1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
謎の多い西郷さん
ラストサムライだったのか、ただのデブだったのか
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/08(日) 00:37:59.42 ID:dNdDUlCU0
侍だから幼少期に体は鍛えられてるだろ
ご近所のただのデブとは違う
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/08(日) 05:21:02.15 ID:tDEG6zwd0
イモ喰って死んだ人だよな
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/08(日) 07:58:29.19 ID:wRJY0l1h0
以前は篤姫の婚礼調度集めに奔走していたらしいな。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/08(日) 11:42:16.12 ID:dNdDUlCU0
斉彬の懐刀として気に入られてたらしいからな
斉彬急逝の訃報を聞き殉死しようとしたが、月照の説得で思いとどまった
月照とはその後、錦江湾で自殺未遂を起こして西郷だけが生き残ってる
強運の持ち主なのか、それとも浮力があるから死ねなかっただけなのか…
その頃はまあ普通隊形だったようです。
デブったのは二度目の奄美(沖永良部島)配流の時。
奄美の一度目は入水後、身を隠す意味で奄美行きだったのですが、
・桜田門外の変で井伊直弼暗殺死
・島津久光の中央政策に、京都に知己のいる西郷が必要
ってことで呼び戻されました。
鹿児島に帰った途端、
「斉彬公は神様のようなお方なのに比べると、
三郎(久光)は田舎者だから、斉彬公と同じことをしようだなんて思い上がりもいいとこだね」と
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/08(日) 18:50:53.23 ID:zFgLHSp60
だが、沖永良部島から鹿児島に戻ったときはやせ細り、足も弱っていて歩けなかったらしい
となると、西郷がメタボを気にしだしたのは、その後の京都在住時ということになる
結局、久光とは最後まで仲が悪かったな
久光にしたら家臣にまでバカにされて屈辱だっただろう
いかんせん、兄が偉大すぎた
8 :
スーパーこんぐきどら:2012/04/08(日) 18:53:48.33 ID:QtDqhOZVO
二度とスレ立てんなカス
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/08(日) 20:33:57.09 ID:p9Xg8rZMO
西郷隆盛を評価する時問題になるのは、過剰なまでの彼の英雄伝説と、
信仰と表現するしかない、薩摩城下士の彼への賛同支持をどう扱うかということ。
実際、入水の時も西郷の言動は芝居がかっており、実社会で本気で役者を演じたようなふしもある。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/08(日) 22:42:53.70 ID:hc9lFj9O0
>>9 定説となってる「信仰と表現するしかない・・・彼への賛同支持」自体が、
本当にそうだったか怪しい、英雄伝説の一部かも知れないわけだよ。
「西郷さんの人望買い」という言葉が残ってることからして、当時の人たち(薩摩人含む)は
けっこう覚めた目で西郷さんを見てたかもな。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/08(日) 22:59:51.88 ID:W4WJ9SJI0
写真すら残ってないから謎が多い人物だけど、実績や影響度を考えると無視できない存在だし…
確かに西郷の評価は難しいと思う
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/08(日) 23:15:50.45 ID:3G9lFnCu0
西郷隆盛の性格を言うと、人気取りが好き、大衆受けを狙うという、
現在の大衆政治家・テレビ政治家に近い部分が浮かんでくる。
出生は鹿児島市加治屋町、城下士としては下から二番目の下級武士の出ということになる。
子供の頃喧嘩の仲裁で右腕の腱を切られ、以後武芸は諦めたとのこと。
後ろで大人物然と振舞うことに神経を使い、城下士子弟の自治組織であった郷中の長となる。
この時期の伝説として伝わっているのは、
親戚であった赤山靱負が斉彬の藩主就任を工作し切腹させられた際、血染めの衣服を見て斉彬公の藩主就任を決意したとされるもの、
城山団地のところにあった寺で座禅を習ったということ、福昌寺に通って漢学を習ったということ、近思録の共同勉強会を開いて
後の薩摩藩西郷派というべき人物集団を形成したこと(精忠組)などが挙げられる。
城下士のリーダーであったこと、島津斉彬の藩主就任へ熱意を示していたことなどが評価され、島津斉彬の藩主就任と並行し、
西郷に薩摩藩江戸屋敷勤務及び庭方役(周旋工作員)就任が申し付けられる。彼の中央政界での経歴はここから始まる。
人気のある太ったおっさん。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/09(月) 04:02:27.22 ID:+CsDY0M6O
大久保と小松だけでは薩摩が倒幕にはならなかったんじゃない?
西郷さんは清廉高潔至誠の人
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/15(日) 01:08:32.14 ID:mE23PXsN0
以下、テンプレ
Q : 西郷さんは鐘のように大きな人格だと聞きましたが。
A :
西郷のことをよく知る人で、比較的手厳しいことを書いているのは
重野安繹(しげの・やすつぐ)がいます。
彼は西郷と同じ時期に奄美に遠島になっていた人です。
後世、「抹殺博士」の異名で有名ですが、西郷のことをよく知る人です。
『重野博士史学論集』下巻(薩藩史研究会編、雄山閣、1939年)のなかに、
「西郷南洲逸話」というのがあります。
彼から見た是々非々の立場からの西郷評論ですね。
豪傑肌に見えるけど、度量は大きくないと書いています。
重野も現地妻を娶り、二人の子供がいた。
放免になって鹿児島にもどった後、
当時の金で250円という大金をもって奄美に迎えにいった。
当時、「必ず迎えに来る」といった薩摩藩士で
迎えに来たためしはなかったので、
その女は、島の若者と再婚して妊娠中だった。
重野はしかたなく、持ってきた金を
全額、女に与えて帰っていったという。
この重野の誠実さに比べると
西郷の『敬天愛人』は、かなりいいかげんと見ていいだろう。
(西郷は、現地妻を捨てましたからね。)
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/15(日) 01:09:09.88 ID:mE23PXsN0
Q : 西郷さんは民百姓のために戦ったんでしょ?
A :
確かに西郷どんは薩摩や大日本帝国の将来のために
粉骨砕身した偶像であり鑑であるかもしれない。
しかしながら、実は西郷は単に薩摩や士族たちの
象徴であったにすぎないのではないのか。
それどころか、彼はだれよりも奄美と縁が深かったのに、
「敬天愛人」どころか義理も人情もなく奄美を
踏みにじった薩摩士族の大親分としか映ってこないのだ。
西郷はかつて大島・徳之島・沖永良部島に流されたが、
薩摩へあてた手紙では道之島の人々のことを
「毛唐人」「エビス共」「ハブ性の人」などと書き散らしている。
そして島妻アイカナとの間にもうけた菊次郎・菊子を
薩摩で教育する際、奄美出身者ということを他言するなと厳しく禁じた。
島に残された母アイカナは非業の死をとげる。
これは西郷という人間像の一コマではあるが、
実は次に述べる彼の政策論とも表裏一体をなしているとしか思えない。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/15(日) 01:09:40.34 ID:mE23PXsN0
旧藩時代、薩摩は植民地奄美の黒糖収奪によって
財政を建て直し明治政権を樹立した。
奄美の黒糖地獄をだれよりも目のあたりにしてきたのが西郷だが、
彼は、禄支給廃止にあった士族の生活権にしか思いはなかったらしく、
桂久武に命じて不法な独占「大島商社」を維新後に設立させたのである。
これによって薩摩は再び収奪をほしいままにすることができ、
奄美は旧藩以上の窮状にあえぐことになった。
そこで明治十年、奄美から「大島商社解散」を要求する
五十五人の嘆願団が上鹿したが、いきなり全員投獄。
老人などを除いた三十五人は田原坂から敗戦中の
西郷軍に強制出陣させられた。
うち戦死した者六人、残りは官軍に投降。
許されて島へ帰還する途中、二人を除いて全員遭難し、
結局生存者はわずかに二十四人であった。
(前田長英著『黒糖騒動記』参照)
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/15(日) 01:10:16.77 ID:mE23PXsN0
Q : 西郷さんが征韓論というのは間違いで、ほんとうは遣韓論なんですよね?
A :
鹿児島県が発行している『鹿児島県史西南戦争』第三巻(一九八〇年)のなかに、
広瀬為興稿「明治十年西南ノ戦役土佐挙兵計画」という文書が載っている。
これは高知県出身で板垣退助に近かった林有造の主張を記録したものである。
参議の西郷隆盛、副島種臣、板垣退助に加えて、
左院副議長伊地知正治が謀議に参加した征韓計画の謀議が載っている。
西郷は「先ツ兵ヲ北韓ニ上陸セシメ、平壌ヨリ京城ヲ包撃スルノ謀」を主張し、副島は賛成した。
しかし板垣は「先ツ其君主ヲ檎(とりこ)ニスルヲ主眼トスル」点では賛成しながらも、
北方からの包囲は難事とし、三分の一の兵を釜山に上陸させて、朝鮮軍の迎撃を待ち、
残り三分の二の兵力をもって江華湾方面に送って「突如京城ニ肉薄」し、その間に
釜山の兵力も海路平壌に送って敵の退路を断つという戦略を主張した。
伊地知正治は少し大規模の兵力派遣を主張したという。
西郷は板垣、伊地知を信頼して謀議を行なったようである。
「其進軍ノ戦略ニ就テハ板垣伊地知ノ二氏ニ委スヘシトノ事ニ門下中ノ領袖ニ漏洩シアリト云フ」
と記されていることも興味深い。
また当時司法省出仕だった有馬純雄(藤太)の回想『維新史の片鱗』によると、
有馬は西郷から朝鮮占領後の民政官任命を内示され、
当該地域の地図を探したという挿話を述べている。
西郷が征韓論を唱えた史実は、まったく揺るがないのである。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/15(日) 01:10:47.02 ID:mE23PXsN0
Q : 西南戦争は西郷さんと鹿児島士族にとって、
日本のために自ら滅び、武士の世に幕を引くのが目的だったいうのは本当なの?
A :
敗色が決定的になると西郷は桐野と口をきかなくなり、
桐野のほうでも西郷を避けるような気配を示すようになったといわれる。
むろん、西郷の性格として桐野を責めたりなじったりすることはなかった。
この男に乗せられ、賊として最期を迎えるはめになった自分に対する嫌悪が、
西郷の桐野に対する感情を重くしたのではないかと思える。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/15(日) 01:11:31.67 ID:mE23PXsN0
Q : 大河ドラマなどで描かれる西郷隆盛は虚像なの?
A :
虚像ってことはありませんが、
大河で西郷が好意的に描かれている
(逆に言えばネガティブな史実や描写がごっそり抜けている)
のは鹿児島人が抗議してくるからだそうです。
どんな大河でもNHKに抗議は来ますが、
西郷ネタ、薩摩ネタに対する鹿児島人の抗議が一番多いらしい。
史実と違う、という抗議ならよいのですが、
史実通り薩奸的な場面を入れると、「一方的で偏向的で悪意を感じる」という抗議が
執拗にくるらしいです。
反対に幕府方からの抗議はあまり無いらしい。
徳川子孫の方が「我らに後ろめたきことなど何も無し、抗議すること自体がナンセンス」
と語ったとか。
かの司馬遼太郎も、鹿児島人の抗議を憂慮して、
「跳ぶが如く」ではあえて筆を鈍らした、という話しを読んだことがあります。
「跳ぶが如く」の歯切れの悪い、奥歯にものがはさまったような書き方は
そんなところに理由があるのかもしれませんね。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/15(日) 01:13:19.52 ID:mE23PXsN0
*重野安繹が語った西郷の性格*
西郷が明治維新において、彼ほど存在価値が際立っていた者はいないのではなかろうか。
みんなに期待され、いつもその中心に存在していた。
だが彼はこれらの大事件の渦中にあって、どのような方針に基づき考え、
将来いかなる見通しを持っているのか理解するのは無理である。
なぜなら、彼はいつも中心に存在していたが、
みんな回りの期待はその場、その時により違った。
いずれもその期待に答えてくれるような西郷であったが、それはすばらしい人間性なるゆえでもない。
「すばらしい人間性なるゆえでもない」とは、
じつは「(西郷は、)世の中小人などをば、自分の度量内に入れてやる事は乏しく、敵を作って激しく憎む風があり、
参議連中が姑息じゃとか、富貴を貪って居るとかいって政府の人をば憎む。
政府の人を憎むところから、征韓論が起って・・・・大臣をはじめ皆富貴に慣れて、
御一新後僅かばかりの間に我儘をするということが腹に在って、遂に西南の乱となった。
どうも西郷は一生世の中に敵を持つ性質で、敵が居らぬとさびしいくてたまらいようであった」
と、彼の性格と新政府を主導する人々の態度への不満を西南戦争の原因だと、
同郷で同じ年の西郷をよく知る重野安繹のことばがある。
重野と西郷はペリーが来たころにともに江戸藩邸にあった。
重野が仔細なことから奄美大島にながされていたところへ、西郷が流された仲である。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/15(日) 03:51:26.65 ID:Pti2ZvN60
>>20は嘘の部分が多い。
というか、根拠のないことを貼らないというのは、期待すべきではなかったのかね。
西郷さんは高潔無私、義の人、誠の人、仁の人。
>>24 どの部分が嘘なの?
史実からソースも出てるし、嘘があるとは思えないんだけど
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/15(日) 12:43:37.26 ID:w4S/nLo30
熊本城下を焼き払ったし武力を背景に偽造通貨と無理矢理交換させたし反乱参加者以外の民間人にとっては極悪人だと思うよ。
戦後も政府は薩軍作成の偽造通貨と円を交換することはしなかったらしいし。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/15(日) 15:39:02.96 ID:alKCaR4J0
>>22 >どんな大河でもNHKに抗議は来ますが、
>西郷ネタ、薩摩ネタに対する鹿児島人の抗議が一番多いらしい。
維新期に鹿児島から上京し新政府入りした薩摩由来の上流家庭は今でも政・官・財に数多くいる。
鹿児島出身ではない彼らだが、薩摩の血が流れる彼らの由緒や来歴を否定することにつながる言論は抹殺される傾向にあるのだろうな。
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/15(日) 20:02:06.27 ID:IVwLGLD40
鹿児島人でも西郷を冷めた目で見ている人は多いと思うけどな。
かといって郷土の英雄であることに変わりはないが。
問題点もありながら魅力のある人物で
福田和也も器量人として評価しているね
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/16(月) 00:14:01.98 ID:WYHI7KDMO
>>26 まず、引用が恣意的
次に、別史料を隠蔽
信用度は皆無
>>31 引用が恣意的と断定するからには、引用先の全文を入手し読んだわけだよな?
どうなんだ?
それに、隠蔽したとされる別史料って何よ? 教えてください
ま、西郷の名に影が落ちるような史実は
何が何でも認めない地域の人がいるのは知ってるけどねw
伊藤博文直話での伊藤の人物評は
大久保≧木戸>>>西郷、高杉
「西郷南洲は天稟の大度で、泰山の群峰を抜く趣があった。
そうして国を憂うる真情が深かった。徳望はさかんなものであったが
政治上の見識はというと、ちと人物より劣っていたかもしれぬ。
自分でも政府に立つことを嫌っていた。〜略〜
とにかく大人物であったが、むしろ創業の豪傑で、守成の人ではないようだった。」
まあ、大久保と木戸にはくっ付いてた時期があったし
明治政府を軌道に乗せる苦しみを共有したから
当然と言えば当然なんだけどね
坂本>西郷>高杉>>>>大久保
討幕の原資になった奄美の大搾取もメディアでとりあげられることはほとんど無いね。
田舎の一藩にすぎない薩摩がなぜ最新武装の大軍を京に駐屯できたのか、
なぜ蒸気艦を幾艘も持てたのか、
不思議なことだらけなのに、幕末薩摩の飛躍を斉彬や西郷、大久保のマンパワーに帰趨させる上っつらの物語ばかり。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/16(月) 17:26:52.24 ID:QraxtHhQO
鹿児島では大久保はびっくりするくらい人気ないよ
倒幕後の具体的な国家建設プランを周囲に提示できなかったってのはよく言われるよね
だからわかりやすい征韓論に飛びついたんだろうけど
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/16(月) 18:47:50.73 ID:vlbrARPE0
暗黒士西郷の征韓論から始まって、伊藤博文の暗殺で終わる
義士アン・ジュンコの大河ドラマが決定だって?
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/16(月) 23:54:23.31 ID:jFrXAESRO
>>36 ふつうに日本史で習うぞ
中学の歴史資料集にあったくらいだから
奄美搾取→薩摩雄藩化→倒幕は常識レベル
あんまりやり過ぎるとヤバイのよ。鳩山が徳之島に基地移設どうのの動きにアメリカの強烈な反応とそれに歩調を合わせる様な中国の挑発的な動き。
頭のいい奴なら解るだろ。
2009年から2010年にかけての諸々の動き
鳩山、口蹄疫、ゲリラ豪雨、台風の動き、いろいろ観察すると凄いよ
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/17(火) 08:12:31.37 ID:9JqZuCNY0
東国原宮崎県知事vs南日本新聞前田昭人記者
http://www.youtube.com/watch?v=oLIDkj2tREI 東の肩など持ちたくないのだが、
ここで出てくる南日本新聞の記者が典型的な鹿児島ロジックの持ち主で辟易した。
議を言うばかりで実行しないのはなぜかとしっこく質問してるw
東知事が、今回の規模は国の協力が必要で自分の判断だけでは実行は不可能、と説明してるのに、
記者は、それでも知事であるあなたが何も実行しないのはおかしい、
と意味不明な難癖でしっこく食い下がってるw
何をどう実行すればいいのか自分では何も言えないのに、
相手を実行できない欠陥者のように貶めるのは完全に鹿児島脳でしょ。
東に心底同情した。
西南戦争やらかした鹿児島士族のメンタリティが想像できるというものだ。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/17(火) 18:56:58.38 ID:jFwYJHR50
必死だなw
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/17(火) 21:54:20.58 ID:Plbo9AyZO
会津脳ではとりあえず排除するから
大久保>木戸>大村>>>>西郷
西郷は記号だから
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/18(水) 17:58:06.22 ID:HHC4cWPh0
維新第一の功労者は西郷さん
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/19(木) 04:35:45.94 ID:i2jltHSC0
新時代を作ったトップだけど、本人は限りなく前時代的な性格
ラストサムライと言われる由縁
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/19(木) 07:57:02.31 ID:HDFNg69v0
>>49-50 倒幕ではトップだったがその後の新時代には適応できなかった落ちこぼれだろ。
蘭学をやっていたようには見えんしな。
>>51 蘭学は所詮、実学。西郷さんは君子の学問をしっかりと修めた偉人。
君子は器ならず。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/19(木) 17:19:33.42 ID:xNXoL1ip0
西郷が実学を低く見ていたとすれば、君子どころかとんだ小人物だな
実学至上ならただの人
ここまで人を惹き付けることはなかったろう
西郷に惹きつけられる人って、ようは実学が理解できないボンクラだよね
西郷を信仰してれば、
無能 → 実学に縛られない君子
みたいに変換できるんで。
あ、だけど西郷自身は実学を低く見る人じゃなかったと思う。
低く見てはいないし低く見たらいけないが、至上でもないんだよ。
維新を担って死んでいったような人たちはね。
上に立つものがあったってこと。
ひたすら農工商をやっていれば死ぬことはなかった。
陽明学は君子の学問なんだろうか・・・
死ぬまで佐藤一斎の言志録を持ち歩いてたらしいけど
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/19(木) 20:06:13.46 ID:HDFNg69v0
西郷隆盛は日本の毛沢東で、文化大革命の代わりに西南戦争の頭目に担がれたように見えるな。
実学うんぬん以前に西郷は裃を着けて登城できる身分の侍ではない
侍(郷士)ではあったけれど最大で4人に1人は士格のあった薩摩藩
西郷は半農半士のような生活を送っていた。
農業とはすなわち実学、西郷がそれに無知であったわけがない。
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/19(木) 23:55:51.50 ID:zsTwl9+s0
西郷は担がれるしか能の無い神輿ブタ
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/20(金) 01:27:29.92 ID:/NWBF1wf0
デブ専で、好物も豚肉
あらゆる意味で共食い
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/20(金) 02:00:41.78 ID:JopBxSpd0
そういえば西郷隆盛を主役にした大河ドラマがないのが不思議だな。
坂本龍馬は早死にした平和主義者のイメージが刷り込まれてるし
明治の時代設定で維新雄藩の登場する、獅子の時代、跳ぶが如く、篤姫
ダブル以上の主役だったり、女性を持って来たり
まあ怨念背負ってるから頭悩ませどころだな
そのうち伊藤博文を暗殺するところが見せ場の義士が大河の主役張るって噂もあるが
実現してもおかしくない今の日本だよ
翔ぶが如くで十分だろ
西郷は幕末大河で一番登場作品が多い人物
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/20(金) 05:02:24.21 ID:CJyug08N0
>そういえば西郷隆盛を主役にした大河ドラマがないのが不思議だな。
翔ぶが如くの主人公は西郷ですが?
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/20(金) 05:27:13.34 ID:CJyug08N0
国家のトップが蘭学そのものを修めてどうするw
実学を修めたブレーンを周りに置けばいいだけの話
これ常識な
西郷さんは郷士じゃなくて城下士
>>65 西郷は、桐野みたいな情動的な人物たちを周りに置いたけどなw
つうか実学を極めた有能者は、君子論をぶつような無能者が嫌いだから、逃げていく
大村や大隈は西郷のエセ君子ぶりを見抜いて、相手にしなかった
西郷さんには君子の風格があった。大村や大隈のような才子には西郷さんの
偉大さがわからなかった。
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/20(金) 10:25:05.82 ID:6MQZ4c3ZO
>>68 宗教だね、こりゃ。
今でいうところの小沢だな。
信者の人数と信仰心はズバ抜けてるけど、そいつらがことごとく単細胞で無能だから
大勢力の割に勝負事には弱いっていう。
ただ、負けた後に、精神的には勝っていたとか闇の勢力の陰謀だとか
わけのわからないことを言って、信者がますます信仰心を強めるのが厄介だがw
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/20(金) 10:44:03.64 ID:bpo73sCW0
倒幕の総大将の軍人は革命後には用済みだからな。
徳川幕府でも大久保彦左衛門の軍功話は嫌われていただろ。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/20(金) 12:51:58.19 ID:CJyug08N0
小沢は西郷を尊敬しているらしいな
西郷にとっては甚だ迷惑だろうがw
まあ創業の英雄であっただけでも十分じゃないか?
常人の何倍も太い人生を生きているのだから。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/20(金) 12:55:31.48 ID:1G30852i0
最初は西郷の演劇じみた行動、ケレンの部分まで語ろうとした人がいたのに、
「こいつのことなんて語るな、どうせ嘘つきだ、語るな」とかしましい馬鹿が現れて大迷惑。
ケレンの部分までが西郷の人となりであり、彼が薩摩を動かした原動力でもあった。
そこを、奴は卑劣だったに違いないから語るなと主張しては、西郷の実像は浮かばない。
>69のような人間は、存在自体が迷惑なのだよ。
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/20(金) 13:22:02.86 ID:JopBxSpd0
西郷を理解するには奄美大島、徳之島、沖永良部島と
道の島の島伝いに流された期間に重要な鍵がある。
>>72 誰も西郷が卑劣だったとは言ってないだろう
無能だったとは言われてるがw
西郷の実像って言っても、巨体とグリグリした眼で、
ただ黙って座ってるだけで、相手が勝手に畏怖してくれたり、勝手に過大評価してくれるという、
その手のタイプでしょ。
西郷もそれを上手く使った。いいじゃない。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/20(金) 21:08:04.93 ID:CJyug08N0
てか、西郷の実像ってほんとわからんよ。
だいたいが司馬小説のイメージをそのまま受け継いでいるだけで。
だから実像を知りたいんじゃないの。
桐野にしたって司馬や池波正太郎の手にかかれば散々に書かれてるけど、
実物がどんな人物だったかなんて殆どわからんからね。
幕府のスパイを一人暗殺しただけで、人斬り半次郎に仕立て上げちゃうのが小説家。
67や74は司馬小説をより所にしてる感じがするな。
もっとも司馬を全否定はしないが、俺は半信半疑のスタンス。
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/20(金) 21:33:03.89 ID:JopBxSpd0
何の論拠もなく無能だったとか卑劣だったとか
まったく説得力もなければ歴史を解く人間として哀れ
でも、あのタイプの人間(カリスマ性のある人)に対しては
ちょっと冷めた目線で引いて見る必要はあるよ
物凄く盛られてる可能性あるから
それは西郷に限らず、戦国時代の有名な武将とかにも言えるけど
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/21(土) 00:41:29.36 ID:cD8M0NwlO
ひいじいちゃんが生前に言ってたけど、西郷さんは明治のサラリーマンが選ぶ理想の上司で毎年No.1だったらしい
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/21(土) 00:55:17.48 ID:TA0pJ4bg0
>>76 このように、他人を中傷しては嘘を並べ、当人は正しいつもりという馬鹿が
西郷を一切語るなと叫ぶ。
とんでもない。
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/21(土) 01:04:25.47 ID:TA0pJ4bg0
>>69,74
このような意見を持っている人は、よほど史実に興味がないし、
他人を史実以外の点で貶めて喜んでいる。
他人を持上げるために、他の人間を飼料に寄らない個人的な「定説」披露で貶める、
池波正太郎や司馬遼太郎の小説の一番よくない部分を受け継いでしまっている。
あと、
>>79には
>>76を書いた人を貶める意図はない。
単に
>>74を書いた人間は卑劣だね、という感想を表したものである。
誤解しないでください、卑劣なのは
>>74ですから。
キンタマ臭夫
西郷さんは清廉高潔無私至誠の人。明治政府高官の腐敗を憤り、
第二維新を目指して敗れた悲運の英雄。アジア解放の先駆者。
征韓論とか帝国主義そのものじゃん
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/21(土) 12:18:25.52 ID:4NrGVhNm0
帝国主義も征韓論もべつにいいよ。
批判すべきは、勝算無いのに、行動することに価値がある、みたいな精神性だろ。
太平洋戦争でそれやって負けて、現代の我々は敗戦国という十字架背負わされている。
その源流が西郷と鹿児島士族にあると思うと、
今どき西郷祭り上げてる信者はキモいなんて言葉じゃ表せないぐらいキモい。
>>83 朝鮮を開国させて日清韓同盟でで欧米の侵略に対抗しようとした西郷さんの
戦略が大久保や木戸や大隈には理解できなかった。
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/21(土) 18:48:07.57 ID:xyZJH9BqO
>>84 維新後の日本は、西郷隆盛を排除した冷静な実務家集団が舵取りをしていた間は順調に発展してたけど、
メディアに煽られてメンヘル中二病をこじらせた西郷隆盛信者の連中が政権と軍部を強奪するやいなや
猛烈な勢いで日本がとち狂って原爆で止められるまで大暴走をかましたよね。
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/21(土) 19:59:27.94 ID:iOX1y5dW0
84や8のは言ってることはわかるが、それって結局のとこ結果論じゃね?
勝ち組には手放しで賞賛、負け組には問答無用でなじるみたいな…
そういう奴はいつの時代も必ずいるけどw
なんつーか、そういう単純論は聞き飽きてんだよ
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/21(土) 20:00:06.86 ID:iOX1y5dW0
84や86だ
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/21(土) 20:14:14.96 ID:7QDi3Xefi
>>84 太平洋戦争おっ始めたのは東条しかり山本しかり米内しかり東北人だろ
西南戦争の時の西郷隆盛は郷土極右みたいな少壮薩摩人らに担がれただけ
半ば独立国状態のようになってしまっていた原因の一翼を担ってしまったことは否めないが
西郷批判が幼稚で極端なんだよ。
西郷を批判するにしても憎しみを全てぶつけるかのごとく
墓を暴いて市中晒し回しするような感情的な書き込みしか無い。
西郷を横目で見ていても誰がその言説に同意できるかっちゅうの
西郷さんを死なせたのは薩摩ナショナリズムに染まりすぎた人々なんだよ
晋どん、もうここらでよか…てのは義理も果たせただろうとかそういう意味でしょ
延岡で包囲されたとき死ぬつもりだったけど突破して鹿児島に戻るのを承諾したのはやっぱり最後に故郷に帰って死にたかったんだろうね
西南戦争は第二革命戦争。
>>91 墓をあばくというのは、西郷は実は奄美人を差別していた事実とか、
同世代の重野安繹が西郷を冷たく見ていた事実のことを言ってるのかな?
それが史実なら仕方ないんじゃない?
たとえ史実でも西郷を貶めることにつながることは書くなというなら、まさに宗教だな
西郷さんは誰からも慕われた人格者だったが、小才の効く俗物は西郷さんを嫌悪した。
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/22(日) 16:22:40.41 ID:UORiZKyc0
>>94 史実に基づいている批判ならいいんじゃね?
問題なのは根拠のない無責任な批判だろ
太平洋戦争の敗戦まで薩摩士族の精神性に原因があるとかアホかっつーの
なんでとっくの昔に滅んだ連中に後世の失敗の責任を転嫁できるわけ?
道理としておかしいだろ
西郷さんを悪く言うヤツは自分が小人物であることを告白してるようなものだ。
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/23(月) 05:55:44.53 ID:tpKoxtFHO
>>95,
>>97 空想物語上の登場人物に心酔するだけで大物になれるような都合の良い話はないぞ。
大物は、現実世界での己の実績でなるものだ。
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/23(月) 06:50:20.33 ID:TKHMACfj0
空想で、史実もなしに他人を批判する人の方が信じられない。
まるで小説家みたい。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/23(月) 06:52:08.91 ID:TKHMACfj0
>>98 西郷隆盛について史実によらない中傷を書き連ねる人間がいることについて、
これでは歴史ではないと思うのですが、どう思いますか?
どの人物のスレもそんなもんだろー
西郷なんてマシな方だよ
つか、ここの人は西郷だけのファンなのかな
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/23(月) 08:14:39.90 ID:TKHMACfj0
>>101 そう誤魔化して、都合の悪い指摘には答えないわけですよ、ここの西郷叩きは。
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/23(月) 09:25:16.29 ID:J6id5toP0
信者痛いw
小人には西郷さんの偉大さがわからない
鹿児島出身のやつに西郷隆盛批判するとすんごい顔真っ赤にして反論してくるwww
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/23(月) 23:40:10.35 ID:LAwglDt/0
太り過ぎて馬にも乗れないようなみっともない奴のどこがサムライだよ
馬に乗れるかどうかは関係ない。
キンタマが臭いかどうかが問題なのだよ。
議論のすり替え乙。
西南戦争は士族特権回復の戦争ではない。民権派部隊も加わった革命戦争だ。
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/24(火) 09:51:29.86 ID:m0AKBT+p0
あれは一種お祭り的なノリで始めた鹿児島士族のための戦争だな
鹿児島にいても暇だし、いっちょ東京で調子づいてる同郷人を殴りに行こうぜ〜みたいなw
実際、政府側の鹿児島人たちは故郷の反乱が恐かったと思う
清廉高潔で正義感が強い西郷さんは明治政府高官の腐敗堕落を憤り、粛正するために
西南戦争を起こした。
鹿児島士族ってすんげえ馬鹿だよな
最新武装で倒幕出来たようなものなのに、西南ではショボ武装で泣きながら潰走
学習能力無いつうか、まじで精神力で勝てると思っていたんだろうなwww
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/24(火) 16:44:53.09 ID:mPmAcVI90
我々は、この鹿児島蛮族が何故このようなスレを立てたのか?という
疑問を解決するため、1の故郷である鹿児島のとある寒村に向かった。
持参したドコモの携帯をみる、そこには「圏外」の2文字・・
さらに、もう一台持参したauの携帯も「圏外」の2文字・・・
「ここは、本当に日本なんだろうか?…」 「もしかしてここは北朝鮮なのか?」
思わず口に出てしまった言葉を同行した上司に「そんなことを言ったら殺されるぞ」と咎められた。
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/24(火) 16:45:26.89 ID:mPmAcVI90
小人が住むような小さな家、ツギハギだらけの服を着る農夫や漁夫たち、
それら農夫や漁夫を監視している小役人やオイコラ警官、海上保安官たちの傲岸不遜な姿・・・・。
(注:警官や海上保安官等「公安系公務員」は、鹿児島人が異常に多いらしい)
それらとは対照的に立派な「鹿児島の偉人」西郷隆盛の銅像・・・
「まるで北朝鮮の金日成の銅像みたいじゃないか・・・・・藁」と小声で言ったところ
前出の小役人、それにオイコラ警官が私たちのもとに脱兎の勢いですっ飛んできて
「そこのヨソモン!西郷南洲翁をバカにする奴は俺が死刑にしてやる!!」と大声で
私たちに食ってかかるではないか(注:このときは鹿児島語訛りの標準語で罵倒された)
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/24(火) 16:47:29.97 ID:mPmAcVI90
どうやらこの地では、西郷隆盛をバカにすると、役人や警察官が自己の判断で死刑に
していいらしい。なんという野蛮な土地だ、鹿児島は・・・・。
そして彼らは余所者で身なりのいい我々を監視する様に見詰めている。
そして、意味不明の「鹿児島語」と呼ばれる暗号のような言語でなにやらひそひそと
語り合っている・・・。多分、我々のことを鹿児島語で嘲り笑っているに違いない。
IT革命だの、ヤフーBBだの、ブロードバンドだの、聖域なき構造改革だので浮かれていた我々は
改めて鹿児島という「閉じられた人権抑圧戦闘国家」の現状を噛み締めていた。
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/24(火) 16:48:21.38 ID:mPmAcVI90
ボロ屑のような家(この家も西郷隆盛の肖像画が鎮座していた)に居たのは老いた母親一人
我々を見るなり事態の全てを悟ったのか、涙ながらに
「息子がクソスレ立てて申し訳ありません」と我々に何度も土下座して詫びた。
(↑注:鹿児島語を解せないので、鹿児島語←→日本語の通訳官を介しての会話)
我々はこの時初めて「鹿児島犬人すべてをジェノサイドしてやりたい」と思った。
誰が悪い訳ではない、鹿児島の全てが「日本の害悪=日本のエボラウィルス」なのだ。
我々は1の母親から貰った鹿児島特産(藁 のかるかんと辛島美登里のCD
小西真奈美の写真集?、山田孝之のブロマイドを手に憤りの余り「鹿児島逝ってよし!」
と叫びながら東京へと帰路についた。
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/24(火) 21:25:43.92 ID:m0AKBT+p0
熊本県民うぜ
>>111 いや、薩長より装備も上で数も多い幕軍に勝ったからなあ
幕府に勝てたのは指揮官の違いも大きい
山県ってよく戦下手とか言われるけど、西郷兄とどっちがマシなんだろう
西郷は部下任せ、山県は前線指揮官に対し細かく干渉するので現場からうるさがられる。
まあ戦況の把握に努める分、山県の方がずいぶんマシなんじゃないの。
どっちも無能
西郷は、頭の命令は絶対な薩摩の郷中で生まれたから名が残ったけど、
他の土地で生まれてたらボンクラ扱いで眼が出てねえよ
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/28(土) 12:01:00.28 ID:3fPlOagE0
一掛け 二掛けで 三掛けて
四掛けて 五掛けて 橋を架け
橋の欄干 手を腰に
はるか彼方を 眺むれば
十七八の 姉さんが
花と線香を 手に持って
もしもし姉さん どこ行くの
私は九州 鹿児島の
西郷隆盛 娘です
明治十年の 戦役に
切腹なさった 父上の
お墓詣りに 参ります
お墓の前で 手を合わせ
南無阿弥陀仏と 拝みます
お墓の前には 魂が
ふうわりふわりと ジャンケンポン
西郷さんは誰からも慕われた人格者だったが、小才が効く俗物には
嫌われた。
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/28(土) 14:14:54.98 ID:vJ0TtrMu0
そこまでの賛美は不要。
本人は細心で偏執症であり、豪傑という評価は周囲に向けた演技に近い。
ただ、小説や演劇主人公のような向こう受けする行動を好み、自らを飾るためには自分の命も厭わなかった。
そのため、生還してくるたびに西郷吉之助は薩摩城下士の誇りと夢の象徴と化し、
彼の言動を神の啓示のように感じる集団が形成された。
城下士の中でも下級であった彼が、何故中央政界に進出出来たのかというと、
薩摩藩の武士の青年団とされる郷中を掌握していたこと、島津斉彬藩主就任前から強硬な斉彬派であったことの二点が挙げられるが、
島津斉彬の藩主就任に決定的な意味を持った調所笑左衛門による密貿易疑惑暴露について、
証拠入手に一定の役割を果たしたという憶測もある。
もっともこれは憶測の域を抜けるものではなく、斉彬藩主就任から程なく彼は江戸の藩邸勤務となり、
御庭役(外交折衝実務員)としての経歴が始まった。
最初の仕事は篤姫の将軍御台所就任であり、
薩摩藩今和泉家(藩主の親戚というより、藩主の血統を守るために代々藩主の弟を当主として迎えるような種類の家だった)の娘を
一旦近衛家の養子とし、近衛家の娘として将軍に嫁がせるという、本人にとっても周囲にとっても難事であった。
この際西郷は、朝廷の摂家筆頭である近衛家と面識が生じ、また京都で著名人と面会する機会が増えた。
この時思想的な影響を受けたといわれるのが藤田東湖とされる。彼の国防思想は島津斉彬の海防論とも一致し、
海防という見地から、世界と日本、統一されるべき日本という視点を彼に提供したとされる。
藤田東湖訪問時の西郷の記述
「彼の宅へ差し越し申し候と清水に浴し候塩梅にて心中一点の雲霞なく唯情浄なる心に相成り帰路を忘れ候次第に御座候」
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/28(土) 16:56:00.30 ID:93e687Gh0
豪傑ではあるだろう
本人の演技が入っているとしても、実行していれば同じ事だと思うが
西郷さんは凄いね。西郷さん一人のために死ねる若い衆を戦争を
起こせるくらいに大勢育てたんだからね。木戸や大久保とは
人間のスケールが違う。とにかく大人物だ。
松本ちづおさんみたいなもんですかね?
