【権力の】伊藤博文・山縣有朋・井上馨【亡者】

このエントリーをはてなブックマークに追加
1名無しさん@お腹いっぱい。
明治政府を牛耳ったヤツらです
2名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/29(水) 01:36:44 ID:A/VF5EFpO
高杉が生きていたらできなかっただろうな
3名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/29(水) 08:14:11 ID:w9eIoWiRO
でも井上居なかったら明治政府崩壊してるよ。外国からの借金なしで黒字に持ってくなんて奇跡みたいなもん。それをやったんだから。

あと伊藤は権力の亡者ではないよかなりリベラル。新しい考えも受け入れてたし。

山縣についてはフォローできるとこ無いけど。
4名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/30(木) 09:24:37 ID:Ysa3IohB0
山縣の再評価とかは
5名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/30(木) 23:22:06 ID:Ei8rw5ez0
確かに山県はイメージで損をしている
6名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/30(木) 23:28:39 ID:JnSbY/MGO
日本がバリバリの土人国家だった時代には山縣の強権弾圧は欠かせなかったろ。
現に、山縣が死ぬと日本は10年ともたずにポピュリストの土人どもに食らい潰されて
やけっぱちで絶望的な戦争に突入して滅亡しちまったし。
アメリカから理性と豊かさを授けられた現在を基準に評価されては困る。
7名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/01(金) 02:12:04 ID:G9LgVHExO
伊藤が死んだ後も政党にそれなりの利用価値を認め政党内閣誕生やら原の外交にある程度の協力をしたのも山県

宮中の西園寺ごときとは存在感が違う
8名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/01(金) 05:56:43 ID:clQQjtQwO
伊藤は政治の天才(というか物事の流れを読む力とここぞの勝負運と調整力が尋常じゃない)

井上は財政の天才。この人はまさに天才。何で幕末期からあんなに資本主義理解してるんだろ。留学とかする前から財政感覚凄かったらしいね。

だけど山縣は天才じゃないから評価が低いのかもね。軍事の天才は大村が居たし山田もいた。
山田が陸軍大臣だったらもっと早く文民統制進んでたかもっていうのは否定できないし。

原と山縣が相次いで死んで、なんか色々暴走したから、尚更権力固めしてた山縣のイメージ悪い。
9名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/11(月) 22:45:08 ID:v+eF/aCc0
山県は権力と金の亡者
伊藤は女狂いの色キチ
そして両方とも汚かった井上

何が長州の三尊だよ
この三人共人間味があって全然嫌いじゃないけど、真に褒められるべきは清廉潔白の薩摩だろ
10名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/11(月) 22:46:25 ID:cAO5bWPJO
>>9
>清廉潔白の薩摩

中2病はニコニコ動画でも観てろ
11名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/11(月) 22:52:35 ID:t3hcAw670
>>4
伊藤之雄『山県有朋』が山県を積極的に再評価してる。
12名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/11(月) 23:08:09 ID:v+eF/aCc0
>>10
ヘイヘイヘ〜イ
どこが間違ってるんだい?
13名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/11(月) 23:40:29 ID:6FO1S+oY0
山県がいなかったら明治期の戦争の勝利は無かっただろう。
彼は天才過ぎるのだよ。馬鹿(民衆)の話に耳を傾けないだけ。
凡人に偉人は理解できないもの。
なぜなら凡人は自分の意見が正しいと信じているから。
今も民主党を支持している夢見る馬鹿が多いだろw
民主が政権獲る前から、危険だと指摘していた非凡なる者もいただろうに。
だが凡人は現実を見ない。いつか民主はやってくれる。
こうして日本は戦争に負けたのだよ・・・
14名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/12(火) 00:36:49 ID:DvIH4hfx0
司馬の小説の影響のせいもあるね
山縣のイメージの悪さ

地元山口県でも山縣は人気ないけど、大学の学者、研究者には評価が
高い。
逆に山口県で人気のある前原一誠の評価は、学者には低い
大学の講義や研究室で盛り上がったよ
15名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/12(火) 05:46:59 ID:8Vi8Rg7J0
俺は司馬遼太郎こそ再評価すべきと思うんだよね。
意図的に人物を貶めているその姿勢には悪意を感じる。
またずるいんだよな〜w
好意的な人物が悪行を行っても書かないかフォロー。
嫌いな人物が善行を行っても書かない。
ただ同じ悪行のみが一方的な視点から描かれる。
事実の捏造も多いしね。小説だから仕方ないけど
いかにも見てきました的な表現を使う。
三国志演義で曹操が悪人に仕立てられたが
近年では曹操の方が人気があるのに似ている。
司馬遷の史記を目指したのではなくて、司馬が書いたものは
三国志演義みたいなもの。
16名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/12(火) 19:59:23 ID:295/rXqG0
山県はイメージ悪いっつっても山城屋事件とか宮中某重大事件とか実際起してるしな
17名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/12(火) 20:08:03 ID:Ly+bnijqO
>>15
まあ昭和の作家だから仕方ない。
当時の文化程度からすると、単純な勧善懲悪モノ以外の読み物を
受け入れる素地なんか大衆にはなかっただろう。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/12(火) 21:50:51 ID:8Vi8Rg7J0
確かに善人は常に善。悪人は常に悪。
理想論が台頭した戦後昭和では仕方が無い面があるね。
世の中、悪い奴の方が意外にも善いことができる。
反対に善にとらわれたものは全体の利益を理解できない。
まあ、簡単に言えば人の上に立つものは時として
非人道的な行いを行う必要があるということ。
世の中、人間の感情のぶつかり合いだから簡単にはいかないもの。
19名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/13(水) 05:05:25 ID:slRxySlm0
>>12
松方正義と黒田清隆がアップを始めました。
20名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/13(水) 15:56:47 ID:UQFAXtKlO
>>19
自称清廉潔白な奴らよりその二人の方がよっぽど日本に貢献してるよ
21名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/16(土) 20:53:04 ID:JidojG+h0
>>20
おいおい、論点が思いっきりズレたぞ?w
22名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 14:13:23 ID:UbrD3rWj0
23名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 18:57:52 ID:q/rQcd6YO
司馬はエンターテイメントを提供する作家
良くも悪くもそれ以外を望むのはアホ
日本史板や近代史板で司馬の話を持ち出す奴もアホ
24名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/21(木) 20:17:01 ID:Zk+EhX7G0
高校まで司馬の歴史小説を90%ぐらい真実だと思っていた自分が
情けないです。
臥薪嘗胆いたします。
ただ、モンゴル紀行とかは好き
25名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/27(水) 21:50:12 ID:xxWmZgj20
伊藤博文の当時の年収、現在の貨幣価値換算で4億8千万
長州の、ほど良いポジションゆえに生き残ったこの連中、吸ったなぁ〜甘い汁
26名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/27(水) 22:17:23 ID:Y4pjpyXV0
ヤンキース井川の年棒より低いのかよ
27名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/28(木) 08:28:32 ID:ndrTXMgz0
食べること生きることにさえ困窮する農民から搾取し続けて
各地で蜂起する一揆もバシバシ鎮圧しながら
椿山荘とか素晴らしい日本庭園をいくつも造ってくれてありがと〜有朋!
28名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/28(木) 13:46:31 ID:rLajWR370
有朋をあらゆる時代の権力者名に置き換えてもあんまり違和感ないな
29名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/28(木) 22:50:07 ID:1xfzzICh0
それでも彼らがいないと日本は異国の植民地になっていたであろう。
不平等条約改正によくぞ頑張った。

>>25
伊藤なんて明治まで生きていたのが奇跡だし、国益の観点からみると安いもんだ。
無謀とも言われた功山寺決起に高杉晋作に同調した少ない同士。
日露戦争での外交戦略。

山縣は、身内びいきがちと酷いな
でもシビリアンコントロールは、しっかり機能していて睨みをきかせていた。
30名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 00:02:32 ID:lI+q0xgT0
>>シビリアンコントロール

山縣が終身現役軍人なので、はたしてシビリアンコントロールと言えるかという突っ込みは置いておいて、
枢密院議長にして元老である政治家としての判断を優先していたのは事実
31名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 18:29:11 ID:mPsLkNpN0
伊藤=タモリ
山縣=ビートたけし
井上=さんま
32名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 22:10:14 ID:3XDN4UZ40
いやいや

伊藤=ビートたけし
山縣=タモリ(イメージぴったりだと思う)
井上=さんま (似てる)

ビートたけしは、大久保利通と高杉晋作をミックスしたような性格


33名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 22:19:17 ID:SklZzwwOO
いやいや、
山県閥=たけし軍団
井上=さんま=うるさい
伊藤=タモリ=人当たりが良い
イメージぴったりだぞ
34名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 23:15:38 ID:rhWWNbKaO
明治政治外交を専門にしてる京都大の伊藤之雄(ハゲ)が、山県をしきりにヨイショしているんですが…
35名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 01:25:02 ID:+vU1pO7Q0
たしかにビートたけしでは笑っていいともで司会続かないし
(本人が断っていた。好き嫌いが激しい理由から横澤プロデューサーに)
明治時代に「笑っていいとも」があったら、伊藤だと誰とでも話題合わせそうだ。

>山県閥=たけし軍団

良くも悪くも結束固く、たけちゃん利権むさぼりそうだw
納得。


36名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 10:16:19 ID:IRbPBT3E0
さんまが井上ならさんま御殿は鹿鳴館か。
37名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 20:09:12 ID:uAWc0wYl0
>>34
だって山縣の外交には穴がないからな、
低能な議会政治やどもとは各が違う。
>>15
徐州で何十万と虐殺した曹操が悪人ではないとは・・・
38名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 20:10:23 ID:FSeFCXBa0
巨人・大久保利通亡き後伊藤はなかなか頑張ったね
大変だったろうなあ〜〜〜
39名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 22:07:25 ID:iJgxvsZq0
>>34
確か、歴代総理大臣の列伝風の本でも、
「イメージ」のせいで山縣が不当に低い評価を受けているのでは
と評している人はいた。とは言っても

その反動で、山縣の過大評価はいけない

と釘を刺していた。
40名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 03:25:41 ID:67xz21EK0
>>34
ハゲとかひどいな
41名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 21:27:18 ID:60EeQEf70
>>39
戦後に民主主義教を日本国教に採用するにあたっての地ならしとして、
「平和を愛する善良な国民を悪の政府が洗脳して破滅的な戦争へと駆り立てた」
という歴史観を日本国民に刷り込む必要があったから、
山縣には何が何でも極悪人になってもらわなければ困るわけで、
一般市民に歴史観を植え付ける役目を担う文芸作家としては
司馬遼太郎みたいなのが推奨された。
42名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 19:28:15 ID:LwaGLMVRO
>>31
なんとなく
桂小五郎=内村光良
高杉晋作=横山やすし
西郷隆盛=西川きよし
陸奥宗光=松本人志
なイメージ
43名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 05:08:58 ID:cJLUGghM0
いやいや

桂小五郎=ロザンの京大卒の方
高杉晋作=岡村隆史
西郷隆盛=ビートたけし
陸奥宗光=高田純次

新撰組の末端チンピラ=横山やすし、島田シンスケ
なイメージ

44名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 10:44:40 ID:1P9XHAFeO
>>43
宇治原は同意しかねるが、岡村とたけしは納得
45名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 21:24:14 ID:IE0lkgsHO
薩長がビートたけしだらけにw
高田みたいに人付き合い良さそうな陸奥なら伊藤にストレスかからなさそう
中岡慎太郎とは小さいけどオール巨人のイメージ
益次郎とか芸人に例えるのに無理ある?w
46名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 04:09:28 ID:EycO7N230
難しいねぇ 気難しいイメージかな

大村益次郎=上岡龍太郎

高杉晋作=立川談志

伊藤博文=ザキヤマ先生

井上馨=ロンブー敦
47名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/28(日) 20:00:46 ID:DLJ2/tbZ0
山縣以外は全員天才と評価されている
でも、山縣もここに名を連ねているから何かあったんだろうな
48名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/28(日) 21:17:08 ID:ea8VPtch0
山縣も部下の人心掌握術に関しては充分天才だろう
奇兵隊に高杉の命令をスルーさせたくらいだぞ
49名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/28(日) 23:25:28 ID:Jv9Vrp0+0
山縣がホントに嫌われ者だったらあんな大派閥築けんだろ
50名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/28(日) 23:56:56 ID:tpIkbtiM0
山縣は信頼したKP分には任せ、その報酬(人事)も与えたので、派閥ができた
伊藤博文は、自らを恃むところが大きかったので、子分がついてこず派閥ができなかった
51名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/08(水) 02:09:02 ID:nu4VTws10
山縣がやってたのは権力のための政治
当時そんなことしてるの山縣だけなんだから
そりゃ派閥っぽいものも出来上がるさ
52名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/09(木) 23:35:21 ID:3pjGFchB0
>>51
伊藤博文がやったのは利権政治だろ。
53名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/11(土) 00:37:10 ID:qv23NsrH0
伊藤と井上って幕末の時にイギリス行ったじゃん。
あの時期って船で何日かかるの?イギリスまで。
どういう航路でいったんだろ。
54名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/13(月) 19:35:12 ID:ZmwGrPyF0
維新後の日本の舵取りをしたこの3人は
もう少し評価が上がっても良いと思う
55名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/13(月) 23:50:18 ID:dbp4oCXW0
山県以外は評価高いんじゃね?

井上は鹿鳴館が有名だけど。あれは評価どうなの?
意味なく税金つかったって批判されてる幹事だけど。
56名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/15(水) 21:51:01 ID:5GVdh4kWP
山縣の置き土産があまりにもひどいだよな
陸軍と警察
57名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/16(木) 23:18:54 ID:vQKh3otc0
内務大臣としての山縣は警察というより地方制度というイメージがある

陸軍については、通常の陸軍の三倍政治勢力化した
「山縣専用」陸軍閥と化していたのだろう
58名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/17(金) 00:12:57 ID:L3oGukfp0
長州人って良くも悪くも人間くせぇよなw
59名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/17(金) 00:59:37 ID:eiFCp34E0
山口県というのは日本では朝鮮の血液的影響を
もっとも多く受けたものの一つですから
60名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/17(金) 18:20:05 ID:ILFuZq5IO
>>50
外遊後の大久保と木戸が丁度そんな感じだよな
大久保や山県のやり方が人心掌握しやすい事は重々承知してるだろうに、
結局伊藤も自身が見限った木戸と同じタイプの上司だった訳だ
61名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/17(金) 21:52:14 ID:Wer6f6k40
別に木戸は伊藤みたいに自分が自分がって感じではなかったがな
むしろ後退りしまくってた
62名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/18(土) 00:23:32 ID:afu9JMDE0
木戸は身体壊して何度も辞表を出したのに
大久保と伊藤にストーカーされてやめられなかったという印象
63名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/19(日) 15:54:55 ID:SelY/wU20
伊藤博文が孝明天皇を自ら餡殺
した。明治天皇も皇室と関係ない
別人をしたてた。一流のフリーメイソン(売国奴)
さすがですね。

64名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/19(日) 17:30:12 ID:5RyY5/k50
木戸がもう少し長生きしてくれてればねえ。
65名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/19(日) 18:53:07 ID:YZSZIFT10
free
66名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/19(日) 21:07:36 ID:bIEEjEVN0
67名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/19(日) 21:21:10 ID:k8EpoZQe0
【幕末から学ぶ現在(いま)】(92)東大教授・山内昌之 伊藤博文
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101216/acd1012160759003-n1.htm
68名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/20(月) 01:03:30 ID:+/Z3vLZ60
>>67
「イメージ」で損をしているというなら、山縣の方が損をしている。
69名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/20(月) 01:25:56 ID:W1lXYeJu0
>>67
日本の議会の父は、松菊木戸孝允。

山内昌之なんて低脳が東大教授やれてるんだから、
政治家がエセ政治家ばっかりになるのは必然。と思った。
70名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/20(月) 15:24:09 ID:Q6B4cfCDO
そのコラム、司馬小説をソースに武市を批判してたやつだよな
創作を元に実在の人物をおとしめるようなのが東大教授かあ
71名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/21(火) 15:04:36 ID:QP3ylB5e0
>>69
言い出しっぺってだけで父というのもどうかとは思うが
少なくとも伊藤は木戸の主張スルーで専制政治の大久保に鞍替えして
議会政治の時代が来そうになったら今度はそっちに乗っかっただけだしな
いくら理想で政治するタイプじゃないといっても
やることが軽薄すぎて〜の父呼ばわりとか烏滸がましいとしか
72名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/22(水) 12:10:51 ID:axXUkStT0
伊藤博文が孝明天皇を自ら餡殺
した
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2005/09/post_aa85.html
73名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/23(木) 09:38:04 ID:SQhx1O+G0
井上馨って影薄いけど。調べたら日露戦争の時に首相になるかもって感じだったんだな。
なってたらもう少し扱いが変わってきてただろうに。

この三人の中じゃ一番出自がいいのにねえ。伊藤山県に抜かされちゃって。
74名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/23(木) 10:01:20 ID:bJjab4Uq0
伊藤博文、岩倉具視
最近の野口英世の「プロビデンスの目」

日本のお札は陰謀関係ですね。
75名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/27(月) 02:26:48 ID:V4Jmas1hO
>>73
井上本人の話でも分かるが衆を束ねるタイプではなかったのとあまりにも打算が利くので耐えるポストには向かないw

評判が悪かろうと陸軍を握り天皇を杖の音一つで黙らせる山縣みたいな凄みと忍耐のあるタイプでないと首相は無理。
76名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/28(火) 19:45:23 ID:7SUL0p43O
そんな山縣も、幼い頃上級武士に虐められてたのを
井上に助けてもらってたりするんだよな。
77名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/29(水) 00:56:20 ID:2Otx2O63O
ケンカの強い兄貴w
78名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/05(水) 00:04:45 ID:cZcM7eng0
>>評判が悪かろうと陸軍を握り天皇を杖の音一つで黙らせる

そんな政治家しか運営できない明治国家体制が昭和の破局の原因か
元老の足の大きさにあった靴を作ったが、昭和の政治家には大きすぎて履きこなせなかった
79名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/06(木) 01:10:22 ID:n/R4wUxx0
そういや山縣は人望があったって言うけど今の政治家だって
それなりに人望はあるのいるだろ。でっかい派閥を維持してるんだし
いや本人の無論能力云々は別にして。
それともそんなに山縣の人望はすごかったの?
80名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/06(木) 17:15:27 ID:DHb73aHU0
>元老の足の大きさにあった靴

昭和の東北閥が自前で雪靴作っとかないから滑ったんだよ
81名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/07(金) 01:07:21 ID:fAwJhETn0
>>80
原敬が靴を作る前に暗殺されたと言うことか
82名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/07(金) 01:39:17 ID:n0DVpFO90
てーか日本を破滅に導いた大正デモクラシー勢力や東北軍閥勢力は、
アンチ山縣有朋を旗印に政権・軍部の乗っ取りに成功したんだから、
山縣の靴のサイズくらい修正して然るべきだろ。
83井上馨の遺言状:2011/01/14(金) 20:41:34 ID:lgFKn9Dq0
雷親父・井上馨の遺言状が見つかったとの事。
世紀の大発見か?
84名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/15(土) 06:52:05 ID:CNR/CmK+0
>>75
晩年の明治天皇が枢密院で転寝した時、山県がサーベルか杖かで床をこつんと音を立てて叩いて起こしたって話な
黙らせた訳ではなく
85名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/21(金) 12:14:24 ID:RbxrfVCz0
山縣なんて所詮中間の出だし、奇兵隊があったからこそ出世できたようなもんでしょ。
86名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/23(日) 22:23:12 ID:gI0NR2/Y0
あの混沌とした時代にあの寄せ集めを統御できるんだから、何かしらあったんでしょう。
何もなけりゃ他人は掌握できんて。長州藩の顔になる部隊を、しかも中間の出が。

>>81
原は惜しかったな。
87名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/06(日) 03:30:03 ID:6Etsp3kHO
加藤友三郎が逝ったのも惜しかった…。
88名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/18(金) 23:22:15 ID:4S/d5yM90
明治20年に「伊藤博文処女姦事件」というのがあった。
伊藤の部下に美人で評判の娘がいて、ある宴席に親子を呼びつけた。
父親には急用を言いつけて席を外させ、娘を別室に呼びつけて犯した。
事実を知った父親は激怒し、伊藤は地方の知事にしてやるとなだめたが、
即刻辞表を出して郷里に帰ってしまった。
これを新聞が嗅ぎつけて報道しようとしたが、政府は新聞紙条例や出版条例で差し止めた。
89名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/18(金) 23:31:39 ID:4S/d5yM90
↑のソースくれよ

あと戸田極子と下田歌子も強姦されたってマジ?
90名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/19(土) 01:47:38 ID:cHw3xhc20
戸田極子強姦は、伊藤失脚を狙った敵対派閥による
でっち上げと『明治時代館』に確か記述があった。
当時の一部の新聞は、政治家有名人の醜聞を書き立てたが、
伊藤は自分のスキャンダルには無頓着だったようだ。
91明治時代のへそ。発見された& ◆UU.oUpL1BXoV :2011/02/19(土) 02:21:58 ID:yaOqNRJs0
山田……!!
二月一五日のお宝鑑定団に井上馨の遺書が出てきて、思わずガタン!と椅子を蹴飛ばす勢いで立ちあがってしまった手島寿人@最近幕末オタク。
その遺書を鑑定団に出した方ご自身の紹介があったんですがね、西南戦争に興味を持ったことから山田顕義に興味を持ち調べて行くうちに幕末の志士達にも興味を抱き云々ってあって、目が輝いた。

あの人の家に行きたい。

だだだだだだだだって手紙とか書とか相当持ってるよ、あの人!!見たい!!直筆見たい!!
山田顕義の直筆って……!!
見ーたーいー!!!
ともんどり打って転がりそうになるほど悶えた。
つか、手島的にナイスタイミング過ぎるタイミングでの鑑定だった。仕事放り出して帰宅してよかった。
ちなみに井上馨は山田顕義の義父ってことになるのかな。
山田の奥さんは龍子さんというんだが、旅館のお嬢さんで当時の身分制度では士族の山田には嫁げなかったんです。なので、士族で馴染みもあった井上馨に龍子さんを養女にしてもらい、山田は井上家から彼女をもらったんですね〜。
それはともかく、世の中には日大や國學院関係者や山口県民(むしろ萩市民?)以外にも山田顕義に傾倒している人がいるんだなってことがわかって非常に嬉しかった。
や、いるとは思っていましたよ。思っていたけど、大体「山田顕義がさ」て言っても誰にもわからんのだもん(笑)。  ^「花朝日記」^

