1 :
ほんわか名無しさん:
他の板で外出だが
以前のこと、母がデジカメを買って嬉しそうに色々撮っていた。
そのうちメモリがいっぱいになったらしく、メカ音痴な母は
「ねえ、これ保存できなくなっちゃったんだけど…」と遠慮気味に相談してきた。
面倒くさかった俺は、
「そんなの説明書読めばわかるだろ、忙しいのに。
どうせくだらない物撮ってんだろ!」
・・・と罵倒してしまった。
そんな母が先日他界した。
遺品を整理してたら、件のデジカメを見つけたので、
なんとなしに母が生前に写したものを見てみた。
俺の寝顔が写っていた。
涙が止まらなかった。
こういう泣ける話を聞かせてくれ
そのコピペいいかげん飽きた
3 :
ほんわか名無しさん:03/04/23 00:42
2001年9月11日、俺はNYにいた。
貿易センターに向かうと、
>>1の乗ってきた飛行機が激突し、
>>1は氏んだ。
俺はそれみて涙が止まらなかった
ということで終了
5 :
ほんわか名無しさん:03/04/23 00:44
犬が新聞を取る。
新スレ大好き〜♪
 ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
キタ━━━━━━(゚∀゚ ) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
'/ / \ __  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄_____
/ / . \ __ ______
,.、,,,,/ /、,\ . )..,_ /i
;'・д・(ノ,:、,/ /:,.:::: ::`゛:.:゛:`''':,'.´ -‐i  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
'、;: ...: ,:. :.:.:.\ \ _;.;;..; :..‐'゛  ̄  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
`"゛' ''`゛ `'(___)゛`´´  ̄ ̄
犬がカギ壊して、ご主人様を家で待ってたよ、でも、カギ壊すなや、コーギーちゃん
泣ける
拾いものだが
「おにいちゃん、こんにちは。
わたしのお母さんが、今度お兄ちゃんのお父さんと結婚するので、
わたしとお兄ちゃんは兄妹になることになりました。
わたしはお父さんができることと同じくらい、おにいちゃんができるのが
とてもうれしいです」
俺の母親は、俺が17のときに親父が迎えた後妻だ。
以前の、どうしようもない人間以下の女ではなく、本当の母親だと思ってる。
再婚が決まってから、初めて俺は新しい母親と新しい妹に会った。
何処かの私立小学校の学生服を着た9歳の女の子から、俺はこの手紙をもらった。
俺も一人っ子で、本当は嬉しかったのに照れくさかったんだ。
挨拶もそこそこで、無愛想にその手紙を受け取った。
だけど妹に会ったのはそれが最初で最後になった。
彼女はそれからすぐに病気で死んだ。
発病から死まで、あっというまの出来事だった。
俺は何でもしてやるつもりだった。
中学に入って生意気になってきたら本気で叱り付けてやるつもりだった。
学校でいじめられたりしたら、いじめた奴をコテンパンにのしてやるつもりだった。
援交とか始めたりしたら、真剣に道徳に付いて教えるつもりだった。
「おにいちゃん」から「兄貴」に変わる年頃になったら、からかってやるつもりだった。
そして彼氏が出来たら、兄貴風吹かして彼氏に「お前には妹は相応しくない」といってやるつもりだった。
妹の部屋にのこのこ現れて、バカやって二人の間に入りふざける。
「おにいちゃん!邪魔しないでよ!」なんて言われたら彼氏そっちのけで喧嘩をして、
オヤジが止めに入って、二人してどやされる。
そんな光景を夢に見てた。
葬式では、母親よりも俺の方が激しく泣いた。
友人達が心配する位狼狽して、一人で立っていられない程に泣いた。
ほんの二週間前の自分にあって、殴ってでも警告してやりたかった。
もっと優しくしてやればよかった。
どんな想いで俺宛に手紙を書いて、どんな気持ちで手紙を渡したんだろう。
見た事もない男を「お兄ちゃん」と呼ぶ時、きっと物凄く緊張しただろうに。
俺は妹の代わりに母親を大事にしている。
この人こそが俺の母親だと思ってる。
「わたしのお母さんを大事にしてね?お兄ちゃん!」
「そんな事言うまでもないだろ?」
妹とのそんなやりとりを、今でも空想しながら母親に接してる。
生きていたら、俺の妹は今年の春、高校を卒業した筈だ。
たった一回しか会わなかったが俺には妹がいた。
どこかで見たけどどこだか忘れたので思い出して書いてみました。
俺は末期の癌で、ある病院に入院した。俺に当てられた病室にはもう一人、
もう先は長くない俺と同じ境遇の男が隣のベッドに横たわっていた。
カーテンで仕切られているため奴の顔を見ることはできなかったが
お互い少なくなった時間を潰すように、孤独を打ち消すように話をするようになった。
話の内容は、退院したら一番先に何を食べるか、どんな相手と結婚するか、
結婚したらどこに住むか、子どもは何人ほしいか、老後はどう過ごすか、二人とも現実を受け止め、
この先の人生なんて無いと分かっているのに当たり前のようにそんな話をした。
窓側のベッドだったあいつは窓から見える景色を俺に聞かせてくれた。
窓からは病院の前庭が見えて、満開の桜の木に小さな鳥がとまっている。
俺はそんなのどかな風景を想像して辛うじて心に平安を保っていた。
それと同時にそんな景色を見ているあいつが羨ましくもあった・・・。
ある夜、俺は奴の呻き声に目が覚めた。俺はナースコールに伸ばしかけたその手を止めた。
(あいつがいなくなれば窓側のベッドに移動できる。
あいつには悪いが、せめて最期くらい少しでも長く奇麗な景色を見ていたい・・・。)
俺は罪悪感に苛まれながらも奴の呻き声を無視して寝たふりをしていた。
案の定、奴は次の朝に息を引き取り、俺は看護婦に窓側にベッドを移動するように頼んだ。
(これであいつがみていた満開の桜を俺も見ることができる。平安に満ちた最期をおくれる。)
だが期待して見た窓の外に見えたのは、隣のビルの、コンクリートの壁だった・・・。
12 :
ほんわか名無しさん:03/04/23 13:06
>9
>11
いいね。感動した!
13 :
ほんわか名無しさん:03/04/24 18:24
age
14 :
ほんわか名無しさん:03/04/25 00:20
兄弟愛はいいね
15 :
ほんわか名無しさん:03/04/25 23:47
こういうスレはなかなかないね。期待アゲ
ちょっと長いよ
558 :1/4 :03/04/12 02:59 ID:yXfW0hhy
この前妻に先立たれたんですよ、この前と言っても随分前だけどね。
で、生まれて初めて一人で乳児を育て始めたわけですわ。正直最初は乳児を育てるのって簡単だと思ってたのよ。みんな普通に育児してるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは男一人でやるもんじゃない。女性だね、お母さんが愛情込めてやるものだよ。
最初に寝かせつける時さ、めちゃめちゃびびってお腹そろ〜ってさすって頭そろ〜っと撫でたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか怖くなって手を止めちゃったのさ。
そしたら娘がさ「もっと撫でて!」って感じでぐずるの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だからお腹トントンしたのさ。えぇ、そりゃもうトントンしましたとも。全てを忘れてトントンしたよ。
ちょっと強すぎるんじゃないか、とか実はそろそろミルクやる時間だとかオムツも確かめないといけない事とか色々忘れてね。
だって娘が撫でろって言ったからね。
そしたらエライ事になった。
もうすごい号泣。すごい喧しさ。耳元でシンバル鳴らされたくらい。空港の隣に住んでる人でもきっと驚く。
それで横見たら娘がすごい勢いで俺の事見てんの。ホントごめんなさい。
正直「男なら女房の忘れ形見くらい一人で育てるぜ!」なんて見栄張らないで素直に娘と一緒に妻の後を追えばよかったと思ったよ。
心の底から一人で育てると決めた事を後悔して今後の事を不安に思ったね。
でも会社行って同僚に「赤ん坊の世話なんて簡単だな!専業主婦なんてただの暇人だよ。」とか言っちゃってんの。
ホント俺ってダメ人間。
誰か助けて下さい。
559 :2/4 :03/04/12 03:00 ID:yXfW0hhy
この前娘の尻に赤い染み見つけたんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて娘の初潮に気付いたわけですわ。正直最初はそんなの簡単だと思ってたのよ。みんな普通に気付いてるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは男親が処理するもんじゃない。女性だね、母親でなくてもいいからとにかく女性がやるものだよ。
最初に娘に知らせる時さ、めちゃめちゃ怯んで娘の肩そろ〜って叩いて「あのさ」って静かに囁いたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか言いにくくなって下向いちゃったのさ。
そしたら娘が俺の視線に気付いてさ「もっと早く言ってよ!」とか怒るの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だから謝って生理用品買いに行ったのさ。えぇ、そりゃもう買いましたとも。全てを忘れて買ったよ。
俺は結構ごつい外見してる事とかレジのお姉さんが結構若くて綺麗な事とか夜用と昼用がある事とか色々忘れてね。
だって娘が家で恥ずかしがりながら俺を待ってたからね。
そしたらエライ事になった。
もうすごい血まみれのゴミ箱。すごい血まみれ。俺の方が貧血になるくらい。 赤ん坊一人の血の量くらいあるかもしれなかった。
それで横見たら娘がすごい勢いで俺の事睨んでるの。ホント頼むから紙に包んで捨てなさい。
正直「男ならなんでも対応できるぜ!」なんて見栄張らないで素直に職場の若い子とかに聞いておけばよかったと思ったよ。
心の底から一人でパニクった事を後悔したね。
でも会社出て友達に話した時に「娘もこれで一人前だな!欲情すんなよ」とか言われて顔で笑って腹で密かにむかついてんの。
ホント俺ってダメ人間。
これから思春期迎える娘、俺一人で平気なのかなぁ。
560 :3/4 :03/04/12 03:00 ID:yXfW0hhy
この前娘が大学受けたんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて娘の合格発表を迎えたわけですわ。正直最初は合格発表見に行った娘の電話待つのなんて簡単だと思ってたのよ。みんな普通に待ってるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは普通の親が待つもんじゃない。裏口入学者の親だね、合格確実な親だけが安心して待てるものだよ。
最初に受話器上げる時さ、めちゃめちゃびびって受話器そろ〜って握ってそのままそろ〜っと耳に当てたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか怖くなって戻そうとしちゃったのさ。
そしたら電話の向こうで娘がさ「ちょっとお父さん聞いて!」とか言ってんの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だから「どうだった?」って聞いたのさ。えぇ、そりゃもう聞きましたとも。全てを忘れて聞いたよ。
高1の時から決めてた第一志望だとか強気な娘は滑り止め受けてないとか…受かってたら彼女は一人暮らしを始めると決まってる事とか色々忘れてね。
だって娘が聞けって言ったからね。
そしたらエライ事になった。
もうすごい合格。すごい「サクラサク」。満開過ぎて涙出てくるくらい。遠山の金さんなら肌色が見えなくなってる。
それで横見たら鏡の中の俺がすごい勢いで涙こらえてんの。ホントごめんなさい。
正直「いい父親なら娘との距離は適度にとるべきだぜ!」なんて見栄張らないで素直にもっともっといろんな話をしときゃよかったと思ったよ。
心の底から娘との会話が減っていた日頃の自分を恨んだね。
でも妻の実家言って義理の両親に「これで一段落ですよ!これからは少しは一人の人生楽しもうかな。」とか言っちゃってんの。
ホント俺ってダメ人間。
娘よ、たまには帰ってきて下さい。
561 :4/4 :03/04/12 03:01 ID:yXfW0hhy
この前娘の結婚式に出たんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて娘と腕を組んでバージンロードを歩いたわけですわ。正直最初はバージンロード歩くのなんて簡単だと思ってたのよ。みんな普通に歩いてるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは父親が歩くとこじゃない。新郎だね、どうせ連れてっちゃうなら最初から新郎が腕組んで歩けばいいんだよ。
最初に歩き始める時さ、めちゃめちゃびびって右足そろ〜って踏み出して左足そろ〜っと揃えたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか不安になって娘の方見たのさ。
そしたら娘がさ「お父さんしっかりして!ロボットみたいだよ」とか言うの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だから堂々と歩いたのさ。えぇ、そりゃもう歩きましたとも。全てを忘れて歩いたよ。
娘のドレス姿が眩しすぎるとか今からでも回り右してやりたいとか時折励ますように娘が組んでる手に力を入れてくるとか色々忘れてね。
だって娘がしっかりしろって言ったからね。
そんで新郎のとこに辿り着いたらエライ事になった。
もうすごいキス。すごい突然頬にキス。しかも「私からの最後っ屁じゃ!」って囁きながら。何だよ、それ。俺を泣かせたいのか、笑わせたいのか、泣いてやるよ。
それで横見たら新郎がすごい神妙な顔で俺の事見てんの。ホント幸せにしないとぶっ殺す。
正直「男なら余裕持って娘を送り出すぜ!」なんて見栄張らないで素直に新郎を10発くらいぶん殴りゃよかったと思ったよ。
心の底から笑顔で送り出した事を後悔したね。
でも式場出て娘に「お前の世話も大変だったよ!これからしばらくはお母さんとの思い出に浸るぜ。」とか言っちゃってんの。
「お母さん」でいてくれた時間が短すぎて名前で呼んだ事の方が多かったな、翠。
僕はいつも君と一緒にあの子を育ててきたつもりだ。
もう何年かしたら胸を張って君に会いに行きます。誉めて下さい。
おしまい
21 :
ほんわか名無しさん:03/04/26 02:51
>>16-19 いつか、最愛の人を見つけていいお父さんになろうと思いました。
素で泣いたよ、良い話をありがとう(*T(エ)T*)
23 :
ほんわか名無しさん:03/04/26 03:17
>>20 やべ…ネタじゃんと思って読んだら最後の一文うっかり泣けた。
24 :
ほんわか名無しさん:03/04/26 03:22
3年前かな、おれの親友が突然、死んだんだ。
そいつ九州から東京の大学に出てきてた奴で、
まあ成り行き上、いちばん親しいおれがそいつの
部屋の後かたづけをやってた。
ひとりで死んだ友達の部屋を片づけるのもなんなんで
女の友達や親戚含め大勢でワラワラと作業してさ。
んで、押入の布団を出したら、長細い段ボールがでてきた。
「ん?」と思って「なんでしょうねえ?」なんて
言いながら開けたら、ラベル無記入のあきらかに
業者モノとわかるビデオが8本くらい入ってた。
段ボールにはそいつの住所と名前の送り状。
「あぁあいつも裏ビデオなんて買ってたんだ(笑)
意外とあいつもねえ」なんていって、その場は談笑ですんだ。
でも、あとで再生してみたら、ずっと砂嵐なんだ、そのテープ。
裏ビデオがばれたことより、業者に騙されたことで
そいつが不憫になったよ。
死んでも死にきれねえだろうなって。
25 :
ほんわか名無しさん:03/04/26 14:21
>16-19
イイね。
良スレの予感
26 :
ほんわか名無しさん:03/04/26 14:39
やべーこのスレ・・・・。
泣ける。
27 :
ほんわか名無しさん:03/04/26 22:56
あげ
28 :
ほんわか名無しさん:03/04/26 23:02
29 :
ほんわか名無しさん:03/04/26 23:16
マジでこのスレ泣ける、
ってか泣いちゃった。
こんな良スレひさしぶり。
30 :
ほんわか名無しさん:03/04/27 10:55
デジカメノ ツカイカタヲ..... メモリ イパイナンダロ!
J( 'ー,`)し ウツラナク ナチャタ..... (`Д) イソガシンダヨ!
( ) ( ) セツメイショ ヨメヨ!
__
毒 |
家 |
墓 | ∴ ('A`) カーチャン.....ゴメン
──┐ ∀ << )
| □
| ('A`)ノ カーチャンノイヒン?
/ ̄ノ( ヘヘ ̄ ̄ デジカメ?
┌───┐
│ ('ー`) │オレノネガオ.....
└───┘カーチャン.....
31 :
ほんわか名無しさん:03/04/29 19:03
5歳の長男が自閉症です。満足に言葉もしゃべれない・・・。
俺はこの子は諦めていた。
口で言っても解らないんだよ。
躾以前の問題だ。療育センター、TEACHいろいろやったけどあまり変化がなくて・・・。
なんか育てるのが辛くなってきて。
叩いて躾けるしかないって。愛情もあるのかないのか・・。
反動か、2歳になる愛想のいい次男を可愛がってばかりいた。
話し掛けるとニコニコ可愛い。
いっつも俺の後についてきて・・・。散歩もこの子とばかり・・・。
ちょっと前のこと・・・。長男を風呂にいれた日のこと。
いつもの様に長男は石鹸で遊んでた。
体を洗おうとしてもまるで反応なし。
口笛(?)を吹きながらシャカシャカ石鹸を泡立ててる。
俺は内心うんざりしながら子供の体を洗ってやった。
洗いおわって、子供を湯船にいれた。
一息ついて自分の髪を洗っていると・・・。
子供が背中をさすっているんだよ!
手を石鹸で泡立たせて。手だけで。
初めてだよ。
なんで?自分の体も洗えないのになんで?
驚いたけど・・・。なんでか涙がでたよ。
この子にしか見られてなかったけど、シャワーで涙をかくしたよ・・・。
その日、次男のほうは妻に風呂にいれてもらった。
なんで俺の背中を流してくれたんだろう?ほんの気まぐれなのか?解らないけど・・・。
ほんのちょっぴり、この子の親になって良かった。
32 :
ほんわか名無しさん:03/04/29 19:12
祖母がボケ始めた頃、海外在住だった私は一時帰国して、和歌山まで
遊びに行きました。二年程会っていなかったのですが、以前はしゃきっと
していて厳しかった祖母が、仏さんみたいな顔で笑いかけてくれて、電子
ジャーに残っていたご飯でおにぎりをつくってくれました。「食え、食え」
と言って。
祖母と同居していて、一緒にいた従弟が「おばあちゃん、そのご飯、もう
古いんちゃうかー」と明るく言って、私の方をちら、と見て「食わんでええ」
と小声で言いました。でも私はどうしても食べたかった。だから、海苔も
塩味も何もついていない、ご飯を丸めただけのおにぎりを、口にほおばり
ました。電子ジャーの中に何日残っていたのか知りませんが、ご飯はぽろ
ぽろで変色しており、確かにおいしくなかったんですが・・・。
でも祖母が嬉しそうに私のことを見ていてくれたので、こぼさないように
頑張って噛みました。
それが祖母とのこの世での別れになりました。だから今でも、電子ジャーに
残ってしまって、ちょっと古くなったご飯を見るたびに涙がでそうに
なります。ぽろぽろのご飯の舌触りも、絶対に忘れないと思います。
33 :
ほんわか名無しさん:03/04/29 19:12
事情があって生活保護を受けている母子家庭の知人の子供が
夏休みに法事で東京へ来た。
「おじさんがディズニーランドへ連れてってあげるよ」と言うと
頑なに固辞するので、子供のくせに遠慮するなあと思って理由を訊いたら
「だって高いから」とだけ言うと、その子は下を向いてしまった。
「じゃあおじさんと、明日どこかドライブへ行こう」と次の早朝連れ出した。
首都高から湾岸線、浦安で降りるとTDLの看板があり、その子は
まだきょとんとしていたが、駐車場へ入るあの角を曲がったときの
その子の驚きと感動の歓声が忘れられない
持ちきれないくらいのおみやげを買ってやり、
5万くらい使ったが、馬にぶち込むよりはいい使い方だと思った。
34 :
ほんわか名無しさん:03/04/29 19:28
ジェリーが大人になった頃トムはもうこの世にいませんでした.
トムは自分の命の終わりがすぐ傍まで来ているのを知ったとき,
こっそりジェリーの前から姿を消しました.
ジェリーの前で弱って涙もろくなった自分を見せたくなかったのです.
トムはジェリーの心の中ではずっと喧嘩相手として生きつづけたかったのです.
トムがいなくなったのに気づいたときジェリーは悲しみはしませんでしたが,
退屈になるなと思いました.
トムとの喧嘩は最高にスリルのあるゲームでしたから.
胸の奥が不思議にチクチクはするのですが,それが何なのか,
ジェリーにはよくはわかりませんでした.
トムの願い通り,ジェリーの心の中でトムはいつまでも仲の悪い喧嘩相手でした.
35 :
ほんわか名無しさん:03/04/29 19:29
そんなある日ジェリーの前に一匹の猫が現れました.
トムよりのろまで体も小さい猫です.
喧嘩相手のトムがいなくなって寂しかったジェリーは,今度はこの猫を 喧嘩相手にしようと考えました.
そこでジェリーは,穴のあいた三角チーズが仕掛けられたねずみ取りを 利用して,その猫に罠をかけることにしました.
いつもトムにしていたように.
ジェリーは物陰に隠れて,ねずみを求めて猫がねずみ取りの近くに来るのを待っていました.
そして思惑通り猫が罠に向かって近づいてきます. ジェリーはしめしめと思いました.
いつものように,自分がねずみ取りにひっかかるふりをして,逆に猫をねずみ取りにかけてやるんだ.うふふ.
手か尻尾を挟んだ猫の飛び上がる姿が頭に浮かび愉快です.
でも,その猫はトムではありません.
猫はチーズの近くまで来たとき,ジェリーが出てくるより早く美味しそうなねずみの匂いに気づき,
目にもとまらぬ速さで隠れていたジェリーに襲いかかってきました.
ジェリーはいつもトムから逃げていたように逃げましたが,
トムよりのろまなはずの猫にすぐに追いつかれてしまい,体をガブリと噛まれました.
ジェリーも噛みつき返しましたが,トムより体が小さいはずの猫は平気です.
血まみれのジェリーは薄れ行く意識の中で,本当は鼠が猫と喧嘩して勝てるわけがないことと,
いつもトムはジェリーに「してやられた」ふりをして,
わざとジェリーを捕まえないでいたことを,そのとき始めて知ったのです.
トムの大きな優しさと友情に気づいたのです.
そしてトムがいなくなった時の胸の奥のチクチクの正体にも気づきました.
かけがえのない友を無くした悲しみでした.
ジェリーの魂が体を抜けた時,空の上には優しく微笑みジェリーを待っているトムがいました.
「また喧嘩ができるね」
「のぞむところさ,今度こそは捕まえてやるぞ」
俺が厨房くらいの時、飼ってたインコが行方不明になるというちょっとした騒動が
起きた。まぁ客観的に見れば大した事ではないんだろうけど、当時むちゃくちゃ可愛がってた
俺としては物凄いショッキングな事であった。おじいやんの話だと俺の部屋の換気の際、窓を
全開にした拍子に出て行ったらしい。ちなみにインコは俺の部屋でほぼ放し飼い状態で飼ってた。
知らせを聞いた時、我が耳を疑ったね。それと同時に無用心なおじいやんの態度に怒りが湧いた。
一日中、家の周りの屋根屋根を詮索して回ったけど、それらしいインコは見つかんなくてさ。
日が沈みきって暗くなったマイルームに入った時、もう堪え切れなくなって泣いちゃった。
机に寄りかかりながら泣いたんだ。そしてらゴソゴソと後ろの方で音がするんだよね。机と壁の
間ぐらいから。「まさか・・・」と思って机をどかしてみたら・・・いたんだよ!インコが!
カーテンに足からませてモゾモゾしてたのを救出してやって、もう安堵感で一杯のため息をしたら
不意にまた涙が出たんだ。さっきまでのとは一味違った涙が。嬉し泣きで顔を歪めてる俺を前に
インコは終始キョトンとしてた。
37 :
ほんわか名無しさん:03/04/29 20:02
手術する前の日まで、いろんな街を彷徨った。
生まれてこられない子に綺麗な景色や音や匂いを私を通じて経験させるんだと馬鹿みたいに信じて。
バイキングにいって、普段食べないものも全種類食べてみた。
「これがハンバーグだよ、美味しい?りんごのパイはちょっとすっぱいかなぁ・・」
と心の中で話し掛けながら。胸が苦しくなるまで、食べつづけた。
その日。全ては眠っている間に終わってしまった。
まるでウソみたいにあっけない。
ホンの3ケ月、一緒に居てくれてありがとう。
そして、ごめんね。
あるスレでの中絶経験者のはなし。
この書き込みについては賛否(?)両論だったけど、
私的にはこの人の心情と赤ちゃんのことを考えると涙が止まらなかった。
愛が欲しい
コピペでスマソ
532 :就職戦線異状名無しさん :03/03/28 00:39
去年3月に定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。
退職前は携帯などいらんと言っていたがうれしそうだった。
使い方に悪戦苦闘の父に一通り教えてまずメールを送ったが返事はこなかった。
その6月に脳出血で孫の顔も見ずに突然の死。
40年働き続けてホッとしたのはたったの2ヶ月。
葬式後父の携帯に未送信のこのメールを発見した。
最初で最期の私宛のメール。私は泣きながら送信ボタンを押した。
私の一生の保護メールです。
「お前からのメールがやっと見られた。
返事に何日もかかっている。
お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。
孫が生まれたら毎日子守してやる。」
40 :
ほんわか名無しさん:03/04/29 23:03
ビールは横に冷やすとうまい、と父は言っていた。
そんなわけはないと、と言っても聞かず、冷蔵庫に決まってビールを横にして冷やしていた。
酒以外煙草もギャンブルやらない親父にとって、ビールに関してだけこだわりを
持っていたのかもしれない。酒が飲めなかった俺は、一緒に飲むこともなかった。
親父が死んだ時、なぜかそんなに悲しくなかった。あっけないな、とは思ったが、
何か時間が寸断されるような感覚はなかった。親戚が自宅にきて、これからのことを
話し合っているときに、ふと何か酒が飲みたくなり、冷蔵庫を開けた。
横になったビールがあった。時間がぎゅっと凝縮されて、思い出すべきことが多すぎて、泣いた。
じわっときました。
42 :
ほんわか名無しさん:03/04/30 00:17
コピペだが
そろそろお婆ちゃんが他界しそうです。
年内中だそうです。この前お見舞いに行きました。
イマイチ、実感が沸かなかった。
もうすぐお別れなんて考えられなかった。
弱々しく、病院のベッドで寝ているおばあちゃん
私の目の前に、今いるのに、もうすぐお別れなんて分からなかった。
喋るのも辛そうなおばあちゃんは、小さな目で私をじっと見ていた
心無しか目が潤んでるように見えた。
手を握ってみた。もの凄くガリガリでしわしわ。握っても、握り返すことは出来ないらしい。
でも妙に暖かかった。お婆ちゃんの体温を感じて私も目が潤んだ。
その時、初めて実感できた。
この暖かい手に触れる事が出来なくなる悲しみ。もう笑顔も見られない。
死なないで欲しい。ずっと生きててほしい。
帰ろうとすると、入れ歯がない口でゆっくりと「いやだ」と言っていた
「これが最後になるかもしれないのに」とも。
おばあちゃんは手を離さないようにしていた。でも弱々しすぎてすぐに振りほどける。
出来ることなら、ずっと握っててあげたかった。
夜中、病院で1人死を待つおばあちゃんの傍にいてあげたかった。
涙をこらえて、「またね」と言った。
今回が多分、私にとって初めて人の死を悲しむ瞬間になるだろう。
夜の電話には怯え続けてる。ずっと一緒に居て欲しかった。
せめて、ずっとお婆ちゃんの手を握っていたい。そう思う。
43 :
ほんわか名無しさん:03/04/30 00:38
感動した。
44 :
ほんわか名無しさん:03/04/30 06:37
530 名前:水先案名無い人 投稿日:2003/03/24(月) 18:25 ID:cfM1UOO1
219 名前: 本日のレス 投稿日:03/03/24 01:13 aVKNCEC4
大学のとき、高校の同級生の女の子がALSを発症した。
そう親しくもない子だったし、ALSってどんな病気かも知らなくて
軽い気持ちで大学の近くにあったその病院に、ひまつぶしで見舞いに行っていた。
ある日彼女が、病室で言った。
「あたし処女のまま死ぬのってイヤだなあ、ねえ今度夜這いにこない?」
その晩実際に夜這いに行った俺を迎えた彼女は、病院の寝巻姿ではあったが
髪はちゃんと整えてあり、うっすら化粧をして、下着も当時流行り始めたTバックだった。
行為そのものは少々やっかいで、彼女は自分で脚を開くこともできなかった。
彼女はわざとらしい喘ぎ声をあげて、なんとか無事終ることができた。
そのあと俺に寝巻きを着せてもらいながら、彼女は嗚咽していた。
翌日俺の実家に彼女の母親から、「息子さんの優しいお見舞いに感謝します。」と
電話があったという。俺はまさかと思ったが、しばらくして戦慄した。
彼女はもう、起き上がることすらできない。トイレだって行けないから
たぶんおむつの世話になっているはずだ。
では誰が?
