大陸打通作戦〜大地を駆ける3000`の雄叫び

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1名無しさん@お腹いっぱい。
第二次世界大戦 日米英独ソ中の格付け
http://mimizun.com/log/2ch/ranking/1284782534

<昭和20年8月11日支那派遣軍総司令官岡村寧次大将の電報>
・・・数百万の陸軍兵力が決戦を交えずして降伏するが如き恥辱は、世界戦史にその類を見ず、
派遣軍は満8年連戦連勝、未だ一分隊の玉砕に当たりても、完全に兵器を破壊し之を敵手に
委ねざりしに、百万の精鋭健在のまま敗残の(蒋介石の)重慶軍に無条件降伏するが如きは、
いかなる場合にも絶対に承服し得ざる所なり・・・
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog151.html

 現地の占領当局となった陸軍の兵数で見ると、中国本土が105万人と最も多く、
満州の66万人と合わせると各地域合計296万人の58%と約6割を占めている。
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/8050.html

抗日戦争が終わるまでに、フライングタイガーは敵機を2600機撃墜し、積載量223万トン相当の船舶、
軍艦44隻、100トン以下の内陸河川の船1万3000隻を撃沈するかあるいは大破させた。また日本軍
将兵6万6700人を撃ち殺した。フライングタイガーの隊員のほとんどは中国政府から賞を授与された。
10余人の飛行士はアメリカ、イギリス政府から飛行十字勲章を授与された。
http://www.china.org.cn/japanese/170095.htm

 1180000トン強の補給品と装備、1380000名の兵員が空中輸送された。中国とインドの間の
「ハンプ」越え空中移動は1ヶ月に71000トンのピーク率を達成した。
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/ussbs08.html

 日本が攻め込んできたので、われわれを包囲していた蒋介石軍が後退した。当時のわれわれ八路軍の兵力は
3個師団3万人のみだった。日本が蒋介石を重慶まで押し退けてくれたので、われわれは日本軍の後方で勢力を拡大した。
8年後に3万人の兵力は120万人にまで増えたし、さらに数百万人の民兵組織までつくった。
http://www.yorozubp.com/0412/041210.htm

トルーマン妻への手紙より(7月18日付)
「親愛なるベス これでポツダムに来た目的を果たした。 スターリンは何の条件
もつけずに8月15日に参戦する。 これで戦争は思っていたより一年は早く終わるだろう。
戦死しなくていい若者のことを考えてごらん。それが重要なことなんだ。」
参考文献 「Dear Bess」p519(July18,1945)
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2001_07.html

議事録には次のようなイーカーの言葉が引用されている。
「日本にたいし航空兵力のみの使用を主張する者はきわめて重大な事実を見過ごして
います。それはつまり、航空機のみが敵と対決するときは、航空兵の死傷者数は決して
低下しないという事実です。現在の航空兵の死傷者数は一度の任務につきおよそ二パー
セントであり、一月当たりでは約三〇パーセントです」イーカーは続けた。
「時期を逸すれば、敵が有利になるだけです」
「日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌」(T・アレン&N・ボーマー著)

GENERAL EAKER said that he agreed completely with the statements made by General
Marshall in his digest of the memorandum prepared for the President. He had just
received a cable in which General Arnold also expressed complete agreement.
He stated that any blockade of Honshu was dependent upon airdromes on Kyushu;
that the air plan contemplated employment of 40 groups of heavy bombers against
Japan and that these could not be deployed without the use of airfields on Kyushu.
He said that those who advocated the use against Japan of air power alone overlooked
the very impressive fact that air casualties are always much heavier when the air
faces the enemy alone and that these casualties never fail to drop as soon as the
ground forces come in. Present air casualties are averaging 2 percent per mission,
about 30 percent per month. He wished to point out and to emphasize that delay month.
He wished to point out and to emphasize that delay favored only the enemy and
he urged that there be no delay.
http://www.endusmilitarism.org/WH_meeting_of_061845.html
2名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/27(月) 22:57:49 ID:SUoC3vvV0
論争 皇軍が撃墜したB-29は何機だったか
http://yomi.mobi/read.cgi/hobby9/hobby9_army_1180347472

COMBINED SUMMARY OF 20TH AIR FORCE & 9TH GROUP OPERATIONS
     20TH AIR FORCE                 9TH BOMB GROUPC
     From June 5, 1944 on             From February 9, 1945 on
Missions          380                        75
Sorties        
Combat          31,387                       1843
Other           1,617                        169
Total           33,004                       2012
Bomb and
mine tonnage      171,060                      11,376
B-29 losses
Combat losses      494                   14 + 5 non-combat
Training losses in U.S.  260                          1
Air crew losses
Killed             576                26 + 1 ground crewman
Missing           2,406                  96 (12 repatriated)
Wounded or injured    433                         30
http://www.9thbombgrouphistory.org/Chapters/Chapter_07.pdf