92井上馨の遺言状:2011/02/19(土) 02:46:55 ID:yaOqNRJs0
井上馨伯爵の遺言状は明治二二年一二月。大臣を辞任する三日前に書かれたもの。
鹿鳴館時代を演出しながらも条約改正に失敗した憤懣苛立ち苦悩病気がこの遺言書を書かせた。
連帯保証人は野村靖、木村本幹(三井物産初代副社長)、品川弥二郎の三人。
93名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/19(土) 22:14:18.83 ID:FTTU1WW40
>>90
おおサンクス
では平民新聞の下田歌子処女強姦事件もデマ?
94名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/19(土) 23:59:49.50 ID:cHw3xhc20
平民新聞や萬朝報や滑稽新聞など、社会主義系の新聞は伊藤に特に厳しかったからな。
伊藤の死でさえ「女ずき者の最後」と風刺漫画にしているし。
http://maesaka-toshiyuki.com/uploads/itouhirofumitoonnna.jpg
95名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/20(日) 00:26:18.30 ID:k0VLl1210
96名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/20(日) 02:46:34.04 ID:SIYNEk0W0
>>95
韓国人は、韓国人にとって唯一の英雄である安重根を
必要以上に持ち上げるために、伊藤を貶めるからな。
97愛のエメラルド:2011/02/20(日) 18:56:44.50 ID:GeHd73uU0
>>94
伊藤博文が内閣制度だ憲法制定だ、国会開設だなんて
吠えて?も当時の萬朝報・平民新聞などマスコミは全然意味がわからなかったんじゃあないの。
伊藤博文が憲法だ山田顕義が民法だ等と唱えても
新しいお経ぐらいにしか捉えられなかったんじゃあないの。

せいぜい伊藤博文の女たらし、井上馨の鹿鳴館乱痴気騒ぎ、山縣有朋の山城屋贈収賄事件のスキャンダルぐらいしか
マスコミは理解できなかった。
98名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/20(日) 20:14:37.04 ID:CutuOl3Z0
マスコミにだって福地とかいたんだし普通にそれくらいわかってたろ
99名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/21(月) 07:50:18.93 ID:XAszNzl80
当時の朝鮮侵略の機関のトップなんだから仕方ない
100名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/21(月) 09:35:19.41 ID:ZEhcdvxb0
まぁマスコミっつったってピンキリあるわな
福地と萬朝報を並べるのはちょっとw
101名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/23(水) 19:47:04.93 ID:AkzazxPd0
2月15日「なんでも鑑定団」で流れたムード歌謡曲^愛のエメラルド^は
地元でどえらい反響の有った曲。
気にいって21回続いて聞いたとか、有線に何十回もリクエストしたとか
まぁ信じられないほどの反響でした。
明治の元勲「井上馨侯爵の遺言状」の反響も凄いが
陣内孝則さんが歌うとか、なんでも鑑定団のテーマソングにすれば
愛のエメラルド一気にスパークしそう。歌は岩本善行くん。

  君のてのひらに こぼれているのは
   小さな幸せ 愛のエメラルド
  いつまでも うつむいていた 長い黒髪のあの人は
   明日を信じて 星空の町に
    変わらぬかがやき 愛のエメラルド
102名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/26(土) 10:04:15.81 ID:iQ9lMBKk0
井上馨の遺言状の中身が知りたい。
いったいどんな内容だったんだろう^。
なんでも鑑定団では「我が家は天皇陛下の恩遇を受けたる家ならば
王室と存亡を共にして、政党に加入する事は厳禁なり」とか云ってたような・・。
103名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 18:46:59.67 ID:aEnUmbLT0
静岡地方の昼間、「なんでも鑑定団」が放映されました。
明治の元勲で遺言書が今まで発見された例はないとか。
井上馨の遺言状保存されていて良かったーぁ。
合間に流れた♪愛のエメラルド♪ジャンルで云えば都会ムード歌謡曲かな
よかった^^。
104名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 23:40:23.80 ID:Iv9xYSAV0
長州の三尊って表現余り見かけないよな
105名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 23:39:11.13 ID:j99JUEix0
なんでも鑑定団に出て来た、井上馨伯爵(当時)の遺言状。
遺言書のお値段の予想は紳助は控えめの30万円。
陣内孝則は250万円、吉田真由子の予想は300万円でした。
判定結果は二百万円。
106名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 15:14:11.84 ID:nFhVaSt80
>>85
山縣の評判が悪いね。まあしょうがないけど。

旧幕府軍・奥羽越列藩同盟と対峙した新政府軍・総指揮山縣有朋(陸軍)は、
賊軍(旧幕府軍)に長岡城を奪還されるという大失態を演じている。
その時、薩長同盟で共闘してた薩摩藩は引き返しながらも逃げずに戦ったが
長州藩の指揮・山縣は脱出の準備をして直ぐに逃げた。

で、山縣は薩摩藩から見はなされて進撃を促すも自重を押し付けられた。

で、これを助けたのが海軍で二面作戦を成功させてた山田顕義だった
107名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 11:37:56.04 ID:Mbic7MFn0
>>106
部隊が崩れている状況なら、すばやく退却して部隊を再編成したほうがいいだろ。
実際それで翌日には再奪取している。お前馬鹿?
108名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 21:10:02.15 ID:az0rPUH10
>>106
山縣一目散に逃げ出す、薩摩側は引き返してしばしば応戦する

薩摩の奮闘空しく長岡城奪還

山縣「長岡城を再奪取する」

薩摩「逃げた長州がそれを言うかw」→山縣以外の幹部全員一致で自重決定。

要するに山田が居なかったら自重のままで山縣の失態のままで終わってた。
これを覆したのが山田で先ず海軍の成功した戦況報告をして。
衝背軍上陸、さらに新潟東方水原の賊軍を壊走させ、
南化した進撃隊が阿賀野川を渡った事を幹部に伝える、
その上で陸軍にも長岡城再奪取してほしいと発言し、
薩摩側に反対されたら「長州だけでやる」と山縣と決めていた。

薩摩側が山田の進撃要請の説得に応じたのはこれだな。

「敵軍が新政府軍に攻撃を加える絶好の機会なのに追撃してこない」
「つまり敵軍(河井)に追撃したくても出来ない何かが起こっている」

長岡城下に火を掛けて挑発しても動きが鈍い。
109名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 23:15:53.18 ID:V0PaIQBN0
結局凄いのは山田で山県はクソじゃねーかwwwwwwwwwwwwww
110名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 03:53:51.91 ID:jTKlF/Pv0
>>109
あの高杉晋作が自分の後継として次の名を挙げたのが、

大村益次郎で、その次が山田顕義ですからなあ。

山県も佐世も名前を読んでもらえなかった。
これも山県が山田を嫌う理由の一つになった。
>>108は山田が山県の窮地を助けたにもかかわらず、
「あいつは出来過ぎる」と警戒される始末
111名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 08:17:29.45 ID:BDObVc+z0
>>108
色々間違っている。薩摩藩の兵は長州藩兵の主力とともに、
長岡城ではなくて、米沢藩と別方面で戦闘中なので、
薩摩が長岡で最後まで踏ん張ってというのは正しくない。

というか長州と薩摩の主力が別方面に展開していたのと。
長岡藩が別方面から強行突破して、長岡城には小藩がつめていただけなので、
長岡藩が攻略できただけ。
で、山縣は前線から奇兵隊の一部を呼び戻して長岡の反撃に回したんだが、
別方面は米沢藩の主力が攻撃していたから、薩摩藩までは引き抜けなかった。

また奇襲で混乱していた新政府軍で、奇兵隊などを投入して戦線を維持したのは山縣であるし。
その後退却命令をだして戦線を収縮して、対岸に陣地構築などの指示をだして、
攻勢を防いでいたのは山縣であるし、再奪取の指揮を執ったのも山縣なんだが。
その後追撃して、列藩同盟の軍を崩壊させたのも山縣じゃないか。

ここでは薩摩なんて何もしてないぞ。黒田は山田とともに別働隊として新発田にいたんだし。
112名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 14:47:49.90 ID:Y4wiwgJD0
>>111
主力を長岡城以外に回してたのは分かる。

ただ、山県は戦陣に立つ暇もなく脱出の準備を図ったんじゃないの?
そうやって山県が反撃してたんなら薩摩藩側は
何故山県の「直ちに長岡城再奪取を図る、3日のうちに必ずや奪取する」
に「逃げた長州がそれを言うかw」と馬鹿にして、
山県以外は全員反対して自重で決定したのかな?
山田が覆さなければ自重のままじゃん。何を言っているの?
あんたの言われるような事を仮に山県がやってたとしても、
意図を汲んでもらえない時点で、部下(幹部)が全員反対しているという時点で指揮官失格。

それと陸軍指揮官は山県なんだから、んなの当たり前でしょ。
何を今更そんなの強調してんだか?山県1人に手柄を独り占めでもさせたいの?
山県だけじゃ河井に押されまくって海軍要請を狂ったように政府に出し続けて、
あれだけ嫌ってた山田が海軍として合流するまで泣いてたような奴が随分と偉そうな言い草だな。
113井上馨の遺言書:2011/03/06(日) 21:52:57.55 ID:jguTSX+F0
明治の元勲井上馨侯爵の遺言書がなんでも鑑定団で公表された。所有者は愛のエメラルド氏。
明治二十二年十二月二十日に書かれたもの。この3日後には井上候は心労から
農商務大臣を辞任しています。
この遺言書はもともとは井上の嗣子の勝之助の所有していたもので、
同時に小村寿太郎や原敬の書簡も出てきました。
遺言書は、封筒の中に封筒(小)が入っており、ビッシリ赤いウルシで封緘が
してあったのです。

114名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 12:40:44.97 ID:w3DbYY760
>>112
>ただ、山県は戦陣に立つ暇もなく脱出の準備を図ったんじゃないの?

本陣に奇襲を受けたのに、総司令官を最前線で指揮させる意味がわからん。
指揮していないなら兎も角。山縣は他の戦線から部隊を引き抜いて、戦線支えたり、
退却した部隊に陣地構築などを指示しており、指揮をほうりなげて逃げ出したわけじゃない。

>「逃げた長州がそれを言うかw」と馬鹿にして、

それは薩摩がブルっていたからw
というのはおいといて、山縣は自分の失態をさっさと取り返したかったから。
また本来なら敵の追撃があるはずなのに。相手に追撃がなかったので、
相手の攻勢が限界に達していると判断したから。なので反撃を主張した。
そして山縣の主張どおり、反撃をしたらあっさり城は奪回できており、
山縣の主張が正しかった事が分かるが?

>意図を汲んでもらえない時点で、部下(幹部)が全員反対しているという時点で指揮官失格。

山縣に比べて部下が無能だっただけだが?山縣の主張どおりに進撃して大敗していたなら兎も角、。
山縣の主張どおりに進撃して大勝している。

>山県だけじゃ河井に押されまくって海軍要請を狂ったように政府に出し続けて、

戦線の推移をみれば別に押されてはいない。むしろ進撃に成功していたのは政府軍。
城を落として周辺を占領しているしな。ただ相手が手ごわいから、援軍をまって確実にいきたかっただけだろ。
そこで河井が薩長の主力をさけて、後輩の本陣に奇襲をかけて成功させたという話。
そして長岡藩などの兵が抜けたため、薩長の主力とかち合った米沢藩は大敗してる。
結果長岡城をとったはいいが、敵中に孤立した形になってしまい、
あっさり取り返された。

司馬の本だけ読んじゃダメよ。あれ作者の妄想と願望が入っているんだから。
115名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 12:55:01.32 ID:w3DbYY760
そもそも総司令官が最前線で指揮しないで、さっさと本陣まで撤退したのが悪いとか。
馬鹿としかいいようがないな。実際河井はそれで銃撃されて、
長岡軍が崩壊して、ひいては同盟軍総崩れの原因になっているのに。

少なくとも北越戦争においては山縣の指揮は責められるようなものじゃないよ。
格段優れているというものでもないがね。
116名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 20:09:08.22 ID:HHAgRuLT0
>>114-115
なんか勘違いしてるようだね。
司馬って司馬遼太郎の事だろ?こいつの本なんて鵜呑みにしてない

さて本題だ。
山県の失態を取り戻したいだけの主張だから薩摩藩が反対して自重したんだろ。
例え正しい策であろうと幹部連中全員に山県の進撃主張を反対され、
自重を押し付けられた時点で指揮官失格。
いくら正しかろうが指揮官が部下や幹部を動かせてないのだからな。

このとき同時に海軍を指揮してた山田も説き伏せるのに苦労している
何故なら薩摩藩は功をを急いで自分達の手柄にしたいからだ。
策自体は隙が無く誰からも反対は出なかったが、
衝背軍上陸作戦や新潟を攻める3割の兵でも「長州が行くか、薩摩が行くか」で揉めた。


山県はそういうのを自分1人じゃまとめられなかったんだろ。
部下が無能なんて馬鹿な指揮官の言い訳よ。
策は指揮官が授けそれを実行させるに値する信頼が指揮官になくてはならない。
進撃が大勝したのは山田が海軍で合流して挟み打ちにしたからだよ。
それまでは泥沼の戦況だった。
117名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 15:36:54.84 ID:XEUJ7pvL0
>>長州藩の指揮・山縣は脱出の準備をして直ぐに逃げた。

ってのは何がソースなんだ。戊辰役戦史 大山柏 によると
『山縣だけは先ず草生津渡船場道と妙見道との分岐点(千手町?)に立って、退却者を
成るべく妙見方向に後退せしめ、もって渡船場の混雑を防止せんとしたが、それでも
渡船場は大混雑した。その後山縣は妙見方面に後退し、退却して来る部隊を区署し、
妙見付近、即ち榎木峠の嶮の前方で長岡平野に足場をつくっておくことに全力を挙げた。』
とあるんだが。
118名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 19:09:01.75 ID:L0RXbMbx0
>>116
最後の行だが、新潟奪取によって同盟による長岡城奪還の戦略的意味が全く無くなったのは確かだが、
落城後に同盟軍の追撃が成功して長岡城周辺の官軍が一掃されてたら、その戦略的な価値も失われてたよ。
同盟に余裕が出来れば、新潟奪還に動くのは確実なんだし。
長岡城から叩き出された後、軍の集結と再編成に全力を注いでそれ以上の崩壊を防いだ山縣の手腕ぐらいは
認めてやるべきだと思われ。
ああ、当然ながら、新潟奪取によって山縣が救われたことを否定するもんではないよ。
119名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 20:45:51.20 ID:HObq4csA0
>>116
君は分かってないようなんだが、当時から既に薩長による派閥対立というものがあったわけ。
長州の邪魔したいから、っていうだけの下種な理由で反対する事もあるんだよ。
そしてその逆に薩摩の邪魔したいからってのも、良くあった話。
実際薩摩藩からは撤退案なども出ていたからな。
そしてこの山縣の再奪取作戦に反対した理由ってのは、そういう理由なわけ。
もしくは山縣の策を理解しない部下が無能だっただけ。
ちなみに幹部全員が反対って誰が言っているんだ?反対していたのは薩摩藩や、
日和見小藩だろ。三好や福原が反対したというのは聞いた事ないんだが?

また山田が来る前から、反撃作戦は開始されている。実際物資を加賀藩から徴収して、
陣地構築、弾薬の分配などは全て山田が来る前から始めている。
後押しにはなっただろうが、山田が来なかったら動かせていないというのは事実と反する。

>衝背軍上陸作戦や新潟を攻める3割の兵でも「長州が行くか、薩摩が行くか」で揉めた。

だから薩長の対立だろ?そんなのどこの戦線でも起こっている。
なんで山縣だけ問題にするのかわからん。
大村の指揮に反対した薩摩もんは数多くいるし。西郷の指揮に反対した長州もんも数多くいる。
薩長に限らず、土佐の板垣の指揮に不満を持ったものも多かろう。
黒田や山田にもな。特に長州なんて山縣と前原の間でも対立もあった。

派閥間の対立というのは軍閥の連合政権にはどうしても怒りうるものなんだよ。
それが起こった事をもって、○○は無能とかいうのは当時の新政府の現状を理解していないとしか言いようがない。

>進撃が大勝したのは山田が海軍で合流して挟み打ちにしたからだよ。

勿論それもある。だがそれだけではない。長岡を短期間に再奪取して、
列藩同盟の士気を挫き、その後の追撃戦で列藩同盟を崩壊させたのは、
山縣の手腕でもあるんだよ。

長岡を再奪取された事で撤退論が出たように、双方に与える影響は大きいからな、
長岡藩の潰し諸藩に広がる動揺を抑えるという政治的な意味もある。

山縣はあの薩摩藩ですら弱気になり、動揺が広がる新政府軍にあって、お前さんの言うところ一人再奪取できると言って。
軍を士気を保ち、また反撃を防ぐ為の準備も行い、そして実際に素早く軍を再編成をして、
城を数日で再奪取をしたんだよ。どこに欠点があるというんだ。
120名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 20:53:30.97 ID:HObq4csA0
そして聞くがな。んじゃあ山縣がね。
参謀、つまり実質当時の最高司令官でありながら、
最後まで戦場に一人残って戦えばよかったと?

軍内に自重論や撤退論が広がり、弱気になっているのに、
司令官である山縣も自重や撤退論を主張して弱気の姿を見せるべきだったと?

ちなみに俺は司令官がむやみに前線に出るなんてのは止めるべきであるし。
部下が弱気になっているなら、なおさら強気に主張して鼓舞をすべきだと思うのだがね。
121名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 23:41:20.10 ID:kzOKPvge0
>>119
分かってないのは君でしょ・・何故そんなに山県の手腕にしたいのかよく分からんが。

>>功を急いで手柄をモノにしたい薩摩藩

>>116で書いている。山田のくだりもちゃんと読めば俺が派閥対立も語っているのはわかるはず。

山県の再奪取作戦に薩摩側が反対したのは
「今城を奪われた指揮官・山県」に説得力が無かったからに過ぎない。

自重論から進撃に転換したのは山田が説き伏せたからで、
山県1人じゃ自重論のまま、だとは何度も言ったはずだが?
山県がやったのは自重から進撃に考えを変えさせた山田の後で、
そこから「どこを攻めるか?」をやっただけ。最初の一歩が踏み出せてない。

山田は進撃の根拠を説明し、
「もし「自信が無いなら海軍の一小隊を率いてでもやるが」と言い、

はったりか?と自重論派に疑われても敵将に何か起こっている事を見抜き、
火を掛けて隊の鈍い動き、様子を見たりして敵側に何かが起こっていると確信を深めた。
122名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 23:55:45.10 ID:kzOKPvge0
>>119
>>山縣はあの薩摩藩ですら弱気になり、動揺が広がる新政府軍にあって、
>>お前さんの言うところ一人再奪取できると言って。
>>軍を士気を保ち、また反撃を防ぐ為の準備も行い、そして実際に素早く軍を再編成をして、
>>城を数日で再奪取をしたんだよ。どこに欠点があるというんだ


馬鹿過ぎ。そんな事を論題としてない。
兵を編成しても山県1人じゃ動かせなかったろうに。そこを問題視しているのにずっとスル―してる。
それはお前の言うように山県が自分の失態を取り戻したくてやったこと
そんで部下が自分の思うとおり動かなかったら無能、ってキレてりゃ世話ない。
山県はドラマによく出てくるバカ上司そのもの。
山田はそういう幹部連中にちゃんと進撃の根拠と必要性を説明して、
自重から進撃に考えを変えたよ。反対してた薩摩側も進撃論になった

山県には自重と反対した連中を自分の考えが正しいか、
どうしてやる必要があるのかを説明できる力が無かったってことだろ。

この時の山県の参謀、黒田亮介(薩摩藩)は山田の函館(五稜郭)の時にもついてきている。
薩摩側が功績を長州側だけに取られたくないからだ。
西郷隆盛は「自分が出兵したい」と駄々をこねて山田が指揮を執る事に1人だけ反対していた。
123名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 01:51:05.22 ID:xyROIa+00
>>121
>「今城を奪われた指揮官・山県」に説得力が無かったからに過ぎない。

違うね。派閥間での対立か、城を取られた事で弱気になったからに他ならない。
それに対して強気に出たのが山縣。つか誰が言っているんだそんな事?
そのお馬鹿さんの歴史創作家の名前をぜひ晒してほしいものだが。

薩長の前線に主力を出していたから、後方の本陣が小藩の兵士ばかりで手薄になっていただけであるし。
そこに前線を無視して、さらに八丁沖を強引に突破するという奇襲によって成功させた。
変わりに前線の同盟軍の主力は、薩長の主力とぶつかった為、壊滅してしまった。
だから山縣は薩長の主力のみで、城を再奪取する計画を立てたんだよ。

>自重論から進撃に転換したのは山田が説き伏せたからで、

山縣は実質最高司令官であって、そこらの幹部とは立場が違う。
山縣がやるといえば、基本的に逆らえないわけだが。
誰が指揮権握っていたのかと。そもそも山田が来る前から、作戦は動いているわけだよ。
一日で動けるわけないじゃないか。

>兵を編成しても山県1人じゃ動かせなかったろうに。そこを問題視しているのにずっとスル―してる。

いや指揮権もって、指揮していたのは山縣なんだが。それに対して反対意見があっただけ。

>山田はそういう幹部連中にちゃんと進撃の根拠と必要性を説明して、

そりゃ山田は命令する立場じゃないからな。意見を言う立場だ。

>そんで部下が自分の思うとおり動かなかったら無能、ってキレてりゃ世話ない。

実際に無能だろう。慌てふためいて混乱して、簡単に弱気になって日和見。
責任を山縣に押し付けたいだけの小物だ。
戦場の大局をみておらず。同盟軍の攻勢が限界であるのが分からないかった。
分かったのは、山田などの一部の人間だけだ。
124名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 08:00:50.99 ID:Hn3VCpUz0
まー薩摩を擁護するなら、当時物資の集積地であった長岡城を再奪還された訳で、
吉井友実辺りの柏崎への一時撤退論も不当無能というほどでもないかとw
125長州三尊:2011/03/09(水) 20:05:59.30 ID:Sj24unzN0
驚く事が多いね^
井上馨の遺言書に続いて
今度は
伊藤博文のひ孫が
外務大臣になるんだと。。
山縣さん遅れてますよ?
なにかやらないと。

松本剛明

父: 松本十郎  自民党の衆院議員。防衛庁長官。
母:   悦子  伊藤博文の子孫

126名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 07:44:22.49 ID:d9SW00e/0
127名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 08:37:16.46 ID:gmBTu7l00
>>125
比較的まともそうな方の副大臣が昇格したんだな。
まぁ、偉人の子孫だからって優秀とは限らないってのは、
幕末通じて散々目にしてきたことだが、果たしてこの人はどうだろうか。
128名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 11:01:13.34 ID:SLWSfH8+0
植村花菜:ルーツは大久保利通!祖母の故郷で知る

 亡き祖母との思い出を歌にした「トイレの神様」が
ヒット中の植村花菜(28)がこのほど、
祖母和嘉さんの故郷・鹿児島県沖永良部島を初めて訪れた。
島の親戚と対面した際に家系図を見せられ、自身が明治維新の元勲、
大久保利通の異母姉妹の末裔(まつえい)であることが判明。
歌のルーツもこの島にあったと分かり、祖母と訪れるはずだった
“約束の地”で歌い手としての思いを新たにした。

129名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 11:06:33.87 ID:SLWSfH8+0
 伊勢さんから見せられたのは家系図。近代日本の礎を築いた大久保利通の父で薩摩藩士の大久保次右衛門が、
島に赴任してきた際にめとった島妻(現地妻)との間に生まれた
タケの孫が、和嘉さんの父親であることが記されていた。
鹿児島の近世史研究の第一人者である原口泉鹿児島大教授も
「利通にマツとタケという2人の異母姉妹がいた」と解明しており、
植村が大久保とゆかりがあるのは間違いなさそうだ。

 ほかに10代のころの和嘉さんの写真もあり、食い入るように見つめた植村。
地元の人の話では、島でも和嘉さんの生家があった手々知名地区に
「トイレをきれいにすると美人になれる」との言い伝えが色濃く残っており
、自身のルーツだけでなく歌のルーツも知った。

 大久保利通との関係に植村は「誇らしい気がします」と言い
「祖母やその親たちが言い伝えてきたトイレの神様のお話を、
私が歌手になったからこそあらためて多くの人たちに伝えられたとすれば
これほど幸せなことはありません」と話した。(スポニチ)

130名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 14:32:40.52 ID:l7zHE7XcO
百姓(や在日?)が改姓してまで東京一になりたいて 今も同じぢゃん政界

そもそも伊藤家は藤原北家超末流 に。まどわされるな!!
林て秦漢帝国日本移民いらいの大陸系だと思ふ
ウィキhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87より
>周防国熊毛郡束荷村字野尻の百姓・林十蔵→家が貧しかったため12歳ごろから奉公に出された→父・十蔵が長州藩の蔵元付中間水井武兵衛の養子となり→安政元年(1854年)に周防国佐波郡相畑村の足軽・伊藤弥右衛門の養子となって、伊藤直右衛門と改名した

…けきょく 百姓の林さん〜蔵元の水井さん(大出世!)〜足軽の伊藤さん(やった!やっと政界トプへのスタートラインに来れた!)
こんな感じの 華麗なる 御変身!!!

