1 :
名無しの愉しみ :
2006/10/10(火) 18:22:40 ID:F8l5552L
2 :
赤城本命 :2006/10/10(火) 18:37:11 ID:TfffzBBb
ありがとうございます。 私は別にどこでもいいのです。 よくシベリア送りになってます。
3 :
名無しの愉しみ :2006/10/10(火) 18:55:31 ID:C2CU2OEG
>>2 前スレ
>>388 の行為は完全に違法行為ですね。
それに対して合法的な手順を踏んだ上で趣味として活動している
人達が「違法ですよ。然るべき手順をしてください」など指摘しないのこそ
おかしいでしょう。同類と言われても仕方ないと思います。
貴方は合法的な活動をしているのですか?
4 :
名無しの愉しみ :2006/10/10(火) 18:57:07 ID:v6xhYvy3
この開設で、本来の「埋蔵金」の開設になればいいのですが・・・ 今後の展開を期待します!
5 :
名無しの愉しみ :2006/10/10(火) 19:03:23 ID:v6xhYvy3
3番さん、全ての答えが前ページの「992」番です。
6 :
赤城本命 :2006/10/10(火) 19:28:24 ID:TfffzBBb
>>3 >>388は埋蔵金探したうえで、横領したのですか? 偶然発掘して、横領したのではないですか。
7 :
名無しの愉しみ :2006/10/10(火) 19:47:58 ID:v6xhYvy3
赤城本命さん、私は以前から赤城探索について、一つ気になっていることがあります。 それは、「梶川式探知機」で調査していた「三枝さん」の探索が、以前より気になっています。 みんな、水野さんの探索ばかり表面的に考えていますが、「梶川式」は、「埋蔵金関係」では、 実績がないように思われがちですが、「成島」では梶川式により「砂金」を発見されていますし、 三重県の「賢島」では、梶川式により「井戸水」が発見されたと聞いています。 三枝さんも、「梶川式」の調査結果のところまで調査したか疑問です。 三枝さんの「発掘現場」は、可能性はないのでしょうか?
8 :
赤城本命 :2006/10/10(火) 19:55:56 ID:TfffzBBb
>>7さん 三枝さんの発掘が梶川式測定器で行われた事実は知りませんでした。 「日本の埋蔵金」ではそのような記述はなかったようにおもいますが? 私は水野家の付近は埋蔵地として考えていません。同時に三枝さんの 発掘地点についても同様です。ただし、関連性があるのは事実です。 梶川式測定器については、あまり情報を持っていません。(日本の埋蔵金 以外と言う意味です。)
9 :
名無しの愉しみ :2006/10/10(火) 19:56:43 ID:uNWl37rr
盗掘集団はアウトロー行けや。馬鹿盗賊どもがよ。
10 :
名無しの愉しみ :2006/10/10(火) 20:30:43 ID:v6xhYvy3
赤城本命さん、申し訳ありません。三枝さんでは無く「桜井さん」です。 (日本の埋蔵金・下・P72です)
11 :
赤城本命 :2006/10/10(火) 20:46:40 ID:TfffzBBb
>>10さん 桜井さんの件?手元に本がありません。 庄司さんと剣持汎輝さんの場所と同じところですか? ちょっと質問いいですか?「日本の…」の中の水野家の 部分はほかの関係書に比べて異なった記述が多いように 思います。三枝さんの部分は非常に臨場感があるように 私は思いますが、どう思われますか?
12 :
名無しの愉しみ :2006/10/10(火) 21:41:16 ID:v6xhYvy3
10番です。「赤城」と言うより、「徳川」の埋蔵金には、以前「360」という 雑誌に面白い記事が載っていたり、「夢見つけ隊」と言う雑誌に連載で載っていたり、 と色々な方が色々な見解を出しています。はたして、どれが正しいのか、それとも、まだ 正解は出ていないのか?(当然、正解が出ていれば、もう掘り出しているのでは?)
13 :
名無しの愉しみ :2006/10/10(火) 21:45:13 ID:v6xhYvy3
12番です。赤城は、「正解」が出ても、誰かさんが非難している「盗掘」等は、 規模が大きすぎて、無理です。掘れば、必ずわかりますょ!
14 :
赤城本命 :2006/10/10(火) 22:16:00 ID:TfffzBBb
発掘するとすれば、地権者の承諾を受けてでしょう。
15 :
名無しの愉しみ :2006/10/10(火) 22:18:16 ID:PyD66dK9
初めて書き込む建築関係のシロウトです。15年以上前の話です。場所-伊豆半島の 何とかスポーツ公園造成現場、私の友人A君(建設機械レンタル会社配送係)が 仲良くなった大手ゼネコン監督に配送中-こんなの出てきちゃったよ-と金印をみせられた。 きちんと報告すれば日本史に影響があったかもしれないのに・・・つっこんできいたら しまったーというかおでそれ以上は教えてもらえませんでした。
16 :
名無しの愉しみ :2006/10/10(火) 22:18:58 ID:hWr/iWlu
埋蔵金万歳\(^O^)/
17 :
名無しの愉しみ :2006/10/11(水) 18:20:27 ID:aKFwYdfW
15番さん、「金印」かぁ。すごいすごい! その話が、本当なら埋蔵金を掘り当てるより色々な意味で「価値」は、あると思いますょ。 (金なので、ある意味埋蔵金かも知れませんが)
18 :
名無しの愉しみ :2006/10/14(土) 10:56:05 ID:k/jPn5Pb
埋蔵金に関する板ですね。面白そう。 開設者の方、サンキュウーです。
山梨の胡散臭い話はどうなった?
20 :
名無しの愉しみ :2006/10/14(土) 20:49:49 ID:28i3iygQ
21 :
名無しの愉しみ :2006/10/14(土) 21:19:30 ID:kpj5oZjC
19の方、「山梨の胡散臭い話」とは、どの話の事ですか?
22 :
名無しの愉しみ :2006/10/14(土) 23:02:45 ID:kpj5oZjC
私感ですが、『埋蔵金探索』とは、「真実の話」「胡散臭い話」「合法的」 「非合法的」全てを含んだ物が、埋蔵金探索だと思っています。 「賛成」や「反対」は、人それぞれの考え方や価値観があるので結構ですが、 ここの所を「理解」できないと、「埋蔵金」は語れないと思います。
24 :
赤城本命 :2006/10/15(日) 10:45:02 ID:1JstptXy
>>19さん >山梨の胡散臭い話はどうなった? 増穂町の件でしたら、全部スルーかと思います。 完全に詐●行為とおもわれます。
26 :
名無しの愉しみ :2006/10/15(日) 11:01:28 ID:cjqZQsz7
29 :
赤城本命 :2006/10/15(日) 11:38:43 ID:1JstptXy
あれ? またいろいろ来てる。
5 名前:出土地不明 sage 投稿日:2006/10/10(火) 18:52:52 ID:KIpEvBjL
971 名前:赤城本命[] 投稿日:2006/10/10(火) 16:20:51 ID:AQ9TMAMz
>>964
誰が一体、法律違反してるの。
妄想してるのはあなたでは。ほのぼのスレを荒らさないでね。
いつになったら1000超えるのか。そっちのほうが気になる。
974 名前:出土地不明[sage] 投稿日:2006/10/10(火) 17:04:39 ID:HjGHCgSb
>>971 上の方でお宝発掘して届出もせず家建てた奴がいるだろ!
975 名前:出土地不明[sage] 投稿日:2006/10/10(火) 17:05:51 ID:HjGHCgSb
>>338 のことだよ!
998 名前:出土地不明[sage] 投稿日:2006/10/10(火) 18:48:25 ID:HjGHCgSb
>>989 >>338 の行為は完全に違法行為ですね。
それに対して合法的な手順を踏んだ上で趣味として活動している
人達が「違法ですよ。然るべき手順をしてください」など指摘しないのこそ
おかしいでしょう。同類と言われても仕方ないと思います。
貴方は合法的な活動をしているのですか?
6 名前:出土地不明 投稿日:2006/10/10(火) 18:54:06 ID:KIpEvBjL 972 名前:出土地不明[] 投稿日:2006/10/10(火) 16:49:51 ID:3pKRouO5 上で掘り返したとかいってる人が複数いたようですが ちゃんと許可取って自治体と警察に報告してるんですか? 自分の土地でも遺失物拾得の届け出は必要ですよ? いずれにしても埋蔵金探索は鼬害 古文書解読は日本史の範疇だし 宝探しや勝手な発掘が考古学だと思われるのは仕事にしてる人間にしてみれば迷惑千万 との指摘に対する犯罪者のありがたいお答え↓ 980 名前:赤城本命[] 投稿日:2006/10/10(火) 18:09:47 ID:AQ9TMAMz >>979 過疎スレですのでたまにしかきませんが。 ここは上品なスレですので、下品な言葉はやめてね。 何を考えるかは、良心の自由ですが。 何が楽しいかは、幸福権の追求ですが。 最近来てる人は日本国憲法もわからない人たちですか?
>>29 赤城さん、上げると荒らしが来るので下げでお願いします。
33 :
名無しの愉しみ :2006/10/15(日) 12:01:37 ID:4Wp4A9G1
どちらにしても、誹謗・中傷の方「ジャマ」です。 (こう書き込むと、「お前がジャマだ」と書き込む方々のことです。) 何もここに入らなくても、もっと「ふさわしい」所で、好きなだけ書き込んでください。 まぁ、一番良いのは相手にしないことなので、これからは、「雑音」程度に思っています。
>>33 自分で書いた文章よく読め。
そのままお前に返すわw
37 :
名無しの愉しみ :2006/10/15(日) 15:38:22 ID:4Wp4A9G1
誰か「結城の宝」について、ご存じの方おられますか? 女性の方で精力的に、やっておられる方は以前、テレビ・雑誌等で見かけましたが・・・
500円20枚をお札に。の話を書いた者です。 その後が遅くなりすみません。 10日に救う会にメールしました。 お返事はまだいただいておりません。 たぶん中傷扱いで流されるんでしょうね。 あちこちに貼られた私のレスを見つけびっくりしましたが、 皆さんに知っていただけただけで十分だと思っております。 正当な事を言っても中傷だ募金妨害だのとおっしゃる救う会の方には なにも期待していません。 以下は私ごとになります。 11年前に母の脳死判定を受けました。 母はドナーカードをもっていました。 すぐにコーディネーターからお話がありました。 それまでの私は脳死移植に対しては特に否定的ではありませんでした。 でも脳死は人の死には見えませんでした。 意思(遺志)に背く形になりましたがお断りしました。 母は数週間後に多臓器不全で亡くなりました。 その間、様々は資料を読みあさり悩みました。 このような経緯があったために、今回のような募金には反対でした。 しかし幼稚園でさくらちゃんの話を聞いてきて心配していた娘の気持ちに負け 街頭募金しました 子供が幼いから言ってもわからないだろうと 娘の気持ちを尊重した結果あのような経験をしました。 楽なほうを選んだ私の間違いでした。 今回はあらためていろいろなことを考えました。 長文と自分語り(悲劇のヒロインのような)のスレ汚し申し訳ありませんでした。
感動出来るかもわからんし 前に書いたヤツだが コソーリ置いておきますよ・・・ みんな 感動出来る詩を書こう! 俺はいつもそれを志してる まだ出来てないけどもねw ___________________________________________________________________________________________________ 『海』 酷く痩せた顔 表情変えず 君は絵を描き続ける 何にも無いこの部屋 モチーフはいつも 君の頭の中 折れた筆 寒さにかじかむ手 そこら中の傑作達を眺めてたら 目は乾いて 泪も流せなくなった 機械のように 動き続けるその手 「いつか君を あの海へ連れて行こう」 遠い約束 うっかり忘れかけてた 君がいなくなった 黒い行列は少なめだった 久しく写真を撮ってなかった君は 最後に笑ってる自分を描いた 長い間 笑ってなかったんだろね 笑顔がおかしい あの日から くもり空 どんなに探しても 雲の切れ間は見当たらない この灰色の海に 僕も 君も 深く 沈んでいた
みみず のどかわいた みずどこや まっくら つちのなか みみつんぼ みみず めくらがつちのなか おまえ ひとりぼっちでも みみずというか まっくらつちのなか みずがほしいか ひょっこり いっぴき みみずのつんぼ おひさまみなかったか かぜきこえなかったか どうして かれえだみたいに かわいたか みみずにやろうか ほらみずだ おまえひとりで さんにんまえか ほしかったみずは しょっぱいぞ みみず のどかわいた みずどこや まっくら つちのなか みみつんぼ みみず めくらがつちのなか おまえ ひとりぼっちでも みみずというか まっくらつちのなか みずがほしいか ひょっこり いっぴき みみずのつんぼ おひさまみなかったか かぜきこえなかったか どうして かれえだみたいに かわいたか みみずにやろうか ほらみずだ おまえひとりで さんにんまえか ほしかったみずは しょっぱいぞ
とても小さく、かわいらしい人だった 駅の近くの街灯の下で 大きなバックを抱えて座っていたね 僕が駆け寄ると ニッコリ笑って・・・ それから五日。 彼女との生活。 色々な事を話したね もっともっと色んな事を話したかった 君は僕が眠っている間に 消えてしまった。 そして、もう二度と話すことが出来なくなった。 それからしばらくしてからの事でした 君がこの世に別れを告げて 旅だって行ったと。 始めからすべてわかっていたんだね 僕はもうしばらくコッチにいるね。 君が残したモノを 僕が出来る限り守っていく為に
47 :
名無しの愉しみ :2006/10/15(日) 17:11:52 ID:qnxjfN6+
62 :
名無しの愉しみ :2006/10/15(日) 18:31:08 ID:4Wp4A9G1
「ID:???」の方々、これがあなた達の言う「マナー」ですか? (結局、誰かに「かまって」もらわなくては生きていけない「生物」か?)
>>62 上げると荒らされるから下げてって上の方でも言ってるでしょ。
,,ッツmmmmmmmミッ、、 ッツmmmmmmmmmmmミッ ッツmmmmmmmmmmmmmミッ ッツmmmmmmmmmmmmmmmミッ ッツmmmmmmmmmmmmmmmmm ツmmmmmmmmmmmmmmmmmm mmmmmmmmmmmmmmmmmmm mmm"゙ ゙"mmmmmmミ ミm:::" ・ ゙ミmmmmmツ m::: 丶/|::/!!! ミ;= mmmmm |::::: r",,ゞィ ヨ ●ヾ ゙ミmmmツ |::::::イ●ノ / 、 "'ーヘヽ ゙mmツ |::::::: :"" ,.゙ ・ ・ '' ヽ、"" |<リシュリュー程度で埼京だとう ヽ::::: :" )ッm)( ノ ゙゙''''‐ッツmm,,,,,,,,,,,,,,,,,,,....-‐-‐''''~ ッツmmmミ" ゙゙''''‐-...,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,....-‐-‐''''~
65 :
名無しの愉しみ :2006/10/15(日) 19:38:11 ID:4Wp4A9G1
もう、十分「荒らされて」ますょ! 63さん、結局貴方も「ID:???」ですか? 説得力無し!!!
>>65 お前は初心者だろ。
お前よ、メール欄にsageって入れろやボケ。
スレを上げないことで荒らしを少しでも防げるんだよ。
わかったか?
>>66 ありがとう。65とは別人。
68 :
名無しの愉しみ :2006/10/15(日) 20:58:28 ID:4Wp4A9G1
65です。 66さん、ありがとうございます。おっしゃるとおり、初心者です。 そこで、もう一つ質問です。「sage」と入れるのは、名前欄ですか、メール欄 ですか、それとも、書き込みの最初に入れるのですか?詳しくご指導を! 何分、初心者ですので、ご了承下さい!
メール欄にsageを入れないで書き込みすると、このカテゴリーのトップに 上がってしまうのです。そうすると、荒らしに会いやすい。 「上げるな」って言うのは、荒らしの標的になるのを避けたいのです。 sageをメール欄に入れて書き込みすると、カテゴリーのトップに上がることはありません。 sageを入れることで、ひっそりとお話ができるということです。
>>70 フムフム。なるほど。へえー。 ついでにもうひとつ。アンカーのしたに横棒入れるのどうするの。
72 :
名無しの愉しみ :2006/10/15(日) 23:07:07 ID:4Wp4A9G1
sage 69さん、ありがとうございました。(感謝!) 申し訳ありませんが、これからも解らないことは、聞きます。
72は、失敗です。(頑張ります!)
>>71 半角の「>」を2つ書いてレス番号の数字を半角で
上記を表示すると、どうなるのですか? (利点を教えてください)
>>78 >>69 みたいな専用ブラウザをしようすると、
>>78 ←ここにマウスを乗せると78の内容がパッと浮かび上がる。
専用ブラウザをインストールしなさい。やればわかる。
申し訳ありません。 専用ブラウザは、どうやってインストールするのですか? 「専用ブラウザ」とは、何ですか? よろしく、お願いします。
「赤城本命」「銀山本部」「成政」(敬称略です)等々の方々、見ていたら 又、書き込んでくださいね!
A、確認。
test
>>81 同感。please come back again。
それはそうと、元スレは悲惨なことになってますな。 こちらのほうがすこし安全?
>>89 こっそり来ましたって意味です。頭文字Aです。
「A」さん、了解です! Aさん、以前同様「実のある」書き込み頼みます!(期待大)
この板が、過疎気味でも「埋蔵金発掘が趣味の人」書き込みましょう!
此処まで荒れてるスレは珍しい。w
本当、もうひどいことになっちゃった。 このスレもアラシの人の好意でたててもらったの。 トホホ。
日本の三大埋宝 ・徳川の埋蔵金「赤城山が最有力」 ・豊臣の埋蔵金「多田銀山が最有力」 ・結城の埋蔵金及び黒部の埋蔵金 ・結城は城跡か?(隠居の城跡も含む) ・黒部は、一箇所に49個の瓶か7箇所に七個づつか?
そろそろ埋蔵金の話しようよ
98 :
修二郎 :2006/10/18(水) 21:54:39 ID:???
畠山清行氏著、日本の埋蔵金「武田の秘宝」の最初に出てくる高橋修二郎の 埋蔵金について、その埋蔵地を推理します。小埋蔵金なので、既に発見され てしまっている可能性がありますが、発掘されたという情報もありません。 高橋修二郎が書き残した帳面は雨にたたかれ、文字は部分部分消えていた。 「高橋(以下十字不明)・・・に 腕の形(以下九字不明)・・・る 大本(三字不明)右三本(八字不明) 山(五字不明)あり穴は大きな岩の 左からみ(七字不明)・・・る 木で(六字不明)・・・本 棒は大(六字不明)・・・十枚 のべ板(四字不明)・・・二つの穴 にもま(五字不明)・・・ある 右の(三字不明)・・・口は川につ いて下って三つ目の(一字不明) のほらあなから入る」 これを解読、推理して埋蔵場所に迫ります。(続く)
赤城は、「赤城」と「榛名」を結ぶ不動の線上ににある「鈴ヶ岳」の麓に、 小さな「不動明王」あり。 上毛三山を結ぶ不動の線に着目! 三枝氏が発掘を行った長井小川田から真東へ沼尾川沿いに走ると、正面に 「双永寺」が見えてくる。 例の三枚の銅板が床下から出土した寺である。また、埋蔵金の守り役とみられる 児玉某が滞在していた所でもあるという。 この寺の「山号」に注目、「鈴嶽山双永寺」とある。 鈴嶽山は、「鈴ヶ岳」のこと、赤城山麓の一峯で、ちょうどこの寺の裏山に当たるのだが、 これが、赤城と桑名の山頂を結ぶ不動の線上に位置する。 大岩の頂上のくぼみには、石宮がある。 (今日は、これまで!)
ヘー(・∀・)チゴイネ!
101 :
赤城三太郎 :2006/10/19(木) 20:38:13 ID:???
まだまだ、すごい「話」出しますょ〜!
>>99 鈴ヶ岳は初耳。その、大岩の頂上のくぼみに鳥が卵を産んで去った???
103 :
赤城三太郎 :2006/10/19(木) 22:12:05 ID:???
>>102 「石宮」が、有る事が重要では?
※要するに、一つの「印」では?(何かのね)
>>99 ごめんなさい。上記のようにとられも、しかたありません。
いつか真実の姿を述べたい思っています。本当にごめんなさい。
私の仮説は違います。判りにくい文でゴメンナサイ。
<<99 ごめんね。書けないよ。いつか書くときをあるかもしれない。 でも、今は書けない。ごめん。頭文字A
106 :
赤城本命 :2006/10/20(金) 21:39:28 ID:???
>>99 私の仮説はあくまでも一般の人の納得してもらうのが条件です。
一部の埋葬金趣味の人に評価されても何か意味がありますか?
107 :
修二郎 :2006/10/20(金) 21:44:18 ID:???
<高橋修二郎の埋蔵金> 時:明治40年頃のある秋の朝 所:山梨県塩山市高橋地区近辺、「花魁淵」の近く 発見者:高橋修二郎 修二郎の遺体発見者:二の瀬部落の宇沢某、炭焼きで生計をたてていた 発見したもの:焚き火跡、鍋、米、缶詰、天幕、皮製の鞄と中に棒金10本 修二郎の手帳 近くの崖に引きちぎれた雨よけマント、崖下に高橋修二郎の 遺体 修二郎の身元:東京日本橋小伝馬町のアサバ写真館主 修二郎の探索歴:夏から秋にかけて2度ぐらいずつ山入りしていた その年の9月の末に、四谷の実弟憲三郎を訪れ、「今度は 九分九厘間違いなしという所を、俺はこの前に行った時、 さがし当てているから一緒に行かないか」とさそっている これらのことから、高橋修二郎が発見した埋蔵金は、大菩薩峠の北側で、二 の瀬部落から歩いて1〜2時間の範囲内、川のそば、めったに人が通らない ところにあることになります。(続く)
108 :
赤城本命 :2006/10/20(金) 22:11:29 ID:???
>>106 カタリはやめてね。
私は一般の人が認めてこそ価値があると思います。
だいたい同じこと言ってるから。
>>106 >>108 この二人は、同一人物?
それとも「108」さんが、書いているように、「106」は、「偽・赤城本命」?
「106」の「赤城本命」さん、人それぞれ、「埋蔵金」に対する思いは違います。
一部の「埋蔵金趣味の人」に評価されても、されなくても
又、一般の人が認めても、認めなくても、「結構・結構」では?
要するに、各自の思い思いでやれば良いのでは、と言うことです。
「埋蔵金」は、ターゲットの埋蔵金対し「発見」されるまで「全て」が「仮説」と見られるのが、
「世の中」では?
(当然、発見されても規模が小さい物は、非公開だとは思いますが)
もし、発見されれば発見した事も重要ですが、それまでの「プロセス」は、
もっと「重要」な場合も多々有ると思いますが。
武田の「修二郎」さん、(続く)をワクワクしながら期待しています。
一般の人には、発見されるまで全てが、仮説・夢物語です。 ※決して悪意で言っているわけでは、ありません。 ※本当の「埋蔵金発掘が趣味の人」以外には、理解されにくいと言う事です。 一般の人に、わかってもらうには、「出す」しかありません。 ※しかし、公開は諸般の事情により難しいが。
名前欄に「fusianasan」と入れてみてください。 メール欄に「guest」と入れます。 本文に「裏2ch」と入れます。 そうすると「裏2ch」に入ることができます。 裏2chでは今月いっぱいまでH画像やH動画を無料で見れます。 試してみるといいよ。(^-^)/
112 :
修二郎 :2006/10/21(土) 21:02:56 ID:???
<高橋修二郎の埋蔵金> 修二郎の残したメモ(謎文)から、次のことが解ります。 (1)「高橋」という固有名詞の近辺、又はそこが起点となっている。 現地で「高橋」がつくのは、高橋神社、高橋川、市ノ瀬高橋の3つである。 (2)埋蔵地は3ヶ所あり、1ヵ所は山の中腹又は崖の斜面にあり、近くに 大きな岩がある。他の2ヶ所は川のそばのほらあなにある。 (3)埋蔵金の種類は、金の延棒と延板である。 (4)埋蔵量は、棒金で何十本程度であり、まるどう、たけながし、こがね の記述が無いので、埋蔵金の種類、埋蔵量から推して、穴山梅雪の大 埋蔵金とは別口の小埋蔵金と考えられる。 (5)偶然に3ヶ所同時に発見できるはずはないので、修二郎は何らかの 秘文か秘図、又はその写しを入手していたと考えられる。 (続く)
裏2ch
115 :
仏 :2006/10/21(土) 23:30:02 ID:???
116 :
仏 :2006/10/21(土) 23:54:01 ID:???
>>114 あなたもです。・・・場を知るべし、己を知るべし!!!
武田の秘宝の話が出てきているので、みなさんに一つ質問です。 穴山梅雪の秘宝の秘文中、隠し湯とは、 今現在の冷泉も含み、武田信玄の隠し湯(温泉)なのか? それとも、穴山梅雪の隠し湯なのか? それとも、隠し湯とは、温泉では無く、別の解釈をするものなのか? お教えください。
裏2ch
修二郎さん、早く、早く、続きを!
頭文字Aさん、貴方の書き込める範囲で、書き込みを!
あ!
123 :
修二郎 :2006/10/23(月) 22:08:23 ID:???
<高橋修二郎の埋蔵金> 埋蔵地への起点と思われる固有名詞「高橋」について考えます。 (1)「高橋神社」と仮定すると、第1の埋蔵地は、高橋神社裏の「石保戸」 山となります。ここは、泉昌彦さんの本によると、採鉱跡と思われる 洞穴がいくつかあった。埋蔵には最適である。しかし、第2、第3の 洞穴は川のそばのはずであり、高橋神社近くの川といえば高橋川しか ありません。高橋川は現地へ行ってみれば分るように、雑木林の中を 穏やかに流れるごくありふれた川で、険しい崖や岩穴などはありませ ん。従って「高橋神社」はないと考えます。 (2)「高橋川」と仮定すると、(1)と同じ理由でこれもないと考えます。 (3)残るは「市ノ瀬高橋」ということになります。大菩薩の北側、鶏冠山 で栄えた黒川金山の金掘りの末裔が暮らす「市ノ瀬高橋」地区には、 「一之瀬」「二の瀬」「三ノ瀬」などの集落があります。その「二の瀬」 の宇沢某が高橋修二郎を発見したのであります。 (続く)
124 :
忍 :2006/10/23(月) 23:14:52 ID:???
参上! 祝・新装開設
これからも、埋蔵金発掘が趣味の人にとって、実のある板になることを願います。
さて、
>>117 さん、武田・梅雪の宝についての質問なので、私の私感を書き込みます。
梅雪の宝の場合の隠し湯とは、この世界の通説では、やはり信玄の温泉を指します。
信玄の隠し湯と言っても何ヶ所か有り、この世界で一番有名なのが、下部温泉です。
下部の隠し湯については、今まで色々な人が挑戦していますが、その中でも一番有名
なのが、諸澄さんです。下部には、中山金山等色々な金山が隣接しています。
確かに、貴方の言われるとおり、隠し湯の解釈も重要ですが、その次に続く秘文
「岩(石)打て岩(石)うて、地蔵もうて」の部分が重要と私は考えています。(参考までに)
●『再掲載』●
成政さんへ (私の懇願です)
迷惑なのは百も承知ですが、この書き込みを見ておられたら、一度下記アドレスへ
連絡を切望いたします。
(アドレス)
[email protected] (成政さんからの、連絡を心よりお待ちします。)
125 :
名無しの愉しみ :2006/10/28(土) 06:02:08 ID:HcTJhJ/b
126 :
修二郎 :2006/10/29(日) 20:49:47 ID:???
<高橋修二郎の埋蔵金> 修二郎が残した謎文中、「川について下って」について考えます。 そもそも何故川について下るのか?通常、人が大勢暮らす集落から人里離れ た山奥に向かうには、集落から尾根に通じる山道を登ります。山道は、川との 関係で考えると、通常、川に沿って小道が平行しています。従って、普通 だったら川について下った所にある第2、第3の埋蔵場所に最初に辿りつき、 第1の埋蔵場所は最後に発見されるはずです。修二郎のメモは通常とは逆と なっています。このことは次のことを想像させます。 (1)この川は「沢登り」を趣味とする人以外は、河口からは直接さかのぼ り難い川ではないか。あるいは川の中流しか山道との接点が無い川では なかろうか。 (2)この川の水は、山奥から集落に向かって流れているのではなくて、逆 に、修二郎が起点とした集落から遠ざかる方向に流れているのではなか ろうか。
127 :
15 :2006/10/31(火) 20:43:28 ID:???
>>125 そう思います、だから15年以上たったいまでも時々金印の文句は
何だったんだろう?とか気になって仕方が有りません
129 :
仏 :2006/11/01(水) 22:42:15 ID:???
130 :
名無しの愉しみ :2006/11/03(金) 19:37:59 ID:5qxO1CbB
>>15 もし、その金印が魏国から卑弥呼に送られた
モノであったら...日本史の教科書が大きく
変わりますな。
今現在確認することは不可能なのでしょうか?
131 :
名無しの愉しみ :2006/11/03(金) 19:50:52 ID:0fqEqN46
>>130 及び
>>131 書き込みをする場合は、名前の次のE−mail「欄」に小文字で、sage
と入れてから「書き込み」をお願いします。
書き込みの「ルール」です。
133 :
赤城心之介 :2006/11/03(金) 22:10:46 ID:???
最近、修二郎さん以外、埋蔵金について、あまり書き込みが無いので、ある本に書かれていた 「山城赤心(古兵法研究家)」さん、という方が書かれた赤城に関する文章を掲載します。 ※長文のため、何回かにかけて掲載します。 ※パソコンで漢字変換出来ない場合は、ひらがなで書く場合があり、誤字脱字等は、 ご了承ください。 (以下、ほぼ原文のままで) 赤城の埋蔵金伝説に疑問を持つ向きもあるかと思われるので、私の考えを述べさせてもらうと、 「無い」と断言できる証拠が乏しい反面、「有るかもしれない」と思える証拠は圧倒的に多い ので、ここは「有る」ことを前提にして話を進めます。 結論から述べると、御用金は数ヶ所に分散隠匿されているということ、大埋宝の場合は、少額 のものを探しやすく掘り出しやすい所に隠しておいて、本命(多額の物)を掘るための資金に 充当することがある。この準備金のことを「内ど金」(ないどきん)と呼ぶ。確かな情報では ないが、明治38年に赤城の津久田原でこれを掘り当てた人物がいるらしい。しかし赤城には 本命は無く、ここは八門遁甲を解き、本命に到達するための基点なのである。これまでに出土 した物証の多くは、探索者の眼を本命からそらし、赤城に釘付けにするための囮であるとみて よい。埋蔵の実行者は、表向きは儒学者とされているが、林流の軍学者で八門遁甲の奥義を極 めた林鶴梁である。この工作は、井伊大老の遺志を継ぎ、切れ者小栗忠順と林鶴梁が画策した、 いわば幕末の英知を結集して行った一大プロジェクトだったのである。(つづく・・・)
134 :
sage :2006/11/03(金) 22:37:51 ID:wt5fFDjc
135 :
夢仙人 :2006/11/03(金) 23:10:57 ID:jIrBdN7X
いいねぇ!トレジャーハンター。夢だね!
136 :
名無しの愉しみ :2006/11/04(土) 01:16:42 ID:gI69wLTt
だから カゴメカゴメの都市伝説
137 :
赤城本命 :2006/11/04(土) 17:23:18 ID:a+jbdl8Z
138 :
赤城心之介 :2006/11/04(土) 18:25:46 ID:???
>>133 (つづき)
『術策にはまった水野家』
徳川埋蔵金の探索に最初に手を染めた水野智義は、当初榛名山に目を付け、当局に発掘
願いまで申請しておきながら、何故かぎりぎりになって津久田原に鞍替えした。
理由は不明だが、この時点で智義は概ね方向を見誤り、八門遁甲の恐ろしい術策に
はまってしまったのである。八門遁甲の解読に捷径(しょうけい)はない。
「飛び級」をやるとまったく収拾がつかなくなる。とまれ、津久田の空井戸から三寸余
の黄金像を発見したのはお手柄だったといえるが、その後の進展は何も無いといってよい。
埋蔵金の守り役という児玉某から得た助言をもとにしていると聞くが、守り役が肝心の
ことをペラペラ喋るわけがない。(つづく・・・)
140 :
赤城本命 :2006/11/04(土) 19:25:54 ID:???
141 :
修二郎 :2006/11/04(土) 21:15:02 ID:???
<高橋修二郎の埋蔵金> その日の修二郎の軌跡について考えます。 市ノ瀬高橋近辺に行くには、青梅から奥多摩湖を経由して行く方法、埼玉方面から 山を越えて入る方法もあるが、修二郎は東京日本橋小伝馬町在住であったので、 中央線を利用し、塩山駅に降り立ったと思われる。野営用の天幕、鉄鍋に木の蓋、 米、缶詰、それに外国製と思われる皮製の大きな鞄、それに帽子付きの雨よけマント を担いで市ノ瀬高橋に向かって足早に歩き始めた。何故足早かというと、前回の調査で、 九分九厘まで間違いなしという所を探しあてているので、野営と雨天対策も万全に、 また掘り出すのに必要な道具も持参して、埋蔵地に向かってまっしぐら、逸る気持は 修二郎を足早にさせたに違いありません。(だんだん小説家のような気分になって 来ました。(^ 。^))ルートとしては、六本木峠を越え、金場沢沿いの山道を下り、 神金小学校分校の辺りに出て柳沢川の上流に至り、川沿いの道を花魁淵方面に向かって 下って行ったと思われます。
142 :
赤城心之介 :2006/11/05(日) 13:08:41 ID:???
>>138 (つづき)
『空井戸から出た黄金像は、家康ではなく諸葛孔明』
ここで、源次郎の井戸と言われていた津久田の空井戸から出土した黄金像について考えてみたい。
発見当時から、これは権現像、つまり徳川家康だと言われ続けてきて誰も疑問を持たなかった。
しかしである。幕府関係者が畏れ多くも神君として崇め奉る家康公を、鳥も通わぬ深山原野に、
それも粗末な瓶に入れて泥の中に埋めるなどという暴挙非礼をするだろうか。
では、黄金像は一体誰か。八門遁甲の開祖、諸葛孔明である。このことは、御用金が八門遁甲の術
をもって埋蔵されていることを示酸するものである。
それがわかると、次は八門遁甲の基本的な組立てへと進むわけだが、これは三才であると看破している。
古代中国では、宇宙を構成するものは「天・地・人」の三要素であると考えられた。
これを「三才観」というが、易でもこの三才観に基づいて陰陽の画を三つ重ねて「卦」を立てる。
ここでは上毛三山(赤城、榛名、妙義)を、天盤、地盤、人盤に見立てているのは明らかで、不動の線
(基本となる線)は、各々の山頂を結ぶ線である。ただ、どの山が天盤であり、地盤で人盤かは即断を
許さない。また常識的には本命(埋蔵地)はまず天盤だが、これも断定はし難い。
なお、不動の線についていま少し詳細に述べておくが、八門遁甲では必ず年月を経ても移動する可能性
のないものを基準点として利用する。山が最も多く使われるが、神社・仏閣もしかりである。
大岩や巨木が利用されることもある。また、基本となる不動の線上に既にある地物が利用されることも
あれば、物証が埋伏されていることもある。
次に八門遁甲の謎解きによって現地での探索を行い、成果を上げた者がいるので、その足取りを追いな
がら解説を進めていこう。(つづく・・・)
※この掲載内容について、質問や意見等の返答には一切答えられませんので、ご了承ください。
143 :
赤城心之介 :2006/11/05(日) 14:39:14 ID:???
【徳川埋蔵金・番外編】「八門遁甲」について 八門遁甲は、古代の中国思想に端を発している。従って、現在も占いとして行われている 易や九星術などと流れを同じくする。使用される用語には多くの共通点があるので、まず、 十干十二支(干支)の基礎知識くらいは身につけておく必要がある。 干支は、その組合せで、年・月・日・時・方向を表す。最低でも「子が北」、「午が南」、 「卯が東」、「「酉が西」といった、十二支が示す方向は覚えておきたい。 また九星術というのは、九つの星を五行(木・火・土・金・水)と方位に配し、これを生年 にあてはめて吉凶を占うものだが、五行を配した九つの星とその方位は、「一白水星=北」 「二黒土星=西南」「三碧木星=東」「四緑木星=東南」「五黄土星=中央」「六白金星=西北」 「七赤金星=西」「八白土星=東北」「九紫火星=南」である。 易は、太極(天地が分かれる前の混沌とした状態)から生じた陰と陽で自然界すべてを表すもの。 宇宙を構成するものは「天地人」の三要素であるとする「三才観」に基づいて、陰陽を三つ重ねた ものを小成卦という。 乾(けん)・だ(変換できず)・離(り)・震(しん)・巽(そん)・かん(変換できず) ・ごん(変換できず)・坤(こん)の八つで八卦となる。 小成卦を二つ重ねたものを大成卦といい、六十四の「象」として表し、これが「易」の基本となる。 ※図で示すと解りやすいのだが、小生、パソコン音痴なのでご勘弁願いたい。
144 :
修二郎 :2006/11/06(月) 22:49:37 ID:???
<高橋修二郎の埋蔵金> ちょっと話が脇道にそれますますが、「日本の埋蔵金」によれば、市ノ瀬高 橋、花魁淵、黒川金山、大菩薩近辺には、次のような話が出て来ます。 (1)甲府から高柳村(高橋村?)に移住して来た平右衛門が埋蔵金を発見 したが、何者かに斬り殺された。 (2)明治8年、旧幕時代に御書院番をつとめていた、なんとか甲斐守という 人の子孫で、辺見正順という人物が十名ほどの家来を連れて部落へ乗り込み 埋宝の探索を始めた。約1か月続いたが失敗に終った。 (3)大正元年、帝国電灯の社員金沢猪作が大菩薩登山の途中、道に迷い、正に 埋蔵金を発掘中の弓削一司郎と出会い、埋蔵金の現物を目撃した。 (4)天保11年、地元高柳村(=高橋村?)の名主、次郎左衛門と倅善蔵が幕府 に願い出て金鉱を試掘している。「黒川金鉱開掘一件」として、国会図書館 にも記録が残っている。その前に佐渡金山の開掘に当たっていたプロの 田辺某が再開掘に挑んだが失敗しており、次郎左衛門達の試掘は金掘りより 埋蔵金掘りが本当の目的だったかもしれない。 (5)そして、高橋修二郎は発見した埋蔵金の一部を鞄に入れたまま崖から 転落死していた。 これらの話がすべて畠山氏の作り話だとは考え難いのであります。
145 :
赤城本命 :2006/11/07(火) 07:25:45 ID:???
>>143 八門遁甲というより、易学の基本ですね。もうすこし詳しくお願いします。
>>144 畠山氏の著作は貴重なものですが、実際には不正確は記述が多いのも事実です。
どれが真実に近いかは、他の傍証などを勘案したうえ判断するしかないでしょう。
146 :
忍 :2006/11/07(火) 20:23:21 ID:???
147 :
名無しの愉しみ :2006/11/09(木) 07:43:12 ID:R39fEUPv
難易度ランキング 埋蔵金はあるが発見する確率はきわめて低い。 もっと確率の高いことに目を向けろ!! 埋蔵金発見>>>>>>ベンチャービジネス成功>>画家として成功>>司法試験合格>>東大合格>>
148 :
神 :2006/11/09(木) 20:08:51 ID:???
>>147 へ
書き込む場合は、E−mail(省略可):の欄に必ず、「sage」と
入れてから、書き込むこと。
別板(埋蔵金U)で、忠告したはずだが・・・(学習能力???)
あああ
裏2ch
裏2ch
152 :
仏 :2006/11/11(土) 11:30:12 ID:???
153 :
赤城心之介 :2006/11/11(土) 16:51:01 ID:???
>>142 (つづき)
『斯界の権威・畠山清行氏の推理』
これから述べる人たちは、少なくとも八門遁甲の八の字くらいの心得はあり、また術策の恐ろしさを
十全に見聞きしてきた人たちであり、今までの失敗者たちを遙かに凌駕する位置にあることは疑念の余地がない。
先鋒は斯界の権威、故畠山清行氏が唱えた「年丸橋近傍説」であるが、これをまず検証してみよう。
源次郎の井戸(A)から北進すると蝮観音(B)があり、更に北進すると馬頭観音(C)がある。
このA・B・Cは、各々等距離だ。これを結ぶ線を更に延長し、深山双永寺から真西に延ばした線と交わった地点、
即ち年丸橋近傍が埋蔵地であると主張している。
さすがこの道60年の大ベテランだけあって明快な説だが、問題がないわけではない。確かにBからは、
いわゆる準備金なるものも出土しているが、囮も有り得るのだ。その証拠にCより先に何も地物が無いし、またAの
南点に在るべき鎮物も無い。動かし難い最大の問題点は、その地形的条件である。
現地を実踏すれば一目瞭然だが、要するに山土手際であり、埋蔵するには甚だ不適切と言わざるを得ない所だ。
(つづく・・・)
154 :
黒部の太陽 :2006/11/11(土) 19:02:55 ID:???
【序章】 始めまして、「黒部の太陽」です。これからよろしくお願いします。 私は、これから日本の埋蔵金中「黒部の宝(佐々成政の軍用金)」について、 今まで、色々と「本・雑誌」等に既に掲載された内容をここで改めて私の知る範囲で 掲載します。従って、私が独自に調査したわけでは無いので、これからの掲載内容に ついて、各読者からの「質問・意見」等には、一切答えられませんのでご了承ください。 尚、掲載内容の「信憑性」等についても、各自でお考えください。(本日は、これまで!)
<黒部の太陽様 楽しみです(^O^)/ よろしくお願いします。
156 :
赤城本命 :2006/11/14(火) 21:25:34 ID:???
>>142 >『空井戸から出た黄金像は、家康ではなく諸葛孔明』
ここで、源次郎の井戸と言われていた津久田の空井戸から出土した黄金像について考えてみたい。
発見当時から、これは権現像、つまり徳川家康だと言われ続けてきて誰も疑問を持たなかった。
これは面白い考え方ですが、諸葛孔明とする論拠は?
素人で、申し訳ありませんが・・・ 逆に、黄金像を徳川家康とする論拠は? 水野家の言い伝え等でなく何か特定 できる物(古文書等)は在るのですか? ※特に、特定できる物が在る場合は少なくても家康像発見前の物でなくてはなりませんが・・・ 発見前の物と言うのは、その存在(年代)がです。 発見自体は、極論を言うと今でもいいのですが、特定のものが作られた年代が発見前の物 という意味です。 ※決して、赤城心之介さんの味方というわけではありません。 ただ、逆に疑問に思っただけです。
何だかんだ言っても、結局この世界は見つけた者が「正解=正」です! 色々な人が、色々な「仮説」で研究・調査を行っていますが、発見した人のみが、勝ち組です。 興味のない人にとっては、結果が全てです。 しかも、その結果は「発見」以外、認められません。 発見以外、妄想・妄想の世界です。(あしからず)
家康像という物は、現在残されている家康の肖像画と全然似てないんじゃないの〜。
160 :
赤城本命 :2006/11/15(水) 07:02:40 ID:???
>>157 水野家に伝わる資料(古文書と呼べるかどうか?)以外はありません。
これからそのようなものが出る可能性はありますが、水野家の資料以上に
怪しいものでしょう。
家康像は、双栄寺謎文中にある一将と考えられたこともありましたが、
埋蔵の主役が幕臣であることを考えると、家康像を一将とよぶ訳がありませんから、
一将であれば、家康説は消え去るのです。逆に一将であれば、諸葛孔明説の可能性
が出てきます。
161 :
赤城本命 :2006/11/15(水) 16:12:25 ID:???
>>157 この像について、なんと呼ぶのが妥当かはっきりとはしていませんが、私は
「神君」像とよぶべきだと考えています。
それは「埋蔵金」スレで述べた双栄寺天狗堂の掲額の最後の部分に「神君の訓えなり」
という文章があるのが私の論拠です。
私は赤城心之介さんの諸葛孔明説を真っ向から否定するつもりはありません。
むしろ、新説として面白いと思っています。
162 :
赤城本命 :2006/11/15(水) 16:15:48 ID:???
164 :
赤城心之介 :2006/11/16(木) 12:02:52 ID:???
>>153 (つづき)
『榛名に目をつけたS氏』
八門遁甲研究歴10年という、東京在住のS氏が筆者の助言を礎に実際に発掘したのが、榛名山麓の北面。
そこは赤城山津久田原の源次郎の井戸の東西線上に位置する場所だった。曰く「結界説」である。
井戸を基点として真北に迦葉山麓の天狗堂まで線を引く。これを「臨」とすると、等倍は真西にあたる榛名
山麓の十二ヶ原で、これを「兵」とする説だが、なるほど研究家だけあって刮目に値する考え方だ。いわゆる
陰の九字で、この結界説は悪くない、と注目していたら、期待通り成果があった。
S氏の報告を聞くと、現在は畑地の十二ヶ原は、かつて草刈場だったが、土地の古老が原っぱの真ん中に空井戸が
あったと証言。この空井戸から北進すると、現在は涸沼だが弁天池があったとも証言。
更に北進すると、この十二ヶ原を一望可能の小高い山の上に石宮六社があり、更に北進すると六文銭を寺紋とする
林昌寺(中之条町)がある。
S氏はこの弁天池の浮島辺りを発掘し、ついに泥中から瓶を発見、中に数字を刻んだ「銅板三枚」があったが、
余りに腐食甚だしく判読不能であったと聞く。S氏の調査はここまでで、潔く撤退してしまったようである。
(つづく・・・)
はじめまして
楽しく拝見させていただきました。
早速ですが、
>>142 でご説明していらっしゃいますが
>不動の線についていま少し詳細に述べておくが、八門遁甲では必ず年月を経ても移動する可能性
>のないものを基準点として利用する。山が最も多く使われるが、神社・仏閣もしかりである。
に私も注目しております。
水野家に伝わる資料がどこまで信憑性があるかはわかりませんけど基にしています。
水野家の資料の中の地図とおぼしき図の一番上の点線の折れ曲がる部分を●●山と、折れ曲がった先の▲部分を日光東照宮とにらんでいます。
そう、実線が点線に変わっているのは、ずっと向こうを表現しているものだと思っております。
では、●●山とどの山をつなぐか・・・次週お楽しみで
また、水野家の資料2の真ん中に「中」の方位図?
本来ならば、「酉(方位西)」の位置が、なぜわざわざこれだけ「西」と書いてあるのか・・・。
西は、西方浄土の意味あいが・・・・次週お楽しみで
>>165 さん、大変申し訳ありませんが、貴方の投稿文の中の「水野家の資料2」とは
何ですか???
2の意味が、今ひとつわかりません。(番号の意味です)
数ある水野家の資料の一部だということで、貴方が付けられた番号という意味ならわかりますが・・・
実線と点線の描写は、「多田銀山(豊臣の宝)」の「ひょうたん」の形をした図 でも描かれていますね。 ※多田銀山の場合は、実線部分が山で、点線部分が水に写った部分を表している とも言われていますが。
168 :
赤城本命 :2006/11/18(土) 21:20:20 ID:???
>>166 横からすみません。
ここで言う2とは双栄寺の銅版 方位図の意味です。
その前の文章は 銅版 地図に関するものです。(別人)
169 :
黒部の太陽 :2006/11/19(日) 13:30:25 ID:???
参考(
>>154 )
※誤字・脱字・長文 等々は、ご了承願いたい!
【第1話】黒部(佐々成政)埋蔵金伝説の背景
(悲劇の敗将・佐々成政)
黒部の埋蔵金伝説について、伝えられているような莫大な黄金が、戦国武将佐々成政の手にあったのかどうか、
歴史をひもといてみる必要がある。
成政は1539(天文8)年、尾張国春日井郡比良村(現在の名古屋市西区)に生まれた。佐々家の始祖は
佐々木源氏盛綱といわれる。その孫の氏綱が上総国佐々荘を領し、以後佐々姓を名乗るようになった。
その子孫は尾張に移り、織田氏に仕えた。成政は16歳のときから織田信長に従って、1573(天正元)年
には朝倉義景を討ち、翌々年には本願寺一揆において功を成し、越前国府中を賜るが、信長が越中を平定する
と、富山城を与えられた。五十四万石の領主となれば、立派なものである。このころが成政の戦国武将として
の全盛期だった。
しかし、1582(天正10)年の本能寺の変以後、彼の運命は大きく変わる。信長の敵を討った羽柴秀吉
が主権者の位置に立つと、他の信長の旧臣たちは抵抗し、多くは滅ぼされた。柴田勝家、佐久間盛政らである。
信長の遺子信雄は徳川家康と結んで、1584(天正12)年、小牧・長久手の戦を起こす。成政はこれに呼応
して、加賀の前田利家を攻めた。約半年後に家康と秀吉は和議を結ぶが、成政はこれに不満で、家康、信雄に抗
戦を訴えたが聞き入れられなかった。
成政のこの動きに激怒した秀吉は、翌年成政を攻めた。孤立してしまった成政はこれに抗しきれず降伏したが、
秀吉は許そうとはしなかった。信雄のはからいで危うく命は助かったものの、所領は越中新川一郡だけ、その身
は大坂詰めとなり、秀吉に従って九州を平定した後は肥後国を与えられるが、土豪の反抗を独力で押さえられず、
その責任を問われて1588(天正16)年5月、自刃を命ぜられた。享年53歳という。
佐々成政の武将としての大まかな経歴は以上だが、「軍用金の埋蔵伝説」と関連すると思われる史実を「第2話」
では、拾ってみることにする。
(本日は、これまで!)
>>165 へ
できれば、「名無しの愉しみ」でなく、ペンネームで書き込みを!
※各人の話が混同されるため。あくまで、お願いですが・・・
171 :
名無しの愉しみ :2006/11/19(日) 14:26:13 ID:KSA+QAEj
私は埋蔵金発掘よlりも 彼女に私のオシッコを飲んでもらう方が楽しく感じています。 コップにした物を飲ますより、やはりチンチンを咥えてもらって オシッコする方がいいです。1滴でもこぼしたらムチで打ってやります。
172 :
名無しの愉しみ :2006/11/19(日) 15:22:16 ID:5ILrkMYq
↑ とってもいい趣味ですね。
173 :
名無しの愉しみ :2006/11/19(日) 22:38:13 ID:ngs+WjZ2
先日富山に行き富山城址を散策したばかり。 黒部の太陽殿の話 とても楽しみにしております。
174 :
165 :2006/11/20(月) 09:56:37 ID:???
175 :
165 :2006/11/20(月) 10:13:30 ID:???
あと、予断ですが、面白い話をご紹介します。 webを巡回中に「徳川埋蔵金」の新説がありました。無断でご紹介をw 時は幕末。新撰組が江戸を追われ千葉県流山市に駐屯し、そこで近藤が捕まったことは周知と思います。 その近藤が、流山を戦火に巻き込みたくないので投降したとのことですが、京都で戦いを繰り広げた新選組みが、 流山程度(流山市民の方すいません)の宿で、なぜ合戦しなかったのかが疑問です。 また、投降後に近藤が、なぜ身分を誤魔化そうとしたりしたのか? 流山の「徳川埋蔵金を掘り起こすための時間稼ぎ」という説がありました。 新撰組が会津若松に敗走するに当たって、埋蔵金を掘り起こしもっていく・・・近藤は、その時間稼ぎをし、すべてを土方に託した。 確かに徳川方ですし、勝海舟らとも親しいので、埋蔵金の話しを聞いていたのかも知れません。 流山市には、赤城神社(流山6丁目649) があります。 伝説によると、「そのむかし大洪水によって上州赤城山の崩れた土塊が流れついたのが赤城神社奥の"赤城山"であり、 "山が流れてきた"から"流山"という地名がついた」となっている。 別説では、赤城山のお札が流れ着いたからともいい、地名の起源をひもとく面白い伝説である。 などと、香ばしい話もあります。 その周りには、神社仏閣が多く存在し「権現神社(東照権現とは無関係)」なる神社もあります。 しかし、近藤が投降するまでの滞在たった2日 新撰組が出立するのもその後わずかな日にち 土方は、近藤を犠牲に「赤城」から埋蔵金を掘り出したのでしょうか? それとも、群馬の赤城を千葉の赤城と勘違いしたのでしょうか? 何万両もの大金を何艘もの船で利根川をさかのぼって、中仙道を荷車で・・・思いっきり目立ちすぎますね。 江戸に近い江戸川のほとりの赤城神社へなら、簡単に運べそうですが・・・特に回数(7回)に別けて運べそう・・・。 さて、真相はいかに!!
176 :
赤城本命 :2006/11/20(月) 11:24:13 ID:???
177 :
165 :2006/11/20(月) 11:56:48 ID:???
<始めにおことわり>
>>175 でも書きました新説ですが、
新説ではなく、この話は埋蔵金とまったく関係なさそうな流山市民の主婦のブログの中で、
その主婦の旦那が新撰組の駐留が不自然だと言っていることが書いてあり、その中に赤城神社に埋蔵金があるんじゃないかと
言っているって記述がありました。
それを見た私が想像と、いろいろ調べてみた結果です。
<私が思うこと>
言い伝えによる「上州赤城山の崩れた土塊が流れついたのが赤城神社奥の"赤城山"」
なんと!赤城山は、流山にもあったのです!
>>133 にもあるとおり「群馬赤城に釘付けにするための囮」
群馬の赤城山は、ブラフ(はったり)という話を多く耳にします。
まさに群馬探索は、八門遁甲にはまっているかもしれません!
寺の床下から
>>174 の銅版が出たりさぁ 変な老人が巻物くれたりさぁ
あきらかに不自然で怪しいw
<最後に>
新撰組が掘り出した後か、それとも掘り出せないでそのままなのか!
今度の24日有給をとって、4連休で掘りに行こうかな〜
178 :
165 :2006/11/20(月) 11:59:09 ID:???
>>176 大義兵法秘図書のことかしら?
全文は、どこにもUPされていないんだよね〜
179 :
165 :2006/11/20(月) 12:13:15 ID:???
180 :
赤城本命 :2006/11/20(月) 16:22:51 ID:???
181 :
165 :2006/11/20(月) 16:59:17 ID:???
182 :
仏 :2006/11/20(月) 17:55:58 ID:???
みなさ〜ん! 書き込む場合は、E−mail(省略可)の欄に、小文字でsageと 入れてから、書き込みましょう。 書き込みの「ルール・常識」です。ご協力をお願いします。
銅板は、
>>164 の文中にも三枚出ている。
赤城に関しては、世に知られていない、銅板がある事も事実です。
(みなさん、十分注意するように)
185 :
赤城本命 :2006/11/20(月) 20:27:06 ID:???
>>181 天狗堂の掲額
星辰土に入ると雖も、山峰に証を得れば
百世安養なること、神君の訓えなり
こんなの見たこと無いですか。昭和58年頃、週刊誌の中で見つけたものですが、
今、どこをさがしてもありません。記事は故畠山清行氏のものでした。
世良田の長楽寺(だったかな?)の境内にも赤城山と古井戸がありますよ。 展示室に入ると「赤城山」の額もあったように記憶しています。徳川に興味 がある人がみれば、「もしかして!」と思うでしょう。長楽寺は天海(だっ たかな?)が住職を務めたお寺です。境内の赤城山は古墳みたいにこんもり しています。
187 :
忍 :2006/11/20(月) 22:50:43 ID:???
188 :
165 :2006/11/22(水) 01:50:46 ID:???
>>185 天狗堂の掲額なるものはありませんでした。
世良田の長楽寺には、東照宮もありますね。
徳川発祥の地だそうです。
どこも怪しいね〜(苦笑)
実は、銅版2の図と同じ場所をすでに発見しております。
189 :
165 :2006/11/22(水) 10:13:23 ID:???
190 :
165 :2006/11/22(水) 10:33:28 ID:???
図3中に「戊己ト記セルハ丁目ヲ続キタル記ナリ」が、数字の変化(解釈の変化)と、地域を表しております。 よって、甲〜戊までの目印で「そこが「中(中心)」で正解だよ」の意味であり、「己まで行くと行きすぎだよ」と表しております。 また、六道輪廻(地獄)には、それぞれ「観音様」がおりますので、それも手がかりの一つだと考えております。 このことを私なりに考慮すると、まさに一箇所の場所しかないのです。 ちょっとさぁ この板を群馬大学の考古学の教授とか見てないかねぇ あとは、より詳しい調査(地中探査等)して掘り出すだけなんだよね(笑) 個人で掘り出すのは、技術や埋蔵金の量で目立ちすぎるからあきらめるよ(笑)
191 :
165 :2006/11/22(水) 11:09:15 ID:???
