1 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :
2010/10/24(日) 20:46:27 ID:PGP8Hz/A0 大東亜戦争においてインパール作戦を敢行し、 鬼畜米英に壊滅的な打撃を与えた、 昭和の聖将・牟田口閣下を語ろう!
牟田口の指揮は正しく、インパール作戦はあと一歩で成功していたと イギリスでは評価されている。 ★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。 佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 ★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 ★アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。 なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 ★マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官) 「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」 「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、 まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。 さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」 ★第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、 師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。 幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。 佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
>>1 >鬼畜米英に壊滅的な打撃を与えた、
日本軍じゃなくって?
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/25(月) 20:01:03 ID:Z8msa53HP
牟田口といえば、ミャンマーに白骨街道という道を作ったおっさんだろ
>>4 ______ 仕 な
r〃〃〃 f7⌒ろ)
l‖‖‖ || f灯 業 ん
|‖‖‖ || | |
|儿儿儿._」⊥厶 か で
〔__o____o_≦ト、
. 「⌒ヽノ ヽ|l __ ヽ よ も
|ヘ、 rノ¬、 l「r,ヽ i
. l ー| `ー' ||、_八 | : 俺
l │ ll 〃V
、{`―-ヽ ,〃 〃 \ の
__\ rテ ノ´ 〃 / ー- 、
. ,ィ(⊆≧リ≦⊇)〃 / rク\
. / | ̄r少}¨ ̄〃 / /′ ヽ
〃 l | l| | l| 〃 / / └ヽ
/ l |l | |l/″ / ! 厂 \
く, Y ! l」fレト! / | / 1
丿 | | 丿} じ’ / | / |
/ l | `¨ / レ′ |
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/25(月) 20:52:42 ID:Z8msa53HP
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/25(月) 23:10:50 ID:nve0mstI0
>>8 インパール作戦は大勝利だが、
戦争全体では負けた。
残念ながら。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/25(月) 23:38:34 ID:+VRIDFkdO
牟田口さんはよくまあ戦後に元部下から殺されなかったね。 奥崎謙三みたいな部下がいたら…
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/26(火) 17:12:11 ID:zyN5HjnXP
牟田口閣下は、陸軍悪玉論の最大の偽善者
最近では学問板にもこんなネタスレが立つのか?
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/26(火) 21:56:30 ID:zyN5HjnXP
未だに古い歴史観を盲信してる奴がいるんだなw
まあ、勝手にネタを続けてれば良いんじゃないの 牟田口と富永は歴史から永劫に断罪され続けるだろうからね もっとも「有言不実行」で当時の国民からも非難されまくった 東條英機に比べれば1mmほどマシかも知れないがな
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/27(水) 20:43:28 ID:RgW7LxK50
>>14 乃木希典を忘れていませんか、司馬厨くんw
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/27(水) 22:12:57 ID:yJodBT6oO
真崎甚三郎も鬼畜
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/27(水) 22:34:28 ID:CqV7BWVAP
ここは聖将・牟田口廉也閣下を語るスレだ。 スレチはとっとと消えろ
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/28(木) 18:43:58 ID:X99zRhd40
アラカン山系の白骨街道にはたくさんの英霊が。。。 誰の作戦でそうなったのか。。。 牟田口・河辺コンビは戦後もきちんと生き残られて良かった。
英霊という言葉で何を美化したいのか・・・
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/28(木) 21:09:01 ID:cowQnu/g0
>>18 インパール作戦を敢行していなければ、
東南アジアは一気に失っただろう。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/28(木) 23:07:17 ID:X99zRhd40
もっと上手なやり方があったのでは? それにインパール作戦の目的は「東南アジアを失わないため」では ないでしょうに。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/28(木) 23:20:02 ID:cowQnu/g0
大切なのは目的より結果責任だよ。 牟田口閣下の勇猛果敢な戦略は鬼畜米英を震撼させ、 東南アジアへの侵攻を諦めさせた。
牟田口中将の神算鬼謀に、現実が付いてこれなかったのは残念だジンギスカン。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/29(金) 17:35:51 ID:53c8np7PO
保守
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/29(金) 22:14:40 ID:hGWkg3Vz0
>>23 一歩先を行くのが牟田口中将だからな。
やっと時代が彼を正しく評価出来るようになった
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/30(土) 04:32:27 ID:O0UQbsOtO
牟田口氏の俺は悪くない的な肉声って残ってるの?
TVにも出ていたそうだが、TVって昔は殆ど録画録音残っていないからなあ。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/30(土) 09:46:34 ID:BJIDI7u70
>>26 国会図書館に池。
因みに、牟田口中将は史実でも全く悪くないけどな
このスレは牟田口の親類縁者が運営しております
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/30(土) 21:30:26 ID:BJIDI7u70
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/31(日) 12:56:11 ID:VJjAB0z4O
軍人一の悪党牟田口
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/31(日) 13:10:35 ID:2j13JaU60
昭和の聖将、牟田口中将
牟田口は万死に値する
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/31(日) 20:51:40 ID:2j13JaU60
牟田口 廉也(むたぐち れんや、1888年10月7日 - 1966年8月2日)とは、 大東亜戦争において連合国の勝利に大きく貢献した米軍の指揮官である。 米軍の指揮官である 米軍の指揮官である米軍の指揮官である
盧溝橋事件をきっかけとした日中戦争を陸軍の暴走により勝手におっぱじめたようにした偽装工作や、 ビルマ(現ミャンマー)からインド北東部にかけてのジャングルで日本陸軍3個師団をほぼ全滅させた作戦を指揮した連合国の軍人で、 史上最強の工作員、コメディアンである。その数々の諜報作戦における謀略のあまりの巧みさと偽装工作での類を観ないような強さに、 日本兵から「鬼畜牟田口」「無茶口」などと恐れられた。Saga Prefecture出身、最終階級は中将。 戦後、潜伏が上手く行き過ぎたため、連合軍に日本軍人と間違えられて戦犯として起訴されかけたが、 日本軍の指揮官としてはあまりにも無能であったため釈放され、味方にすらスパイだという事を隠し通した。 Mr.生き恥という名誉な称号を連合国及び日本人から得ており、見事に潜伏活動に成功している。その後は実業家へ転進、天寿を全うした。 第2次世界大戦中にビルマ(現在のミャンマー)で餓死した日本兵の遺体の処理方法に環境にやさしい方法によって環境保護に努めるなど、 チーム・マイナス6%のさきがけと言える存在でもある。 また、元々は皇道派だったが、二・二六事件以降は、より深く潜入活動を行う為、統制派の首魁である東條英機の男妾となった事でも有名。
インパール作戦における活躍 牟田口の勇名を全世界にとどろかせた有名な戦い。 連合軍のスパイとして潜入し、とうとう日本軍の司令官にまで出世した彼は、ビルマ駐留の日本軍を殲滅する作戦を立案した。 その作戦は恐るべきもので、 1.日本陸軍第15軍の3個師団8万6千をインド北東部の都市、インパール攻略のためと称して雨季に出撃させる。 2.行軍ルートは川あり(川幅600m)山あり(標高2000m、年間降水量9000mm)の悪路三昧。 3.物資輸送を食糧を兼ねた家畜に頼る(ジンギスカン作戦)日本軍の補給が鈍重で困難を極めるところを爆撃、補給路を切断。 4.連合軍は15万の大軍で迎え撃ち、長期戦に引きずり込む。 5.そんな中、自分は料亭で芸者と豪遊し、その姿を日本軍に見せ付けて戦意を奪う。 6.弾も食糧もなくなってへろへろ…飢えで日本軍壊滅。 というものだった。 この作戦はまんまと図に当たり、日本軍は参加8万6千のうち戦死3万2千(ほとんどが餓死)、 戦病4万(ほとんどが栄養失調)の大損害を出し、ほぼ全滅した。 作戦の成功を確信した牟田口は、日本軍の敗残部隊を恐れていち早く前線から逃亡する。 なお、3万2千の死体でビルマのジャングルを舗装した日本軍はこれを「白骨街道」と命名した。 この白骨街道の建設は戦時中に行われたODAとしては最大の事業だった。 竣工後、開通式は牟田口の祝詞によってしめやかに執り行われた。
シュエジンの司令所のある日の参謀との会話 牟田口:藤原、これだけ多くの部下を殺し、多くの兵器を失った事は、 司令官としての責任上、私は腹を切ってお詫びしなければ、上御一人や、将兵の霊に相済まんと思っとるが、 貴官の腹蔵のない意見を聞きたい… 藤原参謀 :昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。 司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、一応形式的にも止めないわけには参りません、 司令官としての責任を、真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。誰も邪魔したり止めたり致しません。 心置きなく腹を切って下さい。 ここまで言われても絶対に自決しない。当たり前だ、連合軍のスパイだから。遠回しに「お前、早く自決しろ」と促している藤原参謀は、 とんだ道化を演じさせられたものだ。 後にこの場面を見ていた兵士がこの話を聞かせた孫が、一説には「オレオレ詐欺」の創始者であると言われている。 してみると牟田口の場合は「死ぬ死ぬ詐欺」であると言えようか。 戦後 終戦後に経営した中華料理店、その名も「ジンギスカンハウス」 昭和30年に文藝春秋の特集に載せた自伝には、インパール作戦の事に関しては一切触れずに (当たり前だ。スパイとしての成功体験をべらべらと喋れる訳が無い)、 開戦当初、牟田口が指揮して大成功を収めたブテキマ高地攻略(もちろん日本軍で出世するための、やむを得ない工作である) についてのみこと細かに書いた。最後にこう締めている。 『今瞑目追想すると轉た古今の感じ堪えないのである。それから四年目に再びこの地は戦わずして英軍の手に歸したが、 山野に眠る英霊の感想は果たして何如であろうか。その偉勲に対し深甚なる感謝の誠を捧げ、心から冥福を祈って熄まないのである。』 ここまで日本軍の兵士を悼む発言をすれば、誰も連合国のスパイとは疑いもしないだろう。さすがである。 自分の葬儀では、参列者全員に対し「インパール作戦の作戦指揮の正当性について語る」パンフレットが配布された。 自らの死後にいたるまで自分が連合国のスパイであることを否定するための準備を生前から滞りなく行い、 遺族にそれを忠実に実行させたという一事をもってしても、牟田口=無能という世間の評価が いかに偏見に満ちたものであるかの証明となるであろう。 いや、最後まで無能な日本軍人としての評判を広めた事が、彼が連合国最優秀スパイという証左である。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/31(日) 21:22:21 ID:SUWzVKUTP
で、インパール作戦を敢行しなければ、 東南アジアは全て失っていたわけですが?
いんやあ〜 インパール作戦やってもビルマの失陥で済んでるんだから やらなきゃビルマも失わないで済んでんじゃないのお〜?
そうそうインパール作戦やったからミャンマーは親日などと 妄言はいている人もいたが、今週の週刊新潮じゃ とうとう高山正之すらミャンマー見放しちゃったね。
そうなの? 日本って異様にミャンマーを持ち上げているけど、なんなんだろうな。未だに日本の政治家との繋がりあるのだろうか? アメリカがミャンマーの政治家を悪い指導者の一人として挙げても、日本じゃ完全無視。まるっきり報道しない。 そもそも世界中で非難されるミャンマーの指導者がいったい誰か、未だに日本じゃよく報道されないありさま。 さらに、ミャンマーがビルマから名前を変えると宣言すると、一番先にそれを承認しちゃうありさま。
これじゃ、中国の報道がどうのなんて批判できん罠w だいたい、日本の中国反発デモがまるっきり報道されないから、中国のデモがそれに呼応して起きたってコトも 一般人には良く分からないんじゃないのか?
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/01(月) 20:17:03 ID:yKhqveDb0
* スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。 準備半途を衝かれ、 奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、 日本軍があのまま一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
そりゃあびっくりするさ。 普通はきちんと補給を受けることができて 初めて攻勢作戦を行うことでまともな作戦が立てられるんだから、 彼らは日本がアラカンに補給路を確立する驚きの策を立てて侵攻してきたと思いこんじゃうわけだからw それが手持ち資材だけの片道特攻だなんて誰も思わないからな。
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/01(月) 21:26:57 ID:yKhqveDb0
* 第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、 師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。 幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。 佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。 インパール作戦の失敗は、勝手に敵前逃亡した佐藤幸徳の責任
47 :
心優しき久野村桃代 :2010/11/01(月) 23:14:34 ID:sOnx2SfYO
牟田口閣下は最高の上司でした。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/02(火) 00:00:57 ID:H4sj5lW6O
佐藤中将は久野村参謀以下は無能云々と言ったそうだが牟田口さんは無能じゃないってことかな?
とりあえず「ジンギスカンハウス」について語ろうぜ
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/02(火) 22:30:37 ID:qGeQxxDl0
ジンギスカンハウスとかネタ話はいらん。 ここは真実を語るスレだ
え〜? ジンギスカンハウスがネタ?
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/03(水) 22:07:28 ID:WGXGOgmL0
ジンギスカンハウスが事実だと信じてる香具師がいるとは…
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/04(木) 14:47:59 ID:2VN3wSxj0
牟田口は味方アレだけ殺せば戦犯でおkだけどね
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/04(木) 20:41:07 ID:bLMa4k0Q0
* アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。 なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/06(土) 00:28:25 ID:itYM5BqQP
佐藤はなぜ裏切った?
>>52 此所はネタスレだ
ネタについて語って何が悪い?
>>55 佐藤君は裏切ったのではない。
軍事的な常識で神将牟田口の鬼謀を推し測るという過ちを冒してしまっただけなのだ。
誠に残念な誤謬であった……
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/07(日) 14:06:39 ID:9bFvzQvd0
馬鹿は近代史板に引っ込んでいろ。 基礎知識も無いのに軍板に来るな。 近代史板の連中も馬鹿にちゃんと首輪をつけて 他の板やウィキペディアに迷惑かけるな。 お前らが馬鹿を増徴させて ウィキペディアで馬鹿を暴れさせ 挙句ウィキペディアから追放された馬鹿が 今度は軍板でスレ乱立させて暴れている。 迷惑かけんな!
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/07(日) 14:26:46 ID:4u+nGXJC0
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/07(日) 22:04:11 ID:Q+ya69o0P
>>58 何様のつもりだ?
軍板に引き籠ってろカスが
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/08(月) 21:15:43 ID:uEDDOEEi0
>>61 何様のつもりだ?
軍板に引き籠ってろカスが
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/09(火) 00:06:38 ID:wPYu4lny0
ここでいう戦果ですが あれだけの戦死者・餓死者を出しても良いのなら誰でもできるのでは。。 普通の人は、部下の事を考えてできない作戦だよね。 それをすごいと言うのは勝手だけど 食料も弾薬もなく攻撃命令を出し続けられた兵士が不憫で。。
配下の将兵が訓辞を聞いているうちに 栄養失調でバタバタ倒れるというのがすごい
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/09(火) 22:56:20 ID:M2O+g5Ml0
沢山の戦死者を出して、 何の効果も無かった特攻隊員が見たら泣くぞ 牟田口中将は良くやってくれた!
「白骨街道」という戦時中最大のODAをか?
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/11(木) 01:10:51 ID:OKQHNFen0
何でそう卑屈なんだ。 素直に牟田口中将の功績を語ろうぜ
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/11(木) 14:27:07 ID:EW/a81/AO
インパール前までの潤沢な補給がある状況下では負け知らずだったんだっけ 調子こいたら失敗した典型か
●佐藤師団長が抗命撤退すると通告してきた時、牟田口は最前線にいた。
佐藤がコヒマから抗命撤退すると15軍司令部にに伝えてきたのは5月24日だが、
その時牟田口はモロウで33師団を直接指揮していた。
インパール作戦で最も激戦となったのは、インパールが目前と迫ったビシェンプールでの攻防だが
ここでは5月中旬ごろ〜6月いっぱいまで、一月半もの長期間の激闘が続いた。
5月24日と言えば、まさにビシェンプールへの総攻撃を敢行すべく、ライマナイの33師団司令部に代わり、
その直ぐ後方、モロウへ進出した15軍司令部の牟田口が33師団を直接指揮している真っ最中。
インパールまであとひと息、まさにこれから、というその時に
佐藤がそのような通告をしてくれば、牟田口でなくとも怒るのは当然。
「なお10日間コヒマを死守せよ!」との15軍の指令は当然と言える。
参考地図
http://www.geocities.jp/buzensakai/reki/inpa15gun.htm
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/11(木) 22:42:45 ID:T/JXQwTBP
>>68 普通、部下が命令に反する事まで予見出来んだろ?
牟田口がモローで行った愚劣な戦闘指導により、 作間連隊、笹原連隊を壊滅に追い込んだ。 またトルボン強襲により瀬古、岩崎大隊が壊滅に追い込まれた。
つまり牟田口の指揮で日本軍3個連隊が壊滅した。 これでは英軍将校が誉めるのもむべなるかなw
牟田口がモローで行った愚劣な戦闘指導により、 作間連隊、笹原連隊を壊滅に追い込んだ。 またトルボン強襲により瀬古、岩崎大隊が壊滅に追い込まれた。 つまり牟田口の指揮で日本軍3個連隊が壊滅した。 これでは英軍将校が誉めるのもむべなるかなw
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/12(金) 23:14:45 ID:0gLTq+8v0
>>73 >>ID:t1vEnzQA
牟田口中将の作戦は、一個連隊をすり潰しても決行する価値があったんだよ
31師団の補給の要請を無視し続けて,さらにディマプールに突進しろって・・・
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/13(土) 21:49:32 ID:++UeFlHdO
これってネタだよな? 作戦失敗の責任さえとらず、戦後も自己正当化と言い訳に終始した。 どう考えても牟田口は卑怯者の恥知らずだろう。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/14(日) 00:51:57 ID:izjhA+/C0
イギリス人はみな牟田口中将を尊敬しているのに 日本人は内弁慶だなぁ
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/14(日) 17:06:21 ID:A4yKOEcqO
日本を貶めていい国だと言えなくすることに加担して楽しい?
>>78 え?日本って良い国だったのか
お前にとって
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/21(日) 19:15:59 ID:9TCXyAW6O
キチガイ牟田口死ね
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/22(月) 23:29:28 ID:jW2wMR1FP
牟田口閣下は軍神です
戦死してねえのに軍神になれねえよw
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/23(火) 11:56:39 ID:Vjt3d2wVP
つか、殉死した人を 天寿を全うした人に例える その考え方がお花畑だわw
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/24(水) 01:34:30 ID:1WhV1xED0
職場でノギとムタグチ どちらの下が辛いかわからんぞ
>>86 良い勝負だと思う
まあ、ダイエットしたいなら牟田口の下かな
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/24(水) 23:22:24 ID:1sSQimHXO
アジア解放の崇高な理念にむけて戦った 日本軍人の方々を誹謗抽象し 現在の価値観で裁くのは最低だよ。
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/25(木) 02:22:16 ID:8IiETG82P
牟田口中将はアジア繁栄のために捨石になった。 本当に偉大な方だ
>>88 現代人には現代の価値観しかないんだよ
それに、補給もろくに与えんで作戦を強行するのは
当時から見ても非常識
さあ、どこが最低なんだ?
テンプレしか使えないネトウヨ君
>>90 ネトウヨ呼ばわりはネトウヨに失礼。
そもそも土足は牟田口を擁護する代償に
栗林をノイローゼの卑怯者の無能呼ばわりする奴だし。
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/25(木) 23:18:47 ID:8IiETG82P
栗林… 大量の部下を犬死させたあの栗林の事か?
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/25(木) 23:32:45 ID:Nv/aFcWg0
>アジア解放の崇高な理念にむけて戦った 日本軍人の方々を誹謗抽象し 現在の価値観で裁くのは最低だよ。 別に現代人だけが言ってるのではなくて、多くは遺族や帰還兵の声の方が 大きいの!!仲間が白骨街道で死んでいった状況を粒さに目にした私の 祖父は牟田口さんやビルマ方面軍の高級軍人に対する恨みはすごいもの だったよ!
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/25(木) 23:39:25 ID:QGmIBc/W0
どんな価値がある作戦だって、一兵卒が指揮官を批判するのはよくあること。 死ぬのは自分たちだからな。 一兵卒の言う事を一々真に受けていれば、マトモな歴史評価なんて出来るわけがない
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/25(木) 23:53:25 ID:Nv/aFcWg0
「崇高な理念」の日本軍人を現在の「価値観」で裁くのは「最低」だという叙情的意見に対する返答であり 誰も「歴史的評価」はしていません! というよりも「死ぬのは当たり前」とか「一平卒の言うことを一々真に受けて」 など同じ日本人とは思えないですね。失礼ですが「最低」と思います。
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/26(金) 00:13:12 ID:QUfoUJux0
一兵卒の言う事なんて聞いてたら、 高級軍人はみなただの殺戮者という評価にしかならん罠w
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/26(金) 00:54:44 ID:MtZJ1GgF0
栗林が名将なんてのは捏造だってw
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/26(金) 01:06:57 ID:zFpQvZkL0
水木しげるのズンゲン守備隊顛末記などを読むと高級軍人といわれる 軍上層部の人間が如何に理不尽だったのか思い知らされるな。
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/26(金) 01:30:16 ID:zo9MGVO0P
お前も人の上に立つと部下から理不尽な奴と思われるんだよ
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/26(金) 10:36:42 ID:aH3X7goW0
近代史板のやつらなんとかしろよ こいつ軍事版でも好き勝手暴れてんぞ
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/27(土) 07:30:00 ID:9uKdG5rK0
>99 まあ、お前のような事なかれ主義の奴があの戦争で多数の兵隊を殺した訳だが・・
>>101 横槍だが
>>99 を読んで事なかれ主義だと思うのなら、
それはお前が事なかれ主義な奴だからだw
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/27(土) 09:40:28 ID:9uKdG5rK0
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/27(土) 11:48:12 ID:Pbm5Z3F9P
佐藤が裏切らなければ、イギリス軍は壊滅してたのに、惜しかった 佐藤は万死に値する売国奴
武器弾薬、食糧その他一切は現地調達という新戦法を考案したひとでしょ。 斬新すぎて失敗したけど。
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/29(月) 20:07:25 ID:xYkd9jLC0
失敗したのは、佐藤の責任だ
周囲がついて行けないような作戦を考案してはいけない。 凡人でも遂行できるような戦法が必要だ。
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/01(水) 00:47:36 ID:v7xwHXp20
理解できないのはいい。 黙ってついてこい
後方でのんきにリゾートしてないで、 最前線で引っ張ってください。
ちゃんと栄養失調にもなって下さいよ 自分一人ブクブク肥え太ってないで
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/03(金) 01:19:01 ID:W7WFFbJHP
>>111 佐藤幸徳が裏切ったから、急きょ退路を確保するために後方に行っただけ
で、部下を見捨てて自分だけ後方へ行った、と。 たいした指揮官ですね。
自分だけ栄養満点で、1時間も朝礼をやり 部下たちが貧血ならぬ栄養失調でバタバタ倒れていくというw
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/04(土) 02:11:43 ID:FTjhPBswP
牟田口中将が退路を確保しなければ、日本軍は全滅していた。 全ては鬼畜佐藤が悪い
インパールまでの進路を牟田口が確保すればよかったんじゃね?
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/07(火) 20:39:45 ID:M6GDYg1dP
総司令官が自ら最前線に行くわけないだろw 横山三国志の読み過ぎ
______ 仕 な r〃〃〃 f7⌒ろ) l‖‖‖ || f灯 業 ん |‖‖‖ || | | |儿儿儿._」⊥厶 か で 〔__o____o_≦ト、 . 「⌒ヽノ ヽ|l __ ヽ よ も |ヘ、 rノ¬、 l「r,ヽ i . l ー| `ー' ||、_八 | : 俺 l │ ll 〃V 、{`―-ヽ ,〃 〃 \ の __\ rテ ノ´ 〃 / ー- 、 . ,ィ(⊆≧リ≦⊇)〃 / rク\ . / | ̄r少}¨ ̄〃 / /′ ヽ 〃 l | l| | l| 〃 / / └ヽ / l |l | |l/″ / ! 厂 \ く, Y ! l」fレト! / | / 1 丿 | | 丿} じ’ / | / | / l | `¨ / レ′ |
>>117 横山三国志にだって牟田口は出てるぞ
ほれ
|;;,,._:::::| ,.-- 、/
/ t_ノ:::l_ /::/:::/:::/ヽ
〈,---、,ノ i ,,,,/‐。‐ 、:/:::: i 泰 楽 は
(,-‐- 、}- ' | /;へ:;;::-、,,,;。ヽ,ノ 平 し は
(,-‐-,f'ヽ | i/ ヽ:|l;;;;;;i に い は
-〈 /Tl :|'i ::i ノ /〃 ヾ.、 ゙||;;;;;;l 乾 の
>人l,,!λ!〈 i 、テ `''ミ ll´,Y 杯 う
´ }::::/'`/;;;, l 〈 ヽ、. ll 'ノ
/ :::/ }/;;;;;;:;, l λー―'iヽ !!´i
/ :/{ li;;;;;;;:;;;、 i i,.-、./ / ノ\
/ |l ] l|;;;;;;;;:;;;;;、 ゝ、,,,ー' __,,ノ /:::::::ノ\
./ |l[ l|;;;;;;;;::;;;;;;;;、 ,,,,,..{f::::;;リ ̄ヽ ノ::::::/;;;;;;;;;ヽ
ll ] l|;;;;;;;;; ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;';;;;;;;;`='il=llヾ_):::::::/;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ
ll[ .l|;;;;;;;;;; ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; ;;;;;;;;;;i:::ll:::::ll:::::::::/;;;;;; ,;;; ,;;;;;;;;;;;;ヽ
ll ]ll;;;;;;;;;;: ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; ;;;;;;;;;;;;;;ll==ll= ';;;;;;;;;;;::;;;; ;;;;;;;;;;;;;;;;;;i
ll[ ll;;;;;;;;;;; :;;;;;;;;;;;;;;;;;;; ;;;;;;;;;;;;;(ノ;;;;i,);;;;;;;;;;;;;;;;;::;;; ;;:;;;;;;;;;;;;;;;;;;iー―, ,-―― '
ll ]ll;;;;;;;;;;;, ;;;;;;;;;;;;;;;;;;、,:;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;:;;' ;;::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;i ノ '
ll[ ll;;;;;;;;;;;;,,'';;;;;;;;;;;;;;ヽ'''''' ''''''''::::;;;;;;; '::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;i
劉禅 (横山三国志)
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/07(火) 23:35:10 ID:MNpiY9DJ0
>>119 牟田口じゃなくて、佐藤だろ?
そうだろ? そうだろ??
>>120 佐藤はこっち
l´ _..ゝ-――‐- 、
`r'´ l
|. _,,,._ -==-..ェ、|__
___... -‐ ..ニ|. ,ィ/__ヽj レ''_`ij|- `ニ..''_‐ おおっ!!
-‐ '' "´ _レイ イ__o.ソヽイ._o_` |l ` なんという香ばしいレスじゃ
{ i|/ヽ._/ i |ヽ__ ィリ
. じリしi ,,,. l_l ,,, l | 2Chの厨房にも
||. l,リr----―ァl}| これほどの基地外はおらぬ
. | ゝ、{| ヽ ̄ ̄ 7 リ/
/'、 ヾ ゞニニン ノ l
. /≡ヽ、 ゝ-‐"ー-'´)ヽ
/ヽ≡ ≡ ̄≡ ̄≡ ̄≡l\
-‐ ''´ゝ、 ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ノ ≡`'' ‐-
≡ ≡ ≡\≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/09(木) 00:03:01 ID:NaL66XeUP
AAウザいよ
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/09(木) 18:47:11 ID:JTP8H1vT0
牟田口こそが日本国民にとってのA級戦犯だ。 東京裁判は茶番だった。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/15(水) 02:46:02 ID:GYKNUQyZ0
いまだに >おk
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/17(金) 00:49:50 ID:gdSU2waTP
>>128 横槍だが、
>おk
なんて日本語ではないと言いたいんだろうとマジレス。
>おk かつて2ちゃんで多く見られたが、最近見ない。 漏れとかDQNとか基地外みたいな、いわば死語。
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/17(金) 20:45:58 ID:vAyoHVIh0
あのとき真田穣一郎の言う事を聞いていればインパールなんてなくてすんだのに・・・
>>130 横レスだが
DQNと基地外はまだ使われているぞ
基地外は筒井康隆が作った言葉だから、2ch用語じゃないだろ。
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/29(水) 17:47:47 ID:FhLXk8jk0
辻参謀なんかまだ救いがあるけど、 牟田口と石井四郎は庇うやつがいないなあ。 いや、わたしも帝国陸軍三大鬼畜の一人とは思うが。
>>134 後一人は富永か
でも、陸軍で鬼畜と言ったら「三大」じゃおさまんないぜ
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/31(金) 12:36:27 ID:ma79a+qNO
牟田口閣下が行った作戦はいわゆる攻勢防御だろ。 当時のビルマ防衛のために先に敵の根拠地に痛撃を加えもって、 英軍の心胆を寒からしめ、戦後のインド独立に貢献したんだから。 補給が少ない糧食や武器がないだけで騒いだ前線指揮官共こそ売国奴。
戦後にインドを独立させるために多くの日本兵を餓死病死させたそうです。
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/31(金) 16:20:20 ID:ma79a+qNO
戦死者のいない軍隊なぞ存在しない。個の献身と犠牲があって始めて国家は成り立つ。
>>139 そうやって将兵を無駄に殺す言い訳にするんですね、さすがですよ。
犠牲は少なく、そして出来るだけ意味のある行動の上でのものであるべきでしょう。
それが解らないカスは、ボコスカウォーズでもやってろ。
141 :
140 :2010/12/31(金) 16:22:48 ID:ZAfj8r7K0
>犠牲は少なく 訂正 犠牲は(出来る限り)少なくなるようにし
>>137 牟田口は防衛作戦ということを理解せず、あとで説明されて驚いたと自分で自白しているぞw
>>139 もっと必死なって、来年もおれらを楽しませてくれ。
>>139 次に戦争になったら、お前が真っ先に靖国に逝ってくれ
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/06(木) 00:10:50 ID:ZXQk82j/0
>>145 戦争になる前にチョンセン半島に脱出しようなw
>>146 出た!
答えに詰まったネトウヨが必ずやること
韓国認定w
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/10(月) 15:21:45 ID:IBnlpWJCP
>>147 基地害左翼乙wwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>148 出た!
答えに詰まったネトウヨが必ずやること
サヨク認定w
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/11(火) 20:07:21 ID:8XrWbMY0P
>>149 出た!
答えに詰まったキチサヨが必ずやること
ウヨク認定w
土足先生の憩いの場はここですか?w
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/11(火) 23:23:14 ID:yOXqfVP70
チンカスはこんなところまで遠征してるのかwww
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/11(火) 23:46:59 ID:cVnhxHwZ0
牟駄口をたたくな
チンカス大王土足先生マンセー
『日本軍の真実』 昭和を知り尽くした論客が、帝国軍人を一刀両断 保阪 日本の軍人で最低最悪な愚将はだれでしょうか。 半藤 まずは補給を無視して日本を滅亡させた牟田口中将。 そして、太平洋戦争を私利私欲でおかしくさせた辻参謀。 それから、部下を特攻させて自分は敵前逃亡した富永。 このあたりが最悪ですね。 秦 しかしおれら、いつも同じ事言ってねーか? 保阪 海軍はどうなんでしょうか。 保阪 山本五十六なんかは対米戦争に反対してましたが、 軍令部の中には、陸軍の軍国主義に同調した人間もいたようです。 秦 ・・・
でさ、土足はいつ働いてるの? そんな戯言はいいから教えてよ
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/21(金) 20:13:51 ID:1nFzRWm5P
年中2chをwikipediaを監視しているチンカスはニート?
