>>163 裁判の事前過程で先ず最初に東条首相自らが日本人弁護士に語った内容をまとめた供述書が作られた。
これは裁判冒頭で3日間に渡って読み上げられた正式の裁判資料である。
11月5日に戦争計画が御前会議で決議され天皇の裁可を経て戦争準備が始まった。
この日以降に陸海の軍隊が動きを開始していったのだ。
しかしこのことを東条首相は供述書に一切書いていない。
また、裁判の尋問でもこの11月5日のことを一切述べていない。
東条首相が隠さねばならなかったこと、それが「11月5日の御前会議」である。
東条首相が守るべきは
第一に天皇陛下である。
第二に日本が戦争準備に入った理由である。
これらが「11月5日」に関係しているのである。
供述書に書いたのはハルノート提出後の12月1日の御前会議の決議から戦争準備に入ったとしている。
日本の戦争理由はハルノートによって日米交渉が不成立となったことによる結果であることを明確にしたいが為である。
11月5日に天皇が御前会議に臨席し決議を裁可していたことは天皇の戦争責任とみなされるからである。
東条首相はハワイ作戦作成に一切関与はしていない。
また東条首相はハワイ攻撃の責任で有罪とされたのではない。
真珠湾攻撃そのものが東京裁判で裁かれたのではない。
以下が東条大将が有罪とされた訴因である。
1 .昭和三年一月一日〜昭和二十年九月二日までの共同謀議(東亜、太平洋、インド洋地域の支配を確保しようとしたこと)
27.昭和六年九月十八日〜昭和二十年九月二日までの中華民国に対する戦争(満洲事変)
29.昭和十六年十二月七日〜昭和二十年九月二日までのアメリカ合衆国に対する戦争
31.同上期間の全英連邦に対する戦争
32.オランダ王国に対する大東亜戦争遂行
33.昭和十五年九月二十二日、フランス共和国に対する戦争
54.昭和十六年十二月七日から〜昭和二十年九月二日までの戦争法規違反