私は清貧でありたい   

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60名無しの愉しみ
土光敏夫(1896〜1988)傾きかけた石川島播磨重工業、東芝を次々に再建してみせた「再建社長」と謳われた手腕の
持ち主で、経団連会長、請われて臨時行政調査会会長を務めた。その生涯は日々新たな精進の積み重ねで失敗を
恐れず終生チャレンジ精神を持ち続け、幾多の難関を打ち破るものであった。「社会は豊かに 個人は質素に 思想は
高く 暮らしは低く」の信条を自ら実践し、その率先垂範の行動は多くの人々に感動と勇気を与えた。また、その華麗な
経歴の持ち主の私生活は、「清貧」そのものであった。収入の大半を人材養成のために寄付し、朝食は自家製ヨーグルト
と庭で自ら栽培した野菜、昼はソバかカレーライス、夜はイワシの丸干しに味噌汁。
歯ブラシやコップは50年も使っているもので、日曜日に裏の畑で汗を流す農作業でかぶる帽子は拾ってきたもの、
ズボンのバンドは古くなったネクタイなどなど。ついたあだ名が「メザシの土光さん」。