見えない
2 :
ほんわか名無しさん:2006/08/10(木) 11:05:04 0
3 :
ほんわか名無しさん:2006/08/10(木) 11:05:05 O
空気が読めない
4 :
ほんわか名無しさん:2006/08/10(木) 11:06:27 O
とりあえず荒らす
5 :
ほんわか名無しさん:2006/08/10(木) 11:08:33 O
糞スレしか立てられないw
構ってちゃん
F 。
終了
8 :
ほんわか名無しさん:2006/08/13(日) 09:25:07 0
ぴ
あはは
童貞
第二章 女性とその風貌、風習について
P50 33
ヨーロッパでは親族一人が誘拐されても一門全部が死の危険に身をさらす。
日本では父、母、兄弟がそのことを隠し立てして、軽く過ごしてしまう。
P50 36
ヨーロッパでは、男女とも近親者同志の情愛が非常に深い。
日本ではそれが極めて薄く、互いに見知らぬもののように振舞い合う。
第三章 児童およびその風俗について
P68 20
われわれの間では子供は度重ねて親戚の家に行き、彼らと親しく交わる。
日本では親戚の家には滅多に行かない。
親戚を他人のように扱う。
P90- 婚姻革命
世帯規模の縮小はどのようにして大きな人口成長に結びついたのだろうか。
この点については、合志郡と同じく細川氏の領有する肥後国玉名郡八ヵ村の、
世帯内の地位別配偶関係が手がかりを与えてくれる。
この史料によると、隷属農民の人口学的特徴は、
血縁親族と比べて明らかにその有配偶率が著しく低かったことである。
この点に関しては傍系親族も、家を継ぐ位置にいない直系親族(次・三男など)も同様で、
人口再生産を担ったのはもっぱら直系親族だった。
年齢別有配偶率を見ると隷属農民と傍系親族の多くは晩婚であり、
あるいは生涯を独身で過ごす者が多かった。
したがって、この人々が自立ないし消滅して減少することは、社会全体の有配偶率を高め、
その結果として出生率の上昇に結びつく。
世帯規模の縮小が進んだ十六・十七世紀は婚姻革命の時代でもあった。
こうしてだれもが生涯に一度は結婚するのが当たり前という生涯独身率の低い「皆婚社会」が成立したのである。
P91 小農民の自立
右に述べた世帯の変化は、いわゆる小農民自立と呼ばれる現象の一面にほかならない。
人口成長は、隷属農民の労働力に依存する名主経営が解体して、
家族労働力を主体とする小農経営へと移行する農業経営組織の変化と結びついていた。
しばしば、太閤検地の歴史的意義は一地一作人制を推し進めて、小農民の自立をめざす政策だったと言われてきた。
たしかに小農民自立の現象は十六・十七世紀の経済史を最も鮮やかに彩っている。
歴史的因果関連は、しかしその反対であったろう。
畿内に始まりその周辺地帯へと及びつつあった経営組織の変化を敏感にとらえ、
小農経営を政治・経済の基盤にすえることに成功したのが、豊臣秀吉であり徳川家康であったと言うべきなのである。
両人ともにその出身が尾張、三河という、まさに変化の最前線にあったことは、
小農民経営に基礎を置く社会の建設を当然のこととして選ばせたのだった。
P92- 経済社会化
名主経営を解体させ、小農経営を中心的な経営体とするような変化は、十四・十五世紀に芽生え、
その後十六・十七世紀に成長する市場経済の拡大によってもたらされたと考えられている。
前章でみたように、荘園制下の経済において、荘園領主の所領の管理運営に対する意欲と力は次第に衰え、
自分の消費生活を満足させるにたる荘園年貢の確保にのみ関心が向けられるようになっていた。
年貢はもっぱら現物か賦役であり、直接、領主によって消費されてしまう性質のものだった。
そのような環境のもとでは、農民の生産目的は貢納と自給に限定されるから、生産意欲を刺激する誘因は乏しかった。
強制と慣習に従う農業生産は効率的である必要はなく、したがって経営形態には、
多数の隷属農民をかかえた名主経営から小規模な家族経営までさまざまなものが共存できた。
換言すれば荘園制下の経済には一定の生産関数が存在しておらず、より多くの収穫を引き出すために
規模の最適化を図る行動が見られなかったということである(速水融『日本における経済社会の展開』)。
市場経済の勃興は、荘園年貢の代銭納化の進展にみることができる。
米、布、炭、材木等々の現物で貢納する代わりに貨幣(銭)で納めさせる荘園は、
十三世紀頃から目につくようになり、十四世紀になるとその数はかなり増加した。
それとともに各地に荘園内市場が簇生するようになった。
二つの現象は相補いながら進行し、停滞的であった荘園制的経済循環構造は次第に変化し始めた。
貨幣との接触は市場における交換を通じて利得の機会をもたらす。
初めは荘園役人や在地領主など一部の人々に限定されていた貨幣との接触が、
一般農民にも及ぶようになると、それは生産に対する大きな刺激となった。
畿内の中心的都市のほかに、城下町、寺内町、港町などの都市的集落が増加し成長すると、
その消費需要をめあてに、利潤獲得をめざす販売が農民の生産目的に加わった。
生産量の拡大や生産効率の上昇を図るためにさまざまな努力が試みられ、
農民はよりよい生産方法を求めて選択的に行動するようになった。
経営形態の変化も、そのような対応の一つであった。
衣食住などの費用がかさむうえに、勤勉な労働が期待できない隷属農民に依存することは、
経済環境の変化に対応するには不適当だったのである。
おもしろいことに小農自立が進んだ時代には、人口一人あたりの農耕用役畜の数も少なくなっていった。
この現象もまた、融通の利かない牛馬の労働に依存するよりも、
惜しみない労働を家族労働に期待する方が水稲耕作にとっては有利であるという計算の結果であった。
人々がこのように経済合理性を重視した行動をとるような社会へ変化していくことを速水融は、経済社会化と呼んでいる。
これこそ、人口成長の第三の波をひき起こした原動力であった。
P105- マルサスの罠
日本の人口が著しい停滞状態にあったちょうどその頃、イングランドのひとりの経済学者が、
現在でも強い影響力を持ちつづけている『人口論』を著した。
マルサス(T.R.Malthus)である。
マルサスは両性間の情熱は不変であり常に増加する傾向をもつが、
人間の生存にとって不可欠な生存資料(食糧)の増加はそれより緩慢でしかない。
あるいは限界生産力は逓減的であるから、人口増加につれて必然的に生活水準は低下し貧困に陥らざるをえないと考えた。
しかしそれ以下では生存できない最低限の水準、すなわち最低生存費水準というものがあるから、
これを超えて人口は増加しつづけることはできない。
したがって最低生存費水準に至ると、貧困が疾病、飢餓、捨て子、嬰児殺し、堕胎、犯罪、
あるいは戦争を招き、死亡率を高めて人口増加を「むりやり」押しとどめることになる。
こうして、長期的には最低生存費水準に均衡する出生率と死亡率の組み合わせが達成されて、
人口は増えも減りもしない状態になるとマルサスは説明する。
これが「マルサス的均衡の状態」あるいは「マルサスの罠」と呼ばれる均衡状態である。
マルサスの罠に捉えられた社会では、所得はすべて人口を維持するだけのために消費されてしまい、貯蓄=投資の余裕はない。
したがって、いつまでも所得水準が最低生存水準に固定されたままにとどまらざるをえないことになってしまう。
