語り合おうぜよ!!
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/05(水) 00:17:52.78 ID:3BuuFuTt0
土佐勤王党盟約文
堂々たる神州、戎狄の辱しめを受け、古より伝はれる大和魂も今は既に絶えなんと、帝は深く歎き玉ふ。
しかれども久しく治まれる御代の因循委惰といふ俗に習ひて、独りもこの心を振ひ挙げて皇国の禍を攘ふひとなし。
かしこくもわが老公つとに此事を憂ひ玉ひて、有司の人々に言ひ争ひ玉へども、かえってその為めに罪を得玉ひぬ。
かくありがたき御心におはしますを、などこの罪には落入り玉ひぬる。君辱めを受くる時は臣死すと。
いわんや皇国の今にも衽を左にせんとするを他にや見るべき。
彼の大和魂を奮ひ起し、異姓兄弟の結びをなし、一点の私意を挟まず、相謀りて国家興復の萬一に裨補せんとす。
錦旗若し一たび揚らば、団結して水火をも踏むと、爰に神明に誓ひ、上は帝の大御心をやすめ奉り、我が老公の御志を継ぎ、下は萬民の患をも払はんとす。
されば此中に私もて何にかくに争ふものあらば、神の怒り罪玉ふをも待たで、人々寄つどひて腹かき切らせんと、おのれおのれが名を書き記し、おさめ置きぬ。
くそう上士のせいで・・・
おのれよーどー!?
下士と上士の軋轢を必要以上に重大に捉えて
下士は土佐では犬猫以下の扱いだった〜みたいな話を信じてる奴は司馬と坂崎紫欄に騙され過ぎ
自由民権史観プッシュする坂崎の手に掛かると容堂の維新後の放蕩ですら「封建性の打破」になるんだから恐れ入るw
それはともかく瑞山&土佐勤王党と山内容堂はセットで調べた方がいいと思うがね
前スレの続きになるけど
武市先生と樋口真吉って史料上の接点あったっけ?
>>6 ホントだwどうもすいません。
『武氏』も武市先生のことだよね多分。
雨の日によく武市先生が訪ねて来てるようだ。
1ページ目の有名な『坂龍飛騰』に続く『武楯出風憲』はどういう意味に受け取ったらいいんだろう?
武市さんは年長者とよく相談してたらしい。横田氏の本に書いてあった。
直接指揮を採るのは最初だけで途中から割とおまかせモードになってた気がする。
>>1 乙
>>4 260年もの長い間の激しい差別に晒して今日までなんの謝罪もしてない
(しても山内家のように儀式的)
のだから、そういう認識を持つ人がいてもやむを得ないと思う
少なくとも、そういう歴史ではあった
>>9 いや当時は人間序列があるのが当たり前の時代だったし階級差があるのはどこの藩も同じ。
長い間の激しい差別って何を指してるんだ?
大体龍馬達郷士だって国民の大多数が農民の時代に代々藩から禄もらってる特権階級だし封建社会への恨みって言われても。
そんな了見だから「井口村刃傷事件が土佐勤王党結成の切欠」みたいな根拠のない俗説を
龍馬記念館の学芸員までまことしやかに吹聴することになるのだよ。
>>7 >『武楯出風憲』はどういう意味に受け取ったらいいんだろう?
目付役場に出頭って感じだったかと。
ほれ、あの書生論だとかなんとか言われた時の事。
>>10 龍馬の坂本家も瑞山も島村家も富裕層だもんな。
むしろ経済的に恵まれた暮らしだったからこそ青臭い「書生論」を真面目に実行したりするんだ。
>>12 普通に考えれば瑞山って馬鹿だもんな。
あんな馬鹿によく200人もの党員が付いて行ったものだ。
政治するには、それしか選択肢が無かったんだろうけど
井の中の蛙、お山の大将に過ぎない武市でも、当時の党員には救世主に見えてたのかな
間崎、平井は本当に惜しかったねぇ。
武市は頭固いし融通利かないから、生きててもこれ以上は何も出来なかっただろうしあそこで死んで正解だけど、この二人は維新後も良い仕事しただろうになぁ
武市じゃなく大石が盟主だったなら死なずに済んだかもしれないのにね。
そもそも武市なんて叔父の思想に洗脳されただけの馬鹿じゃんwwあの人いなかったら自分の思想なんて無かっただろ武市www
>>13 はいはいクマクマ
前スレに粘着してた腐れ佐藤以蔵オタは
キモいので自分のブログから出て来ないで下さい。
勤王党参加理由は人それぞれだろう
身分制や上士めがーと参加したのも居たろうし、血気盛んなで入ったのもいるだろし
全体を纏め上げた器量あるのが武市なんで
武市が頭が固いってのも違うしね
それを言うなら龍馬や西郷や大久保も頭固いし
西南戦争も両方譲れないから起こったんだしね
>>10 龍馬記念館の学芸員「根拠は無いけど(井口村事件は)土佐勤王党結成に影響してるんじゃないでしょーかねー」
とか言ってたなw
根拠が無いならそんな事言っちゃダメだろw
前スレで話題になってた門田為之助だけど「土佐偉人伝」に項があるね。でも短い。
本当に資料があまり残ってなかったのね。
1835年(天保五年) 竹村東野、江ノ口村に成美塾を開く。門弟の数は一千余人。同塾は多くの土佐勤王党志士を育成した。
1837年(天保八年) 樋口真吉、筑州柳河の大石神影流大石道場に入門する。
1841年(天保十二年) 土佐三郡の郷分庄屋が中心になり秘密の庄屋同盟を結ぶ。
1842年(天保十三年) 庄屋同盟に触発された吾川郡の領民三百数十名が松山藩領へ逃散する。
1843年(天保十四年) 三月七日、第十二代藩主山内豊資公、吾川郡の集団逃散事件の責任を負い隠退する。
1843年(天保十四年) 同日、山内豊資公長男“豊熈”が第十三代藩主になる。
1844年(天保十五年) 試通馬禁止令に怒った郷士六百名が城下に集結し、不当な階級差別だと藩庁に対して猛抗議を行う。
※[藩庁記録] 是より先、郷士連署して馭初式試乗規定に異議を陳情することあり。
是日、手書を有司に下して慰撫の策を講ぜじむ。紛紜年を越えて尚、決せず。
1848年(嘉永元年) 吉村虎太郎、庄屋職に就任する。
1848年(嘉永元年) 七月、山内豊熈公、三四歳で病没する。
1848年(嘉永元年) 九月六日、山内豊資公次男“豊惇”が第十四代藩主になる。
1848年(嘉永元年) 同年九月十八日、山内豊惇公、二五歳で病没する。
1848年(嘉永元年) 同年十二月、分家の山内容堂、応急措置として条件付きながら第十五代藩主となる。
1850年(嘉永三年) 北添佶磨、庄屋職に就任する。
1853年(嘉永六年) 四月、坂本龍馬 江戸に出て北辰一刀流千葉道場に入門する。
1853年(嘉永六年) 七月、ペリー提督率いる米国艦隊が浦賀沖に来航する。
1854年(嘉永七年) 武市半平太、城下新町田淵に剣術道場を開く。
1854年(安政元年) 十一月、巨大地震と大津波が土佐を襲い、沿岸諸浦が壊滅的被害を受ける。
1856年(安政三年) 武市半平太、江戸に出て鏡心明智流桃井塾士学館に入門する。
1857年(安政四年) 中岡慎太郎、安芸郡北川郷大庄屋見習になる。
1858年(安政五年) 山内容堂公、幕府に隠退届を提出する。
1859年(安政六年) 二月、容堂公の隠退に伴い、山内豊資公末子“豊範”が第十六代藩主になる。
1859年(安政六年) 十月、容堂公、幕府から謹慎を命じられる。
1860年(万延元年) 三月、江戸城桜田門外で大老井伊直弼が暗殺される。
1860年(万延元年) 七月、武市半平太、岡田以蔵らを伴い、西国へ情勢探索の旅に出る。
1860年(万延元年) 十月、和宮親子内親王の御降嫁が決定される。
1861年(文久元年) 三月、永福寺門前事件が発生。藩庁による捜査は執拗で、事件に関与した軽格側への追及は一月程続く。
1861年(文久元年) 四月、大石弥太郎、江戸から武市半平太に宛て、江戸招請を要請する旨の書簡を送る。
1861年(文久元年) 同月、武市半平太は義甥の小笠原保馬を伴い土佐を出立。諸国探索を終えた六月、江戸に到着する。
1861年(文久元年) 八月、武市半平太、江戸で薩長勤王志士らと三藩連合による勤王運動を約し、土佐勤王党を結成する。
司馬遼太郎の影響で風評被害を被った人物といえば田中光顕もそうなんだよな。
葉山の御夢の前から皇后は龍馬の事を知っていた。
一坂太郎が何やら勝手なことを言っていたが
別にあれは田中光顕ら「薩長の肥やしになった土佐閥の恨みのプロパガンダ」と言われるような代物ではない。
>>19 瑞山の三藩主同時入京提案はあんまり注目されないよね。
というより文久年間の動き自体あんまり注目されてないのか。
ちなみにこの頃交流のあった薩摩の樺山三円はいつの間にか史料から消えて行方不明らしい。
薩摩人はあまり史料残さないとも言われているけれど…。
>>22 大河ではカリスマ性のカの字もない悲惨な扱いだったけど注目は浴びたよね…。
まあ以蔵を毒殺だの暗殺で利用だのの創作ネタを真に受けてキーキー言ってる腐女子は
例の粘着してた人みたいに何言ってもムダだろうから今更手のひら返さなくてもいいけど。
時に武市さん達や天忠組の目的って結局天皇親政って事になるのかな?
>>22 去年高知県立歴史民俗資料館でやった「武市半平太の手紙――拝啓 おとみ殿」は良い企画展だった。
またいつかやらないかな。
>>23 天皇親政というか幕府に代わって朝廷中心の政治体制を構築したかったんじゃないか。
挙藩勤王もそのために必要な手段であって目的じゃない。
また土佐一藩の力だけで時勢をどうこうできるとは考えて無かっただろう。
瑞山・龍馬ら土佐の者は調整役が主な役割だったと思うが
三藩主同時入京を提案した時、瑞山は時勢を動かす中心人物だったと言えるかもしれない。
攘夷がまず第一でしょう
真木和泉が長州藩単独では攘夷実現は不可能と見て
挙国攘夷に持って行く為考えたよう
討幕も考えていた様
>>12 日和見してる奴よりそういう真面目な奴の方が好きだね。
日和見してる奴ばかりじゃ世の中変わらん。
幕府の対外姿勢を批判する所から幕末の闘争が始まってるんだよね。
弱腰外交の幕府に代わり国難に対応できる新政権樹立が目的だったのではないでしょうか。
ところで間崎哲馬が小南五郎右衛門に頼んで航海術修行を推奨した話って何に載ってるん?
これのお陰で高松太郎、千屋寅之助、望月亀弥太達が勝先生の塾生になれたみたいだけど。
よう分からんのは山内家でも前藩主の容堂と違って
現藩主の豊範、容堂の実弟の山内兵之助、山内民部らは勤王派に協力的だった事だ
山内なら佐幕>勤王ってわけでもないし
土佐の佐幕派は佐幕派内でまたバリエーションがある
窃かに古今宇内の盛衰得失を察するに、一治一乱は勢の止むを得ざるもの也。
而して一張一弛は治国の要務也。非常の難を釈くものは、常道を以て見る可らず。
抑も和漢古今及び西洋各国其国政の張るや、必ず大英断を施し、大危難を経、一朝其の旧弊を除き、始めて其の国の政教の一新を見る可く、国体茲に於てや立つ。
未だ周旋と議論とに終始して国を興し、難を釈くものを聞かざる也。
世上往々議論周旋する者あり。其の言に曰く。『皇国一和以て政教を立つる也。武備充実以て国威を張る也。信義以て外国に交る也』と。
議論愈々密に周旋益々極り、而て未だ其の実効を見ざる也。何となれば是れ言う可くして行う可らざるの理也。
抑も癸丑以来皇国一和、武備充実等紛々たる説あり。
始め三港條約の成りし時、久坂義助なる者「回瀾條義」を著す。其の説に曰く、「今巳に三港定約の成りし上は、広く有志の者を海外に遣わし、西洋の諸学諸芸及工商の術を学ばしめ、大に海陸の軍備を張る可し。斯の如くせざれば、以て国体を立つるに足らず」と。
其後幕府益々妄行、諸藩日々に因循苟安、会て其の効を見ざるに至る。
茲に於て始めて其の言の空論施すに足らざるを知り、壬戌の年に至り義助又「解腕痴言」を著す。
其の説に曰く、「今日 天朝勅諭確々奉ぜざる可らず」と。断然攘夷の説を決して曰く。
「苟くも吾輩節義を以て天下を動かし、一死以て皇恩に報い、一朝不測の難を神州に引受け、百戦の危を経る豪傑其の間に興るに非らざれば、何を以て土崩の患を防ぐに足らん」と。
高杉春風も亦曰く。「今日西洋事情を説き、彼を知るを以て自ら負う者、わずかに西洋の一端を見て、会て古今盛衰の機の由る所を知らず、当時彼の盛強なる、尤も其の本既にあり。
今日吾邦に於て、彼の盛なるを学ばんと欲せば、英佛等の未が盛ならざる時、内戦度々有之し事。又、魯西亜の百戦危難の内より国を起せし事など斟酌し模範とす可し。若し吾が国今日の弊勢を以て、彼の盛強文明巳に治まりたるを坐ながら学ばんと謂はゞ大間違也。
故に曰く。宜く奇変、英達、実行を以て天下を一新す可し」と。
嗚呼。両士既に去る。復た両士に対して今日の事を議する事能わず。
然りと雖も幸に其の言に因て、聊か今日の治論を助くるに足る。今已に歴観せし所の一二を証せん。
壬戌の年薩州の壮士英夷を生麦村に斬る。其後英軍鹿児島に入り罪を問う。時論多く、曰く薩州大なりと雖も英国の力を以て攻むるに至りては、決して支う可らずと。
然るに此の一戦に依て士気大に奮い、俗論漸く沮し、因循苟且の弊漸く破れ、所謂攘夷家なる者も先んじて航海練兵の実用を主張するに至り、一藩の国是定りたり。
又長州に於ては、屡々夷船を暴撃し、甲子京師に敗軍し、続て馬関の大敗あり。又追討の兵を四境に受く。
此の時人皆思へらく、防長の滅亡疑いなしと。壹計らん、長州は一国の政事を改革し、兵制を一新し士気大いに奮うは、全く此の一危難に由て也。
又幕府昨年討長の敗軍に人皆思えらく、自今幕府恐るゝに足らずと。何ぞ計らん、幕府の海陸兵制の奮いしは、亦此敗軍の機に由て也。
凡そ機会の間常眼を以て見る可きは難し。斯の如き活動の機、卓識英断並び行う。義助春風の如き非常の士に非ざれば見難き也。
然るに天下今日因循苟旦の弊、猶未だ其の百分一を改むるを見ず。
夫れ世間因循傍観区々として、只人の失策のみ求め、笑ひ坐して天下の機会を失し、甘んじて人の後に落つ。
斯の如き碌々愚弱の徒、固より論ずるに足らず。其他世に所謂有名の藩なる者に至っては此の理を知り、勢を辨ずと雖、未だ其の効なきは何ぞや。
是れ亦恐らくは成敗の間に疑惑し、事に臨で断ずる事能わず、未だ因循苟旦の弊を脱せざる也。
古人曰く断大事者、先忘成敗と。是れ実論也。事機の得失、前証の如く、敗素より憂うるに足らざるあり。勝却て恐る可きあり。若し此の機を知り着眼一定して百敗撓まざる時は、天下万事成らざる稀也。
然るに国に大義あり。公道あり。戦求めて得可らず。只管大義を踏み、公道を行い、一歩も退かざれば已を得ざるの機決、必ず目前に至らん。此れ前件の勢を論ぜざるを得ざる所也。
吾が神州危急存亡今日に至て極れり。
苟も其の国民たる者、壹傍観すべけんや。誠に古人言う所の如く、邑ある者は邑を擲ち、家財ある者は家財を擲ち、勇ある者は勇を振い、智謀ある者は智謀を尽し、一技一芸ある者は其の技芸を尽し、
愚なる者は愚に尽し、光明正大、各々一死以て至誠を尽し、然る後政教立つ可く、武備充実、国威張る可く、信義外蕃に及ぶ可き也。
克く斯の如くすれば壹、皇運挽回の機なからんや。壹復外藩を制するの術なからん哉。満腹の婆心聊か書して知己の忠告を待つと云爾。
時勢論 中岡慎太郎
>>28 「尊皇」にはそれだけの重みがあるってことかな。
山内民部などは山内家一門にも関わらず討幕論に賛同してたらしい。
そういえば山内豊範は長州藩主の養女と結婚してたね。
政変後泣く泣く離婚させられてたみたいだけどその後はどうなったんだろう?再婚したのか?
武市瑞山といえば志士を糾合した功績ばかり注目されるけど
この辺の人達の助力を引き出し土佐を中央政局に担ぎ出したあたりはもっと評価されていいと思う。
>>31 >>武市瑞山といえば志士を糾合した功績ばかり注目されるけど
その功績ですら、最近はまともに評価されてる本殆ど見ない気がする
・土佐の志士を政治的に覚醒させる導火線の役割
・薩長土連携の先駆け
明治維新と言う結果に直結する武市の歴史的存在意義は、この辺だろう。
「土佐の吉田松陰」と言った所か。
瑞山の政治上の実績といえば朝廷復権運動に関する部分じゃね。
龍馬は何で脱藩したんでしょうねー誰に暗殺されたんでしょうねーいやー大いなる謎ですねー
みたいな話題がループしてるおバカ達の界隈の話等どうでもいい。
武市先生、将軍に謁見までしちゃったしね。
そりゃ土佐藩の立場考えれば不敬罪こじつけてでも死刑にしようとするわ。
ところで
>>2の盟約文は
大石弥太郎に加え
同じく鹿持雅澄門下で武市の学問の師だった徳永千規も起草に加わってるそうだね。
>>4 まあ関ヶ原以来の土佐の階級差への反発が皆無だったかといえばそんな事も無い訳で。
被差別意識が創作で強調され過ぎてるきらいはあるがw
例えば瑞山釈放嘆願運動に関しても党員によって対応に差が出たが
野根山23士などは土佐藩上層部への反発心を露わにした集団だった。
安芸郡志士の育ての親である高松順蔵などは容堂からの出仕の話を断り
一方門田為之助は容堂の覚えもよく和歌を下賜されている。
階級に対する意識は地域また個人によって差があったとみるべきだろう。
安芸郡て血の気多いの?
井口村も血の気多いよね
平井なんざ戦国策士の風があるとか言われているわりには、土佐からの追っ手を中岡や岡田や武市の弟のような、下っ端党員を使って返り討ちにしたり、
長州の家茂暗殺計画にも、田中らを応援に差し出したりして協力的だったし結構な過激派だよね
まぁ、ホモが上士に斬り殺されるような土地ですしね
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 09:30:54.96 ID:GiwjYLug0
例のキモ粘着以蔵オタの荒らしだよw
歴史に興味はないそうなので餌やるなw
スルーしとけ。
42 :
ブス:2011/10/20(木) 23:39:57.86 ID:1JuZRaGGO
四与力暗殺の時武市さんに知らせに来る津和野藩の志士、福羽文三郎ってどんな人ですか?
調べても美静になってからの事しかありません。
武市に知らせに来る事と学習院出仕ぐらいしかわからないです。
福岡在住なのに高知県民のフリまでして何がしたかったんだか…
武市さんの名前が出る場所ならどこでも、乙女ゲーのスレにまで出張してきて厨ちゃん丸出しで悪口言い出し
向こうでもすぐ特定されてたよこの岡田以蔵オタの人。
>>31 理想としては朝廷>幕府が正しいんだけど
力関係が幕府>朝廷の現状では幕府の顔色を伺うのが現実的な対応という事で
お偉いさんにとってもこれは悩ましい問題だったんでしょうね。
土佐勤王党に直接関係ないが
10月29日の土佐史談会「土佐の偉人十講座」が松岡司の「野中兼山遺族」
行く人いる?
ちなみに来月は谷干城じゃよ。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/21(金) 23:45:39.45 ID:Y26COrSg0
武市さ〜んまってつぁkさぃー
>>31 瑞山が大久保っぽいと言われるのはその辺の働きを指してるんだろうな。
土佐勤王党の活動というと、本来オマケ要素である筈の天誅しか注目されないのが悲しい所だ。
朝廷復権が主な活動目的だったと思うんだが。
天皇と言う言葉を聞いただけで涙するほどの「天皇好き」は
現代では評価されにくかろう。
さすが武市先生。
そういう人物じゃない奴は信用できない。
幾ら口先が上手くても、口舌の徒に過ぎない。
一党意識が強くて協調性のない土佐っぽが団体行動出来てたのも
藩主含め土佐藩上層部に協力者が出来たのも
そんな武市さんの人徳があればこそという側面があるわけよ。
しかし残念ながら地元以外での一般的な武市先生に対する認識というのはこんなものではないだろーか。
萩市観光協会公式サイトより
一坂太郎のディスカバー維新史〜龍馬立志の萩
http://www.hagishi.com/ishinshi/006.html 一坂ワザと書いてるんじゃないんだよな?w
久坂の「在野の草莽糾合、義挙の外には迚も策これ無き事と〜」の義挙って
伏見義挙の事じゃねーの?あの早とちりプランの。
つーか時期尚早な義挙を決行して何の役に立つというのかね。
一藩勤皇(挙藩勤皇)は目標達成のためクリアすべき必要最低条件じゃね?
長州でも土佐でも当時藩論は公武合体だから
草莽義挙で時勢を動かすしかないと見たわけだろう
武市は最終的に暗殺と言う非常手段で動かしたが
武市は一般的な評価は低いよ。
吉村の方が評価高い
萩の祭でも武市だけハブられたようだし
維新まつりでも、武市のイメージ悪いようだし、所詮余所では武市なんてそんなもんだろう
高知以外では評価されずに、四天王の中で一番人気無いしな
姉小路暗殺したのも世間では武市だと思われてるし、武市なんて世間ではカス
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/23(日) 10:08:45.95 ID:bJs9fmY+0
一般評価とか言われてもw
吉村なんてほとんど知られて無いだろ
初期の龍馬と言える平野国臣なんかもほとんど知られてない
吉村虎太郎推しって地元の檮原津野山や天誅組の五條東吉野くらいだろw
高知ですら目先の人気ばかり見てほぼ無視じゃんw
土佐四天王と認知してる人がどれくらいいるんだろうというレベル
迷惑かけられた側の吉野があれだけ天誅組大切にしてるのはすごいと思うけど。
>>55 吉村は、山口県の萩でも評価高いみたいよ。
武市は藩にこだわって脱藩しなかったから山口的には狭量扱い
久坂の話聞いて脱藩した方が偉いって認識だから
なぜ例の粘着にいちいち構うかなぁ…
この粘着、大森南朋のスレにまで出没して発狂してたみたいで、
武市の名前が出そうな所に常に貼り付いて機を伺う様がキモイくて
個人的には関わり合いになりたくないもんだから、
こんな奴にいちいち構う人の気が知れん。
まだ推してくれる所があるだけ良いんじゃないかな
武市はどこが推してくれてるって?ん?
武市みたいに、天誅天誅でまともに功績について語られないテロリスト扱いより良いじゃん
龍馬にまで見捨てられ浮浪者になったあげく女も耐えた拷問に泣き喚きながら自白した
岡田以蔵みたいなゴミ野郎の痛いヲタ腐女子が散々論破されても飽きもせず粘着しとるなw
以蔵本人が志士の本分を忘れたクズならオタの人間性までクズときてるw
もう卑怯なマネはしない(キリッとかブログで所信表明してなかったかw
同じ武市門下で天誅を好んだ男でも島村衛吉と岡田以蔵では何故ここまで末路に差が付いたんだろうなー
>>59 岡田以蔵ねえ…ちょっと他の党員と見比べれば
とても誉めたり同情したり出来る人ではないって分りそうなもんだけど。
wikiも大分修正されたけどアレ見てどう思ってるんだろ?
集団行動してる人達を一人だけ取り上げてそればっか調べても仕方ないのに。
武市さんに関しては地元で定期的に顕彰されてるんじゃない?
「土佐勤王党」って集団に割とスポットライトが当たりだしたのは去年の大河ドラマ以降だと思うけどね。
テレビとかに出してもらえれば縁の品が出てくる党員は他にもいると思うよ。
以蔵の事じゃなく武市の話してるんだけど?
で、地元以外でこいつ推してる所あるの?
萩でも土佐四天王の中で唯一狭量扱いでスルーされてる存在なのに?
答えてみろよほらwww
武市なんて評価してるのは地元以外無いって言われたのが悔しくて逆ギレですか?www
ずっと同じ内容しか書かず行く先々で特定されてる癖にしらばっくれなくていいぞキモ腐w
地元以外で観光客呼べる維新志士なんて龍馬くらいのもんだw
しかし一坂太郎も久坂&吉村と伏見義挙の件、まさか知らないのか
知っててああいう書き方なのか
久坂玄瑞といえば、横田先生が「武市半平太と土佐勤王党」で
ボロカスに書いてたようなw
ボロカスだったか?
むしろ、若さ故に当然の事みたいな書き方じゃなかったか?
脱藩時は吉村と似た様な心境だったであろう龍馬も
草莽崛起を実行に移した吉村達が派手に爆死した件に対してはドライな感想残してるんだけどな。
で資金繰りに困っていた事も手伝って挙藩勤王路線に戻った。
容堂の事と言い、以蔵の事と言い、武市は人を見る目が無かったな。
これが命取りになった。
土佐藩が動かなくても龍馬や中岡は薩長と共に挙兵したろうけどなあ。
土佐藩が薩長側に参戦するのは鳥羽伏見で薩長優勢が見えてからだし。
日和見が薩長に後れを取った原因。
結局武市を殺して草莽の志士である龍馬と中岡も喪いもっとも痛手が大きかったのは土佐藩だから。
以蔵のせいで死んだのは同日斬首になった村田忠三郎・岡本次郎・久松喜代馬
あと拷問死した島村衛吉とか服毒自害した田内衛吉とか
久松なんて武市門下で一緒に剣術修行にも行った仲なのに拷問で売っちゃうんだもんなあ以蔵。
暗殺の時、田内衛吉に手を踏まれましたーみたいな事まで洗いざらいベラベラ喋ったんだっけw
>>67 容堂は安政の大獄で処分を受けた後、土佐藩主として矢張り親幕で行くべきだと思い直したんじゃないか。
日和見もしてるけど。
瑞山は容堂に負け、容堂は自分の判断に負けたという事かね。
そりゃ前藩主には勝てない
武市は忠臣だからなあ
武市が長州に生まれてたら違ったろうなあ
容堂は最期まで幕府と薩長で勤王佐幕でゆれてたのに家臣を殺す判断は早い
武市の性格であのヒャッハー藩と上手くやってけるんだろうか
>>62 残った手紙とか鑑定しても龍馬だけ桁が違うもんねw相場としては
武市さん150万円
西郷さん200万円
徳川家康250万円
龍馬1500万円
前スレに来てた門田為之助子孫の人も貴重な勤王党関係史料を世に出してくれないかな。
土佐勤研究って手つかずの部分が多いよね。党全体を調べたのって平尾道雄と横田達雄くらいじゃない?
幕末が龍馬中心の史観になってるからなw
中岡のがむしろ正道だから幕末が分かるんだが
義挙にこそ参加しなかったが瑞山は久坂の事を尊敬してたようだ。
在京日記で後日伏見義挙の件を久坂と話し合っているが、
京都鎮撫の朝命の最中に職務として自藩の尊攘激派を粛清した久光だが
長州藩士の働きかけにより寺田屋事件の殉難者が忠義の士として祀られる祭礼を行う事になった。
瑞山の日記の記述は
久光の対応を巡って薩長間で不和が生じ、調停案を相談しているのではないかと横田氏が指摘している。
攘夷以前の具体的な課題として朝幕関係や国内体制をどうするかという事への関心が高かったと思われる。
武市先生達の働きは近代中央集権国家の礎になったのだ…。
と言うより攘夷できる状態=内に尊王が確立した状態。
尊王の確立=外に攘夷できる。
表裏一体の関係。
攘夷が実現したという事は、尊王が確立できた状態でもある。
>>67 >土佐藩が動かなくても龍馬や中岡は薩長と共に挙兵したろうけどなあ。
中岡や龍馬の浪士隊が挙兵した程度では大局に影響なし。
藩という確固たる後ろ盾がなければ使い捨ての駒にされるだけ。
>土佐藩が薩長側に参戦するのは鳥羽伏見で薩長優勢が見えてからだし。
土佐藩の正規部隊が参戦したときは、新政府軍側がやや優位に戦いを進めていたぐらいの戦況。
戦局の優劣が判明し始めたのは、高松藩兵と土佐藩の砲兵隊が交戦した後、錦旗が揚る前の段階。
土佐藩はこの後、朝廷から鳥羽伏見戦における戦闘を高く評価され、正月十二日に廣利銘の太刀、
肥後大椽貞国銘の刀、金一万五千両、従軍戦没者慰霊金三百両を下賜されている。
>日和見が薩長に後れを取った原因。
土佐軍総督・乾退助、大総督府参謀・武市半平太、大総督府宮御付き・平井収二郎、他勤王党有力幹部を
各公卿の周辺に配置。土佐藩がこの布陣で臨めていれば、戊辰役以降、余裕で中央に食い込む事が出来た。
なにわともあれ、土佐藩の場合、武市半平太を土佐閥組織の中心に据えなければ、まったく統制が利かない。
>結局武市を殺して草莽の志士である龍馬と中岡も喪いもっとも痛手が大きかったのは土佐藩だから。
人的損失で最も痛かったのは、武市半平太、間崎哲馬、平井収二郎、中岡慎太郎を失った事。
>>69 岡田以蔵は、よく志士的な節操を喪失したとか、
拷問の場で醜態を曝したと非難される事が多いが、
本人の自白で直接迷惑を被ったのは四人の同志だけで、
肝心な所は吐いてない。此処は一応、評価すべきだろう。
道連れにされた三人の同志は憤懣遣る方なかったろうが…。
>>76 そういう観念的な議論の前の段階の話。
意外と坂本もそうなんだが海外の話は本人の手紙等に殆ど出てこない。
武市は雄藩連合による朝廷勢力の強化から王政復古へ、坂本は幕政批判が一貫した政論だった。
>>78 岡田は節操を無くし自分から捕縛される事態を招いたのがまず駄目だ。
そのため岡田の自白が勤王党の獄崩壊の端緒となった。評価すべき点じゃないよ。
天誅に積極的だった割に拷問で泣き叫び出すとか、
他人を痛め付けるのは好きでも自分が痛め付けられるのには殊更弱いタイプだろ。
人間的にも嫌悪感しか感じないね。
>>79 >岡田の自白が勤王党の獄崩壊の端緒となった。
それ以降も、土佐勤王党は崩壊・壊滅していない。
中岡慎太郎が在国土佐勤王党同志へ宛てた手紙
天下の勢かく相成り候ては 各国俗論と相成り致し方もこれなく
何卒同志中此の上は脱走これなき様 精々御慎制願上奉り候
天下挽回再挙なきにあらず 然りながら今暫く時を見るべし
依て沸騰及び脱藩は甚だ無益也
涙をかゝへて沈黙すべし
外に策なし
土佐勤王党の獄の死者が、服毒自殺した田内衛吉と拷問死した島村衛吉以外は
首領・武市の切腹と以蔵ら自白者4名の斬首刑で食い止められたのは、
以蔵らが自白した事によって悪化した状況にもめげずに
固い結束のもと懸命に容疑を否認し続けた武市や他の勤王党員らの獄中闘争によるもの。
犠牲者が少数に留まったからと言って、「以蔵の自白が獄に殆ど影響は無かった」と言うのは結果論。
平野國臣。
藩の枠にとらわれず内憂外患に苦しむ「日本國」を救わんとした。
十七歳にして福岡藩江戸邸勤番を命じられ、アヘン戦争を含む世界情勢を耳にし、海外列強の勢力が日本に近づいている世情を敏感に感じ取る。
帰藩後大島に赴任した折、航行する異国船の威嚇ともとれる姿を見るに付け、国家を思う気持ちが昂じていく。
開国後、福岡藩が務める長崎警備に赴任し、警護班の経理を担当した折り、日本に向けられた「列強の思惑」を目の当たりにしたことである。
危機感を抱き、脱藩して「倒幕」を志し、日本を一つにすることを決意する。
「日本國の臣たらん」として「國臣」と改名する。
國臣の倒幕論は「神武不殺」、雄藩が連合し、大挙して幕府に迫り、「戦わずして倒す」ことを上策とした大構想である。
しかし、この時点では薩摩藩でさえも公武合体によって幕政を改革することを目指していたほどで、藩の勢力争いが続き、統一国家を目指す國臣の大構想はまだ受け入れられなかった。
生野義挙を図るも敗れて投獄され、時を置かずして生起した蛤御門の変の最中に処刑されてしまう。
國臣は明治維新を目の当たりにすることはなかった。しかし、國臣の「神武不殺」の倒幕論が「大政奉還」となり、統一国家・日本の基となったことは記憶されなければならない。
>>81 >首領・武市の切腹と以蔵ら自白者4名の斬首刑で食い止められたのは
斬首刑に処された岡田、村田、久松、岡本の四人が、
取調べを受ける際、肝心の核心部を喋らなかったから。
>>78 肝心な所を吐かなかったのは、記憶が曖昧だったとか、仲間に説得されてとかだから、全然以蔵なんて評価できないよ。
東洋暗殺にも関わって無かったし
小畑孫三郎なども判決出た三日後に死んだんだろ?
他の党員らが頑張ったから、犠牲を最低限に抑えられたらだけ。
そもそも、身を持ち崩して仲間から見捨てられる結果招いた時点でダメダメ
>>78 他の同志の説得で後から自白を撤回したけど、以蔵は東洋暗殺の件も吐いてるよ。
手を踏まれた件とか田内衛吉含め天誅の件で細かい供述もしてる。
「以蔵が武市に尽くした」なんてのは創作の中だけの話。現実にそんな要素は一切無い。
まあ女性も耐えた拷問で泣き喚くような人間なので尋問されるがままにハイハイ答えたんだろうけどw
横田氏の推測では拷問一回目で挫けて
あとは拷問に掛ける必要もなくバンバン自白していったんじゃない?って感じだった。
遊郭楽しいお!もう国事なんてどうでもいいお!な人間性の奴に何期待してるんだか…。
捕縛されるぐらいならと潔く自害した勤王党員もいるというのに。
以蔵は東洋暗殺には関わってないから吐いてないと思ってたけど違ったのか
吐いたのは、京や大阪での暗殺のみだと思ってたわ
>>85 >他の同志の説得で後から自白を撤回したけど、以蔵は東洋暗殺の件も吐いてるよ。
岡田に対して説得を行った同志の氏名と、岡田の自白内容(東洋暗殺の件)に関する具体的な典拠をご教示下さい。
>>88 散々既出だが
つ横田達雄『武市半平太と土佐勤王党』
>>89 その本は今じゃほとんど手に入らないんだから、読んでない人が居ても仕方なくね?
当然のように言うのはどうよ
>>90 暇な時にでも図書館で読んだらいいじゃないか。
色々と捗るぞ。
しかし瑞山関係文書の精読と併せて「在京日記」「隈山春秋」「遣倦録」「江月斎日乗」等を
照らし合わせて勤王党研究する人間なんて今後当分現れないだろうなあ。
この時期の日記が残ってる勤王党関係者って他には居ないのかな?
