昭和まで生きた江戸時代生まれの人物

このエントリーをはてなブックマークに追加
1名無しさん@お腹いっぱい。
語ろう
2名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/22(金) 16:31:28.96 ID:Y3e/yW6X0
最後の大名
3名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/22(金) 17:09:11.18 ID:KDppgiRD0
新選組の稗田利八とか
4名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/22(金) 18:07:19.37 ID:ZY7/xBRPO
鈴木貫太郎。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/22(金) 18:23:53.64 ID:RAlshdcJO
新撰組といえば原田佐之助の妻も昭和没
6名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/23(土) 14:35:04.68 ID:8A69QRkF0
尾崎 行雄 (安政5年11月20日(1858年12月24日) - 1954年(昭和29年)10月6日)
 
北里 柴三郎 (1853年1月29日(嘉永5年12月20日) - 1931年(昭和6年)6月13日)

牧野 富太郎 (1862年5月22日(文久2年4月24日) - 1957年(昭和32年)1月18日)
7名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/23(土) 14:39:34.04 ID:8A69QRkF0
江戸時代末年1868年、昭和元年1926年

58年しかないんだから沢山いるでしょ
戦後までならともかく
8名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/23(土) 21:28:51.11 ID:W++KUtg00
犬養毅
9名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/25(月) 08:37:43.83 ID:k8xrxD7O0
河本にわ
文久3年(1863)〜昭和51年(1976)
10名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/25(月) 15:52:11.62 ID:ruDUqxr30
沖田と遊んだ子供
11名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/29(金) 02:45:54.98 ID:9mqQe7ow0
100歳まで生きたとして、1850年〜60年代に生まれて、しっかり江戸時代の記憶もあって
そこから明治、大正、昭和、終戦まで体験して、高度成長まで見届けた人とか羨ましすぎる
12名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/29(金) 02:57:49.04 ID:jCBdsEbFO
大名の林家。藩主が脱藩
13名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/30(土) 14:38:23.62 ID:TIsphwqnO
西園寺公望
14名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/30(土) 15:17:37.46 ID:f48nmbKF0
徳川家第16代当主
徳川家達
15名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/05(木) 00:28:40.61 ID:Y02beHrp0
>>11 さすがに戦後まではないが、
拙者のヒイジイサン(1848〜1929)、残念ながら会える歳回りではなかった。
黒船より前に生まれ、元服の5年後に明治維新。
日清戦争に従軍し、震災をくぐり抜け、
最後はラジオも飛行機も郊外電車も微積分もデパートも映画もオペラも知っていた。
佐幕派だったので、薩長閥から痛い目にも遭わされたらしいが、
やはり幕末の頃から頑張って英語が出来たたから何とか生き残れたのだと
言っていたらしい。勉強量が半端ではなかったのだろう。

16名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/05(木) 02:15:04.87 ID:2Assf93j0
田中光顕
17名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/14(土) 13:30:29.07 ID:B2G/0cmY0
最後の元老 西園寺公望 嘉永2年(1849年)-昭和15年(1940年)
18名無しさん@お腹いっぱい。!ninaj:2012/07/24(火) 11:31:17.83 ID:7wO3bL1D0
西園寺は大日本帝国の崩壊を目前にして死んだんだね。
19名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/18(火) 22:25:43.09 ID:WvDXaG1+0
幕末の動乱をしっかり体験したのが、大体1850年代半ば生まれまでとする
1960年代に最長寿級だった人は、本当に高度成長期まで見届けてるんだな
史上稀に見る社会の変化幅を体験した人達だ
20名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN ID:huegg3Pp0
泉重千代さんが本当に江戸時代生まれなら1986年までに生まれた人は江戸時代生まれの人と同じ時間を少しでも生きたことになるんだけどね
河本にわさんなら1976年までに生まれた人が該当する
21名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN ID:YmdTFdJD0
小林やそって女性。
1846年生まれで無くなったのが1964年。
黒船より前に生まれて新幹線が開通する時代まで生きたとか
凄すぎ。
生きた元号は弘化、嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応、明治、大正、昭和
22名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN ID:TrQJDmRF0
>>21