彼女の髪をとかし整えてやったのか
彼女に薄化粧を施してやったのか
彼女のおむつを脱がし、流行りの下着をはかせてやったのか
それがわかったとき、嗚咽とはいかないが不覚にも涙が出てきた。
あれから8年、彼女はもはや目も動かせない状態で今も闘病を続けているという。
45 :
ほんわか名無しさん:03/04/30 13:40
46 :
ほんわか名無しさん:03/04/30 14:44
時に涙に濡れる夜がある。
47 :
ほんわか名無しさん:03/05/01 00:22
このスレいいなあー。泣ける。
すまない、死ぬかもしれない より
1 名前:仕様書無しさん 投稿日:02/03/18 22:41
もうだめだ、デスマーチの連続で
心身共に疲れ果てた
もう、楽になりたい
19 名前:長くてごめん。 投稿日:02/03/19 00:18
俺、数年前半年デスマーチが続いて死にたくなった事があったよ。
毎日会社行ったらクライアントが来て職場の椅子に座ってんのね。
そん時向かいの席の先輩が客先に人質になってて、席が空いてたのよ。
でね、俺のクライアントがその空いた席に座ってノート広げて
向かいの席で報告用の書類作ってんのよ。その状態が半年。そう半年。
職場の上司もそのお客さんには頭が上がらないから、俺に押し付けてる。
フォローもしてくんない。職場は禁煙でそのお客さんは喫煙者だから、
しょっちゅう喫煙室に行くわけよ。で、帰ってきたらまた不機嫌そうに
向かいの席でわざと視線合わさないでプレッシャーかけてくんの。
息抜きもできない状態で休日も1日も無い状態で、さすがに精神が
参っちゃって、ある日朝家を出て、駅まで歩く途中で突然、
そうホント突然、死のうと考えたわけよ。
20 名前:長くてごめん。 投稿日:02/03/19 00:20
でね、職場は千葉の柏だったんだけど、なぜか俺神奈川の関内に行ったわけよ。
何で関内かっつーと、今まで一番好きだった子と学生時代によくデートした
町なんだ。そこから1日中歩いた。風が強い秋の日だったよ。知らない間に
猛暑の夏も終わってて、そんな事も気付かずに半年も働き詰めたのに初めて
気付いて、それもショックだった。
その子とも別れて1年、新しい彼女ができるでもなく、そういう感覚も忘れてた。
そんな事を考えながらふらふら桜木町まで歩いて、名物のガード下の落書き
眺めながら横浜まで歩いて、一緒によく朝まで過ごしたファミレスの近くまで
歩いた。
もう夕方になってた。そのファミレスの前に大きな歩道橋が掛かってて、
下には車がぶんぶん。でね、ここだ!って決めたわけよ。
でもね、不思議な事にそういう時ってなぜか人目を気にしちゃうんだよね。
歩道橋を通る人がなかなか途切れてくれなくて、踏み出せないのよ。
ずぅ〜っと待ってて、やっと途切れて、今だ!って手すりに乗り出そうと
した瞬間、そのファミレスの店員さんと目が合っちゃったんだ。
店員さんは凍りついた感じでこっち見てた。
何故か俺走って逃げちゃったんだよね。
21 名前:長くてごめん。 投稿日:02/03/19 00:22
でね、またふらふら歩いてそのまま何故か伊勢崎町。横浜の人なら地理
解ると思うけど、一日かけて関内〜横浜を往復しちゃってたの。
でね、ずーっと歩いて京急日の出町の駅まで来ちゃった。
そこね、俺がその子に告白した場所だったんだ。
その瞬間、その日一日デートコースを一人で歩きながら
一度も思い出せなかったその子の顔や表情、しぐさ、声を急に
はっきりと思い出しちゃって、一人で泣いちゃったんだ。
あの頃は輝いてたのに。俺今何やってんだろう、って。
ひとしきり泣いて、泣きつかれて、そのまま藤沢の実家に帰ったよ。
実家に着いたのはもう深夜。俺が帰ったらお袋が泣きながら
俺に抱きついてきた。会社から電話が掛かってきてたらしい。
朝寮を出て出社してない、彼の勤務が最近厳しかったので疲れている
んじゃないか、会社としても非常に心配している、何かあったら
すぐに連絡して欲しい、との事だった。
警察からも連絡があったらしい。関内の駅で捨てた鞄が警察に
届けられてて、中の携帯から実家に連絡が行っていたそうだ。
親父が受け取ってきたその携帯には上司や先輩や同僚や後輩から
バカみたいに沢山着信が入ってた。
普段口うるさい親父が一言、「よく生きて帰って来た、今日は安め」
って言ってくれたのを憶えている。
22 名前:長くてごめん。 投稿日:02/03/19 00:24
結局死ななかったけど、その夜は眠れなかった。
一晩じゅう「俺の幸せってなんだろう?」って自問自答してた。
翌日昼から出社して、上司に全部話した。
上司も何も文句を言わなかった。
結局その案件は先輩が引き継いでくれた。
クライアントはもう来なくなってた。担当も替わってた。
引き継いだ後、1週間休みを貰った。
1週間、横浜の大桟橋の脇の船着場の浮き桟橋で波に揺られて
毎日ぼぉ〜っとした。「俺の幸せってなんだろう?」って。
俺はやっぱりこの板のみんなと同じでコンピュータが好きだ。
プログラミングが好きだ。誰かとその事で議論するのも好きだ。
後輩に教えるのも好きだし、先輩から昔の話を聞くのも好きだ。
お客さんがすっげえ喜んでくれるのも好きだ。
でね、1週間の長い休みが明けて会社に行って、上司に「やっぱり
この仕事が好きなので続けます」って言ったら喜んでくれた。
こんな事があって、絶対辞めると思ってたらしい。
それから、適当に息を抜く技を身に付けた。
お客さんのアオリのかわし方もうまくなった(と思う)。
23 名前:長くてごめん。 投稿日:02/03/19 00:26
それから数年、今のカミさんには話した事無いけど、
カミさんとその脇で寝ているガキの顔を見て、
つくづくあの時死ななくて良かったと思う。
>>1 耐えれば幸せになれる訳じゃない。
でも、死んでしまうとその後の幸せにも出会えなくなっちゃうよ。
上手く言えないけど、俺は君に生きていて欲しい。
君なりの幸せがどこかに必ずあるはずだよ。
>>38 ずっと探してたんだけど、どういう愛がいいのかわからなかったのでこんな話を。
104 :大人の名無しさん :01/12/06 04:02 ID:z3nX0l6/
学生時代、書類の手続きで1年半ぶりに実家に帰った時のこと。
本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので
結局日帰りにしてしまった。
母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んで
いると、父が会社から帰ってきた。
口数が少なく、何かにつけて小言や私や母の愚痴を言う父親のことが苦手で、
一緒に居ると息苦しさを感じていたの私は、父が帰宅する前に帰って
しまいたいというのも、日帰り、ひいては通えない距離の学校を選んだの
理由の一つだった。
父が、「お前、泊まるんじゃなかったのか」と訊いたので、
「ちょっと忙しいから」とぶっきらぼうに答えると、手に持っていた
ドーナツの箱を私に差し出し、
「これやるから、電車の中で食え。道中長いだろうから」と言った。
駅に着くと、電車は行ったばかりのようで人気がなく、30分は
待たされるようだった。
小腹が減ったので、父からもらったドーナツの箱を開けた。
3個ずつ3種類入っていた。
家族3人でお茶するつもりだったんだなぁ。
でも、私が9個貰っても食べきれないよ。
箱の中を覗き込みながら苦笑した。
その直後。
あぁ、あの人は凄く不器用なだけなんだろうな―。
ふとそう思うと、涙がぼろぼろ出てきた。
様々な感情や思い出が泡のように浮かんでは消えるけど、どれもこれも
切なかったり苦かったりばっかりで。
手持ちのポケットティッシュが無くなっても、ハンカチが洗濯して干す前
みたいに濡れても涙は止まらなくて、
結局、一本あとの電車が来るまで駅のベンチでずっと泣き続けていた。
55 :
ほんわか名無しさん:03/05/01 19:08
>>53 俺にも似たような経験がある。
共感できた。感動した。
>>54 そんな事を言われたら、誰かが亡くなった話を貼れない…
>>55 家族の大切さって、大学あたりの年頃からやっとわかるようになるよね…
231 名前:2度目 投稿日:2000/12/21(木) 17:48
私も弟も所帯を持って家を出て、
田舎に両親を二人きりでしてしまっていた。
小さな会社を経営していた親父は何よりも仕事優先で
遊びも仕事関係の仲間とばっかりだった。
そんな親父が二人きりになってからは母とあちこち出かけていたらしい。
でも1年前、親父が心臓発作であっけなく逝ってしまってから
母は大きな家にずっとひとりだった。
おそらく母の60数年の人生で初めてのひとり暮らしだろう。
今年の節分の翌日、用があって実家を訪ねたとき
窓の外に節分の豆が落ちていた。
母が夜、たったひとりで豆まきをしていたんだと思った途端
突然涙が出てしまった。
数粒の豆を見下ろしながら、涙が止まらず
なかなか家に入れなくて困った。
育児板・泣いた話 より
105 名前:名無しの心子知らず 投稿日:02/03/12 02:10 ID:kZUjKi9/
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」
こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ〜」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。
良スレ、ありがと。
59 :
ほんわか名無しさん:03/05/04 10:33
良スレ、age
本当に良い
60 :
ほんわか名無しさん:03/05/05 00:06
こころ洗われます
61 :
(・A・)イクナイ!! ◆6I3OBtUOrU :03/05/05 00:25
良スレage。
マジ泣いた。
62 :
悠輝 ◆YUKi6IT53o :03/05/05 01:41
無駄に続くような日常と複雑な人間関係にほとほとつかれた。
学生だけど自殺も考え、何度も手首を切ろうと思った。
その度にすごい自己嫌悪。人間やめたくなった。
で、ある日学校から帰ってきて、いつものように暗い部屋でボーっとしてた。
すると机の上に小学生のころの文集がぽつんとおいてある。
なつかしさにつられてページをめくる俺。
頭の中に小坊のころの思い出が次々に浮かんでは消える。
ダチと喧嘩したこと、はじめて好きな子ができたこと、毎日日が暮れるまで遊んだこと。
胸が熱くなり、声にならない声で泣きじゃくった。
最後のページをめくると、白紙の部分にクラスのみんなの寄せ書きが書いてあった。
「違う学校行ってもお互い頑張ろう!」「またみんなであそぼーね!」。
他愛もない言葉達に深く感動した。
もうみんなあの頃にはもどれない、それぞれの荷をしょって今を生きていかなきゃならない。
悟ったといえば大袈裟だけど、そう、思った。
俺は文字通りあの文集の中の友だちに“救われた”。
とりあえず、俺もこいつらと『またあそぶ』までは、絶対に、死ねない。
駄文スマソ
65 :
ほんわか名無しさん:03/05/05 05:19
>>64 ともに頑張って生きよう。゚(ノД`)゚。
66 :
ほんわか名無しさん:03/05/05 05:26
感動させ過ぎだぞオメーラ!
父親関連はクルね・・・。
俺の親父、自衛官だったから、
すげぇ堅物で、うるさくて、すげぇ嫌だった。
今はあんまり実家に帰らないからってのもあるけど、
結構普通に話せるし、実家に帰った時は2人で温泉行ったりしてるし、
昔と変わらずうるさいけど、それも親心なんだなって思う。
長生きしてくれよー親父。おふくろもー。
大好きだった子が交通事故で亡くなった。
事故の前日、喧嘩をして それっきり。。
毎日鳴っていた携帯もその日を境に鳴らなくなった。
その子とはいつも一緒に居た。
お互い好きなのは判っていたのに、だからこそ告ることが恥かしくて
そんな日々が続いた。
しばらくして文化祭があった。
その日は俺の誕生日と重なっていた。
うちのクラスはクレープ屋さんをやっていて、途中で材料がきれたので
2人でを取りにいくことにした。廊下を歩いていると脈絡もなく
彼女が告ってきた。そんな感じで、その日から彼氏彼女の関係を持てた。
大切な人を失うというのは人生で初めてのことだった。
彼女が亡くなった時は自分も事実が理解できず
特に泣く事もなかった。
彼女の部屋を片付けをした時も、火葬の時も。
今になって聞いたけれど 周りは「狂ってしまった」と思っていたそうだ。
だけど本当に当時は哀しみなんて感じなかった。
―それから一ヶ月後の夜
携帯電話が突然鳴った。
「新着メール1件」
久し振りにみた表示だった。
「題名:お誕生日おめでとう!!
本文:お誕生日おめでと〜☆☆
もう17歳だねぇーあと1年で結婚できるよ♪♪
そして…今日で付き合って1年だよo(≧∀≦)o
あたしは何年経っても○○君のこと大好きだからね☆
迷惑ばかりかけてるし、これからもかけると思うケド…
よろしくね☆★
亜依。 」
理解出来なかった。最初はいたずらかと思った。
だけど…もう一度読み返した時 彼女の顔が久し振りに思い浮かんだ。
そしてやっと、彼女が死んでしまったことに気付いた。
どうしてあの時、素直に謝れなかったのか。
どうして許せなかったのか。
喧嘩の原因は全て俺にあったのに…。
そして2人の思い出が甦る。
初めてこの子を見たこと・思い切って話しをかけたこと・カラオケ行ったこと・プリクラ撮ったこと・毎日一緒に帰ったこと
突然告られたこと・初めてキスしたこと…
その夜は今まで考えなかったこと・思い出せなかったことが一気に頭を駆け巡って
泣き明かした。
届くはずのない彼女からのメール。
実は某サイトを利用した物で、セットした日にメールを届けてくれるというサービスだった。
彼女がこれをいつ書いたのかは分からないが、本当に今は喧嘩を後悔している。
今でも密かに100番目の位置に、保護メールとして このメールがあります。
各ヌレの矛感
71 :
ほんわか名無しさん:03/05/06 00:31
さよなら青い鳥のコピペ誰か貼ってくださいおながい
他スレからですが、コピペさせていただきます。
すみません、触発されて俺もお話しさせてもらう。
俺が結婚したのは俺が20、妻が21の時で、学生結婚だった。
二年ほど、貧乏しながら幸せに暮らしていたが、あるとき妊娠が発覚。
俺は飛び上がるほど嬉しくてひとりではしゃぎ、
無茶はするな、という妻の言葉も無視し次の日には退学届けを提出。
叔父さんの経営している会社にコネで入れてもらった。
まあ、とにかく俺はやる気満々で働きまくって子供元気に育てるぞ!
ってなもんだった。単純だった。
その後しばらくして交通事故で妻がお腹の中の子と一緒に死んだ。
このあたり本当に今でも良く思い出せない。
なにやら言う医者につかみかかって殴り飛ばしたこと、
妻を轢いた車の運転手の弁護士を殴り飛ばしたことは
うっすら覚えている。(むちゃくちゃだ)
そのあとは本当に記憶が曖昧だが、
葬式もきちんとすませ、手続きなんかもテキパキこなし、
何日か実家で休んだあと家に戻った。
それからは日付の感覚もなく、テレビも見ず、ただ米を炊いて、食って過ごした。
自分が鬱なのだとか落ち込んでいるのだとかそういう思考もなかった。
自分でも状況がよくわかっていなかった。
なんとなく、カッターで指先を軽く切っては治るまで放置する、
とかいう今思うとほとんど病気(そうだったのだろうが)のような
事を繰り返して過ごした。
突然夜中に涙がぼろぼろ出てきて混乱したりしたが、
オナニーして寝てやった。
死のうという気持ちもなかったと思う。
当時のことを友人や親に聞くと、様子伺いの電話などには
きちんと受け答えしていたというのだがあまり覚えていない。
おそらくそんなこんなで半年は生活していたと思う。
ある時夢を見たが、何の夢かは覚えていなかった。
とにかくひたすら謝っていたように思う。
ふと目が覚めて、ああ、なんか悪夢をみたなと
体を起こしてその光景に心臓が止まるかと思った。
目の前に小さな女の子がちょこんと座って俺を見ている。
なんだこれは、夢か?まだ夢か?と思いながら
自分の心臓の鼓動で視線がぐらつくのを感じてびっくりした。
とっさに水子の霊だと思った。死んだ俺の子が化けて出たと思った。
そのときがはじめて自分の妻と子供が死んだとちゃんと
認識した時だったように思う。
その子が、「大人なんだから、ちゃんとしなきゃだめなんだよ!」
と俺を叱りつけた。
もう混乱に継ぐ混乱だ。汗なんかダラダラ出て、
俺、心臓麻痺で死ぬんじゃないかと思った。寝起きだしなおさら。
そのとき、部屋のドアから大慌てで隣の部屋の奥さんが入ってきた。
「すみません!この子勝手にはいっちゃって・・・」
そこでやっと現状を把握した。
よくよくみれば、この子は隣の家の子共で、
妻がいた頃はなんども会話を交わしたことのある子だった。
ドアを開けっ放しにして寝ていたところに入ってきた実在の人間だ。
幽霊じゃない。
ああ、違うのかと思った瞬間、
なんだかベロリと目の前の幕がはがれたような感じで、
俺はその子にしがみついて号泣していた。
「すいません」と「ありがとうございます」を意味不明に連発していたと思う。
あとから聞いた話では、そこの一家はひきこもっていた
俺のことを心配してくれており、
何度も夫婦で何をして上げたらいいか、と相談していたらしい。
その相談を一人娘のその子は聞いていて、
落ち込んだ大人を励ましてやろうと活を入れにきたらしい。すごいやつだ。
とにかく、その日がきっかけで俺はカウンセリングに通い、二ヶ月ほどで職場復帰。
届けも出さず休んでいた俺を休職扱いにしてくれていた叔父は
快く迎えてくれ、しばらくのあいだ毎晩メシをおごってくれた。
隣の夫婦とも仲良くなり、寝起きの悪い旦那を起こしてくれとか言う理由で毎朝家に呼ばれ、朝飯をごちそうになった。(かなり強引だ)
とにかくもう俺の周りの人間が神級にいいひと達だった。
俺は救われたし、妻と子供の死をちゃんと悲しむことができた。
で、その娘さんが先月結婚した。(すでにその隣室の親子はマイホームを建て引っ越していったが未だに仲良くしてもらってる。)
親戚が少ないから、とか言う理由で式にまで俺が呼ばれ、
親族紹介のあとその子と話す時間があった。
俺とその子は口が悪い感じの関係で(15も年が離れているのに)、
その日もあまりにも綺麗になったその子に動揺して
「オメーまだ18才なのに結婚しちゃってもったいないな」
などと俺が言うと笑いながら
「寂しいのか、あんた?」などといいやがるので
寂しいよ!と言った。
俺は昔、お前に助けてもらった、おまえのお父さんとおかあさんにも
助けてもらった、だからお前のこととても大好きだ、
だから寂しい!とまくし立てるとまた号泣していた。
30過ぎたおっさんがヒックヒック言いながら花嫁の前で号泣だ。
はずかしい。気づくとその子も大泣きだ。
新郎側はびっくりしただろうな。親以外のおっさんと新婦が大泣きしてるんだから。
俺は今でも結局独り身だが、
その子が困ったらなにがなんでも助けてやろうと思っている。
恥ずかしいのでその子には言わないが。
もう俺にとってはあの子は自分の娘みたいなものなのだ。
なにぶん前半は10年くらい前のことなので
なんだか人ごとのように淡々とした文章で申し訳ない。
本も読む方じゃないし文章も稚拙でスマソ。
漫画みたいな話なので2ちゃんで書くのは恥ずかしいと思っていたが
このスレを見ていたら俺も書き込みしたくなった。長文スマソ。
さよなら、青い鳥。
小さい頃は近所の駄目人間おじさんをバカにしてたっけ・・・。
よれよれの紺のビニールジャンパー、べた付いてそのままよりも
少なく見える髪の毛。猫背。生気のない瞳。
ただその存在そのものを見下してたね。
将来自分は絶対に出世するんだって何の根拠もなく思ってたね。
小さい頃からの日々の積み重ねが大人になるまで続いてくなんて
夢にも思わなかったよ。
中学生の頃通っていた塾の先生が言ってたな。
「俺はあんまり頭良くないから法政にしか行けなかったんだ、ははは。」
クラスのみんなで大笑いしてたっけ。
あの内何人が法政以上の大学に行けたというのだろうね。
毎日会社に通って夜遅くまで働いてるお父さんが
いかに大変で偉大かって、やっと分かりました。
転職を繰り返して人に馬鹿にされて初めて分かりました。
生きるって本当に大変。何をやっても後悔が待ってるもんね。特別じゃない。
自分は特別な人間でも何でもないんだって、20代後半になって
やっと 分かりました。
あの頃、白い眼で見てしまったおじさん、ごめんね。
あなたのぶんまで生きようと思います。
でも、時間が必要だったことだけは分かって欲しいんだ、おじさん。
フラッシュ
http://www.geocities.co.jp/PowderRoom-Lavender/7709/blueb21b.swf
81 :
ほんわか名無しさん:03/05/06 10:28
料理の好きなお母さんがいて、いつも家族の為に一生懸命作ってた。
それから、友人や知人を招いて手料理を振る舞っていた。
みんな「おいしい」「おいしい」といって喜んで食べてくれたので
お母さんは嬉しそうだった。
でも、本当はお母さんはすごい味オンチで、お母さんの作る料理はまずかった。
だけど、みんなお母さんが大好きで
そうやってみんなで集まって食事するのが楽しかったので
お母さんの手料理がまずいなんて事は誰もいわなかったし
実際そんなことはどうでも良かったのだ。
けれどある日、食事に招いた人に
お母さんは、はっきりと「マズイ」と言われてしまった。
その時のお母さんの表情…
見ていて、すごく辛かった。
82 :
ほんわか名無しさん:03/05/06 11:27
俺が生まれるのよりも前から、うちで大きなインコの「ダイちゃん」を飼っていた。
寿命が40歳くらいのやつ。
ダイちゃんは、人間嫌いなのかすごく今日凶暴な性格で、指を入れると噛み付かれたりもした。
もちろん手に乗るなんてかわいいこともしない。
俺も母親もダイちゃんのことをそこまで好きではなかった。
小学校1年の時に犬を飼い始め、俺たちは人懐こい犬の相手ばかりして、ダイちゃんにはたまに話し掛けるくらいになった。
小学校2年の時、ダイちゃんがよくくしゃみをするようになった。
だけど、俺も母親も、「こんな元気にしてるんだから大丈夫」と言って普通に世話をするだけだった。
半年くらいしても相変わらずくしゃみをしているので、ある日、「明日病院に連れて行こう」と病院に予約をいれた。
次の日の朝、鳥かごのカーテンをはずすと、止まり木で目を閉じているはずのダイちゃんが下に落ちていた。
「ごめんね、ごめんね」と号泣しながら庭にダイちゃんを埋めている母を子供なりに「ママは悪くない」と励ました。
夜、布団の中でこっそり泣いた。
83 :
ほんわか名無しさん:03/05/06 13:01
子供の頃から自転車が好きだ。
俺は高校生の頃結構な事故を起こしたことがある。
高校の頃は毎日「あ〜死んだら楽になるだろうな〜」みたいなことを考えていた覚えがある。そんな毎日だった。
そして事故を起こした。あまり記憶に無いが、かなりの出血で80%ぐらいの確率で死んでいたらしい・・・。
入院生活が始まった。毎日死ぬほど退屈だった。「どこ行っても退屈だな・・・」なんて怒りすら覚えた。
俺の人生は何なんだ?退屈で退屈で、俺の人生は何なんだ?人は死ぬような経験をすると生きる素晴らしさみたいなものを感じる、とか聞いたことがあるけどそんなことは微塵も思わなかった。とにかく退屈なこの入院生活から抜け出したかった。
そして、やっと退院の日がきた。嬉しい反面「あぁ、またあの日々にもどるのか・・・」とも思った。久しぶりの実家はやはり落ち着く。
そんなある日にふらっと買い物に出かけた。
自転車に跨るのがすごく久しぶりな気がした。
ペダルを感じる足に何だか「感動」した。今でもあの感情は解らない。
「クソ、やられた・・・」そう呟いて、近所の公園でタバコに火をつけてみたりした(おいおい高校生だろ?)