東京在住なのでなかなか横田達雄の「武市半平太と土佐勤王党」に目を通す機会が無いんだが、
この本は特にどんな所が良いん?
本の中で事あるごとに出典をキチンと明記している…と言う話は聞いた事あるな。
一応今年は高知の歴史系博物館が連携して企画展行ってるけど研究に進展あるのかね。
土佐勤王党研究なんて真面目にやると大変だし金にもならんだろうからなぁ。
せいぜい横田達雄の『武市半平太と土佐勤王党』で以蔵に毒は盛られていなかった事を知りました〜
と前文に書きながら勤王党の獄で以蔵にとって都合の悪い部分をワザと省いて書いた
菊池明の『史伝岡田以蔵』みたいなアホな以蔵オタ御用達の本みたいなのが関の山だw
巻末の参考文献に『再遊筆記 千屋菊次郎孝健日記』 横田達雄(編)は挙げてる癖にな!
そういえば医者でもないのに龍馬の梅毒の件も勝手に診断してたな菊地。
こんなん書いてるの菊地くらいのもんだよw
>>79 王政復古こそが尊王の確立。
徳川家の私政権では、攘夷できない。
挙国一致の政権を作らねばならないが尊王。
攘夷するにも当然挙国一致を作らなければならない。
これが尊皇攘夷。
攘夷で進めようが尊王で進めようが挙国一致の体制を作らなければならないのは同じ。
>>93 >龍馬の梅毒
不鮮明な古写真を指してあーでもないこーでもないと言ってるあたかもフルベッキ写真の様なアレねw
龍馬ファンの需要に応えて書いたんだろうけどもっともらしくそれっぽい事書けば一般人は鵜呑みにするから。
『再遊筆記』に以蔵が出てくるのを指摘したのは横田氏が初だよね、
菊地は『史伝岡田以蔵』でも以蔵が拷問で吐いた形跡は「見つけられなかった」って微妙に責任回避する書き方してた。
「扨、岡以過日拷問之節、様々の事共口外仕、存掛なき人、数々獄入に相成」に始まり
以蔵の拷問→自白→同志の投獄を示す書簡記録は何箇所も出てくるっちゅーの。氏ねよマジで。
こんなのに尽くされました〜なんて武市先生に対して失礼にも程がある。
>>91 過去スレにあった
中岡慎太郎 海西雑記・行行筆記
上岡胆治 憤余管見録
土方久元 回天実記
島村衛吉 道中記
大石弥太郎 獄中記・戊辰戦争従軍日記
坂本龍馬手帳摘要
田中顕助 丁卯日記
南部興夫 七生日録
伊藤甲之助 時々日記
薩摩藩の関係者の日記の話とかあんまり聞かないね。
上士入れると佐々木高行、寺村左膳、寺田左右馬の日記は必須だな
小原与一郎雑記抄や福岡孝弟、吉田東洋、小笠原唯八も活字で読める
>>97 東大史料編纂所のデータベースで「樺山資之日記」を見る事が出来る。
松岡司『定本坂本龍馬伝』p.140で
池内蔵太・岡田以蔵の名前を削って門田為之助・間崎哲馬と入れ替えたためこの二人が血盟書上位に来ているのではないかと
指摘されていたが出典無し。研究者がみな横田氏の様な書き方してくれると助かるのだが…。
そういや野中兼山遺族講演に行ってきたが勤王党縁の人がまた何か相談してた。
松岡氏は県内各地で古文書教室もやってるそうだ。地元で関心のある人は参加してみたらどうかな。
高知県護国神社のブログに案内があったから貼っておく。
http://blogs.yahoo.co.jp/kochi_gokoku/28019804.html
長州出身だけあってか徳富蘇峰が土佐の勤王運動についてはよくまとめとるな。
>土佐は思想に於ては最も純粋の勤王主義である。
>而して境遇に於ては、寧ろ佐幕の桎梏に繋がれている。
>乃ち思想と境遇との不一致と云はんよりも、矛盾、衝突の間に、土佐勤王志士の運動は出で来った。
>然も深山幽谷の間より迸り出る水が、巖に激し、崖に衝り、千状萬態、其の曲折を為すが如く。
>土佐勤王の諸志士は、概ね薩長両藩士の未だ想ひ及ばざる苦辛を経来りたるものが少なくなかった。
しかし有名な薩摩の芋畑を肥し、長州の蜜柑畑を肥やし〜って土佐での講演の時に言ったのかよw
よく客席から鰹節投げ付けられなかったなw
武市の弱点は
あまりにも原理主義者過ぎた事と人を見る目があまり無かった事かな?
例のアホが懲りもせんと同じ話題をw
>>100 土佐人の働きは時として薩長の働きに化け〜だっけ。肥やし呼ばわりはヒドいw事実だけど。
維新後の土佐は実質負け組みたいなもんだよねえ。
鰹節といえば武市さんが他藩応接役の時、客の土産用に鰹節を買い込んでたw
あと伏見義挙〜寺田屋騒動の件は大分尾を引いてたみたい。
龍馬は「周旋」の為久坂に会いに行ったとあるけど、武市さんと久坂が別れた段階でどの辺まで話し合ってたんだろう?
強烈なカリスマ性と人望、至誠を兼ね備えた武市がリーダーだったからこそ、
土佐勤王党に多くの人材が終結し、志士として羽ばたき、それぞれが維新に大きく貢献した。
そんな武市は言わば土佐における維新の父。その功績は偉大だと思う。
武市の存在が無ければ、龍馬や中岡らの存在も無かっただろう。
だが、藩への忠誠心(それが朝廷への忠誠に繋がると考えていたようだが)に拘り過ぎるあまり
京都の政変が起きてからも土佐に留まり続けると言う選択ミスを冒し
武市に従って土佐に留まっていた同志もろとも勤王党大獄に巻き込まれた事、
入獄後、かなりの期間が経過してから獄中書簡で「ご隠居様(容堂)は我々をお憎み」とこぼしたり
京都で刺客として用いた以蔵が勤王党の獄でバンバン自白しまくる等のような人を見る目の無さが、
土佐勤王党の壊滅・武市自身の切腹に繋がったとも思っている。
(ただ、尋問・拷問による自白者を何人か出しながらも、
土佐勤王党の獄の犠牲者が何とか少数に留まったのも武市らの力が大きかったとも思うが)
功績は偉大だけど、リーダーとしては疑問符がつく場面もチラホラ見受けられる。
>>103 そもそも、盟主の武市が藩から逃げたら
お前、容堂公のためにとか言って勤王党作ったくせに全部嘘だったの?結盟文は?ってなるだろww
それはそれで批判されると思うぞ。
武市も盟主じゃなければもう少し楽に生きられただろうよ。
まぁ、勤王党の真のリーダーは平井真の盟主は大石だから
実際の武市はお飾り同然だったんだけどね。
大石が盟主やれば良かったのにね
そうすれば、土佐勤王党の悲劇も起きなかったんじゃない?ww
ま、平井や大石が盟主では
あれほど多くの人材は土佐勤王党に集まらず、
ひいては彼らや武市の働きで土佐が維新に貢献する事も
なかったかもしれないけどね。
>>106 彼等が盟主やった方が、無駄な被害者が増えないで良かったと思うけどね
少なくともリーダーの素質皆無な武市よりはマシじゃないかな。
武市だって好きで盟主やってた訳じゃないんだしね
大石のせいでなっただけなんだから。
平井は青蓮院宮令旨事件でしくじって武市より先に死んだくらいだから
そんな平井がリーダーだったとしても、武市がリーダーであるよりも犠牲者が出なかったなんて保障は無いけどね。
大石に関しては文久年間に目立った活動が無く、判断のしようがありませんな。
平井や大石って明らかに補佐役の方が向いてるし
盟主は人望厚い武市おいて他にいないだろう
霊山で土佐の展示始まったらしいので高知まで行けない人にはいいんじゃないかな
何展示してるか分からないけど
龍馬没後150周年には各地で盛大にやりそう。
>>108 なら誰がリーダーだったら満足な訳?
武市が駄目リーダーなら、こいつらくらいしかリーダー出来るの居なくね?
四天王の内吉村龍馬中岡と3人も脱藩して死んでるのは無視。
脱藩しようがしまいが命がけは同じ。
200人近くの大所帯で全員脱藩してれば良かったとでも?
時勢の変化で弾圧され死んだ者がいたのはどこの藩も似たり寄ったりだ。
>>109 「龍馬と土佐の衝撃」〜土佐勤王党結成から150年〜ねえ…
あそこの木村幸比古氏に講演の際質問してみたが微妙な回答だったな。
研究者といっても詳しいのは自分の専門に限定され、後は適当な本の引用で語る事になる。
>>103 >だが、藩への忠誠心
「正しい序列」を強調する事で藩主ら上層部との支援を引き出したのが瑞山
たとえ容堂を疑ったからといって軽々しく逃げられる立場だったと思うか?
以蔵のクズ振りを指してあれこれ言うなら長次郎を仲間にした龍馬や
横領してトンズラこくような弟子を持った勝海舟も人を見る目が無かったと言うのか?
どうなんだオイ
>>112 古文書読める読める詐欺疑惑のある一坂太郎や山村竜也よりはマシなんじゃないか。
以蔵ガー以蔵ガーと食い下がる人は
ろくに調べもせず自分の妄想を根拠に語ってるだけなので何言ってもムダ。話が噛み合わない。
たかが2chのレス読んだだけで詳しくなった気になられても。
あと台風で高知県の人死にが出なくて残念とか南海地震で高知が潰れればいいのにとか言ってた
最悪にキモイ例の以蔵オタが寄って来るから以蔵の話題はここではなるべく出さない方がいいと思う。
創作ネタで美化したイメージ語りたいなら小説板で存分に語ればいい。
しかし土佐勤王党について正確に調べようと思ったら
文久年間あたりの政治史について調べないといけないんだよなあ。
幕末史研究は慶応年間に集中しててこの時期に詳しい本って余り見かけないような。
以蔵関係のレスでも、更には武市の欠点を指摘するようなレスでも何でも、
それぞれが好きな事、今一番話したい事を好きに話したら良いと思うね。
そのための掲示板だからのう。
「以蔵関係のレスや武市の欠点を指摘するレスは、粘着が喜んで湧いてくるから禁止」
なんて本末転倒やろ。
スレを無駄に荒れた状態にしたくなければ、
粘着荒らしや基地外にいちいち構わなければ、それで済む事。
武市の弱点を指摘するのはかまわんが、斜め上な事言ってるから突っ込まれてるだけじゃないの?
そもそも、以蔵が人殺す原因を作ったのは武市じゃなくて平井だし
以蔵が初めて人を殺した事件である、井上佐一郎の暗殺を指示したのは平井なんだから。
平井は、中岡や以蔵に土佐の役人を暗殺させておきながら、自分は涼しい顔してたよ
まあね。
さらに言うなら以蔵の話題は同じ内容が何回もループしてるので
過去スレ読めか「武市半平太と土佐勤王党」を読めでカタが付く。
もちろん例のキモイ人に触りたくないから以蔵絡みの質問には基本答えたくないってのもあるw
それにやれ板垣の衆道がどうの、龍馬の梅毒がどうの、岡田以蔵がどうのと近視眼的でくだらない要素ばかり気になる人に何言ってもムダだ。
>>116 もうzeroseven1983をコテハンにすればいいんじゃないかw
去年何でも鑑定団で見つかった武市さんの牡丹の絵ってどういう由来の絵か知ってる人いますか?
某所で武市さんが親切にしてくれた人の奥さんだか娘さんのために
女性が好きそうな絵を描いて贈ったと聞いたのですが、番組見てないので詳細を知りたいです。
>>117 龍馬の梅毒なんて単に口の軽い中江兆民が「龍馬さん梅毒でハゲとったがじゃー」
と言いましたってだけのどうでもいい小話だもんなw
龍馬が遊郭に入り浸っていた時期があったのは事実だし気にするような話でもないのだが
龍馬にクリーンな憧れのヒーローでいてほしい層にとっては菊地の胡散臭い考察が有り難いらしい。
願望に沿って史料解釈するから龍馬を巡る歴史観が妙な事になるんだよなあ。
>>119 歴史業界って有名所は割とどこの地域でもトラブルの話を聞くけどねw
>>121 菊地明の検証記事でも兆民の発言自体は否定できないしね。そもそも兆民ソースだしw
実像を捻じ曲げなきゃ気が済まないならもうファンなんて止めたらいいのに。
ダーティな部分の無い歴史上の有名人なんてそういない。
ま流石にイゾウとかは擁護できないけどw
でも菊地の本てヌルめの龍馬ファンのお爺ちゃん達からは割と重宝されてるんだよw
平和&平等主義者で一人だけ現代風の感性を持った特別な龍馬像を崇めてる人に
そこは史実では〜って突っ込んでもただの嫌がらせにしかならないのでスルーしとくのが吉。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 22:21:08.04 ID:91u786Su0
日露戦争、日清戦争、大東亜戦争の危険を予測し動いてた中岡のが遥かに先見性あるよな
いや龍馬は龍馬で優秀なんだよw
竜馬がゆくとイマイチ区別がついてない人が多いだけで。
>>121 龍馬が髪の毛が薄いのは家系的なもののような気もするけどね。
兄の権平なんかの写真を見ても毛髪が多いようには見えない。
あと姉の乙女の逸話として、毛たぶが飛んだ話もあるしw
横田達雄でも、松岡司でもなく、こいつの妄想叩きアンチ本だけで武市を評価するなんて、これだから龍馬ヲタは嫌いなんだよな
土佐勤王党始末のあとがきに
「ほめそやすばかりが愛ではない」
「武市のような常識的美化の眼差しを浴び続けた人物は
一度容赦なく『悪意の目』で裸にし、卑俗とも言える次元に引き摺り下ろす必要があった」
「卑俗の彼方に立ち上がるものこそ、武市の美質にほかならない」 等々と言い訳されてたけど、
嶋岡は他の著名人(例えば龍馬とか)に対しても
武市に対する時と同じように、ちゃんと『悪意の目』で接してるのかな?
どうも、そうとは思えないなぁ。
>>126 それも同時代人が「龍馬は梅毒だった」と言った事自体の否定材料にはならない。
でも中江兆民の話だからなぁw
涙痕録の平井の切腹話に関しても信憑性のない箇所があるし単に中江の思い込みかホラかもしれん。
しかし横田氏も折角出版した獄中書簡集を瑞山のアンチ活動に利用されて気の毒な事だ。
ところで横田氏の著作と土佐勤王党始末以外に土佐勤王党のわかりやすい本ってもしかして無い?
>>130 土佐勤王党始末はアンチ布教本だから問題外でしょ。
横田達雄氏と平尾道雄氏の武市瑞山と土佐勤王党の方が良いんじゃない?
あとは平尾道雄『武市瑞山と土佐勤王党』くらいしか無いかも。
ちなみに横田氏の『武市半平太と土佐勤王党』のタイトルは平尾氏のオマージュね。
公式サイト系や参考になりそうな歴史家のブログとかならまだしも個人ブログの感想わざわざ張らなくていいよ。
自分で文献にあたって調べた範囲で何か言いたいことはないのか?
まあアンチ目的むき出しの嶋岡の下品…というか常識を疑う表現の数々には触れないあたり
その本のセレクトわざとなんじゃないかって気もするけど。
反論したいならここにチクらずコメント欄に自分の意見を書いてくればいい。
>>132 確かに平尾道雄氏の東洋本は読んだにも関わらず、武市瑞山と土佐勤王党はスルーして、よりによって土佐勤王党始末をセレクトする辺りに悪意を感じる
確かにわざとかもね。元々左翼寄りの人だったみたいだし。
しかもこれが高知県民だったりする
例の粘着は何故レスを一回にまとめられないのだろう…
維新志士の行動原理を理解するには水戸学とは?尊皇攘夷思想とは何か?
など現代人には理解の難しい点にまず立ち返らなければならない。
かといって当時の思想系の本読んでもチンプンカンプンなんだよなあ…w
かろうじて解説で何かわかった気になれるレベル。
だから安易に現代人のロマンを託せる龍馬というか竜馬に人気があるんだろう。
現代の価値観をそのまま当てはめられると思ったら大間違いなんだが。
瑞山と龍馬含め脱藩した者と藩に残った勤王党員達の連携は続いてる。
脱藩したら勝海舟の門弟になったら裏切り者、という事にはならない。
安岡金馬が藩の命令で土佐に一度帰った時はもしかすると門田為之助と一緒だったのかね。
嶋岡は武市アンチじゃないよ。
土佐勤王党始末は一度読んだ事あるけど、
入獄中、実家から殆ど差し入れして貰えない囚人のために武市が弁当を分けてあげてたエピソードを紹介して
「こういう所は実に思いやりがあり、優しい半平太だ」と誉めてるし、
エピローグでも「弾圧と死を覚悟した行動、武士的倫理、妻への愛」等々を武市の美点だと言っている。
弱点・恥部を指摘するだけで無く、ちゃんと長所にも触れて公平に評価している。
武市の二面性や今まで指摘されてこなかった弱点・恥部に着目したりと、
その観察眼は侮れないと思うな。
幕末の志士のが、根源的から考えてる様見える。
用語が違うからややこしく見えるだけでこんな感じだろ。
幕府=家康が作った徳川家の私政権。
尊王=徳川家の為の政権じゃ清国の二の舞になる。天皇を旗頭にし日本国の為の政権を作ろう。
攘夷=日本国をまとめて外敵と当たろう。
武士道=公的な倫理観。
水戸学尊王攘夷思想=旧来の秩序を維持しながらも天皇→幕府→諸藩をハッキリさせ日本をまとめる為の序列を作り外敵に当たろう。
長州系勤王思想=天皇→国民は直につながってる。天皇こそ絶対であり幕府や諸藩はあくまで私的機関。一君万民の国民国家を作ろう。
>>137 肝心の弱点恥部の所が、こいつの妄想によるゲスの勘ぐり的な叩きオンパレードなのが問題なんだよ
極端な2ちゃんのアンチレスと変わらない下品さじゃないか
そこにはなんの根拠もない
まず文章があからさまにアンチ目的むき出しだったって事を除いても
嶋岡の考察?とやらが妥当だったかと聞かれると、そうは思わないけどね。
何でもかんでも粗探しして叩きたいばかりに子供のいない夫婦に対して良識を欠いた発言まで飛び出してるし
美化されてる瑞山の暗部を暴く!というより単に嶋岡自身の心根の醜さが露になってるだけという読後感であった。
現に自著を参考にされた横田先生が烈火の如く怒ってて嶋岡もそのキレっぷりにえらいビビッていたらしいw
あとがきでコソコソ卑怯な言い訳する程度の後ろめたさがあるなら最初からやらなきゃいいのに・・・
真っ当な批判なら横田氏も『嶋岡の奴首枷付けて帯屋町に晒し首にしてやる!!』なんて怒り方しなかったよ。
アンチといえばこのスレの武市瑞山&土佐勤王党ファンも、イゾウを許せない気持ちは重々分かるが
こんな輩と同レベルになってはいけないよ、と釘を刺しておく。
『郷土文化』か『「武市半平太〜ある草莽の実像」批判』かは忘れたが、横田さんは
『土佐勤王党始末』のあとがきや本編でたまーに申し訳程度に出てくる武市への賞賛を
「巧妙に公平を装うためだけのもの」みたいに言ってたっけ。
嶋岡って他の高知関係の人物に対しても、勤王党始末みたいな調子なの?
本職は詩人だったと思うが、幕末土佐については色々書いてるそうだが。
瑞山の内面が矛盾してるとは別に思わないけどな。
武士のあるべき道を主君に直諫し最期は暗君と罵倒しながら憤死という
クラシックな武士のテンプレ的生き様じゃないか。
現代的な夢託す余地は皆無だがこういうのはこういうので好きだけどねえ。
時勢の変化後佐幕派の野中太内も同じような死に方しとるし。
ところで不勉強で申し訳ないが野中太内が容堂に抗議し切腹を申し付けられる事件って何が出典なんだ?
容堂に暴言を吐いたともいわれるが一体どんな発言をしたのか。
武市は吉田東洋暗殺に踏み切るまではテロは極力避けようとしていたのに、
京に出てからは本間暗殺、文吉絞殺、石部宿事件とコンスタントにテロを実行してるのが、
よく分からん。
結局テロ嫌いなのかそうでも無かったのか。
>>143 そいつら全員他藩の攘夷派からも嫌われてる連中だし、お付き合い的な部分も多少有ったんじゃね?
天誅は基本他藩との共謀による安政の大獄関係者の集団リンチだから
高杉晋作の言によると「武市はいつも権道(テロ)を嫌っていた」そうだが
暗殺者達や武市や龍馬が人命の軽重に対して持ってる感覚にそれ程の相違があったわけではないだろう
テロが嫌いというか、余計なトラブルが嫌いだし避けるべきで、
やむにやまれる大和魂に駆り立てられての行動、心意気自体は否定しないが
ムダに面倒な事になりそうな件は差し止めさせていただくと、こういう考えだったんじゃないか武市は
>>145 荒くれ土佐っぽ200人を束ねるリーダーとしてはそれで良いんじゃね?
時にはうざがられもするだろうが、一緒に暴れまわるようなリーダーだったら組織成り立たない
もともとブラッディ武市先生格好いいよねーって印象だったけどこれってマイナーかな。
本人史料から意外な逸話を色々知って別に過激でも冷血でもないってわかって
大分当初の人物像とはイメージ変わったけど、それはそれで良かったけどね。
あと以蔵に関しては確実にアンチ的な人の方が史実に詳しい。
多分これは勤王党全体を調べているうちにアンチ化というか以蔵を同情的な目で見れなくなったんだと思うけど。
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/06(日) 23:34:32.24 ID:q57sNRSk0
テロがーとか言論の自由や民主主義がある前提の現代の価値観だしなあ
大体桜田門外から倒幕始まってる
>>148 RT @KeigoTakeda: あの独善性が耐えられません。武市瑞山の鬱陶しさもこういう感じだったのですかね。といったら勤王党に失礼か。RT @snezu 幕末の水戸藩士ってこんなんだったんだろうな。夷狄討つべし! みたいな。
集団リンチでは強気に出られても自分が責められる番になると女も耐えた拷問に泣き喚いて仲間売る
岡田以蔵のごときゴミクズ厨の腐女子が相変わらず他人の意見の引用でアフォな粘着しとんなw
以蔵が叩かれ悔しくて眠れず深夜までネット検索かw
やましい所があるからって今更ツイッターで言い訳がましい発言してもムダだぞクソ虫
>>150 まあそんなカリカリするなよw
以蔵も不倫罪で捕まって獄中でクソ虫ってアダ名付けられてた伊藤礼平みたいな感じで
武市先生と一緒にいた頃は幸せだったんだと思うよw
しかし司馬が「尊皇攘夷思想は大東亜戦争の原点!」みたいな寝言ほざいて
武市さんと龍馬が思想的に相入れないような書き方したせいで変なイメージ付いてるけど
二人とも選択した手段が違うだけでどっちも尊皇攘夷思想の持ち主だし、場合によっては龍馬のが過激な事もある。
脱藩やら海軍操練所行きで別行動になっても土佐勤王党員は接触・連絡しあってるのにね。
獄中書簡見るに脱藩する人の気持ちは武市さんも分かってたよ。
ところで武市さんが在京時に寝泊まりに使ってた茶室って
今でも料亭の一部として残ってるみたいだけど普通に見学出来るのかなあ。
茶室自体は三畳一間らしいけど狭くない?他にもスペースあったんだっけ。
何か横田氏の本で住居の様子が書かれた手紙を解説してたけど詳細は忘れちゃった。
>>142 野中太内の処分に関しては
「皆山集」第十六章(高知藩維新形勢始末史料稿)が詳しいらしい。
勤王党幹部は木屋町に住居を構えてたけど
他の党員は妙心寺に住んでたんだよね。
『官武通紀』の「松平土佐守殿始末」によると山内豊範も同じ宿所だったんだっけ。
藩主と党員がそんなに直接接点があったとも思えないけど
それでも勤王党の獄の際、豊範が容堂に瑞山達は真実忠義の者ですと釈放を嘆願してくれたのは
この時期の事も影響してるんじゃないかと思ってる。
>>151 しかし「以蔵が天誅で瑞山に尽くしてました」なんて有り得ない事象は全力で否定して欲しい。
これ史実を知った今となっては凄く不愉快。
松岡先生の連載もパッとしないな。松岡先生あまり説明って事が上手くない気がする。
もっと天誅とは何か?とか文久年間の政争とかの解説を入れて欲しかった。
>>155 あの書き方だと天誅するために京都来たように見えるからなw
土佐勤王党が上京した理由から説明されんと普通の人は背後の事情なんて分らんちゅーの。
以蔵は辞世で株上げてるが君が為尽くす〜うんたらかんたらは単に志士のテンプレ辞世だし
武市のために尽くして〜って話も史料的根拠ゼロだ。
つーか司馬遼太郎ですら以蔵は人間性に相当問題ある身持ちの悪いDQN扱いだったのに
以蔵の武市に対する感情に何ぞ麗しい要素があったかのようなイメージ抱いてる人間は何を根拠にそんな妄言述べてるのかと問いたい。
武市にカリスマ性があったという人物評からの連想?
>>156 本当なんなんだろうね。
別に妄想逞しい腐女子に限らず
前スレで例の荒らしが引き合いに出して叩かれてた作家の童門冬二とかも
「武市の微笑み一つに心囚われる以蔵w」みたいな書き方してるし。
その割に『維新土佐勤王史』の岡田に関する
「然れども血気の勇は遂に頼むに足らず、全く酒色の為めに堕落して、当初剣客なりし本分を忘れ、
其の乱行至らざる所なく、果ては無宿者鉄蔵の名を以て、京都所司代に脆くも捕縛せられぬ」
みたいな部分は参考にしないという…。
作家の本って本来は歴史の断片でしか無い史料を創作混ぜ込んで上手く繋ぎ合せてるから
普通の人はそういうやつの方が馴染みやすいし
不明な部分を自分であれこれ考える必要もないから納得した気になれちゃうんだろう。
>>158 つーか、「維新土佐勤王史」の坂崎紫瀾の文章もどこまで信じてよいものか。
>作家の本って本来は歴史の断片でしか無い史料を創作混ぜ込んで上手く繋ぎ合せてるから
これの典型ですやん。
んだな。
しかし史料上の以蔵の人柄は
土佐偉人伝にしても同志の回顧録や瑞山らの書簡にしても
調子こいた身持ちの悪いDQNという傍証で一貫してる。
最初の創作の真山青果版にしても瑞山との会話は無く
むしろ龍馬に「自分を利用しようとするな」と以蔵が文句言う内容だったんだが
どうしてこうなったw
ところで、武市の例の獄中漢詩だが、どうやら恨みの詩ですら無いようだぞ
一般的に漢詩で恨という文字は、無念さを表す時に使い、恨みを表す時には怨という文字を使うのだそうだ。
よって、この漢詩は、恨みではなく無念さを表した漢詩であるという方が正しいのではないかな
史料を読む、というのは本当に難しいんだな
ここの人たちは漢文、候文をすらすら読めてしまうのだろうか
正直、得意でもない英語の方が普通に理解できるよ
そもそも恨みの漢詩と解釈するにしても、
松岡さんが「容堂への恨み」と解釈した事に疑問を感じていた。
劇画武市半平太伝を読んだが、
ありゃあ、武市をちょっと美化し過ぎだなw
新撰組とバトルする瑞山なんて
瑞山じゃありません!
>>161 >>22の講演に行ってきたが
例の漢詩は歴史民俗資料館の学芸員による解説でも
「容堂への恨み」ではなく公武合体派への恨みではないかという説明だった。
一般的に恨=無念ってのはソース何?
>>164 それでもまだ、世間での龍馬英雄扱いに比べれば可愛いもんだけどなw
>>164 「劇画武市半平太伝」には武市家子孫の人も協力してたんだっけ?
何でそんな本出そうと思ったんだろ。
瑞山ファンだが誰得と思うわw
あと今週の以蔵新伝だが
那須信吾って「天誅に執着」なんてしてたか?
松岡氏悪気はないのかも知れんが、何か引っかかる表現がたまに出てくるな。
>>168 確かに瑞山ファンの自分的にもあれは微妙な内容だったわw
那須って、天誅が盛り上がってるのを愉快がってる日記残してたんじゃなかったか?
武市が京から去った後に
「劇画武市半平太伝」での、
土佐勤王党が京で行った暗殺活動に武市が全くノータッチだったかのような描写(吉田東洋暗殺ですらそんな感じだったような)や、
以蔵が監察府に「武市が以蔵を毒殺しようとした」と吹き込まれた事で自白に及ぶ流れ等は
正直どうかと思ったわ。
特に前者に関しては、
武市が土佐や京での天誅に何件かは関与していた事を描写すれば
読者が武市に感情移入出来ない…と作者が思ったからだろう。
作者は、武市を現代人にウケる人物像に描こうとしたのだと思うが、
これではここの住人が違和感を感じている龍馬賛美と全く変わらん。
一応自分は武市ファンだけど、個人的にはこういう持ち上げられ方をされても嬉しくない。
>>170 以蔵の自白の流れは武市美化というか、以蔵擁護じゃね?
実際武市は以蔵に毒なんて盛って無いんだからさw
以蔵が拷問に耐えきれなくてペラペラ自白したから毒殺の話が出たけど、結局は毒なんて盛られなかった。
それに土佐の暗殺って、井上佐一郎の事なら、あれは平井収二郎の指揮だぞ?ww
武市が絡んでた可能性は否定しないけど、関わってたかどうかははっきりわかってない
京の暗殺に関しては同意だけど、そもそも以蔵だけがやってたという描写自体が、以蔵以外の勤王党員に対する美化じゃないか?
なんか、武市ファンというより、以蔵ファンの匂いがするんだけど
あと「劇画武市半平太伝」の作者が、
『以蔵が武市らによる毒殺未遂を恨んで自白したと言う俗説は根拠無し。
同志間で以蔵毒殺計画が持ち上がったが武市がこれを制し、
まずは以蔵の実家から計画に対する承諾を取る方向に動いた。
しかし、以蔵の実家からの承諾を得られないまま結審を迎えた事で、
結局毒殺計画は実行に移されなかった』
と言う横田達雄による検証を知っていたかどうかは知らんが、
もし知っていた上で、以蔵自白がああいう描写になったのだとしたら、
作者は横田達雄による検証結果も、現代人の感覚に馴染まないと考えたのだろうか?と思う。
これらは勘ぐりかもしれんが、
いずれにせよ歴史上の人物を持ち上げるために、
現代人の感覚にマッチするように人物の言動行動の趣旨を歪めたり、
勝手にストーリーを作り上げたり、意図的に一部の史実への言及を避けたりする手法は好かん。
対象が誰であろうとも。
>>172 要するに従来のイメージを踏襲してるわけねw
横田氏の著書は凄く参考になるけど
置いてる図書館は限られてるから知らずに書いたんでしょ。
菊地明も例の中途半端な書き方見るにネットで知っただけで実際に目を通してはいないと思う。
土佐勤王党関係を巷説から更に突っ込んで知ろうと思ったら
それこそ高知の郷土史料調べなきゃいけなくなるんじゃない?
あと『実家の承諾を得られなかったから』毒殺止めたというか、
啓吉に毒殺だか自害だかの相談を持ち掛けた所「父に相談する」と言われる→
この後同志書簡に「以蔵もこれまでの不義を血を出さんばかりに後悔してますよ」と出てくるので
単に説得に成功してこれ以上同志に累を及ぼす危険がなくなったから死なせる必要もなくなっただけかと。
以蔵は拷問で泣き喚いてすぐ吐いたってのは書簡記録にバッチリ残ってるしw
ここで漫画の話しても意味無かろ。
創作作品は何の参考にもならないし漫画に史実と違うなんて文句付けるのはナンセンスだよ。
ところで松岡氏の連載、読売新聞には掲載されてるようだけど
読売オンラインの方ではしばらく更新されてない。
もう載らないのかな。
>>173 この話何度目だよ。
「以蔵新伝」も微妙な内容だなあ。
当時の政治情勢や天誅の背景も説明せず以蔵がああしたこうしたという事ばかり並べていても
あまり意味がないと思うのだが。
なんで以蔵みたいなクズ野郎の既出の話題を延々続けねばいかんのだ気分悪い
他の勤王党員の働きにもっと注目するべき
http://iwahara.gozaru.jp/sisi/ekichi-pta.htm 島村衛吉関係史料集が南国市役所から出た経緯はこういうことらしいが
ここで言われている山内記念館て土佐山内家宝物資料館のことかね?
この史料集で確認できる衛吉の道中記には吉田松陰の辞世の句が記されているが、何か思う所あったのかな
彼の最期を知っていると興味深い
スレが長く続けば、新しく入ってくる人達だっているだろうし、
そういう人達も含め、誰が何をネタにしようが自由だろう。
過去に同じようなネタが何度もループしてたとしてもさ。
そのネタに乗っかりたい人が他にもいるなら、そういう人は遠慮無くレスをつけて話を広げれば良いし、
何度もループしてきたネタに興味が無い人は、
そういうレスはスルーして他のネタを振ったり、他のネタに乗っかってればそれで良い。
以蔵ネタを出すと例の基地外が現れるから以蔵ネタは避けたいと言う事かもしれんが、
もしそうだと言うのなら、何をそんなにビクついてんだよw
てか、以蔵ヲタの襲来が怖いから以蔵批判等の以蔵ネタを控えようなんて、
それこそ以蔵ヲタ兼基地外荒らしの思う壺だろw
悪いのは基地外荒らしであって、以蔵ネタを出す人じゃない。
各々好きなネタで語りあいつつ、基地外荒らしは相手しなけりゃ、それで良い事だ。
以蔵の話に食い下がる人って大体ウザいもん。
ろくに知りもしない事を語りたがったり
史料の定義さえ理解してるかも怪しいのに史料では〜史実では〜って言いたがったり。
ネットで長々と以蔵語りしてる人は総じて視野狭窄かつ妄想と推理の区別が付かない人ばかり。
創作が史実通りにならなくても別にいいけど
武市先生の為に以蔵が何かしたなんて腹立たしい話だけは今後もう一切やめてほしいよ。
以蔵の自白に巻き込まれて衛吉が拷問死した時、武市先生がどれだけ苦しんだことか。
弟に自害させたこともさぞ辛かっただろうと思う。
図書館合併とか山内記念館移転?とか高知金あるのかよ
山内宝物資料館ボロいけど山内神社の横にあるのがよかったのに
龍馬記念館もリニューアル検討中だっけか
どこも建物が古いから仕方ない面もある。
ところで22日のなんでも鑑定団に龍馬の書状2通が出たね。
1600万と2400万で合計4000万だって!スゴスwww
財政難の高知県はこれも買っちゃわないといけないのかな?w
龍馬すげぇ。
>>173 菊地は岡田が長州藩邸に逃げてた件はネットで知ったんだろうが
だったら拷問による岡田の自白で同志が犠牲になった事も知らないわけないんだけどな。
同じ個人サイトに書いてあったんだからw
家族が許可せずってのも菊地のアフォが勝手に言ってただけかと。
菊地のお友達の山村竜也も昔の講演でネットからのコピペ推奨してたとか言われてたが
類友なんやなw
>>178 同意だけど、なかなか難しいと思うよ
軌道修正かけるにしても、以蔵の場合あまりにも創作のイメージで人気が出過ぎてしまって居るからなぁ
おもてなし勤王堂の以蔵も一番人気らしいし、今更以蔵は武市先生に全然尽くしてなんか居ませんでした〜とも出来ないんじゃね?