たとえ耕地拡大や技術変化が一人あたり所得を一時的に押し上げたとしても、
このような傾向をもつ社会では、すぐに人口増加がひき起こされて生産増大の高価は相殺されてしまうであろう。
工業化される前の低開発社会の状態は、一般に右のように説明されている。
第二章 女性とその風貌、風習について
P50- 38
ヨーロッパでは、生まれる児を堕胎することはあるにはあるが、滅多にない。
日本ではきわめて普通のことで、二十回も堕した女性があるほどである。
当時の言葉で堕胎のことを「産み流す」といった。
堕胎が頻繁におこなわれていたことは宣教師の報告にもしばしば記されている。
コリャードの『懺悔録』にも「腹を捻って」あるいは「薬を用いて」堕した例が見えている。
P51 39
ヨーロッパでは嬰児が生まれてから殺されるということは滅多に、というよりほとんど全くない。
日本の女性は、育てていくことができないと思うと、みんな喉の上に足をのせて殺してしまう。
ひとりぼっち
タンザニアの六〇歳台の女性は言う。
「七人の子供たちがエイズで死んだから、生活に困っているよ。
年取ったときに面倒を見てくれると思っていた人間が先に死んじゃったら、誰に頼ればいいの?」
南および東アフリカの一部地域では、エイズが原因で、若年成人の人口が激減している。
高齢の女性が、残された孤児の世話をしているが、この子供たちも一部はHIV感染者である。
これは自然の秩序に反している。
「自分の子供が死ぬのを見る以上につらいことはないわ。大事に育ててきたのに。
子供を育てたのは何のためだったの。無事に育て上げたら、年をとったとき面倒を見てもらえるはずだったのに」。
貧困と人口をめぐる議論のほとんどは、豊かな国々での事実を無視している。
人々に子供の人数を制限させるのは「教育」でも「産児制限」でもなく、もちろん「自己抑制」でもない。
それは安全なのだ。年をとったときに面倒を見てもらえることがわかると、一家の子供数は少なくなる。
これが西の世界で起こっていることである。貧しい人々にとって、子供は、将来欠乏から逃れられることを意味する。
安全こそ人々が欲しているものであり、避妊薬や避妊手術、性的禁欲に関する助言ではない。
タンザニア、マラウィ、南アフリカの村々は、人生を全うできなかった人たちの亡霊でいっぱいである。
土饅頭は、避けられたはずの病気で死んだ子供たちだけの墓ではない。
働き盛りで死んだ大人たち、生命を永らえるための薬を供給しなかったグローバル・マーケットの犠牲者の墓もたくさんある。
世界のほとんどの人たちにとって、貧困に対抗するための唯一の資源は、
生活保護支給金という「セーフティ・ネット」ではなく血肉のネットワーク、つまり親類や家族である。
これらのものだけが、人々に住まい、食べ物、病人や老人の介護といった保護を提供するのである。
「開発」は、人々が生活手段を求めて移動することによる都市化、移民、家族の崩壊を通じて、こうした関係を蝕む。
南の国々は、大きな、かつて行われたことのない実験の実験場となっている。
それは、安全の古い形式が崩壊し、政府が財政的にこれに代わるものを用意できない場合、何が起こるか、という実験である。
2章 「お前は自分のことしか考えていない」 P215−
九九年、南部アフリカのザンビア北部の貧しい農村を訪ねたとき、ベンバ族の初老の女性が収穫の少なさを嘆いていた。
焼畑を続けてきたが土地がやせ、トウモロコシの育ちが悪いのだ。
村は飢餓とまでは言えないが、慢性的な食糧不足が続いていた。
そんな村にときどき、欧州や国連世界食糧計画の援助が届く。
それも運が良ければの話で、首都や運搬途上で役人らが抜き取り、時間をおいて援助食糧が市場に並ぶこともよくある。
しばらく話し込んだところで女性はこんなことを言った。
「はっきり言って、食糧はもらいたくないんです。届いたときはみな喜び、何日間かは思いっきり食べますけど。
なくなったとき、とても、空しい気持ちになるんです。
私たちはこんなに働いて、トウモロコシをつくっても、結局、ただでもらったほどのものをつくれない。
だから、もらうのなら、まだ肥料をもらった方がいい。
乏しい収穫を前に、これをどうやって分けて、どうやって食べていこうかと思っているときに、
ただの食糧が来ると、もう働く気がしなくなるのです」
夫を早くに失ったごく普通の農家の女性の言葉だ。
私はその女性が援助をかなり冷めた目で見ていることに、感銘をおぼえた。
彼女と同じベンバ族の七十四歳の族長、ワマリンバ・ヌクラ氏の言葉はもっと辛らつだった。
「正直言って、ここの農民はもう終末を迎えています。楽観できることなど何もありません。
この国には銅があるから誰も農業のことなど考えなかった。
肥料や援助金は政治家や官僚の私腹を肥やしただけです。
政府の農業官僚は一度もここに来ない。
国際機関から援助金を貰うため、海外に行っては、あれこれ嘘をつくが、農民のことなど何も考えていない。
我々はまあ、外国の援助団体を相手に物乞いをしているようなものです」
「村人の多くはまだ気づいていません。無知なる者は幸せなのです。
明日を思い煩っても、かなり先の未来のことを考えませんからね。
でも、木はなくなり土地は死に、もうこの村は取り返しがつかないのです」
そんな状況でも、族長は、「ただ、食糧をばらまくだけの援助などいらない」と語った。
P48-
貧困に関するさまざまな考えが、いかに限りない経済成長を、そして際限のない欲求を前提としているか。
絶対的貧困と相対的貧困――開発の植民地主義、充足の植民地化、富の貧困。
村の家族が貧乏なのは子供が多すぎるからだ、と人口問題の専門家は批判する。
母親は腹立たしげに一二人の子供を小屋の外に並べ、彼に向かって言う。
「この子たちを見てちょうだい。いったい、どの子とどの子がいなければよかったっていうの」。
貧困は定義を必要としないと思われるかもしれない。
誰もが、毎日のように世界中のテレビ画面に現れる「貧しい人々」を目にしている。
中央アフリカの戦闘地域を逃れた、あるいは東南アジアのサイクロンの被害を受けた、
またはジンバブエやエチオピアの旱魃地帯で暮らす、やせ衰えて疲れきった子供たちや老人の映像に
見覚えのない人がいるだろうか。栄養失調で膨らんだお腹と退色した髪の毛、骸骨のような姿で
だるそうに横たわる人たちの目のあたりにハエが群がっている映像である。
これは、何も持たない人々、生きていくための基本的な資源の欠如のために、
その生命が絶えず脅かされている人たちの「絶対的貧困」である。
貧困はわれわれの顔を覗き込む。ある意味で、貧困はわれわれすべてに常に連れ添っている。
貧困の存在、あるいはむしろその存在の象徴は、さまざまな目的のために利用されている。
物にあふれた世界での欠乏に心を揺り動かされたせいであれ、悪霊を追い払うという迷信のためであれ、
貧困を目にした人々は慈善行為へと向かう。
だが、善意はせいぜい最悪の事例に歯止めをかけ、大災害に遭った人たちに一時的な慰めを与えるにすぎない。
生きるか死ぬかの瀬戸際にある人間の姿は、恐ろしい警告という意味ももつ。
人々は言う。「見てごらん、一生懸命働かないと、どんな目にあうか」。
彼らは抑止力である。
貧困者のたどる運命を知らない者はいない。これが人々を経済的努力へと駆り立てる。
とりわけ、われわれと最も貧しい人たちの状況との違いが、
自分の手で働くことと自分の頭で創意工夫することだけという場合はそうである。
