米騒動とセットで語られるだけのことが殆どのシベリア出兵。
実は日本軍も赤軍も残虐行為の連続であったシベリア出兵について語ろう。
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2014年3月18日 クソスレにて
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 17:37:03.18 ID:+F3ruxOk0
尼港事件
港が冬期に氷結して交通が遮断され孤立した状況のニコラエフスクをパルチザン部隊4,300名(ロシア人3,000名、朝鮮人1,000名、中国人300名)(参謀本部編『西伯利出兵史』によれば朝鮮人400-500名、中国人900名)が占領し、
ニコラエフスク住民に対する略奪・処刑を行うとともに日本軍守備隊に武器引渡を要求し、これに対して決起した日本軍守備隊を中国海軍と共同で殲滅すると、老若男女の別なく数千人の市民を虐殺した。
殺された住人は総人口のおよそ半分、6,000名を超えるともいわれ、日本人居留民、日本領事一家、駐留日本軍守備隊を含んでいたため、国際的批判を浴びた。
日本人犠牲者の総数は判明しているだけで731名にのぼり、ほぼ皆殺しにされた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BC%E6%B8%AF%E4%BA%8B%E4%BB%B6
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/19(水) 19:01:45.15 ID:oFOd88tZ0
1920年初頭にはチェコ軍救出というシベリア出兵目的も達成しつつあり、日本は満洲、朝鮮の防衛以外は守備隊を縮小し、速やかに撤兵する方針を声明したが、ここにとてつもない惨劇が起こった。
日本軍が行なったと称される「蛮行」はやたらと大げさに書き立てる日本の歴史学者、歴史教科書、新聞もこの世紀の大虐殺についてはまったく語らず、知らんぷりし、日本人の記憶と歴史から消してしまおうとしている。
どうしても日本人を悪者にしたいと考えている連中にとっては、日本人に知られたらひどく困るのだ。
尼港(ロシア語名:ニコライエフスク)は、樺太の対岸、黒竜江がオホーツク海に注ぐ河口に位置する町である。1920年初頭、ここに日本人居留民、陸軍守備隊、海軍通信隊約7百数十名が在住していた。
連合軍が撤退すると、ロシア人、支那人、朝鮮人からなる4千人の共産パルチザンが同市を包囲襲撃、守備隊とのあいだに偽装講和を結んで同市を支配した。
共産パルチザンは革命裁判と処刑を開始したが、ロシア革命三周年記念の日に日本軍と交戦状態に入り、日本守備隊は大半が戦死、居留民ら140余名が投獄された。
このとき事件を目撃した日本の海軍士官が、苦難の末、ウラジオストックに脱出し、事件の手記をもたらしたが、共産パルチザンの蛮行を次のように伝えている。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/19(水) 19:03:31.44 ID:oFOd88tZ0
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/23(日) 20:49:37.20 ID:YEDiZj1b0
後の宮中穏健派として昭和天皇にも評価されることになる松平恒雄が
軍政担当者として思いっきり赤軍派の村落殲滅に関与していてドン引きした・・・。
ある外国人からはこのように認識されている。
http://forum.axishistory.com/viewtopic.php?f=65&t=86003&hilit=nikolaevsk 1920年2月、プリャピツィンに率いられた4000人のパルチザンはニコラエフスクを包囲した。
ニコラエフスクには450人の日本人市民が石川正雄少佐指揮下の歩兵部隊300人と
反ボリシェビキロシア兵350人とによって保護下にあった。
それ故当時のニコラエフスクの全人口は1000人であった。
ボリシェビキは軍使を2度も送ったが、日本人は彼等を殺害し、
特に2度目のオルーロフという名前の軍使は両眼をえぐり取られ鼻と両足は切り刻まれた。
2月24日になってボリシェビキ側の3度目の降伏勧告に日本人は応じ、同日中に、
反ボリシェビキロシア兵の武装解除をするという条件で降伏した。
しかし、3月11日になって突然、石川少佐はわずか400人の反革命勢力で4000人の
パルチザンに対して奇襲攻撃をかけた。これは惨めな敗北に終わり、少佐は戦死、
石田虎松副領事は家族と共に自決した。生き残った110人の兵と12人の市民はボリシェビキ側によって拘禁された。
日本軍がニコラエフスク奪還の攻撃をかけたことにより、ボリシェビキはニコラエフスクの街に
火を放ち、全ての反革命ロシア人たちを殺害し、残った122人の日本人をアムール川岸辺で皆殺しにした。
この虐殺を咎められたプリャピツィンはソビエト政権軍によって逮捕され、7月に死刑判決を受けた。
江口圭一著「 二つの大戰」より翻訳。Kim Sung on 18 Sep 2005, 09:24
図書館で調べたら江口圭一著「 二つの大戰」には確かにそのように書いてあったが
出典がまったく書いてないのだ。これでは、史料としての価値はないに等しいな。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/15(木) 13:29:50.72 ID:lEBtx4+30
出典主義自体がとんだお笑いぐさということがわからんらしい。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/16(金) 16:06:02.48 ID:LktOa3dL0
日本にとっては第一次大戦よりこっちの方が大きな戦争だよな
もっと語られるべき
>>7 >ボリシェビキは軍使を2度も送ったが、日本人は彼等を殺害し、
>特に2度目のオルーロフという名前の軍使は両眼をえぐり取られ鼻と両足は切り刻まれた。
江口圭一という人物がどこからそんな話を持ってきたんだろう?