123の評価が実像に近いんじゃないか。
崇拝する人たち含めて実行力はあっただろう。
ただ、この一派の実行力の源泉は、自分たちに論理性や構想力が無いゆえに、声がデカければ勝つ、みたいなことだからな。
西郷ファンとかも同じ。
論理が無いから、情に訴えるという、一種の粉飾。
こういう人たちがいてもいっこうに構わないけど、
賛美するのは滑稽。
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/28(土) 19:28:22.96 ID:VUyP3XXaO
西郷信者御一行って、ノリがスポ根部活動なんだよな。
学生の部活動なら負けても特に失うものはないけど、
西郷信者御一行は学生気分の延長線上で歳を重ねて
国民全体を巻き込んで戦争とかの政治行動に突っ走るからたちが悪いんだわ。
大人物という言葉は西郷さんのためにあるんだね。
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/29(日) 03:20:15.39 ID:5mU/OczE0
学生気分というか壮士気分だろな
尊皇攘夷思想そのものが壮士の温床だし
当時は日本中にうじゃうじゃいたが、薩摩勢力はその最大級といっていい
他の維新の元勲たちは列強の力を見て、変節と言われても仕方ないほど方向転換したが、
西郷一派は幕末以来の壮士気分のまま突き進んだ感はあるな
本質が革命家なんだよ、この人は
司馬のせいで巨大なキンタマの人ってイメージが最初にくる。
小才が効くだけの俗物には西郷さんの人柄の大きさはわからない。
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/29(日) 09:09:28.84 ID:5S4Rd0l/0
西郷さんの人柄の良さを象徴するエピソード その1
薩摩へあてた手紙では道之島の人々のことを
「毛唐人」「エビス共」「ハブ性の人」などと書き散らしている。
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/29(日) 09:13:59.27 ID:5S4Rd0l/0
西郷さんの人柄の良さを象徴するエピソード その2
西南戦争の敗色が決定的になると西郷は桐野と口をきかなくなった。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/29(日) 09:18:46.60 ID:5S4Rd0l/0
西郷さんの人柄の良さを象徴するエピソード その3
同郷の歴史学者重野安繹は西郷の人柄の良さをこう分析している
「それはすばらしい人間性なるゆえでもない。
(西郷は、)世の中小人などをば、自分の度量内に入れてやる事は乏しく、
敵を作って激しく憎む風があり」
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/29(日) 09:50:41.50 ID:5S4Rd0l/0
西郷さんの人柄の良さを象徴するエピソード その4
幕末、薩摩は幕府を暴発させるための策として、
江戸市中でレイプ、殺人、放火を行うことが検討された。
しかし人柄の良い西郷さんだけはこの暴策を是とも非とも言わず、押し黙ったままであった。
周囲の者たちは当然それを、この暴策の承認と受け取ったいう。
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/29(日) 09:52:25.64 ID:5S4Rd0l/0
西郷さんの人柄の良さを象徴するエピソード その5
改革を強行しようとする大村益次郎に対して、薩摩人や長州旧世代は激しい中傷をした。
しかし人柄の良い西郷さんだけは大村を是とも非とも言わず、押し黙ったままであった。
周囲の者たちは当然それを、大村暗殺の承認と受け取ったいう。
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/29(日) 10:07:35.38 ID:5S4Rd0l/0
西郷さんの人柄の良さを象徴するエピソード その6
幕末、幕府温存を画策しようとする坂本龍馬の動きに対して、京都薩摩藩邸は焦りと憤りで満ちていた。
しかし人柄の良い西郷さんだけは坂本を是とも非とも言わず、押し黙ったままであった。
周囲の者たちは当然それを、坂本抹殺の承認と受け取り、坂本の居場所を幕府見回り組に密告したという。
西郷は結局後継者がいなかったけど、
大久保は伊藤大隈山県など有能な後継者を多く残したね
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/29(日) 10:21:38.33 ID:Y1n6w18f0
4・5・6は捏造だね。
このように言うから、支持者が西郷を悪く言う人は嘘つきだと話にする。
個人的な憎しみを勝手に文章に仕立てて言いふらす、ID:5S4Rd0l/0はこの世の恥。
延岡の近くで官軍5万に包囲されて突破する薩軍500
関ヶ原の義弘公が思い起こされるな
刎頚の友の西郷さんを見殺しにし、平然と郷里に兵を向ける
大久保利通は最悪の権力亡者。
血を分けた弟や従弟たちのいる政府に対し
先に兵を向けた西郷の方が冷血だよな
西郷さんは戦争をするつもりじゃなかった。暗殺の危険があったから
護衛のために兵を連れて行っただけだ。それを反乱と決めつけて
討伐の大軍を差し向けたのが大久保利通。
大久保は西郷さんが謀反を起こすはずがないことを知っていながら
権力維持のためにこのように行動した。
せごどん。
結局この人は何した人なの?
翔ぶが如くでは全然わからなかった。
維新後の話だしね。
政治家でも軍人でもなく革命家だったってイメージ?
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/29(日) 18:57:50.97 ID:mVvlo3UD0
「西郷、もういい加減にせんか」 by 桂小五郎改め木戸コーイン
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/30(月) 08:10:01.70 ID:CqSyuhZX0
我は官軍我(わが)敵は 天地容れざる朝敵ぞ
敵の大將たる者は 古今無雙(双)の英雄で
之に從ふ兵(つわもの)は 共に慓悍(ひょうかん)決死の士
鬼神(きしん)に恥(はじ)ぬ勇あるも 天の許さぬ叛逆を
起しゝ者は昔より 榮えし例(ためし)あらざるぞ
敵の亡ぶる夫迄(それまで)は 進めや進め諸共に
玉ちる劔(つるぎ)拔き連れて 死ぬる覺悟で進むべし
大人物という言葉は西郷さんのためにある。
幕末に関する限り、会津人は行動が汚すぎた。
必死に正義と主張するが、彼らの事績を見れば悪意しか残っていない。
西郷さんを貶める奴は自分の卑小さを自白してるようなもの。
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/01(火) 06:51:11.55 ID:JFra2T+Q0
西郷が革命家ってのは、最も一般的なイメージだと思うよ
逆にそれ抜かしたら西郷さんじゃなくなっちゃうw
最近はそんな事も知らずに西郷を語る人が多いな
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/01(火) 08:02:45.08 ID:+jXq3UQW0
西郷さぁと月照がホモだったち噂がありもすなw
じゃっどん薩摩ん政治に絶望し、愛する2人で身を投げたと
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/01(火) 08:30:14.80 ID:auJLnsEn0
後の小説では、一緒に身を投げて、抱き合って海を漂っているところを救助されたりするのだが、
当時を記した後世発見の書状では、「勤皇の士である月照を海に沈んだままにはしておくのは惜しい」
などと書かれているので、実際は月照は発見されなかった可能性が高い。
小説を鵜呑みにするとホモ疑惑になるので気をつけよう。。
だいたい実際は、その場に井伊直弼から追及を受けていた政治犯がもう一人いる。
そいつは禁門の変で長州側で戦死するのだから、死の時は西郷を仇と罵っていたことだろう。
小説中に作者の偏った見解を見つけては、これが真実と煽り立てるのが、最悪の連中ということだね。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/01(火) 15:53:06.48 ID:JFra2T+Q0
話は変わるが…
征韓論の政争で西郷を朝鮮への特使として派遣することが決まっていたのに、
寝技で取り消した大久保のやり方はどうにも気に食わんな
もし西郷が朝鮮に特使として赴いていても、戦争にはならなかっただろう
西郷という人は第一次長州征伐や江戸城無血開城の実績もあるとおり、ギリギリの交渉を上手くまとめてきた
どうしても、西郷を退陣に追い込んで権力を握るための大久保の陰謀にしか思えないのだが
西郷さんは朝鮮を平和的に開国させて日清朝の同盟で
欧米のアジア侵略に対抗しようとしたんだよ。
大東亜共栄圏の先駆者。
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/01(火) 16:29:56.61 ID:+jXq3UQW0
そういう意図なら征韓論とは呼ばれねーだろ。
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/01(火) 17:37:05.48 ID:auJLnsEn0
征韓論論争に関しては、二回の閣議が焦点となる。
第一回の閣議では
・板垣退助・後藤象二郎は朝鮮出兵を強く主張していた
・薩摩主導の当時の軍部内で、朝鮮出兵時の部隊編成などが盛んに検討され、文書化されていた
・閣議の結論は、「西郷隆盛を代表とする外交使節派遣」だった
第二回の閣議では
・西郷隆盛は前回閣議の履行を強く要求した
・大久保利通は、外交使節が殺害された場合開戦が避けられないと反対意見を述べ、天皇の勅命で西郷の要求を封じた
・西郷隆盛・江藤新平・板垣退助・後藤象二郎らが大久保の決定を不服として辞表を出し、辞任した
これについて西郷の意見はどうだったかについて、幾つか意見がある。
×「日本国軍が朝鮮出兵時の編成を検討していたから西郷が征韓論者なのは明らかなのだ」
・薩摩は戦略上もしもの場合を考え、結果として実現しなかった案も幾つも立案作成している
(例 鳥羽・伏見の戦いで敗北した場合の、天皇を同行させた山陰撤退行軍案 など)
×「西郷が、俺が朝鮮で殺されたら出兵の口実になる、と板垣に語ったと板垣は言っているから西郷は征韓論派なのだ」
・それは征韓論派の板垣が言ったこと。板垣の出兵論を抑える方便だったという意見もある
×「板垣も後藤も西郷さんが征韓論者だと後世触れ回っており、当時の薩摩の人間も了承しているぞ」
・板垣も後藤も征韓論者であり、自分に都合の良いことを喋るのが当然。西郷本人の意見はそれではわからない
結局のところ、閣議をそのまま受け取るなら、西郷は外交官として朝鮮半島に行くつもりだったということになる。
>>159 証言者が征韓論者だから信用できないなら、非征韓論者の証言はないの?
反証がないのに否定はできないのでは?
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/01(火) 21:16:41.88 ID:auJLnsEn0
>>160 あいにく、この政変で大久保側を支持した人(明治天皇・三条実美・山県有朋・伊藤博文ら)からは、
この閣議について証言がない。
ない物を求め、「否定はできないのでは? 」と吹くようでは不公正な言説を弄していると思われる。
>>161 ある事象があったという証言がある一方、なかったという証言はないとする。
その評価としてなかったと結論付けるほうが不公正に思えるのですが?
しかもその理由が信用できないからとか。。。
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/01(火) 22:48:34.38 ID:auJLnsEn0
>>162 いいえ。あなたの発言には誤りがあります。
証拠がないことに関して犯人だとあげつらい、貶める行動が西郷隆盛の批評に関しては目立つ。
私は嘘は許しません。その意味で、あなたは最も憎むべき人間と考えています。
あなたの主張には根拠がない。その上他人を中傷して正しいと言い張る。
そのような意見を誰が信じるでしょう。私は嘘つきは嫌いなのです。
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/01(火) 22:53:18.68 ID:auJLnsEn0
私は下手な礼賛も大嫌いですが、他人を証拠もなく犯罪者呼ばわりする人間はもっと嫌いです。
小説から引いてきたのかもしれませんが、あなたの西郷批評は史料からは程遠い。
私はあなたの説を全く支持しません。あなたは史料に従って話をすべきです。
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/01(火) 23:05:26.49 ID:auJLnsEn0
史料を探す限りでは、西郷隆盛自身が征韓論を主張したとするものはどこにもないのです。
単に、周辺の人間が出兵をほのめかして活動したということだけ。
これは、重職者になってからの西郷に見られることですが、
威圧感を持って無言でたたずむだけで、当人の意見を公にすることがめったになかったことに起因しています。
それでも幕末に関しては、幕府との戦争は必ず起こるから兵をよこせと書いたり、
関東騒乱は薩摩が悪役になりそうだから即刻辞めろと焦ったような手紙が残っているのですが、
征韓論論争とされるものについては、西郷隆盛当人の意見が全くわからない。
ゆえに閣議で決定した、西郷隆盛を特使とする外交使節派遣を西郷の意見とするしかない。
これを憶測で、西郷は別のものを意図していたと主張するには、証拠が全くない。
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/01(火) 23:13:57.63 ID:auJLnsEn0
私は証拠がないものを「定説」として押し付ける人間が大嫌いです。
その意味で西郷征韓論説は、信じるに足るものが全くない小説家の俗論と捉えています。
>>165 長文お疲れ様です。
私の書込みに西郷が犯人であり犯罪者であると決めつけたものはどこにもありません。
それどころかどうだったという推理すら書いていません。
あなた説の論拠が板垣等の証言は信用できないからという如何にも不十分なものだったので、論拠が弱いにではないかと指摘したにすぎません。
最も憎むべき人と認定されて非常に残念ですが、そうとする論拠までも的外れで重ね重ね残念です。
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/01(火) 23:26:57.45 ID:+ly+DYnj0
当時の日本で征韓論は普通の発想であり、
大久保らも征韓論を否定したことは無く、時期尚早という理由で反対しただけ。
西郷が遣韓論とやらの平和外交を本気で考えていたとしたら、
とんだ外交オンチ。無能と言うだけでは済まない、自分の力を過信したキモチ悪い愚物だな。
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/02(水) 06:19:46.26 ID:BUcVKP780
反対したってレベルじゃないけどな、大久保の場合
大変なときに2年も国を空けて外遊してたくせにな
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/02(水) 17:05:38.22 ID:/qH6BL2G0
>>167 あなたの発言自体が、証拠もない推論を重ねて他人を誹謗する内容となっていることに気付いていない。
文藝春秋でよく見られた種類の文章でしたが、その一つ一つに論理がない。
中村彰彦辺りの文章を読み慣れた人と思われますが、あれの文章と史料を比較して御覧なさい。
どこにもまともな引用がない。
あなたの指摘が当てはまらない以上、あなたの話はあなたの考えるような正当性はどこにもないわけで、
そこに気付くことを私は考えて欲しいわけです。
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/02(水) 17:11:55.28 ID:/qH6BL2G0
西郷有罪論は過去の文藝春秋に粘着的に連載され、当時の編集長半藤の指導の下に、
証拠も挙げずに東北地域が絶対的な正義であり、その他の地域は唾棄すべき汚物であるという主張がなされておりました。
あれの歴史観が日本に与えた悪影響は凄まじい。
なので、この問題に関する証拠の無い誹謗中傷は絶対に許せません。文藝春秋には即刻廃刊を求めたいくらいです。
歴史を食い物にする歴史家、歴史小説家、歴史空想家、歴史妄想家
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/02(水) 22:42:16.61 ID:tOAnVvtS0
西郷隆盛は僕にとってのヒーローなのさ。
今でも小学校や中学校の教科書は相変わらず
西郷隆盛は征韓論を主張しましたが通らず、
鹿児島に帰りました。
てな感じなのか?そんな単純なことはないでしょう。
西郷を貶めるとか逆に持ち上げるとか無しに、経緯を
記載すればいいと思うんですが。俺みたいな素人が言うのもなんだが・・。
西郷好きは征韓論の人だと言われるのが嫌だってのはレス読んでて良くわかった。
で、どういう人だったの?
作られたイメージだ、違うというならこういう人物像だと示して欲しい。
西郷好き以外には謎な人なんだよね。
スレタイトルのように。
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/03(木) 06:30:34.53 ID:lBozlnZ3O
征韓論押し付け馬鹿が煽るからこのようなことになる。
文藝春秋による誹謗中傷をそのまま貼るのだから簡単なのだろう。
彼等は東北地方だけが栄え他の地域は滅びろと主張する。
文春の唱える質実剛健武士道バブル退治とかで、日本は目茶苦茶にされているのだが。
文藝春秋の描く日本史は本当に酷い。
東北地方の人民が立ち上がったり日本帝国主義が不遜にも東北を侵したり、
でも中国へ進出する際は正当だと断っていたり、
あまりに侵略が甚だしくなると薩長だ薩長のせいだ東北人民は無罪だと誤魔化して言い繕ったり、
満州入植民の大部分が東北地方出身者という点は決して書かなかったり、一つの地域だけをむやみやたらに擁護する。
西郷隆盛もその悪質な文章の犠牲にされたわけだが、実像はどうだったかということになると、
>>159以上のことは言えないわけで。
これに妙な中傷文で対抗したなら怒られて当然。
西郷信者はなぜ征韓論か遣韓論かにこだわるのだろう?
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/03(木) 12:17:38.39 ID:HxXo0cT10
信者うんぬんじゃなく、真実はどうなのよってことでしょ
西郷を評価をする上で征韓論は重要なキーワードなんだから仕方がない
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/03(木) 14:07:41.57 ID:8aV0oTOF0
韓国人にとっては征韓論を唱えた西郷は罪人に等しいニダ<丶`∀´>
よってイルボンの教科書には西郷賞賛は許さないニダ<丶`∀´>
厳しくチェックするニダ<丶`∀´>
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/03(木) 19:26:26.09 ID:M+SbAk0q0
西郷サンにも法則が働いたってコトか。
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/04(金) 22:36:01.63 ID:oHQ9OyJ3O
西郷さんが土方歳三並のルックスだったら、後世評価がここまで揉めなかったと思う。
完全無欠の維新の英雄、ラストサムライとして評価されたと思うな。
ところで、坂本龍馬や土方の女性ファンはいるけど西郷はいないよね
大久保も木戸もルックスは土方に負けず劣らず良いと思うんだが、
西郷ほど人気もなく評価も割れてる
西郷さんて人気ある? 知名度は認めるけど
人気ってなると鹿児島限定だろ
あと右翼のおっさんとかに受けがいい
朝敵じゃん。
後に恩赦されたけど。
大久保の評価は割れてないでしょ。
鹿児島以外では。
しかも西郷を殺したという一点。
大久保は鹿児島では大・不人気のようで銅像も外部から言われて初めて作った
西郷は西郷さんとか西郷どんとか言うのに大久保は大久保と呼び捨てしたりする
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/05(土) 01:02:21.08 ID:hfQdc7yy0
バカだな〜
人気って時代によって変わるんだよ。
戦前から昭和30年代までは西郷や桂小五郎が圧倒的に人気あったらしい。
現代の人気って、ドラマや小説で究極に格好良くデフォルメされた虚像に対してだから、
土方も坂本も実物はそんな魅力的な人物ではないはず
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/05(土) 01:35:55.97 ID:54E62e6B0
土方や坂本は実物も相当魅力的だったと思うぞ
魅力が無ければフリーであそこまで頭角出せるはずない
逆に西郷は女にモテた話しとかまったく無いよなw
いや、薩摩人自体にそういう話しが全く無いw
現代の鹿児島人もそうだけど、座右の銘は不言実行とか言う奴が一番嫌われるw
言った時点で不言じゃねえだろって、鹿児島以外の人はみんなそう思いますw
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/05(土) 04:59:45.03 ID:hfQdc7yy0
たしかに西郷が女にもてたって事実は聞いたことがないな
土方や坂本が女にもてたって事実も聞いたことがないw
言ってることがまるで根拠不明ですw
まさかソースは小説とか抜かすんじゃねぇだろな?
>>189 桐野は遊里ですげーモテてたとか聞いたことあるが
桐野利秋モテ話は聞いたことあるね。
それより何で女にモテたかどうかが尺度になってるのw?
坂本や土方は司馬遼太郎がいなけりゃ今の人物像はなかっただろうことは間違いない。
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/05(土) 09:09:01.57 ID:yWJ6t2N80
土方のモテ話は聞いたような気がする。
しかし桐野のモテ話を知らないとは、歴史の素人というほかない。
鹿児島人は感情にとらわれずに大久保利通を再評価すべき
大久保は郷里の裏切り者
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/05(土) 17:47:13.98 ID:gzmhTrjY0
西郷隆盛の最後は、他殺説、自殺説ありますが、
私は自殺説を信じています。
みなさん、どう思いますか。
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/05(土) 18:31:19.51 ID:SL0ESBIh0
西郷と大久保が恋愛関係のラノベとかゲーム作ればもっと女子に人気でると思う。
桐野が横恋慕して、痴情のもつれが原因で西南戦争に。
もちろん西郷さんのビジュアルは痩身美形に修正
どっちかっていうとサブ系だよ
西郷はそっち系には人気は出ると思う
俺は生きていても何の役にも立たない屑人間(しかもロリコン)
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/06(日) 08:49:14.05 ID:x/QauNU50
カネをばら撒いていたら誰でも女にもてるだろ。
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/06(日) 11:06:13.26 ID:UfbukvJoi
俺は生きていても何の役にも立たない屑人間(しかもロリコン)
西郷さんも若い頃は痩せてたはず。
今のビジュアルイメージは上野の像のせいもあるわな。
本人とはかけ離れてるらしいね。あれ。
金玉が大きかったんだね
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/06(日) 11:59:30.05 ID:fewOM9ZW0
>>190 嫁が3人もいて子沢山なんやらかモテたと言っていいであろう
それに比べてお前らときたら・・・
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/06(日) 12:01:43.44 ID:fewOM9ZW0
>>182 西郷は肖像画や写真が残ってないからな
伝西郷像と本人は似ても似つかない
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/06(日) 12:02:36.59 ID:fewOM9ZW0
>>189 坂本なんてただの赤字経営の武器商人に過ぎない
俺は生きていても何の役にも立たない屑人間(しかもロリコン)
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/06(日) 16:56:43.58 ID:fewOM9ZW0
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/07(月) 18:19:54.18 ID:8gvlcXDI0
西南の役の折、海路で江戸を一気に目指せば勝機あったのでは?
西郷は軍人としては能力がなかったのだろう
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/07(月) 23:35:15.47 ID:QGeQGqhf0
西郷さんは坊主と心中したホモであるが、薩摩で衆道は一般的な事なので特に非難にはあたらない
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/08(火) 08:54:00.33 ID:GI/4+NpM0
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/08(火) 13:24:35.61 ID:GI/4+NpM0
>>211 その話でっち上げ臭がするがなw
入水自殺って暗殺だろ?
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/08(火) 17:22:47.34 ID:GI/4+NpM0
橋下徹、無知なMBS女性記者にブチ切れし30分もバトル 「勉強してから質問に来い」(動画あり)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=3OKlJeer0PQ 記者「質問があるのですが…」
橋下「さっきから頓珍漢な事ばっか質問してるけど、質問の内容理解してる?」
記者「私の担当じゃないので、よく分かんないです」
橋下「…今までの返答は理解できてた?」
記者「少しくらいは」
橋下「ぶっちゃけ、何しにきたの?」
記者「質問をしに来ました(キリッ」
橋下「何の質問?」
記者「分かりません(キリッ」
橋下「MBSって馬鹿でも入れるんだね」
「国歌を歌いたくない人はみんなMBSに行ったらいいじゃないの」
「社歌もきまりもなんにもなくてバカでも入れるんだからw」
記者「今日はこのくらいにしといてやる(キリッ」
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/08(火) 18:28:18.28 ID:caIOp52S0
>>211-213 井伊直弼の安政の大獄に連座し入水自殺を試みた件については、
>>158を参照のこと。
それとこの事件は、西郷隆盛の演技好き、自己を飾る性分という面がよく現れた事件とされる。
元々江戸時代を通じ薩摩藩には、「心丘公信仰」という宗教的、反中央的県民信仰があった。
これは戦国期に島津氏を九州統一一歩手前まで拡張させた島津三兄弟のうち、島津歳久が豊臣秀吉に反抗的であったため
秀吉の九州征服後彼の命令で他の兄弟の追討を受け、殺されたという一件に由来する。
以来、歳久最期の地に建てられた心岳寺には、旧暦の命日に男女士農工商を問わずお参りをすることが通例と化していた。
このお参りは罪なくして死んだとされる心丘公の遺徳をしのぶものであり、反中央思想を煽るという側面があった。
もちろん郷中の長であった西郷隆盛にとっては、心岳寺は毎度の教練開催場所でもあった。
その心岳寺に向かって、御許へ行きます、と手を合わせて海に飛び込んだのだから、意図がないわけがない。
明らかに狙っている。自分を飾るためなら命も賭ける、その様な西郷の在り方が出た事件といえる。
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/08(火) 21:20:27.17 ID:caIOp52S0
おっと参照は
>>154でした。謹んで訂正いたします。
西郷月照入水の一件は、本当に死を覚悟しての行動だったとされています。
現に月照はこの事件で死亡しています。
月照の弟はその後幕府に捕縛され獄死しています。
そのことから考えると、この時点で薩摩藩側に幕府と敵対してまで西郷らの身を隠す意思がなければ、
命はなかったでしょう。そして当時の藩にはそんな意思は毛頭なかった。
何らの騒ぎを起こす必要があったことは確かなのです。
しかし西郷はわざわざ領民なら誰でも知っている悲劇の伝説の地を選び、入水という生きる可能性のある行動に出た。
計算高く、しかも宣伝効果の高いパフォーマンスというわけです。
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/08(火) 22:44:00.39 ID:WVW3JqYT0
でもさ、一つ大きな盲点があるぜ。
演劇なら観衆がいるけど、自殺現場に観衆はいないんだから、
無意味なパフォーマンスとかする必要ないだろw
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/08(火) 23:09:04.08 ID:caIOp52S0
いえいえ、入水による救難救護活動が行われたなら、
この事件についての話題は藩上層部とその直属部下ではなく、必ず鹿児島城下士全体に広まります。
そして西郷隆盛は郷中の長という形で、鹿児島城下士に強い影響力を持っていたわけです。
入水事件を起こし、事を大きくして、藩上層部の一存だけで事が収まらない状況を作ろうと試みたことになります。
現に西郷は一ヶ月の闘病の後、改名の上で奄美へ遠島と刑は改められました。
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/09(水) 01:05:29.29 ID:oYeG/d+S0
座して待っていても処刑されるだけだから、捨て身のパフォーマンスを打ったってこと?
で、西郷は運良く九死に一生を得たわけだ
月照も生き残ってれば良かったんだろうが老人だしな…
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/09(水) 02:45:06.37 ID:D0D8sXBaO
パフォーマンスとしてはなかなか難しいな…。
斉彬は死ぬは大獄で同志らも大量に捕縛されるわ月照も救える見込みなくなるわで、
本当に前途に絶望して入水を図ったんだと思うがな
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/09(水) 08:26:32.40 ID:H6sj5etO0
橋下徹、無知なMBS女性記者にブチ切れし30分もバトル 「勉強してから質問に来い」(動画あり)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=3OKlJeer0PQ 606 :名無しさん@3周年 [↓] :2012/05/08(火) 18:28:31.91 ID:fmDIpO1P (3/4)
動画全部見たよ。MBSの女記者は橋下知事の「命令は誰が誰に出したのか」に何も答えられず、言を左右に
只ひたすら自陣営の主張「日の丸、君が代反対」を喚いていた!「ふざけた取材はヤメロ!」はブチ切れでは
なく、当たり前の考え、表現だ!これを見てオレは完全に橋下派になった。MBSは日本国から電波割り当てを
貰いながら反日のTV局である事も改めて認識した。橋下頑張れ!ファンが付いてる!!
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/09(水) 21:45:52.39 ID:bOITp5gZ0
ホモ西郷の死ぬ死ぬ詐欺だっただけのこと
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/10(木) 00:43:00.84 ID:QwSoRPwS0
西郷さんがひと言、大村先生は日本国の将来に必要欠くべからざる御仁でありもす、
と発してくれれば、今の日本の姿は違ったものであったであろう
そのひと言があれば西郷さん自身も初代首相であったかもしれない
でも西郷は比較的大村を買ってた方だろ
体育会系スーパー番長とカタブツウルトラ理系頭
水と油すぎるがw
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/10(木) 19:40:26.66 ID:DFr/lZTR0
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/12(土) 07:34:58.46 ID:RLFroTqu0
鹿児島弁で西郷はセゴどん、斎藤はセツどんというらしいが西郷がセグどんにならんのはおかしいな。
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/16(水) 15:55:40.46 ID:ztqUj5u60
晩年の西郷隆盛は象皮症を煩っており陰嚢が異様に膨れ上がっていた。
これは寄生虫のフィラリアに感染されたため起こる症状であったが、
当時の日本の医学では原因がつかめず、
周りの者たちは隆盛が欲求不満のため睾丸に皇帝液が貯まりすぎているのではと考えた。
そして話し合いの結果、みなで隆盛の陰嚢を縮めるために夜這いをかけ
貯まった皇帝液を吐き出させようという運びとなった。
一日目の相手は村田新八である。
隆盛の寝所に忍び込んだ新八はいびきをかき熟睡している彼の浴衣を脱がせ竿をしごき始めた。
新八「わしはこのようなことは初めてなのじゃが!尊敬する西郷どんのためとあってはやむえないのぅ !!」
新八は意を決すると隆盛の上にまたがり手コキで硬くなった竿に腰を下ろした。
新八「ぎゃあああっ!しっ尻が裂けるうっ!?」
隆盛も突如股間を襲った違和感に目を覚ます。
隆盛「ぎゃあああっ!さっ竿が吸い込まれるうっ!?」
新八「むんっ!むんむんっ!!ああっ痛いっ!痛いーっ!!」
新八は初尻を散らす激痛に耐えながらも尊敬する隆盛のために必死で腰を振り続けた。
隆盛「新八!お前何をっ!?」
一方の隆盛も男色は初体験。異様な感覚に嫌悪感をあらわにした。
隆盛「うあっ!気持ち悪い!!うっ動かないで・・・っ!!」
新八「嘘じゃ!西郷先生は嘘を言うておる!それが証拠にわしの中で先生のアームストロング砲は
どんどん大きくなってきていますぞ!!むんむんっ!!」
隆盛「あひぃ!搾らないでぇっー!?」
こうしてこの日より西郷隆盛は毎晩弟子達に襲われ、皇帝液を搾られ続けた。
隆盛の陰嚢は小さくなることはなかったが、
皆の馳走する激しいプレイのせいで衰弱し痩せこけ、
薩摩豚の食べすぎで太った体のダイエットには成功したという。
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/16(水) 23:35:43.23 ID:BdHdtan+O
上野の銅像。
あいは西郷どんじゃなか。
西田敏行でごわんど。
犬の映画の宣伝でごわす。
>>83 それは違う。西郷は自分が殺されたら攻撃しろって言っただけで、
征韓が目的ではない。
>>139 西南戦争で死んだ部下達が後継者だったんだろうねぇ。
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/07(木) 21:09:52.52 ID:AQW5IBhA0
薩州の巨星
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/07(木) 23:10:07.51 ID:4AeAt4rr0
本当の国士
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/08(金) 20:24:02.90 ID:qTc5IN4P0
やっぱり法則。
半島に関わると不幸が訪れるの法則ね
まあ、実際会ってみないとそのカリスマ性はわからんだろな。
西郷隆盛は、活劇の主人公のように他人へ自らを飾る役者だった。
しかも本気で命を掛けて演じていた。その為、彼の命がけの演技に人は酔い、本物の英雄と看做した。
西郷さんは清廉高潔無私、義の人、仁慈の人、至誠の人。
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/14(土) 09:30:12.96 ID:6AqK70za0
金玉が大きい人。
上野の像で損してるよね。
裾も首も寸足らず。
アホの子みたいな姿にされちゃって...
