1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
以下、テンプレ
Q :西郷さんは鐘のように大きな人格だと聞きましたが。
A :
西郷のことをよく知る人で、重野安繹(しげの・やすつぐ 後に東大教授)がいます。
彼は西郷と同じ時期に奄美に遠島になっていた人です。
『重野博士史学論集』下巻(薩藩史研究会編、雄山閣、1939年)のなかに、
「西郷南洲逸話」というのがあります。
彼から見た是々非々の立場からの西郷評論ですね。
「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある。
大度量のある人物ではなかった。いわば偏狭である。
それで西南の役などが起こるのである。世間の人は大変度量広い人であったように思っているが、
それは浅はかな見方で、本当の西郷は敵を持つ性質で、とうとうこれが為に自分も倒れるに至った。」
重野も奄美で現地妻を娶り、二人の子供がいた。
放免になって鹿児島にもどった後、
当時の金で250円という大金をもって奄美に迎えにいった。
当時、「必ず迎えに来る」といった薩摩藩士で
迎えに来たためしはなかったので、
その女は、島の若者と再婚して妊娠中だった。
重野はしかたなく、持ってきた金を
全額、女に与えて帰っていったという。
この重野の誠実さに比べると
西郷の『敬天愛人』は、かなりいいかげんと見ていいだろう。
(西郷は、現地妻を捨てましたからね。)
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/05(日) 00:20:05.15 ID:jARfEda+0
もう一人、西郷をよく知る人物の西郷評を紹介します。
市来四郎。西郷とともに島津斉彬の片腕として働き、集成館事業を遂行した人です。
「 西郷は掛け軸などの書をよく描くだけで、学識は無く、文章をつくる能力も無かった。
性質は粗暴で理財にうとく、実務も執れなかった。
いつも少年とばかり付き合い、同年代の人との付き合いは二、三人しかいなかった。
西郷に異論を言う者とは付き合わず、可愛がっていた少年でも、
ひとたび西郷に敵視されると、憎悪を剥き出しに悪口を言われ、捨てられる者も多かった。
器量の大きい人とは言えず、相手が他県人か同県人かで、態度や言動が変わった。
議論をすることはなく、物事を進めるに腕力に頼る癖があり、
そういう意味で豪傑と言えなくもないが、君主の風采はまるで無かった。」
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/05(日) 00:23:59.79 ID:jARfEda+0
Q : 西郷隆盛と大久保利通が薩摩の二大英雄とされ、鹿児島では誇りにされていると聞きました
A :
大久保は、西南戦争で西郷を殺し薩摩を滅ぼそうとした張本人として、
鹿児島では憎まれ嫌われ、近年まで地元への納骨すら避けられていました。
現在、鹿児島市には大久保の銅像がありますが、これは西南戦争百周年に際して東京から
「なぜ鹿児島に大久保の銅像がないのか」と言われて、渋々作ったそうです。
現在では、鹿児島でも大久保の再評価がされていますが、しばらく前までは
大久保の話も出来ないほどでありました。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/05(日) 00:29:24.88 ID:jARfEda+0
西郷さんの最期
エピソード1《 まさかの命乞い 》
明治10年9月24日、鹿児島市城山。7か月あまり続いた西南の役は幕を閉じました。
被弾した西郷が「晋どん、もうここらでよか」と別府晋介に首を刎ねさせたとされる日です。
一般には、西郷は潔く切腹した。薩摩士族を道連れに自らサムライの世に幕を引いた、
などと美談のごとく語られています。
しかしその数日前の西郷の行動についてはほとんど知られていません。
・・・・なんとこの人、助命嘆願してたんです。
19日、政府軍側に使者を遣わし、西郷本人の助命嘆願をしている。
西郷軍への従軍をしぶる者をタタキ斬り、強制徴募や軍資金強奪を行ったあげく、
1万数千人にのぼる戦死者を出した総大将が助命嘆願、などというのは、
薩摩戦史上はもちろん日本戦史上も例を見ません。
しかも政府軍に助命を拒否され、山県有朋に、武士であるなら潔く自決するよう諭されるという始末でした。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/05(日) 00:33:39.33 ID:jARfEda+0
西郷さんの最期
エピソード2《 西郷さんは桐野利秋に処刑されていた 》
西南の役の最後の日、城山で西郷は足を撃たれたあと自決したことになっていますが、
その西郷の足を撃ったのは、西郷の部下である桐野利秋であったという説をご存知ですか?
政府軍に助命を拒否された西郷さん、玉砕することにどうにも納得いかなかったらしく、洞窟を出て投降しようとした。
しかし玉砕を主張する桐野がこれを発見、激怒して西郷を追いかけ銃撃したというのが真相のようなのです。
桐野による西郷銃撃は、目撃者の証言もあるのです。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/05(日) 00:39:04.63 ID:jARfEda+0
西郷さんの最期
エピソード3≪創られた西郷自決 ≫
ちなみに広く信じられている西郷の最期、「晋どん、もうここらでよか」と言って
地面に”正座”し、東の皇居の方角に深々と頭を下げて切腹、
別府晋介に介錯させたという話し、出典はご存知ですか?
西南の役から30年以上たってから出版された「西南記傳」という本。
編纂者と出版元は右翼団体。まるで見てきたように書いていますが、
西南の生き残りが書いたわけでもないし、誰それの証言であるなどのソースの提示は一切無し。
はっきり言って資料価値のきわめて怪しいプロパガンダ本なのです。
だいたい足を撃ち抜かれたうえに、寄生虫で睾丸が人の頭ほどの大きさもあった西郷が”正座”できるわけがありません。
じつは東大図書館に西郷遺体の検死報告書が保存されているのですがそこにはこう記録されています。
「右大腿より左骨部貫通銃創、頭(頸)体離断」
腹部に刀創はありませんので、切腹はしていない。
また、銃弾が骨を貫通していることから(当時の銃の性能を考慮すると)至近距離から被弾した可能性が高い。
「頭(頸)体離断」は首を切断されていたということです。
つまり、太腿を至近距離から銃撃されたあと、
介錯のためか、頭部を隠すためか、首を切断されたということです。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/05(日) 00:40:36.76 ID:jARfEda+0
西郷さんの最期
エピソード4≪目撃者≫
桐野による西郷銃撃を目撃したのは、別府晋介の従卒、城川市二。
城川の証言によると、西郷が洞窟を出て城山をくだってゆくために、
桐野は西郷が敵方に投降するつもりかと思い、西郷を敵方に渡してなるものかと、
銃で撃った、というものです(出典「肚乃西郷」)
城川氏は鹿児島県人であり、反薩摩でも何でもなく、嘘をつく動機は皆無
前述の右翼団体の与太本よりよほど信憑性があります。
ところが「跳ぶが如く」の著者司馬遼太郎は城川なる人物の実在が証明されていないとし、
この説を奇説として退けた。
また昭和52年に南日本新聞で村野守治氏(西郷研究の第一人者)が、
「別府晋介の従者に城川なる人物は、自分の持っている資料には無いから実在しない、
だから実在しない人物の証言は成り立たない」という記事が載り、桐野銃撃説はいったん否定されました。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/05(日) 00:42:41.58 ID:jARfEda+0
西郷さんの最期
エピソード5≪わが眼で見た話し≫
ところが、その数日後に同じ南日本新聞で入江俊興氏が昭和十年発行の「葛城彦一伝」の中に
加治木編成の六番大隊編成表として「別府晋介附従卒城川市二」との記述を示し、
あっさり実在の人物と証明されたのです。
さらに城川市二氏の孫嫁が健在で
「御祖父さんは83歳で亡くなった。口数の少ないきびしい人で、西南のことはほとんど話さなかったが、
昭和三、四年ごろ東大の先生が二、三度春になると訪ねてきて、襖を閉めきり朝から遅くまで
何事か話しをしていた。
城川の家は製造業で、職人たちが噂話などをはずませていると、御祖父さんが現れて、
”今ン話しはおはんナ自分で見た話しか、人から聞いた話しか”と詰問されて、
”わが眼で見た話しでなかのなら、ここでは語いやんナ” とピシャリといって引っ込んだ 」と述懐しています。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/05(日) 06:42:37.63 ID:oO6oi1RTO
城川の墓もあるそうだよ。「横目で見た郷土史」高城書房 に出てた。
この本、かなり捏造美談の破壊に挑んでて面白かったんだがなくしてしまって残念。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/05(日) 08:10:45.27 ID:KWBUvDgx0
西郷さんは皇居を遥拝して従容として死に赴いた。
日本史上最大の英雄にふさわしい最期だった。
大久保の美談て聞かないよな。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/05(日) 10:41:51.32 ID:oO6oi1RTO
>>10 こういった捏造美談を論破してるから「横目で見た郷土史」っておもしろかったよ。
「晋ドンもうここらでよか東拝して切腹」美談と城川や官軍目撃者の証言どっち信じるか、と言えば…
東大に残る検死資料から後者が普通の感覚だが西郷信者は東大資料が捏造とか言い出すしな(笑)。
あの西郷さんが命乞いをするわけがない。騙される日本人はいない。
嘘はもっと上手につけ。
>>7 >>12 東大の検死からはむしろ、後ろの近距離からの射殺はあり得ないという結論。
よって桐野射殺説(説というほどの市民権も得ていないが)は否定される。
だいたい肚之西郷なんて、薄っぺらい雑誌みたいな本。大部分は他の本の写しからなっている。陳腐な適当なつくりの本で、作られたのも西郷の死後65年も立ってから。
まあ、アンチ西郷にとってはこのオーラのかけらも無い駄作がバイブルみたいに大切なもんだろうが。w
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/05(日) 22:11:09.81 ID:oO6oi1RTO
否定されてるのは「後ろから」だけなのにウソ言うなよ。右から入って左に抜けてるからな。
あの洞窟から見て下にいる官軍から射った場合、西郷の右からはあり得ない。右方向は城山頂上方向で薩軍側。
そもそも切腹痕が無い説明が無いし至近距離でないと骨を貫通しない説明も無いね。
65年ていうと今を基準に考えると太平洋戦争についてとんでもない突飛な新説を出してるようなもんだぜ。いきなり根拠無しに。
何で今頃、、何で今まで出なかったんだよ、、みたいな感じになり誰も相手にしないだろうよ。
肚乃西郷も当時はそんな感じだったはずだ。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/05(日) 22:55:17.31 ID:oO6oi1RTO
経過年数は全く根拠にならないだろう。
随分たってから真相が判明する場合も多いし、西郷のように美談が先行すると当時は大山の西郷評さえ注目されなかったからな。
中国で南京”大”虐殺は無かったと主張しても誰にも相手にされないだろう
韓国で慰安婦の”強制連行”は無かったと主張しても誰にも相手にされないだろう
鹿児島で西郷切腹は無かった、桐野に撃たれていたと主張しても誰にも相手にされないだろう
城川市二は、65年後に急に証言したわけではない
肚乃西郷の著者の父親(私学校の関係者と思われる)に証言した内容が65年後に本に収録されたということだ
それまで、そしてそれ以降も黙殺されていたのだろうな
肚乃西郷の書き方も、この事実が記された書物はほかには無いと思う、と暗に黙殺されてきた説であることを認めている
続けて、しかしこの証言が疑いなく事実であるとする理由として、
佐賀の乱で江藤新平が西郷に決起をうながした時、西郷は大義名分を重んじ、江藤に呼応しなかった
城山の時の西郷は、西郷軍には大義名分があり賊では無いということを、投降し政府軍に説きたかったのだ、としている
また、通説のように玉砕するつもりなら洞窟やその前庭で自決すればいい話しであり、
西郷の遺体が見つかった地点までわざわざのそのそ歩いていく必要はないのである、ともしている
城山に一度来て、洞窟と西郷終焉の地点の位置関係を見れば、
西郷投降&桐野銃撃説こそ事実であることが分かるであろう、と書いている
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/06(月) 00:13:28.15 ID:xuYC7LfPO
>>18 そうなんですよ、一般的には。
ただし歴史に関わる知識階級の学者・学芸員・文化部記者などは分かってる。
でも、鹿児島ではタブー過ぎて発言できない活字にできない、とぼやいてるそうだ。
>>20 証言を証明する裏付けとして、そこにいくつか示しているが、その程度のことで事実認定するとは、、、w 全く裏付けとして何も意味をなさないものばかり、、、
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/06(月) 11:27:27.00 ID:Z/qmytdv0
>>22 ではあなたは何が事実と思うのかな?
なんの代替案も出さず、否定するだけならバカでもできますね。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/06(月) 11:39:49.94 ID:9GochlFw0
西郷さんはね、「晋どんもうここらでよか」と言って正座して
皇居を遥拝してから従容と切腹した。日本史最大最高の
英傑にふさわしい見事な最期だった。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/06(月) 12:23:44.32 ID:xuYC7LfPO
なんか西郷信者の方が伝聞やら西郷贔屓の小説をソースにしてるね。
>>24 政府軍の弾に被弾し別府晋介に介錯してもらったとう、極めて王道路線の自然な普遍的な解釈だ。
これこそが140年揺らぐことの無い事実だ。
アンチ西郷の言っていることが珍奇な代替案だろ。
否定ばかりしているのはどちらの方でしょうか、よく考えて欲しい。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/06(月) 15:05:03.65 ID:xuYC7LfPO
西郷信者の話聞いてると、やはり変な宗教みたいだと感じるなぁ。
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/06(月) 16:33:03.27 ID:9GochlFw0
西郷さんを貶める側のほうが依怙地になってるみたい
>>27 またその迷信かw
西南記伝だか薩南血涙史だかの、キモチ悪い捏造美談集がソースの・・・
たしか顔も名前も分からない負傷兵が突然病院に出現し語りだしたとかw
西郷の近くに仕えていた生き残りは誰一人そんな証言(西郷は政府軍に撃たれた)してないのに、
なんで誰も知らない負傷兵がそんな重大情報持ってるんだよw
小学生でも論破できる下手な捏造だわ
政府軍銃撃説のネタ元って、こういうご都合主義の作り話なんですよ、ときちんと説明すれば、
みなさん、ああこれはひどいねと分かって貰えるんだが、
信者はソースを明かさずに広めるからみなさん騙されるんだな
>>30 あいかわらず、負け犬の遠吠えだな。
通説の西郷の死にざまは確固とした生き残りの証言者にもとずいていることも知らないらしいな。
こんな汚らわしい場には名前は出さないがな。
穢れてしまうからな。
信者さんの話しに目撃者がいないこと、恥じる必要無いよ
南京”大”虐殺だって目撃者がいないし、
慰安婦”強制連行”にも目撃者いないんだから
とは言っても、西郷投降&桐野銃撃には城川市二という信用に値する目撃者が
存在する事実はとても重い
さらに、西郷投降&桐野銃撃という二人の行動を動機づける出来事として
以下の事実がある
戦役後半から、西郷は桐野を疎んじ、桐野も西郷を避けていたこと
西郷が、若い者が自決方法などの話をしているのを聞いて、
「腹を切るといっぱい血が出て痛いぞ」と自決を恐れていたこと
一部の者たちが西郷の助命運動を画策し、
それを知った桐野が卑怯・未練であるとしてその者たちを一喝したこと
西郷が、そのような桐野を軍議の場から外し遠ざけたこと
結局、桐野に内緒で2人が政府軍に赴き西郷の助命を願い出て、
うち1人が城山に戻ってそれを報告したこと
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/07(火) 07:09:05.88 ID:BaFXQP/vO
私もそう思う。
どちらの説にも確固たる証拠は無いが東大検死資料だけからでも城川と官軍目撃者の証言に軍パイが上がる。
現在のアサルトライフルでさえ有効射程距離は2キロだが太股骨を貫通するとなると2、3百メートルだ。
当時の官軍使用のスナイドル銃の性能と西郷の右太股骨を貫通し左側の骨にも傷をつけてることを鑑みれば…
また切腹痕もないことから普通以上の知能の人なら美談が捏造と分かり城川らが真実をはなしてると分かるだろう。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/07(火) 07:18:20.49 ID:BaFXQP/vO
それから城山を実際に現場検証してみると…
洞窟を出て左側は洞窟を含む山であり正面下方が官軍、右側が薩摩軍陣営である。
洞窟から出てきた西郷が官軍側に向かうさなか右側から射たれてるわけだ。
切腹してないだけでも黒龍会の物語は捏造と分かるし。
>>32 「腹を切ると血がいっぱい出ていたいぞ」て冗談なことくらい誰でもわかる。
ところで、言葉のソースはどこ?
まさか、お前が捏造美談集呼ばわりしている本じゃ無いよな。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/07(火) 08:21:40.98 ID:voU5owWH0
あの西郷さんにふさわしい最期は通説のとおり
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/07(火) 08:36:19.74 ID:BaFXQP/vO
あの西郷=虚像の西郷
>>33 >また切腹痕もないことから普通以上の知能の人なら美談が捏造と分かり
切腹って実際には腹切らない人多いよ。
そもそも切腹は儀式みたいなものだから、鞘に収まったままの短刀とか
扇子(もちろん刺さない)使う人も多い。
他にも形式として愛想程度にほんのちょこっとだけ腹に刺しておく場合も。
一応言っておくが、自分は西郷オタではないし西郷他殺説否定派でもないからね。
あくまで切腹についておかしいと思っただけなんで。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/07(火) 12:09:56.10 ID:voU5owWH0
やっぱり西郷さんは切腹したんだ。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/07(火) 14:11:47.80 ID:BaFXQP/vO
他藩の家老クラスなら実際に腹は切らない、なんて話はあるが、
武勲を尊ぶ薩摩では自ら腹をしっかり切らんと罪人の死体との区別がつかないから有り得ないこと。
特に西郷では最も有り得ないことだろう。
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/07(火) 14:34:51.97 ID:JIhVTawJ0
切腹(儀式含む)の目撃者がいないにもかかわらず美談を捏造している時点で儀式もクソもないのでは?
せめて検死で少し刀傷でもあれば切腹を強弁するのも理解できるのだが・・
>>40 腹に傷残るかどうかは、本人の意思だけでなく、介錯の斬るタイミングや
周りの要望にも左右される事が多いし
どちらにしろ「腹に傷がない=切腹してない」
と判断するのは無理かと。
「腹に傷がない=切腹してない」だと、西郷だけじゃなく赤穂浪士まで切腹してない事になっちゃうし。
ただ個人的な意見としては、君と同じく「西郷は他殺されたのでは?」と思ってるけどね。
普通、西郷程の有名人が切腹したら、周囲に居るギャラリーが目撃証言残すからな。
赤穂浪士でも、腹に傷は無いが、多数の証言があるからこそ、切腹したのが史実と認知されてる。
なのに西郷自害説はまるで隠蔽されたかの様に目撃証言が見当たらないし、か不自然さが否めない。
同士討ちや、味方の弾の誤爆とか、微妙な理由で討たれ
それを隠して自害って事にしたと考えると自然かもね。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/07(火) 19:22:43.97 ID:Gu6K3Axd0
【西郷さんの死ぬ死ぬサギ 一覧】
1回目 斉彬が急死。自分も殉死すると騒ぎまくる
→いつのまにか無かったことに
2回目 僧月照を船から突き落とし、自分も飛び降りたらしい
→自分だけ助かる。というか死ぬ気があったか怪しい
3回目 征韓論「この西郷が一人朝鮮に渡り、殺されれば出兵の大義がたちもうそう」
→勝手に行けばいいのに、口だけで終わる
4回目 「おいの体をあげもそ」と西南戦争を決起
→玉砕の数日前に自分だけ政府軍に助命嘆願 →断られる
5回目 城山で玉砕と決定「投降したい者は遠慮せずそうせい」
→土壇場でなんと自分が洞窟から逃走 桐野利秋に見つかり処刑される
>>19 65年後前に父ちゃんが誰かから聞いた事を、また聞きでで父ちゃんから伝え聞いた事を書いたわけか、、、、それが桐野殺害説か、
俺もばあちゃんの父ちゃんが、西郷さんは別府晋介に介錯されたと言ってたと聞いたぞ。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/07(火) 23:02:56.09 ID:BaFXQP/vO
当事者・目撃者の孫の話と、見てもいない福岡の右翼団体が流布した物語を聞いた人の孫の話。
これ一緒にするのって、かなり知能に問題あると思うがな。
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/08(水) 01:37:51.41 ID:BpDMt3dZ0
テンプレ よくある質問とその答え
Q : 西郷さんの度量の広さが、江戸無血開城を成さしめ、江戸の町を戦火から救ったんですよね?
A :そもそも江戸総攻撃を強硬に主張していた張本人が西郷隆盛です
幕府を憎悪していた長州の木戸でさえ江戸総攻撃には反対していました
イギリス公使のパークスから攻撃をやめるよう圧力があったとも言われていますが、
ともかく西郷は態度を変え、攻撃は中止されました
西郷はいわば自分で振り上げた拳をひっこめただけなのですが、
後世なぜか、暴走寸前の官軍を西郷が抑え、総攻撃を中止させたかのように美談化されました
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/08(水) 01:44:47.45 ID:BpDMt3dZ0
Q : 大河ドラマなどで描かれる西郷隆盛は虚像なの?
A :
大河で西郷が好意的に描かれている、
逆に言えばネガティブな史実や描写がごっそり抜けている
のは右翼団体や鹿児島人やが抗議してくるからだそうです。
どんな大河でもNHKに抗議は来ますが、
西郷ネタ、薩摩ネタに対する右翼団体と鹿児島人の抗議が一番多いらしい。
史実と違う、という抗議ならよいのですが、
史実通りネガティブな場面を入れると、「一方的で偏向的で悪意を感じる」という抗議が
執拗にくるらしいです。
反対に幕府方からの抗議はあまり無いらしい。
徳川子孫の方が「我らに後ろめたきことなど何も無し、抗議すること自体がナンセンス」
と語ったとか。
かの司馬遼太郎も抗議を憂慮してか、
「跳ぶが如く」ではあえて筆を鈍らした、という話しを読んだことがあります。
「跳ぶが如く」の歯切れの悪い、奥歯にものがはさまったような書き方は
そんなところに理由があるのかもしれませんね。
>>45 勝手に目撃者認定しないでくれ。お前だけだぞ。
言ってる事がわからないようだな。桐野殺害説は65年経って初めて出てきた珍説なのに、最初から言ってたんですよ、黙殺されてたんですよ、なんて事を言い出せば捏造でもなんでもありって事だよ。
1500人以上の目撃者、証言者の話を元に客観的、包括的に編纂された西南記伝と、何処の馬の骨かわからない人物が一発当てようと思って一人で珍説を書いた肚の西郷(新書本より薄い)を同じ土俵に持ってくる方が知能に重大な欠陥があると思うぞ。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/08(水) 07:58:55.88 ID:SWwbQUabO
西郷信者って相手するの無駄だからやめた方がいいよ、皆さん。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/08(水) 09:23:01.04 ID:cP/3OxPY0
>>48 西郷の最後の目撃証言者が「1500人以上」もいるのか?
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/08(水) 09:52:45.32 ID:SWwbQUabO
だから相手すんなって。
妄想の中に生きてるんだから(笑)。
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/08(水) 15:22:08.62 ID:nH9WsFdZI
>>50 アンチ西郷は日本語の読解力に問題があるようだな。
誰も西郷の最後を1500人目撃したとは書いてないだろ。
西クの死への願望というのは、月照との心中未遂のときから
はじまるというのが、一般的な認識だね。 月照と一緒に死のうと
約束して、ひとりだけ生き残った、その罪の意識が死への願望に
つながっていくんだね。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/08(水) 15:31:08.62 ID:cP/3OxPY0
西郷伝説を疑うのはアンチ西郷ではない
月照と心中未遂して生き残ったというのは事実だろう。
まあ、ほとんど伝説と化してはいるが。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/08(水) 16:09:20.80 ID:SWwbQUabO
心中するつもりなかった月照を船縁に立った所を抱きついて飛び込んだのだから殺人だろう。
現代でも無理心中はかった奴が生き残ったら殺人で捕まる。
殺人を美談にして喜んでる西郷信者(笑)。
まあ、どの道、月照は死刑だったしね。 西クも自分で月照殺すくらいなら
一緒に死のうとおもったわけだね。
西郷さんを貶めてるのはチョーセンジン
西郷さんを操っていたのはチョーセンジン
>>57 月照を持てあました薩摩藩が、西郷に月照を殺害するよう密命していた、という説ですね?
非情な上意に苦悩した西郷が、思いあまって無理心中をこころみたという。
その話しにはサブストーリーがあって、
月照と西郷の二人が海中から引き上げられた時、月照の辞世の句とされる書き付けが、
西郷の懐中から出てきたと言われている。
月照の懐中からではなく、西郷の懐中から・・・
”月照”と署名が入っていたそうなんですが、月照の生前の署名はほとんど”忍向”という雅号であり、
果たして月照本人が書いたものか非常に怪しい。
月照を殺害したとなると世間の聞こえが悪いと考えた薩摩藩か西郷かが、
自殺に見せかけるために偽の辞世句を計画的に
準備していたとしたら、
後味の悪い話しですね。
海に飛びこんだ時も西郷は死ぬ気は無かったのでは、と言われるゆえんです。
>>60 西郷の懐中から月照の辞世がでてきた、辞世の署名が月照だった
自殺は狂言だという論拠がこのふたつだけなんて弱すぎるな。
西郷も月照と同じく水中からひきあげられたそうだが、なんで
狂言自殺のために、西郷がそんな生命の危険を犯す必要が
あるのか、さっぱりわからないw 月照は安政の大獄で追われる
身だったというのに、かくまうほうが当時としては外聞が悪いだろう。
月照を切り捨てて、薩摩の立場が悪くなるなんてことは当時はないの。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/09(木) 12:39:06.22 ID:O6Mhi9abO
俺は西郷すごい奴だと改めて思う。
大変な策士だ。9条あれば戦争無いと信じてるようなバカは西郷が無私無欲な大人物と信じてるだろう。
実際は汚れ仕事もかなりやってるがサスガ人望好きの人望買い!そこを上手く隠して名声を勝ち得た。
このくらいの政治家でないと厳しい世界で生き残れない。そういった意味で西郷は素晴らしい!
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/09(木) 12:56:25.38 ID:O6Mhi9abO
西郷の霊も、例の「晋ドンもうここらでよか」の切腹話やら月照の捏造美談信じてるバカに尊敬されるよりも、
裏事情や策士としての活躍見抜いた上で、そこんとここそ西郷のすごい所、と尊敬してくれる方が喜ぶよ。
西郷だって謀略とは決して無縁ではないね。赤報隊の件などは西郷の
謀略ではないかと取りざたされてるね。 そういう西郷の謀略説というのは
それなりの論拠があって主張されてるので、月照との心中が謀略だったとか
論拠らしい論拠がない主張は誰にも相手にされないってことだよ。
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/09(木) 13:39:23.78 ID:O6Mhi9abO
誰にも?
いや、けっこうまともな歴史学者もその可能性、かなりアルとしてますよ。でもタブーだよね。
だから内輪の研究発表の時だけ。なぜなら10号線沿いの西郷蘇生の家とかの保存提言に関わってる先生だし。
内輪の発表会だけ? そんな風聞レベルだな。 それがでまかせでない
って証拠はどこにあるんだろう。 異を唱えたいなら、堂々と学会誌に
発表すればいい。しっかりした論拠があるなら難しい話ではないw
鹿児島の西郷信者がいくら反発したって、殺されたりはまさかないだろうw
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/09(木) 14:38:44.14 ID:O6Mhi9abO
五分五分程度の可能性を余計な波風たてるかもしれんのにイチイチ発表しないよ。現場知らないね。
月照の清水寺など京都に残る書は全て忍向のサインなのに月照というサインで、しかも西郷が持ってた。
船頭の証言からションベンに立った月照に西郷が飛びかかってドボン。で、西郷だけ生還。
ということから美談が五分五分で捏造としただけで、まぁ他に証拠も無いし真偽はさほど重要でないしね。
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/09(木) 15:00:34.72 ID:2nNxZD+20
なるほどねえ、可能性が五分五分ということは、月照の入水は
西郷の謀略って説は、捏造という可能性もあるってことだな。
で、世に広く伝えられている話は真実である可能性もあると。
結局、世の認識は何もかわらないねw
西郷さんは架空の人物。
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/09(木) 16:07:30.14 ID:O6Mhi9abO
別に謀略説が捏造の可能性五分五分といってるんじゃないよ。
残されてる署名などの事実からの判断で伝えられてる美談が真実か謀略説が真実か五分五分ということ。
まぁ普通に考えると捏造という枕詞は伝えられてる美談に当てはまりそうだが。
謀略か事実が五分五分?
謀略だって証拠はどうみても弱すぎなんだがw
月照の入水が西郷の謀略って可能性は
1%以外だなw
>>60を書いた者ですが、肝心なことを書いていませんでした。
後年、西郷が伊集院の郷士本田元右衛門に面会した際に、
西郷自身がこんな決定的な話しをしている。
「自分が最も遺憾に思うのは、僧月照の身の上だ。
月照が船のトモに出て小便をしている所を後ろから抱きこんで飛び込んだら、
月照のみは死し、自分が生き残ったのは至極遺憾なわけである」
月照は小便の最中であり、あたりまえだが死ぬ気など無かったところを
不意に西郷に襲われ沈められた、と西郷自身が証言していたのである。
以上のことなどからも、従来説明されていた、
2人で申し合わせての心中、というものはまったくの捏造美談である
ことがはっきりするのである。
それとですね、月照を切っても外聞が悪くなるなんてことはないので、
わざわざ自殺を偽装する理由にはならないと言っている人がいますけど、
ひょっとして社会経験無い人かな?
頼ってきた者を守る、売らない、というのは処世の常識、世界中で常識ですよ。
国際社会だって政治亡命者を追い返したりすること絶対ないでしょ。
どんな厄介な亡命者でも、かくまうか第三国に逃がす。
もし追い返したら国際社会で誰からも相手にされなくなるから。
薩摩が幕府の目を気にして月照を粛清すれば、薩摩は諸藩や有志の信用を失い、
幕府からは嘲られることになるでしょう。
二流藩に転落するんです。
その証言本当かいな? いままで全然聞いたことないな。
何に載ってるのやら。 怪しげな本がソースじゃないの〜
西クの有名な漢詩では
相約して淵に投ず 後先無し
となっているから、月照と共に死ぬ約束をして身を投げたというのは
漢詩からすると明らかだな。 これも西クの公的な証言であるね。
西郷の証言の出典は昭和12年鹿児島県教育会発行の「南洲翁逸話」
司馬遼太郎もこの説をとっているので、べつに目新しいものではないですよ。
ちなみに「相約して淵に投ず」もそうとう怪しくないですか?
月照17回忌に西郷が詠んだと言われていますが、碑に刻まれているだけですよね。
月照の従僕が証言したらしいですけど、出典は何ですか?
へえ、司馬遼太郎がねえ。 「翔ぶが如く」に載ってるのかいな。
しかしまあ、司馬は肚之西クの桐野射殺説を奇説として退けてるし
本当にその説を評価してるのか、「翔ぶが如く」を読んでみないと
わからないな。
碑に詩が刻まれているというのなら、その碑自体が出典だよねw
紙に書いたものより、碑に刻んだほうが、後世まで残るわけでね。
西クはとてもたくさん漢詩書いてるから、十七回忌に漢詩よんだという
説は、ありそうなこととして受け容れられてるわけだな。 西クが
まるで漢詩をつくる能力がなければ、例の漢詩は偽物という可能性が
高くなりそうだが、生憎そうではないw
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/09(木) 22:23:14.58 ID:O6Mhi9abO
↑(笑)
心中に見せかけたいんだから、それに合わせた漢詩作るの当たり前だろ。
明治になってから西郷に限らず、あちこちで美談作りやってたからな。全く証拠にならんよ。
船中八策でさえ昨年、明治になってからの創作と明らかになったし。
西郷切腹や月照入水以外にも捏造美談は多いと思いますが、
最近気になっているのが、大久保をダシにした美談です。
大久保は、西郷からの手紙をいつも持ち歩いていて、
路上で暗殺されたときも、懐中からその手紙が出てきた、という美談。
高島という薩摩出の軍人が語ったそうですが、いかにも怪しい・・・
暗に 西郷>大久保 を刷り込まんがための変化球的な美談と思えなくもない。
大久保の家族、側近からはそんな話しはありませんし、
現場検証したであろう警察にもそのような記録はありません。
なのにどうしてそんなマイナー軍人だけが知っているんでしょうかね?
不思議なことです。
>>78 その人は放っておいていいと思います。
というか、美談が捏造であることを、その人の文章、人格が証明してくれているようなものなので。
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/09(木) 23:03:08.97 ID:O6Mhi9abO
ま、確かに。
でも美談をマジで信じてるとするとバカ過ぎて可哀想だし、
意地になってるなら、まぁあなたの言うように放置しますね。
あと田中光顕の回顧録やら証言集など、昭和も太平洋戦争直前まで生きてるからけっこうバラしてて面白い。
色々と捏造してることが分かる。
ってか、西クが月照を後ろから海に突き落としたって説を司馬が
とってるっての? 是非該当の司馬の書物から引用してほしいよね。
引用がムリなら、書名とページ数だけでもいいよ。 引用できなかったら
嘘つき確定だなw
「南洲翁逸話」で検索したら、明治二十七年に印刷された史料が
近代デジタルライブラリーでみつかったね。 近代デジタルライブラリーは
国会図書館によるデジタル化された史料で、国会図書館がわざわざ
デジタル化してるんだから史料価値あるよね。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781417 デジタル史料、「南洲翁逸話」の61p〜62pに西クと月照の関係について
載っていて、西クが十七回忌に月照の詩をつくったとあるね。
つまり、十七回忌に西クが月照の詩を読んだというのは、史料によって
示されたわけだw
>>82 たしかにそう出てるね。というかそこに書かれている内容が美談やアリバイなのではないか、
というのがテーマなんだが・・
通説では月照の従僕が西郷の詩を鹿児島から持ち帰ったことになっているので、
それはどこから出た話しなのかなと思ったが、
その資料にはそれすら載ってないみたいですね。
それに紙の資料より、碑に刻んだ文字のほうが資料価値高いんだろ?
わざわざその程度の紙の資料、必死に教えてくれなくてもいいですよ。
>>83 >司馬遼太郎もこの説をとっているので、べつに目新しいものではないですよ。
司馬遼太郎は何という本、もしくは論文、もしくはエッセイでこの説について
言及してるのか? チャッチャッと示してね。
紙の資料やデジタル史料だって、立派に史料価値はあるよ。
ただ無いものをあるというのは、嘘であって、そいつのいうことは
信用できず、歴史史料をあつかう資格がないといわざるえないで
あろうw
やはり相手にしたのが間違ってました。
司馬遼太郎は陳舜臣との対談集ですよ。
へえ〜対談ね。 対談でその説をどんな風に語っているのか
それが興味があるね。 その資料は隠されてきた西クの真実を
明らかにしていると評価しているのか、珍しい史料の一例として
紹介してるのか、それとも肚之西クとおなじく奇説として紹介してるのか。
煽ったおかげで、陳との対談にでてくる話とわかったな。
煽った甲斐があったというものだw どういう風にその説を
紹介しているか興味があるから、もっと煽らないとなぁ〜w
そういえば
>>89の手紙って現存しているの?
松平容保が常に離さず首からぶら下げていたと言われてる孝明天皇から頂いた手紙は
写真で見た事あるんだよね。なんか筒みたいなのに入れてたとかいうやつ。
あと原敬が自宅で陸奥宗光の人形作ってたってウワサはガセかと思ってたら
つい最近写真見つけてワロタw
大久保が持ってた西郷の手紙だけは、以前結構探したんだけど今まで
見た事無いので見たいんだけどな。情報求む。
日本の数多い歴史小説家のうち、西クに関する珍説奇説をもっとも
数多く収集したのは司馬じゃあるまいか。 他の歴史小説家だったら
西クについての異説奇説に司馬ほど興味はもたないだろう。
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/10(金) 06:09:53.45 ID:5qlbmj6rO
前スレからズーッと拝見し楽しませてもらってる。
感じるのは、美談の方には、ほとんどソースが無いなぁってことなんだよね。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/10(金) 11:34:08.98 ID:+eCGIYGg0
日本人みんなが知ってることにソースが要るか?
チョーセンジンは引っ込んでろ。
そう、そう、何で今頃になって普遍的に認証された通説のソースを出す必要があるんだ?
時間の無駄
そして定説へ。ライフスペースまであと一歩。
>>90 そうそうその通り。このスレはネタとして楽しめばいいんですよ。
スレ主だって、自分の考えが世間に通用するとは思ってない。
あくまで2ちゃんの中だけのことと割り切ってるから面白い。
徳川慶喜のお孫さんが亡くなったというニュースが昨年流れた。
そう考えれば、幕末維新期というのはそう遠い昔でもない。
戦国武将の逸話は眉唾なところが多々あるけれど、
維新前後の有名人に対する現代の評価は、生々しい分、概ね正しかろう。
「西郷の人望買い」というけれど、後世の批判に耐えうるような人望なんて、
お金で買えるんだろうか。
鹿児島の離島の出身で、苦学して京大に行き、鹿児島の私大の副学長に
なった人がいて、その著書の中に、祖父から聞いた話として、西郷のエピソードが出てくる。
祖父はまだ十代だった西南戦争の時に、西郷のすぐ側で小間使いみたいなことをしていた。
戦況が圧倒的に不利になったとき、西郷からきつい調子で伝令に出された。
年若い祖父を死なせまいとした西郷の配慮だった。だから今の自分が生を受けたのは、
西郷のおかげである・・・
肉親からそんな話を聞かされた人は、鹿児島にたくさんいる。
肉親に語ってきかせるから、美談調になりがちだったのは確かだろう。
でも2ちゃんの怪しげなネタよりは、よっぽど血が通ってる。
自分と血のつながった年寄りから話を聞くという体験をしたことがない人には、
その感覚はなかなか伝わらない。自分のじいちゃんばあちゃんに「ソースは?」
なんて普通きかんわ。
もちろんだから美談がすべて真実だ、とは言わないよ。
ただ西郷という人に、多くの人をひきつける魅力があったとは言えると思う。
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/10(金) 23:03:53.71 ID:wG+Er5Kr0
せっかくのいい話に水を差すようですが、
怪しげな美談の真偽を確かめようともせず思考停止の温泉状態で郷土万歳するより、
美談や捏造を排して、生の人物像を明らかにしたいと思うほうがよほど血が通ってる気がしますが・・・
と、そんなふうに考える自分は人間的にゆがんでるのかなあ??