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/21(金) 23:53:09 ID:fS+ZUTDl0
廃人牟田口は死ねやwww
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/23(日) 22:50:25 ID:++dpOz1IP
狂人チンカスは死ねやwww
土足の監視活動は今日も続く
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/24(月) 07:17:32 ID:hnpxpIldP
年中2chをwikipediaを監視しているチンカスはニート?
日本語で。
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/25(火) 22:17:39 ID:Jv5taiG20
朝鮮語しか理解できんのか?
まぁある意味神だよな。 祟り神的な
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/27(木) 23:20:39 ID:f0nxAuQ1P
祟り神は佐藤だな
戦後は何して生活してたの?
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/28(金) 21:43:08 ID:pW9UmCt6O
売国スパイ牟田口は日本人の敵だよな
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/29(土) 01:39:57 ID:9rXn35wIP
売国スパイ佐藤は全人類の敵だよな
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/29(土) 11:41:33 ID:uHZQ/4KL0
■誰が牟田口を叩いているのか? @デタラメの東京裁判史観と陸軍悪玉論を宣伝する 商売目当ての文芸春秋などの似非保守のホラ吹き歴史家。 例)通称3H(半藤・保阪・秦) A在日、平和ボケ、団塊のアホの世代の左翼 Bひたすら長州を恨む会津万歳の頭のおかしい賊軍の子孫の東北人
お疲れ、キチガイ。
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/30(日) 03:10:45 ID:u8A4XAtQP
半藤がクズなのは、よくわかる
はいはい土足土足
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/30(日) 13:55:03 ID:npW4Fnqw0
チンカス先生乙ですwww
ありがとうございますwww チンカスいります?wwwww
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/02(水) 23:41:29 ID:Ifxt5xs2P
先生のは特別臭いから結構ですwww
そう遠慮なさらずにwwwww せめて味見でもwwwwwwwwwwwwwww
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/03(木) 21:44:10 ID:yl4yyzZyP
ご自分で食べて下さいwwwww
そんなwwwwwwwwwwwwwww
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/07(月) 02:32:24 ID:qjScjR1vP
くせえぞチンカスw
匂ったんですかwwwwwwwwwwwww なら食べてくださいwwwwwwwwwwwwwww
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/09(水) 01:07:20 ID:Uf32QeVQ0
自分で食えペクチョンチンカス
自分が最前線へ逝けよ
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/10(木) 01:10:57 ID:nn5EQkCbP
佐藤と一緒に敵前逃亡してこいよ、チンカス
功績の一つぐらいないのか? 中国ではどうだったんだろう?
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/11(金) 01:12:29 ID:wFzr1+K5P
佐藤は常に逃亡してたから、当然功績はない
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/12(土) 19:08:52 ID:DCWxKFUS0
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/14(月) 02:32:02 ID:RhSIrxzJ0
そういうねつ造は結構です。 事実は、佐藤の敵前逃亡による、日本側の総崩れでした
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/15(火) 01:00:12 ID:qIXpi1o30
そういうねつ造は結構です。 事実は、佐藤の敵前逃亡による、日本側の総崩れでした
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/17(木) 21:18:09 ID:AFZUEcJu0
>>189 インパール作戦には、今賛否両論さまざまな意見がコメント欄に書かれている
お前の意見を書き込んで来い。
牟田口が現地自活、勝てば食料は敵がおいていく と思ってた時点で負け戦決定w
まあ、一言で言えば やっぱり劉禅の生まれ変わりだな、牟田口は 別に董卓でもいいが
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/18(金) 00:38:29 ID:NuQ2QZh30
食糧を置いて逃げようとした英軍より先に逃亡した馬鹿佐藤
土足必死だな
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/23(水) 01:48:38.70 ID:g1g+8nPpP
チンカス乙w
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/23(水) 02:36:58.64 ID:2IWJz0SVO
チンカス土足
インパール戦では、通常一兵卒にいたるまで、「牟田口の馬鹿野郎」という認識で一致してるんだよな。 なぜなら、牟田口の行動は逐次英国スパイによって調査されて、前線で流されていたからな。 で、牟田口を擁護しているのってどんな背景があるんだろw 「つくる会」の妙な本では擁護してたけどさ。あれって、無茶逆効果なんじゃないの?いくらなんでも。
そのうち「正義の皇軍には牟田口という男はいなかった」となるんじゃね?
牟田口擁護した挙句 佐藤を筆頭に、栗林や今村を徹底的に貶めるんだから 旧軍擁護にすらなってねえ。
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/24(木) 22:53:58.47 ID:0hT2ZB3S0
栗林、佐藤は兵卒を無駄に殺した鬼畜だろww
中国大陸での作戦では評価高いし遺族も・・・まあ。。あれだ
評価高いか? 勝手に戦争おっ始めて、被害妄想に駆られたあげく大拡大 泥沼に足を突っ込ませた張本人が牟田口じゃねえ化w
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/26(土) 03:58:02.38 ID:HIxIATLs0
牟田口中将が戦争を始めたとか、脳内ソース乙ww
牟田口本人が自分が始めた戦争と言ってるだろ土足w
どこに匿名で書き込んでも土足だとばれる程度には知名度あがったな、土足。 いや、誰にも歓迎されない男だけど、どうせリアルでも孤独な愛国戦士なんだろ?
ふ〜ん、ゴキブリ、ウリニダ、ポエマー、土足といろんな奴が出てきたもんだが ネトウヨの性格は判で押したように一緒だなw
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/26(土) 15:42:18.47 ID:HIxIATLs0
牟田口中将が戦争を始めたとか、脳内ソース乙ww
土足警報発令 キチガイが暴れています
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/26(土) 21:32:53.67 ID:HIxIATLs0
チンカス警報発令 キチガイが暴れています
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/27(日) 01:54:55.55 ID:8WWrW5CyO
アジア解放のために尽力した当時の日本軍人の方々を貶める奴等は何者? バカサヨかチョンかチャンか。 よく知りもせずに今の価値観で悪口を言ったりレッテルを貼ったりよくできるな。
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/27(日) 03:09:26.40 ID:UYYtWNL40
全くだ。 牟田口中将の努力を馬鹿にする奴は非国民の在日不逞鮮人
なんか日本人全員を在日認定したいらしいw
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/27(日) 12:21:33.16 ID:UYYtWNL40
在日チンカス乙www
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/27(日) 12:39:24.23 ID:8WWrW5CyO
もうやめなよ。立派だった昔の日本人を貶め今の価値観で裁くのは。
>>210 牟田口擁護の為に牟田口以外の当時の日本軍人の
方々を貶めている土足が何をほざいているんだ?w
>>210 アジア解放のために自ら最前線で汗をかいたなら
威張ろうねw
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/27(日) 20:59:38.23 ID:HhW1IYesO
土足は朝鮮人で確定している
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/27(日) 22:24:36.82 ID:UYYtWNL40
チンカスは朝鮮人で確定している
すなわち、土足=朝鮮人という解が成り立つ。
ごめん、 土足=チンカスね。
生きた人間爆弾でしかない昔の日本人は 今のリビア人の足下にも及ばない
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/01(火) 00:46:00.64 ID:MJczgHLt0
インパ−ル作戦がなかったら、 インド独立は当分無かったであろう。 作戦に無茶があったがね
インドの独立のために日本兵が犬死したことを肯定する下衆
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/01(火) 13:45:56.62 ID:BMX8MorGO
日本軍や日本兵を貶めようとでっち上げや中傷をしても、 ネットが世論の中心になるに従いバレてきているからね。
日本軍の極一部が日本兵に対してひどいことをしたんだから、 日本人に叩かれて当然だわ 牟田口こそ陛下や臣民を軽んじた非国民といえる。
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/01(火) 15:32:43.92 ID:Eo5feufxO
チンカス土足は朝鮮人だろ
>>224 今頃「ネットで真実」かよ
それで通ったのは20世紀までだぜ
ネットに仕掛けた釣り針もバレてきてるからね
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/02(水) 18:49:08.41 ID:tXpXjMDhO
日本軍悪玉史観に凝り固まっている奴は つくる会の教科書でも読んで勉強しろ。
229 :
名無しさん@お腹いっぱい :2011/03/02(水) 19:43:50.04 ID:8UqMT0os0
既に出ているかもしれませんが、牟田口廉也中将は、盧溝橋事件にも関わっておられる。 当時の軍上層部は、7月上旬に始まった支那事変はすぐにでも解決できると判断した。 しかし、当時の首都である南京(蒋介石政権?軍閥の本部)を攻略(同じ年の12月)でも、蒋介石は、北部に逃れ戦線は続く事に。 通常、首都を落されたのであれば、其の時点で降伏乃至講和となるのが通例であった。(ここで軍部の主張は当時の状況下では不当であるとは思えない) 戦線が拡大した責任を感じた牟田口中将の、自分の責任感は有ると思う。というか、責任感なき現代日本の人々(私も含みます)の理解の度を越えた考え方があるのです。 軍人勅諭を叩き込まれた人であっただろうから。軍人勅諭には、自己の規律と質素なる訓示を示している。 インパール作戦に何故彼がこだわったかには歴史がある。当初彼は否定している。 各地の戦局悪化の元彼の心にも変化が来る事となる。わたくしの責任である。と言う人としての責任感の元、戦線拡大は元を正せばわたくしにあるのだと。 インパール作戦は、無謀な作戦である事は間違いないが、必ずしや失敗するとは言い切れなかったと私は思います。 インパールを包囲した事は事実で、包囲して敵の供給を遮断する方針に間違いはなかったけど、多くの山道で水牛を運搬手段に使用した事で疲弊した兵隊は戦えなかった。 その後、前線部隊の司令官との軋轢が始まる。ここからが、インパール作戦の悲惨さで、勝手に退却する部隊・中将が解任した司令官がいる部隊、退却時に被害が増す事は歴史的事実で。 戦前の陸軍記念日となる3月10日の奉天攻略は、クロパトキンスが奉天を放棄し退却作戦中にこそ最大の被害を生んでいる。 退却戦こそ、被害が出る事を彼は知っていたことは事実であったが、その指令網は既にない状況であった。 自己の責任を感じ、挽回したいと願うのは人の自然な意識だと思う。彼が挽回したい気持ちとは、自己の名誉でなく、国家の威信で有ったようにしか私には見えない。
>>228 つくる会の教科書には、気持ちいいオナニーの仕方しか書いてないよ
あとはデムパな物語ぐらいだな
何を勉強しろと、歴史学者が一人も関わっていない教科書で
あと、つくる会の教科書といえば、幻の日本駆逐艦戦没事件だな 初版本でいけしゃあしゃあと捏造話のせておいて あとでこっそり削除してる 笑うしかないな
232 :
名無しさん@お腹いっぱい :2011/03/02(水) 20:40:45.57 ID:8UqMT0os0
もっと捏造している教科書は無視か。 二枚舌とは、君の事ですね。 悲しくなるよ。
ほう、たとえば? 悪いがお前らネトウヨの方がよほど二枚舌だ 欧米がやれば、邪悪な侵略 日本がやれば、正義の解放 佐藤賢了が「軍政をやっても、よいしょして独立と言うことにしても、やってることは結局同じ」 って白状してしまったんだがな お前らの大好きなパルもダブスタ野郎だ 英国がインドに傀儡政権を立てることは許せん 日本が満州に傀儡政権を立てることは許す まあ、せいぜいがんばって、靖国に飾ってある人間爆弾が復活するような国でもつくってくれw
まあ、欧米の歴史と、日本の歴史とどちらも歴史的な事実を知らねばならぬことでは?
戦争のとは、どちらか一方が悪くて起きる事ではない。之は内乱にも言えると思う。
リビアの内乱は圧倒的にメディアでは政府が悪だと伝えている。
アフリカの内情は同であろうか?慎ましやかに、日常を営むアフリカの人々が何故、内紛にまで至ったのか?其れも各地で。
それは、リビアの政府だけにあるわけでなく、裏があると私は思える。
ただでさえ食糧事情の悪いアフリカは、煽りを受けた感がある。先進国たる人では解らないのだろうけど、日本でも、他の国でも食料価格は上がっている。
先進国の食料価格の上昇とは、新興国の深刻さは計り知れない。
背景とは、政情不安とか、民主化とかでなく、先進国が煽った食料不安が根底にある。
何も解らないやからは、歴史的な考えを持ちえず、先生に教わった虚構に拠るしかないのであろう。
>>233 のように。
だれが何を起こしたのであるかは、自己が見据えるべきだ。
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/03(木) 23:32:20.02 ID:jPlCTKWrO
少なくとも当時の日本と日本軍は善であり正しいよな。 欧米列強の植民地支配から亜細亜を解放し、 台湾や朝鮮半島などの人口を増やし生活を良くしたんだから。
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/03(木) 23:33:09.38 ID:waEVSTGPP
一方が悪くないと言いながら、牟田口中将を一方的に批判するチンカスの矛盾についてかたろうぜ
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/04(金) 16:03:32.26 ID:O8uXvfa7O
ふりだしに戻るっとwwwwwwwwwwwwwww
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/06(日) 05:12:59.44 ID:NEGJ+7NYP
佐藤の名誉(笑)を守るために、チンカスが必死に牟田口中将を貶めてることが証明されたなww
と、妄想を披瀝しているうちに、本スレが終わってしまう土足であった
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/06(日) 23:21:10.24 ID:QTGQ3pX+O
チンカス土足はチョンで間違いない
241 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/12(土) 06:25:56.31 ID:R9ABlllR0
チンカスはチョン賎人だ
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/14(月) 01:19:46.53 ID:aw5ym3goO
チンカス土足はチョン
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/16(水) 13:45:12.44 ID:9An0rBX8P
チンカスはチョン賎人だ
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/17(木) 08:59:55.62 ID:Tp4Wsqd20
21世紀の牟田口、菅直人! 東電職員や下っ端自衛隊員に特攻を命じ、 自らは首相官邸で美食三昧とは!!
また新種のバカか 次々湧いてくるなw
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/27(日) 00:22:01.45 ID:1wtmRC7SO
チンカス土足はチョン
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/27(日) 01:32:35.49 ID:vcwskOL7P
チンカスはチョン
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/05(火) 22:23:21.91 ID:bGgAq/USP
結局、佐藤が全て悪いが結論
結局、DOSOK-3こと土足がチョンでチンカスなのが結論。
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/10(日) 02:10:59.30 ID:zoR+raCx0
ドキュメント太平洋戦争〜責任なき戦場 をそのまま鵜呑みにしたら佐藤中将○牟田口大将×河辺大将×寺内元帥×杉山元帥× なかでも牟田口は撤退に踏み切れなかったのは、上司の河辺のせいと言わんばかり の最悪な人物なのだが・・・これが真実でOK?
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/10(日) 03:41:41.87 ID:GwSdJSjVP
結局、佐藤が全て悪いが結論
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/10(日) 19:23:43.90 ID:a22xyyNK0
>>235 人口なんてインドとかでも増えてるよ。
それに朝鮮や台湾はともかく、内国植民地待遇の沖縄での苛政や、
中国大陸でのイギリスですら手を引いた後の麻薬乱売等の所業は
擁護不可能。
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/13(水) 00:46:08.48 ID:C2bNnQ52P
結局、佐藤が全て悪いが結論
結局、DOSOK-3こと土足がチョンでチンカスなのが結論。
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/14(木) 13:47:00.36 ID:wHC+ZEMMO
チンカス土足は売国奴
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/17(日) 16:28:49.65 ID:xbvH77R1O
チンカス土足はホラ吹き
牟田口っていちおー一夕会に入っていたんだね。 若手エリートの一人と見なされていたのか…。
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/05/04(水) 03:33:21.70 ID:WWrQHyVBP
結局、佐藤が全て悪いが結論
またオマエかw
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/05/15(日) 02:52:29.13 ID:Fl9Xl8gk0
牟田口てどこかの国の首相みたいな人かな? ・敢闘精神旺盛だがどこか一人よがり ・作戦をも主導し反対の意見具申した(方法には問題があったにせよ)自身の参謀長を更迭 ・督促(強権発動)するのはともかく状況に応じた柔軟性に欠ける ・あげくの果ては3師団長解任という異常事態 組織の統率とは何なのか?
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/05/16(月) 02:59:42.51 ID:QsW+WZjZ0
牟田口は米英を震撼させたかもしれないが、 ただ、それだけだ。 米英軍「あー、ビックリした」
震撼したのは牟田口の部下たち
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/05/16(月) 18:45:36.64 ID:QsW+WZjZ0
震撼で済んだのなら、部下たちは幸せ。
平時なら大佐、連隊長程度でキャリアが終わる程度の男。 こんなのを将官に仕立てて司令官として戦争やらなきゃならないんだから、そりゃ無理だろ。
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/05/18(水) 18:38:18.38 ID:Q7+XcMTEO
牟田口を使いこなせない軍部に・・・といいたいとこだが 自由闊達な軍人の行動力で軍国日本が支えられていたことも事実 死中に活を求める上でインド進攻は絶対不可欠なもの 本当ならばもっと早い時期に天津を首都とする河北共和国を成立し 大陸警備の兵力を南下させ28軍を定数まで引き上げチッタゴンへ進攻 15軍は心おきなく作戦に邁進しディマプールを攻略する 将軍はインパール攻略の戦略価値が低いことに気づいていた 方面軍も特別な理由でディマプールの攻略を否定したわけではない 勝ち戦なら軍司令官は勝手なことをしてもいいから問題はない ボースはインド本国領土における政権の樹立を希求していた アッサム地方とベンガル地方はまた、非常に豊かな資源に恵まれており 日本軍の駐留と資源の採集、大規模な自由インド軍の策源地として最良の地である そしてこの地にまたがる国家の成立も急務である
267 :
☆☆☆ :2011/05/18(水) 20:40:43.85 ID:2YWN4LEi0
===インパール作戦の真実を検証する=== 1. 多くの参謀がインパール作戦に反対していたように思われていますが、実際には、 反対されたのはアッサムへの更なる侵攻に対してだけであり、 インパール攻略自体は誰も反対してないし、特に無謀などとは考えられていませんでした。 最も強硬に反対した南方軍の稲田参謀副長も(個人的な考えで作戦を妨害)反対したのは アッサムへの更なる侵攻と、険しい山岳の北から攻める31師団の鵯越が無謀だという点だけで、インパールの攻略自体 には全然反対していません。 意見が対立したのは3個師団のうちの31師団の侵攻ルートに関してだけなのです。 しかし実際に北の31師団は予定通りコヒマをほぼ占領し鵯越作戦は成功しています。 実はこのルートも、英軍によって道路が整備されていたのです。(戦後の小説では道は無かったと説明されている) 英軍は日本軍主力は南から攻めてくると考えており、 北の背後を衝かれた英軍は パニックに陥ってます。現実には31師団が最も活躍し、敵から多くの物資を 捕獲し、2ヶ月程度は食料も持ちこたえました。 (後勝参謀の調査でも5月末までは作戦続行可能との判断) 作戦は当時としては妥当な奇襲作戦計画であり、英国もそれは認めており、 インパール攻略は後一歩の所でした。
268 :
☆☆☆ :2011/05/18(水) 20:41:11.38 ID:2YWN4LEi0
2. インパール作戦は、1ヶ月〜一ヶ月半程度で攻略する予定の、短期奇襲作戦であり、 それを4ヶ月近くも継続したため、後半は物資が尽きましたが、2ヶ月までは物資は持ちこたえています。 したがって補給を軽視した無謀な作戦だったから失敗したのではなく、 奇襲作戦が失敗した後、なお2ヶ月以上も戦闘を継続したため物資が尽き大きな被害が出ました。 批判されるべきは作戦計画ではなく、補給に関してでもなく、 奇襲失敗の後、戦況の分析の誤りによる、撤退の判断の遅れです。 ではなぜそうなったかと言えば、5月に大本営から6月以降も作戦続行命令が出たからです。 ビルマ方面軍、南方軍など上部組織は、あとひとふんばりすれば相手は根を上げ、 まもなく攻略できると判断し、5月に大本営に報告しています。 そのため、作戦続行が決定されました。 この作戦延長の判断に、牟田口は意見を聞かれていません。 上部組織も航空機偵察などによる敵情の正確な分析を怠りました。 いづれにしても、当時は国の存亡をかけて一億玉砕の覚悟で全軍が戦っている時期ですから、 後になって「なぜそんな無茶をした?」という批判は、 あまりにも的外れな批判だと言えます。 同時期のサイパンの戦いも、補給や撤退など初めから全く考えていません。
269 :
☆☆☆ :2011/05/18(水) 20:42:55.36 ID:2YWN4LEi0
■根本的な敗因 国が決めた大東亜戦争の基本方針では、インパール作戦は最優先の作戦であった。 開戦前に政府と陸海軍が取り決めた「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」では、 まずアジアで英軍を屈服させることとなっている。 アジアで英軍を撃滅してビルマ、インドの独立を誘発し、その事によって政治的に 米国の戦意を殺ぎ、対米和平へと持ち込む事を目標としていた。 (太平洋の対米艦隊への攻撃は適時とし、補助的な扱いとなっている) インパール作戦は、国が決めた大東亜戦争の本来の目的の最重要作戦であったのだ。 牟田口の個人的な発案などというものではない。 しかし海軍はこの国の基本方針を無視して独断でハワイを攻撃し (東条首相は海軍がハワイを攻撃することを知らされていなかった)、 ミッドウエーやソロモン方面で大規模作戦を展開した。 海軍は戦果を改竄して大勝利の嘘の報告ばかりを大宣伝したため、 世論も対米太平洋決戦に歓喜し、陸軍も太平洋での海軍の作戦に協力するよう 引きずり込まれた。 このためアジアでのインパール作戦は、実施が大幅に遅れ、 戦力も大幅に削がれてしまった。 ビルマの航空兵力は、大部分がソロモン方面に移動させられ消耗することになった。 インパール作戦の敗北は、 作戦時期の遅れと航空兵力の不足が原因なのは明らか。 これは海軍の責任と言えよう。
この人ってtwitterやってるよね?
補給無視して、現地調達。なんて作戦すりゃ、そりゃ下からは嫌われるわ もっと呆れるのは、そんな作戦がゴロゴロある いかに兵士の命を使い捨てしてきたかってことだな そんで、自分は安全な後方で贅沢三昧してるんだから 補給が万全じゃない作戦しか出来ない時点で、戦争やめにゃいけんだろ
臣民の命を軽んじた逆賊牟田口
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/09(木) 00:53:08.58 ID:AiWPLSqJP
臣民の犠牲を無にした佐藤
臣民として勤労の義務を果たせ、土足。
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/09(木) 23:29:32.14 ID:AiWPLSqJP
平日の 11:13:03.19にそんな投稿が出来るチンカスこそ働けやww
まともに言い返せず、都合が悪いと、 全く関係ない話を持ち出す哀れな土足
佐藤は、ずっと牟田口でやりあってるんだよなぁ ま、補給もしないのに戦えっていう牟田口がどうかしてるんだけどな しかも自分は後方に居て安全なところで贅沢三昧 まあ、負けるべくして負けたってことだ
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/11(土) 01:12:21.23 ID:ynaeg4TvP
日露戦争は壮大な我慢比べで日本が勝ったが、 インパール作戦は佐藤が敵前逃亡して負けた。 現実を見ろよww
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/11(土) 01:58:13.15 ID:ch1AAmXP0
直接上司だった河辺はどう思ったのかな? この人は軍人としてはかなりまともに見えるのだが 過去の牟田口との関係(上司と部下)があった事、大将昇任直前だった事が 暴走を止められなかった原因か? 話は変わるが宮崎は名将だな
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/11(土) 02:18:13.03 ID:ynaeg4TvP
まともに言い返せず、都合が悪いと、 全く関係ない話を持ち出す哀れなチンカス
282 :
まさき :2011/06/11(土) 06:56:49.17 ID:xgvB2Tz6O
牟田口か?あいつ3コ下だったかな。フェラが下手だったな。
>>280 結局、河辺も自分に責任が及ぶのを恐れた。ってことじゃないかな。
「牟田口くんがやりたいなら、やらせてあげたい」
こんなん(エリート同士の馴れ合い)で進めた作戦なわけだし。
それを許可した寺内とかの他のトップも似たようなもんでしょ。
兵の命より、変な見栄や功名心、出世争い。そんなとこもあったかと。
牟田口も河辺もお互い保身、エリート同士のかばい合い。
この結果だったと思う。
じゃなきゃ、佐藤中将を軍法会議にかけるだろうし。
死刑と引き換えに、トップの無能をぶちまけるつもり。というのを知っていたから、
それを恐れて、心身喪失で更迭っていう形にしたんだし。
うん。宮崎は名将だと思う
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/11(土) 19:56:57.81 ID:zbOAlEj70
軍法会議にかけられるところを赦免してもらったのに、 それを恨む佐藤。 朝鮮人根性丸出しww
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/13(月) 19:27:05.32 ID:yNEOvE9R0
一夕会のメンバーに無駄口も入っていた。 陸軍統制派は出世思考が強すぎた。 無駄口が盧溝橋事件の連隊長で、餓島で軍旗を焼いて自決した一木は盧溝橋事件 当時の大隊長だった。 因果な運命だな
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/17(金) 07:42:44.76 ID:cZLtm/L10
敵前逃亡する師団長が中将になる帝国陸軍のレベルの低さって…
つ「方面軍司令官」
そういえば土足っていう人もギャンギャン吠えた挙句敵前逃亡してたけど、 最近みないね
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/17(金) 23:20:46.38 ID:cZLtm/L10
敵前逃亡した方面軍司令官って誰ですか?
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/19(日) 11:27:16.60 ID:B8hlfMod0
チンカスは逃げ出したw
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/22(水) 19:56:59.20 ID:98l+SjUL0
牟田口ってあの大した戦功もないぱっとしない人?
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/23(木) 09:09:30.73 ID:6Gh1UDYK0
負の戦功は抜群だけどな
>>291 シンガポールやビルマ侵攻時の十八師団、師団長としてはそれなりの功績を挙げた。
猪突猛進型の将としては適材適所だったってことでしょうな。
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/23(木) 20:43:21.75 ID:QWDpOgAt0
インパールも勝利目前だったが、 誰かが敵前逃亡して総崩れ
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/24(金) 03:30:48.10 ID:hxiHKzNc0
猪突猛進型の将も使いようだよ ただインパールに関しては自身の参謀長にも反対されるぐらい兵站無視の作戦 ただこの時点(全体を通してみれば敗色濃厚)では仕方がないか?
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/26(日) 19:31:09.38 ID:lz2LRnzk0
>>293 それがあったか・・・
といいたいところだけど18師団時代は配下の支隊ががんばっただけではと思ってる。
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/01(金) 18:39:23.06 ID:kWDhgvJ80
相手国だったイギリスには凄く評価されてるみたいだけどね。 僕は極左が作った戦後の日本の戦争観より、 実際に戦った敵国の素直な意見を信じたい。 実際イギリスは戦勝パレードなどを全て自粛しているし、 ガンジーの非暴力の行進すら許してる。 東京裁判では、イギリスが独立を果たしていない 植民地であるはずのインドからパール判事を送り出している。 インパール作戦は紙一重の戦いだったらしいです。 佐藤中将や前線の指揮官達が牟田口中将の指示通り 占領したコヒマから2日で行けるディマプールまで行けば 日本の勝ちだったらしいです。 イギリス軍がそれを認めています。 彼の葬式には参列者が多かったとも聞いています。 葬儀の際に配った自己弁護の用紙も 実は日本軍の名誉の為に書いたということはなかったんでしょうか。
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/02(土) 22:52:01.43 ID:0+0dUPv3P
牟田口中将のような勇猛果敢な将軍は使い場所もあるが、 佐藤のような敵前逃亡する将軍はゴミ・チンカス同然
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/04(月) 10:13:47.92 ID:d/5x5lJrO
占領したところで守れないよ もともと英の戦略は誘い込んで補給線がのびたとこでたたく 確かに日本軍の進攻速度が早く反攻準備が間に合わなかった んでも制空権が無い状態で反攻が始まれば守れない 敗走時期を遅らせる程度の効果しかないよ そもそも餓死や病死が始まってる状態で新たな進軍が無茶だし、占領したあとの制空権を確保出来ない時点で無謀 インパールは一撃離脱が目的じゃないんだから
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/04(月) 21:27:58.40 ID:4qVyZotH0
>>297 占領したところで守れんよ。最大進出線が延びるだけだ。
戦術的勝利を得ても戦略的勝利が得れない。
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/04(月) 21:29:46.67 ID:4qVyZotH0
>>297 ,298
土足注意!
文体変えてもばれるっての。もう少し詳しく調べてから発言しろや。でたらめ書くな。
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/05(火) 22:16:41.51 ID:PSyf6wNy0
また池沼の土足連呼がはじまった 進歩しないねww
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/09(土) 05:27:11.89 ID:JA5tkOIXP
牟田口の指揮は正しく、インパール作戦はあと一歩で成功していたと イギリスでは評価されている。 ★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。 佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 ★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 ★アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。 なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 ★マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官) 「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」 「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、 まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。 さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」 ★第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、 師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。 幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。 佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
海軍なんかも、どうせなら大抜擢で 石川信吾連合艦隊司令長官、大野竹二参謀長、神正徳先任参謀、高田利種作戦参謀、 くらいの布陣で戦ってたら連戦連勝だったのにな。 それでも、陸軍の牟田口・富永両軍神に比べるといささか見劣りするのは否めない。昭和海軍の人材不足ここに極まれり。
>>302 それ確か別スレで訳まちがいだと判明したような・・・
特にアーサースウィンソンのやつ。
最後の一文が訳間違い。
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/11(月) 16:46:41.19 ID:Oo1zYDha0
>>303 たまにそれ持ち出す人いるけど日本軍にはそんな余力はなかったんだよな。
仮にディマプールを占領したとて維持できるかという問題があるし。
そもそもコヒマ〜ディマプール間の三叉路には旅団規模の英印軍が残ってたし。
てかよく考えたら当初の予定は「インパールを包囲して一か月で落とす」だったはず。
その中で佐藤師団長に与えられた役割は「コヒマを占領してインパール包囲体勢を取る」こと。
つまり佐藤はすでに作戦目的を達成している。
それにもかかわらずインパールが落ちなかったのは佐藤の責任ではないしディマプールへ行けなんてのは
その時点で作戦失敗を認めてるようなもん。
牟田口も素直に「当初の予定が間違っていたのでディマプールまで進撃せよ」と言えばよかったのに。
戦後になって進撃しなかったのを責めるとは卑怯千万。
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/11(月) 16:50:25.15 ID:Oo1zYDha0
>>304 軍神って言う割にはなんの戦果も得ていない件。
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/16(土) 14:54:39.34 ID:C4BxZ1JV0
>>307 牟田口中将の作戦(=インパール占領)が達成出来た事は英軍も認めている。
維持できたかどうかは、大本営次第だろ。
維持できない作戦を許可したなら、それは牟田口中将でなく大本営の責任。
誰かが敵前逃亡したから、これは空想でしか語れないが。
>>309 維持は無理だって
制空権ないんだから
牟田口も大本営も共に責任がある
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/17(日) 03:11:25.81 ID:1Csvag/D0
戦争に負けたのはヒロヒトを含む全日本人の責任。 牟田口中将にその責任を全て押し付けようとは、キチガイ沙汰も甚だしいww 敵前逃亡の子孫は一味違うなwww
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/27(水) 10:19:00.35 ID:PmcCb/NX0
>>307 作戦予定から外れまくってるけどそれでいいのか?
1ヶ月でインパール占領の目的は完全に失敗してるじゃあないか。
要するに作戦立てた牟田口の目論見違い。
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/27(水) 10:20:21.47 ID:PmcCb/NX0
>>311 じゃあ実際に会って家の戸籍を見せてやろうか。
そして一対一で会話しようじゃあないか。
>敵前逃亡の子孫は一味違うなwww 牟田口さんは自己紹介が上手ですね
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/27(水) 20:21:36.29 ID:gTJRVa2J0
>>310 おまえはインパールの地形をわかっているのか?