>>183はいつもの基地外荒らし。
みんな相手しないように。
wikiで創作との違いを明言しておいた方がいいかもしれんね
「岡田以蔵が武市半平太のために尽くしたという話は根拠が全くありません」とw
そもそも天誅ってのは武市のためにやるようなもんじゃねーぞと
ちっと天誅の実態調べりゃ分かりそうなもんだけどねえ
>>168 松岡氏の本は横田氏とかに比べると資料性に乏しくて書き方が微妙な側面もあるけど
評価の高い研究家であっても解釈が偏ってたり専門外の部分は憶測で語ったりしてるから
結局色々調べたり読み比べてみて妥当な所を自分で考えなきゃダメってことだね。
>>176 その島村衛吉の史料集作成に協力してくれた高橋史朗氏の
『海南史学第10号:覚書・武市瑞山の思考』の記事が割と良かった。
高知県立図書館の学芸員だったのか。
>>182 武市先生、性格面は穏やかで他人の意見をよく聞き気配りを欠かさない人だったよね。
奥さんを叱った事が一度もなかったそうだし。
平尾道雄先生曰く血の気の多い暴れん坊揃いの党員に慕われていたのも
そんな性格ゆえじゃないかなあ。
>>185 以蔵オタの馬鹿共がそこまで調べると思うか?
山村や菊池なんかの同類本読んで洗脳されてるレベルの脳タリンには何しても無駄だよ
自分で自分の悪口言わなくてもいいのよ
武市なんて小物のヲタはやっぱりろくなのいないって、このスレ見てればよくわかるな。
性格の悪さが武市そっくりで笑えるw
やっぱ外道のヲタは外道なんだな
んー?
図星だったかな?
以蔵オタはクズと馬鹿ばかりと自分から証明しといてよく言うわw
自分のブログはいじれても過去ログは消えないからな
創作鵜呑みでブヒブヒ鼻息荒く粘着してた腐れバカが賢しらぶるなよキモ腐女子
まあ集団リンチにばかり熱心だった癖にいざ自分が痛め付けられる段になると女も耐えた拷問に
恥も外聞もなく泣き喚き仲間を死地に追いやる以蔵みたいなDQNのオタの人間性など
推して知るべしであろう
つーかどこが好きなの?
>>192 図星か哀れだね
数の暴力に決まってるだろ?以蔵は数の暴力に負けたんだよ
拷問に泣き叫んだとか、自慢話とか全部武市のついた大嘘に決まってる。
党員なんて武市信者なんだから、武市擁護するためなら嘘だって平気でつくだろうしね。
以蔵は、手紙や日記を残してないからな
勤王党からクズに仕立て上げられた以蔵は本当に可哀想だよ
歴史にifはないし史料的根拠の無い話をしたきゃ創作板行ってね。
リアルタイムで書かれた瑞山書簡は学芸員お墨付きの一級史料なんだけどこれの意味分かる?
まあ最近は創作系のスレでも以蔵関連のガセ話は突っ込み入ってるみたいだけど。
龍馬伝みたいに武市センセー武市センセーとベソベソしてる健気(笑)な岡田以蔵は現実にはどこにもいませんw
悲劇的な話は全部創作って裏付けが取れたでしょ。
自分の発言も含め前スレ読み返してきたら?
史実の岡田以蔵は志操も師匠の恩義も忘れて目先の誘惑に溺れ仲間死なせたダメ人間。
親戚の者同然に可愛がった人間が自分の身内や仲間を悲惨な目に巻き込み、
最後はあれ程以蔵の事を嫌っていたのに創作のせいで妙なセット扱いされてる武市先生が可哀相なんだよ。
あとここ武市&土佐勤王党スレだし以蔵ネタは出尽くして基本的に話すこと無いからよそでやって。
まあ今話題のこの手合いと一緒でキチ害は何言っても自分の脳内イメージを捨てられないんだろうなw
http://ameblo.jp/killuaxriku/
武市さんの信奉者は、どうも潔癖な人が多いようだ。ここを一年以上ロムってて思った
歴史上の人物の一般イメージは、史実どうこうではない、なんと喧伝されているかによる
一番は、一般受けする巧みなストーリーテラーが対象を描くことであり
ウィキだ史実だ、言ってもはじまらん、と思ってきた。
そして今の媒体は本より映像。去年はそのいい機会だったのに残念
>>195 そんな人は近代史板ロムってても面白くなかろ。大河ドラマ板帰れ
某所で
Q.佐藤健が演じた岡田以蔵って本当はどんな人?
A.出っ歯の大男でぶっちゃけ凄いクズでした☆
みたいなやり取りが交わされてたからトサカにきちゃったのかな例の荒らしはw
このキモい以蔵オタの人、関連ワードで検索かけまくってるみたいだしw
史実が明らかになってきてよかったね。
>>194 瑞山書状(妻宛)の資料性はすごい。
勅使の件の記録とか本当に詳細だから島村家への報告も兼ねてたんじゃないかと思うけど。
史実とされる事柄について語り合う事がメインの板・スレで
「Wikiだ史実だと言ってても始まらない」なんて説くのも
何かオカシイ話だな。
>>195 そんな人がなんでこんなスレに居るの?
さっさと創作系のスレに帰ったら?
そもそも武市は、坂本なんかとは違って、現在の価値観に当てはめてヒーロー扱いするのには向かない人物なんだよ
その上、坂本とは創作での相性最悪だから、どうしても扱いが酷くなるし
創作で武市にそんな事期待する方がどうかしてるよ
ここで以蔵はクズだの武市の扱いがどうのこうの言ってる人は歴史初心者?
どうも歴史慣れしていないような気がしてならない
創作物の歴史上人物ははじめからキャラづけというのかレッテル張りされた上で登場
するのであって、世間のイメージと実像が違うなんてよくあることだよ。
>>以蔵は志操も師匠の恩義も忘れて目先の誘惑に溺れ仲間死なせたダメ人間。
以蔵ファンはこういうダメなところが好きなんじゃないのか?人間くさいというのか
自分も武市はわりと好きな方だけど、ここ見た人に武市ファンは以蔵のネガキャンばかりしている
という印象持たれたら嫌だ
>>199 何かズレたレスだなw
ここは専ら創作物について語り合うスレでは無く、
資料にも基づきながら史実について語り合うのを主目的にしている板・スレ。
「誰某は創作物では○○な人間にされてるけど、残された資料からは××な人間性が伺われる」
みたいな真実を追求しようとするレスにどうして目くじらを立てる必要がある?
ここは、そういう板・スレだろうw
>>199 創作持ち出して歴史上級者気取りッスかwww
小説は出典にならないんだよ?
素人でも比較的一次史料手に取りやすいのが幕末史研究の面白い所でね。
歴史小説いっぱい読んで歴史に詳しいつもりになってるならそれは大きなカン違いだし
そんな人ここでは見るからに少数派じゃない?
通説では○○と言われているが実情はなかなかそうではないというのを自分で調べたい人が集まってるのにさあ。
あと岡田以蔵は普通にキライ。
他の掲示板だけど創作から入った人は最近史実知ってガッカリしてるw
悲劇的なイメージが受けてたのに
実は集団リンチでいきがってただけの素行の悪い自業自得野郎でした、じゃガッカリもするわな>以蔵オタ
ネガキャンつーより以蔵は調べれば調べるほどDQNエピソードが出てくるタイプの人物。
それを大河ドラマのイメージと違う!と腐女子に文句付けられても困るしお門違いだわ。
別物に決まってるじゃん。
創作のイメージ持ち込む奴って歴史研究の邪魔にしかならないよなあ。
土佐勤王党研究は長らく放置されてきたが今後進展があれば
龍馬オンリーに偏ってる幕末土佐史に新視点をもたらしてくれると思う。なかなか難しそうだがw
間違いも発見されてるが、平尾道雄氏の昔の著作がいまだに土佐系の史書では定番だもんな。
幕末だけが土佐の歴史な訳でなし研究者もそればかりって訳にはいかんだろう。
ところで他藩応接役を任せられたのは瑞山&収二郎とあと誰だっけ?
小南五郎右衛門・谷干城・小原興一郎・五十嵐文吉・丁野左右助・日原四郎で合ってるかな。
このメンバーは勤王党関係者だったと見ていいんだよな?
こと瑞山に関しては土佐勤王党全体とその協力者の動向と合わせて語られるべき人物だと思う。
講演行った人のレポで
土佐勤王党員はバラバラに行動しながらも
やはり土佐をホームグラウンドにして行動している
という講演内容だったとか言われてた。
ただ土佐勤王党の全体像が把握できるようになるには今後も研究が継続していかないとね。
ようするに土佐藩の維新志士全体を説明することになるんだし。
重要な内容の手紙のやりとりってやっぱ党員かその関係者が受け持ってたのかね。
涙痕録にそんな感じの話が載ってたような。
誰宛に手紙が集中してるかで連絡担当的な立場の党員もわかるのではないだろうか。
そーゆーのとは別に家族宛の私信も人柄が伺われてまた面白いけどね。
武市さんの手紙は情報量もさることながら意外性の宝庫だったわw
意外と可愛げのある人だったんだと思うよ。
>>193 そんな人のために菊地明が以蔵に非がある部分を伏せまくった「史伝岡田以蔵」書いてくれたじゃない。
有り難く読んで「以蔵は己の正義を偽らないために自白したんですね!感動的な推理ですね!」とか
ホルホルした感想ブログに書いてればいいじゃない。
今まで散々馬鹿丸出しで暴言吐いてきたんだから気にすることないっしょ。
好意的に調べ始めても、こうして事実をねじ曲げでもしないと
史料上の岡田以蔵に好感持てる部分なんてないって逆説的に証明してくれてる本だけどねw
天誅自体は薩摩藩の者が始めたが
その後土佐勤王党が他藩の志士などから連絡を受け天誅代行業を果たすようになった経緯について
松浦玲が「暗殺」って本で興味深い考察を書いている。
やはり在京諸藩の関係を踏まえた上で天誅について調べるべきだと思うんだが
松岡司の連載はいつも痒い所に手が届かないというか…。
>>208 一冊の本の解釈に頼る必要はないよ。
横田氏の本も細かい注釈や考察が多くてすごく参考になるけど
全部が全部妥当かというとそうは思わないし、
横田氏も自分の調べた分を後の研究の叩き台にして欲しいと思っていただろう。
松岡氏は土佐以外の地域の事情に詳しくないし
松浦氏の本も面白いけど幕臣研究メインで土佐藩の込み入った事情にはあまり詳しくない
複数の地域またいで詳しく調べてる人ってそもそも居ないんじゃないのかね
武市先生の信念の奴隷のような不自由な生き方、嫌いじゃないよ
でもこれに夢託せって言われても現代人にはムリだよねw中世的なロマンは感じるけど
武市は勤王党にいらない子であり、土佐自体にいらない子
勤王党からもうんざりされてたみたいだし
勤王党員も出来たら武市みたいな奴について行きたくなかったんだろうな
こんな出世欲しか無いようなクズに
>>212のように岡田以蔵のような集団リンチでイキがるばかりが取り柄で志は無い、身持ちは悪い、
着牢直後は吉村やら長州やら他人のふんどしで牢番に自慢話、
女性も耐えた拷問に泣き喚いて自白し仲間を地獄送りにしたクズのオタはやっぱりクズなのね…
とわざわざ自分から証明しに来てくれてるね今日も。
以蔵なんかにまで色々優しくしてあげてた事、武市さんもつくづく後悔しただろうなーホントかわいそうだよ
佐藤健だけイベントに呼ばないなら南海地震で死ねとかいってた高知の人に謝ろうね。
これ聞かれると答えられないみたいだけど
同じく天誅に参加して死ぬまで拷問に耐えた島村衛吉と比べて以蔵のした事ってどう思う?
汚らわしいので武市瑞山&勤王党の話してる所に金輪際混ざらないでくれるかな。
武市さんの当時の人からの人物評はググればいくらでも出てくるけど
「維新土佐勤皇史」人格、また高潔、一枝の寒梅が春に先駆けて咲き香る趣があった
みたいな方向で一貫してるよね。
このスレ居たなら当然知ってるだろうけど投獄後も土佐勤王党員も獄中の牢番からもめっちゃ慕われてたよね武市さん。
牢お花まみれやら蛍300匹やらの差し入れ以上に
通信禁止の獄中からの日々の手紙があれだけ大量に残ってるっていう状況がまず凄いんだけどね?
一方以蔵は龍馬の所に行った後、放り出されてないならどうしてホームレスになっちゃってたんだと思う?
>>213 そりゃあれだろ、武市や勤王党が心配で、自分で龍馬の前から消えたんだろ。
以蔵は弱かっただけなんだよ、クズなんかじゃないんだよ
現代にも居るだろこいいう人
>>214 都合のいい妄想乙。
自分で言ってて無理があるって分ってるでしょ?
浮浪者になる志士崩れとか以蔵以外の党員は誰もそんな事になってないのにね。
>>214 土佐勤王党員は親族だらけで基本仲間思いの集団だ。脱藩者も国許の仲間と連絡を取り合ってる。
で、その仲間思い(笑)のはずの岡田はナゼか一人だけ龍馬達とは別行動になり浮浪者として捕獲され、
元治元年八月十九日田内衛吉・今村権助書簡島村寿太郎宛にみられる
扨岡以過日拷問之節様々の事共、口外仕存掛なき人数々獄入りに相成
みたいな事態を引き起こしたわけだ。
岡田以蔵の捕縛時も龍馬は海軍操練所にいたから頼ろうと思えば頼れたはずが
あちこちから借金して鼻つまみ者だったんだろう。
それで獄中では早速自慢話を始めていっぱしの志士気取りだったんだから笑わせてくれる。
岡田の末路には軽蔑される要素しかない。
『維新土佐勤王史』の「然れども血気の勇は遂に頼むに足らず、全く酒色の為めに堕落して、当初剣客なりし本分を忘れ、 その乱行至らざる所なく、
果ては無宿者鉄蔵の名を以て、京都所司代に脆くも捕縛せられぬ」とか
『土佐偉人伝』の「宜振その平生の強暴に似ず痛楚に忍ぶ能はず白状す、初め勇にして後怯なり」のような評価そのままの性根の持ち主だったということ。
これに対する史料の傍証はあっても反証は皆無。
岡田以蔵の如き堕落漢のクズを美化することは武市半平太及び土佐勤王党をバカにする行為だと思え。
ああ現に菊地明がバカにしてたかwID:YROOiMTX0の同類だな。
つーかイゾウって食い詰めて追い剥ぎ強盗とかやってたから京都所司代に捕まったんじゃなかったっけ?
ただの犯罪者っつーか周囲に有害なぶんゴミ以下じゃん
なに美化してんの?
もっと意義ある話で盛り上がった方が良くね?イゾウとかどうでもいい
暴れてる粘着腐女子は史実も龍馬伝みたいな岡田伊蔵じゃないとイヤだ
ってダダこねてるだけのアホだから何言っても無駄よ。
沢辺琢磨は酔ったはずみで恐喝して逃げた後、剣術の先生とかで生活の算段付けて北海道まで逃げたというのにねえ。
維新土佐勤王史では瑞山が琢磨を切腹させようとする話になってるけど
島村家宛て瑞山書簡の内容によれば龍馬と事態の対応に追われてる最中に
琢磨が姿を消したとなってるから多分こっちが真相なんだろう。
汗血千里駒でも龍馬が近藤長次郎を切腹させたとなってるけど
当時はそういう毅然とした対応の方がある意味で良しとされる価値観だったのかもね。
見え見えの釣りに全力で釣られるなよ…
いい加減、荒らしはサクッとスルーしてほしいものだ。
武市先生を思うがゆえの行動だったんです!とでも言ってれば
何でも許されると思ってるフシがある所がムカツク>以蔵オタ
ねーよそんな史料
>>218 沢辺琢磨は前島密に北海道行きを薦められたとか
意外な接点
武市先生と何かにつけてセット扱いしてるのがイラッとする→以蔵ヲタ
以蔵には武市先生と違って尊敬できる要素なんて一つも無いんだから一緒にしないで欲しい
例のアレの気配が…
まあいいやwこの話はやめやめ!(AA略
>>206弥太郎といえば
いとこの岩崎馬之介が土佐勤王党員だったね。
藩主侍読として仕え山内兵之助の教師もしてたから
東洋暗殺後は藩論転換のため兵之助の説得に尽力したという。
>>214 「弱かったから」って理由があれば普段から何でも許せるんだ?ふーん
違うよね。以蔵の実像が単なるクズだから史実を妄想にすり替えてるだけだよね。
ツイッターで腐女子向け新撰組マンガの以蔵の話ばかりしてるけど何でここにその場違いなノリを持ち込むの?801板行けば?
史料上の坂本龍馬の話してる所でフリーメイソンの話しだすくらい
鬱陶しくてバカな真似してるって言われないとわかんないかな。
とにかく調べまくるのが腐女子だろう
去年の大河板には、それらしきのがゴロゴロいた。歴史ではなくキャラ萌えしてるようなのがね
この以蔵オタは、801板なんか行ったらボコボコだろう
ハイハイ荒らしに構う奴も荒らし。
大河ドラマの話は大河ドラマ板で。
>>222 党員の丁野左右助が、岩崎弥太郎が井上佐市郎と一緒に殺されないように藩庁に手を回したとか。
党員の身内をターゲットにするのは避けるよねそりゃw
下士がいくら徒党を組んでも参政暗殺しただけで藩の実権握れるわけも無し、
瑞山は協力者を作るのがとにかく上手かった。
獄中書簡で分かる牢番や同室の囚人が何かと世話を焼いてたあたりの話からも
周りが力になろうとする武市先生の人柄が伺われる。
至誠鬼神をも泣かしむると言われ実際容堂も処罰を後悔してた。
藩内をまとめ、藩の枠を超えて同志と力を合わせ外国の脅威に対抗できる国体を目指し武市先生の理想を
生き残った者が受け継いでくれたのも団結協調を基本とする手堅い政治姿勢があったからこそ。
ここの連中がどんなに喚こうが、世間の武市なんて、以蔵を散々利用した挙げ句ボロ雑巾のように捨てたクズでしかないのに、ここの連中馬鹿じゃねーの?wwwww
それが世間での真実なんだからいい加減あきらめろよ
武市は好かんわ。奴は幕末一最低の人間という一般的評価に相応しい人間で、最低のクズ
なんでこんなカスが偉人扱いされてるのか理解出来ない
真実がどうかとか関係無いんだよwwwwwただ、武市は腐れ外道で以蔵は可哀想というのが一般的評価でそれが全てなんだよ
それを史実ではどうだったとか虚しいだけだからもうやめたら?wwwww今更そのイメージは覆らないんだから
カスのヲタはカスであると証明してるようなスレ
数少ない武市ヲタの悪あがきもここまでくると哀れですね
>>226 いやいや、武市は死んで当然のカスだから、容堂が悔やむ事は何もない
ところで、誰か京都の霊山で瑞山の墓を見た事ある人いる?
何の本だったか忘れたが(幕末の偉人を100人くらい特集した本だったと思う)、
瑞山の墓所として高知の仁井田と京都の霊山を挙げている本があって、
10年くらいずっと気になってる。
>>232 武市は偉人なんかじゃない。ただのテロリストの分際で、美化され過ぎ
捏造上等言い出すあたり荒らしの以蔵オタも岡田以蔵の実像は受け付けないらしい。
年末の朝から根暗なやっちゃのー。
>>232 地元の墓とは別に霊山墓地には大勢の維新志士が合祀されててその中に瑞山も入ってる。
個別に墓碑がある人もいて瑞山のもあるんじゃなかったかな。見た事ないけど。
瑞山縁の地というとやはり土佐という印象が強い。
土佐藩は瑞山や龍馬に冷たかったがそれでも瑞山は土佐を愛していたんだろう。
>>225 井上佐市郎と岩崎弥太郎が別行動になったあたりの理由については色んな説があるみたい。
弥太郎の母・美和の兄である小野順吉が武市さんの友達だったから配慮したって説も。
武市さんが描いた小野順吉の肖像画が残ってるんだって。何かの本に載ってないかな。
無口で無表情な人だったといわれる割に武市さんて社交的で交友範囲がすごく広いよね。
魅力的な人だったのでしょうね…と某書に書かれてた>瑞山
土佐勤王党で思想的に一番成長が見て取れるのが時勢論残ってる中岡慎太郎だけど瑞山もかなり成長してたと思う。
土佐で剣術指南役してた頃から建白書の内容みたいな事考えて暮らしてた訳じゃないだろうし。
>>226に言われてるようにまず藩内をまとめ、その上で雄藩同士が連携する政治体制を目指していたわけよね。
ところで血盟集団を結成するメリットって何かな。色んな人材が連携できるって事に尽きる?
そもそも三藩主同時入京の提案者が武市だし。
『京師に於いて義兵を挙げて、内親王の輿を途に奪い奉り、また江戸に止まるものは一挙にして閣老を馘するが宜しかろう』
と過激派が唱えるのを押しとどめ、
『幕府の心術憎むべしとした所が、朝廷に於いて既に納許せられた以上は
到底烏合の我々が粗暴なことをしてみても、志を遂げるのは難しい。
且乱賊の汚名を免れない。夫よりは各自藩に帰って一藩の定論を作り、藩主をして正々堂々老中の奏言に基き、
幕府に迫って尊攘の実現を立てしむるが何よりの得策であると思うが如何で御座るか』
と言ったのが武市。
>>234 文久年間に政治活動してたのは主に京都なんだから、京都も縁の地だろう
そもそも土佐を愛してたからとかいう狭量な理由で脱藩しなかったわけじゃ無いと思うんだけど?
藩を協力者に付けなければ、脱藩なんてしても何も出来ないんじゃね?無意味だろ?という比較的常識的な考え故じゃないのかね
土佐を愛していなかった訳では無いと思うけどね
>>237 佐々木老候昔日談ね。
基本的に武市先生落ち着いてるよね。
東洋暗殺も最初は止める側だったし。
佐々木はずっと日記をつけてたから維新土佐勤王史の何割かは佐々木の話が元になってると思われ。
>>234 というか岡田以蔵の実像が好きな以蔵オタなんて存在しない。
悲劇的なイメージで興味持って調べ始めたら泣ける部分はオール創作の上、
創作のイメージ省いて史料に出てくる部分のみ抜き出すと
凶暴かつ臆病で酒と性欲の前に志を忘れ他人の手柄で自慢話するほど功名心ばかり強いという
最初の印象とは正反対の品性下劣な人間性が浮かび上がってくるだけ。
一人だけ瑞山関係文書個人で所有して横田達雄の本熱心に調べてる
熱心な腐の以蔵オタがいたけど(菊地明が都合よくパクったのはこの個人ブログの記事だと思われる)
けっきょく以蔵が瑞山からの恩を仇で返しただけという結論に至ったようだ。
以蔵はクズなんかじゃない!と躍起になって否定したがるあたり
武市関連スレに延々と粘着アンチしてる例の以蔵オタも創作のイメージ全削除した史実上の以蔵はぶっちゃけ嫌いなんだろう。
これは自分が創作から入って史実を調べイメージが逆転した経験も踏まえて言ってる。
>>240 >>234 一人だけ瑞山関係文書個人で所有して横田達雄の本熱心に調べてる
熱心な腐の以蔵オタがいたけど
それでも居たんだ、そこまで調べる以蔵ヲタがw
以蔵ヲタって、創作から広まったデマを鵜呑みにして以蔵の事可哀想がったり、武市嫌ってるアホしか居ないと思ってたわ
史料上の以蔵は好感持てる人間では無い。他の党員と比較すれば尚更。自力で一時史料調べるタイプの人間なら気付く。
身を持ち崩し捕縛され拷問で自白し仲間を死地に追いやり顕彰を拒まれたのが特徴的なだけ。
コイツの顕彰に関しては確実に誤りだと断言できる。
>>239 佐々木のアレ面白いよな。
>>237の後、瑞山がこの件を山川良水宅で佐々木含む上士らと会合した際に上からの協力を取り付けたとある。
この時の記録に出てくる「山川良水の手記」って何かに収録されてるのかな。
『山川良水』で高知の図書館データベース検索しても出てこないな…
佐々木の回顧録は上士側の視点が入るから読んでて新鮮だった。
創作ではテーマ設定の都合上身分差別を強調しまくるから上士の協力者は出番がなく知名度もない。
実際土佐勤王党の行動に身分差別がどの程度影響してたものやら。
佐々木の話に井口村事件の所も出てくるけどやっぱり武市さん居ないね。
代わりに大石弥太郎と門田為之助が出てくる。この2人って一弦琴繋がりだけど親密だったのかな?
ぶっちゃけどの創作でも武市って悪役扱いだよね。
美化し放題の創作ものでまで悪役にされる程だから、武市って余程良い所が無い奴なんだろうと思うわ
土佐四天王の中で悪役扱いなんてこいつくらいなもん
他の三人はヒーロー扱いなのに、コイツだけは明らかに場違い
腐女子向け新撰組マンガの以蔵が心の支えな武市アンチが何か言ってるけど
>>242みたいな人間のどこがいいんだろ。史料上の以蔵が最悪な人間て事は認めてるわけだよね?
酒色に溺れてただの犯罪者になったあげく捕まったら早速自慢話して女も耐えた拷問に泣き叫ぶ様なクズに
尽くされたなんて不快な『嘘』は創作であろうと今後一切やめて欲しい。
真剣に生きた武市さんと以蔵が死地に追いやった他の勤王党員に失礼過ぎる。
>>243 海援隊始末記の中にも『山川良水手記』が出典として示されてるからどっかにはある筈なんだけど。
>>245 と、悪役武市ヲタがほざいていますwww
あんな極悪外道のどこが良いのやら
高知もこんな奴顕彰するのは世間のイメージ悪くなるだけだから辞めるべき
正しいか間違っているかでいうと
土佐中の志士を糾合し藩内上下の連携、藩を跨いでの連携を行った
瑞山の顕彰はまったくもって正当だし
維新後唯一顕彰拒否られてた岡田イゾウの如きアフォを大河ドラマのイメージと混同して
いまさら何か良い行いをした人物かのように扱うのは間違ってるわな。
瑞山は獄中書簡読むと人間味溢れてるがやはり傑出してるというか
かなり個性的な人格?雰囲気の持ち主だったと思う。
維新期の土佐中の志士の動きとともにもっと評価されるべき。
武市はこれ以上評価はされないんじゃないかな
今までずっと以蔵と同じかそれ以下の犯罪者ks扱いされて偉人の扱いすらされてなかったんだし
今更史実は違う!間違ってる!って叫んで評価改めてもね。
武市はこれからもテロリスト扱いがずっと続くでしょう
>>248 土佐藩から維新志士を数多く輩出したのは瑞山の揺るぎない功績だしねえ。
だからこそ今でも墓前祭には県のお偉いさん達が参列してるわけだし。
地元の人がお家で咲いたお花をお供えしたり
維新後〜戦中戦後の引き揚げ時みたいな状況下でもずっと大切に絵や書を代々伝えてくれてて感動した。
武市先生は性格が面白くて凄い好きなんだよなあw色々と土佐では突然変異な人だったと思う。
今年もまた何か瑞山縁の品が出てくるといいな。
腐女子マンガの以蔵オタは場違いな話せず史料的根拠のある話をするか史実をアーアーキコエナイして黙るか
それこそ自分のツイッターでぼやいていればいいのにw
>>250 いくら功績があっても、正当に評価されなければ意味ない
世間の武市はテロリストでしかない
はやく幕末一の嫌われ者かつ最低なカス人間武市のヲタが全員滅びますように
岡田以蔵の慰霊祭の時に龍馬記念館の学芸員が講演を行った件だが
アレな人物なんでやはり一度は講演の依頼を断ろうとしたらしい。
あと親族の手前以蔵のカスっぷりについては細かく言及できない部分もあるとか。
べつに世間一般のイメージほど以蔵も異常者じゃないがどのみち誉められた人物じゃない事に変わりないしな。
あと以蔵の墓の参拝者ノートにはわざわざ史実書きこんで行く人もいるとかw
以蔵を美化する件に関してはやはり苦情があったらしい。ややこしい話なんやなw
>>253 さすがに断ろうとしたんだw
史料上のアホの岡田はホントいい話無いからね…どうウソ大げさ紛らわしい話を混ぜ込んで誤魔化したものやら。
ただの犯罪者だとか女性も耐えた拷問に泣き喚いてたとかいう実像が分かるんだからファンなら喜べばいいんじゃない?
同じ墓地に仲間を巻き込む位ならと自害した田内衛吉や岡田に巻き込まれて死んだ久松喜代馬の墓もあるけど
岡田のオタは省みようともしないし何とも思ってないだろう。
志操を無くしたあげく犠牲にした仲間がいるから顕彰拒否られてたというのに
せいぜい史実書かれて気まずくなってればいいよ。
本当にこんな人物が瑞山のために何かしたかのように美化されることは非常に腹が立つし、絶対間違ってると思う。
>>254 しかも、瑞山はこんな奴のために冷酷だのなんだの言われて叩かれてるんだもんな
本当踏んだり蹴ったりだし、不憫だから、これ以上岡田を美化するのはやめてあげて欲しい
以蔵捕縛時の土佐藩邸史料が見つかってたから龍馬記念館もその辺の経緯は知ってる筈だよね。
>>242 >自力で一時史料調べるタイプの人間なら気付く。
気付いた結果どう客観的に見ても以蔵がただのクズになってしまう部分を伏せて
アホみたいな想像で埋め合わせた伝記書いたのが
嘘つきでパクリ野郎の菊地明ですねわかります。
いい加減武市さんが可愛そうなんで、武市さんと以蔵の縁を切らせてあげてくれ〜。
もしくは最初は仲良かったけど最終的に以蔵は武市さんから死ぬほど嫌われていたという事実とセットで認識されて欲しい。
もっと他にいくらでも強い信頼関係で結ばれていた同志が居るじゃないですか〜。
松岡司氏は武市瑞山のことを「あんなに美しい人はいない」と言っていたそうだ。
青山文庫勤務時代の松岡氏に会った人って結構いたんだね。
羨ましいな、色々話を聞いてみたかった。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/05(木) 04:49:53.73 ID:W5bSD1zuO
戦中までは土佐の英雄は武市先生だったよ。
戦後に暗黒雲の如く蔓延した会津に負けず劣らずの龍馬観光史学に地元の
老人達は閉口してる。
>>253 わざわざ史実書いていく人が居るのは
以蔵の美化に伴って、武市を酷薄だの冷酷だの叩くアホが多いからじゃないの?
Yahoo!の質問箱でさえその手のアホばかりで寒気した
以蔵ヲタの自業自得でしょう
以蔵はもうどうでもいいな。まあここ見て色々考えの整理がついて良かった。
イゾオタ腐女子の荒らしはここしか詳しく語ってくれる所がないから寄ってくるんだよ。無視が一番。
>>258 坂本龍馬は面白い経歴の人物ではあるんだけれども
龍馬ばかり調べた本読んでも幕末史や土佐の幕末の歴史の流れは理解出来ないよね。
リーダー格ではあるけどあくまで大勢の中の一人だし。
それは土佐の志士集団の創始者である武市先生も同じで、こういう人達は本来集団で捉えられるべき存在だと思う。
歴史ファンって基本自分の好きな個人にしか関心を持たないけどね。
土佐勤王党って今まで注目される事がなかった集団を真面目に調べようって人はこの先出てくるのかなあ。
以蔵の扱いに関しての問題点をまとめると
・子孫の前ではとても言えないような話がゴロゴロしてるDQNを
別人レベルに美化した大河ドラマのイメージ準拠で顕彰するのは間違っている。
・またこのDQNのオタが創作うのみにして郷土の偉人を悪し様に言う。
・DQNを美化したいがために菊地某みたいな売文家が瑞山どころか土佐勤王党全体に責任転嫁。
DQNに都合の悪い部分は伏せた上で。
・DQNが美化される一方でDQNの被害者が加害者扱いされたり無視されてるのはおかしい。
こんな感じ?
年末年始に五年ぶりに高知に帰省して、ちょっとした浦島太郎状態だったんだが、
りょうま博(だっけ?)の可愛いキャラクター達(龍馬・乙女さん・お龍・中岡・武市・弥太郎・ジョン万・以蔵)って、
あれ誰が考えたん?
絵のタッチを見て「やなせたかしかな?」とも思ったんだけど。
>>261 そうそうそんな感じ
以蔵の場合創作で美化され過ぎて、史実の面影皆無なのが問題
しかも、そのせいで瑞山や勤王党が貶められるし有り得んわ
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/07(土) 14:31:42.64 ID:2tImwbBK0
ビッグニュースかも
龍馬暗殺の黒幕の新事実の本が出るみたい。
他のスレッド(龍馬暗殺の黒幕6)に出ている。
確かに、アマゾンに仮だけど出ているよ。他のネット販売にも。
題名は、
「龍馬暗殺の黒幕は歴史から消されていた」 出版:彩流社
内容紹介(「彩流社」HPに出ている。)
・闇に葬られていた日記が語る衝撃的新事実!!
・暴かれた黒幕と新撰組の近藤勇らが複雑に絡み合った背後関係。
・巧みに仕組まれた暗殺の実行過程が詳らかに…。
龍馬暗殺の新資料らしいぞ。
>>264 未だにこんな事で騒いでる歴史業界に心底うんざりだわ
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/08(日) 16:09:33.17 ID:aRT0uaaU0
265<
龍馬のおかげで、土佐勤王党も、これだけ騒がれてるのだよ。
そうでなかったら、岡田以蔵など、歴史的に何の価値もなく、
論じられることもない。
歴史的価値、零だよ、岡田など。
おもしろそうじゃないか
「龍馬暗殺の黒幕は歴史から消されていた」 出版:彩流社
調べもしないで、言うな。目次など見ろ。
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/08(日) 16:56:39.21 ID:gAKWXwM4O
龍馬のおかげでなく、司馬遼太郎のせいだろ
>>266 目次見る限りだと、またどうせ後藤、中岡以外の新たな土佐藩士が龍馬暗殺の黒幕として濡れ衣着せられて犠牲になってるだけだろ?としか思えないけど?
今度は野中太内辺りの土佐藩佐幕派が犠牲になってると予想しておく
いつまでこんな不毛な事続けるつもりなのかね
本当に歴史業界にはうんざりだよ
龍馬暗殺犯の話題は鬱陶しいから専スレに隔離されとる。
粘着してるイゾオタ腐女子とやらも801板に隔離されとけ。
ここ武市瑞山&土佐勤王党スレなんで。
>>262 やなせたかしではない。
某番組で坂本龍馬は何故海を見ていたのだろう?後ろに山しかないからだ
とか言われていたけど実際海ばかり見てた訳じゃないよな。桂浜市街地からかなり遠い。
そういや瑞山橋のとこと瑞山神社前にバス停まるんね。
>>261 岡田以蔵みたいな酒色に溺れて堕落し只の犯罪者になって捕まった挙げ句
女性も耐えた拷問に泣き叫びながら自白し仲間死なせて顕彰拒否された様な
あんな最低な奴のせいで武市先生みたいな人が不当に悪く言われるのは本当許せない。
岡田は先生からさんざん優しくしてもらって恩を仇で返しただけの奴なのに。
武市先生も以蔵なんかに何かと気を配って世話してきたこと、さぞかし後悔しただろうね。
弟や同志が以蔵のせいで死地に追いやられて腑を損ないそうな思いだと獄中書簡に書いてたけど
そういう武市先生の心の痛みや岡田のせいで仲間がムダに味わう羽目になった苦しみに関しては
全く目を向けられない。
こういう事は本当に間違ってると思う。
>>270 まあもちつけよ。
瑞山も城下の道場に引っ越して島村一族と暮らしだして
割と年の近い門弟達が大勢出来てきっと嬉しかったんだろう。
龍馬の甥の高松太郎なんかも剣術修行の旅で合流してるから
一族ぐるみで付き合いあったんだろうな。
まあ弟のように世話してきた以蔵のせいで瑞山は実弟の自害の世話する羽目になるやら
身内の断末魔聴く羽目になるんだから皮肉な話もあったもんだわな。
>>271 よくわからんが、つまりそれは武市の自業自得だと言いたい訳だな
全力で恩を仇で返されたぶん瑞山はどちらかというと被害者。
別に以蔵だけが特別瑞山と親しかったってわけでもない。
藩外への修行に同行した者には高松太郎や
島村衛吉の兄の島村真潮や以蔵と同日に処刑された久松喜代馬もいる。
要するに土佐勤王党員は親戚ぐるみでの交流があったということ。
そういう仲の人間達を死地に追いやったから生き残りに顕彰拒まれた。
タチ悪いのがたまたま近所に住んでて門弟になったのが瑞山と仲間の不幸だったという事かな。
以蔵の父親が、瑞山の人柄を見込んで、瑞山に兄弟ごと押し付けたんじゃなかったっけ?