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/10(金) 23:48:50.61 ID:+eCGIYGg0
>>94 西郷さんはそんな人だよ。いいお話ありがとう。
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/11(土) 00:10:17.57 ID:zjqPgS3BO
少年を無駄死にさせないよう配慮するくらい普通のことだが…。
単細胞は低レベルな浪花節が好きなんだね。
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/11(土) 00:32:00.54 ID:zjqPgS3BO
そう言えば昨年、ある農協バックの自民党代議士が「私はTPPに、党議に反して反対します!農業を守ります!」
なんて最後まで抵抗してたけど、後で政策秘書が
「いやまぁ農協のお偉いさんの手前、一応頑張んないとね。総理には一応抵抗ポーズやる旨は伝えてます」
で、農協のおじさんたちは「先生は最後までカラダ張って反対してくれた。残念だけど先生には感謝してる」と涙流してさ。
ま、似たようなイメージだな西郷。
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/11(土) 00:44:27.32 ID:zjqPgS3BO
演出によって人望を得る。という脈絡だよ。
まぁ全てが演出でなく純粋に本心からやったものもあるだろうけど一般的なレベル。
そこを美談にまで昇華させた西郷はすごいと思う。やはりただ者ではない。
やっぱりカルト
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/11(土) 08:53:25.90 ID:EhEWh2w40
カルトの見分け方
1.真理はその組織に占有されており、その組織を通してのみ知ることができると主張する。
2.組織を通して与えられた情報や考え方に対しては、疑ってはならない
3.自分の頭で考えることをしないように指導する
4.世界を組織と外部とに二分する世界観を持つ
5.白黒を常にはっきりさせる傾向が強い
6.外部情報に対して強い警戒感を与え、信者の情報経路に様々な制限を加える
7.信者に対して偏った情報、偽りの情報を提供することがしばしばある
8.組織から離脱した人間からの情報に接することを禁じる
9.家庭や社会との関わりで多くのトラブルを生じている
10.社会からの迫害意識を持ち、それをかえってバネにする
11.外部に対して正体を隠す傾向がある
12.生活が細部にわたって規定される
13.組織が信者の生活のすべてになっている
14.共同体内部でのみ通用する言葉を多く持っている
15.組織からの離脱について極度の恐怖心を与える
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/11(土) 10:06:10.95 ID:KosaF0Y80
>>94 その程度では西郷がとびぬけて有徳だった根拠にはならないわな。
冷静に判断できる指導者の普通の対応だな。
>>98 >>105 >少年を無駄死にさせないよう配慮するくらい普通のことだが…。
>冷静に判断できる指導者の普通の対応だな。
その通りです。全く当たり前の対応だと思います。
幕末維新の動乱期に活動した人には、皆、生命の危機があった。
いつ襲われて切り殺されるか、戦場で弾に当たるか。
(
>>99にあるような現代の代議士は、政治生命はかけても、命まで取られることはない。)
そして命がけで行動した立派な人は、幕府側にも新政府側にもたくさんいた。
西南戦争の場合、周りがバタバタ死んでいき、
皆いきり立っている集団ヒステリーみたいな状況の中で、
西郷は冷静に普通の対応が出来たわけです。
ここらへんが、戦後の民主主義の日本でも評価が高い理由のような気がします。
もちろんこの一事だけでは判断できない、矛盾した行動も多々あるわけですが。
>>95 ねつ造や美談を排して、生の実像に迫りたいというのは、当然のことだと思います。
幕末維新期に、それぞれの立場で命がけで行動した人物はたくさんいた。
郷土で語り継がれる中で、みなそれぞれ英傑に成りえた人物たちだと思います。
その中でも、西郷がなぜ抜群に知名度が高いのか。
現代においても美談で語り継がれているのか。私も知りたいです。
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/11(土) 14:54:33.99 ID:3XeyCF1y0
壊滅を前に、戦闘員でもなさそうな小間使いの少年を離脱させるってあたりまえだよ。
ほかの幹部も従僕を逃がしてる。
一方で西郷軍は多数の少年兵に戦場での死を強いている。
また、荷駄人夫として従軍していた民間人を即席兵士に仕立てこれも死なせている。
鹿児島県民の戦死者のうち6%はそのような非戦闘員であったはずの即席兵士である。
現代においてもなぜ美談で語り継がれているのか知りたいって?
そんなの上にあげたようなおよそ敬天愛人からはほど遠い事実を知らない、
もしくは見て見ぬふりをしているから
に決まってるだろ。
「馬上豊かな美少年」と唄われたくらいだから、西郷軍に少年兵がいて、戦死したのは人口にかいしゃした話。
自分が知っている話を他人は知らない、知ればみな自分と同じように感じるはず、という決め付けは、いくらなんでも無理があるでしょう。
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/11(土) 17:34:11.74 ID:jxJ3bY750
>>108 指摘されてからあわててそんな話しを出して、
知られた話しでべつに紹介するまでもないと思ったってかw
そういう姿勢を「見て見ぬふり」って言うんだよ
カルトくん
カルトの見分け方
6.外部情報に対して強い警戒感を与え、信者の情報経路に様々な制限を加える
>>82で示した「南洲翁逸話」には、西クについてのいろいろな話が載ってるね。
さまざまな美談の元になったとおぼしき話も数多くのっている。
国会図書館が公開してる資料に載ってる話なんだから、十分史料価値は
あるわけだね。
このスレで名前が偶にでる重野であるが、実証主義歴史学者として、太平記の
児島高徳が架空の人物であると主張し、「抹殺博士」との異名をとった。
疑わしい美談や伝説をひとまず疑うというのは、実証主義的の研究の前提で
あって、疑うこと自体が間違ってるわけではないね。
西クについての数多い美談、伝説には当然疑わしい話も多いわけであるが
重野といえど、「南洲翁逸話」にある諸々の逸話をすべて否定するなんてことは
できないわけで、いくら実証的に疑ったところで、限度があるっちゅーこったなw
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/11(土) 19:19:12.14 ID:xDABlzX6O
>>109 なるほどねぇ。
あなたから見ると私は「西郷カルト」なんでしょう。
「西郷カルト」だから都合の悪い話は、知らないか知らないふりをしてる、というわけですね。
しかし「越すに越されぬ田原坂」(←タイトルではありませんよ)の中の「馬上豊かな美少年」という一節は、本当に人口にかいしゃした歌です。歌だからこそ一般人もよく知ってる。
西郷軍に少年兵がたくさんいてたくさん死んだということ自体は、全然隠されたものではない。
それによって貴重な人材が失われたという後世の嘆きも巷間語られる。
なのにその一方で西郷の人気は衰えない。
ところがあなたは、「西郷カルト」だからそうしたことを意図的に知らんふりしているか、無知だから知らないと解釈するわけでしょう。
それを「自分に都合の悪いことは見ないふり」というんじゃないかなあ。
>>111 >なのにその一方で西郷の人気は衰えない。
いやいや、一部のマニアを除いて、かっての人気はもうありませんから。
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/11(土) 20:08:53.17 ID:EhEWh2w40
>自分に都合の悪いことは見ないふり
意味不明。
少年兵の話しを指摘してあげたのはこちらであり、
礼を言われるなら分かるのだが・・
少年兵の話しはせずに、小間使い少年を逃がした美談だけを披露して、西郷さんは偉い!
と言うのは、仮にカルト誘導するつもりは無かったとしても、
結果としてそうなるわけで、100%あなたの片手落ちだよ
鹿児島ではどうか知りませんが、少年兵の歌なんて一般の日本人は知りません。
ていうかその歌自体が美談みたいになってませんか
カルトの見分け方
14.共同体内部でのみ通用する言葉を多く持っている
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/11(土) 21:24:02.05 ID:SNE29Y3K0
会津戦争の少年兵の話しも、会津はこんなに可哀想なんですよ、という美談だよな
薩長の理不尽な攻撃のせいで会津は少年までも駆り出さざるをえなかったという美談
カルトの見分け方
10.社会からの迫害意識を持ち、それをかえってバネにする
西郷軍の少年兵の話しも、従軍させた西郷らの責任は棚に上げ、
少年らはこんなにも立派に戦いました
↓
少年ですらすすんで死んでいく薩摩武士はすごい
↓
こんな少年たちを育て、慕われる西郷さんは凄すぎる
カルトの見分け方
3.自分の頭で考えることをしないように指導する
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/11(土) 21:39:36.00 ID:PDxFeyE+0
従軍させた西郷らの責任っておまえ、当事者でもないのに棚に上げるも何もないだろう
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/11(土) 23:44:14.16 ID:gkmGPFF70
明治11年、東京紀尾井坂にて大久保利通は石川県士族らに暗殺されました。
鹿児島では、暗殺者に追われた大久保は子供のように泣き叫んで逃げ回った
という噂が立ち、地元ではそれを疑う者はいなかったそうだ。
大久保は、西南戦争で故郷の薩摩・鹿児島と西郷隆盛を敵に回したことで、
地元への納骨を避けられた。
大久保(遺骨)が再び鹿児島の地を踏んだのは、年号が平成になってからである。
カルトの見分け方
7.信者に対して偏った情報、偽りの情報を提供することがしばしばある
15.組織からの離脱について極度の恐怖心を与える
>>116 > 大久保は、西南戦争で故郷の薩摩・鹿児島と西郷隆盛を敵に回したことで、 地元への納骨を避けられた。 大久保(遺骨)が再び鹿児島の地を踏んだのは、年号が平成になってからである。
人類の普遍的な反応だろ。何甘えてんだか。大久保からしてみても、薩摩と西郷を売り飛ばし権威を得たのだから、故郷に帰れない事は承知の上だったろう。
大体、お前の大好きな大久保が、憎たらしい鹿児島に受け入れられる必要は無いだろ。
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/12(日) 01:05:02.43 ID:LUaPSuc60
↑
カルトの見分け方
4.世界を組織と外部とに二分する世界観を持つ
若くして散華した薩摩兵士は英雄。武士の誇りとNoblesse Obligeを貫いた。
>>118 お前、自分で気の利いた反駁をしていると思って得るだろうが、
面白くも何とも無い。そのスタイルウザいだけ。
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/12(日) 02:02:46.24 ID:LUaPSuc60
元オウム真理教の上祐は、オウムの暴走と昭和軍部の暴走には共通点が多いと言っている。
昭和軍部と西郷軍はそっくりなので、西郷軍はいわば明治時代のオウム真理教であったのだろう。
どちらの教祖も輿に乗り信者がかついでいる図もそっくりだ。
>>113 どうもよく分からないんですが、
あなた自身は田原坂の戦を歌った歌があって、その中に、
「馬上豊かな美少年」という歌詞があるのを、
知っていましたか。
西郷軍の少年兵は風軍慰安夫でもあったんだな。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/12(日) 08:20:15.35 ID:NuhjUQNLO
ついに出てしまったか、セゴドンの稚児話。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/12(日) 09:39:22.83 ID:iuFNZnkt0
字が間違ってた。「従軍慰安夫」と書くつもりだったんだ。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/12(日) 12:41:07.21 ID:LUaPSuc60
西郷隆盛と安重根はかなりかぶる
・天皇好き
・妄想体質から暴走
・美談が多い
・郷土では神格化された英雄
・どちらも「敬天」と書かれた書を残している
・銅像としても有名
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/12(日) 12:48:16.59 ID:LUaPSuc60
西郷隆盛と安重根はかなりかぶる
・天皇好き
・妄想体質から暴走
・暴挙の動機が、奸臣(大久保利通、伊藤博文)の排除
・郷土では神格化された英雄
・美談が多く、信者多数
・どちらも「敬天」と書かれた書を残している
・銅像としても有名
>>113-114はどうも本当に民謡「田原坂」の存在を知らなかったらしい。
雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂
右手に血刀左手に手綱、馬上豊かな美少年
西南戦争関連の本を読むとよく引用される歌なのだが。
重野安繹や市来四郎の話を知ってるなら、
当然民謡「田原坂」も知ってるものと思って話を出したら、
そうではないらしい。ずいぶん偏った知識ではあります。
民謡として歌われるぐらいだから、
西南戦争に少年兵が参加していたというのはよく知られた話、と考えることに矛盾はありません。
これも美談というか、哀切な話として歌われたわけです。
そうした背景があって、伝令に出されて助けられた話も語られる。
ところがそんな歌は知らない。一般でも知られてないよ、というのは、
自分の知識が偏っていることの証左ではありませんか。
それで「西郷カルト」は都合の悪いことには目をつぶるというのは、
自家撞着でしょう。
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/12(日) 18:30:57.90 ID:VWIR06xS0
>>128 おれもそういう本読んでるからこのスレにもいるわけで、
田原坂の歌も知ってるよw
しかし、田原坂の歌に一般性があるかって話しだよな? ないよ。
鹿児島や熊本ではどうか知らない。
しかし、他地域で一般性があると言えなくもないのは「越すに越されぬ田原坂」ってフレーズの一部分ぐらいでしょ?
それとて歌として認識されてるか怪しい。
西南戦争の少年兵の存在が日本人の一般知識レベルで共有されており、わざわざその話しを出さずとも
背景としてみんなが了解済みだなんてことは絶対ないと思うがw
きみとて先の小間使いの美談を書き込んだ際に、少年兵の背景を頭に思い浮かべて、
「いやこれはみんな歌で知っている話しだからわざわざ書く必要はないな」と判断したのか?
そうではあるまい。たんにその時、意識のなかに無かった・・、が本当だろう。
西郷さんを持ち上げたい一心で思考停止してるのさ。世間ではそれを、カルトと呼ぶ。
もうこれでいいだろ?
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/12(日) 18:51:26.70 ID:dK5GqXQ7O
単にホモを暴露しているだけかと
やはりその辺は男色当たり前の時期との差だな
時代が違えば性の考えも違って当たり前だし
受け入れ難いのは分るけど
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/12(日) 20:44:38.91 ID:NuhjUQNLO
つまり帰された少年はタイプでなかった。というオチがつく可能性もあるわけだな。
こりゃ大変だ。
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/12(日) 20:52:07.79 ID:iuFNZnkt0
戊辰戦争ではどちらの側にも少年兵はいたよ。元服すれば
出陣するのがあたりまえだったから。
134 :
名無しさん@お腹いっぱい:2014/01/12(日) 21:32:27.92 ID:Ix3TViVa0
西郷さんは大久保とデキてたんですか?
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/12(日) 22:10:46.23 ID:LUaPSuc60
薩摩は、というか鹿児島は少なくとも明治中ごろまで男色が公然とおこなわれていたんだよ
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/12(日) 22:16:44.44 ID:LUaPSuc60
明治中ごろにようやく男色が無くなったという話しではなくて、
明治中ごろの記録で、がんがんにやっていたことが分かっている
それがいつまで続き消失したかは分からないんだが
>>135 まあ今としては異常かもしれないけど、それが正常だったのだから仕方ない
他にも男色の歴史はギリシャ、中国に遡ってまで多々あるよ
勿論知ってるよね?
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/12(日) 22:25:00.21 ID:LUaPSuc60
それが正常なことと思ってやっていた鹿児島はやはり異常だよ
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/13(月) 08:49:02.11 ID:5oH9CwTc0
江戸時代には男色は戦国時代よりは衰えたが、それでも嫌忌すべきものとは
されなかった。西鶴の『武道伝来記』『男色大鑑』馬琴の『近世美少年録』等を見れば
わかる。
アンチ西郷はathesist
>>139 そういう本はガチホモ向けのもので、現代でも普通にある。
薩摩が異質なのは、普通の少年藩士たちを強制ホモ制度で洗脳していったことだな。
男同士の結束を強烈に刷り込み、先輩が死ぬなら自分も死にます、みたいな死生観に達せしめ
戦場で死ぬことの恐怖や抵抗を麻痺させることが狙いだったんだろう。
性行為はせず擬似的に男社会に恋愛感情を持ち込み結束を高めるのはよくあるが、
実際に性行為をともなう洗脳を全藩あげてやってたなんてのは世界広しといえども薩摩だけじゃねえか?
そういう土壌があっての西郷隆盛だったと思う。
正確に言えば、「ホモ文化」ではなく、「極端な洗脳文化」が薩摩の特徴なんだよ。
藩士を洗脳するための道具としてホモ行為を組み込んでたということで。
民のあつかいにしても、八公二民とか奄美の奴隷制とか、
なんか人格を完全破壊して統制するやり方だし。
>>139 てきとうなことを書いたが、それらはガチホモ向けのものではなさそうだな。
>>141 その文化自体は薩摩だけでは無いよ。
特に官軍サイドでは結構な確率でアッー!文化に染まってる。
官軍好きでアッー!が嫌いな人には、桂小五郎とか高杉晋作をオススメするわ。
坂本龍馬も大昔の資料では普通にアッー!に書かれてて
ファンがショックうけてたw
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/13(月) 20:47:45.16 ID:5oH9CwTc0
幕末の西郷は薩摩が突出しないように他藩との協調に意を砕いてきた。
なぜ西南戦争は鹿児島県だけの行動になったのか。前原、江藤を見殺しにし、
板垣との提携も策しなかったのはなぜだろう。
政府軍から喧嘩を売られたからだろ。
>>129 ちょっと整理してみます。
@西南戦争時に、西郷隆盛自身に伝令に出されて助かった少年兵がいる。
その孫は、自分の命があるのは、西郷隆盛のおかげだったと考えている。
A西南戦争時に西郷軍には少年兵がいて戦死。民間人も多数死亡している。
伝令で助かった話を出して、少年兵が戦死した話をしないのは「片手落ち」だ。
その事実を知れば、西郷崇拝なんて無くなるはずだ。
B西郷軍に少年兵がいて犠牲になったのはよく知られた話だ。
民謡にも歌われている。それでも西郷隆盛は人気がある。
C田原坂の民謡など普通は知られていない。自分は知っているが。
最初、西郷隆盛のエピソードを出したら、いつの間にか西郷軍の少年兵の話にすりかわってますね。
西南戦争にはもちろん西郷隆盛の責任がある。
今日の感覚で言えば、少年兵や民間人に対する責任を負わなければならない。
しかし、それと西郷個人が尊敬されているのは、別の話でしょう。
>>129は、自分は知っているが、世間の人は知らない、
と言うスタンスで2ちゃんのネタを書いています。
もしくは、ここのスレにくるぐらいなら、それぐらいは知っている、
ということも言っています。
うーん、これは水掛け論になりますが、
西南戦争に関心がある人なら、民謡「田原坂」も含めて、
西郷についてある程度の知識がある、と言う方が適切なのではないか。
維新時の功績(それもねつ造だと言うんだろうが)もあれば、
西南戦争が起こったせいで大勢の若者が死んだ、ということも。
その上で、西郷は敬愛されている。
ときどきレスに出てくる「西郷は人気などない、一部の特殊な人だけが猛烈に崇拝しているだけだ」
という前提に立ってしまうと、このネタスレ自体がなりたたない気がしますが。
>>129は「西郷がなぜかよくわからないが人々から偉い人だと思われている」
という立場で物を言っていると考えて良いのですか。
>>144 おそらく桂小五郎は薩長同盟の時
「同盟結ぶならうちの藩の文化も理解してもらわんと」
と無理矢理文化を教え込まれた可能性が高そうだと思います。
薩長同盟はホモ文化が築いたのかもしれません。
司馬遼太郎の論では、新政府(薩長土肥や元幕臣)では船頭多くして・・の状態で、
薩摩というか西郷軍団の主張が通らなかった。
その経験から今度自分たちが起つときは単独で、という腹積もりがあったということだが。
それか、そのうち政府運営に窮した大久保が頭を下げて西郷に出馬を乞いに来るとでも思っていたのかもしれない。
>>148 冗談抜きに長州人は一応、薩摩のホモ文化については
ある程度理解した後で同盟結んでるよ。
というより薩摩より先に土佐と仲良くなってるので、その時に慣れたみたい。
最初の頃は長州人が土佐人と交流するたびにホモだホモだと珍しがってる
>>150 すごいな、ホモ祭りか
薩長同盟のために薩摩藩邸へ向かう桂小五郎は
さぞかし不安であったに違いない
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/14(火) 08:10:43.55 ID:A/yVVXXx0
薩摩と土佐は気風が似てるなあ
長州も影響を受けてホモになったのか
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/14(火) 08:57:47.55 ID:A/yVVXXx0
長州人は女癖が悪かったらしい。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/14(火) 09:26:52.80 ID:0OKhjiiyO
昔は阪本龍馬暗殺の黒幕西郷説とか馬鹿馬鹿しいと思ってたが、このスレが契機で、
色々と調べて、なんか意外に西郷が策士だと確信するようになった。
西郷は阪本があそこに潜伏してんの見回り組あたりにチクるだけでいいんだしな。
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/14(火) 09:42:27.70 ID:A/yVVXXx0
西郷は特務機関長のようなものだな。
根拠のない陰謀論はスレ違いなので該当スレへどうぞ
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/14(火) 14:50:55.98 ID:BNxzb/oM0
薩摩信者が、長州も土佐もみんなホモだったことにしようとしてるな
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/14(火) 15:25:39.90 ID:0OKhjiiyO
ホモ寝た秋田
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/14(火) 16:33:44.05 ID:P2drwu7X0
以下、テンプレ
Q :西南戦争は西郷さんと鹿児島士族にとって、
行き場所を失った士族たちとともに、日本のため自ら滅ぶつもりの戦いだったんですよね?
A :
西郷はかねて回りの者に、
「熊本城に着けば、熊本鎮台は城門を開いて降るだろう。
そうなれば、熊本を拠点に九州を従え、広島(鎮台)を攻め、
大阪(鎮台)を破って海陸路で東上し、一戦も交えず入京でき、
東京で花見ができるだろう」(東京日日新聞)
と気持ち良さそうに語っていた。
またこうも語った。「自分は陸軍大将である。たとえ全国の兵を率いても
陛下の許されるところであり心配無用 」(「新編西南戦史」)
結果はみなさんご存知の通り、熊本城政府軍の徹底抗戦に遭った西郷軍は
緒戦から消耗し、戦わずして東上するつもりでいた西郷軍の敗色はこの時点で決定的になった。
↓つづく
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/14(火) 16:34:45.06 ID:P2drwu7X0
西郷軍はその後も「勝ち戦」と称して、兵卒を募集する一方、田原坂戦以後、戦列を離脱した者の所在を調べていた。
飯野士族のうち西郷の決起に呼応したのは370名だったが、離脱者も少なくなく、離脱した者たちは身の危険を感じ、
山中の社などに隠れ、家族と密かに連絡を取りあっていた。
飯野の戸長松形祐高は離脱者の身を案じ、蔭で離脱者の相談に乗っていた。
松形戸長は学問のある公徳者で、政府組織の戸長だったため、西郷軍から狙われていた。
二月に西郷が決起したとき、松形戸長が決起に参加する麓の士族に、
「この出陣は陛下に銃口を向けることになるので、遠慮してもらいたい」と言ったのが、
敗走してきた西郷軍の幹部に伝わり、松形戸長は政府軍に味方しているとされ捕えられた。
↓つづく
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/14(火) 16:36:06.00 ID:P2drwu7X0
8月29日の午後、松形戸長は吉松の川内川の河原に引き出され、18歳の少年兵に斬首された。
享年54だった。
西郷軍は松形戸長の遺体の横に札を立て、その下に竹のノコギリを置き、札に、
「この者は官に通じた敵である。ここを通る者は、このノコギリで一度づつ引いて通るべし。」と記していた。
ちなみに松形祐高戸長は、松形祐堯元宮崎県知事の曽祖父で、祐堯氏の自叙伝に処刑のことが詳しく記されている。
『真幸院の歴史探訪集』は、吉松の河原で西郷軍が松形戸長を処刑したときの、
西郷ら西郷軍幹部の様子を併記している。
西郷ら将校は、みな駕籠に乗り、華美な絹織物の桐野の服装が人目を引き、
従兵は二列縦隊で西郷に従い、全員が抜刀していた。
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/14(火) 17:33:37.49 ID:0OKhjiiyO
やはり西郷がじゃまになった阪本を殺させた可能性あるよな。
龍馬とか言う小物の話は該当スレでどうぞ
歌の話しが出ていたので、いくつか紹介しましょう。
西南戦争後半の主戦場になった宮崎ではこんな歌が作られ流行った。
「可愛いい西郷さんにあげたいものは、金のなる木と玉ぐすり」
「薩摩西郷さんは仏か神か、姿見せずに戦する」
(可愛いいは、激戦になった可愛岳と掛けている。
玉ぐすりは弾薬のこと。西郷軍の窮乏ぶりを歌ったもの)
(戦役を通して、西郷は前線には決して現れず、
後方の安全な寺や神社に潜んでいたままだった)
「肥後狸、薩摩狐に騙されて、西郷屁(最後ッペ)かいた、面のにくさよ」
(肥後狸は熊本隊、薩摩狐は薩摩軍。
西郷軍は「西郷札」を宮崎の人たちにつかませるだけつかませて逃走した)
御用盗の頭目
>>161-162 誰がどんな意図で書いたものかも示さずにコピぺを貼ってますが…
スレ主のオリジナルなのかしら。それともどこかで見かけたものを妄信してるのかしら。
ちょっと読んだだけでも疑問がわきます。
西郷軍が須木村に到着したのが8月28日です。今は合併して小林市になってますが、
西郷が宿営跡は、そうとう引っ込んだ山の中にあります。
8月17日に可愛岳を突破した後、十日あまりで険峻の九州山地を越えてきたわけです。
須木からえびの市の飯野まで30キロほど。
8月29日に飯野から吉松を通って栗野まで二十数キロ移動しています。
途中で政府軍と小競り合いがあったと書いてある本もあります。
9月1日には鹿児島市に着いていますから、先を急ぐ敗走であったのは間違いないでしょう。
>西郷ら将校は、みな駕籠に乗り、華美な絹織物の桐野の服装が人目を引き、
>従兵は二列縦隊で西郷に従い、全員が抜刀していた。
フィラリアの西郷はともかく、将校がみな駕籠に乗って、一日に三十キロの移動が可能でしょうか。
またそれまで山中をハイペースで行軍していた桐野が華美な服装を持っていたか。
派手好きな桐野が仮にえびので手に入れたにしても、真夏のえびの盆地でわざわざ絹織物を着ますかね。
あまりにも出来すぎな話だと思いませんか。
>>158 長州はホモじゃないが、土佐がホモなのは事実だろ。
>>165 金のなる木と玉ぐすりって金玉薬かと思った
そこまで読み通せなかったw すごいw
アンチ西郷みな腐女子w
>>167 行軍のペースから考えて8月29日に吉松で処刑というのは無理ではないかということですか?
松形戸長を捕えたのは西郷隆盛がいた本隊ではなく先発隊ですね。
松形戸長は、西郷軍本隊が来るもっと前に捕えられており、鹿児島側へ連行、拘束されていたのを
8月29日に吉松に引き出され処刑されたということかと思います。
本隊の通過に合わせたんじゃないですかね。
将校がみな駕籠に乗っていたのはおかしいというのは、よくわかりませんが、
その時だけのパレードみたいなものだったんじゃないですか。 住民を威圧するための。
抜刀してるわけだし。
桐野の服装はそんなにおかしいですか?
もともと来てた軍服や戦闘服はとうにボロボロになり、
この頃ではみんな民間の着物を着ていたそうですから、
桐野がどこかで供出させた派手な着物を着ていても不思議はないと思いますが。
本戦役中にシルクハットをかぶっていたという話しさえ残っている人物ですから。
暑いかどうかは現物がわからないのでなんとも。
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/15(水) 08:28:37.85 ID:Fef4me2/O
旧暦の8月末は今の9月末とか10月始めだし今みたいに地球温暖化してないんで大して暑くないよ。
いずれにしろ西郷が私学校に協力的でない薩摩人同胞に残酷な仕打ちをしたのは大口の件など他にもあって事実。
>>173 それでも鹿児島県は暑かったんじゃないの?
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/15(水) 11:45:07.26 ID:Fef4me2/O
大口や吉松など事件・残虐行為の現場となった北薩は現在の真夏でも東京や鹿児島市内より、かなり涼しい。
「服装が暑くて有り得ない」なんて否定論より松形元知事の自伝や大口史誌の方がまともと判断するのが常識。
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/15(水) 12:57:56.37 ID:Fef4me2/O
えびの・小林あたりも夏場によく行くけど鹿児島市内、霧島市の国分やら隼人あたりより、かなり涼しい。
あの人格者の西郷さんが残虐なことをやるはずがない。
下の者が独断でやったんだよ。西郷さんは人を信じこむ傾向があった。
自分がそうだから他人も道義的にふるまうと思い込んじゃうんだね。
欠陥と言えば欠陥だが、それも敬慕された理由の一つだね。
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/15(水) 19:22:23.94 ID:Rv+ezgCm0
最近「半次郎」(鹿児島出身の俳優榎本孝明制作)という映画を見たが、
西郷隆盛役にそのへんの素人のおっさんを起用していたのが衝撃であった
マンガみたいな内容だったし、一般的な鹿児島人の西郷像や薩摩維新史の知識が
えらい低レベルなことが分かったな
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/15(水) 19:23:27.22 ID:Rv+ezgCm0
最近「半次郎」(鹿児島出身の俳優榎本孝明制作)という映画を見たが、
西郷隆盛役にそのへんの素人のおっさんを起用していたのが衝撃であった
マンガみたいな内容だったし、一般的な鹿児島人の西郷像や薩摩維新史の知識が
えらい低レベルなことが分かったな
167です。誤解を与える書き方をしていました。すみませぬ。
私は、松形区長が西郷軍に殺害されたのは事実だと思います。
ノコギリの立て札もあったでしょう。実際に引かれたかは疑問ですが。
大口における辺見隊の横暴も事実に間違いないでしょう。
ただその上で「真幸院の歴史探訪」は疑問が残ります。
西郷が須木村に宿営したのが8/28です。ここでの西郷は美談で語られています。
一方で、西郷軍が須木に現れたことを巡査が報告もしています。
そこから小林〜えびの〜吉松〜栗野と進むわけです。
現在のJR吉都線の駅で言えば、
小林〜西小林〜飯野〜上江〜えびの〜京町温泉〜鶴丸〜吉松〜栗野です。
松形区長は木崎原古戦場付近の河川改修工事の、
打ち上げから帰るところを西郷軍に襲われたらしい。家は飯野にあったはずです。
飯野から吉松は二十キロ近い距離があります。
車なんかもちろんないから、そこを歩かせて連行していくのは大変だったでしょう。
逃げようとすれば逃げられたかもしれません。
しかし、このとき西郷軍は負け戦が明らかだったから、
松形区長は「自分が正しかった」と、むしろ堂々とついて行ったのではないか。
そして吉松の河原で斬殺された。この人も死を恐れないぼっけもんだったのでは。
このときの西郷軍の人数は、せいぜい四〜五百人ぐらいでしょう。
しかも政府側は動きをつかんでいるから、
先発隊、本体、しんがりといくつかに分かれて警戒していたと考えるのが妥当です。
そのとき、西郷以下幹部がみな駕籠に乗り、従卒は二列縦隊で抜刀して、
目抜き通りを示威行進…まるで大名行列です。
無理ですよ。駕籠に乗っていれば弾が飛んできていい的になるだけです。
幹部が駕籠で集団移動するのは、逆にいえば一網打尽です。
駕籠かつぎに、それだけ戦力も割かないといけない。
抜刀していれば、すぐに鉄砲も構えられません。
なるだけ人目につかないように移動していたと考える方が自然ではないですか。
駕籠に乗った本隊を待って、華美な着物で見物していたというのは、出来すぎです。
桐野とシルクハットの話は、鹿児島にたどりついてからの、
桐野のぼっけな面を示す美談として語られていますね。
しかし真夏の暑い中歩くのに、絹の着物を羽おろうとするのは、いくらなんでも。
えびのは確かに鹿児島より涼しいですが、一度霧島縦走をしてごらんなさい。
>>174 西南戦争頃(1877年)の気象観測資料は見当たらないが試しに
1885年(西南戦争の数年後)の鹿児島市の観測記録と
1877年(西南戦争の年)の東京の観測記録を調べるとこんな状態みたいだな。
1885鹿児島 1877東京 2013鹿児島 2013年東京
7月______25.4_____________26.2_____________29.4_____________27.3
8月______26.7_____________25.7_____________30.0_____________29.2
9月______23.5_____________21.1_____________26.8_____________25.2
10月_____18.5_____________15.6_____________22.5_____________19.8
11月_____12.1_____________*9.3_____________14.6_____________13.5
これ見る限り、明治時代の鹿児島市の温度は
東京人が「今日いつもよりちょっと涼しいよね」と
言ってる日の気温程度だろうね。
気温的には羨ましい時代かもw
ついでに今他の県の気温も見てたのだけど、明治の鹿児島の7〜10月の気温は
現代の東京に例えるより、現代の新潟市〜富山の気温と類似してるという
表現の方が近いみたいだ。
1885鹿児島 2013新潟 2013富山
7月______25.4____________25.1____________26.9
8月______26.7____________26.9____________27.9
9月______23.5____________22.9____________22.6
10月_____18.5____________18.3____________18.4
11月_____12.1____________*9.8____________10.6
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/16(木) 08:30:30.29 ID:Q1HjWcQUO
まぁ桐野が派手な格好云々とか気温云々は置いといてさ。
重要なのは桐野や逸見ら西郷の側近らの残虐行為を部下が勝手にやったことで、慈悲深い西郷は知らなかった。
で済むのかってことだよな。俺は西郷も充分に認識してたことだと思うが例え知らないとしても自分の弟子、
側近らの行為に責任無いわけ無いだろう。末端社員の不祥事でさえ社長が責任とって辞任するってのに。
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/16(木) 08:37:33.23 ID:Q1HjWcQUO
さらに近親者である大山や重野、市来の西郷評、及び、私学校の設立発展過程での西郷の影響力を考えると
特に私学校幹部らの残虐行為は西郷の命令である可能性すらあるだろう。
少なくとも西郷の意思・思想が反映されてると判断せざるを得ない。
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/16(木) 10:41:33.48 ID:km1fFb8T0
>>185 西郷さんは社長じゃない。何の権力も持ってなかった。
西郷さんの人徳を慕う者が周りに自発的に集まってただけだ。
他人が勝手にやったことの責任は問えない。もちろん仁慈に
篤い西郷さんは残虐行為を命じるはずもないし、他人がやるのを
知ったら命がけで制止したにちがいない。それが西郷さんだ。
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/16(木) 10:56:08.57 ID:4kqaDy3s0
>>186 そのような粛清行為は、一部だけの暴走ではなく、中共の文化大革命みたいなもので、
完全に体質として薩摩にあって、それはきっと西郷も分かっていただろうな
というか、市来や重野の西郷評では、粛清体質こそまさに西郷個人の性質でもあると分析しているようなものだし
西南戦争だって、裏切り者大久保を粛清せんがための壮大な集団ヒステリーでしょ
今でも鹿児島では自由にものが言えない空気があるそうだが、
殺さずとも、人を仲間はずれにして社会的に粛清する、みたいな暗い伝統があるんじゃないか?
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/16(木) 17:00:34.56 ID:Q1HjWcQUO
>>187 そうさ、西郷は社長ではない。
もっと部下達、特に指導的立場の部下達とは、一心同体と言っても過言でない関係だったわけだ。
社長なんかより、もっと側近部下達の行状には責任を負うべき立場だろう。
戦時中、反逆者、敵前逃亡は厳罰と言うのは当然のこと。
西郷たちを咎める前に、まずはそこからだろ。
お花畑の甘ったるいヒューマニズムは、食うか食われるかの戦時中は通用しない。
反逆者は西郷だろw
郷士も住民も政府軍もみんな西郷さんのもとに馳せ参じると信じて蜂起したお花畑軍団だしw
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/16(木) 23:28:18.85 ID:Q1HjWcQUO
だいたい私学校の連中に虐殺された徳尾や松形や単に息子が官軍側にいるの分かっただけで斬られた老母とか
私学校側から逃げ出して斬られたヤツらと一緒にする論理展開がバカだね。
まあ、西郷軍は大久保の残虐さには負ける事は認めるよ。
サッカーの中田は海外の選手には笑顔をふりまき、自国の選手には冷たかった。
外人コンプレックスの裏返しだ。金髪にしたり、サングラスをしたり一生懸命
白人様の真似をした。
大久保にも同じ匂いを感じる。妙なヒゲとか冷静に考えれば笑えるぞ。
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/17(金) 00:40:26.97 ID:bxpuh0ia0
西郷軍が敗走していく過程で負傷兵はどうなったのか気になりませんか?
西郷の長男菊次郎も足を負傷し、俵野の病院で臥せていて連れていくことができない。
西郷は、病院を管理させていた中山盛高に
「万国公法というものがある。この公法に従って、政府軍が負傷者に残酷な扱いをせぬよう」監視を
要請し、桐野の提案で家々の軒に「病院」と書いた白旗を立てさせたうえで、その地を離れた。
このエピソードは西郷がいかに人格者か、万国公法にも精通するいかに有能な指揮官かを物語る美談として、
よく紹介されています。
しかし、この半年間の西郷軍の行状(万国公法を無視した処刑、放火、掠奪などなど)を鑑みると、
自分が困ったときのみ万国公法を持ちだす身勝手さには空ぞらしさしか覚えません。
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/17(金) 00:41:24.92 ID:bxpuh0ia0
長男菊次郎などは父西郷の特別なはからいで従僕を付けてもらい、
その従僕が菊次郎を背負い脱出、政府軍の西郷従道のところに行き保護してもらえました。
悲惨なのは誰からも放置された負傷兵や別働隊の将兵たちです。
西郷が駕籠に乗って可愛岳突破を決めたとき、付いて来れない負傷兵や遅れた別働隊の中から多くの自決者が出ています。
政府軍が書いた「西南戦記」はこの時の惨状をこう記録している。
「19日明け方、斥候を出して西郷軍の様子を探らせたところ、可愛岳および八水山のいたるとこで
屍体が散乱し、服装が綺麗な者(将校か?)は首が無かった。
あるいは薪を積んで屍体が燃やされていたり、あるいは土中に埋まっていたり、
あるいは刃を口に飲み込んで死んでいたり、あるいは馬の屍体を枕に死んでいたり、
あるいは谷に身を投げて死んでいたり、その数はおよそ250・・・」
今日の「社長と社員の関係」という感覚でとらえたら、
日本史や世界史に出てくる乱世の雄は、
全部ダメ扱いされるんじゃないか。
>>195 万国公法、ってどんだけお花畑なんだか。
何もかも現代に照らし合わせて審判する浅はかさ。w
大久保の江藤新平の扱いはどうなるんだ?
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/17(金) 09:18:00.92 ID:8HJ0q1520
万国公法って当時の尺度であり、現代のもんじゃないぞ
西郷信者はそんなことも知らないのか?
>>199 言ってる意味が伝わらないようだな。
万国公法なんて当時の戦争の中では有名無実と言う事だ。
現在でさえ国際法が戦場で遵守される事は少ないだろう。
大久保の江藤新平の件では海外に専制政治による司法の欠落を露呈する事になり、
非難の的だった。
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/17(金) 19:35:08.21 ID:/GBxFS2u0
万国公法が有名無実なんてことはない。
将軍慶喜が死罪を免じられたのは万国公法にのっとった措置であるし、
西南戦争で西郷の助命を乞い、裁判で言い分を主張したいとしたのも
万国公法が根拠であろう。
西郷は万国公法を理解していたし、自身や息子の救命ではこれを理屈にしたのに、
自身の軍隊にはこれを尊守させる気は無かったわけだ。
現代で言えは、アフリカのどこかの反乱軍と同レベルの軍団と司令官だよ。
西郷は助命嘆願などはしていない。
お前の一方的な曲回した解釈だ。
前持って言っとくが、お前の反応はもう分かっているから、コピペの嵐はいらないぞ。
>>201 「法を尊守する」という日本語はありません。
「法を遵守する」ですね。
>>201 万国公法や現在においては国際法とか、法的強制力は無いし、当事者間の力関係で、都合のいい様に利用されているだけだ。
大久保が不当な江藤新平処刑で罪を問われなかったのもそうだし、
東京裁判だってそうだろ。
>>203 そうなんだよ、
どうしたら、「尊守」って間違った言葉が出てくる? 日本人なら普通に「ほうをじゅんしゅ」てフレーズが出るが、、、、それで「じゅんしゅ」ってしたら簡単に漢字変換されるが、、、、
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/17(金) 23:54:50.39 ID:bxpuh0ia0
全員を死に向かわせておきながら、ある一人には生きよと説得する
西郷美談に共通してるのはだいたいこの手のパターンですね。
多数の少年兵を従軍、戦死させておきながら、身近な少年には生きろと諭す。
西郷自身が奄美を搾取してる側の人間でありながら、同じ側の役人をこらしめて一人だけいい顔をする。
政府の人事を自分がもっとも私物化しておきながら、参議の誰それが金に汚いと憤る。
自分もキーの打ち間違いや勘違いはするんだが、
ここで卑近な例えで西郷をこき下ろしている人には、勘違いが多い。
「尊守」もそうだし、
>>185の「逸見」など。
もっとも逸見には「へんみ」という読みがあるからこれは単なる変換ミスだろう。
しかし、
>>173の「明治十年はまだ旧暦表記だ」という勘違いはなぁ・・・
これでは見える風景が違ってしまう。
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/18(土) 07:20:44.27 ID:FvhF+Z5nO
西郷信者って重箱の隅みたいなとこで反撃するしかなくてかわいそうだな。
「尊守」はさすがに恥ずかしかったらしい…
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/18(土) 08:53:48.40 ID:RJpiVenp0
西郷さんは政府高官の堕落と奢侈に憤慨し、第二維新を起こそうとして
倒れた悲運の英雄。
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/18(土) 08:59:02.34 ID:ziuZIlXE0
西郷隆盛は実務のほうはともかく、人格では長州人や大久保利通を圧倒していたというのが今までのイメージだったんだが、
人格のほうも怪しいとなれば、そんな低劣な人物がどうして影響力を持てたんだ?
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/18(土) 09:49:39.40 ID:FvhF+Z5nO
小沢一郎やヒットラー、西大后も凄い影響力あったね。
>>211 だから、人格、徳がたかかったということだよ。人望は金で買えるとか、権威で手に入れる事なんて出来ない。
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/18(土) 14:37:29.55 ID:RJpiVenp0
>>211 誰も西郷を無能だ、極悪人だとな言ってない。ずぬけた徳の人だったという伝説に
疑問を呈してるだけだ。
>>214 別に煽ったり話題を逸らす意図はないんだが、
あなたが考える図抜けた徳を持つ歴史的著名人は例えば誰?