131名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 15:31:04.68 ID:gmBTu7l00
日本語で頼む
132名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/12(土) 23:45:11.65 ID:OuL7KVVa0
>>125
玄孫ではなかったっけ?
133なんでも鑑定団 井上馨の遺言書:2011/03/27(日) 22:50:54.30 ID:3oMiC94n0
一、
後世我子孫たる者は
至尊(天皇)の恩遇を受たる家
なれば、王室と存亡を共に
すべきは勿論、如何様の場合
たり共、後世王家権力減
削せんと欲し或は行為を
企つるが如き政党等に加入
する如きは尤も厳禁たり。
134なんでも鑑定団 愛のエメラルド 井上馨の遺言書:2011/03/28(月) 21:55:16.20 ID:V8kuXjmB0
人の死生は豫知すへから
さるに因、将来の紛議を
免れん事を勉め、後世子
子孫を戒め、並びに財産分
与の方案を定め、爰に親
友三人の承認を相立、手記
至し置候事。
135なんでも鑑定団 愛のエメラルド 井上馨の遺言書:2011/04/07(木) 09:18:30.68 ID:KdSH3CCw0
一 勝之助夫婦は我
 相続人たるは無論、且(かつ)
 凡て之分与他之動
 産不動産を主管
 し、子孫に伝ふる方案
 を定め、尤(もっとも)井上家をし
 て萬世に維持すへき
 策肝要の事。
136井上馨の遺言書:2011/04/07(木) 21:02:36.49 ID:KdSH3CCw0
一 自然勝之助夫婦に
して不幸に子供無き
場合は血統を続く
へ(キ?)最近の血筋之者
を養い申すべし。尤温和
品行正しく識力ある
者を選出する事必要
なり。

137名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/15(金) 00:07:41.11 ID:BZ2zZ2Pv0
井上馨は金に汚い
山県有朋は権力に汚い
伊藤博文は女に汚い
138名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/15(金) 21:44:57.72 ID:kemF5iJR0
ゴロゴロ、遺言書って転がっているもんなんですかね^。
福井のなんでも鑑定団でも、井上馨候爵の遺言状が見つかったとかどうとか?
馨さん 遺言状を書くのが百万長者の趣味だった^^?
139名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 20:36:15.89 ID:OeQsuSSYO
山縣はともかく、伊藤井上は権力主義ではない。
井上は政治家として綺麗とはとても言えないけど、財界安定させて財界が政治協力することが発展の絶対条件だった明治期はあの人は必要。大蔵より力あったんだよ井上。
井上は伊藤の補佐に徹した感じだ。
財政にかけては天才だし実は外国の要人からの印象も悪くはなかった。

伊藤の政治力と新しいこと始めていく力は不可欠だし。自分で政党作ってるんだし権力には淡白っぽい

山縣はまさしく権力主義だけどね。フォロー出来ない。
140名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/20(水) 22:35:58.13 ID:NtXPQvbe0
昔の各省の役割を今のそれに当てはめて考えるからおかしくなるんじゃないか?
明治時代の各省は現代とは比べものにならないくらいの仕事量こなして
複数の案件を同時進行で進めてたんだぞ。
とくに大蔵なんて何省も兼任してたじゃん
志に加え相応の能力がないととてもじゃないが務められない
何せ長年続いた封建社会を終わらせ早急に新体制を作らないといけなかったんだから。
それだけの事をやったからこそ結果権力は後からついてまわる
権力は発言力とでもいうか…。
能力と実績のある伊藤井上山縣が政界財界軍部にそれぞれ発言力があったのは当然のこと。

というかむしろ伊藤井上山縣差し置いて誰なら良かったと思うんだここの住人は?
この三方を権力の権化だ何だと野次る事が出来る程おまえらは偉いのかと問いたい
141名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 17:23:19.81 ID:GCTYYlnP0
伊藤や井上は代わりになる人物を思いつかないが、
山縣の席に山田顕義が座っていたらどうなっていたかという興味は正直禁じ得ないw
142名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 22:13:42.77 ID:7QOtg+rr0
>>140
>この三方を権力の権化だ何だと野次る事が出来る程おまえらは偉いのかと問いたい
引っ込んでろボケが
お門違いも甚だしいんだよ

維新早々汚職事件起こしてる長州なんざ擁護できねーよ
143なんでも鑑定団 愛のエメラルド:2011/04/24(日) 11:18:43.16 ID:DzgZRIua0
維新早々汚職事件起こしてる長州なんざ擁護できねーよ

そう思われるのも当然だが
長州藩の危機に万里イギリスから
還って来る長州五、井上馨と伊藤博文の心 を
忘れてはならない。

青年隊長・山田顕義も鳥羽伏見の戦いに勝てるとは思ってもいなかったみたいョ。
あんな大軍に勝てるわけはない。。
桂小五郎に「再開期し難く・・・」と遺書を残しています。
井上馨伊藤博文山縣有朋を含め長州藩は生き残ろうなんて考えはなかったんだな。
「死ぬのは当たり前」「死んでまた会おう」こう云う気持ちで戦場に向かったんだな。


負けた戦に勝って調子に乗ったのは事実です?
144名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/26(火) 00:51:14.49 ID:781MPccV0
山縣は好きではないが組織者としては天才的
陸軍(徴兵制度による国民皆兵)、官僚組織、地方制度などは彼の手になるもの
軍は消滅したがそれ以外は現在でもその残照はある
軍事指揮官としては大村と比べればたいした事は無いが
145142:2011/04/29(金) 22:40:48.17 ID:X380W1OH0
>>143
>「死ぬのは当たり前」「死んでまた会おう」こう云う気持ちで戦場に向かったんだな。

そんなの関係ねぇ
徹頭徹尾清廉潔白な薩摩見てみろや
146名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/04(水) 10:50:25.36 ID:EvXXIXkN0
伊藤博文って明治時代は人気あったらしいね
そりゃお札にもなるぐらいだから想像つくが
戦後、エンタメ的にもアンタッチャブルな存在になったのは
やっぱり最後の件が影響してるのかな
147名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/05(木) 06:53:02.71 ID:7qmAn7RT0
伊藤と山縣は本人達の自覚と別に日本の近代化(法治国家の確立)に貢献したと思う
政党(伊藤は議会を開設する以上政府を支持する政党の存在は許容)に関しては
山縣は頑なだった
晩年原啓を認めるようになったが・・・
148名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/05(木) 06:56:46.35 ID:7qmAn7RT0
×原啓
○原敬
149名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/05(木) 23:07:56.77 ID:Y75AqPFG0
いや自覚はあっただろ
自覚なけりゃ伊藤があんだけ憲法制定に力入れるわきゃない
生前の木戸にもさんざん吹き込まれてただろうしな
そして地方自治に関しては山縣の力が大きかった そうとう力を入れてた
そんで地方自治が先か憲法が先かで伊藤ともめたけどw
150名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/06(金) 22:51:14.51 ID:n6UZKUvX0
山県が「地方自治」を整備したのは飽くまで自由民権運動を抑え込むためだった事に留意すべき
151名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 04:04:03.10 ID:cI4s2VlI0
山縣の政党嫌いはどこから来るのかな?
(明敏な人だから議会を開設すれば政党的なものが出来るのは必然なのは分かってたと思う)
私利私欲の徒党とみて第一次内閣の予算を反対派を買収して通したという経験からでは?

この人は陰性だけど思慮は深い
152名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 11:12:30.64 ID:0yE7aju/0
幕末明治維新当時
 日本人のほとんどが攘夷派(海外知識外国知識の無さが原因)だった。
欧米式の選挙議会制などやろうものなら、多数決で攘夷戦争可決になる。

明治初期
 日本人のほとんどが依然として攘夷派だった(多少開国派も増えたが)。
朝鮮相手に戦争する”征韓論”だけでも紛糾するほどだった。議会制による攘夷戦争可決の恐れが大だった。

明治中期
 日清日露の戦いになんとか勝利した日本。その戦果はマスコミによって過大に宣伝された。
ロシア相手にギリギリの逃げ切り勝ちだったのだが、国民達は賠償金が取れなかった事で不満が広まり戦争継続を唱え始めた。
 そしてそれが攘夷”対欧米列強”戦争になりかねなかった。
153名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 11:16:10.89 ID:0yE7aju/0
結論
 「愚民が多数決という絶対権力を握ってしまう」事を最も恐れたのが山県であり伊藤だった。
当時の思想家達の中でも”議会(多数決)の独裁政治化(矛盾する表現だが)”を恐れ、議会制及び政党制導入は早すぎると政府に申し入れてもいる。
154名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 22:57:47.37 ID:AVP/zJNg0
日本人に民主主義は早すぎるのか・・・・・・?
しかし権力が都合良く国民を統制しようとしてるだけなのでは?
155名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 00:34:26.76 ID:6KbfbBr80
木戸あたりは「だからこそ教育優先! 国家を担える人民作り!」とか
「議会制導入のためにまず身近な地方議会からやらせて人民を慣れさせ育てよう」
とかいってたんだよなあ…実際その方向で動いていたし。
もうちっと健康であと10年力入れて取り組んでたらあとあと違ったかもな。
156名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 22:21:51.03 ID:xLMs3xtQ0
結局は全て教育に尽きるよな
身も蓋もねぇケド
157名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/10(火) 17:39:43.37 ID:llnSTcmg0
民衆の反対一揆があっても学制を行ったのは明敏だったな
158名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/13(金) 23:04:11.14 ID:XOGyHB0W0
結局クソ軍部や革新官僚共の全体主義刷り込みに利用され、
戦後は売国左翼に牛耳られ

日本にはまともな教育者が殆どいません
159名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/14(土) 16:31:19.75 ID:7E4aT7H60
>>158
そもそも、教えるべき教義内容がロクでもないものしかないんだから仕方がない。
長らく朝鮮まんまのカルト儒教原理主義一色に汚染されてたんだから。
160名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/14(土) 16:36:55.61 ID:7E4aT7H60
>>154
現実見れば明らかじゃん。

山縣の睨みが無くなって10年と経たないうちに
山縣が築き上げた近代日本の社会や産業、外交関係は、
デモクラシーを標榜する愚民のエゴとヒステリーによってズタズタに引き裂かれ、
日本は発狂して破滅への泥沼戦争へと大暴走。

戦後も、イデオロギー選択に覆い隠されて愚民の意見が政策に反映されなかったから
日本は猛烈な勢いで発展できたけど、冷戦が終結して選挙が愚民による政策選択の場と
変貌を遂げるやいなや、山縣の死後と同様に腐敗・衰退の坂道を転げ落ちている。
161名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 20:48:54.55 ID:oL3RMMY50
第三次桂内閣は桂が内大臣になってからまもなく首相に
返り咲き?した結果、宮中・府中の別を乱したとして
「憲政擁護、閥族打破」のスローガンのもと第一次護憲運動がおこった。
中心人物は立憲政友会の尾崎行雄と立憲国民党の犬養毅で、国民的運動に発展。
それに対し桂は立憲同士会を組織し対抗したが、最後は民衆が議会を
包囲(大正政変)して、桂内閣は53日で倒れることになる。
162名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/23(月) 21:45:25.81 ID:/1pBt0cv0
犬養毅こそが政争のために統帥権干犯問題持ち出してきて
軍部暴走の端緒をつくった権力の亡者だよ
163名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/08(水) 05:25:31.88 ID:KN0uZRix0
>>162
同意
当時の法体系では政党に立脚してる政治家ならば自分自身の基盤を掘り崩しかねない
164名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/17(金) 02:17:41.12 ID:RyRjMRRM0
伊藤は粋だけど品がないな
165名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/17(金) 06:55:20.78 ID:GeJckwmC0
>>162>>163
条約は大権事項で、議会や選挙の焦点にはなりえない。
それを敢えて政争の焦点にして国体問題に火を点けたのが
浜口首相だ。浜口の責任は限りなく重い。
166名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/18(土) 10:18:32.41 ID:TB9DSxHfO
>>164
足軽出身だからしゃーない
167名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/20(月) 01:48:54.29 ID:EFrEBb9c0
まさに今太閤かw
168名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/20(月) 15:23:46.78 ID:ladPusyC0
山縣が足軽だろ。
169名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/21(火) 03:04:45.93 ID:V9J4BOt50
足軽
中間
軽卒
の違いがイマイチよくわからん
本によって違う
170名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/21(火) 13:57:45.98 ID:l1o40LRH0
中間は奉公人
軽率は臨時採用の足軽
171名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/25(土) 09:16:44.21 ID:4PcUI+PH0
山県…中間
伊藤…農民出の父親が家族ぐるみで中間の養子に
じゃなかったっけ
172名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/14(木) 20:36:17.34 ID:V1g6c7Eo0
実際問題、政治の実力は山縣有朋>>>>>伊藤博文だと思う。
山縣は、軍人の大山巌、西郷従道とも話が出来るし、イギリス流の立憲制度にも理解を示していた。

伊藤は少し場当たり的で雑だ。
173名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/14(木) 21:17:03.22 ID:OOQGbPzPO
山縣はアホだから相手にしてない
って福島の知り合いが言ってた
174名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/14(木) 22:00:06.37 ID:DR+xExPc0
そのアホや薩長閥が死んで出てきたのは反薩長東北軍閥
政治家も伊藤や山縣と違い軍部を抑えられない無能私欲保身家と化した現実
175名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/15(金) 17:06:13.26 ID:6EeUc8sV0
まぁ山縣は部下の統制については評価できるかな。
つか、昭和の代が下に甘すぎるんだが。
タメ口で酒たかられたりしてもニコニコ応じなきゃならんとか。
176名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/16(土) 23:14:22.69 ID:2Mamz4iq0
>>172
フザけんな馬鹿
ただの官僚政治家止まりと我国の立憲政治、議会政治の父とも言える大政治家比べんのもおかしいわ
陽気な伊藤と陰湿な山縣じゃ天と地程も違うわタコ
177名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/17(日) 05:19:59.38 ID:XfbzkXxj0
>176
もうちっと山縣について勉強してこい。
伊藤を持ち上げたい気持ちを持っているんだろうが、山縣への無知の方しか伝わってこないぞ。
178名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/19(火) 21:17:32.51 ID:aSKN3czPO
つられるなよ…
179名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 02:37:34.79 ID:KdGVnMh80
つか山縣とか長州批判する左翼がいるが結局、それらの勢力を
取り除いた結果が第二次世界大戦なわけで。
180名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 20:22:54.32 ID:owglo1vI0
朝鮮半島で、差別され搾取されていた奴隷階級=白丁。
終戦後のドサクサに紛れ、差別から逃れるため、白丁は日本に密入国。
勝手に戦勝国民を名乗り、朝鮮進駐軍を組織。
日本各地で、殺人・強盗・強姦・暴行・土地の強奪等極悪の限りを尽くす。
そして、不法に占拠・強奪した駅前の一等地でパチンコ屋を開業。
暴利を貪り、蓄財する。
その穢れた金で、低脳私大に進学し免許を得た、朝鮮人の医師・歯科医師が多数存在する。



181名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/07(日) 12:17:50.48 ID:W+6g6M5L0
伊藤は山縣の軍閥に対抗するため政友会を立ち上げたんでしょうか?
182名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/08(月) 08:41:54.51 ID:z9Y1Ip860
このスレ立てた人、藩閥政治っていう一面的な見方しかできないんでしょうね。
途中、書いている人もいたように、その藩閥を批判した人たちがダメダメだったんだけど。
(まるで自民党を批判して政権を取った民主党みたいだけど)

この3人の活躍する分野が違っていたのは
近代日本にとってラッキーだったと思うよ。
183名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 00:45:46.50 ID:YQhkFk9I0
山県とか見るべきところなんて何もねぇよ
184名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 02:17:52.65 ID:vov+57J3O
>>181
政友会の成り立ち調べたら分かるだろうけど、元々は伊藤は関与していない。

陸奥、星という藩閥外の若い人達が終結していく時に伊藤がそれに乗っかる形で総裁になっている。

議会を運営していく上で伊藤が政党という多数決の力の必要性を痛感していたのは間違いないが、1人1人かき集めていくのは無理なんで陸奥や星のグループに乗っかった。

で、山縣は藩閥外の跳ねっ返り筆頭みたいな陸奥や星に担がれている伊藤を渋い顔で見ていた。


陸奥は海援隊の縁で土佐派とも親しかったから、自由党乗っ取りや切り崩しにも活躍。
185名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 07:37:38.29 ID:6BYMrsRI0
伊藤「議会の力強いし無理だわ政党立ち上げるわ」

議会「ならうちの党の党首になってよ」

伊藤「おk」

山縣「伊藤も政党なぞという無能に近寄りアホじゃ脳」
186名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 09:27:23.60 ID:jZvm6bWR0
>>183
軍部の頭を押さえる重し的な意味はあっただろう。
良くも悪くもあいつが生きてる間は、若手将校が上官の家に乗り込んで
タメ口ききながら酒奢らせてヒャッハーなんてことはなかった。
187名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 19:51:52.70 ID:LdtWvIHv0
なんだかんだで山縣さんは歴戦のツワモノだからね。
伊藤さんすら高杉魔王の挙兵時、難しいと知りながらも命懸け力士隊と共に参戦した。
188名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 23:50:53.63 ID:HfywB9170
>>186
まぁ山県は家でも気難しく元帥と呼ばれてたからな
そんな若手のナメた真似絶対許さなかっただろう

>>187
そこが山県の人間的魅力に欠ける由縁だよ
負けるかもしれない場面で真っ先に駆けつけた伊藤とどっちつかずの山県
よく言えば慎重だがただ日和ってるだけの風見鶏じゃねーか
189名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 12:08:40.15 ID:bHxok68uO
2個師団増設要求やシベリア出兵の時、山県自身は慎重派だったと思うが
山県の意向に反して軍は強行し、結局なにも得るものもないまま
軍や藩閥に対する批判のみが高まっていった。
にもかかわらず、強行した上原を擁護し重用し続けたのはなんで?
190名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 13:25:40.98 ID:36Vhrkoz0
その頃の上原は、大山・野津の後継いで陸軍薩摩閥の重鎮になってんじゃない?
寺内は使い物にならないし長州閥衰微の時代だし、切ろうとしても切れなかったのでは。
そして上原vs田中義一の時代に。
191名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 00:57:05.23 ID:36O2hM9c0
伊藤博文は暗殺されて当然の人間だったな。
人間の器が小さすぎるよ。

山縣有朋みたいな本物のリーダーが居た事が日本政治史唯一の救いだろう。
192名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 14:53:35.72 ID:8B8HtfVWO
山縣の存在は軍と官僚には幸運だったが、国民には災いだった。
193名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 17:19:17.15 ID:ZMTbfHxg0
>>192
それは本当の山縣を知らないアホの考え方。
最近はかなりそれも見直されてきているけどね。
194名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 00:18:12.53 ID:0FEXncTx0
>>193
これか。
「悪役」山県有朋、日本近代史で再評価 実は愚直で優しい性格だった……
ttp://www.nikkei.com/life/culture/article/g=96958A90889DE0E0EBE5E5E5EAE2E2E5E2E0E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E0E5E3E0E0E2E3E2EBE3E7E5
「軍国主義」→「現実主義者」山県有朋像に見直しの動き
ttp://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201105090130.html
195名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 04:29:33.80 ID:9Z9dOoBc0
というか権力主義だけの人間が既に総理大臣やったような人大物なのに戦争いかないでしょ
あと狙いはどうあれ山縣内閣で選挙権を税収15円から10円に下げるような政策やってるし
民主主義を完全に否定してるわけでもないと思うんだよな。
今後の評価がもっと変わっていけば良いな
>>191
いやあそこまで人信じてて何処が器小さいんだ!?
伊藤の下で活躍した陸奥なんかは伊藤を暗殺しようとしてたんだぞ。
むしろ歴代総理の中でもあれ以上はいないんじゃ・・・
196名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 22:41:19.88 ID:qnBUdXXN0
山縣は最初の頃はまだ政党や議会政治に理解があったんだよ。
途中から、それが全くなくなっていく。
世の中は逆に政党政治になっていったのにね。

まあ当時の政党の無茶苦茶ぶりとお互いの足の引っ張り合いとかみると、
山縣が政党嫌いになるのもわかるがね。
197名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 13:06:36.78 ID:Z9JN689I0
議会の言う通りに資本を民間にばかり注入してたら、日露であぼんだからな。
でも大正期には目を瞑って議会政治に全部投げるべきだったとも思う。
難しい時代だ。
198名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 15:10:20.69 ID:mua/5ZeP0
日露は上手くこなせても結局太平洋戦争でアウトだからな。
大陸の利権なくしてたほうが幸せだったかもしれん。
199名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 20:45:15.59 ID:3zLV38kH0
藩閥とは言わんが、元老制度は続けるべきだった
日本人に民主主義は早すぎた
200名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 21:00:48.95 ID:Z9JN689I0
まぁ、朝鮮王朝がタイ王朝並みにしっかりしてれば、話は別だったかもしれんがw