昭和三十八年九月の朝日新聞縮刷版に彼女のインタビューが出ているのを
読んだことがあるのだが、長生きの秘訣とかそういうどうでも良い話ばっ
かりで、肝心の若い頃の社会情勢の話が全く出ていないのには正直かっかり
した。徳川家茂や和宮とタメなんだから江戸の頃の思い出話のひとつくらい
あっても良さそうなんだが(画家のゴッホに会った話をしていたフランスの
ジャンヌ=カルマン婆みたいに)
23名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN ID:BxV4tb2x0
介護の仕事で80歳ぐらいの方の祖父が1866年生まれで、一生定職にもつかずに賭け事ばかりしていたというどうでもよい話しか聞けなかった
24名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ID:NjSGQibcO
>>22
小林やとさんは30歳くらい逆サバだよ。
30歳より前の記憶が無いし、実子との年齢差が孫ほどある。
25名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ID:UKA1hans0
泉重千代さんも怪しいとなると、最近の長寿の方で江戸時代生まれは河本にわさんが一番信憑性高いんてすかね?
26名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ID:opYQhi4A0
>>24

出典は?。よかったら教えてくれませんか。
27名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ID:NjSGQibcO
出典は覚えてないが当時の複数のメディアが伝えてたような。
28名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/31(水) NY:AN:NY.AN ID:faN5NWua0
じゃあ、当時の新聞を見れば良いのかな?
29名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN ID:QPZEgSVbO
だな。さすがに俺もリアルタイムで見てた訳じゃないがw
30名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN ID:FEgzVN6U0
坂本龍馬
31名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN ID:8CgC+Mtr0
中村重兵衛
1852年〜1969年

テレビCMにも出たことがあるらしい。江戸時代から高度経済成長期
32名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN ID:QPZEgSVbO
中村さんもかなり怪しい。
100歳の時に医学的にありえない体力測定結果が出ている。
33名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ID:ZKB1ktqeO
あと結婚が47歳ってのもダウトだな。
34名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ID:0AqCLHak0
四十代独身の儚い希望を否定しやがるのね
35名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ID:otEqIfUt0
森繁久彌のお父さんが幕末生まれ
36名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ID:ZKB1ktqeO
>>34
時代を考えろよ。
37名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN ID:i1NhIeSc0
秋山吉古陸軍大将
38名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/12(月) NY:AN:NY.AN ID:JePtzSSF0
東郷平八郎
39名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ID:9u1XvoVl0
牧野伸顕 1861(文久元)〜1949(昭和24)

曾孫の麻生太郎財務相(1940=昭和15生)が物心つくまで
生きてたんだな、この人
40名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:JYmCUb4s0
h
41名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/06(日) 12:36:45.26 ID:AIkAhaOw0
a
42名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/07(月) 12:27:45.93 ID:OQNhiqFf0
昨夜、大河ドラマに出ていた徳富蘇峰も、けっこう長生きだったようだね。
43名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/07(月) 16:58:49.44 ID:Y/g9dNQp0
みんな新島八重はベタ過ぎて避けてるだろ
会津戦争の最前線で鉄砲ぶっ放してた人が、昭和天皇から勲章貰ってるとか凄過ぎ
44名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/07(月) 22:30:55.78 ID:TVLa32WP0
>>42

幕末の動乱、明治の躍進、そしてその崩壊と戦後の高度経済成長(の黎明期)を体現した希有な存在の人物。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/07(月) 22:36:32.64 ID:rkAaTpJD0
鈴木貫太郎
明治生まれ最後の総理大臣
46名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/07(月) 22:44:31.44 ID:9r9BSmwV0
江戸時代を実感出来そうな出来事の最後が幕末の動乱、その前が黒船来訪
そして現代の象徴になる物や光景は、個人的にはテレビと新幹線だと思う

