわん泣いていた。
もちろん、兄弟もみな泣いた。
うまく書けないのが悔しいなあ。本当に祖父はすごい人だったんだよ。
>>191 すげぇじっちゃまだな
家族一族の誇りだな
チキショー泣けるぜ、じっちゃん!!!
194 :
ほんわか名無しさん:2007/06/26(火) 12:47:13 O
>>191 チクショウ!涙が止まんねえのは
夜勤明けで朦朧としてるからだよ!
いいおじいちゃんだなぁ!チクショウ!
195 :
194:2007/06/26(火) 13:02:05 O
感動ついでに俺も…皆さんほど泣ける話じゃないけど
俺が22の時、8歳から飼ってた犬が死んだ。近所のアパートのおじさんが「俺、こいつ欲しい。」って言ったら
くれたんだけど、もうバカみたいに俺になついてきてとにかく可愛かった。雑種で汚くてそれでも可愛かった。
名前は「華子」おかんがつけた。色々な名前をよんでもコレにしか反応しないから。
196 :
194:2007/06/26(火) 13:16:44 O
続き
お手もお座りも覚えなくて、花火大会の日はデカい音にビビって、俺の布団に入って一人で寝てた。
俺が学校から帰ると、俺に飛びついてきて顔中舐め回してた。彼女には一切懐かず、ヤキモチやいてたのかな?
あんなに元気だったのに、なんで死んじまうんだよ。なんで死ぬ直前に彼女になついてるんだよ。
なんでヨロヨロになりながら、仕事から帰った俺に飛びついてこようとしてんだよ。チクショウ!会いてえ。会いてえよ!
思いっきり抱きしめてやりてえよ!なあ、華子…俺、パパになったんだ。ママはあん時の彼女だよ。お前みたいに元気に育ってくれるといいなぁっていつも思っているよ。
皆さん、駄文ですみませんでした。
197 :
ほんわか名無しさん:2007/06/26(火) 21:03:07 0
>>195 大丈夫だよ。華子にはあっちの世界にいったらまた会えるから。
華子は今頃194に会えるのを、超ワクワクしながら待ってるんだよ。
だから194も、いつか華子に会えるのを楽しみに今を生きろ!
198 :
ほんわか名無しさん:2007/06/27(水) 22:16:11 O
>>194 仕事中なのに泣きそう。華子はいつもそばで あなたたち家族を見守ってるはず!
199 :
ほんわか名無しさん:2007/06/27(水) 23:12:17 O
遠く
遠く
遠く…
200 :
ほんわか名無しさん:2007/06/28(木) 09:32:52 O
なんだ?このスレ?
泣いちまったよ。
1レス毎に泣いちゃって全然進まないよ・・・(つД`)
202 :
ほんわか名無しさん:2007/06/28(木) 21:57:52 0
子どものころ我が家にはマルチーズがいました。名前はそのまま「チーズ」。
私の産まれる前から家にいて、私のお兄ちゃん的存在でした。
そのチーズが死んだのは8歳のとき。
最期の半年間は、日に日に寝ている時間が増えて、餌も食べなくなっていましたが、
なにぶん子どもだった私は、「すぐ元気になる」くらいに考えていました。
そしてその日、学校から帰ってきた私は両親にチーズがもうすぐ死ぬと教えられました。
最初は嘘だと思いました。でも、急いでチーズの所に行っても、ちょっと目を開けただけで動いてくれません。
でも、事実と分かってもやっぱり認めたくありませんでした。
抱きかかえて「死なないよね、死なないよね」とベソをかきながら、
夕飯も食べずに何時間も同じ台詞を繰り返していました。
そして夜中、チーズの体がふっと軽くなったと思ったら、ずしっと重くなりました。
脚がダランと下がって、もう、いくら呼んでも動いてくれません。
体がだんだん冷たくなっていくのが、はっきりと分かって、
それが怖くて、あっためてあげないとホントに死んじゃうと思って、
服の中に入れて必死に抱きしめても、温もりは戻ってきませんでした。
203 :
ほんわか名無しさん:2007/06/28(木) 21:59:18 0
でもやっぱり認めたくなくて、チーズを抱いている私に父が、
「チーズは死んだんだ。寝かせてあげなさい」と言うので、
「死んでないもん! 生きてるもん!!」と言ったら、思い切りほっぺたをぶたれて、
チーズを取り上げられました。
頭の中がぐちゃぐちゃになった私は、あたりのものを手当たり次第父に投げつけ、
自分の部屋に駆け込んで、わんわん泣きました。
やがて、そのまま眠ってしまい、起きた次の日、全部夢じゃないかと思ったけれど、
下に降りていったら、やっぱりチーズは毛布に包まって冷たいままで、私はまた泣きました。
そして数日後、チーズのお墓を作った時、父が言いました。
「チーズはな、お前のお兄ちゃんだったろ。だから最期にお前に命の大切さを教えていったんだ」と・・・。
チーズは、命の重みと儚さ、そして命は自分だけのものではないということを、
子どもの私に身をもって教えてくれました。
20年以上たった今でもそれは私の宝物です。
どこかで聞いたような話で失礼しました。
204 :
ほんわか名無しさん:2007/07/01(日) 23:42:53 O
いつかチーズに会えますように
205 :
ほんわか名無しさん:2007/07/02(月) 21:50:35 O
マジレスすると、
超良スレ
ほしゅ
207 :
ほんわか名無しさん:2007/07/05(木) 18:43:59 0
ここは2ちゃんのオアシスだな。
208 :
ほんわか名無しさん:2007/07/07(土) 12:42:38 O
俺を泣かせてどうしようってんだ。
職場で泣いちまったよ。
209 :
ほんわか名無しさん:2007/07/07(土) 18:33:13 O
明日仕事なのに目腫れ決定(3Д3)ノ
210 :
ほんわか名無しさん:2007/07/08(日) 01:07:20 0
209のAAで爆笑。危うくションベンが漏れるところだったっ。
211 :
ほんわか名無しさん:2007/07/09(月) 01:05:07 O
私が小学校一年生の頃の話し。私の家はとても田舎で 周りは山ばかりの静かな田舎町でした。
小学校へは歩いて30分もかかる田舎で小さい私にはかなりきつかったです。
私の家から10分ほど歩いたところに わらぶきの家がありました。
隣の家までは100メートルはあろうとゆう田舎でしたが わらぶき屋根の家はかなり珍しく、子供たちの間では おばけ屋敷 と呼ばれていました。
そんな わらぶき屋根の家に ある日車がとまっていて 荷物を運んでいる中年の夫婦の方を見かけました。
そこはもともと空き家だったのですが 何日もかけて乗用車で荷物を運び
212 :
ほんわか名無しさん:2007/07/09(月) 01:05:42 O
ようやく運び終えたのか その車も見る事がなくなりました。
ある日、学校帰り わらぶき屋根の家から 腰がくの時にまがった おばあさんが出てきて、家の前の畑を耕していました。
私は一瞬 おばけなのかと思いびっくりして立ちすくんでしまい そのおばあさんを見ていると、おばあさんが
『こんにちは』と声をかけてきました。びっくりしてそのまま何も言わずダッシュで走って逃げてしまいました。
次の日学校で そのおばあさんの話をしたら、みんな面白がって おばけ屋敷に探検に行こーっ と盛り上がり みんなで わらぶき屋根の家に ランドセルの
213 :
ほんわか名無しさん:2007/07/09(月) 01:06:17 O
まま行って、わらぶき屋根の家を覗いて「おばけ出てこーい」と叫んだりしていました。
すると家の中から おばあさんが出てきて『誰かいるのか?』探しています。
みんななんだか可哀想になって おばあさんのところに出て行って謝りました。
おばあさんは嫌な顔ひとつせず 『うちにあがって遊んでいったらいい』と、家の中に招いてくれました。
ちょうど秋の終わりで けっこう寒くなっていて みんなでコタツに入りあったまっていると おばあさんは『うちは貧乏でなんもないけどゆっくりしていきな』と、満面の笑みで 沸かしたお湯と角砂糖を持って
214 :
ほんわか名無しさん:2007/07/09(月) 01:08:17 O
来てくれました。みんな角砂糖をそのまま食べるのも初めてで面白がって口には入れたものの 甘すぎて吐き出す子までいました。
でも おばあさんは嫌な顔ひとつしないで 自分の手のひらを差し出して『ほれ、ここに出したらいいよ』と笑っていました。
幼な心に なんだか みんなの行動が恥ずかしくなったのと おばあさんの心の広さに なんとも言えない気持ちになりました。
想像どおり、面白がって遊びに来ていた子供たちは3日で来なくなり 私だけが毎日おばあさんの家に遊びに行ってました。
215 :
ほんわか名無しさん:2007/07/09(月) 01:09:21 O
こたつに二人で座って 沸かしたお湯を湯飲みに持って来てくれて、角砂糖をなめながら いろんな話をしました。
おばあさんは どんな話しも笑顔で聞いてくれました。心を開いた私は 自分の家庭は両親がいなくて 田舎にあずけられ、
田舎の親戚の人も農作業で朝早くから夜遅くまで家にいなくて いつも一人ぼっちで寂しい思いをしていると話しました。
初めておばあさんが泣いたのを覚えています。
そんな日が1ヶ月ほど過ぎた頃、遊びに行ってもおばあさんがいないのです。
次の日も次の日も行きましたが おばあさんはいません。
216 :
ほんわか名無しさん:2007/07/09(月) 01:10:16 O
それから何ヵ月たったでしょうか。ある日 夢の中に おばあさんが出て来ました。『おばあちゃん!どこ行ってたの?会いたかった!』
するとおばあさんはニコニコしながら 持っていた手さげのバックから 真っ赤なリンゴを出して
『○○ちゃんにあげる。まだまだたくさんあるから いっぱい食べなさい』
いつも お湯と角砂糖しかなかったのに どうしたんだろう?
しかも 角砂糖は一週間もしないうちになくなってしまって 申し訳なさそうに お湯を出してくれてたのに。
不思議に思っていると おばあさんは 私の手にリンゴを握らせて
217 :
ほんわか名無しさん:2007/07/09(月) 01:11:50 O
『元気で頑張るんだよ、いつでもそばにいるからね』と言って 消えてしまいました。
私は何度も夢の中で叫びました。『行かないでー!!おばあちゃん!』
2日ぐらいたった日の朝、学校へ行く途中いつも人気のない おばあさんの家の前は車がたくさんとまっていて たくさん人がいました。
おばあさんのお通夜です。私は言葉も出ないくらいびっくりして そこに立ちつくしました。
おばあさんは体調を崩して入院して、心配した娘さん夫婦が 老人ホームに入れたそうです。
そこで 首の骨を折って亡くなったとの事。
218 :
ほんわか名無しさん:2007/07/09(月) 01:12:59 O
私は信じられませんでした。あの やさいおばあちゃんが死んだ…。
遊びに行くと やかんでお湯を沸かしてくれて、お湯がわくまで『こんなに手が冷たくなって』と、私の手をずっとさすってくれてたおばあちゃん。
私のためにいつもニコニコしてたおばあさんが 涙を流してくれた事…。
そんなおばあさんに二度と会えない事…。
もう30年近くたちました。でも私の中でいつもおばあさんは生きています。
おばあちゃん、たくさんの真っ赤なリンゴよりも あなたの笑顔、やさしさは とても素晴らしい宝物です。ありがとう。
219 :
ほんわか名無しさん:2007/07/09(月) 20:59:48 0
・・・いい話ありがとう。なんか悲しくなってしまったよ。
俺が小学生の頃、家のすぐ近くにお好み焼屋があったんだ。
その店はお婆さんが1人でやってるお店で細々と続いてたんだわ。
俺はそのころいじめられててさ、でも家に帰っても家族には何も言えなかったんだわ。
母に「なんかあった?」と悟られそうになっても「なんにも無かった」と言い訳してさ。
なんか辛かったのか言えなかったんだ。
またある日、いじめられて帰るときそのお好み焼屋のお婆ちゃんと出くわしたんだ。
泣き腫らした顔で沈んでたからだろうな、「どうしたんよ?これでも飲みながらばあちゃんに話してみな?」って。
親しかったわけじゃないけど大泣きして全部話した。
その婆ちゃんは何も言わずに頭をなで続けてくれたんだ。
売り物のラムネを出してきてくれてさ、優しくなだめてくれたんだ。
その日からお好み焼屋を覗いては遊びに行く日々が続いたんだ。
お婆ちゃんは笑顔で迎えてくれてさ、コーヒーゼリーとか色々出してくれた。
でも俺は相変わらずいじめられる日々で泣いてはなだめてもらってた。
笑顔の人泣き顔の日があるから「今日は笑ってるネェ」とか「泣いてるナァ」とかの日々だった。
でも婆ちゃんになだめられてた。
ある日、婆ちゃんがいつになく真剣な顔で言ったんだ。
「笑顔でいるんだ、笑い飛ばせばいいんだ」って。
何のことか分からなかった、でも俺は頷いてた。
それからほどなくして婆ちゃんは引っ越してしまった。
老人ホームに入ったんだそうだったが俺はすごく寂しくなったよ。
あれから10年、大学生になった俺に婆ちゃんの家族から手紙が届いた。
大往生で命を全うしてお亡くなりになったそうだ。
婆ちゃんは最後まで俺のことを覚えていてくれたらしい。
一緒に手紙が付いてたんだ。
中身は優しい言葉と想い出に詰った日々を語る婆ちゃんの文字だった。
もうすぐ、僕は20歳です。
笑顔で笑い飛ばしたよ婆ちゃん、いじめもそれでなくなったんだ。
あのラムネがもっかい飲みたいよ、大きくなった僕を見てほしかったな。
ありがとうございました、僕は笑顔で生きてけます。
222 :
ほんわか名無しさん:2007/07/10(火) 22:50:21 O
いじめって複雑な問題ですね。どこからがいじめで どこまでがいじめなのか。いじめる側の人間に、いじめられる側の人間。立場が逆転したり。
今の世の中 気軽に話せる大人、声をかけてくれる大人の人少なく思うのは私だけでしょうか。
