日中戦争は『通州事件』を引き起こした中国人の責任

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81名無しさん@お腹いっぱい。
『正論』 2012年12月号
折節の記

 日本人は長崎事件から八年、日清戦争で再び支那人にまみえて、もう一つの性格を知る。残忍さだ。
司令官の山縣有朋は開戦から二ヶ月目、平壌陥落後に緊急の訓示を出している。「支那人は性、
残忍にして一旦生禽(捕虜)されれば死に勝る苦痛を受け、野蛮惨毒の所為をもって殺害される。
生禽になるより潔く一死を選べ」と。
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 惨毒の所為とは秋山好古の副官が別の戦場で報告しているが、耳と鼻を削ぎ、眼をくり抜き、陰茎を
切り落とし、口に押し込んで窒息死させる。何人かを連行する時は針金で生身を刺し貫き繋いでいく。
針金使いも支那人の特徴で、それから四十年後の通州事件でも使われた。このときは強姦された
日本人女性の鼻に針金を通して処刑場に引き立てている。子供にも使っている。手足の指をすべて
切り落とした児童の顔を針金で貫いて、局部に箒を突き刺されて殺された母親に縛り付けてあった。
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 その十年後、満州で日本人三千人が虐殺された通化事件でも氷原を連行する際、針金を脛に通して
つないで歩かせた。さらに半世紀立った今も、満州・吉林省で脱北朝鮮人を連行するときに手錠代わりに
手の甲に針金を通す。時代を超える残忍さはもはや支那人の国民性とも言える。そんな支那と関わった
何十万もの日本人が自らの血で、「危険な支那人」を訴えてきた。
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 しかし戦後、日本人は有朋の訓示も同胞の遺訓も忘れ、松下幸之助は、「支那人はみな鑑真」と信じ、
彼らに家電の工場をノウハウごとそっくり与え、武村正義は半生を支那の植林にかけて、日本人に
錯覚を刷り込んだ。一方の支那覇周恩来、ケ小平が李鴻章に倣って日本人をたぶらかして尖閣諸島は
俺たちのモノと言いだした。
http://ippeke.de-blog.jp/blog/2012/11/post_b3d7.html