この種の貧困は援助団体や政府、国際金融機関の関与の対象である。
地球上で最も力を持つ人たちの決断があれば、こうした過酷な窮乏はすぐさま解消し、
こういった光景は世界から姿を消すはずである。
それがいまだ実現していないというのは、この時代の不思議の一つである。
富裕な者たちがこれほど貧困の削減に努めているのに、どうしてこのような悲惨さが続いているのだろうか。
貧しい人々の維持
貧困の軽減がすべての政治家、国際機関、援助供与者、慈善事業の主要な目標であるということは、今では常識となっている。
だが、彼らの熱意は、貧しい人々を維持しようという点に向けられているのである。
あらゆる歴史的記念物と同様、「貧困者保存協会」があるにちがいない。
しかし、それはグローバル経済の構造そのものに書き込まれているがゆえに、特別な措置を必要としないのである。
個々の貧困者が死ぬ可能性はいくらでもあるが、貧困が根絶する可能性は皆無である。
貧困線
イギリスでは、貧困線は中位の所得の六〇パーセントに設定されている。
金持ちがより豊かになるにつれ、中央値も上昇し、外見上、より多数の人間が貧しくなった。
この定義は、貧困が永遠に続くことを保証するものである。
それは、貧困が不断の成長というモデルに組み込まれていることを是認している。
したがって、貧しい人たちを食い者にしている人間たちが生活手段を失う見通しは全くない。
貧しい人たちは、ただ経済の浮力、豊かさの上潮によって引き上げられるのを待つだけの、不活性の塊として扱われている。
彼らは、少なくとも社会主義の死が公式に宣言された以上、自分たち自身の解放者にはなれないだろう。
彼らは開発の対象なのである。
貧しい人々が集団で行動すると、すぐさま結託して「暴徒」となり、石や爆弾を投げたりして、社会秩序を攪乱するとされる。
彼らが存在を認められるのは、他の人たちの、もちろん金持ちの人たちの、気高い行為の対象となるときだけなのである。
貧しい人たちは自己主張しない。国内の貧困者も世界の貧困者も、消音ボタンを押されている。
サイクロンで家が破壊されたとか、内戦、環境破壊などで大きな被害を受けた後、苦痛にゆがんだ顔、
飢餓で膨れた腹などを哀れんで、救援の手が差し伸べられる。
こうしたイメージは何も語ってはいない。
CNNやBBCのコメンテーターは、いつでもこう語る用意ができている。
「これらの人々はすべてを失いました」「これらの人々には行くところがありません」
「これらの人々は生きるか死ぬかの崖っぷちに立たされています」
「これらの人々」。貧困によって口を閉ざされ、無言になった彼らは、沈黙の誓いを強いられてきたのだ。
なぜなら、もちろん、言うべきことがないからだ。
こういった人々は、どんな話をするだろうか、すべきだろうか。
金持ちの代弁者が腹話術的に貧困の説明をするのには、もっともな理由がある。
貧しい人たちの声が求めるのは、安全、充足、必要なものや次の世代を育てるだけの空間が手に入ることだけである。
贅沢な暮らしを望んでいるのではなく、平和に、生活に困らないで暮らしたいのである。
そして、これらのものこそ、彼らが手にできないものである。
富の創造の原動力は、なによりも不安定性、無限に満足や経済成長を追い求めることにある。
みすぼらしい空腹な懇願する人たちというイメージは、企業家や野心家、働き者や富の創造の信奉者に対し、
経済的能力を発揮してより大きな成果を挙げるように刺激する働きをしている。
貧困のイメージがなければ、われわれにのしかかるストレスや暴力、残虐行為を誰が甘受するだろうか。
落ちぶれて、時に容赦なく「持たざる者」といわれる人たちの仲間になることへの恐怖感が、
われわれを押しとどめているのである。
貧困は、遺伝学的に決定されている病気のように「不治」だということはない。
これは、グローバルなメディアの支離滅裂な合奏で自分たちの声をかき消された貧しい人たちの慎み深い主張である。
彼らは実際、金持ちにとって危険な存在である。
しかし、彼らがそうだと説明されてきたようにではない。
彼らが猿ぐつわをはめられるべきだと決められたのは、彼らの願望の単純さゆえであった。
彼らの必要とするものは容易に手に入るのに、剥奪されたままでいなければならなかったのは、
全くイデオロギー的な理由からであり、欠乏とは何の関係もなかった。
貧しい人たちを引き上げるために必要なのは、より大きな経済成長ではなく、
富を構成するものと、それが生み出す貧困のより厳密な評価である。
そのためには、貧困緩和に懸命に取り組むふりをするという、
盛んに行われている狡猾な活動以上のものが要求される。
|Д';)す、凄い長文だ!
P34-
アジアやアフリカの多くの文化に共通する民話には、金持ちになろうという知恵に疑問をさしはさむものがある。
例えば、こうである。
漁師が木陰で昼寝しているところに旅人が通りかかった。
旅人は眠っている男を起こし、なぜ魚を捕まえないのかと尋ねた。
「家族の夕食に、もう二匹捕まえたよ」
「もっと大きい網で、もっと長い時間漁をすれば、一〇匹は捕まえられるのに」
と見知らぬ男は言った。
「でも、二匹しか要らないのに、一〇匹も捕まえてどうするんだ」
「売ればいいだろう。毎日同じようにすれば、舟を買うお金が貯まるよ」
「それで、どうするんだ」
「もっとたくさん、魚を捕まえるのさ。人を雇って、もっと魚を捕らせることもできる。金持ちになれるよ」
「金を持って、どうするんだ」
「楽しい毎日が過ごせるさ。くつろいで、楽しく木陰で寝ることができるだろう」
「今やっているみたいに?」
と漁師は聞いた。
貧困について学ぶ必要があるのは誰か。地球上のほとんどの人間は、貧困になじみがある。
多くの人たちは、再び貧乏に捕まるのではないかと恐れているし、他の人たちは貧困からできるだけ遠くへ逃げてきた。
さまざまな統計が出されている。援助団体、国際機関、人道組織が啓蒙活動をしている。
これらの事実がなぜ、世界で拡大しつつある不公正にほとんど影響を与えないでいるのか
不平等
貧困を考察するには、他の方法もある。その一つは、国家間および国内の不平等の増加を見ていくことである。
貧困と不平等とをはっきりと区別することが重要である。
貧困は絶対的窮乏の状態(生きるためになくてはならない必需品の欠如)を示すのに対し、
不平等は社会的不公正の指標である。
不平等が増大する一方で、貧困は減少しているかもしれない。
どのような方法で考察するにせよ、社会的不公正が増大し続けるかぎり、極貧は存続する。
このことは、貧困をめぐる議論に強い影響を与える。
というのは、グローバリゼーションが体現している改善のモデルは
「金持ちが今よりはるかに金持ちになったときにのみ、貧乏人は少しだけ貧乏でなくなる」
というものだからである。
P24-
貧困と不平等
貧困は、どんな場合でも、社会的公正と容易に切り離すことはできない。
才能をもった人間が報いられる「実力主義」の社会について語るのはいいが、それが取り残された人々、
サッカー選手なみの賃金や多大な報酬を期待できるだけの才能がない人たちにもたらす結果は悲惨である。
実力で成功した人たが取り残された人たちに示す「同情」は、彼らを満足させることはないだろう。
アメリカの社会学者リチャード・セネットは、機会と同情との結びつきは不幸な結婚だと語っている。
