1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
引き続き大久保卿について語ろう
このスレまだあったのか
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/12(日) 08:33:08 ID:VNBB3Cyt0
大久保は西郷さんの人柄をよく知っていたはずだ。西郷さんが
命を賭けて最後の大仕事をしようとしてるんだから、行かせて
やるのが人情というものではないか。長年死生を共にした盟友を
切り捨て、平然と郷里へ兵を向ける。人間のすることじゃない。
権力を手に入れるとそこまで変節しちゃうものなのか。
権力の魔力は恐ろしいね。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/12(日) 15:28:47 ID:D3OU2j12O
大久保卿が今日の日本の体たらくをみたら何とおっしゃるだろう?何も言わず只落涙されるだろうか?
>>3 命懸けならなにをしても許されるなんて考えは子供より始末がわるか!
>>4 誰よりも金を使って権力を握ると思う
そこから先に何をするかは分からんが権力を手中に納めきったところで恨みを持つ奴の復讐に遇い…みたいな
大久保は大久保が生きた時代に頑張ったから値打ちがあるのであって「今いたら」の話題にしても値打ちはない
人っていうのはそんなもんだろ
>>5 自分を慕う若者たちに惜しげもなく命をくれてやった西郷さんはリッパ。
大久保はただの権力亡者。鹿児島では大久保をよく言う者はおらん。
>>7 こういう私学校の能無し共みたいな奴が一番西郷を理解することができず、その挙げ句西郷を殺した
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/14(火) 00:20:40 ID:Fq+OcA/p0
西郷はやや厭世的で、すぐに帰郷してしまうところがよくわからん。
あくまで薩摩を土台にして日本を変えようとしていたのか、もともと無欲な人なのか。
大久保は朝廷を握っていたから、その権威を利用してかつての藩主にも図々しく命令できた。
明治になって西郷との立ち位置がはっきりと違ってしまったように思う。
西郷も外遊していたら(しそうにないが)、二人の運命は変わっていたかもしれない。
西郷が厭世的である理由として
・本人の性格・気質の面
・禅や老荘を好む資質
・自己教育の所産
・江戸中後期の朱子・陽明学的武士教育の影響
など、如何でしょう。
>>6 今いたらを話題にする値打ちはないとか言いつつ、「誰よりも金を使って権力を握ると思う」
とか矛盾したこと言ってんじゃねえよw値打ちがねえなら、くだらない妄想書くなよw
大久保のために命を投げ出す者がいただろうか?
西郷さんはやっぱり偉かった。大久保とは人徳が
違う。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/14(火) 10:59:18 ID:1cPS5fXv0
西南戦争は、西郷さんが私学校の連中の為に命を投げ出したのでは。
連中が西郷さんの為に命を投げ出してはいないと思う。
大久保公は、日本の富国殖産の為に自己を犠牲にしました。
大河キャスト出たな、大久保利ミッチー
しかし龍馬暗殺の黒幕候補にされると思うと胸糞悪い
>>13 どっちでもいいじゃん。男心が男に惚れて〜♪だよ。
わからなければあんた日本人じゃない。西郷さんは
講談浪曲になるけど大久保はならない。
大久保さん龍馬伝出演決定おめでとう。
鶴田・近藤・鹿賀>原田>及川
西郷さんこそ最後の最高の武士。大久保は権力の鬼。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/19(日) 14:04:12 ID:UejxmL+5O
大久保の目の前じゃ震え上がって何も言えず、
こそこそ陰口たたくチキン共が西郷を盾にしただけだろ
. -―- . さすが!! 非情の独裁者大久保!
/ ヽ
// ', おれたちにできない事を
| { _____ | 平然とやってのけるッ!
(⌒ヽ7´ ``ヒニ¨ヽ
ヽ、..二二二二二二二. -r‐''′ そこにシビれる!
/´ 〉'">、、,,.ィ二¨' {. ヽ _ _ あこがれるゥ!
`r、| ゙._(9,)Y´_(9_l′ ) ( , -'′ `¨¨´ ̄`ヽ、
{(,| `'''7、,. 、 ⌒ |/ニY { \
ヾ| ^'^ ′-、 ,ノr')リ ,ゝ、ー`――-'- ∠,_ ノ
| 「匸匸匚| '"|ィ'( (,ノ,r'゙へ. ̄ ̄,二ニ、゙}了
, ヘー‐- 、 l | /^''⌒| | | ,ゝ )、,>(_9,`!i!}i!ィ_9,) |人
-‐ノ .ヘー‐-ィ ヽ !‐}__,..ノ || /-‐ヽ| -イ,__,.>‐ ハ }
''"//ヽー、 ノヽ∧ `ー一'´ / |′ 丿! , -===- 、 }くー- ..._
//^\ ヾ-、 :| ハ  ̄ / ノ |. { {ハ. V'二'二ソ ノ| | `ヽ
,ノ ヽ,_ ヽノヽ_)ノ:l 'ーー<. / |. ヽヽヽ._ `二¨´ /ノ ノ
/ <^_,.イ `r‐'゙ :::ヽ \ `丶、 |、 \\'ー--‐''"//
\___,/| ! ::::::l、 \ \| \ \ヽ / ノ
当時も今も西郷の考えが一切理解できない人間が西郷を狂信的にあがめるんだな
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/20(月) 21:11:42 ID:l2o37ubGO
大久保利通は日本を切り開いた神である
もっと長生きするべき偉人だったのに惜しいな
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/20(月) 21:12:09 ID:Fk+67Moo0
何を!偉そうに
なんでこのスレ若干荒れてるんだ?大久保は素晴らしい政治家だと思います。
>>25 大久保はおろか西郷の事すら理解してない西郷狂信者が来るから
前のスレはこんなんじゃなかったのに
>>26 だよな。なんか前スレはもっと平和だったし皆ちゃんと語ってた気がする…
話題そのものは前々スレぐらいで既に出尽くしたからな
後はドラマやら映画に登場した時にネタ的な話題ぐらいしか…
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/23(木) 15:07:30 ID:fdbny3DM0
大久保より伊藤博文のほうが偉いと思う。まあキャラが違うが。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/26(日) 12:02:17 ID:Jh0nOzNhO
大久保利通は素晴らしい政治家
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/26(日) 14:24:26 ID:7/kUIaT30
じゃっどん
大久保は優れた政治家かもしれないが、人間として男として
武士としては西郷さんに及ばん。
嫌なことがあると何もかも投げ出すような男に、大久保が及ばないわけがない。
うろ覚えだけど、台湾出兵の件で清と交渉するときに「何かあったら責任は自分が全て負う」って言ったんだっけ?何かの論文に書いてた。凄い責任感だよな、俺には無理だわ。
>>34 清沢洌の『外政家としての大久保利通』だったと思う。
中公文庫だけど今は絶版かと。
ただこの本は太平洋戦争直前に書かれていて当時の無責任な政治家を批判する為に
大久保利通という”歴史上の人物”をモチーフにしたという背景がある。
事実に基づいて書かれているけれどそれに対する評価は当時の政治家への皮肉という意味合いが強くて
大久保利通の評伝として読むと違和感があった。
征韓論の時は遺書を書いてたらしいな
当時の政治家は文字通り命懸けだもんな、すごいわ
しかし台湾出兵の時の西郷弟の「何かあったら腹を切る」というのに対し、
「お前の命なんていくつあろうが国民には関係ないんだよ」という木戸の反論もわかる
どんなに政治家が腹括ろうが国や国民に利するものでなければ意味ない
まあ結局清との交渉で賠償金ゲットして琉球の帰属にも目途をつけた大久保最強だけど
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/11(月) 09:13:52 ID:PpxJd/PUO
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/11(月) 13:44:21 ID:EW2AiKEpO
大久保利通は伝説の政治家だ
元志士の明治の政治家の中で、一番好きだ
つか、この人くらいだろ、100パー尊敬できるの
西郷さんが一番立派だ。
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/14(木) 12:32:44 ID:XjUaMlQu0
大久保は大政奉還をどう考えていたんだろう?
小松らが大政奉還の実現のために奔走したり、倒幕の密勅を作成したり
矛盾するような動きを薩摩藩はとってるわけだけど。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/14(木) 12:45:31 ID:AOlmBJgP0
「矛盾」といっているのは中村彰彦ら、根拠もなく坂本龍馬佐幕派説を言い立てている人たちだけで、
実際のところ、研究者でこの二本立てを矛盾と考えている人は少数です。
坂本龍馬の発言も武力討幕推進が圧倒的で、一部に武力を使わないかもしれないとも受け取れるものがある程度です。
大政奉還とは、幕府が政権の地位を失う討幕の好機でしかありません。
討幕派にとって有利な事象でしょう。
「大政奉還で討幕派に肩透かしを食らわせたのだ」という主張には根拠が見えません。
>>42 レスありがとう。大政奉還は大久保らにとって倒幕の布石だったんだね。
確かに、でないと小松や大久保らが大政奉還を目指す理由が意味分からんもんね。
ということは大政奉還は、慶喜にとっては倒幕を実行に移される直前の延命策であって
「英断」とか褒められたものでもなく、相当苦しい状況にあったということか。
慶喜には慶喜の目算があっただろうけど別に大久保らにとっても困る事じゃない
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/15(金) 18:49:26 ID:hY7q33760
むしろ、「江戸の幕府組織を破壊して新政府を作る」ということについては、
徳川慶喜と薩長及び土佐で意見が一致していた。
主導権をどちらがとるのかで争っただけ。
しかし、幕府を改組すればよいと思っていた江戸在住の幕府首脳や会津桑名にとっては、
大政奉還は許しがたいことだった。
袖にされた会津桑名が慶喜恭順後もヒステリックな抗戦を続けてたけど仮に負けなかったらどうするつもりだったのか気になるところだな
勝、榎本、小栗あたりは死ぬまで冷や飯食いになるんじゃない?
関係ないけど、大久保さんが堀次郎と長州藩の周布政之助・来島又兵衛らと宴会した際
周布と堀が寺田屋事件の一件で険悪な雰囲気になった際、一喝してその場をおさめた後
畳をはがして指一本で畳をのせて、場の雰囲気を和ませようとした逸話を想像すると笑える。
あの冷静沈着、無口でものすごい威厳と言われた大久保さんが畳芸w
訂正
>畳をはがして指一本で畳をのせて
↓
>畳をはがして指一本で頭に畳をのせて
空気は読めるが笑いのセンスはなしっとφ(..)
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/16(土) 23:41:05 ID:j9Vt3A7QO
政治家として大偉人の大久保さんだが
何より男前で、西洋人並の風格ですな
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/16(土) 23:45:26 ID:zNL0vEuI0
風格は西郷の方があったろう
そういう記録が多い
西郷はよほど雄偉な相貌してたんじゃなかとか
維新期のリーダーって皆風格あるように言われてるよな
武市や久坂は180越えで美形だったと言うし、異説はあれど坂本も大男
大久保や木戸は風貌に関しても外人からの評価が高いけど、西郷ってどうなの?