あらためて そうゆうお婆さんのような大人の人が増える事、自分もそうゆう大人になりたいと強く思いました。
223 :
ほんわか名無しさん:2007/07/10(火) 23:55:49 0
ばあちゃんGJ!! ばあちゃんに
221の話を聞かせてあげたいな。
224 :
ほんわか名無しさん:2007/07/12(木) 01:10:15 O
泣ける
225 :
ほんわか名無しさん:2007/07/14(土) 02:22:53 O
ほしゅ
226 :
ほんわか名無しさん:2007/07/16(月) 14:04:10 0
日曜日の午前10時、かなり落ち込んだ様子で弟が帰宅してきた。
兄「あれ?もう帰ってきたの?」
弟「うん。」
兄「あー!すっごい服汚れてるよ。汚いなぁ。」
弟「ごめん。」
兄「あ!ヒザ怪我してる!」
弟「転んだ。」
兄「帽子脱いでよ。」
弟「やだ。」
兄「脱げったら!」
弟「やめてよ!」
兄「やっぱり!オデコも怪我してる。」
弟「うるさい。」
兄「どうしたのさ。」
弟「うるさいっ!」
兄「ケンカしたの?痛い?」
弟「転んだけど痛くない。」
兄「転んだだけでそんなにいっぱい怪我しないよ。どうしたの?」
227 :
ほんわか名無しさん:2007/07/16(月) 14:05:02 0
弟「うんとね、公園でね、ケンカした。」
兄「どうして?」
弟「あのさ、トモ君とさ、ケンちゃんとさ、アヤちゃんとさ、トンネル作って遊んでたのに!」
兄「砂場?」
弟「うん。砂場。」
兄「友達とケンカしたの?」
弟「ちがう!」
兄「どうしたの?」
弟「アヤちゃんのスコップ盗ってさ、トンネル壊したんだ。」
兄「友達が?」
弟「ちがうー!」
兄「どうしたの?」
弟「だって!五年生なんだもん・・・。兄ちゃんよりおっきいし。」
兄「五年生とケンカしたの?」
弟「した。」
兄「そっか。」
弟「うん。」
兄「どうなったの?」
弟「スコップ返してくれなかった。」
兄「アヤちゃんは?」
弟「泣いちゃった。」
兄「トモ君とケンちゃんは?」
弟「泣いちゃった。」
兄「お前は?」
弟「ケンちゃんとトモ君とアヤちゃんと帰った。」
兄「そっか。偉いな。」
弟「うん。う・・・う・・・うぁーーーーーーーん!」
兄「そっか。」
228 :
ほんわか名無しさん:2007/07/16(月) 14:07:02 0
弟「!?そうだ!父ちゃんは?」
兄「父ちゃんはダメだよ。」
弟「まだ元気ないの?」
兄「まだ風邪治ったばかりだから。」
弟「じいちゃんいる?」
兄「今、買い物行ってるよ。お昼からばあちゃんも来るって。」
弟「本当?!」
兄「うん。」
弟「ばあちゃん来るんだー!」
兄「じいちゃん帰ってきたらご飯だから、着替えてきな。」
弟「うん。」
229 :
ほんわか名無しさん:2007/07/16(月) 14:08:08 0
兄「ただいま。」
弟「あれ?兄ちゃん、どこ行ってたの?」
兄「うん。散歩。」
弟「ばあちゃん来たよ!」
兄「そっか。」
弟「じいちゃんがね、お寿司買ってきたんだよ!」
兄「そっか。」
弟「ばあちゃんはね、ケーキ買ってきたんだ!」
兄「すごいね。」
弟「あのね。明後日ね、兄ちゃんの誕生日なんだよ!」
兄「うん。」
弟「だからね、じいちゃんとばあちゃんがね、みんな揃ったからね、
今日ね、お祝いしようって!」
兄「そっかー。」
弟「良かったね!」
兄「うん!」
弟「みんな待ってるよ!」
兄「父ちゃんは?」
弟「父ちゃんね、すっごい元気になったって言ってる!」
兄「良かったね。」
弟「うん。」
兄「じゃあちょっと着替えてくる。」
弟「あれ?兄ちゃん怪我してる。」
兄「さっき転んだ。」
弟「ドジだなー。」
兄「ドジだねー。」
そして兄は笑いながら下駄箱の上にスコップを置いた。
230 :
ほんわか名無しさん:2007/07/16(月) 14:52:24 0
目から汗が
231 :
ほんわか名無しさん:2007/07/16(月) 17:04:02 0
モニターが霞んでみえない
232 :
226:2007/07/16(月) 17:21:51 0
ありがd
俺の回りで起った実話です
兄は10年前に他界しましたw
パクリだろ
234 :
ほんわか名無しさん:2007/07/16(月) 21:03:43 0
>>233 せっかく良い雰囲気なのに
ヤボだぞ・・。
休日のお昼時、寿司やの列に並んでたら
おじいさんと店員が何やら探している様子。
店員「ほんとにしてきたんですか?」
爺 「ええ、この店に来るまではあったはずなんですが」
店員「どこか他の場所で落とされたとか?
とにかくそれらしいものはないみたいですけど?」
爺 「おかしいなあ」
落とし物が見つからないらしく、店員は繁忙時ということもあり面倒そう。
よっぽど大事なものらしく、今一度
ポケットやらポーチやら手探りするおじいさん。
爺 …ごそごそ…ごそごそ…「あった!」
店員にお礼をいい店を出て、外にいたおばあさんに一言
爺 「ばあさん、あったよ、指輪!」
結婚指輪っていくつになっても大事なんだなーと家人とほのぼのしますた。
236 :
ほんわか名無しさん:2007/07/20(金) 03:48:41 O
(つд`)
237 :
ほんわか名無しさん:2007/07/21(土) 09:34:36 O
保守します^^
238 :
ほんわか名無しさん:2007/07/22(日) 01:48:36 O
保守
保守
240 :
ほんわか名無しさん:2007/07/23(月) 21:07:51 O
高校野球、今日は勝った!
でも、明日以降が不安になってきた…
高3で野球部の俺。
負けた瞬間、夏が終わる。
241 :
ほんわか名無しさん:2007/07/24(火) 06:35:53 O
頑張って!一生懸命やった戦いには後悔なんて残らないから。
今まで頑張って来た成果が発揮出来るように祈っています。
全然感動しないと思うけど、投下。
小さい頃、俺はかなり気が弱くてよくいじめられていた。
でも母ちゃんはしつけが厳しくて、いつも
「あんたがしっかりせんと!」
って怒っていた。で、小学3年の時近所のガキ大将に脅されて
泣く泣く自分の宝物だった漫画を数冊貸したんだよ。
二週間、一カ月、三ヶ月…いつまで待っても漫画は返って来ない。
そんなある日、母ちゃんは俺を見て
「何ねあんた、ずっと元気ないね。どうしたん?」
って聞いてきた。
243 :
242:2007/07/25(水) 08:48:28 O
続き。
俺は今までの気持ちが一気にこみ上げて来て、
泣きながら母ちゃんに話した。宝物を失った事、自分の情けなさとか全部。
母ちゃんは黙って聞いてくれて、こう言った。
「あんた、あほね。母ちゃんはいつも厳しいけど、あんたの事が心配なんよ。」
「たまには母ちゃんに頼ってもええんよ。よう頑張ったな。後は任して。」
それから母ちゃんはガキ大将の所へ行って、
「お願い、それなおばちゃんの宝物やねん。」
って必死で頼み込んでいた。あの気の強い母ちゃんが…。
返って来た漫画を俺に渡してくれた母ちゃんの笑顔は優しかった。
あれから大分経つけど、漫画は大事に取ってある。気の弱い所も少し治った。
ありがとう、母ちゃん。
でもな、母ちゃん。「魔法陣グルグル」を楽しみにする主婦は早々いないぞ。
244 :
ほんわか名無しさん:2007/07/25(水) 13:53:05 O
>>243 母って偉大ですね。
明日、おふくろの誕生日だからなんか買ってやろうかな…。
なんか、照れくさいけど。
>>243 魔法陣グルグルにワロタww
母から色んなものを貰った分、大事にしろよ。
246 :
ほんわか名無しさん:2007/07/26(木) 00:18:48 O
保守
>>243 素敵なお母さんですね。私も現在母親ですがこんな素敵なお母さんになれるよう頑張りたいと思います。
248 :
248:2007/07/26(木) 12:38:20 0
大学1年の俺。去年までは高校球児だった。高校は地元のいい選手が集まる高校だった。
入部したての俺は高校野球のレベルの高さに驚いたと同時にいつか試合に出て
チームを甲子園に連れて行けるような選手になることを夢見た。チームは田舎の高校
だからか皆仲が良く問題も何一つなかった。先輩も優しかった。
俺は1年の秋頃は野球が楽しかった。練習試合に出してもらえればそのたびにヒットを
打つほど好調で名門との試合でヒットを打ったこともいい思い出だ。
しかし2年になり新入部員はすさまじい数になり部は50人を超える大所帯になった。
競争が激しくなり俺に余裕はなくなった。先輩としていいところを見せたかったのも
事実だ。だが野球は結果がすべてだが打席で結果を意識している人間は結果を残せない
ものである。俺はそれまでの活躍が嘘のように打てなくなり監督も俺に期待を
かけることもなくなった。2年の秋、俺はベンチメンバーから漏れた。
249 :
248:2007/07/26(木) 12:40:12 0
その秋期大会でチームは好成績を残した。俺はそれをスタンドから応援するしか
なかった。他にもメンバーから漏れた2年生は何人もいたがそいつらはすでにメンバー
入りを諦めていた。俺はその年の冬、朝早く起きては一番にグラウンドに出て
トレーニングをした。野球部の冬の部活はトレーニングが主体で、俺は質と量を
意識して取り組んだ。妥協をした覚えはない。夜は冷え症に悩まされながら毎晩
バットを振った。すべては春の大会にメンバー入りをするために。
冬が終わった。怪我をしていた同じポジションのレギュラーの奴は怪我が治り
いきなり試合で大活躍した。一方俺には大会までに与えられた打席は1打席だった。
ヒットを放ったが今更何が変わるのか。そもそもレギュラーの奴は練習時間外に
不注意で怪我をしたが復帰後すぐに目覚ましい活躍をした。冬場クソ寒い中毎日
歯を食いしばってやってきた俺にはアピールのチャンスすらなかった。春の大会
以後、俺はメンバー入りを諦めた。最後の夏は格下に監督の采配ミスで敗れた。
250 :
248:2007/07/26(木) 12:41:09 0
最後の夏があっけなく終わった後はあっという間に季節は過ぎ、受験を終えて
大学もそれなりに満足のいくところに入れた。だが俺は野球を引退してからも未練が
強かったのか野球をしている夢を幾度も見た。自分を使ってくれなかったことに
納得が行かなかった。いい仲間に出会ったが高校をモヤモヤしたものを残したまま
卒業した。
大学生になった俺は野球のサークルを避けサッカーのサークルに入った。
7月になって後輩達の最後の夏が来た。俺は見に行くべきかどうか迷った。
見に行っても野球を見ると辛くなるし、何も残してやれなかった俺を後輩たちは
どう思うだろうか。そう思いつつ試合を見に行った。
後輩達は暖かく迎えてくれた。こんなにも良い後輩達がいながら何を俺はくだらない
ことを考えていたのか。同学年の部員達もたくさん来ていた。球場のスタンドも
俺が3年間スタンド組だったため懐かしかった。
後輩達はノーシードからベスト16まで残った。全国で5本の指に入る激戦区での
ベスト16は大したものである。試合後の後輩達は泣いていたが清々しかった。
試合を何度も見ているうちに1年間俺の心に残っていたモヤモヤは晴れていた。
俺はこの後輩達にありがとうと心の中で言った。雲一つない空がいつもより
心なしか澄んで見えた。
身体障害のある彼女と結婚し、早くに奥さんと死別した友人が葬式の後、二人で飲んでるときに言った。
『俺は、あいつに結婚してもらったと思ってる。』
252 :
ほんわか名無しさん:2007/07/27(金) 01:28:35 O
ほしゅ
253 :
ほんわか名無しさん:2007/07/27(金) 01:35:08 0
>>251 オレいつも彼女と喧嘩してます。
あんたのレス読んで号泣してしまった・・。
過去、何度も飼い犬のことを書かせて貰いましたが…
15年間一緒だった飼い犬がこの間亡くなりました…
3ヶ月程前から歩くのが遅くなったり、ぐったりしたりで
「もうそろそろだな…」と家族で覚悟はしていたのですが…
ある夜私が晩ごはんの材料が足らなくなったので買い足しに行くと、
泣き声も聞こえないのに何だか犬が私を呼んでいるような気がしました。
急いでいたのに何だかとても胸騒ぎがして、私は犬の様子を見に行きました。
するともうあの子は立てなくなっていて…必死でもがいていました。
足元には先程食べていたご飯が…
私はすぐに母に相談に行き、出かけている兄を呼び戻しました。
「○○(犬)がもうすぐ死んじゃうかもしれないから早く帰ってきて!」と
泣きながら言うと、兄はすぐに帰ってきました。
すると…兄が帰って来た瞬間犬が立ち上がりました。
今まで苦しそうだったのにお兄ちゃんが名前を呼んだ途端に立ち上がって…
よろよろとおぼつかない足取りで兄の方に寄って行き、ばたりと倒れてしまいました
その後家族全員で泣きながら撫でたり身体を拭いてやっていると、
犬は静かに最後に少しだけ苦しんだけれども、すぅっと眠りにつきました…
あの子が死ぬ直前…
「○○、今までありがとう。私はまだ○○を引っ張る力がなくて、
散歩に行ってやれなくてごめんね」
と謝ると、あの子はもう殆ど動くことも出来ないのに
震えながら「ワン」と一度だけ鳴きました…
凄く優しい声で…「いいよ」と
言ってくれている気がしてまた泣けました…
その翌日、お葬式を挙げてもらい…そこで良い話を聴きました。
ペットは亡くなったら必ず天国に行くそうです。
そして、その家の子孫としてまた生まれ変わるそうです…
もしかしたら私やお兄ちゃんの娘や息子として生まれてくるのかな…
そう思うと、何だかとても心があたたかくなりました…
話がまとまらなくてすいません。
256 :
ほんわか名無しさん:2007/07/27(金) 12:32:52 O
子孫として生まれてきたらいいですね!!
