902 :
ほんわか名無しさん:2007/01/21(日) 01:13:15 O
ここ見てどうしても書きたくなった。
かなりの長文で読みにくいと思うがすまん。
俺が消防の時、学校から帰ると二軒隣にあるばあちゃん(父方)とこに毎日のように遊びに行ってた。
連れと一緒にわらわら行くとばあちゃんはニコニコしながら「おやつあるから手ぇ洗ってきんさい。皆で仲良く食べるんよ」っておやつをふるまってくれたんだよね。
連れからは優しいばあちゃんだと羨ましがられてすげー嬉しくて誇らしかったのを覚えてる。
けど、例に漏れず反抗期に入った俺は高校にも行かず、毎日のように連れと深夜まで遊び歩くようになっていった。
当然ながら親父とは顔を合わせれば怒鳴りあいのケンカ、時には手が出ることもあったな。
その度にケンカの声を聞きつけたばあちゃんが家にきては泣きそうな顔で「○○ちゃん、ケンカはあかんよ」って言うんだよ。
俺は「うっさいわ!」なんて怒鳴り付けてた。
ばあちゃんがぼろぼろ涙を流しながら家を出ていこうとする俺の後ろで「○○を堪忍したって」と親父に言って頭を下げていた。
903 :
902:2007/01/21(日) 01:14:13 O
俺はそんなばあちゃんの背中を見ても疎ましいとしか思わなくて、徐々に連れの家を泊まり歩くようになってた。
家に寄りつくこともなくなった。
悪い先輩から教えてもらった悪さして毎日遊び歩く日々。
あの時の俺はホントにクズの極みだったね。
そんな生活を18になるまで続けてたけど、その頃から悪仲間だった連れ達が口々に就職するって言い出したんだ。
「もう好き勝手出来る年じゃねぇからな」なんて言ってさ。
その日泊まってた連れの家を出て、俺は公園で一人ボーッとしてた。
金も食うものも寝るとこもない。
かと言って今さら家に帰ることもできない。
途方にくれてた俺は、ふとばあちゃんのことを思い出したんだ。
ばあちゃんなら怒らないだろうって。
情けないことに飯とその日の宿、あわよくば小遣いを貰えることを期待して。
そっからチャリ飛ばしてあっという間にばあちゃん家の前。
玄関に手をかけると鍵がかかってたから裏口へまわった。
裏口の鍵はいつも開けっぱなしだったから。
ドアを開けて中を見回して、俺は初めて違和感があることに気が付いた。
整然と片付いた室内。
まるで、長い間留守にしている部屋のような。
904 :
902:2007/01/21(日) 01:16:12 O
ばあちゃん、と呼んでも返事はない。
俺は急に言い様のない不安に襲われて実家へと走った。
少し前まで「帰れねぇよ」とか思ってたことなんて吹っ飛んでた。
親父はいきなり部屋に飛び込んできた俺を見て驚いてたよ。
当然だよな。
母さんは怒りながら泣き出すし、兄貴にはバカ野郎、と思い切り殴られた。
俺は殴られて口から血を流しながらばあちゃんは、って兄貴に聞いた。
そしたら親父が眉間にシワ寄せてさ、言うのよ。
「そこにいるだろう」って。
親父が指差した先には、四角く黒い写真立ての中で昔のように優しい笑みを浮かべてるばあちゃんがいてさ。
遺影だった。
俺は呆然としたね。
嘘だろって。
まさかって。
だって俺はばあちゃんに小遣いをねだりに帰ってきたのに。
ばあちゃんが死んでるかもなんて、そんなの頭を掠めもしなかったのに。
「ばあちゃん、一週間前に死んだんだ。お前のことを最期まで気にしてた」
親父が言った。
俺が家を飛び出してから、毎日毎日俺が帰ってきたかと実家にきてたって。
一週間前、俺の家からの帰り道、心筋梗塞を起こしてそのまま帰らぬ人となったって。
905 :
902:2007/01/21(日) 01:18:21 O
なんかね、もうホント、頭の中が真っ白で声なんか出なかった。
そしたら親父が「もういいだろう。帰ってきなさい」なんて言い出すの。
父さんが悪かった、って。
そんでばあちゃんの遺影の裏から茶封筒を三つだしてきて俺に差し出すんだ。
俺は黙って受け取って、中身を見て、家を出てからの一年半を激しく後悔したよ。
封筒の中身はばあちゃんから俺に宛てた三通の手紙。