久しぶりに吸うタバコはひどくマズかった。
ベンチに腰掛けてると、今まで感じたことの無い「笑い」が込みあげて来た。
いつもの景色がやや明るく見えた。
この明るさを大切にしたくなった。保っていこうと思った。
いつもコピペでスマソ。でもスレが賑わってきたようでとても嬉しいです。
今回はほの板からのコピペです。こんなスレがあったんですね。
◆◆◆号泣!本気で泣ける話◆◆◆ より
82 名前: ほんわか名無しさん 投稿日: 01/12/01 15:26
今だったら本当、捕まってるぐらいの暴力親父。
テレビの世界にだってこんなヤツいないよってぐらいにうっとうしい親父だった。
母は耐え切れずに俺と兄貴を置いていったらしく、物心ついたときにはいなかった。
くる日もくる日も殴るける。灰皿を投げつけられて病院行った事もあった。
中学何年生かは忘れたけど、大喧嘩して家を出てったの。女つれこんでるのは
知ってた事だったから親父は俺を探そうとしないだろうから嬉しいのか悲しいのか
複雑な思いでふらついてて結局友達の家に一日だけ泊まって帰るという約束で
入れてもらったんよ。でも、その夜、親父が知るはずもない俺の友達の家にとびこんできて
何もいわずに俺を引っ張ってつれて帰ったの。
そのときはやっぱ「またブン殴られるのかな」「また病院逝きかな」「今日で俺死ぬのかな」
とか思ってた。
ところが家に帰っても何も言わずにずっと黙ったままで。
んで気まずくて息もできないくらいで早く時間過ぎろって思ってて。
そしたらいきなり「俺が死んだら泣いてくれるか」なんて言ってて「はぁ?」
って風にしどろもどろしてたの。んで淡々と今までの事とか親父の子供のころとか
喋って、最後に「今までごめんよ」って言って。その間俺身動き一つできなかった。
何をいきなりこんな事言ってるんだって。親父が憎いとかそんなこと思う余裕なくて
考えてたの。もちろん兄貴も話を聞いてたらしくて後から話し合ったけど、結局わからなくて。
その三日後に親父が死んじゃったの。ほんとにコロっと。病院の先生からよれよれの
手紙を手渡されてね。兄貴と二人でよんだ。ひたすらに謝ってる手紙。
アルコール中毒で手も思うように動かせない汚い字で。
その手紙の最後に「玄関の梁の下に酒がある。あと十年後、おまえ達が大人になったら
俺の仏壇の前で飲んでくれ。」って書いてあった。
その時なぜか涙が出て、恨みこそすれあんなに殺したがっていた親父が
死んじまったって。
明日、ちょうど約束の十年目。兄貴は俺が十八のときに肺炎で死んだ。
一人身の俺は明日、三人で酒を酌み交わす。
86 :
肉の(∩ω∩)カーテン ◆5EJ71eKlNQ :03/05/06 13:13
やはりこれ最強
昨日、ブスな女と話したんです。ブス女。
そしたらなんかめちゃくちゃ好きな人ができたらしいんです。
で、よく見たらなんかほんのり化粧してて、アイラインとか引いてるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、好きな人ができたぐらいで普段してない化粧なんてしてんじゃねーよ、ブスが。
つくりの問題だよ、つくりの。
なんかリップも引いちゃってるし。女の子らしくメイクってか。おめでてーな。
ちょっとは見られる顔になったでしょ、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前な、鏡やるからその化粧落とせと。
ブス女ってのはな、すっぴんでいるべきなんだよ。
席替えで隣になった男子からボロクソ言われてもおかしくない、
私は女を捨ててます、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。ピエヌだのメイベリンだのは、すっこんでろ。
で、やっと話がそれたかと思ったら、はぁ〜恋って切ないね、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、お前にはそんなもん必要ねーんだよ。ブスが。
得意げな顔して何が、恋は切ないね、だ。
お前は本当に恋をしているのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、恋してるって言いたいだけちゃうんかと。
情報通の俺から言わせてもらえば今、お前のアノ人には、
カワイイ恋人がいるんだよ。残念だったな。
気づかずラブレターでギョク砕。これがブスのコクり方。
ラブレターってのは顔を合わせることがない。そん代わりショック少な目。これ。
で、返事がいつまでも来ないで自動あぼーん。これ最強。
しかしこれをやるとクラス全員にばれる危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前みたいなブス女は、早いところオレの気持ちに気付けってこった。
87 :
ほんわか名無しさん:03/05/06 13:46
88 :
ほんわか名無しさん:03/05/06 14:02
>>86 作者はその「ブス」のことが好きだという罠。ワロタ。
89 :
ほんわか名無しさん:03/05/06 18:14
スレ賑わってきてうれしいです。コピペです。
◆◆◆号泣!本気で泣ける話◆◆◆ より
226 名前: ほんわか名無しさん 投稿日: 01/12/20 03:43
セブ島から特攻出撃した大和隊隊員植村少尉が幼いわが子に あてた遺書。
素子 素子は私の顔を能く見て笑いましたよ。私の腕の中で眠りも
したし、またお風呂に入ったこともありました。素子が大きくなって
私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代叔母様に私のこと
をよくお聞きなさい。私の写真帳もお前のために家に残して あります。
素子という名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思いやり の深い人になるようにと思って、お父様が考えたのです。
私はお前が大きくなって、立派なお嫁さんになって、幸せになったの
を見届けたいのですが、若しお前が私を見知らぬまま死んでしまって
も、決して悲しんではなりません。お前が大きくなって、父に会いたい
ときは九段にいらっしゃい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様の
お顔がお前の心の中に浮かびますよ。 父はお前が幸福者と思います。
生まれながらにして父に生き写しだし、他の人々も素子ちゃんをみると 真久さんにあっている様な気がするとよく申されていた。
またお前の伯父様、叔母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって
下さるし、お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福を
のみ念じて生き抜いて下さるのです。必ず私に万一のことがあっても 親無し児などと思ってはなりません。父は常に素子の身辺を護って おります。優しくて人に可愛がられる人になって下さい。
お前が大きくなって私のことを考え始めたときに、この便りを読んで 貰いなさい。
昭和十九年○月某日 父
植村素子へ
追伸 素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて
自分の飛行機にお守りにして居ります。だから素子はお父さんと一緒に いたわけです。 素子が知らずにいると困りますから教えて上げます。
90 :
ほんわか名無しさん:03/05/06 18:24
197 名前: ほんわか名無しさん 投稿日: 01/12/14 00:06
去年、母が癌で亡くなった。
3ヶ月間母がすごしていた病室を片付けていると、引き出しから封筒が見つかった
封筒には一言「お母さんへ」と書かれていた。
思い出した。漏れがリア厨の時、林間学校で強制的に書かされたものだった。
漏れの母校では、林間学校に行く前に学校側が生徒の家族に
生徒に手紙を書いて欲しいと秘密裏に依頼して
その手紙を故郷を離れた時に突然生徒に渡すというドッキリ企画が代々あったらしい。
で、実際担任から生徒に手紙が渡されると、大半の生徒は
「なんだよこれ?バカじゃねえの?ギャハハ。」 って感じのリアクション。
しかしクラスで一番派手な女(後にヤリマンとなるとなる)が泣いているのを見た担任は俺たちを叱った。
しぶしぶ返事を書く生徒たち。もちろん心はこもっていない。
担任の教師が「何か記念になるものを入れておくといい。」っていったから
漏れは紅葉をいれておいた・・・。
母の病室で見つけた封筒の中には、汚く、短く、おざなりな文章の書かれた手紙と
ぼろぼろになった紅葉の破片。
こんなものを長年とっておくほど、漏れは母に言葉をかけられず
思い出を作ってあげられなかったことを思って 母がかわいそうで、とにかく泣きじゃくった
長文&駄文ゴメソ みんなは親を大事にしてね
91 :
ほんわか名無しさん:03/05/06 18:36
171 名前: ほんわか名無しさん 投稿日: 01/12/12 00:12
少し長編になるかもしれませんが
最近気持ちの整理もできたので書いてみます。
今から6年前の話です。
僕がまだ10代で、あまり携帯電話は普及してなくて
ポケベル全盛期の時代のことです。
僕はその頃高校を出て働いていたんですけど
2つ年上の女性と付き合っていました。
お互いの親にも会ったりして
僕は結婚する事を信じて疑いませんでした。
毎朝ポケベルに「オハヨウ」とか
「ガンバッテネ」みたいなメッセージのやりとりをしていたのですが、
ある日僕がメッセージを送るのがめんどくさくて送らない日があって、
彼女からもメッセージは送られてきませんでした。
ちょうどその日は給料日で
僕は今日は彼女にメシでもおごろうと
どこに行こうか考えていました。
仕事が1段落つき、昼休みに入り
食事に行こうとした時に僕宛の電話がなりました。
その電話は彼女の交通事故を告げる電話でした。
92 :
ほんわか名無しさん:03/05/06 18:37
172 名前: ほんわか名無しさん 投稿日: 01/12/12 00:12
僕はその電話を置いた後、
しばらく何のことかわからなかったんですが、
「今意識不明だ」という言葉に体中汗ばんだのを覚えています。
すぐに無理やり会社を早退し
彼女が運ばれた病院へ向かいました。
電車の中で「実はたいした事ないんちゃうかな?」
とか自分に都合のいい方にしか考えたくなかったんですが、
「もしかしたら・・」って考えると周りに人がいるのに
ボロボロと涙が出てきて、すごくさみしい気持ちが溢れてきました。
僕が病院に着く頃には、意識が戻っている事を祈りながら
病院まで走っていきました。
彼女の家族に出会い、容態を聞いてみると
彼女は集中治療室に入っている、という事を聞いて
事態の深刻さを悟りました。
外傷はほとんどなく、脳にショックを受けたらしく
まだ意識は戻っていませんでした。
僕はとりあえず会社に彼女の意識が戻るまで休む事を
電話で伝えて病室の前で、意識が戻るのを待つ事にしました。
その日は病院のソファーで、ほとんど眠れずに夜を明かしました。
目の前のストーブで背中は寒かったのに
顔だけがすごく火照っていました。
93 :
ほんわか名無しさん:03/05/06 18:37
173 名前: ほんわか名無しさん 投稿日: 01/12/12 00:12
結局その日は意識が戻る事なく
次の日の朝1番で着替えなどを家にとりに帰りました。
病院に帰ってみると明日手術ができるかどうかが
わかるだろうという、医者からの話があったそうです。
そして5分だけ面会時間がもらえるとの事で、
僕は会いたいような会いたくないような、
複雑な気持ちでしたが、給食当番の時の様な服を着て
彼女に会いに部屋にはいりました。
部屋の中は訳のわからない機械がいっぱいで
その中のベッドの一つに彼女が寝ていました。
まるで眠っているだけの様な顔で
名前を呼べば今すぐにでも起き上がってきそうでした。
手を握ると腕のあたりに、点滴などの管が何本も刺されていて
容態の悪さを物語っているようでした。
それと唇が妙にカラカラになっているのが気になりました。
5分間をいうのは短いもので、
何か話しかけようとしたのですが、
なんとなく周りの目が恥ずかしくて
言葉らしい言葉をかけれませんでした。
94 :
ほんわか名無しさん:03/05/06 18:37
174 名前: ほんわか名無しさん 投稿日: 01/12/12 00:13
顔を見ると眠っているだけに見えるので、
その日は少し気分も落ち着いて
なぜか「絶対大丈夫!」という根拠のない自信でいっぱいでした。
それからは彼女の意識が戻ってからの事ばかり
考えるようになり、頭の手術するんやったら
髪の毛剃らなあかんから、帽子がいるし買いに行こう!
と看病の事を考えて買い物に行く事にしました。
この時僕は目を覚ました彼女を喜ばせる事だけを考えていました。
さっそく帽子を探しに行き、
キャップは似合わんし、ニット帽だとチクチクするから
という事で、綿で出来た帽子を探して買いました。
買い物が済んで、帰ろうとした時に
街中を歩く女の子を見てると、
なんか自分が現実から少しズレた場所にいるような気がして
妙な不安を感じました。
その不安からか、彼女の意識が戻ったら正式にプロポーズしようと
安物ですが指輪まで買って帰りました。
その日も結局容態に変化はなく過ぎていきました
95 :
ほんわか名無しさん:03/05/06 18:38
175 名前: ほんわか名無しさん 投稿日: 01/12/12 00:13
次の日のお昼前、彼女の父親だけが医者に呼ばれて
病状の説明を受けるとの事だったのですが、
無理を言って僕も同席させてもらいました。
どうしても自分の耳で医者から聞きたかったんです。
多分あれほど緊張した事は今までになかったと思います。
医者の部屋に入って、医者の顔色を見てみると
どっちともとれない無表情な顔をしていました。
医者が口を開いて、簡単な挨拶が終った後喋り出したのですが、
病状はよくなるどころか病院に運ばれた時点で
すでに手遅れでした。
僕はこれを聞いて頭がグラグラして
椅子から落ちないようにする事しか考えれませんでした。
どうやら今治療をしている様に見えるのは、
家族に心の準備をさせる為に
無理やり心臓を動かして、体だけ生かして少しずつ
悪い方向へ持っていくというものでした。
僕は部屋を出て彼女の父親に、家族にはまだ言わないで欲しいと言われ
泣き出しそうなのをこらえて、母親に話かけられても
「用事が出来た」とだけ言い残して、誰もいない場所まで走りました。
街中であれだけ涙を流して大声で泣いたのは初めてでした。
96 :
ほんわか名無しさん:03/05/06 18:38
176 名前: ほんわか名無しさん 投稿日: 01/12/12 00:13
それからちょうど涙が枯れた頃、病院へ戻りできるだけ普通に振舞いました。
その夜、彼女の父親と銭湯へ出かけました。
二人ともほとんど無言で風呂に入り、
話す事といっても関係ないどうしようもない会話ばかりでした。
僕は彼女の父親にはどうしても聞いておきたい事がありました。
僕が彼女と結婚するって言ったら許してくれるかどうかでした。
今考えると絶対に聞くべきではない時に聞いたような気がします。
病院に戻る前に父親を呼び止めて
ストレートには聞けなかったのですが、
買ってきた指輪を彼女の指につけてもいいか?と聞きました。
彼は黙ってうなずくだけでした。
その夜は眠る事ができなくて、家族と顔をあわせると泣いてしまいそうで
外で一人で過ごしました。
次の日また5分だけ面会できるということだったので、
もう1度彼女の顔を見に行きました。
彼女の顔は相変わらず眠っているようで
もう目を覚まさない事がウソのようでした。
僕は彼女の左手にこっそりと指輪とつけました。
もう何の意味もないのはわかっていましたが、
少しでも彼女に近づきたいという気持ちでいっぱいでした。
みんなが部屋を出た後僕は忘れ物をしたそぶりをして
ベッドの側に戻り、彼女のカラカラの唇にキスをしました。
97 :
ほんわか名無しさん:03/05/06 18:39
177 名前: ほんわか名無しさん 投稿日: 01/12/12 00:13
それからしばらく経ち、彼女は一般病棟の個室に移ることになりました。
医者が言うにはもう長くないので
少しでも家族が長く一緒に入れるようにとの配慮だそうです。
僕は1日のほとんどをその部屋ですごすようになりました。
何もする事もなかったのですが、 話かけると声が届いてるような気がして
耳元で歌を歌ったり、話し掛けたりしていました。
そして夜が明けて昼すぎになると、医者と看護婦が入ってきて
みんなを呼んでくださいみたいになって、
みんなが見守る中、心拍数を表示しているピッピッってなる
機械に異変が見られるようになりました。
最後まで僕に片方の手を握らせてくれた 彼女の家族に感謝しています。
それから1時間ほど経った後、 そのまま静かに心臓が停止しました。
僕も含め部屋にいる人みんなの泣き声だけが聞こえてきて、
覚悟はしていたものの、本当にこうなった事が信じられなかったのですが、
医者の何時何分とかっていう声に現実に引き戻されました。
そして部屋にいる全員が驚く事が起こりました。
僕が握っていた彼女の手がものすごい力で 僕の手を握り返してきたのです。
僕は本当に驚いて多分変な声を出していたと思います。
しばらくして彼女の手からスーっと力が抜けていきました。
僕は涙はふっとんで、全員にその事を伝えました。 すると彼女の母親が
「きっと一生懸命看病してくれたからありがとうって言ってるんやで」
って言ってくれました。
冷静に考えると死後硬直だったのでしょうけども、
その彼女の母親の一言で僕は今まで道を間違わずにこれたと思います。
年上だった彼女は今では僕の方が年上です。
98 :
ほんわか名無しさん:03/05/06 18:59
すべてに感動です、泣いてしまいました。
思わず涙が出てしまった恋愛体験part2より
275 名前: のら猫 投稿日: 02/04/30 06:31 ID:AcfeALCB
まだ1年ほど前の事なのですが・・・。
彼女がこの世を去りました。病死です。
その彼女と出会ったのは7年程前でした。
相手はその頃大学1年生でした。
持病があり、あと5年生きられるかどうか?と寂しく笑っていました。
それを承知で私たちはつきあい始めました。
つきあい始めたのは良いのですが、私の仕事の関係で遠距離(関西−東
北)になってしまいました。それでも、彼女は笑いながら逢えるついで
に旅行も出来ると言い、月に1度のペースで会いに来てくれました。
相手は実家に住んでいて、私は貧乏サラリーマン。それを察して、相手
が私の所に会いに来てくれていたのです。
最初の3年は、その様な感じで普段は寂しいながらも、お互い幸せに
過ごすことが出来ました。
そして相手は卒業。しかしこの就職難の折り、東北から関西に就職す
るのは無理でした。そこで彼女は地元で就職し、お金を貯めて関西に来
ると言いました。私も彼女を迎えるため、必死で貯金を始めました。
相手が就職して1年が過ぎたころ、相手の遊びに来る頻度が、それま
で毎月だったのが、だんだん2ヶ月3ヶ月と間延びし始めました。
毎晩電話で話をしていましたが、丁度1年半ごろ前から、たまに彼女
が電話に出ないことがありました。そのころから、ふと私に嫌な予感が
わき起こっていました。
私は両親がいません。物心ついた時には、父親は蒸発。そして私が高
校の時に母親が病死しました。そのため、彼女の両親には嫌われていま
した。彼女はそれなりに良いところのお嬢様だったので、どこの馬の骨
とも分からない私は、最初から相手にされていませんでした。
ある日、そんな彼女の父親から私の元に電話がありました。
彼女の持病が重くなり、来週から入院することになる。だからもう電
話はかけてくるな、もうほっておいてくれとだけ言われ、一方的に電話
を切られました。
276 名前: のら猫 投稿日: 02/04/30 06:32 ID:AcfeALCB
(続き)
私は来るべき時が来たと思い、しばらく悩みましたが、思い切って上
司に掛け合ってみました。東北に転勤させてくれと。答えはNOでした。
しばらく会社と話し合いをしましたが、結局私は会社を退職し、故郷に
戻りました。荷物も売れる物は売り、出来る限り身軽にして彼女が入院
した病院の近くに、小さな部屋を借りました。離職票が出る前に契約し
たので、なんとか部屋を借りることが出来ました。
そして、彼女に会いに行きました。
彼女はかなり驚いていました。そしてひたすら「ごめんなさい」と謝っ
ていました。私は会社をリストラされたから故郷に戻ってきたと言い、
新しい勤め先も近くだから、仕事が終わったら会いに来るよ、とだけ伝
えました。
昼間は彼女の母親が居るので、私は病室に入れてもらえませんでした。
そして週末には父親も面会に来るので、もちろん病室に近寄ることも許
してもらえませんでした。ですので昼間や週末はコンビニでバイトして、
平日の夕方彼女の母親や父親が帰った後、残された僅かな面会時間に会
いに行くという日々を送っていました。
そうする間にも、彼女は目に見えて衰弱して行きました。
柔らかかった手は骨が浮き出て、頬はこけ、足はすっかり衰えてしま
い、ベッドから起きあがるのも難しいくらいでした。
彼女は私が会いに行くとよく泣いていました。元気じゃなくてごめん
なさい。ちゃんと両親に認めてもらえなくて、ごめんなさいと。私は、
そんな事気にしたことはありませんでした。ほとんど食欲がなく、もっ
ぱら点滴と、管で栄養をとる彼女でしたが、時々大好物のリンゴを持っ
て行き、すり下ろして絞って作ったリンゴジュースをなめさせたりしま
した。そのときに見せる笑顔で私は十分幸せでした。
私に出来ることは、そうやって彼女を元気づけることだけでした。
短い面会時間だったので、あまり話も出来ず、ただ彼女の手を握り、
帰り際にキスするくらいしか出来ませんでしたが、私は十分幸せでした。
277 名前: のら猫 投稿日: 02/04/30 06:33 ID:AcfeALCB
(続き)
去年の3月の末くらいだったと思いますが、いつもの様に彼女に会い
に行きましたが、彼女は眠っていました。病室に響く規則正しい電子音
に私も睡魔を感じ、つい1時間程眠り込んでしまいました。目が覚める
ととっくに面会時間は過ぎており、あわてて病室を後にしました。
すると、エレベータの前のベンチに誰かが座っていました。別に気に
せずエレベータのボタンを押そうとした私に、その人が話しかけてきま
した。
「話がある。」
その人は彼女の父親でした。
「何でしょうか?」
「君はどうしてここにいる?」
「あの娘のお見舞いに来ているのです。」
「そんな事を聞いているのではない。」
「と言いますと?」
「会社を辞めて、フリーターになってまで、どうして帰ってきたんだ?」
「ご存じでしたか。」
「どうしてそこまで出来るんだ?」
「どうして?好きな相手の側にいるのに、何か理由が必要ですか?」
「・・・・。」
「私の事を認めてくれとは言いません。ですから、せめてご迷惑をお
かけしない様にと・・・。」
「分かった。今度からは私たちに気兼ねすることなく、あの子に顔を
見せてやってくれ。」
「え?」
「それではこれで失礼する。」
たしかこんな会話だったと思います。
それからは毎日彼女に会えるようになりました。彼女の母親も面会時
間の終わる1時間前に病院を出て、私が彼女と会える時間には席をはず
してくれるようになりました。
彼女の話によると、父親が母親にそうするように言ったそうです。そ
して、私とのことは彼女の好きにするようにとも言ったそうです。
278 名前: のら猫 投稿日: 02/04/30 06:34 ID:AcfeALCB
(続き)
でも、それから1週間ほどのことでした。
夜自分の部屋で寝ていると、彼女の父親から電話がかかってきました。
低く落ち着いた声で、今から会いに来てやってくれ、そのかわり覚悟
して来てくれと、彼女の父親ははっきりとした口調でそう言いました。
私は、大急ぎで彼女の病室に行きました。
看護婦や医師に囲まれたベッドの中で、うつろな目をした彼女が居ま
した。薬の影響ですっかり髪の毛は抜け落ち、頬はこけ、青白い手を医
師が掴み、脈を取っている様子でした。
夕方彼女と会った時、確かに衰弱は進んでいましたが、それでも話が
できる程度の元気があったはずでした。その変わり果てた彼女の様子に、
私は身動きも出来ませんでした。
一歩下がった所で、目を真っ赤に腫らして立っている彼女の両親が居
ました。私を見た彼女の父親は、黙って母親を促しました。彼女の母親
は私の手を取ると、この子の手を握ってあげて、と言いながら、彼女の
やせ細った手を取り私に握らせました。
そのとき、うつろだった彼女の目に一瞬光が見えた気がしました。
そして、彼女はゆっくり口を動かしました。ほんの僅かでしたが、はっ
きり動かしていました。私は急いで彼女の口元に耳をあてがいました。
微かでしたが、彼女は、ごめんなさい、と繰り返して言っていました。
私は涙が止まらず、そして何もいえず、ただその子の手を握り返し、
その子の言葉を聞き逃すまいと必死で彼女の口に耳を当てていました。
とにかく、頭が真っ白で、どうして良いのか分からず、ただ手を握り
返す事しかできませんでした。
突然私は肩をたたかれ、我に返りました。振り向くと彼女の父親が私
の肩を掴んでいました。そして彼女を真っ赤に腫れた目で見つめていま
した。私はその手を取り、彼女の手を握らせようとしましたが、彼女の
父親は首を横に振り、君が握ってやってくれ、私はここで良い、と言い
ました。
それからどれくらいの時間がたったのか、私には分かりません。しか
し、それまで僅かにごめんなさいとつぶやき続けていた彼女が、一言、
別の言葉をつぶやきました。
「○○ちゃん(私の名前)ありがとね。すごくしあわせだったよ。」
確かにそう私には聞こえました。
それが彼女の最後の言葉でした。
私はあわてて彼女の両親の手を取り、彼女の手を握らせました。気丈
だったご両親でしたが、彼女の手を握った途端、涙を流しました。
それからどのくらいの時間がたったのか分かりませんでしたが、突然
それまで不規則に響いていた電子音が、連続音に変わりました。
医師が彼女の目に懐中電灯を当て、ゆっくり、ご臨終です、と言いま
した。その言葉を聞いて、彼女の母親が声を上げて泣き始めました。気
がつくと私も、そして彼女の父親も声を上げて泣いていました。握りし
めていた彼女の手が、ゆっくり確実に冷たくなっていくのを感じました。
279 名前: のら猫 投稿日: 02/04/30 06:35 ID:AcfeALCB
(続き)
次の日、彼女の父親から喪服を渡されました。そして、二通の手紙を
手渡され、今夜は君もあの子のそばにいてやってくれと言われました。
私はひとまず部屋に戻りました。部屋に入った私はしばらく力無く部
屋に座り込んでいました。ふと手に握らされた手紙を思い出し、二通の
手紙を見ました。一通は彼女の父親からでした。中を見ると一枚の便せ
んにしっかりとした字で、すまなかった、そしてありがとう、その二言
が書いてありました。もう一通は彼女の字で、私に当てた手紙でした。
中には、私と出会った頃から彼女が入院するまでの事が、びっしり書き
込まれていました。そしてその内容一つ一つに、自分がどれだけ幸せだっ
たか、どれだけ救われたかが書かれていました。その手紙を読みながら、
私はまた声を上げて泣きました。その手紙の最後には、こう書かれてい
ました。
私が居なくなっても、○○ちゃんは元気でいてね。私のすごくすごく
大切な人だから、沢山幸せになってね。新しい彼女見つけなきゃだめだ
よ。私のこと好きなら、○○ちゃん、絶対に幸せになってね。約束。
私はシャワーを浴びながら、声を上げて泣きました。いつまでもシャ
ワーを浴びながら泣き続けていました。
シャワーを出た私は、彼女の父親から受け取った喪服を着ました。
なぜか私にぴったりのサイズでした。
まだ涙は乾いていませんでしたが、喪服に着替えた私は、彼女の家に
行きました。彼女の家には少しずつ親類や知り合いの方々が集まって来
ている様でした。私は彼女の両親に連れられ、彼女の安置されている部
屋に通され、彼女のすぐ側に席をあてがっていただけました。
彼女の両親は、親類縁者の方々に私を彼女と付き合っていた青年だと
紹介されました。
通夜と葬式にも出席させてもらえました。そして常に私があてがって
もらえた席は、彼女に一番近い席でした。彼女の両親よりも近い席でし
た。私はその席を辞退しようとしましたが、彼女の父親に諫められまし
た。君がその席に座らなくてどうする。私たちに気遣うならその席に座っ
てくれと。
今は彼女の父親に紹介された会社で働いています。いったんは断りま
したが、彼女の父親と直接関係のある会社ではない事、そして仕事が気
に入らなければ自由に辞めて良いと説得され、その好意を受けることに
しました。
彼女の思い出はまだ鮮明に心に残っています。
長々と失礼しました。
294 名前: のら猫 投稿日: 02/04/30 17:22 ID:oH7rrk2s
みなさんレスありがとうございます。
今では彼女の父親とは良い飲み友達です。
平凡な平社員と会社重役という妙な取り合わせですが、彼女の父親
の愚痴も聞いたりしています。
はじめの頃は二人で黙って、半分泣きながら飲むことが多かったの
ですが、彼女の父親から彼女の事を聞かせてくれと言われた頃から、
二人で彼女の思い出話ができるようになり、少しずつ笑いながら飲
める様になりました。
今では見合い相手でも紹介しようか?といたずらっぽく言われる
事もありますが、私はまだ吹っ切れていないみたいで、なかなかそ
んな気分にはなれません。
彼女も一人っ子で、ご両親の心痛も察して余りある物を感じます。
しかし、先だった彼女にとって一番辛いのは、残された人間が彼女
のことで悲しむ事だと彼女の父親に諭されました。いつも一人で家
事をこなしている彼女の母親も、とても辛いだろうなと思い、休日
にはご両親の家に押し掛け、庭いじりや家庭菜園を耕したりしてい
ます。
4月のはじめ、彼女の一周忌でした。
彼女は大きな木が好きでしたので、お墓は大きな杉の木の側に立っ
ています。私はお供えに大きなリンゴを持っていき、ご両親から彼女
の好物をよく知っているねと笑われました。
彼女の従兄弟からは、彼女から私のことをよく聞かされていたと言
われ、古い友人のように話をすることが出来ました。
彼女のことが吹っ切れたら、またこの地元を離れようと思っていま
す。そうしないと、また彼女に怒られますから。(笑)
私の思い出話におつきあいくださり、ありがとうございました。
311 名前: のら猫 投稿日: 02/05/01 23:36 ID:ydiGqc7f
みなさん、本当にたくさんのレス、ありがとうございます。
ここまで応援や暖かいレスが頂けるとは思っていませんでした。
私はそんなに強い人間じゃありません。
彼女と出会うまでは、斜めに構えた荒れた人間でした。
自分は一人で生きているんだという、妙に冷めた面もありました。
それを変えてくれたのは、彼女だったのです。
自分は一人じゃない、多くの人の力で支えられているのだと教えられました。
彼女が入院した時、自力で高校卒業、大学進学、就職と経験していましたので
今の会社を辞めても、どうやってでも自分一人くらい生活できると思い、退職
する事が出来ました。世間体とか親の目とかがない分、辞めるのにも抵抗がな
かっただけだと思います。
彼女が旅立ってからは、彼女のご両親に支えられました。
私より辛いはずのご両親が、そこまでしてくださいました。
本当に自分は一人じゃないんだと思えました。だから決して自分の力で立ち直っ
たわけではないのです。
彼女と彼女のご両親には、多分一生かかっても受けた恩は返せないと思います。
その一方、彼女のご両親も私がいつまでもそのご好意に甘えてはいないだろう
事もご存じのようです。彼女のためにも、はやく独り立ちし、今度は私が誰か
を支える番だと考えている事に、気がついておられるようです。
人は一人では生きられません。一人で生きているんだという考えはただの傲慢
だと学びました。
人に恩を受け、そして恩を受けた人間は、次の人にその恩を受け渡していく。
そういう恩のリレーが、人が持つ本当の強さなんだと思っています。
実際、この2chでも多くの方からレスをいただき、とても勇気づけられました。
こんな私でも、誰かの心に届く事が出来るんだという、大きな財産をいただき
ました。
レスをくださった方、そして私の思い出話を読んでくださったすべての方に、
心から感謝し、これからのご幸運をお祈りします。
ありがとうございました。
349 名前: のら猫 投稿日: 02/05/04 23:36 ID:mNV1krx1
スレストッパーみたいになって、ごめんなさい。
350 名前: ゴソクハッシン 投稿日: 02/05/04 23:42 ID:6bYaxvm5
>>349 アリアリよ。
のら猫さん、読んでくれ。
アナタに読んでほしい。
イデスカ?