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/16(月) 23:19:08.61 ID:lBSII8Fu0
今度、西郷さんを吉川晃司氏がやるらしいが、西軍敗因の原因の吉川家が
先祖と言っている人が西郷っておかしくないw
元春、広家と晃司のつながりは分からないけど・・
自分は島津が動かなかったのは総大将が動かなかったからと
思っている
レス違いかもしれない・・スミマセン
西郷さんの遺言です。
----------------------------------------------------------------------
第十七ケ条
正道(せいどう)を踏(ふ)み、国(くに)を以(もっ)て斃(たお)るるの
精神(せいしん)無(な)くば、外国(がいこく)交際(こうさい)は全(まった)かる
可(べ)からず。彼(か)の強大(きょうだい)に畏縮(いしゅく)し、円滑(えんかつ)を
主(しゅ)として、曲(ま)げて彼(か)の意(い)に従順(じゅうじゅん)する時(とき)は、
軽侮(けいぶ)を招(まね)き、好親(こうしん)却(かえっ)て破(やぶ)れ、終(つい)に
彼(か)の制(せい)を受(うく)るに至(いた)らん。
----------------------------------------------------------------------
第十八ケ条
談(だん)国事(こくじ)に及(およ)びし時(とき)、慨然(がいぜん)として
申(もう)されけるは、国(くに)の凌辱(りょうじょく)せらるるに当(あ)たりては、
縦令(たとえ)国(くに)を以(もっ)て斃(たお)るとも、正道(せいどう)を践(ふ)み、
義(ぎ)を尽(つく)すは政府(せいふ)の本務(ほんむ)也(なり)。然(しか)るに
平日(へいじつ)、金穀(きんこく)理財(りざい)の事(こと)を議(ぎ)するを
聞(き)けば、如何(いか)なる英雄(えいゆう)豪傑(ごうけつ)かと見(み)ゆれども、
血(ち)の出(で)る事(こと)に臨(のぞ)めば、頭(こうべ)を一処(いっしょ)に
集(あつ)め、唯(ただ)目前(もくぜん)の苟安(こうあん)を謀(はか)るのみ、
戦(いくさ)の一字(いちじ)を恐(おそ)れ、政府(せいふ)の本務(ほんむ)を
墜(おと)しなば、商法支配所(しょうほうしはいじょ)と申(もう)すものにて、
更(さら)に政府(せいふ)には非(あら)ざる也(なり)。
----------------------------------------------------------------------
西郷隆盛『南洲翁遺訓』より
http://www.keiten-aijin.com/ikun.html
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/06(木) 00:21:14.45 ID:+GkYr6TF0
ラストサムライ
>>247 「歴史秘話ヒストリア」2012/09/05 第119回放送
■「のんびり犬と暮らしたい 〜上野のシンボル西郷さん 西南戦争への道〜 」
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/136.html ----
●エピソード1 西郷さんって何で犬を連れているの? 幕末ヒーローのつらい日々
西郷さんといえば、上野の銅像。その傍らには、相棒の犬がいます。
どうして西郷さんは、犬を愛したのでしょうか?そして近年見つかった史料から
浮かび上がる、知られざる愛犬生活とは?
明治維新のヒーロー西郷さんと犬たちの不思議な絆に迫ります。
●エピソード2 もう1人の相棒は弟! 西郷兄弟 明治の世を開く
幕末から明治、西郷さんの傍らにはひとりの相棒が付き従っていました。
実の弟、信吾こと西郷従道です。その従道たちが起こした大騒動に巻き込まれ、
西郷さんは思わぬ事に…。
西郷さんが時に叱り、時に頼りにした相棒・従道。幕末を動かした西郷兄弟の物語。
●エピソード3 ラストサムライ・西郷さん 愛する者たちとの別れ
明治の世。西郷さんは、近代化の中で行き場をなくしたサムライたちに
担ぎ上げられてしまいます。史上最大の国内戦、西南戦争―。
引き裂かれた兄弟の絆、そして戦場で西郷さんが愛犬に見せた優しさとは?
ラストサムライ西郷さんの壮絶な戦いに迫ります。
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>>241 坂本が西郷を評して「一見するとアホそうにみえる」って言ったとか
俺も、アホそうに見えるって友達によく言われる
ほんとにアホだったからね。
もう、ここらでよか
ただのデブ
>>244 総大将のTERUは大阪にいるので関ヶ原の戦況には関係ない
吉川広家のせいで動けなかったのは長曽我部
島津が動かなかったのは主に三成に原因があるんじゃないか
んな遡らんでも吉川と西郷といえば第一次長州征伐の交渉してんじゃん
このおかげで長州は家老三人の首とひきかえに助かっている
明治6年の政変って結局よく分からないな
西郷ら留守政府が中央集権の方向性に反対だったならともかくむしろ実地者で
朝鮮にも送ればよかった
戦争になっても朝鮮なぞ数千の兵で余裕で開国させれた
その後の台湾出兵、朝鮮武力開国、佐賀の乱、西南戦争と割に合わない
やはり外交組と留守組との確執なのかな
>>255-256 「征韓論」云々は口実であって、
実際は外交組と留守組との主導権争いに過ぎなかったようですね。
朝鮮の利権についてはもともと長州人がこだわる部分
薩摩のこだわりは台湾にあり、大久保は台湾へは迷わず出兵した
ただのデブ
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/13(日) 20:31:01.18 ID:cqFrqQ3a0
江澤民と朱容基のようなもの。
江澤民=西郷隆盛
朱容基=大久保利通
「八重の桜」で吉川だと見た目が全然違うし
合うのかって疑問だったが、なかなかよかった。
262 :
諸橋 嘉久:2013/01/14(月) 12:38:25.12 ID:TMbuonl30
西郷吉之助は178cmの長身のスラリとした体躯の島津家の御庭方だった。
二度目の遠島でデブに成り、フィラリアで睾丸が肥大した。
西郷吉之助が怒りっぽい男に豹変したのは、二度目の遠島でだ。
牛鍋を突きながら議論で激昂する西郷吉之助を京で、楢山佐渡が目撃して居る。
西郷さんは清廉高潔無私至誠の人。
敬天愛人を実践した一生だった
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 16:44:19.01 ID:9XSkuolU0
フルベッキ写真にいるだろ!大室寅吉も!填められたのはこの写真の秘密を
維新三傑の一人
他県の奴らが何言おうが鹿児島の英雄
>>265 ちなみに、二回目の遠島(沖永良部島)から帰ってきたときには酷い肥満体で、
死ぬまで体型は戻りませんでしたのであれは絶対別人です。
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 21:42:02.75 ID:qPLYvyLL0
>>267 > ちなみに、二回目の遠島(沖永良部島)から帰ってきたときには酷い肥満体で、
肥満したのは、帰ってきた後ではないの?
違います。
二回目の遠島時は、最初は吹きさらしの牢獄で見るも無残な有様でしたが、
子飼いの部下が藩役人としてやってくると扱いは一変、屋敷に座敷牢を作り外に出られない代わりに美食三昧。
ゲージ飼育状態ですよ。
そのため、京都での外交のため必要という声を島津久光が聞き入れざるを得なくなり、西郷従道が迎えに行ったら
見るも無残な肥満体になっていて仰天したという記述が残っています。
鹿児島市に帰ってきたときには歩くこともままならず、台車に座って島津斉彬公の墓所に日参していたそうです。
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 18:30:05.57 ID:GoFuFaR9O
日本の英雄。西郷ファンは多い
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 23:20:02.88 ID:HnesjZP00
幕末、明治の人って何故か親戚に似せて肖像画書いたとかいう人が多いな
モンタージュとかいう方法は考えなかったんだろうか
西郷にしても、斎藤一や沖田総司にしてもマトモな肖像画が存在しないのが理解できん。
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/30(水) 14:48:31.52 ID:ugxZje3z0
西郷さんの上野の銅像の除幕式で奥さんが「うちのこげんひとじゃなか」と言ったそうだ。
寝巻で犬連れて歩くような無様なかっこうで出歩くことはしない男で、いつも
羽織はかまか軍服で出歩いたそうだ。服装にこだわる男だった。乃木大将もしかり。
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/31(木) 18:26:40.67 ID:TLTP+GkM0
西郷こそ本物の革命家。
日本人の記憶に永久に残る一人であろう。
美化されすぎ
西郷さんは清廉高潔無私仁慈至誠の人。
>>272 あれ狩猟に出たときの姿を模したものなんだが、
西郷隆盛は狩猟のときも羽織袴か軍服で行ってたのか
新事実だなw
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 08:32:29.37 ID:jsFRAD9a0
フルベッキ写真の中に写ってますよ。この写真は本物です。
江原さんみたいな雰囲気だったと予想
桐野が美輪さんのポジションだね
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 18:51:34.66 ID:Vh+4PKjB0
>>276 狩猟に行く時は狩猟の服装でいったんではないか。徳川慶喜も狩猟服の写真
が残っている。あんな無様なかっこうでは出歩かなかったってバーさんが言いたかった
んだろう。
マジレスなんだが教えてくれ♪
西郷隆盛が大西郷国士無双と呼ばれる由縁が分からないからいくつか読んだのだがよくわからない。
偉大な歴史人物として分かり易いのが織田信長。
桶狭間で頭角を表す→楽市楽座の設置→安土城を作る→諸々数多の政策をして偉いというのは分かるのだが
このように西郷を図系列で示した場合、西郷ってあまり何もない感じがする。
日本のチェ・ゲバラやカストロのような存在なのかな?
↑のように図系列で示すと、
斉彬に見出される→色々謀略活動をする→月照と心中未遂→明治維新達成→→→落ちぶれる
こんな感じか
簡単至極だよ。倒幕までの謀略すべて西郷の発案による。
他藩連中は尊皇攘夷を叫んで引っ掻き回しただけ。
西郷だけが大久保などの手駒を使って将棋のように布石を打ち
倒幕に繋がる活動をした。あと、戊辰戦争すべての戦略立案は西郷だけによる。
大村がやったのは戦術のみ。
実際、西郷1人だけで倒幕から戊辰、明治維新につながる大業を成し遂げたから凄い。
他の志士は追随して自分で活動した気分になっただけ。
獅子の時代のような大河ドラマが出来ないのも
豊臣秀吉を猿の基地外のように描くのも
朝鮮人史観に則った犬HKの売国勢力によるものだからな
283 :
諸橋 嘉久:2013/02/08(金) 17:32:41.04 ID:/LiNGjdS0
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/08(金) 17:47:55.49 ID:6JE+717p0
おまえら頭悪いな。明治クーデターは無国籍のグイドフルベッキが黒幕。だから歴史に出てこないのだよ。西郷らは小間使い。幕末に3千人の御雇い外国人が居たのをしらんのか?バカだな
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/08(金) 18:04:35.11 ID:FRpc1nlk0
西郷は明治に横浜の宣教師バラから洗礼を受けた(フルベッキ仲間)。お礼に豚二頭を差し出して、他言無きようお願いでゴワスと言った。記録が残っている。
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/08(金) 18:16:42.67 ID:PXHosuHi0
西郷さんの大河ドラマってNHKでやらないよなー?何故。
>>280 司馬遼太郎の影響で坂本龍馬がおり大久保利通、桂小五郎のような英雄ヒーローなどが幕末維新にはたくさんいましたが
結局、それらを走狗として無意識に動かしめたのは西郷隆盛ただ一人の手柄です。故に国士無双なのです。
西郷さんの人望好きという言葉がありますが、それでも西郷さんの魅力は10万人の兵士を動かす実力を持っていました。
江戸を焼き討ちせや!と叫んでいたのは桂などの長州藩士であって西郷さんではありません。
でも、勝西郷TOP会談で江戸無血入場が決まりましたし、それほど、西郷さんの威名は列島を覆っていました。
つまり、西郷さんの魅力とは日本全侍士族を、藩閥関係なく、全体体制にもってゆくことのできる根回し寝技魅力ですね。
歴史の偉大な人物はそれに伴う政策や戦術があり、歴史の教科書に載るくらいですが
西郷さんのそれは家康狸親父のそれと同じで寝技謀略なので教科書に載ることはありません。
そして、その叩けば大きく鳴る魅力による動員力です。
それが凄まじき西郷であり、西郷隆盛とはなんだったのか?となります。
坂本龍馬のエピソードを!龍馬は薩長同盟締結に奮迅した人物として知られていますが、
龍馬自身はトマス・グラバーのパシリであり、西郷さんのパシリだったのです。
薩長同盟の必要性を考えたのも西郷さんであり、龍馬は西郷さんの指示で動いただけに過ぎません。
第三者による斡旋と思わせる為にね。
>>285 Have You Sorce??
大西郷
Great Westbound Home
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/08(金) 21:47:19.88 ID:Ea7nXdAx0
フルベッキに洗脳された西郷(こころして読め)
西郷 バラ 豚 洗礼 でググってみ!
>>286 翔ぶが如く以来、20年はやってないね
それは反日思想に染まっている団塊の世代が社会の中枢に居座ってた時期とちょうど重なる
朝鮮半島に攻め込んだ豊臣秀吉を猿の基地外のように大河で描かれるようになった時期とちょうど重なる
団塊の世代が死滅すれば大丈夫だから、もう少し待ってて
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/09(土) 17:54:29.66 ID:8jSpBtDQ0
日本が経済的に膨張期にある時は西郷とか維新の英雄がマッチするだろうな。
努力すれば成功できると日本人に夢があった時代。
今みたいに10年以上デフレが続く異常な緊縮財政下では、新撰組とか会津とか
負け組に共感する風潮が強い。さらに東日本大震災の影響で拍車がかかったw
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/09(土) 20:25:53.96 ID:aJxTHcxS0
西郷隆盛と大久保利通はゲイカップルだったという説が有力。
294 :
280:2013/02/11(月) 02:08:42.18 ID:2NLicU4XO
>>287 ありがとうo(^-^)o
随分分かりやすい西郷像で面食らってビックリ♪感激♪秀樹♪です。
なるほど、何か魅力ある人物になってきました。質問して良かった。
でも、疑問が大久保利通はもっと有能だったでしょ
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/16(土) 01:26:58.46 ID:cTDU/nLI0
西郷に関しては、当時から英雄・豪傑として尊敬を集めていたようだからな。
そういう意味で本物だということは言える。
作られた英雄じゃないから、大河でも西郷を主人公にしたものは重量感が違うぞ。
ドラマにありがちな誇張が入ったとしても、西郷さんなら納得!って感じで説得力があるんだよな〜。
「翔ぶが如く」なんて安心して見れるもの。これが竜馬や新撰組が主人公だと嘘っぽくなるw
>薩長同盟の必要性を考えたのも西郷さんであり、龍馬は西郷さんの指示で動いただけに過ぎません
うそこくな
西郷は勝に言われて考えを変え、薩摩にいった坂本が実行した
西郷はアイデアはなく常に薩摩の偶像的顔としての役割でしかない
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/17(日) 23:07:26.84 ID:GsPSQqYo0
しかし西郷がいなければ薩摩はまとまらなかっただろうな。
まして倒幕など夢のまた夢だった。
所詮薩摩の西郷、
内戦起こして自滅したアホ
299 :
諸橋 嘉久:2013/02/18(月) 06:09:19.29 ID:hLSTEUud0
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/18(月) 08:07:13.00 ID:jfasfwnN0
西郷の顔を知りたい方は!書籍名
日本の夜明け フルベッキ博士と幕末の志士たち
に警視庁が断定した写真があります。
自費出版に近いから取り寄せだけど。
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/18(月) 18:34:36.80 ID:zpUtEgAR0
そりゃ世紀の発見だ。証拠見せてみろや嘘つき
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/18(月) 20:31:45.38 ID:pCQtPZBZ0
武士軍団vs新政府軍、旧幕府軍vs裏切者が実際の西南戦争。
それを西郷さんが結果流れに任せたのには、ラストサムライの最後みたいに新政府軍になびいた人たちも土下座して感銘したのは分かる。
新旧の一時代の幕引きを、仁義第一の大親分の西郷さんがセッティングしたんだから。
そういう意味では、なくては成らない人だったと思うなぁ。
実質新政府軍を動かした警視庁の川路さんもこの構図を理解して、「抜刀隊」という歌詞に西郷さんを称えている。
大久保さんも、親友の死を知って天を仰いで「なんで、そんなことを(しなくても)」と嘆いているし。
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/18(月) 22:03:15.44 ID:0fOPEwU40
南朝革命(大室寅之助)をバラサレないように横井、坂本、江藤、島、西郷等フルベッキ写真の連中を葬った。悪は弟の従道、上野西郷銅像を建ててフルベッキ写真を偽者とする。
>>296 嘘じゃない。文書として残ってる。ソースはない。
ソースは90年代だったか観た。その時歴史は動いたの前身か何かのNHK歴史番組内で
そういうナレーションが流れたんだよ。
俺が知ってるのは此処までで、龍馬は西郷のパシリ=結論
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/21(木) 06:46:30.41 ID:lpsyy0ez0
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/26(火) 15:25:15.29 ID:2vK6nTBdO
西郷隆盛を崇拝しているのは今ではせいぜい鹿児島県民ぐらいじゃないのかね
根拠のある誹謗中傷だけにしてくれないか
このスレの話題全部が妄想だと思われるじゃないか
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/27(水) 01:06:50.56 ID:qidIJ0ot0
>>306 崇拝というと行きすぎだが、西郷の人気は全国区だと思うが。
福島出身の同僚が実は西郷ファンで驚いたくらいだ。
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/27(水) 05:37:57.62 ID:/Lk7IXmr0
身内に裏切られ、ふざけた銅像を立てられた哀れな方。
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/06(水) 16:53:28.43 ID:VGu82slg0
敬天愛人シリーズ
《 西郷隆盛 その人となり》
明治10年9月24日、7か月あまり続いた西南の役は幕を閉じました。
被弾した西郷が「晋どん、もうここらでよか」と別府晋介に首を刎ねさせたとされる日です。
一般には、西郷は潔く自決した。薩摩士族を道連れに自らサムライの世に幕を引いた、
などと語られています。
しかしその数日前の西郷の行動についてはほとんど知られていません。
・・・なんとこの人、命乞いしてたんです。
政府軍側に使者を遣わし、西郷本人の助命嘆願をしている。
従軍をしぶる者をタタキ斬り、強制徴募や軍資金強奪を行ったあげく、
1万数千人にのぼる戦死者を出した総大将が命乞い、などというのは、
薩摩戦史上はもちろん日本戦史上も例を見ません。
しかも政府軍の山県有朋に助命を断られ、武士であるなら潔く自決するよう諭されるという情けなさでした。
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/08(金) 00:04:21.02 ID:szYyhquW0
チェスト
>>306 討幕時の策謀家としての面も、ここ近年の大河では取り上げられるようになったから
以前ほどではないと思うな。
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/08(金) 23:13:28.02 ID:5Kcp45Di0
>>306 福田和也、佐高信などの著書や
年配の人には龍馬などに比べて人気がまだあるようだ。」
龍馬って、ホストクラブの源氏名に多いので分かるように
チャラ男のイメージが強いんだよね、浮き雲男みたいなさ
婦女子には取っ付きやすいのもしれないが
ホストクラブに隆盛とか南洲、源吾みたいな源氏名が出てこないことを祈る
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/09(土) 13:23:49.11 ID:7ccb/ZIn0
西郷も従道もバラからバプテストを受けたクリスチャン。明治御一新はキリスト革命である。副島種臣は最初に明治天皇へ翻訳聖書を渡した男と宣教師が手紙をしたためた。
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/09(土) 23:52:20.24 ID:oDjf0hEu0
>>315 見え透いた浅薄な作り話はやめろ。アホらし。
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/10(日) 09:22:01.93 ID:FWKpb+0F0
西郷も勝も洗礼を受けている。テレビを消して読書しなさい。そして真実を知る努力をしろ!
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/10(日) 16:08:06.54 ID:I3MfDx3J0
>>314 そりゃ高利貸しで稼いだ富家のボンボンですから。
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/10(日) 18:37:06.83 ID:JVSBz9VJ0
>>317 それは、どこかのクリスチャンが最近になって言い出した、エビデンスの著しく
欠如する説だ。敬天愛人思想がキリスト教に近いという出発点から無理矢理
こじつけたものである。当然信頼性のあるエビデンスなど全く存在しない。
この様な一部のバイアスを有する人の手にかかった、
気をてらった説を全く疑問を持たず、盲目的に真実と思い込むお前の
脳みその信頼性を問いたい。
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/10(日) 18:52:08.38 ID:JVSBz9VJ0
西郷隆盛は All Made in JAPAN ってことだよ。
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/10(日) 19:22:50.77 ID:WYB+5YuO0
どのみちフルベッキ写真の西郷もエビデンスによると偽者と言う脳の信頼性が怪しいが。
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/10(日) 20:32:31.42 ID:JVSBz9VJ0
>>321 フルベッキの写真は識者の間では限りなく黒というのが常識だろ。
あの写真には説明不能な矛盾点が数限りなくある。
おまえ、陰謀説とか無条件に信じるタチだろ。
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/10(日) 21:12:10.76 ID:v3ZZve0K0
明治維新はフリーメーソンによる陰謀といった類の都市伝説とかなw
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/10(日) 21:24:59.15 ID:/9y2Zgg40
明治天皇が南朝が正統である。との発言をどの様に理解するのか?自らが北朝であるのに。
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/17(日) 10:53:14.48 ID:bKAqgfIe0
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/17(日) 11:21:09.02 ID:bKAqgfIe0
あとこれも
ttp://d.hatena.ne.jp/kanetaku/20040202 しかしながら、西郷の恩誼をこうむった人間であることを忘れなかったらしく、
これまた同じ鹿児島出身の床次正精(政治家床次竹二郎の父)が描いた西郷隆盛の肖像画(書影の絵がそれ)制作に協力する(「調製」という立場)。
この西郷像は、有名なキヨソーネの肖像画とは別に、西郷の記憶をもつ床次・房親二人が中心となって面影を忠実に再現し、
西郷従道・黒田清隆二人の観閲を経て成った。
上記のごとく山下房親によって「油絵写真」制作の過程が詳しく付されていることが本書を読むとわかるから、
やはり西郷さんはわたしたちが思い浮かべる「あの」風貌からそう離れていないことがわかるのである。
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/17(日) 17:38:00.26 ID:bKAqgfIe0
奄美関連
ttp://www.imura-nouen.jp/blog/?p=1541 西郷は、砂糖政策の改善を言及した書簡を松方正義に送っています。
まずは、原文です。
「本文に付き、後来人民の苦情を洗除いたし、島役吏の民の信用を得、
人民その業に安んじ、県庁の恩威並行候熟察いたし候処、今日に至り、
貢糖の名義存在いたし候廉もこれなく候に付き、上納米の儀、
年々の御定め直成りを以て代銀上納仰せ付けられ、砂糖の儀は勝手売買を差し免され、
島元にて売り払い候共、又は御当地大坂表迄積み出し候共、人民の望みに任せられ、
県下の人民と区別これなき様、公平のご処分にこれなく候ては、県庁の不体裁を極め候事に
立ち去り、人民に対すべきの面皮知らず候、」
口語訳は「本文に付き、今後島民の苦情を取り除き、島役人が島民の信頼を得て、
人民がその生業に安心して励み、さらに県庁の恩威も並行するよう熟考しましたところ、
現在の新政になってからは貢糖の名儀が存在すべき条理は無いので、
年貢米の上納については年々定めた代価で金納を仰せ付け、砂糖については自由売買を許し、
島で売りさばこうと、又は鹿児島や大阪まで積み出そうと、島民の望みに任せ、
県下の人民と区別なきよう、公平に取り扱わなければ、決して相すむことではないと考えます。
このまま放置していては、県庁の不体裁は極みとなり、島民に対しても面目が立たないものとなります。」
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/18(月) 14:44:17.67 ID:lhn/wjpO0
彼は新政府の中心となって悪化した日韓関係改善の為に日本側全権として韓国には行けなかった。
ここで政権中枢は岩倉、大久保、伊藤、山県に移り、西郷が下野した後江華島事件と日朝修好条規締結が起きた。
これは西郷には欧米帝国主義のやり方に見えたし、なにより彼の面子を潰した事になる。
その翌年に西郷は反乱を起こして自刃したが、政治的には遣韓中止時点で既に政府にはいらん子だった訳だ。
ただ遣韓が実現していても朝鮮側との交渉は難航し、かつてほどの影響はもてなかったかも知れない。
その場合、より対韓強硬派が政府中枢になり、西郷は過去の老人として戦死もせずに忘れられていくだろう。
329 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/19(火) 00:53:10.34 ID:Vg8QNfIq0
生前の西郷隆盛の人物評
市来四郎(西郷とともに島津斉彬の片腕として働く。集成館事業を遂行)
「 西郷は掛け軸などの書をよく描くだけで、学識は無く、文章をつくる能力も無かった。
性質は粗暴で理財にうとく、実務も執れなかった。
いつも年少者とばかり付き合い、同年代の人との付き合いは二、三人しかいなかった。
西郷本人に異論を言う者とは付き合わず、可愛がっていた年少者でも、
ひとたび西郷に敵視されると、憎悪を剥き出しに悪口を言われ、捨てられる者も多かった。
器量の大きい人とは言えず、相手が他県人か同県人かで、態度や言動が変わった。
議論をすることはなく、物事を進めるに腕力に頼る癖があり、
そういう意味で豪傑と言えなくもないが、君主の風采はまるで無かった。」
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/19(火) 13:01:39.91 ID:me7OIgKA0
敬天愛人シリーズ
《 西郷隆盛 その人となり》
明治10年9月24日、7か月あまり続いた西南の役は幕を閉じました。
被弾した西郷が「晋どん、もうここらでよか」と別府晋介に首を刎ねさせたとされる日です。
一般には、西郷は潔く自決した。薩摩士族を道連れに自らサムライの世に幕を引いた、
などと語られています。
しかしその数日前の西郷の行動についてはほとんど知られていません。
・・・なんとこの人、命乞いしてたんです。
政府軍側に使者を遣わし、西郷本人の助命嘆願をしている。
従軍をしぶる者をタタキ斬り、強制徴募や軍資金強奪を行ったあげく、
1万数千人にのぼる戦死者を出した総大将が命乞い、などというのは、
薩摩戦史上はもちろん日本戦史上も例を見ません。
しかも政府軍の山県有朋に助命を断られ、武士であるなら潔く自決するよう諭されるという情けなさでした。
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/19(火) 13:04:31.83 ID:me7OIgKA0
敬天愛人シリーズ
《 西郷隆盛の人となり 其の七 》
「子孫のために美田を買わず」で有名な西郷さん。
鹿児島武岡山麓に1100坪の大邸宅を買っていたことはすでに述べた。
それ以外にも東京日本橋の大名屋敷500坪。
一族の従道は東京目黒に14万坪。
従道とこれまた一族の大山巌が共同で栃木県に150万坪。
しめて西郷一族が買い漁った土地の広さなんと東京ドーム117個分。
しかもこれらは政府から格安で払い下げられていたそうです。
なんともうらやましい話しですね。
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/19(火) 13:20:56.50 ID:fbifdiiT0
お前、今度はここでシコシコ反日工作員していたわけねw
捏造、及び普遍性のない珍説をあっちでコピペ、こっちでコピペ、
御苦労さんだなw
GET REAL, YOU MGGOT !
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/22(金) 07:36:55.66 ID:6g1qamoT0
敬天愛人シリーズ
《西郷隆盛の人となり 其の五》
西郷さんが財政家の井上馨を「三井の番頭さん」と批判したことは有名ですね。
では清貧の義人西郷さんはどんな生活をしていたのでしょうか?
政府から西郷さんに支払われていた給料ですが、
月給千五百円、現在価値で月給2千万円です!
政府と喧嘩して鹿児島に帰ってからも、どんな特権か知りませんが
月給だけはしっかり鹿児島に送られていたそうです。
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/22(金) 09:56:33.50 ID:+OP2WrTG0
敬天愛人・・・なるほどねえ
いろんなとこに愛人いたもんな。
奄美ではアイカナちゃんだったかな
335 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/22(金) 13:08:45.94 ID:mSAdOaSi0
大久保利通は氏族出身ではあるが商才に長けた五代友厚と密接な関係があり、五代は政商として大阪で
頭角をあらわす。
清廉潔白で死後借金しか残さなかったと言われている大久保であるが、地券を担保にいれ、
五代から当時7千円という多額の政治資金を融通してもらっている。
別に大久保を否定しているわけでは無いが、一応参考までに、
336 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/22(金) 13:13:28.68 ID:mSAdOaSi0
いつでも反日、反薩摩暴徒たちの意見は超極少数派、珍説捏造 に命を燃やす
反日工作員。
こういう奴らは陰謀説とか無条件に信じる種類の物体。
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/22(金) 13:18:49.68 ID:mSAdOaSi0
維新の三桀や薩長顕官の中で大久保利通だけは白刃の下をくぐったり、
軍を統率した経験が無い。
宮廷の中などで権謀術数の政治闘争でのみ存在してきた。
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/22(金) 13:27:25.29 ID:mSAdOaSi0
西郷は清廉潔白、大久保は政商癒着。
反薩摩=反日 とかw
たまには県外出ろよw
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/22(金) 20:03:54.55 ID:mSAdOaSi0
実際、反薩摩は反日というのはおおむね当てはまるよな。
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/22(金) 20:05:45.28 ID:mSAdOaSi0
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/22(金) 20:30:36.29 ID:mSAdOaSi0
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/22(金) 22:25:13.06 ID:tPCm4xJE0
きわめて日本人的な性質を純粋培養したのが薩摩。
それが理解できない人は日本史を勉強しなおしたほうがいい。
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/22(金) 22:44:24.26 ID:dh92x9f0O
明治十年の西南戦争まで鹿児島県では太陽暦を拒否して太陰暦を使用していたって本当か?
鹿児島県は明治新政府の支配が及ばない独立国の様だったらしいが
太陽暦を断行したのは少なからず西郷どんだったはず。
何故西郷どんは太陽暦を鹿児島県で拒絶したのかわからない。
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/23(土) 01:45:51.07 ID:eyCUHUHY0
薩賊
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/23(土) 10:18:27.10 ID:uILsG7+C0
西郷隆盛は倒幕の軍事的リーダーだったが倒幕後の近代化革命に関しては無力でもう用済みの人材だったんだろうな。
廃藩置県は西郷の手柄
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/23(土) 23:46:36.49 ID:H9XG+Lki0
薩摩は廃藩置県すると見せかけて、その実は私学校党が藩庁にとってかわっただけ
349 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/24(日) 00:52:57.71 ID:fvMEXoCD0
【潔くない鹿児島男児列伝2】●西郷隆盛
安政の大獄では同志を裏切り殺害、偽名を使い逃げ延びた小心者。歴史上
最も現実とイメージがかけ離れた人物である。実際のこいつの最大の功績
は、小御所会議、廃藩置県クーデターでの暗躍、薩摩藩邸焼討の挑発に見
られる陰湿・非道な演出ぶりであり、およそ潔さとは程遠いもの。パーク
スに脅されて江戸総攻撃を中止したのとは裏腹に、朝鮮に対しては、挨拶
もないと難クセをつけ「強者になびき弱者をいたぶる」チンピラ体質を無
様にもさらけ出している
350 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/25(月) 23:56:23.68 ID:l3qAUrKf0
西郷隆盛・・・日本史上最も現実とイメージがかけ離れた人物である
■ 西郷隆盛 伝説一覧
伝説 : 「おいの体をあげもそ」と西南戦争を決起
史実 : 玉砕の数日前に自分だけ政府軍に助命嘆願 → 断られる
伝説 : 「晋ドン、もうここらでよか」と潔く自決
史実 : 玉砕当日城山から逃亡 → 桐野利秋に見つかり射殺された
伝説 : 西郷南洲翁遺訓 西郷の教え41条
史実 : 東北庄内人による創作
伝説 : 清貧、高潔、質素な食事
史実 : 政府からの月給が現在価値で2千万円 年俸2億4千万円
豚の霜降り肉の食べ過ぎで超肥満に
伝説 : 自宅は雨漏りするボロ屋
史実 : 千百坪の超大豪邸に暮らす。使用人20人、飼い犬20匹(食用か?)