日本は貿易促進でいち早く世界恐慌から離脱したが、
結局ブロック経済が構築されてまた窮地に陥るから、
大陸権益の有無に係らず世論は対外進出方向に動いたのではないかとも思う。
201名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 07:16:24.31 ID:P5K0KYef0
>>199
元老のなり手が居ないだろ
それとも元勲二世や三世に継がせるつもりなの?
202名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 23:03:01.57 ID:znBofntC0
そもそも大東亜戦争後まで生き残ってたヤツで明治大正の元老に匹敵する実力者なんていなかったろ
見るべき人物がいねぇ
203名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 23:16:35.05 ID:Y2h8Q3aF0
日露戦争までは士族や志士の生き残りがリードした
昭和はがり勉秀才ばかり増えた木戸のせいだな
204名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 23:50:41.21 ID:nZfXJIIx0
>>201
山本権兵衛元老擁立運動というのがあったらしいが、
西園寺が握りつぶした
205名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 14:17:33.53 ID:66yI80BE0
山縣は藩閥の権化。議会と政党を敵視し、ひたすら軍人と官僚の特権を
護った。昭和の右翼と軍人の跋扈も山縣が種をまいた。
206名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 21:49:51.75 ID:FS8TjZdT0
軍は兎も角、右翼は何か関係あったっけ?
大正の頃はむしろ反軍運動が盛んだったろ。
207名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 23:13:03.27 ID:C+ULEqTX0
>>204
そんな話があるのか。
西園寺が目をかけた近衛なんかよりよっぽど政治家として力あるのにな。
しょせん公卿は公卿に甘いんだな
208名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/27(土) 11:48:21.84 ID:h3z+II/Y0
西園寺は元老制度を憲政に不要なものとしてなくしたかったんだ。
だから、自分を最後にして新しい元老を作ろうとしなかった。
晩年は元老を辞退したがっていたが許されなかった。
209名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/27(土) 12:39:24.26 ID:DCz9oQDk0
>>201
>>199の趣旨は政党内閣じゃ国の統率は無理って意味だと思う。
しかし、世襲元老というのもみっともないね。それに元老自体、
超憲法的存在。元老が後継選出の仕組を考えなかった罪は重い。
210名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/27(土) 15:09:34.76 ID:2Kwnd8KU0
元老って言葉はもともとマスコミ用語でしょ?
211名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/27(土) 21:07:01.91 ID:JI6MRbCO0
>>210
升味準之輔『日本政党史論』第5巻によると「そもそも元老は、1890年代から新聞が使い始めた
慣用語であって、官職や称号ではない」とのこと。
212名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/28(日) 00:26:28.66 ID:cGfnchctO
>>209
逆でしょ。軍や官僚など山県系の人材では国内の騒乱を
抑えられなくなったから、政党指導者である原を
推挙しなければならなくなった。
また国内統治において、最も山県の期待に応え喜ばせたのは、
山県と散々権力闘争を繰り返し嫌っていた政党の指導者である
原だったりする。
その後の混乱も、原が死んで政友会が分裂したのが大きいし、
それは政党間の問題だけじゃなく軍にも強いを影響あたえてる。
213名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/28(日) 00:41:00.42 ID:cDoy6N060
まぁ原の死後政友会は相当劣化したもんな
214名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/28(日) 13:26:36.98 ID:EafVaKGG0
まぁ軍の山縣閥も、児玉や桂など有力な後継者を失ってからは
かなり弱体化が進んでるけどね。
陸大で長州出身者追放が行われたのは、大正年間じゃなかったっけ。
215名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/30(火) 09:04:25.68 ID:RyvSLmSY0
鳩山・小沢・菅の元老政治に比べりゃ
216名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/01(木) 02:03:30.58 ID:I3YUvrZmO
長州ファイブめっさかっこいいんですけどwwwwww
当時テレビあったら嵐より人気ありそう
217名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/01(木) 19:46:40.91 ID:Gsg1dnf60
東条英機が陸軍大学校の校長だった時は、
卒業生の中に長州出身者は一人もいなかった。
>>214
官僚には山縣閥の残党が根強く残っていたけどね。
平沼騏一郎や鈴木喜三郎あたり。
218名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/02(金) 00:16:14.74 ID:fYrRFKJD0
東条英機は陸大の校長なんかやったことないだろ。
陸士の幹事はやっているが。
219名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/02(金) 21:10:08.94 ID:gktaKikv0
山縣関連の本なら岡義武と伊藤之雄
どっちが面白い??
220名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/03(土) 02:58:34.13 ID:TiMMbvit0
伊藤、山縣も現在の視点、価値観からみれば色々あろうが
主権を維持しその後の飛躍に貢献した偉大な政治家だと思う
後継者達はそれを時代に適合させ発展出来なかったが・・・
221名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/03(土) 07:27:20.63 ID:PeM0W1RC0
>>219
文章は岡義武のが名文だけど、伊藤本の方が半世紀新しい分、その間の研究成果が
反映されていてより詳しい。詳細さを面白さの基準とするなら伊藤本だろう。
222名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/03(土) 21:21:41.14 ID:VJmrVtib0
>>220
偉大な人物には敵も多い
223名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/03(土) 21:28:46.42 ID:IR4+Tk1W0
新書なんてあんまり読まないから伊藤本の厚さが普通だと思ってた

内容は伊藤本の方が分かりやすかったな
岡義武の方は文字に時代を感じた
224名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/03(土) 22:48:03.55 ID:u2RQgz8m0
山縣は人間的魅力に欠けるんだよ
225名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/04(日) 03:16:36.30 ID:u0GnkwYu0
俺の母親の実家(山口県宇部市)には日本間で山縣自筆の隣との間のさんに引っ掛ける屏風(?)
が有った(正確には何て言うんだろう?)
叔父の話では近隣でもやたらいっぱい有る由
226名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/04(日) 14:22:15.05 ID:Sm4NSeyC0
>>219
岡義武に1票
他の人も書いてるけど文章が良いっていうのが一番の理由。
古い本だから初めて知るような話は載っていないんだけどねw
227名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/04(日) 20:55:19.47 ID:WCYoYI/d0
伊藤博文、辞職決意の手紙…気骨ある人柄示す
ttp://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20110830-OYT1T00783.htm
228名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/04(日) 21:25:32.33 ID:99BTx9430
この時代は辞職は一つの駆け引きの手段であって気骨がどうとかいう程のものでもないような
どいつもこいつもやたらと辞職をちらつかせてるような
229名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/06(火) 16:18:20.35 ID:FjAsOiWI0
井上馨や渋沢栄一、江藤新平や大木喬任も使ってたなw
230名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/08(木) 01:58:17.66 ID:Utdoia9J0
>>228
全く以てその通りだが、伊藤が気骨ある人物である事には変わりない
231名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/08(木) 06:48:41.83 ID:AzjQZnJi0
吉田松陰「伊藤は才と学は幼く華もないが、性質が正直で周旋家の才がある」
西郷従道「伊藤さんは物知りで偉い人。しかし非常のことがあると、頭がくるいがちだった」
的確ですな。
232名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/08(木) 10:54:27.57 ID:8wJ+R8LM0
大隈の評価だと、準備万端に整えて事に望むのが伊藤のスタイルだったそうだから、
非常事態には弱くなるのかもな。

逆に非常のことに強かったのが、盟友の井上馨だな。
まぁ伊藤とは逆に、味方も作るがそれ以上に敵を作りまくる人であったがw
だから井上は、伊藤とは違って政治に向いてなかったとも言える。
面白いコンビだった。
233名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/08(木) 22:05:57.51 ID:vSF/CNmE0
伊藤博文ってなんで小説やドラマが少ないの?
農家から日本のトップに駆け上がったその波乱万丈の人生
豊臣秀吉並みにネタになりそうなのに
234名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/08(木) 22:29:09.97 ID:3Nt52xyn0
小説はそもそも、伊藤が一番面白い明治時代を題材にしたもの自体が少ないんじゃね?
単純にウケないんだろう。個人的には面白い時代だと思うが。
ドラマは無理だろ。
某国から蛇蝎のように嫌われてる上に近代だからw
235名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/09(金) 01:18:40.64 ID:u248Q1q40
晩年の伊藤が井上の誕生パーティでスピーチした際、
井上が斬られた話に及ぶと二人で抱き合いながら号泣したそうだ

かっこいいぜ維新志士
236名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/11(日) 09:53:06.68 ID:YtZ35Wru0
今の皇太子一家を見ると大正時代山縣が宮中にしゃしゃりでた気持ちがわかる気がする。
237名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/11(日) 11:10:58.40 ID:ADdWqAlh0
>>235
病気で死に掛けたときじゃないか
238名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/12(月) 00:41:03.83 ID:b0l7QK1V0
>>236

宮中と政治の接点だった内大臣も、伏見宮を除いて元老が務めていたし、
宮中は元老の領域という暗黙のすみ分けというのがあったのだろう
239名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/12(月) 22:35:02.62 ID:o1B3sAkp0
>>238
まぁ元老の権力の源泉が宮中との距離の近さだからな
240名無しさん@恐縮です:2011/09/18(日) 17:35:21.46 ID:gcGul8nS0
>>165
美濃部達吉は、
ロンドン軍縮条約の批准は違憲ではないと主張しているが。

目先の政権奪取に捕らわれるあまり、海軍艦隊派と結託して、
その後の軍部が統帥権を好き勝手に解釈して独走する原因を作った
犬養と鳩山は間違いなく最悪の政治家。
241名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/19(月) 22:04:11.89 ID:MZGZJOsa0
>>196

それでは、現代の我々も山縣を笑えない
242名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/19(月) 23:05:09.90 ID:O4gTHBn+0
小村寿太郎

日本のいわゆる政党なるものは私利私欲のためにあつまった徒党である。
憲法政治の迷想からできあがった一種のフィクションである。
藩閥はすでにシャドウである。実体がない。
フィクションとシャドウがつかみあいのけんかをつづけているのが日本の政界の現実であり、この二つの空な勢力が日本を陥れる危急のときに備えねばなりません。
243名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/21(水) 01:32:43.16 ID:WQFSee9oO
日本史板は、伊藤博文が歴代一位の総理にきまりつつあるが
244名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 15:27:18.80 ID:keuU5Bn00
普通に考えて
自分たちのために戦争起こして民間人大量に殺そうとする奴らがまともなわけない
伊藤博文とか私利私欲の塊じゃないか
どのへんが偉大なんだよ
245名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 16:53:30.01 ID:HdCVFNoJ0
三傑の死後は常に穏健派で、金銭関係は綺麗な伊藤が私利私欲の塊って。
斬新な意見だなーw
246名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 17:23:41.56 ID:keuU5Bn00
本当に穏健なら他の国支配するための戦争なんて起こそうとしないだろ
どんだけ人死んでると思ってんだよ
伊藤はただ慎重に行動してただけで根本は私利私欲だったと思う
っていうか女遊びしてるような奴が私利私欲で地位手に入れようとしてないわけがないだろ
他の人は知らんけど俺は伊藤博文嫌いだわ
247名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 18:02:05.21 ID:0yomuSNw0
日清日露でそんなに民間人死んだっけ?
近代って一個人の都合で戦争起こせるような時代か?
どうも知識の浅さを感じる。
248名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 18:02:59.26 ID:HdCVFNoJ0
>>246
女遊びする奴は私利私欲の権化かw
まぁこれから先もイメージだけで生きて行きたいなら仕方ないが、
それぞれの戦争について、誰がどういうスタンスでどう思ってどう行動したかぐらい調べれば
もう少し賢くなれると思うよ。
全ての戦争が私利私欲で起きるなら、世の中もっと単純でもっと楽になるだろうけどねぇ。

せめてなぜ戦争が起きたのか、その背景は何なのかぐらい知る努力をしなきゃ、
これから先も戦争を回避することはできないよ。
249名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 20:30:53.24 ID:keuU5Bn00
>>247
まぁ知識は浅いかもしれない、それは否定しないわ
でも日清日露じゃ民間人は大量に死んでるでしょ、手足なくした負傷者だって多いんじゃないの?
逆に民間人が戦争行かなきゃ誰がいくんだよ、軍部なんぞ命令してるだけでしょ

>>248
政府が占領する為の戦争としか考えられない
ほぼ私利私欲で戦争決定してるんじゃないの?国会なんて名ばかりの時代じゃん
そうじゃなければ弾圧なんてしないと思う
別に歴史学者じゃないから詳しいなら暇なら簡単に教えてくれよ
少なくとも現時点で伊藤博文の偉大さが全くわからん
民間人に戦争行かせて自分は女と遊んでる奴がそんなに素晴らしいのか?
250名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 22:48:58.15 ID:0yomuSNw0
〜じゃないの?
って言われてもなぁ
251名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/13(木) 00:31:15.20 ID:JniVxIeW0
>>249
その兵士と共にバタバタ死んでた士官はその軍部なんだがね。
乃木の二人の息子や、山本五十六が指を失った事も知らんのだろうなぁ。

別に歴史学者じゃなくても、特に戦争を嫌うなら知っているべきことだと思うが。
もちろん世界には私利私欲で起きる戦争もあるけど、私利私欲だけが目的なら
ロシアなんて日本より遥かに強大な列強相手に喧嘩売る訳ないじゃん。負けたら全てを失うのに。
媚び売ってついでに国も売った方が、安全かつ確実に儲かるよ。
なぜ戦争が起きたかについてはスレ違いだからここでは述べないが、
ちょうど日露戦争って本当に自衛戦争だったの???ってスレがあるし多少書いてあるから
まずそれを読んでそっちで質問してみなさい。俺もそのスレ見てるから。

>民間人に戦争行かせて自分は女と遊んでる奴
日清戦争について少しでも知っていれば、こんな言葉は到底出てこない筈だけどねw
せめて目の前の箱に聞いてみるぐらいのことはしようね。
252名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/13(木) 17:19:15.92 ID:bYiUufTJ0
日清戦争は日本が朝鮮取りたかったからだろ?
口ではいくらでも「民衆のため」とか言えるけど、その人の性格なんかやってること見れば大体わかるからな
目の前の箱以前に年表見るだけでも結構わかるもんだよ
伊藤に限らず大体侵略のための行動しかしてないな
日清も日露も日本からふっかけなきゃ本来起きなかった戦争だ
伊藤が女好きだろうとそうじゃなかろうと
当時の一般人からすれば到底尊敬するべき人物なんかではないだろうな
何せ自分たちを散々苦しめてきた人物達だし
253名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/13(木) 17:29:59.31 ID:ZLMUaB1p0
伊藤博文の個人的な私利私欲で戦争起こしたって言ってなかったか?
なんかもうグダグダだな。

>伊藤に限らず大体侵略のための行動しかしてないな
日本語か?これ
254名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/13(木) 18:14:14.32 ID:bYiUufTJ0
わかりづらかったか?悪い
伊藤に限らず(内閣の奴らはみんな)大体侵略のための行動しかしてないな
って言いたかった

侵略戦争は私利私欲だよ、一般市民が徴兵制度で戦争行かされるんだから
もし市民が政治に参加できるなら、侵略戦争に賛成なんかするはずないと思うよ
そうなってないのはほぼ独裁かつ市民が死のうがどうとも思わなかったから
国民のためじゃない戦争はいったい誰のための戦争なんだろうな…?

戦前の日本を悪くいわれると困る政治家じゃなくて俺たちは市民なんだから
俺は伊藤博文なんて絶対に許しちゃいけないと思うんだがな…
それともひょっとして政治家の方でした?
255名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/13(木) 18:49:03.14 ID:g8vpf3At0
私利私欲って個人の為の事だろ
公の最高存在である国家の為の戦争だから私利私欲でわないわね
議会もあったし議会も機能して国民も戦争に賛同してる
大体徴兵制は一般市民の権利でもある
古代の身分が無い市民社会も大体徴兵制
侵略とか定義があいまい
256名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/13(木) 19:01:02.60 ID:hCjsXbvc0
>>252
お前を見てると、自分だけが確信する”世界はこうあるべき”という妄執に取り憑かれて
他の事を何も知ろうとしないことは、とても憐れだなと思い知らされるよ。

伊藤博文の葬儀
>『東京朝日新聞』は、国葬の荘重厳粛さよりも、伊藤の邸宅があった霊南坂から日比
>谷にかけての沿道に集まった群衆約数十万人が「あたかも自分の父母の葬儀を送ら
>んとする熱心さをもって詰めかけた」と記している。
>ふくれ上がった群衆の一部は葬列へなだれ込んで、儀杖兵が抜剣して整理に当た
>る騒ぎになった。

ついでにお前の嫌いな軍部である東郷平八郎の葬儀
>「国葬令」ができて以来、初の東郷の国葬はこれまでの国葬の中でも一番の盛儀となった。
>六月五日の国葬には東郷家から日比谷斎場までに約六十万人、斎場付近約
>七十万人、斎場から多摩墓地までの沿道も、車の通行だったが五十五万人が詰めか
>けて柩を見送った。

因みに、本当に国民から嫌われるとこうなる。
>しかし、民衆は山県の死に冷たんで、一万人収容の葬儀場の中はガラガラで、わず
>か千人ほどしか参列者はなく、民#イきのさびしい国葬であった。
>『東京日日新聞』 (大正十一年二月十日付) では、「国葬ではなく、官葬か軍葬で、
>帳合の中は上下両院議員が数えるほどで、実業家や他の姿も見えず、幾重にも設け
>た白布ばかりが目立ち、さびしい国葬であった」と書いている。

『国葬にされた人びと』・・元老たちの葬儀
http://maesaka-toshiyuki.com/detail/111
257名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/14(金) 06:12:56.24 ID:Fuwy2dIN0
>>254
君の居場所はここだ m9

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1291625315/
258名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/14(金) 17:27:18.67 ID:y5wfkhTz0
>>254
日露戦争下の国民生活と意識
> こうした状況の中、日本各地は日露開戦の報を聞き、沸き立つこととなった。
>例えば、神戸では、人々は夜になると街に繰り出し、夥しい数のちょうちん行列をなして、
>楠公神社まで行進した。その数は6万人を数え、「バンザイ」「バンザイ」とあちこちで叫ぶ声は
>山々にこだまし、5マイル離れた場所からも聞こえるほどであったという。
>そして、将兵を満載した列車が朝から夜遅くまで通過するたびに、多くの人々が出迎えて歓迎し、
>神戸駅から兵庫駅までの線路には無数の日本国旗がはためき、家々の軒先には提灯が飾られた。
> しかし、戦局が進み、周囲の犠牲が増えてくると、開戦直後の興奮は次第に冷却化し、
>国民は単純には戦勝を喜ぶことが出来ない複雑な心理状態に陥っていた。
http://www.clb.law.mita.keio.ac.jp/pls-committee/seijigakuKenkyu-41/seijigakuKenkyu-41_09.pdf

つーか、日比谷焼打事件ぐらい知っとこうよ。中学生の教科書でも載ってるでしょ?
>長きにわたる戦争で戦費による増税に苦しんできた国民にとって、賠償金が取れなかった
>講和条約に対する不満が高まった。このため、9月3日に大阪市公会堂をはじめとする全国各地で
>講和条約反対と戦争継続を唱える集会が開かれたのである。
>その内容は、「閣僚と元老を全て処分し、講和条約を破棄してロシアとの戦争継続を求める」という
>過激なものであった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%AF%94%E8%B0%B7%E7%84%BC%E6%89%93%E4%BA%8B%E4%BB%B6
259名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 00:35:37.17 ID:OeP+nzdr0
まぁ政治家は私利私欲のためにしか動かないと仮定するのが、合理的だから
言ってることは全て間違いじゃないと思う。
ただその私利私欲を求めた結果が国益と一致するかどうかが重要なのであるのだから
最終的に伊藤の行動が国にどのような損出を与えたかを述べて欲しかったな。
侵略戦争がなんだ?日本は朝鮮の領土を手に入れられたことは
この時の軍事情勢から見て非常に素晴らしい日本の国益だ
しかも戦争に勝って外国からの評価も上がり不平等条約も改正できた。

つか私利私欲のために政治家やってないからといって政治が良くなるわけではないだろ
鳩山とかが良き例じゃん
260名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/25(火) 12:42:30.99 ID:+E8uXKgR0
>もし市民が政治に参加できるなら、侵略戦争に賛成なんかするはずないと思う
なんて無知も甚だしいわな。もしそうなら欧米諸国はどうなるんだよと。
261名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/25(火) 16:27:45.81 ID:x+mJiNMb0
日教組のキチガイ教育の成果ですなあ
262名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/26(水) 00:26:10.29 ID:aqiC7Dln0
今日は伊藤博文の命日。
263名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/26(水) 21:59:06.71 ID:SkDuD46X0
>>259
伊藤は私利私欲の政治家でないから
264名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/30(日) 05:54:34.93 ID:W+wcSAhG0
伊藤は女癖が悪かったが金銭と権力には恬淡だった。
265名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/01(火) 23:13:59.82 ID:deDFfL550
これがゆとりってやつ?
266名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/03(木) 14:02:44.15 ID:pbdDQz920
>>254がな
267名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/08(火) 02:37:54.69 ID:jsXR1gY00
やっぱり、旧幕府側で身分が上だった人達は、どう思ったのかね??
268名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/08(火) 07:24:12.01 ID:5kyJPMeE0
>>254
アメリカって国知ってる?
そもそも侵略戦争を私利私欲って時点でアフォ。
そもそも元老が私利私欲で侵略戦争なんかして何かいいことでもあるのかよ。
勝っても彼等の立場に変わりはない。
だが負けたら責任を取らされて失脚する。国が滅べば戦犯で処刑だ。
269名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/08(火) 07:38:52.98 ID:In54zt3J0
明治からこの国は米国の属領
政治屋 天皇 財界 公務員 司法 検察・・・・すべて言いなり
 ↑   ↑
 韓国朝鮮人

山口県田布施町の朝鮮人を米英が利用して
天皇をすげかえ政府の役職に起用し売国明治維新へと。。。
それが綿々と現代に及び・・・・・・・・ なんと悲しい我が日本


日本人ほどお人よしでバカな国民はおらんぞ
まさに国民総ブロイラー
150年来 米英 韓国朝鮮どもに支配 搾取され 捏造 拝金主義を刷り込まれ
スポーツ 芸能 クイズ バラエティ グルメ アホドラ アホ音楽 アホ映画・・・に
うつつをぬかし、自国の歴史 文化 伝統・・・を顧みることもなく目先の欲望に とりつかれた餓鬼ども

それが現代糞日本人

270名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/08(火) 19:06:36.31 ID:gVCn7dE00
幕末から白羽の矢を潜り初代宰相となり近代日本を建設
二度の大戦を勝利に導き世界の列強の地位に押し上げた伊藤山縣井上
271名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/09(水) 20:28:30.86 ID:Zu548lqs0
>>幕末から白羽の矢を

どういう意味だ?
272名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/10(木) 00:34:48.23 ID:T+VwJB5z0
下級武士如きが!
273名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/10(木) 09:26:04.31 ID:IUI3rTzk0
長嶺秀雄『戦場 学んだこと、伝えたいこと』(並木書房・1997)、p.199 ll.6-9
http://www.amazon.co.jp/dp/4890630805
>何と言っても銃後の中心は、政治の中枢に立つ人である。日露戦争では、
>元老の伊藤博文でさえ「戦いが不利となれば、兵卒となって銃をとり海岸で
>ロシア軍を防ぎ、砲火の中で死ぬつもりだ」と、その覚悟を示した。また
>第一次大戦では、フランス首相クレマンソーは、前線の状況を知るため
>第一線から300メートルのところに進出している。


