西村真悟 論文紹介 月刊日本
http://shingomatrix.jp/2012/06/post_936.html マッカーサーは昭和17年、本間中将率いる帝国陸軍の第14軍に
フィリッピンのバターン半島コレヒドール島に追い詰められ、
命からがら8万弱の部下を見捨てて我一人オーストラリアに脱出する。
軍人として恥を世間にさらしたのである。
その本間中将が率いる第14軍にバターン半島総攻撃の命令を下したのが
昭和17年4月3日午前0時53分である。
昭和20年9月、連合軍最高司令官として東京に来たマッカーサーが、
早速仕掛けたのが自分が恥をさらしたフィリッピンで投降した
山下奉文大将と本間中将の裁判と言う復讐だった。
彼は山下大将を囚人服のままという屈辱を与えて絞首刑で殺し、
次に裏に骨髄の本間中将に対しては、昭和21年2月11日の
紀元節(建国記念日)に死刑判決を下し、同年4月3日午前0時53分に銃殺している。
つまり、マッカーサーは4年前に自分に屈辱を与えた第14軍の
バターン半島総攻撃命令の日時、ドンピシャリに敵の将軍を殺しているのだ。