伝説 : 「子孫の為に美田を買わず」西郷家家訓
史実 : 西郷一族で東京ドーム117個分の土地を買い漁った
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/25(月) 23:57:25.20 ID:l3qAUrKf0
伝説 : 「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く」坂本龍馬による西郷評
史実 : 勝海舟の創作
伝説 : 江戸総攻撃を中止させ江戸百万人を救う
史実 : そもそも総攻撃を主張していたのが西郷本人だった
外人のパークスに脅され断念
伝説 : 敬天愛人思想で道義を貫きとおした巨星
史実 : 浪士を雇い、江戸で放火、強姦、卑劣の限りを尽くし幕府を挑発
伝説 : 征韓論「この西郷が一人朝鮮に渡り、殺されれば出兵の大義がたちもうそう」
史実 : 勝手に行けばいいのに、口だけで終わる
伝説 : 大久保利通の西郷暗殺指令
史実 : 政府の密偵を凄惨な拷問にかけ自白強要させており、信憑性無し
伝説 : 奄美人を大切にした西郷さん
史実 : 子供を二人産ませた奄美の現地妻を捨て、
旧知の奄美人たちを西南の役に強制従軍 → 死亡
伝説 : 鹿児島の民百姓にも慕われた西郷どん
史実 : 西郷さんが死んだ日、百姓たちは木の上から見物、
全滅後西郷軍団の身ぐるみを剥ぎ、売る
小沢一郎と被る
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/26(火) 20:45:48.13 ID:XS/OtNDp0
小沢一郎は全力で西郷を尊敬してるらしい
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/26(火) 22:16:31.69 ID:1hAWAqAN0
迷惑な話ってなるのが笑える。
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/26(火) 22:54:53.91 ID:f71WdBP90
西郷どんが征韓論を主張したのは理由が有る。
「不平士族のガス抜き」が最大理由だが、実はこれも戦略だった。
西郷どんは「国民皆兵」論者であり、それには「士族が障害」に
成っている事を自覚していた。
そこで朝鮮出兵で不平士族を送り出して戦わせる事によって
「武人の本懐」を遂げさせて「沢山死なせる」事を目論んだ。
1.不平士族のガス抜き
2.不平士族を満足させて本懐を遂げさせ、国家として「名誉の戦死」をさせてあげる
3.士族を参戦させて多くを死傷させる事で、士族自体の数を減らす
4.士族が減れば「国民皆兵」への障害が軽減させる
5.戦争に勝てば新政府の求心力が向上する
6.あわよくば領土や賠償金を得られる
7.国家の国際的地位が向上する(列強に認められる)可能性が大
と考えた故に「征韓論」を唱えた西郷どんは時代の先駆者。
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/27(水) 09:58:52.34 ID:AJeuIXN00
おんなの話もよく聞くがな。
アイカナちゃんはどうなったんじゃろう。
>>356 豚姫とは相思相愛だったらしいが、どうなったのかな?
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/29(金) 00:48:21.23 ID:bYoskvdN0
ここで西郷さんの悪口をほざいているのは
奥羽劣藩同盟の子孫。
359 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/29(金) 02:03:56.80 ID:+8Rno5VT0
人を引きずり下ろすことばかり考えている負け犬の言うことはスルーで。
そういう奴に限って平等とか口にするんだな、これがw
なんてことない、強者や成功者への妬みを美化して内実は足を引っ張りたいだけの小心者。
いつの時代にもいる社会を停滞させるゴミのような連中ですよ。
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/29(金) 15:16:31.47 ID:7ds2q8qP0
↑
正論
361 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/29(金) 18:25:22.16 ID:a8zksTRp0
しかし大勢の若者を死地に赴かせておいて、自分はこっそり命乞いってどうなんだ?w
362 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/29(金) 22:48:53.39 ID:3vIfZfbX0
命乞いなんかしていない。
そのような悪意のある珍説は偉人にはつきものだからしょうがないが。
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/29(金) 23:09:54.35 ID:0m+ReWSB0
>>355 毛沢東が朝鮮戦争で国民党捕虜兵士を投入したのと同じアイデアだな。
364 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/30(土) 10:23:11.62 ID:gwpGZuMn0
>>355 フビライが南宋・高麗の兵隊処分のために日本遠征させたのも同じ理由だった。
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/30(土) 11:21:19.41 ID:cbN1rxuJ0
>>362 山野田と河野が助命嘆願に行ったのは史実だろ。
366 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/30(土) 18:23:44.36 ID:ZUbJXxxJ0
西郷はクズってのが現実
>>355とか完全に宗教だ
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/30(土) 21:24:41.44 ID:Y1g0Bs7v0
>>365 西郷さんは、山野田と河野は助命嘆願の使者だと知っていたのですか?
368 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/31(日) 00:12:10.18 ID:IMRNi7QS0
たしか翔ぶでは助命の話を提案されたとき、西郷は鼻で笑って黙殺したことになっている。
まあ、そんなもんだろうとは思うがわかりようがないだろ。
本人も幹部も全員戦死してるんだからな。
369 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/01(月) 15:36:06.51 ID:6a73rFOdi
wikipediaには西郷と桐野には秘していたようなことが書かれているがどうかな・・
その前に薩軍で降伏論が出て、西郷の助命を政府軍に申し入れるという動きがあったが、
桐野が激怒して反対するので桐野は相談から外された。
せういう経緯から考えて、西郷も桐野も使者の目的は分かっていたはずだ。
370 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/02(火) 02:18:17.72 ID:ywzaPH8UO
ブレブレだろこの人
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/02(火) 02:56:40.59 ID:GnY1G32F0
では、ブレない話をしてごらん
372 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/02(火) 04:26:56.15 ID:4qYhB4qN0
西郷どんは可哀想だな
明治維新の第一人者だったが故に
一部の者の調子に乗った行動でまさかこうなるとは歴史とは皮肉なものだ
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/02(火) 04:35:19.80 ID:4qYhB4qN0
しかも戦う相手が戊辰戦争で共に手の内を知り尽くした薩摩の将校
明治政府軍には数多い薩摩の猛将がたくさんいたために中村半次郎も死ぬ
これはちと残念だな
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/02(火) 09:29:33.34 ID:4PrKsR3i0
そうなのか?
薩摩士族は日本の将来を想い、自分で滅びたことになってなかったか?
8月18日・蛤御門・幕長戦・戊辰戦と、ずっと勝者の側にいたのは薩摩だけだからな。
勝ち続ければ夜郎自大になって、増長するのは仕方ないだろ。
大日本帝国軍が増長して破滅したのと同じ
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/03(水) 03:49:19.96 ID:P4runpzIO
時勢でコロコロ意見を変えて、味方だった人を困らせるのに長けてる人だな
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/03(水) 05:41:49.20 ID:xRUgkgJA0
時勢でコロコロ意見変えてるかな〜?むしろ正反対の気質だと思うが。
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/03(水) 19:04:19.91 ID:DlOmPJ/M0
そもそもこのおっさん、意見とか見識とか無いやん
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/03(水) 20:55:12.33 ID:xRUgkgJA0
一貫して反幕府という点では筋が通っていると思うが。
主義主張のない人間なら2度も島流しにされんがな。
380 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/04(木) 09:05:09.29 ID:x+HDMUci0
幕府と会津と一緒に長州叩いてるやん
西郷が西南戦争を起こしてきっちり負けなければいつまでたっても日本は内乱続きだったろうな。
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/04(木) 19:17:10.58 ID:kprhhKyG0
>>380 もともと薩摩は、幕府と長州間の私闘として中立の立場をとってたし。
でも長州兵が御所に乱入していよいよヤバくなったから、帝を守るために駆逐しただけだろ。
幕府や会津を守るためじゃないので勘違いしないで。
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/05(金) 12:34:42.93 ID:jDbnTaoU0
巌タンは、源ちゃんという補佐に巡り合えて本当に幸運だった。
>>382 元々薩摩は反長州だよ。蛤御門の変の当時の薩摩は、
公武合体という佐幕の立場から薩会同盟を結んで
勤王攘夷の長州を倒したんだよ。
385 :
382:2013/04/05(金) 14:29:22.85 ID:6h9IWb4C0
"薩摩"でひとくくりにすると語弊があるな。"西郷の指揮する薩摩"に置き換えてほしい。
薩会同盟を結んだとき、西郷は奄美に流されていて不在だった。
西郷が島流しされた原因も、九州諸藩や長州・土佐らの同士の暴発を抑えようとして単独行動を
とったことが島津久光の逆鱗に触れたわけだし。
西郷が復帰して京の薩軍司令官となった後は、まず会津と手を切ろうとしている。
そして薩会同盟に関わった藩士を国許に帰す更迭人事までしているのだ。
禁門の変はその半年後に起きている。
薩摩藩が西郷を戻すということは、幕府と対抗する意志を固めたことを意味する。
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/05(金) 19:46:41.71 ID:y+Pg1QSO0
西郷大久保は精忠組系だろう。
水戸、長州、土佐、浪士の尊皇攘夷派と通じてる党で。
長州藩も最初は公武合体で倒幕でない。
倒幕論は清川、真木の様な先進的尊皇攘夷派に出てるが藩としてでない。
雄藩が倒幕になるのは禁門で内戦になり、長州征伐で幕府が失敗し、四候会議で公武合体の限界が出た後。
387 :
382:2013/04/05(金) 23:25:47.35 ID:6h9IWb4C0
いろいろと出てくるが、言葉の定義を明らかにしないとな。
佐幕:徳川の復権を目指す。雄藩連合なんてとんでもない。長州つぶせ。
勤皇:政局を惑わしている奸臣を討つ。会津つぶせ。
公武合体:中道現実路線かに見えるが、慶喜により参与会議決裂。四侯会議も決裂。
やがて幕府と薩摩の共同政治も不可能に。
慶喜:薩摩などの尽力で将軍後見職に就く。しかし、欲が出たのか一会桑政権にて薩摩排除をもくろみ、
一会桑主導による幕政改革と独裁をもくろむ。薩摩を追い落とす方便として心にもない攘夷を約束し、
横浜鎖港を孝明天皇に確約するなど、薩摩はじめ旧一橋派の期待を切り捨てて徳川再興をもくろむ。
久光:なんとしても薩摩主導による幕政改革を。慶喜に面目を潰され、西郷大久保に権限を与え対慶喜工作を命じる。
幕府を盛り立てたいが、慶喜の裏切りを受けて興醒めしていく。
西郷:ほれ見たことか、天下の人望を集めた斉彬公と違い久光公はジゴロにごわす。
もはや公武合体でやっていけるヌルか時勢じゃなか。とりあえず人心の離れた薩摩を盛り返しもんそ。
まずは時勢を分析することに努め、政局に関わり過ぎないように。勝先生の高説でも聞きにいくか。
勝 :幕府なんて根元から腐りきってござんすよ。西郷さん、幕府なんて倒しておしまいよ。(できやないだろうけど)
慶応初年あたりだと、こげなところか。
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/06(土) 09:16:31.63 ID:4xt4eDIa0
↑
小説やドラマではそんな感じだよね
ほんとうに西郷はそうだったのか?というのがこのスレだと思うけど・・・
389 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/06(土) 16:00:08.95 ID:o4bjz9Em0
鹿児島にあった維新の頃の薩摩に関する史料は、西南戦争中に薩軍がほとんど焼却したらしいね。
まっこて残念でごわす。
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/07(日) 07:16:02.13 ID:deHMj6Vk0
>>387 ぶっちゃけ長州がその時点で憎んだのは会津より
勤王派と気脈通じてた薩摩だろう
よく言われる会津怨恨説で後に滅ぼしたはあまり正しくないだろう
慶喜も水戸出身のため佐幕派に支持されてなく人気とらないといけない
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/07(日) 08:56:53.23 ID:bCv3LwTR0
薩長は実は仲が悪い、禁門の恨みで長州は嫌ってた
大体土佐や他藩士が仲介役
長州で西郷褒めたのは山縣ぐらいで、政治代表の木戸は死の前くらいまで西郷は天下を狙う私心家野心家としてた
軍事代表の大村はいずれ西郷が反乱起こすだろうと見てた
アングロサクソンとか言いながら仲悪い米英みたいなもんw
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/08(月) 00:07:50.05 ID:fiKpk+4B0
木戸は女みたいにねちこい性格やから、伊藤などは大久保になついていたらしいな。
ぶっちゃけ薩摩は長州にどう思われようが気にしてなかったと思う。
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/15(月) 23:38:06.13 ID:0hb7u6QW0
教えて欲しいだけど西郷と大山綱良は維新前はどちらが立場が上だったの?
昔ネットで精忠組の首領は西郷ではなく大山だと見た記憶があるし、翔ぶが如く
でも大山が西郷をそれほど評価していなかった様な書き方だし
大山は西郷と大久保の先輩格でしょ
ただ西郷は
>>329の人物評からも分かるとおり、先輩を立てるよりも、
自分を立てる後輩を可愛がる性質なようだから、先輩の目には良く映っていなかったかもな
長州出で長生きした伊藤井上はとりわけ小松を信頼してて
井上公伝などでもそれがわかる
薩摩藩的には小松の早世が悔やまれる
実務家としても政治家としてももっともバランスが取れた人だった
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/16(火) 15:12:19.52 ID:TD/flGDT0
西郷は論理的な話しはできなかったろうな
現代人で云えば、やっぱり池田大作とかぶる
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/17(水) 16:36:38.86 ID:fm0tR+pE0
大山みたいな単細胞が薩摩を反乱に駆り立て、荒廃させた元凶だと思うな
西郷は大山らの仕出かした失態の後始末をさせられていた印象
むしろ、あの無骨なお国柄で大久保を輩出したことは鹿児島の奇跡だな
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/18(木) 00:05:58.18 ID:dLwVzRx50
西郷軍出兵に先立ち、鹿児島県令大山綱良が西郷隆盛に忠告した。
大山
「多くの兵隊を率いての上京は事が重大であり、
途中の安全を保つのは困難ではなかろうか 」
大西郷
「自分は陸軍大将である。たとえ全国の兵を率いても
陛下の許されるところであり心配無用 」(「新編西南戦史」)
桐野利秋は六尺ばかりの青竹を携え、
「徴兵(鎮台軍)を挫くにはこの竹にて事足れり、この竹のまだ折れざるうちに東京に達すべし! 」
(「鹿児島討征録」)
↓ 半年後
城山で、西郷は死ぬのが怖くて山中を逃げ回り、
桐野利秋に「西郷どんもうよかじゃろう 」
と言われて背後からピストルで撃たれて死亡 (「肚乃西郷」)
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/18(木) 03:06:22.68 ID:YL1Jbo+o0
大山あげ西郷さげ乙
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/21(日) 10:47:14.71 ID:8EhJYY0l0
西郷が神格化されたのは西南戦争で死んだ後のことで、
生前は薩摩士族だけの名士であり、世間一般の庶民はせいぜい陸軍大将として知るだけであった。
薩摩ですら百姓層は西郷を尊崇する気持ちなど無く、城山陥落の日も
百姓たちは木の上から見物しており、戦いが終わると、しかばねとなった薩摩将兵から身ぐるみを剥いだ。
それゆえ薩摩将兵の遺体はみな裸であったという。
頑張れ、工作員!
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/21(日) 17:36:37.36 ID:MQ0s+XVsO
明治維新の立役者でありながら、写真がない西郷さんの謎
西郷さんは自己顕示欲や権威欲が無かった人だから、写真とかは嫌いだった。
京都では山縣、木戸、大久保など芸者を呼んで明方まで料亭でどんちゃん騒ぎしていたが、西郷さんは愛犬を連れてたまに昼ご飯に一人でぶらっと出てきて、つつましく鰻だけ食べて、さっと帰って行っていたそうである。
このような姿を見て当時の女将は、西郷さんこそが本物のイキを知っている人だったと語っている。
西郷は下戸だったらしいからな
本人からしたら単純に酒を避けた生活をしてただけだろうに
周りの人間が勝手に粋だなんて持ち上げて
無意識のうちに虚像を作られてしまう西郷らしい話かも知れん
西郷なんかもう紙の歴史になって影響力なんかさしてないのに
こだわってるのは、琉球処分がどうした、薩摩の琉球侵略がどうした
朝鮮出兵をどうした、軍事国家大日本帝国をどうしたっていう
朝鮮人と沖縄人のイデオロギー活動家しかいないっつーの
今更、島津だ薩摩だ西郷だなんて奄美以南は即死亡ネタだろ自分から死に行く奴はいないよw
西郷が写真撮らせなかったのも、女遊びしなかったのも、
金玉が膨れる奇病だったからだな
敬天愛人
小沢一郎みたい
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/22(月) 07:07:27.61 ID:GlTlKaJXO
セゴドン
県知事と署長を掛け持ちしていた当時の志士を今の官僚と比べるのははっきりいってお門違い
沢村栄治と西崎幸広、手塚治虫と鳥山明、ビル・エバンスと三紫理ぐらいの差がある
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/25(木) 18:34:47.10 ID:vqpkbBc50
西郷隆盛とは
かつがれてドブに捨てられた男
そうだが、何か?
濡れ衣を 干そうともせず 子どもらが
為すがままに 果てし君かな
上野公園で浴衣着て犬連れてる人
薩摩の西郷であって日本の偉人って感じではないんだよな
維新後と死に方が悪かったか
やはり日本を代表する偉人だな
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/26(金) 07:22:01.53 ID:LR+MwrzY0
写真は回収されて封印。最近、官軍の秋田で写真が発見された。フルペッキ写真と同一人物で大礼服を着用。
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/26(金) 08:12:59.33 ID:yLa7W5g/0
薩摩武士って言い方にも違和感あるわ
あれ武士か?
在日なのに職業右翼やってる連中と同じ匂いがする
工作員が言うな
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/02(木) 04:04:37.29 ID:vgyHk1W10
西郷隆盛像は「別人」で「諏訪一族」
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0203/35/238.html 天皇一族・東京政府の鹿児島の「いたぶり」は生半可ではない。
天皇一族には「替え玉」を使う伝統がある。
だが、この替え玉は、死んだ後の銅像まで別人にして、
裏で永遠に笑い飛ばす。
西郷のモデルは、宮城県仙台の「石澤」という男だと言う話が出てきた。
「澤」は、「諏訪一族」の一派であり、
今でも、トヨタの現地社長、商工会議所会頭、県公安委員会会長
などを牛耳る男も「諏訪」だった。
東京政府は、特に東北の人間を使って鹿児島を虐待する。
鹿児島最大の百貨店「山形屋」も山形県の
人間が江戸時代に移住したと言われるが、会社の書籍にも何の説明もない。
東北弁の人間が江戸時代鹿児島で受け入れられ成功するはずは、
絶対にない。
ほかにも、鹿児島の上場企業に青森の同業種の資産家一族が入り込み、
経営をメチャクチャにした話もある。それでも氷山の一角だ。
天皇一族の腹黒さは筆舌に尽くせない。
(仮説を含む)
(
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0103/35/244.html )
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/02(木) 16:20:33.36 ID:vCcoDTPVO
(σ^∀^)σ ただのデブっちょでしょ。典型的なメタボおやじ
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/02(木) 19:29:53.35 ID:vHseD5ov0
鹿児島県民が↓
歴史は歴史。
列島民が一丸とならないかん文明史上最大の危機の時代。
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/02(木) 23:08:35.37 ID:A0oszXKo0
↑
鹿児島県民お得意の中身の無い「気概」とやら
普通に凄い偉人でしょ。
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/03(金) 00:45:09.74 ID:tu5qxjRCO
銅像
多くの人をひきつける器の大きな人
西郷隆盛・・・日本史上最も現実とイメージがかけ離れた人物である
■ 西郷隆盛 伝説一覧
伝説 : 「おいの体をあげもそ」と西南戦争を決起
史実 : 玉砕の数日前に自分だけ政府軍に助命嘆願 → 断られる
伝説 : 「晋ドン、もうここらでよか」と潔く自決
史実 : 玉砕当日城山から逃亡 → 桐野利秋に見つかり射殺された
伝説 : 西郷南洲翁遺訓 西郷の教え41条
史実 : 東北庄内人による創作
伝説 : 清貧、高潔、質素な食事
史実 : 政府からの月給が現在価値で2千万円 年俸2億4千万円
豚の霜降り肉の食べ過ぎで超肥満に
伝説 : 自宅は雨漏りするボロ屋
史実 : 千百坪の超大豪邸に暮らす。使用人20人、飼い犬20匹(食用か?)
伝説 : 「子孫の為に美田を買わず」西郷家家訓
史実 : 西郷一族で東京ドーム117個分の土地を買い漁った
伝説 : 江戸総攻撃を中止させ江戸百万人を救う
史実 : そもそも総攻撃を主張していたのが西郷本人だった
外人のパークスに脅され断念
伝説 : 征韓論「この西郷が一人朝鮮に渡り、殺されれば出兵の大義がたちもうそう」
史実 : 勝手に行けばいいのに、口だけで終わる
伝説 : 大久保利通の西郷暗殺指令
史実 : 政府の密偵を凄惨な拷問にかけ自白強要させており、信憑性無し
伝説 : 奄美人を大切にした西郷さん
史実 : 子供を二人産ませた奄美の現地妻を捨て、
旧知の奄美人たちを西南の役に強制従軍 → 死亡
伝説 : 鹿児島の民百姓にも慕われた西郷どん
史実 : 西郷さんが死んだ日、百姓たちは木の上から見物、
全滅後西郷軍団の身ぐるみを剥ぎ、売る
薩摩叩きをテコにして自虐史観を日本に植え付けようとする工作員さん、毎度お疲れさんです。
西郷さん、自己犠牲の人、
薩摩人として迷惑かけた藩と日本の方々申し訳ありませんでした。
琉球侵略戊辰戦争会津戦争西南戦争とか、まあ恨まれても仕方ない事あったしすいませんでした。
西郷さんは征韓論者という濡れ衣を着せられたが実際は遣韓論者だ。
征韓論者は大久保利通。
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/07(火) 13:09:03.13 ID:S+XkgEX10
明治のクズゲン勲子孫の正史に騙されているから。上野のキヨッソーネの銅像が物語る。
437 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 13:18:19.10 ID:A2+qvp/U0
《 西郷隆盛 その人となり 》
明治10年9月24日、7か月あまり続いた西南の役は幕を閉じました。
被弾した西郷が「晋どん、もうここらでよか」と別府晋介に首を刎ねさせたとされる日です。
一般には、西郷は潔く自決した。薩摩士族を道連れに自らサムライの世に幕を引いた、
などと美談のごとく語られています。
しかしその数日前の西郷の行動についてはほとんど知られていません。
・・・・なんとこの人、命乞いしてたんです。
政府軍側に使者を遣わし、西郷本人の助命嘆願をしている。
従軍をしぶる者をタタキ斬り、強制徴募や軍資金強奪を行ったあげく、
1万数千人にのぼる戦死者を出した総大将が命乞い、などというのは、
薩摩戦史上はもちろん日本戦史上も例を見ません。
しかも政府軍の山県有朋に助命を断られ、武士であるなら潔く自決するよう諭されるという情けなさでした。
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 13:19:01.90 ID:A2+qvp/U0
《 西郷隆盛は桐野利秋に射殺されていた 》
西南の役の最後の日、西郷は足を撃たれたあと自決したことになっているが、
その西郷の足を撃ったのは実は桐野利秋だったらしいな
西郷さん、玉砕することにどうにも納得いかなかったらしく、投降派の将兵を連れ山を降りようとした
しかし玉砕派の桐野がこれを発見、激怒して後ろから銃で処刑したというのが真相
目撃者の証言もある
鹿児島県人は西郷を祭り上げるためならどんな捏造をも厭わないが、
西郷に不都合な記録、証言はすべて黙殺だ
ネットが普及する前はそれでも通用してたんだから、歴史とか史観というものは本当にいい加減なものだな
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 13:25:04.22 ID:A2+qvp/U0
ちなみに広く信じられてる西郷の最後、「晋どん、晋どん、もうここらでよか」と言って
地面に正座し、東の皇居の方角に深々と頭を下げて切腹、
別府晋介に介錯させたという話し、ここの信者は出典知ってる?
どうせ知らないだろう
西南の役から30年以上たってから出版された「西南記傳」という本
編纂者と出版元はわけのわからない右翼団体w
まるで見てきたように書いているが、
西南の生き残りが書いたわけでもないし、誰それの証言であるなどのソースの提示は一切無しw
はっきり言って資料価値ゼロの与太本なんだよ。
だいたい極度の肥満なうえに、寄生虫で睾丸が人の頭ほどの大きさもあった西郷が「正座」できるわけありません。
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 13:27:44.98 ID:A2+qvp/U0
桐野による西郷射殺を目撃したのは、別府晋介の従卒城川市二
城川の証言によると、西郷がどんどん城山をくだってゆくために、
桐野は西郷が敵方に降伏するつもりかと思い、西郷を敵方に渡してなるものかと、
銃で撃った、というものだ
城川氏は鹿児島県人であり、反薩摩でも何でもなく、嘘をつく動機は皆無
前述の右翼団体の与太本よりよほど信憑性があるんだな
441 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 16:06:54.05 ID:OBX0B9VPO
新説ですね。
坂野潤治(ばんの じゅんじ)先生が『西郷隆盛と明治維新』を出版しましたよ。
内容(「BOOK」データベースより)
征韓論、西南戦争…。
「軍部独裁と侵略戦争の元祖」はつくられた虚像だった!
日本近代史の第一人者が近代国家に導いた人物の実像に迫る。
Amazon.co.jp: 西郷隆盛と明治維新 (講談社現代新書): 坂野 潤治: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4062882027/ 誰か読んだ人いる?
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 19:39:03.26 ID:A2+qvp/U0
>>441 新説でもなんでもないんですが、、西郷に関するネガティブな論説は鹿児島では黙殺されますね。
東京などでも西郷批判すると右翼の攻撃対象になりかねないので、
研究者もあまり触りたがらないんじゃないでしょうか。
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 19:39:43.04 ID:A2+qvp/U0
昭和52年に南日本新聞で村野守治氏(自称西郷研究の第一人者)が、
「別府晋介の従者に城川なる人物は、自分の持っている資料には無いから実在しない、
だから実在しない人物の証言は成り立たない」という記事が載り、桐野射殺説はいったん否定された
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 19:40:37.88 ID:A2+qvp/U0
ところが、その数日後に同じ南日本新聞で入江俊興氏が昭和十年発行の「葛城彦一伝」の中に
加治木編成の六番大隊編成表として別府晋介附従卒城川市二、同小杉恒右衛門との記述を示し、
あっさり実在の人物と証明されているんだわ
さらに城川市二氏の孫嫁が健在で
「御祖父さんは83歳で亡くなった。口数の少ないきびしい人で、西南のことはほとんど話さなかったが、
昭和三、四年ごろ東大の先生が二、三度春になると訪ねてきて、襖を閉めきり朝から遅くまで
何事か話しをしていた。
城川の家は製造業で、職人たちが噂話などをはずませていると、御祖父さんが現れて、
”今ン話しはおはんナ自分で見た話しか、人から聞いた話しか”と詰問されて、
”わが眼で見た話しでなかのなら、ここでは語いやんナ” とピシャリといって引っ込んだ 」と述懐している
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 20:04:01.55 ID:HqGRUw/S0
また、あきもせずこの珍説のおひろめか。w
くだらねw
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 22:26:33.78 ID:nEn8Bg7p0
珍説はどうでもいいけど
西郷隆盛の性格の2面性が怖い。
革命家になるしかなかったんだろうなと思う。
人の好き嫌いが激しかったとも言われてるな
西郷に嫌われたら大変だろうな
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/12(日) 06:52:13.53 ID:bPiMxiyz0
>>447 革命家志向とか正反対だ。晩年は特にひっそり暮らそうとしていた。
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/12(日) 12:17:52.72 ID:KgqBM9Ci0
西郷が革命家とかwww
よく言ってクーデター軍の一親方
倒幕に使われて、捨てられたおっさん
451 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/12(日) 13:09:37.21 ID:AndB0N3B0
>>450 明治維新が革命じゃないとかw
チョンはあっち行けよw
お前ら20世紀が始まっても土人生活だろ
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/12(日) 13:19:46.55 ID:KgqBM9Ci0
453 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/12(日) 13:24:04.73 ID:AndB0N3B0
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/12(日) 13:32:36.01 ID:KgqBM9Ci0
先祖はホモだったかもしれんが、れっきとした薩摩藩士だwww
明治維新は革命じゃないから維新(変革)なんだよ
革命だったら明治革命だ
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/12(日) 13:33:55.71 ID:AndB0N3B0
>>454 単なる言葉遊びだろw
英語ならレボリューションオブメイジだ
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/12(日) 13:37:10.70 ID:KgqBM9Ci0
アホwww
英語はThe Meiji Restoration だ
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/12(日) 14:03:41.44 ID:KgqBM9Ci0
レボリューションオブメイジwww
じわじわくるわw
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/12(日) 18:31:16.17 ID:yB+L0lZU0
西郷みたいな人は現代人には不思議な点が多すぎて誤解を受けるかもな
勝海舟なんかはしきりに西郷を大物だと言っていたが、当時と現代では価値観が違いすぎる
また、細かく日記をつけて後世に罵られないよう気をつけてた長州人タイプと、
事に臨んで言い訳一つしない薩摩人タイプでは、前者のほうが理解されやすいだろう
ちなみに勝の人物評によると、
西郷>大久保>>>木戸>>>>>>>>>>>伊藤・その他
勝は何だかんだ言って薩人贔屓なのです
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/12(日) 23:29:55.11 ID:KgqBM9Ci0
↑
レボリューションオブメイジの人がID変えて書いてるのかな?
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/12(日) 23:36:52.05 ID:yB+L0lZU0
いえ、ちがいます
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/12(日) 23:51:06.88 ID:KgqBM9Ci0
そうなんだろ?
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/12(日) 23:56:50.16 ID:yB+L0lZU0
別人だっつうのに・・・
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/13(月) 00:42:19.17 ID:twQpNbyCO
何と言う…。
山県有朋が西郷の首実検したって話、あれはどうなの?
それなりに信憑性あるの?
>>456 日本維新の会が英語だと「Japan Restoration Party」を名乗っていて
それ海外では「日本王政復古党」って思われるよと言われてた
単に海外では江戸時代にも天皇制が存在していたことがよく知られずにいたんで、
幕府倒壊→天皇制へって権力交代劇が「革命」って映っちゃった事なんじゃない?
実際には、数百年前に起こった「軍事クーデター」によって実権を奪われていた王族が、
王制派によって権力を奪還した、という形だからね。少なくとも国内的には。
海外ではそんな気の長い王権も王制派もまず存在し得ないし、そんな気の長いクーデター政権も
まず存在し得ないから、「革命」だって誤解されるのも無理はない。
英語でRestorationと言えば英国17世紀のチャールズ2世の王政復古のことだす
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/13(月) 11:19:36.30 ID:ObmIDD+y0
神武創業の昔まで戻れば徳川300年の歴史どころか武家政治も吹き飛んでしまう
創業時に戻るわけだから既存階級はぶち壊して新たに何でもできる
まあ考えたものだよね
王政復古を建前にしているけど、それ以後の変化を見るとあれは革命かと
倒幕自体は革命ではないな
政権が徳川家から薩長らに移っただけで
革命らしいコントラストは維新を通してあまり無かったと思うが、
しいて言えば、西南戦争で百姓階級の鎮台軍が、薩摩士族を討った瞬間が、階級がひっくり返ったまさに革命だったかも
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/13(月) 22:24:31.72 ID:ObmIDD+y0
なにも倒幕だけ明治維新の全てではないし、序章にすぎない
とくに廃藩置県は徳川では構想はあっても実行は難しかったであろう
薩長は倒幕の勢いで断行し、まったく抵抗にあわず上手くいきすぎて
インパクトが薄い向きすらあるが、実は封建体制を根底から突き崩した大革命
これなしに近代国家として生まれ変わるための計画は何も立てられなかった
西南戦争はじめ士族の反乱を明治政府が打ち破ったのは、
むしろ維新の完成と見るのがふさわしい
471 :
諸橋 嘉久:2013/05/13(月) 23:21:27.94 ID:oTMSAY4M0
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/13(月) 23:34:30.73 ID:ObmIDD+y0
またコピペか
封建制度の意味をわかってるのか、この人は…
明治維新は強力な中央集権化のための革命なのだが
473 :
諸橋 嘉久:2013/05/14(火) 05:40:54.71 ID:1fSR/W0r0
御用盗の頭目
で、山県が西郷の首実検やったって話、あれは史実なの?伝説なの?
476 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/19(日) 11:51:57.81 ID:+m5s/mD3O
西郷隆子
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/19(日) 16:59:31.73 ID:pWeFFt7J0
おやっとさぁ
八重の桜の西郷tってヤクザの親分みたいな感じだな
大久保が若頭で、黒い黒いw
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/22(水) 23:26:59.54 ID:ZNe8p/Tc0
そら薩摩兵児の親玉だからな
西郷はラストサムライと言われることもあるが、無理矢理言ってねえか?
ぜんぜん武士臭ないだろ
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/23(木) 21:42:23.62 ID:Y0eNkGyT0
侍らしく両刀を腰にぶら下げて生きられる時代が西南戦争で完全に終わったからだろ
その士族軍のトップが西郷なんだから無理やりでも何でもないのだが
士族として戦に出た最後の人という意味ならラストサムライだが、
侍の定義は字のごとく、さぶらう者、主君に仕える者なわけで、
西南時の西郷や鹿児島士族は誰にもさぶらってねえじゃん
そういう違和感を言ってるんだが
みんなは感じねえのか?
地方政治家とそれに従う地方軍閥の兵隊たちだろ
>>482 西郷を地方政治家とするなら、薩摩の主君に仕える者になる筈ですが。
485 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/24(金) 09:23:50.46 ID:ByDglvYN0
征韓論下野後の西郷は地方軍閥のボスに過ぎないわな。
いずれ討伐されるべき存在だった。板垣退助は土佐士族を
率いて土佐の支配者になれたのにそうしなかった。板垣の
ほうが人間が上。
486 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/25(土) 00:44:45.35 ID:VZPhDYcu0
というか、板垣に西郷ほどの人望がないだけだろw
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/25(土) 01:01:42.23 ID:Jaj3hjG10
西郷の人望っても威光が通じるのは鹿児島城下士限定だけどな
それも就職斡旋して恩着せるという、買った人望
488 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/25(土) 07:13:28.57 ID:OvGM1BPV0
>>486 薩人大久保利通が中央政府にいたが、板垣に拮抗する土人は中央政府に
いなかった。久光に相当する容堂もすでにいなかった。後藤象二郎がいたが、
土佐の帰郷軍人を掌握していたのは板垣だった。板垣がその気になれば高知県を
支配する可能性は充分あった。
上野公園の銅像にしても、西郷の死後21年たってからつくられた
というしねえ。たいした人望がなけりゃ死後二十年以上たってから
あんな銅像はつくられないだろうねw
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/25(土) 14:54:07.86 ID:VZPhDYcu0
>>488 板垣なんて「自由が死んでも板垣死せず」と揶揄された程度の男じゃん
戊辰でも征韓論でも西郷の金魚の糞みたいにくっついてた印象しかないが違うのか?
