【大逆事件】幸徳秋水が処刑された。

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9名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/11(土) 10:32:07.11 ID:LCl5rG3E0
いちいちにかぞえきたれば、その種類はかぎりもないが、要するに、死そのものを恐怖すべきではなくて、多くは、その個々が有している迷信・貪欲・痴愚・妄執・愛着の念をはらいがたい境遇・性質等に原因するのである。
故に見よ。彼らの境遇や性質が、もしひとたび改変せられて、これらの事情から解脱するか、あるいはこれらの事情を圧倒するにいたるべき他の有力なる事情が出来(しゅったい)するときには、死はなんでもなくなるのである。
ただに死を恐怖しないのみでなく、あるいは恋のために、あるいは名のために、あるいは仁義のために、あるいは自由のために、さては現在の苦痛からのがれんがために、死に向かって猛進する者すらあるではないか。
 死は、古(いにしえ)からいたましいもの、かなしいものとせられている。
されど、これはただその親愛し、尊敬し、もしくは信頼していた人をうしなった生存者にとって、いたましく、かなしいだけである。
三魂・六魂一空に帰し、感覚も記憶もただちに消滅しさるべき死者その人にとっては、なんのいたみもかなしみも、あるべきはずはないのである。
死者は、なんの感ずるところなく、知るところなく、よろこびもなく、かなしみもなく、安眠・休歇にはいってしまうのに、これを悼惜(とうせき)し、
慟哭する妻子・眷属その他の生存者の悲哀が、幾万年かくりかえされた結果として、なんびとも、死は漠然とかなしむべし、おそるべしとして、あやしまぬにいたったのである。
古人は、生別は死別より惨なりといった。死者には、死別のおそれもかなしみもない。惨なるは、むしろ、生別にあると、わたくしも思う。
10名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/11(土) 10:34:12.50 ID:LCl5rG3E0
なるほど、人間、いな、すべての生物には、自己保存の本能がある。栄養である。生活である。
これによれば、人はどこまでも死をさけ、死に抗するのが自然であるかのように見える。されど、一面にはまた種(スペーシス)保存の本能がある。
恋愛である。生殖である。これがためには、ただちに自己を破壊しさってくやまない、かえりみないのも、また自然の傾向である。
前者は利己主義となり、後者は博愛心となる。
 この二者は、古来氷炭相容れざるもののごとくに考えられていた。また事実において、しばしば矛盾もし、衝突もした。
しかし、この矛盾・衝突は、ただ四囲の境遇のためによぎなくせられ、もしくは養成せられたので、その本来の性質ではない。
いな、彼らは、完全に一致・合同しうべきもの、させねばならぬものである。
動物の群集にもあれ、人間の社会にもあれ、この二者のつねに矛盾・衝突すべき事情のもとにあるものは滅亡し、一致・合同しえたるものは繁栄していくのである。
 そして、この一致・合同は、つねに自己保存が種保存の基礎であり、準備であることによっておこなわれる。豊富なる生殖は、つねに健全なる生活から出るのである。かくて新陳代謝する。
種保存の本能が、大いに活動しているときは、自己保存の本能は、すでにほとんどその職分をとげているはずである。果実をむすばんがためには、花はよろこんで散るのである。
その児の生育のためには、母はたのしんでその心血をしぼるのである。
年少の者が、かくして自己のために死に抗するのも自然である。長じて、種のために生をかろんずるにいたるのも、自然である。
これは、矛盾ではなくして、正当の順序である。人間の本能は、かならずしも正当・自然の死を恐怖するものではない。
彼らは、みなこの運命を甘受すべき準備をなしている。
 故に、人間の死ぬのは、もはや問題ではない。問題は、実に、いつ、いかにして死ぬかにある。むしろ、その死にいたるまでに、いかなる生をうけ、かつ送ったかにあらねばならない。