以蔵が自ら進んで武市の門弟になったって訳でも無いよね
武市も引き受けた時は、まさか以蔵がここまでダメな奴だとは思わなかったんだろうな。
最初の頃は他の門弟同様に可愛がってたみたいだし
瑞山の弟・田内衛吉の自害後事情を知らなかったらしい啓吉が瑞山の留守宅を見舞いに来て
気まずいってレベルじゃない状態だったのは例の荒らしも自分のブログに書いてたから知ってるだろうw
そういやまた出るバカ御用達龍馬の暗殺本は横田達雄編『寺村左膳道成日記』が新史料(笑)として取り上げられるようだが
横田氏も真面目に研究してせっせと自費出版した書籍が変なのにしか取り上げられなくて気の毒なことだ。
もっと長生きしてれば今頃色んな意味でクレームの嵐だったろう。
わざわざ2chなんかで宣伝乙って感じ>龍馬暗殺本
史料的根拠がある犯人が京都見廻組だけで黒幕は松平容保が最有力でしょアレ。
佐幕派ファンの研究家も知ってて誤魔化してる人がいるよね。
>>257 松岡氏も横田氏も入交氏も同じ史料を参考にしてても、それぞれ異なる瑞山観があるよねw
本人&周辺史料見た感じ、自分的に武市先生はひたむきで献身的で一途で一生懸命で
周りが自然に手を貸す人柄だったという印象を持っている。
横田氏がまとめてくれた那須信吾書簡集や寺村左膳日記はもう在庫残ってないのかな
昔瑞山記念館に行った人が獄中書簡集再販の告知を見たって言ってたけど
これはまだ横田氏が存命だった頃の話だし…再販してくれないかなあ
半平太は人を見る目があまり無い。
あれだけ可愛がった以蔵にこっぴどく裏切られた事もそうだが、
容堂に自ら酒をつがれ菓子を貰うと、あっさり陥落し、
容堂が「将軍が違勅などすれば、将軍の首を取ってやるつもりじゃ」などと言えば泣き出さんばかりに感激して、
容堂の事を「恐れながら同志にて候」などと述べたりと、
容堂を完全に信じ切り、盲信してしまう。
そして獄に投ぜられ同志への取り調べが厳しさを増した頃になって、
やっと「御隠居様は私を憎んでいるようだ」と気づいた。
龍馬や久坂にはよく見えていた容堂の正体が半平太には見えていなかった。
>>278 要するに、人を見る目のない武市の馬鹿のせいで勤王党は崩壊したって事だな。
まぁ、平井みたいな勤王党いちのキレ者だが、過激で調子こきな奴を信頼して片腕扱いしていた時点でどうかと思うけどな
ま、武市みたいなアホについていった勤王党員はお気の毒だったわな
こんなアホさっさと見放して脱藩すれば死なずに済んだだろうに
瑞山というか藩内残留組は土佐藩への忠義が第一だからなあ。
投獄前も容堂に対して
此上ハ死ヲ以争ウヨリ外無
と言ってるし逃げるという選択肢はなかったのだろう。
吉田東洋暗殺犯や岡田以蔵らは脱藩させているい事を考えると、
武市が最後まで脱藩しなかったのは、容堂に対する甘すぎる期待と盲信があったからだろう。
そして同じような発想で平井・間崎・弘瀬に自首を勧めたのだろう。
安政の大獄で容堂が処分された事が土佐勤王党結成のそもそもの動機であり
その後は容堂に君主としての正しい道を歩ませるために進言し諫める事が目標になった。
土佐藩士として藩を動かし朝廷中心の政治体制を作るためには容堂を動かすのは必要不可欠だったからだ。
藩内に残った者は基本たとえ投獄されても獄中で争う心構えをして脱藩しなかったのだし
自分の命より武士としての信義が重いという価値観なのだから当然。
>>282 平井、間崎、弘瀬はお気の毒だな。
武市なんかの下に居なければ死なずに済んだだろうに。
長州の人達から逃げろって言われてたのにね
武市は優秀な党員を無駄に死なせた最低なリーダーだと思う
岡田以蔵みたいにただの犯罪者になった挙句女性も耐えた拷問に泣き喚きながら自白して
仲間を死地に追いやって生き残りから顕彰拒まれた最低な人のオタに
あれこれ中傷されてもねー。
独りTwitterでマイナーな腐向け新撰組マンガとコスプレ映画で喜んでればいいのに鬱陶しいやつ。
>>258 龍馬観光史学とかヘンな言い方しなくても、既に司馬史観て言葉がありますやん。
脱藩が志士の王道みたいに見られてるのも司馬史観の影響だよね。
山内家連枝の協力のもと
藩への忠義のため行動を起こしたのに気安く言ってくれるわ。
幕末に人命は何より尊いなんて価値観はない。
脱藩することはより先行き不透明な死地に身を投じることで脱藩した者の大半が死んでる。
以蔵は超良い子。武市は極悪人の腹黒w
武市オタは馬鹿だね
武市を悪く言ってるのが以蔵オタの腐女子だけだと本気で思ってるの?
中岡や坂本、平井や長州や新撰組とかのオタでも武市の事嫌ってる人多いよ
何も知らないんだね武市オタは
本当におめでたいね
どうしても武市が嫌われ者だって認めたくないんだね
以蔵がダメ人間だとか、そんなの一次史料見ないと出てこないんだし、そこまで、調べる人なんて、一般的にはごく少数だよ
そこまでの情熱もってる人なんて殆ど居ない
そんな人達には武市なんて腹黒いテロリストでしか無いんだよ
色んな人からテロリスト呼ばわりされてムカついてるんだろうけど、それが武市の一般的なイメージなんだから仕方ないだろう
武市を良く思ってない人を全て以蔵オタ認定して当たり散らすのはやめろ
ライトな歴史オタの大半は武市アンチだと思うし
その手の一次史料を全く読まない人らには、武市など仲を駒としか思わず、手下を使って邪魔ものの暗殺を繰り返す(しかも自分の手は汚さない)最低な人間でしかない
今更一次史料に忠実に創作したって、武市を過剰に美化して他を貶めてるとしか思われないよ
賭けてもいいよ
平井や間崎、弘瀬を自首させたのはさすがに武市の失態だろう。
龍馬あたりは容堂の正体を簡単に見破っていたのに、
容堂による酒・菓子のもてなし、将軍の首を取ってやる発言等の芝居じみた振る舞いの奥に潜む敵意を全く見抜けず、
あっさり陥落して「恐れながら同志に候」と、容堂を完全に信じ切っていた感がある。
そんなんだから、平井らを自首させれば「いずれ御隠居様もお許しになるだろう」と思っていたのでは?
武市自身が容堂を信じ切って己一人は脱藩しないのは良いとしても、
平井らや他の同志にも同様の事を求めた結果、勤王党は破滅的な末路を迎えてしまった。
あれだけ可愛がり、政敵抹殺に用いた岡田以蔵に裏切られ、その以蔵の自白が勤王党の獄の状況を著しく悪化させてしまった事も含め、
土佐勤王党の獄での犠牲者続出は、武市の人を見る目の無さに起因してる印象。
武市と相談せずとも平井と間崎は脱藩しないで土佐に帰ってただろ
自首状や逸話読む限り
以蔵オタ丸出しで必死な長文書かれても。
史実知ってたら可哀想なのは武市さんの方だしこんなタチ悪い人に叩かれてるの見たら尚更同情するよ。
ドラマ終了してネタ無くなったら興味の浅い人は誰も話題にしなくなったから居着いてるんでしょ。
平井収二郎の獄中漢詩見ると最期まで義憤と使命感に燃えていたみたいだけど…。
間崎哲馬も脱藩勧められても逃げなかったし。
みんな複雑な心境だったと思うけどね。
武士として藩への忠義を貫き死ぬ道を選択しても私人として死にたくない気持ちもあっただろう。
でも逃げなかった。
危険が迫れば責任のある立場を投げ出して簡単に逃げ出せるのなら龍馬も暗殺されてないよ。
固すぎる性格と古風な生き方のせいで弄りにくくて
後年の価値観に合ったキャラ作りが出来なかった武市さんは歴史創作では損してるよね。
でも現代的な価値観を付与された武市さんはもう武市半平太瑞山じゃないし、
別に新撰組相手に無双する武市さんとか見たくないw
そもそも、史実の武市は以蔵を政敵抹殺になど利用してないしな
というか、天誅って政敵抹殺なんてもんでも無く、安政の大獄の復讐で集団リンチだから、以蔵だけがやってた訳でも無いしねぇ
というか、やっぱり平井とかのオタって、武市のせいで死んだってうらんでんだねwww
こいつだってノリノリで天誅に荷担してたのに、そこは都合よくスルーですか
そもそも、以蔵はじめての暗殺である、井上佐一郎の暗殺はこいつの指揮だし
これだから平井も平井のオタも嫌いなんだよな
こいつのオタってほんとカスばかりだね
平井と間崎のオタが、こいつらが死んだのを全部武市が自首薦めたせいといって、武市に責任転化するカス揃いだというのはうすうすわかってたけどねwww
そもそも、令旨でヘマやった間抜けなのを忘れてませんか?
こいつらがそんなヘマやらかさなければ、自首なんてする羽目にならなかったんじゃないのかね
何故荒らしは同じ話題しか出せないのだろうか
>>292 あと自演したいならせめてレス一個に纏めろと前から言われてるのにナゼ直さないのかなwレス流し?
このスレに未練がましく張り付いても以蔵の話なんてしてあげないよーん。
ただの犯罪者になった挙句、
女性も耐えた拷問に泣き喚きながら自白して、
お世話になった先生や旧知の仲間を死地に追いやって、
生き残りから顕彰拒まれた最低な人間で
今では以蔵に散々恩を仇で返された武市瑞山達が不当な中傷を受けて可哀そうだねっていう史実の要点以外はね。
それにしても小説家の作品やら英雄史観が中心になってる幕末史研究ってレベル低いなあ…。
観光産業とか地域イメージとか本出す人間の思想とか色々ややこしい要素も背景にあるんだろうけど。
>>293 武市中傷してる人が、皆以蔵オタだと思ってたら大間違いだと何度言ったらわかるんですかね
普通に中岡やら坂本やら平井らのオタにだって武市嫌ってたり、馬鹿にしてる人は居るっていうのがなんでわからないかな?
武市なんか、武市オタが思ってる程の人気も無いし、尊敬してる人も居ないよ
思い上がりもいい加減にして現実見るべき
以蔵の事、何度同じ事言って叩けば気が済むのかな?
あんただって、やってる事同じじゃん
あ、間違えた
>>293>お世話になった先生や旧知の仲間を死地に追いやって
を「お世話になった先生を極限まで苦しめ、旧知の仲間を死地に追いやって」に訂正。
結局以蔵の自白は同志を巻き込みはしても瑞山の判決に影響与えるまではいかなくて不敬罪で切腹だったからね。
大河ドラマ中は武市関連スレ荒らして回るやら、史料上の話してるスレに乗り込んで
お門違いな粘着アンチしてるから史実をしっかり認識出来るよう指摘してあげてるだけ。
いちいち史実書かれたくなきゃ自分のTwitterに引き籠って腐向けマンガ読み耽ってればいいだけ。
武市先生昔はあんなに以蔵に優しかったのに本人もオタも恩知らずだね〜。
いい加減この話題もうウンザリだから邪魔しないでくれる?
普通に瑞山と土佐勤王党員の話がしたい。
青蓮院宮令旨事件の三人が自らの意思で縄についたかどうかは兎も角、
容堂の芝居にコロッと簡単に騙されて盲信したり、以蔵にこっぴどく裏切られた武市には
残念ながら人を見る目が無かったと言う意見を否定する人はいないようだな。
>>295 だから、勤王党のファンは武市の事無能としか思って無いから、勤王党の話はしたくても、武市の話なんてしたくないんだって何度言ったらわかるんだか馬鹿だなww
武市なんて、人を見る目が無いために、無駄に党員死なせた無能でしかないって意見で統一してんじゃんwwwww
武市オタはほんと馬鹿しか居ないな
あ、武市のオタだから馬鹿で当たり前か
>>296 好きに捉えたらいいんじゃないか。
本間などは警戒してたな瑞山。
人脈みるに人を見る目がなかったとは思わんが
容堂に騙される辺りは忠義の塊の瑞山らしい部分でもある。
龍馬中心の話では全く注目されないが、
藩内に残って瑞山釈放運動を行い藩への忠義を訴え続けた者達にはその後の働きもあった。
脱藩=藩の枠にとらわれない自由な活動かの様に過大評価され過ぎ。
まあ勝海舟とかも過激な尊皇攘夷派志士を集めて教育しようとしてたら
池田屋事件のせいであわや切腹直前まで追い詰められていたし
血の気の多いの集めたら中には問題ある奴もいるだろ。
以蔵に関しては多くの門弟に危ない気質の奴が紛れ込んでたって感じだな。
もう勤王党員の話だけしようよ
武市みたいなアホみたいな盲目っぷりで、無駄に党員死なせた奴のことなんてどうでもいい
武市は土佐に対する忠義ゆえに脱藩しなかったとよく言われるが、
武市の土佐藩に対する忠誠は果たして本物だったのだろうか?
土佐藩に対する忠義心から脱藩しなかったと言うよりも、
容堂に対して完全に目が曇っていて、容堂の自分達に対する敵意を見抜けなかったから、
土佐に留まり続けたんじゃないか?とも思える。
確かに投獄後まもない時期に妻に対する書簡の中で
「この国のトップは天皇。その下に将軍、さらにその下に藩主がいる」と述べ、
「藩に忠義を尽くす事=天皇に忠義を尽くす事」だと説き、
脱藩に対してはどちらかと言えば否定的なニュアンスの発言をしているが、
それは、まだ取り調べも行われておらず比較的ゆとりがあった時期での話。
妻宛ての書簡で「御老公は我々をお憎みのご様子」と書き、容堂を逆さ瓢箪呼ばわりして叩くようになった時期に至っても、
「藩に忠義を尽くす事=天子様への忠義」「脱藩者の心意気は健気ではあるけれども(以下略)」
なんて、果たして同志や妻に対して本当に言えていたのだろうか?
「脱藩者の方が正しかったのか…?俺が間違っていたのか…?」と言う思いに駆られいても不思議では無いだろう。
つ中岡「依て沸騰及び脱藩は甚だ無益なり。涙を抱えて沈黙すべし。外に策なし」
単に尊皇攘夷派冬の時代に死のうが死ぬまいが自藩の説得を続けるという方針の人達が
他藩の同志と同様に粛清されたのを死因は見る目が見る目ガーと言い続けてる
見当違いな人がいるなあ。嶋岡の本でも借りてきたの?
藩内の有能な人材を糾合したのは瑞山だし
結局瑞山の切腹は容堂の状況判断の誤りだった。
ところで初歩的な質問なんだけど土佐郷士の制度について詳しい本知らない?
武市さんの祖父の代から畑耕したりしてた話とか聞きかじってちょっと気になってる。
>>301 武市のこと美化し過ぎじゃないの?
あいつはただの無能以上でも以下でも無いよ
こいつなんかより、平井収二郎の方がよっぽど優秀
勤王党の誤りは、武市みたいな人を見る目の無い盲目馬鹿をトップにしてしまったせいだって答え出てるでしょ?
勤王党員もこんな奴についていったために無駄に命落とすはめになって気の毒にね
長州へ逃げていれば死なずに済んだかもしれないのに、こんなアホのせいで
>>301 『土佐の郷士』(高知市立自由民権記念館発行 平成5年度企画展 解説目録)
これなんか分かり易くていいかもよ。
>>302 で、犯罪者におちぶれたあげく女性も耐えた拷問に泣きわめきながら自白して
仲間を死なせて唯一顕彰拒否された岡田以蔵の最悪過ぎる行状は責めないんだ?
>>303 ありがとう。
民権記念館から出てる書籍は評判いいらしいね。
>>304 もともと、そんな以蔵に目をかけた武市が悪いんだし。
以蔵がダメ人間だって事は少なからず察してたんでしょ?
そんな武市の人を見る目が無さ過ぎたせいで犠牲になった党員達は可哀想だと思うけどね
武市は人を見る目の無さで自爆した自業自得野郎だとしか思わんな
容堂の事も含めてね
忠義に命懸けるのは合理的じゃないからいかんみたいなつまらんこと言われてもなぁ。
命を惜しまないから成し遂げられこともある。
誰しも時勢には勝てない。
容堂も瑞山ら臣下に対して卑怯な振る舞いをし、過酷な目に合わせた事は後悔していたようだ。
それだけ瑞山の行動には正当性があり、また影響力があった。
あくまで自我を殺して大義に尽くそうとする人柄と、
個別に突出しようとせず団結連携して大きくまとまろうとする姿勢が
藩主及び山内家連枝と尊攘派上士まで動かす事が出来た。
土佐において瑞山が傑出したのは土佐人らしからぬこの資質による。
別に脱藩してもよかったと思うけど
その場合の武市先生は禁門の変で久坂みたいに死んで寿命がより縮まってたと思う
こういうとき説得の矢面に立つのもリーダーの仕事だし
というか基本説得しか選択肢がないのが彼らの悲しさだよね
薩摩とかの都合に振り回されつつ頑張るしかない
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/15(日) 14:14:26.59 ID:pxOE0Iol0
武市半平太は、人物としては大したことがない。
あくまでも、盲信者で権威主義者だ。
基本的には保守的な人物。
武市は権威主義で保守的で
仲間を救うこともできず、容堂などにすり寄った。
買いかぶりすぎだよ。
明治維新まで生きていたら、反動勢力になったかもしれぬ。
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/15(日) 14:26:29.25 ID:pxOE0Iol0
>275
>そういやまた出るバカ御用達龍馬の暗殺本は横田達雄編『寺村左膳道成日記』が新史料(笑)として取り上げられるようだが
横田氏も真面目に研究してせっせと自費出版した書籍が変なのにしか取り上げられなくて気の毒なことだ。
もっと長生きしてれば今頃色んな意味でクレームの嵐だったろう。
今度、出る本「龍馬暗殺の黒幕は歴史から消されていた」を読んでから、
こうゆうことは述べた方が良いのでは。
高知県や佐川町にとっては、横田氏の「寺村左膳道成日記」が取り上げられるのだから、
良いことなのですよ。
佐川町、万歳!!!
>>308 そうそう、武市なんてただの出世欲の塊のカス野郎だよねwww
勤王党の中でこいつだけは唯一嫌いな人物だ
収二郎とかが哀れでならないよ
ここの人達は武市みたいな小物を過大評価し過ぎじゃないの?
権威主義者の盲目アホゥの事なんてどうでも良くね?
あんなカス野郎より、他の勤王党の優秀な仲間の事語りたいよ
勤王党が好きならば、武市なんて嫌いなのが普通なのにね
あんな権威主義者のどこに好きになるような要素が有るというんだろう
ここの連中はほんと変わってるんだな
武市は知れば知るほど本当に好きになれる要素0のカス野郎でわらえるわwww
こんな野郎を偉人扱いしてる高知は馬鹿だとしか言えん
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/15(日) 18:02:38.64 ID:pxOE0Iol0
瑞山会は、長州の吉田松陰の人気が大きいに対抗して、出来たような
もの。薩長への対抗心だろう。
武市も岡田も、それで、今まで龍馬人気とで抱き合わせだよ。
本当は、中岡慎太郎だろう、武市より。
「龍馬暗殺の黒幕は歴史から消されていた」という本だか、
黒幕は、中岡慎太郎の仲間の田中謙助じゃね。
佐川町じゃろ。田中は
史料的根拠のある土佐勤王党の話なら歓迎されるだろうw
それが出来れば話。
>>307 脱藩者はほぼ死んでる。
集団脱藩なんてしたらそれこそ死人が増えてたよ。だから中岡も同志に自重するよう求めた。
土佐の場合隠忍自重路線が一番犠牲が少ない。
仲間なら牢番を感化しての獄中闘争で犠牲も山内家連枝への影響も最小限に抑えた。
瑞山の至誠は美点と弱点の表裏一体だが
大局的な活動方針としては文久二年の段階で公儀政体論に近い考え方を持ち
挙藩勤王からの尊皇藩連合とめっちゃ王道。
とりえず、武市のような無能の話はもう無しでいいだろ。
中岡とか、もっと有意義な話しようぜ
出来るもんならw
残念だが土佐勤王党の基礎資料は瑞山が中心かつ最多w
瑞山の功績が過小評価なのも土佐勤王党という
瑞山が糾合した土佐藩の志士集団が全く注目されてこなかったからだな。
もっとも「土佐勤王党」という名称自体当時使われていなかった可能性もあるが。
維新土佐勤王史にはもう使われてたかな?
以蔵も土佐藩邸に『犯罪者』として捕縛された時の新史料が見つかってよかったなw
武市瑞山の歴史的意義・功績は専ら
土佐系志士の活動・土佐の勤王運動の導火線としての役割だと思うが、
龍馬と勤王思想の間に距離を置きたがる人達が多い限り、
残念ながらこういった歴史的意義・功績は正当に評価されないままだろ。
>>318 それを抜かした武市はただのテロリストでしか無い
武市さんの
久坂等の挙動を視るに、其の師松陰と戊午の難に殉ぜざりしを憾みて、
輙もすれば死所を求むるに急なるが如し、或は師の復讐として閣老を殺さんも知れず
って何に載ってるか知ってる?
久坂も天誅に参加した記録があるんだっけ
やっぱ思い詰めてたのかなあ
>>318 徳富蘇峰とかは土佐人の働きでは瑞山を一番に挙げてるらしいけど
戦前評価高かったのは朝廷復権運動で王政復古への貢献があったからじゃないか。
瑞山の協力の輪を広げていこうって姿勢は現代にも通じるテーマだと思うよ
英雄中心の歴史観とは正反対のもんだけど。
前に面白いって言われてた『勤王秘史佐々木老候昔日談』読み始めたけど
存命時は武市さんが幕末土佐の中心って感じだったのね…人望と人脈が凄い。
というか武市さんいいリーダーだなあ。
あと『竜馬がゆく』と読み比べると
武市さんがカッコ良い所は殆どカットされてるか改悪されてるのがよく分かる。
東洋暗殺後藩庁の動向を警戒した同志一同が武市さんとこに集合して
刀の目釘に唾して銃を据えたりしていきり立ってる辺りは
『竜馬がゆく』の井口村事件の方に使われてるっぽい。
創作の武市なんて司馬じゃなくてもほぼ改悪されてるだろww
まともな扱いされてる方が珍しいわ
大河ドラマきっかけで武市先生調べて大好きになったわw
扱い良かったら調べようとは思わんかったろうなー。
大河が佐々木の昔日談+維新風雲回顧録+流離譚みたいな作品だったら良かったのに。
武市先生って何か可愛いんだよね。
完璧超人では無くって逆に生真面目過ぎて不器用なとこがあったと思うんだけど
ひたむきで自分を捨ててる所が痛々しくて周りがいたわってあげたくなっちゃうというか。
後そんな所が血の気が多くて正反対なタイプの党員達に慕われる一因だったんじゃないかな。
司馬小説を境に解釈が変わった物は多そうだけど
武市先生を龍馬と比較して狭量に描く伝統が出来たのは竜馬がゆく以降だね。
あんな幕末ファンタジーラノベが歴史の教科書代わりにされててお寒い状況だよ。
司馬自身も竜馬がゆくにのめり込んでいいのは20代までですよって言ってなかったっけw
手頃な幕末土佐藩通史的な本って何かないのかな。
司馬の武市評は
「資質・能力(人望、知略、人間的感化力)は西郷、大久保、松陰に引けをとらないが、
仕事を焦るあまり人殺しになった事で、一流の名は残せなかった」
「古来暗殺で大事を為した人物はいない」・・・こんな感じだったっけ。
もっとも、その司馬に影響されて龍馬ファンになった海援隊の武田鉄矢さんは
自著で「武市が明治まで生きていれば初代総理大臣になれた。伊藤博文よりも数段上。」
みたいな事を言ってた。
>>326 でも、その武田原作のおーい竜馬の武市の扱いはアレだったけどなwwwww
到底生きてたら初代総理の器とは思えなかったわ
有名な維新志士ってみな暗殺謀略くぐり抜けて来てるやん
創作ネタでディスられず史実通りにやれば武市先生めっちゃ格好ええのにー
めっちゃ凄いのにー
調べたらカリスマ振りに滾ったわ
Wヒーロー制じゃいけないとでもいうのか!
>>328 いけないんでしょ。龍馬が英雄じゃないと
だから性格的に正反対の先生は、改悪されて小物扱いされる
そうじゃないと都合が悪いから
一藩勤王も間違ってて、さっさと脱藩するのが正しい事にされる
龍馬は正しい人で、先生は間違ってる人狭量な小物じゃないと龍馬英雄史観的には絶対に駄目なんだろ
>>324 完璧超人じゃなく
何事にも真剣で一生懸命な人だから周りも手を貸したくなるんだろうなと調べていて思った。
武市さんはビッグマウス的な発言は一切しない謙虚な人だし
一次史料見ないと性格掴めないっていうのがある。
まあ司馬も「竜馬がゆく」書き始めた時期はなかなかキャラが作れなくて
海外から亡命してきた革命家の青年と会ってやっとキャラを固めたという事があったらしい。
革命が強調されてるのも当時の思想的な流行なんだろう多分。
史料があっても江戸時代の人間の考えを理解するってやっぱり難しい。
武市って藩主に従順すぎてかっこわるい。
土佐に帰ったら切腹www
武市先生はギャップ萌えみたいなところあるから
マジで
瑞山&土佐勤王党側から調べた方が創作史観に陥らず
土佐藩の志士の実像に迫りやすい。
そもそも江戸時代の人間に現代の感覚を求めることが間違っちょる。
以蔵を疎んでる子孫連中は糞
>>334えっ疎まれてるの?
肩身狭かったけど大河ドラマでイメージアップしたとかで喜んでなかった?
まあ実像知ると、ああ…そりゃ顕彰拒まれるよね…なガッカリな人物なんだけど
あー武市さんと土佐勤王党と以蔵の史実に沿った作品が見たいなー
やっぱ注目度が上がると遺品が企画展で取り上げて貰えるし新史料も表に出るもん
逆に考えよう、可哀想な以蔵(笑)なんて現実にはどこにもいなかったんだねって。
実際は武市先生から親戚同様の扱い受けてたし天誅は集団リンチだし欲望に任せた怠惰な生活送ったあげく
龍馬達にも見捨てられ犯罪者になって拷問では泣き喚いてすぐ仲間売ったから全然苦しんでませんw
瑞山と同志が以蔵にどれだけ苦しめられたか、
皆が頑張ってる時に以蔵がどれだけみっともなく足引っ張ったかが広まるといいんだけどね。
拷問死した島村衛吉を取り上げ比較するだけでも志操の差は歴然。
獄中闘争のやり取り面白いと思うよ。あそこまで牢番が協力してるのが凄い。
創作から興味を持って調べていたけど、今では創作で武市先生〜って忠義ヅラしてる以蔵見ると虫酸が走る。
東洋先生を暗殺したテロ郷士
詳しく調べてみると
事あるごとにプッツンしそうなアホみたいに血の気の多い党員を押さえて
一貫してテロ止めて回る側だったけどな武市先生は。
東洋暗殺も最初は止める側だったし高杉達の外国人襲撃計画も止めた。
天誅で暗殺されたのは安政の大獄で尊攘派弾圧に関与した小者ばかりで
殺してもトラブルにはならない上、当時の道義上敵討ちは正義だったからな。
それはノリノリで血の気の有り余ってる党員達が嬉々として追い掛け回したのだった。
>>336 創作ものでの大嘘ならまだマシだと思える。
書店で気軽に手にとれるような幕末史関連本の殆どが、武市先生と以蔵のことで
出鱈目を書いているのが本当に不愉快。どうにかならないかこの現状と思うよ。
>>339 まったくだよ
ちょっと調べればわかることなのに何でなんだろう。
本当に不愉快だわ
那須って上士の家老の息子なのになんで郷士なんかの養子になったんだろう。
家老は主君の深尾鼎では
田中光顕曰く貧乏で米も食べられない生活だったそうで
正月のおのりぞめにも参加できない身分
>>341 那須信吾?
家老の家臣の息子だろう。
陪臣だから身分は低い。
天誅に関してはちゃんと調べれば
希望者が殺到してクジ引き大会が始まったという党員の見聞録とか
誰から通報があって誰と誰が打ち合わせに参加したかまで記録されてるのが分かるんだけどね。
この辺を調べた人は天誅を
レクリエーション感覚でやってますねーとか本に書いてたりもする。
党の軽輩が過激化した原因にはやはり日頃差別を受ける鬱憤があったようだが
瑞山は沈着冷静で私情に走らず、そういうところが無いので信頼された。
過激なのは頭に血が上ると後先考えないと言われる土佐人気質も影響してるかとw
勅使護衛の時も行く先々で党員があちこちケンカ売ってんのな。
まあ外国にケンカ売った薩長よりは大人しいかもしれんがw
何かっちゃ感情に任せて暴走する党員らに欠けてる
落ち着きや協調性みたいな要素を瑞山は補う事が出来た。
普通なら、血気盛んな土佐の若者達の中に1人落ち着いた計画性のある人間がいると、
浮いたりしそうなものなのに、瑞山はよくあれだけの信望を集めたものだ。
煙たがられそうだよな
そもそもなんで暴走しそうな給湯器みたいな連中を支配下にしたんだ?
もっと冷静沈着に構えられる人間は武市の下にはいなかったのか。
瞬間湯沸かし器と言いたいのか?
尊攘派はどこもテロ大好き
その中で瑞山は穏健派な方だよ
水戸と薩摩の過激派が組んで桜田門外の変、
桂や久坂達が水戸の者と協力して坂下門外の変が起きてたから
土佐も何かやらないかんのーという事になって土佐勤王党が天誅の中心になったんじゃね
あと天誅始めたのは薩摩なんだよな。
/
/ おい!安政の大獄関係者を見つけたぞ!
∠
∧_∧ \_____/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´Д`) ,-っ | そうか!よし!殺す!
/⌒ヽ/ / _) \
/ \\//  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ /.\/ ‐=≡ ∧ ∧
/ ∧_二つ ‐=≡ ( ´Д`) ハァハァ 待ってろよ〜
/ / ‐=≡_____/ /_
/ \ ‐=≡ / .__ ゛ \ .∩
/ /~\ \ ‐=≡ / / / /\ \//
/ / > ) ‐=≡ ⊂_/ / / .\_/
/ ノ / / ‐=≡ / /
/ / . / ./ ‐=≡ | _|__
/ ./ ( ヽ、 ‐=≡ \__ \
( _) \__つ ‐=≡ / / /
. ̄ ``) ‐=≡ // /
`)⌒`) ‐=≡ / | /
;;;⌒`) ‐=≡ / /レ
;;⌒`)⌒`)‐=≡ (  ̄)
こういうノリだもんな。天誅ってw
下が血気に逸って上が押さえるという構図はどこでも見られた。
人一倍落ち着きがあってある程度他人に言う事聞かせられるくらいの人望があるからリーダーなの。
武市先生の特異性は土佐人気質と併せて考える必要があると思う。
書簡を読むとちゃんと喜怒哀楽のある人なんだが
行動面では全く感情的にならないよね、武市先生って。
こういう所が何考えてるか分からないといわれる由縁なのかな。
土佐は鬼国と呼ばれ
長宗我部統治前から各部族がいがみ合い一党意識が強く排他的で好戦的な土地柄だった
瑞山の性質は土佐人としては突然変異
天誅に参加した者に関しては「鬼のような壮士達」とか身内に言われちゃってるもんねw
どんだけ血の気が余っていたのかと。
一枝の寒梅が春に先駆けて咲き香る趣があった
というような感じで形容される土佐人は武市瑞山くらいのもんだろう。
血の気の多いのとは正反対のタイプだからこそ鬼っ子達にも慕われてたんじゃないかな。
もともと武芸学問や仕事を通じての人脈の広さもあったんだろうけど。
上士下下の身分を超えた交流は武市さん以前に鹿持雅澄の頃からあったんだけど
創作で身分差別や階級闘争を強調するあまりそういう所には注目されないね
小南五郎左衛門が武市さん達に協力してたのは尊皇感情からなのかな
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/04(土) 23:50:59.11 ID:3EpuQdGu0
武市半平太も吉田東洋暗殺の首謀者で人斬り以蔵を使ってテロを繰り返していたテロリストだしな。
当時は勤皇派も佐幕派もテロ合戦していたんだが。
武市みたいな幕末一最低なテロリストに尊敬できる部分なんて皆無なのに
ここの連中は頭が悪いな
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/05(日) 11:44:41.59 ID:dOPDCEVR0
幕末動乱期には力が正義だったとしか言いようがない。
>>356 土佐勤王党一最低な岡田以蔵の如きクズのオタに言われても困る
サヨ小説鵜呑みにして汗臭くなってた腐れ女はさすが頭悪いなw
あんな恩を仇で返すしか能のないクズは放りだす前に龍馬の所で介錯しておいて欲しかったわ
集団リンチでは威勢良かった癖に女も耐えた拷問で泣き喚いて自白し処刑前に未練がましく伝言なんざしてくる以蔵は武士の恥
瑞山は武士の鑑
荒らしの相手してると無駄に荒れる元にしかならんと言うのに。
まさか同一人物の自演じゃないだろうな?
このやり取り飽きたよ。
天誅は安政の大獄の敵討ちが尊攘派内の都合で組織化しただけで政治的には割とどうでもいい暗殺。
岡田イゾウみたいなヘタレが有名なのは単純に小説のせい。
小説読んで歴史に詳しいつもりになるのはやめようね。
政治的に影響あったのは桜田門外と坂下門外くらいだよなあ
どっちも水戸+ちょっとだけ薩摩or長州
武力政権に対するには武力しか無い
どうせアホの子は勤王党は京都で天誅しかしてない位の認識なんじゃね?
政敵の暗殺と報復行動を混同してるあたり朝廷擁立運動とか念頭になかろう。
勝海舟が軍艦奉行権限で龍馬の友人の仇討ち手伝ってあげたのと天誅って性質的には変わらないと思うが。
土佐は参政暗殺で藩論動かした。この時期全国の藩が尊皇と佐幕に分かれて暗殺横行しまくりだったのに
せめて幕末に行われた暗殺一覧でも調べてから語れっちゅーの。
そこから薩長に次いで土佐が躍進したのは瑞山の政治力の賜物。
あと瑞山以外の勤王党員にも落ち着いてる人はそりゃいるさ。目立たないだけで。
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/06(月) 09:23:18.77 ID:Gaa4Q84x0
雄藩連合政府に徳川を入れようとした龍馬と倒幕派の中岡慎太郎が一緒に暗殺されたのは皮肉な話だったな。
龍馬は薩長徳川藩閥政治でもするつもりだったのか。
暗殺前の龍馬の政論知りたいなら関連書籍読むかせめてググれ。
文久年間の各藩の政治的な動きに詳しい本って何かないのかな。
横田氏の本は瑞山の在京日記ベースに薩長の関係者資料もある程度紹介してくれてて面白かったけど
複数の藩の内情を解説してくれる本はほとんど見かけない。
たまに那須信吾が家老の子とか言われてるがソース何?