1941年のソ独戦争の勃発時、ドイツは日本に対してこの機をつかんで極東からソ連を挟撃するよう要求したが、
日本は中国戦線から大量の部隊を引き抜いて北進攻撃にまわすことができず、この夢にまで見た重要な機会
を放棄せざるを得なかった。日本がソ連に対して大規模に進攻するのが難しい情勢を見て、ソ独戦勃発後、
ソ連は極東地域から続々と50万余人の兵力、5000余門の大砲と3300余台の戦車を引き抜いて順調に西部
の国境地帯に投入し、ドイツ軍に抵抗することができたのである。これはソ連が戦争初期の重大な挫折から
立ち直り、ついに敗北を勝利に転換しえたことに対する重要な援助であったことは明白である。
http://japanese.china.org.cn/japanese/170599.htm

モスクワが戦闘状態になっていた間、ソ連は極東から歩兵15師団、騎兵3師団と戦車、航空部隊を移動させ、
西方戦線の対独戦力を強化した。中国の長引く抗戦は日本を拘束し、ドイツが企んだ日本とのソ連挟撃の陰謀は破綻した。
これについてソ連のジューコフ元帥は、「我々が最も苦しんでいた時期に日本はソ連へ侵攻しなかったが、
中国は血の海となっていた。客観的事実をいくらかでも尊重する人はこの争いようのない明らかな事実を
考えずにはいられないだろう」(ジューコフ『中国での使命』、新華通訊社、1980年版、38ページ)と述べている。
http://japanese.china.org.cn/japanese/191409.htm
3名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/27(月) 23:00:05 ID:VeCIj3Ah0
論争 皇軍が撃墜したB-29は何機だったか
http://yomi.mobi/read.cgi/hobby9/hobby9_army_1180347472

COMBINED SUMMARY OF 20TH AIR FORCE & 9TH GROUP OPERATIONS
     20TH AIR FORCE                 9TH BOMB GROUPC
     From June 5, 1944 on             From February 9, 1945 on
Missions          380                        75
Sorties        
Combat          31,387                       1843
Other           1,617                        169
Total           33,004                       2012
Bomb and
mine tonnage      171,060                      11,376
B-29 losses
Combat losses      494                   14 + 5 non-combat
Training losses in U.S.  260                          1
Air crew losses
Killed             576                26 + 1 ground crewman
Missing           2,406                  96 (12 repatriated)
Wounded or injured    433                         30
http://www.9thbombgrouphistory.org/Chapters/Chapter_07.pdf

1941年のソ独戦争の勃発時、ドイツは日本に対してこの機をつかんで極東からソ連を挟撃するよう要求したが、
日本は中国戦線から大量の部隊を引き抜いて北進攻撃にまわすことができず、この夢にまで見た重要な機会
を放棄せざるを得なかった。日本がソ連に対して大規模に進攻するのが難しい情勢を見て、ソ独戦勃発後、
ソ連は極東地域から続々と50万余人の兵力、5000余門の大砲と3300余台の戦車を引き抜いて順調に西部
の国境地帯に投入し、ドイツ軍に抵抗することができたのである。これはソ連が戦争初期の重大な挫折から
立ち直り、ついに敗北を勝利に転換しえたことに対する重要な援助であったことは明白である。
http://japanese.china.org.cn/japanese/170599.htm

モスクワが戦闘状態になっていた間、ソ連は極東から歩兵15師団、騎兵3師団と戦車、航空部隊を移動させ、
西方戦線の対独戦力を強化した。中国の長引く抗戦は日本を拘束し、ドイツが企んだ日本とのソ連挟撃の陰謀は破綻した。
これについてソ連のジューコフ元帥は、「我々が最も苦しんでいた時期に日本はソ連へ侵攻しなかったが、
中国は血の海となっていた。客観的事実をいくらかでも尊重する人はこの争いようのない明らかな事実を
考えずにはいられないだろう」(ジューコフ『中国での使命』、新華通訊社、1980年版、38ページ)と述べている。
http://japanese.china.org.cn/japanese/191409.htm
4名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/27(月) 23:03:16 ID:5vUgaZQT0
≪児島襄「参謀(下)」のジョゼフ・スチルウェル編より引用≫
「“ピーナッツ”は偏屈で恩知らずの小さなガラガラヘビだ・・・・ (中国政府は)
自分たちだけのことしか考えないならず者の集団だ。指導者たちの興味は、
ただ金、権力、そして地位だけだ・・・・。手に入るものには何でも頭を下げ、
自分は戦わないように心がける・・・・。“インテリ”と金持ちは子どもを米国に送り、
農民の子どもが戦争に かりだされる。しかも注意も訓練も指示も与えられずに死んでいる。
 われわれは、この腐敗した政府を支持し、その偉大なる愛国者兼戦士
“ピーナッツ”に栄光を与えるために、戦おうとしているのだ―おお神よ!! 」
≪中略≫
当時の米軍は、日本軍と同じく、行軍距離単位は四キロであったが、
その米式訓練をうけたはずの、いやボートナー准将自身がその訓練をした孫部隊は、
一キロ歩いては休み、次に一キロ進んではごろりと道端に寝転がる。
 しかも、頭上に英軍機が飛来して補給物資を投下すると、隊列を
乱してむらがり、悲鳴をあげつつ、下着に利用するパラシュートを奪い合う。
≪中略≫
孫部隊は狂喜した。中国大陸で負けつづけ、日本軍といえばかなわないものと信じていたのに、
その日本軍がひきあげたのである。勝った、勝ったと小銃を空に乱射しておどりあがった。
 ところが、勝ちに乗じた勢いで快進撃するものと期待していた孫部隊は、
たしかに前進は開始したものの、そのスピードは以前にもおとる低速であった。
そして、昭和十九年一月二十九日、孫部隊はついに完全停止した。
 ボートナー准将の急報によってかけつけたスチルウェル参謀長は、にこやかに迎える
孫少将の顔をぼう然と眺めながら、考えこんだ・・・・なぜ、前進しないのか?
≪中略≫
スチルウェル参謀長は、孫少将にかみついた。
「明らかに命令違反である。よろしいか。貴下の第三十八師団は、 全中国軍のなかで
とびぬけて優良な兵器、弾薬、糧食の補給を受けている。 足りないというのなら、
迎撃砲も、火炎放射器も、米兵だってさしあげる。 だが、命令に従うのが条件だ・・・・
もし自分の使命が達せられないようなら、辞職してワシントンに報告せざるをえない」
5名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/27(月) 23:11:51 ID:ynJb0F/c0
ソ連の技術装備を高めるような機械類や船舶類の輸出の割合が高く、
ソ連の技術装備を高めるような機械類や船舶類の輸出の割合が高く、
ソ連の技術装備を高めるような機械類や船舶類の輸出の割合が高く、