ガンジー、とかですか。
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/18(土) 20:02:00.20 ID:RJpiVenp0
大久保、木戸、板垣、大隈、江藤が人徳で西郷に劣っていたという
根拠は何?
先輩後輩の絆はあったろうけど、それは人望かというとちょっと違うと思う
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/18(土) 23:34:27.92 ID:w0EzEq7G0
西郷さんは、よく「書」を書いて、人にあげたりしていたが、
本当の人格者だったら、これみよがしに「書」なんて書くのは恥ずかしいと考えるだろう。
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/19(日) 07:06:33.73 ID:zulLYfM00
>>218 求める者にきさくに書き与えた。いかにも西郷さんらしい。
多く残ってるのは求められることが多かったから。
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/19(日) 08:13:24.08 ID:tUfSLxwbO
今も昔も世間で人気のある者は、実は虚像とか、よくある話だよな。
結局、西郷は大山の言う「人望好きの人望買い」で明らかなようにバカな大衆の操作に長けた策士だったのだろう。
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/19(日) 08:21:29.06 ID:zulLYfM00
禁門の変から江戸開城までの西郷さんの読みと決断は冴えまくりで
怖いぐらいだ。天才だね。
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/19(日) 09:40:38.18 ID:gXNaLzVC0
■西郷隆盛の徳とは・・
明治7年佐賀の乱。
政府軍に追い詰められた江藤新平は鹿児島の西郷隆盛を訪ね、援軍を仰いだ。
江藤は、明治6年の政変では征韓論を主張する西郷を支持していた。
征韓論頓挫後は西郷と共に政府の職を辞し下野した仲である。
ところが江藤に対する西郷の態度は冷たかった。
江藤からの援軍要請を断ったうえ、自分(西郷)ではなく島津久光を訪ねかくまってもらえ、であった。
西郷は、江藤とは”無関係”の立場をとったのである。
政府軍のほこ先が、鹿児島を専横する自分や私学校に向くのを恐れたのであろう。
しかしこのような西郷の態度は驚くことではない。
西郷はかつて、京都での盟友月照が幕府から追われ鹿児島の西郷を頼って来たとき、
これを助けず、死に追いやり、”無関係”を通した。
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/19(日) 14:44:25.39 ID:zulLYfM00
>>222 西郷さんには凡人にはわからない深慮遠謀があったんだよ。
小の虫を殺して大の虫を生かそうとしたんだ。
>>222 これ、西郷を貶めるための典型的な作り話。
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/19(日) 21:15:35.85 ID:mzzbXt870
美談では、かねて西郷はこのように言っていたとされる。
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人ほど、始末に困るものはない。
だが、この始末に困る人でなければ困難をともにして国の偉業は成し遂げられない、と。
江藤新平や僧月照は、西郷にとって困難をともにするだけの値打ちは無い人物だったのでしょうかね。
あるいは西郷自身がそのように無私でありたいと思っての言葉だったかもしれません。
江藤や月照もそのような西郷であるはずだからこそ・・・鹿児島を目指したと思うのですが。
>>225 江藤は勝手に反乱を起こして、部下を残して逃げ出してきて、
西郷に一緒に蜂起しようと言ってきた。
そんな虫のいい話は受け入れられないのは当然だろう。
久光の所に行けって言ったって話は怪しいがな。
月照については、一緒に自殺をはかり、西郷はたまたま助かっただけだから。
何か問題でもあるのか?
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/20(月) 01:48:43.30 ID:503LfCa1O
捏造美談の信者は相手にしても無駄じゃな。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/20(月) 07:52:21.16 ID:+XwfSw4v0
自分自身の低い倫理観、徳の欠如する利己主義を尺度に、珍奇なソースを後生大事に拡大化し、
美談=捏造と決めつけるアンチ西郷とは話にならないな。
西郷は漢書からパクったような美辞麗句を並べたかっただけだろうよ
こういうタイプはリアルな進退は汚いよ
まず保身にはしる
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/20(月) 18:18:17.99 ID:ELYW/VFX0
西郷さんは清廉高潔至誠の人だった。
231 :
215:2014/01/20(月) 19:51:47.75 ID:aGQ6Pms00
>>216 人徳というのは、金銭や不動産のように多寡や優劣を示せるものなんだろうか。
AからBに人徳を施す、というものではないと思う。
Aの人となりを見て、Bが「あの人は人徳がある」と判断する。
そういう判断は、Bが社会の中で濃い人間関係を持っていて、
ストレスを抱えたり、ぎりぎりの決断を迫られたり、
人から無償で助けられたりした経験がないと、出来ないものだろう。
西郷は親しかった月照を始末するよう下命を受けた。汚れ仕事だ。
封建時代ならではの、理不尽な命令だ。その時、助けるだけの力はない。
下命である以上、都城あたりの山の中で、切り殺しても良かった。
しかし西郷は、一緒に冬の錦江湾に飛び込むことを選んだ。
232 :
215:2014/01/20(月) 19:53:01.86 ID:aGQ6Pms00
もし私の目の前に進退きわまってどうにもならない人がいて、
助ける力が自分に無ければ、たぶん見捨てる。
しかし、出来ればその人に寄り添って、一緒に死のうと言えるなら、
そんな風になりたいとは思う。
そういう風に他人が感じたら、後世に影響を与えたとしたら、
西郷には人徳があった、ということになる。
一方で、いやそんな美談じゃない、
西郷は後ろから月照を海に突き落としたのだ、
そして親しい人(しかも坊さん)を殺した非難をかわす為に、
注意深く海に飛び込み、格好を付けただけだ、と解釈する人もいる。
そういう人にとっては、西郷は人徳などない、稀代の詐欺師になる。
疑うことで成り立つ人間関係もあるから、それでいいんだと思う。
233 :
215:2014/01/20(月) 19:54:06.91 ID:aGQ6Pms00
ただ一般には、西郷は徳のある人だったと受け止める人の方が多い。
ここで、西郷は死ぬ死ぬ詐欺だったと主張する人がいるけど、
西郷の一生が、自分を良く見せるための偽りの連続なら、
西南戦争で「賊軍の大将」として死んだ時点で、名声は潰えるんじゃないか。
死んだあとまで、名声をコントロールすることなど出来るはずがない。
偽りの人徳で、死後百四十年近くもの間、名声を保てるものなんだろうか。
もし仮に、西郷本人は人徳者を演じてみせるつもりだけだったにしても、
周囲の人間が、西郷には徳があったと語り継ぐなら、
それは結局本物だったということなのではないのかな。
>>233 その名声や人徳の根拠になってる美談が捏造だったとしても、その名声と徳は本物だと言うのか??
ありえねえー
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/20(月) 21:32:56.40 ID:503LfCa1O
そうだよね。
>>228なんかの珍奇なソースって、どっちのことだよと言いたいね。
黒龍会の浪花節調の話と、親戚である大山の談話や重野・市来の西郷評、東大の西郷検死資料のどちらが珍奇か。
答は明らかだろう。
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/20(月) 21:46:45.12 ID:yGB2u3Xw0
空気読みの帝王
幕末の高田純次
>>234 西郷の死後にも民衆から美談や、著名人の発した西郷を賞賛する声は
無数にある。全てが事実では無いかもしれないが、わざわざ死んでから嘘の美談を大量に作り出しというのはありえないだろ。
お前らオーム返しのように言ってる、僅な数の珍奇ソースとは、質と量において
天文学的な差があるんだよ。
>>235 大山、市木、重野、その他に西郷を悪く言ってる人を出してみろよ、数える程しかいないだろ。さらに、そいつらの人徳なんて極めて怪しいものばかりだろ
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/21(火) 00:16:27.25 ID:flS/UgM60
江藤新平の後日談ですが、西郷隆盛に援軍を断られた江藤は、
つぎに桐野利秋のところに行き、同じく援軍を要請した。
ここでも断られてしまうのだが、桐野は江藤の身を案じ、自分が
取り計らいますから身を隠してくださいと申し出た。
江藤はこれを辞退し土佐に向かうが、この時江藤に随行していた石井と徳久と
いう者を桐野にあずけた(彼らは明治10年まで薩摩に隠れ、西南戦争に従軍し死ぬことになる)
この話しも一見美談っぽいのですが、生々しいのは、
後日この話しが西郷の耳に入り、
「おまえ佐賀のお尋ね者を匿っているというのは本当か?」と桐野を厳しく追及した。
桐野は「これは自分の病気です。どうか彼らを見逃してやってください」と哀願したそうです。
どうやら桐野のほうが、命もいらず、名もいらず〜の実践者だったようですね。
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/21(火) 12:29:29.75 ID:5vPNBgjPO
まぁ世の中、真実が見えない奴等ばかりなのは世界中どこでも同じ。
美談が多い奴ほど偽者。
まあ、伝説になれるのは、やはり本物だけだね。 偽者は伝説にはなれないねw
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/21(火) 14:50:18.84 ID:5vPNBgjPO
ちょっと前まで小沢伝説はびこってたなぁ。
小沢も西郷の年齢あたりで死んでたら色々とバレずに伝説が独り歩きしてただろうなぁ。
小沢も西郷にあやかって、自己の伝説化を押し進めたかったようだが
生きてるうちに化けの皮がはげちゃったね。 しょせん偽者だったと
いうことだろうw
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/21(火) 15:48:46.73 ID:5vPNBgjPO
つまり城山で桐野に殺されないで生きてたら小沢と同じ運命ということだね。
そんなのはわからないんさ。 だいたい桐野が殺したなんて説も
奇説癖説にすぎないしねw
桐野射殺説ってのも、信憑性でいえば、西郷は実は城山で死なずに
外国で生きていたという説と似たような話であるねw
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/21(火) 16:29:20.91 ID:5vPNBgjPO
城川や官軍目撃者、東大の検死資料から、そんな都市伝説レベルとは格段に違う信憑性があるよ。
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/21(火) 18:45:09.86 ID:CVEN4pvg0
東大の検死資料の結果がどのような蓋然性をもって桐野殺害説を支持するのでしょうか。
説明してください。
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/21(火) 18:54:34.75 ID:CVEN4pvg0
桐野射殺説は西郷星になっちゃったってレベルと同レベル。
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/21(火) 21:34:24.24 ID:5vPNBgjPO
まず腹を斬ってない。
右太ももから左に貫通。位置からして洞窟出た西郷の右側は薩摩軍。
当時の銃ではかなりの至近距離でなければ貫通しない。
城川が嘘をつく理由が無い。
>>248-249 同意。
西郷の背中に弾痕があるなら分かるが、
右から左に弾が抜けたのは、
現場の地形から、政府軍に撃たれたと考えるのが自然。
百歩譲って、仮に西郷軍に撃たれたのが事実だとして、弾飛び交う戦場で、「友軍に撃たれた」ではなく、「桐野に撃たれた」と特定するのは何故か。
西郷は死んだ時点では賊軍なんだから、桐野に撃たれて死んだなら、そのスキャンダラスな死に方を、政府軍が喧伝しないのは不自然。
仮に大久保らが、西郷の名誉を守ろうと箝口令をしいたとしても、政府側に従軍していた、薩摩に恨み骨髄の旧会津藩士が口を閉ざす理由がない。
西南戦争直後から、「西郷は桐野に撃たれて死んだ」が定説になっていても良さそうなもんだが。
>>251 政府軍には西郷の最後を目撃した者はいない
したがって政府軍は口を閉ざす以前に、死体検視書以上の情報を持っていない
そもそも政府軍に目撃者がいないゆえに、信者によって切腹などの捏造美談がでっちあげられたわけで・・・
こんなことも分からないか?
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/21(火) 22:48:51.85 ID:CVEN4pvg0
>>250 思い込みの激しさ、論理根拠の脆弱さに幼稚さを感じずにいられない。w
ところで肚の西郷っていうお前のバイブルのなかでは、どこで西郷は撃たれたって城川が言ってるんだ?
西南戦争 1877年
肚乃西郷出版 1942年 w
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/21(火) 23:26:24.80 ID:flS/UgM60
肚乃西郷の発行年にどんな意味が?
城川が証言したのは何十年も前でしょう。
目撃者の身元がしっかり分かっていて、かつ証言に、死体検案書の記録と矛盾が無いのは、
城川証言だけですね。
有名な切腹説も、流れ弾説も、目撃者があやふやなうえに、死体検案書の記録と矛盾が見られ、捏造と思われます。
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/21(火) 23:39:13.30 ID:flS/UgM60
過去スレでさんざん出てるんじゃないですか?
不審な点があれば指摘すればいいと思いますが。
過去スレに具体的な城川の証言あった?
どんな感じの?具体的に
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/21(火) 23:48:38.64 ID:flS/UgM60
自分で調べてください。
既出の情報より具体的なものが今さら出てこないでしょう。
肚乃西郷持ってるけど、ただ城川という男が「桐野が西郷を撃った」って言ってたというだけで、
具体的な描写や、状況証拠、場所、人物の位置関係など全く無いんだよね。聞いてたら当然状況も聞くし、詳細に伝えるだろうよ。こんな大事な事。
西南記伝では西郷の最後が頭に風景が浮かんでくるが、肚乃西郷では風景が真っ白、浮かばないんだよ。
西南戦争から65年経って、超スキャンダラスな説を打って出るのに、それはあんまりだろうよ。
偽物はすぐにわかるよ。
城川の証言(実質的に虚無)と死体検案書に矛盾無いとか、どういう思考回路?
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/22(水) 01:15:21.51 ID:NpbnyLUd0
現場は極限状態なのに、克明に小説のように記憶してるほうがおかしい。
西南記伝が現場を克明に描写してるのは創作だから。
臨場感を出そうとしたんだろうが、細部は矛盾だらけで、捏造とすぐ分かる。
そんなものを、風景が浮かぶからとか、なんの検証もせずに本物って・・・
自分がどれだけバカなこと言ってるか分かってますか?
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/22(水) 01:44:26.86 ID:8Ja/RkTqO
>>257 >259
>>262 コピペはさんざん貼るのに、
肝心なところは、過去スレで既出、自分でググれ、極限状態だから詳しいことは分からないのが当たり前、で済ますのか。
ムーや東スポに書いてあることを「身元のはっきりしてる人が言ってるんだから」と信じられるなら、
御本人は幸せだろうな。
鳩山幸女史みたいなものか。
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/22(水) 02:15:41.17 ID:NpbnyLUd0
ムーや東スポに書いてあることじゃないんで。
玉砕を前にして、西郷が洞窟を出て歩きだし、
政府軍に投降するものと見うけられたので、桐野が西郷を撃った
ふつうに状況が浮かんで見える証言だと思うが?
城山に入ってからの、投降論や助命の議論で、西郷と桐野が心中違っていたようだ、
という背景も知っていれば、もっと状況が見えてくる話しだね。
西南紀伝に引用されてる様々な西クの死について語っている史料においても
銃で撃たれてから、首を斬られたという点についてはすべて一致してるんで
検死報告書となんら矛盾しないね。 それらの史料は政府軍側の公式記録で
あったり、西クの従者である吉右衛門の証言であったり、証言者の身元も
はっきりしてるわけだね。 城山の証言だけが検死報告と矛盾しないなんて
そんなことはありえないねw
西南紀伝でも西クが自分で腹を斬ったという証言はないし。 最後に
西クが腹切ったという話は、西クの死後につくられた童謡によって
人口に膾炙したのではないか。
「一かけ二かけて」という童謡にはこんな一節があるね。
>私は九州 鹿児島の西郷隆盛 娘です
>明治十年 三月に切腹なさった 父上の
>お墓参りを 致します
西クが最後に腹切ったという話は、この童謡を通じてひろまったんだろう。
あ、城山じゃなくて城川か。
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/22(水) 07:30:15.51 ID:Nsm9tkydO
>>262 同意
西南記伝の方がよほどムー・東スポなのにね(笑)
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/22(水) 07:51:19.67 ID:NpbnyLUd0
>>265 西南紀伝読んだことあります?
引用されたものも読んだこと無いんじゃない?
「西南記伝」では、西郷は腹と股に被弾している。
もう一つの信者ソース、「薩南血涙史」の西郷は、
肩から股を貫通、もしくは肩と腹を撃たれた、だったかな?
どっちにしても死体検案書と矛盾している(現実の西郷の遺体は股を1発貫通)。
したがって、上記の二つのソースは捏造です。
>>269 肚乃西郷って薄っぺらい、何かのパンフレットみたいな、ボロい本だぜ。
血と汗を感じる西南記伝のボリュームと迫力は次元が異なる。
笑えるのは皮肉な事に99%の内容はお前らがコケにしている西南記伝や、南洲翁遺訓を丸写しした内容ってことだ。
>>270 お前のその文章でお前自身がその二冊とも読んで無い事が判明してるぞ。w
>>270 因みに肚乃西郷では西郷はどこを撃たれたって書いてあるのかな?w
死体検案書と矛盾しないって、お前言い続けてるよな。w
嘘つきはばれますよ。
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/22(水) 08:20:13.83 ID:NpbnyLUd0
肚乃西郷は被弾箇所なんて書かれてないだろう。
城川は目撃しただけで、西郷の体を調べたわけではないのだから、被弾箇所まで分からないのは当然だと思うが。
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/22(水) 08:24:10.60 ID:NpbnyLUd0
訂正
城川は被弾箇所なんて証言してないだろう。
編者が勝手に解説したと思われる美談まがいの話しは載っていたが。
城川は目撃しただけで、西郷の体を調べたわけではないのだから、被弾箇所まで分からないのは当然だと思うが。
>>274 そう、被弾箇所は書かれてにんだよ。
城川の話は状況証拠も何もあったもんじゃ無いんだよ。
だから検案書と矛盾は無いとか、あるとか検証の舞台にすらあげられないんだよ。
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/22(水) 08:28:00.83 ID:NpbnyLUd0
撃たれたと証言して、検案書でも銃創があるのだから、べつに矛盾してないな。
>>277 じゃ、肚乃西郷の様に何も説明しないほうが矛盾せず、真実って事か?
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/22(水) 08:40:35.01 ID:NpbnyLUd0
説明せずと言うが、説明を意図的にはぐらかしたわけではなかろうに。
城川は説明できる範囲で証言しただけだろう。むしろそれは現実的だ。
対して、信者ソースは矛盾はあきらか。消去法で言えば消していい話し。
とうとう開き直ったな。w
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/22(水) 08:51:31.12 ID:Nsm9tkydO
279さんの言う通り
薩摩厨弱すぎ
薩摩厨弱すぎ
>>270 おめ〜こそ西南紀伝読んだことあるの? 西南紀伝では西郷の死に際について
複数の証言を引用してるね。
「市来四郎日記」では「銃丸数箇所、中にも股と腰部胸部にありと」なっていて
「城山悲風余響」では「島津要氏の宅前にて銃丸に中り、倒れたるを桐野見て首を刎ね」とある。
「加治木常樹城山籠城調査筆記」では「銃丸翁の腰部と太股に当り」とあるね。
「大野義行実話」では「西郷先生が別府、辺見諸将と共に島津応吉の邸前に往った時、
銃丸に中ったのであったが…」となっている。
このようにどこにあたったかは西南紀伝に引用された証言においても、証言によって
まちまちである。銃弾にあたったことは確実だな。
検死記録においては、「右太腿より座骨部貫通銃創」となっているが、太股から
坐骨に銃弾が貫通したら、股部と腰部二箇所から出血したろうから、加治木常樹の
ように、腰と太股二箇所に銃弾があたったと認識しても、不自然ではないな。
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/22(水) 11:20:02.58 ID:8Ja/RkTqO
「じねんのゆっさは、桐野のゆっさ」
(西南戦争は、桐野の戦争)
と鹿児島では言う人が割合たくさんいた。
そういう意味では、維新に功績があった西郷が、
桐野のせいで討たれた(非業の死を遂げた)、
と言える。
城川が、
「結局西郷は、桐野に討たれた(ようなものだ)。」
とキツい鹿児島弁で語っていたのを、
どこかで聞きかじった筆者が「本当は西郷は桐野に撃たれた、こりゃ世紀の大スクープ!」
と大はしゃぎしたのが、「肚乃西郷」の真相だったりするんじゃないのかね(笑)
これなら城川も嘘をついてる訳じゃない。
西郷が撃たれた時の、城川、桐野の三人の状況や位置関係、無数に弾飛び交う中で桐野が撃ったと断定できる理由が示せないなら、
「肚乃西郷」もまた異説の一つに過ぎないでしょう。
西南紀伝に引用された証言のうち、検死記録ともっとも符号しないのは
市来四郎日記だね。 検死記録では胸に銃創なんてないし。
それでも銃創が股と腰にあったというのは、検死記録と符号してるね。
誰が西郷の首を斬ったのかという話なんだが、西南紀伝では
別府説と桐野説の証言をそれぞれ引用してるね。
別府説が三説に、桐野説が一説で、別府説のほうが多数説で
有力ということになりそうだな。 ここに城川証言をくわえても
まだ三対二で別府説のほうが有力ということになるね。
城川証言というのも、城山悲風余響にある桐野が西郷の首を
刎ねたという証言と、ほとんど内容的にはかわらんだろう。
違いはただ西郷を撃ったのは桐野だという話だけで。
ほかの証言は西郷を撃ったのは誰か、つまびらかにしてないので
城川証言だけが、西郷を撃ったのは桐野だと述べてるね。
この少数説にほかの説にはない合理性があれば、検討の
価値はあるだろうが、桐野射殺説でなければ説明できない
ことって別にないよね。
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/22(水) 17:45:45.25 ID:5532he79I
ところで城川て本当に実在したのですか?
南日本新聞で一旦実在を否定されその後にまたひるがえされたとか言ってるアンチ西郷がいたが。
ちゃんとしたソースがあるのでしょうか?
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/22(水) 20:30:16.58 ID:NpbnyLUd0
記述に矛盾はあるが大筋では似てるから問題ないのだ、
なんて主張は、結論ありきのポジショントークでしかないよ。
一方で、実在する目撃者がおり、矛盾無し、現実的な動機まで
揃ってる城川説をなぜ頭ごなしに否定するのか、
ほとほと理解に苦しむ・・・
事実を、必死に検閲、隠蔽してるみたいに見えますよ。
>>290 これだけ明確に論破されているのに、お前のほうが理解に苦しむ。
第三者目線で見ると「どっちも明確な証拠は無いんだなあ」という印象。
まあ戦死だから仕方ないかも知れないけど。
推理小説風に言えば、
「唯一の目撃者の証言には、嘘をつく理由はないというが、具体的説明は何もない」ということでしょ。
これで「桐野が犯人だ」と断じるのはいくらなんでも無理。
サー・ウォルター・ローリーの爪の垢でも煎じて飲め。
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 07:27:42.86 ID:P72wcmvKO
加治木の六番態だったかの編成表に城川の名があって墓もあって城川が実在しない、という西郷信者の話が
否定されたのが30年くらい前の南日本新聞で、片岡御庵堂という人も確認したと南方新社の本(題名忘れた)に書いてた。
あと合併前の加治木町役場で地元の遺跡とかの発掘やってる部門の管理職の人と以前その話になった時、
加治木町史だか加治木史誌だかに出てると言ってた。
私は今はもう鹿児島にいないんでどなたか加治木の役場に行って調べて下さい。墓も見つけて下さい。
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 07:34:48.83 ID:/vnGHtJC0
客観的に、事実と断定できる資料がある。
西郷の死体検案書だ。右大腿より左骨部貫通銃創。
ここから分かるのは、
骨を貫通させるほどの至近距離から銃撃された可能性が高いということ。
そして被弾は一発であること。
これと唯一合致するのが城川説である。
桐野が西郷を撃った。
至近距離であったと分かる説明である。
しかもこれは推理小説の仮説ではない。
身元のはっきりした目撃者の証言なのだ。
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 07:53:05.82 ID:P72wcmvKO
そう、それも以前論争になって、西郷の巨体から恐らく大腿部の骨もかなり太くて丈夫だろうし、
さらに洞窟から出た西郷が右からという方向は薩摩軍方向という議論になった。
西郷が左を振り向いた時、正面の官軍から撃たれたと証言する人もいたが、私は洞窟を出て官軍側へ向かった西郷
が敵の弾丸が飛ぶ中、突っ立って身体ごと左に振り替えるのは不自然と思った。
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 07:54:37.09 ID:P72wcmvKO
訂正 証言する人→主張する人
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 07:56:58.56 ID:q/KFmG6g0
東大の検死資料の結果がどのような蓋然性をもって桐野殺害説を支持するのでしょうか。
説明してください。
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 08:05:47.68 ID:/vnGHtJC0
支持ってなに? 裏付けてるかってこと?
右大腿より左骨部貫通銃創。
ここから分かるのは、
骨を貫通させるほどの至近距離から銃撃された可能性が高いということ。
そして被弾は一発であること。
これと唯一合致するのが城川説である。
桐野が西郷を撃った。
至近距離であったと分かる説明である。
しかもこれは推理小説の仮説ではない。
身元のはっきりした目撃者の証言なのだ。
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 08:06:04.58 ID:q/KFmG6g0
銃弾が骨を貫通するのは桐野くらい近距離しかあり得ない、というのは無理のある前提。
勝手な前提を作らないでください。
また、西郷さんは洞窟を出てすぐに撃たれたわけでもないだろ。
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 08:11:11.55 ID:q/KFmG6g0
どれ位を持って君が至近距離と言っているかはわからないが、西南戦争全体において、
例えば田原坂の戦いなどでもある程度の距離で向き合って、
銃撃戦で骨まで打ち砕いているものはいくらでもあるだろ。
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 08:11:37.08 ID:/vnGHtJC0
前提なんて作ってませんよ。
その可能性が高いということ。
距離については、ほかの西南記伝ではよく分からないが、
城川説では少なくとも至近距離であったろうと分かる。
ふつうにより具体的な説明になってると思うが。
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 08:13:06.84 ID:/vnGHtJC0
>>302 さあ、そこは具体的にデータ出してもらわないと、たんなる妄想、言いがかりですよね。
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 08:14:11.88 ID:/vnGHtJC0
少なくとも城川説では至近距離から放たれるであろうから、
検死書の骨貫通の記録と矛盾しない。
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 08:31:26.23 ID:P72wcmvKO
まぁ先入観なく公平に考えれば西南記伝より城川が真実を伝えてると判断できるわなぁ
見たって奴が居て、辻褄も合ってる
これを否定したら、ソースが伝聞みたいな旧来の説や美談も、論理的に成り立たなくなるだろ
そのへんどうすんだよ?
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 10:37:01.16 ID:q/KFmG6g0
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 13:26:32.57 ID:q/KFmG6g0
至近距離から撃たれた? 検死報告にそんなこと書いてないね。
西南戦争における官軍の主力装備であるスナイドル銃の
有効射程は900mというから、至近距離でなくても人体を
貫通できるだけの殺傷能力はあるね。
私学校生徒たちが政府の武器庫から強奪したエンフィールド銃も、射程距離は
スナイドル銃と同じくらいあったが、連射能力が劣っていて、それが戦闘における
薩軍不利を招いた大きな要素であったね。
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 15:17:15.23 ID:P72wcmvKO
射程距離と板や骨の貫通能力は全く違う。
厚さ2センチほどの杉板で貫通は50メートル以内だったんだよ。
西郷の大腿骨の固さはそれ以上かもね。
>>307 他の説との整合性を考えないといけないねえ。 桐野が西クを
斬ったという話もあれば、別府が西クを斬ったという話もあるわけ
だからね。 別府が斬ったという話が本当なら、桐野説は
なりたたなくなるわけだね。 別府が斬ったという証言も
いくつもあるわけでね。桐野が斬ったという証言は数が少ないから
たいてい別府が介錯したということになってるわけだね。
>>312 大腿は貫通したろうが、検死報告のどこに、大腿骨を貫通した
なんて書いてあるんだよw
自説に固執するあまり、適当なでっちあげを口走るというのは
信憑性をなくするだけだよねw
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 16:24:41.95 ID:P72wcmvKO
右大腿ヨリ左骨部貫通銃創 と書いてあるよ 見に行けよ
>>616 >右太腿より座骨部貫通銃創
左骨部じゃなくて、座骨部だろ? 座骨部ってのは座骨のある
部分ということで、下半身とか鼠径部に近い意味だな。
座骨部を貫通したというのは、骨を貫通したという意味では
必ずしもないね。 で、この検死記録をどう読んでも、大腿骨を
貫通したなんて読み取れないねw
まあ、西南戦争末期には西ク軍は悲惨な有様になっていたので
補給もままならず、西クはガリガリに痩せて、骨と皮しかなかったから
当然骨を貫通したんだ!と主張するなら、それなりに整合性はある。
だが西クの死体は肥大してた、つまり太ってたという証言があるし
最後までつきしたがった従者の吉右衛門も、西クの太った体を
坂道の上におしあげるのはとても苦労したと述べていたし、西クは
西南戦争のときは太ってた可能性が高いから、骨を貫通したという
説はそれだけ蓋然性が低くなるわけだな。
だいたい左骨ってなんだよw そんな言い方じゃどこにある骨か
わからないだろうがw 鎖骨や座骨っていいかたならば、どこに
ある骨かわかるがね。 「左骨」なんて変な書き方を検死報告書が
やるわけがないね。
政府軍のスナイドル銃の威力がどれくらいだったかは、
私学校跡の石垣にちゃんと残っている。
人間が金ヅチの尖った所で思いっきり叩いても、開かないような穴が穿たれている。
政府軍だって、西郷軍のエンフィールド銃から狙われるわけだから、
そんなに至近距離から撃って開いた穴でもあるまい。
現在の私学校跡や鶴丸城跡が政府軍に制圧されて、
そこから物量にもの言わせた銃撃があれば、
西郷の肉体を右から左に貫通したとしても、そんなに不思議はありますまい。
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 20:05:23.15 ID:P72wcmvKO
鶴丸城の石垣は「たんたど石」っつう桜島の火砕流堆積物の凝灰石なんだよ。
柔らかいとこと硬いとこの差が激しくてキチンと形を整えなくて多少凸凹でもつぶれて石組みしやすいので有名な石なんだよ。
照国神社の裏にもころがってるし城山観光ホテルに上がっていく階段脇にも多少残ってる。
今度トンカチでたたいてみるが、昔、線香立ての穴を空けた奴の話だと意外にもろくて簡単に穴が空くそうだがな。
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 20:29:45.92 ID:P72wcmvKO
ちょっと今、調べてみたが「たんたど石」は堆積方向には大変強度があるということだ。
まぁそうでなくては石垣には使えないだろうな。
当然、石組みする時に上下方向に強度が活かされる組み方をしてある。
その分、横から、つまり銃弾が飛んできた方向ではモロいってことだな。
「左骨」なんて書いて、西クの検死報告では左大腿骨貫通の
所見があるなんて誤認させたかったのかねえ。
そんなせこい印象操作なんて、ばれたらますます印象が
悪くなるだけなんだけどw
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 21:35:59.53 ID:P72wcmvKO
はぁ?左骨部と書いてある以上仕方ないよ。
ひだりこつぶ と読むのではないかね。
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 21:54:09.46 ID:/vnGHtJC0
>>323 おまえが一人で、座骨とか左大腿骨なんて言って、生き恥さらしてるの気がつかないか?
死体検案書に「右大腿より左骨部貫通銃創」て書いてあるんだから、
骨を貫通したに決まってるだろ。
仮に、体の一定の範囲を表しているとするなら、同じく貫通してる右大腿と同様、左大腿部とか書くだろう。
骨が貫通してるから、骨なんだよ。
>>325 ん〜? 生き恥晒してるのはおまえの方だろw
>「西郷隆盛 衣服 浅黄縞単衣 紺脚絆 創所 頭体離断
>右太腿より座骨部貫通銃創 右尺骨部旧刀創 陰嚢水腫」
西クの検死報告はこのとおり。 どこに「左骨部」なんて書いてあるんだよw
座骨という言葉は日本語にあるが、左骨って書いてあるだけじゃ
左鎖骨なのか、左大腿骨なのか、左脛骨なのか、左橈骨なのか
わからないだろうがw 左骨なんて日本語はないの。
>>325 左骨ってのは笑える。
骨盤は腸骨、恥骨、坐骨があるんだよ。
尺骨というのは前腕の小指側の骨だが、その様な医学的な専門的な用語
も使って書いてある検案書で、左骨はありえない。
当然、医師が検死しているわけだが、左骨はあり得ない。
自然科学系の文章や論文を全くみた事が無いだろうから、そのようなわけのわからない事言っちゃうんだろうな。
科学系の文章で、そのような曖昧なterminologyはありえないんだよ。
>>321 いや、たんたど石と西郷どんの体はどっちが硬いか、という流れなので、
あなたひとつ今度、たんたど石の角に頭突きしてきなさい。
レポよろしく。
329 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 22:45:24.38 ID:/vnGHtJC0
>>326 おまえは実物見たのか?
おれは見て無いが、何かで読んで「右大腿より左骨部貫通銃創」だと記憶している。
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 22:54:36.85 ID:tjj8dkejI
大体、銃弾が大腿骨に当たったら貫通ではなく粉砕することになる。
検死報告書には「右尺骨部旧刀創」ってあって、これは西クが
若い頃受けた刀傷だってことになって、これは遺体の人物同定を
する際の重要な証拠になったんだよね。 これが「右骨部旧刀創」
なんて書いてあったら、どの部分に傷があったのか全然わからないw
>>329 何かで読んだけど、なんで読んだのか思い出せないって
そんなの論拠としてまったく価値がないからw なんで
読んだか思い出してから、「左骨」説を主張しろよ。
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 23:23:56.76 ID:/vnGHtJC0
結論はあれども、具体的な説明は無しというのは、
「肚乃西郷」と同じですね。
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/24(金) 01:23:08.49 ID:XfL7jwf80
そもそも、政府軍が撃った場面を目撃した人物いるの?
スナイドル銃がどうのって絵に描いたモチだよ。
↓これがすべて
客観的に、事実と断定できる資料がある。
西郷の死体検案書だ。右大腿より左骨部貫通銃創。
ここから分かるのは、
骨を貫通させるほどの至近距離から銃撃された可能性が高いということ。
そして被弾は一発であること。
これと唯一合致するのが城川説である。
桐野が西郷を撃った。
至近距離であったと分かる説明である。
しかもこれは推理小説の仮説ではない。
身元のはっきりした目撃者の証言なのだ。
>>334 「2ちゃんに書き込めば史実」というのは、
まさに「画に描いた餅」だと身をもって示しているわけですね。
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/24(金) 07:50:41.71 ID:InBistAQ0
>>334 同じことのくりかえしだが、
大腿骨みたいな長幹骨を貫通て言うのはおかしいんだよ。
【結論】
城川の奇説は状況証拠の描写が全くなく、検証の舞台にあげられることすら不可能である。
西南戦争後65年経って独断、売名のための奇説、および他書の書き写しで構成された肚乃西郷の信憑性は、
のべ1500人以上の証言もと、血と汗のにじむ尽力の結果編纂された西南紀伝と比べるべくもなく、
文献的価値は皆無に等しく、戦渦をくぐり抜けた証言者らへの冒涜とすら言える。
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/24(金) 08:31:26.23 ID:XfL7jwf80
死体検案書 ・・・
股に1発被弾(骨貫通) 切腹跡なし
城川証言 ・・・
桐野が西郷を1発銃撃(目撃者あり) 至近距離 など
西南記伝 ・・・
腹と股に2発被弾 政府軍の銃撃なし(目撃者なし) 切腹 など
■結論■
西南記伝は死体検案書の記録と矛盾だらけ。
極限状態で、細部や会話(しかも芝居調w)まで描写されているのは極めて不自然。
遠距離からの政府軍の銃弾では骨を貫通できた可能性は低い。
そもそも政府軍が衝撃した場面を目撃した者もおらず、完全な想像にすぎない。
しょせんは西郷神格化ありきのプロパガンダ本。
城川証言には死体検案書との矛盾はなんら見られず、
桐野は西郷を至近距離から銃撃したはずであり、骨が貫通していた死体検案書の記録と一致する。
また当時、桐野と西郷のあいだで感情の齟齬があったという、動機の裏付けまで存在する。
しかもこれは身元のはっきりした目撃者の証言なのだ。
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/24(金) 08:37:38.79 ID:XfL7jwf80
貫通という言い方、べつにおかしくないと思うよ。
粉砕して抜けていればそれは貫通なんじゃない?
大腿骨とはかぎらないし
左骨部って、たんに左側のどこかの骨から抜けてたという意味かもしれないし。
明治10年時の検死ですからね。
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/24(金) 08:45:40.81 ID:InBistAQ0
明治10年ではとっくに現代医学、マクロの解剖学などはほとんど完成している。
左側のどこかの骨とかではなく、骨であれば具体的な解剖を記すのは当然。
貫通なら頭蓋骨、腸骨などの、幅のある扁平な断面の骨ならあり得る。
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/24(金) 08:50:10.65 ID:0AMaFWaSO
まぁ、7:3 で城川が西南記伝より優勢な感じですな
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/24(金) 09:03:30.49 ID:XfL7jwf80
西南記伝は無いと思いますよ。
城川説が”絶対”とは言いませんが。
城川市二さんがウソを付いてるとか、思い込みが激しいとかありえますから。
しかし、それを言い出したら西南記伝などは”絶対”とはほど遠い、矛盾だらけの聞き覚えみたいな話しです。
そんな目撃者もいないような話を、紙面では細部や会話まで描写してるというw
大部分、西郷神格化ありきの意図的な創造でしょうね。
著者はどうしても西郷隆盛を神格化したい反政府主義者、アジア主義者ですから。
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/24(金) 09:15:55.36 ID:0AMaFWaSO
加治木島津家が西郷に与しなかったんで、加治木は私学校参加も極めて少なかったし。
城川は、そうした中、馳せ参じて加治木六番隊にいたんだから、西郷信者だったんだろ。
城川は淡々と見たままを話してたと考えるのが普通だと思うなぁ。
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/24(金) 09:16:49.20 ID:XfL7jwf80
城川説を疑問(ウソをついているなど)に思う人が出てくるのは分かりますが、
ここまで説明して、城川説よりも西南記伝を推す人間がいるのが不思議です。
おおかた、美談を崩されると都合の悪い鹿児島県の関係者などですかね。
郷土の偉人(と信じられている)西郷の貶めになるような書き込みに我慢ならないんでしょう。
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/24(金) 09:59:41.58 ID:0AMaFWaSO
いや私も元鹿児島人ですが。
ただ、ここ10年ほどですが西郷ばっかり偉い偉いには疑問を持つ人達も増えてまして。
東京の鹿児島県人会などでは故郷では言えないけど、実は西郷より大久保の方が偉い、という人も増えてましてね。
ちなみに屍体検査書のソースはここな。
http://www.geocities.jp/huckbeinboxer/kokubou002.html 「座骨部」ってちゃんと書いてあるね。
死体検査書については「西南役側面史」という本に
のってるそうな。
桐野の死体検査書もネットでみられる。詳細は以下の通り
>衣服 績縞上着縮緬襦袢。創所 左大腿内面筋骨銃創、右脛骨刀創、左中指旧切痕、
>下腹部より腰部貫通銃創、前頭より顳?部貫通銃創、左前頭より傾頂部に刀創、左中指端傷」
西クのみならず桐野の死体にも貫通銃創はあるね。 桐野も他の
貫通銃創がある死者もみんな至近距離で弾うけたのかね? それは
可能性が低そうだねえw むしろ官軍の銃の威力を示してるね、検死報告書は。
司馬のあの長編「翔ぶが如く」に死体検査書が引用されてないかと
おもったが、引用されてないのな。 別の本に載ってないかさがしてみるしかないね。
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/24(金) 13:58:11.62 ID:0AMaFWaSO
西郷信者が信じる数々の美談には西郷が切腹したあと、桐野らは官軍の銃弾の飛び交う岩崎口に突っ込んだ!