インド側からインパールへ通じる車道は1本しかない。
逆にビルマ側からインパールへ通じる車道は複数ある。
要するにこの地を一旦日本軍が占領したら、インド側から
英軍が攻めるの、は非常に困難な地形になっている。
まあその前に日本軍側が勝手に干上がっちまうけどな
>>315 制空権もないのにどうやって守るの?補給どうするの?
現地調達だけでやっていくつもり?
>現地調達だけでやっていくつもり? 当然。 それがインパール作戦の極意であり、 国賊牟田口さんしか思いつかない斬新なところだ。
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/28(木) 21:09:49.04 ID:N7xuGtgLP
>>317 インパールで勝ったら、日本は戦争に勝てたとでも言いたいの?
インパール作戦が成功してても、そもそも時間稼ぎにしか過ぎない。
そんな先の事は、大本営を含め誰も考えていなかったっての。
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/28(木) 22:42:55.91 ID:zp2y9Lrw0
★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。 佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 ★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 ★アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。 なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 ★マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官) 「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」 「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、 まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。 さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」 ★第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、 師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。 幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。 佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/29(金) 06:11:05.57 ID:l9XXAqJe0
>>318 補給なしは、ラバウルもそうだろ。
ラバウルは意味無いが、インパールは
インド独立誘発という意義がある。
牟田口さんはパクり作戦に失敗したということですねw
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/29(金) 20:41:07.40 ID:L/A7cRDO0
結局言った一で話してくれないのか。 インパール作戦は成功できたなんて言う人は初めて見つけたので一度会って語り合ってみたいと思ったのだが。 てかインパール作戦が成功したところで太平洋戦争に勝てるわけもなく。 インド独立も無理だし。ボース派よりガンジー派の方が優勢だったからな。 独立も確約されてた(裏切られたが)わけだし。
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/29(金) 20:43:25.45 ID:L/A7cRDO0
言った一←一対一の打ち間違いな。
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/31(日) 00:53:09.08 ID:ou3m3ILKP
>>323 敵前逃亡がなければ占領出来たのは事実。
>>325 占領してどうすんの
そもそも、兵が餓死の危機に瀕している状況で、戦闘できると思っているのは牟田口だけ
弾がなくなって石投げて交戦する部隊が出る状況で、 さらに続けていれば占領できると思ってるのは人類で二人だけだろ。 「土足」とかいう粘着してるキチ外と牟田口w
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/31(日) 13:23:59.27 ID:dYoOMoy30
後方で吉報を待つだけのだれにでもできる簡単なお仕事です
牟田口の生きてた当時に2chあったら必死に自分擁護してるだろうなw
なんか、インパールでは、日本側は二次元的な包囲作戦だけやってたが 英国軍側は飛行機を活用して、三次元的な補給作戦やってた。 作戦思考の次元が違った、っていう話があったね。
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/31(日) 18:08:45.78 ID:vWdyMyUm0
>>325 敵前逃亡?馬鹿も休み休み言え。
佐藤中将は当初の作戦目的を達成して短期間でコヒマ〜インパール間を遮断して6月まで粘ったけど結局インパールは落ちなかったじゃないか。
その時点で作戦の前提が間違っている(牟田口の目算が間違っている)のだからいったん撤退することになんの問題もない。
インパール作戦が正しければインパール包囲体勢をとってから遠からず攻略に成功せねばならない。
それができなかったんだから結局作戦そのものが間違っていたと言わざるを得ない。
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/31(日) 21:53:10.59 ID:rgSVrjH60
>>331 佐藤はディマプール追撃だけでなく、その後の
インパール追撃命令も拒否して勝手に後退している。
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/31(日) 21:57:44.87 ID:rgSVrjH60
>>330 敗因は、英軍側は上部組織が戦況みて臨機応変に対応したが
日本側は15軍の牟田口に丸投げし、上部組織が
その責務を果たさなかったから。
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/01(月) 16:11:50.49 ID:NHiF57YsP
>>331 ★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、
一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、
マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、
まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。
ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。
さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」
★第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
335 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/01(月) 20:34:45.95 ID:NB0lZL880
>>332 だから作戦の前提が崩壊してるだろうが。
336 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/01(月) 21:10:28.57 ID:mcBrMffB0
>>335 作家の判断はどうか知らんが
柳田と佐藤の両師団が迅速に侵攻していれば
インパールは確保できたと当時の軍関係者は見てるだろ。
インパール占領は、それほど無理な作戦ではなく
十分に可能な作戦だった。
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/01(月) 21:37:53.12 ID:tJxMDu690
佐藤の敵前逃亡も大きいが、それ以上に 柳田師団の退路開放の方が重大な失態と敗因。 せっかく孤立させた敵インド師団を 明らかに、わざと逃している。 それから南方軍・稲田参謀による妨害行為。 こいつの妨害で作戦開始が2ヶ月も遅れた。 こういった事さえなければ インパール作戦は成功していた。 そもそもインパール作戦は南方軍がやれといった作戦で、 牟田口はやれと言われて、やったに過ぎない。
現代の官僚もこうやって失敗を言い訳できるという良い例ですなw
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/01(月) 23:40:49.17 ID:NHiF57YsP
敵前逃亡した部下を擁護し、その上司をケチョンケチョンに言う。 いつの時代も評論家という人種のやり方は同じですね^^
>>339 敵前逃亡じゃねーし。
補給が改善されなきゃ6月に撤退するということはすでに伝えられていた。
牟田口はそれを無視して増援のみをよこした。
しかも到着予定は一週間後www
キチガイ粘着土足先生まだ諦めてないのかww
>>339 仮に部下の失敗だとしても、
上司の責任問題になるのは当たり前
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/05(金) 21:53:36.12 ID:X0LUbVO40
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/11(木) 10:22:28.79 ID:1tdPnkKw0
チンカスの野郎、墓穴を掘って逃走したかw
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/12(金) 21:23:00.37 ID:Z7tDplXx0
「牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。 物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。 十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、 決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。 よく兵站を無視したと批判されるが、 司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、 あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。 このことはあまり知られていない。これは、司令官が 功に誇るような人物でなく、 謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。 印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。 「彼(牟田口司令官)は約束を守った。 亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、 東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。 終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。 しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。 赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった のである。
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/13(土) 10:45:03.89 ID:stWGWfzCI
久しぶりにウィキペディアみたら、土足先生がまだお元気に護国活動していて笑った
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/13(土) 17:42:00.33 ID:qzoBoWjV0
>>346 乃木将軍もそうだが、このような真面目で優れた人ほど妬まれるのがよくわかる。
佐藤の敵前逃亡には沈黙、笑止。
>>345 せめて逃げ出さずに最後に一人だけ居残って自害してればねー
350 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/22(月) 11:23:01.63 ID:ShNg8E690
>>348 だから敵前逃亡じゃないから
6月までに補給が来なければ撤退するというのはすでに伝えていた。
補給が来なかったのだから撤退したのは当然。
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/23(火) 01:27:08.81 ID:YLtO3qQI0
>>350 現場の兵卒が一日飯がこなくて、独自判断で撤退したら、罪に問われないのか
盆厨??
? わけわからん。 佐藤は牟田口に対して補給が来なければ6月に撤退するということを伝えていた。 牟田口はこれに反対しなかった。そして補給は来なかった。撤退しても文句を言われる筋合いはない。 てか6月まで補給が来ないのはおかしくないか。
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/24(水) 00:13:13.02 ID:OOaZB20S0
質問に答えろよww 兵卒は飯が一日遅配したら戦線離脱する権利って保障されてるの? まして中将たるものが敵前逃亡とか、佐藤ってクズだねww
一日の遅配なのか
>>353 敵前逃亡って君6月まで戦ってたじゃないか。
兵卒が一人死のうが撤退しようがなんの影響もないが佐藤は一個師団の命を預かってんだぞ。
6月まで一度も補給が来なくて今後の展望もないとなれば部下の命を守るために撤退するだろ。
だいたい状勢不利を悟って撤退した軍なんざこの世にいくらでもあるだろ。
ヒトラーの死守命令に背いて撤退したドイツの将軍は屑なのか?
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/25(木) 01:10:21.65 ID:Yv/oDMBx0
日本軍第三一師団長佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。 彼はコヒマを取って陣地を構築するよう命令されていた。彼の頑固な頭はコヒマを取る という一つの考えで一杯であった。 全然コヒマを取らずに彼が我々に大きい損害を与えられるとは彼は思い及ばなかった。 少数の牽制部隊を残し、ニチュガードのウォーレン旅団の東方まで道路によって前進した彼は、 4月5日までに彼の師団の主力を持って鉄道を攻撃できた。 しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、彼の部隊が来着したとき彼はこれを コヒマの小さな町の連続する攻撃に投じた。 スリム中将『敗北から勝利へ』
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/25(木) 01:26:54.93 ID:Yv/oDMBx0
>>634 バカかよおまえ?
重慶爆撃の前に南京や上海爆撃があり
そっちを問題にしてるんだが?
重慶爆撃は泥沼化したあとの話しじゃないかマヌケ。
しかもこれも海軍の井上の提言で
陸軍側は遠藤三郎中将の無駄だと言う判断で
陸軍は途中で中止している。
↑土足降臨
359 :
愛の戦記@オレサマ!!!!! :2011/08/25(木) 18:53:58.63 ID:xLhplQYM0
「あの島をください」若き陛下は、ジェネラル牟田口にそうお告げになった。 陛下が指差す先には、シチリア島がキラキラと輝いていた。 「わが民族には、地中海の香りがする塩が必要なのです。」 牟田口は陛下の優しいお心を知り、少年のように泣きじゃくった。そして陸軍省、海軍省に足しげく通い、 時にはグーパンチも交えながら、一人、また一人と、 大陸生命線論者を「改宗」させ、シチリア攻略軍の 編成を可能ならしめたのである。 シチリア攻略軍出陣式には、イタリアのム総統も来賓に招き、 今回の戦は、武士道と騎士道が出会う歴史的事変であり、ム総統の騎士たちと戦場で出会うことを マクシマム楽しみにしていることを皇后陛下の私的な晩餐会で伝えた。 ム総統は皇后陛下に「決して戦場でわが騎士たちに卑怯なマネはさせませぬ」と誓い、 日本民族への限りない畏敬のこころと恋愛感情を抱いたまま帰路についたのである。 帰国後、陰気なチョビヒゲと結んだ陰気な軍事同盟を破棄し、ム総統は、 海岸のコテージで目をキラキラさせながらオレサレム軍の上陸を待ち続けた。 そう、はじめて恋人をドトールの窓際席で待つように。
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/26(金) 22:00:16.62 ID:6v+sJYFM0
>>355 部下の命を守るため敵前逃亡するなんて、
どこの国の軍隊でも認められるわけないんだがw
せめてを腹を切るぐらいの気概があれば聞いてやらんこともないが、
敵前逃亡の卑怯者はそれもできず、マヌケ
>せめてを腹を切るぐらいの気概があれば聞いてやらんこともないが、 ブーメランすぎる
ムタグチ「藤原・・・」
>>360 軍法会議にかけられて、牟田口含め上層部を全部巻き添えにして責任とらせることを望んでいたけどなw
>せめてを腹を切るぐらいの気概があれば聞いてやらんこともないが、
強烈な皮肉だなwww
藤原「黙って自決すればいいのに(うわぁ・・・止めたくねぇ)」
364 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/30(火) 04:08:33.48 ID:btIKTZWZ0
>>363 精神病で免訴されただけだろうがw
人殺ししても、キチガイは罪を問われない
>>364 もっと色んな角度の資料を読みましょうね
牟田口にアッツ島の守備を命じたら、 誰よりも早く脱出しそう。 片桐機長みたいにw
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/02(金) 00:10:54.22 ID:R5UCX4mN0
>>365 乃木無能論同然の牟田口無能論を唱えてるお前に言われてもなww
敵前逃亡の事実は隠せないのだよ
おれもメイミョウでリゾートしたいお
369 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/14(水) 00:39:50.28 ID:bkwg+u170
インパールを攻め落としてそこで休憩すれば、 英軍の残した飯をたんまり食えたのに。 自決する勇気すらない佐藤のせいで、おおくの兵卒が死んだ。 残念なことである
>自決する勇気すらない佐藤のせいで、おおくの兵卒が死んだ。 ブーメランわろたw
佐藤が自決したら、なにか解決したのかね?
372 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/14(水) 20:20:57.79 ID:9F2PCGWNP
インパール攻略
そもそも勝つためにやったのか? 作戦のための作戦になってたんじゃないか?
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/15(木) 22:59:47.35 ID:TozQOhgi0
目標=インパール攻略による援蒋ルートの遮断。 英軍を降伏させる作戦でないのだから、勝利も敗北もないわな。
牟田口をモデルにしたAV作って欲しいわ V氏ねでもいいけど過激な乱交ものがいい
土足はいつ独自研究をまとめて公表するの?2chでくすぶってても意味ないお
>>374 援蒋ルートは北ビルマで遮断されていたのだが、インパール作戦の結果ビルマ戦線を維持できなくなって
結局繋がってしまった…。
とでも突っ込まれたいが為の書き込みw?
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/17(土) 15:01:05.34 ID:H5gtOth80
こいつは日本人の恥
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/19(月) 21:47:41.14 ID:io52P4cB0
佐藤ってほんとクズだな
ageageかまってちゃんのお通りです!
土足wこんなところでウロウロしていていいのか? ウィキペディアの複数の場所であんたの追放が論議されているぞw 反論しないと丸の内IPも含め完全追放だw TORA3ソックパペットなども無期限追放準備中。 ひとつだけ場所を教えてやると牟田口のノートだw
381=流木の上?
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/21(水) 23:03:44.88 ID:dIW2ckSlP
佐藤の敵前逃亡を擁護する鮮人はいても、 そのイミフな理屈はすべて論破されてる件www
ageageかまってちゃんのお通りです!
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/22(木) 20:13:58.06 ID:PoHBs1BKP
佐藤の敵前逃亡を擁護する鮮人はいても、 そのイミフな理屈はすべて論破されてる件www
土足はいつ入院するんだろう?
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/25(日) 16:00:57.48 ID:EgOIgn5MP
チンカスが死んだ後だろ
つまり土足が死んだ後ってことか。 死んだら世間に迷惑かけることもないし入院の必要ないじゃないかw
389 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/27(火) 03:41:06.41 ID:noZPQcTY0
佐藤の戦略的判断は正しい ただそれならば(軍命令を拒否したわけだから)最前線に留まって撤退を補助すべき まあ後知恵で何を言っても無意味だが・・・
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/27(火) 20:22:11.60 ID:0h8aY7YJ0
言い訳すれば敵前逃亡が許されると思ってるのw
すげえwwwwwwwwwwwwwww
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/04(火) 02:23:44.98 ID:HBa3PC/R0
インドからは東洋のカエサルと称賛される牟田口中将
ソースは? インドはってことはちゃんとインド政府の公式見解があるんですよね?
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/09(日) 22:36:45.64 ID:lsnEzXyI0
日本人が普通に思ってることが、日本政府の公式見解になってるの? 痛々しいDQNだな
なんだまた土足の捏造かw
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/10(月) 01:53:29.73 ID:ucAsqJ7d0
チンカス先生御苦労さまw
土足先生はウィキペディアの編集で忙しいんじゃねえのw 完全追放、プロバイダー通報まであと一息だなあw
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/10(月) 20:44:47.16 ID:9fse2GAdP
チンカス先生御苦労さまw
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/21(金) 04:29:15.77 ID:l/bR5+4W0
★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。 佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 ★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 ★アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。 なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 ★マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官) 「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」 「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、 まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。 さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」 ★第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、 師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。 幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。 佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
チンコ デルマータ中将 私が遭遇した露出狂の中で、牟田口はさして秀でるものは無かった。 かれは凡庸そのものだった。 期待感を削がれた私は絶望の淵で怒り、祖国へと帰った。 それが牟田口の戦略と言うなら私はしてやられたとしか言いようがない。 彼の評価は未知数だ。
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/22(土) 21:55:59.69 ID:d7shUNefP
日本軍第三一師団長佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。 彼はコヒマを取って陣地を構築するよう命令されていた。彼の頑固な頭はコヒマを取る という一つの考えで一杯であった。 全然コヒマを取らずに彼が我々に大きい損害を与えられるとは彼は思い及ばなかった。 少数の牽制部隊を残し、ニチュガードのウォーレン旅団の東方まで道路によって前進した彼は、 4月5日までに彼の師団の主力を持って鉄道を攻撃できた。 しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、彼の部隊が来着したとき彼はこれを コヒマの小さな町の連続する攻撃に投じた。 スリム中将『敗北から勝利へ』
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/23(日) 08:58:48.36 ID:jGmLoi8zP
「牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。 物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。 十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、 決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。 よく兵站を無視したと批判されるが、 司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、 あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。 このことはあまり知られていない。これは、司令官が 功に誇るような人物でなく、 謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。 印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。 「彼(牟田口司令官)は約束を守った。 亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、 東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。 終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。 しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。 赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった のである。
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/23(日) 09:01:55.22 ID:DH6o6+Ea0
赤誠な人(乃木大将や牟田口中将)は戦後、一部のキチガイが唱えた無能論で下等評価された。 彼らはなぜ史実ではなく、論拠のない無能論を必死に唱えてるの? 2ch工作活動をしている池沼は、佐藤の子孫だとしか説明がつかないw
何度同じコピペ貼れば気が済むんですか土足さん
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/24(月) 11:36:13.04 ID:5gJVCcar0
反論できなくて黙り込むチンカス先生w
どんなにここに書いてもWikipediaあたりに書かないと埋もれるだけでしょ。
Wikipediaに書くと、なにやら責任おわないといけないシステムだからなー。
補給がないのに戦争ができると思っているところが無能なんだよねー というより、補給に失敗したのに、それを認めずに作戦の見直しをしないところが無能 食料無いのに戦闘を開始できると思っているところが救われないよね。
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/25(火) 12:57:28.27 ID:DKzGh7EFP
佐藤の子孫って毎日工作してて楽しいの?
レッテルを貼るしかできなくなったか。 末期症状。
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/25(火) 14:49:44.29 ID:bR0vVIpM0
具体的に反論してみたらw? 中将で敵前逃亡って、DQNなんてレベルじゃないよねww
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/29(土) 11:51:23.83 ID:p2rxspf+0
敵前逃亡の話になるとさっさと逃げ出す。 ご先祖様と血は争えないなぁww
牟田口のスレなのに 別のひとの名前を出して話をそらすのに精いっぱいw
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/30(日) 13:10:32.40 ID:glSrXMV1P
師団長が敵前逃亡したら、誰が司令官でも負ける罠。 むしろ第15軍は善戦した。
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/02(水) 14:10:00.07 ID:8XDZYKwbP
結局反論せずに逃げ出した佐藤の子孫w
416 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/05(土) 17:34:24.03 ID:kbt8tRhEP
英軍から恐れられ、インド人から感謝された偉大な軍人牟田口中将。
ageageでひとり必死なところも笑える
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/07(月) 02:38:25.47 ID:cX4i9c0w0
必死に逃げ回ってるカスは笑えるw
そういいつつも、目つきは必死だった。
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/08(火) 22:57:35.16 ID:Dl5i84Yz0
必死に逃げ回ってるカスは笑えるw
何だかんだ言い訳しまくって後方から動こうとしない牟田口先生のことですね
佐藤の敵前逃亡の話になると逃走するチンカス先生乙
佐藤の敵前逃亡の話をするスレじゃないからww インパール作戦のスレじゃないこともわからないの??
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/09(水) 16:10:27.27 ID:RwMz/EURP
インパール作戦の話も当然OKだからw なに勘違いしてんの、このキチガイ
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/12(土) 07:17:16.72 ID:T2U1SkdNP
インパール作戦の失敗は佐藤の敵前逃亡で異存がないらしいな。
常にageちゃう、かまってちゃんが必死すぎ
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/12(土) 18:10:47.28 ID:T2U1SkdNP
佐藤の敵前逃亡を擁護する鮮人はいても、 そのイミフな理屈はすべて論破されてる件www
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/13(日) 00:40:46.49 ID:xMzAWTY/O
失敗の原因は? それは日本陸軍が弱すぎだから。
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/15(火) 04:30:38.80 ID:ylQgb46Z0
15軍はウィンゲート旅団も撃破した。 十分精鋭だったのだ。 ただ、佐藤の急な敵前逃亡でインパール作戦は失敗した。 せめて、(勝利したのに犠牲者が多くて恥じた)乃木大将のように腹を覚悟があれば、 まだ佐藤のために死んだ兵も酬われるだろう
メイミョウでリゾートを楽しんでる みんなもおいでよ 廉也
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/15(火) 10:03:04.08 ID:ylQgb46Z0
退役後、軍人恩給で実家でマターリ暮らしてる。 ビールを浴びるほど飲んでる。君らはどうだい 佐藤幸徳?
432 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/15(火) 17:03:27.44 ID:8dp0BUZmO
万が一作戦成功しても太平洋の米軍の猛攻は止まらない。 全くアホな無駄な作戦、 頭弱すぎ(^w^)
そんな理屈が通るなら、開戦を決意した昭和天皇が一番愚か者
無知低能さらしまくりの牟田口擁護厨
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/16(水) 08:36:07.40 ID:leErNyxD0
佐藤の敵前逃亡を擁護する鮮人はいても、 そのイミフな理屈はすべて論破されてる件www
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/16(水) 22:45:21.90 ID:leErNyxD0
佐藤擁護厨は司馬厨と同レベル。 史実を見ずに、勇戦した司令官を貶めるクズ 佐藤が宮崎くらい勇戦すれば、イギリス軍は敗走してたのに。
299 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2011/07/04(月) 10:13:47.92 ID:d/5x5lJrO
占領したところで守れないよ
もともと英の戦略は誘い込んで補給線がのびたとこでたたく
確かに日本軍の進攻速度が早く反攻準備が間に合わなかった
んでも制空権が無い状態で反攻が始まれば守れない
敗走時期を遅らせる程度の効果しかないよ
そもそも餓死や病死が始まってる状態で新たな進軍が無茶だし、占領したあとの制空権を確保出来ない時点で無謀
インパールは一撃離脱が目的じゃないんだから
350 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2011/08/22(月) 11:23:01.63 ID:ShNg8E690
>>348 だから敵前逃亡じゃないから
6月までに補給が来なければ撤退するというのはすでに伝えていた。
補給が来なかったのだから撤退したのは当然。
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/17(木) 22:48:07.17 ID:GUhGx0tu0
敵前逃亡がなければーインパール作戦は成功していた。 その後は仮想戦史。 計算どおりに万事進むなら、大日本帝国は4年も持ちこたえられないつーの。
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/17(木) 23:30:08.87 ID:wqqzKJXDP
それにさ牟田口は言えば中間管理職なわけ。 インパール作戦の裁可を下したのは大本営。 牟田口の仕事はインパールの占領であり、兵站の仕事は上級司令部の仕事。 こんな珍説ばかり言ってるから、司馬厨と同一視されるんだよw 乃木希典は旅順攻囲戦において、ただの現地軍司令官であり、すべてを裁可できる立場でもなかったのに、 乃木が悪い、乃木が悪いの大合唱。 自称軍オタは決して史料を読まないw
牟田口と佐藤の補給約束は
いわゆる「男の約束」で、軍令とは別
だから
>>437 がずっと繰り返してきたキチへの反論はズレてる
とはいえ後の牟田口の言動からして
「男の約束」を破ったことを恥じる素振りは見られないのは
牟田口の人間としての薄さを感じさせる
441 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/18(金) 04:22:29.58 ID:pklKMPE+0
飯が届かないから敵前逃亡していいなんて話は通らないとざんざん議論済みなんだが。 それとも新参か?
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/18(金) 07:35:29.43 ID:pklKMPE+0
論破されると土足連呼する癖治りませんねww 精神科に行ったほうがよいのではっw?
このスレで議論してきたつもりのかまって厨w
とにかく巣にカエレ。
論破したそうです(ヒソヒソ
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/18(金) 20:47:03.14 ID:pklKMPE+0
池沼が大好きなwikipediaに帰ればいいものを。 いつになったら、敵前逃亡の罪を認めるんですかっw
>>441 文脈でわからんか
「男の約束」をしたからといって
佐藤が軍令を破っていいという理由にはならない
でも大きな約束を軽視する牟田口は人間として底が知れてる
と書いたんだよ
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/19(土) 09:39:47.86 ID:CjX/Motc0
>>448 常識が通じないのが佐藤擁護厨。
お前の言い分で完全にあってる。
要求が通らないのと、敵前逃亡はまったく別次元だが、
佐藤擁護厨はそこしか論拠がないから必死にオナニーしてるだけw
宮崎繁三郎並の敢闘をしてなお敗北したなら牟田口の責任だが、
部下が勝手に敵前逃亡するようじゃ誰が司令官でも勝てるわけがない。
佐賀厨ウザイ。佐賀厨は佐賀にカエレ。
朝から元気だな 静養たっぷりかw
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/19(土) 10:05:49.30 ID:CjX/Motc0
朝から反論も思いつかない佐藤擁護厨乙っw wikipwdiaで使った数の力は、2chではまったく無効だからな。 くやしいのう、くやしいのうwww
いいから佐賀にカエレ。
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/19(土) 10:13:32.74 ID:CjX/Motc0
論破されればコピペ嵐w 擁護厨乙っw
佐賀厨のウザサは異常
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/19(土) 10:35:29.92 ID:CjX/Motc0
論破されればコピペ嵐w 擁護厨乙っw
WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/19(土) 16:21:33.54 ID:CjX/Motc0
くやしいのう、くやしいのうwww
>>449 ただ、ディマプールの件で英士官の後日談をコピペしまくっていたが
これは佐藤は悪くない
牟田口が晩年に国会図書館でインタビューされているが
その中で「ディマープル進軍の命令は河辺大将から停止命令が出た」
との趣旨のことが不満と共に語られている
つまり三週間で完遂させることを想定した奇襲作戦のはずが
三十三師団の柳田の「反省電文」事件のお陰で企図が破れた
佐藤は三ヶ月もインパールが墜ちる見込みもないままコヒマで敵の三個師団を
1万弱の兵で支えつづけ、補給がなく餓死者が出るなか
手詰まり状態に置かれたわけだ
どうも佐藤が撤退しなかったら勝てたという可能性も見え難いわな
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/20(日) 00:18:55.17 ID:Nhq75Mk+0
>>459 まず、撤退と敵前逃亡の違いから勉強し直そうか
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/20(日) 12:55:40.94 ID:x9F29Xz40
>>459 佐藤はインパールへの進撃命令に対しても抗命している。
命令に従わずに1個連隊を殆ど戦わせず手元に置いて1ヵ月半
コヒマに居続け、食料が尽きたと言って勝手に撤退した。
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/20(日) 12:59:36.22 ID:x9F29Xz40
>>459 それに佐藤の三十一師団で餓死者なんか
出てないぞ。
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/20(日) 13:31:36.82 ID:Nhq75Mk+0
>>461 まず、撤退と敵前逃亡の違いから勉強し直そうか
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/20(日) 13:51:53.91 ID:tntP29K+0
465 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/20(日) 20:04:10.29 ID:Nhq75Mk+0
>>464 まず、撤退と敵前逃亡の違いから勉強し直そうか
議論とか論破とか 書いてて恥ずかしくないのかねww
>>461 佐藤が牟田口の言うとおりに行動したとして
どうしたら勝てたと思う?
論理的に戦術論を展開して頂きたいね
あんたがずっと主張していたディマプールの筋は方面軍からのストップで
無しになっているのは分かったろ
>>461 「病死者」は出ても「餓死者」はでなかったんだ
勉強になったわ
469 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/21(月) 03:44:16.02 ID:xg4sFfNQP
敵前逃亡の話を飛ばしちゃだめだよ、佐藤君
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/21(月) 22:38:03.91 ID:bUgnjdhE0
今回はナチス・ドイツの迫害下から逃れてきた2万人のユダヤ人を助 け、 しかも「占守島の戦い」でソ連軍千島侵攻部隊に痛撃を与えた帝国陸軍の名将 「樋口季一郎」についてです。 現在の兵庫県南あわじ市阿万上町で、父奥濱久八、母まつの5人兄弟の長男とし て生まれました。 11歳の時両親が離婚し、母まつの阿萬家に引き取られてお り、 18歳で岐阜県大垣市歩行町の樋口家の養子になりまし た。 大阪陸軍地方幼年学校、陸軍士官学校に進み、優秀な成績で卒業、陸軍大学校 を経て、 高級軍人となってからは主に満州、ロシア方面部署を転々とします が、 1938年3月、ドイツからシベリア鉄道経由で約5000人のユダヤ人難民 が、 ソ連と満州の国境の駅、オトポールに集まりまし た。 国境を挟んで満州側には、満州里の駅があったので、ユダヤ人たち は、 満州経由で上海へ向かいたかったのでした が、 満州国外交部は、友好国ドイツへの配慮からユダヤ人の入国を拒否しまし た。 このため、ユダヤ人避難民達は、満州国境まで来て足止めを食ら い、 オトポールの駅で野営生活を強いられてしまい、しかも満州国境の3月 は、 寒さが厳しく食料もなく彼らは凍死寸前でした。 そこで、ハルビン在住の極東ユダヤ人協会会長、アブラハム・カウフマン氏の要請 により、 樋口少将が満州国外交部の責任者と会って説得しました。 一方で、樋口少将は、南満州鉄道の松岡洋右総裁に救援列車を要請 し、 12両編成の列車13本が、行き場を失ったユダヤ人救出のため出動したと言われ ています。 この救出劇は当然のように、ドイツ外務省より厳重な抗議を受けてしまいまし た。 そんな中、当時の参謀長、東条英機中将が、樋口少将を参謀本部へ呼びつけまし た。 そこで樋口少将は、東条参謀長に持論の正当性を熱心に説明したとこ ろ、 なんとそれは東条参謀長に受け入れられ、樋口少将の行為は不問に付されること となったそうです。 ちなみに、樋口の奔走で、難民らは、地元商工クラブや学校へと収容され た。 この最初の救出作戦で受け容れられたユダヤ人の人数は、100から200名程度 の少数だそうですが、 その後1941年半ば頃まで、この「ヒグチ・ルート」は存続し、満洲国外交部は難民 を受け容れ続けたので、 一説では救出された数が2万人という数字が主張されていま す。 (ただし、早坂氏の調査では、上記のように、恐らく5000名が最大の数字だそう です。) この救出作戦だけでもすごいのに、占守島の戦いでは、日本軍人による推定値とし てですが、 ソ連軍に死傷者、3000名程度の損害をあたえています。
>>469 当初の作戦が破綻して手詰まり状況
交戦を続けていく中で食料、弾薬も乏しくなって
これ以上軍として支えきれない。職務を全うできないと判断し、
約600の殿軍を置いて兵站地点まで退くのが敵前逃亡というんなら
世の戦史は敵前逃亡だらけだな
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/22(火) 00:39:07.99 ID:QZhBvoUd0
>>471 ★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、
一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、
マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、
まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。
ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。
さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」
★第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
>>469 三十三師団の柳田のことといい、
都合の悪いことはスルーで「佐藤は敵前逃亡」のゴリ押しだよな
挙げ句の果てには「佐藤のせいで失敗した」とまでいったよな
で、また都合が悪くなればスルーで「敵前逃亡」と
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/22(火) 00:43:07.34 ID:QZhBvoUd0
>>473 敵前逃亡じゃないか。
方面軍からも要請されたインパール追撃命令に
佐藤は背いている。
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/22(火) 00:45:17.44 ID:QZhBvoUd0
だいたい後退するにしても、宮崎の指揮する連隊と連携すべきだが 佐藤は宮崎にも無断で撤退している。
>>472 そのディマプールは牟田口自身が「河辺大将の横やり」と証言してると言っただろ
ソースもある。国会図書館の集めた証言
ほんと都合のわるいことはスルーだな
>>474 不勉強でそれはよく知らない
いつ頃要請があったの?
