中卒携帯オヤジは、民主党政権を論じるのも消費増税を論じるのもイジメを論じるのも韓国を論じるのも全部この板。
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/06(月) 01:36:24.39 ID:vxJ3Xb1XO
他人を貶す前に渡部昇一先生の御著書をじっくりと読み直しなさい。
>>399 この学者オタ、「権威ある賞を受賞したか否かだけで
判断するのは安易かつ権威主義的」とか偉そうに屁理屈をこねながら、
実は古川先生『昭和天皇』がサントリー学芸賞受賞の栄誉に輝き、
自分がネットストーキングしてる学者の本はアカデミズムと
無縁な大衆小説家の名前を冠した賞しかとれなかったのが
気にくわないだけなのがモロバレだね。
だいたいこのスレで最初になんとか賞だの文化勲章だの文化功労者だの
権威の話を持ち出したのは学者オタだし。
従って一番権威主義なのは学者オタ。ご本人は自覚ゼロなのがまた笑える。
一般論としては権威ある賞に良書が多いのは事実だし、ごく稀な例外として
良書じゃないのが混じってるのも事実だろうが、それはあくまで例外。
その例外を強引に一般化して自分の気にくわない近代史家をディスってるだけなのが
学者オタ。これまたご本人は自覚ゼロなのが笑える。
きっと学部ゼミでも自分に都合の良い稀な例外を一般的事実のように主張して
師匠からはこっぴどく叱られ、他のゼミ生からは「こいつまたかよ」と鼻で笑われ
存在自体無視されてたんだろうね。
>>400 そりゃ少しは権威もあるかもしれないね。
かつて古川先生との大正天皇論争に惨敗した原武史の書いた『昭和天皇』でも
受賞できた(08年)くらいの権威はね。それがプラスの権威かマイナスの権威かは知らないけど。
学者オタはこの件もよほど不本意だったらしく、頑として無視を決め込んでるけどね。
伊藤之雄の「山縣有朋」も、肝心な所になると「真面目」だから一辺倒で通すのは何だかなって思いました
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/06(月) 16:19:38.71 ID:vxJ3Xb1XO
大物近代史家とは渡部昇一先生ただお一人。
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/06(月) 21:03:19.02 ID:QUOVqQNO0
日本最大の近代史家は渡部昇一先生である。
頭の悪い権威主義者のクズ崎のことだから、学部や院の演習の発表でも
「〜賞をとった本に書いてあったことだから間違いない」と、
権威ある賞をとった著書の内容を盲信して自分では一切検証しない
主張をして師匠からはこっぴどく叱られ、他のゼミ生からは
「こいつまたかよ」と鼻で笑われて存在自体無視されてたんだろうね。
頭の悪い権威主義者の学者オタのことだから、学部の演習の発表でも
「W伊藤さんの本に書いてあったことだから間違いない」と、
権威あると考えた学者の著書の内容を盲信して自分では一切検証しない
主張をして師匠からはこっぴどく叱られ、他のゼミ生からは
「こいつまたかよ」と鼻で笑われて存在自体無視されてたんだろうね。
院進学なんて夢のまた夢、2ちゃんでいっぱしの学者通気取るのが精一杯。
>>407 皇民党の“ほめ殺し”ってのがあったけど、街宣右翼の場合は自分たちの行為がどういう効果を
もたらすかをちゃんと理解している。つまり、それなりに何らかの意義のある行動をしているということだ。
それに対して中卒携帯オヤジの場合は、・・・・
しょせん、こいつは便所の落書き掲示板の“張り番”でしかない。
街宣車・ガソリン代はおろか、PC・ネット常時接続すらなく、漫画喫茶とかから書き込み。
まさに街宣右翼以下の社会のゴミ。こんなクズが日本国の心配をしてどうすんのw
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/06(月) 22:49:45.13 ID:vxJ3Xb1XO
争いを止めて渡部昇一先生の御著書を読みましょう。
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/07(火) 07:21:03.82 ID:Sdekk5wv0
文化功労者 上山春平さん死去
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120806/k10014112501000.html 日本の国家論や宗教論などを幅広く論じた哲学者で文化功労者の京都大学名誉教授、
上山春平さんが、パーキンソン病のため、今月3日、亡くなりました。
91歳でした。
上山さんは台湾で生まれ、大学卒業後、京都大学教授や京都国立博物館の館長を経て、
平成4年から6年間、京都市立芸術大学の学長を務めました。
太平洋戦争末期、特攻兵器として開発された人間魚雷「回天」の搭乗員だった上山さんは、
