【学者オタ】大物近代史家総合スレの27【出入厳禁】

このエントリーをはてなブックマークに追加
818名無しさん@お腹いっぱい。
〈アヘン戦争から冷戦終結の150年。10大出来事は?〉
加藤陽子 東大准教授

■革命でなく戦争で獲得
 「日本人の戦争」の特徴を考える視点を重視したい。日本は、他国が革命で獲得したようなことを、
貴い命をなくし、近隣諸国に多大な迷惑をかけながらだが、戦争を通じて獲得してきた。太平洋戦争が
なければこの戦後もなかった。
http://www.asahi.com/international/history/0529/12.html

二重外交の始まりシベリア出兵 加藤陽子(東大准教授)

 満州事変前に日本が南満州に持っていた権益は、国家が戦争によって獲得した条約上の権利が
大半だった。日本の民間人は自ら大陸に出て行く能力がなく、国と軍隊に守られて出て行った。
これが日本人の排外主義を助長した。まして日中間には条約に関する主張の不一致があったのに、
国民に隠されていたことが、満州事変から日中戦争へと事態が拡大するのに影響した。

 日本人は、ベトナム戦争をベトナム側の「被害者」の目で見つつ、基地を提供し続けた。このとき
すべきだったのは、「侵略者」の立場から日中戦争と太平洋戦争を再考することではなかったか。
http://www.asahi.com/international/history/chapter04/best10/01.html

この女、まだ生きてたシーラカンスのようなただの憲法9条信者だったのかよ?

満州事変の原因
http://www.history.gr.jp/~showa/214.html
3、煽(あお)られた中国の反日ナショナリズム
http://www.history.gr.jp/~showa/113.html

米軍がベトナムに軍事介入しなかったら、インドネシアなど東南アジアに共産化のドミノが起きていた
可能性が高い。それは、日本の満州進出が共産主義への防波堤構築であったことと同じ。

こんな女が東大で教鞭を執れるぐらいだから、日本には人文科学の分野でワールドクラスの人物が
いないんだよ。
道徳論とかそういう日本人的なナイーブさを越えた冷徹な歴史家はいないのかよ?
819名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/17(火) 00:58:43.72 ID:skJp849K0
加藤陽子は、伊藤隆門下で例外的な左翼だから、東大教授になれたんだよ。
伊藤隆本人は、佐々木隆か古川隆久を後任にしたかったが、他の教授たちが
許さなかった。
820名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/17(火) 01:32:48.13 ID:yKnOtrh00
>>819
『諸君!』2007年2月号
総力特集 戦後史の「負の遺産」を破棄せよ
白熱の激論六時間 「冷戦」は終わっていない!

伊藤 隆(東京大学名誉教授)/櫻井よしこ(ジャーナリスト)/
中西輝政(京都大学教授)/古田博司(筑波大学教授)
外に共産主義独裁国家群の反日包囲網。内にメディア、大学、政界トップに浸透する「見えない左翼」たち。
この内憂外患に打ち克たなければ、日本はまた「敗戦の日」を迎えることになる

5 大学を牛耳る左翼シンパ
http://202.239.151.196/mag/shokun/shokun0702.htm

その対談で言われていたが、全国の大学では、どこの大学でも左翼の勢力は衰えるどころか
ますます増大していて、もはや保守派を圧倒しているらしい。
学生も左翼ばかりらしい。古田博司教授のゼミでは、「先生、『諸君!』に書くのだけは
やめてください」と言われたりするらしい。
東大はまだ右から左までいるけど、京大は左翼ばかりだと言ってた。
やはり、日本国は文化的に破滅へ向う性質を内包しているのだろうか?
http://unkar.org/r/history/1121091165/596
http://unkar.org/r/history/1121091165/766

左翼に嫌われたら教授になれないらしいな。
821名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/17(火) 01:39:17.51 ID:yKnOtrh00
日本人のアジア観 日清戦争で「蔑視感情」広がる
http://www.asahi.com/international/history/chapter02/03.html
 日中関係を研究する敬愛大(千葉県)の家近亮子(いえちか・りょうこ)准教授は、「日清戦争の勝利は
日本に、アジアは遅れているという認識を根付かせた。蔑視(べっし)感情も広がった」と指摘する。
その意識は10年後の日露戦争でさらに強まり、中国侵略に踏み出す行為につながる。
 こうした意識は今もどこかに残っていないだろうか。家近さんは7月、学生に「あなたはアジア人だと
意識したことがありますか」とアンケートした。
 教室の半分近くを占めるアジアからの留学生は、86%が「ある」と答えた。これに対し、「ある」と答えた
日本人は63%にとどまり、「むしろ欧米人だったらよかった」と記した学生もいた。