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/22(火) 00:52:33.15 ID:QZhBvoUd0
>>477 ディマプール追撃命令が方面軍から中止された後に直ぐ
方面軍から指令が出ている。
しかし佐藤はそれにも抗命し、連隊を命令どおり動かさなかった。
>>472 つーか、それらの証言ってさ、日本側にとてもディマプールを落とす兵站が無い事を知ってて、わざと言ってる嫌味じゃないのか?
マウントバッテン大将の言う、ディマプールでの補給って何?
食料はともかく、弾薬は無理だろ。
それとも、イギリスみたいに空輸で補給しろって事か?
それだって、制空権はイギリスにあるんだから不可能だし。
不可能は承知で、不可能が可能だったら勝てたねと言う、嫌味とからかいの合唱にしか見えんのだが。
480 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/22(火) 01:02:07.66 ID:QZhBvoUd0
>>479 一人だけなら嫌味かもしれないが
少なくとも5人(しかもスチルウェルは米軍)が
全く同じ事言ってるんだが?
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/22(火) 02:03:20.86 ID:m74I1IvV0
佐藤擁護厨=司馬厨=DQN 「牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。 物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。 十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、 決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。 よく兵站を無視したと批判されるが、 司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、 あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。 このことはあまり知られていない。これは、司令官が 功に誇るような人物でなく、 謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。 印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。 「彼(牟田口司令官)は約束を守った。 亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、 東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。 終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。 しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。 赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった のである。
>>480 ディマプール攻略が不可能なのが明白なら、何人でも同じ嫌味は成立するが?
>>481 >英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功した
ほとんど叩けてませんが。
損害も少ないし、戦略要地を失陥もしていない。
むしろ、日本側が戦力をすり潰した事で、ビルマ戦線のバランスが崩れ、アウンサンの離反を招いたわけだが。
>帝国陸軍の名を歴史に残した。
悪名をね。
>我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった
近代戦を理解できてない人間の証明だが。
>チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
敗勢にある状況での自陣営に対する賞賛を真に受けてどうする。
483 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/22(火) 06:17:52.67 ID:m74I1IvV0
>>482 ステレオタイプの乃木批判と一緒。
少しは調べたりしないの?
自称調べた結果がウィキペディアからの永久追放かw 土足がやった牟田口編集さっそく追放論議の対象にw
485 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/22(火) 09:46:39.49 ID:m74I1IvV0
数の力で事実を隠しても、真実は決してなくならないことをこのスレは教えている 敵前逃亡くやしいのう、くやしいのうwww
自分のバカをさらすために スレを上げてるの?
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/22(火) 18:47:28.93 ID:m74I1IvV0
キチガイウォッチングかなw
>>474 ちょっと資料みたらあったな
しかし作戦構想通りのタイミングならまだしも
見込みがなくなってから、三十三師団の応援のために
インパールへ向かえなんて河辺は酷いな
三十三師団もろとも挟撃されてやられるのが目に見えてる
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/23(水) 13:09:09.93 ID:1nZyo7aP0
Los688が都合が悪いからとWikiで削除した記事 評価する意見 英軍ウィンゲート旅団参謀長のデリック・タラク准将は次のように牟田口を高く評価した。 『日本の15軍牟田口中将も、その作戦指導については、全くといってよいほど、イギリス側から評価されていない。 彼はその最後の作戦(インパール作戦)を除いて、その主要な戦闘の全てにおいて勝利を収めている。 インパールの戦いはワーテルローの戦いと同様に「非常に際どい」時期があった。 しかし、牟田口将軍はナポレオンの場合よりもはるかに優勢な敵を相手にして戦ったのである。 私は彼が生前、その戦いぶりについて日本国民から評価されたことを知って、うれしく思う。』[30]。 アーサー・パーカー中佐は牟田口への手紙で次のように牟田口の作戦を評価した。 『貴殿は四月の段階で、あと一個連隊-特に宮崎ないし田中程度人物の指揮下にある連隊- を有していたら、 貴殿はインパール攻略に成功していたでしょう。 しかしながら、やはり最良でかつ安価な成功は、一個連隊がディマプール に突入する事により達成されたでありましょう。』[31]。
だから、それは外人がよくやる手で、自分らの手柄への評価を上げたいが為に、 わざわざ「実は危なかった」なんて言っているんだろw 牟田口への褒め言葉もこの類。
特にイギリス人は悪名たかいからな とわいえ4月のインパール攻略という点では確かに危ないところはあったんじゃないの 英印軍の油断というか間抜けさによるところが大きいんだけど
493 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/24(木) 01:52:50.65 ID:fqePs+z+0
>>492 日本陸軍も英印軍も
暴走して何もかも失った
日本海軍ほど間抜ではない。
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/24(木) 07:11:51.18 ID:/u6m74Di0
有徳な人間ほど非難されるご時世。 乃木とか牟田口が好例。 牟田口叩く前に、敵前逃亡したオッサンを殴れよ。 「牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。 物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。 十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、 決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。 よく兵站を無視したと批判されるが、 司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、 あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。 このことはあまり知られていない。これは、司令官が 功に誇るような人物でなく、 謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。 印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。 「彼(牟田口司令官)は約束を守った。 亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、 東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。 終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。 しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。 赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった のである。
>敵前逃亡したオッサンを殴れよ 真性のバカですねw
496 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/24(木) 12:41:10.77 ID:/u6m74Di0
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/24(木) 18:38:24.75 ID:vXmM7YAg0
牟田口閣下の様な方々は、霞ヶ関や永田町に腐るほどおられます。
>>494 あんたは日本人ではないんだろうな
同じ熟語でも国によって意味やニュアンスが違うことがよくあるからな
日本人の言語感覚の「敵前逃亡」とズレてるのはその為だろ
例え話をすると
オスのカブトムシが二匹木に止まる
やがて二匹は睨み合いを始める
まもなく一匹は後ずさりをし間合いをとってから別の木へ飛んでゆく
このように戦う前に逃げるのが「敵前逃亡」
二匹のカブトムシが睨み合いから間合いを詰めてゆき
取っ組み合いをはじめしばらく後、力の応酬の拍子で体が離れる
その隙に一匹が飛び去る
これが「戦意喪失」「敗走」
佐藤は前記じゃないな。どちらかというと後記
あんたの言語感覚をゴリ押ししたって日本人の一般認識とズレてるんだから衝突を産むだけ
もっとも確信犯なら始末に悪い
朝鮮人がよくやる手口だからな
そんなの陸も海も五十歩百歩じゃない? 陸軍のシナ戦線拡大は米国一部の金持ちの利権に触れること 以降、米国内の露骨なプロパガンダがハンパじゃなかった ちょっと前のイラク、今のイラン 完全に射程に入れられた 海軍が自重しようがとてもとても
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/25(金) 00:44:56.00 ID:lbD7c8eT0
>>499 シナ戦線拡大は海軍とマスコミの主導だろ。
海軍が都市無差別空爆をやりまくったから
米中が完全に反日になったんだろが。
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/25(金) 02:44:49.63 ID:WFniBoI90
>>498 司馬厨に洗脳されたマジキチですか?
品格のある戦前の日本人は、戦後散々批判されているとい事実が見えないの?
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/25(金) 13:43:57.21 ID:O4zUJMhJO
低脳同士の人格批判合戦スタート(・o・)ノ
Wikipediaを追放され軍板でも立てたスレ全部落とされ哀れだな。 元の巣のここで余生を過ごすといいよ。
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/25(金) 22:29:18.17 ID:WFniBoI90
大好きなwikipediaに帰れよ、大先生w
505 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/26(土) 00:58:20.30 ID:gT6Wg4FH0
>>502 一行で罵ってれば低脳でも傷つくことなくていいよな
きょうもかまってくれなきゃヤダ!!
507 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/26(土) 16:58:41.62 ID:HJhR628c0
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/27(日) 05:23:29.58 ID:vRkiZa2Z0
★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。 佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 ★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 ★アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。 なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 ★マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官) 「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」 「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、 まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。 さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」 ★第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、 師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。 幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。 佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
509 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/28(月) 08:45:56.49 ID:IkOJCmoY0
牟田口中将 世界史:東洋のカエサル 日本史:愚将
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/12/01(木) 13:48:55.40 ID:I5d+JDKa0
独り言を史料と信じる佐藤君
512 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/12/04(日) 00:27:40.51 ID:kFqHIkeVO
秋山真之が言った 無識の指揮官は殺人犯也 は まさに牟田口の事だなw
みなさん花谷正も忘れずにね
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/12/04(日) 15:43:54.82 ID:X+w1DpsM0
インパール作戦は牟田口中将が 皆の反対を押し切って強引に強行した 補給を無視した無謀な作戦で 勝機も意義も全く無い作戦だった と言われてきた。 しかし公正に詳細に検証すると これらの話しはその全てが、悪意を持った商売作家らによる 曲解と捏造による大嘘ばかりである。 陸軍悪玉論を定着させ宣伝したい 戦後の権力者に迎合したプロパガンダといってよい。
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/12/04(日) 18:50:19.05 ID:fjHFBBQm0
秋山真之とか、司馬史観丸出しだなw 坂の上の雲みて、オナニーしすぎだよ。
517 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/12/05(月) 18:43:09.99 ID:VX6AV+ekP
司馬厨=アンチ乃木=アンチ牟田口 これが見事に成立するのが面白い。 国民的英雄とされた人物を、偽書を読んで批判してオナニーする。 まさにキチガイ
牟田口を褒めてる日本の書籍って、例の『国民の歴史』しか、 読んだことないなあ。
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/12/05(月) 19:17:56.33 ID:VX6AV+ekP
司馬厨乙 乃木批判への本格的な反論が行われだしたのも、10年前くらいからだよ。 オナニーやめて、現実を直視する事は人として大切だよ?
>>519 乃木批判への反論を書いているサイトとか書籍とか教えて。
521 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/12/13(火) 09:59:14.82 ID:NtqPZCV30
>>520 大好きなwikipedia見てこいよw
「乃木希典」とか「旅順攻囲戦」はお前の理想とは全然違うかかれ方しとるわ。
文章なら今村均陸軍大将が「乃木大将は無能ではない」という文章を書いている。
別宮の本とかも読んでみれば?
こんな惰弱が、乃木論とか牟田口論を得意気に語るこのスレのレベルの低さに乾杯。
522 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/12/13(火) 12:02:57.58 ID:2xawACcJ0
>>520 あとさ、
日露戦争従軍記者だったスタンレーウォシュバンが見たことを本にした、
乃木大将と日本人(邦訳版のタイトル)なら普通に売っとる。
この中でウォシュバンが見た旅順攻囲戦と、司馬が書くそれは矛盾が多すぎる。
この体たらくだと、乃木希典が元帥に推挙された事も知らなさそうだな。
じゃああれだけ損害を出した原因は何なのか教えて
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/12/13(火) 12:46:55.81 ID:2xawACcJ0
それも大好きなwikipediaに書いてあるし。 紹介した本でも読んでから言えば? チンカス先生は教えて君ですか(失笑) 一般論として、戦勝した司令官が無能だと言われることは滅多にない。 政治的なモノが無い限り。 ヒント 早期攻撃・攻略を督促したのは誰? 東北正面の攻撃に重点を置いたのは三軍司令部だけ? 203高地占領と要塞降伏がイコールと言っているのは誰? 白兵突撃を敢行し続けたと言っているのは誰?
オマンコ土足先生
土足はウィキペディアでまたブロックされたから、 意気消沈してる数日はおとなしいと思う。 あくまで数日だけな。
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/12/31(土) 00:24:32.67 ID:H64Dclkc0
>>526 司馬は真実を曲げる詐欺の天才。
それに騙されるアホ。
牟田口中将への根拠なき誹謗中傷を真に受けているアホ。
同レベルです。
大晦日まで自演かよ
530 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/12/31(土) 21:50:02.60 ID:H64Dclkc0
自分の常識は世界の常識と思い込んでる馬鹿がきた
2011/12/31(土) 00:24:32.67 ID:H64Dclkc0 [1/2] 2011/12/31(土) 21:50:02.60 ID:H64Dclkc0 [2/2] バカじゃねえのwww
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/01/07(土) 01:46:18.37 ID:31nl11vp0
神将
534 :
日本@名無史さん :2012/01/12(木) 20:13:09.07 ID:N0fyz5J80
名将牟田口にとって最大の課題と誤算は、 「弾もねえし飯もねえし、この先どうするよ?」 という部下の不安と実際直面したその課題を解決できなかったこと。
535 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/01/13(金) 21:26:08.77 ID:KO/vN504O
つまり牟田口売国スパイ
珍将
537 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/01/20(金) 10:26:09.92 ID:+Wou8e6h0
佐藤が敵前逃亡したから
部下の手柄は自分の手柄 部会の失敗は部下の責任
539 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/01/26(木) 03:08:49.90 ID:f8Jb1fuQ0
自らの参謀長を更迭してまで作戦を強行した牟田口にも問題はあるが 佐藤の抗命は問題外(戦闘中なのにこんな野戦司令官がいたら勝てる戦争も勝てない) 宮崎を見よ
540 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/01/27(金) 17:48:09.00 ID:uCaBgCRf0
>宮崎 これまでの扱い:チートキャラ >佐藤 これまでの扱い:一般武将
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/01/28(土) 20:50:14.95 ID:nSleUT8K0
閣下にはプリズンブレイクのTバッグ的な魅力を感じます
542 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/01/31(火) 17:54:46.65 ID:0/ho6P6XP
>佐藤 これまでの扱い:一般武将 >佐藤 これまでの扱い:一般武将 >佐藤 これまでの扱い:一般武将 敵前逃亡する師団長を必死で擁護する佐藤くんw
543 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/01(水) 02:20:39.05 ID:GzmSoirE0
マジウザイ、巣にカエレ。
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/01(水) 06:44:29.78 ID:z0pb/rKA0
素案の頃の攻勢防御には賛成だけど、実際にやったころは 自爆したよな・・・ 15軍司令 牟田口廉也陸軍中将 :勇猛 31師団長 佐藤幸徳陸軍中将 :一般 33師団長 柳田元三陸軍中将 :一般 15師団長 山内正文陸軍中将 :一般 修正ヲ頼ム
545 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/01(水) 06:52:21.25 ID:z0pb/rKA0
寺内、河辺、宮崎とか抜け落ちてるけど それらもヨロ
15軍司令 牟田口廉也陸軍中将 :性豪 31師団長 佐藤幸徳陸軍中将 :一般 33師団長 柳田元三陸軍中将 :一般 15師団長 山内正文陸軍中将 :一般
547 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/01(水) 08:21:44.07 ID:L0BocWWMP
>佐藤 これまでの扱い:一般武将 >佐藤 これまでの扱い:一般武将 >佐藤 これまでの扱い:一般武将 敵前逃亡する師団長を必死で擁護する佐藤くんw
548 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/01(水) 08:49:37.40 ID:L0BocWWMP
15軍司令 牟田口廉也陸軍中将 :カエサル 31師団長 佐藤幸徳陸軍中将 :敵前逃亡 33師団長 柳田元三陸軍中将 :罷免 15師団長 山内正文陸軍中将 :罷免
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/03(金) 09:12:11.87 ID:5jiNQ4N8P
★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。 佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 ★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 ★アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。 なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 ★マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官) 「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」 「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、 まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。 さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」 ★第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、 師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。 幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。 佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
英軍は自分達の「常識」でモノを考えて、日本軍が当然攻勢を支えるに足る潤沢な補給があるものとして そのように回顧したのであった。・・・
551 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/03(金) 13:10:21.15 ID:2zNVRlA40
>>550 まぁ、そうなんだよな
もともとの計画では相手に打撃を与えたら元に戻るハズが
インド遠征になってしまい・・・
やがて『十五対一』という第二幕へと
552 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/03(金) 13:13:04.29 ID:2zNVRlA40
もし佐藤師団がディマプールに突入にしたとして いったいどの程度持ちこたえられたと思う、エロイ人?
553 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/03(金) 14:46:09.42 ID:5jiNQ4N8P
鹵獲出来たであろう物資を鑑みれば、 悲惨な撤退が発生しなかったのは確実。 鬼畜佐藤の為に犬死にさせられた人々は受難者だな。
そもそも飢餓に喘いでいて士気の低い軍が作戦を完遂できたか 怪しいな。 文句言う前に補給しろよ無能
555 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/03(金) 16:17:44.12 ID:2zNVRlA40
>>鹵獲出来たであろう物資を鑑みれば、 kwsk
556 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/03(金) 17:44:52.88 ID:5jiNQ4N8P
補給物資はインパールに置いてあった。 しかし、佐藤くんは取りにいかなかった。
脳内ソースイラネ
土足のオナニインパール作戦
559 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/04(土) 16:13:13.16 ID:4EXaOAEoP
イギリス軍関係者がインパールを放棄するつもりだったと言ってるのに、 頑なに否定する佐藤くんの子孫。 オナニー乙w
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/05(日) 03:14:51.33 ID:dVMdHo050
>>イギリス軍関係者がインパールを放棄するつもりだったと言ってるのに 物資の量と戦局の見通しをkwsk 英軍の企図をつかめていたかkwsk で、なぜにその子孫となるのかkwsk
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/05(日) 11:19:21.49 ID:OJM7QyNqP
>>549 >>560 少し上の書き込みも見えんのか。
文盲の佐藤くんも大変だねw
敵に誤解を与えるのも奇襲戦法のうちだわな
バーカ インパールを放棄するつもりだというのが 当事者の日本軍が察知していたのか?という質問に答えろw無駄口くん
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/05(日) 11:52:22.71 ID:OJM7QyNqP
チンカス先生も大変だねw イギリス軍関係者が証言してるのにww
無駄口くんは全然ダメだねw
英軍が日本軍の兵站の欠如という実情を知っていれば
>>549 の評価なんて180℃変わってるよ
そして遠からず日本軍が飢えで自壊するとみて、インパールの放棄なんて初めから考えなかっただろうね
565 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/05(日) 13:26:01.54 ID:eqNe3ZrC0
★連合軍を利する無能の佐藤は、 殺すなと連合軍が特命www 全くの話し、ストップフォードのごときは、英空軍が佐藤の本部を発見し、それを爆撃しようとしたとき、 爆撃しないように特命した事について話してくれました。 それは佐藤がもし殺されたら困る(もっと利巧な者が佐藤の代わりになってくるからだ) とストップフォードは言ったそうです。 第四軍団参謀アーサー・バーカー中佐 後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している 熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。 彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、 彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。 第14軍司令官スリム中将
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/05(日) 13:31:03.32 ID:eqNe3ZrC0
★連合軍を利する無能の佐藤は、 殺すなと連合軍が特命www 全くの話し、ストップフォードのごときは、英空軍が佐藤の本部を発見し、それを爆撃しようとしたとき、 爆撃しないように特命した事について話してくれました。 それは佐藤がもし殺されたら困る(もっと利巧な者が佐藤の代わりになってくるからだ) とストップフォードは言ったそうです。 第四軍団参謀アーサー・バーカー中佐 私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価 した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。 後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している 熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。 彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、 彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。 第14軍司令官スリム中将
567 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/05(日) 13:36:22.45 ID:OJM7QyNqP
>>564 奇襲作戦が全く理解出来ていないね。
佐藤くんの論理だと、奇襲なんて全く無意味な作戦になるわなw
568 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/06(月) 04:09:15.61 ID:6YyO5BfC0
上の1番から読んでみたけど、インパールを占領すれば2カ月分の補給ができる とは書いてないみたいだけどな・・・
569 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/06(月) 04:11:57.45 ID:6YyO5BfC0
明らかに奇襲だっただろうが(そう攻めてくるとは思わなかった)、 攻守逆転したときの英軍は、多分、栄養失調者を追撃する羽目になるとは 思ってもみなかっただろう。 英軍を2度も驚かせたわけだ。
攻めれば撤退するところで攻めなければ、どんな奇襲も失敗するわな。 佐藤は偉大な英軍のスパイでした。
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/06(月) 04:18:53.29 ID:6YyO5BfC0
因みに何度も出ている英軍関係者の評論だけど、みたことあるよ? それを踏まえても頂けないいくさだと思うなぁ。 打撃を与えたのだから一旦引き返せばいいし、 インド乗りするなら準備が足りないよ。
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/06(月) 04:24:01.57 ID:6YyO5BfC0
結果論で敵側にとって利するところがあればスパイと呼ばれる 牟田口も佐藤も利敵行為をしたと見れる。
573 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/06(月) 04:27:30.96 ID:6YyO5BfC0
>>570 奇襲がまだ効いてる状態から効かない状態に
戦闘は何れ移行するだろうが、そのときどう戦えたか?
という視点にはまだ答えられてないよ。
一度崩れた陣容が簡単に立て直せると思ってんの? あの次代に、どれだけ機械化されてんだよw そもそも、インパール作戦自体が大日本帝国にとっては時間稼ぎだったのに。
575 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/06(月) 19:29:45.25 ID:6YyO5BfC0
ジョン・ブルは遅滞戦術でもするつもりさ
576 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/06(月) 20:22:03.42 ID:4wSwwyK70
>>573 奇襲が不成功とわかった時点で、作戦は全面的に見直す必用があったわけだが
それはすべて方面軍と南方軍の責務で、15軍の牟田口には関係ない話。
後方体勢の再構築と兵力の移動や増強ができるかどうかに関わり、
そんなことは全然、牟田口のやれる範疇ではない。
体勢を整え作戦を続行しるか、中止して撤退するか
それを決めるのは牟田口ではない。
したがって牟田口には、5月以降に大きな損害をだした
この作戦の大被害の責任はまったく無い。
577 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/07(火) 05:11:10.53 ID:Q+UJ4BDl0
>>576 極論の6月の話しですけど・・・
>河辺は、
>「牟田口軍司令官の面上には、なほ言はんと欲して言ひ得ざる
> 何物かの存する印象ありしも予亦露骨に之を窮めんとはせずして別る」
>牟田口は、
>「河辺中将の真の腹は作戦継続の能否に関する私の考えを打診するにあり
> と推察した。私は最早インパール作戦は断念すべき時機であると
> 咽喉まで出かかったが、どうしても言葉に出すことができなかった。
> 私はただ私の顔色によって察してもらいたかったのである」
英霊に対して、敬礼
鬼畜佐藤のせいで全ては水泡にきした。 英霊に敬礼。
579 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/08(水) 02:08:03.49 ID:AEH+KBdi0
★インパール作戦は、成功して当然の作戦 現実にインパール防衛の任務を遂行していた 第四軍団参謀アーサー・バーカー中佐は 4月中に日本側が、あと1個連隊をインパール攻略に 投じていたなら 日本はインパール攻略に成功しただろうとしている。 あるいは1個連隊がディマプールを追撃すれば、やはり日本は成功し勝利しただろうとしている。 そして連合軍側の人間の見解は、基本的に概ねみな一致している だったらこれらの失態 @南方軍の稲田らの妨害により15師団の到着が遅延し、作戦開始が予定より3ヶ月も遅れた。 A主力となるべき15師団の兵力が大幅に削減された。 B柳田師団の意図的な退路解放、統制前進 C佐藤師団のインパール攻略1個連隊移管命令の拒否、抗命 Dたいした脅威ではないウィンゲート空挺兵団を一部が過大評価し、 陽動に引っかかってそれへ航空兵力等を注ぎ込むなど、日本軍の統帥が乱された。 このような失態さえ無ければ インパール作戦は難なく成功していたと考えられる。
580 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/08(水) 08:16:05.51 ID:jO9UdIWo0
>4月中に日本側が、あと1個連隊をインパール攻略に 投じていたなら >日本はインパール攻略に成功しただろうとしている。 >あるいは1個連隊がディマプールを追撃すれば、やはり日本は成功し勝利しただろうとしている。 >そして連合軍側の人間の見解は、基本的に概ねみな一致している むかし、『太平洋に消えた勝機』を読んでそう思ったな。牟田口さんすげ〜って。 ただし何故にそんな凄い人が失敗したかと振り返ると、@〜Dまでの指揮命令・統帥上の問題は 解決できずに・・・そしてそれが原因でインパール作戦は難だらけで失敗したじゃないか。 前線でいつも戦う役職なら才能を持て余すことなく発揮できるだろうけど。
581 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/08(水) 08:21:23.08 ID:jO9UdIWo0
・・・道中、弾も飯もないはまた別の大問題ですけども。 英軍が物資を置き去りにして後方に下がることをつかめなかったり、 または前線にそう連絡しなかったりは、これまた別に反省材料ですよ。
英軍の評価なんて日本軍の兵站の実態を知らない片手落ちなのに 頑なにそれを根拠にする阿呆には呆れるw
牟田口擁護な俺が言うのもなんだが、 ウィンゲート旅団を過大評価したのは牟田口閣下。 ところで、空挺部隊ってどうやって敗走するんだ? 彼らもビルマの山越えで逃げたの?
日本の兵站が筒抜けなら、奇襲されることさえ筒抜けだっただろうなw こういう奴は、歴史上・奇襲が持つ有意を決して理解できない。
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/10(金) 03:18:13.26 ID:iOQb8kVa0
柳田師団がインド第17師団を包囲した時、第五飛行師団(田副師団長)が 攻撃に加わっていれば、敵を一気に撃滅しインパール作戦は成功していた。 インパール作戦が失敗したのは、ウィンゲート空挺兵団を 過大評価して陽動され統帥を乱した柳田と田副のせい。
586 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/10(金) 03:32:08.50 ID:vjQQmgoM0
インパール作戦で英軍が完全に奇襲されたのと同じく、ウィンゲート旅団の襲撃で日本軍はやられた。 彼らが恐怖したのはおかしくない。
587 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/10(金) 07:49:41.07 ID:ZxnRMZwj0
>>584 >>日本の兵站が筒抜けなら、奇襲されることさえ筒抜けだっただろうなw
ジョンブルが日本の兵站をつかむことと、奇襲の兆候をつかむのは別物だよ。
というよりも、もし日本の兵站能力をつかんでいたなら「こんな兵站で攻めてくるなんてありえねぇ!」だと思うぜ。
そんな兵站能力のやつがインパール間近まで来てさらにありえねぇ!
↓
おや?帰っちゃうの?もう少しインパール落とせたのに
⇒英軍にとっては二重三重の驚き
ウィンゲートはありえないことをやった。
日本軍が英軍の兵站を正しく理解していれば、何も慌てる必要などなかったんだが。
>>578 は後知恵で全く役に立たないオナニー
偵察衛星でも打ち上げられる時代の目線で、過去の戦争を語ってもなw
589 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/10(金) 20:37:32.51 ID:NTcHpGqa0
兵站が尽きる前に勝利するのが電撃戦なわけで インパール作戦は十分に成功の可能性があった。 というか、普通に予定通り行けば成功してただろ。
590 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/11(土) 07:55:16.36 ID:no1Uieub0
インパール突入前に腹ペコでダウン
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/11(土) 08:45:54.56 ID:no1Uieub0
英軍の陣地という陣地を攻めあぐねている時点で、奇襲戦というよりも強襲戦に近い
>>549 明白なのは土足の屑捏造癖だろw
土足捏造引用
■アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』 大田嘉弘『インパール作戦』 P277
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤第三十一師団長がわずか一か月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
原文
"Mutaguchi was right, there could be no doubt whatsoever;this was what Napoleon called 'the favorable moment',
and Sato had only to hold Dimapur for a month to bring the British to the brink of disaster.
But Mutaguchi dared not disobey Kawabe; and the moment passed. "
「だが牟田口は河辺に敢えて逆らおうとせず、かくて好機は去った」w
原文が出ても捏造がバレないと考える頭の弱いのは土足位だw
593 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/11(土) 14:41:01.61 ID:O5S6MW5y0
土足連呼厨の佐藤くんはwikipediaでやれよw
>兵站が尽きる前に勝利するのが電撃戦なわけで どこの宇宙の電撃戦だそれは・・・
電撃文庫のラノベに違いない
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/11(土) 17:24:20.88 ID:O5S6MW5y0
兵站が尽きてから勝利するのが、佐藤流電撃戦らしいww
まず飢えるそして勝つ
捏造作家にも劣る無能土足くんがどうしたって?w ソースを出せば全て捏造と改竄と駄法螺w 原文を出せと言われると翻訳文をトランスポンダに放り込んだだけの 「生の」英文を出すだけの間抜けw 屑の法螺吹き能無し土足くんw 伊藤龍太郎にすら及びもつかない無能、と言うのが土足に対する世間の評価だぜw
599 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/11(土) 20:23:15.17 ID:MoeqCtOg0
現実にインパール防衛の任務を遂行していた 第四軍団アーサー・バーカー参謀が 日本側にあと1個連隊がインパール攻略に加わっていたなら 日本軍はインパール攻略に成功したと言っている。 そして連合軍側の人間の証言は、基本的にみな同じで一致している だったらこれらの失態 @稲田の妨害による作戦開始1ヶ月の遅れ。 A15師団の1個連隊相当の兵力削減 B柳田師団の意図的な退路解放、統制前進 C佐藤師団のインパール攻略1個連隊移管命令の拒否、抗命 このような失態さえ無ければ インパール攻略は難なく成功していた と考えるのが妥当。
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/11(土) 20:23:56.88 ID:MoeqCtOg0
★インパール作戦は、成功して当然の作戦 貴殿は四月の段階で、あと一個連隊-特に宮崎ないし田中程度人物の指揮下にある連隊- を有していたら、 貴殿はインパール攻略に成功していたでしょう。 しかしながら、やはり最良でかつ安価な成功は、 一個連隊がディマプール に突入する事により達成されたでありましょう。」 アーサー・パーカー中佐
601 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/11(土) 20:24:38.34 ID:MoeqCtOg0
■似非保守・詐話師トリオ(半藤、保阪、秦)=通称3H 日中戦争を勃発、泥沼化させ、対米戦争で大損害を出した張本人の 戦犯・山本五十六の根本的な罪を黙殺し ひたすら東京裁判史観を肯定して、特定軍人罵倒によって 感情論で陸軍悪玉論を扇動・宣伝するしか能が無い 金儲け目当てで大嘘の近代史を語る似非保守・詐話師トリオ(半藤、保阪、秦)=通称3H が関わったトンデモ本に、史実など微塵も無いw
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/11(土) 20:25:25.93 ID:MoeqCtOg0
★牟田口の作戦指導は正しかったと、英米軍関係者の全てが述べている。 ■アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』 大田嘉弘『インパール作戦』 P277 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。 佐藤第三十一師団長がわずか一か月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 ■スチルウェル中佐(米軍・フーコン方面軍作戦主任) 大田嘉弘『インパール作戦』P286 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 ■アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 大田嘉弘『インパール作戦』P287 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。 なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 ■マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官) 大田嘉弘『インパール作戦』P273 「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」 「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。」 ■第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 大田嘉弘『インパール作戦』P275 日本軍指揮官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、 師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝くことであった。幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。 日本軍第三十一師団長佐藤陸軍中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/11(土) 20:25:54.85 ID:MoeqCtOg0
★インパール作戦は、成功して当然の作戦 現実にインパール防衛の任務を遂行していた 第四軍団参謀アーサー・バーカー中佐は 4月中に日本側が、あと1個連隊をインパール攻略に 投じていたなら 日本はインパール攻略に成功しただろうとしている。 あるいは1個連隊がディマプールを追撃すれば、やはり日本は成功し勝利しただろうとしている。 そして連合軍側の人間の見解は、基本的に概ねみな一致している だったらこれらの失態 @南方軍の稲田らの妨害により15師団の到着が遅延し、作戦開始が予定より3ヶ月も遅れた。 A主力となるべき15師団の兵力が大幅に削減された。 B柳田師団の意図的な退路解放、統制前進 C佐藤師団のインパール攻略1個連隊移管命令の拒否、抗命 Dたいした脅威ではないウィンゲート空挺兵団を一部が過大評価し、 陽動に引っかかってそれへ航空兵力等を注ぎ込むなど、日本軍の統帥が乱された。 このような失態さえ無ければ インパール作戦は難なく成功していたと考えられる。
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/11(土) 20:26:29.14 ID:MoeqCtOg0
★連合軍を利する無能の佐藤は、 殺すなと連合軍が特命www 全くの話し、ストップフォードのごときは、英空軍が佐藤の本部を発見し、それを爆撃しようとしたとき、 爆撃しないように特命した事について話してくれました。 それは佐藤がもし殺されたら困る(もっと利巧な者が佐藤の代わりになってくるからだ) とストップフォードは言ったそうです。 第四軍団参謀アーサー・バーカー中佐 私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価 した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。 後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している 熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。 彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、 彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。 第14軍司令官スリム中将
585 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:25:10 ID:???