戦後、日本の国家論や天皇制、宗教論などを中心に研究を進めました。
そして、天皇制が生まれた背景とその後の国家の在り方を論じた「埋もれた巨像」や、「空海」
など、数多くの著作を発表しました。
昭和63年には紫綬褒章を受章、そして平成6年に文化功労者に選ばれました。
上山さんは10年ほど前にパーキンソン病と診断され、最近は療養に努めていましたが、今月3
日、京都市内の自宅で91歳で亡くなりました。
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/07(火) 19:11:45.01 ID:7G3urNH4O
基本的な日本近代史学を渡部昇一先生とともに学びましょう。
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/07(火) 21:39:11.62 ID:bidRYvU00
日本最大の近代史家は渡部昇一先生である。
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/08(水) 01:57:09.88 ID:uVK6zJOKO
真の日本近代史学は渡部昇一先生から教わることができます。
>372
>小林道彦さんは今年出した『児玉源太郎』で児玉を「帝国陸軍史上「空前絶後」の存在」と
>評しているが、児玉の実績を考えれば妥当どころか極めて的を射た評価だな。
たしか「実績を元にした評価」ではなく、軍部大臣文官制の許容や統帥権独立の否定といった、
立憲主義的な指向性を持ち、それを実現しようとしたという側面を持って「空前絶後」という
表現をしていたと記憶しています。
>376
>小林や学者オタの理屈だと、児玉が「空前絶後」って事は同じ陸軍の山県有朋や桂太郎などより
>はるかに有能だってことになるね。そう言っていい根拠は?
横レス失礼。
桂太郎は上記のような児玉の主張にシンパシーを感じながらも、児玉ほどにはラディカルに
踏み込めなかったし、山縣に到っては真っ向から児玉の方向性を否定しようとする意志を
強く持っていましたから、その後の陸軍の中では児玉の指向した方向へ向かおうとする
人物はなかなか現れなかったという意味で「空前絶後」だったということなのでしょう。
大正〜昭和の初めに掛けての田中・宇垣・永田といったラインは、そうした児玉の姿勢を
一部分継承してはいたけれども、時代的制約や制度的制約に縛られていた部分が多かった
ようですし。
>383
>○山県有朋や桂太郎、大山巌など明治陸軍の将星を差し置いて児玉源太郎のみを
>「空前絶後」と何の根拠もなくヨイショした非学問的伝記
一応「空前絶後」という評価は、上記のように「立憲主義的な軍人像」という物差しを
用いての比較だったように記憶しています。
また、小林道彦は桂太郎の伝記も書いており、そこでは「山縣閥の一員」としてのみ捉える
という単線的な見方をするのではなく、山縣の影響下から離れて政党政治へと接近し、
陸軍に影響力を残しながら政党との距離を縮めることで政治と、軍事が互いに協力し
譲歩し合いながら補完し合う近代的な国家体制を固めることを目指した広い視野の持ち主
として評価するという態度を取っていました。
この辺は彼の最初の著書、『日本の大陸政策 1895-1914 桂太郎と後藤新平』あたりから
一貫して続いているように感じます。
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/09(木) 08:13:37.32 ID:y+i2c12wO
日本近代史学における巨星大物研究者は渡部昇一先生。
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/10(金) 01:10:00.48 ID:K42e4iCCO
渡部昇一先生とともに真の日本近代史学を学びましょう。
>>419 崩れは電波系の後継者になるしか道がないってことか
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/10(金) 12:55:20.25 ID:BK6T4At80
倉山満
1973年、香川県生まれ。憲政史研究者。1996年、中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程を修了。
在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤研究員を務める。日本近現代史の泰斗でもある鳥海靖教授に師事し、
鳥海教授の退任に伴って同大学院を退学。現在は、国士舘大学体育学部・21世紀アジア学部講師。
著書に『誰が殺した? 日本国憲法! 』(講談社)、『検証 財務省の近現代史』(光文社)など
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/10(金) 18:37:04.40 ID:O7Bqfele0
