前スレが死んでたようなので立てました
立ててくれてありがとうございます。しかし何で歴史サーバーが死んだんだ?
ログは後で復活するって聞いたような…
大仏次郎の架空の人物じゃなかったの?
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/13(月) 02:57:27 ID:epYCXVjl0
なんだなんだ、一体どうしたんだ。
1000まで語りたかったののに・・・
ログは後で復活するのならちょっとホッとするが・・・
今週図書館で木戸日記読んでみようと思ってるんだけど、現代人にも読みやすい?
馴染みのない単語とか言い回しとか多いと読むの結構しんどい・・・。
分からん箇所あっても意訳しながらどんどん読んでいけば慣れてくるってエロい人が言ってた
漢文も古文書も超初心者な自分でも頑張れば日記読めるかな?
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/17(金) 01:05:40 ID:XTNPjBG60
漢文やってもチンプン漢文かもしれない。
おもしろい! のか?
ありがとうww個人的に面白かったwwけどそうか漢文始めてもあんまり意味ないのかな…
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/18(土) 14:26:56 ID:/Z+FL+a+O
寡黙なダンディズム
まじかー
これはきつい
ログいるの?
鯖が何時死んだのか確認してないが、420までなら保存してるけど。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/20(月) 03:09:30 ID:l9jmooqT0
最近最寄りの図書館で検索したら、うちの市にある木戸の一次資料(日記1〜3、文書1〜8、遺文集1)が全部貸し出し中だった・・・
一体誰だ。借りれる冊数は制限があるはずだから(うちは8冊まで)、少なくとも2人以上だと思うんだ。
大久保の一次資料も借りてる可能性あるな、と思って検索したらこちらは全部あった。
一体誰だ、と言いながら密かにうれしかったりする。木戸に強い関心を持ってくれている人がいるんだwと。
>>13 漢文はね、慣れてくれば段々解るようになるよ。大丈夫、眺め続けていれば。
細かいこと言うと、漢文は英文と文の並びが一緒(主語、述語、目的語)だから、まず人名を探し出してチェック入れて、その次述語、目的語と探す。
解りにくくてごめん。健闘を祈るよ。
自分も夏休み入るってんで、史実参照&考証木戸松菊〜を読もうとして
んで、まあ誰も借りないだろーってのんびり貸し出し手続き取ろうとしたら、どっちも先に借りられてたw
日記とか関係文書はあったから、研究目的じゃないのかな
先を越された悔しさも感じたけど、それ以上に同じ校内に木戸好きがいたっぽいことに驚愕した
すごく…話したい…w
あと今更だが
>>1乙
>>18 ありがとう。頑張ってみまし!!日記ちょっとずつかみくだきつつ漢文とともに頑張るよ。ありがとうございます。
そういや自分の大学も関係文書じゃないが木戸関連の本が返却棚に入ってた。
誤字otz
頑張ってみまし→頑張ってみます。すみません。
にしても木戸スレは優しい人多いし平和だから和みますな。
もう知ってる人多そうだが
ヒストリアの桂登場回の仮タイトルが噴飯モノだww
出オチすぎるwww
>>22 > 第52回放送予定
> 逃げちゃだめだ
> 〜逃亡者・桂小五郎 明治をひらく〜(仮)
> 平成22年10月6日(水)22:00
吹いたwシンジくん乙ww
ちょwwwテラシンジ君www楽しみだけど不安だ
シンジ君って何?
昔々、エヴァンゲリオンというアニメがありまして……
城崎のつたやで撮影があったらしいし、サブタイトルwからして潜伏期がメインか
ヒストリアって有名エピソードを適当にかき集めただけの番組だから、
期待より不安の方が勝る
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/24(金) 18:05:18 ID:PcNs2AAjO
木戸孝允ファンは木戸候の関連番組見るのが不安なのね。
実は私もそう
逃げちゃ駄目だとかいっても
木戸孝允ならともかく桂小五郎の時期は逃げなきゃ死んでるだろw
正直、幕末期の話はいっぱいしてるだろうから明治に入った後の木戸の話を重点的にやって…くれるわけないか
木戸がしっかりしてれば西郷も江藤も死なずに済んだろな
いやあいくら木戸ファンとはいえ
木戸がしっかりしてれば西郷と江藤が死ななかったとは思えんw
31はどんだけかいかぶってるんだ
江藤の時、木戸が大将で出てれば少なくとも即処刑は無かった。
だが木戸も既に病気だし、大久保がヤル気満々だったからなぁ。
大西郷については、故郷に帰ってからの暴発をどう止めろとw
江藤の件は大久保どしたん?って感じだったよねえ…
木戸の凄いところは、開明性にも驚愕するけどもうひとつ、国の方針間違いを、『間違いでした』って認めることが出来るとこだと思う。
しかも他人のせいにせずに『自分も判断を謝った』って認めてるとこ。
これってすごいことだと思うんだ。
間違いを認められる人間はズブズブ間違いに沈んでいかない
>>35 自分の間違いを認めるのって普通の人でも難しいし、まして今の政治家とかって間違っても他人や人民のせいにする人いるしな…。人民の為に政治を行った木戸は凄いと思う。
そういや江藤の処刑は既に県の裁判で決まりつつあったって何かの論文にあったけどどうなんでしょ?
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/25(土) 21:12:19 ID:wfqr4VtM0
西郷はラストサムライと言われるくらいだけど
逆に言えば明治になっても武士を捨て切れず、
結局薩摩士族の大将になって西南戦争を引き起こす
ことになってしまった。
木戸は武士と言う身分をあっさりと捨て四民平等の
日本を創るようにした。
木戸が西郷に「たいがいにせんか」と言ったのは
西郷が近代でも武士にこだわったことへの悲しみと怒りが
あったのだろう。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/26(日) 03:01:37 ID:3vI8ITH10
木戸はすでに幕末期から、さらに言えば青少年期から(大組士桂家の当主になったといえど)「武士らしさ」は希薄な気がする。
武士らしさってなんだろう、って考えが出て来るんだが、なんだろう、四角四面に固まった考え方というか・・・
主君への忠義や国のために一身を顧みず、という点ならば木戸は充分に「サムライ」だよな。
ただ毛利への忠義のために版籍奉還・廃藩置県の断行をやめようなどという考えは彼の頭の中では浮かんでこなかったろうと思う。
自分の頭で考えに考え抜いた国体を築くために不可欠な処置だから、これらの大改革と毛利への忠義とは彼の中では矛盾してなかったんだろうな。
要はこの人、独創性があると思うんだ。頭がむちゃ柔らかい。
西郷はねえ・・武士道という「枠」を与えられなければ生きられない人じゃないかな。
この時代はたまたま武士道だったけど、価値観は時代によって様々に変化する。その価値観と共に生きる人だったと思う。
ちょっと前新聞に西郷の辞世の歌か?と紹介された句があったんだけど、うろ覚えなんだけどこんなことになってしまって斉彬様に申し訳ない、ってこと言ってたような。
本物かどうか分からないが、西郷ならこう詠むんじゃないか、と自分は思った。
彼の心は、最後まで自分を愛し取り立ててくれた亡きただ一人の敬愛すべき主君・島津斉彬に向いていた。
西郷が近代でも武士にこだわったというか、こだわらざるを得なかった、そうしなければ生きていけなかったんじゃないかな。
あの当時、西郷のような士族が圧倒的に多かったと思うよ。木戸のような生来の自由な精神性を持たない、大多数の凡人の自分としては、西郷の生き方も解る。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/26(日) 03:03:03 ID:3vI8ITH10
うわ、長くてごめん。
昨日つべの『その時歴史が動いた』を何気無く見てたんだけど、あの番組をまるっきり信じてる訳じゃないが、いくつか言葉を紹介してくれるなかに、ビスマルクからの人材派遣を断った木戸はかっこよいと思った。
『日本人自らの手で道を切り開いていきたいのです』ってやつ。
実際これ受けてしまっていたら日本はドイツの属国みたいになる危険性あったよね。
それに『国は人より成り立ち候』ってやつも。
世状が千変万化どう変わっても、この信念さえあれば人心から大きくズレた政治にはならない。
木戸は国を『自分のもの』だなんて思ったこと1度もなくて、1番大事な根幹を見失わなかった。
西郷や大久保ばっかり評価高まるけど、政治家ってなんだろう?って基本に立ち返った時に、1番偉大なのは絶対に木戸。
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/26(日) 21:41:03 ID:ZrN9Y1XK0
本日(2010年9月26日)の「龍馬伝」見ていたら木戸が幕府と徹底抗戦を
主張していた。
史実の木戸はそんなに好戦的だったかな?
過激なのはむしろ、高杉の方では?
なんてことは大河版に書くのかな?
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/26(日) 22:06:28 ID:vQZjF15q0
>>40 お雇い外国人の存在はスルー?彼らなしでは近代化は困難だっただろうに。
日本主導のお雇い外国人と、ドイツ主導の人材派遣は根本から違わないか
実際似たような状況が幕府とフランスであるけど
倒幕がならなかった場合、幕府の決定権をフランスが握る危険性は非常に高かったろう
それと同じ穴に落ち込む可能性があったと思う
>>41 間違いなく過激なのは高杉でしょうね。自分も木戸を諌める高杉には違和感覚えましたけど、NHKがやたら高杉持ち上げてますからねぇ、西郷、木戸あたりに比べて、扱い方が好意的な感じがしますね。
>>41 あれは、龍馬を平和主義者に書くのは無理があると脚本家も分かっていて、
先週は西郷、今週は木戸や弥太郎を使ってセルフツッコミしてるんだと思った
それくらい龍馬に対して愛情を感じない脚本だし。誰よりもキャラがぶれている主人公
福山龍馬も柄に合わない演技させられてなんかしょんぼりしてて、
伊勢谷高杉や谷原木戸に存在感食われまくってる
木戸の理想はイギリス型だよね?
大久保、伊藤、山縣はドイツ路線と考えていいですか?
木戸って特定の国を理想としてるような気はしないなぁ。
本質は日本社会であって、そこに適応できそうな優れた制度等は
ドイツ型であろうが、イギリス型であろうが、取り入れようとする
イメージが俺にはある。
木戸の考えでは、権力が一極集中し独裁体制にならないような体制を理想として
いながらも、民主主義のいき過ぎは国家の堕落に繋がると警戒もしていた。
そういった特定の枠に囚われないところが、木戸の持ち味じゃない?
大久保は型にはめればその内中身も型に合うようになるって考えで
木戸は中身が伴わなければ型にはめたって意味ねーって考えだったんだっけ?
大久保は立憲主義者じゃなかったよ。
>>42 国をどうしていくかを、日本人自身で考えて決めていきたいってことでしょ。
日本の政府が自分で出した決定において外国人を雇うのと、日本政府自体がドイツの指示下にあって誘導されて外国人雇うのでは全然違う。
>>46 伊藤だったか馨ちゃんだったかは、イギリス型でもドイツ型でもなく日本の政情に合った憲法作らないとって
言ってたような記憶があるな。
木戸の人生も、高杉に負けず劣らずドラマチックな人生なのになぁ・・・
なぜかこれと言って良く描かれたドラマが記憶にない
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/29(水) 07:57:44 ID:e1PV3dq+O
>>52 あまりにも多くの出来心に関わり
複雑な時代を生きていたので
ドラマとして描くのも難しいのかな?
醒めた炎をドラマにすればいい気がするけど無理なのかな?
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/29(水) 20:22:47 ID:6CuqW+OJ0
>>54 原作者自身が小説中の言葉(台詞)は
記録に残ったものを使い創作したものは
一つもないと後書きに書いてますからね。
ドラマはその方針では難しいかもしれないですね。
>>54 木戸モノってか幕末〜明治初期通史みたいなんになるぞw
剣の腕前は正真正銘の免許皆伝で、高杉 伊藤達の先輩格で、新政府発足後も芸者さんを捨てる事もなく、なかなか素敵な男だと思うんだが・・・なぜかドラマなんかだと描かれ方がいまひとつな感じがするんですよねぇ
>>57 まあ一昔前の、人望なくて孤独だったみたいな描き方に比べたら
人気あったスタンスになった分は前進したのかもしれんがね…
軽くイラッとするけど
>>57 「もう逃げない」じゃねーよwww
なんか色々反論したい紹介文だ
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/01(金) 00:58:11 ID:y9geV/Uj0
番組見る前からいろいろ言っているようだけど、
予想は抜きにして、番組見てから番組のことを
語るのがよいような気がする。
エンターテイメントなんだから味付けはエンターテイメントだろ
あくまでも歴史上の人物を題材に使ってるだけだ
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/03(日) 03:07:27 ID:onEFYKlD0
番組観てから感想を、ってのは分かるんだけどねえ・・・反論したくなる気分も分かるよ。
逃げなきゃ殺されるっつーの。そもそも蛤御門の変のとき、桂は最後まで天皇の奪取、という不敵な計画を捨てきれず、粘り続けた。
「醒めた炎」読むと、歴史を後世から見ている私達―確定したものとして見ている―は、あんな戦い無謀だよ、失敗するに決まってるじゃん、って思ってしまうけど、実際勝敗は紙一重だったようだ。
敗北が明らかになったあと、桂は京都の情報を収集して長州に送る役割を全うしなければならない、と3日間ぐずぐず居残って、脱出困難な状況に自ら陥ってる。
「逃げちゃダメだ」って表題は、未だに「逃げの小五郎」ってあだ名(?)を額面どおりに解釈しようとしてんだな、って思ってため息が出る。
そもそも「醒めた炎」にこのあだ名についての言及がないんだが?当時から言われてたのか?
そして司馬遼、あんたが世間に流布するしょぼしょぼ桂(木戸)の源泉なんだよう!改めて恨んだる・・・
来たれ「正義は長州にあり」の熱血長州男児、来たれいざ 歴史難民版の 「何でも白馬青牛先生に聞いてみんさい」 へ
桂が蛤御門の変後、幕府に捕まったというのは本当なの?
勝海舟の「氷川清話」でしかこの事件の話は見たことないんだけど。
そういえば木戸はドイツを理想型として政府構想をしてたって、小説青木周蔵に書いてあったなあ
気になって調べてみたけど、ドイツコネクションの形成って本でも
木戸はドイツをモデルにしてたって書かれてたよ
>>63 死地にあって危険から逃げたり、潜伏するのが上手かったのを
あたかも責任から逃げ続けてきたような印象にしている感じだな
薩長同盟会談で勇敢にも京の敵陣に現れて無事に帰還した件なんか
新撰組や幕吏にしてみれば、「逃げの小五郎」にまたしてやられた以外の
何ものでもないと思うんだがな…
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/06(水) 23:11:55 ID:qLRnj0mx0
NHKの歴史秘話ヒストリアの小五郎は
弱気で逃げてたと言うことになっていたぞ。
無用の争いを避けてきたことを気の弱い男にされていた。
それも歴史の一説かもしれないが、いい気はしないな。
池田屋事件のときは対馬藩にいたことが有力じゃないのかな?
薩長同盟も日本を守るが、死んでいった人の気持ちも忘れず
長州がなくなっても良いと言う人。
池田屋でも一人見捨てて逃げたりはしないでしょう。
ヒストリア自分的には60/100点くらいの及第点だったな
良かったところ
・薩長同盟の映像化で珍しく龍馬に諭されず、周りが引くくらい口撃して西郷どんに謝らせた
・大はしなかったw
・ブロマイド
・幾松とらぶらぶ
・遺児や会津の世話
良くなかったところ
・キャッチフレーズ
・池田屋事件で逃げた扱い
・禁門の変で逃げた扱い
江藤の回のことがあるからどんな捏造sageが来るかと思ったら
「逃げ」の誤解釈の強調が基本だったからまあ許容範囲だったかなぁ
改名の理由とかなんつーアホな嘘かましとんじゃと思ったし
禁門の変はちょっと酷すぎたが
でも遺児のことが出ただけでもおっ?と思ったのに
会津のことまで言及してくれたのは素直に凄く嬉しかったよ
「逃げ」の誤解釈ヒドスw
池田屋、蛤御門で死んどりゃよかったのけ?という扱い
でも最後に怒濤のフォロー…NHKってとこも複雑怪奇だな
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/07(木) 07:29:00 ID:tI75fPCg0
遺児と会津のこと以外は見る価値なかった
人望があって多くから慕われたって所と
話し合い優先の平和主義者って所が強調されてたのも良かったよ
何が根拠か知らないが、周りから嫌われてたって思ってる人とかいるし…
龍馬とのあれこれも好意的な描き方で助かった
ヒストリア見忘れたああああああああああorz
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/07(木) 10:02:06 ID:mKJ7xH5U0
ふぐすま
録画ミスった
なきたい
>>69 >・薩長同盟の映像化で珍しく龍馬に諭されず、周りが引くくらい口撃して西郷どんに謝らせた
それは「竜馬がゆく」でも坂本に諭される前にやったことになってる
司馬のことだから桂の恨み節ということになってるが…
品川弥二郎証言由来とのこと
それが本当なら、桂の随行中三名が同盟を快く思わない諸隊の連中なので
むしろ彼らの敵意を牽制するために言ったのではないかと思っているけど
史料をもとに実像を探ると、出てくるのは「逃げの小五郎」という汚名。
実は"土壇場で逃げ出す"という弱さがあった。
それはやがて深刻な悲劇を生む。
その深く傷ついた小五郎を再生させたのが、恋人の癒やしや、坂本龍馬の励まし。
「もう逃げない」と決めた小五郎は、幕末最大のミッション「薩長同盟」に挑む。
実はその前に、功山寺挙兵後の長州藩の政体再編成と、政治的基盤のない大村益次郎の軍制改革のバックアップっつー
大きな山場を越えていると言う。
醒めた炎読みなおしてたら、聞太が軍制に関して大村に意見しててワロタw
なんだっけ?
桂の帰藩は混乱しまくってた藩にとっては晴れる兆しの虹のように云々ってあったよね
妻八重だっけ?
廣戸家の文書以外にどこかで登場する?
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/07(木) 21:20:26 ID:tI75fPCg0
妻としては登場しない。
当時の名前は「すみ」後に八重に改名。
小五郎のお礼の手紙にも「おば様お民様お住様へもよろしく様奉願候」とある。
廣戸家の文書にも妻とは書いていないはず。
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/07(木) 21:56:01 ID:F/bzu4OI0
歴史秘話ヒストリア「逃げちゃだめだ」では桂小五郎が長州から武器と戦艦を
買うアイディアを出したり、薩長同盟をしないと長州は生き残れないからと(龍馬と共に)自分から
動いたような説明だったと思うんですが、それって龍馬の功績だったのではなかったのでしょうか?
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/07(木) 23:05:46 ID:tI75fPCg0
青○と木○が解説に出た時点で信憑性が・・・
>>83 薩長が揃って介入した対馬藩もそういう斡旋してた。
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/07(木) 23:47:54 ID:sE4WbiW/0
>>83 それはすべて司馬遼太郎から始まったウソ。
司馬遼太郎の桂小五郎に対する名誉毀損小説をベースにしているウソ。
その結果、世の中には薩長の人のほうが圧倒的に少ないので、
つまり、奥羽越・旧幕出身の人のほうが圧倒的に多いので、
薩長の偉人たちを貶めるためには桂小五郎をおとしめて坂本龍馬をヒーローにしてしまえばいいという
名誉毀損小説に名誉毀損大河ドラマだらけw
もともと
「正藩合一」(正義派の諸藩連合)で大政奉還を迫り
「破約攘夷」可能な新政府をつくろうと奔走していたのは桂小五郎・久坂義助・武市半平太。
その話を薩摩も龍馬も新撰組も当然知っていて協力しただけ。
というか薩長同盟における龍馬の功績や重要性を疑問視する説もあるわけで
>>78 それも、NHKによる完全な名誉毀損だから。
乃美織江が桂小五郎に京都留守居役の座を奪われている格好になっているという(乃美織江にとっては妬ましい)歴史的事実を全く無視して、
誤報(未確認情報)だらけだった乃美織江の手記を根拠にするなど二重にキチガイ沙汰。
乃美織江は、長州藩に『池田屋事変で桂小五郎が殺された』と憶測のみでいきなりとんでもない誤報を飛ばした全く信用不可の人物。
1.木戸孝允自叙
2.『松菊木戸公傳』(妻木忠太著 マツノ書店)
3.『桂小五郎京都変動ノ際変動』(杉山孝敏著 毛利家文庫 山口県文書館所蔵)
4.池田屋に参集していた志士たちを1人も取り逃がさなかったと述べている『浪士文久報告記事』(永倉新八著)
これら全てを信用不可の乃美織江手記1つで勝手に否定しているなど言語道断にも程がある!
と思った。
奥羽越・旧幕側出身の人間はそれほどに不公正で醜悪で嫉妬深い。まるで中狂人や朝鮮人w
>>88 激しく同意。
Nエッチ犬の職員どもや子会社の連中の政治センスが日本国民の平均を遥かに下回って10流ぐらいだから、
日本の議員どもの政治センスがやっとこさーで4流なんだな
困ったもんだ
>>89をちょっと修正。
Nエッチ犬の職員どもや子会社の連中の政治センス・歴史センスが日本国民の平均を遥かに下回って10流ぐらいだから、
日本の議員どもの政治センス・歴史センスがやっとこさーで4流なんだな
困ったもんだ
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/08(金) 01:09:21 ID:auR4Pc2U0
結局竜馬びいきだと桂はわきやくにされてしまうんだよな。
>>88 > 乃美織江は、長州藩に『池田屋事変で桂小五郎が殺された』と憶測のみでいきなりとんでもない誤報を飛ばした全く信用不可の人物。
そうだったんだ
そのあと「やっぱ桂は屋根伝いに逃げました」と言ったんだね
しょーもな・・・
俺は福島県民だけど、逆に流石「逃げの小五郎」と言われるだけあって、大事をなす人物は無駄死にしない
で逃げるのが上手いと感心してたんだけどな。
だから龍馬や西郷に恨み節吐いたのが本心からなら莫迦だと思う。
坂本や西郷に長州の立場を力説したのは駆け引き上必要
公人として外交に来てんだよ、外交に
ひすてりあは池田屋より禁門の変がひどかったな
弱虫で人望がないので逃げましたとか…頭沸いてんの?
薩摩憎しの長州人に対して「薩摩をこれだけ責めました。それに対して薩摩は謝罪しました」
というパフォーマンスは必要だったかと
品川がドン引く位だったから効果あったんじゃね?
まあ本音入りまくりだったろうけどw
ヒストリアの禁門の変の人望云々は自分がそう思い込んだって話では?
それよかこんな流れだったっけ?と
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/08(金) 08:00:06 ID:auR4Pc2U0
西郷って木戸の事どう考えてたんだろうな。
ていうか西郷って木戸が死んだ事知ってたのかな?木戸が死んだ事を
知ったときなにを思ったのか。
>>96 西郷は西南戦争で木戸より先に死んでるだろうが
お前なに言ってるであります
>>96 西郷が戦地で木戸の訃報を聞いて、
木戸さあが…、と一言呟いて黙った。とか、
自分がまだ生き残っているのが情けないと言った。とか、
どこかで読んだけど多分小説かなにかだろうから実際は違うだろうな
>>97 ?
>>95 > それよかこんな流れだったっけ?と
いやなんかぜんぜん違うようなw
人望がないから仲間の暴発を止められない???といった件は乃美織江手記らしい
乃美織江手記の信憑性ってどういう扱いなんだろ
禁門の変で会津桑名が町に火を放ったって書いたのはこの人?別の人?
>>100 >乃美織江手記の信憑性ってどういう扱いなんだろ
読者の判断力に任せるという扱い。
藩の公文書扱いだから、保存はされているが、全然尊重されてないね。
>禁門の変で会津桑名が町に火を放ったって書いたのはこの人?別の人?
京都の公家の日記や町人の日記。
乃美織江は酔っ払って河原町の長州藩邸を放火してしまった人p
>>98 木戸孝允が死んだのは明治10年5月26日
西郷隆盛が死んだのは明治10年9月24日
木戸が死ぬ時に「西郷、いい加減にせんか」と言ったのは有名。
>>100 蛤御門の変で廃残の長州兵が広大な公家屋敷に逃げ込んだんだよ。
幕府軍にとって公家屋敷は治外法権で捜索出来ないから、火を掛けた。
その火が市街地に燃え広がった。
治外法権だから火をつけたってすげー話だな…
治外法権で放火…なんか背筋がゾッとした。
当時の常識として「公家の大半が長州に同情的」という認識があったから、
長州兵は公家屋敷に逃げ込んだし、幕府軍は容赦しなかった。
とりあえず長州は男色だけでなく飲酒も禁止した方が良かったのでは
何人酒乱を抱えてんだw
>>101 >乃美織江は酔っ払って河原町の長州藩邸を放火してしまった人p
嫉妬に狂っていた低脳の乃美織江にもっと脚光を当てんといかんな。
コイツ1人で長州をとんでもない悪者に貶めてしまってるからなw
池田事変のあと、長州軍が京近くまで来たのは、あくまで毛利藩主父子雪冤の嘆願のため。
京都留守居助役が勝手に長州が京に戦争に来たことに話を変えて一体どうするんだよ!
おまけに負傷した長州勢を藩邸に逃げ込めなくしてしまってるし。
そういえば、コイツ、池田屋事変の時にも、
杉山松助が片腕斬り落とされて藩邸に帰ってきたのにビビッてか、何を考えたんだか知らないが、
藩邸の邸門を固く閉ざしてしまって、少なくとも吉田稔麿を見殺しにしてしまった元凶だからな
>>106 酒まで禁止したら、容堂公と土佐藩に喧嘩売りまくる周布さんや薩長鴻門の会や
御所の廊下で爆睡する木戸さんが見れなくなるではないか。
高杉に庇われる周布さんと大久保さんの畳踊りと爆睡木戸さんが見られないのは困るな
>>108 周布政之介にもプラスの意味でもっとスポットライトをあてんといかんな
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/10(日) 19:49:06 ID:t/t5mUzy0
明治入ってから木戸がやった功績みたいのってなにかあるかな?
廃藩置県とか有名な感じなのじゃなくて。
地味(?)なのなら教育関係とか
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/10(日) 20:33:54 ID:t/t5mUzy0
教育関係ってどういうのだろう?
明治の教育推進が日露戦争の参謀あたりを育てて
ロシアに勝ったわけだから凄い事なんだとおもうけど 。
>>113 いや単に学校建てろ人民に教育受けさせろって言って回った程度かと
そういや三間堂かなんかお寺…名前忘れたが、なんか廃仏毀釈で潰されそうになってたのを救ったって聞いたことあるけど本当?本当ならレポートのために詳しく聞きたいです。
元老院設置・地方官議会の開催・憲法制定について建白書提出
日光東照宮の存続に協力(不忍池も似たようなエピソードがあったような)
同志社設立に協力(土地買収絡みだっけ?)
靖国神社の桜を植樹
とかイロイロあるよ
>>116 日光山満願寺の三仏堂かな?
木戸松菊公逸事に載ってたかと
>>111 上野公園を一般に開放させたり不忍池の埋め立てを阻止したり
寛永寺の東照宮破壊は阻止しようとしたけど間に合わなかったんだったかな
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/11(月) 03:01:46 ID:giI1Sg8d0
N○Kにひすとりあ感想・意見を送ろうかな、と思ってる。
一回ばしっと言ったらな、と思うので。でも過去に何度も先輩達が抗議してるんだろうな。
全然効果はないだろうが、今の状況はどうにも健全じゃないので、塵も積もればなんとやらで今後も桂(木戸)関係でN○Kが矮小化された司馬ベース桂を云々するなら(全部そうだけどね)声を挙げ続けるつもり。
自分が死ぬ頃にはちっとはマシになってるだろう・・・ と思いたい!
まったく司馬はややこしいもん残してくれたよ。
乃美織江がそんな人だったとは初めて知った。「醒めた炎」にも乃美についての記述はほとんど無かったから。
出石での妻(結婚してねえっつの。ロリコンじゃないっつの。どこまでいい加減なんだ)の話も池田屋・禁門のも改名のいきさつもひど過ぎて何も言うきになれん。(言うけど)
あと関係ないが周布さんにもっとスポット当てて欲しいのは全く同感。評価・知名度の低さよ!彼だけじゃないが。
>>118 それだ!!ありがとう!!
図書館でちと漁って来るよ
>>119 ほんとなんでメディアはマイナスイメージにばっかり放送するんだろ…司馬感性は拭い去ってほしいな
大河は最初は良いかんじだったのに、
高杉を非戦派お花畑龍馬信者にされたとばっちりを受けて司馬以上に変なことになってるな。
しかしヒストリアでやたら逃げを強調されたから、どちらも見た一般視聴者は混乱してそう。
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/11(月) 09:23:12 ID:pWkhVZ5S0
>>118 東照宮破壊されちゃったの?今ある東照宮はなに?
まあヒストリアでは話し合い優先の平和主義、龍馬とも関係は良好を強調していたから
その辺は本当にありがたいフォローだったかと
実際、実況では「龍馬伝と違う。ひょっとして龍馬伝って嘘?」って書き込みも見たよ
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/11(月) 12:07:26 ID:c/QzcNkS0
龍馬伝はドラマ、実在の人物にモデルがあるに過ぎないと想い見ればよい。
歴史秘話ヒストリアは、一つの学説に従い、その人物を紹介するもの。
このような、学説もあるのか、と想い見るとよい。
歴史番組だから正しく伝えているとは限らない。
でも歴史を知らない人は純粋にメディアを信じるよな。うちの親父がそうだから毎週日曜日の8時は家族会議だ
>>124 捕り物劇で容疑者側が屋根伝いに逃げることが可能だった、そのくせ1人しか屋根伝いに逃げることが出来なかった
と常識的に二重に矛盾することを言ってる時点で、学説の名には全く値しないp
つか乃美は屋根伝いに逃げたってのを誰から聞いたんだ?
新撰組は全滅させたっていってたような
屋根伝いと屋根を伝っては結構微妙だったりもする。
池田屋から屋根伝いに対馬藩邸に逃げるのはどう考えても無理。
池田屋裏(北側)は高瀬川の舟入があった場所だからね。
舟入を飛び越えたのならオリンピック級の跳躍力。
迂回して又屋根に攀じ登るなんて事は、到底考えられ無いので、
屋根伝いって表現はあり得ない。
屋根を伝って池田屋裏(北側)に降りたのなら、
目の前の窓から逃げる桂を誰かが目撃する事になる。
なら素直に窓から地上に降りるほうが速くて簡単。
わざわざ屋根に登る理由が見つからない。
>>122 政府に没収されたついでに破壊されそうになって
木戸が慌てて九鬼を派遣して止めさせようとしたら
すでに正殿の木が数本倒されていてとかなんかそういう感じだったかと
>>126>>127>>128 仮に池田屋の(1階の?)屋根から屋根伝いに対馬藩邸まで逃げられるような特殊な作りになっていたとして
(実際には別棟なので絶対に無理! しかも音だけでも見張り役にモロバレなので絶対に無理!)、
どうして桂小五郎1人(しかも剣豪かつリーダー役!)だけ屋根伝いに逃げ、
残りの少なくとも10名以上が全員その後を全く追わず、
憎き敵のはずの新選組のお縄をわざわざ自ら頂戴せざるを得なかったのか?
甚だ疑問。
他にも乃美説を採用する場合は重大な疑矛盾が幾つもあるが、
乃美説を採用する人はなぜ、誰も、乃美説の矛盾に一切答えないで平気でいられるんだろうね?
一体どれくらい低脳かつ誹謗中傷好きなのかと思うと、ゾッとするよw
>>130 だね。特にNHKは名誉毀損好き・歴史改竄好きの低脳キ●ガイが巣を作ってる感がある。
他の長州藩士同様、長州藩に帰れば安全だったのに、情報収集のためか長州藩に故意に帰らなかった桂小五郎を
「逃げ」とか「逃亡者」呼ばわりする悪意・嫉妬が
他者からどう醜悪に見えるか、すらまるでわかってない。
そもそもNHkの連中は日本人ですらないんじゃないか?という印象がある。
お帰り下さい
>>131 朝鮮人かそれと同じような精神構造の持ち主だと、ウソ八百でも妄想でも捏造でも言ったもん勝ちだからなぁ
しかも間違いを指摘されてさえ間違いを絶対に認めようとしない。
NHKが歴史秘話ヒス第52回を放映する前に2度もNH犬の間違いを指摘してあげたんだが、
事前に指摘された間違いをそのまんま何にも修正ずに傲然と放映しやがんの。
参ったよ、NH犬の何重もの非日本人ぶりには。
ああいう朝鮮人タイプ・中狂人タイプ・旧幕府側タイプって、ホント、バカバカしくて相手してらんない。
自分たちが撒いたデタラメなんだから自分たちでさっさと刈り取れ!としかもはや言い様がないw
>>129 やじが木戸に東照宮ヤバイ!日本の宝が!みたいな手紙送ってたな。
>>134 薩長の人間の中で、あれほどハッキリ家康を評価しているのは木戸さんだけ。
偉人は偉人を知るというか。
>>135 練兵館(現靖国神社)と長州藩邸(現日比谷公園)のちょうど真ん中に江戸城があるから、
いやでも徳川幕府についていろいろ考えたんだろうな
初っぱなの家康だけは立派だけど、鎖国に走った2代目以降はアフォだとか
日本のあらゆる政治家の中で後世の鑑賞に堪えられるのは、
国家の大目標を常に真剣に考え続けた木戸さんだけだな
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/12(火) 07:53:46 ID:tQTWuHBi0
あれ?大久保も尊敬する人物は家康なんじゃなかったっけ?
薩長同盟って実際のところ幕府に綻びが生じた長州征伐以降にその効果が現れて
長州が最も危機的状態であった長州征伐時にはあまり役に立っていませんね。
長州側は萩口への攻撃を警戒していたと聞きます。
薩摩藩からの武器の調達においても元々秘密貿易で武器調達自体はできていましたので
同盟締結の布石として長州側が歩み寄って薩摩に利益供与したという側面なので同盟の成果とは言いがたいです。
一般的に倒幕志士として坂本龍馬が最も知名度がありますが
仮に同盟がなくても幕権強化を望まない薩摩がわざわざ長州を攻撃するメリットはありません。
ならば長州征伐の趨勢は木戸孝允の実務手腕や高杉晋作・大村益次郎の奮戦で動かなかったと思います。
なぜ薩長同盟の仲介が倒幕のMVPみたいに語られるのかわかりません。
幕末と明治どっちの方がこの人活躍したんだろう?
五箇条の御製文の修正や廃藩置県の主導者かつ文部卿として
日本中に学校を建てまくったり、明治の方が日本に与えた
影響大きそうだけど。
幕末は藩の人間として内外の調整に奔走したってイメージで明治は国の政策だからなあ
舞台自体が違うので比べるようなものではないのでは?
