>>555 歴史を知らないのは誰なのやら、明治19年に幼学綱要ではっきりと西洋式啓蒙教育を否定して
天皇、国家への忠誠を求めることが決まり、それが悪名高い教育勅語に結びついた。
国会開設のような上っ面の歴史でなくこのような社会政策から見れば「明治維新」が単純に近代化、
進歩の歴史でないのは容易に分かることだ。
>>556 左翼系の大学などというものは存在しない。滝川事件、天皇機関説のように国家への疑問を口にすれば
国家主義だろうが天皇に忠誠を誓おうが気まぐれ的に処罰される体制ではそんな
思想の右左など全くの無意味だ。
明治の頃に日本を訪れた欧米人が「日本は清潔できれいな国だ」
「日本人は礼儀正しく、文化高い人々だ」「識字率が高くて感心した」
「日本の婦人は教養がある」「欧米に比べて民度が高い」「働き者だ」
などと日本人を絶賛した言葉が多数残っているのに、戦後マッカーサーは
「アングロサクソンが45歳の壮年に達しているとすればドイツ人も
それとほぼ同年齢である。しかし日本人はまだ生徒の時代で12歳の少年である」
と言ったそうです
なぜそんな過小評価なんでしょうか?
>>563 マッカーサー発言は誤解されやすいというか失言もあったけど
基本的にはその発言は日本人を擁護するためのもの。
民主主義への理解や国際道徳について日本人は学んでいないので間違いを犯した。
ドイツ人のように知っていて蛮行を行ったのではないから
適切な教育と指導の下で日本は平和国家に再生できるってのが趣旨。
>>564 そういう趣旨だったんですか
ありがとうございました
>悪名高い教育勅語に結びついた
昭和の日教組史観キター
平成の世では教育勅語には極めて真っ当の事が書かれていると見直されている事実もしらないとは
歴史にお詳しいんだ〜役に立たない日教組史観だ・け・は
>明治19年に幼学綱要ではっきりと西洋式啓蒙教育を否定して天皇、国家への忠誠を求めることが決まり
つー左翼の牙城岩波書店の平成史観『日本の軍隊』でも嫁ば?
あ!演説がしたいだけで、歴史なんかどうでもいいんだよね君は
明日学校に行ったら、日教組だか全教だかの教師に報告するんだろ
「僕の革命戦士の輝かしい活動でつー」とw
>滝川事件、天皇機関説のように国家への疑問を口にすれば国家主義だろうが天皇に忠誠を誓おうが
気まぐれ的に処罰される体制ではそんな思想の右左など全くの無意味だ
君のようなオツムのカワイソウな子の脳内ではそうだろうさ
567 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/12/03(水) 17:04:50.54 ID:DeYsbepn0
台湾人の人の書いた本を読んだのですが
「(要約)日本の台湾統治は朝鮮と違った。朝鮮人を文明人と定義して同化政策を実施したが、台湾人は未開人扱いで同化政策はとらなかった。
だから、台湾人は日本人に差別しつづけられた。」
これは本当ですか?朝鮮とは違ったんですか?
568 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/12/03(水) 19:20:49.16 ID:qyeHs+nr0
人種が違いますんでね。人種が。
日本人←日本人種
韓国人←中央蒙古人種
北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人、フィリピン人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人
569 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/12/04(木) 08:07:32.53 ID:/E14mvMJ0
美濃部都政のせいで公務員が仕事しなくなったって言ってる人がいるけど本当ですか?
570 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/12/07(日) 04:55:08.14 ID:mwzJE39wO
苗字についてですが明治以後一般人は自分で創作したと言う話と
先祖が入る寺の坊さんが付けたと言う話があり、どちらが本当なのですか?
あと、その地の地名と同じ苗字の家が密集してるところがありますが
あれって、どうしてああなってるのでしょうか?
>>567 要約すると事実だろうな。
色々な側面があって台湾統治の実態が間違ってると一概には言えないけども。
同化政策を取るという意見も有ったんだけど現実には難しかったんだと思う。
後藤新平による生物学的(住み分け)統治は結果的に上手くいったわけで。
産業育成やアヘンの漸減施策は日本統治後の台湾にとって大きな利益になってる。
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/12/10(水) 20:17:46.54 ID:GH8MqLFb0
台湾人が志願して日本のために戦ったっていうけど
朝鮮人と数が違うんだよな
当時の日本人は「土人が頑張ってる」って認識だったろうに
>>570 >あと、その地の地名と同じ苗字の家が密集してるところがありますが
>あれって、どうしてああなってるのでしょうか?