今日発売の中央公論でイトウさんが対談してるじゃん
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/10(金) 18:39:28.35 ID:O7Bqfele0
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/11(土) 02:55:35.92 ID:mnJXq9XPO
渡部昇一先生の御著書には日本近代史学の真実がつまっています。
>>423 しかも相手は『昭和天皇伝』で手厳しく批判した古川隆久で、司会が御厨貴と
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/11(土) 18:08:17.53 ID:p8pn5Qvz0
今回の伊藤之雄さんと古川隆久の対談は、場が古川が『昭和天皇』を出した
中公が出している『中央公論』で、かつ司会が(学部や卒業年度は違えど)
古川と同じく東大出身の御厨貴という、伊藤さんにとっては完全にアウェーの
状況で行われたにもかかわらず、軍配は文句なしに伊藤さんに上がる内容だったな。
最後に古川は「やっぱり伊藤さんは明治天皇と原敬が大好きなんですね」と、
正に最後っ屁の負け惜しみそのものの感情論を言っていた上に、「好きとか嫌いとか
いた気持ちで昭和天皇に対しことがなかった」とすぐバレる嘘をついてたし。
古川の『昭和天皇』と『東条英機』を読めば、昭和天皇だけでなく、戦前の日本の指導者、
明治憲法など法・制度ひいては戦前の日本そのものを全否定していることはすぐに分かるのに。
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/11(土) 18:17:12.53 ID:p8pn5Qvz0
対談でも古川は「特殊なベテラン政治家が天皇取り囲まないと
政治がうまくいかない仕組み自体が悪い」と言って、伊藤さんに
「明治が悪かったから昭和まで悪いのだ、と言い始めたら、もう
研究など必要がないではないではありませんか。それでは、維新後、
専制君主的な天皇制国家ができたので、あとはすべてが悪い、という
古いイデオロギー的著作と同じです」と、一刀両断されてるし。
>>427 >「好きとか嫌いとか
> いた気持ちで昭和天皇に対しことがなかった」
これなんだ?せめて推敲してから書き込めよ。
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/11(土) 19:25:58.34 ID:qkr4ij6E0
×「好きとか嫌いとかいた気持ちで昭和天皇に対しことがなかった」
○「好きとか嫌いとかいった気持ちで昭和天皇に対したことがなかった」
上の伊藤×古川対談で司会の御厨貴は、田中義一内閣について
「そもそも政友会の総裁に軍人の田中がなること自体に無理があった。
軍人を総裁に掲げたばかりに政党らしさが失われ、更に軍との関係も悪くなる。
昭和天皇が最初に経験する内閣としてはひどすぎました。」と酷評してるが、
この見解を踏まえると、大正政変で声高に藩閥を批判して内閣を崩壊に追い込みながら、
その藩閥出身で陸軍軍人の高島鞆之助を後継首相兼政党党首に擁立しようと工作した
尾崎行雄の行為は、彼の藩閥批判を支持した国民に対する裏切り行為であっただけでなく、
政党政治の健全な発展を阻害しかねなかった度し難いものだったといえる。
今回の対談は案の定伊藤の大惨敗だったね。追い詰められて苦し紛れに
古川先生が「昭和天皇は嘘つき」と主張してるかのような悪質な印象操作に走ってたし。
あれを読んで軍配が伊藤に挙がったと本気で信じてるなら学者オタは病院に行った方がいいな。
あ、もう行ってるか。
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/11(土) 23:08:07.83 ID:x+nHkiKa0
司会の御厨が対談の最後にした「昭和天皇、掛け値なしに好きですか。」
という質問に対する答えにも、伊藤之雄氏と古川隆久のどちらの昭和天皇論が
実証的なのか、どちらがより優れた歴史家であるかが如実に現れている。
伊藤:好きですね。なぜかと言えば、史料をきちんと読んでいくと、政治家として誠実で
すごい資質を持っていたとわかるからです。ただ、残念なことに、若くて即位して、大物の側近に恵まれず、
十分な政治教育を受けることができなかった。このために、最初は必ずしもうまくはいきませんでしたが、
サイパン陥落後、東条内閣を簡単に潰さずに慎重に事を進め、それ以後の行動は卓抜した政治家だと思います。
細やかな気配りができて、しかも最終的には大局的な判断を持って決断できる。例えば側近に原敬のような人物が
いたら、さらには明治天皇が一九三五年くらいまで長生きされ、昭和天皇がその統治法実見することができたら、
日中戦争や太平洋戦争は起きなかったのではないか。