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/12(火) 13:28:36 ID:C7BUQJDyO
幕末維新、一貫して懸命に働いた人だよね。あらゆる志士の中でも長期間働いた人。
578 :自治スレでローカルルール他を議論中:2010/10/11(月) 01:07:11 ID:T3C4qgb10
いや、どうも、こういう内容らしい。
海保船舶が横付け。海保職員が乗り込む。
その後、中国船舶が突如離船。
取り残された海保職員が中国人船員に飛び蹴りされて中国船舶から
海中に突き落とされる。
海に落ちた海保職員を潰すように、中国船舶が進路変更。
海保職員が必死に泳いで逃げるのを執拗に銛で突き殺そうとする中国人船員。
海保船舶が海保職員を救出するため停船し救助に乗り出す。
その後ろから中国漁船が溺れる海保職員に乗り上げ、海保職員が海の中に
沈んで見えなくなる。
その後、浮かび上がった海保職員は海保船舶に後部から担ぎ上げられる。
這い上がる海保職員めがけて数秒後に漁船が全速力で海保船舶の後部から
衝突し、海保側の船体が大破。
ビデオを見た日本側関係者は異口同音に「これ殺人未遂だよ」と呻くように
言ったらしい。
こんな大事件を恥ずかし気もなく握り潰す議員ども・マスゴミ人どもなんて要らね。
吉田寅次郎・木戸孝允・西郷隆盛・大久保利通が生きていれば、政府部内で征韓論ならぬ征支論が沸騰してるところ。
ところで、Nえッチ犬は、桂小五郎が、池田屋事件の時、1階の屋根伝いに逃げたと解説したの?
2階の屋根伝いに逃げたと解説したの?
1階の屋根なんて窓だけだからそもそもあり得ないだろうし、
2階の屋根に上がることは不可能であるように思われるのだが、どっちだった?
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/12(火) 21:20:54 ID:tQTWuHBi0
木戸って萩の乱のときどういう事したんだろう?
前原から悪人扱いされたみたいだが。やっぱ廃藩置県のせいなんかね。
前原が何を指して悪人呼ばわりしたかよくわからないからなぁ
秩禄処分の件に関してなら
いくら何でも政府にいた人が木戸の方針(廃止にしても段階を踏む)を知らない筈はないだろう
治水の件かもしれないし戊辰戦争のことかもしれないし
単純に木戸のすることなすこと気に食わなかっただけかもしれない
>>146>>147 帯刀のことだろ。
剣豪の木戸のほうが帯刀を、ちょんまげ同様、野蛮な時代遅れの風習にしてしまうべきだと考えていたようなのに対し、
前原は剣豪とはほど遠い身障者にもかかわらず、というかそれ故にか、帯刀という形に変に固執していて、
木戸の開明性にも大村益次郎の開明性にも全然付いていけなかった感じ。
>>145 佛教大学のすご〜くアホ面の教授(?)が出て来て、全く無思考にただ「屋根伝いに逃げた」と言ってただけp
そいつは「真っ先に逃げた」とも言ってたが、真っ先に逃げたのなら追随した人がどうしてゼロなのか?の説明も全くなかったp
要するに、アタマがすご〜く弱くてかつ誹謗中傷好きの自己厨が、
自分の臆病さを分不相応にも剣豪桂小五郎さまに投影しながら、信用不可の乃美による誹謗中傷をバラ撒き続けているp 困ったもんだ。
>>148 う〜ん。そりゃ、マジでひどい話だ。
Nエッチ犬も、そこまで低脳で不道徳な輩ばっかりに劣化してしまったか・・・・。
しかし率先して萩城を破却したのは他藩への示しになっただけでなく
萩の乱の被害軽減にも役だっているな。
将来的な反乱を見越していたとすると一石二鳥。どれだけ先見の明があるんだろう。
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/13(水) 08:15:13 ID:inbswWdT0
毛利主君からは萩の乱のときなんかあったのかね。
薩摩だと久光と大久保西郷は対立状態だったらしいが。
木戸と毛利は廃藩置県後どうなったんだろう?
木戸は一時期、毎日のように毛利公のお墓参りに行ってたし
少なくとも木戸の側には毛利公と対立する気はなかっただろう
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/13(水) 10:56:04 ID:gx+O9aZJ0
毛利敬親は、廃藩置県を受け入れた人ですからね。不本意な部分もあったが
新時代のやり方を木戸のやり方を受け入れたでしょう。
流石は、そうせい候と呼ばれた名君です。
>>146 中央政府に関わってる側と、地元に残ってる側での溝もかなりあったような
あれこれ言った言わないでもめているのを愚痴ってる記述が木戸日記の中にあるよね
>>151 廃藩置県が決まった時だったか、毛利公に
「これでお前と主従の関係ではなくなるのだな」と言われてはっとした
みたいな話がなかったっけ
史実じゃなく小説とかの話だったかな
敬親公は廃藩置県前に亡くなってるよ
「主従ではなくなるのだな」の下りは、
明治初年に版籍奉還、廃藩置県について敬親公に相談した時だったかと。
次代の元徳公も、版籍奉還時に世襲の文字を消そうと自ら動いたくらい開明的
藩主親子メインの小説とかあったら読んでみたいな
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/13(水) 20:01:17 ID:HDNvrQDE0
長州は人材がなくなりすぎたな。
明治になってからは木戸一人みたいな感じだったし。伊藤は大久保になびくし。
周布と久坂が生きていたらかなり楽だったろうね
高杉にも精神的に頼ってたみたいだし
久坂は早すぎたよな
暴走した奴のせいで、25で犬死
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/13(水) 22:02:13 ID:HDNvrQDE0
高杉 松陰あたりは生きてたとしても西南戦争で西郷側というか
反体制がわに付きそうな気がするなあ。
高杉はまだしも松蔭が西郷側に付くとは到底思えないけど
あれって反体制じゃなくて旧体制側の不満分子でしょうが
高杉も毛利公が承知した事に異議を唱えるとは思えないがなあ
親まで巻き込みかねないこともしないだろうし
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/13(水) 22:30:34 ID:HDNvrQDE0
西郷側というか
征韓論支持から萩の乱で
高杉か松陰が萩の乱の主導者になったら前原レベルの乱とは比べ物にならんでしょ。
根拠のない妄想で、でしょと言われても…
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/13(水) 22:44:10 ID:HDNvrQDE0
西郷と松陰って陽明学で似た思想っぽいけど。違うかな?
松蔭が鹿児島の士族に仕事を与える為の口実としての征韓論に同調?
ご冗談を
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/13(水) 22:52:16 ID:HDNvrQDE0
たとえばだよ。けど多分松陰が何か行動を起こして木戸が止めるって感じになってたと思うよ。
木戸って基本的には暴走した人を止めてばっかの生涯だったし。
>>154 はっとしたというか、例によって例の如く泣いてなかったか木戸さん。
明治帝に付いて函館行ったとき、も旧師・中島三郎助とその子の戦死を思い出して泣いてただろうw
>>159 高杉も意外と毛利公大好きっ子。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/13(水) 23:06:33 ID:HDNvrQDE0
じゃあ高杉って幕府倒したあとどうする気だったんだろう?
廃藩置県とか反対だったのかな?ていうか考えれば考えるほど
廃藩置県って良く成功したなあ。
意外と多くの藩主が財政難から廃藩を望んでいたと言われている。
>>155,166
フォローどうもありがとう。記憶が朧だったけど、やはり創作ではなかったか。
泣いてたかもね。というか泣いてそうw
昔の人の日記とか手紙とか読んでるとよく泣いてるけど、言葉が激しいんで
どの程度本当の泣きで、どの程度が心の中の涙の話なのか、たまに気になるw
まあ今の人も泣ける〜とか言って実際に泣いてるとは限んないのだが
>>167 倒幕に関わったことで、没後しばらく地元(萩)での評判は悪かったらしい
ので、旧体制を維持する側と組むことはなかったのでは
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/14(木) 07:57:35 ID:ImkqjWGr0
ああそうか。、あの時代貧乏藩の方が多いんだもんな。
って事は結局戊辰戦争して徳川の力弱めないと廃藩置県は出来なかったってことか。
竜馬がいかに平和主義だろうと徳川家がそのまま残ってたら廃藩置県できなくて
ヘタにやろうとしたら慶喜と久光あたりが連合しちゃうもんな。
あの時代大藩って 薩摩 土佐 あとは仙台の伊達家とかだと思うが良い具合に
廃藩置県できたね。 ああ後加賀百万石とか言われてたけど。
上杉とか伊達って幕末だと空気だもんな。
>>170 別に、廃藩置県のために倒幕やった訳じゃないよん。
くだらない自己保身のために志士たちの命を奪いまくった邪悪な勢力を成敗しない限り、
新政府としての正当性を確保できないから、どっちみち倒幕しかなかったんだよん。
そして、不平等条約改正のためにも、旧幕勢力以外の勢力が政権運営するしか道はなかった。
木戸貫治・高杉晋作・中岡慎太郎・小松帯刀・西郷隆盛・大久保利通は、
この自己保身勢力の打倒されるべき臆病さ・邪悪さ・無能さをハッキリ見切っていたけど、
坂本龍馬のほうは幕府の勝海舟の弟子になったり海軍操練所に学んだりしてたから、
公武合体的な政府でも近代国家的に国難に対応できると勘違いしてたんだろう。
新しもの好きの高杉が士族にしがみつこうとgdgd反乱起こしたとは思えない
たぶん元気なら海外トンズラだよ
そして線路もないうちに汽車を買ってきて木戸をのけぞらせていただろう
まあそのくらいが関の山
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/14(木) 11:57:14 ID:w1/GDTBe0
>くだらない自己保身のために志士たちの命を奪いまくった邪悪な勢力を成敗しない限り
本来「志士」とは、「国家、社会のために献身する高い志をもった人」のことを言う。『論語』に曰く、
『志士仁人は生を求めて以て仁を害するなし』
即ち、志士とか仁者と呼ばれる(資格のある)人は、自分の生存のために人の道に背くようなことはしない、という意味である。
長州;桂小五郎たちは、京に於いて、略奪、放火、暗殺というテロ行為を意識して積極的に展開した。徳川から政権を奪うという単なる一藩有志の政治目的の為に、それを行った。そういう彼らを「志士」と呼ぶことは、如何な詭弁を弄しても無理である。
>>172 ワロタw
金銭的に苦労はさせられるだろうけど楽しそうだな
つくづく長州の人材喪失は勿体なかった
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/14(木) 18:29:05 ID:t+4tF57E0
>>171 小松帯刀はどちらかと言うと龍馬の考えに近くなかったっけ?
>>174が仁とは真逆の醜悪な自己保身と名誉毀損ね。
負けたことすら神妙に受け止めず、逆恨み甚だしくいちいち恩を仇で返し続けるなんてことは、志士仁人とは真逆の人しかできないこと、ね。
しかしそれにしても、旧幕側の人間って、歴史学者含めて、ホント、こういうどうしようもない反社会性人格障害者が多いな・・・・・
こういうみっともない反社会性人格障害はどうやら子々孫々受け継がれるらしい(´,_ゝ`)プッ
客観的には、明治維新は、
>>174のような悪性のキ●ガイどもを政治権力から追い払わなければ政権交代の意味がない!
ということ。
それに、旧幕側の人間は、ひどい「論語読みの論語知らず」
>『論語』に曰く、
>『志士仁人は生を求めて以て仁を害するなし』
明治政府は、勝安芳や榎本武揚らを政府に徴用すらしているし、
徳川慶喜や松平容保のような首魁でさえ殺害してない。
一体どこを見てものを言っているんだよ?
明治政府の元勲たちがみ〜んな信長や秀吉や家康を遙かに凌ぐ志士仁人であることは極めて明白。
>京に於いて、略奪、放火、暗殺というテロ行為を意識して積極的に展開した。
これは新撰組や会津藩や桑名藩や江戸幕府がやったこと(´,_ゝ`)プッ
坂本龍馬や中岡慎太郎を暗殺したのは新撰組か見廻組。どちらにしても会津藩・江戸幕府による暗殺。
蛤御門の変でも、どさくさに紛れて志士の潜伏場所をなくしてしまおうと京都の町を3日間も焼き払い続けたのは新撰組や会津藩や桑名藩や江戸幕府。
池田屋事件でも、拷問、テロを行なったのは新撰組や会津藩や桑名藩。
すべて歴史資料的には明白。
>>176 激しく同意。
尊王攘夷の志士たちの歴史的正当性が、昭和戦後、多勢に無勢で不当に脅かされ続けてると思う。
>>175 小松帯刀って、西郷吉之助・大久保一蔵とともに倒幕の密勅に自ら署名してる人よ。
だから、龍馬よりも早く龍馬よりもハッキリ幕府を見限っていると思う。
まぁ、大久保よりも久光の御機嫌伺いをしてる可能性は立場上極めて高いだろうけど
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/14(木) 19:51:24 ID:CyYDbTtF0
174ではなく173では・・・?
ていうか邪悪だの身障者だの釣りか荒らしにしか
/ ̄ ̄\ ガラパゴス化して植民地化の危機にあった
/ ⌒ ⌒\ あの間抜けな江戸時代を誰が終わらせてくれたの?
| ( ●)(●) ____
. | ⌒(__人__) / \
| |r┬-| /─ ─ \
. | `ー'´} \ / (●) (●) \ 薩長土の志士仁人たちさ
. ヽ } \ | (__人__) | 強いて人名をあげれば
ヽ ノ \ \ ` ⌒´ _/ 木圭桂小五郎
/ く. \ \ ノ \ 猫堂木戸貫冶
| \ \ (⌒二 | 松菊木戸孝允さ
| |ヽ、二⌒)、 \ | | これを維新の三傑という
>>178 /)
///)
/,.=゙''"/
/ i f ,.r='"-‐'つ 細けぇこたぁいいんだよ!!
/ / _,.-‐'~/⌒ ⌒\
/ ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\
/ ノ il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \
,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| |
/ iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ /
とはいえ、
>>176のアンカー
>>174は、指摘通り、正しくは
>>173であった。<(_ _)>
>>174が気分を害したのであれば大変申し訳なきことを致し候と存じ奉り候<(_ _)>
>>172 井上勝「高杉さん……」
ありそうでワロタw
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/14(木) 22:09:02 ID:N/FPx4qe0
松陰ってじじ臭く感じるけど木戸とそんな歳違わないんだよな。
西郷と同い年ぐらいか。
長州藩のなかでは木戸が一番先見性あっただろうね。バランス取りもうまかったし。
もっと明治で薩摩派閥を従えて政治に加わればよかったのに。
ところで木戸ってさ、誰から西洋知識とか学んだんだろう?木戸の先見性ってさ
軍人を増やしすぎないようにしたり、当時のヨーロッパとも違うよね。
松陰だってそこまで海外詳しくなかっただろうし。
>>183 松陰は木戸の3才上で西郷の2才下、大久保と同い年で誕生日も近い。丁度180年前だな
木戸の西洋知識は、江川・斎藤の影響が大きそう。
中島三郎助の下で造船技術を学んだりもしてる。
>183
村松剛著『醒めた炎』上下
を古本屋で買って読むのが一番てっとり早い。
西洋の軍事技術に関しては
齋藤彌九郎
江川太郎左衛門
西洋事情・造船関係で
中島三郎助
その他、英語教師もいたし、何よりも大村益次郎がいたし。
のちには伊藤俊輔はじめ諸々の留学生から知識を仕入れたみたいだし。
でも木戸さんが最も偉いところは
軍人が暴走し始めたらちょっとやそっとでは収拾できない!
賢い政治家が賢くない軍人をコントロールできない限り国そのものがとんでもない窮地に陥ってしまう!
という長州が蛤御門の変で学んだ教訓を明治政府でもちゃんと提唱したこと。
西郷の元帥という呼称(政治家の軍人化?)にも反対したし、
山県有朋の軍人のままの参議昇格にも反対した。
木戸さんに参議昇格を反対された山県有朋が生きている間は、
政治家と軍人との逆転現象はかろうじて回避されていたけど、
山県有朋亡き後は、近代国家から、実質、幕末の幕府状態へと退化してしまい、
昭和戦前には亡国泥沼戦争に突撃してしまう。
竹槍もって敵を倒そうとするようになったら日本オワタみたいな日記も書いてたよね
予言者かと
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/15(金) 01:06:24 ID:OtbSvmqm0
確かに木戸は予言者みたいな先見性がある。
本人にしてみれば、そう判断する材料があったんだろうけど。
あの問題児だらけの長州勢の中で揉まれた感覚なんだろうか
長州以外でも「ちょwww」みたいな問題児がいっぱいな藩があったら知りたいけど、ある?
板垣なんかは凄かったみたいだし他藩にも問題児はいただろうけど
長州は普通だったら切腹ものの行為が反省房程度で許されたことが大きいんじゃないかな
問題児たちは刈られることなくのびのびと育った
> 本来「志士」とは、「国家、社会のために献身する高い志をもった人」のことを言う。
だから桂小五郎たちは志士と呼ばれてるんだろ、自分のためじゃなく日本のために命がけで行動してた訳だから
仁者という点ではいろいろ問題あるけど
まぁ志士たちを悪者にしたいのなら好きにすればいいよ、このスレの住人さん達には君の詭弁なんて通用しないけど
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/15(金) 18:15:15 ID:vBXqYWRP0
明治天皇と西郷。大久保
とかのエピソードはあるけど明治天皇と木戸のエピソードってなにかある?
木戸ってもしかしたら共和制ねらってたんかな。
釣り?
つい先日話題に出たばかりの日光の件なんてまさに天皇の行幸に同行中の出来事でしょうが
天皇陛下が自宅にクル−って木戸がどんだけ浮かれまくったかも日記を見ればわかるよね
第一、共和制って、上奏さえ出来なくなったら一番困るのはおそらく木戸だったのでは
ていうかいい加減、○○は西郷さんの方に近いよね、みたいな話がしたいなら
そういうスレを立ててそっちでやればいいんじゃないかな…
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/15(金) 19:15:55 ID:vBXqYWRP0
なんか明治以降は資料すくなくて。一応日本史リブレット070木戸孝允は買ったんだけど。
それに本とかだと天皇関連はなんかちょっと濁して書かれてるからさあ。
明治天皇っていうと西郷乃木って感じで。
しらべたらちょんまげなくしたのも木戸なんだね。ここあたりいろいろ深いことあったんだろうなあ。
天皇の個人宅行幸って木戸が初めてじゃなかったか?
微笑ましいエピソードだと、木戸の乗馬を見た後に明治天皇が乗馬にハマってたり
資料が少ないと言うが、東北行幸をググるだけで木戸と明治天皇の交流は沢山出てくるぞ
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/15(金) 20:06:42 ID:cFGQSNQQ0
日本初のブロマイドのモデル
幕末一のイケメン
>賢い政治家が賢くない軍人をコントロールできない限り国そのものがとんでもない窮地に陥ってしまう!
ヒトラーをコントロール出来なかった独軍人への皮肉かと言いたくなるね、こういう決め付けは。
近代以降、軍がはじめた戦争より政治家の暴走や国民をコントロールできない無能な統治機関によりはじまった戦争の方が多いのに
この国では日中戦争は軍の暴走という定かではないイメージへの反省としてシビリアンコントロールがやたら持て囃されるんだよな>この国
斯く言う俺も高坂さんがシビリアンコントロールに懐疑的な意見を示したときには「何言ってんだこの爺さん」と脊髄反射で馬鹿にした工房時代もあったわけだが
軍は国内において絶大な力を持つ。
そして政治まで握ったら独裁化し易い。アフリカなんかでは腐るほど例がある。
しかし政治家が軍を握った場合も同様の事態に陥ることが多々ある。
統帥権独立の意義は、政治家が軍を私兵化して暴走するのを防ぐこと。と何処かで読んだな。
まぁ答えを出すにはまだ早い問題だろう。
>>195 ググるだけでも色々出てくるぞ。
徳富蘆花が「謀反論」で、木戸が明治天皇に、「外国には共和政治を
始めた国もあることですし、注意しないとどうなるかわかりませんよ」
と言って、周りが真っ青になったというエピソードを紹介してますね。
実話かどうかわかりませんが。
んな木戸没後何十年も経った後の事件のバッシングの為に書かれたエピソードを持ち出されても
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/15(金) 23:07:02 ID:l53QOR1j0
>>195 亡くなる前、京都土手町別邸に見舞いに訪れている。
その時木戸は両手で顔を覆って号泣した。
沼田哲 編『明治天皇と政治家群像─近代国家形成の推進者たち─』(吉川弘文館 2002年)に
「木戸孝允と宮中問題」という論文が載っている。
天皇明君化計画は、ご一新のころから岩倉・西郷・大久保・木戸共通の重要課題。
もっと手軽に読めるものなら、佐々木克『江戸が東京になった日』(講談社選書メチエ 2001年)の
東幸供奉のエピソードだけでも面白い。
ドナルド・キーン『明治天皇』(新潮社 2001年)上巻では、
たしか「木戸は天皇の数少ない親友の一人」みたいなこと書いてあったな。
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/17(日) 18:44:22 ID:qP0qGWE+0
すんません。号泣はしてなかった。
「陛下は鴨岸の邸に臨幸まし・・・父は大御心の厚きに感したる余り
両手を顔にあて涕くみとそ後にてききしとき・・・」だった。
『人物万華鏡』嘉治隆一著 昭和42年朝日新聞社刊 P56より
養子の忠太郎氏が一高時代に無名誌に書いた、幼いころの父母の思い出が少しのっている。
木戸の危篤・葬儀時、忠太郎氏は東京で留守番していたので
後年、松子夫人から様子を聞いたのだと思う。
>>205 おぉ。情報ありがとう。助かります。ところでみんな凄く、資料や情報に詳しいけど、やっぱり史学科の人が多いのかな?
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/17(日) 22:52:45 ID:USgU8mwK0
この時期に天皇崇拝ってどれくらいのもんだったんだろうか?
江戸時代は家康が皇族を京都に押し込めてたわけでしょ?
一般人にはどれくらい尊敬されてたのかね?
>>207 一般人にとっては、天皇も将軍も藩主も甚だ遠い存在。
ただし、江戸時代、特に幕末では、
将軍や藩主よりも加害者・搾取者ではないことが極めて明白な存在であるが故に、
水戸学や垂加神道的な流れもあって純粋に天的存在に浮上したんだろうなw
なんせ、あの露骨に佐幕ドップリの新撰組でさえ「勤王」を謳ってるんだからさw
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/18(月) 00:43:54 ID:QWYXwH5r0
いろんな小説読んだけどさ。幕末の明治天皇のあたりってやたらぼかされない?
孝明天皇は結構描写あるんだけど明治天皇はほとんどないというか。
西郷が見つけてきたみたいな事を読んだ事があるけど細かい所をぼかして書く
小説が多いから。
孝明天皇までは歴史の一人物だけど
明治天皇からは急に「今上の曾祖父であらせられ、なにかと憚りが(ry」
みたいになってくる気がする
>>207>>208 イミフ。キモい。
> 幕末の明治天皇
どうしようもなくイミフ
> 孝明天皇は結構描写あるんだけど明治天皇はほとんどないというか。
真逆。
> 西郷が見つけてきたみたいな事を読んだ事がある
ソース!
明治天皇ほど歴史資料でおびただしく描写されている天皇は珍しい。
つまり、ちゃんと補弼されてれば、ちゃんと天皇は描写される。
孝明天皇は破約攘夷をやりたかったのか屈服開港のままでかまわなかったのか、
どういう公武合体政権をつくりたかったのか、つくりたくなかったのか、
屈服開港して以来、安政の大獄をはじめとして弾圧で無理やり誤魔化そうとしてる江戸幕府が一体どういうまともな政権運営を出来ると思っていたのか、
総じて何をどういう理由でどうふうにやるべきだと思っていたのかさっぱり分からない暗愚の天皇。
これは「君側の奸」どもも揃って暗愚だったという証拠。
天皇や朝廷の権威を自分で貶めてしまっている低脳な宸翰も悲惨の極みw
日本国の重要な変動期にたまたま天皇として在位していただけに、
中川宮朝彦親王・一・会・桑ら「君側の奸」ども同様に、その暗愚ぶり、無定見さ、操縦されっぷりが目立つ。
孝明天皇自身、自分自身でも余りにも情けなくなって、自分で天然痘に感染して自分で自発的に死んだのではないか?とすら思われてくる。
そんなわけで、孝明天皇をまともな天皇として描写している文章などあり得ないし、見たことがない。
明治天皇の親王時代に関しては、安政の大獄以来、特に文久二年以降、
公卿に対しさえ尊皇攘夷派を暗殺したり追放したりする勢力が京都に入り込んでいるわけだから、
睦人親王(のちの明治天皇)は目立たないように隠れてるしかないだろ。極めて当然の話。
中川宮朝彦親王なんて明らかに皇位継承を自力で狙ってるぽかったからな。
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/18(月) 19:00:24 ID:QWYXwH5r0
あくまで小説とかの話ね。
孝明天皇って暗殺説もあるぐらいの天皇だから
なんか書きづらそうな感じで書いてたと思う。司馬遼太郎とかは。
乃美織江は俗論派どころではなくて幕府に通じてたスパイであったことは間違いない!
という乃美織江の幕府スパイ説が急浮上。
蛤御門の変で長州藩邸を放火して京を火の海にするかもしれないような危険なことをしでかした京都留守居助役なのに、
西本願寺で会津藩兵に捕まっても、なぜか、無事長州に帰れてしまっている。
桂小五郎・久坂玄瑞はもともと命を狙われているし、
名もなき兵士達でさえ大阪で捕まり、処刑されたりしているというのに・・・・・。
乃美織江が更にスパイとして長州に送り込まれたということなのか・・・・・。
史料がない妄想はどうでもいいです
>>215 乃美織江は歴史資料的にも明らかに長州俗論派だぞ
まさか長州正義派と長州俗論派が凄まじい対立をしていたのを知らんのか? 妄想患者にも程があるp
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/19(火) 19:20:54 ID:3Dyj+mDE0
冷静に考えて自分を「正義派」と臆面もなくのたまう長州正義派の神経は立派な厨二病
に思える。
そういう基地外だから時代を変えられた
常識人に革命は出来ない
なんか変な雰囲気だな。
某所で人気投票やってたから木戸に入れてきたけど、理由を書く時にちょっと迷ってしまった
褒める所は沢山あるんだけど、それが好きな理由かといえば何か違うようなw
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 12:08:36 ID:ANS0v7kC0
木戸孝允の素晴らしさは器の大きさと開明性、他への思いやりの深さ・・・。
いろいろ有るけど、これを知る人は少ないのだよね。
いい加減sageろ
>>217 キンモ〜〜〜〜〜〜p
吉田松陰の思想の体現者
=開国尊王攘夷の志士たち
=異勅の屈服開港をなど認めない長州正義派(佐幕派の解釈では諸藩の尊王攘夷の志士まで含むらしいw)
幕末の、あの低脳キ●ガイの国賊だらけの江戸幕府相手に「正義」を語れないような輩は、もはや人間とは言えんp
異勅の屈服開港を勝手に決定してしまった臆病者で卑劣漢丸出しの江戸幕府p(薩長が果敢に攘夷戦争を戦ったのとは好対照)
みっともない異勅の屈服開港を無理やり押し通そうとして悪逆非道の限りを尽くした江戸幕府p(日本史上最低最悪の国賊集団p)、
孝明天皇をだまし、和宮の人生を滅茶苦茶にし、多くの尊王攘夷の志士の命を奪い、
破約攘夷の勅命を果たさず、あべこべに不平等条約の勅許を君側の官どもばっかりの孝明朝廷から強奪した、
史上最低最悪の売国集団が江戸幕府・会津藩・桑名藩・新撰組p
>>221 その通り!
松菊木戸孝允(桂小五郎)は今生きていても超一級の人物。凄いよ、ホント。
>>223 >史上最低最悪の売国集団が江戸幕府・会津藩・桑名藩・新撰組p
え〜、全くその通りだと思うんですが、
「一・会・桑」以上に「君側の奸」の売国国賊だったのは中川宮(=尹宮=久邇宮)・九条・二条・近衛。
この孝明朝廷の四悪wを絶対に忘れないようにしてくださいね。
それから、国賊新選組からは、山南敬助や伊東甲子太郎ら御陵衛士たちを必ず除外しといてくださいね。
それから、ちょっと細かいようですが、薩摩の久光派、長州の俗論派、土佐のアンチ勤皇党も、ほとんど国賊ですからw
自分にレスして楽しいのかな
キチガイのやることはよく分からん
きっと彼の中では幾つかの人格が独立しているのだろう。
第一次長州征伐直後の幕府みたくw
考明天皇は長州過激派をウザがってたけどね
三条達に言論封殺されてたけど
8.18の政変後の発言が私の真意であるっていってるし
尊皇言いながら天皇を利用しようとしたのはどちらも同じ
そのころ木戸なんかは、大丈夫なの?本当に大丈夫なの?って公家さんに手紙送りまくってるw
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/23(土) 22:30:59 ID:LwcFqjXU0
明治政府の会津とか幕府側についた藩への仕打ちってどんなんだったの?
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/24(日) 02:50:37 ID:79mt47t30
どうしたんだ・・・ なんか荒れてるぞ。
あの時代に生きた人たちは(一定レベル以上の人ならば)皆それぞれの「志」を持って生きたと思うぞ。
人をけなすという行為は、木戸が一番嫌っていることだと思う。
木戸は情深く優しすぎるほど優しい人だ。そんな木戸のスレなんだからもっと対象を思いやろうよ。
>>229 結果論的にいうと、藩主は一人も死んでない。
>>225-230 自己レス6連発は、さーすがに初めて見たわww
そりゃスレも止まる罠wwwww
>>230 一体何を言いたいわけ?
松菊木戸孝允を名誉毀損しまくってるクズの国賊どもを
在世中から厳しく嫌っているのは松菊木戸孝允自身。
そういう国賊犯罪者どもにも優しくするのが木戸ファンだと?
さっさと氏ねよ。
一体どこまで甘え腐ってるんだ、反木戸の国賊名誉毀損犯どもは?
最近見かけない脱糞君が懐かしくなってきた。
この自演君は自分のレスに特徴がある自覚はあるんだろうか
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/24(日) 12:41:12 ID:x7JpLL8s0
>>231 その後の政治でその地方の人を弾圧したとかもないのかな?
なんか明治政府悪者にするときそこあたりを盛り込むマンガとかあったけど。
会津スレにでも行けば?
藩の借金帳消しにしても米や金を援助しても弾圧されたって話の方が聞きたいなら
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/24(日) 20:36:46 ID:x7JpLL8s0
いやそういうんじゃなくて木戸がした一番汚い事ってなんだろう?
って思ってさ。綺麗事だけでやれたわけじゃないだろうし。
大久保だって暗殺の疑いあるし。ていうか大久保は西郷すら暗殺しようとしたみたいだし。
西郷だって竜馬や大村を暗殺した疑いがあるしさあ。
そういうの木戸にもあんのかな。
とりあえずそういう質問したいなら
ageてるってだけで反感くらうかもしれないから気をつけような
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/24(日) 20:53:18 ID:juG3N6+J0
>>237 うろ覚えだけど、NHKで去年だか奇兵隊のやってて、
維新後だかに反乱に加わったのがけっこういて、木戸に大量に処刑されたってやってたな。
汚い話っていうか、情け容赦ない話か。
寄兵隊の残党鎮圧は苦渋の選択だったとなんかの本で見たがどうなんだろ?
そういうのなら四境戦争時の第二奇兵隊の粛清とかもあるけど、それは汚いというのか?
新撰組の内部粛清とかも汚いってことになるぞ。
別に汚い話じゃないよね
苦楽を共にした仲間に冷たいんじゃないのって話ではあるけど
仲間だったからといって見過ごしていいって話でもなかったし
むしろ地元だからこそ甘くできなかった部分があるんじゃない?
木戸は日記で他人を陥れたことはないって書いてあるね
それが本当かどうかはわからんし、流石に長井失脚辺りは何かしたんじゃと思う
ていうか連日木戸の粗探ししたいだけの質問してくる奴はなんなんだ
自分で史料を持ってきて議論を吹っ掛けるならまだしも
自分の木戸sage妄想の根拠になるエピソードない?って知るかそんなの
ドライになるべき時はドライになれるって所が
すばらしいと思うんだが
244 :
237:2010/10/24(日) 22:16:45 ID:x7JpLL8s0
>>242 俺の事?別に粗探ししたいわけじゃないよ。
俺は幕末明治の人物では木戸が一番だと思ってるし。
ただまだあまり知らないから今後そういうどす黒い部分とかを
知ってがっかりしたくないためにあえて聞いてるんだけど。
がっかりしたくないからって、よう分からん
聖人君子を求めるなら激動の時代の政治家なんて求めるなって事だし
殆ど自分で何も調べずに木戸を一番だと思ってる根拠が知りたい
とりあえず本読むのが面倒なら、ネットで調べるだけでもある程度分かるよ
広澤暗殺の嫌疑に関しては、動機とされる部分がアレ過ぎるしなぁ。
そもそも、参議就任を固辞して広澤を参議に推したのは木戸だって言うw
広澤と木戸の折り合いが悪ければ、岩倉と大久保さんもやる気が無い前原じゃなく広澤担ぎあげるわな。
やっぱ厳しい部分は諸隊反乱ぐらいかなぁ。
ああ、あと大概の殿様と仲が良いが、某久光公の事は大嫌いw
>>246 維新に貢献したんだから長州藩はオレたちを藩士として召し抱える義務がある!とかがそもそも滅茶苦茶な話。
彼らに無償で武器を与え訓練を施し糧食を与え続けていたのは長州藩。
そういうことができたのは藩士たちへの人件費(禄)を削って収入を温存してきたから。
長州は松陰先生はじめ半農の武士が多いんだからw
今でも、
山口県に貢献してやったんだから山口県はオレたちを公務員として雇う義務がある!
と押しかけて騒ぎを起こす連中がいたら、そりゃ山口県庁は大迷惑w
結果論だが、2年おとなしく待ってるだけで優先的に御親兵になれただろうに、
随分もったいないことをしてしまったもんだ、騒ぎを起こして処罰された諸隊の人たちは。
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/25(月) 14:51:37 ID:OANrwwQRO
奇兵隊は、高杉晋作が創り木戸孝允が、滅ぼしたのかな。
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/25(月) 15:17:48 ID:H+vuVsTf0
庶民は後回しにされて士族のほうが優先的に採用されたんじゃねえの
元奇兵隊士粛清って詳しくはどういう事件だったの?
萩の乱とは全然別?