18才、20才、結婚した時の俺に宛てたもの。
「○○ちゃん、18才ですね。
今はおうちに帰っていますか。
ばあちゃんは○○ちゃんの帰りをとても待っていました。
おやつを用意していますからまたばあちゃんの家に遊びにきなさいね。」
「○○ちゃん、20才おめでとう。
もう立派な大人ですね。
お仕事が大変でしょうが体を壊さないよう頑張ってくださいね。
ばあちゃんも頑張ります。」
906 :
902:2007/01/21(日) 01:24:21 O
「○○へ。
○○がお嫁さんを見つけてくれてとても嬉しいです。
もしかしたらばあちゃんはもう生きていないかもしれませんが、ちゃんと○○とお嫁さんを見にきます。
○○は優しい、いい子ですからお嫁さんもいい人だと思います。
幸せになってくださいね。」
俺は馬鹿みたいに泣きまくった。
手紙を強く握りしめながら激しく泣きじゃくった。
もう二度と会えないばあちゃん。
ばあちゃんはいつだって俺の味方だった。
そんなばあちゃんに酷い言葉を浴びせて、自分一人でここまででかくなったような勘違いして思い上がっててさ。
そのばあちゃんの優しさと愛情を無下にし続けた自分の愚かさに今さら気付いたんだ。
同時に親父、お袋、兄貴にも申し訳なくて申し訳なくて、俺は何度も何度も土下座して謝った。
それから俺は先輩達とは縁を切り、小さな企業に何とか就職した。
ばあちゃんの知り合いが社長さんで、常々「孫を頼む」と頼まれていたと。
そこで今の嫁さんと出会って結婚、再来月には子供も産まれる。
せめてばあちゃんに嫁さんの顔を見せてやりたかったとつくづく思うよ。
お前らも家族やじいちゃん、ばあちゃんには出来る内に孝行してやってくれ。
俺もこれからは自分の家族と新しい家族を大切にしてばあちゃんにしっかり顔向けできるよう生きてくからさ。
長文スマン。
すっきりした…。
907 :
ほんわか名無しさん:2007/01/21(日) 01:28:52 0
なんかこのスレ見てすっごくおばあちゃんに会いたくなってきた〜。
908 :
ほんわか名無しさん:2007/01/21(日) 01:42:18 O
私の母親は、私の友達に「うちの子に関わらないで」とか平気で言うような人だった。
そのせいでたくさんの友達をなくしてた私は、そのうち友達と距離を置くようになった。
ある日、友達から電話で「なんで最近距離おくの」と言われた。
そいつは一番仲が良かったから母親から何度も嫌がらせを受けていた。
「もう嫌な思いさせたくないから」とだけ言うと、友達は黙ってしまった。
また一人大事な人が減ると思うと苦しかったが、図々しく「嫌いにならないでね。ずっと友達でいてね」なんて言えなかった。
無言の時間が長く続くと、受話器から鼻の啜る音が聞こえてきた。
どうしたの、と聞くと友達は息を荒くして
「うちはお前と一緒にいて、嫌な思いなんかしたことない!」と怒鳴ってきた。
「うちが必要としてんだから、お前は余計な事考えるな!」と震える声で怒鳴るのだ。
「大丈夫だから!」と。
涙がでた。
今までそんな事言ってくれる人なんていなかった。
私のために泣いてくれる人なんていなかった。
私は泣きながら「うん」とだけ言った。
それからどれだけ母親に嫌がらせを受けてもそいつは友達でいてくれる。
ありがとう。
恥ずかしいけど、いつか言ってみようと思う
なんか穏やかで温かい気持ちになった
910 :
ほんわか名無しさん:2007/01/21(日) 16:38:58 O
プライベートがいつもつらく、家庭環境はぐしゃぐしゃ。恋人とは一年前にすごい別れ方をした。
家庭もひきずっているが
悩みをいう性格でもない。つらいのに平然とするのが得意。ある日オーナーが言った。彼氏できた?と。
いえ、いないんですよ。
と苦笑い。そしたら
あなたみたいな普段頑張ってる人が幸せにならなきゃだめなんだよね。
と言った。ガツーンと心にきた。普通の顔して会社をあとにして車の中でわぁわぁ泣いた。
そのオーナーに悩みをうちあけたこともないのに何故そこまで言ってくれるんだろう。見ていてくれる人は必ずいるんだ!