総額400万両、万延小判金:売価152.000円 買取価格10万円として4千億円 持ち10%もらって400億円・・・もう10%でいいよ!!
長楽寺の天海住職は、日光東照宮の住職でもあり、家康を精神的に支えた1人 だったらしい。日光大改修の際、廃材を持ってきて長楽寺に使ったという。 つまり、「運搬」と「土木工事」、「家康の顧問先生」とそろっている。 ・・・しかし、時代が250年もずれてる。・・・残念!!!(チョッと古かったかな!)
193 :
名無しの愉しみ :2006/11/22(水) 22:49:59 ID:v1EM+GgZ
今日は彼女のオシッコ茶漬けを食べました♪
194 :
仏 :2006/11/22(水) 23:04:28 ID:???
165さん、貴方が有志をこの板で募れば全国には快く「参加」する方々がたくさんいますょ! 但し、募り方・この板の利用方法等を慎重に。
みなさ〜ん。書き込みは、
>>183 で、お願いしますよ。
【参考】店での小判売価150,000円なら、通常の買取価格は、売価の3分の1までと 考えるのが、妥当な線です。
198 :
赤城本命 :2006/11/23(木) 01:17:59 ID:???
>>197 400万枚もでれば、地金換算が妥当でしょう。
199 :
165 :2006/11/23(木) 01:25:37 ID:???
さて、いよいよ 最後になりました。
図1ですが、東西南北でいきますか
東(図1では卯)卯は、草原が茂る イメージ的になだらかな平らな地
西(図1では西)西は、縮む イメージ的に勾配がきつくなっていく感じかな
※なぜ 酉と書かなかったのかは疑問ですね。西方浄土を意味したかったのでしょうか
南(図1では牛)牛は、突き当たる イメージ的に崖や川、道に突き当たる感じ
北(図1では子)子は、若草が増える んーイメージでは、森や林、もしくは、未開の地って感じかしら
あと、乾などは、北西などを意味するので、銅版の方位の補助的な役割かと思われ
それと、なぜ「中」の字が、西向きなのか?この時代は、地球儀とかもありますから、地図は上が北だったと思うんだけどね。
やはり「中」から見て西が神聖な方角だったのでは???
以上のことから、「本当に埋蔵金を隠したことを教えるつもりの図面」ならば、
この銅版を作成した時代は、地図が精密ではないので、
このような表記で、その土地の高さなどを表現したかったのではないかと思います。
ここで図2を見て見よう。
左端の文字「上毛赤城・・・」と、書かれている。ってことは、上を北と仮定する。
上記で書いた東西南北の意味と比べて見ると、
東は、勾配がなだらかな感じ。
西は、やはり勾配がきつくなっている感じもする。
北は、他の方向と違い詳細に書ききれていないので、やはり未開の地っぽい
南は、二股に分かれている道もしくは、川と思われるものが、上は図の端まで行っているのに対して、
途中で切れている。やはりなんらかの突き当たりなのだろうか?
※八卦では書いたとおりの方向だが、後天図である。
さて、七臣とあるので、7箇所に埋蔵金がある思われがちだが、
私は、
>>189 で書いた○の部分にしかないと思う。△は、家康像みたいななんらかの目印が埋まっている感じがする。
また、庚には、トラップがあるかもしれない。
200 :
165 :2006/11/23(木) 01:26:27 ID:???
以上が、私が思った「徳川埋蔵金」の探索方法です。 これ以外の資料(絵皿の画像など)が、世に出回っていないのでここまでです。 あとは、詳しい現地調査しかないですね。 まぁ「かごめかごめ」より、信憑性があると思っていますが(笑) この場所と、そっくりな場所はあります。ただ、問題が、「中」から甲乙・・・までの距離がわからないこと。 仮に図2の▲が、生めた場所とすれば、まさに但し書きの「一将を見つけたら・・・六臣までは簡単にみつかる 遠くの▲を除けばね。」 また、▲が意味するものがわかった時点で、「中」がどこかわかる。まさに「七臣に達すれば一将がわかる。」 では、さようなら
201 :
165 :2006/11/23(木) 01:57:53 ID:???
それと、よく考えてもらうと・・・みなさん自分自身が「宝」を埋めたとして宝のありかを×ってするよね? んで、その×の場所がわかるように目印(ドクロ岩とか、大きな木や滝とか(笑))を書き込んでいく 海賊の宝の地図みたいなイメージ。 そう考えると、「中」一箇所に埋まっているんじゃないのかなー?っても思う 今日この頃 それと、図3だが、但し書きって、文章の一番後に書かないか? 実は、作った後に「一将がわかれば、みんなわかるじゃん」って思って付け加えたんじゃないのかな? まぁ 赤城山を掘ってる人たちは、「庚」をつかんだだろうねー 「口は物事の始めという意味やモノを飲み込む穴を一般的に持つ。」 埋蔵金の話が一番初めに持ち上がり、何代(何人)にもわたって穴を掘って金を飲み込まれていますw まさにトラップに引っかかってますw んー 埋蔵金見つけても地金換算かー 地金換算じゃー現地調査が面倒になってきますたw
202 :
赤城本命 :2006/11/23(木) 11:00:57 ID:???
>>165 方位図についての疑問
@四正と四隅の逆転…通常、子卯午酉は辺に配置され、四正と呼ばれます。
乾艮巽坤は四隅と呼ばれ、四つの隅に配置されますが、
逆転構造になっています。
謎文についての疑問
@七臣に達すれば分証揃って一将顕る 一将を覚えむるときは、七臣に達して
天下平なりの意味が矛盾しているように思います。
A甲から始まる数字については一八六は新しいほうで、昭和60年頃は別の数字が
使用されていましたよ。
165さん、貴殿に感服!!!(決して、嫌みではありません) よくぞ、この板で、ここまで詳しく書き込んでくださいました。 ただただ、感謝!感謝!
165さん、今後の「埋蔵金発掘が趣味の人」にとって、力強い書き込みだと思います。
205 :
赤城心之介 :2006/11/23(木) 13:38:19 ID:???
>>164 (つづき)
『貴重な物証を発見したF氏』
さて、次なる人物は四国在住のF氏である。八門遁甲に関する精通度からいえば、F氏はS氏を
遙かに上回っていた。
彼はまず、津久田の空井戸から出土した黄金像を孔明像、即ち八門遁甲を示すものであると解釈し、
ここを出発点と看破したのはさすがである。また、像の上に燈心皿があったのはいわゆる「道明かし」、
即ち此の地点より孔明が灯りを点して「きょう導」すると解釈したのも大正解である。
燈心皿に彫られた「子」と「社」の解釈であるが、この皿が伏せてあったことからこれを「陰遁術」で
あると解釈し、「社」を地社に合わせ、蝮観音の西に一字一石塔を発見、その下の「経石」から「卯壱」
なる白石を掘り出したのである。
「卯壱」の解釈には苦しんだようだが、結局、空井戸より卯の方角に壱里の「足しん」とし、古地図を見て
判明したのが「羽端の壱本松」。
現場には風化、破壊された五輪塔があった。陰遁であるから「水」の部分に注目すると(陽遁なら「火」の部分)、
微かに●●(パソコン変換できず)と読み取れたのである。
(つづく・・・)
206 :
165 :2006/11/23(木) 15:53:59 ID:???
>202赤城本命さん 1、逆転の構図 @四正と四隅の逆転 八卦の「後天図」では、乾(北西)艮(東北)巽(東南)坤(西南)震(東)兌(西)離(南)坎(北) 八卦の「先天図」では、乾(南)艮(西北)巽(西南)坤(北)震(北東)兌(南東)離(東)坎(西) 赤城本命さんの逆転構造とは、先天図による坤(北)と、子(北)の位置が逆だということですよね? 後天図では、坤(西南)なので、逆転ではありません。 <十二支・八卦・十干を組み合わせた二十四方向では下記のようになります(もっと細かいですが略します)> 子、艮 、卯、巽 、午、坤 、酉、乾 、子 北、北東、東、南東、南、南西、西、北西、北 A四正と四隅の逆転 ご指摘の通り通常、子卯午酉は辺に配置されます。 では、A4(B5でもいいです)のコピー用紙を2枚お手元にご用意ください。 1枚目は、辺に東西南北を記入し、定規を使わずに線を引いて見てください。 辺の左右から均等の位置に線が引けたでしょうか? 2枚目も定規を使わずに角を基点として、対角線に線を引いてみてください。綺麗に引けましたか? 安易な考えではございますが、四正と四隅の逆転は、このために発生したものだと思っております。 安易な考えとお叱りを受けるやも知れませんが、そもそも銅版が「正方形」ではないので、そこまで手が込んだ「方位図」ではないと考えているためです。 で、なんで実線ではなくて点線(破線)なのかは、以前も書きましたが、「遠く」を表したものだと思います。
207 :
165 :2006/11/23(木) 15:54:57 ID:???
2、なぞの文章 @七臣に達すれば分証揃って一将顕る。但し書きの一将を覚えむるときは、七臣に達して天下平なり 先に7箇所に到達すれば、分(分配された)証(証拠)揃って一将顕る(あらわれる) 一将を覚えているならば、7箇所に到達して「天下泰平(平和)」か「天下を平らげる(たいらげる:食い尽くす) みなさんは、後記の「7箇所のお宝を使って、官軍から逆転して天下を取る」のイメージがありませんか? 一将を(仮)に家康公としましょう。 家康公を覚えているならば、7箇所の証拠を見つけた時に家康公を思い出して、戦いも収まる(平和になる)のではないかと、思っています。 赤城山を掘ってる人たちは、「庚」をつかんで、「俗に家康公」と言われている黄金の立像を発見しています。 時代が時代ならば、その立像をご本尊としてお寺を作りませんかね?浅草の浅草寺なんか、言い伝えでは、川から引き上げた観音様で寺を作ってるぐらいですからw 但し書きにしたのは、製作者の心境の変化?かもしれませんね。 3、甲から始まる数字について 現在、私の手元には、新しい?甲一八六の図しかありませんので、この解釈になっております。 その漢数字自体、疑っていますけどねw なぜならば、甲から庚にかけて(横に)、一〜九を書いただけですからねぇ これをもって、方向と尺度(歩幅、)の歩数とするのには、いささか疑問です。 余談ですが、ベトナム戦争時にはGPSがありませんので、現在位置を歩幅(歩数)で計測(方向はコンパス使用)していました。その際に2名〜3名(分隊の約半数)で歩幅を数えていました。 昭和60年頃は別の数字がわかれば(それが正しければ)、解釈も変わってくると思います。
208 :
165 :2006/11/23(木) 17:12:14 ID:???
私が主張する7箇所に埋蔵金は無い!には、下記の理由があります。 城村津久田原説に最初に着眼した水野智義(今の水野さんのご先祖)が、掘るきっかけですね。 まぁこれも水野家からの話でしょうから、信憑性は低いもののこれしか手がかりないですからw 幕府の勘定吟味役であった蔵人(智義さんの母の内縁の夫とされている 一説に伯父)が 、慶応4年(注・幕府が滅亡する年)の1月から4月、幕府の要人の指示で甲斐国甲府に赴き、 甲府城代の柴田監物とともに甲府の幕府御金蔵にあった24万両を上野国榛名山方面に運び、その地へ隠匿した、というものであった。 また、やはり要人の指示を受けた別働隊によって江戸から数百万両の御用金も上野方面に運ばれて隠匿されたはず、と蔵人は続けた。 蔵人によれば、榛名山の隠匿場所に行ってみたところ、すでにそこは掘り出されていたので、「柴田殿(幕府甲府城代)が赤城方面に移したのに違いない」と確信した、という。 また、蔵人は「自分は甲州の24万両にだけ関与しており、江戸からの金子については知らない」と語ったとされる。 超重要なのが!!!いいですか?みなさん テストにだしますよ? ノートに書いてね! 「蔵人によれば、榛名山の隠匿場所に行ってみたところ すでにそこは掘り出されていた」 榛名山説は、ここからうまれたのではないしょうか? 「すでにそこは掘り出されていた」が、後世に伝わらずに「埋めた」ことだけが残っているのではないでしょうか? また、文を読むと、「一気に埋蔵金を集めたわけではなく、分けて運んだ。また、甲府分は一旦埋めた」ことがわかります。 蔵人が、幕府甲府城代の柴田と打ち合わせもなく、なんでもう一度榛名山の仮埋蔵場所に行ったのか?「ねこばばのつもりか」「そこから赤城まで運ぶつもり」だったのかはわかりませんがw ここで疑問です。 @赤城に集める理由がわかりません。 A甲府分は、榛名山に埋めたままでよかったような気がします。 Bおまけにわざわざ遠くに運ばなくても甲府に埋めればよかったのでは? Cさらに!一旦赤城に集めた物を再度分散して埋める必要があったかどうかです。 分散すれば、それだけ手間もかかりますし、なんといっても「発見される確率が7倍になります(損失は1/7ですみますけど)」
209 :
165 :2006/11/23(木) 17:12:47 ID:???
そこで、7箇所の話にもどります。まぁ7っていう数字にしている自体、話が上手すぎる気がしますけどねw 7箇所とは、仮埋蔵場所ではなかったのか? そう!それぞれの仮埋蔵場所から掘り出して「一箇所に集めた(発見されれば全損、でも一箇所なら発見されずらい。)」もしくは、「集めようとした(ここ重要)」 その掘り起こした仮埋蔵場所に7つの目印を埋めた(埋めようとした)のではないかと思ってしまいます。 ※目印とは、私が言う「ここが中心(一将)で正解だよ」って、指し示す回答ね よく、7箇所はそれぞれ「一将を掘るための準備金が埋まっている」と、言われていますが、 私としては、「なんで一将の近所にわざわざ準備金を埋める必要なんかあるの?」って、感じです。 んで、甲〜庚での○△ ○は、「まだ掘り起こしていないのよ(そのままにしたよ)」 △は、「掘り起こして目印を埋めますた」 ではないかと!! んー???私が発見した「中」から見れば、榛名山は北西だな 庚になるなー? 甲府分が「庚」なのか???「榛名山の隠匿場所に行ってみたところ、すでにそこは掘り出されていたので」って、蔵人は掘ってみたもしくは、掘り出された穴があったんだな 掘り出したから○も△もないのか? まだ掘り出していない(中に集めていない)部分が、○△か? 掘って穴を開けたまんまだから「口(穴の意味)」を記載したんか?? ってことは、甲府の24万両は、「中」に持ってきたってこと? んー自分も矛盾してきた なぞは深まる。
210 :
165 :2006/11/23(木) 17:22:10 ID:???
訂正
>>206 のAに「定規を使わないで」と、ありますが、
「定規の目盛りを使わないで」の誤りです。
お詫びいたします。
赤城本命さんへ 165さんに、ここまで詳しく見解を述べられて、さて、貴方の見解は・・・ ※ここまで、この板で詳しく述べられたのは「165さん」ぐらいだと思います。 色々な意味で、とても勇気のいることだと思います。 (頭が下がるだけです)
みなさ〜ん。誰か、 ・結城家の埋蔵金 ・里見家の埋蔵金 について、調査・研究をされていたら書き込みを。
214 :
赤城本命 :2006/11/23(木) 22:31:41 ID:???
>>165 甲七四
乙六五
丙五六
丁四七
戊三八
己二九
庚一八
以上が以前言われていた謎文の数字です。
四正四隅の逆転と書いたのは曖昧だったですね。中央の中の字もなぜか傾いて
います。本当に言いたかったのは方位図の回転運動についてでした。
「中」は単に中心を意味するものと考えています。
謎文は甲から庚までの七つの干が出てきますが、残りの辛、壬、癸はどこへいったのですか?
215 :
165 :2006/11/24(金) 11:52:20 ID:???
はじめに
赤城埋蔵説を否定しているではなく、新たな説を説明していることをご理解ください。
榛名山を探索する。赤城山を探索する。他の場所を探索する。埋蔵金なんか無いと言う。人それぞれでいいと思います
最後に見つけた方が、正解だったというだけで、これ以上に色々な説があっても良いと思います。
赤城本命さん
>>214 の旧?謎の数字ありがとうございます。
なんで漢数字が、時代と共に変化したのがが疑問ですね。所有者もしくは、発表者の何らかの意図があったのでしょうかね。
そもそも三枚の銅版も家康像も現在は行方不明ってことで、それの存在自体が怪しくなっております。
パッっと見ただけですが、なんで「庚」だけ足して9なのかも疑問です。
まぁ足し算するかどうかも私の説なんで、正しいかどうかはわかりませんが(苦笑)
儒教の基本経典でもある易で用いられる基本図象でも六十四卦(ろくじゅうしけ)64個。
甲の「七四」は、64以上の数字になりますので、六十四卦で言われているような意味がないと思います。
また、これも庚〜甲にかけて一〜九の組み合わせですね。
さらに歩斟(ほしゃく)の割には、18歩って少ない気もします。ウチから隣のコンビニでも18歩以上ですね。
新旧どちらが正しいのかまったくわかりません。
また、双方偽物かもしれませんし、新旧ではなく、どちらかが、もう一枚(4枚目)の銅版なのかもしれません。
水野さんらにちゃんとした揃った資料の提出を願いたいものです(笑)
216 :
165 :2006/11/24(金) 11:52:57 ID:???
また、ご指摘の「辛、壬、癸」は、どこえ?ですが、十干そろえる必要があるのかわかりません。
七臣と語呂合わせで、甲〜庚(7つ)をかけただけではないかと思います。
そもそも二通りある八卦順序で、
伏羲八卦次序:乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤
文王八卦次序:乾・坤・震・巽・坎・離・艮・兌
図には、兌・離・震・坎もありません。よって、
>>206 で述べたように「方角の補助」としているだけだと考えております。
ですが、方角の補助としては、巽・乾が、辺の中央にないので、いささか戸惑いもあります。
また、四正四隅の逆転、方位図の回転運動ですが、
風水羅盤の八卦図は、南を上にしてあります。これは昔の中国(その他の国)においては、地図を含め南を上にしているためです。
方位の回転運動で、北から西へ向くのは、意味がわかりません。「中」が南向きならば、回転運動があるかと思われます。
ですが、図の「中」は、西を上にしていると思われるので、製作者の何らかの意図があると思われ、
西の方角に何らかの特別なものでもあるのかと、想像しているだけです。
※この時代中国において「考証学」の流行のため「先天図」のような図象にもとづく宋易は否定されるようになっています。
217 :
165 :2006/11/24(金) 11:53:28 ID:???
八門遁甲ついて、大体ですが、十干の「甲」が、六儀(戊・己・庚・辛・壬・癸)の中に隠れるといわれ、 さらに甲、または乙が、各々に変化して、三奇(乙、丙、丁)の中で入れ替わり、複雑な行動を示す術だそうです。んーよくわからん(笑) そうすると、図の中には、甲も乙もでてくるし、それ以前に「辛・壬・癸」自体出てこないので、八門遁甲を盛り込んだ図とは考えにくい。 無理やりだけど、上記で記した二種類の八卦次序に甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸をあてはめた時に無論甲乙〜は、十干なので2個余る。 強引に「壬・癸」を切り離し、八卦に合わせて8個にした場合も考えよう。 再度言うが、「甲」が六儀(戊・己・庚・辛・壬・癸)の中に隠れる。ふむふむ。。 え?図に「兌・離・震・坎」が出てこないじゃない?八門遁甲が成り立っているのか? では、八門遁甲の応用編で見てみよう、甲もしくは、乙が三奇(乙、丙、丁)に隠れることは述べた。 伏羲八卦次序では、確かに乙に値する「兌」がない。では、三奇(乙、丙、丁)に値する「離・震・巽」の中に隠れたか!? ありゃ?「巽」は出てくるが、「離・震」自体が無い。一緒に隠れたらダメだってw 文王八卦次序にいたっては、甲・乙に値する乾・坤が出てくるので、八門遁甲にならない。 また、八門遁甲は兵学であって、埋蔵金など動かないものにほどこして意味があるのがも疑問である。 さらに乾・巽・艮・坤などが出てくるので、すわ!八卦か!となりますが、やはり兌・離・震・坎が出てこない んー ※この矛盾を補助(補完)する銅版や文献がないので、これが正解だとはいえません。 もしかしたら、掘り出された絵皿等に書かれていたかもしれません。
218 :
165 :2006/11/24(金) 11:54:00 ID:???
軍学者、儒学者であった林梁によって埋蔵が実施された=八卦(風水)、八門遁甲が使われている には、ならないと思う。 まぁ八門遁甲は、打ち首になるほどの兵学なので、埋蔵金のすごさを語る上での尾ヒレで付いたのかと思われます。 無論、憶測である。 林梁は、甲府勤番武士学問所徴典館学頭などを勤めていたので、甲府(甲州)の御用金に関して関わっていただけかもしれない。 それと出身が赤城山に近いことで土地勘があったから選ばれただけかもしれない。 おまけに明治11年まで生きているが、最後まで幕臣を全うしたといわれているので、忠義心が人一倍強かったから人選されたかもしれない。 著作に梁文鈔、林梁日記があるそうなので、一度読んでみたい。 もぅね。八卦・風水関係は複雑すぎるねー。風水で解明できるならDr.コパあたりが見つけてると思うよw
219 :
165 :2006/11/24(金) 12:37:23 ID:???
>>205 で、赤城心之介さんがご紹介している「社」ですが、「中」から見て牛(南)の方向になります。
まぁ解釈はぞれぞれですが、とにかく資料が少なすぎますね。
皿とかも世に出てないし、物証に関しては、ほとんど昔話でその信憑性も問われる。
現在の時代において、物証が掘り出されたならば、放射性炭素(炭素14)で年代を測ることが可能である。
しかし、近代において新しい物証が、なぜかでてこない。
さらに今まで掘り出された物証を計測してみたいところだが、ほとんどの物証のありか(保存先)すら不鮮明になってしまっている。
徳川埋蔵金に挑んだ人物として、水野家の四人と比較される人物に三枝(さえぐさ)茂三郎がいる。
三枝茂三郎は、警察署長を退職した後、バス会社を経営しながら京橋区(現東京都中央区)区会議員(任期 昭和4年11月〜8年11月)を努めていた。
(中略)
巷間に喧伝されている説によると、使用人が偽装工作をした石を翁に見せると翁は小児のように喜んで酒手を与え、石が見つかった(とされる)場所を重点的に掘ったという。
そんなことが何度も何度も繰り返されたらしい。
警察署長・バス会社社長・区会議員など、前半生の華々しい履歴に比べ、後半生を埋蔵金のために翻弄され、終始、人に騙され続けたこの人物の話は、聞く者の涙を誘う
(徳川埋蔵金伝説検証事典 川口素生 著より)
上記のようなことから、偽装工作された物証が数多くあり、それらが埋蔵金の在りかをより複雑にしている。
さらにつけくわえるなら、八卦や八門遁甲などと言う事により複雑怪奇を装って、新たな資金提供をさせる言い訳にしているのかもしれない。
山下財宝と似ている。
220 :
赤城本命 :2006/11/24(金) 12:46:34 ID:???
>>165 謎文の数字の変遷についてはあなたの仰る通り疑問が残ります。第三の数字の
出現もあるかもしれません。この二つの数字については実は解読ずみなんです。
八門遁甲は易学の部分は多く残されていますが、それがすぐに赤城に活用できない
ので、あまり深く勉強すると、そちらの専門家になりますよ。
私の仮説では辛は一将としています。壬、癸は中心に配置します。
辛は本来方度足斟(方角と距離)を持つべきものでしたが、隠されています。
一将と七臣で八門にあたると思います。
「兌・離・震・坎」は東西南北のことですから、酉、卯、午、子に対応してますね。
足斟から歩数という考え方が主流のようですが、私は単に距離と考えています。
221 :
赤城本命 :2006/11/24(金) 12:58:09 ID:???
>>165 >>205 灯明皿(神君像と同出土)の記述は
@子二四芝下炭
A未三二四芝下石
B亥雨芝下石
中央に井、横に八社、判読不明の三字となっています。
三枝氏の発掘地点は結構面白いですよ。偽装でも八門遁甲によるものですから、
ヒントがありました。
222 :
165 :2006/11/24(金) 13:09:48 ID:???
お?赤城本命さんいるっぽいw
223 :
赤城本命 :2006/11/24(金) 13:49:29 ID:???
>>165 ついつい喋らされてしまいましたね。
あなたの言うように水野家由来の物証は怪しいですが、これしかないのも事実です。
三枝氏の発掘に興味をもつのは、水野家以外からの赤城に関する情報だからです。
224 :
165 :2006/11/24(金) 14:09:21 ID:???
易学は、複雑すぎて頭が痛くなるねー。 「兌・離・震・坎」は東西南北のことですから、酉、卯、午、子に対応しているのはわかりますが、 それは、風水の主流である「先天図」ではなく「後天図」になります。 まぁそうすると亀甲占いまでさかのぼることになりますので、わけがわからなくなりますw ですが、一番悩むところが、「先天図」「後天図」においても「中」が、北もしくは、南に向きません。 灯明皿の文字ですが、簡単に考えると・・・もう簡単でいこうよw 子二四芝下炭 出土したところから「子(北)の方向へ 24歩(距離75p×24=180p)行ったところの 芝(坪芝という規格(1枚38cm×15cm)一束20枚を2束あわせて2.28m²)四方の隅(炭)を掘れ(下)」みたいな感じですかね。 ありゃ?2.28m²の隅を掘ると出土した場所と重なっちゃうな。。 んーそうなると、距離の計測単位が間違っているのか、芝の解釈(芝生の生えているところじゃ広大すぎる・・)が間違っているかぁ・・・謎 同様に未三二四芝下石 出土したところから未の方角(南西微南)に324歩(これも距離ね。一歩75pといわれています)行ったところの 芝(坪芝2.28m²)四方にある石の下を掘れみたいかな・・・。 もうわけわかりませんねー
225 :
赤城本命 :2006/11/24(金) 14:24:19 ID:???
>>165 一歩は3尺(約90センチ)ですよ。伊能忠敬は二歩一間の歩測で日本與地図
を作っています。
226 :
165 :2006/11/24(金) 14:25:40 ID:???
まぁ水野家由来の物証は本当に真偽怪しいですが、それを元に何代にもわたって清水さんが掘っているから まんざら嘘でもなさそうな気もしますけどねー。 しかし、赤城本命さん そーとーご研究なさっていますね。感服いたします。 現地調査や掘ったりしたこともあるんですか? もしかして水野さんだったりしてw
227 :
165 :2006/11/24(金) 14:36:17 ID:???
約90pですか んーそれでも出土した地点の真横になってしまうなぁ
228 :
赤城本命 :2006/11/24(金) 14:56:01 ID:???
>>165 物証同士に関連があるとすれば、どうですか?
実は銅板 謎文、大儀兵法秘図書、灯明皿、三枝氏の発掘状況の中に
偶然とは思えない関連性(規則性)を見つけまして、それで抜けられなくなった
のが真相です。はまると怖い世界です。
229 :
165 :2006/11/24(金) 15:34:14 ID:???
絵皿かと思っていましたが、灯明皿だとは思っていませんでした。 赤城本命さんのおかげで、疑問が、確信に変わりました。 大儀兵法秘図書を除いて 銅版(謎文)、灯明皿には関連がありますね。 また、灯明皿に書かれていた文字を見まして思ったことが いいですかー いいますよー 「それは社寺です」 銅版は、社寺の屋根葺きによく用いられます。それを流用したと思っております。だから長方形なのではないでしょうか? (前の書き込みで、そもそも正方形じゃないのがおかしいと、書いてあります。 地図(八卦図)として作るならば、正方形を用意すると思ったのです。) 灯明皿は、主に社寺において、仏塔・仏像・経巻の前に灯を灯すことには大きな功徳があるとして賛嘆されており、 灯明皿による供養行事が各地の社寺で行われるのもその影響かと思われます。 また、灯明皿に書かれている「八社」とは、八つの社寺を指すのではないでしょうか? 浅草では、三社祭なんて言いますしねー。 えへへへ・・実は、私の埋蔵されていると思われる場所を見つける時に「八つの社寺」に注目していたんですよ(笑) なので、今まで、八卦や八門遁甲を軽く考えようって説でした。 これに基づいた「中」をすでに発見しております。「中」以外の七つまでの社寺の検討はすでについております。 ですが、残りの一社が、八門遁甲の術により、甲もしくは乙に当たり見つからないのかと思っております。 しかし、ここから進まないのは、上記で述べた「三社祭」を考えてしまうからです。 三社祭は、浅草寺の祭りではなく、浅草神社なのです。 浅草神社は、浅草の総鎮守とされ明治政府の神仏離令により「浅草寺」と分けられるまでは一体でした。 現在ある神社仏閣は、明治政府の神仏離令により別けられたものです。 八社が、神社にある仏閣なのか、お寺にある神社なのか不明なのです。 ありゃーついつい喋らされてしまいましたね。(笑) 糸井でてこーーい! 第2弾の土木番組やるぞおおおお!
230 :
165 :2006/11/24(金) 15:41:15 ID:???
大儀兵法秘図書を除いて としたのは、書かれている内容(兵法)がわからないからですw
231 :
165 :2006/11/24(金) 16:36:46 ID:???
灯油を買ってきました。今日は有給でお休みですw んー いささか単純すぎたかなー。
165さん、赤城本命さん、感謝!感謝!感謝! (もぅ、私が掘ります。冗談でなく!)
165さん、赤城本命さん、の「努力」及びこの板に書き込んでくれた「勇気」に乾杯!!!
235 :
赤城本命 :2006/11/24(金) 23:05:22 ID:???
>>234 畠山氏の著作によれば、他にもあるよ。
剣持汎輝氏もそれらしいの出しているしね。
別に珍しいことじゃない。
判読不明の銅板に何の意味がありますか。この話は聞いたことがありません。
赤城本命、165、へ(敬称略) 結局、あなた方お二人も水野さん同様、八門遁甲の術中に、はまっているのでは? 隠した本人から聞けば(無理ですが!) 本当の隠し場所は「なぁんだ、こんな簡単な場所に隠していたのか」という場所であって、 それを、水野さん等々のように難しく難しく考えさせられる事、そのものが、もう術中に 陥って、最後は、蟻地獄のように抜けられない。あなた方も、その例では・・・ こう書き込むと反論されるとは思いますが、その反論自体が術中では・・・ それが、八門遁甲では・・・(あなた方に対する批判ではありません)
237 :
234 :2006/11/25(土) 00:17:37 ID:???
>>235 赤城本命さんへ
貴方と言い争う気は、ありませんが、こういった話も有るということです。
単なる「参考」までにと言うことです。
ついでに、言わせてもらうと貴方の「この話は聞いたことがありません。」ですが、
貴方だけが、「赤城」を研究しているのではありません。
世の中、貴方の知らない「赤城」の話は、まだまだ「山ほど」あることをご承知
ください。
238 :
赤城本命 :2006/11/25(土) 00:31:01 ID:???
>>237 具体的に例示してください。
私はすべて例示して、なるべく出典もあげて話しをさせていただいています。
「山ほど」ある話をきかせてください。
239 :
発掘趣味人 :2006/11/25(土) 00:36:38 ID:???
赤城地方の土質は、地下に潜れば頑丈な為、入口1bもあれば、後は地下の自由です。 もうすでに、一部は出てたりして・・・おっと、これ以上は(退散、退散)
240 :
赤城本命 :2006/11/25(土) 01:26:31 ID:???
>>234 すこし言葉がすぎましたね。ごめんなさい。
ご存知のように徳川伝説は上州一体に拡散し、小栗伝説、はてはかごめ歌まで
論拠とされるような状態です。しかし、徳川伝説は基本的には水野家による津久田
発掘が発端であり、そこを無視して他の比定地と新説をだすのはどうだろうと
いうのが私の持論です。中之条町の銅板の件ですが、記述か判読できなければ
それから何かを導き出すことが不可能だから、意味がないと言ったのです。
赤城本命ですから他説について冷たいのはご容赦ください。
241 :
234 :2006/11/25(土) 09:51:59 ID:???
242 :
165 :2006/11/25(土) 12:50:08 ID:???
うほほー 盛り上がってきましたねーやっぱり盛り上がらないと面白くありませんよねー それと、このスレに来る方は、一部冷やかしを除いて、 なにかしら埋蔵金に興味ある方々でしょうから、より具体的な説や宝のありかの話にドキドキしてもらいたいものです。 また自分とは違った見解などを知って、さらに混乱するのもいいし、新たな発見をして一歩前進するのに役立つかもしれません。 宝探しは、私利私欲が交差する一大スペクタクルであって、男の最大のロマンだと思います。 みなさんもインディジョーンズを目指しましょう!
243 :
名無しの愉しみ :2006/11/25(土) 12:52:54 ID:AtTREL4A
僕の夢は埋蔵金にオシッコをかけることでつ
244 :
165 :2006/11/25(土) 12:58:33 ID:???
まぁここで話されている徳川、佐々、結城など埋蔵金は、日本国内です。 インディジョーンズみたいに外国まで未を危険にさらしながら探す必要はありません。 言葉も通じますし、発掘に伴うお金も日本円です。移動も北海道から九州まで飛んだって4時間程度 砂漠を歩くわけでもなく、トロッコに乗ったり大きな石が転がってきたり、ドラゴンが火を噴いたり(秘宝伝?笑) まぁ 気軽に探しに行けるお宝ってことですから「ルールやマナーを守って」楽しく行きましょう! さてさて、では長文を書きましょうかね。
245 :
165 :2006/11/25(土) 13:00:19 ID:???
ん?私が八門遁甲にはまってるって?私の文をちゃんと読んでないのかな?長すぎるか(苦笑) 私は、「八卦や八門遁甲は、考えすぎだよ」との説ですよ。 八卦や八門遁甲を否定(100%否定ではない)派でが、やはり調査する上での基本的な八卦の知識は必要と考えています。 知らないと「兌・離・震・坎」は東西南北すらわかりませんしね。 今まで多くの方々が埋蔵金に挑戦してきています。 その中には、私より八卦等の知識が豊富な方も多かったと思います。そんな人達が解けない謎ということも事実です。 現在、世に一部出回っている水野家の証拠と言われる物以外に手がかりがないのも実情です。 今まで書いた文中にもありますが、「水野家の証拠と言われる品」自体も真偽定かではないと思っております。 もちろん他に出土?したといわれる「証拠」自体も同様に真偽定かではないことは言うまでもありません。 三枚の銅版以外にも銅版があったとして、それが本物かどうかがわかりません。 もしかして、水野家のが本物で、他は水野家の証拠に基づいて作成した偽物かもしれませんし、両方本物かもしれませんし、両方偽物かも 炭素14測定で年代を調べて見たいところですが、行方不明とか・・・。 また、近代において「証拠」は、出たのでしょうか? 近代に出れば、(公表した場合)年代測定が行われるでしょうが・・・。 そーいえば、糸井重里が何か見つけてたなぁ 年代測定したんかね?
246 :
165 :2006/11/25(土) 13:01:07 ID:???
さらに「証拠」を多くの人の目に晒す事態にも疑問をいだいています。
まぁどうしても解読できないので、公表して解読してもらおうという趣旨かもしれませんし、
公表することにより新たな資金提供者を得て、発掘資金を調達するのが目的かもしれませんね。(このへんは、M資金や山下財宝と同様の考えです)
私なら「独り占め」ですね!証拠が出土したことなんか誰に教えますか!
まぁそれと「出ちゃった」って話も聞きませんし、もちろん掘り出して黙っている方もいるかもしれませんがね。
大量の小判もしくは、金塊が出た場合には、「転売時に噂ぐらい立つ」と、思っているからです。無論、推測です。仮に「出ていない」としております。
まぁ平成までの長い期間に知識も資金も多く持っていた人達が挑戦してきたのに「出ていない」のは、「見つからないのか、無いのか、別の場所じゃないのか」なのです。
私は「そもそも難しく考えすぎなのかな?との視点」と、「こんだけ赤城山を探しているのに出ないのは、他じゃないのかな?」との視点なのです。
>>208 でも疑問を書きました。
基本的な考として、敵に奪われないように隠すのはわかるが、後世の幕臣等自分たち側の人間(埋めた本人は死んでいるとする)が、これでは掘り起こせないからです。
>>208 にも書きましたが、「蔵人によれば、榛名山の隠匿場所に行ってみたところ すでにそこは掘り出されていた」
※掘り出されていた ので、埋めたと思われる。
え?隠匿場所にすぐにいけたし、掘れるんじゃない。24万両だよ?そんなにすぐにできていいのかい? おまけに複数(蔵人以外)の人でも隠匿場所に行けるんかい!
そう。。隠匿した人がわかる目印で十分なのです。ただ当てずっぽうに榛名山を彷徨うわけには行きませんから、目的地までの地図か目印でもあったんでしょう。
24万両の埋蔵金の地図か目印・・・。400万両になると銅版数枚や灯明皿に意味不明なことを書かなきゃダメなんですかね?んで、手元に置かずに寺の床下?不思議
247 :
165 :2006/11/25(土) 13:03:00 ID:???
畠山氏も剣持氏も諸説の内の一説に過ぎません。また、私や赤城本命さんの説も一説に過ぎないことを皆様ご理解ください。 とりあえず言っておきますが、私が場所の見当が付いてると言っており、堀に行けばいいと思う方も多いかも知れませんが、 @埼玉県在住なので、行くのが面倒 A車はあるが、発掘資材を積む積載能力がない B資金不足 上記の理由と、埋蔵金より謎解きにロマンを感じるからです。 まぁどうせ見つけたって謝礼程度で、発掘資金の元が取れるかもどうかわからないしー(笑) 確認のため「私は、赤城以外説」、「八卦や八門遁甲は、考えすぎだよ説」 赤城本命さんに対抗しているわけではありません。(笑)諸説ひとつですからー。 赤城本命さんと一緒に調査してみたいですねー。え?「中」の場所?それはここでは教えられないな(笑) ところで社寺は、赤城本命さんと意見が一致かしら? 糸井まだかあああああああ? 先に掘っちまうぞおおおおお!
248 :
仏 :2006/11/25(土) 15:41:03 ID:???
249 :
格言! :2006/11/25(土) 15:44:01 ID:???
「夢はクスリ、あきらめは毒」 あきらめなければ、人生はどんどん楽しくなる!
250 :
傍観者 :2006/11/25(土) 15:50:04 ID:???
165さんへ、同感です。感謝!
251 :
赤城心之介 :2006/11/25(土) 17:16:38 ID:???
>>205 (つづき)
この後の説明は差し支えるので割愛するが、結果的にF氏は「銀銭の小壺」と「一枚の銅板」を入手した。
銅板には「三首の和歌」が彫られていた、
第一首は、
●東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春な 忘れそ
言わずもがな、有名な菅原道真の和歌である。八門遁甲の解読の段階では、判じ物や南部盲歴のような絵解き、
地口、文作、余意等、多種多様の謎解きがあると知って戴きたい。
この和歌の解釈は以下の通りである。まず、「東風」とは、陰陽道でいう「東塞がり」の意である。
「貧乏風が吹いてきたら」すなわち「資金繰りに困ったら」というような意味だ。次の「梅の花」とは、
「埋める」に掛けた隠語で、埋蔵金の暗喩、そして「主」とは江戸城、「春な」は榛名山の意味である。
続いて第二首は、
●春告げる鳥啼くところ百旦の………れ此の花
一部腐食が甚だしく読み取れないが、「此の花」というのは梅の花のことである。つまり、埋宝の隠語で
あるし、百旦の場所とは「妙義山」を指す。不明の箇所が残念である。
三首目、
●仏手平七神伏して守りたる 人や知らずや掘り かねる井戸
仏手平とは津久田原の古名だから、三首の和歌は各々、「榛名山」「妙義山」「赤城山」の上毛三山を暗示
していることは判る。しかし、この先の解釈は空手空拳では難しく、やはりそれなりの物証が揃わぬことには
無理である。F氏の調査も家業が忙しくなったこともあり、ここまででストップしている。
(つづく・・・) ※次回は、いよいよ「最終回」です。
252 :
現地調査人 :2006/11/25(土) 17:52:25 ID:???
165さんへ、 以前、調査している人の書き込みが「少ない」旨の書き込みをされていましたが、 全ての「調査人」の人に該当するとは思いませんが、現地調査に「重き」を置いて いる者にとっては、あまり書き込む「内容」が無いのが現状です。 なぜなら、貴方が書き込んでおられる詳しい内容「以下」の内容等で現地調査をし ているからです。調査(現地行き)に重きを置いている者は、やはり結果は皆目です。 「土を掘るより、資料を掘れ」です。(故・畠山氏より)
253 :
結城の鬼 :2006/11/25(土) 21:30:33 ID:???
165さん、大変厚かましい「お願い」ですが… 「結城の宝」について、金光寺の山門の「三首の和歌」等々の謎文 解明できませんか?(当方、行き詰まり中!) 貴方が、結城の謎に取り組めば、なんだか解明できる気がします。 (決して、持ち上げて乗せているのではありません) ※迷惑は、重々承知!
254 :
結城の鬼 :2006/11/25(土) 21:35:58 ID:???
追伸! 金光寺の山門には、三首の謎の和歌以外、「謎の絵馬」(動物が宝珠を持っている) 山門の柱の上に彫られている「三首の和歌」以外の文字等々、色々あります。 ※但し、通説では「結城の宝」の在処を示す物と言われているだけで、真相は「藪の中」 という感じです。特に「三首の和歌」の意味が知りたい。
255 :
梅雪 :2006/11/25(土) 21:49:29 ID:???
書き込みが増えて盛り上がって来ましたね。歓迎、歓迎。 徳川は全然勉強してませんが、1箇所じゃなくて数箇所説もあるとなると、 興味が湧いてきましたです。
256 :
黒部の太陽 :2006/11/25(土) 22:25:43 ID:???
参考(
>>154 >>169 )※豆知識・・・佐々成政は、ササ ナリマサではなくサッサ ナリマサです。
【第2話】佐々成政の「黄金にまつわる」の背景
一つは、室町中期から江戸初期にかけて、越中に数か所の優秀な金銀山があったという事実。すなわち、松倉、河原波、虎谷、
下田、吉野、亀谷といった鉱山である。そのうち、現在の魚津市から角川を10キロほど上ったところにあった松倉金山が最も古く、
応永年間(1394〜1426年)に開かれたものだ。成政が富山城主となるまでは越後の上杉氏が押さえていた。後の記録で、慶長
年間に一つの間歩(坑道)から月に大判(十両・目方44匁)にして300枚ないし500枚もの金が出ていたというから、驚異的な
優良鉱山だったらしい。大判500枚分というと、82.5キロ、現在の価格で1億5千万円以上になる。次に古い河原波金山は天文
年間(1533〜1553年)の開堀で、この二金山は天正年間に最盛期を迎えた。また、吉野銀山は天正元年、下田金山は天正2年、
亀谷銀山は天正6年の発見で、いずれも天正から元和にかけて最も栄えた。つまり、成政が治めた4年間というのは、新川郡を中心と
した越中のゴールドラッシュの時代だったのである。
加賀の前田家に伝わる、合戦のもようを記録した古文書によると、成政の軍の本陣の兵士は皆、武具・馬具、旗指物などに黄金を施し、
あきれるほどきらびやかだったとある。
以上の背景を考えると、天下人羽柴秀吉に敗れはしたものの、彼と対抗するに十分な「軍資金」を、佐々成政が貯えていたことは疑う
余地のない事実である。
では、その莫大な「軍資金」をいつどこに隠したのか、その機会について「第3話」では、考えてみよう。
(本日は、これまで!)
257 :
歓迎会 :2006/11/25(土) 22:59:07 ID:???
ぉっ! 「梅雪さん」も、別板から参入(移動)してきましたね!大歓迎、大歓迎! 後は、「銀山本部さん」「成政さん」の参入か…待ち遠しい!!! やはり、この板は、こうでなくっちゃ! ※特に、最近は「165さん」「赤城本命さん」の二人がこの板を盛り上げて くださっています。盛況大歓迎です!
258 :
165 :2006/11/26(日) 02:51:43 ID:???
結城の鬼様 三種の和歌、絵馬など、当方の手元にございませんので、なんともいえません。 書店等で資料等がありましたら見てみます。 で、三種の和歌の基本を少し、当然の話なのでご参考になるかわかりませんことを前置きしておきます。 和歌は、序詞(じょことば)と、掛詞が醍醐味です。 赤城心之介さんがご紹介している和歌で少々ご説明をば、、、和歌の解釈は、赤城埋蔵金と無関係ですのでご注意ください。 ●東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ 有名な道真の和歌ですが、「春な忘れそ」になったのは、治承4年(1180年)だそうです。 その前(初出:寛弘2年〜3年頃(1005〜1006年頃))は、「春を忘るな」『拾遺和歌集』巻第十六雑春 こっからが私の独断でいかせてもらいます(笑) まぁ表向きは、京に残した梅が、道真をしたって大宰府まで飛んでいったってことです。 東風(一般的に:こち)ですが、(あい)とも読みます。 都に残した道真の夫人への「愛」への思いとも、「会い」会いたい思いを表しているとも言われます。 また「こっちに(吹いて)来い」 「春」も「道真が盛んな時期(例:わが世の春)」 「梅」は、「菅原家の家紋だったりもします」 「匂い」は、「繁栄」です。 「主は、主役 ※梅の花 主なしとて をくっ付けると花主(主(あるじ)ではなく、主役の意味にしてみました。)」 さてさて(笑)寂しい和歌からずいぶん変わってきましたね(笑) ●東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな こっちに吹いて(いい風吹いて)もっと繁栄しろよ菅原家 主役がいないからといって繁栄したこと忘れんなよ(没落すんなよ!) 私的には、栄華だった道真が、身に覚えの無い疑いを突然かけられて九州へ左遷されてしまった。 学問の神様=秀才タイプで大人しそう ってイメージとかになっていますけど、 妖怪?になって都に災い(たたり)をもたらして恐怖のどん底におとしいれたわけですから、その怨念たるやものすごいものだったでしょう。 結構、強気の根に持つタイプだったと思いますよ(笑) 私には、しんみりした内容の和歌より、こちらの方がしっくりきますね。 道真さんごめんなさい 祟らないでね。 古文解釈者の方々ごめんなちゃい。
259 :
165 :2006/11/26(日) 03:11:12 ID:???
大宰府公式HPの「飛梅伝説」によると 白太夫という人が、道真を慕って大宰府に下る折、都の道真の邸宅に立ち寄り、夫人の便りとともに庭の梅を根分けして持ってきたそうです。 道真は都から取り寄せたことをふせて、「梅が飛んできた」ということにした、ともいわれてい」るという。 また、「大宰府では、左遷というより配流に近い窮迫の日々を送りながらも」と、あります。 まぁ醍醐天皇の怒りをかっての僻地の大宰府に左遷されたわけで、さらに配流に近い窮迫の日々を送っているわけですから、そうそう強気のことも言えません。 都から(梅を)取り寄せたこともふせていたぐらいですから、監視の目は厳しかったでしょう。天皇の怒りをかうって「逆賊」ですからね(笑) やんわりな和歌にすることによって、上手く監視の目を誤魔化したけども、子孫や一族に「強いメッセージ」を残したんだと思います。 道真は、大宰府で死んでいます。
260 :
165 :2006/11/26(日) 10:33:12 ID:???
>>252 現地調査人さん
ええ!掘っているんですか?すごいですねー
「百聞は一見にしかず」です。現地調査は、最も重要だと思いますよ。
刑事じゃなけど「現場ひゃっぺん」だと思います。
机の上じゃいつまでたっても掘れないですからねー
261 :
165 :2006/11/26(日) 11:18:23 ID:???
>>251 赤城城之介さま
そのF氏は、その和歌を基にして探したんでしょうか?
ぱっと見ですが、※わたしなりに解釈するならば
●春告げる鳥啼くところ百旦の………れ此の花
やっぱ社寺のイメージだよね。
春=栄華
告げる=教えるじゃないよ。特に神仏の託宣だよ。例:神のお告げ 鳥は神じゃないから鳴くだよね。
でも、神社の鳥居かもしれないけど、啼くは常用外だから、無くじゃないかなー
鳥=酉ね 方位図に「酉」と描くところを「西」と書いてあるから
酉無くところ=方位図の西の方向じゃないのかなぁ?
百旦=百段なのかなぁ?まぁ旦は、坊主の宿舎だよ。
此(こ)=場所を示すんです。此の場所とか
花花は桜木人は武士だね(笑)
途中の文がわからないけど、「西にある寺の桜の木下」って意味かな
262 :
165 :2006/11/26(日) 12:08:12 ID:???
●仏手平七神伏して守りたる人や知らずや掘りかねる井戸(空白は埋めさせていただきます) 仏手平は、意味が無いので城之介様の「津久田原の古名」を引用させていただきます。 七神伏して(しちじんぶして)七神は、七福神? んー七人武士て 七人の侍になっちゃうか(笑) 「伏して」って「隠す」って意味じゃないのを忘れずに「うつぶせに寝ること」ね。神の前にひれ伏すとか 七福神が、神の前にひれ伏すってのは、おかしいよねー おまけに神様をうつぶせに寝かすのも・・・罰が当たるだろ(笑) んー そうするとやっぱり「七人(じん)の武士を伏(伏兵)にして」かな?そうすると「守りたる」にもつながるかな 人や知らずや=人は知らない 本来なら 人知らず:人知れず だと思うけど 掘りかねる井戸=単刀直入に「お堀を兼ねる井戸」んー井戸を兼ねるお堀・・・水飲めないなぁ やっぱ 堀かねる=掘れない だろうな 掘れない井戸ってなんだろ? 空井戸じゃなくて「埋めちゃった井戸」かな? んー埋めた井戸ならまた掘れるしなぁ あー泉かな? 泉は掘れないよね? 津久田原に七人の武士を伏兵にして守らせているけど、そいつらも知らない・・・あら?あらら?違うな 津久田原に七人の武士を伏兵にして守らせていることを人は知らない・・・どうもしっくりこないなー や知らずや掘り 矢知らず 矢切の〜渡し〜♪ まてまて(笑) 矢切の堀か?矢切の堀って何メートル必要なんだよ(笑) んーでもそうすると、伏す=矢の長さをはかるのに用いる語。 と、合うかな? そうするとやっぱり「川」だな。これはさすがに掘れないw でも川を意味すると、川の井戸はおかしいので 川の近所の寝る井戸だな。空井戸かー 津久田原で、7人の武士を使って川の近所の空井戸を守らせています。かな? 空井戸跡にしておくか、埋めちゃってると思う。 まぁ私が考えられるぐらいだから先人の方々は、すでに考えていたんだと思うけどねー
263 :
165 :2006/11/26(日) 12:28:39 ID:???
<ご研究している方々へのご注意> ここが2chってことを忘れないでください。 私の説や解釈の信憑性は、0だと思ってください。 ご参考になさると、ご研究・ご調査の妨げになること間違いありません。 便所の落書き程度とお考えの上で、諸説を楽しんでいただければ幸いです。
264 :
165 :2006/11/26(日) 12:41:41 ID:???
んー 書き込みを読み直して ●東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな こっちに吹いて(いい風吹いて)もっと繁栄しろよ菅原家 主役がいないからといって繁栄したこと忘れんなよ(没落すんなよ!) よりも いい風吹かせてもう一回菅原家を繁栄させてやるよ! 俺が死んだからといって安心してんじゃねーぞ! 都にたたりを振りまいて、見事、道真は、官位もたくさん貰って学問の「神様」になり、菅原家を繁栄させました。めでたしめでたし おまけに戦国前田家は、菅原家の末裔って勝手に言っていますので、100万石ももらえて道真も満足でしょう。
265 :
赤城本命 :2006/11/26(日) 14:39:04 ID:???
>>165 それでいいと思いますよ。
私とは違う発想が刺激になることもありますから。
(いままではありませんでした。)
266 :
赤城本命 :2006/11/26(日) 21:17:17 ID:???
>>赤城心之介さん 謎解き 徳川埋蔵金伝説(八重野充弘著)とほとんど同じ内容ですが?
267 :
234 :2006/11/26(日) 21:41:20 ID:???
赤城本命さんへ、
又、私のいらぬ「お節介」かもわかりませんが…(気を悪くなさらずに)
赤城心之介さんの「答え」は全て、
>>133 の初めの4行間にあるのでは…
特に私は、2行目が全てを物語っているように思います。
(要するに、こう言う話もあると言う程度では…)
>>266 >>267 そうするとどちらかがどちらかをパクッていることに・・・
こういうの、「論理学」を学んだ人だけが理解できるらしいっすよ。
269 :
165 :2006/11/26(日) 22:40:30 ID:???
んで、いつ掘りにいこうか?(笑)
270 :
赤城本命 :2006/11/26(日) 22:44:14 ID:???
271 :
現地調査人 :2006/11/26(日) 23:36:47 ID:???
165さん、
>>269 いつでも、スタンバイできています。(51%以上、本気ですが・・)
吉日を選んで、いつでも言って下さい。
動くためには、当然、確かな「机上」調査も最重要です。でも、動かなくては
始まらない事もあるのでは。もう、そろそろ動きましょう。私で良ければ、いつでもお供します。
お待ちしています、貴方が動くことを!(51%以上、本気です)
272 :
結城の鬼 :2006/11/27(月) 00:25:48 ID:???
>>258 ⇒ 165さん、
こころよく、私の「お願い」を了承してくださり、ありがとうございます。(そんな、わけないか?)
これからは、私の知る限り(この板で、発表できる限界は有りますが)の情報を「この板」を通じて
貴方に送ります。もし、差し支えなかったら、一度お考えください。
まず始めに、結城の宝の隠し場所を示していると言われている「金光寺」の山門の「三首の和歌」
を報告します。(※この山門には、実際に私も行って和歌や謎の絵馬等々を見ています)
誤字・脱字があったらご容赦願いたい。
(和歌の参考図書は、畠山さんの日本の埋蔵金・上・P197です)
@きの●かふゆもんにさくはなも
みどりをのこす万代のたね
(申し訳ありません、3字目が変換できません。)
Aこふりやうにふれてからまるうつ若葉
つゆのなごりはすへの世までも
Bあやめさく水にうつろうかきつばた
いろはかはらぬ花のかん
この「埋蔵金」の研究については、石嶋さんという女性の方が特に有名です。
Aの謎文については、私なりの見解があります。次の機会に述べます。
よろしく、お願いします。
追伸、何回も言いますが、金光寺の山門には、この三首の和歌(だと思う)や謎の絵馬、柱に彫られている
謎の文字(字は、判読できるが意味がわからない)等、色々とあることを覚えていてください。では、次回に!
273 :
165 :2006/11/27(月) 00:39:43 ID:???
ええ!赤城本命さん いままではありませんでした。って、刺激にもならなかったってこと? んーーーーーーーーーーーーショック 先人の方々等は、私の考える程度のことぐらいは、考え付いていたのかぁ。。 まぁ埋蔵金の歴史も長いからいろんな考えがあっただろうから、言われてみればそれもそのはずですなぁ もうちょっと勉強します。 現地調査人さん 微妙すぎる(笑)
274 :
165 :2006/11/27(月) 00:46:19 ID:???
お 現地調査人さんいるっぽい(笑) あやめさく水にうつろうかきつばた 色が変わらないアヤメとカキツバタを判明できたのがすごいとおもう(笑)
275 :
165 :2006/11/27(月) 01:16:51 ID:???
Aこふりやうにふれてからまるうつ若葉 つゆのなごりはすへの世までも 幼い子供でも死んだですかね? 今日は遅いので、明日じっくり考えます。
276 :
165 :2006/11/27(月) 10:46:17 ID:???
おはようございます。会社からこっそりログイン中です。 山下財宝に関して面白い記述がありますので、割愛しつつ記載します。 ご存知、山下財宝は、伝説によれば、第二次世界大戦中、旧日本軍がマレー半島とシンガポールに進撃した際、東アジアから東南アジアに及ぶ12カ国余りから集められた財宝の数々は、 フィリピンに送られ、山下将軍によって地中深くに埋められたという。 説は今でも息絶えることはないのだ。高々と積み上げられたの金の延べ棒、重さ1トンを超える黄金の仏像、膨大なダイヤモンドと金貨、その他の計り知れない価値の財宝の数々、 それらは確かに、フィリピンのどこかに眠り続けていると、発掘者達は信じて疑わない。 伝説が一部の人々の間で今なお生き続ける一方、それらは作り話に過ぎない、と専門家は懐疑的な態度を示している。「今でも財宝探しを行う人は後を絶ちません。 しかし、彼らの言う宝の地図、様々な証言、そして現代的な金属探知機をもってしても、誰も何も発見出来ていないんです。」そう語るのはフィリピン政府直属の歴史研究所所長アンベス・オカンポ氏である。 そしてその通り、例えばヨーロッパにおけるナチスの財宝とは違って、「山下財宝」はこれまで、何ら確かなな手がかりが発見されていない。 更に別の説によれば、戦後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ)として東アジア の統括にあたったダグラス・マッカーサー将軍は山下財宝の秘密を隠す為に、山下将軍を処刑したという事さえ噂されているのである。 もし財宝がフィリピンに運び込まれたとするならば、それは第二次世界大戦後期となる1944年、山下将軍がフィリピンに赴任した時のことである。しかしホセ博士によれば、その時既に、米軍潜水艦の攻撃によって"日本は同地域の制海権を失っていた"と指摘している。 「その時は既にアメリカがフィリピンに進撃を始めていたため、旧日本軍がわざわざそんな場所に財宝を運び込むということ自体、現実味がありません。もし運び込めば米国に奪われる危険があるからです。 もし運ぶとしたら、中国か台湾に運んだと考える方が妥当でしょう。特に台湾ならば、あの当時、まだ旧日本軍の海域は安全だったはずです。
277 :
165 :2006/11/27(月) 10:47:27 ID:???