コヒマの原文を読まず、約本に感化されてるチンカスが言うなよww
586 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:26:04 ID:???
>>585 じゃあ、原著の該当箇所の引用をよろしくたのむ。
587 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:27:38 ID:???
>>586 ●アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、
ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、
一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、
マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって
占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、
英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
588 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:29:15 ID:???
>>587 原著で何で「日本語文」が出てくるんだ、バカ土足w
原著を求められたら、当然原著の英文の該当部分を「正確に」
引用するんだぞ。それ以外は全て土足の無断改変になるからなw
589 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:32:15 ID:???
>>587 ははは、こやつめ。早く原著の該当箇所を頼むよ。
あと、前から気になってたんで、そのコピペ元の書誌情報もよろしく。
590 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:32:39 ID:???
16 :名無し三等兵:2010/12/23(木) 01:45:12 ID:???
■歴史家エリック・ホブズボームは、
「インドの独立は、ガンジーやネルーが率いた国民会議派が展開した非暴力の独立運動によるというよりも、
日本軍とチャンドラ=ボースが率いるインド国民軍(INA)が協同して、ビルマ(現ミャンマー)を経由し、
インドへ進攻したインパール作戦に依ってもたらされた」としている。
591 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:34:43 ID:???
>>588 Mutaguchi was actually more correct. The after all correct one is correct.
Will this be the one "Timely" that Napoleon said?
A British army would have been stood in the cliff if the head of Sato division would occupy [dei;mapu-ru] in one month and it was bright.
「It made a surprise attack on a British army completely.
A preparation half road was pierced, and the surprise attack was definite.
There was not a preliminary group in capital [dei;mapu-ru], and either capture was the [yasuyasu] barrel one if it ..Japanese army.. ..one.. pushed like that.
On the other hand, it was far once and after it had retreated to the Calcutta district, the surprise of right or wrong like general Giffard of [mamoshou] as consulting as
total master Mountbatten more than the imagination the surprise of Imphal. planned the picture」
「Imphal was being occupied by a Japanese army and exists, too, if the regiment in Japan is rushing to [dei;mapu-ru].
From Imphal to withdrawal of the 4th army corps in Britain because when Sato division are rushing into [dei;mapu-ru]」
592 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:39:17 ID:???
>>591 で、その英文の出所はどこになの?
593 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:40:42 ID:???
>>592 アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
594 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:41:27 ID:???
>>593 書誌情報と引用元のページは?
595 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:41:50 ID:???
とことん馬鹿だな、土足w
お前のコピペ文をトランスポーターに放り込んだだけじゃないか。バレないと思うのはお前くらいなもんだw
596 名前:595 投稿日:2010/12/28(火) 01:43:37 ID:???
違うと言うなら、何で [yasuyasu] なんて言葉が出て来るのか説明よろしくw
597 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:48:29 ID:???
あと、
>>591 を貼ってくれた人は
>>587 のコピペを貼ってくれた人と同じってことでいいのかな?
もしも違うなら、
>>587 は
>>591 に猛省を促し、速やかに引用元を提示したほうがいいと思うけど。
598 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:52:48 ID:???
>>591 能無し土足w
単純におまえが引いてきた日本語文をそのまま翻訳サイトへ
突っ込んだってのがサッと見ただけで直ぐ判るぞ屑。
第一に、「原文が英文なのに、なぜ「」(括弧)で括られている」んだよw
第二に、「日本語文の直訳英文形式」なのはなんでだよw
(このスレに、「ナポレオン」とされているところは原文ではクラウゼヴィッツだ」
と指摘されているのだ、アホ土足)
第三に、原文の英文が存在している筈なのに、何故「ディマプール」の
読みは発音表記なんだよww
599 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:55:46 ID:???
>>591-598 おらチンカス、IDが無い事を利用して自作自演するなw
600 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:58:31 ID:???
>>599 なんだ、反証されてまたチンカス連呼か能無し土足w
このスレでチンカス連呼するのは土足の屑しかいないし、
このスレでチンカス連呼が始まるのは土足の能無しが露呈
されたときに土足が逃げ回るための足掛かりだもんなw
さっさと原文を「正確に」「捏造・改変せずに」引用して来いよ、役立たずw
601 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:58:39 ID:???
>>599 じゃあ、みんなでID出る板行きましょうか。
608 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/12(日) 08:23:45.42 ID:b4c2oqEn0
歴史板でこうすれば勝てた!と論陣はっても軍事板であっさり否定される それなんてエロゲ?
609 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/12(日) 15:05:02.48 ID:OTCFwHn10
軍オタとか言われる連中も、しっかり司馬にのせられた。 ノギガー、イジチガーを連呼してた奴らの痛々しかったことw エロゲで例えるなら、鬼畜プレイ一本の奥行きのないゲーム。
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/12(日) 15:06:31.71 ID:OTCFwHn10
佐藤くんの恩師、半藤一利大先生を見れば丸バレだよんw
大田本の怪しげな翻訳を孫引きバカコピペ以外何も出来ない土足がなんだって?w ソースを出されるとコソコソ逃げ回るその様は牟田口すら呆れる程w 大体ソースを出されると擁護になるのはそもそも土足が駄法螺で 牟田口を擁護したのが全て悪いw 半藤なぞ全く関係ない、屑の能無し法螺吹き土足ってのが結論w
612 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/13(月) 01:33:54.37 ID:8NficmMe0
== 牟田口の指揮を評価した連合軍側の見解 == *マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官) 「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」 「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。 さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」 <ref>大田 嘉弘『インパール作戦』p272 "Report to the Combined Chiefs of Staff by the Supreme Allied Commander, South-East Asia 1943-1945"より引用</ref> *第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。 幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。 佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。 <ref>大田 嘉弘『インパール作戦』p275 "Defeat Into Victory"より引用</ref> *アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。 佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 <ref>大田 嘉弘『インパール作戦』p277 「コヒマ」より引用</ref> *スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 <ref>大田 嘉弘『インパール作戦』p286 伊藤 正徳「帝国陸軍の最後 死闘篇 」より引用</ref> *アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。 なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 <ref>大田 嘉弘『インパール作戦』p287 「一九四四年「ウ」号作戦に関する国会図書館における説明資料。元日本第十五軍司令官陸軍中将牟田口廉也」より引用</ref>
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/13(月) 01:39:46.72 ID:8NficmMe0
■アーサー・スウィンソン大尉の見解 『コヒマ』 牟田口は三日間でディマプールに達することが出来ると計算したが、 河辺方面軍司令官が軍命令を中止させたので全ては終わった。 牟田口は自分の白昼夢に合わせて作戦命令を拡張解釈したが、 河辺は厳密に解釈したのである。 しかし、牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。 佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 しかし好機は去った。 中略 佐藤が1個連隊をディマプールにむけ、基地と鉄道線を破壊していたら、事実はもっとうまく運ばれていた。 河辺方面軍司令官はなぜ引き返せと命令したのであろうか、 スリムは「日本の将軍たちのの用兵、 戦路における基本的な欠陥は、体をぶつける事、勇気を示す事とは違う種類の士気において欠けるところがあった。 その作戦計画が仮に誤まっていた場合に、これを直ちに立て直す心構えが全く無かった」 と言ったが、これは真理を衝いている。 牟田口は緒戦に不思議なほど順調に進撃していた。 ディマプールへ侵攻してはならぬと命令したのは、河辺の精神的硬直性である。 東京指令書は「作戦区域をインパール付近及び北東インドに限定」しており、 河辺は歴戦の将としては、奇とすべき単細胞的解釈を行ったのである。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277
614 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/13(月) 01:40:10.53 ID:8NficmMe0
■ディマプール追撃を拒否したノロマの佐藤を批判する 不敗の名将・宮崎歩兵団長の証言 今でも不思議に思っていることは、一個連隊を私が指揮し、 二個連隊を師団長が指揮している。 後続の先頭連隊をもらって私は喜んだが、師団としてはやるべきではない。 普通であったなら、師団長がコヒマへとんできて、よし、戦況がこうならば 一三八連隊はどこで使うということを決めて、命令すべきだと思う。 それがどういう命令であるべきかというと 『速やかにディマプールへ突進せよ』であった。 見ていると、第一三八連隊は二日間も動かない。 私はこれを見てこの連隊を師団に返納するという電報を打った。 略 それでも連隊はなかなか動かない。私は業を煮やしていた3日か4日経って動き出した。 しかし、その時はもう時期が遅かった。 略 私は第一線にいずっといて後方のことは、全く分らないが、あとからフタを開けてみて、そういう感じを持っている。 私はとうとう戦地では遺憾ながら師団長と顔を合わせたことはありませんでした。 『宮崎少将の証言』 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P289
615 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/13(月) 02:01:24.49 ID:8NficmMe0
■インパール作戦によって、北部ビルマからの撤退を考えた米支軍 この会議に参加したアメリカ側の多くの者の念頭には、 なによりもまずレドからの撤退があることが私にはわかった。 (4月3日 ジョラットでの連合軍会議) 「ウィンゲート空挺団」 デリック・タラク准将 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P280
616 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/13(月) 02:18:36.28 ID:8NficmMe0
大田 嘉弘『インパール作戦』 刊行に寄せて ---戦いの不変的事項を戦史に求める--- 歯科医という多忙な身でありながら、昭和五十四年に『沖縄作戦の統帥』、 昭和六十三年には『沖縄陸・海・空戦史』を著述される等、沖縄作戦研究者 としても名高い大田 嘉弘氏が、ビルマ作戦の調査研究に着手されたのは 「インパール作戦は牟田口中将の功名心に基づく無謀な作戦と言われているが 果たしてそうなのだろうか?」という疑問を常日頃から抱いておられたから、と伺っている。 その成果は月刊誌『軍事研究』の「日本の戦史」シリーズに 「何故、インパール作戦を許可したか」および「牟田口中将とディマプール」 と題して、五十六回にわたり掲載された。 このたび、その掲載された記事をコンパクトにまとめ書籍として出版される 運びとなったことは、自衛隊に身を置いたものとして、慶賀の至りである。 先崎 一(初代自衛隊統合幕僚長 元陸将) 「インパール作戦」は牟田口中将をはじめとする一部の旧帝国陸軍軍人の 独断と専行により行われた、無謀かつ杜撰な補給を無視した「史上最大の失敗作戦」 として一般的にはとらえられているが、本当にそうだろうか。あるいは仮に そのような要素があったにしても、その一言で括ることは正しい総括であろうか。 ・・・略・・・ ・・・本大田論文はインパール作戦について語られてきた一般的な仮説に対し、 異なった角度から光を当てるに十分な論拠を 与えるものである。 ・・・略・・・ ことインパール作戦においては戦史の研究が遅れた状況と言える。 本大田論文を嚆矢として未解明部分の分析が進むものと期待する。 寺田稔 元防衛省政務官
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/13(月) 02:28:38.00 ID:8NficmMe0
■似非保守・詐話師トリオ(半藤、保阪、秦、司馬)=通称3H+S 日中戦争を勃発、泥沼化させ、対米戦争で大損害を出した張本人の 戦犯・山本五十六の根本的な罪を黙殺し ひたすら東京裁判史観を肯定して、特定軍人罵倒によって 感情論で陸軍悪玉論を扇動・宣伝するしか能が無い 金儲け目当てで大嘘の近代史を語る似非保守・詐話師カルテット(司馬、半藤、保阪、秦)= 通称3H+S が関わったトンデモ本に、史実など微塵も無いw
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/13(月) 08:44:52.72 ID:6gtmGILr0
司馬、半藤バッシングしかできない軍事オタって・・・。 いやステレオタイプな批評というのは左翼・右翼でイデオロギー化するときにあるよな。
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/13(月) 09:00:14.44 ID:6gtmGILr0
ただし、最近のインパール作戦の批評というのは今まで 牟田口将軍に不当なまで罪をかぶせていたところを修正する動きであることは特筆でしょう。 これまでの大本営、南方軍等の既定路線に乗っただけだと ただしそれで将軍だけが無罪放免なわけではない。 そして疑問は佐藤と稲田を槍玉にあげることはあっても 重火器の不足や兵糧の運搬、前線と後方の連絡というのは あまり弁護されていないことである。
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/13(月) 20:27:30.24 ID:8NficmMe0
>>619 牟田口の立てた作戦計画は
1ヶ月半程度の短期決戦計画(3月4月)
そ計画の範囲では、物資に関して大きな問題は起きていない。
スピードが全ての短期決戦計画なのだから、武器も食料も
最小限の範囲でやるのは当然の話し。
当初の計画の期間では、大きな問題は起きていない。
奇襲作戦は失敗したが、5月以降も作戦続行を決めたのは南方軍で、牟田口ではない。
5月以降の無策(短期戦から持久戦に変わったのだから、
当然、後方体勢など作戦計画全てを見直す必要があった)
の責任は南方軍、ビルマ方面軍にあり
牟田口の責任ではない。
>>620 じゃあ、作戦中止を言い出しもせず
あたかも続行可能なふうにみせかけた適当な報告でごまかした牟田口の責任だな。
前線の師団からはきちんと報告があがっているんだから。
>>602 明白なのは土足の屑捏造癖だろw
土足捏造引用
■アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』 大田嘉弘『インパール作戦』 P277
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤第三十一師団長がわずか一か月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
原文
"Mutaguchi was right, there could be no doubt whatsoever;this was what Napoleon called 'the favorable moment',
and Sato had only to hold Dimapur for a month to bring the British to the brink of disaster.
But Mutaguchi dared not disobey Kawabe; and the moment passed. "
「だが牟田口は河辺に敢えて逆らおうとせず、かくて好機は去った」w
原文が出ても捏造がバレないと考える頭の弱いのは土足位だw
因みにいうなら、原文のニュアンスからアーサー・スウィンソンの牟田口への評価で一番近い
のは「どんな上官でも自分の階級に関わる人間には卑屈になる将官で、精神的硬直性を
発揮している河辺を碌に説得もしないような」そういう人間、と言う評価だなw
"〜for a month"が未だに理解出来ない無能土足くんw
623 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/14(火) 18:56:57.55 ID:eFrDv5sC0
■アーサー・スウィンソン大尉の見解 『コヒマ』 牟田口は三日間でディマプールに達することが出来ると計算したが、 河辺方面軍司令官が軍命令を中止させたので全ては終わった。 牟田口は自分の白昼夢に合わせて作戦命令を拡張解釈したが、 河辺は厳密に解釈したのである。 しかし、牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。 佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 しかし好機は去った。 中略 佐藤が1個連隊をディマプールにむけ、基地と鉄道線を破壊していたら、事実はもっとうまく運ばれていた。 河辺方面軍司令官はなぜ引き返せと命令したのであろうか、 スリムは「日本の将軍たちのの用兵、 戦路における基本的な欠陥は、体をぶつける事、勇気を示す事とは違う種類の士気において欠けるところがあった。 その作戦計画が仮に誤まっていた場合に、これを直ちに立て直す心構えが全く無かった」 と言ったが、これは真理を衝いている。 牟田口は緒戦に不思議なほど順調に進撃していた。 ディマプールへ侵攻してはならぬと命令したのは、河辺の精神的硬直性である。 東京指令書は「作戦区域をインパール付近及び北東インドに限定」しており、 河辺は歴戦の将としては、奇とすべき単細胞的解釈を行ったのである。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/14(火) 19:08:42.51 ID:eFrDv5sC0
大田バッシングしかできない軍事オタって・・・。 いやステレオタイプな批評というのは左翼・右翼でイデオロギー化するときにあるよな。
原文との照らし合わせという通常の手段がステレオタイプとか頭悪いのか? 類型化とかいった意味ではなく それが事実かどうか確認するためには誰もが通らねばならない道でしかないのに。
あ、ごめん、624はステレオタイプの意味がわかってないから ステレオタイプな批評っていってるだけなんだなw
627 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/14(火) 20:54:52.13 ID:eFrDv5sC0
末尾Pはキチガイなのは、言うに及ばずw
え? 反論する所それだけ? なにか超能力でももってるのかよw それで基地外かどうかわかるって主張してる奴は 基地外なのは言うに及ばずなのだがw
629 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/15(水) 00:12:16.94 ID:BYsQ1/ix0
★インパール作戦は、成功して当然の作戦 現実にインパール防衛の任務を遂行していた 第四軍団参謀アーサー・バーカー中佐は 4月中に日本側が、あと1個連隊をインパール攻略に 投じていたなら 日本はインパール攻略に成功しただろうとしている。 あるいは1個連隊がディマプールを追撃すれば、やはり日本は成功し勝利しただろうとしている。 そして連合軍側の人間の見解は、基本的に概ねみな一致している だったらこれらの失態 @南方軍の稲田らの妨害により15師団の到着が遅延し、作戦開始が予定より3ヶ月も遅れた。 A主力となるべき15師団の兵力が大幅に削減された。 B柳田師団の意図的な退路解放、統制前進 C佐藤師団のインパール攻略1個連隊移管命令の拒否、抗命 Dたいした脅威ではないウィンゲート空挺兵団を一部が過大評価し、 陽動に引っかかってそれへ航空兵力等を注ぎ込むなど、日本軍の統帥が乱された。 このような失態さえ無ければ インパール作戦は難なく 成功していたと考えられる。
630 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/15(水) 00:14:55.12 ID:BYsQ1/ix0
■こいつらにだまされてはいけない。 エセ保守・歴史観扇動商売作家 詐話師カルテット(半藤、保阪、秦、司馬)=通称3H+S 日中戦争を勃発、泥沼化させ、対米戦争で大損害を出した張本人の 戦犯・山本五十六の根本的な罪を黙殺し ひたすら東京裁判史観を肯定して、特定軍人罵倒によって 感情論で陸軍悪玉論を扇動・宣伝するしか能が無い 金儲け目当てで大嘘の近代史を語る(司馬、半藤、保阪、秦)= 通称3H+S が関わったトンデモ本に、史実など微塵も無いw
それらの軍人が「日本軍の実情を把握した上で」「ジョークの類ではなく」言っているという証拠をどうぞw そもそも、「本当にそう言っている」という証拠をどうぞw
633 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/15(水) 01:34:26.41 ID:RdVHMqUD0
>>632 自分で確認すれば?
== 牟田口の指揮を評価した連合軍側の見解 ==
*マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。
ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。
さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」
<ref>大田 嘉弘『インパール作戦』p272 "Report to the Combined Chiefs of Staff by the Supreme Allied Commander, South-East Asia 1943-1945"より引用</ref>
*第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
<ref>大田 嘉弘『インパール作戦』p275 "Defeat Into Victory"より引用</ref>
*アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
<ref>大田 嘉弘『インパール作戦』p277 「コヒマ」より引用</ref>
*スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
<ref>大田 嘉弘『インパール作戦』p286 伊藤 正徳「帝国陸軍の最後 死闘篇 」より引用</ref>
*アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
<ref>大田 嘉弘『インパール作戦』p287 「一九四四年「ウ」号作戦に関する国会図書館における説明資料。元日本第十五軍司令官陸軍中将牟田口廉也」より引用</ref>
それらの軍人が「日本軍の実情を把握した上で」「ジョークの類ではなく」言っているという証拠をどうぞw そもそも、「本当にそう言っている」という証拠をどうぞw あと、他の軍人がどう言っているのかもどうぞw
明白なのは土足の屑捏造癖だろw 土足捏造引用 ■アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』 大田嘉弘『インパール作戦』 P277 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。 佐藤第三十一師団長がわずか一か月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 原文 "Mutaguchi was right, there could be no doubt whatsoever;this was what Napoleon called 'the favorable moment', and Sato had only to hold Dimapur for a month to bring the British to the brink of disaster. But Mutaguchi dared not disobey Kawabe; and the moment passed. " 「だが牟田口は河辺に敢えて逆らおうとせず、かくて好機は去った」w 原文が出ても捏造がバレないと考える頭の弱いのは土足位だw 原文が出た後も馬鹿の一つ覚えで翻訳の孫引きをバカコピペw 原文を正確に引用一つできない能無し土足くんw
636 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/15(水) 10:58:16.04 ID:BQ3lW5p60
こういう引用とか >■こいつらにだまされてはいけない。 >エセ保守・歴史観扇動商売作家 >詐話師カルテット(半藤、保阪、秦、司馬)=通称3H+S 原著ではなくて誰かの孫引きとか >大田 嘉弘『インパール作戦』 そういうのは見飽きた
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/15(水) 11:16:10.45 ID:BQ3lW5p60
>原文 >"Mutaguchi was right, there could be no doubt whatsoever;this was what Napoleon called 'the favorable moment', >and Sato had only to hold Dimapur for a month to bring the British to the brink of disaster. >But Mutaguchi dared not disobey Kawabe; and the moment passed. " 意訳 牟田口の戦局勘は正しかっただろう。ナポレオンの言うところの“the favorable moment”、つまり好機が訪れたことを牟田口は何も疑わなかった。 そして佐藤が一か月の間にディマプールさえ保持していればイギリスにとっては危機であっただろう。 しかし現実は違い、牟田口は河辺に敢えて逆らうこはなかったし、そして好機をも逃した。
638 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/15(水) 11:19:06.77 ID:BQ3lW5p60
×一か月の間に ○一か月間は 超意訳 牟田口は脳内では完璧だった。しかし現実では実現できなかった。カワイソス。
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/15(水) 15:19:00.36 ID:jJpoM/pt0
部下に恵まれなかった。カワイソス。
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/15(水) 20:19:45.76 ID:RdVHMqUD0
『コヒマ』 Mutaguchi was right, there could be no doubt whatsoever;this was what Napoleon called 'the favorable moment', and Sato had only to hold Dimapur for a month to bring the British to the brink of disaster. But Mutaguchi dared not disobey Kawabe; and the moment passed. アーサー・スウィンソン (著), 長尾 睦也 (翻訳) 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。 佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 ■牟田口罵倒をしているアホの異訳 牟田口の戦局勘は正しかっただろう。ナポレオンの言うところの“the favorable moment”、つまり好機が訪れたことを牟田口は何も疑わなかった。 そして佐藤が一か月の間にディマプールさえ保持していればイギリスにとっては危機であっただろう。 しかし現実は違い、牟田口は河辺に敢えて逆らうこはなかったし、そして好機をも逃した。
641 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/15(水) 20:26:47.58 ID:RdVHMqUD0
■アーサー・スウィンソン大尉の見解 『コヒマ』 牟田口は三日間でディマプールに達することが出来ると計算したが、 河辺方面軍司令官が軍命令を中止させたので全ては終わった。 牟田口は自分の白昼夢に合わせて作戦命令を拡張解釈したが、 河辺は厳密に解釈したのである。 しかし、牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。 佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 しかし好機は去った。 中略 佐藤が1個連隊をディマプールにむけ、基地と鉄道線を破壊していたら、事実はもっとうまく運ばれていた。 河辺方面軍司令官はなぜ引き返せと命令したのであろうか、 スリムは「日本の将軍たちのの用兵、 戦路における基本的な欠陥は、体をぶつける事、勇気を示す事とは違う種類の士気において欠けるところがあった。 その作戦計画が仮に誤まっていた場合に、これを直ちに立て直す心構えが全く無かった」 と言ったが、これは真理を衝いている。 牟田口は緒戦に不思議なほど順調に進撃していた。 ディマプールへ侵攻してはならぬと命令したのは、河辺の精神的硬直性である。 東京指令書は「作戦区域をインパール付近及び北東インドに限定」しており、 河辺は歴戦の将としては、奇とすべき単細胞的解釈を行ったのである。 (長尾訳) 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277
642 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/15(水) 20:53:45.30 ID:jJpoM/pt0
英語読めないなら引っ込んでればいいのにね。 痛いよw
>>640 大田本では
”But Mutaguchi dared not disobey Kawabe; and the moment passed. ”
が恣意的に省かれて紹介されているのかい?
もう土足先生は「土足本」を世に出して満足していただいたほうがよくね?
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/15(水) 22:43:08.09 ID:jJpoM/pt0
佐藤本でも販売してろよカス
■アーサー・スウィンソン大尉の見解 ●アーサー・スウィンソン『四人のサムライ』 P284 15〜17行目 一五軍は無能な計画と無能な幕僚の仕事によって敗北をきたしたのである。 欠陥は牟田口にある。彼は真のサムライの精神をもって、人の容認しえない冒険を冒した。そして、罰金を支払わされた。
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/16(木) 10:58:06.33 ID:yvzVkTsL0
>>643 おそらく、
>>641 は英文をそのまま忠実に訳すのではなくて読み物として面白いように訳している
>しかし好機は去った。
>But Mutaguchi dared not disobey Kawabe; and the moment passed
その前後の原文がないのはちょっとねw
>>646 おや、これはおもしろい展開ですねw
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/16(木) 13:35:08.38 ID:yvzVkTsL0
649 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/16(木) 16:56:27.98 ID:ytg8570A0
↑巣に帰れよキチガイ
↑このヒト敵前逃亡兵です
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/16(木) 19:01:52.53 ID:ytg8570A0
↑佐藤くんらしいです
お前のことだよ逃亡兵。
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/16(木) 19:05:12.85 ID:ytg8570A0
↑佐藤くんらしいです
ID:ytg8570A0は佐藤くんだったのか
佐藤は敵前逃亡なんかしてないが?
656 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/16(木) 22:16:16.25 ID:4F0MuDHn0
WikiでLos688が削除した 牟田口を評価する意見 英軍ウィンゲート旅団参謀長のデリック・タラク准将は次のように牟田口を高く評価した。 『日本の15軍牟田口中将も、その作戦指導については、全くといってよいほど、イギリス側から評価されていない。 彼はその最後の作戦(インパール作戦)を除いて、その主要な戦闘の全てにおいて勝利を収めている。 インパールの戦いはワーテルローの戦いと同様に「非常に際どい」時期があった。 しかし、牟田口将軍はナポレオンの場合よりもはるかに優勢な敵を相手にして戦ったのである。 私は彼が生前、その戦いぶりについて日本国民から評価されたことを知って、うれしく思う。』[30]。 アーサー・パーカー中佐は牟田口への手紙で次のように牟田口の作戦を評価した。 『貴殿は四月の段階で、あと一個連隊-特に宮崎ないし田中程度人物の指揮下にある連隊- を有していたら、 貴殿はインパール攻略に成功していたでしょう。 しかしながら、やはり最良でかつ安価な成功は、一個連隊がディマプール に突入する事により達成されたでありましょう。』[31]。
657 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/16(木) 22:22:52.32 ID:4F0MuDHn0
■敵前逃亡の佐藤を批判した 不敗の名将・宮崎歩兵団長の証言 今でも不思議に思っていることは、一個連隊を私が指揮し、 二個連隊を師団長が指揮している。 後続の先頭連隊をもらって私は喜んだが、師団としてはやるべきではない。 普通であったなら、師団長がコヒマへとんできて、よし、戦況がこうならば 一三八連隊はどこで使うということを決めて、命令すべきだと思う。 それがどういう命令であるべきかというと 『速やかにディマプールへ突進せよ』であった。 見ていると、第一三八連隊は二日間も動かない。 私はこれを見てこの連隊を師団に返納するという電報を打った。 略 それでも連隊はなかなか動かない。私は業を煮やしていた3日か4日経って動き出した。 しかし、その時はもう時期が遅かった。 略 私は第一線にいずっといて後方のことは、全く分らないが、あとからフタを開けてみて、そういう感じを持っている。 私はとうとう戦地では遺憾ながら師団長と顔を合わせたことはありませんでした。 『宮崎少将の証言』 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P289
お前 Wikipediaにも書いたのかw こういうのは 2chだけにしておけ。
>>658 wikiでバカ妄想を撒き散らして他の全員にフルボッコにされた上に
アク禁食らって火病ってるだけだからw
ついでに言えば、フルボッコされた際にソースとして出されたのが
半藤本だったんで、半藤を逆恨みしてるwww
屑は何処まで逝っても屑、と言う生きた見本みたいなもんだwwwww
あぼーん
661 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/16(木) 23:09:14.52 ID:T8lZ0ByY0
■エセ保守・四馬鹿 ホラ吹き詐話師(半藤、保阪、秦、司馬)=通称3H+S 日中戦争を勃発、泥沼化させ、対米戦争で大損害を出した張本人の 戦犯・山本五十六の根本的な罪を黙殺し ひたすら東京裁判史観を肯定して、特定軍人罵倒によって 感情論で陸軍悪玉論を扇動・宣伝するしか能が無い 金儲け目当てで大嘘の近代史を語る似非保守・詐話師カルテット(司馬、半藤、保阪、秦)= 通称3H+S が関わった幼児向け童話昭和史に、 史実など微塵も無いwww
あぼーん
663 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/16(木) 23:31:12.71 ID:mPtwN1+b0
★インパール作戦は、成功して当然の作戦 現実にインパール防衛の任務を遂行していた 第四軍団参謀アーサー・バーカー中佐は 4月中に日本側が、あと1個連隊をインパール攻略に 投じていたなら 日本はインパール攻略に成功しただろうとしている。 あるいは1個連隊がディマプールを追撃すれば、やはり日本は成功し勝利しただろうとしている。 そして連合軍側の人間の見解は、基本的に概ねみな一致している だったらこれらの失態 @南方軍の稲田らの妨害により15師団の到着が遅延し、作戦開始が予定より3ヶ月も遅れた。 A主力となるべき15師団の兵力が大幅に削減された。 B柳田師団の意図的な退路解放、統制前進 C佐藤師団のインパール攻略1個連隊移管命令の拒否、抗命 Dたいした脅威ではないウィンゲート空挺兵団を一部が過大評価し、 陽動に引っかかってそれへ航空兵力等を注ぎ込むなど、日本軍の統帥が乱された。 このような失態さえ無ければ インパール作戦は難なく 成功していたと考えられる。
664 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/16(木) 23:50:29.99 ID:fvYxEa/l0
WikiでLos688が削除した 牟田口を評価する意見 英軍ウィンゲート旅団参謀長のデリック・タラク准将は次のように牟田口を高く評価した。 『日本の15軍牟田口中将も、その作戦指導については、全くといってよいほど、イギリス側から評価されていない。 彼はその最後の作戦(インパール作戦)を除いて、その主要な戦闘の全てにおいて勝利を収めている。 インパールの戦いはワーテルローの戦いと同様に「非常に際どい」時期があった。 しかし、牟田口将軍はナポレオンの場合よりもはるかに優勢な敵を相手にして戦ったのである。 私は彼が生前、その戦いぶりについて日本国民から評価されたことを知って、うれしく思う。』[30]。 アーサー・パーカー中佐は牟田口への手紙で次のように牟田口の作戦を評価した。 『貴殿は四月の段階で、あと一個連隊-特に宮崎ないし田中程度人物の指揮下にある連隊- を有していたら、 貴殿はインパール攻略に成功していたでしょう。 しかしながら、やはり最良でかつ安価な成功は、一個連隊がディマプール に突入する事により達成されたでありましょう。』[31]。
>>664 アーサー・バーカーは自著の推薦文を牟田口に書いてもらう為に
この手紙を送っているw
イギリス極東方面軍の連中は本国に帰っても全然評価されなかったからなぁw
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/17(金) 00:27:02.01 ID:5OgyB4bd0
佐藤くんは削除合戦大変だよなw でも、言論統制されていない2chじゃ、全く役にたたないけど
667 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/17(金) 00:29:17.10 ID:5OgyB4bd0
>>665 日露戦争、第三軍だって全く評価されなかったんだが?