フランクリン・デラノ・ルーズベルトのニューディール政策以来、
アメリカ政府は有能な貧困者に教育と仕事を与えようと努めてきた。
実力に報いようという情熱は、ドライなレーガン大統領時代にさえ維持されてきた。
この戦略はおおむね成功してきた。才能ある若者でいい仕事や奨学金をもらえない人間はほとんどいない。
福祉国家は黒人のプチ・ブルを生み出す手助けをしてきた。
だが、この『エリート優遇戦略』により、持てる者と持たざる者との間のギャップは広がるばかりだった。
社会学者〔クリストファー・ジェンクス〕が『普通の恵まれない人々』と呼ぶ人々は、過去四〇年の間に生活水準を下げてきた。
社会的流動性を重視したことが、これら取り残された人たちへの温情ある配慮を弱めてきた。
合衆国とイギリスの生活から貧困者が(象徴的な数字上は別として)「消失」したのは、おそらく、こうした動きのためだった。
P92-
イデオロギー上のライバルの著しい欠陥のせいで表面化しないでいた資本主義モデルの不備が、今や明らかになってきている。
西側が世界と共有しているのは、その富ではなく、富を創造する力にまつわる謎である。
彼らが発するメッセージは、ある部分が削除されている。
それは最も重要な部分、つまり、西側が豊かになったのは、
いま西側の足跡を追うよう勧告されているまさにその地域からの搾取によるということなのである。
実に、「開発」の最大の秘密は、それが植民地主義的概念であり、搾取のプロジェクトだということである。
ほとんどの国は、富を搾り出す植民地を持っていないから、
自分の国の国民や環境に、耐えがたいほどの圧力を掛けなくてはならない。
少数者の権利は踏みにじられ、森で生活する人々や自給自作農の資源基盤は外貨獲得のために略奪され、
貧しい人々の労働は最安値で売られ、部族や先住民の先祖伝来の土地に植民者が入ってくると、「過剰人口」は移動させられる。
限界のある世界での無限の経済的拡大のシステム、これが開発のイデオロギーである。
それが実現可能でないのは、社会主義の統制によって阻害されていた頃も現在も同じである。
市場文化はおそらく、その宝を略奪された人々のところにまで広がっていくだろう。
その場合、文化は伝播の過程で変化する。
貧しい人々が期待できるのは貧困からの救済ではなく消費主義であり、安全ではなく経済成長であり、
安全な水ではなくコカ・コーラ、適切な栄養の代わりにジャンクフード、教育の代わりに商業主義的な知識、
古くからの文化の代用品として巨大娯楽企業の製品が届けられるだろう。
社会主義の魅力に代わるものとして、過去の時代に考え出されたこの種の「開発」に彼らがあとどのくらい我慢できるだろうか。
この問題は、屈辱を受けた者、排除された者たちの一部によって、すでに答が出されつつある。
1 目に見えない貧困
豊かな社会では、貧しい人々は目に見えない存在になっている。
彼らが占める場所に、金持ちが踏み込んでくることはない。
グローバルな通信複合企業が好んで描く進歩の壮大なドラマで、
貧しい人々は通行人の役を与えられているにすぎない。
国際ニュースの中で貧しい人たちが取り上げられるのは、主にこけおどしやチャリティの呼び物としてである。
欧米諸国は、自分たちの国の貧しい人々に消失の手品をかけている。
今や、人目を引く犯罪、暴動、人種問題がからんだ騒動、ドラッグ売人宅への警察の手入れ、
サッカーのフーリガンといった形で噴出しない限り、貧しい人々は統計上だけの存在となっている。
彼らは、繁栄し、忙しく、上り調子である社会の主流からは排除されているのである。
欧米の貧しい人々は民主主義の死せる魂である。
彼らは非参与者、落ちこぼれ、消えた者たちであり、選挙人名簿や公式のリストから漏れている。
夜逃げした人間、痕跡も残さず去る短期滞在者であり、世間から拒絶された年寄り、
つまり真夏にカーテンを閉めた部屋の中、かごの中でさえずっている鳥の脇で、
午後のテレビを付けっぱなしのまま居眠りしている老人である。
死せる魂は市場の落伍者、数に入れられない存在であり、宝くじを買ったり、本のパズルを解いたり、
カフェの合成樹脂のテーブルに広げたタブロイド紙の漫画を読んだりして時間をつぶしている。
死せる魂はばくち打ち、生き残りであり、闇経済の経済的影、最終収益の確保に失敗して絶望した者たちである。
隠れた欲望にサービスする人間、欠乏の文化が誘発する不道徳な欲求に奉仕するダンサー、
未成年者の売春や不法映画の供給者、すでにあまりに頻繁に変化してきた精神をさらに変える薬物の密売人である。
同年輩とはそれこそ大人と子供ぐらい開きがあるし、
同程度の不遇を託ってる人間同士でもコミュニケーション不全で
社会生活を送るのに必要な良好な人間関係を自然に維持発展させるなども考えられない。
それに必要な機会を徹底してスポイルされただけの生育歴だし、
低学歴も所詮自己責任だから仕方がない。
終わるべくして終わったというだけ。
他人から言動の節々について否定的に評価され全てを阻害される抑圧・隷従の最低の対人関係しか想像できない。
どこへ行くにも独りで、何をするにも独り。進歩がない。
寄って来るのは独りでいることを好奇な目で観察対象にする消費社会にほどよく適応した普通人
(観察した成果を世間話のネタにでもするのだろう)とか、カルトとかの胡散臭い連中。
自分からは他人に話すべき言葉がない。
恋愛至上主義とか個人主義の適当に高消費な文化的生活様式などの本来が中産階級から上層の話を、
低学歴な下級労働者、低所得な下層階級にまで一律に現代人に当然あるべきものとして情報をばら撒き、
他方で「勝ち組・負け組」、「格差社会」云々と市場分断を煽動するメディアの醸成する消費社会で
主流社会的若年層、都市生活者等との身も蓋もない格差に接する機会に溢れたその娑婆の空気に中てられ、
持たざる者は存在するだけで害悪とでもいう窒息状態でこの世の全てから阻害されているかのような心象。
死せる魂はさまざまな区域に存在する。
風の強い公営団地に住み、チャリティショップで手に入れた衣服を着た人たち、
野犬や洟をたらした子供たちに踏み潰された草、折れた若木、放置された乳母車や路上に散乱するビニール袋、
高層建築〔スラム化した民営アパート〕で暮らし、施しや給付金に行列する見下された人たち。
これらの人々は、体裁を気にする社会の不用品、歴史から削除された者たちである。
野宿する者、深夜、飲み物の配給車に引き寄せられるぼろを着た不眠症患者たち。
さらに、目に見えない存在として、家に引きこもった人たち、おびえた広場恐怖症患者、認知症患者たちがいる。
ドアの向こうで内部の恐怖に対してバリケードを築いて、
弱くて孤独な人間たちが自分の頭の中にこだまする声だけを聞いて暮らしている。
これらの人目に触れないで正気と狂気の瀬戸際で生活している人たちは、ある役目を果たしている。
彼らの低賃金で表に出ない労働が賃金を安く保っているし、彼らのみすぼらしい貧困は、
あんな風にはなるまいと他の人たちに思わせるための悲惨な警告、実例として利用されているのである。
P77- 暴政
これは暴政である。
世界中の人々が自分たちの規則に従って生活するのだと決めた権力者たちがこれを「自由」と呼ぶのは、そのためである。
他の選択肢を断つということは、暴力であると同時に不寛容である。
グローバリゼーションは、イデオロギーで作られたものである。
