>>592 >合従・連衡をしても倒せなかった
細かいことですが、連衡は秦の採った政策ですな。
どちらも要因になっていると思われます。
益州は流刑地とはいえ長江の水源があるところですし、
函谷関以西の秦は地形的にも防衛に適していました。
法治に関しては、商君書というものは非常に画期的な書でしたし
彼は秦の隆盛に大きく貢献したといえるでしょうねぇ。…ただ、最期が…
李斯の焚書・坑儒は書物の散逸という結果を招いたこともあり
漢の視点からすればあまり得策ではなかったなぁと思っております。
>>592 そうそう。漏れの中では 孟嘗君>信陵君>>(越えられない壁)>>平原君>>>>>春申君
ちなみに秦が統一できたのは法治主義(中央集権化)と遠交近攻の2本柱ジャマイカと
>>594 ラストエンペラーはおもしろいですねぇ。あれで愛新覚羅家を少し調べたことがあります( ^∀^)ゲラゲラ
陳舜しんはちょっと信用できないと思い込んでいる漏れですww
幕末は熱い。
薩長土肥出身の人ならば、なおさら幕末は熱いですね。
>>593 袁世凱は朝鮮の革命にも関与していたような…
>>594 おぉ、是非調べてみます。
日露でしたらまずは坂の上の雲でも読んでみようかなぁ
ビジオタに論争を吹っかけてみる( ^∀^)ゲラゲラ
>>595 >函谷関以西の秦は地形的にも防衛に適していました。
これは秦の東側の国から見た場合だろ?秦はかなり高い頻度で異民族と戦っていたのジャマイカ?
いや〜、香ばしすぎるレスだ( ^∀^)ゲラゲラ( ^∀^)ゲラゲラ
>>595 これはお恥ずかしい^^
たしかに片方は秦の採った政策でしたね。
焚書坑儒はたしかに、未来の人々にしてみれば、大損害ですねぇ。
>>599 あ〜、六国との戦争を念頭に入れて書いてたんだわ。
ちと誤解を生んだようで申し訳無かったなorz
>>600 司馬遷が史記を著す時には散逸した書物の収集を成し遂げていたそうですが、
それにしても手間を考えると気が遠くなりますねぇ。
>>596 そんな小銀玉さんに、陳舜臣先生の「江は流れず―小説日清戦争」をオススメしますw
(素晴らしい作品です)
愛新覚羅溥儀の人生は本当に波乱に満ちていましたね( ^∀^)ゲラゲラ
>>597 幕末から明治・大正にかけての日本は本当に素晴らしい国でありました!!
(今の日本はダメですがw)
と、実は幕軍&賊軍(会津・庄内・長岡藩など)&新撰組好きなオイラですw
>>598 司馬先生の「坂の上の雲」は絶対にオススメします!!
>>603 家にあるんですが近代史にはどうしても手が伸びず…^^;
明日にでも読んでみますw
たしか鎌倉幕府は三方、山に囲まれ、南は海、咸陽を手本にしたとか、しないとか?
咸陽も三方とも険阻な山に囲まれてたのでは?
いや、それだけじゃイ民族は防げないか、わからん。
Chinaって秦が訛ったものらしいね
漢民族を称してるのにどうして?と疑問に思ったことが俺にもありました
>>602 司馬遷の頃から80ぐらい前が漢楚の頃ですかね。
現代ですら、たった60年前の南京大虐殺があったか、ないかでモメてるぐらいだから、当時の司馬遷の労力は想像を絶しますね。
>>607 80年ぐらい前…?
漢楚は漢建国前、司馬遷は後漢の人では…?
>師匠
ありがとうございます!今度読んでみまつ!
溥儀よりなぜか溥傑に興味が湧いた漏れですた( ^∀^)ゲラゲラ
>ビジオタ
そんなあっさり詫び入れられたら論争にならない( ^∀^)ゲラゲラ
>ちんこ
咸陽は南に渭水、北になんとか山があったはず
山はビジオタが答えるはず( ^∀^)ゲラゲラ
>>606 いつかChiniseに聞いたら陶器=Chinaだったらしい
この説は全く保証できない( ^∀^)ゲラゲラ
>>608 司馬遷は武帝の頃の人のはず。
これもビジオタが答える( ^∀^)ゲラゲラ
>>609 俺にいろいろ振りすぎw
陶器=Chinaはイギリスでの代名詞だったはず?