江戸時代、公にはできないけど庶民の仲にも苗字を持っていると(自称する)人達がいた。
元は武士だったけど、戦国時代から江戸時代くらいに所領を失って帰農したり、故郷を離れて商人になりましたって家に伝わっているパターン。
本当にそうだったり、見栄で言い始めて子孫に伝わったのもあるだろうけど。
そういう人達は、鎌倉とか室町時代の先祖は田中さんって親から伝わっていて、
明治になったとき、じゃあ田中にします(本人からすれば元の苗字に戻す)って届けたわけ。
地名と同じでなくても、集落の多くが同じ苗字なのは、元々そこを治めていたと伝えている武士の苗字と同じことも多いです。
地元の神社とか寺の史料とか江戸時代編纂の地方史なんか見ると、その同じ苗字の武士が登場していたりする。
で、江戸時代のそこの集落の人その人が共通の先祖だと考えていたってこと。
574 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/12/11(木) 19:51:48.28 ID:uACmrccl0
第2次大戦下でソ連は日ソ不可侵条約を破って侵攻してきましたが、
それに対する国際法違反(?)のペナルティーみたいなのはなかったのですか?
日ソ不可侵条約は国際的にも有効だったわけですよね?
>>574 期限切れ1年前に破棄できる条項がついてて、その日がきてから条約を破棄して満州侵攻。
だから、条約を破った訳じゃない。
576 :
575:2014/12/11(木) 20:43:56.18 ID:tA2TGws30
575のように今までずっと思い込んでたけど、1年前に延長を取りやめることができるだけで、有効期間自体は縮まらないんだな。
知る限りでは、国際法違反のペナルティーは受けていない。連合国の要請があって参戦したという事情のせいだろうな。
条約違反に何らかのペナルティを課す国が存在しない。
ソ連側の主張では日本の対ソ侵略意図によって中立条約は無効化されたとある。
東京裁判でも同様な解釈を正当とした。
古来より条約違反なんて制裁を課す力がなければ直接的なペナルティはない。
ただ違反した国は信用されなくなるし、相手国に強い恨みを持たれる。
日ソ中立条約の違反にせよ、その後日本人はずっとソ連に不信感を持ち続けてるし
ロシアになった今でも友好関係を築けてるとは言いがたい。
このようにその後の二国関係に重大な影響を与えるから軽々しく条約を無視すべきではないってことだw
会津藩公用人 手代木直右衛門勝任って
どれくらい権力があったの?
1950年代〜70年代にかけて、大学の学費値上げ反対の運動や第1次安保闘争、
第2次安保闘争、全共闘、革マル、その他・・・で、いろいろと学生運動が
あったけど、世間一般的に「学生運動」と言ったらどれを指すのですか?
>>580 第2次安保あたりじゃね?
世間一般的というか、その辺のおっさんが学生運動の話をしてれば、大抵は70年安保のほう
582 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/12/25(木) 21:29:16.20 ID:SzLRde4N0
>>577 日ソ中立条約は独ソ不可侵条約とは全然違う。両国の戦闘停止は努力目標
であり、とりあえずの停戦協定に過ぎない。それは当時の日本の弱さゆえであり、
ソ連の45年の要請されて連合国として対日参戦した事実が抜けているぞ。
愚にもつかないことを理由にアメリカの圧力で戦後領土紛争をテコにして平和条約を
結べないことを責任転嫁するなど条約を無視する以前に自国民への背信行為だ。
>日ソ中立条約は独ソ不可侵条約とは全然違う。両国の戦闘停止は努力目標であり、とりあえずの停戦協定に過ぎない。それは当時の日本の弱さゆえであり
根拠不明確
>ソ連の45年の要請されて連合国として対日参戦した事実が抜けているぞ
日本が「連合国」に降伏した後も、ソ連が軍事行動を続けた事実が抜けてるぞ
>愚にもつかないことを理由にアメリカの圧力で戦後領土紛争をテコにして平和条約を結べないことを責任転嫁
ん?北方領土先行二島返還、二島協議で平和条約を結ぼうとしたのに、だったら沖縄を返さないと言ってきたのは米だが
さすがに日ソ中立条約の効力期間中に参戦したのは条約違反を詰られても仕方がない
それを言うなら、日本だってソ連と戦っているドイツと同盟結んで軍事協力している時点で、
条約を破ったわけじゃないけど、中立という趣旨からしたらおかしい。
防共協定と日ソ中立条約を同時に結んでいるのも、道義的に問題ないかというと・・・。
反共産主義だったのに、共通の敵であるドイツに対抗するためソ連と手を握っちゃう米英も同じ。
まあ、条約なんて強制力ない以上強いもん勝ちだよ。
現代だって、アメリカがアフガンやイラクで、ロシアがウクライナで好き勝手やっても他国が国交断行やら戦争にはならない。
とある霊能者が書いた本で、「中将さんの霊が見えた。胸の階級章でわかった。」
という記述があったんですが、日本軍で胸章をつけていた時代ってありましたっけ?