黒船来航から新幹線開業まで111年
一人の人間が記憶や理解出来る年齢で両方を見るにはギリギリの間隔
大政奉還とテレビ放映なら96年、かなりの人が体験しているんだろうね
47名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/07(月) 22:46:15.62 ID:9r9BSmwV0
>>45
ん??明治生まれじゃん
48名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/08(火) 13:39:34.79 ID:B8kmHn4g0
>>31
ドラマ水戸黄門とかみて「あー、まげはそんな太くないんだけど.」とかダメだししてそう
49名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/08(火) 18:15:11.28 ID:nvoSq+750
16歳まで江戸時代で亡くなったのが昭和44年か
羨ましい
50名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/08(火) 20:44:35.47 ID:qoe2Kvf8i
51名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/09(水) 13:30:23.99 ID:lwTB3sdw0
真偽は怪しいが中にはこんな化物も
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/李青曇
52名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/20(日) 12:42:24.46 ID:PvHObIyV0
父親の話では俺の曾祖父で幕末生まれだったが
昭和まで生きていた人がいる
戦争中に亡くなったそうだ
自分の親が江戸時代に生まれた人と話をしてたかと思うと
何か感慨深いものがある
53名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/25(金) 02:09:49.58 ID:Aw5HlzZ90
もし、木村次郎右衛門さんがあと40年前に産まれていたら
1857-1973になるが、このあたりが一番ロマンがあるな
慶応より安政あたりの方が歴史を感じる。
この116年だと幼少時代に幕末の動乱、中高生時代に明治維新、
働き盛りが明治時代、定年後に昭和突入、終戦を経て、100歳前後で高度経済成長、新幹線、そして死ぬ間際にキャンディーズや山口百恵、アグネスとか…
すごい人生だ。
54ベルモール:2013/11/13(水) 15:47:19.26 ID:5/Ab7T850
東久邇宮稔彦王
1887年生まれ
1990年没
55名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/13(水) 17:22:50.52 ID:BX+36/g30
>>52
自分は維新からほぼ百年後の生まれなので、当時は維新前に生まれた人
も結構沢山残っていたはず
今の四十歳位までは、江戸時代に生まれた人と会話をした事がある者も
少なからずいると思われる

ウチの爺さんも明治末期の生まれ、と言うとなんて事は無いが
19世紀の生まれ、と言うとなんだか凄く昔の人っぽい
56名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/25(月) 22:48:39.03 ID:IvOYxqgf0
9>新撰組結成からゴレンジャー放映開始
 レヴェルが違うw
57名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/28(木) 01:33:31.50 ID:IAav7oIT0
拳銃は指を引くだけで1つの動作しか行なわないが
刀は抜刀から間合いを詰めて振りかざす3つの動作を必要とする
刀の方が断然不利に見えるがこの状態だと拳銃側には大きな弱点が一つあるんだよ
心の余裕が命取りになるんだよ
この弱点を明確に示した面白い史実が残っていてな、今日は特別に教えてやるよ

嘉永6年(1853年)に、マシュー・ペリー代将が率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が、日本に来航した。
この時アメリカ合衆国海軍のペリーの側近であったノルマン•ダグラス少将に江戸幕府の下っ端役人であった近江伊右衛門が切りかかる事件があった
拳銃を突きつけられた近江伊右衛門はゆっくりと目を閉じ右手を刀に添え直立した
ノルマン少将は刀が拳銃に勝てないと悟り諦めたと思い油断した
が、それが甘かった。
心に余裕ができノルマン少将が一瞬くしゃみをした瞬間に拳銃を構えていた両腕の肘から先が宙に舞ったのだ
腕が飛び先程まで2m程離れた場所に直立していた伊右衛門はノルマン少将と30cm程の間合いまで近づき、閉じていた瞳を大きく見開き表情一つ変えずに動揺するノルマン少将の首を一刀両断したのだ
この時間はわずか5秒程だったと言われている
58名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/27(金) 15:15:54.48 ID:c8SFbAtr0
>>56
そういうのを踏まえると面白いよね

河本にわさんの前の長寿日本一だった梅田ミトさん(1863-1975)。
生まれたのは高杉晋作が「奇兵隊」をつくり、京都では「新撰組」が結成され、
アメリカでは奴隷解放宣言や「人民の人民による人民のための政治」とリンカーンが発言した年。
リアルで西部の荒野で保安官が銃を打ち合いしてたりインディアンを追い払っていた時代。