なにげない言葉が嬉しかったです
911 :
ほんわか名無しさん:2007/01/22(月) 16:04:49 0
子どもの頃、親父の膝で抱っこされるのが好きだった。
海水浴や動物園に行った帰りの電車で親父に抱かれてうつらうつらしてた幸せな記憶を今でも思い返す。
親父の胸に頭をくっつけると、あったかくて、ぎゅっと抱かれると不思議と安心した。
でもさすがに10歳くらいになると親父が重たがるようになったから、止めたし、
まあ、その後はお決まりのように反抗期で口を聞かなくなり、
20歳を過ぎてから普通に会話するようになりといった具合に普通の親子関係だった。
んで、親父が定年を迎えるから、海外旅行でも行こうかと相談してたら、
突然、検査で親父が胃がんだと告げられて、末期で治療もできないと言われ、
親父は、ほんとにあっという間にやせ衰えて、しなびたようになってしまった。
でも、せめて最期くらいは家で過ごさせてやりたかったから、退院させたんだけど、
もう歩けないくらい衰弱してたから、俺が抱えて車に運んだ。
そしたら親父が「いつも俺に抱っこしてもらいたがってた、お前に抱っこしてもらえるとはなぁ」
なんて嬉しそうに言うから、俺も家族も泣きまくった。
臨終の時に親父は、すごく安らかな顔をしてた。
今、俺の膝の上には5歳の息子が乗ってる。
俺もこいつに抱っこされて死ねたら、
きっと、それまでの人生全部いいものだったって思える気がする。
912 :
ほんわか名無しさん:2007/01/22(月) 16:15:46 O
913 :
ほんわか名無しさん:2007/01/22(月) 16:39:25 O
>>911 リレーみたいだね。
きっとお子様も、お父様に抱かれたあなたと同じ気持になってるさ。
914 :
ほんわか名無しさん:2007/01/23(火) 10:30:00 O
次スレあるよね?
915 :
ほんわか名無しさん:2007/01/24(水) 19:18:30 O
あるといいな
俺にとっては、一番なくなってほしくないスレだぜ。
何もかにもがどうでもよくなって、どうしようもなくなってた俺に元気をくれたスレなんだ。
同じような想いを抱えてる奴に見てもらうためにも、このスレは俺も守りたい。
というわけで保守。
917 :
ほんわか名無しさん:2007/01/26(金) 19:19:04 O
(聞いた話でわるいんだけど。)
ウチってけっこう貧乏だったんだ。ある日ね、友だちの誕生会に呼んで
もらったんだ。けどプレゼントなんかもっていけないワケよ、貧乏だから。
「何にももって来れなくてゴメン」「いいよ、気にすんなよ、来てくれて
ありがと」みたいな感じになってさ。で、彼のお母さんがさ、誕生会でみ
んなに食べさせてくれたのが「カレーライス」だったの。肉が入ってるん
だよネ、カレーライスに。こんなの初めてだったの、肉がはいったカレー
なんて。で、ウチへ帰ってね、母に「カレー作って」ってねだったわけ。
でもウチのカレーには肉がはいってなくてかわりに「チクワ」がはいって
るんだよね。「こんなのカレーじゃネェ!だって○○くんチのカレーには
肉がはいってた!」その時の母の悲しそうな顔、今でもおぼえてるよ。
そのおふくろが死んでもう二十年になるかなァ。オレも結婚して子供が
二人いるけど。この子たちは「おばあちゃん」のこと知らないんだよね。
この子たちが食べるカレーには、もちろん肉がはいってるよ。そして、
(チクワももちろんはいってる。)
919 :
ほんわか名無しさん:2007/01/27(土) 21:07:34 O
(;;)
920 :
ほんわか名無しさん:2007/01/28(日) 01:04:07 O
コピペだけど。
恋人は名無しさん 2007/01/26(金) 09:28:24 9wCpNr+E0