11名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/21(火) 10:55:45.95 ID:S9eXZWii0
いやしくも、狂愚にあらざる以上、なんびとも永遠・無窮に生きたいとはいわぬ。
しかも、死ぬなら天寿をまっとうして死にたいというのが、万人の望みであろう。一応は無理からぬことである。
 されど、天命の寿命をまっとうして、疾病もなく、負傷もせず、老衰の極、油つきて火の滅するごとく、自然に死に帰すということは、その実はなはだ困難のことである。
なんとなれば、これがためには、すべての疾病をふせぎ、すべての災禍をさけるべき完全な注意と方法と設備とを要するからである。
今後、幾百年かの星霜をへて、文明はますます進歩し、物質的には公衆衛生の知識がいよいよ発達し、
一切の公共の設備が安固なのはもとより、各個人の衣食住もきわめて高等・完全の域に達すると同時に、精神的にもつねに平和・安楽であって、
種々の憂悲・苦労のために心身をそこなうがごときことのない世の中となれば、人はたいていその天寿をまっとうすることを得るであろう。
わたくしは、かような世の中が、一日も早くきたらんことをのぞむのである。
が、すくなくとも、今日の社会、東洋第一の花の都には、地上にも空中にも、おそるべき病菌が充満している。
汽車・電車は毎日のように衝突したり、人をひいたりしている。米と株券と商品の相場は、刻々に乱高下している。
警察・裁判所・監獄は、多忙をきわめている。
今日の社会においては、もし疾病なく、傷害なく、真に自然の死をとげうる人があるとすれば、それは、希代の偶然・僥倖といわねばならぬ。
12名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/21(火) 10:58:04.65 ID:S9eXZWii0
実際、いかに絶大の権力を有し、百万の富を擁(よう)して、その衣食住はほとんど完全の域に達している人びとでも、またかの律僧や禅家などのごとく、
その養生のためには常人の堪えるあたわざる克己・禁欲・苦行・努力の生活をなす人びとでも、病なくして死ぬのは、きわめてすくないのである。
いわんや、多数の権力なき人、富なき人、よわき人、おろかなる人をやである。彼らは、たいてい栄養の不足や、過度の労働や、汚穢(おわい)なる住居や、
有毒なる空気や、激甚なる寒暑や、さては精神過多等の不自然な原因から誘致した病気のために、その天寿の半ばにも達せずして、紛々として死に失せるのである。
ひとり病気のみでない。
彼らは、餓死する。凍死もする。溺死(できし)する。焚死(ふんし)する。震死する。轢死(れきし)する。工場の機械にまきこまれて死ぬる。鉱坑のガスで窒息して死ぬる。私欲のために謀殺される。
窮迫のために自殺する。今の人間の命の火は、油がつきて滅するのでなくて、みな烈風に吹き消されるのである。
わたくしは、いま手もとに統計をもたないけれど、病死以外の不慮の横死のみでも、年々幾万にのぼるか知れないのである。
 鰯(いわし)が鯨(くじら)の餌食となり、雀が鷹の餌食となり、羊が狼の餌食となる動物の世界から進化して、まだ幾万年しかへていない人間社会にあって、
つねに弱肉強食の修羅場を演じ、多数の弱者が直接・間接に生存競争の犠牲となるのは、目下のところやむをえぬ現象で、天寿をまっとうして死ぬというねがいは、無理ならぬようで、その実、はなはだ無理である。
ことにわたくしのようなよわくおろかな者、まずしくいやしき者にあっては、のぞむべからざることである。
13名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/21(火) 10:59:39.38 ID:S9eXZWii0
いな、わたくしは、はじめよりそれをのぞまないのである。
わたくしは、長寿かならずしも幸福ではなく、幸福はただ自己の満足をもって生死するにありと信じていた。
もしまた人生に、社会的価値(バリュー)とも名づけるべきものがあるとすれば、それは、長寿にあるのではなくて、その人格と事業とか、四囲および後代におよぼす感化・影響のいかんにあると信じていた。今もかく信じている。
 天寿はとてもまっとうすることができぬ。ひとり自分のみでなく、天下の多数もまたそうである。
そして、単に天寿をまっとうすることが、かならずしも幸福でなく、かならずしも価値あるものでないとすれば、われらは、病死その他の不自然の死を甘受するのほかはなく、また甘受するのがよいではないか。
ただわれらは、いかなるとき、いかなる死でもあれ、自己が満足を感じ、幸福を感じて死にたいものと思う。そして、その生においても、死においても、自己の分相応の善良な感化・影響を社会にあたえておきたいものだと思う。
これは、大小の差こそあれ、その人びとの心がけ次第で、けっしてなしがたいことではないのである。
 不幸、短命にして病死しても、正岡子規君や清沢満之君のごとく、餓しても伯夷や杜少陵のごとく、凍死しても深草少将のごとく、溺死しても佐久間艇長のごとく、
焚死しても快川国師のごとく、震死しても藤田東湖のごとくであれば、不自然の死も、かえって感嘆すべきではないか。
あるいは道のために、あるいは職のために、あるいは意気のために、あるいは恋愛のために、あるいは忠孝のために、彼らは、生死を超脱した。
彼らは、おのおの生死もまたかえりみるにたりぬ大きなあるものを有していた。
こうして、彼らのある者は、満足にかつ幸福に感じて死んだ。そして、彼らのあるものは、その生死ともに、すくなからぬ社会的価値を有しえたのである。
14名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/21(火) 11:01:09.47 ID:S9eXZWii0
如意輪堂の扉にあずさ弓の歌を書きのこした楠正行(まさつら)は、年わずかに二十二歳で戦死した。
しのびの緒をたち、兜に名香を薫(くん)じた木村重成(しげなり)もまた、わずかに二十四歳で戦死した。
彼らは各自の境遇から、天寿をたもち、もしくは病気で死ぬことすらも恥辱なりとして戦死をいそいだ。
そして、ともに幸福・満足を感じて死んだ。そしてまた、いずれも真にいわゆる「名誉の戦死」であった。
 もし赤穂浪士をゆるして死をたもうことがなかったならば、彼ら四十七人は、ことごとく光栄ある余生を送って、終りをまっとうしえたであろうか。
そのうち、あるいは死よりも劣った不幸の人、もしくは醜辱の人を出すことがなかったであろうか。生死いずれが彼らのために幸福であったか。
これは問題である。とにかく、彼らは、一死を分(ぶん)として満足・幸福に感じて屠腹した。
その満足・幸福の点においては、七十余歳の吉田忠左衛門も、十六歳の大石主税(ちから)も、同じであった。
その死の社会的価値もまた、寿夭(じゅよう)(長命と短命)の如何に関するところはないのである。
 人生、死に所を得ることはむつかしい。
正行でも重成でも主税でも、短命にして、かつ生理的には不自然の死であったが、それでも、よくその死に所を得たもの、とわたくしは思う。
その死は、彼らのために悲しむよりも、むしろ、賀すべきものだと思う。
15名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/23(木) 07:07:54.56 ID:BJOetTnl0