伊藤博文と言えば、朝鮮で暗殺されたハト派という印象が強いが、国難に
対しては断固として立ち向かっている。それもその筈、彼は幕末に吉田松陰
門下で倒幕を心に抱いて文武両道共に磨き、当時の権力者に歯向かう程の
男である。どこの馬の骨ともしれぬ少年だったのだが、一代で有力者に成り
上がった。この点、二世三世の政治家とは全く異なる。

「政治家」という言葉の重みの違いを思い知らされる、というものだ。もっとも、
政治家の存在が軽い社会は、幸せな社会ではある。その幸せがそのまま
保たれ続けるかどうかは別にして……。
274名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/10(木) 14:44:59.64 ID:Lc0CKur/0
>>269
お前のアンチアメリカにかける熱狂的な情熱は分かったが、1860年代のアメはそんな大した国じゃないぞ
275名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/18(金) 08:36:06.73 ID:gOFseB4B0
伊藤への賞典禄ゼロ
どうしてか教えて!
276名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/18(金) 20:51:57.79 ID:n6P88RczO
>>275
戊辰戦争で戦った訳でもなく、王政復古に何か寄与した訳でもないから
貰える条件に全く当て嵌まらない
277名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/18(金) 22:34:04.67 ID:HCGdao+a0
山縣有朋は長く派閥政治を続け今の派閥政治にも繋がる
それと人望もない……
薩長が中心で肩身が狭かった榎本や大隈も山縣を嫌っていた
榎本は山縣と対立して政界を引退したが伊藤と松方に政界に復帰するよう頼まれて
外相に就任した
278名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/19(土) 00:01:10.09 ID:n4tMpBvj0
「平成維新運動に火をつけかねない」として、公安が警戒する本『維新と興亜に駆けた日本人』。

「明治維新に至る討幕運動、大正維新、昭和維新と脈々と受け継がれ国体回復運動の意義を国民に
知らせていならない」と彼らは躍起になっているらしい。

封印したはずの西郷南洲、副島種臣、大井憲太郎、樽井藤吉、杉浦重剛、頭山満、岩崎行親、植木枝盛、福本日南、陸羯南、荒尾精、松村介石、来島恒喜、岡倉天心、近衛篤麿、今泉定助、杉山茂丸、権藤成卿、宮崎滔天、内田良平の維新思想の本質が蘇る。
279名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/21(月) 19:59:09.03 ID:IV88tWMm0
伊藤博文翁は最初で最後の人を殺めたことのある総理なんだってさ。

280名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/21(月) 22:35:18.95 ID:bUgnjdhE0
迫りくるロシアの脅威や各地を植民地化する欧州列強の世界情勢で朝鮮が自力
で近代化を終えるまで待つ猶予なんて日本にはなかったのではないでしょう
か?歴史にIFはつきものですが、冷静に当時の日韓併合に至った日本と半島、そして
当時の世界情勢を分析する必要もあると思います。長い間、朝鮮は隣の大国清の
属国になっていた。清皇帝から受けた恩に、感謝して迎えるために作った門。
迎恩門ここで朝鮮王は、9回頭を地面に叩きつけて、ひれ伏し、清の使者を
迎えた。清の太宗が要求したのが、九叩三拝(頭を地にこすりつけて、土下座
して謝罪)という屈辱的な礼。太宗は、朝鮮王朝がこれを忘れないように
と、わざわざ、モンゴル語、満州語、漢語の碑文を作って、その場所に建て
させた。
281名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/21(月) 22:37:27.73 ID:bUgnjdhE0
今回はナチス・ドイツの迫害下から逃れてきた2万人のユダヤ人を助
け、
しかも「占守島の戦い」でソ連軍千島侵攻部隊に痛撃を与えた帝国陸軍の名将
「樋口季一郎」についてです。
現在の兵庫県南あわじ市阿万上町で、父奥濱久八、母まつの5人兄弟の長男とし
て生まれました。
11歳の時両親が離婚し、母まつの阿萬家に引き取られてお
り、
18歳で岐阜県大垣市歩行町の樋口家の養子になりまし
た。
大阪陸軍地方幼年学校、陸軍士官学校に進み、優秀な成績で卒業、陸軍大学校
を経て、
高級軍人となってからは主に満州、ロシア方面部署を転々とします
が、
1938年3月、ドイツからシベリア鉄道経由で約5000人のユダヤ人難民
が、
ソ連と満州の国境の駅、オトポールに集まりまし
た。
国境を挟んで満州側には、満州里の駅があったので、ユダヤ人たち
は、
満州経由で上海へ向かいたかったのでした
が、
満州国外交部は、友好国ドイツへの配慮からユダヤ人の入国を拒否しまし
た。
このため、ユダヤ人避難民達は、満州国境まで来て足止めを食ら
い、
オトポールの駅で野営生活を強いられてしまい、しかも満州国境の3月
は、
寒さが厳しく食料もなく彼らは凍死寸前でした。
そこで、ハルビン在住の極東ユダヤ人協会会長、アブラハム・カウフマン氏の要請
により、
樋口少将が満州国外交部の責任者と会って説得しました。
一方で、樋口少将は、南満州鉄道の松岡洋右総裁に救援列車を要請
し、
12両編成の列車13本が、行き場を失ったユダヤ人救出のため出動したと言われ
ています。 
この救出劇は当然のように、ドイツ外務省より厳重な抗議を受けてしまいまし
た。
そんな中、当時の参謀長、東条英機中将が、樋口少将を参謀本部へ呼びつけまし
た。
そこで樋口少将は、東条参謀長に持論の正当性を熱心に説明したとこ
ろ、
なんとそれは東条参謀長に受け入れられ、樋口少将の行為は不問に付されること
となったそうです。
ちなみに、樋口の奔走で、難民らは、地元商工クラブや学校へと収容され
た。
この最初の救出作戦で受け容れられたユダヤ人の人数は、100から200名程度
の少数だそうですが、
その後1941年半ば頃まで、この「ヒグチ・ルート」は存続し、満洲国外交部は難民
を受け容れ続けたので、
一説では救出された数が2万人という数字が主張されていま
す。
(ただし、早坂氏の調査では、上記のように、恐らく5000名が最大の数字だそう
です。)
この救出作戦だけでもすごいのに、占守島の戦いでは、日本軍人による推定値とし
てですが、
ソ連軍に死傷者、3000名程度の損害をあたえています。
282名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 09:07:48.16 ID:spXwKmSQ0
>>279
最初ではあるが最後ではなかろう。

酒乱の黒田清隆を忘れてないか?
283名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/24(木) 12:08:43.05 ID:/ExfYUn30
まぁ妻殺しの噂はともかく、陸軍で従軍経験あるのは
殺しててもおかしくないな。
特に小隊長クラスだった人は。
284名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/27(日) 02:57:52.66 ID:XJ32u4Lq0
伊藤の弟子の西園寺、その弟子の牧野そしてその弟子の吉田。
明治から大正、昭和にかけてその政治思想が受け継がれているのが面白いよな
285名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/27(日) 04:30:02.59 ID:XSRgW0UsO
>>284
伊藤と西園寺はそれほど関係強くないだろ

政友会系の政治家で言えば

伊藤-睦・星-原-鳩山

明治元勲華族・その血縁系
西園寺-近衛・牧野・木戸-吉田


近衛や木戸を政友会系とするのは違和感あるが、西園寺が伊藤の弟子っていう見方よりはマシかなと。


286名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/27(日) 05:44:32.69 ID:XJ32u4Lq0
>>285
西園寺って伊藤に見出されて出世したと思ってたけど違うのか?
まぁある程度wikiの情報だから、信用ならんのかもしれんが。

まぁそうなると伊藤が育成した有能な政治家ってもしかしていないの?
原はほとんど伊藤の弟子とは言えないし、
星とか鳩山とか政治家のくずしかいないじゃん。
人を育てる面では伊藤はダメだったのかな
287名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/27(日) 23:14:23.88 ID:C/pYVKJw0
>>286
園公が伊藤に見出されたのは間違ってない
てか維新時既に大村が目をかけてた
288名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/27(日) 23:18:34.93 ID:XSRgW0UsO
>>286
伊藤が見出だしたってのは大袈裟な感じかな。
確か近衛のパパに期待してたけど日露戦争前後に山縣系の人脈に取り込まれてしまったので、代わりに西園寺。

後進の育成って言ってもマニュアル的なモノで事務的に伝えられる部分は限られてるから、政治家として最も重要な状況把握と状況判断という資質は先天的な要因が大きくなってしまうしな。


大正期に官僚から政治家になった総理ばかりになるのは、高級官僚になってそういう資質を養う機会が豊富にあるのが官僚だったって事なんだろうし。


星や鳩山が政治家として優れていたかどうかは怪しいけど、時流を見る目や判断をする覚悟はあったと思う。


少なくともただのボンクラではなかったからこそ彼らの名前は残ってる訳で。


まあ、何だか良く分からんレスになったが気にするな。
289名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/28(月) 01:04:22.31 ID:5qI7fdNU0
>>286
>>287
まぁ、戊辰戦争の時の言動で岩倉具視の注目を引いたわけだから、
そういう意味では、非山縣系で元老世代の次の世代を担うという意味で
伊藤の「引き」はあったのかもしれない。
290名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/30(水) 22:07:03.39 ID:SN7dkTT20
しかし山縣の後の世代の筆頭格が桂太郎とは・・・・
情けないのう元老も
291名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/01(木) 15:19:25.22 ID:wmyyFgiQ0
児玉源太郎が早々に死んじゃったからなあ。
292名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/02(金) 12:46:59.95 ID:xqueWC4EO
児玉が山縣の寿命まで生きてたら二次大戦までの陸軍の暴走は無かったとは言わないが半減ぐらいはしただろうな。
自ら起草した陸軍幼年エリート教育が死後、無想家培養機関となり東北閥の形成を許すとか明かに児玉の管理下なら有り得なかった。
山縣の後継者は政治で見れば桂かもしれんが能力的には児玉一択でしょ
日露戦争後に陸軍軍育制度が変な方向に向かったのも常に『政治的立場』を客観的に判断しながら軍事行動をしていた維新叩き上げがいなくなったからだし。
山縣が死ぬ頃には日露で戦略単位動かしてた将・佐官クラスは退役か死亡
『政治を肌で感じながら戦える軍人』はいなくなった。
その点、山縣の外交能力は白刃の上を歩いてきただけに軍事と一体となり神懸かり過ぎてとても真似出来ない。
二次大戦の陸軍の外交馬鹿さ加減を考えれば山縣は十分讃えられていい。
293名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/20(火) 19:59:51.20 ID:zV5/fnTm0
やっぱり元老の中では山縣が一番好きだ。
英国好きだしね。

山縣が死んでから日本の政治がおかしくなり始めた。
294名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/20(火) 23:09:31.50 ID:1bBajdT00
>>292
おまえアホだな。
暴走したのは陸軍ではなく海軍だろ。
上海事変〜都市無差別爆撃、トラウトマン工作妨害〜南進論〜ハワイ先制攻撃
全部、海軍の暴走。
295名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/21(水) 21:32:31.26 ID:eAc8N8cO0
陸軍じゃないの?あいつらが世論操作したんだし。
詳しくソース欲しんだが
つっても日本の太平洋戦争はやっぱり犬養とかぽっぽ祖父みたいな政治家も
原因を担っていると思うけど。
296名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/22(木) 08:40:44.31 ID:DjVPk6Cf0
山縣有朋(元帥陸軍大将)
http://www.yoshida-shoin.com/monka/yamagata.html

白根専一・小松原英太郎・大浦兼武・C浦奎吾・松平正直・大森鍾一・平田東助
「山県派四天王」
297名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/22(木) 08:42:57.90 ID:DjVPk6Cf0
伊東巳代治はついたりはなれたりする
298名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/22(木) 10:46:43.86 ID:9/PSJq600
>>295
世論操作できる力があったら、満州事変の時に日本国内の世論を警戒して
ビクビクする必要はなかったと思われ。
まー俺は陸海軍どっちも暴走したよね派。政治家は暴走というか能力低下しすぎ。
299名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/23(金) 21:54:21.88 ID:Dvo6Yu/U0
>>296

七人なのに「四天王」
といっても、「七福神」という面子でもないが
300名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/26(月) 14:54:39.56 ID:U9T5UPMS0
5人で龍造寺四天王はよく聞くネタだが、
7人で四天王は……w
しかしこれだけ居て、出身は
長州・備前・薩摩・肥後・越前・幕臣・米沢・筑前(安広伴一郎)
どんだけバラバラやねん。
301名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/30(金) 18:03:40.00 ID:OudoDh2x0
韓国統監を犠牲にして朝鮮支配に乗り出した

http://2nd.geocities.jp/jmpx759/0203/36/248_1.html

韓国統監「伊藤博文」の死は日本のシナリオだった。

(仮説を含む)

( http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/02/p003.html )
302名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/04(水) 03:24:35.72 ID:jZHA6ymS0
>>256
HP見たけど、吉田茂が国葬だったなんて知らなかった。
葬式に来る顔ぶれでそこそこ人物感が垣間見えるからおもしろいな
303なんでも鑑定団 愛のエメラルド:2012/01/08(日) 22:12:59.55 ID:mfy2Vw8G0
山田顕義伯爵の葬儀は伊藤博文同様、稀に見る大葬儀でした。
一種のお祭りの様なものかも。ライバルの山縣有朋の葬儀とは正反対。

護国寺周辺は大混雑。明治大学の全校生徒も参列。朝野の有名人が参列。:顕義は超人気者
山田顕義は無名人?だったと思っている君。
それは大間違いです。晩年は飛ぶ鳥を落とす勢いでした。 葬儀の時の護国寺周辺は大混雑。

山縣有朋の馬車は道に迷い遅参し、京都から急遽駆けつけた西本願寺21世住職
明如光尊上人の車も混雑の為、前の車を見失って遅参しています。
葬儀の時も明如上人が、執綱執蓋の儀を以って徐に石階を参進せらるる時、左右に
堵列せし朝野の紳士が、一斉に脱帽敬意を表せる光景は実に壮巌であった。
葬儀は東京の老若男女が殺到し、大変盛大な葬儀でした。 葬儀には明治大学の全校生徒も参列
・鳩を放鳥しています。


304名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/09(月) 09:01:47.90 ID:voF1yMVp0
伊藤山縣は長生きしすぎたよ。
本人達の功績は大きいが権力の座に長くいすぎた結果自分達が死んだ後はその権力をコントロールできるものがおらず暴走してしまった。
305名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/09(月) 09:27:48.28 ID:DQYPqxJU0
山縣が死んだ後は一応、陸軍の上原勇作が「上原閥」を作った。
306名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/09(月) 09:53:37.00 ID:voF1yMVp0
自分の所属する組織のことしか考えられない人間ばかりになってしまった。
307名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/09(月) 10:01:20.90 ID:NJ5XYC2p0
組織のことしか考えられない人間が出世する人事がまかりとおっているのが昨今。
308名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/21(土) 01:20:56.78 ID:0BONw44u0
つってもある程度の権力移行は出来ていたはず。
伊藤も山縣も死に際には力なんて持ってなかったし
何よりもの原因は伊藤山縣の後継者となるはずの人が死にすぎったってことだろ。
309名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/21(土) 02:52:21.06 ID:WzXcAPFv0
伊藤が死に際に力がないなんてことはない
310名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/23(月) 23:21:19.42 ID:oja0b9+F0
結局井上馨って実子は何人いるんかな
311名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/24(火) 21:51:35.45 ID:+SCQO16M0
松方よりは少ない
312名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/25(水) 00:14:12.31 ID:vsYv0Zmw0
>>311
詳しく教えてくれ
313名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/25(水) 19:49:56.32 ID:VWHCvRRZ0
伊藤は立憲主義者
314名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/25(水) 23:22:51.52 ID:OO0OOtiw0
松方は元老界の種馬
315名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/28(土) 18:42:31.21 ID:MjuhraCL0
山縣は長生きしすぎだな。
316名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/29(日) 20:55:14.34 ID:5SdT3etA0
山縣と相前後して、原敬、加藤友三郎、加藤高明と立て続けに
現職首相も鬼籍に入ったからな。

彼らが天寿を全うしていれば、「牽制の常道」ある程度軌道に乗ったかもしれない
特に、加藤友三郎が健在であれば、ロンドン軍縮条約での「統帥権干犯」問題は起こりえなかった
317名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/31(火) 04:53:10.67 ID:tNunzFhN0
原敬がもっと生きたら普選は遅れたし、憲政会・民政党内閣は実現しなかった。
318名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/31(火) 22:44:21.64 ID:jRgsE4eN0
拙速がいいというわけでもない。

319名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/01(水) 21:53:34.18 ID:GKg9MXkI0
図書館の地図に東海シールを張りまくる韓国人学生【動画あり】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/korea/1326848894/

320名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/04(土) 21:19:57.93 ID:6JnoOIm/0
見よ東海の空明けて
321名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/08(水) 00:08:53.26 ID:HztCzuhK0
山県だけ男系子孫がいねぇな
ザマァ
322名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/08(水) 00:59:01.11 ID:osTtmkwo0
>>1 全員松下村塾出身らしいな。

 今で言うと松下政経塾出身か。
323名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/09(木) 02:03:31.96 ID:yJIb8wIq0
>>321
井上もいない
324名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/09(木) 12:55:06.68 ID:9YhkIK9tO
>>322
井上は松下村塾出身じゃないよ、松陰とも全く面識無いはず
村塾出身者とよくつるんでるから勘違いされやすいんだな
325名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/17(金) 07:09:59.49 ID:UZ7L3Hvl0
伊藤と山県の力関係が逆転したのっていつだ?
明治14年の政変で大隈が失脚して伊藤が事実上の首班になったけど
明治後半は完全に自派閥を持たない伊藤は山県派に呑まれてる感じがするけど
326名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/25(土) 18:31:42.68 ID:/y2SrM/q0
山縣有朋はユダヤ毛唐から嫌われていた
それだけで、山縣有朋は日本に有益な人物だったことが分かる。

戦後のロックフェラー洗脳社会でも悪評がたてられているが、
それは、逆に良い山縣が日本人だったということだろう。
327名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/26(日) 12:23:06.49 ID:qqPRUSoD0
>>325
日清戦争〜日露戦争の間に拮抗・逆転があったように感じるな。

対外戦争の準備で軍事予算が膨らむ→
軍事を握る山縣の影響力強まる→
陸軍省・参謀本部の規模拡大→
軍需欲しい三菱・三井が金撒く→
山縣金脈→
更に影響力拡大


単純化し過ぎだと思うが伊藤は憲法〜議会乗り切りの辺りでピーク過ぎたように思う。
328名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/08(木) 12:26:28.50 ID:kIWNOP160
山口県が県を上げてキャンペーンする予定の
明治維新150周年ディスカバリー長州関連のパンフレット貰った
吉田松陰や高杉、木戸、あと毛利のお殿様あたりが中心
10人の長州藩士の中にも、パンフレットに写真も記字もない山縣有朋って
地元山口県でも不人気なんだな・・・
逆に興味もったわ
329名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/09(金) 21:03:48.58 ID:Qfn2gK3vO
山口土産にもらった偉人クッキーってやつには山県もいたよ
330名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/13(火) 23:21:59.38 ID:jpH/GNN1O
伊藤の子孫は前に外務大臣をしていたけど、
山県の子孫って何をしているんだ?
331名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/14(水) 22:31:11.75 ID:ivpLC5ZH0
どっかの町長だったと思う
332名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/26(月) 04:10:25.15 ID:rAdFqad9O
逓信省かなんかに入ってなかったか?
333名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/26(月) 22:16:29.41 ID:uJYjgmE70
確かに、養嗣子の伊三郎は逓信大臣だったが。
ちなみに、JR九州の特急列車の「いさぶろう」はその伊三郎にちなんだ名前
さらにいえば、それと対になっている「しんぺい」は後藤新平にちなんだ名前
334名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/24(火) 00:27:53.31 ID:zzuhkO0L0
伊三郎は山縣有朋の姉の子どもだが、他に姉妹がいて
それぞれ品川弥二郎と平田東助に嫁いでいる。

平田東助の孫が松下幸之助の娘婿正治で
正治の妹は松下電工丹羽正治に嫁ぐ。
335名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/11(金) 02:45:59.33 ID:BKRJJyQa0
伊藤、山縣は現在の歴史視点では批判もあろうが
近代法制の確立、ルールに基づく統治制度の創出などへの貢献からして
当時の政治家としては傑出してたと断言してもいいと思う
336名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/12(土) 07:51:49.83 ID:UyhnJgYY0
>>335
>近代法制の確立、ルールに基づく統治制度の創出などへの貢献
 伊藤は憲法策定や政党政治育成に貢献したが、山縣はなにをした?
 陸軍の私党育成と元老支配だろ。山縣と東郷は日本を曲げた老害の典型。

 
337天皇家 織田 繪璃奈(横濱・野島えり) 會理主宮 Freemasonry:2012/05/12(土) 09:06:03.69 ID:5JfvjIjxO

偽のヒトラーで南京大虐殺の主犯「西太后の所からモンゴルに逃げた芝と笵襤」と
「徳川埋蔵金を奪い、逃げた酒元鬣魔とその妾」の子供達が 第二次世界対戦を開戦させ(魔女狩りの魔女の末裔)、
原爆を製造、投下させた家族と親戚が
横須賀に 「無差別爆撃」等の脅迫で集めた 世界中の要人(全国連メンバーや世界中のFreemasonryを含む)や著名人(BIG-NAMEばかり!)を人質に 籠城しながら
サイバーテロと電子操作のプログラミングや偽の情報で 大量虐殺を繰り返している。

震災も事故も内紛も戦争用薬物「人肉カプセル」の製造や虚偽での薬物投与をさせたのも 自民党名等の偽の差し入れに薬物を混入したのも 「枯葉剤」を考案し、ばら蒔いた一族が神奈川県に籠城中の一族である。

織田 繪璃奈(横濱・野島えり) 會理主宮
札幌啓北商業高等学校の野島(横濱)えり
Freemasonry & MicroSoft co.USA tp.

