【鬼謀】牟田口廉也中将を語ろう【聖将】

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301名無しさん@お腹いっぱい。
>>297,298
土足注意!

文体変えてもばれるっての。もう少し詳しく調べてから発言しろや。でたらめ書くな。
302名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/05(火) 22:16:41.51 ID:PSyf6wNy0
また池沼の土足連呼がはじまった
進歩しないねww
303名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/09(土) 05:27:11.89 ID:JA5tkOIXP
牟田口の指揮は正しく、インパール作戦はあと一歩で成功していたと
イギリスでは評価されている。

★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。

★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、
一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、
マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

★アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」

★マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、
まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。
ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。
さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」

★第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
304名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 22:11:31.00 ID:y11Rpzg/0
海軍なんかも、どうせなら大抜擢で
石川信吾連合艦隊司令長官、大野竹二参謀長、神正徳先任参謀、高田利種作戦参謀、
くらいの布陣で戦ってたら連戦連勝だったのにな。
それでも、陸軍の牟田口・富永両軍神に比べるといささか見劣りするのは否めない。昭和海軍の人材不足ここに極まれり。
305名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/11(月) 16:38:39.38 ID:Oo1zYDha0
>>302
それ確か別スレで訳まちがいだと判明したような・・・
特にアーサースウィンソンのやつ。
最後の一文が訳間違い。
306名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/11(月) 16:40:54.86 ID:Oo1zYDha0
間違えた。302じゃのうて>>303
307名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/11(月) 16:46:41.19 ID:Oo1zYDha0
>>303
たまにそれ持ち出す人いるけど日本軍にはそんな余力はなかったんだよな。
仮にディマプールを占領したとて維持できるかという問題があるし。
そもそもコヒマ〜ディマプール間の三叉路には旅団規模の英印軍が残ってたし。

てかよく考えたら当初の予定は「インパールを包囲して一か月で落とす」だったはず。
その中で佐藤師団長に与えられた役割は「コヒマを占領してインパール包囲体勢を取る」こと。
つまり佐藤はすでに作戦目的を達成している。
それにもかかわらずインパールが落ちなかったのは佐藤の責任ではないしディマプールへ行けなんてのは
その時点で作戦失敗を認めてるようなもん。

牟田口も素直に「当初の予定が間違っていたのでディマプールまで進撃せよ」と言えばよかったのに。
戦後になって進撃しなかったのを責めるとは卑怯千万。
308名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/11(月) 16:50:25.15 ID:Oo1zYDha0
>>304
軍神って言う割にはなんの戦果も得ていない件。
309名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/16(土) 14:54:39.34 ID:C4BxZ1JV0
>>307
牟田口中将の作戦(=インパール占領)が達成出来た事は英軍も認めている。
維持できたかどうかは、大本営次第だろ。
維持できない作戦を許可したなら、それは牟田口中将でなく大本営の責任。
誰かが敵前逃亡したから、これは空想でしか語れないが。
310名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/16(土) 15:18:35.07 ID:g2a2TRA90
>>309
維持は無理だって
制空権ないんだから

牟田口も大本営も共に責任がある
311名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/17(日) 03:11:25.81 ID:1Csvag/D0
戦争に負けたのはヒロヒトを含む全日本人の責任。
牟田口中将にその責任を全て押し付けようとは、キチガイ沙汰も甚だしいww
敵前逃亡の子孫は一味違うなwww
312名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 10:19:00.35 ID:PmcCb/NX0
>>307
作戦予定から外れまくってるけどそれでいいのか?
1ヶ月でインパール占領の目的は完全に失敗してるじゃあないか。
要するに作戦立てた牟田口の目論見違い。
313名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 10:20:21.47 ID:PmcCb/NX0
>>311
じゃあ実際に会って家の戸籍を見せてやろうか。
そして一対一で会話しようじゃあないか。
314名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 14:32:04.74 ID:+226s3VN0
>敵前逃亡の子孫は一味違うなwww

牟田口さんは自己紹介が上手ですね
315名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 20:21:36.29 ID:gTJRVa2J0
>>310
おまえはインパールの地形をわかっているのか?
インド側からインパールへ通じる車道は1本しかない。
逆にビルマ側からインパールへ通じる車道は複数ある。

要するにこの地を一旦日本軍が占領したら、インド側から
英軍が攻めるの、は非常に困難な地形になっている。
316名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 04:11:06.63 ID:MRVULgi/P
まあその前に日本軍側が勝手に干上がっちまうけどな
317名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 10:18:03.40 ID:0IWkilHT0
>>315
制空権もないのにどうやって守るの?補給どうするの?
現地調達だけでやっていくつもり?
318名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 15:27:02.75 ID:+uVIyE+60
>現地調達だけでやっていくつもり?

