西尾
「半藤さんの矛盾した記述について、他の例でも挙げましょう。
米内光政が信頼する部下の高木惣吉の言葉を引用して、
<英国も日英同盟をアメリカに売ったし、ドイツが防共協定をソ連に売ったからといって、さまで驚くにあたらないであろう。
ソ連でもまた独ソ不可侵条約をいつ英米に売らないとは保証できない>と記述します。
これはその通りになりますし、この高木惣吉の考えは卓見であり、当時の国際情勢を冷静に捉えた発言です。
したがって、半藤さんも
<これが冷静な見方だと思います。条約なんていうのは、いつだって、まずくなれば売り渡してしまうものであって、
これは現代もそう変わらないんですね。国際信義など下手すれば国家的利害のためだけにあるのかもしれません>
と述べています。これは正論なんです。
であるならば、いよいよそのときが来て、1941年(昭和16年)に日ソ中立条約を締結した松岡洋右外務大臣が、
ソ連による独ソ不可侵条約の破棄と、ドイツのソ連侵攻という由々しき事態を受けて、
<断固としていま、ソ連を攻撃しよう>と言ったことについて、
<無責任な外務大臣ですね。いまになるとまことに滑稽としかいいようがない>
と、何のためらいもなく簡単に批判していることは、
半藤さんの単なる「松岡憎し、松岡を悪者として描きたい」という、それだけの単純な動機を認めざるを得ません」
福井
「断固としてソ連攻撃を主張した松岡の行動は、非常に現実的で合理的な判断でしたね。
条約などというものはその場しのぎの単なる時間かせぎで、自国にとって機が有利に熟せばいつでも平然と破り捨てる。
これが当時の列強諸国の常識だったのです。
ヒトラーもそれを熟知していたからこそ、先手をとってソ連を攻めたのだともいえる」
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/23(木) 23:57:38.67 ID:Cd8gqhMb0
西尾
「松岡は非常にリアルな判断をします。ドイツのソ連侵攻という由々しき事態が発生し、情勢が急変した。
その時、松岡大臣は断固として、今ソ連を攻撃しようと言い出した。これは私に言わせれば正しい判断です。
この段階で反転してソ連を討つ、つまり今までソ連と契約を結んできた松岡が、にもかかわらず、
事ここに至ったら今度は米英側に立ちソ連を攻撃していれば、アメリカは対日参戦はもとより、
あるいはドイツとも戦争をする口実を失う可能性があったんですよ。
つまり共産主義を倒すということが英米の最初からの目的にあるわけですから、
そうなれば世界の歴史が変わり、共産主義の問題はかたがついて、ソ連包囲網が世界中に敷かれ、
日本もその勢いにのることが可能だったと松岡は見抜いて、今こそ転じようと言った。
しかし、近衛文麿をはじめ当時の政府重鎮には通じなかった。
外交戦略としてみれば、松岡の判断は決して間違っていなかったんです。
そこで言いたいのは、半藤さんが高木惣吉の意見に賛同しておきながら、松岡の意見を罵ることはおかしいことです。
松岡を悪者に描きたかっただけで、その点の矛盾にまったく気がついていない。
これは歴史を結果から、結果の善悪から描いて、しかもその善悪判断は半藤さんの個人的感情に基づくだけなんです。
戦争がいよいよ近づくとなると、アメリカの対日参戦の意思は強い、たとえば・・・」
福地
「満洲事変のときのスチムソン・ドクトリンに、強い意思が表れていますよ。
あの時すでにアメリカは戦争をやるぞと。ところが、半藤さんはそうではないという解釈をしている」
西尾
「アメリカの意思が非常に強いということでいえば、たとえば、天皇に対して杉山参謀総長が、日米関係はと聞かれて、
陛下に日米関係は病人に例えると手術をするしかないところにきていると、危険ではあるけれども
そうすれば助かる望みはないわけではない、思い切って手術をしなければならんと存じますと、そう言っている。
これは1941年(昭和16年)7月ですね。もうギリギリのところへきてそう言っている。
これを、半藤さんは無責任でキチガイのように書いているんですよ。
しかし、この時の杉山参謀の言っていることは私には当然な表現だと思います。
それから少し経って、東條英機がとてもアメリカが要求するような条件をのむことはできない、
これは近衛・ルーズベルト会談をしたいと思いながら
松岡が帰ってくるのを待っていたためにチャンスを逸した、というくだりがありますね。
そこで、ルーズベルトから頂上会談はできないと断られると近衛内閣は愕然とするわけですが、
ルーズベルトから要求された条件はとても受け入れられるわけにはいかない、中国からの撤兵ですから、
そこでこんなものは交渉でも外交でもない、降伏要求ですという言葉がありますね。
読んでいてこれは当然だと思うんですが、半藤さんは、なんて無責任でアホなことを言うと書くわけです。
これも東條憎しの感情論です。しかし、歴史の流れから言うと東條英機の言っている通りなんですよ。
あのとき、アメリカの開戦意思は非常に明確で、
<山本は最後の最後まで、交渉の妥結を願っていたのです。
しかしながら、ハル国務長官のほうは、返事を引き延ばして、提出された乙案も読みもしない。
アメリカ外交の現在にも通じる頑固さです。自分が正しいとして、それを押し通し、柔軟性の「ジュ」の字も示さない>
と、アメリカの明確な意思というものを記述しているんですよ。
それならば、日本側が開戦を強いられたのは仕方がないではないですか。アメリカが悪いんですよ。
だとしたら、開戦の責任はアメリカにあり、日本にはないではないですか。
それは明らかです。よしんば山本五十六のやり方が酷くてもですよ。
開戦の意思はアメリカ側にはっきりと最初からあることを、半藤さんは明確に記述しているんです。
アメリカの強大な意思をかなり前からご自分で言っているのに、アメリカの悪ということについては決して見ようとしない。
アメリカを運命のごとく、神のごとく見ているんです。神の怒りなんです。半藤さんにとってアメリカは。
ですから、私は「正義の味方・黄金バット」と言ったんです。
つまり半藤さんはアメリカに責任があるということを事実上書いているにも関わらず、アメリカの「悪」については記述しない。
アメリカの強大な意思を見ようとしない。アメリカはすべて「善」、「正義の味方」なのです」