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名無しさん@お腹いっぱい。:
東条英機首相と陸軍はハワイ攻撃を知っていたことを示す典拠
○少なくとも11月はじめには「真珠湾作戦」は陸海軍協同で合意の上で立案されている。
1941年11月8日に「海軍作戦計画ノ大要」を海軍軍令部総長永野修身と
陸軍の参謀総長杉山元が侍従武官長宛てに発信している。
これには海軍軍令部次長伊藤整一と陸軍参謀本部次長塚田功ら総務部長、
主任部長、主任課長など作戦の中枢部の軍人が名を連ねている。
この上奏文は,陸海軍高官が認めた最終攻撃計画であり,
開戦予定日(12月8日)の1ヶ月前に真珠湾攻撃計画も含め,
大元帥昭和天皇に報告された。
「海軍作戦計画ノ大要」
「兵棋ニ依ル作戦計画御説明ニ関スル件」(1941年11月8日)
謹ミテ海軍作戦計画ノ大要ニ付奏上致シマス
第一段作戦ニ於ケル陸軍ト協同シテ行フ南方要域ノ攻略作戦ニ関シマシテハ只今参謀総長ヨリ奏上
致シマシタ通で御座イマ スノデ此処ニハ海軍単独ノ作戦ニ関シ申述ベルコトト致シマス
開戦劈頭比島及馬来ニ対スル先制空襲ト成ルベク時ヲ同ジク致シマシテ第一航空艦隊司令長官ノ率ヰル
航空母艦六隻ヲ基幹トスル機動部隊ヲ以チマシテ布哇在泊中ノ敵主力艦隊ヲ空襲致シマス
右機動部隊ハ千島ニテ補給ノ上開戦十数日前内地ヲ進発致シマシテ布哇北方ヨリ近接シ
日出一、二時間前「オアフ」島ノ北 方約二百浬附近ニテ全搭載機約四〇〇機ヲ発進セシメ
碇泊中ノ航空母艦、戦艦竝ニ所在航空機ヲ目標トシテ奇襲攻撃ヲ加フ ル計画デ御座イマス・・・・・・・以下略。
出典:参謀本部作戦課『昭和十六年上奏関係文書綴』〔防衛庁防衛研究所図書館所蔵〕巻一所収
出典:大本営陸軍部上奏関係資料 / 現代史料出版 東出版