古川:やっぱり伊藤さんは明治天皇と原敬が大好きなんですね。私は最初にも言ったように好きとか嫌いとかいった
気持ちで昭和天皇に対したことがなかったのですが、今回本を書き終えて、恵まれなかった、かわいそうだという気持ちにはなりました。
(〈徹底討論〉昭和天皇の決断と責任 伊藤之雄×古川隆久 (司会)御厨貴 『中央公論』2012年9月号120P)
伊藤さんの回答と並べて読むと、古川が如何に歴史学者として薄っぺらいことがよく分かるな。一般人ならともかく、研究者が研究対象に対して、
本まで書きながら、 「恵まれなかった、かわいそうだ」なんて薄っぺらい感情論しか持たなかったというのは、お粗末にも程がある。書いた当の本人が、
書き終えた後こんな薄っぺらい感情論しか持たないような著書を読んだ人間特に買って読んだ人間が気の毒で仕方がない。みすみす時間と金をドブに捨てることになったんだから。
>恵まれなかった、かわいそうだという気持ちにはなりました。
これは暗に伊藤に対して述べた言葉なんだろうね。
何十年も税金で「研究」してきたのに結局「政治家として誠実ですごい資質を持っていた」とか
薄っぺらい感情論でしか昭和天皇を語れないんだからね。しかも明治天皇が長生きしたらとか
原敬がいたらとか歴史にイフはないという史学の基本すら理解できてないわけだし。
クズ崎が今回の対談を案の定「伊藤の大惨敗だった」と大嘘を書いて現実逃避しているけど、
対談の全文読んだ上で軍配が古川に挙がったと本気で信じてるならクズ崎は病院に行った方がいいね。
ああ、もう手遅れか。
学者オタが今回の対談を案の定「伊藤の大勝利だった」と大嘘を書いて現実逃避しているけど、
対談の全文読んだ上で軍配が伊藤に挙がったと本気で信じてるならクズ崎は病院に行った方がいいね。
ああ、もう手遅れか。
クズ崎の言ってる例の件に関しても、実際は古川の方が「思ったのでしょう」などと苦し紛れの
印象論、推論で応戦して、形勢不利になったところで、司会の御厨が『昭和天皇独白録』に話題を転じて、
うやむやにしてしまったしな。同じ東大出身だからかもしれんが、御厨の司会進行も明らかに古川よりで、
お世辞にも公正中立な司会とはいえなかった。
御厨は締めの発言でも「水入りの大勝負でした!最後まで退いてなかったからね」と言って、
さも双方伯仲していたかのように体裁を取り繕って古川を庇っていたしな。
>司会の御厨が『昭和天皇独白録』に話題を転じて、うやむやにしてしまったしな。
ゲストの伊藤の顔を一応立てこれ以上悲惨なことにならないようにしてやった武士の情けなのに
うやむや呼ばわりとは恩知らずにも程があるね。伊藤の「明治が悪いというなら研究なんか
する必要はない」とかいう屁理屈も、それこそ伊藤が言うように「明治は良かった」で話が済むなら
最初から研究なんかする必要はないのにね。
伊藤本人はとんと気付いてないのもまさに「恵まれなかった、かわいそうだ」って感じだね。
>御厨は締めの発言でも「水入りの大勝負でした!最後まで退いてなかったからね」と言って、
>さも双方伯仲していたかのように体裁を取り繕って古川を庇っていたしな。
かばってたのはどう見ても伊藤だけどな。有難く思えよ、学者オタ。
>御厨の司会進行も明らかに古川よりで、
>お世辞にも公正中立な司会とはいえなかった。
つまり、学者オタも本当は伊藤の大惨敗を認めてるわけだ。
スポーツの試合でも後からレフェリーがおかしいとか言い出すのは
必ず負けた方だからね、勝った方はそんなこと言わない。
伊藤:好きですね。なぜかと言えば、史料をきちんと読んでいくと、政治家として誠実で
すごい資質を持っていたとわかるからです。ただ、残念なことに、若くて即位して、大物の側近に恵まれず、
十分な政治教育を受けることができなかった。このために、最初は必ずしもうまくはいきませんでしたが、
サイパン陥落後、東条内閣を簡単に潰さずに慎重に事を進め、それ以後の行動は卓抜した政治家だと思います。
細やかな気配りができて、しかも最終的には大局的な判断を持って決断できる。例えば側近に原敬のような人物が
いたら、さらには明治天皇が一九三五年くらいまで長生きされ、昭和天皇がその統治法実見することができたら、
日中戦争や太平洋戦争は起きなかったのではないか。
伊藤さんが敢えてIFも交えてこれだけの発言したのは、暗に古川に対する批判も含んでるだろうね。
伊藤隆さんという近現代日本政治史研究の大家の下で研鑽を積み、何十年も研究者として活動し、
本まで書きながら「恵まれなかった、かわいそうだ」なんて薄っぺらい感情論しか持たなかったわけだから。
しかも現代の高みから過去を批判したり、後知恵でああすれば良かったなどと言うなど、歴史研究の基本も
出来てなかったわけだし。
>>441 スポーツには審判がいるが今回の対談には司会者はいても審判はいないから
その理屈はあたらない。
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/12(日) 00:09:12.43 ID:S+TJhaar0