ってことになってるんだから貫通銃創あって当たり前だろう。
まぁ桐野らが突撃した時は接近戦だったと、かつて様々な歴史の重鎮が鹿児島の講演で話されてるので本当だろうな。
>>347 誰だよその重鎮ってのはw どうせまた今適当にでっちあげた話じゃね〜の〜w
大久保は今でも鹿児島はおろか全国でも不人気。
「左骨部」についても、どっかで読んだことがあるっていうだけで
いまだにまともなソースないしw
>>346 これだけ言ってもアンチ西郷は「左骨部」っていうんだろうな。
実社会ではあり得ないよな。
>>351 論理的的な話で負けたら、開き直るだけがアンチ西郷の手法だから
しょうがないかな。
>>352 まあ、「西南役側面史」を読んでみて、「左骨」って書いてあったら
こっちが降参するしかないねw
>>353 どんなにダメージをうけても、絶対に自説を翻さない、これが
デターミネーションってやつだなw 相手の意識を断ち切る一撃を
くらわさないと、相手をダウンさせられないね。
西郷信者のゴマカシ酷いねえ
西南役側面史に載っているのは、桐野少将の死因だ
西郷隆盛の検死書など載っていない
そんなモロバレの子供だまし・・・自分の首を絞めるだけだろうに
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/24(金) 19:35:46.73 ID:InBistAQ0
ところでアンチ西郷からの『左骨』のソースはまだなのか?
また、お前の脳みその中とかは無しでな。
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/24(金) 19:46:33.26 ID:InBistAQ0
324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 21:35:59.53 ID:P72wcmvKO
はぁ?左骨部と書いてある以上仕方ないよ。
ひだりこつぶ と読むのではないかね。
325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 21:54:09.46 ID:/vnGHtJC0
>>323 おまえが一人で、座骨とか左大腿骨なんて言って、生き恥さらしてるの気がつかないか?
死体検案書に「右大腿より左骨部貫通銃創」て書いてあるんだから、
骨を貫通したに決まってるだろ。
仮に、体の一定の範囲を表しているとするなら、同じく貫通してる右大腿と同様、左大腿部とか書くだろう。
骨が貫通してるから、骨なんだよ。
329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 22:45:24.38 ID:/vnGHtJC0
>>326 おまえは実物見たのか?
おれは見て無いが、何かで読んで「右大腿より左骨部貫通銃創」だと記憶している。
359 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/24(金) 19:49:12.60 ID:InBistAQ0
ひだりこつぶ wwwww
>>360 結局、お前もネットソースしかだせないんじゃんw
しかもずっとしょっぼいサイトだし。
左骨盤ってのは、左大腿骨とは違うもんだよねえ。
ネットソースですら、左大腿骨貫通のソースは
提示できなかったというわけだね。
まあ座骨部、左骨部、左骨盤って、ネットソースも
いろいろだねえ。
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/24(金) 21:57:45.54 ID:XfL7jwf80
>>346 > 死体検査書については「西南役側面史」という本に
のってるそうな。
あきれたね。ソースの偽証とは・・
おまえ、鹿児島の恥だ。
別に「桐野が西郷を撃った」のが事実だというなら、
それでもいいんだよ。
ただそれなら納得いく説明が欲しいというだけ。
少なくとも「桐野射殺説」は異説の一つで常識にはなっていない。
・「肚乃西郷」なる本に、「桐野が撃つところを見た」と「だけ」「聞いた」と書いてある。
・城川なる人物が嘘をつく理由はない「はず」だ。
・検死の記述から至近距離から西郷は撃たれた「はず」だ(どれくらいの距離かは分からない。スナイドル銃の威力も考慮にいれない)。
・動機は西郷と桐野は不仲だったからだ。
これだけで桐野が西郷を射殺した、というのを納得せいと言うのは無理だよ。
状況証拠と呼ぶにも不満足でしょう。
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/24(金) 23:11:33.06 ID:XfL7jwf80
>>364 それ以上の説明はむりでしょう。
今さら新事実が出てくるわけでもないでしょうから。
それでも、西南記伝あたりの説に比べれば、矛盾の無い自然な説明だと思いますが。
まあ、目撃者の城川さんは「城川なる人物」というようなあやふやな存在ではなく、
城川市二というれっきとした実在した人物であります、とだけは言っておきましょうか。
366 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/24(金) 23:23:00.08 ID:DyT+xdKrO
>>365 「桐野が西郷を射殺した」という説も、
「城川市二さん」が実在の人物であること以外は、あやふやな点が多いことは認めざるを得ない、ということですか?
>>365 お前西南紀伝も全然読んでないのもバレバレだったろw
ここ数日の過去スレを見たら桐野射殺説はだれがどうみても
無理があるだろ。城川説に矛盾が無いと言ってるやつは
本気だったら専門病院に行ったほうがいいぞ。
369 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 00:17:44.93 ID:afs15kzl0
>>366 というかあやふやな点が無いでしょう。
洞窟から出ていった西郷を桐野が銃撃した。
これ以上明解な話しってある?
西郷の死体検案書との矛盾も無い。
桐野が銃撃したとしても不自然ではないと思わせるに足る動機もある。
目撃者で証言者の城川さんは実在した人物である。
370 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 00:47:14.63 ID:afs15kzl0
>>366 なんの先入観も持たずに向き合えば、ふつうに、ああそうなんだ程度の話しだと思うが。
説得力のある現実的な説ってだけ。
>>369 西郷が桐野に撃たれたとして、
桐野、城川が西郷に近い位置にいたように、
別府らを始めとする幹部やその従卒ら、複数人が西郷に近い位置にいたのは認めますか?
自分はアンチでもオタでもないので西郷殺害についても全然詳しくないんだけど
新政府側の新撰旅団へ所属してる人が書いた日記っていうのは有名なの?
以前何度か個人サイトで桐野殺害説の資料として挙げられたのを見たんだけど
なんてタイトルの資料なのか、誰が書いたのか忘れて、調べられないw
確か、記憶では
新政府軍が陣地に攻め入る→西郷が逃げようとする→兵士に見つかっちゃって大変!→それを見た桐野が西郷を殺す
みたいな内容だとか紹介されてた気がする。
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 01:40:18.37 ID:afs15kzl0
>>371 さあ、それは私に聞かれても困るんだが。
そんなの当事者以外は、特殊な交渉術でも使用して西郷軍に潜入しないと分からないでしょ。
>>373 じゃあここまでお付き合いください。お願いします。
「桐野が西郷を射殺した」という説は、
「肚乃西郷」に書かれた城川証言があってこそ成り立つ、という理解で良いですか。
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 02:10:11.41 ID:afs15kzl0
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 02:15:05.67 ID:afs15kzl0
>>372 それは西郷軍に捕らえられていた政府軍兵士(捕虜)の目撃談じゃない?
「征西従軍日誌」の中に出てくる。
洞窟から出て走っていた西郷が、なぜか突然うずくまり、
すぐに桐野も走って来て、その場にいた人々は桐野が政府軍に突撃するつもりかと思ったら、
なんと西郷の首を刎ねたので、みなパニックになり洞窟に逃げ帰ったという証言。
ちがうなら詳しく知りたいけど。
>>363 別に偽証なんてしてないやんw それとも西南役側面史に死体検査書は
ひとつも載ってないって確かめたの? 西南役側面史読んだことあるの?
だいたい俺は鹿児島とは何の関係もないぞw
まあ、城川証言だけが死体報告書と矛盾しないかというとそんなことは
とてもいえないね。左骨部を貫通したから、至近距離からの発砲以外
ありえないって、至近距離ってどのくらいの距離かもわからないし
とてもじゃないが、桐野射殺説だけが検死報告書と矛盾しないなんて
いえないよね。
肚乃西郷は大体小説仕立ての作り。
しかし、全てにおいて引用文献などに提示もなく
これを持って、何かの説を建てるのはいささか、幼稚では無いか。
380 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 08:28:07.05 ID:afs15kzl0
>>379 小説仕立て? 一種の美談集だよ。
信者美談の紹介と、それに対して、城川証言を引き合いに出すかたちで、
どちらがつじつまの合った話しか検討もくわえられている。
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 08:29:32.02 ID:afs15kzl0
>>377 よくまた戻ってこれたな。「ないやんw」て今度は関西人偽証か。
クズ。
>>380 また嘘ついたな。w
検討のけの字も無いぞ。
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 08:50:25.93 ID:afs15kzl0
肚乃西郷は昭和に入ってから刊行されたが、
著者の父竹崎一二(当年81歳)が私学校の残党を集めて作られたる三州社の社長たりし際、
研究せし西郷先生の逸話を主材として収録せるものなり、という内容のものだ。
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 08:56:26.25 ID:afs15kzl0
著者は城川証言について、この事実が記された書物はほかには無いと思う、
と暗に黙殺されてきた説であることを認めている。
しかしこの証言が疑いなく事実であるとする理由として、
通説のように玉砕するつもりなら洞窟やその前庭で自決すればいい話しであり、
西郷の遺体が見つかった地点までわざわざのそのそ歩いていく必要はないのである、としている
また、佐賀の乱で江藤新平が西郷に決起をうながした時、
西郷は大義名分を重んじ、江藤に呼応しなかった。
城山の時の西郷は、西郷軍には大義名分があり賊では無いということを、
投降し政府軍に説きたかったのだ、としている。
城山に一度来て、洞窟と西郷終焉の地点の位置関係を見れば、
西郷投降&桐野銃撃説こそ事実であることが分かるであろう、と書いている
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 09:04:25.72 ID:71mjBJ9mO
官軍側の征西従軍日誌と薩摩軍側の城川目撃談から桐野が西郷を射って首はねたことは、もう否定出来ないよね。
死体検案書も、少なくとも城川の話に矛盾してないし。
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 11:08:24.05 ID:afs15kzl0
征西従軍日誌の捕虜の証言はほかにもあって、
20日、城山の洞窟で桐野が「もはや再興の機を失せり」と嘆いた。
洞窟に潜んでいるあいだ、将校みな激沸喧騒、議論していた。
(玉砕するか降伏するか西郷助命嘆願の返事を待つか、などの議論であろう)
西郷は席に肘をついたまま何も言わなかった。
突然大笑を発したかと思えば、うつろに天井を見上げるのみ。
そのような西郷のあり様を見て、辺見十郎太などはキレそうになり、西郷を睨みつけていたそうだ。
(辺見からすれば、西郷に覚悟を決めてもらって、供に玉砕すべしと言って欲しかったんでしょうね)
>>381 半分関西人の血ははいってるがねえ確かに。
純粋の関西人ではないね。
まあ、桐野が首斬ったって話もあるんで、誰かに銃で
撃たれてから、桐野か別府に首斬られたって、それだけは
確実だな。 撃ったのが桐野かどうかは、肚之西クにしか
見えない話なんで、他に多数の目撃証言あるわけでないし
やはりまあ、これしかありえないなんていえないねw
司馬も肚之西クの信憑性について考察してるが、城川という
従僕はいないっていってた。 実際には城川という従僕が
存在してたって話だが、司馬の考察はそれだけではないね。
桐野と西クはうまく意思疎通がとれてなかった形跡があることは
認めてるんで、桐野の側からすると、西クが官軍側に降伏しようと
狐疑したというのはありうるとしてるね。
だがしかし、城山の洞窟は完全に官軍に包囲されてたので、西クが
かけおりた坂の下も大矢来が備え付けてあって、とても政府軍側に
いけるものではなく、それは西クもよく知ってたから、桐野が疑惑
したような、西クが投降しようとして坂を駆け下りたって話は
なりたちにくいとしてるね。
また、桐野と別府は親友以上の仲であり、別府にいざというときの
介錯を頼むと西クが伝えておいたとすれば、桐野がそれを知らなかったと
いうのも考えにくい、よって肚之西クの説はそれほど信憑性がないと
このように考察してるね。
この司馬の考察は、仮に城川が存在していたとしても、未だに
有効な部分であろうよ。
当時毎日新聞連載中の「跳ぶが如く」の著者司馬遼太郎はわざわざ一日分を費やして
「別府晋介の従僕に城川なる者はいなかった」として桐野射殺説を否定されたが、
「葛城彦一伝」に”別府晋介附従卒城川市二、同小杉恒右衛門”と明記され、
墓碑まであるのだからこれは当然司馬氏の勇み足だろう。
「跳ぶが如く」の連載が終わって、歴史家萩原延寿氏との対談(朝日紙)の中で、
「当時の桐野の心境を考えると西郷を撃つという事も状況としてあり得る。」
と述べて、司馬さんもその後の考えを変えておられるようである。
城川市二さんの孫嫁の城川久子さん(当時73歳)の健在を聞いて、
国道10号線沿いの城川さんのお宅に行き、話をお伺いした。
「お祖父さんは83歳で亡くなられるまで、私たち夫婦がずうっと面倒を見てきました。
お祖父さんは鹿児島の町の黒岩どんから養子に来られた方で、口数の少ない
きびしい人で亡くなられるまで、西南の役の戦さのことはほとんど話されませんでした。
(城川翁が頑なに口をつぐんでおられた様子が窺われる。)
従軍仲間の小杉恒吉衛門さんなどがお見えになると、来たか、上がれ上がれと喜んで
奥の座敷で焼酎を飲みながら、昔話をいろいろ語っておられました。
昭和の3、4年ごろ確か東大の先生だったと思いますが、二、三度春になりますと
お見えになり、お祖父さんは羽織はかまに威儀を正して、ふすまを閉めきって
私共を近づけずに、朝から遅くまで何事か話をしておられました。
ここ城川の家は代々、鍋製造が稼業で職人が20人ぐらいおりましたので、
三時の茶入れの時なぞはいろんな噂話がはずむものでしたが、そんなとき
お祖父さんが現れて、今ン話しはおはんナ自分で見た話しか、人から聞いた話しか
と詰問されて、相手は眼を白黒させて、いや、ただ人から聞いた話でございもすと言うと、
”わが眼で見た話しでなかのなら、ここでは語いやんナ” とピシャリと言って
引っ込んで行かれるもんで、ヒャッとするもんでござした 」
と語られたが、城川翁がいかに実話を重んじた人柄か眼の当たり見るようである。
帰りに国道10号線沿いの墓地で城川翁の墓参りをすませて城川家を辞去した。
「翔ぶが如く」のなかで、司馬は桐野が西クを撃つというのは
桐野の心情的にはありうると既に書いてるね。 しかしまあ、城山の
状況からみて、桐野が疑惑したような状況はなりたちにくいと
いってるので、心情的にはなりたっても、客観的にはなりたいにくいと
ずっと考えていたわけだろうなぁ。
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 13:23:50.70 ID:71mjBJ9mO
弾丸飛び交う城山の状況から見て考えられないのは
「晋ドンもうここらでよか正座東拝して切腹、解釈」だろうよ。
「晋どんここらでよか」も十分ありうる話であるねw
そのまえに「もうよくはございますまいか」って聞かれて
「まだまだ」って西クが言ったって証言があるね。
そのあとに「この辺でよかろう」という台詞が続くのは
自然な流れであるし。
正座東拝したというのは、加治木の調査記録に載ってる話であるね。
まあ、これも全然ありえない話ではない。 だが司馬は正座説は
とってなかったね。
弾が下半身にあたったので立てなくなり、跪いて伏したというのは
いろいろな証言にあるので確かなようだ。 跪いて伏したとは
見ようによっては、正座東拝してるようにも見えた可能性
ありうるよねw
通説は全てが動機的のも矛盾なく、死体検案書とも矛盾なく、
城川証言と異なり、状況証拠もあり、信憑性が高い。
城川証言は捏造というのは出版当時から常識であった。
城川の墓があったとしても、それも証言の信憑性になんら寄与しない。
別府の従卒にはその様な人物の記録はない。あとで湧いた様な話である事は明白。
65年ていうと今を基準に考えると太平洋戦争についてとんでもない突飛な新説を出してるようなもんだぜ。いきなり根拠無しに。
何で今頃、、何で今まで出なかったんだよ、、みたいな感じになり誰も相手にしないだろうよ。
肚乃西郷も当時はそんな感じだったはずだ。
肚乃西郷持ってるけど、ただ城川という男が「桐野が西郷を撃った」って言ってたというだけで、
具体的な描写や、状況証拠、場所、人物の位置関係など全く無いんだよね。聞いてたら当然状況も聞くし、詳細に伝えるだろうよ。こんな大事な事。
西南記伝では西郷の最後が頭に風景が浮かんでくるが、肚乃西郷では風景が真っ白、浮かばないんだよ。
西南戦争から65年経って、超スキャンダラスな説を打って出るのに、それはあんまりだろうよ。
偽物はすぐにわかるよ。
第三者ですが、どちらも決定的な証拠が無いなら、城川説をとります
>>400 第三者なんかでは無いのは明らかだろ。
しょうもない小細工するなw
【結論】
肚乃西郷という小冊子は桐野が西郷を射殺したという奇説は状況証拠の描写が全くなく、検証の舞台にあげられることすら不可能である。
西南戦争後65年経って独断、売名のための奇説、および他書の書き写しで構成された肚乃西郷の信憑性は、 のべ1500人以上の証言もと、血と汗のにじむ尽力の結果編纂された西南紀伝と比べるべくもなく、
文献的価値は皆無に等しく、西南戦争に散華した戦士、及び戦渦をくぐり抜けた証言者らへの冒涜とすら言える。
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 17:48:03.74 ID:Rnb6dLEL0
>>401 おれも第三者だけど城川説が本命だな。
象皮病の障害者が「まだまだぁぁー」とか、直感的にありえんと思ってた。
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 18:58:16.67 ID:71mjBJ9mO
俺は第三者でなく元西郷信者、今は疑問を感じてる者。
西郷信者の必死さは今も昔も変わらないなと。
きっかけは「命もいらずカネもいらず〜」が元々は山岡鉄舟のことで、それを庄内藩で西郷に付け替えたの知ったこと。
城川がかわいそうだな。
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 19:29:03.03 ID:bCSVLS8n0
新政府を牛耳っている連中に対して挙兵したのであって、
天皇に叛く気はなかった西郷さんが果てる前に東拝したとしても自然なことだ。
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 20:19:00.86 ID:afs15kzl0
>>406 西郷記伝の全てを否定するつもりはないけど、
ウソくさい描写の中でも「東拝」はもっともウソくさい描写なんじゃない?
下半身の骨を撃ち砕かれるほどの衝撃と激痛、
大腿の動脈からは大量出血していたかもしれない。
西郷の頭の中はただただ真っ白だったと思う。
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 22:01:58.01 ID:afs15kzl0
司馬遼太郎が城川説を疑問視したおもな根拠は、
・城川の存在が確認されていない
・道を大矢来が阻んでおり政府軍側にいけない
このことは西郷も知っていた
であるが、どちらもまるで根拠になってないと思うがな。
一つ目は、たんに司馬が知らなかっただけで、城川氏は実在する。
二つ目にしても、助命嘆願の使者や、事前に投降した者たちは政府軍側に行ってるわけで、
大矢来を守っている西郷軍兵士と、対峙する政府軍兵士の同意があれば、
道をつくってくれて普通に出れるということだ。
使者が陣地を行ったり来たりしているのを西郷は当然知っている。
自分が大矢来まで行って、阻まれるなどというのは西郷はつゆほども思わないだろう。
したがって、通れないんだから西郷が投降しに行くわけがないという前提はバカバカしいほど間違っている。
>>404 西クはフィラリアだったから、「まだまだ」はありえないって
全然直観的でないな。
>>408 降伏の意思があるなら白旗あげるだろうよ。西クが白旗あげて
敵方に投降しようとしたので、桐野が射殺したって話ならば
投降説は信憑性がずいぶん増すが、城山の洞窟から打ち出でた
最後の戦いで西クが白旗あげていた、あげようとしたって証言は
ないんだから、投降説はその分、弱いわけだなw
軍使は白旗あげてるがゆえ、敵対の意思がないことを相手に示せるので
西クがそんなことを知らずに相手に投降しようとしてたなんてありえないねw
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 22:21:32.36 ID:afs15kzl0
白旗あげるならふつう大矢来に行ってからあげるわな。
だいたい投降するなら白旗あげるはずだって前提もバカバカしいにもほどがある。
西郷が白旗を持っている根拠は?
テンパった状況で、しかも前線に出たこともない西郷が白旗のことを必ず考えるという根拠は?
白旗は降伏の印って常識だからw 現に官軍におもむいた西ク軍の
軍使はちかづくときに白旗あげてるよね。
大矢来に近づく前に、なんにんも官軍の射撃をうけて負傷したり
絶命してるんだから、大矢来に近づく前に白旗あげないと、白旗
上げる前に官軍の鉄砲に撃ち殺されてしまったら意味がないじゃ
ないかw 何をいってるんだか。
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 22:33:42.20 ID:afs15kzl0
>>412 >大矢来に近づく前に、なんにんも官軍の射撃をうけて負傷したり
>絶命してる
ソースは?w そしてそれを西郷が知っていたという根拠は?w
偽証無しでお願いします。
それと、これもちゃんと事得てね。
西郷が白旗を持っている根拠は?
テンパった状況で、しかも前線に出たこともない西郷が白旗のことを必ず考えるという根拠は?
>>413 西クが弾に当たる前に桂久武が流れ弾にあたって戦死してるね。
国分寿助というのも、西クの被弾以前にに絶命てるね。
あと、小倉壮九朗ってのも、西クの被弾以前に死亡してるが
こちらは自害してるんだね。
てんぱってるも何も、白旗もあげずに敵陣に近づいていったら
射殺されるだけなのはわかりきったことじゃないかw そんなことも
わからない錯乱状態だったなら、果たして降伏の意思があったか
どうかすらわからないわな。
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 22:56:12.10 ID:afs15kzl0
白旗とか説得力ゼロだよw 偽証くん。
ただ、錯乱状態というのは、西郷はまさに錯乱に等しいような精神状態だったからこそ
投降を試みようとしたと思う。
冷静に事前に白旗を用意して、用心深く降りていくような健康な精神状態なら、
どたんばの命乞いなどという後世何を言われるか分からないこと、やらないわな。
現実にはそれをやらかした可能性が高く、ここでもいろいろ言われているわけだが。
西ク軍の軍使が敵陣に近づけたのは、白旗あげてたからだよw
白旗の役割がきわめて重要なのは、この一事をもって理解できるね。
西クが最後錯乱してたかどうかというのは、全然錯乱していなかった
という証言もあるから、絶対錯乱してたはずだ!とは俄に断定は
できないね。
>>376 れすありがとん
西郷の戦死に関する色んな説を沢山羅列してるような掲示板かサイトで
見かけただけなので、詳しくは全く解らないんだスマソ。
確か逃げてる最中の西郷が見つかって「西郷だ西郷だ!」って騒ぎになって
桐野が西郷殺した、みたいな内容だった気がする。
もし内容が
>>376さんの本の内容と一致してるんだったらその説からの引用で正解だと思う。
で、西ク軍が山を駆け下りてたときは、すでに官軍が
陣地から西ク軍めがけて射撃していたわけで、いつ流れ弾に
あたってもおかしくないし、現に当たって死んだ人間も
いたわけだね。
>>398 その情報の出元にもよるかも。
以前龍馬関連の説で「これは小説家が書いた作り話」と言われてたのに
海援隊士の息子のめちゃくちゃ詳しい証言が発見されて事実って扱いになったやつ見た事ある
西郷殺害の真相も新しい資料見つかって欲しいけど、なかなか難しいだろうねえ。
みんなドタバタしてる時に亡くなってるから目撃者も曖昧にしか見れてないだろうし。
テンパって白旗を忘れたって、発想がもうめちゃくちゃ。w
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 23:48:05.96 ID:afs15kzl0
>>417 「西郷だ西郷だ!」って台詞、どこかで見たことがある気がしますが、
「征西従軍日誌」の原本には無いですね・・・
なかなか笑える踊りじゃないかw
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 23:48:27.07 ID:71mjBJ9mO
まぁ大山や重野や市来が嘘つきという評判が無い以上、西郷ドンに、そうした部分もあったのだろう。
西郷信者みたいに祭り上げ過ぎると逆に真実味に欠けてしまう。
城川市二や喜多平四郎(征西従軍日誌)が述べてる以上、かなり事実の可能性があること認めないといかんよな。
>>421 だとすると桐野殺害説は、城山とかいう人の証言を除いても2個あるのかな。
もちろんどっちかが、どっちかの資料を引用した可能性もあるだろうけど。
といか桐野殺害説って全て「えっ、何で??何で桐野がいきなり殺したの?」
みたいな展開だよね
野村忍介など、前日に白旗を上げて投降している。
その気になれば西郷も白旗挙げて山をおりたろう。
玉砕目的の最後の進撃だった事は疑い様がない。
動機的に桐野が西郷を撃つ事はあり得ないだろう。
いくら、晩期に西郷と意見が合わなくなったといっても、
桐野からしてみれば、無名の芋侍から拾い上げてくれた人だ。
肉親以上の恩義を感じていたろう。
>>424 桐野射殺説は肚乃西郷しかないよ。
それを元に話を脚色してるやつがいるんだよ。
>>427 現代人にはあんまり無い発想だけど、幕末の頃は
「他人に殺させるぐらいならいっそ俺が殺す」って考え方の人
凄く多いからそうおかしくはないと思うよ。
多分、介錯の延長線上に芽生えた感覚なんだと思う。
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/26(日) 00:20:00.28 ID:9I3l9bjQ0
>>424 桐野が出てくるのは
城川証言 ・・・ 桐野が西郷を銃撃した
征西従軍日誌の捕虜の証言 ・・・ とつぜん倒れた西郷の首を桐野が斬った
信者が見つけた城山悲風余響 ・・・銃弾に倒れた西郷の首を桐野が斬った
城山悲風余響というのはいつの時代のもので、なにを根拠に書いたのか分からないですね。
城川証言は、西郷の投降を阻止するため桐野が撃った。
捕虜の証言は、桐野が介錯したととれるが、その前に西郷が倒れた理由が分からない。
城山悲風余響は、被弾した西郷を介錯したととれるが、誰が西郷を撃ったかは分からない。
>>430 ありがとう。
って事は桐野説って全部「状況は似てるけど桐野が西郷殺した理由はバラバラ」という感じなんだね。
もし桐野説が事実だとしたら、いきなり桐野が西郷を斬って、見てた人は
ちょっとイミフメイ過ぎて、妄想で補間せざるをえんような状態だったのかも知れないね。
勿論桐野以外が殺したのが事実の可能性もあるけど。
実際官軍から雨嵐の如く弾丸が飛んでくる所を、西郷も桐野も
生きて突破できるなんて考えないだろう。
玉砕にむかっているわざわざ桐野が殺そうとは考えないだろうだろう。
>>431 桐野が殺したんではなく、介錯したという説だろ。w
>>432 むしろ「もうダメだ。これは死ぬ」って時のほうが同士討ちは多いよ
新政府軍に追い詰められた会津藩士とかも結構同士討ちしてる。
もちろん同士討ちって言っても、憎み合って殺した訳じゃなくて
「お前を他の人間に殺されるくらいなら俺が殺す」という理由でだけど。
だから縛られてる死体とかもあったらしいよ(多分相手が嫌がったんだろうね)
他に辺見十郎太が介錯した説もある。
>>433 「介錯した」といっても、切腹痕は無いし
しかも桐野殺害説は「西郷が切腹しようとしてた」というものじゃなく
「桐野が突然!」ってタイプの話ばっかりだよね。
だから「桐野殺害説」って表現の方が正確だと思う。
>>436 それは捻った解釈だな。ソースを曲解してるとしか思えんが。
>>437 でも、ここの皆さんが教えてくれた資料見る限り
桐野殺害説は「西郷が切腹をしようとしたところ…」って記述あるもの
少なくない?
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/26(日) 00:38:50.79 ID:9I3l9bjQ0
>>436 とどめをさして楽にさせてあげたということだね。
桐野が西郷を撃った説は、
>>429のような、ようは玉砕の一種ですよね。
>>436 切腹痕は無くても介錯はあるだろ。実際、晩期の切腹の作法は
腹の表層だけ切り傷をいれたり、扇子で腹を切る動作だけになっていた。
腸がはみ出るのは腹に一物持っているとみなされ、良しとされなかった。
>>439 当時としてはかなりメジャーな死に方だから可能性は有ると思うんだよね。
第一次長州征伐や白虎隊も、仲間を刺してる姿を証言されてるし。
ケガ一つしてなくても「あなたは美人だから殺さないと敵に陵辱されるかも」
って理由で家族が殺そうとする例もあるし。
現代人には無い発想だなと思う。
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/26(日) 00:46:52.54 ID:9I3l9bjQ0
>>436 投降して恥を晒させるぐらいなら、いっそこの桐野の銃弾でという・・・
現実は、フラフラ投降していくように見えた西郷に、桐野が単純にキレただけかもしれませんが。
西郷も被弾した時には助かるとはさらさら思わなかったろう。
嫌がる相手を綺麗に断頭するのはいくら桐野でも無料。
>>440 扇子腹をする時って、ちゃんと相談して、着替えて用意してからするんだよ。
本人の了解取らなきゃいけないからね。罪人の場合は別だけど。
そもそも桐野殺害説ば全て「いきなり」「突然」系ばっかりだから
扇子腹はありえないと思う。
別府とかの説だったら扇子腹もありえるだろうけど。
>>443 剣の腕があれば、相手が抵抗してようが、首落とすのは普通に可能だよ。
新撰組とか、抵抗する相手の首その場で落としてる。
もちろん新撰組よりも桐野の腕がはるかに劣っているのであれば無理かもしれないけど。
>>444 だから、お前の示したソースは桐野殺害説として記されているのではないだろ。
>>447 自分が見た大半のサイトでは「桐野殺害説」と書いてるよ。
そもそも介錯であっても、殺害したのが桐野である以上は
医学上「桐野が殺害した」って事になるし。
別に扇子腹をいれたとかわからないが、とにかく被弾し、
「もうここらでよかろ」と言って介錯してもらったんだよ
>>448 どのサイトだよ。また、相変わらずネットかよ。w
>>450 2ちゃんで個人サイト貼れないでしょ。
あと「相変わらず」って、誰か違う人と勘違いしてると思う。
自分は西郷アンチでもなければオタでもないので
ここには滅多に書き込まないし。
あと
>>449だけど、「もうここらでよか」はオタの人も「あれはフィクションじゃないかな」
って言ってたけど何でだろ。
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/26(日) 01:50:18.53 ID:9I3l9bjQ0
「もうここらでよか」は西南記傳の、別府晋介が介錯したという説に出てくる台詞だね。
西南記伝の西郷の最期がフィクションであると断定できる理由
西南記伝のその場面の西郷は腹と股に2発銃弾を受けたことになっているが、
現実の遺体は死体検案書によれば股に1発の被弾であり、2発はフィクションである。
西郷の側近でなければ知り得ないような描写や台詞ばかりなのに、誰の証言だか分からない。
ようは、分からないのではなく、想像で書いたフィクションゆえ、
証言者など明記することができないのだ。
下半身の骨を撃ち砕かれるほどの衝撃と激痛、
大腿の動脈からは大量出血していたかもしれない。
そのような瀕死の状態で、「まだまだー」とか「もうここらでよか」とか、
正座して皇居の方角に深々と拝礼して切腹とか、できると思いますか?
直径30センチの睾丸、右腕が麻痺していて上がらない、超肥満体の初老の男が・・・
>>452 一発か、二発なんて現場ではわからない。銃弾が入った場所と貫通して出て行った場所からのおびただしい出血があったであろうからその様にみえたのであろう。実にリアルだ。
右大腿部に銃弾を受けてもしばらくは意識もしっかりしており座る事くらいできる。胸部や腹部の大動脈などであれば別だが。
よって「もうここらでよか」はこれまで同様、事実と断定できる。
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/26(日) 09:08:49.04 ID:9I3l9bjQ0
↑
数レス前に
>別に扇子腹をいれたとかわからないが、とにかく被弾し、
>「もうここらでよかろ」と言って介錯してもらったんだよ
こんないい加減なことを書いてた奴がいったい何を言ってるんだか・・・
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/26(日) 09:09:42.85 ID:9I3l9bjQ0
>>452に付け加えれば、
西南記傳で、西郷の介錯をしたとされる別府晋介は足に重傷を負っており、
移動するにも駕籠に乗せられ、従僕がかついでいた容体である。
そのように自分の足で満足に立てない在り様の者が、正座した西郷の切腹の介錯など務められるだろうか?
可能だったとすれば、倒れた西郷のかたわらに這いつくばるようにして取り付き
西郷の頸動脈にとどめを刺すぐらいのことであろう。
西南記傳の、絵に描いたような切腹の介錯などとても務まるものではない。
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/26(日) 09:11:08.15 ID:9I3l9bjQ0
また、西郷が玉砕するつもりなら、敵に狙撃されるようなところまで
突撃する必要はまったく無いのである。
洞窟内という安全な場所で、東の方角に拝礼し切腹すればいい話しなのだ。
むしろそのような場所でなければ、
西郷記傳に描かれた芝居がかった儀式など到底できない。
敵弾が飛んでくるような場所で、
切腹する西郷は瀕死、介錯したとされる別府はまともに立つこともできない重傷者、
そのような人たちが「えーと、天皇がおわす東の方角はどっちだっけ??」とやってる図、
想像できますか?
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/26(日) 09:12:54.34 ID:9I3l9bjQ0
西郷軍は最終的に、西郷隆盛の首を切断し、
まったく別の場所に隠している。これは事実であろう。
しかしそこまでして、敵に首を取られたくない(取られたら晒し首の恥辱にあう)と強く考える西郷軍が、
敵に首が取られる可能性が高まる「突撃」を総大将の西郷にさせるというのは
非常に違和感のある話ではありませんか?
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/26(日) 09:25:16.72 ID:9I3l9bjQ0
良く言ってあげて、西南記傳は「ノンフィクションというフィクション」ですね。
桐野が西郷を撃ったという城川証言は、それとは次元の違う、
実在する人物による目撃証言、目撃証拠なわけです。
目撃者も証言者も分からない(ようは存在しない)西南記傳と違い、
城川氏は存命中はいつでも問い合わせ可能な実在の人物であり、
氏が虚言を言う動機もまったく想像できません。
>>458 >城川氏は存命中はいつでも問い合わせ可能な実在の人物であり、
城川氏はそんなに間口の広い状況にあったのに、なぜ何十年もたってからいきなり話が出てきたのか。
「現地を見れば分かる」というだけで、具体的な状況説明が全くないのか。
不思議だと思いませんか。
西南戦争以降、あるいは「肚乃西郷」発表以降でも、
現場の城山を訪れた人はおそらく百万単位でいますよ。
>氏が虚言を言う動機もまったく想像できません。
そう、あなたには想像ができないのだと思います。
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/26(日) 10:59:39.50 ID:9I3l9bjQ0
>>459 書物というかたちで取り上げられたのが、何十年もたってからということで、
それ以前に証言しているからこそ、肚乃西郷の著者の父(私学校の後身の団体の社長、出版時存命)
が情報を持っていたわけでしょう。
想像ですが、城川氏は士族ではないと思います(百姓身分の従僕)。
身分差別が根強く残った鹿児島では、城川氏は士族に対して遠慮があったと想像できます。
自分から証言をアピールするようなことはしなかったでしょう。
アピールしても黙殺されるか、大西郷の名誉を貶める奴としてイジメ殺されるのが落ちでしょうし。
「具体的な状況説明」を必死に求める人がいるんですけど、あなたがそうですかね?
具体的にどういう距離から桐野が撃ったのか?などの説明と思いますが、
そのような説明は残っていないとしか言いようがないですよね。
むしろ西南記傳のようにまるで小説のように細部まで描写されているほうが不自然だと思います。
まあ実際のところ、肚乃西郷には具体的な描写もかなりあるのですが、これは著者の付け足し、
西郷信者(著者も)の心情に対する配慮みたいなものだと思いますので、私は参考外としています。
桐野銃撃説の具体的な状況証拠という意味では、身元のはっきりした目撃者が存在する。
しかもこの方は長く存命し、おそらく複数回は証言している。
このような”生きた”証言者つきの西郷終焉の説明は、ほかに無いと思います。
>>455 別府晋介が足に重傷負ってたというソースは?
wikipediaには確かに別府が足に重傷負ってたという話があるが
別府の項目を書いた筆者は、薩南血涙史、西南紀伝、西南戦史など
おめーが当てにならないとしてる史料から引用して書いてるわけでねw
別府が足に重傷負ってたという主張したいなら、おまえが史料価値ないと
主張するこれらのソース以外のソースから史料を提示すべきだなw
別府が足に重傷を負った萩原堤の戦いは四月三日で、九月の
城山の戦いまでは半年くらいあったから、半年あれば介錯を
つとめられるまで回復してるって、十分ありうる話だしね。
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/26(日) 11:37:11.11 ID:9I3l9bjQ0
>>461 ??
薩南血涙史、西南紀伝、西南戦史、これらのすべてのソースが間違っているなど、
言った覚えはありませんが。
別府負傷の話しは肚乃西郷にもありますよ。
>半年あれば介錯を
>つとめられるまで回復してる
それは願望で、なんの根拠にもなってないな。
こんなんで反論したつもりなのか? 頭が悪すぎる。
>>462 別府が介錯したって話も薩南血涙史ほか
多数の史料にみえる話であるから
間違いでない可能性あるわけだなw
人間の体ってのは、健康な人間なら
時間がたてばそれなりに回復してく
ものなのw これは願望じゃなくて
一般常識だから。別府は怪我してから
半年たっても、まだ足腰たたなかったと
いう話のほうがむしろ願望にもとづいてるねw
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/26(日) 11:57:42.99 ID:9I3l9bjQ0
そうですかw
465 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/26(日) 12:51:59.69 ID:PSUgF1pQO
ん〜。
普通の知能・良識のある常識人が判断すれば
城川・喜多vs西南記伝 は、7vs3 で城川サイドの勝ちだろうよ。
西郷信者ではないが城川説はやはりちょっと無理がありすぎと思う。
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/27(月) 00:04:21.82 ID:NjrzuWJJO
はいはい(笑)
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/27(月) 20:30:21.93 ID:CN+up0Ze0
信者サイドはなにか情報無いの?
この美談は120%史実と言い切れるものとか
929 可愛い奥様 sage 2014/01/24(金) 20:59:43.70 ID:3ReRn1P20
舛添の本、図書館で見てきた。
オモニってマジで書いてあった。
この本、いろいろ気持ち悪いことが書いてあった。
「日本人は韓国人を見習うべき」
「ハングルの勉強に励んでいますし、韓国への造詣を深めることに喜びを感じています」
「おふくろの味を、韓国南部の家庭料理のなかに発見」
「福岡を起点に考えると、ソウルの方が東京より近いのです」
「歴史の一時期の不幸な体験を乗り越えて、この隣国同士がもっと相互に理解を深めていくべき」
つ 証拠画像
(p)
http://uppuppu.com/upimage.php?mid=344b3233enhjZGVydHl1aW9w
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/28(火) 20:11:05.49 ID:hZNwVGo80
西郷さんといえば肥満で有名ですが、
100キロオーバーの自分の体重で馬を苦しめたくなかった西郷さんは、
陸軍大将になっても決して馬に乗ることはなかった。
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/29(水) 16:24:30.08 ID:NopX6MY30
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/29(水) 20:10:42.76 ID:QGZYkCkm0
以下、テンプレ
Q : 西郷さんは神のように庶民から慕われていたんですよね?
A :
西郷が神格化されたのは西南戦争で死んだ後のことで、
生前は薩摩士族だけの名士であり、世間一般の庶民はせいぜい陸軍大将として知るだけであった。
薩摩ですら百姓層は西郷を尊崇する気持ちなど無く、城山陥落の日も
百姓たちは木の上から見物しており、戦いが終わると、しかばねとなった薩摩将兵から身ぐるみを剥いだ。
それゆえ薩摩将兵の遺体はみな裸であったという。
473 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/29(水) 23:24:09.52 ID:QGZYkCkm0
Q : 西郷さんが征韓論というのは間違いで、ほんとうは遣韓論なんですよね?