>>255 その家の子孫に生まれ変わるとレスを見て『もしかしたら』という気持ちになりました。私も以前犬を飼っていたので・・・。私には小さな子どもがいます。この子が生まれ変わりなのかと・・・。良い話をありがとう。
258 :
ほんわか名無しさん:2007/07/28(土) 00:56:02 0
オレも同じような経験があるよ。
今、思い出して涙ボロボロ。
犬って、なんだなんだろうね。自分が死にそうなのに
飼い主の事を心配しやがって・・。(涙
259 :
ほんわか名無しさん:2007/07/28(土) 08:37:10 0
俺の一日はペニスにこびり付いた恥垢を風呂場で洗い流すところから始まる
いつもの様にペニスを洗っていると、風呂場の窓からOL風の綺麗な
お姉さんが歩いていくのが見えた
俺はそのお姉さんのスリットの入ったスカートから見える生足に欲情し
その場で三回ほど射精した
尿道から発射した精液をシャワーで洗い流し念の為、精液が壁に飛散
したかも解らないので、壁にも水をかけておいた
風呂から上がり、洗濯機のなかに俺の前が黄ばんで後ろの一部が茶色く
変色したグンゼの白いブリーフを入れた
このブリーフは俺が中二病の頃母がファッションセンターしまむらで買ってきたものだ
俺の家は貧しくて三枚500円のブリーフでさえ高価な下着だったのだ
このブリーフは三枚あったと先に記述したが、うち二枚はいつの間にか無くなっていた
最後に残ったこの一枚をもう五年近く穿き続けている
ゴムは緩み、前述した通り前が黄ばんで後ろの一部が茶色く変色しているが
色んな思い出の詰まったこのブリーフを、俺の残尿や精液やウンコの色素が
染み付いたこのブリーフを見ていると、俺はどうしてもこいつを捨てられない
そんな気持ちになるのである
260 :
ほんわか名無しさん:2007/07/28(土) 14:00:33 O
>>259 きもいし、面白くない。あ、スルーすんの忘れた。
261 :
ほんわか名無しさん:2007/07/29(日) 22:33:47 0
同級生の男の子が亡くなりました。
事故に遭い、ほぼ即死の状態で病院に運ばれ
27日間を闘い抜き、亡くなりました。
彼の告別式で彼の親が言っていた言葉です。
「N(彼の名前)は死ぬ前言っていました。
『オラ、大人になってもお父さんとお母さんと
一緒に暮らしたい』って。『将来は
お父さんみたいなサラリーマンになりたい』
なんで?と聞くと『だって楽だから』と。」
その場に居た人々が更に涙を流しました。
私は息ができなくなるくらい泣きました。
ねえ、N?会えて良かったよ。
最期はお父さんとお母さんにちゃんと
気持ち、伝えられていたんだね。
生まれ変わったらまたNのお父さんお母さんの
子供で、私たちの友達になると約束してね。
天国で見守っていてください。
Nに胸張って話せる人生にするからね。
生まれてきてくれてありがとう。
262 :
ほんわか名無しさん:2007/07/30(月) 00:35:47 0
私は2人姉妹の長女、いつも妹と比べられて育った。
下の子のほうがかわいいというのは普通みたいだけど、
うちの親は妹をかわいがりすぎていた。
妹が幼稚園生の時私は「家にピアノがないから」という理由で
習わせてもらえなかったピアノを習わせてもらい、
中古だけどピアノまで買ってもらってた。
だけど飽きっぽい妹はたった2年半でピアノ教室を辞めた。
私は絵や漫画を描くのが好きだったんだけど、うちの親は
「漫画ばっかり描くんじゃない!」と、落書き帳・自由帳など
絵を描くためのものが見つかると目の前でソッコー捨てた。
学校の個人面談で担任に「5教科の成績はぼちぼちだけど、
図画工作の成績はズバ抜けていいです、絵も上手です」
と誉められた日は家に帰ると父に報告されて
「絵なんか描いたってなんの得にもならないものをお前は」と説教された。
だけど、うちと家族ぐるみで仲の良かったSさんというおばさんが
私は本当は絵を描くのが好きなだけで実際は下手なのに
「○○(私)には絵の才能があるよ、将来は漫画家になる!」
と言って子供には高価な画材を買ってきてくれた。
近所のおばさんも「息子がもらったものなんだけど○○ちゃんに」と言って
スケッチブックをくれたりした。
そして、それだけじゃ絵が描けないだろうからって
コピックまで買ってくれた。
そして「学校終わったらうちに来な、うちだったらお母さんに怒られずに絵が描けるでしょ?」
と言ってくれて、おばさんの家でよく絵を描いてた。
当時は子供だったから知らなかったけど、高校生になって
本格的に漫画を描き始めて画材店に行ってコピックの高さにビックリ!
Sさんは「○○は絵がうまいから♪」と言って、
町内会のお祭りのポスターデザイン(Sさんが役員だった)を
私にって推薦してくれて、私なんかじゃ描けないって断ったんだけど
「私○○の絵好きよ」と言われて子供向けにポスター描いた。
するとSさん「これは子供が喜ぶわぁ〜!」と大絶賛してくれた。
漫画家にはなれなかったけど、私の趣味を認めてくれてすごくうれしかった。
263 :
苺 ◆U3SXR.YLU2 :2007/07/30(月) 00:42:23 0
良い話です(´ω`)Sさん良い人
私は現在、ストレスからくる体調不良でに通っていて
抗不安薬など数種類の投薬治療を受けています。
通っている心療内科は電車で何駅かあり、風邪をこじらせたり
夜中に具合が悪くなった時には近所の病院や救急病院に行ったんですが
医師に「心療内科に通っていて・・・」と事情を話し、
飲んでいる薬の書いてある手帳(おくすり手帳)を見せると
私をよく診もしないで不機嫌になり、
「あ゛ぁ!?アンタ精神病か?じゃあストレスか何かじゃないの?なんで来たの・・・」
と怒られて、症状を話しても横柄な態度でした。
そういう医師のいる病院に数件当たって、医者不信になりました。
ところがある時、夜中にまた具合が悪くなってしまったのですが、
その日の夜間救急当番病院は前に診てもらった所と違う病院だったんです。
また医師に怒られるかもしれないと思うと怖くて、
病院へ向かう車の中では体調も悪いし泣いてばかりでした。
でもその時診てくれた当直の30代後半くらいの男性の先生は
とても優しくて、心療内科に通っていることとか
薬を飲んでいることを話しても終始笑顔で対応してくれました。
一応検査と点滴をすることになったんですが
「大丈夫だから(^-^)」「すぐ終わるから心配しないで(^-^)」
と言ってくれて、まるで神様のように思えました。
帰る時も「フラフラしない?大丈夫?じゃあおうちに帰りましょう〜w(^-')」
と最後まで笑顔で接してくれました。
こんなお医者さんもいるんだと、偏見が少しなくなりました。
救急当直担当の先生で、外来にはいないらしく
それ以降会う機会もなくてちゃんとお礼も言えなかったのですが、
○○先生、あの時は本当にありがとうございました。
私は現在、ストレスからくる体調不良でに通っていて
抗不安薬など数種類の投薬治療を受けています。
通っている心療内科は電車で何駅かあり、風邪をこじらせたり
夜中に具合が悪くなった時には近所の病院や救急病院に行ったんですが
医師に「心療内科に通っていて・・・」と事情を話し、
飲んでいる薬の書いてある手帳(おくすり手帳)を見せると
私をよく診もしないで不機嫌になり、
「あ゛ぁ!?アンタ精神病か?じゃあストレスか何かじゃないの?なんで来たの・・・」
と怒られて、症状を話しても横柄な態度でした。
そういう医師のいる病院に数件当たって、医者不信になりました。
ところがある時、夜中にまた具合が悪くなってしまったのですが、
その日の夜間救急当番病院は前に診てもらった所と違う病院だったんです。
また医師に怒られるかもしれないと思うと怖くて、
病院へ向かう車の中では体調も悪いし泣いてばかりでした。
でもその時診てくれた当直の30代後半くらいの男性の先生は
とても優しくて、心療内科に通っていることとか
薬を飲んでいることを話しても終始笑顔で対応してくれました。
一応検査と点滴をすることになったんですが
「大丈夫だから(^-^)」「すぐ終わるから心配しないで(^-^)」
と言ってくれて、まるで神様のように思えました。
帰る時も「フラフラしない?大丈夫?じゃあおうちに帰りましょう〜w(^-')」
と最後まで笑顔で接してくれました。
こんなお医者さんもいるんだと、偏見が少しなくなりました。
救急当直担当の先生で、外来にはいないらしく
それ以降会う機会もなくてちゃんとお礼も言えなかったのですが、
○○先生、あの時は本当にありがとうございました。
266 :
ほんわか名無しさん:2007/07/30(月) 05:16:05 0
ストレスで病気になる人って、本当に辛いらしいよな・・。
本人は本当に苦しんでいるのに仮病扱いする医者もいるらしいし。
自分もガキの時に小児喘息だったけど、医者から
「親が甘いから喘息になるんだ」といわれた事がある。
今では、喘息の原因はアレルギーと言うのが解明されているが・・。
ガキのころ、息ができなくて死にそうになってるのに、仮病扱いされた時は
本当に、いたたまれなかったよ・・。オレも今でも医者が信じられない。
267 :
264:2007/07/31(火) 16:58:28 0
エラーで連投になっててすいません。
後日談なのですが、夜間救急にかかると受付が開いていないため、
指定期日以内にまたその病院の日中の診療時間に行って
受付で夜間救急の時にかかった料金を清算しに行かないといけないんですが
救急でかかった時に先生にお礼を言ってから帰ろうとしたのですが
救急車で搬送されてきた人がいたため、お礼も言えず名前も聞けませんでした。
救急の受付は守衛さんのような人がやっていて、先生の名前を聞いたら
「私は急患さんの受付でいるだけなので、当日担当の先生の名前まではちょっと・・・今日は外科の先生みたいですが?」
とのこと。
そして3日後、体調もほとんど良くなり病院に料金の清算に行きました。
受付の女性に「あの〜この日担当だった先生のお名前はわかるでしょうか?」
と聞くと、調べに行ってから「○○先生みたいですね」と。
それで「あの時<急患が来てお礼を言えなかったことを話す>なので代わりに
おけげで元気になりましたのでありがとうございましたと伝えていただけませんか?」
と言うと「それは個人情報に関わるのでちょっと・・・」と言われてダメでした。
しかもその先生は救急専門の先生だとわかり、今後会ってお礼を言える確率はほぼ0%・・・
→つづく
268 :
264:2007/07/31(火) 16:59:17 0
→つづき
あの時すごく親切にしてもらったのにお礼を言えなかったのか気がかりで
すでにあれから数ヶ月経ってしまいましたが、その病院のホームページが
リニューアルされていて[患者さまの声]という患者専用の
意見メール送信フォームができていたのです。
「病気に関する質問、個別のお返事はできかねます」と書いてありましたが
もうそこしか手段がないと思って、思い切って匿名(HN)で
先生へのお礼と感謝の気持ちと、他の病院では心療内科に
通っていると言っただけで診療を断られたこと、受付の人に
お礼を言ってくれるよう頼んだけど個人情報云々でダメだったこと
などを書いて「元気になりましたので、○○先生にお伝えいただけないでしょうか?よろしくおねがいします」
というメールを送ったところ、なんと病院の医事課の人ではあるけど
「××様(私)のお気持ちは○○先生に伝えさせていただきます」
という返事が届きました!
HNで出してしまったし、本当に伝えてもらえるかわからないけど
返事がきてとてもうれしかったです。
病院全体に暖かみを感じました。
○○先生に届いているとうれしいです。
269 :
ほんわか名無しさん:2007/08/01(水) 00:09:33 O
良スレageときますね(/_;)
270 :
ほんわか名無しさん:2007/08/01(水) 02:12:03 O
>>268 きっと伝わってるし、その先生も どうなったのか聞けて安心してると思います!人の気持ちのエネルギーって不思議なもので 伝えたいと思う人の気持ちと どうなったのかな?と心配する側の気持ちって とてもひかれあいますよね?
だから あなたが伝えたいと強く思ったのは、その先生が あの患者さん よくなったのかなぁ?って強く思う気持ちが あたなに伝わったのではないでしょうか…?
俺がまだ小さいころ、年の離れたいとこは商船関係の仕事をしてる人と結婚したんだ。
ずいぶんとやり手だった人らしい。
しばらくして娘が産まれて、いとこは幸せそうにしてるなって
まだガキだった俺でも解るくらい幸せそうだった。
でも、その子がまだ小さいころ、だんなさんが倒れた。
一命は取り留めたけど、重度の障害が残った。
俺は親戚一同とは疎遠だったけど
いとこが、がんばってだんなさんを看病しながら子供をちゃんと育ててるって
両親から時々聞いてた。
今思うと、本当に並大抵の苦労じゃなかったんだろうと改めて思う。
先日、その子の結婚式があった。
たまには親戚の集まりにお前も顔を出せと、親父と一緒に招かれた。
横浜の、海が見渡せる綺麗な式場だった。
俺記憶の中のその子は、まだほんの小さな女の子で
ドレスを着て壇上に立ってるその子の姿にびっくりした。
無事に披露宴も進んで、新郎新婦から両親へのメッセージ。
でもそれは「新郎新婦」からじゃなくて、新婦から自分の両親へのメッセージだった。
障害を持つ父親を疎ましく思っていたこと
反感から、反抗ばかりしていたこと、ごめんなさい、と。
そして、今こうして、ここにいられるように育ててくれてありがとう、と。
かつて父親が乗って勉強した日本丸の勇姿が、目の前に見える式場で。
272 :
264:2007/08/02(木) 02:29:06 0
>>266 私の妹も小児喘息だったのですが最初にかかった病院で
「親の責任」と言われて母が泣いていたのを覚えています。
本当にひどい医者っているんですよね。
夜間救急にかかる時は、症状の他に飲んでいる薬がないかとか
詳細を話さないといけないんですが、電話をした段階で
心療内科に通っていると言っただけで
「うちでは診られません!」と断られた病院もありました。
だけど、いい先生に当たり医者を見る目が変わりました。
>>270 ありがとうございます。
そこのメールフォームは、本来は病院に関する意見・苦情
などを気軽にメールできるようにと儲けられたものだったのですが
夜間、普通の病院が診療していない時間で不安なのにも関わらず、
終始笑顔で接してもらって本当に感謝の気持ちでいっぱいだったので
気持ちをメールしてしまいました。
医事課の方からの返事でしたが、伝えますという返事だけでうれしかったです。
273 :
ほんわか名無しさん:2007/08/02(木) 14:56:03 O
三歳の息子の話。
年明けの我が家は離婚の話が進んでた。
原因は色々あったが決定的だったのが母である私。
育児ノイローゼや姑、そんな問題を自分一人で抱えてしまった私は爆発して息子を実家に預けて家を飛び出してしまったのが原因だった。
「私は息子を捨てたも同然。最低な母親だ。もう息子に会う資格なんて死ぬまでない。刺されて死んでも文句はない。無論幸せになる資格なんかない。」
夫や双方の両親、何より息子への罪悪感でもう潰れそうだった。
でも夫が死にもの狂いで私を探し出し、とにかく話し合いをしようという事になり家へ戻った。
両親にはこれ以上ないくらいの叱りを受けた。
当然だ。
そんな事は承知で帰ってきた。
そんな私を見て夫は私を気付かってくれた。
こんな私に対して優しく接してくれたのだ。
仏のような人だと思いながらも私の精神状態は最悪の状況だった。
離婚の話は進んだ。
しかしある日離婚は突如取りやめになった。
まだ三歳の幼い息子の一言で全ての話し合いは終わった。
「パパ。ママの事許してね。」
今私達家族はとても幸せです。
274 :
ほんわか名無しさん:2007/08/03(金) 01:01:14 O
>>273 子供の純粋な心の前では誰もが心を清められますね。
275 :
1/2:2007/08/03(金) 03:03:42 0
今年に入ってからの話です。
もう8年くらい前に天国に行ってしまったハムスターが
夜、寝ていたら夢に出てきたんです。
私がもらってきたハムスターで私にだけ特になついていたので
かわいくて溺愛していた子でした。
その子が突然夢に出てきて、私の手の中で横たわって死んでしまっている夢でした。
ちょうど、息を引き取った時の様子とまるで同じ光景でした。
夢の中ではとにかく悲しくて大泣きして、起きてみると
寝ながら本当に泣いていたみたいで涙で顔が濡れていました。
翌日もなぜかハムスターが夢に出てきて、今度は手に乗っかったり
ひまわりのタネを食べたり元気な姿。
そしてその翌日も元気な姿で夢に出てきました。
「なんで命日でもないのに連続で夢に出てくるんだろう?」
と疑問でしたが、その頃私の体調が悪かったのでてっきり
心配してなのかと思い込んでいました。
だけど3日目にして理由がわかりました。
最初に夢に出てきた日は父方のおばあちゃんの命日・・・
私が体調が悪く、病院へ行ったりしていたため
家族全員がおばあちゃんの命日を忘れていたのです。
それでなんでハムスターが出てきたのかというと、
身内で亡くなっている人で、唯一私のハムスターを触ったのは
おばあちゃんでした。
276 :
2/2:2007/08/03(金) 03:04:37 0
おばあちゃんの葬儀の時には家から少し離れた葬儀会場に泊まらなくてはいけないことになり、
葬儀場の人の許可を得て、ハムスターもケージごと連れて行ったんです!