  治安維持の為には仕方なかったのか?
16名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/26(日) 11:09:50.21 ID:s1oGCcHY0
そうはいえ、わたくしは、けっして長寿をきらって、無用・無益とするのではない。命あっての物種(ものだね)である。
その生涯が満足な幸福な生涯ならば、むろん、長いほどよいのである。かつ大きな人格の光を千載にはなち、偉大なる事業の沢(たく)を万人にこうむらすにいたるには、長年月を要することが多いのは、いうまでもない。
 伊能忠敬(ただたか)は、五十歳から当時三十余歳の高橋作左衛門の門にはいって測量の学をおさめ、七十歳をこえて、日本全国の測量地図を完成した。
趙州和尚は、六十歳から参禅・修業をはじめ、二十年をへてようやく大悟・徹底し、以後四十年間、衆生(しゅじょう)を化度(けど)した。
釈尊も、八十歳までのながいあいだ在世されたればこそ、仏日(ぶつじつ)はかくも広大にかがやきわたるのであろう。
孔子も、五十にして天命を知り、六十にして耳したがい、七十にして心の欲するところにしたがい矩(のり)をこえず、といった。老いるにしたがって、ますます識高く、徳がすすんだのである。
 このように非凡の健康と精力とを有して、その寿命を人格の琢磨(たくま)と事業の完成とに利用しうる人びとにあっては、長寿はもっとも尊貴にしてかつ幸福であるのは、むろんである。
17名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/26(日) 11:12:27.27 ID:s1oGCcHY0
しかも、前にいったごとくに、こうした天稟・素質をうけ、こうした境界・運命に遇(あ)いうる者は、今の社会にはまことに千百人中の一人で、他はみな、不自然な夭死を甘受するのほかはない。
よしんば偶然にしてその寿命のみをたもちえても、健康と精神力とがこれにともなわないで、ながく困窮・憂苦の境におちいり、みずからたのしまず、世をも益することなく、
碌々・昏々として日を送るほどならば、かえって夭死におよばぬではないか。
 けだし、人が老いてますますさかんなのは、むろん例外で、ある齢(よわい)をすぎれば、心身ともにおとろえていくのみである。
人びとの遺伝の素質や四囲の境遇の異なるのにしたがって、その年齢は一定しないが、とにかく一度、健康・知識が旺盛の絶頂に達する時代がある。
換言すれば、いわゆる、「働きざかり」の時代がある。
故に、道徳・知識のようなものにいたっては、ずいぶん高齢にいたるまで、すすんでやまぬのを見るのも多いが、元気・精力を要する事業にいたっては、この「働きざかり」をすぎてはほとんどダメで、
いかなる強弩(きょうど)(強力な石矢)もその末は魯縞(ろこう)(うすい布)をうがちえず、壮時の麒麟も、老いてはたいてい駑馬にも劣るようになる。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/26(日) 11:14:22.10 ID:s1oGCcHY0
力士などは、そのもっともいちじるしい例である。
文学・芸術などにいたっても、不朽の傑作といわれるものは、その作家が老熟ののちよりも、かえってまだ大いに名をなしていない時代に多いのである。
革命運動などのような、もっとも熱烈な信念と意気と大胆と精力とを要するの事業は、ことに少壮の士に待たねばならぬ。
古来の革命は、つねに青年の手によってなされたのである。維新の革命に参加してもっとも力のあった人びとは、当時みな二十代から三十代であった。
フランス革命の立者(たてもの)であるロベスピエールもダントンもエベールも、斬首台にのぼったときは、いずれも三十五、六であったと記憶する。
 そして、この働きざかりのときにおいて、あるいは人道のために、あるいは事業のために、あるいは恋愛のために、あるいは意気のために、
とにかく、自己の生命より重いと信ずるあるもののために、力のかぎり働いて、倒れてのちやまんとすることは、まず死に所を得たもので、その社会・人心に影響・印象するところも、けっしてあさからぬのである。
これ、なんびとにとっても、満足すべきときに死ななければ、死にまさる恥があると。げんにわたくしは、その死に所をえなかったために、気の毒な生き恥をさらしている多くの人びとを見るのである。
19名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/26(日) 11:17:12.07 ID:s1oGCcHY0
一昨年の夏、ロシアより帰国の途中物故した長谷川二葉亭を、朝野こぞって哀悼したころであった。