那須信吾といえば龍馬達の脱藩の案内したあと高知城下に戻って東洋暗殺
もともと義挙に参加するため脱藩するつもりではあったらしいが
その後も薩摩藩邸に匿われ瑞山らが面会に来ている。
興味深い動きの人物だな。
那須信吾は佐川の家老である
深尾和泉守重良の家臣、浜田宅左衛門光章の息子だが
ネット上の適当な人物紹介でも鵜呑みにしたんだろう。
土佐勤王党員はあちこちバラバラに行動してるが別に仲違いしてるわけじゃない。
勝海舟の所に行った者達だって瑞山捕縛時には
彼らのリーダーが投獄されて動揺が広がってるとか海舟の日記に書かれてたし。
wikiで家老の息子と誤記してあるせいだと思われる
なんだウィキか
佐川の家老は深尾家だっつの
誰だよそんなこと書いた奴w
松岡司が土佐藩家老物語という本出してたが、昔の本は今以上にまとまりのない文章だなあ
一方菊地明なんかは出典の記載は丁寧になってきたが
結論が斜め上の方向に飛んで行ったりするので困る
間違いを見つけてそれを直そうとは思わなかったのか。
以蔵のwikiはかなり修正されてるってのに。
宇郷玄蕃の暗殺には武市は無関係?
>>370 関係してる。
どうもこの頃薩摩から土佐に天誅役をバトンタッチされちゃったようだw
>>366 海舟が幕臣にしては土佐に限らず尊攘激派の志士と交流があって変わり種なんだよね。
海舟が尊攘派に敵視されてた部分もあったみたいなんで
どう折り合いをつけてたのかよく分からないところ。
土佐勤王党は海舟門下だった人間が血盟文起草者なのが割と友好的っぽいのに関係してるのかもしれないけど。
間崎の記録には脱藩後も龍馬がたまに出てくるね。
黒鉄ヒロシの幕末暗殺で、宇郷玄蕃頭が刺身を食ってる所を以蔵に襲撃されて、
宇郷が箸で挟んだ刺身一切れと醤油皿を持ったまま走って逃げる所を
以蔵が「ウゴー!ゲンバ!カミー!ハッ!」と奇声を上げながら追いかけてるシーンが印象に残っている。
不謹慎かもしれんが大笑いしてしまった。
幕末暗殺の以蔵はギャグ担当。
マンガの話はよそでやれ。
天誅について知りたきゃ瑞山関係文書に収録されてる関係者史料でも読め。
もちろん土佐勤王党だけが天誅に参加したわけじゃないが。
清岡道之助ら23名の志士が、瑞山を釈放させるために命懸けで土佐藩に立ち向かったのを
瑞山は「あんな下らない事をする奴らがいると皆あいつらと同類だと思われて、正義の士が迷惑する」なんて言ってたよな。
全ては瑞山のためにやった事だと言うのに、いくら何でもこの言い草は酷いと思う。
もっと他に言いようがあった筈だ。
>>335 あんなん普通に一族の恥だろ
>>346 若者ばかりでもないぞ
目明し文吉暗殺希望者募る時のクジ引き大会に参加した者の年齢差調査した人によると
四十路近い清岡治之助も参加してるしw
年齢と血の気多さは然程関係ないらしい
二十三士も逃げる算段は付けてたのに頼みの舟が悪天候で接岸できなかったとは運が無かった
中岡の手紙によると無事逃げおおせた場合は京阪で何らかの計画に参加する予定だったようだが
まあ二十三士間でもはっきりしたプランは纏まって無かったのじゃないかなあ
おっとリロードしてなかった
>>375 他が隠忍自重している中での無謀な暴発計画を称賛しろと言われても困る
無益どころか迷惑な行為なのは事実だ
藩主と山内家一門、勤王派上士の協力が得られたのは、瑞山が粛々と私心なく大義を説く人間だったから
下士を押さえつける藩上層部への敵愾心を露骨に表に出すような行動をして
土佐勤王党全体が「ああ、あいつら口では忠義だの何だの言ってもやっぱりそういうつもりだったのか」
と見られてしまう
武市先生は一貫して個人が感情に任せて突出してもムダってスタンス。
だから激情に駆られたとりあえず何かやろうぜ!的な行動に対しては頭から水掛けるような発言する。
主人公にしづらいタイプだよねw
つーか当たり前の反応では?
23士の行動って正直どうよ。20人ちょっとの脅迫で藩庁が動くわけもないのに。
武市はカス
以蔵みたいなカスのファンにさんざん中傷されるやら嶋岡みたいなゲスにいちゃもん付けられるやら
瑞山の不遇な扱いには同情を禁じ得ない。
揚げ足とりたいだけの奴にマジレスするなよ。本当スルースキルないな。
瑞山ファンは勤王党員みたいなメンタルの人しかいないのかw
そういえばAmazonの嶋岡本に怒りのレビューが付いてた。あんな中傷本読んだら気分悪くなるのが普通だよなあ。
龍馬も信憑性の怪しいと言われるお龍の回顧録だと近藤長次郎の切腹の件を嘆いてたとか言われてるけど、
龍馬本人の手帳には
「術数有り余って至誠足らず。上杉氏身を亡ぼす所以なり」って書いてたな。
ダメなもんはダメだべ。
>>380 でも、レビューの人もなぁ
なんで武市の事を調べるのに嶋岡なんぞの本を読もうと思ったのかww
松岡司とかもっと手に入りやすくてまともな伝記も有っただろうに
プロローグでの「獄中書簡を読んで、半平太は決して『厳』の一字の人では無いと知った」だの
「強ければ弱くもあり偉大であれば凡庸でもあり、そんな矛盾に満ちた人間として武市半平太の生涯を追ってみたいと思う」だの
と言った感じの記述を見て、必要以上に美化せず公平な立場から等身大の瑞山の姿を描き出す本だろうと期待したんじゃないの?
土佐勤王党って単語で検索して出てくる本は少ないから嶋岡のも手に取ってみたんだろう。
あんな中傷にまみれた下品で失礼な内容の歴史本があるなんて普通は思わないよ。
横田氏も激怒してたなぁ。
松岡司の本は出典の記載が少ない&知識の無い読者の目線を想定してない
という欠点が目に付く。
郷土ネタに強く活字化されてない郷土資料も引用できるという強みがあるのに勿体無い。
平尾道雄氏の本もそんな感じだけど松岡氏が出典を細かく書いてくれないのは昔からの癖なのかなー。
横田氏の本から先に読んだから松岡氏の武市半平太本は微妙だった。
書き方がなんか独り言ぽいところがあるっていうかさ。
自分である程度調べてから読み直すと役に立つ所もあるんだけど。
ところで高松太郎の手記の類って活字化されてたっけ?
そういや、土佐勤王党始末がヤフオクで5000円で出品されてて吹いたw
武市ファンで下品な罵倒本だと知らずに落札しちゃう人なんて出たら可哀想過ぎるな
>>385 『雄魂姓名録』のことかな
厳密にはコレ誰の記録かハッキリしないみたいだが
松岡司は高松太郎のだと考えているようだ
>>20 田中光顕じゃなくて水戸藩出身の香川敬三が広めたらしいな。
ようは戦意発揚のプロパガンダに龍馬を利用したって話で土佐閥は別に関係ないの。
それが田中光顕のせいにされたのは司馬遼太郎が龍馬がゆくのあとがきにいい加減なホラを書いたから。
いい加減司馬遼太郎初の龍馬伝説総突っ込み本とか出して欲しいわ。
かと言って嶋岡の武市本みたいな調子で龍馬を貶める本は見たくないけどな。
武市先生の不憫な点をまとめてみた
・『君辱めらるれば臣死すと』と尽くした主君に体よく利用されたあげく都合が悪くなると騙され殺される
・犯罪者に堕落した弟子(以蔵)によって身内を仲間を死に追いやられ散々苦しめられる
・司馬遼太郎に龍馬の引き立て役にされてイメージダウン
・武田鉄也に以下同文
・上のをベースにした大河ドラマ龍馬伝で以下同文
・創作鵜呑みにした上に美化フィルターかけまくるアホな以蔵オタに中傷されまくる
踏んだり蹴ったりだコレ!
あと何かあるかな
別に瑞山中傷してるのは以蔵ヲタに限らないけどな
確かに以蔵ヲタが一番多いけど
勤王党のヲタ(特に令旨組ヲタ)でもたまに見かけるよ
おかげで、以蔵ヲタほどじゃ無いけど平井と間崎のヲタが少し苦手になった
そんな特定の腐女子を挙げられても
飽きもせず同じ事ばかり書きこんで芸のない以蔵オタだなあ
左翼劇鵜呑みにしてたおバカさんの分際で
瑞山と以蔵関連の風評が特にムカツクのは被害者である瑞山と加害者である以蔵の関係が完全に正反対になってること
史実が広まるといいねー
>>392 オタナリするのは以蔵が叩かれるのが嫌なんだろう。
以蔵が瑞山やら勝やらあちこちの世話になりながら結局誰からも相手にされなくなったあげくに
犯罪者に落ちぶれて女も耐えた拷問に泣き叫きながら自白して仲間死なせただけのクズってのは
叩いてるわけでもなんでもなくただの事実なんだが。
>>387 ツッコミ所が増えつつあるが以蔵新伝の話はしない方がいい。
ここ位しかまともな話題にならないから以蔵オタが居座る。オタ腐女子も史実の以蔵は嫌うし話題にしないだろう。
5秒後の世界とかいう自分のブログに書いてればいいのになw
粘着にいちいち噛み付いているレスを見るたびに「自作自演じゃ無いんなら、変な粘着荒らしはサクッとスルーしてくれよ」と思ってるのは俺だけ?
粘着荒らしにいちいち構ってたから、粘着が武市関連スレに居着いちゃったんだろ。
長い間以蔵ネタで武市が不当に貶められてきたもんだから、鬱憤を溜め込んでいて「以蔵ヲタ」に対してカリカリしてしまう気持ちはよく解るが、
もうそろそろ余裕を持ってくれ。
>>385 松岡司の志士関連本はいつも新聞か雑誌の連載を纏めたやつだから出典を長々と書き辛いってのはあるかもしれん。
書籍化の際に手を入れるとか書きようがあるとは思うが、典拠を明確にしないせいでクオリティ下げてるよな。
土佐藩関連に詳しくなりたければ平尾道雄の本を片っ端から読んで、幕末通史や最新の学説を他の本で補えばいい。
>>388 龍馬伝説検証は司馬以前の維新土佐勤王史やら真山青果やらまで遡らないと。
勤王史初出で現在は史実を疑われてる龍馬関連の逸話っていくつあったっけ。
生誕日とか幡多郡の工事参加とかとか住吉陣屋とか沢辺琢磨を逃がした話とか色々あったよね。
何となくだが、武市半平太を好きな人は明智光秀とかも好きそう。
瑞山の「瑞」は、盟友の久坂玄瑞から一字拝借した物と見る説が通説だと理解してok?
横田達雄がそういう見方も出来ると指摘しただけの話で通説って程でもない
横田さんは何故自著でわざわざああいう文体を用いてたんだ?
「郷土文化」を読んだ限りでは、平易な文章が書けないって訳でも無いみたいなのに。
いくら良い事を書いてても、あの文体だと「とっつきにくい」「読みづらい」とか言う人もいそうだ。
まぁ、もう亡くなってしまったから言ってもしゃあないけど…
横田氏なりのこだわりなんだろう。
「家族にも難解だと言われました。読めない漢字がある?辞書引けばいいだろそういう所から日本語の乱れがry」
みたいなこと前書きに書いてなかったか?w
あと「歴史研究者名乗ってるくせに竜馬がゆく鵜呑みにして瑞山ディスってんじゃねーよバーカバーカ」
と言いたかったんだろうねwいいんだよ横田氏の本は役に立つから。
歴史研究書なんて使えるか使えないかだし。
高知新聞HPの過去ニュース見てると
安岡家住宅の修復が進んだり清岡道之助の書状が発見されたり勤王党関連のが時々ある。
あと幕末の土佐に写真機は入って来てなかったそうだ。
だから吉田東洋の写真があれは東洋ではないかもしれないとか言われてるのかな。
>>401 似たような文面を後書きか何かでみた。
書けるなら、
>>400指摘のとおり、平易な口語文で書いた方が良かったと思う
より広範に理解してもらうという点でね。
松岡→横田の順で読んだので、横田の方が読み易いと思ってるけど。
松岡氏の文のとっちらかしぶりには、びっくりしたよー
一見してあの文体は面食らうわ。普通に書けばいいのに。
獄中書簡の注釈は易しいのにな。
東洋の写真は文久元年江戸の藩邸で撮影とある
横田氏の世代を考えれば、現代からみると古文な文体も分かる
こだわりなのか何なのか、敷居を高くするのはどうかと思うが
文そのものは、シャキシャキすっきり
松岡氏は、どうやったらこんな文章が書けるんだろう…と不思議
文字というのは、誰かに伝えるもので、整理し筋立てて述べるのが文章
口述筆記か?と思うことがあるw
松岡先生は要点まとめるのが苦手っぽいねw
「以蔵新伝」も不明な所を想像であれこれ書かず不明って書いときゃいいのに。
まあ司馬作品のイメージを払拭するという点ではある程度役に立つかな?
松浦玲「坂本龍馬」も冒頭は著者の覚え書きの羅列みたいので始まるから面食らうけど本文は切れ味がある。
若干勝海舟や脱藩を過大評価気味で、司馬遼太郎から歴史の道に入った人だから影響受けてるけど。
いくら有能な個人だろうと組織を背負わないと大した事はできない、その点に関して瑞山は一貫してた。
この時期の人物が歴史的に評価される部分っていかに組織を動かしたかじゃない。
>>403 東洋の写真の撮影時期って何に書いてあった?
平尾道雄の吉田東洋 冒頭写真の注釈
でも同じ本に
>>404とも書いてあるのか
知ってるか?土佐勤王党員は3つに分けられる
功名を求める奴
信念に生きる奴
出たとこ勝負の奴
この3つだ
あいつは───
>>409 以蔵は間違いなく功名を求めるタイプだよね
武市が最初可愛がってたけど、最終的にこいつを軽蔑したのは、功名を追いかけるばかりで志が無いと思ったからじゃないのかね
武市は功名心や保身ばかりの人間は何よりも軽蔑してそうだし
レスポンス早いなオイwww
まあ不明な所は「不明」でいいんだよ基本的に
史料上どういう事蹟の人物かを積み上げていけばいいだけ
だから小説的な推測の多い松岡氏の今の連載は好きじゃないんだよなあ
以蔵は昔は瑞山と親戚同様の仲で何かと気にかけられる弟子だった
最後は土佐勤王党の獄の崩壊のきっかけとなり反省しながら処刑された
それだけの話
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/03(土) 00:41:36.74 ID:Vk12QZGl0
武市なんか、明治になって薩長に対抗するために過大に祭り上げられた
人物で大したことないよ。
清廉潔白というような点を評価しても何もならない。保守派と組むなど
権力志向の強い偽善者に近い。
武市に倒幕が出来るような器ではない。最後は容堂と攣るんでた方があり得る。
容堂にも騙されたような人間だからな。それは権威主義だったことの証明だよ。
語るほどの人物でもない。
>>412 武市はその手のタイプは嫌悪しまくってたのに、嶋岡のせいで、お前のような無知に一緒にされて本当に気の毒だな
松岡さんが以蔵新伝を連載し始めたのは、
一昨年の龍馬伝で実像とは180度異なる以蔵のイメージが流布され、
このままだとそれが定着しかねない事に対する危機感や憤りもあっての事かな?
>>412 見当違いだな。最初からやれ平等だやれ封建制の打破だの言ってるヒーローでも求めてるの?
個人が夢見るより大同団結の方が現実的。
武市先生に関しては権力も権利もない人間が誠意と根気強い根回しで時勢を動かす所が凄いんだけど。
武市先生がやろうとしてた挙藩勤王も王政復古も兵制改革も公儀政体に近い構想も
生き残った者がその路線をより発展させて引き継いでくれた訳で政論の方向性は大局的には王道だった。
何より武士の使命を全うする事に命賭けていた。多くの人に慕われた由縁だろうなあ。
保身の為曖昧な態度を取り続ける主君には用済みになったら無理やり切腹にされ
おまけに以蔵みたいなアホに生前も死後も足引っ張られて誠に不憫の極みでございます。
>>396 あと武市先生に失礼な内容の手紙(偽)とかでも語られてる江戸での御前試合とか。
井口村事件なんか龍馬すらその場に居なかったんじゃなかったっけ?
大石&門田が居たって話も怪しくなってきた。実際どの程度影響のあった事件だったのか。
416 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/03(土) 13:05:57.47 ID:Vk12QZGl0
>415
武市が、郷士を纏めるなど、ある程度の人物だったのは分かるよ。でもね、口では藩内一致でと
という常識的な線しか打ち出せなかったのが限界を示してる。
自分に忠実な犬(藩士)を求めていた。そして、容堂の犬になることも。容堂の気質も読めないで藩を説得できる
などと甘い判断力では、たいしたことはない人物。時流の攘夷に乗った出世主義と同じようなもの。
中岡や坂本が、何故、脱藩したのか?彼等は武市の限界を知っていたからだよ。
常識的な対応より感情に任せた思いつきの行動の方が評価できるとでも?
司馬遼太郎が「竜馬がゆく」で脱藩理由を誤魔化したせいでそのイメージが浸透してるけど
龍馬が脱藩したのは伏見義挙という尊攘派志士間に流れていたデマに踊らされたため。
勝海舟の所から横領して逃げたはいいけど商才があった訳でもないから
亀山社中の経営に行き詰まり浪士が群れても何も出来ない現実見て面倒臭い土佐藩に帰属し挙藩勤王路線に。
中岡も禁門の変前後の書簡を読むと地に足の付いた考えがあって脱藩したわけではない。
そもそも勤王党は将軍継嗣問題で朝廷に対して尊皇倒幕をアピールした容堂のために結成された側面があるのに
勤王党弾圧に際しての容堂に関しては本人が後年後悔するほど卑怯なやり口だったし
武市先生は他人に忠誠wを要求する立場じゃないし凄い謙虚でな性格で出世主義でもないなあ。
勘違いも甚だしい。
あと建白書で王政復古の後徳川は一諸侯に戻すべしと提案してる穏健的倒幕派なんだけど。
>>416 では、文久年間の時点で武市や土佐勤王党が採るべき手段は土佐一藩勤王では無く何だったと考える?
明治維新までの全体的な流れ・最終結果を見れば、土佐一藩勤王・薩長両藩との連携と言う路線は正解だったと思うし、
武市と袂を分かった事にされている龍馬も、武市のその路線を引き継いでいるんだが。
勤王党始末を書いた嶋岡は勤王党始末の後書きで
「褒めそやすばかりが愛では無い!時には意地悪い視点から対象を見据えないと真の実像には迫れない」云々とか弁解してたけど、
イタズラに褒めそやさず意地の悪い視点から検証すべき対象は武市よりも先に他にいるんじゃないの?
例えば龍馬とか(まぁ勤王党始末みたいに龍馬をdisれとまでは言わんけどさ…)。
嶋岡には「龍馬追跡」とか言う著書があったような気がするが、
その本で、イタズラに褒めそやさずに意地の悪い視点から龍馬の実像に迫っているのかな?
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/03(土) 15:01:07.59 ID:Vk12QZGl0
君らは誤解している。
後年の坂本や中岡は藩を利用しようとしたのであって、武市と同様などとは言えない。
武市は藩に利用されたのだよ。保守派と組み吉田東洋を抹殺するなど。
久坂が、藩などはどうなっても良いから国の礎にと、述べているのに、
武市は常識路線を、このとき、取ってる。
そして、間崎や平井を見殺しにした。
>>420 文久年間の武市がどういう路線を採る事が正解だったのか答えてほしいんだが。
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/03(土) 16:03:14.62 ID:Vk12QZGl0
そんなの分かり切っていただろう。
吉田東洋に従うか、協力して海防策を充実させていく。その中で
郷士の立場を向上させる。
当時はジョン万次郎などの影響から、本来、西洋、特にアメリカの政体、実情
を最もよく知りえたのは土佐藩だった。尊王攘夷の前に、開国の重要性を良く認識出来たのは土佐藩だったのだ。
それが重要だった。東洋は、それが分かっていた武士だった。
それを潰そうとしたのは武市らだ。朝廷工作などにうつつを抜かし尊王攘夷だと。京でくだらないことをやった。
当時、ジョン万次郎の意見などを素直に聞くことが出来る、一番の土地柄が土佐藩だったともいえる。だが、武市は
古来の国学に縛られたただの秀才タイプの域を出ぬ。何が勤王党だ。
>>420 武市先生が必死に容堂の説得に当たってうんうん分かった善処するよーってニコニコ対応されて
結果ウソぴょーんハイ切腹〜って言われたのが平井達を見殺しした事になるんかいw
単に容堂が卑怯なだけ。
「尊藩も弊藩も滅亡しても大義なれば苦しからず」的な考えのどの辺を評価してるの?
草莽崛起を実行した結果が天誅組や生野の乱でしょ。感情に任せて突っ走るのって偉い事なの?
武市先生は当時の武士の価値観で正しいとされる事を君臣の立場を踏まえた上で全うした。
隣国の事情+幕府のグダグダな対応見てると真面目な武士にとって尊皇攘夷は当然の反応だと思うよ。
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/03(土) 18:32:49.55 ID:Vk12QZGl0
>423
だから、武市も常人と変わらないということだろう。あんたも述べているように。
当時は、武市だけでなく皆、同じようなものだった。君臣の立場を踏まえた。
武市が特別というのではない。少し常人より優れていたくらい。
常人のに毛が生えたくらいということ。
吉田東洋を買っていた容堂の思惑も詮議せずに騙されるくらいの、うぬぼれの強い程度の
人物だったということだよ。武市は。容堂に受け入れられたと思いこみ。
容堂は武市が忠犬の要素がありと見ていたのだよ。だませると。(その意味では、容堂は
武市を哀れな人材と後年、見たのだよ。褒めていたわけではない。)
吉田東洋の行動を賞賛しつつ久坂玄瑞も草莽崛起を賞賛するのかよ。
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/03(土) 20:17:38.29 ID:Vk12QZGl0
>425
当時は吉田のような因習を打破する合理主義的な人材と、久坂のような藩を飛び越えても動こう
という人材が必要で、それが偉人なのだよ。
武市には、この二つが欠けているのだよ。これが最大の欠点。
事実、土佐藩は明治維新では東洋門下が藩を出た中岡らと組むことが最良だった。
土佐の王政復古等への貢献は何も脱藩組と吉田門下だけで成し遂げられた訳じゃない。
武市が提唱した通りにひとまず一藩勤王を成し遂げた長州・土佐の上洛と
武市らによる京・江戸での奔走・勅使東下により朝廷は権威を上げ、幕府は権威を落とした。
そして何より龍馬や中岡ら脱藩組の活動は武市から感化を受け、土佐勤王党に入ってからスタートしたわけで、
武市の存在が無ければ歴史上に坂本龍馬や中岡慎太郎の存在も無かった。
で藩の後ろ盾のない人間に何が出来たって?藩が滅亡してもムダに路頭に迷うだけだろ。
瑞山は藩同士の連携には賛成したが草莽崛起的な血の気に任せた行動は是としなかった。
そして中岡が出した結論である
旧体制の弊害を除き、軍備政教を一新するための倒幕王政復古運動は
土佐藩においては瑞山がパイオニアなんだが。
過激派を押しとどめて3藩主同時入京を提案し
藩主豊範を入京させて京都警衛の沙汰及び国事周旋の沙汰をゲット
土佐藩尊皇攘夷派のリーダーとして朝廷を中心とする薩長土の連合に尽力
本来政治的に影響力を持てない身で朝>幕関係を再確認させる勅使を実現させ将軍家茂に謁見
これが凄くないなら何が凄いのかとw
当時尊皇派と佐幕派は日本中の各藩内で対立し争っていた。
その中で大獄で叩かれた土佐を中央政局に押し出したのは瑞山のリーダーシップの賜。
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/03(土) 21:40:14.25 ID:Vk12QZGl0
幕府の権威が落ちたのは自落の要素が強く、井伊大老の暗殺、藩主でもない島津久光の江戸行きと上洛
、そして、第二次征長が大きい。その反動で朝廷の存在が相対的に上がったのであり、その結果の勅使東下であり、
武市の功積などと過大評価で、結果論である。
幕府は軍事政権としての職務を放棄したから倒された。
幕府がただ落ちぶれても尊皇攘夷派が盛り上がらなきゃ維新は成らず
諸外国に食い物にされるだけだろうw
尊王攘夷派は日本の植民地化に危機感を抱き、また状況に応じて進歩していった。
幕府が終わり天皇を中心とした中央集権国家が出来る、
その流れの中に瑞山はいるわけだ。
瑞山が土佐藩尊王攘夷派のリーダーで土佐を中央政局に押し出したのは事実だ。
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/03(土) 23:06:52.67 ID:Vk12QZGl0
新撰組だって最初は尊王攘夷だよ。攘夷、攘夷と叫べば、当時は一部の若者は
湧きかえった。先の展望もなくね。
勤王党の結成だって、新撰組と大して変わらないよ。当時は。
幕府の方が、実は、当時は世界情勢を良く知っていて攘夷の難しさを知っていたのだ。
無知な武市などが、さも分かったような顔をして土佐郷士の不満を利用したので
あって、武市の立場や根底は土佐藩内で、それなりの地位を得て藩を自由に動かしたいという
気持ちを尊王攘夷という言葉で湖とした。
それ故、武市は土佐藩内で自分の立場が悪くなることを恐れていた。
その表れが、清岡道之助らの瑞山を釈放させるために命懸けで土佐藩に立ち向かったのを
瑞山は「あんな下らない事をする奴らがいると皆あいつらと同類だと思われて、正義の士が迷惑する」
という言葉だろう。
武市は同志というものに対しての至誠が、いまいち無い。
それと、岡田以臓などへの対応だ。暗部の仕事を依臓らにさせといと、公卿に、天誅を止めてくれと
言われたら、ハイ、止めて上に媚びてもいる。
吉田東洋の暗殺だって、自分は埒外に置こうとした。
間崎や平井の方が、実は、真摯に動いていたし武市より高邁な人物だった。
明治になり、長州の吉田松陰の対抗馬として武市は田中光顕らに祭り上げられた。
>>431 ハイハイ、武市はどうしょうも無いカス野郎ですね〜
間崎や平井にの方が、ずっと素晴らしい人間ですね〜
これで満足か?
これだから平井間崎ヲタは嫌いなんだよな
武市先生叩きたいばかりに論旨が破綻してるよ〜。あと誤字が増えてきたよ落ち着いてw
叩きポイントがいい加減ループしてきたから過去スレ読み返してきなよ。
どっかの中傷本と妄想を根拠にいちゃもんつけられてもね。まともな勤王党関連書籍読んだことあるの?
常にイメージのみで史料的裏付けなしに語って新撰組なんかと比較しだす辺り歴史小説が教科書代わりかなw
天誅は暗部どころかやった者は尊攘派内で名が上がる。クジ引き大会の件は知ってるよね?
集団リンチの筈が「人斬り」系の人ばかり有名なのは創作の影響。
武装して関所を襲撃して占領、藩庁を脅迫した23士に対する武市先生のコメントの何がおかしいの?
分別をなくし不満をもろにオープンにした23士の行動を批判する武市先生の発言は正論そのもの。
書簡を読むと一貫して私心なく国事に尽くす気持ちに溢れてるじゃない。
最低限、横田達雄「武市半平太と土佐勤王党」読んでから語ってね。
○○は○○だったと主張したいなら史料的根拠を添えてw
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/04(日) 00:35:07.62 ID:mkNU77pH0
武市を実像で見てるだけで、彼の功績を全面的に否定などしてないよ。
第一、今の時代に武市先生などと、呼んで語るのは時代錯誤も甚だしい???
宗教のような論は、池田大作先生、凄いの類だね。
麻原なんてのも、信者はいたな。
それに、土佐の人間が語る本が色がつくのは、だれでも分かってる。
それを訂正するのが、必要なの。
新撰組と当時の勤王党が同じレベルと言われて悔しいかね。
僅かの差しかないのだよ。両者には。
>>434 言う端から完全論破された嘘つきが悔し紛れによく言うわw
龍馬暗殺の黒幕スレでも嘘つきと叩かれてただろお前w
龍馬暗殺の黒幕は土佐藩!というアホな本書いてた中島信文とかいう奴?
よその個人ブログの記事参考にして本書いた割にそのサイトで検証されてる
葉山の瑞夢は田中光顕ら土佐閥のプロパガンダ!という
「竜馬がゆく」のあとがきで広まった司馬のガセ話等を事実知っててわざと載せたんで相手のブログ主に怒られたりしとるのー。
amazonレビューの新井郁夫ってのもコメント内容本人だコレw
霊山歴史館に電凸やらかして拒否られてんのは
ここの学芸員が企画展で「龍馬暗殺命令は松平容保から出た」と明記したせいかな?
どうも会津藩を庇って土佐藩に色々擦り付けたいらしい。
青山文庫の学芸員には色々電話で教えて貰った割に恩知らずな奴だなwそんなだから会社クビになるんだよ。
青山文庫に行く機会があったら痛々しい言動の数々をチクってきてあげようw
龍馬暗殺ネタをいつまでも引っ張るのは
妄想が根拠になると思ってる史料批判の出来ないアホか
自分の贔屓対象を美化する一方で都合の悪い部分を誤魔化す目的のあるウソ吐きである
後者は龍馬暗殺ネタに限らんけどな
会津観光史学とかその最たるもの
情勢によって蝙蝠のように忠義の対象を変えプロイセンへの売国行為が判明した会津藩
何が「ならぬことはならぬ」だw
龍馬暗殺の黒幕スレで存分にやってくれ。
武市半平太に惜しからむとこがあるとすれば、
吉田東洋と論舌を交わした時に藩の在り方(藩の実情)を認識できなかった事だな。
上層部は親幕府の佐幕 郷士などの下層は勤王、
藩の成り立ちからくる土佐の特異性からくる瑞山らの思想性も仕方ないのだが
藩政に参与するからには藩の経済運営についても関心を持つべきだった。
幕末に活躍した雄藩は経済改革を成し遂げて軍事的実力を備えた藩だった。
武市半平太そのまま僭主になって土佐藩を動かしていたとしたら
吉田東洋門下の新おこぜ組の面々の活躍は史実よりも抑えられていたであろうし、
経済改革を成し遂げ幕末の政変にうまく土佐藩の軍事力を行使出来たかは判らない。
藩の経済立て直しを進めている最中にその総責任者を暗殺されたのだから
容堂公の怒りもしかるべきなので、
自藩の現状を把握できなかったのが『至誠のひと』の限界だったのだろう。
武市さんといえば
瑞山神社はお世話してる地元の人に代々「武市様」と呼ばれているらしい。
瑞山は東洋じゃないし東洋は瑞山じゃない
仮に東洋が藩の実権を握り続けた場合、土佐藩の地位がより向上した…とは言えないし
土佐藩が幕末まで山内家代々の恩義を重んじ佐幕を貫けば歴史の表舞台からは埋もれていただろう
そもそも歴史にIFは無い、もし○○だったら〜とかいった架空のシミュレーションは意味がない
幕府は制度疲労を起こし優秀な人材を活用出来ずもうダメだった
というわけで旧体制に見切りをつけ新体制を確立すべく働き掛けた人間に軍配が上がる
東洋が土佐藩の地位向上に貢献してない訳ではないが彼は彼で限界がある
こと協調性にかんしては瑞山と正反対だったな
というか瑞山が土佐人には珍しいタイプなんだが
ところで「葉山の御夢」に関する司馬遼太郎の解説は、おそらく意図的な「嘘」ではないかと思う
自分で国会図書館の当時の新聞のマイクロフィルム調べたわけじゃないが
マイナー紙にちょっと出てきただけの話を取り上げてああいう書き方をしたのは
たぶん龍馬と戦意発揚行為の関連付けを薄めておきたかったのではないかな
井口村事件に関しては信用できる史料が見当たらない。
汗血千里駒であれだけ大きく取り上げたあの坂崎が勤王史では短く一行触れただけなのがまず怪しい。
藩を揺るがす大事件だと言われてる割に山内家にも記録がない。
安岡章太郎も当時の日記に同事件の記録がないのを不審がってたが本当にあった事件なのかコレw
>>442 真覚寺日記とか保古飛呂比なんかに載っていたように記憶するが。
>>443 真覚寺日記は忘れてたわw
しかしいうほど大きい事件ではないんじゃないかねえ。
安岡章太郎といえば
相続問題のため山内家が所有していた資料が大量に手放されることになり、
県が「高野切」を約7億円で購入するのを受けて
「支配されてきた者たちの末裔が支配者の文化を大枚払って保存するのは納得できない」
と新聞にコメントしたんだっけ?
まだ存命なのかな?
安岡覚之助も勤王党の獄で拷問にかけられたんだっけ?
やっぱり勤王党子孫は山内家を良く思ってないのかな。
最初と最後が弾圧やったせいで山内家はあんまり良いイメージがないけれども
容堂が大獄で謹慎したら君辱められれば臣死すと勤王党が立ち上がり
容堂が石投げつけられたりすれば五十人組が自費で江戸に駆け付けてと
彼らは山内家の支配下で恩義を感じ主君と認めてるんだよねえ。
土佐の身分差別に関しては創作でやたらと強調されて却って実態がわかりにくくなっちゃった気がする。
武市さんの姉も容堂の姉に奉公して維新後も交際があったから
半平太すまぬの譫言の件を聞く事ができたんだけどね。
>>437 会津オタのタチの悪さは異常。
あいつら会津を美化するためなら他藩をいくらでも中傷するし平気でウソつくからな。
前線を他藩に押し付け会津藩兵は同盟藩内で略奪に明け暮れたもんだから奥羽越列藩同盟内でも嫌われてたくせに。
龍馬暗殺もバカ殿松平容保の命令なんだろう。
だから何で龍馬暗殺スレでなくここでその話をする……。
なんだ坂東眞砂子か。
そういえば土佐勤王党のwikiに血盟者名が追加されてるから
暇な人は項目追加したり修正したりしてあげればいいよ。
昨日のQさまで武市さんが出題されてたね
8問目で、写真に添えて「月形半平太のモデル。幕末の土佐藩士、●●半平太のヒント
春日が正解したけど、FINE PLAYのテロップ出てたし
一般正解率も20%切ってて、大河で知名度上がったと思ってたのに
歴史ファン以外にはまだまだ全然知られてないんだなと淋しくなった
写真って獄中自画像?