だからおばあちゃんのお通夜・告別式の時も同じ会場内の
控え室にハムスターのケージを置いてありました。
ハムスターが死んでしまった時、私はハムスターに
「おばあちゃんの所に行くんだよ?おばあちゃんなら○○(ハムの名前)のこと知ってるし、
かわいがってくれてたから、おばあちゃんの所に行くんだよ」
と言い聞かせていたのです。
だからたぶん、おばあちゃんの命日なのに誰も気づかないことを悲しんで
“死んだ”という姿で悲しみを表し、気づいてほしかったんだと思いました。
あわててハムスターの写真立てに向かって
「○○は、ちゃんとおばあちゃんの所に行ったの?おばあちゃんの命日を教えてくれたの?
おばあちゃんの命日忘れてててごめんね、わかったよありがとう」
と話しかけてからは夢にハムスターが出てくることはありませんでした。
きっと天国でおばあちゃんにかわいがられていることでしょう。
今は、ハムスターの遺骨の一部をペンダントに入れて供養しています。
ずっと側にいて、守ってくれている気がします
277 :
ほんわか名無しさん:2007/08/06(月) 21:16:58 O
。・゚・(ノД`)・゚・。
278 :
ほんわか名無しさん:2007/08/09(木) 00:44:38 0
不思議なことってあるんだねぇ
280 :
ほんわか名無しさん:2007/08/11(土) 01:04:38 O
泣ける…
281 :
ほんわか名無しさん:2007/08/11(土) 11:37:56 O
はだしのゲン泣けた…
(;_;)
はだしのゲン、みのがした
今日、後編があるね
283 :
ほんわか名無しさん:2007/08/11(土) 20:24:55 O
後編も楽しみだね。きっと後編見ただけでも泣けるよ。
箱ティッシュ準備OK
284 :
ほんわか名無しさん:2007/08/12(日) 00:42:39 0
285 :
ほんわか名無しさん:2007/08/12(日) 02:18:37 O
凄まじい程の良スレ。・゚・(ノД`)・゚・。
しかもみんな文章上手い!
286 :
ほんわか名無しさん:2007/08/14(火) 23:09:15 O
良スレホシュ
287 :
ほんわか名無しさん:2007/08/15(水) 17:04:04 O
なんという良スレ
ここの過去スレって携帯からじゃ見れないかなあ
穴開きタンがまとめてくれたサイトが
>>1にありますよ
289 :
1/2:2007/08/16(木) 04:21:21 0
オナヌー投稿になってまうかも知れんが。
その社長の会社は、おれが勤めていた会社の所謂「外注」だった。
何年か後、おれは勤めていた会社を辞め、ふらふらしてたんだが、
社長は「うちの会社で働け」と言ってくれた。
紆余曲折あって、おれは結局その社長の会社へご厄介になる事になった。
椅子にふんぞりかえっている社長ではなく、自分から高所作業したり、
とにかく自分から汗をかく人だった。
その社長の会社が倒産した。社長は涙ながらに、社員全員に
謝罪していた。おれはその時、自分の行く末が不安だった。
だから、泣けなかった。
社長が長年患っていた病気が悪化し緊急入院した時も、
身体の痛みに耐えかね、ウンウン唸っている社長を見た時も
その悲惨さが先に立ち、涙は出なかった。
290 :
2/2:2007/08/16(木) 04:22:58 0
その何日か後、社長は亡くなった。59歳だった。
火葬場に行く前に遺族の方々が、棺桶にゆかりの品を入れていた時。
社長の奥さんが、「○○ちゃん、これ入れてやって」と、おれに
布切れみたいなのを手渡した。
それは、社長が現場に行く時に、必ずかぶっていた帽子。
くたびれてて、糸も解れてる、ボロボロの帽子。
「あぁーこれかぶってたねー、いつも…」
懐かしく微笑んだつもりが、涙が頬を伝った。
おれは人目を憚らず、泣いた。
今おれは、個人営業だけど社長と同じ仕事してる。
社長、人を使うのって難しいな。
おれはちゃんと仕事できてるかな。
社長の会社も家も、身体も、この世から無くなっちまったけど、
あんたの意志は、おれの心の中で活き続けるから。
291 :
ほんわか名無しさん:2007/08/17(金) 01:17:18 0
>>289 なんていいヤツなんだキミは!(´Д⊂)
きっと社長さんが見守っててくれてるよ!
ガンガレ!!!
292 :
ほんわか名無しさん:2007/08/18(土) 13:52:48 0
26歳♀。スレ違いかもしれないけど。。
すごい普通に生きてきたら取り返しのつかないガンになってた。
で、先月の26日に、あと3ヶ月くらいしか生きられないって言われた。
今、ムリ言って退院して、いろんな人に会いに行ってる。
湿っぽくなるのが嫌だから、事情は話さないで、
体調の良い日は友達とかお世話になった人と
いつもと変わらない感じでご飯食べに行ってる。
昨日は高校時代の恩師と行った。
その人は私にバイクに乗らないかと薦めてくれた人で、
夏場たまにツーリングに一緒に行ってた。
バイク、もう乗れないから、その人に譲ろうと思ってた。
293 :
ほんわか名無しさん:2007/08/18(土) 14:00:54 0
会ったら、やっぱり先生はバイクで来ていて、かなり羨ましかった。
で、ご飯食べながら、いろいろ話した。
高校時代のことや、卒業してからもいろんな相談に乗ってもらって、
すごい嬉しかったってこと。
そしたら、
「お前(=私)が最近他の奴ら(=当時からの付き合いの友達とか)と
そういう話をしてて、様子がおかしいって聞いた。なんかあったか?」
と聞かれた。
絶対他の奴らには言わないでって約束して、病気のことと余命のことを話した。
294 :
ほんわか名無しさん:2007/08/18(土) 14:13:40 0
そして、先生にバイクを譲るってことも言った。
大事に乗り続けるって約束してくれた。
店を出てから、先生に「まだ元気あるか?」と聞かれた。
「座ってる分には大丈夫」と答えると、ちょっと待っててと言って、
バイクで颯爽と走り去った。何だかわからないけど、泣けた。
しばらく店の駐車場で待っていたら、先生がホームセンターでメットを買ってきた。
それを私にくれて、「後ろ乗って」と言った。
先生の腰に回した私の手はすごく頼りなくなっていて、
すぐに振り落とされそうだった。
「乗りたいけどムリですわ」と私が言うと、先生が、着ていたTシャツを脱いで、
私の手をくくりつけてくれた。先生も泣いてた。
295 :
ほんわか名無しさん:2007/08/18(土) 14:29:46 0
それから、初めて一緒に走った、近くの登山道へ行った。
そのときとは違って、すごくゆっくりだったけど。
展望台みたいになってるところでバイク停めて、ベンチで休んだ。
先生は
「このあと、すごく苦しむかもしれないし、辛いこともいっぱいあると思う。
そのときは呼んでくれれば行くから。
生きてて良かったと思えることを、まだまだ作ろう。
まだ○○(私の名前)は生きてるよ。諦めるな」
と言ってくれた。2人して号泣した。
誰に話していいかわからないから、ここに書かせてもらいました。
週明けに病院戻ることに決めました。
正直、昨日告知されてからはじめて、まだ生きてたいと思えたから。
わからないけど、もう少しあがいてみます。
自己満な文章でごめんなさい。
行ってきます。(冗談でも「逝ってきます」とは書けません(藁
リアルタイムで書き込みを見させていただきました。
生きている一人の人間が、寿命を宣告されるということを本の中でしか経験したことのない私がこんなことを言うなんておこがましいのですが、
少し書かせて頂けたらと思います。
死の間際に、己の今までの人生を顧みる人は少なくないと思います。
誰かの言葉にもありましたが、その時に重要なのは、どれだけ長く生きたかではなく、どれだけ生を感じたかだと思います。
では、生というのはつまり何なのでしょう?
行きた意味、生きた証、生きたことによって得たもの、そのようなものだと私は思っています。
あなたには生きたことによって得たものが沢山あることが文章から読み取れるように思います。
あなたの様子がおかしいと心配してくれたお友達の方々、恩師の先生、多分もっと沢山いるのではないでしょうか?
それだけあなたは素晴らしい生き方をしてきたのだと私は思うのです。
まだ生きていたいと思えたということは、自分の生き方に自信をもっていいということだと思います。
だからこそ、あがいてください。運命に抗ってください。
なんか意味不明な文章になってしまってごめんなさい。
年を食うために生きているような私からしたらあなたが少し羨ましいです。
あと、これは提案なのですが、今日から余力があればご自分で日記を付けられるのはいかがでしょうか?
297 :
292-295:2007/08/18(土) 15:59:52 0
>>296さん
ありがとうございます。
いろんな人に、いろんなことをしてもらって、
それで危うい橋を渡るように生きてるって、本当に思ってます。
年を食うために生きてても、もしかしたら明日事故にあうかもしれません。
何が起きても、悔いのないように、生きてください。
って、偉そうですみませんノ(´д`*)
でも、私はあなたが羨ましいです。
日記、考えてみます。
会えなかった人たちに手紙を書こうかと思ってました。
残るものを、残したい(日本語変ですね)と思ってます。
298 :
ほんわか名無しさん:2007/08/18(土) 16:02:36 O
ξμ_μ)・゚ 猛暑お見舞ぃ申しあげまし゜
>>295 今あなたのレスを見て涙が止まらない。
命の大切さを考えさせられたレスでした。
ありきたりな事しか言えませんが…
頑張って!!
あがいて!!
少しでもあなたに長く生きていてもらいたい。
300 :
292-295:2007/08/18(土) 16:51:34 0
>>299さん
すみません。。湿っぽい話で(;´Д`)
ありがとうございます。頑張ります。
301 :
ほんわか名無しさん:2007/08/18(土) 17:09:51 O
302 :
ほんわか名無しさん:2007/08/18(土) 21:09:42 O
ええええmjdk
>>292-295 もがいてあがいて生`!!
・・と言いたいです。
いきなりエラそうですみません。
死への絶望感に負けることなく力強く生きてる貴女を見てると、
何か、漫然と毎日を過ごしている俺が恥ずかしくなってきました。
戒めなくっちゃな(`・ω・´)
そして、
何故だかこの話が他人事に思えなくてレスさせてもらいました。
ありがとうです^^
>>296 その酉は、もしかしてスレ主のヒロトさん?
お久です!!
・・・でも文脈から判断させてもらうと、
どうやら別人みたいですね。
304 :
292-295:2007/08/18(土) 22:50:23 0
>>303さん
私も、告知されるまでは漫然と過ごしてたし、
いつも絶望には負けそうです。
人に八つ当たりしたり、わめいたり、怖かったり、いつもしてます。
ありがとうございます。私も戒めなければo(^^)o
305 :
ほんわか名無しさん:2007/08/18(土) 23:11:32 O
>>295 「人間は死ぬために生きている。だからこそ、生きている時は精一杯生きろ。
自分の時間を大切に使え。これから何年生きるかわからんが、今を生きろ!」
祖父の最後の言葉です。格好悪くてもいいから、精一杯生きて下さい。
もっともっとあなたに伝えたいけど、涙と嗚咽が止まんない。もう、書けないよ。
頑張れ!!今を生きろ!!俺はお前を応援している!
他人の為にこんなに必死になるのは初めてだ。
306 :
292-295:2007/08/18(土) 23:18:52 0
>>305さん
ありがとうございます。。
私も泣けてきました。
もっと、生きたい。
307 :
ほんわか名無しさん:2007/08/19(日) 01:22:19 0
>>295さん
ニートな俺の免疫力を回線通してお譲りします。
使ってやって下され つ
>>303 >何故だかこの話が他人事に思えなくてレスさせてもらいました。
あなたも病と闘ってるんですか?