 上述の枠組みで実施された代償物資の引き渡しにあたって、
実際には相当多数のトラブルが発生し、完了期限の1937年3月22日
は1938年末でやっと完了した16。 駐日満州国財務官の発表では、
1937年9月時点で承認件数は839件、承認総額は9,251万7,000円であった。
表〜2にみるように、ソ連の技術装備を高めるような機械類や船舶類の
輸出の割合が高く、機械類では移動式発電装置、電動機、発電機、変圧器、
電気溶接機、電気起重機、各種ディーゼル機関、車輪、旋盤、ポンプ等である。
船舶類は川崎船、蟹漁船、カッター、等の生活必需物資が供給される一方、
人絹、織物類が輸出されて日本製品を身につけたロシア人がモスクワの
メインストリートを闊歩する姿がみられたという。このいわば奢侈品は
モスクワ政府が仕入れ値段よりはるかに高価な価格で市民に販売すること
によって国庫収入を増やすことを目的としたものであった。

2)日ソ基本条約締結以後1945年までの日露貿易
http://www.ier.hit-u.ac.jp/COE/Japanese/discussionpapers/DP98.4/honbun2-2.htm
6名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/28(火) 20:30:46 ID:kayoUNyS0
終了
7名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/29(水) 11:40:04 ID:VoOe/1wz0
終了
8名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/29(水) 11:58:39 ID:tCD5Xj3L0
うわあああああああ。。だつおさん
9名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/02(土) 19:45:21 ID:pwVh7fTJ0
さあ、はじめるか!
10名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/05(火) 10:32:28 ID:UCaZx2kA0
大塚愛結婚・妊娠〜汚部屋を駆けるだつおの泣き叫び声
11名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/11(月) 20:21:16 ID:d74gN7Bi0
米軍がノルマンディ戦で戦ったドイツ軍は、東部戦線で消耗し尽くした後の、
平均年齢36歳(パウルカレル「彼らは来た」)の、『劣化ドイツ軍』だよ。
だから米英だけの大西洋憲章よりも、米英ソで合意したヤルタ協定が優先。
米英抜きの対独戦は有りだが、ソ連抜きの対独戦は絶対にありえない。

なお中国とか中国人とかは、ただただ日本軍に虐殺されるために涌いてきた蛆虫で、
国際社会からみればその地位も役割も取るに足らない雑魚だった。
もしも日本軍がドイツ軍よりも下なら、その格下の日本軍にさえ支配されていた
中国人はこの地球上で最も惨めなゴミのような下等生物だったということになる。
逆に強いドイツ軍を撃破してベルリン入りを果たした赤軍は、ナチの暗黒支配から
世界人類を解放した救世主ということで、まさに世界史的偉業ということになる。

ソヴィエトの工業技術をパクリだ二流だなどと言ったら、そのソヴィエトの赤軍
に強姦されたベルリン女性はということで、キミの大好きなドイツ軍を心ならず
も貶めることになってしまう。ドイツ軍は強かったし工業技術も優れていた、
しかしながらソヴィエト赤軍はもっともっと強かった、そしてソ連の工業技術は
さらに優れており、人類初の宇宙飛行を成し遂げた最先端科学技術大国だった。
12名無しさん@お腹いっぱい。
個人的には岡村寧次大将に興味あるな。
バーデン=バーデンの密約にも関わった人だし。
東條や永田との関係とかどうだったんだろう。
陸軍のなかでは有力者なのに、ほとんど知らない。
岡村に関する本を買おうと思っても絶版で日本の古本屋でも
3000円超えてたから買おうか悩んでるところ。