西郷さんは丸腰で交渉に行って戦争を避けようとしたと聞きました。
A :
鹿児島県が発行している『鹿児島県史西南戦争』第三巻(一九八〇年)のなかに、
広瀬為興稿「明治十年西南ノ戦役土佐挙兵計画」という文書が載っている。
これは高知県出身で板垣退助に近かった林有造の主張を記録したものである。
参議の西郷隆盛、副島種臣、板垣退助に加えて、
左院副議長伊地知正治が謀議に参加した征韓計画の謀議が載っている。
西郷は「先ツ兵ヲ北韓ニ上陸セシメ、平壌ヨリ京城ヲ包撃スルノ謀」を主張し、副島は賛成した。
しかし板垣は「先ツ其君主ヲ檎(とりこ)ニスルヲ主眼トスル」点では賛成しながらも、
北方からの包囲は難事とし、三分の一の兵を釜山に上陸させて、朝鮮軍の迎撃を待ち、
残り三分の二の兵力をもって江華湾方面に送って「突如京城ニ肉薄」し、その間に
釜山の兵力も海路平壌に送って敵の退路を断つという戦略を主張した。
伊地知正治は少し大規模の兵力派遣を主張したという。
西郷は板垣、伊地知を信頼して謀議を行なったようである。
「其進軍ノ戦略ニ就テハ板垣伊地知ノ二氏ニ委スヘシトノ事ニ門下中ノ領袖ニ漏洩シアリト云フ」
と記されていることも興味深い。
また当時司法省出仕だった有馬純雄(藤太)の回想『維新史の片鱗』によると、
有馬は西郷から朝鮮占領後の民政官任命を内示され、
当該地域の地図を探したという挿話を述べている。
西郷が征韓論を唱えた史実は、まったく揺るがないのである。
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/30(木) 07:47:46.24 ID:8oMHYpk/O
でも自分が犠牲になって韓国に国を開かせよう!みたいなこと発言しててさ、
美談仕立てになりうる種をまいてるとこがサスガだよね。
大山の言うように人望好きの人望買いで、なかなかの策士だ。やはりスゴイよね。
世の中は世間知らずでバカが9割だから、そーゆー人達を騙せれば美談は成り立つしね。
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/30(木) 11:26:48.74 ID:i2ovTuaJ0
西郷さんは欧米のアジア侵略にたいこうする日韓清の三国同盟を結成するために
その手始めに自分が捨石になって韓国を開国させようとしたのだ。西郷さんの
大経綸を理解できない雑魚どもが西郷さんを侵略主義者に仕立てあげてしまった。
西郷を侵略主義者だなんて思ってる奴いるの?
付け焼刃のアジア主義をふりかざして、政府の主導権を握ろうとしたが、
逆に追い出されてしまった愚かなおっさんだろ?
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/31(金) 00:09:03.11 ID:2YQZvqXa0
西郷さんは侵略主義者ではない。アジア解放の先駆者。
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/31(金) 08:59:48.23 ID:eLNozlPFO
当時のアジア解放思想はダメダメなシナチョンを西洋列強の植民地主義から守ってやる。
という上から目線だったんだが、それも無理無いくらいシナチョンがダメダメだった。
理解してくれない場合は軍を出すぞ!っていう西郷らの主張は正しいが、征韓論ひ遣韓論と言い換えて喜んでるのはバカ。
西郷は遣韓論であり、教科書の表記も改めるべきとか言い出したのは鹿児島県知事だった
現代でもこんな歴史の書き換えをやろうとする信者がいる
ましてや明治や戦前のころは、推して知るべしである
反日、捏造自虐史を拡散しようとするアンチ西郷さんたち、がっんばってくださいw
反日なのは、天皇陛下に銃口向けた西郷さんと鹿児島県民だろ。w
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/01(土) 23:05:29.80 ID:48spwv0P0
敬天愛人シリーズ
《西郷隆盛の人となり 其の五》
西郷さんが財政家の井上馨を「三井の番頭さん」と罵倒したことは有名ですね。
では清貧の義人西郷さんはどんなお金の遣り繰りをしていたのでしょうか?
政府から西郷さんに支払われていた給金ですが、
月給千五百円、現在価値で2千万円。年俸2億4千万です。
政府と喧嘩して鹿児島に帰り実質無職になったあとも、どんな特権か知りませんが
給金はしっかり鹿児島に送られていたそうです。
光もあれば影もある喜ぶのは中国だけだ正念場の時代だっつうのにもう良いだろ。
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/02(日) 07:40:35.41 ID:CIyG/UEPO
日本がシナチョンの反日キャンペーンにさらされ米仏までチョンの捏造信じちゃうくらいだからねぇ。
その他もろもろ日本が正念場なのは確かだが、西郷より大久保的人材が必要だろう。
西郷と月照の入水の話し、西郷だけは奇蹟的に蘇生したと言われているが、
意識を失っている海中の大男をそんな簡単に船に引き上げられるものだろうか?
西郷さんの真意は分からぬが、なかば自力で上がってきたというのが真相ではなかろうか
486 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/02(日) 11:31:19.69 ID:duaoDpVL0
月照と西郷が入水したかどうかすらわからない。月照を海に放り込んだ
だけかもしれない。
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/02(日) 20:40:29.58 ID:duaoDpVL0
月照がどのようにして死んだのかもわからない。
488 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/03(月) 00:47:37.12 ID:qM4rV8uz0
月照は藩命で殺されたと見て間違いあるまい。
月照の死の背景について論じるならば、やはり安政の大獄に
ついて論じないとね。 井伊直弼が桜田門外の変で討たれたとき
西クはその知らせを聞いて、一晩中大声で叫んでいたという
伝説があるね。
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/03(月) 10:04:03.30 ID:qM4rV8uz0
>>489 叫んだかどうかはともかく、井伊を憎んでたし井伊の死で島から
呼び戻される希望が生まれたので歓迎したことは確かだろう。
エネルギーに乏しい人が、桁はずれのエネルギーを持った人を理解するのは、
なんと難しいことなんだと、ここのスレを見てるとつくづく思うな。
発想の基本が、人は楽をしようとするはずだ、保身を第一に考えるはずだ、
というところから始まってしまっている。
悲しいね
貶めようとすればいくらでも出来る、だってもう西郷さんは居ないのだから
本来いるべき場所にもどしてあげてるだけなんではないか?
それを2ちゃんでやろうってのは無理。
一つ歴史書ひっくり返すような論文書いてくれよ。
まともな歴史書ではそもそも西郷は評価されてないよ
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/03(月) 22:34:24.12 ID:qM4rV8uz0
「評価されてない」は言いすぎだろ。
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/04(火) 07:36:39.58 ID:hb9K88BEO
まぁ歴史を動かした人々の一人、ワン・オブ・ゼム という評価はされてるよな。
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/04(火) 08:32:58.02 ID:vQ01jFzz0
敬天愛人シリーズ
《西郷隆盛の人となり 其の六》
西郷は、坂本龍馬を鹿児島の自宅に招いたことがある。
西郷家は非常に粗末なつくりであったため、雨洩りがしていた。
耐えかねた夫人の糸子が「お客様が来られると面目が立ちません。
雨漏りしないように屋根を修理してほしい」と西郷にお願いをしたところ、
西郷は「今は日本中の家が雨漏りしている。我が家だけではない」と叱った。
この話を隣室で聞いていた坂本龍馬は感心したと伝えられている。
いい話しですね。しかしどうやらこれ、勝海舟の創作らしいんです。
西郷家の詳細が分かりましたので解説します。
鹿児島の自宅は千百坪の超大邸宅で20人以上の使用人がおり、
犬も20匹も飼っていたそうです。
西郷さんのモットーは
「ケチと呼ばれては世上の聞こえも悪いから、毎月少なくとも百円(現在の130万円)は使え」でした。
(出典:西郷従道夫人清子談話)
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/04(火) 08:39:59.52 ID:vQ01jFzz0
敬天愛人シリーズ
《 西郷隆盛の人となり 其の七 》
「子孫のために美田を買わず」で有名な西郷さん。
鹿児島武岡山麓に1100坪の大邸宅を買っていたことはすでに述べた。
それ以外にも東京日本橋の大名屋敷500坪。
一族の従道は東京目黒に14万坪。
従道とこれまた一族の大山巌が共同で栃木県に150万坪。
しめて西郷一族が買い漁った土地の広さなんと東京ドーム117個分。
しかもこれらは政府から格安で払い下げられていたそうです。
なんともうらやましい話しですね。
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/04(火) 09:26:30.64 ID:4tgl2Qif0
西郷が新政府で得た地位や章典録を考慮すれば維新の最大の
功労者の一人だったことは疑えない。
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/04(火) 10:20:41.73 ID:hb9K88BEO
〜の一人だったことは誰も疑ってないだろ。
西郷アンチはかまってちゃんか
ネタ投下してレスを欲しがり
>>491 桜田門外の変がおきず、ずーっと井伊が大老やってたら、西クも
ずっと島流しで本土には戻れなかったということか。
まあ、西ク自身、一生島にいるつもりだって手紙を送ったことも
あったそうだけど。
505 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/05(水) 06:50:28.90 ID:rQZq5P3I0
西郷は郷士よりは上だが城下士の最下層。人望買いを意識的に行なっても
それを裏付ける非凡な才がなければ薩摩藩を代表する人物には絶対に
なれなかった。
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/05(水) 08:02:38.46 ID:j8khSYkl0
>>505 いつもの信者思考だな
もっとも高い賞典禄をもらったのだからもっとも偉大な人物であったはずだ
著名人にも称賛される西郷が偏狭な人間だったわけがない
などなど
今度は、城下士ながら薩摩を代表したのだから、非凡なはずはない、か・・・
507 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/05(水) 08:08:46.73 ID:j8khSYkl0
信者の言葉はいつも内容ゼロ
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/05(水) 08:39:51.05 ID:rQZq5P3I0
509 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/05(水) 09:13:32.70 ID:OXgPAGfSO
下級武士から偉くなったのが偉いなら下級武士から家老になった調所も偉いことになってしまう。
まぁ芳即正や原口泉や桐野作人はそうした論調だが。
桐野は昨年の講演でワザワザ重野安繹による西郷批判を紹介してたな。
510 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/05(水) 10:36:55.33 ID:rQZq5P3I0
調所は私腹を肥やし、姦婦ゆらと結託し、正義の士を弾圧した奸臣
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/05(水) 10:41:56.70 ID:OXgPAGfSO
また小説ソースかよ(笑)。
512 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/05(水) 12:47:53.86 ID:rQZq5P3I0
>>511 小説ではない。鹿児島県人は皆そう思ってる。調所の子孫は苗字を変えて
世を憚って生きなければならなかった。極悪人の子孫だからしかたない。
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/05(水) 14:22:44.56 ID:OXgPAGfSO
えーと、お由良騒動やら反久光派というか斉彬派切腹させたり遠島処分したの確かにあったな。
だけどこれ全部、調所の死後1年から2年〜で斉興がやったことなんだけどな。
あと私腹を肥やしてたソースは?
ずいぶん前だったけど西郷の曾孫で陶芸家の人が鹿児島県人の集まりで、
「調所の財政改革がなかったら曾祖父も活躍できなかった。資金がないと志だけじゃ何もできない」
って言ってたぞ。
『代表的日本人』 内村鑑三
内村鑑三は欧米に日本を紹介するにあたってこの5人を選んでいる
「西郷隆盛」「上杉鷹山」二宮尊徳」中村藤樹」「日蓮上人」
「維新革命における西郷の役割を十分に記そうとすれば、革命の全史を記すことになります」
「ある意味では1868年の日本の維新革命は、西郷の革命であったと称してよいと思われる」
「西郷なくして革命が可能であったかのかとなると疑問であります」
調所笑左衛門については評価せざるを得ないだろ
鹿児島市内に銅像もあるし、県人皆が極悪人と思ってるというのはいいすぎ
「代表的日本人」て名著みたいに思われているけど、これ、批判精神ゼロの美談集だよ。
上杉鷹山とか人間性は素晴らしいが、ようは質素倹約バカだからな。
米沢は、その後ぜんぜん発展してない。
ケネディが鷹山を尊敬してたなんてのも何の証拠も無い捏造美談だよ。
鷹山信者がでっちあげたんだろう。
西郷も鷹山も「代表的過大評価日本人」だね。
海外に紹介すんだから批判するような記述をする馬鹿がどこにいんだよ
アホかこいつ
>>996 あいかわらず ワンパターンの 「美談 = 捏造」 ですか。w
内村鑑三は信ずるに値せずと言い放ち、無名に近い重野何某はじめ西郷を貶める小人らの戯言を肥大化せしめようと、ここに飽きもせずコピペしているのは、愚かの極み。
しかしここにいる自分がいうのも何だが人を批判するより
自分が何かなせば?というのは間違いか
小人閑居して不善を為す。嗚呼。
522 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/05(水) 20:23:16.44 ID:j8khSYkl0
西郷の身長が10センチ低かったら、世に出ていたか怪しい
キミはあと10cm背が高かったら、歴史に名を残したかい?
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/05(水) 21:41:41.99 ID:j8khSYkl0
>>523 詭弁だな
幕末維新のころは今よりはるかにルックスがモノをいった時代だと思うぞ
薩摩の二大出世頭西郷と大久保がともに高身長というのは偶然ではあるまい
他藩の代表クラスも軒並み高身長
西郷が貧相なルックスだったら郷中頭にもなれてないし、
したがって世に出ることはない
525 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/05(水) 22:04:37.35 ID:OXgPAGfSO
そー言えば時々、鹿児島って歴史ファン多くてココに名前出てる人達の子孫らが一同に会すんだけどさ。
みんなデカクて見栄えするんだよね。
西郷とか大久保も先祖に似てるし。
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/07(金) 17:46:32.12 ID:RIXO2WT20
上杉鷹山のケネディ美談は、本当に捏造くさいんだな。
この美談、最近NHKの番組で完全に信実調で扱われていたし、
私も今まで疑ったこともなかったんで、正直ショックだ。
何の裏付けも無い虚構だったのもショックだが、
NHKの番組では、真実を知っているであろうゲストの専門家たちが、誰もこの虚構を問題視していなのがショックだわ。
(それは言わない、みたいな暗黙の了解があるのだろうか?
面倒な抗議や論争に巻き込まれたくないのだろうか)
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/07(金) 23:15:13.02 ID:j0MfTL/sO
上杉鷹山にしろ長州にしろ借金は薩摩と桁が違う少なさ。何とかしたとしても大したことない。
当時、5百万の借金に対して薩摩の年収は14万両前後。利子の払いだけで年間50万両以上で事実上破綻。
ところが最新の資料研究では天保末期の備蓄金が最低でも2百万両だったそうだ。(昨年の黎明館での島津重豪展図録より)
529 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/07(金) 23:21:02.22 ID:j0MfTL/sO
あ、ちなみに上杉鷹山は20万両の借金を50年払いに繰り延べて備蓄金五千両で名君名君と言われてます。
五千万両でなく五千両です。一万両の半分。
530 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/09(日) 07:44:09.32 ID:L3LxVliT0
西郷主導の鹿児島県政は士族独裁でも西郷独裁でもなくて大久保政権の
官僚的ブルジョア的堕落を排する第二維新のための革命根拠地だったんだよ。
そのための権力集中、軍備強化、財源蓄積を独裁、封建的、搾取等々と非難する反西郷派は西郷さんの高邁な理想と高潔な人格を理解しない小人俗物。
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/09(日) 08:12:42.83 ID:375oO5jrO
あんたワンパターンだな。
532 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/09(日) 18:02:35.56 ID:L3LxVliT0
西郷さんは贅沢するヤツ、威張るヤツ、弱いものをいじめるヤツが大嫌いだった。常に質素に謙虚に分け隔てなく人に接し、誠意を示して相手を心服させた。私欲や邪心や驕りや偏見が微塵もない人だった。
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/09(日) 18:28:19.52 ID:sjYgzvHP0
西郷が1872(明治5)年の「大島商社」設立の際に、桂久武にあてた手紙は以下のようなものなのだが、
そのままではかなり分かりにくいので現代語で注釈込みで意訳しました。
商社ガ砂糖ヲ全国ニ売リヒロメテハ、必ズ大蔵省カラ利益ヲ占メラレルデアロウカラ、
ヨクヨク注意シテ、官ノ専売トミナサレナイヨウニシナケレバイケナイ。
(大島商社が砂糖を派手に全国に売りさばくと、必ず大蔵省にバレて、われらの利権を取り上げるでしょうから、
よくよく注意して、われらが大島商社を隠れ蓑に奄美の砂糖を独占して儲けていることがバレないようにしなければなりません)
ようするにこのような意味なのです。
大島商社は奄美の砂糖を独占はもちろん、買取価格(法外な安値)も商社側が決めていました。
これによって旧藩体制そのままに奄美で地獄の搾取を続けていたのです。
西郷は誰よりも奄美の悲惨な生活を見聞し、砂糖の自由販売こそ奄美の解放策と
分かっていたはずです。しかも、明治政府の要職にある身分であった西郷が
「大蔵省にバレれないようにやれ」とは何たる卑劣さでしょうか。
美談もあれば、汚い逸話もある。
まぁ、こういう人は良くも悪くも魅力的だよな。
でも、とらえどころが無さ過ぎて不気味ではある。
535 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/09(日) 18:46:59.16 ID:sjYgzvHP0
敬天愛人シリーズ
《西郷隆盛の人となり 其の二》
大島商社を廃止して砂糖の「自由販売制」にして貰うように県庁に
嘆願しに来た大島の人々を、西南戦争に強制的に従軍させ、6人を戦死させた。
その嘆願団の中には、西郷の奄美妻アイカナの実家の龍家の末弟や甥、西郷の釣り仲間や
相撲相手もおり、「西郷さんに取り成してもらおう」という西郷びいき
ばかりだった。
「従軍中は大島人として差別され、無念の歯がみをした」と西郷に絶望したという。
536 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/09(日) 18:47:38.35 ID:sjYgzvHP0
537 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/09(日) 18:49:11.02 ID:sjYgzvHP0
<西郷どんのちょっといい話し>
西郷が鹿児島で外出する時は、「地上での土下座では恐れ多い」と百姓たちを道のわき溝の中に飛びこませ、
水から首だけ出して西郷一行を出迎えさせていました。
(西郷夫人イトの実家の嫁の証言 昭和27年6月録音)
538 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/09(日) 18:52:14.69 ID:sjYgzvHP0
<西郷どんのちょっといい話し>
美談では、西郷さんの家ではいつも私学校の若者たちが訪ねて来て
西郷さんから敬天愛人についての薫陶を受けていたと伝えられています。
が、実際はちょっと違っていたようで、西郷夫人の実家の嫁の証言では、
「加治木あたりの若者たちが話しを聞きに来られましたが、
西郷さんはいつも『留守だといえ』といいつけ、隠れておられました。
それで若者たちは会えずに帰ることが多いでした・・・」
(故勝目清鹿児島市長と西郷の義理妹との対談から)
539 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/09(日) 18:55:25.93 ID:sjYgzvHP0
<西郷どんのちょっといい話し>
西南戦争”熊本攻城戦”で苦戦する西郷軍。
数で圧倒していた西郷軍でしたが、3日間の激戦の末、一兵も城内に入ることができませんでした。
西郷さんが原因を分析したそうです。
西郷「敵の大将は土佐の谷干城だが、参謀の樺山資紀が薩摩出だから、城は容易に落ちないのだ」
若い衆「・・・・」
熊本城を陥とせなかったことにより「西郷軍弱し」の風評が全国の士族団に伝わり、
西郷軍の孤立化はますます深まったといいます。
美談もあれば、汚い逸話もある。
まぁ、こういう人は良くも悪くも魅力的だよな。
でも、とらえどころが無さ過ぎて不気味ではある。
542 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/09(日) 20:08:57.91 ID:sjYgzvHP0
<西郷どんのちょっといい話し>
放火大好き西郷さん
幕末、幕府を挑発するために西郷さんが手の者に江戸市中で放火、レイプ、強盗をやらせた話しは有名ですね
そして西南戦争でも西郷さんの放火戦術はいかんなく発揮されました
田原坂で敗れた西郷軍の士気は衰え、戦術はもっぱら、
民家に火を放って逃走する放火作戦が常套手段になりました
佐土原、高鍋、真幸谷などを焼き払い、
真幸谷では一ヶ月間炊き出しで世話になった吉田宗吉宅をも火を放って逃げ去ったそうです
流行らない回る寿司屋か同じネタ
使い回してアンチ西郷
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/10(月) 08:27:15.92 ID:3k8b49z30
干からびたネタ
誰も食べざる。
545 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/10(月) 08:31:03.78 ID:2GOqkggJO
鹿児島にも周囲を憚ってあまり大きな声では言わないがアンチ西郷はかなりいる。
私は西郷は幕末維新に欠かせない最重要人物だと認識しているが西郷信者が西郷のみを崇拝し、
大久保をボロクソに言う者が多い(高○館長ら)のが原因だと思う。
ここにもよく登場する調所、重野ボロクソ論者もだが、あの時代の薩摩には対立する者らを含めて、
みなそれぞれが国を思いそれぞれの立場・役割を自覚して頑張ったことが分かってない。
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/10(月) 09:09:43.47 ID:LCFTd5nj0
調所は悪事がばれて切腹させられた奸臣。
重野は久米の国体冒涜論文に連座して退職した非国民。
非国民ではなく、非県民だろ
非国民は、鹿児島県民の西郷さん
西郷と大久保を比べれば
大久保のほうが日本に貢献しているのだが
地方民は地方の利権になりそうな方のかたを持ちたがる
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/13(木) 13:37:14.76 ID:BFgEMZ5+I
大久保、何か貢献してたっけ?
当時の反発が現在までずっと根を引いているのは怖いな
大久保も永遠に故郷から罵られる覚悟だったのかもしれないけど
まあ鹿児島は永久に西郷の虚像マンセーだろうねw
虚像だろうが日本の歴史に名を残す人物が何人か出たのは凄いと思うけどな
ほぼ日本の端に位置するし誇らしくもあるだろう。
伝わってるのが虚像や美談であっても、かつて西郷や大久保といった薩摩出身者が
歴史を左右したのは事実なんだよな。
虚像や美談ではない生の姿で歴史上にしかと存在してたわけで、
そこらへんをちゃんと掘り下げて、田舎侍にすぎなかった彼らになぜそれが可能だったのか
考え、解き明かしていけば、今の鹿児島県民にも同じことができるかもしれないのに、
それを考える人はなぜかいないね。
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/14(金) 17:00:32.38 ID:dhvdy/DO0
大久保はネオリベ。西郷はリベサヨ。
555 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/14(金) 17:15:12.04 ID:61VvzgT9O
大久保はスネ夫
西郷はジャイアン
556 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/15(土) 08:12:54.43 ID:RKvM7nEzO
>>553 幕末維新期の乱世の雄と、
平時である現世の人物を同列には扱えない。
ただ、大久保みたいな人は今でもいる。
冷徹な切れ者で、果断な実行力もちゃんとある人。有能な官吏タイプ。
桐野みたいな人もいる。
大局的な戦略は立てられないけど、その場その場の局面に滅法強く、場を明るくし女によくモテる。
そういうミニ大久保やミニ桐野はいるんだが、西郷はいない。
西郷という人は、けして綺麗事ばかりではない。
清濁合わせ飲む得体の知れない度量があって、
その巨大さこそが特徴であるため、
「ミニ西郷」というのが成り立たないからだ。
まさに動乱期にこつ然と現れて消えてしまった訳で、
研究し努力すれば近づける、というタイプの人物ではないと思う。
557 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/15(土) 08:45:14.85 ID:z++Nxulg0
>>556 そういう西郷評価が虚像なんだがな・・
西郷隆盛=佐村河内守
「魂の旋律〜音を失った作曲家〜」を放送したNHK=おまえ
どたんばで西郷の正体に気付き銃弾を放った桐野利秋=新垣隆
>>557 こりゃまたベタで陳腐な例えだな。
先週の週刊文春の佐村河内の告発記事を読んだかい?
虚像を暴くため足で調べた具体的根拠にあふれていたぞ。
それにひきかえ、アンチが拠りどころとする「肚乃西郷」ときたら…
559 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/15(土) 10:14:35.43 ID:kqyL4ZTIO
重野や大山、市来など虚像だと分かる証言はたくさんあるが美談を裏付ける証拠が無いのにねぇ(笑)。
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/15(土) 11:27:37.48 ID:z++Nxulg0
信者のソース=大河ドラマ、小説、鹿児島で学校の先生が言ってた話しなど
大河ドラマ、小説のソース=新人物往来社の歴史読本
歴史読本のソース=西郷美談集
西郷美談集のソース=西南記傳とかいう右翼の宣伝本
西南記傳のソース=特殊な交渉術を用いて西郷の密着取材に成功した謎の人物
木を見て森を見ず、か。
どんな店に行ってもソースを求める味オンチな人っているからね。
近代デジタルライブラリーみると、西クについての文献が本当に
読み切れないほどあるね。 アンチ西クの貧弱な史料とは比較に
ならないな。
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/15(土) 14:13:14.61 ID:TgNeUvdrO
へぇー。
じゃあ、晋ドンもうここらでよか東拝切腹話など美談の具体的なソース紹介してよ。
西クの最後についてはいくつかの説があるが、官軍に下半身うたれて
うずくまったあと、仲間に首をはねられたというのは、ほとんどの説に
共通してるわけでね。 下半身うたれても即死はしないわけで、何か
最後の言葉をつげるだけの時間はあったろう。
安重根にうたれた伊藤博文も銃創がもとですぐに死んだが
「馬鹿なやつだ」と言い残すだけの時間はあったわけでね。
というわけで、西クが下半身撃たれた後、傍らの別府をふりかえって
「晋ドン、もうこのへんでよか」といったとしても、別に不合理な点は
見当たらないねw
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/15(土) 15:16:04.89 ID:TgNeUvdrO
不合理でない
というのは、ある事例があったことの証拠にはならないよ(笑)。
前後関係からいくらでも話作れてしまう。
まあ、西クが桐野に撃たれたって説も、絶対ありえなくはない
というレベルの話で、この説以外ありえないというほど、説得力と
合理性があるかというと全然ないわけだねw
568 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/15(土) 15:56:11.04 ID:TgNeUvdrO
城川の証言があるだろう。
城川の証言が事実であることは不合理でないが城川が嘘をつく必要がない立場である以上、城川が嘘をついてる、
という説が不合理だろう。
城川以外の証言者だって嘘つく理由なんてないがなw
城川だけが本当の証言をしていて、あとの証言者はみんな嘘ついてるという
説のほうが不合理だわなw
城川が嘘つく理由はないというだけじゃ、城川の証言が
唯一の合理的な説であるという証明には不十分だな。
他の証言者はみな嘘をつくか事実を隠すだけの理由が
あったということも証明しないとね。
そうじゃないと城川証言だけが唯一の信じられる証言という
主張はおおかたに受け容れられないねw
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/15(土) 18:25:45.40 ID:y1yoCfPG0
>>569 >>570 >>571 実際、城川の証言は唯一合理的と言っていいものだけどな・・
城川以外の説はいずれもたんなる”伝聞”にすぎず、
じつのところ”証言”ではない
誰が誰に語り、どうやって著者の知るところとなったのかまったく不明であり、
当然ながら裏付けもまったく取っていない
はっきり言えば、
「腐敗政府に鉄槌を下そうとした真の愛国者西郷さん」という、
著者(右翼の反政府主義者)の結論が先にあり、
それに沿うストーリーを伝聞やら捏造やらで構築したのが「西南記傳」なのだよ
城川証言ってのは、肚之西クって本に載ってるだけで、著者の
竹崎武泰が収集した証言のひとつだよね。
つまり伝聞であるという点においては、以下の証言と信憑性は
さほどかわらんわけだねw
>「大野義行実話」:「西郷先生が別府、辺見諸将と共に島津応吉の邸前に往った時、
>銃丸に中ったのであったが、其時、先生の態度は従容自若であって、徐かに別府を
>顧みて「兼ての約束通り頼む」と言ったまま跪坐した処を別府が之を介錯したのであった。
>而して別府は先生の首を僕吉右衛門に向かって「先生の首は決して敵に渡してはならむ」と
>吩附て之をして島津邸の門前に埋めしめたのであった。是は吉左衛門よりの実話である」
574 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/15(土) 19:50:48.78 ID:y1yoCfPG0
そりゃ〜西クの従者の吉右衛門ってのが、大野義行に語ったんだろうw
別府の従者だった城川の証言を肚之西クの著者が記したようにね。
コピペ馬鹿にコピペ馬鹿といわれるとは心外であるね〜w
>>1〜
>>8のコピペを何十回も貼りまくったコピペ馬鹿は
>>1であるよね。
大野義行ってのは、薩軍の狙撃隊の中隊長をつとめていた男らしいね
どうも。 調べる必要はあるな。
578 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/15(土) 20:23:05.05 ID:y1yoCfPG0
>>578 そのページにはこんな証言もあるな。
>負傷した別府晋介の輿を担いでいた下僕の大内山平畩の証言によると、
>西郷さんは島津応吉邸前で2発の銃弾に打ち抜かれ、脚を少し上げて
>立止まっていたそうです。別府が先を行く桐野らに「先生が弾丸に
>中って居らるるが、いけんすっか」と声をかけたが、西郷は「もう、歩かれぬから、
>首を斬って呉れ」と頼んだという。
下僕の大内山ってのが、別府が首斬ったって証言してるね。
まつが吉右衛門は西クの最後をみてないはずだと証言したそうだが
まつが勘違いしてる可能性だってあるわけでねえ。 この証言だけで
吉右衛門の証言は嘘と速断するのは早計だろうよw まあ、せいぜい
吉右衛門の証言と違う可能性はあるということだな。
西クの首を隠したその隠し場所についても、さまざまな証言においては
まちまちだからねえ。
西クが最後になんといったかについては、一番よくしられてるのが
「もう、この辺でよか」だが、
>>573にあるように「兼ての約束通り頼む」
という説もあるし、
>>579のように「もう、歩かれぬから、首を斬って呉れ」
という証言もあるね。
まあ、西クの最後の言葉はなんであるか、真実は永遠にわからない
だろうねw
581 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/15(土) 21:56:41.43 ID:y1yoCfPG0
>まつが勘違いしてる可能性だってある
そんなことを言い出したら、すべての歴史は勘違いな可能性がある
ここで重要なのはもっとも信憑性が高いのものは何なのか、だな
つまりそれは城川説である
城川氏は存命中はいつでも問い合わせ可能な実在の人物であり、
氏が虚言を言う動機もまったく想像できない
また、死体検案書の内容とも一致している
582 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/15(土) 22:01:20.50 ID:y1yoCfPG0
それに対して引き合いに出すのもはばかられる虚説は以下の通り
吉左衛門が首を隠した説
↓
西郷の末弟小兵衛の妻まつが否定
大内山平畩が見たとされる話し
↓
大内山の伝聞というのは、西郷は腹と足に2発被弾だが、
実際の死体検案書の内容は足に1発であり、この大内山伝聞全体が信用に値しないと分かる
そもそも別府の従僕は城川市二と小杉恒右衛門の2名であり、
大内山平畩などという従僕は記録にも無いようで、
なぜそのような人物が唐突に登場するのか、ほんとうにそのような人物が存在したか自体が怪しい
583 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/15(土) 22:22:23.56 ID:TgNeUvdrO
まぁ西郷信者も城川が真実を語ってると感じてるでしょうね。
だけど嘘つき慰安婦を信じざるを得ない朝日新聞記者みたいなもんでしょう。
何ていうか、生きた人間を相手にするのに疲れて、
書物やネット情報にはまっちゃったんだろうな。
書物を読むこと自体は尊いことだけど、
それと人間を理解するというのは別だよね。
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/16(日) 07:58:44.66 ID:BzpfdGKn0
西郷さんを誹謗して楽しんでるのはチョーセンジン
586 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/16(日) 09:02:27.37 ID:CFZzdX9AO
アンチ西郷にも西郷信者にもバカにされるチョンかわいそう。
チョンなんて差別用語使うなよ!チョンが怒るぞ。
そもそも別府の下僕が城川と小杉の二人しかいなかったってソース
あるのかよwソースよこせ〜。
>>578のページでは、大内山の証言にもとづき、西クの従者の
吉右衛門が西クの首を隠したということはないと主張して
その傍証としてまつの話をあげているのに、まつの話は
すべて事実であるとして、大内山の証言はまるで当てにならない
などというのは、まったくご都合主義にもとづく主張であり
誰から見ても信用性が薄い主張であるねw
要するに城川の証言が唯一絶対正しいという主張から逆算して
まつの発言は真実であり、大内山の証言は絶対に虚偽だと
主張しているわけで、論証のやりかたが逆立ちしてるわけだねw
589 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/16(日) 18:20:58.53 ID:T5BlmZtM0
>>587 何言ってるんだろう?
吉左衛門の話しに信憑性はない、とまつが裏付けた
大内山平畩の話しに信憑性はない、と死体検案書が裏付けている
おまえ以外は誰でも分かるきわめて単純明快な話しだが
>>588 論証のやり方が逆立ちしてるなんて思わないが、
城川説がもっとも信憑性が高いとする立場なんだから、
大内山の伝聞や存在を疑うのはあたりまえだ
おまえ子供か?
ただし、城川説絶対否定という、論理を超えた立場のおまえと違って、
こっちは根拠やソースはちゃんと提示してるがな
590 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/16(日) 19:20:03.79 ID:BzpfdGKn0
あの西郷さんが同志を見捨てて一人だけ投降して助かろうとするはずがない。
アンチは西郷さんを知らなすぎ。
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/16(日) 22:47:27.91 ID:oIKM4eOw0
アンチ西郷くん、
城川が嘘をつく理由がないから、嘘をつかない人だっていう、とんでもない勝手な思い込みを拠り所に
持論を展開するのは、幼稚すぎるぞ。w
逆に城川、あるいは肚の西郷の著者が嘘をつかない理由はどこにあるんだ?
捏造奇説を後出しで建てるのは、売名になるから、十分に動機、理由はあるだろ。
そう言った意味では他の王道説の方がよっぽど嘘をつく動機、理由はない。
それと、城川が別府の従僕って言ってるのも肚の西郷だけだろ。
他にそのような記録は全くない。
今後何百万年経っても奇説だよ。w
592 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/16(日) 23:48:31.12 ID:T5BlmZtM0
またいつもの内容ゼロの言いがかりだな・・
城川にウソを言う理由が見当たらない、と言っていったいどこがおかしいんだ?
普通のあたりまえの主張で、しかも重要なことだぞ
これが、城川が政府軍の人間でしかも西郷派と対立していた人間なら、
故意に西郷を貶めるために偽証した、などとも言えるわけで、
その証言者の立場、背景は非常に重要なことだ
城川や肚乃西郷著者の立場、背景でどう売名になるのか、
なぜおまえはそう思うのか理解に苦しむ
感情まかせの暴論だな
593 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/16(日) 23:49:30.21 ID:T5BlmZtM0
ちなみに城川が別府の従僕であった記録は、
「薩藩維新秘史 葛城彦一傳」にあるよ
第六、七番大隊総隊長 別府晋介(鹿児島の士)
第六番大隊長 越山休蔵(鹿児島の士)
第七番大隊長 児玉強乃助(鹿児島の士)
監軍 松田清助(鹿児島の士)
同 柚木彦四郎(加治木の士)
別府晋介附従卒 城川市二
同 小杉恒右衛門
594 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/16(日) 23:52:24.33 ID:T5BlmZtM0
>>591 逆に、大内山平畩という人物が別府の従卒にいた記録って、
西南記傳以外にあるの?
あるなら教えて
西南記傳をソースに書かれた記録は無しに
595 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/17(月) 01:50:37.01 ID:KW5ucpH10
西南きでん無しでって、自分に都合のいいところだけセイナンキデンから引用して、
何言ってんだか。
薩藩維新秘史 葛城彦一傳の何ページに書いてあるんだ?
それに書いてあることはお前は信憑性があるってことを認めてるんだよな。
どういう意味かわかるよな。w
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/17(月) 02:46:34.81 ID:OFEFQ1UII
坂本龍馬殺したの?
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/17(月) 10:04:03.66 ID:dmHjT0mEO
西郷が坂本暗殺の黒幕だった可能性はあるだろ。
相楽の件とかもあるし、利用して始末は有り得る。
西郷は単に坂本の隠れ家を見廻り組に密告する、または誰かに密告させるだけで良いのだから。
なんか信者によると、西郷は坂本に、安全のため薩摩藩邸に滞在することを勧めているので、
西郷はシロであるとする見方もあるようだ。
しかし西郷は変節の激しい人物だし、薩摩のような大所帯の大藩であれば、藩士全員が
同じ思惑であるなどありえないので、西郷や薩摩の疑惑はまったく晴れない。
599 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/17(月) 10:43:54.12 ID:dmHjT0mEO
まず西郷が坂本に薩摩藩邸に隠れるよう勧めた、という話のソースは有るのでしょうか?
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/17(月) 17:54:13.95 ID:PnE+UGzR0
ソースがあるなら信者が書きこむでしょう。
ソースがあるなら。
葛城彦一傳ってのは、昭和十年発行というね。西ク軍の編成についての
史料は、別の史料からの引用じゃないの〜? どうやって西ク軍の
編成についての史料を筆者が知ったのか、それを確かめないことにはね。
葛城彦一については、ネットでは以下のページに記述があるね。
平田国学の勤王派・葛城彦一
http://373news.com/_bunka/jikokushi/176.php 葛城彦一ってのは、晩年の平田篤胤本人から直々に教えを受けた
国学者だっていうな。西南紀伝は右翼の書いた資料だから信用できない
ってのなら、葛城彦一傳というのも、オカルト平田神道者についての
伝記だから信用できないって理屈は当然なりたつねw
しかしまあ、葛城彦一傳ってのは、本人の日記も掲載してあって
それなりに実証性が高い史料であるらしい。 つまり、カルト神道の
関係者が書いたから、右翼が書いたから、ぜんぜん信用できないかと
いうと、必ずしもそうではないわけであるね。
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/18(火) 07:06:01.89 ID:KQQe6l4lO
西郷美談本が素人の西郷ファンみたいな奴等ばかり書いてて芳即正とか原口虎雄・泉親子とか佐々木克とか、
プロが書いてないのが不思議です。
実証資料主義で有名な桐野作人も昨年の講演会で西郷話のトコ重野の見解を紹介してた(笑)。
西郷は右腕が不自由で、満足に動かすことができなかったといわれている。
11歳の時、西郷の友人と他郷の年長の少年とが喧嘩になり、年長者が刀を抜いた。
この時、とっさに二人の間に入った西郷少年の右腕に刃が当たり、神経を切ってしまった。
つまらぬ喧嘩で刀など抜くものではないと考える西郷少年は、自身は刀は抜かず、
左腕一本で年長者をたたきのめしたそうだ・・・
と、じつはこの話も美談だそうで、
真相は以下の通りらしい。
頭抜けて体格が大きかった西郷少年は郷中の暴君で、ときに年長の少年をいじめることさえあった。
ある日、西郷少年が年長の少年をしつこく追い回し、からかい続けていると、
面目を潰された年長の少年が激昂して、西郷に斬りかかり右腕を負傷させた、というのが真相のようです。
ちなみに斬りかかった少年は罪に問われ、処刑されたとか・・・
何で読んだか忘れてしまったが、興味ある人は調べてみるといいです。
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/19(水) 22:02:47.40 ID:kpQ/+xhbO
まぁ要するに西郷は明治藩閥政府(主流は薩摩)にとっての「永遠の0」なんだよな。
フィクションではあるが様々なエピソードを集めて1つの理想像に作り上げるという。
零戦が当時(昭和18年始めあたりまで)世界最高の戦闘機であったことは確かで作戦としては外道だったかもしれんが
特攻隊員には敬意を表するべきだし日本人の美学を象徴するモノとしての作品が「永遠の0」なんだな。
西郷も虚事実織り混ぜて明治から始まる新生日本人の1つの忘れてはならない美学を象徴したわけだ。
美談がいくらか捏造されてても構わないだろうな。
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/20(木) 01:00:12.96 ID:TkkIGd7Y0
意味不明。
美学って負け組の美学?
西郷って、明治藩閥政府に乗っかれなかった負け組の人たち(鹿児島士族や庄内藩士含む)や、
藩閥政府に反発する人たちによって神格化されたのは事実だが。
606 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/20(木) 01:26:14.75 ID:Ip7XfPmf0
日本人であろうとすればするほど西郷を神格化してしまうジレンマ
ま、在日や日教組やゆとり世代の小僧にはわからんだろうな
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/20(木) 06:41:17.01 ID:dMpeQbKZO
日本人は昔から敗者に美学を投影するだろ。
南朝の楠木正成とかさ。
零戦やカミカゼも負けた大日本帝国のモノだけど神話・美学になりうる性能・作戦は備えてた。
西郷も維新の実力者の一人であったことは事実だし勝ち組の官軍から見ても元々は同志だし単なる悪者・逆賊にはしたくなかったのさ。
靖国に祀ることができなかった代わりに美談で償ったんだよ。
美学とか言ってる時点で、それ自体が美談なんだよ
”西郷と日本人”を分析してるようでいて、じつはただの美談のバリエーションにすぎない
日本人がそこに美学をみるほどの稀代の英傑西郷さん、という美談
609 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/20(木) 22:02:02.19 ID:3Y+z6aoF0
西郷は日本の精神性の美学の象徴。
それを破壊しようとする売国奴、第三国人に負けないようにしましょう。
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/21(金) 09:30:08.13 ID:POGBkQJ20
西郷は罷免されたわけでも処罰されたわけでもない。
勝手に辞任し、勝手に帰郷し、勝手に反乱を起こして
自滅しただけだ。悲劇のヒーローですらない。
611 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/21(金) 18:19:26.08 ID:GIkUH1TcO
まあ、勝手に長州と結んで明治維新も成したけどな
612 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/21(金) 19:37:00.02 ID:ez39T6LVO
薩長同盟は坂本でも西郷でもない。
だいたいあの封建制度下で下級武士や脱藩浪士が島津家毛利家をくっつけられるとでも?