еопое=еёжЭЮЯабЧЦХЛθ
=νγδεζθ=γδεζηθ
弖十=優多野手頭=帝跿(徒)=衞鴉隴=野慈蚕=獲狸乃雉懷=Eleonora de' Medici
chocolat@湘南台 de' 闇将軍@藤沢市
ゲームサイト モバゲーでは八犬伝でした。

立て籠り一族とは「朝鮮総連・怩岷鬥」と名乗る「元従軍慰安婦多数」の犯罪組織。
私の名や徳川一族の末裔の戸籍を使うのは 立て籠り「朝鮮総連」の不法滞在の親族のみ。

徳川 隆盛 竜王 隆鐓 Rio Rock-Filar と
織田壽茂 鎧王 鎧颱(信長) の子孫
壞閼髏 繪鴉路 薈亜炉 衞鴉隴 壞椏鏤
338名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/12(土) 17:27:34.91 ID:T//pzFV70
伊藤博文は女癖は悪かったがカネと権力には恬淡だっ。
339名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/13(日) 23:58:51.63 ID:vWN9IRc40
日露戦争後やたらと朝鮮の属国化を進めたのは日露戦争に反対した
挽回のためなんだが>>権力に恬淡

340名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/14(月) 03:25:02.15 ID:EVjpZuHa0
まあ山縣は組織者としての貢献と老境に入ってからの弊害もあるが
前段は評価すべきだと思う
(行政組織の構築と人事登用の客観化、地方統治(中央集権と自治の調和)をその時代からすればほとんどベストに近い形でまとめた)
341名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/14(月) 04:56:19.32 ID:QYLQMzm/0
>>339
はぁ?
342名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/14(月) 21:44:46.98 ID:aBcrhgIF0
理由と動機はどうであれ、分権的な明治憲法体制に何らかの一体性(統一性)
をその死まで維持しえたのは、山縣の功績とせざるを得ない。

それが、「一介の武弁」の権勢欲だったとしても。
343名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/16(水) 09:16:41.23 ID:AYjfQpz90
>>342
元老による「人治」は昭和期の権力の空洞化の根源だけどね。
結局自分たちで定めた大日本憲法すら遵守できなかった時点
でやったことを全部帳消しにしたのが歴史的事実だろ。
344名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/16(水) 11:10:53.86 ID:bVHck+jW0
でも、自分が幕末の下級武士として、さすがに自分の隣の下級武士をミカドの代わりに据えるなんて事は恐すぎて出来ないよ。
そんな畏れ多いことをして国民を騙すなんて、身が縮むじゃないか。あまりにも恐ろしすぎる。
どんな厚かましい奴がそんな事出来る?極左か?狂っている。日本史で天皇や皇族が暗殺されたのは維新時が初めてじゃないけど、あの説は日本史のホラーだよ。
345名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/16(水) 12:36:45.31 ID:8Na19iRYO
庶民に見える「天皇」を作った
346名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/16(水) 21:46:03.14 ID:QYQ86Pqj0
>>343

山縣の構想としては、自分の死後は原(と西園寺)に任すつもりだったのだろう。
それが、原の暗殺で無になった。さらに言えば、加藤(友、高)といった
原を補完すべき政治家も相次いで鬼籍に入ったという「誤算」もある。
347名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/17(木) 02:08:27.16 ID:NHiMb6JqO
後継者が育たなかった+世間の流れを読み切れなかったって事でOK?
348名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/17(木) 03:50:56.41 ID:b7Q9sjrP0
山縣は伊藤との政見の対立の時は政党政治を否定したのに
原を高く評価し政党と官僚行政組織との調和を考えたふしがある
彼なりに時勢を洞察してたのだろう
349名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/17(木) 22:30:09.23 ID:uVRDNWiN0
山縣のことだから、世間の半周遅れでついていったのだろう
350名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/17(木) 23:40:11.83 ID:J31YIcy40
傲岸不遜で陰険だから嫌われるんだよな
やっぱ人間最後は人柄だよ人柄
351名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/18(金) 04:10:41.25 ID:9pzdtOA+0
>>350
誰の事?
もし山縣のことだったらちょっと違うと思う
陰性だが人の面倒見はよく煙たがれたかもしれないが嫌われるとまでは・・・
352名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/18(金) 09:30:08.26 ID:NX33cK5M0
自分を尊重する人間は面倒見がいいんだろ。
原が山県のことを嫌っていたのは有名。
日本のデモクラシー大正期の苦しいところは
元老の存在がもう障害でしかないということに尽きる。
政党の腐敗?日本の亡国の原因はそこではないよ。
353名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/18(金) 10:16:51.29 ID:tuKeJG6K0
原も権力欲にとりつかれた亡者の典型
354名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/18(金) 12:31:07.02 ID:G62BSW6/O
山県は政党政治を妨害したと批判されることが多いが、
山県との権力闘争を通して政党側が脆弱性を克服していった
面も大きいと思うけどな。
本来であれば、普選や憲政の常道を行うにあたっても
権力闘争という段階を経て足場を固める必要があったが、
壁となりえる原が死んだことでなし崩しで成立しちゃったのが
後の政治の混迷に大きな影響を与えてると思う。
355名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/19(土) 22:44:28.99 ID:4CubmqHc0
山縣と原(そして、少し遅れて加藤(友)が同時期に世を去ったということで、
軍部、特に陸軍を政治機構の中にどのように包摂していくかという宿題が未解決のまま遺された。

陸軍を「拒否権プレーヤー」化しないようにつなぎとめていた意味で、
山縣は大正デモクラシー期における存在意義があった。

なんだかんだ言っても、憲法制定から25年足らずで
「憲政の常道」までたどり着いたわけだし、
明治維新から数えても60年足らず。

西園寺公望なんかは、明治維新から近衛新体制の時代まで
現役の政治家であったのだから、体制の定着としては短期間で済んだ方。

第二次大戦後独立した国家で、当時のわが国と同程度に安定した
政治体制の発展をした国家というのは珍しいのではないか
(インドくらいしか思いつかない)

英国でも、20世紀初頭には憲政危機というものがあって、
「長老政治家」というわが国の元老みたいな存在で、
その危機を辛くも乗り切ったという経験がある。
356名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/19(土) 22:46:01.16 ID:DeVqbmUM0
日本の政党政治があっさり崩れたのは原ー山県のように人的結合を重視しすぎで
制度による保障ができなかったのが原因。元老の伊藤が政友会総裁になるなど
原則というものがなさすぎ。
357名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/19(土) 22:46:46.69 ID:4CubmqHc0
>>なんだかんだ言っても、憲法制定から25年足らずで

35年の間違いだった。
358名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/19(土) 23:37:55.96 ID:ChsYUNer0
>>351
原敬「山縣は卑しい」

山縣が死んで・・・
石橋湛山「死もまた、社会奉仕」
359名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/20(日) 00:44:40.53 ID:5u9skher0
国民に愛されてた伊藤博文の葬儀
>『東京朝日新聞』は、国葬の荘重厳粛さよりも、伊藤の邸宅があった霊南坂から日比
>谷にかけての沿道に集まった群衆約数十万人が「あたかも自分の父母の葬儀を送ら
>んとする熱心さをもって詰めかけた」と記している。
>ふくれ上がった群衆の一部は葬列へなだれ込んで、儀杖兵が抜剣して整理に当た
>る騒ぎになった。

国民からも嫌われてた山縣の葬儀。
>しかし、民衆は山県の死に冷たんで、一万人収容の葬儀場の中はガラガラで、わず
>か千人ほどしか参列者はなく、民#イきのさびしい国葬であった。
>『東京日日新聞』 (大正十一年二月十日付) では、「国葬ではなく、官葬か軍葬で、
>帳合の中は上下両院議員が数えるほどで、実業家や他の姿も見えず、幾重にも設け
>た白布ばかりが目立ち、さびしい国葬であった」と書いている。
360名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/20(日) 08:18:58.87 ID:V23M2vb40
>>359
かわいそうだ。
361名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/20(日) 09:58:42.04 ID:tecFG4T80
伊藤と山県の差ではなく日露戦争前後のメディアによる挙国一致状態と
第一次大戦後の多極化状態(混迷ともいえる)の違いによる日本政治社会を背景の
差といえるだろう。
362名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/20(日) 21:42:17.17 ID:ZXirhxAU0
>>358
山県なんて死んだ方が社会の為だってか?
石橋ヒドスwwww
363名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/20(日) 22:27:32.41 ID:F4WnqbHY0
総理大臣や枢密院議長を務め元帥でもあった山縣有朋が死んだ時、国葬によって葬式が営まれたが

「文武の高官の欠席者は多く、国会議員も数えるばかりの寂しさだった。」
翌日の新聞はこう伝えた『議会でも協賛した国葬だったのに、この淋しさ、冷たさはどうしたことだ』
『国葬らしい気分は少しもせず、全く官葬か軍葬の感がある』」
「山縣の棺が日比谷公園の葬場に向かう途中、沿道で弔旗を掲げている家は稀だった。
掲げてあるとかえって目につくぐらいだった」とある。


「これより20日余り前の1月17日、同じ日比谷公園で大隈重信の「国民葬」(国葬ではなない)があった。」

「詰めかけた人のあまりの多さに、午後3時過ぎに公園正門を閉ざして入場を止めた。
その時の拝礼者は30万人に達していた。門外には順番を待つ人々の列が神田橋の辺りまで続いた。」
「大隈の柩が埋葬された音羽の護国寺までの沿道は150万人の人で埋め尽くされた。
葬儀から1ケ月経っても、大隈の墓に詣でる人の数は、1日3000人にものぼった。」

ほぼ同時期に死んだ大隈ともこれだけ差があるんだから
山縣の葬式がガラガラだったのが社会背景のせいと言うのは無理がある
364名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/20(日) 22:57:43.43 ID:6nK02Mor0
「よい」政治家と「(国民に)人気がある」政治家
とは、必ずしもイコールではない。

首相列伝的な本でも、
「山縣は負のイメージで語られすぎている。
 そろそろ、【あるべき】ところに戻す時期に来た」
という内容の文章があった。

確かに、山縣が国民的人気のある政治家のタイプではない。
「闇将軍」が国民的人気のある政治家であるという政治体制も
それはそれで問題だ。
365名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/21(月) 21:45:53.50 ID:SNJLRmg90
>>352

山縣は、能力のある部下には、思い切って地位と仕事を与えた。
そして、その部下も山縣の抜擢に答えようとする

という相互作用で、山縣閥というものができた。

逆に、伊藤は、自ら恃むところが大きかったので、閥ができなかった。
366名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/24(木) 02:58:11.95 ID:N7uMzhQx0
>「文武の高官の欠席者は多く、国会議員も数えるばかりの寂しさだった。」

山県って国民ばかりでなく高官や議員からも嫌われてたんだねw
367名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/24(木) 03:25:39.57 ID:Ij7tFegq0
そうだよ。陰険な性格で金に汚く、権力欲が旺盛で、人望が無い山縣は政治家からはもちろん
香淳皇后に遺伝的な事で難癖つけて皇室にまで影響力を伸ばそうとし、宮中からも国民からも凄く嫌われてた。
伊藤が亡くなった時は
「西郷、木戸、大久保、岩倉、みな去って行った。 伊藤は朕と最もうまの合う男であったが…」
と侍従にそう洩らして伊藤の死を惜しんだ明治天皇も、山縣のことは「キリギリス」と呼んで嫌っていた。

368名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/24(木) 11:43:43.45 ID:SZ7wQD7o0
でも昭和天皇は山縣を評価してたんだよね
369名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/24(木) 21:12:34.06 ID:Ccj8S2XB0
浅田二郎の「天斬り松闇語り」第1巻の「槍の小輔」は
山縣の権力者としての孤独を同情的に描いている
370名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/25(金) 00:14:29.39 ID:tnSptRFC0
>>368
明治大帝、特に大正天皇には蛇蝎の如く嫌われていた
371名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/25(金) 00:18:03.82 ID:tnSptRFC0
山縣は卒族以下の軽輩の分際で皇族方に挨拶もしないクズの極み
372名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/25(金) 12:26:27.06 ID:SGHFDcXs0
自分たちで擁立した神輿に敬意なんかあるかよw
373名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/25(金) 23:14:54.23 ID:acphIzfC0
明治天皇と元勲は一種の仲間意識があったということが
総理を辞めて「無官」になるときに、去り行く元勲に対し
「元勲優遇」の勅語が出た背景でもあるのだろう。
374名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/26(土) 12:26:39.51 ID:OvNPQuJi0
明治維新の「共犯」だから個人的な確執があっても
かばいあうのは当然だろ。
375名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/27(日) 14:35:26.64 ID:flu5Pwiw0
金 井上
女 伊藤
権力 山縣

伊藤が一番憎めないw
376名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/01(金) 05:48:49.33 ID:BXDrcTEG0
尊皇攘夷掲げて倒幕したくせに、尊王精神の欠片もない山縣はカス
377嘉藤浄將 太穫 天皇家 鐓钁 乃木内将軍の孫の孫 衛鴉瓏:2012/06/01(金) 21:38:03.29 ID:lEPZj0mYO

正真正銘のクラッカー組織…世界中の有名な組織や企業の方々は詐欺師集団の朝鮮工作員一族『朝鮮総連』に脅迫で集められただけ。横須賀で監禁、拘束されている。
日本に居る元イアンフと親族の会『朝鮮総連』の親族の『華喃』はユダヤ系フィリピン人とも判明。

詐欺師集団 朝鮮工作員…世界のサッカーや競馬等の『八百長』犯の『朝鮮総連』…
被害甚大の脳障害は諛沱邪(ユダヤ)と窩難(カナン)の民『朝鮮総連』が製造した『白い悪魔の媚薬・人肉カプセル』や税関を通らない一族の上陸(入国)による
『害虫性脳障害・脳の破損(損傷・欠陥)性擬似発達障害』と『人タンパク質脳症』他。

世界中の著名(有名)な方々が、不法滞在の諛荼輻系フィリピン人の朝鮮工作員のサイバーテロリスト一族『朝鮮総連』に横須賀で監禁、拘束されている。

この3年間の一族の被害者数と人質をアジアに御確認下さい。クーデターでは無い…戦争中のプロパガンダだと理解出来ます。

arena8order/MisutDe/Mitelettrica@Twitter
天皇家 織田 繪璃奈(横濱・野島えり)Eleonora de' Medici. chocolat@湘南台 de' 闇将軍@藤沢市 еёжЭЮЯабЧЦХЛθ γδεζηθ еопое νξδεζηθ Eri Yokohama(Nojima)
Freemasonrey & Microsoft USA co.tp.
弖十=TEN10(teto)=優多野手頭=野慈蚕=帝跿(徒)=衛鴉朧 哇狸野雉会 匯蛙労
378名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/05(火) 03:44:36.64 ID:tcQfI24p0
>>350
亀だがすまん
"傲岸不遜"
伊藤、山縣、井上にしてもあからさまに見えるようなレベルの人物ではないよ
(慇懃無礼と感じられたかもしれないが)

そういうのは前総理やその前の前の民主党代表に当てはまる言葉
379名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/11(月) 23:20:47.77 ID:jl98RJZq0
金の亡者山縣は生涯九つも別荘を持っていた
いかに奴が私腹を肥やしていたかよく分かる
380名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/13(水) 00:21:34.29 ID:k5Q4JDr/0
今の政治家共にも伊藤の様な愛国心がほしいもんだ
伊藤は日露戦争前、もしロシアが日本列島に押し寄せた場合
自分は位階や勲章等を全部お返しした上で一兵卒として最前線で戦うと
明治天皇に名言したからな
381名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/16(土) 01:57:26.94 ID:KdZrBD0I0
山田顕義や伊藤の暗殺も山縣が黒幕説あるんだな
382名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/16(土) 23:48:36.37 ID:5yl1OUsb0
電人ザボーガーのOPではないが、
都合の悪いことは、Σ(シグマ)ではなく
とりあえず、山縣の仕業にしておけば、
丸く収まるという安心の山縣クオリティ
383名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/17(日) 00:52:26.86 ID:+lKdUUyR0
一行目の元ネタは分からないけど、「何もかもウェンツのせいにするスレ」みたいなもんかなと理解したw
384名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/17(日) 07:14:10.12 ID:w4MQu84J0
井上は旧皇室典範草案者?

現在の天皇家の存続が危ぶまれてるのは明治政府のせい?
385名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/18(月) 21:34:25.61 ID:a4OjjqO3O
>>383
このスレ自体が何もかも明治政府のせいにするスレ
みたいなもんだなw
386名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/18(月) 23:16:08.64 ID:pfq5jtW00
栃木県矢板市に
山県有朋記念館があります

広大な敷地に洋風の屋敷
内部には陰謀で手に入れた勲章や美術品が多数展示
387名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/19(火) 21:40:35.07 ID:7s5Rq6hxO
凄い人だったんだろうなぁ。
後続の人事がうまくいかずに残念だったが…。
皆早死にし過ぎ。
388名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/19(火) 23:17:40.26 ID:mmkXjcXM0
まあ、山県自身も嫌われていたことは自覚していたからね。
389名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/20(水) 21:06:36.81 ID:fwxP9ypl0
ノリでこんなスレを立ててしまったのも山縣のせい

何もかもを山縣のせいにするスレ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1340193799/
390名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/22(金) 23:42:19.44 ID:yFb0wTVN0
>>387

桂、児玉、寺内・・・
391名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/24(日) 05:47:52.78 ID:mH8GmPzb0
>内部には陰謀で手に入れた勲章や美術品が多数展示

悪どいことやって手に入れた物見せびらかすなよ
392名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/29(金) 03:46:16.35 ID:GZVPbANiO
>>391
イギリスにも言え。
393名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/30(土) 04:51:42.56 ID:yfKjCw/F0
児玉源太郎も自分の上に口うるさく陰険な山県有朋が来るのを嫌い、器の大きい大山巌を望んだ
394名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/30(土) 22:32:55.70 ID:6oWt0P/+0
軍司令官として有能な黒木や野津も政治家としての才能があるかといえば???だし、

その逆も然り。その両方をそつなくこなした大山が異才といえば異才
395名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/01(日) 03:21:12.21 ID:iWRsSM6I0
つか後継者についてもホント人死にすぎって話で。
マジで原敬が生きてたら歴史変わったと思う。
もしもの時に軍部を抑えて中央の意見を通すことが出来たのは
山縣除いたらこいつぐらいだったと思う。
396名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/04(水) 21:27:51.28 ID:RVD+pRhyO
>>370
おとなしく元老の腹話術人形やってりゃ良かった明治・大正と、
臣民の暴走で途方もない汚名と命の危険をふっかけられた昭和とでは、
同じ天皇の言葉でもその重みは全然違うだろう。
397名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/05(木) 06:47:19.03 ID:bWkI5TkT0
>>393
>児玉源太郎も自分の上に口うるさく陰険な山県有朋が来るのを嫌い
 山縣は戦場での活躍の実績がない、口先だけのヘタレだから、現場か嫌うのは
 当然だよ。
398名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/05(木) 21:27:09.99 ID:2Assf93j0
下関戦争や元治の内乱、戊辰戦争のことも時々でいいから思い出してあげてください。
399名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/12(木) 22:48:33.48 ID:Xnoo2c1E0
>>396

それを二十歳前後から強いられたのだから、常人には分からないものがあったのだろう
400名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/17(火) 22:15:22.29 ID:1cgIuo2o0
400
401名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/01(水) 21:53:33.55 ID:wHt9qOlK0
そして、元老は死に絶えた
402名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/11(土) 02:27:08.14 ID:Db3I0Zi20
少なくともただ権力が欲しいだけが欲しい人間が議会設立なり
じじいになってまで現地で軍事の指揮とったりとかせんだろ
つか山縣の政党政治不信は結果論で言えば的を得た発言であったし
政府設立当初の考えから言っても一部の人間が権力握ったのは間違いではなかった
ただ元老ではないが、伊東巳代治に関しては本当に権力の亡者だと思うわ
自分の不利な立場になったらコロコロ意見を変える、自分に権益のあることに関しては
国益に反してもつっぱねる、まさに日本のガンだろ
403名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/11(土) 23:59:44.77 ID:0zhgoNL50
伊東巳代治はイケメンだから無罪
404名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/14(火) 00:09:54.48 ID:6IXazqHm0
高杉が功山寺で決起した時真っ先に駆けつけたのが伊藤
日和ってた山県や井上とは男気が違うわ
405名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/17(金) 21:29:06.58 ID:mlV6tSSw0
井上はその頃全身切り刻まれて死にそうになってたんじゃなかったっけ?
406名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/17(金) 23:49:27.20 ID:7lUM0WDo0
高杉が見舞に行った1ヶ月後、11月末には家の中なら歩けるぐらいに回復してた
ただし親戚預かりってことで自宅軟禁状態
親族に迷惑がかからないように、
1月10日ごろ自宅襲撃して連れ出して鴻城軍の頭に据えた
407名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/05(水) 16:10:11.68 ID:T67Dmtyc0
現代だと指切断・切創で全治2ヶ月だから、幕末当時も骨までいってる切創でも
感染症とか無ければ2ヶ月で歩くとこまでいけたのかな
ってことは、毛利敬親が処刑リストを保留にしてなかったらマジでヤバかったんだな井上w
408名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/18(火) 18:41:27.55 ID:0AoT99L20
なぜとどめを刺さなかったんだろうね。
409名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/18(火) 22:23:09.02 ID:G7847KYki
家の中ならってことは伝い歩きならってことだろうね
どっちにしろタフだわ
襲った方も殺したと思ったんじゃねえの
当時の田舎の夜道じゃ確かめんのも難しいし
実際本人死にかけてたし
410名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/18(火) 23:37:20.45 ID:l8AlZgDw0
提灯でもなきゃ殆ど真っ暗だろう
持ってたとしても、提灯がなんか畑うろついてますとか目立つ上に怪しいことこの上ないしなぁ
411名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/30(火) 16:41:12.09 ID:BCVZndja0
 
パンナム航空爆破事件は、伊藤博文記念陰謀

http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0202/9/189_1.html

日本のすることは想像を絶する。

(仮説を含む)
412名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/01(木) 11:10:02.40 ID:5/cn8evPO
権力の亡者でなければ権力者にはなれない
413名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/11(日) 22:21:13.32 ID:zyObZUw50
山縣は治安警察法とか、統帥権独立の方向に動いたこと等考えると、
反民主的にしか見えない人物だけども、中国の泥沼に漬かり込むきっかりになった
21ヵ条要求に関しては厳しく批判してたのね

これまで日清日露の戦争や韓国併合も入念に準備して、国際社会の同意も得られる態勢に
してから事を進めてたのに21ヵ条要求はやりすぎ、中国・欧米の反発を食らう、と
統帥権についても、日清戦争のとき、本人はあくまで清軍との決戦を望み、
北京まで進軍の構えだったのを伊藤に解任されるも、そこはちゃんと従ってたし、
肝心なところで調整・協調の出来る元老達が健在ならよかったのかもしれん
414名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/18(日) 09:09:46.39 ID:W5t7D0Mf0
>>413
無理無理。原敬が山縣を権力亡者とみなしていたように21ヶ条に反対したのも
政局にするための口実でしかない。元老がストッパーの役割を果たしたなんてのは
下部機関が独走する、意思決定機関のガバナンスの低さという大日本帝国の欠点へ反論したいだけの
妄論に過ぎんよ。
415名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/02(日) 07:11:10.92 ID:Ow4XNGFF0
元老が権力持ってた明治のほうが良いな。
大正とか昭和より。
416名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/14(金) 22:53:55.38 ID:RaAbOHqPO
原敬日記を読むと山縣と原の温度差に泣けるよね
山縣は原に対しては意外と誠実に期待寄せてるのに、原さんたら人の良さげな顔して影では
「オッサン拗ねさせたら面倒だしご機嫌とるか?あーカッタリーわ」的なノリが透けてて悲しすw
その延々繰り広げられる陸奥さん萌え日記の1/50程度で構わないから山縣を愛でてあげてよw
417名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/19(水) 23:01:40.90 ID:tOQGw9JQ0
本当の政治家陸奥と権力亡者の山縣を比較なんかできないよ。
原、というより当時の政党政治家があこがれを持つ対象を合理的に考えたら
当然だよ。
418名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/30(日) 20:03:50.89 ID:JC7Dg4VG0
山県有朋が 陰険な黒幕・権力の亡者で 死ぬ間際まで 絶大な派閥網や子分を使って
策謀を張り巡らし続けたということは 間違いない事実だと思うよ。
死ぬまで 権力を 追い求め続けたわけだしね。
軍閥官僚内閣を背後から操って 権力を握り続けた、権力の亡者・権力の鬼。
大逆事件の黒幕でもあるようだし。
政党や自由主義・社会主義・労働運動にも 弾圧を与え続けた。
絶対天皇制軍国主義・官僚制国家を 創り出した。
歴代内閣も 陰に陽に 苦しめられ続けた。
伊藤博文とは違って、陸軍・内務省・貴族院・枢密院などに 強大な派閥網を築き上げて 背後から操縦した。
性格も 粘着質・用意周到で 陰険・陰湿そのもの。
419名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/07(月) 01:46:17.27 ID:930aOszW0
山縣みたいな強いリーダーが必要。
420名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/07(月) 08:42:48.98 ID:w8vlDyh9O
淫売婦の見たる伊藤翁
421名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/07(月) 23:06:48.32 ID:O0vpy3KW0
>>419
最後は身内の陸軍からも忌避されたけどね。
422名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 23:43:35.41 ID:iLG2mZXI0
>>81
大河のキャンペーン費用って毎年地元が自腹で払うものであり
NHKは殆ど噛んでないよ。

