1 :
弓裔ソーラーカー ◆Spica/1ANw :
つーことで
つらかったね、よしよし。
10 :KU ◆kanaGfVbs. :03/03/09 16:06
今日は私の親戚について語ることにします。
私が生まれてから、6歳のとき父親が蒸発するまで、
両親は仕事の関係で各地を転々としていましたので、
親戚付き合いは自ずと疎閑な状態になっていました。
そんな中、唯一連絡を取り合っていたが母方の伯母の家でした。
私の母は末娘で、外祖母が40代はじめの頃に産んだので、
その伯母とは親子ほどの年齢差がありましたので、
甥といっても、私とほぼ同年代の子でした。
そして、一時期、おそらく債権者から逃れるためでしょうか、
私はその伯母の家に預けられていた時期がありました。
その甥と私は、お互い友達が少なかったせいか、いつの間にか
よい遊び仲間となっていたのです。
これは偽者?本物?
ノ(*・∀・)つ旦~~
15 :KU ◆kanaGfVbs. :03/03/09 15:55
私の幼少時代は、それはそれは悲惨なものでした。
食べるものといえば、すぐ作れるうどんか、近所の商店街の店で余った惣菜と
冷飯を安く分けてもらい、家に持ち帰ってストーブで温めたもの。
蒸発した父のぶんまで働く母に、食事を作る時間などあるはずもなく、
睡眠時間はわずか3時間弱の母に食事を作らせることなどできるはずもありません。
私も幼くして働きに出て、父が残した借金を母子で懸命に返済することだけで
もう頭がいっぱいだったので、食べるものにまで考えが及ばないのも無理ありません。
今思えば驚くべきことですが、当時の私には銀シャリなんていう概念すらなく、
無理して行かせてもらった中学校の部活の合宿で泊まった、とある民宿の夕食で
初めて口にした白飯が所謂、銀シャリのようなものではなかったかと思います。
それまで、私の中でいちばん高級な食事といえば、早朝の仕事を終えた後、
市場の片隅の食堂で食べる200円の定食が精一杯でした。
それも、親に内緒で小銭をポケットに忍ばせてのことです。
またKU ◆kanaGfVbs.のスレかよ
やるな!
10 :
弓裔ソーラーカー ◆Spica/1ANw :03/03/09 16:30
>>7 場〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜か
俺は弓裔板でもかまわんわけだが
12 :
ほんわか名無しさん:03/03/09 17:24
オレはKU板なら認めるよ。
13 :
ほんわか名無しさん:03/03/09 17:26
14 :
ほんわか名無しさん:03/03/09 17:27
15 :
ほんわか名無しさん:03/03/09 17:29
12は、はらたいらクラスの正答率なのでむしろ全部。
弓裔板でしょ?もともと
文句なし!!
ばかほの板住民めw
18 :
ほんわか名無しさん:03/03/09 17:32
16番は空気嫁てないに1票
KU >>>>>>弓裔ソーラーカー>>>>>>>>高句麗 ◆OIZKOUKURI
高句麗 チネ
きかきねんこ