理論としてのイデオロギーではなく、過酷で融通の利かない実践におけるイデオロギーである。
「○○のための市場はない」
――「○○」がある商品やサービスを意味するにせよ、同情、知恵、自己犠牲あるいは何らかの芸術的表現を意味するにせよ――
と言うのは、生き生きとした人間の経験の領域を沈黙と非存在へと追いやることである。
世界市場の支配を確立しようという闘いは、貧しい人々に対する攻撃であるだけではない。
それは、その人の生き方や必要物を手に入れるための戦略、つまりその人の独立性が、
グローバルな市場がもたらす富裕化とは窮乏化であることを暴露することになるようなすべての人々への攻撃である。
帝国主義の時代以来、自立に対し、低強度戦争が仕掛けられてきた。
最近では、その掛け声は「開発」である。その兵器は金銭である。
その歩兵は高消費のミドルクラスであり、彼らは世界のあらゆる国に出現している。
その構成員は工業化社会が定義した「いい暮らし」の大使であると同時に警察官でもある。
「負の連鎖」に巻き込まれて自信と意欲を阻害されていく
では、「ニートとは誰か?」という問いに対する答えはどうなるのでしょう。
これまで述べてきたように、「ニート」には多様な人々が含まれているのですが、
その中で最も不活発な状態にある層に注目してその特徴をあえてひとことで言うならば、
「これまでの人生経験の中で『負の連鎖』に巻き込まれた結果、社会や仕事の世界に踏み出せない状態に陥った若者」
ということになるかもしれません。
「負の連鎖」というのは、たとえば最も典型的なパターンを思い描いてみるならば、
家庭に不和や不幸があったりしたために学校で明るく前向きにふるまえなくなり、
その結果として友人関係もうまくいかなくなり、勉強にも熱心になれず、さらにその結果、学校を中退してしまい、
そのような経歴では社会や職場で受け入れてもらえないだろうと投げやりになってしまう…というようなケースです。
そうした「負の連鎖」に巻き込まれた若者は、今の労働市場のきわめて高い選抜基準の前で、はじき飛ばされてしまいがちです。
また、「負の連鎖」をいっそう悪いほうに増幅させるように働く圧力のようなものが、
最近の若い人たちの仲間集団や対人関係の中で大きくなっているように思われます。
つまり、人生の中で何か元気を失わせるような出来事があった場合に、
若者集団や職場の中で生きていきにくくなる度合いが、以前よりも高まっているようなのです。
これに関連する興味深い指摘を社会学者の佐藤俊樹さんがされています。
佐藤さんによれば、最近「ガリ勉」は絶滅の危機に瀕しているそうです。
一昔前だったら、暗くても地味でも野暮ったくても勉強ができれば、
「ガリ勉」タイプの若者でもそれなりに周囲から認められていたのが、今はそうではなくなっているそうです。
今の若い人の間では、仲間内でおもしろい話をして場を盛り上げることができたり、
音楽や服装・髪型など洗練された消費文化によるセルフ・プロデュースの能力がとても重視されるようになっている。
こうした状況のもとでは、ちょっと無口だったり元気がなかったりするだけで、その子はとても生き辛くなります。
その結果、「負の連鎖」がいっそう増幅されかねないのです。
P60- 相対的貧困
多くの、おそらくほとんどの人々にとって、貧困は相対的なものである。
つまり、われわれは自分を周りの人たち、とりわけ自分よりいい暮らしをしている人たちと比較するのである。
これは、電子メディアが伝える悲惨な映像よりも、われわれの心をひどく傷つける。
われわれは、自分と同じくらいの暮らし向きの人間に目を向け、彼らが自分よりうまくやっているかどうかを気にする。
直接的な比較は大きな力を持つ。それは、隣人や知人との競争へとわれわれを駆り立てる。
社会的公正の意識が最も強く刺激されるのは、自分自身の価値が正当に評価されていないと感じるときである。
なぜ看護師あるいは消防士である私は、教師あるいは建築業者よりも悪い暮らしをしなければならないのか、
というのが特徴的な疑問である。
だれが私より「価値が高い」というのか。
この相対的剥奪のよく知られた目安は、イギリスではときに「ジョーンズ家の人たちに遅れをとるな」と言い表される。
ジョーンズ家とは、われわれ自身よりも少しだけ生活水準が上の家庭を代表する架空の家族である。
ジョーンズ家の人たちが遅れないようにしている相手はだれか、ということは問題にはならない。
それはそうだろう。
この家庭的な家族のイメージは、人間のニーズとは関係なく、
経済的必然性と深いかかわりを持つような頑張りを正当化するものなのだから。
経済が人間に仕えるのだろうか、それとも人間が経済に奉仕するようになっているのだろうか。
P21- アメリカ合衆国の貧困
著述家のバーバラ・エーレンライクは、アメリカの低賃金経済の中で生きていくのがいかに困難であるかを検証するために、
数ヵ月間実際に生活してみた。
ウエイトレスをしたり、老人ホームで働いたり、販売員や清掃員になったりした。
そして、人知れず労働をし、普通考えられないような時間に働きに出たり帰ってきたりする、
目に見えない人たちへの優れた洞察を示した。
時に彼女は、食べていくために二つの仕事をしなければならなかった。
家賃が払える住居を見つけるのは大仕事だった。
トレーラーハウスや借間さえ、低賃金労働者の資力を超えていた。
家賃を払うと、給与小切手をもらうまで、食べ物を買うお金がなかった。
あちこちに問い合わせた結果、働く貧困者も食料引換券がもらえることがわかった。
私の夕食の選択は、次のうちのどれか二つに限られていた。
一箱のスパゲッティ、一びんのスパゲッティ・ソース、一缶の野菜、一缶のベークトビーンズ(煮豆)、
一ポンドのハンバーガー、一箱のハンバーガー・ヘルパー、あるいは一箱のツナ・ヘルパー。
生野菜や果物はないし、チキンもチーズも、そして不思議なことにヘルパーがあるのにツナはない。
朝食に食べられるのは、シリアルとミルクかジュース……。
結論:七ドル二セント分の食べ物が電話と移動に七〇分かけた末にもらえるが、
そこから電話代二ドル八〇セントを差し引かなければならない。
エーレンライクはさらに、姿を消しつつある貧困者についても書いている。
ジェームズ・ファローズの記事を引用しながら、エーレンライクは、裕福な人たちは盲目だと言う。
公立学校や公共サービスが悪化している中、財力のある人たちは、子供を私立学校に入れ、
余暇を公園ではなく私立のヘルスクラブなどで過ごしている。
彼らはバスや地下鉄には乗らない。雑多な人間が近隣に住む地域を離れ、
郊外の塀で囲ったコミュニティや守衛のいる高層アパートに住む。
彼らが買い物をするのは、広く行き渡った『市場分断』に従って、富裕層だけを対象にした店である。
富裕な若者も、夏休みを救助員やリゾートホテルのウエイトレスや皿洗いをして、
『残り半分のひとたち』がどのように暮らしているかを学ぶのに費やすことをしなくなっている。
『ニューヨーク・タイムズ』紙によれば、最近彼らは、長い間彼らに割り当てられていた骨の折れる低賃金の退屈な仕事よりは、
サマースクールや企業研修など、将来の職業に関連した活動を好むようになっていきている。
失業が貧困を生み出すことは、誰でも知っている。
だが、完全雇用もまた、最低生活賃金が支払われないとしたら、同じ結果を生むのである。
エーレンライクによれば、一九九九年にマサチューセッツ州の各食料庫は、