当然。
それがインパール作戦の極意であり、
国賊牟田口さんしか思いつかない斬新なところだ。
319名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 21:09:49.04 ID:N7xuGtgLP
>>317
インパールで勝ったら、日本は戦争に勝てたとでも言いたいの?
インパール作戦が成功してても、そもそも時間稼ぎにしか過ぎない。
そんな先の事は、大本営を含め誰も考えていなかったっての。
320名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 22:42:55.91 ID:zp2y9Lrw0
★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。

★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、
一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、
マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

★アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」

★マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、
まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。
ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。
さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」

★第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
321名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/29(金) 06:11:05.57 ID:l9XXAqJe0
>>318
補給なしは、ラバウルもそうだろ。
ラバウルは意味無いが、インパールは
インド独立誘発という意義がある。
322名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/29(金) 08:54:50.99 ID:1Ua2RXAm0
牟田口さんはパクり作戦に失敗したということですねw

323名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/29(金) 20:41:07.40 ID:L/A7cRDO0
結局言った一で話してくれないのか。
インパール作戦は成功できたなんて言う人は初めて見つけたので一度会って語り合ってみたいと思ったのだが。

てかインパール作戦が成功したところで太平洋戦争に勝てるわけもなく。
インド独立も無理だし。ボース派よりガンジー派の方が優勢だったからな。
独立も確約されてた(裏切られたが)わけだし。
324名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/29(金) 20:43:25.45 ID:L/A7cRDO0
言った一←一対一の打ち間違いな。
325名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 00:53:09.08 ID:ou3m3ILKP
>>323
敵前逃亡がなければ占領出来たのは事実。
326名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 07:15:54.82 ID:o2WpFlk60
>>325
占領してどうすんの

そもそも、兵が餓死の危機に瀕している状況で、戦闘できると思っているのは牟田口だけ
327名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 11:47:41.52 ID:9MqdnfHKP
弾がなくなって石投げて交戦する部隊が出る状況で、
さらに続けていれば占領できると思ってるのは人類で二人だけだろ。
「土足」とかいう粘着してるキチ外と牟田口w
328名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 13:23:59.27 ID:dYoOMoy30
後方で吉報を待つだけのだれにでもできる簡単なお仕事です
329名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 13:41:07.13 ID:mBIrT79/0
牟田口の生きてた当時に2chあったら必死に自分擁護してるだろうなw
330名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 15:30:10.32 ID:ZNTjmdGU0
なんか、インパールでは、日本側は二次元的な包囲作戦だけやってたが
英国軍側は飛行機を活用して、三次元的な補給作戦やってた。
作戦思考の次元が違った、っていう話があったね。
331名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 18:08:45.78 ID:vWdyMyUm0
>>325
敵前逃亡?馬鹿も休み休み言え。
佐藤中将は当初の作戦目的を達成して短期間でコヒマ〜インパール間を遮断して6月まで粘ったけど結局インパールは落ちなかったじゃないか。
その時点で作戦の前提が間違っている(牟田口の目算が間違っている)のだからいったん撤退することになんの問題もない。
インパール作戦が正しければインパール包囲体勢をとってから遠からず攻略に成功せねばならない。
それができなかったんだから結局作戦そのものが間違っていたと言わざるを得ない。
332名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 21:53:10.59 ID:rgSVrjH60
>>331
佐藤はディマプール追撃だけでなく、その後の
インパール追撃命令も拒否して勝手に後退している。
333名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 21:57:44.87 ID:rgSVrjH60
>>330
敗因は、英軍側は上部組織が戦況みて臨機応変に対応したが
日本側は15軍の牟田口に丸投げし、上部組織が
その責務を果たさなかったから。

334名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 16:11:50.49 ID:NHiF57YsP
>>331
★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。

★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、
一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、
マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

★アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」

★マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、
まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。
ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。
さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」

★第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。

335名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 20:34:45.95 ID:NB0lZL880
>>332
だから作戦の前提が崩壊してるだろうが。
336名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 21:10:28.57 ID:mcBrMffB0
>>335
作家の判断はどうか知らんが
柳田と佐藤の両師団が迅速に侵攻していれば
インパールは確保できたと当時の軍関係者は見てるだろ。
インパール占領は、それほど無理な作戦ではなく
十分に可能な作戦だった。
337名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 21:37:53.12 ID:tJxMDu690
佐藤の敵前逃亡も大きいが、それ以上に
柳田師団の退路開放の方が重大な失態と敗因。
せっかく孤立させた敵インド師団を
明らかに、わざと逃している。