ある時には、ミンドロ島の農家の女性がマニラにあるホセ博士のオフィスを訪ねてきたこともあった。女性はひび割れて損傷した軍隊のヘルメットを持参し、 それがかつての旧日本軍のもので、ヘルメットに記された模様が財宝を指し示しているのでは、と語ったという。 「私は女性に言ったんです。”残念ですが、それは米兵のものです。その模様は風化して自然に出来た模様でしょう”そう聞いて、女性はとても落ち込んでいました。彼女の家はとても貧しかったんです。」 戦後60年が経過した今、発掘者の一人はウェブの掲示板にこう記している。 「我々は、旧日本軍が隠した財宝の在処を示す多くの手がかりを発見した。しかし、その中のたった一つの暗号さえ、いまだ解読が出来ずにいる。 それは例えば、こんなものだ。”大和、救援を求む”」 古今東西、国内も国外も埋蔵金事情は変わらないみたいですね。
278 :
165 :2006/11/27(月) 10:49:25 ID:???
ある時には、ミンドロ島の農家の女性がマニラにあるホセ博士のオフィスを訪ねてきたこともあった。女性はひび割れて損傷した軍隊のヘルメットを持参し、 それがかつての旧日本軍のもので、ヘルメットに記された模様が財宝を指し示しているのでは、と語ったという。 「私は女性に言ったんです。”残念ですが、それは米兵のものです。その模様は風化して自然に出来た模様でしょう”そう聞いて、女性はとても落ち込んでいました。彼女の家はとても貧しかったんです。」 戦後60年が経過した今、発掘者の一人はウェブの掲示板にこう記している。 「我々は、旧日本軍が隠した財宝の在処を示す多くの手がかりを発見した。しかし、その中のたった一つの暗号さえ、いまだ解読が出来ずにいる。 それは例えば、こんなものだ。”大和、救援を求む”」 古今東西、国内も国外も埋蔵金事情は変わらないみたいですね。
279 :
165 :2006/11/27(月) 10:52:14 ID:???
うわ だぶった!
280 :
独り言 :2006/11/27(月) 13:48:04 ID:???
山下財宝は、現在、私の知っている人が何人か、精力的にやっている。 (※実際は、長年調査したが結果が出ず、現地の「女性」に溺れていると噂に聞きますが・・) ●マルコス元大統領は、就任時、山下財宝を発見した者を捕らえ、発見物を「略奪」したと言わ れています。その略奪品は、純金で作られたほぼ等身大の仏像2体(だったと思う)で、その 首が回るように作られており、首を取ると中には、ぎっしり宝石等が詰まっていたという。 その金が、マルコスの「隠れた軍資金」だとも言われている。 ●上記の話に関連すると思われるイメルダ元大統領夫人も、その「事実」を公開し、何年か前、 日本の新聞にも、イメルダのコメントが掲載された。 簡単に書くと「大統領は、国のお金(公金)を私的に使用したと言われているが、本当は山下 財宝を「発見(実際は、宝を探し出した人からの略奪だ)」し、それを自分の資金にしていて 公金に手を出したというのは、濡れ衣です」と言っていた。※本当の事は、知りませんが・・ ●ず〜っと以前、あの「NHK」で、くどいようですが、あの「NHK」で、何回も「NHK」 書いたのは、これから書く話は、「実話」だという事をご理解いただくためです。 放送内容によると、フィリピンの財宝に関し、当時(テレビ放映当時です)は、生き証人がテ レビで説明していました。敗戦時、フィリピンでは、今まで略奪してきた「宝」を何回にも分 けて色々な所に隠したと言っていました。入口は、ダイナマイトで全て爆破し、隠し場所の存 在を不明にしたとも言っていました。 ※そして、ここが「最重要」です。その生き証人の方は、自分は今でも(放送当時)その場所 を知っており、辿り着く事はできるが、あれは(財宝)、個人の物ではなく、少なくても日 本国の物だから、今は誰も取り出すことはダメです。とNHKのテレビ放送で言っていまし た。 ●赤城の水野さん、黒部をやっていた田中さんも、随分「フィリピン」の山下財宝には、行って いるようです。 ●フィリピンの日本に関する財宝を「総称」して、山下財宝と現地では言っているみたいです。 以上、参考になれば・・・
281 :
独り言A :2006/11/27(月) 14:00:04 ID:???
確か、その番組で戦争時は、現地(フィリピン)では貴重な物(書類等)は「蔵」に保管していて、 金貨は、「土のう」に入れて、敵からの玉避けに「積んで」いたとも言っていました。 わかりますか、それぐらい(土のうにするぐらい)の量が、現地ではあったのです。
282 :
結城の鬼 :2006/11/27(月) 15:35:06 ID:???
165さんへ、
さて、
>>272 のAについて、私の見解を述べさせてもらいます。
(自画自賛ですが、自信ありです。但し、Aのみです)
Aこふりやうに ふれて からまる うつ 若葉 つゆのなごりは すへの世までも
↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
広 陵 に 触れて 絡まる 移 宝 結城の繁栄は 末まで
私は、
・広陵は、古墳だと「確信」しています。
・触れて絡まるは、「広陵に」なので、古墳に絡めて「移した」「宝」を隠しておく。
と解釈しています。
・まだ、これだとちょっと説得力に欠けますが、もう一つ確信に変わった「物証」が
あります。それは、現存する「古文書」です。
その内容を要訳すると、
晴朝は先住民(古代人の事らしい)の遺産と思いこれを(宝)そのまま保存し、
子孫の為になればと考え、発見した「家臣を殺害」してしまった。
晴朝は、この事を遺書に認めたのであるが、誰の目にも止まらぬまま明治維新を
迎え晴朝の遺書が人手に渡り、その者は30歳の若さで慙死したとある。
遺族もまた、これを知らぬまま知らず知らず手放したようだ。
※この古文書の内容から推察すると「結城家の宝」は先祖代々からの宝のようである。
この古文書で、私が「注目」した点は、先住民(古代人)の記述である。
要するに、発見は「古墳」を開いたのだと確信している。
結城を研究している人なら、ここで「ピン」とくると思いますが、
そうです、結城で古墳と言うと「船玉古墳」しかありません。
●Aの内容は、「船玉古墳」を指す物です。(Aの和歌の答えです)
ではなぜ、私がこの板で「答え」を言ったかというと、船玉古墳は「文化的地域」に
なっており普通の人では「手が出せません」。だから、場所を「公表」したのです。
間違いなく、船玉古墳には「何か」があります。
但し、単に中にあるのではなく、「何か」仕掛けが必ずあると思っています。
283 :
結城の鬼 :2006/11/27(月) 15:40:21 ID:???
この板を見ている人で、市・県・国に対し「強い」人がおられたら、「船玉古墳」への 挑戦をお勧めします。 尚、@Bの場所は、今だ不明です。当然、候補地はあるのですが「船玉古墳」ほど、心に 「グッ」とくるものがありません。 165さん、私のお願いを重く考えないで「軽い気持ちで」よろしくお願いします。
284 :
現地調査人 :2006/11/27(月) 15:49:13 ID:???
>>273 165さん、決して「微妙」では、ありません。なぜなら、「51%」の信じる
気持ちがあれば、私は「現地」に行っています。
◎動けよ、されば開かれん! です。
285 :
165 :2006/11/27(月) 15:58:09 ID:???
>純金で作られたほぼ等身大の仏像 AsianPacificPostに掲載されていたロジャー・ロクサス氏がバギオの洞窟から発見したと言われる黄金の仏像のカラー写真を見ました。 注釈には、マルコス大統領に強奪された後、訴訟を経てロクサス氏に返還されたと言われる。首が着脱式になっており、中にはダイアモンドが入っていたという。 写真を見る限りに頭部、衣(袈裟?)の一部のメッキが剥がれています。 それと、大きさは150cmといわれていますが、奈良の大仏みたいに座しており、背景のゴミとの比較でも手のひらサイズか、お土産サイズですね。 また、仏の手の位置ですが、見たことが無い組み方です。両手を握りこぶしにして、下丹田?(まぁチ○コ上あたり)のところで合わせています。 生き証人って、フィリピン人でしょ? フィリピン人の証言は、こんな感じ A「私の友人であった発掘者の一人は、毒の罠にかかって死んだ。しかし幸運なことに、彼は死ぬ前、二本の金の延べ棒を持ち帰ることが出来た。我々は既に財宝の眠る場所を知っている。 しかし、問題は毒の罠を乗り越えなければ、それを手にすることが出来ないということだ。あの場所には、毒された滝が存在する。」 毒された滝なんか戦後60年であるわけないでしょ(笑) ダム作って水をせき止めればクリアですね。非常に単純な方法で解決しそうです(笑) B「私の友人らは川の方を指し示す巨大な矢の図形を発見した。そして川床を調査した結果、そこから人工のトンネルを発見した。トンネルの壁には、 高さ二メートルにも及ぶ心臓を象った図形が刻まれていた。そしてその心臓の中心部には、大人の腕が全てはいるほどの深く細い穴が空いていたのだ。それが本当に、旧日本軍の財宝が眠る場所だったのか、私には分からない。」 日本って、心臓の肖像等や図形等信仰の対象や何らかの目印に使用しますかね? またある発掘者によれば、「かつて旧日本軍が占領し、最期の抵抗を行ったというその場所には心臓や矢、ピラミッドを象った図形が岩に刻まれていた」という。 心臓や矢って・・・・ハートに矢が刺さってるやつじゃないの?それアメさんのだろ(笑)
286 :
165 :2006/11/27(月) 16:14:35 ID:???
結城の鬼さんいるっぽい(笑)フィリピンの次ねー。 私は、徳川埋蔵金は「有る」派ですが、山下財宝は「無い」派です。 >現地(フィリピン)では貴重な物(書類等)は「蔵」に保管していて、 旧軍では、撤退時、戦闘中は焼却処分が基本であり保管はまずない。また、仮に敵に急襲された場合でも「焼却処分を命じる」 >金貨は、「土のう」に入れて、敵からの玉避けに「積んで」いたとも言っていました。 >わかりますか、それぐらい(土のうにするぐらい)の量が、現地ではあったのです。 いやいや(笑)なんで先に土や砂を使わない(笑)で、日本が撤退したあと、その土嚢はその場に残されているはずで、みんなが持っていっちゃったかな。 「言うなれば、都市伝説のようなものです。」そう語るのは、フィリピン大学教授、リコ・ホセ博士である。博士は戦時中、同地域の自治体で働いていた。 これまでホセ博士のもとにはフィリピン内外から財宝の発掘を巡って様々な人が訪れたという。そして彼らは皆一様に、博士に地図、文章の解読を依頼したのだ。
287 :
165 :2006/11/27(月) 16:58:44 ID:???
288 :
結城の鬼 :2006/11/27(月) 20:03:03 ID:???
>>287 「中はカラッポですよ」⇒当然そのことは、私も百も承知しています。
私の場合、古墳地域全体を示します。
特に私が「臭い」と睨んでいる場所は、口では旨く表現できませんが、古墳の
下の下に「仕掛け」があると思います。165さんの言われるとおり「通常」の
古墳調査は、既に済んでおり、私は、そのまだ下の部分を言っています。
通常の古墳調査では、そこまで詳しく調査はされていません。
289 :
結城の鬼 :2006/11/27(月) 20:16:01 ID:???
貴方が「アップ」してくれた船玉古墳の「隠里の膳椀由来」(下の青い線で囲まれている部分) の中でも、一部書かれていますょ。3行目の「落ちし見るに鳴音してその落ちる事限りなし」です。 不思議な場所ですねぇ「落ちる事限りなし」ですょ・・・
290 :
独り言 :2006/11/27(月) 20:48:21 ID:???
>>285 の「生き証人って、フィリピン人でしょ?」
いえいえ、あの天下の「NHK」に出ていたのは「バリバリ」の元日本兵の方が
何人か出演していました。確かその時、現地の地図や写真等も放映されていたと
思います。(地図は、その人が当時いた場所の地図であり、宝の地図ではありません)
私は、その人が喋っていた「土のう」の「金貨(確か、まる福金貨と言っていたと思います)」
の件等は、「ウソを吐いて」いるようには、とても見えませんでした。
何故なら、それを言ったところで何の得にもならないからです。
戦争時の事実のみ伝えたかった、語りたかった番組だったと
今でも私は思っています。
まぁ、海外の話はもういいですが・・・
ただ、赤城の水野さんもかなり「山下財宝」には、ハマっていたようです。
独り言は、このへんで…
291 :
165 :2006/11/27(月) 20:55:52 ID:???
Aこふりやうに ふれて から まる うつ若葉 つゆのなごりは すへの世までも 多分・・・孤ふれあうように 触れて絡まる 空若葉 梅雨の名残りは 末の世までも 子狐が触れ合うように くっついたりはなれたり 無邪気な子供 梅雨の名残りは 末の世までも 私解釈 宝はないよといいまわってから、若い息子達は穏やかになった 梅雨のなごりは すへの世までも 疑問1.若葉は、五月の頃 梅雨の終わりは6月末頃 季節がずれている。五月頃の季語として「若葉雨」がある。 なので、上の句と、下の句は別物かもね。
292 :
165 :2006/11/27(月) 21:00:34 ID:???
独り言さんへ なんだ水野さん 自分ところが出ないからって山下財宝まで手だしてるのか、金あるねー たぶん、そのNHKの放送(そーとー昔の気がする)の当時の再現で、金の土嚢に玉が当たると、砂金がサラサラと流れ出していた記憶も・・・定かじゃないけど
293 :
165 :2006/11/27(月) 21:02:15 ID:???
こは、壷だと思う
294 :
165 :2006/11/27(月) 21:14:52 ID:???
んんんんんんんんんんんんんんんんんんんん!!そうなると 結城の鬼さん!! 古墳の妖怪騒動を言いふれるようにしてから、若い連中は、おとなしくなった! 多分それまで探検や肝試しでもしていたんでしょう!妖怪が出るからそこに行かなくなったかも知れませんね なぜなら Aこふりやうに ふれてから まる うつ若葉 つゆのなごりは すへの世までも こ(壷)=大事なところ ふりょう(不良)=良くない ふれてから=ふれまわってから まる=穏やか うつ=空&若葉=若い人 からっぽの若い人(笑) つゆのなごりは すへの世までも=そのまんまの解釈 妖怪の話を作り上げたのは、和歌の作者かもしれません!!!
295 :
165 :2006/11/27(月) 21:19:20 ID:???
あら?そうすると宝のありかじゃなくて日記になっちゃうね(笑)
296 :
165 :2006/11/27(月) 21:34:58 ID:???
古墳調査したい? 船玉神社に電話して「環境生活科ですけど ○月○日に船玉古墳の調査をしたいんでよろしくお願いします」と言 う。 「何の調査?」と聞かれたら「(お宝の)簡単な保存状況の調査ですぅぅ」 前日もしくは当日に「これから(明日)お伺いしますので、よろしくお願いします」と、電話する。 バレてればその時点で言われること間違いなし(笑) OKなようであれば、環境生活科と書いたベージュの作業着上下と腕章を用意する。 当日、神社に「2〜3時間で終わりますから、立会い無用ですぅぅ(ハート)」と断って調査開始 調査が終了したら丁重にご挨拶をして、速攻立ち去る。 はて?どこの環境生活科だったんでしょう?
297 :
結城の鬼 :2006/11/27(月) 22:42:23 ID:???
165さん、参りました。完敗です!
298 :
165 :2006/11/28(火) 00:41:07 ID:???
<訂正>
>>291 で、
疑問1.若葉は、五月の頃 梅雨の終わりは6月末頃 季節がずれている。五月頃の季語として「若葉雨」がある。
なので、上の句と、下の句は別物かもね。
と、書いてありますが、調べたところ「若葉」と「梅雨」は、同じ「夏」の季語でした。
当方勘違いをしておりました、訂正とお詫びを申し上げます。
299 :
165 :2006/11/28(火) 11:48:49 ID:???
水野さん親子三代、120年にわたり、延べ25kmも穴を掘り進み、投じた資金は500億円にもなるという。 水野さんも「右へ掘るか左へ掘るか…。あと1メートル掘れば出るかもしれない…」 そんな複雑な思いで発掘を続けているが、今も埋蔵金を掘り当てるには至っていない。 投じた資金は500億円!? どっからそんな金を得るんだ! っていうか、その金で十分いいんじゃね?
金光寺山門の三首の和歌の謎を解けば宝を手にすることが出来ると言い伝え られた。山門は確か弘化3年建立です。幕末です。伝説が正しければ弘化3 年当時の住職は埋蔵場所を知っていなくてはならない。結城晴朝は富山へ転封 を命ぜられ、二度と結城に戻ることを許されなかった。家康の時代です。 幕末のその住職は斬殺され、その後永い間無住の寺だったと聞いてますが確認 はしていません。 幕末か明治の初め、勝海舟がこの山門の近くを掘り、黄金を得て、それが明治 初めの明治金貨に使われたとの話を聞いたことがありますが、これも確認は していません。もしかして、結城家のとは無関係の幕末のドサクサがらみの 財宝かもしれません。
301 :
松平太郎 :2006/11/29(水) 00:36:34 ID:kd5YSvhM
突然の乱入お許し下さい。 赤城山麓の徳川埋蔵金の件ですが、もし自分が当時主戦派だった小栗上野介だ と仮定した場合、勘定奉行でもあった見識から戦いを軍事的側面だけでなく 経済的側面から分析したでしょう。最新鋭の武器をそろえた薩長軍といえど 軍費がなければ闘うことはできない(現に函館戦争終結当時は薩長軍の軍費は ほぼ底をついていたとの説あり)。知恵者の小栗はむしろ意図的に徳川家再興 のために赤城山麓に幕府の御用金を埋蔵したという噂を流し、それを探しだそ うとする薩長軍を消耗させる策を練ったのではないだろうか。 水野家親子三代には申し訳ないが、期待するような埋蔵金は無いのではないか という気がしてなりません。
302 :
赤城の住人 :2006/11/29(水) 13:27:53 ID:???
最近の週刊誌に、水野さんの近況が掲載されていました。 その内容によると、水野さんは今は「あるゴルフ場」の「下」が有望地と確信して、 土地の地権者の了解も得たので、「若い人」を募り、発掘したいとのコメントが載って いました。 水野さんの初代は、赤城地域の広大な土地を所有しており、それからは当然「発見」 するまでは、お金が入ってきませんので、その「広大」な所有地を「切り売り」して 発掘資金にしているのが「現状」です。 ※但し、今までに切り売りした土地の価格が総額で「500億円」か、どうかは知り ませんが… 今は「看板」を書く仕事等が生計の元のようです。(参考までに)
303 :
”管理”人 :2006/11/29(水) 13:53:11 ID:???
>>301 松平太郎さんへ
貴方が、この板「初心者」なので、ご忠告です。
この板に書き込む場合⇒名前:に「松平太郎」と書き込みます。
次に(ここが重要ですょ!)E−mail(省略可)の欄に「sage」と
書き込んでから「本文」を書き込みます。
こうすると、「掲示板」の最初には戻りません。
つまり、戻らないということは「嵐」に会いにくいと言うことです。
それが証拠に、ほとんどの人は、書き込んだ「番号・名前・日・時間」の
次が、「ID:???」となっています。これが、「sage」と書き込んで
いる証拠です。
この板の「ルール・常識」です。今後は、気を付けてください。お願いします。
304 :
”管理”人 :2006/11/29(水) 13:59:52 ID:???
追伸、「sage」は、小文字で入力してください。
305 :
結城の鬼 :2006/11/29(水) 14:14:07 ID:???
Aは、船玉古墳以外、考えられません。(誰が何と言っても)
私の知りたいのは、
>>272 @・Bの船玉古墳以外の場所が知りたいのです。
結城地域は、結城に関わる場所が、調べれば調べるほど「多く」あります。
迷っちゃうなぁ…(どれも、これも本命みたいで…)
地下の「金」の広範囲・広深度に反応する「携帯型」の金属探知器、
どこかにないかなぁ…(できれば、安価で…「高価な物は存在します」)
306 :
現地調査人 :2006/11/29(水) 14:48:42 ID:???
>>271 これからの日本列島は、寒い季節に突入します。
で、現地集合は、いつですか?
当方、できれば春・夏・秋の時期にお願いしたいのですが、
現地集合・現地解散で決行しては・・・
▲現地調査人としては、今までは、ほとんどが現地に行って調査をすると
当方が思っている感触が得られず、掘削までには至らないのが現状です。
それで良いのです。現地に行くことが、又、別の愉しみでもあるのです。
307 :
現地調査人 :2006/11/29(水) 15:04:48 ID:???
>>306 の続き、
但し、現地調査し「確信」を持てて、所有者等の了解も得られても「物が物だけに」
場合によっては公表になることも有ると言うことを、ご了承いただきたい。
(その場合も、我々は、あくまで裏方で)
308 :
松平太郎 :2006/11/29(水) 21:24:18 ID:???
管理人さん 「初心者」の松平太郎です。ご忠告ありがとうございました。 このsageの意味と仕組み知りませんでした。皆さんの常識であったと 知らずの乱入でした。気を付けます。
309 :
名無しの愉しみ :2006/11/29(水) 22:03:35 ID:FSg0Gwyd
今日も元気だ、オシッコがうまい!
310 :
165 :2006/11/29(水) 22:11:11 ID:???
じんわりですが、盛り上がってきましたね。 結城の鬼さま んじゃぁ教えちゃうましょう(笑)和歌を見ると、あることに気がつきます。 あることとは、見分けずらいものを使っています。 ※古墳の周辺か、結城領にある場所限定で調査お願いします。 @きの●か ふゆもんにさくはなも 冬に咲くの花で代表格は、「椿」。 椿系だと、椿、山茶花(さざんか)、榊(さかぎ:神棚に飾ってあるツバキみたいなアレです。) 椿と山茶花は、花の落ち方が異なるなどの「微妙な見分け方」で、なかなか素人目には難しい。 また、花が咲かなきゃ「榊」とも微妙です。 特に「榊(さかき)」「境木」に関係が深いところ。 ※「お茶」といきたいが、お茶は椿に似ていない気がする。 A古墳ってことで(笑) Bアヤメ あやめ系だと、あやめ、かきつばた、はなしょうぶ。 あやめ:乾燥地 かきつばた:水中や湿地。生息地が違うぐらいの「微妙な見分け方」で、なかなか素人目には難しい。 また、あやめ、かきつばたの中間(生息地)として湿地:はなしょうぶ です。 特に「菖蒲=勝負」に関係する箇所。 結城を調査している結城の鬼さんならピン!とくる場所がありますか?
311 :
165 :2006/11/29(水) 22:34:58 ID:???
現地調査人さん
現地集合・現地解散で決行ですか(笑)
我々は、あくまで裏方で(笑)
出た場合には、現地解散なんで手土産を持ってこっそり解散させていただきます。
まぁ
>>310 も徳川埋蔵金同様に私より先にすでに先人の方々が考え付いていると思います。
刺激になれば幸いです。
>>301 松平太郎さん
官軍も赤城を探したんでしょうか??
>>302 赤城の住人さん
ゴルフ場が怪しいという話は、見聞きしております。
しかし、水野さんも切りないですなー(笑)
ゴルフ場を作る時に痕跡ぐらいでるんじゃないの?って、考えてしまう私は素人です(笑)
312 :
松平太郎 :2006/11/30(木) 01:11:30 ID:???
>>165 さん
情報源は失念してしまいましたが
明治の初期に新政府軍の手でこの一帯で
大掛かりな隠匿物(埋蔵金)の捜査が行われたと
読んだ記憶があります。ただどこで読んだかが…。
313 :
仏 :2006/11/30(木) 18:11:00 ID:???
>>309 へ
君は、一生「トイレ」に漬かっていろ!
場を知れ、己を知れ!
管理人さんが、303・304で、注意しているだろう。
(学習能力、学習能力)
あやめさく水にうつろうかきつばた・・・ 「水にうつろう」は、「三つ移ろう」の意で3ヶ所に分割埋蔵したとする説 もあります。 三首の和歌のうち、一首の和歌の途中に干支か何かの文字が小さく彫り込ま れています。それが埋蔵金を解く鍵なのか、これを彫った棟梁の遊び心なの か分りません。
315 :
神 :2006/12/01(金) 14:34:09 ID:???
>313 荒し坊は無視 これも常識じゃ なぜ無視か熟慮し 場を理解し 己の発言を見直すがよぞ
316 :
165 :2006/12/02(土) 12:01:21 ID:???
なんか過疎化が進んでいる気も・・・
>>316 波があるみたいですよ。それに、見るだけで書き込みしない人もいるし・・・
318 :
165 :2006/12/03(日) 00:45:44 ID:???
ありゃりゃ? みんな掘りにいったか?
ウホ
世界中の内戦、人の殺し合い、病気。根底に貧困がある。 10億や20億の埋蔵金を見つけても、焼け石に水だ。どうする・・・。 ばらまくのでなく、これを元手に貧困撲滅NPOを組織してエンドレスに活動 が続けられるようなシステムを構築するのだ!!! さぁ、早く寝て埋蔵金発掘の夢を見よう!
321 :
結城の鬼 :2006/12/04(月) 18:32:32 ID:???
>>310 の「榊」について
榊→神様→神社→「船玉神社」か?
しかし、この場所も埋宝地として有名である。
又は、「総敏神社」境内の鳥居のそばにある「井戸」か?
322 :
赤城本命 :2006/12/04(月) 19:40:46 ID:???
>>321 きのからむし(苧)
かうゆう門に
さくはなも
みどりをのこす
まんだいのたね
なんか変な和歌だよ。普通に読んでも意味不明だね。
最初の苧はからむしと読んでいいのかな。
からむしはちょ(苧)で変換出来るね。
323 :
赤城本命 :2006/12/04(月) 19:50:47 ID:???
>>300 慈眼院は
弘化3年の建立ですか。知りませんでした。
結城伝説よりずいぶん時代が新しいですね。ちょっとがっかり。
324 :
赤城本命 :2006/12/04(月) 20:08:01 ID:???
きの苧…ひっかかりますね。変な匂いがする。 苧は苧麻(ちょま)、青苧(あおそ)と同じものでからむしと読むのが 普通だと思いますが、和歌の始まりかたとして異質な感じがします。 黄色の麻に似た織物という意味かなあ。
325 :
名無しの愉しみ :2006/12/05(火) 00:01:09 ID:b29sUWE+
俺、中国に戦争に行ったおじいちゃんから聞いた話やけど、キョウイ将軍(名前間違えてるかも三国志に出てるらしい)の財宝の話しよく聞いてた。 絶対に人に話すなって言われてたし、おじいちゃんかなりお偉いだったし、このスレ見て思い出して気になった。 誰か知ってる人いない?
326 :
165 :2006/12/05(火) 00:30:12 ID:???
苧は、「お」だと思うよ
327 :
165 :2006/12/05(火) 00:43:38 ID:???
江戸時代に幕府の命で、井戸という井戸は探したらしいね。 井戸から離れた方がいいかもね
>>323 弘化3年の建立は、慈眼院ではなく、三首の和歌が彫ってある金光寺
の山門です。
>>322 「ふゆうもん」は武勇門、つまり武門の結城家という意味かも?
>>321 船玉古墳の上には、船玉神社のほかに、向かって右後方に七鬼神社
も祀られています。
>>324 ある人が三首の和歌を和歌をする人にみてもらったところ、和歌とし
て決してすぐれた和歌ではない、意味不明、全体として悲しい感じがする、
との評だったそうです。
329 :
165 :2006/12/06(水) 00:47:37 ID:???
みんなー準備はいいかい? ほりにいくよー
330 :
現地調査人 :2006/12/06(水) 17:50:42 ID:???
>>329 その言葉をお待ちしておりました。
でも、今は「冬」。寒いなぁ…
穴掘りに、四季は関係ないかぁ…
できれば、4月「現地集合」で…
光秀の財宝…
333 :
165 :2006/12/07(木) 11:46:02 ID:???
冬は寒いが、夏はやぶ蚊がイッパーイ 寒いのは、重ね着やカイロでどうにかなるが、暑いのはどーしよーもないよ〜 そうすると、春か秋だね(笑)
334 :
165 :2006/12/07(木) 12:20:47 ID:???
@の和歌が、みんなそれぞれだね 結城の鬼様 きの苧かふゆもんにさくはなも 赤城本命様 きの苧かうゆうもんに さくはなも 元結城探索人様 きの苧かふゆうもんにさくはなも
335 :
赤城本命 :2006/12/07(木) 12:32:04 ID:???
ごめん。本が手元にありません。間違えた。
336 :
赤城心之介 :2006/12/07(木) 21:44:18 ID:???
>>251 (つづき)【最終回】
最後に、筆者が何故自ら徳川の埋蔵金に手をつけないか、その理由について述べよう。
筆者はもう四半世紀もこの八門遁甲と係わってきて、その愉しさ恐ろしさも十分に判って
いる心算だが、如何せん、小心者には荷が勝ち過ぎる。また足弱ゆえ、山歩きはとても無理
で、日がな一日、机に向かって研究しているのが分を弁えた精々な所である。
唯一の愉しみは、若い人たちが額に汗して得た情報や物証を収受できる立場に居られるこ
とで、それで蟻の歩みながらの解読作業や助言めいたことを言えるのは、まったくの果報者
であると思っている。
八門遁甲は元来、陰の学問であって、公開すべき性質のものではないが、時代の流れを鑑
みて敢えて今回、妥協し得るぎりぎりの線で梗概を公表するに踏み切った次第である。
しかし、老婆心ながら忠告すれば、八門遁甲は「危険」である。筆者が臆病者のせいかも
しれないが、過去に余りにも多くの「悲惨」な例を見てきているので、安易に取り組むべき
ではないと考える。相当な「覚悟」が不可欠である。男の浪漫というより、むしろ男の意地、
面子、執念、使命感といった大仰な言葉がすぐ現実味を帯びてくる非常に「過酷」な世界で
あると、重々認識して戴きたいと思う。 ●おわり●
※以上が、山城赤心さん(古兵法研究家)が、掲載された全文である。
掲載した内容に、信憑性が「有るか」「無いか」は、各自でお考え下さい。
長らくのお付き合い、ありがとうございました。
これで、「赤城心之介」は退散いたします。
私の願いは、「埋蔵金」の「謎」を「解き」、埋蔵金を「発見したこと」及び
「発見すること」を小物・大物に係わらず、誰か一度でいいから「公表」をして戴きたい。
本物の埋蔵金を公表しない限り「一般の人」は、埋蔵金の「存在」に否定的です。
※但し、偶然「工事中」等で発見された物は除きます。あくまで「謎」を解いた物です。
もとより、小生も微力ながら「挑戦」は、していますが、小心者ゆえ私自身「公表」は、
しないと思います。誠に虫の良い話だと、お叱りを受けると思いますが、是非とも誰か
公表を。
最後になりましたが、皆様の今後の益々のご活躍をお祈りして、終わりといたします。
338 :
現地調査人 :2006/12/08(金) 22:01:31 ID:???
>>337 しかと了解!
今後の詳細は、来年の「春」までに。
2chで出会った人達3人で埋蔵金を探しに行きました。 苦労した甲斐あってやっと発見したのです。 でも、帰りは僕一人でした。なんてことに・・
>>339 2chで言うのもなんだが、たまにはこの板で「信頼関係」を結んでも良いのでは?
何も発見できない事を「肝に銘じ」集まることが肝心では?
逆に「集まること」「行くことに」意義をみいだしては…
>>340 二人は土に埋めてお宝独り占めってブラックジョークだよ。
>>341 気遣い、ありがとうございます。
反論するようで、申し訳ありませんが、
>>339 =ブラックジョークは、当方十分承知しております。
当方が言いたいのは、「埋蔵金」という性質上、困難なのは分かっているつもりですが、
たまには、各自の「垣根」を越え協力しあってはということです。
343 :
忍 :2006/12/08(金) 23:59:42 ID:???
ご無沙汰しています。
いつも陰ながら楽しく拝読しています。
>>332 で、「光秀の財宝…」と書き込みがありましたので、「光秀の宝」は、
私の「埋蔵金人生」の「原点」なので、少し書き込みをいたします。
(但し、20年程前の話です)
大体の事は、畠山さんの著書「新・日本の埋蔵金」P202を読むとわかります。
その著書の中にも出てくる比叡山の光秀寄進の「石灯籠」も見てきています。
何故、灯籠を見に行ったかと言うと、ある古文書に光秀が「謀反」を起こした経緯
をその灯籠の下に書き付けとして隠したという古文書が出たからです。
その古文書には書き付けの他に、愛刀も一緒に埋めたと書かれており、当時何回も
比叡山付近に出向きました。その時、比叡山の松禅院の住職をしておられた、酒井
住職(大変有名な方です)にもお会いし、話を聞くと元々灯籠は一対あって今は一つ
しか残っていないということであり、しかも本来灯籠が設置されていた場所はここでは
なく、元の場所はわからないということでした。今あった場所に移した理由は、前に
世間で、灯籠が流行ったことがあり、比叡山でも数多く盗まれており、それを防ぐために
近くに移動したとの話でした。比叡山は「文化庁」の管轄にあり、石一つ動かすにも、
何十枚という書類を提出しなければ、許可は下りないということでした。
それで、比叡山は断念しました。しかし、比叡山には「書き付け・愛刀」は有っても
「お宝」は無いと思います。
なぜなら、違う「候補地」が有るからです。
344 :
忍 :2006/12/09(土) 00:17:29 ID:???
最近、テレビ放映もされたようです。(みのもんた司会です) 《光秀の秘文》 身をも名も 惜しまねはこそ 松のみとりいろ濃き 弥生空 くちなは頭の影をふむ 岩戸「しとね」のその下に こかね三百 しろかね千貫 ※注「くちなは」=「蛇」又は「龍」 「しとね」=敷物・ふとん=平らな石か岩 関西の「ある場所」に上記に該当するような場所が存在します。 以上、単なる参考までに!
345 :
165 :2006/12/09(土) 13:29:26 ID:???
関西遠すぎ
165さん、関西より「赤城」の「確信話」へ参りましょう。 期待に胸躍る毎日です。早く早く確信へ!
347 :
165 :2006/12/09(土) 16:14:26 ID:???
348 :
165 :2006/12/09(土) 17:13:54 ID:???
349 :
165 :2006/12/09(土) 20:14:42 ID:???
埋蔵金を運べ! 埋蔵金って、どんなもん? んじゃ、運んでみましょう企画 <埋蔵金の総重量> 万延小判(1860年)0.88匁 匁=3.75g 一両=3.3g×1,000両=3,300g=3.3kg キリをよくしたいので仮に千両箱自体を1.7kgにして、一箱5kg 3,600,000両=3,600箱=18,000kg <運搬方法(考:甲府分)> 当時の運搬に用いたのは、時代劇でおなじみ「大八車」と思われる。現在のリヤカーの原型である。 と、いきたいところだが、人数を少なくするために「荷馬」にしよう。 当時の「荷馬」の積載量が、150kgとあったが、200kgまで積もう。※日本馬は、小ぶりだったのよ〜 幕臣・中島蔵人の話では、甲府城代の柴田監物とともに甲府の幕府御金蔵にあった24万両を運んだとされる。 蔵の金を別けて運んだわけではなく、一気にあるだけを運んだと思われる。まぁ幕末なんで、数回に分けているヒマはありません。 240,000両=240箱=1,200kg÷200kg=6頭の荷馬 ありゃ?240箱÷6頭=40箱? 重さはいいけど、数に無理あるな・・・? 20個1パックにして、馬の左右に1パックづつ(笑)
350 :
165 :2006/12/09(土) 20:15:44 ID:???
<人員(考:甲府分)> @人足 東海道の場合、幕末の天保年間(1830年代)には年間200万人から300万人の通行者があったであろうと推測されている。 らしいので、中仙道も近いものがあったと思われるので、「目立ちすぎる」から、街道は通らなかったとも推測しよう。 そのため山道、悪路、交代を考慮してプラス2頭。1頭あたり1名の人足(馬引き)とする。 ※人足:1名×8頭=8名 A護衛 中島蔵人+柴田監物2名確定 いくら武士といえども、2名で8名を束ねるのは不可能と思われる。(暴動、強奪、反乱の可能性あり) また、現在のように治安がよくないので、山賊等の強襲に有る可能性も十分考慮される。 時代劇を見ると、前左右に武士が付いているので、1頭あたり2名ぐらいがちょうど良いかも ※護衛:8頭×2名=16名 荷馬1頭あたりの担当者計=3名(前:馬引き 左右:各護衛1名) 人足8名+護衛16名+監督者2名=26名
351 :
165 :2006/12/09(土) 20:16:26 ID:???
<最低総量> 360万両=3,600箱=18,000kg÷200kg=90頭の荷馬 90頭×3名(担当)=240人(内:馬引き90名 護衛:150名)−甲府分26名=人足82名 護衛134名 と、監督者である 私とあ・な・た(ハート) ※何組に別けて運んだかは不明である。「甲府分」とあるように数組あったと考えられる。 それだとしても90頭−6頭(甲府)=残り84頭。90台÷6頭(甲府)=15組では、これもまた目立つと思われる。
352 :
165 :2006/12/09(土) 20:17:26 ID:???
<いざ!出発> 準備はOK!いざ!出発! 荷馬84頭を引き連れた総勢214名は、中仙道を北上するのであった!(すげー目立つね) 日本橋→板橋→蕨→浦和→大宮→上尾→桶川→鴻巣→熊谷→深谷→本庄→新町→倉賀野→高崎→埋蔵地 いやー遠い 遠すぎ 飽きたわ(笑)これでも中山道を真っ直ぐ来ての話だからね(汗) 107.6km ちょっと一休み。旅籠へとまりましょう。 泊まり約400文(2食付)・・・400文×216名=86,400文÷4,000=21.6両・・・ 宿場ごとに泊まらなくていいので、でも6日間129.6両!? え?馬の飼葉と水は別料金?150両にはなるかな・・・ 人足の一人が言いました「監督ぅ おれら年収5両ですぜ?税込みで」 ・・・・30年分かよ!まぁ・・・仕事だからいいや。 ※ある程度中仙道を迂回した場合は、距離、日数ともに増えます。 <現場到着> まぁ難なく総勢が現場に到着したとしよう(笑) 甲府分も到着しました。 到着してから馬引きを使って埋める穴を掘るのでは遅い。 また、仮に古井戸に放り込んだとしてもその井戸を埋めなければならないと思う。 んじゃ手軽な井戸の近所の土を使って・・・じゃぁバレバレ やっぱり事前に土を遠くから持ってくる必要もある気がする。 井戸の深さは、浅い場合には5〜10m程度、深い場合には200〜300m程度に達します。 (当社では、明治45年以来、地下水調査、井戸掘削、井戸の維持管理を行っております。と、「鞄さく」さん) 関東地方で、尚且つ、利根川の近所だろうと思えるし、山もあるので、そんなに深い井戸だったとは思えない。 浅い場合の5mでは発見されやすいので、深い方の10mとする。 無論、当時は手掘りであるので、直径を90cm(鞄さく)とすると、円柱の体積を計算す・・・zzz。 まぁ相当な土砂が必要になるな(汗) 仮に7箇所用意すると、んー運搬も含めて30人ぐらい? この辺は人足の仕事量がわからんから曖昧で(汗)
353 :
165 :2006/12/09(土) 20:18:57 ID:???
<無事終了> まぁなんだかんだで、作業無事終了。いやー よかったよかった。 さてと・・・口封じをしなきゃいけませんね・・・人足集合!お給料だすよ〜 馬引き90名 土木工事屋30名 合計120名集合しますた! えっと・・・こっちは、150名か。馬は逃がせばいいや 群馬だし(笑) 「殺れ!」「ギャー!」 「監督!90名の死体をどうしますか?」・・・・・知らんがな。「埋めれ!」 「えー 俺ら穴掘るんすか?川に流しちゃいましょうよ」・・・・ばれるだろ掘れよ 「ボソボソ」え?なに? ふむー確かに150名(護衛)じゃ多すぎるね。忠誠心の厚いヤツを残してみんな口封じするか。 まてまて、もし、こっちが負けたらどおするの? 50人程度切るか・・・。 「殺れ!」「ギャー!」 「監督!50名の死体をどうしますか?」・・・・・知らんがな。「埋めれ!」 「えー 俺ら穴掘るんすか?川に流しちゃいましょうよ」・・・・オレも掘るよ 「ボソボソ」え?なに? ふむー確かに100名(護衛)じゃ多すぎるね。忠誠心の厚いヤツを残してみんな口封じするか。 まてまて、もし、こっちが負けたらどおするの? 30人程度切るか・・・。 やべーみんな疑心暗鬼になってる(汗)このへんでやめときましょう。 こうして幕府のご用金を埋めるお仕事は終了しました。 人数は減ったとはいえ、帰りの費用も大変だな・・・。 え?一部くすねてきた? 貴様ぁぁぁぁ! えへへ 実はおれも 帰ったら吉原行こうぜ! めでたし めでたし
354 :
165 :2006/12/09(土) 20:45:06 ID:???
素人なので、このように考えてしまいます。 また、360万両は、多すぎる気がし、一箇所に集まめると、上記のように相当な人数になってしまいます。 なので、「甲府は、どこぞこの指定した場所」と、いうふうに担当があったと思います。 そう考えると、甲府分が1組 江戸分が6組の合計7組だったかもしれません。 また、7組とも「本物」を輸送したとも思えないのです。 絶対に内通者や裏切り者が出てきますから、途中で強奪されないためにも ある程度「偽物(千両箱だけで中は石のアレです。笑)」があったとも思えます。 それが、無印、△、○ではないでしょうか?
感動!!!(決して、茶化していません) 確か、赤城では多数の人骨が出た事があったように記憶しておりますが…
165さん、この板で、出せる範囲の「見解・資料」ありがとうございます。 この板を見ている人の中で、埋宝地に「ピン」とくる人がいるのでは?
357 :
黒部の太陽 :2006/12/10(日) 14:08:45 ID:???
参考(
>>154 ・
>>169 ・
>>256 )
【第3話】家康説得のための決死の立山越え
佐々成政に関するエピソードとして有名なのが、「厳冬期の立山越え」である。
1584(天正12)年4月に起こった小牧・長久手の戦で、成政は徳川家康と結び、秀吉方の
前田利家を攻めた。戦いは長期戦となったが、秋になって家康が陣をといたので、秀吉と徹底して
戦う気持ちを変えない成政は孤立してしまった。頼りになるのは家康しかいない。そこで、説得す
るために自ら家康に会いに行く決心をした。とはいえ、周りは敵ばかり。人目につかぬよう岡崎へ
行くには、冬場の立山越えしかない。
11月の末、成政は60数人の家臣とともに富山城を出て、すでに深い雪に覆われた立山に分け
入った。厳冬期の立山は、現代の本格装備を整えた登山家でさえ遭難する危険のある難所だ。
そこを防寒具も十分でないうえに重い甲冑を身に付けて登るというのだから、無謀なことではあった。
一人倒れ、また一人倒れして、信濃の野口村まで辿り着いたときには、わずか6、7人になっていた。
ここから家康の元に使者を送ると、家康も驚き、とにかく成政に会おうと、浜松まで迎えに出た。
成政は家康に会うと、必死に説得を試みた。 しかし、このときはすでに信雄も秀吉にまるめこまれ、
家康の元へも秀吉の使者が来て、和議が整っていたのである。
工作に失敗した成政は、仕方なく再び雪深い立山を越えて富山に戻ったが、この行軍で生き残った家臣
は、わずか6人だけだったという。
(本日は、これまで!)
358 :
赤城本命 :2006/12/10(日) 14:31:52 ID:???
大久保清も連合赤軍も殺して埋めるのは群馬県の伝統。
金の比重も考慮に入れておきましょう。私の記憶だと、19〜20かな? 仮に20として、幕末の財政逼迫を考え、銀、銅などを混ぜ、金の純度が50 %としても比重は10。18,000キロ=18トンは水なら18立方メー トルだが、比重10のものは1.8立方メートル、つまり縦、横、高さが各 1.3メートルあればよい。これはあくまで金のナゲットの場合ですが、黄金 を隠すには、思いのほか小さい空間で足りるのでは?全部小判だったのか、 大判や金の延棒、延べ板も相当量あったかも知れませんね。糸井さんゴメン!
360 :
165 :2006/12/10(日) 23:58:42 ID:???
んー そうすると赤城徳川埋蔵金の根本である360万両〜400万両が、 360万両〜400万両分の「金塊」ってことになってしまう。 当時の金塊がどれぐらいの大きさや重さだったかは不明だが、人が持ち上げられる重さだったことは変わらない。 万延小判(1860年、0.88匁、金含有率56.8%) 18,000kg×56.8%=10,224kg(金だけの重さ) それでも1t以上あるのかぁ 現在の金塊が、1kgが標準ですが、一本あたり当時のキリがいい1貫=3.75kgにしましょう。 千両箱自体の重さが非常に重かったことがわかったけど、今回は箱なしで 10,224kg÷3.75kg=2,726.6本 既出の荷馬の積載量が200kg(大八車はもっと積めますが、長距離は難しいらしいので、運ぶなら同じぐらいの積載量です) 200kg÷3.75kg=54.3333 まぁ54本にしておきましょう。金塊も2,727本にしましょう。 そうすると、荷馬50.5頭 約30頭減 人足や護衛もぐっと減って、150人(馬引き50名:護衛100名) んーそれでも目立ちますね。 7箇所に別けたとして、51頭÷7箇所=7.257頭 まぁ8頭かな 人足等24名で、監督1名で25名かぁ微妙だなぁ 大名行列や江戸下がりなどを見ていたと思われる庶民にしては見慣れた数かもね。 しかし、馬の数は仕方ないが、元結城探索人さんの言うとおりに金自体の体積は極少なくてすむ。 54本×8頭=432本=435.75kg(単車一台分の重さ(笑)) ちょっとの穴で簡単に隠せてしまうね。 そうすると、あの広大な赤城原野の中で、探すのは非常に困難になる。やはり目印がなければ掘り当てられないね。 幕府の御用金を隠そうとした時に「金塊」として蔵にあったかどうかには疑問が残りますね〜。 ただ、360万両というと、小判360万枚と思いがちだが、五両(十両もあったか?)小判や大判があったから、 同じ小判であってもこのような小判を使用すれば、もう少し少ない量になるかもね。
361 :
165 :2006/12/11(月) 01:02:03 ID:???
少し疑問だが、元結城探索人さんのおっしゃるとおりに 「大判や金の延棒、延べ板も相当量あったかも」(私も同意見です)とした場合に なぜ 360万両〜400万両分の小判換算になったかが疑問ですね。 ※幕臣・中島蔵人の話では、甲府城代の柴田監物とともに甲府の幕府御金蔵にあった24万両を運んだとされる。 ↑この時点では、小判(五両小判・大判=二十五両含む)換算だった。 んー大判はわかる二十五両相当(プレミアでそれ以上とも) 金の延棒、延べ板をもって小判の枚数を算出するのは、ちょっと難しい。 何度も登場してもらうが万延小判(1860年、0.88匁、匁=3.75g 金含有率56.8%) たった3.3gの小判である。おれの携帯電話(W43SA:重量133g)の方が重い(笑) 金としてみれば、1.8744g 初登場!万廷大判金 万延元年(1860年)〜文久2年(1862年):量目約112g 大判112g÷小判3.3g=33.9393・・・倍 まぁ34倍 それでも金は、63.7296g(もっと少なかったと思う) 参考までに十円硬貨は、4.5gである。大判=十円約25枚分 金としては、約14枚分 思ったより軽いね。 時代劇で小判が散乱すると、かなり軽い音がしていたに、あんな音すんのか?と、疑心を抱いていたが、今、納得した(笑) 話が横道にそれてしまった(汗) 大判は別として、金の延棒、延べ板を小判換算するには、金座や銀座の職人もしくは、幕府の要職の方々しか知りえないものだとも思う。 大判は、主に「贈答用」だったらしいので、幕府の蔵にあったかもしれない。 んー360万両〜400万両って数字が怪しくなってる。風説でこのような莫大な数字になったとも考えられます。 話を360万両の半値八掛け二割引で考えて、1,152千両 それでも莫大な枚数だね〜。 見つけたいね!
362 :
165 :2006/12/11(月) 01:34:43 ID:???
さて、明日は仕事だ もう寝ます。 小さい頃に駄菓子屋に小判チョコレートってのが売っていた。たぶん1個5円だったか10円だったな? 小判型のチョコの上に薄いトタンのような素材(亜鉛板かなぁ?)の金属製の小判が付いていた。 チョコより、その小判がものすごーーーーーーく好きで、お小遣いをもらう度に買っていた。 んで、その小判を空き箱に貯めていた。かなりの量を貯めた。 ある日、なぜか突然なぜそう思ったのかは、いまだに疑問だが 近所の公園の滑り台の上から全部ばら撒いてしまった。まさに大盤振る舞い状態(笑) もちろん小判は、群がる他の子供たちにGETされたりした。後で撒いた小判を数枚だけ発見して拾い集めた記憶がある。 今考えると・・・・取っておけばよかったなーー。本当にもったいなかった。 それ以降、小判に対して完全にトラウマになってる(笑) 数十年経った今でも、ガチャガチャ(ガチャポン?)の埋蔵金伝説(エポック)を年甲斐もなく買ったりした(笑) 小判への情熱は、ここから始まったかな(笑) え?本物を買えばいい? そんな金ないって(汗) 掘ってこっそりGETだぜ!(笑) 盗掘?埋めるやつがいれば、掘るやつがいて当然。 盗掘は、古今東西、昔からの職業?ですので、なんといわれようと私はいっこうにかまいません(笑) フィリピンのマルコス大統領だって山下財宝を掘り当て、その資金で大統領になったんでしょうから 掘り当てれば官軍です。 掘り当てられなければ・・・ただの変わり者ですかね(笑) まぁTVには出れるかな(苦笑)
363 :
165 :2006/12/11(月) 02:06:30 ID:???
あ 今見てたら 五円玉って、ちょうど1匁(3.75g)なんだってさ 五円玉より軽い万延小判って・・・・(泣) いくら財政難で改鋳したとはいえ・・・ひどすぎ おやすみ あ!ちなみにいくつかの候補地のひとつは、赤城や狩野より上の「沼田周辺」だったよ(笑) なぜそう思ったかって? 次回のお楽しみで おやすみー
埋蔵してあるとして、目印は必ずあると思います。しかし目印の真下とは限り ません。目印からの距離、方角はどうか?それから、金の純度が高いほど容積 は小さくてすむので、ピンポイントを確かめてからでないと手掘りは大変です ね。重機を頼む金がないので人海戦術で参りますか。(笑) それにしても・・ やっぱー、小型のレーダーと金属探知機ぐらいは用意したほうがよさそう。(笑)
365 :
伊達金玉砕 :2006/12/12(火) 04:44:10 ID:???
まんこー!イエーィ!
366 :
165 :2006/12/13(水) 11:41:36 ID:???
>>366 古今東西、私の知る限り「ダウジング」で「お宝」を発見したことは聞いたことが
ないなぁ。(笑)
しかし、しかしですょ、水道管等の発見には「威力」があることは、事実のようです。
今は、金属探知器の世界も日進月歩で、小型機会で高深度の地下を画面にして映し出せる
探知機が少し高価だが多数販売されています。
但し、購入する場合はパンフに頼らず、一度、地下の水道管・下水道管等で「試験」を
してから購入するように。(地下10bぐらいは、楽に探知するみたいですょ)
>>367 ホントですか?!金属探知機は実際のところ1〜2b以内かなと思っていま
した。地下10bも楽に探知するとは素晴らしいですね。地下5〜6bの
機械だといくら位するのかな?やはりアメリカあたりから買うんですかねぇ〜。
365 名前:伊達金玉砕 sage 投稿日:2006/12/12(火) 04:44:10 ID:??? まんこー!イエーィ!
市販の探知機について、詳しく知りたい方は、 ヤフー検索で「アイメックストレーズ」と書き込み 検索すると、金属探知器について、色々な物がわかります。
371 :
余談 :2006/12/17(日) 12:12:38 ID:???
余談になりますが、まぁ一つの「話のネタ」として、 この板に時々出てくる「戦中・戦後・フィリピン」等のお宝について、今発売されている ミステリー雑誌「ムー・1月号・bR14」に結構詳しく掲載されています。 興味のある方は、上記雑誌のP124『禁断の財宝「黄金の百合」の真実』です。 マルコス等の事も載っており、なかなか面白い内容です。(以下、少し書きます↓) ◎終戦直後、日銀本店の件の金庫には、大型石油缶の1缶に「25万カラット」のダイヤモンド が無造作に詰め込まれ、保管されていたという。 ◎特に、アメリカの情報機関OSSは、終戦の直前からフィリピンの「地下財宝」回収を極秘に 始めていた。 防衛の番人・山下奉文将軍の専属運転手(陸軍少佐)を拷問にかけ、埋蔵場所の大半は白状さ せたが、「14万トン」にものぼる「金塊」は、いまだ見つかっていない。 等々の面白い事が掲載されています。(金塊14万トンかぁ…世界が動くなぁ)
>>347 にアップされている「地図」、確か誰かが場所を「特定」していた事を
聞いたことがあります。思い出したら書き込みます。
何処だったかなぁ・・・
373 :
165 :2006/12/18(月) 03:01:22 ID:???
>>321 ネタとしては、非常にありがたいと思っていますが、山下財宝否定派なんで、一言いわせて(笑)
山下奉文中将は、1944(昭和19)年9月23日、「満州」から、戦局の悪化により第14方面軍司令官としてフィリピンへ赴任。
いいですか?満州からフィリピンです。マレーの虎だからって、マレー半島から後退してきたわけじゃないです。
フィリピン近海の制海権は、完全に米軍に落ちている。潜水艦ウヨウヨ
おまけに制空権も怪しいさなかに大量のお宝を日本の近所の満州から、わざわざ危ないフィリピンに持ち込むなんてありえないっていうか、無理(笑)
百歩譲って、満州〜台湾〜フィリピンを空路で行ったとしよう。
当時の最大機で、スタンダードだった一式陸攻:最大積載量800kg まぁ無理に積んで1tとしよう。
14万トン・・・一式陸攻14万機分。14万機もあったら苦労しないって(笑)
途中で戦況の悪化によりルソン島北西部の1,370mの高原に位置するバギオに司令部を移すしてます。
14万トンの金塊を車に積めないって
運転手が、佐官っていうのも信じられん。少佐=上長官=指揮官であって運転手をやる階級ではない。
ちなみに仕官というのは、大尉以下である。
大隊(兵400名〜1,200名)〜中隊(兵200名)を束ねる指揮官が、車の運転手?
少佐は、運がよければ参謀になれるが、まれである。
運転手兼参謀といきたいところだが、陸軍大学を卒業(参謀の資格)したヤツに兼務でも運転手をさせるのも考えられない。
まぁ山下の下には、名参謀である堀栄三中佐(平成7年没)がいたので、参謀兼運転手が存在したとは思えん。
仮に司令部所属の運転手だとしても、せいぜいいって少尉ぐらいだろう。
マルコスは、国民の関心事である山下財宝を見つけたって言うことによって、
国民の注目を浴びてカリスマ性をもたせるパフォーマンスとして利用しただけだろう。
山下財宝は、近代(約60年前)で、史実的に無理があるので、否定的です
374 :
余談 :2006/12/18(月) 18:33:39 ID:???