前年に両藩主の手紙のやり取りで共闘の同意文書残ってる。両家の博物館にあるよ。確認してみて下さい。
ただ下級武士達を納得させるためのコーディネーター的役割は果たしただろう。
まあ単なる反逆者だったら、死後に官位を贈呈されたりはしないな。
明治十五年につくられた「抜刀隊」の歌においても、西クは既に
英雄として扱われていたねw
単なる勢力争いじゃん
負け犬が自分達に都合よい美化マンセーと勝てない他人叩きで
あることないこと騒ぎ立てて正当化をはかるだけ
えげつないね
殿様同士の合意文がソースとして残ってる、
だから明治維新は薩長の殿様主導だったのだ、
とはならないと思う。
いわゆる殿様の四賢公より、西郷、大久保、木戸それに高杉の方が後世の評価は高い。
ソースソースとばかり言ってると、むしろ大局的な歴史の見方が出来なくなるんじゃないかね。
616 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/21(金) 22:08:20.88 ID:ez39T6LVO
薩長同盟が西郷がやったみたいなこと書いてる奴に対して、その部分のみ勘違いを指摘したわけでして。
明治維新が薩摩と長州の殿様主導だったなんて言ってないのにねぇ。
でも西郷を評価したくない余りに文書しか見てないのでは?
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/21(金) 23:39:01.24 ID:ez39T6LVO
維新における西郷は評価してますよ。
西郷も、かな。大久保はもちろん、その両者を引き上げた斉彬や久光も偉い。
しかし英雄イメージ、美談には裏があるのでソースは大切。
でないと慰安婦の嘘を丸のみした河野洋平と同じバカ丸出し。
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/22(土) 07:26:17.48 ID:XUiiw9T6O
最近のバカチョン見てると西郷らの征韓論はまっとうな思想だったね。
敗戦がなければ半島系日本人として沖縄並みに同化してただろう。
連中にとってはその方が幸せだったよな。
西郷は政争の道具として征韓論を言ってたにすぎないのでは?
韓国の大統領が政権維持の道具として反日を煽るのと同じで
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/22(土) 08:45:46.58 ID:2oKO5XXw0
征韓論のあたりから西郷は失敗ばかりやって自滅したんだ。
岩倉、大久保、木戸らは遣使取り止めのために非常手段を
使ったが、西郷らを罷免も束縛もしていない。西郷らの反撃に
備えて軍・警察に手を回した形跡もない。陸軍は西郷板垣に
掌握されていた。辞表を出して帰郷した西郷の無気力無策は
不可解としか言いようがない。
623 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/22(土) 13:08:55.83 ID:aSP0PVFs0
西郷は岩倉、大久保らの狡猾さに負けた。
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/22(土) 13:15:58.85 ID:aSP0PVFs0
岩倉、大久保ら日本ほったらかし、長期外遊組は予廃藩置県後の予想される内乱からの国外逃亡。
西郷の胆力とは比べるべくも無し。
625 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/22(土) 17:16:48.64 ID:2oKO5XXw0
>>623 狡猾さで西郷が負けるはずがない。
西郷はそこまでやるに足る確固とした目標を見失ってたんだな。
>>624 海外視察組は逃亡したというのも違うな
新政府の大きな目的は「不平等条約の撤廃」にあった
だから早急に海外へ行き、その目的と外国に追いつくための情報吸収が必要だった
自分達がいつ死ぬかわからない状況でもあったし、早くにやりたかったことだろう
西郷は留守政府でがんばったことは評価できるが
だからといって西郷を持ち上げるために他の政治家の仕事を悪く言うとか
そういうところがよろしくない部分だ
627 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/23(日) 13:36:06.77 ID:JwlSO9GR0
放火とか因縁とか薩摩藩士の江戸でのやり口が野蛮すぎて江戸市中での評判は元々極めて不評。
江戸の薩摩屋敷跡からは犬の骨が大量に出て来たというし…何やってたの?
長州は江戸での悪評はそんなに知られてない。
西南戦争での薩軍は名実共に賊軍だし祀られないのは当然。
別に薩軍に限った話でなくて奥羽越の戦死者もそうで、平等に基準に基づいてる。
あの神社は賊軍やお国に関係ない戦死者は祀られない。
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/23(日) 13:38:12.13 ID:JwlSO9GR0
誤爆
629 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/23(日) 23:55:48.52 ID:yIdEKfW40
誰がどう言おうと西郷隆盛は多くの人から尊敬され、慕われ続けてきたのは否定しようの無い事実。
630 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/24(月) 00:19:33.92 ID:oHbS8n6W0
若くして数々の革命を成し遂げた西郷は、充分な名声や権力が自然とついてきたので
それらへのしがみつきはなかった。心に余裕があった。
一方大久保はこれと言った業績もなく、名声、権力への欲望が強くなり、
ハングリーさが冷酷な性格を形成して行った。
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/24(月) 10:39:50.26 ID:KH9gp3Qb0
>>620 大和民族が朝鮮に同化なのよw
東シナ海の動きの本質はそれだ中国はどの道血統パンドラの箱を開ける。
632 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/24(月) 23:49:34.33 ID:Iu1Fn9i+0
Q : 西郷さんは民百姓のために戦ったんでしょ?
A :
確かに西郷どんは薩摩や大日本帝国の将来のために
粉骨砕身した偶像であり鑑であるかもしれない。
しかしながら、実は西郷は単に薩摩や士族たちの
象徴であったにすぎないのではないのか。
それどころか、彼はだれよりも奄美と縁が深かったのに、
「敬天愛人」どころか義理も人情もなく奄美を
踏みにじった薩摩士族の大親分としか映ってこないのだ。
西郷はかつて大島・徳之島・沖永良部島に流されたが、
薩摩へあてた手紙では道之島の人々のことを
「毛唐人」「エビス共」「ハブ性の人」などと書き散らしている。
そして島妻アイカナとの間にもうけた菊次郎・菊子を
薩摩で教育する際、奄美出身者ということを他言するなと厳しく禁じた。
島に残された母アイカナは非業の死をとげる。
これは西郷という人間像の一コマではあるが、
実は次に述べる彼の政策論とも表裏一体をなしているとしか思えない。
633 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/24(月) 23:50:54.29 ID:Iu1Fn9i+0
旧藩時代、薩摩は植民地奄美の黒糖収奪によって
財政を建て直し明治政権を樹立した。
奄美の黒糖地獄をだれよりも目のあたりにしてきたのが西郷だが、
彼は、禄支給廃止にあった士族の生活権にしか思いはなかったらしく、
桂久武に命じて不法な独占「大島商社」を維新後に設立させたのである。
これによって薩摩は再び収奪をほしいままにすることができ、
奄美は旧藩以上の窮状にあえぐことになった。
そこで明治十年、奄美から「大島商社解散」を要求する
五十五人の嘆願団が上鹿したが、いきなり全員投獄。
老人などを除いた三十五人は田原坂から敗戦中の
西郷軍に強制出陣させられた。
うち戦死した者六人、残りは官軍に投降。
許されて島へ帰還する途中、二人を除いて全員遭難し、
結局生存者はわずかに二十四人であった。
(前田長英著『黒糖騒動記』参照)
634 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/25(火) 00:15:25.40 ID:wcP/eiq3O
毎回おんなじこと書き込んでるな。
ま、確かに奄美搾取って調所時代より斉彬、さらに西郷と益々厳しくなってんだよな。
だけど税率や適用地域を変えるだけで厳しくできるシステムを完璧に作り上げ制度化したのは調所だからな。
率さえ上げれば簡単に税収図れる消費税システムを作り上げ制度化した竹下が税率上げた野田や安倍より極悪なのと同じ。
長州を薩摩と一緒に語らないでほしい
636 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/25(火) 00:22:12.83 ID:wcP/eiq3O
西郷は調所批判してないんで分からんが、斉彬は県図書館の斉彬文書(斉彬の手紙や日記をまとめたもの)
によると調所のことボロクソに書いてるくせにカネを使いすぎてなくなり始めたら奄美三島に沖永良部追加して
税率も上げて、調所にも半分は良い所あった、なんて書いてて、なんか名君ぽくないんだよな。
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/25(火) 00:33:57.73 ID:CgEojHPn0
薩摩偉人伝シリーズ
◆島津斉彬 1809年(文化6)-1858年(安政5)◆
年貢を最大で90%以上に引き上げた、大名史上最低の暗君。
この時代の薩摩の領民がいったいどのように生活できていたのか
まったくもって謎である。
西洋かぶれとして知られ、領民から収奪した金は、洋式造船、反射炉・
溶鉱炉の建設、地雷・水雷・ガス灯の製造などに惜しみなく注ぎ込んだが、
モノになったものは何一つ無く、すべて外国から調達した方が
はるかに安く高品質であると分かったことが唯一の収穫であった。
歴史書の つもりで書きし 迷コピー
発表場所は 2ちゃんしかなし
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/25(火) 08:26:04.43 ID:FZLNMMPB0
島津斉彬は幕末随一の名君賢侯で西郷隆盛は日本史上最大最高の
英雄にして人格者。調所は奸臣。調所の家族が一家離散の目に遭い、
苗字を変えてひっそりと生きなければならなかったのは調所が
極悪人だった証拠。
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/25(火) 08:31:37.81 ID:FZLNMMPB0
西郷さんがいなければ維新は成らなかった。日本人は
西郷さんに感謝せよ。
641 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/25(火) 09:34:38.60 ID:wcP/eiq3O
こいつも毎回おんなじパターンだな。
俺はアンチ西郷・斉彬でも信者でもないが調所はチョイかわいそうな気がする。
西郷や斉彬が湯水のごとくカネ使えたのは調所が悪役になって奄美などから恨みを買っても財政再建したからだよ。
ちなみに精忠組弾圧・お由良騒動は調所死後1年後に斉興によって始まってるからな。
642 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/25(火) 10:35:40.96 ID:wcP/eiq3O
それから調所一族が苗字一時変えてたのは、あくまでも徳川幕府に対する目くらましだ。
幕府の禁制を破った者の嫡男や嫡孫が斉興の計らいでそこそこ要職についていたが調所のままではマズイからな。
つまり奸臣というのは上様=徳川幕府にとってであって島津の殿様にとっては奸臣どころか貢献者だろう。
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/25(火) 11:42:13.45 ID:FZLNMMPB0
「南国太平記」では調所派は悪、斉彬派は正義となってるから
それでいいじゃん。勧善懲悪のお話は庶民教育には必要不可欠だ。
644 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/25(火) 12:08:56.09 ID:wcP/eiq3O
確かに「南国太平記」は名作だと思う。調所は悪役だが西郷を慕う益満らも調所を憎みながらも手腕は評価してる。
調所も苦悩をかかえながら自らの役割に徹して生きる覚悟が描かれている。
最近では「薩摩燃ゆ」やら「斉彬に消された男」やら「調所笑左衛門」などで斉彬が民主党みたいな感じで描かれてる。
つまり、口ではきれいごと言ってたが、いざ政権取ったら前の自民党よりヒドイという。
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 08:34:18.50 ID:ude9D+BG0
征韓論下野後の西郷さんは何の権力も持ってなかったんだよ。
陸軍大将の肩書きだけでは権力は行使できない。鹿児島県知事は
大山綱良。西郷さんは権力者じゃなくてその人徳を慕う人たちが
自発的に周りに集まっていただけ。彼らは西郷さんの家臣でも
部下でも雇われ人でもなかった。つまり、砂糖専売制度その他の
県政に関して西郷さんの責任を問うことは根本的に不当。慈悲深い
西郷さんが民を苦しめる政策を主導するはずがない。西郷さんは
国家百年の大計だけを考えていたので県政の細かいところには
目が届かなかったのだ。
646 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 08:56:09.51 ID:x0YnBY0bO
あの〜、大島商社設立に関して桂久武に大蔵省にバレないよう利益を独占するよう命じてる手紙残ってるんだけど。
西南戦争でも深見有常へ銃器弾薬汽船の購入代金に大島商社の砂糖を売って払えと命じてる手紙残ってるんだけど。
他にも色々あって西郷が大島商社の内情しらないどころか知った上で利用してるんだけど。
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 16:42:53.33 ID:Zu3wfacd0
手紙のソースは? いつもの信憑性の乏しいやつだろ。
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 17:00:32.29 ID:x0YnBY0bO
あの〜、「西郷隆盛全集」[大和書房(1979年)ってやつで西郷の書簡など集めたものでさぁ、
鹿児島県立図書館にもあるし県資料としても公式に使われてるやつなんですけど。
649 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 19:00:25.95 ID:x0YnBY0bO
特に深見有常の手紙なんか「敬天愛人」第十号 特別号 (西郷南洲顕彰会)つう西郷信者らによっても採用されてるよ。
発行は平成四年9月24日で比較的新しいね。
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 19:16:53.05 ID:x0YnBY0bO
これには手紙以外の西郷による回達文が多く紹介されており深見の戦後の口述書やら浜田弥兵衛ら20名近い
私学校生徒らの口述書が含まれており、西郷が色々と命令してる様が伺える。
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 19:30:24.22 ID:x0YnBY0bO
ついでに幕末元治元年9月16日大久保に宛てた手紙も西郷隆盛全集には出てる(発行当時は大久保利謙氏所蔵)。
それには「御用金も来年砂糖代に取り続く間は何も見当これなき〜、」
と、なんだかんだ言っても軍備は結局奄美の黒糖搾取をあてにしているよ。
652 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 21:30:20.14 ID:x0YnBY0bO
まだまだあるよ。
明治10年6月6日。西郷の部下の木場貞政が西郷の命令でウィリアム・ウィリスに書いた手紙だ。
創泉堂出版〜甦るウィリアム・ウィリス文書 幕末維新を駆け抜けた英国人医師 に載ってる。
原文は下手な英文らしく(西郷が命令するくらいだから少しは英語できたんだろう)大山瑞代という東大卒の方が訳してる。
そこには黒糖売って1万丁のスナイダー銃と5千発の弾丸を購入することに手を貸して欲しい。
と書いてある。ここでも黒糖をあてにしているわけだ。
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 21:38:52.94 ID:x0YnBY0bO
あ、忘れたが文面の初めに、西郷の命によるもの、という但し書きがある。
売る量は720トンだ。まだまだ天保期より搾取がヒドイことを示すデータはある(原口虎雄氏によるもの)が、このへんにしとく。
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 22:17:38.56 ID:x0YnBY0bO
ちなみに私はアンチ斉彬だけどアンチ西郷じゃないよ。
斉彬は調所の手法を批判したくせに藩主になったら税率も搾取地域も調所時代より増やしたお坊ちゃんだ。
西郷は久光・お由良批判はしてるが調所批判はしてないしね。
その時その時の優先事項を目的化戦略化し非情に自らの役割に邁進する様は、実は西郷と調所は同類なんさ。
あれかね、時代背景として、島の人を人間扱いしないというか、
かつての白人が有色人種に持っていたような今で言う「差別」意識が、
斉彬、西郷に限らず、薩摩人全体にあったのかな。
スターリンは、地下活動時代は、銀行強盗やら売春宿経営で、資金を調達し、
ソ連時代は、外貨獲得のために、飢餓輸出をやって、大量の餓死者をだした。
革命とその後の体制維持のためには、なにはともあれ金が必要で、しばしば、過酷な搾取となる、ということなのかな。
657 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 07:30:29.08 ID:GEmiE9xJ0
>>656 レーニン、トロツキー、スターリンらが作り上げた無類の残虐非道の
体制は明治国家とは異質。明治国家は民主的ではなかったけど、当時の
世界の国々を見渡して特に抑圧的だったわけでも残虐だったわけでもない。
ボリシェビキはナチスと同類の犯罪集団。
当時の薩摩は明治国家でもないしソ連でもない
郷中がそのまんま、異常な資金力を得てモンスター化したものとしか言いようがない
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 08:10:12.57 ID:0vomMchG0
660 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 08:22:28.11 ID:XEgj00Za0
当時はロシアからの進撃、植民地化を避けるためには、税の取り立ては
仕方なかっただろう。
日本がこうして独立国家を保っていられるのも西郷さんの
おかげだろう。
661 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 08:41:43.50 ID:J8ziUPfaO
もちろん西郷もだが、大久保や小松帯刀や悪役の調所さえも含めて、当時の薩摩武士は人材豊富だった。
その頃はまだ若侍だったが明治になって政府や帝国海軍で活躍した松方、東郷ら優秀な人材がゾロゾロいた。
まぁ奄美の人だけど徳州会の徳田虎雄は傑物だった。凄い人だ。今回程度のことでつぶしちゃいかんよ。
昔、奄美に仕事に行った父があそこは化外の地だと言ってたくらいだから
そういう風習や色んな事はあったろうと思うよ。
だってそういう土地でないと、流した意味無い訳だし。
今の人がそういう意識を持ってるかというと別だろうけども。
西郷も優しいだけではなくて、非情なところもあるよね。
非情じゃなけりゃ明治維新なんて大変革は実行できないわけだね。
西郷の非情さを示す逸話と知られているのは、幕府を挑発するために
部下を使って江戸に放火させたとか、その部下を都合が悪くなったら
切り捨てたとか、そんな話が今ではよく語られるな。
内村の本に載ってる逸話にはこんなのがあるね。西郷が官軍を
指揮して幕府軍と戦っていたとき、ある部隊から全滅しそうなので
援軍を送ってほしいと連絡があった。そのとき西郷は君たちが
全滅したら援軍を送ろうと返事したそうだ。で、結局部隊は奮起して
幕府軍を押し返したそうである。 これも非情といえば、非情な言葉で
あるな。
フランスの英雄ナポレオンは、戦争を芸術と見ていたというね。
こういう英雄の手にかかれば、兵隊とは芸術を仕上げるための
素材にすぎないので、そういうところから英雄というのは凡人に
とっては災厄以外の何者でもないという考え方もうまれるわけだね。
司馬の小説における西郷にも、こういう英雄観というのは色濃く
反映されているね。
そういう観点からすれば、鉄砲を入手するためには奄美の搾取に
頼るより方法がないと西郷が考えたとして、不思議なことはないね。
薩摩に石油でも出たらよかったのにねえ。不毛の地だから
黒糖くらいしか売れるものがないわけだね。
まあ、島流しになって悲惨な搾取の現場を実見したということで
西郷は搾取される側にも理解がある、ということになるわけだねw
やはり見ると見ないとじゃ大違いだからね。
そういえば、西郷はナポレオンを詠みこんだ漢詩もつくっていたとか。
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 14:41:00.18 ID:0vomMchG0
667 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 14:51:41.59 ID:J8ziUPfaO
いくら口先やら文章で奄美の人々に同情しててもイザとなったら過酷な搾取というのは、
普段は人種差別はいけません!人類皆兄弟とか言ってるくせに自分の娘が在日韓国人と結婚する、
とか言ったら大反対したMさんみたいだな。
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 14:57:46.74 ID:0vomMchG0
>>667 高貴な大和民族だろ誇りもてよもうよ危ない時代なんだよ薩摩から築き上げたものが南から崩壊しかねん。
>>662 それは西郷だから英雄だからていうのではなく
軍隊というものはそういう面を多かれ少なかれ持ってるだけのこととも思う
指揮官は兵を駒として使わないといかんしね
英雄は結果的に戦況をよい方向へ持って行ったから目立つだけで
本当にダメなのは兵を負け戦に巻き込んで
無駄死にさせたような奴だろ
…あれ?
670 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 16:17:45.09 ID:J8ziUPfaO
お前、それ、加治木かなんかで言ったヤツいてヤバいことになってたぞ。
無益な戦争やって有為な薩摩の若者を道ずれにした、と。
自分だけ死ねばいいのに若者道ずれにして特攻した宇垣纒海軍中将みたいと言ったからヤバかった。
西南戦争は避けて通れない負け戦だったと思ってるけど自分は。
薩軍は負けてないから、自分達の存在が日本という国にとって
邪魔になるという事を考えられなかった。
先祖が西南戦争で死んでるけど、自分は西郷さんを憎んではいないよ。
仕方なかったんだと思ってる。
美談が嘘だとバレたら、今度は非情さを美化するのか信者は。
土方歳三みたいな人間が、徒手空拳ゆえに非情にならざるをえない、というなら分かる・・・
しかし西郷の場合は、たんに無能ゆえの非情さにしか思えんな。
アホみたいな美談信じて西郷アゲしてる信者って歴史自体を知らんだろ
前田利家さま〜〜とか言ってる歴女と同じ次元
非情さを美化するほうがまだ理解できる
674 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 23:58:22.73 ID:sYin2dN70
嫉妬深いアンチ西郷は足を引っ張ることしか脳は無し
675 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 01:21:55.79 ID:yWlY4IFV0
薩摩偉人伝シリーズ
◆東郷平八郎 1848年(弘化4)-1934年(昭和9)◆
連合艦隊司令長官 最終階級:元帥 出身:薩摩藩
東郷は昭和まで存命し、生きながら神格化される一方で
対米開戦派であり大艦巨砲主義を進めるよう軍政に干渉
した人物であったことは知られていない。
戦艦大和という人類の歴史に刻まれる壮大でバカげた
乗り物を作るきっかけになった人物であったのだ。
航空主兵論者で開戦反対派の山本五十六は、東郷を
「老害」であったと酷評した。
676 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 01:22:58.48 ID:yWlY4IFV0
薩摩偉人伝シリーズ
◆黒田清隆 1840年(天保11)-1900年(明治33)◆
陸軍中将 除隊後:首相など 出身:薩摩藩
黒田は桁外れの酒乱で、開拓長官時代、商船に乗船したとき、
酒に酔って船に設置されていた大砲を面白半分に射撃、
見事民家に命中させ少女を殺害した。
また明治11年には泥酔して帰宅。小言を言った妻に激怒し、
その場で惨殺(撲殺、蹴殺説もあり)したと言われる。
同郷の薩摩人有力者たちに事件を揉み消してもらい不起訴。
677 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 01:26:13.31 ID:yWlY4IFV0
薩摩偉人伝シリーズ
◆天璋院篤姫 ◆
将軍御台所 出身:薩摩藩
従兄であり養父の薩摩藩主斉彬の上意でキチガイ将軍家定に輿入れさせられる。
幕府瓦解後は、島津家から薩摩に帰郷することを勧められたが、
薩摩人たちの変節ぶりにあきれていた篤姫は、これを断り、
二度と薩摩の地を踏むことはなかった。
678 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 01:33:03.42 ID:yWlY4IFV0
薩摩偉人伝シリーズ
◆島津久光 1817年-1887年◆
薩摩藩国父 出身:薩摩藩
行列を横切っただけの外国人を切り殺し、世界中に日本人=野蛮人のイメージを
植え付けた事件の責任者。今で言えばタリバンや無差別テロ組織の指導者と見ら
れていたと言っても過言ではない。
廃藩置県では潔く身を退くと思いきや、鹿児島県令になりたいだのと未練タラタラに
不平不満をぶちまける。
そのくせ左大臣に任官された途端におとなしくなった。
679 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 02:47:10.30 ID:x2gkaAFz0
>>673 トシさま〜とか言ってる新撰組オタと一緒にするな
681 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 07:06:49.76 ID:2ajV0UTyO
ひょうせつ
なんて言葉、我々オヤジ、初老にしか通じんぞ。
まぁあまり若いのいなさそうだが。
682 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 07:50:24.92 ID:yWlY4IFV0
薩摩偉人伝シリーズ
◆西郷従道 1843年-1902年◆
海軍大将 出身:薩摩藩
この兄にしてこの弟ありともいうべき小西郷こと西郷従道。
若い頃は寺田屋事件にも関わり、尊王攘夷でならしたらしいが、
「常ニ酒気帯ビニテ何ヲ尋ネテモ相分カラズト…」(明治天皇談)と、
東海バスの運転手でさえ真似のできない大胆さ。
お上の折り紙付きの無能ぶりである。
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 07:55:32.40 ID:yWlY4IFV0
薩摩偉人伝シリーズ
◆松方正義 1835年-1924年◆
首相 出身:薩摩藩
薩摩閥であると同時に大隈重信にもゴマをすることで出世した典型的な
官僚人間。それだけでも潔さとは程遠いことが伺い知れよう。悪名高い
デフレ財政によって大量の貧農・出稼ぎ労働者などを発生させ、その後の
日本社会の不安定要因を作り出したにもかかわらず、自らは元老として
大正時代まで天寿を全うした人物である。
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 08:20:23.16 ID:L5qFXyII0
非情さを肯定or弁護してもそれは西郷にだけあてはまることじゃない。
西郷を他の元勲よりも抜きん出てさせた人徳なるものがあったのかどうか。
ここが知りたい。
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 08:20:37.44 ID:yWlY4IFV0
薩摩偉人伝シリーズ
◆山本権兵衛 1852年-1933年◆
海軍大臣、首相 出身:薩摩藩
薩摩閥バブルに乗って栄達しただけのボンクラ薩摩人が多いなかで、
山本は数少ない、中身のともなった人物と評される。
しかし名前が本名のゴンベーでは格好悪いと思ったのか、
「ゴンノヒョウエ」と呼ばせていたそうである。
非情とか高徳とか、割りとどうでもいいんじゃない?
西郷が、歴史に名を残したのは、日本2000年の歴史の五指に入る大事件の立役者とされてるからであってさ。性格がどうだああだてのは、個人の好きにさせとけば?
ポイントは、会津と手を切って、討幕に舵を切った、その決断と実行力だよね。
あとから見れば、体制一新のためには最善とわかるけど、当時、幕府、諸藩、外国、無数の志士で、意見と利害が入り乱れているなかでの決断と行動だから、すごいと思うよ。
ハーバードの日本史近代史研究家であるクレイグは、西クを
評して「日本史における最も強烈な人格」であると評してるね。
伝記研究というのは、歴史学における重要な部分であって
歴史上の人物の人格がいかなるものであったかは、個人の
趣味に任せておくだけの問題ではないw
689 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 15:35:30.58 ID:2ajV0UTyO
「強烈な」人格
大抵はintenseやsevereの訳からくるが、人に使う場合あまり良い意味合いないですよ。
良かれ悪しかれ、他の維新の元勲は、西郷ほど
強烈な人格はもってなかったってことだなw
文官より武官の方が目立つし
反落まで起こしたからねー
692 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 16:34:08.30 ID:L5qFXyII0
高杉晋作は西郷に負けないくらい強烈な人格だよ。
高杉も強烈なキャラクターの持ち主だったが
維新の前に死んだから、元勲にはなりそこねたね。
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 18:29:51.31 ID:2ajV0UTyO
最近の日本で強烈な人格と言われてたのは…
菅直人
菅が強烈な人格? 聞いたことねーわ。
イラ菅っていわれていたのは知ってるがね。
イライラして人を怒鳴りつけるって
だけなら
短気な性格とはいえるだろうが、強烈な人格と
いう形容するには、まだ足りないね。
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 19:08:52.20 ID:2ajV0UTyO
菅は、その強烈なキャラで原発事故現場をかき回した、と当時あちこちで書かれてたぞ。
国会の事故調かなんかでも菅総理の性格が復興の妨げの一因になったと書かれてた。
698 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 19:28:20.27 ID:lZpO+2AnO
それはただの悪口だ
最近はちょっとしたことでも足を引っ張るネタをしつこくつっついて
大事な物事の解決を遅らせるマスゴミがやおかしな団体が
はびこっているからね
原発の事故調査報告書でも確か
菅直人の性格についてコメントが
あったが、「強烈な性格」という
形容はなかったね。
まあ、菅直人の性格が結構強烈としても
歴史学者から日本史における最も
強烈な性格と判断されるほどでは
ないだろうw
そもそも菅直人は小沢との政争のとき
小沢を西郷にたとえて、自分は大久保に
例えてたんだよね。
最近では、都知事選にでた細川が
自分の選挙戦を城山の戦いに例えてた。
現代の政治家もまだまだ西郷人気に
あやかろうって一人は多いってことだね。
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 19:59:17.32 ID:lZpO+2AnO
そういう例えをするのは
はっきり言って恥ずかしいね
イメージだけで言って
とんでもない恥をかく人もいるから
大久保のイメージったら、クールで理知的で計算高い。
西郷のイメージはその反対で、情熱的で野性的で勇猛ってとこか。
菅も大久保のようにクールで理知的な
リーダーを目指してたんだろうが
案に相違して、本人の性格はそれほど
クールではなかったと。
703 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 22:49:19.67 ID:aUT6Pxle0
まともな戦場経験も無く、
西南では一度も前線に出てこなかった西郷が勇猛とかw
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 23:01:11.13 ID:QI9PHN+Q0
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 23:01:18.32 ID:MRLtT3xC0
西郷が体張った仕事って、月照を海に突き落としたのと、
あとは最期に城山で逃亡しようとしたのぐらいしかない。
ようは情けない利権屋。
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 23:11:45.68 ID:CnPe9HFY0
>>689 性格にintenseとか、severeは無いだろうよ。w
アンチ西郷は日本語だけでなく、英語も苦手なようだな。
Outstandingとか、aggressiveなどだろ。
707 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 23:11:56.84 ID:QI9PHN+Q0
>>2 市来四郎は、島津斉彬言行録の著述者で、斉彬の技術面の側近だった人。
斉彬の政治面での側近だった西郷へのその評論が事実とすると、
なぜそんな悪意ある言い方をするのか不思議。
すくなくとも、西郷が明治維新の大きな役割を果たしたのは、間違いないわけで。
因みに、島津斉彬言行録を読んだ範囲では、斉彬の事はべた褒めで、それはほとんど技術面の話です。
政治の話がほとんどないです。
>>687 なぜ、西郷が討幕に、しかも徹底した討幕になったのか、興味あるところですね。
長井雅楽頭の航海遠略策を、徹底批判して、これを称揚するものは斬るとまで
いってる。
要は公武合体がベースにあったからなんだろうけど、それにしても徹底し得いる。
そこまで徹底していたから、幕末の政局を引きづり回せたんだろうけど。
709 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 23:23:04.16 ID:CnPe9HFY0
>>703 考え方がヤンキー的だな
何でトップが前線に出るんだよ。いくらトップが勇猛でも
前線でどんぱちやってたら作戦の指示も何もあったもんじゃ無いだろ。
将棋で玉が前線に出るか?
>>704 >大度量のエピソードとして江戸城無血開城、また戊辰戦争時の敗軍への配慮があるが、
>これは「倒された方の精神」に同情する感覚である。
>しかし、幕末の久光に対する態度や明治新政府での位置をみると、人間の好き嫌いが激しく、
>権力への抵抗者という性質が表れてしまい、また徹底して抵抗するという忍耐力はなく、
>拗ねてどっかに行ってしまう。
>しかも、それでいて子分が多いのだから始末に終えない人物である。
>『三国志』の関羽は部下にやさしく同僚に傲慢という人物だったらしいが、それに似ている。
このあたりの評価は説得力があるね
子分や政局への影響力は絶大なのに体制側や対等の立場の者へは偏屈、依怙地ですぐ拗ねて放り投げる所とか
>710
征韓論で敗れて、参議やめて帰るとき、大久保に暇乞いにいったとき
大久保から
「おはんは、いつでもそうじゃ」
って嫌味言われたんだよね。
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 00:58:23.25 ID:hBW1whVE0
江戸無血開城が西郷の功績とか思ってるんだから、ここの人たちは笑っちゃうね
>>690-691 西郷は維新の人物の中でも目立つからな
三傑でも、何故か特に知られている
大久保と木戸を混同する一般人は多いらしいけど
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 03:17:03.23 ID:SR3NF/2+0
西郷は間違いなく日本を変えたジーニアス
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 03:35:36.73 ID:fAb2649c0
爺アヌス?
>>710 頑固ですぐすねて、放り出す。
これって仕事ができない人の典型なのに、
藩論を討幕でまとめて、それを実現する、なんて最高に難しい仕事ができた。
そのあたりが、西郷さんの底知れなさですね。
>>710 >部下にやさしく同僚に傲慢
要するに、自分が支配する立場でないと気がすまないという
>>713 そりゃ〜人気があるからね。
>>712 江戸無血開城は実はパークスの意思だったって話?
学者にはそうでないという説のひともいるね。萩原延壽が
そうなんだってね。 萩原延壽といえばアーネスト・サトウの
研究もやってたんだね。
西クの隠棲好きは老荘の影響がありそうだねw
そういう漢詩もよく書いてるね。
重野安繹が東大をはじめ中央で地位を得たのは、
やはり薩閥であるところが関係あるのかね。
重野は遠島先で西クにあったというね。遠島にされた理由というのは
使い込みがばれたからというものだったそうな。
西クが遠島にされたのは、そういう恥ずかしい理由ではないから
西クが名声を得たあと、重野は忸怩たる思いだったろうねえw
そういう重野の忸怩たる思いが重野の西ク評からは伝わって
くるよね。
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/02(日) 00:29:24.55 ID:RjxrJXKy0
重野が遠島になったのは、同僚の使い込みをかばったせいとか。
藩に戻ってからはあたりまえのように重用された、薩摩きっての英才だよ。
重野の西郷評もあくまで是々非々であり、べつに批判でもなんでもなく、
西郷の実像を客観的に記したものにすぎない。
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/02(日) 01:10:43.65 ID:XmR34tbr0
成斎は別に薩閥のためでなく当時の大学者だからあの地位であったんであらう
成斎は下が推して、甕江は上が引いたといふね
成斎は面倒見がよかった
723 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/02(日) 01:55:15.54 ID:hYaL5GaXI
>>721 重野にも美談があるのかw初耳だな
あからさまな捏造美談だな。w
西郷には及ばんだろw
725 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/02(日) 23:05:58.44 ID:RjxrJXKy0
重野安繹によると西郷は「参議連中が姑息じゃとか、
富貴を貪って居るとかいって政府の人をば憎む」んでいたそうだ。
ところで岩倉使節団が命がけの洋行で、不平等条約の改正を探り、
近代文明の調査に力を尽くしていた頃、
日本に残った西郷隆盛は何をやっていたのか・・・
西郷と同じく参議であった大隈重信の証言がある。
「西郷には実に困った。彼は一般の政務には関心なきが如く、
岩倉公ら洋行の留守内閣では太政官の正院に出頭しても、
ただ板垣(退助)と相対しつまらぬ話に打興じ、やがて家に帰っていた」
明治新政府における西郷の浮き上った、無為無策のイビツな姿が目に浮かぶようだ。
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/03(月) 01:04:13.06 ID:1PU4XTcuI
岩倉 大久保は国外避難だろ。
不平等条約改正とか、夢のまた夢。
現在にして約100億円使ったそうだ。
どんだけ贅沢したんだ?
結果、業績ゼロ。
海外視察目的だったら2年近くも必要無いのは明らか。
やはり、内戦を恐れての国外避難が結論だ。
727 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/03(月) 08:24:07.89 ID:BWJoRlbO0
重野、大隈は"国外逃避"しなかったじゃないか。
728 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/03(月) 08:25:31.73 ID:BWJoRlbO0
西郷は大隈を非難しながら山県をかばったりして一貫性がない。
国外退避とかはじめて聞いたがw
あれだけの国家プロジェクトで100億ならクソ安いだろw
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/03(月) 13:26:38.76 ID:k1WYlOZG0
>>725 アンチ西郷の中では、人の悪口言い残した者勝ちだな。
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/03(月) 13:54:42.53 ID:8oxg+JRzO
西郷も悪口残してるじゃん。
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/03(月) 23:58:56.91 ID:+UHeFM7T0
西郷は大隈のことを俗吏とみなし、政務を大隈に丸投げし、
決済に使う自分の印章も大隈に預けていたんだよ。
そんなんだったら、潔く身を引けよって思うけどね。
明治新政府としては西郷を首にして鹿児島に帰らせたら何するか分からんということで
大目に見ていたのだろうが、
西郷がほんとうに国家のことを考えていたのなら、参議を辞任し、東京の郊外などに隠棲すべきだった。
結局、薩摩の西郷どん、から脱却できない人だったね。
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/04(火) 06:24:50.06 ID:oMhOXfCA0
乱世の奸雄だな。治者としては無能。
重野安繹が有能だったのは本当だろう。
しかし、幕末には全国に名の知れた学者がいたはずで、その中で飛び抜けての才能があったんだろうか。
頭角を現したのは薩英戦争後の交渉など、
薩摩の時流に乗っていたのは間違いないし、
また大久保とも縁戚であった。
こうした「薩閥」無しに、日本初の文学博士になれたんだろうか。
司馬遼太郎も重野の言動は学者として逸脱があると、「翔ぶが如く」の中で批判的な描き方をしている。
また小説がソースか、ということではなくて、
司馬の感想としてそうだったんだろうということ。
重野の西郷評も、
なんとなく森喜朗の浅田真央発言を思わせる。
放言のような西郷評を残したことが、
かえって自分の後世の評価を落としてしまったんじゃないかね。
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/04(火) 07:12:20.70 ID:iH/Oy5A0O
重野だけでなく市来や西郷のイトコの大山とか従道の奥様とかの西郷評、手紙
さらに西郷自身の奄美女性に対する差別的な内容の手紙、及び大島商社の対応など
重野の西郷評を納得させるものがある。
736 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/04(火) 07:29:04.29 ID:oMhOXfCA0
西郷は知藩事(事実上は久光)を排除して鹿児島県を直接掌握するために
廃藩置県に協力したんじゃないのかな?
737 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/04(火) 08:18:17.72 ID:WGXB9Tky0
>>734 重野の記録が貴重なのは、べつに大学で出世したからではなく、
平素の西郷の人となりをその目と耳で直に見ていたからだ。
西郷に会ったことが無いとか、よそ行きの顔をした西郷しか知らない人物(内村鑑三や勝海舟)が残した
西郷美談ではない、ということ。
>>737 ここのスレで一番「東大」に権威を求めているのは、スレ主でしょう。
テンプレにわざわざカッコ書きで(後に東大教授)と加え、
検死報告書も「東大図書館に保存されている」と書いています。
重野には外交官として政府に入る道もあったでしょう。
しかし、それよりも薩閥を活かして史学の道に入る方が自分に向いていると考えたのでしょう。
(官営の大学が新政府の意向を反映する人物を登用するのは当たり前です)
しかし、東大教授という名誉が、薩長と幕府の累々たる屍の上に成り立ったのなら、
この人はそれに見合うだけの「実(じつ)」があったんだろうか。
重野にしても市来にしても、
若い頃は薩摩型の行動主義者だったでしょう。
その二人が学究・技術の道の人となって、西郷を批判しているのは興味深いです。
私はそれは、
行動主義者として若者たちの信頼を集める点において、とてもかなわないと感じた故の、
嫉妬なんじゃないかと思えます。
案外ここのスレ主さんは、
「俺は学歴がある。なのになぜこんな冷や飯を食わねばならんのか。もっと学歴を権威として畏敬せよ」
と考えている人なんじゃないかなあ。
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/04(火) 21:50:52.30 ID:Wb9WXTaz0
なんなんだろうね?
重野安繹という人物に問題があると思うなら、
重野に実際会ったことのある人物が残した重野評など探して示すのが筋ではないかな?
重野による西郷評のような。
行動主義者だの学歴だの嫉妬だの、重野がそういう小人であって欲しいんだろうけど、
重野の経歴からはそのような匂いはまったくしないな。
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 00:00:15.30 ID:r143D3X50
>>738 全く同感です。
>>739 重野は人物として批評の対象の舞台に上がるようなものでは無いだろうよw
重野を評するような記録があるのだろうか?ww
741 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 00:37:28.93 ID:Le2Qv7Jh0
>>738 行動主義者というのがよく分からないけど、有馬藤太みたいな人もそうなの?