龍馬伝の年は、長崎県や高知県が多額のキャンペーン費用を捻出したし
清盛の年は、広島や兵庫が多額のキャンペーン費用を捻出した
大河に便乗希望の地域はご自由にご参加くださいという方式なだけ。

なお八重の場合、地元からのキャンペーン費用捻出が難しい状況なので復興予算から援助受けてる状態

全国各地用のPRキャンペーン費も、毎年観光地元が負担してる。
例えば東京、大阪、名古屋、神戸など全国各地で行われた龍馬伝のキャンペーン費は、高知県や長崎県が協力して捻出した。
そりゃ高知観光業の為に、わざわざ東京・大阪・名古屋が金払ってくれる筈無いから当然ちゃあ当然なんだが。

つまり仮に>>90の言うとおり「金返せ」というのであれば、三億の大半は福島が返済する事になるだけで
キャンペーンが行われる地域や、NHKは殆ど困らないのではないかな。
423名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/22(火) 23:44:19.04 ID:iLG2mZXI0
すまん、誤爆
424名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/28(金) 21:20:22.63 ID:L9eZu6Pe0
【国際】朴大統領、伊藤博文を暗殺した安重根の記念碑をハルビン駅に設置したいと中国に要請
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1372421740/
425名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/05(木) 12:13:08.59 ID:6JN0KH2L0
伊藤ってよく書かれるけど、遠くからは尊敬される存在だけど
熱心な腹心って居ないよね
伊東巳代治は山縣の方に行ってしまったし、末松謙澄も伊藤派と言うより高橋是清の親友って
感じだし、井上毅も割と伊藤の手から離れてた。西園寺も山縣とどっち付かずな部分がある。
426名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/13(金) 10:43:11.35 ID:2hjYoIp90
>>425
政友会総裁になるなど自分から動く人間に手下はいらんのだろう。
427名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/16(月) 09:37:11.29 ID:GKC8fyfx0
師匠格の木戸や高杉もそんな感じだったしな
広く人脈持っているから組織では重宝されるけど、部下の面倒見は悪いから派閥は作れないタイプ

山縣みたいなのが例外なんじゃね?
428名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/16(月) 13:24:01.99 ID:g5xtTois0
木戸が面倒見よくないって初めて聞いたわ
たしかに派閥はつくらんけど
井上も面倒見いいよな 派閥つくらんけど
429名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 22:34:33.82 ID:0AePLmqu0
山縣の先祖はもともと、信玄一族の武田氏の配下で信州から移住してきた広島で武田氏が毛利に
滅ぼされた後、毛利の配下となり、毛利が長州に移ったのにともなってついていった
430名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/23(月) 10:58:22.50 ID:8NQ+ol6VO
単純に教祖様性質か否かかの差かと。

伊藤や木戸は決して面倒見も悪くないし親しみ易くて人望も有るけど
人を虜にして信者つくる教祖様タイプでは無いと思うよ。

伊藤の場合は既存の教団に上手く乗っかって活動してる印象だな。
青年時代は吉田松陰教の熱狂的信者さんに混じり込み活動し
晩年は陸奥宗光教の熱狂的信者さんに混じり込んで活動してたイメージ。
伊藤は混じらなかったが西郷(兄)も教祖様性質だと思う。
431名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/23(月) 22:23:39.67 ID:1FetvHz+0
>>430
まぁ陸奥教に関しては正直、陸奥が生きてたらあそこまで熱狂的宗派が出来たか怪しいんだよな。
原敬は性格悪いから陸奥に熱狂的人気があることを知って日記を書いてた節もあるし
その陸奥が行う政策は大衆が喜ぶような政策じゃなくてリアリズムなものだし、
陸奥自身晩年は伊藤に報告する前に政党に近づき伊藤に冷遇されるように
根回しの足りない所はあったように思えるから、今以上にもっと評価は低かったかも
432名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/23(月) 23:41:09.57 ID:wi+4fyvFO
>>431
原の陸奥信仰についてはガチだと思われ。
なんせ死後に自宅から陸奥人形が発見されてるし気持ち悪さだし。
あと伊藤は別に陸奥冷遇してないよ。
というより裏切り発覚したの陸奥が死床入りした後なので
例え伊藤が陸奥を冷遇したくても、冷遇するチャンスがない罠。
433名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/24(火) 02:00:44.76 ID:cRftUH0f0
>>432
冷遇って書き方が悪かったか。陸奥に伊藤から「政党人と交流したって聞いたけど嘘だろ?嘘と言ってくれ」と
書いた手紙が届いているのでホントだと思われる。
たぶん計画をいち早く知ってた西園寺経由で伊藤に伝わったんじゃないかな。
あれだけ交流していた伊藤がその後、陸奥との交流(主に手紙を送った形跡が見られないってことだけど)を
遮断しちゃっているので冷遇とはそういう意味で言った。
あと陸奥君人形って何だwww
434名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/24(火) 19:49:51.60 ID:n4z78Qr7O
>>433
そらあれは完全な事後報告だから伊藤のショックは当前かと。
実は最初から自由党側の仲間で、伊藤が知った時には自由党の次期総裁が陸奥に内定しとるとかワロタ。
でもそんな酷い事しつつも実は陸奥さん伊藤が大好きだけどな。まさにツンデレの鏡。

原の陸奥人形は読んでそのままだよ。
原の死後自宅から石膏製の陸奥が見つかった。
用途不明。多分特注品。中々カオス。
435名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/26(木) 04:40:52.08 ID:kWJih72r0
>>434
そうなんか。陸奥もあと少しだけでも寿命が長ければ日本史も変わっていたかもね。
陸奥死後の伊藤の政権運営は正直グダグダだったし、憲法も改正できないまま伊藤も死んじゃうからな。
陸奥が早死することでの日本国の損失は大きかった。
436名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/26(木) 23:27:14.88 ID:fKGMgFqs0
>431
原は勝手に愛用品へ「宗光 敬」と彫り付けたり、
自宅で陸奥像と同居したり、とても愉快な人ですよ
437名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/27(金) 22:38:00.65 ID:gRIjWwmU0
下忍の連中。
438名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/27(金) 23:50:35.58 ID:4IVhXnAOO
>>435
個人的には伊藤と陸奥はセットが一番だと思う。
伊藤はコツコツ準備するのは上手いし、人と人との間を取り持つのも上手いけど
準備や根回しに気を使い過ぎて優柔不断になったりグダグダになる事も結構多いんだよね。

逆に陸奥は行動力あって、難題は華麗に解決するが
空気読めないハイスピードで一人突っ走り、誰も付いて来てないと一人激怒してる事多過ぎる。

伊藤と陸奥がセットで動く時は、互いに欠点をうまく埋め合えてる気がする。
439名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/14(月) 00:32:47.65 ID:eib3SpqpO
八重の桜を見てて気になったんだが
伊藤の脇にいつもボディガードみたいにいる男は何者?
440名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/14(月) 04:02:54.05 ID:uALCOm8X0
最近、岡義武の「山県有朋」と「近代日本の政治家」読んで、山県・原はいいコンビじゃないかと思ってたのに
原敬日記によれば、山県の片思いみたいなもんなのね

山県が、なんかカワイソス
441名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/14(月) 10:56:52.47 ID:oOfdgjp50
>>440
悲惨なのは原のほうだよ。政党政治を実現するために山縣のような
権力亡者とつながるしか選択肢がないのだから。結果首相になっても散々
妥協した挙句あの最期だからな。

研究者でここにはじまる元老と政党のねじくれた関係を「評価」するのがいるが
原の置かれた苦しい立場を無視した愚論であるとしか言いようがないな。
442名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/15(火) 00:41:29.97 ID:veRaeiwg0
桂や原が死ななければ、西園寺と共に元老になってたんかな
443名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/15(火) 21:23:23.75 ID:92Z92ECu0
■歴代内閣総理大臣の通信簿(5段階)
【A】伊藤博文、桂太郎、原敬、鈴木貫太郎、幣原喜重郎、吉田茂、岸信介、
 池田勇人、小渕恵三
【B】山県有朋、松方正義、西園寺公望、山本権兵衛、高橋是清、
 加藤友三郎、加藤高明、東久邇宮稔彦、鳩山一郎、石橋湛山、佐藤栄作、
 田中角栄、福田赳夫、大平正芳、竹下登、橋本龍太郎
【C】黒田清隆、大隈重信、若槻礼次郎、田中義一、浜口雄幸、犬養毅、
 斎藤実、岡田啓介、米内光政、東条英機、片山哲、芦田均、三木武夫、
 中曽根康弘、細川護熙、安倍晋三(第1次)、麻生太郎
【D】寺内正毅、清浦奎吾、広田弘毅、林銑十郎、平沼騏一郎、阿部信行、
 小磯国昭、鈴木善幸、宇野宗佑、海部俊樹、宮沢喜一、羽田孜、森喜朗、
 小泉純一郎、福田康夫、野田佳彦
【E】近衛文麿、村山富市、鳩山由紀夫、菅直人
【評価不能】安倍晋三(再登板後)

■歴代内閣総理大臣の通信簿(10段階)
【10】伊藤、原、池田
【9】桂、鈴木貫、幣原、吉田、岸、小渕
【8】山県、山本、加藤友、加藤高、東久邇、佐藤、福田赳、大平
【7】松方、西園寺、高橋、鳩山一、石橋、田中角、竹下、橋本
【6】大隈、若槻、浜口、犬養、斎藤、岡田、米内、中曽根
【5】黒田、田中義、東条、片山、芦田、三木、細川、安倍晋(第1次)、麻生
【4】寺内、広田、林、鈴木善、海部、宮沢、福田康、野田
【3】清浦、平沼、阿部信、小磯、宇野、羽田、森、小泉
【2】村山、鳩山由、菅
【1】近衛
【評価不能】安倍晋(再登板後)
444名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/16(水) 22:39:39.16 ID:gerUBpS+0
>>442
桂は元老だったと思う。
(元老として活躍した期間は無いに等しいが)
445名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/19(土) 23:20:54.70 ID:HmrfK8Hg0
>>440
でも原敬日記って別に山縣に対してだけじゃなく、ほぼ全員に対してドライじゃね?
西園寺部分も山縣と同じく「原そんな事思ってたの?(´;ω;`)」って印象だったし、
伊藤部分でさえ「ドライだな(´・ω・`)」って印象だった。
岡義武も言ってたが陸奥パートこそが異質だ。普段とキャラ違うし長文だし。
きっと原にとっては山縣ぐらいの扱いが基本数値なんだろ。そこから好感度高くなると伊藤扱いへ昇格的なw
446名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/19(土) 23:31:37.98 ID:Yh1tidMM0
>>445
戊辰戦争の敗者であり、大正までの藩閥政治を見ていれば
これが平均的な感情だろ。
447名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/20(日) 22:28:39.56 ID:ic+w+fzX0
伊藤・山県と並べると、井上って弱いんでねーの
448名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/21(月) 12:23:59.88 ID:mdOJhBG1O
>>447
井上は伊藤の財布だろ。
449名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/21(月) 21:27:37.54 ID:+jOSfixb0
井上は権力への執着はわりと薄いから
むしろ経済界への貢献を評価すべきだろ
450名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/23(水) 02:23:33.91 ID:VzVPoaZ50
で、井上が入って松方が入らない理由は?
451名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/23(水) 07:39:51.32 ID:jj8GpAhpO
財務と外務は井上の管轄だからな、
松方は番頭みたいなもん
452名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/23(水) 23:02:43.27 ID:T7iA/MqM0
>>450

とりあえず、長州限定とか
453名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/25(金) 21:31:03.50 ID:61x0/FJX0
454名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/25(金) 21:56:51.68 ID:61x0/FJX0
すまん。打ち間違えた。
結局、スレタイにあるような権力の亡者か否かと聞かれれば、全員その通りと答えるしかないんだろう。
ただ西園寺公望や若槻礼次郎や若い時の加藤高明なんか見てもわかるように政治に潔白さは政治には必要ないんだよね。むしろ邪魔ってぐらい。
むしろ権力の亡者だったからこそ富国強兵がなったといっても過言じゃないだろうか。
455名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/26(土) 11:19:32.75 ID:7+BLffFi0
>>454
その結果が格差上等の焼き畑農業式の戦争中毒国家では目も当てられん。
456名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/22(金) 23:24:38.22 ID:DEDRsWqp0
【中日新聞】 「伊藤博文を暗殺した安重根を、菅官房長官が『犯罪者』と発言して韓国側の反発招いている。言動には慎重を期すべき」★3
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1385104490/



中日新聞は東京では「東京新聞」として売られている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E

>中日新聞単独部数は270万部(朝刊)[1]だが、中日新聞東京本社が発行する東京新聞
>などを併せれば335万部(朝刊)[1]に達し、全国第4位の部数となる。
457ベルモール 宇都宮メルヘンタウン:2013/11/23(土) 11:31:59.46 ID:seNYQUvW0
歴代内閣総理大臣ランキング

【SS】伊藤博文
【S+】原敬
【S】吉田茂
【A+】
【A】山県有朋、桂太郎、幣原喜重郎、池田勇人
【B+】鈴木貫太郎、東久邇宮稔彦王、岸信介、小渕恵三
【B】西園寺公望、山本権兵衛、加藤友三郎、加藤高明、福田赳夫、大平正芳
【C+】黒田清隆、松方正義、高橋是清、犬養毅、鳩山一郎、佐藤栄作、竹下登
【C】若槻礼次郎、田中義一、斎藤実、岡田啓介、石橋湛山、田中角栄、三木武夫、橋本龍太郎
【D】浜口雄幸、片山哲、芦田均、鈴木善幸、中曽根康弘、細川護熙、安倍晋三、麻生太郎
【D-】寺内正毅、米内光政、東条英機、海部俊樹、宮沢喜一、福田康夫、野田佳彦
【E】清浦奎吾、広田弘毅、林銑十郎、宇野宗佑、羽田孜、森喜朗
【E-】平沼騏一郎、阿部信行、小磯国昭、小泉純一郎
【F】村山富市、菅直人
【F-】鳩山由紀夫
【G】大隈重信、近衛文麿
458名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/30(土) 05:21:29.47 ID:7oXDiK4F0
週刊新潮 2013年12月5日号
まもなく石碑建立でも「安重根」の「伊藤博文」射殺に疑義あり
http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/backnumber/20131128/

伊藤博文を殺したのは安重根ではありませんでした。それが歴史の真実。
459名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/02(月) 13:07:16.75 ID:L4rn3i6u0
陰謀論
460名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/04(水) 15:18:57.78 ID:Y2uQfrW90
>>458
週刊大衆 2013年12月16日号
〈驚愕真相〉
日本には絶対に知られたくない 韓国「5つの反日タブー」
"国民的英雄"安重根の正体
http://www.futabasha.co.jp/magazine/taishu.html
http://www.fujisan.co.jp/product/1139/b/1022816/

安重根は東学党の乱の時、教会に逃げ込んだ。つまり、両班の中でも最も
あくどい家系だった可能性が高いそうだ。
金嬉老事件はなんで起きたのかな?
461名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/27(金) 17:03:23.73 ID:7clkUmmK0
安重根と 明治維新の黒歴史

についての資料を スライド110枚にまとめ、PDF公開しております。

明治維新の黒歴史 について興味のある人は

science-basara.com/column/imperial-family/

にあるスライド110枚を、一度見ていただけますようお願いします。
462名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/01(水) 16:27:09.93 ID:aAYSl3PP0
伊藤さんが併合反対してたとか言う奴は馬鹿。
何故なら1907年の第三次日韓協約の時点で事実上日韓併合は完成していたからだ。
1910年のアレは看板が3年遅れで書き変わっただけであまり重要な問題ではない。
463名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/01(水) 20:18:48.40 ID:wJizqJsTO
朝鮮側にも併合に賛成してたのっていたからねえ。
莫大な開発利権で恩恵受けた朝鮮勢力はなぜかスルー。
日本が李氏の借金肩代わりしたし
実は朝鮮側特権者には得だった政策だよね。
半島投資に金掛けすぎて戦争に突っ込み
一般日本国民は尻拭いで大損。
464名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/05(日) 23:40:26.96 ID:vgtwZ8wH0
>>462
いや伊藤は反対だったよ。韓国のためでなく日本の為だが。
韓国を併合という形で負うのは日本の借金が増えるだけと考えていたし、
そのため自治領的な統治にしたいと考えてた。
個人的にも何故欧米型の植民地にしなかったのか不思議でならない。
465宇都宮メルヘンタウン:2014/01/06(月) 18:10:06.29 ID:XtSAZ6en0
歴代内閣総理大臣ランキング 2014/1/5

【A+】伊藤博文、原敬、吉田茂
【A】池田勇人、山県有朋、桂太郎
【A-】幣原喜重郎、大平正芳、小渕恵三、東久邇宮稔彦王

ーーー名宰相の壁ーーー

【B+】岸信介、鈴木貫太郎、山本権兵衛、加藤友三郎、福田赳夫、黒田清隆、西園寺公望、加藤高明
【B】佐藤栄作、犬養毅、橋本龍太郎、三木武夫、田中義一、細川護熙
【B-】松方正義、高橋是清、石橋湛山、浜口雄幸、片山哲、森喜朗

【C+】鳩山一郎、岡田啓介、斎藤実、若槻礼次郎、中曽根康弘
【C】海部俊樹、福田康夫、野田佳彦、竹下登、田中角栄、芦田均、安倍晋三、麻生太郎
【C-】寺内正毅、清浦奎吾、宮沢喜一、小泉純一郎、米内光政

ーーールーピーの壁ーーー

【D+】広田弘毅、鈴木善幸、平沼騏一郎、小磯国昭
【D】宇野宗佑、羽田孜、阿部信行
【D-】林銑十郎、大隈重信、東条英機

【E】村山富市、菅直人、鳩山由紀夫

【F】近衛文麿

http://blog.livedoor.jp/utsunomiya_marchen
466名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/16(木) 11:31:28.38 ID:BVAwZtec0
>>463
そうそういうプロパガンダを流したが安による伊藤殺害で日韓合邦が併合になってしまった。
帝国主義の本性を暴いた安は間違いなく「英雄」だよ。
国益のためだと言って補助金が欲しいだけのくせに原発を誘致して地域を破壊した
アホを愛国者と持ち上げる輩には安のような人間はテロリストにしか見えんだろうがな。

戦後日本はアメリカに食糧、ブレトンウッズによる経済援助、沖縄に海兵隊を駐留させて日本を守ってくれる、
しかもTPPで仕事も増えて、輸入品も安くなって超ハッピー!
日本人は歴史の捏造もプロパガンダも下手くそすぎw
467名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 00:02:25.92 ID:/5RSJoqd0
山縣有朋好きだけど、好きって言ったら怒られそうな雰囲気でいえないときが有る。
468名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 12:07:41.86 ID:5SP6WhpX0
保守
469名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 15:43:57.65 ID:qwfF/BqH0
>>467
原がこの権力亡者がと日記に書き、湛山が死ぬのも奉公だからな。
470(・_・):2014/03/29(土) 18:05:54.12 ID:f3XpVxy40
>>467

<韓流フランス革命>が合併の「大原因」。

朝鮮半島は17Cにはフランス人宣教師が布教してて、
その影響で半島各地で朝鮮流フランス革命が勃発し、末期に激化してた。
そこで「バカな朝鮮国民達よ、イルボン向いてホーイ!」って遣ったのが
東学党の乱の時に成功し、31独立運動でほぼバカだけ日本人攻撃に移った。

李完用等と締結した合併の条件を見ると<王家の保護>に力を入れ捲っている。

伊藤博文は、強固な合併反対派トップ。
同じく合併反対の曾祢朝鮮総監が、1910年に急に胃の具合が悪くなり急逝。
両方とも、合併に強く反対してて、日本に潜って革命回避できない。

だから、人の良さそうな、朝鮮人の本性を余り知らない山縣有朋に擦り寄った
彼らの性格や行動パターンからして、その様に見えます。
で、世話になるとその人を貶す、それも彼らの常。
471(・_・):2014/03/29(土) 18:17:53.86 ID:f3XpVxy40
>>9
>山県は権力と金の亡者
>伊藤は女狂いの色キチ
>そして両方とも汚かった井上

また素晴らしくケッタイナ。
支援して貰ったら、クリーンな政治になって行ったのはなぜ?

私も、ケッタイナ評判を偽造され、宣伝されて来たので解る。

不逞鮮人等は、無ない事無い事、嘘話を構築し大宣伝紙捲るのが大好き。昔から。
関東大震災時に、「関東在住9000〜13000人の朝鮮人」が2万数千人も虐殺されたと、
震災後すぐに各国大使館にパンフレットを送りまくっていた程。
イギリスでは「これでは朝鮮独立の支持は出来ない」と
震災時の不逞鮮人等の放火・強姦・虐殺・強奪等の犯罪とその嘘数字とを見て、
そのタイミングでの独立支持を辞退していたようだし…。
472(・_・):2014/03/29(土) 18:36:09.62 ID:f3XpVxy40
伊藤博文暗殺は、安重根だけでなく、仲間と数人の犯罪。
伊藤の随行人も数人居て、負傷している。

安重根の撃った弾が伊藤博文の致命傷となったと判断され、安重根は死刑判決。
他の仲間たちは、致傷罪なので、懲役刑で釈放された。

安重根は、牢獄の中で伊藤博文の考えを聞いて、自らが間違っていたと反省し、
「伊藤博文の考えに影響された立派な文章」を残したらしい。
(伊藤博文の考えのパクリ?)