>>373 まったく反論するつもりはありませんが、私も一言(笑)
あくまで、ミステリー雑誌「ムー・1月号」の内容です。
マルコスについては、裁判になっている等の記載があります。
立ち読みでも結構ですので、一度内容をご覧になったら…(P124からです)
追伸、山下奉文が、どこからどこへ行ったか知りませんが、フィリピンの戦争時の
財宝を「総称」して、「山下財宝」と言っているのが通常みたいです。
追追伸、山下財宝について、私個人としては有っても、無くても、どちらでも結構です。
一つの「話ネタ」です。詳しくは、「ムー」の立ち読みをお勧めします。
「ムー」買ってきて読みました。話が大きすぎてどこまで信じていいやら・・・
376 :
165 :2006/12/20(水) 11:27:56 ID:???
堀りにいくぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
>>376 オゥ! 360万両だゾゥ! お上への届出は24万両とし、甲府分は実は
ここに埋蔵されていたのである、ということにすれば、残り336万両は
無かったことになるのだ!・・・・・馬を50頭用意するのだ!
378 :
現地調査人 :2006/12/20(水) 20:58:06 ID:???
165さん、来春の集合計画、いつでも待っています。ヨロシク 必ず、集合します!
379 :
現地調査人 :2006/12/20(水) 21:00:48 ID:???
春までに、「集合」の詳細をお知らせ下さ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い。
信じる者こそ救われる!
381 :
165 :2006/12/22(金) 15:24:23 ID:???
<企画> 1.事前打ち合わせ @埼玉県某所に集合し、私説や諸説、意見などを討論します。 A現地調査 参加・不参加の確認 ※免許証等身分証明書持参のこと 2.現地調査 9:00 現地集合:調査について簡単な説明 10:00 調査開始:古井戸の調査、碑石などの調査 12:00 お 昼:お弁当持参のこと 13:00 調査開始:ダウンジング調査及び周辺散策(おやつは500円まで バナナはおやつに含) 17:00 調査終了:おかたづけ 18:00 調査結果報告会 19:00 現地解散 3.調査後打ち合わせ @埼玉県某所に集合し、埋蔵金の有無や確立などの検討 A無いようなら解散、あるようなら役割配分 B盗掘準備(スコップ・作業着等) 4.盗掘開始(1回1箇所) ○人担当:○○市役所の"方"から来た。地質調査をする。 盗掘担当:ひたすら掘る 警備担当:交通整理等誘導 5.その他 @保管方法:当家に運搬、みんなで数えたうえで、レンタル倉庫に保管 A分配方法:山分け
382 :
現地調査人 :2006/12/22(金) 21:22:01 ID:???
概ね、了解!!!
383 :
黒部の太陽 :2006/12/22(金) 22:16:41 ID:???
参考(
>>357 )
軍資金埋蔵の機会その一は、この家康訪問のときだといわれる。富山を出発したとき、
家康への手土産として黄金を携えていたが、あまりの難行軍のために、やむなく黒部山中
に隠したというのである。
もう一つの説は、富山城落城のとき、黄金を城内から運び出し、黒部の針ノ木峠のあた
りに隠したというもの。成政は、
「秀吉の狙いはわしの首でもなく、この城でもない。四年がかりでわしが貯めこんだ金蔵
の黄金だ。百万両は下らぬ佐々家の軍資金を秀吉ごときに取られてなるものか」
と叫びながら、家臣に命令して当初黄金を信州へ移す予定で山へ向かわせた。しかし、立
山連峰の針ノ木峠にさしかかると、猛吹雪に見舞われ、やむなく付近の「七つの洞窟」に
黄金を隠すと、重臣の一人が監視のために山に残り、その後猟師となって財宝を守り続け
たという。
(本日は、これまで!)
今週号の週刊「プレイボーイ」P220では、「イメルダ・マルコス」の独占 インタビューが掲載されており、その中で「山下財宝」について、語っている。 ※週刊です。月間とお間違えないように!
埋蔵金発掘をしていた一家が昔いなかったですか? あの方たちは今どうなさったのでしょう? あの一家をTVでみてから幾年月。いまだ見つからず、ですね。 オカルト系実話恐怖漫画をご存知ですか? 埋蔵金関係を心霊方面で探すという企画だったのですが、 埋蔵金が発見されない理由を始めて知りましたよ。 埋蔵金が何分に大昔の話でございますから まぁ、そんな話があってもおかしくはないかしら?と、つい 思ってしまいました。失礼。
386 :
名無しの愉しみ :2006/12/23(土) 20:32:22 ID:9+4LRAtq
| .| /./ / | | _,,,,||,,,l.,,_ ト / | _ | .| / . | | .| | l .| .,-'|.l .|l .| `|. l ' /´ / / / | | |.| .| , |´ | .| | _|,_ l .| ./ ''`ト ./ / | | |.| | | .| |_,,l-,─-.,_、_ | / .λl,/ / . |. |. || | .| | /::::l ヽ `'' | / , ,.ミ,|´| ./ ,,,__.| .| ヘ .| | .|/ |:i::::::〉., ノl | / .// ∨| / `'' ‐ 、l | .|||l'l:|:|l:::::`':::::i´|| '' / ...:::::l..'' .`ヽ、 |:| ヾl.ヾ::::::::::| .|| ::::::::: l .\_ -''lヾ ヘ:、.ヘ;;_;ノ ノレ .l .ヾ=,,,_ .ヘ ,ヾ_,,=..''´.... _,,, / ヽ .i'`''‐--.〉''´ .ヽ:::::::: _,,, -‐'''´:::::l ./.| オナニーは1日10回までな! .\ ヽ`ニ / l. /:::::::::::::::::::::::/ i''ヘ .l `ヽ .l-‐''l / .l:::::::::::::::::_;;-ヘ l ヽ ヘ ./.`iヽ .|ヽ| ./ ,,,,,,,_.ゞ,,, -‐''ヽ. |.| .| ヾ.、.ヽ / /|.| ヽ .| .| /ヽ /:::::ヾ .| ,l '| .l.l '|ヽ.、.ヽ // /./.|,, -'''''''''''''''-.、.'-< .| ヽ /:::::::::lト''´ .| | | .i.| .ヾ.、.ヽ / / /./ ヽ,.` .l ヽ,'ノ/ ヾ_;;;l.l |/ .l l | ヾ.、lヘ ./ .//l i | .ヾ |:::::|.| .|' l// i.|| i.|
387 :
名無しの愉しみ :2006/12/24(日) 20:01:46 ID:fArWyA0t
小判の標本のレプリカみたいのゲットしたんだけど高いのかなこれって?
>>385 ・赤城の水野さんです。今も断続的に発掘されているようです。
・加門七海の「結界説」ですね。信じるか、信じないかは貴方しだいです。
但し、世の中には埋蔵金は「存在」します。
391 :
黒部の太陽 :2006/12/26(火) 13:54:48 ID:???
参考(
>>383 )
二つの話を、畠山さんの著書の中の「高尾覚太郎」の財宝目撃談等と合わせて考えると、
それぞれおかしな点が見つかる。前者では、一つ百貫もある黄金入りの瓶49個も、人力だ
けで雪中を運ぶことができたかという問題だ。全部で4900貫、18d強だから、家臣が
60人いたとしても、一人300`を担がなくてはならない。どう考えても無理である。
後者は、富山城が落城したのは夏の盛りの8月だから、いくら高山とはいえ、猛吹雪とい
うのは真実味がない。
だが、それでこの伝説の信憑性がまったくなくなるというわけではない。埋蔵金研究家の
畠山清行氏が、調査・研究の対象として数ある埋蔵金伝説の中からこれをベスト5に選ぶの
は、それなりの理由があるからである。
392 :
黒部の太陽 :2006/12/26(火) 14:21:28 ID:???
【第4話】畠山氏が示すX地点は? 長野県の中山喜一氏の探索記録が雑誌に発表されたのは、昭和33、4年のことだが、実は、 畠山氏も中山氏に情報を与えた高尾覚太郎本人と思える男から、同じ話を聞き出しているのだ。 時期は昭和4、5年頃。場所は市川の草競馬場で、そこで偶然出会った高橋という男(畠山氏は、 そう記憶していた)が、立山の山中で瓶に入った黄金を見たことがあるという話を聞かせてくれた のである。内容は中山氏が高尾から聞いたこととほとんど同じで、違っていたのは、彼を山に連れ て行った山岳研究家と称する男の名前が、上山ではなく黒川だったということ、目撃した財宝が、 瓶49個ではなく3個だったということだ。ただし、黒川は、それが財宝の全てではなく、他にも 6つの洞窟があり、それぞれ瓶が3個ずつ入っていると言っていた。 また、黒川が爆発事故で死んだのは、北海道の幾春別だったということや、瓶3個のうちの1個は、 半分ほどに減っていたということを聞き出していた。 畠山氏は中山氏と同様、最初はでたらめだと思ったが、調べてみると立山の地形などが話の通りで 嘘偽りがあるとは思えない。信憑性の高い埋蔵金話として雑誌や著書の中で発表したこともあった。 それに中山喜一氏の探索記録が重なって、畠山氏は俄然この伝説に引き込まれていったのである。 (本日は、これまで!)
393 :
梅雪 :2006/12/31(日) 18:22:23 ID:???
皆さん年末忙しそうで、書き込みが止まりましたね。年末年始の休み中に来 春の探索計画を立てましょう。私は梅雪の埋蔵金です。ほぼ候補地域を確定 しましたざんす。後は春になったら我が推理の正否を確かめるのみでありん す。
394 :
忍 :2006/12/31(日) 22:39:14 ID:???
●成政さんへ● 今年最後の私の「懇願」です。 成政さんにとって、「無理・迷惑」なのは、百も承知でお願いしています。 このページに書き込む内容は、成政さんもご承知のとおり、埋蔵金探索という性質上、 言葉を選んで、みなさんが書き込んでいます。 ここのページの性質上、書き込めない内容等も多くあります。 私の一方的な思いだと言うことは、十分承知しておりますが、どうしても成政さんと 「個人的」に「意見交換」いたしたく、下記の「アドレス」を掲載します。 必ず、返信しますので成政さんからの「連絡」を切望いたします。 『 shinobi . 524 . takara @ hotmail.co.jp 』 無理を承知で、お願いしている私の胸中をどうかお察しくださるよう、よろしくお願いいたします。 ※追伸、 最後になりましたが、「埋蔵金発掘が趣味の人」達にとって、来年は、「猪突猛進」ではなく 着実・確実に進んでいただき、「発見・発見・大発見」の年となるよう祈念して今年の書き込 みを終わります。みなさん、来年こそは良いお年を!!!
395 :
165 :2007/01/01(月) 00:25:39 ID:???
新年明けまして おめでとうございます 今年は、ここ掘れワンワンから、土にまみれてお宝を掘りくり出す猪になりたいと思っております。 2chを通してお宝を掘り当てるという方々が現れるのを心から楽しみにしております。 みなさん頑張りましょう!
396 :
165 :2007/01/01(月) 00:27:15 ID:???
あら? 新年早々から誤字か・・・。 まぁ 掘るよw
397 :
名無しの愉しみ :2007/01/01(月) 08:58:04 ID:Lf0HWCsa
>>387 >小判の標本のレプリカみたいのゲットしたんだけど高いのかなこれっって?
そういうのはだな〜、猫に見せると立ち所に分かるんのを知っとるか?
もし猫が見向きもせんだら、本当の小判で、ちょっとでも興味を示したら、偽小判だ。
何せ「猫に小判」という諺さえ有るぐらいだから。
398 :
梅雪 :2007/01/01(月) 11:20:48 ID:???
新年 おめでとうございます。 今年掘り出さなければ掘り出すときがない、という気持で頑張りましょう。 ・・・よく考えると、今年誰かが1ヵ所発見するということは、日本国中の 埋蔵金話の一つが消えるということですね。記録をとっておきましょうね。
399 :
名無しの愉しみ :2007/01/01(月) 11:43:49 ID:Lf0HWCsa
埋蔵金があまりに多額で(今の単位で何十兆〜何百兆円)、 それに因って日本の景気がドッと活気付くと良いですね。 (但し、多くの人が無駄遣いをして、直ぐ無くなるかも)
400 :
現地調査人 :2007/01/01(月) 18:51:30 ID:???
>>396 掘るのなら、何処へでもお供いたします!
今年も、よろしく!
今年こそは、この板の誰かが「発見」し、日本に「埋蔵金」が存在する事を、 世に知らしめましょう。 ※各自の成功を祈る!!!
403 :
一口 :2007/01/02(火) 21:12:14 ID:qeviBBlY
新年明けましておめでとうございます。 久しぶりに 拝見しました 色々教えていただきたく再度訪問いたしました。 よろしくお願いします。又この板に変なチャチャがはいらないことを 祈っています! まあ さておき 本年もよろしくお願いします
チャチャ入れるつもりはないけど埋蔵金だろ? そんなの本当にあんのかよ? そんなん出てきたらすげーなーよな。 考えただけでも腹一杯になるよw 毎日釣りに行ける! クルーザー買える! 島勝って釣りし放題!
>>403 へ 書き込みは、
>>183 で、お願い!
>>404 へ「埋蔵金」は、必ず有ります!
「有ります」と言うより、世の中には、もうすでに「発見」している人も「確実」
にいます。ただ、埋蔵金ゆえ、世に公表出来ないだけです。
406 :
404 :2007/01/03(水) 00:01:47 ID:???
>>405 あ、そーだったんだ!
俺はテレビの埋蔵金発掘の嘘臭いのしか見た事ないから疑ってた。
こりゃ失礼しました。
407 :
松平太郎 :2007/01/03(水) 16:57:53 ID:0wNuMc8p
本年もよろしくお願いします。 特に黒部の太陽様の佐々成政の埋蔵金情報 期待しております。
408 :
165 :2007/01/05(金) 11:16:27 ID:???
近年、埋蔵金が発見されない理由は、ずばり法律の壁でしょう。 拾得物として扱われるのはまだしも 持ち主(子孫)が判明したときや、文化庁に押収されたときの微々たる謝礼など 堀り損、見つけ損になったりもします。 また、地主との折半などなども弊害になっております。 隠した方からすれば、こっちが埋めた(隠した)んだからという話でしょうが、 すっかり忘れ去られた物を見つけた割には、見つけた人への冷遇が、 「埋蔵金を発見しても黙っている」につながっていると思います。 私たちが知らないだけで、数多くの埋蔵金が掘り出されているものと思われます。
●
>>408 ⇒そのとおり!!!
貴方の言うとおり、この世の中には、埋蔵金の性質ゆえ、公表していない人が
何人もいます。
165さんへ、今年の貴方の「動向」を大いに期待しています。
助っ人がいるなら、いつでも「スタンバイOK」です。
●
>>407 「松平太郎」さんへ、書き込みは、
>>183 で、お願い!
※この
>>183 をクリックするとわかります。
埋蔵金の「発見」は、「実現」できる「夢」である!
テレビ番組では、埋蔵金の「発掘」は放映しても、「発見」は、放映しません。 ※放映しません。と言うより、「発見」する人は、基本的にテレビを使いません。
411 :
松平太郎 :2007/01/06(土) 12:53:29 ID:???
失礼しました また ミスしてしまいました 暗殺されそうです 気をつけます
今年は誰かしら発見がありそう!発見した人は匿名でいいから発表して 下さいね!
413 :
黒部の太陽 :2007/01/07(日) 01:17:57 ID:???
『賀正』 参考(
>>392 )
中山家を訪れて喜一氏の子息・喜典に話を聞き、古記録をあさり、立山・黒部に詳しい登山家の
話も聞いた。また、長年この財宝探索を行っている東京在住の写真家佐々木氏にも情報を求めた。
そして、高尾(高橋)の話にある鍬崎山をはじめ、有峰、針ノ木峠周辺を調査した結果、最終的に
埋蔵のX地点を割り出した。そこは、平の渡しから針ノ木峠にいたる針ノ木谷である。畠山氏は、
埋蔵の機会は落城の際ではなく、徳川家康を説得するために浜松へ赴いたときだろうと考えた。
出発のときは60人以上の家臣を率いていたのに、浜松到着時には、わずか6、7人になっている。
最終的に6人が富山に帰り着くのだが、往路だけで50人以上もの犠牲者が出るというのはあまり
にも不自然である。厳しさは往路も復路も変わりなかったはずだからだ。多数の犠牲者が出たという
のは偽りで、そこに隠された「事実」があるのではないだろうか。
(本日は、これまで!)
414 :
一口 :2007/01/07(日) 12:19:18 ID:1j/4aCrv
黒部さんへ 60人引く7人(本人入れて)で53人まあ かりに50人として 7人で50にんをそれもいっぺんに殺さなくてはいけません 又 残りの6人には埋めた場所を知られては後々困るわけですから その点どのように推理しますか。
>>414 一口さんへ、この板への「書き込み」は、
>>183 で、お願いします。
※この
>>183 を「クリック」するとわかります。(書き込みのマナーです)
416 :
”管理”人 :2007/01/07(日) 15:19:57 ID:???
この板に、書き込む場合は、「名前:」の欄に自分の「ペンネーム」等を入れる ※但し、ペンネーム等が無い場合は、無記入でも結構です。 その場合、書き込み表示は「名無しの愉しみ」と入ります。 その次に(ここが、重要ですょ!)E−mail(省略可)の欄に小文字で「sage」と 「必ず」書き込んでから、本文を書き込みます。必ずですょ、みなさん! このようにすると、「掲示板」の順番が「最初」に戻らないため、「嵐」に会いにくい ということです。マナーです、ご理解下さい。
>>183 のマナーは初めての人には分りません。一口さんを責めることは出来な
いと思います。書き込み欄のどこかに、183の注意事項を付記することは
できないのでしょうか(管理者さんへ)。「板荒らし」を避けるために、と
理由を書いて。新しい仲間が増えることを望むなら、その都度注意は管理者
さんも大変でしょう。
418 :
名無しの愉しみ :2007/01/07(日) 15:52:07 ID:6X4DLzBB
「埋蔵金盗掘が趣味の人」に改めた方がいと思いまんこ。
↑ こういう事になります。 誰も一口さんを責めているのではなく、この板が、気持ちよく続けられるための ご協力のお願いです。
165さん、今年の「徳川埋蔵金・猪突猛進・発掘発見ツアー」の開催を 楽しみにしていますょ!
今日から、NHK大河ドラマでは「風林火山・山本勘助」が、始まった。 武田のお宝するかしら・・・
422 :
赤城本命 :2007/01/07(日) 22:49:11 ID:???
おめでとうございます。 皆さん今年もよろしく。
423 :
梅雪 :2007/01/08(月) 09:33:04 ID:???
NHK「風林火山・山本勘助」は勘助の戦略と生きざまが主題と思うので、お宝 しないと思いますが、信玄の侵略ルートは地図とにらめっこして確認してお けば後で役立つかも知れません。 八ヶ岳山麓の信玄が造った高速道「棒道」に沿って、数か所、緊急用軍資金 が埋蔵されていた(既に誰かが発見している?)と言われています。
424 :
名無しの愉しみ :2007/01/08(月) 11:15:59 ID:JEkRCS5z
>>417 本気で言ってるならアホスwwwwwwwwwww
晒しageちゃえ
425 :
165 :2007/01/08(月) 11:16:41 ID:???
今さっきTVで八重野の日本トレジャーハンティングクラブやってたよ。
内容はこうだ
幕末最後の年に、金の海外流失を恐れた幕府が牛8頭に千両箱を2個づつくくりつけて
群馬県片品村にある休眠した金井沢金山に運んだそうだ。
その額30億円らしい。
炭焼きが大変なものを見つけたらしく、(相変わらず)埋蔵金の場所を記した謎の絵図がでてたよ。
VTRを見る限りに朝から昼までに登れる距離に金山跡地があったな。
金山跡地らしく石臼が数個あった。家屋は朽ちても石臼は朽ちないからね。
TVで「埋蔵金の場所には、必ず石臼がある」みたいなことを言っていたけど、
鉱山なら当然飯場ぐらいあっただろうから石臼はあって当然である。隠し場所の目印でもなんでもない。
それと、金と書かれた鎮守だろうな。社(やしろ)を模した石物もあった。
古くから八重野のHPで紹介されているが、なんで放映されたかは疑問。
車が、今はほとんど見ない旧旧型のハイラックスサーフだったので、以前に撮られたものかもしれない。
金山の場所は下記のURLにあります。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=36/49/55.872&el=139/13/09.665&scl=250000&bid=mlink 金井沢釣堀園というところから、3キロほど小沢に沿って入ったところにあるみたい。
相変わらず・・・・埋蔵金=群馬県=幕末=御用金=絵図
見つけた炭焼きがなんで持ち帰らなかったかも疑問だな。
金山跡地なんかに埋めたら・・・後世でも探検しようと思うヤツが出てくるだろうに・・・見つかるじゃん。
それでも当時の頭で金山跡地を利用して埋めるならば、かたっぱしから金山跡地を探せばいい。
426 :
165 :2007/01/08(月) 11:34:07 ID:???
TVで、場所は教えられないと言っていた。 TVを見て実際掘りに良くヤツが後を絶たないらしい。 まぁここが現在雪の中だろうから5月ごろまで掘れないだろうけどね。
427 :
名無しの愉しみ :2007/01/08(月) 14:25:54 ID:Wmlpw+Oc
元旦の「金運」テレビで、赤城の水野さんが映っていた。 暗号は、100%解読したと言っていましたが、それなら見つかるのでは???
428 :
名無しの愉しみ :2007/01/08(月) 14:55:38 ID:Wmlpw+Oc
立山・黒部アルペンルート南側の谷筋に、「佐々成政」の埋蔵金有り!
>>425 埋蔵地の岩には、確か、鍬を交わらせた×みたいな印がある場所では?
みなさん、今年は出しましょう。 小物・中物・大物を!!!
432 :
一口 :2007/01/09(火) 20:01:10 ID:???
これでいいのかな? ご心配かけました!(別に心配してないかも?)
「ムー」1月号読みました。隠語「黄金の百合」の黄金は金塊14万トンで いまだ見つかっていないそうです。いわゆる「山下トレジャー」です。 ところで、1月7日の朝日新聞「be]紙面によると、これまでに人類が掘り出 した黄金の総量は五輪プール3杯分の約15万トンだそうです。 どちらかが間違っているどー。
434 :
165 :2007/01/11(木) 00:23:43 ID:???
んー なんか板が寂しくなっているので書き込みを
以前、埋蔵金の隠し場所として「沼田周辺」を候補にあげました。
なぜ沼田周辺なのかは、沼田・水上周辺には、江戸時代以前からの5つの金等の採掘跡が集中しています。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=36/48/17.808&el=138/55/26.431&scl=250000&bid=mlink ←マピオン
http://b-files.hp.infoseek.co.jp/lib/JP-A-2001-42765/000026.gif ←水野家の謎の絵図
江戸時代の一般の人が作成する地図は、かなりアバウトです。(国土地理院の江戸時代の民間の地図参照)
川が蛇行している部分もありますが、簡単に書けば絵図みたくなると思います。
では、マピオンの「水上駅」を中心として、ちょっと拡大(1/21000)して利根川を見てください。
ゆびそ駅の下から右に分かれる利根川があります。その先には藤原湖
絵図左の二股に分かれた「※川とします」が、あります。右側は利根川の本流なので太く長く
その先の等高線みたいな線の間隔が広くなっていきます。湖を表すとすれば、なんとなくそれにも見えます。
絵図面右端の川の支流とおぼしきもの水上駅の下の「かの沢」になります。しばらく行くと図面の波のようにチョロっと分岐しています。
では、「中」はどこかというと、地図をみると石器時代住居跡というのがみつかります。
「結城のお宝同様」に当時もなんらかの痕跡があったかもしれません。地名も「大穴」だしw
○や▲は、この場所を特定する目印(木、石等)であって、宝のありかを示す記号ではなかったのです。
では、お宝はどこに? 名前はあえて伏せておきますが、この付近には忘れられた詳細不明の鉱山が存在します。
1911年発行の黒鉱鉱床調査報文にわずかながらの詳細がありました。この鉱山の調査は、明治四十年に調べたと記載されています。
その時点で閉山になっていました。原文「○○村ニ通スル道路ヲ東スルコト五丁許ナル村落ノ傍ニハ?テ探鉱ヲナセシ跡アリテ・・・」
かなり昔から存在していた鉱山です。主に鉛・亜鉛で、金は、0.0005%入っているそうですw
ココがあやしい! と、思ったんだけど、ほかに候補地見つけたのでした。
また、群馬に鉱山は複数つ存在していて、特に沼田・水上周辺に集中しています。
435 :
165 :2007/01/11(木) 01:25:03 ID:???
ここでみなさんにひとつ問題を投げかけたいと思います。
>>208 の書き込みの通りに甲府分24万両の存在があった可能性があります。
文中に「榛名山の隠匿場所に行ってみたところ、すでにそこは掘り出されていたので」とありますが
実際にわざわざ穴を掘って埋めたのでしょうか?
掘って埋めたならば、詳細な地図と、目立つ目印が必要です。木や石では、木を隠すなら森の中というぐらいですので見失います。
では、石?石も相当目立つやつじゃないと見失いかねません。
神社仏閣を目印にした場合には、近隣に人がいるので持ち去られる可能性もでてきます。
山奥のとっくに閉山された鉱山跡なら比較的わかりやすそうじゃありませんか?
短時間で隠せるだろうしね。
また、着眼点が鉱山という私と一緒の見解の八重野氏は、金井沢金山跡を探索していましたが、
金山の場合には、閉山していたといえども金山ですから、当時でも金(砂金等)の残りカスを狙う輩が来る可能性があります。
また、まだ掘れる可能性があると思って訪れる人もいるでしょう。その際に発見されてしまう可能性がでてきます。
では、閉山された鉛鉱山ではどうでしょうか?
江戸時代に鉛おしろい(化粧品)が利用されていましたが、閉山となった鉛鉱山へ残りカスを狙いに行くでしょうか?
鉛鉱山と書きましたが、亜鉛・硝石鉱山でも同様です。
金・銀・銅鉱山ならば、閉山後にも人が訪れる可能性はあります。特に砂金が取れる金山は論外です。
みなさんは、どう思われますか?
おやすみ
>>434 >>435 「さすが」の一言です!
前から有る物(穴)を利用して隠す、一番早くて済む。理にかなっています。
後は、あなたからの「春の集合」合図だけですね。
>>432 一口さん、 そのとおり。
心配してましたょ。
今年こそは「徳川埋蔵金」発見するぞおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ
おっと、大切なことを忘れていました。
私は、埋蔵地を知りません。知らなければ、当然「発見」できません。掘れませ〜〜〜〜〜ん。
165様・様・様
>>434 の下から2行目「ほかに候補地見つけた」とある、候補地を
教えてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ
これから、堀に行きます。
この板、2週間後に使えなくなるの?
440 :
165 :2007/01/13(土) 10:52:25 ID:???
>>435 のつづき
八重野氏が、炭焼きが後世に残した絵図自体が、金山自体を指し示す絵図だったのではないかと思っています。
金山自体幕府や土地の豪族の所有で、かなりきつく管理されていたと思います。
アメリカのゴールドラッシュみたいに一攫千金を夢見る民が大挙して押し寄せることはなかったでしょう。
むしろ極秘裏に採掘が行われていたと思われます。なぜならば、優秀な金山だとわかったら近隣の豪族達の標的になるからです。
実際に金山をめぐる戦は多発しております。
そこで妄想ですがこんな感じで
ある日、炭焼きが山に入って木々を伐採していたところ、偶然にも昔に閉山され忘れ去られていた金井沢金山跡を発見してしまった。
当時この金山のうわさには聞いていたが、場所等の詳細を知るものは皆無だった。
しがない炭焼きなので、金も労力も乏しいために閉山跡を掘り返すことができなかった。
しかし、金山跡には、まだまだ砂金や金鉱石があると思い、(まぼろしの)金井沢金山の場所の絵図をしたためることで
後世の子孫に採掘を託すとともに末裔の繁栄を願った。
こんな感じだと思う。
なぜなら皆さん!みなさんが何らかのきっかけで、ひとりで「金塊等」を発見したらどうしますか?
その一部でも持ち帰ると思いませんか?
この炭焼きは「大変なものを見つけてしまった。」というだけで、なにも持ち帰っていないと思われます。
なぜならば、持ち帰っているなら子孫に絵図を残す必要が無いからです。
埋蔵金ならば、一両でも十両でも持ち帰るでしょう?私なら少しづつ持ち帰りますね。
持ち帰った金でその山を買って堀まくります。
まぁ炭焼きが、日本昔話に登場するような絵に描いたような正直者だったら話は別ですがw
正直者が見つけたその財宝で、村は豊かになりますた めでたしめでたし・・・。
ですが、土地の領主に報告することもなく、子孫に伝えようという時点で、正直者ではなさそうですw
そう考えると、埋蔵金を発見したのではなく、まぼろしの金山自体を発見したと思います。
441 :
黒部の太陽 :2007/01/14(日) 13:37:35 ID:???
参考(
>>413 )
つまりである。この遠征は、かなり綿密な計画のもとに実行された。要所要所にキャンプを設営して
人と食料を置き、遭難を防ぐための努力を惜しまなかった。同時に、軍資金の埋蔵もこの機会に行うこ
とにした。四面楚歌の成政にとって、富山城周辺には軍資金を隠す安全な場所などどこにもない。地形
を熟知した立山こそ、安全で有利な場所となるだろう。浜松遠征の際のキャンプ地は、そのまま軍資金
の埋蔵地となり、監視のため、猟師などに身をやつした家臣をそれぞれの地に残したのだ。
以上が、畠山氏の推理である。そして氏は、写真家の佐々木氏から決定的な情報を入手した。針ノ木
峠の立山側の窪地で、瓶2個と白骨一体を発見したというのだ。瓶の1個は、バラバラになっていたが、
もう1個は原型をとどめており、素焼きの地肌に菱形の紋様が描かれていた。これは佐々家の家紋「滋目
結(しげめゆい)」にまちがいない。何らかの理由で、一部がすでに世に出たということだろう。埋蔵金
の総額が、伝えられるように「百万両」あったかどうかは何とも言えないが、これはあくまでその一部で
あって、まだ眠っているものがあるはずだ。分散して隠された可能性もあり、鍬崎山や有峰あたりも怪し
いが、「本命」は「針ノ木谷」と考えてよい。畠山氏は「確信」に満ちた答えを、昭和51年に発刊した
『眠ったままの埋蔵金・初めて証した確信のすべて』(青春出版社)の中で発表した。
(本日は、これまで!)
速報!!! 「結城の埋蔵金」の大御所「石嶋文子」氏が、ペンネーム「大谷聡子」で、 文芸社より、明日1月15日発売で「岐路に立つ」を発刊される。 特に埋蔵金とは関係なく、石嶋さんの人生の「一代記」です。 興味のある方は、各書店へ、定価(税込み)1,155円です。 ◎文芸社 東京都新宿区新宿1−10−1 рO3−5369−2299
山でも開発される今日この頃、みなさん早く見つけましょう。 自力・他力・共同、何でも結構です。 早くしないと開発、開発で、目印等が無くなりますょ。 みなさん、重い腰を上げて、この春には活動せょ。 何らかの理由で、今後も現地に行けないで確かな情報だけ温存している方、 この際だから、この板で発表しましょう。 そうしないと、永遠にお宝が世に出ませんょ。それで良いのですか? 出してこそのお宝です。 発表者求む! 確かな情報、確かな人へ!!!
444 :
165 :2007/01/17(水) 11:42:44 ID:???
えーココで発表するのはねー 一足先に掘り起こされてもいやだしー
いやいや、165さん、行動している人のことではありません。 何らかの理由で、確かな情報だけを持っていて、それを「温存」している人達のことです。 今後、活動しないなら「宝の持ち腐れ」ということです。 確かな情報、確かな人へ!です。
446 :
165 :2007/01/17(水) 18:30:47 ID:???
なるほど^^ 実際に各地の埋蔵金に関係した人の末裔の方々もいらっしゃるわけですから なんらかの古文書、言い伝え等があってもおかしくないですよね。 確かな情報、確かな人へ! どっかの企業CMみたいでかっこいいです^^
くどいようですが、もう一度「募集」します! 何も、今すぐにとは言いません。よ〜く考えてください。 ・何らかの埋蔵金に関する「古文書」や「絵図」等を持ちながら、「発掘」には、 全然興味の無い方。 ・今まで研究し、確信を掴んだが諸般の事情等により、今後は「発掘」出来ない方。 ※病気等も含む。 このまま、むざむざ地中等に「お宝」を眠らしたままで良いのですか? 世の中には、貴方の「情報」を喉から手が出るほど待っている人々がいます。 当然、「今まで苦労して研究してきた物を」又「ご先祖様の物を」等と、考えられる お気持ちはわかります。 しかし、しかしですょ、このまま貴方が何も「アクション」を起こさなければ、それは 単なる「無」です。 今後、何もしない、できない、のであれば、その情報を待っている人々に心大きく 「開放」してはどうですか? 一度、よ〜くご検討ください。 心の広〜い「確かな情報」を持っておられる方、書き込みを期待しています。
追伸、 当然ですが、活動中の165さんの情報は今後も期待しています。
449 :
165 :2007/01/18(木) 09:40:42 ID:???
・今まで研究し、確信を掴んだが諸般の事情等により、今後は「発掘」出来ない方。 ↑わたしはココに当てはまるのかな?w 群馬まで行くのがめんどくさいのと、一人じゃ寂しいのぉ〜(星野あき風)
>>449 へ、貴方は、立派な「活動中人」です。
ただ、「現地まで行くのがめんどくさい」「一人は寂しい」でやらないのは、
徳川をやっている者にとって、逆に非常に寂しい限りです。
そこまで解っているのなら、貴方がやるべきです。
いらぬお節介ですが、上記の理由なら、それは、理由にはなりません。
(私個人の勝手な解釈ですが…)
しかし、しかし、諸般の事情等で、どうしても今後は「発掘」できないのなら、
今まで同様、これからも、この板で貴方の許せる限り、書き込みをお願いします。
この板の「信用度」もありますが、一人で寂しいのなら仲間を募るのも、一つです。
(かなり、難しいですが…)
貴方の今後を期待します。
今は、貴方は、
>>447 には当てはまらないと理解しています。
徳川は三大埋蔵金の一つじゃけん、「大埋蔵金」あるよ。 一人で手掘りは無理あるよ。腰痛めるあるよ。 本格発掘前に試し掘り必要かもね。機械掘りじゃけん軍資金も必要あるね。 どう攻めるあるか。
452 :
珍珍来 :2007/01/20(土) 23:14:38 ID:???
>>451 さんへ、
赤城ではなく、徳川と書き込むところが、グッ〜ド!
徳川は、やはり赤城ではなく赤城に近い周辺か?
確信を掴んだら、軍資金を募るあるね。
軍資金を募る前に、高感度の金属探知器で探すある。
高感度探知機なら、地下20bでも楽勝ある。
しかも、地下の形状まで解るある。
453 :
165 :2007/01/21(日) 00:10:52 ID:???
やべー 華僑が金の匂いを嗅ぎつけてwww 中国景気いいからチャイニーズ資金が流入か!?w
「徳川埋蔵金」は、本当に存在するのか? @有るには有ったが、今は既に掘り出されている。 A有るには有るが、有る場所は「赤城山」ではなく別の場所に埋蔵されている。 B有るには有るが、赤城山中の「水野氏」とは別の場所に埋蔵されている。 C赤城山は、偽装で実は、別の場所に埋蔵されている。 D赤城山は、偽装と思わせて、実は赤城山に今も眠っている。 どれが「真実」なんでしょうか? 165さん、赤城本命さん、教えてたもれ〜〜〜! 恐縮ですが、その答えの意味もお願いします。
日本人甘いあるね。中国人「金」あるわかる直ぐ掘るあるね。 中国全部掘り尽くして雑草も生えてないあるね。砂漠あるね。 ワタシ、徳川の場所わかる直ぐ掘りに行くあるよ。 我急掘宝(ガーキューホーホー!)
456 :
165 :2007/01/23(火) 10:45:07 ID:???
>>454 私の考えとしては、@〜Dすべてに当てはまると思っています。
以前にも書きましたが、
@埋蔵金を埋めた人達が、すでに掘り起こしてしまったかも。
A古今東西多くの方が挑戦しているがでていないってことは、赤城山麓以外の別の場所の可能性もある。
B赤城周辺のは、多くの廃坑が存在します。井戸を掘ったり、パワーシャベルで大穴を掘る必要があるかも疑問です。
CAと重複
D赤城山麓も広大です。偽装ではなく単に場所の検討がつかないだけかもしれません。
「真実」は、掘り当ててみないとわかりません。そもそも存在自体本当かとうかわかりません。
ただ、ひとつ言えることは、「有るかもしれない」です。
私は、「1.赤城以外の場所 2.八卦などにこだわらず、もっと簡単に埋めた場所がわかるような場所」を基本としています。
>>456 ご返答、ありがとうございました。肝に銘じます!
買いました、買いました。 結城の埋蔵金の大御所、石島さんの著書「岐路に立つ」(ペンネーム・大谷聡子) 石島さんの波瀾万丈の一代記、大変面白く読ませていただきました。 しかし、ちょっと残念なのは、埋蔵金関係の事が一言も触れられていませんでした。 今の石島さんの「人生」の最終目的である結城の埋蔵金「発見」を心よりお祈りします。
た、た、大変だぁ〜。 大国中国に、日本の日本の、しかも徳川の埋蔵金が取られるぞ〜。 165さん、赤城本命さん、急げ、発見へ! 455さん、お金が有るなら発見などせず、この板で場所を公表して下さい。 恵まれない子羊に愛の手を!!!
460 :
赤城本命 :2007/01/23(火) 20:30:57 ID:NEZz9EKP
>>454 赤城西麓説です。ただし水野家のある場所ではありません。
埋蔵金の存在は165さんと一緒。あるかもしれない。
私は徳川埋蔵金は計画的なものと思っています。
461 :
赤城本命 :2007/01/23(火) 20:32:35 ID:???
ごめん。あげちゃった。
徳川埋蔵金の存在を信じる人は、発掘に向けてもっと努力するべきじゃ! 水野さんの二の舞をしろとは言わんけんど。
463 :
165 :2007/01/25(木) 01:25:34 ID:???
お 赤城本命さん お久しぶりです。 赤城西麓説ですかぁ ふむふむ 私も「2.八卦などにこだわらず、もっと簡単に埋めた場所がわかるような場所」 と、書きましたが、計画性はあったと思っております。 なんといっても幕府の御用金ですからね。 あてもなく運搬して、あーここでいいや埋めちゃえってことはなかったとおもっています。 しっかり下見や準備をしてから実行された計画には間違いないでしょう。 ただし、大規模土木工事をしてまでも埋めたかというと、いささか疑問なのです。 富士山麓の武田信玄の埋蔵金みたいに上下左右に大きな岩を組み合わせて、 穴から向こうの岩を丸太で押すと奥の岩が奥に転がって左右の岩が開いてその下からお宝が・・。 というようなトリックもなかったと思います。 埋蔵金は、数mずれればハズレですから非常に難しいですね。あと横に数m、下に数mとなってしまうことでしょう。 まさに水野さんみたいに切り無く大穴を掘り続けるハメになって破産してしまいます。っていうかそんな資金ありません。 こうした思いから、ピンポイントにピンポイントにと考えてしまうのはよくないことですが・・・。 なるべく安くあげるように努力いたしますw
今年は亥年、何か例年にない動きがありそうですね・・・
>>460 ご返答ありがとうございました。益々混乱か?(私の頭の中が…)
466 :
現地調査人 :2007/01/25(木) 23:40:33 ID:???
>>463 安くあがるよう、人力は、お任せあれ!
追伸、
貧乏人の我々にとって、ピンポイントにピンポイントを考えるのは、
「自然の理」です。
これからも、益々の「検証」をお願いします。(他力本願で、申し訳ない!)
但し、何回も言いますが、いつでも貴方から、お呼びが掛かれば参上します。
そういう人間が、少なくとも一人いることをお忘れなく。
467 :
黒部の太陽 :2007/01/26(金) 21:36:42 ID:???
参考(
>>441 )
【最終話】今も続く、北アルプス山中の財宝さがし!
畠山氏が新説を発表した後、鍬崎山を中心に探索を行った人達がいる。浜松出身の田中氏と
大山町の本原氏らだ。
昭和53年の夏、田中氏は、本原氏に鍬崎山の案内を頼んだ。田中氏の本業はタクシーの運
転手。当時、東京で半年働いて資金を貯めては、方々を埋蔵金探しのために歩いていた。彼が
鍬崎山に目を付けたのは、中山喜一氏の探索記録の中で、高尾が財宝を目撃したのが鍬崎山だ
と書かれていたからだ。本原氏は県営ゴンドラスキー場駅の駅長で、このあたりの山に詳しい
ということから、田中氏が案内人として選んだのだったが、意外なことに、本原氏はこの埋蔵
金伝説に関する貴重な情報を握っていた。
本原氏の本家が大山町で旅館をやっていた明治の中頃、宝探しをしていた静岡の高尾と熊本
の上山という男が泊まった。宿を発つ朝、二人は世話になったからと言って、『笹金』の刻印
を押した黄金判を一枚差し出した。主人は驚いて、「宿賃は、きちんといただいているから、
そんなものを受け取るわけにはまいりません」と固辞した。これは、本原氏が子どもの頃よく
聞かされた話である。高尾と上山が富山を去った後、富山市内で7枚の同じような判金が見つ
かったとも伝えられる。
(本日は、これまで!)
468 :
赤城本命 :2007/01/27(土) 00:46:55 ID:???
165さん ピンポイントは必要ですね。 ここら辺とかいうと、結局はその周囲をすべて掘り返すことになりますから。 私は大きさとしては四畳半程の広さを考えていますので、誤差の範囲も それ以下でないと、発掘は難しいと思います。
>>468 小判の「基」の「ほうまきん」だけなら、四畳半程度で済むかもわかりませんが、
小判、大判、その他の物を一緒に一か所に埋めたのなら、もう少し「大きさ(広さ)」が、
必要では?(遊びの部分も含んで)
但し、何ヶ所かに分散したのなら、一か所四畳半で十分ですが。
赤城本命さん、貴方の「確信」の場所は、どこですか? 何て、無粋な事を聞く気はありませんが、貴方の今までの研究、又、これからの 研究により、「ピンポイント」まで絞れる自信がありますか? 中に「お宝」が今現在も存在しているか、していないか、は別にして、確信の 「ピンポイント」を発見する「自信」の事をお聞きしたい。
471 :
予想屋 :2007/01/27(土) 23:13:17 ID:???
徳川埋蔵金は360万両と言われていますが、その内訳明細たる「目録」を 見たことがありません。大判、小判だけかなと想像するしかありません。 他に宝石、書画骨董、名器、外国産の珍品など、徳川家の「お宝」を持ち出 して隠したとすると、それらの「目録」があるはずです。 「ピンポイント」は、大体の場所を絞り込めば、あとは金属探知機で探れば 誤差の範囲内に「確定」できるでしょう。ただし、その場所が金属探知機を 使用できる場所かどうかが正否を分けるのではないでしょうか。
472 :
165 :2007/01/28(日) 00:05:28 ID:???
赤城本命さんのいう >私は大きさとしては四畳半程の広さを考えていますので、誤差の範囲もそれ以下でないと、発掘は難しいと思います。 とは、四畳半程度の広さの中にお宝が全部入っているわけではありませんよ。 四畳半程度の穴を掘って、お宝の一部に行き当たれば、お宝の方向へ掘り進めば良いわけです。 一発ですべて掘り出すには、四畳半が六畳・・十二畳とキリが無いのです。清水さんみたいになってしまうのです。 まぁただ、四畳半の四隅から数m離れただけで見つからないことになります。 私は、四畳半と聞いて「でかいなー掘るの大変だな」と、思いました。私は、二畳程度を見込んでおりましたwww 「目録」は、あったかもしれませんが、なかったかもしれません。 何度も登場しますが、「甲府分二十四万両」と伝わっていますが、目録がありません。 仮に目録があったとしても、その真偽がわかりません。 まぁ現存する(今は行方不明)水野家の銅版3枚&家康像ですら真偽が定かではありません。 目録はあるが世に出ていないのか、目録は無いけど大まかな数字が把握できている。 いずれにせよ今後世に出ることは無く、入手は困難でしょう。 埋蔵金の総額が360万両となっています。 以前も書きましたが、金塊などの小判以外の場合「360万両相当」になります。 金塊を小判換算になおさなければなりません。金塊以外の「物」が入っていた場合にも小判換算になおさないといけません。 小判以外は埋めていないと思っております。
473 :
165 :2007/01/28(日) 00:14:03 ID:???
まぁそもそも360万両って数字は信じていません。 もっと少なかったと思うし、もっと中途半端な枚数だったと思います。 24とか、360って数字は嫌いだ キリが良すぎる
474 :
忍 :2007/01/28(日) 12:22:42 ID:???
そもそも、「埋蔵金」という物が存在するのか? それを世の中に「実証」するのが、あなた方です! 実証するまで、全ての事は「仮説」に過ぎない。 真装・偽装、その事実が判明するのも「発見」してからです。 しかし、偽装を探しても発見は無理です。 言葉では、うまく伝えられませんが、「徳川埋蔵金」「360万両」、今は「想」です。 有るのか、無いのか、有ると思っている人にとっては、無くても発見されるまでは、 その答えは信じられず、その人達にとっては「発見」するしか答えがありません。 ※決して、徳川埋蔵金を否定しているわけではありません。 誤解の無いように、一言付け加えておきますが、私は「埋蔵金」は必ず存在すると 思っています。(どの埋蔵金かは、わかりませんが…)
476 :
赤城本命 :2007/01/29(月) 00:44:47 ID:???
>>470 ピンポイントと考え方の根底は、埋蔵地点特定の方法論の問題でしょう。
たとえば、どこそこの神社の敷地とかでは、ピンポイントとはいえないと
思います。私の方法論は誤差1000分の1位と思っていますが。
この誤差は当時の測量誤差を基にしています。
>>165 二畳も四畳半もあまり大きさは違わないのでは?
一間四方か一間半四方の違いですね。
発掘を行うと大きいか。
大きさも誤差を勘案してのものです。
477 :
赤城本命 :2007/01/29(月) 00:55:05 ID:???
>>469 360万両説も法馬金説も信用していません。
分散埋蔵説も同様です。
一括埋蔵説です。
これはこれまでの研究の結果です。
>>477 答えて貰えるのなら、
貴方は、どのくらいの「量(数字)」を想定しておられますか?(○○両等)
今の想定内の範囲で、結構ですが…
みなさん、恐いですねぇ〜! 一般の人、1万人から、五百数億円集めて沈没船の引き上げ事業。 詐欺で、逮捕されました。 甘い言葉に、要注意!
481 :
165 :2007/01/31(水) 19:20:10 ID:???
沈没船の方が見つけるの楽だろうな〜 そんなに昔の話じゃないだろうし、記録も多い ただ、見つけるのは楽かもしれないけど、引き揚げるのと、掘り起こすのでは労力が違う。 資金がないと海中探査船など借りれないからねー 掘るほうは、人海戦術でOK
482 :
赤城本命 :2007/02/02(金) 18:59:49 ID:???
>>477 あまり想定したことないですね。
ごめんなさい。答になりませんでした。
483 :
雑ネタ :2007/02/04(日) 13:50:07 ID:???
先日、ファミリーマート(コンビニ)に行ったら、かなりマニアックな「爆写EX」 (バクシャエキサイティング)vol.4という雑誌が置いてあり、その中に「日本一の埋蔵金 ハンター」(P92)という内容の記事が掲載されており、埋蔵金研究家「八重野充弘」氏 への「独占インタビュー」という形で載っていました。 ※誰が、八重野氏を「日本一の埋蔵金ハンター」と決めたのでしょうか? ※「埋蔵金」が、かなりマニアックな雑誌にしか載らない事が、非常に悲しい! 早くメジャーな記事になって欲しいなぁ〜。 『記事内容抜粋』 ◎地下5b以内に埋蔵金は有る。 埋蔵金ってのは、誰にも取られたくないから棄ててしまうつもりで埋めた場合も 中にはあるかもしれないけども、だいたいは、ある目的をもって一時的に埋めた もの、と考えるべきなんですよ。いざというときには、それをすみやかに回収し なきゃいけない。掘り出すのに何ヶ月も何年もかかるようじゃ意味がないわけで すよ。
484 :
雑ネタ :2007/02/04(日) 14:41:35 ID:???
(問)それは幕府の御用金なんて大規模なものでも? (八重野) そうです。というのは何百人も動員して埋蔵するための大工事なんて、実際やれたと思いますか? 事は秘密に運ばなきゃならない。伝説では、よくあるんですよ。何百人も何千人も動員して埋蔵 工事を行ったと。それで工事が終わったら、関係者をことごとく毒殺して秘密を守ったと。だけど 一度に何百人とか何千人とか殺されたら秘密って保たれますか? そんなことあり得ないですよ。 一つの集落で5人10人といなくなっても大問題。大騒ぎになりますよ。 だから御用金レベルの埋蔵金にしても、できるだれ少人数で短期間で速やかに行う事を絶対考えた はずですよ。我々はいつも掘るときに、5〜6人で幅1.5b、深さ5bぐらいの穴を条件が良ければ 一日で掘ります。もちろん機械は一切使わず人力ですよ。5bも掘ると地下水が出てくる。水が出て きてね、その下を掘るってのは昔の技術じゃ本当に難しいわけですよ。水を抜くために相当な人数を 動員しないとならない。だからね、平地で物を隠す場合に掘ったとしても、水が出てきてしまったら それで終わりですよ。 私の実体験からして、昔の人も5bぐらいが限界だったんじゃないかと。 我々は、発掘をする際に5bを一つの目安として、そこまでに形跡がなかったら止めます。一度掘った 穴は何百年経っても分かるんですよ。自然層が出てきたらそれで終わり。 一番大事なのはね、引き時なんです。百%信じ込んでしまうと、非常に悲惨な目にあうわけですよ。 (等々、色々な話が掲載されています)
485 :
予想屋 :2007/02/04(日) 17:41:56 ID:???
雑ネタさん、有難うございます。八重野氏が「日本一の埋蔵金ハンター」か どうかは別として、言われていることには僕も同感です。余り深かったら堀 りだすのが大変です。「埋蔵金発掘が趣味の人」は一度は「土堀り」をやった 人も多いと思いますが、縦、横、深さ1メートル掘ると、その土を置く場所に 困るものです。深さ5メートルでも土砂崩れを避けるためと掘った土の移動や 置き場所で、結構労力を要します。埋め戻した後に雑草や雑木が生える所だと 埋めた本人も分らなくなります。だから、ピンポイントが分る絵図や秘文が 絶対に必要だと思うのです。だから僕は「古井戸」なんか馬で運んで放り投げ るだけなので簡単でいいかな、なんて思っちゃったりしています。
486 :
黒部の太陽 :2007/02/04(日) 22:44:00 ID:???
参考(
>>467 )
田中氏は、その話を聞くとますますこの伝説の信憑性に確信をもち、勇んで山へ登った。
そして、山中で一泊した次の日、鍬崎山の中腹1700メートルほどの地点で、大岩に彫られた
謎の矢印を発見したのだ。岩の両端にはどうにか人が入れるような穴もあった。しかし、その先
は行き止まりになっており、道具がないと発掘まではできないということで、その日はそれで下
山し、出直すことにした。
以来、56、7年ぐらいまで二人は協力して大岩の周辺を発掘したが、何しろ深い山の中だか
ら長期に滞在することはできない。長くてせいぜい二泊三日である。作業もなかなかはかどらず、
何の兆候もないまま、まもなく二人の探索は打ち切られたと聞く。
ほかにも、地元富山や金沢あたりの山好きの若者が、登山と宝探しを兼ねて、鍬崎山をはじめ
有峰湖周辺、針ノ木谷付近を探索していたという噂はあるが、財宝を発見するにはいたっていな
いらしい。
※数年前、私は「田中利為」氏と何度かお会いしたが、その時はフィリピンの「山下財宝」を
精力的に探索しておられた。私が、何度も日本の「埋蔵金」をしましょうと誘っても、全く
話に耳を貸さず、「山下財宝」だけを考えておられた。
ここ最近は、何の連絡も無いが、場所が場所だけに田中氏の「安否」が少し心配です。
487 :
黒部の太陽 :2007/02/04(日) 22:45:53 ID:???
(本日は、これまで!)
あれ! 最近誰も書き込み無しか。 みなさん、「埋蔵金」に関するどんな些細なことでも結構です。 書き込んで、話し合いましょうよ!!! 165さん、春の休みはいつでも空いています。連絡期待です。
489 :
165 :2007/02/09(金) 00:57:40 ID:???
もうすっかり春です。都内では梅が咲いております。 暖冬に関係なく、私の候補地にはきっと雪はありません。 埼玉まで迎えに来てください。
日時、集合場所が決まれば「必ず」迎えに行きます! 連絡、待ってます。
お互いに顔も名前も知らない人が集合する訳ですね。何人集まるでしょうか。 駅前でない方がいいのでは?黄色(黄金色)のリボンを合図にしますか? 駅前で、つるはしとシャベルを持ったごつい人達が集合したら・・・ 特別の用事が無ければ誰も行きそうもない所を集合場所にすれば、そこに 集まった人は全員目的を持った人ということに。異様な雰囲気の中で、165 さんの号令でもって、一つの目的を持った集団に早変わりするのであります。
492 :
165 :2007/02/11(日) 17:20:55 ID:???
パチンコで早々と負けてきまして・・・暇なので 埋蔵金ってどんな形で埋まってういるのかを考えることにします。 ※埋蔵金の量は考慮しません。 <土に埋める> 穴を掘って埋めるのが、埋蔵金らしくて一番スタンダードかもしれません。 穴を掘った時に出た土を利用して埋め戻すと、土自体の水分での箱等の腐食を考えてしまいます。 また、埋蔵金にかかる圧力も考えると、結城の埋蔵金や湯島天神の埋蔵金と同様に砂をクッションとして使用するのが得策でしょう。 砂を敷いて、お宝を置いて砂を入れて、その上にまたお宝をまた砂。最後に土をかぶせ上から平坦になるように圧縮します。 草木が生い茂り、ほかと区別が付かなるでしょうから、やはり目印を必要とします。 <井戸を利用する> 群馬県の赤城近郊の知人が家庭農園地に井戸を掘ったというので話を聞いてみると、3mぐらいで水がチョロチョロ染み出してきたそうです。 最終的な深さを尋ねたところ約7mでポンプで汲み上げられたそうです。 また、井戸を掘る場所の検討をどうつけたかという話を聞いたところ、どこでも水が出るそうでした。 残念ながら大腸菌が検出され飲料用途には不向きだったってことです(笑) 深さとしては、埋蔵金を隠すのには問題ないと思いますが、このような地で井戸が枯れるのかが疑問です。 もし枯れていないとしたら、水の中に千両箱等を沈めなければなりません。 いくら油紙に包もうとも腐食するでしょう。ウチの実家のベランダも防水したんですが・・滲みています。 仮に沈めたとします。枯れていない井戸ですので、人々が利用するでしょう。 腐食した千両箱からこぼれた小判をつるべで引掛けたら大変です。 やはり、井戸も埋めるしかなさそうです。(土に埋めると同様の手順になる)
493 :
165 :2007/02/11(日) 17:55:24 ID:???
<廃坑を利用する>
以前も書きましたが、元々群馬には昔から金山を含む鉱山がいくつもありました。
秘密裏に掘っていた場所もあるでしょう。採掘が終われば、忘れ去られてしまいます。
八重野氏がチャレンジした金井沢金山もそのひとつです。
廃坑に隠す場合にパッと見、見えなくしたわけではないので、廃坑を奥まで行くと見つかってしまいます。
廃坑の突き当たりにお宝を置いて手前を石で塞ぐか、廃坑の入口を土砂で埋めるしか人目を避ける方法はありません。
>>425 で書きましたが、八重野氏がチャレンジした金井沢金山ですが、
忘れ去られた?いえいえ場所は、不明瞭にはなりましたが、
>金井沢釣堀園というところから、3キロほど小沢に沿って入ったところにあるみたい。
と、すっかり忘れ去られていません。
また、入口が土砂で埋められていましたが、その周囲に石臼や社(やしろ)を模した石仏がありました。
インタビューの中で八重野氏は、「お宝がある場所には必ず石臼がある」ようなことをいっていましたが、
私は、まったくの見当違いだと思います。
大切なお宝を埋めたのにその「痕跡」を残すはずがありません。
穴を掘ってお宝を綺麗に埋めたすぐ横にシャベルを置いておくようなものです。
お宝を埋めた際には、周りに石臼や石仏があったら処分してより他と同化させると思います。
目印が必要ならば、人工的な石ではなく、自然な石を組み合わせる等を利用すると考えています。
廃坑を利用するならば、
>>434 で書いたようなまったくの不明瞭な場所で、カスみたいな産出物が出たような鉱山でしょう。
494 :
165 :2007/02/11(日) 17:56:31 ID:???