黒真珠のような瞳云々はサトウ評だっけ
西郷は髭ない方がいいと言ってたが写真を見比べたら髭ある方がいいよな
ない方がいいよ。髭ある写真を見ても世間では「板垣退助?」とか言われるのがオチ。
板垣みたいな無能といっしょにされるのは嘆かわしい
板垣は無能っていうより人が良過ぎて駆け引きできないっていうイメージだけどな
面白そうな事ややらなきゃならん事には何でも引っ張り出されて「あぁ、うん、そうだね」って言ってる
ここの人たちは異を唱えるだろうけど、今の政治家で大久保に近いのは、
やっぱ小泉だよ。
西郷は、偉大さは別として、置かれている立場は小沢だな。
10年先を見る政策、国益を守る点では、小泉なんてアメ公のポチレベル。
よく言われるのが、壊し屋の西郷、建設屋の大久保
近年稀にみる面白い政治家ではあったね、小泉。それまで何度も橋本龍太郎に
負けているからな。それを上手く国益を守る方向だったら評価されるけど。
政策がいいかげんすぎるw 小泉チルドレンは酷いし
品川弥二郎レベル
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 23:54:53 ID:Wyr8mtEpO
麻生の祖先は大久保なんだよな
海外では、壊し屋のゲバラ、建設屋のカストロ
>>60 麻生のじいさんが吉田茂。
吉田茂の嫁が牧野伸顕の娘。
牧野伸昭は大久保の二男。
>>60 祖先たって、母方のそのまた母方じゃないか。
本当の意味で、祖先を名乗っていいのは、直系(父方)だけだよ。
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/21(木) 19:38:10 ID:3qQJxFg/O
吉田茂の息子が吉田健一
江藤の生首ブロマイドを眺めてニヤニヤしてたんだっけ?
それは反大久保の奴らが流したデマ。
過去スレで書かれていたけど、あの桐野(中村半次郎)でさえ、大久保が
睨みつけたら黙らせたほどの漢
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/23(土) 00:43:08 ID:TA/UKl420
それって桐野じゃなくて奈良原のことじゃないのか?
ソースが司馬か池波の小説だろうから、本当かどうかもわからん。
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/23(土) 14:53:20 ID:UMan4dw+0
テンプレ無いみたいだから、叩き台みたいなの作ってみた。
----------------
・幼少時。父が疑獄(お由羅崩れ)に連座。極貧の生活を送る。西郷は幼馴馴染み。
・親友の西郷が斉彬に抜擢され、藩中枢の空気を嗅ぐことになる。誠忠組に参加。
・斉彬死去。藩に大反動が起り、西郷が島送りになるなか、手練手管(囲碁)を
持って、久光に近づき、斉彬流の公武合体を吹き込む。公武合体にまい進。
・不屈の頑張りで、公武合体、雄藩連合を一応やり遂げるが、慶喜の策謀ですぐに行き詰る。
・勝海舟→西郷の示唆で、大久保も倒幕の意思を固め、岩倉と組んで、倒幕に向けて、
あらゆる策謀をやり倒して、明治維新(暗殺などという卑怯な事だけはやらなかった、そうです)
・維新後、太政官、大蔵卿、内務卿を歴任して、今に至る霞ヶ関官庁の原型を作る。
・以下、大久保が主導した事。(廃藩置県などは全員野球でやった)
・遷都
・殖産興業
・佐賀の乱鎮圧
・台湾征討の後始末。北京にて清国と直談判して、賠償金を得る。
・西南の役鎮圧。
-------------
大久保さんがやった事、一つ取っても、とてつもない難事業だと思う。
そもそも下級武士が反論を操って、しかも公武合体、雄藩連合まで漕ぎ着けるなんて。
俺に任せろといって、本当に賠償までとった清国との交渉(相当強引だったみたいだが)
要するに、日本の歴史には稀な本物の大政治家だと思う。
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/23(土) 15:02:13 ID:UMan4dw+0
ただ、大久保に暗い面があるのは事実のようですね。
・寺田屋事件の後始末の、田中親子の惨殺に関与?維新後これを指摘した
人物を左遷。
(そもそも寺田や事件にどう関わったかはっきりしない)
・どういうわけか、2度目の西郷の島流しからの帰還運動に自らタッチせず、
他人にやらせた。
江藤の件も暗いよね
乱の首謀者(巻き込まれただけだけど)が、逃亡したから極刑になること自体はおかしくないけど、
三条は内務卿(当時は木戸)の指示を仰ぐように言ったのに、
それをスルーして急いで裁判を行ったのは何故か
「明治六年政変」の毛利が主張してる私怨説wは有り得ないと思うが、
薩摩士族や西郷、板垣への牽制だけが理由だったのかなあ
毛利って誰を贔屓したいんだ?
大久保の本はそこまで貶してないのに江藤絡みの本だと…
阿部正弘サロン〜帝国議会開催まで藩とグループを背景にした主導権争いはずっと続いてるからな
主導権を握った側が何もしなかったという事はあり得ないし、それと争って敗れた側も大概の事をしてる。
どの程度悪どくて辛辣でモラルのない事をしたかは本人達以外には分からんだろう。
多分日記や人との会話みたいな証拠が残るような事は避けただろうから。
>>70 >寺田屋事件の後始末の、田中親子の惨殺に関与?維新後これを指摘した
人物を左遷。
詳細希望。この話、司馬の小説でしか見たことないんだけど。
>66
反大久保って何だよw
>71
三条、岩倉、木戸、その他多数の参議が江藤の命を助けようと躍起になってたの知ってたから、
江藤を東京に連れてくるようにという勅使と何が何でも会わなかったという話だったと思うが。
ま、近代以降の日本で一二を争うほど優れた政治家だろうけど、あの時代で言う事とやる事が
真逆のことをやっちゃったのは、それだけで十分に暗殺される理由にはなるだろうなぁ。
で、やっぱミッチーが大久保利通なのは、大久保利ミッチーと呼ばれるのを狙ってのことかな?
だとしたら、NHKもオヤジギャグが分かるようになってきたんだなw
>>74 田中親子の件は決定的な証拠はないけどこの時期の前後は精忠組にとって有利になる行動をとってないのと大久保ならやりかねんって事で決めつけられてる匂いが…
余り言われないけど、寺田屋事件の頃までの、久光の第一の側近は
堀次郎(伊地知貞馨)なんだよね。寺田屋事件後にある事情で、藩政の
第一線からひいちゃうんだが。
その後、大久保は八面六臂の活躍をするわけだから、藩士から
特別恨みを買っていたって事は無いんじゃないかな。
寺田屋事件に関しては、道義的な連帯責任はあるという程度で直接
タッチしていないのかもね。
>>70 >どういうわけか、2度目の西郷の島流しからの帰還運動に自らタッチせず、
他人にやらせた。
大久保は、もし西郷と久光がまた喧嘩になったら、次は命はないと
考えていたんじゃないかな。
西郷の帰還後、西郷と久光の面会で、思いのほか西郷がおとなしかったんで
大久保は相当安堵してる。
「此節は一体議論もおとなしく少も懸念これなく安心仕り候」(新納嘉藤次宛手紙)
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/27(水) 22:44:27 ID:xxWmZgj20
もおおおお〜〜〜〜知らぁんッ
何時ッでん大事な時におまんさぁは逃げてしもぉ!
子供より始末が悪か!!
大久保利通と諸葛亮とが被る。
1.政治に私情をはさまないところとか→大久保:西南戦争 諸葛亮:「泣いて馬ショクを切る」
2.自身は質素。
3.両者とも政治に公平だった事をのちに賞賛される
4.国家の発展のみに邁進
5.両者とも現実主義者
6.両者とも策士
>80
その条件なら竹中半兵衛なんかも当てはまるけど、
大久保は確実に野心があったと思うぞ。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 01:41:51 ID:YxxH+wMs0
大策士は案外、無欲恬淡としている、と海音寺潮五郎がいってたな。
竹中半兵衛、張良、劉白温、黒田官兵衛など。
そもそも大久保は、策を考えるタイプじゃなくて、色んな策をよく吟味して、
一度採用した策は、てこでも動かぬ意志でやり遂げる事に本領がある気がする。
>>82 そうなると本来は応変の策は不得意とされる孔明とは案外…
この人も野心(not君主)はあったように思うし
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 03:29:55 ID:fXhoK+gxO
前回の龍馬伝。
最後の方、大久保怒ってた。
今回は暗殺者、見回組らしいけど
黒幕は、大久保っていいたいのかなぁ〜?
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 22:23:09 ID:6Qqu2kleO
配役がミッチーとはなww
ミッチーは前田慶次役でも大河に出てたな
NHK好みのキャラクターなのか?
鶴田、近藤、鹿賀しか印象に残ってない
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 10:00:00 ID:POIZdMNa0
大久保利通は子孫の麻生太郎の仕事ぶりを
どう評価するだろうか?
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 12:26:43 ID:iuMjBMOX0
民主の福山哲郎は以前、bsTBSの番組で歴代の政治家で最も尊敬していると言ってた
>88
民主党政権の経済政策と、インフラ&資源外交は麻生政権時に
開始されたものが多いから、仕事としては高評価になるんじゃないか?
ただ、正論を言ってたのに、小沢の謀略戦に負けた感が強いので、
その点は、自分が葬り去った江藤新平の方に似てるかも知れん。
>89
その割に、政府の失態を正当化しようと、ああ言えばこう言う的な口だけ男になってるな。
政治姿勢も能力も正反対だから、憧れ的な感じで尊敬してるのかもな。
論戦に勝つのが目的じゃどうしようもないしな。
何をするための議論か、何を実現するための謀略なねか。
結局は目的や目標が後世の評価に耐えうるかどうか。
失策、手段のまずさは減点の対象になっても軽蔑の対象にはならない。
浜口雄幸なんかはその類いだろう。
自民、民主云々より国民のレベルが大して上がってない事を嘆かれるでしょう
>92
精神レベルが下がりまくってるなw
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 08:43:24 ID:+sOA9rUm0
>>88 麻生と大久保は血のつながりはあるんですか?
家系上、つながっているだけですか?
寡黙な大久保と多弁な麻生ではだいぶタイプが違うように見えますが。
大久保の次男牧野の長女雪子が吉田茂に嫁ぎ、
そこで生まれた三女の和子が麻生太賀吉に嫁ぎ、その長男が麻生太郎
女系だけど血は繋がっている
大久保は逆賊JK
大久保と木戸って欧化主義に対してどう思っていたんだろう?
井上馨と同じ立場で、日本の伝統や文化は破壊しても構わないと
思っていたのかな。
欧化って言っても政治や経済のシステムでの導入と文化や生活面での影響は違うからな。
少なくとも行政制度や通貨管理・産業育成に関して欧米と同質かそれに対応できるものが必要だと考えていたのは間違いないだろう。
生活や文化に関しては好みの問題もあるし、欧化推進のキャンペーン主導の立場でもあった立場の人だから本当は反対でもそれを公言する訳にはいかんわな。
つまり
>>98の質問に答えうるのはお亡くなりになったご本人のみということだ。
>98
少なくとも、明治維新で日本文化が破壊されたということは無かったんじゃないか?