司馬、半藤先生の教えを受けた佐藤くんなら当然知ってるよね?
WIKIでは言論統制なんてされてませんけどw 則るべきルールがあるだけで2ちゃんでも土足さんは常にルールを無視しないと 自分の主張が受け入れられないのはご存じでしょう?
669 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/17(金) 00:48:05.59 ID:5OgyB4bd0
戦前の日本に言論統制はありませんでした by チンカス
>>667 大田本しか読んだことが無い土足がなんだって?wwwwwww
しかも大田本の内容すら都合が悪いと直ぐ改竄w
そして当然直ぐバレるw
陸戦学会って知ってるか?www
法螺吹き土足には近現代史板でも軍事板でも居る場所なんざ無いんだよw
671 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/17(金) 01:02:04.93 ID:5OgyB4bd0
やっぱ、末尾Pは電波飛ばしてるなぁw
土足が何言おうが土足のバカ妄想なんざ誰も相手にはしないなw 末尾がPだろうが0だろうが土足には関係ないw 屑だからw
>>671 WIKIの話し合いからいつものように論破されたあげくに
一方的に逃げ出しておいて言論統制呼ばわり、
その状況を指して言論統制などないといったら
だれもいってない戦前の言論統制の話へ脈絡もなく飛ぶ、
君は末尾Pでもないのに電波を飛ばすw
674 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/17(金) 14:26:30.23 ID:5OgyB4bd0
論破w 言いがかりを論破という、末尾P
>>674 え? 資料を出せと要求しておいて
いざ出されたらそんなのは存在しないとかいいがかりをつけ
なにひとつ反論できずに逃げ出した土足さんがそれをいうんですか?
というか そもそも資料の確認すらできない土足さんに 資料を出す意味ってあるんですか?
677 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/17(金) 17:09:50.39 ID:5OgyB4bd0
論破w 言いがかりを論破という、末尾P
なんだ、こんどの芸は発狂してコピペを繰り返す芸なのか? 土足さんの人間性がよくわかりますね。 もしかして有効だとおもってます? 相手にされなくなるだけなのですがw
相手にされるも何も、土足先生、 キチガイじみてるためにウィキペディアから追放されてるやん。
680 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/17(金) 19:34:09.39 ID:odKcObqK0
なんだこのカオスは 新顔だけど、土足はまず本人の解釈よりも 「この資料はどう読んでる?」 …と研究者にとっての謙虚さが大事だと思うよ
681 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/17(金) 20:23:48.51 ID:5OgyB4bd0
今日も末尾Pが発狂中です^^
あぼーん
発狂ってのは 大田本だけしか読んでないのに この本に必要なことが全部書いてあるとか妄想しちゃう脳みそだよなあw それはありとあらゆる資料を網羅した人間だけが言えることに気づいてないのが。
発狂中って論破されて反論に窮した末に 末尾Pとかいういいがかりしかつけられなくなった土足さんのことかねw
発狂とは、読んでもいない本の内容を全くの妄想で語って、実際に何が書いてあるか突き付けられてもアーアーキコエナーイするような輩を言うのだw
ほら、読んでみろよ土足w ■アーサー・スウィンソン大尉の見解 ●アーサー・スウィンソン『四人のサムライ』 P284 15〜17行目 一五軍は無能な計画と無能な幕僚の仕事によって敗北をきたしたのである。 欠陥は牟田口にある。彼は真のサムライの精神をもって、人の容認しえない冒険を冒した。そして、罰金を支払わされた。
まあ、原文つきつけられて中学生がみても長尾訳に抜けがあることがわかるのに なぜか必死になって原文・長尾訳・その抜けを補完した訳を並列で出して アホと貶すコピペを何度も貼り付ける行為が発狂しているがな。 中学生がみても土足が間違ってるのがわかるのに 自分の間違いを必死になって広めようとする意味が 基地外以外に理解できるのだろうか。
689 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/18(土) 03:00:01.17 ID:RDBYgvl40
★インパール作戦は、九分通り成功していた ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 牟田口中将殿 小生はただいまデリーへの進軍という題名の本を書いておりますので、貴殿のお言葉は 非常に貴重なものでございます。 この本は完全に客観的なものにする予定であり、英国人の見解と同様、 日本人の見解にも、同じ重要性を与えるつもりです。 ご存知のように戦記物の大部分は作家の国にどうしても形よりがちです。 といいますのも、作家は相手方の見解をあらわす十分な資料を 得ることが出来ないためです。 まず最初に申し上げたい事は、日本兵が勇敢に、かつ全力を尽くして戦った ことは、疑う余地がないということであります。 貴殿の優秀な統率のもとに、インド攻略作戦は九分通り成功しました。 アーサー・バーカー ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アーサー・バーカーは自著の推薦文を牟田口に書いてもらう為に この手紙を送っているw イギリス極東方面軍の連中は本国に帰っても全然評価されなかったからなぁw
土足も世間に自分の愛国オナニーを広めたいなら、 さっさと自費出版すりゃいいだろ。土足本を。
★インパール作戦が失敗したのは、佐藤がアホだったから 連合軍を利する無能の佐藤は、殺すなと 連合軍が特命www 全くの話し、ストップフォードのごときは、英空軍が佐藤の本部を発見し、それを爆撃しようとしたとき、 爆撃しないように特命した事について話してくれました。 それは佐藤がもし殺されたら困る(もっと利巧な者が佐藤の代わりになってくるからだ) とストップフォードは言ったそうです。 第四軍団参謀アーサー・バーカー中佐 私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価 した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。 後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している 熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。 彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、 彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。 第14軍司令官スリム中将
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/18(土) 14:58:55.94 ID:mLpyjgoN0
>>692 要約
佐藤と牟田口は仲悪いから放っておいて離間の計 ウマー
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/18(土) 15:16:24.66 ID:iDEFypq/0
足を引っ張るために敵前逃亡するのが佐藤
695 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/18(土) 15:43:19.51 ID:mLpyjgoN0
ところで、敵前逃亡って誰が言い出した? 佐藤晃、半藤、保坂を読んだ人だけども
無能で直接指揮した2個連隊を無意味に磨り潰すのが牟田口w
佐藤は敵前逃亡でもなんでもないしなあ。 補給の受けられる地点まで後退して戦闘能力を回復した後任務を継続するつもりだったけど 牟田口が用意した補給地点が牟田口の脳内にしか存在しない幻だっただけでw 物資不足で任務継続が不可能な場合、 現場の指揮官が独断で戦力回復を図ることまで敵前逃亡とはいわんよ。
698 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/18(土) 22:28:19.56 ID:iDEFypq/0
無能で3個師団をすりつぶした佐藤
699 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/18(土) 22:30:50.69 ID:mLpyjgoN0
>>698 まず、最終的には陛下に対して師団長を解任してもらえるか尋ねとけ
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/18(土) 22:45:44.80 ID:iDEFypq/0
辞表だす覚悟すらないのか。 どっかの首相みたいだなw
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/18(土) 22:49:22.63 ID:mLpyjgoN0
>>700 ネタを言うと、佐藤の抗命とその任命責任やそれに至るまでの牟田口の統御、
指揮監督する軍の責任をどう白黒つけるかが問題になって周知の通りの処分になる
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/19(日) 10:41:41.79 ID:R8517MWh0
宮崎繁三郎が師団長なら、完全にインパール作戦は確実に成功していた。 惜しかった。
上が牟田口では確実に失敗しているな。
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/19(日) 12:35:45.27 ID:+mVhT06S0
宮崎が師団長なら、もしくは現場で同等の権限があればというのは、 つまり旧軍は人事制度とその運用において英軍に負けたことを意味するだろう
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/19(日) 12:54:44.80 ID:R8517MWh0
優秀な人間が出世できる保証なんてどこにもない。 大抵の会社だって、声がでかいのが出生してるだろ。
まあ、イギリスの常識ではあんな補給兵站状況での侵攻作戦なんか想定外だったんだろうさ。 あのような作戦に当然備わっているべき補給、兵站能力の想定下だから、佐藤の撤退はありえなかったし、 ディマプールへの進撃とか、もう1個連隊の投入とか言う発想もありえたわけだ。 しかし、そのような補給、兵站は英軍の脳内にしか存在しなかったわけで・・・
708 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/20(月) 10:24:26.06 ID:pwFzHI3D0
想定内をやってたら、奇襲なんて成功しない。 事実、彼らは撤退するつもりだったのだから。
709 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/20(月) 10:33:31.32 ID:sgpE5nvL0
>>706 なるほど、どちらの組織もそうだとしても日本は英に劣ったと?
>>708 あるかも知れない遺棄物資を当てに作戦を起こすのは下下下の下
711 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/20(月) 21:52:54.96 ID:pwFzHI3D0
>>710 君は一生正攻法のみ考えていればいいと思うよ。
少なくとも無駄口みたいな「奇策」につきあわされるくらいなら 一生正攻法だけ考え続けていたほうが一万倍は誰にとってもありがたい
遺棄物資をアテにしながら、 具体的にはな〜んも考えてなかった牟田口のは 奇策とすらいえないのだがw
撤退も何もインパールに引き込んで叩くのが目的だからなあ。 奇襲が目的なのはいいんだが、火力をとりあげちゃったら きちんと敵情を掴んで統制前進しかできなくなるんだから 奇襲もくそもなくなるわけで。 なにせ何も考えずに分進合撃させれば確実に各個撃破されるだけ。
>>708 論点が違ってる。
>>2 とかにあげられてる牟田口擁護の英側発言集が、日本軍の補給状況を理解しておらず、
自分達と同水準の補給体制があるものと勘違いしてのものじゃないかと言う話。
なにせイギリスは敵地深く暴れているウィンゲート兵団にしっかりと補給できてたからね。
当然、日本側も補給は出来ていると思ってたんじゃないかな。
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/21(火) 11:28:56.69 ID:hrTPH7DD0
>>714 これから攻撃します。よろしくお願いします。
なんて言うと思うの?
>>717 ほうw
では、真珠湾攻撃についても同じことが言えるね、土足w
ところで
>事実、彼らは撤退するつもりだったのだから。
なんて事実はないと何万回言われたら理解できるの?
719 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/21(火) 13:21:05.57 ID:hrTPH7DD0
宣戦布告前の奇襲と、戦時の奇襲が等価な佐藤くんw
いや、そもそもインパール作戦そのものはとっくに英軍に掴まれていたのだがw 予想外なのはコヒマに出たことだけ。
721 :
名無しさん@お腹いっぱい :2012/02/21(火) 15:26:52.18 ID:wTpabJtF0
全ては牟田口の低次元の頭脳と無責任で大雑把な人命軽視の性格による 日本兵は彼の個人的な勝算無き栄誉欲の捨て駒にされただけ
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/21(火) 17:38:38.48 ID:sAvWV/qa0
土足には人間がみんな佐藤に見えるのだねw ところで 「真珠湾攻撃より陸軍のマレー上陸の方が先」 「真珠湾攻撃に限ってすら、日本軍が攻撃するより、真珠湾に向かう甲標的を米軍が撃沈した方が先」 と何万回言われたら理解できるのかねw
724 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/22(水) 01:39:15.33 ID:X4wRGFt20
牟田口の指揮は正しく、インパール作戦はあと一歩で成功していたと イギリスでは評価されている。 ★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。 佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 ★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 ★アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。 なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 ★マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官) 「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」 「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、 まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。 さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」 ★第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、 師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。 幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。 佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
>>724 アーサー・スウィンソンの原文
"Mutaguchi was right, there could be no doubt whatsoever;this was what Napoleon called 'the favorable moment',
and Sato had only to hold Dimapur for a month to bring the British to the brink of disaster.
But Mutaguchi dared not disobey Kawabe; and the moment passed. "
「だが牟田口は河辺に敢えて逆らおうとせず、かくて好機は去った」w
土足捏造引用
■アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』 大田嘉弘『インパール作戦』 P277
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤第三十一師団長がわずか一か月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
つまり、土足は捏造改竄を愧じる事のない屑である。
727 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/22(水) 12:18:45.20 ID:p1VwwIbY0
佐藤には人間がみんな土足に見えるのだねw
は? いつから土足が人間になったの?
土足のような世界に一匹しかいない新種の生き物を、人間と間違えるわけないじゃないかw
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/22(水) 15:53:38.29 ID:04kJgalB0
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/22(水) 16:00:53.59 ID:04kJgalB0
だが、柳田と山内が批判しても佐藤にされるのはどうかとw
佐藤何人子供産んだんだよって話だよなw
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/22(水) 19:48:50.97 ID:p1VwwIbY0
「土足」認定されている奴も、少なくとも3人いるがなw(本人含む) 「土足」認定がうざくてこっちにスレ立てしたのに、変なのが漂流してきたらしい
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/22(水) 19:55:38.73 ID:CDq/eoZ20
★インパール作戦が失敗したのは、佐藤がアホだったからw 連合軍を利する無能の佐藤は、殺すなと 連合軍が特命www 全くの話し、ストップフォードのごときは、英空軍が佐藤の本部を発見し、それを爆撃しようとしたとき、 爆撃しないように特命した事について話してくれました。 それは佐藤がもし殺されたら困る(もっと利巧な者が佐藤の代わりになってくるからだ) とストップフォードは言ったそうです。 第四軍団参謀アーサー・バーカー中佐 私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価 した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。 後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している 熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。 彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、 彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。 第14軍司令官スリム中将
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/22(水) 20:01:09.75 ID:CDq/eoZ20
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 牟田口中将殿 小生はただいまデリーへの進軍という題名の本を書いておりますので、貴殿のお言葉は 非常に貴重なものでございます。 この本は完全に客観的なものにする予定であり、英国人の見解と同様、 日本人の見解にも、同じ重要性を与えるつもりです。 ご存知のように戦記物の大部分は作家の国にどうしても形よりがちです。 といいますのも、作家は相手方の見解をあらわす十分な資料を 得ることが出来ないためです。 まず最初に申し上げたい事は、日本兵が勇敢に、かつ全力を尽くして戦った ことは、疑う余地がないということであります。 貴殿の優秀な統率のもとに、インド攻略作戦は九分通り成功しました。 もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。 なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。 宮崎将軍が、コヒマに一部を残し、主力を持ってインパール攻撃に参加した、カングラトンビに転じていた方が望ましかった、 と考えておられることも小職は存じております。彼は良い点をついております。 貴殿は四月の段階で、あと一個連隊-特に宮崎ないし田中程度人物の指揮下にある連隊- を有していたら、 貴殿はインパール攻略に成功していたでしょう。 しかしながら、やはり最良でかつ安価な成功は、一個連隊がディマプール に突入する事により達成されたでありましょう。 元連合軍第四軍団参謀アーサー・バーカー中佐 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
佐藤でなかろうが、河辺のいうことに逆らいもしなかった牟田口が上にいたらどうにもならないだろw
737 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/24(金) 15:52:21.57 ID:JkqAy91y0
「牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。 弱音を吐かぬ信念の人だった。 物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。 本当の日本の歴史 牟田口第十五軍司令官 十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、 決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。 よく兵站を無視したと批判されるが、 司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、 あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。 このことはあまり知られていない。これは、司令官が 功に誇るような人物でなく、 謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。 本当の日本の歴史 印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。 「彼(牟田口司令官)は約束を守った。 亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、 東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。 終戦後、牟田口司令官は、 左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。 しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。 赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、 彼がまさにそうだった のである。
あぼーん
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/26(日) 14:06:48.32 ID:IlM6W6GQ0
>>738 まだ中学のころに読んでたが、その批判はむしろ阿川弘之にしっくりじゃないかい?
屑の法螺吹き能無し土足には全く関係ないなw
面白いカキコをコピペしてやろうwww
526 名前:名無し三等兵 投稿日:2012/02/26(日) 09:51:06.34 ID:???
>>525 それがWIKIの妥当なルールに沿っていてきちんと根拠を出してのモノならなんら問題ないな。
日本人としてなw
土足は問題のないルールを破って
根拠のない妄想をばらまくのが日本人だと思っているようだが
土足以外の日本人からはまるで半島の人間のようだと思われているのはご存じないのかな。
名誉を回復する義務を果たしたいなら
資料のひとつでも持ってきてからやるべきだね。
ねつ造と喚けば反対資料を消し去ることが出来ると思ってるのは
朝鮮人くらいなものですよw
527 名前:名無し三等兵 投稿日:2012/02/26(日) 12:46:20.01 ID:???
>>526 >名誉を回復する義務を果たしたいなら
資料のひとつでも持ってきてからやるべきだね。
いやそれより朝鮮人が好きな山本五十六と半藤一利を
罵倒しまくって対抗するべきだな。
やられたら、同じ汚い手でやり返せwww
741 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/26(日) 22:25:57.93 ID:cnRiErlz0
コピペ乙w
WikiでLos688が削除した 牟田口を評価する意見 英軍ウィンゲート旅団参謀長のデリック・タラク准将は次のように牟田口を高く評価した。 『日本の15軍牟田口中将も、その作戦指導については、全くといってよいほど、イギリス側から評価されていない。 彼はその最後の作戦(インパール作戦)を除いて、その主要な戦闘の全てにおいて勝利を収めている。 インパールの戦いはワーテルローの戦いと同様に「非常に際どい」時期があった。 しかし、牟田口将軍はナポレオンの場合よりもはるかに優勢な敵を相手にして戦ったのである。 私は彼が生前、その戦いぶりについて日本国民から評価されたことを知って、うれしく思う。』[30]。 アーサー・パーカー中佐は牟田口への手紙で次のように牟田口の作戦を評価した。 『貴殿は四月の段階で、あと一個連隊-特に宮崎ないし田中程度人物の指揮下にある連隊- を有していたら、 貴殿はインパール攻略に成功していたでしょう。 しかしながら、やはり最良でかつ安価な成功は、一個連隊がディマプール に突入する事により達成されたでありましょう。』[31]。
743 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/29(水) 09:11:44.84 ID:5nPzHrj90
佐藤くんもwikipedia監視大変だねw
>>742 バカコピペに奔るってことは、要するに例によってソースなんか有りはしないって事だなw
アーサー・バーカーは牟田口に自著の推薦文書いてもらう為に
ヨイショしてる可能性が高い、なんて土足以外はみんな知ってる
当たり前の事だからなw
宣伝用の文章を引いて「牟田口を評価してるんだ」と喚くところが
土足が無能で屑である証拠の一つだ、と言う何よりの証明だw
屑の能無し法螺吹き土足くんw
またもや牟田口の背中を撃ちましたw
不当に削除された牟田口を評価する意見 [編集] 英軍ウィンゲート旅団参謀長のデリック・タラク准将は次のように牟田口を高く評価した。 『日本の15軍牟田口中将も、その作戦指導については、全くといってよいほど、イギリス側から評価されていない。 彼はその最後の作戦(インパール作戦)を除いて、その主要な戦闘の全てにおいて勝利を収めている。 インパールの戦いはワーテルローの戦いと同様に「非常に際どい」時期があった。 しかし、牟田口将軍はナポレオンの場合よりもはるかに優勢な敵を相手にして戦ったのである。 私は彼が生前、その戦いぶりについて日本国民から評価されたことを知って、うれしく思う。』[30]。 アーサー・パーカー中佐は牟田口への手紙で次のように牟田口の作戦を評価した。 『貴殿は四月の段階で、あと一個連隊-特に宮崎ないし田中程度人物の指揮下にある連隊- を有していたら、 貴殿はインパール攻略に成功していたでしょう。 しかしながら、やはり最良でかつ安価な成功は、一個連隊がディマプール に突入する事により達成されたでありましょう。』[31]。 上記2点とも証言、人物評セクションに記載済みです。またあなたのその書籍からの丸写しの文章をそのまま乗せると、著作権侵害ですよ。まさか著作権侵害でページ削除狙ってるのですか?--Kamkamkam 2012年2月17日 (金) 12:11 (UTC)
746 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/01(木) 01:44:12.56 ID:V2Iyte+W0
佐藤くんもwikipedia監視大変だねw
747 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/02(金) 01:34:17.02 ID:wnulKDpV0
柳田くんと山内くんのこともたまには思い出してあげてね…
>>745-746 バカコピペに奔るってことは、要するに例によってソースなんか有りはしないって事だなw
アーサー・バーカーは牟田口に自著の推薦文書いてもらう為に
ヨイショしてる可能性が高い、なんて土足以外はみんな知ってる
当たり前の事だからなw
宣伝用の文章を引いて「牟田口を評価してるんだ」と喚くところが
土足が無能で屑である証拠の一つだ、と言う何よりの証明だw
屑の能無し法螺吹き土足くんw
またもや牟田口の背中を撃ちましたw
あぼーん
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/03(土) 03:39:34.21 ID:WgxU8OAg0
永遠にAA無限ループか… 牟田口について語るなら盧溝橋事件とか海外駐在時代とか 他にもあるんじゃないの?
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/03(土) 21:47:01.63 ID:DaV5us8b0
wikipediaで暴れてる気違いが、2chも制圧するつもりらしいw
あぼーん
>>750 土足にはそういう知識「も」決定的に足りないからw
土足に有る物なんて何もないけどねw
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/04(日) 23:08:30.21 ID:/CqPmI6m0
いつもの末尾Pがきたw
反論できなくなると論のないところでわめくしかなくなるのが悲しいよね、土足さん
ここの異常な記事は異常な人たちが、特定の個人を誹謗中傷することによって、陸軍を悪玉に仕立てる東京裁判史観を固定化させるための宣伝目的で 編集されているんではないでしょうか。偏向と曲解と中傷と悪意で満ちています。それと異なる見解は全て削除されます。--122.17.132.31 2012年2月26日 (日) 03:14 (UTC) 悪意も何も不正な多重アカウントで編集された記事を削除されただけなのに 言論の自由とか異常呼ばわりとか盗人猛々しいとはこのことだな。 土足さんもそうおもうでしょ。
757 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/05(月) 03:02:43.34 ID:bMk0Wlxm0
なぜ旧軍最悪の将と言ってもいい牟田口を擁護することに必死な人がいるのかずっと疑問だったんだけど、某市長の「親父がラーメンの作り方を教わったから虐殺はなかったろう」発言を聞いて少し理解できたわ やっぱり親戚の不名誉は隠蔽したくなるものなんだろうね
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/05(月) 15:26:39.40 ID:CRHrsxKi0
750なんだけども、土足は牟田口について専門家であろうから 総力戦について高い問題意識のあるバーデンバーデンの密約の流れを組む 一夕会という会合に牟田口はいたにも関わらず、なぜに… という牟田口の思考過程について追体験できるものと期待していたんだけどもなぁ
歩兵科の猛進タイプの司令官の補佐として輜重科の少将を付けるという 配慮した人事をしてるのに、気に入らないからと切る段階で全然ダメじゃん。
760 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/05(月) 21:28:41.21 ID:loRzxQza0
>>759 牟田口の指揮は正しく、インパール作戦はあと一歩で成功していたと
連合軍側は牟田口の作戦を評価している。佐藤がバカだったので助かったとw
★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、
一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、
マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、
まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。
ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。
さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」
★第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/05(月) 21:35:55.11 ID:loRzxQza0
牟田口中将殿 小生はただいまデリーへの進軍という題名の本を書いておりますので、貴殿のお言葉は 非常に貴重なものでございます。 この本は完全に客観的なものにする予定であり、英国人の見解と同様、 日本人の見解にも、同じ重要性を与えるつもりです。 ご存知のように戦記物の大部分は作家の国にどうしても形よりがちです。 といいますのも、作家は相手方の見解をあらわす十分な資料を 得ることが出来ないためです。 まず最初に申し上げたい事は、日本兵が勇敢に、かつ全力を尽くして戦った ことは、疑う余地がないということであります。 貴殿の優秀な統率のもとに、インド攻略作戦は九分通り成功しました。 もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。 なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。 宮崎将軍が、コヒマに一部を残し、主力を持ってインパール攻撃に参加し、カングラトンビに転じていた方が望ましかった、 と考えておられることも小職は存じております。彼は良い点をついております。 貴殿は四月の段階で、あと一個連隊-特に宮崎ないし田中程度人物の指揮下にある連隊- を有していたら、 貴殿はインパール攻略に成功していたでしょう。 しかしながら、やはり最良でかつ安価な成功は、一個連隊がディマプール に突入する事により達成されたでありましょう。 元連合軍第四軍団参謀アーサー・バーカー中佐
762 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/05(月) 22:39:53.34 ID:wWNysGUa0
★牟田口の作戦指導は正しかったと、英米軍関係者の全てが述べている。 ■アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』 大田嘉弘『インパール作戦』 P277 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。 佐藤第三十一師団長がわずか一か月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 ■スチルウェル中佐(米軍・フーコン方面軍作戦主任) 大田嘉弘『インパール作戦』P286 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 ■アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 大田嘉弘『インパール作戦』P287 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。 なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 ■マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官) 大田嘉弘『インパール作戦』P273 「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」 「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。」 ■第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 大田嘉弘『インパール作戦』P275 日本軍指揮官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、 師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝くことであった。幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。 日本軍第三十一師団長佐藤陸軍中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
全部「大田がそう言ってる」だねw オリジナルを一冊でも読んで、本当にそう書いてあるか確かめた?w
また話に詰まってバカコピペw
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/06(火) 07:49:35.77 ID:+LJB3QaA0
また末尾Pかw
その末尾Pに反論できずにコピペするだけの人がいってもw
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/06(火) 09:46:03.07 ID:4llzI9c80
インパールしか褒めるとかがないのか?
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/07(水) 18:46:05.98 ID:BrNM3Rhx0
反論したら土足認定。 これの繰り返しだしなぁ… しかも、さんざん反論してきたじゃんw
いつどんな反論をしているのか具体例を挙げて下さいw
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/08(木) 08:20:55.21 ID:Qh453ka/0
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/08(木) 21:59:28.22 ID:dyMzqQwG0
ところで牟田口連合国スパイ説なんてのも聞くが何かおもしろいソースはないか?
yahoo知恵袋
牟田口廉也はなぜ不起訴だったんですか
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1031095145 >私見ですが、イギリスが牟田口を戦犯として訴追しなかったのは
>「まるでイギリスのスパイであるかのように、日本軍将兵を無駄に殺して、ビルマの日本軍の防衛体制を崩壊させた『功績』」
>を『評価』したからではないでしょうか。
>「我々が楽々とビルマを奪回できたのはムタグチの無能さのおかげだ。ムタグチには礼を言わないとな (笑)」
>という発想をビルマのイギリス軍が持ったとしても、荒唐無稽ではない気がします。
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/08(木) 22:10:23.22 ID:dyMzqQwG0
774 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/09(金) 01:31:12.98 ID:7HjU4Usj0
>>772 ★インパール作戦が失敗したのは、佐藤がアホだったからw
連合軍を利する無能の佐藤は、連合軍の味方だから殺すなと
連合軍が特命www
全くの話し、ストップフォードのごときは、英空軍が佐藤の本部を発見し、それを爆撃しようとしたとき、
爆撃しないように特命した事について話してくれました。
それは佐藤がもし殺されたら困る(もっと利巧な者が佐藤の代わりになってくるからだ)
とストップフォードは言ったそうです。
第四軍団参謀アーサー・バーカー中佐
私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価
した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず
そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。
後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している
熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。
彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、
彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。
第14軍司令官スリム中将
で、それソースは?
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/09(金) 02:37:07.29 ID:7HjU4Usj0
>>775 ★インパール作戦が失敗したのは、佐藤がアホだったからw
連合軍を利する無能の佐藤は、連合軍の味方だから殺すなと
連合軍が特命www
全くの話し、ストップフォードのごときは、英空軍が佐藤の本部を発見し、それを爆撃しようとしたとき、
爆撃しないように特命した事について話してくれました。
それは佐藤がもし殺されたら困る(もっと利巧な者が佐藤の代わりになってくるからだ)
とストップフォードは言ったそうです。
第四軍団参謀アーサー・バーカー中佐
「一九四四年「ウ」号作戦に関する国会図書館における説明資料」
私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価
した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず
そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。
後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している
熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。
彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、
彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。
第14軍司令官スリム中将
「Defeat Into Victory」
何かと思って調べてみたら、無駄口が個人的に配った資料にそう書いてあるというだけじゃないかw 誰が信用するんだよw
牟田口が出した命令を南方軍が撤回させている状況で 佐藤が牟田口の命令通り”独断で”動かなかったせいとか言ってる土足のほうがアホだよw
何万回言われたら分かるんだい、土足? 「〜と言っている人がいる」と「〜である」は全然違うんだがw 更に言えば、「『〜と言っている人がいる』と大田が言っている」は、「〜と言っている人がいる」ですらないんだよ、土足w
780 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/13(火) 15:05:34.29 ID:TQxFu8Ao0
牟田口の指揮は正しく、インパール作戦はあと一歩で成功していたと イギリスでは評価されている。 ★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。 佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 ★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 ★アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。 なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 ★マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官) 「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」 「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、 まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。 さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」 ★第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、 師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。 幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。 佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/13(火) 22:58:15.50 ID:kMoSgNZZO
チンポのデカい牟田口さん
782 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/14(水) 08:50:18.65 ID:aFrw89v/0
1
>>780 アーサー・スウィンソンの原文
"Mutaguchi was right, there could be no doubt whatsoever;this was what Napoleon called 'the favorable moment',
and Sato had only to hold Dimapur for a month to bring the British to the brink of disaster.