小さい時に母を亡くした俺。
彼女と付き合い始めて1年したとき、父親が交通事故で死んだ。
葬式が終わると同時に彼女は俺の家に荷物運んできて
「これから一緒に暮らそう。わたしがあなたの家族になる」って言ってくれた。
彼女の家は真面目な御両親で結婚もしてないのに
同棲なんてとんでもない!って家。
俺は社会人1年目だったし、彼女はまだ大学生で結婚なんて話も出てなかった。
当然御両親には猛反対されたけど、粘り強く説得して
彼女が大学卒業して就職して1年経ったら必ず結婚する
という約束で同棲を許してくれた。
親がいなくなって天涯孤独になったときに
傍にいてくれた彼女の存在は本当にありがたかった。
本当に本当に感謝してる。
この3月で彼女が就職して1年。
約束どおり挙式・入籍の予定です。
921 :
ほんわか名無しさん:2007/01/28(日) 10:21:20 0
923 :
ほんわか名無しさん:2007/01/30(火) 07:35:14 O
924 :
ほんわか名無しさん:2007/01/31(水) 16:47:20 O
絵文字かいw
925 :
ほんわか名無しさん:2007/02/01(木) 17:01:07 O
AGE
926 :
ほんわか名無しさん:2007/02/03(土) 08:18:54 O
保守
927 :
ほんわか名無しさん:2007/02/05(月) 08:44:22 O
ほす
928 :
ほんわか名無しさん:2007/02/05(月) 23:41:50 0
ある日となりの席に二つうえの同期が転勤してきた。
そいつとは話なんてしたこともなかったが顔だけはしっていた。
そいつは仕事ができなかった。俺と一緒に営業成績のビリ争いを常に繰り広げた。
俺たちは仕事ができない上にさほどやる気もなかった。
毎日部署には俺たちへ怒号が鳴り響いた。
俺たちは気が合った。趣味もあったし、休日の日は二人でよく遊んだ。
お互ネット麻雀が好きで家に帰ってからも同じ卓で遊んだ。
会社の懇親会も二人でばっくれて別に飲みに言った。
「説教されんのに金払ってらんねーよな!!ははは!」
高校の時授業をサボるダチ見たいに。いつも一緒におどけて笑った。
会社をいつ辞めようか悩んでたのに会社に行くのが楽しくなった。
ある日、珍しく奴が残業するなんていった。「どうしても落としたい物件がある」
「気でも狂ったのかよ。明日は蟹が降るぜ」とおどけると
「この競合の会社な親父が勤めてたんだ。二十年勤めて会社のために尽くして、リストラされたんだ。」
目がマジになってた。
「俺も手伝うよ・・」というと
「これは一人でやりたいんだ・・・だいじょぶだよこんな物件とったところでビリ争いは俺だから!」
最後はおどけてた。それからいつもいつも遅くまで仕事してた。
契約まであと少しというところで奴の親父が死んだ。
その電話を受けた時「もう少しだったのに・・・」と声を震わせて俺の隣で泣いた。
俺は「お前が契約とったって雨すらふんねーよ。もう必然だ。」といってやった。
そいつは実家に帰りもせずその契約をとった。
「蟹が降るぜ!」といって嬉しそうに契約書をデジカメでとってた。
親父の墓前に飾るんだと・・・・
929 :
ほんわか名無しさん:2007/02/05(月) 23:44:25 0
長くなってスマソ!!↑
>>929 いえいえ、とてもイイ話。
契約とった方の父上の事はとても残念ですが…。
931 :
R.D. ◆Roku..thsQ :2007/02/07(水) 01:16:59 O
932 :
928:2007/02/07(水) 02:30:03 0
>>930>>931
長文最後までありがとうございます。
二人は十年かけて仲良くやっと副主任に昇進し、たくさんの年下の上司にお世話になっております。