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/25(土) 22:58:19.69 ID:OvGM1BPV0
板垣退助は未来を開き、西郷は過去に殉じた。
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/26(日) 00:39:19.75 ID:PZh/WfTG0
最後は過去の遺物に殉じたけど維新三傑だよ
西郷が維新をやらなければ板垣も世に出てないだろ
比較対象としておかしいんだが
過去の遺物に殉じたって言うけど、
西郷は死ぬ気はさらさら無く、勝つ気まんまんで西南を挙兵したわけで、
それを「殉じた」とか言ってる時点で、キモ信者のたわ言だな。
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/26(日) 14:28:44.01 ID:LF0q2jMw0
西郷さんは謀反を起こす気などなかったけど、私学校の若いもんが
暴走しちゃって、彼らだけを死なせるに忍びず、一緒に死ぬために
起ち上がったんだよ。「俺の命をお前らにくれてやる」がその時の
西郷山のセリフ。英雄だなあ。豪傑だなあ。大人物だなあ。
495 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/26(日) 14:32:37.66 ID:LF0q2jMw0
西郷さんは死に場所を求めてたんだよ。朝鮮に行って死のうとして
阻まれて忸怩たる思いだった西郷さんにとって私学校党の暴発は
「やっとそのときが来たか」という感慨で受けとめられたんだろうね。
「ここらでよか」が最後の言葉だったのも象徴的だ。西郷さんらしい。
俺達も親に言わなきゃねwww
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/26(日) 23:52:47.64 ID:F3IP+NwKO
西郷は政府を問いただしに行くと言って立った訳だが、ただ問いただしに行って返り討ちに遭うだけなら部下数人を連れて行けば済むはずだが、完全に兵を武装動員して東上を目指してる以上、やはり死ぬつもりはなかったのだろうか
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/27(月) 00:02:41.59 ID:iJYtzDWs0
《 西郷隆盛 その人となり 》
明治10年9月24日、7か月あまり続いた西南の役は幕を閉じました。
被弾した西郷が「晋どん、もうここらでよか」と別府晋介に首を刎ねさせたとされる日です。
一般には、西郷は潔く自決した。薩摩士族を道連れに自らサムライの世に幕を引いた、
などと美談のごとく語られています。
しかしその数日前の西郷の行動についてはほとんど知られていません。
・・・・なんとこの人、命乞いしてたんです。
政府軍側に使者を遣わし、西郷本人の助命嘆願をしている。
従軍をしぶる者をタタキ斬り、強制徴募や軍資金強奪を行ったあげく、
1万数千人にのぼる戦死者を出した総大将が命乞い、などというのは、
薩摩戦史上はもちろん日本戦史上も例を見ません。
しかも政府軍の山県有朋に助命を断られ、武士であるなら潔く自決するよう諭されるという情けなさでした。
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/27(月) 00:04:14.08 ID:iJYtzDWs0
《 西郷隆盛は桐野利秋に射殺されていた 》
西南の役の最後の日、西郷は足を撃たれたあと自決したことになっているが、
その西郷の足を撃ったのは実は桐野利秋だったらしい
西郷さん、玉砕することにどうにも納得いかなかったらしく、投降派の将兵を連れ山を降りようとした
しかし玉砕派の桐野がこれを発見、激怒して後ろから銃で処刑したというのが真相
目撃者の証言もある
鹿児島県人は西郷を祭り上げるためならどんな捏造をも厭わないが、
西郷に不都合な記録、証言はすべて黙殺だ
ネットが普及する前はそれでも通用してたんだから、歴史とか史観というものは本当にいい加減なものだな
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/27(月) 00:05:58.50 ID:iJYtzDWs0
≪西郷自決は捏造だった ≫
ちなみに広く信じられてる西郷の最後、「晋どん、晋どん、もうここらでよか」と言って
地面に正座し、東の皇居の方角に深々と頭を下げて切腹、
別府晋介に介錯させたという話し、ここの信者は出典知ってる?
どうせ知らないだろう
西南の役から30年以上たってから出版された「西南記傳」という本
編纂者と出版元はわけのわからない右翼団体w
まるで見てきたように書いているが、
西南の生き残りが書いたわけでもないし、誰それの証言であるなどのソースの提示は一切無しw
はっきり言って資料価値ゼロの与太本なんだよ。
だいたい極度の肥満なうえに、寄生虫で睾丸が人の頭ほどの大きさもあった西郷が「正座」できるわけありません。
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/27(月) 00:12:22.57 ID:iJYtzDWs0
≪目撃者≫
桐野による西郷射殺を目撃したのは、別府晋介の従卒城川市二
城川の証言によると、西郷がどんどん城山をくだってゆくために、
桐野は西郷が敵方に降伏するつもりかと思い、西郷を敵方に渡してなるものかと、
銃で撃った、というものだ(出典「肚乃西郷」)
城川氏は鹿児島県人であり、反薩摩でも何でもなく、嘘をつく動機は皆無
前述の右翼団体の与太本よりよほど信憑性があるんだな
昭和52年に南日本新聞で村野守治氏(自称西郷研究の第一人者)が、
「別府晋介の従者に城川なる人物は、自分の持っている資料には無いから実在しない、
だから実在しない人物の証言は成り立たない」という記事が載り、桐野射殺説はいったん否定された
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/27(月) 00:15:12.77 ID:iJYtzDWs0
≪目撃者≫
ところが、その数日後に同じ南日本新聞で入江俊興氏が昭和十年発行の「葛城彦一伝」の中に
加治木編成の六番大隊編成表として別府晋介附従卒城川市二、同小杉恒右衛門との記述を示し、
あっさり実在の人物と証明されているんだわ
さらに城川市二氏の孫嫁が健在で
「御祖父さんは83歳で亡くなった。口数の少ないきびしい人で、西南のことはほとんど話さなかったが、
昭和三、四年ごろ東大の先生が二、三度春になると訪ねてきて、襖を閉めきり朝から遅くまで
何事か話しをしていた。
城川の家は製造業で、職人たちが噂話などをはずませていると、御祖父さんが現れて、
”今ン話しはおはんナ自分で見た話しか、人から聞いた話しか”と詰問されて、
”わが眼で見た話しでなかのなら、ここでは語いやんナ” とピシャリといって引っ込んだ 」と述懐している
西郷って、現代の精神鑑定を受けたら、異常者に分類されると思う。
何でや?www
生野の通り魔か?www
505 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/27(月) 11:13:51.96 ID:CqFrePoLO
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/27(月) 13:42:51.06 ID:v9bW+d/20
>>498-502 昔のスポーツ新聞レベルの信頼性の低いソースを元に後生大事に
何年もネットで披露している工作員の仕業です。
507 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/27(月) 13:55:19.51 ID:v9bW+d/20
西南戦争の後しばらくの間は西郷を擁護する様な事実、美談などは言論封鎖され、官軍により事実操作されていた。
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/27(月) 13:59:54.65 ID:v9bW+d/20
今でもそうだよな。
台湾征伐、江華島事件など明らかに大久保利通の方が征韓論者だが、
西郷の方が征韓論者となってるしな。
征韓論VS内治論という対立軸自体が、果たしてどこまで正確な理解なのかね。
実際には留守政府側対岩倉使節団側との間で行われた政治闘争だったって側面の方が
強いんじゃないかって気がしているが。
510 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/27(月) 20:21:23.71 ID:v9bW+d/20
要は土肥を退けたかったんだろ
共に維新を成し遂げた割には冷たいな
>511
>要は土肥を退けたかったんだろ
土肥というよりも、もっと端的には江藤新平だろうね。
肥前の江藤新平司法相の追求で、長州勢はガタガタにされてたから。
井上馨は尾去沢銅山事件で、山県有朋は山城屋和助事件で、共に失脚寸前。
その窮地を救うために、帰国した桂と伊藤(長州)が大久保(薩摩)を抱き込んで、
西郷(薩摩)・板垣(土佐)・江藤(肥前)の追い落としを図ろうとしたというのが
実態なんじゃないだろうか。
>共に維新を成し遂げた割には冷たいな
この頃は薩長土肥と言いつつも、お互いに権力闘争を行って相手方の勢力をそぎ、
自派の伸張を図っていたから、内部を見ればぜんぜん一枚岩でも何でもない。
なるほど。所詮は私利私欲の新政府か。
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/28(火) 08:47:57.05 ID:Dan0f6RR0
>>512 大久保も江藤に何か弱みを握られていたのですか?
>514
大久保は特に弱みと言えるほどのモノは持ってなかったけど、外遊から帰ってきた岩倉使節団は
一番重要な欧米列強との間での「条約改正」という出発時に立てていた大目的を達成出来ずに
単に諸国歴訪してきただけの結果に終わったんで、政治的にはかなりの失敗をしたと見られてた。
もちろん、それで欧米と自国との間の圧倒的な差を思い知らされた結果、国家制度の整備や
科学力と軍事力の強化を図らなければならないという意識を持つようになった意義はあったけど、
幕末時に密航してロンドンに留学していた伊藤博文や井上馨にしてみりゃ百も承知の話だったし、
他にも留学してたり欧米の技術や制度を学んでいた人間は新政府内にはいっぱい居たからねぇ。
実際、明治維新の初期に行われた諸改革のウチ、この時期の留守政府によって行われた
学制の制定・徴兵令の施行・太陽暦の採用・司法制度の整備といった諸々の改革は
とりわけ大きな意味合いを持つものだし。
これらの施策を実際に動かしていった西郷・板垣・江藤といった面々の威信は相当に高まっていたし、
その間留守にしていた大久保と木戸に文句を言わせる余地も無かった。
ただ、こうした欧化政策を採った結果としてそれまでの旧習に馴染んでいた武士と庶民層の双方から
相当強い反発を政府は喰らっていて、西郷達はその不穏な情勢を鎮めるためにも対韓外交で派手に
成果をあげる事を目論んでその沈静化を図ろうとした。
それに対して、その辺の事情や国内の空気を知らずに待ったをかける必要が有ると思った大久保と、
その大久保を利用して敵対する江藤を追っ払おうとする木戸・伊藤らがお膳立てをしたのが
明治六年の政変の暗闘だったんじゃないかなと思ってる。
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/28(火) 13:14:25.96 ID:Dan0f6RR0
>>515 正当な良識派のご意見ありがとうございます。
517 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/28(火) 13:20:42.65 ID:Dan0f6RR0
>>515 外遊組は準備もずさん、根回しも無し、期間も長すぎ、で本気で条約改正を目指していたとは到底思えず、本当の目的はやはり国内の惨事から逃れるためとしか思えないのですが、いかがでしょうか。
>517
>本当の目的はやはり国内の惨事から逃れるためとしか思えないのですが、いかがでしょうか。
準備が杜撰だったのも根回しが足りなかったことも事実ですが、出発した時点での目的は
やはり条約改正を目指して居たろうと思います。
この辺は、幕末期にまともに外交というモノに直面してこなかった薩長勢力の外交オンチぶりが
モロに出てきてしまっていますね。
準備の段階では、まずは条約改正が可能かどうかの打診を行おうとして数人程度の調査委員の
派遣程度の案だったようですが、「条約改正が出来るんじゃないか?」という手応えを感じて
「オレにも一枚噛ませろ」と言い出す人間が増えていった結果として、あれよあれよという間に
あれだけの大規模な使節団になってしまったようです。
幕府側で対外交渉を取り仕切っていた岩瀬忠震や水野忠徳あたりの外交キャリアを重ねていた
連中だったら「一度締結した条約を改正することの難しさ」あたりは容易に理解出来たはずですが、
木戸にしても大久保にしても、ほんの数年前までは陪臣の身分でしたから欧米列強を向こうに回した
外交交渉は手に余るモノだったんでしょう。
実際、米国について早々に条約改正を持ちかけたら「あんたら、全権委任状すら持ってないじゃん」と
突っ込まれて、あわてて大久保と伊藤が日本にトンボ帰りして留守政府から全権委任状を貰って再度
渡米して使節団に合流したら、「委任状を持ってないって指摘しただけで、持ってきたら改正に応じる
なんていってないよ」肩すかしを食らうなんていうみっともないマネをしています。
岩倉使節団があれだけ長く欧米諸国を歴訪し続けたのも、一連の失策で「条約改正は無理」ってのが
身に染みて解って、「恥ずかしくって帰るに帰れん」みたいなところだったんじゃないでしょうか。
ただ、結果として、木戸・大久保ともに、列強の実力についてイマイチ理解が及んでいなかった
外交オンチぶりが矯正されて、その後の明治国家の設計について役に立つ知見を彼らが得ることに
繋がったところもあるので、まるっきりの失敗だったとは断じきることも出来ません。
人間、ホントに痛い目を見ないと学習するのは難しいですからね。
大きな失敗というのは、見方を変えれば大きな財産ともなり得ます。
その失敗を糧にしうるだけの度量があれば、ですが。
大久保も木戸も、その意味ではやはり当代一流の政治家だったとは思います。
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/28(火) 20:21:46.70 ID:7zPRbgFW0
平たく言えば、無能の西郷さんは留守番すらできなかったというわけだな
外遊にかかった費用は現在の価値で100億円だそうなw
>>518 >大きな失敗というのは、見方を変えれば大きな財産ともなり
>大久保も木戸も、その意味ではやはり当代一流の政治家だったとは思います。
周到な準備、努力をしないで起こした失敗を糧にして成長する人は3流ではないでしょうか。 今でもこの失態と欧米コンブレックスは尾を引いている原因となっていると思います。
523 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/29(水) 00:03:54.50 ID:/dS/iUK70
周到な準備、努力をしないで起こした西南戦争で1万余の前途ある若者の命を奪っておきながら、
自分は命乞いしていた西郷さんは何流ですか?
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/29(水) 18:32:32.89 ID:DZLCXsJG0
西郷さんは命乞いなんかして無いのが史実だ。
525 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/29(水) 18:36:01.64 ID:DZLCXsJG0
>>523 お前の話はあまりも史実から逸脱している。 まあ、工作員だから当然意識してやってる事だろうが。
実際、
>>523の言うように西郷が命乞いしたなんて事実はあったのか?
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/29(水) 20:08:39.61 ID:5zxnGLYQO
鹿児島県民は今でも国の為には命をいとわず、潔いのは西郷公の教えである
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/30(木) 22:55:53.74 ID:bd5Y6P+p0
敬天愛人シリーズ
≪西郷さんと奄美≫
西郷はかつて大島・徳之島・沖永良部島に流されたが、
薩摩へあてた手紙では道之島の人々のことを
「毛唐人」「エビス共」「ハブ性の人」などと書き散らしている。
そして島妻アイカナとの間にもうけた菊次郎・菊子を
薩摩で教育する際、奄美出身者ということを他言するなと厳しく禁じた。
島に残された母アイカナは非業の死をとげる。
529 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/30(木) 22:57:00.03 ID:bd5Y6P+p0
敬天愛人シリーズ
≪西郷さんと砂糖≫
西郷は1872(明治5)年の「大島商社」設立の際に、
商社ガ砂糖ヲ全国ニ売リヒロメテハ、必ズ大蔵省カラ利益ヲ占メラレルデアロウカラ、
ヨクヨク注意シテ、官ノ専売トミナサレナイヨウニシナケレバイケナイ。
という手紙を桂久武に出して、奄美の砂糖利益を旧藩時代そのままに、
鹿児島で独占しようとしている。
西郷は誰よりも奄美の悲惨な生活を見聞し、砂糖の自由販売こそ奄美の解放策と
分かっていたはずだ。しかも、明治政府の要職にある身分であった西郷が
「大蔵省に知れないようにやれ」とは何たる卑劣さだろうか。
530 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/30(木) 22:58:18.76 ID:bd5Y6P+p0
敬天愛人シリーズ
≪西郷さんと奄美の友人たち≫
大島商社を廃止して砂糖の「自由販売制」にして貰うように県庁に
嘆願しに来た大島の人々を、西南戦争に強制的に従軍させ、6人を戦死させた。
その嘆願団の中には、アイカナの実家の龍家の末弟や甥、西郷の釣り仲間や
相撲相手もおり、「西郷さんに取り成してもらおう」という西郷びいき
ばかりだった。
「従軍中は大島人として差別され、無念の歯がみをした」と西郷に絶望したという。
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/30(木) 23:00:01.56 ID:bd5Y6P+p0
532 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/31(金) 09:53:59.30 ID:rzUftlrB0
西郷さんは清廉高潔無私至誠の人、一身を公に捧げた憂国の士。
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/31(金) 13:39:11.13 ID:GAvvk65y0
西郷が勝っていたら今頃日本はアジアの最大の覇権国家となっていたはずだ。
現在の西洋の奴隷国家日本とは異なっていたであろう。
534 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/31(金) 14:51:50.42 ID:rzUftlrB0
西郷さんが目指したのは覇権国家ではなくて道義国家。
西郷さんは西洋の物質文明と侵略主義に対抗して東洋の
精神文明の優位を実践しようとして倒れた。
535 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/31(金) 18:50:50.75 ID:10HGr78Y0
いいかげん、その道義の中身を提示してくれ。
中身なしでお題目を言うだけなら誰でもできる。
その前に命乞いをした事実があったか確定が欲しい
それによって西郷の人となりの方向性が変わる
537 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/31(金) 20:26:49.28 ID:Mpx19LV60
「青柳家の秘密」を読め。西郷の写真を見る事ができる。秋田角舘
>>536 西郷の意思は粉砕のみであったが、幹部らの独断で西郷だけでも助けるため、河野主一郎と山野田を使者として政府軍の河村と交渉している。政府軍は西郷の降伏を促したが、西郷は拒否している。
西郷は決して助命嘆願などしていない。
因みに幹部であった河野主一郎は捕縛され生き残り、西南戦争の詳細な手記が残っている。
539 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/31(金) 23:40:22.03 ID:bfBQB15g0
追い詰められた薩軍幹部たちは、降伏するか玉砕するかで意見が割れた。
投降派は最悪西郷だけの助命ということも含めて降伏を主張したであろう。
当然西郷もこの話し合いの場に居たはずだ。
桐野利秋は玉砕を強硬に主張したため、話し合いから外された。
結局、法廷で薩軍の真意を主張するという名目で使者を出すことになったが、
この使者が本当は何をしに行くか、西郷も桐野も分かっていたはずだ。
540 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/31(金) 23:46:15.88 ID:bfBQB15g0
政府軍の川村は薩軍の降伏を勧めたのであって、西郷の投降をすすめたのではない。
薩軍全体の降伏は桐野ら玉砕派の反対で、それは無い。
政府軍の山県は、西郷の助命を断り、西郷に自決をすすめる手紙を出している。
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/01(土) 01:31:51.30 ID:ezOLuLBs0
>>539 >投降派は最悪西郷だけの助命ということも含めて降伏を主張したであろう。
当然西郷もこの話し合いの場に居たはずだ。
この使者が本当は何をしに行くか、西郷も桐野も分かっていたはずだ。
「〜であろう」「 〜はずだ」だらけw
おまえのこうあって欲しいという願望論は聞き飽きた。お前、根っからの文系バカだろ。エビデンスとかいっても分からないだろw
542 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/01(土) 02:12:41.53 ID:3Qcwc7QJ0
>>541 信者が主張する、西郷想いの部下たちが独断で助命嘆願をしたという話し自体が、ソースの無い願望論であり、
その話しがいかにいい加減で、どうとでもとれる話しであるかを示す説明を入れて何がおかしいんだ?
史実の確定した話しをして欲しいのなら、
薩軍が西郷の助命嘆願をしたのは動かしがたい事実である。
西郷がそれを知っていたか知らなかったかは証明できない。
が、政府軍の山県は、「薩軍」宛ではなく「西郷本人」宛に助命を断り、自決をすすめる手紙を書いている。
また、政府軍の川村は西郷に投降をすすめていない、よって西郷が投降を拒否した事実も無い。
543 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/01(土) 08:40:00.43 ID:k/F0kmWy0
西郷さんは誰からも慕われる人格者だったが、小才が利く俗物は
西郷さんを煙たがった。
西郷さんには小才すら無かったが、就職の世話という職権濫用の才だけはズバ抜けていた
世話になった者たちが西郷さんを人格者であったと讃えたのは事実である
545 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/01(土) 11:59:16.94 ID:k/F0kmWy0
小人物は己の無徳を省みずに西郷さんの人望に嫉妬し
遠ざけようとする。自分を基準にしてしか他人を
測れないから西郷さんの偉大さがわからない。
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/01(土) 12:00:25.50 ID:k/F0kmWy0
西郷さんの徳と人望で維新は成ったのだ。これが歴史の
真実。
547 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/01(土) 13:36:40.34 ID:ezOLuLBs0
そう、そう
嫉妬深い小者は見苦しい限りだ。
548 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/01(土) 13:43:24.11 ID:ezOLuLBs0
>>544 就職斡旋だけで命を預けてもいいくらいの偉人になれるわけないだろ。
人生経験が無さすぎる小人ならそう考えて仕方ないか。
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/01(土) 14:00:13.81 ID:SId+oPcp0
そしてみんなしんでしまった
550 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/01(土) 15:29:17.16 ID:8Qer+nfr0
信者はいつも涙目で、人望だの徳だの必死に訴えるが、
肝心のその中身がいったいどんものなのか説明したためしがない
551 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/01(土) 15:39:25.35 ID:8Qer+nfr0
中身の無い人間ゆえに、人望だの徳だの、なにやら中身がありそうだが実は何も言ってないに等しい言葉を好むのだろう
552 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/01(土) 15:50:29.82 ID:tkZQpjgJ0
しかし世の中には本当に人望のない人間もいるものだよ
単に世渡りがうまいだけで人の功を横取りして威張る人間は現代でも多いしね
とくに乱世はそういう奴らばかりで付き合ってて疲れるだろ?
その点、西郷の見かけはデブゆえに人から信頼される面はあると思う
木戸孝允、大村益次郎、大隈重信、天才レベルの人物たちだが、いずれも西郷をまったく信用してなかったのは有名
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/01(土) 19:16:18.31 ID:k/F0kmWy0
西郷は維新前と後では評価が入れ替わる
>>542 政府軍川村は西郷自身が下山する事を降伏の条件と山野田に伝えたが、最初からその様な考えはさらさら無い西郷は拒否している。
これが史実だ、
557 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/01(土) 21:21:13.82 ID:3Qcwc7QJ0
>>556 おまえの書いてることって、なにか意味あるの?
西郷の名誉を傷付けないよう、言葉を選び、
さも西郷は命を惜しむことなど一切無かったかのように表現を粉飾してるだけじゃん。
ちなみに
「西郷自身が下山する事を降伏の条件」
↑はじめて聞いたが、ソースは?
「最初からその様な考えはさらさら無い西郷」
↑これについてもソース頼む。
定説では、川村の降伏勧告(17時まで降伏しなければ総攻撃する)に対し、薩軍も西郷も返事は返していない
ということになっている。
というか議論されていたのは西郷助命嘆願は史実なのか、であったはず。
これは史実で、政府軍に断られた。
西郷は山縣から、潔く自決するよう手紙で言われた。これも史実。
558 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/01(土) 22:48:21.30 ID:tkZQpjgJ0
たしか山縣って山城屋の一件で西郷に命を救ってもらってたよな?
西郷もまさか山縣ごとき汚職まみれの変質者から忠告うけるとは片腹痛かっただろうな
その汚職まみれの山県が率いている徴兵された農民共に包囲されて手も足も出なくなったのが
西郷をはじめとした薩摩軍でしたがね。
みっともねー。
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/02(日) 00:20:00.46 ID:E7hQcHl90
汚職まみれの男がトップを張ってる軍隊が日本陸軍
陸軍の自浄能力のなさはここから始まっていた
西郷もあのとき処断しておけば良かったものを
西郷が山県を処断して陸軍から追い出してたら、征韓論政変で西郷が下野した際に
陸軍という組織そのものが瓦解してた可能性が高かったり。
組織を運営する能力が有るか否かと、汚職と縁がない清廉さを持っているかどうかとは、
必ずしも相関関係はないからね。
562 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/02(日) 00:47:14.90 ID:E7hQcHl90
>陸軍という組織そのものが瓦解してた可能性が高かったり。
それはない
山縣いなくても大山がいれば大丈夫
大山は将器ではあったが、組織の運営者としてはどうだろうか?
組織の運営には「この人にだったら付いていける!」という信頼を部下に持たせられる
人格的魅力のある人物が核にいることが重要だという側面もあるけど、
その一方で、人格的には評価されずとも実務を任せればピカイチみたいな人間がいて、
要所をおさえて組織としてのタガを締めている事も重要。
西郷に対する大久保(薩摩藩)、近藤勇に対する土方歳三(新撰組)、井深大に対する盛田昭夫(ソニー)など。
山県は性格・人格的には色々と問題がある人物ではあるが、組織の運営者としてはかなりの力量を
持っていたのは確かで、西郷が山縣を庇ったのはその点を理解していたからだろう。
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/02(日) 08:36:49.79 ID:KK4Uo/Qw0
>>557 山縣が勝手に自決を勧める手紙を書いたことが、なぜ西郷が命乞いしたとミスリードするんだ?
西郷はこの支離滅裂、恩知らずの山縣の手紙に「返答する必要なし」と部下に指示している。
565 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/02(日) 09:11:51.88 ID:6eCQbkp90
>>564 おまえ、山縣が西郷に出した手紙読んでないな。
読んでたら、支離滅裂とか恩知らずなんて言葉は絶対出てこない。
「山県が勝手に」
「返答する必要なしと部下に指示」
↑これらふくめて、前回分のソースもさっさと出してくれ。ミスリードくん。
薩軍の使者が西郷の命乞いしをした。
山縣は西郷宛に自決をすすめる手紙を出した。
これが史実だ。
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/02(日) 11:28:26.92 ID:x9T3WT+dO
西郷先生はすばらしい
西郷隆盛>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ヤマガタ
568 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/02(日) 13:19:04.69 ID:1Vh/quW80
キンタマがね
shaft too.
>>565 >「山県が勝手に」
「返答する必要なしと部下に指示」
↑これらふくめて、前回分のソースもさっさと出してくれ。ミスリードくん。
お前、知ら無いのか?
あまりにも有名な話だろ。 勉強しろよ。
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/03(月) 00:53:59.45 ID:wtFAD+xn0
薩摩がやったのはたんなる倒幕。クーデターな。政権奪取。
革命でもないし近代化でもない。そこまでやったのは長州とか佐賀とか旧幕臣。
近代やデモクラシーの意味が理解できずに浮いていく西郷軍団は鹿児島に帰り、夢よもう一度で再びクーデターを目指す。
それが西南戦争。
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/03(月) 01:02:07.62 ID:wtFAD+xn0
西郷や桐野は論功行賞で高い地位を得たものの近代陸軍の将としては能力的に甚だ疑問のある人たちである。
西南戦争の悲惨さは、なまじっか薩摩の徴兵制度がしっかり機能していたばかりに、
西郷や桐野レベルの将が3万という兵を従軍させることができてしまったことにある。
573 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/03(月) 01:22:29.32 ID:wtFAD+xn0
>>568 神様がすぐ分かるように「しるし」を付けたんだよ
コイツには気をつけろってね
574 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/03(月) 07:09:51.09 ID:mU30HLW30
西郷さんは維新革命の官僚主義的堕落に抗して
永続革命を試みて倒れた悲運の革命家。
トロツキーかロベスピエールか。
待ち合わせ場所
576 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/03(月) 12:27:20.33 ID:aEUhRQSNO
(*`д´)o" オイたぢは一天万乗の天子様の大御心に従い奉り朝敵幕賊を討伐したのでごわす
北 康利 さんの 『西郷隆盛 命もいらず 名もいらず』が発売されました。
だれか読んだ人いる?
北 康利『西郷隆盛 命もいらず 名もいらず』ワック (2013/5/28) 価格:¥1,890
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“力"で世界支配を企む欧米諸国に対し、西郷がつきつけた国家観とは──。
命も名も捨てて国難に立ち向かった「伝説の男」の生涯。
内容(「BOOK」データベースより)
西郷にとっての近代化は、先進技術を導入して国力をつけることではあったが、
決して欧米化ではなかった。彼は帝国主義の覇道を否定し、“徳”による王道で
国家運営をしようとした。それが“力”で世界を支配しようとする欧米諸国に
対してつきつけた、国家とはどうあるべきかという彼の答えだったのである。
578 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/03(月) 23:08:12.57 ID:wtFAD+xn0
命、伝説、覇道、徳、王道 ・・・
読まなくてもゴミだって分かるわw
>>578 ちなみに目次は以下の通りです。
目次
吾の源は菊池
生涯の主君・島津斉彬
黒船来航と将軍継嗣問題
島津斉彬の死と冬の錦江湾
奄美大島と愛加那
率兵上京と寺田屋事件
沖永良部島配流と敬天愛人
尊王攘夷の嵐と西郷赦免
勝海舟との出会い
倒幕を決定づけた薩長同盟
大政奉還と慶喜の壁
鳥羽・伏見から江戸無血開城へ
止まらぬ流血と吉二郎の死
廃藩置県断行
西郷留守内閣と明治六年の政変
ボウズヲシサツセヨ
第二の維新を夢見て
西郷星
晋どん、晋どん、もうここらでよか
西郷隆盛 命もいらず名もいらず : 北康利/著 - セブンネットショッピング
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1106292450/
581 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/04(火) 08:35:59.95 ID:z530/Q7g0
もうそろそろ国家とはどうあるべきなか、お題目ではなく中身のある
コトを言ってくれ。
>>580 さっそく地元の図書館に購入依頼を出してきました。
583 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/05(水) 01:30:39.35 ID:wOZZl3350
信者なら金出して買ってやれよw
584 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/05(水) 20:01:14.99 ID:ADJ6CV750
国家の根本を永久に見出せない国、日本
西郷や大久保が長生きていたら、もう少し骨太な国になっていたかもしれない
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/05(水) 20:06:08.69 ID:z10R8bDF0
西郷の亡霊は、別人だって。何故だろう?
586 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/05(水) 23:08:10.05 ID:LdzRHob10
>>584 伊藤も山県も井上もよくやったよ。後継者育成に失敗したんだな。
官僚と政党の両者をまとめて操縦する指導者が生まれなかった。
587 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/06(木) 00:48:49.96 ID:+YR7r/7O0
西郷軍出兵に先立ち、鹿児島県令大山綱良が西郷隆盛に忠告した
大山
「多くの兵隊を率いての上京は事が重大であり、
途中の安全を保つのは困難ではなかろうか 」
大西郷
「自分は陸軍大将である。たとえ全国の兵を率いても
陛下の許されるところであり心配無用 」(「新編西南戦史」)
桐野利秋は六尺ばかりの青竹を携え、
「徴兵(鎮台軍)を挫くにはこの竹にて事足れり、この竹のまだ折れざるうちに東京に達すべし! 」
(「鹿児島討征録」)
↓ 半年後
城山で、西郷は死ぬのが怖くて山中を逃げ回り、
桐野利秋に「西郷どんもうよかじゃろう 」
と言われて背後からピストルで撃たれ死亡 (「肚乃西郷」)
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/06(木) 07:10:45.09 ID:tpHDHbzw0
>>586 官僚や、職業軍人の育成と組織化には成功したけどね。
各組織の上に立つ人材は育成できなかったけど。
589 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/06(木) 07:32:43.99 ID:leQFs2ki0
>588
優れた工業製品を生み出す技術者は大量に育成出来たが、
それを使いこなして優れた経営を行う経営陣は育たなかった、
みたいな感じだな。
カルロス・ゴーンが経営を立て直す前の日産自動車のようだ。
最初の陸軍大将だからやっぱ凄いんじゃないの?
今の日本に必要なのは、西郷さんのような御方が上に立つこと
593 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/06(木) 18:59:05.88 ID:R2LbK6m60
青柳家の秘密 この本に西郷の顔写真が出ているのに、学者達は気付かないフリ。狂っている日本。
西郷さんたちが作り上げた日本という国家を数多の政治家が私利私欲のため、日本を切り売りしてきた結果が現在だ。 日本の中国化現象は深刻だ、
八重の桜が始まってから盛り上がってきたなw
まぁこの人いなかったら強い明治になってないわけで、
それで日清、日露戦争なんて元の幕府のままでは勝ててないだろ
弱っちーのに
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/06(木) 23:58:01.40 ID:VuANHDO+0
>>586 伊藤や山縣などは先輩の切り拓いた路線を継承しただけで、マイナーチェンジしかしていない
日本のあるべき姿を描いている途中に西郷と大久保を失った意味は大きい
この二人しか日本をどうするかを本気で考え、かつ実行できた人物はいなかった
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/07(金) 00:27:47.01 ID:iw3s5w500
うわあぁ、信者の美麗美句を並べただけの西郷礼賛を見ると、
なぜ日本が敗戦必至のバカげた戦争に突入したか、分かる気がする。
中身の無い理想論・精神論は人を誤らせ、国を誤らせる。
技術者・実務家を軽視し、西郷のごとき、人間関係で統率するリーダーを上位に置く集団は、
東京電力の原発事故対応を見れば分かるように危機対応能力がまるで無い。
西南戦争の西郷軍もまたしかり。
今の日本に必要なのは、西郷のごとき、人間関係だけで上に居座わろうとする無能や老害を一掃することであると思うのだが。
べつに煽りじゃないよ。
598 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/07(金) 00:52:53.94 ID:4/KAMOfP0
日本が馬鹿げた戦争に突入したのは理想論なんて上等なもんじゃない
ヒトラーの描く世界戦略という巨大な虚構に釣られた妄想の産物
西郷先生は日本国の誇りじゃ!
