シャワーを浴びて浴室から出てくると、わずかに煙草の匂いがした。
ボクは素早くパジャマを身につけて自分の部屋へ戻った。玄関のところに見た覚えの
ない革靴が揃えて置いてある。ボクよりも一回りは大きい靴は、緒方さんのものに違いない。
「緒方さん?」
緒方さんはボクの狭い部屋の真ん中で、銜え煙草のままウロウロと歩き回っていた。
「あ、灰皿ですか?」
ボクは慌てて戸棚から灰皿を取り出して緒方さんに差し出した。
緒方さんは目でボクに礼を言い、燃え滓が落ちそうになっていた煙草を無事に灰皿に捻じ込む。
神経質で綺麗好きな彼は、素足で生活する場所が汚れていることが大嫌いなのだ。だから緒方さんの
部屋は全く生活のニオイが感じられないし、気まぐれに彼が訪れるボクの部屋も自然とそうなった。
「――ここに来るの、久しぶりですね」
「ああ」
緒方さんはボクの部屋のスペアキーを持っている。ボクが初めて自分の城というものを
持ったときに、緒方さんは当然のような顔をしてボクの鍵束からスペアキーを抜き取った。
ボクも緒方さんのマンションのスペアキーを一応は持っているけれども、ボクは自分から
彼の部屋を訪ねていく勇気がなかった。
もしもボクが訪ねて行った時に、別の人の気配を部屋のどこかで感じてしまったら、
多分ボクは酷く傷ついてしまうだろう。そして、その確率がとてつもなく高いことも判っていた。
緒方さんとボクとは、恋人同士でも何でもないのだから。
それどころかボクは――。
彼のジャケットをハンガーに掛けながら目を閉じる。抱きしめるように彼のジャケットに
顔を埋めると、緒方さんが好んでつける香水がボクを包み込んだ。
緒方さん以外の相手と、ボクは取り返しのつかない過ちを犯してしまっていた。
――あの夜から、目を閉じると浮かび上がるのは進藤ヒカルの泣き叫ぶ姿だった。