309 :
292-295:2007/08/19(日) 16:50:19 0
>>307さん
回線って便利ですねぇ(藁
ありがとうございます。今日は痛みがひどいので、
嬉しかったです。
>>309 貴方が今、誰よりも頑張っている事が凄く伝わります。
私の悩みなんて貴方と比べたら、ちっぽけな事なんだと気付かされました。
私は私で今を精一杯生きたいと思います。
そう思わせてくれた貴方に私は感謝しきれません。
311 :
292-295:2007/08/19(日) 22:00:32 O
312 :
ほんわか名無しさん:2007/08/19(日) 22:45:00 O
ちょっと書かせてもらう、
俺の友達でゲームがすげー好きなやつがいたんだよ。
ドラクエとか、誰より一番に解いたり、俺たちにヒントくれたりさ。
中学2年のとき、そいつ事故にあって、右手なくなっちゃったんだ。
やっぱ片手じゃうまくゲーム出来ないみたいで、というか出来なくて、
「俺もうゲームとか卒業したから、子供のあそびじゃん」とか言うわけ。
でもさ、そいつの家に行くと、隠してるつもりなんだろうけど、
ベッドの下にゲーム雑誌とかあるんだよね、普通エロ本だだろうにw
でまぁ、そんなこんなで年月はたって、WiIIがでてこのドラクエがでたわけよ、
これならやつでもできるんじゃね?と思って、誕生日ってのもあって、
本体とセットでくれてやったんだ。
そしたら「こんなもんいらねーよー、出来るわけねーだろ、嫌味かよw」
とかいって開けもしなかったんだ。
んで、帰ってしばらくしたら、そいつの親から電話きて、
「あの子が泣きながらゲームしてるんです、ほんとにうれしそうに・・・、ありがとうね!」
>>304 明日から入院ですよね?
もう一度言わせてもらいます・・・とにかく生`!!
貴女が長生きできるよう、同じ空の下で祈ってます。
>>308 いや、俺は去年急性の病気で入院したぐらいで、
現在は至って健康です。
俺の身内の人に病と戦ってる人がいます。
その人もその病気に負けることなく、
俺が励ますつもりがいつも逆に励まされてますw
>>312 新ジャンルの体感RPG。
「ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔」
ですな。
目の前の敵にリモコン振るだけで
剣を振ってるみたいな感覚になると言うアレ。
とにかく、
1ゲーマーとして貴方に(*^ー゚)b グッジョブ!!
と言いたいです。
314 :
黒薔薇:2007/08/20(月) 01:57:07 0
315 :
292-295:2007/08/20(月) 12:31:20 0
>>313さん
あなた自身も、あなたの身内の方も、大事にしてください。
そして、いなくなったとしても、絶対に忘れないであげてください。
316 :
292-295:2007/08/20(月) 12:33:53 0
連投だけど、ここ来るの、最後かもしれないからもうちょい書かせて。
みんながんばれ!
泣いてわめいてあがいて、がんばろう!
生きるの辛いけど、死ぬのも辛い。
私も先生に付き添いしてもらって、夕方、入院します。
抗がん剤、効くの期待して、ハゲても吐いてももう一回やってくる。
もう一回、自分の力でバイク乗る。
またね!
最後とか言うな。きっとお前は戻ってくる。
待ってるぞ。
>>316 貴方も諦めないで頑張ってあがいて!!
そしてまたここへ戻ってきて?
まだ貴方と何も話してないじゃん…。
だから戻ってきて…。
319 :
ほんわか名無しさん:2007/08/20(月) 16:48:08 0
>>316 初めて人に心から言う、「がんばれ!ぜったいに負けるな!!!」
321 :
ほんわか名無しさん:2007/08/20(月) 23:04:48 0
322 :
ほんわか名無しさん:2007/08/21(火) 02:04:07 0
話の流れ切ってすいません。
私が小学2年生の時の話。
私は幼稚園に上がる前か、上がった時かは忘れたけど
ひどい中耳炎にかかって1日おきに耳鼻科に通院しなければいけないほどで
当然、耳に水が入ったらいけないとプールには入れなかった。
だけど地元の小学校はプール授業に力を入れていて、
10級から段までの級があるほどで、1年生の時はまったくプールに入れなかった。
2年生になると他のみんなはすでに25mは泳げるようになっていたのに
私1人がまったく泳げない・・・
水泳大会の時、親が担任に「大会の時くらい出てみないか?」
と言われて私1人泳げないのが嫌で絶対反対だったんだけど
医者に相談したら「顔をつけるだけなら」とOKが出てしまった。
そこで担任の提案で、私だけ顔をつけて両手を前に出し、
プールに立つ姿勢で歩いて25m行くことに。
(苦しくなったら顔を上げて息継ぎ)
他の子はバタ足とかクロールとかでバシャバシャ泳いで行くのに、
私1人が端のコースで歩くだけなんて・・・と物凄く嫌だった。
泣きそうになりながらプールに入って笛が鳴って私だけ水面に顔をつけて歩いた。
プールの半分くらいまできただろうか、他の子はすでに全員ゴールしていて私だけ。
するとプールサイドから大きい声で
「○○さん(私)がんばれー!○○さんがんばれー!」
というみんなの大きな声援が!!!
25m歩ききると担任が涙でいっぱいの目で
「おめでとう!」と言ってくれた。
すると全員からすごい拍手をもらった。
その当時はそれでもプールが嫌で嫌で仕方なかったけど、
大人になった今、担任が私に声援を送るように
みんなに声をかけてくれたのかなぁ?と思うと涙が止まらない・・・
>>322 よく頑張りましたね^^
そうやって苦労や努力した経験は将来、必ず貴方の役に立ちます。
当時の担任の先生もプール云々よりそれを学ばせたかったのでしょう。
(´・ω・`)
325 :
ほんわか名無しさん:2007/08/26(日) 22:31:14 O
ホシュ
326 :
ほんわか名無しさん:2007/08/26(日) 23:24:54 0
無関係なヤシが「ウザイから来るなよーっ」と言ってる
のが2ちゃんねる的。
318を応援しているオレもオレもネラー。
おまいら、本当に根が良いヤシなのに暇杉だぜ。
おまいら。もったいないなー!!
喧嘩売ってゴメンな。
恋は罪悪です。
328 :
ほんわか名無しさん:2007/08/27(月) 02:08:19 O
恋が罪悪なら、オレもう絞首刑
329 :
ほんわか名無しさん:2007/08/27(月) 02:14:03 0
私が幼稚園年長か小学1年の頃、夕方の新聞配達で来ている
若いお兄ちゃんがいた、たぶん大学生で新聞奨学生。
私と妹と、隣の子と夕方玄関で待っているとバイクで来て
いつもガムを1枚ずつくれた。
それがずーっと続いて、ある時私がガンダムが好きなのに
親が「女の子はリカちゃん人形、ロボットは男の子のもの」
という人だったのでガンプラとか買ってもらえず凹んでいたら
たぶん新聞社か何かの景品だと思うんだけど
新聞のお兄ちゃんがガンダムの下敷きをくれた。
入手困難だったらしいことは子供ながらにわかったので大切にしていた。
優しくて本当に大好きだったんだけど、ある日をさかいに来なくなってしまった。
来なくなる前、いつもは1人につき1枚ずつガムをくれていたのに
なぜか1人1つ(1パック)ずつガムをくれた。
それが不思議だった、え?全部もらっちゃっていいの!?って・・・
親に聞くと、実家が東北地方にあってお母さんが倒れたので
緊急で帰ったとのこと。
お別れを言いに来たんだけど私が幼稚園か小学校に行っている時間帯だったから会えなかった。
それが私が5〜6才の時で、お兄ちゃんが二十歳前後だとすると、
私がいま30才だから、お兄ちゃんはもう50代!?
当時自分の少ない収入の中からわざわざ私たちのためにガムを買って
毎日のようにくれたことが嬉しくてたまりまりません。
もう一度会ってお礼を言いたいけど、「新聞のお兄ちゃん」と呼んでいたので
名前もわかりません・・・
だからここに書きます。
あの時は本当にありがとうございました。
330 :
ほんわか名無しさん:2007/08/27(月) 10:50:22 O
それ探偵ナイトスクープに投稿したらええんとちゃうか?w
331 :
ほんわか名無しさん:2007/08/28(火) 00:22:54 0
ネタや、ふざけではなく本当に新聞のあんちゃん探してあげたくなってきた。
何か方法ないかな?
そうですねぇ…。
インターネットを使って探し人の類の掲示板に書き込むとか、
メディアを使って新聞とか雑誌とかで出してみるとか、それこそ探偵ナイトスクープはネタじゃなくて結構、的を得てると思いますが。
的を射る 当を得る
334 :
ほんわか名無しさん:2007/08/28(火) 01:21:24 O
的を射るじゃね?
335 :
ほんわか名無しさん:2007/08/28(火) 01:26:38 0
お腹が痛いので病院に行った。
胃カメラ飲まされたり、バリウム飲まされたりして検査し診察で先生に
涙が出るほど胃の話をされた。
336 :
ほんわか名無しさん:2007/08/29(水) 10:16:27 O
良スレage
337 :
ほんわか名無しさん:2007/08/29(水) 20:55:08 O
保守
338 :
ほんわか名無しさん:2007/08/29(水) 22:40:25 0
不摂生で胃を悪くして号泣状態の人はパスですな。(爆)
ちなみに、ワシは酒の飲みすぎでゲリッピー状態っす。
339 :
ほんわか名無しさん:2007/09/01(土) 11:56:13 O
保守
340 :
ほんわか名無しさん:2007/09/01(土) 16:36:37 0
死ぬなよ
341 :
ほんわか名無しさん:2007/09/01(土) 17:19:12 0
親父が死んだ。理由はくも膜下出血。
10日程入院した後、意識が戻ることなく逝ってしまった。
親父は出先で倒れてなぁ。俺が車を取りにいったんだが、親父の財布がなかったんだ。
母に聞いても知らないし、服にも入ってなかった。
「おかしいねぇ?」と母と色々探したんだが結局出てこなかった。
葬式も終え、やっと落ち着いてきた頃、俺は親父の車の中を整理しようと思った。
あれこれ片付けていると、後部座席にあった洗車用の長靴の中に財布を発見した。
(なんだよ、親父。こんなところにかくしやがって)と出してみると、
一緒に定期入れが入っていたんだ。
342 :
ほんわか名無しさん:2007/09/01(土) 17:25:46 0
なんだろう?と思ってそれを開いた瞬間、俺は涙が止まらなくなった。
そこに入っていたのは、俺の写真。
俺が生まれた頃から、つい最近一緒に撮った写真まで十数枚。
反対側のポケットには、俺がいつぞやあげたお手伝い券と手紙。
その手紙にはこう書いてあった。
「おとうさんへ
いつもありがとう。いつかプロやきゅうせんしゅになっておおきな
うちをたててあげるからね。いつまでもながいきしてね。」
そして、いつ書いたのか臓器提供意思カード。
すべての部位に○がついていて、小さく「全部使って下さい」と添えられていた。
343 :
ほんわか名無しさん:2007/09/01(土) 17:33:45 0
俺は庭先で号泣した。葬式の時より泣いたと思う。
ごめんな、親父。こんなところに隠すから、遺体はもう灰になってしまいました。
せっかくの親父の意思、無駄にしちまった。
プロ野球選手も無理だった。なんの親孝行も出来なかった俺を許して下さい。
ひとつだけ報告があります。今度、家を建替えます。
あの頃夢見たような大きな家ではないけれど、母が一生安心して暮らせる家を建てます。
本当に、本当に今までありがとう。
344 :
ほんわか名無しさん:2007/09/02(日) 02:28:39 0
>>341 突然の死でどれだけ辛かったかことか・・・
お父様のご冥福をお祈りします。
あなた親孝行だよ(´Д⊂)
345 :
ほんわか名無しさん:2007/09/02(日) 06:02:25 0
>>341 辛いと思うけど頑張って! お父さんもきっとそれを望んでるから、、、
346 :
ほんわか名無しさん:2007/09/02(日) 07:07:08 O
パターンAですね
中学校の先生が卒業式の時にしてくれた話。
うろ覚えなところもありますが書いてみます。
あの日から5年経ちました。
A子(先生)の父は大工だった。周りから棟梁と呼ばれ現に弟子が何人もいた。
A子が小学生の頃父は絶頂期にいて
母とA子達4人の子供が住む町に帰るのは盆と正月くらいだった。
いつも派手な格好をして、お土産を買ってくる父をA子は好きになれなかった。
A子が中学に入る頃景気が後退し始め高校に行く頃にはどん底となった。
父は田舎に帰ってきた。こちらではつつましく暮らしていれば普通に暮らしていけた。
しかし、都会で覚えたギャンブルはやめられなくなっていた。
集金袋に三日も四日もお金を入れてくれない父をA子は激しく憎んでいた。
高校二年のとき、大学へ進学したいと父に言った。
しかし父は言った。「お前らのために今まで犠牲になってきた。これからは自分の好きなことをやる。」
A子は信じられなかった。つらく苦しい思いをしてきたのは母や私達ではないか。
A子はそれから父を当てにしなくなった。
自分の力で大学に行き、生活費はアルバイトで稼いだ。
平成○年△月×日
父と母は二度目の結婚式を挙げた。×医大附属病院○階西病棟。
4人の子供が見守る中で結婚届に署名捺印が行われた。
A子が公務員となり結婚した時末の弟はまだ中学生だった。
体の自由が利かなくなって酒に入り浸っていた父はパートに出る母をなじり
弟に小言を言っていた。
やがて母と弟は家を出た。
A子達、上の兄弟は何もいえなかった。
それぞれが仕事に家庭に忙しくなにかしてあげるような状況ではなかった。
一人になった父は立ち直ってくれればという母の期待に反して
ますます酒に溺れるようになった。そしてその体はガン細胞に蝕まれていった。
平成△年○月発病。
すぐに手術という主治医の言葉を父は拒否した。
母や子供に迷惑をかけたくないというのが父の気持ちだった。
しかし、数日後激痛に耐え切れず泣く泣く手術に承諾した。
何時間にも及ぶ大手術。舌と歯茎と喉にできた病巣を取り除いた。
手術自体は成功したが、放射線を当てられたところは縫っても縫ってもほつれ膿んでしまった。
喉にあけた空気穴からヒーと息をし、しゃべれない父。
A子は仕事の後、病院にとんでった。母や兄弟と交代交代で病院に泊まりもした。
父が哀れだった。
×月
父は死を予感していた。
傷口から感染症を併発しやせ細った父の手がメモ帳につづった文字は
「かあちゃんとけっこんしたい。かあちゃんにおれのそうしきをだしてもらいたい。」だった。
生まれてからずっと憎み続けてきた傲慢な父はそこにはいなかった。
心のわだかまりがほつれていき、心のそこから父に生きていてほしいと願った。
病室での結婚式から数ヵ月後父は逝った。
入院中の一年間、やっと家族らしくなれた妻と子供たちに見守られて・・。
この話を聞いた時涙が止まりませんでした。
最後に先生から「卒業していく君たちへ」としてこんなことを言われました。
「十五歳のあなた達はこの話を聞いてどう感じましたか?