西洋文化を導入しても、日本的に昇華して取り込んでたし。
せいぜい、留守政府が変更した時間の単位くらいだろうけど、
遅かれ早かれ変わっただろうし、文化破壊というほどのモノではない。
むしろ、現代のジェンダーフリー教育の方が、よほど文化と伝統を破壊してると思うよ。
>>98 木戸は井上と同じような感覚だろうけど大久保は結構葛藤ありそう
井上は進んで日本の伝統芸能を保護してるし。
鹿鳴館=日本文化の破壊、とか単純すぎる発想だね
大久保は内心、近代化のためなら日本文化は捨てたほうがいい、ぐらい思ってたかもな。
薩摩はものの考え方は保守的でも、物質的にはあんまりこだわらない所だし、
大久保の場合、薩摩的な鎖国根性を嫌悪していただろうし。
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 05:01:09 ID:usN+79qB0
>>4 >大久保卿が今日の日本の体たらくをみたら何とおっしゃるだろう?何も言わず只落涙されるだろうか?
黒田清隆伯が今日の日本の体たらくをみたら何とおっしゃるだろう?何も言わず只泥酔して暴れられるだろうか?
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 08:00:42 ID:Vye2bFJX0
>>104 音に聞く 高師の浜のはま松も 世のあだ波は のがれざりけり
もし大久保が近代化のために日本文化を捨ててもいいと考えていたなら、それこそ
大久保の目指していたものは劣化版西洋国家そのものだな。
大久保はそんなの目指していたのかなぁ。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 10:20:09 ID:eyxoHCTU0
大久保の屋敷は、表玄関と来客部分が西洋建築で豪華…
ですが一歩奥に入り、生活空間を見ると質素そのものの日本的建築w。
岩崎弥太郎が建てた屋敷も、東京に残っているけど、これとまったく同じで、
表は西洋風豪邸だが、裏に回れば日本庭園w。
何故かと言われれば、当時の日本は不平等条約改正が至上命題だったけど、
その条件が「日本が西洋的文明国になったら」でしたw。
外国人がよくやってくる表玄関たる東京には鹿鳴館があるが、一歩奥に入って地方に目をやれば……
そういう事だよ。
大久保は現実主義者だが、慎重論者でもあったから、保守的洋化論に近いのかな。
事例ごとの解決は模索したが、行政組織のような現実的な処理以外に、
西洋か非西洋かといった観念論には囚われていなかったと思う。
王政復古の直前くらいの西郷と大久保では、大久保の読みが西郷を上回ってると感じる。
見通しについて、かなり大胆な表現を使ってるよね。
だって西郷は島流しにあってたじゃん。
その間は小松・大久保が藩の要務取り仕切ってるし幕臣との折衝もほとんどこの二人。
誠忠組のほとんどは藩の端役にしか就けなかった中で万両単位の金まで動かせるようになった大久保。
そりゃもめるw
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 17:15:39 ID:vHVygtU20
>110
同感だがやはり大久保も小松にバックアップしてもらっていたのは事実
小松が亡くなった年の暮れに小松の墓参りに行った大久保は
こんなに早く小松が早死するとは思わなかったと
吉井友実と五代友厚との3人で嘆いている
後ろ盾だった小松が亡くなってから大久保は西郷と対立するようになる
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/21(日) 00:53:10 ID:WmXLHfXWO
暗殺された日の朝は3才の娘が泣きやまなかったので馬車に乗せて玄関前の馬回しを一回りして泣きやんだのを見てから家を出たそうだ
20日の朝日新聞夕刊に書いてありました
意外と家庭では人間味があるんだよな。意外と。
若い頃の大久保
逃亡コスプレの気合入れ具合は異常
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/26(金) 18:39:04 ID:WCN4H4DEO
権力を持たないと理想を実現できません
徳川を徹底的に排除した大久保は賢い
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/26(金) 18:46:13 ID:WCN4H4DEO
好き嫌いでは無く
賢い
>>116 確かに明治初めの方はかなり嫌って廃除しようとしてたけど、
洋行後は使える人材は徳川だろうがなんだろうが出身関係なく登用してるよ
むしろ廃除されたのは江藤や西郷
政治家タイプの人間を排除する傾向が強まったとも言える。
旧幕臣で大久保に重用されたのは官僚タイプに限定されている。
まぁ、良くも悪くも、今の官僚至上主義的政治体制の基礎を築いた人だわな。
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/26(金) 23:42:44 ID:WCN4H4DEO
龍馬の考え
「徳川幕府を武力征伐したら日本の武力は内戦によりさらに弱まり、そのスキに外国に攻め込まれる
だから和睦による権力譲渡が必然」
しかし大久保は武力征伐を初めは考えてた
うーん・・・大久保は賢いとは言えないかも
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/26(金) 23:50:23 ID:7ZKtBKsM0
それ、小説内での作家の「こう坂本龍馬は言ったことにしよう」発言。
実際の坂本龍馬の発言は、
「大政奉還が徳川慶喜に受け容れられなかったら、海援隊を率いて徳川慶喜を討ち自らも死ぬ」、というもの。
討幕派そのものですよ。
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 00:18:26 ID:odrw7miBO
なるほど
しかし和睦を先とした考えの元での考えだから
坂本思想=まず和睦 だめなら武力征伐やむなし
大久保思想=武力征伐
に変わりないでしょ
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 00:28:45 ID:45hOeWZa0
大政奉還を和睦姿勢の表れと捉えるのが間違いの元で、
討幕派にとっては大政奉還は、幕府を日本国政府の座から引き摺り下ろす策でしかないわけで、
薩摩も徳川慶喜の大政奉還発言が出ると、土佐と共に慎重姿勢のあった朝廷を懸命に説得し、受諾にこぎつけています。
坂本龍馬にとっての大政奉還も、同じであったと思いますが。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 00:36:49 ID:odrw7miBO
和睦を元にしてるに決まり
何言ってんの?
武力征伐ならとっくに開戦してるさ
血の気の多い西日本の人間性からしたらさ
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 00:38:16 ID:odrw7miBO
やはり歴史板は・・・
馬鹿ばかりだな
変な俗論を持ってこられても、当惑してしまいます。
結果和睦だろ
徳川首とられたか?
馬鹿 馬鹿
クズ偉人
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/29(月) 12:02:10 ID:AglWJrQ30
1万円札は聖徳太子でいいから
1000円札にしてほしい
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/30(火) 06:04:47 ID:BzIZrcSD0
大久保利通経済産業大臣
木戸孝允文部科学大臣
を激しく希望
大久保さんは官房長官だろ
大村益次郎防衛大臣
江藤新平法務大臣
これは鉄板だろ
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/02(木) 11:08:22 ID:OgmUUr4Z0
西郷隆盛外務大臣兼拉致問題担当大臣
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/04(土) 10:55:11 ID:R8KggUbF0
>>136 北朝鮮へ丸腰の交渉を唱えるも、内閣ににおいて受け入れられず、大臣を辞職
後に下野し、鹿児島にもどるも、政府に不満をもつ地元の若者の中には
元大臣をかつぎ、政府に反乱をおこす企てが進行するのであった・・・
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/24(金) 05:46:41 ID:6hCyCa0cO
あげ
大久保は現代に生まれていたら芽が出なかったかもしれない。
大久保のような剛直なやり方は、現代ではうとまれるだろ。
維新政府の要人たち=武士道的教養の持ち主たち だからこそ大久保のような人間がリーダーたりえたんじゃないかな。
>139
そうかな?
結構、小沢が近い気がするけどな。
但し、小沢一郎+政治理念−金銭欲だけど。
派閥の身内に与える「利」は、小沢のようにちょろまかした現金を渡すんじゃなく、
権限を渡すだろうから、小沢とは比較にならないほどの影響力になると思うが。
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/26(日) 17:05:13 ID:MFupAAa/0
>>140 馬鹿なことを言うな!、小沢ごとき己の保身しか頭にない男と
大久保を一緒にするなど、大人と赤子以上の差があるぞ!!
あと部下の性能にも雲泥の差があるだろうなw
小沢はどう見ても西郷の劣化コピーだろw
西郷自体があれだがw
後世の人間から見たら偉大な政治家だとは思うが、
当時を生きた士族や平民からしたら小沢と似たようなもんだろうなあ
なんせ殺されたぐらいだし
士族からは特権を次々と奪った推進者であり、また多くの
士族が望んでいた征韓論を押さえ込んだ張本人として恨まれる
のはわかるが、国民から嫌われてたというのはなんの情報?
大久保が清朝に談判に行って決着をみて帰国した時は凱旋将軍の
帰国のような大歓迎ムードだったみたいらしいし、大久保の意見で
地租の軽減も行われたよね。地租改正などの一連の改革に対しての
庶民の怨嗟は大久保個人というより明治政府そのものに対してだろ。
暗殺について言えば、大久保を暗殺した島田一郎らは大久保のみではなく
斬奸状に切るべき存在として伊藤博文、木戸孝允、岩倉具視、大隈重信、
黒田清隆、川路利良の名を挙げている。
地租軽減は大久保だってしたくなかったけど士族の武装放棄が続く状況で大規模一揆の誘発までさせたくないからしただけ。
維新後の徳政を待ち望む社会、身分社会から非身分社会への移行、金流出によるインフレ、維新政府分裂による政権不信、税制の未整備と片寄る資本投入による貧富格差。
茫漠たる不安と不満が充満する中で致し方なしにやったというのは日記や書簡からも明らか。
不満を解す一手としては正しいけど酒税やらタバコ税など片寄った物品課税を副産物として発生させた。
その後の戦費調達などを含め徴税や財政のやりくりに関しては悪影響を残した。
地租軽減に至る判断を良かったか?悪かった?を評価するのはとても難しいところだ。
大久保個人は一介の政治家であって、宗教家や博愛主義者でもなんでもないんだから
政治判断に基づいて地租軽減を行ったというのは当然。効果・実態はどうであれ、
大久保の建白は国民にとって悪くは見えなかったんではないかな。
>>141 だから
>小沢一郎+政治理念−金銭欲
と書いてるんじゃないのか?
逆に言えば、大久保は理念があり無私だったと書いてると思うが。
何よりも能力が違いすぎる
小沢など所詮選挙ごっこと派閥ごっこしか出来ない無能な金食い虫に過ぎん
>>149 >選挙ごっこと派閥ごっこしか出来ない無能な金食い虫に過ぎん
これが、イコール政治理念が無いと言う事と、金銭欲があるって事だろ?
小沢は、少なくとも権力の掌握に関しては有能だが、得た権力を、
カネや保身の為に使うから、国家や国民に害があるだけ。だけってのも変だがw
大久保も権力獲得の為には、小沢なんて足下にも及ばないほど汚い事をやってる。
でも、それで得た権力は、自分の利得の為には使わず、あくまでも公のために使ったから偉大なんだよ。
ま、こんなところで小沢なんかの名前を見たくないわな
本人が大久保を誉めてるから小沢信者が工作してるのかな?