食料サービスへの需要が前年と比べ七二パーセント増加したと報告している。
ウィスコンシン州の「極貧」層(連邦の貧困線の五〇パーセント以下)に占めるフード・スタンプ(食料配給券)利用家族の
割合は過去一〇年の間に三倍になっている。
貧困撲滅のための機関「ブレッド・フォー・ザ・ワールド(世界にパンを)」は、
三三〇〇万の人々(一三〇〇万人の子供を含む)が飢餓あるいは飢餓の危険を経験していると述べている。
これは、合衆国の一〇世帯に一世帯にあたる。
二〇〇〇年八月には、一九七〇万人がフード・スタンプ・プログラムを利用した。
米国市長会の二〇〇二年の報告では、緊急食糧援助の要請は平均一九パーセント増加している。
調査によれば、緊急食糧援助を要請した人たちの四八パーセントは子供を持つ家族であり、
要請した成人の三八パーセントは仕事に就いていた。
アメリカ最大の食糧銀行ネットワークである「アメリカズ・セカンド・ハーベスト」の報告では、
二〇〇一年に二三三〇万人が彼らの配給を受けたが、これは一九九七年と比べ二〇〇万人以上の増加を示している。
そのうち四〇パーセントは勤労者世帯だった。
P19- 合衆国での底辺の生活
合衆国には約六〇〇万人の不法移民がいる。農業での求人が人間の密輸を急成長させた。
ABCニュースによれば、「コヨーテ」と呼ばれる運転手たちが不法移民を雇用主に売りつけている。
農作業の賃金が低下を続けている一方で、コヨーテへの支払い額は上昇している。
不法移民がコヨーテに料金を支払えなかった場合、労働で支払うことになる。
農場への警察の手入れによって、彼らは都市へと追い立てられる。
カリフォルニア、ニューヨーク、フロリダ、テキサス、ニュージャージー、イリノイ、アリゾナの各州の都市で、
彼らは家事労働者、季節工、露天商、労務者など、あらゆる低賃金労働へと散って行く。
アメリカ合衆国移民局によれば、国内の地域によって、移民の出身国が異なっている。
全体として見ると、不法移民のうち最大の割合を占めるのは、メキシコからの移民である(五四パーセント)。
カリフォルニア州では、年間総計二〇万人のうち、六万四千人がメキシコから、二万三千人がフィリピンから、
そして一〇〇〇人が中国からの移民である。
ニューヨーク州では、十五万四千人のうち、二万五千人が旧ソ連から、二万一千人がドミニカ共和国から、
一万一千人が中国から来ている。
フロリダ州では、七万九千人のうち二万二千人がキューバ、八千人がハイチ、四千人がコロンビア出身である。
ニュージャージー州では六万三千人のうち六千人がインドから、五千人がドミニカ共和国から、
三千人がコロンビアからの移民である。
貧困を測定する指標はおそらく膨大な数え落しを含んでいる。
公式の数字の背後で、かつての現象が再現しつつある。
初期の工業化時代に「労働貧民」と呼ばれたものの亡霊である。
つまり、いくら懸命に働いても、自分自身と家族とが食べていけるだけのお金を稼ぐことができない人たちである。
P129- グローバル市場で
もしグローバリゼーションが人々の生活のあらゆる局面に手を伸ばしているとしたら、
どうして貧しい人たちが影響を受けないでいられるだろうか。
貧しい人々がグローバルな市場から排除されるようになったとき、
貧困の解決策はますます国の政府の手に負えないものになるだろう。
農村の貧困が人々を都市へ駆り立て、人々は新しい形の不安定で不確実な生活に追いやられる。
恣意的な立ち退き命令、失業、警官や役人による恐喝やいやがらせにさらされるのである。
農村生活と都市生活との間の最も重要な違いは、
後者がますます全面的に金銭に依存するようになっていることにある。
地方では、中間業者による不正行為と穀物への工業的投入(肥料と農薬)への依存度の高まりが、
農村の自立の根幹を揺るがしている。ブローカーや金貸しの力、借金や病気による土地の喪失、
あるいは結婚持参金や伝統的な相続形式といった社会的慣習のために、
人々は陰気で希望のない都市のスラムへと追いやられる。
唯一の希望的な側面といえば、賃金による生活は自給自足よりも確実に思われることである。
貧しい人々は、安全を求めて移住する。彼らは富を追い求めている。
だが、富は彼らよりも敏捷である。
富のほうが栄養もよく、健康で、可動性がある。
再分配は今、議論からはずされている。
なぜなら、豊かな人々が社会に対し当然支払うべきものを回避する機会は、
数え切れないほどあるからである。
例えば、域外税金逃避地、秘密の銀行口座、資金の電子的移動などが挙げられる。
隠匿の鎖が、彼らの財産の匿名性を守ることを可能にしている。
6 増え続ける人口・砂漠化する大地・爆発する欲望
人口が増加したことで様々な問題を抱えるようになったのはアフリカだけではなく、
人口増加率の比較的低い国でも、都市部への人の流入は留まることがない。
フィリピンのケソン市には、有名なゴミの山「スモーキー・マウンテン(煙の山)」がある。
首都圏から集められた膨大なゴミが山になり、内部で発生したメタンガスが低温火災をおこしているため、
一帯がいつも煙で覆われているのだ。
ダイオキシンは、塩素系プラスチックを低温燃焼させた時に発生するというから、
この場所を覆う煙にはダイオキシンがたっぷりと含まれているのだろう。
スモーキー・マウンテン周辺には、小屋を造って生活する人たちが三〇〇〇人余りいる。
田舎にいても耕す土地がない人、また都会に憧れて単身でこの場所に足を踏み入れた地方出身者が住人の中心で、
ゴミの中から鉄やビニールなど換金できるモノを見つけ、売ることで生計を立てている。
電気は近くの電柱から盗電し、水は共同の水場から汲む生活だ。
コネも金もない者たちに、都会は心地よい生活場所など用意してはくれない。
案内されるまま、板きれと、トタンで作った小屋に入った。
ここで出会って結婚したという若夫婦が持ち主だった。
生まれて数ヵ月しかたっていない乳児が、妻の両腕の中で小さな寝息をたてていた。
小屋内部は六畳くらいの狭い空間で、家具と呼べるものはなかった。
唯一目を引いたのは、部屋の中心に置かれた一台の冷蔵庫だった。
中古の電気製品を販売する店から、ローンを組んで買ったという。
「冷蔵庫のある生活が、子どもの頃からの夢だった」と夫婦は口を揃えた。
中を覗いてみると、入っていたのはガラス瓶に入れられた水。
鉄やビニールを売って得たお金では、一日分の食料と冷蔵庫のローンを貯めるのがやっとで、
水以外、冷蔵庫に入れるモノを買う余裕などない。
壁の一部に貼られていたのは、雑誌から切り抜かれた車や時計の広告。
いつかは所有してみたいモノなのだという。
壁を見ることで夢が見られるのだという。
ブラジル、アマゾン川源流を小船で旅した時にも同じような経験をしている。
曲がりくねった川に面して、一軒だけポツンと建った小さな板張りの家があった。
日が暮れたため、その家に泊まらせてもらうことになった。
家の中に入って驚いたのは、壁一面に雑誌の広告写真が貼られていたことだ。
時計にスポーツ用品、カバンに靴に靴下、口紅や調理器具の広告もあった。
塩や石けんを売る行商船が、月に一度だけ、奥地のこの場所にも来るというが、
その船が雑誌を持って来たのかもしれない。
雑誌広告を壁一面に貼ることで嗅ぐことのできる都会の匂い。
船で何日か下った場所にある町や、そこからバスを乗り継いだ先にある「想像の都会」は、
