【南京】東中野裁判14【新路口事件】

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219つうこうにん@幼子すらも
>>189の続編です。合わせてお読みください。

捕虜をろくに採らぬ日本軍の戦争は、以下のように常態化したと想像する。

石原慎太郎氏の奥方の典子女史の実父は、戦地から手紙を母宛てに送っていた。
これを典子さんは迷いつつも戦争の実態を伝えるべく出版することを決意した。
                  ↓

《……捕虜にした敗残兵の中に妻子を連れた兵がおりました。子供は二歳ぐらいの
乳飲み児です。母親も当然銃殺にせねばならぬのですが、そうすれば従って子供も、
ということになります。……中隊長の反対を押し切り、命乞いをしてその母親と
乳飲み児は助けて貰うことにしました。…… 戦争とは、かくも無慈悲なことを
やむを得ずせねばなりません。捕虜も軍刀で首をはねたいとか、銃剣で突きたい
希望者もおりましたが、すべて一斉射撃で処分しました。……このようなことは
私たち兵隊さんの日常の茶飯事ですから、「戦争は罪悪なり」という言葉にあて
はまるわけです。東洋永遠の和平確立の大目的に対してまた微々たる事柄です》
          (*石原典子『君よ、わが妻よ』文藝春秋 2010 頁175-176)