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/28(火) 21:06:16 ID:op+glmgMO
大久保利通は神だ
こんな立派な政治家は他にいない
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/29(水) 21:38:52 ID:V9VFxAv70
大久保は明治全期を通じての大宰相であり大政治家であった。
日本の宰相像はすべて大久保に発していると思う。
大久保から歴代の宰相が延長していると思う。
したがってあとは宰相の名前を挙げればいいようなものである。
・・・・・松本清張「史観宰相論」
>151
小沢信者なら、小沢には政治理念が無くて金に汚く国家国民に害があるとは書かないと思うが。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/30(木) 14:52:04 ID:aR61GqNF0
大久保は榎本や大鳥らは助命して自分に逆らって対立した江藤を抹殺した
江藤の抹殺したことだけはどの政治家も批判していた
ちなみに榎本はかなり優秀な政治家だと思う。
江藤が作った大日本帝国憲法を見てみたかった
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/07(金) 04:03:37 ID:rK7ghi5u0
明治初期の大隈は輝いていた。
財政、外交の実力を持って有利な立場にあるはずの薩長出身者
を圧倒していた。
大久保が暗殺された後、政治闘争に敗れた大隈は政府から
追放されてしまう。
後年総理になったときには別人のように劣化していた。
大久保が暗殺されなければ、大隈も大久保の懐刀として
まったく別の政治人生を歩んでいたに違いない。
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/07(金) 09:00:31 ID:JRKh9x7V0
>>155 大久保は黒田や西郷が助命を言い立てたから仕方なく榎本を助けたが、
本心はかなりおもしろくなかったらしいことが日記から読み取れる。
しばらくは、榎本に敬称つけてなかったもんな。
同じ日に書いてる他の人物には「○○氏」とちゃんと氏をつけてるのに、
榎本だけは「榎本」。明らかに故意すぎてワロタw
>>157 大久保の正統後継になる目もあったが、いきなり民権派に鞍替えして
五代友厚ブチ切れてたもんな。
まぁ大隈が有司専制引き継いでもどれだけ持ったかってのはあるが。
>>158 それは知らなかったなあ。
なにが気に食わなかったんだろうか。
大久保と対立した要人たち
榎本武揚
大村益次郎
江藤新平
なんか共通点ってある?
勝海舟もか。
>>160 他に対立した中で大物は慶喜と西郷か。渋沢や福澤も嫌ってる感じ
共通点はKYっぽいのと我を通す性格?
でも調整型の木戸もすごい嫌ってるから一概にまとめられないか
>160
同時代に並ぶ者のないほどの専門知識と立案企画力。
加えて、オランダ語とそれ以外の外国語の読み書きが出来る。
ってのが、三人の共通点且つ、大久保に無い部分。
大村と江藤に共通するのは、筋の通らない話には絶対に折れないところ。
まあ、大村と江藤は気が合い交友があったそうだ。
江藤は人間性がいまひとつ
>>164 江藤は友達が多かったし、冗談もよく言い、書生からも尊敬され、死後も供養され続けてたが、
それで人間性が今一つと言われたら、人間性が良いって、どんな聖人君子だよw
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/08(土) 07:52:50 ID:mCZOeBtN0
>>157 小沢一郎に政策能力があるかどうかは解らないが、
権力の中枢にいたが権力闘争に敗れ、野党の中心人物
になったという点で、小沢は大久保より大隈に似ているのでは?
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/08(土) 11:58:21 ID:2dewIvqE0
榎本が伊藤に大久保は厳しい人だが
ロシアの交渉が締結すると
大久保の自分に対する態度がコロッと変わったとボヤくと
伊藤が大爆笑したそうだ…
榎本はシャンポリオン並だなあ
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/09(日) 17:47:14 ID:HMFYBNDS0
司馬の「歳月」読んだんだけど
大久保、ひどすぎじゃね。こういう事してて嫌われなかったんだろうか?
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/09(日) 18:16:18 ID:mZHXuMzv0
大久保を評価しさまざまなことも容認した岩倉だが
江藤の処罰だけは激怒した
大久保が対立した政治家
西郷隆盛 大久保は小松と久光との間を周旋したのに後々のことが… 薩長閥をまとめきれず
木戸孝允 大久保と対立したけど政界から遠ざかったのは木戸は病弱なのが要因
江藤新平 大久保が恐れた政治家
榎本武揚 ロシアとの交渉が締結すると和解
陸奥宗光 薩長閥が支配する政権に激怒
勝海舟と大久保一翁のふたりは日本のことも考えて幕府は負けを選んだと思っていた
次第に大久保と合わなくなり政府に対して距離を置くようになる
>170
まぁ、江藤の場合は、江藤が里帰りし始めた翌日から討伐軍の編成をし始めて、
反乱起こす前に討伐軍を向かわせて、反乱を起こさせるために佐賀士族を散々挑発して、
江藤を東京へ連れてこいという勅使を無視し続け、形だけの裁判で処刑して、
さらに刑に規定のなかった晒し首にしたというムチャクチャをやったからなぁ。
だから、江藤を好きな奴が大久保を嫌いだという気持ちは理解できる。
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/09(日) 20:20:16 ID:pt5tRzdB0
江藤の件からすると
西郷暗殺計画もありえるよね。佐賀の乱の挑発行為とかもあるし。
西南戦争も大久保が引き起こした感じなのかな。
なんか木戸が誰か宛ての手紙で書いてたよね。
「大久保は普通に話をすれば解決できるようなことをわざわざ裏から工作して
かえってややこしくするから困る」みたいな。
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/11(火) 00:19:23 ID:p4dpMMsb0
>>173木戸はてめえの子分が大久保になびいてくので
嫉妬しまくりですから・・・
意外に木戸も大久保に毒殺されてたりしてなw
なんで、大久保の手を握りしめながら死んだのか、二人の関係を考えても不自然だ。
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/11(火) 11:27:10 ID:r42KVVFA0
能力があって自分に従う者は出身藩の分け隔てなく使う。
自分に逆らう者は徹底的に潰す。
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/11(火) 12:45:00 ID:mF6vCXj+0
>175
小松は早死するし西郷とは対立し西南戦争も起きてしまう
頼りになる人達の死はつらいはず 小松 西郷 木戸
木戸の臨終の際伊藤は号泣している
>176
大久保のやり方に不満もあり
勝海舟は激怒して暗殺されても驚かず
大久保の葬儀に参列していない…
>>175 木戸って版籍奉還とか征韓論とか肝心なところで病気だったり事故で怪我してたりするが、
もし大久保が仕組んでたんだとしたら怖ぇー
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/12(水) 22:07:32 ID:s1x3UzxC0
日記で江藤の事ボロクソ言ってるらしいね。嫌われるタイプだったんだろうな。
有能なんだろうけど。
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/13(木) 08:42:20 ID:zDCZODA50
邪魔になった田中河内介父子の暗殺に関わった可能性大。
武力倒幕路線の障害になった坂本龍馬の暗殺に関わった可能性
も否定できない。(直接または間接に見廻組に情報をリーク。)
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/13(木) 09:13:18 ID:g2zgfYWX0
俺が大久保なら、自らリークはしない。ただ、情報をつかんでも坂本にしらせない。
どっちに転んでも、まだ駒としては使えると判断するから。
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/13(木) 09:32:56 ID:BpIf+bDr0
大久保と江藤は政敵も多く暗殺されても仕方がない。
>182
大久保が政敵が多いってのは納得できるが、江藤の政敵って大久保と汚職コンビだけだろ。
表舞台にいた期間も7年だけだし。
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/14(金) 21:50:38 ID:8cHZ1REn0
大久保って薩摩人の中では独特だよね。なんか爽やかじゃない感じ。
桐野のほうが魅力的に思えるもん。
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/15(土) 01:48:48 ID:QRfCngvl0
大久保が長生きしていたら、日清戦争にふみ切っただろうか?
日英同盟を締結しただろうか。
韓国を併合しただろうか(ここまでは生きているの無理だね)。
>185
ビスマルクに感銘を受けてたから、朝鮮半島にはもっと早い時期に租借地を持って実質支配を強め、
清とは列強と連合して戦争して、領土を分け取りしたあと、ロシアとの衝突は避けられないから、
結局は日英同盟になってたと思うなぁ。
日英同盟自体は、英露の覇権争いがあったからこその物だし。
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/15(土) 21:50:01 ID:VfzhHT5J0
>>185 日韓併合は1910年
大久保は1830年生まれだから生きてりゃ丁度80歳だから
長寿ホルモンがたっぷりあったら絶対可能
長生きしたとしても
実際どう判断する解らんことだね。
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/16(日) 09:41:16 ID:f3yd9SbV0
大久保 木戸 西郷 は若くしてなくなったな。
この3人が山県並に長生きしてたらそうとう違っ手多と思う。
その3人は多分にメンヘラっぽいところがあるから、
案外山県よりも老害まきちらしていた可能性があるよw
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/16(日) 10:51:00 ID:GQeJ6BiS0
>189
それと小松も長生きしてほしかったね。
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/16(日) 21:59:25 ID:n4hQnI/10
木戸と西郷は体の具合よくなかったみたいだから長生きできなかっただろうけど。
木戸は反乱とかが相次いで心労で寿命縮めた感じだが。無難に生きても長寿じゃないだろうな。
大久保は比較的健康だったよね。富士山とか登ってたみたいだし。
広沢とか大村とかの暗殺された奴も長生きできそうな感じだったかな。
木戸は胃がんだそうだからあまり寿命は変わらないだろうな
西郷のフィラリアって人命に関わる病気なんだろうか?
大久保は子供の数からして健康そうだ、暗殺時にも妾が妊娠してたんだよな
広沢も写真見る限り恰幅の良い健康そうなイメージだ
西郷の金玉肥大はフィラリアの後遺症だろ?
金玉がデカくて死ぬなんて事は考えられない。
木戸以外は概ね皆さん健康だったんじゃないかな。
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/17(月) 00:30:19 ID:E+IM+2CH0
西郷が写真撮らせなかったのは、金玉肥大が理由だろうな。
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/17(月) 09:40:36 ID:UefXZ6I/0
薩長同盟に中心的に役割を果たした
西郷、小松、大久保、木戸らがこんなに早く早死するとは
伊藤や黒田は予想していなかっただろうね。
坂本中岡大久保は暗殺、西郷桂久武は自決、小松木戸は若くして病死
同席してた黒田や品川も60前に死んでるし、長生きしたのは土方くらいか
「ようやく戦乱も収まって平和になった。よって維新の精神を貫徹することにするが、それには30年の時期が要る。
それを仮に三分割すると、明治元年から10年までの第一期は戦乱が多く創業の時期であった。
明治11年から20年までの第二期は内治を整え、民産を興す即ち建設の時期で、私はこの時まで内務の職に尽くしたい。
明治21年から30年までの第三期は後進の賢者に譲り、発展を待つ時期だ」(『済世遺言』)。
大久保は長命した場合、明治21年以降は第一線から身を引いて
元老としてどの程度政策決定に与るかってとこですね。
大久保が生きてれば、大久保を起点とする有司専制と、一の秘策によって形式的にしても
天皇の意志は政府に勝るという悪しき先例を作ってしまった問題は解決出来ただろうか。
これらと、日露戦争の勝利が絡み合って、昭和の軍部独裁に繋がっていったと思うんだよな。
一番の元凶は、権力を私した山県有朋なんだろうけど。
いにしえから、この国の権力者は天皇の権威を利用してきたわけだから、
山県や昭和の軍部もまたそうしたとしても、べつだん不思議はない。
そもそも倒幕維新が天皇の権威のもとで行われたわけだし、
宰相としての大久保もフルに天皇を利用した。
そういう意味では大久保は日本の権力者の類例に漏れない。
江藤あたりなら、天皇を残しながらも、旧来の天皇制と決別するような仕組みを考えたかもしれないがな。
>いにしえから、この国の権力者は天皇の権威を利用してきた
つ源頼朝・徳川家康
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/19(水) 04:26:21 ID:UQ8Dp9Mo0
>>180 超リアリストの大久保は同じく超リアリストの岩倉と共謀して
まさか意のままにならない佐幕派の孝明天皇を...