>>248 高杉研究者の一坂によると創設当時から奇兵隊は矛盾というか歪みを抱えていて
高杉死後にそれがどうしようもなくなってああいう顛末になってしまったみたいに書いてたな
高杉日記に書いていた事を流し読みしただけだから詳しくはわからんが
一坂太郎って人、萩の博物館の人なのに、
長州の悲惨な面をことさらアピールして何がしたいんだろうねw
観光なんだから美化しなきゃいけないのにw
観光史学者ではなく、研究者なんだろう。
>>250 萩の乱はなんっつーか、士族のそれも極一部によるもので、市井の同情すら得られなかったからなぁ。
木戸や伊藤や井上もとうに予測していて、最早前原が哀れになるレベルw
ちなみに木戸さんも密偵ぐらいは使ってたようです。当然か。
>>247 まぁあれを鎮圧したのも藩に残った諸隊と毛利の支藩兵だから、結局はリストラの不満だったんだろうな。
反乱起こした時点で厳罰は仕方ないとは思うが。
彼を重用してる、山口の人がおかしいのか。
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/25(月) 20:10:35 ID:Rr8YEBpQ0
前原ってけど維新十傑に選ばれたりしてるんだよね。
あと広沢ってのも永世録1800石で木戸と一緒でしょ。
多分明治時代の評価なんだろうけど、よくわからんね。
廣澤と木戸の東京での家は近かったよね
ほんの2、3軒隣みたいな
維新前も後も結構仲良かったイメージなんだけど何で暗殺犯扱いされたのやら
当時からそういう噂はあったらしいね。
まぁ広沢が参議になったのは明治3年の政変未遂の直後だから、
別に木戸を押しのけた訳ではなく、当時革新派の本尊だった木戸も参議になろうと思えばなれたんだが。
つか、当の政変仕掛けた大久保さんが、木戸を参議にしよう参議にしようと煩かったw
あの政変のあと、参議になれっていうのを断って広沢を推薦したのは木戸自身だろ。
明治三年の十月ぐらいから、十二月に木戸が山口へ経つまでの間、木戸と広沢双方の日記を見ても
それまで以上に頻繁に行き来があるしいっしょに出退勤したり親密だがな。
何かあると勘繰りたい奴ってのはいつでもどこにでもいるってことだろ。
>>254 都合の悪いことは書くなってか?
会津観光史観並のメンタリティだなw
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/26(火) 10:09:18 ID:iAZExLNT0
>>259 少なくとも、萩博物館員の立場の人が、外にむけて大々的に宣伝する類のもんじゃないだろ。
歴史なんて立場が変われば正義か悪かまで変わるようなもんだろ?
あら探しをして、まとめあげれば、事実というお墨付きをもって意図的に悪くも描けるしな。
奇兵隊に関しては別に悲惨な面を強調とかそういう話じゃないと思うけど
片手落ちみたいな印象はちょっとあったかな
木戸スレ的には一坂といえば正太郎くんだっけ?の実子説の根拠を
ちゃんと出したのかが気になるところ
まあ暗部も正視する必要あるよな、と思っていたが、日本史リブレットの『木戸孝允』で
木戸書簡をあまりにこじつけな引用しててがっかりした
「政事之為には甚邪魔物なり」ってやつ
結局木戸を悪役認定したいだけかよ一坂はと
〈一坂太郎〉1966年生まれ。大正大学文学部史学科卒業。専攻は日本近代史。萩博物館特別学芸員ほか。
こいつも、文武両道の「神」松菊木戸孝允を上から目線で論じてよい資格など全くなしp
木戸孝允を上から目線で語れる資格ある人はいない
小五郎が、3人の捕吏に追い詰められた際、捕吏1人を切り捨て残りの二人が遁走した話が
「木戸松菊遺芳集」に載ってるけど本当なのだろうか?
広戸直蔵という人物が小五郎から直接聞いた話らしい。
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/28(木) 02:12:27 ID:7JjZyPYD0
>>266 本人が言ってるならそうなんじゃないか
桂小五郎と坂本龍馬は人殺ししてないから好きです!
みたいな事いうスイーツじゃなきゃ気にせんでいいだろ
このage厨いついなくなるんだろ
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/28(木) 23:18:04 ID:cVo7b2uH0
長州藩って人斬りいないよねえ。
いてもおかしくなさそうなのに。薩摩なんて明るいやつらみたいな印象だけど
有名な人斬り二人もいんじゃん。
>>269 久坂が武市達に交じって人斬りやってたけど?
桂は池田屋にいた説の信憑性ってどうなの?
ネットでググっても、意見が分かれてるみたいだけど。
>>269 神代直人とか。
有名なのは大村暗殺のみだけど、それを言ったら中村半次郎だって赤松暗殺くらいしかない。
河上も佐久間暗殺で有名なだけだしな。
岡田田中は何件もやってるようだけど。
>>271 >桂は池田屋にいた
あり得ない。
新選組襲撃時に桂小五郎が池田屋にいたかのように妄言を吐いている乃美織江の手記は、
京都留守居役というポスト争いで11歳年下の桂小五郎に負けた
長州俗論派の中ボス乃美織江(長州俗論派政権で直目付として長州正義派志士たちを弾圧しまくった国賊の1人)の、
長州正義派トップ桂小五郎を何とかして貶めようとする意図的な名誉毀損に過ぎない。
乃美織江が手記で桂小五郎本人から聞いたとも誰から聞いたとも言えていないことからも明らか。
1階の屋根伝いとも2階の屋根伝いとも言えていないことからも明らか。
そもそも屋根伝いに対馬藩邸まで逃げること自体が地理的に不可能(間に1本の水路と1本の通りがある)。
屋根から地面に飛び降りて新選組・会津藩たち片っ端から斬り払って逃げて行った剣豪が1人いたという記録も全くない。
そもそも屋根伝いに逃げられるような1階の屋根が池田屋の最も信頼できる見取り図によれば、ない。
天井裏に隠れた者が1人いたというほどに1階の屋根にも2階の屋根にも逃げることが不可能だったこと、
新選組が池田屋の周囲を固めた上で襲撃し志士たちを1人も逃さなかったことが、
永倉新八『浪士文久報告記事』にも記されている。
そういうことを知らなくても、
新選組襲撃時に桂小五郎が池田屋にいて逃げられたのだとすれば、
池田屋にいたほとんどの志士たちがリーダー格の桂小五郎に護衛の意味も兼ねて付いて行き、
対馬藩邸まで辿り着いた者が10人はいたはず。
しかし、ただの1人もいない。
よって、新選組襲撃時に桂小五郎が池田屋にいたということ自体が全くあり得ない話。
以上より、この問題は、知能指数や人格障害の問題でもある。
新選組の池田屋襲撃時に桂小五郎が池田屋にいたなどと妄言を吐ける人たちは、
自分自身が極めて低脳の国賊あるいは虚言癖のある反社会性人格障の国賊であることをわざわざ自己証明してくれているだけp
>>273 だよな〜
激しく同意。
既に問題は山口県庁の公務員ども。
長州正義派政権の山口藩庁の後継組織である山口県庁が
とっくの昔にNHK等に対して松菊木戸孝允の名誉を守る名誉毀損裁判を起こしていて当然のところ。
一体いつまでバカ面下げているつもりなのか、山口県の低脳国賊公務員どもは・・・・orz
どんだけ国賊が好きなんだよw
なんで乃美がそんなに悪役にされてるの?
釣りだから
>>276>>277 乃美織江は、正義派の志士たちを処刑しまくった俗論派の正真正銘の悪役の1人なんだが。
この時代の政争なんてそんなもんで善だ悪だの話じゃない
闇討ちや暗殺なら話は別だが
>>279 低脳国賊はさっさと死んでくれ。
戦争で負けたわけでもないのに
異勅の不平等条約を自ら進んで無理やり推し進めた屈辱外交推進派は、
何重にも国益と日本人の尊厳を損なった史上最低最悪の国賊。
なんか変なのが住みついちゃったな。
最近の俺の常駐スレはこんなパターンばっかか。
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/29(金) 21:50:01 ID:pY6tpvML0
伊藤のせいで木戸の評判がガタオチになってるよねえ。
大久保と木戸じゃあそんなに大久保の方が凄かったのかね。
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/29(金) 22:06:37 ID:Y+1Kp6hUO
大久保と木戸の性格の違い。
大久保は他が提案したことを問題が多少あっても、やらせてみる。
木戸は、いろいろと問題点を指摘し修正させようとする。
提案する側から言えば大久保に人気が集まるのは仕方ない。
でも、本当に日本のためになるのは……?
まあ伊藤は世渡り上手だし結構プライド高いから
最後まで自分に対して上から目線な木戸にはイライラしてたんじゃね
要は自分のすることを評価してくれなかったってのが不満の元だったみたいだし
評価してるじゃん。かなり強引に参議に推薦したりして。
井上じゃなくて伊藤だったのよあの時点で木戸が参議にしたいのは。
伊藤が一番イラついてたのは、隙あらば長州に帰ろうとする木戸さんの引き留め工作だと思うw
いや伊藤は評価だってしてるじゃないか
あればかりが有名なったんだよ、例のごとくどっかの長州嫌いな歴史作家(笑)のせいで
伊藤は散々振り回されてるし、あれはちょっと零れた愚痴だと思うんだがなあ
あれは取材とかで直接伊藤が証言しているのではなくて、孝正に語った話なんだよね?
来原の息子でもあるし、身内(同然)ゆえの愚痴だろうし仕方ないんじゃない
しかしその証言のみでキャラ付をしたような小説家の作品が流行ったばかりに、
そのイメージが濃く残ってしまった
なんか晩年には木戸に好意的な漢詩詠んでたな、伊藤。
>>288 あの話って、ソース見たことないんだけど、どこから司馬は引いてきたの?
伊藤の伝記かなんか?
トンクス
そっか大久保さんの逸話集なわけか こんど借りてみるわ。
>>287 伊藤の回顧録は高杉ほぼスルーって話だけど、例の墓碑の印象の方が強烈だしね
まあそんなもんだ
醒めた炎読んでるが思いの外地味で読み進めるのがダルくなってきた
>>294 醒めた炎は最初は読み辛かったけど読み進めるにつれて面白くなってきた。
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 19:18:42 ID:KQ2MyBjG0
みんなよくそんなに醒めた炎読めるな。
古本屋5件ぐらいまわったけどどこもおいてなかった。
>>296 つ図書館:
私は図書館で借りて読んだよ
>>296 神保町廻る余暇が無いのでkonozamaで買った。
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 03:04:54 ID:ldXXAcnn0
遅レスですまないが
>>258 うん、廣澤と木戸は仲いいよね。つか木戸廣澤好きだな〜〜と日記とか書簡読んでて思うよ。
木戸が廣澤に「酒ひかえたほうがいいよ」とか(説得力ゼロ)、刀のこしらえ長々と頼んだり。
廣澤のほうは、長州人の例に漏れず酒と女好きだが、木戸のように喜怒哀楽を素直に出す男ではなかったようだ。腹芸も木戸以上にできそうだ。
そういうところがが同じ政治家として廟堂に立つ者として、木戸は心強かったのでは。
廣澤は木戸のことどう思ってたのかね。結果的にしろ木戸、廣澤が手塩にかけて育ててきた民部省を潰すことに加担してしまってるようだし。
不満ではあったろうが木戸のあの人柄では憎めんからなあ・・・
しゃあないやつ、と思いつつ木戸の身代わりの長州代表として廟堂に立ってたのかな(だからこそ木戸は自由に動けた)。
暗殺の少し前に木戸に出し、廣澤遭難の報を聞いて木戸がその夜読んで泣いた廃藩置県賛成の手紙はじーんとくる。
「醒めた炎」下巻では大村と廣澤の遭難のページを読むのの辛かったこと!ほんとなんで木戸の必要な人間ばっかり・・・
大久保からもちょっとは奪ってやってくれ(後で大きな代償払ったけど)。
>>263 そういう人が萩博物館特別学芸員だったのか・・・
>>299 レストンクス
うん、広沢と木戸は仲いいと思う。
広沢んちで宴会やるとき木戸と山尾は夫婦で行ってるよね。
いくら夫婦仲がいいっていっても、さすがに旦那同士が円満じゃなきゃできないと思う。
広沢は奥さん山口に残したままだから、手伝ってやってるのかもしれないけど、
少なくともそれをできる気安さがある。
広沢は、政策や提言とか見ても実情をよく見てて地に足がついて変な偏りがないから、
当時はやや前のめりだった木戸のバランサーになってて、いいコンビだったと思う。惜しいよなあ。
I坂氏は、いい仕事もしてるとは思うけど、研究者ってほどの緻密さを感じないんだよね。
上のほうのレスにもあったけど、松浦氏も趣旨とずれた論文引用されたと苦言を呈してて、
あーやっぱ、と思った記憶がある。
もちろん学者だって専門外はアレなのはよくあることだけど、
脱退騒動とかの諸隊問題は高杉とならんで力を入れて研究している分野だと思うんだがね。
木戸は甘かったとか実態をわかっていなかったとかいうんならまあそうかもねと思うし、
木戸が脱退騒動の首謀者たちにどう思われてたかって話ならぜひご教示くださいってもんなんだが。
木戸のスタンスについては結論が先にあって裏づけを探したんだろうなという匂いがぷんぷんする。
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 09:17:49 ID:wucbLSfk0
ていうかみんな木戸知識がすごすぎない?
どこでそんな知識仕入れてるの?
自分も、オススメ書籍を教えてほしい!
ネットで検索しても良くわからないし、醒めた炎は絶版だし・・・
木戸関係書簡や日記を除けば、とりあえず醒めた炎や木戸マニアの祖・妻木忠太の著作じゃないか?
一部は、地方の書店とかが地味〜に刊行したりしてる。
しかし神保町なんかでもそうだが、こういう所は6000円?安い!という感覚になるからヤバイ。
醒めた炎は割と入手しやすい方だな。
だが木戸松菊公逸話なんかは……(´;ω;`)ブワッ
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 19:42:46 ID:CSruAqwP0
日記では、不幸にも離縁になったらしい、“廣澤の娘”の再婚先を見つけて
結婚させているけど、この娘ってやはり広沢真臣の娘なのかな?
松菊公逸話系は近くの大学に行って、外部貸出登録をすれば貸してくれたりするよ
多少金と労力はかかるけど、実物購入よりは断然安いw
初心者にもやさしい本に、木戸は本当に恵まれてないよなあ……
醒めた炎以外の小説なら、司馬の花神あたりはいいと思う
たまに意味不明のさげが入るけどwまーしゃーない
昔、長州でまずは高杉に興味を持って高杉の小説本を続けて読んだとき、
高杉と桂は仲が悪いか、そうでなくてもあまり良くないものと思ってた。
後で資料にあたって「え?全然違うじゃん??」と思った記憶があるよ。
小説だから資料に何から何まで忠実でなくてもいいし、色々解釈も
あるだろうけど、どうしてああなるんだか。
史料なんてロクに調べずにイメージだけで書いたんじゃない?
史料を調べてたら高杉と桂が不仲とか思い付かんでしょ
下関召し上げ問題で突き上げ食らって愛人と旅行に飛び出した高杉さんかw
木戸の帰還を知ってからいそいそと帰ってきてたな。
本当に嵐の様な人だと思うわw
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 02:47:47 ID:icZczoXA0
>>306 む?廣澤の娘?
「醒めた炎」見ると廣澤は木戸と同年齢、暗殺時39歳。「醒めた炎」の年齢叙述は数え年だから、今は38歳と記述されるのが多いだろうな。
離縁だから年頃の(十代後半)年齢には達してるはず。
仮に嫁いでしばらく経ってから離縁されたと仮定して20歳とすると、廣澤19の時の子か。充分ありえるな。廣澤という苗字もそうあるものとは思えないし・・・
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 11:09:26 ID:0f7nsjPK0
明治7年の事だから、やはり広沢真臣の娘の可能性が高いのか・・・
木戸さんって遺児の面倒もみているけど、
結婚の仲人もよくしているよね。自分家で披露宴してあげて。
結婚させる為だけに養子にしたこともなかったっけ?
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 14:38:02 ID:4QOyROnl0
木戸の性格でさよくある
「暗くて冗談が分からず友達がいない」
ってのはどこから来たんだろう?
>>314 司馬の小説からとかかな。自分も醒めた炎読むまでは暗い人だと勘違いしてた。全力で謝りたいくらいだ。
司馬は全く…と毒づきたいが、まあそんな悲観的にならんでもいいんでないの
どっかの企業がやったアンケートでは一緒にお茶を飲みたい人5位だったんでしょ
根暗キャラが浸透しきってたらそんな項目でランクインしないと思うw
司馬遼太郎は史上最低最悪の名誉毀損作家かつ国賊
NHKは史上最低最悪の名誉毀損放送局かつ国賊集団。
まぁ、そういうことで勘弁しておいてやろうか・・・・。
302です
情報ありがとう!今度探してみます
好意的な大隈の証言読んでも、愚痴魔だったのは事実のようだがw
でも陰性で暗いってイメージ植えつけるにしては、ヒョイヒョイ出歩き過ぎだなこの人。
まぁ司馬遼は研究者ではなく所謂小説家なんだから仕方ないだろう。
>>313 江川英武の身内だったかな。妹だったかもしれない。
なんで一坂や司馬に嫌われてるの?
なんで猪一郎に好かれてるの?っていうのと同じ位意味のない質問ですな
司馬はそもそも長州そのものが嫌い。
一坂や多くの作家は高杉至上主義。
パッと見、高杉はやっぱり派手でウケる要素多いしね。
極端に言えばそういう事かと。
ていうか確か作品にするまでは司馬は土方のことも好きになれないと言ってたような
作品発表後も「僕の土方」という言い方をして
あくまでも史実の人物と自分が生み出したキャラとは区別していたのではないか
という話は聞いたことがある
司馬作品での木戸像は徳富蘇峰の木戸観を
下敷きに肉付け脚色したものと思われ。
「近世日本国民史」をネタ元にして作品を
描いた歴史小説家は多い。
あーたしかに大阪会議のあたりなんか蘇峰そのままだと思ったな「翔ぶ〜」読んで。
木戸が引っ掛けられてる感が強めてあったぐらいかなw
維新の主役は坂本龍馬ではなく、長州の木戸、薩摩の西郷と大久保だな。
「維新三傑」とは誰が言い出したか知らんが、的確な人選といえる。
国賊とか言いたがるのは煽りってことでスルー
>>327-328 スレチのくせに何粘着して甘ったれてんだ? しかも自演でp
明治維新がなければ、横浜・長崎・神戸・函館・新潟は、そのまま植民地という危険性があったわけだから、
また当然、国辱ものの不平等条約もそのまま続いていた危険性があったわけだから、
本土の領土が奪われてもいい、日本国民全員に屈辱を味あわ続けたい、みたいな路線の発言をする輩どもは全員、自動的に、
史上最低最悪の国賊と扱って全く何の問題もない。
一体何の文句があるんだ?
露骨に史上最低最悪の国賊路線を選択しているアフォどもは自分自身の責任でその国賊路線を選択してるんだろ?
甘えるのも大概にしろ、ボケェ
まだいたのか国賊君w
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 09:00:34 ID:sLFDIUzF0
木戸孝允が国賊呼ばわりした人はどれくらいいるかな?
>>326 いい悪いということとは別にして
竜馬みたいな、どこともしがらみの無い人の方がフィクション的に扱いやすいのかもなぁ
>>324 最近徳富蘇峰を読んでいるが、男性的な剛の大久保と比較して柔の木戸をこう書いているね。
>彼はややもすれば感傷的になりやすく、往々愚痴を言う癖がある。木戸ほどの大政治家にして、
どこやら女学生の体臭が不用意に発散させられたようである。(近大日本国民史 明治三傑p.446)
木戸の感情を「ややもすれば女性のヒステリーに類するがごとき」wとまで言うところもあるが
それでも司馬の同類の言より受け入れられるのは、女性性への偏見は仕方がない時代ではあるし
何やら色気を感じる表現だし、格調高い文で相当持ち上げてもいる部分も多々あるからだろう。
>彼は自ら長者の風あり、何人よりも尊重せられ、朝に在りても野に在りても決して第二に下らない
だけの品位を備えていた。たとえて言えば鶏群の一鶴ともいうべきものであった。(同書 p.300)
ちなみに下のような評価は司馬はほとんど無視しているのではないか。
>およそ木戸の東京の邸内には後進の士が、寄宿舎というても差し支えないほどに集まったようである。
(中略)士を愛するの点においては、何人も木戸に及ぶものはなかった。(同書 p.448-449)
どっかで後年木戸家を訪れる人も絶えたことになっていたからなあ…
司馬スレでやれ
>>331 木戸孝允が、というわけではなく、尊王攘夷の志士たち全般が、
中川宮・一会桑・壬生浪を「賊」呼ばわりしてますがな
336 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 10:12:53 ID:POIZdMNa0
さすがの木戸さんも高杉の遺児の勉強嫌い
には手を焼いたそうな。
>>336 高杉晋作の子孫は、今でも残っているの?
木戸孝允の血の繋がりのある子孫は、残っていないだろうな。
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 22:38:12 ID:Wo5d7seA0
>>336 ソースは?
明治4年6月から2年あまり東京で預かっていて、木戸外遊中は河瀬真孝の家にいる。
河瀬夫妻(嫁は木戸の養女江川英子)の手紙には、勉強にはげんでいると書かれているが・・
萩に帰ってからも、梅之進から木戸宛の手紙にも本を送ってくれと書いている。
むしろ勉強嫌いは正二郎では?
早くから留学したため漢字にうとかったようで、木戸宛に毎日でも手紙を書くよう言っても、
本人にその気がないと松子宛の手紙で嘆いているが・・・
明治政府が大政奉還で宗教勢力の土地を没収したのは誰の功績でしょうか?
家康ですら手がつけられなかった宗教勢力にメスを入れたことは凄いことだと思います。
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 07:44:01 ID:gDF1+/Br0
大久保は木戸の事をたよりにしてたのか。それとも立場上政府に置いておきたいだけだったのか?
どっちだろう。司馬小説だと後者なんだけど。
>>306 広沢真臣の娘だよ。長女の千代子で狛林之助に嫁がせている。
あと次女満壽子と三女寅子。この三人は夫人の子。金次郎は妾カネの子で広沢の死後誕生。
広沢家も慶応元年から山口の糸米村に住んでいる。東京でもすぐご近所さん。
家族で仲が良かったらしくて、明治三年二月木戸の留守中、
広沢日記では河瀬秀治の結婚式?に松子と一緒に出かけている。
木戸が留守でも広沢家の宴に松子だけ召し呼ばれたりと逆に仲が良すぎて心配するが、
もと芸者さんだから座の取り持ちが上手かったのかな。
お妾さんのカネさんも一緒に居るのだろうけどね・・・。
>>340 どっちもだろう
木戸と大久保の思想は根本的には一緒なんだよ。
それが漸進なのか急進なのかでものすごい差になってるんてあって、それは二人共承知の上。
ある意味木戸は大久保のフィクサー的役割をしてたんじゃないかと思うんだが。
あとはまあ、薩長のバランスももちろん、世間では木戸に名望があるようだから(大久保談)
批判緩和や不平士族に担がれないの為にも政府にいてほしかったろうな。
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 18:37:21 ID:76eP4Lme0
世間では木戸に名望があるようだから(大久保談)
ここを詳しく知りたい。当時の木戸は庶民とか民権派から
どう思われてたのか知りたい。
自分で調べれば
人気度というか名望家というか、明治中期のポスターでは、
木戸が1位で、大久保は5位だったな。2人とも最上段だったけど。
>>341 へええ、そうなんだ。カネさんって暗殺がらみで嫌疑受けた人だよね? 妊娠してたんだ!?
そうそう、広沢も山口の家は糸米なんだよな。近いのかなって思ってた。
木戸は帰藩時には広沢の留守宅たずねてるし(広沢生前も死後も)、
広沢は死ぬ数日前にも木戸の留守宅に年始に行ってる。
広沢んちに殿様来るのに、東京治安関係のことで英公使館のディナー行かなきゃで、
木戸夫妻が代わりに広沢んちで殿様接待したりもしてるね。
松子さん広沢んちに日常的に手伝いにいってたのかもな。
慶応年間から家族ぐるみで仲いいのかね。
木戸と広沢は数えだと同い年だから、明倫館時代にもある程度交流があったかも。
そこんとこは資料がないから想像の域をでないが。
そういや広沢あとつぎの妻も木戸あとつぎの後妻も山尾の娘だね。
ここも家族ぐるみで仲良かったからかな?
>>343 木戸と新聞界のかかわりについての論文で、
木戸が新聞に建言書を載せちゃったり、
福知とかが木戸の漸進論マンセーな記事を書いたりしたことで、
漸進的開明政治家としての木戸像がほとんど一人歩きするほど
新聞界や民衆に定着していったってあったな。
専制的政治家・大久保の対立者として。
だから下手に廟堂を去られてしまうと、民権派の政府叩きが激化する。
>>340 佐賀の乱で大久保がすっ飛んでった時、わざわざ大久保自ら出向いて内務卿兼務を依頼したのが木戸。
名目だけの頭に、大久保が居ない政府の内務卿は任せん罠。
関係ないが、何気に木戸邸に桂太郎が居候してて噴いたw
349 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 08:39:43 ID:+sOA9rUm0
>>347 火鉢事件の時にニコポンも松子さんと一緒に部屋に駆けつけてなかったっけ
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 19:22:04 ID:U2XNZ946O
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 22:38:04 ID:3TWSz4jb0
木戸は最後のほう西南戦争に行きたかったらしいが。体がもう少し丈夫だったら
西郷VS木戸ってなってたのかね。
age厨まだいたの
>>352 政治家が軍を私することを恐れてた木戸が、進んで軍を率いる訳がない。
そもそも陸軍卿西郷の参議就任に反対し、山縣が陸軍卿兼務で参議に就任することに反対したのもその為。
諸隊反乱はたまたま現場に居合わせたのと、中央政権が不安定な時期のため
長州藩内部のみで速やかに解決すべき必要に迫られたから。
そういえば西郷下野後、木戸に近衛都督陸軍卿就任の話があったが固辞したってのは本当なんだろうか。
というか木戸は西郷を説得するつもりだった訳で
まあ十中八九無理だったろうとは思うが
>>354 それって政変後に政府強化のために参議が卿を兼任することになって、
大蔵卿やら司法卿やらからどれかにって要請されたときの選択肢の一つだろ。
まあ西郷下野で兵が動揺している軍関係は真剣に実力者を置きたいからこそ木戸に話が来たのだが
木戸の兵政分離の主張をよく知っている伊藤までが軍関係を勧めている
木戸はたしか参議が卿を兼任すること自体よく思っていなかったようだが
結局は文部卿ならってことで受けたという経緯だったかと
まあ絶対ないだろうが、木戸がそこで陸軍卿受けてたらそれはそれで面白い展開だな
山田も陸軍残っていただろうか
徴兵令とかって木戸ってどんな意見だったっけ?
>>339 宗教がらみはあまり語られないけど
地味に大きい仕事だった
>>354 >政治家が軍を私することを恐れてた木戸
ちがうよ。
軍人が政治家を押しのけて暴走することがあり得ることを経験上も知っていたので
政治家と軍人の逆転現象を危惧していただけで。
>進んで軍を率いる訳がない。
ちがうよ。
西郷(軍)と交渉ないし対決することを真っ先に自ら明治政府の面々に申し出ている。
木戸の要望通り木戸が鹿児島に行ってたら、
西郷が薩摩軍を率いている以上、木戸も政府軍を率いざるを得ない。
そんな構図になったら明治政府は根本的に瓦解してしまうと感じたのか、
大久保や伊藤が大慌てで、大久保が木戸の代わりに私が行くと説得して押し切ってしまったんだが、
結局、木戸以外、誰も西郷(軍)と平和的な話し合い解決をしようともしなかった。それだけ。
>陸軍卿西郷の参議就任に反対し
ちがうよ。
明治4年6月、木戸は大久保や西郷や山縣らに一人だけで参議をやるようお願いされていたんだが、
木戸はそんな独裁体制は好きではないので(読まれていた?w)、
木戸は、まず薩摩の代表者として西郷が参議になることを求め、
翌7月、西郷が実務に明るくないと言う理由で肥前の代表者として大隈重信が参議になることを求めた。
そしたら今度は西郷が土佐の代表者として板垣退助を参議にするよう求めたので、
薩長土肥の参議が一人ずつ揃って一見格好いい参議内閣が出来上がったw
しかし、木戸が外遊に行っちゃうとこの参議内閣は、木戸の穴埋めやら勢力争いやらで、
外遊組と留守組の約束を破って滅茶苦茶な膨張をしてしまい、ほとんどが征韓論で下野。
大久保と木戸って欧化主義に対してどう思っていたんだろう?
井上馨と同じ立場で、日本の伝統や文化は破壊しても構わないと
思っていたのかな。
木戸関係のどんな史料を読んだらそんな感想抱くんだ
その井上に安易な欧化を戒めてる訳だが
>>360の内容は大久保スレにも書いてたよ
最近揚げ足取り質問が多いね
>>354 木戸が反対したのは西郷の参議就任ではなく、
西郷の陸軍元帥(後に大将)就任の反対だな。参議と兼任になってしまうから。
外遊中だから反対したところでどうしようもないけど
>>342 > 木戸と大久保の思想は根本的には一緒なんだよ。
> それが漸進なのか急進なのかでものすごい差になってるんてあって
漸進か急進かもそうなんだけど、木戸と大久保の差は
衆議か専断かの違いが大きい気がする。
漸進と急進は、洋行前後で二人の主義が一見入れ替わっているんだけど、
衆議か専断かは、二人の主義は一貫して変わらず対立していると思う。
明治二年の待詔院学士問題も、洋行以降の対立も、根本はそこかと。
やるべきと思っていることは基本的に同じだとしても、
いろいろな案に対し、よいと思ったら判子だけ捺してまかせてしまい
衆議にかけたり、第三者の目を通して問題点をつぶしたりしない
また意見の違いを調整するのではなく
最初から意見の対立をなくした状態でのスムーズな政権運営を最優先する
大久保の姿勢が我慢できなかったから木戸は反発した。
自信家の官僚たちはもちろん大久保のやり方がいいわけだがw
あとどこかで、当時は
権力を分立させる=対立する政治勢力を増やす
っていうことだったから、
木戸の唱える分権の意味がみんな分からなかったって読んだな。
木戸と大久保が仲悪かったみたいなのは元はなんなんだろ?
木戸もさすがに薩摩人全員嫌いだったわけでもないんでしょ。
後木戸の評価下げてるのって松陰の評価が高杉久坂伊藤と
比べて微妙な所なのか。松陰も桂に期待してなかった感じみたいだし。
>>365 は?
「桂小五郎はぼくの無二の親友」みたいなことを松陰は桂小五郎について語っている。
>>366 それ人物の評価じゃないじゃん。桂君とは友達だよって言ってるだけでしょ。
てゆーか松蔭はひたすら桂を信頼してるやん
何をもってして期待してなかったとか言ってんの?
だから信頼してるとかじゃなくて、高杉久坂の人物評に比べて
木戸のはなんか印象にも残らないじゃん。
>>367 さっさと氏ねよ、低脳国賊は。
友人関係は人物評価の極めて重要な要素。jk
そんなことも知らん藻前には友人とか親友がただの一人もいたことないんだろ。
藻前は、さっさと氏んで畜生にでも生まれ変わったほうがいいんじゃないかp
藻前みたいなヤシが人間様の歴史をいくら調べたところで無意味かつ他の人にとって有害無益。
大体、文武両道の神かつ『無二の親友』である桂小五郎(木戸孝允)を、
文武両道ではない松陰先生が評価するなどという失礼で不可能なこと出来るわけないだろ。
そんなん知らんよ。
木戸には足りないんだよ。他人の評価が
久坂なんかなにもしてないのに。周りの評価が高いからすげえ人物みたいに
なってるじゃん。、
高杉なんかは伊藤が「動けば風雨の如く」とか格好いいの書いてるし。
西郷なんてそういう人の評価の塊じゃん。
木戸にはそれがないんだよな。悲しいけど。
>>369 そら村塾生を見送る際の送叙で微妙な人物評価してどうするよ
それとも桂は送叙ですら微妙なことを言われてたのか?
それ以前にそういう関係ではなかった筈だけど
>>371 その伊藤が「神」として扱ったのは、高杉ではなく木戸とか大久保な.
>>371 その伊藤は別の時に「高杉なんて大したことない」とのたまって
激怒した同郷の人間に叱りつけられたと聞きました
あおりに乗るのもなんだけどさ。
久坂や高杉の評価を松陰が細かくしてるのは、指導の意味もあってだろ。
松陰は桂を弟子ではなく友人として扱っているから、そういう意味での評価はあまりしていない。
しかし藩庁に桂を登用するよう推薦したり、桂に江戸に行く弟子たちの世話を頼んだり、
弟子たちにも桂は自分が重んじ信用する人物である、と頼るよう促している。
木戸への高い評価を書き残している人物だっていっぱいいるぞ。
まあ文官だし温和な人物の木戸への評は、高杉みたいに勇ましい表現にはならんのは認めるがな。
西郷みたいなマンセーは恥ずかしいから要らん。
>>365 あと大久保への木戸の反発は、
・話し合いで紛糾するよりも有司独裁のほうが政権は安定する
・多少やりかたがまずくてもやってしまえ、起きた問題は後世の人間がなんとかする
・鹿児島は手をつけると厄介だから半独立状態でも放置
こういう大久保の姿勢ががまんならなかっただけ。
大久保のやろうとしている政策というより政治手法への嫌悪。
べつに薩摩を特にきらってるとかはないんじゃないか? 黒田とか酔っ払ってなければ関係良好だし。
黒田はマメに贈り物を贈ってきてたよね
大久保に関しては最初は仲がいい方だったし褒めてもいたから、薩摩だからどうとかは関係ないんじゃね
というか木戸は最初は誰のことも好意的に見てるような気がする
しかし煽るにしてもせめて日記や関係文書くらいチェックしてからにしたらどうか…
流石に日本の伝統文化の破壊云々は唖然としたわ
井上への手紙はともかく、日光東照宮の話とかこのスレで出たばっかじゃん
創作では桂と松陰て親密に描かれてるけど
実際そんなに深い交流はあったの?
桂は桂で淡々とした人だし対人評価がわかりにくい
>>378 また低脳国賊か
>創作では
って何の話?
親密じゃない相手の事を江戸に行ったら頼れと弟子に伝えるってそれどんな嫌がらせだよ
しかも自分が信頼してる人だからって注釈付きで
>>380 また同じ低脳国賊か
>嫌がらせ
って何の話? ID:TqXqf2oCO = ID:kYsjbWH00 のことか?