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/07(金) 07:25:30.40 ID:ZuIoSatF0
映画『ラストサムライ』
脚本を共同で執筆した監督は
アイヴァン・モリスの『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』の<第9章.西郷隆盛伝>に影響を受けたことを表明しており
「明治維新の実現に当初貢献しながらも、やがて新政府に反旗を翻した西郷隆盛の美しくも悲劇的な生涯が、我々の架空の物語の出発点となりました」と語っている。
601 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/07(金) 10:04:16.32 ID:YhvnUAyE0
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【乞食の国】
1871年1月9〜15日(明治三年十一月十九〜二十五日)まで鹿児島藩内に滞在していた、
駐日イギリス公使館書記官アダムスは、鹿児島藩を次のように報告している。
要点をまとめると
「実に全領地は膨大な軍事機構であり、その国は軍事費に応ずるために枯渇させられている」
で更に
「藩内には中央政府に対して多大の不満がある」
として、
「現在地方政庁における最も有力な人のうちの一人」
の主張を次のように紹介している。
「中央政府にはあまりに多くの混乱があり、あまりに多くの違った意見がある。
計画は朝令暮改である。朝廷における一部の貴族は、あまりに多大の勢力を持ちすぎている。
彼らは事務に慣れておらず、話を右から左に聞き流すだけの役立たずで税金を食いつぶすだけの、
泥棒である。もしこのような制度が存在を許されるなら、日本は乞食の国になる」
とした上で、
「政府がほんの僅かな金しか持たないで長距離の鉄道敷設を企てるべきではなく、
むしろ他の処置に専念すべきである」
とし、それは、
「不幸な人民の福祉の為に実施すべき他のもっと多くの施策」
であり、
「不幸な人民は、あまりに重税を課せられているので、食ってくべき何ものももたない」
という。これに対してアダムスは報告書の中で、
「軍事施設を保持するために、人民が地方政庁によって貧窮に陥れられている州に
住んでいる人としては奇妙な説」
と括弧つきの注釈を加え、この有力者が自身の支配する鹿児島藩が日本一の「乞食の国」であるのに、
日本が「乞食の国」になることを防ごうとしている事に、皮肉をついている。
石井孝 「明治維新と自由民権」 有隣堂
鹿児島銀行編 「鹿児島銀行百年史
そういえば西郷さんは、鉄道建設に猛反対したんだよな。
斉彬にしても外向きには開明派だが、内向きには領民の生活を一切顧みなかった暗君。
西郷も民権の概念ぐらい理解していたろうが、
維新後も薩摩の苛政を改めなかった。
そういう矛盾を薩摩人はどう考えていたのか。
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/07(金) 20:09:03.23 ID:1tDNlnJH0
君子は器ならず。小才が利く俗物は君子に使われるべき存在。上には
西郷さんのように胆力があり大局を見据える大人物が立っていなければ
ならない。大久保、木戸ではなくて西郷さんが失脚したのは日本の不幸。
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/07(金) 23:20:06.19 ID:kdfY5OU7O
(*`д´)o"敵が滅ぶる其れ迄は進めや進め諸共に
弾散る剣抜き連れて死する覚悟で進むべし!
606 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/07(金) 23:50:47.83 ID:4/KAMOfP0
しかしながら鹿児島の先見の明には驚く
ペリー来航時、あたふたしていた江戸の老中どもを尻目に、虎視眈々と島津は来るべき近代の波を虎視眈々と見つめていた
今や種子島は日本一宇宙に近い島として、虎視眈々と無尽蔵な宇宙資源を狙っている
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/08(土) 06:54:55.23 ID:+PHrF8pN0
大久保は権力欲のために、多年を生死を共にした盟友西郷を切り捨て、
郷里へ平然と兵を差し向けた冷徹漢。情誼に厚い西郷さんとは人間の
出来が格段下だ。
自爆したのに逆恨み、ウリはぜんぜん悪くない、みんな周りが悪いニタ゛ってか。
609 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/08(土) 10:19:41.74 ID:6aCagvPu0
西郷が神格化されたのは西南戦争で死んだ後のことで、
生前は薩摩士族だけの名士であり、世間一般の庶民はせいぜい陸軍大将として知るだけであった。
薩摩ですら百姓層は西郷を尊崇する気持ちなど無く、城山陥落の日も
百姓たちは木の上から見物しており、戦いが終わると、しかばねとなった薩摩将兵から身ぐるみを剥いだ。
それゆえ薩摩将兵の遺体はみな裸であったという。
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/08(土) 10:32:57.83 ID:b6ySB7lk0
青柳家の秘密 高橋左知 この本に110年間、開かずの土蔵から西郷の顔写真が出てきた。しかし学者達は黙りこむ。何故だろうか?
>>577 本なんて図書館で借りろよw
ネット予約出来るんやし
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/08(土) 17:44:22.69 ID:+PHrF8pN0
西郷さんは人格者だ!悪口言うな!!
>>611 そのとおりです!だから、
>>582で図書館に購入依頼を出してきたんですよ。
西郷隆盛 命もいらず 名もいらず|単行本|ワック
http://web-wac.co.jp/book/tankoubon/793 西郷にとって国家とは、近代化とは──
明治維新によって日本がめざしたのは、近代国家に生まれ変わり、欧米列強
に伍して国際社会における地位を得ることだった。しかし、西郷にとって近
代化とは、先進技術を導入して国力を高めることではあっても、決して欧米
化を意味するものではなかった。おのれを捨てて義と至誠の精神に生きた西
郷は、日本の伝統的な価値観を貫き、帝国主義的覇道を否定して、徳≠ノ
よる国家を建設しようとした。当時にあってすでに伝説的な存在であった西
郷という偉大な人物の生涯をたどり、現代の日本人が国難にいかに対処すべ
きかの指針を示す、北康利ひさびさの大型ノンフィクション!
せごどんが神格化されたのは日露戦争の風刺画に描かれてから
>>616 すでに西南戦争時代から錦絵が大量にあり大人気だったぞ。
タイムマシンで確認してきたか?
キンタマ肥大で風呂とか入ってたのだろえか
だれか家近教授の『西郷隆盛と幕末維新の政局 体調不良問題から見る薩長同盟と征韓論政変』って読んだことある人居ない?
この人、それまであんまりきちんとした考察の対象になっていなかった一会桑政権という考え方を提示したり、
慶喜の前半生・後半生を丁寧に追いかけたりと、むしろ幕府側よりの著作が多かった人だから、
西郷についてどんなことを書いているのか知りたい。
>>620 あいにく未読ですが、なんだか面白そうな本なので、
図書館に予約を入れておきました。
↓
Amazon.co.jp: 西郷隆盛と幕末維新の政局: 体調不良を視野に入れて (大阪経済大学日本経済史研究所研究叢書): 家近 良樹: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4623060063/ 価格: ¥ 5,250
内容(「BOOK」データベースより)
明治維新の最大の功労者、西郷隆盛の実像はいかなるものであったか。
本書では、従来注目されてこなかった西郷の体調不良に関心を払い、
征韓論政変が勃発するに至った背景を探る。
また西郷のストレス源をたどる過程で改めて浮かんだ幕末政治史最大の課題、
すなわち薩長両藩が武力倒幕を決意したのはいつの時点かについての解明にも
取り組み、最終的に薩長両藩対徳川勢力という対立の構図(薩長連合史観)の克服を目指す。
目次
第T部 西郷隆盛の体調不良とストレス源
第一章 西郷隆盛の体調不良と「明治六年政変」
第二章 西郷隆盛のストレス源
第U部 慶応期の中央政局と薩摩藩
第三章 薩長盟約と西郷隆盛
第四章 慶応二・三年の政治状況と薩摩藩
補章 「台湾出兵」方針の転換と長州派の反対運動
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
家近/良樹
1950年大分県生まれ。1973年同志社大学文学部卒業。
1982年同志社大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。
中央大学博士(文博乙第9号)。現在、大阪経済大学経済学部教授(幕末維新史)
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/09(日) 00:26:33.02 ID:rX6TlApE0
あなたがいれば〜 ああうつむかないで〜
歩いていける〜 この東京佐幕〜♪
西郷の迷走が体調不良に原因があったという説は、
司馬遼太郎も「跳ぶが如く」で書いていたけどな。
維新後、山で転んで頭ぶつけてから、偏狭なヒステリー体質になったとか。
ていうか、その前から江戸で放火レイプさせたり、江戸総攻撃を強行しようとしたり、
人格者でもなんでもなかったがな。
当時から「西郷さんの人望買い」などと言われている時点で、
西郷さんがまわりからどう思われていたか察せられるだろ。
625 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/09(日) 06:54:13.12 ID:d5dGNbXh0
西南戦争は反ブルジョア反官僚の第二革命。
>624
>維新後、山で転んで頭ぶつけてから、偏狭なヒステリー体質になったとか。
家近の本はそういう感じの話では無かったかと。
むしろ幕末期の薩摩藩内での権力闘争や維新後の政府内での角逐なんかで神経をすり減らした結果、
軽度の躁鬱症にかかってしまい、それが西郷の判断や行動を狂わせてしまったという趣旨だった。
倒幕までの薩摩藩は、何のかんの言いつつ久光が権力を握っていて西郷や大久保があれこれと策動しても
藩内でフリーハンドを持っているという状況ではなかった。
また、維新後も政府の権力基盤は脆弱で、いつ新政府という統治機構が崩壊するのか
綱渡りのような状態が長く続いていた。
それやこれやで普通の人間だったら精神的重圧で押しつぶされるようなプレッシャーに晒され続けた西郷が、
ある時点で「プチッ」っと切れちゃったみたいなもんじゃなかったのかって書いてる。
西郷の私信とかを丁寧に読み込んでいく中で、征韓論政変前後の文章が明らかに変調をきたしているという指摘は
なかなか面白かった。
それまで「私はかように思いますが、貴君はこの考えをどのように思いますか?」みたいに丁寧な文章を書くのを常としていたのが、
この時期には「あのバカがこんなこと言ってやがるwww」みたいな品のない表現が時々出てくるという変化を取り上げていて、
膨大に残されている史料をきちんと読む作業を積み重ねた学者ならではのモノだと感心させられた。
>>626 ほお、たんなる信者本ではなさそうなんで読んでみるか・・・
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/09(日) 15:29:38.08 ID:d5dGNbXh0
西郷誹謗者は自分の卑小さを反省しなさい。
629 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/09(日) 15:30:40.41 ID:d5dGNbXh0
木戸孝允と大村益次郎は西郷さんを嫌ってた。どちらも小人だ。
630 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/09(日) 15:32:38.59 ID:d5dGNbXh0
西郷さんに一目置いていたのは大久保利通、坂本龍馬、勝海舟、みんな大人物だ。
坂本が大人物??
632 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/10(月) 01:32:42.74 ID:feOYEvZY0
大久保は西郷からの手紙をつねに持ち歩いていて、
暗殺された時も懐にはその手紙があった
という美談も捏造だろう
633 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/10(月) 06:29:03.12 ID:XGM+8YDS0
ヨーロッパ被れのダンス連中に嫌気がさした。俺は一体何のために、天皇摩り替えまで、勝海舟と慶應元年に密談したのに、なんだったのかと。クズ共に政府を奪われた反動でした。
目標は鎖国政策の復活。
大隈重信も小人だから西郷と仲が悪かった。勝海舟、福沢諭吉、山岡鉄舟などは
幕臣なのに西郷さんの徳望に敬意を払った。大人は大人を知る
636 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/10(月) 12:10:14.65 ID:gNei6TBP0
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/10(月) 12:53:54.31 ID:wKeDQ6gXO
>631
坂本龍馬は大人物だろ!
龍馬伝見なかったのかオマエ!
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/10(月) 14:29:09.91 ID:QfrOaMoY0
幕臣と薩長は元々グルだけど?使いの坂本、中岡、横井、江藤、島、西郷、等々みなお払い箱でやんす。
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/10(月) 15:36:40.08 ID:lz6J4jIf0
西洋の物質文明を取り入れながら東洋の精神文明の価値を発揚しようとした
西郷さんはアジア解放の先駆者
海外渡航したことないから、世界観という視野に欠けてたのが惜しい
642 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/10(月) 19:24:39.28 ID:lz6J4jIf0
644 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/10(月) 22:49:12.98 ID:feOYEvZY0
日本史上、もっとも中身の無い人物ナンバーワン
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/10(月) 23:08:39.23 ID:Bsa3Ncpw0
陽明学って行動主体の学問だった気がするが
あれは突き詰めれば革命思想となる危険な学問だからな
大塩平八郎を見ればわかる
西郷にしろ大塩には少なからず影響を受けているはずだ
646 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/11(火) 05:43:44.50 ID:M6ZhK1hr0
三条実美が維新の先駆けは鷹見泉石と言っている。西郷もその流れ
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/11(火) 10:41:17.93 ID:L4NTfjJc0
井の中の蛙
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/11(火) 12:11:22.20 ID:Mln3K5gy0
西郷さんは人格者
Saigoh is cool !!!
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/12(水) 10:02:08.61 ID:PamjjUvz0
近代日本で国士や浪人と呼ばれた人は皆、西郷さん崇拝者。
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/12(水) 13:25:37.14 ID:PtAGQWRI0
欧米被れのアホ売国奴共にキレて立ち上がった西郷。英雄だな。
西郷を評価するまともな書き込みって見たことないな
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/12(水) 19:34:59.54 ID:PamjjUvz0
アジア解放の先駆者
655 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/12(水) 20:47:44.91 ID:3mOG6kY9O
幕末の政略と、下野してから西南戦争までの事績に差がありすぎて、評価が難しい人だね。
結果論として、人の上に立つ能力はあったけど、使う人の能力を見定める能力がなかったから、
幕末は上手くいったけど維新後は登用する人間を間違えて失敗した。
技術者としての能力は、戦争指揮官としても行政家としても有能でなかった、ぐらいしか導けない。
>>655 明日(6月13日)はNHK [BSプレミアム]で江戸城無血開城の番組がありますよ。
英雄たちの選択「勝海舟の秘策 江戸城無血開城への道」
2013年6月13日(木) 午後8:00〜午後9:00(60分)
http://www4.nhk.or.jp/P2647/ 詳細
勝海舟の巧みな交渉で、江戸を戦火から守り、旧幕府の危機を救ったとされる
江戸城無血開城。しかし勝には、直前まで西郷隆盛率いる新政府軍と徹底的に
戦う選択肢もあった! しかも、圧倒的な海軍力を誇る旧幕府軍が勝利してい
た可能性も! では、なぜ講和が実現した? テレビ初公開のびょうぶから見
えてきた勝の深い苦悩とは? さらに会津の悲劇との関わりは? 選択という
切り口で、英雄の心の中に迫る新機軸の歴史番組!
もともとが能力買われたというより、体格や目力みたいなルックスから来るカリスマ性で
持ち上げられていった人でしょ西郷は
西郷だけじゃなく薩摩の幹部はたいていルックスが良い
あきらかにルックス重視で選ばれている
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/13(木) 00:06:29.81 ID:941glPViO
・鹿児島県を中央政府の施政権が及ばない独立地域にした
・西南戦争で畏れ多くも一天万乗の天皇陛下の軍隊に弓を引いた
以上の事から見て、朝敵薩賊の頭目である西郷どんは天下の大逆賊
660 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/13(木) 15:12:54.63 ID:BDDbEaJE0
明治天皇は田布施っ子だぜ。西郷の方が上だろ。
662 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/13(木) 16:31:54.89 ID:7ZJzkpZH0
佐藤、岸総理(兄弟)出身地の山口県熊毛郡田布施町地下のお生まれで、南朝の子孫。京都明治天皇と交代されて東京明治天皇になられた方。奇兵隊出身なので刀の収集癖があった。相撲も強い。御所で女遊びしていた天皇とは格が違います。
明治天皇って2人いるん?
664 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/13(木) 18:47:36.14 ID:61US1LJ+0
西郷は田布施の明治天皇(大室寅之祐)を公にしたかっただけ。西郷家も南朝であるから長州の大室天皇で快諾した。しかし、伊藤や欧米に魂を売った連中に封印されてしまった。
病に倒れた木戸は、「西郷もういいではないか」と呼び掛けた。しかし、西南戦争で裏切り者の弟従道、大山等に殺されてしまった。であるから、明治末期に天皇が皇統は南朝が正当であると発言したが、後の祭であった。
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/13(木) 20:12:22.10 ID:ZZ89/qYt0
明治天皇って和歌を数多く詠まれ
そのどれもが心にくるものがある
特に京都を懐かしんだり、想いを馳せるものとか
西南戦争で力尽きた西郷に対して詠んだ歌もあるよね
他人を貶すことでしか、ご本尊の持ち上げができない信者。
669 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/15(土) 23:45:42.76 ID:kSVJl6Ka0
以下、テンプレ
Q : 西郷さんは鐘のように大きな人格だと聞きましたが。
A :
西郷のことをよく知る人で、重野安繹(しげの・やすつぐ 後に東大教授)がいます。
彼は西郷と同じ時期に奄美に遠島になっていた人です。
『重野博士史学論集』下巻(薩藩史研究会編、雄山閣、1939年)のなかに、
「西郷南洲逸話」というのがあります。
彼から見た是々非々の立場からの西郷評論ですね。
「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある。
大度量のある人物ではなかった。いわば偏狭である。
それで西南の役などが起こるのである。世間の人は大変度量広い人であったように思っているが、
それは浅はかな見方で、本当の西郷は敵を持つ性質で、とうとうこれが為に自分も倒れるに至った。」
重野も奄美で現地妻を娶り、二人の子供がいた。
放免になって鹿児島にもどった後、
当時の金で250円という大金をもって奄美に迎えにいった。
当時、「必ず迎えに来る」といった薩摩藩士で
迎えに来たためしはなかったので、
その女は、島の若者と再婚して妊娠中だった。
重野はしかたなく、持ってきた金を
全額、女に与えて帰っていったという。
この重野の誠実さに比べると
西郷の『敬天愛人』は、かなりいいかげんと見ていいだろう。
(西郷は、現地妻を捨てましたからね。)
670 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/15(土) 23:46:40.52 ID:kSVJl6Ka0
もう一人、西郷をよく知る人物の西郷評を紹介します。
市来四郎。西郷とともに島津斉彬の片腕として働き、集成館事業を遂行した人です。
「 西郷は掛け軸などの書をよく描くだけで、学識は無く、文章をつくる能力も無かった。
性質は粗暴で理財にうとく、実務も執れなかった。
いつも少年とばかり付き合い、同年代の人との付き合いは二、三人しかいなかった。
西郷に異論を言う者とは付き合わず、可愛がっていた少年でも、
ひとたび西郷に敵視されると、憎悪を剥き出しに悪口を言われ、捨てられる者も多かった。
器量の大きい人とは言えず、相手が他県人か同県人かで、態度や言動が変わった。
議論をすることはなく、物事を進めるに腕力に頼る癖があり、
そういう意味で豪傑と言えなくもないが、君主の風采はまるで無かった。」
671 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/16(日) 04:08:08.34 ID:FZj1kaAE0
市来ってたしか中山尚之介と同じく久光の腹心だろ
西郷に対して憎悪むきだしの連中の言うことだから尾ひれがついている
久光の腹心までが西郷に憎悪むきだし状態だったのか。
更にうけるのが重野も久光のお抱え歴史家w
しかも重野は公金をネコババして、島流しになった小物だ。政争で島流しになった西郷とは比較に値しない小粒だ。こいつ楠木正成も否定している、元祖、左翼、自虐歴史家だ。
重野の言うことはバイアスかかりまくりで、信用するに値しない。
ついでに
>>672 は
>>671の言ってることが理解出来てないようだが、久光は西郷を嫌いだったと言えば分かるかな?w
久光は、お抱え歴史家を持つほど西郷が嫌いだったのか。
西郷に厳しい態度をとった人物は、西郷に私的な悪意を持っていたからに違いない、
という御都合思考、どうにかならんか信者
上のテンプレ、西郷の武威や就職斡旋力が通じない人間の目には西郷がどう映っていたか、
という良いサンプルでは?
上記のテンプレが単に西郷を憎んでいた久光の息のかかった人物の西郷評である事実を示しているだけだろう。
テンプレというかコピペ、マルチポストというべきだな。w
重野は新政府に転出してるし、市来はもとから薩摩藩庁の官僚だろう
それが事実だ
西郷とは距離を置いていた人物というなら分かるが、
この人たちが久光の意趣を代理しているとは思えんが
むしろ距離を置いていたからこその客観的な西郷評だとは思いませんか
翔ぶが如くしか読んでないんだけど、大山綱良が謎。
戊辰までは剣の達人で西郷と同格ぐらいの立場だったのに、
西南戦争時は桐野等に顎で使われ、あげく斬首。
久光に見捨てられたのかもだけど、
ちょっと可哀想だ。
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/17(月) 07:11:33.74 ID:qIsfYmcJ0
西郷さんは度量が広く公平無私で誰からも慕われた人格者。
西郷を悪く言うのは卑小な人間。
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/17(月) 07:13:21.28 ID:qIsfYmcJ0
西郷さんのために命を惜しまない若者を幾万と育てた西郷さんは
大人物。大久保、木戸のために死ぬ者がいるか。
数万人の若者を犬死させる様な事態に陥るほど、大久保、木戸は愚かじゃないよ。
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/17(月) 08:05:04.89 ID:5OjT51AC0
西南では前途有為の人材を多数戦死させ、九州中で町を焼き払い、財産を奪い、西郷札とかいうニセ札で九州経済を滅茶苦茶にしたあげく、
西郷などは歩きもせず駕籠で鹿児島に帰り助命嘆願とは「敬天愛人」が聞いてあきれる。
殿様でもなんでもないはずの西郷を鹿児島に返すためにどれだけの兵士・民間人が犠牲になったか。
西郷がほんとうに徳のある情の人なら、田原坂で敗れたとき熊本城の前で自刃し、この戦いを終わらすべきだった。
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/17(月) 08:05:59.67 ID:5OjT51AC0
西郷軍はこの段階でも「勝ち戦」と称して、兵卒を募集する一方、
田原坂戦以後、戦列を離脱した者の所在を調べていた。
飯野士族のうち西郷の決起に呼応したのは370名だったが、離脱者も少なくなく、
離脱した者たちは身の危険を感じ、山中の社などに隠れ、家族と密かに連絡を取りあっていた。
飯野の戸長松形祐高は離脱者の身を案じ、蔭で離脱者の相談に乗っていた。
松形戸長は学問のある公徳者で、政府組織の戸長だったため、西郷軍から狙われていた。
二月に西郷が決起したとき、松形戸長が決起に参加する麓の士族に、
「この出陣は陛下に銃口を向けることになるので、遠慮してもらいたい」と言ったのが、
敗走してきた西郷軍の幹部に伝わり、松形戸長は政府軍に味方しているとされ捕えられた。
688 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/17(月) 08:07:56.21 ID:5OjT51AC0
8月29日の午後、松形戸長は吉松の川内川の河原に引き出され、18歳の少年兵に斬首された。
享年54だった。
西郷軍は松形戸長の遺体の横に札を立て、その下に竹のノコギリを置き、札に、
「この者は官に通じた敵である。ここを通る者は、このノコギリで一度づつ引いて通るべし。」
と記していた。
ちなみに松形祐高戸長は、松形祐堯元宮崎県知事の曽祖父で、
祐堯氏の自叙伝に処刑のことが詳しく記されている。
『真幸院の歴史探訪集』は、吉松の河原で西郷軍が松形戸長を処刑したときの、
西郷ら西郷軍幹部の様子を併記している。
西郷ら将校は、みな駕籠に乗り、華美な絹織物の桐野の服装が人目を引き、
従兵は二列縦隊で西郷に従い、全員が抜刀していた。
戦争では謀反者は厳罰というのは常識。
690 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/17(月) 13:23:18.29 ID:qIsfYmcJ0
西郷さんの敵の話は信用できん。西郷さんの偉大さを知ってる者の
話に耳を傾けよ。
>>686 ×西郷がほんとうに徳のある情の人なら、田原坂で敗れたとき熊本城の前で自刃し、この戦いを終わらすべきだった。
○西郷がほんとうに徳のある情の人なら私学校に担がれる前に切腹して乱を未然に防げ。
>>690 >西郷さんの偉大さを知ってる者の話に耳を傾けよ
ほとんどみな話しも書き残さず、あの世への道づれにされてしまいましたがな。
学徒出陣も特攻隊も東條英機だな。
特に特攻隊は反対する航空本部長の更迭までやって実現している。
先の大戦を引き起こした東北軍閥の中には戊辰戦争以来ひきずった
怨念みたいなものがあったのかもしれない。
軍師としてた伊地知先生が薩摩に帰らんかったから仕方ないごわす
>>691 西郷は徳のある人と同時に侍なんだよ、
ばけされたときゃ、むこていっとじゃ。
696 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/18(火) 00:52:55.12 ID:zUM3OH3M0
>>693 怨念なんかあるわけねえだろ
たんに無能だっただけだ
現場はけっこう優秀だがトップは無能というのは西郷軍→昭和陸軍→東京電力と遺伝して、
いまだに日本に暗い影を落としている
奇襲、奇策は一回まで。それが常套戦術になると相手も対策を考えて処置するから
有効性のないただの愚策になる。
698 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/18(火) 09:42:09.61 ID:vPY2NMee0
大久保が暗殺された時、大久保を慕う血気の若い衆がいきりたって騒乱状態に
なることはなかった。西郷暗殺計画だけであれだけの戦乱になった。やっぱり
西郷さんは大物。徳望の人。
チンピラまがいの小物ばかりが集まってたからすぐ騒ぎを起こしたんだろう。
大久保の周りのヒトで、そんな簡単に騒ぎを起こすアホはいなかったて事だろ。
>>691 西郷先生がそげなこつになったら半次郎さが絶対黙っとらんど
つけあげば食いもんそ。
703 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/18(火) 21:16:25.29 ID:vPY2NMee0
大久保は冷徹だ。西郷さんの暖かみや度量の広さがない。
大久保はヒゲの手入れに毎日一時間費やしていた。西洋コンプレックスの塊で情けない。
>>700 大久保に命を預けてもいいと言うやつは皆無だったのは間違いない。
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/18(火) 22:24:39.84 ID:zUM3OH3M0
信者女々しすぎるw
西南当時も、追い詰められた西郷や桐野が大久保の悪口で気を晴らしていた姿が眼に浮かぶw
707 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/19(水) 00:01:46.23 ID:qx7WFXiZ0
まるで見てきたような言い方だな
ファミコンのしすぎでごわす。
709 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/19(水) 07:31:05.33 ID:nwhyj3kn0
>>706 木戸に至っては伊藤、山県、井上らに勝手に行動されて、
まったく長州閥のボスの役割を果たしてない。やっぱり、
西郷さんは偉大だ。大久保に従ったかに見える薩摩人は
実は権力に従っただけの小物。気骨が有り情誼に厚い薩摩人なら
、西郷さんが国に帰るのに東京に残っておめおめ政府の禄を食めるはずがない。
>>698 島田一郎は大久保を暗殺したその足で即自首したんで、復讐に走る余地が無いw
. -―- . さすがl理の人、非情の独裁者大久保!!
/ ヽ
// ', おれたちにできない事を
| { _____ | 平然とやってのけるッ!
(⌒ヽ7´ ``ヒニ¨ヽ
ヽ、..二二二二二二二. -r‐''′ そこにシビれる!
/´ 〉'">、、,,.ィ二¨' {. ヽ _ _ あこがれるゥ!
`r、| ゙._(9,)Y´_(9_l′ ) ( , -'′ `¨¨´ ̄`ヽ、
{(,| `'''7、,. 、 ⌒ |/ニY { \
ヾ| ^'^ ′-、 ,ノr')リ ,ゝ、ー`――-'- ∠,_ ノ
| 「匸匸匚| '"|ィ'( (,ノ,r'゙へ. ̄ ̄,二ニ、゙}了
, ヘー‐- 、 l | /^''⌒| | | ,ゝ )、,>(_9,`!i!}i!ィ_9,) |人
-‐ノ .ヘー‐-ィ ヽ !‐}__,..ノ || /-‐ヽ| -イ,__,.>‐ ハ }
''"//ヽー、 ノヽ∧ `ー一'´ / |′ 丿! , -===- 、 }くー- ..._
//^\ ヾ-、 :| ハ  ̄ / ノ |. { {ハ. V'二'二ソ ノ| | `ヽ
,ノ ヽ,_ ヽノヽ_)ノ:l 'ーー<. / |. ヽヽヽ._ `二¨´ /ノ ノ
/ <^_,.イ `r‐'゙ :::ヽ \ `丶、 |、 \\'ー--‐''"//
\___,/| ! ::::::l、 \ \| \ \ヽ / ノ
西洋てパリコミューンなどを目の当たりにした大久保は反逆者は躊躇せず処刑することを学んだ。
盲目的に西洋的な方法が全て正しいと思っていたんだろうな。
凄えなこの飛躍しまくりの思考回路
ふつう盲目的と言ったら、異文化を見に行こうともせず田舎の郷中とか言う文化が最高と信じて疑わない薩摩人みたいな奴のことを言う
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/19(水) 14:57:09.83 ID:nwhyj3kn0
>>710 西郷さんが大久保の地位にいて暗殺されたら血気にはやる若い衆は警察に
押しかけて犯人引渡しを要求して騒乱になりかねなかっただろう。
西郷さんはそれほどに慕われてたんだ。徳望の人だ。
村田新八のような日本人としての芯を持っている大物は、留学しても西洋に魂を売ることなく、最後はちゃんと西郷について行った。
716 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/19(水) 20:24:57.52 ID:X5Z0k8pw0
若い衆とか、魂を売るとかバカだろこいつ
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/19(水) 21:48:27.22 ID:qx7WFXiZ0
西郷さんも西欧を見てくればよかったんだがな
ますます日本が好きになって帰ってくるタイプかもしれんが
先月NYに旅行してきたけど、やっぱ日本が一番いいわ
俺も数年間アメリカに住んでいたが、日本文化、日本人の精神性、モラルの高さ
を再確認出来た。バカなやつほど西洋にかぶれてた。
西郷さんの様な精神性、徳を自分で作り上げた人が西洋に行く必要などまったくなし。西郷にとってかえって有害。
異文化を経験して無いやつは無能と言ってるやつはバカ。
そこはフランスに渡米だろ
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/20(木) 11:14:57.84 ID:RZa47Mp70
西郷さんは壮士や書生を大勢抱える、近代日本の"大物"の先駆だな。
徳という言葉は道徳性という意味で主に使われているけど能力って意味もあるからな
鹿児島から一歩も出たことが無い信者が、アメリカに住んでただの、NYに旅行しただの
みんな呆れてスレが止まっちまったじゃねえか
725 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/21(金) 16:18:38.57 ID:j4NllYz/0
西郷さんは西洋の物質文明と東洋の精神文明を総合した道義国家を
打ち立てようとして志半ばに倒れた悲運の英雄。
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/21(金) 20:38:14.74 ID:ff2pFy7HO
今週その時歴史が動いたで、西郷さんが龍馬暗殺の黒幕かもとか言ってたね。
727 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/21(金) 21:00:46.77 ID:15M1N9VZ0
西郷せんせ〜い
■■■■
.. ■ .■.. ■■■■
.. ii .\,, .,,/.ii .■. ■ .. ■■■■■■
|_\ /_| ii. .\,,, ,,/..ii . .■ .■
〈 ___.||___ 〉 |_\ /_| ... ii . \,, ,,/ .ii
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\ Д /.. |. ●● |. 〈 ___ || ___.〉
f´ ,.} ,_\. Д / | ●● !..
,ム ィ´_}._.小. / .` `ヽ | . .. |r┬| . |
Y.ゝ‐´ |. ∨ーfト. __ . 、 廴}| ヽ.. | | | !
:| ヽ ゚ .ノ!゙1 /:| ト._リ ,。-"ヽ、.._.ニニ_ /~ヽ
.弋._ノ`{: | 弋リ f、 。 | / }
}、.ノ ! ` 、_ .ノ! | {_ .-、 f: メ.
{. リ '. :|'__ノ l / 三! . ノ|´ l
弋_) マ リ マ ア~  ̄ !、 '.
{ ー'| 〉r‐' l! マ 〉
}: { i | o ハ `´
{ ヘ | } 、 ノ !
 ̄ l `::ァγ´ :!
ゝ==イ `| ,'
'. /
ハ ,{
西洋の物質文明の輝きに目をくらまされず、その力の根源が国民の地力を一番引き出す体制の
ネイションステイツにあると看破した大久保はさすがだな。
最後、命乞いをして官軍に断られ、逃げるかと思われ桐野に足を撃たれた、またもしくは桐野により殺された。
という説は本当なの?
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/22(土) 11:33:16.58 ID:6sP6GlNP0
西郷さんが大東亜戦争を指揮したら日本の圧勝だったろうな。
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/22(土) 11:51:17.33 ID:K/cqP/Hd0
《 西郷隆盛 その人となり 》
明治10年9月24日、7か月あまり続いた西南の役は幕を閉じました。
被弾した西郷が「晋どん、もうここらでよか」と別府晋介に首を刎ねさせたとされる日です。
一般には、西郷は潔く自決した。薩摩士族を道連れに自らサムライの世に幕を引いた、
などと美談のごとく語られています。
しかしその数日前の西郷の行動についてはほとんど知られていません。
・・・・なんとこの人、命乞いしてたんです。
政府軍側に使者を遣わし、西郷本人の助命嘆願をしている。
従軍をしぶる者をタタキ斬り、強制徴募や軍資金強奪を行ったあげく、
1万数千人にのぼる戦死者を出した総大将が命乞い、などというのは、
薩摩戦史上はもちろん日本戦史上も例を見ません。
しかも政府軍の山県有朋に助命を断られ、武士であるなら潔く自決するよう諭されるという情けなさでした。
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/22(土) 11:52:25.76 ID:K/cqP/Hd0
《 西郷隆盛は桐野利秋に射殺されていた 》
西南の役の最後の日、西郷は足を撃たれたあと自決したことになっているが、
その西郷の足を撃ったのは実は桐野利秋だったらしい
西郷さん、玉砕することにどうにも納得いかなかったらしく、投降派の将兵を連れ山を降りようとした
しかし玉砕派の桐野がこれを発見、激怒して後ろから銃で処刑したというのが真相
目撃者の証言もある
鹿児島県人は西郷を祭り上げるためならどんな捏造をも厭わないが、
西郷に不都合な記録、証言はすべて黙殺だ
ネットが普及する前はそれでも通用してたんだから、歴史とか史観というものは本当にいい加減なものだな
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/22(土) 11:53:50.13 ID:K/cqP/Hd0
≪西郷自決は捏造だった ≫
ちなみに広く信じられてる西郷の最後、「晋どん、晋どん、もうここらでよか」と言って
地面に正座し、東の皇居の方角に深々と頭を下げて切腹、
別府晋介に介錯させたという話し、ここの信者は出典知ってる?