ちゃんとした肖像画じゃなくて無精髭が伸びたヨレヨレ姿の獄中自画像だけ紹介するテレビや本とか、
自分は凄く嫌なんだよね…
武ちんはどう見ても西郷、大久保、木戸より上
>>451 リアル顔のも肖像画だよ。写真は無い。
古物店があの肖像画を使った戦前のポストカードをオークションに出品してたけどちょっと欲しいな。
もっと欲しいのは横田氏の本だけど。
著作権って確か相続対象だったろ。
横田さんの本の再販は、横田さんの子息の了承次第か。
出版形態から再販はまずムリだろう
>横田氏の本
この人って嫌われてるよね
現在根拠のない中傷を受けてるのは
主に司馬遼太郎のせい。
小説ソースにあれこれ言う人がいてもそんなの関知しない。
本人史料から窺える人柄や才気、自分は好きだし尊敬してるよ。
司馬がイデオロギーや尊王思想を毛嫌いしたのか知らんが、
巷に流布されている司馬発の龍馬像や龍馬に対する幻想を打ち砕かない限り
武市が真っ当に評価される状況にはならない。
作家のせいで不適切な評価を受ける人間はどこにでもいる
高知の場合はそれが武市瑞山だったり山内家だったりするだけのこと
地元では県のお偉いさんが式典にも参加してちゃんと偉人として顕彰されとんのやから気にすんな
土佐勤王党始末の嶋岡が
「武市のような、これまで常識的美化の眼差しを浴び続けた人物は
一度殊更『悪意の目』で容赦なく裸にし、卑俗とも言える次元に引き摺り下ろす必要があった」とか言ってるけど、
勤王党始末が書かれた当時(1978年あたり)、武市は少なくとも幕末土佐の人物の誰よりも持ち上げられていたのか?
>>462 いや、その頃には既に龍馬の
方が人気有ったんじゃね?
そんなん嶋岡の武市叩きの言い訳に過ぎない
勤王党に協力的だった容堂の弟の山内民部が
尊攘派失墜後容堂に軟禁されてたって言ってる人がいたけどマジ?
民部は維新前に亡くなってるんだよな
保守派に阻まれてたんじゃなかったか?
民部が保守派の目をかいくぐって容堂に献策しにいく話もあったはず
容堂の建白の内容が民部の草案とそっくりだったとか。
三文時切腹できたの他に居ないから常人じゃなく超人だ
>>451 歴史好き以外は昔の人に大して興味持たないし
一般人は維新志士の名前なんて10人も知らないだろう。
好きな人だけが地道にコツコツ調べてればいいよ。
しかし未だに月形半平太を実在の人物だと思ってる人もいるんだね。
谷干城は瑞山在京時から勤王党と協力関係だったんだよね。
近藤勇捕縛時に強硬な態度に出たのは坂本&中岡暗殺だけじゃなく
池田屋事件とかで土佐系志士が殺されてたことも関係してるのかしら。
武市が暗殺したのは2流の人物で殺すほどではなかったし
その後の新撰組が作られたり意味のないことをしちゃったね
武市瑞山関係文書と坂本龍馬全集と中岡慎太郎全集で
土佐勤王党関係資料はほぼ網羅できる?
>>471 活字化されてる分に限れば大体はその辺に入ってるのかなあ…
大石弥太郎の手紙とかは出版されてないんだっけ。
全然足りんだろww
土佐維新史料とか、佐々木高行日記とか
日本史籍協会叢書や史談会速記録あたりの刊行本参考にするとか
勤王党は主要人物でも活字化されない書簡多いよ
横田達雄「武市半平太と土佐勤王党」は必読
しかしこれ何部刷られてたんだろう
>>474 獄中書簡集は千部とかだったと思うけど
これは横田氏が一度再版してくれてたんだっけ。
当時は普通に高知の本屋で買えたという話を聞き悔しさでグギギ…となったw
どっかに在庫残ってたりしないかな。
「武市半平太と土佐勤王党」は確か1500部。
自分は本が出された年、高知の実家にいる間に買った。
が、実家に置き忘れて東京に戻ってしまい、年末年始に帰省したら、親に行方不明にされてた。
未だに見つからないから勝手に捨てられたんだろうな…。
過去にも漫画を勝手に捨てられた事もあるし。
全くやっとれんわ。
たった1500か
>>476の本は、もしかしたらうちの図書館にきたのかもしれない
大河の後に、検索かけたら蔵書になっていて驚いた
図書館にかける金なんかない貧乏自治体なんだが
>>476 そりゃ災難だったね。
横田達雄氏が大河ドラマの年まで存命だったら再販してくれてたかもしれないけど
その場合横田氏が龍馬伝の瑞山の扱いで憤死しかねない。
横田氏の本を読んだ時「この人がアレを見なくて済んで良かった…」と思ったもんだ。
>>478 やっぱそう思うよね
龍馬伝の武市は自分の目から見てもひどかったから、横田氏だったらNHKに抗議しそう
>>473 皆山集や大名公紀も。
瑞山と山内家一門の協力者の間を取り持った勤王党員はこっちに載ってたりする。
薩長土から維新期に活躍した人間が多く出たのは関ヶ原の処分の恨みガー
という俗説も司馬遼太郎発らしいけど
実際はなんでだったのかなあ。
三藩とも海に面してるから危機感が強かった?
>>481土佐藩に関しては瑞山の貢献が大きい>人材
しかし容堂が慶喜擁立運動なんて政治的なバクチに参加せず安政の大獄に巻き込まれなかった場合
土佐勤王党も出来なかったのかね
容堂は何故あんな事やろうと思ったのか
冨夫人は半平太からの獄中書簡を「恐ろしくて大半焼き捨ててしまった」と言ってるらしいが、
獄中生活や取調べの実態は、現在残されている資料から推測され判明している物よりも更に凄惨な物だったのか。
「それ攘夷というは皇国の私語にあらず。そのやむを得ざるにいたっては、宇内各国、みなこれを行ふものなり。メリケンはかつて英の属国なり。
ときにイギリス王、利をむさぼること日々に多く、米民ますます苦む。よってワシントンなる者、民の疾苦を訴へ、税利を減ぜん等の類、十数箇条を乞う。
英王、許さず。ここにおいてワシントン、米地十三邦の民をひきい、英人を拒絶し、鎖港攘夷を行う。
これより英米、連戦7年、英遂に勝たざるを知り、和を乞い、メリケン爰において英属を免れ独立し、十三地同盟して合衆国と号し、一強国となる。実に今を去ること80年前なり」
坂本龍馬より中岡慎太郎の精神に現代人は学ぶべきだと思うね!
慎太郎カッケー
>>483 かなり仲良しなのに何故かそんなイメージもたれないね平井兄妹。
瑞山の獄中での病(疝気)って、医学的には何が原因なん?
投獄された他の同志も一様に同じ症状に悩まされたらしいが。
ネズミが顔を這いまわったり
天井からヤスデ?とかが落ちてくる環境じゃ病気にもなる。
489 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/24(火) 19:15:10.64 ID:RFgWTbRDO
不衛生、栄養失調、強度のストレスの三重苦
病気にならんほうがおかしいな
栄養失調だったん?
妻は毎日三食作って南会所に届け、牢番はカツオだのお菓子だの色んな食い物を競って持ってきたって言うから、
獄中にいながら、飯は寧ろ良い物を食いまくっていたであろうと言う印象だが。
暑い時期は差し入れのお弁当のオカズが傷んでしまうとも言っていたね。
富子夫人が懇意にしている牢番から
警備が手薄くなる正月に男装してコッソリ面会に来ませんかと誘われ思い悩んだが
コソコソ自分だけ面会に行っても瑞山は喜ばないだろうと会いたい気持ちをぐっとこらえ自重したという
ああいう気持ちのやり取りが好き。
たけち先生…鰹のタタキはいっぱい食べれたじゃろうか?
武市瑞山関係スレで粘着アンチ繰り返してた福岡のイゾキチ腐女子のブログとツイッターがいつの間にか消えとるw
以蔵のイメージが壊れるような記事を見つけるたびに
見苦しいキチガイ発言とすり寄りと殺害予告を繰り返してたがとうとう警察の世話にでもなったのかね。
松岡司は何年も前に青山文庫退職してるから怪文書送り付けても届かんよ。
>>493 もしあのマジキチがタイーホされたんなら本当に良かったわ
醜い発言の数々だったねぇ>荒らし
以蔵オタの悲鳴で飯ウマといきたいところだけど正直アレはキモ過ぎ。
冷静に考えればありえない内容のドラマだの小説だのの作り話鵜呑みにして散々武市さん中傷しといて
今更「武市先生と以蔵の仲良しな創作がみたい」だの「鉛筆買ってきて絵の練習しよう」だのアホかと
マジで回線切って首吊って欲しいわ。
必要なのは、警察より病院だろう
気の毒な人だ
てか、以蔵オタとかここで関係ないな
>>496 龍馬伝放映以降武市関係スレ荒らしてたイゾウヲタのキモ腐女子がいるんだよ。
平井収二郎の切腹時の状況もろくに知らないくせに
収二郎のヲタナリして瑞山叩いたり(突っ込まれてバレた)、
自分のtwitterと同じ内容を厚かましくここで質問してきたり
誰が今更イゾウの話なんかしてやるかっつーの。
こいつの中ではカワイソーで健気に武市に尽くす気色悪い
山村竜也の腐向け新撰組マンガのイゾウ像が正しくて
犯罪者として捕縛だの牢番に自慢話をベラベラ喋ってただのの
史実話を拾ってくれる松岡司はイゾウに対する憎しみを抱いていることになるらしい。
意味わかんねーよwむしろ松岡版を有難がれよww
本当イゾウヲタは頭悪いクズ揃いばっかやな。
事故を起こしたバス会社の名前が陸援隊で
話題になってるねー、悪い意味で。
>>497みたいに以蔵の話が出る度にいちいち長文で反応する奴も正直鬱陶しい。
もういい加減スルー出来るようになって欲しいんだけどな。
>>498 なんでよりによって陸援隊なんだよと言いたいw
武田といい孫といい管といい橋下といい
維新志士を引き合いに出して己の美化を図るのにロクな奴おらんよな。
北川村の人も嘆いているだろう。
北川村民は先祖がガチで中岡に救われてるので顕彰心が厚そう。
タタキ
503 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/10(木) 15:55:14.30 ID:vOOiJ+FO0
武市先生の命日ですね(-人-)
今でも墓前祭は神道式なのかな
大河ドラマ終わってしばらく過ぎるとあんまりニュースでも取り上げられなくなるな。
今年は朝日新聞のサイトしか墓前祭の記事を見なかった。
その方が静かでいいんだろうけど。
注目度が上がると中には変なのも湧くから…
原資料見ると樋口真吉日記の「坂龍飛騰」は後年上書きされてるものだそうな。
龍馬が活躍しだしてからイメージ改めた仲間もいたんだろう。
加尾とか。
>>505 高知新聞にも載ってたが、瑞山が「吉田東洋暗殺の罪で切腹になった」という説明には疑問符。
以蔵以外の同志の頑張りで、まともな罪状の裏付けが取れないまま
無理やり不敬罪で切腹という形になったのだから、その辺の経緯は踏まえて欲しいなあ。
>>506 何か胡散臭い表現だと思ったらそういう事か。
樋口の日記は近デジで全部読めるんだっけ。
>樋口の日記は近デジで全部読めるんだっけ。
読めない。
遣倦録だけ読めるんだったかな?
真吉の日記の中から中岡慎太郎の未発見資料も見つかってたね。
以蔵新伝今月中に終わりそうだね。
しかし腑に落ちない書き方の所が増えてきたなあ。
結局以蔵が拷問で吐いたのは何についての話なんだっけ?
>>511 横田氏の解説によると
井上佐一郎暗殺に関与した者について。
>>493 しばらく見なかった内に、そのマジ基地のTwitter復活してたw
相変わらずの基地っぷりに戦慄したわw
なんで以蔵新伝は、武市が以蔵は女も耐え抜いた拷問に泣き叫んだ大泣き虫って呆れてたという事実をスルーして、以蔵は無宿人だったから酷い拷問受けたって事になってんの?
これじゃ松岡司も以蔵に都合の悪い事実を書かない菊池明と同じじゃね?
基地外が戻ってきた。
25日のヒストリーに武市夫婦が出そう
何故出そうだと思うの?
>>517 来週の今夜はヒストリーは、歴史ベストカップル7で、武市の獄中自画像と富さんが予告で写ったからなんですけども
土佐藩の動きがよくわかりません。
土佐勤王党の活動を黙認していたかとおもえば佐幕派になった藩首脳部から弾圧され、
佐幕派で幕府を擁護したいたかとおもえば戊辰戦争は薩長に迎合して出兵しているし。
コウモリみたいに態度が変わっているので山内容堂は信用できません。
今夜はヒストリー見てみっか。情報ありー
>>519 容堂は時勢で有利な方に付いてるの。
尊王感情も勿論あるが内心は藩主就任時の事情もあって佐幕寄り。
土佐と水戸の勤皇派の報われなさは異常。
薩長勤皇派と共に艱難辛苦を味わっていたのに後もう少しのところで粛清されて
その後の薩長勤皇派と同じ栄達にありつけなかった。
いや、土佐の方は生き残りは結構栄達してんじゃん
それに藩内の粛清が激しかったのは長州や福岡もだし
>>516 出てたねー。
まあ無難な紹介だった。
龍馬とお龍の寺田屋はやらんで良かったんかね?
お龍は性格に難ありだが。
>>523 でも、本屋で売られてる本でよく書かれてる、以蔵に東洋暗殺の件をゲロられて切腹ではなく、容疑不十分で切腹と言われていた事に安心したw
いっつもsageられるのが普通の武市が珍しくageられてたから喜んでたら、
案の定創作鵜呑み系のアホが武市はそんないい人じゃないとかほざいててウゼーのなんのってw
創作がひとり歩きして定説化しているのを何とかして欲しいよね
以蔵キチの腐女子はコテ付けろよ
三十路ババアの分際で黒髪の乙女がどうたらとかいう痛々しい奴ww
>>523 切腹についての説明が正確だったのは良かった。
ところで武市さんが投獄された公的な理由ってなんだったっけ?
これもあんまりはっきりわからなかったような。
>>527 「京都で不審な動きしてたよね?」って感じの逮捕状だった
最終判決もそうだけど決定的証拠がないからぼやっとしてるんだよな
嫁さんとか島村家宛書簡見てると手紙の〆に
「この牢番は信頼できるよ!」とか「この牢番は超いい人だからお酒でも持たせてあげてね!」とか
書いてて気配りの人だなぁと思う
牢番もおつかいに行くたびに「主人がお世話になってます」って酒もらったり
「信頼してますよ」って怖いおっさんに褒められたら武市のこと信仰するわw
武市ってそれを素でやってるのか計算でやってるのかすごい気になる
別に牢番達も武市先生を信仰はしてないってw
義人を死後祀る感覚は当時の感覚としては普通だったんだと思われ。
気配りに関しては凄いマメだったらしい。
普段からマメに気遣いする人なのはそういう真面目な性格だからなんだろうけど
牢番とコミュニケーションを密にするのは便宜を図ってもらうためだね。
同じ理由で相部屋になった伊藤礼平のセクハラ?にも耐えたんだろうしw
外であんなにベタベタされたら
「馴れ馴れしいんだよテメェ!」でワンパンで沈めてたと思う。
でも武市先生ちょっと天然だからどうだろうなw
あと武市先生は
「親切にされたら親切で返すべし」って考えてるっぽい。
とにかく真面目というか義理固いんだね。
ところで獄中書簡集は初版完売後に表紙色違いの改訂版出てるの最近まで知らなかったw
坂本龍馬を持ち上げるためか岡田以蔵を引き合いに出して武市先生のことを不当な扱いをする著作が多い。
ああいう両方褒めればいいのに片方を落として相対的に持ち上げる手法は気に入らない。
>>531 だから、武市さんと以蔵絡みの出鱈目が書かれてる本がやたら多いのかorz
そういうの鵜呑みにして武市さんdisる連中が多いのがウザイんだけど、
なんとかならんのかね
武市と以蔵の話がしたくてたまらない
以蔵キチガイの腐女子が沸いてキモイので
以蔵の話は歴史難民板の岡田以蔵スレでやってどうぞ。
武市先生(1829年)と大器晩成型の坂本龍馬(1836年)を単純比較してしまうと
どうしても一回り年上の武市先生のほうが明確な主導権を握っていたわけで
両者並び立てるのは難しい。
坂本龍馬のスポットを当てる場合は武市先生とは袂を分かって脱藩した手前、
史実通り武市先生が主導権を握って話を進めるとあまり都合が良くない。
微妙な年齢差といえば松下村塾の吉田松陰(1830年)と高杉晋作(1839年)みたいに
明確に師弟関係があればそういう序列は無視できないけど、土佐勤王党では
できるだけ武市先生との絡みを薄めれば坂本龍馬の土佐時代の功績が際立つ。
信仰じゃなくて信奉のタイプミスじゃないのか
武市みたいな冷酷人間好きな人が居たのが驚き
別に冷たくはないし
生真面目で親切で可愛い性格の人だよ。
人格面では敵対する藩内の勢力の人間からも一目置かれてた。
暗殺への関与が多かった事に関してなら当時は単に命を尊重するという価値観じゃなかっただけ。
暗殺自体珍しい時代でもなかったしなー。
オウムの麻原は「この世は最早武力でしか救われない」とか何とか言って、
大義を掲げて国家に戦いを挑んだが、敗北した事もあり、ボロクソに叩かれている。
が、麻原が国家転覆に成功して麻原が日本の王になっていたら、
今頃麻原は日本を救った救世主として崇められていたかもしれない。
幕末だって人殺しは犯罪だし、実際に武市は犯罪者として処刑された。
が、最終的に朝廷が勝ったから、天皇好きの武市は明治に入って朝廷によって持ち上げられた所がある。
逆に、あの時代に勤王派が敗れていたら、武市は未だに不忠者・大悪人として後世の人々に叩かれていたかもしれない。
やっぱり「勝てば官軍」的な面はある。
不敬罪で切腹は犯罪者として処刑されるのとはまた違うと思うが…
藩庁が犯罪者として処刑する事に失敗した結果だから。
しかし小説やら小説の孫引きの個人サイトあたりの情報しか知らない人間が
アフォ丸出しで歴史についてさも詳しげに語りたがる現象は何なんだろう?
謙虚に自分はもの知らずですって態度が取れないのかね。
政治に物申す事にリアルで命懸けな時代もあったって事さ。
今の民主主義と、当時の体制一緒にしても。
世界でも文明国が野蛮な非文明国を植民地化してやるのは当たり前でしょって時代だ。
大体武市を殺したのも非合法な私法になるし、佐幕派は十分持ち上げられてるでしょ。
武市先生は書簡とか読んだ感じ何かやたらと好かれてるが
こういう好かれ方をするってのはどういう人だったんだろうね。
以蔵みたいな軽輩者使わなきゃいけないほど
土佐は層が薄いのか
>>541 相手が感激するほど誰にでも礼儀正しい文武両道のイケメンとか
そりゃ大体誰でも好きだろうさ。
現代でもたまにいる優等生らしい優等生やな。
>>542 勅使の列に加わっていることから見ても一応強い事は強かったんだろう。
腕が立つっていうのは非常時に重要なスキルだ。
まあいざ尋問になると女も耐えた拷問で泣き喚いて「日本一の泣きミソ」とか呼ばれて
自白して仲間巻き込みまくったオウンゴール野郎なんだがw>以蔵
こんなんが美化されまくってんのみるとマジ胸糞悪いわ。
>>544 こいつの美化と武市先生の貶めがセットってのが最高に気分悪いな
イケメンなのかな?
肖像画がイケメンVERと何か骨格がおかしいやつの二種類あるよねw
テレビでよく見るのは何故か獄中自画像だけど。
>>546 獄中での妙にちやほやされてる扱いとかみるに
端正な容姿だったんでね?
あと普段から獄中自画像みたいなカッコしていたわけではないのだから
紹介の時にあれ使うのは不適切だと思う。
でもあだ名「アゴ」だったんでしょw
アゴの長いイケメンってどうも想像つかない
アントニオ猪木みたいなイケメン??
武市とかどう考えても不細工だよねwwwwwwこんなキモいのが好きとかこのスレの住人は頭おかしいね
性格も冷酷残忍で最悪だし(笑い)
龍馬堂とか言うホームページの武市紹介コーナーには、写実的な肖像画が二枚掲載されていて、
一枚目が、テレビや本等で最も多く目にするメジャーな肖像画なんだが、
面長だった等の目撃談からすれば、実物に近いのは二枚目の肖像画な気がする。
東洋は博識だったかもしれないが
武市大先生の様な英知がなかった
武市先生の性格に関しては純真な人だなあという印象を受けるけどねえ。
本人のお手紙とか読んだ感じ。
以蔵をボロクソにけなしてる件ならあれは完全にイゾウが悪いw
創作うのみにして武市先生叩いてたアホの子は自分のバカっぷりを素直に認めて欲しいな。
冷血で性格悪いリーダーが何で慕われてるんだよって話だよなw
腐女子の脳内設定は無理ありすぎ。
出っ歯のゴリメンだった岡田以蔵こそ極限まで美化されすぎwww
あんな堕落した屑を美化するのは維新志士への冒涜に等しい。
天誅も冷血どころか熱血に駆られた脳筋党員達が能動的にやりたがってたのになw
GOサイン出す武市さんも後先考えるべきだったとは思うけどw
潔癖さが冷静さを上回っちゃったね。
まあ安政の大獄で志士を弾圧したり女官レイプしたり賄賂取ったりする輩をボコボコにしたいというのは
義憤に燃えての行為だろうし庶民の不満を汲みとったものでもある。
アントニオ武市
瑞山の印象に付いて『一枝の寒梅の趣があった云々』は維新土佐勤王史だっけ?
原文読んだこと無いけど。
というか研究者でもないのにあのクッソ分厚い本読破した人いるのか…。
知ってる人いたら↑の記述が何ページぐらいに書かれてるのか教えて下さい。
>>553 以蔵の命日祭の参加レポートをブログに書いてくれてる人がいたけれど
自白で同志に累を及ぼし顕彰拒否された人物を創作のイメージだけで祭り上げるのは間違ってる
って内容のコメントしてた。
史実知ってて公的な場で嘘のイメージでっち上げるのはやってはいけない行為だよね。
たぶん観光誘致になればいいな位の浅い考えなんだろうけど。
命日祭には興味あったけど何かなー…。
美化といえば読売新聞の勤王党特集で以蔵のイラストはゴツめの凄いあばた面だったw
疱瘡面って書かれてる本も一応あるんだっけ?
それにしても大河ドラマでの以蔵のありえない美化っぷりに比べて武市先生の扱いの酷かった事…。
長い付き合いで普通なら以蔵の性格を熟知している筈だったんだが、同志に累を及ぼす男・以蔵を同志に加えた上、
(暗殺者として使い勝手が良かったからだろうが)トップシークレットなテロ活動にまで頻繁に起用した事が、
結局、獄中で武市自身を含めた勤王党員に最悪の形で跳ね返ってきて、拷問死・服毒死する同志まで出た。
武市にも責任があるだろ。
>暗殺者として使い勝手が
はい創作脳のアホ発見w
自力で一次史料調べようとか思った事もないんだろうな
武市にしろ以蔵にしろ、やれイケメンだの、本当はブサイクだのって
やたらとルックスにこだわってるのは腐女子連中だろ
武市は信念持った生き方が格好良いのであって
顔の美醜なんかに左右されるものじゃないのにな
>>560 そうぜよ(便乗)
志士は志で評価されるべき。
>>558 以蔵の性根のクズっぷりに関しては親でも把握してなかったんじゃないか?w
拷問で泣き喚いていた時には瑞山もマジありえねーって反応だったしまさかあそこまで酷いとは思わなかっただろうw
どんだけ責任転嫁したいんだよ、以蔵本人が不義を認めて反省してるっつーのに。
前にここで話題になってた28士の件は
中岡慎太郎全集に載ってるようだ。
藩に出した抗議文に名前出てるのが
門田為之助 川原塚茂太郎 田所庄(荘)之助 岡本恒之助
佐井虎次郎 立辺(島)地磯吉 片岡孫五郎 谷作七
阿辺多司馬 上田楠二 細木核太郎 北川源五郎
平石六五郎 上田官吉 三原兎弥大 仲(沖)野平吉
西山直次郎 池知泰(退)造 田中作五(吾)郎 岡本猪(恒)之助
村田馬太郎 山本四郎 森助太郎 大石弥太郎 久松喜代馬だってよ。
しかし中岡はこの件に関係なかったはずだが、何故慎太郎全集にw
龍馬全集から漏れた分も収録してあるとかそういう事かな。
>>557 獄中で泣き喚いていたのが武市
気丈に耐え忍んだのが以蔵ってのはもうギャグかとw
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/11(火) 07:58:21.38 ID:Mz9jZxAm0
結局薩摩人がおっ始めた天誅を
島田殺しで有名になった田中新兵衛ごと土佐勤に押しつけられた形になるのかね。
高知のローカルアニメ番組『土佐のむかし話』に野根山二十三士が出てたそうだが
観た人いる?
観たかったなあ。DVDとかにならないのかな。
昨日は武市先生のお誕生日じゃったね。
瑞山神社の方角に向かって念を飛ばしておいた。
>>556 岩崎鏡川が書いた瑞山関係文書の「自叙」じゃね。
馥郁タルモノハ花ノ香也。
凛烈タルモノハ人ノ義也。
武市瑞山、志気高潔、的然寒梅一枝春ニ魁シテ清香ヲ放ツガ如シ。
武市さんの慕われ方は尊敬されつつも労わられてる感じがする。
天資の魅力がある人だったんだなあと獄中書簡を読みながらしみじみ思った。
ところで前に門田為之助の資料探してる人がおったけど
国会図書館憲政資料室にある石田英吉関係文書内の「亡友帖」にも記録があるよ。
もう見てないかw
門田為之助は28士連名の嘆願書の筆頭に名前が来てるあたり
同志間でそれなりに立場のある人物だったんじゃないか。
武市は古い人間。
龍馬の引き立て役。
龍馬あっての武市。
過激な悪役
こんな奴が維新四傑だったらと思うとゾッとするので、死んでくれて本当に良かったと思っています
勤皇党の人達もこんな小物に振り回されて本当に気の毒だと思っています
武市とかいう屑、ぶっちゃけ土佐の恥としか思ってない。
なんでこんなのが偉人扱いなのかわからない
偉人なんて到底呼べるような人物じゃないですよねww
容堂や東洋の方が地元でも人気あるし、尊敬されてますよ?
えー高知県民だが容堂や東洋に人気があるとはとても思わんけど…
維新後の容堂は藩内での人望を失って悪口言われるのがヤで土佐に寄りつかなかったし
(豊範は行事ごとに帰高してたけど)
東洋の嫌われっぷりはガチだったぞ。
もうちょい二人が人格者だったら良かったんだが、
それ抜きにしても山内家は歴史的経緯から不人気。
いつもの以蔵ファンの腐女子か?
>>572 容堂&東洋に詳しい訳でもないくせにプッ
ところで集団リンチでは調子こいて暴れてたくせに
脱藩して勝や龍馬にも見捨てられて
女も耐えた拷問で泣き喚きながら仲間売って
散々世話になった師匠や師匠の家族や友人含む同志を巻きこんで不義を血を出して後悔とかほざいて
昔は優しかった瑞山からも汚い物を見る目つきで見られてた岡田以蔵についてどう思う?w
以蔵のせいで死んだ門弟仲間の島村衛吉は立派な最期だったのに引き換えあのクズはなw
創作鵜呑みにするお脳しかないオタのクズぶりも頷ける
あと瑞山を引き立て役にしないと龍馬が目立てないのは幕末終盤まで政治的な活躍のない人物だからだよア・ホ。
何か龍馬ファンは武市さんを引き立て役にしたがるよね。
特に平和革命を為した維新の立役者龍馬マンセーみたいな
小説イメージにドリーム上乗せしちゃってるタイプの人。
>>575 武市ファンの龍馬アンチが多いのもそれが理由かw
一次史料読む層の武市ファンで龍馬アンチとかいないと思うけど
一次史料興味ないです(^p^)とかいう人はわざわざ日本近代史板でコメントしないで欲しいわw
広い視野を持ち、その視線は常に世界へと向けられていた坂本龍馬は、
一藩に拘り続ける事の不毛さに早々と気付き、君臣の義をかなぐり捨てて土佐藩を飛び出したが、
半平太は、革命家たらんとしながら、君臣の義から抜け出せないと言う自己矛盾に陥り、
容堂ら藩有力者に対して決定的に甘く、 これが土佐勤王党崩壊の根本的な原因となった。
>広い視野を持ち、その視線は常に世界へと向けられていた坂本龍馬は
常にではないね、段階を経て広い視野を身に付けていきはしたけども
初めは事情迂闊だし伏見義挙という過激なガセ情報に騙され脱藩したし
瑞山を革命家というのもどうかと思うね
身分の低いもので構成された土佐藩志士らは一貫して尊攘派勢力内のサポート役
スポンサーを求めて彷徨うか自藩を持ち場とするか
尊王攘夷派没落時には脱藩沸騰甚だ無益なりby中岡だね
龍馬も最終的に土佐に帰属しつつ自藩に遠慮して薩摩藩邸に避難せず死んでるね
下らない遠慮かもしれないけど藩の力がないと何事も為せないのだから仕方ないね
あと土佐勤王党崩壊はしてないね
自重し結束して獄中闘争にあたるという方針で被害を最小限に押さえ
投獄された勤王党員の刑死者自体は少人数で済んだね、OK?
>>572 墓の場所たずねたら「あんな土佐の恥の墓に墓参り!?」とかいう反応を
役所の人にされてた岡田以蔵とかいうカスがどうしたってー?
真宗寺山墓地のふもとに市役所の支所があるからそこでの話かな。
武市千賀ノートで富さんが結婚式を回想して
「半平太さんは六尺もあるし女性の皆さんも背の高い美人ばっかりですごかった」
みたいに言ってるけどやっぱり背の高い家系なのかね
当時の新聞記事とかもそのまま入れてる資料だし
この話もいないはずの人がいることになってるけど
半平太六尺説は結構有力だし気になる
お冨さんの回顧録は瑞山関係文書に収録されてるんだっけ?
ちょっと前に武市さんの獄中で書いたって書がヤフオクに出てたけど絶対にパチモンだわあれ…
出品者もロマンを買って下さいみたいな言い分だったし。
入札してた人いたけどさ…
>>582 武市千賀覚書は関係文書とはまた別にあるんじゃなかったか
列強の世界侵略脅威は戦国のザビエルの時から既に始まってたわけだからな
ペリー来航も日清日露第一次第二次大戦も全て計画上行われてた
幕末は瑞山の三文時切腹でなんとか防いだが
武市さんって将来的にどんな世の中を構想してたのですか?
朝廷中心に政権交代
今日は命日じゃね。
武市先生の墓前祭って広報されてないみたいだけど招待された人しか行かない形式?
式典の邪魔にならなければ個人の参拝は自由では。
590 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/27(月) 01:05:45.52 ID:gIBCGpel0
前のアカウントが消されたので
別アカウントでキモさ炸裂の以蔵オタ腐女子↓
http://twitter.com/u_gili 夕霧@黒髪のヲトメ&#8207;@u_gili
【問題無い発言】|-`).。oO(鈴木圭と福田靖とニワカ歴ヲタと松岡司とエノカマは、はやく天国へ逝けばいいのになー。
通り魔に襲われるかなんかしないかしら。) #ryomaden
2012年7月20日 - 10:22webから&middot; 詳細
|-`).。oO(アサギはYGでは空気マンガだとか、
先生はたかが時代考証の分際で大河ドラマを私物化するような発言をしてけしからんだとか、
アサギの打ち切りキタ━(゚∀゚)━?だとか好き勝手言って申し訳ありませんでした山村竜也先生!
全部取り消しますから、以蔵の出番をなにとぞ…。)
2012年7月19日 - 8:11webから&middot; 詳細
【たぶんこれは届かない手紙】妄想大河ドラマの中の人、あの時はとても酷いことを言ってしまって、申し訳ありませんでした。
私のしたことであなたをひどく傷付けてしまったこと、ほんとうにごめんなさい。今更、何を言えた立場でもありませんが、
せめてあなたとあなたの御家族の為に祈らせてください。
2012年7月4日 - 4:29webから&middot; 詳細
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/28(火) 12:32:14.60 ID:muMMCITKO
土佐勤王党
沖縄鉄血勤皇隊
吉田東洋が瑞山をどういう風に見ていたのか、人物評とかが残ってたら面白かったのに。
瑞山は実は吉田東洋の人物を評価していた事もあって、東洋暗殺になかなか踏み切れなかったみたいだが。
東洋が内政を担当し、瑞山が外交を担当するような体制だったら、土佐は最強だったな。
593 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/18(火) 23:47:27.40 ID:l7QfYnVXO
東洋はかっとなって、斬り殺したり、殴ったり
人格には問題ありだよな
594 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/21(金) 12:36:38.06 ID:vLul1XAt0
瑞山先生最高!
595 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/21(金) 21:46:49.08 ID:n+ryvN900
尊皇攘夷ぜよ!
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/23(日) 12:57:24.31 ID:9eqsK5s00
来世も富と夫婦になりたいぜよ
志節に乏しく、後の土佐勤王党の獄でペラペラ自白しまくった岡田以蔵を頻繁に暗殺活動で起用した所などを見ると、武市は人を見る目は無いな。
吉田東洋が暗殺された時、岡田以蔵は土佐に居なかったようだが、土佐に居たら東洋暗殺隊に入れられてただろう。
そして、土佐勤王党の獄で以蔵が東洋暗殺事件の真相まで自白し、獄の犠牲者は史実よりも増大しただろう。
まさか以蔵のアホがあんなにバカだとは
以蔵の親兄弟でも思ってなかったろうよw
弟はマトモそうなんだが
599 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/12(月) NY:AN:NY.AN ID:otdh0B820
武市先生を主役に据えた評論・解説書(現代もの)は滅多に出ないですよね。
2010年の松岡司氏のものくらいですかね。
ありとあらゆる分野・人物に関し書を漁ってきた私も、武市先生物はまだ。
詠みたければ2010年のやつを入手するしかないですかね。
バカの一つ覚えみたいに人を見る目ガーとか同じ事言ってんのがいるが
その理屈でいうと勝海舟の人を見る目もないって話になんのかね?
伊蔵は天誅に参加した多くの党員の一人にすぎんのだが
武市瑞山は岡田家と交流があったみたいだから仲は良かったんだろう
最後は仲良くしてた事は瑞山にとって不快な記憶でしかなかったかもしれんがw
中岡のWikipediaで、武市が中岡に板垣退助の暗殺を指令したって話が載ってるけど、マジ?
そんな話は初めて聞いた。
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/02(水) 14:46:51.16 ID:mN8Q6h+X0
以蔵を穢れ仕事に扱き使っといて雑巾のように切り捨てた冷酷さは異常。
こんな男が明治の高官にならなかったのは幸いだった。
まだあの岡田と武市関連の創作ネタを史実だと思ってる馬鹿が存在してた事に驚きだわ。
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/02(金) 18:12:35.65 ID:9csoldtv0
保守的な武市が明治政府高官として大久保や伊藤の文明開化路線に
ついていけるだけの柔軟性があったろうか?