>>381の訂正
>>380 また同じ低脳国賊か
>嫌がらせ
って何の話? ID:AAg0Dp3nO = ID:TqXqf2oCO のことか?
380は378に嫌みを言ってると思うぞ
桂は淡々とした人って…明治元年東幸供奉で出発したとき、木戸は松陰を熱く回想してますが 日記嫁
どんな史料が残ってたら納得するわけよ
あんたが知らないだけだからまずは松陰全集や木戸文書細かくチェックすれば
そういや関係文書の5はいつになるんだ
中岡、野村靖、野村和作、乃美、広沢、東久世卿、平田、堀、前田翁、前原、春嶽公ほか松平ズ、三浦、御堀、三好、藩主父子ほか毛利ズ、
山尾、山県、山田翁、山田市、容堂公、小楠、松陰、稔麿、吉冨、和田御一家、渡辺昇 その他もろもろ パークスやパーソンもか?
禿しく楽しみなんだが全部入る気がしない
アオリくんは松陰の木戸評価は曖昧だと某小説に載っていたのでやってきました
一次史料は読めません
日記なんてどこで読めんのよ。
そういう他人の評価があるなら書き出してよ。
どんな釣りだよ
もうすぐお歳暮の時期だから木戸側からハムの人的な事をちょっと考えてみた
黒田→北海道物産の人
江藤→鶏と松茸の人
大久保→馬の写真の人
容堂公→なんかとんでもなく高価なものくれた人
>>370 その論理だと水鏡先生が伏竜や鳳雛を評価するのも失礼で不可能になってしまうな。
他人の評価でいうと勝の
「木戸は西郷に比べて小さい」発言とか。
マイナス要素ばっかなんだよな。
またでたよこの人
勝のホラ話をふりかざして批判するのはもうお腹いっぱい
過去スレ8〜10あたり読んでから出直せや
だから有名なのがないんだよね。他人の批評で
西郷なんてのは勝から英雄って言われてるし
竜馬からもなんか鐘とか言われてるし。
木戸は幕末の有名人、ほとんど全てに合ってると思うんだが
そういうのないじゃん。
大久保だってさ。桐野利明がびびったみたいなエピソードあるし。
だから、松菊木戸孝允は、
吉田松陰や坂本龍馬や勝海舟や桐野利明・・・・
にはおよそ言葉で正しく表現できかねるほどに神がかり的で偉大な人
と素直に受け止めてればいいだろ。
なぜ、そんなに人の評価にキ●ガイみたいに依存したがる?
派手なパフォーマンスしないから小説家にヨイショされなくて有名にならんのだが
だから過去スレよめ
アーネスト・サトウとか春嶽とかヒュブナーとか渋沢栄一とか各種あるからよ
>>392 > 竜馬からもなんか鐘とか言われてるし。
なんぞそれ。小さく叩けば小さく響きとかいうやつか
おまえのその頭悪そうなチョイス、投げやりな書き方がいかにも
言いがかり目的だから、まともに答えてもらえないんだよ
アーネストサトウは西郷びいきじゃなかったっけ?
西郷贔屓だったら木戸は贔屓してないとでも?
木戸に興味を持った人の聞き方ではなく、
否定するためのソースが欲しくて聞いているように見える
そんなに知りたきゃ過去スレ嫁、見方によっては否定要素もいっぱいあるだろうよ
肯定要素が欲しいんだけどねえ。
木戸派閥で一番の人物っていえば大村益次郎だと思うけど。
大村は木戸の事をどう評してるんだろう。
木戸が大村を高く評価してたのは知ってるんだけど。
教えてくれてんのに春嶽公とか無視してるんだから単に否定意見しか聞く気ないんだろ
イギリスタイム紙の木戸評でも漁ってみたら
シュンガクって木戸って維新の母とかいった人でしょ。
大名受けはいいんだよね。木戸は
>>400 容堂公しかりな
なんか殿三人で木戸邸を訪問とかしてたよね?
品があったのかね>大名受け
容堂侯に気に入られたのは、十中八九酒の呑みっぷりだと思うけどw
サトウの記述で大久保があんまり顔出さないで木戸がよく出てくるのは、やっぱり外交の仕事量の差なのかな
西郷が黒ダイヤのような「小さな」目、って描写されてて驚いた覚えがある。目、小さかったのか?
そういえば、あんなに東幸に反対してた大原卿が東久世卿と新年早々遊びに来てたんでびっくりした。
あと秋月侯とか池田侯とかよく飲んでるね。仕事もあるんだろうけどそれにしては頻度がw
まあ基本人懐こいし教養人だし、酒の飲みっぷりが気持ちよかったのではないかと。
大久保はあまり外交やってないね。英国公使館訪れたのも洋行直前が最初だったし。
維新前にサトウと交渉したりってのはあったみたいだけど。
あと、木戸はサトウに対しはっきりものをいうからよく描写されたのかも。
木戸は外国人好みの政治家なんだと思うよ。
闊達で議論好きで論理明快、開明的だが慎重さもあり、なんか身を乗り出して熱心に話してそうなイメージ。でも穏和。
サトウやヒュブナーの評もいいけど、「遠い崖」に載ってた英代理公使アダムスの木戸評もよかった。
「木戸は至って懇意なり。練熟家にして、威望といい、徳望といい、勤皇の志厚きことも衆人の知るところなり
帝王を補助し奉り、内閣の参議を統御して、衆人の異論なからしむるは、大久保といえども及びがたし
木戸の功は、大久保の如く顕然せざれど、かえって、大久保に超過する功多し。いわゆる天下の棟梁というべし」
ラブラブだな春嶽
大政維新は成就した。しかし第二の徳川幕府が出現してはならない。王政復古の名義だけ出来あがって、
これに代わるべき権力者が、ただ人を代えたというだけではいけない。
あくまでも王政の実を挙げなければならないという、この大眼目を標的に、理論を一貫した識見は、
明治の元勲中、ただ木戸あるだけだ。これが木戸の、卓絶した偉い長所と思う。
要するに木戸は主義の人で、この主義を極点まで実行しようとして、ときどき衝突が起った。
しかしこれは、単に自分一個の主義を貫こうとしたばかりではなく、王事にささげつくして、
命をおとした幾多の先輩、または志をとげることが出来なくて地下に入った未知の同志にたいして、
当然の責任と感じていたらしい。
このように真面目に、熱心に、誠実に、しかも公平に、物事を処断するので、
聖上のご信用も、ことに厚かったように拝せられる。
大久保もあれ程剛腸果断、ことに激烈な衝突のあったにもかかわらず、常に木戸を推重されて、
真実心底から推服していたようだ。
しいて欠点をいうと、感情に激しい一事である。いかにも喜怒色に現われるという性質で、
ことに順逆正邪の是非を、非常にやかましくいう方であるから、
時の権臣が威を弄して、名爵を西郷の嗣子に封じたなど、もしも在天の霊が知ったならば、
恐らく、墓石もゆらぐばかりに憤ることであろうと察せられる。
この大隈の木戸評、好きなんだよね。大隈の木戸評はいいとこもダメなとこも納得度高い。
未知の同志にまで責任感じちゃうあたりがとっても木戸じゃん。
こういうこと日々垂れ流してたんだろな〜。
長州の人間には当たり前の話でも、大隈には印象的だったのかも。
喜怒色に現われるってとこもさ、征台問題のころ「狗の皮でもかむりしか」って
ぷんすか怒られてた大隈だし、実感がこもってる。
けど大隈って西郷は評価してないんだよな。
>>392 坂本は鐘のたとえで西郷を「茫洋としてとらえどころなし」といってるね。
木戸は主に長州サイドにいた中岡慎太郎に聞いた方がよさそう。
中岡の板垣への手紙に「有胆有識、思慮周密、廟堂の論に堪ゆる者」と木戸評があるよ。
勝海舟は西郷、松平春嶽は木戸と、幕臣もそれぞれ贔屓がある。
春嶽の木戸絶賛が有名でないのはフィクションであまり取り上げないからだろう。
確か春嶽って大久保のこともべた褒めしてたよな
なんだっけ、世界一とかそんな感じの
となると権力者に媚びてるふうに思えてしまうな。
>>404の内容で木戸の功は大久保に勝る部分もあるよ、と持ち上げた直後に、
大久保の功業は世界一!と言ってるね春嶽公w
伊藤も木戸の良い評価も残してるんだが、例の話ばかり取り上げられてどちらもカワイソス
「伊藤博文直話」が半年くらい前に文庫化されてたから、まだ本屋に置いてるんじゃないかな
功業もだけど、大久保の胆力は世界一いいいいいいいいいい
ってのもよくわかる評でそこはかとなく笑えて好きだw
木戸は人間的な話で大久保は政治家としての話に分かれてる感じだね
智仁勇に関してはちょっと荒れそうな発言をなさっておる春嶽公
>>410 本屋に置いてあったよ
今日買ってきたw
いわゆる歴史エンタメにありそうな木戸の調子のいい評があるかみたいな話で
具体例が出たら、今度はその人同じ口で大久保もほめてるって?、別にいいじゃん
伊藤の変幻自在評とか勝の法螺っぽい人物談とかもツッコミだしたら終わりだよ
こういうのは何でもそんなもんだろう
>>411 「智勇は大久保、智仁は木戸、勇は西郷なり。」ってやつ?
西郷ファンは文句ありそうだけどここは荒れないいんでは?
誰も木戸が武勇派バリバリだとは思ってないだろうし…
けど一対一で戦えば木戸が勝つんだろうなあ。
大久保は剣術修行とかしてたんだっけ?
大久保は碁は有名だけど武道は特にこれといってなかったような気がする
ただ、現代人の感覚からすると畳を回せるのってかなり凄いと思うんだけど
当時の薩摩では普通にできたことなのかな?
>>414 個人の戦闘能力なら三傑どころか明治政府全体でも随一じゃないか?(左足が動かなくなる前は)
黒田投げ飛ばしたとか、剣術以外もいけるみたいだし
この場合の「勇」は、個人の戦闘能力じゃなく
政治家としてのアグレッシブな性格のことをいってるのだろうね。
>>416 山縣とかはどうだろう?
槍で身を立てるつもりだったくらいだし相当強いんじゃないかと思うんだが
畳回しって具体的にどんな芸なのか知りてーw すごく力いりそうじゃね?
木戸も黒田投げ飛ばす力持ちだし、木戸vs大久保が肉弾戦にならなくてよかったw
大隈はけっこう木戸と大久保を比べて評してるけど、
木戸…自動的、陽気、風流、進歩的 大久保…他動的、沈毅、重厚、保守的 って感じかな。
洋行を経ても、大隈の目には木戸=進歩的、大久保=保守的、は変わりなかったのがなるほどと思う。
勇=アグレッシブなのはそうなんだろうけど、新しいことにアグレッシブなのは圧倒的に木戸なんだけどなあ。
あと、木戸マンセー発言の代表は福地桜痴だろ。
偉い人にはたくさん会ったけど、慶喜以外で自然と頭が下がったのは木戸だけだと。
慶喜は我が主君だけど、木戸はそんなんじゃないのに、って要は 慶喜<木戸なんだなw
大久保って確か剣術とか柔術とか、やりはしたけど病弱だったか何かで途中でやめたとかだったきがす
ていうか、久米が大久保と木戸が蹴飛ばしあってたとか言ってなかったっけw
マジなんだろうかそんな明治政府楽しすぎる
なんだそれ
おっさんに言うことではないが想像したらえらい可愛かったんだがw
明治政府は楽しいですよ
あの伊藤が何でもいいからとりあえずブチ込んどけと言っただけのことはある
>>419 福地はなんか「君主でもないのに自然に頭が下がっちゃうんです。
他の元勲たちも尊敬してますが木戸さんほど愛慕の情を覚えません」
て感じで人物評というより、ちょっと愛の告白のようでアブナイ。
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 10:11:24 ID:JxZn2p8p0
>>420 大久保と木戸が相撲を総合格闘技をやれば、おそらく木戸が勝つでしょう。
元気なときは。
酒乱の黒田清隆は簀巻きにされた。
西郷隆盛と木戸が相撲をとるとどっちが勝つかな?
いつも西郷と比較したくて仕方がない
>>424は三傑スレを立て直してそちらで語ったらどうか
>>420 自己レスになるけど、今確認してみたらこうだった↓
大久保さんたちが薩人の仲間では靴で蹴ったり、取っ組んだりしたことがあるというのも私は直接には見もせぬが、たしかに薩人仲間ではあったらしい。木戸は薩人ではないが、木戸でもやったからね。
やったのかよ!そして知ってるのかよ!w
魔術的な政治才能という点では高杉晋作が日本史上類のすくない天才であったし、
また政治における処理能力では井上聞多のほうがすぐれていた。桂にはそういうものがない。
司馬遼太郎 花神 中巻
から抜粋なんだけど井上聞多ってそんなにすぐれてたっけ?
高杉が魔術的ってのはわかるんだけど。
>>426 それ読んだけど、いろんな意味に取れるんだよなww
木戸は誰とやったのか
薩摩っぽなのか
大久保なのか
それとも長州仲間となのか
話の内容からして大久保とではなさそうなんだよな、個人的には薩摩っぽだと思ってたが
>>427 金の魔術師だろjk
つうか司馬は胸糞悪くなるからやめてほしい
何を根拠にそう書いたんだか1日問い詰めたいわww
>>427 司馬もほめるときゃほめるけど、偏見めいたとことりあげて
真面目に考えたらきりがないからやめとけ
司馬の中だと花神の木戸が一番まともに書かれてるのかな。
翔ぶが如くだとなんか扱い悪かったし。世に住む日々だとあんま目立たないんだよな。
竜馬が行くはどうだっけ?読んだの昔だから覚えてないや、
>>427 高杉がやっちゃった馬関召し上げ問題を収拾して挙藩一致体制を作り上げ、
大村の軍制改革を政治面でバックアップしてたのは木戸だけどなw
聞多は有能だぞ。木戸とどっちがと言われると困るが。
まぁ小説としては好きなんだけどねぇ、司馬。
高杉にあったのは政治才能じゃなくてクーデターの才能なんじゃ…とは思うw
機を見る力は凄いが。政治才能あればもっと器用に生きられたろうw
突き上げ食って亡命したりはせんわなー
>>427 そんなとこあった? 同じ中巻でも自分が見つけたのはクーデターの後、、
『が、こういう灰神楽が立つような時期に、それをおさめてゆく政治家が、これほど
政治化した長州にいないことであった。
この事態をここまで持ってきたのは、高杉晋作であった。が、高杉は天才的な革命家では
あっても、政治家でないことは、高杉自身が知っている。
ただし、一人いる。
桂小五カであった。』(文庫p.221-222)
『ともあれ、高杉は風雲児でありすぎ、クーデターの成功後の藩内の内乱やら、幕軍再来に
そなえての外交をやりとげる柄ではなかった。このことは、たれよりも高杉自身が知っていた。
「桂が、ほしい」』(p.239)
として高杉は革命家であり、混乱を収める政治家は桂しかいないことを認めてる。
ただこうした上げの三回に二回くらいは、このあと「桂ってのは高杉ほど天才じゃなく
軽快な機略もなく、憂鬱症でなんで仲間に推戴されたんだろうか」と悩んでいるのだが…
推戴された理由はあんたが今書いたろうとw
司馬は結局、木戸の多様性がつかみきれずに混乱し続けていたような感じがする。
なんでも糞も単に司馬が桂の政治手腕を認めたくなくて他の理由を探すも
政治の事で政治手腕以外の理由なんてないわけで
一人でぐるぐる何でなんだろ〜ってやってるだけでは
愚痴っぽいのは事実だったんだろうが、単に鬱って言うには能動的な行動が多すぎるんだよな、木戸w
木戸日記読めばすぐに分かるのに。
桂にしても鬱の人に外交担当させるとか長州どんだけだよって話になるし
木戸にしても鬱の人の家にどんだけ居候やら客やら集まってるんだよと
桂の先見性や人物眼が大村を採用し、政治力が高杉にも頼られてるのに
そんなことを書いた同じペンで、桂の能力を疑うようなことや矛盾することを
何度もぐるぐるぐるぐる書き続け悩み続ける。一人でやってろって感じ。
司馬って、『竜馬〜』のとき取材と執筆のため城崎温泉に行ったんだろ。
但馬潜伏期って桂の生涯最大にして唯一の憂鬱期じゃん。
復権工作をすれども力及ばず、久坂をはじめ多くの同志が亡くなり、
身一つで但馬に逃れ、他の動きに呼応しようにも身動きがとれず。
あの行動的な人物が、あんなに何もできない一年は、
病がちになってからを考慮に入れてもあの時期だけ。
書翰を見ると、時にそうとう自己嫌悪に陥ってる。
そんな特殊な時期の桂の気分にひたってキャラクターの初期設定をしちゃったから
明治政府長州人への偏見も手伝って
どうしても陽気な桂や有能な桂が受け入れられなかったんじゃないの。
>>388 大久保は柚餅もくれてなかったっけ。
>>433 花神 中巻 258Pだね。
他にも
「桂という男は全体が一個の天秤らしい」
「「わしの議論を聞け」といって腕まくりするようなところは、桂は年少のころから無かった。
つねに困ったような表情をして、ひとの議論を拝聴する側であった。このため桂は賢なのか
愚なのか、門人の長所を指摘することについてはきわめて情熱的だった吉田松陰さえ、
桂に対してほとんど語ってない。語りにくい存在だったのであろう。」
などなど司馬にしてはまあ。悪くない評価な所もあるね。
>>439 それが悪くない評かよw
賢か愚かわからない、語りにくいと思ってるのはどう考えても司馬
>>438 大久保が「柚餅の人」ってのはちょっとかわいすぎるな
>>440 翔ぶが如くとかだともっとひどいのあるけどね。
「木戸という男は機嫌の複雑な男でいざとなれば逃げるかもしれない
ことを岩倉は気づいていた。木戸は長州藩という、書生の暴走が政治だった藩の
出身で、大久保のような権力を把握したという恐ろしい体験ももっておらねば、
西郷のように藩大衆をおおづかみにつかんで彼等をしてよろこんで死地におもむかしめるという
体験ももってない。」
とか「木戸は多分に意見だけの人であった」とか。
とりあえず司馬は不勉強だったという感想しか持てんのだがw
司馬はあくまで小説家だしなあ。
作品ごとに性格設定が違うのはまだわかる。
同一作品内で意味もなく矛盾があるなら、人物設定の失敗かな。
脇役だからあまり気を使わないとか。
小説の中の主役級の人物でそんな失敗をしたら作品自体の
失敗という気がする。
ただ司馬の影響を受けた木戸評というのは、司馬ではなく読者側に
問題があるように思う。
大げさに言えば戦国バサラの武将が実際にいたと思い込んでいるようなもんだ。
それとも大河の龍馬伝が史実そのものだと信じているようなもん、といった方がいいのかな。
歴史関係の著書を書いているような人間がそれじゃ普通は笑い者になるはずだけど、
司馬がソースの場合はなぜかそうならないという状況に問題があると思っている。
>>439 なぜマシな例でそこを選ぶ?w
『そのくせ松陰は、桂を信頼することが厚かった。その理由は、桂はたれより
口が堅かったし、そのうえ、天性のものらしいが、優しさがあった。』
と次に書いてるじゃないか。あんたのチョイスはちと恣意的だな。
>>444 同一作品でも結構矛盾あるけどね
上で花神で
高杉は革命家で政治家ではない
って文章あったけどその前に高杉は天性の政治家とか言ってるし。
後、翔ぶが如くだと萩の乱がすごいあっけなく終わってるんだよな。
木戸とか伊藤とかなにしてたかとかあんま書いてない。
いつからここは司馬スレになったんだよwww
竜馬1巻で御前試合の様子を書いたという偽武市書簡を本当のようかに書いてるし(準一郎の名を知るわけないからこれはありえないのフォローなし)
翔ぶ1巻で、帰国後に山内容堂から料亭に誘われ(笑)ヨーロッパの話をしたりして語り合っている。
小説だから別に史実と違っていいんだけど、司馬は色々と調べて書いた〜とか言われてるから、史実だと思う奴が問題。
司馬しか読まないで、調べようとしない奴らに木戸批判されたくないけどね。まあ自分も司馬は三冊くらいしか読んでないけどね。
小説は事実と思われる話をもとにしたフィクションです。史実ではありません。
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 22:36:30 ID:vy7WtH8cO
司馬遼太郎氏の場合、実在の人物をモデルに小説を書くが
小説の人間描写にリアリティがあっても、
それは小説上のことと思っていないといけない気がする。
実在の人物は別物と。
リアリティないからダイジョブ
関係ないことで非常にすまないが、図書館で木戸孝允日記、文書を読む場合
やはり特別な許可がいるんだろうか?それと図書館から持ち出しは可能なのかな?
うちの地域の図書館では一般書架にあるよ
図書館によるんじゃない?
うちんとこの県立図書では閉架にあったけど貸し出しは可だったよ。
俺、明倫小の出身なんですけど
桂小五郎もOBですか?
うん
そこで松陰先生と出会った
>>452 今たいてい大きめの図書館には蔵書検索の端末がおいてある。
それに書名を入力すれば市立なら全市立図書館のどこにあるか、借りれるかどうかわかる。
借りれるなら書庫にあってもデータをプリントアウトしてカウンターに持ってきゃいいとか
そんな仕組みになってるはず。
っつーか今時大概の図書館で蔵書検索くらいネットで出来るだろうし
なんなら都道府県内の全ての図書館の横断検索のサイトもある
目の前の箱でちょっと調べりゃどの資料がどこにあってどういう扱いかすぐわかりますよ
>>459 dクス
うちの方では県立図書館までいかないと関係文書がないのがわかった
往復一時間の道のりだ。やれやれ
往復二時間の間違い
ふぅ〜
昔の人の旅の困難さを思って我慢するか
木戸って戦争時は基本後方支援?
>>461 近くの図書館に取り寄せとかは出来ないのかな?
>>462 木戸は軍事は大村と高杉に任せてたから基本的には廟堂にいたんじゃね?
>>462 後方支援っつか、最初から最期まで政治家ですぜ。
今回の大河ドラマではわりと雄々しいのはいいんだけど
大村他いっぱい省略されて、木戸が陣羽織に鉢巻きで
汗かいて練兵までしてたから新たな誤解が生まれそうだ。
大河みんな見てるんだな。
一年もずっと見続けられないから見てないんだよな。
木戸主役で2時間の映画にして欲しい。
>>465 政治外交軍事練兵全てをこなす超人になってたね
ていうか木戸が軍人と政治家兼任するわけないだろうと
山縣がキレるわ
けど騎兵隊鎮圧とかしてるよね。
あれって自ら武装して鎮圧したのかな
んな帰郷したらたまたま反乱にぶちあたっちゃった時の事を言ってもなぁ
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 09:09:22 ID:mVWl+WoA0
木戸は奇兵隊をどうしようと考えていたのかな?
どうしようも何も士族と一緒でしょ
地元だろうが何だろうが贔屓なしで解散
でも自活できるようになるまではお金あげたりして面倒みるべき
徒に不平家を煽動して戦をするなら叩くけど
生活が困窮した人民の一揆なら味方したい位だそれもこれも政府が悪い
木戸はブレないよ
っていつものレスしちゃいけない人だったかなw
何で福地ってあんなに木戸に心酔してるんだ
気になって仕方がない
木戸って反乱おこした前原の事はなんて言ってたんだろう?
一応幕末時代の同士でしょ。
>>473 木戸を尊敬してた人はたくさんいると思うが、福地はジャーナリストで劇作家だったこともあり
やたらと筆が滑って愛慕の情(笑)を綴ってしまったのではないか。
>>474 なんかもう結構前から「あいつはやるよね」状態。
伊藤・山縣も同じ様な意見。この三人による予想では木戸のが当たり。
なんかもうバレバレで前原が不憫になる。
>>476 ごめんそれkwsk
もしくは何か研究書とかあったりする?
前原よくわからんのだ
日記だったか書簡だったかじゃなかった?
>>477 木戸孝允日記。該当箇所を抜き出してみると、
明治九年三月二十三日
山口県より報知あり前原彦太郎兄弟三人奥平謙介横山彦介等探偵人へ意中を吐露
終に薩摩へ武器の相談に横山なるものを薩摩へ遣わし候始末に至り
竟に探偵人なることを摘発し前原兄弟奥平横山等政府の捕縛を恐れ進退窮迫切り
死ても可致との為体なる趣諸士の始末可憫笑の至なり
於県平穏に取り鎮むへくに付政府より突然着手無之様懇請の書意なり
漢字は適当に現代のに直して改行も引用者
しかし前原さん……w
そらこんな様で県にまで庇って貰って結局アレじゃ、木戸さんに「終に又如今日大失策を生じ為其少壮のものを誤る
実に歎息の至りにしてまた山口県士族の面目を汚す不容易不堪慨嘆也」とか言われんのも仕方ないんではないかw
あ、連レスだが伊藤・山縣との会談については同年十月二十九日。
上のレスの「終に又如今日大失策を生じ…」については翌三十日。
万延元年だっけ桜田門外の変のあとで、桂から佐世・岡部連名宛に近況を知らせる手紙出してるよね。
そんで「どうにでも世話するからとにかく江戸に留学しなさい」と勧めてる。
結局佐世は病気とかもあって出来なかったんだと思うけど。
あれみて、ああ桂は本気で村塾生の面倒見てるじゃん!と思ったんだよな。つくづく面倒見のいいやつ。
まあこの二人は村塾では年長組だから在萩の塾生代表として扱ってた気がするし、
おまけに大組士で藩政に参与できる可能性が高いってのもあるんだろうけど。
だからこの頃の佐世→桂の手紙とか読みたいんだが、関係文書の5巻が出ないのだな。
宮内庁の文書整理が追いついてないのかなあ。
読みにくいという噂の広沢の書翰が原因だったりして……
いきなり申し訳ないが、伊藤痴遊著の木戸本てオススメ?
こうしてみると木戸は長州の不平士族たちを
しっかり抑えて前原とかも監視してるよな、
西郷を暴発させた大久保よりしっかりやってるような気もするが。
ていうか前原の件とかも大久保がやってたのかね?前原にスパイ送りこんで
みたいなのは木戸発なのか大久保発なのか。
その後西郷の私学校に西郷暗殺の人ら送り込んだのは大久保と川路なんでしょ。
それってガチ史実なの? 噂のひとつなんじゃないの?>西郷暗殺未遂
大久保さんと川路大警視が暗殺を指令したという自白を拷問の末聞き出したという噂かな。
どこだったか忘れたが、書簡か日記で木戸さんがスパイの人に払うお金が大変〜みたいなこと言ってたような。
まぁ薩摩士族の暴発は兎も角、西郷どんの暴発までは木戸さんも予見できなかったから仕方ない。
486 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/21(日) 02:19:45 ID:uTB8hWCx0
>>481 ああ、広沢の字ひどい癖字らしいねw
いったいどんな字だ。見てみたいぞw
木戸は普通に読めてるっぽいから見続けていれば判読できる字なのかもしれん。
__
,ィ≦三三三≧= 、
,イ三三三三三三三ハ
,イ三三三>──‐〃イ≧、
!{三7´ ∨ //∧
`|ヨ}'__,,, _,,,,,,,,_ .V//三|
V/l セテヽ ' rセテ、ヾ. |/三ヨ
Vl } l、 |/j ノ
{ 'r __ )、 __/
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ゝ '`ー‐-'´ヽ / L
、 ´ ` ノ ./∧
,イ7ゝ=彡'イ /: : : ≧、
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/: : : : : : : :レ::::::\ ./: : : : : : : : : : : :
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目力
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V/ヒrtッヽ ' rtッ、ヾ |/三ヨ
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イケメン
こっち見るなw
>>485 西郷の暴発予見できなかったのか?
大村が「西郷は足利尊氏だ」って言ってたらしいじゃん。
可能性として全くないとは思ってなかっただろうけど
西郷はそれまで他の士族の乱をスルーしてたからそこまではやらないと思ってたとか?
暗い見方をする
って感じで翔ぶが如くでは描かれてたけど
西郷が加担しないと考えてたなら結構楽天家だったのかもなあ。
長州勢って山県有朋以外はあんま西南戦争関係なかったのかもな。
>>486 W大のデータベースに大隈宛広沢書翰の画像あるよ。
もともと読めないんで正直癖字なのかどうかわからん。ところどころ読める漢字はあるんだがw
字の崩しかたが滑らかじゃなくガチガチしてる感じはするんで確かに癖字なのかな。
>492
人を疑わないというか、結構人を信じて金を貸して踏み倒されてる。
それは疑わないというより恨まれないように返されないの分かってて
貸してるんじゃないの?
496 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/22(月) 19:35:51 ID:4ht8aUzs0
木戸が一番活躍した時ってのはやっぱ
高杉がクーデター起こした後の長州藩の安定と
その後の薩摩との同盟あたりなのかね。
「一番活躍」ってのの基準による気がするなあ。
確かに出石からの帰藩〜四境戦争あたりの采配は、
不安定要素てんこ盛りの藩をまとめて引っ張ってくあたり神がかってっかもだけど、
すぐれた思想性をもって新政府の基礎を固めた明治初年の政治活動もすごかった。
そういや森友幸照『群像の羽撃き 幕末・明治 志の言行録』読んだ人いる?
木戸の項、なかなかいいよ。
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 17:45:15 ID:8PPN1r/o0
木戸が長生きしてたらどうなってたんだろう?
よくなってた気もするけど日露戦争とかだと消極論で
戦わない路線になってグズグズになってた可能性もあるな。
>>498 木戸さんは、屈辱・無礼を嫌うから、
幕末の倒幕論や明治初年の征韓論同様、
準備さえ整っていれば、間違いなく日露戦争にも積極的だろ。
その辺はかなり理知的に対応すると思う。
冷静な木戸がいながら長州がずっと暴走し続けていたのがいまだに不思議だ。
木戸でも抑えきれなかった連中が多すぎたのか
でも木戸って尻拭いはするしぐちぐちとうるさい説教もするけど
他人の政治活動を抑制するっていうのは実はあまりないのでは?
せいぜい山縣が参議になるのを邪魔したくらいで
強引に抑えるタイプの人だったら前原のことも何とかしていたんじゃないかな
暴走もなにも桂は尊皇攘夷運動をエネルギーにして朝廷工作していて、それがつい
いろんなタイミングが合わさって暴走というか爆発してしまったんじゃないの?
>>500のいう爆発が禁門あたりのこと言ってるのなら
503 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 21:57:23 ID:QZcY8+Am0
高杉とかと倒幕後の政権の理想像とか話し合ったりしてたのかな?
木戸の開明性だかについていけてた人ってほとんどいなかったみたいだけど。
まあ万延〜文久年間の桂は高杉や久坂と激論しつつ試行錯誤って感じはするな。
本人は当初から軍の洋式化と雄藩の協力を重視してたようだけど、いろいろと痛い目を見ながら学んだ結果
1)幕政改革による挙国一致は幕府内部からの反動が大きくもはや期待できない
2)雄藩連合を実現させるためには自藩が割拠する実力をつける必要あり
3)藩論の統一のためにも条理を透徹し「正義は我にあり」と理論武装する必要あり
4)藩の内外の庶民に至るまでの世論への配慮が肝要、世間を味方につけるべし
このあたりを腹を据えてやったのが慶応年間だよな。結果は大成功だったわけだが。
ほんとは明治になってからも、高杉久坂とやったみたいに議論を尽くしたかったんだと思うわ。
それが大久保んとこに七時間とかにw
政体構想については、明治元年までに井上・伊藤、二年ごろには大隈あたりとも、
廃藩置県による中央集権必須ということは最低限話が出来ていたはず。いつ実行するかでは各論あったろうが。
505 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/25(木) 20:14:20 ID:PC0o300A0
よく小説とかだと
天才高杉晋作 凡人木戸孝允
みたいな比較されるけど、明治の事を考えると
木戸から高杉に思想が伝染したりもしてたんだろうなあ。
高杉から木戸に伝染したこともあっただろうけど。
> 天才高杉晋作 凡人木戸孝允
木戸を凡人と書いて通した小説なんかあったかな?
上で言われてるように司馬が木戸を大物らしく書きたがらない傾向はあったけど
結局「花神」とかよく読むと、司馬の大好きな奇才大村や天才高杉から木戸が
頼りにされまくってた様子を描かざるを得なくなってるのが面白いと言えば面白い
ってか、むしろ
天才高杉晋作 常識人木戸孝允
なんじゃね?
まあ常識人=凡人と思い込んでるのが多いのも事実だろうがね。
常識人を同時に才人としてちゃんと描くのはなかなか難しいだろうし。
んー木戸の場合は常識ってより良識かな。
今から見ると良識人、常識人なんだが
三権分立とか近代的政治理念をすぐ理解したってのは
当時としてはやっぱ常人じゃないよ
木戸は変人だろ、当時から見ても現代から見ても
だいたい現代と当時との差異で天才凡人とか評価つけるなら、刀持ってるだけで
常識と逸脱してるわけで
そうやって双方を比較してること自体ナンセンス、みんな違ってみんな良い
こういうことを平気で書くから歴史小説家は嫌なんだ
木戸はふつうに天才中の天才。
伊藤博文は高杉を「たいした事ない奴」と評する一方、木戸はべた褒め。
これが真実。
伊藤くんはそのときの事情でいろいろコメントを変えるであります
衆目駭然、敢て正聴する者なしであります
他人の評価でしか語れないのってさもしい感じがする
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/26(金) 21:30:18 ID:Kj0cnrK+0
木戸の病状が悪化した時、伊藤はドイツ人の医師をよんでくるなどしてこの
恩人のために八方走りまわった。しかし結局のところ木戸の死は言おうの感情の面では
ともかく、実際にはかれのくびの枷がはずれて、以後たれに遠慮することもなしに伊藤の
好む大久保のもとで腕をふるうことが可能になったといっていい。もし伊藤がひそかに、
(太政官も名実ともに大久保の時代がきた)
と思ったとしても、実務家としてのかれの感情であり、倫理的な裏切りの感情というふうには
ならないように思える
司馬遼太郎 翔ぶが如く 10巻 96pより引用
この作品だと伊藤がやたら大久保よりになってて。それが世間の印象になってるんだけど。
伊藤がもう少し考えて行動してたら、木戸の評価も良くなってたのにな。
伊藤が誰寄りになろうと木戸本人が気にしてないっぽいから別にいいんでないの
政治家としての伊藤のことは、かつてのように信用はしてないどころか不信感持ってるっぽいけど
それはそれとして相変わらずつき合ってたみたいだし
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/26(金) 21:44:01 ID:Kj0cnrK+0
伊藤は政治家としておそらく日本TOPクラスでしょ?