杉村楚人冠は、わたくしにたわむれて、「君も先年アメリカへの往きか返りかに船のなかででも死んだら、えらいもんだったがなァ」といった。
彼の言は、戯言(ざれごと)である。
けれども、実際わたくしとしては、その当時が死すべきときであったかも知れぬ。
死に所をえなかったがために、今のわたくしは、「えらいもんだ」にならないで、「馬鹿なやつだ」「わるいやつだ」になって、生き恥をさらしている。
もしこのうえ生きれば、さらに生き恥が大きくなるばかりかも知れぬ。
 故に、短命なる死、不自然なる死ということは、かならずしも嫌悪し、哀弔すべきではない。
もし死に、嫌悪し、哀弔すべきものがあるとすれば、それは、多くの不慮の死、覚悟なきの死、安心なき死、諸種の妄執・愛着をたちえぬことからする心中の憂悶や、病気や負傷よりする肉体の痛苦をともなう。
いまやわたくしは、これらの条件以外の死をとぐべき運命をうけえたのである。
 天寿をまっとうするのは、今の社会ではなんびとにとっても至難である。
そして、もし満足に、幸福に、かつできうべくんば、その人の分相応――わたくしは分外のことを期待せぬ――の社会価値を有して死ぬとすれば、
病死も、餓死も、凍死も、溺死も、震死も、轢死も、縊死も、負傷の死も、窒息の死も、自殺も、他殺も、なんの哀弔し、嫌忌すべき理由もないのである。
 それならば、すなわち、刑死はどうか。その生理的に不自然なことにおいて、これら諸種の死となんの異なるところがあろうか。
これら諸種の死よりも、さらに嫌悪し、哀弔すべき理由があるであろうか。
20名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/11(火) 15:18:28.55 ID:yIhbezeN0
死刑は、もっともいまわしく、おそるべきものとされている。
しかし、わたくしには、単に死の方法としては、病死その他の不自然と、はなはだえらぶところはない。
そして、その十分な覚悟をなしうることと、肉体の苦痛をともなわぬことは、他の死にまさるともおとるところはないのではないか。
 それならば、世人がそれをいまわしく、おそるべしとするのは、なに故であろぅか。
いうまでもなく、死刑に処せられるのは、かならず極悪の人、重罪の人であることをしめすものだ、と信ずるが故であろう。
死刑に処せられるほどの極悪・重罪の人となることは、家門のけがれ、末代の恥辱、親戚・朋友のつらよごしとして、忌みきらわれるのであろう。
すなわち、その恥ずべく、忌むべく、恐るべきは、刑で死ぬということにあるのではなくて、死者その人の極悪の性質、重罪のおこないにあるのではないか。
 フランス革命の梟雄(きょうゆう)マラーを一刀で刺殺して、「予は万人を救わんがために一人を殺せり」と、法廷で揚言した二十六歳の処女シャロット・コルデーは、
処刑にのぞんで書をその父によせ、明白にこの意をさけんでいる。
いわく「死刑台は恥辱にあらず。恥辱なるは罪悪のみ」と。
21名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/11(火) 15:21:27.56 ID:yIhbezeN0
死刑が極悪・重罪の人を目的としたのは、もとよりである。
したがって、古来多くの恥ずべく、忌むべく、おそるべき極悪・重罪の人が、死刑に処せられたのは、事実である。
けれど、これと同時に多くのとうとぶべく、敬すべく、愛すべき善良・賢明の人が死刑に処せられたのも、事実である。
そして、はなはだ尊敬すべき善人ではなくとも、またはなはだ嫌悪すべき悪人でもない多くの小人・凡夫が、あやまって時の法律にふれたために
――単に一羽の鶴をころし、一頭の犬をころしたということのためにすら――死刑に処せられたのも、また事実である。
要するに、刑に死する者が、かならずしも極悪の人、重罪の人のみでなかったことは、事実である。
 石川五右衛門も国定忠治も、死刑となった。
平井権八も鼠小僧も、死刑となった。白木屋お駒も八百屋お七も、死刑となった。ペロプスカヤもオシンスキーも、死刑となった。
王子比干や商鞅(しょうおう)も韓非子も高青邱も、呉子胥や文天祥も、死刑となった。木内宗五も吉田松陰も雲井竜雄も、江藤新平も赤井景韶も富松正安も、死刑となった。
刑死の人には、実に盗賊あり、殺人あり、放火あり、乱臣・賊子あると同時に、賢哲あり、忠臣あり、学者あり、詩人あり、愛国者・改革者もあるのである。
これは、ただ目下のわたくしが、心にうかびでるままに、その二、三をあげたのである。もしわたくしの手もとに、東西の歴史と人名辞書とをあらしめたならば、
わたくしは、古来の刑台が恥辱・罪悪にともなったいくたの事実とともにさらに刑台が光栄・名誉にともなった無数の例証をもあげうるであろう。