今子供であるあなた達もやがて親になる。」
350 :
ほんわか名無しさん:2007/09/04(火) 22:07:51 O
泣きますた
351 :
ほんわか名無しさん:2007/09/06(木) 01:09:34 O
ほしゅ
352 :
ほんわか名無しさん:2007/09/06(木) 19:56:39 O
今日のちびまる子ちゃんは不覚にも泣けてしまった…
(´д`)・゚・。
354 :
ほんわか名無しさん:2007/09/08(土) 23:15:51 0
マジで良い話の連続で感動してたのに
ドラマなんか引き合いに出すなよ・・(怒。
一発で醒めてしまった。
355 :
ほんわか名無しさん:2007/09/09(日) 15:02:29 0
すみません````
356 :
354:2007/09/09(日) 23:44:47 0
>>355 なんか、おまい良いヤシだな。
憎めない。
357 :
ほんわか名無しさん:2007/09/13(木) 00:46:38 O
ホシュ
358 :
ほんわか名無しさん:2007/09/13(木) 02:41:46 0
数年前からストレスが原因と思われる病気になってしまいました。
今も体調が悪くて働けず、家で寝ているだけです・・・
友達から遊びの誘いが来た時ですら、具合が悪くて断ってばかりだし
周りはみんな二十歳を過ぎて真面目に働いたり、
結婚をして子供もいる子までいるのに私は一体何をやっているんだろうと
考えて悩んでは泣く日々が続いていました。
つい最近、何かの書類か手紙を探している時に、小学校の頃に
図工の授業で作った木の状差しに、[○○ちゃんへ]
と書かれた、もう色も茶色く変色してしまった祝儀袋が入っていました。
裏を見ると[祖母より]、母方のおばあちゃんからでした。
たぶん誕生日か何かの時におばあちゃんがくれたもので、
中身のお金は使ってしまっているだろうなぁと思っていたら
中に手紙が入っていたのです。
内容は
○○ちゃんへ
お誕生日おめでとう。
中学生になってから初めてのお誕生日ですね。
体調が良くないようですが、すっかり元気になりましたか?
中学校の3年間でたくさん思い出を作ってください。
<中略>
これから日ごとに寒くなりますから、
体に気をつけて、風邪などひかないようにしてくださいね。
○○ちゃんの祖母より
私が中学1年の時にお祝い金と一緒にもらった手紙のようでした。
中学に入ってから、貧血で倒れたり風邪で休んだりしていたので、
それを心配しての手紙の文章だったのですが今の時期、
自分のことにも当てはまる文章で、天国にいるおばあちゃんが今の私のために
この手紙を見つけさせたのかなぁ?と思い、涙が止まりませんでした。
359 :
ほんわか名無しさん:2007/09/13(木) 09:36:35 0
360 :
ほんわか名無しさん:2007/09/13(木) 13:13:59 O
>>358 周りは周り、自分は自分。焦らずに自分のペースでいいじゃないですか。病気でつらい時は いろんな事を学べます。
健康の素晴らしさ、人のやさしさ なによりも病気で苦しんでいる人の気持ちは 痛いほどわかりますよね。あなたが元気になった時に役立つ時が絶対来ます。焦らず今の時期を乗り越えて下さい。
おばあちゃんもきっとそばで見守ってくれてるんでしょうね。
361 :
ほんわか名無しさん:2007/09/14(金) 19:17:22 0
ある介護専門学校の先生のお話
一人の生徒がいた。
その子はただ親奨めで学校に入っただけで、とってもやる気がなかった。
ある老人介護施設に片麻痺のおじいさんがいた。
そのおじいさんは生きる気力がなく、「俺は生きていたってしょうがない」と嘆き、
職員が散歩にさそっても断り、食堂で食事もとろうとはしなかった。
このまま寝たきりにしていたら、どんどん体が動かなくなるのは目に見えてた。
そんな二人が、学校の施設自習で出会った。
あいかわずその生徒は無気力だった。
そんな様子に施設職員がその生徒に、「1時間だけ誰でもいいので一人とお話してきて」と言った。。
その生徒はその生きる意欲を失ったおじいさんを選んだ。
職員がソッとのぞきにいくと、そのおじいさんの足元で眠っていたのだ。
最初は注意しようかと思ったらしいが、しばらく様子を見守ることにした。
隠れて見てると、面白いことがおきた。
他の職員が廊下を通りかかると、そのおじいさんのマヒしていない方の手で
その生徒を肩を叩いて起こすのだった。
「人に何かをしたあげられるという」ことで、少しずつ生きる意欲を取り戻していったようだ。
一方、生徒もみんなから「たいしたものだ」と褒められ、「そのおじいさんの担当になりたい」と
自分から志願した。
その生徒はおじいさんを食堂に連れて行ったが、おじいさんは自分で食事をする気力がないので、
生徒に食事介助をしてもらった。
しかし、その生徒の食事介助は下手糞。
スプーンが歯にガチャガチャ当たるのだった。
そこでおじいさんは生徒のスプーンを取り上げ、「自分で食べる」と自らの手で食事を取り始めたのだった。
のちの二人は...
おじいさんは生きる気力を取り戻し、その生徒も後に介護のしごとに就いたいう。。。
362 :
ほんわか名無しさん:2007/09/14(金) 19:51:12 0
>>361 子供の頃に聞いた、天国と地獄の話を思い出したよ。
大きなテーブルに、食べきれないほど沢山の、ごちそうが乗っている。
長ーいスプーンで食べなくてはならない。
自分の口には、スプーンが長すぎて入れることが出来ないので
天国の人達は、お互いに食べさせ合っておなか一杯。
地獄の人達は、自分だけ食べようと争うので、いつも飢えて死にそう。
人間て自分の為に出来ることって僅かで、
他人の為に出来ることは沢山あるんだよね。
人間って・・・・
助け合って、肩貸し合って、少し進んでは立ち止まって
息を吸って深呼吸して、たまにはため息ついたりしながら
泣いて笑って悩んで起きて、感じるすべてが自分になってく
人間ってそんなものね
って、ある歌姫が歌ってるしね。
素敵なエピソードだね
>>362
364 :
ほんわか名無しさん:2007/09/15(土) 02:12:36 0
うちの家の話なんだけど・・・
ある時、電気料金の検針の紙がポストに入っていて、
それにメモ書きが添えられていました。
「いつも電気メーターの検針に来ている○○と申します。
突然で申し訳ないのですが、電気メーターの場所に
伸びた植木の枝がはびこっていて少々見づらいです。
お手数かとは存じますが、少し切ってはいただけないでしょうか?
それと玄関の紫陽花キレイですね!いつも楽しみにしております」
うちの父が忙しくて庭木の手入れをできなかったので、
見たら確かに人の入れる隙間がありませんでした。
父が枝を切り、検針のおばさんは家族のいない日中のうちに来るので
メーターの所に新聞広告で包んだ紫陽花と、庭木の枝が邪魔で
ご迷惑をおかけしました、いつもありがとうございますという手紙を添えておきました。
するとまた電気の検針の紙にメモが添えられていて
「早速対応していただいてありがとうございます。
紫陽花は部屋に飾らせていただきました、いろんなお宅を回りますが
こんなきれいな紫陽花は見たことがないので嬉しく思います」
と書いてありました。
会ったことのない検針の方ですが、家族でジーンときました。
そして、見えないけれど人と人との繋がりって暖かいなって思っていた矢先、
翌々月の電気の検針の紙に今度はメモではなく白い封筒の手紙が添えてあり
「○○です、私事ではございますが今月末を持ってこの仕事を辞めることになりました。
××地区は5年ほど前から担当させていただいており、
この地域に住んでいないにも関わらず暖かい方たちばかりで
本当に感謝しています。
いただいた紫陽花の花が忘れられません。
来年の紫陽花がもう見られないかと思うと寂しい気持ちでいっぱいです。
ではまた機会があれば××のほうにも寄らせていただきたいと思います。
今までありがとうございました」
この手紙に家族で感動して、電力会社に問い合わせたけど
個人情報なので教えられないとのこと・・・
名字しか知らない、会ったこともないけれど、私たちのほうが暖かい気持ちになりました。
365 :
ほんわか名無しさん:2007/09/15(土) 02:17:13 0
いい話だから全部読めたよ><
366 :
ほんわか名無しさん:2007/09/15(土) 02:54:55 O
半年位前までうつ病で都立病院に入院していた私。
その中で一番泣いた日が、退院直前記念で、家族と妹の友達家族とでTDSに行った日。
その頃は大分良くなっていたものの、人混みの中だと呼吸が苦しくなったり、
体力も無いので長距離も歩けなかったりで、行く前から不安だった。
「妹の友達さん達に迷惑かけないかな、あたし行かない方がいいのかな」とか、当日の京葉線に乗りながらまで思ってた。
元々顔に感情が出やすいタイプなので、そう思ってるのが出ちゃったのか、
みんな、特にあまり会った事もない、妹の友達のお母さんがやたらに優しくしてくれた。
ビュッフェで少量をもそもそ食べてると、「○○ちゃん、そんなに少なくていいの? ほら、これおいしいよ」とか、
パレードがやってて、人混みに入れずにひとり離れて見てたら「ほら、きれいだよ、おばちゃんの所取っていいよ」とか。
本当に泣きそうになったけど、でも笑ってないとダメだ、と思って帰りまで結局泣かなかった。
長くてすいませんが、続きます。
帰りは京葉線の途中で妹の友達家族と別れて、私達は新宿で、
家の経済観念にしてはちょっぴり高めのうどん屋さんにて夕食。
一時間くらいで小田急の改札に行った。家族は埼玉だから反対方向なんだけど、見送ってくれた。
サイフの小銭を出していると、目尻がどんどん熱くなってきて、改札をくぐる頃にはもうぼろ泣き。
人いっぱいなのにお母さんに抱きついてわんわん泣いて、そしたら妹も泣いて、お父さんは「早く行け!」
切符を何度も差し直しながら改札をくぐっても、全然涙が止まらなくて、なんとか各停に乗ったけど席で泣きまくり。
隣のおじさんとか周りの人が嫌そうな顔してるから辛くて、我慢してたら隣の女の人が、
「どうしたの?」って声をかけてくれた。
あんまりにも優しい声だったんで再び泣き出し、かいつまんで事情を話したら、
「うん、家族が大切なんだね。でもまた会えるよ、がんばって」って言ってくれた。
ようやく泣き止んで、彼女が三駅後に降りるまでちょっぴり話をした。
人生捨てたモンじゃないと人生で初めて思った日だった。
長文乱文すいません。泣けないかもしれないけど、未だにあたしの一番の励ましです。
369 :
ほんわか名無しさん:2007/09/16(日) 00:58:55 0
>>367 私は社会不安障害でメンクリに通院中なのですが
あなたの気持ち、痛いほどわかります(´Д⊂)
病気は病気であって、自分は自分なんだから
いつかきっと治ると信じています。
ここは笑ってないとダメだとか、周りに心配かけたくないとか
気にしているのは心にあまりよくないそうですよ?
私はいつも「周りが私のこと変に思ってるんじゃないか?」と
被害妄想でしたが、別に誰が何を思ってようとこれが私だと
思うようにしてからは気がラクになって出かけることもできるようになりました。
家族には、自分の弱い部部を見せてもいいと思いますよ。
家族なんだから。
370 :
ほんわか名無しさん:2007/09/18(火) 23:48:17 0
長文苦手ですが、書かせて頂きます。
うちには私が生まれて2年後に貰ったシェルティーのジョンと言う犬が
いました。
ジョンはよく吠える犬で、住宅街に住んでいた私の家に
苦情がくる事も多々あり、悩んだ結果、吠えたら竹刀で叩いたり
吠えると電流が流れる首輪をつけたり今思えば本当に残酷で酷い事をしました
毎日キャンキャンと痛みを訴える声が続き、首輪を外すと首から膿が滲んでいて、
それ以来苦情が来ても叱るだけになりました。
なんて酷い事をしてしまったんだろうと今でも申し訳なくて後悔ばかりです。
次第に年を重ねジョンも酷く吠える事はなくなり、苦情もなくなりました。
そんな事をしても、ジョンは私達家族を好きでいてくれて、
庭に行けばいつでも「遊んで遊んで!!」と飛びついて来るのです。
そんなジョンが本当に大好きでした。
辛い事があればジョンの小屋の前でジョンに話かけながら泣きました。
そんな時でもジョンは私の隣にいつまでも黙って座って居てくれました。
台風の時は爺さんになったジョンの小屋に水が入らないようにビニールシートで
周りを囲い、毛布を小屋に敷いてもジャレついて全部台無しにし、
雨の中で私達の周りではしゃいで居るジョンに呆れたりもしました。
いっぱい遊んでいっぱい追いかけっこしました。
そんなジョンもどんどん弱っていき、白内障で黒々としていた目もどんどん
白くなっていました。
続きます
371 :
ほんわか名無しさん:2007/09/19(水) 00:13:54 0
ある日私が学校から帰るとヨロヨロとした足取りで庭から玄関まで出迎えてくれました。
「ただいま〜」とジョンを撫でると、私のお腹に鼻の頭を押し付け小刻みに震えて居ました。
日に日に転ぶ事も増え、私にはジョンがどんどん目が見えなくなる事を恐がってるように思え、
老いをどうする事も出来ず、恐がってるこの子に何もしてあげられない事が悔しくて
何度も謝り抱きしめて泣きました。
それから間もなくジョンは死にました。
朝私が学校に行った後、父が家を出る時にいつもは行かないのに、何故かその日は
庭に向かったそうです
そしたら小屋の中で眠るように穏やかな顔をして死んでいたそうです。
私がバイトが終った後でそれを聞かされ急いで家に帰ると小さなダンボールの前に
蝋燭と線香が置いてありました。
昔の事、見取ってあげられなかった事、最後の挨拶が出来なかった事、
沢山杭が残り、毎日泣いて過ごしました
ジョンが死んでから一週間後、夢にジョンが出て来ました。
若かった時の一番綺麗な毛艶で、目の前にちょこんと座り、
私は夢の中でも夢だと分かり、挨拶に来てくれたのだと思いました。
言えなかった事や謝りたかった事、沢山の感謝の気持ちを伝えられました。
最後にいっぱい撫でてあげられました。
目が覚めてすぐ親の所へ行き両親と一緒に泣きました。
今でも酷い事をした事は悔やんでも悔やみきれません。
もっともっと一緒に居たかった。
18年間も生きてくれて有難う、私達はいつまでも貴方の事が大好きだよ
長文大変失礼致しました。以上になります。
372 :
ほんわか名無しさん:2007/09/19(水) 00:42:02 0
>>371 ジョンもあなたに飼われて幸せだったろうよ(´・ω・`)。
373 :
ほんわか名無しさん:2007/09/19(水) 13:53:51 O
374 :
ほんわか名無しさん:2007/09/21(金) 22:03:59 0
5
375 :
ほんわか名無しさん:2007/09/23(日) 22:00:09 0
|┃三 _________
|┃ /
|┃ ≡ _、_ < ageに来たぞ!