「対話が成り立ったことを評価したいものです。」と御厨さんは締めてたが、
ここまで言うということは、対話が成立しないほど大荒れに荒れて、最悪
お蔵入りしなければならない事態も覚悟していたんだろうな。
>>443 お前は司会者の采配のせいで双方伯仲、つまり古川先生が引き分けに持ち込めたという
不当極まる主張を
>>438で愚かにもしてるわけだから、審判のせいで勝った(負けた)と
主張してるのと同じ。
>>442 >現代の高みから過去を批判したり
この指摘はお前自身の
>>431における
>尾崎行雄の行為は、彼の藩閥批判を支持した国民に対する裏切り行為であっただけでなく、
>政党政治の健全な発展を阻害しかねなかった度し難いものだったといえる。
という珍発言にそっくりそのまま当てはまるね。
さすが自分には甘く他人には厳しい学者オタ、まさに「甘えの構造」そのもの。
上記対談における古川隆久の度し難い悪質な印象操作&薄っぺらい感情論の一例と、
それに対する伊藤之雄氏の理路整然とした反論による一蹴
古川 伊藤さんの著作には、明治に決められたこと、やったことがベストだと思わせる
書き方がなされている。それを言われたら、実際にこの憲法によって苦労させられた
昭和戦前・戦中の政治家たちは立つ瀬がないではないかと、どうしてもそこに違和感が残るのです。
伊藤 私は明治がこうあるから、昭和もこうするべきだ、と言ってるのではありません。
明治を踏まえながら、新しくきちんと根回しをして改革していくべきだったと言っているのです。
その手続がなされなかったところに問題があるのです。
(〈徹底討論〉昭和天皇の決断と責任 伊藤之雄×古川隆久 (司会)御厨貴 『中央公論』2012年9月号112P)
伊藤之雄さんには、伊藤隆さんと『文藝春秋』か『正論』で対談して欲しいもんだ。
古川との対談より遥かに充実した、建設的な対談になることはほぼ間違い無いだろうし。
W伊藤に関しては、近代史家との対談は勿論、非近代史家との対談も
やってもらいたい
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/12(日) 01:59:46.58 ID:cGSnPXsOO
渡部昇一先生ただお一人が大物近代史学者である。
>>447 >伊藤 私は明治がこうあるから、昭和もこうするべきだ、と言ってるのではありません。
>明治を踏まえながら、新しくきちんと根回しをして改革していくべきだったと言っているのです。
>その手続がなされなかったところに問題があるのです。
明治憲法体制が元老の「根回し」がないと政治が成り立たず「改革」を許さないバカ体制であることを
無視した珍論だね。「その手続がなされなかった」のではなく「できなかった」わけだし。
何十年も税金で「研究」してそんなこと一つ分からないとは、いったい何を学んできたんだか。
>>448 伊藤隆も最初から相手にしてないだろ。
相手にしてるならとっくの昔に教科書改善の会とかの講演会に呼んでるはず。
>>449 伊藤隆のほうはしょっちゅうやってるだろ。
非近代史家というより非歴史家ばっかりだけどな。
本人は歴史家なのに。
>>448 だから、二人は犬猿の仲なんだってば。
愚にもつかないコメントで伊藤Y先生を誉め殺しするのはやめろよ。
>>451 何時の時代、どこの国でも政治を成り立たせるのには根回しは不可欠なもの。
改革をするなら尚更。それを「バカ体制」というなら、そうじゃない政治体制は
過去にも現在にも一つも存在しないことになる。
>>455 これだから学者オタは滑稽だね。明治憲法体制が元老間の「根回し」でしか
事実上国家意志決定ができない珍システムだったってことは定説なのにね。
しかも憲法が「不磨の大典」視されて改憲なんてとんでもないみたいな感じになってるし。
伊藤も学者オタもそんなこと一つご存じないのに偉そうに歴史を語ってるのは
実に笑えるね。
学部卒ウジ虫のオタは無視しても問題ないが、いやしくも京大教授がそんなことも
ご存じないとは困ったものだね。
原敬は非元老だけど、主に山県に「根回し」して、山県閥の勢力を切り崩す政策も含め、
国家意思決定を実現させてるけど。
21世紀にもなって、未だに「明治から戦前の日本はダメだった」「明治憲法が
昭和の悲劇の諸悪の根源」なんて浅はかなイデオロギー的主張を展開している
古川隆久の歴史観は化石レベルだな。半世紀以上も前に書かれた岡義武の
『山県有朋』ですら、今より利用可能な史料や研究蓄積が少ないにもかかわらず、
山県と太平洋戦争への道を直接つなげていないというのに。
>>明治憲法体制が元老の「根回し」がないと政治が成り立たず「改革」を許さないバカ体制
軍部大臣現役武官制廃止や文官任用令改正による政治任用ポストの範囲拡大、男子普選導入など、
明治憲法下でも多くの「改革」が行われてるが。これのどこが「改革を許さないバカ体制」?