22名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/11(火) 15:23:22.14 ID:yIhbezeN0
スペインに宗教裁判がもうけられていた当時を見よ。無辜(むこ)の良民であって、単に教会の信条に服さないとの嫌疑のために焚殺されたものは、幾十万を算するではないか。
フランス革命の恐怖時代を見よ。政治上の党派をことにするという故をもって斬罪となった者は、日に幾千人にものぼっているではないか。
日本幕府の歴史を見よ。安政の大獄をはじめとして、大小各藩において、当路と政見を異にしたがために、斬に処し、もしくは死をたまわった者は、かぞえるにたえぬではないか。
ロシア革命運動に関する記録を見よ。
過去四十年間に、この運動に参加したため、もしくはその嫌疑のために刑死した者が数万人におよんでいるではないか。
もしそれ、中国にいたっては、冤枉(えんおう)(無実の罪)の死刑は、ほとんどその五千年の歴史の特色の第一ともいってよいのである。
 こう見てくれば、死刑は、もとより時の法度にてらして課されたものが多くをしめているのは、論のないところだが、
なんびとかよく世界万国有史以来の厳密な統計をもとにして、死刑はつねに恥辱・罪悪にともなうものだと断言しうるであろうか。
いな、死刑の意味する恥辱・罪悪は、その有している光栄もしくは冤枉よりも多いということすらも、断言しうるであろうか。
これぞ、実に一個未決の問題である、とわたくしは思う。
23名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/11(火) 15:25:22.90 ID:yIhbezeN0
故に、今のわたくしに、恥ずべく、忌むべく、おそるべきものがあるとすれば、それは、死刑に処せられるということではなくて、わたくしが悪人であり、罪人であるということにあらねばならぬ。
これは、わたくし自身が論ずべきかぎりではなく、また論ずる自由をもってはいない。ただ死刑ということ、そのことは、わたくしにとって、なんでもない。
 思うに、人に死刑にあたいするほどの犯罪があるであろうか。死刑は、はたして刑罰として当をえたものであろうか。
古来の死刑は、はたして刑罰の目的を達することにおいて、よくその効果を奏したか、ということは、学者のひさしくうたがうところで、これまた、未決の一大問題として存している。
けれども、わたくしは、ここで死刑の存廃を論ずるのではない。今のわたくし一個人としては、その存廃を論ずるほどに死刑を重大視してはいない。
病死その他の不自然な死が来たのと、はなはだ異なるところはない。
 無常迅速・生死事大、と仏家はしきりにおどしている。生は、ときとしては大いなる幸福ともなり、またときとしては大なる苦痛ともなるので、いかにも事大にちがいない。
しかし、死がなんの事大であろう。
人間の血肉の新陳代謝がまったくやすんで、形体・組織が分解しさるのみではないか。死の事大ということは、太古より知恵ある人がたてた一種のカカシである。
地獄・極楽の蓑笠つけて、愛着・妄執の弓矢をはなさぬ姿は、はなはだものものしげである。
漫然と遠くからこれをのぞめば、まことに意味ありげであるが、近づいて仔細にこれを見れば、なんでもないのである。
24名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/11(火) 15:26:59.32 ID:yIhbezeN0
わたくしは、かならずしもしいて死を急ぐ者ではない。
生きられるだけは生きて、内には生をたのしみ、生を味わい、外には世益をはかるのが当然だと思う。
さりとてまた、いやしくも生をむさぼろうとする心もない。病死と横死と刑死とを問わず、死すべきのときがひとたびきたなら、十分の安心と満足とをもって、これにつきたいと思う。
 いまやすなわち、そのときである。これが、わたくしの運命である。
以下すこしくわたくしの運命観を語りたいと思う。
25名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/22(土) 05:43:59.10 ID:q+8b/5N40
仕方ないのか?
26名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/28(金) 22:36:16.18 ID:UpEb6DC90
27名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/29(土) 07:17:52.67 ID:RtZngrzAO
時代ごとに罪の重さ,人の命の重さも変わる。