353 名前: のら猫 投稿日: 02/05/05 00:20 ID:6LLjrcxu
>>350 わかりました、読ませていただきます。
ちょっとお返事遅くなります。すいません。(明日から出かけるので。)
354 名前: ゴソクハッシン 投稿日: 02/05/05 00:22 ID:nnD3p4v0
返事などいいですよ。少し力になれたらと思います。
結果から言うとのら猫さんの経験とほぼ同じ、なんです。
女のコの気持ちなんて全く汲む事が出来なかった高校時代。生活その
ものをホッケーに捧げていた頃のことです。校外のチームだから学校
では専ら居眠り。ホッケーのことも誰にも話すつもりがなかったので
図体のデカい変わったヤツと思われてました。
いつも通り練習を終えて帰路に付くと練習先の駅前でバイトをしてた
クラスのコに気付き、マズいと思って避けたけど向こうはその時気付
いたらしく逆に翌朝学校で口止めされました(バイト禁止の学校だった
ので)。それから頻繁に授業中手紙が回ってきて(携帯メールなんてな
かった頃だなぁ)仲良くなり結果として何となく付き合い始めた頃、
そのコの母親から心肺機能に障害があることを聞きました。手術しな
きゃいけないらしく、その時初めて彼女の部屋に陸上競技のものが
多いけど実際陸上部にいないこと、ホッケーに没頭して会えないこと
をいつも許してくれた彼女に気付きました。母親から聞いてやっと
気付くほど元気に振舞っていました。
しかし高校一年生から2年以上、人の我慢とは限界に達するものなのか
それまで小競り合いは多々あったものの、定期的に入院する彼女の所に
も行ってやれないようになった頃、結局彼女が口にしたのは「ホッケー
と私どっちが大切なの?」。これだけは言うコじゃないと確信してた自
分はもう激怒。自分はいつか上手くなって、兼ねてからの希望であった
留学と同時に、ホッケーの盛んなアメリカの大学でやりたいと思い、
彼女はそれを見守るだけでなく色々とサポートしてくれてました。
だからその問いに隠された彼女の気持ちを探ろうとせず、その矛盾だけ
に憤慨してしまいました。いつしか自分の夢が叶ったらきっと彼女も
喜ぶだろうなと2人単位で考えていただけにショックでした。でも
それは勘違いでした。勝手に思い上がっていました
355 名前: ゴソクハッシン 投稿日: 02/05/05 00:25 ID:nnD3p4v0
トライアウトと呼ばれる大学ホッケー部入部の実技テストのために一時
渡米。高校3年間をその一ヶ月に凝縮するつもりでいたものの気掛かり
なのは彼女。ケンカしたまま出るのはスッキリしたものではなく、受か
っても隣で喜ぶ筈の人には振られちゃうんだろうなと思うと少しアメリ
カに行くのさえばかばかしくもなりました。でも合格して帰って来て、
その後に控える彼女の手術の励みになろうと前向きに考える事が出来、
彼女は入院中だったので思い立った様に手紙を書いてみました。
こっ恥ずかしいけどまだ残ってるのでそのまま書こうかと。
「走り高飛びを諦めた○○○の気持ち、全部託されたつもりで行って
きます。自分の目標を達成出来る人間だと個人的にも証明したい。
きっと○○○は自分しか見てなかった俺に嫌気が差したんだろうと思う
けど、ちゃんと報告は行くから。○○○が俺を支えてくれた時間を無駄
にしないことが唯一出来る事だと思ってます。大学ホッケー、マスター
(修士号の事です)取得、オーストラリアに旅行。これはまだ諦めてない
よ。受かるかはわからないけど、帰ってきたら俺の入学まで一緒にいっ
ぱい遊ぼう。手紙、よかったら書いて。では頑張ってきます。」
よかったら、とは書いたものの連絡取れないのは寂しく、帰る日に現地
から合格報告も兼ね病院に電話をしてみたところ、話したのは母親で、
「○○は今寝てるの」と言われ、「なんとか合格しました」と伝言を
お願いし、その場は電話を切りました。帰国後一旦家に帰り真っ先に
病院へ向かいました。
356 名前: ゴソクハッシン 投稿日: 02/05/05 00:39 ID:AqN0/yVM
(続き)
来院手続きを済ませ病室へ上がったけど彼女はいなく、家に電話を掛け
たら知らない人が出る。後でわかった事で、それはいとこでした。
「○○○さんいますか?」と言ったらどこの誰だと怒鳴られ、切られ、
何なんだ、と思いとにかく謝りたい一心で彼女の家に向かうが途中で
見かけたのは○○家(彼女の苗字)という白黒の看板。
え? と思いました。
何も疑わず、何も信じないといった気持ちで急ぐ途中見かけた幾つかの
看板の指は確実に自分の進む方向と同じだった事と、それにつれ歩いて
いるのに呼吸がどんどん乱れていくのを感じたのを何故か今でもハッキ
リ覚えています。
残念ながら予感は間違いではありませんでした。同棲してる訳でもない
のにいつも家に行くと「あっ、おかえりー。」と言ういつもの彼女は
無表情。よく映画やドラマでショックで膝からガクッと落ちますよね。
正にあれでした。全身で、目の当たりにしたものを拒んで力尽きたあの
感じ。音無しのスローモーション。どれも本当に忘れ難い経験です。
通夜の準備をしている彼女のいとこが「電話の人でしょ、ごめんな、
さっき」と言ってるけど無反応。彼女の母親が「受かったんだね。おめ
でとう。」と言ってもそこにいるので精一杯でした。突然吐き気を催し
(汚くて失礼)散々もどして便器を睨みながら「おちつけ、おちつけ」と
何度も繰り返すも落ち着けるワケがない。まだ事態さえ飲み込めて
いない状況でした。
彼女の親友が到着しわんわん泣き始めふと、「あ、そうだ、報告。」
既に棺に入った彼女の前でジーッと見つめながらよし言うぞ、と思った
瞬間、涙がどぉーって流れてきました。やっとその時事実を事実として
受け止めることが出来ました。さすがに辛いのでその時の情景描写は
割愛させて下さい。でも今考えればあれが慟哭ってヤツだったのかなと
思います。何度も何度も「受かったよ、受かったよ」しか言えませんで
した。精魂共に涙と流れきったその夜に、手術が早まり身体が持ちこた
えられなかったこと、そして米国から電話した時に彼女はもういなかっ
たこと、全てを彼女の母親から聞きました。母親の計らいで大事な時期
の自分には黙っていたそうです。彼女とその母親はお互い良き相談相手
で、今回のケンカのこともいろいろと話していたらしく、「◇◇に酷い
こと言っちゃった、これでトライアウトだめだったらどうしよう」って
言っていたみたいで、何より今でも思い浮かべるとフワ〜ッて胸の辺り
が温かくなるのが「もしだめでも◇◇の3年間をちゃんとねぎらわな
きゃね。お母さん、私も一年遅れで留学すること絶対言っちゃだめだよ
。」という言葉。
357 名前: ゴソクハッシン 投稿日: 02/05/05 00:46 ID:AqN0/yVM
(続き)
合否を知ることなく死んでいった彼女。ケンカしたままで、謝る機会を
得られなかった彼女と自分。どんなに謝っても許してはくれず、どんな
に合格を伝えても喜んでくれません。通夜・告別式全て終わり、遺品の
整理を手伝ってる時彼女の母親が手紙を彼女のカバンから見付けて手渡
してくれました。封筒にも入ってないいつものバーバパパの便箋。既に
目を通した彼女の母親は泣いていて、自分はその時見る勇気は出ず、
そのまま取っておきました。
やはり2週間程寝込み、引き篭もり、「なんでだよ!」と心の中で数え
切れないほど叫んだ後さすがにこれじゃだめだとまでは思えました。
しかし留学はやめようと思い、準備も整っていたものの自分の保護者に
進言したら受け入れてくれました。目標を失い、キツキツだった心の中
が急にスカスカになりどう生活していいのか迷っていました。何かした
くて、でも何も出来ない状態。四十九日の夜、ふと思い出したように前
にカンジョの母親から受け取ったその手紙を見ることにしました。
「◇◇へ
◇◇はまだ怒ってると思うけどまだ伝えたいことがあるから書きます。
でもきっとこれを読む頃は◇◇のホッケーのことも私たちのことも決ま
っちゃってるのかもしれないね。
(〜)
私は◇◇に置いてかれるのが怖かったんだと思う。◇◇が考える先に私
はいるのかなと思ってたけど、重荷になるから言えなかったしね。私は
高校で運動出来なかったけどその分目標を持った◇◇を尊敬してるよ。
でもやっぱりこっちも見て欲しいなとも思う。お台場でケンカしたとき
女の子はわかってても気持ちを確認したいものって私言ったよね。一緒
にいたい気持ちと頑張って欲しい気持ちに挟まれて一番言ってはいけな
いことを言ってしまいました。◇◇に夢と自分とどちらか選んでなんて
言っちゃだめだよね。それこそ足引っ張ってるよね。頑張ってる◇◇
のこと大好きだし私の自慢だから言うのはすっごく迷ったよ。
(〜)
最後にこれを◇◇がどう思うかわからないけどちょっと発表ね。今私も
留学考えてるんだ。それは私たちがどうなっても変わらないよ。◇◇の
話に影響を受けたよ。これからTOEFL勉強大変だ〜。それだけ夢を追う
◇◇にやめろと言って欲しくないな。一年越しでも留学したい。出来
ればちょっと側にいたいなぁなんていうのも私の立派な夢なんだよ。」
抜粋ですがこんなことが書いてあって、すぐにドーンとひらめき、「留
学、やっぱしよう。」と吹っ切れました。ここで引いたら負け犬。後ろ
向き(後悔の方向)に向いてた矢印がビョーンと勢いよく前に(未来方面)
に反転した瞬間でした。そこからはもう一心不乱にひた走りました
358 名前: ゴソクハッシン 投稿日: 02/05/05 00:50 ID:AqN0/yVM
(続き)
その後自分のため、そして志半ばで未来を後にし、得た目標に向かうこと
すら出来なかった彼女のために忠実に進み続けることが出来ました。ホッ
ケーではMVP取るまではいかなかったけど一度だけ州のベストチームの
メンバに選ばれました(DIVISION 3ですけど)。そして頑張ったかいあり
9月からはアメリカで修士取得課程の院生に。今本命の大学院からの発表
待ちです。こんな現在には本人が一番びっくり。まさかの連続です。
何か特別に霊的な力がはたらいたとは思いません。その時々で自分も確か
に努力はしましたから。でも彼女が死を以って伝えてくれたメッセージが
あれからの自分を鼓舞したのは言うまでもありません。あの事をなくして
今の自分はあり得ません。英語話せなくて帰りたくなった時、試合中脳震
盪でブッ倒れてホッケー辞めるかもしれなかった時、様々な窮地で背中を
そっと後押してくれるような存在でいた気がします。試合のここ一番って
時もブツブツと彼女の名前を唱えていました(コワイカナ)。精神的な支えには
変わりないものでした。
今月末は5回忌。毎年日本に戻りお墓参りをします。誕生日には、彼女の
親友の影響を受け、ケーキを買い、歌います。自分は養子として育ったか
らか彼女の母親もすごく慕っています。彼女の母親も二度も米国まではる
ばる遊びに来てくれました。のら猫さん、何故か故人の家族と凄く打ち解
けますよね。あちらもこちらも故人の影をお互いに求めてしまうんでしょ
うか?そういうのも必要だと思いますよ。それは弱さと指摘する人もいま
した。そうかもしれません。実際に自分は約束を果たす、目標に向かう信
念以外はヨワヨワですよ。認めきってます。訳5年経ってもコレだから時
間が全てを解決ってワケでもないかもしれませんね。自分は悲しいけど
進まなきゃいけない時はそういう弱さも一緒に連れいく、置き去りにして
はいけない事を学びました。
359 名前: ゴソクハッシン 投稿日: 02/05/05 00:55 ID:AqN0/yVM
長くなって恐縮ですが、これでさいご。
自分はその後少し距離が近くなる人もいましたが、結局誰かと付き合う
ことはないままでいます。それは罪の意識ではなく、本当の意味で
好きでいつづけているからです。これは個人的見解ですが本当の好きと
いうのは答えを求めず、好かれたいをも望まないものだと信じるように
なりました。もっとも自分の場合は求め様がありません。ただ、死別では
なくとも別れを経験し辛い思いをされた方々、僭越ながら自分が伝えたい
メッセージは、後悔しないで下さいということです。どんな決断をしても
後悔は付きまとうものですがその時々で自分の真理に従えば後悔しても
それには納得出来るはず。悔しいけどこれでいいんだ、って。だからみな
さんを邪魔するプライドとか臆病さには負けないで下さい。好きなら好き
嫌いなら嫌い。まず本当の自分の気持ちを完全に受け止めてやって下さ
い。だからのら猫さん、思い切り悲しんで、思い切り上を向きましょう。
自分は死に目にさえ会えなかったからのら猫さん達の最後の病室での苦し
みは完全に親身になれないかもしれないけど他はわかってるつもりです。
だから、頑張りましょう。全てを投げ捨てて彼女と向かい合ったあなたは
絶対大丈夫。いつか一片の悔い無しと思える日が来るように。あと、あり
がとう。のら猫さんのお陰で書こうと思い立ちました。
これを彼女が見たらどう思うのかなぁと読み返してみて漠然と思って
しまいました。ふぅ、せつね。どうしたもんだかなぁ。
差し出がましいことを偉そうに書きまくってすいませんでした。
お邪魔しました。
おしまい。
123 :
ほんわか名無しさん:03/05/07 00:01
777 ◆Sx777J2Ch. さん、いつも感動する話感謝です。
このスレもっと活性化するためにageて書きませんか?
777さんへ。いつもありがとう。
ROMの人たくさんいると思うけど、みんなきっと感謝してるよ。
125 :
ほんわか名無しさん:03/05/07 00:50
777 ◆Sx777J2Ch.
感動です、ありがとうございます。
さんを忘れてました
127 :
ほんわか名無しさん:03/05/07 01:38
あげ
45 名前:宗次郎 д`)σ ◆roshidU. 投稿日:02/05/01 01:22
>>35のおかげで放置気味だったこのスレに活を入れるべく筆を取りまふ。
ぼくはたまに、母の「痛み」を感じるときがありまふ。
あー、今日は気分が乗ってないんだとかね、そういう気持ちの伝達の部分で。
マザコンと親思いは紙一重だと思うんですけど
ぼくはマザコンなのかもしれないなと思いまふ。
母の辛い姿をあまり見たくない。
宗ちゃんの母はいつも笑顔を絶やさないような人です。
おっちょこちょいで天然で、それでいて思いやりがあって犠牲心が強くて
それがここ1年、、家の事情で母の苦労が重なる状態になっていますた。
もちろんそれは僕も気付いていて、家事の一部を手伝いますた。今もまだ継続中。
そんな年末のある日、父と母とぼくとで夜遅くまで宴会をしていますた。
父はお酒が飲めないので母に良く注いでいて、
ぼくから見ても母は結構酔っ払っていますた。
ビールから始まって、梅酒、最後はブランデーを飲んでいますた。
そうして夜も更けて解散になってぼくは自分の部屋に戻りますた。
46 名前:宗次郎 д`)σ ◆roshidU. 投稿日:02/05/01 01:33
お風呂の用意をして、1階へ降りてくると
苦しそうな声が聞こえてくるんです
母が父に寄り添って泣いていますた。
今まで見たことない母がそこにいますた。
酔いも手伝っていたのかもしれません
辛そうですた、本当に辛そうですた。。
今まで抑えてた物がどっと出た感じで
泣きながら、もう疲れたよって寄り添う父に言っていたんです。
頬をつたう涙が僕の心に突き刺さりますた。
父と一緒に脱力した母を寝床へ連れて行って寝かせますた。
そんな僕に母はもう大丈夫だから風呂入っておいでって
恥ずかしそうに涙を拭いながら言ったんです。
うん、とだけ言って宗ちゃんは風呂に向かいますた。
部屋を出て、ドアを閉めた時、母の声がかすかに聞こえますた。
「情けないよね、ワタシ悔しい…」
その言葉が僕は今でも忘れられません。
130 :
ほんわか名無しさん:03/05/07 22:49
以前ほの板に「号泣・本気で泣ける話」スレがあって、さんざん泣かせてもらった。
倉庫でも今はもう見つからない名スレなんだけど、そこにあった話のいくつかが
ここでも紹介されているね。高野豆腐の話、だれか覚えてる人いないかなあ。
あれは本当に泣けた。
↑感じるものがある
133 :
ほんわか名無しさん:03/05/07 23:39
35 名前: ほんわか名無しさん 投稿日: 01/11/20 00:33
当時、仕事を辞めたばかりで一人でフラフラしてた頃。
両親が遊びに来て、色々買ってくれた上に
家で作ってきた高野豆腐を、冷蔵庫に置いて行ってくれた。
その次の日、母は入院。
あっという間に亡くなった。
葬儀を終え自宅に戻ると、冷蔵庫にはまだ
母が作った高野豆腐があった。
大泣きしながら食った。
あれ以来、高野豆腐は食べられない。
>>133そう、そう、これだ!再び泣かせてくれてありがとう!
お母さんは宅急便で送ってくれる荷物にいつも手紙をつけてくれます。
今日着いたものより・・・(゚д゚)ドゾー
この前は何かと世話になりましたねぇ。
おかげで楽しい一日半でした。
まぁ何より○が元気なのが一番嬉しかったです。
やはり、我が子供だけが私の宝です。
本当にアリガトウ!
これからもたのみます。
○が自分でがんばり、すごくイキイキした表情がお母さんにとって最高のプレゼントです。
自由にのびのびと生きてください。
ではいろいろ送ります。
(´Д`) オカアサン ハズカシイヨ
ナニイッテンダカ アハハ
いろいろ心配や迷惑かけてきたんだなぁ、と改めて実感します。
お母さん尊敬してるよ!スキダベサ!母の日は何がいい?やっぱビールか!
追伸:オトンの相手もしてやってくれよ!あの寂しんぼオトンの。
137 :
ほんわか名無しさん:03/05/08 00:29
今日実家から米となぜか蜂蜜が送られてきました、実家の米ウマー
バアチャンジイチャンありがとう、家族孝行早くしたいよ
139 :
ほんわか名無しさん:03/05/08 11:37
オレは初孫。何不自由なく育ってきた。欲しいものは全て手に入った。かわいがられた。
オレが18歳のとき車がどうしても欲しかった。親は大反対。でも賛成してくれたのがおじいちゃん。
おじいちゃんが年間の保険料74万を払ってくれた。そして買ったGTO。おじいちゃんは何も
贅沢をしない。お金を使わない。いつも質素な食事に、ボロボロな服。朝から晩まで何かをして
働いていた。口うるさくてよく喧嘩もしたけど。
そんな車をコテコテいじった。家族はみんな嫌な顔。でもおじいちゃんだけは違った。
車のナンバーを曲げるステーを一緒に作ってくれた。不自由な手で一生懸命。オレは一人暮らし
をしてた。1Kで家賃84000円。おじいちゃんと親が出してくれてた。バイトもしてないのでお金もない。
実家に帰るともの凄いおっきな声で「おかえりー!」おじいちゃんだ。そして少ない年金からおこづかい。
そんな日々が続いたとき、おじいちゃんが倒れたとの知らせ。すぐに実家に帰った。寝てはいたが
元気だった。いとことわいわいしながら見舞いに行って帰った。それから見舞いにはほとんど行かなかった。
このときオレは知らなかったけどかなり苦しかったらしい。1ヵ月後に退院。おじいちゃんはじぶんで歩けなくなってた。
酸素を補給する大きな機械がおじいちゃんの部屋にあった。でもいつもの通り大きな声で「おかえりー!」って。
そのあともの凄くむせてたけど。こんなオレも結婚する事になった。婚約者を連れてったとき心から喜んでくれた。
うれしそうに昔の苦労話を何回も何回もしてた。新婚旅行のお金80万円くれた。このときもこのお金の重みは
まだ分からなかった。結婚式までにおじいちゃんと体調はみるみる悪化。痩せほそっていった。先生には結婚式は
ドクターストップ。責任は持てませんよと。
140 :
ほんわか名無しさん:03/05/08 11:38
でもおじいちゃんは来てくれた。寝たきりで体も起こせない状態で。車椅子で
酸素を補給する機械をつけて。一番後ろの席で涙を流しながら見守ってくれてた。新婚旅行でおじいちゃんにラルフローレンの
ポロシャツを買った。おじいちゃんはもの凄く喜んでくれた。何日か過ぎて実家に帰ったとき、そのポロシャツはまだ箱に入ったまま。
寝たきりで着れないから仕方ないかと思ってたら、おばあちゃんがもったいなくて着れないって言ってたことを教えてくれた。
たった8000円のポロシャツを宝物のように。そして妊娠が発覚。おじいちゃんに超音波の写真を見せた。いつもは絶対起きないおじいちゃんが
おばあちゃんに起こしてもらって起きた。そしてぜぇーぜぇー言いながらがんばれと。家族で食事をしてると一本の電話。おじいちゃんが
また倒れたと。病院に着いて、おじいちゃんを見た。口には大きなパイプ。やせ細って、黄色くなった体。たくさんの医療器具に囲まれて
寝ていた。もう意識は戻らない。自分で呼吸する事も出来ないと親父に聞かされた。オレが口を聞いたのは妊娠報告が最後。もう二度と
話せないと。オレは病院の外に出て声を出して泣いた。迷惑ばっかかけて何もしてあげてない。心配ばっかかけて何もしてあげてない。
おじいちゃんの話も何度も同じことばっかり言うので聞き流してた。また聞けるとおもってたから。
何度もお見舞いに行った。そのたびに心拍数とにらめっこ。話し掛けると動いたように見える心拍数。でも植物状態だからそれはないって先生に言われた。
おじいちゃんの手をにぎりながら一人でずっと話してた。おじいちゃんとの思い出や、妊娠の経過。これからオレもパパやでがんばるわって言ったとき
おじいちゃんの手がオレの手をぐっと握り返した。はっきりと分かるぐらい力強く。おじいちゃんに「わかったよ!手握ったの分かったよ!がんばるから!」
って興奮して叫んだ。普段信用のないオレだけどこの話はみんな信じてくれた。泣いてたからかも。
そんな日が続いて食事中、おじいちゃんが
141 :
ほんわか名無しさん:03/05/08 11:38
危ないから帰ってきてと。着たばかりの食事もほったらかしで帰った。
帰ったらおじいちゃんの部屋で顔に白い布がかかってた。涙が止まらない。でも眠るように息をひきとったって。
車命の弟が、小さな汚れを気にする弟が、おじいちゃんはオレの車で家に連れて帰るって。オデッセイのリアシートをフラットにして
じいちゃんの棺おけにはオレが買ったポロシャツが入れられた。結局着てもらえなかったけど。
ありきたりな言葉だけど天国で新品のポロシャツ着てな。
心から尊敬するおじいちゃんへおじいちゃんの孫に生まれて本当に幸せでした。ありがとう。
143 :
ほんわか名無しさん:03/05/08 17:08
あげ
うわ〜ん。おじいちゃんのご冥福をお祈りします・・・ 。・゚・(ノДT)・゚・。
145 :
ほんわか名無しさん:03/05/08 21:10
泣ける話が多いな。腐った2chのゴマンと有る板のその
中のゴマンと有るスレの中の、数少ない優良スレや・・・。
世の中悪い香具師イパーイいるが、良い香具師もいるって
事を確認できるよ。俺も実話をその内に貼らさせてもらうよ。
146 :
ほんわか名無しさん:03/05/08 21:59
148 :
ほんわか名無しさん:03/05/09 12:11
俺が、小学校6年生の時、熱血先生が担任やった。
悪いことしたら、しばかれたりしたけど、ええ先生やった。
卒業式の日、その先生がみんなに言った言葉
「みんな、死ぬなよ。」
俺は、その時、意味が解らなかったけど、社会人になってから、
あの時、先生は、一番大切なことを教えてくれたような気がした。
149 :
ほんわか名無しさん:03/05/09 12:13
150 :
ほんわか名無しさん:03/05/09 12:17
そんな先生がもっといたらイイのにと思う
151 :
ほんわか名無しさん:03/05/09 13:42
あかん、会社でこっそり読んでたらマジ泣けてきた・・
前の子が「???」って顔して見てる。
はずかぴー
感動age
152 :
ほんわか名無しさん:03/05/09 13:43
クリリンが殺された
153 :
ほんわか名無しさん:03/05/09 14:21
拾ってきますた。ほのぼの感動でっす。
涙のストロガノフ或いはご来訪
妹に彼が出来たと 聞かされた日には一瞬めまいがした
「鉄の女」などと仇名されたあいつにも人並の色気があったとはね
相手も世をはかなんだとか 特にボランティアとかいっそヤケになったとか
そういう訳でもないらしいが とにかく来週我が家へいらっしゃるという
それはいいが
料理など縁も無い あいつがいきなり目覚めたらしく
涙ぐましい戦いの果て 作ったビーフストロガノフのよーなもの
デビュー戦の相手は 僕 すさまじい味 ものすごい形
僕は静かに店屋物をお推めしたのだが
目の座ったあいつに 逆に火をつけたようであった
それからおよそ2kと500グラムの肉は駄目にするわ親父は不機嫌になるわ
僕は太るわお袋は笑いこけて 騒ぎの果てに彼のご来訪
かいがいしくもてなすあいつが 何とも不憫やら可笑しいやらで
親父はポチとプイと散歩に出たまま行方不明になってしまわれた
何にしても
お食事の時間となり 例のブツが あらわれた
敵は一瞬ひるんだが あきらめたかビーフストロガノフのよーなもの
何も僕がドキドキする筋じゃないが血筋の義理
じっと見かわす顔と顔
味のわからん奴なのか それとも愛のなせるワザか
おかわりと言われて涙ぐむ妹を
見ながら力が抜けるじゃないの
こいつならまず大丈夫だァ
鳴呼 涙のビーフストロガノフのよーなもの
>>154 フォークソングの歌詞のようだねえ・・・
いいねえ・・・すごくいい
男は,今日も仕事で疲れきって,遅くなって家に帰ってきた。
すると,彼の5歳になる息子がドアのところで待っていたのである。彼は驚いて言った。
「まだ起きていたのか。もう遅いから早く寝なさい」
「パパ。寝る前に聞きたいことがあるんだけど、パパは,1時間にいくらお金をかせぐの?」
「お前には関係ないことだ」男はイライラして言った。「なんだって,そんなこと聞くんだ?」
「どうしても知りたいだけなの。1時間にいくらなの?」男の子は嘆願した。 「あまり給料は良くないさ・・・200ドルくらいだな」
「わあ」男の子は言った。「ねえ。パパ。ボクに100ドル貸してくれない?」
「なんだって!」疲れていた父親は激昂した。「お前が何不自由なく暮らせるためにオレは働いているんだ。
それが金が欲しいだなんて。だめだ!早く部屋に行って寝なさい!」 男の子は,黙って自分の部屋に行った。
しばらくして,父親は後悔し始めた。少し厳しく叱りすぎたかもしれない...。
たぶん,息子はどうしても買わなくちゃならないものがあったのだろう。今まで息子はそんなに何かをねだるってことはしない方だった・・・
男は,息子の部屋に行くと,そっとドアを開けた。
「もう,寝ちゃったかい?」彼は小さな声で言った。 「ううん。パパ」男の子の声がした。少し泣いているようだ。
「今日は長いこと働いていたし,ちょっとイライラしてたんだ・・・ほら。お前の100ドルだよ」
男の子は,ベットから起きあがって,顔を輝かせた。「ありがとう。パパ!」
そして,小さな手を枕の下に入れると,数枚の硬貨を取り出した。
父親はちょっとびっくりして言った。「おいおい。もういくらか持ってるじゃないか」
「だって足りなかったんだもん。でももう足りたよ」男の子は答えた。そして,100ドル札と硬貨を父親に差しのべて...
「パパ。ボク,200ドル持ってるの。これでパパの1時間を買えるよね?」
157 :
かりんとう ◆dGKARIN/zM :03/05/10 20:02
もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。
その村には・・・
57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます
52人が女性です
48人が男性です
70人が有色人種で
30人が白人
70人がキリスト教以外の人で
30人がキリスト教
89人が異性愛者で
11人が同性愛者
6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍
80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調に苦しみ
1人が瀕死の状態にあり
1人はいま、生まれようとしています
1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています
158 :
かりんとう ◆dGKARIN/zM :03/05/10 20:02
もしこのように、縮小された全体図から私達の世界を見るなら、相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、そして、そういう事実を知るための教育がいかに必要かは火をみるよりあきらかです。
また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。
もし、あなたが今朝、目が覚めた時、病気でなく健康だなと感じることができたなら・・あなたは今いきのこることのできないであろう100万人の人たちより恵まれています。
もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度も体験したことがないのなら・・・あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています。
もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことができるなら・・・あなたは世界の30億人のひとたちより恵まれています。
もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら・・・あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています。
もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら・・・あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちのひとりです。
もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・それはとても稀なことです。
もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間二倍の祝福をうけるでしょう。
なぜならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて、その上あなたはまったく文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです。
昔の人がこう言いました。わが身から出るものはいずれ我が身に戻り来る、と。
お金に執着することなく、喜んで働きましう。
かつて一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。
誰もみていないかのごとく自由に踊りましょう。
誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう。
あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう。
>>158 大学のゼミで使いました。考えさせられました
160 :
スナフキソ ◆kE6ucuH7Ng :03/05/11 13:11
やばい。普通にボロ泣きしてしまった。なんか実家の両親に
電話したくなったよ。
今日は母の日ですね、皆様何をプレゼントするんでしょうか?