教えてください。
>それを言うなら、日本だってソ連と戦っているドイツと同盟結んで軍事協力している時点
時系列という言葉を知ってる?
>>584 日本が降伏した日付をわざと誤魔化すなよw
こういう低レベルなやからがこてんぱんにされるのも当然だな。
沖縄はとっくに日本のものだぞ。いまですら4島返還に
こだわっていることへの説明になっていないぞ。
>日本が降伏した日付をわざと誤魔化すなよw
軍隊が民衆を置き去りにして逃げなくて応戦したのちの話か、バカが相手だという現実を正しく認識しないと、君の文章では何を言っているのか真意を読み取り難い…
高校生の拙い作文程度しか書いた経験がなく、国語の偏差値も低そうだね、君
ちなみに日本が降伏したのは、1945年8月15日
武装解除させられたのは一概にはいえない
民族教科書にはなんと書かれてあるのか俺は知らないし、中共は日付が違ったかもしれないが、特ア三国が世界の全てじゃないからw
他に質問は?
>沖縄はとっくに日本のものだぞ。いまですら4島返還にこだわっていることへの説明になっていない
何故ロシアが二島返還に固執しているかの出発点の話であり、沖縄が米領だった頃の話ね
そこからクドクドと説明しなければ分からないほど無知なのに、上から目線の物言いしかできないのは何故?
>1945年8月15日
VJ-day って知ってる?
592 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2015/01/13(火) 05:10:27.89 ID:/NUyJgS30
>>511の質問ですが誰かお願いします
島津斉彬は一橋擁立派だったけど、
安政五カ国条約について具体的に何といってたのでしょうか?
>591
日本語が不自由なら無理して会話に加わろうとしなくていいから
594 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2015/01/14(水) 02:23:02.17 ID:7b/TPEIe0
すいません、どの板で質問すればいいのか悩みましたがこの板で質問します
戦前の日本国内での旭日旗の使用についてです
現代では旭日旗といえば海軍の軍艦旗のように日の丸が左にずれたものが多いですが
本来の旭日旗や陸軍の軍旗は日の丸が真ん中ですよね
自分は戦前の日本社会の中で掲げられる
旭日旗は軍艦旗とおなじ日の丸が左寄りの海軍式をイメージしていましたが
戦前の国民生活にとって陸軍軍人が良くも悪くも身近な存在、海軍軍人があまり見ない存在だったと知って
実は戦前は陸軍式の旭日旗の方がメジャーな存在だったのではないか?と考えました
実際のところ、当時は日の丸が左寄りと真ん中のどちらの旭日旗がメジャーな存在だったのでしょうか?
595 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2015/01/14(水) 02:35:51.24 ID:SxLM15bu0
人種が違いますんでね。人種が。
日本人 ← 日本人種
韓国人 ← 中央蒙古人種
北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人、フィリピン人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人
>>594 ソースがWikipediaなんで、アレですが。
他国(起源のヨーロッパ)も含めて、軍喚旗は国旗とイコールでない、
旭日旗は明治3年に、陸軍御国旗(明治12年に軍旗と改名)として制定
明治22年に、軍艦旗を決めた際に、日章位置が中央の軍旗に対して軍艦旗は旗竿側に寄るものとした
ってことらしいです。まあ、鵜呑みにせずに調べてね。
まあ、戦時の映像とかで人々が振っているのは(普通の)日章旗だけど。
どっちもメジャーといえばメジャーなんでは。戦前は軍が国民生活に与える影響は大きいし、知名度は高いでしょう。
ただ、陸軍の軍旗って室内で大事に飾っておいて、特定の日(軍旗奉戴日)に儀式で持ち出すか、
連隊が出征の際に持って行くくらい(そもそもボロボロになって房飾りだけになったりしてもそのまま大事に使う)
だから一般国民が実物を目にする機会は海軍式のほうが多いと思います。
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2015/01/31(土) 17:12:54.89 ID:JfPaVt5T0
小御所会議から鳥羽・伏見の戦いまで一か月間くらい間があり、
幕府側は必死に巻き返しに出ようとしていたと思いますが、
二条摂政、近衛前関白をはじめ、五摂家の人々は何をしていたのかお分かりになる方はいらっしゃいますか?