今の時代
天皇暗殺を企てても,未遂に終われば処刑などまずあり得ない。

では何故?

開国以降
食うか食われるかの時代に
強烈なカリスマ【天皇】を筆頭にして、国民一丸となって欧米諸国に立ち向かわなくてはならなかった。


そのカリスマを抹殺しようとする輩を野放しにするなど、できるはずもなく…


天皇は国民同様
国の一部であり、歯車のひとつ。


天皇機関説は真理なのだ。
28名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/31(水) 04:35:10.68 ID:Y5RMHzt70
仕方ないか・・・・。
29名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/31(水) 04:41:50.65 ID:Y5RMHzt70

【厳罰化】刑事政策の歴史【死刑】

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1312585232/l50
30名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/05(月) 23:09:07.67 ID:NTj/EdQy0
徳富蘆花の邸宅にいってきた
31名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/11(日) 22:24:01.96 ID:zyObZUw50
幸徳秋水の反戦論や反政府論をちょっと聞きかじってきたけども、
現代の左翼とは比べ物にならないほど理知的で衝撃を受けた
社民党とか民主党の旧社会党連中は幸徳秋水に斬って欲しいくらいだわ
32名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/21(水) 23:37:47.05 ID:/nw1F93c0
名刀を秋水とも言う。
名は体を表す、かもしれん。
33名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/30(日) 20:00:31.96 ID:JC7Dg4VG0
山県有朋が 陰険な黒幕・権力の亡者で 死ぬ間際まで 絶大な派閥網や子分を使って
策謀を張り巡らし続けたということは 間違いない事実だと思うよ。
死ぬまで 権力を 追い求め続けたわけだしね。
軍閥官僚内閣を背後から操って 権力を握り続けた、権力の亡者・権力の鬼。
大逆事件の黒幕でもあるようだし。
政党や自由主義・社会主義・労働運動にも 弾圧を与え続けた。
絶対天皇制軍国主義・官僚制国家を 創り出した。
歴代内閣も 陰に陽に 苦しめられ続けた。
伊藤博文とは違って、陸軍・内務省・貴族院・枢密院などに 強大な派閥網を築き上げて 背後から操縦した。
性格も 粘着質・用意周到で 陰険・陰湿そのもの。
34名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/04(金) 03:33:08.23 ID:t5uvseaD0
今見てる人いる?
NHKでやってるよ
ロシア人のこの美人は誰?
35名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/20(日) 07:56:48.66 ID:VRBOtWev0
幸徳秋水はアナーキストだけど、君主制を真っ向否定しているわけじゃないからね。
その点は今の左翼より遙かに柔軟。当時としては早すぎる傑物だと思う。女クセは悪いが。
36名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/20(日) 08:21:58.84 ID:f71B9dKz0
田中正造の代筆
37名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 19:41:51.87 ID:Z60zyM/z0
>>33
教育勅語作って国民総愚民化を計った山県にしてあちこち女作って生セクースして孕ませ放題だったからな。
当時の文部大臣にだって2号作っておよそ「道徳」「倫理」とは真逆の生き方をしているし。

国民に「道徳」「倫理」を強調する権力者・資本家は要注意だ、現代だっていっぱいいるだろ?