彼らにとって、モノが溢れ、夢が実現できる場所として映っているのだろう。
かくして森の民は都市を目指すことになる。
ペルーの首都リマ近郊には、乾燥した砂漠の中に小さな家や小屋が無数に建ち並ぶいくつものスラムが広がっている。
全人口に占める首都圏の人口は、一九六五年に五二%だったものが、一九九七年には七二%にまで上昇した。
増えた人口のほとんどは、内戦や生活環境の悪化したアンデス山脈やアマゾン源流から、
「より良い都会の生活」を求めてリマに来た人たちだった。
一九九〇年、フジモリは大統領就任直後から、最大支援国である日本の協力も得て、
違法に家や小屋が建てられていたスラムへの援助を開始した。
スラムの生活環境が劣悪である限り、人々の不満を吸収する形で影響力を強めていたテロリズムを、
一掃することができないと考えたからだ。
主な支援は、飲み水・電気の供給、舗装道路の工事、また元大学学長である彼は、
教育の重要性を信じ、次々と学校を作っていった。
一九九七年、その一〇年ほど前から何度も足を運んでいるスラムを再訪した。
他のスラム同様、そこにも街灯がくまなく設置され、
蛇口をひねるだけで安全な水を飲むことができるまでになっていた。
生活は各段に向上していた。
だが住人の中には、以前よりも強い不満が渦巻くようになっていた。
フジモリ以前のペルーでは、違法行為で儲けた者以外、国民すべてが貧しかった。
しかし、フジモリが強権を発動し、経済を自由化したうえで、外資の参入も積極的に認めたことにより、
人々の間では、目に見える格差が生まれてしまったのだ。
高級外車が街を走り、先進国レベルのショッピングセンターが次々とオープンした。
金を持ってさえいれば、先進国同様の「快適な生活」が送れるようになったのである。
国民全員が貧しかった時代から、社会全体が底上げされたものの、
一部だけがより巨大な富を享受するフジモリの時代へ。
かくして相対的に「貧富の差」は以前より各段に大きなものになり、
繁栄を謳歌できない層に不満が溜まっていった。
生活環境が改善されたとしても、人々の間に相対的な貧困感覚が生まれる状況では、
社会から安定が失われ、政権さえ倒される可能性が生まれる。
そのことを、フジモリの引退劇が証明してしまったのである。
世界がグローバル化する中、ペルーの事例は大きな意味を持つ。
富の所在が極端に偏ってしまうと、たとえそれが相対的なものであれ、
世界全体が不安定になることがわかってしまったからだ。
P178-
じつは日本人の団結心について、ぼくはまったく逆の経験をしているんだよ。
終戦直後のことだけど、当時ぼくは満洲にいた。
ある期間、文字どおりの完全な無政府状態がつづいたんだ。
その時のことだけど、あれは奇妙というか不思議なものだね。
無政府状態というのはつまり無警察状態でもあるわけだ。
僕らは当然、ひどい混乱と暴動を予期していた。
ところが違うんだな。すくなくも日常は日本が軍事占領していた時期とすこしも変らない。
あいかわらず商店では品物を売っているし、食べ物屋には料理の湯気が立ちこめている。
もちろん日本人の立場は悪くなったよ。
軍事力と警察力を背景にして、さんざん旨い汁を吸ってきたんだから、
植民地支配の崩壊と同時に立場が逆転するのが当然だろう。
でもその逆転は、はっきり目に見えるものではなかった。
金さえ払えば、何でも自由に買えたし、品物を売りに出せば、相応の代金を支払ってもらえる。
つまり市民生活の基本ルールは、そっくりそのまま維持されたわけ。
首をひねったものだよ、たしかにインフレはひどかったけど、すくなくも通貨が……
通貨と言っても、はっきりは覚えていないけど、旧満洲国紙幣や、ソ連の軍票や、
なんだかよく分らない紙幣なんかが、ごちゃごちゃに使われていたような気がするな……
いったい何がその貨幣価値を保証していたのだろう?
そもそも貨幣価値とは何なのか?
まあ、なんであろうと、流通している限りはそれでいいわけだ。
手に入れた金で物が買えれば、その金の素性なんか二の次で構わない。
あの時くらい国家権力の存在理由を疑わしく思ったことはないな。
それはそうとして、そういう状況下での日本人の行動様式の特殊性……
たしかに基本的な日常は維持されていたけど、民族間の力関係は完全に逆転したわけだから、
もう昔のように虎の威を借りてばかりはいられない。
街や商店でたとえば中国人と金銭上のトラブルがおきたりすれば、
こんどは平等の立場で渡り合わなければならないわけだ。
そういう場合、中国人や朝鮮人だと、周囲に降って湧いたように仲間が現れてたちまち人垣が出来あがる。
べつに仲間に一方的に味方して、異民族に集団リンチを加えようってわけじゃないんだ。
裁判にたとえれば、臨時の陪審団が結成されるんだね。だから当事者同士の喧嘩も派手なものさ。
手足を振りまわすんだけど、本気で殴りあうわけじゃない、相手に届かないだけの距離を保って口角泡を飛ばすんだ。
つまり被告と原告の大弁論大会だね。そして陪審団が判決を下す。当然陪審団に同国人が多いほど有利になる。
その点中国人と朝鮮人は、集まるのが早いね。あっという間に陪審団が結成されてしまう。
ところがそういった場合の日本人、信じられないだろうけど、誰一人集まってはくれないんだ。
それまでかなりの人数が、その辺をうろうろ歩きまわっていたはずなのに、
映画の特撮みたいに一瞬にして姿を消してしまうんだ。
―― 逃げるんですか。
逃げるんだよ。ここまで集団化が不得手な民族も珍しいんじゃないか。まさにニューヨーク人なみだろう。
―― 儀式好きの国民性と矛盾しませんか。
いや、集団化が苦手だから、儀式に依存するのかもしれない。
だから儀式のもつ魔力に、必要以上に敏感だし、すべての儀式を必要以上に儀式ばらせてしまう。
―― そういう体質のなかにテレビの擬似集団化が持ち込まれると、何が起きるんでしょう。
何か嫌な影響が出てきそうな気がするね。儀式の密度が濃くなるいっぽうだ。
散文精神にとってはまさに厳冬の季節の到来だな。
P164-
視聴者はべつに真実を求めているわけじゃないからね。
ただある一定の時間、「時間」の受動的消費に身をまかせていたいだけなんだよ。
君の言っていることとは多少ズレがあるけど、僕も最近、つくづくテレビの脅威を感じはじめていることは事実なんだ。
ただしかならずしも、放映されている内容に関してではない。
不気味なのはとにかくその瞬間に、無数の人間が小さなテレビ画面の前で、
各人の意識とは無関係に巨大な擬似集団を形成しているっていうことね……
―― テレビ自体が擬似集団の場と化すわけですね。
そうなんだ。テレビが出現する以前には、これほど簡単に擬似集団が形成されることはなかったんじゃないか。
しかもとんでもない人数だろ。
だいたい集団化は人間の能力のなかでも、とくに重要なものの一つだけど、それだけに本来非日常的じゃないと困るんだ。
いざという時の伝家の宝刀なんだよね。
例外は軍隊と学校かな。軍隊は非常事態が日常だからね。
でも学校の集団化傾向はなんだろう。あれにも何か必然性があるんだろうか。
とくに日本の学校には擬似軍隊的な風潮が顕著だね。
学校本来の機能以上のものが期待されているような気がする。
教育のひずみ、とかいろいろ言われているけど、
そもそも学校を集団訓練の場にしようとすること自体に問題があるんじゃないか。
とにかく人間って、そういつも集団でいる必要はないんだ。