どうせ知らないだろう
西南の役から30年以上たってから出版された「西南記傳」という本
編纂者と出版元はわけのわからない右翼団体w
まるで見てきたように書いているが、
西南の生き残りが書いたわけでもないし、誰それの証言であるなどのソースの提示は一切無しw
はっきり言って資料価値ゼロの与太本なんだよ。
だいたい極度の肥満なうえに、寄生虫で睾丸が人の頭ほどの大きさもあった西郷が「正座」できるわけありません。
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/22(土) 11:55:27.54 ID:K/cqP/Hd0
≪目撃者≫
桐野による西郷射殺を目撃したのは、別府晋介の従卒城川市二
城川の証言によると、西郷がどんどん城山をくだってゆくために、
桐野は西郷が敵方に降伏するつもりかと思い、西郷を敵方に渡してなるものかと、
銃で撃った、というものだ(出典「肚乃西郷」)
城川氏は鹿児島県人であり、反薩摩でも何でもなく、嘘をつく動機は皆無
前述の右翼団体の与太本よりよほど信憑性があるんだな
昭和52年に南日本新聞で村野守治氏(自称西郷研究の第一人者)が、
「別府晋介の従者に城川なる人物は、自分の持っている資料には無いから実在しない、
だから実在しない人物の証言は成り立たない」という記事が載り、桐野射殺説はいったん否定された
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/22(土) 11:57:51.39 ID:K/cqP/Hd0
≪目撃者≫
ところが、その数日後に同じ南日本新聞で入江俊興氏が昭和十年発行の「葛城彦一伝」の中に
加治木編成の六番大隊編成表として別府晋介附従卒城川市二、同小杉恒右衛門との記述を示し、
あっさり実在の人物と証明されているんだわ
さらに城川市二氏の孫嫁が健在で
「御祖父さんは83歳で亡くなった。口数の少ないきびしい人で、西南のことはほとんど話さなかったが、
昭和三、四年ごろ東大の先生が二、三度春になると訪ねてきて、襖を閉めきり朝から遅くまで
何事か話しをしていた。
城川の家は製造業で、職人たちが噂話などをはずませていると、御祖父さんが現れて、
”今ン話しはおはんナ自分で見た話しか、人から聞いた話しか”と詰問されて、
”わが眼で見た話しでなかのなら、ここでは語いやんナ” とピシャリといって引っ込んだ 」と述懐している
使い古された薩摩叩きコピペばかり
>>728 農民が税金の上昇であえいでいる中、大久保利通は朝食に当時は貴重品のパン、スープ、ステーキなど食していた。
つまんねえ批判
べつにステーキぐらいいいじゃん
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/23(日) 06:04:23.98 ID:A7IdvZHF0
>>737 農民が負担したのは固定された地価に対する定率の金納地租。しかも西南戦争の
前に引き下げられた。松方デフレまでは名目的にはもちろん、実質的にも上昇し
なかった。
そして ID:LPR7uZUq0レベルの発想で、ホントに戦争引き起こしたのが同時の私学校生徒。
おっと小訂正
同時→当時
大久保は日本史で数少ない独裁者のひとり。
大久保レベルで独裁者よばわりされるのが村社会ニホン。
岩倉使節団てほんと、マヌケだよな。大久保は帰国して、熱海あたりにしばらく雲隠れしていたんだよな。
恥ずかしいやら、怖いやら大変だったんだろうな。w
745 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/23(日) 16:47:33.09 ID:A7IdvZHF0
739の続き
地租改正をやったのは西郷政権。税率引き下げをやったのは
大久保政権。
大久保利通は氏族出身ではあるが商才に長けた五代友厚と密接な関係があり、五代は政商として大阪で 頭角をあらわす。
清廉潔白で死後借金しか残さなかったと言われている大久保であるが、地券を担保にいれ、
五代から当時7千円という多額の政治資金を融通してもらっている。
>>744 だな。しかも子連れ狼の倅みたいな格好で記念写真とかw
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/24(月) 09:24:54.76 ID:gWA3I/QL0
西郷さんを悪く言うヤツは俺が許さん。
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/24(月) 22:21:53.04 ID:kqPcg3rEO
天地容れざる朝敵薩賊の頭目ですね、わかります。
>>749 素朴な疑問なんだが、西郷さんのどんなところがいいの?
エピソードとかまじえて教えてくれないか?
>>751 先生の三日接すれば三日の愛が、十日接すれば十日の愛が感じる
>>752 それは有名だけど、その人が西郷さんを凄いと言うから、あなたも西郷さんを凄いと思うのか?
つまり、その人がなぜ西郷さんを凄いと思うに至ったか、その肝心なところがまるごとすっ飛んでるんだが、
西郷さんのエピソードってそんなのばかりなんだよな
エピソードは多すぎていちいち書けない。
お前が知らないだけ。
>>753 そう思って何が悪いんだ?
当然、人の評判は非常に大きな判断材料のひとつだ。
>>754 逆に聞くが、西郷さんが凡庸の人だとしたら、具体的な偉業は当然だが、なぜこれ程膨大な、伝承、評判が残されているんだ?
他の人に比べ、膨大というほどあるかな?
むしろ
>>754でも書いたけど、誰々が西郷さんに感服した、みたいなエピソードばかりで中身が判然としないものが多い
まあ、他の人が凄いと言うから西郷は凄いんだと考える信者さんの薄っぺらさがよく分かったんでもういいです
>>758 全然反論になっていないのが哀れ。
どうぞお引き取りください。
760 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/26(水) 13:53:56.17 ID:WluePMwJ0
西郷さんは攘夷論に与したことはない。幕末随一の開明的指導者。
それは上司が良かったからじゃね
762 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/27(木) 09:47:15.18 ID:hPxn0wbY0
西郷さんは大アジア主義者
763 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/27(木) 11:52:51.41 ID:kBTtCvTTO
島津公をないがしろにして鹿児島を乗っ取り、鹿児島県を中央政府の施政権が及ばない独立国状態にした。
日本国統一の為に各地に藩主は不要で、一天万乗の君ただお一人が居られれば良いのだとして
島津公を取り敢えずは納得させたにも関わらずだ。
764 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/28(金) 00:21:51.17 ID:rxRfuM0c0
鹿児島に中央の力が及びにくいのは大昔からだろ
東京に派遣してる家臣どもに従えるかって久光は思ってたし
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/28(金) 10:12:08.78 ID:oeoGacbF0
西郷指導下の鹿児島県は革命根拠地
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/28(金) 20:31:54.64 ID:TK6kqRw+0
私学校とか完全に甘えだよな
奄美の搾取に甘え、中央政府のお目こぼしに甘え、
薩摩の底辺下士や郷士どもは私学校に逆らえやしないという甘え
朝鮮総連とか部落同盟とか被害者づらでやりたい放題やってた連中とそっくりだ
日本分団工作員よ、何年も懲りずに薩摩叩きテンプレで精が出るな。w
薩摩叩きに加担している無垢な日本人よ、日本分断工作員の洗脳から目覚めることを欲する。
法則はホントだったね
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/30(日) 10:19:25.33 ID:lCXWR9RO0
城山の洞くつで、ある日西郷は「開戦以来何人が死んだのか」と独り言のように云い、
もうよい、と云うように首を振ったという。
西郷の「もうよい」という一言が、熊本や人吉あるいは宮崎で出されていたらどうであったろうか。
おそらく西南戦争は、もっと違った展開をみていたであろう。
西郷が最前線に出て行って戦場を自分で見たらどうであっただろうか。
累々たる死体、骨がくだけ肉が飛び散った死体の山。西郷が一度として見たことのない、近代
戦争の惨劇がそこにあったはずである。「もうよい」という西郷の声が聞えて来そうである。
過剰な護衛に守られ、もっぱら寺院に潜在していただけの元”陸軍大将”西郷隆盛は死の間際何を思ったか。
全て大久保の責任。
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/30(日) 20:59:46.49 ID:aFkmLf3D0
最後に桜島を見て死ねたのが救いだろな
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/30(日) 22:41:13.70 ID:aecuSldm0
勝てないとわかった時点で戦争終結すべきだったのだ。鹿児島まで
逃げ帰ったのは無責任の極み。ほんとうに度量がある人とは思えない。
延岡で事実上解散している。投降は自由に許し、志望者のみ可愛岳越えして、奇跡の帰鹿をはたしている。この過程こそが日本の侍の魂の象徴だ。
西郷ら猛者どもが鹿児島に帰還してきた時には、薩摩では民衆は大いに盛り上がった。
感動的だったろうな。
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/01(月) 00:18:14.32 ID:gzsptyQ30
西郷が神格化されたのは西南戦争で死んだ後のことで、
生前は薩摩士族だけの名士であり、世間一般の庶民はせいぜい陸軍大将として知るだけであった。
薩摩ですら百姓層は西郷を尊崇する気持ちなど無く、城山陥落の日も
百姓たちは木の上から見物しており、戦いが終わると、しかばねとなった薩摩将兵から身ぐるみを剥いだ。
それゆえ薩摩将兵の遺体はみな裸であったという。
777 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/01(月) 03:27:16.86 ID:l6rT466n0
♪タンタンタヌキのキンタマわ〜は西郷南州を歌った唄
西郷は当時から有名人、人気者だったのは明らか。西郷軍にを題材にした錦絵が全国で記録的に売れた事からもあきらか。
779 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/01(月) 09:48:12.50 ID:zzbhJGNV0
>>774 大将が自決も投降もしないで戦争の最中に軍を解散するのは無責任の極み。
いたずらに犠牲を大きくしただけの愚策。
780 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/01(月) 14:57:48.97 ID:CU/FApOL0
>>774は、西郷が兵卒たちを思んばかって軍を解散したかのように美化捏造しているが、
事実は食糧弾薬が底をつき、戦線から逃亡、投降する兵が後を絶たず、
ようは軍の体を維持できなくなっただけのこと。
鹿児島に帰ったのも、現実を受け容れられず、結論を先送りするための逃避行であった
と言われても仕方のない悪あがきである。
そいは、おまんさあの妄想願望じゃろが。
782 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/01(月) 22:17:31.27 ID:mMb57Xa7O
(#`д´)オイたぢはこげぃなコツをする為に剣の腕を磨いて来たとかぁ!
新七どん、君命に背けば上意討ちじゃ
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/01(月) 22:35:23.76 ID:Jj2vXEJi0
薩摩の大将は投降なんて情けないマネはしないのだ
最後まで戦って死ぬのが武士道
784 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/01(月) 23:34:29.01 ID:gzsptyQ30
《 西郷隆盛 その人となり 》
明治10年9月24日、7か月あまり続いた西南の役は幕を閉じました。
被弾した西郷が「晋どん、もうここらでよか」と別府晋介に首を刎ねさせたとされる日です。
一般には、西郷は潔く自決した。薩摩士族を道連れに自らサムライの世に幕を引いた、
などと美談のごとく語られています。
しかしその数日前の西郷の行動についてはほとんど知られていません。
・・・・なんとこの人、命乞いしてたんです。
政府軍側に使者を遣わし、西郷本人の助命嘆願をしている。
従軍をしぶる者をタタキ斬り、強制徴募や軍資金強奪を行ったあげく、
1万数千人にのぼる戦死者を出した総大将が命乞い、などというのは、
薩摩戦史上はもちろん日本戦史上も例を見ません。
しかも政府軍の山県有朋に助命を断られ、武士であるなら潔く自決するよう諭されるという情けなさでした。
785 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/01(月) 23:35:04.42 ID:mMb57Xa7O
士道は死ぬ為のもの
武士道は生きる為のもの
786 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/01(月) 23:35:39.12 ID:gzsptyQ30
《 西郷隆盛は桐野利秋に射殺されていた 》
西南の役の最後の日、西郷は足を撃たれたあと自決したことになっているが、
その西郷の足を撃ったのは実は桐野利秋だったらしい
西郷さん、玉砕することにどうにも納得いかなかったらしく、投降派の将兵を連れ山を降りようとした
しかし玉砕派の桐野がこれを発見、激怒して後ろから銃で処刑したというのが真相
目撃者の証言もある
鹿児島県人は西郷を祭り上げるためならどんな捏造をも厭わないが、
西郷に不都合な記録、証言はすべて黙殺だ
ネットが普及する前はそれでも通用してたんだから、歴史とか史観というものは本当にいい加減なものだな
787 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/01(月) 23:36:47.74 ID:gzsptyQ30
≪西郷自決は捏造だった ≫
ちなみに広く信じられてる西郷の最後、「晋どん、晋どん、もうここらでよか」と言って
地面に正座し、東の皇居の方角に深々と頭を下げて切腹、
別府晋介に介錯させたという話し、ここの信者は出典知ってる?
どうせ知らないだろう
西南の役から30年以上たってから出版された「西南記傳」という本
編纂者と出版元はわけのわからない右翼団体w
まるで見てきたように書いているが、
西南の生き残りが書いたわけでもないし、誰それの証言であるなどのソースの提示は一切無しw
はっきり言って資料価値ゼロの与太本なんだよ。
だいたい極度の肥満なうえに、寄生虫で睾丸が人の頭ほどの大きさもあった西郷が「正座」できるわけありません。
788 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/01(月) 23:37:52.67 ID:gzsptyQ30
≪目撃者≫
桐野による西郷射殺を目撃したのは、別府晋介の従卒城川市二
城川の証言によると、西郷がどんどん城山をくだってゆくために、
桐野は西郷が敵方に降伏するつもりかと思い、西郷を敵方に渡してなるものかと、
銃で撃った、というものだ(出典「肚乃西郷」)
城川氏は鹿児島県人であり、反薩摩でも何でもなく、嘘をつく動機は皆無
前述の右翼団体の与太本よりよほど信憑性があるんだな
昭和52年に南日本新聞で村野守治氏(自称西郷研究の第一人者)が、
「別府晋介の従者に城川なる人物は、自分の持っている資料には無いから実在しない、
だから実在しない人物の証言は成り立たない」という記事が載り、桐野射殺説はいったん否定された
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/01(月) 23:38:52.67 ID:gzsptyQ30
≪目撃者≫
ところが、その数日後に同じ南日本新聞で入江俊興氏が昭和十年発行の「葛城彦一伝」の中に
加治木編成の六番大隊編成表として別府晋介附従卒城川市二、同小杉恒右衛門との記述を示し、
あっさり実在の人物と証明されているんだわ
さらに城川市二氏の孫嫁が健在で
「御祖父さんは83歳で亡くなった。口数の少ないきびしい人で、西南のことはほとんど話さなかったが、
昭和三、四年ごろ東大の先生が二、三度春になると訪ねてきて、襖を閉めきり朝から遅くまで
何事か話しをしていた。
城川の家は製造業で、職人たちが噂話などをはずませていると、御祖父さんが現れて、
”今ン話しはおはんナ自分で見た話しか、人から聞いた話しか”と詰問されて、
”わが眼で見た話しでなかのなら、ここでは語いやんナ” とピシャリといって引っ込んだ 」と述懐している
790 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/01(月) 23:50:23.43 ID:Jj2vXEJi0
アンチ必死すぎw
何年も前から使い古された、工作員用のテンプレート。 信用性の無い珍説のオンパレード。w
↑
プッw
日本史板のこいつの書き込み。可哀想に1レスで論破されてましたw
↓
101 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2013/04/14(日) 01:52:18.44
>>96-98 別府の従卒に城川なんて奴はいなかったことは、完全に証明されていることも知らねーのか。
まあ、どっちでもお前の脳細胞スルーだろーけどな。
お前ら反薩ドブネズミは下水道の中で沈殿した糞尿を具材に、泥にまみれた手指で
珍説をこしらえとけ。
793 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/03(水) 18:36:26.56 ID:b4iw8YlO0
西郷、メンタル弱すぎじゃねえか
794 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/05(金) 00:07:01.73 ID:xLnImDlpO
「国民皆兵」「国民軍」の必要性を認識しつつ、「士族階級の不平不満」も理解を示す。
板挟みの状態であった西郷どんの立場は実に哀れだ。
そこで西郷どんは「征韓論」を唱えた訳だ。
この理由というか意図は
1、国外に敵を作る事で民心統一を図る
2、上手く行けば朝鮮の権益を手に入れられる
3、不満士族に武人の本懐を遂げさせ、花道の場を提供する事が出来る
4、不満士族を積極的に送り出す事で、彼らを沢山死なせ、国内の障害を除去・軽減出来る
5、朝鮮で散る事に成る不満兵士も「官軍」「皇軍」の英雄として名誉を保てる
などだった。
ようは「不満士族の一掃」「花道提供と名誉の付与」によって
「国民皆兵」「国民軍創設」をスムーズに進めようとした訳。
流石は天下の名策士とでも言う御方である。
新政府も旧士族も共にハッピーって事だからな。
795 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/05(金) 00:26:05.22 ID:vLL9B/Xl0
へえ、そうなんだ
どうでもいいけど西郷さんの世界観には日本と朝鮮しか国が無く、
西欧列強とか存在しなかったんだね
英国公使パークスと会見したりしたんだから、それはない
ロシアの南下を警戒していたことを示す書簡とかもあるし
征韓論は半島をロシアとの緩衝地帯として欲してたんだろう
797 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/05(金) 17:45:15.32 ID:lEY+ajtF0
だろうってww
798 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/05(金) 19:29:31.00 ID:bXut8BqF0
>>794 そういう意図って、西郷が文章に残してたり、信憑性のある談話みたいな形で記録が残ってるの?
ないです。
800 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/05(金) 23:54:40.26 ID:xLnImDlpO
「異国からの侵略阻止」する為には幕藩体制を無くし「統一国民国家」を建設しなければ成らない。
武士だけの古い世の中は終わり、国民が一丸と成って「富国強兵」を成し遂げなければ成らない。
それには旧態依然の旧士族が新しい世の中を作るに当たって「障害物」の何物でも無い。
という事を充分理解していた西郷どん。
しかし旧士族の不満が高まり暴発寸前である事も認識し、彼らに同情も示していた西郷どん。
そういった事情を理解した上で、西郷どんが何故自身の生命を懸けてまでも
「征韓論」を唱えたのか?
そして何故「征韓論」が潰させるや、下野したのか?
双方ハッピーな論理はこれ以外に考えられないだろ!なのに何故阻止するのだ!
では不満士族の最後の花道すら提供出来なければ、内部爆発する事が何故わからない!
だったら勝手にしやがれ!
内部爆発しても俺はもう知らん!
って事に至ったからだ。
↑
頭からっぽのわりにプライドだけは高い鹿児島県人のいつもの創作だな
西南戦争と同じで、滅びの美学みたいなものを無理矢理持ち出して、
西郷&鹿児島人の無能愚策ぶりを粉飾したいだけ
征韓論って吉田松陰とか橋本左内とか幕末の思想家の受け売り
803 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/10(水) 23:29:29.06 ID:qKiKAsNp0
そりゃそうだろ
木戸大久保が海外から帰ってくる
↓
奴らに政府の主導権を返したくない
↓
いい考えはないものか?
↓
そうだ、俺も征韓論とやらをぶちあげよう
>>803 木戸、大久保やらも相当無茶だけどね。
成立したばかりの明治政府ほっておいて海外にいっちゃうんだから。
地方武士が反乱したらどーすんだっつーの。
まぁその為に、軍のトップの西郷さんが残ったんだろうから。
帰ってくるまで何もするなって、何もしなかったら反乱がおきちゃうってば。無茶言うなみたいな感じ。
不平氏族の乱は西郷が下野してから、たてつづけにおきてるよねえ。
西郷の下野と、一連の反乱というのは、どのくらい関係があるんだろうか?
>>804 反乱を恐れ、海外避難と言った方が正しいだろう。
大久保は当時でも日本に残るのが当然の意見が占めていたが、なかば無理やり国外避難している。
西郷の肝の座り方と対照的だ。
そりゃ、西郷も下野するわな。西郷さんでなけれは、外遊組は政界にはとても戻れなかったろうに。
808 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/12(金) 07:43:39.84 ID:TfOlWqdP0
木戸や大久保の外遊が海外避難だったなんて説、はじめて聞いたがそうなの?
>>805 政府がむしろ乱煽って潰してった感じだしw
江藤が薩長土肥のバランス崩したのがよほど気に食わなかったのかw
江藤は帰国前に既に討伐決まってたし、前原は政府側の密偵送られ乱やったし、西郷も刺客送られたりしたし
西郷が大久保らを排除する気なら明治6年の時やってたろうしな
西南の時は猟師やってた上、他藩との連携もなく突発的暴発だからな
まあ西郷小兵衛の案以外ないか
でも、もう一度戦乱になったら日本は潰れてただろ
西郷さんは好きだけど、なんか現実的じゃないな
現実的って良くわからんね
明治10年では西郷どんはそもそも戦乱する気もなかったろう
朝鮮使節の時の軍事は板垣や伊地知に任せてたし
結局政府は武力開国させてるしね
>>809 前原がかかわった萩の乱は長州でおきたそうだが、あとは
全部西郷が下野したあとの九州でおきてるね。江藤は
佐賀の乱で死に、神風連は熊本でおきたね。
薩長など外様の勢力が維新をなしとげるにあたっての
主力であったにもかかわらず、維新政府は功労があった
外様の士族を切り捨てようとしてるって、そういう不満が
あったのかねえ。
士族からすればそういう不満だろうけど、
切り捨てる側も士族だからな
倒幕では、外様VS幕府だったが、
維新では、政府に入れた士族VS入れなかった士族、という構図だな
徳川幕府初期の正規武士軍(全国)VS浪人軍(大阪城)の構図みたいな
西郷の場合は自ら墓穴掘って、政府に居られなくなっただけだが
結局単なる外遊組の権力闘争に過ぎないじゃね?
外遊組が居ない間に、井上は追放、山縣も追放されかけた。
参議も薩長土肥から一人が、後藤や江藤など入って土肥のが多くなってる。
薩摩の場合、そもそも近衛兵だったのやめ大量下野してるわけだし。
前原も参議だったの嫌気がさし辞めてる。
西郷がその気なら明治6年の政変に勝てたろうが、権力闘争に嫌気がさしたんだろうな。
しかし、自分が鹿児島に帰ってたらどういう結果になるかはあんまり理解してなかったぽい。
>>800 つか西郷が言ったの自分を全権大使として送って、殺されちゃったら武力行使もそりゃありよねという普通の回答だが。
外遊組が必ず戦争なる大変だー言って大事なったが真相だろw
板垣も「征韓論起こるや、世の膚浅なる 史家、往々にして史実を転倒し、之をもって明治政府における文治、武断両派の軋轢に 帰し、
征韓党同志の行動の常軌を逸するを説くものあり。その史眼や真に盲せり」と言ってる。
木戸孝允「西南戦争最近の原由は、西郷隆盛等数人を利通及び 大警視川路利良などが暗殺せんとしたに過ぎない。
この暗殺事件のために戦争が 起こり、死傷者およそ数万、失った家屋財産は幾千万という凄惨な結果になった 」
どう考えても、留守組が勝手に征韓論を国策化しようとしたのが権力闘争の発端で、
彼らが下野したのは、外遊組に巻き返されて居場所を失っただけ
西郷がその気になれば政変に勝てたとか絵空事もいいところだな
現代で習志野の自衛隊がその気になれば東京を制圧できるとか言ってるのと同じ
征韓論は元々あったんだけどね。
そもそも始めに唱えたの木戸や大村だし、大久保らの留守中に、身分制の廃止・人権の確立・國民皆兵制・御親兵設置・廃藩置県が行われた。
征韓論に手をつけたと言うだけだろう。
実際には全権大使派遣に過ぎないんだけどね。
木戸がそんなこと言うわけないだろ
でたらめ書くな
>>817 木戸がそんなこと言うわけないだろ
でたらめ書くな
木戸日記 明治十年三月二十四日
「元をたどれば西郷隆盛らを大久保利通、川路利良らが暗殺しようとしたという一時につきる。
西郷隆盛らはその為大兵を率いて国家の大憲を犯したのだ。…」
大久保に対する文句が続く。
>>815 でも岩倉や坂元が大久保の専横を危惧し西郷復職運動しようとした時拒否してるからな。
やはり大久保にとって西郷らが政権に居ない方が良かったのだろう。
825 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/15(月) 01:20:18.85 ID:90vu+zL70
西南戦争で、もし西郷軍が熊本城を陥落させていれば、その後に政府転覆の可能性はあったかな?
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/15(月) 01:34:24.49 ID:fZJBmB8FO
官軍は攻めあぐねたに違い無いが、薩軍が熊本城を拠点にしても兵力や武器の差によって
やがては薩軍敗退は避けられないだろうね。
同時呼応して全国各地で旧士族が反乱を起こせば別だけれども。
熊本城を陥落出来たら、全国旧士族がかなり加わっただろうね。
>>813 政府にはいれなかった士族は、九州以外にもたくさんいただろうが
なんで九州でばかり反乱がおきたのか、その理由が問題だろうと
おもうんだな。
ちょっと考えたんだが、九州以外で新政府に反抗しそうなのは
戊辰戦争なんかで、新政府軍の武力をみせつけられて、徹底的に
つぶされたから、反抗できなかったって、そういう理由が考え
られるね。
熊本城を落としたとしても薩軍に呼応する者は殆ど増えなかったでしょう。
薩摩の目的は旧来の薩士族独占による薩摩幕府を作ることでしょう?
我欲の賊軍に応じるとは思えません。
政府、庶民、薩摩以外の士は冷めた目で見ていたのではと思います。
目的は政府の独裁専制政治を破壊すること。
>>829 薩摩の士族がそんな事考えてたんなら、中央政府の薩摩人の存在がわけわからんくなる。
抜刀隊には会津藩士が多くいたと言われているが、それよりも多かったのは薩摩の士族。
あの戦いは薩摩VS薩摩なんだよ。
西郷の弟も鹿児島に帰ろうとしたけど、西郷自身に、中央に残れと言われて残ってる。大山も同じく。
>>830 決起するにあたっての大義名分は何ですか?
>>831 とはいえ実際に乱を起こすに至った側は勝算も持っていたはずです。
もしかすると新政府内の薩摩人も内心で薩軍勝利の場合の行動を想定していたかもしれません。
主力として旧幕府軍を打倒した10年に満たない過去の記憶に囚われていた面もあったのではと思います。
新政府軍を過小評価し過ぎていた。
決起した薩軍は賊軍であり、さらに薩摩以外の人心は薩軍へのナーバスな感情寄りの日和見だったろう
と推測しているので、賊軍から官軍へと変わる公算が五分以上と移るほどの、独力での大きな成果が必要。
薩摩以外の不平士族が薩軍へ参じるには大阪あたりまで落とす必要があったでしょう。
八公二民の薩摩藩領だった農民や膨大な借金チャラのされた商人達は薩摩士族なんて支持したのかな?
憎しみしかなかったんじゃねえのとしか思えないんだが
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/16(火) 19:16:00.82 ID:5DRvEySw0
支持とか憎しみとかの意志すら持たないほど抑圧されていたと思われる。
薩摩藩は江戸時代を通して一揆がほとんど起きてないんだが、
これをもって百姓層は藩政に不満を持ってなかったとするのは間違いで、
一揆を起こす一雫の気力すら奪われた状態であったと見るのが正しい。
835 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/16(火) 19:55:49.82 ID:CG9Q3VwY0
薩摩は年貢米の一粒までも測ったというから、相当厳しいものであっただろうな
江戸あたりのへたれ農民どもとは環境が違う
薩摩の民は一揆も打ち壊しも出来ないヘタレだから薩摩士族が勘違いしただけのことだろ
常勝将軍マンセーでも何でも灰に埋もれて勝手にやっていれば良いものを
江戸に出張って余計なことしやがって
837 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/16(火) 20:16:03.73 ID:CG9Q3VwY0
いや違うな
江戸の民がヘタレすぎるから分捕っただけだろ
これだけおいしい経済規模をもっててヘタレなら奪われても後の祭りさ
江戸の民はヘタレじゃねえぞ?
参政権は無いはずなのに意向が反映される弱い間接民主制みたいなもの
江戸じゃなくても大阪でも他の藩でもそうでしょ
それは何もしないでそうなったわけじゃねえんだ
お上の地位が欲しくてしつこくて分捕ってくれてもさ
勝手だけど勝手だろ
それを偉業とか言われても何それ状態でしょ
どうせ薩摩じゃ偉業ってことになってんだろ?
官軍の攻撃布告だけで大半が逃散した彰義隊の体たらくを鑑みるに、江戸っ子はヘタレといわざるを得ない
840 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/16(火) 21:14:22.37 ID:CG9Q3VwY0
江戸がヘタレだって他地域の誰もが思ってることだぞ
ぐだぐだ理屈こねてるところが余計にヘタレっぷりを加速させてることに気づけ
>>829 当時士族だけでなく民衆もどこも反政府
勝にしたって政府軍は薩摩にやられてるはずだー言ってたくらいだし
福沢も薩摩擁護してるくらいだしね
西郷は元々あの時点で挙兵するつもり無かったんだろな
挑発され暴発しちゃって熊本城で手間取ってる間政府軍が南下し熊本で止められちゃった
>>825 弟西郷や野村なんかの言う通り海路から
中原に出て全国呼応させるしかなかったんじゃね
本軍は熊本は一部割いて北進し政府軍を野戦で破るなり
まあ江戸はヘタレなんだろうよ
江戸に生きれればよかったんだろ
江戸っ子は江戸以外に行きたくない土人気質だから
薩摩とは気合が違うわな
外に攻め込んで分捕るみたいなのも進化論的に役立ったのかもしれない
844 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/16(火) 21:41:41.22 ID:CG9Q3VwY0
まるで不自由なく甘やかされて育ったお坊ちゃんみたいだなw
外から移ってきた人にどんどん抜かされていって恥ずかしくないの?
まあニートなら仕方ねえか
845 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/16(火) 21:46:23.08 ID:31e8AaB80
江戸みたいな重層的な巨大都市を十把一絡げにヘタレとか、
どこの田舎者の発想だよ。
薩摩なんて奴隷と、上司の命令一下突撃して喜んで死ぬ洗脳兵しかいねえじゃん。
自分の意志する持ってないことのほうが、よほどヘタレだとは思わないのかね。
考察が甘いな。単なる嫌味じゃん
他人様の築いた財物を横から奪おうと言うしつこさと賊気質は認める
ああリアル賊軍だったか
分捕るとか西洋の大航海時代の通商から来てるんで
西洋帝国主義や植民地政策って元々通商目的に発展したんだからね
849 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/16(火) 21:58:10.85 ID:CG9Q3VwY0
自分で江戸はヘタレって認めてただろがw
そうやって地方出身者を田舎者と馬鹿にしながら、
自分自身に中身がない典型的な世間知らずのお坊ちゃんだな
元は大航海時代のアメリカ大陸発見も阿片戦争
ペリーが来たのも通商目的だったのだ
弱小国相手に武力でやったの理論化したわけだね
851 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/17(水) 17:07:41.12 ID:30Gt913G0
; 西郷隆盛
; それは、、
; 『 顔の無い巨人 』
西郷はほんとの身長は170cm
太ってたんで実際より大きく見えたようだ
いい加減、捏造もほどほどにしろよ。
西郷さんの衣類も残っているし、はっきりと記録も残っている。
衣類のレプリカもあるがめちゃくちゃでかい。
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/18(木) 17:25:40.49 ID:rqFLFg6t0
んで例のフルベッキ写真の後ろ真ん中の御仁てだれなの??
致遠館の生徒さん
日本史スレでフルベッキ信じてる奴いるのか。
858 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/19(金) 09:40:11.90 ID:pCsKc8Tq0
龍馬は170だよ
それでも当時は大きいが
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/20(土) 03:18:06.03 ID:rmaBXSli0
>>858 幕末から明治〜戦前までの男性の平均身長 156〜160cm
東郷平八郎 156cm
高杉晋作 152cm
山本五十六 159cm
西郷頼母 146cm(矢口真里と同じ)
※会津では三尺ダルマとか豆彦ちゃんと呼ばれていた
西郷はだいたい170後半に近かったのが定説でしょ。
当時の日本じゃバカでかいほうだったんだね。
861 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/20(土) 16:59:21.69 ID:ZsDgLytG0
西郷や大久保は現代の感覚だと190以上の長身だろうね
だろね
863 :
854:2013/07/21(日) 19:26:01.45 ID:pGbrMada0
>>856 あの写真の全てを信じているわけではないよんw
ただ、その「男」と似た人物の写真?ってのが後年みつかって
その他「維新人物」の写真(今で言うならブロマイドっぽい?)とまざって発見されて
他の人物には後ろに名前が明記されていたのにその「男」だけは記載されていなかった・・・・と
昔日テレ系のムック?かなんかの番組で取り上げていたのを思い出しただけw
佐賀藩の英語塾、致遠館関係者の集合写真かどうかって以外に争点があるのか?
西郷は180くらいだよな
そうだよ。体重は重いときで108キロ。
アーネストサトウは筋骨たくましい巨大な男と記している。
867 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/22(月) 21:29:56.08 ID:OG1nidVO0
西郷さんほどの実力者が写真一枚残していないのは、ある意味凄い
868 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/23(火) 20:50:59.76 ID:CHYPh8VL0
西郷さんはデカキン
870 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/24(水) 16:34:30.68 ID:AbNSaOqb0
毀誉褒貶はともかく征韓論政変と西南戦争での西郷さんの真意について
解釈が違いすぎるのが西郷さんの難しさ。
871 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/25(木) 01:06:23.60 ID:N8Kr6J2QO
長州にいいように利用され用済みになったら捨てられたおっさん
872 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/25(木) 06:47:37.42 ID:Xq9cpcWB0
>>870 西南戦争の武士の死に場所を云々は死ぬほど嘘臭え
873 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/25(木) 09:55:58.62 ID:FYH+NLfKO
偶像を作り出し偶像を引きずりおろす
アホな庶民を操るなんて簡単だろ
874 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/26(金) 00:09:40.69 ID:SYF23DV00
時代も武士の価値観も理解できない一億総平民の現代人が
この時代を評価するのがそもそも無謀なんだけどな
875 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/26(金) 00:27:58.46 ID:ZOavRe9F0
大西郷
「自分は陸軍大将である。たとえ全国の兵を率いても
陛下の許されるところであり心配無用 」(「新編西南戦史」)
桐野利秋は六尺ばかりの青竹を携え、
「徴兵(鎮台軍)を挫くにはこの竹にて事足れり、この竹のまだ折れざるうちに東京に達すべし! 」
(「鹿児島討征録」)
↑
このような薩摩士族こそ、当時の時代の価値観から大きくズレていた人たちではないのかな
逆に言えば、よくこれで短期間と言えども中央で中核勢力たりえたものだよ
反幕府軍の主力として江戸城を開城させた経験があったからそのように勘違いしてしまったのだろう。
長州は農家の次男三男徴募兵が武士を殺傷しえるところを見ていたから、現実的な見方が出来た。
877 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/26(金) 00:55:33.88 ID:SYF23DV00
>>875 平民主体の今の世の中ならそうだが、当時は維新を迎えても前時代の武士というものが存在していたわけで…
西南戦争時の薩兵を恐れる百姓出身の鎮台兵の弱兵ぶりが時代を覆う価値観を理解する一助にもなっている
現代の人間が新時代になって間もない当時の士族の価値観を笑うことはできない
TPP参加でどうなっていくかわからない日本の未来を賛否どちらの意見も笑えないのと同じ
878 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/26(金) 08:16:10.48 ID:ZOavRe9F0
>>877 昔と現代では価値観が違うと言いながら、比喩としてTPP持ち出すとかインチキ論法もいいところだなあなたは
>>875 桐野が本気で青竹で戦えるとは思ってたわけないだろ。w
兵を鼓舞する為の単なるレトリックである事くらい、アホでもわかる。。
なかなか、カッコいいせりふじゃないか。
青竹を携えて兵を鼓舞する少将か。
881 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/26(金) 22:26:02.22 ID:SYF23DV00
>>878 将来どうなっていくか誰にも予測できない状況を喩えただけだ
時代の価値観は違っても先行きの不安くらい現代の例で喩えてもいいだろう
それまで支配階級を担っていた士族階級にとって、廃藩置県や廃刀令はTPPと比較にならないくらい
自身の存在意義を揺るがす重大施策であったことは日本史に疎い人や外国人でも理解できるのだが何か?