そういう人が木戸より大久保を選んだってのはすごいマイナス評価になっちゃうんだよな。
司馬がそういうのの部分部分を選んで小説を書いちゃったからな。
たとえば伊藤がやった憲法の制定とか議会開催とかを
木戸から受け継いだみたいに描いてたらまたちょっと評価変わってたのにね。
>>516 > 伊藤は政治家としておそらく日本TOPクラスでしょ?
大間違い。真逆。本末転倒なんだよ。
伊藤って、せっかく英国留学や欧米視察に行っていながら、
結局、自己保身のためにドイツ式憲法を持って来ちゃったドアフォだぞ。
そりゃ、年がら年中木戸さんから文句言われるよ。
木戸>>>>>>>>大久保>>>>>>>>>佐藤榮作>>>>>>>>>>伊藤博文>>大隈重信
こんな感じだろ。
age厨も不等号もどっちも釣りに見えるんですが
明治以降の伊藤博文は、大政治家だったと思うがね。
ドイツ第二帝国式の憲法は、英国が不文憲法で系統だって導入しにくく
フランス憲法は欧州での戦闘敗者のものであり評判が悪かった状況下では、
欧州の最新成果の導入としての意味があった。
彼の責任ではあるまい。
責任があるとすれば、戊辰戦争で旧幕府陸軍を無駄な突撃で自壊させ、
自国でも敗北を重ねたブリュネ達にあるだろう。
木戸だって使節団のときアメリカを皮切りに各国の憲法を調査して、
イギリスは同じ王政だけど慣習法の国だから蓄積なしに即時に同じ方式を取ることは難しく、
結局、体制が一番近いプロイセン憲法を参考にして草案を作ったわけだろ。青木に入れ知恵されたからってわけでもなくw
後に板垣らがイギリス式の政体をと騒いでて、木戸は「あれを真似しようったって簡単にいくもんか」とプンスカしてなかったっけ。
逆に大久保は腹心たちの入れ知恵で、イギリス式に近い憲法案をつくってたはず。
イギリス=リベラル=木戸、プロイセン=保守=ビスマルクファン大久保、ってのはイメージから来る思い込みだよ。
だからって大久保の考えがリベラルだったわけでもないし。
>>520 >木戸は「あれを真似しようったって簡単にいくもんか」とプンスカして
それはキリスト教を国教にするかどうかの話じゃないか。
伊藤が熱心にすすめるので、木戸さんもかなり考えたようだが、
留学生たちからキリスト教の暗黒の歴史やら宗教戦争の歴史やら聞かされて、
とんでもない!と伊藤を叱りつけたというのは記憶にあるが。
木戸さん個人は、米国憲法を通訳通して当初から相当に勉強してたようだし。
>>516 >木戸より大久保を選んだ
これのソース教えてくれ
ついでに司馬がそんな感じで書いた本は何?
だいたいまず大久保中心専制政治で大久保以外の下について働くことできないだろ
プラス大久保は早期西洋化の為に官僚が自由に動きやすい環境整えてるんだから
伊藤や大隈等の政府要人はほとんど大久保についたんだ。ついたというかそこしか
つく場所がなかったからだが
そんな中で晩年の木戸にとって井上のポジションは稀少だよな
一応在野人だから伊藤みたいに政治関係こじれの影も少ないし、立憲制導入推奨
という点で政見の食い違いもなかっただろうし
一緒に海外行きたかったんだろうなと思うと無念でならないよ
だから木戸洋行を許可しなかった大久保伊藤ふざけんなとも思うが、一方でこの
二人もいろいろたたき台にあって大変だったんだろうなとも思うし
つか突っ込むのもアレなんだが
だったらストーカーレベルで木戸を政府に引きずり戻すなっつー
>>523 仕方ねえよ政府には必要なんだよw
井上みたいに自由ではないし、トップは足枷あって大変だなあ
525 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 00:49:57 ID:/UVKexRi0
伊藤が木戸を褒めてた言動とか文章ってのは残ってるの?
四賢候とかそういうのじゃなく「木戸はこういうところがすごかった」ってはっきり
言ってるのがあれば教えてほしい
「君にこういってはなんだが、あの人のきむずかしさというのはどうにもならなかった」
ってのを打ち消すような事を言ってればいいんだけど。
>>521 いんや大阪会議の後の話。漸時立憲体制樹立を目指すことで話がついてたはずなのに、
具体的な改革案の話になると、板垣は小室や古沢からききかじりの急進的なイギリス式政体を主張して木戸を脱力させている。
526の補足
実際慣習法ってのは、いわば判例に基づいて判断していくようなものだから、他国がいきなり真似できるようなもんじゃないんだよ。
それこそマグナ・カルタ(1215年)の前文が現行法として残ってるようなお国柄だぞイギリスは。
急にアメリカみたいに共和制にしたら、ただでさえ不安定な当時の日本は求心力を失って崩壊したろうし、
プロイセン憲法を参考に日本の政体に合わせてっつーのはいい選択だろう。
実際のちに伊藤もいろいろ研究した上でプロイセン憲法を参考にしている。
伊藤といえば元勲談はいきなり木戸に愛されてたアピールで読む度になんか吹くw
木戸と伊藤が一緒に写ってた写真で伊藤が満面の笑みを浮かべてる写真が印象的。
普段からあんな感じなのかな。木戸からしたら憎めない後輩だったのかもな。
>>527 こういうとこが木戸のすごいとこだと思うんだよな。
各国の専門家にも意見を聞いて、アメリカでは「法の精神」薦められて法の根本を学んだり。
そうやって、アメリカのような共和制は日本ではダメ、
イギリスは慣習法(非成文法)で長年の蓄積が必要だし、
早急に「旧来ノ陋習ヲ破」るためにも指針が明確な成文法が必要な日本には無理、
だから君主制で、しかも議会や地方自治もしっかりしている新興国プロイセンの憲法を参考に、
もちろんそのままではなく日本の国情に合わせて……と、本質から考えてるんだよね。
いろいろな憲法・政体を比較して、それぞれどんな考えに基づいて作られているのか、
どういったものならば日本の政体に生かしていけるのか、多面的に判断している。
これに対し、当時の板垣はイギリスの政体の成り立ちや本質を理解せずに導入を主張しているし、
江藤はひたすらフランス法を訳しちまえ! そんで法律作っちまえ! ってとこが、いまいち。
おめーら自分のやってることほんとにわかってんのか、と。
わかってる木戸がすごいんだが。
>>522 井上は、政府にいたときは、憲法の重要性それほどわかってなかったんじゃないかと思ってる。
下野して政府から少し距離を置いてて、そのうち木戸も参議やめるし、
大隈伊藤も大久保の下で働くような形になって、木戸と議論しながらやってた頃に比べると、
内情が見えにくいこともあり大久保のイエスマンになっちゃってるようにも感じる。
あれ、何だこれ? やばくね? ちょっと規制かけたほうがよくね? と思ったんじゃないか。
井上はこういう、経験からぱっと本質を把握して行動に移す、そこに凄みがある。
で、大阪会議で、政権強化のために木戸を復帰させようとする伊藤と対立してでも、
伊藤とは違った考え・立場から木戸の参議復帰を画策。
木戸を復帰させるのは、そのこと自体が大久保の専断にブレーキをかけるし、
立憲という根本的な為政者への枷かけの実現にもつながる。
それを目指し、木戸への援軍として、板垣を利用するように周旋する。
結果的には板垣の考えなしから失敗してしまうんだが、井上は憲法の意義をつかんで行動してる。
こういうとこが、木戸が井上を信用する所以ではないかと。
長文スマソ
伊藤は確かに例の漢詩とかで木戸を激賞もしてるんだが、
伊藤にとって政治家としての評価は大久保>木戸になるのはある意味仕方ないと思うんだよね。
六年政変から伊藤は、何はともあれ政府が強化されなきゃ何もできん! 政権優先!
と強く思っていたと思われ、そこが大久保とばっちり一致している。
だからこそ、木戸の主義を知っていながら近衛都督を木戸に勧めるなんて真似もできちゃうw
とにかく軍に、力を持った人間を重石に置くことが肝要だと考えていたから。
主義主張なんて、力あってこそでしょ、ってのは一面真実だからね。
一方井上にとって政治家としての評価は、あきらかに大久保<木戸だろう。
井上の大目標は「誰もが稼いで幸せになれる国♪」だったと思うが、
そういう日本を実現するために、どういう手を打ってかなきゃいけないのか考えてる。
そのためには政府にいればこういうことができる、野にあればこういうことが、と
自分がどこにいるかにはあまりこだわってない。
大久保は、廃藩置県ごろまでは井上にしてみれば「こいつぜんっぜんわかってねェ!!!」だし、
その後も場当たり的なところがあるから、あまり評価できない。
木戸は「国は人民にて成り立ち候」なあるべき国の姿と、
現状からそこへ到るために必要なステップがかなりのとこ見えてるから、
井上にしたら「木戸スゲーーーー!」って思ったろうと。
532 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/28(日) 08:23:54 ID:86FrceEb0
伊藤の漢詩ってどんなの?
後、木戸って薩摩受けが悪いというか。薩摩の人らから
評価されてなかった漢字するねえ。
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/28(日) 16:21:05 ID:TZNqmeEx0
幕末に出てくる志士・政治家では一番好きなんだよな
>>530 同意です
ドイツも統一が遅れててプロイセンの形になったのが
この当時ではつい最近で参考にするのは一番うってつけだったんだよな
そこに目を付けたのはやっぱ木戸らしいと思う
535 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/30(火) 20:49:22 ID:TW69oWf70
木戸って当時の海外のメディアからは好意的に報道されてた
ってのは本当なの?誰と比べて?
>>534 そう 木戸も大久保もプロイセンに目をつけたのは、すごい勢いで力をつけつつある新興国で、参考になるところが多々あったから。
海千山千の大国英仏に果敢に対抗してるとこもふくめ。
その後大久保は側近の影響かあまりドイツ式の導入はやらなかったように見えるが。
青木の熱意もあって木戸を中心に教育関係などドイツコネクションが形成されたと言われる。
平田とかもなw
その青木に憲法草案つくらせて、帰国の船の中でじっくり手を入れてるあたりもとっても木戸だわ。
そのまんま出しちゃうとかできないんだよな〜
そんで、その船に森有礼も乗ってるってのがまたなんともいえんのだがw
>>536 ドイツも当時から教育熱心な国だから参考になっただろうね
あくまで参考で日本にあわない部分は切り捨てただろうけど
そこが上手いなといつも感心してしまう
もっと長生きして欲しかった人だよ
ビスマルクからの人材派遣の申し出には、
木戸がその場でやんわり断ってるしな。
あくまで日本主導で、日本らしくやることが肝要。
外国から学ぶことと外国から教わることの違いがわかっていた。
>>535 アンタほんと比べるのが好きだね。
なんで外国メディアが比較論までせにゃならんのだ。
どーでもいいがいいかげんsageろ。
539 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/02(木) 12:43:09 ID:HkNuwpyqO
この背中を頼ってくれるかい?
霊山護国寺の木戸夫妻のお墓に行って来た
前行った時より人が来てた気がする
2人の思い出深い京都にお墓があるっていいよなとちょっと思ってしまった
自分が春頃に行ったときは参拝者は結構いたが、
みんな龍馬の墓の所までしか行かずに集まっていて、
木戸さんのお墓まで上がって来ていたのは、あと一組だけだった。
寂しい気もしたが、おかげでお墓の前でゆっくりできた・・・
>>541 自分が行ったときもそんなかんじだったよ。
あれだけの数の著名な志士の墓があるのに竜馬と中岡の墓だけ拝んで帰るんだぜ…
543 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/04(土) 01:32:33 ID:JP974K1P0
>>542 幕末、維新の志士といっても知識の無い人も
多く拝みに来ている。
桂小五郎と木戸孝允が同一人物と言うことすら
知らない人もいる。更に木戸孝允の存在そのものを知らない人すらいる。
>>543 わかってはいるんだけどね。
ただせっかく入場料払ったんだから上までいっちゃいなよ…
50才くらいの夫婦が木戸さんの墓の階段下で
「桂小五郎の墓はどこだー?」とうろうろしてるのを見たときは、
ゆとり以前でもこんなのか…と情けなくなった
というか知らないのは仕方ないとして近くの解説文くらい読もうぜおじちゃんおばちゃん
>>545 お歳だと周りが見えなくなるから…
でも見に来たのは嬉しいな
>>545 それで、ちゃんと親切に教えてやったんだろうな?
548 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/04(土) 20:11:21 ID:RqwbHFkE0
もちろん、懇切丁寧に梅田雲浜の墓をお教え致しました。
>>547 いや、そのまま何も言わずに木戸さんと松子さんの墓にお参りして、
その夫妻がまだうろうろしてるのを放置して山を降りたw
今考えると教えてあげれば良かったな
551 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/07(火) 00:29:45 ID:rSKQFk6c0
世に住む日日
読み直してるんだけど。桂のスルーされぐあいがすごいな。
実際どれくらい松陰と交流あったんだろうね。黒船の時とか両方江戸に
いたみたいだし。桂も江川とかに入門してたから唯の剣客だったわけでもないだろうし。
ていうか江川って人と面識あったのかね?塾に入門してたとかレベルかな?
世に住む日日だと江川って人がたいしたことないってことになってたけど。・
世に棲む日々と花神は姉妹作品だからな
対になる花神ではちょくちょく出てくる
江川と桂は面識はあるだろ、江川のマブダチ斎藤弥九郎からの直接の紹介での入門だし、
江川の付き人に紛して測量とか台場建設や黒船見学してたんだし
維新後も、江川の息子に対して師に対するのと同じように手をついて挨拶をしたり、
江川の娘を養子にして結婚斡旋したりと親交が続いてる
江川塾の教師やってた大鳥やその弟子の黒田とかは江川死後の入門だから面識無かったかもしれないけど
553 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/07(火) 01:54:12 ID:rSKQFk6c0
けどあの時代って塾に師匠が出る事が希で話せる機会とかはなかったんじゃないかな・
あとドラマのように塾生仲間で語り合うってのもどこまであったのか。
松陰と勝は同じ塾だけど会った事ないみたいだし。
面識は状況証拠からして確実にあったろう
直接教えを受けたかどうかはそりゃ証明のしようがないわな
普通に塾だから、中島三郎助みたいに強引に弟子にしてもらって住み込みました、みたいなエピないし
当時の塾はゼミ形式が多いだろうから語り合うってのはふつうにありそうだけど
(他藩の人間と人脈を作る機会でもあるわけだし)
江川塾がどうだったかは、それこそ大鳥あたりが何か書き残してないか見たほうが早くね?
それよかさ、村田蔵六と桂の初対面って、江戸藩邸の蘭書回読会?
まあこれも証明は無理だろうが可能性が高いとことして
>>550 あなたが近くにいたのなら、ご夫婦を案内してあげればよかったのに
と私は思います。
556 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/07(火) 23:32:57 ID:49hmmoox0
桂は松陰にそれほどどっぷりってわけでもないんでしょ?
伊藤は晩年、松陰批判してたらしいね。
どっぷりって訳ではないが、維新後になって大隈重信に
20年前に吉田(松陰)が私を戒める為に送った手紙だけど進歩した今でも心得になるものだから写しを添付するね!
とか言ってる辺り、20年間松陰の手紙を持ってた上に内容憶えてたらしい。
あ、その時に手紙取り出して読み返してた可能性もあるなw
久坂とか高杉とか入江兄弟とか、松陰門下には熱いのが多いから木戸は目立たないけど、
師としてもだけど、友人として人間として、ほんとに尊敬していたんだろうとは思う。
御所の御馬見所で乗馬を披露して主上に御酒を賜ったときとか、東幸出発翌日とか、
どうも天皇に関係するとき松陰を回想しているよね。
あの方は真の勤皇だったのに誤解を受けて処刑されてしまった、
まったく及ばぬ自分ばかりがこのような僥倖に…てな感じに。
この場合は書翰読み返してとかじゃなくナチュラルに思い出してるんだろな。
この頃はまだ天皇に関係するといちいち感動してたせいでもあるがw
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/08(水) 08:21:40 ID:6bSCsi8n0
海外言った時は回想したりしなかったの?松陰が行きたがってた海外だし。
>>556 伊藤が昔話をすれば木戸や松陰に対する批判は少なからずでるでしょう、有頂天になってたし
>>560 資料が残ってるかはしらないけど思い出して泣きそうになってる姿は想像つくw松陰だけじゃなく来原のこともあるし
>>536 >その青木に憲法草案つくらせて、帰国の船の中でじっくり手を入れてるあたりもとっても木戸だわ。
それが日本国国憲案として元老院で完成したものだよね。
ところが、それを井上毅・岩倉具視・伊藤博文が反対して、
あらためて憲法勉強の旅に出るわ、
その上、お世辞にも余り近代的とは言えない欠陥欽定憲法を作ってしまうわ、だったと思ってたんだが、
伊藤マンセーの人、どう?
政治家として、
木戸>>>>>>>>>>>大久保>>>>>>>>>>岩倉・伊藤>>>>>西郷
は動かし難いと思うんだけどねぇ。
最悪なのは、政治主導を不可能にした、この条文(大日本国憲法第11条)。
天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
伊藤は、木戸さんや長州藩が何故に幕末苦労したか、
なぜ、木戸さんが山縣の参議昇格に反対せざるを得なかったか、
まるでわかってない。
>>562 ・元老院の国憲草案は、木戸の憲法案とはまったく関係ないはず。ヨーロッパ各国のつぎはぎでは。
いかにもこの時期の元老院らしく立法についての規定に意識が偏った内容で、
国体を確立することの重要性がわかってないと政府に叩かれた。
・木戸は、元帥は「戦時のみの臨時職」で、必要に応じ天皇あるいは皇太子・親王がつくべきという考え。
目的は政権と兵権の分離はもちろん、政治理念の象徴である天皇の存在が、
徳川将軍や西郷のような、兵政両権を握るものによって形骸化しないようにと考えていた。
天皇を軍の権威強化のため平時にまで利用する輩が出るとは想定していなかったのでは。
ちなみに木戸の憲法案は、選挙による議会を開くにはまだ民の啓蒙が不十分と考えていたため、
有司専制下での天皇による「デスポチック」な欽定憲法案。
政府の構成員がそれぞれの都合で勝手な政策を打ち出すのを掣肘するには
五箇条の御誓文だけでは足りず、とりいそぎしっかりとした政規を定めることが必要と考えた。
議会に関しては、町村等人民に身近な統治機関から始めて慣らしてゆき、だんだんに国政まで広げて、
人民に国政が手渡せる段階になったら憲法を改正すればよいという考え。
『遠い崖』に、木戸は廃藩置県後に英国公使館の夕食にに招かれたとき、
「今、お国のような選挙による議会をつくったとしたら、議員の10人中8人は
外国との交際に反対票を投じるでしょう」
といって代理公使アダムスとサトウを納得させた、というような記述があったはず。
このときのメインの話題はキリスト教問題だったと思うが、考えの根本は同じかと。
議会を作るにはまだ早いが、民意に代わるブレーキを用意しようとした。
こうしてみると、大久保と木戸は民選議院設置の時期尚早では意見を同じくし、
「まだ早いからやらなくていい」大久保と「今から下準備をしていかにゃならん」な木戸、って違いか。
普通教育の提言も新聞の創刊もぜんぶその下準備のためだもんな。
大日本国憲法についてはまったく勉強してないのでどなたかフォローよろしく。
長文スマソ
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/08(水) 19:42:56 ID:JU3zkVi00
世に住む日日読んで桂が出ないって前レスしたんだけど
2巻でようやく出てきたと思ったら
「長州ではせいぜい桂小五郎か。といわれていたが、それでもかつての水戸藩の
藤田東湖にくらべればはるかに小物であり、薩摩藩の西郷吉之助からみてもひどく
見劣りする」
あまりの言われっぷりに笑ってしまった。花神ではここまでひどくなかったんだが。
後、翔ぶが如くでも扱いひどかったけど。それでも開明性みたいな事でその点には
評価されてたのになあ。
上の文章は松陰死後で晋作が太子の世話係してたぐらいの時期なんだけど。
この時期、桂ってたんなる攘夷主義だったの?
>>562 幕末維新の人物では木戸が一番好きだが、
政治家としては大久保のほうが上だったと思う。
新政府をつくっていく上でのビジョンの持ち方というのか考えというか知識は木戸の方が数段勝っていたが…。
>>562 統帥権の独立は、政治家が軍を私することを防ぐためのもんだよん。
南米やアフリカの歴史辺りによくいるでしょ。大統領就任→軍を掌握→中央アフリカ帝国皇帝へw
まぁボカサ一世は兎も角、終身大統領になっちゃったりするのはよくあること。
その芽を摘むための統帥権の独立だよ。ある意味、西南戦争の教訓かもね。
そもそも明治期は日露戦争期も5閣僚5元老による指導体制下にあり、統帥部はその決定に従っていた。
児玉なんかは、逆にその指導部のケツを叩く為に日本へ飛んだりしてたがw
逆に言えば、和平という外交権に対して、軍部の側から出来るのはそこまでだった。
これがおかしくなるのは統帥権干犯問題からで、統帥権を拡大解釈して内閣の外交権と予算権に干渉したこと、
そして議会がそれを後押しして大問題に発展させたことによる。
これによって軍部が統帥権の名の下に外交権と予算権に干渉する名分を与え、議会と政府は弱体化し結果ああなった。
木戸の言うとおりにしとくか、大正期の反軍時代辺りで変えられれば良かったんだがな。
まぁどんな制度でも時が経って状況が変われば合わなくなることもあるし、それを定め運用する側がアレならどんな制度でもアレってことさ。
>>564 その時期の丙辰丸の盟約自体は幕政改革を目的としたものなんだよな。
木戸としては長井の周旋を度々批判してたが、それは主に幕閣に対する不信によるもの。
攘夷自体には、「一体鎖国と申訳にても始終之大略難相立」と消極的なんだよな。
上記の出典は文書一P138らしいが、今手元にないので確認できんw
そんで航海遠略策の周旋に奔走して、長井からは、水戸の説得は桂じゃないとできんと言われてる。
これは醒めた炎w
しかしまぁ結局、文久二年の御前会議で、木戸というか長州藩ごと一挙に奉勅攘夷になるんだが。
>>565 そもそもどっちが政治家として上かって評価する必要あるのかって気もするが
木戸をやたらと持ち上げるのもどうかという意味では同意
スーパーマンじゃないんだよ
それぞれ役割だって得意分野だってちがうしな
明治頭の基本体制樹立では木戸が力を発揮していたし
西南戦争後も生きてたとして
下野して啓蒙活動やら草の根的なことずっとやって
議会制が始まるころまた政界に出てきたら力発揮してたんでないの
>>566 なるほど〜
>>565 実行力っつか博打を打てる辺りは大久保のが上だな。
台湾出兵なんざ完全な博打だ、ありゃw
ただ、このガス抜きによって軍部の征韓派は完全に沈黙し、下野した西郷を始めとする征韓派との切り離しに成功する。
しかし西郷従道の息子にホルモサって名付けようとしたのは、実は皮肉っつか当て擦りじゃないのか?大久保卿w
まぁ明治二年には、政変起こそうとして逆に木戸を始めとする改革派にやり込められてるがw
570 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/08(水) 22:44:50 ID:JU3zkVi00
けど大久保はなあ。なんで西郷暗殺なんてしようとしたんだろうね。
西南戦争引き起こすきっかけつくっちゃって。
わざと反乱起こさせて鎮圧したかったのかね?
萩の乱の時の木戸と比べるとどうもなあ
>>570 >けど大久保はなあ。なんで西郷暗殺なんてしようとしたんだろうね。
これ私学校のやつらが拷問して無理やり言わせた暗殺計画だろ。
それとも大久保が出した暗殺指令書でも残ってるのか?
実子の好子だが、慶応2年生まれ?それとも明治2年生まれ?
妻木氏の『松菊木戸松伝』や『醒めた炎』では慶応2年生まれとなっていて
関係文書井上馨の慶応元年12月にも「舎兄え馬関婦人一件且妊之事…」とある為
下関の花街のそれほど馴染でもない女に生ませた子かとも考えていたが
『旧華族家系大成』には明治2年11月生まれとあり
木戸日記明治2年11月23日に「井上新一郎来る出産の事をを告ぐ」とある。
井上新一郎は善心と名乗っていた木戸の中間だった人なので
これが好子の事だとすると母親は東京の人と思われるが誰なのだろうか?
もし明治になってからの子ならもう少し何かわかっていても良さそうだが。
これ以上は永遠の謎なのかな?
>>570 不穏分子はあぶり出して潰す方針だったんじゃないか。
桂は身内に厳しいのか甘いのかわかんないな。
汚職した山県達は庇ってるし。
>>570 それこそ木戸が7時間に渡って鹿児島の扱いについて批難し続けて、
もうどうにでもなーれと参ってしまったのかもしれないw
576 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/10(金) 20:18:50 ID:UHPMpMnT0
山県は西郷にもかばってもらってたらしいが。なんなんだろうね。
そこあたりの人間関係わからないわ。山県は汚職政治家って事で
嫌われてたらしいし。その棟梁として木戸も萩の乱とかで批判されたんでしょ。
前原とかに。
松下村塾メンバーも一枚岩ではない感じだな。
松下村塾っつっても、原体験みたいなもんだしな。
伊藤は木戸の妹婿の来原良蔵の方に恩義を感じていたらしいが。
まぁ一から読み書き仕込んで、松下村塾に叩きこんだのが良蔵だから当然っちゃ当然かw
山縣が辞表出したのに、大西郷があれが居ないと軍が纏まらないからと慰留したんだよな。
前原は明治二年の政変(未遂?)で大久保から参議に祭り上げられたのに不満でヒッキーしてたときの印象が強いw
578 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/10(金) 22:55:50 ID:UHPMpMnT0
ところで馬関戦争の時の桂ってのはどういう立ち位置だったんだろう?
どっかのサイトの年表だと馬関戦争の二日後に伊藤たちを秘密留学させてるけど
馬関戦争はあれは久坂が指揮してたのか?高杉は僧になってたみたいだし。
>>574 木戸が山県をかばったの?
井上の件でさえ具体的には何もしなかったとばかり思ってたが思い込みだったかな。
槇村のことは、公開審査にしろとかいろいろ注文つけてたのは覚えてるんだが。
山県とか井上とか、具体的に何してかばったのか知ってる人教えてほしい。
580 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/11(土) 01:09:59 ID:i0IZ5ymx0
総理大臣:勝海舟
副総理 :佐久間象山
官房長官:吉田松陰
党幹事長:後藤象二郎
財務大臣:小栗忠順 副大臣:由利公正
外務大臣:大久保利通 副大臣:陸奥宗光
総務大臣:木戸孝允 副大臣:山県有朋
法務大臣:久坂玄瑞 副大臣:伊藤博文
防衛大臣:西郷隆盛 副大臣:大村益次郎
厚生大臣:小林虎三郎 副大臣:橋本左内
農水大臣:武市瑞山 副大臣:高杉晋作
国交大臣:吉田稔麿 副大臣:井上馨
文部大臣:緒方洪庵 副大臣:福沢諭吉
経産大臣:坂本竜馬 副大臣:岩崎弥太郎
公安委員:清河八郎 副大臣:近藤勇
>>580 官房長官、幹事長がミンス並にダメダメじゃないかwww
582 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/11(土) 01:28:32 ID:i0IZ5ymx0
これで、なかなか適材適所が難しいんだよ
なにこの問題児大集合
584 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/11(土) 06:21:16 ID:u3vDwQLAO
とりあえず知ってる名前を挙げたんだろな
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/11(土) 07:30:03 ID:+LRjMq0K0
勝では優柔不断なだけのような気がする。
西郷は軍人としては無能だ。あれの本質は指揮者兼策謀家なのだから。
財務に小栗と由利って最悪じゃんw
松方涙目
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/11(土) 16:50:15 ID:qv23NsrH0
桂が主役になれないのってやっぱ戦争に参加してないからかな。
禁門 馬関 功山寺挙兵とかに参加してたらもっと華やかだったのになあ。
明治含めず幕末の時点でも、
高杉よりも多く指揮官として戦争経験してる山県は主人公になってないぞ
一度も戦争に参加してない龍馬は主人公だらけだぞ
全く関係ないだろ
というか政治担当に何を望んでおるのか
そしていつまでageているつもりなのか
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/11(土) 19:15:12 ID:qv23NsrH0
政治担当としても。
出来れば潜伏中に実は裏方で頑張ってました。みたいのがほしいなあ。
禁門の後から復帰するまでの間がなあ。逃亡劇としては面白いんだけど。
高杉がいろいろやって安全が確保されてから復帰っていうのが。
やっぱ主人公になれない感じ。
だからなんだとしか
qv23NsrH0みたいな高杉厨は巣にお帰り下さい
なんなの?
594 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/11(土) 21:04:20 ID:qv23NsrH0
見たかったなって話だよ。
木戸があと5年ぐらい長生きしてくれてたら。
西郷軍VS木戸軍という燃える展開になってただろうし。
戊辰戦争とかも前線に出て欲しかったな。
木戸に一体なにを望んでるんだか
木戸の本質知ればそんな事は望まないだろうよ
とりあえずsageることを覚えるべきだな
あと五年長生きしていたら夫婦で一年ぐらい洋行して京都に住んで骨董三昧。
でも政治が忘れられず時々東京に出てきては口を出す。
そういや病に倒れなかったら夫婦で井上と洋行する筈だったんだよなぁ…
病と言うなら、そもそも京でぶっ倒れてからなぁ……
長州戦争前みたく、積極的な木戸が見れたかもしれん。
599 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/12(日) 12:22:32 ID:ZHH3JNXU0
木戸の病っていつから?ていうか脳病なのか。
胃癌なのかも分からない漢字だけど、
明治時代は「脳病」って言葉を頭痛とか不眠とか憂鬱とか広い意味で流行りのように使ったんだよ
樋口一葉も偏頭痛もちで「例の脳病」とか書いてるよ
木戸の「脳病」は基本的にしつこい頭痛
死の直前まで意識ははっきりしてるし脳溢血や脳梗塞の症状でもないし頭痛は死因とは関係ないとオモ
胃と肝臓だろやっぱ 日頃の行状からしても
特定の病気の話じゃないが、木戸はもともと丈夫ではないよな。
子どもの頃は病弱だったといわれるし、若い頃の「医者の勧めで温泉行きます」って書簡もあるし。
剣術で鍛えたベースがあるから保ってたけど、その体力を八・一八〜東京奠都あたりで使い果たして京でぶっ倒れたんでないの。
その後は、じっとしてられない性格で動き回るから分かりづらいけど、体が悪くない時はないくらいじゃね?
ところで自分は下戸なんでよく分からんのだが、
若い頃の日記の「飲みすぎて血ィ吐いた」って普通にあることか?
既に相当胃が悪くないか?
ごめん、
>>598がいう
京でぶっ倒れた
っていつの話?
ぶっ倒れた時がありすぎてわからん
>>602 個人的には飲み過ぎて吐くことはあっても、それは血ではないなw
1〜2合くらい吐いたんだっけ?もっとだっけ?
胃潰瘍が酷くなると吐血するって聞いたけど
明治二年頃には、胸が痛くてヒルに吸わせたり、医者に勧められて天保山で海水浴も。
>>604 知り合いにそういう人いるよ、胃潰瘍で酒飲みすぎて吐血する人
死因は胃癌で間違いないと思う
>>604 チャンポンで飲みまくって、そのあと血反吐を
吐いたことあるけど、
別に胃潰瘍や胃ガンというわけではなかった。
>>594 戦国大名じゃあるまいし。戦国大名でさえ、大将は通常、後陣。
中央政府のほうで薩長土肥の連携を密に取らなければならないという事情もあったし。
>>588 >桂が主役になれないのって
アフォだねぇ
現代の劣化日本人がアフォなだけ。
反薩長史観、特に反長州史観の人種差別的な国賊放送局(NHK)に、国賊作家と国賊学者と国賊非国民が多くなってしまっているだけ。
まぁ、山口県と鹿児島県の知事以下の公務員どもの超ウルトラ怠慢が滅茶苦茶大きい。
ググったら、マロリーワイス症候群ってのがでてきた。
飲みすぎ食べすぎその他で何度も吐いてると、
食道と胃の境あたりの粘膜が裂けて出血し、
吐血したり血便になったりするそうな。
胃が悪い人でなくても、繰り返し吐いてるとなるんだと。
出血多量になることもあるそうなのでこのシーズンご注意をw
まさに血を吐く思いで改革に没頭したんだな
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/14(火) 23:28:40 ID:sZHE3vIS0
質問。今、世に住む日日を読んでるんだけど、
桂がいきなり長州に戻ってきてるんだよね。4巻で
クーデターが成功して高杉とかが洋行しようとしたり
刺客を恐れて逃げ出したりしてもどってきたら
いきなり高杉が桂に嫁と愛人の苦悩の手紙を送っててびびったんだけど。
どっか読み飛ばしてしまったのかな?クーデターの後から何回も
読み直してるのに桂がキコクしたって全く書いてないような。
>>607 だれが胃癌で頭痛なんて言ったんだよw
あなたが逝ってください
>>613 小説だからどう書いても書かなくても作家の勝手。
世に棲む日々は昔読んだが、感想は司馬さんてやっぱり長州が嫌いなんだなと。
桂小五郎に大変興味を持っているみたいなので、
もし、まだ読まれてなければ是非日記と文書を読んでみてください。
>>613 同じく司馬の花神を読んだら、世に棲む〜に書かれてない長州の動きが補完できる。
同じ時期に連載してた作品だから、どっちも読む事を前提にあえて省略したのかもしれない。
花神には桂の帰還も細かくしっかりかかれてるよ。
桂の信頼に応えるためにひた走る蔵六、というくだりは花神中巻のクライマックスだと思う。
大河の花神では帰還した桂を見て尾藤イサオが演ずる伊藤が号泣してるシーンが印象深いw
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/15(水) 19:09:28 ID:6FlXDti00
桂が長州に戻ってきた時って高杉って脱藩してるのか?
桂が帰ってきてから脱藩したのかね?