奴が一生懸命に仕事をしたのはあれが最初で最後です。
今は将来上司になるであろう優秀な新人に今から二人で媚びてるしまつです。
あの年は全体会議を途中で二人ばっくれて蟹を食いに行きました。
ばれないだろうと思ったのですが、奴がその年のNO.1の高利益率物権取得者
で表彰されてしまったのでばれました。次の日「お前ら次会議さぼったら首」といわれました。
大手相手にバカ高い見積もりを持って一人奮闘する奴みてると
あの時は本当に涙が出そうになりました。
ただこの間、そのとき俺の逆隣に座ってた後輩に
「もう一回ぐらい蟹降らせないとマジ会社にいられなくなりますよ」
とリアルな説教を奴はくらいました。
933 :
ほんわか名無しさん:2007/02/07(水) 16:39:09 O
かたあか
中学生の時の話。
隣の席になった男の子がいた。
すごく仲良くしてくれて、
授業中もよく話してた。
元気がないと励ましてくれた。
高校受験の日、推薦入試で落ちてしまい担任の先生に報告に行った。
玄関で泣きそうになりながら帰ろうとすると、
男の子が一緒に帰ろうと言ってくれて、初めて一緒に帰った。
中学を卒業してから気づいた事だけど、
彼は私の家と逆方向だった。
あの時言えなかったありがとうを、
今伝えたい。
彼とは今連絡がとれない状態でみんなが心配してる。
どうか幸せでいてほしい。
935 :
ほんわか名無しさん:2007/02/07(水) 20:54:03 O
昨日、すごく家族に感謝したので書き込ませてください。
私はちょっとした事情から両親とは離れたところで母方の祖父母に育てられました。
ちなみに現在高3。中学から授業料の高い私立に行かせてもらって、4月からは両親の住んでいる地域の国立大へ進学します。
でも本当は音大に行きたくて、祖父母とも、両親とも毎日のようにケンカばかりしていました。
私が妥協策を見つけ出すまでずっと、音大に行けないのはお父さんのお給料が安いからだとか、お母さんが病気がちで医療費がかかるからだとか、友達に愚痴をこぼしたり
時には両親や祖父母を思いっきりなじったりもしました。
そんな私も進学先が決まって、何もせずにいるよりはと祖母に勧められてアルバイトを始めました。
生まれて初めて働いて、足がむくんだり、腕が痛くなったりしたけれど
お給料が出たら向こうで使う新しいパソコンとピアノを買おう、それから服も欲しいなぁ…など、色々考えるとキツい仕事も楽しくなってきました。
936 :
ほんわか名無しさん:2007/02/07(水) 21:05:56 O
もちろん週2回のバイトの給料で買えるとは思っていませんでしたが、世間知らずな私は卒業式が終わってからなら週5とか入れられるし、3月いっぱいまで働けば電子ピアノくらい買えるだろうと甘く考えていました。
自分のお金で買って、見返してやろうって思っていました
しかしピアノの値段を知って愕然。
電子ピアノでも、タッチとか色々こだわったらどんなに安くても20万近く。
私が欲しいと思っていた機種なんて40万以上もして、値段も知らずにこれにする!と勝手に決めていて
「ピアノ高い…おやつ我慢して1ヵ月休まずに働いても買えないよ」と半ベソをかく私を見ていた祖母に
「お金を稼ぐって大変なんだよ、あんた自分で自分が1ヶ月に使う分稼ぎきらないでしょう」と言われ、涙が止まりませんでした。
お父さんの月給くらい稼ぐの、簡単だと思っていました。
でもよく考えたら、お父さんは私が起きるより早く仕事に行って、寝るより遅く帰って
土曜日に電話してもほとんど仕事に出ていることが多くて
こんなに苦労してお金を稼いでるのにお父さんは、ピアノだって文句ひとつ言わず「○○が一番気に入ったのにしような、あとパソコンも決めないと」と言ってくれた上に、卒業パーティーの為のドレスをとコッソリお金を送ってくれました。