大久保が明治憲法作成の主宰者だったとしたら、どんなものになってたんだろう ?
>>203 大久保とは無縁の系統の能力が必要だから、現代から見たら、かなりグダグダになってるだろうな。
論理学や弁証術なども、頭では分かっていても、言葉や文章で表現するのは苦手だろうし。
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/19(水) 22:39:23 ID:mO7O6xTS0
大久保が作るとなったら有能な人材集めて議論して作るだろう。
最後は大久保が決めるだろうけど。
帰朝後の憲法についての意見書では大久保はイギリス派、木戸はプロイセン派
そして大久保が生きてたら明治14年政変が起こらずイギリス派の大隈が失脚しない
でもプロイセン憲法派の井上毅を登用したのも大久保なんだよな
大久保なら大隈と伊藤・井上毅のどちらを中心にしただろうか
あれ?大久保は、天皇と議会の扱いだけ英国式で、あとはドイツ式が気に入ってなかったっけ?
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/20(木) 08:01:01 ID:BX76zf420
大日本帝国憲法って伊藤が一人で作ったの?
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/21(金) 04:54:22 ID:kqgnavki0
島津家家来に過ぎない大久保が天下の老中に
風邪で耳が遠いふりをしたり、攻めるものなら
攻めてみろとすごんでみせたり。
10年前だったら想像すらできなかった。
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/21(金) 17:49:27 ID:7DKgJEFs0
幕末の大久保っていまいち存在感ないよね。
戊辰あたりでは京都でいろいろやってそうだけど。
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/22(土) 08:09:14 ID:Evea91Kk0
次男の牧野伸顕は大久保の驚異的な粘り強さは受け継いでいるものの
すさまじいまでの権謀術数は受け継いでいないようだ。
(生きた時代が違うせいもあるが。)
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/22(土) 08:21:30 ID:VVa/29Xq0
息子に政治の才能が受け継がれるわけないしな。
二代目は良くて凡だよ。
>>208 主としては井上毅とお雇い外国人の意見を尊重しつつ
どっちが臨んだよりも微妙に大権を弱体化させた所に伊藤が落としたって感じ。
井上馨辺りも絡んでそうな気もするがw
まぁ立憲については、官僚vs民権派でごちゃごちゃしまくってたから、
妥当な落とし所だったのかなぁと思う。福沢もその辺心配してたね。
大久保が英法派と言うのは、何となく漸進主義のイメージに合ってるけどね。
日本もコモンローとエクイティの国になったんだろうかw
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/24(月) 17:54:30 ID:RJBhGkdz0
ヨーロッパの法律ってそんなに違いあったのか。
どれを採用してもさほど代わらなかったと思う。
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/24(月) 18:16:30 ID:UUuGe1KYO
日本初の総理は実際は大久保だったんだろ?
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/25(火) 07:47:16 ID:leZ2M1rp0
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/25(火) 20:35:54 ID:/+7gZbUoO
>>218 日本初の内務侯は大久保だから、事実上は大久保が日本初総理。
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/25(火) 20:55:31 ID:9D3k1dfW0
そんな事いいだしたらなんでもアリにならない?
西郷は求心力が薩摩限定だし、
木戸は革命家としては一流だが、政治的な腕力が無い(本人がそういうの好きじゃない)。
大久保は藩閥を超えて求心力を持った最初のリーダーと言えるだろうな。
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/25(火) 22:30:53 ID:9D3k1dfW0
けど木戸は海外行く前まではかなり権力もってたろ
自分で参議増やして権力分散させたけど
木戸はいちばん人望あっただろうが、
大嫌いな相手(西郷とか)を政治的に懐柔するなどの腹芸ができないタイプだろ。
木戸は西郷嫌いというよりも軍人に政治的権力を持たせるのが嫌だったんだろ
理想はわかるが木戸はもう少し権力を持つ事を受け入れてればなあ
まだまだあの時期は大久保的にやらざるを得なかったと思う
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/04(金) 00:45:02 ID:JL6+tDAG0
江藤新平も己の大望を果たさんためには
大久保卿のような命を削る如き粘り強さが必要だったんだよ
>225
その大久保の粘着で殺されとりますがなw
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/04(金) 02:20:43 ID:FsY+UUPI0
あれもね、岩倉使節団の政権への復帰を拒絶したのが江藤だったということを考えると
先に手を出したのは江藤なんだよね
>>227 別に拒絶してないだろ、邪魔出来るような権限は江藤にないし。
外遊組や長州閥の封じ込めとかも言われるが、江藤が糾弾したのは山県や井上に対してであって、
長州閥トップで外遊してた木戸と江藤は対立してないし普通に仲良い
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/04(金) 20:20:52 ID:kOTwj+wW0
大久保が江藤を抹殺したのが唯一の汚点
>227
大久保が帰国後に勝手にすねて引きこもっただけじゃなかったか?
誰も何も言ってないしやってない。
出来るとしても三条・岩倉くらいしか、その権限は持ってない。
西郷も大久保も気に入らない事があるとすぐに引きこもるから子分は大変だな。
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/05(土) 06:40:18 ID:Un4WIrZ40
あの時点で争乱など起こして何をやりたかったんだ江藤は!
急がば回れという言葉を知らんのかアホんだら
江藤は前原や西郷と違って巻き込まれた。(西郷も巻き込まれたんだと主張する人はいるが…)
しかも争乱を起こす前から大久保が鎮圧に向かってた。
大久保を派遣するのは新政府も合意してたから新政府が起こさせたとも言えるな。
前原や西郷は後の世の為にあそこで死んどいて良かったと思うけど、江藤はもったいない
どうにか生かしておくことは出来なかったのかな
>231
佐賀の乱は、反乱を起こす2週間前に鎮圧軍が出発してる。
反乱が起きたのは、鎮圧軍の先遣隊が佐賀に着いた翌日。
反乱を起こしたのは、座して死ぬよりはという感じ。
あまり知られてなかったり、大久保関連の書籍に書かれていないのは、
大久保が作った反乱だというのが、あまりにも明白だからだろう。
大久保はなんでそこまで江藤を処分したかったんだろうな
江藤にはここまでした癖に板垣とかは割とスルーだし
強いて遺恨説を挙げるなら、大蔵省を留守中にめちゃめちゃにしたことだが、
おそらくそうではなく、彼特有の警戒心だと思うね
征韓論政変での江藤の台閣辞任、帰国から佐賀士族蜂起の危険を察知したと思う。
なぜならその前にも雲井の事件が起きている。さらし首は江藤が最初じゃないからね
>235
大蔵省はメチャクチャにはされてなかったと思うが。
むしろ、薩長閥の民間癒着や汚職を追及して綱紀粛正に動いただけ。
それと、学校と裁判所の建設予算を要求しまくった程度だろ。
佐賀士族は確かに蜂起しそうな雰囲気はあったが、江藤と島で沈静化に向かっていた。
実際には大久保が、新政府内でも傲慢で評判の悪い岩村高俊を佐賀県令に任命して、
佐賀士族を挑発しまくった結果、反乱が発生している。
岩村が佐賀県令だった期間は、江藤離京後から江藤処刑直後までで、実質3ヶ月に満たない。
反乱を起こさせることが目的だったと思わせるような行動や人事だった事は否めない。
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/06(日) 17:35:07 ID:HT5uv5Qt0
あの時期すごいよなあ。2.3年まてば時勢代わりまくってたのに。
佐々木克さんも大久保の行動がいまいちわからんみたいなこと書いてたな。
強いて言えば予算を分捕ったことが彼を激怒させていたか。
しかし江藤は三条岩倉とも交友が深い。とすると、征韓論政変での留守政府派との対立で、
大久保が病的な不安に駆られ、佐賀県士族の動向を極度に警戒するようになったか…
戊辰戦争以来、大久保と江藤が意見対立すると必ず大久保が負けている。
江藤と連名で起草した、国政改革案も、実際には江藤一人で書いている。
明治二年以降の江藤は、現代でいう内閣官房長と法制局長のような仕事を
ほとんど一人でやっており、国体などの仕組みも三条や岩倉の依頼で作ってる。
留守政府で、学校や警察制度も早々とまとめて実施していく江藤を
同じ国作りの才能を持つ大久保としては、非常に邪魔に思ったのかも知れない。
と、まあ、それは置いといて、近現代の日本政府の性格って大久保にどことなく似てない?
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/08(火) 07:27:58 ID:YuJ466Dv0
似てないだろう。大久保は私欲で金稼ぎしないし。
外交問題でも強気な時は強気だし。
>>239 問題先送り体質は現日本政府と似てるが、それは慶喜就任前までの幕府もだったからなあ
そういや大久保は慶喜にも負けっぱなしだな
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/09(水) 09:25:10 ID:qUsWIwk20
江藤は苦手な政局に首を突っ込まずに、
大久保の下で政策の実現に専念していれば良かった。
そうすれば、大久保により自由主義的な方向に
影響を及ぼすこともできた。
西郷の下で政策の実現に専念していた江藤を
西郷ともども陰謀で蹴落としたのが大久保でしょうに
いつの時代でも政権なんてキレイ事では獲れないってことだな
良く言えば強力なリーダーシップ
問題はそこまでして実現したかった政治理念がいまいち見えにくいことではなかろうか
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/10(木) 01:03:41 ID:R6i7f6pJ0
大久保と木戸は対立関係だったの?協力関係だったの?
普段は対立関係
政府がヤバイレベルの非常時は協力関係
政府の維持は全てに優先する
失敗したが、木戸を追い出そうとした時期と
木戸が辞表を出しまくりで引き留めに必死な時期と
どういう心境の変化があったのだろう
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/10(木) 18:43:55 ID:ZAvGIQbv0
木戸を追い出そうとした時期というのは?
大久保と木戸がガチンコやったっつーと、明治二年の待詔院学士の一件かな?
この頃の大久保さんは空回りが多いw
>>248 辞める辞める詐欺だと思ってたら台湾征伐の時にマジで辞めて下野してしまったので、
それ以降は必死になったのかもしれない
今日はその連れ戻しが成功した大阪会議の日だなw
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/11(金) 13:01:29 ID:bbXS+1P+0
大阪会議は伊藤が仕組んだとかの説なかったっけ?