ちなみにJapanは漆ですな。
>>608 すまない。自分でもなんでそう書いたかわからん。
ただBC 80年に司馬遷が逝ったことだけ妙に記憶に残っていて、つい80と書いてしまったようだ。
重ね重ねすまない。
ちんこモッツァレッラ!
うお誤爆!すmsん!
司馬遷は全巻の人なんじゃ・・・
うわわぁぁぁ「ちんこ」いるし!!
まじすまん!
御免!!!!!!1!
武帝は確か前漢
そういえば漢の名門班氏は時代が下ると随分没落しますよねぇ。
武帝は前漢の七代皇帝…だったかな?
と、衛青と霍去病は真の名将!!
衛青は知将。霍去病はハンデ付きの名将とか。
個人的には李広もその二人と同じくらいカッコイイと思ってるw
李広の孫は確かに失態を犯したけど彼が尤も匈奴の奥地に侵攻した将だったりしますね。
漢楚の戦いBC202年
司馬遷誕生BC145年
まあやっぱ80年ぐらいでもおK?
ふたりに否定されたから、あっさり私も認めてしまったWWW
こんばん、ぷらっと。板分割は反対らしいな。まさか分割するくらいなら歴史サロン作れ!とか思っていないだろうな( ^∀^)ゲラゲラ
>>621 司馬遷の誕生年ってBC145かBC155かで論争が起こりましたよね。
やべぇ昼のレベルの低さが嘘のようだ
>>622 メモ書きを見逃さんね。狙ってるかもよ?
>>623 そのような論争があったんだ?
知らなかったけど、歴史上あれだけ重要な人物ならそのぐらいでもたしかに十分論争になりますね。
時間は腐るほどあるからな( ^∀^)ゲラゲラ
ちなみに
>衛青は知将。霍去病はハンデ付きの名将とか。
これの理由を簡単に教えてくれたらいいなぁと・・・
>>627 オレは時間ないけどな・・・
後半のは陳舜臣の「中国の歴史」から。
たしか私の読んだ十八史略は陳瞬臣著だったな。
だれかヤバいっていってたけど。
他にいい本ありません?
もう一回記憶整理したいんで。
陳でかぶったWW
>>626 訂正。BC145年かBC135年かです。
有力なのが唐代の注釈書『史記正義』の著者張守節が唱えたのがBC145年。
前104年の太初元年に数え年42歳だったということから逆算したものです。
>ぷらっと
ありがとう。
>ちんこ
ビジオタがきっと答えてくれるはず・・・
ちなみに孔子の生年が確定したのって最近だったよな?5〜6年前くらいだったか・・・?
>>631 つまりマイナー説を採るとあと十年長生きしたということですか・・・。
>>632 小銀玉さん、新しいフリーメールを習得しますのでしばしお待ちをw
(明日にでも投下しておきます)
衛青は羊使いから姉の縁で出世していきました!!
まさに「運も実力の内」ってことですねw
と、今年で孔子の生誕2556年だとか…
ぷらっとさんはどちらかと言えば戦国派でしょ。分割は賛成とおもたが・・・残念ですわい。
師匠、申し訳ないです!どうしても師匠にだけ聞いてほしいことが・・・
と、孔子はBC551年生まれですか。知らなかった( ^∀^)ゲラゲラ
さて、そろそろ落ちようかと思います。
皆さん、おやすみなさいませ。
たしか荀子とか名乗ってる人がいるなぁ。
彼も諸子百家に詳しいに違いない。
ビジー乙 ( ^∀^)ノシ
戦国時代板だと狭いので「永享の乱〜大坂夏の陣板」あたりにしてほしいものだw
ちんこ自己レスアンカー乙 ノシ
ビジオタさん、小銀玉さん、小魔玉さん、黒金兵卒さんお休みなさい。
あ、ビジオタさん、マイナー説をとると十年早死にするんですね。すまん^^