281 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
旧高旧領取調帳によると、
旧仙台・一関藩領:101万8817石9斗6升6合
内訳:
701,507.120石 陸前国全域
198,586.590石 陸中国内
*93,576.727石 磐城国内
*13,377.702石 近江国内
*11,474.537石 常陸国内
***,295.990石 下総国内
旧久保田(秋田)・岩崎藩領:41万3103石6斗8升3合
内訳
408,773.340石 羽後国内
**4,330.343石 下野国内
東北各国の石高は
600,036.140石 磐城
126,244.940石 岩代
701,507.120石 陸前
465,451.120石 陸中
340,866.250石 陸奥
945,416.860石 羽前
560,914.620石 羽後
一方明治9年〜明治12年の全国農産表による各年の米の収穫高は
陸前
633,868.035石 明治9年
611,247.896石 明治10年
529,364.656石 明治11年
593,553.278石 明治12年
592,008.466石 4ヶ年平均
羽後
*.902,225.764石 明治9年
*.714,444.773石 明治10年
*.804,987.331石 明治11年
1,052,682.559石 明治12年
*.868,585.107石 4ヶ年平均
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/15(日) 04:32:41.06 ID:nwBmLeuL0
久保田藩(秋田藩)の場合、表高20万石に対して
幕末の公称内高は41万6325石3斗6升(天保郷帳による、出羽領内のみ)
明治10年前後の羽後国の年平均米収穫高から推定される
旧秋田藩領内の米実収穫高は約64万石(4ヶ年の変動は53万〜77万石)で、
米だけで表高の3倍以上、公称内高の2倍近くとなる。
仙台藩の場合、表高62万石に対して幕末の公称内高は99万2057石2斗6升(天保郷帳による、陸奥領内のみ)
明治10年前後の陸前国の年平均米収穫高から推定される
旧仙台藩の米の実収穫高は約86万石(4ヶ年の変動は77〜92万石)となり、
表高を上回っているものの、江戸時代の公称内高約100万石を若干下回る。
もっとも本来石高は、他の農作物も含んだ収穫高なので、この辺は誤差範囲。
米以外の農作物も含めた米換算石高(明治10年〜12年、中村哲氏の計算による)は、
722,412石 磐城
852,925石 岩代
870,890石 陸前
687,770石 陸中
605,865石 陸奥
1,065,878石 羽前
1,010,170石 羽後
こちらの数字で計算すると、旧秋田藩領は約78万5千石、旧仙台藩領は約126万5000石
この場合は大豆のウェイトが高く、例えば明治9年の陸前は大豆14万4532石8斗1升4合の収穫があるが、
米1石が3.40円なのに対し大豆1石は3.00円で、米換算で12万7500石と計算される。
ちなみに金沢藩領の明治維新時の公称内高は、金沢藩133万8084石、富山藩15万9298石、大聖寺藩8万3772石で、
合計すると158万1154石
明治9年〜明治12年の全国農産表から加賀・能登・越中の4ヶ年平均石高を計算すると
米だけで136万8546石(4ヶ年の変動は122万〜144万石)。
いずれにせよ江戸時代の仙台藩で196万石やら240万石という数字は、
明治時代に政府が把握した数字から逆算しても、他の農作物を加えたとしてもありえないし、
>>278は仙台藩・秋田藩の実力を目立つように、他藩の石高を必要以上に引き下げている。