仕組んだという程のものでもないだろ
大久保が山口まで迎えに行こうとしてたから、流石にそれはちょっと外聞が悪いw
っていうんで大坂にセッティングしただけ
ここって大久保好きより江藤、木戸好きの方が多くないか?
本当の大久保好きはここから出てったんだろ
大久保の良い所って、教科書的な業績と、私財をなげうってでも国政に精励したってことでしょ?
で、悪い所って、自分の理想というか野心のためには、どんな汚い手を使っても殺したってことでしょ?
この2つの特徴を持つ人物は、悪い所のやり方で一般ウケするかどうか決まるよね。
全く隠さない信長タイプはウケるけど、陰湿で隠蔽体質の家康や大久保みたいなのはウケない。
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/11(金) 21:11:03 ID:knw9QXF00
業績にしても大久保個人でなにかしたってのはないんじゃね?
江藤処刑して西郷反乱させて倒してその後なにかやったならいいけど
なにもやらなかったしね。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/11(金) 21:20:15 ID:ZcKeewKuO
半年前は
西郷誅殺と同時に大久保を殺した島田は会津の誇り
とか言っていたくせに
でしょ の人は西郷スレにも居たな。
要はいちゃもん付けたくて主観が強くゆがんでいるな。
>257
大久保が優れているのは、必要な能力は他から見つけてきて、自分はその采配と管理に徹した所。
個人でどうこうと言ってしまえば、歴史上の政治家のほとんどが個人では何もやってない。
江藤から西郷の反乱までは士族の反乱や一揆が多くて行政上の後始末があったから仕方ないけど、
日本の主権範囲の確定や、殖産興業のために、かなり確実性の高い仕事をしている。
国の制度としては、留守政府下でほとんど作っちゃったからね。
>259
オレの事を言ってるなら、西郷スレは見てないから別人だわ。
今後は留守政府の評価が高まると同時にそれを自身の復権のために
陰謀で潰した大久保の評価は下がるんじゃないかね
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/12(土) 09:02:20 ID:Zaqqui0B0
具体的な大久保の功績ってなんだろう。
征台の時に中国との交渉で沖縄を日本だと認めさせたとか
そんな所?
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/12(土) 11:53:40 ID:pu5mDSXZ0
とにかく不平士族を鎮圧し、明治政府を国内的には安定させただけでも
常人にはできがたい事なんじゃね。
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/12(土) 18:29:16 ID:Ysc63d0M0
国内を安定できたのは軍を整備した
大村なり山県の功績っぽいけど。
軍が国内の反対勢力ににらみを効かせた功績が大きいのは確かだけど、
それだけで国家運営が上手くいくってほど物事は簡単なモノじゃない。
軍事政権が国内を完全に武力で掌握してても、上手く運営されてない
国はいくらでもあるでしょ。
行政・経済・司法・その他、諸々の施策が当を得たモノで国民各層が
それをある程度認めていないと、国の運営は上手くは行かない。
大久保の凄いところは、藩閥の壁をある程度越えて有能な人材を
どしどし登用して、かれらに良いと思われる施策をどんどん実行させた
その度量と見識だと思う。
大久保の施策に対しては「有司専制」という批判が寄せられていて
それはかなりの部分事実ではあったけど、その専制が国民に対して
それなりの利得をもたらすモノであるのならばそれはそう悪いモノでは
無かったと言いうる、というのが大久保を擁護する人たちが主張する
論理だし、そこに妥当性を見いだすかどうかが彼を評価する人と
そうでない人とが別れるところになるんじゃないでしょうかね。
大久保って最初から藩を越えた登用してたっけ?
専制政治ができるようになってから藩閥関係なくとか言ってもなんか違うんじゃね?
専制政治だといくらでも藩閥政治できるわけだから
事実上、大久保政権となって藩を越えた登用に良さを感じる。
なるほど
個人的には最初に政敵潰しやってた印象の方が強いからそういう思考にはならんかった
まあ、江藤の件などは苛烈。
大久保は彼の下について補佐・助言者になるものには雅量があって
対等に接して、かつ脅かす存在を潰すことには遠慮がないタイプと言えようか。
>266
黒田清隆や西郷従道が彼の子分だったから藩閥政治をしていた印象が強いかもしれないけど、
全盛期の大久保の片腕として働いた一番の大物は長州の伊藤博文と佐賀の大隈重信だった。
実際問題、薩摩では西郷の人気が圧倒的すぎて、大久保に従う人間はあんまり居なかった
というのが実際のところ。
倒幕の過程では大久保の実務家の器量というのは衆目の認めるモノだったし、
西郷との連携が上手くいっていたから薩摩の人間は大久保の言うこともきいていたけど、
幕府という大きな敵がいなくなってからは大久保の統制は効かなくなっていた。
感覚的に、薩摩人の中で「武断派・能吏派」を分けるとすると、おそらくは八対二(ことによると
九対一?)ぐらいの割合で武断派の方が多いので、武断派の英雄の西郷には味方が大勢いたけど
大久保の力を認めて付いてくる政治・行政的な能力・才覚を持った人間はあんまり居なかった。
だから大久保はしょうがないんで、薩摩閥の中以外から自分の能力を理解し協力してくれる
存在を見いださなければならなかった。
当時は薩長閥の情実人事が新政府部内ではびこっていて、それに不満を持つ他藩や幕臣出身の
能力のある人材が相当冷や飯を食わされていたので、そういう人間が大久保の元でならば
「やりがいのある仕事」が出来るという事に感激して集まってきたという側面もあるかな。
大隈に関しては最初は排除しようとしてなかったっけ
まあ後で重用したけど
初期に旧幕臣を新政府に取り込んだのは大隈、伊藤、井上ら 後ろ盾は木戸
大久保は洋行前は旧幕臣締め出しにやっきになってたけど、
洋行で殖産興業に目覚めてからこだわらなくなったんだろ
目的がはっきりしてきっぱり切り替えたからいいんでね、ってとこか
薩摩(西郷や久光)の後ろ盾が無くなったから藩外の人材を求めなければならなくなったが、
逆に、薩摩のしがらみがなくなったおかげで自由な登用が出来るようになったとも言える
ああ、それはいえてるね
木戸ら長州の主要メンバーは、よく知っている長州人をしばしば推挙したのも事実だろうが、
幕末に脱藩志士のシェルターになってたという地盤もあり、
実際には登用する人間の出身にはこだわりがなかった
木戸の腹心槙村京都府知事の側近なんか会津の山本覚馬だもんな
それに対し薩長で固めるべきだと主張してたのが大久保で、
それには幕末の政治的駆け引きを通じて生まれた
旧幕臣への抜きがたい不信感があったのはもちろんだが、
薩摩藩士族を背負っているというプレッシャーがあったのは大きかっただろうな
征韓論政変で西郷と薩摩士族を切り捨てることになったのは痛かったろうが、
それによって大久保という果断な政治家が生まれ、
それを政府内の実力者たちが支える体制をとりやすくなったのは大きい
しかしそれから、実際に薩摩に手をつけるまではけっこうかかったけどね
>>274 明治初年の西郷や大久保が保守派で人事が薩摩贔屓だったのは、
久光と薩摩士族の存在が原因の一つだろうね
その点敬親はすごい物分かり良いし、長州の不平士族は早めに鎮めたから、
木戸は長州に顧みる必要も無く改革派として動きやすい。士族の規模も違うしな
>明治初年の西郷や大久保が保守派で人事が薩摩贔屓だったのは、
>久光と薩摩士族の存在が原因の一つだろうね
うん、もちろんそれもあるんだけど…大久保については、明らかに
人事一新しなければ旧弊は改まらず、よって旧幕臣の登用など論外だし、
新しい考えを持つ薩長の志士が政府運営を担うべきと、真剣に深刻に思っていた節がある
それはそれで、理屈としては正しいと思うんだよ
ただし現実的には、旧幕臣の実務能力を利用せずに
あの不安定な時期を改革を進めながら乗り越えるのは難しかったろうけど
特に悪貨贋貨問題は、大隈伊藤の迅速かつ的確な指揮の下に有能な旧幕臣が動いたからこそ
重大な外交問題に発展させずに乗り越えることができただろう
大久保が出身地に関係無く登用したのは、同郷人に嫌われていたという事が発端だと思うけどな。
有司専制に善悪はあるけど、山縣が悪い方向へねじ曲げてしまったので、悪い印象があるよな。
大久保がもしあそこで暗殺されずにもう少し長生きしてたら、
というのはけっこう想定しがいのあるい「歴史のif」だよな。
>>278 大体が伊藤らが引き継いだからそんなに変わる気もしない
憲法がややイギリス寄りになるぐらいじゃない?
死ぬ間際の話通り10年後に引退したら大久保がどんな晩年送ったかの方が気になる
いや、後を継いだ伊藤も、山縣や大隈との政争とかがあったし
政権運営は必ずしも順風満帆じゃなくって、内政も外交も
けっこうブレがあったじゃない。
大久保が絶対的に強い立場を保ったまま明治政府を
引っ張っていったなら、良い方向であれ悪い方向であれ
もっと軸がブレない国になったんじゃないかと思うのさ。
大久保は、強い意志で政策を貫徹するという意味ではすごい政治家だと思ってるが、
政策的に「ぶれない」というほどの明確な方針、「軸」があったのかな。
わりと問題先送りしちゃうし。
もっとそういう、国の行く先についての自分の見通しを表明していれば、
あんなふうに暗殺されずにすんだ可能性もあるんじゃないかとも思う。
大久保自身は明確なビジョンを持っていたかって言うと、
必ずしもそうではないような気がする。
部下に様々な事態・事案への対処法を検討させて、
その中で一番良いと思われるモノを見定める際の判断力と、
その判断で選んだ政策を実現させるために全力を尽くすという
部分に非凡さがあったと思う。
最善を目指して国を引っ張ると言うより、次善・次次善の
案でもいいから「今現在の段階で実現可能な政策の実行」に
全力を傾けるという印象がある。
その「一度こうと決めたら全力で問題解決に当たる」
という部分を評価してる。
頻発した不平氏族の乱や西南戦争を乗り切れたのも、
この大久保の「こうと決めたら退かない」という強い
姿勢があったからだと思ってるし。
伊藤・山縣・大隈あたりがリーダーだったら、
あそこまで果断に物事を進められなかったんじゃ
ないかな。
大久保が薩摩以外の出身だったらちょっと違ってたと思います。
薩摩出身の大久保が、薩摩はおかしい、西郷は筋が違ってる、と言うことが意味があったし、
大久保の信用につながった。
>>282 同意!