私の母は病気です、死にまで至らないけど不治の病である潰瘍性大腸炎
というやつですこの病気はまだ完治させる方法もなく何かの拍子ですぐ
悪化します。けれど母は私を含め3人の息子のために働いてくれてます
3人とも大学生です、もうすぐ楽をさせてあげられそうです。
3人とも感謝しています、ありがとうお母さん。母の日おめでとう
駄文すいません
プレゼントはあげられなかったけど実家に電話したーよ。
>>158-159 >なぜならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて、
かりんとう◆dGKARIN/zM さんの事だな。
>かつて一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。
個人的には、これが印象深かった。
4月に初任給もらったので、両親に綺麗な風景の写真集送って、昼飯おごったよ。
165 :
ほんわか名無しさん:03/05/12 09:55
>>161 うんうん、俺も一緒や。いつから泣く事が恥ずかしい事だと、
誰に教わったのだろうか?そんな記憶なぞ無いくせに泣く事に
抵抗してる自分がおったが、このスレでわんわん泣いて、
「これが本当の自分だったんだ・・・」
と久々に思い出す事ができたんだ・・・。感謝。
拾い物
小学生のころ、かわいがっていた近所の年下の友達が水難事故で死んだ。
今ならわかるけれど、君はダウン症だったんだ。ハンデを背負いながら
がんばって生きていたね。安らかに眠っておくれ…
中学生のころ、尊敬していた部活の先輩が交通事故で死んだ。
先輩のハングリー精神と背番号は俺が引き継ぎました。
高校一年生のころ、親友が交通事故で死んだ。
お前がやっていたボランティア、俺、いまお前の親と一緒にやってるぞ。
高校三年生のころ、心から愛した彼女が性的暴力で心を患った。
この町からいなくなった君は、当時荒んでいた俺を癒してくれた。
もう一度会いたいけれど、いま何処にいるかわからないし、君の親に二度と関わらないで
と頼まれているし、守れなかった俺には会う資格もない。親さん、すみません。
せめて君の幸せだけ祈らせて。
みんないなくなったとき、心が張り裂けるほど辛かった。
誰かに深く、強い情を持つことが怖かった時期もあった。だけどもう大丈夫。
慈しむこと、慕うこと、信頼すること、愛することを教えてくれてありがとう。
同じく拾い物
親父に会ってきた。その見た目は壮絶だ。
鼻の穴に管が差し込まれ、その管は常に血を吸い出している。
息をするのがつらいためか、それとは別にさらに両方の鼻の穴に
酸素を吐き出す管が刺さっている。点滴はもはや腕からではなく、
胸あたりに刺さりダイレクトに栄養を送り、痛み止めのモルヒネもどの管からか常に入っているらしい。
親父の身体に一体何本の管が入っているのか・・・という状態だ。熱があるらしく、
ひたいにはアイスノンが巻かれている。
空気の漏れる音や、血を吸い込む音、耳をすませると親父の生命を維持するために
いろんなマシンが動いている。ふと下を見ると血液吸い込みマシンに、親父から吸い出した血液が
1リットルもたまっていた。朝からオレが到着した夕方までの間にこんなに出たんだ・・・。
だけど、数日前よりも元気だという。
濃いモルヒネを打っているせいでたまにワケのわからないことを言う以外はまともに話もできる。
ベッドの上であぐらをかくこともできるようだ。
「このおかげ(血液吸い込みマシン)で、ずいぶん楽になったんだよ。これでどんどん元気になるぞ」
と親父はオレに言った。自分ではそういう意識を持つことが大切なんだろう。
ここまで来たらあとは前向きな気持ちとか生きるという強い意志などのメンタルな部分が大事になってくるはずだ。
だから、まだまだ生きるつもりの親父に「いままでありがとう」なんてとても言えない。
寝ている親父の手を握ってみた。「温かい手だな」と親父は言った。
オレが「よく腕相撲したよな」と言うと「そうだな、もうお前にはかなわないよ」と小さく言って
オレの手を握り返してきた。予想を遙かに上回る強い握りだった。
病気でなかったら今でもかなわないんじゃないか、と思うほど強い強い握力だった・・・。
「会社は大丈夫か? 」と聞かれたら「最近、業績いいんだよ」と嘘をつき、
「嫁さんはお前に不平不満を言ってないか?」と聞かれたら、「あぁ、仲良くやってるよ」と答える。
親父に伝えるオレの人生は全部絶好調状態だ。親父には一切不安を抱かせない。
1時間ぐらいいると「早く仕事に戻れ!」と言う。
「いや、別に今日は仕事しないよ」と言うが、いいから行けと言う。
実際は締切日でどっちにしても長居はできなかった。
「また一週間後来るよ」と言って、親父と握手し、母と一緒に病室を出た。
母と話しながらエレベーターの前まで歩いて思い出した。
「ちょっと戻る」と母に告げきびすを返し、一人で病室に戻った。やっぱり今日言っておかなきゃだめだ。
親父のベッドのそばに戻り、親父の手を握り、「元気だせ」「早く良くなってな」「来週は女房と一緒に来るぞ」とかいろいろ言い、
最後に親父の手を自分のひたいに付けて言った。
「生んでくれてありがとう」
伝えたいことはだいたい話せたような気がする。なんだか胸のつかえが取れた気分だ。
そして、病室を出てそのまま会社に戻り、今も仕事をしている。オレはオレで生きるのだ。
上の文章の翌日に、亡くなられたとありました。
月並みだけど御冥福を祈ります。
そして、「生んでくれてありがとう」という言葉、間に合ってよかった。
感動しました・・・
本当に間に合って良かった。
そう思います。
きっと、お父さんも満足して亡くなられたことでしょう。
ご冥福を祈ります。
173 :
ほんわか名無しさん:03/05/13 18:46
たまにはあげ
174 :
Nenichirin@honobono ◆NL/LF077NA :03/05/14 10:48
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ミ,,゚Д゚彡 ,|| l ̄ ̄ l |:/\ ために〜 _| ̄ ̄||_)_
┌‐ミ つつ/ ̄||/. ̄ ̄// \ /旦|――||///|
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し'`|\// _Hikkie_/. \ / |. ̄ |l ̄ ̄ l ||(゚Д゚ ,)
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175 :
Nenichirin@honobono ◆NL/LF077NA :03/05/14 10:56
87 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:03/02/06 23:19 ID:B/3kQ8hQ
幼い頃はママンが憎くて憎くて仕方がなかった漏れ
ママンはパパンに殴られると腹いせに漏れを殴った
漏れは消防の頃から自殺する事や家を出る事ばかり考えてた
「母親なんか死ねばいいのに」がモットーだった
現在は自活を始めて6年目
ママンとは一緒にカラオケに行く程仲良くなった
先日山口百恵の「秋桜」を歌ってくれとせがまれた
歌ってる最中歌詞がシンクロした
涙が出てきた
こんな日が来るとは思わなかった
大嫌いだったママン
今ではかけがえのないママン
長生きしてくれよ ママン
106 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:03/02/07 22:37 ID:dIoBC2Uk
ママンは元ピアノ教師だったので、ピアノを教えて貰っていた。
でも小二の頃、強弱の引き分けがどうしても出来なくて、
「もうやめる」と泣きじゃくった。
次の日から、ピアノの稽古は無くなった。
とはいえ音楽そのものは好きだったので、その後独学で
少しは弾けるようになった。
ある日ソナチネか何かを弾いていたら、母が来て、連弾
しようと言ってきた。
そんなことは初めてだったので、思い切り緊張してしまった。
結局めちゃめちゃになりつつも何とか弾き終えて、「ごめんね」と
謝ったら、「こうやって娘と連弾するのが夢だった」と母。
思わず言葉に詰まってしまった。
その数年後、母は亡くなった。
私のピアノは今もド下手だけど、生活に余裕ができたら
いつかちゃんと習いに行ってみたいと思っている。
そして母の好きだったショパンを弾いてあげたい。
106 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:03/02/07 22:37 ID:dIoBC2Uk
ママンは元ピアノ教師だったので、ピアノを教えて貰っていた。
でも小二の頃、強弱の引き分けがどうしても出来なくて、
「もうやめる」と泣きじゃくった。
次の日から、ピアノの稽古は無くなった。
とはいえ音楽そのものは好きだったので、その後独学で
少しは弾けるようになった。
ある日ソナチネか何かを弾いていたら、母が来て、連弾
しようと言ってきた。
そんなことは初めてだったので、思い切り緊張してしまった。
結局めちゃめちゃになりつつも何とか弾き終えて、「ごめんね」と
謝ったら、「こうやって娘と連弾するのが夢だった」と母。
思わず言葉に詰まってしまった。
その数年後、母は亡くなった。
私のピアノは今もド下手だけど、生活に余裕ができたら
いつかちゃんと習いに行ってみたいと思っている。
そして母の好きだったショパンを弾いてあげたい。
ヤベー2重カキコスマソ しかしなぜ・・・
今日は ママンとの幼き思い出 より拾ってきました
最後にひとつ
231 :おさかなくわえた名無しさん :03/02/24 15:35 ID:4z8mAstL
ママンは30代の頃から、一部入れ歯だったの。
ガキにありがちな残酷さで、
私達姉妹は「やーい!入れ歯だあ」なんてママンをからかってた。
ママンは
「あんたらに持っていかれたのよー。あんたらが大きくなったら立派な入れ歯作ってよ」
なんて笑ってたっけ。
そりゃ子供4人も産んだら、カルシウム、根こそぎ持って行かれちゃうよね。
内臓もボロボロだって聞いたとき、なんて酷いことをママンに言ったんだろうって。
命を分け与える、って大変なことなんだと。
私はそれに恥じてない生き方をしているだろうか。
ママンがまさに骨身を削ってこの世に誕生させたのに
昼間から2ちゃんでごめんよぉママン。
入れ歯はゴージャスに総金歯でいい?ママン・・。
>777◆Sx777J2Ch.
それを貼るなら、泣ける2ちゃんねる教えようや。最新の更新分。
(知らない人は検索かければ一発)
>>182 そうなんだけどさ、それを言うとこのスレいらなくなっちゃうべ・・・
感動した、泣いた「レス」のガイドライン 二粒目
http://that.2ch.net/test/read.cgi/gline/1044766791/l50 123 名前: 水先案名無い人 投稿日: 03/05/04 03:20 ID:VKQgGfdh
俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。
186 :
ほんわか名無しさん:03/05/15 02:52
拝啓 ボクのおちんちん様
こんにちは、ボクのおちんちん。もしかしたらもう、こんばんはの時間かな?
突然のお手紙をお許しください。
思えばこんな風に手紙を書くのは初めてだね。少し照れくさいです。
いつも僕と一緒にいてくれてありがとう。思えば24年前だったかな?君と出会ったのは。
僕は君との出会いの瞬間をあまり覚えていません。でもいつも暖かくて、柔らかくて、そばにいてくれてたように思う。
本当に感謝しています。
言うなれば、最良の友。24年間共に戦いをしてきた、戦友。
君は覚えていますか?僕たちの初陣のときのことを。
初めて君から白い液体が出たとき、ビックリしたよね。
今となっては青春の1ページとして懐かしい思い出です。
ところで、僕は君に謝らなくてはなりません。僕は知っています。
24年間ずーっと、君がおまんこに入りたいと願っていたことを。
ごめんなさい。こんなふがいない友達を持って、君は憤慨しているのでしょうね。
そして僕は、君の怒りに対して何もしてやれなかった・・。
でも君は、そんな僕を見捨てることなく過酷なオナニーに耐えてくれた・・。
ごめんなさい。僕に彼女が出来ないばっかりに。
でも、俺がんばるからね。
きっと今に彼女を作って、君をおまんこに入れてみせる。
『明日があるさ、明日がある』。 使い古された言葉だけど、今の僕たちの言葉だね。
僕のおちんちん君。いつまでも一緒にいよう。
今までありがとう。そしてこれからもよろしく。
フレーッ! フレーッ! ぼくのおちんちん!! 敬具
追伸
新しいエロ画像を見つけました。今度一緒に見ましょう。
気にしない気にしない( ´ー`)ノ
いつもキミの貼ってくれる話で泣ける人がここにいる。
189 :
ほんわか名無しさん:03/05/16 02:14
|┃三 _________
|┃ /
|┃ ≡ _、_ < 話は全部聞かせて貰ったぞ!
____.|ミ\___( <_,` ) _ \
|┃=___ \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|┃ ≡ ) 人 \ ガラッ
190 :
ガンダム ◆RX78ga/roc :03/05/16 02:16
ララァ!
>>186 泣けないけどマヂ好き。
エロとかバカとかぢゃなくて、純粋なかんじ
192 :
ほんわか名無しさん:03/05/19 00:53
禿同。
>>186のを最初見た時は嫌がらせのエロ系かと思ったけど読んだらそうじゃなかった。
止まっちまったか…良スレだったのに。
>>182 テメいらんこと書くなや
194 :
ほんわか名無しさん:03/05/20 17:54
俺、今まで泣ける映画、泣ける話色々見たけど
涙を流した事はなかったんだ。
ちょっと目が潤むと、反射的に涙を堪えようとしてしまって。
このスレも、見はじめたときは
泣けるいい話だなとは思ったけど涙は出なかった。
でも6個ぐらい、コピペされてるような有名なやつ読んだら涙が溢れ出したよ。
一回涙が出てからは今まで読んだ話でも泣けてきて。
涙を流したの10年ぶりぐらいで、自分でもビックリしました。
いいスレや・・・・゚・(ノД`)・゚・。
196 :
777 ◆Sx777J2Ch. :03/05/20 22:01
>>187 ありがとう、コピペばかりで芸がないのに、やさしくしてくれてありがとう。
>>193-194 オマイラこれでも読んで、想像してほのぼのしる!
それと、ごめんよ182タソ、ヤな思いさせたかも。
世の中まだまだ捨てたものではないと思ったこと より
15 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2001/05/12(土) 18:02
珍しくボール遊び可の公園でキャッチボールをしていたら、
子供たちが凧上げに来たので、俺達は端に寄ってキャッチボールをしていた。
1時間くらいして、俺達はベンチで休んでいたら、
凧上げしていた子供たちが寄ってきた。
恥ずかしそうにモジモジしていたので
「どうしたの」
と聞くと
「ありがとうございました」
と大声で言って、皆で走って帰って行った。
197 :
777 ◆Sx777J2Ch. :03/05/20 22:10
嗚咽 その2 より
613 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/04/19 01:31 ID:X0kAs/tq
父が亡くなったのは地元から遠く離れた病院だった。
地元の病院に連れて帰るはずだった日の朝、結局遠い病院で一人で旅立った。
家族の中で一番自由に動ける私がついていてあげればよかったのにとすごく悔やんだ。
冷たくなった父を自宅に連れて帰った。まだ死んだという実感はまったくなかった。
その日は兄と二人で夜中まで父のそばにいることにした。
お通夜の準備やお葬式の準備で家の中は荷物が運び出されていつもよりがらんとしていた。
「お前ちょっとでも寝とけや」
兄に言われて仮眠をとることにした。朝方、兄が起こしに来てくれて父の遺体のそばにいった。
枕元に見たこと無い古いアルバムがあった。
「これ、見たことあるか?」
兄に渡されて
「いいや、無い」
といって中を開いてみた
198 :
777 ◆Sx777J2Ch. :03/05/20 22:11
今日、父親になった。
小さな、小さなこの子を育てていかなくてはならない。
不安だがうれしい・・・
兄が生まれた日に書かれた父の文章だった。
アルバムの中表紙一面に父になった感想、これからの子供に対する責任
などがびっしりと書いてあった。
「これもらうからな」
なみだ目になった兄が言った。
「うん」
としか私は言えなかった。
仕事ばかりで家にいたことなどなかった父のメッセージを受け取った兄が少しうらやましかった。
今でも、父からなにかしらメッセージがないかなーと探すが、何も無い。
子供も三人目になるとこんなものかもしれない・・・
駄文、すんません
199 :
ほんわか名無しさん:03/05/20 22:11
ある日の真夜中、2台の大型トラックが正面衝突するという事故が起こった。
運転手は即死で目撃者はいない。
トラックは2台ともかなりのスピードを出していたようで、事故車は完全に「くっついて」しまっていた。
事故検分が終わり運転席から犠牲者を運び出した後、トラックはくっついたまま解体処理場に運び込まれる。
ところが、しばらくするとトラックの残骸から異臭が漂い始めた。
トラックから死体は運び出したはずだし、見たところ異臭の原因になりそうなものもない。
そこで大型レッカー車4台を用意して、トラックを引きはがしてみることにした。
やっとのことでトラックを引き離すと、なんとその間からペチャンコになった1台の軽自動車と、その乗員と思われるぐちゃぐちゃになった数人分の遺体が出て来た。
事故は2台ではなく3台の車に起きていたのだ。
200 :
ほんわか名無しさん:03/05/20 22:12
ある髪の長い女性が遊園地でゴーカートに乗っていた。
彼女はかなりのの美人。
乗り場の行列に加わり順番待ちをしている男たちは、一緒に並ぶ自分の彼女のことなどすっかり忘れ、髪をなびかせて走る彼女の姿に見とれていた。
ところが、その時である。
ゴーカート乗り場に突如として大勢の人たちの悲鳴が響き渡った。
風になびく彼女の長い髪が、ゴーカートの後輪に絡みついてしまったのだ。
回転する後輪に髪を引き込まれた彼女は髪ごと顔の皮膚を全て引き剥がされ、即死してしまった。
201 :
ほんわか名無しさん:03/05/20 22:13
とある高校で、一学期の終業式が行われた日のことだ。
この高校は体育館の地下が用具置き場になっているのだが、その少女は誰かに片付けものを頼まれたのか、あるいは何か用があったかで終業式の終了後にその場所にいた。
ところが、学校の用務員が下に彼女がいることに気づかず、地下室の入り口の鍵を外から閉めてしまったのだ。
彼女は慌てて扉に駆けよるがすでに遅く、用務員の足音は遠くの方へ去り行こうとしていた。
そして、夏休みが始まった。
彼女の両親は我が子の帰りが遅いことを心配し学校に問い合わせの電話をかけたのだが、学校側からはとっくに帰ったはずだという返事しかもらえない。
その後も彼女が帰って来ないため、ついには警察の捜索届が出された。
だが、警察もいつまでたっても少女を発見することができず、ただいたずらに時間だけが過ぎ去ってしまう。
何日も、何週間も・・・
やがて夏休みは終わり、始業式の日がやってきた。
体育館の地下室の扉を開けた用務員は、そこで扉に持たれかかるようにして死んでいる彼女の死体を見つける。
涼しい地下にいたためか、彼女の遺体は半ばミイラ化していた。
扉には乾いた血の跡と無数の引っかき傷が残されており、彼女の指はボロボロになっていたという。
ごめ、ageてた・・・・
203 :
ほんわか名無しさん:03/05/20 22:18
204 :
ほんわか名無しさん:03/05/20 23:09
>>201 ほのぼのしてないんだけど…
他版に逝ってください。
627 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/04/20 14:08 ID:ietIbiLR
彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。
彼は昔両親を亡くして、祖父母に育てられていました。
そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の祖母と二人暮しでした。
それが反対の理由でした。
「何も結婚してすぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と。
結婚を申し込みにきた彼と彼の祖母ににもそう言い放ったんです。
その2日後でした。
彼の祖母が置手紙を残していなくなりました。
仕事から帰った彼からの電話で、私達は必死で探しました。
探して探して探して
空が明るくなりかけた頃、彼の祖父の眠るお墓の前に座りこんでいる祖母を見つけました。
歳も歳だったので衰弱し、そのまま即入院になりました。
その事がきっかけで、私の両親も私達の結婚を許してくれ
結婚式はせず、すぐに籍だけをいれました。
もう10年近く前の話です。
祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。
その時の手紙です。
●●へ(彼の名前)
ばあちゃんは本当に貴方がかわいかった。
貴方のお父さんとお母さんが死んだ時
私のこの先の人生は貴方の為に使っていこうと心に誓いました。
ばあちゃんは年であるしお金もない
何も何も持ってはおりません。
貴方への愛情だけです。
そして貴方はばあちゃんの事をとてもとても大切にしてくれた
とてもとても良い子に育ってくれました
そして人生の伴侶となるべき相手を見付けました。
でもばあちゃんがそれをじゃましているんだね。
幸せになってください。
ばあちゃんは貴方を育てる事が出来た事がとてもうれしいです。
とてもとても幸せでした。
妙子ちゃん(私)と、どうかどうか幸せになってください。
このスレを建てた張本人です。
最初はスローなスタートで、ひとりでせっせとコピペしていましたが、
いろんな人がいい話をたくさん書き込んでくれ、またその話を読んで
涙流している人もいると知り、このスレ建ててよかったと勝手に思ってます。
777 ◆Sx777J2Chさん他、いつも書いてくれる人ありがとう。
自分も楽しみに読んでます。
他にも専用の板があることもわかりましたが、
いろんな板やスレからのコピペを集めたスレってことでもいいと思います。
自分もいい話あったらこれからも書き込みしますので、
みなさんもいろいろ聞かせてください。
昨日、子供のお迎えに行った時の話です。
通園はバスなので、指定の場所でバスを待っていました。
道路の向かい側に、小学校2〜3年生くらいの男の子がぽつんと立っています。
さして気には止めていなかったのですが、男の子が突然タバコを吸い始めたのです。
1点を見つめながら、黙々と・・・。
最初は、びっくりしたのですが、何かあったのではないかと哀れに思えて仕方が
ありませんでした。しかし、声をかける勇気がなく、しばらくその姿を見守ることしか
できませんでした。
続きです。
男の子が2本目のタバコに火を着けようとした時です。
作業服を着たおじさんが、隣に立ちました。すると、おじさんもタバコを吸い始め
ました。奇妙な光景です。2人とも何を話す訳でもなく、おじさんがタバコを吸い終え
自分のタバコの箱を覗き込みました。
「おじさん、タバコが無くなったんだけど、それ売ってくれないかなァ?」
男の子は、うつむいて何も言いません。
おじさんはポケットからお金を出して男の子に握らせ、ひきかえに、タバコを
自分のポケットにしまいました。
「もうこんなことするなよ。」
そう言うと、男の子はうつむいたまま小さく頷いて走っていきました。
少し趣旨が違うかもしれませんが、世の中まんざらでもないな、と
思えた瞬間でした。男の子に何があったのかは分かりませんが、
少なくとも、おじさんによって救われたんじゃないかと勝手に思っています。
乱文失礼しました。以上です。
>>208 あ、1さん!良スレをありがとう。777も、いろんな人の話を読んで、素直に感動してます。
それと、まるで自分のスレであるかのごとく書き込みまくってごめんなさい。
お言葉に甘えてこれからもいろいろ拾ってきて貼りつけたいと思います。イデスカ?
>>209-210 いい話ですね、そういう話もっといろいろ読みたいです。
・・・泣けるねぇ・・・・・
>>211 777 ◆Sx777J2Ch.さん、
ええ、是非お願いします。
じゃあ私からも一つ。 長いですが、いい話です。 1/4
1999年11月22日午後、航空自衛隊入間基地所属のT33型ジェット練習機が
入間川河川敷に墜落しました。
その際、東京電力の高圧送電線を切断し、東京・埼玉の約80万世帯で停電となりました。
電線切断による停電は都市のもろさの再認識となり、
マスコミの論調は私の知る限り「税金の無駄使い」的な、冷淡なものであったと思います。しかし、
この事実をまた違った視点から見た人がいました。
以下はこの近くに住む狭山ヶ丘高等学校学校長・小川義男先生の文です。
2/4
人間を矮小化してはならぬ 校長 小 川 義 男
先日、狭山市の柏原地区に自衛隊の練習用ジェット機が墜落しました。
たまたま私は、寺田先生と共に、あの近くを走っていましたので、立ち寄ることにしました。
すでに付近は閉鎖されていて、近くまで行くことはできませんでしたが、それほど遠くないあたりに、
白煙の立ち上るのが見えました。 見上げると、どのような状態であったものか、
高圧線がかなり広範囲にわたって切断されています。高圧線は、あの太くて丈夫な電線ですから、
切れるときはぷつんと切れそうなものですが、多数の細い線の集まりからできているらしく、
ぼさぼさに切れています。何カ所にもわたって、長くぼさぼさになった高圧線が鉄塔からぶら下がっている様は、
まさに鬼気迫るものがありました。 聞くと、操縦していた二人は助からなかったそうです。
二佐と三佐と言いますから、相当地位の高いパイロットだと言えます。
二人とも脱出を試みたのですが、高度が足りなく、パラシュート半開きの状態で地面に激突し命を失った模様です。
以前、現在防衛大学の学生である本校の卒業生が、防大合格後航空コースを選ぶというのを聞いて、
私がとめたことがあります。「あんな危ないものに乗るな」と。彼の答えはこうでした。
「先生、戦闘機は旅客機より安全なのです。万一の場合脱出装置が付いており、
座席ごと空中に打ち出されるのですから」と。
その安全な戦闘機に乗りながら、この二人の高級将校は、何故死ななくてはならなかったのでしょうか。
それは、彼らが十分な高度での脱出を、自ら選ばなかったからです。
おそらく、もう百メートル上空で脱出装置を作動させていれば、彼らは確実に自らの命を救うことができたでしょう。
47歳と48歳と言いますから、家族に取りかけがえもなく尊い父親であったでしょう。それなのに、
何故彼らはあえて死をえらんだのでしょうか。
3/4
実は、あの墜落現場である入間川の河川敷は、その近くに家屋や学校が密集している場所なのです。
柏原の高級住宅地は、手を伸ばせば届くような近距離ですし、柏原小、中学校、
西武文理高等学校もすぐそばです。百メートル上空で脱出すれば、彼らは確実に助かったでしょうが、
その場合残された機体が民家や学校に激突する危険がありました。
彼らは、助からないことを覚悟した上で、高圧線にぶつかるような超低空で河川敷に接近しました。
そうして、他人に被害が及ばないことが確実になった段階で、万一の可能性に賭けて脱出装置を作動させたのです。
死の瞬間、彼らの脳裏をよぎったものは、家族の顔でしょうか。
それとも民家や学校を巻き添えにせずに済んだという安堵感でしょうか。
他人の命と自分の命の二者択一を迫られたとき、迷わず他人を選ぶ、
この犠牲的精神の何と崇高なことでしょう。皆さんはどうですか。
このような英雄的死を選ぶことができますか。私は、おそらく皆さんも同じコースを選ぶと思います。
私も必ずそうするでしょう。実は、人間は、神の手によって、そのように作られているのです。
人間はすべてエゴイストであるというふうに、人間を矮小化、つまり実存以上に小さく、
卑しいものに貶めようとする文化が今日専らです。しかし、そうではありません。
人間は本来、気高く偉大なものなのです。火災の際の消防士の動きを見てご覧なさい。
逃げ遅れている人があると知れば、彼らは自らの危険を忘れて猛火の中に飛び込んでいくではありませんか。
母は我が子のために、父は家族の為に命を投げ出して戦います。それが人間の本当の姿なのです。
その愛の対象を、家族から友人へ、友人から国家へと拡大していった人を我々は英雄と呼ぶのです。
4/4
あのジェット機は、西武文理高等学校の上を飛んで河川敷に飛び込んでいったと、
佐藤校長はパイロットの犠牲的精神に感動しつつ語っておられました。
しかし、新聞は、この将校たちの崇高な精神に対して、一言半句のほめ言葉をも発しておりません。
彼らは、ただもう自衛隊が、「また、事故を起こした」と騒ぎ立てるばかりなのです。
防衛庁長官の言動も我慢がなりません。彼は、事故を陳謝することのみに終始していました。
その言葉には、死者に対するいたわりの心が少しもありません。
防衛庁の責任者が陳謝することは、それはもう当然です。国民に対してばかりか、
大切な隊員の命をも失ったのですから。しかし、陳謝の折りに、大臣はせめて一言、
「以上の通り大変申し訳ないが、隊員が、国民の生命、財産を守るため、
自らの命を犠牲にしたことは分かってやって頂きたい。
自衛隊に反発を抱かれる方もあるかも知れないが、私に取り彼らは可愛い部下なので、
このこと付け加えさせてもらいたい。」
くらいのことが言えなかったのでしょうか。隊員は命を捨てて国民を守っているのに、
自らの政治生命ばかり大切にする最近の政治家の精神的貧しさが、ここには集中的に表れています。
まことに残念なことであると思います。このような政治家、マスメディアが、
人間の矮小化をさらに加速し、英雄なき国家、エゴイストのひしめく国家を作り出しているのです。
人は、他人のために尽くすときに最大の生き甲斐を感ずる生き物です。
他人のために生きることは、各人にとり、自己実現にほかならないのです。
国家や社会に取り、有用な人物になるために皆さんは学んでいます。
そのような人材を育てたいと思うからこそ、私も全力を尽くしているのです。
受検勉強で精神的に参ることもあるでしょうが、これは自分のためではなく、公のためである、
そう思ったとき、また新しいエネルギーが湧いてくるのではないでしょうか。
受験勉強に燃える三年生に、連帯の握手を!