<鍾乳洞・風穴>
黒部の太陽さんが一生懸命書いているのが、人工的に掘られた鉱山ではなくて、自然の鍾乳洞・風穴を利用して隠したということだと思います。
鉱山みたいに多くの人間が出入りし、生活をしていた場所では、やはり後世においても目立ちます。
夕張炭鉱や各地の炭鉱を見ればわかると思いますが、とっくに閉山されても現在でも人が住んでいます。
子供が遊んでてとか、何らかのきっかけで廃坑を訪れてなどで発見されるやもしれません。
その点、未発見の鍾乳洞や風穴なら人知れず穴が開いています。近年になって新たに発見される鍾乳洞もあるぐらいです。
ただ、そう都合よくあるかが問題です。
また、立山連峰でしたら未開の地が多くあり、今だ手付かずの鍾乳洞等があると思いますが、群馬県で今だ発見されずに残っているかも問題です。
しかし、未発見の鍾乳洞だとしても、入口を塞いだりする必要はあると思います。
埋蔵金関係面白いHP
ttp://www.chouju-oukoku.com/maizoukin/index.html (西富士オートキャンプ場HP)
HP内の岩戸の仕掛けマル秘メモが面白いです。
埋蔵金の隠し場所が、天の岩戸で、天の岩戸開いてしまった!と、書いてありますが
埋蔵金を隠した武田信玄は、もっとバチ当たりですよね?と、ちょっと電波も入りぎみで面白いです(笑)
麻雀に誘われたので、(本日は、これまで!) 黒部の太陽さん風
>>492 赤城で猟師やってるけど古井戸ならいくつも見たな〜
だいぶ昔に埋まっちまったようだが、道など通じてない森の奥にあるな
海底の沈没船で引き上げられた「金貨」のように、金は水等では腐食しません。
498 :
予想屋 :2007/02/12(月) 21:19:38 ID:???
165さんが腐食すると言ったのは、千両箱の箱の方を言ったんだと思いま すよ。だけど、千両箱の状態で隠す場合は、井戸は少し狭すぎますかねぇ。 古井戸が一番いいと思ったんですがねぇ。井戸は「バチが当たる」からと言っ て怖がって壊さないものですから。しかし、戦後は食糧難で潰した井戸もある でしょうね。古井戸に狙いをつける人は、戦前から井戸があった場所を知って いる60代後半以上の年配の人に今のうちに「昔井戸があった場所」を聞いて おいた方が良いと思います。
>>496 井戸っつっても見た感じは2mくらいの直径だったな
井戸っつーか祠っつーか…でも石の色が東照宮の石と同じ緑がかったような色してたから古そうだったぞ
俺が見たのはオートキャンプに近い方の赤城神社の裏側の山を北西に1kmばっかり上ったところ
それと国道353の新井橋を北にまっすぐ3kmほど道路上っていって途中どこだったか西の山に入ってったとこにもあったな
あとはさらにその道を5kmくらい上っていって、途中堰堤工事用の道ができてる所があって
入り口になってるとこがあっから、そっから歩きで堰堤工事用道路あるって行って、途中で道がなくなるだども山に分け入ってすこしすると斜面にあったな
あとは忘れたが、地元のじいさまの猟師に聞けば結構いろんな井戸やら祠やらしってるのおるから聞いてみ
500 :
165 :2007/02/13(火) 00:06:20 ID:???
本文中の私の腐食の表現を使ったのは千両箱なんです。
金も金特有の赤サビがでますね。表面をこすれば簡単に落ちます。
ヤフオクで出品されている小判をみると、たまに水垢みたいに赤くなっている小判がありますが、あれは赤錆です。
保存状態が悪かったんでしょうね。
また、小判は純金ではないので、銀、銅、鉛が混ぜられています。
幕末小判は、金20%銀80%。ヨーロッパの金貨は金90%銅10%
>>497 さんの「金貨」は、ヨーロッパ製。私の言う「小判」は、日本製
金ではなく「貨幣」としたら「小判」は、「金貨」より腐食するかもしれません。
予断ですが・・・
金は熱伝導、電気伝導ともに優れた性質を持ち、「空気には浸食されない」。
熱、湿気、酸素、その他ほとんどの化学的腐食に対して「非常に強い」。(Wikipedia参照)
「空気には侵食されない」が、ほとんどの科学的腐食に対しては、「非常に強い」だけであって侵食=腐食しない物質ではありません。
>>496 さん
古井戸はいたるところにありますよねー都内にもいっぱいあります。
「緑がかったような色」は、栃木県の大谷石ではないでしょうか?
やわらかいので加工もしやすくいろいろな用途にしようされてきましたね。
いまでも塀に大谷石を使っている民家も見かけますね。
それより、猟師をやっているっていうのがすごい!
確かに猟師さんに聞けば、古井戸が見つかるかもしれませんね。
501 :
165 :2007/02/13(火) 00:13:17 ID:???
千両箱が腐食するとなると、今度は「壷(瓶)」を考えなければならなくなる(笑) そうすると、壷の運搬もしくは現地調達・・・埋蔵方法やその容積・・・。 腐食してもいいから千両箱でいいかな(笑)
502 :
165 :2007/02/13(火) 00:16:12 ID:???
あ ちなみに麻雀勝ちました。
503 :
予想屋 :2007/02/13(火) 21:43:43 ID:???
幕末小判は金がたったの20%ですか〜。水(井戸)の中はやっぱり腐食 して駄目ですか。埋蔵した人は一体何年後に掘り出すつもりで隠したんで しょうね。2,3年後なら、千両箱も中身も影響は少ないかもね〜。
504 :
165 :2007/02/13(火) 22:30:41 ID:???
一応、幕末の万延小判の金の含有量は56.8%となっています。 全部56.8%かはわかりませんが、最末期にはもっと少ないようです。 ただ、金や銀が水等でどれだけ急速に腐食するかは調べていません。 非常に強いので数百年でボロボロになるとは考えにくいです。
505 :
165 :2007/02/13(火) 22:34:06 ID:???
金の含有量が低い場合において、小判に成形した場合に金色に輝きません。 その際、金&銀の合金の小判の場合に小判の表面を酸で洗って表面に含まれる銀を溶かし、残った金で金色に見せていたらしいです。
506 :
165 :2007/02/14(水) 16:43:52 ID:???
九州で春一番が吹いたみたいです。 赤城本命さんのところから人海戦術で掘りませんか?www
>>499 感謝!
>>500 了解!
しかし、このスレはすごいなぁ。
打てば、すぐ響いてくれる。ありがたいことです。
508 :
165 :2007/02/15(木) 21:20:15 ID:???
ん?昔、2chの某板で、私のスレ立てにより、1日を待たずして1000まで達成したことありますよ
509 :
165 :2007/02/16(金) 01:13:47 ID:???
寝る前に
関東にも春一番が吹き荒れました。太陽の日差しは、日をおうごとに暖かくなってきました。
私の本命地域のことを少し書きましょう。
http://b-files.hp.infoseek.co.jp/lib/JP-A-2001-42765/000026.gif ↑水野家に伝わる謎の絵図(地図)です。
以前も書きましたが、この地を見つけております。まぁ多分、古今東西の方々も見つけていると思いますけどね。
○や▲のほとんどがそろっております。
絵図の縮尺は、当時(江戸末期だとして)としては、ある程度正確です。
ちなみに絵図右中ほどの▲の下の〜は、川です。現在は埋め立てられていますが、痕跡は確認できます。
その▲の上にある◎の1/4みたいなのは、道です。正確には、一本一本が道です。
全体の等高線みたいなのも一本一本がすべて道です。
絵図上の▲ですが、そこまでの距離は、下の「中」から約15kmほど北北東になります。
その▲から下に伸びる実線は、方位を示すものだと考えています。なぜならば、私の候補地が絵図とそっくりだからです。
そこから破線で右カーブ、もう笑っちゃうぐらいバッチリです。
見つからないのが、絵図右にある○1個と、絵図中央の▲▲の左側。
この2個については、現地調査が必要だと思います。▲は、たぶん今はありません。不明な○の方は、現地調査で判明するでしょう。
それと、絵図中央の破線----がわかりません。
以前、遠くを表す線と申し上げましたが、実は違います。
なぜなら右にある不明な○と○の距離が思ったより近そうなので、別けるように破線を書く必要があるか疑問だからです。
ただ、あまりにも正確なので、「江戸時代末期に作成した埋蔵金の在りかを示す絵図」だとは考えづらいのです。
後世(銅版発見当時)の埋蔵金発掘の資金調達のために作成した物ではないかと思ってしまいます。
また、▲にお宝があるのか、○にお宝なのか「中」なのかが、いまいち不明瞭なのです。
全箇所掘るのは、難しい・・・ピンポイントピンポイントでね。
510 :
165 :2007/02/16(金) 01:29:01 ID:???
あ!それと、▲と○は、すべて共通しております。 ただ、なんで▲と○に別けたのかは、現地調査の必要性がありますし、すればばわかるかもしれません。
511 :
165 :2007/02/16(金) 01:35:43 ID:???
マジでテレビ局金出してくれないかなー まずコンサルタント代と、情報提供を合わせて2000万は欲しいね! ラーメン屋の製品化でのコンサルタント料が1000万なんだから安いと思うけどね! もし、見つかったらすごいことになるんだから2000万なんて安いよ〜 「あるある大発掘」ってことで、フジTVさんどうよ? 特番で2時間枠3回は取れるよ!
512 :
名無しの愉しみ :2007/02/16(金) 12:07:37 ID:9znJlvGG
子供の頃、こういう地図を書いて宝捜しごっこをやったなぁ ▲にヒントを書いた紙を隠して、ホントの宝の場所は地図には記入しないんだよね 165さんも頑張って、探してくださいね 上手くいけば、当時のベーゴマやプロ野球カードが見つかりますよwww
514 :
165 :2007/02/16(金) 21:45:08 ID:???
井戸の地図ありがとうございました。 しかし、地図を見る限り、なんでこんな場所にあるんだろう?って、疑問になりますねぇ それより遭難しそうです(笑) 熊と相撲もとりそうです(笑) 有志が集まり探索することになったら、ガイド兼護衛で同行願います。 ガイド料は、千両箱1個でどうでしょうか?(笑) しかし、こういう話が出てくることは、非常にいいことですねぇ 2chで妄想しているより、有志を募り本格的に調査へ出発する時期かもしれませんね。 「電車男」じゃないですが、2chから出発する「男のロマン」もあってもいいと思いますね。 最終的には、発見!
参加希望者は、001番から手を挙げる、というのはどうあるか? ところで、赤城以外の埋蔵金の話も知りたいあるよ。
517 :
忍 :2007/02/21(水) 21:30:48 ID:???
ダウジングについて、皆さんどう考えていますか。ご意見をお聞かせ下さい。
519 :
165 :2007/02/22(木) 22:39:07 ID:???
>>518 さん
まぁダウジングは金もかからないし、ネタ的にも面白そうだし、当たればでかいしやってもいいんじゃないっすかね?
僕はダウジングなど全くいい加減なものと馬鹿にしていました。ところが、 先日テレビでアフリカの現地人が井戸を掘る場所を探すのに、ダウジングを 使って探し当てているのを知り、驚きました。手に持った木がブルブル震え ているのです。地下の水脈の「水の流れ」に感応しているのでしょう。 埋蔵金は動きません。従って、有効に感応しないのでは、と思うのですが。
この世界で、一番有名なのが「梶川式探知機」のダウジングです。 現に、三重県の賢島では梶川式により井戸水が「発見」された祈念碑があります。 (畠山氏著書、日本の埋蔵金より)
古い「歴史読本」には、梶川式の作成方法が載っていました。 しかし、埋蔵金で威力を発揮した事実は、聞いたことがありません。
畠山さんの著書によると、赤城山でも梶川式による挑戦がありましたが、 結局は、発見されていません。 あくまで、参考の参考程度に使用するのがベストでは?
524 :
165 :2007/02/24(土) 18:01:49 ID:???
525 :
名無しの愉しみ :2007/02/25(日) 09:14:00 ID:D45sUXz/
去年のニッテレの24時間で、穴あき銭見つけたのは、ヤラセって うわさが。実際は、どうだったのですか?
みんなで赤城に集合してTVに出よう!
某火の玉博士も偶然より上といってたな、ダウジング。 水道関係の仕事の人の車に積んであるの見たことあるよ、ダウジングロッド。
ダウジング、どうやら「水」と「石油」には有効ということですね。 どちらも「液体」。固体である埋蔵金は駄目あるか・・・。
>>524 HP感謝!
しかし、日本トレジャーハンティングクラブは、まだ存在していたのですか?
530 :
165 :2007/02/25(日) 23:58:53 ID:???
なにげに中華の資本家がまぎれているっぽいwwwwwwwww
531 :
165 :2007/02/26(月) 00:03:58 ID:???
よし!おれが 日本トレジャーハンティングクラブに対抗してクラブを作るから! 下の候補からみんなで名前を決めようじゃないか! 選んだ理由も書いてくれるといいね! @新日本トレジャーハンティングクラブ A日本トレヂャーハンチングクラブ B全日本トレジャーハンティングクラブ C日本宝探倶楽部 Dショッカー
532 :
名無しの愉しみ :2007/02/26(月) 02:09:47 ID:guJ1EFFF
E続日本トレジャーハンティングクラブ F帰ってきた日本トレジャーハンティングクラブ G日本トレジャーハンティングクラブ完結編 H日本トレジャーハンティングクラブ完結編完全版 Iジョッカー
>>531 その趣旨に大賛成です。日本トレジャーハンティングクラブが存在
するなら、165さん提案の五つの中から選ぶとすると、@かBのどちらか
ですかねぇ。
私は、C番です。 理由は、英語版は、わかりにくい! Cなら、一目瞭然です。
Dも有りです。 何故なら、やられても、やられても、正義に立ち向かう、信念があります。(笑)
537 :
名無しの愉しみ :2007/02/26(月) 23:58:21 ID:guJ1EFFF
538 :
雑ネタ :2007/02/27(火) 21:10:38 ID:???
2月20日(火)、中日新聞より抜粋! 山梨県甲州市教育委員会は19日、同市の寺院・景徳院にある県指定史跡「武田勝頼の墓」から、 墨で経文が書かれた経石が約5400個見つかったと発表した。墓から経石が発見されるのは全国的 にも珍しいという。 景徳院は、勝頼が自害した地に、徳川家康が武田家の旧家臣に命じて建立させたと伝わっている。 現存する墓は勝頼の死から約200年後の1775年に建てられた。同じ場所に正室の北条夫人と嫡男 信勝の墓もある。 帝京大山梨文化財研究所の萩原三雄所長は「武田家にまつわる逸話が多くつくられるなど、江戸時代 には武田ブームが度々起こった。供養に大量の経石が使われたのはそうした時代背景も関係あるのでは」 と話した。
>>538 これが勝頼死亡直後のものだったら、武田家や勝頼由縁の「宝物」と
関係が出てきますが、勝頼の死後200年だとそのまんま「供養のお墓」と
いうことでしょうね。
われわれとしては、景徳院より少し離れた所にある栖雲寺の方が怪しい寺と
して注目しようではありませんか。
540 :
165 :2007/02/28(水) 01:51:02 ID:???
え?唐突に?? 538さんは、武田の埋蔵金派かな? 私の中では、武田の埋蔵金は、かなり有力(可能性がある)だと思っていますよ。 赤城本命さんとか、結城の鬼さん、結城探索人さんどこいっちゃったのかな(;;) 寂しいよ
541 :
名無しの愉しみ :2007/02/28(水) 09:49:20 ID:u5Lo2JLz
社会復帰したんろwwwww
>>540 僕も武田の埋蔵金は可能性ありと思います。ただし、既に誰かが発掘してい
て、ただ公表していないだけ、という可能性も同じくあり、と思っています。
543 :
結城の鬼 :2007/02/28(水) 17:25:17 ID:???
当方、健在。 但し、只今思案中!
544 :
165 :2007/02/28(水) 20:24:17 ID:???
おおおおおおおお 結城の鬼さんだあああああああああああああ ひさしぶりいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい 思案中? 掘り出す思案かな? 手伝いにいきますからねー
545 :
名無しの愉しみ :2007/02/28(水) 20:31:12 ID:u5Lo2JLz
お前ら、まじめに働けよ・・・・・
結城の鬼さん再登場ですね!歓迎、歓迎。 船玉古墳は結城の埋蔵金の候補地の一つです。茨城県の指定史跡なので歴史 学者をメンバーに含め、学術研究計画書を提出して県の許可を得なければまず 不可能でしょう。ところが船玉古墳は、史学的学術調査は完了していることに なっているのです。ここから先へ進む方法の一つとして考えられるのは、 レーダー探査を試みることです。古墳を傷つけることなく、古墳下の未発見の 石室の存在を「解析図」で証明できれば、その石室の学術的調査は日本国中 の耳目を集めることでしょう。新しい壁画とともに、石室の中にはぎっしり と詰まった何かが・・・あるかも・・・しれま・・・しぇーん。
547 :
165 :2007/03/01(木) 09:17:58 ID:???
船玉古墳に集合!!
548 :
結城の鬼 :2007/03/01(木) 20:03:03 ID:???
思案中なので、あまり書き込めませんが、「結城の宝」も意外に範囲が広く、今まで世間等で
噂されている物、以外にも少々有るようです。
例えば、結城の重臣等が「己の物」を隠していたり…おっと、危ない危ない!!!思案中
>>545 ⇒まじめに、お宝のことを思案中! ご了承下さい。
549 :
165 :2007/03/01(木) 22:21:22 ID:???
重臣の家を訪ねて歩いたらどうでしょうか? 収穫もあるとおもいますよ
550 :
名無しの愉しみ :2007/03/01(木) 23:38:08 ID:A5quX+hT
>>545 さんへ
「まじめ」に働き、「まじめ」に埋蔵金の事を考えています。
趣味です。人生の!
551 :
↑ :2007/03/02(金) 12:36:32 ID:???
何言ってんだ 奥さんは泣いてるぞ!
552 :
↑ :2007/03/02(金) 18:00:00 ID:???
553 :
↑ :2007/03/02(金) 22:09:49 ID:???
たぶん離婚の準備してんだよwww
554 :
↑ :2007/03/02(金) 23:16:48 ID:???
申し訳ありません! ×イチです。
555 :
↑ :2007/03/02(金) 23:35:22 ID:???
それは失礼しました
556 :
黒部の太陽 :2007/03/03(土) 18:50:20 ID:???
参考(
>>486 )
ここで一つ、つい見逃しがちな畠山さんの著書「新・日本の埋蔵金」(P47〜48)の「佐々成政軍用金遺聞」の章を
原文そのままで、掲載しておきます。
【 ここへ、日本アルプス黒部渓谷の佐々成政の話をもって来るのも、少々筋違いの気はする。しかし、前述金沢君の
義経の遺宝探索が黒部に始まっていて、しかも立樹の目印とあれば、まんざら縁のない話ではない。目印は、誰が何の
目的でつけたものか不明だが、これに目をつけたものはすでに、明治末年にもいた。田代開太郎という材木商で、しか
も彼は、この目印の発見から執念を燃やし、一度は宝の発見にも成功している。
成政埋宝のいきさつや、生涯をその探索に捧げた長野県池田町の中山喜一氏のことは、『日本の埋蔵金』(下巻)
「黒部渓谷佐々成政の秘宝」の中で詳述したから、あらためて書く必要もないが、その中にも「誰かが持ち去って私の
手許にもない」と書いておいた、昭和14年に「秋鹿英」の筆名で私が出した『埋蔵金物語』(紫文閣発行)が、ぼろ
ぼろの古本ながら、読者の好意で手にはいった。その中には、田代開太郎のことも書かれているので、その部分を再録
しておこう。】 ※つづく
557 :
黒部の太陽 :2007/03/03(土) 19:17:48 ID:???
※つづき 【 田代開太郎は、「明治43年から伝説で埋蔵金の事実を堅く信じ、毎夏黒部峡谷に足を踏み入れ、 岩を登り谷を渡って埋宝探しに苦心していた。この間、実に14年。筆舌につくせぬ惨苦のはて、 ついに大正12年の夏黒部峡谷の、とある盆地で、平石で蓋された洞穴を発見することができた。 内部を調べてみると、錆び朽ちた具足一領、弓の折れたもの一張、壺が一個あって、その壺には目く らむばかりの黄金がぎっしり詰っていた。この発見に力を得て、さらに付近を探し回った末、伝説の七 つの洞穴の中の4つまで発見することができた。開太郎は、手の舞い足の踏むところを知らず、立樹や 岩石に目印をつけ、運び出す人々をたのむために下山した。そして富山へ帰ると、早速親戚の中から、 血気盛んなもの10人をえらび出し、それを伴って黒部峡谷に分け入った。 ところが、付けた目印が不完全だった上に、彼が下山した翌日にあった大暴風雨のため、その大部分 は消え去っていて、なんとしても目的地へ辿り着くことができない。泣いても泣ききれない思いで一行 は下山したが、開太郎はついにそれが原因で発狂してしまった。」 とある。 発見そのものには、立樹の目印はまったく関係なかったが、黄金伝説をきいて渓谷に分け入 った田代の、黄金の実在を確信して14年もの探索の執念を燃やし続ける因となったのが、この立樹の 目印の発見にあったといわれているのである。】 ※以上原文そのままに、掲載しました。 本日は、これまで!
558 :
165 :2007/03/03(土) 20:33:49 ID:???
黒部の太陽さんの話(畠山氏の話)もそうなんだけど 八重野氏の金井沢金山の話もそうなんだけど 他の話もそうなんだけど・・・。 第一発見者が、全部でも一部でも、なぜもって帰ってこなかったんですかね? そして必ずと言って良いほど、次に探そうとしたときに場所がわからなくなってしまっている。 いくら古い時代だとしても、地図も目印もなく黒部の山中をさ迷い歩いて帰ってくるのは神業だと思う。 まぁ発見してネコババしたことを打ち消すために、こうしたことを言って誤魔化したとも思われますが
559 :
↑ :2007/03/04(日) 11:08:45 ID:???
物語とは、得てしてそう言うものでは、ないでしょうか? 我々に、与えられた使命は、その物語の中から「真実」を見つけるのでは? ◎活動の春が、扉の向こうに来ています。 さぁ扉を開けて、みなさん今年の活動を開始しましょう!
560 :
165 :2007/03/07(水) 19:02:54 ID:???
書き込みがすくなーーーい
多分、みなさん、春の活動の「準備」に忙しいのでは?
>>558 畠山氏の本の中の、「武田の秘宝」では、高橋修二郎という人が山中の埋蔵金
を発見、内棒金10本を持ち帰っています。僕だったら、延べ板もあったの
だから、延べ板も少しは持ち帰りますね。高橋修二郎の遺体を崖下に発見
した宇沢某が、小判状の延べ板は全部ネコババして、棒金だけを残しておいた
ような気がしますが。もう全部掘り出されているでしょうね。なぜなら、鞄の
中には棒金10本のほかに、3ヶ所の場所を示した絵図もあったはずなので。
結城には「結城氏の埋蔵金」のほかに、全く別の筋の埋蔵金があるという話 を聞いたことがあります。真偽の程は分りませんが。
みなさぁ〜ん! 春の「探索」準備、できてるかぁ〜〜〜! いざ、勝負! ※共同開発、待ってます。
565 :
165 :2007/03/10(土) 11:55:21 ID:???
共同開発って、冒険だよなぁ
566 :
↑ :2007/03/10(土) 18:21:57 ID:???
お宝探索、自体が「冒険」です。 冒険に冒険(共同開発)を重ねて、「大冒険」!!! やって、みましょうょ! 大冒険を… ※たまには、リスクを承知で「挑戦」…無理かなぁ……
共同開発には中心になる人(リーダー)と事務局(リーダーが兼務してもよ い)がないとまとまんないだろうなぁ・・・。 ここで知り合った仲間だから、グループの名前は「トレジャーハンティング .com」なんてぇのはどうかな。
568 :
165 :2007/03/11(日) 00:21:26 ID:???
いいwebマップないかねー 群馬の田舎は省略されてて詳細に出ないんだよね〜 できれば等高線と、書き込み(線引き等含む)ができるやつがいいな
569 :
165 :2007/03/11(日) 01:04:25 ID:???
まぁ掘るとしても仮説に基づいたところをかったっぱしから掘るわけにはいきませんでしょう 水野さんのところを訪ねてみたり、三枝さんの採掘跡などを見て回るところから始めて見てはいかがでしょうかね。
>>569 165さんの案に大賛成です。
水野さんを訪ねたり、三枝さんの採掘跡を見て回りながら、理解を深め、先人
が時間とお金をかけた歴史を実感させていただく。
その過程で諦めた人は自然に脱落して行くでしょうから、「仮説で失敗しても
いいからやってみたい」と思うトレジャーハンターだけが残る。これぞ真に
「埋蔵金発掘が趣味の人」ということになるのではないでしょうか。
571 :
165 :2007/03/11(日) 12:10:37 ID:???
赤城の埋蔵金より結城の埋蔵金のほうが家から近いことに最近気が付いた。
ごめん 全部俺が頂いちゃったテヘ
575 :
165 :2007/03/11(日) 20:58:24 ID:???
暇なのと書き込みも少ないのし少々書きます。 畠山氏の著書を読むと、埋蔵金が確実にありそうだという錯覚に陥る。 複数箇所埋設説は、私も考えているので良しとするところだが しかし、その中で、人足をひとりづつ呼び首を刎ねる描写があるが、いささか疑問である。 よく達人により切られた場合は、「血が出ない」とか、「切られたことがわからない」などと言われるが 江戸の文献などを読むと、さすがに違うみたいだ。 文献を現代語訳にまた、簡単に要約すると 「首を切られる場合には、体が前のめりになっている」 これは、切腹などのとき短刀が置いてある白木の高台の付いた箱?を尻に敷いているからである。 この場面は、時代劇などで見たことがあるとおもう。 「首を切ると、体は前に倒れる。」 「ちょうど徳利(お酒のとっくり)を倒したときのように血が出る。擬音で「とっ」っと出る」と、ある。 首の部分から血しぶきみたいに舞い上がるイメージがあるが、違うみたいだ。 ついでなんで、その後を「胴の切り口は、肉が盛り上がってくる」そうだ。 切腹以外の打ち首も同様になると思われる。 いくら酔っ払っていても、一人目以外は、血の海になっているところに座るわけはないだろう。 いくら茣蓙を張り替えたとしても無理がある。 また、後半の人足は、人数が減ってるのぐらい気が付くだろう。 そう考えると簡単に毒殺が手っ取り早い。 現代においても、飲めない下戸でも「始めの一杯ぐらいは」などといわれた事も多いだろう。 この場合、生き残りがいたとは考えずらい。 飲んだ振りをして、他の者と同様に倒れて死んだ振りを決め込んでも検死でばれるだろう。
576 :
165 :2007/03/11(日) 21:31:16 ID:???
また、畠山氏の著書(絶版:入手困難)に出てくる「鳥飼が掘り出した」ようなことが書いてあるが いくら埋めた本人であっても、山林をピンポイントで掘り返すことは、困難だと思う。 生めた場所には、なんらかの目印があったと思われる。 埋めてからの時代の経過に耐えられる物。石物だろうと推測する。 それが、地蔵なのか、庚申塔なのか、大木なのか、はわからない。 以前、埼玉の蓮田市に住んでいたことがある。 毎日の通勤で通ってた道(農道っぽいとこ)に縦横20cm弱、高さ30cm程度の石の四角柱が 木の根元に無造作に転がっているのをなにげなく見ていた。 ずーっと気になっていたので、ある日その石四角柱を起こしてみると、「○○年 無縁仏うんぬん」と掘られていた。 よくよく読むと江戸時代にここで行き倒れた無縁仏の墓石らしい。 今度は倒れないように施したが、その後どうなったであろうか。 いやいや まさかこんなところに墓石がと思ったが、この下に埋まっているの?とも疑問に思った。 意外と石物は、数百年経過した後、忘れ去られていてもその場に転がっているもんだなーと感心したものだ。 話が横にそれたが、埋蔵場所には何らかの目印があると思われる。 すぐに掘り出す気なら石以外のものでも良いような気がする。 また、寺院や山など不動の物を使用した場合にピンポイントで当てるためには、 最低でも目印が4箇所必要になるのは言うまでもない。
577 :
165 :2007/03/11(日) 21:45:54 ID:???
以前ここにも書いたが、八重野氏が、埋蔵金があるところには石臼があると言っていた。
これを私は否定した。
なぜならば、石臼は、あまりにも不思議すぎるからである。
街中でもわかるが、街を歩いてて石臼が転がっていたら不思議に思わないだろうか?
それは、人気のない山中でも同じだと思う。
鬱蒼とした森の中に石臼が転がっていれば、不思議に思うだろう。
それは、
>>576 で書いた地蔵、庚申塔でも同様だと思う。
突然いままでなかったところに地蔵塔が置いてあれば不思議に思うだろう。
もっと目立たなく、腐敗が遅い何らかの物であると思う。
例えば、瀬戸物の皿とか、比較的大きい自然の石とか
ただ、地蔵も瀬戸物もそこまで行けばわかることであって、そこまで行き着くためにも目印が必要だと思う。
例えば、三本杉の真ん中の杉から北へ何歩歩いたところの周囲に瀬戸物があって、その下とか
また、その瀬戸物をひっくり返して見ると、今度はそこから南に何歩とか 小さい頃やったなー
そう考えると、清水氏や三枝氏の掘り出した物証は、お宝までの途中の目印とも考えられる。
謎は深まるばかり・・・。
578 :
165 :2007/03/12(月) 14:17:38 ID:???
まぁ赤城を掘るなら砂川の251だな
テレビで言われる赤城埋蔵金150万両の出典は勝海舟の日記。 しかし原典を見るとその後に「この資金は幕府の準備金に関わらず使い果たしてしまった。」 と書いてある。 また、小栗は自領に武器弾薬を隠匿、領民に軍事訓練を施した事を理由として処刑された。拷問されたわけじゃない。
580 :
165 :2007/03/13(火) 09:15:21 ID:???
>597 ??? 愛知で埋蔵金5000万円でましたね。 聖徳太子の1万円札だからずいぶん前に埋めたんだね
581 :
:名無しの愉しみ :2007/03/13(火) 22:15:53 ID:ZfubzopC
西不士オート いんちきやめろよ はずかしいよ
582 :
165 :2007/03/14(水) 12:23:45 ID:???
朝日さす夕日輝く所 そこは・・・・
583 :
名無しの愉しみ :2007/03/14(水) 20:03:50 ID:M7P6rLKZ
Japanese insist that Comfort women were just prostitutes doing legally permitted business,
employed by commercial brothels. Do you agree with Japanese's notion for the comfort women
as prostitutes than sex slaves?
(慰安婦は商業的売春宿に雇われ公的な許可を得て営業していた、ただの売春婦だと日本は主張し
ています。あなたは慰安婦は性奴隷というより売春婦だったという日本の考えに賛成しますか?)
http://koreascope.com/gnuboard/bbs_en/board.php?bo_table=bbs_event&wr_id=6 性奴隷ではなく 売春婦だった という主張に同意するか という質問だからYES に投票してね 。
584 :
165 :2007/03/15(木) 00:34:44 ID:???
船玉古墳の話が出ていたので、ちょっと調べてみた。 古墳や古墳と思しき場所に「怪談」がある場合のほとんどが古墳だった。 ココで言う古墳とは、昔から石室が露出していたり、 石室ない古墳でも埋蔵物(銅剣や副葬品)が、大雨などで地上に露出していたりする古墳。 大昔から古墳の石室を掘り返した盗掘があったり、露出した銅剣等副葬品を持ち帰る者が多かった。 また、古墳は、近代になってから歴史的貴重価値を見出したわけではなく、はるか昔から考古学的価値をみいだしていた。 そこで、古墳を保護するべく「怪談」を創作したと思われる。 怪談の程度によって時代が読み取れる場合も有る。 大蛇や白蛇等の主(ぬし)がいたり、祟りの具体例が書いてあるものに関しては、時代があとのものである。 よく、「塚」(一里塚を除く)というものには、悲しい話が付き物なのもこのためである。 特に多いのが、高貴な人が旅の途中で行き倒れたのを埋めたとか。。 高貴=平民には近づきがたい=掘ったら祟られるかもしれない。を利用しているものと思われる。 塚=古墳と言うわけではないが、やはり塚の保存を考え、悲しい話とセットにしているものだと思われる。
585 :
165 :2007/03/15(木) 00:37:14 ID:???
古墳は、学校で勉強したような前方後円墳や円墳だけではなく、小高い塚だったり小山のを利用した物も多い。 教わったのは、前方子円墳で、石葺きで周囲に埴輪が並べてあって、石室があってだ。実はそっちの方が数が少ない。 時代や地域により石室がなかったり、埴輪がないものまでさまざまである。 古墳は、その性質から山の中や谷底ではなく、見通しが良い平地におうおうとして存在する。 考古学的保存が甘かった時代は、古墳の上に社殿付きの神社を作ったり、小祠や庚申塔・地蔵などを設置することにより神格化し、 古墳を保護するという方法が多く取られた。 上記にも書いたが、古墳は、主に平地に人工的に作ったり、平地にポツンとある小山を利用していたために周囲を見渡せる場所にある。 東京以外の人には申し訳ないが、江戸時代は、都内から茨城の筑波山が見えた(浮世絵にもある)。 大昔は、古墳の上に立てば、相当四方の周囲が見渡せたと考えられる。 そのため「朝日さす夕日輝く・・・」の埋蔵金の伝承があるところには、古墳がある。 が、その古墳には「怪談」がセットになってるのが多い。 以上のことから、船玉古墳は、 @怪談がある。祟りっぽくはないが、具体的な内容がある。 A古墳の上に神社がある。 B周囲から見て突出している。 よって、単なる古墳にしか過ぎず、その「怪談」はは、保護のためにあるということで、埋蔵金とは関係がないと思われる。
586 :
165 :2007/03/15(木) 01:00:19 ID:???
しかしながら、その古墳保護を逆手にとって埋蔵したということも考えられなくもない。 だが、船玉古墳の場合は、すでに石室が開けられており、副葬品も出土しなかった(遊び場になっていた)ことを考えると、 古墳保護の目的に「怪談」と船玉神社がセットされたと考える方が無難である。 上記で述べた「朝日さす夕日輝く・・・」だが、 その伝説がある某所の小高い丘(そこの石の●重塔に「朝日さす夕日輝く・・・」と刻んであった) その●重塔の下を掘り返したところ、壷に入った人骨が出てきたそうだ。 やはりそこは古墳らしき場所ということだった。 また、今までの話と、某武将等が再起を図るためとかがセットになっていた場合 銅剣等の武具や渡来銭が露出していたり、副葬品として石室にあったり(この時点で盗掘されている)した古墳がおおい。 それは、古墳保護の目的だったのが、地元の豪族等の半官贔屓といつの間にか重なりあい。 その武将の話に摩り替わっている例が多かった。 最後に「朝日さす夕日輝く・・・」の伝承=古墳でもない。 「朝日さす夕日輝く」所は、現在でも初日の出を見に行くとこと重なるのである。 富士山や岬、関東なら犬吠崎かな ようは、水平線、地平線から日の出がしっかり見えて、日の入りも見える場所であれば、「朝日さす夕日輝く・・・」所である。 山であれば、南側斜面か、北側斜面となる。 よく、「朝日さす夕日輝く」の伝承が残る神社仏閣の敷地内を探す人がいるが、その神社仏閣内が高台にあったりして、 日の出・日の入が見れればその場所だとも考えられるが、とうに昇った太陽を見なければならないような場所であれば見当違いである可能性が非常に高い。 「朝日さす夕日輝く」は、埋蔵金の伝承の前に付く枕詞ではないのである。
587 :
165 :2007/03/15(木) 01:22:28 ID:???
現代においても古墳と認定されている場所は、用意に掘り返すことができない。 それは、国や地方自治体の管理下にあるからである。 もし、私有地にあるならば、副葬品を掘り出して売って大儲けするということも可能だ。 では、昔はどうだったかというと、そんな法律がなかったし、管理する意味が薄かった。 こっそり掘り出したりすることが十分可能だと思う。 また、今みたいに何か出れば学術調査をするわけでもなかっただろう。 偶然発見された古墳のその多くは盗掘の被害にあっただろう。 昔から古墳と認識されていた場所については、法律等の縛りがないので荒らされる可能性が十分ある。 そこで、神社仏閣(主に神社・小祠)を創設(建立?)することにより管理下においた。 皆さんの周りの神社を見ていただいたり、イメージでもいいですけど 神社は、平地ではなく、小高い丘の上にあったりしませんか? 私が今年初詣に行った穴守稲荷神社は平地でしたけど・・・まぁ羽田の海っぺりにあるので平地で仕方ないでしょw さて、書きつかれたので寝ます おやすみ
588 :
↑ :2007/03/15(木) 12:03:51 ID:???
ちょっと長いよ
てすと
590 :
忍 :2007/03/15(木) 23:25:29 ID:???
船玉古墳は×という結論のようですね。船玉はやめましょう。 ところで、謎の三首の和歌で有名な金光寺の山門の下を勝海舟が掘って、 黄金を得たという話があります。真偽の程はわかりません。本当だとしても それが結城氏の埋蔵金なのか、全く別の関係の埋蔵金なのか、不明です。 勝海舟が掘り出した黄金は、明治初期に発行された(らしい)金貨に使われ たとゆうんですが・・・。
592 :
↑ :2007/03/16(金) 23:36:10 ID:???
いいかげん 目を覚ませったら
593 :
↑ :2007/03/17(土) 16:28:43 ID:???
おめめ、パッチリ!!!
赤城集合は? ゴールデンウィークの頃ですか?
595 :
賛成 :2007/03/17(土) 18:55:40 ID:???
必ず、集合します!!! 内容は、とにかく一つ(埋蔵金)の目標を持つ仲間に会いたい。
596 :
↑ :2007/03/19(月) 00:05:48 ID:???
変な奴しかいないぞ
597 :
↑ :2007/03/19(月) 22:36:39 ID:???
批判は、誰でも出来る。 それよりも、埋蔵金に対する貴方の意見を!
埋蔵金ありきで盲目的肯定論を展開するキチガイになにを言っても無駄。
キッチンや冷蔵庫の棚の奥を探せば 埋蔵金が出てくるよ
掘ってますかアッー!
>>598 さんへ、
埋蔵金発掘は、大半の人が「趣味」の範囲です。但し、赤城の●野さん、多田銀山の鈴●さんの
ように、趣味を越えて取り組んでいる人もいることも事実です。結城の石●さんも本業は有ります。
ただ、世の中には小物、大物に係わらず、既に埋蔵金を「発見」している人が何人かいる事も「事実」
です。発見している人は、色々な事情により「公表」しない、できないのが「この世界」の常識です。
但し、発見している人は「存在」することを踏まえ、語ってほしいものです。
必ず、どこかに有りますよ、埋蔵金は!!!
602 :
165 :2007/03/21(水) 10:41:19 ID:???
多田銀山の鈴木さんの本を読むと ココまでわかってて、それでも出ないのか?と、思ってしまう。
>>602 同感。ピンポイントを特定する決定的な「何か」が足りないのか?
これに関連して、豊臣家存続説(九州)を完全に否定出来ない場合は、豊臣家
再興のための埋蔵金は密かに九州へ移し替えられていてもおかしくないのでは?
,一-、 / ̄ l | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ●●-っ < んなーこたーない ´∀`/ \__________ __/|Y/\. Ё|__ | / | | У.. |
605 :
黒部の太陽 :2007/03/25(日) 11:42:16 ID:???
参考(
>>556 ⇒
>>557 )
※ 活動の季節が、やってきました。
私も、これからの「活動準備」及び「活動」のため、この板への書き込みは、今回をもちまして
最終といたします。賛否色々と、ご意見はあるかと思いますが、各自「真実」を見極めての、
ご活躍をお祈りいたします。
『参考』黒部地方に残る里謡
@「朝日さす、夕陽輝く鍬崎に黄金数貫、数千貫、七つ並びの七並び、不老不死の大木のもと」
A中新川郡立山町や本宮(大山町)の里謡
「朝日さす夕日輝く鍬崎に、七つむすびてむすび、黄金いっぱい光り輝く」
B有峰(上新川郡大山町)には、「黄金掘り掘り有峰へ」という民謡と、虹のかかるところに
黄金があるといった伝説がある。
C早日川上流の宝島(中新川郡上市町)には「覚え石」という巨石がある。成政が立山を越え
たとき、軍用金を隠して覚えにした石だという。
等々、地元では色々と佐々成政の「埋蔵金」に関する伝説が今も数多く残っている。
中でも興味深いのは、
>>467 >>486 の中に出てくる「本原さん」の実話である。
あまり詳しくは述べられないが、本家の旅籠屋では実際に「笹金」を見ているし、それを発見
した人が泊まっているという実話に基づき、本原さん自身も探索している。
私は、本原さんと一緒に行動を共にしていた畠山さんの著書にも出てくる「田中さん」と何度も
会っていて、この事実も確認している。後は、それを「実証」するのみ!
みなさんの、活躍を願い終了とします。
本日で、終わり!
「黒部の太陽」さん退場。次は「赤城の月」さん入場して下さい。 「多田銀山の星」も歓迎します。
サービスエリアで売ってるお土産みたいw
多田は、すでに場所が判明している! 但し、銀山内ではなく、諸般の事情により一人では到底取り出せない場所である。 ※判明している「根拠」は、その場所には人を納得させるだけの「証拠」が有り、 なおかつ、金属探知器等にも「反応」しており、後は「諸般の事情」を解決するのみ!
はいはい
610 :
165 :2007/03/28(水) 21:14:35 ID:???
すっかり盛り下がってますね・・。
>>611 へ、がんばります。
但し、諸般の事情とは「人と人」の意思の疎通です。
言葉では簡単ですが、これが一番困難です。
※要するに、土地所有者から「許可」が下りない。
(ちょっと、しゃべりすぎました。これで退場します。)
ふふふ いい事聞いたw
614 :
165 :2007/03/29(木) 21:15:26 ID:???
多田銀山遠すぎ
銀山内じゃないのか〜?!
皆さん、そろそろ動き出しませう。
【武田信玄の隠し湯を求めて】 @山梨・下部温泉 A山梨・裂石温泉 B山梨・西山温泉 C山梨・増富ラジウム温泉 D長野・明治温泉 E長野・奥蓼科渋温泉 F長野・八ヶ岳温泉 G長野・毒沢鉱泉 H長野・加賀井温泉 I長野・松川渓谷温泉 J山梨・川浦温泉 K山梨・岩下温泉 等々です。 みなさん、一度ゆっくり「隠し湯めぐり」を!!!
>>617 隠し湯探検隊さんが「武田信玄の隠し湯」の候補地を挙げてくれました。
有難とさんです。
これを一つずつつぶして行きましょう!
隠し湯の 湧きて流るる ○○を 〜
619 :
165 :2007/04/01(日) 00:03:06 ID:???
そうだなー 桜も咲いたしなー 清水さんとこでも行ってみるかねー 山道に非常に不向きな車なんで、誰か乗せてって〜
清水さんとこってどこですか〜
621 :
165 :2007/04/04(水) 23:25:52 ID:???
って、誰も手をあげないのかー
622 :
165 :2007/04/04(水) 23:42:36 ID:???
しかし、本物の銅版も見たいし、タタキの亀の位置も知りたいし もうないけど井戸もみたいなー
集合の、日時・場所は? ※清水さんって???
624 :
165 :2007/04/06(金) 11:53:49 ID:???
あー 清水じゃないや 水野さんか 間違えちゃった 水野さん自身、著書の中で年齢による自分の限界と、若い人達と掘りたいって書いてあるから 素性明らかにして、「見学させてください」って頼めばいろいろ見せてくれるかもねー。
>若い人達と掘りたい 水野さんwwwwwwww
626 :
赤城本命 :2007/04/06(金) 21:01:26 ID:???
627 :
165 :2007/04/07(土) 00:59:01 ID:???
おや?赤城本命さん お久しぶり♪ いやいや 銅版の本物っていうのは、水野さんが手にしているやつのことです。 巷に出ているのは、細部が異なっていたりしますから偽物くさい。 最も現物に近いやつね。 歩数のやつは、著書の中にも紹介されているが、方位図と絵地図も見てみたい。 家康像をはじめ、ほとんどの物証が手元にないようだけど、実は持っているんじゃないかとも思う。
水野さんとこ行って「見せていただく」のであって、水野さんと一緒に掘る 訳ではないんですよね。親、子、孫三代に亘って掘っても出ないんだから 何かのポイントがズレていると考えるのが正しいのではないでしょうか。 別の視点から別の場所を掘ることにした方がよろしいのでは。
629 :
165 :2007/04/07(土) 01:13:11 ID:???
以前、今、巷で出ている絵地図が正確すぎると書きました。 地図が発達してから作られた偽物だと思っています。 また、以前、赤城本命さんのご指摘の通り、方位図にしても矛盾点がいつかあります。 ぜひ本物を見てみたいです。
なるほど、世間に出回っている情報には作為があるという訳ですね。 もしそうなら本物を見ることが何よりも優先する課題ですよね。 仮に水野家の先祖が世間には偽の情報を流したとして、当家は「真実の情報」 に従って掘り出せばいいことになります。やはり何かの解釈が間違っている んでしょうか。私は「徳川」は深く研究したことがない発掘人ですが・・・
631 :
忍 :2007/04/07(土) 18:31:48 ID:???
ゴールデンウィークは、「山梨」に参上いたします。 但し、「忍」のため、隠密行動になります。 山梨の山中で、一人怪しい男がいたら、「忍」ですか? と気軽に声をかけてください。
山梨の山中で、一人怪しい男がいたら警察に通報します
山梨の山中から、夕方足を引きずりながら重〜いリュックを背負って里に 下りて来る人がいたら、それは甲州武田の埋蔵金を発見した人です。
634 :
赤城本命 :2007/04/08(日) 12:31:55 ID:???
>>165 さん
おひさしぶりですね。
もう20年も見たいと思っています。
>>628 さん
同意します。
>>630 さん
解釈はひとつ間違うととんでみない結果になります。
635 :
165 :2007/04/08(日) 22:46:59 ID:???
んー 赤城本命さんも本物見たいと思っているのかー どどのつまり、いろんな本で、ちょこちょこっと出てくる資料程度じゃダメなんですよね。 いろんな人の赤城に関する著書にでてくる銅版についての記述もさまざま 「慶長大判二十五万枚」と、書いてあるだとか、タタキの亀はいいけど。鶴も出てきたなどといったいどれが本物なのかすら検討もつきません。 基本的には、部分的に物証情報が流出しているって感じです。 まぁ本物?を持っている水野さんですら掘り当てられていないのも事実。 言い伝えすら怪しい。児玉が「源次郎の井戸を掘れ」と、いいながら 「深さはこれぐらい(10m〜15m)」と、知ったようなことを言いながら 家康像が出たのが井戸から30mも離れた地点だったりと、児玉の言葉すら怪しい。 児玉から「秘図書」をもらいながらも水野家にそれを解読するような口伝があったり。 なにか根本的なズレがあるような気がします。
636 :
165 :2007/04/08(日) 23:32:47 ID:???
それと、水野さん等は、歩尺図に重点を置いているのか、他の方位図・絵地図に関しては、あまりふれていません。 絵地図の▲は「松」程度。 確かに源次郎の井戸の位置(家康像発見場所)の位置がわかっていますから、歩尺図を使って井戸を中心に円状に掘っていけばいつかは当たるはずという考えなのか? でも、歩尺図には「中」がありません。 しかし、▲=松と書いてある限りには、絵地図を調べてあるとは思いますが、 せっかく「中」が書いてある絵地図・方位図を軽視しているというか、水野さんの掘っている赤城じゃ絵地図に書いてある場所が無いから歩尺図頼りなのかとも思ってしまいます。 私的には、源次郎の井戸の発掘における家康像の発見の順番が早すぎたと思っています。 順序的には、絵地図の「中」の地点の発見をして、その「中」から方位図に基づき方位図の各地点の発見。 そして、方位図を基に「一将」を発見して、歩尺図による埋蔵場所の発見の順だと考えています。 よって、児玉がすべてをはしょって水野さんに教えたために狂ってきているのだと考えています。 家康像は、「一将」ではなく、「七臣」のひとつではないでしょうか? 家康像=「七臣」のひとつと考えると、三枝氏の場所からは「像」が出ていないことからハズレもハズレということになります。 タタキの亀も像といえば亀の像なので、「七臣」のひとつではないでしょうか? あと五つ像が出れば一将に当たるということですね。
637 :
赤城本命 :2007/04/08(日) 23:35:55 ID:???
>>165 さん
資料は現物がいいに決まってるけど、ないよりまし。
実際いろいろな書物で少しずつ出ているというのが実態ですね。
解読とか解釈とかいっても、解読するもの自体がなければ、無意味。
偽の情報でもないよりましがスタンスですね。
638 :
165 :2007/04/09(月) 01:01:45 ID:???
165さんて面白い人。 これだけ赤城のことを研究していながら水野さんを清水さんと言い間違えるなんて。 大物だ〜大物だ〜
640 :
165 :2007/04/12(木) 00:11:27 ID:???
以前にも書きましたが、 @絵地図に書かれている「中」の場所を特定する。 似たような場所が存在すると思うので、○や▲を基に正しい場所かを特定する。 A絵地図の「中」の位置から、方位図に基づき甲乙丙・・子等にある七臣を見つける。 B七臣の発見中に一将が見つかると思うので、一将の発見場所から歩尺図を使って埋蔵場所を発見する。 Cお宝GETだぜ! @の時点で、絵地図に書かれている○や▲の位置から埋蔵金を示唆する物等が出るかもしれない。 Aの時点で、方位図に描かれている○や△の位置から埋蔵金を示唆する物等が出るかもしれない。 もしくは、家康像の発見と同時に見つかった皿と同様に新たな指令(手がかり)が発見されるかもしれない。 この発想は、やはり幼い頃にやった宝探しからきている。 まず、どこに(どのへんに)埋めたかがわからないとスタートにならない。 最初の手がかりに基づき一箇所を掘ると箱が出てきて、新たな指令(手がかり)とパスワードがでてくる。 新たな指令に基づき次の場所を掘ると、また指令とパスワードがでる。 指令をすべてクリアして、掘り当てたパスワードをつなぐと、最終的な宝の在りかがわかるという寸法。 水野さんは、たまたま源次郎の井戸から断片的なパスワード(家康像)と、新たな指令(皿)を発見した。これが不幸の始まり。 また、これもたまたまタタキの亀(パスワード)と、亀と同時に出てきた二つの石(新たな指令)を発見した。 この偶然の発見(井戸から30mも違うし、亀は偶然だし)ともいえる順序が違うパスワードと新たな指令を手に入れたために 前後がつながらなくなってしまったと考えられる。だから見つからない。 オマケに児玉氏が埋蔵金に関与していた可能性が強いとはいえ、実際清水さんに教えた場所(源次郎の井戸)から埋蔵金が出ていないので 埋蔵金全体に関わっていたとは思えない。 このパスや指令の埋蔵のみに関わっていたといったほうがいいかもしれない。 そう考えると、児玉氏があげた「秘図書」は、水野さん以外の第三者に源次郎の井戸を教えるパスワードにしか過ぎないのではないか? たまたま情にほだされ口頭で源次郎の井戸を教えてしまったので、「秘図書」を使わなくてもたどり着いただけだったりして。
641 :
165 :2007/04/12(木) 00:16:09 ID:???
TV局からオファーがこないのが残念w
642 :
165 :2007/04/12(木) 00:27:23 ID:???
パスワードじゃないなキーワードだな。 家康(家康像)の亀(タタキの亀)は、絶倫(日輪の像:未発見)で、昼晩(太陽と月の像:未発見)かまわず 複数の娘(複数の娘の像:未発見)をヒーヒー(火炎の像:未発見)言わせて子作り(子供の像:未発見)に励んだ。 布団屋や産婆の家のしたから埋蔵金がでたりしてw オカモトやサガミゴムの敷地から出る物証はトラップだなw
643 :
赤城本命 :2007/04/12(木) 12:32:39 ID:???
644 :
165 :2007/04/12(木) 20:50:53 ID:???
っていうか 赤城本命さんは、どこに埋まっていると思う?
645 :
赤城本命 :2007/04/12(木) 21:26:26 ID:???
どこって簡単にはいかないよ。 例えば、甲一八六の地点の確定には @甲の方角は? A一八六は百八十六の意味か? B距離の単位は? C測量の基点は? 最低これだけの点を確定させなければならないから。
あっそ
647 :
ウホッ :2007/04/14(土) 20:03:04 ID:???
穴を掘ったら許していただけるんですね?
そこを掘らないで下さい 私はそこにありません 私は千の風に乗って赤城の山を駆け巡っています
ヤレヤレ! みなさん、待ちに待った、ベストの季節になりました。 後は、現場「調査」のみ!!!
掘るのは、最終目的で! まずは、机上で得た「確信」を現地で確かめ、「確証」に! 現地調査だけなら、簡単で誰にでもできますょ。 掘るのは、最後です。(※当然、経費や諸々の問題もあります)
同感、同感。 各自現地に直行して、連休明けにはその結果を報告しあいましょう。 はたしてあなたの推理は正しかったか!?、現地へ行って確かめましょう。
652 :
165 :2007/04/15(日) 21:38:13 ID:???
おお!? みんさんいってらっしゃいませー 報告待ってます^^
653 :
↑ :2007/04/16(月) 19:46:27 ID:???
貴方からの報告を一番待ってます。
皆さん、報告する時は、自説のどこが間違っていたかを書いてくれると大変 参考になるんですけど・・・ おっと、出てしまう場合も有りか!!!
655 :
165 :2007/04/17(火) 00:52:16 ID:???
<分割埋蔵> @甲の方角は? 中から見て、やっぱり東でしょうかね?75° A一八六は百八十六の意味か? 素直に甲の地点から186歩ですかね?甲を中心にぐるっと円を描くとなにかあるかも B距離の単位は? 歩尺1.1mだっけ? C測量の基点は? 中から甲、乙・・・また、甲、乙・・・から歩数周辺 一括埋蔵の場合は、甲、乙等必要ないように思える。ただし、甲、乙等にキーワードの埋設等がある可能性があるね。 えっと・・・私からの報告を待つとのことですが・・・下記の理由をクリアしないと難しいです。 <理由> @17年も前の車なので、埼玉から目的地まで片道だけでもたどり着くかかなり疑問。 A山道等極めて不利なことと、積載量0の車なので、実用性にかなり欠ける。 B基本的に「有るかもしれない」派なんで、お尻を叩かれないと動かない。 C埋蔵金を掘り当てた穴に入れられて埋められてしまう可能性を極端に考えてしまう。 でも、いずれ何らかの機会があれば調査したいです。
連休近し! 普段サラリーマン、週末トレジャーハンターの人、いよいよ行動の時! 今のうちに地主と話をつけておこう!金属探知機の操作練習も!
657 :
赤城本命 :2007/04/19(木) 06:54:45 ID:???
>>165 >75°
360°÷24方位×5=75°の意味?
私は16方位説だが。
>甲の地点から186歩ですかね
甲の地点は基点から一八六だと思う。
>距離の単位は? 歩尺1.1mだっけ?
謎文中の方度足斟から歩測とする説があるが、違うと思う。
一歩は二歩で一間から約90cmです。
658 :
↑ :2007/04/19(木) 21:10:53 ID:???
ウム…さすが、意味が深い! ※ひょっとして、貴方は、ほぼ「確信」に近づいているのでは……
では、集合の場所と日時をお願いします。
660 :
165 :2007/04/20(金) 00:28:19 ID:???
赤城本命さんへ まず、すべての根底にあるのが、どこが基点なのかです。 源次郎の井戸を基点とした場合、186歩目でなんらか見つかったでしょう。 また、基点から186歩目に源次郎の井戸があったことになります。 どちらを選んでも、2つ目に当たるはずなのです。 清水さんは、片っ端から調査や掘り起こしをしたでしょう。 もちろん、歩尺を全部足して掘ったらタタキに当たってしまいましたから。 歩尺図は、その時点で不要になってしまいました。 これっておかしい話ですよね? 地点(埋蔵場所)を特定するには、最低3つ(△の真ん中)もしくは、4つ(+の真ん中)のはずです。 しかし、清水さんは2点(−の直線)で終了してしまったのです。
661 :
165 :2007/04/20(金) 00:43:32 ID:???