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/15(水) 19:21:42 ID:6FlXDti00
>>615 >>616 花神は読んでるんだ。世に住む日日は5年前ぐらいに読んで
最近花神 飛ぶが如くとか読んで木戸好きになったんで改めて
世に住む日日読み直したらあまりの桂スルーっぷりにびっくりしたって話。
昔読んだ時の記憶だと
「桂がふらっと帰ってきた」とかそんな文章があったと思ったんだけど
そういうのすらなくて。
花神も世に住む日日も面白いんだけど、登場人物を絞らないで
ありのままに書かれた長州藩メインの小説が読みたいって思ったよ。
>>617 功山寺決起→終了→高杉が留学するとか言って伊藤と長崎へ→中止→例の3人、馬関を毛利本家直轄にして開港しようと運動
→攘夷派と馬関を領してた長府・清末藩士が激怒して命を狙われる→井上は別府へ、高杉は大阪へ、伊藤は潜伏
→桂が帰ってきて泉十郎を叱る→泉、伊藤に謝る→高杉、桂帰還を讃岐で教えられて帰る
大体こんな時系列
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/15(水) 22:09:34 ID:6FlXDti00
>>619 へえ、面白いな。桂は高杉がクーデターしたおかげで帰ってこれて
高杉は桂のおかげで帰ってこれたって感じか。
桂と高杉のコンビ物みたいな小説ないのかね。
あーそういうの凄く読みたいよね
お互いがお互いの弱点を補ったりを助け合ったり
あと桂は高杉のはっちゃけを「私からもよく言っておきます」って保護者っぷりを手紙に書いてるけど
逆に「高杉に叱られて泣いちゃったー」とも書いてるんだよな
ところでsageてね
高杉は若い頃剣術家を目指してたみたいだから
江戸で塾頭してた桂になにか思ってたりしただろうし。
4境戦争の時なんかもいろいろあったんだろうな。あの時って
高杉総大将で大村が参謀みたいな感じだったんでしょ?
裏で桂が綿密に考えて決め手そうだけど。
>>621 「高杉に叱られて泣いちゃったー」kwsk。それ日記に書いてあるのかぇ?
>>623 手紙だったと思う
なんか自分の不徳のせい(?)で不祥事が起こって高杉までもが辞めると言い出して泣いちゃったんだか
高杉に辞めろと言われて泣いちゃったんだか訳の怪しい自分にはどっちかよくわからないんだけど…
>>624 おぉ。早速情報ありがとう。ってことは木戸関係文書読めばいいってことか、今度図書館行って来るよ。
> 高杉までもが辞めると言い出して泣いちゃったんだか
高杉に辞めろと言われて泣いちゃったんだか
おいおい、どっちなんだ? すごく気になるじゃないかw
でも桂の泣いたみたいな記述はどうも言葉のアヤっぽいのが多い気もするけど。
「袖を搾る」みたいな書き方してるときは特に。
627 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/16(木) 04:03:35 ID:7Lo9zmDg0
高杉は長州藩内でもテロリスト
文久三年十月十六日 大和国之助宛書簡より
尤於上はいづくまでも皇室御回復之所は念々被思召候御事に付
御家来におゐては片時も相忘れ候ては不相済事承知仕居候得共
弟誠心不到、高杉までも只身を潔く致し候歟と存居候よし
於于此悲泣に不堪、独立独行一身を潔と云ば其にて不苦
元より名利は度外と兼て相心得居候に付、今更強て心に関し候事は無之候得ども
弟も亦人にて不覚袖をしぼり申候
たしかに「悲泣に不堪」とか「不覚袖をしぼり」とかは漢文の定型表現だな。
武士の教養的漢文はおおげさに嘆いたり憤ったりするのが基本だし、
また桂がそういう表現を駆使するのが得意な人だから、
嘆き・憤り表現は2〜3割差し引いて考えてもいいと思ってる。
八一八政変後、京で活動したり山口戻ったり他藩へ出掛けたり辞表だしたり。
高杉も桂も要職につけられてもやもやしてる時期。
高杉になんかいわれたわけじゃない気もするが。
いずれにしても自分の到らなさを嘆いてる。
>>618 >桂がふらっと帰ってきた
山岡荘八の『高杉晋作』では?
桂の但馬潜伏の話は書かずに、桂がひょっこり帰って来たと書かれていたと思う。
> 高杉までも只身を潔く致し候歟と存居候よし、於于此悲泣に不堪
「高杉まで職を辞すことを考えていると聞き及び、悲しみに堪えません」じゃないの?
なんで桂さんが叱られた話になるわけ?w
とにかく高杉まで殊勝なことを言い出したからますます落ち込んでると言いたいだけと思う。
案外内心はリベンジに燃えてるかもしれないけどw
> たしかに「悲泣に不堪」とか「不覚袖をしぼり」とかは漢文の定型表現だな。
特に木戸は、恐縮や反省を表現したいときの常套句として使ってる気がする。
それを真に受けるとしょっちゅう大泣きしてるみたいでおかしなことになりそう。
まあ、実際涙もろいとこはあったと思うけど。
有名な、倒幕への動きを芝居に喩えた書翰といい、
木戸はドラマチックな表現を駆使する傾向があるよな。
あの倒幕芝居書翰は、いかにも人に見せたくなるような手紙じゃね?
あれはまさか手紙に倒幕とか挙兵とか書けないので芝居にたとえたと思うけど
おもしろいね。
「御内拆御火中」とあるから、木戸は本当に燃やして欲しかったのかもしれないけど
龍馬がとっておいてくれてよかった。
司馬の小説とかでよくある。
攘夷はエネルギーだからあえて「攘夷」といっておいて
倒幕に向かわせる
みたいなのって本当に高杉とか思ってたのかな?桂とかもいつ攘夷が
無理で開国しかないって思ったのか知りたいわ。
上海渡航後の高杉が藩を動かすために大きな動き、危機感が必要だって思ってたのは事実だろう
その表れの一つが英国公使館放火(実は外国というより幕府への攻撃)だったりいろいろ
桂は周布らと共に5人の密航留学生を送り出した時点で開国は必須と考えているのは明確
そもそも自分も渡航願い出してるし
てか攘夷と開国は必ずしも対立する概念じゃないだろう
>>634 松陰も松菊も東行も、遅くとも1858年までには、
攘夷のためには開国が必要不可欠!
と自然に考え座えるを得ない状況だったというのに、
反薩長史観の国賊放送局NH犬や国賊学者どもや国賊作家どもが、
鎖国のままの異勅の屈辱開港を「開国」などと日本語としてはあり得ない表現を故意に吹聴し続けてるから、滅茶苦茶になってるね。
>>635 >と自然に考え座えるを得ない状況だったというのに、
誤記とはいえ、不思議な表現だなw
他にも「公武合体派」って変な表現が頻繁に使われている。
8.18クーデター以降は、
長州正義派と親長州正義派以外はみんな、公武分断派かつ朝廷破壊派。
長州正義派と親長州正義派だけが公武合体派。
(後に薩摩も合流し、維新後、明白。)
坂本龍馬の、佐幕派からは理解しがたい行動も、そんなところから自然に出ているような気がする。
なのに、「公武合体派」という言葉が、
孝明天皇・中川宮・二条・九条・近衛・一会桑など公武分断派かつ朝廷破壊派を不当に美化するために
露骨に真逆に悪用され続けている。
>>633 「簡単に鎖国とか言われても困るんだよバーロー」って手紙書いてる。
長州藩の方針が開国攘夷から即今攘夷に急転換した文久二年の御前会議にしても、
孝明帝を諫めて開国攘夷路線を維持するか、無謀を承知で奉勅攘夷するかって議論だったしな。
>>637 長井雅楽主張の、屈服開港を認める危険で現実迎合的な開国攘夷路線
(日本自ら植民地化推進の危険性あり!幕府追随路線!)から、
(松陰・)周布・桂・高杉・久坂ら主張の、
天皇・朝廷・諸藩による破約攘夷・即今攘夷によって植民地化的な屈服開港・屈辱条約を断固拒否すべきであるし、
対等な条約を結んだ上で全面的に日本は開国攘夷すべきである!(日本自ら絶対に植民地化を推進すべきではない!)
という誇りある理想的な開国攘夷路線(実質的な倒幕路線!)への転換。
これは、極めて決定的な路線転換なのに、適切に解説されてることがまず全くないんだよね、ひどい話。
これが分からないと、幕末の動乱が分かるはずないだろっていうぐらい重要な、路線上の分岐点。
もっとも、一会桑・中川宮など君側の奸どもが慶応3年5月24日(1867年6月26日)に孝明天皇から条約勅許を強奪しちゃったから、
それ以降は、明治政府でも破約攘夷・即今攘夷はしばらくは不可能になっちゃったけど、それまでは、
破約攘夷をさっさと先にやってしまうか、
幕府の屈服外交に迎合していつ実現するかわからない超ウルトラ長期計画「攘夷」「破約攘夷」を念仏のように唱え続けるかは、
当時の志士たちからすれば全く天と地ほどの差に感じられたはず。
その辺が全然解説されてない・・・・・。
更に事情をややこしくしてるのが、この当時下っ端だった伊藤博文や井上馨。
この当時の事情をまるで理解してないくせに、
一丁前に志士面して、あべこべに長井雅楽を擁護したりしてたりするw
条約がまだ正式発効していない・既に正式発効しているでは状況が全く違う!
【結論】
今のところ、日本には、
幕末の志士たちを理解しているまともな歴史学者・政治学者・歴史小説家は全くいない。
>>633 攘夷: 列強帝国主義の蹂躙、幕府の弱腰外交許すまじ
尊皇: 天皇の名の下に日本をまとめ直す
という桂や周布の基本路線に終始ブレはないと思う。
村田蔵六に西洋兵学のカリキュラムを見直させたり長州ファイブをエゲレスに送り込んだり
西洋文明を取り込もうとする姿勢もずっと積極的だ。
どっかで考えを大きく変えたという見方が違うんだろうな。
けどそれとは別に「異人に日本の地をふませない」
みたいな単純攘夷の奴らもいたんだよね?そういうのは
どっから沸いて出てきたんだろう?松陰はそういうのではないのに。
>>640 もともと長い長い鎖国で島国根性が蔓延してたし、
江戸幕府自体も(慶喜も)、「攘夷」を「鎖国」「鎖港」の意味に故意に曲解してるし、
積極的に海外と交流しようと考えていない人たちにとっては、
「攘夷」と「鎖国」「鎖港」とは同じ意味に思えてしまうんだろうw
インテリ層とそうじゃない層がいたって事なんだろうけど。
インテリ層の間では開国はしなくちゃいけないってのは基本だったのかね。
けど最初は幕府に開国するなって言ってたりややこしいか。最初の段階では
倒幕思想はなかったんだよなあ。ややこしいなあ。薩摩藩とかだと
下級藩士は最後まで攘夷で最後のほうで西郷に「倒幕になりもした」とか言われたらしいけど。
桂太郎って日露戦争の時の首相だよね。
木戸とは親密だったらしいが。桂太郎は木戸の事なにか言ってるの?
偉くなってかrね。
644 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/23(木) 10:24:42 ID:SQhx1O+G0
井上 山県 伊藤
って高杉派閥って事になるのかねえ。
井上は高杉と一緒に行動してるけど、配下ではなく同格だから閥と言えるかどうか微妙
山県は高杉の部下だし、伊藤もパシられてるからまあ派閥と言えるかな。
まとめて四人とも周布閥のちに木戸閥ってことは間違いない
646 :
645:2010/12/23(木) 13:17:01 ID:vzV+GqfGO
↑の書き込み内容訂正
別に同格でも派閥と呼んでもおかしくはないな
全員正義派ということで
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/23(木) 13:21:39 ID:SQhx1O+G0
大きくいっちゃうとそうなのかね。俗論派は結局明治以降は残れなかったんだろうし。
けど山県なんかは木戸とは距離置いてたんだろうな。政治家になるの反対されて
ムカついてただろうし。
木戸直系みたいのって誰かいるかな?あんま出てこない気がする。
この人バカなの?
> けど山県なんかは木戸とは距離置いてたんだろうな。
そもそもいつの時点での話をしているのか?
少なくとも明治元年、前線から戻ってきた山県は江戸で木戸に所持品をねだって、
「梅花の短刀」を詩を賦して贈られている。
その後、距離を置いたって傍証があるのか? 自分は知らないが。
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/23(木) 21:01:58 ID:ic56KF0R0
そうなの?けど賄賂とかあったりで木戸と相性良くないとか。
明治に入ってからは参議になりたかったけど木戸に止められたりで
幕末の高杉山県ラインからすると木戸山県ラインは距離あるでしょ。
高杉山縣ラインってなんぞや
別に山縣は高杉に絶対服従でもなかったんですが
だから、山県が木戸と距離置いてたってこと、
汚職と参議の件からの推測以外の根拠挙げて述べている論文ってあるのか?
自分は山県に詳しくないんで知りたいんだが。
そのへん、イメージで語られてる気がして気になってたんだ。
汚職に関していえば井上と木戸は終生信頼関係あるよね。
(まあ井上と木戸は付き合い長いから比べられないかもだが)
参議の件ってそんなに尾を引いてる?
家近所だし、萩の乱の前、伊藤や山県と前原の件話したりしてるし。
山県も庭造り趣味だったりするから、
プライベートでは案外話があったりしたかもと思ってたんだが。
くわしい人いたら教えてほしい。
幕末、高杉と山県の関係が深いのは、奇兵隊と村塾のダブルだからだろ。
諸隊大活躍の時期だし。
それと木戸との関係を単純に比べることに意味があるとは思えないな。
ただこの時期、木戸も高杉も諸隊の人心掌握に心を砕いてるから、
木戸も山県とかなり話をしてるはずだとは思うけど、
そこまでまだ調べきれていないんだわ。
元年の木戸日記からすると、それまでに山県のほうから積極的に話ができる関係にはなってるな。
山県と木戸って明治だと一緒に観劇したりしてなかったっけ?
もしかしたら他の人と勘違いしてるかもだけど
伊藤大好きでお馴染みの伊藤之雄の講座を聞いたら、
「山県が征韓論でどちらにも組せずに逃げたことに木戸が立腹し参議にさせなかった。」
と言う説明しててオイオイと思った。
第一回が木戸、第二回が山県を主にしてたんだが、この部分はどちらも同じ説明で、
文民統制の主張については完全スルーだった
著作に山県の本もあるし、こういうところからも不仲なイメージが広がってるのかなあ?
立腹とかが理由なら木戸はとっとと絶交してるだろ
656 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/25(土) 08:12:26 ID:fb91teaZ0
幕末でも四境戦争の時とか
高杉の奇兵隊派閥と木戸、村田コンビとの対立はあっただろうし。
村田なんて木戸が無理やり上にやったわけでしょ。
木戸の見る目はすごいが。周りからするとねえ。
そんな他所の地球の話をされても反応に困るな
なんじゃそりゃ。高杉が奇兵隊閥ってはじめて聞いた珍説だわ。
小説で、高杉と桂が不仲にかかれることが多いのって、
そういう予断に基づくイメージからなのかね。
実際にはむしろいちばん政見が近いのが高杉と木戸だと思うんだが。
井上にしたって、伊藤とセットで「晩年の木戸から離れていった」みたいに書かれてる本多いから、
専門書でも意外に根拠の無いイメージに基づく記述って多いんだよな。
たしか件の伊藤氏の伊藤博文本でも井上と木戸についてはその程度の記述だったかと。
幕末〜明治初年に活躍している長州人で木戸と関わりないってありえないんだが、
山県は参議の件ぐらいでしか木戸との関わり出てこないんじゃね?
まあメインの活躍は木戸の死後だからしょうがないのかもしれんけど。
伊藤の本でさえ木戸のことはちょっとしか触れないもんな。
山県、梅花の短刀の賦はけっこうぐっときたんじゃないかと思う。
戦にあっても梅花を忘れることないんだよ〜みたいなメッセージだよなあれ。
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/25(土) 09:14:50 ID:fb91teaZ0
だれが高杉と桂の話をしたの。
四境戦争の時の奇兵隊には山県がいるでしょ。それをさしおいて
大村を抜擢したんだからやっぱ確執はできるだろ。
高杉の奇兵隊閥なんて書いておいて高杉の話はしてないってそれ日本語?
つかそんなことで派閥対立とか妄想してたら高杉と山県なんかどうなるんだw
高杉が決起しようと声をかけても山県は奇兵隊ぐるみで断って高杉スルーしたり
高杉は後継者に大村を指名して山県スルーだったりしてるけど?
伊藤本なら伊藤之雄より滝井一博のが断然おすすめ。木戸との関係が良い形で文章になってる
ていうか之雄の本は元老贔屓が激しい
坂野潤治も比較的平等に書いてるから読みやすいなと個人的に思うな
やっぱり偏っちゃまずいんだよなとひしひしと感じる。自分も木戸贔屓過ぎて盲
目になったりするから尚更w
だから具体的に確執の話をしてよ。
木戸・高杉・大村ラインで兵制改革して、
そこに軋轢は当然あったろうが確執までいったのか?
だいたい木戸帰藩以前から大村は兵制改革に携わってるだろ。
それに奇兵隊単体で幕府相手にできるわけもないぐらい、
慎重な山県はだれよりもわかってただろうし、
奇兵隊を掌握したからといって中間上がりの自分が
いきなり藩全体の軍を掌握するような幻想とも無縁だろ。
山県はその辺リアリストだろ。このころから木戸とかに近づいて上昇めざしたんでは。
むしろ大村への反発があったのは中士以上の連中と思うがどうよ。
そもそも派閥や系統で木戸を考えてもあまりぴんと来ないな
その時々の状況によって誰と意見が一致していた、していなかった等はあると思うけど
ヒストリアだかその時歴史が動いただったかで「長州閥の親玉」的な表現されてた時も違和感あった
面倒見は良いけど、親分やお山の大将的な「ついて来い」みたいなものを感じないからかな
664 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/25(土) 22:01:58 ID:fb91teaZ0
木戸ってけどつるんでないイメージあると思うけどな。
松下村塾だってベッタリではないし。奇兵隊からも距離置いてるし。
明治政府からも遠ざかりたがってた感じだし。
だが引き取った子や部屋住みは多いw
木戸と山縣といえば、大阪会議の翌年に夜を徹して語り合ってたな。
何をそんなに話す事があったんですかあんたらw
つるむといえば長や杉とのおそろいのシャツにはわろた
失礼だが誰一人として似合ってないw
あと木戸はなんだかんだいって軍部の人間になつかれてるよね
高杉とか市とか鳥尾とか三浦とか
山縣はつかず離れずの不思議な感じ
667 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/26(日) 08:40:47 ID:jWXWHYBZ0
戊辰戦争あたりのときに木戸は長崎に行ってたらしいけど大変な
時になにやってたんだ?
後、幕末時代って木戸より上司がいたよね。名前忘れたけど松陰が
自分はこの人には生涯勝てないみたいにいった人。その人はどうなったの?
井上や山県は、善悪で歴史を語らない研究が主流になってきた今だからこそ、
再評価する研究書が出てほしいなあ。とくに井上馨。
山県は最近いくつか出てるけど、読んだ人おすすめある?
ググッたら今月も一冊出てたわ。
このage厨ちゃんは妄想と質問ばかりですな
>>661 幕末長州ファンなでけで史学を学んでいるわけじゃないけど
近所の図書館にあったので正月休みに読んでみます
>>667 出張だよ戦争中だって政治はやってんのよ。ずっと長崎にいたわけじゃあるまいし。
山田宇右衛門は慶応三年十一月に、藩侯の復権を目前にしてに病死。
木戸は藩政改革のため帰藩した折に墓に詣で、
「昔日與翁共に艱難の間に極議論談天下四方之敵を一掃せんと期し
また余の與薩州と合し謀回復挙村田蔵六用軍政大に二州の兵勢を改革せんと欲し
乙丑之機会不可失と大に周旋尽力す当此際任して助余ものは独此翁也」
と述懐し、今も翁がいてくれたら藩がこんなことにならないのに…とか嘆いてる。
これ長崎行きの直前じゃないかな?
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/26(日) 17:32:42 ID:k3DMCmnJ0
情報ありがとう。
やっぱ政治方面は地味になっちゃうなあ。村田が江戸城で西郷と対決しながら
彰義隊倒してるのに。
なにをしてその結果どうなったかが分かりづらいんだよな。政治方面に優れてるひとって
藩政改革も結局、結果どうなったのかはわからないし。
このage厨って自分がage厨ってわかってないの?
派手なパフォーマンス期待してんなら木戸調べても無駄だからもうやめたら?
木戸は地道に根回しして世論作ってくタイプのまっとうな政治家なんだよ基本。
あんた戦争がらみ好きみたいだし西郷でも板垣でも調べりゃいいじゃん。
戦争で指揮を執って勝つのが好きみたいだから山田とかいいんでない?
最終的には政治家に鞍替えしちゃうけどね
ところでつるむでふと思い出したけど
吉富さんとやった奇妙な遊びってなんだったんだろ
アッー!
ピーーー! それはやっぱり放送禁止だろw
>>676 それを奇妙と言うのは薩摩や土佐の人に失礼だw
周布の霊でも呼び出そうとしてみたとか
維新後 政治家としての桂はなにほどの能力も発揮しなかったが
そこまで生きえたというのは、桂の才能というべきであろう。
司馬遼太郎 幕末 逃げの小五郎より引用
これが一般の評価になっちゃってるもんな。明治時代にもう少し
目立つ事をしておけば司馬にここまで言われなくてすんだのに。
やっとsageを覚えたんだね、良かったね
で、どの軍人にするかは決まったのか?
は?なに言ってるの?なんで軍人が出てくる?
あんた戦争の現場にいる人が派手で大好きなんでしょ
しかし司馬の小説、しかも短編1作品の評が世間一般の評価と近代史板で発言できるなんて司馬厨は凄いな
ちなみに飛ぶの方はスルーなんですか
まああれ木戸に書生はいないとか書いちゃったしね
誰もそんな事言ってないんだけどなあ。個人的には木戸が幕末明治で一番だと
思ってるから書き込んでるんだよ。一般の評価が覆ればいいと思ってるからねえ。
このスレも最近来たんだけど11までやってていままでなにしてたの?木戸のすごさを
纏めるべきじゃないの?ちょっと興味を持った人がすれ開いた時に木戸のすごさが
分かるようなテンプレを作るべき。
俺は司馬が桂をどのように書いたかをこのスレに書き込んで纏めようとしてたりもするんだけど。
創作小説のまとめなんか自分の落書き帳にでも書いて終わっとけ
仮に司馬が木戸を絶賛していたとしても、そんなもの何の根拠にもならん
>>684 > 司馬が桂をどのように書いたか
板違いです
司馬を纏める暇があるなら松菊木戸公傳を読むのだ。
木戸についてまとめるのに司馬をつかおうだなんてこのスレでよう云うわ
『松菊木戸公伝』・『醒めた炎』・松尾正人の『木戸孝允』最低限どれか一つ読んで出直して来い
さらに云えばテンプレで簡単に業績顕彰できる程度に単純でわかりやすい人物なら
11もスレが続くほど皆はまっとらんわ
大久保スレも西郷スレもここまでにぎわっとらんだろが
最後の一行は余計だと思います
醒めた炎売ってないんだよな。5箇所以上古本屋回ったんだが。
西郷も分かりやすい人物ではないと思うが。
桂の実績というとまあ一番分かりやすいのは薩長同盟だよね。幕末だと。
坂本の影に隠れてるけど。薩摩憎しの長州の世論の中での同盟だから
いろいろ大変だったんだろうけど。大変な部分があまり出てきてないんだよな。
明治だと一番はやっぱ廃藩置県になるのかねえ。けど廃藩置県って木戸がやった
ってことにはなってないよねえ。最初に言い出したのは木戸らしいけど。
そういや板が落ちて三傑スレもそのまま終わっちゃったな。
かなり偏った木戸好きがいたり、久光に詳しい人がいたりして楽しかった
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/28(火) 00:17:04 ID:OgelU4UX0
木戸孝允は明治初期の頃、日本を早く一つにするために
戦争と言う手段を肯定したが人生全体としては維新の志士の中でも
平和主義は最高峰だよね。
結局ログは復活しないのかね
一時期ここにいた西郷(との比較)好きは三傑スレがあったらそっちに誘導できたんだろうに
木戸は言い出しっぺは多いけど実行は共同作業としてやるから
誰かと一緒に何かをやったって話も楽しいだろうと思うんだが、比較厨を呼び込みそうで怖いんだよね
696 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/28(火) 00:24:25 ID:8Uhvlprk0
mo
木戸は、伊藤や大隈と廃藩について議論したり、殿様たちと宴会して郡県論ふきこんだり、
新聞雑誌作っていろんな情報全国に広めたり、息子失って老体に鞭打って働いてる爺さんに話聞いたり
そういうところが持ち味だと思うから、
「こんなとこでこんな人に会ってこんな影響受けてます/与えてます」みたいなの追ってくと面白いなと思う。
そゆことじっくりやるだけの知識と頭脳とと金と暇と根気があればなあああああ
>>692 木戸が提唱したことも西郷の「おいが引き受けもす」も省略されて
大久保の名前だけ出される事が多い気がする>廃藩置県
醒めた炎は文庫だと1〜3巻は100円程度で出ることもあるよ
4巻だけは異様に高騰して3000円以上あったりするけど
とりあえずネットで探すことを勧める
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/28(火) 09:13:43 ID:QOuGwhc7O
私は醒めた炎は図書館で借りて読んだ。
見つからない、高過ぎると思う方は図書館がお薦め
けど廃藩置県って西郷に伝えたのは山県有朋でしょ?
山県は西郷派閥、伊藤は大久保派閥。
何もわざわざ自分の無知を晒さんでも
それと思うんだけど伊藤って木戸の事嫌いだったんだろうなあ。
大久保に付いた事だけじゃなくてさ。
木戸の育みだかになった時に
「形上こうするが、上下関係が出来るわけではない。僕と君は同士だ」
って言ってくれた人の息子に
「木戸さんみたいになるな」
なんて普通はいえないと思うんだが。
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/29(水) 08:00:54 ID:Qk6J8qAm0
木戸って有能だと思うけど。性格的にはどうなんだろう?女性的とか書かれるが。
そこあたりは同時代の人はどう思ってたんだろうね。
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/29(水) 20:12:42 ID:uUUaVZhL0
木戸は神経質で繊細な性格だった
幕末の頃は後輩達のフォローも大変だったし
常に長州藩のリーダーとして新撰組らに
命を狙われていて神経をすり減らし
維新時期にはかなり病弱な体質だったらしい。
もともと壮健な体質ではなかったみたいだね。(薩摩の小松と同じ)
>>703-705 アフォですねぇww
維新期で、後世の目から観ても十分合格点のまともな人間・まともな政治家は木戸と板垣だけ。
他は、大久保も伊藤も自分がー自分がーってだけの傲慢すぎる人間で、後継者すら育成してないドアフォ。
707 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/30(木) 11:06:33 ID:aR61GqNF0
大久保は榎本や大鳥らは助命して自分に逆らって対立した江藤を抹殺した
江藤の抹殺したことだけはどの政治家も批判していた
708 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/30(木) 11:41:29 ID:hWd8BT730
うぃきみたらなんか木戸のページが充実してたなあ。
子供の頃、船を転覆させて遊んでた
とか
長州藩士手塚律蔵から英語を学ぶ
とか初めて知ったわ。
それと乃美織江のページで
「桂小五郎が殺された」と時期尚早に長州藩に誤報を打って長州藩内を過剰に激昂させてしまった
張本人である。更に、小五郎が生きていると対馬藩邸から秘かに伝えられるやいなや今度は
「桂小五郎は屋根伝いに逃げたらしい」とまたもや誤報を藩に打ち、今度は小五郎を非常に苦しい
立場に追いやってしまった問題人物でもある」
ってあるけど。桂小五郎が屋根伝いに逃げたって誤報打つとなんで桂が非常に苦しい立場にたつの?
>>708 アフォだねぇww
国賊放送局かつ名誉毀損放送局のNH犬に聞いてみろよwwww
>それと思うんだけど伊藤って木戸の事嫌いだったんだろうなあ。
人の気持ちを推し量るのは難しいが、好きとか嫌いとかそんな単純な関係じゃないだろう
伊藤にとって木戸は好き嫌い以前に、彼がいないと自分もいないという土台的な存在だ
世話になったとかそういう一通りのものでもない
直談では例の洋行での行き違いの話の前に「木戸公に愛されて兄弟もただならぬと言った間柄」
「特別に親密だった」という親しさの強調が入っていて複雑な心理を窺わせる
他人なら世辞を並べるところ、身内だと「親父には困った」「兄貴みたいになるなよw」ということがある
その裏には、自分が自分の道へ行ったことへの必要ない言い訳があったりすることもある
身内同様の時期があったからこそ、親子兄弟みたいな複雑な愛憎があったと考えると、
伊藤のいろいろな弁が理解できる気がする
木戸の子息は来原の子供でしょ?
伊藤は恩人の息子、兄のような気持ちで接していただろうから、「木戸に気後れする事ないんだぜ。」という励ましもあったんじゃないか。
と想像する。
公式の場で伊藤がその発言してたら伊藤の性格を疑うが、
木戸と並ぶ恩人の来原の息子である孝正相手にプライベートで話した内容なら
そんなに酷いことではないよなあ
孝正にとっては生前の木戸は父というより伯父だし
>>708 ヒストリアによると報告中に「臆病」とかいう中傷があったようだ
しかし実況では「逃げなきゃ死ぬだろ?」とさんざんツッコまれていた
近藤勇は山崎烝から
「池田屋に志士たちが参集してますが、今なら桂小五郎がいないから大チャンスですぜ」
と情報を得て、それで焦って池田屋に突撃したというのが真相だろう。
それにしても国賊NH犬どもの反長州史観・反木戸史観はひど過ぎだな。
会津救済と霊山を取り上げたのは感心したけどね
しかしあの番組、木戸回に限らず参考文献のネタっぷりは何とかならんのかw
大河ドラマの様子を見て、大河とは違う見解や
大河に出ない情報を入れようとはしてるようなんだが…
しばしば単なるネタ紹介になることもあるようだ>ヒストリア
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/01(土) 00:14:12 ID:V0IM5QT80
会津救済って具体的にどんな事したの?
昔の上司の家族を助けた事は知ってるんだけど。
相変わらず日記も見ない関係文書も見ないヒストリアすら見なかったage厨さんか
719 :
【中吉】 【1782円】 :2011/01/01(土) 10:05:58 ID:V0IM5QT80
てす
あけおめ〜
なんか、最近木戸の派手な功績期待したカキコ多いね。
木戸の魅力はそこじゃないと思うが。
自分は基本的に明治の木戸のファンなんだけど、
四境戦争前後の木戸はこれまたすごいって思うんだよね。
それは、まあ実質藩政府のトップに立ってはいても、
独裁に近い強引さで藩を引っぱっていったわけではなく
支藩に周旋したり他藩へ周旋したり辞表出して政府内の因循論排除を促したり
同盟に当たって諸隊等の反発抑えるため薩摩を非難するパフォーマンスしたり
足軽に苗字を許したりの一方命令違反を厳しく処罰したりで諸隊を体制に組み込み
あっちを調整しこっちに手を打ち、説得したりなだめたりで軍政民政まとめて
ごたごたの藩をなんとか挙藩一致させひっぱってったとこなんだよ。
強いリーダーシップってのも特に非常時にはそれなりの魅力があることは認めるけど
非常時にこういう政治ができるってのが木戸のすごいとこだと思うんだ。
だから、木戸といっしょに政治をやって、木戸を支えた人たちのことももっと知りたいと思う。
広沢とか、檄文起草した宍戸とかさ。井上伊藤の動きとか。杉とか。
松菊木戸孝允さま、木戸ファンの皆様々、あけましておめでとうございます。
今年こそよい年となりますように。
>>720>>721 あけおめ〜
剣豪にして日本近代化の父、維新初代宰相、松菊木戸孝允。
こんなかっこいい超ウルトラかっこいい逸材に対する低脳国賊どもの醜悪な嫉妬・名誉毀損が
今年こそ完全払拭されますように。ナム〜
723 :
【大吉】 【933円】 :2011/01/01(土) 12:26:43 ID:V0IM5QT80
初代宰相なのか?
>>723 一体どこを見ているんだ?
総裁局顧問から2人参議・4人参議・外遊まで、実質的に維新初代宰相をやっていたのが松菊木戸孝允。
話し合いによる合意を尊重し、突出して暗殺されるというヘマをやらかさなかった点でも極めて秀逸。
宰相ってのは役職なんだから実質そうだったというのと公式にそうだって言うのとではまるっきり違うだろ。
>>725 > 宰相ってのは役職なんだから
一体どこまでアフォなんだ、キミは?
「宰相」って役職が日本政府のどこに、いつ、あったと思ってるんだ? 支那人か?w
ああ、いつもの低脳国賊だったか・・・・
新年になっても国賊君は相変わらずだな。
明けましておめでとう御座います。
728 :
【大吉】 【529円】 :2011/01/01(土) 13:30:49 ID:V0IM5QT80
よう分からないな。宰相ってのは三条実美とかじゃないの?持ち上げるために
そんな事言われても。
それなら大阪会議後とかに木戸が付いた職が名誉職だったのかどうかとか。
最初の総裁局顧問専任とかがどれだけすごかったのかとかを言ったほうがいいんでないかな。
王政復古後の体制で有栖川宮熾仁親王が総裁になったのが最初の様だ。その後、新しく副総裁を置いて
三条と岩倉がこれに就いた。その後総裁が廃止されたから副総裁の三条と岩倉がトップになる。
どう見ても木戸じゃないなぁ。
木戸が偉かったの偉くなかったの地位がどうのには興味ないな。
それより何を考えていたか、何を実行したかが話したい。
731 :
【中吉】 【1472円】 株価【19】 :2011/01/01(土) 17:38:35 ID:V0IM5QT80
やっぱ木戸は外遊までかな?外遊後は大久保が主導でやった幹事だし。
征韓論反対とか実際どこまで木戸が関わったかは不明だし。ていうか
議会でなかったんだよね。木戸は
あけおめ
床の間に松菊を飾る春であります
ことよろ
廃藩置県とか議会制とか法整備とか
一体いつからそういう思想を持っていたのかに興味ある
倒幕後にいきなり思いついた訳ではないだろうし
長州のトップは倒幕前からそういう雰囲気だったのかな
あけおめ!
スレが伸びてるから何があったかと
しかし改めて住民多いんだなここ
去年はなんだかんだで大河便乗の書籍で楽しめたし、
谷原木戸も4部を除けば素晴らしかった。
今年はとりあえず、佐倉市の博物館の木戸家の展示が楽しみ。
岩倉文書とか井上の遺品についての続報もあるといいな
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/01(土) 20:21:00 ID:+uENxvgc0
あけおめ!
