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名無しさん@お腹いっぱい。:
A東条首相が東京裁判でハワイ作戦を知ったのが12月であったかの印象を与える証言を行った理由
東条首相は供述書に、ハルノート提出後の12月1日の御前会議の決議から戦争準備に入ったと書いている。
日本の開戦理由がハルノートによって日米交渉が不成立となったことによる結果である、ことを明確にしたいが為である。
しかし、事実上の戦争準備は11月5日から動き出していた。陸海軍へ準備命令が天皇允裁後、発令されていた。
11月3日にハワイ作戦の説明を受けていた天皇が、11月5日に御前会議に臨席し決議を裁可していたことは
天皇の戦争関与とみなされるだろう。
裁判で東条首相は海軍の作戦についてはハワイ作戦どころか、一切知らなかったと述べている。
一国の総理大臣が海軍のことを、一切知らなかったなどということがあるのだろうか。
これから戦争を行うという重大な時に海軍の作戦も知ろうとしなかったのだろうか。
事実であればこれほど無責任な態度もこれほど無能な総理大臣もないだろう。
しかし、事実はそうではないだろう。
東条さんは有能であった方だ。そうであった筈はない。
自ら知ろうと思えばいくらでも出来たはずであるし、
ヒト・モノ・カネの流れからも当然に様々に情報は入っていた筈だ
海軍の作戦全てについて知ることはできないであろうが一切知らないなどあり得ない。
知っていても、当時の制度では政府と統帥部は独立し、
陸海軍も互いに独立していることになっていたから
建前上は知らないと答えるしかないのが当たり前なのだ。
知ったのは遅くとも11月5日の御前会議前後であろう。
陸軍参謀総長も陸軍作戦当局もハワイ作戦は知っていたのだから。
御裁可の後に陸海大臣はその通報を受ける決まりだったのだから。
(これは東条首相自身が供述書に述べていることである)
したがって、
天皇陛下を守る為に、
東条首相は、この11月5日の前後のことを秘匿せねばならなかった。
だからキーナンの尋問で、ハワイ作戦を知ったのは12月1日の御前会議以降の日付けを答えるしかなかったのだ。