____.|ミ\___( <_,` ) _ \
|┃=___ \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|┃ ≡ ) 人 \ ガラッ
>>360 >あなたが元気になった時に役立つ時が絶対来ます。
通りすがりですが
この言葉に救われました。
どうもありがとう。
勝手ですが
本当にどうもありがとう。
自称メンヘル&精神病者の自分語りは反吐が出る。他所でやれ。
>>367は自分でいい話だと思ってそうだからしょうがないとしても、
>>369みたいにノコノコしゃしゃり出て来て「私は〜」と始める奴、
一生檻の中にでもいろよ。と思う。自分を自分たらしめる心の問題を
他人に投げた時点で、もうその医者の檻ん中なんだからさ。
発言のすべてが、人の中傷ばかりと言うのは
いかがなものか・・。
日本男子の世界ランクは下から10位くらい。
377みたいな椰子が居たら当然の結果だ罠・・。
人の悪口に終始する人間にロクなのがいない。
企業で新しい事をしようとすると、必ず
こう言う無能なバカが変革を妨害するんだ罠。
書き忘れてた。日本女性が
女性の世界ランク10位に入ってるのが解せないっ・・。
それに引き換え、日本男子は下位10だよ。
377は切腹して謝罪せよ。全部おまいが悪い!
目くそ鼻くそ
382 :
ほんわか名無しさん:2007/09/25(火) 23:07:38 O
>>376 何があったかわかりませんが 役にたてたなら幸いです。こちらこそありがとう。
>>378-380 確かに
>>377さんの意見は きつい意見、あるいは中傷のように感じますね。でも世の中厳しい事もたくさんあります。いろんな人間がいます。
>>377さんの言葉をどうとらえるか、それも個人の自由。ならば 自分の為にもっていける受け取り方をした方がいい。
同じように中傷しあっても同じレベルにいるとゆうこと。どんな事も乗り越えていかなければならないなら、明るく 自分らしい生き方が出来れば幸せではありませんか。
383 :
ほんわか名無しさん:2007/09/26(水) 00:18:54 O
皆さんスレ違いになってますね
384 :
ほんわか名無しさん:2007/09/27(木) 00:29:02 0
295どうしてんだろな・・・
385 :
ほんわか名無しさん:2007/09/27(木) 02:11:31 0
>>384 あの時のレスで余命三ヶ月と書かれていたって事は残り僅か一ヶ月になりませんか・・・?
彼女はあがいているでしょうか・・・。
頑張ってもらいたいものですよね。
何言ってるんだ?
きっと
>>295はここに戻ってくるよ。
俺は信じてる。
>>387 私も信じています。だから頑張ってほしい。
じゃぁ信じて、すぐ身近にいる人に、ほんの少しでも元気を配りながら待とうぜ。
配った元気がいつか巡り巡って
>>295にも届くよ、きっと。
頑張れ!というのも酷だろうけど、
やっぱ、頑張って戻ってきてほしい!!!
個人的に、ここに書き込む人は皆幸せになって欲しいと思ってる。
393 :
ほんわか名無しさん:2007/09/27(木) 23:58:03 O
みんな幸せを求めてこのスレに来てるんでしょうね…。このスレに関わる方みなさんに大きな幸あれ!
394 :
ほんわか名無しさん:2007/09/28(金) 02:22:26 0
なんか、どう言ったら良いか言葉がみつからないけど…。
今日、ここに来て良かった…(`;ω;`)
395 :
ほんわか名無しさん:2007/09/28(金) 02:48:34 0
>>382は、心の大きな人だなぁ…。
>>376じゃないけど、心の奥の深〜い所があったかくなった。
どうもありがとう。
396 :
ほんわか名無しさん:2007/09/28(金) 19:22:50 0
(*´・ω・`)きゅん。
幸せってさ、そんな特別なことじゃなくて、そこらじゅうに転がっててさ。
ただ、気づかないだけなんだと思うんだ。
そこらじゅうに、なんでもないところに、ふっとしたところに幸せがあるって
思い出させてくれるこのスレ、俺は好きだよ。
398 :
ほんわか名無しさん:2007/09/29(土) 02:50:11 O
>>395 ほんとうに心の大きな人とは あなたのように素直な気持ちで人を誉めたり 素直な気持ちを語れる方ではないでしょうか。
わたしの過去の話しをさせていただきます。
わたしは幼いとき 両親が離婚して 父方の祖父母の家にひきとられ育てられました。田舎だったので 都会で育ったわたしとは 周りの話し方から 着る服 はく靴 全てが違いました。
祖母が わたしが小学校にあがる時に みんなが友達になってくれるように 近所の同じ年の子供達に 色鉛筆を買って 初めて学校に行く朝 一緒に集合場所(集団登校のため)に来て一人一人に
399 :
ほんわか名無しさん:2007/09/29(土) 02:51:31 O
「○○の事よろしくね、仲良くしてあげてね、お願いね」と頭を下げて色鉛筆を渡してくれました。
無事学校から帰宅して 家で祖母と 学校楽しかったーなんて話しをしていると 見知らぬおばさんが訪ねて来ました。祖母が訪ねると 今朝 色鉛筆を配った子達のお母さんとの事。
「これ お宅がうちの子に渡したんでしょ?迷惑なんですよ こんな事される理由もないし いりませんから」こんな内容だったと思います。祖母は一生懸命に説明していましたが 理解される事はなく その方は 色鉛筆を置いて帰って行きました。
400 :
ほんわか名無しさん:2007/09/29(土) 02:52:36 O
わたしは 怖い人だな…と隠れ気味で見ていました。祖母はそれに気づいていなかったのでしょう。肩を落として声をこらして泣いていました。
走っていって 「おばあちゃん大丈夫?」と背中をさすりながらのぞきこむと祖母は 「大丈夫だよ、おまえが可哀想で心配で…友達出来るか いじめられないか心配で 涙が勝手に出てきただけだから 心配しなくていいんだよ」
とても悲しくなりました。祖母は毎日「いじめられたりしてないかい?友達は出来たかい?」と わたしの心配ばかりしていました。「うん いじめられてなんかないよ!友達たくさん出来たよ!」
401 :
ほんわか名無しさん:2007/09/29(土) 02:53:37 O
と いつも答えていました。わたしは毎日いじめられていました。「親がいないから悪い子だって かーちゃんがいってたぞ!親なしー!かーちゃんが口聞くなってさ 悪い子がうつるから!あっちいけ!」
誰にも言えませんでした。祖母は 毎日心配して わたしを見ては泣いていたから…。とても言えませんでした。
学校のいじめ、両親に会えないつらさ、祖母のやさしさに、毎晩布団の中で声をころして泣きました。
なんで生まれて来たんだろう。なんでわたしだけこんなにつらい思いをするんだろう…。なんで…なんで…。
402 :
ほんわか名無しさん:2007/09/29(土) 02:54:55 O
そんなある日 学校から帰ると祖母が泣きながらわたしの事を抱きしめて来ました。「ごめんね…ごめんね…」なんだかわたしも悲しくて一緒に泣きました。
どうやら 近所の人が わたしが毎日いじめられている事を 祖母に話したらしいのです。あの時の祖母のつらさは わたしよりもはるかにつらいものだったのでしょうね…。
わたしが成人して 祖母はすっかり年老いてしまい ボケが始まり 毎日同じことばかり聞くようになりました。祖母とは離れて暮らしていたので 毎日電話して 3日おきに手紙も書いていました。
403 :
ほんわか名無しさん:2007/09/29(土) 02:56:06 O
あれは祖母が他界する少し前の事。いつものように電話で話していると 祖母が「○○ちゃんは わたしが産んだ子だったかなぁ?」
「うん、そうだよ、わたしは おばあちゃんの子だよ…。」
「そうだったねぇ。わたしが産んだ子だ」
実の子のように思いつづけて育ててくれていた祖母。最後は本当に祖母の子になれた事、今でも忘れません。あなたの子供で本当に幸せでした。おばあちゃん たくさん愛して育ててくれてほんとうにありがとうございました。
404 :
ほんわか名無しさん:2007/09/29(土) 03:16:31 0
素敵なおばあちゃんだぁ!でもって
>>398も素敵だ。
同じ経験をしても、それを良い方に生かすかグレてしまうのかは
本人次第だものね。
405 :
ほんわか名無しさん:2007/09/30(日) 01:20:26 0
>>398-403さん
あなたのおばあちゃん素敵だ(´Д⊂)
おばあちゃんって、知らないところで気づいてくれるんだよね!!
自分が言わないから親も知らないことまでなぜか全部知ってるよね!
私は、生まれつき天然パーマで同じく集団登校の小学校だったから
朝集合場所に行くと上級生に「パーマをかけて生意気だ」とか言われて
同級生の子にも「パーマがうつる〜」とか「チリチリ頭」と
バカにされて、何かって言うと髪のことでいじめられました。
うちはおばあちゃんが同じ市内に住んでいて、時々うちに
遊びに来てくれていたんですが、ある時また髪のことで
いじめられて帰ってくると、おばあちゃんが遊びに来ていて
うれしくていじめられていたのも忘れてハイテンションになっていました。
すると何故かおばあちゃんが突然
「○○ちゃんの髪はツヤがあって黒くて巻き毛だからおばあちゃんうらやましい!
××(当時高校生の従姉)お姉ちゃんは普通の真っ直ぐの毛だから
わざわざ美容室に行ってお金をかけてパーマをかけるんだよ?
だけど○○ちゃんはお金をかけなくったってキレイな巻き毛。
おばあちゃん○○ちゃんの髪好きよ、おばあちゃん自慢したくなっちゃう」
と言われました。
今思うと誰かに私が髪のことでからかわれているというのを
聞いたのかもしれませんが、なんで知ってるんだろう?と今でも不思議です。
それ以来、自分の髪のことが嫌ではなくなりました。
今は美容室に行くと「デジタル(パーマ)かけてらっしゃいます?」
と言われます。
おばあちゃんが誉めてくれた髪をいつまでも大切にしていきたいです。
せっかくのいい流れの中すいません・・・
406 :
ほんわか名無しさん:2007/09/30(日) 01:25:06 0
覚えてる 曾お祖父ちゃんと 遊んだ日
203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 23:08:37
今日俺が仕事から帰ってくるなり愛娘(4歳)が
「パパおかえりぃ、あのねあのね!」と来たので、
「どうしたどうした。ん?」とデレデレしながら抱き上げると
なんだか照れ笑いしながら
「○○ちゃん(自分の愛称)□□くんとりょうおもいになったから
あしたけっこんするね!パパもけっこんしききてね!」
と言われてしまった。
我ながら馬鹿だとは思うが、夕飯が喉を通らなかった。
パパは許さん(つД`)
204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 11:53:22
いつかは本当にその日がくるんだから、今から覚悟を決めるために出席汁
408 :
ほんわか名無しさん:2007/10/01(月) 01:37:08 O
>>404さん
ありがとう。あなたの言う通り 経験をどういかすかは自分次第。どうとらえて解釈していくか、それは当事者にはかなり難しい事ですよね。
>>405さん
わたしの祖母も天パで 父もわたしも天パですw仲間ですね!特に祖母はあなたのような綺麗な天パで 小さい時 おばあちゃんパーマかけてていいなぁ〜って思ってました。
409 :
ほんわか名無しさん:2007/10/03(水) 19:54:48 O
ほしゅ
410 :
ほんわか名無しさん:2007/10/06(土) 03:28:26 0
私は、祖父母とは、かなり年が離れていたので、二人とも早くに亡くなって
しまった。大人になった今の自分で会ってみたいな。
思い出の中の二人は、ひたすら穏やかで優しくて、思い出すたびウルッとくる。
411 :
ほんわか名無しさん:2007/10/06(土) 11:18:04 O
27歳の俺がここ開く度に号泣。うはwwwww俺キモスwwwwwwwwww
412 :
ほんわか名無しさん:2007/10/06(土) 16:36:58 0
たとえ今は会えなくても、いい思い出のある人は
何もない人より幸せだね
ここにいる方は皆、とても優しいんですね。
通りすがりですが、なんだかとても感動しました。
話を折ることになるかもしれませんが、私の体験談を一つ。
中学一年のとき、わたしは警察に捕まってしまいました。詳しくは言えませんが、
窃盗未遂、不法侵入、刃物所持、器物損壊の四つの罪だったと思います。そのとき
まだ十四歳だったので大事にならず、学校側も隠蔽するような形をとっていて、
私は学校の教師らに事情聴取を毎日のようにされていました。それは我慢できたの
ですが、教師の言葉一つ一つが胸に刺さり、それがきっかけで自殺願望を
持ち始めたのです。いわば、軽いうつ病みたいなものでしょうか。
そのとき、クラスにも死にたいという奴が一人いて、私はそいつと自殺する
ことにしました。ただ、一度本気で死のうとした分、そこにいたるまでの
「生きる」という過程が輝いて見えるようになりました。
すみません、まだ続きます。長文(しかもヘタレ)でほんとにごめんなさい。
迫る死期が私の視野(言い換えるなら世界)を広げ、生きることが幸せに
思えてきました。それまでは気づかなかった、本当に些細な出来事にも
ありがたさや優しさがこめられているのが理解でき、生きることが楽しく
なりました。今、生きてるだけで本当に幸せです。
喜びも、悲しみも、痛みも、涙も、感情のすべてが自分の生きる糧
となることを私はしりました。
……なんか、話がまとまってませんでした。
お目汚しすみません。
ただ、生きてることは幸せだと、そして大切にしていきたいということなので。
いい流れのなか、ごめんなさい。終わりますね
>>413-415 過去の過ちは過ちだけど、結果的にいい経験をしたね。
何の変哲もない平穏な日々がどれだけ貴重か、気づいてない人はたくさんいるよ。
それに君は気づいたんだから、素敵だよね。
これからも、他の人から受け取った優しさを忘れないで
ほんの少しでもまわりに優しさを配れる人を目指して
大切に生きていこうぜ。
417 :
ほんわか名無しさん:2007/10/07(日) 01:16:43 0
とある混雑した蕎麦屋 昼時と言うこともあって席は満席だ。
そこへおじいさんがやってきて、入り口を開け
「すみません、市役所へはどうやって行けばいいんでしょうか?」