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/23(金) 16:42:48.58 ID:/qfEPsN50
要するに、革命に干渉しようとしたら返り討ちにあい皆殺しにされたでござるの巻だろ。ダッセーなw
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/21(土) 20:39:42.65 ID:0GoodXrI0
日本軍のシベリア出兵の結果、ソ連共産党政権は追い詰められ、その結果
シベリアに極東共和国、極東ウクライナ共和国という新国家が
一時的だが樹立された事実は過去ずっと歴史から除外され隠蔽されてきた。
民主的な憲法が制定された独立国家である。
これはソ連共産党独裁政権に対抗し、
日本軍と白系ロシア人が共に戦い奮闘した大成果。
その成果を確認し、日本軍はシベリアから撤退したのだと
こんな重要な話が全く知られていない。
ようするに教育課程で教わる過去の定説なんか、
まるきりデタラメのインチキ近代史であり
重要な事実が意図的に隠蔽されてきた。
自分で研究しなきゃ何も事実は見えんわな。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/21(土) 20:42:34.57 ID:0GoodXrI0
シベリアに民主的な独立国家である極東共和国の樹立を見て
米英は共産党政権打倒の目的は達成されたと判断し、
日本にシベリアからの撤退を迫った。
しかし時期早尚だった。
日本はこれは怪しいと気づいていた。
そしてその懸念は正しく、まんまとソ連にだまされた。
ソ連の偽装国家であった。
この事実を知れば、シベリア出兵がなんであったかを考えたとき
過去の通説とは全く評価が180度違ってくる。
ソ連共産党独裁政権を、あと一歩のとこで
潰しそこなった実に惜しまれるのがシベリア出兵であった。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/21(土) 20:55:12.64 ID:0GoodXrI0
日本がシベリアからの撤退を早まらず
駐留し続けていたならば
ロシア全土が共産党独裁政権に支配されることはなく
それに迫害された白系ロシア人(主にウクライナ人やユダヤ人など)による
民主的な独立国家が堅持されていたのは確実であり
これがどれほど後の歴史を良い方向に導いたかと思えば
シベリアから撤退したのは、
大失態であったといわざるをえない。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/21(土) 21:01:52.07 ID:0GoodXrI0
そしてこの大失態を取り返すチャンスが再びめぐってきた。
独ソ戦が始まった時、日本は北進論によって日独でソ連を追いつめ今度こそ
過去、ソ連共産党政権にだまくらかされたふざけた共産党を
粉砕できる絶好のチャンスだったのに、共産党の宣伝工作に
バカどもが南進論を扇動し
大チャンスが潰されてしまう。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/21(土) 21:20:46.23 ID:0GoodXrI0
地政学、帝国主義、国盗り的には
昔、渤海と日本に国交があったように
沿海州を日本の勢力圏にできないものかとはおもう
その場合いまならサハリン樺太も含まれることになるだろう
次に、満州までも勢力圏にできないか
別に日本の属国でなくてもいいし、沿海州を含んでいなくてもいい
満州だけでどこを征服することもどこからも征服されることも無く
領土を保全することができないか
地理的に言えば、
西は、東の満洲と西のモンゴル高原を分かつ大興安嶺山脈、
南は、華北と東北の境界である万里の長城の東端である要塞・山海関、
北は、アムール州とサハ共和国の境界であるスタノヴォイ山脈
を国境とする一大地域だ
歴史的には西から遼に併合されたり、南から明に属国扱いされたり、
金が華北まで清が中国全土を征服したり、
なかなか上記の国境では安定していない
自然国境は上記の国境線では本当に成り立たないのか
>>18 では江口圭一という人物がウソを言ってるということだな。
この人物は歴史に関する書物を多く刊行している。
あの吉田清二という人物と同様の売国奴なのか・・
シベリアにいつまでもぐだぐだと居座っていたほうが
戦線もそれほど拡大されないで
シナとの戦争にも英米との戦争にもならずに済んだんじゃないかとふとおもう
樋口季一郎