桐野利秋は六尺ばかりの青竹を携え、
「徴兵(鎮台軍)を挫くにはこの竹にて事足れり、この竹のまだ折れざるうちに東京に達すべし! 」
ヤバイ、桐野のかっこよ過ぎ。
883 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/27(土) 00:05:31.21 ID:aKJYLReV0
西郷軍出兵に先立ち、鹿児島県令大山綱良が西郷隆盛に忠告した
大山
「多くの兵隊を率いての上京は事が重大であり、
途中の安全を保つのは困難ではなかろうか 」
大西郷
「自分は陸軍大将である。たとえ全国の兵を率いても
陛下の許されるところであり心配無用 」(「新編西南戦史」)
桐野利秋は六尺ばかりの青竹を携え、
「徴兵(鎮台軍)を挫くにはこの竹にて事足れり、この竹のまだ折れざるうちに東京に達すべし! 」
(「鹿児島討征録」)
↓ 半年後
城山で、西郷は死ぬのが怖くて山中を逃げ回り、
桐野利秋に「西郷どんもうよかじゃろう 」
と言われて背後からピストルで撃たれ死亡 (「肚乃西郷」)
鹿児島武士のあこがれ、青竹。
885 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/27(土) 08:52:46.60 ID:BAtt9v/T0
島津久光
「ところでわしはいつになったら征夷大将軍に成れるのじゃ」
886 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/27(土) 12:32:42.16 ID:HmuVf6ic0
西郷さんは幕末維新史の最大の謎。
西郷の死にたがりが露になるのは
月照との心中未遂のあとだよねー
>>882 うーむ全くカッコ良いと思えないんだがw
889 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/27(土) 19:00:21.56 ID:stSDclu40
写真一つないってことは、そもそも実在してた人なの?
元勲は多かれ少なかれ写真が残っているのに…
もしかしたら明治政府が作り出した伝説上の人物かもしれない
どう考えても小説の世界の英雄だろ?と思う行動の数々も、これで合点がいく
薩藩藩士って、武士というより、戦国の本願寺兵とかオウム信者とかそんなイメージだわ
黒い戦闘服、トンガリ帽子、指揮官はカブキみたいなカツラ
当時だってカルト集団と見られていたと思う
西郷・大久保両方嫌ってた木戸の目からすると下野して情勢に暗くなってたらしいな
明治十年二月二十五日
「今日西郷、桐野、篠原等の官位を剥奪する沙汰があった。
西郷隆盛は十二年前の知人で彼の国家の利益になったことは少なくない。
忠実で欲少なく臨時であれば果断である。
ただ短所なのは時勢の形勢に暗く大体を見ることができなくて、疑惑がその間に生じ一朝の憤怒を以てその身の亡くしその名実を損ねた。
実に嘆かわしく惜しい。
十二年前彼の所に行って、あるいは感心し、あるいは疑ったものだった。
甲子(西郷)は長州征討の時は尾州を助け、その参謀だった。
しかし彼に悪意がなかったのは十二年後その交際で氷解した。
当時も彼は時勢を理解しない者と想像した。
長州と薩州と合力同盟はオレと西郷は丙寅の年に京都で誓ったのが始まりだった。
薩長が力を一つにしてご一新の大業をなした。
彼の今日の状態に至ったのは実に忍びなく語ることができない。…」
893 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/28(日) 22:47:50.67 ID:yW1p7bmV0
>>891 まあ明治の日本を日清・日露の戦争に勝って一流国にまで引き上げた功績は認めてあげたら?
徳川幕府よりはマシだと思う
894 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/29(月) 09:53:20.35 ID:tWf/E1w20
一流国だったか?
しかも明治以降はもっぱら長州人の主導だし
しょせん日露戦争に痛み分け(勝ったとは言えんだろ)、英仏二大横綱には勝てるはずもなく、
大関独米にも及びもしない
現実にはイタリアはおろかスウェーデンあたりよりも国力弱いんでは
896 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/29(月) 12:49:44.21 ID:X8i/CH8m0
大久保亡き後は長州のほうが政治力は若干大きくなったが、
薩摩が依然として有力勢力だったことに変わりはないよ
明治・大正の歴代首相や閣僚の藩閥構成みても、将官の出身みても一目瞭然なのだが
そもそも薩長同盟の趣旨がともに助け合って日本のために力を尽くすことであって、
どちらか一方が権力を独占する目的ではないからね
897 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/29(月) 12:51:37.41 ID:X8i/CH8m0
>>895 第一次世界大戦後は五大国となった時期があった
今は経済だけが取り柄だが
>>897 まあそれも自称の部分が大きいんだけどなw
899 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/29(月) 14:22:11.20 ID:V/6ZtTJ60
薩長の貢献を認めないわけではないが、
一流国とか助け合うとか痛すぎるわ
一流国は言いすぎだけど、頑張ったよ
ホント頑張った
901 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/30(火) 00:03:56.83 ID:xIY1sN1x0
日本は明治維新がなければ終わってたからな
ホントがんばってくれた
西郷さん、ありがとう!
903 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/30(火) 00:41:05.44 ID:/zQid+3q0
このスレの西郷信者、薩摩信者っていっせいに現れて、いっせいに去るよな
904 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/30(火) 18:40:22.62 ID:lYHqdxTW0
西郷さんはアジア解放の先駆者
西郷さんは、維新を成し遂げた後、西南戦争で
良くも悪くも、いろんな人の怨念を一身に受けて消えていったんだなぁと
個人的には感じる。
会津の人に、「薩摩へは、西南戦争で恨みを返した」と言われた時に
なんとなくそう思った。
自分の先祖は、西郷さんと西南戦争で散っていったんだけどもね。
でも恨みとか、そういうのは考えなかったなぁ。
>>890 全くの創作なの?
俺は結構それ系の話好きなんだが
ささやかな抵抗として花火を上げたってのが特に好き
>>906 花火をあげたのは史実だけど、それは廃藩置県に関してなのだよ。
お殿様じゃなくなっちゃう訳だからね。
冷静に考えれば、天皇を中心とした国家を作ると
維新を実行した訳だから、長州の藩主も薩摩の藩主も
自分が次だとは思ってなかった筈だよ。
2chは相手を中傷する為に、俗説で流れてる話を書き込むからね。
あと司馬史観に染まりすぎの人多すぎw
908 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/31(水) 00:08:59.90 ID:FrFOV4zl0
そこで海音寺潮五郎氏ですよ
宗教くっさいスレだな
経典は坂の上の雲か?
あのまま徳川が新政権立てても、どうせ門閥で汚れていっただろう
西郷や木戸や大久保が居てくれて良かったよ
911 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/31(水) 23:55:13.15 ID:F77doHAz0
実在したんですか
912 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/01(木) 03:50:10.66 ID:oN5HP9OR0
西郷さんが日本人に最も愛された男だとは知らなかった
海音寺潮五郎は鹿児島出身だから、もう西郷びいきなのは
間違いないね。 司馬はそれほど西郷に思い入れないでしょ。
むしろ司馬は大久保のほうを評価してるんでは?
914 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/01(木) 04:26:44.45 ID:oN5HP9OR0
>>913 読みが甘いな
どうみても司馬は西郷好きだろ
>>914 海音寺はどうみても西郷好きだが、司馬はどうかねえ?
西郷の評価はよくわかんないってのが、司馬の立場だしね。
916 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/01(木) 07:27:30.96 ID:I+l2nT180
司馬は明らかに西郷嫌いだろう。
昭和陸軍の萌芽は西南戦争の西郷軍にあり、というのが「跳ぶが如く」のテーマみたいなもんだし。
>>916 本人、この人は訳がわからなかったって言ってたからね。>司馬
訳わからないなら小説書くなよと思った。
>>912 確か明治から昭和30年頃位までは、理想の上司のトップが西郷さんだったらしいよ。
こんばんは歯茎臭太郎です。
920 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/01(木) 21:04:57.19 ID:I+l2nT180
司馬は「跳ぶが如く」を書き始めた当初は薩摩や薩摩人に好意的な表現が多かったんだが(桐野の扱いなど)、
原稿を書き進めていくうちに同時進行で史料の検証が進むと、
西郷の敬天愛人とか薩摩関連の話しがデタラメばかりなことに気付いて、
「跳ぶ」の後半は司馬の態度が薩摩に対して明らかに冷たいものに変わってしまった。
どこかだよ
>>920 西郷軍が昭和陸軍ってのは無理があるでしょ。まぁ司馬さんがそう書いてるのかもしれんが。
全滅した軍が発祥ってw
そもそも陸軍は長州閥で、薩摩は海軍閥だぞな。
奇兵隊が昭和陸軍の発祥って言ったほうがまだ理屈が通るよ。
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/01(木) 22:32:13.04 ID:I+l2nT180
西郷軍と昭和陸軍の類似って、説明するまでもないような定番ネタですけどね。
>>923 検索してみたら、2ちゃんの一スレしかかからなかったぞ!
どこが定番なんだおい!
925 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/02(金) 01:02:01.24 ID:imNFCdMm0
大東亜戦争の縮図が、既に西南戦争にあったことを司馬が「跳ぶが如く」で暗に示しているのは明白で、
それが分からないのは、相当にニブイ。
山本七平も、日本軍と西郷軍の精神構造の類似性を指摘している。
勇猛果敢な「チェスト行け」精神で挙兵したものの、田原坂の戦いに敗れてから戦局は不利に向かい、
やがてぼろぼろになり各地をさまよい城山で消滅。
「為せば成る」「粉骨砕身」の不毛な精神論は、勝った政府軍側に居残り、
日露戦争の旅順攻防戦から玉砕(という名の全滅)に次ぐ玉砕という状況になっても戦闘をやめない、
その末に原爆投下。近代戦争には不可欠の「戦いの終結」を想定せず、
最後の2年間は無為な消耗のみで犠牲だけを極大化させた太平洋戦争に引き継がれた。
「司馬遼太郎 リーダーの条件」(文春新書)に拠ると
司馬遼太郎は西郷が大好きだったらしい。
>>925 いやだから、構造は似ていたとしても西郷軍は全滅しとるやんけ。
そうなると問題は日本人のメンタルそのものって事になるんじゃないの?
そもそも陸軍は長州閥だし。長州と薩摩に共通点があったとは
考えにくいんだが。
あと昭和の軍閥は東北勢が占めてただろ。
個人的には意味不明の本土決戦をやってしまった会津が
似ていると思うんだが。
会津の白虎隊精神は当時、相当喧伝されていたようだし。
>>926 「リーダーの条件」のアマゾンレビューには確かにそう書いてあるが
どういう風に好きだったのかは中身を見てみないとわからないね。
司馬はホントに昭和の陸軍が嫌いで、日本の伝統からまったく
異質な「鬼胎」とまで痛罵してるね。しかしまあ、昭和陸軍が
西郷の影響多大にうけてるというなら、それまでの伝統と
まったく異質とまではいえないってことになるね。 それとも
西郷も「鬼胎」であると、司馬は考えていたのだろうか。
おそらく司馬はそこまではいわないだろう。つまりまあ
司馬の考え方にも矛盾がみられて、整理がつかないところが
あるんだな。西郷について我々は未だに整理ができないところが
あるって司馬がいったのはそういうことだろう。
司馬は「西郷隆盛という思想がある」なんていいかたもしてるので
西郷への評価は、西郷全面否定とまではいかないね。
929 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/02(金) 01:56:12.06 ID:imNFCdMm0
>>927 日本人のその手のメンタリティってことでいいんじゃない。
それを説明するのに西南戦争は適例である。
また、西郷軍や会津軍の美談化が、その手のメンタリティを時代時代で正当化させている。
べつに太平洋戦争の責任が西郷軍にあるなんて言ってないよ。
言うなら、西郷や西郷軍を美談化してる人間に責任の一端がある。
そういう意味で西南戦争と太平洋戦争はつながっているということだ。
司馬も西郷と昭和の軍部の関係になんとか折り合いつけようとして
西郷本人はいいんだが、西郷かぶれが駄目なんだ、軍人が
西郷のポーズを真似ようとしたのが駄目なんだって、いいかたも
してたね。
西郷軍が美化されてたなんて初めて知ったよ・・・
錦絵は確かにネットで見た記憶はあるけども。
そんなに西郷の教えが昭和陸軍に蔓延してたんか?
破滅願望が潜んでいるのさ
西郷はその参考書的に使われた
形勢不利といえどプライドのために巨大な相手と戦い、散る、結構なことじゃないか!
武士の本懐、死ぬことと見つけたり!基地外武士道鉄砲玉精神
勝手に徒党でやって内乱罪で処罰されるならともかく日本国を巻き込んで敗戦
日本国はGDPを開戦前の半分に減らすほどの大損害で
皇紀2600年で初めて本土全土を占領されとにかく目茶目茶になってしまったが
南洲翁の通りのことをやれて本望なんだろ昭和軍は
武士道とか言って格好つけてるが
強大な相手に絶望的な戦いをするような時は不思議に多幸感を感じてラリってる状態に近そうなんだが
平時に出ることのない神経伝達物質が分泌されて快感を感じる等の医学的説明もできるんじゃないか
憶測だがなんとなく動物としての人の内にも潜んでいると思う
さながら麻薬を求めて彷徨う(戦争する)中毒者の如し
そのような旧軍は一億玉砕と言って巻き込む気満々で実際巻き込まれて自滅した
ただし最後で理性的なことが出来た
934 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/03(土) 15:08:51.73 ID:4SLbubr60
要するに、西郷とは日本人の精神性に多大な影響を与えた人ってことだな
それがラストサムライと呼ばれる由縁だし、他の維新の英雄とは一線を画すところだろ
ただし西郷の歴史的価値を体系だって説明できる人は、今日まで出てきていないけども
もっとも日本人が押しなべて商人化した昭和30年代以降は、当然ながら人気が急落した
現代日本の歴史観は結局のところ、商人の発想だからね
そこで西郷にかわって登場したヒーローが坂本龍馬だ。司馬はその火付け役
935 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/03(土) 23:12:56.81 ID:OJerH8Va0
>>925 西南戦争の場合、どっちかというと政府が仕掛けたんだが。
西郷もしもた言ってて予期して起きたもんでもないし。
誤ったと思ってたんだろうな。
挙兵名分も刺客の件で政府に尋問ありと言う感じで戦争想定してなかった可能性もあるが。
旅順の場合はどうしてもとっとと攻め落とさなきゃいけなかったから強行した。
西郷と昭和の軍はあまり関係ないと思うけど。
>>931 昭和の軍人で西郷崇拝してたのが多かったって話は
よく聞く話。 司馬もそんな話してたし。
薩摩と昭和帝国陸軍の共通点
★原理主義者多数(西郷真理教&天皇真理教)
★突撃大好き
★接近戦大好き
★精神論大好き
★白兵戦最強
★補給軽視
★現場指揮官が勝手に暴走
★勇猛な人間はいるが、有能な人間はいない
★戦略がはじめからない(とりあえずやってみよう)
★そして最後は滅ぶ
結論:芋の遺伝子が東北に感染したとしか考えられん
司馬真理教もなw
薩軍が白兵戦大好きって間違いだろう。
スナイドル銃あったが弾薬奪われ旧式銃で戦わざる得なかったなどで白兵戦多くなったのだろう。
政府軍は全国の兵集め物量で押したんだから兵站で優れてたのは当たり前だし。
昭和の西郷崇拝してたか知らないが、まあ違う考えだろうし。
敗軍共通の類似性もあるからな。
そもそも昭和の軍はインテリエリートだしね。
んま〜司馬は昭和陸軍のメンタリティを憎悪してたんだな。
それで破滅の美学ってのを徹底的に否定しようとしたんだね。
その破滅の美学の最大の体現者が西郷ってことになるわけ
だろうが、かならずしも西郷だけがそういう精神を体現していた
わけでもない。 東北には白虎隊がいたしねえ。もっと
さかのぼれば、衣川の戦い。あれが東北的破滅の美学の
原点であるな。
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/04(日) 10:02:46.23 ID:pVbn7to/0
>>938 それってまさに状況までそっくりじゃねえか。
日米開戦のときも、インテリ官僚が事前にシミュレーションを何度やっても国力に劣る日本は破滅以外の結果が得れないっつうのに、
軍を牛耳っていた無能軍人のやってみなけりゃ分からん的な曖昧な精神論で開戦を決行。
昭和軍自体は官僚でエリートだろ
むしろ新政府が作った側から出てきたんだし
西郷みたいのが居たわけでもない
美学で起きたわけでないからね
西郷は軍人と言うより政治家だしな
明治の政治家にはリアリズムがあったって司馬はいうんだな。
それで、対照的に学歴エリートの昭和軍人は、リアリズムが
欠けていて、観念的に暴走したと。 これが司馬的な見取り図であるね。
だから昭和の軍部における西郷崇拝なるものも、きわめて観念的な
ものであって、観念の空転が結局破滅を招いたと、司馬はそういう結論に
いきつくわけだ。
まー過去とはすべて観念であるとするならば、歴史の本質とは
まさに観念であるという言い方もできよう。 ヘーゲル的であるね〜
こういう考え方は。
昭和は満州めぐる経済上の争い帝国主義のぶつかり合いでなったんだろw
西郷とかあまり関係ない
西南戦争は突発的に起きた一揆みたいなもん
司馬が全て正しいようなw
司馬史観って、どうかと思うよ〜
単なる作家なのに、歴史家ぶってるから
誤解する人多い。彼が書いた嘘(創作)を信じ込んでる人
ここの板にも多い多い。
946 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/05(月) 00:51:28.04 ID:oyP9lV0L0
司馬の小説はどこまでが嘘かって観点で読むのも面白い
まあ、ほとんどが作り物なんだが、新聞記者やってただけあって素人をだますのは巧みだと思う
「十一番目の志士」って本を読んだときも出だしから嘘だからなw
「竜馬が行く」も「燃えよ剣」もすべて創作、読者が楽しめるように書いてるだけ
大衆娯楽小説だから何でもありなのだが、まともに信じる奴がいるから痛いことになる
その点、西郷に関しては存在がでかすぎるだけに、司馬もいい加減なことを書けなかった節がある
「翔ぶが如く」も西郷本人を描かずに周辺人物の描写に逃げたのも、そうしたことが理由だと思う
>>944 たとえば、
>>937であげられたような西郷軍や陸軍の特徴ってのは
帝国主義国家ならどこでも見られる特徴とは到底いえないんだな。
特殊な特徴であって、帝国主義だからという理由だけでは説明が
つかない特徴なんだな。
>>945 しかしまあ、大抵の歴史家より一般人の歴史観への影響はおおきいね。
作家って知識人として待遇されることも多いからね。 司馬史観と
いわれるのは、小説よりはエッセイや対談のほうによくでてるね。
最近昭和史で一般によく読まれてるのは、半藤一利じゃないかと
おもわれるが、司馬は半藤への影響もでかい。
>>946 ドナルド・キーンが司馬の追悼講演で、司馬の小説はだいたい登場
人物に自分を投影してることが多いって指摘してたね。まあ、小説は
フィクションなのが建前なんだから、読者がフィクションを真実と
信じたとして、それは作者の責任とはいえんw
ま〜司馬の批判者であった佐高信なども、自分の係累に西南戦争に
参加したものがいたというので、西郷に興味をもち、「西郷伝説」という
本を書いたが、その中で昭和の軍人に西郷がかぶれてるのが、とても
多かったって書いてたね。
ああいう革新軍人のスローガンってのは、「昭和維新」であったので
自分らの国家改造計画を明治維新になぞらえてた。
司馬が北一輝にふれたことはなかったとおもうが、昭和の革新軍人に
多大な影響を与えた北一輝にしても、西郷の影響が強いことは歴然と
してるねw
西郷については伝説がとても多いというのも、特徴的だねw
帝国主義精神の神髄とは、冷静に戦略的に自国の利益を追求し
拡大し、敵への勝利に結びつけることにあるので、戦略性もない
精神など、およそ非帝国主義的といわざるえないw
まして滅亡、破滅とは帝国主義にとっては、帝国主義自身の
滅亡、破滅を意味するわけで、破滅とは帝国主義の終わりを
意味するわけだ。
まあ、西南戦争における西郷軍と政府軍、どっちが帝国主義に
近いのかといえば、政府軍のほうだろうよ。
西郷かぶれって、西郷の何が良くてかぶれるんだ?
いいところを挙げればきりがない。
ほう、では手始めに10個ほど挙げてもらおう
954 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/06(火) 19:31:17.63 ID:PzWB4TD20
>>942 太平洋戦争を昭和の軍部が引き起こしたのは、日露戦争で辛勝したにも関わらず、
政府もマスコミも真相を隠して陸軍の神秘主義的な教育を国民に施したことが
原因だって司馬は言ってるな
日露戦争とくに陸戦では勝ち負けはいえないのだが、少将以上みな男爵にするには
戦功をでっち上げなければいけないため、嘘の戦史ができあがりマスコミも疑問に思わなかったとか
この馬鹿げた捏造戦史がなければ太平洋戦争もなかったと司馬は言ってるよ
司馬私観もなんだかなーって思う事があるよね
例えば一流の人物の定義として「殺人をしていない」ってのを上げてた事があったが
それって立場(指揮官か下っ端か)の違いだけじゃねーかと思うし
売れたものが正義。
商業誌掲載である以上売れなきゃどんないいもんかいても無意味。
問題は、単なる作家の歴史観でしかないものを
鵜呑みにしてしまう読者側なんだろうけどね。
>>951 ま〜人気がある理由の一番は、陸軍大将として権力の頂点にたどりつきながら
まったく私利私欲がなかった。高潔にして清廉潔白という、そういう風なイメージで
語られていることだろうよ。元勲の他の連中は権力握ったら、おおかれすくなかれ
私腹を肥やしたが、西郷だけは例外というそんなイメージ。
>>954 それは機密日露戦史の話かな? 司馬が「坂の上の雲」を書くにあたって
参考にした資料だってね。 あの戦史が嘘とまでは司馬はいってなかったね。
日露戦争への貢献を戦史に書いて欲しいというあちこちからの要求を
全部いれて書いたから、膨大な分量になったにもかかわらず、まったく
まとまりのない、日露戦争の輪郭がつかめないそんな資料になったとは
いっていた。太平洋戦争における日本軍の戦略の無さと、日露戦史の
まとまりのなさが司馬にはオーバーラップして見えたんだろう。機密日露戦史が
なければ、太平洋戦争もなかったなんてのは、司馬の論としても、かなりの
極論にきこえるなぁ。
959 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/07(水) 13:13:39.93 ID:xVg7HvW80
>>958 司馬はウソ戦史だと明言してるよ。
『歴史を動かす力 司馬遼太郎対話選集3』文芸評論家の江藤淳との対話で語っている
一部抜粋
「…きっと太平洋戦争をせずにすみましたよ。日露戦争のウソ戦史にあわせて陸軍がとなえた
神秘主義を文部省が採用して、小学校にまで流して国民教育をした。それが太平洋戦争の
もとになっているのですからね。その責任は大きい。ところがそれを、マスコミは一切突いていないし、
問いてもいない。
そういうことに対して、ぼくは、ああなるほど、日本にはつまらないところがあるな、
と思うのです。」
>>959 なるほどねえ、ウソ戦史といってるね。 司馬と江藤淳との対談は
読んでなかったなぁ。 まあ、対談全部読んで、どういう流れなのか
いずれチェックしてみるよ。
江藤淳と司馬は考え方がかなり対立してたから、司馬のものいいも
おのずから激しくなったってことかいな。
そういえば江藤も西郷について書いてたね。「南洲残映」って本だったね。
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/07(水) 15:04:52.83 ID:xVg7HvW80
>>961 どちらかというと和気あいあいとした対談だったぞ。
話のくだりは日本のジャーナリズムについて及んだときに出てきている。
江藤も同調しているから司馬が激して語ったということでは全くない。
まずは読んでみ。BOOK OFFで何気なく300円で買ったくらいだからすぐ手に入る。
>>962 んま〜司馬にしろ江藤にしろ、対談相手と考え方が違うからって
怒ったり嫌みを述べたりするようなふるまいはしないんで、雰囲気は
和気藹々として、相手の意見に相づちをうちつつ、肝心なところは
譲らないなんて芸当は朝飯前だろうw
司馬は安岡章太郎との対談で、「西郷隆盛という思想がある」って
言葉を引用してたんだが、あれは江藤の「南洲残影」からの引用だな。
つまりまあ、司馬の西郷観は江藤に影響受けた部分もあると。
しかしまあ、司馬の対談よんでると、大久保より西郷がでてくる
回数のほうが断然おおいな。やはりまあ、西郷という存在の謎に
司馬もどうしても引き寄せられるのか。
ぶっちゃけ、大久保ねたではうれない
966 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/08(木) 19:46:56.63 ID:/zR0NuAR0
>>964 そこは司馬の世代なら仕方ない
日本人は大久保より西郷のほうが好きなのは外国人が理解できない不思議の一つだったらしい
まあ戦前の日本人が共感できる何かを西郷のほうが濃厚にもっていたということだろ
日本人らしいといえばらしいんだけど、西郷さんは庄内では神社で祀られてるんだよね。
ぶっちゃけもう神様になっちゃってる。幕末の話なのに。
本人が文献らしい文献を残してないからどうしても伝聞になってしまうし、
神様にまで持ち上げちゃうから、そこで思考が停止してしまう。
自分も西郷さんに興味があって、色々調べてる途中なんだけど、
政治家西郷、思想家西郷を調べる前に、この数々の人の思いや願い
というのが、どーしても挟まってきてしまって、評価し辛いw
その点大久保さんは、中央で働いていたから周囲の人間の大久保評が
よく残っているし、祀り上げられてもいないから、冷静に分析されてる様に感じる。
968 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/09(金) 15:19:10.77 ID:w8DawKm+0
西郷さんは人格者
969 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/10(土) 07:02:55.54 ID:0UrW9WTf0
西郷さんは度量が大きく、私利私欲がなく、命を惜しまず、敵にも仁慈を
施した大人物。
970 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/10(土) 07:05:22.05 ID:0UrW9WTf0
西郷さんは皆から慕われた人格者だったが、小才に頼る俗物は
西郷さんを嫌った。
でもしっかり、賞典禄永世2,000石はちょうだいします。
972 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/10(土) 08:31:14.56 ID:0UrW9WTf0
>>971 それを擲って私学校を作って後進の育成に当たった。西郷さんは
蓄財をしなかった。
そして鹿児島の地租も私学校がちょうだいします。
974 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/10(土) 09:50:34.95 ID:1PfFPjPx0
敬天愛人シリーズ
《西郷隆盛の人となり 其の六》
西郷は、坂本龍馬を鹿児島の自宅に招いたことがある。
当時の西郷家は非常に粗末なつくりであったため、雨洩りがしていた。
耐えかねた夫人の糸子が「お客様が来られると面目が立ちません。
雨漏りしないように屋根を修理してほしい」と西郷にお願いをしたところ、
西郷は「今は日本中の家が雨漏りしている。我が家だけではない」と叱った。
この話を隣室で聞いていた坂本龍馬は感心したと伝えられている。
いい話しですね。出典不明(笑)ですが。
西郷家(維新後)の詳細が分かりましたのでさらに解説します。
鹿児島の自宅は千百坪の超大邸宅で20人以上の使用人がおり、
犬も20匹も飼っていたそうです。
西郷さんのモットーは
「ケチと呼ばれては世上の聞こえも悪いから、毎月少なくとも百円(現在の130万円)は使え」でした。
(出典:西郷従道夫人清子談話)
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/10(土) 09:51:38.95 ID:1PfFPjPx0
敬天愛人シリーズ
《 西郷隆盛の人となり 其の七 》
「子孫のために美田を買わず」で有名な西郷さん。
鹿児島武岡山麓に1100坪の大邸宅を買っていたことはすでに述べた。
それ以外にも東京日本橋の大名屋敷500坪。
一族の従道は東京目黒に14万坪。
従道とこれまた一族の大山巌が共同で栃木県に150万坪。
しめて西郷一族が買い漁った土地の広さなんと東京ドーム117個分。
しかもこれらは政府から格安で払い下げられていたそうです。
なんともうらやましい話しですね。
976 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/10(土) 09:52:44.76 ID:1PfFPjPx0
敬天愛人シリーズ
《西郷隆盛の人となり 其の五》
西郷さんが財政家の井上馨を「三井の番頭さん」と批判したことは有名ですね。
では清貧の義人西郷さんはどんな生活をしていたのでしょうか?
政府から西郷さんに支払われていた給料ですが、
月給千五百円、現在価値で月給2千万円です!
政府と喧嘩して鹿児島に帰ってからも、どんな特権か知りませんが
月給だけはしっかり鹿児島に送られていたそうです。
西郷さんを語る場所では、このコピペがいつも貼られるね。
慣れたけど。
工作員のテンプレートらしい。
979 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/10(土) 14:17:04.96 ID:0UrW9WTf0
西郷さんは清貧孤高至誠の人格者。ザ・ラストサムライ。
実のところ自腹を切る行為を行ったコトと、私利私欲があるなしはあまり関係ない。
正義(と思われる志)のためなら どのような犠牲が出ても構わない。
最後は自分が腹を切りもそ。
こういう薩摩士族特有の、責任はわしが取る宣言パターンが一番怖い。
集団を思考停止状態、脳死状態に陥らせる。
集団というのが味噌で、腹を切る宣言してる奴が一人でやればいいのに単独では薩摩人は絶対やらないんだよな。
ああ、ならぬものはならぬみたいなやつか
徳川家康テンプラ食って死んだ
松尾芭蕉キノコ食って死んだ
桂小五郎フグ食って死んだ
西郷隆盛イモ食って死んだ
↑ヘンな物食って死んだって多いよなw
984 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/11(日) 19:22:37.75 ID:olCjZ9wd0
985 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/11(日) 19:42:40.70 ID:UYkZI1kT0
>>981 >集団というのが味噌で、腹を切る宣言してる奴が一人でやればいいのに単独では薩摩人は絶対やらないんだよな。
まるで白虎隊みたいだな
薩摩をわかりにくくしているのは、ものすごく封建的で保守的な面と、革命的な面の両面を持ち合わせてるとこなんだよな
薩摩に関しては、超保守的な連中が革命事業に爆発的な行動力を発揮して成功したというイメージ
やっぱり、薩摩士族にとっては島津斉彬の存在がとても大きかったんだと思う
986 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/11(日) 19:45:42.07 ID:UYkZI1kT0
あと、薩摩に関して思うのは、結束力の強さ
大藩で当時としても諸藩最強の軍事力の背景がありながら結束も固ければ、どこも太刀打ちできない
保守に転んでも革命勢力に転んでも圧倒的な存在感があったのは、そういう理由であろう
>>965 大久保は理想的官僚ってイメージだな。大久保にしたって、それほど
私腹をこやしたってイメージはないが、それでも西郷にはイメージ的に
負けるんだね。大久保が注文した豪華なサーベルを、西郷が学生に
あげちゃったってエピソードが典型的だな。
>>966 やっぱりね〜最後に反乱おこして壊滅的な敗北をした人物が
崇められるのって外国人には理解しづらいようだね。
988 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/12(月) 03:04:35.05 ID:t0bWRxzP0
西郷は親近感のあるイメージが人気の理由だろうね
「西郷さん」なんて呼ばれて愛されてきた歴史上の人物って他にいないからね
どこからこのイメージが出来上がったのかは興味があるね
>>988 日本じゃないが関羽なんかそんな感じでは
どう考えてもただの一武将なのに
>>967 まあ庄内藩に寛大な処置を施したせいで、士族が地位を独占する旧来的統治機構が温存されて
それらの組織による平民層への搾取構造が維新後も続いてしまい、
その結果ワッパ騒動に代表される農民らの大規模な抗議行動に発展してしまうんだけどねw
さすが士族に対しては海のように心が広い西郷さんや!
991 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/13(火) 03:49:52.42 ID:OPxDQb8T0
>>990 福島県を見てもわかるとおり、士族に寛大な処置を施そうが徹底的に潰そうが、
農民らの一揆が起こる構造は変わらないと思う。
てか東北の場合は、日常生きていくのが困るくらい貧しすぎたのが原因だろ。
昭和初期まで農家は飢饉のときは娘を売り飛ばしてたんだから。
明治の初めの創成期を除いて明治政府統治に変わってから一揆なんざ起きてないが?
藩という為政者が悪かった証左だろ
993 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/13(火) 11:00:38.99 ID:QOrm6KBy0
994 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/13(火) 14:26:50.84 ID:GAVWDIdO0
その親近感ってところと現物をかみ合わせないための「実写」無しなのかもね〜
うめ
梅
うめーえ
うめうめ
うめーる
うめ終了
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