最後に貴殿らとの違いを痛感したネタについてレスしとく。
君が「マニラ市街戦」に「正義」なる用語を用いたのには呆れた。
>>272 〇日本軍は、マニラ市街戦で市民20万人を【人間の楯】にした。
〇米軍は、楯を無視し猛攻撃した。正義云々でなく戦争の現実だ。
(※南京も兵が武装したまま城内に逃げ込めば同様の事態に)
〇一方、日本軍は開戦前、抗日派容疑者を虐殺した。※「マニラ虐殺」で検索
〇日本からしたら、市街戦で内にも敵がいては戦えないからね。
(※米からすれば、人質が殺されてるゆえの凶行突入となるだろ)
〇この責任を問われ、マニラ市民を守ろうと軍の都市からの撤退を進言して
いた山下大将は絞首刑にされた。
〇大将が指示したか知らないが、容認したのは事実と想像する。
〇この戦いで「正義」と呼びる行為があったとすれば、侵略に抗したゲリラを
除き、市街戦を避けるため、「軍を撤退させ、無防備都市を宣言すべき」と
した山下大将の「葬られた提案」ぐらい。感想は以上。(↓付録へ)
〇1:フィリピンゲリラとは
《……傀儡政権の認める正規の軍隊は日本軍以外に存在しないから、自国を踏み
荒らされたことに怒りを覚え、銃を取ったフィリピンの男たちの組織はすべて
「ゲリラ」、つまり「不正規兵」と呼ばれざるを得なくなる》
(*川村悦郎『神軍の虐殺』徳間書店 1991 頁100)
〇2:日本を支持したゲリラ
日本が独立直前のフィリピンに侵攻したとき、日本を支持したグループもあった。
かつて、アメリカからの独立を戦うゲリラ組織に、孫文や、日本人の有志は敬意を
払い支援していた。そのリーダーは、日本に亡命。いわゆる親日派となっていた。
当方、彼らを不正義とは考えない。彼らの多くも最後は抗日に転じたとされる。
〇3:マニラ虐殺の疑問
ドゥリットル爆撃(日本初空襲)で、日本の爆撃目標の立案に参画した、来日経験を
もつ米国人(たぶんスパイ)を、軍は爆撃搭乗員を拷問して割り出していた。
その母親が日本占領下のフィリピンにいると知ると、憲兵は日本爆撃の報復として
彼女を逮捕し、処刑した。……これは、マニラ虐殺の時かなぁ??
以上、つれづれなるまるに書いた。反論などあれば
>>311のスレ先へ。ご機嫌よう。