そうなると、基点は絵図に描かれている「中」になります。 ここでまた疑問です。 「中」が描いてあるということは、そこを埋蔵場所にしていいはずです。 ○や▲(松?)をわざわざ描いているということは、絵図に類似している地点を消去する上(「中」の正確な位置を探し出す上で)をで必要だったと考えています。 仮に正確な場所(「中」の位置)を特定した上で、甲、乙、子等の方位が必要なのでしょうか? これを考えると、以前も書きましたが、「中」から(方位図)の甲、乙、子等の場所に何らかのキーワードがある可能性もしくは、 分散埋蔵という考え方がでてくるのです。 とにかく、清水さんの源次郎の井戸を基点とした捜査では片手落ちなのです。 「群馬県内赤城以外説」を選択せざるをえません。
662 :
165 :2007/04/20(金) 01:14:58 ID:???
方位ですが、赤城本命さんは十六方位みたいですが、私は二十四方位です。 まず、方位図に干支が描かれています。これは十二方位です。 また、同時に艮、巽、坤なども描かれています。これは、八卦の八方位です。 この干支の十二方位と、八卦の八方位を組み合わせたのが二十四方位なのです。 しかし、甲・乙は、卯の両側にあるものですが、絵図だと艮の両側にあります。 同じく、坤の横にある巳の位置も違います。 ここがおかしい点です。 ちなみに、本来艮の両側にあるものは何かというと、丑と虎です。これは鬼門の方角です。 鬼門の方向からタタキの亀と、梵字を掘り起こしている清水さん・・・。 私は、鬼門封じだと思いますけどね。 見た目は、方位図なのに子・卯・午まで描いておきながら酉を西と描いてある。 もしかしたら方位図じゃないかもしれません。 なので、私は、方位図の△を何か埋めたけど正解じゃないよ。○は、正解だよ。と、解釈しているのです。
663 :
165 :2007/04/20(金) 01:17:21 ID:???
中の場所? それは言えないなw
清水さんは水野さんの間違い?
665 :
赤城本命 :2007/04/20(金) 07:42:51 ID:???
>>165 さん
24方位説は十二支と四門と干のうちの八つを足したものとのことですね。
私の考えは十二支と四門の16方位です。
方位図は子、卯、午、酉の四正と巽、坤、乾、艮の四門、七つの干により
構成されています。私は干は十二支の残りの方位、丑、寅〜と重複している
と思っています。
実は16方位は別の出土品から証明できるのです。(神君像と同出土の銅皿)
666 :
165 :2007/04/20(金) 11:16:01 ID:???
あーまた水野と清水を間違えた・・・徳川家の祟りだな。
667 :
165 :2007/04/20(金) 11:26:36 ID:???
十六方位ですか?まさか神君像を方位神に見立ててるわけですか? タタキの亀を玄武と?
668 :
赤城本命 :2007/04/20(金) 17:31:36 ID:???
「あるかもしれない」糸井重里のなかで、 高橋克彦と井沢元彦のおもしろい話があったので、紹介します。 この四神は固有の色を持っているんです。で、赤城で見つかった亀甲模様は 玄武で北、赤い梵字は朱雀で南、そして西側に白虎がいるはずなんですが、 虎の代わりに狐、稲荷があった。〜ただ、玄武を象徴する色は黒なんです。 でも亀甲模様は白だからどうもね。黒だと土にまぎれてわかりにくいから あえて白にしたとも考えられますが。 四神が色と対応するのは知っていましたがこれは盲点でした。 しかしこの仮説も実は証明できるのです。 干を思い出してください。 謎文、方位図の干は甲、乙、丙、丁、戊、己、庚の七つですが、この内戊、己に ちょっと問題があります。戊己は土ですから、通常は中央に置かれるので(五黄土星) 、方位を持ちません。しかし謎文、方位図を見ると方位をもつとしか考えられないのです。 すると、色の配置も変わる可能性があるのです。 甲乙は三碧木星、丙丁は九紫火星、戊己は五黄土星、庚辛は一白金星、中央は壬癸は水星ですね。 以前、165さんに七つの干と残りの三つな干の質問をしたことがありますが、実はこういったこと があったので、何か知っていることはないかという意味でのものでした。
669 :
赤城本命 :2007/04/20(金) 17:42:53 ID:???
結論を書きませんでしたね。 丙丁を九紫火星(南)で赤としますと反対の庚辛(北)は一白金星となりますから、 亀が白になる。 狐(白虎)は白ではなく、黄色だった。⇒戊己、五黄土星に相当する。 前スレの高橋克彦と井沢元彦の話は別に矛盾しないということです。 連続スレ失礼しました。
670 :
165 :2007/04/20(金) 19:44:18 ID:???
それだととっくに掘り出されてていい距離の範囲ですが? それと、狐は元々白で、神主の助言により黄色く塗ったとあります。 白というよりは、グレーだったと思いますが。 青龍はおいておいて 亀、梵字、稲荷の角度が鋭角過ぎるのも疑問です。 五黄土星とか考えていらっしゃるようなんで 神君像を方位神(八将神)には見立ててはいないんですか? 家康は、まぁ徳川幕府を開いた大将軍ですよね。 方位神の中にも大将軍という神がいます。ちょっとパクリですがご紹介します。 大将軍(だいしょうぐん) 金星(太白星)の精といわれ、金性(黄金の家康像と関連があるのか?)のであることから、万物を殺伐する凶神であり、軍人の神とされる。 また、三年間、同じ方位に留まることから「三年塞がり」と称され、万事にい忌まれた。 この方位を犯すと、強烈な強運に見舞われ、中には「三年のうちに死ぬ」と書いてある暦本も有る。 普請・移転・造作・土を動かすと、病気や怪我の災いが降りかかる。 ただ、同じ方位に三年間いるのだが、その間別の方位に「遊行」(ゆうぎょう:方位を留守にする)する日があり、その五日間に限って災難がない。 神君像を大将軍と見立てると、方位が変わってきます。 十二支→ 子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥 大将軍→ 酉 酉 子 子 子 卯 卯 卯 午 午 午 酉
671 :
165 :2007/04/20(金) 20:00:03 ID:???
暦では、いつのまにか方位神が十二将神になっていますが、基本的には陰陽道の八将神です。 太歳神・大将軍・太陰神・歳刑神・歳破神・歳殺神・黄幡神・豹尾神 この内、大将軍(午)・歳刑神(寅)・黄幡神(辰)は、土をいじると災いが起こると言われています。 こうなちゃうとわけわからんねwww
672 :
赤城本命 :2007/04/20(金) 20:10:29 ID:???
>それだととっくに掘り出されてていい距離の範囲ですが? 数字の最小は五三ですから仮に26間とすると、48m位ですか。 これはあくまでも歩測としての位置です。単位が変われば当然位置も変わりますし。 私は七臣の位置には何もないと思っています。 黄金像を大将軍とする説はあり得るね。 この場合は90°回転運動をする訳だ。 ちょっと面白いですね。 >亀、梵字、稲荷の角度が鋭角過ぎるのも疑問です。 確かに御指摘の通り。
673 :
↑ :2007/04/20(金) 21:18:27 ID:???
あ〜〜、わからん?わからん? で、場所はどこだぁ〜〜〜????????????
674 :
赤城本命 :2007/04/20(金) 21:34:34 ID:???
>>673 ごめん、ごめん。
私は赤城西麓説ですよ。
徳川伝説の発端は水野家の発掘にあるからね。前スレで話していたことは
現水野家付近で発見された神君像と深山双栄寺の銅板、亀のタタキなどに
関することなんだけど。ちょっと、深い話だったね。
能書きはいいから、 早いとこ掘ってずらかろうぜ
676 :
165 :2007/04/20(金) 23:39:20 ID:???
ごめん、ごめん。 私は群馬県内赤城以外説ですよ。 いろいろ考えてくると、細かくなりすぎて干支や方位などにこだわってしまいます。 自分ですら細かすぎて、何のことだかわからなくなっていますw
677 :
165 :2007/04/20(金) 23:39:51 ID:???
679 :
赤城本命 :2007/04/25(水) 00:01:27 ID:???
徳川埋蔵金検証辞典…概論として読む。 日本の埋蔵金…畠山清行の底本、特に三枝茂三郎の記述が面白い。 謎解 徳川埋蔵金伝説…八重野充弘著、内容が結構深い。 以上3冊私のおすすめです。 後は無冠の疾走者達…生江有二著かな。 水野さんの本は読んでない。ショボーン
680 :
165 :2007/04/25(水) 11:40:10 ID:???
赤城の埋蔵金に関する書籍 @徳川埋蔵金検証事典 川口 素生 (単行本-2000/12) 群馬県を中心にした複数の埋蔵金伝説を検証しています。 A日本の埋蔵金 畠山 清行 (文庫-1995/9) 水野さん以外の目からみた昔話。結構面白く書かれています。一気読みできますよ。 B赤城 黄金追跡―水野家3代、執念の埋蔵金発掘110年 水野 智之 (単行本(ソフトカバー)-1994/6) 赤城の埋蔵金を掘り起こす厳しさがわかります。他の人の著書に書かれていることの正誤の整理ができます。まぁ掘っている本人の本だからね。 C徳川埋蔵金の謎を解いた 要子 広堂 (単行本(ソフトカバー)-1994/4) 「かごめかごめ」は、埋蔵金の暗号説の本です。「神の啓示」などと口走っている時点で読むに値しなくなります。 D豊臣秀吉の埋蔵金を掘る 鈴木 盛司 (単行本-1998/7) 豊臣(多田銀山)ですが、水野さんと同様に実際掘っている人の話が聞けます(読めます)。 そこまでわかっているのに何で出ないの?と、イライラさせてくれます。 出版されている多くは、日本全国の埋蔵金についての著書なので、一箇所あたりの説明や推理が希薄なため排除してます。 赤城の埋蔵金を中心に書かれている著書を中心に持っています。 八重野氏の著書も日本全国の埋蔵金のことが書かれているのと、胡散臭いので排除しています。 こうしたほとんどの著書は、発刊してからだいぶ経過しているので、入手が困難です。 中にはプレミアが付いている本もあります。 先日、畠山氏の「日本の埋蔵金上・下巻セット(ハードカバー-1973)」を発見しましたが、8千円もしたのであきらめました。 でも・・・買うかもねw
畠山氏の本がセットで8千円なら「買い」だと思いますが・・・
お前ら、掘るの手伝ったら分け前くれるの?
もちろん、分け前は山分けですよ。 条件は、埋蔵金発掘の手伝いをする事を他人に言わない事。 家を出る時は黙って出てきて下さい。 ニヤリ
それに掘り出すまでの経費は、お宝が出ても出なくてもすべて自分持ちと なります。出なかった場合はカネとヒマの無駄になります。
さ〜て連休だど〜〜〜 宝探しに出掛けんべ〜
686 :
↑ :2007/04/28(土) 01:09:16 ID:???
お宝掘れたら 半分ちょうだ〜い
誰かお宝見つけたとして、発表しないだろうなぁ〜 発表してくれないと、ほかの人はいつまでも無いお宝を探すことに・・・
688 :
165 :2007/04/28(土) 18:06:25 ID:???
そりゃー言わないさ 言ったと言わないじゃ雲泥の差だからね
言わないだろうね だから、日本の埋蔵金伝説の半分以上は既に発掘済みかもね
690 :
165 :2007/05/05(土) 01:49:08 ID:???
ひま
691 :
↑ :2007/05/05(土) 09:26:30 ID:???
ならば、調査仲間を「集い」動きましょうょ!!! 私は、貴方の「動く」のを心待ちしている一人です。 心待ちしているのは、私だけでなく、他にも何人かいるはずです!!!!!
692 :
165 :2007/05/05(土) 09:41:01 ID:???
ん? いつでもいいよー
693 :
165 :2007/05/05(土) 11:21:03 ID:???
暇なんで、もうちょっと踏み込んだ話をしたいと思います。 歩尺の解釈について、以前、赤城本命さんが問われたことを再燃します。 ※以前の私の解釈は、私の候補地に基づいて書いてあります。 「ほ里兼ねる井戸に 水は無し」 @掘りかねる井戸に 水は無し:掘れない井戸に 水は無し:堀り兼ねる井戸に 水は無し 掘れない井戸などないので、堀(お堀)を兼ねる井戸とし、空掘りと解釈します。 空掘りのある地点を指し示すのか?? ↑以前に私が掲示板に書いた説 A歩里兼ねる井戸(緯度、エリア)に 水は無し 歩里=歩里の単位は、一歩里:360歩。また、一歩あたり六尺(日本:181.8cmもしくは、中国:199.8cm)になり、 最短67,968cm(679m68cm)、最長71,928cm(719m28cm)となる。 赤城本命さんがいつも訂正してくれる歩幅(一歩は二歩で一間から約90cm)を毎回間違えているのは、この距離にこだわっているから覚えられないのです(笑) しかし、銅版に書かれている歩数(最短で康:十六)だと、10,874.88cmで、10km以上先になってしまう・・・。 銅版に書かれている歩尺を全部歩里に直すと、広大なエリアになってしまう。 このエリアの中に七臣があるのか!? B畝(ほ)里兼ねる井戸(緯度、エリア)に 水は無し 畝は、エリアを示します。畝=五尺平方の120倍(笑)。一尺約30.3cmなので、五尺で、151.5cm 151.5cm×120=18,180cm=18,180cm=181m80cm 約6アール・・・もうね・・・広大すぎる(笑) このエリアの中に七臣があるのか!? C保里兼ねる井戸(緯度、エリア) 保は、平安京内の地割単位の一。一坊の四分の一で、四つの町より構成される。 里は、山あいや田園地帯で、人家が集まって小集落をつくっている所。村落。人里(ひとざと)。 この四つの人里を不動の線とし、そのエリアの中に七臣があるのか!? もう・・・広大すぎてやめておきます。 この中で、一番簡単なのが、お堀の説なので・・・。
694 :
165 :2007/05/05(土) 11:51:41 ID:???
このことから、一番現実的なのが、@の堀兼ねる井戸にしています。 堀を兼ねる井戸とは、 井戸=水を汲むところ、水源 すなわち、堀を兼ねる水源とは、「川」だと考えています。 江戸城の神田川、大阪城の淀川は、お堀を兼ねています。 後の「水は無し」ですが、もうひとつの句の「名は宝に」と同様に意味が薄いと考えています。 埋蔵場所が川の近所であれば、江戸からの運搬や、持ち出すときに楽ですし、比較的掘りやすい地質だと思います。 確かに川の近所であれば、採掘の際に水が出ると思いますが、そこ(埋蔵場所)は、「水は無し」なので、水が出ません(笑)。 当然、深く掘る(1.5m〜2.0m程度)必要がなければ、水は出ないと思います。 また、空掘りもありますが、豪農家の空掘りというわけにはいかず、城をイメージしてしまいます。 城は、前橋か、沼田にありますが、城の中に埋めるわけにいかないので、空掘りはキツイかもね。 そんな感じです。 用事ができましたので、あとは、夕方にでも書きます。 またねー
695 :
165 :2007/05/06(日) 02:01:28 ID:???
深夜に続きを(笑) 「埋もれ 残れ 名は宝に」 まず、ここで気がつかなければならないのが、「埋もれ:うもれ」 皆さんは、単に埋もれているとイメージすることでしょう。 そうした場合に「うも・れ(る)」になります。 しかし、「うもれ」で終わっていることから「うもれ」になります。 日本語って難しいねー。 さて、「うも・れ(る)」と、「うもれ」ですが、微妙に違います。 @「うも・れ(る)」=土・落ち葉・雪などが上におおいかぶさって見えなくなる。うずもれる。 A「うもれ」=長い間使われず埋もれてふさがった。 こうみると、ちょっと違いますよね?@は自然と、Aは人為的な面が読み取れます。 また、「埋もれ」は、価値ある人や物の存在が世に知られないでいる。うずもれる。 ということから、次の「残れ」とつなげると 「価値ある物が世に出ないでうずもれたまま 残れ」と、考えられてもおかしくありません。 「名は宝に」この場合の「名」とは何か? 「な」で辞書を引くと、「葉っぱの菜」「名前の名」しかありません。 葉っぱじゃどうしようもないので、やはり「名」でしょうな!←ここ笑うところです。 では、名とはなにか? @徳川埋蔵金 A水野家 B児玉惣兵衛 まぁこの徳川埋蔵金のおかげで、後世に名を残すことができる人たちですね。 もし、徳川埋蔵金を掘り出しちゃった時点で、この@〜Bの名は忘れ去られるでしょう。 そーいうことなのかなー? いまいち疑問
696 :
165 :2007/05/06(日) 02:24:20 ID:???
「ほ里兼ねる井戸に 水は無し」と、「埋もれ 残れ 名は宝に」は、セットになっています。 「あいつならやりかねる」「探しあぐねる」などの言葉があります。 一生懸命だが、掘りあぐねている井戸(うまいように掘り当てられないでいる) 水(野)は、ダメだな(無しだな) 埋もれたままで残れ そうすれば、徳川の名は後世にも残る。 いや♪ちょっと意地悪な児玉ちゃん。 「お前(水野)の掘っている所は、ダメなんだよー。」 「お前(水野)が一生懸命になればなるほど、徳川も俺(児玉)も名が後世に伝わる。オマケに水野って名前が有名になるし、本も書けて印税入るね。お宝さ」 ・・・・・・・・・・・んー 考えすぎか?妄想になっている・・・。 しかし、「兵法書」などをしたためて、さも埋蔵金関係者を装っているが、彼の言ったことはハズレである。 思いっきり掘れと言った源次郎の井戸からはなにも出土していない(井戸から30m先から家康像発見)。 埋蔵金の在りかを知っているようで、死ぬ間際になってまでも謎かけをしているのは、実は、すべてを知らなかったのではないだろうか? もしくは、まったく係わりがない近所の変わり者のじーさんだったかもしれない。 このじーさんの策略にはまった水野さん。じーさんの思惑通りじーさんの名前を後世に残してしまった。 んなわけないか・・・
697 :
165 :2007/05/06(日) 03:05:41 ID:???
さて、次の疑問 水野さんは、絵図の▲は、松だといっている。 お宝の目印に松を植えたのか? 油樽の話はでてくるが、松を運んだ話は出てこない。 松は、ポンっと植えるのではなく、根の周りの土ごと植えなければならない。 なぜかというと、松は、土中の細菌と共存しており。根だけにすると、この細菌がいなくなり、枯れてしまうらしい。 もちろんお手軽な挿し木にして、管理もせずにすくすく育つはずもない。 オマケに鹿沼土、赤土等の酸性が強い土でも危険である。松食い虫等の害虫にも弱い木である。 最初から自生していたのか?それとも目印に新たに植えたのか?大きな分かれ目である。 管理もせずに目印にポンと植えたという説は、胡散臭い。 著書文中に当時(埋蔵金を埋めた当時)、腰の丈だった松も今じゃこれぐらいなんて話がある。 腰の丈ならば、根から1m弱であろう。一人で二つ持って山道はキツイだろう。 では、運んだという口伝がないので、現地調達か?雇われた人足の話の中にも松の話は出てこない。 管理不行き届きで、枯れることを想定して数本植えたのか? そうタイミングよくあるのか? また、「木を隠すには、森の中」という。広大な森の中から、目印の松を探すのは難しいんじゃない? では、他の目印は? なんと・・・土中(笑) 松すら見つけられない(笑) では、松から他の目印を?広大な山中から目印の松を探すのがこんな上に、松からどの位置に他の目印が埋まっているかも検討もつかない。 仮に松が現地調達であるならば、似たような背丈の松が自生していたということになり、さらに目印の待つかどうかの判断もできない。 自生していた低木の松を目印に使ったならば、「八門遁甲」が成り立つのか? いささか疑問である。
698 :
165 :2007/05/06(日) 03:47:30 ID:???
松は、単に「松竹梅」から選んだのではないだろうか? まぁ門松なんかもあるので、おめでたい? 安易過ぎる。 ▲が、「木」に見えるから「木」という考えであるならば、安易かもしれない。 また、仮に何らかの樹木であるならば、松にこだわらず古木・巨木であると思う。 それと、木の場合は、確かに不動ではあるが、大きくなったり、枯れたりする。 確かに短期に掘り返す必要があれば、大きさや枯れるなどの心配をしなくてもいい。 しかし、短期に掘り起こす必要がある物を「八門遁甲」を駆使して隠匿する すなわち、現在でも誰一人見つけられないぐらい複雑にして、掘りかえせるのだろうか? 埋めた人達が、生きているという確証はない。 おまけに埋めたときに地元民を含めた徒労を大量虐殺している。はたしてアルバイトに来てくれるのだろうか? 仮に「一箇所埋蔵説」であるならば、埋めるときは簡単だが少量づつ持ち出すことは難しいように思える。 大穴を開けて、今日は、千両箱数百個の中から10個とか。。無理だろ(笑) 金庫みたいに手軽に蓋ができればいいが、また埋めなければならない。 誰が掘るの?また、少量持ち出すごとに徒労を虐殺ですか?掘った後は監視員をつける必要がある。 根本的な話になるが、徳川の埋蔵金は、井伊大老が外国に金が流失するのを嫌気して、小栗に隠匿を命じたことになっている。 井伊は、先見の目があったんだな。 時の最大権力者の命に背いて老中等が、江戸城の御金蔵から小判を持ち出せるのか? はたまた、将軍が勝手に持ち出して換金するのか? 井伊自身が、暗殺されるかもしれない。と、予感していたんだな。 自分の権力が消えた時点で、他の者が御金蔵から持ち出してしまうことを心配したんだろう。 会津に持っていって隠しても所詮旗本、将軍の命には逆らえない。 ん?将軍すら手が届かないところにってこと? それでいいのか?井伊よ。逆賊じゃないのか? 自分が生きているときに将軍が所望すれば、必要に応じて小出しにするつもりだったか? ん?生きている時に出す気ならば、会津にでも置いておけばいいんじゃないの? 自分が暗殺されることと、倒幕の動き(幕府が負ける)ことを予想できたってことか・・・細木よりすごいな。さすがだ井伊直弼。
699 :
165 :2007/05/06(日) 04:16:45 ID:???
まぁ 江戸時代は、銀行がないので、財産は土の中と決まっている。 なんかのために使えるように保管しておいたんだな。現代の金庫よりすばらしい。 話が横にそれまくったが・・・。 ▲は、目印のために植えた松ではないと思っている。 最初からあった松を含めた巨木・古木か、建物等不動のもの もしくは、人工的な石碑等だと考えている。 しかし、松同様に山中から石碑等を探すのは困難であろう。 山中にいきなり石灯篭があったりしたら、かなり不自然である。 また、道祖神、地蔵等であれば、小さすぎて発見が困難だと思える。 道祖神等単体での発見が困難であれば、群集させておけばある程度目立つが そもそも、高さが低い物を群集させてみて、目立つだろうか? やはり山中を探し回ることになるのではないか? 松と同レベルになってしまう気がする。 そう考えると、建物が目立つのではないか? そもそも銅版を発見したところも寺である。これは目立つっていうか、わかりやすい。 掘るときは、双永寺へ行け その寺の床下を探して手がかりを見つけろ。んーしっくりくるね。 しかし、絵図の「中」を探さなければならない。 上記で、松・人工的な石物は目立たないと書いた。 さらに目印ならば建物とした。 しかし、群馬県内には、多くの神社仏閣等がある。 さらに、そうした神社仏閣等は、ほとんど類似した建物が数多く存在する。 その中で、▲を木とするならば、巨木・古木が、 また、石碑等としてもある程度限定することができるだろう。 さらに何らかの文字が書かれた石碑等であれば、ビンゴである。 その限定された神社仏閣等に埋蔵金に係わるなんらかの手がかりがあるのかもしれない。 こんなじかんになっちゃった。 おやすみ
700 :
↑ :2007/05/06(日) 17:02:12 ID:???
165さん、ここまで「細密」に書き込むのは、大変な「労力」だと、感謝しています。 特に、私のように「徳川」について、あまり知識が無い者にとっては、大変有り難いことです。 165さん、赤城本命さん、他諸説、色々ありますが、最終的に誰かの「説」が、報われる事を 心より、願っています。願わくば、『行動』を!!!
>>165 さん
寺か神社で埋蔵金にかかわっていると言われてる、眠っている猫の置物が発見された場所は怪しいと思いません?
猫に小判=猫(小判)が眠る
702 :
165 :2007/05/10(木) 11:42:03 ID:???
>>701 いい質問ですね。
以前から日光東照宮を埋蔵場所とする説がありました。
@埋めやすい A掘り出せづらい B警護が容易 C徳川関連だから埋めても自然
簡単ですが、以上のような理由からです。
また、現在に至るまで埋蔵金が発見されないのは、日光東照宮という聖地にあり、
一般の人や山師には手が出ない場所だからと言われています。
さらに以前、日光東照宮における埋蔵金発掘調査を嘆願して却下されている経緯もあります。
個人的ですが、日光東照宮内の鶴・亀像と、水野氏が掘り出したタタキの亀との因果関係も考えています。
ちなみに日光東照宮の眠り猫ですが、
製作当初は目が開いていて夜な夜な遊びまわって困っていたので、甚五郎が眠らせた(目を閉じさせた)といわれますが言い伝えにすぎません。
眠り猫の裏には、スズメが飛んでいる図柄が掘り込まれています。
「猫(幕府)は静かに眠り、スズメのような小さな鳥(下々の者)でも自由に飛び回る(生活する)ことが出来るような世の中に」と、言うような願いが込められています。
さらに続けるならば、猫に小判といえば招き猫 左手を上げているならお金を招く、右手であれば人を招く、両手なら欲張りってことですね(笑)
703 :
165 :2007/05/10(木) 12:42:59 ID:???
まぁどうしても徳川家ゆかりの地が候補地になってしまうのは仕方が無いでことです。 特に東照宮(上野東照宮、久能山東照宮、日吉東照宮、世良田東照宮)は、最たるものでしょうね。 上記でも書きましたが、@埋めやすい A掘り出せづらい B警護が容易 C徳川関連だから埋めても自然 なぜならば、現代においても未解明な点が多すぎるから、人をひきつけてしまうのでしょう。 ですが、徳川幕府をひっくり返した官軍が、いくら聖地とはいえ未調査だとは考えづらい。 江戸城の御金蔵カラッポ=どっかに隠した=徳川を裏切らない所=各東照宮 になる気がします。 東照宮の中で特に上野東照宮と日光東照宮が怪しまれるでしょうね。 上野東照宮のある上野は、徳川家康、吉宗、慶喜という有名な将軍を祭っています。 上野の山は、彰義隊が守りましたしね。
704 :
165 :2007/05/10(木) 13:08:55 ID:???
つづき さらに上野東照宮ならば、江戸城に近いし、不忍池は江戸城の外堀でしたので運搬も容易だったでしょう。 日光に運搬隠匿するよりは手軽で、必要時にも手軽に掘り出せるような場所であると思います。 日光に続く候補地として世良田東照宮がとりだされています。 実際TV局による調査なども行われたりもしました。 しかし、「徳川発祥の地」での世良田でしかありません。 では、世良田とななにかというと、徳川家康が征夷大将軍になるにあたって家系図を捏造したと言われています。 「三河守を受領する前の家康の官位は蔵人佐という低いものであったが、三河統一を成し遂げ名実とともに三河の支配者となった時点で、 三河守受領のために必要な位階を家康は持っていなかった。 三河守受領の為の位階は従五位下に相当するが、当時の慣例では、従五位下の位階を与えられる姓の系統は限られており、 祖父松平清康がかつて世良田氏(得川氏の同族)の末裔であると主張している故事に倣って、「松平氏は得川氏の末裔」説を唱えはじめ、系図を新田氏につなげたのである。 清康は当時三河進出の機会を窺っていた足利氏の支流今川氏に対抗するために「世良田」を名乗った、ともいわれている。」 ようは、征夷大将軍になるためには源氏でなければならなかったが、家康は源氏ではなかったので無理無理こじつけたってことです。 そんないい加減ともいえる(世良田の神主さんごめんね)世良田に大事な御用金を360万両も埋めるか?という疑問が残ってしまいます。 同じ東照宮ならば、上野・日光の方が検証するに妥当だと思います。
705 :
↑ :2007/05/10(木) 21:07:11 ID:???
やはり、貴方は「スゴイ」!!!
706 :
↑ :2007/05/11(金) 01:16:08 ID:???
でも、お宝は掘ったことない
707 :
165 :2007/05/11(金) 11:14:46 ID:???
正解wwwwwwwwwww 掘りたいんだけど、めんどくさくてねー
708 :
↑ :2007/05/11(金) 20:41:25 ID:???
研修を兼ねて、本当に参加者を募りませんか???
709 :
165 :2007/05/12(土) 13:09:30 ID:???
双永寺とかいきたいですねー
710 :
165 :2007/05/16(水) 18:27:26 ID:???
閑散としてるwww
711 :
↑ :2007/05/16(水) 19:58:54 ID:???
しばらく、お待ちを! (※ネタは、有ります)
712 :
165 :2007/05/17(木) 10:19:08 ID:???
↑はやくぅぅ
713 :
↑ :2007/05/20(日) 11:30:21 ID:???
この板で、「赤城」徳川を多数の方が熱く述べられていますが、徳川関係は「赤城」関係(赤城否定説も含む) だけでなく、みなさんもご存じだとは思うが、徳川関係は「猿ヶ京」にも伝承があります。猿ヶ京の伝承は、 徳川は徳川でも「赤城」とは「別物」です。徳川何代目かの「個人」(徳川自体個人ではないのかもわかりませんが…) の埋宝です。何年にもわたり、この「猿ヶ京」を研究した人がおられ、今では、ほぼ確信に近づいているそうです。 但し、その候補地は山と山の「土砂崩れ」のため、今現在では、埋まってしまっているそうです。 埋蔵されている量は、「何兆円」にも達するそうです。(金額の根拠は、あるようですが、不明です) 土砂を取り除くのに、「何億円」という経費がかかり、今は頓挫している状況ですが、その下に有るという「根拠」は、 確かなようです。今後、私としても、もう少し詳しく、この件について調べるつもりです。
714 :
名無しの愉しみ :2007/05/20(日) 23:24:53 ID:JstxUF8V
そもそも巨額な徳川埋蔵金は無いと考えているけれども、それは別にして、 伝承にはおかしな点が多々有って、出発点が間違ってるのではないかと思うよ。 いくつか挙げるので、分かる人がいたら答えてくれると有り難い。 1.話の発端になった中島氏が本当に埋蔵に関係したのか。 伝えられている役職(複数の説あり)には見当たらないということだし、 埋蔵に関わった他の人の証言なども全く伝わっていない。 2.中島氏は現在の価値で億単位の金を受け取って、外国人に発掘の権利を売ったが 何も出なくて訴えられたとのこと。 そんな詐欺師の言うことをどうして信用出来るのか。 また、その大金は一体何に使ったのか。 3.発掘初代の智義氏の経歴がハッキリしない。 水野一族に伝わる話でも2通り有って、その差が大き過ぎる。 最初から疑問だらけなんだが挙げていくときりがない。 4.村人の目撃談として、多数の武士と人足が長期間作業をしたという話が伝わっているが、 秘密の作業にこんな目立つことをするだろうか。 これは単なる陽動作戦で沢山の荷物の中身は石灰や木炭ではなかったか。 発掘する過程で大量のタタキや炭が発見されているが、その入手経路はどうなのか。 5.埋蔵に関わった人間を殺したということだが、その死体はどうしたのか。 いくら山の中とは言っても、崖下に投棄した大勢の他殺体が長期間、 全く近隣の住人に目撃されないというのは不自然。 こんな点を合理的に説明できないと、ただの与太話としか思えないのだが、どうだろう。
715 :
165 :2007/05/21(月) 01:51:20 ID:???
ネタ投下ありがとう。私的見解を簡単に述べさせていただきます。 猿ヶ京はノーマークです。猿ヶ京なら沼田周辺のほうが現実味がある気がします。 「山と山の「土砂崩れ」のため、今現在では、埋まってしまっている」こういうのは、胡散臭い。 当時の日本の最高権力および最高の知識をもった人達が、硫黄分が強い酸性の土で、さらに不安定な地に埋蔵するとは考えづらい。 信玄の宝みたいに「温泉」が徳川のお宝だったってオチも考えられなくも無いですけどね。 1〜2.中島、児玉は、直接埋蔵にかかわってはいないと考えています。 係わっているならば、その一部もしくは、陽動作戦に係わっていると考えています。 中島は、埋蔵金(甲府分)の総指揮を担当したわけではない。(その後、自分が知らない間に移動されている) さらに付け加えるならば、なんで自分で掘らないのか?最大の疑問です。八重野氏の金井沢の埋蔵話と同様ですね。 児玉は、埋蔵金(家康像)の有りかを適切に言い当てていない。 児玉だけで埋蔵地の警護ができるはずがない。 児玉以外に剣豪が数名いたとしても、一騎当千ではないだろうから守りきれないでしょ。 3.水野の初代の話ですが、まぁ何の根拠もなく何代にも渡って発掘はしないとは思います。 初代の出生より、初代が掘る決意をしたときの話のネタの真偽が問題だと思っています。 4〜5.以前にも説明したとおり陽動作戦だと思っています。 以前にも小判の重さ、人足の数等を解説してありますので、そちらをご覧ください。 さらに人足の数を解説したときに陸路を選択するリスクも解説してあります。 私的見解:@船の利用が可能 A平坦な地で、水気が少ない B埋蔵地の警護が容易 C埋めやすいし、掘出しやすい(人目にもつきづらい) この要素は、必要だと思っています。
716 :
名無しの愉しみ :2007/05/21(月) 10:07:01 ID:sFYOru8W
徳川の埋蔵金で物証が下記の本のでてました。 『埋蔵金・邪馬台国の謎解きに挑戦』歴研発行。 アマゾンで買えるとおもいます。
このスレの住人は沈船から600億引き上げには興味なしか?
718 :
165 :2007/05/21(月) 22:01:24 ID:???
沈没船から引き上げるのは金がかかるからね 埋蔵金は国内だし、うまくすればツルハシ一本で掘り当てられるからね まぁ確かに埋蔵金よりサルベージの方が、GETする確立は高いけどね
719 :
714 :2007/05/22(火) 01:12:08 ID:rqjtEsuK
畠山氏・八重野氏の本を読んで、最初にクサイと思ったのは中島氏のことなんだ。
>>714 に一寸書いたが詐欺師の臭いがする。
いずれの本も身内の証言を元にしているようだから、書かれていることはそのまま受け取ってはいけない。
恥になるようなことは極力ごまかして書かれているはず。
そこで自分なりに推測してみたが、中島氏は埋蔵金に関係したのではなくて、赤城に於ける陽動作戦に
関わった或いは計画を知る立場にあったのではないか。
時代が明治に代わって、禄を離れた中島氏は金が必要になった。
目的は商売か投機か分からないが、元手を作るために、自分の知っている赤城での陽動作戦を埋蔵金のホラ話に
作り変えて外国人に売りつけた。
当然、埋蔵金は無いことは分かっているから自分では掘るはずもない。
そうして得た金は目的に失敗してスッテしまった。 一方で何も出なかった外国人には詐欺で訴えられる。
中島氏が貧窮して病死する間際に智義氏は面会して事情を知った。
その時点では智義氏は埋蔵金のことなどどうでも良かった。
その後、智義氏は両替商で生計を立てるが結局は失敗して店をたたむ羽目になる。
そのときに思い出したのが、中島氏の死に際の話だ。
この埋蔵話を利用して自分もスポンサーを見つけようと考えた。
東京を売り、赤城に移住して埋蔵話の形を整えつつスポンサーを募った。 そして、めでたく出資者が現れた。
後は、あちこち探索をするふりをしたり、実際に掘って見せて時間を消費する。
また、別のスポンサーが現れれば、そちらにも発掘させたりする。 結局は何も出ない。
智義氏が死に際に家族に本当のことを話したかどうかは分からないが、
子孫も同じやり方でなんとなく食べていけるので引き継ぐこととなった。
話は変わって、双永寺の銅板だが、こちらは埋蔵話が金になると睨んだ寺の関係者が作ったものだろう。
その証拠に、一組ではなくて同様のものが複数存在するとのこと。
本当に埋蔵金が有って絵図面が必要ならば、埋蔵とはなんの関係も無い双永寺に隠す必然性がない。
720 :
165 :2007/05/22(火) 10:33:24 ID:???
中島氏の話は以前にも書いた。 本人も「陽動作戦」だとは思っていなかったと考えています。 @甲府分24万両を榛名山に一時的に隠したその場所を知っている。 A数日後榛名山の埋蔵場所を訪れている(この時点で掘り出されているので、計画からはずされていた) B最終埋蔵予定地である赤城の津久田を示しているが、児玉とは違い具体的な埋蔵場所を示唆していない。 (途中ではずされたから、ピンポイントの埋蔵地がわからない) 上記のことから、中島自身が、掘ると決めたとしても、広大な最終埋蔵予定地を個人で掘るのは困難だと判断した。 ただ、最終埋蔵予定地を知っているので、当時、金を持っている外国人に情報を売った。 @外国人発掘に失敗。詐欺師扱いされる。次のパトロンが見つからない。 A老いて、困窮し、さらに発掘が困難になった。 B陽動作戦だとは知らなかったので、臨終の間際に水野智義に打ち明ける。 ※情報料を貰ったかどうかはわからないが、情報を教えた ※外国人の場合とは異なり、利害関係が少なかったと思われるので、実際になんらかを埋める予定だったと考えられる。 再度書くが、中島は、榛名山の一時埋蔵地までのお仕事だった。 甲府から榛名までは意外と険しいので、多くの人足や警護を必要とした。 榛名から赤城までは、容易とはいえないが、運搬しやすいと考えられる。 ここで、情報漏えいを考え、最小運搬人数に削った。この中に中島氏も含まれてしまった。 ただ、下っ端ではなかったので、最終埋蔵予定地の話は聞いていた。
721 :
165 :2007/05/22(火) 10:48:10 ID:???
自分の死の際で、ウソを肉親にも近い親しいものに教えるだろうか? 何らかのものを埋めた事は間違いないと思う。 それが小判なのか、石ころなのかは本人は知らない。小判だと信じていただろう。 ただし、榛名山に一時的にモノを埋めた際に、メンバーからはずされているので 最終埋蔵予定地が赤城だということ自体が、上司にウソを教えられた可能性もある。 ただ、最大の疑問なのが、なぜ、中島が単独で榛名の埋蔵場所に行ったのか 盗むつもりだったのか、それともメンバーをはずされる際にウソの運搬予定日を教えられたのか なぞである。
722 :
714 :2007/05/22(火) 15:06:13 ID:???
>>720-721 165さん、どうもです。
私も中島氏が死に際に智義氏には本当のことを打ち明けたと思います。
その内容が自分のやった詐欺話のてん末だったわけです。
この話を聞いた智義氏は、その時はただ聞くだけだったが、後年、自分が困窮したときに思い出して
同じ様に利用したという筋書きです。
畠山氏ほかの著作は埋蔵肯定説で書かれていますから、素直に読めば
>>720 のように解釈出来ると思います。
氏は中島氏の経歴にはあまり触れていませんが、調べられなかったのかも知れません。
他の人の本でも違う経歴が書かれており、私も別ルートで調べましたが中島氏の実体が分かりません。
事実と思われるのは詐欺事件を起こしたということくらいです。 名前すら諸説ありますからね。
そこで疑問なのは外国人から得た金の使途です。
自分で埋蔵金を掘ったわけでもないし、死ぬまで持っていて智義氏に相続させたとも考えにくいし、
結局、
>>719 のように想像したのです。
TBSの番組を見たところ、現代でも同じことをやっているように思えるのです。
あの番組では、かなり深いところからも堀跡が出てましたが、複数のプロジェクトが過去に掘っている
事実があり、当然、水野家も承知のはずです。
なぜ、同じところを繰り返し掘らせるのか。 考えると面白いですね。
723 :
165 :2007/05/22(火) 19:30:13 ID:???
なるほど、面白い説ですね。 確かに中島氏の話がすべての発端です。 中島氏の話自体が虚偽ならば、赤城徳川埋蔵金の話自体がひっくり返ってしまいます。 確かに、埋蔵金が埋まっているかもしれないという土地ならば、 赤城原野でも何100倍もの高値で売れるわけですから、いい商売ですよね。 引っかかるのが、多数の目撃情報等です。 畠山氏も調査したことでしょうから、目撃したことは間違えないでしょう。 ですが、その牛の背に・・・などという話の中で、 牛の背に乗せられたモノ=小判だとは、さすがに断定できませんが、 何らかのモノを実際に運搬し埋めたか、村民も買収されていたかです。 ですが、人の口に戸は立てられませんから、実際の話だと思っています。 中島、水野両氏の話が虚偽であって、かつ、家康像や銅版等の物証も偽物だとしても なんらかの物はあるんじゃないかと思っていますが!! 私は、群馬県内赤城以外説なので、水野さんちの近所に埋まっていなくてもいっこうにかまいませんw
724 :
724 :2007/05/23(水) 00:59:23 ID:LY+yV7eR
600億の沈船の話は、デタラメでしょう。
725 :
714 :2007/05/23(水) 16:49:55 ID:???
>>723 村人が目撃したものは
>>714 の4のとおりに擬装用の資材ではないかと思います。
なにしろ現地では、掘れば必ずタタキ(石灰)や炭が出るというほどに使用されているそうですし。
作業が終わった後は各人はバラバラに山を下りて散会したのでしょう。
この辺も陽動作戦ということでは165さんと同じ見解です。
肝心の埋蔵金ですが、規模は云われている額の10分の1位(全部で10〜20万両程度)で、御金蔵から直接に
戦闘が予想される各地へ分散して運ばれて、或るものは使用され或るものは埋没金になったと想像しています。
元々、当時の幕府が動かせる現金はその程度のものだったのではないでしょうか。
従って埋蔵金は1ヶ所に数千両程度が良いところと思います。
目立たないように馬1頭に積んで運べる程度ですね。
それから、いつも不思議に思うのですが、埋蔵金が有ったとして、八門遁甲などの学問を利用して場所を
決めるものなんでしょうかね。 私はこれは一寸危険なことだと思うんです。
もし敵方に遥かに優秀な人が居て、本来は受け継ぐべき味方の人が馬鹿だったら、先に解読されて
取られてしまいます。 そんな危険はないのでしょうか。
実際のところ、双永寺の銅板は最初には徳川とは無関係(おそらく)の人に渡っているのですしね。
その人が解いてしまったらお仕舞いです。
また、何らかの手段で銅板が徳川の関係者にしか渡らない細工がしてあったとしたら、
そのものズバリで簡潔に記載すれば良いと思うのです。
数字を足したり引いたり線をああだこうだ言いながら引張らないと埋蔵地点が分からないようだと、
急の用には間に合わないでしょう。
726 :
165 :2007/05/23(水) 23:10:45 ID:???
んーちょっと、その説は難しいですね。 検証してみましょう。万延小判に久しぶりに登場してもらいましょう。 明治になり小判から円に切り替わりました。 そのときの交換レートが、万延小判=1円 明治元年の蕎麦(そば)の値段5厘(りん) 1円=100銭=1000厘 蕎麦が5厘なので、200杯分です。 現代のカケ蕎麦の値段が230円(参考:近所の立ち食い蕎麦屋) 230円×200杯=46,000円 1両あたり46,000円になります。 46,000円×10万両=4億6千万円 20万両で9億2千万円。 物価が高い現代においても、この程度の金額にしかなりません。 公務員給与(月給)は、約33万円(40歳) 330,000円÷46,000円(一両)=約7両(月給) 20万両÷7両=28,571人分 新撰組最盛期隊士約200名 28,571人分÷200名=11年9か月分の給与 仮に2,000名の浪人を雇うとしたら、2年ももちません。 5,000人を雇うとしたら半年ももたない。 御金蔵がカラになっていたことからも、いくら幕末とはいえ、幕府がこれしか持っていなかったとは考えずらいです。
727 :
165 :2007/05/23(水) 23:43:43 ID:???
次に幕府の財政状況を検証しましょう。 江戸幕府の石高(天領)は、約400万石 1石は、150kg 年間6千万kg獲れるわけです。 明治元年白米10kg55銭です。1kgあたり5銭5厘です。 (6,000万kg×5銭5厘=330,000,000銭 330,000,000銭÷100=330万両 年間収入330万両×46,000円(一両)=1,518億円の年収 いくら財政が逼迫していたとはいえ、年収1,518億円あって、9億2千万円しか残らないとは考えずらいです。 当時も藩札等お金の代わりが存在していましたので、財政赤字とはいえ十分な財政は確保できていたと思います。 小泉すら年間30億円の赤字国債だしていますしw 日本も莫大な赤字をばく進していますが、まだ破綻していません。自民党どうにかしろよ!
728 :
165 :2007/05/24(木) 00:09:01 ID:???
400万石とは、紙の上での石高なので、品種改良や農業の発展等で、 石高以上の生産を上げていたことは言うにおよばずです。 と、いうことは、埋蔵金の360万両は、幕府の年収分ということになります。 これは、お米だけの換算です。 江戸時代の税金として、お米のほか、町人には、清酒や醤油の製造、牛馬の売買などに免許料や営業税のような運上金・冥加金などが課税されました。 実際の税収は、もっと多かったと思われます。 そのうち20万両しか融通が利かないとは思えないのであります。 また、400万石のほかに旗本分としては、さらに300万石ありました。 いざ戦争となれば、各藩も軍費を拠出したと思いますので、 合計で20万両とは、思えないのです。
729 :
165 :2007/05/24(木) 00:37:39 ID:???
さらに、軍費ではなく、徳川幕府の再起を図るとしたら? たった20万両じゃ無理なのです・・・(;;) <注意> 約360万両の年収があっても実際埋めた額は不明ですから 714さんのおっしゃるとおりの20万両だけだったかもしれないということを忘れずにね。 次に軍費を前もって埋めておく件ですが、これも難しいですよね? 勝海舟が新撰組に渡したり、上野での戦争のときも前もって軍費を渡してあります。 また、新鮮組の流山駐屯の時も、予想外にたった3日で新政府軍に追いつかれ、近藤が時間稼ぎをして脱出しています。 いちいち埋蔵場所に転戦しながら掘り出して、賃金を支払ったりするのは難しいです。 逆に会津などから戦費を前線に届けるというなら、容易かもしれません。 と、なると江戸城のお宝は、前線を渡り歩くことなく、江戸城の近所に埋めておけばいいわけです。 前にも書きましたが、上野東照宮とかにね。 次に八門遁甲ですが、 私は、「八門遁甲は、考えすぎだろ?」って派なんでw 次に銅版の話ですが、これは微妙です。 なぜ、紙ではなくて、銅版なのか?銅板に物を書くというのは、江戸時代中期からありました。 確かに紙より保存がきくとは思いますが、緑青(ろくしょう:青錆)が出てしまうと思うんですけどね。 また、双永寺の床下などと、安易な・・・。 墓の中にでも入れておけばいいのにねw でも、銅版のセットが複数あるということですが、予備だと考えれば納得できます。 八門遁甲を使わなくても暗号ですので、万一敵方に奪われても容易には解読できないでしょう。 その間、予備を使って掘り出せばいいわけです。(現状が、掘れるならばね) また、銅版の所在を知るものが、1名しかいない場合、その人が死んだら二度と掘れないわけです。 そのようなことが無いように数名分を用意したかもです。その中には、偽物も含めておくのは忘れないようにw 銅版の真偽は、年代測定しかないのです・・・。
730 :
165 :2007/05/24(木) 00:40:47 ID:???
あー いっぱい書いた 寝よ おやすみ
731 :
714 :2007/05/24(木) 02:41:31 ID:???
>>726-728 詳細に検討して下さって恐縮です。
私の方は、前にたまたま小栗の関係で横須賀造船所のことを調べていましたら、フランスに年60万ドル
づつ計240万ドル支払ったという記述が有りましたので、そこから見当を付けました。
この金も大変苦労して捻出したようです。 年45万両でしょうか。
幕末は大変なインフレで、資料によっては米価から計算すると1両が現代の1万円以下にもなった
とのこと。 もっとも、現代は米価が安いので本当はもっと価値が高かったかも知れません。
開国以前は1両が4〜10万円と言われていますので、物価高騰に手持ちの資金も底をついていたのでは
と想像します。
埋蔵に当てられたのは畠山氏によると御納戸金であって一般会計ではないだろうとのことから、
表の勘定が数十万両の金に窮している時に、裏に数百万両も貯めたまま我慢出来るだろうかということです。
>>729 軍費を前もって分散しておいたという想像は、畠山氏の本に有る三河島や猿ヶ京の埋蔵金の話から
来ています。
埋めるばかりではなくて、信用の置ける土地の有力者に預けるということも有ったのではないでしょうか。
例えば、大前の殿様が荷物を懇意の宿屋の蔵に預けたという話です。
また、上野といえば鶯谷の近くでしょうか、御隠殿にも埋蔵話がありましたね。
それから、銅板の件ですが、何か他にキーが有るということを考えていらっしゃるのですね?
そのキーを知っている人が銅板を見れば解けると。
やっぱり八門遁甲は考えすぎですよね。
732 :
165 :2007/05/24(木) 11:44:58 ID:???
714さん深夜の書き込みお疲れ〜 まぁ塩川財務大臣の話じゃないけど、「親は母屋ではおかゆをすすっているのに 子供は離れで焼肉を食べている」 一般財源と、特別財源を揶揄しての発言でしたが、近代日本でもこんな状態ですから・・・。 また、奉行所のへそくり(裏金)も結構あったということですから、幕府も二重帳簿があったと想像するわけです。 物価高や対外債務があったでしょうが、相当量の蓄財や軍費等の国家備蓄は必ず有ったと思いますよ。 すっ裸で、伸るか反るかの国家運営はしないでしょうw ですが、実際の埋蔵両が、まったく見当がつかない。0両〜400万両の範囲だろうとは思っていますがw 400万両は無理でしょうけどw 銅版の件は、銅版が本物っていうのが前提です。銅版三枚で、埋蔵場所がわかるとは思っていません。 なぜならば、水野氏が銅版三枚を使って掘るだけ掘ったからです。 ただ、水野氏は、源次郎の井戸を「中」としまっているのが問題だとは思っていますが 以前にも書いたとおりに、「中」の場所は他にあります。 また、銅版に書かれているとおり、七臣を集めれば、一将に当たるということなので、 7箇所に「キーワード」があり、それが集った時点で「本命」の在り処がはじめてわかる寸法だと考えています。 ※7箇所の一箇所目に2箇所目の在り処を示唆する物証がある場合もある。
733 :
165 :2007/05/24(木) 11:57:45 ID:???
「中」の地点から@〜Fの各地点のキーワードを合わせると、どこぞこと場所が特定できるわけです。 水野氏は、児玉の話で@〜Fのいずれかの地点を掘ってしまい、途中のキーワードである家康像を見つけてしまった。 その地点を「中」としてしまったのに3代にも渡って掘る羽目になったわけです。 そして、中からの順番通りではなく、@〜Fのいづれかの地点を最初に掘った場合に そこが銅版の「中」の位置と勘違いさせるように偽装工作をしていったわけです。 銅版にもあるとおり、「一は万物の始め」です。@から掘らないといけないと示唆しているわけです。 @を掘るためには、「中」を特定しないと駄目なのです。
734 :
165 :2007/05/24(木) 13:32:57 ID:???
対外債務の話があったので、調べてみました。 江戸時代の為替ルート(ハリス相場)は、一両で4ドルでした。 年60万ドル÷4ドル=15万両。総額240万ドル÷4ドル=60万両 150,000両×46,000円=69億円 600,000両×46,000円=276億円 年収1,518億円のうち69億円 1回69億円(手数料込)の支払い・・・。 24回払いとか、36回払いにすればよかったのにw
735 :
赤城本命 :2007/05/24(木) 22:36:13 ID:???
>>165 さん
>やっぱり八門遁甲は考えすぎですよね。
赤城伝説の発端は水野の発掘ですよ。
水野家の発掘を否定することはすなわち徳川埋蔵金を否定することでは。
銅板だけじゃダメでしょ。
ほかの出土物とともに考えないと。
736 :
165 :2007/05/25(金) 09:41:20 ID:???
あら?私に言っているのかな? 714さんと間違えたかな? はじめに基本的なスタンスとして、私は、「群馬県内赤城以外説」です。 現在、埋蔵に関する物証は、水野家の銅版等のお宝に頼るしかありません。 水野家の発掘についてですが、「714さん」とは異なり肯定的です。 また、埋蔵金の有無に関しても「なにか有るだろう」派です。 ですが、水野氏が、源次郎の井戸を中心に考え、発掘しているのには異論を唱えます。 水野氏の著書を拝読する限り、銅版の話は、歩尺図と、方位図が中心で、絵図にいたってはほとんど出てきません。 絵図に関して「この絵図と同じ場所を発見した。絵図の中心は、やはり源次郎の井戸だった。」と、言うような記述はないのです。 たぶん見つけられていないのでしょう。 この結果、発掘を否定するのではなく、発掘場所の基点が違うだろうと思っています。 基点が違う、すなわち、3代掘っても出ないのはそのためじゃないのか?と、言うことです。 「八門遁甲」ですが、私としては「後付け説」だと考えています。 「徳川の埋蔵金だし、林氏がからんでいるから、八門遁甲を使っているに違いない」 と、いう感じで後世の人の思い込みがあると考えています。 「八卦を使用=八卦が解読できない=すなわち八門遁甲」ではないということです。 源次郎の井戸を中心としているから八卦が成立しないものだと思っております。 また、源次郎の井戸を基点として採掘した物証をどこまで信じるかはかなり問題です。 さらに三枝氏の30年間の物証等が、まったくといっていいほど世に出ていない。 本来ならば、水野氏、三枝氏の物証を比較検討し、正誤性などを検証すべきところだと思います。 三枝氏の物証をまったく偽物と断定するわけにはいきません。 発掘した刀剣等の年代測定をしてもらいたいものです。 しかし、なぜか水野氏の物証に頼りがちで、三枝氏の物証は闇の中に・・・。 世に出てもらいたいものです。
737 :
165 :2007/05/25(金) 10:12:13 ID:???
発掘の手順としては、 @絵図と同じ場所を特定する。※口伝などで、有る程度の場所を特定できたと思います。 A方位図を使用し、「中」と書かれている場所と同じ場所かを断定する。 B歩尺図と、方位図を使用し、「中」位置から絵図に描かれている○や、△を断定する。 ※○、△箇所で、新たな指令が出る可能性もあります。例:C地点で発掘された物証に「辰の方角に10歩」とか C総合して7箇所(七臣)を断定していく D7箇所から掘り出された「キーワード」(言葉じゃないよ。物証の可能性もあり)を検証する。 Eそのキーワードで導き出された地点に「埋蔵金」が有る可能性があります。 ※7箇所を発掘中に結城の埋蔵金みたいに「発掘資金」が掘り出される可能性もあります。
738 :
714 :2007/05/26(土) 01:39:14 ID:???
>>732 お疲れ様です。 どちらかというと夜の方が得意なもので深夜になってしまいます。
埋蔵金の金額等を調べていると結局は想像の域を出ないものですね。
どうせ掘るんだったら大金の方が張り合いがあるので、360万両にしておきましょうか。
>>733 銅板に云う7臣には源次郎の井戸・鶴亀のタタキなどは含まれるのでしょうか。
銅板には「方度足斟ノ両用」とありますが、この足斟を歩数としたら方度とは円周360度の
方位角のことなのでしょうか。
そうだとすると、甲乙丙丁は本に書かれている東西南北ではなくて、単に1・2・3・4という
順序を表す記号とも考えられます。
「戌巳ト記シタルハ丁ノ目ヲ続キタルノ記ナリ」という但し書きも有りますし。
絵図によって「中」を見つけたら、そこから186だけの方向と歩数で行って甲に達し、甲から297で乙、
以下同様に庚まで繰り返すということでしょうか。
或いは、7臣すべて「中」から測って186で甲、297で乙というように探すのでしょうか。
済みません、質問ばかりになってしまいました。
>>734 この頃には1ドルが1分(4ドル=1両)を1ドルが3分にレートが変更されていたようです。
相当に脅しあげて幕府に呑ませたということです。
>>735 その文は私(
>>714 )の方だと思いますので。
赤城の徳川埋蔵金については否定論者です。
でも、それだと話が詰まらないので、しばらく肯定論で考えてみます。
739 :
714 :2007/05/26(土) 02:27:20 ID:???
忘れていたのですが、こんなものも有りました。 赤城埋蔵金の発掘法です。 ネットで閲覧できます。 (11)【公開番号】特開2001−42765(P2001−42765A) (43)【公開日】平成13年2月16日(2001.2.16) (54)【発明の名称】狩野埋蔵金の埋蔵場所を解読し発掘する方法
740 :
165 :2007/05/26(土) 09:06:13 ID:???