それから南方軍・稲田参謀による妨害行為。
こいつの妨害で作戦開始が2ヶ月も遅れた。

こういった事さえなければ
インパール作戦は成功していた。

そもそもインパール作戦は南方軍がやれといった作戦で、
牟田口はやれと言われて、やったに過ぎない。
338名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 22:54:14.62 ID:Rm8ktb5b0
現代の官僚もこうやって失敗を言い訳できるという良い例ですなw
339名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 23:40:49.17 ID:NHiF57YsP
敵前逃亡した部下を擁護し、その上司をケチョンケチョンに言う。
いつの時代も評論家という人種のやり方は同じですね^^
340名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 22:21:27.30 ID:xFHsVQQe0
>>339
敵前逃亡じゃねーし。
補給が改善されなきゃ6月に撤退するということはすでに伝えられていた。
牟田口はそれを無視して増援のみをよこした。
しかも到着予定は一週間後www
341名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 02:29:16.98 ID:WBZ5WI8BP
キチガイ粘着土足先生まだ諦めてないのかww
342名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 09:19:40.42 ID:FW558G5x0
>>339
仮に部下の失敗だとしても、
上司の責任問題になるのは当たり前
343名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/05(金) 21:53:36.12 ID:X0LUbVO40
>>342
ヒロヒトが一番悪いって事ですか?
344名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/11(木) 10:22:28.79 ID:1tdPnkKw0
チンカスの野郎、墓穴を掘って逃走したかw
345名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 21:23:00.37 ID:Z7tDplXx0
「牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、
決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。
よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、
あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、
謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
「彼(牟田口司令官)は約束を守った。
亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、
東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった のである。
346名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 10:45:03.89 ID:stWGWfzCI
>>345
正気じゃない
347名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 10:49:35.12 ID:d4q8z60tP
久しぶりにウィキペディアみたら、土足先生がまだお元気に護国活動していて笑った
348名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 17:42:00.33 ID:qzoBoWjV0
>>346
乃木将軍もそうだが、このような真面目で優れた人ほど妬まれるのがよくわかる。
佐藤の敵前逃亡には沈黙、笑止。
349名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 16:18:54.75 ID:pGAbMrmf0
>>345
せめて逃げ出さずに最後に一人だけ居残って自害してればねー
350名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 11:23:01.63 ID:ShNg8E690
>>348
だから敵前逃亡じゃないから
6月までに補給が来なければ撤退するというのはすでに伝えていた。
補給が来なかったのだから撤退したのは当然。
351名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 01:27:08.81 ID:YLtO3qQI0
>>350
現場の兵卒が一日飯がこなくて、独自判断で撤退したら、罪に問われないのか
盆厨??
352名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 22:32:29.65 ID:a8a+Rjtm0

わけわからん。
佐藤は牟田口に対して補給が来なければ6月に撤退するということを伝えていた。
牟田口はこれに反対しなかった。そして補給は来なかった。撤退しても文句を言われる筋合いはない。

てか6月まで補給が来ないのはおかしくないか。
353名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 00:13:13.02 ID:OOaZB20S0
質問に答えろよww
兵卒は飯が一日遅配したら戦線離脱する権利って保障されてるの?
まして中将たるものが敵前逃亡とか、佐藤ってクズだねww
354名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 08:38:56.40 ID:lLYy7gMgP
一日の遅配なのか
355名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 10:59:18.93 ID:u8DMRfoY0
>>353
敵前逃亡って君6月まで戦ってたじゃないか。
兵卒が一人死のうが撤退しようがなんの影響もないが佐藤は一個師団の命を預かってんだぞ。
6月まで一度も補給が来なくて今後の展望もないとなれば部下の命を守るために撤退するだろ。

だいたい状勢不利を悟って撤退した軍なんざこの世にいくらでもあるだろ。
ヒトラーの死守命令に背いて撤退したドイツの将軍は屑なのか?
356名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 01:10:21.65 ID:Yv/oDMBx0
日本軍第三一師団長佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
彼はコヒマを取って陣地を構築するよう命令されていた。彼の頑固な頭はコヒマを取る
という一つの考えで一杯であった。
全然コヒマを取らずに彼が我々に大きい損害を与えられるとは彼は思い及ばなかった。
少数の牽制部隊を残し、ニチュガードのウォーレン旅団の東方まで道路によって前進した彼は、
4月5日までに彼の師団の主力を持って鉄道を攻撃できた。
しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、彼の部隊が来着したとき彼はこれを
コヒマの小さな町の連続する攻撃に投じた。