>>457 お前の意見は原敬の後に原みたいな役割果たした人物が出てこないこと、
つまり原が例外にすぎないことを無視した愚論であり、よって価値ゼロだね。
>>459 それらの「改革」は昭和期における国家意志決定の迷走を止められなかったわけだから
元老に対する根本的改革でも何でもないだろ、しかも現役武官制は復活してるし。
バカかお前はw
伊藤や学者オタの理屈だと、明治日本は地上の楽園で何の欠陥もない理想の政治が行われていたということになるね。
司馬遼太郎ですら『坂の上の雲』で足尾鉱毒事件や小作争議などを挙げて部分的にではあれ明治を批判しているというのに。
>>456 明治憲法の条文の字面だけみて、不文律の慣行の存在の重要性を軽視した、
木を見て森を見ない主張だな。
>>軍部大臣現役武官制廃止や文官任用令改正による政治任用ポストの範囲拡大、男子普選導入
本当に明治憲法体制が「元老の「根回し」がないと政治が成り立たず「改革」を許さないバカ体制」
だったら、これらの「改革」ですら実現しないはずだけど。
>>463 >不文律の慣行
憲法に意志決定方法が明記されてないのをいいことに、各政治勢力が自分に都合のいい
「不文律の慣行」を主張して収集がつかなくなったことを無視した、
木を見て森を見ない愚論だな。
>>464 そういう「改革」は元老=山県との根回しないしは黙認のもとでやっただろ、
バカかお前はw
そもそも
>>明治憲法体制が元老間の「根回し」でしか事実上国家意志決定ができない珍システムだったってことは定説
という主張自体、根拠不明の主張だしな。
学者オタの理屈だと、男子普選は原が山県との「根回し」をいっさいせず、
原だけの力で実現した「改革」だという珍妙な話になってくるね。
>>467 また根拠バカの学者オタがコンキョコンキョとウグイスみたいにさえずってるね。
根拠が知りたかったら国史大辞典で「明治憲法体制」でもひいてみろ、低能w
>>466、468
第一次山本権兵衛内閣で実現した前2者は山県には根回しもしていなければ
山県も黙認もしていないにもかかわらず実現しているし、最後の男子普選にいたっては、
実現したのは原も山県もこの世を去った後の、加藤高明内閣時代の1925年。
>>470 >山県も黙認もしていないにもかかわらず実現している
へえ。根拠は?
>実現したのは原も山県もこの世を去った後
原と山県の相互の「根回し」により普選への流れができことを無視した珍論だね。
学者オタの理屈だと、ある政治家が死んだ後で実現した政策はその政治家とは
一切関係ないという珍妙な話になるが、もちろんそんなことはないからね。
>>男子普選は原が山県との「根回し」をいっさいせず、原だけの力で実現した「改革」
男子普選が導入された年とその時の内閣という、高校の歴史教科書レベルの事項も間違えてるとか、
本当にクズ崎はアカデミズム関係者なのだろうか?
学者オタの理屈だと、原や山県は相互の根回しで男子選挙権を拡大させていったにも
かかわらず、普通選挙の実現とは一切何の関係もないという歴史の流れを無視した珍妙な話になるね。
学部卒だからやむを得ないともいえるが、本当に大卒なのだろうか?