おはよー 714さんも熱心な埋蔵金ファンですなー^^
まずはじめに
>銅板に云う7臣には源次郎の井戸・鶴亀のタタキなどは含まれるのでしょうか。
ですが、私は「群馬県内赤城以外説」ですから、含まれません。
しかし、水野氏の発掘を無視するわけにはいきませんので、赤城埋蔵であれば含まれると考えています。
ただし、亀のタタキに関しては、疑問をいだいております。
歩尺図の「右一二ト記シタルハ方度足斟ノ両用トス」
一二と漢数字を用いているのは、歩数と思われる部分だけです「甲 一八六」
方角も示唆するならば、「右甲乙ト記シタルハ方度足斟ノ両用トス」になるはずです。
歩尺図の「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚」は、@〜Fではないかと思っています。
また、「戌巳ト記シタルハ丁ノ目ヲ続キタルノ記ナリ」ですが、
本来ならば、「甲カラ庚ト記シタルハ丁ノ目・・・」となるはずなのになっていません。
これは、
>>190 で解説してあります。
741 :
165 :2007/05/26(土) 10:49:17 ID:???
>甲乙丙丁は本に書かれている東西南北ではなくて
歩尺図の甲乙丙・・・は、順序だと考えています。
方位図の甲乙丙・・・は、赤城本命さんと論議を交わしている方角の部分です。あと、歩幅ね。
では、なぜ歩尺図の甲乙丙が順序で、方位図の甲乙丙・・・は方角なのか?
歩尺図には、「戊(つちのえ)」「己(つちのと)」と書かれていますが、
方位図には、「戌(いぬ)」「巳(み)」と書かれています。
このことから歩尺図と、方位図の甲乙丙・・・は別物なのです。
と、いうことは、「中」から方位図を見ながら方向を検討し、歩尺図の距離を「中」から進むということです。
歩尺図だけに「方度足斟ノ両用」とありますが、「方位図」と2枚で1セットだと考えています。
さて、探し方ですが、私は「中」から放射状と考えています。
すでに水野氏は、家康像から円周上を掘っています。
本来ならば、@〜Fのすべての距離を円周上に掘れば、「中」が見つかるはずです。
しかし、「中」と思われる部分が見つからない。
なぜか?
>>740 でも書きましたが、
「甲カラ庚ト記シタルハ丁目・・・」となるはずが、
「戊己ト記セルハ丁目ヲ・・・」と、不思議なことが書いてあります。
水野氏は、最後の「庚」を掘ってしまったかもしれません。だから続かないのです。
>>189 で「庚」も解説していますので、ご参考にしてください。
児玉としても最後の「庚」を掘ればわかる と、思って教えたのかもしれません。
ですが、児玉は、埋蔵金全般について知らなかったので、現在の結果になっている気がします。
「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚」のうち
「甲・乙・丙・丁」までは同じ手法で見つかると思います。
「戊・己」は、「甲・乙・丙・丁」を掘って出てきた補足を新たに加えて探すことになるかもしれません。
「庚」は、さらに「甲・乙・丙・丁」と、「戊・己」を掘って出てきた補足で探さないといけないかもしれません。
ゲームでレベルが上がるのと同じ考えかもしれませんね。
742 :
165 :2007/05/26(土) 11:01:44 ID:???
そして、すべてのキーワードをつなぎ合わせて(「丁ノ目ヲ続キタルノ記」) 埋蔵場所の在り処がわかるという寸法です。っていうか、銅版に書いてあるよねw 「七臣に達すれば分証揃って一将あらわる」って 「@〜Fに到達したならば、分けられた証拠がそろって、一将が出てくる」ってことでしょw 但し書きには、こうも書いてあります。「一将を覚むるときは七臣に達して天下平なり」 「覚(さ)むる」=「さめる」ね。 これの解釈がわからない。 一将(埋蔵金)を掘り当てたならば、@〜Fの分けられた証拠を探す必要があるのか? 探す必要があるならば、以前にも書きましたが「分散埋蔵説」になるわけです。 水野氏もそうですが、「一将を目覚めさせたら七臣の場所がわかる」と解釈している節があります。 「覚むる」は、「目覚めさせる」ではないのです。酔いが覚める 目が覚める あくまで自発的なのです。 「一将を覚むるときは」「一将を目覚めたときは」 一将を?一将がじゃなくて?一将がならば、「一将目覚むるときは」だと思います。「ヲ」はいらない。 なので、私は、「覚むる」の解釈を「一将(家康公)のことを覚えていたならば」にしています。 「家康公のことを覚えていたならば、「中」がわかり@〜Fに達する」としています。
743 :
165 :2007/05/26(土) 11:54:47 ID:???
うわw 2時間も書いてるw 本日最後にしましょうw >「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚」のうち >「甲・乙・丙・丁」までは同じ手法で見つかると思います。 >「戊・己」は、「甲・乙・丙・丁」を掘って出てきた補足を新たに加えて探すことになるかもしれません。 >「庚」は、さらに「甲・乙・丙・丁」と、「戊・己」を掘って出てきた補足で探さないといけないかもしれません。 と、いうのは、水野氏が亀のタタキを掘り当てた際に近所で「一」と、算木の「八七」が書かれた石を見つけています。 これがキーワードなのです。残念ながら水野氏は、算木の「八七」を「南」と解釈しています。 「一」一は萬物の始めということから、@〜Fの「甲」に当てはまります。 「甲」とは?「甲の字は亀の甲羅を形取ったもの」 おや??? 「一」=「甲」=「亀」 ちゃんと辻褄が合っているではないですか! そうすると「八七」が、キーワードってことですね。 「八七」が、どう使われるのか? 銅版に甲の次に書かれている「乙」の漢数字に足すのか?引くのか?掛けるのか? それともアル地点からの距離や方角なのか? これは、現地でいろいろな方法を試してみないことにはわかりませんけどね。 だけど、これがヒントでしょう。
744 :
165 :2007/05/26(土) 11:57:09 ID:???
水野氏は、「八七=南」と解釈してしまっている時点で、亀の次が出ないのです。 このノリだと私は、「乙」は「へび」だと思うけどね。 ただね。家康像のときも源次郎の井戸からはずれた地点で発見され 「一」や「八七」の石も亀のタタキから外れた地点で発見されてる。 なぜこんなに外れるのか?地殻変動でもあったのか? 疑問ですね〜 それと、源次郎の井戸は、不動のものじゃないから基点にはならないと思う。 枯れたり、不要になれば埋められたりする。しかも、井戸は個人の所有物ではないのか? 基点はほかにあると考え、家康像や亀のタタキを@〜Fのいづれかと考えて検証しなおせば、基点が見つかるかもしれない。 基点が見つかれば、七臣まで達するのは、そう遠くないと思う。 ですが、私は「群馬県内赤城以外説」ですw 家康像も亀のタタキも偽装工作だと思っています。 だって、不動のものじゃないし、水野氏のやり方だと、絵図は必要なくなるんだものw 私の説では、「中」をはじめ@〜Fすべて不動のものです。 ただし、@〜Fのうち、一箇所だけ見つかっていません。 それが、銅版に書かれていない「庚」の箇所だと思っています。
745 :
165 :2007/05/26(土) 13:11:06 ID:???
基本的には、埋蔵金の有る無しは関係なく思っています。 無ければ無いでOK。有ったら有ったでラッキー♪ そんな程度しか考えていません。 その埋蔵量には魅力を感じますがw それよりも日本最大のミステリーとしての魅力の方が強いです。 <徳川埋蔵金伝説! 黄金400万両を探せ!> 時間の波に流されたままの黄金400万両 その波に流されたままの話を必死に追いかける古今東西の多数のトレジャーハンター達 巧妙に仕掛けられた罠をかいくぐり、ある者は財産を投げ打ち またある者は命がつきるまで探し続ける 与えられた時間は、人生すべて しかし、その人生すべてですら短い時間であることを悟る・・・。 あなたは映画やドラマじゃない現実を目撃する!果たして埋蔵金は有るか否か!? あ〜もう最高♪、男のロマンを感じますね。 参加が無料なんで参加しているだけですw エジプトとか遠くにいくのめんどいしw
>>727 石高400万石、1石=150kgとすると、年間6億kgになるのでは。
747 :
165 :2007/05/26(土) 21:31:12 ID:???
あら? 指摘されて気がつきました。 そーですね。6億kgですね。 そーなると、年収1,518億円ではなく、1兆5180億円ですね。 さらに714さんのご指摘の為替レートですが、$4=一両は、ペリー提督レートでした。 1分銀が3倍とし計算すると 600,000両×46,000円=276億円 ×3=828億円 んーそうなると借金の額は3倍ですが、米の収穫量は10倍なので 1兆5180億円のうち毎年828億円の支払い 収穫高には波があると思うが、支払いに困っていたなら、どんな財政状況だったのだろうか・・・・
748 :
165 :2007/05/27(日) 01:37:22 ID:???
今日TVを見てたら 八重野氏が登場してた。 砂金を採るアドバイスをしていた。 八重野氏自身砂金取りにチャレンジしているので、いい指導でした。 滝つぼをゴッソリさらったのに砂金は顕微鏡でしかわからないひとかけら・・・ 価格は0円 おつかれさまでした。 ギャラいくらもらえるの?w
749 :
165 :2007/05/29(火) 09:30:13 ID:???
また書き込みが過疎化しているので、投稿 「右に一二と記したるは方度足斟の両用とす」と、書かれている銅版。 甲 一八二 乙 二九七 ・・・・ これって直線距離なのでしょうか? 地図が発達していない当時において、直線距離で計測しているのか?に疑問をいだいております。 もしかして、曲がりくねった道等の歩数(実測)かもしれません。 「方度足斟」と書かれると直線っぽく思ってしまう。 源次郎の井戸からタタキの亀まで、円周で探しあてたみたいですが 起伏の有る山岳地形で測量でもしなければ直線距離はでないでしょう。
甲 一八二 乙 二九七 ・・・の数字を並べて横に読むと、 一二三四五六七八九・・・となっていたように記憶しています。 ただ数字を横に並べただけでないといいんですが。
751 :
165 :2007/05/29(火) 21:33:56 ID:???
750さんのおっしゃるとおり、一般的に多く出回っているものと、 水野氏等の著書に書かれているものと二通り?あります。 水野氏の著書のやつは、以前に赤城本命さんのご紹介の通りです。 ただ数字を横に並べたものではありません。 どっちが本物かといわれてもわかりませんけどねw
埋蔵金は発掘して初めて自分の理論と推理が正しいことが証明される。 水野氏は何かが間違っているに違いない。 最初の情報そのものが間違っていた場合は悲劇と言うべきである。
753 :
ネタ小僧 :2007/06/04(月) 18:05:05 ID:???
以前、テレビ等で大々的にやっていた青木ヶ原樹海の壺に入った埋蔵金は、 本栖湖畔で、土産物屋を営んでいる確か、伊藤さんと言う方から出た話だと 思いますが、その埋蔵金を精力的にやっている人がおり、その方の話によると 埋蔵話は、事実で今までやっていた人は、場所を間違っているそうです。 樹海のため、3人一組で3、4組が組んで、一斉に調査すると数日で見つかる ところまで、調査を進めているそうです。 埋蔵物は、北条氏への和睦金を何かの理由で、一時樹海に保管していたのが いつの間にか、そのままになってしまっているようです。
754 :
ネタ小僧 :2007/06/04(月) 18:11:30 ID:???
では何故、そこまでわかっていながら話を進めないかと言うと、その方の住まいは 樹海より、遙かに遠い所にあり、今は住まいに近い、ある埋蔵金に心血を注いでいます。 その埋蔵金の目安が付けば、樹海に取りかかるそうです。
755 :
165 :2007/06/04(月) 23:38:46 ID:???
帰国した。 ちょっと遊びに行ってた。 私のネタももうつきたので、これ以上の話は無い。 みなさんもココを2chだということを思い起こしてください。 今までの書き込みは、すべて妄想・推測の域をでません。 ご自分が信じる情報・研究・埋蔵金発掘に尽くしてください。
756 :
? :2007/06/05(火) 18:12:25 ID:???
>>755 そんなことは、始めから百も承知!!!
しかし、今まで貴方の言っていた各ポイントの開示がまだです。
お願いです!去られるのなら、どこかのポイントの開示を…
その、判断は自己責任で各自がすることです。
757 :
165 :2007/06/05(火) 18:49:44 ID:???
各ポイントの開示? 絵図面の場所のことかな? それは内緒♪ 死ぬまでには掘りに行きます
758 :
? :2007/06/07(木) 22:13:47 ID:???
ハハハ、ナイス!
759 :
赤城本命 :2007/06/08(金) 02:06:10 ID:???
>>165 さん
水野氏が亀のタタキを掘り当てた際に近所で「一」と、算木の「八七」が書かれた石を見つけています
算木って、易で使うやつですか?
どう書いてあったか詳しく。
これは、亀の右肩に「一」尾に「三」と書かれていたという記述と同じ意味?
詳しくお願いします。(八七という数字は疑問ですが)
760 :
165 :2007/06/08(金) 11:01:15 ID:???
761 :
165 :2007/06/08(金) 11:38:45 ID:???
算木は、赤の算木で正の数、黒の算木で負の数をあらわしています。 そもそも算木に「八七」という数はありません。 算木は、一本の棒だけで、棒の組み合わせで数字を構成していきます。 ただ「九」など大きい数字を表現するのに棒を九本置くのはダルイので 英数字のTUVWXみたいにはしょれるようになっています。 八七を表現するには、十の位に「八」一の位に「七」を形成することになります。 ということは、一度に表現できないわけです。 さらに水野氏の著書で、「八七」と書いてありますが、この数字をドコから持ってきたのかも疑問です。 以前、赤城本命さんとの八卦の話で、私は六十四卦を主張しました。 もうお気づきかと思いますが、最大64しかない八卦で八七を表現することはできないわけです。 そうなると、六十四卦をさらに細分化した「384爻辞(こうじ)」を使用することになりますが、 「384爻辞」は、「本卦」があっての「爻辞(こうじ)」になります。 しかし、水野さんは、「本卦」の話はしていない。おまけに「爻辞」は、本卦の部位によって内容が変わります。 こうなると、水野さんが掘り出したものを解明できる人は、日本にほとんどいないでしょう。 整理すると、 「水野氏が亀のタタキを掘り当てた際に近所で「一」と、算木の「八七」が書かれた石」 @算木でいっぺんに「八七」を表現できない。 Aその石を「南」の示唆と位置づけているのは八卦(8通り)であって、87を表現できない。 B87を表現したいならば、「本卦」を発見し、「384爻辞」を主張するしかない。
762 :
165 :2007/06/08(金) 11:49:47 ID:???
赤城本命さんが
>>759 で言われている
>これは、亀の右肩に「一」尾に「三」
ですが、易に用いるものは、上段、中段、下段の三段構成になっており。(
>>760 の一番下のリンク参照)
「三」は、実物を拝見していないので、意見を差控えしますが、
「一」は、明らかに漢数字の1と言っていいでしょう。
私が、「易学の八七で、南」だといっているのは、そもそも間違えと言っている根拠はこれになります。
しかし、水野氏の著書にでてくる図「三」みたいな画は、八卦の「離(リ)」であり「南」を現します。
どこかの時点で誰かがウソを言っているってことですね。
763 :
165 :2007/06/08(金) 13:59:22 ID:???
764 :
165 :2007/06/08(金) 19:18:50 ID:???
あ 水野氏の著書を読み直してみたら、オレ勘違いしてた。
一個目の石には漢数字の「一」
もうひとつは、八卦の離と、漢数字の「八七」が彫ってあったんだね。
そうすると、
>>761 >>762 の説明解釈は、間違えでした。
765 :
埋蔵好位置 :2007/06/09(土) 19:33:16 ID:???
埼玉で毛呂山、日高、飯能で探してる人いませんか?
毛呂山、日高、飯能に埋蔵金話があるんですか。
みなさん、夏休みの調査計画作成のため忙しいのかな?
768 :
梅雪 :2007/06/15(金) 21:31:24 ID:???
調査計画はたてました。残念ながら入梅となってしまったので、梅雨明け に山梨県で実地探索します。
みんな、トンズラしたなぁ
770 :
埋蔵好位置 :2007/06/22(金) 18:01:18 ID:JV8t3npL
仮説を絞って 梅雨が明けたら軽く立地調査するつもりです。
771 :
埋蔵好位置 :2007/06/22(金) 18:40:55 ID:???
sageでしたね。 すいませんでした
>>772 いえ、徳川ではありません。
地理的、予算的等に私では無理ですね。
774 :
165 :2007/06/26(火) 11:06:17 ID:???
久しぶりに見にきたら過疎化しているね・・・
>>773 埼玉県内ですね。近場に小さくても埋蔵金話がある人はいいですね。
大物は難しいですよね。
明日の15時に東大寺南大門、金剛力士像・阿形の前に来い。
>>776 当方関東在住で行けなかったですが、何ぞ面白い話でも?
778 :
埋蔵好位置 :2007/07/01(日) 00:44:07 ID:???
>>775 ええ、ただ小さいぶ分に既に発見されてる可能性が大ですが
まとまったお金が出来たら、高性能の金属探知機でも購入したいですね。
しかしまぁグーグルマップというのはとても便利ですねぇ。
>>778 そうなんです。小埋蔵金は発見されてもいても表に出ないので、発掘ずみの
可能性もありですね。
的が絞れたら、ピンポイントは金属探知機の力も借りたいですね。その後は
地主との交渉ですが、そこまで行けるといいですね。
>>778-779 金属探知機はそれほど役に立たないみたいです。
それより、ユンボなどの操作を覚えたり、軽トラ買ったりする方が役に立ちます。
埋蔵金が出なくても他の仕事に使えますから。
781 :
165 :2007/07/03(火) 16:36:17 ID:???
ところで 実際に掘った人っているんですか?
何年か前、結城の中久喜を掘りました。 掘った根拠は、金属探知機会社に測定を依頼し、反応があった場所を 3b前後掘りましたが、金属の欠片も出ませんでした。 金属探知器の性能は、どうなのでしょうか? 実際掘っている人は、お宝が出土していないにしろ沢山いると思いますよ。
>>781 地面を掘った人とお宝を掘り当てた人を区別しなければなりません。
手掘りや重機を使って地面を掘った人はたくさんいますよ。今でもいます。
でも、運良く掘り当てた人は、僕が見たり聞いたりする範囲内ではいません
でした。
784 :
名無しの愉しみ :2007/07/04(水) 09:09:10 ID:h5rArJ8k
>>782 えー八○野さんか。。出ませんでしたか?でも、ユンボ
すべりませんでしたか?堅くて。
785 :
名無しの愉しみ :2007/07/04(水) 15:28:11 ID:SEJMR8wY
マレーのハリマオの秘文書興味ある人 いますか?
786 :
名無しの愉しみ :2007/07/04(水) 17:34:44 ID:SEJMR8wY
>>782 許可とってほったんですか?
787 :
お願い! :2007/07/04(水) 17:50:52 ID:???
788 :
名無しの愉しみ :2007/07/04(水) 20:03:10 ID:L+ndNNyf
埼玉の吹上のある神社に…
790 :
お願い! :2007/07/04(水) 21:44:26 ID:???
再度、お願い! 書き込む場合は、書き込み欄の名前の横のE‐mail欄に小文字で sageと書き込んでから、本文を書き込んでください。 そうしないと、掲示板の一番最初に戻ってしまいます。 一番最初に戻るとどうなるか・・・お考えください! ご協力お願いします。
791 :
興味津々 :2007/07/04(水) 21:47:09 ID:???
ハリマオの秘文書どうなりましたかぁ〜
ハリマオ
ハリマオの場所数年前に下見 しましたが60年の歳月は、とてもとても・・・・ 秘文書は、近いうちにこだしに
794 :
埋蔵好位置 :2007/07/05(木) 07:18:35 ID:???
埼玉県の某城跡の井戸の中に眠ってるという埋蔵金をご存知の方いますか?
埼玉が面白くなって来そう。
本書いてる氏 TV出てる氏が2ちゃんで? お宝でないわけだよ
797 :
↑ :2007/07/05(木) 17:51:35 ID:???
発掘した人いても、まず公表しないと思う。 埋蔵金は発掘されていないとは、必ずしも断定できないと思う。 公表されていないから、発掘されていないという理屈にはならないと思う。
俺の経験上、地主の許可はまず出ないね。 水野氏は土地を買って掘ってるなんて凄いよ。
800 :
↑ :2007/07/05(木) 23:40:34 ID:???
今は、土地を売っているらしいですが…
売る土地があるなんてうらやましい 余裕のアル方買って掘るのもいいかも 他人に渡ったらでたりするとかありそうですね
水野氏はフィリピンへ行って女性の斡旋もしているとかの情報も。 女はやめて宝探しに専念してもらいたい・・・
803 :
↑ :2007/07/06(金) 23:25:59 ID:???
その噂は、私も聞きました。 斡旋の事は知りませんが、フィリピン女性の事は、本当らしいですょ。
フィリピンと言えば、山下財宝の一部は未だ発掘されず存在すると思って ますが、治安が悪そう。
治かかなり悪いです
まとまった山下財宝は無いですよ。 終戦時に残っていた資産は、その後に回収されていますし、 小額のものは未だ方々に埋まっているかも知れませんが、もう場所も分かりません。 M資金と同じで、まず詐欺と思ったほうが正解です。
なるほど、もう山下財宝はありませんか。 回収された財宝は、結局誰のふところに入ったんでしょう。
808 :
埋蔵好位置 :2007/07/08(日) 20:07:32 ID:???
明日、有給を使って調査しに行ってきます。 もちろん同僚には埋蔵金探しとは言ってませんが・・・ ところでみなさんは周りにの人に公にお話してますか?それとも内緒で探してるんでしょうか?
>>808 言えないよ。
言ったことに尾ひれ付いて広がるから
僕も内緒にしています。 「山師」として色眼鏡で見られそうだから。自分では真面目人間のつもり ですが。 「推理」と「実利」を兼ねたいい遊びだと思ってますが、「実利」までは ほとんど到達できないのがね・・・
ある川 江戸時代 飛脚 小判
私は、隠すことなく大いに言っています。 周りの人に、理解してもらうのも兼ねて。 発見した事を言わなければ、ただの夢追い人です。 夢のあることをみんなに言わなければ… 何も悪いことをしているわけではありません。 みんなに言えるぐらいの広い心がなければ…
>>811 すぐわかりました。
でも、それは埋蔵金じゃありませんね。
現存する地図、古文書見たいですね。 くわしく書いてある資料ないですか? 畠山氏以外で。
815 :
165 :2007/07/11(水) 12:39:51 ID:???
でちゃった・・・・
816 :
↑ :2007/07/11(水) 17:53:34 ID:???
な、なにが…???
まっ、まさか埋蔵金が!?
オチがあるんでしょオチが?
819 :
165 :2007/07/11(水) 22:15:30 ID:??? BE:486180645-2BP(0)
うんこが・・・
「埋蔵」されるほど長い間便秘だったのか よかったね
だんだん黄金に近づいてきたゾ・・・
822 :
埋蔵好位置 :2007/07/13(金) 21:59:06 ID:???
だいぶ、あやしい所を絞りました。 あまり有名ではない埋蔵金の伝承なので、徳川みたいに 複雑ではないと思うが、やはり金属探知機は必須ですね。 あと、非科学的なダウジングもやってみようと思います。 というのは、一度子供の頃にダウジングで盗まれた自転車をピンポイントで見つけたので。 もちろんその時にマグレという運があったのかもしれませんが・・ 有力候補の中に神社の床下があるんですが、神社の中は入れませんのであきらめるしかありませんが ハズレて欲しいものです。 しかし伝承自体が嘘というのもありえそうなので、楽しみながら致しますw 長文スンマソ。
行動が大事がんばれ埋蔵好位置さん。
その神社はもしかして城跡の近くの神社ですか。
825 :
穴好き野郎 :2007/07/14(土) 20:57:01 ID:???
一部の埋蔵金発掘が趣味の人に参考になると思うので、最近見た小冊子の文章 をそのまま書きます。少々長文になるので三節に分けて書きます。 古川愛哲(著述業)氏の著述 題名:江戸異聞 武家の危機管理 お城の抜け穴 「お城の抜け穴」という伝説が各地の城下町にある。時代を越えて人の心を 魅了する伝説だが、半信半疑で、荒唐無稽と思っている人も多いにちがいない。 かくいう筆者も映画や小説の世界のことと思っていたが、驚いたことに、江戸 時代の城の抜け穴が各地で見つかっているのだ。 まずは、宇都宮城である。1615年に15万5千石で宇都宮城主となった 本多正純は、城下の道路改修、用水路などの整備工事のついでに抜け穴も掘った らしい。 明治になって元藩士の家の井戸の中程に横穴があり、騒ぎとなった。また 材木町の事務所や酒屋の倉庫の工事などの際に、次々と穴が発見され、入って みると全てが東に向かって深く走っていた。 それから大正時代を経て、昭和47年、宇都宮市内で道路の陥没が相次いだ。 そこで本格的な調査をした結果、二の丸御殿南の畑地の物置小屋から、地下道 が掘られていたことが判明した。 幅は1m、高さ1.5mで、東へ向かって城下の外へ500mも通じていた。 その間、10mごとに左右に灯明を置く場所があり、100mごとにおどり場 が設けられて、休息所の役割をはたしたらしい。出口に寺社を置いたという 伝承もあった。(続く)
826 :
穴好き野郎 :2007/07/14(土) 21:37:16 ID:???
>>825 続き
古川愛哲(著述業)氏の著述
題名:江戸異聞 武家の危機管理 お城の抜け穴
[最後の将軍徳川慶喜 大阪城脱出の謎]
宇都宮城だけではない。徳川御三家の名古屋城にも、本丸の裏から階段を
降りて、逃げる道があった。その道沿いは、東へ抜ける樹木に固まれた深い
空堀で、一帯には御土居同心という忍びの者の屋敷、その先に、柳原屋敷と
いう広大な樹木に囲まれた屋敷群があり、殿様の逃走用の輿(みこし)と馬
が用意されていた。目指すのは木曾山中。この逃げ道を「御土居下」という。
名古屋城は、大阪の陣を控えての突貫工事だったので、地下道は少なかった。
さて、不思議なのは大阪城である。最後の将軍徳川慶喜は、朝廷に大政奉還
の後、鳥羽・伏見の戦争で負けると、慶応4年正月7日、突然、大阪城から
姿を消した。臨戦態勢で城門の番人もいたはずなのに、将軍慶喜一行の目撃者
は誰もいない。極秘の抜け穴を使ったとしか思えない。その夜の出来事について、
ある老人の回顧談がある。
「安治川べりの小舟へ身なりのよい侍が3,4人どやどやとやってきて、天保山
の沖まで船を出せ、という。その態度が横柄なので、船頭が啖呵をきると、
「危急の場合じゃ、たって頼む」。舟が沖の軍艦につくと侍がいった。「船頭
ご苦労であった。わしは徳川慶喜じゃ」」。
この老人の回顧談を信じれば、外堀から安治川べりまでは、5kmはある。
大阪城の抜け穴は、安治川べりを目指して掘られていたのではないか。(続く)
827 :
穴好き野郎 :2007/07/14(土) 23:07:52 ID:???
>> 続き 古川愛哲(著述業)氏の著述 題名:江戸異聞 武家の危機管理 お城の抜け穴 [旗本が驚いた 豪華江戸城の地下道] 太田蜀山人が随筆「一話一言」に驚くべきことを書いている。 今の文京区白山あたりに住む幕府御祐筆(記録係)が屋敷内に井戸を掘らせた が、いくら掘っても水が出ない。井戸掘が言うには、「地下のはるか下に大きな 横穴があって、水が出ません。その穴の中に家の形が見えます」。屋敷の主が 怪しく思って、降りてみると、はたして横穴があり、入ると書院作りの家があった。 中に入ってみると、絵で飾った部屋があり、唐紙を開くと次の間も豪華な絵間。 ここで主は、ハタと気づき、戦慄が走った。慌てて証拠の襖絵だけ切り取って 井戸を埋めてしまった。恐れ多くも将軍様の抜け穴である。 これは享保の頃(八代将軍吉宗治世)のことだが、その絵を見せてもらった 人から太田蜀山人が直接聞いた話である。さすがに蜀山人も御家人だから 「主の名は忘れけり」と記して筆をおいている。 白山といえば江戸城の北にあたるが、御庭番の家に生まれた川村清雄画伯は、 「江戸城の抜け穴は丑寅(北東)にあったと聞いてます」と語っている。 近年、それらしき地下道がもう1本、紀尾井町の大老・井伊掃部守(かもん のかみ)邸跡で発掘された。堀の底に深さ5m、幅最大10メートルの大規模な 柱の列が出てきた。 堀の底に壁と天井で覆った通路で、その上に泥を載せ、水を張ったと見える。 上から見れば水をたたえた堀だが、下は通路に仕立ててあった。他にもあるに 違いない。 武家と言うと「城を枕に討ち死に」とか「不退転の決意」とか、勇ましい 発想をしそうだが、むしろ武家は再起を期すため城に抜け穴を作った。その くらいの危機管理のコストは、武家の心得だったにちがいない。 (了)
>>824せこいですね
能登半島地震で半壊した古民家の工事において 床下から元文小判が詰まった壺が発見されてます。 手紙が入っていて、埋めた人も特定されている。 その人は事故で亡くなってしまい、伝えることができなかったらしい。
最近低調。よその板に移ったかな?
832 :
165 :2007/07/24(火) 10:36:48 ID:???
偽者がいるな
そろそろ現地探索の中間報告お願いします。
834 :
165 :2007/07/25(水) 09:38:36 ID:???
中間報告ですかー ならちょこっとだけ 群馬圏内を彷徨う金も労力も無いので ドライブがてら、絵図の7箇所中未発見の一箇所を探すたびに出ました。 以前にも書きましたが、絵図の精度が高いので、大体の当たりをつけて調査?しました。 あまり開発が進んでいませんでしたが、田んぼが広がるばかりで 目印になるような神社仏閣、石碑等を発見することはできませんでした。 しかし、具体的な場所はいえませんが、大きく開発が進んだ場所があるので その敷地内に有る(有った)可能性も捨て切れません。 「埋蔵金の手がかりを探しているので、敷地内を調査させてください」 なんて言っても、断れるのがおちですな・・・ グーグル地図の群馬圏内の解像度が上がれば、空からなんらかの痕跡も発見できるかもしれませんが 田舎の解像度は悪いですw
>>834 早速中間報告有難うございます。それを待ってました。
田んぼはいけませんね。よく「池に投げ込む」という話はありますが、
計画埋蔵の場合は、畑はあっても田んぼには埋めないでしょう。
言われるように、「目印」が欲しいですね。
テスト
テスト2
テスト3
165です。 偽者がいたので付けてみました
そうそう つい先日 バイキングのお宝が発見されましたね。 バイキングの貴重な宝、ロンドンの大英博物館に 2007年07月20日[ロンドン 19日 ロイター] 8世紀末に当時の英国の無防備な海岸を襲い始めたバイキングの重要な宝の数々が19日、ロンドンの大英博物館に展示された。 バイキングは、現在のノルウェーとデンマーク出身の海賊。 この宝物は、ことしに入ってからイングランド北部ハロゲート近くで親子が発見したもの。複数の硬貨や装飾品、インゴット、 貴金属類が金めっきされた銀の鉢の中に隠され、鉛製の収納箱に入れられていた。 大英博物館では「これらの宝は量的にも質的にも並外れており、英国においてこの150年余りで最も重要な発見」とした上で、 「この発見はノースヨークシャー州の歴史に非常に大きな意味があると同時に、世界的重要性がある」と述べた。 同館はまた、これらの宝物について、西暦927年にバイキングの王国ノーサンブリアを建国する直前の混乱期に、 裕福なバイキングのリーダーによって埋められたものではないかとの見解を示した。 いやー すごいです! 硬貨やインゴット!! まさにお宝ですね! しかし! イングランド北部ハロゲート(Harrogate)って、陸地のど真ん中です。 グーグルマップにHarrogateって入れて検索してみてください。 てっきり海岸沿いの洞穴で発見されたものだと思っていたら、なんと海から約50kmも入った陸地・・・。 バイキングの時代からイギリスが隆起したはずもなく、なんでそんなところに・・・。 って、徳川埋蔵金も「なんでそんなところに」って、場所なのかなー
なるほどこうするのか
842 :
大和 :2007/07/28(土) 00:18:43 ID:mspDjxuu
突然 ですが!私はトレジヤー ハンターです 初めて私の影の部分を明かします もうかれこれ30年になりますかね? それは私が若かった頃ちょつとしたきっかけでした 最初は半信半疑でした。まあ遊びのつもりでした。 図書館にいつたりして時代背景等調べました ところが調べて行くうちにもしかして本当にあるのでは?
大和さん、ターゲットはどこですか? 関東?関西?
1000も近いので、>>1用のテンプレを作ってみました。
私の閲覧タイミングが合えば、立てておきます。
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\こっから下をコピペ\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
前スレ 埋蔵金発掘が趣味の人
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/hobby/1160472160/ 【書込み注意事項】
荒らし防止のため、E-mail欄に sage と入力し書き込みしてください。
E-mail欄に sage と入力し書き込みすると、カテゴリーのトップに上がることはありません。
sageを入れることで、ひっそりとお話ができるということです。
【指定返信方法】
個別の書き込みに対して返信したい場合は、半角で入力しましょ。
>>71 ←全角
>>71 ←半角
【注意事項@(諸注意)】
@埋蔵金の本質から地域・人物等に迷惑がかかる場合があるので、人名・固有名詞等の記述は慎重に
A仲間募集・共同出資・物証等売買において、詐欺等の可能性もありますので、くれぐれもご注意ください。
【注意事項A(スレ立てについて)】
荒らし煽り反応直リン、全て控えましょう。
次スレは事前にスレ立てを宣言してから
>>950 が立てる。
応答がない時は
>>960 以後10レス刻み、
>>980 から順次。
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ここまで\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
次のタイトルは、「埋蔵金発掘が趣味の人 2両目」or「埋蔵金発掘が趣味の人 千両箱2箱目」
いかがですかね? 他にもいい案を募集します^^
847 :
大和 :2007/07/30(月) 22:26:39 ID:m8SaODoz
1日目 3つのヒントの当てはまる場所を偶然にも見つけましたそのときそのポイント の所に1.5メートル角の少し盛り上がりのある所があり私はここだ!と想い後日色々準備 をしていきようようと堀にいきましたしかし50センチぐらい掘ったとき違うことにきがつきました 地山が出てきたからです がっかりしているとき2つめのヒントが欠けていることに気がつきました それからあまり時間がなかったけどそこら近辺をさがしました3つの条件の会うところを・・・・
大和さんへ 【書込み注意事項】 荒らし防止のため、E-mail欄に sage と入力し書き込みしてください。 E-mail欄に sage と入力し書き込みすると、カテゴリーのトップに上がることはありません。 sageを入れることで、ひっそりとお話ができるということです。
大和さん、sage は小文字で書き込みます。
850 :
大和 :2007/07/31(火) 22:27:34 ID:???
165さん これでいいのかな?
おおお! 大和さん それでOKです^^
暇なんで、コピペ 童歌「かごめかごめ」の天海の挑戦 日光東照宮の陽明門には「唐子遊び」と呼ばれる子供たちが戯れる彫刻がある。鬼ごっこ、司馬温公の瓶割、喧嘩などテーマごと三枚の彫刻が配置されている。 これら子供たちの遊ぶ風景から漂ってくるのが童歌「かごめかごめ」であり、彫刻「唐子遊び」を陽明門に配置した天海の挑戦が感じ取れる。 陽明門はその名の通り太陽を表し、童歌「かごめかごめ」には『籠の中の鳥』ニワトリが『いついつ出やる』という歌詞がある。 当時は竹を六つ目に編んだ竹籠でニワトリを囲っていた。ニワトリは太陽に向かって朝一番に鳴く。朝日は黄金に輝き、ニワトリは黄金を象徴する縁起のいい鳥だとされている。 陽明門もまた黄金を意味する太陽を意味している。そして目を周辺の山々に転じる時、我々はそこに鶏鳴山を発見するのである。読んで字のごとし、鶏が鳴く山である。 そして童歌は「夜明けの晩に、鶴と亀が滑った」と続くのであるが、これは日光東照宮の『三具の鶴亀』にも暗示されている。 「夜明けの晩」とは申(サル)と酉(トリ)の刻とすれば、日光の庚申塔を暗示して、庚申山へと導引されていく。 「鶴と亀」が滑って何かが解ける予感がする。そして「後ろの正面だあ〜れ」になるのだが、日光を正面にするとその真後ろには岸和田の本徳寺がある。 その本徳寺には明智光秀の位牌と画像が安置されている。天海は童歌に自分の正体を謎かけ、黄金を太陽に引っかけて財宝の隠し場所をちらつかせているのかも知れない。
童歌「かごめかごめ」には続きがある。「向こう山で鳴く鳥は、信心鳥かニワトリか。金三郎のお土産に何もらった。金ざし、かんざし、もらった。納戸のおすまに置いたれば、きうきうネズミが引いてった。 鎌倉街道の真ん中で、一抜け、二抜け、三抜けさくら。さくらの下で文一本ひろった。あくしょ、あくしょ、一本よ」最後の歌詞には違った説がある。 それは「桜の下で文一本ひろった」から「その文だれだ。金三郎の妻だ。金三郎の妻はさんしょにむせた」と続く。謎の多い歌詞である。その意味すら分からない、支離滅裂な内容であろう。 「一抜け、二抜け、三抜け桜」を東照宮の門に当てると『一・表門を抜け、二・陽明門を抜け、三・唐門を抜けて拝殿に至る』そしてその拝殿には三十六歌仙が桜の彫刻で飾られている。 童歌はその歌の謎を解けと言っているのかも知れない。もうひとつの解き方もある。『「さくら」の最初の一を抜いて「くら」になる』「くら」は「蔵」に当て、日光の「地蔵岳」とする。 『「さくら」の真ん中一字を抜いて「さら」になる』「さら」は「申」に当て、日光の「庚申山」とする。 『「さくら」の最後の一字を抜いて「さく」になる』「さく」を「裂く」に当て、日光の「石裂山」とする。 これら日光の名だたる山を線で結ぶ。「東照宮と石裂山、そして庚申山」を結ぶと三角形になる。また「地蔵岳と鶏鳴山、そして男体山」を結ぶとやはり三角形になる。すると三角形が前とだぶって六角形となる。 ここに六つ編みの籠の目が出現する。
六角星形に秘められたユダヤの秘技 籠目と六角星形は偶然の産物ではない。「鶴と亀」の亀の紋様もまた六角であり、亀甲(きっこう)は縁起の良い形とされてきた。今ではお馴染みの醤油のメーカー「キッコーマン」の由来は茂木家「亀甲萬」が起因している。 六角星はイスラエルの国旗に象徴されるようにユダヤの紋章である。天海はそのことを知っていたはずだ。明智光秀は信長に仕えていた頃、信長の娘婿・蒲生氏郷の家臣にユダヤ人ロルテスがいたことも知っていたと思われる。 ロルテスは蒲生の家臣として西洋の会計や測量技術をもたらしたが、同時にフリーメーソンであった節がある。光秀はロルテスの影響をかなり受けながら、後に天海となってから日光こそユダヤの秘技を展開する土地として、東照宮や童歌にそれとなく組み入れたのではなかったか。 ちなみに日光には石屋町という地名がある。
徳川幕府の財宝は日光東照宮にあり 童歌「かごめかごめ」に隠されているのは黄金を意味する陽明門とニワトリに代表されているなら、その黄金とは徳川幕府の財宝を意味するだろう。大要塞としての強固な造りを誇る日光東照宮こそ最も安全な隠し場所である。 それは今日に至ってなお、国の重要文化財として守られている。残念ながら「かごめかごめ」の謎は今だに解くことはできない。その重要なキーワードは「鶴と亀が滑った」その場所である。 強引な独断を許してもらえるなら、その場所こそ全てが逆さまに地面を指すところの「飛び越えの獅子」であり、「莫」そして逆さ葵の「オランダ灯籠」のような気がしてならない。「神厩の三猿」は見ざる言わざる聞かざるで謎の解けない我々を挑発しているようだ。 そしてその背後では「ざまあ見ろ」とばかりに高笑いする光秀の影を背負った南光坊天海の高笑いが聞こえる。 こう読むと、すぐにでも発見できそうな機がしますね^^
165さん、お願い!! 感銘する所が多くあり大変面白いコピーです。 可能なら、何のコピーか教えて貰えませんか?
まぁ以前より東照宮が埋蔵場所有力候補といっておりました。 久能山東照宮・上野東照宮(江戸城内紅葉山東照宮を現地点に移築)・日光東照宮 守りも硬く、境内で何をやっても怪しまれず、埋蔵金の場所を彫刻等を利用し手軽に示唆できる。 しかも、先祖や祟りを重んじる日本人にとっての最大の聖地であり、政権転覆後だとしても容易に手が出せない場所。 すべてがそろっているところですね^^
165さん感謝。 大変見やすく、よくわかります。
ダミーで佃っ原に侍が一年近く滞在したとわ思えない。 なにかいみのある事していたのでわ。 埋蔵当時の日光付近の目撃談とかあるんですか?
「かごめかごめ」の解釈は時代が合っておらず、出鱈目のようですね。
「徳川埋蔵金」は小栗がからんだ「幕末の埋蔵金」というのが一般的だと思 いますが、明智、家康、天海がからむと「幕初の埋蔵金」ということになり ます。260年の時間差はタイムマシーンでもない限り越えることはできま せん。「埋蔵金」に興味を持つ私としては、どちらでもいいから存在して欲 しいですが、どっちかっつーと「幕初」の方が可能性が大になるんかな・・・?
>>862 江戸中期以前にはさかのぼらないようです。 少なくとも文献では。
埋蔵金に関係するといわれる部分は明治以降だそうですよ。
少し考えれば関係ないのは当たり前と分かりますね。
埋蔵に関する重大なヒントが歌として広く広まるわけはありませんから。
もし初期には、そうであったとしても、すぐに埋蔵金の方を移動するでしょう。
日光というのも全く根拠はありませんね。 小説家がネタとして出鱈目を承知で書いたものが、独立して歩いているのでしょう。 千人同心が警護していたのですが、どんな記録(日記類など)にもそれらしいことの欠けらも 出てきません。
水野智之さんに全ての真実を語ってもらいましょう。秘文の出所やらそれを どう解釈してどこを掘って失敗を繰り返して来たかなど。 「えせ情報」だったのか、解釈を誤っただけなのか。 勝海舟は埋蔵金の有無を含め、ある程度情報を得ていた可能性ありと僕は 思います。
867 :
大和 :2007/08/05(日) 12:30:11 ID:???
つずき その後日3つの条件に合う場所が見つかりましたそこにはその藩の家紋の1部 であるしるしがありました。なにせこちらには示す文献や地図など何も無いのですから
「かごめ」について
文献では、このかごめかごめは江戸中期以降に現れる。
『後ろの正面』という表現は、明治末期以前の文献では確認されていない。
『鶴と亀』『滑った』についても、明治以前の文献で確認されていない。
『鶴と亀』以降の表現は明治期以降に成立したと思われる。
「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に」は、江戸中期以降ということである。
↑部分は、和歌と同様に上の句で、下の句があるのではないか?
下の句は、江戸時代の浄瑠璃「つるつるつるつっぱいた」からスタートするのか?
いずれにしよ、下の句があったと思われるが、口伝が子供には難しかったのか?意味がわからなかったので変化したのか?
「幕末の埋蔵金」としても、日光に限らず東照宮に埋めるのは簡単です。
>>865 さんが言っている「千人同心」ですが、
従来は千人同心だったもの達の主張に従い武士(御家人)だったというのが通説であったが、近年に入り現存する史料などの研究が進むと
武士身分としての実態が伴っていなかったことが判明してきている。
例えば、千人同心は苗字を公称することがゆるされておらず、帯刀についても公務中のみと制限されていた、
そして同心の家族であっても帯刀はゆるされず、引退した同心経験者であっても同心職を退いたならば帯刀は出来なかった。
千人同心は、武士じゃないみたいです。警備と治安維持の自警団ですね。
超重要な案件に首を突っ込む身分じゃなかったみたいですよ。
自警団って表現じゃないなー 中央省庁の地方事務所の地方採用に現業の方かな? んー?埼玉県警警察官かな?警察庁職員ではないってことかな?w
考査をしてみよう。 〜江戸中期〜 「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に」 〜明治初期〜 「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に『鶴と亀』が(と)『滑った』」 〜昭和初期〜 「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に『鶴と亀』が(と)『滑った』【後ろの正面だあれ?】」 ※注『鶴と亀』が(と)『滑った』 「が」と「と」があります。 @江戸中期の歌の歌詞で、「夜明けの晩に」で終わるのは不自然な気がする。 また、全国歌のテンポは同じ?だろうと思うと、ここで切れるのは不自然。 A「いついつ出やる」までは、「籠目」「籠女」などの言葉もあり、意味もわかる。 B「夜明けの晩に」から意味がわからなくなる。っていうか、漢字だからか? 「よあけのばんに」=「夜明けの晩に」???? 意味がわからん!「夜明け」も「晩」も時刻を表せる。同時刻はない。 むー色々変換してみよう「世明けの番」「預開けの板」 む! 「預開けの番人」か???(預=金品や人を預かること) ちょっとみんなも声に出して歌ってもらいたい「よあけのばんにん」 歌い継ぐ間に「ばんにん」の「にん」の「ん」が消えてもおかしくない! ーーーーー誇大解釈していきますーーーーー C『鶴と亀』 金品を預かっている番人の「鶴」と「亀」
D『滑った』 すべる=(1)物の表面をなめらかに移動する。(2)とどまっていられなくて、なめらかに動く。(3)雪・氷の上を滑走する。 (4)うっかり言ったり、書いたりする。(5)試験に落ちる。(6)そっと位置をかえる。そっと退席する。(徒然草 191)(7)退位する。(平家物語1) んー相変わらず日本語は難しい。 「鶴」と「亀」が、人間だった場合、二人が同時に滑ることは考えずらい。 そう考えると、(4)うっかり言ったり、書いたりする。(6)そっと位置をかえる。そっと退席する。(徒然草 191)(7)退位する。 E【後ろの正面だあれ?】 なぜかこの部分は、口語なのと、「夜明けの晩」と同様に「後ろの正面」の意味がわからない。 一説に「江戸時代、京都で「正面」と言えば方広寺大仏殿を指し、正面の後ろに葬られた人物(豊臣秀吉)を連想させている。」とあるが それなら「正面の後ろ」ではないのだろうか? いやいや もっといいやすい言い方があるはずである。
〜整理〜 預(人)開けの番人= 人を預かる番人だから、用心棒みたいなもんか? いやいや牢屋番だろ? 預(金)開けの番人= 金品なら金庫番かー 「鶴」と「亀」=鶴吉・亀吉って人名にしようw 滑った=うっかり言った 「牢屋番の鶴吉・亀吉がうっかり言った」【後ろの正面だあれ?】 おお?シックリするねー 籠女=囚われた女? まてまて、捕らわれた女でもいいだろう。 江戸時代の犯人護送方法は、籠の中に入れてたな。 女盗賊?w 女盗人 女盗人 籠の中の盗り(とり=泥棒)は 出ず出ず(いづいづ)である。 牢屋の番人 鶴と亀がうっかり言った 後ろの正面だあれ? 鶴と亀が言った言葉だから【後ろの正面だあれ?】って、歌じゃなくていいんだね
千人同心は身分は御家人とは認められなかったのですが、江戸時代を通じて 日光の警護に当っており、人の出入りや工事の情報は現地で実際に見聞していますので 情報はかなり詳細です。 また組頭は大身の旗本とも言えるほどの実態があり、教養人も多かったので それらの書いたものは歴史的な価値が有ります。 官軍に東照宮を明け渡したのも、当時の組頭の判断によるもので、無血でした。 八王子に戻ってから自害しますが、幕府は絶対死守しろとは言っていなかった そうですから、埋蔵金など重要な戦略物資が無かったのは明らかです。
幕末は財政逼迫していて、江戸城無血開城後調べたら何も無かったとか。 しかし幕府財政と徳川家財政は別だったのではないでしょうか。(推定) 家康、家光など徳川家に寄附(袖の下含む)は、全部幕府財政の雑収入として 幕府会計に計上され1本化されたとは考え難い。それぞれの会計の財務担当者 はそれぞれ誰だったんでしょうか?両方とも小栗1人ってあり?
>>873 さん
日光東照宮関係をよくお調べになっていらっしゃるようですね^^
私は、久能山・上野・日光東照宮関係は、マークしていませんので知識がありません・・・。
さて、かごめの歌ですが、漢字になっている部分が紛らわしさを招いていますね。
女盗人 女盗人 籠の中の盗り(とり=泥棒)は 出ず出ず(いづいづ)である。
牢屋の番人 鶴と亀がうっかり言った
と、まで書きましたが、籠女なんであったので女盗賊になっていますが!
犯人を護送する時に使用したあの籠の名称はなんなんですかね?
もしかすると「かごめ=護送用の籠」なのかもしれません。
かごめ かごめ かごのなかのとりは いついつでやる
犯 人 犯 人 籠の中の盗人は 出ず出ずである
よあけのばんに つるとかめがすべった
牢屋の番人 鶴吉と亀吉がうっかり言った。
うしろのしょうめんだあれ
「うしろの正面だアレ」
なのかもしれませんね^^
>>874 さん
幕府の財政は、現在の通貨に換算してのせていますので、過去ログを参照ください。
個人的には、年貢さえキッチリ入っていれば、幕府の財政は潤沢とはいえませんが、
貯蓄できるぐらいの収入になっていたと思います。
盆休みを利用して現地探索を! 気温36度ですが・・・
9月には、この板が1000を超えてしまうぐらいの夏休み中の 探索結果の書き込みを期待してます〜〜〜。 ※できれば、発見情報も…
その通り! 中間発表でもいいから!経過報告を!
山梨の黒川は、明治時代にゴールドラッシュ状態とか・・ 今の牛金掘り辺りは、バカヤクザが掘りまくりだったそうな。 黒川は何回か行ったけど原生林に阻まれる。熊さん出るんでしょ・・
黒川金山の採掘鉱はつい最近まで案内人がいないと難しかった。今は車で近く まで行って、案内板に従って簡単に行けます。 採掘後の坑道に埋蔵金を隠すのが一番簡単ですが、果たしてどうだったのか。 加門七海の「黄金結界」は私は信じませんが。
882 :
165 :2007/08/16(木) 13:14:46 ID:???
☆☆お宝発掘部隊(仮称) メンバー募集☆☆ ひとりで埋蔵金を探索&発掘するのは独り占めでいいですが、大切な資料等を公表したくないのはわかりますが、 2chに書いている時点で行き詰っていませんか? ガッツリ!埋蔵金発見!よりも、同好会としての「お遊び」も兼ねたツアー的なものを一緒に作りませんか? パッ見で、八重野氏のトレジャーハンティングクラブぐらいしか見つからないので2chを基点に作ってみたいと思っています。 真面目に同志を求めている方、埋蔵金に憧れるが一歩踏み出せない方、お気軽にどうぞ 現時点では、関東地方のみを活動範囲とさせていただきますが、 メンバー構成しだいでは、各地方に支隊を編成し、その地方で活動していただきます。 また、ホームページを開設し、活動内容を共有し、埋蔵金へのロマンを全国に広げる。 【活動概要】 1.有名な埋蔵場所の探訪 赤城・結城など有名何処を訪ねて、先人達の努力の跡などを辿ります。 2.座談会 @皆さんがお持ちの資料や見解などを真面目に検証します。 A目的地(埋蔵地)が共通している方中心(赤城なら赤城を目指している人だけ)の会合を開催します。 B飲み会(埋蔵金へのロマンをおおいに語ってください) 3.実調査 座談会等で発表された地点を重点的に調査を行います。 4.発掘 @おもいっきり掘る時は、関係各所に許可をとります。 5.その他 佐渡島の砂金取りなど
883 :
165 :2007/08/16(木) 13:17:36 ID:???
【募集要項】 @日本在住の方(交通費・宿泊費等自己負担できる方) A20歳以上の方(要普通自動車免許以上) B学歴不問 未経験者歓迎 経験者・学者優遇 【重要注意点】 @埋蔵金の性格上、入隊時に身分証・連絡先等の提示をお願いいたします。 A家族の参加はOK ただし、危険地帯へは同行不可 【お宝発見の場合】 @レンタルボックス等第三者的な場所に保管 A分配方法:実発掘者数+1名(他のメンバーへの分配分)で、割る。 【その他】 会費無料 主催 165(別PCなんでアンカー打てません) 皆さんの反応を見てメールアドレス(フリー)を公表します。
884 :
165 :2007/08/16(木) 13:25:22 ID:???
まぁー どうだろ 集まるかなー 最低遂行人数を5名(165を含む)にしておこう
886 :
165 :2007/08/16(木) 15:06:24 ID:???
ごっそり出たらね〜
やっぱり今まで自分が一生懸命調べたり考えたりした埋蔵金情報を公開するって難しいのかなぁ
逆だと思うけどね。 畠山さん以上の情報がないんですよ。 自分で考えた埋蔵地点だって、自らが信じてないのでは。
参加します!!!(と、言うより待ってました)
仲間がいれば、一人では出来ないことも可能になります。 とにかく同好の士が集まって、ワイワイガヤガヤやるのもいいんじゃない?
892 :
茨城の男 :2007/08/18(土) 15:34:52 ID:???
>>883 応募します。茨城在住。何人集まるか、時期を見て一度招集かけて、その結果
で165さんの判断ですね。全国に結構いてもここ見てるかどうかは?です
からね。
893 :
茨城の男 :2007/08/18(土) 23:36:04 ID:???
応募する人はペンネームを必ず付けて応募しましょう。 管理者(165さん)が人数の把握し易いように。
894 :
165 :2007/08/19(日) 00:37:12 ID:???
おおおお 雄志が!!
茨城の男さんと、あと2名ほどいるのかな?私を入れて4名かな?
>>889 さん
んー確かに、赤城の場合 畠山氏と、水野氏の情報や手がかりが基なんですよねー
その両名の手がかりを基に自分の解明解釈を付けただけなんですよ
私の場合も「群馬県内赤城以外説」ですが、これも水野氏の手がかりが基になっています。
その他の地方の埋蔵金に関しても、調べるきっかけや基本は、誰かの著書だったりするのでしょう。
自ら古い民家の土蔵から古文書を見つけて・・・なんて方は、ごく少数ではないでしょうか?
895 :
165 :2007/08/19(日) 00:51:43 ID:???
会の趣旨は、真剣にお宝探しではなくて、宝探しへの興味を満足させること? 真剣に!っていっても限界ありますし、それより赤城の水野氏の所へ行って見てみたいとか 結城へ行ってみてみたいとか、お宝伝説がある場所へ行ってみたいって・・・ かくゆう私も、自分ひとりではなかなか一歩踏み出せなくて。。。 観光? んー観光もアリですな。 私自身、突然さきたま古墳群まで行ったり、突然上野の科学博物館へミイラを見に行ったり 古地図を集めたり・・・考古学的なものが好きなんですなー まぁ埋蔵金も平成の世になって、すでに考古学みたいになってきている気がします。 なんていうか・・・ピラミッドを掘り返すのと同じ感覚? とにかく現地へ行って、この目で見て、周りを歩いて、銅銭の1枚でも拾ったら大満足です! もちろん 埋蔵金への物証を見つけてドキドキするのが一番楽しですけどね!
896 :
165 :2007/08/19(日) 01:07:00 ID:???
一応、流れを細かく書くと 初回の顔合わせ場所は別として 例として「赤城」にします。 赤城方面へ向かう、みんなが集まりやすい場所に集合(移動手段が車以外の人は、他の者に同乗を願う?) ↓ 水野氏宅の周辺へ(気合を入れて水野氏の玄関のチャイムを鳴らして猛ダッシュ?w いやいや本人に会ってみるのもいい) ↓ 双永寺や周辺を散策(時間が有れば三枝氏の発掘場所なども) ↓ TVで力を入れている世良田東照宮を検証(時間が有れば日光東照宮にて検証) ↓ 車なのでお酒が飲めないため、ファミレス等で反省会 (後日) 掲示板等で意見交換 ↓ 独自の見解を示した資料などがあれば、持参して研究会を開催 ↓ 再確認したい場所や持論に基づいた場所の調査の打ち合わせ ↓ 現地調査 ↓ 発掘許可等まっとうなことをやって発掘 ↓ お宝ゲットだぜ!