But Mutaguchi dared not disobey Kawabe; and the moment passed. "
「だが牟田口は河辺に敢えて逆らおうとせず、かくて好機は去った」w
はい、これで土足のバカ妄想は事実でない事が証明されましたw
何しろアーサー・スウィンソンの原文で、
"But Mutaguchi dared not disobey Kawabe; and the moment passed. "
と書いている訳ですからw
784 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/18(日) 06:52:22.25 ID:Veki5V270
>>783 牟田口の方が正しいが、周辺に邪魔されたってのと同じだろw
牟田口を中傷しているのは バカと朝鮮人しかいないからw
786 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/22(木) 19:24:15.85 ID:740naueg0
牟田口は本当に無能。 アンサイクロペディアのほうが正確に書かれてる。
787 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/22(木) 21:02:05.38 ID:uRjVTZgK0
牟田口は聖将。
788 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/23(金) 06:29:19.16 ID:2sLM89pGO
確かにアンサイクロのが事実だ
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/23(金) 08:10:58.69 ID:l36qztgz0
「牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。 弱音を吐かぬ信念の人だった。 物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。 本当の日本の歴史 牟田口第十五軍司令官 十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、 決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。 よく兵站を無視したと批判されるが、 司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、 あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。 このことはあまり知られていない。これは、司令官が 功に誇るような人物でなく、 謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。 本当の日本の歴史 印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。 「彼(牟田口司令官)は約束を守った。 亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、 東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。 終戦後、牟田口司令官は、 左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。 しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。 赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、 彼がまさにそうだった のである。
790 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/23(金) 17:42:30.20 ID:vtn7K5950
>>789 出典を明記すること
ページや誰の意見なのかなども
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/23(金) 20:07:23.26 ID:XJrS2W0T0
牟田口閣下は古今東西不世出の名将や 閣下の指揮するインパール作戦が連合軍に 多大な精神的打撃を与えたのは言うまでもない 閣下のインパール作戦によって連合軍は士気を失い 大東亜戦争の勝敗は決しようとしていた それを全て台無しにしたのは くりかんがレイテで反転したからや
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/23(金) 21:32:33.58 ID:l36qztgz0
だから柳田と山内をなんでハブにするんだよ土足
794 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/24(土) 14:11:51.86 ID:wF4dZB/i0
>>792 土足であろうが佐藤であろうが、出典をカキコしない場合は
そのカキコした本人の主張や仮説なのかと思われるのが普通
795 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/24(土) 16:02:02.56 ID:WEIBreYq0
796 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/24(土) 16:05:45.61 ID:wF4dZB/i0
>>795 ほほう、改めて出典を書く度胸もなく
妄想しか書けないという伝説のある土足というのはお前かw
797 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/25(日) 01:28:21.58 ID:knbDZkw30
== 牟田口の指揮を評価した連合軍側の見解 == *マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官) 「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」 「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。 さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」 <ref>大田 嘉弘『インパール作戦』p272 "Report to the Combined Chiefs of Staff by the Supreme Allied Commander, South-East Asia 1943-1945"より引用</ref> *第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。 幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。 佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。 <ref>大田 嘉弘『インパール作戦』p275 "Defeat Into Victory"より引用</ref> *アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。 佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 <ref>大田 嘉弘『インパール作戦』p277 「コヒマ」より引用</ref> *スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 <ref>大田 嘉弘『インパール作戦』p286 伊藤 正徳「帝国陸軍の最後 死闘篇 」より引用</ref> *アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。 なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 <ref>大田 嘉弘『インパール作戦』p287 「一九四四年「ウ」号作戦に関する国会図書館における説明資料。元日本第十五軍司令官陸軍中将牟田口廉也」より引用</ref
土足中将
799 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/25(日) 23:58:33.68 ID:DH3Qgekp0
敵前逃亡中将
800 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/01(日) 20:00:54.01 ID:RdQ3yYK00
佐賀県に牟田口神社が建てられるらしいぞ
難関の陸士を出てるのに、何でこんなに馬鹿なんだろう? やっぱ見識は学業だけでは育たないんだね。
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 02:36:51.91 ID:KbIEla/WO
部下に慰留してもらおうなんて考え方自体が狡いよねwwww
803 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 07:34:42.37 ID:SOrM50B30
>>797 いい引用だな。ちゃんとどこから孫引きしたかも載っている。
が、その手のは原文である英語で何て書いてあるかが肝要だから
牟田口を擁護する批難するを問わず史料的な検証がむずかしいかな。
804 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 07:38:14.29 ID:SOrM50B30
>>800 どんな一次史料が集まるか期待だな。w
>>801 部隊長クラスなら有能だろうと思うんだがな。
ドイツ勤務していたり勉強会に出席しているうちに成功体験に縛られたのではなかろうか?
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 12:51:54.00 ID:TwxQerMG0
806 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 13:54:43.31 ID:SOrM50B30
>>805 部隊長って中隊長くらいを言ったつもり
それが優秀だったのか陸大に行ったという皮肉があるが
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 20:11:50.06 ID:mxSp7ZBN0
英軍自身が撤退すると言ってるのに、 みすみす敵前逃亡した佐藤くん。
英軍はどこを通って撤退すると思って居るんだ?
あと佐藤は敵前逃亡なんかしてないぞw あれが敵前逃亡の罪に問われるなら佐藤は無罪で、 全責任が牟田口に帰せられる。
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 20:58:37.77 ID:nxJD2vXE0
>>809 牟田口が恩情で佐藤の後退を追認する命令を出したから
敵前逃亡にはならなかったが、本来なら佐藤は敵前逃亡で
罪がとわれている。
>>810 その命令が無くても敵前逃亡にならないよ。
軍事裁判が開かれたら佐藤の妥当性しかでてこないんだから。
812 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 21:04:32.91 ID:mxSp7ZBN0
末尾Pは相変わらず飛ばしてるなw
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 21:08:32.04 ID:nxJD2vXE0
>>811 軍法会議は命令に背いた司令官の言訳など
聞く事はまず無い。
佐藤は1度だけではなく、2度も命令に背いている。
佐藤には弁護する余地は無い。
補給のために後退することが敵前逃亡なら 陸軍は戦闘の度に半減することになるのだが、 そんな馬鹿なことをいってる土足の飛ばし方にはかないませんよw
>>813 それは君が無知なだけw
特に親補職たる師団長を一方的に裁くことなんかできんよ。
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 21:23:11.08 ID:nxJD2vXE0
>>814 佐藤の抗命がその1回だけならばまだ情状酌量の余地があるが
そのまえに重大な抗命をやっている。
(ただちに1個連隊を15師団のインパール攻略に協力するため向けよという命令を)
これは無理な命令イではない。
佐藤は命令に応ていたしし、それを指揮する宮崎もその気で準備していた。
>>816 情状酌量じゃなくて単なる事実。
命令遂行のため補給を受けて戦力を回復させる、
そのために後方へ一端退くのは抗命じゃなく前線部隊の裁量の範囲内。
問題は牟田口の嘘でその命令が実行不可能になったことなんだから。
>これは無理な命令イではない。
無理な命令だよw
だからそういうことをやらせたかったら自動車をもってこいといったんじゃないか。
つーか命令違反っていうけどさ〜、 もう少しで補給は届く、ウイレレまで来て居るんだと嘘ついて 現地で補給なしで戦わせて何日か持ったとして 牟田口は何をしたかったのかねえ。 インパール自身、救援があったから落ちなかったんじゃなくて 守備隊独力で追い返しているのに佐藤が阻止を続けようが結果は変わらない。 むしろ、佐藤が引いてくれたおかげで上に説明の機会が得られたわけで、 顔色を察して貰うことしかできない無能が正しい選択をすることができてよかったと思うべきだがな。
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 22:03:45.55 ID:nxJD2vXE0
>>818 違うだろ。
佐藤と柳田が肝心な時に動かなかったから勝機を逃したわけだ。
(連合軍側はみなそう指摘している)
その後、補給が尽きるまずっとただ留まっていただけの佐藤に
軍人の資格も司令官の資格も無い。
>>819 牟田口のいった捕獲自動車を使って移動するという方法では
肝心な時に間に合わないからそういってるんですけど?
というかそもそもつかないw
>連合軍側はみなそう指摘している
そりゃ連合軍は補給もなしに突進してきてるなんておもってないからなあw
821 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 22:11:49.36 ID:nxJD2vXE0
>>820 4月が勝負だったわけで、4月の時点で
補給に問題などまったく無い。
(むしろ持て余していたくらい)
連合軍側はみんな、肝心な時に動かなかった佐藤はアホだと言っており
この連合軍の一致した見解は揺るぎようが無い。
>>821 だったら4月の時点で佐藤の部隊に自動車輜重連隊をつけておくんだったな。
それを怠ってる時点で牟田口の責任。
>この連合軍の一致した見解は揺るぎようが無い。
片方の情報しか持ち合わせていない連中だけがそういっているということが
全てをあらわしていると思いますがなにか?
なに簡単なことですよ、攻めている日本軍側でもあと一個連隊あれば落とせるという一致した感触もってればいいことです。
823 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 22:22:37.46 ID:nxJD2vXE0
>>820 佐藤は命令を受けた時、自動車が必要だとは言ってないし
命令に応じている。
しかし何日も命令を実行せず、矢のような催促が来て
佐藤は苦し紛れに「連隊の移動には自動車が100台必用だから送ってくれ」
と信じられないふざけた返答をしている。
真面目な要求ではない。
この時点で即刻、罷免するのが本来は当然だな。
824 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 22:32:12.92 ID:mxSp7ZBN0
>>823 ふざけた命令を言われたとおり実行しようとしたら、
到底不可能だったので可能となる条件を提示したのがおかしなことですかw
やりたくても運転したこともない人間に運転させて
敵の制空権下を何十キロも移動するふざけた命令は実行不可能でしょ。
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 22:44:10.83 ID:nxJD2vXE0
>>825 作戦開始前にさんざん無謀だと言われていた31師団のコヒマへの侵攻は
ほとんど問題なく実行できてるんだが?
そのまま1個連隊がコヒマからインパールへ向かうことに
何の無理もない。
827 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 22:51:06.93 ID:nxJD2vXE0
おそらく戦国武将でも、有能な武将ならそのていど軽く走破するだろうな。 カゴ持って来いなんていってるふざけた武将に 勝機など間違ってもおとずれない。
828 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 22:54:33.87 ID:mxSp7ZBN0
戦国武将と近代軍制の将軍は全然違うって。 牟田口に肯定的な俺でも、他の肯定論者とは見解が合わないものだ。
829 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 22:57:42.03 ID:nxJD2vXE0
余談だが牟田口のジンギスカン作戦は ひよどりごえの義経のジンギスカン伝説に由来したものだと思う。 牛に運ばせて牛を食べる作戦 という認識は誤解であろう。
>>826 それがどうかしたのか?
鹵獲自動車でこいというふざけた命令がふざけてないことになるのか?
仮にそれと同じだとすると2週間かかるし、
どこかで補給を受けないと手持ち物資がつきるぞ。
>>827 >おそらく戦国武将でも、有能な武将ならそのていど軽く走破するだろうな。
無理だね。
100キロの山中行軍を一月って時点で終わってる。
>カゴ持って来いなんていってるふざけた武将に
>勝機など間違ってもおとずれない。
敵から奪った籠にのってこいなんていってるふざけた武将にもねw
832 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 23:07:51.28 ID:nxJD2vXE0
>>831 後世の人間が理解していないってことだ。
義経とジンギスカンは当時もっとも崇拝されていた武将で
(同一説まである)
それを合わせた作戦で奇襲すると言う考えがベースだな。
一瞬の判断ミスで勝敗が分かれるのは
戦国時代と大きくは変わらない。
うん、お前さんが理解していないのはよくわかった。 鵯越ばかりを言い立てて屋島の戦いがどんなだったのかさえしらないのがさ。
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 23:24:09.69 ID:nxJD2vXE0
ディマプールへ進撃していれば 義経の鵯越の再来だったわけで 連合軍はそのくらいの衝撃を受けている 米英支軍が全面撤退を検討している。 そのごの展開はさておき 当時の日本軍でそこまでやれば 相当なものだな。 一矢報いたのは間違いない。 どうせ奪還されると言っても、そんな事を言えば 全ての作戦がそうなってしまう。 少なくてもインパール作戦は 史上最悪な作戦ではない。 当時の日本が出来た、最高の作戦だったと言っても 過言ではない
だからそういう作戦を立ててはないんだってばw ビルマ防衛のための作戦なんだから。
そういう作戦がやりたければ インパールなんか無視して15軍全部でディマプール目指すべきでしたな。 牟田口が無能でそういうことはできませんでしたが。
837 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 23:39:44.72 ID:nxJD2vXE0
>>835 そんなこといったら極東アジアの解放、防衛の目的の大東亜戦争で
ハワイや西海岸を攻撃した連合艦隊は
牟田口よりバカってことか?
838 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/02(月) 23:45:55.75 ID:nxJD2vXE0
海軍の作戦では、防衛だけやっていても先がないから 積極的な攻勢にでたことを正しいと言い、 おなじように(海軍ほど無謀ではない)一部に攻勢をかけて 防衛を考えた陸軍は、補給を無視してるとか インパール作戦批判はすべて、その百倍 海軍のバカな作戦に当てはまるわけで インパール作戦を批判している人間は、全く論理性も整合性も まるきり無い。
>>837-838 戦争の大目的と一作戦の攻守を混同して幼児のようにごねているようにしかみえないが、
君は馬鹿か?
それともわざと論点をずらしているのか?
馬鹿でないなら効果があるようには思えないがw
>インパール作戦を批判している人間は、全く論理性も整合性も >まるきり無い。 おまえさんがね。 海軍が攻勢にでた42年とインパールの44年では戦略状況も全く異なるのに 同じように語ることに全く論理性も整合性もないなw
841 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/03(火) 00:06:19.65 ID:IR4+ZLHh0
>>840 まあ牟田口や海軍がバカと言っても
いまだに分裂国家の朝鮮人ほどはバカではない。
それは認めるだろ?
>>841 お前がひたすら論点ずらしをしようとする
うすらみっともない朝鮮人並だということは認めてもいいよ。
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/03(火) 03:27:06.67 ID:lXDADZ4+0
・義経の鵯越
近年の中世史家の間では、源範頼と安田義定にだいぶ光があてられるようになりましたな。
義経伝説は江戸時代の創作が多いからな〜、五条大橋とか。
>>828 >戦国武将と近代軍制の将軍は全然違うって。
>牟田口に肯定的な俺でも、他の肯定論者とは見解が合わないものだ。
同意だな。
なんだっけ、川中島の戦場機動もなかなか再現しずらいんだっけかな?
桶狭間も信長の敵本陣正面強襲説が有力だし。
(当時の陸軍では桶狭間は回り込んだと教えていたようだが。)
戦国時代ガーつうのは作戦のヒントや参考程度だな。
844 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/03(火) 03:31:06.52 ID:lXDADZ4+0
>>840 >海軍が攻勢にでた42年とインパールの44年では戦略状況も全く異なるのに
>同じように語ることに全く論理性も整合性もないなw
同意。
それで海軍sageに力を注ぐのは建設的ではないな。
背景が変われば戦略も変わって当然。
845 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/05(木) 21:02:07.93 ID:eNAvp6D80
ムッチーズブートキャンプ
846 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/07(土) 17:56:58.09 ID:P24c9W8C0
847 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/08(日) 20:07:59.18 ID:K5y3Ly9+0
MUTAGUCHIがあと10人いたらアメリカは敗北していただろう
牟田口の場合、イギリスのスパイが牟田口の行動を前線兵士にスピーカーで流していたのが大きいw オレの近所のじいさんも、インパールで兵役についたのだが、牟田口がやったこと知っていたからな。 他の戦場だったら、隠されていたに違いない。
849 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/09(月) 14:16:31.30 ID:sH9DvdIz0
何て無茶な作戦を…。
851 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/20(金) 07:42:22.38 ID:hN/jwO6U0
佐藤が敵前逃亡しなければ成功していたがな。
土足の生存確認↑
853 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/21(土) 15:03:49.16 ID:QkOyONN+0
佐藤の生存確認↑
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/21(土) 15:05:45.70 ID:XcjRQDm20
精鋭三個師団すりつぶした牟田口のアホを崇めてどうするつもりなんだ?
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/21(土) 16:08:43.78 ID:QkOyONN+0
牟田口の指揮は正しく、インパール作戦はあと一歩で成功していたと イギリスでは評価されている。 ★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。 佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 ★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 ★アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。 なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 ★マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官) 「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」 「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、 まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。 さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」 ★第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、 師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。 幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。 佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
いつものキチガイのコピペ
857 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/22(日) 16:29:17.15 ID:isCK6LQE0
いつもの末尾P
age
そして戦後は軍人恩給を800万円受け取る生活
860 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/05/16(水) 01:41:19.46 ID:x6TgniVQO
ウチの婆ちゃんの弟は33師の輜重兵で出征、戦死してるんだが、最期の状況も判らず遺骨も還って来てないからな。ビルマに遺骨収集に何回か行ってたが。生き残りの戦友の方も婆ちゃんも戦争話はしたがらなかったがこの人と東條の事は悪の権化のように罵っていた。
861 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/05/16(水) 14:03:57.99 ID:S60L/jhMP
佐藤が敵前逃亡した際の犠牲者ですね。 南無阿弥陀仏。
いいから土足も成仏しちゃえよ。 生きてても誰にも相手にされなくてさびしいんだろ?
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/05/16(水) 21:35:58.21 ID:S60L/jhMP
いつもの末尾Pw 佐藤くんも工作大変だなぁww
864 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/05/18(金) 20:31:59.87 ID:5YkKVsDH0
歴史を考察するのはいいが 牟田口閣下や佐藤閣下を呼び捨てにするのはいかんだろ。 仮にも親補職にあった方を呼び捨てにするのは、人として礼に欠けた行為だろ お前ら無位無官のカスだろ?身の程を弁えろや。 物事の是非を論ずるのはいいが、それも歴史を知ってるお前らが 閣下達を罵倒するのは、後出しジャンケンみたいなもんだぞ。
865 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/05/20(日) 14:16:31.88 ID:a2dJHDxR0
★連合軍を利する無能の佐藤は、 殺すなと連合軍が特命www 全くの話し、ストップフォードのごときは、英空軍が佐藤の本部を発見し、それを爆撃しようとしたとき、 爆撃しないように特命した事について話してくれました。 それは佐藤がもし殺されたら困る(もっと利巧な者が佐藤の代わりになってくるからだ) とストップフォードは言ったそうです。 第四軍団参謀アーサー・バーカー中佐 私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価 した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。 後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している 熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。 彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、 彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。 第14軍司令官スリム中将
866 :
大東之鐡人 :2012/05/26(土) 20:27:04.84 ID:9il3agLK0
あと一歩で奪れてゐたでせう。 責任は作戰發動を遷延させた上級司令部と、統制前進の柳田、抗命の佐藤?師團長にあります。 何れか片方だけならなほ勝ってゐたと見ます。 理由は此処の皆さんならお判りでせう。 作戰發動や戰闘が早ければ早い程、連敗英軍の回復と戰備は乏しく相成ります。
867 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/05/29(火) 19:06:39.51 ID:PAKYVEq00
この人の先祖は韓国人
868 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/05/29(火) 19:20:51.92 ID:XdxxaMefP
出典捏造すらバレて大恥かきまくりのコピペを、こっちにまでもってこないでくれる? いくら喚いても牟田口の評価が覆ることはないよ。 まして嘘と荒らしコピペだけが手段じゃねw
870 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/05/29(火) 21:35:09.41 ID:P8SUsxvJ0
871 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/05/29(火) 21:43:58.31 ID:XdxxaMefP
>>869 wikipwdiaから出張してこなくてもいいよ^^;
言論統制できない2chが許せないの?
言論統制とはルールも守れず 話し合いの場から逃げ出しておきながら 後で文句をつける人がいえることなのかねw
873 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/05/30(水) 08:16:10.56 ID:uT/O5qeYP
いつもの気違い末尾Pじゃんw 監視活動乙ww
875 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/05/30(水) 13:18:09.31 ID:uT/O5qeYP
>>874 監視活動乙ww
wikipediaに帰ればww
失敗と判断してからの作戦中止が遅かったって事?
Miwa.SS A級戦犯をひたすら罵倒する広島の朝鮮人 Los688(kamkamkam) 金儲けがすべての大嘘歴史作家:半藤一利の信者、その宣伝マン Hman 性器マニアのオカマ?軍事には興味なし 岩見 三流雑誌のホラ吹き戦記作家?
878 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/06/03(日) 12:24:25.89 ID:0eqV4xuBP
平成九年、インド独立五十年の記念式典の際、在郷軍人会のヤダハ代表は 出席した加瀬英明氏(日印親善協会会長)に対し、インド国民の感謝の言葉を靖国神社に 奉納してほしいと要請した。次の文章である。 「われわれインド国民軍将兵は、インドを解放するために共に戦った戦友として インパール、コヒマの戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対してもっとも深甚なる敬意を 表します。インド国民は大義のために生命を捧げた勇敢な日本将兵に対する恩義を 末代にいたるまで決して忘れません。我々はこの勇士たちの霊を慰め御冥福を お祈り申し上げます」 またレイキ法学博士はインパール作戦にふれ、「太陽が空を輝かし、月光が大地を うるおし、満天に星が瞬く限り、インド国民は日本国民への恩義を忘れない」とのべた。
881 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/06/25(月) 15:26:50.26 ID:VW+z8q8r0
東洋のカエサルと言われる人だからな 乃木大将とか国に尽くした人が馬鹿にされる時代は悲しいかな。
883 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/06/26(火) 23:08:50.36 ID:E5B5k6q30
田母神って牟田口に近いタイプの人間じゃないかな
884 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/06/30(土) 01:52:37.53 ID:zGLC/L4x0
885 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/05(木) 00:47:01.43 ID:Y02beHrp0
「ジンギスカンハウス」って、もうないですよね。 倒産したんですか? 行ったこある人いますか?
死ぬまで外国記者だかが書いた記事を持ち歩いてたんだよな。 哀れなり…。
887 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/05(木) 21:20:18.10 ID:dFuszy4A0
こういう奴って半藤とかを信仰して一生を終えるんだろうな。 司馬厨と同じ。
888 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/14(土) 16:58:45.00 ID:9Uj8d8640
敵に回したらこれほど頼もしいやつはいない!
889 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/22(日) 17:42:08.16 ID:RXRL4HHP0
牟田口の指揮は正しく、インパール作戦はあと一歩で成功していたと イギリスでは評価されている。 ★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。 佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 ★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 ★アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。 なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 ★マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官) 「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」 「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、 まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。 さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」 ★第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、 師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。 幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。 佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
以上、牟田口のビラでした
891 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/24(火) 15:19:51.56 ID:iOHctLukO
牟田口て腐ってるよな
892 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/24(火) 16:39:11.85 ID:y7D/8HNH0
いつもの末尾P工作活動乙
893 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/28(土) 11:04:18.84 ID:4kGsvO+e0
無茶口・・・いい加減にしてね。中日新聞の連載を地獄のオマエに送りたい。
>>893 牟田口をいくらでも罵倒中傷してよいが
その報復として
山本五十六と半藤一利を、徹底して罵倒中傷する。
そちらが仕掛けた罵倒合戦は受けて立つ。
おいおい、まるで牟田口批判がお前のやってるような根拠のない罵倒中傷のようじゃないかw 少なくとも半藤は取材の上で書いているはずだが、 おまえときたらたったひとつの本を読んだだけで他の資料を見もしないでやらかしてるんだぜ。 受けて立つどころか逃げ回ってるのが自分の姿だって理解した方がいいぞ?
896 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/29(日) 09:29:28.79 ID:Rs1rK6JP0
と今日も気違い佐藤の子孫の末尾Pが申しておりますw
反論できなくなって悔しいってのだけはよく分かったよw それはわかるんだがP2という2ちゃんぶらうざを使うと 君の脳内では何か変わることがあるの? 基地外の考えることはよくわからんなあ
898 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/29(日) 10:04:55.31 ID:Rs1rK6JP0
半藤の取材とやらのどこに客観性があるのやらw 司馬の焼き直ししてるだけじゃん。 悔しいのう、悔しいのうww
客観性? 何の資料もなしに自分だけの思いこみでないとかいうのは客観性とはいわないのだがw せめて複数の資料と付け合わせると客観性がないとかいうのでないと。 もしかして糖質で客観性の言葉の意味が自分自身以外通じない人なのか? >司馬の焼き直ししてるだけじゃん お前が司馬も半藤もまともに読んでないのはよく分かった。
つーか使っているブラウザの種類だけで いっさい無いようにふれぬまま基地外呼ばわりできてしまう君が 客観性なんて言葉を使って意味があるんだろか? 反論すらできなくて悔しいのはわかるが自業自得だよね。
もうちょっとわかりやすくいってやろうか。 牟田口について本を一冊読んだだけのお前がいってる客観性ってなに? きゃっかんせい【客観性】 客観的であること。だれもがそうだと納得できる、そのものの性質。「―に欠ける論評」⇔主観性。 んで、お前さんの客観性って 土足がだれもがそうだと納得できる”となんら根拠もなく主観的に思いこんだことってだけの話なんだが。 だれもがもなにもたった一人が書いた本を盲目的に信仰してる状態で判断できる事じゃないよ。 だいたい批判する対象について読んだこともないのに批判するやつが 客観性がないとかなんのギャグなんだw
902 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/29(日) 16:18:50.26 ID:/KHGchoy0
日本を壊滅させた馬鹿は、愚かな作戦を強行した海軍・山本五十六である。 陸軍や牟田口ではない。 ■若狭和朋 『日本人が知ってはならない歴史』 開会の直前に、東條首相は杉山元参謀総長から耳打ちされた。『どうも海軍はハワイをやるらしい』 『なに、ハワイ。話が違うではないか』と東條英機首相は激怒している。 開戦前夜、東條英機首相は暗夜の公邸で慟哭している。翌朝、日本帝国首相は真珠湾攻撃の成功をラジオのニュースで知るのである。 (早朝の電話報告で攻撃成功を知った、という説もある)。」 ■小室直樹 『硫黄島 栗林忠道大将の教訓』 「大東亜戦争の初め、東条首相は真珠湾攻撃を知らなかった。 これは東条のみでなく、陸軍全体が知らなかった。 誰もが驚くような話である。 何故かと言えば、日本軍の共同体の構造がそのようになっていたからだ。」 ■佐藤晃 『太平洋に消えた勝機』 「だがこの時すでに、真珠湾作戦部隊はヒトカップ湾をハワイに向けて 出航している。 政府はこのことを知らされていない。 略 国家存亡の戦争を行う国の最高指導者が知らぬまに、 そして 共同作戦をとる陸軍が知らぬ間に、このような重大作戦が決行される事など、 最高指導者の下に統合幕僚組織のある普通の国では考えられないことである。」 ■西村眞吾 『眞悟の時事通信 No.693』 「つまり連合艦隊司令長官は、この時既にハワイ真珠湾攻撃を決意していたのだ。 このことは海軍軍令部総長も知らない。 もちろん、首相である近衛も十月に首相になった東条も知らない。」 略 腹案は、よくできている。そして、現実には、第一段階(南方作戦)は一挙に達成され、第二段階(西亜作戦)の途中まで達成された。 しかし、この「戦争終末促進に関する腹案」の基本方針に反することを、最初から実施し、しかも順調に進んでいた第二段階を自ら放棄して、 結局、腹案全体の戦略と戦術、我が国家の基本戦略を崩壊せしめた人物がいた。 我が国から統合幕僚本部を喪失させた山本権兵衛に続く、海軍のもう一人の山本。山本五十六連合艦隊司令長官である。 ■茂木弘道『史実を世界に発信する会』 その基本戦略に反する戦いを始めたのは、海軍の山本五十六連合艦隊司令長官であった。 略 山本提督一派によるパフォーマンスのようにしか見えない戦い方だが、最初の真珠湾攻撃で意見の対立が生じたとき、 山本提督を更迭するだけの力(それだけの人物)と覚悟が海軍上層部になかったということなのか。 結果、日米戦争での日本の戦いは相手(米国)のリングで戦うことになり、惨憺たる負け戦になったことは史実が示す通りである。
903 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/29(日) 16:25:17.31 ID:/KHGchoy0
>>901 連合軍関係者による、それぞれ別の場で時期も異なるが
これら一致した見解は、客観的な証明だが?
★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、
一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、
マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、
まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。
ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。
さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」
★第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
904 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/29(日) 16:30:23.86 ID:/KHGchoy0
半藤一利は多くの資料を集めてはいるが それの都合の良い部分だけを切り出し 「小説」というカラクリの形態によって捏造を加えて 読者を扇動し悪意を抱かせるという、最低なやり口の卑怯者。
>>903 だから客観的っていうのは片方側からの見方を集めたら
絶対に出てこない、しかも戦争中の情報が制限されている片方の見方なんですけど、
自分の主張には客観性のかけらもないといいたいのか?
>>904 読んだこともないお前さんがなんでそんなことがわかるの?
906 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/29(日) 16:52:02.21 ID:/KHGchoy0
>>905 半藤一利はノモンハンの夏で捏造しまくってるじゃないか。
登場人物の辻と服部が色々と発言してるが
すべて半藤が創作した発言だろ?
これを捏造といわず、何だというんだ?
しかも小説を史実だと宣伝している。
まあ仮に読んだとしよう。 でも大田本しか読んでないお前に分かるのは 大田本と合わない部分がある程度のことだよね。 他の資料をみようともしないんだから 都合の良い部分だけを切り出したかもわからないし、 大田と半藤のどっちがねつ造したかも判断できないというのが君に関する客観的な評価。 しかたないでしょ、他の資料まったくみない人間に出来ることはそのくらいだって話だからね。
>>906 ほらやっぱり読んで無いじゃないかw
なんできちんと読んだ上で批判しないのかね?
ちゃんとみたら批判できないようなものだとうすうす思ってるからじゃないかw
909 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/29(日) 17:05:31.54 ID:/KHGchoy0
司馬の戦争小説は、創作された小説で まったく価値が無いと、すでに烙印を押されたも同然だが 司馬やその他に、そのような捏造小説を書かせていた本当の黒幕が 半藤一利である。 こんな奴の本を、金出して買えだと? 笑わせないでくれwww
910 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/29(日) 17:17:36.58 ID:/KHGchoy0
「ノモンハンの夏」は当初、司馬が著者で出版されることになっていた。 しかし中身はまるまる半藤が捏造した内容で、 さすがの司馬も、こんな大嘘小説の著者になるのは嫌だと 断わられたらしいw
911 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/29(日) 17:27:47.35 ID:/KHGchoy0
ちなみに 高木俊朗「抗命 −インパール2−」も間違いなく 中身は半藤一利が捏造したトンデモ本。 半藤一利は、こういうやつである。
912 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/29(日) 20:03:24.12 ID:Rs1rK6JP0
>>899 御用作家の意見を間に受ける気違い見っけ。
wikipediaに帰れよ末尾P。
913 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/29(日) 20:05:40.93 ID:Rs1rK6JP0
てかwikipediaの言論統制が嫌でスレ立てしたのに、 wikipediaから出張してくる末尾Pのバカはどうにかならんのか。 スレタイも読めないとは気違いの極みだな。。
914 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/29(日) 20:40:54.14 ID:lZ47EUMa0
>>902 東條は海軍がハワイの真珠湾を攻撃する事を事前に
「知らなかった」としている[19]が、昭和16年8月に海軍より
開戦劈頭に戦力差を埋めるための真珠湾攻撃を研究中と
内密に伝達され[20]、11月3日には永野海軍軍令部総長と
杉山陸軍参謀総長が昭和天皇に陸海両軍の作戦内容を
上奏するため列立して読み上げた。[21]ハワイ奇襲実施についても
このときに遅くとも正式な作戦として陸軍側に伝わっており、
東條自身、参謀本部作戦課に知らされている。
[22][23]。また、11月30日には天皇よりハワイ作戦の
損害予想について下問されており[24]、
「知らなかった」とするのは正確ではない。
ウィキペディアの東条英機の項目より
しかし、そもそも東條自身が東京裁判において、開戦1週間前の12月1日の御前会議によって知っていたと証言している[25]とおり、海軍の作戦スケジュール詳細は開戦1週間前に知った状況である。
あの証言さあ、天皇も真珠湾攻撃は知らなかった事にするための偽証じゃね?
916 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/29(日) 20:45:30.11 ID:Rs1rK6JP0
wikipediaがソースとか冗談きついなw
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/29(日) 21:03:41.27 ID:lZ47EUMa0
20 明治百年史叢書杉山メモ 下巻 資料解説 P6 21戦史叢書(76)大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<5> P336 22『海軍大学教育』「第三章 真珠湾作戦と海大」実松譲 光人社 23『明治百年史叢書 杉山メモ -大本営・政府連絡会議等筆記- 上下巻』参謀本部編 原書房 ウィキの引用元 ウィキは信用しないがこれら、引用しているものは信頼度高いだろう 特に戦史叢書にも書いてあるのなら 知っていた事は決定的だろうが
そのWIKIレベルに達していないそう思ってる人がたくさんいる、 根拠は誰一人なにひとつだせないけどってのを自慢げにコピペしてたのは誰でしたっけ?