>>471 大正政変で山県閥は打撃を受けた上に、山本内閣は首相の山本権兵衛が
海軍の実力者な上に、衆院第一党の政友会が与党として、原敬や松田正久など
幹部も含む同党党員が多く入閣している政党色の強い内閣で、かつ大正天皇と事実上の
摂政であった内大臣府出仕の伏見宮貞治親王と山本・原の関係も良好という
強固な体制を築いていたので、山県は軍部大臣現役武官制廃止や文官任用令改正などの
山県系の影響力を削ぐ改革の実現を阻止できなかった。妨害のため積極的に動いた形跡も残っていない。
476 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/13(月) 02:05:15.52 ID:nsHGaS+XO
渡部昇一先生とともに真の日本近代史学を学びましょう。
>>467 じゃあ素朴な質問。答えて。
元老が複数存在していた1920年代までは曲がりなりに機能していた議会制が、
どうして元老が高齢の西園寺だけになった1930年代には機能しなくなったの?
どうして「きちんとした改革」をすることが出来なかったの?
>>475 >妨害のため積極的に動いた形跡も残っていない。
これを「黙認」っていうんだけどね。相変わらず頭悪いな。
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/13(月) 19:45:05.77 ID:HXRfILPQ0
1930年代だって議会は機能しているよ。
480 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/14(火) 10:16:27.37 ID:0WmETrGNO
皆で渡部昇一先生から日本近代史学を教わりましょう。
>>479の脳内では、1930年代になっても議会が予算審議権の行使により軍の行動を掣肘しているんだろうね。
実に斬新な歴史理解だな。
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/14(火) 11:56:49.63 ID:r5Kim2xc0
伊藤隆さんと秦先生との対談を本にして欲しい
>482 両者の対談はあり得ないよ。
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/14(火) 21:39:55.98 ID:wgNi2aDA0
>>483 『昭和天皇独白録』の文庫版で、鼎談しているよ。
>>484 何も知らないんだね。その鼎談で仲が悪くなったのに。
486 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/15(水) 00:41:15.75 ID:JBvegyO10
伊藤隆回顧録を出版して欲しいよ
オーラルヒストリーのインタビュアーは御厨さんで
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/15(水) 01:27:58.71 ID:qXksvwJoO
渡部昇一先生は日本近代史のすべてを語り尽くす。
488 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/15(水) 21:00:43.27 ID:RN3A7Rpw0
>>485 その鼎談前から、別に仲良くはなかっただろ。
>>486 伊藤隆回顧録は出して欲しいな。共産党員時代の山村工作隊のこととか、
六全協で共産党から切られて反共になったこととか、きちんと生きている
うちに喋るか書き残して欲しい。
あと、八木秀次の日本教育再生機構に肩入れしている背景についても。
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/15(水) 21:25:37.62 ID:RN3A7Rpw0
そんな最近のことより、伊藤隆が黒歴史にしている共産党員時代のことの方が知りたい。
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/16(木) 10:55:00.24 ID:UBVjmMfrO
渡部昇一先生は日本近代史学の道しるべです。
日本の近代が中公文庫で出始めてた。
493 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/17(金) 01:43:31.65 ID:mFikIeyKO
渡部昇一先生の御著書こそ日本近代史学の道しるべ。
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/18(土) 01:48:56.10 ID:hp/DYrWxO
日本近代史学の発展は渡部昇一先生の御著書の中にあります。
>>490 別に黒歴史にはしてねーだろ。
ナベツネとか堤清二とか各界大物に
「俺はこう見えても若い頃は共産党員」と自慢してる奴ゴロゴロいるからな。
伊藤隆が「俺はこう見えても若い頃は共産党員」と自慢したならともかく
ほとんど語っていない以上、やはり「黒歴史」だろうね。
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/19(日) 17:11:54.01 ID:djvzHkn8O
真の日本近代史学を学びはじめるには渡部昇一先生の御著書から。
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/20(月) 03:47:57.47 ID:jUCp468sO
渡部昇一先生の日本近代史学は日の本を明るく照らします。
>>492 『日本の近代』は各論編のほうが面白い。通史はばらつきがある。
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/21(火) 22:19:45.43 ID:5uy28PU3O
明るく正しい日本近代史学の道を渡部昇一先生は御照らしになられる。