有馬は西郷について興味深い証言をしていて、
有馬としては西郷の剛毅さを伝えたかったんだろうけど、
有馬が語る西郷の姿は、どう見ても昭和の無能軍人そのものなんですよね。
有馬の証言を読むと、西郷と昭和の無能軍人は完全に同根だということがよく分かります。
「先生は親露的な考えを持っておられ、常に『朝鮮、朝鮮とやかましく皆いうちょるが、
朝鮮はホンの通り道じゃ。満州を占領して、(中略)足場を作っておいて、
我に手向かう者を片っぱしから征服する。もし手出しせぬ時はわざとそれらを激動せしむる。
それはちょうど棚蜘蛛(アリ地獄のことか?)の巣に砂をパラパラまくと、クモがちょろちょろ出てくる、
その途端に引っつかむ。(と言いながら、大きな体をゆすってムンズとつかむふうをされた)
これと同じ理屈で、こちらからチョイといたずらをすると怒ってくる。それをすかさず占領という方法で
付近を蚕食して堅固な地歩を占め、右手にロシアと握手し、左手に弱い清国を引起し、
東洋は東洋で始末するのが肝要だ。ロシアがわが言い分を聞かねば、まず彼を処分して然るのち支那に
着手するのだ』という議論で、再三この意見を聞かされたものだった」
この頃に出てきたアジア主義の受け売りなんでしょうけど、日本のどこにそんな国力があるというのでしょうかね。
実務に疎かった西郷さんは、奄美の砂糖を売れば軍資金なんてすぐ作れる、などと思っていたのでしょうか・・・
>>741 わっはっはっはっは。
有馬藤太の語る西郷像は、
いかにも大陸浪人らしいハッタリのきいた豪傑ですよね。
ホントに画に描いたようだ。
あなたが、
「これぞ腹の内をさらけ出した真の西郷像」と信じるなら、
それでいいんじゃないですか。
私なら、眉に唾しながら読みますけれども。
743 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 05:41:22.10 ID:ftcLzZV9O
有馬の西郷評は知らなかったが、今までの流れで美談こそが眉唾と判断するのが普通ですね。
従って有馬の西郷評はいかにも西郷らしいエピソードですな。
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 07:48:32.32 ID:Le2Qv7Jh0
西郷はかねて回りの者に、
「熊本城に着けば、熊本鎮台は城門を開いて降るだろう。
そうなれば、熊本を拠点に九州を従え、広島(鎮台)を攻め、
大阪(鎮台)を破って海陸路で東上し、一戦も交えず入京でき、
東京で花見ができるだろう」(東京日日新聞)
と気持ち良さそうに語っていた。
またこうも語った。「自分は陸軍大将である。たとえ全国の兵を率いても
陛下の許されるところであり心配無用 」(「新編西南戦史」)
有馬藤太に語ったアジア征服宣言と同じテンションですね。
桐野利秋らともこんな調子で語らい合っていたのでしょう。
桐野はじめ西郷に近い弟子たちは、西郷美談のような話しは残していないんですが、
それもうなずける。
遣韓論(笑)
主君の前でジゴロなんて呟く陰湿デブだろ
747 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 18:45:04.60 ID:0TyAvmlY0
>>744 西郷さんは権力を握りたくて反乱を起こしたんじゃない。
自分を慕う若者たちを政府に引き渡して処罰させるのが
忍びがたくて、負ける戦と知りながら自分の命を
若い衆に与えたのだ。勝利の幻想に浮かれる西郷さんなど
ありえない。
大久保がコントロールしてこその西郷なんだろな
大久保と決別、即自滅だもんな
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 21:54:45.57 ID:r143D3X50
大久保は代役可能。西郷は不可。
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 21:58:39.76 ID:r143D3X50
無能を通り越して無脳って意味では確かに西郷の代役はいないだろうね
思考停止したまま死んでったもんな
752 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 22:33:25.78 ID:r143D3X50
大久保レベルのインテリ政治家はいつの時代もいる。
特別な業績もなければ、高尚な思想性も無し。
西郷はただの痴呆だから始末が悪い
無為無策で自分をデカく見せることだけには必死という救いようがない小物だね
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 23:16:53.45 ID:r143D3X50
大久保の胡散臭い西洋かぶれの髭が浅薄さを象徴している。
重要な局面になると狂言自殺するは逃げて引き篭もるわ
自分1人が大使として乗り込むとか信じがたい幼稚な発想しか出来ないわ
西郷の言動見てるとこっちまで恥ずかしくなるw
よく知らんし巷で言われているような聖人だとも思わんが、
それなりに人望はあったんじゃないの?
アンチ西郷が言うほど嫌われそうな性格の持ち主なら、
維新でもまったく名を残せんし
西南戦争だって起こせないだろ
757 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/06(木) 04:00:34.29 ID:Eziyqj6Y0
性格うんぬんよりもカリスマ的存在であったことは間違いないだろうな
西郷を見てるとAppleを作ったあの人といろいろとかぶる
このタイプは打算も働くがリスクを恐れないから当たれば大成功するし、外れれば全てを失う
実は官僚や政治家よりも実業家向きなんじゃないか?維新も大事業ではあるけども
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/06(木) 07:02:59.72 ID:mtbZetHV0
759 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/06(木) 07:04:58.89 ID:mtbZetHV0
西郷が島から帰れたのは大久保の取り成しのおかげだし、
岩倉と二人三脚で王政復古クーデターの大博打を
成功させたのも大久保。
760 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/06(木) 08:58:43.11 ID:05c2Qm9IO
高○氏のように西郷だけが偉くて大久保をボロクソに言い、明らかに西郷のミス、落ち度さえ無理な弁護して、
というキチガイ西郷信者行為が逆にアンチを生んでると思う。
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/06(木) 10:33:20.83 ID:mtbZetHV0
大久保という同志が久光側近にいなければ西郷は力を振るえなかった。
しかも、久光に取り入って側近になってしまったのは大久保だからできたのだ。
西郷にはけっしてできなかった。
762 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/06(木) 10:45:16.05 ID:05c2Qm9IO
確かに。
西郷は大久保と二人三脚の時と、桐野やら別府やらの御輿に乗ってる時は別人のようだ。
763 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/06(木) 11:06:05.23 ID:0ewOFlsM0
斉彬が後10年ほど長生きしてたらどうだろうね。
764 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/06(木) 23:06:21.27 ID:+VLwIqTe0
重野、市来、大隈は西郷に否定的な一方で、そろって、人情はあったという感想も残している。
庄内藩士が西郷に弟子入りしたり、熊本人が「西郷に三日接すると三日の愛が生まれる」だっけ?
そんな感想を残していることからも、人情家西郷が事実であったことを裏付けている。
一方で幼少時から西郷と行動を供にしてきた、いとこの大山巌は「西郷さんの人望買い」という評を残している。
ようするに西郷の人情の根底には、いい顔をしたい、という下世話な欲があると言うのだ。
大山巌、西郷従道、大久保利通、アイカナ・・・
西郷に近かった人物たちほど西郷に距離を置くようになったという事実は、
どの西郷評よりも西郷という人間を語っているようだ。
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 07:59:56.47 ID:zjw6jH0/0
大山巌の言った人望買というのは妬み、嫉妬からくる分もあるだろう。
いとこ関係とか、あまり良く無いのが普通だろ。
↑
すげえな、なんの根拠も無い願望だけで西郷弁護
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 13:08:50.41 ID:zjw6jH0/0
大山巌、西郷従道、大久保利通
全員西郷の全部政敵。w
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 13:11:16.11 ID:zjw6jH0/0
アイカナは自分から距離をおくということでは無かった。
こうやってキチガイ西郷信者がアンチを増やしていくわけか
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 19:08:15.48 ID:zjw6jH0/0
単に正論を言っているだけですが。ヒステリーを起こさないでください。アンチ西郷殿
と毎日ヒステリーを起こす信者であったとさ
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 05:56:52.08 ID:bYh9jNM40
★「西郷の首」は本物だった 西南戦争で自決後、発見将校の「履歴書」見つかる
2014.3.7 08:40
137年前の西南戦争で敗北、切腹した西郷隆盛の首を発見した当時の官軍の将校が書いた
「履歴書」が、金沢市の実家から発見された。その具体的な記述から、鹿児島市の南洲墓地に
眠る「西郷の首」は本物であることが明らかになった。
「西郷の首」は明治10年9月の西南戦争の鹿児島・城山の戦いで、西郷が切腹した後に、
官軍の将校によって発見、官軍の指揮官だった山県有朋らによって確認され、胴体とともに
鹿児島市の西郷南洲墓地に埋葬されたとされていた。しかし、一部には未発見説、偽物説が
あり、西郷自身の生存説も流布された。
今回、発見されたのは、当時、金沢の陸軍歩兵第7連隊の中尉だった千田登文(せんだのりふみ)
が大正の末から昭和の初期にかけて、陸軍に提出するために書いた「履歴書」。
その中に「西郷ノ首ナキヲ以テ、登文ニ探索ヲ命ゼラル」「探索ヲナシタルニ、果シテ門脇ノ
小溝ニ埋メアルヲ発見シ、登文、首ヲ●(もたら)シテ、浄光明寺ニ到リ山県(有朋)参軍、
曾我(祐準)少将ニ呈ス」ときわめて具体的に書かれている。
「履歴書」の記述によって、発見、埋葬された首が本物であることがはっきりしたことで、
「西郷の首」伝説は終止符を打つことになる。(以下略)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140307/art14030708450000-n1.htm
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 09:49:18.78 ID:/irhSL+dO
ん?それがどーした。切腹の証拠にならんな
774 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 07:56:02.51 ID:v5lnZc7u0
征韓論下野後の西郷さんには罪だけがあって功がない。これだけは
西郷信者にも認めてもらわなければ。
これは間違いなく西郷さんの功績!と断定できるものって何がある?
幕末の江戸での幕府挑発工作(火付けや強盗)は、
>>741の有馬に語った、
敵を挑発して怒って出てきたところを叩いて占領の名分にする、という考え方と同じなので、
西郷さん直の担当だったかも。
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 12:09:26.48 ID:O05RTBAMO
俺は西郷ファンなんだが有馬の西郷評は否定しない。
むしろ西郷のそーゆー部分が好きで、いわゆる人格者だとは全く思ってない。
有馬の言う通り現在も日本は西郷の作戦を踏襲しロシアと組んでシナチョンを撲滅するべきである。
777 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 13:39:20.56 ID:v5lnZc7u0
>>776 ロシアと組んでいいことあったか?第一次大戦ではドイツに
やられっぱなしであげくに革命をやって戦線離脱。
日ソ中立条約の結末はあの通り。
西郷さんの功績を聞かれて、すっと思い付かないのが西郷さんか。
779 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 20:36:03.45 ID:ZkMHaGBH0
無知の知
日本の警察制度の基礎を作ったのは川路の功績だけど、川路が一般的に知られているとは言い難い。
「功績」というと、何か非常に限定されてしまうというか、逆にスケールが小さくなるんじゃないだろうか。
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 23:52:19.29 ID:O05RTBAMO
川路は売国奴。
この場合の国は薩摩国だけどな。
782 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/10(月) 06:44:46.47 ID:6f3UQuYg0
明治の西郷は私兵を抱える軍閥の親玉に成り下がった。
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/10(月) 21:50:14.63 ID:UEzOk7uS0
西郷さんがいなければ維新は成り立たなかった
一会桑に押しやられて薩摩の存在力が低下していった中で西郷を呼び戻す判断がなかったら、
薩摩は幕府に従い長州を滅ぼしていかもしれないし、徳川独裁の世の中が永久に続いていたかもしれない
歴史にイフを言っても仕方がないが、
西郷がいなくてもふつうに支障無かったと思う。
西郷の郷中軍団は大久保などが掌握するだろうし。
維新後に薩摩が割れることもなく、
日露戦争後に桐野あたりが陸軍大将ぐらいなっていたかもしれない。
いや桐野はないな。引っ張り上げる西郷がいないわけだから。
西南戦争もああいう形では起きないだろうし、薩摩出身者にとっては、
いいことのほうが多い。
786 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/11(火) 00:16:29.61 ID:oCwhSB0C0
桐野はじめ、多くの薩摩の幹部らは下野した西郷に追従しなければ
将来の地位は安泰だったはずだ。
そのような損得勘定で動かなかったのは彼らが真の武士道を貫くことに
こだわったからだ。
そこに感動があり、美学がある。
787 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/11(火) 00:49:35.12 ID:i+fcZsfm0
維新における西郷と大久保の友情は素晴らしいし、すごい人生を歩んでると改めて思う
この二人で日本中の男たちの運命を左右したんだからな
788 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/11(火) 03:08:55.85 ID:ucYKscoZ0
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/11(火) 10:07:06.12 ID:4TstX10kO
>>786 最初は勝つつもりで西郷についていったと思いますが
>>762 大久保あっての西郷だな。
決別した途単に、あの無能さだからな・・・。
廃藩置県なんか西郷いなかったら出来なかっただろ
全国の不満爆発だろうし
だから大久保が西郷呼び戻してるじゃないか
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/11(火) 16:32:56.05 ID:4TstX10kO
でもやるなら反乱など起こさず
木戸達が苦労していた士族授産にもっと協力すればよかったんだよ
結局暴れたいだけになってしまうのではw
西郷は暴れるのと威張るのが好きな脳筋だから仕方が無い
yWlY4IFV0はなんで西郷アンチスレで西郷から離れた薩摩人のネガキャンしてたのかなぁ…
795 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/12(水) 07:00:12.20 ID:odByfYlK0
>>793 西郷さんは謙虚で礼儀正しい人だった。威張ったりしない。だから、
誰もが感服し、心酔する。ただ、小才が効く俗物は西郷さんを
煙たがった。
>>793 あなたは身をもって「脳筋」のものの考え方とはどのようなものか、
示しているわけですね。
西郷という人が、まさに己を捨てて何かを示すタイプだったようです。
ありがとうございます。
西郷は自分だけ助かろうとして、生の人間の醜さを示して死んだよ
動かしようのない事実だ
あの女はオレに惚れてるよ
動かしようのない事実だ
…そんな風に思い込んで、事件起こす人も多い昨今。
799 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/13(木) 08:58:15.09 ID:MCo7nAc5O
西郷は信者の妄想ほど美談的な人物では無いし西郷一人が維新の功労者でないのも今までのスレからよく分かる。
西郷がいなければ維新はできなかった、のは事実だが○○がいなかったら維新は不可能、の、○○にあてはまる人物は
西郷以外に何人もいる。それほど当時の薩摩には人材がいたのに現代の鹿児島は小さなお山の大将が吠えてるだけ。
日本という国の行く末に影響力ある人は皆無で維新が維新が、西郷が〜と吠えるだけ。
800 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/13(木) 09:35:47.72 ID:bRkr5bzy0
松陰、木戸、高杉がいなかったら維新は成らなかっただろう。
>>799はせいぜい200字足らずの四行の文章の中で、
五回も「西郷」と連呼をしている。
それは逆に言えば気になって仕方がないということだろう。
物事の判断の材料は
>今までのスレからよく分かる
というように2ちゃんへの依存が深い。
そこに誹謗以外の自分の意見は無い。
西郷という人は、あるタイプにとっては、いたくコンプレックスを刺激するんだろうというのが、
読み取れるんじゃあるまいか。
>>799の文章は、
テンプレにある重野や市来による評価と、何となく被るところがある。
ただ、それはテンプレを書いたスレ主の悪意によるところが大きく、
重野も市来も、また幕末という時代に、自分の分(ぶ)で懸命に活動した先人に違いはないのだ。
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/13(木) 10:18:19.05 ID:MCo7nAc5O
すごい勘違いだな(笑)。
803 :
s:2014/03/13(木) 12:09:23.89 ID:cartofim0
城西川越高校出身・群馬大学の小林裕貴は糞
西郷隆盛とは、明治維新の魂を創造した英雄であるねw
西郷なかりせば、明治維新は魂なき改革しか
できず、失敗に終わっていたであろう。
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/13(木) 13:34:54.00 ID:NGUNPJhN0
実際西郷がいなければ維新、廃藩置県は無理だったと思う。
西郷さんに匹敵する信念を持った行動力、胆力を持った人物は他に思い当たらないです。
他に、代わりになる人が想像できない。
維新の魂は長州の方が深い気がするが
西郷も彼らの存在がなければ
そこまでは動かなかったと思う
いつもながら信者の頭の悪さには辟易させられるなあ
廃藩置県後そして西郷帰郷後の鹿児島の、士族による圧政は旧藩時代そのままであり、
西郷が何の信念も持っていなかったことは、西郷自身がおのれの行動で証明している
なぜこんな簡単なことが分からないのだろう
808 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/13(木) 22:57:55.78 ID:tjeLUxUc0
>>807 具体的に西郷さんが廃藩置県後と帰鹿後にどのような形で士族による圧政を
ふるっていたのか説明しろ。
>>808 西郷が1872(明治5)年の「大島商社」設立の際に、桂久武にあてた手紙は以下のようなものなのだが、
そのままではかなり分かりにくいので現代語で注釈込みで意訳しました。
商社ガ砂糖ヲ全国ニ売リヒロメテハ、必ズ大蔵省カラ利益ヲ占メラレルデアロウカラ、
ヨクヨク注意シテ、官ノ専売トミナサレナイヨウニシナケレバイケナイ。
(大島商社が砂糖を派手に全国に売りさばくと、必ず大蔵省にバレて、われらの利権を取り上げるでしょうから、
よくよく注意して、われらが大島商社を隠れ蓑に奄美の砂糖を独占して儲けていることがバレないようにしなければなりません)
ようするにこのような意味なのです。
大島商社は奄美の砂糖を独占はもちろん、買取価格(法外な安値)も商社側が決めていました。
これによって旧藩体制そのままに奄美で地獄の搾取を続けていたのです。
西郷は誰よりも奄美の悲惨な生活を見聞し、砂糖の自由販売こそ奄美の解放策と
分かっていたはずです。しかも、明治政府の要職にある身分であった西郷が
「大蔵省にバレれないようにやれ」とは何たる卑劣さでしょうか。
>>808 そこで明治十年、奄美から「大島商社解散」を要求する
五十五人の嘆願団が上鹿したが、いきなり全員投獄。
老人などを除いた三十五人は田原坂から敗戦中の
西郷軍に強制出陣させられた。
うち戦死した者六人、残りは官軍に投降。
許されて島へ帰還する途中、二人を除いて全員遭難し、
結局生存者はわずかに二十四人であった。
(前田長英著『黒糖騒動記』参照)
811 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/13(木) 23:49:57.84 ID:tjeLUxUc0
それらは、旧藩体制というよりも、現代に通づる資本主義の形態だろ。
アメリカ対発展途上国の関係と同じだろ。
>>811 現代に例えるなら、北朝鮮経済と同じだよ
軍や一部のエリートを支えるために、農民や収容所民は徹底した搾取に遭っている
>>809は奄美に行ったことがあるんだろうか。
「奄美」と一言でくくれるほど、実際は単純ではない。
西郷と縁が深かったのは、奄美大島と沖永良部。
この二島では今でも西郷の居留地跡が顕彰され、公園のような形になっているのは事実。
(重野の居留地跡もそれを示す立て杭は残っている)
徳之島は六十日余りしか滞在しなかったこともあって島の人も西郷には関心がない。それでも平成になってから建てられた大きな上陸記念碑がある。
「大島商社」の話は、西郷の封建的な面を示しているとして、鹿児島の地元紙でも何度か紹介され、奄美の人による激烈な批判も載せられたことがある。
確かにこの点に於いては、西郷は非難されても仕方がない。
前田長英氏というのは、徳之島の郷土史家で、本土中心の史観(特に皇国史観)に手厳しい。
徳之島の歴史を考えれば当然だ。
ただ、前田氏自身が、自著を部分的に切り取って、それが万事かのような取り上げ方をされるのは、非常に迷惑に思うだろうね。
沖永良部の和泊の中心に西郷を顕彰した公園があって、
吹きさらしの牢屋と、痩せて瞑想する西郷の座像が飾ってある。ああ、確かにここまで来ていたんだなあと分かる。
ここのスレの皆さんも、
一度行かれてみると良いですよ。書物やネットだけでは分からないことがあると分かります。
それが島にお金を落とすことになるなら、西郷にとっても本望でしょう。
チラ裏ついでにもう一言。
山口には、中原中也や金子みすず、種田山頭火といった詩歌人が生まれる風土があった。物事を抽象化、結晶化して言葉に表せるわけです。
鹿児島には詩人が生まれる風土はなく、どちらかと言えば美術で才能を発揮した人が多い。黒田清輝、海老原喜之助、また切り子硝子や陶芸など。情熱を、言葉では無しに、直接、形にするわけだ。
お互いにないものが相手にあったから、薩長連合はうまくいったのでしょう。
817 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/14(金) 04:30:48.13 ID:FceeFOgGO
私は809ではないが実際に奄美に行ったし、そもそもそこの関係者に知人が何人もいる。
奄美の知識階級にはアンチ西郷が半分くらいいる。市議になった安田氏は西郷を評価している。
しかし龍郷の、まさに愛加那の家の子孫・関係者ら近い人々はアンチでかなり西郷を恨んでいた。
理由は今までここで出たように黒糖搾取と島の女性に対する蔑視だった。
818 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/14(金) 04:41:45.13 ID:FceeFOgGO
藩主や家老クラスでなく、実際に島の窮状の中を経験し、同情を示していたにも拘わらず、
イザとなったら搾取・蔑視という二面性、裏切りに、いっそう恨みが強くなっている。
まぁ西郷の二面性は研究者の間ではよく言われるが小泉人気に通じる感がある。西郷は典型的な政治家だね。
原発推進だったくせにいきなり脱原発。口では弱者目線、自由な社会を言いながら結局は米国的弱肉強食社会の推進とかね。
>>813 記念碑があるぐらいだから西郷は偉い、慕われていたと言いたいのかな・・
そういう感覚、まったく理解できないが
鹿児島県人は銅像や記念碑大好きなのは知っているが、
史実や資料より記念碑が重要って感覚、某国慰安婦像に通じるものを感じるよ
>>817-818 レスありがとうございます。こういうレスがたまにあるから、このスレは面白いです。
西郷終焉の地をまたぐように城山にそびえ建つ巨大な観光ホテル。
市街地を見渡せる一等地で、私も時々結婚式に呼ばれたりします。
このホテルの創始者は徳之島の出身で、苦労して一代で財を成した人です。
これもまた島の人の記念碑のようなものかも知れません。
名瀬や龍郷に行った人は多いんですが、徳之島、沖永良部まで足を延ばす人はまだなかなか少ない。
>>819の文章には特徴があって、
「なぜこんな簡単なことが分からないのだろう」
「そういう感覚、まったく理解できないが」
と人に向かって独り言をいうようなところがある。
人に向かっては「分かれ」と言い、自分は「分からない」と言うのは、
何だかなあ。
コミュニケーションが大変じゃないかなあ。
821 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/14(金) 17:44:05.27 ID:Nu5XaBWr0
大義があるならともかく、
西郷は大久保への私怨で西南の役起こして1万人以上犬死させてる。
官軍の総司令官である山縣ですら
西郷が私怨で戦争起こすような人間では
ないとのべていたね。西郷の人格の偉大さと
いうのは、西郷の敵からの評価によるところが大きい。
大久保にしても西郷と敵対はしたが
西郷の人格は非難してないわけでね。
結局、信者は郷土愛みたいな排他的な西郷弁護感情に訴えるしかないんだな・・・
鹿児島県人が幼少期から刷り込まれている得体の知れない西郷愛を
きれいに除去できれば、そこにあるのは821さんの言うように、
1万数千人の命を奪い、郷土を焦土にした無能男の姿だろうに・・・
>>823 >結局
自問自答して結論づけてから文章を始める。
それを普通は独り言とか独善と言いますよ。
山縣は長州人だから、山縣が西郷を
認めてたのは、同郷のよしみという
わけではないよね。
>>825 山縣が西郷に出した手紙のこと?
山縣は汚職事件で西郷に助けられているし、だいたいその手紙、外交文書だよ
遠回しに、命乞いなどせずに死んでくださいっていう
827 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/14(金) 22:51:45.00 ID:ZhQrEkNt0
明治天皇にしても「西郷隆盛を殺せなどとは言っていなかったはずだが、」と山縣か誰かに
怒りと哀しみをあらわにしている。
山縣は西郷に汚職の尻拭いしてもらって
西郷に借りがあったというなら、西郷軍鎮圧の
任務につくのが、そもそも不適格だよね。
しかしまあ、山縣が西郷軍の鎮圧にあたって
手加減してたという記録はないし、山縣が西郷に
借りがあったから、山縣はあの手紙書いたなどという
推論はおおよそ成り立たないね。
>>828 山縣が西郷に借りがあったのは事実
山縣が西郷軍を攻めたのも事実
山縣が西郷を持ち上げるような手紙を書き、西郷に切腹を勧告したのも事実
推論なんて関係ないよ
山縣が西郷に借りがあったとして
西郷は今や賊軍の首魁であり
西郷が死ねば、西郷への山縣の借りなるものも
消滅するだけなんだから、西郷をもちあげる手紙を
山縣が書くメリットなんてのは全然ないわけだねw
だから山縣が何か打算があって、あの手紙を
書いたとは考えられない、となるわけだねw
831 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 01:27:31.91 ID:yb34CL9F0
>>830 それこそ推論だな
しかも馬鹿まるだしの
>>827 明治天皇にしても「西郷隆盛を殺せなどとは言っていなかったはずだが、」と山縣か誰かに
怒りと哀しみをあらわにしている。
と、言われている・・・(出典不明)というやつでしょ?
おれが知っている限り、西郷への積極的な評価で、裏付けが取れていて、
もっとも説得力のあるのは『慶喜公伝』の中のエピソード。
徳川慶喜が幕臣たちを前にして「西郷、大久保のごとき者が我が方にはいるか」と嘆息したという話し
この公伝は脱稿前に慶喜自身が原稿チェックしているので、美談や風聞ではなく、
慶喜が打算無く本当にそう思い、発言したのは間違いないだろう。
こういうちゃんと裏付けのとれた情報を、信者は信者のくせに持ってないのか?
>>831 あの手紙書くことによって、山縣に
具体的にどういうメリットがあったのか
いえなければ、馬鹿丸出しなのは、おまえで
決定だなw
833 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 01:49:41.20 ID:yb34CL9F0
基本的に外交文書(自決勧告)
かつて世話になった敗軍の将に対する武士の情け
政府側に残存する薩摩出身者に対する配慮
逆に聞くが山縣がそんなに西郷に心酔していたというなら
なんで山縣は西郷軍に参加せずに西郷を殺す側に回ってるんだ?
なんで西郷の士族温存思想を否定するような鎮台軍を作る側に回ってるんだ?
なんで西郷と反目する大久保に山縣はべったりなんだ?
山縣の行動だけ見れば、全身で反西郷ですって言ってるようなもんだが
>>833 単なる自決勧告であり外交文書であるなら、西クをもちあげる必要は全然ないはずだなw
山縣が西クを文書でもちあげたのは、西クに借りがあったからだという、おまえの論が
破綻したことを、おまえは自ら示したね。
なんで山縣が西クを鎮圧する側にまわっているかというと、それは山縣が
手紙の中で書いてるとおり、「兵隊の武職」 つまり義務であるからだな。
西ク軍とは敵同士になって殺し合ってはいるが、別に西クに恨みが
あるわけではないとw
835 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 02:28:18.32 ID:yb34CL9F0
「兵隊の武職」なんて政府軍辞めればいいだけじゃん
馬鹿だろおまえ
836 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 02:36:10.75 ID:x8d/2KKA0
アンチは西郷が西南戦争によって有望な若者の命を奪ったとう理論を展開しているが、俺はそうは思わんな〜
鹿児島士族が明治政府の施策に対して不満が頂点に達していたという下地を無視しすぎだろ
それとも何か、西郷が私利私欲で鹿児島士族を反乱に駆り立てたという証左でもあるのかね?
いやあ、なんで辞めなきゃいけないの? やめなきゃいけない義務がないのに
辞めなきゃいけないなんて、おまえも馬鹿だろうw
西ク側にたつつもりなら、西クが政府やめたときに一緒にやめてるだろうw
そのときにやめなかったってことは、結局、政府側を正統とみなしたということだよ。
838 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 02:57:16.44 ID:yb34CL9F0
>>836 ではなんのために西郷は蜂起したんだ?
鹿児島の士族のそのまた城下士を中心とする私学校メンバーというきわめて限定的な人たちの不満が
頂点に達したのは分かるが、そんなローカルな不満、ほとんど私利私欲と言ってもいいくらいだ
そんな欲求のために嫌がる者まで強制従軍させ命を奪ったのだから、これを愚挙と言わずしてなんと言うのか
839 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 03:25:55.81 ID:x8d/2KKA0
それだから下地を無視しすぎだといってるんだがw
私学校の連中が火薬庫を襲ってしまい、その連中の犯した事故だと片付けて保身に走ることもできたのに、
見捨てずに命運をともにした意味を私利私欲というなら、おまえはよほど情のわからない機械のような人間だよ
840 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 03:50:08.38 ID:yb34CL9F0
>>839 情でしか正当化できない西郷ってなんなの?
しかもその情ですらはなはだ怪しいのだが
あれだけ大規模な行軍が決まったのは西郷が合流してからだ
火薬庫襲撃時は戦争ではなかった
若者を抑えず、嫌がる者まで巻き込み全面蜂起を承認することが西郷の情というわけか・・
しかも西郷のこの発言
「熊本城に着けば、熊本鎮台は城門を開いて降るだろう。
そうなれば、熊本を拠点に九州を従え、広島(鎮台)を攻め、
大阪(鎮台)を破って海陸路で東上し、一戦も交えず入京でき、
東京で花見ができるだろう」(東京日日新聞)
「自分は陸軍大将である。たとえ全国の兵を率いても
陛下の許されるところであり心配無用 」(「新編西南戦史」)
841 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 04:46:16.27 ID:x8d/2KKA0
>若者を抑えず、嫌がる者まで巻き込み全面蜂起を承認することが西郷の情というわけか・・
死にたくないから従軍しないなんて願いが通るなら、軍隊なんて成り立たんだろ。
組織ってものをわかってる?
火薬庫襲撃当時、鹿児島全体が不平士族の吹きだまりのような状態だったわけだ。
西郷はそうした薩摩士族の内情をくんで決起したわけだろ。至極まっとうな理由じゃないか。
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 08:08:27.09 ID:N/oVVIHDO
私学校派が大半みたいな言い方だが、反対する派も多くて、ここで以前出た酷い話につながるわけだ。
現知事の先祖の伊藤祐徳もそうだし出水や大口の郷土史誌や1980年代の南日本新聞などに連載されてた話がね。
それらを総合すると私学校一派は声が大きいだけで旧藩内の半分も賛同を得ていない。
あと話戻すと「西郷隆盛の首を発見した男」大野敏明著 で、出典明記の上、やはり座骨部でなく左骨部になってる。
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 08:10:35.97 ID:qLio7nJ+0
>>840 それらの言葉の提示はここでの論点に関して何の意味も無い。
むしろ西郷の頼もしさを示す材料だ。
いざ戦うことになった時には大将が吐く言葉としては、むしろかっこよすぎるぞ。
844 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 08:17:08.58 ID:N/oVVIHDO
これは今年出たばかりの本で先週報道された西郷の首に関するニュースの原典本だ。
何度も出てる話だが、先入観なく判断すれば、城川証言が真相で、西南戦争はガス抜きとしてとらえていて
最後は降伏するつもりだった西郷ってのが見えてくる。
845 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 08:46:24.53 ID:qLio7nJ+0
城川の説なんか全然支持してないだろ。w
以前「山県有朋の日記」を読んだけど
著者の一坂は西郷に心酔してた長州人の1人として山県をあげている
長州は木戸をはじめ割と西郷を警戒する人の方が多いから珍しい
大久保や小松に対するほどの信頼感がない
ただ、山県は山県で高杉を見殺しにできる冷静さというか
俯瞰してものを見た上での冷徹さもあるから
847 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 09:31:08.54 ID:N/oVVIHDO
山縣はカネと女に汚くて長州出身知識人からも評価低いけどね。
10年以上前だったか味の素の役員だった子孫が女絡みの破廉恥罪で逮捕だか書類送検だかで新聞に出てた。
山縣と言えば、後に政府の実力者として権力を壟断したことでしられるな。
権力を掌握するためには打算が必要ではあるが、西クへの手紙について
だけは打算らしきものはそれほど見えないね。
850 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 10:25:52.56 ID:N/oVVIHDO
出典は東大図書館
だから東大図書館にある何という題名の本だよw それを明記しないと
出典明記したことにはならねーぞw
852 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 10:44:21.74 ID:N/oVVIHDO
お前、このスレの新人かよ。何回も話題になってるのに。
西郷隆盛の死体検案書だよ。他の人はわざわざ書くまでもないだろうがな。
西クの死体検案書が東大図書館に所蔵してあるっての?
で、それに左骨部って書いてあるっての? それは確認してみないとなぁ。
もっとも左骨部と書いてあるからといって、それが左大腿骨のことだと
決まるわけでもないがねw
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 10:56:41.01 ID:yb34CL9F0
情とか、外交辞令みたいな美辞麗句しか西郷祭り上げの根拠はないのか?
現実の西郷の全行動からはブレまくり、朝令暮改、偽善、現行不一致、すり替え、無責任、排他、無能
そんなワードしか浮かび上がってこないな
まあ西郷は自分におもねってくる人間に対してはたしかに情を示したのだろうが、
そんな安い人間が3万の兵を率いることができる鹿児島の空気って怖いね
856 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 10:57:33.24 ID:N/oVVIHDO
で、右大腿骨から貫通して左骨部にあたってるということは下方にいた官軍でなく
洞窟から出て官軍に対すると右手にいた薩軍から射たれたとみるのが普通。
という意見に対して左骨部でなく座骨部の間違い、いや左骨部、ともめてたが、最新のしかも西郷研究者・大野敏明氏の著作だから間違い無いだろう。
>で、右大腿骨から貫通して左骨部にあたってるということは下方にいた官軍でなく
>洞窟から出て官軍に対すると右手にいた薩軍から射たれたとみるのが普通。
これは大野氏が主張してるの? そうでなけりゃ根拠の無いタダの憶測だなw
こんな主張してる奴はまともな研究家にはいないなw
まあ、どうしても西クが薩軍に撃たれたことにしたくて、死体検案書を
願望でねじ曲げてる様子はよくわかるわけだけどねw
>>841 反乱軍に無理矢理従軍させられたらかなわんだろう
今では美化してる輩も多いが、冷静に見れば、何やってんだの話だぞ
不満とか言って、それを増幅させるようなこよをする方が問題だろ
自分で作った政府を自分の私怨でさっさと怖そうとしてどうする
不満な若者達にはそれこそ、これからの日本というもののありかたについて
心構えを精神教育をするべきであった
自分がちやほやされない不満なんてものはどんな人間にもたまりうる
そういうものをおさえても国に尽くそうとする精神が国を動かす側なければ
国なんてものはまとまっていかんよ
860 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 11:24:09.28 ID:N/oVVIHDO
検案書の、切腹痕がなく右大腿骨貫通して左骨部に達してる、ということからどう判断するか。
大野氏は検案書を紹介してるだけで何の判断もしてない。
東拝して切腹〜の例の話と城川証言のどちらが検案書に合うから明らかだろう。
官軍から射って頭や胸でなく下半身右からということは官軍の前に横向きで仁王立ちでもしたのかな?
だいたい西クが撃たれたとき、どっち向いてたなんて、正確なところが
わかるわけがない。 それを無理槍解釈しようとするからおかしなことになるw
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 11:38:02.85 ID:N/oVVIHDO
どちらが無理やりだよ(笑)
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 11:40:14.38 ID:yb34CL9F0
ID:rcHIh0aB0
↑
こいつは相手にしないほうがいい
こいつは西郷弁護したいのではなく、西郷信者である(あった)自分の愚かさを認めたくないだけの小人だ
あわれな粘着だよ
>>862 完全に論破されてぐうの音もでないようだなw
>>863 まともに論戦したらコテンパンにやられちゃうから
人格攻撃にきりかえてきたかw まったく器の小さい
小人らしいやりかたであることよw
865 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 11:52:00.30 ID:N/oVVIHDO
普通の教養人ならどちらが論破されてると見るだろうか。
確かにアドバイス通り相手にしないほうが良いかもしれん。
普通の常識があれば、西クが撃たれた瞬間どっち向いていたか、まともな
史料もないのに強引に決め付けることの危険性は理解できるねw
867 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 11:58:09.45 ID:N/oVVIHDO
はいはい(笑)
>>848 山県の事だが、木戸は文民統制を信条として軍人の権力を与えるのを抑制されていたから
そういうのが不満で、似たような西郷に共感を得たのかもしれない
警戒されるということは、実際反乱でも起こして
政権を横取りしかねないような雰囲気を持っていたということでもあるのだろう
実際本当にそうなってしまったがw
>>868 まあ、木戸にしたって、西クのこと全然認めてないわけじゃなかったね。
木戸の西ク評といえば、西クは維新に功績があったことは確かだが
いささか視野が狭くて、それが西南戦争に繋がった、というようなもの
だったね確か。
木戸は亡くなるときに、「西クもいい加減にしないか」といいながら
亡くなったそうで、西クのこと気に掛けてはいたわけだな。
山縣にしても西クの人物を認めてはいたろうが、心酔というほど
いれあげてたとは思えないがな。 心酔してたら、西クが下野したときに
一緒に下野してるよw
木戸が「西クもういい加減にしろ」といいながら死んで
西クが「もうこのへんでよか」といい残して死んだとすると
何か両者の言葉が呼応してるような印象をもたせられるね。
彼らの最後の言葉が有名になったのは、そういう事情もあるだろう。
維新の三傑といわれるものたちの中では、大久保は最後に
何いったのか、全然伝わっていないな。
871 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 12:37:38.05 ID:yb34CL9F0
>>868 山縣は同じ長州人の山田顕義と対立していて、その山田は大村益次郎の後継者みたいな人で、
山縣としては山田対策の後ろ盾として西郷に対し普段から如才なくふるまっていたのではないかな
汚職を憎むと広言していた西郷が、自らの言葉に反して山縣を救ったのはそんな背景があったと思うし、
西郷にも陸軍内で自分の派閥を大きくしたいという計算もあったと思うが
872 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 13:08:17.18 ID:qLio7nJ+0
>>856 明らかな嘘はつかないでください。
大量なコピペを含めて捏造も書きまくれば既成事実になると考えているのだろうが、
汚らわしい行動だ。
大野は西郷隆盛が薩軍に撃たれたなんてまったくかいてないだろ。
それどころか、自害したと普通に記している。というかその件は、
もう異論の余地が無いので、わざわざ言及しいていないだろ。
873 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 13:12:58.35 ID:N/oVVIHDO
お前読解力無いな。
私は大野の引用資料を紹介したまで。
判断は私のものですが何か?
要するに大野の資料や今までのスレ見てれば東拝して切腹云々より城川証言に軍配が上がるということ。
大野は西クが自害したって書いてるの? それなら大野の史料をもとに
西クは射殺されたと主張するのは無理があるねw
875 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 13:29:00.90 ID:qLio7nJ+0
どうやったら軍配が上がるんだ。それはお前の願望妄想だろ。
大野氏の本では西南紀伝に書いてある一つの有力な説をしっかりと検証できたという
意味が非常に大きく、言わずもがなだが西南紀伝の信頼性を再認識するものだ。
よって全体においてお前の珍説はさらに信頼性を損なっている。
876 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 13:31:18.33 ID:qLio7nJ+0
>>873 どうやったら軍配が上がるんだ。それはお前の願望妄想だろ。
大野氏の本では西南紀伝に書いてある一つの有力な説をしっかりと検証できたという
意味が非常に大きく、言わずもがなだが西南紀伝の信頼性を再認識するものだ。
よって全体においてアンチ西郷の珍説はさらに信頼性を損なっている。
877 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 13:40:46.94 ID:N/oVVIHDO
城山・岩崎谷知ってるのか?
洞窟出て右は山、正面はなだらかな上り面で薩軍陣営、左が下りで官軍側。
で、西郷が洞窟を出て官軍側に向かうまではどの資料も概ね一致している。
そこに検案書の記述の右から大腿骨貫通して左骨部に達する、切腹痕は無い。を合わせたまでのこと。
洞窟出て左の官軍側に向かうと右側が薩軍だ。
大野氏は自害の証拠は出してない。
878 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 13:49:18.48 ID:qLio7nJ+0
>>877 今度は手のひら返して大野氏否定かよ。
岩崎谷やらその界隈は
よく知ってるよ。お前こそ知ってるのか?