919 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/29(日) 23:06:28.15 ID:d0uNrrq+0
東条が知ったとしても、それは12月1日以降で非公式に知ったに過ぎない。 これでは事前に知っていたとは言えない。 キーナン検事「あなたは、日本の艦隊が真珠湾を攻撃するために、日本を出発した日を知っているでしょう」 東條英機「今知っているというお尋ねですか。その当時知っておったかというお尋ねですか」 キーナン検事「私が尋ねているのは、今知っているかということです」 東條英機「今、裁判所において私はその知識を得ました」 キーナン検事「いつ艦隊は出発しましたか」 東條英機「どこをですか」 キーナン検事「東京を」 東條英機「それは知りません。私がこの裁判所で得た知識は、ヒトカップ湾と言いましたかね。二十三日か、二十六日に出たというふうなことを知ったのです」 キーナン検事「あなたは現在、この連合艦隊の作戦命令は、十一月五日に発せられたということを知っておりますか」 東條英機「知りません。作戦準備命令がその頃出たということは、この法廷で承知しました。準備命令です。お間違えの無いように」 キーナン検事「そしてまたあなたは総理大臣として、この艦隊が十一月の二十三日にしろ、二十六日にしろ、日本を出発したということもまた知らなかったのですね」 東條英機「事実において知りません」 キーナン検事「そうして真珠湾に対する攻撃が現に起ってしまうのちにいたるまで、これを攻撃する意思を見出すことができなかったと推定するか ― 。」 東條英機「それは違った推定です。」 キーナン検事「それではあなたはいつ真珠湾を攻撃するということを、艦隊が真珠湾に向かって進行中であることを知りましたか」 東條英機「それは十二月一日の御前会議の決定にもとづいて、当然に私は攻撃を開始するということに向かって行動しつつある。こういうふうに想像しておりました。・・・・以下略」 ウェブ裁判長「それを知った日付を答えなさい!」 キーナン検事「法廷に申し上げます。この証人はばかばかしいほどの限度まで行き過ぎております。 私は単にいつ真珠湾攻撃の意思を知ったかというその日付を訊いただけであります。 証人に対して、この質問に答えるよう指示を与えていただきたいと思います」 ウェブ裁判長「証人、もし記憶しているならば、それを知った日付を述べなさい」 東條英機「それは一番最初にお答えしたと思うておりましたが、十二月一日の御前会議において知りました」 キーナン検事「私はあなたに対して長々しく退屈なことを訊くつもりはありませんが、ただこの点だけを明確にお尋ねします。 すなわち、あなたはこの御前会議において、日本の艦隊が真珠湾を攻撃するために進行中であったということを知りましたか。しかりとか、否とか答えてください」 東條英機「もう一遍言ってください」 ウェブ裁判長「この簡単な質問に答えなさい。あなたはいつ最初に真珠湾は攻撃されることになっているということを知りましたか。 それに対して一語、もしくは二語でごく簡単に答えることが出来るでしょう」 東條英機 「それは否と答えましょう。」 キーナン検事「それでは最初に知ったのはいつか。」 東條英機「イエスとかノーで答えるというのはツライです。御前会議においては真珠湾攻撃云々ということは出ていなかったのです。それを私は否と答えた。」 キーナン検事「それでは御前会議において作戦部隊が合衆国あるいはその領土を攻撃のため出動中であるといづことが明らかにされたか。」 東條英機「そういう作戦に関する具体的なことは御前会議、連絡会議において採り上げられませんでした。そういうことは統帥部から提案すべきものではないのです。」 ウェブ裁判長「いつ最初に真珠湾が攻撃されることになっていることを知ったか?」 東條英機「一日でしたか、二日でしたか、そこのところは日にちがはっきりしませんが、その辺のところです」 キーナン検事「いつの」 東條英機「昭和十六年十二月の」 キーナン検事「私はこの証人から非常に正確なことを聴きだすことが出来なかったことをお詫びいたします」
920 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/29(日) 23:10:02.00 ID:d0uNrrq+0
★東条が真珠湾奇襲を早い時期から知っていたと記した「東条英機宣誓供述書」は 内容がデタラメであることが、裁判の自身の答弁によって証明されている。 キーナン検事「あなたは、日本の艦隊が真珠湾を攻撃するために、日本を出発した日を知っているでしょう」 東條英機「今知っているというお尋ねですか。その当時知っておったかというお尋ねですか」 キーナン検事「私が尋ねているのは、今知っているかということです」 東條英機「今、裁判所において私はその知識を得ました」 キーナン検事「いつ艦隊は出発しましたか」 東條英機「どこをですか」 キーナン検事「東京を」 東條英機「それは知りません。私がこの裁判所で得た知識は、ヒトカップ湾と言いましたかね。二十三日か、二十六日に出たというふうなことを知ったのです」 キーナン検事「あなたは現在、この連合艦隊の作戦命令は、十一月五日に発せられたということを知っておりますか」 東條英機「知りません。作戦準備命令がその頃出たということは、この法廷で承知しました。準備命令です。お間違えの無いように」 キーナン検事「そしてまたあなたは総理大臣として、この艦隊が十一月の二十三日にしろ、二十六日にしろ、日本を出発したということもまた知らなかったのですね」 東條英機「事実において知りません」 キーナン検事「そうして真珠湾に対する攻撃が現に起ってしまうのちにいたるまで、これを攻撃する意思を見出すことができなかったと推定するか ― 。」 東條英機「それは違った推定です。」 キーナン検事「それではあなたはいつ真珠湾を攻撃するということを、艦隊が真珠湾に向かって進行中であることを知りましたか」 東條英機「それは十二月一日の御前会議の決定にもとづいて、当然に私は攻撃を開始するということに向かって行動しつつある。こういうふうに想像しておりました。 しかもその間において日米交渉が万一にでも打開できれば技術上許す範囲において何時でも作戦行動を停止・・・・以下略」 話しを遮ってウェブ裁判長「それを知った日付を答えなさい!」 キーナン検事「法廷に申し上げます。この証人はばかばかしいほどの限度まで行き過ぎております。 私は単にいつ真珠湾攻撃の意思を知ったかというその日付を訊いただけであります。 証人に対して、この質問に答えるよう指示を与えていただきたいと思います」 ウェブ裁判長「証人、もし記憶しているならば、それを知った日付を述べなさい」 東條英機「それは一番最初にお答えしたと思うておりましたが、十二月一日の御前会議において知りました」 キーナン検事「私はあなたに対して長々しく退屈なことを訊くつもりはありませんが、ただこの点だけを明確にお尋ねします。 すなわち、あなたはこの御前会議において、日本の艦隊が真珠湾を攻撃するために進行中であったということを知りましたか。しかりとか、否とか答えてください」 東條英機「もう一遍言ってください」 ウェブ裁判長「この簡単な質問に答えなさい。あなたはいつ最初に真珠湾は攻撃されることになっているということを知りましたか。 それに対して一語、もしくは二語でごく簡単に答えることが出来るでしょう」 東條英機 「それは否と答えましょう。」 キーナン検事「それでは最初に知ったのはいつか。」 東條英機「イエスとかノーで答えるというのはツライです。御前会議においては真珠湾攻撃云々ということは出ていなかったのです。それを私は否と答えた。」 キーナン検事「それでは御前会議において作戦部隊が合衆国あるいはその領土を攻撃のため出動中であるといづことが明らかにされたか。」 東條英機「そういう作戦に関する具体的なことは御前会議、連絡会議において採り上げられませんでした。そういうことは統帥部から提案すべきものではないのです。」 ウェブ裁判長「いつ最初に真珠湾が攻撃されることになっていることを知ったか?」 東條英機「一日でしたか、二日でしたか、そこのところは日にちがはっきりしませんが、その辺のところです」 キーナン検事「いつの」 東條英機「昭和十六年十二月の」 キーナン検事「私はこの証人から非常に正確なことを聴きだすことが出来なかったことをお詫びいたします」
>>919 そう主張してる歴史家が存在するならさっさとソース出せ。
12月1日という答えの質問の元はこれですがw キーナン検事「私はあなたに対して長々しく退屈なことを訊くつもりはありませんが、ただこの点だけを明確にお尋ねします。 すなわち、あなたはこの御前会議において、日本の艦隊が真珠湾を攻撃するために進行中であったということを知りましたか。しかりとか、否とか答えてください」 東條英機「もう一遍言ってください」 ウェブ裁判長「この簡単な質問に答えなさい。あなたはいつ最初に真珠湾は攻撃されることになっているということを知りましたか。 それに対して一語、もしくは二語でごく簡単に答えることが出来るでしょう」 東條英機 「それは否と答えましょう。」 つまりお前は真珠湾攻撃を始めて告げられたのが12月1日だと思いこんでいるが 単に艦隊が進行中であることを告げられた日にちとして東條は答えて居るんだよ。 ま、当たり前なんだが当時の太平洋航路は1ヶ月かかるようなもので ハワイを攻撃するのに2週間かかるのは説明不要の常識だ。 この日付は正式に聞かされた日付に過ぎない。
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/08/01(水) 21:17:16.86 ID:rELozpMA0
英国人が牟田口を賞賛してるのに卑屈になってる日本人が痛々しいな。 Wikipediaで言論統制している末尾Pだからしゃあないのかな。
え? 日本語が読めないの? 英国人で牟田口を賞賛しているのなんか 牟田口に序文書いて貰った人くらいだよw
・・・というか、 あいつはすげえやつだったぜ(それに勝った俺はもっと凄いけどな!) ってのが賞賛だと思うバカが痛々しいわw
たしかに日本人は不思議だな 例えば零戦や日本軍のこと等を、外国人がほめているから零戦や日本軍は強かったと 外国人の評価を無条件に受け入れるのに インパールだけは、インパール作戦を評価する外国人がいくらでもいると言っても がんとして外国人の評価を受け付けない。 例えば零戦や日本軍等の外国人の高評価は信奉しているのに インパール作戦の外国人の高評価は絶対に受け入れない
まあそれはともかく インパールでイギリス軍が危険だと思ったのは間違いない イギリスって相手が弱かったらちゃんと酷評する所だし まあ補給無視してあんな山こえてくるなんて誰も思いやしないだろうからね 誰も考えない無謀な事やったのがインパール
928 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/08/03(金) 15:23:05.51 ID:GvJn+jyt0
佐藤の敵前逃亡は関ヶ原の小早川みたいなもん。 そりゃ総崩れになるわな。
929 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/08/03(金) 15:24:21.22 ID:GvJn+jyt0
>>924 え? 日本語が読めないの?
自分に不利な証拠は一切認めないんだよねw
言論統制末尾P乙ww
>>929 え? 日本語読めないの?
903みれば誰一人として評価してないのがわかるじゃんw
931 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/08/03(金) 15:57:11.60 ID:GvJn+jyt0
>>930 え? 日本語が読めないの?
899みれば英国人から高く評価されてるってわかるじゃんw
どう評価されてるんだ? 奇襲されたけどアホだったので助かったといってるだけだがw
933 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/08/03(金) 16:01:13.03 ID:GvJn+jyt0
>>932 え? 日本語が読めないの?
899みれば英国人から高く評価されてるってわかるじゃんw
だから、それを読めばこしゃくに奇襲なんかして慌てさせられたけど、 やるべきことやらないアホだから助かったといっとるがな。 ホントに日本語が読めないの?
935 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/08/03(金) 16:11:53.63 ID:GvJn+jyt0
どう読んでも佐藤DQNで英軍が勝てたと言っている。 スレタイも読めない日本語が不自由な方は大変ですねw
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/08/03(金) 20:01:51.40 ID:OK6zg2lK0
★連合軍を利する無能の佐藤は殺すなと 連合軍は特命を出していた。 全くの話し、ストップフォードのごときは、英空軍が佐藤の本部を発見し、それを爆撃しようとしたとき、 爆撃しないように特命した事について話してくれました。 それは佐藤がもし殺されたら困る(もっと利巧な者が佐藤の代わりになってくるからだ) とストップフォードは言ったそうです。 第四軍団参謀アーサー・バーカー中佐 私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価 した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。 後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している 熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。 彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、 彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。 第14軍司令官スリム中将
>>935 だからいっているだろ。
その文章からは英国人が牟田口を高く評価している点は見いだせないって。
んで、佐藤に命令出してたのは誰ですかw
938 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/08/03(金) 20:42:00.73 ID:OK6zg2lK0
■ディマプール追撃を拒否したノロマの佐藤を批判する 不敗の名将・宮崎歩兵団長の証言 今でも不思議に思っていることは、一個連隊を私が指揮し、 二個連隊を師団長が指揮している。 後続の先頭連隊をもらって私は喜んだが、師団としてはやるべきではない。 普通であったなら、師団長がコヒマへとんできて、よし、戦況がこうならば 一三八連隊はどこで使うということを決めて、命令すべきだと思う。 それがどういう命令であるべきかというと 『速やかにディマプールへ突進せよ』であった。 見ていると、第一三八連隊は二日間も動かない。 私はこれを見てこの連隊を師団に返納するという電報を打った。 略 それでも連隊はなかなか動かない。私は業を煮やしていた3日か4日経って動き出した。 しかし、その時はもう時期が遅かった。 略 私は第一線にいずっといて後方のことは、全く分らないが、あとからフタを開けてみて、そういう感じを持っている。 私はとうとう戦地では遺憾ながら師団長と顔を合わせたことはありませんでした。 『宮崎少将の証言』 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P289
と宮崎がいってました by牟田口
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/08/03(金) 21:02:57.65 ID:GvJn+jyt0
>>937 とりあえず、英軍からの評価は評価は置いておこう(これ以上言っても平行線だろう)。
結果的に作戦が失敗したのは事実。
ところで、敵前逃亡を上官のせいにするのは筋違いだな。
それが可能なら、親補職なんだから牟田口のせいと言うより天皇の責任になるわな。
941 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/08/03(金) 21:05:12.80 ID:GvJn+jyt0
牟田口憎しの末尾Pは異常だなw 言論統制できるwikipediaに帰ればいいのにw
>>940-941 >とりあえず、英軍からの評価は評価は置いておこう(これ以上言っても平行線だろう
そうだな、日本語が読めないのかと喚いてる人間ですら
どう読んでも佐藤DQNで英軍が勝てたと言っているだけで
牟田口を賞賛した部分が見つけられないんだからw
並行線どころか君も理解できたということだよw
>ところで、敵前逃亡を上官のせいにするのは筋違いだな
いいえ、牟田口のせいですよw
なぜなら柳田は敵前逃亡などしておりませんし、命令違反すらしておりません。
現地点を守れという命令を遵守して、それに必要な物資を受領するためいったん後退しただけですから。
これは裁量の範囲内であり戦闘力回復後奪回してもなんら問題がありません。
んで、牟田口がいっていた物資はどこにありましたか?
>>941 つかっているブラウザの種類しか文句をつけられる点が見つかりませんかw
943 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/08/03(金) 21:20:17.05 ID:GvJn+jyt0
>>942 やれやれ、平行線だから一歩引いたら煽りか
全く建設的でない朝鮮人みたいな奴だな。
約束した物資がないから敵前逃亡していいって軍隊あったら教えて欲しいんだが。
他の戦線で物資がないからと逃げた部隊あった?
どう考えても佐藤の身勝手だし、任命責任を無視して牟田口に責任を押し付ける理由がわからんわ。
>つかっているブラウザの種類しか文句をつけられる点が見つかりませんかw
このスレで末尾Pの奴は限られてるからなw 実質コテハンと同じなんだよ
>>943 >約束した物資がないから敵前逃亡していいって軍隊あったら教えて欲しいんだが。
そこを守備するのに物資がないから後退して受領するのを逃亡という軍隊はないよw
そもそも物資がなければ守備そのものができないから後退という戦術行動をとっただけなんだから。
>他の戦線で物資がないからと逃げた部隊あった?
他の戦線では物資を送ったなんて嘘ついて
部隊の損害を増加させる無能な上司がおった?
>どう考えても佐藤の身勝手だし任命責任を無視して牟田口に責任を押し付ける理由がわからんわ。
牟田口の命令が補給はない、その場で全滅するまで可能な限り時間をかせげというものなら
佐藤の身勝手で牟田口は責任を問われないね。
ところが補給物資はそこまで送っているからすぐ届くのでその場を守れという命令である以上、
物資なしで現地を守れないと判断すれば後退は身勝手でも何でもない当然の行動だ。
物資を補充して戦力を回復すれば命令遂行は可能なんだからね。
>このスレで末尾Pの奴は限られてるからなw 実質コテハンと同じなんだよ
それじゃお前、話してる内容じゃなくてコテハンだけにしか文句をつけられなくなっただけの話じゃねえかw
なにか言い訳にでもなってると思ってるのか。
945 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/08/03(金) 21:37:11.59 ID:BqSHc0O10
>>944 ディマプール追撃を拒否したノロマの佐藤を批判する
不敗の名将・宮崎歩兵団長の証言
今でも不思議に思っていることは、一個連隊を私が指揮し、
二個連隊を師団長が指揮している。
後続の先頭連隊をもらって私は喜んだが、師団としてはやるべきではない。
普通であったなら、師団長がコヒマへとんできて、よし、戦況がこうならば
一三八連隊はどこで使うということを決めて、命令すべきだと思う。
それがどういう命令であるべきかというと
『速やかにディマプールへ突進せよ』であった。
見ていると、第一三八連隊は二日間も動かない。
私はこれを見てこの連隊を師団に返納するという電報を打った。
略
それでも連隊はなかなか動かない。私は業を煮やしていた3日か4日経って動き出した。
しかし、その時はもう時期が遅かった。
略
私は第一線にいずっといて後方のことは、全く分らないが、あとからフタを開けてみて、そういう感じを持っている。
私はとうとう戦地では遺憾ながら師団長と顔を合わせたことはありませんでした。
『宮崎少将の証言』 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P289
946 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/08/03(金) 21:40:14.14 ID:BqSHc0O10
佐藤を無能のアホだとボロクソに批判し、こちらを利するバカだから 殺してはならないと進言した、英国の名将スリム中将『敗北から勝利へ』 日本軍第三一師団長佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。 彼はコヒマを取って陣地を構築するよう命令されていた。彼の頑固な頭はコヒマを取る という一つの考えで一杯であった。 全然コヒマを取らずに彼が我々に大きい損害を与えられるとは彼は思い及ばなかった。 少数の牽制部隊を残し、ニチュガードのウォーレン旅団の東方まで道路によって前進した彼は、 4月5日までに彼の師団の主力を持って鉄道を攻撃できた。 しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、彼の部隊が来着したとき彼はこれを コヒマの小さな町の連続する攻撃に投じた。
947 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/08/03(金) 21:44:27.08 ID:GvJn+jyt0
>>944 >そもそも物資がなければ守備そのものができないから後退という戦術行動をとっただけなんだから。
後退するかどうかは牟田口が決めることであって、佐藤の権限ではないよな?
牟田口が物資を送ったなんて言ってない。 物資を送るだろ?
同じようなものなら、サイパンやニューギニア等々結局送れてないじゃん。
てか、牟田口無能論でスレ立てするなりwikipediaに帰ればいいのにな。
何スレチを続けてるんだ、この気違いは。
>>947 物資を補充して戦力を維持しないとそこを守備できるかどうかを判断するのは
現場の柳田の決めることですが何か?
君は弾切れを起こしたらその人間の判断でタマを補充しにいく権限がないというのかね?
>牟田口が物資を送ったなんて言ってない。 物資を送るだろ?
あのさあ、送ったと嘘をついたから
命令違反でも敵前逃亡でもないっていってるんだよ。
物資なしで死守させたいならきちんとそういう命令をだすべき、
最低限の責務すら果たしてないどころか味方を欺いているのに、
責任だけは前線の師団長に押しつけるってありえないだろ。
というか仮に牟田口の命令通り来もしない物資を頼りに
現場を死守してなにかいいことあるのか?
949 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/08/03(金) 22:09:55.43 ID:BqSHc0O10
>>948 佐藤はバカだと英国公刊戦史で
すでに確定しているw
土足の本名は佐藤さんだったのか。
952 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/08/10(金) 00:44:05.32 ID:LHRBeFJR0
最近みんな無駄口ばかりじゃね。
牟田口土足閣下ハケーン! リレー荒らすじゃねーよ土足
954 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/08/13(月) 10:15:31.54 ID:4Zu78RY10
牟田口は無罪で山下は死刑 英国は自国を負かした司令官を許さない
955 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/10(月) 12:07:05.94 ID:zf7SIWJC0
ビルマのジャングルにはあれだけの植物が繁ってる。人間は本来草食動物なんだから ここで食い物がないなどということはありえない + ジンギスカン作戦 で本来ならB級戦犯だと思うが、連合国の勝利には大きく貢献してるな。
>>955 それで、食える植物と、毒になる植物を選別して、周知徹底すればまだましなんだけどねえ。
馬鹿な司令官を始末するのも幕僚の仕事だろ。 参謀長仕事しろ。
>>957 諫言した参謀長は更迭されて、いっしょに置屋に通う参謀長が赴任してきましたが。
959 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/13(木) 08:27:52.04 ID:xLyX/Lg20
猪突猛進型の司令官の補佐として、日本軍では数少ない兵站のプロの将官 をつける配慮した人事をしたのにね。
960 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/14(日) 05:59:12.44 ID:laYIvOYW0
司令官のほうが、兵站のプロを早々に切り捨てて、太鼓もちを参謀長にし、 部下の陸大主席の師団長をどやしつけてハッパかけ、 上司の東条、寺内元帥にゴマスリまくって 彼らの内なる戦局打開の願望をかぎとって情で決済押し通し、 結果は文字通り全滅で、ビルマ防衛の破綻を来たし 鬼と化した佐藤師団長と顔あってたら たぶん白昼軍刀で切りあいになっただろうと評され、 させんされて陸軍予科仕官学校校長で、戦後死ぬまで強弁 まぁ東電役員の斜め上行く伝説の人だわ。
靖国の資料館のインパール作戦の記述に 慰霊活動した河辺の記載はあってもこいつの記載はないことから 遺族や生還者の感情は推して知るべし
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/16(日) 19:41:36.61 ID:igWtfsF20
流布されている牟田口批判の内容は、全部大嘘だな。 五十六信者が宣伝してきた。 ざっとまとめると重要な点はこういったこと。他にもいくらでもあるが。 過去に流布された話は、大嘘である。 @インパール作戦は十分に勝算があった。 色々な方面から妨害され足を引っ張られ、惜しくも成功はしなかった。 A補給計画に関しては、当時の日本軍の作戦で特に軽視されたとは言えない。 むしろ当時の日本軍の作戦では、最も良かった部類。 15軍の補給計画にまったく問題は無かった。 物資は5月いっぱい(3ヶ月間)問題なかった(方面軍後方参謀・後勝の証言) 物資の不足に陥ったのは6月以降で、これは作戦を延長する判断をした 南方総軍、ビルマ方面軍の責任である。 Bスリム中将を筆頭に連合軍幹部は牟田口を批判しているかのように 流布されてきた。これも大嘘。 連合軍は、牟田口と対立した佐藤と河辺の方を批判している。 Cウインゲート空挺団は、補給に問題があり大きな脅威ではなく これへ陽動されてしまったのは重大な失態であった。 牟田口の判断が正しく、大騒ぎした飛行師団長の判断が愚かであった。
963 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/30(日) 10:57:28.35 ID:uIwQ3s4k0
>>962 で、それで死んだ6万の兵士は納得するのか?
>Cウインゲート空挺団は、補給に問題があり大きな脅威ではなく >これへ陽動されてしまったのは重大な失態であった。 >牟田口の判断が正しく、大騒ぎした飛行師団長の判断が愚かであった。 土足はバカだから理解できないだろうが、 ウインゲート空挺団は第18師団の後方連絡線を遮断して、 米支軍を支援しているんだよw
>Bスリム中将を筆頭に連合軍幹部は牟田口を批判しているかのように >流布されてきた。これも大嘘。 >連合軍は、牟田口と対立した佐藤と河辺の方を批判している。 これは英軍幹部がウ号作戦実施要綱を見ていないための誤解なんだよ。 ウ号作戦実施要綱にはディマプールのデの字も書いてないし、 インパールでさえ占領しろとは明記していない。
>A補給計画に関しては、当時の日本軍の作戦で特に軽視されたとは言えない。 >むしろ当時の日本軍の作戦では、最も良かった部類。 >15軍の補給計画にまったく問題は無かった。 短期決戦思想なのに水牛や羊を一線部隊に携行させていて 最も良いってなんだろうなw
>@インパール作戦は十分に勝算があった。 >色々な方面から妨害され足を引っ張られ、惜しくも成功はしなかった。 妨害もなにも南方軍の意思に反していたため。
>物資は5月いっぱい(3ヶ月間)問題なかった(方面軍後方参謀・後勝の証言) 後勝は「なんの問題もない」と明言してはいない。
969 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/30(日) 15:35:36.19 ID:bLkkf5IA0
牟田口の指揮は正しく、柳田や佐藤の妨害怠慢などが無ければ インパール作戦はあと一歩で成功していたと イギリスでは評価されている。 ★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。 佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 ★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 ★アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。 なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 ★マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官) 「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」 「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、 まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。 さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」 ★第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、 師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。 幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。 佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
970 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/30(日) 15:39:53.58 ID:bLkkf5IA0
>>967 >妨害もなにも南方軍の意思に反していたため。
南方軍司令官の寺内元帥が、インパール作戦を
早くやれと催促してるんだが?
971 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/30(日) 15:41:56.74 ID:bLkkf5IA0
>>966 >短期決戦思想なのに水牛や羊を一線部隊に携行させていて
駄牛部隊は後方部隊で、一線部隊ではないが?
>>970 だから稲田を追い出して牟田口案で実行できたんだろw
>>971 土足はバカだから知らないだろうが、
一線部隊でも編成されてますが?
974 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/30(日) 15:48:27.16 ID:bLkkf5IA0
>>965 >ウ号作戦実施要綱にはディマプールのデの字も書いてないし、
そんなことはない。
例えば準備要綱にも
「インパール」付近の策源(これはまさにディマプールを指す)を覆滅す
と書いてある
ビルマ方面軍ウ号作戦準備要綱
一、主作戦方面
(1)第15軍は英軍の反対に対し努めて主作戦方面の兵備を整頓したる後重点を
「チンドウィン」河西方地区に保持しつつ一般方向を「インパール」にむけ攻勢を執り成るべく
我に近き地帯に於いて一挙に英軍の捕捉撃滅を図り爾後国境付近所在の英軍を撃破
したる後「インパール」付近の策源を覆滅す
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/30(日) 15:52:17.15 ID:bLkkf5IA0
>>973 要請した補給部隊が足りないため、苦肉の策として
戦闘部隊から一部を引き抜いって、別途、駄牛部隊(後方部隊)が
編成されている。
苦肉の策だが、なにか問題でも?
976 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/30(日) 15:54:00.58 ID:bLkkf5IA0
>>968 >後勝は「なんの問題もない」と明言してはいない。
5月いっぱい作戦続行可能だと
判断してるじゃないか。
ビルマ方面軍後方参謀の正式な判断。
977 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/30(日) 15:56:34.03 ID:bLkkf5IA0
>>963 >で、それで死んだ6万の兵士は納得するのか?
納得しないだろうが、もんくは連合艦隊に言ってくれ。
アメリカを全面参戦させるという、想定外のありえない状況を
海軍が招いたために、そうなってしまった。
978 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/30(日) 15:59:06.00 ID:bLkkf5IA0
>>972 >だから稲田を追い出して牟田口案で実行できたんだろw
稲田はニューギニアへ左遷されて
職務放棄して逃亡し停職
九州では捕虜を殺害する等
とんでもないふざけた軍人だろw
>>974 お前の脳みそでは100kmくらい離れている場所が付近なのか」?w
>>975 本当にお前は嘘つきだな。
58連隊の各大隊のうち各1個中隊が駄牛部隊になって追いつけなくなった。
981 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/30(日) 16:04:31.23 ID:bLkkf5IA0
>>979 >お前の脳みそでは100kmくらい離れている場所が付近なのか」?w
「インパール」付近の策源
これはまさにディマプールだが?
コヒマでもいいが、ディマプールはコヒマの目と鼻の先だろ。
しかも最重要の策源地
982 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/30(日) 16:08:24.40 ID:bLkkf5IA0
>>980 稲田は海軍の妄想作戦にだまされ
太平洋に兵力をつぎ込めば大勝利できると考えていた馬鹿だろ?
だからインパール作戦を妨害し、左遷された。
>>976 本当に嘘つきだな。
後勝は「インパール攻略の成否いかんにかかわらず、5月末で作戦を打ち切るべきだ」
と言っている。
984 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/30(日) 16:09:34.80 ID:bLkkf5IA0
>>979 >58連隊の各大隊のうち各1個中隊が駄牛部隊になって追いつけなくなった。
小説の話だろw
出典を示せ。
986 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/30(日) 16:12:19.37 ID:bLkkf5IA0
>>983 >後勝は「インパール攻略の成否いかんにかかわらず、5月末で作戦を打ち切るべきだ」
と言っている。
だったら、方面軍に帰って河辺に報告し
打ち切ればいいじゃないか。
ビルマ方面軍が決めることで、
牟田口が決めることではない。
>>984 お前が小説本を真に受けているんだろw
陸戦史集「インパール作戦」ちゃんと書いてある。
>>986 現場の牟田口がまだやれるといっているからな。
牟田口が悪い。
989 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/30(日) 16:15:14.06 ID:bLkkf5IA0
>>988 >現場の牟田口がまだやれるといっているからな。
牟田口が悪い。
だったら太平洋戦線が、全部そうだが?
だれも止めるなんて言う司令官はいないが?
牟田口だけがなぜ悪いことになるんだ?
>>989 だれが牟田口のみが悪いといっているんだ?
東條も杉山も河辺も悪いだろw
991 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/30(日) 16:18:47.86 ID:bLkkf5IA0
>>990 それ以上に悪いのは海軍と山本五十六だが?
こっちの方が大損害を招いている。
なぜ最悪の戦犯・山本五十六を擁護する?
ただ東條も杉山も河辺も15軍を壊滅状態にしても良いとは言ってないんだよなw
994 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/30(日) 16:50:09.37 ID:bLkkf5IA0
牟田口の指揮は正しく、柳田や佐藤の妨害怠慢などが無ければ インパール作戦はあと一歩で成功していたと イギリスでは評価されている。 ★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。 佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 ★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 ★アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。 なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 ★マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官) 「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」 「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、 まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。 さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」 ★第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、 師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。 幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。 佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
ビルマ方面軍ウ号作戦準備要綱 一、主作戦方面 (1) 第15軍は英軍の反攻に対し努めて主作戦方面の兵備を整頓したる後 重点を「チンドウィン」河西方地区に保持しつつ一般方向を「インパール」に 向け攻勢を執り成るべく我に近き地帯に於いて一挙に英軍の捕捉撃滅を図り 爾後 国境付近所在の英軍を撃破したる後「インパール」付近の策源を覆滅す (2) 右作戦準備に先立ち英軍の真面目の反攻に際会したる場合は各正面 極力その攻撃を阻止しつつ速やかに反撃の態勢を整え爾後努めて統制ある指導に 基づき我に近き地帯に於いて英軍の捕捉撃滅を図りたる後「インパール」付近に」 向い追撃す (3) 前2項の反撃作戦に於ける軍主力を以ってする攻勢開始の時機は予め方面軍の 命令するところに依るものとす (4) 雨季明迄に「チンドウィン」河西岸地区「カレワ」正面に広く強固なる反撃 拠点を形成し爾後の攻勢を有利ならしむると共に作戦準備期間に於ける支拠たらしむ (5) 「インパール」付近の策源覆滅後は主力を以って同地付近の要域を又有力なる一部を 以って「コヒマ」付近の要域を占拠し持久態勢を確保す
(5) 「インパール」付近の策源覆滅後は主力を以って同地付近の要域を又有力なる一部を 以って「コヒマ」付近の要域を占拠し持久態勢を確保す ここは特に注目に値すると思う。 31師団丸まるコヒマ占領に投入している。 この命令をみるかぎりインパール周辺を確保してからコヒマに有力な一部を派遣すると書いてあるのだ。
997 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/30(日) 22:28:37.17 ID:cwnIjmTn0
単に、作戦が終わったらコヒマを拠点として整備するよん、駐屯するよん。 と言ってるだけで。。。 1,2の辺りのにんじん食べないで、5のデザートの話してもダメなのです。
いきなりデザートを食べようとしたのが牟田口w
999 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/31(月) 19:42:47.93 ID:waZWY9lEO
って事で牟田口はクズで終了です。
1000 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/31(月) 19:45:22.14 ID:waZWY9lEO
埋め立て〜
1001 :
1001 :
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