897 :
165 :2007/08/19(日) 01:32:30 ID:???
また、八重野氏の著書等の細かい埋蔵場所へ行くのもいい。 八重野氏が投げ出した発掘場所等へ行ってカマを掘ってやるのいいw 本当に本格的にやるならば、埋蔵場所周辺の聞き込みもいいね。 しかし、資金的にキツイので、本格的なボーリング調査や地質レーダーなどの購入は無理だろう。 できることは、元手を出し合って古物商として土蔵内の不用品を買い取るぐらい? その際に古文書なんかゲットできたらいいね 買い取ったものは、ヤフオクで売って会費作りや分配でもいいかもね。 コツコツやって、サイトを活性化して、「うちの家に変な絵図や古文書、言い伝えがあるんだけど」ってなったらいいねー 赤城や結城のでかい一発じゃなくて、こうゆう情報から得た小額だけど可能性がある埋蔵金の発掘かもね そうそう 実話だけど、先月かな?会社で雇っているジーさんが有給とって「マレーシア」に何度も行ってるのよ 何しに行ってるの?って聞いたら断片的にモゴモゴ話してくれた。 でも、話の内容からして「それって山下財宝でしょ?」って言ったら、やっと話をしてくれた。 ジーさんの知人が、マレーシアで現地人を10人程度雇ってやました財宝を実際に掘っているんだって、しかも4年もw それを見に?資金援助を依頼されてかな?実際に現地に行ったそうだ。 「山下財宝はある」「かなり有力な場所」って、言ってたなw こんな何年も気合入れて掘らないけど、会で有力な場所を見つけたら実際に掘ってみる気でいますよ。
898 :
名無しの愉しみ :2007/08/19(日) 08:21:58 ID:Aipm/+8A
八重○さんって昨年の24時間のチャリティー番組で、宝島探して でてこないので中国銭がでたやらせをしたってもっぱらのうわさ。 本当はどうかしらないけど、チャリティーでこんな疑いがある人と 関係しないほうがいいと思うけど。
899 :
茨城の男 :2007/08/19(日) 12:05:38 ID:???
人を選別することは、実際問題として難しいのではないでしょうか。あの人は いいけどこの人は駄目、を何を基準に判定できるのか?結局全員集合してあの 人がいるなら自分は抜ける、と自ら去って行く形になるのでは? とにかく「同好の士」が集まることから始めましょう。
結局、究極の目的が金なんだから人間関係は難しいよ。 殺し合いになればいいのに・・。
901 :
茨城の男 :2007/08/19(日) 14:15:54 ID:???
殺し合いになるほど「埋蔵金」に近づけたらたいしたものですね。そこまで 行けないでしょう(笑)。では何故やるの? 女は実利的だからやりません。男は先が読めても「趣味」としてやります。 釣りもゴルフも「趣味」とは金とヒマがかかるものです。趣味だから好きな 人だけがやればいいと思います。釣りで波にさらわれて死ぬ人必ずいますね。
>>901 わかってないね、埋蔵金探しの延長線上には金があることに変わりない。
「別に出なくても趣味」って人と「なんとしても探し出す」って必死なのがいるかもしれん。
そういう仲間とは自然に分裂するだろう。いざとなっての人間の欲望を甘くみないことだなw
まー、そんなことにはならないように、なるべくオープンにやった方が 良いですね。 家族や掲示板なんかに行くところや日時を明示しておけば、下手なことは 出来ませんからね。 そのかわり、出てもネコババは難しくなりますけど。
>>898 彼は埋蔵金を掘り出して収入を得てるんじゃなくて、発掘を見世物として
生活している人ですからね。
ほとんどウソとヤラセの世界です。
そういう点では本を書いたりTVに出てくる人は皆そうでしょう。
そんな嘘のなかにわずかの真実を掘り当てるのが埋蔵金探しですよ。
山下財宝は、ヤフーで『歴史の闇から蘇る』と検索すれば、面白い事が 見られますょ!
山下財宝に興味ありますが、 早く治安回復して欲しい。財宝見つける前に命が・・・
で?結局何人よ?
茨城の男さんへ
考えているのは、人を選別するというわけではありません。
>>902 さんが書いている通り、「別に出なくても趣味」って人と「なんとしても探し出す」がいると思います。
会を通して、「趣味」から「実益」に移行する方もいるかもしれません。
実益の人は「趣味」の力を借りて「実益」に持っていくことも可能です。
また、「趣味と実益を兼ねて」もあります。
確かに人が集れば派閥が出来ますが、派閥が出来るぐらい傾倒したいものですなー^^
基本的に居住地により、狙う埋蔵金は変わってきます。
大阪の人に赤城の埋蔵金を狙え!っていうのは無理でしょうから、支隊を編成し地方に合わせた活動をしていただくことをかんがえています。
>>903 さんも書いていますが、基本的な活動内容はHP等でオープンにします。
ですが、その埋蔵金という特性により、実名(地名・人名等)・調査地等は伏せることを考えております。
無論、お宝が見つからなかった時だけその結果を公開します^^
山登りと同様に家族には行くところや日時を個人的に告げるのがよいでしょう^^
また、免許証等身分証・連絡先等のご提示が出来ない方は、参加できない制限です。
まぁ八重野氏みたいに著書やTVに出られるようになったら、すごいものですね^^
『歴史の闇から蘇る』みました。面白かったです^^ ただ、読んでると赤城とまったくダブってきますね。「石膏の壁」「断片的な手がかり」 そして最大の疑問が、「ココまで強固だと、後で掘り返せないだろ?」 しかし、彼が目指しているのは「日本の山下財宝」これはものすごく意外でした^^; 状況からして、彼と老人だけで手掘りしているので、お金目当てで彼をはめようとした感じでは無い。 彼がパトロンを探している風にも思えなし・・・そう考えると・・・本物? 現在赤城とまったく同様な状態の彼のブログの中から読み取れるものと、赤城の埋蔵金をダブらせて考えると 水野・三枝両氏の掘り方が、大雑把だったように見える。 また、最大の違いは、埋蔵場所の図面があることである。 そして、彼は「物証」の指し示す「意味や指し示す方向や距離」などかなりこだわっている。 それは、人足を使って掘っているわけでは無いので、物証の意味などを十分検証できる。 その違いは、赤城の家康像発見時、人足がカメを叩き壊し安易に家康像を取り上げてしまった状況との違いや、 三枝氏のように金だけだして他の者に掘らせているのと大きく違う。 個人的には、山下財宝否定派だが、この発掘(埋蔵)には非常に興味が持てる。
彼がすごいのは、「フィリピンから持ち帰った旧日本軍の財宝の地図」を手がかりに 日本の埋蔵場所を探したこと、それがまた石膏等の場所に行き当たったことだな あー そうそう980ぐらいで、次のスレ立てますよ 埋蔵金発掘が趣味の人 千両箱2箱目
910 :
165 :2007/08/21(火) 01:04:46 ID:???
寝る前に 山下財宝否定派だが、旧日本軍(この言い方もおかしいよね?新日本軍がないのに旧をつける必要があるのか?) 予断だが、自衛隊の名称を自衛軍に変更する予定になっている。この場合においても自衛軍であり、日本軍ではないのに・・・ 最初から横道にそれてしまった^^; 山下奉文陸軍大将が埋めた=山下財宝となっている。では、山下財宝とはなにか? 1941(昭和16)12月8日 太平洋戦争勃発 マレー攻略戦を指揮(中将) 1942(昭和17)年2月15日 シンガポールのイギリス軍降伏(マレーの虎) 1942(昭和17)年7月1日 第1方面軍司令官(満州) 1944(昭和19)年9月23日 第14方面軍司令官着任(大将) 1945(昭和20)年9月3日フィリピンのバギオで降伏調印 短い・・・あまりにも短い・・・ 開戦からシンガポール攻略まで2ヶ月ちょっと・・・ シンガポールから満州への左遷まで、4ヵ月半・・・ 第14方面軍司令官に着任して降伏まで1年 シンガポール攻略までの2ヶ月の間、6万トンの金を集める余裕があったのだろうか? シンガポール攻略後の4ヵ月半で、6万トン集めたのであろうか? フィリピンに着任して降伏までの1年間で6万トン集めたのだろうか? ちなみに満州では閑職なんで、集めていないと思われる。 仮説@として、満州へ行くまでの約7ヶ月の間に6万トン集めたとしよう。 はて?次は満州だから、隠すならシンガポール? 仮説AOK!満州に持っていったとしよう!w 当時の陸軍の最大積載量の航空機は「一式陸上攻撃機(陸軍機)」最大積載量800kgだが!装備をおろして1トンに・・・。 飛びたて6万機!・・・・6万? いち中将が6万機も自由に使えるわけも無く・・・終戦までの生産機数2,400機・・・;; 仮説B飛行機はあきらめた!陸軍輸送船だ! んー 一隻あたりの積載量150トンか! ・・・400隻 名だたる輸送船が60隻程度しかないのに・・・Aと同様に中将じゃ無理な行動だね・・・;;
911 :
165 :2007/08/21(火) 01:28:51 ID:???
そもそも東条英機に嫌われて満州送りなんで、この作戦行動は無理だな。 仮に持ていけたとしても、満州からフィリピンへの輸送が絶対無理 当時は、米軍による海上封鎖が行われていたので、船すら使えないw 仮説Cいやいやフィリピンで6万トン集めたんだよ! 1944(昭和19)年9月23日 第14方面軍司令官着任(大将) 10月20日 米軍、フィリピン・レイテ島に上陸。(レイテ島の戦い) うはw 着任から米軍の上陸まで1ヶ月しかないw アメリカは、上陸までに相当の艦砲射撃や爆撃をしていただろうから集める暇無いねw 10月20日から、防衛戦や戦術的撤退wをしていたので、集める暇がないと思われw そして約11ヶ月後の1945(昭和20)年9月3日フィリピンのバギオで降伏調印 隠匿する前に集める暇が無いやん・・・ 【まとめ】 フィリピンに日本軍が隠した財宝があるなら 1942年(昭和17年)7月にフィリピン全土を占領している。 1943年(昭和18年)10月にフィリピンの独立を許可している。 1944(昭和19)年10月20日の米軍上陸 この2年3ヶ月の間に山下以外の誰かが集めたことになる。なのに山下財宝とはwww 考えるに・・・1943年(昭和18年)10月にフィリピン独立後から1944(昭和19)年10月20日の米軍上陸までの1年間 現地での物資等の購入のため日本本土から軍票ではなく、「貨幣(まる福)」が送られてきたと思われる。 確かに多少なりとも財宝を奪取できたとは思うが、よく言われている埋蔵量は、到底ありえない。 また、十分な量を集めるとすれば、シンガポールじゃないかなー
912 :
165 :2007/08/21(火) 01:41:55 ID:???
よし!2年3ケ月間の誰かが集めた黄金を山下大将が引き継いだとしよう! ・・・・・・・・・・それを持っての撤退戦は無理だろ 無理だから埋めたのか! はじめは6万トン有ったとして!よし!6万トン持って逃げてみよう! ・・・・・・・・車ないやん 兵に運ばせよう!んーフル装備で40kgか! 山下大将直率兵152,000名! 6万トン=60,000,000kg÷152,000名=一人当たり約395kg ・・・単車と同じ重さだ・・・背負えないよwww って、こんな感じで、山下財宝否定派になってますw おやすみ
山下財宝とは、第二次世界大戦でのフィリピン等の南方方面での全ての お宝(略奪品が、多いらしいが…)の総称として、世間で言われている 名称であり、決して、その全てに山下大将が係わっていたのではなく、 むしろ、山下大将が係わっていたお宝の方が少ないと思います。
914 :
165 :2007/08/22(水) 01:48:08 ID:???
ふむ 山下奉文にこだわった書き方にしまったか 略奪を禁止していた陸軍だが、金を目の前にしてはさすがに無理だと思う。 南方方面(ビルマ)での陸軍は、南方軍(寺内寿一大将後に元帥)であり、1941年(昭和16年)11月6日に軍編成。 その隷下部隊に第14方面軍(開戦時は第15・16・25方面軍等があった)がある。 南方軍の隷下の軍団を書いてみよう(師団、飛行団まで書くと面倒なんで割愛) ビルマ方面軍、第7方面軍(シンガポール)、第14方面軍(フィリピン)、第18方面軍(タイ)、第2軍・第18軍(ニューギニア)、第37軍・第38軍(ソロモン諸島)、パラオ地区集団(パラオ) 第18方面軍は、タイ(シャム)は盟友なんで略奪は無理。 第2軍・第18軍・第37軍・第38軍・パラオ地区集団 ニューギニア、パラオ等は・・・あるとは思えない。 ビルマ方面軍 昭和18年(1943年)3月18日に編成 1944年(昭和19年)3月にインパール作戦を強行しているのでこれも難しい。 よって上記の中で、お宝を略奪できるのは、第7方面軍(シンガポール)、第14方面軍(フィリピン)
915 :
165 :2007/08/22(水) 01:49:23 ID:???
そうすると、フィリピンに隠すならやはり第14方面軍(編制時期:1941年11月6日 山下奉文大将着任1944年9月26日)の約3年間のみとなる。
まぁ3年もあればフィリピン全土からお宝を集められるが、フィリピンに金6万トン自体がないだろう。
それと、先にも述べたが、第7方面軍のシンガポールから第14方面軍の管内にお宝を移送するわけがない。
移送するなら上級部隊である南方軍司令部があるタイ(シャム)だろう。無論シャムと日本は盟友なので、より安全である。
ルートとしては、シンガポール→タイ→台湾→日本 空路も海路も使える。
シンガポール→タイの陸路として、思い切って映画戦場のメリークリスマスで有名なマレー鉄道も使える。
ちなみにシンガポールは終戦で降伏したが、米軍の巻き返しで占領されてはいない。
と、いうことは、お宝を埋めて隠す必要がなかったのではないか?
いろいろ考えると、
>>911 の【まとめ】から
>>912 に行き着いてしまう。
確かに山下大将着任から米軍上陸までの期間が短いので、フィリピン全土を占領した1942年(昭和17年)7月からの第14方面軍司令官が集め始めたかもしれない。
本間雅晴中将(任期:1941年11月6日〜1942年8月1日)米軍を追い出して1ヶ月後に転任 集めるのは無理だろう。
田中静壱中将(任期:1942年8月1日〜1943年5月19日)フィリピン独立許可前の混乱期に集めるのは・・・?
黒田重徳中将(任期:1943年5月19日〜1944年9月26日)一番安定している時期 一番怪しいw
いずれの誰にせよフィリピンでの日本軍のお宝は第14方面軍。
金塊から指輪まですべてひっくるめて山下財宝であるが、
いままで人類が掘り出した金の量が約10万トンといわれている中でフィリピンにその半分以上の6万トン有るはずが無いw
また、その他金属(白金など)のフィリピンでの精製すら怪しい。
よって、財宝があったとしても極少量か、「丸福」程度。まぁそれでも掘り出せればラッキーであることは確かだが
916 :
165 :2007/08/22(水) 02:26:25 ID:???
山下財宝に憧れる方は、まずこのへんの歴史を勉強してから挑んでもらいたい。 勉強が苦手な人は、旧軍のミリタリーオタクの人と仲良くなれば、簡単にクリアできるであろうw あ ひとつ補正があります。シンガポールとマレーシアは陸路でつながっていません。 その間はもちろん海路になりますが、海峡が狭いので安全だと判断します。 また、マニラ→台湾の方が近いですが、米国潜水艦がウヨウヨですので、より大陸に近い海路を利用します。 細かく書くと、タイ→陸路→ラオス→陸路→ベトナム→海路→台湾 もしくは、タイから大陸沿いを台湾まで まぁ 仮に掘るならマレーシアかな
917 :
名無しの愉しみ :2007/08/24(金) 08:38:37 ID:cj/+xifg
『キッドの宝』畠山氏のは、面白い。黒部もでてる。
んー 結局、同好会も企画倒れか・・・・残念
919 :
茨城の男 :2007/08/24(金) 22:27:36 ID:???
人数が集まらない? 集合場所、時間、会費を公開すれば突然顔出す人いるかもね。 でも人数未定では会席の予約も出来ないか〜。
920 :
茨城の男 :2007/08/25(土) 10:48:17 ID:???
今月一度山梨行って来ました。梅雪関係です。昔梅雪が通ったと思われる 山道を探しに。なんとか、これかな?と思える道の入り口を見つけましたが 、確信は持てません。小川を渡るあたりかな?山蛭に取りつかれ靴下の中ま で潜り込んで血を吸われました。「山蛭がいるんだぁ〜。」これが収穫です。
山には山ダニも多いので、みなさん注意しましょう。
>>918 まだまだ諦めないでください。
922 :
165 :2007/08/25(土) 18:47:23 ID:???
茨城の男さんの行動力に脱帽です
923 :
茨城の男 :2007/08/25(土) 21:15:58 ID:???
>>922 ただ山歩きが好きなだけです。
「目的」は達したことなく、弁当食って、帰りはハイキングに目的変更。
これを何年も続けてます。来春がそろそろ潮目かな。
924 :
茨城の男 :2007/08/26(日) 09:11:46 ID:???
そろそろ残り少なくなって来た。前回はゆっくり見ようとしたら、何故か最後 近くに20スレ位どかどかっと来て、あっという間に閉鎖になったような気 がしますが?今回も、最後となると、普段書かない人も書き込み参加するので 想定外の事態になるかも。インターネット得意の方、早目に次の板の用意 お願いします。
んー 結局企画倒れ確定で・・・まぁしょうがないですけどねー。
927 :
茨城の男 :2007/08/31(金) 22:55:11 ID:???
しょうがない。今までどおり一人でやるか〜 折角165さんが企画してくれたのに。165さん、ご苦労様!!! それにしても、そろそろ実績上げないと・・・(反省!)
928 :
165 :2007/09/01(土) 16:03:42 ID:???
んー 残念
929 :
165 :2007/09/02(日) 12:10:47 ID:???
んー 集まらないのは残念だなぁ みんな興味はあるが、実行に移すのが面倒なのかなぁ まぁ関東地方って、地域限定だしねぇ それと、自分の今までの研究をポンっと人に公開したくないのかなぁ
930 :
茨城の男 :2007/09/02(日) 22:05:06 ID:???
根本的に難しい問題を含んでますからねぇ。 機械に強い人、歴史・古文書に強い人、交渉ごとがうまい人、など 役割分担でチームが出来れば最高ですね。
>>930 んー 茨城の男さんの「機械に強い人、歴史・古文書に強い人、交渉ごとがうまい人」は、
私の中の最終段階になっています。
初期段階として、「興味がある人、野山に詳しい人」だけでいいと思っています。
中期段階として、「積極性がある人、中心的な埋蔵金に詳しい人(研究している人)」かな
遊びから同志を集めて、そこから中核を作り、最終段階に着手ですね。
同志は、大勢の方が楽しいし、中核はいくつあってもかまいません。
最終段階は、慎重にならざるをえないし、ふるい落としも必要かと思っています。
確かに「機械部隊」、「研究部隊」等、その方面に明るい人で構成できればいいですね。
もちろん、後進者を作るために興味がある素人を研究生みたいに部隊に入隊させるのもいいですね。
素人のポッとでたアイデアで、道が開ける場合もありますしね^^
まぁそのまえに人が集らないのが問題ですが><
茨城の男さんと二人で活動してもいいですが、山ヒルがいるようなところは・・・;;
932 :
茨城の男 :2007/09/03(月) 22:29:00 ID:???
後進者を作る・・・そういう心境になりましたか! 山が苦手となると・・・平地の結城をチョッとかじったことあります。結城は 難しいとの実感です。知人の女性が結城一筋で頑張っています。平地なのでレーダー や金属探知機の出番です。科学的な証拠を見せて下さいと頼んであります。
結城は江戸時代に既に出てしまっているようですよ。
934 :
165 :2007/09/04(火) 01:14:44 ID:???
茨城の男さん いやいや まだ私は若いですよ^^V 埋蔵金を追っている方の中には、ご高齢の方もいらっしゃると思って^^ つい先日、知人から○○村の埋蔵金の話を聞きまして、 昔、知人とその人が、お酒を飲んでいたときに(その知人の知り合いは、とある埋蔵金を追っていた方なんですが) 某山中で石臼(金鉱石を砕くための石臼)が、ゴロゴロと転がっている手付かずと思われる場所を発見たんだそうです。 これから着手というのを目前にして、ご高齢だったせいかお亡くなりになりました。 その場所の話だけで、その場所がどこにあるかが、死んでしまったのでわからないそうです。 金山跡地埋蔵説には否定的な私ですが、未調査の場所であれば、実にもったいないと思いました。 発見者本人は、自分で掘るつもりだったでしょうから、後進者を作っていませんでした。 また闇の中ですね>< こういうことって結構あるとおもいます。 遺族の方にとって、埋蔵金は興味が無いものだったり、資料自体、暗号等で遺族にはわからなくなっているかもしれません。 自分の研究成果を公開しろとはいいませんが、古文書等の読み方、資料の掘り起こし方など、 現代ではなかなか難しいものもありますので、後継者育成というより、その道に長けた者を育成したらいいのでは? という考え方です^^
935 :
165 :2007/09/04(火) 01:26:36 ID:???
それと、茨城の男さんの知人の女性の方がんばっていますね^^ しかし、この板には、以前?「結城の鬼さん」「元結城探索人さん」がいらっしゃいました。 いまでも見てるかな? その女性の方が、一人でやっているとは思えませんが、 こういう同じ目標を持った人達とタッグを組んだらいいんじゃないかと、思っているんです。 分け前が少なくなりますけどね^^; 考え方の違いで 一人で掘る=見つかる確立低い=独り占め=結局0 みんなで掘る=見つかる=分け前少ない=少しでも懐に まぁ人の口には戸が立てられないし、出し抜かれて掘り起こされて逃げられた なんてリスクもあるとは思いますけどねー。 お宝は、早々出てくるものではないので、見つかるまでに信頼関係を築けたらいいかもですねー^^
936 :
茨城の男 :2007/09/10(月) 05:48:51 ID:???
そろそろテレビの正月特番の企画始まる頃かな? 「夢のある話」だけど、今年は何かあるかな?
2ちゃんみたいな公開の匿名掲示板では真面目に考えてる人は名乗りでにくいのでは? それで、例えばメーリングリストを使って非公開かつ実名で話し合ったらどうでしょうかね。 実際に離れたところに住んでる人が集合するのは大変ですしね。 そうして、お互いの趣味が分かってから集会を持った方がよろしいのでは。
>>937 そういうこと可能なんですか。IT音痴なもので・・・
939 :
165 :2007/09/11(火) 10:04:08 ID:???
>>937 さん
まず、まじめに考えている人、興味本位だが参加したい人が、この板に何人いるかが問題で
その人数しだいでは、私のフリーメール(hotmail)へご連絡とおもっていました。
フリーメールなのは、さすがに2chに本アドを公開するのは危険だという判断です。
参加メールを集計し、各自へ返信(初会合等のご連絡)と、いう手順で進めたいと思っていました。
まぁ残念ながら冷やかしでも参加希望者が少なかったため、頓挫しましたがw
茨城の男さんと二人っきりで・・・むふふ。。。堀りにいくかなw
940 :
茨城の男 :2007/09/11(火) 15:07:03 ID:???
>>939 165さんも色々考えてくれていたんだ!
うん、一緒に何れかの埋蔵金に挑戦したいですね。今回応募者が少なく
お流れになったのは非常に残念です。何かいい方法ありませんか?
941 :
165 :2007/09/12(水) 09:55:51 ID:???
んー いい方法というよりは・・・もし、作るとなると現在の状況から・・・ 茨城の男さんと、私が・・・二人で始めるしかないんですよね。 それをココやHPで紹介していって、構想の埋蔵金発掘倶楽部を作るって順序になりますね。 今までは、2chの同志で倶楽部結成→お遊びを含めた調査→HP等で紹介 まぁこんな感じです。 ただ、それでも問題なのが、茨城の男さんと、私の標的が異なることなんですよねw
まあそれでも非公開の場所を作って2人で始めれば、追々集まって来るんじゃないですか? そちらの宣伝は2ちゃんでやったりしてね。 私も全く別の分野ですが参加しているグループがありますよ。 たまには東京に集まったりしてオフ会やってます。
943 :
茨城の男 :2007/09/14(金) 05:59:49 ID:???
私は年寄りでインターネット関係も不得意だから、誰かがやったらそれに ついて行くしか方法がありません。まあ、今までどおり一人でぼちぼち 行きますよ。
んー なんか残念ですなー
945 :
兵庫の男 :2007/09/16(日) 12:43:36 ID:TwaEt2nI
ミクシィブログ参加できないですか?? あそこなら、友人まで・・・とか友人の友人までとかって公開出来る範囲が絞られるし 変な人は来ないし・・・
是非ともクラブ設立の成功を祈る! 成せば成るです。
950 :
なまず :2007/09/19(水) 18:15:21 ID:???
この板でのクラブ設立は、大変・大変・大変難しいとは思うが 165さんの行動に大いに期待します。 (今は影ながら応援しています)
赤城の水野氏に会いに行った人の感想を聞きたいね。 水野氏と一緒にやりたい気持になったかどうか・・・
水野さんって、実質もう掘ってないでしょ。 取材があるときくらいはカッコだけやるんでしょうけど。 もう新規に資料の発表もしないとかいうことでしたが。
ルフ場を掘るって話ですよ
954 :
165 :2007/09/26(水) 14:57:41 ID:???
スレのびないなー
955 :
大和 :2007/09/26(水) 23:04:05 ID:???
やっと静かになりました、 私の考えですけどトレジやーハンターは頭でっかちでは始まらないと思います 机上のプランでしかないのです、その土地人物時代背景年代 それから3つ以上 の確実なヒント等が全部1つにまとまったら後は推理を働かして実行しなければ 見つかるものではないと思います 私の見解ですけど1例を徳川の埋蔵金についてですが 1つ それだけの量を何人必用と思いますか最低でも50人くらいはいりますよ 2つ ある所まで50人それから先20人にするとします、まあそのくらいの 人すうは時間てきに必要でしょう ここで問題なのは30人はある所までは知っているということです、 このことは問題です それはさておき 3つ この事業の最大の問題は最低20人ぐらいの人間の口封じをしなければなりません すなはち殺さなければならないということです 4つ では、どうしてやってのけるか 1人ではむりです穴に全部いるところ 爆破するしかないでしょう、しかしそれでも最低爆破する掛かりが 5人位はいるでしょう、 5つ 最後にその5人を口を封じなければなりません 6つ あなたならどうしますか?
言い伝えでは埋蔵現場に関わった者は切られたり毒殺されたりで ほとんど死んだことになってます。
当たり前の事ですがみなさんに一つわかってもらいたいのはいずれの埋蔵金にせよ 時代が違うという事です。埋蔵金の発見は現代人の我々の想像では決して捜し得な い部分が多々あるという事をよ〜く理解してから取り組まないといつまでも現代と いう魔物に振り回されますょ。そんなことは承知していると言われそうですがこの 板を見ている限り承知している人は殆どいません。むしろ承知している人は0%に 近いです。みなさんまだまだ現代の頭で考えていますょ。みなさんよ〜く考えて下 さい。(埋蔵金は有ります)
958 :
165 :2007/09/27(木) 11:30:45 ID:???
>>955 大和さん
その件に関しては、私が解説済みなので、スレ165以降をご覧ください。
360万両の重さからして、50人じゃすみません。
959 :
165 :2007/09/27(木) 11:48:42 ID:???
まぁそもそも360万両あるかも疑問で、おまけに埋蔵金自体すらあるかも疑問で・・・。 水野4代目が掘るのかなー?
960 :
現実 :2007/09/27(木) 20:26:36 ID:???
埋蔵金調査の場合 @机上の研究で終わる。 A机上の研究と現地調査で終わり発掘はしない。 B机上の研究と現地調査をしその後確信が持てたら発掘する。等々 そもそも仮に仮にですよ赤城の場合、もしあなた方が三百数万両の埋蔵金を発掘、発見できたとして あなた方には何万両という物を処分できる力をお持ちですか? 普通の人間では何万両もの物を処分できる力はありません。 あなた方は普通の人間ではないのですか? その前に大埋宝の場合人知れず取り出すことは無理です。 あなた方は自分の土地以外の場所を掘る場合、所有者(公的機関も含む)の了解取る自信がありますか? ?⇒が一つでも有る場合は@とAで終わることです。 確かに埋蔵金は存在しますが、その額が大きければ大きいほど普通の人間では無理ということを よく理解して下さい。埋蔵金とはそういうものです。 自分の力の現実をよ〜く考えてから行動して下さい。 この板もあと少しで終わりです。 最後に一つだけ赤城の真実を書き込みます。 いつもこの板を盛り上げてくれています165さんには申し訳ありませんが 徳川の埋宝はやはり赤城地方が最有力です。当然最有力たる証拠もあります。 今までで一番近いのはやはり赤城本命さんだと思います。 しかし赤城本命さんにせよ165さんにせよ難しく考えすぎです。 それこそが八門遁甲の術中にはまってしまっているとしか思えません。 現実はもっと簡単だと思います。ただし誰にでも解けるような簡単な事ではありませんが・・・ もう一度言います。大埋宝を成功するにはその人個人に大きな大きな力が必要です。 あなたは大きな力を持っていますか?
調査をするといっても、そもそもの資料が限られている上に怪しいものがほとんどです。 結局は個人の思い込みによるところが大きいわけで、少ない資料を針小棒大に解釈しているわけです。 ですから、埋蔵金が出てみないと説が正しいかどうかは誰にも分からないでしょう。 要は見つけたもの勝ちということです。 自分の力がどの位かなどと考える人には、とても掘れませんよ。 後先考えずに、がむしゃらに突き進むタイプが良いんでしょうね。 もっとも、仮にそういう人が掘っても成功する確率は0に近いでしょうけど。
962 :
165 :2007/09/28(金) 01:25:24 ID:???
私、普通の人ですが、みなさんの予想外に普通の人じゃないです^^;
何万両もの物を処分できる力はあります。
半分以上は処分料で取られると思うけどね。小判より金(きん)ですから
手段を選ばないなら、了承?を取る方法ももってますよ
↑これに関しては、100%そこに埋まっていないと無理ですけどね^^
100%あるなら、引き上げる費用なら、億単位で周りからすぐにでも調達できますよ。
数万両目の前にあって、その数万両を一瞬で持ち出して、精製、流通させるまでの費用ね。
ただ、探すため、ここに埋まっているかもしれないから掘りたいっての資金は調達できませんね;;
私の考えは、
>>961 さんに近いです。
ただ、「>後先考えずに、がむしゃらに突き進むタイプ」ではないので、掘ってません。
ですから、「>埋蔵金が出てみないと説が正しいかどうかは誰にも分からない」でしょう。
証拠は限られているので、すべての証拠が最有力です。
ですが、その最有力の証拠をご存知の方でも、掘り当てていないのも事実です。
私は、埋蔵金を掘るより「楽しみたい」のです^^
畠山氏、八重野氏ですら、本格的に掘らずに「楽しんでいるだけ」だと思ってます^^
なので、私にとっては、「八門遁甲」なんてどーでもいいのです。まぁそもそも八門遁甲は、後付で考えすぎだろう派ですし^^
963 :
165 :2007/09/28(金) 02:18:37 ID:???
真剣に研究、発掘している方には申し訳ありませんが・・・私は、楽しければ、ワクワクすればいいのです。 楽しむためには、机上の空論からスタートするわけです。机上で、「お?もしかしてこれは??」と、いうのが楽しいのです^^ 現地に行ったりすれば、より「お?もしかしてこれは??」となり楽しさ倍増となると思います。 その際に、それなりの知識や机上の空論をもっていれば、さらに「おお!?」と、さらに倍になるわけです^^ 話は変わりますが、先日地元川口市近郊(川口町、青木村等)の昭和7年発行の2万5千分の1ですが、古地図を入手しました。 一般に埼玉県地図や東京都地図は多くみられますが、ピンポイントはなかなかありませんでした。 こういのを見るが好きなんですね。現在の地図と比較したりして^^ 近所の方いるかなー? 新荒川大橋の横には、鎌倉橋があって、新荒川大橋を赤羽に渡るとクランクしているけど、鎌倉橋からは直線なんですよね^^ そこから122号(北本通り)を左折しますが、現赤羽岩渕町駅(南北線)のところを始発駅として、 122号(北本通り)には、王子まで路面電車が走っています^^ そう。王子駅の路面電車までつながっているわけです^^ 王子付近では、国鉄をまたぎ、王子消防署のとこで、電気鉄道と交差していますw こういうのを机上で楽しむのがすきなのです。 ただし、涼しくもなったし近所なので、古い地図を基に実際に歩いてみようと思っています。 また、川口市の古地図を基にしたホームページがないので、古地図と現在の町並みの比較の写真等で作ろうと思っています^^ このように普段なにげなく通過している道等でも、古い話等がわかれば普段より楽しくなると思います^^ また、車から降りて歩けば、新たな発見があるかもしれません。 こんなホームページを作っても、市長から表彰されるわけも、お金を得られるわけもなく無く、 時間と手間の無駄遣い(メタボ解消にはいいかもw)ですが、すきなのです。
964 :
165 :2007/09/28(金) 02:19:37 ID:???
これは、埋蔵金にも共通しています。昔の足跡をたどって遊びたいのです^^ 実際、お宝が出てくればいうことはありませんがねw 個人としては、異常に顔が広いですが、埋蔵金を本格的に掘るつもりはありません。 ですが、掘り当てる気での知識や考え方をもって、真剣に遊んだ方が楽しいとは思っていますよ^^ そこから真実が見えるかもしれませんしね^^
埋蔵金の資料については大半のものが偽造だと思います。 私の知人で昔はその手のものを作ったり売ったりしている者がいまして 近くで見ていますのでよく分かります。 なぜその資料が自分の手に入ったかということを考えれば、偽物だということは 簡単に見破れるのですが、欲に目がくらむと自分は特別だと考えてしまうんでしょう。 詐欺に引っ掛かるのはそうしたことが原因ですね。 バブルのころはよく土地がらみで詐欺話が持ち込まれましたよ。 なぜそんな美味い話がうちに来たんだろうと考えれば損をしないのですが 知人で大損した人も居ます。 私も同席していたので止めろと言ったんですが。 コピーを見たところでは残念ながら赤城や多田のものは作り物ですね。 時代は相応のもののようですが出現した経緯をみると典型的なので そういうものを頼りに掘っている人は気の毒です。 最近では山下財宝に引っ掛かっている人がまだ居るようで本当にお気の毒です。 動きが取れなくならないうちに気付いてくれると良いですね。
赤城も多田も作り物ですか・・・ 三大埋宝のうち二つは偽の資料となると・・ みなさん、大物はよして、小物を狙いましょう!
ハハハ… 決して掘ろうなどと考えずにみなさん知的推理を楽しんで下さい! それが埋蔵金研究の醍醐味です。 大埋宝を実際掘ることはみなさんには到底無理ですから… 当然発見もです。 もし発見できたら周囲が大騒然となり、そこには住んで居られなくなりますよ。 その環境の激変に耐えられるのなら発見して下さい。 みなさんの冷静な判断による埋蔵金の楽しみを期待します。 最後に今までこの板を最大限に盛り上げて頂きました「165」さんに感謝!!! ありがとうございました
968 :
165 :2007/09/29(土) 11:14:08 ID:???
いや まだまだスレ続けるから居てよw
969 :
165 :2007/09/29(土) 11:51:40 ID:???
皆さんわかりきっているとは思いますが、「ココは2chです」 埋蔵金肯定派、埋蔵金否定派、肯定も否定もしない興味があるだけの方々が集うスレです。 赤城本命さんが立てたスレをいつのまにか盗んでしまいましたが、ご勘弁を 埋蔵金肯定派は、肯定派同士その肯定論をぶつけ合い 埋蔵金否定派は、その肯定論を否定してください また、肯定派は、否定派の否定論を否定してください。 しかし、ココは良スレですね。誹謗中傷・公序良俗に違反する方もいませんし、荒らしもいないですね^^ ただ、埋蔵金という特質のせいもありますが、あまり多くを語ってくれなのが残念です。 本気で探している方には物足りないスレですが、知的推理派、論より証拠派の方々にお願いします。 興味を持っている方も多いと思いますので、ぜひ、研究の一端でもご披露していただければ幸いです^^ 埋蔵金は、出なきゃバカ扱い。出れば人もうらやむ一攫千金。 埋蔵金は、夢、幻のごとくですが、男のロマンです。 ころあいを見て、=埋蔵金発掘が趣味の人 千両箱2箱目=のスレを立てますから みなさんでロマンを追いかけましょう^^
970 :
茨城の男 :2007/09/29(土) 12:10:32 ID:???
971 :
165 :2007/09/29(土) 13:00:30 ID:???
っていうか、今、1から読み直していたんですが 私が書き込んでから、すでに1年近く立ちます(去年の11月からです) 茨城の男さん^^ 頼りにしています^^ どうです?今度行かれるときに連れて行ってくれませんか? 出る出ないは関係ありません^^ 現場を肌で感じたいです^^ ただ、山を登る知識や装備は0なので、その辺からご教授していただかなければなりませんが・・・
972 :
165 :2007/09/29(土) 13:10:24 ID:???
正直、机上では、当然ですが限界の域に達しています。 「八門遁甲」に関しても、記述はあるが、それに基づいた解き方を解説している資料は皆無です。 新たに物証等出てきていないので、資料(資料といっても人の書いたもの)にも限界があります。 古地図を片っ端から掘り起こす作業も限界があります。←ライフワークになってるw 自分でも、もう現場に行かなきゃならないまでに熟成されていると思いますw 茨城の男さんとの狙いが違っているので、茨城の男さんの目指すものの研究はできていませんけど・・・ 行き着くところは、現場ですね^^
973 :
茨城の男 :2007/09/29(土) 13:48:06 ID:???
165さん、私も近場(関東地方)に相棒が欲しいのです。いい連絡方法が あったらお願いします。一応来年の4月〜5月、山梨県です。その前に 打ち合わせが必要です。山梨の山はどこへ行っても熊がいる前提です。単独 より複数の方が絶対安全です。
>>972 ブログを開設しなよ。
秘密の会話もできるから。そっちの方が多分人が集まると思う。
975 :
赤城本命 :2007/09/29(土) 20:29:46 ID:???
165さん 時々きてますよ。1000超えたらスレたててくださいね。
976 :
165 :2007/09/29(土) 21:14:16 ID:???
おおおおおおおおおおお
赤城本命さああああああああああああああああああああああああん
お懐かしゅうございます;;
貴殿の書き込みが無くなってから、なんか・・・
書き込みオナニーしているみたいで、むなしい日々でした。
山梨はいいが、熊かー この時期は、冬眠準備で活発なんでしょうな・・・
>>974 さんのご意見を元にブログでもいきますかな・・・でも、書き込むことないが・・・
165さん、そんなことはありませんよ。 ここに書いたことを整理して見易く書き直せばいいと思います。 そうすると興味のある人がメールを寄越したりして そこからグループが出来て行くんじゃないでしょうか。
978 :
茨城の男 :2007/09/30(日) 11:07:29 ID:???
なるほど、ブログですね? 165さんどうですか?お金どの位かかるのかな?毎月維持費みたいの かかるんでしょうね。「埋蔵金」だけだとアクセスする人少ないかもね・・
965さんへ 反論ではありません。 赤城や多田の資料が偽物となると一つの疑問が残ります。 赤城の水野氏が児玉氏から貰った大義兵法の秘図書、あるいは多田の関係で伊賀の 亀井家から出た三巻の巻物が偽物なら、何故児玉氏が偽物を作る必要があるのか… また、何故伊賀の亀井家に三巻ものニセの巻物を作って置いておく必要があるのか… わざわざ手の込んだ偽物を作り人を惑わす必要が何故あったのか… 二箇所の埋蔵金に関して現在出ている資料の物全てが本物とは思っていませんが… ただし、今現存している物が本物かどうかという疑問は残るが、一番最初の出だしの 物が偽物と言うのなら話は一から作り話ということにもなりかねないのだか…… 埋蔵金調査で難しいのは、その当時の時代背景はあくまで現代人の想像の域を出ない ということで、その想像により、いくらでも候補地は変化するということです。 いかにして的確な時代背景を探り実証を見つけ出し確信に持っていくのかが発見の道 への分かれ道です。もう一つ難しいのは仮に確証を得た候補地を発見したら、その場所が まったく人が現れない場所以外発掘はかなり困難だということです。 決して盗掘は賛成しませんが、埋蔵金という性質上土地の所有者の了解を得られない以外は 埋蔵金とは困難極まりない代物です。
980 :
165 :2007/09/30(日) 18:18:12 ID:???
お
>>979 さん いい質問ですね^^
基本的に資料は、玉石混合ですね。
<赤城の場合>
水野氏の著書を拝読する限りですが、
児玉氏が水野氏を惑わすために「大義兵法書」をあげたとは考えづらいです。
しかし、武士として、主君の宝を人に上げるようなことは、できないでしょう。
ですが、時代の波によって、葛藤があったと察します。
ただ、兵法書=お宝を示した暗号文とはいかないかも知れません。
埋蔵金とは違う意味で、児玉氏が水野氏に託したものかもしれません。
<多田の場合(あまり詳しくはないですが>
これは、偽造、模写の類も考えられますが、スペアの可能性もあります。
人間いつ死ぬかわかりませんので、信頼の置ける複数名に託した可能性も有ります。
逆に360万両もの大金を児玉氏一人に託した赤城の方が不自然な気がします。(お守りは複数名いたとの話もあります)
私は、独身で心配性なので、小額ですが保険に入っています。
特に一人暮らしなので、もしもの時は、死んで見つかると思っています。
では、そのとき、どうやって家族に保険の話を伝えるか
@母親に保険証券を預ける。
A実弟に保険証券を預ける。
B保険証の場所を示した遺書を書いておく
C親、弟がどちらかに預けて紛失されたら困るので、実弟にコピーを渡しておく
皆さんも考えてみてください^^
981 :
165 :2007/09/30(日) 18:51:48 ID:???
↑実は、保険金不払い600億円とか言われますが、このパターンが一番多いのです。 あと、数十年の保険の満期が来て、返戻金を支払おうとしたら、届出の住所に住んでいなくて、所在がわからないパターン 不払いって、払うはずのものを悪意で払わないってわけじゃないのです。 遺族も本人が保険に入っていると知らなかったってことは、よくある話みたいです。 まぁ言い方は悪いですが、一種の埋蔵金ですね・・・。 まぁ私は、葬式代程度なんで、埋蔵金っていうほどのものじゃないですが;; さて、みなさんも、当たり前ですが自分より先に死ぬと思われる高齢の母親(父死亡)を持ち、実弟(かなりだらしないですw)を持って、 嫁ももらわず一人暮らし・・・orz どう、埋蔵金のありかを伝えるでしょうか?^^ そう考えれば、赤城と多田の書物の理解もできます。 ただ、書物を作った当初の目的が「惑わすため」であれば、また話が変わってくるかと 話は変わりますが、埋蔵金発掘=盗掘扱いをなされる方がいますが、真面目な方だと思っています。 現代において、埋蔵金が市街地から出ることはまずないでしょう。 試掘をせず100%あるなら、別荘を建てる等の話で、土地を買いますね。毎晩床下を掘りますw 山の中だったら、ちょろいでしょうw 試掘で大穴を開ける必要は、現代ではないです。 ボーリング調査ができます(板橋駅前にある近藤勇の墓を調査したグループは、ドリルで簡易なボーリング装置を作ってやっています) まぁ確証をもって、試掘に挑む人がそのとき、その状態で考えればいい話で、 埋蔵金の発掘を志す万人向けではないと思います。
>>981 へ一つ質問です。
上記の書き込み中の下から6行目「山の中だったらちょろいでしょう」とありますが、
確証の有る山の中も常にではないが日に何度か人が行き来するような場所だったら
やはり、その土地を買い取りますか?
それとも買い取り以外に良い簡単な方法が有りますか?
ただし、掘る深さは3、4メートルとした場合1日や2日では掘れないことが前提条件
としてお答えください。
165さんへ @確証した土地が神社仏閣等の公的、半公的な場所でお宝に到達できる深さまで 掘るには約一週間係るような土地の場合の攻略法。 A確証した土地は山林だが別荘等を建てられない調整区域で、しかも土地所有者 にはお宝の事を話すと相手の欲も出てくるのでお宝のことは話さず土地を購入 するための攻略法。(この土地を掘るのも約一週間と想定して) ※購入金額をアップすると購入できそうだが、そうすると相手に不信感が出る。 山間地の山林なら田舎でu→100円と想定して一町歩で百万円となる。 今まであまり売買実例がないような土地をいきなり売ってほしいと言って売っ てくれるものなのか… ※いずれも土地も日に何度か人の往来があり盗掘等は一切出来ない土地を想定して。 あなたならどう攻略しますか………
>>979 965です。 差しさわりがあってネタ元を開示出来ないので、なかなか納得して頂くのは
難しいのですが、結論だけ書いてしまいました。
おっしゃるとおり、どちらの話も出だしがおかしいのです。
巻物なり絵図なり銅板なりの出方が唐突でして、その時の状況を調べていくと
人によって話が全く異なるのです。
皆さんはおそらくは畠山氏の本を前提に考えられているのでしょうが、そこにも怪しい部分
が多いのです。 彼は全くのウソを書いたのではないと思いますが、取材した相手が迎合して
話を作った可能性は大きいですね。
赤城の銅板の発見の切っ掛けは大黒さんが櫛を縁の下に落としたことなのですが、
本の中でも氏自身が疑問を書いていますように、寺を実地に調べたが櫛が落ちるような隙間が
無かったとのことです。
では一体どこから銅板が出てきたのか。
水野家が掘り始めた時には銅板は出ていなくて、発掘現場とは全く関係無い所から
しばらく経って待ってましたとばかりに出現し、それが高額で取引された事実などは銅板に疑いを持たせます。
>>979 続きです。
偽物を作る理由ですが、簡単に言えば2通り有るのではないでしょうか。
1つは経済的な理由です。 高額で取引されますので、それを利用しての詐欺話での金儲けですね。
もうひとつは暇人のいたずらです。 特に幕末から明治にかけては、いたるところで偽物が作られています。
古史古伝などと言われる壮大なものも1例ですが、それに比べれば埋蔵金などは簡単なものです。
最近では東日流外三郡誌の事件が挙げられますけど、あれなどは膨大な量を一人で書いたそうです。
赤城で言えば私は水野家所有の巻物は自らの偽作(委託製作?)、銅板類は作り物をつかまされたとみています。
銅板には別種のものも存在しますが、そのコピーを見ますと今まで色々と解釈されていたことが否定される
ような内容も含んでおります。
偽物は1ヶ所で全部が作られたのではなくて、相互に関係の無い複数の人間或いはグループが
順次でっち上げて行ったものでしょう。
現水野家は埋蔵金が無いことは承知しているのではないか。
また、自家の資料も贋物と悟っているのではないかと思われるふしがあります。
それから、本に出てくる児玉氏自身は実在したのかどうかも疑問を持っています。
私は全くの架空の人物と考えています。 偽の巻物にハクを付ける為の創作ではないか。
高崎の道場はあったかも知れないが、その道場主は全くの別人ということです。
児玉氏の登場する部分の物語は全てあまりにも作り話っぽいと思いませんか。
出来の悪い時代劇のような印象を受けますし、彼が生きていた生身の人間という感じがしない。
また、赤城に土着した当時の水野氏にも本に書かれているのとは全く異なる状況が在ったようです。
こちらは複数の資料から分かったことなのですが。
そういったことを再構成してみると、そこには全く異なったストーリーが出来て来るので
埋蔵金そのものより面白いです。
986 :
165 :2007/10/01(月) 02:00:36 ID:???
順番に
>>982 さん
はじめに >日に何度か人が行き来するような場所 であれば、現在までに発見されやすいのでは?と、思います。
こんな場所であれば、傾斜地を買うより買いやすいとは思います。原野商法は別ですがw
傾斜地の場合、「なんであの斜面を買うんだろうか?」って怪しまれますよね?
逆に傾斜地であれば、横を林道や農道が通っていない限り発見しづらいです。
これは、廃坑になった金山を探すのが難しいのと同様です。
まぁ穴の直径と深さによる残土の問題もありますが、発掘場所、ベースキャンプ、残土捨て場の構成になると思います。
人里離れた場所であれば、偽装(迷彩)もできます。
>日に何度か人が行き来するような場所 を買い取り意外? 潔く買った方が良いですね。
別荘用地、資材・残土置き場(調整区域クリア、重機搬入可)、理由はなんでもいいと思います。
そうすれば、土地の所有者とのトラブルの心配も無いでしょう。
人目につく人の土地を堂々と掘るのは難しいと思いますよ。
>>982 さんは、地主に断りもなくと書いていませんので、
もし、堂々と掘りたいなら、地主にウソを付く必要があります。「某大学の考古学・地質学部グループ」「国県市町村の土木部」などを偽る必要がでてきます。
987 :
165 :2007/10/01(月) 02:24:39 ID:???
次に
>>983 さん^^
みんな無届で掘りたいのですかねw
@神社仏閣はかなり難しいというよりは、幕末から立て直してあるかどうかも鍵だと思います。
建て増し等を行っていても土台作り、インフラ等の整備で周辺を掘ってあるでしょう。
国の指定じゃない限りは、神社仏閣の上層部に金を掴ませる方法もありますね。
掴ませるまでも、折半などの話を持ちかけてもノッてくるかもしれません。
神社仏閣は、世襲じゃないところが多いので、いけるかもしれません。
言う事を聞かないようなら、女の子でも使って、弱みを握る手も・・・偉い人ほど食いつきいいのと、ゆすられやすいですw
そっちの世界じゃ上等手段・・・おっと・・・
え?無許可で?それは無理でしょw
国の指定(日光東照宮等)ならあきらめましょう。絶対無理です。文部科学省の上層部に知り合いがいても難しいと思いますよ。
こういうところは、国の力以上に右の方の保護を受けていたりしますしね・・・。
調査だけなら
>>986 でも書きましたが、ウソを付けばいけるかもしれません。
なぜだって?リホーム詐欺だって、詐欺目的だけど、それなりの格好をしているから家に上げるんでしょ?床下や天井まで案内してw
Aに関しては、
>>986 を参照してください。
別荘が建たなくても、資材置き場ならできますよ。
資材置き場の特徴は、背の高い鉄板で周囲を覆えることと、重機を搬入しても怪しまれない点ですかね?
んー調整区域なら、住居はダメだけど、木工工房なんていうのもOKかな? どちらにせよ上下水道の引き込みは難しいと思われますね。関係ないかw
自然が好きで、木を生かしたイスなどを作ろうと思っているんです^^
よければ、お宅の山の木などを拝見させていただいて、良いのがあれば伐採(買取)させていただけませんか?
と、言いながら、毎晩床下を掘るwww
ただ・・・この手の手法が、赤城で使えるかは疑問です。
古(いにしえ)の人達もやっていると思うので、見破られる可能性がありますね。
988 :
165 :2007/10/01(月) 02:32:00 ID:???
>>986 の補足
本文中 「現在までに発見されやすいのでは」とありますが、
私の考えでは、「目印」があると思っているからです。
人の往来が有れば、その目印に気が付くと思っています。
まったく何もないとは思えません。なぜなら掘り返すつもりなら、目印(たぶん石製かな?)を作ると思います。
石とは、地蔵、庚申等、大岩など まぁ石臼なんていうのもありますが、金山とかの場合だと思います。
大木の下ということも考えられますが、木を隠すなら森の中であって、現実的には向いていないかもしれません。
ただ、広葉樹林の中に、一本だけ針葉樹林(松ノ木)などの可能性も無いことは無いです。
最近の赤城山の松が、ずいぶん枯れて倒木しているそうで・・・
989 :
165 :2007/10/01(月) 03:07:20 ID:???
>>985 さん
確かに東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)のパターンもあると思います。
まぁ東日流外三郡誌にいたっては、捏造といいより、自分の趣味、持論を世に広めたかったと思いますが
しかし、埋蔵金の物証も金儲け、金を集めるためのネタということも考えなければなりません。
考えさせられるのが、物証が贋作だとしても、水野氏が掴まされる形?
それと、家康像や三州タタキの亀や凡字の刻まれた石など、偽物をつかまされた形でも成果?が出ている点。
水野氏が詐欺だとして(水野さんごめんね)、ここまで執拗にやる必要があるのか?
3代目ですからね・・・。
もし、3代続いて詐欺なら、そのメリットを考えてしまう。
@埋蔵金埋蔵地として、二束三文の土地を高値で売る
Aパトロンを見つけて、・・・・・掘っているわけだから、楽して金儲けとはいかないな
B名声を・・・・バカ扱いだろうに・・・。
んー@しか考えられん。 他なにかありますか?
しかし、@にしても、3代も続けるっていうのは、無理っていうか、意味無いだろ
初代が買い占めた土地を損したくなくて・・っても、難しいな。2代目は切り売りしているし、3代目も志?を継ぐ必要があるかどうか
着実とはいえないが、土地の値段も上がっているだろうし。
しかも、人の土地(ゴルフ場)まで掘ろうとしているわけですから、意味がないかと。。
そうすると、3代目は、初代が掴まされた偽物?を信じていることになります。
しかし、自ら赤城山に分け入って、独自の物証を掴んだ方は別ですが、
世に出てる物証は、この系統しかないので、この系統の研究を行うことがスタンダードとなります。
銅版については、以前、赤城本命さんと、論議を交わし、不可解な点を述べていますので、興味がある方はご覧ください。
990 :
165 :2007/10/01(月) 03:24:35 ID:???
寝る前に 近藤勇の墓(JR埼京線板橋駅前)の墓を調査したときのボーリング手法をご紹介 ↑のHPがあったと思いますので、ヤフー等で検索したらボーリング時の画像等が見れます。 ハンドドリルに長い鉄棒を付け、地中に向けて回しながら差し込んでいきます。 鉄棒は、つなげて延長していける作りになっていますので、ある程度の深さまででしたら簡易にボーリングができます。 そこで、硬いものに当たったら!!!って寸法です。 ただし、ハンドドリルに付けられる「細さ」なので、的に当てるののが難しいとは思いますが、 ピンポイントで、360万両を埋めてある面積ならば、当てられるかもです。 また、簡易であることから、その周辺を片っ端からボーリングできるわけで、当たる確立を補っていると思われます。 さて、山中に話の方向が向いていますが、私は「赤城山以外説」なんで、山中かどうかは・・・うふふです。 あ!それと!! レスを995でとめてくださいね! 新スレを作りますから、新スレが出来上がりましたら、新スレにて論議再開をお願いしたいと思います。 残り5は、新スレ完成後の誘導URL等を書き込んで消化します。 くれぐれもageないようにお願いいたします。
991 :
165 :2007/10/01(月) 11:11:50 ID:???
おはよー っていうか、6時起きですw
埋蔵金の試掘方法ですが、上記
>>990 でも書きました。
ボーリング調査の方がシャベルで掘るより簡単、短時間で調査ができると思います。
地質を調べるわけではなく、5m程度なら本格的にやぐらを組んでやる必要はないかと思います。
直径6mm以上(スコープ直径6mm)の鉄パイプ(ジョイントできるように加工します)をズブズブ差し込んでいきましょう。
鉄パイプをハンマーで叩いて入れていってもいいかな?
硬いもの、空洞らしきものに行き着いたら、
「ライト付光ファイバースコープ(内視鏡)を差し込んで確認するということを繰り返します。
ライト付光ファイバースコープでしたら5万円程度で手に入ります。(ファイバーの長さにより値段変動)
目視したものが石であれば、引き抜き位置を数mずらしていきます。
5mも打ち込んだら、引き抜くのが大変かと思いますが、地上に出る部分に取っ手を付けられる加工(まわしながら引き抜けるよう)や、
紐を通せる穴などを開けておくと容易かもしれません。
ジョイントは、50cm〜1mづつつなげられるようにね 水道屋の友達がいた一杯飲ませて試作を作らせてみるのもいいかも
小さな穴であれば、他の人が見に来ても、スコープが無ければ中までは見れません。 直径6mm以上ですから穴をふさぐのは簡単ですね。
ファイバースコープを覗いたら黄金色の物が・・・すぐ私に連絡してくださいねw
993 :
165 :2007/10/01(月) 18:38:12 ID:???
994 :
165 :2007/10/01(月) 18:39:49 ID:???
995 :
165 :
2007/10/01(月) 19:04:55 ID:??? ポニーさん 見てる〜? 一緒にロマンを追いましょうよ