死去したのは武田鉄也が「海援隊」で母に捧げるバラードをヒットさせた次の年、
あんたあの子のなんなのさとかつなぎ服きたバンドが世間をにぎわし、宇宙戦艦ヤマトが放映されていた時代。
アメリカだとベトナム戦争が終結し、アポロとソユーズが宇宙空間でドッキングした年。

この人、熊本市内出身ということで西南戦争の熊本攻防戦をリアルで
(満の14歳のときだから記憶もはっきり残ってるはず)体験してるんだよね。
西南戦争で燃える前の熊本城と、83年後に再建された今の熊本城の両方を見ているのはすごいw

その前の長寿日本一だったのが森本いとさん(1853-1970)
生まれたのがペリー来航の年。幕藩体制まっただ中で徳川将軍12代家慶の時代。
明治維新が1868年だからリアルで大名行列だの丁髷の刀持った武士だの飛脚だのを経験してる世代。

死去したのが大阪万博の年。前年にアメリカがアポロで月へ行き、
国産初の人工衛星おおすみが打ち上げられ、新幹線高速道路も既に建設。
カー・クーラー・カラーテレビが普及しミニスカートからパンタロンがはやった時代。
「(アニメ)サザエさん」「笑点」「オールナイトニッポン」など
現在でも続いている番組がもう存在していた時代。

リアルで江戸時代を知ってる人からすれば昭和中・後期の時代劇なんてどう目に映ったんだろね。
59名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/27(金) 18:35:28.32 ID:xBPRv3ae0
>リアルで江戸時代を知ってる人からすれば昭和中・後期の時代劇なんてどう目に映ったんだろね

おれもすごく知りたい。
ちょっとスレちだが、実際に兵隊経験があったひとが、戦争映画のアクションをどう思ったか知りたい。
叔父がレイテの生き残り、祖父が関東軍満鉄警備隊だったが、別になにも言ってなかった。
どうでもよかったのか。
60名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/27(金) 21:17:40.70 ID:x5M+doU90
>「笑点」・・・現在でも続いている番組がもう存在している時代

ペリー来航のときに生まれリアル江戸時代を経験している人間と
スマホにパソコンにオンラインゲーム三昧の21世紀生まれの子供が

「笑点というテレビ番組に出演している落語家・桂歌丸」

という、共通の認識・実体験を持っているのはなにげに凄いことではないか?
61名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/06(木) 12:27:43.37 ID:rSYnh+mo0
>>59
レイテの生き残りなら、ジャングルでの銃撃戦のシーンなんか、目を背けたくなるんじゃないかな。
何もしゃべる気になれないだろう。
満鉄警備隊なら激しい戦闘はなかったかもしれないが、シベリアでさぞや辛い思いをしたと思う。
やっぱり思い出したくないだろう。

あるいは、戦争映画というものは、けっこう正確に作られているのかもしれない。
62名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/07(金) 17:19:16.18 ID:E4PoxrvJ0
こういうの想像するだけでもワクワクするな
63名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/19(水) 00:00:36.09 ID:2S6Gi+2D0
http://www.pinterest.com/wingedpilgrim/1840-s-photography/

ここの住人はこういうのも好きだと思う。
日本に黒船が来る前から、ヨーロッパでは市井の人々も、あまり現代と変わらない姿で
写真を撮っていたかと思うと感慨深い。
ちなみに、重千代さんが1865年生まれでないとすれば、世界最後の江戸時代生まれは、
アメリカのファニー・トーマス(1867-1981)さんという人だと思う。
64名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/19(水) 19:34:32.70 ID:u4ngYZth0
1840年代って、まだルイ・フィリップがフランス王だった時代か。
日本では水野忠邦が天保の改革やったり、遠山の金さんがお奉行さまだった時代。
そんな時代に、もうこんな写真があったなんて不思議な感じがする。
65名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/20(木) 01:03:46.13 ID:J5rkyMbt0
良レスの流れだ...
>>64
ダゲレオタイプは1840年以降はどんどん普及していったから、
そのルイ・フィリップも1850年に死んでるけど写真は残ってるし。
日本への本格的な写真導入・普及が遅かったのは残念。
将軍だと徳川家斉以降は写真技術に間に合ってることになるんだよね。