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
ほす!
221 :
ほんわか名無しさん:03/05/23 01:19
dat落ち寸前だったよ、危ない危ない。
コンビニでお菓子(300円相当)買おうとレジまで持ってっタラ・・・
財布を忘れてました(ノД`)゚。
就職して2年。あれは、まだ、携帯電話が今ほどみんなが持っていなかったころ。(普及率は一割も無かったのだ)
正月の休みに実家に帰った時、伯父の家で一緒に住んでいたばあちゃんに正月の挨拶をしに行った。
戦争の前後には、じいちゃんと上海に居たとかで、あちらでは、そこそこ羽振りが良かったらしいが、戦後の混乱とその後の大地震でかなりの波乱の人生であったようだ。
僕らがうまれたころは、かなり、貧乏になっちゃったけど、町を歩いていても、隣を歩く人に負けたくないと、足早に歩いていた、ばぁちゃん。
上海に居たころ、人力車を引く人に馬鹿にされてなるものかとけんかした話とか、負けん気の強いばあちゃんは、多少調子が悪くても着物を着こなして正座をしてちゃぶ台の横に座っていて、いつも、気丈に振舞っているばあちゃんのことがとっても好きだった。
そんなばぁちゃんが、「すこし調子が悪い」と聞いてはいたけれど、正月の挨拶に孫が着てるのに、布団から出てこないのにはかなり驚いた。多少、調子が悪かろうが、自分を含め、家族にも、そんなことを見せるような人では無かった。
枕もとに行き、「ばぁちゃん、ひさしぶり」といっても、覇気が無い。
あんまり話もできないまま、東京に戻ってきた俺は、その足で携帯電話を買いに行った。
いつでも、連絡してもらって、絶対、ばぁちゃんの死に目には間に合うように連絡してほしいと。。。。
でも、願いはかなわなかった。連絡があったのは、会社に行く直前。
ばぁちゃんが死んだという知らせだった。
確かに、ばぁちゃんが病院に運ばれたのは電車も無い時間で間に合うことは無かった。
でも、せっかく買った携帯電話も間に合うことは無く、とても残念というか自分の無力さを知った気がした。
ばぁちゃんの葬儀に出るために、会社を早退して実家に帰ろうとしたが、全く気が動転しているようで、山手線で東京でありるはずが、上野を通り越して鶯谷でやっと乗り過ごしていることに気が付く始末。。。。
結局、事故があったか何かでたまたま遅れていた新幹線で新大阪に着いたのはすでに日付を超えていた。
車で迎えに来た親父とちょこちょこ話をして、ばぁちゃんが自分で救急車を呼んでくれと言ったというのを聞いて、泣きそうになった。
血栓ができて痛かったらしいのだが、見舞いにきていた伯母さんが、「救急車呼ぼか?」と聞いたら、「うん」と言ったらしい。あの、ばぁちゃんがそう言ったとすれば、よほど痛かったに違いないと思うととてもせつなくなったし、なにもできなかった自分が悔しかった。
葬式が終わって、会社に戻ってきたら、ちょうど3ヶ月の海外出張からもどってきた同僚が言った。
「あ、携帯買ったんだ。いいなぁ」
って。おれは、涙が出そうになるのをこらえながら、
「あぁ、役に立たなかったけどね。」
それ以上、話を続けることができなかった。
葬式に出ている最中より、役立たずといわれているようで辛かった。
もちろん、同僚にはなんの罪も無いのだが、一番聞きたくない言葉だった。
長文、すまん。
今度は、じいちゃんの話。
じいちゃんは、自分が高校一年の時に死んだ。
じいちゃんは、自分が小さいころから、既に酔っ払いのところしか覚えていない。
よく漫画に出てくる「ウィー、ヒック」を現実にやってたのを見たのは、じぃちゃんしか知らない。
でも、あったかかったし、いろいろ怒られた気がするけれど、じぃちゃんの家に行くのは楽しかった。
自分には、姉貴が居るのですが、いわゆる内孫ではじめての孫だったせいもあり、姉貴のことをとてもかわいがっていました。自分は、怒られた気がするけれど、いつだって、ねぇちゃんがかばってくれると許してくれたように思います。
じぃちゃんは自分が中学にあがるころから糖尿病からくる足の痛みで杖をついて歩くようになっていました。
でも、ねぇちゃんが嫁入りすると知って、何が何でもねぇちゃんの結婚式に出たいということから、
「リハビリしてまんねん」
と言いながら、普段はいけないような街中まで散歩に出て行く姿に、
「けなげなやなぁ」
と涙が出そうになった。
実際、姉貴の結婚式の後、寝たきりになってしまって、精も根も使い果たしたようになってしまった。
そんな折、土曜の午後だったか。
じぃちゃんの田舎から、じぃちゃんの兄貴が見舞といって尋ねてきた。
急なことだったので、うちの家族は慌てて右往左往して、昼飯代わりに寿司を注文して、誰も居なくなり、自分が留守番になった。
じぃちゃんの兄さんはすぐに帰ってしまい、そんな自分とじぃちゃんだけのところに、寿司の出前が届けられた。
御代は後でということになり、さて、どうしたものかと思っていると、寝たきりのじいちゃんが問い掛ける、
爺:「それは、何?」
我:「あー、これなぁ、おいちゃんのお昼に思てお寿司とったんや」
爺:「ちょっと、見せてぇ」
我:「ふん」
と見せるが早いか、じぃちゃん手を伸ばして食い始める。
じぃちゃん、2週間ほど前から布団からほとんど動けないし、おかゆしか食べられないほどになっていて、人に食べさせてもらえないと何も口にできないで居たのだが、それが、自分から手を伸ばして食べようとするのだ。
入れ歯もはずした状態で、とってもおいしそうに食べるのを見ていると、お腹壊すかもしれないからと心配になるのだが、止められなくなってしまって、困っているとところにおふくろが戻ってきた。
おふくろも困ってしまって、じぃちゃんが、イカのにぎりに手を伸ばしたところで、
袋:「おじいちゃん、それは、歯がないと噛まれへんから、、、、、」
といっても、無い歯でうまそうに喰うのよ、これが。。。。。
そのときは、俺も、おふくろも、じぃちゃんが一人前平らげるのをだまって見てるしかなかった。
それから、一週間もたたないうちに、じいちゃんは逝ってしまった。
そのときの自分としては、全く喰えなくなってしまっているじぃちゃんに寿司を一人前喰わせてしまったことが、じぃちゃんの死期を早めることになったのかも知れないと思い、多少後悔した。
でも、おふくろも伯母さんも、みんな言うことには、そのあと、意識不明で喰うこともままならなかったじぃちゃんに、最期のご馳走として、寿司を食べてもらうことができたのは良かったと言われた。
今でも、じぃちゃんがうまそうに喰ってる姿を忘れることができない。
朝から泣いた
じーちゃんばーちゃん関係には弱い
230 :
ほんわか名無しさん:03/05/24 01:56
4年前の今ごろイベント警備の仕事をしていてPHSに伝言が入って
いる事に気が付いた。「○○(私の名)魚の味噌漬が有るから帰りに
寄ってくれ」と親父の声だった。当時私は東京で生活していて両親は
群馬県で施設の管理人をしていたので、親父はボケてしまったのか?
程度にしか考えずにすぐに消去してしまった。
その直後にお袋から親父が倒れて危篤状態との連絡が入った。
親父は自分の4人の子供の電話を毎日待ち続け「今日は○○から電話
が有った」とか今日は「だれも電話してこなかった」と言いながら、
夜遅くまで電話の前で晩酌するのが日課だったらしい。
倒れる数日前に蛍光灯を交換しようとして、脚立から転落して頭部を
強打して実はこの時に脳内に出血を生じ、徐々に意識混濁が発生して
、子供達と話をしたいという気持ちがうまい魚が手に入ったから家に
寄りなさいという話にすりかわり最後に電話をしたんじゃないか?と
いうのが医者の見解だった。労災に申請するため通話記録など詳細を
しらべて医者の意見を聞いてるとき、親父の気持ちが解ってきて涙が
止まらなくなってしまった。
いい話ですね。2Chの諸君に感謝。
232 :
小田和 朗:03/05/24 06:18
>>230を読んで、思わず父親にメールしてしまった
235 :
ほんわか名無しさん:03/05/24 14:20
コピペでスマソ。
155 :名無し物書き@推敲中? :02/08/19 01:14
長いんだが(゚Д゚)ゴルァ!させてください・・・
ばあちゃん(゚Д゚)ゴルァ!
四年ぶりに田舎帰ってその帰り際に押し問答で押しきられた封筒の厚さがおかしいと思ったら
5 0 万 もはいってましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
渡されるとき変だな変だな〜って思ってましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
1万円でも漏れには大金なのに 5 0 万 て何事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
漏れはちょっと前に事故で死にかけて、今すげー金欠ですよ
でもな、ばあちゃん
何やってんですか(゚Д゚)ゴルァ!
50万てばあちゃんその金稼ぐのにどれだけ苦労しましたか?
ばあちゃんが作ってうってる野菜ひとふくろ100円ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
ひとふくろたった5本の胡瓜だけれどそれをつくるのにばあちゃんどれだけ苦労しましたか(゚Д゚)ゴルァ!
曲がった腰更に曲げて草取り水遣り肥料遣りに支え作り袋詰だって楽じゃないですよ(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃん、体きついって、頭痛い腰痛い足痛いって言ってるじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃんの胡瓜はばあちゃんの命すり減らして作ってますよ(゚Д゚)ゴルァ!
金額も金額だけど、金の価値はそれだけじゃないですよ(゚Д゚)ゴルァ!
漏れはばあちゃんの命を喰ってるようで涙が止まりませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
田舎にも帰らず28P300円でフォモ本作って売りさばいてたりしてごめんなさい(゚Д゚)ゴルァ!
漏れの本とばあちゃんの野菜は価値が違うよ
四年ぶりに会ったばあちゃん、ちっちゃくなって
声もちいさくなって前はきりきり働き者だったのに頭痛いってずっと寝てましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
236 :
ほんわか名無しさん:03/05/24 14:20
156 :名無し物書き@推敲中? :02/08/19 01:15
医者いってください
整体いってください
頼むから!
頼むから、ばあちゃん!
「被爆者手帳で医療費ただだから気にせんで」って
医療費ただでも交通費はただじゃないじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
「あんたが生きててくれて嬉しいん。
このお金で車買い、今使わなくても結婚資金にすればいいから」って(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃん(゚Д゚)ゴルァ!
自分どうすればいいですか(゚Д゚)ゴルァ!
結婚資金どころか相手もいないですよ(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃんを安心させて喜ばせてあげたいのにそれすらできませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
使えません、使えませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
受け取っちゃったんで返せませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
かえしたらばあちゃんきっと悲しむ
でも返したいですよ(゚Д゚)ゴルァ!
漏れはどうしたらいいですか(゚Д゚)ゴルァ!
237 :
ほんわか名無しさん:03/05/24 14:21
157 :名無し物書き@推敲中? :02/08/19 01:16
漏れは悪い孫ですよ
ばあちゃんにそんなことしてもらえる価値なんてないですよ
四年も田舎に帰らなかった自分(゚Д゚)ゴルァ!
帰らなかった間にばあちゃんすげーちっちゃくなってるじゃないか(゚Д゚)ゴルァ!
手の骨とかポキンて折れそうですよ(゚Д゚)ゴルァ!
漏れにはなんてことのない四年だったけど
ばあちゃんが年をとるには十分すぎる年月なんだな(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃん、ばあちゃん、しんじゃ嫌だ
しんじゃいやだよう
ずっと生きてて漏れに孝行させてください(゚Д゚)ゴルァ!
漏れに背中もませてください
手つないで坂道歩かせてください(゚Д゚)ゴルァ!
ひいばあちゃんひいじいちゃん、事故のとき漏れを助けてくれてありがとう!
まだばあちゃんまだ連れてかないでください(゚Д゚)ゴルァ!
次の休みは年末だ(゚Д゚)ゴルァ!
祭りにはいかねえ
田舎に帰るよ
ばあちゃん待っててな(゚Д゚)ゴルァ!
いっしょに温泉行こうな
漏れ少ない給料がんがってためるよ(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
死んでしまった人との最後の何気ないコミュニケーションPart3より
22 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/05/23 03:57
大学4年の12月に入ったばかりの日だったんだけど、帰りのバスの中で俺が独りで
座っていると隣にH君が久しぶりってかんじで座ってきたんだ。俺が久しぶりです
ねって返すと、11月中は風邪をこじらせて1ヶ月間学校に来れなかったよって少し
しゃくれた顎を突き出して白い歯を見せながら笑って話していたんだ。
H君は、大学では俺と同じ学年だったけど歳は一つ上でしかも小学校と中学校では
先輩、後輩の間柄だったからどうも俺としてはとっつきにくくて距離を置いて
いたんだ。でもH君は何時も俺の名前を呼んで近づいてきて、最近どうとかテスト
範囲のノートをコピーしといたからあげるヨみたいに凄く良くしてくれていた。
俺この日は、深夜のバイトをして寝ないで学校に来てたからスゲー眠くて会話を
するのが面倒くさくて話を振られても生返事をして寝ようとしていたんだけど、
直ぐに話掛けてきてバスの中じゃ全然寝られなかったんだ。でも電車はH君とは違う
線を使っていたから、これでやっと寝れると思っていたらわざわざ切符を買って
今日はこっちで帰るとかって言って同じ電車に乗り込んで来た時は正直ウザイと
思っちゃったヨ。空気を読めない人じゃなかったし、何時もは駅でわかれるのに
その日に限ってはみたいなかんじでそれで電車の中でも終始話し掛けてきて結局は
俺の降りる駅までズット話をしていたんだ。
それから年が明けた、卒業式を控えた1週間前に友達から電話がきてH君が亡くなった
ことを知らされたんだ。友達4人で通夜に参列したんだけど、焼香をし終えて顔を
上げると祭壇に飾られていた遺影はあの日、一緒に帰った時と同じ青いプルオーバーを
着て少ししゃくれた顎を突き出して白い歯を見せながら笑っているH君なんだよね。
それ見た瞬間に、頭をおもいっきり叩かれたかんじで俺しばらくその場から動けなかったよ。人間って勝手だから、後で自分に都合が良いような解釈しちゃって死別した人の
ことは特に綺麗な思い出にしちゃう生き物で俺もその中のそのイチだけど、あの日俺が
うざいって感じたのは本音だけど、だけどやっぱり後悔の念に2年経った今でも時々
苛まれているよ。もう少し一緒の時間を過ごしていたら、もう少し言葉を交わして
いたらって。
26 名前:22 投稿日:03/05/24 06:46
ごめん、もうちょい書かせて。
俺告別式も参列したんだけど、最後に棺が火葬場へ向かう際に親族が代表して
挨拶をしたんだけど。Hは去年の11月に風邪で体調を壊して入院をしていました。
一度は回復の兆しが見えたため大学にも通うほどでしたが年末にまたも風邪を
こじらせて入院を余儀なくされ、先日それが原因して肺炎で亡くなったって
言ったんだ。笑っちまうだろ、このご時世の発達した現代医療で風邪こじらせて
肺炎で死んじまったんだよH君は。病み上がりの体をおして学校なんかに来るから
また風邪なんかひいちまうんだよ、馬鹿だよほんと馬鹿だよ俺。わかってたんだよ
H君は自分の命はあと余命いくばくもないって、だから俺と会ったあの日はずっと
話し掛けてきてわざわざ切符まで買って俺と同じ電車にも乗ってきて、少しでも
俺と一緒にいようとしたのに俺はたかだかバイトあけでねみーからなんて思ってて
目を閉じながらうんうんなんて言ってたんだよ。ほんと馬鹿だよどうしようもない
くらい。
人間の命って儚いから尊いんだなんて偉そうなこと言ってるわりには、やってる
ことはそんなことで自分自身が一番自分の言ってることの意味を全然わかってねーよ。
◇ 心霊ちょっといい話 ver.5 ◇ より
11 名前:大好き 投稿日:03/05/22 23:05
私が15歳の1月。受験を目の前にして、深夜から朝まで受験勉強を
していたとき。机の上においてあった参考書が触ってないのに
急に落ちた。溜息をついてそれを拾いに机の下にもぐったとき、
それが起こった。
1995年1月17日5時47分。
私の住んでいた地方は戦後最大の地震に襲われた。
ものすごい地響きといろんなものが壊れる音を机の下で聞いていた。
しばらくして揺れが収まり、机から這い出すと
机の向かいにあった窓ガラスが椅子の背もたれに刺さり、
机の上はガラスと倒れてきた本棚でぐちゃぐちゃだった。
わたしは拾った参考書をみて、驚いた。
参考書だと思っていた本は、祖父母に前日買ってもらったばかりの
日記帳。
12 名前:大好き 投稿日:03/05/22 23:05
鍵付きで革張りの、ちょっと高価なものがクラスで流行っていて、
私も例に漏れず欲しくなり
(今となってはどうして欲しかったのかもわからないけど)
買ってもらったものだった。
「あれ?」とおもって中を開くと、最初のページに
「生きていることをただ感謝し、毎日を大事にせよ」と
僧侶だった祖父の達筆な言葉が書かれていた。
はっと我に返ったとき、母が血相を変えて私の部屋に来た。
机の下で丸まっている私を見て、無事な姿に大泣きしていた。
その2時間後。祖父母が地震で亡くなったと叔父からやっと連絡があった。
ところが、亡くなっていたのは布団の上ではなく、二人とも
本堂の仏さまの前だったと言う。
後から聴いた話で、祖父母は、受験前の私のために、
毎日朝5時半ごろから仏様に読経をしてくださっていたのだ。
あの日記帳を落としてくれたのは、祖父母だったのではないかと
おもえてなりません。
そのことがあって、私は受験高校を変更、現在は看護婦をしている。
生きていることを感謝し、毎日を大事にしたい。
日記という名の手紙を毎日日記帳につづり、祖父母に供えて手を
あわせています。
今年で8冊目。
同じスレより
34 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/05/24 17:22
まず初めに、
神戸市某所のマリア様を壊し、神父様に怪我させたのは、俺です。ゴメンナサイ。
震災で両親を失った俺は、荒れました。カウンセリングも告白も効果はなく、
「神の御与えになった試練ですよ」
と言い放った神父様を殴り倒し、教会の備品に八つ当たりもしました。
自傷と暴行を繰り返していたある日、夢を見ました。
気が付くと、大きな平屋の、日本家屋の前に居ました。
門をくぐり、美しい庭を通り過ぎ、玄関に入るとお手伝いさんが、奥へと案内をしました。
広間の中では、沢山の人々が歓談しており、その中に両親を見つけ、駆け寄りました。
母は俺を見ると、今までの俺の行動を叱りました。
父は、母の説教が終わると、笑いながら、
「正しく生きる。何が正しいか悩んだら、自分の心に聞きなさい。
人々が悪と言おうとも、心に素直な答えが、正しい答えなんだよ」
そう言ってから、母と二人で俺を送り出そうとします。
帰りたくないと言う俺に、今度は広間中から
「大丈夫、正しく生きれば、また合える」
「おー、兄ちゃん。またなー」
見知らぬ人々が声を掛け、両親はその声に微笑んでいました。
今の俺は、教会には行かないけれど、安定して暮らしています。
244 :
ほんわか名無しさん:03/05/24 22:00
J( 'ー`)し たけしへげんきですか。いまめーるしてます
(`Д) うるさい死ね メールすんな殺すぞ
J( 'ー`)し ごめんね。おかあさんはじめてめーるしたから、ごめんね
(`Д) うるさいくたばれ、メールすんな
J( 'ー`)し お金ふりこんでおきました。たいせつにつかってね 食事はしていますか?
(`Д) 死ねくそ女
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
__ ゚
母 |
の |
墓 | ∴ ('A`)カーチャン..........
──┐ ∀ << )
245 :
ほんわか名無しさん:03/05/25 12:41
死んでから気づいても遅いよね・・・
人生そういう時期もあるけど、もっと早く気づいて
あげられればいいよね
うちのお袋はまだ生きてるよ・・・親孝行が出来るまで長生きしてくれて良かった。。。
あ、親父のことも忘れてるわけじゃないって!そう落ち込むなよ親父!
248 :
ほんわか名無しさん:03/05/25 23:28
230親父の伝言の後日談です。親父はこの話から二年後に逝って
しまいました。自分がだれかさえもわからない状態で・・・
でも私の息子に○○か(喉にチューブが入っている為口パクで判断
)と聞いたりしていたが本当に子供の事しか考えていなかったのが
痛いほど解った。そして通夜の晩に宿まり番を申し出て初めて親父
と本音でいろんな話をした。(一方的に話すだけだが)
249 :
ほんわか名無しさん:03/05/25 23:56
>>248続き。自分の事家庭の事など話しているうちに自分は親父が好きだった
んだと気が付いた。もう何も答えてくれない親父に一晩中語りかける私は愚か
なんだろうな・・・その後自分の息子達(男の子三兄弟!)と話をする時に、
胸の中で「君たちは私が君たちの話を聞けるうちに本音で話してくれよ」と語
りかける。孝行したいときに親は無しというが、それ以上に本音で話して喜ぶ
のは親だけでそれは過ぎ去ってから気づく事と実感した。
250 :
ほんわか名無しさん:03/05/26 03:23
このスレまじいい。。ずっと続かせよう!!
終了
再開
再開終了
>>246 ハゲドゥー。
歳を食ってから親の気持ちがわかるようになってきた。
が、気恥ずかしくて親孝行ができない。こんなんじゃいけねぇのにな。
255 :
ほんわか名無しさん:03/05/26 18:51
>>254 その気持ちはよくわかる。
気恥ずかしいんだよね。でもしよう。親孝行。
そう決めた。
256 :
ほんわか名無しさん:03/05/26 23:57
>>244 ウワァァァァァァァァァァァァァン
。゚(゚>ロ<゚)゚。
母の墓がどうとかよりも、メール内容が見ててすっごく辛いんだよぉぉぉ(泣)(泣)
誰かもっと泣ける感動話カム!!