「弾丸の角度が…」の妄言があるけれど、
撃たれて姿勢が崩れ、倒れる途中で撃たれたら、銃弾を受けた角度は確定出来ない。

弾丸については、当時の朝鮮人匪賊達は、
様々な国の銃と弾丸を揃えて並べ、外国人に見せて、
こんな状態なので、思う様に戦えず、弾と銃が合わなくて時々死傷者が出る
と同情を買って支援して貰おうと声を掛けまくって武器を揃えていた。

安重根の銃と弾丸が、ぴったり合っている物でない可能性もある。
伊藤博文の莫大な蔵書や記録が有った記念館が
関東大震災と東京大空襲でやられて、資料が少ないし、
(その後の不逞鮮人活動で、証拠の銃や弾丸に不審な点がある可能性も…?)

<偽造したら>、本当の英雄行為ではない、
<虚偽で出来た英雄安重根の幻影>を讃える事になるけどね。
彼等の偽造癖からの被害は大きい…。
473(・_・):2014/03/29(土) 18:51:53.21 ID:f3XpVxy40
井上馨は、不逞鮮人等に、閔妃強姦疑惑まで懸けられた事があった。
で、文書を調べた。
300万円を何処かに貸していて、それが戻って来る事になっていた。
そして、その300万円の半分を王と王妃に提供して、味方に付いて貰おうとしたらしい。

井上馨:…王と王妃を感心せしめ、かつ抱き込み…

やはり…井上馨は、抱き込もうとしていた…。
当時、各国それぞれに、コリア様の関心を買おうとしていたからね。
で、コリア語翻訳機にかけたら…、エロエロ妄想世界に変換?
しかも、王もなのに、王様は「抱き込み」からすっかり抜けている。3Pだよ、コリアン達!
どうやら、「エロ仕掛けで誘惑して抱く世界」を空想したらしい。
それではまるでいつもの古来のコリアンダ。

日本人が読むと「ちっとも完璧に全然、エロ世界皆無」なんだけどね、この文章。
日本人も、文書解読時には気をつけねば、ね。
474名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 22:57:52.24 ID:nypoWkkx0
伊藤博文の最後の言葉の中に「馬鹿な奴じゃ」があるのと無いのとがあるのは
複数の随行者で聞いた部分が違うのか こないだ読んだ手記では
「3発入った。俺はもうだめだ。他に誰かやられたか」(森がと聞いて)
「そうか森もやられたか」(ブランデー飲んで)「うまいな」の後
遺言を求めたがもう何も答えられなかったとなっていたよ

伊藤は韓国関連が全くなくても、日露戦争前に亡くなっていたとしてさえ
近代化とか憲政関係で間違いなく日本史に名の残る人なので
最近の日韓応酬でばかり話題になるのはなんだけど
でも学問としてではなくドラマとしての歴史で見ればやっぱり幕末と死に際は
伊藤の二大トピックかな?憲法はまだしも政友会作りましたとか一般の興味はひかないもんね
475名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/02(水) 10:49:53.76 ID:lC5hdtDF0
>>470-474
戦争に負けて自分が間違っていたと反省して
原爆落としたカーチス・ルメイに勲章を与えた昭和天皇の悪口を言うんじゃねえよw
476名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/02(水) 20:40:09.91 ID:EfIJL+4Y0
伊藤も山県も幕末を生き抜いた男達だけあって
慎重さと最善をつくすことのバランスが絶妙
日露の時ぎりぎりまで反対しててもいざ開戦となれば
金子堅太郎を米国に送ったり、全体を見て策を尽くす伊藤
ロシアを仮想敵国として軍備増強に努めてきても、開戦には慎重だった山県とか
井上は本人も言う通り政治家向きでない所もあるが、侠気のあるいい漢だよな
3人とも”明治政府を牛耳ったヤツら”だけのことはあるよ
477名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 02:34:22.79 ID:XVrQlTFN0
もう3人とも優秀でいいよw
478名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/14(月) 23:13:23.68 ID:kpcqLmUy0
元お殿様の世話を焼いたり鬱気味になってた木戸にも信頼されたり
仲間内(?)の面倒見るのが好きだな井上は
癇癪持ちで世話好き 親切だけど短気というのがなんとも

伊藤とは親友だし山県との関係も悪くなかったし
世間での評価と近しい人の間での評判が井上ほど違う人も珍しいような
479名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/24(木) 23:13:49.59 ID:b+F3Dh3K0
井上は身分差別もしないし、イジメラレてる人も頻繁に庇うし
周囲の証言だけを聞くとめちゃくちゃイイ奴なんだよな
井上以外でも、後藤象二郎もそのタイプだと思う>世間と近しい人の評判が大きく違う
480名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/26(土) 21:02:49.08 ID:jeWuVkD70
井上ほんと不思議だよね〜
面倒見いいっていっても我儘だし、近しい相手は必ず凝ってる割にあやしい手料理の犠牲になるしw
イジメられてる人を庇うといっても正義感じゃなく、自分の好きな奴が窮地だったら理屈抜きで庇うってことだよね
でも正義感というか変な倫理観や理屈なしに行動にでるところが頼もしいともいえるね
481名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/14(水) 00:31:11.33 ID:YcVKPF9U0
>>88のソースが見つからん

井上の娘の千代子って母親は誰?
武子じゃないようだ

後は兄貴の五郎三郎光遠の長男の詳細キボンヌ
482名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/18(日) 21:54:09.81 ID:eVNLOEVh0
光遠の長男ってつまり勝之助や勇吉(博邦)のお兄さんかあ
どうしてたんだろうね 
弟たちは結果として偉い人の養嗣子になったわけだけど
483名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/20(火) 00:53:36.96 ID:Nz4BHBHM0
長男;不詳
次男:井上 勝之助
三男:森 祐三郎
四男:伊藤 博邦
五男:堀川 辰吉郎?
484名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/26(月) 00:44:36.20 ID:aIwUuh500
光遠の長男は児玉源吾の養嗣子となった児玉幾太郎
485名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/13(金) 21:31:54.10 ID:zTv34Iyg0
>>478
山縣や井上は伊藤の出来ない汚れ役を全部やってる感じがするんだよね。
例えば、伊藤が金に綺麗な男だったというのも間違いでかなりの資産が妻には残されており、鉄道の株券も大量に持っていた。
明治以前の官僚特有の金の公私の区別がついていないというのは伊藤にも言えたこと。
例えば山縣が政党や議会に理解がなかったのかと言えばそうでなく、むしろ選挙制限を10円に引き下げたり反面文官任用令を議会で通したり、日清戦争の時以外成功していない安易に解散する伊藤よりも政党との距離の取り方が上手かったりする。
でも伊藤にはそういうイメージはなく、私がなく、開明的、文明的で、平和主義者というイメージが何故かある。
山縣や井上があえて悪者になって伊藤の引き立て役を引き受けていたようなそんな感じがしてしまう。
486名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/14(土) 22:50:18.30 ID:MV/RRb+F0
あえて悪者になってっていうのは逆に肩入れしすぎてると思うわw
伊藤の遺した資産も収入の運用範囲内で汚職してたわけじゃないのだし
金に綺麗なのが間違いとはいえないと思うよ政敵の大隈でも伊藤は私心が無いって言っているしね
まあ汚職してても特に井上の場合それすら頼もしさを感じてしまうw現代の感覚では計れない所

政権運営・対外交渉という点では3人とも現実的で大事な所では協力=妥協できるわけで大差無いかも
伊藤は議会運営は別にうまくないかもねむしろ彼の功績は議会や憲法そういう制度を作った事でしょう
そして有司専制政府で過激に近代化に邁進してた頃の伊藤の方が好きな自分としては
穏健平和主義のイメージはむしろ伊藤の魅力を減じてると思ってしまうw
487名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/26(木) 18:11:48.97 ID:JfzMRNhL0
>>485
山縣はそんな事しないと思うw
そもそも山縣が世間から嫌悪されてる原因は議会対策やら公金やら以前に
「藩閥主義者で、しかも勲章や地位が大好き過ぎ!」という部分に有るので
伊藤の居る居ないに関わらず、悪役扱いされてるかと。

まあ「山縣の藩閥主義と並んだら、伊藤のほうが随分マシに見える」という比較対照になる事で
伊藤ageに貢献している部分は有るかも知れないけどw

井上については、確か大隈重信も「井上は伊藤が困ってると何でも引き受けてしまうから
伊藤の汚れ役になってしまった」的な発言してたので、多少は同意。

ただ井上も「あえて、わざと悪役を引き受けた」というよりは単に
「伊藤を手伝っていたつもりが、気付いたら汚職政治家になっていた」という状態かと思う。
488名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/28(土) 19:58:51.63 ID:i6af1X3c0
>>487
確かに伊藤がいなければ悪役になっていないはないな。精々引き立て役って所か。
ただ一般的な学説の通説の山縣井上が政党政治に無理解だったいうのは間違ってると思うんだよな。
井上は「加藤は『英国』についてはよく知っとる」と皮肉ったりしてる辺り他国の政治形態については把握していた節があるし
山縣の地方自治政策を見るにあいつら全部知ってる上で理解を示していなかったように思えるんだよな。
昭和以降の政党政治の二大政党の混乱を見ると山縣の言ってた三党鼎立論も存外間違ってなかったのかもしれん。
軍人が国民迎合し始めたせいで泥沼のシナ事変入りと太平洋戦争に踏み入れていった側面も大きいかと思う。
489名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/14(月) 11:01:58.04 ID:0gSUXutp0
>>488
山縣は原の日記における評価が全てで原のような現実主義者に権力亡者呼ばわりされるだけの人物だろ。
井上の発言は日本において政党政治は根付かない(or根付かせない)とみなす発言であり、これが
キングメーカー(首相にせよ天皇にせよ)である元老の一般的な認識だろう。
元老という制度の欠陥は結局元老当人の対人関係に全てがかかるもので法的に保証されたものでないことだ。
憲政の常道のような元老相手の寝技が大正〜昭和の議会政治に及ぼした悪影響は明白であり、
元老・西園寺という強いのか弱いのかわからないジョーカーがイニシアチブを握ったために犬飼殺害後の中間内閣のように
「国民迎合」を言い訳にした議会政治を否定したい陸軍の統制・皇道派の策動を許すことになる。
490名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/26(土) 15:21:10.69 ID:6rMnFh3P0
あいうえお
491名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/12(火) 01:27:48.77 ID:8yT3tqDe0
>>489
井上や伊藤は大久保の立憲政体書に関する意見書に対して否定した訳でもない。
今すぐとはいかなくても長期プランとしては国民が大きなイニシアティブを握る未来も想定していたんじゃないのか?
あと法的言うが今の日本国憲法だってそうであるように憲法に書いてないからと言って法的拘束力を持たない訳ではない。
イギリスの不文法がそうであるように、歴史的積み重ねをしていけば憲政の常道だって
法として強固なものになってた可能性はあったんだよ。
だけど、そもそも時代も悪った。当の政治家たちが普通選挙を政党政治家が甘く見過ぎていたし、社会主義も研究不足だった、
そして政党政治の頂点だった浜口内閣の時にこれまでに見ないほど経済政策で失敗してしまった。
本来であれば日本は西洋と違って議会運営なんて初めて50年足らずで、
まだまだ失敗なんて当たり前で民主主義を強固にしていくに時間が掛かるのは当たり前だった。
だけど、やり直すチャンスなんてあの時代になかったこと自体が余りに不幸なんだと思うよ
492名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/18(月) 11:39:46.87 ID:2VxSyXER0
>>491
ないない、己が生きている時キングメーカーから一歩も脱していな時点で
権力亡者だが政党と連携した山縣以下だよ。歴史は個人の立てたプランで
動くなんてことはありえないことは自由民権運動が証明している。
徳川が倒れた、革命が起きたから議会政治が誕生したのではない。
普通選挙で多数派を形成してもなお元老にイニシアチブが発生している状況、
憲政の常道、こんなものが法制化するなら選挙は茶番でしかないよ。

濱口の失政など問題ですらない。濱口は銃弾で倒れたが後任内閣は同じ民政系の若槻だったように
経済失政で担当する政党が変わるような「寝技」を発動させないだけの常識は元老にもあったのだよ。
その常識を覆したのが満州事変による若槻内閣の崩壊過程を見ればわかる。

結局弱すぎる議会を元老たちが散々オモチャにしたのを軍部が真似したことが全ての元凶だよ。
493名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/19(火) 00:38:25.51 ID:JSrJN39i0
>>492
まずはっきりさせておきたいのが、明治・大正・昭和での元老の地位。
そもそも元老とは何かという話から始まってくるけど、政治的影響力が全然違う。
西園寺公望の時は内閣の奏選権しか実質的になかった。
そしてその権限すら彼が自由に行使出来たわけではない。
21か条の要求を行った加藤高明を奏選するのは散々嫌がったらしいが
普通選挙実現を掲げて選挙に勝った憲政会を拒否することは出来なかった
元老も一応の不文法には従う必要があったんだよ。

普通選挙実行後に未だに元老に強いイニシアティブがある?
確かにイニシアティブがない訳ではないけど、若槻→田中→浜口→若槻→犬養の流れは非常に素早かった。
奏選と言うものは人物の決定から他への根回しまで非常に時間の掛かるものだが
西園寺はほとんど時間を掛けずに奏選を行っていた。
最近の学説ではここから憲政の常道と言う不文法が成立しかかっていたとしている。

山本権兵衛などが元老になるような運動があったにも拘らずそれを阻止し、
西園寺以外に元老を置いてないことからも少なくともイギリスの不文法のような制度を作り上げようとしていた
事実はもう少し評価されても良いと思うが。

あと首相が暗殺されたら同じ政党・勢力から出すってのも原敬以来からのルールね。
これも西園寺云々じゃない。他の元老がいたころからの先例ね。
軍部が真似した?5.15後はともかく2.26なんてクーデターが起こって混乱している時期に
普通首相閣僚が短期間に何人も死んだら国なんてまともに機能しません
そんな状況下で官僚以外に主導権を握れる勢力なんていたの?だったら俺が知りたいんだけど

そして君が言っている軍部が軍部がは、具体的に陸軍なの?海軍なの?
軍部が議会をおもちゃに?反軍演説する政治家一人結局当選させてしまうあいつらにどこまで権限があったの?
494名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/20(水) 10:59:14.84 ID:Erep/PGv0
>>493
西園寺の秘書役の原田熊雄の日記に政党人の首相推薦の運動の記録が残されているのを知らんのか。
これでイニシアチブがないとかどういう認識なのか。「ファッショ」のレッテルを貼られて首相になれなかった
鈴木喜三郎の存在は無視かね?政党内閣を終わらしたことも大したことではないと?一体これのどこが
「首相閣僚が短期間に何人も死んだら国なんてまともに機能しません」なのか?犬飼の跡を継ぐことを
しょうとしている政党人がいてそれを抑えていることを民主主義・議会政治の退潮ととらえない見解など
歴史家から聞いたことすらないそんな歴史家がいるならこちらが知りたいんだけど?

学説など知らんな?個人の見解ぐらい引用して物を言って欲しいものだ。
御真筆とやらの権威をありがたがるお人かなw

さんざん議会に大した力などないと言っているのに何を言っているのやら。いくら反軍勢力が議会で一定数いようが
国家総動員法ひとつ廃案にできない議会など軍部のおもちゃでしかないよ。このような全体主義国家への移行という大きな反論のしようがない
事実から目をそらして、大勢に関係ない事実を羅列しても無駄だよ。そちらの言いたい陸軍だの海軍だののその場その場の
自己利益を図る行動で議会政治への親疎を計るなど全く無意味だよ。
495名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/24(日) 16:43:47.57 ID:fyxHLZfO0
>>494
全くないとは言ってないんだけど。
そりゃ英米協調外交と国内世論の統率を図れる人物、憲法を重視する人物であることを求めたのは事実だ。
満州事変を公然と支持し国際協調と真逆な発言を繰り返し、ファシズム的で
天皇機関説も否定するという政党政治家あるまじき行為を行った人物だから確かに西園寺が嫌がったよ
でも実際はもっと西園寺の意思以上に政局は混乱してる。

まず首相以下閣僚暗殺が是認されるような反議会反政党の国内状況。
犬養を暗殺した海軍軍人への嘆願書は多かった。
政友会が協調内閣を拒否した時政友会が選挙で負けたのは、政友会でなく協調内閣を国民が支持したことを表していまいか

次に予算を減らされたことに対する継続する陸海それぞれの反発。少なくとも一応のガス抜きは必要と考えられた。

あと、宮中、特に天皇陛下の鈴木派へのあからさまな嫌悪。

犬養暗殺後、奏選前に明言しないものの鈴木を避けるよう西園寺に言っている。

そして何より政友会自体の意思不統一。鈴木総裁一枚岩に固まってないことを軽視し過ぎでしょ。
木戸日記には書いてあってはずだが、見てないの?
床波派と鈴木派で大きな派閥抗争があり、床波派が総理大臣に平沼を推し始めるという意味不明な状況になっていた。

そのような状況で総裁である中で鈴木を首相に出来るはずがなかろう。
それでも憲政の常道を止めるのを西園寺は原田に泣くほど嫌がっていたというから、
元老の意思以上の政局混乱があって間違いない。

ファシズムのレッテル?伊藤隆を始め彼がファシズム的だったのは疑いのない事実として書いてたはずだけど、
間違いだったかね。だったら君もその根拠となるを出してくれるかな?
496名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/24(日) 17:03:26.22 ID:fyxHLZfO0
>>494
あと議会と協力できなかった林内閣がすぐに対立総辞職したのだから議会に力がないというのは現状認識能力は
なさすぎるんじゃない?
そもそも国家総動員法自体廃案寸前に追い込まれていたのに近衛新党成立を恐れた政治家がビビッて賛同したんだから
議会というか政党政治家にプライドがなさ過ぎただけの話でしょ。

それともなに?陸軍の中央の意思が介在する中で脅されたとする新説の本でもある訳?
戦後の政治家が書いた自己正当化の本でなく、当時の日記等でそんな事書いてある本なんて見たことないんだが
その国家総動員法の審議の時だって陸軍大臣が議員に陳謝してんだぞ。

議会が崩壊する大政翼賛会成立の時ですら、自己保身ばっかりでろくに反対派を纏められてない。

そして第一次第二次護憲運動になるような運動が起こらなかったことこそ
貴方の言う軍対議会という単純な構図なんて存在しなかったことがわかる。

因みに>>493に書いた主な学説は「政党内閣制の成立 1918-27年」の村井良太の著。
西園寺の奏選決定の意義について書いた本だからぜひ見て欲しい
497名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/02(火) 12:49:40.85 ID:La1HlydA0
★2ch勢いランキングサイトリスト★

☆ +ニュース板
・ 2NN
・ 2chTimes
☆ +ニュース板新着
・ 2NN新着
・ Headline BBY
・ Unker
☆ ニュース板他
・ Desktop2ch
・ 記者別一覧
・ スレッドランキング
☆ 全板
・ 全板縦断勢いランキング
・ 2勢
・ READ2CH
・ i-ikioi

※ 要サイト名検索
498名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/12(金) 21:41:51.18 ID:uTGacNTn0
>>495
>あと、宮中、特に天皇陛下の鈴木派へのあからさまな嫌悪。
だからこれこそが日本の政党政治とやらがおためごかしでしかないことの良い証左なのだよ。
西園寺とそのフォロワーである原田熊雄による政局への介入を
憲政の常道同様良き政治介入として歴史に定義付けようとしても無駄だよ。

政友会の意思不統一なんて問題にならない。それで政党政治を終わらせたことの
言い訳が通ると思っているのかね?こちらは歴史としての政党政治を問題にしているのに
政局で誤魔化しすぎだろ。中間内閣以降の高橋財政から2.26を経て馬場財政へいたり、
予算の軍部介入はもうだれも否定できないなど政局でなく歴史を語って欲しいね。

いくら近現代史とはいえ80年も過ぎてるのだから元老西園寺賢人イデオロギーも
レーニンを持ち上げてスターリンを落とすのと変わらないレベルの話だと
気づいて欲しいものだ。

493で軍部の「あいつらにどこまで権限があったの」が496では議会を「自己保身ばっかりでろくに反対派を纏められてない。」
とし、「挙句に軍対議会という単純な構図なんて存在しなかったことがわかる。」493で議会が軍部との対抗勢力のように
書いていたのはどういうわけか?

>陸軍大臣が議員に陳謝
佐藤賢了の「黙れ」だよね。なんで陳謝のことしか書かないの?佐藤は別になんのペナルティも科されていないことが抜けているぞ。
最初佐藤のことも書いたけど自分の論旨が弱いと思ってわざと削るなよ。バレバレだぞ。
そして結局総動員法は通ると、村井の著とやらでもこんなふうに書いているのかね?
499名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/13(土) 17:55:51.78 ID:i2rBeEGd0
>>498
>政友会の意思不統一なんて問題にならない。それで政党政治を終わらせたことの言い訳が通ると思っているのかね?
いや、あたふたしていた田中ですら一応党をまとめていたのにそれ以下の鈴木に総理大臣が務まるとでも?
歴史で語れと言うが鈴木があの情勢を纏めれたという論理的根拠を持って来てから言ってほしいね。
君自身、自分の言ったことの根拠を全く述べてない訳だが・・・・

>中間内閣以降の高橋財政から2.26を経て馬場財政へいたり、
荒木の極端な予算の介入だって高橋に言い負かされたのもあってろくに出来てないだろ。
君の言う「軍部」という組織が一致して議会に対抗し、議会も本気で対抗した上でその介入とやらで
予算権を行使できなかったなんて歴史的事実があるなら後学の為にぜひご教授頂きたいのだけど。

>493で議会が軍部との対抗勢力のように書いていたのはどういうわけか?
ウンなこと書いてないだろ。日本語勉強してからこい。

>結局総動員法は通ると
結局、政治家自身が政局優先したからだよね?それ。
お前こそリクグンノセイデー理論は卒業しろよ。
政党政治家自身の無能と国民の大衆化にこそいい加減向き合ってくれない?

>佐藤は別になんのペナルティも科されていないことが抜けている
当時の力関係で議会が弱くなったという主張と陸海ともに無責任体質だったことの話が関係あるの?
500名無しさん@お腹いっぱい。:2014/12/26(金) 03:50:01.95 ID:XO2J0HXO0
age
501名無しさん@お腹いっぱい。:2014/12/26(金) 09:58:05.78 ID:VqJ5j2YM0
山県って東京に出た長州人の味方であって
長州在住者にとっては仇敵ともいえる存在だよな
502名無しさん@お腹いっぱい。:2015/02/14(土) 08:25:54.71 ID:NDVwUN+/0
彼らがいなくなってから
陸軍を抑えられる人がいなくなってしまった
彼らは国家のために、自ら権力の亡者と批判される役に
なったのだろうな
503名無しさん@お腹いっぱい。:2015/02/22(日) 20:01:36.02 ID:VL55Flwp0
>>502
山縣以外は別に権力の亡者といわれてないが。

陸軍を抑えるというが参謀本部よりも軍令部のほうが暴走気味だし。
504名無しさん@お腹いっぱい。
>503
ここのスレタイでいわれているよ