スリム中将『敗北から勝利へ』
357名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 01:26:54.93 ID:Yv/oDMBx0
>>634
バカかよおまえ?
重慶爆撃の前に南京や上海爆撃があり
そっちを問題にしてるんだが?
重慶爆撃は泥沼化したあとの話しじゃないかマヌケ。
しかもこれも海軍の井上の提言で
陸軍側は遠藤三郎中将の無駄だと言う判断で
陸軍は途中で中止している。
358名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 10:47:55.56 ID:dLnds/oiP
↑土足降臨
359愛の戦記@オレサマ!!!!!:2011/08/25(木) 18:53:58.63 ID:xLhplQYM0
「あの島をください」若き陛下は、ジェネラル牟田口にそうお告げになった。

陛下が指差す先には、シチリア島がキラキラと輝いていた。
「わが民族には、地中海の香りがする塩が必要なのです。」
牟田口は陛下の優しいお心を知り、少年のように泣きじゃくった。そして陸軍省、海軍省に足しげく通い、
時にはグーパンチも交えながら、一人、また一人と、
大陸生命線論者を「改宗」させ、シチリア攻略軍の
編成を可能ならしめたのである。
シチリア攻略軍出陣式には、イタリアのム総統も来賓に招き、
今回の戦は、武士道と騎士道が出会う歴史的事変であり、ム総統の騎士たちと戦場で出会うことを
マクシマム楽しみにしていることを皇后陛下の私的な晩餐会で伝えた。
ム総統は皇后陛下に「決して戦場でわが騎士たちに卑怯なマネはさせませぬ」と誓い、
日本民族への限りない畏敬のこころと恋愛感情を抱いたまま帰路についたのである。
帰国後、陰気なチョビヒゲと結んだ陰気な軍事同盟を破棄し、ム総統は、
海岸のコテージで目をキラキラさせながらオレサレム軍の上陸を待ち続けた。

そう、はじめて恋人をドトールの窓際席で待つように。
360名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 22:00:16.62 ID:6v+sJYFM0
>>355
部下の命を守るため敵前逃亡するなんて、
どこの国の軍隊でも認められるわけないんだがw
せめてを腹を切るぐらいの気概があれば聞いてやらんこともないが、
敵前逃亡の卑怯者はそれもできず、マヌケ
361名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 23:55:38.13 ID:pA6qcWG80
>せめてを腹を切るぐらいの気概があれば聞いてやらんこともないが、

ブーメランすぎる
362名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/27(土) 11:13:23.01 ID:xTRsjt4JP
ムタグチ「藤原・・・」
363名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/29(月) 09:24:07.85 ID:XkLM2Sv+0
>>360
軍法会議にかけられて、牟田口含め上層部を全部巻き添えにして責任とらせることを望んでいたけどなw

>せめてを腹を切るぐらいの気概があれば聞いてやらんこともないが、

強烈な皮肉だなwww
藤原「黙って自決すればいいのに(うわぁ・・・止めたくねぇ)」
364名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/30(火) 04:08:33.48 ID:btIKTZWZ0
>>363
精神病で免訴されただけだろうがw
人殺ししても、キチガイは罪を問われない
365名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/30(火) 09:13:23.29 ID:0ka2huxz0
>>364
もっと色んな角度の資料を読みましょうね
366名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/30(火) 09:32:46.37 ID:+f1myZsY0
牟田口にアッツ島の守備を命じたら、
誰よりも早く脱出しそう。
片桐機長みたいにw
367名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/02(金) 00:10:54.22 ID:R5UCX4mN0
>>365
乃木無能論同然の牟田口無能論を唱えてるお前に言われてもなww
敵前逃亡の事実は隠せないのだよ
368名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/09(金) 10:24:18.97 ID:qtaymHUi0
おれもメイミョウでリゾートしたいお
369名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 00:39:50.28 ID:bkwg+u170
インパールを攻め落としてそこで休憩すれば、
英軍の残した飯をたんまり食えたのに。
自決する勇気すらない佐藤のせいで、おおくの兵卒が死んだ。
残念なことである
370名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 08:38:50.18 ID:HXPhJCJR0
>自決する勇気すらない佐藤のせいで、おおくの兵卒が死んだ。