士族反乱に参加するか、さもなければせいぜい元田や佐々木とともに
侍補の職を与えられ明治天皇を精神面からサポートすることを期待されただけだったろう。
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/27(金) 05:03:47.07 ID:28as1x600
>>604 武市と同時期で比較しないのは公平じゃありませんね
伊藤はイギリス帰りだけど、
維新前の大久保に文明開化路線とかないでしょ
兵庫開港反対で慶喜に対抗してたんだから
606 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/29(日) 14:27:48.16 ID:l8/J4v5L0
>>33 つまり薩長同盟の発案者て武市なんでしょ
武市ににとって最大の功績は薩長同盟
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/29(日) 17:32:28.87 ID:l8/J4v5L0
>>571 >>575 武市が薩長同盟を思いついたからこそ、
その後、坂本龍馬も中岡慎太郎も、薩長同盟実現のために動けたんでしょう
坂本は武市の主張が正しかったことを証明したのだよ
「薩長同盟は武市があったからこそ成された」っていうのはちょっと言いすぎかも。
色々な方向からの意見を読む限り、薩長同盟案って当時では「ありがちな理想論」なのだと思うよ。
みんな理想では「本当なら薩長が仲良く協力し合えば良いだけじゃん」と思ってるけど
肝心の仲直りさせる方法がわからないし、どちらがどう譲歩したら良いかも解らないし
周りが説得しようにも難題で「あー、むりぽ…」と停滞状態に居るのだと感じる。
小松もそうだし、木戸だってそうだし、龍馬も中岡も、それどころか幕府までもが
「薩長が組んだら一番早いのに」と内心では解ってみたいなんだよね。
要は「よくある理想論だけど、なかなか厄介な話」ってやつなんだと思う。
「不平等条約改正させたいと思うけど、どうやっていいのか、もうわからない」とか
「キリスト教とイスラム教を仲良くさせたいと思うけど、もうどうやっていいのかわからない」とか
それと同じ系統なんだろう、きっと。
そして最終的にその「よくある理想論」を、うまい事纏めた龍馬と中岡だけが
教科書に載っているのかと。
>>602 >仲間を雑巾のように切り捨てた
節子、それ以蔵のやった事やw
>>608追記
ただし、薩長土に「土」が入ったのは、武市の功績は結構大きいと思う。
龍馬や中岡が活躍した下地は、どう見ても土佐勤王党だし
木戸や西郷たちがすんなり龍馬達を信用して受け入れているのも
それ以前の土佐と薩長の関係が下地にあった為だと思うし。
だから「武市は、薩長同盟へ向かう道の一部を造った人」って程度が一番シックリくる。
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/30(月) 22:22:15.94 ID:eFTr0vWx0
>>608 武市が薩長同盟を主張する前に、もしくは同時期に同じことを主張してた人っているんですか
月形や早川にしても、七卿落ちの後か、はまぐりの後くらいだったと思いますよ
元々雄藩連合構想は斉彬とかあったんじゃね、
薩摩、越前、宇和島、土佐の容堂も四賢候と言われたからな。
薩長土連携が初めて具現化したのは武市の時だが。
歴史的に見れば、土佐の吉田松陰的存在。
土佐が明治維新に貢献する叩き台・導火線の役割を果たした。
武市がいなければ、坂本龍馬の存在も無かった。
武市は、他藩の志士の中では取り分け久坂玄瑞と懇意にしてたみたいだけど、
久坂の妻が主役の来年の大河ドラマに、武市も多少は出てくるかな?
龍馬は後ろ姿のみ
615 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/22(金) 19:53:31.33 ID:mJEcQQ7M0
>>611 斉彬の雄藩連合構想には長州が含まれてない
一橋将軍による幕府機能強化を推し進めようとした斉彬と、
倒幕も想定内とした武市とでは、志向が根本から違ってる
>>615 そりゃ 水戸徳川家や島津家と違って、
毛利家は 徳川の外戚ちゃいますからな
雄藩連合って言っても 徳川家の親戚順やわな
春嶽「所で、容保君? ここは溜廊下じゃないのに 何で 井伊大老のお気に入りだった君までいるのかな〜?左内の敵ィっっ」
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/22(金) 23:23:46.42 ID:mJEcQQ7M0
>>616 松平容保が井伊大老のお気に入りてどういうことなん
守護職就任中は横浜鎖港を主張して幕府を困らせた
程の攘夷論者じゃなかったか
>>617 井伊直弼と 容保の義父容敬は 同じ江戸城溜廊下の仲間
嘉永元年「一八四八」の無念打ち払い例に容敬が反対した際には 直弼は
「当今英勇大将」とか言って絶賛して
そのため 直弼は
その養子 容保をエラい可愛がっていたらしい
容保の攘夷論も
直弼が桜田門で死んで 南紀派が崩壊したために主張したものと
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/22(金) 23:53:22.85 ID:mJEcQQ7M0
>>618 井伊直弼存命中の松平容保は安政条約にどういうスタンスだったの
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/23(土) 00:26:41.18 ID:Q5N8kPdj0
>>619不明だが 少なくとも 将軍 家茂擁立には協力しているし 開港や安政の大獄に特に反対したと言うわけでもないらしい
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/23(土) 12:55:45.96 ID:Q5N8kPdj0
>>619 当時の松平容保は日和見だからスタンスを明確にできなかったのだと思う
違勅調印に賛成したら、皇室への不敬だし、
違勅調印に反対したら、一橋派みたいに弾圧される
安政大獄が一段落してから、容保は井伊にゴマするような手紙を送ってる
623 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/23(土) 13:40:55.58 ID:Q5N8kPdj0
>>619 会津藩の史資料では、安政大獄期の容保の動向についてはなぜだか抜け落ちてるみたい
井伊と容保が懇意だったことを隠蔽したいのかも
そりゃ 武市や長州からしたら 仲間や先生を皆殺しにした大老の御稚児さんが守護職になったら キレるわな
しかし せっかく 手代木さんが仲間にした彦根藩や土佐藩が最後あっさり寝返るのも 容保の所為か
625 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/27(水) 23:26:07.77 ID:bZDdV1M70
>>607 坂本龍馬は中岡慎太郎と違って反薩摩の活動をしてないから、
武市による薩長同盟案に影響されてると思う
中岡は反薩摩の活動後に、薩長同盟路線に転向してるから、
武市による影響よりも、月形らの影響だと思う
武市も吉田松陰も過大評価な気がする。
吉田東洋や長井雅楽こそ再評価されていいと思うが知名度無いな(なんで?)
龍馬伝は前半武市をsageて吉田東洋をageて描いたのだけはよかった
>>626 武市も吉田松陰は下士
吉田東洋や長井雅楽は上士ってイメージの所為かな
松陰は上士だろう
長井雅楽なんかは普通に現状追認の幕府追従策言っただけで
武市や松陰らなんかの変革論や開国論とは違うんだよ
629 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/12(金) 22:39:00.39 ID:MVdw6ojG0
>>626 吉田東洋のほうが過大評価だと思う
吉田東洋は佐幕にこだわりすぎて、倒幕を敵視し
柔軟な対応が出来ず、たいした実績を残せなかったのだから
630 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/12(金) 23:54:31.44 ID:MVdw6ojG0
過小評価なのは、藩主の山内豊範だと思う
武市が活躍できたのは、山内豊範が土佐勤皇党よりだったからだと思う
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/13(土) 20:15:51.36 ID:7hGUfK/eO
632 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/20(土) 19:34:47.28 ID:uSGYojY90
土佐で1番最初に倒幕を主張したのが、武市なのに、何で評価低いんだろ
明治政府から龍馬と同じ正四位貰ってるから評価は低くない
龍馬と相容れずに決別したと言う事にされてしまっているのが、一番の原因かな。
龍馬ら多くの土佐の志士に影響を与え、覚醒させる叩き台としての役割を果たした事が
一番の評価のポイントなのに。
635 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/20(土) 23:35:15.28 ID:uSGYojY90
636 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/20(土) 23:46:15.02 ID:uSGYojY90
>>634 薩長同盟も坂本龍馬より前に武市のほうが主張してたのにな
武市が坂本の反面教師みたいな扱いって多いと思う
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/21(日) 01:15:15.90 ID:3wfs+TJb0
武市を処刑せずに活かしておけば薩長と並ぶ勢力を維持できたと思うが、徳川譜代の山内家では仕方ないか
武市じゃなくても、龍馬か中岡が生きてればな
谷干城もせめて鳥羽伏見の戦いまで生きててくれれば土佐にとって都合が良かったと言ってる
>>632 龍馬や中岡と比べると人物・実績において武市は段違いに上
当時にさかのぼる程、武市への評価は高くなる
ってことは、一連の龍馬あげあげ運動の過程において龍馬を上げるために武市は下げざるを得なくて
その影響が時代を下るにつれて出てきてるんじゃないかって思う
まあ小説以外の史実にも興味ある人なら武市のほうが評価高いんだろうけど
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/23(火) 16:01:18.24 ID:544XuvPf0
ボケてツッコまれるの待ってたのかね
642 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/27(土) 08:32:46.15 ID:U4OA1J0R0
>>632 武市より前に、土佐で倒幕を主張した人っていなかったの?
徒党組んで行動に移した人って意味合いなんじゃないの?
龍馬が武市の意志を継いでいないっぽく描かれる理由は単純に
「土佐藩単位で動いてたか、そうでないか」の差じゃないかね
武市と龍馬の人気差が埋められないほど決定的に広がってしまったのって
国民が藩閥批判で盛り上がっていた時期だよね
仮に武市が、龍馬と同じ様に「紀州人や越前人でも能力に応じ重役にする」
という勤王党を作っていたら、武市へ対する世間の評価は全く違ってた気がする
実際、勝海舟←坂本龍馬←陸奥宗光←原敬に関しては、
各々タイプや思想が違うにもかかわらず、小説や伝記では
「日本人という意識を持ち非藩閥の意志を継いだ」という関係に描かれがちだし
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/29(月) 03:00:06.85 ID:pE0Le9IY0
>>644 >武市と龍馬の人気差が埋められないほど決定的に広がってしまったのって
>国民が藩閥批判で盛り上がっていた時期だよね
「汗血千里駒」の時期なら、
自由民権運動のころだから、
脱藩した坂本龍馬より、
脱藩しなかった板垣退助のほうが、
人気あったんじゃないの
646 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/29(月) 04:28:56.65 ID:pE0Le9IY0
幕末当時、藩単位で動いてたのは、武市だけじゃなく、
板垣、久坂、桂、西郷、小松とか他にたくさんいたし、高く評価されてる
坂本龍馬にしても、清河八郎や伊東甲子太郎とかに比べたら、
非藩閥の意志が強いとは思えない
だから武市の評価は低すぎると思う
>>645-646 まず、初期の自由民権運動=藩閥批判ね。
当然板垣は藩閥批判家で、龍馬と同じく他藩出身者を積極起用しているので国民人気は高いよ。
自由民権運動の詳細はコレでもどうぞ
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/nihonshi/archive/resume027.html んで、この自由民権運動=藩閥批判のユルキャラ(?)として売り込まれ人気者になったのが坂本龍馬だな
(清河や伊東はそもそも特に売り込まれてさえいないので論外かと)
勝や龍馬は、明治時代から現在に至るまで「藩単位なんて古臭っ!これからは日本人単位の時代よね〜」
という路線で描かれ続け、それが原因で人気獲得した部分が大きい
武市はコレには混じれない性質の人なので、どうしても「龍馬が武市の意志を継ぎました」という売り方はしにくいと思う
>板垣、久坂、桂、西郷、小松とか他にたくさんいたし、高く評価されてる
板垣、桂、西郷の三名が武市より評価高いのは当たり前かと。
いくら何でも現日本政府が信長や秀吉並の扱いしてる三人に武市を対抗させるのは無謀。
ただ久坂、小松あたりは、別に扱いにおいて、武市と雲泥の差があるようには感じないよ。
久坂もよくsageで書かれてるし、小松なんて篤姫までは武市以上にモブってたし。
武市が今から人気者を目指すなら小松路線(ドラマで高感度アップ)が現実的かもな
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/29(月) 17:37:46.94 ID:pE0Le9IY0
>>647 >板垣は藩閥批判家で、龍馬と同じく他藩出身者を積極起用している
板垣は維新前に藩閥批判してないし、
板垣率いる迅衝隊は他藩出身者を積極起用してないし、
坂本率いる海援隊は土佐藩に付属してるし、
隊員も土佐出身が多い
にも関わらず明治になってから
>「藩単位なんて古臭っ!これからは日本人単位の時代よね〜」
>という路線で描かれ続け
て強引に「板垣は坂本の意志を継いだことにして」人気を
つくり出せたんだから、そのやり口を参考にしたら、
「龍馬が武市の意志を継ぎました」という売り方でも
人気者を目指すことは可能だと思う
薩長同盟発案者は武市なのだから
649 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/29(月) 17:44:06.89 ID:pE0Le9IY0
>伊東はそもそも特に売り込まれてさえいないので
大政奉還後の建白書で公家中心の新政府、
国民皆兵を提唱しているから、幕末当時は非藩閥キャラ
として売り込んでたことになるんじゃないの
坂本龍馬よりも非藩閥キャラなのに人気者になれなかったって例
>>648-649 ちょ、志村、逆逆!
レス見る限り、あまり明治時代には興味ないみたいだね。
藩閥批判家が国民人気高くなったのは明治時代に入ってからの事だよ。維新前にはそんな傾向一切無い。
そして武市も明治時代の頃は龍馬とともに売り出されたよ。龍馬ほど売れなかっただけで。
明治興味ない人にも解りやすく纏めるとこんな感じ
《維新前》
板垣は特に維新前に藩閥批判してないし、武市を弾圧する上士仲間も止めなかった
龍馬は『幕末期にしては珍しく』他藩出身者に能力に応じた重役を与えていた(もちろん土佐人が多めだが『幕末期にしては珍しい』)
ただしこの頃は、龍馬が褒められたり、板垣が叩かれるようなことは一切なかった。
↓
《維新後》
藩閥政治が開始。特に薩長藩閥が独裁政権化。この辺から急速に国民が「過激な藩閥批判派」に転じる。
板垣も「藩閥批判」始めました。すると板垣人気が急上昇の鰻登り。
この時期は、反政府戦争や反政府活動に加担し逮捕されたら国民から尊敬されるレベルに藩閥が嫌われてた。
↓
民権運動家(土佐人が多い)が、自由民権運動の一環として武市、平井、龍馬、中岡を売り込み始める
小説や漫談や絵などで大宣伝。もちろん「オレらは○○の意志を継いでます!」という便乗商法を狙っての事。
ところが何故か龍馬以外は鳴かず飛ばず。
なんで龍馬だけ人気出たかというと、龍馬が偶然にも『幕末期にしては珍しく』非藩閥的要素が強かったため。
要は「龍馬さんって幕末のご時世にも関わらず、『藩単位なんて古臭っ!これからは日本人単位で物を考えないと!!』
という思想を持っていたのね!もう、龍馬さんったら時代を先取りィ!」と解釈されたわけだ。(当然龍馬にその意思があったかは不明)
ちなみに伊東や清河は誰も自由民権のキャラとして売り出そうとはしなかったので、売れる売れない以前の問題。
↓
自由民権派は何とか粘って、龍馬以外の残りのメンバーも売り出そうと頑張っていたが、そのうち漫談中に
「ゴリ押しウザい!!」「龍馬の話聞きに来たのに!興味ない奴の話するな!」という心無いヤジが飛ぶようになる
その後、根気強く粘ってた武市や中岡のファンの活動が実を結び徐々に市民権を得始めたので、今はこんな事起きないけどね
人気はともかく武市の評価は高いだろう
松陰や龍馬と同じく正四位
薩摩の小松帯刀すら従四位だから一段上の評価
幕末で死んだ人物で最高級の評価
せめて正四位組の龍馬か中岡が生きてれば土佐派も違ったかもな
>>651 土佐は代表務められそうな人が根こそぎ死んだのが痛手だわな
残された板垣さんはイイ人とは言えアレな人だしw
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/29(月) 20:58:05.61 ID:pE0Le9IY0
>>650 土佐閥ステマの成功例が坂本龍馬で、
土佐閥ステマの失敗例が武市中岡てことなんかな
>明治時代には興味ないみたいだね
武市のほうに興味あってこのスレ見てたんで、
多分そちらほど詳しくはないよ
だから教えてほしいんだけど
>武市、平井、龍馬、中岡を売り込み始める
平井って他の3名みたいな売り込みあったの?
平井じゃなくて吉村を入れて土佐四天王だと思うけど
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/29(月) 21:02:07.07 ID:pE0Le9IY0
>>650 >武市も明治時代の頃は龍馬とともに売り出されたよ
これは正四位が同時期って意味なのかな?
武市は維新前から知名度高かったと思うよ
伊東や清河でなく土佐系志士のほうを宣伝した理由が
>民権運動家(土佐人が多い)
なら納得できたけど、
宣伝された土佐系志士の中で、坂本龍馬だけ人気出た理由が
>非藩閥的要素が強かったため
ってのは、無理があるんじゃないの
土佐系志士の中で、坂本龍馬より吉村虎太郎のほうが、
非藩閥的要素が強いけど、そんなに人気ないよね
>>653-654 ステマというよりは世論との偶然の一致だね時代が味方したってヤツ
例をあげるとしたら
「津波来る数年前に、偶然15mの防波堤を建設してる議員がいた」
(ただし津波を予期して建設した訳では無く、建設業界との談合で建てた可能性もある)
とかそういう類の話。杉原千畝なども時代が味方したタイプの人かと。
>平井って他の3名みたいな売り込みあったの?
平井は一応、初期の売り込みメンバーに居たよ。あとは初期だと間崎滄浪なんかも売り込まれてた。
基準は不明。漫談家や小説家の好き嫌いも関係してると思う。
>これは正四位が同時期って意味なのかな?
同時期では無いよ。順番だと龍馬ブーム一回目→武市龍馬中岡爵位→龍馬ブーム二回目の順
龍馬はその後も何度もブーム起きてる。これも時代が味方してる系の偶然で。
ちなみ龍馬ブーム起きる以前に発行された維新志士ランキングだと、武市と龍馬は大体同じくらいの位置に書かれてる
なお吉田松陰先生は殿堂入り扱いw
>伊東や清河でなく土佐系志士のほうを宣伝した理由が民権運動家(土佐人が多い)なら納得できたけど、
>宣伝された土佐系志士の中で、坂本龍馬だけ人気出た理由が 非藩閥的要素が強かったためってのは、無理があるんじゃないの
清河を売り込みたいなら、清河の仲間がやるべきなんだけど、自分の知る限りではそういうのは見たことない。
それに関しては、細かくツッコんでも仕方ないかと。
「仲間から見て売り込みたくなる人ではなかった」もしくは「売り込む財力や行動力無い人からしか愛されてなかった」で納得する以外ない。
>土佐系志士の中で、坂本龍馬より吉村虎太郎のほうが、非藩閥的要素が強いけど、そんなに人気ないよね
総合的に見ると龍馬のほうがずっと非藩閥派から好かれる要素があるよ。
もちろん幕末ファンから見ると「でも、吉村だって・・・」と思う気持ちはわかるんだけど、歴史を評価したのは明治大正昭和の人だからね。
龍馬最大の強みは、孫弟子が原敬(日本初の藩閥を倒した人)につながっている事にある。
龍馬が最もかわいがった部下が陸奥で、その陸奥宗光が最もかわいがり夢を託した部下が原敬。
しかもこの2名は明確に「師匠意志を継いでます」アピールをしてる。つまりリアルタイムにおける縦のつながりの評価において別格なんだね。
いわゆるこれが「時代が味方した」って典型例かと。
非藩閥派ですらないのに愛弟子が二人連続で重役出世するって、わりと珍しい例だから
最後の行訂正
藩閥派ですらない愛弟子が二人連続で重役出世するって、わりと珍しい例だから
でした
あ、一応誤解あってはいけないので補足
>清河を売り込みたいなら、清河の仲間がやるべきなんだけど、自分の知る限りではそういうのは見たことない。
この部分はあくまで「自由民権のキャラとして売り込みたいなら」の話ね
普通に「尊敬できる武士です」的な売り方では本出されてるから
658 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/29(月) 23:44:25.72 ID:pE0Le9IY0
>>655 >総合的に見ると龍馬のほうがずっと非藩閥派から好かれる要素があるよ。
総合的じゃなく具体的に見ると吉村のほうが脱藩先駆者なんだから、
非藩閥ってことに限っては坂本より評価が上になるよ
明治の非藩閥派が恣意的な評価しか出来てないってことになる
>歴史を評価したのは明治大正昭和の人だからね
それ人気であって評価は違う
もしくは坂本の、薩長同盟や大政奉還といった実績評価であって
非藩閥スタンスの評価でないと思うよ
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/29(月) 23:54:52.86 ID:pE0Le9IY0
>>655 それと廃藩置県という高難度の政策を
実現出来たのは薩長土肥の功績だし、
明治の非藩閥派ってこれらをきちんと
評価してるのかな
坂本を非藩閥派のシンボルにして、
自らの功名を宣伝して薩長に嫉妬してるように思えるのだが
>>658-659 吉村についてはこれ以上書いても堂々巡りだろうからレスこれで止めとく
あと少し気になったんだが
>それ人気であって評価は違う
> もしくは坂本の、薩長同盟や大政奉還といった実績評価であって
「人気」という意味での評価ではなく、学術的な意味の評価の話をしているのか?
だとすれば龍馬が武市より評価高いのは仕方ないと思う。
現政府の決めた教育方針だと、学術的な評価が高い順は
歴史的出来事の実現に直接携わった人物>(越えられない壁)>歴史的出来事の実現に間接的に貢献した人>言いだしっぺ
って扱いで固定されてしまっているから。
だから武市は学校で習わず、龍馬は学校で習う
吉田松陰は学校で習わず、伊藤博文は学校で習う。
土方歳三(学校で習わないけど大人気)みたいに人気から手に入れ、世間の共感を得て
人物としての評価を上げという方法なら武市向きだと思うが
武市の学術的評価を高くしようと思ったら、
>>659が国会議員になって教育方針を根本から変えるか
または「実は歌川広重の作品は、武市が描いたものだと判明!」などというビックリ資料を見つけるなりしないといけないので
道のりが相当困難かと。
あと質問についてだが
>それと廃藩置県という高難度の政策を実現出来たのは薩長土肥の功績だし、
>明治の非藩閥派ってこれらをきちんと評価してるのかな
これは普通に非藩閥派も評価してる人の方が圧倒的に多いよ。
というより非藩閥派でも廃藩置県賛成派は沢山いるし、逆に藩閥派でも廃藩置県反対派もいる状態だね
>坂本を非藩閥派のシンボルにして、
> 自らの功名を宣伝して薩長に嫉妬してるように思えるのだが
そして当たり前だが、これは完全に人による。
訂正
だから武市は学校で習わず、龍馬は学校で習う
吉田松陰は習わない学校もあるが、伊藤博文は必ず学校で習う。
で
662 :
ID:pE0Le9IY0:2014/09/30(火) 02:19:06.92 ID:0lfUx1wR0
>>660はID:CkL6xyzY0てことであってるよね
>吉村についてはこれ以上書いても堂々巡りだろうからレスこれで止めとく
総合的じゃなく具体的に書いてくれるだけで説得力増すのに残念だな
「明治の非藩閥派」による吉村虎太郎と坂本龍馬との対比はかなり
知りたかったことだけど、他人に強制できることじゃないから諦めるわ
663 :
ID:pE0Le9IY0:2014/09/30(火) 02:21:25.48 ID:0lfUx1wR0
>>660 >「人気」という意味での評価ではなく、学術的な意味の評価の話をしているのか?
>>655で
「歴史を評価したのは明治大正昭和の人だからね」 という文章だったので、
そちらが「人気」の話から学術的な意味の評価に切り替えたのかも、と
受け取ってしまった
>>661 >だから武市は学校で習わず、龍馬は学校で習う
>吉田松陰は習わない学校もあるが、伊藤博文は学校で習う。
これ同意できるけど、つまりは、
坂本や松陰といった幕末に死んだ人物より、
それらの弟子になる博文や陸奥のほうが実績は数段上だろうけど、
人気の方は逆だってことになるよね
ビックリ資料なくても武市人気上昇の可能性はあるんだよ
664 :
ID:pE0Le9IY0:2014/09/30(火) 02:28:27.39 ID:0lfUx1wR0
こんなことを書くと笑われると思うけど、
坂本龍馬人気、土方歳三人気は、
写真の影響が大きいと思う
坂本龍馬は実績あるけど、
土方歳三の実績は思いつかない
665 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/30(火) 16:05:37.79 ID:0lfUx1wR0
>>660 >現政府の決めた教育方針
>国会議員になって教育方針を根本から変えるか
教育と学問研究は違うと思うよ
政府方針を先に決めてそれに沿った意見
だけ主張できる制度なのかな?
従軍慰安婦信憑性とか北朝鮮拉致とかをみても、
教育方針と学問研究上の主張て常に同一じゃないと思う
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/30(火) 16:34:13.39 ID:0lfUx1wR0
>>660 「事の実現に直接携わった人>(越えられない壁)>事の実現に間接的に貢献した人>言いだしっぺ
って扱いで固定されてしまっている」
これはかなり無理あると思う
薩長同盟にあてはめると
薩摩藩と長州藩>(越えられない壁)>中岡と坂本>武市
大政奉還にあてはめると
将軍慶喜と明治天皇もしくは二条摂政>(越えられない壁)>容堂、後藤、小松>大久保
公民権法制定にあてはめると
アメリカ議会>(越えられない壁)>ジョンソン大統領>キング牧師
って扱いで固定されてしまうよ
廃藩置県評価については知らなかったから、勉強になったわ
坂本と中岡は非藩閥派でもないぜ
薩土盟約と薩土密約に関わり土佐を再び倒幕派に鞍替えさせてる
>>662>>665 ああ、なるほ。
そうではなく「人気による歴史評価では、どうしてもリアルタイム(大正時代や明治時代)を生きている人の感情が反映されてしまう」
という意味で言ったつもりだった。
具体例出すと、リアルタイムで下された評価には「オレは山縣が嫌いだから、高杉は評価しない」とかいう評価が大いに混じってしまってるって事。
意味わかりにくくて申し訳ナス。
あと
>>660はID:CkL6xyzY0てことであってる。
>>665についてだけど、現時点では、政府の方針を受け、文部省が制定してした学問を、学校で教えている方式だね。
あと「研究は違う」と言ってしまうと、明確な重要順位なんてそもそも存在しなくなっちゃうよ。
「研究」ってカテゴリだと、畳が好きな人にとっては「タタミを初めて作った人や、タタミ職人」が大久保利通より重要という扱いになってしまうし
ビックリマンチョコが好きな人にとっては「ビックリマンチョコを考案した人や、シールコレクター」が大久保利通より重要という扱いになってしまう世界だからw
「研究」というカテゴリで言うと「順位は研究する人それぞれの脳内にあります」が結論かと。
自分が書いてるのは「普通に覚えておくべき日本史の常識なのか、別に常識ではないので知らなくてもいいレベルのマニアックな日本史なのか」の話ね。
なんでその話をレスしたかというと、これが意外と「知名度」の差に繋がるので。
全然人気なくとも、学問上の扱いさえ良ければ最低限の知名度は保てるので、ドラマや小説での扱いもそこそこよくなる傾向がある。
そして失礼な意見だけど、韓国における韓国史は、日本の様に規定がない(根拠ないウソや個人的感情論も混ぜての史観)で教えてるので
日本史と一緒の目線で見ない方がいいかもw
>>666へのレスは、もう一回書き込む。
>>666 >>666の認識は全く間違っていないよ。むしろ「お〜カンがいいね、大正解!」って思ったレベル。
あとは、それに加え「重要な歴史的出来事に直接関係している人」が最も良い扱いを受け、「そこまで重要ではない歴史的出来事に直接関係してる人」は悪い扱いになる感じかな
「薩長同盟と倒幕」の場合は
西郷や木戸や大久保(絶対教えなければならない)>龍馬(できれば教えるべき)>高杉(微妙なライン)>土佐の武市(常識ではないので敢えて触れない)
「大政奉還と五箇条の御誓文」の場合
明治天皇(絶対に教えなければならない)>慶喜(できれば教えるべき)>後藤や山内(微妙なライン)>小松や大久保(常識ではないので敢えて触れない)
「不平等条約締結と改正」の場合
陸奥と小村(絶対教えなければならない)>井伊直弼(できれば教えるべき)>井上や大隈(微妙なライン)
という感じ。
「微妙なライン」の歴史上人物は「小学校でもチラホラ教わる学校もあるかな?中高だと結構教わる事も多いんだけど」っていうグレーのラインw
この扱いに「無理がある」と感じるのであれば、国の方針がアタイに合ってねえだ、と諦める以外ないかも知れん。
自分も好きな有名人が「絶対教えなければならない」に入ってほしい所だが、そういう訳にもいかんしw
>>664 正直それは一理ある。写真というか、外見イメージ?
沖田とか、現実にはイケメンじゃないが外見イメージで成功してるよな。
逆に西郷は外見イメージでかなり損していると思う。主にオフ会の時に(女が少ねえ…)
悲しいことに、ルックスは意外に大事だなと思う
>>667 うむ。
>>650にも書いたが現実に、非藩閥派だったかどうかは不明だよね。
案外明治政府ではバリバリの藩閥派になった可能性もあるのだし。
陸奥は龍馬は非藩閥派だと思ってたみたいだが、陸奥は龍馬に関してはちょっとお花畑な所あるから参考にしづらいしw
どっちにしろ本人には聞けないので「明治〜平成の人が、龍馬を非藩閥派として描いたから、そのイメージ浸透した」と思うしかないわな
現在の龍馬は、民主主義の先駆者・ヒーロー的扱い。そういう形で龍馬を奉っている連中からすれば、
皇室崇拝が前面に出ている武市を、なるだけ龍馬から引き離したい。
だから、維新に大貢献した龍馬ら土佐系志士を政治的に覚醒させたと言う
武市を評価する上で最もポイントになる事績はなるだけスルーしたい。そんな所でしょ。
672 :
ID:pE0Le9IY0:2014/10/01(水) 17:02:57.85 ID:EknlAcQ50
>>668 重要順位なんて存在しなくていいといってるのではなく
学校教育や教科書記述において重要順位なんて変わること
もあれば変わらないこともあるということ
大きく変わった例として、
小泉訪朝前は教科書記述で重要順位ランク外だった北鮮の日本人拉致や、
教科書会社ごとに重要順位に差がある慰安婦記述を挙げてるのだよ
だから>韓国における韓国史の話
ってことをいったのではない
政府方針や文部省制定の重要順位に、信頼を寄せてるかんじのようだが、
教科用図書検定基準に近隣諸国条項を定めたのは文部省なのは誰でも知ってるよね
中韓鮮による(根拠ないウソや個人的感情論も混ぜての史観)が、
自国に持ち込まれることをやらかした文部省や教員組合や教育委員会
や教科書会社を、明治史に興味ある人なら警戒するのは基本なはず
わが国にとって重要順位の高い案件である、朝日のウソや拉致問題や竹島を、
学校や教科書で初めて知った人なんて今のところ少数派なわけ
それより報道やネットで初めて知った人のほうが多い
673 :
ID:pE0Le9IY0:2014/10/01(水) 17:14:46.59 ID:EknlAcQ50
で武市についてだけど、上のことなどから学校教育や教科書
で重要順位アップなんてそんなに期待はしてなかった
順位アップするならしてほしかった程度かな
それより報道やネットや娯楽のほうが影響が強い
もともと坂本龍馬人気も、学校教育や教科書記述からではなく、
自由民権運動の小説がきっかけなんだから
今は「オレは山縣が嫌いだから、高杉は評価しない」というような、
リアルタイムに接した世代がいなくなった時代だからこそ、武市も
いいかんじに評価が変わる可能性はある
674 :
ID:pE0Le9IY0:2014/10/01(水) 18:27:21.55 ID:EknlAcQ50
幕末で人気ある人物の中には、真偽とは別に、
不殺キャラに仕立てることに成功したのがいる
坂本、桂、佐久間殺害後の川上、山岡、勝、は
「剣の達人なのに、人を斬ってないもしくは殺してない」と
無理やり信じられて人気になってる
675 :
ID:pE0Le9IY0:2014/10/01(水) 18:38:24.55 ID:EknlAcQ50
上の基準だと「剣の達人なのに、人を斬ってないもしくは殺してない」
人物の中に武市が無理やり入ってもおかしくないのだろうけど、
天誅指令者のほうを強調されてる
坂本龍馬
・剣の達人か
3大道場に劣るがメジャー道場の塾頭、メジャー流派の免許は皆伝してない
・殺してないか
直で殺してる、
武市半平太
・剣の達人か
3大道場の塾頭、メジャー流派の免許皆伝
・殺してないか
直で殺してない、殺害を支持
勝海舟
・剣の達人か
メジャー流派の免許皆伝
・殺してないか
直で殺してない、殺害を支持
山岡鉄舟
・剣の達人か
メジャー流派の免許は皆伝してない、
・殺してないか
直で殺してない、殺害を支持した疑惑
佐久間殺害後の川上彦斎
・剣の達人か
竹刀打ち込みは下手、もともと剣客というより刺客
・殺してないか
大規模戦闘に参戦
桂小五郎
・剣の達人か
3大道場の塾頭を長期つとめる、メジャー流派の免許皆伝
・殺してないか
大規模戦闘に参戦、
>>672-673 最初の方でも書いたが、もちろん武市の「人気」や「イメージ」による評価に関しては
今後の書かれ方で扱い変わる可能性は十分あると思うよ。その辺については同意だね。
そして武市が目指すべきは、土方歳三方向(人間として評価されている方向)の人気だとも思う。
浮気をしない、やや天然、などの性格は案外現代人とは相性がいいと思うしな
>>671 正直「武市が悪く書かれるようになった理由」については、完全に「司馬遼太郎のせい」の一択かと思ってるw
昭和中期までの武市は決して「卑怯な小物キャラ」には書かれていなかったよ。
そりゃ龍馬を超えるほどの人気はなかったかもしれないが、それでも昭和中期までの武市は
「尊敬されるべき立派な人物」としてsageられる事なく書かれてたと感じる
ところが司馬の「竜馬が行く」以降の武市は「卑怯な小物キャラ」に代わってしまってるよね。
特に漫画やドラマを中心に。
龍馬伝では「司馬遼太郎のイメージをあえて避ける」と言ってたので楽しみにしていたのだが
いざ見たら司馬遼太郎そのものな武市で「はあ?どこが避けてるんだ?」と思ったし
>>675のレスとも内容かぶるが司馬については
「沖田総司・美青年」(司馬が描くまでは美青年キャラじゃなかったのに)
「不殺の坂本龍馬」(司馬が描くまではバッサバサ人殺してたじゃねーかw)
「卑怯で小物な武市」(司馬が描くまでは、立派な人扱いだったのになあ)
とか多数思うところがあるw
例の以蔵オタの婦女子が潜伏している。
みんな注意するように。
>>678 え?もしかして自分の事を言ってるのか?
もしそうだとしたら書き込みをよく読んでほしいかもw
ただ、言われてみると「かわいそうで健気な以蔵」がメジャー化したのも
司馬が原因だよな
史実のマジキチ以蔵資料見て撃沈する以蔵オタが表れては消えていくのを何回見た事かw
680 :
ID:pE0Le9IY0:2014/10/01(水) 22:54:52.58 ID:EknlAcQ50
小説家が小説の中だけでウソつくのは許せる
週刊朝日で李登輝と対談した時の司馬は凄いと思ったけど、
だが同じ雑誌で司馬が、武市と坂本を対比して「坂本は不殺だから、天誅しま
くった武市よりも立派だ」と書いてるのをコンビニで立ち読みしてから、
司馬は小説以外でもウソつく人なんだと痛感させられたわ
コンビニ本と言えば、幕末の著名人100人くらいの能力を
人望・知略・武力・魅力・財力の5項目で
それぞれ五段階評価している本が何年か前にあった。
武市は、武力が4だった以外は全てオール5。
他の誰よりも評価が高かったw
682 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/02(木) 20:18:55.77 ID:hZm6CFW/0
イメージ人気だったら名前も重要になるな
半平太は子供っぽい瑞山は学者みたいで堅苦しい
真木和泉はかっこいい
高杉はかっこいいけど晋作はかっこ悪い
坂本は普通だけど龍馬はかっこいい
土方歳三はかっこわるい
近藤勇はかっこいい
乾退助はかっこ悪い
島津はかっこいい久光は普通
三枝蓊と朱雀操はかっこいい
芹沢はかっこいい鴨はウケを狙いすぎ
近藤や桂や真田はかっこいい名前だけど、かっこ悪い仇名をつけられやすい
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/02(木) 21:36:40.13 ID:hZm6CFW/0
山縣狂介はかっこいい山縣有朋はかっこいい
桂小五郎はかっこいい木戸孝允はかっこいい
鯉沼伊織はかっこいい香川敬三は普通
中村半次郎は普通 桐野利秋はかっこいい
最後に之進とか馬とか吾がつくのって士族だけなんかな
>>666 公民権運動の言いだしっぺは
キング牧師というよりローザ・パークスじゃないのか
現代なら普通すぎるけど当時ならかっこいい名前
新井忠雄
服部武雄
今井信郎
渡辺昇
野口健司
>>681 武力も5で龍馬より上の可能性あるけどなw
江戸の3大桃井道場で皆伝塾頭だし
俺も武力は5で良いと思う。その代わり知略は3〜4じゃないかと思う。
確かに、東洋を暗殺して実質的に藩の実権を掌握してから、
京都で朝廷工作に邁進したり、暗殺を次々と成功させた辺りは見事なんだけど、
最終的には容堂や新おこぜ組との政争にまんまと敗れてるからな…。
まぁ武市が失脚した次期はどこも勤王派は絶滅状態だからな
中岡も天下無茶苦茶で策無しとしてるし、勤王大本の長州も保守派が政権取ったくらいで
高杉が一人で情勢ひっくり返したけど
てか
>>681の本の基準がわからん
武市の武力5ってのは解るが、財力5もあるか?