木戸はもともと過激なことを嫌う性格だったろうが
岩倉使節団で欧米見てきた後は更なる平和主義者になったんだろうな。
ポーランドの実情を知って敗北者の痛みを感じ取ったと思う。
736 :
【大吉】 【1102円】 株価【19】 :2011/01/01(土) 21:25:04 ID:M3EVayUw0
当時の海外体験って今だと宇宙行くみたいなもんだろうから。
価値観とかすごい変わるだろうなあ。
一日遅れてあけましておめでとう
今年も楽しく木戸研究&カキコできますよう(-人-)
桂さん木戸さん好きです
あけおめ
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/02(日) 18:19:31 ID:wXCga7eI0
醒めた炎購入。しかしアマゾンの関係で2巻と4巻だけだった。
ぱらっと見た感じだが文章的には微妙そうだな。
しかし古本なのに高いな。三国志にはまった時三国志正史の4巻買ったんだが
それでも1500円だったんだが。醒めた炎は5000円かかってしまった。
「醒めた炎」はこういう傾向のものとしては文章は読みやすいともっぱらの評。
でも普通のエンタメ性を求めて読むものではないだろうな。
あと年表上の重要事項がある程度頭に入っている人を想定してるとこがあると思った。
741 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/03(月) 09:22:52 ID:ehAijO6Z0
醒めた炎4巻ちらっと見てるんだが。意外と木戸も結構いろいろしてるね。
板垣とかとかと会談したりしてるんだな。
742 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/03(月) 13:42:36 ID:uIVv+wm00
>>731 木戸は外遊後はあえて身を引いていた感じがあるね。
薩長閥の情実に嫌悪していた木戸は、二大巨頭体制でいるよりどちらか一方が
政府を引っ張っていった方が改革が進められると思ってたんじゃないかな。
木戸は自分の寿命が短いのを悟ってたし、薩長盟約の時から薩を兄、長を弟とわきまえてたから
自然と身を引く形になった。と思う。
木戸が死んでから薩長閥争いがひどくなったことから見ても、木戸と大久保がかなり
抑えていたことがわかる。
そうなんだよ!
ほんと「明治の木戸は何もしていない」とかよく言うよな。
常に体調悪くて大変なのに、明治六年政変後もいろいろ活動してんだよ〜
立憲議会制や地方自治関係の下地作りしてるけど、
こういう地道な体制整備や世論作りって、どうも無視されがちだ……
下野して中央政府のことしてなけりゃ、そんときゃ山口県のことしてたりするし。
井上といっしょに士族授産事業関連とか。
板垣がらみで参議辞職したあとも、天皇教育やら皇族関係のことやってるし。
それも当時としちゃ結構緊急で重要なことだったんだしな。
板垣といや、『〜逸話』で「当時リベラルだったのは木戸公と自分だけ!」な勢いでワロタw
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/03(月) 14:56:56 ID:P3taTCgQ0
飛ぶが如くであった西南戦争で九州の裏側から船で上陸するみたいな
作戦は木戸が大久保に検索した(元は山田が木戸に建策)
ってのが醒めた炎ではなかったけど司馬の創作なの?
745 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/04(火) 00:11:16 ID:EJOUDIRP0
木戸が岩倉使節団で帰国してから戦争に積極的に協力したかな?
>>744 手元に木戸文書がないんで直接的な話はわからないが、
松尾正人『木戸孝允』には、熊本城背後の八代に増援軍を上陸させるよう主張し、
結果として増援軍の上陸が熊本城にこもった官軍との連絡を早める成果につながったとある。
松尾氏の検証は信頼できると思う。
>>745 木戸が忌避していたのは戦争そのものではなく、戦争によって人民が疲弊すること。
人民を疲弊させる反乱を鎮圧するのに、消極的になるなんて有り得ないだろ。
747 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/04(火) 01:20:32 ID:EJOUDIRP0
>>746 確かに木戸は戦争早期終結には努力しただろうな。
協力して新時代を開いた西郷が反乱を起こしたことは辛かっただろう。
西郷を嫌っていたわけでもないかもしれないが、
共に人民の幸福を求めたかったろうに。
748 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/04(火) 10:03:23 ID:2EMIBeSu0
洋行前は木戸はすごいって合ったけど
「歳月」って小説だと江藤新平が一人でやった感じになってるなあ。
木戸と江藤の関係ってどうなってるの?
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/04(火) 11:52:49 ID:SYTf4PXh0
木戸 小松 病弱で早死
大久保 暗殺
西郷 西南戦争で負けて自刃
薩長同盟に尽力にたメンバーが早死したのは本当に残念…
維新三傑がほぼ同時期にそれぞれの理由で死んでいるのが運命的だな
もっと互いの巡り合わせがよく、長生きしてたらと思わずにいられないが
維新の前後だけでもあまりにも大仕事だったので、
彼らの役目はここまでという天の思し召しなのかもしれない
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/04(火) 15:23:39 ID:588QdwN10
木戸と江藤の考えは政府の中の誰よりも一致していたんじゃないかなと思う。
残念だったのは、留守組と外遊組の違い。
江藤がもし木戸と共に外遊していたら、実際に外国を目の当たりにした者とそうでない者との
価値観のズレなどもなく外交や内政にもっと協力し合えたんじゃないかな。
752 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/04(火) 15:48:26 ID:SYTf4PXh0
江藤は渡米したかったけど
岩倉が西郷だけでは不安だから日本に残るよう説得された
ちなみに江藤を一番評価していたのは岩倉
薩摩閥にとって想定外だったのは
実質トップで頼りにしていた小松の早死…
久光と西郷を懐柔できるの小松くらいだろう
小松が亡くなってから大久保は薩摩閥をまとめきれず苦悩する
…もともと大久保は薩摩閥のトップではなかったから仕方がないけど
小松帯刀がもうちょっと長生きしてたら薩摩の感じも違って、
木戸もいろいろ助かった気がする
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/04(火) 16:52:37 ID:SYTf4PXh0
小松の死後大久保は吉井、五代友厚らと小松の墓参りによく行っている
つまり薩摩のメンバーは小松の早死を惜しんでいる…
五代は小松の死後小松の妾と子供さんの面倒もみた
小松も惜しいけど、広沢が殺されずに留守政府を仕切ってたら江藤ら肥前閥の台頭や井上の失脚も無く、
六年政変も違う形になってたろうなあ
木戸は助かっただろうし、晩年は望みどおり引退して洋行できたかも
756 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/04(火) 18:55:26 ID:6M3QrjFF0
井上と山県の不祥事はどれくらいのものだったの?江藤が長州派閥を一掃するために
大きく仕立てたのかな?
あれのせいで帰国後の木戸の発言権も弱まっただろうし。鬱の原因にもなっただろうに。
757 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/04(火) 20:14:58 ID:6M3QrjFF0
司馬遼太郎「歳月」473p
「木戸は長州嫌いであるはずの江藤にどういうわけか好意を持ち続けていたが」
か。ここあたりいろいろありそうだな。明治の長州って人気なかったみたいだし。
後、大隈は派閥でいうと大久保派閥か。
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/04(火) 20:30:24 ID:SYTf4PXh0
江藤より実力のある政治家はほとんどいないわけで
木戸は江藤を抹殺した大久保とどう付き合えばいいか分からず
島津久光に相談している
当然久光も江藤のことで大久保に対して激怒している
こんなことが起きれば恨まれて大久保の暗殺も驚かない。by勝海舟
勝は大久保に権力を集中することに不信感を抱き彼の葬儀には参列していない…
大隈は自分を推挙してくれた小松と大久保に長生きしてくれればと
心底思っていたはず…
ふたりが生きていれば下野することもなかった
>>755 広沢が生きていても留守政府を押さえられたかは半信半疑だが
木戸の為には生きていてほしかった。木戸が一番頼っていた人だと思うんだよな。
人として心の大きい人という気がする…自分の想像だがw
関係文書5早く出てほしい。広沢真臣がどんな手紙を書いているか興味がある。
江藤と木戸の付き合いって割と古いんだよね。文久二年に江藤が脱藩して京都の桂を訪ね、
桂は潜居先を世話したり、姉小路卿に会えるよう周旋してやったりしているんだっけ。
当時、桂の名はやはり志士の間で有名だったんだな、ってのと、
何でこの人こんなに面倒見がいいのって涙がちょちょぎれるw
江藤と木戸の関係は最後まで悪くないよな。
槙村の裁判の件で木戸は下野後の江藤にいろいろ相談してるし。
江藤もちゃんと対応してやってるようだ。
広沢はホントにもったいなかったよな…関係文書ってどうなってんだ?
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/04(火) 23:22:58 ID:SYTf4PXh0
木戸と小松は志士たちの面倒見が良かった
つまり人望があるということ
木戸孝允は人望があった、
それでなくては、幕末維新のリーダーにはなれない。
文久二年の、江藤と会う1〜1ヵ月半前だと思うけど、
清河八郎から「ぜひ会ってお話したい!」って匿名の手紙もらって、
そんときは桂、会いもしなかったって話あったよね。
自叙にも「長藩士、清河と交わらず」みたいなこと書いてたよな。
たぶん名前も知らなかったであろう江藤とは会って親切に便宜はかってやって、
清河にはこの態度だから、よっぽど清河を胡散臭く思っていたのか。
これも危険察知能力ゆえなのか。
清河って、新選組から見た姿よりはずっと真っ当な志士だったようだけど、
後ろ盾を持たないが故の世渡りの仕方がきわどく危ういっていう印象。
江藤に関してはいずれ佐賀とつながりを…ってもくろみも桂にはあったかもしれない。
ああいう頭が切れて一途なタイプは好みなんだろうけど。
>>756 木戸は鬱ではない。それは小説の中のフィクション。
国の将来の事を一途に考え続けた『憂国病』
本人も自分の憂国病は死ななきゃ治らないと言っている。
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/06(木) 00:32:13 ID:iImGjPlQ0
>>764 一つの小説とかが有名になるとそのイメージで、
史実のその人も見られる傾向があるね。
例えば芳川英治の宮本武蔵が有名になったお陰で
佐々木小次郎のイメージが出来上がったように。
木戸孝允も司馬遼太郎の「竜馬が行く」に引っ張られて
多くの人にこんな人というイメージをうえつけたのだろうな。
実際、調べるとかなり違うのだけど。
ここでやたらと司馬の変な木戸描写(実はマシなところもけっこうある)を見つけては
史料のように出してくるのは約一名の変な人。あんまり一般化しないでよろし
>>766 このスレだけでなく風雲児たちスレにもおそらく同じ人がいる様子
風雲児たちの桂(他の人もだけど)は司馬ナイズされてないから安心して読める
なんじゃそりゃ?漫画だっけ?
司馬厨くんが読めるのは漫画と娯楽小説だけなんだろうな
ソースを問うわりには、
司馬小説XのP-○○に 「・・・」という会話がある、だからこいつは悪意を持っていたのだ!
だもんな。こいつは史料というものを知らない。
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/08(土) 20:04:33 ID:HqMzUprD0
木戸は軍人が政治家になるのを嫌ったみたいなのは確定でいいの?
山県とか征韓論で西郷が下野した後参議になっちゃってない?
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/08(土) 23:19:06 ID:2dewIvqE0
木戸は軍人が政治家になることを嫌っていた
木戸はトップに向かない山県の性格も見抜いていて
山県は自分を重用しなかった木戸を長い間恨み
木戸の葬儀の時嘆き悲しむ伊藤と井上を理解できなかった
軍籍になかった勝安芳は海軍卿と参議を兼ねたけど、
木戸の反対で陸軍卿の山県は参議兼務していないはず
醒めた炎を読んでると、木戸と山縣ってこれといった劇的なエピソードがある訳じゃないけど
ちょっとした事で木戸に指示を仰ぐ山縣という小ネタで絡んでる感じがする
高杉の葬儀の方法で奇兵隊と家族で意見が違うんだけどどうしたらいいですか?とか
それ木戸に聞くことなのか?と吹いた
だからさ、山県が木戸を恨んでたってソースは何なの?
木戸は確かに軍人の参議兼任には反対だったし、
明治七年に大久保が反対押し切って山県を参議にしたのは不快だったろうが
その後も山県と政治的にも私的にも交流あるだろ、って前にもいったんだが。
木戸は、そのくらいのことで同郷の同志を許さなくなるようなタイプじゃないし、
山県だって結果的には参議兼任できたんだからいつまでも恨むような話じゃないだろうに。
>>771 井上は木戸の葬儀のときヨーロッパだから。
大久保暗殺後に呼び戻されている。
それどこの小説のはなしですかw
>大久保が反対押し切って山県を参議にした
そうだっけ。
でも木戸が軍人と政治家の兼任は反対だったことはたしかだよね。
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/09(日) 09:53:41 ID:ZV72heiW0
大久保ってえげつないよなあ。江藤の処刑とかを見るに。
伊藤もよくこういう大久保を選んだもんだなあ。
伊藤くんは長生きしたかったんだよ
778 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/09(日) 11:38:09 ID:mZHXuMzv0
大久保と対立した政治家
西郷隆盛
木戸孝允
江藤新平
陸奥宗光
榎本武揚
勝海舟
大久保一翁
この大物7人と大久保は対立していたみたいだから
暗殺されても仕方がない…
なにこの流れ
なんでいきなり大久保叩きがはじまってんの
伊藤が大久保と組むのは状況からして当然だろ
下野しないという選択をすればそうなるのは当然だし
木戸が下野したからこそ、下野しないことに意味があった
> それ木戸に聞くことなのか?と吹いた
1 木戸が高杉の上司だから
2 木戸が村塾党の兄貴分だから
3 木戸が高杉の兄貴分だから
どれもありですな……山県が自分で決めたんじゃどこかから文句でるから逃げたのかな。
この時期なんでも木戸の肩にかかってて大変だわ。
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/09(日) 17:34:58 ID:HMFYBNDS0
江藤には徹底的に処罰したけど陸奥とかは意外と大アマな処置なんだよな。
大久保。
782 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/09(日) 18:00:36 ID:mZHXuMzv0
大久保が恐れていたのは徳川慶喜と江藤新平だったらしい
いくら江藤を恐れていたといえ大久保は江藤には徹底的に処罰し
木戸 岩倉 三条、勝などのほとんどの政治家がこの処罰を批判した
榎本とも対立したけど
榎本がロシアとの交渉を成功に導くと彼を評価し和解した
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/09(日) 18:13:57 ID:HMFYBNDS0
大久保の性格考えると裏で竜馬暗殺とか大村暗殺とかに関わってそうだなあ。
大久保と距離を置いた木戸は正しかったのかもなあ。
いまどき陰謀史観の信者かよw
大久保利通のことは大久保利通のすれでやった方がよい
787 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/09(日) 22:30:42 ID:mZHXuMzv0
龍馬暗殺は会津藩→見回り組→西郷、小松、大久保を殺そうとしたが
岩倉からの手紙でそのことを大久保が知り西郷と小松と3人で京から
急いで薩摩に帰った。当てが外れた見回り組は矛先を龍馬と中岡へ…
最近の龍馬暗殺の真相はこれが真実味がありそう…
大久保をサポートすべき存在だった木戸と小松は病弱で病死
小松は維新後すぐなくなったのが薩摩閥にとっては想定外
木戸も維新後病んでいたが渡米し帰国後病が重くなり
4年後には病死
>>787 なんで木戸が大久保をサポートすべき存在なんだよw
外遊前は木戸の方が上だぞ
なんで外遊後にあそこまで引いちゃったんだろうね。
弱みでも握られてたんだろうか?
木戸は井上や山縣といった汚職・権力欲まみれの後輩達に潰された感がある。
まあ木戸の生涯、先輩後輩達の尻拭い役だからなw
>>789 普通に身体を壊したからでは?
病気で早死にしてるわけだし
ある論文では、明治六年政変の後に文部卿就任さえ最初は渋っていたのは、
病魔のため、憲法問題に専念したかったのでは、と推測されていた。
実際この頃は、馬車の事故もあり真剣に体調を崩していた。
あと、井上や山県の汚職モドキごときで政治から身を引くほど、
木戸の使命感は弱くないし、政府にとって軽い存在でもないだろ。
やるべきことを放り出すには真面目すぎるし。
下野してるときだって、常に国や故郷に必要だと思うことを彼なりに実行してる。
井上なんかもそんな感じだけど、政府にいなくたってやれることはいくらでもある。
仕事できないほどの病気ってよほどだぞ。
政治家が病気って言ったらなにか裏がありそうだが。
本人の日記や文書、桂太郎自伝をみても
明治6年8月だか9月に馬車の横転事故で頭を強打してからは
6年の末までは、偏頭痛に悩まされて自宅で寝て過ごしてるようだ
まあ大久保と並んでたら藩閥政治が色濃くなるので、身を引いてたんだろうね。
実際国民は、専横気味に見える大久保をよく思ってなかったし、
「大久保に好き勝手やらせて木戸は何してんだ」みたいに大久保の反対線上に木戸を見てたっぽい。
今の自民と民主のような関係に構造上しときたかったんだろうと思う。
自民と民主が連立組めば、そりゃあ独裁政治まっしぐらで、国民は「幕府時代と何も変わってねーじゃん」ってことになる。
けどそれは表向きのことで、木戸も大久保のやり方には辟易してた。
が、閣内にいればあからさまに論を違えることはできないので、
内心怒りが煮えくり返ってても内閣一致してるようにみせなきゃならない。
台湾征討の時が木戸の限界だったんだろうな。
とりあえず大久保が帰ってくるまで待ってたが、帰った途端に下野してしまった。
どこまで薩摩嫌いだったんだろ?木戸は。
一応8月18日前までは薩摩の連中とも議論交わしたりしてるだろうから。
知り合いもいたと思うんだが。
西郷弟 黒田 あたりとは仲良かったのかね。西郷弟は征台の件で毛嫌いしてるかな。
ところでさ。質問なんだけど。明治になってから貿易って誰が担当したんだろう?
幕末の早い時期で開国論となえた長井 雅楽の開国論とかの不安材料として挙げられた
貿易するにしても日本には売るものがない、結局外国のを買わされて金が流出するだけ
みたいのがあったと思うんだけど。
結局貿易で何売ったんだろう?で貿易は成功したのかね?
798 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/11(火) 12:38:01 ID:mF6vCXj+0
791 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/10(月) 18:49:56 ID:pU7QXyUd0
>>789 普通に身体を壊したからでは?
病気で早死にしてるわけだし
>
木戸は維新期はいつも幕府側から命を狙われていたし(高杉も)
すごい困難な時期で神経をすり減らしていた
維新期の頃の木戸は歯が9本も抜けて
あまり長生きできないと周囲に言っていたらしい
渡米から帰国後はもともと病弱で療養生活……
それと西郷に下関での薩長同盟をすっぽかされて激怒して
不信感を抱いていたけど薩摩のトップである小松と龍馬が木戸と
交渉したおかげで薩長同盟は成立した
大久保は小松が西郷を上手く懐柔してくれたらと何度も思ったと思う…
歯は抜けたというか歯医者で抜いたはずだ
あと痔疾もけっこう仕事に差し支えるんだよ
人にもハッキリ言えないしね
>>797 薩摩ボタンが倒幕資金を稼ぐ為の輸出商品だったらしいから、引き続き陶器とか?
木戸は手紙か何かで女性向け商品を売れ!みたいなことを書いてたよね
貿易といえば、井上馨が明治7年に創めた先収会社(三井物産の前身)が浮かぶが…
井上馨は一般には悪評が先行しているけど、知るほど凄さが判って魅力的に思える
幕末から明治初期の輸出品なら、生糸や蚕紙がなんといっても代表じゃないか?
横浜−八王子間を結ぶ横浜線は、当時の“絹の道”
ヨーロッパは蚕が病気で壊滅状態で、相当蚕紙が輸出されて、
質が悪いのを売る輩も出たと岩倉使節団関係の本にも書いてあった。
井上の大阪の先収会社は、長州中心に西日本の物産だろうけど。
>>801 井上は商売というか金策の神様化してもいいと思うw
木戸は汚職とか嫌ったかもしれんが、なんだかんだ言っても最後まで井上を信用し続けてたのは
仲間として井上も最後まで木戸に誠実だったからだろうね
804 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/13(木) 12:37:22 ID:T5O9q6qo0
井上馨は幕末の頃は命懸けで活動していたようですね。
刺客に襲われ瀕死の重傷を負っても挫けない。
井上って影薄いんだよな。日露戦争の時に首相候補だったらしいが。
首相になってれば良かったのに。
それにどうも井上って高杉一派って感じで木戸とは遠い感じ。
たしか上士で明治前までは身分がいいから意外と活躍できてたっぽいけど。
どうも使いっぱの印象しかないんだよなあ。
また手紙も日記も読まないで書き込む妄想の人かw
遠い人が夫婦揃ってお泊まりしたり一緒に洋行計画立てたりしないでしょ
遠い人だったら廃藩置県で木戸をせっつくのに井上を介したりしないでしょ
しかも明治前も後も井上がいなかったら財政がどうなってたかすらわからんとは
木戸のエピソードで一番好きなのは明治9年に中島三郎助親子の戦死場所を
通って昔を思い出して慟哭したのかな
ちょうど亡くなる1年前ってのが
木戸は最後まで井上のことを信頼してるよな。
井上も木戸が多方面から攻撃されてる時に
あんまり無理すると体壊すからいっそ辞めたほうが良いんじゃないか、って助言してるし。
むしろ木戸に一番近いところにいるうちの一人だと思うが。
>>805 井上は良い時も悪い時も人に何を言われようが意に介さず堂々としている人だろ
けど井上と山県のせいで長州の人気がた落ちだったわけでしょ。明治時代は。
この二人がちゃんとやってれば西南戦争も起きなかったかもしれないわけだし。
>>810 ねーよwww西南戦争はどうやっても避けられない
つか井上や山県がめっちゃ品行方正にやってたら、むしろ経済基盤や軍も更に弱くなってて、
戦争が長引いて犠牲者が増えてたかもしれん。
長州人気がガタ落ち(山県だけにw)しようがしまいが、
藩閥政治→政党政治の流れも起こるべくして起こっただろうし、この二人のせいではない。
812 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/15(土) 12:24:49 ID:JMpWARGt0
小松がなくなった後大久保は西郷らの薩摩閥をまとめきれず苦悩しているね。
でもそんなことよりも大久保は近代化に向けて尽力した
勝海舟曰く大久保は優秀な政治家だが人格者ではないし
政敵も多いからあまり好きになれなかったらしい
なんか木戸って明治7年の山口に戻ってるらしいじゃん。
江藤みたいにこの時代故郷に戻ると反乱分子に担ぎ上げられると思うんだが。
後の前原もそうだし。
木戸は担ぎあげられなかったの?人望がなかったの?
>>813 ??? また例の低脳国賊か・・・・w
木戸さまは、自分より劣っている連中の理解の無さや手続き面に不満を感じていたわけで、
そういう場合、反政府活動とか反乱とかいうことにはなり得ない。
前原は既に明治3年の段階で、明治政府の開明性に付いて行けなくなっていたから、
同類と騒ぐ以外、他に方法がなかった。
開明性に付いていけないわけだから、板垣のように自由民権運動を始められもしないし。
江藤も、教条主義的という意味では十分、旧幕府的な人だし、
西郷に至っては、よく明治政府の参議をやれていたなぁって感じがするぐらい農本主義の人だし。
なんか最近不思議な人がたくさんいるね
奇兵隊つぶしたりしてるから地元の士族から支持されてなかったのかな
醒めた炎 読んでるんだけど。説明が不足してるなあ。
帝艦間詰
とか
溜間詰
とか説明なしで使ってくるもんなあ。まだ1巻の途中だけど文章が微妙に下手な気がする。
誰の話かわからなくなる事あるんだよなあ。
木戸孝允 松尾 正人
はどうですか。『醒めた炎』はよく話しにあがるけどこれはあんまり
でも一番新しい伝記的本ですよね
>>817 文章ヘタじゃないけど年表とか定説とか一通り頭に入ってる人を
想定して書いてるからときおり説明不足を強く感じるね
本人の書いた木戸日記・文書・関係文書が一番お勧め
『醒めた炎』も100%史実というわけではないからね
>>820 激しく同意。
佐幕資料に基づいて佐幕史観に立って西郷マンセーな人が
『醒めた炎』をもっともらしく書いてしまっているので、
国賊司馬作品と同様のややこしさから脱却できてないんだよな。
一言で言えば、安心して読めないw
コクゾク君も相変わらずだねw
でも日記や関係文書が一番というのは同意
こういうのこそデジタル化してくれないかな
置いてる図書館は遠いし
フォトショップと同じくらいの値段なら出してもいいけど置く場所がない
醒めた、西郷についてそんなに言ってたか?
龍馬に対しては少し感情がむき出しになってるなーとは思ったけどw
松尾先生の木戸孝允も読みにくいと思ったけど少数派なんだろうか
廃藩置県の方が読みやすかった
日記は後世に読まれることを前提に書かれているってのは本当なの?
825 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/20(木) 08:00:20 ID:BX76zf420
西郷と木戸って8月18日の政変前は交流あったんだろうか?
>>824 司馬氏の『翔ぶが如く』に、大久保利通日記は(木戸にぐらべてボリュームがないためか)
後世に読まれる事を前提に書かれていると指摘されているが、
広沢日記を見ても、木戸のようなボリュームは全く無く、淡々とその日の行動を二行程で書いている。
後世どうこうというより、個人の性格によるものだとも思うけど…。
木戸は、まめというか細かいというか書くことが好きな人だったのだろう。
それに、木戸日記に関しては後に読まれる事は全く想定していないと感じる。
山口から出てきた旧知の人を連れて、新島原だか吉原だかへ行ったときなんか
”島原劇場開幕”なんて日記に書いてるからなww
827 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/21(金) 20:52:48 ID:7DKgJEFs0
桂が若い頃に近藤勇の道場に助っ人に行ってたってのは
作り話らしいね。がっかり。
>>823 松尾氏のも読みにくいとアマゾンでももっぱらの評。
どうやら維新後の木戸の政治的苦難の道にくそ真面目に取り組んで
堅く書きすぎたのが原因のようだ。
あとがきで木戸の鬱屈沈潜がなんたらとか書いているし印象も暗い。
政治家としてだけじゃなく私的な面、面倒見のいいところとかお茶目な私信とかも
取り上げて多角的に木戸を描いた本があれば印象がまったく変わりそうだが、
史料が山ほどあるのに、そういうとっつきやすそうな伝記がないんだよね。
>>827 司馬を鵜呑みにする方が悪い
それに全くの作り話という訳ではなく、渡辺昇が実際に助っ人に行ってる
自分は松尾氏のはわかりやすいと思ったけどな。論拠が明確で安心して読める感じ。
まあ好みや向き不向きがあるんだろう。
お、ひさびさにアク禁解除だ! ちょっと感動
832 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/22(土) 08:20:36 ID:VVa/29Xq0
>>829 桂が渡辺の代わりに行った可能性が多少はあるのかな?
ないんじゃないの。渡辺と近藤の個人的関係だろ。
木村紀八郎によると、渡辺の入門自体、桂が練兵館塾頭をやめてからの可能性もあるそうな。
通説どおり渡辺が安政五年入塾だったとしても、そのころの桂にそんな暇があったとはとても思えない。
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/22(土) 18:57:46 ID:kC+7KzPl0
塾頭だったのは確実なんだよね。竜馬みたいに薙刀とかじゃないんでしょ?
835 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/22(土) 19:04:03 ID:kC+7KzPl0
今、醒めた炎読んでるんだが渡辺昇って桜田門外の変の目撃者なんだな。
桜田門外で斬りあいが起こってると聞くと練兵館から走って見に行った
ってあるけどそんな近いんだ。ていうか暗殺なのにずいぶん時間かかってンだな。
>>834 渡辺昇のこと? 塾頭だったのは事実。ただし桂の直後ではないというのが木村氏の説。
学問に力を注ぎたかった渡辺を塾頭にするべく、桂が大村藩に働きかけたのも事実。
それとも桂のこと? 塾頭だったのは他藩含め複数の証言もある。
だいたい桂小五郎は最初それで有名になったんだよな。
斎藤一家とも家族同然の付き合いをしていて、維新後も交流がある。
斎藤道場は九段にあったそうだが、木戸の住んでた富士見町九段の家はその跡地あたりなのかな
練兵館跡は現在靖国神社境内、木戸の家は九段高校敷地だったかと。
すぐ近くだが隣接しているわけではない。
839 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/23(日) 17:51:59 ID:VkEk7fU20
伊藤博文は高杉を「たいした事ない奴」と言った
って本当?ググッテも出てこないんだけど。発すれば風雨の如くとか
ベタ簿目してるじゃん。
840 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/23(日) 19:55:48 ID:VkEk7fU20
醒めた炎読んでるんだけどようやく面白くなってきた。
桂って坂下門外の変にモロ関わってたんだなあ。志士活動はかなり初期から
行ってたみたいだし。
水戸との関わりとかも深かったみたいで。ここあたりをこのスレではあまり議論してないのは
残念だなあ。
有備館の寮長?だっけになった時は桂は嫌われてたみたいだけど
坂下門外の変で捕まった時は有備館が連盟で幕府に嘆願書だしたり。
空かれてるのか嫌われてるのかわからんな。
練兵館の塾頭になった時、門下生が荒れててまとめるのが大変だったって話だったけど
確か有備館の時もそんな感じじゃなかったっけ
普段は口喧しくてうざいけどいざという時は大切にされるおかんみたいなものでは
醒めた炎、横井小楠に対しても微妙な評価してるなあ
最近東大の先生が出した中世思想史の本ではかなり高く評価されてたけど
まあ醒めた炎も視点は割と偏ってるからね
西郷と龍馬の記述の温度差には吹いたw
こんな資料もありますよ的な読み方がいいんじゃないのかな
844 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/24(月) 16:33:01 ID:FS8yP43n0
個人的には有備館で桂が寮長だかになったときに厳しくやって
規律良くなったから周布が藩の明倫館に推挙した
みたいな話は嘘くさいというか。左遷っぽい。
支部から本部が左遷て
846 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/24(月) 18:18:26 ID:RJBhGkdz0
後醒めた炎読んで思ったメモ。
坂下門外の変のときに桂と一緒に伊藤も捕まってるんだなあ。
ここあたりから伊藤の桂に対する確執があったのかな。
age厨の無理矢理妄想が相変わらず過ぎて吹いたw
その内ポストが赤いのも木戸が嫌われてるせいとか言い出しそうだ
自分のブログ作れば?
近代史板は読書メモの場所じゃないよ
849 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/24(月) 21:11:18 ID:RJBhGkdz0
ようやく醒めた炎の一巻読み終わった。読みづらいというか説明がもっとほしいな。
人物だすときはどこの人か書いて欲しいとか。旧漢字を直せとか名前とかによみがなつけろ
とかすごい文句あるんだが。
やっぱ長井 雅楽の航海遠略策からがややこしいな。桂の立ち居地とか周布とか
久坂なんてずっと長井狙い続けてるし。この本だと高杉はいきなり上海いってるし。
くるはらとかもなあ。西郷がクルハラと久坂とかに会ってたりするのも意外だったなあ。
寺田屋とかも良くわからなかったな。久坂は寺田屋のときに長州藩邸で武装してたらしいが
なんで?
850 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/25(火) 20:56:46 ID:9D3k1dfW0
あげ
851 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/27(木) 21:10:36 ID:ZaeHQR9H0
醒めた炎は最大限木戸を好意的に書いてるけど
それでもやっぱ松陰とのつながりは淡白だなあ、。なんか
松陰は木戸を蘭学者として扱ってたりするし。
やっぱそれほどの付き合いでもないんだろうな。
「小五カは僕無二の知己なり」なんて松陰の言葉は涙で曇って読めないのかな
松陰の手紙を明治まで保管してて、あまつさえ大隈に送りまでした木戸に対する挑戦だなw
あれ?松陰って弟子に江戸に行ったら桂を頼るように言ってなかったっけ?
たいして付き合いのない相手だったらそれってとんだ嫌がらせにならない?
あとたいして付き合いのない相手の為に自分のお金が足りなかったら
藩のお金まで動かすように頼もうとする桂は凄いお人好しってことになるね
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 17:55:16 ID:WzKcYOFA0
あの時代って交友関係の幅広さが売りになる時代だから
一回あっただけのやつでも友人扱いしてたんじゃないかなあ。
しかも友人とか友とか同士ってのが流行り言葉だから使いたかったんだろ。
松陰も。
じゃないかなあ。
じゃないかなあ。
age厨たんの脳内松陰の人間性のショボさがぱねぇw
友人じゃないけど友人と吹聴するってどんな孤独な人なんだよ
858 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 20:26:52 ID:kCDOAin30
このスレの人たちなんで木戸と松陰がそんな仲良しであってほしいの?
木戸は松陰の一番弟子とかそういうのは創作のなかでの話でしょう。
松陰が活躍してた頃は木戸は江戸で剣術やってて別勢力を作ってるわけだし。
まあ長州は狭いから友達の友達ぐらいでしょう。クルハラだっけ繋がり。
ようするに弟子というより友人に近い間柄だったんじゃないかね?>松陰と桂
だから他の弟子と比べた時に違和感があるのでは
>>858 松陰と桂の繋がりが来原とか何言ってんの?
松下村塾が出来る前に桂が松陰の生徒だったのは事実だけど
このスレで一番弟子だなんて主張は別にないし
松陰は桂は元より新太郎とも親交があるから練兵館を何度も訪ねて来てる
むしろ「じゃないかなあ」という何の情報価値もない推測文を連ねて
松陰と桂が疎遠だったと思いたいと表明にくる理由がわからない
なんか勢力の対立とかからしか語れない人なんだねえ。
前にも山県は高杉ら奇兵隊閥だから木戸とは遠いとか、
井上は高杉一派だから木戸とは遠いとか
よくわからん派閥を創ってた人と同じ人でしょ。
最終的な結論として、「木戸は孤独」とか司馬遼的な結論に持ってこれれば満足なんじゃないの。
そんなにそういう結論に持ってきたいんだったら、自分で松陰書簡とか読んで検証してよ。
ただし司馬遼みたいに、喧嘩してたときの手紙だけ持ってきたりしないようにな。
>>858 木戸日記を読んだらどうですか?松蔭の事も思い出して書かれています
大和魂なんて言葉も使ってますよ
小五郎は松蔭に対して師としての礼をもって接していましたが
むしろ松蔭の方が小五郎の世話になっていたようです
ていうかどれだけ情熱的な表明が書簡上であったら、あんた的に仲良し認定されるのか。
あんたの言い分聞いてるとブキミなほど濃厚に親密な書簡が残ってないと
仲良いとは言えないってことになりそうじゃね?