大学に行かせてもらえるだけ有り難いのに、私はそんなお父さんにわがままばかり言って、感謝の言葉ひとつも言ったことがありませんでした。
今月末に、ようやく初めてのお給料が出ます。
少し遅いかもだけど、お父さんにバレンタインチョコ送ろうと思います。
937 :
1/2:2007/02/08(木) 12:42:30 0
俺は専門学生でイラスト描きになろうとしてたんだけど好きなことやってるはずなのに
つらくて、つらくて、つらくてしょうがなくなって、いつの間にか学校にほとんど行かなくなってた。
当然そんなことで就職先も見つかるはずもなく、ただ怠惰な日々を過ごすばかりだった…。
そこに両親から俺の様子を見に故郷からこっちに来るという連絡が来た。
部屋に泊まると言うので俺は荒れ放題の自室を申し訳程度に片付け始めた。
数日後、両親が来た。
二人は俺の部屋を見て呆れ顔で文句を言いながら俺の部屋を掃除し始める。
ズボラな俺は勝手にいじるなだのテレビ見逃しちまっただの考えながら拙い手付きで手伝った。
一通り掃除が済むと親が俺の今後の進退について話を切り出してきた。
俺はめんどくせえとっとと寝ろよ帰れよとか考えながらそれでも今の無様な俺を知られたくない、
申し訳ないと言う気持ちもあって、余計な心配をかけまいとあることないこと織りまぜてごまかした。
そして、曲がりなりにも一応、話はまとまった。
938 :
2/2:2007/02/08(木) 13:10:47 0
そのあとに親父か、こう言った。
「お前なに親にまで遠慮してんだよ。親に相手に出さないで誰に本音出すつもりなんだ?
…俺らはお前の味方だ。なにがあってもな。たとえ周りすべてが敵になっても、俺らだけは味方だからな。」
そう言って。まっすぐ俺を見る。のに、それ以上なにも聞いてこない。
…なにシラフでそんなドラマでも使わねえようなクサい台詞吐いてんだよ……バカだろ………
…こっち見んなよ…泣きそうなのがバレるじゃねえか……火たるの墓観てる時以外に人に涙見せたくねえんだよ…
自分のバカさ加減が身にしみた。泣き顔を見せまいと、俺は逃げるように浴場へ入ってすぐ床についた。
翌日、結局それ以上なにも聞かずに親は帰って行った。もう部屋を散らかすなとだけ言って。
ごまかして半分心にもないことを言ってしまったが、がんばってその言葉通りにしてみせようと思う。
親って物も本当に捨てたもんじゃないと思えたから。
また部屋に来られたら、とっとと帰れとかまた考えてしまうだろうけどなw
939 :
ほんわか名無しさん:2007/02/08(木) 19:28:06 0
私には3つ年上の兄がいる。
しかし、小学校高学年の時以来話したことがない。兄にいじめられたのが原因だ。
たまに兄が帰省しても目も合わさなければ、話もしない。そんな冷めた兄妹だった。
兄も私を嫌っている…そう思っていた。
ところが私の成人式の日に母からプレゼントを貰った。真珠のネックレスだった。
「これは兄ちゃんから、あんたに20歳のお祝いやで」そう言って渡してくれた。
母は「兄ちゃんはあんたと喋らんでも、いっつもあんたの事気にしてたんやで。
大学辞めた時も凄い心配してたんや、ホンマはこのネックレスかて直接渡したいて言うてたけど、
出張で帰れんようになったから代わりに渡してて頼まれたんや」と少し泣きながら話してくれた。
今まで私にとって兄は疎ましい存在でしかなかった。でも兄の気持ちの詰まったネックレスを
見て涙が出てきた。その時初めて兄に「ありがとう」と伝えたいと思った。
今でも兄はたまにしか帰ってこないが、今度帰ってきたら「お兄ちゃんおかえり」
と話しかけてみよう。
940 :
ほんわか名無しさん:2007/02/09(金) 00:16:33 0