木戸あたりが、大久保にものすごく腹を立てつつも
ものすご〜く高く評価していたってのも、そのあたりだろうな。
木戸からすると大久保は目先の事に囚われすぎで
大久保からすると木戸は現実味のない理想論者すぎで
上手く噛み合ってりゃお互いの欠点を補いあえたろうにどうしてこうなった
>>285 あれでも頑張ってうまくやった方だと思うよ…あれでも…
ねえ伊藤くんww
下手したら木戸なんて江藤以上に邪魔な存在なのにあれだけ尊重したのは、やっぱり
長州のボスであることと、ハンパない知識量とコネが大事だったのかね
大久保は木戸コネ使いすぎだろ…
>>285 木戸は身の毛もよだつ程大久保が嫌いらしいので仕方ない
それでも取り持った伊藤と井上は偉い
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/15(火) 19:16:55 ID:+Tfiw/P30
>>286 大久保は木戸コネ使いすぎだろ
なにか使ってたっけ?伊藤はもう木戸から離れてたし。
おっと荒らしが来たか
>>286 だって木戸は権力握ろうとか対立勢力を圧倒しようとか思わない奴だし。
わりと疑り深い性質の大久保から見てもそれが丸わかりだったと思うと笑えるが。
まあコネはね〜、大久保は自分が藩外で学問とか武術とかしてなくて
仕事がらみ以外では人脈がほとんどないから
ありまくりの木戸は貴重な存在だったかもね。
寺島とか黒田とか大山あたりもそれなりに人脈あったろうが木戸には及ばないか。
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/16(水) 06:02:07 ID:mOZtyu7P0
>>282価値の一大転換、それによって起こる士族の友乱、そして西南戦争と、
日本史史上稀に見る激動のあの時代の政府のトップが
もし菅直人だったらと考えてみた・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・利通あんたけっこう凄ェよと素直に思えた。
そう言われると、
たしかに当時の政府のトップとして
存在感は抜群に思えるね。
明治初期については、顔の広さは西郷=木戸>>>大久保ってとこじゃないか。
幕末の大久保は、久光の側近としての活動が主で、藩外交渉とかの表に立つ仕事は
西郷や小松が立ってたから、ある意味当然なんだけども。
これは仕方ないね。
>>293 大久保はそうとう藩外交渉やってるよ
まだ薩摩が幕政改革をと思っていたころ賢侯ズや幕閣要人なんかと
久光の意を受けて、京や江戸へ出掛けていって強気の周旋してまわってる
このスレでなんでそのことあまり云われないのかなあと疑問なんだが
ただ、それがほぼ要人ピンポイントで人脈にまで発展しにくかったかと
あと西郷って、ネームバリューとしては木戸より上、ぶっちぎりだと思うけど、
正直人脈って意味では、おもに安政期までの資産活用って気がするんだが
不在期間が長いじゃん
木戸の本格的活動はその後だってのもあって、 自分と同世代から下に知人が多く、
しかも藩政に関わってない書生や下級武士まで網羅
結果、若い世代の明治政府への登用に生かせる人脈になったと思うんだ
江藤なんかその人脈活用の典型例じゃね?
>294
倒幕期にみられる、大久保の幕閣相手の交渉や一会桑相手の政治闘争での
手腕は確かにすごいんだけど、維新後の政局は下級武士連中が実権を
握ってしまって、維新までは強い発言力や権威を持っていた藩主・家老層を
かなり抑え込んでしまうようになったから、大久保の凄さを実感している人間の
割合が相対的に低くなってしまったんじゃ無いのかなって気がしています。
薩摩の下っ端連中はその凄さを間近で見て身に染みてるから、一睨みされた
だけで縮み上がっちゃうようだったけど、藩外の中堅・下級武士層にまでは
実感されていなかったんじゃないかな。
>>295 たしかに、維新直後の春嶽や容堂あたりは、大久保が元凶!って思ってた節があるよな
その辺の連中はよくわかってたわけだw
そうしてみると、明治二年〜六年政変前までの空回りっぷりは、
大久保の政治活動の中では例外的な停滞期といえるかもな
それだけ新しい状況に自分を適応させるのに時間がかかったんだろう 無理もないが
>296
>明治二年〜六年政変前までの空回りっぷり
前半に関しては、戊辰戦争を実戦の先頭に立って戦った西郷の存在が
新政府内で大久保を遙かにしのぐ大きさになってしまったのが
原因なんじゃないかな。
政治の流れは外側からは見えにくいから、誰が維新の功労者なのか、
だれがどのくらいの割合・比重で功績があったのかが見えにくいけど、
全将兵を統率して江戸へ攻め上り、勝海舟と談判して江戸開城を
成し遂げた功績は誰の目にも明らかだったし、彰義隊討伐から
北越戦争〜会津戦争〜函館戦争までを統括した大村益次郎の
働きもそれに引けを取らないものだった。
大久保はその間あまり京都を動かずに朝廷への対応に追われて
戊辰戦争が終わった後に東京(江戸)に出てきた段階では、
戦争で手柄を立てた面々が幅をきかせていて、
相対的な発言力や存在感が低下していたんじゃなかろうか。
版籍奉還や廃藩置県にしても、それを実行し得たのは薩長の持つ
軍事力が諸藩に睨みをきかせていたという側面が大きかったから
やはり文官的な立場の大久保よりも西郷や山縣といった面々が
発言力を確保しやすかったんじゃないかと思う。
>296
続き。
後半の部分に関しては、やっぱり岩倉視察団の失敗があまりにも大きかった。
不平等な条約の改正は、幕末の頃から倒幕勢力が幕府を攻撃する際の
大義名分の一つを構成していたから、これを改正するために全力を費やす
必要があるのは新政府の中でもほぼ一致した要望だったろうけど、
国家としての正式な外交交渉に関して経験の少なかった当時の彼らに、
その交渉の難しさや実現可能性の有無を見定めるのは難しかったと思う。
特に、一度アメリカに行ってから「全権委任状が無ければ改正交渉は
出来ないよ」って相手に言われて、じゃあってんで日本にとんぼ返りして
留守政府から全権委任状を貰ってきたら「全権委任状があれば改正交渉
するとは言ってないよ」とすかされて、面目丸つぶれになったのは
まさにこれ以上は無いってくらいの痛恨の一打だった。
>>297 前半は西郷は存在感どころか薩摩にひっこんでたじゃん
岩倉とタッグ組んでる大久保の発言力が低いとは考えられないしなあ
開明派の大隈や木戸らを牽制しようとして失敗する様は空回りしてんなーとは思う
うん、大久保は東京奠都問題を初めとして、例の果断さで活躍してはいるんよ
一度だけ選挙っぽいことやったけど、あの時もトップ得票。みな力は認めてる
明治三年の参議総辞職騒ぎも、改革派がちょっとやりすぎてた面があったからよくやったと思う
(あんときは広沢もかんでたし、木戸も最終的にはいちおう納得した感じで決着してる)
むしろ政権を安定させようと待詔院学士問題を起こして木戸にそっぽ向かれたり
旧幕臣アレルギーが過ぎて人事やらで大蔵民部両省を混乱させたりとか
無駄に力を使って空回りしてるって印象なんだわ
>>295 あの頃の大久保は、西郷や木戸みたいな同志や同門的な連帯で繋がる他藩の人脈が少ないと思う。
久光直下だったからなぁ。
>299
>西郷は存在感どころか薩摩にひっこんでたじゃん
それはそうなんだけど、その場に居ないことによって醸し出す
存在感ってモノもあるじゃない。
賞典禄も木戸・大久保を抑えて藩主・公卿を除いた
下級層出身者としてはトップの額だったし、
新政府の新しいお膝元である江戸の町民にとっては
江戸総攻撃の中止を決断した西郷の威望はかなりの
モノだったという話を聞いたことがある。
様々な改革を行っていく中で、いろんなきしみやしこりが
生まれていくときに「こんな時あの人が居てくれれば」式の
待望論が生まれてくるってのはわりとよくあると思う。
まったく畑違いの例だけど、松下電器の経営が傾いたとき、
会長職となって一線を退いていた創業者の松下幸之助が
社員と専売小売店の一致した要望で営業本部長になって
商戦の陣頭指揮に当たった、みたいな状況に近いモノを感じてる。
実際、新政府が行き詰まって西郷を呼び戻すために動いて
西郷が鹿児島から出てきて総大将に座ったとたんに
廃藩置県に向けての流れが一気に動き出したことをみても
「西郷が居てくれなければ物事が動かない」という強烈な
印象を内外に残ることになったんじゃなかろうか。
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/17(木) 10:57:55 ID:bHV1un+V0
>300
>一度だけ選挙っぽいことやったけど、あの時もトップ得票。
ごめん、そのときの投票の事を詳しく知らないんだけど、その中に西郷も
投票対象に含めてた?
もしも含んでないのなら、西郷に投票しようとした票の大部分が大久保に
流れたとも見られないだろうか。
大久保が空廻ることになったのって、幕末期の西郷・大久保の一心同体ぶりが
自身の中にも強く意識されていて「あいつが居ない分がんばらなければ」という
焦りを生んだことや、外部からの「西郷無しの大久保は、薩摩内部をまとめ切れて
無いんじゃないか」という侮りがあったから、なんじゃなかろうか。
この時期の新政府内部での対立や反目って、深刻な路線対立とかいうより
「何で俺があいつの言うことをきかなきゃならないんだ」式の感情的な対立の方が
比率が多いような気がしてるから、なおのこと大多数が「あの人の言うことならば」式に
納得のいく差配を出来る「人望」ってのが求められていたんだと思う。
大久保は、有能さは誰しも認めるところだし、その有能さに心酔する人も
大勢居たんだけど、不特定多数の有象無象の連中にまで行き渡る徳望や
人望って云う面では西郷には及ばなかったんじゃないかな。
>>300 東京奠都のときは、大阪を主張してたのに東京になったからすねてなかったか?
>>303 西郷が鹿児島に引っ込んでた時期だから、西郷は対象になってないな、たしかに
自分のメインの大久保知識は佐々木氏の大久保本からだから、
微妙に大久保アゲなバイヤスがかかってる可能性もあるなw
「地租改正法の起源」とかも読んでバランス取ってるつもりではあるけど
西郷に関して圧倒的に知識が足りないんで、そのへん考えてみよう トンクス
ただ、西郷票が大久保にながれることはあったろうけど
ほぼ薩摩内に限られてたんじゃないかな
母体が大きいから数字も大きくなるかもだが
他藩の人間が西郷の代わりに大久保とかそこまで考えたかね
それと、西郷と山県は同列には考えられないんじゃないか?重みがまったくちがうかと
長州の場合、まず大村がいて、その下の前原だ山田だってうちの一人にすぎないし
軍は山県ってことで落ち着いてきても、まだ軍を背景に政治に影響を及ぼすほどではない
廃藩置県の話が山県の家で始まったってのも偶然に近いだろ
長州の連中は廃藩論は耳タコ状態だったからこそ、危機にあたって浮上した
そのころ山県が廃藩に転換してたのがプラスになったのは認めるけど
でもな、西郷+軍が政府を支えるため必要だったのはたしかだが
西郷+軍が政局を動かしたってことは、結局なかったんじゃないかと思うんだけど
>>304 すねてたか? 東幸の日程がなかなか決定しないので、
東京から京都にわざわざ来て岩倉の尻を叩いたのは覚えてるんだが
東幸の推進担当者が大久保と木戸+大木だったかと
大久保としちゃ東幸のいちばんの目的は
帝を後宮や固陋な宮廷官僚から引き離すことだから
多少思惑とはズレたとしても望むところだったんじゃないの
>305
>西郷が鹿児島に引っ込んでた時期だから、西郷は対象になってないな、たしかに
なるほど、そうか。
この点については知識がなかったんで、もし西郷込みでの投票だったのなら
論述が成り立たないことを覚悟していたんで、教えて貰えて助かった。
ありがとう。
>ただ、西郷票が大久保にながれることはあったろうけど
>ほぼ薩摩内に限られてたんじゃないかな
>他藩の人間が西郷の代わりに大久保とかそこまで考えたかね
これにはほぼ同意。
当時は維新に功績があった藩出身の人間達が、それぞれの立場を良くするために
あれこれと動き回っていた時期だから、薩摩の人間は薩摩出身者に票を入れ、
長州人は長州出身者に、土佐人は…、といった感じで藩閥の形成に精を出してた
ろうから。
>それと、西郷と山県は同列には考えられないんじゃないか?
