【自衛】大東亜戦争議論スレ【侵略】パート2

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993名無しさん@お腹いっぱい。
歩行者が、信号機をまもるかどうかは内省的義務感の問題。信号を守らなかったからと言って
【超越的普遍的・権力】から罰せられることはない。クルマが1時間に数台しか通らないような
場所にある信号機の指示をまもるかどうかは当人の内省的義務感の問題であり、クルマが1分間に
20台以上通る場所にある信号機の指示をまもるかどうかも当人の内省的義務感の問題。ソクラテス
ほどに名誉を重んじる市民なら、西表島にある「たったひとつの信号機」でも守ればよい。これが
国際法の社会。
994名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/25(日) 01:44:45.96 ID:G/6Izhsy0
一方で日本や世界の多くでは、クルマに乗る自由は「原則として制限・禁止されている」。
ひとは、自由にクルマに乗ってはならない。このように合意された社会であれば、許可され
ないひとが「みずからの自由意志や良心、内省的義務にのっとり」許可なくクルマに乗る
ことは禁止されている。だから、許可されるにさいして事前に教導され指導された内容に
反するような方法でクルマに乗れば罰せられる。いくら信号無視をした歩行者を轢いたとしても
罰せられるのはクルマの運転者だというのはこのためである。

ところで国際法はこのような段階ではまったく無い。国際連合によりそのように移項しようと
しているが、国家間で共有されている価値は<ジェノサイド><大量殺人>などの限られた
範囲にとどまる。