かなり親密な書簡の残ってる井上ですらあの解釈だからなー
青木でも認めんのじゃないだろうか
age司馬厨くんは、青木なんて誰だか知らないと思うよ(笑)
半年ROMれ、の意味も知らないと思う。
age厨たん、木戸が嫌われていると証明したいのなら醒めた炎読んでも無駄だよ
司馬の創作だけ読んで、創作を真実だと思いこんで創作の中で閉じこもっとけよ
どうしても木戸をけなしたいなら捏造会津系作家の古めの本とか…いや、
木戸が凄い冷徹な政治家になってるだろうから逆に格好良くなってしまうなw
とりあえず伊藤に疎まれてることにしたいなら、あの有名な話は甲東逸話がソース
おっと、規制解除されてたのか
二年後に山田顕義主人公の映画があるそうだが、
原作本通りなら木戸も出番多そうなのでちょっと楽しみ。
あーそれ山田スレで見てポチろうか借りるか迷ってたが木戸が沢山出てるなら買ってみようかな
山田は留学中も律儀に手紙を送ってきてたんだよね
個人的には買うほどのものでは無かったな、立ち読みできるボリューム。木戸沢山出てくるけどね
この本では木戸が山田に法を作ってくれ、と頼んでるので
映画でも重要シーンになるかな、と思う
日大は前に山田と木戸のパリでのやりとりを本にしてたが(読んでないけど)
おそらくそれを下敷きにしたのではないか、と思わせるくらい使節団のウエイトが大きい
民法典論争とか大津事件を期待して読んだのに結構あっさりめでw
確かにそれは木戸的には良くても山田的には物足りないかも
まあとりあえず読んでみるよ
ありがとう
872 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/29(土) 08:28:30 ID:18WDqaBp0
レンタルビデオ屋行ったら
「長州ファイブ」とかいう作品あったんだけど。見た人いる?
伊藤と井上とかの話らしいんだが木戸はでてくるの?
「日本巨人伝 山田顕義」
ポチりにくいタイトルと装丁でワロタ
でも木戸たくさんでてくるなら読んでみるかな〜
たまたま今、図書館で借りてきた『岩倉使節団のパリ』が手元にあるんだが
サブタイトルの「山田顕義と木戸孝允 その点と線の軌跡」そのまんまに
ほとんど記録がない山田の足跡を、木戸の日記をおもな史料としてたどっていて泣ける
しかも日記の記述はほとんどが「夜山田さそって散歩に行った」「角力を見にいった」とかなんだぜ
山田の宿泊先見つけ出しただけでたいしたもんだけど
>>874 それ読んだよー
日記つけてない人間を追っていくのがこんなに難しいものかと思い知らされるよなw
木戸日記には感謝せねば……
日本語が微妙に不自然なのと誤字脱字の多さが玉に瑕
適当な当て字や脱字等に無頓着なのは昔の習慣かなと思うが
>>876 ごめん書き方が変だった、日本語が不自然なのは山田木戸本の方
あれの誤字すごいよ、来原が平原になってたり、オーストリアがオーストラリアになってたりw
手書き原稿の時代だったから仕方ないのだろうか
> 木戸日記に感謝せねば
斎藤弥九郎の伝記にも、斎藤一家の明治以降の動向は、
木戸日記が刊行されたおかげでかなりわかってきた、とあったな。
明治初年 困ったときの 木戸日記
879 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/30(日) 06:45:10 ID:igpIdyQk0
いろいろ言われたけどやっぱ木戸と松下村塾メンバーは別勢力だったと思うよ。
桂が坂下門外の容疑者で捕まった時も有備館の館員が主に動いてるみたいだし。
醒めた炎のよると
松下村塾メンバーの事はかかれてないんだよな。この本の性質上。誰かが
桂と連携したら書くはずなのに。
>>879 低脳国賊くんが、
萩の町も見たことのない無い全くの門外漢かつ隣近所の付き合い反社会的な問題人物!
ということだけはよ〜くわかったよ( ´,_ゝ`)プッ
きみは、低脳悪逆国賊司馬遼太郎を遙かに下回ってる( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
いやだからさ、なぜそこで勢力がちがうとか対立とかで語る必要があるのかと
意味がわからん
だいたい、江戸での騒動に、おもに萩にいる村塾の連中がかかわる理由があるか?
電話やメールですぐに連絡が取れる時代じゃないし。
村塾の連中で江戸に来てた連中は有備館のグループにも入ってる奴いるだろ?
それ確かめたか?
だいたい、桂はいろいろなグループをつなぐ人物ってとこに特徴があるんで
こっちのグループに属しているからこっちと疎遠とかありえん
いいかげんその、周囲の人間を敵か味方かにきっぱり分けたがる厨房みたいな発想から離れろ
882 :
880の修正:2011/01/30(日) 07:59:47 ID:HGrSEY2R0
>>879 低脳国賊くんが、
萩の町も見たことのない無い全くの門外漢かつ隣近所の付き合いのない反社会的問題人物!
ということだけはよ〜くわかったよ( ´,_ゝ`)プッ
きみは、低脳悪逆国賊司馬遼太郎を遙かに下回ってる( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
というか一緒に捕まってる伊藤が村塾生なわけで
884 :
879:2011/01/30(日) 08:15:10 ID:igpIdyQk0
なんか俺が木戸を貶めてるみたいに思われてるようだが違うからね。
木戸は基本剣術でしょ?あの時期、あと蘭学もあるけど。
どちらも松陰にはないじゃん。
江川造船ライン ヤクロウ剣術ライン 後は周布政治ライン
とかあるけど。松陰とは違う路線だったと思うよ。
だから村田は松下村塾ラインではなくて木戸ラインに接触図ったわけだし。
>>884 坂本龍馬では誰も系譜的なものを問わないのに桂小五郎・松菊木戸孝允に対しては
一人の人間・正義派全般を系譜別に細切れにして考えようとしていること自体、
無意味どころか十分悪意ある有害無益な態度( ´,_ゝ`)プッ
>>884 練兵館をまるで理解してなくてワロタ
あそこは剣術だけの道場じゃないよ
まあage厨たんは「僕は桂さんの為なら死ねる」って文書でもない限り
誰とどんな親交を深めていても嫌われてることにしそうだけどw
どうせ明治政府での井上だって伊藤側について木戸と敵対してたとか思い込みたいんだろ?
事実には全く興味なさそうだし
>>884 あの…886さんもいうとおり斎藤道場は斎藤弥九郎の人脈の広さもあり剣術だけでなく学問に関しても一流
松陰も斎藤弥九郎・新太郎と親しく、斎藤弥九郎は江川太郎左衛門ともつながりがあり
さらにいえば桂に中島三郎助への入門を勧めたのは松陰なんですが。
あなたはよほど密なやりとりが常になければ別勢力と断じていらっしゃるようですが
当時は物理的な距離が大きいうえに、
それぞれの人物が広い範囲で(これは物理的にというより内容的に)活動しているので
一見たまにしか接触していないように見えても、
相互に複雑な関係を結んで、直接間接に刺激しあいながら活動している。
一時期の表層的な人間関係を派閥と断定して物事を語れば、全体像を見誤りますよ。
あといっておきますけど、このスレにいるみなさんだって、
桂と松陰はものすごっく仲いいんだ! とか、桂と村塾は一心同体だ! とか、
そんなことを主張しているわけではありません。その辺の見解にはいろんな見方があるでしょう。
ただ、あなたがまったく根拠なくそこに断絶を主張しているのがおかしいといっているのです。
>>884 松陰の師・佐久間象山は江川の弟子だよ、江川は佐久間を嫌っていたらしいがww
そして上の方々の言うとおり松陰と斉藤親子は交流があり、
高杉や品川といった村塾生も練兵館に入門してるし、山尾も村塾生とやたらと一緒に行動してる
周布は松陰の最大の保護者かつ、正義派の親玉じゃないか
どのラインも松陰とは密接な関係にあり、そのことが桂へも影響してると思うんだが。
そういえば久坂の兄は村田の前の適塾の塾頭だったり久坂が村田の鳩居堂に入学してるので、
桂がスカウトする前から村田は村塾ラインと関係はあるんだな
ageたんのおかげで普段意識に上がらないことを再確認できたり、このスレも賑わうね
感謝感謝
889 :
879:2011/01/30(日) 11:13:42 ID:igpIdyQk0
だからべったりじゃなかったって事でしょう。
だいたい明治になってから桂対前原で対立してるじゃん
前原には松陰の叔父だっけ?の杉が付いてるわけだからね。
>>889 前原を説得しに行った品川とか、伊藤山縣山田野村他の村塾生は木戸側についてる訳だが
それをスルー?
ageたんが疑問に思った事をいちいち書き込むから読むのに時間かかるんだよ。くだらん質問は見ていてウザイからやめてほしいわ。
松尾正人の書いたのだと一冊で終わるよ。図書館に置いてあるだろ?
個人的には、松菊逸話と関係文書が読みやすくて好きだ。五巻はいつ出るんだろ…
伊藤たちが前原側だったらそもそも前原は政府でぼっちになってないっての
自分も『逸話』が好きだな。人間関係もよくわかる。
三月からの佐倉の歴史民俗博物館木戸家企画展もある。
関東在住の人が羨ましい。
大体、木戸さまたちの場合、
対立の構図の大枠は正義派vs.俗論派+俗論派の流れの諸隊+一会桑。
国賊司馬遼太郎が絵堂の戦い以外でほとんど全く取り上げなかった長州俗論派の存在を
新選組程度に浮かび上がらせれば、
長州正義派にとっての内憂外患を制した木戸さまたちの凄さがもっともっとリアルに分かるというものだろう。
べったりじゃない=対立 みたいな読み方はやめろというのに
だれもべったり密着していたなんて語っていないだろうが
どうしてそうべったりかそうでないかで判断したがるのか本当に理解に苦しむ
ホントに中二病かおまえは 親友以外はぜんぶ敵か いいかげんにしろ
同じ人物が複数のグループに属しているのだっておかしくないし
同じグループ内だって意見の微妙な違いや温度差があるのは当然
特に長州はそういう面でフリーなとこあったしな
それを十把一絡げにして語ったり
神経質に細かく小分けして派閥を設定したり
ぜんぜん違う時代の話と結び付けて語ったりするのはよせ
そんなに単純に色分けして語れるような時代じゃない
たとえば少なくとも幕末期は佐世(前原)と桂は上手くいってる
たしかに松尾氏の『木戸孝允』はおすすめかもしれない
明治が中心だから幕末に比べればやや状況の複雑度が減じているし
かなり内容をしぼってあるし
最近の研究書なので変な対立項を持ち出して善悪で語ったりしていないからな
ただし研究書読みなれていないと読みづらい面もあるかもしれないんでがんばってくれ
896 :
879:2011/01/30(日) 18:46:15 ID:igpIdyQk0
対立したとは書いてないんだが。前原とは対立したと書いたけどそれは事実だし。
やっぱ距離感があるんだよね。御楯組にも桂は加わってないし。
高杉系列とも多少距離はあると思う。
外交担当してきた政治家がこれから戦争しますって時に御楯組に入って何すんだ?
しかしage厨たんの理論だと周布や井上はどれだけ高杉系列wとやらと遠い存在になるのだろう
藩官僚で政治家の桂がなぜ御楯組に加わるの
どうも貴方の話は噛み合わないなあ
だから前原は幕末期は桂と上手くいっているので話をごっちゃにしないでね
距離感というなら、みんなそれぞれ自分の意志や考えを持って行動しているので
誰と誰の間だろうと距離があるといえば距離がある 同時に近い面もある
その中では桂と高杉は非常に近い たとえば村塾双璧の久坂と高杉よりも桂と高杉のほうが
ずっと近いでしょう 少なくとも上海渡航後はね
あーもーめんどくさくなってきたからやめよう…
899 :
879:2011/01/30(日) 19:03:05 ID:igpIdyQk0
だから一般的なイメージと違ってどの人物とも一定の距離感とってるね
って言ってるだけなのに、俺の言ってる事間違ってるの?
醒めた炎2巻の最初あたり読んでるんだが。高杉が焼き討ちしてる頃は
桂は政治的に第一人者になってるんだな。周布が土佐ともめて謹慎になり
そのころ高杉久坂伊藤はテロばっかやってたわけだから。
土佐だと武市もテロばっかやってたわけでしょ。
武市なんかは立場的には桂と同じくらいだと思うけど。
坂下門外の変は桂が首謀者なんだっけ?
>>898 高杉と桂が3日と空けずに頻繁に会ってたのは上海渡航前じゃなかったっけ?
久坂は桂に負けず劣らず交友関係が広いよなぁ
>>901 898です。律儀に返事します。
高杉と桂は、単純に親密か否かという意味では終始一貫して親密です。
高杉は桂を常に頼っていますし、これに久坂も交え時には周布などとも、政治的な議論を相当しているようです。
上海渡航後に近いといったのは、政治思想が非常に近くなっているという意味です。
その後、活躍はそれぞれ別のところでしていても、それは役割分担としてそうなっているので
当時の状況の中である意味理想的なチームに完成していったというべきかもしれません。
完成は慶応年間で、この時点では井上・伊藤・大村も入れてかまわないと思いますが。
>>902 そういう意味ね、ありがとう
てか自分で書いておいてなんだが、3日と空けずは言い過ぎか?と思って高杉日記を読み返したら
風邪の時とかあながち間違っておらんかった
地味に時山の名前とかも出てくるんだなぁ…
時山の動きも面白いよね
松下村塾メンバーだけど長井を支持して来原と行動を共にしたり、
その事で山県と大喧嘩してたり。
>>895の言うとおり、所属や思想だけで単純に分けられる時代じゃないんだよな
>>893 サイト見に行ったら今まで見たことない木戸の写真があった
一般初公開の写真もあるんだろうな
佐倉市って二年くらい前に桂、山尾の連名が書いてる宿帳が見つかったとこだよね
>>900 坂下門外の変に関しては、主謀と言えば水戸の……えっと、誰だっけ?
木戸の役割はその後に周旋して長州藩を動かすことだから、事件自体の計画とかには
関与してなかったんじゃなかったかな。
>>905 何故か練兵館塾頭の身分を隠してるやつだっけ
しかしツレの山尾がそのまま書いていたら意味ないようなw
908 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/31(月) 21:08:06 ID:VoDg7fj60
幾松は伊藤が脅して木戸とくっつけた
ってのは本当?
age厨たんどんどん妄想が突拍子もなくなってきてるよ…
せめて根拠となる一次史料くらい書こうね
幾松といえば、たんと×6?の可愛さは異常
> 歴史民俗博物館木戸家企画展
おおお行かねば
でも千葉か
当方関東在住とはいえ片道二時間だががんばる
自分もそのくらいかかるかな がんばるぜ
図録出るといいな
そしたらみな通販するのだ
912 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/01(火) 07:19:24 ID:wKBMKOhb0
どこでやってるのかと思って調べたら佐倉ってとこか
行った事ないなあ。上野あたりでやってくれれば行くのに。
>>908 幾松は舞が上手で山科の豪商がこれを愛して自分のものにしたがっていた。
小五郎がこれに張り合って、お互い随分お金を使ったがらちがあかず、
最後は刀でおどしてこれを取り上げた。これには伊藤が尽力した。
落籍された後は、幾松が小五郎を庇護し匿ったりしていた。
『木戸逸話』児玉愛二郎の話。
この歴史博物館は井上や桂太郎の孫の井上光貞さんが初代館長なんだね
そこらへんの繋がりで大量の史料提供があったのかな
>>911 目録も発売されるみたいだ
講演会聞きたいなあ、関西在住で片道5時間かかるが行くぜー
木戸松菊は、西郷などに比べると、非常に小さい。
しかし綿密な男さ。使い所によりては、ずいぶん使える奴だった。
あまり用心しすぎるので、とても大きな事には向かないがノー。
勝海舟
木戸さまよりも勝や西郷のほうがよっぽど小さいんだがp
国賊くんの言うことはともかく、勝って木戸を使ったことあったっけといつも不思議になる
まあひょっとしたら練兵館時代からの知り合いかもしれないから
木戸なら勝を立てるだろうなというのはあるが
918 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/01(火) 20:53:54 ID:Xj5s2pdV0
飛ぶが如くだと
明治になって薩摩が勝を信奉したが長州は勝をホラ吹きと見てあまり
相手にしなかった
ってのがあったな。長州はなんか福沢諭吉に意見をよく聞いたみたいな。
木戸も福沢に意見を聞きに言ったとかあったし。
>>913 聞多を闇討ちした児玉愛二郎の証言か!
当時それほど親密だったとも思えないから、
そういううわさがあったってことかもしれないけどね。
事実だろうとデマだろうと、少なくとも
伊藤がそういうこと出来そうだと思われてたってのは面白いな。
>>914 お、歴博の展示情報更新されてるんだ!
夏に萩の高杉生家で見た、松子さんと高杉息子の写真も出るんだね。
講演会か〜うーむ。なやむ。
長幕戦争や戊辰戦争や版籍奉還や廃藩置県よりも大きな一体何を勝安芳は指揮し成し遂げたと妄想しているんだろうか?
負けた側のくせに勝った側を侮辱したがっている腐り果てた根性は一体どこから来ているんだろうか?
ということで、自動的に、
勝安芳=超ウルトラ弩級の虚言癖・妄想癖のある全く信用不可の妄想性人格障害者かつ武士にあるまじき者
そういうことが自動的に分からない者も超ウルトラ弩級の虚言癖・妄想癖のある全く信用不可の妄想性人格障害者かつ武士にあるまじき者。
それだけの話p
921 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/01(火) 22:49:00 ID:Xj5s2pdV0
メモ
桂は8月18日の政変で主戦論を唱えた。
意外だな。こういうのは引き止め役に回ってばっかりだと思ってたが。
もうほっとこうよ
信者が痛いw
>>918 その福沢諭吉が版籍奉還に貢献したとして評価し尊敬していたのが西郷隆盛じゃなかったか
福沢の木戸評って無いの?
福沢の西郷評価は、むしろ大久保政権への批判だろうね。
西郷についても、誉めたうえで西南戦争の決起根拠は薄弱であると断じている。
まあ、政見とは別に、ああいう豪傑タイプの政治家好きだったのは事実らしい。あと後藤とかw
福沢が直接木戸を評した言葉が残っているかどうかは知らんが、
三傑の中で実際に親しかったのは木戸で、政見もいちばん近い、と福沢研究者は指摘している。
大阪会議後の板ばさみ状態の木戸を案じる福沢の書簡なども残っている。
木戸関係文書5巻が出れば載るんじゃないかね。
あと、福沢は政治家の中では大隈と親しいよね、実は。井上伊藤とも親しいが、十四年政変で喧嘩。黒田も同じく。
西郷は鹿児島にひっこんでたから版籍奉還とは無関係
西郷との比較好きがまた来たのか
だから三傑スレを立て直せと
仕出屋も来てくれないような激しい風雨の日、
早朝福沢んちを急襲して2時ごろまで話し込む木戸が
いつものごとくで笑えるんだわ
すんごい遅レスだが、水戸学と木戸の政治思想の関係の考察なら、
五十嵐暁郎『明治維新の思想』をおすすめする。
この本の木戸論と岩倉論は、どちらも幕末から明治をカバーして
それぞれの政治思想の形成と変遷を周囲の環境を含め描いていて興味深い。
木戸と久坂の水戸学の受容のしかたの違いとか、
岩倉への土佐浪士の影響とかね。
>>929 岩倉・木戸・伊藤の憲法への考え方やアプローチはかなり違うがそれぞれの立場や政治志向が見えて面白いな。
岩倉・木戸・伊藤それぞれみな天皇中心の政体を考えているが、比重はそれぞれまったく違うね。
なんだかんだいってやっぱり岩倉は「公家」政治家だということがよくわかる。
岩倉が大阪会議の結果に反発したのは考えてみれば当たり前すぎるくらい当たり前だし、
政治的には一体みたいにいわれることが多い大久保に対しても、このころには
改革を急速に進めすぎることに、文化の破壊であると批判的になっている。
932 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/03(木) 07:54:03 ID:HnDVQIJy0
他の人らは政体についてなにも考えてなかったのかな?
西郷弟とか薩摩側にも大物はいたと思うが。
いやそりゃ薩長にかぎらずいろんな連中が。
現実的なもんかどうかはともかく。ぐぐれ。
従道はほとんど軍人だからこのころは少なくともなにもいっとらんでしょ。
五十嵐氏の論文、木戸論のとこはアップされてるから、
興味ある人はサイニー先生に聞いてみるべし。
934 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/03(木) 19:20:11 ID:HnDVQIJy0
面白いのがあったので載せて置こう
「高杉や久坂にしたところが、まあ長州の有志の頭株といふところだった。
過激なる有志と政府との関鍵は、木戸が一人で握っていたのだ」
伊藤博文の回顧談らしいんだが。まあ偉そうだねえ。伊藤と木戸の距離感や
木戸と高杉久坂の距離感も出てると思う。
しかし醒めた炎読んでるんだが。直目付とかどれくらいすごい役職なのかわからんなあ。
名にやる仕事かもわからんし。その前の政務座 遠近方兼地方右筆ってのもなにする仕事か
わからんなあ。
直目付は殿様直属じゃなかったか?
>>930 木戸にとって天皇は忠誠を尽すべき対象であり政の中心であったが、
そのためには教育し導くべき存在であり、
また力を欠く天皇のもとで有司が咨意的な政治を行わぬよう、
憲法が、そしていずれは議会が必要と考えていた。
(民意反映のためであるのはもちろんだが)
議会は上院(華族)と下院、それに向け皇族や華族の基盤固めにも着手していた。
岩倉は、当然ながら木戸以上に天皇親政をあるべき姿とし
それを支える基盤として士族授産・華族興産・皇族の制度確立に努め、
君権を侵害する議会制には批判的だったが、現実的な政治感覚を持つが故に
元田ら侍従の補佐による親政など不可能だと理解せざるを得ず、
妥協してプロシア式の、議会の権を制限した憲法を支持。
天皇にも政治については元勲を頼り侍従に口を出させないようにと遺言。
最後に、岩倉の死後憲法調査の旅から戻った伊藤だが、
木戸や岩倉にとって天皇に忠義を尽すことが教え導くことでもあったのと比べると、
若干姿勢が違うのはいたしかたないかもしれない。
もちろん諸先輩を見習っているのだからさじかげんのレベルかもしれないが…。
西園寺が、伊藤は天皇に話すとき非常にかしこまり、
天皇本人に「伊藤と話すには漢文の素養がいる」といわれていた、
と語っているのは興味深い。
こんな感じ?
>木戸と高杉久坂の距離感も出てると思う。
そこで出てるのは藩政府と高杉久坂との距離感
間に入ってた人(木戸)はどっちとも近しいからそのポジション
>>936 > 西園寺が、伊藤は天皇に話すとき非常にかしこまり、
> 天皇本人に「伊藤と話すには漢文の素養がいる」といわれていた、
> と語っているのは興味深い。
木戸さまのほうがよっぽど漢文の素養があると思うんだがp
殿様・朝廷に直接仕えて苦労した経験だらけの木戸さま・大久保と
木戸さま・大久保の下ではしゃぎ回っていただけの伊藤との差だな
岩倉も、いい加減、癌だしp
いやだから
西園寺からみると
かしこまりすぎてんだろ伊藤は
畏まりすぎて訳のわからん言葉遣いになって天皇に「漢文みたい」と揶揄されたという話?
歴博の写真見たが
松子さんて小柄だったんだ
一緒に写っている女達よりひと回り小さい
>>940 「臣博文」とか、まるで書き言葉(しかも上奏文)みたいな
ぎょうぎょうしく堅苦しい言葉づかいになる、というニュアンスだったかと
>>941 ミットフォードが松子さんのことを
bonny little lady と表現していたね。
944 :
942:2011/02/04(金) 13:11:17 ID:iiX6EnOl0
あ、天皇はからかってんだよ。笑っていったそうだから。
ところでさ池田屋の時ってさ長州藩はもう京都には居られなかったんだよね?
居たら問答無用で斬られたんでしょう?
長州藩邸があったみたいだけどどういう仕組みなの?藩邸にいる長州人は
OKだったの?
池田屋の時点では政変で政治的に失脚しただけでまだ朝敵ではなかったから
別に問答無用で斬られるとかはなかったのでは
947 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/04(金) 23:10:13 ID:sWpteZx+0
>>946 多分、池田屋に関与した人を追いかけてはいても
藩そのものは敵ではなかったでしょうね。
醒めた炎には、長州藩士は京都留守居役両三人を除いて、二十八日以降在京を禁じられたとある。
桂・久坂らはブラックリスト入りしているので一般藩士より危険にさらされている。
桂は、正式に京都留守居役に任命されるまでは、
大黒屋やら対馬藩邸やらに潜伏してたんじゃなかったかな。
けど桂は正式に京都留守居役だから大丈夫そうなもんだが。
正式に京都留守居役になったのは翌年の五月頭です
池田屋のおよそ1か月前
まあ留守居役だからといって、政変によって要注意集団と認定された長州藩士の中でも
最上位の要注意人物である桂に監視の目が向けられているのは当然であり
ひそかに周旋活動やら攘夷派支援活動やらしていた桂は
あいかわらず偽名で対馬藩邸にいることも多かったらしい
対馬藩内部の政治的なことにも関わっているしな
その辺の細かいところが疑問なんだよなぁ
幕末本読むと、上京したとか遊学した、脱藩したetc書いてあるけど
志士が日々どんな生活をしていたのかとか藩邸のしくみとか良くわからない・・・
桂は佐久間象山を暗殺した人物を自分の部隊に加えた
ここ面白いなあ。師匠の師匠なのに。さらに言えば兄弟子でもあるんじゃなかったっけ?
佐久間は勝にもなんか批判的に語られてたし、嫌われてたのかもなあ。
954 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/07(月) 17:53:57 ID:6q9xX7vS0
あげ
桂が部隊率いたことあったっけ?
諸隊反乱鎮圧時以外で
密偵や連絡係やサポートとして色々な人を派遣したり引き連れてたりはしてるから
それを部隊と言うなら?
…言わないかw
957 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/10(木) 00:48:17 ID:R6i7f6pJ0
醒めた炎に書いてあったことだろ。
958 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/10(木) 18:20:11 ID:+f6Kz7FJ0
木戸孝允の願っていたことは、人民の恒久の幸福。
最小不幸ではありません。
959 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/11(金) 18:30:07 ID:knw9QXF00
結局知識持ってる人が知識持ってることを自慢して
悦に浸ってるだけで
披露しようとしないんだよな。この手のスレって。
知識は人に教えられて初めて知識なのに。
何を披露して欲しいのさ?w
てかそもそも過疎板だし、長大な木戸関係文書を全部読んで
醒炎などの該当箇所もすぐわかる人が常に貼り付いてるわけでもないので、
すべての質問に答えが返ってこなくても仕方ないよ。
次スレの
>>1のテンプレには、
全く見かけない脱糞君を外してage君についての注意書いとく?
わざわざ外さなくても面倒なのは新旧一纏めでいいのでは?
三傑スレがあれば比較厨は誘導できるんだろうけど、その為だけに立て直すというのもね
とりあえずage厨たんは司馬作品の史実的根拠を語るスレを自分で立てたらいいのに
木戸のテンプレまとめとかすべきだと思うんだけどな。
木戸のテンプレまとめってすごく難しくない?
とりあえずwikiは、少々過剰な修飾をさっぴいて読めば適正な内容だと思うので
次スレテンプレに参照として入れてもいいかもしれんが、wikiは改変の可能性もあるしな〜。
そして質問したい人、質問板ではないし返事を必ずしも期待できないのはもちろんだが、
感想なら感想、質問なら質問とはっきりわかる書き方にすると吉だと思うが。
まあ自分だって木戸についてはまだ探索途上だから、あまりえらそうに返事とか書けんよなあ。
木戸の年表とか作るべき
テンプレだけで凄い量になるわw
テンプレや年表って…ググればいいものを、わざわざ作る必要あるか?
詳細な年表をご希望なら、松菊木戸公伝とかに巻末に載ってるじゃん。
知識、って自ら吸収しに動かなきゃ身につかないんじゃないかな。
自分は、仕事が休みの日になると弁当持ってチャリこいで、図書館で松菊公逸話や遺文集とか読んでた。
外国にいて、英語の木戸日記しか近くにないわけじゃないんだから。史料を読むのは楽しいよ。
実物の木戸日記を読めたら最高なんだがなwww
ハンパにテンプレなんてつけると
余計なツッコミのお客さんとか増やすだけのような気もするね
木戸と他の人との関係とか、まとめてあると便利。
個人的には西郷と木戸がどう接してたのか知りたいわ。
興味のおもむくままにそーゆーこと論じ合うのがこの板なんでは。
まとめるのは個人でやるんで、無理に共通見解とかまとめる必要ないんでね?
てか無理だろ。
多分それ例の木戸は孤独ってことにしたいage君
972 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/16(水) 00:52:32 ID:plNng3L6O
逃げ回って最後は鬱病
いやさ、すごく正答がほしいんだなって不思議だ…
ただでさえ、歴史の解釈なんて、学者の間でさえいろいろなのに。
木戸と西郷の関係性なんて、だれも正しい答えを知ってる人なんていないよな。
あれだけお互いの書簡も傍証も残ってて、論じたい人もいっぱいいる西郷と大久保の関係でさえ
諸説あるぐらいなのにさ。
明治初年政治史を研究したら突っ込まざるを得ない大久保と木戸の関係でさえ
なぞだよなーとかみんなでいってるのにさ。
いっそ自分で木戸日記・文書・大西郷全集その他読破してここで見解を発表してくれればいいのに。
西郷と木戸がどう接していたか知りたいからテンプレ化して欲しいとか
歴史人物の考察について根本的な勘違いがあるのか、板をおちょくっているのか…
とにかくそんなやつに親切にしてやる必要なし
確かに。みんな親切すぎたな。
>>959みたいな考えなわけだろ、典型的な教えて君じゃん。
けどそんな事言ってたら始まらないから。自分の意見と
その根拠を書き出すべきだろう。俺は知識もってますよ
って言ってるだけなんて意味ないよ。
一体何を始めたいんだよw
まずご自分からどうぞ
みんなが楽しんで書き込める話題にしてくれな
じゃないとスルーされるのが2chなんでw
979 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/17(木) 00:29:34 ID:LMxKRKuI0
木戸孝允が近代日本の基礎を殆ど構築した。
大久保利通は実現のために身を呈して進めた。
流れ無視で独善的な意見や読書感想を書くなら自分のブログ等でどうぞ
こういうスレは普通、史料を読んで疑問に思ったことを尋ねたりして語り合うとかそういうとこだよ
ガチ議論もいいが、まったりほのぼの話すもいい
ネタが面白そうなら皆いろいろ言ってくれるだろうけど、つまらなそうなら相手にしてもらえない
今までもそうだったし、これからもそうだ
>>980さんいらっしゃらなかったら次スレ立てますが、
テンプレは今のままで良いですかね
脱糞君の所にage君も混ぜるのは?
もしくは呼称なしで一纏め
・独善
・「・・・じゃね」「・・・だろ」系論理なしの東北語尾
・「・・・でしょ」系論理無しの同意強要
は不要と言いたい
>>983 「でしょ」+「?」はage厨の特徴だけど、「だろ」「じゃね」は普通じゃないか?東北語尾って何だ。
「じゃね」は使い方は違えどそれこそ長州弁でも使う語尾だろうに。
日記に加え、松菊木戸公伝、文書、遺文集も参考文献に挙げたらどうだろう。
age君は小説根拠の資料無視とか、資料も自分の妄想に都合のいい部分しか見ないで
都合の悪い資料はスルーするのが問題なのであって
口調は副産物というか、テンプレにしてもその語尾を避けるようになるだけな気がする
テンプレは基本今のままでいいんじゃね?
age厨対応なら、「荒らし呼び込まないようsage推奨」とか説明加える?
いちいち変な人ひろってったらきりないとは思うんだよ
もし参考文献加えるなら、木戸公伝抜いて関係文書とか、一次史料にしぼっといてはどうだろう
「じゃね」使ってるなあ>自分
あまり変えない方が良いですね
追加内容は
・sage推奨。荒らし、コピペ、脱糞君、age君は華麗にスルー。
・ここ見て木戸が気になった人は木戸日記・木戸孝允文書・木戸孝允遺文集を読んで見よう。
大きな図書館には大抵あるよ!
みたいな感じで良いですかね
いいと思う
んじゃ行ってくる
あああごめん弾かれた
テンプレ置いておきますのでどなたかスレ立てお願いいたします!
骨董品好き、植木好き、世話好き殿好き恩師好き。
そんな木戸について引き続き語っちゃげて。
前スレ
木戸孝允(桂小五郎)について語ろう11
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1284187067/ ・sage推奨。荒らし、コピペ、脱糞君、age君は華麗にスルー。
・幕末明治に関する小説、TVやドラマの話題もOK。
・木戸周辺の人たちの話題も歓迎。
・ここ見て木戸が気になった人は木戸日記・木戸孝允文書・木戸孝允遺文集を読んでみよう。
大きな図書館には大抵あるよ!
次スレ
少し格調高くしてみました*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゜゚・* !!!!
松菊木戸孝允(桂小五郎)について語ろう12
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1297968358/ __
,ィ≦三三三≧= 、
,イ三三三三三三三ハ
,イ三三三>──‐〃イ≧、
!{三7´ ∨ //∧
`|ヨ}'__,,, _,,,,,,,,_ .V//三|
V/l セテヽ ' rセテ、ヾ. |/三ヨ
Vl } l、 |/j ノ
{ 'r __ )、 __/
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ゝ '`ー‐-'´ヽ / L
、 ´ ` ノ ./∧
,イ7ゝ=彡'イ /: : : ≧、
_....-≦: : :∧ / /: : : : : : : : : .、
/: : : : : : : :レ::::::\ ./: : : : : : : : : : : :
/: : : : : : : : : : :r=、: : :ゝ': : : : : : : : : : : : : :
目力
992 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/18(金) 07:59:46 ID:5bjgbLM20
日記読めなんて書いたらスレが過疎になるだけだろうに
スレ立て乙
そういや図書館の検索は松菊でやってるなあとふと思った
>>990 980だけど気がつかなくてすまん
規制対象ホストでレベル低いのでどのみち立てられなかったけど
>>991 スレ立てありがとう
995 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/18(金) 21:51:36 ID:5bjgbLM20
山県ってそういえば明治入ってからは西郷派閥なんだよね。
新スレでは てs じゃなくて乙するんだよ派閥君
997 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/18(金) 23:20:19 ID:5bjgbLM20
だから木戸の凄さは群れなかった所なんだよね。
松陰からも高杉からも久坂からも距離を取ってた。
伊藤山県ともべったりではないし。大久保とも必要最小限。
共和制を考えたりして皇室とも一定の距離取ってたし。
こいつもこのスレに距離を置いてくれればいいのに…
スレ立て乙です
自分も冒険の書rv.1なんだぜ...
1000
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。