ケモノの話なんだが・・・。
子供の頃、家に犬がいた。名前はタロ。
なんかバカ犬で、芸も憶えないし、犬のくせによくつまずいて転んでた。
いつも靴やサンダルをどこかに持っていっては、性懲りもなく母に怒られていた。
タロが死んだのは俺が8歳ぐらいの時。タロは5歳ぐらいだった。
ずっと毛布を入れたダンボール箱に寝ていたタロは、ある日学校から帰った
時には、もういなかった。
まだフィラリアのいい薬がなかったらしい。
死んだ、ということが、子供の俺にはピンとこなかった。泣いたりもしなかった。
当時はペット葬がどうとか言う習慣もなかったと思う。
遺体は保険所で焼却だったんだろう。
子供心にふと、お墓を作らなきゃ、と思った俺は、犬小屋の奥に
吹きだまっていたタロの抜け替わりの毛を集めた。
その毛を、お骨代わりに埋めようと思ったのだ。
庭木のないあたりを見つくろって穴を掘っていたら、俺の靴が出てきた。
当時の俺の足のサイズより、2回りも小さい靴だった。
すぐに分かった。子犬の頃のタロが持って行って、埋めたものだ。
死んでから、埋めたことを思い出したんだろうか、タロは。
そして、俺に返すためにここを掘らせたんだろうか。
遅えよ、
もう履けないじゃんかよ、
と子供の俺は思った。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
>>244 ちょっと待ってくれよなんだこれ…
これだけの文でなぜ俺泣いてんだちくしょう
・゚・(ノД`)・゚・。
263 :
ほんわか名無しさん:03/05/30 19:47
age
264 :
ほんわか名無しさん:03/05/30 19:54
>261
漏れも泣いたよ。親孝行しようとも思ったさ
265 :
ほんわか名無しさん:03/05/30 19:59
こんな良いスレをsageられるか・・・・
スレのまちがいだ
すまそ・・・
267 :
ほんわか名無しさん:03/05/31 23:41
268 :
ほんわか名無しさん:03/06/01 01:28
270 :
ほんわか名無しさん:03/06/02 01:00
age
>>244 最初から読んできたけどこれが圧倒的だった。
泣けるっていうか、かわいそうだよ、母親も
息子も。
>>244 息子の最後のセリフが、手のひらを返したように
母を思いやるセリフになってるバージョンも見たことある
(「お金送った」と聞いて初めてやさしくなるというヤツ)
273 :
ほんわか名無しさん:03/06/02 12:22
他の場所からのものですが・・・
「おにいちゃん、こんにちは。
わたしのお母さんが、今度お兄ちゃんのお父さんと結婚するので、
わたしとお兄ちゃんは兄妹になることになりました。
わたしはお父さんができることと同じくらい、おにいちゃんができるのが
とてもうれしいです」
俺の母親は、俺が17のときに親父が迎えた後妻だ。
以前の、どうしようもない人間以下の女ではなく、本当の母親だと思ってる。
再婚が決まってから、初めて俺は新しい母親と新しい妹に会った。
何処かの私立小学校の学生服を着た9歳の女の子から、俺はこの手紙をもらった。
俺も一人っ子で、本当は嬉しかったのに照れくさかったんだ。
挨拶もそこそこで、無愛想にその手紙を受け取った。
だけど妹に会ったのはそれが最初で最後になった。
彼女はそれからすぐに病気で死んだ。
発病から死まで、あっというまの出来事だった。
俺は何でもしてやるつもりだった。
中学に入って生意気になってきたら本気で叱り付けてやるつもりだった。
学校でいじめられたりしたら、いじめた奴をコテンパンにのしてやるつもりだった。
援交とか始めたりしたら、真剣に道徳に付いて教えるつもりだった。
「おにいちゃん」から「兄貴」に変わる年頃になったら、からかってやるつもりだった。
そして彼氏が出来たら、兄貴風吹かして彼氏に「お前には妹は相応しくない」といってやるつもりだった。
妹の部屋にのこのこ現れて、バカやって二人の間に入りふざける。
「おにいちゃん!邪魔しないでよ!」なんて言われたら彼氏そっちのけで喧嘩をして、
オヤジが止めに入って、二人してどやされる。
そんな光景を夢に見てた。
277 :
容量少な目 ◆/4.7OGB.Lw :03/06/03 21:38
葬式では、母親よりも俺の方が激しく泣いた。
友人達が心配する位狼狽して、一人で立っていられない程に泣いた。
ほんの二週間前の自分にあって、殴ってでも警告してやりたかった。
もっと優しくしてやればよかった。
どんな想いで俺宛に手紙を書いて、どんな気持ちで手紙を渡したんだろう。
見た事もない男を「お兄ちゃん」と呼ぶ時、きっと物凄く緊張しただろうに。
俺は妹の代わりに母親を大事にしている。
この人こそが俺の母親だと思ってる。
「わたしのお母さんを大事にしてね?お兄ちゃん!」
「そんな事言うまでもないだろ?」
妹とのそんなやりとりを、今でも空想しながら母親に接してる。
生きていたら、俺の妹は今年の春、高校を卒業した筈だ。
たった一回しか会わなかったが俺には妹がいた。
あ・・・私としたことが・・・
ごめんなさい。
気にするな
うんうん。気にしないでまた貼りにきてよー。
気が合うのか
そういや同じ人に買われてたっけ
オマイも何か貼ってくれよ、達磨
ん
今は何もないんで、今度見つけてくるわ
285 :
ほんわか名無しさん:03/06/04 21:14
旦那とケンカして、一人で泣いていた私。
そんな私の姿を見ていた4歳になる娘が何を思ったか救急箱を持ってきた。
中から取り出したものはなんと絆創膏。
泣いている私の手や顔にペタペタと貼ってくれた。
どうやら痛くて泣いていると思っているみたいだった。
おてんばな娘はよく怪我をして、泣いて帰ってくる。
その度に私は消毒をして絆創膏を貼ってあげる。
4歳の頭でなんとか私を慰めようとする娘のその姿に違う涙がこみ上げてきた。
旦那とのケンカなどすっかり忘れて、娘を抱きしめた。
ありがとう、お母さんはもう大丈夫だよ。
286 :
ほんわか名無しさん:03/06/04 22:03
age
287 :
ほんわか名無しさん:03/06/05 01:28
半年ほど前、漏れのじいちゃんが入院した。
それまでにも何回か入院と退院を繰り返していたが、今回はやや長くなりそうだということで、お見舞いに行った。
病室は6人部屋の一般病棟。
その中にまだ小学校に上がってないくらいの女の子もいた。
じいちゃんと他愛もない話を2,30分ほどして漏れはコーヒーを買いに席をはずした。
自販機のそばにあったベンチでコーヒーを飲んでいた漏れは、ふと近くにあった部屋を覗き込んだ。
288 :
ほんわか名無しさん:03/06/05 01:28
そこはいわゆるプレイルームってやつでTVがあったり、おもちゃや本がおいてある部屋だった。
その部屋にさっきじいちゃんの病室にいた女の子が座ってた。
漏れはなんとなくプレイルームに入って、その女の子に声をかけた。
「こんにちは、さっき病室にいた子だよね。名前はなんていうの?」
女の子は小さな声で
「ユカ」
と答えた。
どうやら折り紙を一生懸命作っているようだった。
289 :
ほんわか名無しさん:03/06/05 01:29
ユカちゃんか。僕は○○○だよ。よろしくね」
ユカちゃんは折り紙をやめて漏れのほうを見て小さい声で
「よろしくね」
って答えてまた折り紙をはじめた。
そのときはそれで終わり、漏れはプレイルームを後にして病室に戻った。
そしてその日はそのまま家に帰った。
290 :
ほんわか名無しさん:03/06/05 01:29
じいちゃんの入院は長くなるとのことだったので漏れの家族が一週間おきに輪番でお見舞いをすることになった。
4人家族だからおよそ一ヶ月にいちどのお見舞いになる。
そして漏れの当番の日。
着替えなどを持って病院に行き、じいちゃんと話をして、またコーヒーを買いにいった。
プレイルームをのぞくとそこにはユカちゃんがひとりでいた。
漏れは部屋のドアを開け声をかけた。
「ユカちゃん、こんにちは。僕のこと覚えてる?」
291 :
ほんわか名無しさん:03/06/05 01:29
「うん」
そういったユカちゃんは立ち上がり、漏れのそばに近づいてきた。
そして
「これあげる」と漏れにあるものを渡した。
それは小さな折鶴だった。
漏れはそのまま部屋に入り、色々な話をした。
病気で幼稚園にいけなくなったこと、ピアノのお稽古が嫌いなこと、来年から小学校にあがること。
折り紙は看護婦さんが教えてくれたらしい。
漏れは夏にとある国家試験をひかえていたのでユカちゃんに
「ユカちゃん折り紙が得意だったら、お兄ちゃんにいっぱい鶴を折ってよ。夏に大事な試験があるんだ。」
てお願いした。
292 :
ほんわか名無しさん:03/06/05 01:30
たぶんユカちゃんは「試験」の意味も分かってなかったと思う。
でも、最高の笑顔で
「うん」
て答えてくれた。
「約束だよ、指きりしようね」
漏れは指切りをして、部屋を後にした。
そして、それがユカちゃんを見た最後の時だった。
293 :
ほんわか名無しさん:03/06/05 01:30
次の当番の日、お見舞い道具一式を持ってじいちゃんの病室に行った。
そのとき漏れは約束のことなどすっかり忘れていた。
じいちゃんに着替えを届けて、話をして、帰ろうと思ったとき一人の女性が声をかけてきた。
「○○○さんのお孫さんの方ですか?」
見たこともない人に声をかけられた漏れは少し驚いたが
「ええ、そうですが。あなたは?」
と答えた。
するとその女性はこう答えた。
「ユカの母です。」
その表情に漏れは何かいやなものを感じた。
294 :
ほんわか名無しさん:03/06/05 01:31
漏れの予想通りだった。
ユカちゃんは漏れが帰ってから二週間後に亡くなったそうだ。
ユカちゃんのお母さんは一通り話を終えると持っていた紙袋からあるものを取り出した。
それは透明なビニール袋にいっぱい入った折鶴と手紙らしきものだった。
お母さんはそれを渡しながらこう言った。
「○○○さんが来た次の日から妙に張り切って折り紙を作るようになったんです。
それに○○○さんのおじいさんに字を教えてくれって頼んだらしいです。
おじいさんが理由を聞いたら『手紙をかくんだ』って。」
295 :
ほんわか名無しさん:03/06/05 01:31
漏れは袋を開けて中の紙を取り出した。案の定手紙だった。
たどたどしい字で「がんばってね、ユカ」とだけ書いてあった。
それを読んで漏れは病院の待合室で人が大勢いるにもかかわらず大声で泣いた。
お母さんも一緒に泣いた。
しばらく泣いた後、お母さんは一言
「ありがとうございました」
といって席を立った。
296 :
ほんわか名無しさん:03/06/05 01:31
漏れはこの夏、5歳の女の子の力一杯の応援を背に試験を受ける。
ありがとう、そしてさようなら。
・゚・(ノД`)・゚・。がんばれ
号泣してます。・゚・(ノД`)・゚・。キーボードが押せないよぉ。。
299 :
ほんわか名無しさん:03/06/05 12:07
age
感動しながら300ゲト
そしてage
/ゝ
/⌒/" 、⌒ヽ
| ::::::::○::;;;::○::;| /ー- 、 / ちょっと長いです。
ヽ ,,:::、WWW;//==ヽ i <
/,~'''-::(,,゚Д゚)./. |/ \ しかも1年前のお話でつが…。
/ ::: ..::::つO
"''-;,,i ::::,,/ ヽ
"''---''''/"''~
,,,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,,,
.';;;;;;;;;;;;;;;;;;;''
デンマーク(Denmark)
皆さんはこの国をご存知ですか?
まずは簡単にデンマークという国の紹介をしましょう。
デンマーク・・・ 正式国名「デンマーク王国」(元首マルグレーテ2世女王)
_______ 北欧の南端に位置し、約4.3万km2(九州とほぼ同じ)
| || | 首都はコペンハーゲン、人口は約531万人(99年調査)
|―┘└――――| いたって小さな国です。
|―┐┌――――| 人種は北方ゲルマン民族。言語は通常語はデンマーク語
| || | ながら、英語でもほぼ通用します。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
デンマークをはじめとした北欧の国々は異様なほどに税金が高いです。
日本でいう消費税(付加価値税)が最低20%。これに『サービス税』なんてものも
含めるとたいてい30%〜40%近くの税金が、買い物の際に課税されます。
その代わり、これらの国は福祉の充実度が世界トップレベル。
税金が高いのは充実した福祉を支えるためなのでしょう。
デンマークのサッカーの歴史は古い。
しかし、デンマークのサッカーが世界に躍進したのは、
つい最近のことである。
欧州選手権に84年初出場、ワールドカップ初出場は86年。
この80年代から、デンマークのサッカーは、世界に認められはじめた。
このころから世界のサッカーファンは、彼らのことをその躍進ぶりとスタイルから
ダニッシュ・ダイナマイトと呼びはじめたのである。
∧_∧ ∧___∧ | |XXXXXX
∧_∧ ( ´_ゝ`) ∧_∧(´Д` ;) .| |XXXXXXX
( ´_ゝ`) (☆7とノ (∀・; ) 8 ,,つ| |XXXXXXX
と 9 つ/) )、ヾ (( と 1 ヾ ( ( | |XXXXXXXx
(( 乂_つノ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ (⌒) ! !XXXXXXXx
(/ \★ (__) 。 | |XXXXXXXx
そんな彼らが今大会、2002年日韓ワールドカップに出場することとなった。
2大会連続、3回目の出場を決めた。
そして、このデンマークが今大会のキャンプ地を和歌山県に決めた。
和歌山県も例に漏れず他の立候補地と同様に誘致に必死であった。
デンマークへ何度も訪れた。この苦労が実りキャンプ地決定の知らせを受けた。
この一報に和歌山県の関係者は涙したという。
デンマークが
和歌山に決めた理由は
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´_ゝ`) < 日本のほぼ中心地であり、関空に近いから
( ) 0 \____________________
だった。
(´_`) 。o ○( それだけ・・・?!
デンマーク、と言っても、どんな国?と普通は思いますよね?
「どこにあるの?」「デンマークのサッカー選手で有名な人は?」と思うでしょう・・・。
デンマークという国の存在自体は知っていても
どんな国民性なのか?どのような人種なのか?って普通は誰も知らないものです。
それは和歌山県民のほとんども同じだった。
だから、和歌山の街中ではこんな会話が交わされたという。
‐―――――――――――┐ ┌――――――――――――――――――――‐
今度の ワールドカップで | |それは知ってるけど・・・誰か有名な人いるの?
デンマークって.国が来る | |イングランドのベッカムとかイタリアの男前集団
らしいけど.知ってた? | |みたいに有名な人いるの?
‐――――v‐――――――┘ └――v――――――――――――――――――
∧_∧ ∧_∧
( ・∀・)っ (´∀` )
( ソ ( )
| | | | | |
(__)_) (_(__)
______∧_____________
知らん・・・。 |
だけど世界で有名なんやったら |
一度は 練習見に行こか? |
デンマークの練習を訪れた人は『この手の会話』がきっかけとなった人たち
ばかりであった。最初はいわゆる『野次馬』的な人が多かったのである。
ワイワイ ガヤガヤ ワイワイ ガヤガヤ
∧_∧ ∧_∧
∧_∧ ∧_∧ ∧∧X ノ ハヘ X //(ハヽ∂
(・∀・ )(´∀` )(゚Д゚,,)(^∀^ヾ |!(`∀´ ハ|
=========================================
この最初の見学者は数百人程度であった。
しかしこの数字が日々増えていった。
ワイワイ ガヤガヤ ワイワイ ガヤガヤ ワイワイ ガヤガヤ
ノノハヾ ((( )))) ∧,,∧ ∧∧ ∧_∧
ワイワイ ● ●ガヤガヤ (´∀` ) (´∀` )ミ゚Д゚ 彡 (´∀` ) (´Д` )
.▼ ■ ( ∧_∧,, ∧_∧ ミ)と( ひ つ( )
∧_∧ ∧_∧ ∧∧X ノ ハヘ X //(ハヽ∂ ∧∧ ∧∧ ,、__,、
(・∀・ )(´∀` )(゚Д゚,,)(^∀^ヾ |!(`∀´ ハ| (゚Д゚ ) (゚ー゚*)(´∀` )
( )( ) | |)( )(∧_∧ ∧_∧ ● ● ( )
∧,,∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧∧X ノ ハヘ X //(ハヽ∂(^_^;)> γ⌒ヾ.
ミ゚Д゚,,彡'(・∀・ )(´∀` )(゚Д゚,,)(^∀^ヾ |!(`∀´ ハ| (M ) (`∀.´ )
=========================================================
初日はわずか数百人だった見学者が翌日には2000人、
その翌日には2500人、そのまた翌日には3000人が訪れた。
この数字が増えた理由には以下のことが一番大きかった。
ワールドカップ出場国のキャンプ地での練習というものは
非公式・非公開が通例なのだ(イングランド、伊、西、ブラジルといった
強豪国はほとんど非公開でした)が、デンマークは違ったのである。
デンマークは、練習初日から全ての練習を公開した。
さらに練習後には見学に来ていた地元サッカー少年たちを招きいれ
一緒にミニサッカーを行ったりもした。
∧_∧ ∧_∧
( ´_ゝ`) ∩_∩ (´<_` ) /■ヾ
/ つ ノ (´∀`*) ( つ (´∀` )
) ノ、 ) (っ つ ( ((_ ヾ ( つ
(_) し' 、○_ノヾ_) )) (__) `J し'ヾ_) ))
""゙゙゙"""'''''''""""゙゙゙゙゙"""゙゙゙゙゙゙""""''''""""゙゙゙゙"""'''''"""゙゙゙゙゙゙"""""""""
サインにも気楽に応じてくれた。 ∧_∧
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧∧_∧ //(ハヽ∂∧∧
( ´_ゝ`) ∩_∩' ´、ゝ (´∀` )∀・ ) ,、__,、(`∀´ハ|(゚Д゚,,)
(っ_φ) ))(´∀`*) づφとーと ) )(´∀`)( )| |)
そのため、デンマークというチームに対し・・・
―――――――‐┐ |\_/\∧/\_/\∧/\_/\
練習どうだった?| > めちゃめちゃフレンドリーで
|< 気さくな人たちばかりやで!
―――v――――┘ |/∨\_/\/∨\/\_/\/
∩_∩ ∧_∧ ∧_∧
( ´ー`) (・∀・ ) (´∀` )
( ) と つと つ
という評判が口コミで相当広がったともいう。
ある記者が、デンマークのオルセン監督に聞いた。
┌――――――――――――――――――――――‐
|他国は、練習を公開しないで試合に備えています。
|デンマークは公開でいいのですか?〔英語〕
└――――――v――――――――――――――――
∧_∧ 記者
( 、´_ゝ (´Д`;)
( ) φ( 筆 )、_,
オルセン監督はこう答えた〔英語〕。
‐―――――――――――――――――――――――――┐
我々の強さは.練習を秘密にしたところで変わらない。 |
絶対的な自信をもって試合にのぞむだけだ。 |
――――――v―――――――――――――――――――┘
∧_∧ 記者
( ̄ー ̄)ニヤリ (Д`; ) オー
( ) ∧ (筆 レ )
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
何より、キャンプ地を提供してくれた和歌山の人たちが |
喜んでくれることはどんどんすべきなんだ・・・。 |
試合も大事だが、 この交流も大事にしたいと |
選手全員も言っているよ。 |
このオルセン監督には、来日早々にこんなエピソードもあった。
デンマークチームが来日し、 _ ..::::..::::::::::
/|| ..::::..::::::::::::::
/ ̄ヾ___/ :|| ..::::..::::::::::::::::::
( ―=,ノ=― ..::::..:::::::::::::::::::::
ヾ――――┬'┬‐'、___,,イ┬―――' ..::::..:::::::::::::::::::::::::::
(_(0)(0) (_(0)(0) キィィン・・・..::::..::::::::::::::.
ホテル入りした初日のこと。
ホテルでの歓迎セレモニーを受けた後
再度、宿泊先のホテルの支配人と料理担当のコック長が
監督の部屋へ挨拶に訪れた。
| (´⌒⌒`)
コンコン ∧_∧ |____|
|(´∀`;,) (・∀・ ;)
((ど〈V〉‐ )、.( |: ̄ )
彼ら、支配人とコック長には一つ聞いておきたいことがあった
彼らには一つ『心配のタネ』があったのである。
┌――――――――――――┐
| How nice of you to come ! |
└―――‐v――――――――┘
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
(丶´_ゝ`( )(` )
( つと( ) ( )
それは食事の問題であった。
ホテル側も選手たちには万全の状態で試合に臨んでほしかった。
食事が口に合わない・・・それが原因ということは避けたかった。
しかし他国の宿泊先ホテルに連絡をとったところ、食事でかなりもめ、
文句を言われたらしかった。
――――――――――――――――――――――――――――┐
口に合わない ! 母国の材料で調理してくれ!etc. |
――v――v――――v――――v―――v――v―――v――――‐┘
∩_∩ ∧_∧ 88888 ∧_∧ ∩_∩ ∧,,∧ ∧_∧
(#゚Д゚)< #´_ゝ`>( ・≧・)( #`∀´)(#´ー`)ミ,,゚Д゚彡( ;・∀・)
そこで、支配人は通訳を介して監督に聞いてみた。
――――――――――――――――――――――――┐
食事で何かご要望はございませんか? |
――――――‐v―――――――――――――――――┘
∧_∧ ∧_∧
( ´∀`;) (;・∀・ )
( 〈V〉- ) ( |: ̄ )
オルセン監督は答えた。
――――――――――――――――――――――――┐
一切お任せします。 |
そちらが用意される料理を我々はご馳走になります。 |
―‐y――――――――――――――――――――――┘
! !
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
)(丶´_ゝ`)(, ;・∀)(´∀`; )
)( ( / ̄ ̄| / ̄ ̄|
 ̄ ̄ ̄ ̄/ ̄ ̄ : : :::::::| ̄ : :::::::::|
この言葉に驚いた支配人とコック長。
‐―――――――――――――――――――――――┐
いや・・やはり母国デンマークの食事の方 |
がいいんじゃないでしょうか? |
‐――――――――┬―v――v――――――――――┘
和歌山をキャンプ地. |
に決めたときから. |
食事もお任せしよう、|
と私と選手たちは. |
.言っていた。 |
―――y―――――┘
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
´∀`)(丶´_ゝ`)(・; )(`; )
通訳) ( ) ( / ̄ ̄| / ̄ ̄|
 ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄/ ̄ ̄ ::::::::::::! ̄ : :::::::::!
__∧________________
選手も理解している。 |
全てをあなたたちにお任せします 。 |
それでも不安が晴れない支配人がこう続けたところ、
――――――――――――――――――――――――――┐
あの〜〜他の国とかのホテルにお聞きすると・・・ |
食事はやはり母国のほうが好まれると聞いたものでして・・・。|
――――――‐v―――――――――――――――――――┘
∧_∧ ∧_∧
( ´∀`;) (;・∀・ )
( 〈V〉- ) ( |: ̄ )
オルセン監督はズバリ言った。
‐―――――――――――――――┐
他国は他国、我々は我々です。 |
―y――――――――――――――┘
この言葉に支配人は
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ 「ホッとした。滞在中は
)(丶´_ゝ`)(, ;・∀)(´∀`; ) ホッ・・・。 無事に過ごせていただ
)( ( / ̄ ̄| / ̄ ̄| けると思った。」そうだ。
 ̄ ̄ ̄ ̄/ ̄ ̄ : : :::::::| ̄ : :::::::::|
―――――――――――――――――――┐
我々は料理をあなたに全てお任せします。 |
よろしくお願いします。 |
――‐y――――――――――――――――┘
コチラコソ
. ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
)(、´_ゝ`,)(・; )(`; )
)( ( / ̄ ̄| / ̄ ̄|
 ̄ ̄ ̄ ̄/ ̄ ̄ : : :::::::| ̄ : :::::::::|
__∧_________________
\
ところで、 和歌山で有名な食材は何ですか ? |
‐―――――――――――――――――――┘
コック長は質問の意図がわからなかったが、
‐――――――――――――――――――――――――――――┐
和歌山では魚が有名です。 カツオという魚が特に有名です・・・ 。 |
――――――――――――v――――――――――――――――┘
?
∧_∧ ∧_∧
( ´∀`;) (;・∀・ ) と答えた。
( 〈V〉- ) ( |: ̄ )
するとオルセン監督は微笑みながらコック長に言った。
――――――――――――――――――――――――――――┐
それでは、そのおいしいカツオを我々に食べさせてください。 |
あなたが腕をふるって、おいしいカツオを選手たちに |
食べさせてやってください。 |
―――‐y――――――――――――――――――――――――┘
ハ、ハイ!
. ∧___∧ ∧_∧ ∧_∧
)(、´、ゝ`)(・; )(`; ) ノ
)( ) ( / ̄ ̄| / ̄ ̄| )
 ̄ ̄ ̄ ̄/ ̄ ̄ : ::::::::::| ̄ : :::::::::| ノ
ー―――○―――――――――――――――――――――――''
O この言葉にコック長は大変感激していた。
。 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
(´⌒⌒`) .| 世界の代表監督が、あんないい人 |
|____| | だったからね〜〜。 いっぺんで | 記者
( *・∀・) < デンマークのファンになりましたよ!|(´Д`;) ホゥホゥ
( |: ̄ ) \_________________/((φ_ノ)
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
(´⌒⌒`) .| それと |
|____| | 最初の食事のときにね・・・ 。 | 記者
( *・∀・) < |(´Д`;) フンフン
。( |: ̄ ) \_________________/((φ_ノ)
O | | | ハ
‐○ー―――――――――――――――――――――――― 、
⌒ヽ、_
最初の食事を迎えた時、ある選手が通訳に聞いた。
――――――――――――――――――――――――――┐
デンマークでは 食事するとき 神への祈り を する のだが |
日本では食事始める時に何かするんですか? |
――――‐v―――――――――――――――――――――┘
彡彡'ミ ∧_∧
( ´_ゝ`) (` )
( つ ( 通訳)
デンマークは国民の9割がプロテスタント†、(゚д゚)である(福音ルーテル教)。
神への祈りを終えてから食事を始める。
この選手は日本ではこれの代わりに何かするのか?と聞きたかったのである。
答える通訳。
―――――――――――――――――――――――――┐
日本でもキリスト教の信者は神に祈ってから食べるけど |
大抵は手を合わせて『いただきます。』と言ってから |
食べます。 |
―――――――‐v―――――――――――――――――┘
彡彡'ミ ∧_∧
( ´_ゝ`) (` )
( つ ( 通訳)
すると彼は・・・
―――――――┐
こうやるの ? |
―――‐v―――┘
彡彡'ミ ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´_ゝ`) (` ) < そうそう!その両手を
( ー'゙ー) ( 通訳) | もう少し上に上げて。
彼はその姿のまま、コック長の方へ向き頭を下げた。
(´⌒⌒`)
彡彡ミ |____|
((( ´_ゝ∩ Σ (・∀・ *)
( / (「: ̄ )
それを見ていた他の選手たちも彼にならい、手を顔の前で合わせた。
この時から、食事のたびに手を合わせる選手たち。
イタダキマス イタダキマス イタダキマス イタダキマス イタガキマス イタダキマス
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ノ
( ´_ゝ人 ( ´_ゝ人 ( ´_ゝ人 ( ´_ゝ人 ( ´_ゝ人( ´_ゝ人 ノ
ー―――○――――――――――――――――――――――― '"
ー―――○――――――――――――――――――――――― '"
O コック長は言った。
。 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
(´⌒⌒`) .| 今の日本人でも『いただきます』を言|
|____| | え 無い奴が多いのに、外国の人にさ | 記者
( *・∀・) < れたら…無茶苦茶嬉しかったですよ。 | (´Д`;) ホゥホゥ
( |: ̄ ) \_________________/((φ_ノ)
この最初に手を合わせた選手の名を・・・
彡彡'ミ
( ´_ゝ`)
( )
ヨン・ダール・トマソンといった。
/FW。代表では9番。
1976年8月29日生・182cm・74kg
このトマソン選手。今大会、デンマークを決勝
トーナメントに進出させた立役者である。
今大会前まで、オランダのフェイエノールト・ロッテルダム
に所属し(現在ACミラン在籍)、日本代表の小野選手とチームメイトで
あったため日本でもある程度名前を知られていた選手である。
彼は少し神経質な面を持ちあわせており、実際酷評する向きもあるが、
非常に心優しい青年だ。
あるサイン・握手会でのことである。
デンマークというチームは前述したように
練習を公開した。練習後は地元サッカー少年たちとミニサッカーを行い、
握手会、サイン会もたびたび行った。
あの日も、いつものごとくサイン・握手会が行われた。
気さくなデンマークの選手たちを和歌山県民も好きになった。
選手たちのサインを求め長蛇の列が出来上がっていた。
気軽にサインをするデンマーク選手たち。
∧_∧
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧∧_∧ //(ハヽ∂∧∧
( ´_ゝ`) ∧_∧( ´、ゝ (・∀・ )∀` ) /)/)(`∀´ハ|(゚Д゚,,)
(っ_φ) ))(´ω`*) づφとーと ) )(´∀`)( ) | |)
もちろんトマソンもその中にいた。
そのトマソンの前にある少年が立った。
彡彡'ミ ∧_∧
( ´_ゝ`)∧∧ ミ 彡
(φ (`* ) ( )
| | {{( U)}} | | |
(__)__)し`J (__)__)
彼はトマソンの前に立ちつつも・・・少しモジモジしていた。
後ろに立っていた母親らしき人が彼を促す。
トマソンも通訳を通じ「どうしたの?」と彼に聞いた。
?
彡彡'ミ ,∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´_ゝ`)∧∧ミ 彡 < 早くしなさい。
(φ (`* と ))) \______
| | |と ) | | |
(__)__)し`J (__)__)
意を決した少年はポケットから一枚の紙切れを出し、
トマソン選手に渡した。
彡彡'ミ ,∧_∧
( ´_ゝ`)∧∧ミ 彡
(φ (`* と )))
|サッ(( ーと ) | | |
(__)__)し`J (__)__)
その紙切れには英語で・・・
┌――――――――――――――――――――――――――┐
| ボクは小さいころに、病気にかかって |
| 口と耳が不自由です・・・耳は聞こえません、話せません・・・。 |
| だけど サッカーだけは ずっと見てきました、 大好きです。 |
| デンマークのサンド選手とトマソン選手が好きです。 |
| 頑張ってください。 |
└――――――――‐‐┬――――――――――――――――┘
記者 ∧_∧ 彡彡゙ミ | ∧_∧ と書いてあった
(;´Д`) (;´д`) ( ´_ゝ`) | ∧∧ ミ 彡 (英語の先生に
( 筆)(っ通訳)(_,つー←┘(`* )( ) 書いて貰ったという)。
その手紙に通訳も・・・その場にいた記者も驚いた。
言葉が出なかった・・・。
しかし、トマソン選手はニッコリと微笑み少年に
「それなら君は手話はできますか?」と・・・
彡彡'ミ
( ´、ゝ`) 手 話 で 語りかけた。
(((_つ と))) ~~~~~
∧_∧
∧_∧´д`彡 その『言葉』に驚く少年と母親。
( ゚д゚*) )
再度聞くトマソン。
彡彡'ミ
( ´、ゝ`) 「手話はわかりませんか?」
(((_つ と)))
ミスタートマソン、手話は |
言語と同じで 各国で |
違うんですよ〔英語〕. |
―――y―――――――┘
記者 ∧_∧ 彡彡'ミ ∧_∧
(;´Д`) ( ;´д`) Σ(´<_` ) ∧∧ ミ 彡
( 筆)(っ通訳) (_つ と) (゚* )( )
手話を万国共通と思う人が多いのだが、
手話は国によって違う、ましてや日本国内でも地方によって違う。
トマソン選手は通訳にこう言った。
――――――――――――――――――――――――┐
ボクは彼と紙で 、文字を通して話をしたいのですが |
手伝ってください 。それと 、後ろの人たちにも彼と |
話す時間をボクにください と 言っておいてください 。 |
――――――――‐v―――――――――――――――┘
記者 ∧_∧ 彡彡'ミ ∧_∧
(;´Д`)( ´∀`)(´<_` ) ∧∧ ミ 彡
( 筆)(っ通訳)(つ と) (゚* )( )
後ろで順番を待つ人たちは何も文句を言わなかった・・・一言も・・・。
∧_∧ ∧_∧ ∧ ∧ ∧,,∧ ∧ ∧ ノノハヾ、 ○ノハヾ○
( ´∀` )( ・∀・ ) (,゚Д゚,) ミ,゚Д゚,彡 (=゚ω゚=) ( ´D` ) ( ‘д‘ )
そして通訳を介し、少年とトマソンの『会話』が始まった。
記者 ∧_∧ 彡彡'ミ ∧_∧
(;´Д`)( ´∀`)( ´、ゝ`) ∧∧ミ 彡
( 筆)(っ通訳)(つ と) (`* )( )
「( ´、ゝ`) 君はサッカーが好きですか?」
「はい。大好きです。 (´д`*)」
「( ´、ゝ`) そうですか。デンマークを応援してくださいね。」
「はい。あの聞いていいですか? (´д`*)」
「( ´、ゝ`) いいですよ。何でも聞いてください。」
「トマソン選手はどうして手話ができるんですか?