東京裁判の不徹底さ 葛藤深める 君島和彦(東京学芸大教授)
http://www.asahi.com/international/history/chapter06/best10/01.html
 まず、日本人が自らの手で戦争犯罪を裁けなかったことも含めて、東京裁判の不徹底さを指摘したい。
米国は、15年戦争(満州事変から第2次大戦まで)の最大の責任者であった昭和天皇を免責した。

新中国の意義、確定せず 毛里和子(早大政経学術院教授)
http://www.asahi.com/international/history/chapter08/best10/02.html
 05年の第2次日韓協約、10年の「韓国併合に関する条約」で大韓帝国は消滅し、朝鮮は日本の
植民地になった。「創氏改名」が象徴するように、軍事的、経済的、文化的にも特異な植民地と言える。
近代日本の朝鮮人蔑視(べっし)、朝鮮支配は、なぜ世界に類例のない構造と内容を持ったのかが
解明される必要がある。
822名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/17(火) 01:39:59.07 ID:yKnOtrh00
>>821
【アジア】アジアという単純な用語に日本人は弱い。「自分たちをアジア人だと意識する」中国人6% 中華思想の表れか −コラム−[08/20]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1156478495/
まず、自分達を「アジア人」であると意識する度合いが国々によりまちまちである。ベトナムでは84%、
韓国では71%、日本では42%の者が自分達を「アジア人」と位置づけているのに対し、中国ではその割合は
僅か6%に止まっているのである。
http://www.jaas.or.jp/pdf/52-1/p102-106.pdf

【竹島の日】 君島和彦・内藤正中・朝日新聞によると、「竹島は韓国の領土」
http://unkar.org/r/news/1232981028
【対馬竹島問題】支離滅裂!東芸大・君島が朝日に載せた屁理屈コラムの概要
http://panther.iza.ne.jp/blog/entry/573347/
【韓国】日本の‘独島主張’を批判した日本人学者、ソウル大教授に[02/02]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1233532925/297
823名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/17(火) 01:41:30.05 ID:yKnOtrh00
〈記憶をつくるもの〉
中国から見た残留孤児

■「民族の寛容さ」示す歴史
 終戦時、旧満州にいた約155万人の日本人のうち20万人以上が飢えや寒さなどで亡くなった。
日本の悲惨な引き揚げの記憶は、中国において残留孤児に対する「民族の寛容さ」を示す歴史と
裏表になっている。
http://www.asahi.com/international/history/chapter05/memory/01.html
824名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/17(火) 01:42:06.76 ID:yKnOtrh00
>>823
中国残留孤児について
http://unkar.org/r/china/1139141193

59 :名無的発言者:2006/11/20(月) 21:40:02
残留孤児の真実とは、満人(=シナ人)による人身売買や幼児強奪だった。


朝日新聞(朝刊)2002年8月18日 読者のページ 戦場体験(下)
「開拓団の母子助けずに逃避」 無職 岡本輝雄(大阪府高石市 80歳)

 昭和20年8月9日、ソ連軍の侵攻を聞いたのは、東満州(中国東北部)の斐徳第9
遊撃連隊で早朝、非常呼集で起こされた時である。連隊長は「転進」を命令、部隊は
移動し始めた。
 3千数百人の大部隊であるが、戦闘能力のあるのは700人ほどの現役兵だけで、
後は開拓団から動員で集められた人々であった。
 部隊は落後者が出たり空襲を受けたり、数日後にはバラバラになっていた。
 開拓団の婦人が、荷車に子供と荷物を載せて必死でラバのたづなを握っていた。何とか
部隊についていこうとするが取り残される。そして現地の人たちに襲われた。
 惨殺された婦人が転がっている。子どもと荷物は奪われたらしい。血みどろになって
子どもの名を呼びながら、集落の方へよろよろと行く婦人もいた。私たち兵隊も逃げのびる
のがやっとで、彼女たちには何もしてやれなかった。残留孤児を見る度に、悔恨がこみ上げ
て胸が痛む。