そういう意味で島津斉彬の銀板写真、あれはほんと奇跡的な一枚だと思う。
66名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/20(木) 22:49:35.99 ID:TCDAv7Ci0
日本人で最初に写真に撮影されたのは、1851年で、浜田彦蔵(ジョセフヒコ)ら、
アメリカへの漂流民たちだったみたいね。
しかし、写真館ができて、庶民でもお金を払えば写真を撮影できるようになったのは1860年以降。

最後の将軍・徳川慶喜は写真好きで有名で、将軍就任前の京都時代から写真が残っているが、
徳川家茂も現存しないものの写真を撮影していたといわれる。
調査の際に、和宮のお墓から出てきた湿板写真で、大阪に出ずっぱりの家茂から、江戸城の和宮に、
西陣織などのお土産とともに届いた写真との説も。しかも届いたのは家茂の訃報のあと。
調査の際に、写真を赤外線にあてたら烏帽子姿の若い男子の像が移ったものの、
定着状況が悪く、翌日にはただのガラス板になっていたとか。
死の直前に和宮に唯一の写真を送った家茂も、その写真を墓まで持ち込んだ和宮も、
幕末の写真に関するエピソードでは、一番ロマンチックで好きなエピソードかな。

って、厳密にはスレチだね。
67名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 23:40:41.09 ID:+QVKIcJt0
山内房治郎
68名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/02(水) 10:58:45.79 ID:7u3kdjpBO
新島八重
69名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/09(月) 22:04:42.52 ID:RvjdaR3J0
閑院宮載仁
70名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/24(木) 20:57:29.09 ID:qL5ctRum0
田中光顕
71名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/24(木) 23:05:56.48 ID:LECx/6Ln0
>>66
婚約者の有栖川宮の写真じゃないかとも言われているけどね
72名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/26(土) 00:19:41.56 ID:BdNKoWIe0
軍艦マーチ作曲者の瀬戸口藤吉は慶應4年6月29日生まれでギリギリ江戸時代。
没年は昭和16年11月8日で真珠湾の1か月前。
明治初期からピアノやクラリネットを学んだモダン日本の象徴。
73名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/06(土) 14:20:55.88 ID:tBTbUvee0
日本以外の国ではどうかな。
辛亥革命(1911年〜1912年)とか。

清の王室は、革命以降もしばらくはずっとかつてのような、
旧態依然の生活様式を続けていたようなので、
その後の、社会の激変は日本以上に急激だったはず。
現在でも、まだ、若い頃に纏足をしていた人がお婆さんになって生きているよ。

20世紀前半の中国に生まれた人の激動はハンパないな。



あとは、台湾(20世紀初頭頃?)、ニューギニア(20世紀末頃?)
まで、首狩りの風習のあった、原住民の人達の生活の激変ぶりは
どうだろう。

ただ、むしろそういう原始的な形態を残していた人たちの方が、
近代的な生活への適応は、むしろ容易だったのかもしれないな。


ガチガチの中世封建制度の生活環境に晒されていた地域の人の方が、
社会の激変の中で感じたストレスは、相当なものであっただろう。
74名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/06(土) 14:42:45.42 ID:tBTbUvee0
イシ 生涯の多くを欧米人社会から全く隔絶されて暮らした
    生粋の「野生のインディアン」のひとりだった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B7
75名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/06(土) 21:35:16.31 ID:KkJI4/fzO
明治は慶應四年1月1日に遡っての改元だったから慶應四年生まれは明治人
江戸時代と呼べるのは慶應三年12月9日(王政復古)まで
王政復古以後の慶應三年年末は厳密には明治でも江戸時代でもないが
明治天皇の時代だから明治になるかも
76河本にわ 文久3年〜昭和51年
河本にわ
文久3年(1863)〜昭和51年(1976)

1863 新撰組結成
1976 ゴレンジャー放映開始