むしろ個別化と分業が社会形成の原動力だったんじゃないかな。
いちいち集団を組まなくてもすむように、人間は社会を組織化し、社会に構造を与えてきたわけでしょう。
ただ社会の構造が破れて、パニックに襲われたような場合、
本能的に集団化の衝動が働いて個人を越えた集団的自衛能力を発揮する。
P58-
「儀式化」は本来「個別化」とセット販売される抱き合せ商品だったはずなのだ。
だが現実にはその約束もすでに建前にすぎなくなった。
「群れ」の最終形態である国家が成熟期に達し、体重増加のために蛇や蟹なみの脱皮は望んでも、
サナギが蝶に変身するような真の脱皮にはむしろ拒否反応を示している現在、
儀式の一方的な肥大化は当然のなりゆきと言うべきだろう。
個別化は今やプラスチック製の刺身のツマにすぎない。
がさつな自由意志などより、帰属願望のほうがはるかに時代にかなった美徳なのである。
上は宰相の式典好みから、下はパフォーマンスとかいう若者の祭典好みにいたるまで、
現実の一切が儀式で立体構成されたジグソーパズルの賑わいだ。
さらにテレビ番組の類型化が擬似集団の形成に拍車をかける。
小さなブラウン管の前でめいめいは孤独なまま、同時に泣いたり笑ったりの大擬似集団を体験できるのだ。
過剰儀式の慢性中毒症状である。
靖国神社の公式参拝、小中学校での日の丸掲揚や国歌斉唱の奨励などに対しても、
憲法違反などの疑義申し立てがあるだけで、国家儀式そのものの否定という観点からの批判はほとんど見られない。
やはり中毒症状の進行はかなりのものだと見なさざるを得ないようだ。
P387- 「演芸大会」
ジードは生物学的根拠に基づいて男性愛を社会的にも正常化しようとしているのであるが、
一体社会が愛情に基づいて築かれたものではない以上どんな愛情も正常化される機会はないのである。
結婚とそれから派生した親子とか兄弟の愛情だけがわずかに社会に認められているが、
それは結婚が元来愛の単位ではないという単純な事実によって、愛情はもしあるならば絶えず社会に裏切られ、
社会はもし愛情を殺そうとするならば、逆に愛情に裏切られるという相互関係があるだけなのである。
キリスト教は止むを得ず一種の普遍的な愛情を仮定することによって、この劇を緩和しようとしたが、
宣伝の割には効果があがらないのは、キリスト教的愛情はあらゆる種類の愛情を薄めただけで、
愛情の存在自体をなくすことは出来ない相談だったからである。
だから劇はいつまでも続いている。
あらゆる愛情の実行者は個人的道徳(最近の日本ではモラルという片仮名で呼ばれる場合が多い)を考案せざるを得ないが、
理窟はいくら精妙になろうとも、結局個人の身勝手を出ない。
この意味で死ぬまでエゴチスムの原理の上に胡坐をかいて、社会の外に止ったスタンダールは正しく、
「チャタレー夫人の恋人」のローレンスのモラルとか「コリドン」のジードのモラルとかは未練というものなのである。
自己の変質を自覚したジードは「要は癒ることではなく、病と共に生きることだ」という十八世紀の僧侶の言葉を援用している。
「私のようなものでも生きたい」はあらゆる「地下室」の住人の叫びであるが、
こういう叫びが聞かれる根柢は、社会が無期徒刑囚を含めて、どんな人非人にも生きることを許すほど文明化したためである。
彼等は要するに平和な社会の寛容をあてにしている。
その証拠に社会が痙攣して個人に戦場で死ぬことを命じた時、
彼等は決して「生きたい」とはいわず、羊のように従順に殺されて行くではないか。
「地下室」の住民が多く保守党であるのと併せて考えられよ。
P260-
気をまぎわすために、テレビのスイッチを入れてみた。
運の悪いときには悪いもので、ちょうど海外ニュースをやっており、
アメリカの黒人暴動が報道されている最中だったのだ。
白人の警官に引き立てられて行く、シャツの破れた貧弱な黒人に重ねて、
アナウンサーが事務的な調子で喋っていた。
――長い、黒い夏を迎え、心配されていたニューヨークの人種騒動は、関係者の予想通りの結果になり、
ハーレムの街頭は、ヘルメットをかぶった黒人、白人、警官五百人以上が町にあふれ、さる一九四三年夏以来の警戒ぶり。
各所の教会では、日曜礼拝とならんで抗議集会が持たれ、警官の目も、黒人市民の目も、
ともに軽蔑と不信の色にいろどられているとのこと……
歯のあいだに、鋭い魚の骨が突き刺さったような、痛みとうっとうしさが入り混った、
いたたまらないような気持にさせられたものである。
もっとも、ぼくと、黒人とのあいだには、偏見の対象にされているという以外には、ほとんどなんの共通点もない。
黒人には、結び合う仲間がいるが、ぼくはまったくの一人だけだ。
黒人問題は、重大な社会的問題になりえても、ぼくの場合は、あくまでも個人的な枠にとどまり、
そこを一歩も出るものではありえないのだ。
しかし、ぼくがその暴動の光景に、息づまるほどの思いをさせられたのは、
ぼくのような顔を失くした男女が、数千人も、一緒に集まった場合のことを、つい連想させられたからかもしれない。
ぼくらも、黒人たちのように、偏見に向って敢然と立ち上るのだろうか。
あり得ないことである。
考えられる行動といえば、互いの醜さに愛想をつかし、仲間同士でなぐり合いをはじめるとか、さもなければ、
似たような連中が完全に視界から消え去るまで、一目散に逃げはじめるくらいが、関の山なのではあるまいか。
……いや、そうだとしたら、まだ我慢もなっただろう。
ところがぼくは、たしかにその暴動に魅せられていたようなのだ。
なんの必然性もないくせに、ほんのわずかなきっかけで、ぼくら怪物の集団は、まともな連中の顔を目がけて、
攻撃を開始していたかもしれないのだ。
憎悪だろうか。それとも、普通の顔を打ち砕いて、一人でも仲間をふやそうという、実利的な魂胆からか。
両方とも、それぞれ重要な動機にはちがいなかったが、それよりもぼくは、暴動という嵐の中に、
一兵士として埋没してしまいたいという、願望にせき立てられていたらしい。
たしかに、兵士こそ、まさに完璧な匿名的存在であり、顔など持たなくとも、
使命を果すうえになんの支障もないし、立派に存在理由も与えられる。
あんがい、顔無しの部隊こそ、理想的な兵士の集団であるのかもしれないのだ。
ひるまず、破壊のための破壊に突き進む、理想的な戦闘部隊であるのかもしれないのだ。
P250-
ある朝、目覚めてみたら、仮面がぴったり顔に癒着して、自分の素顔になっていた
というような童話じみた奇蹟をねがい、仮面のまま寝てみたことさえあったほどだ。
だが、そんな奇蹟は、むろんおこりようもなかった。
書きつづけるしかなかったのである。
そんなとき、一番はげましになってくれたのは、人目につかない非常階段の陰などで、
ひっそりとヨーヨーをしている、あの娘を眺めることだった。
自分の不幸をはっきり自覚出来ないほどの、大きな不幸を背負ったこの娘は、
しかし不幸に悩んでいる幸福な人間などよりは、どれほど倖せか分らない。
おそらく、その、失うことを恐れない心構えが、あの直観を育てることにもなったのだろう。
ぼくも、あの娘のように、失うことに耐えたいものである。
ぼくはその闇のなかから聞えてくるに違いない、新しい旋律を信じようと思っている。
57 :
ほんわか名無しさん:
丶 _ .,! ヽ
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