ブーメランわろたw
371名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 13:25:59.34 ID:vOxP5Vwv0
佐藤が自決したら、なにか解決したのかね?
372名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 20:20:57.79 ID:9F2PCGWNP
インパール攻略
373名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/15(木) 04:44:52.96 ID:me4xAaBVO
そもそも勝つためにやったのか?
作戦のための作戦になってたんじゃないか?
374名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/15(木) 22:59:47.35 ID:TozQOhgi0
目標=インパール攻略による援蒋ルートの遮断。
英軍を降伏させる作戦でないのだから、勝利も敗北もないわな。
375名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/16(金) 02:14:07.37 ID:D7zpMUSj0
牟田口をモデルにしたAV作って欲しいわ
V氏ねでもいいけど過激な乱交ものがいい
376名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/16(金) 07:49:10.28 ID:cjlllV8K0
土足はいつ独自研究をまとめて公表するの?2chでくすぶってても意味ないお
377名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/16(金) 21:52:38.54 ID:AMNvI1DM0
>>374
援蒋ルートは北ビルマで遮断されていたのだが、インパール作戦の結果ビルマ戦線を維持できなくなって
結局繋がってしまった…。

とでも突っ込まれたいが為の書き込みw?
378名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/17(土) 15:01:05.34 ID:H5gtOth80
こいつは日本人の恥
379名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/19(月) 21:47:41.14 ID:io52P4cB0
佐藤ってほんとクズだな
380名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/19(月) 21:58:15.94 ID:48VQfANk0
ageageかまってちゃんのお通りです!
381名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/20(火) 22:27:47.38 ID:mkYWG6ti0
土足wこんなところでウロウロしていていいのか?
ウィキペディアの複数の場所であんたの追放が論議されているぞw
反論しないと丸の内IPも含め完全追放だw
TORA3ソックパペットなども無期限追放準備中。
ひとつだけ場所を教えてやると牟田口のノートだw
382名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/20(火) 23:56:54.96 ID:LiwqwYgu0
381=流木の上?
383名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/21(水) 23:03:44.88 ID:dIW2ckSlP
佐藤の敵前逃亡を擁護する鮮人はいても、
そのイミフな理屈はすべて論破されてる件www
384名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/22(木) 08:52:52.22 ID:c1gws30d0
ageageかまってちゃんのお通りです!
385名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/22(木) 20:13:58.06 ID:PoHBs1BKP
佐藤の敵前逃亡を擁護する鮮人はいても、
そのイミフな理屈はすべて論破されてる件www
386名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/25(日) 11:57:09.43 ID:uS7I7MgMP
土足はいつ入院するんだろう?
387名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/25(日) 16:00:57.48 ID:EgOIgn5MP
チンカスが死んだ後だろ
388名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/26(月) 10:08:15.89 ID:0eZAaznkP
つまり土足が死んだ後ってことか。
死んだら世間に迷惑かけることもないし入院の必要ないじゃないかw
389名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/27(火) 03:41:06.41 ID:noZPQcTY0
佐藤の戦略的判断は正しい
ただそれならば(軍命令を拒否したわけだから)最前線に留まって撤退を補助すべき
まあ後知恵で何を言っても無意味だが・・・
390名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/27(火) 20:22:11.60 ID:0h8aY7YJ0
言い訳すれば敵前逃亡が許されると思ってるのw
391名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/30(金) 06:54:00.62 ID:64aYzcWLO
すげえwwwwwwwwwwwwwww
392名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/04(火) 02:23:44.98 ID:HBa3PC/R0
インドからは東洋のカエサルと称賛される牟田口中将
393名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/04(火) 06:55:14.21 ID:rSlM240h0
ソースは?
インドはってことはちゃんとインド政府の公式見解があるんですよね?
394名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/09(日) 22:36:45.64 ID:lsnEzXyI0
日本人が普通に思ってることが、日本政府の公式見解になってるの?
痛々しいDQNだな
395名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/09(日) 23:32:02.42 ID:vJ4X8kLe0
なんだまた土足の捏造かw
396名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/10(月) 01:53:29.73 ID:ucAsqJ7d0
チンカス先生御苦労さまw
397名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/10(月) 20:08:18.35 ID:JPcU/4gU0
土足先生はウィキペディアの編集で忙しいんじゃねえのw
完全追放、プロバイダー通報まであと一息だなあw
398名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/10(月) 20:44:47.16 ID:9fse2GAdP
チンカス先生御苦労さまw
399名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/21(金) 04:29:15.77 ID:l/bR5+4W0
★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。

★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、
一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、
マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

★アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」

★マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、
まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。
ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。
さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」

★第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
400名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/21(金) 06:30:07.75 ID:l4/wmjxJO
チンコ デルマータ中将
私が遭遇した露出狂の中で、牟田口はさして秀でるものは無かった。
かれは凡庸そのものだった。
期待感を削がれた私は絶望の淵で怒り、祖国へと帰った。
それが牟田口の戦略と言うなら私はしてやられたとしか言いようがない。
彼の評価は未知数だ。