正直、ビックリしました。 (´д`*)」
この少年の質問に彼は答える。
彡彡'ミ 「ボクにも君と同じ試練を持っている姉がいます。
( ´、ゝ`) その彼女のためにボクは手話を覚えたんですよ。」
(_つ と)
∧∧
その彼の言葉をじっくりと読む少年。 []、(´д`*)
そしてトマソンは少年に言った。
彡彡'ミ 「君の試練は君にとって辛いことだと思いますが、
( ´、ゝ`) 君と同じように君の家族も、その試練を共有しています。
(_つ と) 君は一人ぼっちじゃないという事を理解していますか?」
∧∧
この言葉に黙ってうなずく少年。 (( (´д`*) コク!
「わかっているなら、オーケー!
彡彡'ミ 誰にも辛いことはあります。君にもボクにも
( ´、ゝ`) そして君のお母さんにも辛いことはあるのです。
(_つ と) それを乗り越える勇気を持ってください。」
そして、トマソンは最後に少年にこう言った
彡彡'ミ 「ボクは今大会で1点は必ず獲ります。
( ´、ゝ`) その姿を見て、君がこれからの人生を
(_9 ) 頑張れるようにボクは祈っておきます。」
この言葉に
∧∧
(´∀`*) ニコ!
この少年は初めて笑顔を浮かべた。
∧∧ 「はい!応援しますから、
(´∀`*) 頑張ってください。」
そして、トマソン選手にサインをもらい、
彡彡'ミ
( ´、ゝ ∧∧
( づと(∀`*)、
少年と母親は、その場をあとにした。
母親は目に涙を浮かべ、取材する記者に向かって
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
記者 ミ;´∀∩彡 < あんなことされたらデンマークを応援しないわけ
(;´Д`) ( ) | にはいかないですよ。日本と試合することになっても、
(φ筆) ||| ! 私らはデンマークを応援しますよ。
涙を流し、笑いながら言った・・・。
そして、このトマソン・・・少年との約束を守り、
試合での得点を決めた。
1点どころか、彼は4得点という大活躍だった。
1次リーグ、フランスという前回覇者と同じA組だったデンマーク。
その試合会場が韓国であろうとも
彼ら和歌山県民は
応援に駆けつけた。
\ ガンガレー デンマーク!! ヾ ダニッシュダイナマイト!! ガンガレー !
∧_∧ ∧_∧
∧_∧ ∧_∧ ∧ ∧Xノ ハヘ X //(ハヽ ∂ ∧∧ ∧∧ ,、__,、
ヾ (・∀・ ヾ(´∀` ヾ(゚Д゚,,) (^∀^ヾ |!(`∀´ ハ|ヾ(゚Д゚,,)ヾ(゚ー゚*)(´∀` )
( )( | | ( )(∧_∧ ∧_∧ ● ● ( )
∧,,∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧∧X ノ ハヘ X //(ハヽ∂(^_^;)> γ⌒ヾ.
ミ゚Д゚,,彡'(・∀・ )(´∀` )(゚Д゚,,)(^∀^ヾ |!(`∀´ ハ| (M ) (`∀.´ )
オルセン監督は言った。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ / 試合会場が韓国であっても、和歌山の応援
(、´、ゝ`) < はわかった。あれが我々の力になった。
( ) \____________________
結局デンマークは2勝1分け(勝ち点7)。
見事A組1位通過を決めたのである。
そして、決勝トーナメント1回戦。
場所は新潟スタジアム・ビッグスワン、
対戦相手はあのベッカム率いるイングランドであった。
スタンドからは「ベッカム!!!!」という声が至るところから響いていた。
http://ime.nu/fifaworldcup.yahoo.com/jp/020616/2/cx8.html ここでも和歌山県民はデンマークを応援し続けた。
♪♪ダニッシュダイナマイト ♪♪ベカ‐ム何する者ぞ ♪♪俄かEnglandファンを黙らせろ
記者 記者 記者
(;´Д`)ノ⌒ )) (( ⌒ヾ(´Д`;) (;´Д`)ノ⌒ ))
┌( 筆へ) )) (( (へ筆 )へ )) (( ┌( 筆へ) ))
(( く > )) (( く
♪♪頼むぞデンマーク ・・・アア・・・ ・・・もうだめぽ(前半で0-3)。
記者 記者
(( ⌒ヾ(´Д`;) (´Д`;)ゞ 記者
(( (へ筆 )へ )) /( 筆 ) ヾ(´Д`;)、
> )) ( ハ ノ Z乙
・・・和歌山県民の想いは通じなかった。
デンマークはイングランドに0−3という予想外のスコアで敗れてしまった。
その日、和歌山県にも雨が降ったという。
涙雨だったのかもしれない・・・。
負けはしたが、和歌山県民はデンマークというチームを誇りに思っていた。
「よく頑張った!」「後は快く母国に帰ってもらおう!」と
『デンマークお疲れさま!会』なるものが宿泊先のホテルで行われた。
会場にはあふれんばかりの県民が駆けつけた。
その催しにオルセン監督以下選手たちも全員出席した。
あのトマソンもその場にいた。
そこでトマソンは『あの少年』を見つけた。
例によってトマソンは少年に対し『紙』で語りかけた。
記者 ∧_∧ 彡彡'ミ ∧_∧
(;´Д`)( ´∀`)( ´、ゝ`) ∧∧ミ 彡
( 筆)(っ通訳)(つ と) (`* )( )
「( ´、ゝ`) せっかく応援してくれたのに負けてゴメンね。」
「お疲れ様でした。負けたけどカッコよかったです。
それに約束どおり点を獲ってくれたからボクは
嬉しかったです。 (´∀`*) 」
「( ´、ゝ`) ありがとう。」
そして、この少年にトマソンは言った
「( ´、ゝ`) ボクから君に言える言葉はこれが最後です。
よく聞いてください。」
「はい。 (´∀`*)」
「( ´、ゝ`) 君には前にも言ったとおり、試練が与えられている。
それは神様が決めたことであり、今からは変えられない。
ボクが言いたいことわかりますか?」
「はい。 (´∀`*)」
「( ´、ゝ`) 神様は君に試練を与えたけど、
君にも必ずゴールを決めるチャンスをくれるはずです・・・。
そのチャンスを君は逃さず、ちゃんとゴールを決めてください。」
少年はこの言葉に喜色満面の笑みを浮かべて
゙ ∧∧ "
- (´∀`*) - 「はい。」
と答えた。
そして2人は・・・
「( ´、ゝ`) 「 (´∀`*)
さようなら」 頑張って」
という言葉を
それぞれ残し別れを告げた。
最後に2人は仲良く写真におさまった。
┌――――――――――――┐
|┌――――――――――┐|
|| 彡彡'ミ ||
|| ( ´、ゝ` ) ∧ ∧ ゙゙||飛びっきりの笑顔を浮かべ
|| ( )( ´∀` )゙ ||ファインダーにおさまる2人。
|| | | |( ) ||
|| (__I__) し''` J ||
|└――――――――――┘|
└――――――――――――┘
この写真は少年の宝物になることだろう。
トマソンに出会ったことによって少年は『前へ進む』に違いない・・・。
小さな少年、心優しきトマソンに
これからも栄光あれ。。。
/ゝ
/⌒/" 、⌒ヽ
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ヽ ,,:::、WWW;//==ヽ i <
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>>287-296 やべ、漏れこういう話に弱いみたいだ・・・
今、物凄い勢いで号泣してるよ・・・
あまりにも長いため、めったに見かけないデンマークのトマソンAA!
よくぞ貼った
知ってる人多いか知らんけど
28 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/12/20(水) 17:01
3年前の話。
当時、金融屋をやっていたんだけど<裏金>その年の夏。
いつものように追い込みかけに行ったら、親はとっくに消えていたんだけど
子供が2人置いてかれてた。
5歳と3歳。<上は男の子、下は女の子
俺はまだペーペーで、周りの兄さんらと違って顔も怖くなかったらしく
家に行ったときすぐに下の子になつかれた。
ボロボロの服で風呂にも入ってなくて、「いつから親はいないんだ?」って
聞いても答えない。
「何食ってたんだ?」って聞いたら、上の子は下をむいて泣いた。
下の子が「こっち」って手を引いて裏庭に俺をつれていった。
破れた金網を通ってでたところは、小学校の裏庭だった。
「あのね、みーちゃんこれ食べたの」って池を指す。
嫌な予感がした。
だってさ、その池って金魚がウヨウヨ泳いでるんだよ・・・。
2人を抱きかかえて家に戻ると、テーブルに小さいボウルと茶碗。
「お前ら・・・金魚食ってたのか・・・」って聞いたら「・・・うん」
すっげーやるせなくて涙がでて、俺もその場にいた兄さんらも泣いた。
すぐに兄さんがたくさん食べ物と洋服を買ってきた。
近くの銭湯で体を洗ってやった。
その後、俺らじゃどうしようもないから施設に連絡をいれた。
連れていかれる時に「お兄ちゃんありがとう」っていってた。
・・・全然ありがとうじゃねーよ・・・俺たちがお前らの親を追いつめたのに。
俺を含めて何人かは、この後仕事を抜けた。
ただ、救われたのは、こいつらの親がきちんと出てきた事だった。
29 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/12/21(木) 00:32
>28
なんつーか(泣)・・・続きが聞きたいんだけど。
30 名前: 28 投稿日: 2000/12/21(木) 01:17
>29
金融屋がウザイんだよ。って言われてるかなってちょっと見にきてみた。<小心者がバレるな
続きか・・・。
その子らの親は、気になって戻ってきたら子供がいなくなっててショックだったそうだ。
ただし、家のいたる所に連絡先を書いてきたからすぐにわかったらしい。
(もちろん施設のな。事務所だったらびびって逃げるから)
子供を迎えにいった時に、自分らのやった事の重大さに気が付いたそうだ。
俺はもう足抜けしてたし、気になってたからちょくちょく施設に見にいってたんだけど
親が改心して良かったよ。
結局、俺が事務所の仲介をやって職も一緒に探してやったんだ。
また金魚でも食わせたら内蔵うっぱらうからな!って脅してさ。
借金の返済はまだ残ってるだろうけど、両方ともすげー働いているだろうな。
そんな感じかな。
28を書いたときに、実は思い出して悔し泣きしてたのを、うちのに見られた。
コソコソ2chやってるってバレたな・・・。
弱みを握られたよ。
355 :
ほんわか名無しさん:03/06/06 01:17
age
あるバーの店先で困った様子の女性にお金を渡す男の姿があった。
店内のカウンター席からそれを見ていた男の友人は、
店に入ってきた彼にこう言うのだ。
「病気の子供がいるって言われたんだろ?
おまえ騙されんだよ。全部嘘なんだよ」
それを聞いた男は、
「そうか」
と、うつむいてグラスに手を伸ばした。
「よかった、病気の子供はいないんだ」
その男の笑顔を見て友人も静かに微笑んだ。
>>356 しみじみいい話ですね。
ワンピースのチョッパー編、
「ドクターヒルルク」を思い出しました。
また読みたくなった。
359 :
ほんわか名無しさん:03/06/07 11:23
お笑い板でみかけた1文。コピペします。
(コテハンなので伏せます):03/05/31 22:55
ホームに滑り込んできた電車に飛び込もうと身構えた
その瞬間、隣のOLが先に線路めがけて飛び込んだ。
あっと言う間の出来事だった。
思わずそれに続いて俺も飛び込んだ。
急ブレーキをかける音が駅一帯に広がった。
ほんの数秒間ホーム全体が静寂に包まれた。
少々のかすり傷で俺と彼女は救出された。
またたく間に拍手と喝采で周りはにぎわった。
あれから5年後俺達は3人の子宝に恵まれ
ささやかながら幸せな毎日を送っている。
俺の妻となった彼女には、あの日自殺を図ろうとホームに
立っていた事は冥土の土産にする予定だ。
今は妻に俺の命を救ってくれたことを心より感謝している。
360 :
ほんわか名無しさん:03/06/09 00:01
age
361 :
ほんわか名無しさん:03/06/10 16:20
残念ながら作り話じゃないです。オレが経験した実話です。
6年前の阪神大震災のとき、ホストスナックで働いてた俺は、そのとき一緒に閉店作業を
してたカズってやつと二人で潰れたビルに閉じ込められた。閉じ込められたというより二人とも
気を失ってて、ふと気が付いたときには、カウンターにもたれかかるように倒れたボトルラック
の下の隙間に二人並んで寝てた。例えるなら形のいびつな二人用の棺おけみたいなもんかな。
俺はカズの「おい!起きろ!大丈夫か!?」の声で起きたんだけど、二人ともどうすることもできんので
「爆弾おちたんかなぁ」とか「みんな死んだんかな・・・」とか異常に落ち着いて話してました。
真っ暗で寒かったけど、全然怖くはなかった。アタマの中では「俺らが生き残った最後の人類」みたいに思って
たからかな。何分か何時間か、ず〜っと二人で話してると、ふいに頭の上でかすかに
「誰かおるかー!」って声が聞こえてきた。(助かる!!)急に元気になってここに閉じ込められてることを知らせようと
大声で叫ぶんやけど、どうやら気づいてくれない様子。
362 :
ほんわか名無しさん:03/06/10 16:20
結局気づいてくれないままどっか行ってしまったんで、どうしようかと考えてると
横のカズが怪我をした足がひどく痛むと言い出した。最初は俺も「大丈夫か」とか
言ってたんやけど、よっぽど痛いらしく「イタイイタイイタイ!」とか叫び始めた。
俺は時間の感覚はなくなってるけど、少なくとも怪我してから数時間経つのに
なんで急に痛がるんやろうとか思いながら、「大丈夫大丈夫」とか言って励ましてた。
イタイイタイの叫び声がそのうちに「ギャア」とか「ウオォォ」とかになってきて
冷静だった俺もイライラして「こんな狭いとこでうるさいねん!お前は!もうすぐ助かる
からだまっとけや!」と怒鳴ると「んなもん痛いもんは痛いねん!お前にこの痛さがわかんのか!」
とかいいながら、全然叫ぶことを止めない。よっぽど痛いんだろうなとか思いながらも
俺のイライラも限界に達して「やかましいわ!」と言いながら、そいつの口を手でふさごうとして
(カズは俺の胸の横ぐらいに顔があった)口に手を当てた。でも動いていない・・・唇が動いていない。
声は聞こえる。全てを悟った俺はそのあと救助されるまでずっと泣きながら「大丈夫、大丈夫」と言い続けました。
3日後カズの実家の滋賀県より両親が遺体を引き取りに来たときに、さすがにその話はできなかった。
363 :
ほんわか名無しさん:03/06/10 16:21
後日談
カズの両親から聞いたんやけど、カズは首の骨を折っていたそうです。(恐らくボトルラックがあたったのかも)
あと左足が電子レンジの下敷きになって骨が飛び出ていたそうです。両親曰く
「警察が言うには首折って即死やったから、苦しい想いはしてないみたい。それが救いやわ・・・」
何も言えませんでした・・・地震直後に即死してたというのを聞いてから
実は全く非科学的なことは信じない俺は、カズと話してたのもカズが叫んでたのも
俺の精神的な疲労による幻聴だろうと思っていました。
でも俺を助けてくれた人たち(警官一人、ビルの管理人、通りすがりの兄ちゃん二人)
によると、この下に人がいるって気づいたのは、カズの叫び声が聞こえたのだそうです。
もう一つあとから思い出して気になったのが、叫び始める前にカズと話してた内容。
やたらと昔話をしてました。そんときは「こいつこんなときになにをゆうとんねん・・・」
とか思ってましたが・・・
364 :
ほんわか名無しさん:03/06/10 16:23
>>361-
>>363 洒落にならないくらい怖い話より、コピペでした。
365 :
ほんわか名無しさん:03/06/10 16:24
366 :
ほんわか名無しさん:03/06/11 00:57
ヒッキーのクリスマスって話知りたいんだけど、
どんな話か知ってる人いますか?
/ゝ
>>366 /⌒/" 、⌒ヽ
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904 :夢見る名無しさん :03/06/10 02:42
おととい、母が亡くなった。今、隣の部屋にいる。
今日の夕方からお通夜。
一回退院してきたので、介護用のベッドを購入したけど、
ベッドが到着した日に再入院。。。間に合わなかったよ。
後悔はしてないけど。。。悔いはたくさんある。
ああしてあげればよかったとか、こうすればよかったとか。
ベッドは今使ってもらっている。
どうしようもない独り言でごめ。
どなたか「民子」という猫のペットフードのCMを知りませんか?
1分くらいの長さで、1度しか見たことありませんが泣きました(⊃Д`。)
夏休みとかにやるペットの5分番組とかで流れたCMだと思います。
内容は⇒
昭和くらいの設定で、ある家に男と三毛猫が住んでいました。
男は売れない小説家。何年も何年も小説を書き続けています。
その横で、じっと原稿を見守るように座っているのが猫の民子。
男が書いては民子が見守っている…そんな生活は何年も続いていました。
ある時、やっと男の小説が世に認められ、男は作家デビューを果たしたのです。
小説は売れに売れましたが、それと同時にあの民子の姿が消えてしまったのです。
男は探しまわりましたが、結局民子が帰ることはありませんでした。
―どれほど時が流れたのでしょう。
それは雨の日でした。
売れっ子作家となった男は今日も連載小説を書いていました。
しかし、どうしても行き詰ってしまいペンを置いたのです。
男が悩んでいると、戸の隙間から雨に濡れ、泥に汚れた猫が入ってきました。
そう、民子です!男は喜んで迎えました。
不思議なことに民子が帰ってきて横に座った途端、男はスラスラと原稿を書くことができたのです。
男が小説を書き、民子が見守る。その後姿はまるで売れなかったあの頃と同じ懐かしい光景でした。
男はすっかり熱中して何時間も机に向かいました。
そしてやっとの事で書き上げ、歓喜の声を上げました。
しかし横を見ると民子の姿はありません。男がきょろきょろと探すと戸の隙間から雨の降る外へ出て行く民子の後姿が見えました。
民子は一度振り返り、また消えていったのです。
男は後を追いましたが見失い、それ以来 民子の姿をみることはありませんでした。
男はまたその仕事で成功をおさめ、幸せに暮らしています。民子もそうであると祈って…。
↑こんな感ぢだったと思います。映像だと泣けるよ(⊃Д`。)文下手でゴメソょ
370 :
ほんわか名無しさん:03/06/14 23:09
あげ
371 :
ほんわか名無しさん:03/06/15 02:31
ある病室に2人の末期ガンの患者が入院していた。
一人は窓側のベッド、もう一人はドア側のベッド。
2人とも寝たきりの状態だったが、窓際のベッドの男は
ドア側のベッドの男に窓の外の様子を話してあげていた。
「今日は雲一つない青空だ。」「桜の花がさいたよ。」「ツバメが巣を作ったんだ。」
そんな会話のおかげで死を間近に控えながらも2人は穏やかに過ごしていた。
ある晩、窓際のベッドの男の様態が急変した。自分でナースコールも出来ないようだ。
ドア側の男はナースコールに手を伸ばした。が、ボタンを押す手をとめた。
「もしあいつが死んだら、自分が窓からの景色を直接見れる・・・」
どうせお互い先のない命、少しでも安らかな時をすごしたいと思ったドア側のベッドの男は、
自分は眠っていたということにして、窓側のベッドの男を見殺しにした。
窓側のベッドの男はそのまま死亡した。
晴れて窓側のベッドに移動したドア側のベッドの男が窓の外に見たのは、
打ちっ放しのコンクリートの壁だった。
372 :
ほんわか名無しさん:03/06/15 02:32
>>11で既出済みだけど、11より少し簡潔になってます。
何故かラルクスレに貼られてました。
よかったので、ここにレス
昔から自分は、自信過剰で高飛車でお節介な女だった。
4月生まれだったこともあって、小学校の時から成績は常にトップ。
持ち前のプライドでその成績を維持し続け、それなりに高ランクの
国立大学理系に進んだ。
しかし、私の計画通りに進んでいたライフプランは急に変わってしまった。
去年体調を悪くして病院で受けた検査の結果、それは
短くて年内、長くても40才ほどまでしか生きられないだろうという
予想だにしなかった「短命の予告」だった。
今まで大きな失敗等経験もしたことのなかった私は
突然の死の宣告に自暴自棄になり、暴れ回り泣き喚いた。
2ヶ月ほどの入院で寛解、一人暮しの狭いワンルーム戻ったあと
家族には一人にしておけと怒鳴り、学校にも行かずにひきこもった。
私は3人兄弟の真中に生まれた。
姉は初めての子、弟は末っ子であり、大変可愛がられていた。
一方「しっかりしてますね」と近所のおばさまから褒められることに
快感を覚えていた私は、親に甘やかされることなど言語道断だと考え、
アトピー持ちであるため、病院にはちょくちょく通っていたが
小学生になってからは一人で通院、母の膝に座ったり、
風邪を引いたからと言っても過剰な世話をしてもらうのは自粛していた。
スーパーへの買い物などもお手の物。
母の大きなカゴ付き自転車での買出し係りが、家での役割だった。
参観も中学高校の進路相談も三者懇談も、身体の弱い母を案じて全て一人でこなした。
運動会の親子リレーは、友達の母さんや先生と一緒に走った。
ピアノのコンサートにも、家族の誰の姿もなかった。
誰にも言えなかったし、自覚もしていなかったのだが
私は母を頼れないから「一人で何でもできるように」努力していた
ことに、ワンルームにひきこもりながら気付いてしまった。
本当は、母さんの膝の上に座りたかった。
懇談を待つ廊下に置かれた椅子に、一人で座るのは嫌だった。
運動会は母さんにバトンを渡したかった。
参観で…どこでも良かった、私が自信過剰であるだけだけど
事実少しだけでも「優秀」であることを、母さんに見てほしかった。
よそのおばちゃんより、母さんに褒められたかった。
一昨年の初め、まだ自分が病気であることを知らない頃、
法事のために母の実家へ姉と二人で戻った。
わき目も振らず、勉強ばかりしていた私が母の実家へ行くのは
なんと7年振りにもなっていた。
おばあちゃんは私を見るなり「○○ちゃん、アトピー綺麗になったねぇ」と母を彷彿とさせる顔で笑った。
今の私は自らを見つめ直すため、療養のために大学を休学している。
この様子では復学も難しそうで、多分退学することになるだろう。
そして今、ベッドの中であの時のおばあちゃんが続けて言った言葉を思い出す。
「お母さんはな、産後うつ病でほとんど寝たきりになってたけど、
あんたのアトピー治そうとして皮膚科何十軒も回ったんよ。
綺麗になって、よかったなぁ、よかったなぁ」
私はきちんと愛されていたのだ、今も昔も。
昔、アトピーの主治医を変えようと母に相談した際、
母が市内どころか隣接した市の皮膚科の場所全てを
知っていたことに、もっと疑問を抱くべきだった。
377 :
名無しさん@闘病中:03/06/15 17:55
今日、マンションに様子を見に来た母が私の額に手をあてた。
「今日は熱ないん?気分悪かったらすぐ来てやるけんの、電話するんよ」
わたしは答える。
「そんな急に悪くなったりせんけん。母さんこそ膝に水がたまったら、
姉ちゃんにきつく包帯巻いてもらいぃや」
必死で築いた学歴は役立つことはないのかもしれない。
そしてきっと、私は両親より先に逝くのだろう。
宣告から1年、もうあと2〜3年しかもたないというのが今の診断だ。
今年の夏には再々入院することも決まっている。
しかし家族の誰も、私を過剰に見舞ったりはしないのだ。
不思議と、名残惜しい気もするが死ぬことは怖くない。
何か特別なことをして褒め称えられること、守られることだけが、愛情なのではない。
何気ない日常こそが愛情なのだと私は思う。
父さん、母さん、姉ちゃん、弟の○ちゃん、私を愛してくれてありがとう。
今までずっと自分のためだけに、生きてきた私だけれど
これから先が短くても、あなたたち4人が幸せであることを
心から祈り、そのためにしてゆけることを考えたいと思います。
みんなをとても愛しています。大好きです。
長文の上、自己満足的な書き込みスマソです。
674 :( ´∀)・∀),,゚Д)さん :03/06/07 16:04 ID:uAZCUiJX
俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。
俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの
母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。
どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の
前まで来て買うのやめた。そのかわりに小3の妹にアシックスの
ジャージを買ってやった。いままで俺のお下がりを折って着ていたから。
母にはハンドクリーム買ってやった。いっつも手が荒れてたから。
去年俺は結婚したんだけど、結婚式前日に母に大事そうに錆びた
ハンドクリームの缶を見せられた。
泣いたね、、。初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。
379 :
ほんわか名無しさん:03/06/16 07:44
アカン…どの話も泣ける…たまらんわ
だからageる
380 :
ほんわか名無しさん:03/06/16 07:48
何か、、、サミシクなってきた、、、
でも、、、(・∀・)イイ!!
381 :
ほんわか名無しさん:03/06/16 17:05
もう一丁age
マターリ
『涙が出るほどいい話』っていう本より、イイ話だ。
384 :
ほんわか名無しさん:03/06/16 18:00
当時つきあっていた男性との間に子供ができた。
それを彼に言うと、それから音信不通になってしまった。
アルバイトをしていなかったわたしはお金もなかったし、前の中絶の時に
母親に世話になったため、さすがに二度も同じ過ちをおかしたなど言える
わけもなく、困り果てていた。
彼が子供が出来たら産んでほしいと言っていた上でそんなことになって、
どうしようもなくつらかったが、自分がしっかりしなくてはという意識
だけはあったので、涙の一滴もでなかった。
親友に相談すると、彼女は厳しい経済状況の中、「返すのはいつでもいいから」
と手術代をかしてくれて、手術当日もつきそってくれて、水子供養も一緒に
行ってくれた。
話は戻るが、手術前日の晩、私はベッドの中で、当時家族との関係がうまく
いかず悩んでいた彼女のために、その問題が良い方向にいきますように
とお祈りした。
後からわかったことだが、彼女もその晩同時に、私の手術が成功して早く
立ち直れるようにと祈っていた。
はじめて神様に感謝した。
385 :
ほんわか名無しさん:03/06/16 18:03
予想通りのレスだなw
386 :
ほんわか名無しさん:03/06/16 18:03
誤〜〜〜爆〜〜〜?
387 :
ほんわか名無しさん:03/06/16 21:16
くっそう、1話1話泣かされてしまう…
388 :
ほんわか名無しさん:03/06/16 21:17
>>387 コピペだけど探して貼った甲斐があったよ。何か嬉しいw
389 :
ほんわか名無しさん:03/06/17 02:02
371最高!!カッコイイよ窓側の男…
390 :
ほんわか名無しさん:03/06/17 23:48
ええ話やなぁ…
だからageる
遅レスですがデンマーク最高!
>>371 嗚呼、これです、これ!このコピペを探してたんです。
ありがとうございまっす。感動いたしました、はい。
星
394 :
ほんわか名無しさん:03/06/22 19:05
期待age
396 :
ほんわか名無しさん:03/06/23 17:10
>>395 感動しました。ありがd
でも直リンクしないでhを抜いてね。
このスレまじでいい・・・まじでいいんだよ・・・・・
まじでいいぞぉぉおおおおおおお!!!!!!!!
俺は人類最強の男というコピーに引かれ、人類最強になるためにはどうすればよいか考えた
人類最強なのだからどんなことでも出来る
手始めに全裸で姉の部屋にアンゲロ、アンゲロとつぶやきながら飛び込む
タンスをこじ開けブラジャーを腰に巻きパンティーを頭にかぶる
姉が呆然としながら見ているが人類最強なので気にしない
姉のベッドに潜り込み「幸せだから!!幸せだから!!」と絶叫
あねは無言で立ち去る
だが最強には不十分
次は妹の部屋にムッシュムッシュと叫びながら飛び込む妹は着替えをしている最中だったが人類最強なので無視
半裸で逆立ちしながら
「俺に充電しろ!!俺に充電しろ!!」と絶叫
妹は大泣きで退散
確実に人類最強に近づく
開脚後転でトイレに飛び込み便座を外し首に掛ける
ゾンビの真似をしながら母の部屋に突撃
タンスを開けると一枚の写真を発見
死んだ親父が俺を抱いている写真だった
俺は泣いた
399 :
ほんわか名無しさん:
禿しく泣ける話だ