右からか、左かの話は百歩譲っても、今ではもうとんでもなく地形が変わりすぎていて、
どうやって今の地形を判断基準にできるんだ?
お前のバイブルの肚の西郷には殺害場所すら全く記載なし。時間的記載も無し。
どこをどのように撃たれたかも記載なし。
とりあえず西←これうざい
880 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 17:46:49.96 ID:avvx/adi0
「西郷の首を発見した男」見た。
引用されている死体検案書は以下のとおりだ。
創所 頭体離断 右太腿より左骨部貫通銃創 右尺骨部旧刀創 陰嚢水腫
以前このスレで誰かが、医者は「左骨部」などという書き方は絶対にしないと断言し、
骨を貫通したことにしたいアンチが捏造しているなどという言いがかりがあったが、
そんなことはない、左骨部が正しく
>>4以下の記述が裏付けられたわけだ。
しかし「西郷の首を発見した男」の作者がおかしいのは、自分で死体検案書を
示しておきながら、別のページでは、西郷の最期は腹と足に2発の銃弾を受け、切腹して果てた
と、死体検案者とはまったく矛盾する解説をしていることだな。
これには正直唖然とした。
この作者は悪気は無いのだろうが、従来の西南記伝の最期を盲信するあまり、
自分がどれほどバカげた解説をしているのかも分かっていないようだった。
現実の西郷遺体は切腹傷無し、被弾1発なわけだから
西南記傳が矛盾しているのは子供でも分かるはずなのに。
ちなみにこの本、西郷隆盛の話しではなく、首を発見した
千田という人の話しですので、西郷の本と思って読むとがっかりすると思います。
手元には無いので、質問には答えられません。
立ち読みで済まさないで買いなさいよ(笑)
882 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 18:49:08.71 ID:qLio7nJ+0
時間がかかったな、立ち読みしたのか?w
アンチ西郷は最初は新しい本だから信用おけるとかなんとか言っておきながら、
自分の珍説にあわなくなると、否定し始める。w
銃弾が2発なのか1発なのかは現場ではわからないだろう。
むしろ弾丸が刺入した部位と出て行った場所に二カ所、銃弾創からのおびただしい出血があったであろうから
目撃者は2発と思うのがむしろリアリティがある。
まあ、左骨部はありえない。検死書の実物を見てみたいものだ。検死書が記載ミスなのか、
読み違えているのかわからないが、どちらにしろ
アンチによる桐野殺害説を支持することにはならないがな、
883 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 20:42:27.95 ID:SQLQC10Y0
現場のリアリティを根拠にするなら、
西郷は衣服を着けた状態でおびただしい出血でドロドロになり、
銃声、怒声、観察者である自分も死ぬかもしれない恐怖、極限の精神状態、
そんななかで正確に腹と足の2箇所に被弾が認められた、などど明言するには
西郷の衣服をその場で脱がし、血をぬぐい、観察する自分の精神状態が冷静さを取り戻すまで待ち、
西郷の体をまさぐりつつ、姿勢も変え確認する必要があり、
はたしてそんなことが現場でできるのだろうか?
現場でそんなことを試みる人間がいるのだろうか?
西南記傳の最期の記述は、死体検案書の実記録と矛盾しているのはもちろん、
現場のリアリティから言ってもインチキそのものです。
「西ク隆盛の首を発見した男」に引用された死体検案書をみると
確かに「左骨部」と書いてあるな。
検案書の解説には「右大腿部から左骨部(左足の骨か)に貫通銃創があり」
と書いてあるね。 やはり「左骨部」とあるだけじゃ、どういう意味なのかはっきり
しないから、左足の骨のことじゃないかって推論を加えてるんだね。
要するに死体検案書のこのあたりの記述は曖昧ということだな。
こういう曖昧な記述を根拠にして、西クが至近距離から撃たれたと論証しようと
いうのは、やはり筋が悪いw
左骨部が「左足の骨」という意味ならば、右の太腿と左足を弾が貫通
したわけだから、目撃者は二発銃弾があたったと考えても不思議はないねw
銃創が二箇所以上あるということは、死体検案書も目撃証言も
ほぼ一致してるわけで、このあたりは疑う余地がなさそうである。
887 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 21:52:12.51 ID:5+CUBr960
検案書も適当なもんで怪しいってことだな。
まあ、正確な検案書があっても誰の弾に当たったかなんてわからないだろうが。
ケネディ射殺でも、あれだけはっきりしたビデオが残されていても、
誰が何処から射撃したのかも確定的なことは言えていないからな。
888 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 22:09:23.08 ID:N/oVVIHDO
種子島銃同好会だかマニアだかの人がスナイドル銃は50メートル以内じゃないと男性大人の足の骨は貫通しない
と断言してたが実際はどうだか分からん。
まぁ全くいいかげんでもないだろうから、至近距離で射たれた可能性の方が高い。
少なくとも西南記伝より城川証言を裏付けるものばかりですな。
「西ク隆盛の首を発見した男」には、西クの首級を発見したときのことを
リアルにかいてる「石川秘話」という文書の記述も引用されてるね。
筆者はいろいろ検証した結果、「石川秘話」は小説として書かれた
フィクションであろうと結論してるね。
「肚之西ク」も大野の筆法をもってすれば、小説、フィクションということに
なりそうだな。 まあ、西ク関連の記述にはフィクションが多いというのは
認めざるえないだろうw
890 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 22:17:07.33 ID:5+CUBr960
何処かの見知らぬおっさんの話が、アンチ西郷の桐野殺害説の不可欠な大前提なんだなw
何処かのおっさんの言ったことが命づな www
891 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 22:18:39.52 ID:5+CUBr960
>>888 何処かの見知らぬおっさんの話が、アンチ西郷の桐野殺害説の不可欠な大前提なんだなw
何処かのおっさんの言ったことが命づな www
892 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 22:24:04.46 ID:yb34CL9F0
本筋は城川氏による目撃証言であり、
それをさらに裏付けるものとして医師による検死書があり、
「葛城彦一伝」などの資料もある
それに比べて、西南記伝の切腹説って裏付けが何も無いのはすでにこのスレでバレてる
死体検案書はぜんぜん城川証言の裏付けになってないよねw
屋上屋を積み重ねた無理槍な解釈をくわえて、裏付けだって
城川信者がいいはってるだけでねw
894 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 23:10:31.66 ID:N/oVVIHDO
あのさ。何の先入観もない人が検案書みて判断したら西南記伝と城川証言どっち採用すると思う?
また多少地形変わっても官軍側の方が低くて洞窟から左下なのは確かですよ。
下から射って下半身右から当たるつうのは、弾丸飛び交う中、西郷はかなり間抜けな姿勢ですよ。
切腹痕もないし。どうして西南記伝を採用できるか不思議です。
なんの先入観もなく、城川証言と西南紀伝を見比べれば、城川証言がとくに
信頼性が高いなどとは誰もおもわないねw
官軍が下から撃って、下半身右にあたった、そうだとして何がおかしいのかw
下から撃ったら、下半身にあたる可能性のほうが強いだろうw
官軍がどこから撃とうと、西クの右太腿にあたる可能性もあれば
他の場所にあたる可能性もあったわけで、腕にあたった可能性もあれば
胸にあたった可能性もあり、頭に直撃すれば、そのまま亡くなっていた
可能性もあるわけで、右下半身にあたったということから、官軍に
撃たれた可能性はないと結論するためには、相当な論理の飛躍が
必要だよねw
898 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 23:26:56.02 ID:yb34CL9F0
>>897 論理の飛躍はおまえだろ
いくら信者の願望並べられても
桐野銃撃には確たる目撃者がいるんだからさ
よほどの新証言や新資料でも無ければくつがえるもんじゃないよ
>>898 目撃者ひとりしかいないじゃんw 他の目撃者の裏付けもないし。
しかもその証言は事件のあと何十年もしてから出てきたものだしw
常識で考えりゃ信憑性はそれほど高くないよねw
城川証言を裏付ける複数の証言でもあれば、城川証言の信憑性も
かわってくるんだろうがね。 あいにく、裏付けになる証言がぜんぜん
ないから、信憑性が薄いという結論にどうしてもなってしまうんだねw
901 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 23:38:09.72 ID:yb34CL9F0
>>899 そう思いたいのもおまえの願望
論理の飛躍
桐野銃撃は目撃者がいるうえに
西郷の最後をもっとも合理的に説明している
デタラメだと主張するのは自由だが、
代替として、より合理的な説明を提示できないなら説得力のかけらもないな
おまえのことだけど
902 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 23:45:19.92 ID:x8d/2KKA0
誰の撃った弾に当たったかの議論で熱くなるなんて、おもろい奴らや
ちなみにふざけ半分でアンチに聞くが、蛤御門の変で西郷の足に当たった弾は桐野じゃないよな?
別府が首斬ったって証言は複数あるから
城川しか証言者がいない桐野が西郷を
撃ったという証言よりは信憑性あるねw
やはりねえ、単独の証言者しかいない
証言は不利たよねw
複数の目撃者が同一証言してる事例のほうが
信憑性高いねw
904 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 23:55:39.82 ID:yb34CL9F0
>903
城川氏は誰が首切ったなんて証言してないよ
しかしおまえ暗いな
あげあし取ることばかりに執着してるよな、おまえの全レス
西郷信奉者て無能でもそういう暗いことはやらないイメージだったが
おまえは違うな
>>904 いずれにせよ、桐野が西郷撃ったって
証言してるのが、城川しかいないという
ことには変わりがないなw
桐野が西郷の首斬ったって証言は
他にもあるが、西郷を撃ったのは
誰なのかを証言してる証言は城川だけ
だから裏付けがないわけだねw
906 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 01:27:36.83 ID:79hxugySI
ここに肚の西郷を見たこと、読んだ事があるやつて何人いるんだろ。
ほとんどの人が知らない事をいいことに、あんなパンフレットみたいな、みるからに胡散臭い本を西南紀伝より信頼性が高いとか、空いた口がふさがらない。正気ですか?
前も話題になったが、しろかわの説というのは、ただ単に桐野が西郷を撃ったという記載だけで、その他状況描写は皆無だ。
妥当性があるとか、ないとかすら議論不能。
907 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 02:39:53.91 ID:AZpK65pJ0
肚乃西郷持ってるけど、箱入り、別冊西郷詩集付きの豪華本ですよ。
城川の証言には十分状況描写もありますね。
西郷が無言で突然山を下っていった。
いぶかしがった桐野が別府を連れて、西郷のあとを付いていった。
(このとき別府の従僕の城川も駕籠かつぎの役目かで同伴したのだろう)
二、三丁歩いたところで桐野は西郷が政府軍に投降するつもりと見て、西郷を銃で撃った。
十分な状況説明ではないですか?
908 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 02:42:36.72 ID:AZpK65pJ0
「西南記伝」はどうでしょうか?
生き残りの証言であると断りが書かれてるそうです。
しかし、弾丸が飛び交う中、西郷たちの会話・倒れてからの様子など
薄暗い夜明けの中に行なわれていた物が
近くで、見てきたように書かれてます。
しかも、この目撃者で証言者が、誰なのか?など一切触れてません。
編纂したのも、西郷贔屓の人だとか・・
信憑性があるのか怪しいです。
909 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 08:35:49.61 ID:79hxugyS0
弾丸が飛び交う中でも会話くらいわかるだろう。
ウクライナの最近の映像でデモ隊が狙撃される様子が出ているが、
あんな感じだろうな。
910 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 08:49:08.64 ID:79hxugyS0
城川証言は戦争後80年経ってからでた。
普通にここでアウト。
しかも、又聞き。
ここで完全終了。
すでに万人に認定されている本説を今になって覆し、
しつこく声をあげていけば嘘でも通るとおもって
アンチ西郷はしつこいコピペしたり、無理な論理展開したり必死。
日本人的な感覚から遠いよな。
911 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 09:01:20.66 ID:AZpK65pJ0
>>910 その認識は完全に間違ってますね。
肚乃西郷が出版されたのは64年経ってからですが、
城川市二は、64年後に急に証言したわけではない。
肚乃西郷の著者の父親(私学校の関係者)に証言した内容が64年後に本に収録されたということだ。
それまで、そしてそれ以降も黙殺されていたのだろうな。
912 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 09:02:29.91 ID:AZpK65pJ0
著者は城川証言について、この事実が記された書物はほかには無いと思う、
と暗に黙殺されてきた説であることを認めている。
しかしこの証言が疑いなく事実であるとする理由として、
通説のように玉砕するつもりなら洞窟やその前庭で自決すればいい話しであり、
西郷の遺体が見つかった地点までわざわざのそのそ歩いていく必要はないのである、としている。
また、佐賀の乱で江藤新平が西郷に決起をうながした時、
西郷は大義名分を重んじ、江藤に呼応しなかった。
城山の時の西郷は、西郷軍には大義名分があり賊では無いということを、
投降し政府軍に説きたかったのだ、としている。
城山に一度来て、洞窟と西郷終焉の地点の位置関係を見れば、
西郷投降&桐野銃撃説こそ事実であることが分かるであろう、と書いている。
913 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 09:08:48.59 ID:79hxugyS0
>>911 又聞きの又聞きのか、もっとひどいな。
お前の理論展開だと1000年後に、言い始めても
「1000年前から実は言ってましたよ」といえばそれが通るんだな。w
914 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 09:19:00.81 ID:79hxugyS0
>>912 >城山に一度来て、洞窟と西郷終焉の地点の位置関係を見れば、
西郷投降&桐野銃撃説こそ事実であることが分かるであろ
アホか、どうやってわかるんだよ。俺も何十年も前から行ってるが考えられない。
そのような、本当に非論理的なことを、誰それが言っていたというだけで、
思考停止しているのはどうかな。
915 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 09:31:48.17 ID:79hxugyS0
>>912 >しかしこの証言が疑いなく事実であるとする理由として、
通説のように玉砕するつもりなら洞窟やその前庭で自決すればいい話しであり、
西郷の遺体が見つかった地点までわざわざのそのそ歩いていく必要はないのである、としている。
これもとてつもない論理飛躍。
いかに肚の西郷がメチャクチャかよくわかる話だ。
自分に非がなく玉砕を決心したらほとんどの人は、いけるところまで闘うだろう。
逆なんだよ。
まあ、百歩譲って、いろいろな考え方があるにしても、洞窟の前で自決しなかったから
桐野殺害説が事実というのは、論理的に考えられないか、妄想にとりつかれているか、
思考できない小人を納得させようとしているかのどれかだな。
916 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 09:32:53.44 ID:AZpK65pJ0
>>913 歴史資料ってほとんど又聞ではないですかね。
肚乃西郷の場合、城川市二氏が著者の父に直接証言して、
その父は肚乃西郷出版時存命していました。父は私学校党の生き残りと思われ、
うそを付く動機は無いでしょう。
むろん城川氏本人が身元のはっきりした、西郷が絶命した際にまちがいなく城山に
いたことが分かっている人物で、存命中はいつでも問い合わせ可能であり、
氏が虚言を言う動機もまったく想像できない。
それに対して通説の西郷記伝は
>>908に書いた通りで、
西郷の死を身近で見た重要人物であるはずなのに、
それが誰なのかも分からないといういい加減さで、これって又聞ですらないんじゃないですか?
しかも編纂者が、(政府に対し反乱を起こした)西郷に強いシンパシーを感じていた反政府主義者であり、
右翼のアジア主義者です。
西郷を英雄化、神格化、偶像化せしめんとする動機はありありです。
>>914 それは著者が言っていること。
著者は明治時代(当然ながら戦争時の状態に近いであろう)からそのへんに住んでいる人で、
その人よりあなたのほうが城山をよく知っているなどと妄想するほうが思考停止してますよ。
少なくともあなたの意見より信憑性あるんじゃないでしょうか。
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 09:37:32.26 ID:AZpK65pJ0
>>915 西南戦争では西郷隆盛ふくめて大勢の西郷軍兵士が玉砕も突撃もせず投降しているのであり、
いけるところまで闘うものだなんて、思う方が現実をまったく見ていない、
独り善がりの妄想ですね。
ヘタレの集団、西郷と私学校の愉快な仲間たち。
919 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 09:50:51.58 ID:nkCSOVLJO
西南記伝の方が飛躍してるのは明らかですね。
信者とも話しましたが至近距離でないと大腿骨なんか貫通しないと申しましたら 接近戦になっていた、と言うから
接近戦の最中に記伝の記述のように東拝して切腹して介錯したのか?死体検案書に切腹痕無いぞ。 と申しましたら黙ってしまいましたが。
弾丸飛び交う中、下方の官軍からの弾丸が右から射ち込まれるには薩軍側に背を向け山の何もない岩壁を向かねばならない。
しかも無防備に上半身までさらして不自然だろう。と申しましたら。
洞窟側から何か呼ばれて立ち上がり振り返った可能性がある、とか言ってましたが、城川証言の百倍も無理がありますね。
920 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 10:09:05.53 ID:79hxugyS0
>>919 至近距離からでないと大腿骨を砕けないという勝手な前提。
城川も嘘を作る理由が考えつかないから、疑い様の無い事実だとか、
全てにおいてアンチ西郷の主張は無理のある前提の上にある。
どうも日本人コミュニケーションの取り方とは異なる印象を受ける。
>「加治木常樹城山籠城調査筆記」:「銃丸翁の腰部と太股に当り、翁別府を
>顧みて「晋どん、晋どん、もうここにてよかろう」と、徐に跪坐し、遙に東方を拝す。
>此時別府負傷中なるを以て従卒小杉恒右衛門、豊富金右衛門をして山輿を
>舁がしめ翁に従う。別府之を聞き、直ちに輿を下り、曰く「そうでごあんそかい。
>御免なんし」と云って翁の首を斬る。翁の従僕吉左衛門、首を抱えて某の門前
>なる石橋の下に隠す」
どこにも西クが腹切ったとは書いてないね。 司馬の小説も、だいたいこの
筋書きにそって書かれてるね。 司馬は西クが切腹嫌いだったって書いてるな。
「腹は斬らない」と西クが生前語っていた逸話を司馬はいくつか引用してるね。
922 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 10:11:45.70 ID:nkCSOVLJO
まぁ鹿児島関係の仲間だし言いたいことお互いに言えるからよいけど。
中には信者でありながら半ば転向して、美談は美談で子供らの教育上、多少は捏造しても美談は教えるべき。
大人になれば段々分かるから…。ってのもいるが(さすが鶴丸出身)。頭の中が筋肉な奴ほど意固地だね。
「西ク隆盛の首を発見した男」には、西クは切腹したと書いてあるな。
別府が西クに自刃を勧めたという記述もあるね。引用元はやはり書いてないが。
まあ、別府に首斬らせたというのは、自刃に近いとすれば、そこから
西クは最後切腹したんだという風に連想が働いていくのは、自然な
話であろうw 鹿児島に伝わる童謡でも西クは切腹したことに
なっているね。
西南紀伝には西クが切腹したという記述はないといったら
反論できずにダンマリですねw
925 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 10:43:38.74 ID:AZpK65pJ0
926 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 10:47:24.09 ID:79hxugyS0
薩南血涙史 >>>>>>>>>>>>>>>>> 肚の西郷
927 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 10:57:41.84 ID:AZpK65pJ0
信者が西郷は切腹したと強弁していたのが、どうも切腹はまったく証拠が無いので、
それを引っ込めて、今度は資料に「切腹」の二文字は無いので、
切腹を否定するアンチはおかしい、という論法ですか?
信者は論理で破綻すると、かならず、言った言わない論に議論をすり替えますよね・・・
正直あわれです。
蘇峰の近世日本国民史にも、西南紀伝からの
引用として、おなじ記述があるね。
西郷について書かれた本では、西郷の最後に
ついては、ほとんどこの記述がベースに
なってるね。
929 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 11:13:37.44 ID:79hxugyS0
扇子腹だったのかもしれないし、検案書に書かれないほどの浅い切腹創だったのかもしれないし
いずれにしろ西郷は最後まで戦い、介錯してもらい自らの命を絶ったことは疑い様の無い事実。
930 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 11:26:34.36 ID:nkCSOVLJO
城川以外に官軍捕虜の証言集「征西従軍記」にも官軍側に歩いていった西郷が突然うずくまり
桐野がかけよって西郷の首をはねた。と書いてある。
城川証言を裏付けてますな。
931 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 11:35:17.42 ID:79hxugyS0
>>930 またもや論理の飛躍。シロ皮妄言を裏付けないだろ。
その記載は単に桐野介錯説を支持するものだろ。
ひざまづいたところを斬首されたと
いうのは、西南紀伝の記述ともおおむね
一致してるな。問題は介錯人と事前の打ち合わせが
あったかどうかだな。乱戦の最中に事前の
打ち合わせなしにスッパリ首を斬れるかなあ。
事前に打ち合わせがあったとみておかしくないね。
事前の打ち合わせがあったことを知らないものが
みれば、突然西郷がひざまづいたように
みえるかもしれないw
933 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 11:49:14.98 ID:AZpK65pJ0
征西従軍日誌の捕虜の証言はほかにも重要なものがあって、
20日、城山の洞窟で桐野が「もはや再興の機を失せり」と嘆いた。
洞窟に潜んでいるあいだ、将校みな激沸喧騒、議論していた。
(玉砕するか降伏するか西郷助命嘆願の返事を待つか、などの議論であろう)
西郷は席に肘をついてもたれたまま何も言わなかった。
突然大笑を発したかと思えば、うつろに天井を見上げるのみ。
そのような西郷のあり様を見て、辺見十郎太などはキレそうになり、西郷を睨みつけていたそうだ。
(辺見からすれば、西郷に覚悟を決めてもらって、供に玉砕すべしと言って欲しかったんでしょうね)
心神喪失して、空きれい状態の西郷の、生々しい様子が窺えます。
934 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 11:52:00.41 ID:79hxugyS0
打ち合わせ無しに桐野が後ろから西郷を銃撃し、さらに負傷した西郷に刀で襲いかかり
しかもきれいに首をスパッとはねる。想像すればするほどあり得ない光景。
935 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 12:02:08.36 ID:79hxugyS0
そこまで非常になれる桐野であれば頭部や、
胸部へ致命的な弾丸をぶち込むのが自然だろ。至近距離なんだし。
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 12:03:18.31 ID:AZpK65pJ0
打ち合わせて投降して、桐野が撃つ役とか、どういう打ち合わせだよ。
あほらし。
西郷が斬首されるのを予期しておらず
死体に抵抗した跡があった、新しい刀傷が
あったというなら、西郷は桐野に射たれた説の
有力な傍証になるが、西郷の死体には銃撃以外には
目立った傷もなかったというからねえ。
山縣は西郷の首を実験して、とても温和な表情だったと
述べたそうだし。いきなり後ろから斬られたら
もっと驚きや苦悶の表情を西郷の首は浮かべていたろうw
938 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 12:33:40.21 ID:79hxugyS0
939 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 22:56:28.44 ID:dnJKSWqB0
最近の研究では、桐野銃撃や桐野介錯説を採る研究者も増えてきていて、
「幕末明治 不平士族ものがたり」(野口武彦著)では、桐野介錯説(「征西従軍記」)を
採り上げて、西郷の最期を再構築していてなかなか面白かった。
「パラノサイコウ」
→中二病患者のバイブル。
941 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 08:40:33.46 ID:TY6KMVuN0
「征西従軍日誌」は目撃者から直接取材している唯一の記録だね。
「肚乃西郷」は直接ではないが、取材経路(著者の父が直接取材)がはっきりしており、
城川市二という目撃者の身元も完全に判明している。
さらに
>>390以下のように、人となりまで分かっている。
(征西従軍日誌の目撃者は氏名などが分からない)
「西南記伝」はどうでしょうか?
西南の生き残りに取材したとされているが、誰に取材したか分からず、
ほとんどの記述が、過去の「薩南血涙史」などの美談本からの引用、転用である。
ようするに”大西郷の高潔な最期”という結論が先にあってそれに沿う記録や伝聞を
拾い集めて(または捏造して)作られたプロパガンダ本なのです。
942 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 09:16:04.37 ID:4NNjuIZzO
西クの死体に抵抗したあとが一切なかったということは
西クは斬首されるのを覚悟して斬首されたという
ことを示しているねw やはり多くの目撃証言のとおり
別府に打ち合わせどうり頼むと伝えた後、斬首されたという
説がもっとも合理的であろうw
944 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 13:23:13.18 ID:4NNjuIZzO
西・と書く人、頭おかしくないか?
945 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 15:58:39.09 ID:+seyb2PL0
「幕末明治 不平士族ものがたり」の作者は、
徹底抗戦と玉砕を主張してゆずらない桐野について、
いかに薩軍内で浮いた存在だったかを繰り返し説明している。
一方、他の諸将は投降論に傾く者が多く、西郷も助命嘆願の使者を見送るときに、
ニッコリ頷いていたという。
946 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 22:42:25.66 ID:VBR3kTUi0
西郷隆盛を貶めて何かいいことがあるのか?
947 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 23:55:14.77 ID:TY6KMVuN0
政府軍側の西南戦史刊行に対抗するように、薩
摩軍と党薩隊に共感する立場からの西南戦争研究
として、明治も末年に『西南記伝』(黒竜会編、
黒竜会本部出版、1909年〜1911年)が出版された。
全6冊という大冊である。黒龍会の創設者である
内田良平の肝いりで、1910年の韓国併合との関
連を意識しつつ刊行された。その内容は、彼らが
理想とし、主張したが、日本政府側の「日韓併
合」によって挫折した「日韓合邦」論の起源と正
統性を西郷隆盛に求めるという主張を展開したも
のである。
西郷をはじめとする在野の志士の進取
主義と有司専制の藩閥政府側の退嬰主義とが対立
した第一段階の「征韓論争」・明治6年政変と、
第二段階の「士族反乱」とそれらが西南戦争に至
る過程を、これらの政治運動に参加した在野の志
士たちの行動に焦点を当てながら描こうとしたも
ので、それ故に書名が「記伝」となっている。
「パラノサイコウ」
→生きている人の情や愛よりも、
具体的内容の薄い文献の方が信じられると考える、
寂しい人たちのバイブル。
アンチおススメの野口武彦先生。
氏の近年の人気シリーズが「幕末バトル・ロワイヤル」。
おそらく編集者の意図に沿ったタイトルでしょうが、
どんな層に向かってかかれ、
その読者が幕末という時代をどのようにとらえているか、
よく示していますネ。
950 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/19(水) 16:55:05.89 ID:fF2+vgSc0
肚之西郷
パラノサイコ
Paranoid pscyco
951 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/19(水) 17:24:29.76 ID:3KQ3erFg0
西南記傳において、作為的に情報の取捨選択が行われているのは明らかで、
例えば市来四郎の残した資料の中からは、
別府晋介が西郷を介錯したという伝聞は引用しているが、
同じ市来による
>>2の西郷評は没却されている。
952 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/21(金) 11:09:19.32 ID:e/2m7tvh0
「肚乃西郷」の著者の父、竹崎一二(城川市二に取材した人物。出版時存命)は
三州社という結社の社長であった。
三州社は明治14年、河野圭一郎(初代社長)、伊東祐高、中原万次、河野半蔵、美代助座衛門、
樺山資美、伊地知壮之助、児玉軍治ら西郷軍の残党らが設立した結社で、
会員の互助と士族授産、子弟の教育を目的とした。
会員は城下士出身者が中心で、このため「第二の私学校」とも呼ばれた。
竹崎一二はこの三州社の何代目かの代表者であった。
いわば西郷軍の人的遺産と郷中精神の継承者だったのである。
953 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/21(金) 11:10:47.77 ID:e/2m7tvh0
西郷が桐野利秋により銃撃されたとする城川目撃談は、
(通説の西郷像から大きく逸れる衝撃的な内容ゆえ)歴史家からは異説、奇説などとして
黙殺されることが多かった。
しかしこの目撃談を城川に取材し、残した竹崎一二という人物は前述のように
西郷軍直系の公的結社の代表であり、そこから出た城川説は
異説でもなんでもなく、言ってみれば西郷軍の公式見解と言えるものであったのだ。
954 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/21(金) 17:38:40.63 ID:e/2m7tvh0
×河野圭一郎(初代社長)
○河野主一郎
955 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/21(金) 19:57:41.53 ID:29Z5bYuv0
>>954 パラノサイコはやっぱり間違いが多いデスね。
956 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/21(金) 22:57:40.88 ID:ryV5FBknO
そこしか突っ込めないんじゃダメじゃん。
957 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/22(土) 00:22:12.71 ID:xsoqrbs10
重野安繹が罪に問われたのは、昌平黌留学生をめぐる金銭トラブルであった。
重野は薩摩藩から江戸の留学生へ送られる学費・生活費をまとめて受け取り、
各学生に交付する役をつとめていたが、あるとき、金に困った一人の学生が、
別の学生に送られた学費・生活費を貸してくれるよう重野に依頼し、
その別の学生とは借りた学生が話をつけるという約束で金を貸した。
ところがこれがもとで、重野は文書偽造の罪に問われ、1857(安政四)年、
江戸から薩摩に送り返され、翌年三月、奄美大島に遠島になって
しまったのである。
この事件の背景・真偽のほどは判然としない。のちに重野の小伝を執筆した
西村時彦は、重野が妬みを買っていたこと、また重野が島津斉彬の政治工作を
担っていて、反対派の攻撃対象になったという説を提示しているが、根拠はない。
同時代には賭け碁に負けて金を使い込んだという説も流布していたようである。
ともかくもこうして重野の江戸滞在時代は突然に幕をおろし、奄美大島での
遠島生活が始まった。
おりしも政局は安政の大獄へと急展開し、失脚した西郷隆盛が奄美大島に
流されてくる。重野と西郷は、西郷が復権する1862年まで三年を奄美大島で
ともにすごすことになった。
両者の居住地は別々であったが、両者が行き来していたことは、西郷が
大久保利通に宛てて送った手紙のなかに、重野が西郷を訪問したという
記述があることから知られる。
「重野安繹と久米邦武」(松沢裕作著)より
958 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/22(土) 01:13:25.39 ID:3ltD755J0
>>957 へー、完全にヒール役の元祖自虐歴史家、そして久光御用達学者であり、
さらに、こそ泥でもあった重野にも捏造美談があるんだね。
959 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/22(土) 01:42:58.60 ID:3ltD755J0
>>952 また、無理なこじつけで断定しているが、そもそも白皮は別府の従卒として
そのような人物が存在したかも実証はとても十分とは言えず疑わしい。
肚の西郷以外でそのような記載は全く見当たらない。甚だ胡散臭い限りだ。
単に、シロ皮という人物はいたということを主張する者はいるが、
その段階で珍説がまかり通るとおもっているアンチ西郷は
論理性を欠いている。
竹川とかの素生をいくら説明されても無意味。
「パラノサイコウ」
→まさに偏執狂で、御都合主義者のバイブル。
961 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/23(日) 12:14:00.73 ID:/2wxUUtY0
西郷助命嘆願の使者を政府軍に送った時点で、
薩軍内では投降論が多数派になっていた。
いや薩軍諸将は自分が投降したいとは言わないが、
西郷の助命は戦争の終結を意味し、
なしくずしに全軍降伏となるであろう。
直情型の辺見十郎太でさえ敵の砲丸落下が激しくなるのを
見て、西郷助命嘆願に同意している。
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/23(日) 12:15:46.48 ID:/2wxUUtY0
城山籠城時の薩軍諸将とその存意は以下の通りである
○・・投降論を主張または同意
×・・玉砕論を主張
?・・記録が無く不明または存意を語らず
本営幹部
?西郷隆盛
×桐野利秋
?桂久武
○村田新八
○池上四郎
?別府晋介
○辺見十郎太
○坂田諸潔
○野村忍介
前線隊長クラス
○讃良清蔵(砲隊)
?蒲生彦四郎 (狙撃隊)
?藤井直次郎(城山方面)
○河野主一郎(岩崎本道方面)
○佐藤三二(私学校・角矢倉方面)
○山野田一輔(県庁・二ノ丸・照国神社方面)
?高城七之丞(大手・本田屋敷方面)
?堀新次郎(大手・本田屋敷方面)
○河野四郎左衛門(上の平・広谷・三間松方面)
○別府九郎(夏蔭方面 別府晋介の兄)
○中島健彦(新照院・夏陰下方面)
?岩切喜次郎(夏陰)
?園田武一(後廻)
?市来矢之助(後廻・城山間 )
963 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/23(日) 12:18:22.89 ID:/2wxUUtY0
投降論に反発した記録が残るのは桐野利秋だけであり、
桐野の同意あらば無条件降伏もあった体である。
西郷が土壇場で投降を試みたとしても、薩軍の空気としては
唐突なことではなかったと分かる。
桐野利秋が西郷とともに下野したあと、鹿児島の吉田に開墾した田畑が、今も残っています。
現代でも便利が好いとは言い難い場所ですが、きれいに手入れをされています。
桐野が開墾したことを顕彰する碑も残っています。
「児孫の為に美田を買わず」と西郷が言ったように、
桐野は自分たちで田畑を開き、それが百年以上守られているわけです。
極めて真っ当な精神の在り方です。
スレ主は「鹿児島人の石碑好き」と揶揄しますが、
それは別に権威を誇ろうとしているのではなくて、
先祖や先人を敬う気持ちから来たものです。
その証拠に、鹿児島では生花の売上が全国トップクラスです。それは仏壇や墓に供える為です。
「肚乃西郷」が出版され七十年以上経ちますが、「桐野が西郷を撃った」という話は、到底受け入れられているとは言い難い。
そこに少しでもリアリティがあるなら、桐野のを顕彰する碑など打ち捨てられるでしょう。
私は「桐野が西郷を殺した」というのが本当なら、それでも構わないと思います。
ただそれなら、動かぬ複数の証拠を示して欲しい。
・桐野には動機があって疑わしい。
・桐野が撃つのを見たとだけ言っている証言が、一件伝聞の形で残っている。
これだけで桐野が西郷を撃ち殺そうとした、と断じるのは無理だ。典型的な冤罪の構図です。
仮に裁判にかけたとして公判を維持できるような
桐野が西郷を撃ったという具体的な一次資料は何か無いのですか?
965 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/23(日) 23:15:29.88 ID:oHiVDnIb0
966 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/23(日) 23:24:58.84 ID:oHiVDnIb0
967 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/24(月) 00:06:16.24 ID:XBm8Qp560
>>964 一次資料でということで言えば、肚乃西郷も西南記伝も一次資料と二次資料の混在では?
城川氏の箇所は一次と言っていいのではないですか。
桐野銃撃説は西郷の最期を説明する有力な説であると思います。
この説が決して荒唐無稽ではないのは、このスレで数々の根拠が上がっています。
地元の人が桐野公の畑を守ったり、碑を大切にするのは立派なこととは思いますが、
それは歴史の話しではありません。郷土愛の話しです。
その方々を冒涜するつもりはありませんが、そのような郷土愛を引き合いに出して
こんなに地元は誇りにしているのだから、その誇りに反するような歴史解釈は
間違っているとするのは、ゆがんだ郷土愛ではないでしょうか・・・
>>967 いつも不思議に思うのですが、
「桐野が西郷を撃った」というのを証明出来たら、
西郷隆盛を語る上では歴史が変わるでしょう。
あなたがきちんとした形で、実名でもペンネームなりでも使って世に訴えないのは何故なんですか。
969 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/24(月) 01:10:59.38 ID:XBm8Qp560
>>968 従来説より信憑性は高い、ぐらいのことなら証明済みかと思います。
裁判のようなかたちで絶対的な証明しろというのは無茶振りです。
従来説とて絶対的な証明など何も無いのだから。
>>969 従来説より信憑性がある、とあなたが考えるのは、あくまで匿名掲示板の中だけの話でしょう。
それが世間一般でも通説になりうるかどうかは、
匿名でなしに、世に訴えてみないと分からないのでは。
971 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/24(月) 01:30:22.23 ID:XBm8Qp560
>>970 それは個人の勝手なんじゃない?
匿名掲示板の中だけの話と思うならムキになって情に訴えてるあなたはなんなの?という話しですしね。
情とか郷土愛の話ならスレ違いですね。
>>971 ネタを楽しんでるのにマジレスするな、ってところでしょうか。
じゃあ私も匿名をいいことに放言します。
あなたはもっと人と共同作業をしたり、誰かを愛したりした方がいいですよ。
あなたにとっては2ちゃんもコミュニケーションなのかもしれませんが、
もっと恐れずに生きた人の中に入ることです。
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/24(月) 02:03:50.41 ID:XBm8Qp560
>>972 なんかカルト宗教の勧誘みたいですね・・・
>>973 それがあなたの精一杯なのかもしれないけど、
スレタイには「有徳」「無私」とかあるわけだし、
西郷スレで「敬天愛人」の「人を愛す」の話をするのは、
スレ違いでもないでしょう。
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/24(月) 04:44:29.77 ID:aTeuZ03i0 BE:1643485829-PLT(14000)
>>971 桐野あたりならこう言いそうな気がする。
「ウゼケン(世間)がそげん恐ろしかか。
ワイ(あなた)なんかに何が出来いもんか。
こんヤッセンボが。」
スレ主も「肚乃西郷」が世間に通用しないと思っているのが分かったのは良かった。
次スレをたてる時は、ネタスレと分かるようにした方がいいだろうな。
977 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/24(月) 07:20:53.65 ID:TLJmKN5OO
鹿児島のある史談会で80年代に南日本新聞のアンチ私学校記事連載してた元記者と学芸員、某著名学者がさ、
城川証言や重野安繹の西郷評が真実に近いだろうが鹿児島では理屈通じない気違いみたいな西郷信者がいて
(南日に連載中も抗議がすごくて連載終わっても単行本化できなかったと)とても自分の名前さらして公にできない。
と言ってた。
978 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/24(月) 08:01:28.37 ID:pyZsu7rF0
>>977 その某学者とやらも、確かな論拠があれば、公に主張するだろうが。
論破されるのが自覚があるので顔を出さないのでしょう。
979 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/24(月) 09:40:27.19 ID:LDZuoCj/0
なぜ2ちゃんなのかと、2ちゃんねらが問うという不思議な光景wwww
980 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/24(月) 09:41:00.93 ID:TLJmKN5OO
論破しても理屈通じないし街中で刺されたりするかもしれないと恐れてる感じですね。
ここでも大島商社の酷い搾取に対して西郷は知らなかった、名前貸しただけ、みたいな弁護に対して
具体的にあちこち指示してる手紙など資料出て論破されたら今度は
コトを成す英雄は時には非情になることも必要みたいな兎に角西郷偉いが前提になってるし。
朝敵なのになんで英雄にされてるの?
982 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/24(月) 12:49:02.08 ID:pyZsu7rF0
何で大久保は英雄じゃ無いの?w
983 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/24(月) 15:35:35.31 ID:1L41TAhW0
信者の異様な反応を見ると、大久保利通はもちろん大山巌、西郷従道らが二度と鹿児島に寄り付かなかったのも分かる
984 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/24(月) 16:33:20.32 ID:a/tpE/cD0
西郷あっての大久保だけど、大久保あっての西郷じゃない。西郷と
決別して後の大久保は無慈悲な権力亡者に堕してその酬いで死んだ。
>>977 何も鹿児島で「肚乃西郷」真実説を唱える必要はないんですよ。
東京だろうが大阪だろうが、あるいは会津若松でやったっていいじゃないですか。
確信があるなら大いにやればよろしい。
まぁ、都会の人の方が厳しい反応をするでしょうがネ。
まともな出版社なら相手にしないでしょうしネ。
>>980 匿名じゃなしに西郷が桐野に撃ち殺されたと唱えたら、街中で刺されるかもしれない、
というわけですか。
たぶんそれはあなたが世間に持ってるイメージなんですよ。
「世間とは恐ろしいところだ」
あ、それもネタとして楽しんで読めばいいんでしたネ。
986 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/24(月) 23:20:05.95 ID:yzTp/6tC0
>>983 何年も使い古された、西郷を貶めるコピペは
アンチ西郷によって几帳面に整理してフォルダ分けしてあるんだろうな。
2チャンネルのようなゆるいコミュニケーションの場で
必死にコピペをしこしこ貼り付けているアンチの方がきもいぞ。
987 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
西郷ファンや鹿児島の人が反発するのは分かりますけど、
西郷の実像を探ることがなぜ西郷を貶めていることになるのか?
まあ、貶められても仕方がない人物であった、とはうすうす思いますが、
それは決して貶めているわけではなく、それが実像だろうということです。
ファンの方が何か言い分があるのなら、従来の美談を裏付ける証拠なり
どんどん出せばいいんじゃないですかね。
こんなスレですが有効活用してください。