小御所会議の時に、摂家の人々は参内停止になってますが、その後幕府側とコンタクトを取るなり、
何かをしていたのか、それとも茫然として何もしていなかったのでしょうか。
朝彦親王日記は慶応三年九月までしかないし、どうしてもわかりません
598 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2015/01/31(土) 23:23:33.44 ID:XELow1LT0
大政翼賛会って挙国一致体制=一党独裁体制みたいなもんですか?
説明文読んでもいまいち理解できないのです
誰かわかりやすく教えてください
599 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2015/02/13(金) 23:03:36.49 ID:Yig8GhNr0
明治維新の際の内閣制導入というのは
藤原摂関家などの家柄で役職が決まる制度が、事実上廃止され
血統ではなく能力で役職が決まるようになったとよく本で書かれてるのですが
そういう認識でよろしいのですか?
>>599 能力=藩閥の力学と理解しているのならその認識は正しい。
まぁ論功行賞的な側面もあるが
生まれた家の家格で仕事・役職が決まる朝廷や幕府とは違い
能力があれば賊軍出身でも将軍にまで出世できた
だから599の理解で全く問題ない
何にでも例外や決まり事はある
藩閥政治との批判もあるが、明治になって隔世の世になったことは間違いない
広田弘毅が50年早く生まれたと言ったが
逆に早く生まれてたら総理にはなれなかっただろ
>血統ではなく能力で役職が決まるようになったとよく本で書かれてるのですが
能力で決まるってのは、能力を評価する制度とセットじゃないとそうは言えないんじゃないの?
今の内閣制度だって、衆議院与党のトップが首相となるのが慣例だけど、
別に、その人が代議士の中で一番能力がある人ではないわけで。(大派閥の傀儡首相とかいたしね)
摂関制度が形骸化する前や、幕府の老中なんかは血統が重要条件ではあるけど、
その中での競争はあったわけだし、柳沢吉保とか田沼意次とかの例外だってある。
少なくとも、制度として血統が条件化されているわけじゃない。
”血統によらず選ばれるようになった”程度が正確なんじゃないかな。
>少なくとも、制度として血統が条件化されているわけじゃない
何のための養子縁組なのかと…
完璧な社会システムではないから駄目と否定するのか
従来よりマシと肯定するのか
文句だけを言っていればそれですむ子供と
現実との妥協の連続に日々向き合う大人との認識の差だね
>>604 >何のための養子縁組なのかと…
だから、それは制度が形骸化した結果でしょ。
制度自体が進歩したり後退したわけじゃない。
現代の代議士が戦後直後に比べて、世襲率が高くなったからといって制度的には変わらない。
議員内閣制度になったのなら、選挙で全国から選ばれる分、公正さが増したとか言えるけど、
形式的には、太政官政府の人選と変わらないでしょ?
天皇が身近な個人(相応しいと能力があると認めた)を指名して、法的には身分などの前提条件が何もないんだから
太政官政府が、公家出身と平民(藩閥出身者)で就けるポストが決まってたとかなら、制度的に進歩したといえるけど。
一応、トップ(左右大臣)は公家出身だけど、これって結果に過ぎないよね。
明治時代に官職を得るために養子になった例を挙げてみて
それが現実
どんどん話を横へ横へとずらしていく向きには理解不能だろうが
大河ドラマで
同獄の囚人達を更生させた吉田松陰が
福堂案なる建白書を出す描写がありましたが、
牢獄を刑罰の場所から
「囚人の更生・社会復帰の場所」とみなす考えはいつ頃から日本にあったのでしょうか?
近代と思わせて意外に江戸時代からルーツがあったりしたのでしょうか
>>607 少なくとも鬼平こと長谷川平蔵が作った人足寄場が犯罪者の更正を目的としていた。
基本的に戦争はある勢力と別の勢力の武力衝突に決着がつくまでの全体を指し、
戦いは個別の戦闘を指す。その記事の場合は幕府側と新政府側の衝突に決着がつくまでの
全体が戊辰戦争であり、その初戦として鳥羽伏見で行われた戦闘が鳥羽伏見の戦い。
しかし上野戦争とか会津戦争のように、新政府軍と彰義隊あるいは会津藩とのある程度の期間
続いた戦いを戦争と呼ぶ事もある。第二次大戦の中の日本とアメリカの戦いを太平洋戦争と
呼ぶのと同じ事。