と声をかけた。
しかし、今はお昼時、店は大混雑し店員はお店の仕事に大忙し、おじいさんにかまう者はいなかった。
客もある者は聞こえないふりをして、ある者は蕎麦をすすり、ある者は新聞を広げた。
おじいさんが諦めて店を出ようとした瞬間、入り口付近にいた若者が席を立ち
「おじいさん、市役所ならすぐそこですよ。僕が案内しますよ」
そういって、おじいさんとともに店を出た。
その若者の下には、注文した蕎麦が運ばれてきたばかりだったにもかかわらず、だ。
10分後、おじいさんを送っってきた若者が席に戻ると、もう蕎麦は既にかたされていた。
この混雑時に席を外せば当然と言えば当然だ。
・・・しかたなく、若者はもう一度蕎麦を注文をしようとした。
そのとき、
店の親父は何も言わずに、蕎麦をもってきた。 ・・それも二皿。
そして、言った
「兄ちゃんが蕎麦をちっとも食わねぇでいたから、
蕎麦が延びて二皿になっちまったぜ!」
そういう作り話
418 :
ほんわか名無しさん:2007/10/07(日) 02:06:49 0
泣けないけど…
私がある手術を受けて、痛み止めの筋肉注射?麻酔をうつ時の話
(私は記憶にないです)
緊急手術だったのでちょうど手術が終わった時に、
片道1時間かけて彼氏が病院に到着。
初めて会った彼氏に祖母が
「…アナタに会いたいと言って○○(私)が注射打つの嫌がっとんよ」
もちろん彼氏は感激
嬉しくてちょっとホロリときたらしい
…でも私記憶にないんです
注射だいっきらいだから打ちたくない一心で言った気がする。
3歳の時に高熱だして生死の境をさまよった時も
「おしっこいく〜。おしっこ〜」って号泣してたし。
(トイレにいけば注射できないって思ってたw)
深夜に実家から高速はしらせてきてくれたカーチャンありがと
…でも「妊娠かと思った」はシャレにしてはキツイですorz
まだ10代だしねw
感動的な話にしてくれてバーチャンありがとう
…でもぶっちゃけただの盲腸ですからw
419 :
ほんわか名無しさん:2007/10/08(月) 22:28:55 O
ワロタwけど感動
420 :
ほんわか名無しさん:2007/10/09(火) 21:49:13 O
少し前の話。
何かあると親父に怒鳴られてその度にムカっときたり自殺を考えたりしてた。
小さい頃は泣いてばかりで母親に慰めてもらう事しか出来ずに、それを見た親父から更に罵られていた
中学入試で志望校に落ちてからは、毎日が嫌で何でこんなとこに通わないといけないんだろとか思ってた。
事あるごとにその事を言われてさらに自分が嫌になっていた
高校になったある日、親父がいつになく無愛想で無口になっていた。
それから暫くして母親から「健康診断で癌って言われた」と聞かされて内心「やっとお別れか。しかしここにきてまだ俺らに八つ当たりかよ、しつこいな糞が。早く氏ね」なんて考えてた
ところがある日、毎日酒を飲んでた親父が珍しく全く飲まずに、「話がある」と呼ばれた。
「めんどいな」とか思いながら渋々いったら、
「俺ももう長くないから・・・」から始まって、今まで怒鳴ってきた事や罵った事を、俺が忘れてるような事まで一つ一つ思い出して謝ってきた。
途中で聞いてるのが辛くなり、トイレ行くふりしつ涙をぬぐってまた話を聞いていた
何であの時に一言「俺も全然喋らず、無視してごめん。無愛想な態度してきてごめん」と言えなかったんだろう
いつまでもウルサイ、そして頑固な親父でいてくれるんじゃなかったのかよ。
なに勝手に目の前から消えてんだよ・・・
またお盆に会おうぜ。
421 :
ほんわか名無しさん:2007/10/10(水) 20:37:43 O
>>420 やはり血の繋がりとは素晴らしいものですね。
>417
まさかそんなオチが…泣いた
小説家になってくれ。
泣いた俺のために
>420
いい話をありがとう。
全てに感謝して生きようと思いました
423 :
ほんわか名無しさん:2007/10/12(金) 15:19:01 O
あげ
424 :
ほんわか名無しさん:2007/10/13(土) 15:58:51 0
自分のことじゃなくて恐縮ですが、母が中学生の頃の話。
母は父親(私の祖父です)と二人で生活していました。その日暮らし、という
表現がまさにぴったりという貧乏振りだったそうです。
ある日、父親が風邪で寝込みました。それまで一度も倒れたことなどなかったのに、
高熱を出し、あまりに苦しそうな父の様子に、母は物凄く焦ったそうです。
たかが風邪なのに、薬を買うだけのお金がない。考えあぐねた母は、大事に
していた本を古本屋へ持って行きました。その本を買った古本屋へ。
古本屋のおじさんは、おそらく切羽詰った母の表情から何かを感じ取ったのでしょう。
その本を売ったお金で、無事に風邪薬が買えたそうです。
この話が出たのは、アイヌの神さまにまつわるちょっとした雑談がきっかけでした。
「コタンの口笛」っていう、大好きな本があって……という回想から、急に
思い出したのだそうです。
母はもう65、記憶に間違いがなければ、たぶんあの時の古本屋のおじさんと同じくらい。
「あの時はとにかく必死だったけど、あんな本一冊売っただけで薬が買えるわけ
ないのよね……それだけ必死な顔してたのかも」と、呟いておりました。
大げさかもしれないけれど、母を救い祖父を救ってくれた、見も知らぬ古本屋のおじさん。
もしかしたら、今ある家族を救ってくれたかもしれない方へ、心から感謝します。
母が大事にしていたという本をネットで調べて注文しました。
もうじき母の誕生日なので、びっくりさせようと思います。長文、失礼いたしました。
425 :
つとむ:2007/10/13(土) 16:22:21 0
早 く 死 ね
426 :
ほんわか名無しさん:2007/10/13(土) 21:25:12 O
>>424 誕生日にプレゼントしたら 是非また報告して下さい!
427 :
ほんわか名無しさん:2007/10/15(月) 20:23:09 0
428 :
ほんわか名無しさん:2007/10/19(金) 23:13:54 0
保守に来ました
429 :
ほんわか名無しさん:2007/10/20(土) 14:18:06 O
べ、べつに泣いてなんていないんだからね!
430 :
ほんわか名無しさん:2007/10/21(日) 04:52:19 0
泣けるかどうか分からないのですが、個人的にすごいなと思ったので。
私には、5歳になる妹が居て。現在幼稚園にかよっています。
その幼稚園は、田舎にあってすごく人数が少ないのですが、その日は妹とその友達しかいなかったそうです。
二人きりではつまらないだろうと思った先生は、妹と友達を散歩に連れていきました。
その日は雨で、傘をさしながら皆で遊んでいたようです。
その帰り道、友達が急に道端で立ち止まってしまい。先生はどうしたのと聞いても答えず。
友達はその場にじーと座ったままでした。
子供なので、疲れたとかそういう理由だと思うのですが、どんなに言っても友達は動かないでその場に座ったままで。
先生も仕方ないので、友達を置いて妹と一緒に幼稚園に帰ろうとしました。
いちお、先生は目の届く距離で待っていたそうなのですが。
妹も最初は先生の後をついていったのですが、やっぱり友達が気になったらしく、歩くのを止めて
友達の所まで戻っていき
妹「早くしないと帰っちゃうよ」
と言い、もう一度歩き出しました。それでも友達は座ったままで動こうとはせず。
妹はもう一度、友達の所にいき帰ろうと言いました。
振り向いてみると、先生の姿があと少しで見えなくなりそうで、妹は戸惑ったらしいのですが。
それでも友達のことが気になり、何度もウロウロしながら
幼稚園児にとっては少し長い距離を行ったり、来たりして友達を立たせようとしました。
だけど、友達はまったく動こうとせず。妹は友達の傘を持ってあげて、手を引張ってあげたそうです。
よく妹は正義感が強いとは聞いていたのですが、友達思いだったんだなぁと実感しました。
先生からこの話を聞いた時は、普段あんまり可愛いとは思えない妹も、なんだか可愛く感じました。
長文、失礼いたします。
432 :
ほんわか名無しさん:2007/10/23(火) 01:24:38 O
保守
433 :
424:2007/10/24(水) 15:07:45 0
先日、母に件の本をプレゼントしたので、後日談として報告にまいりました。
残念ながら母が以前に持っていたハードカバー(絶版のようです)ではなかったのですが、
非常に喜んでもらえました。
父からはサプライズの花束(花屋さんからの配達。毎年やってます)、姉からは
母の好きな抹茶と葛湯の詰め合わせと、本人いわく充実した誕生日になったそうです。よかった。
本の表紙を懐かしそうに眺めながら、「やっぱりねえ、こんな本一冊に、薬が買える
だけの値段がつくわけないよねえ……」と、しみじみ呟いておりました。
小さな助け合いが大きな未来に繋がるのだと実感した出来事でした。
それでは、名なしに戻ります。お付き合いありがとうございました。
435 :
ほんわか名無しさん:2007/10/24(水) 15:33:19 O
>>433さん
報告してくださってありがとうございます。他人ではありますが、とても気になっていました。このまま空想で終わってしまうのかななぁと思っていたので たいへんおどろきました。
本当に素敵な家族でたいへん羨ましいです。あなた方家族に幸せが続き絶えない事をお祈りします。
ほしゅ
泣けはしないと思うけど…
とりあえず吐かせて下さい。
私は小さい頃から家族にも他人にも、悩みとかそういうものを相談出来ない性質で、
弱いくせに上手く頼れないっていうか…可愛くない奴だったんです。
というより、疎外感を感じてた気がします。
とくに家族の中で、私は一人、頭脳も人間としても出来が悪かったから。
だから何でも一人で抱え込んで、潰れる寸前までいく事が結構ありました。
大学生の頃、一人暮らしをしていたのですが、恋人との事で精神不安定になり、
体調不良が続いて大学にもあまり行けなくなって、それでも家族には変な心配をかけたくないと、
母からの電話では「元気にやってる」としか言わなかった。
このままでは卒業出来ないと思い、病院にも通いながら少しずつ大学に顔を出すように頑張っていた矢先、
信頼していた先生から裏切りを受け、絶対に他人に話さないと約束していた筈の私の過去を大勢の前で暴露され、
それが二度も続き、しかもその内容は決して軽いものではなく、
私からすれば一生の問題というか、とても重い内容の事だったのです。
信頼していた先生が何故そんな事をするのか解らず、今後どういう顔をして先生と会えばいいのか解らなくなり、
また体調も崩れ、人間不信になり、再び大学に行けなくなりました。
それでも、母や姉もその先生の事は知っていて、心から信頼していたので、
こんな事があったなんて話す事も出来ず、電話で毎回のように「何かあったら先生に相談するのよ?」
という母の言葉を胃の痛む思いで聞いていました。
それもどんどん耐えられなくなり、何処にも逃げ場が無くなって、恥ずかしながら自殺未遂をしました。
病院で貰っていた睡眠薬を大量に飲んで眠りました。
でも気持ち悪くなって気がついて、尋常じゃない吐き気に長時間襲われ、何度も何度も吐きました。
全身の毛穴から汗が吹き出てくるのが解りました。
とても苦しいのに、そんな時でさえ、誰にも助けを求める事は出来ず、
死ねなかった悔しさもあって、涙があふれました。
その時、結局私は一人なんだと思いました。
そんな事をしていたら、やはり大学での欠席が親に連絡がいき、バレてしまいました。
まぁ最初からいつかはバレると解ってはいたのですが。
それで結局私は実家に帰る事になりました。
実家に帰ってからワケを追求され、仕方なく今までの事を大まかに話しました。
その時は「そういう事は言いなさい」と、それだけでした。
ただ、体調の事もあるので、病院で私がどういう状態なのか、先生から話を聞きたいと言われ
あまり気乗りはしなかったのですが、母を病院に連れて行きました。
先生から私に何があったのか改めて聞いたようで、「まぁ…仕方ないね…」と呟いていました。
昔は人の意見なんて聞いてもくれなかったし、型にはまった考えしか持っていないような
頭の堅い人間だった母ですが、その時、母なりに私を理解しようとしてくれているのだと気付きました。
ただ、その後実家に戻った私を、家族の誰もが傷物に触るような感じで、気を遣っているのが解り、
それがとても息苦しくて泣きそうになりましたが…。
それでも、裏を返せば家族が私を心配してくれているのだと、自分も理解出来るようになりました。
そして数日前、話の流れでサラリとですが、実は中学生の頃、部活の顧問の先生から虐めのようなものを
受けていた事を母に話すと、「何で言ってくれなかったの!そういう事は言っていいんだよ?」と、
少し悲しそうな顔で母は言いました。
その時、あぁ‥私一人じゃなかったんだ…ちゃんと娘として愛されてたんだ…って、
やっと本当に気付けた気がしました。
私はただ、自分から一人になってたんだって。
人前で泣くのは大嫌いですが、その時は本当に涙が出ました。
今も私の過去は辛く、決して忘れられないし、忘れろという方が無理だから
重くて辛くて、死にたいとか思ってしまう時も正直あるけど、
それでも自殺だけは止めようと思えるようになりました。
自分がどんな事になっても、無条件で愛を注いでくれる存在があるんだ、と。
こんな自分でも死んだらきっと悲しんでくれる人が居るんだ、と。
それが解ったから。
家族の為に、私は頑張って生きる努力をしていこうと思います。
>>438 死ななくて良かった。
家族の愛に気づけたんだね。
がんばり過ぎなくてもいいから、楽しみを探しながら生きていこうぜ!
440 :
ほんわか名無しさん:2007/10/26(金) 10:27:30 O
>>437-
>>438 とても胸が苦しくなりました。今の世の中 自殺してしまう人たくさんいますね。いつも『なんで親に相談しないんだろう…死ぬ必要なんてないのに』と くやしい気持ちになっていました。
悩んでいる方の気持ちを 聞く機会なんて そうないので そういう気持ちを聞けて良かったと思います。
結果的に 自分自身で自分を変える事が出来て 少しでも悩みを話せるようになった あなたは とてもすごいし 本当に良かったと思いますし なによりも家族の方が喜んでいるような気がします。
世の中 一人で悩んでいる人達に一人でも多く読んでいただきたいと思いました。頑張っている人に頑張れと言うのは酷ですが お互い頑張って生きていきたいですね。
いい話をありがとう。
441 :
ほんわか名無しさん:
何という良スレ