幕末・明治の拷問と処刑について

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1惣吉
語り合いましょう。。。

2名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/25(土) 15:46:13 ID:hr2T1awB0
3名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/25(土) 15:48:15 ID:hr2T1awB0
4名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/25(土) 15:56:29 ID:hr2T1awB0
【惣吉様の事件の詳細】(前スレより)

『町田市史』下巻に、惣吉の件と思われる事件が紹介されていました。
内容は、武州木曽村で質屋を兼業していた庄屋、縫殿助の奉公人だった惣吉が、慶応四年の六月に主人の金を持って使いに出たまま逐電、
その後無宿人某と組んで押し込み強盗となり、現在の町田〜横浜北部あたりを荒らし回っていたが、元の主人だった縫殿助の家に押し入ったとき、
寝ていた主人の子供が泣き出したためとっさに殺してしまい、逃げ出したが後に2人とも捕まり、主家殺しのため明治二年に磔(共犯者の方は強盗だけのため死罪)になったというものです。
典拠は『神奈川県史料3』との事。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/25(土) 15:57:41 ID:hr2T1awB0
凌遅刑(りょうちけい)とは、清の時代まで中国で行われた処刑の方法のひとつ。
生身の人間の肉を少しずつ切り落とし、長時間苦痛を与えたうえで死に至らす刑。
歴代中国王朝が科した刑罰の中でも最も重い刑とされ、反乱の首謀者などに科された。
また「水滸伝」にも凌遅刑の記述が記載されている。
また、この刑に処された人間の人肉が漢方薬として売られることになっていたとされている。
なお、この刑罰は中国の影響を色濃く受けた李氏朝鮮(朝鮮王朝)でも実施されていた。
また、これに酷似したものとして隗肉刑がある。

凌遅刑の古写真
http://turandot.ish-lyon.cnrs.fr/Event.php?ID=1
http://turandot.ish-lyon.cnrs.fr/Event.php?ID=8
http://turandot.ish-lyon.cnrs.fr/Event.php?ID=10
6名無しさん@お腹いっぱい。
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