【関東軍】満州事変と満州国5【満鉄】

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980名無しさん@お腹いっぱい。
>>817
>一九一九年から一九二四年までの間、私はいろいろな君主制主義者の計画に興味を持つ数多くの人々と徐々に知り合いになったが、その中には、計画を実行する上で主要な役割を果たす予定の人々も含まれていた。
それらの運動は全て未発に終わり瓦解している。満州事変当時にわずかでも形になった満州の独立運動なぞ存在していない。

>>818
一個人の構想でしかないし、具体的な運動として形になっていない。
それとソースは?
紫禁城を追われ、日本租界に避難していた溥儀にそれほどの財力があるのもおかしい。

>>819
やろうという掛け声や不満を声に出したレベルでしかない。
そういうものを独立運動に数えられないし、外国の介入が正当化されもしない。

それらは清朝の復興運動である。具体的な形になってもいないし、正式に日本に要請がなされたわけでもないし、日本も受諾していない。
何より、満州国は清朝の復興ではないし、君主制国家でもないので、これらの運動は満州建国とは無関係である。
満州国は住民の意思により独立したというのが建前。満州で外国人によらない住民の独立運動が組織されていたという、具体的な証拠は何一つない。

>>979
残念ながら、満州建国は清朝存続でも復興でもないんだよ。
それに溥儀が求めていたのは、皇帝としての待遇と暮らし。国家建設などその手段でしかない。
だから、危なくなったらさっさと退位して逃げ出そうとした。(うちの陛下とはえらい違いだ。)
そんな彼が本気で清朝復興だの満州独立だのを遂行しようとしていたとは思えない。

>たとえ外国(日本)の力を借りてでも。
正式な要請もしてないし、独立への具体的な行動は何もしてない。
基本的に主権は絶対的なもので、一度譲渡した以上、相手の承諾なしには戻ってこない。
寝室優待条件が履行されなかったとしても、譲渡した主権は自動的には戻らない。
主権を取り戻そうとする名分が生じるだけ。しかし、名分があろうと主権を譲渡している以上、清朝の復興や独立は反乱でしかない。
日本も、清朝に変わった中華民国政権と条約など結んだ以上、反乱勢力に肩入れするのは明らかな内政干渉であり、九カ国条約やベルサイユ条約にも違反する行為。
旧清朝勢力がモンゴルのように自力で実行支配領域を確保し、政府を組織し、独立を宣言した後ならともかく、満州の場合、先に日本軍が支配領域の確保をやってるので、正当化は出来ない。