小泉、石原、橋下、安部、渡辺、ワタミ・・・・
38名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 20:32:21.06 ID:i1Qo+l4d0
板垣や兆民辺りまではまともだったが
秋水辺りからおかしくなっちゃった
尾崎とか出てくるようになったし
39名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/25(金) 09:21:12.99 ID:ZubjrS5f0
無政府主義者なんて今でも問答無用で死刑で良い
40名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 21:31:17.94 ID:bObG5R2p0
秋水の基督抹殺論すげぇな
ただ自分の理論に酔いしれてるナルのにほいがするよな
41名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/11(月) 15:32:05.28 ID:nEVe6+ol0
ナルシストかな?
42名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/11(月) 15:04:35.37 ID:JInGDDuN0
政府にとっての邪魔者は消される・・・・。
43名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/05(日) 22:06:28.37 ID:Il3hpNGi0
完全無実・冤罪の大石誠之助まで死刑台に送り込んだ検事総長・平沼騏一郎。
後の首相。

巣鴨プリズンに戦犯として収監されたら
夜何かにうなされて奇声・悲鳴を上げていたらしい。

他人を冤罪で殺しておきながら自分が獄中の身になればそのざま。

この話知った時、ぶっちゃけ「いい気味だ」と思った。まさに天罰。
44名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/05(日) 22:12:36.52 ID:Il3hpNGi0
菅野すがや宮下太吉は無実とは言えないが、やはり大逆罪ってもの自体がおかしいよ。
大逆を企てただけで死刑。

明治天皇も仁慈を示して全員減刑するくらいのことはして欲しかった。
本当に帝王の度量があればそこまでしていただろう。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN ID:bW6OjSIT0
全九州水平社 90年特別展7月2日(火) 12時38分ttp://rkb.jp/news/news/15191/
部落解放運動に取り組んだ全九州水平社が創立されて今年で90年となるのを記念した特別展が、
きょうから福岡県春日市で開かれています。ttp://rkb.jp/news/files/2013/07/2013-07-02-150x84.jpg
春日市の福岡県人権啓発情報センターで開かれている「全九州水平社創立90年」展には、
およそ50枚のパネルが展示されています。
全九州水平社は、被差別部落の人々の地位向上と尊厳の確立を目的とした全国水平社の活動や思想を元に1923年
に創立されました。
会場には、創立当時に使われた演説会のポスターや部落解放運動の象徴とされる「荊冠旗」などが展示されています。
この特別展は、全九州水平社の取り組みを振り返ることで同和問題について正しく理解してもらおうと企画されました。
特別展は10月31日まで開かれています。
46名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ID:sd7/GkAg0
部落解放同盟福岡定期大会07月26日 12時22分ttp://www3.nhk.or.jp/fukuoka-news/20130726/3252901.html
部落解放同盟福岡県連合会の定期大会が、福岡市で開かれ、人権を守るための国の機関の設置などを盛り込んだ
「人権侵害救済法」の早期成立に取り組むなどとした大会宣言を採択しました。
福岡市中央区で開かれた今年度の定期大会には県内の23の地区協議会の代表などおよそ400人が参加しました。
大会では、部落解放同盟中央本部の中央執行委員長も務める福岡県連合会の組坂繁之委員長が、
「人権救済や平和を目指し、今こそ連帯、共闘の輪を広げ、団結をかためて人権のまち作りに向けて頑張っていきたい」
と訴えました。ttp://www3.nhk.or.jp/fukuoka-news/20130726/3252901_5013252901_m.jpg
続いて、来賓の福岡県の小川知事が、「依然として社会の様々な場面において偏見や差別が存在し、人権侵害も深刻
化している。県としても広く県民の人権意識の向上に努めたい」とあいさつしました。
そして、大会では、人権を守るための国の機関の設置などを盛り込んだ「人権侵害救済法」の早期成立に取り組む
などとした大会宣言を採択しました。
47名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 05:26:47.89 ID:hWwwfeZj0
ひどい冤罪事件だよね。
48田中寛治:2014/05/21(水) 06:51:39.67 ID:Y33oR/Y00
「反省書と始末書」
松之栄保育園
敦賀西小学校
松陵中学校
敦賀高等学校普通科
駿台予備校京都校(1987〜1988)
学生番号 M89199(大阪国際大学 国際経営情報学部 2期生)
自衛隊番号 ME39−225605P
「護衛艦もちづき」(1992〜1994)
「護衛艦あぶくま」(1995)
「舞鶴警備隊」(1996)