武市で財力5なら小松とか50な気がw
人望5
武力5
魅力5
知略4
財力3
武市…人望5・武力5・魅力5・知略4・財力3
龍馬…人望4・武力4・魅力5・知略4・財力4
中岡…人望4・武力3・魅力5・知略5・財力3
容堂…人望3・武力5・魅力4・知略5・財力5
東洋…人望2・武力5・魅力2・知略5・財力4
後藤…人望3・武力3・魅力5・知略4・財力4
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/06(月) 17:11:42.14 ID:31QVewgQ0
>>681 のコンビニ本で他に誰がどう評価されてるかがわからないから、
勝手に想像してみるけど、
武力評価と剣術評価は別ってことなんだろう
武市は早くに入獄、刑死したので、他の志士と比べて実戦経験がなく、
剣術を生かす場面がなかったから、武力4と評価されたんじゃないのかな
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/06(月) 17:21:43.60 ID:31QVewgQ0
土佐四天王で、実戦順位だと
1中岡、
2吉村、
2坂本、
4武市、
剣術の順位なら、
1武市、
2坂本、
3中岡、
3吉村、
武市は四天王の中では不殺キャラといえる
武市の中岡評が残ってないのは残念。
武市の死後にあれだけの事績を残した中岡を
生前の武市がどう評価していたかを知りたかった。
容堂は薩摩の大久保みたいなもんで、日本全体には影響力大きかったけど
地元では嫌われるってタイプなのかな。
維新の時はどこの藩でもそうだろうけど下級士族ほど急進的になるから、
結果的にそれが成功したら勲功・評価が高くなって上士格の存在感は薄くなる。
成功例も小松帯刀ぐらい?(しかも維新後すぐ亡くなるし)で、吉田東洋とか
長州の長井なんかは見識があっても政争でいずれ敗れる定めだったのかも。
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/08(水) 18:28:56.72 ID:dJDnAvMZ0
>>696 >維新の時はどこの藩でもそうだろうけど下級士族ほど急進的になる
そうでもないよ
土佐勤には上士もいる
藩主豊範と元藩主豊資は武市を支持
赤根武人より高杉晋作のほうが急進的
水戸本圀寺勢の鈴木縫殿
698 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/08(水) 23:13:08.17 ID:dJDnAvMZ0
>>696 >吉田東洋とか
>長州の長井なんかは見識があって
東洋も長井も偏狭な佐幕派で見識なんてないと思う
東洋は藩主豊範入京に反対して、薩摩に先を越された
長井は老中安藤信正に利用され、薩摩に先を越された
699 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/09(木) 14:45:45.14 ID:8zP9KBOf0
>>692はコンビニ本の中身なん?
にしても容堂と東洋の武力評価が高すぎるな
剣術評価でいっても
容堂は居合くらいだし東洋は免許皆伝じゃないはず
実戦評価でいっても
東洋が丸腰の平民を無礼討ちしたくらいだし
殺された時も随行者がいたといわれてるし
それと後藤は戊辰戦に参戦してたっけ?
パークス警護の後藤と、馬関戦はまぐり戦に参戦した中岡が
武力で同評価なのは理解できない
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/09(木) 19:45:30.21 ID:8zP9KBOf0
>>697 容堂いがいの山内家って武市や勤皇党を支持して
吉田東洋に反対してるのが多いよな
山内家の武市シンパは、武市らが切腹させられる段になっても、容堂を止める事が出来なかった。マジで使えねぇ。
それ以前にも、武市を救い出すために具体的に動いたと言う話も聞かない。
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/09(木) 21:59:30.08 ID:8zP9KBOf0
>>701 山内豊範は容堂に泣いて武市助命を頼んだけど、
結果として助けられなかった
226と同じ君側の奸コンプレックスというか、東洋がいなければ武市の忠心を
認めてくれる筈と思ってたら真逆で驚いたのかね
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/10(金) 13:57:27.39 ID:1UbFrcms0
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/10(金) 16:57:44.44 ID:1UbFrcms0
>>703 東洋がいなくなったから、武市の主張が認められ、
藩主豊範入洛と攘夷督促勅使東下が実現したんだよ
東洋を暗殺したおかげで、中央政界で華々しい活躍が出来たわけだが、
東洋を暗殺せずに、そのまま土佐にくすぶり続けて弾圧されていた方が
後世の評価は高かったかもな。
武市の歴史的な存在意義は、土佐で多くの志士を糾合して覚醒させた部分に収斂されるが、
その役割は土佐勤王党を創設した時点で果たしている。
東洋暗殺や京都での派手な殺戮が無ければ、上記の功績がもっとストレートに賞賛された。
707 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/10(金) 23:32:45.62 ID:1UbFrcms0
>>706 国許にくすぶり続けてるだけで評価が高くなった志士って
どれくらいいたっけ?
土佐勤皇党創設したのも土佐にくすぶってる時じゃなく
江戸留学中の時なんだけど
武市って容堂の権力掌握の生贄にされたの?
容堂が武市を積極的に利用したと言うイメージは無いな。
政変前から、帰国後は東洋暗殺犯の探索強化を命じたり、
平井や間崎らを切腹させたり、京都留守居加役の武市を再上京させなかったり。
利用したと言うより、政変前までは、朝廷からの信頼も厚い武市を放置せざるを得なかった感じ。
武市に限らずどの藩も弾圧
武市が死ぬまでの間に薩長同盟進んでた
長州藩の内戦クーデター、四境戦争の勝利で情勢が完全逆転しちゃったけど
武市に対する尋問が厳しくなってきた時期が、蛤御門で長州が敗れた時期と重なる所を見ると、
藩は取り敢えず武市を投獄したものの、暫くの間は武市をどう処断するか迷っていた節がある。
蛤御門の結果を受けて完全に武市を切る方向へシフトした感じだが、
まさか長州がその後盛り返す事になるとは思わなかったんだろうな。
武市が生活していた牢獄を復元してみてほしいと思う時があるのは、俺だけ?
生き長らえれば倒幕論へと上昇して行く素地はあったと思うが、
武力討幕派と無血革命派のどちらに属したかは分からんな。
イギリス公使館襲撃を止める「正論家」かと思いきや、
京での天誅と称した殺戮活動を主導したテロの親玉でもあると言う矛盾。
来年の大河ドラマに、久坂繋がりで登場するかな?ドラマ的には、武市を無視しても、全然成立するんだろうけど。
武市の書簡を携えて訪問してきた龍馬が久坂にインスパイアされるエピとかはあるんだろうな。
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/13(木) 22:40:34.02 ID:tRXuIZAi0
>>713 京での天誅は安政の報復だから付き合いみたいなもんだし
716 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/14(金) 12:22:09.86 ID:TcUI5N3P0
土佐の上士下士って本当に龍馬ドラマで見るように苛烈だったのかな?
つうのも泰平の〜な訳で江戸なんか身体鍛えるのが苦手な貧乏御家人より火消しの町人の方が
普通にマッチョで肩怒らせて歩いてたりする訳で・・・
ドラマだからだろうけど矢鱈好戦的だし。単に土地柄なのか?
>>716 才谷屋みたいな下士上がりの豪商がいなかったら山内家一堂は生活すらままならなくなってたしな
むしろ地元でやることなくなったのが国政に進出していったんでない?
718 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/14(金) 13:59:29.53 ID:TcUI5N3P0
>>717 それもだし、あんな状態を200年も続けてたら内戦になるよ・・・
土下座状態で挨拶してるのにいきなり切掛ったり殆ど精神異常。
そんな事したら即お取り潰し。う〜ん。
東洋の祖先は長曽我部系土豪なのに上士だったりイマイチ良く分からん。
と才谷屋は豪商(でもあり庄屋)→分家が下士じゃね?
719 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/14(金) 16:11:41.79 ID:fkPl0pFd0
>>716 幕末のころは剣術ブームで身体鍛えるのが流行りだしたんじゃないのか
720 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/14(金) 17:02:42.09 ID:fkPl0pFd0
上士下士の対立より、勤皇佐幕の対立だと思うよ
ざっくりだが、
山内本家豊範・武市半平太率いる土佐勤VS山内分家容堂・吉田東洋率いるおこぜ
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/14(金) 19:29:14.34 ID:jJ5TZkdPO
武市は生き残れたら、政治家じゃなく軍だったんじゃね?
しっかし、後藤がシレッと新政府に入ってるのは何ともはや。
>>716 時期によるよ
初期の頃は普通に上士が下士を虐殺したりしてたただこの恨みはずっと幕末まで語り継がれてる
幕末頃になると、龍馬伝みたいな解りやすく派手な差別じゃなく
生活に入り込んだ陰湿な差別に切り替わってる。
何か事件があった時、上士側に落ち度があっても、相手が下士なら
下士が責任とらされ厳罰言い渡されたり。
文句言おうにも判決決めてるのは上士だから、下士は泣き寝入りになる
そんな状態だから下士と上士の仲は幕末でも険悪だ。
後藤象二郎と坂本龍馬が上士と下士仲直りさせた時も
下士サイドは「上士なんかと組むなんて!」と龍馬を叩いたりしている
上士と下士が本当の意味で和解したのは薩長藩閥という共通の敵が現れた時かもね
>>721 板垣は最初から空気読まず下士を応援し
後藤は下士を上士と仲直りさせた功労者だからね
この2人は両方性格がめちゃくちゃ良かったらしいよ
ドラマや漫画では悪く描かれてるけど
724 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/14(金) 20:14:59.78 ID:TcUI5N3P0
>>720>>722 d 例えば平井は上士だったんだよな。それでも年齢もあるとはいえ
「武市せんせえ!」な訳で。。。東洋もあんだけ威張ってるからさぞや
大身かと思ったら150石位。あれなら多分、本家の支援がある龍馬の方が裕福だよね?
その陰湿さはインドのカーストみたいな感じなのかな??
>>719 や。江戸限定かもだけど時代劇で良くあるやん。ヘタレでひょろい武士が
威勢の良い町人に「旦那それでも侍かい?w」とかおちょくられたりする場面。
>>723 その板垣が戊辰戦争で龍馬暗殺の実行部隊を指揮した佐々木只三郎の兄貴で上官の手代木直右衛門と米沢で顔を合わせたり、龍馬の死後 手代木に煽動された土佐の佐幕派の所為で失脚した後藤や下野した板垣と入れ替わりに手代木が高知県の副知事になるんだから面白い
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/14(金) 20:34:33.65 ID:TcUI5N3P0
>>723 板垣は結構良く描かれないか?八重でもそこまで酷くは無かったし。
ていうか板垣って勤皇党真っ青の過激な武力倒幕派なんだよな?よく
ヨードーに睨まれなかったな?そしてそれなのに龍馬とは面識が無かった
と言うw武市と板垣は面識あったのかな〜 マブダチの後藤ともかなり意見は
違うように思うけど…
727 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/14(金) 20:43:07.47 ID:4Bpi7Re40
お〜い竜馬見たけど岡田イゾウがもっともかっこいいよな
>>724 平井は上士説と下士説の二通りがあって、どちらが本当なのか解ってないんだよ
ただ平井は上士だとしても最底辺のなかの最低辺身分なので
最上位の下士で上士並の扱いされてる武市とは、そんなに大きな身分差は無い
身分逆転師弟という意味では坂本龍馬と伊達宗光(陸奥宗光)の方が異例かも
あと龍馬が下手な上士よりずっと裕福なのは正解かと。
中岡も裕福だよ。下士の幹部クラスは金持ち結構多いのかも。
それから、元々日本はインドほど無法地帯ではないのでカーストとは少し違うかな
>>726 板垣は後藤に比べたらまだ正義に描かれやすいね
ただ上士代表として悪く描かれてる事もある
>>727の言ってるお〜い!竜馬だと板垣はかなり嫌な奴
板垣さん家は退助一人がヒャッハー!!なだけで、一応は由緒ある
高身分かつ名門家の御曹司だから
多少は許して貰えるかとw
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/14(金) 22:01:40.03 ID:fkPl0pFd0
藩主の山内豊範が土佐勤を支持してるし、
容堂いがいの山内家一門もけっこう武市を応援してるんだけどな
後藤象二郎らは、上士代表というより東洋派残派代表といったほうがわかりやすいと思う
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/14(金) 23:04:54.80 ID:jJ5TZkdPO
容堂は数少ないお友達の木戸から「とのさま〜なんで武市に腹切らせたの〜?」とか嫌味言われたりしてたらしいな。
んで「武市を頃さなかったら土佐はもっと力を持てた」と悔やんでたとか・・・
なんだかな
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/14(金) 23:51:31.91 ID:4Bpi7Re40
武市は
人望は西郷に匹敵し、政治は大久保、木戸に匹敵する逸材と言われたらしいからな
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/15(土) 00:04:05.09 ID:6kz7Zj/wO
薩摩みたいに久光さえも利用する強かさがあれば、な。
忠義を誓う相手が違った。
四賢候とか言うけど本当の賢候は春嶽だけやん。
>>731 嫌味というよりは、真摯な意見だと思うよ。
初期の政府高官は大久保も含めて藩閥思考の人ばかりで
木戸は殆ど一人で藩閥と戦ってる状態だったもん。
幕末の頃は土佐閥にいたはずの陸奥が、なぜか長州閥に移動してる理由も
龍馬と中岡の死により、陸奥(元勲唯一の徳川家臣)を差別から守れる人材が土佐から消えたので
木戸が長州藩閥へ移動させて保護にあたった為だよ
元から佐幕的要素を持つ武市や龍馬たちが生きていれば
そういう木戸の負担は相当軽くなるはずだった。
特に武市は、上士が少しでも守る気があれば守れた人材だから
木戸からすると納得行かないのは仕方無い。
>>734 >幕末の頃は土佐閥にいたはずの陸奥が
陸奥と龍馬が盟友だったのは有名だが、
私的組織である海援隊を「土佐閥」とは言わないし、
陸奥は板垣や後藤と行動を共にしてないから「陸奥は土佐閥にいた」
というのは誤りだな。
龍馬が死んでからは、陸奥は自力で岩倉に取り入っている
>木戸が長州藩閥へ移動させて保護にあたった為だよ
木戸が生きている間の陸奥は徹底した反藩閥主義者で長州閥に入ってない。
立志社の獄で監獄にブチ込まれた陸奥を救う為に、伊藤や井上が尽力したため、
出獄後に長州閥に入った。その頃には木戸はこの世にいない
736 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/16(日) 16:39:37.15 ID:ctUWFhUh0
「伝」には色々言いたい事も皆さんあるだろうが、あのドラマの
テーマはグローバルの波に飲み込まれかけた時の日本人の姿なんだよ。
それはあのスタッフ陣の前作とも言える現代劇「ハゲタカ」から受け継がれてきた
系譜でありその中で武市の描き方が紋きり型だったのは思うところもある。
でも、そのテーマ性に関しては思いを汲んで欲しい。
あのドラマを見てふと妄想した。もし武市が生きて維新を迎えたら中央政界
で働くより地元土佐の為に働いたのでは無いか? 初代高知県知事として
「行ってくるぜよ」と質素なあの自宅から通勤する武市とお見送りする富さん
。戯言失礼。
>>735 陸奥は土佐閥に入ってるよ
土佐閥どころか、土佐が正式に土佐藩士だと認めてる
脱藩中の龍馬と陸奥が一緒に行動→龍馬らの脱藩が許され土佐藩士へ復帰
→どさくさに紛れて故郷嫌いの陸奥まで土佐藩士になる→山内家もこの事実を認める
あと、明治初期(陸奥逮捕前)の頃は、藩閥のラインが線を引いたかのようにはハッキリしてなくて
木戸も反藩閥なのに藩閥に居る、陸奥も反藩閥なのに藩閥に居る、
という、ややこしい状態だったんだよ。
なぜかというと、当時は、ちゃんとした政党が無かったため。
藩閥か完全個人かのニ択しかないんだね
完全個人だと出世の可能性ゼロ
>>735 ちなみに伊藤や原敬も、政党立ち上げまでは、反藩閥なのに藩閥にいる状態だよ。
途中で反藩閥に変わった大久保も、藩閥のボスのままw
最初は「なんじゃそりゃ!」と思うだろうけど、明治史ではこれが普通
反藩閥だけど、藩閥の力が無いとそもそも政治に関われないから
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/16(日) 19:16:55.89 ID:e9ekLJllO
>>730 では、何故勤王党は下士ばかりで上士がいなかったの?って話に・・・
特に板垣は武市より遥かに過激思想だし。
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/16(日) 20:00:18.35 ID:PCMJUUcT0
741 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/16(日) 21:03:56.60 ID:PCMJUUcT0
>>739 >では、何故勤王党は下士ばかりで上士がいなかったの?
釣りかな?なんで上士がいなかったと思われたんだろうか?
上士がいたかどうかなんて調べたらすぐわかるはずなんだけどな
>>737 >陸奥は土佐閥に入ってるよ
入っていない。君は妄想が激しいようだが「土佐閥」というのは、
後藤象二郎、板垣退助、片岡健吉、谷干城、佐々木高行らと行動を
共にする人の事で、陸奥は彼等と行動を共にしていない。
>陸奥まで土佐藩士になる
亀山社中が土佐商会と合同して海援隊となった時に、坂本や中岡が
脱藩の罪を許されて土佐藩士に復帰したのは有名だが、海援隊が
土佐藩のお抱えだからと言って、海援隊士=土佐藩士ではない。
バカバカしい妄想を書かないように
743 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/16(日) 21:49:39.26 ID:CZHLzRoT0
>>735 陸奥は龍馬と会う以前から土佐お抱えですぞ
紀州は土佐とは比べものにならんくらい勤王派が少ないので藩を上げての勤王なんて無理ゲー
それ知った勤王バブル真っ最中の土佐人が、紀州浪士を扶養
その中の一人が陸奥陽之助
龍馬伝では「武市さん達とは決別し新境地の海軍塾で陸奥と出会ったぜよぉ!BY龍馬」的に描かれてるがあれはウソだ
土佐世話してた脱藩浪士のアジトに龍馬が来て、陸奥を含めた一部を引き取り海軍塾に入れたのが現実。
ほぼ同時期に土佐勤王の一部も海軍塾に入ってる。
「偶然目をつけた人材が勤王党と被っちゃった〜!龍馬びっくり〜!」では済まされない状況だから
武市と龍馬は脱藩後も繋がっているって見方する人が多いね
>>743 「土佐閥」というのは明治以後の藩閥政治の時代に、後藤象二郎、板垣退助、
片岡健吉、谷干城、佐々木高行ら土佐藩出身者と行動を共にした人の事だから、
勘違いしないように
>>742 信じないなら別に良いが、妄想だと言うなら陸奥と後藤に言ってくれw
明治初期までの陸奥は普通に「自分は土佐藩士」と言ってるし
後藤も陸奥に賛同してるしw
746 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/16(日) 22:25:54.58 ID:CZHLzRoT0
>>744 >後藤象二郎、板垣退助、片岡健吉、谷干城、佐々木高行ら土佐藩出身者と行動を共にした人の事だから
マジレスすると、陸奥は実質ずっと土佐閥から抜けて無いので、その中に並んでるぞ
10〜20代・・・俺は紀州人なんかじゃない、土佐人だー!とか言い始める頭のおかしい陸奥さん
20代・・・・・どんな手段を使ったのか解らないが本当に土佐藩士になっていて、故郷である紀州をドン引きさせる陸奥さん。
20〜30代・・・長州閥に世話になってるのに、土佐閥と連携し反逆罪で逮捕される陸奥さん。
40代・・・・・「反省しました…もう土佐閥とは付き合いません…!」と伊藤に言いつつ、裏では土佐閥のボスとして党員動かしてるマジキチな陸奥さん
50代・・・・・「土佐人となんて付き合わないよ!」と言いつつ、「そろそろ表のボスもやりたい」と自由党次期総裁に内定していた陸奥さんw
陸奥は
>>744が思ってるよりネジぶっ飛んでるよw
>>745 >陸奥は普通に「自分は土佐藩士」と言ってるし
ウソはいかんよ、ウソはwwww
ソース出して
陸奥が土佐藩士だと言うなら役は何?小普請組?wwww
何石取りだったの???
>>746 >土佐閥と連携し反逆罪で逮捕される
陸奥が連携したのは土佐立志社の林有造・大江卓といった在野の連中
土佐閥というのは、言うまでもなく薩長土肥による藩閥政治の土佐閥の事で
何の権力もない在野の連中の事を「土佐閥」とは言わない
君は日本語と日本史をもう少し勉強した方がいいと思う
>>747 手元に無いが、確か陸奥宗光の伝記に書いてたはず。確か岡崎の方だったと思う。
あと役とか石取はないと思うよ。
陸奥は「土佐人」という肩書き欲しかっただけみたいだから
陸奥個人で交渉して「海援隊に入った時から、陸奥は山内家に仕えてる」
というのを土佐に認めさせたそうだ。
だから「バカバカしい!」とか「ウソだ!」と思うのは解らんでもない
自分も初めて見た時は「なにそのムチャクチャな理論」と思った
>>748 だから、海援隊士=土佐藩士じゃない
越前・越後を始め全国から集まっている、彼等は土佐藩士じゃない
海援隊士が商売に便利なように土佐藩士を詐称していた事はあったかもしれないが
たかが商売上の詐称を「陸奥宗光は土佐藩士」って、お前はバカなのか?(失笑
とにかく陸奥が土佐藩士だと強弁するならソース出せよ
歴史オンチの脳内妄想を語られても意味がないw
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/16(日) 23:30:07.77 ID:PCMJUUcT0
>>750 >陸奥が土佐藩士かどうかなんて検索すればいいだけのこと
お前が陸奥が土佐藩士だと歴史オンチ丸出しでウソを強弁しているんだから
おまえが検索してソース出せ
いつまで見え透いたウソ言っているんだ???
いい加減にしろ、病的なウソつきめ
武市は生き残ってたとしても結局政界にはなじめず、また過激派に担がれて
江藤・前原・西郷みたいな末路をたどる気がする
>>749 文献でははなく、ネットで見れるものって事?
だとしたら「いろは丸事件を巡る大洲藩と紀州藩 自分は土佐藩士」で検索したら陸奥が土佐藩士だと言ったという部分のは出てくるよ
あと確かにスレ違いだからここでレスやめとく
武市スレでスマソ
>>750
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/16(日) 23:42:29.14 ID:PCMJUUcT0
こっちはあえてどちらにもアンカーつけずに、専用スレに誘導してやってるのにな
陸奥が土佐藩士かどうかなんてあんまり興味ないいし、断定してないのにな
ウソを強弁てなんのことかわからん
755 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/16(日) 23:44:18.95 ID:PCMJUUcT0
訂正
興味ないいし→興味ないし
756 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/16(日) 23:50:56.20 ID:CZHLzRoT0
>>747 えー、土佐の立志社系を土佐閥と言わないとか無理あるだろ
ま、これ以上はどうどうめぐりだろうし
>>748と自分の思う、土佐閥の感覚が違うって事でおいとこう
「土佐派」「土佐閥」とか人によって考え方違うだろうし
それに
>>750が一番正論だと思うのでw
正論言ってる人をイジメちゃいかんw
757 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/16(日) 23:51:34.59 ID:PCMJUUcT0
>>752 >また過激派に担がれて
またっていうのは何のこと?武市はより過激な吉村虎太郎の脱藩について否定的だったと思うんだが
>>757 多分広い意味での「担がれて」なんじゃないかな
仲間に人斬り2人も居る訳だから
どちらかというと「担がれて」より「変な虫がひっつきやすい」って印象だがw
>>753 海援隊と紀州藩は、いろは丸事件でさんざん揉めて、
紀州出身で立場が微妙だった陸奥が「俺は土佐藩の海援隊士だ、
紀州なんか恨みしかない」と隊内で強く主張した話だろ。
自分が隊内で微妙な立場なので、他の隊員に紀州への内通を疑われないように
自分の旗幟を鮮明にするために強く言っただけの話だろ、バカバカしい
>>754 734が「陸奥が土佐閥にいた」「木戸が陸奥を長州閥に引き込んだ」とか
あり得ないウソを書くから間違いを訂正してやると
「陸奥は土佐藩士だ」とかウソをさらに盛ってくる奴が出てきて
さらに訂正してやっただけ。
「陸奥は龍馬と行動を共にしていたから土佐閥だ」と頑なに思い込んでいる
バカが多くて驚いたよ
>>756 >えー、土佐の立志社系を土佐閥と言わないとか無理あるだろ
土佐閥というのは薩長土肥の藩閥政治の土佐閥の事で、
権力のない在野連中の事ではないよ
歴史オンチ君は勉強になったねwwwww
>>759 ちょっと待ってくれ、レスしたらいかんと思ってたのにワロス過ぎてちょっとレスさせてくれwww
>>753のワードで検索して一軒目の記事これだぞwww
●「いろは丸事件を巡る大洲藩と紀州藩」引用
>紀州藩としては今更救いを求める相手ではなかったものの、他には誰もいなかったので、
>恥をしのんで陸奥に頼ったのです。
>陸奥は自分は土佐藩士であり、紀州藩には恨みしかないといって断ったのですが、結局一肌脱ぐことになったのです
以上でレスおわりw以降陸奥スレでどうぞ
>>761 オツムは大丈夫か?
なんで紀州を放逐された陸奥が、負け組の紀州の肩を持たなきゃならないんだ??
さらにいろは丸事件で、紀州と敵対する側に廻ったのだから
「俺は土佐側の人間だ」と拒絶するのが当たり前だろ
だから歴史オンチ君は「陸奥は土佐藩士だ」と妄想を強弁するなら
陸奥が土佐藩から禄をどれだけ貰っていたのか、言ってくれないか?
>>752 武市とか久坂とか高杉は、生き残ってたら絶対活躍するだろうけど
周りが泣いて叫ぶと「よし!わかった!お前らの気持ちはわかった!」
とか言い出しそうで怖いよなw
大久保みたいに後輩がしっかり止めてくれたら良いが
武市の場合は周囲も「よし!わかった!お前らの気持ちはわかった!」型じゃね?w
764 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/17(月) 00:45:03.62 ID:pfM517qv0
自分はID:PCMJUUcT0だが
>>734を書いてないし、「陸奥は土佐藩士だ」なんて
断定してないし、このことでアンカーつけられてウソつき呼ばわりされる筋合いはない
>>758 ああ、広い意味での「担がれて」なあ、
にしても朝敵として死んだ江藤・前原・西郷らと、
武市を重ね合わせるのは無理があると思う
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/17(月) 01:49:35.69 ID:pfM517qv0
>>763 より過激な吉村虎太郎が脱藩すべしと主張しても、武市は自重を促したんだって
久坂も、脱藩を勧めたが武市は、頑固に拒んでるしね
武市は周りの激情に流されるタイプじゃないと思うよ
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/17(月) 11:19:20.44 ID:PWJ9uxcgO
>>765 軍と政治家どちらに行ったんじゃろうのう?
又は権力闘争とか苦手そうだから、途中で下野して板垣コースかな?
しかし思想面も合うし会津戦争で身体張った板垣や谷はともかく、後藤が志士面して政府に食い込んだのは・・・ 弾圧してた側なのに。
>>766 勤王党で明治政府高官になったのは佐々木ぐらいだろ
後藤、板垣、谷、片岡、福岡など、みんな上士側
佐々木も上士だろ
勤王党で大臣クラスだと田中、土方、河野くらいか
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/17(月) 23:58:48.64 ID:pfM517qv0
>>767 土佐勤出身だと大橋慎三も明治政府につかえてたはず
全然関係ない話スマンが武市の肖像画ってちっともアゴが目立ってないよね
あの肖像画の人がアゴと呼ばれる事に違和感がw
写真残しといてくれたらヨカタのに
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/18(火) 16:53:02.47 ID:bix41wIjO
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/18(火) 21:55:34.79 ID:VjPK4wN40
>>771勝ち組って何のこと?
田中光顕は、従一位で伯爵
板垣退助は、従一位で伯爵
土方久元は、従一位で伯爵
河野敏鎌は、従二位で子爵
岩崎弥太郎は、従五位で華族に列していなかった
レベルの違いは明確だけどね
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/18(火) 23:29:35.12 ID:VjPK4wN40
>>770 裃で正座してる肖像画はアゴが目立ってると思う
774 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/18(火) 23:57:45.73 ID:VjPK4wN40
>>766 後藤は志士として評価されたんじゃなく、たぶん英語能力を買われてたんだと思う
戊辰戦争で前線にでるより、パークスらの応対を任されたんじゃないかな
775 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/19(水) 00:18:59.62 ID:IFz+4LoIO
ハンペイタって晒し首なんだろ
可哀想だわ
777 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/19(水) 16:47:43.09 ID:/lwYXT9G0
>>775 蓮様、伝助ってドラマの話じゃないのか?だったら板ちがいだね
778 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/19(水) 16:55:18.87 ID:/lwYXT9G0
779 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/19(水) 17:18:51.28 ID:WNcN7LPw0
水戸天狗党に同情した田中光顕先生は幕末と明治記念館を大洗に設立してくれた
「生き延びた志士」を学ぶ
ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/kochi/8015832151.html?t=1417304821668 幕末に討幕運動に参加し、大正時代まで生き延びた土佐藩士についての講演会が29日、高知市で開かれました。
この講演会は地元の歴史研究グループが開き、会場の高知市の自由民権記念館には歴史の愛好家、およそ40人が
集まりました。
幕末に活躍した土佐藩士の中には、明治維新後、新政府の要職についたり、自由民権運動に参加したりした人が
いた一方、あまり名を知られることなく生涯を終えた人も多くいました。
講演会では県立坂本龍馬記念館の亀尾美香主任学芸員が、そうした志士の1人、大石弥太郎を紹介しました。
大石は、幕末に土佐藩のため銃1000丁を長崎で購入し、江戸幕府軍と新政府軍が戦った戊辰戦争では、
新政府軍の参謀として活躍しましたが、維新後は自由民権運動に対抗する復古的な運動に参加し、
大正5年に亡くなりました。
亀尾さんは「明治維新や自由民権運動をより深く理解するには、大石のような人たちの動きをしっかりと調べることが
大切だ」と訴えました。参加した人たちは「大石については全く知らなかったのでとても勉強になりました」と話していました。
11月29日 20時19分
>>676 その真面目で天然な武市さんが主人公の漫画が有った。
武市さんが現代にやってきて塾の先生やらされるっていうトンデモ設定だったけどw
武市さんの性格的には現代とマッチする可能性は大きいな
暗殺云々は当時の価値観が大きいので現代では批判されるんだろうけど、そもそも現代の価値観で語る事が間違ってるしな。
何て言う漫画?読みたいんだが。
ググってみたが、「サムライせんせい」か。
龍馬みたいな柔軟なイメージのある人物じゃなくて、
良くも悪くも堅物なイメージの武市が主人公なのがミソなんだろうな。
龍馬だと現代にタイムスリップしても割と簡単に順応してしまいそうだし。
どっかの本屋さんで武市が幕末本を読んで、史実の自分や妻の運命・末路を知ったり、
自分の死後の龍馬や中岡の活躍を知ったりするみたいな展開もありそうだな。
最後は何だかんだ現代の日本の有り様を肯定的に評価し、過去に戻って切腹するって感じかな。
786 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/12/28(日) 23:06:04.98 ID:ncisCEcS0
松陰や久坂みたいな激徒のイメージも無いし、後世に伝わる人物像を見てると
「こんな性格の人が、よくあそこまで暴れられたな」と思う。
今年の大河に出てくるんだろうか。
久坂が師の次くらいに傾倒していたかもしれない人なんだが…
790 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2015/01/08(木) 21:45:47.92 ID:kKX+aEZBO
明保野亭事件から続く手代木直右衛門と土佐藩の因縁。
切腹に関するまとめブログとか見てると、必ずと言って良いほど武市の名が出て来る。
柳川左門の名で駕籠に乗って勅使に随行し、江戸城で将軍と対面した瞬間と
気力を振り絞って、古式に則り三文字に腹をかっさばいて果てた瞬間。
後世の人はどちらを武市の人生の最高の瞬間と見るんだろうか。
高杉が武市を評して
「あれは正論家」と言ったのは皮肉だよな?
>>789 武市の手紙を持った龍馬は出るらしい。
そのエピソードをやるのならば、龍馬よりも武市の方が先に久坂と会ってるんだから、武市を出さないと辻褄が合わない気がするんだけどね。
薩長土密約もスルーされるのかなぁ
先日、国会図書館でやっと「サムライせんせい」を読んだ。
武市の真面目なキャラが生きてて良いね。
武市が現代に歴史上の人物として自分の名が伝わっているのを知って、
「もっとも、働きが評価されているわけではあるまい」と独白してるけど、
作者は武市の事跡には否定的なんだろうか。
>>794 その漫画、サンプルしか読んだことないんだけど、
現在の武市イメージって「天誅やってた人」だからなぁ
作者の武市評価というより、そういう世間の評価を指してんじゃない?
というか、あの先生は何時の時点の先生なんだろ
>>794 図書館に有ったのかww
pixivコミックの方でも続きが読めて、そっちでは武市さんの剣術の腕が見れるよw
まあ、作者は龍馬や陸奥辺りの海援隊贔屓っぽいので、武市に関してはあまり良い印象はもってないのかもしれないけど、漫画の主人公にするって事は、少なくとも嫌いでは無いんだろうな
>>795 牢に入れられた後の武市である事は明らかだけど、それからどれくらいの時間がたった時なのかはわからない。
>>797 武市は現代に迷い込んだ当初、元治の世と勘違いしてるので、 逮捕の翌年、切腹前年の武市だな。
ラストは元の世に帰って切腹するんだろうか。
>>715 天誅については歴史秘話ヒストリアで最近やってたらしいね
歴史に疎い母が最近まで天誅が安政の大獄の復讐だってしらなかったくらいなんで、武市の一般人の認識なんてそんなもんなんだよ。
武市だけが天誅やってた訳じゃないんだけどね。
>>397 明智光秀よりも石田三成の方が好きですがなにか
>>797 牢屋入った後か……
それなら「働きが評価されてるわけではあるまい」って独白も納得
武市半平太は歴史上の人物として記録に残っていると爺さんから聞いた際に
「私は歴史に残るような大それた事はしておりませんが…」と戸惑いを見せてる場面もあるから、
「もっとも働きが評価されての事ではあるまい」と言う独白は、
投獄後だったという事情以外にも、自分のやった事は大した事では無いと言う謙遜の意もあるのかも。
お爺さんから、武市富は無事に天寿を全うしたと聞かされて安堵してる場面にはホッコリした。