>>488 >高文研の訂正表明もなく、笠原氏の訂正見解もない以上、第二版が出版されて「馬台街→馬道街」が確認されない限りは原著書記載が「正」となります。
違うな。『体験者27人が語る南京事件』に中で夏さんは住んでいた場所を2回証言している。
「当時、私の家族は、中華東門新路口五号に住んでいました」
「当時、私の家族が住んでいた家は、現在の馬台街一一〇号にあたります」
新路口を南京の古地図で確認すると馬道街にあり、馬台街は全く別の場所にあるので、この2つの地名はどちらか
が正でどちらかが間違いというのが原著書の状態。2つとも正という事はあり得ない。
否定派の出した結論は馬台街が正。
理由は
>>6らしい。アバウトに地図の上を指で丸を書いたから、地図がよく解らないかったから。
笠原以外の夏さん証言聞き書き記述との矛盾は一切無視。
肯定派の出した結論は新路口が正。
理由は、早乙女勝元『南京からの手紙』、星徹『ルポ・中国の人々の怒りとは』で、同じく新路口と証言している。
落合信彦『目覚めぬ羊たち』では「中華門のそば」と証言しており、新路口は中華門のそばに在った。許証言の
「新開路」は新路口のXin Lu KouがXin Kou Luに入れ替わった聞き間違いか書き間違いと推測できる。
新路口が正の場合、馬台街(Ma Tai Jie)は馬道街(Ma Dao Jie)の聞き間違いと考えれば説明が付く。
否定派の結論の理由である、“アバウトに地図の上を指で丸を書いたから、地図がよく解らないかったから”は、
簡単に説明が付く。昔『話を聞かない男、地図が読めない女』という本を読んだのだが、大多数の女の脳の構造
は地図を読むのが得意ではないという研究成果がある。さらに高齢であれば、“アバウトに地図の上を指で丸を
書いたから、地図がよく解らないかったから”は当たり前の事であり、この事を以って夏さんは新路口に住んで
いなかったという結論は暴論でしかない。これが否定派の考察レベルなんだからお寒い限りだなw