くそったれホームセンターにいた時の出来事
クリスマスイブのある朝
サービスカウンターの時計売り場でボロボロの時計の電池交換を依頼された。
持ってきたの老夫婦だった。
丁寧な口調で「この時計が動かなくなってしまって、電池交換して動けばいいんですが・・お願いします。」
このくそ忙しい時にこんな時計の電池交換かよ!買った方がはえーよ!!と思っていた。
電池を機会で測定すると十分電池はある・・ってかこれぶっ壊れてんな・・
老夫婦を店内放送で呼ぶと事情を説明した。
するとおじいさんが「おまえじゃあ買ってやるよ。時計ないとお前病院の帰りのバス・・」というと
おばぁさんが「じゃあお花買えないねぇ・・」
おじいさんが「花は今度にしよう・・またお花安い日やるよねお兄さん?これください」
おばぁさん「そんな高いのじゃなくても!・・」
3780円の時計だった・・・
俺「ここでしていかれますか・・」
おじいさん「していったらいいよ」うなずくおばぁさん
わざと時計を落として、俺「すみません!こんな傷ついた時計は正規の値段では売れません500円でいいです。」
おじいさん「だいじょぶだよ、ぜんぜんきずなんてついてない」
といいはって5000円札を出してくる。傷がついてねーのは視力1・5の俺が一番知ってる!いうとうりにしろ!
941 :
ほんわか名無しさん:2007/02/09(金) 00:18:50 0
俺は後ろで見ていた準社員の女の子に・・
「これ傷ついてるよね?もう普通に売れないよね?」
女の子「はい、ちょっとひどいですね・・」
おじいさん「いいのかい?・・はは!ありがとう・・」
といって500円玉をコトっとおいた・・
俺「グリーンコーナーの植物は今日入荷したばかりなので是非お立ち寄りください・・」
おばぁさんは満面の笑みで時計をつけた。
二人はまた来るからねを連発して花売り場へ仲良さそうに消えていった。
俺はあせってレジを打ち直し、自分の金を入れた。給料日前の俺の財布にはギリギリ4000円入ってた。
俺「ちっクリスマスに一人で酒ものめねーぜ!!」といって準社員の女の子に財布を見せた。
女の子は爆笑した。「言わなきゃいいのにぃ!・・超カッコイイと思ったのに!!」
女の子は続ける・・
「じゃあよかったら今日はうちで飲みますか?冷蔵庫にお酒いっぱい入ってますよ。」
二年後俺の嫁になった。
今となっては思う・・・・・あの日いかなきゃよかった!!!
942 :
ほんわか名無しさん:2007/02/09(金) 00:21:14 0
長文に加えることいまいちの落ちで申し訳ない。
943 :
ほんわか名無しさん:2007/02/09(金) 00:25:08 0
長文に加えることいまいちの落ちで申し訳ない。
945 :
ほんわか名無しさん:2007/02/10(土) 15:41:52 O
いい話じゃないか
946 :
ほんわか名無しさん:2007/02/12(月) 12:30:43 O
AGE
947 :
ほんわか名無しさん:2007/02/13(火) 14:31:19 O
生きてても悲しいことばっかり起きるよ…
≫947
俺もここ数年立て続けに嫌な事ばっか起きてる。死にたいと思った事も何回もある。だけど、俺は明日を生きたくても生きれない人達をたくさん見てきた。だから俺は、今現在生きてるという事こそ「幸せ」なんじゃないかと思う。
949 :
ほんわか名無しさん:2007/02/13(火) 23:07:36 0
みんな、ありがとう。
・・・なんか、言いたくなったから、ゴメン。
ありがとう。
>>941 あの日いかなきゃよかった!!!
のは、イってしまったからデきてしまって、そしてケコーンしてしまったということでおk?
951 :
ほんわか名無しさん:
♂おもしろいなそれ