「大逆事件」は「大ギャグ事件」なのです。

「幸徳秋水」の顔写真は愛知県の「豊田佐吉記念館」の看板として
残っています。

東海道を関東から中京まで歩いて下った「やじきた」は皆、目にする
のですよ。
49田中寛治:2014/06/06(金) 03:16:20.08 ID:fF+JbZMo0
「報告書」
松之栄保育園
敦賀西小学校
松陵中学校
敦賀高等学校普通科
駿台予備校京都校(1987〜1988)
学生番号 M89199(大阪国際大学 国際経営情報学部 2期生)
自衛隊番号 ME39−225605P
「護衛艦もちづき」(1992〜1994)
1994
カナダ:バンクーバー ハリファクス
アメリカ ロスアンゼルス ニューポート サンディエゴ ボストン ハワイ
マジックマウンテン ユニバーサルスタジオ ディズニーランド
パナマ
メキシコ:ベラクルス
「護衛艦あぶくま」(1995)
「舞鶴警備隊」(1996)
身長156cm

「許詠中」を知っているだろうか?実家は敦賀市三島町の「八幡神社」の近く。
本名は「橋本」という。

「幸徳秋水」こと「豊田佐吉」に似ているだけで酒をたらふく飲み、女を抱いて歩いた。
「ドン小西」の実家の近所なのである。
50名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/10(火) 19:59:25.92 ID:9zu1SZtH0
>>47

この様な酷いでっち上げを作って、天皇暗殺を企てても居ない人間を平気で殺しておきながら。
自ら老中暗殺を企てたと白状して、本来遠島で済んだはずの裁きを死刑にしてくれと望んだ結果、望み通り死刑になった
吉田寅次郎を処断した井伊直弼を「不条理な白色テロを断行した極悪非道な犯罪者」と断罪している。
究極のご都合主義の明治政府と、それを額面通りに受け入れるバカな薩長信者。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/10(火) 22:23:10.45 ID:HNOFV7IuO
>>50
井伊直弼がバッシングされたり殺されたりしたのは別に
吉田松陰だけが原因で殺された訳じゃないだろ。
あれは、あらゆる方向から大量の恨み買いすぎた結果かと。

なんせ井伊さん南紀派なのに、南紀庶民からも評判悪いし。
ただ井伊というより水野のせいだろうけどw
52名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/10(火) 23:26:16.72 ID:9zu1SZtH0
>>51

確かに井伊を殺したのは寅次郎とは余り因果関係のない水戸と薩摩だけど
薩長の連中はそれと同じかそれ以上の事をやっているのに、さも尤もらしく井伊を扱き下ろすからかなり悪質。
まぁ、天下を取るような人間はそれくらいの図々しさがあって当たり前なんだろうけど・・。
53名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/16(月) 19:00:46.31 ID:C61w5ik90
大石誠之助が刑死前にたばこを吸うのを許されて
「久しぶりなので目がまわります」と感慨にふけった後
吸い終わって「では、参りましょう」と椅子から立ち上がる話知ったんだが
その時の心境はどれだけつらかったかと思う。

大石が無実なのわかってて殺したんだよな。
54名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/25(金) 17:53:09.51 ID:GmmDy4YV0
  
55名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/10(日) 13:02:57.29 ID:SKnVI9RZ0
イラストレーターで収入が少ないからと30代後半で漫画家になろうとする、ひきこもりのバカ発見。
足立区に住んでいるそうだ
http://inumenken.blog.jp/archives/7002197.html
56名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/19(火) 10:09:48.74 ID:m6ye756i0
>>47
別に全てがでっちあげではないし、秋水が天皇廃止を考えてた当時としては危険な男であったことには変わりない
この際こいつらもまとめて一掃してやろうとした検察は、当時としてある意味有能としか言いようがない
アナキーストや共産主義者にはスパイや危険極まりない奴がいたのは事実だしな
何が理知的だよアホらしいw
57名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/21(木) 17:29:18.19 ID:mBYDgP3j0
キチガイ共産主義者や無政府主義者を賛美する人間ってまだいたのか
ユートピアで暮らしてるのかな
58名無しさん@お腹いっぱい。
妄想の種になるけど成功例がゼロだからね
人類がロボットみたいに感情を失えば可能かもしれないけど、
そうなると感情のぶつかり合いや愛情も消えて衰退の一途をたどるだろうな