あ〜、西郷と山縣を同列・同格の存在として評したつもりじゃなくって、
「実働部隊として軍を動かす際に、兵士達を御すことが出来る」存在として
この二人の名前を挙げてみたんだ。
山縣は西郷に比べたら遙かに小物だったけど、高杉・大村亡き後の長州軍の
まとめ役の一人ではあったし、華やかな政治の舞台で活躍した伊藤や井上と
違って、地味な軍政・軍令畑で徴兵令施行への足場固めを行う実務家として
振る舞っていたから、ある時期から先は「軍の(制度のこと)は山縣でないと」
というくらいの位置に来ていたと思う。
明治5年の時点で、汚職嫌いの西郷が、金にまつわる汚い噂の絶えない山縣
(多分西郷は個人的には大嫌いだったんじゃないかな)を庇わざるを得ない
ぐらいにはなっていた。
>305
続き
>でもな、西郷+軍が政府を支えるため必要だったのはたしかだが
>西郷+軍が政局を動かしたってことは、結局なかったんじゃないかと思うんだけど
この辺は、人それぞれの捉え方の違いや、人物への評価の高い低いが影響するんで
一概には言えないと思うけど、私は明治初年の不安定な政情の時期には武力の持つ
威圧効果や、反乱を抑止する力ってのは決して小さなモノではなかったと思ってる。
軍の力がそれ単独で国を動かす牽引力になった、とは思っていないけど、
ある方向に向けて動き出そうとしてエネルギーが高まっていた車輪を回すための
「最後の一押し」にはなったんじゃなかろうか、とね。
あの時期の明治政府は「廃藩置県」という体制変換の最後の総仕上げという
目標に向かって動き出そうとしていた訳で、そこで大久保や木戸といった改革派が
エネルギーを高めていった先で、動き出すかどうかを決めあぐねて逡巡していた
ところに最後の背中を押す役割を果たしたのが西郷だった、と理解している。
>明治5年の時点で、汚職嫌いの西郷が、金にまつわる汚い噂の絶えない山縣
>(多分西郷は個人的には大嫌いだったんじゃないかな)を庇わざるを得ない
>ぐらいにはなっていた。
なるほど、あの件を山県が実力つけてきた反映という側面から考えたことなかったな。
西郷の軍偏重の表れみたいにいわれがちじゃない。
>あの時期の明治政府は「廃藩置県」という体制変換の最後の総仕上げという
>目標に向かって動き出そうとしていた訳で、そこで大久保や木戸といった改革派が
>エネルギーを高めていった先で、動き出すかどうかを決めあぐねて逡巡していた
>ところに最後の背中を押す役割を果たしたのが西郷だった、と理解している。
それはたしかにそうだね。
木戸はやりたくてしょうがなかったし、大久保もいつかはやらねばと思っていた。
しかし反発の大きさを思い断行できず、しかも政府は種々の対立で不安定。
そこに軍政を掌握している山県から話が起こり、
軍部の支持を集め、最も反発しそうな士族に声望がある西郷が諾といった。
これは今やるしかない、力強い後押しを得た、と思ったのは当然だな。
軍にも西郷にも疎いんでもやもやしてたが、なんかすっきりした。感謝。
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/18(金) 21:52:48 ID:5bjgbLM20
それは西郷神格化しすぎな気がする。
西郷に人望があったのは事実だろ
今『遠い崖』読んでるが、やっぱり幕末の西郷は凄みがあると思う
そもそも東京に集まった兵は薩摩が多かったんだし
西郷が軍を掌握していたのは当然といえば当然
それに上の評価、神格化っていうほどすごく書いてるとは思わないが
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/18(金) 23:25:58 ID:5bjgbLM20
それは人口の差じゃね。
>309
>あの件を山県が実力つけてきた反映という側面から考えたことなかったな。
私は最初、西郷の伝記を読んでいて山縣の汚職事件のことを知ったんだけど、
それまでその本で書かれていた西郷の汚職嫌い・清貧な生活ぶりの描写と
山縣の汚職が悪辣なのにもかかわらず西郷が彼を庇ったという事態の推移が
どうにも繋がらなくって、それであれこれと調べだしてみたんだ。
その過程で大久保の事績や江藤の業績、この二人の反目と対立の過程や
薩長主体の明治新政府内の主導権争いとかに興味を持ち始めた。
素人考えの勝手な思い込みとかもきっと沢山しているんだろうと思うけど、
いろんな本を読んで自分なりに「こういう流れでこういう事が起こったのかな」
とかあれこれ考えていくのが楽しくって、こういう場で他の人と意見を交わして
いくのがすごく面白いと感じてる。
付き合ってくれてありがとう。
>>313 自分は木戸から幕末維新史に興味もったんだわ。
だから一般的に語られるイメージって鵜呑みにしちゃあかんな、って思うとこあって、
大久保に関してはかなりイメージの再構築が進んだかなと自分では思うんだ。
特に幕末の大車輪の活躍に関してとかね。
西郷にはなかなか手が伸びなかったんだが、『遠い崖』からちょっと見る眼が改まってきて
ここでも見直す後押しをもらった感じでありがたい。
現実に身近にいる人間と同じで、歴史上の人物にもいろんな側面もあれば得手不得手もあり
それが複雑に影響しあって歴史が作られていくわけだから
知らなかった面に光を当てる情報が得られると新しい発見が誘発されてすごく楽しいなと思う。
>>298 大久保の政府内での影響力に、岩倉使節団の件がマイナスに働いたとは思わないな。
本人の心情的にはダメージ大きかったろうけどな。
帰国直後が例の征韓論政変で、ここで権力を握るきっかけとなる「思い切り」をしているわけだが
それはやはり、欧米を見てはじめて、大久保の中で
目指すべき国の方向性が具体化してきたからってのが大きいと思うんだ。
留守政府側との対立の中で、条約改正がらみのどたばたで帰国組を侮る色はあったかもしれないが
もうあの政変の決着の仕方でふっとんだだろ。
>315
>大久保の政府内での影響力に、岩倉使節団の件がマイナスに働いたとは思わないな。
(中略)
>もうあの政変の決着の仕方でふっとんだだろ。
すまん、元の書き込みは「明治六年の政変までの空回りっぷり」についてなんだ。
あの政変以後、大久保がガッチリと権力を掌握したのは私も充分承知してる。
でも、政変までは空回りというか、征韓論で政府が混乱している中で
温泉旅行に出かけてしまって一ヶ月くらい帰ってこなかったり、
旅行中に木戸との不仲が決定的になってしまい、西郷との路線対立もあって
維新三傑の3人がそれぞれバラバラになるくらいになってしまった。
この辺までは、やっぱり明治政府の権力中枢から外れてしまっている
ように見えてしまう。それを指して「空回り」って言ったつもりだった。
私がこの辺の事柄について読んだ最初のモノが毛利敏彦の『大久保利通』
『江藤新平』『明治六年政変』だったもんだから、かなり氏のバイアスが
かかった見方(政変は長州閥対江藤の派閥争いが原因とする説)に影響されて
先入観を持ってしまっているのかもしれないけど、どうもこの事件は
従来言われている大久保・木戸の内治派対西郷・板垣らの征韓派という
図式だけでは説明しきれないものがあるように感じてる。
特に西郷に関しては、戦争になってでも韓国に勅使として渡ろうという
熱望に関しては大久保と対立したとしても、それ意外に留守政府として
行ってきた施策は「太陽暦採用」「徴兵令布告」「学制の制定」など、
どれも西洋文明の持っている力を見て来て改革を志した大久保達の
考えに近しいものだったように思えるから、あそこで大久保と西郷が
決定的な決裂をしたのがどうにも腑に落ちないんだよね。
>>316 毛利敏彦はなぁ…
すこぶる江藤贔屓で例の「明治六年の政変」とか他の学者にこてんぱんに反論されて
なかったか
ともかく個人的には参考にできない人だと思った
学者談議はスレ違いだから良いとして、
洋行中の木戸と大久保の不仲ってよく聞くけどいったいどこからそう解釈してるわけ?
別々に帰ってきただけでそう結論付けてるのか?
伊藤の直話にも書いてあるけど、あれは本国からの帰国要請に大久保は素直に従い、
木戸はロシア見足り無いから残ったんだろ
>>316 佐々木克氏の解釈だと、帰国してみたら征韓云々という想定外の問題が起きていて
(三条のSOSの段階では、予算等をめぐる対立の件だったはず)
岩倉・木戸が戻らなければ自分ひとりでは何もできないだろう、と
大久保は判断したと推測されていたかな。
政変は長州閥対江藤の派閥争いが原因っていうのはありえないと自分は思ってる。
征韓論の前に予算についての争いがあって、キレた井上が辞表を出したのは事実だし、
このあたりの争いに井上の汚職疑惑を江藤が利用した面はあったろうが。
毛利説は、あまりに藩閥って考え方に重きを置きすぎていると自分は思うね。
木戸と江藤の関係は、六年政変のあとも案外良好なんだよ。
木戸が井上と山県をかばって汚職問題をもみ消したっていうのは俗説だし、
ちょっと先の話になるが、槙村の問題だって、陪審の審査を公開にしろとか、
陪審員の人選は司法省にばかり有利にならないよう公正にしろとか、
きわめて良識的な方向で文句をつけていて、おまけに江藤にまで相談している。
(しかも江藤もけっこう律儀に対応してやってるようだw)
六年政変が藩閥争いを背景にして起きたのだったら、
いくら木戸が藩閥にこだわらないほうだったっていってもありえんだろ。
ついでに言っちゃうと、大久保と木戸が岩倉使節団で不仲になったってのも、
どの程度信憑性があるのか、まだ調べがついてないんだよね。
別々に帰ってきたからもっともらしく思えるけれど、
木戸は大久保帰国後ロシア行ったあと本隊と別れベルリンで持病の治療やら憲法調査の詰めやらやっていて、
せっかくヨーロッパまではるばる来たのにそんなに中途半端に帰れないってのは本音だったろう。
(帰国直前はイタリアでふらふらしてるけどw 実はこのころ木戸は伊藤ともかなり仲直りしているw)
まあ、プロシア行く前にパリで、大久保との間で、ヨーロッパ的文明をどう取り入れるかで、
「多少悪影響があっても早急に取り入れる」(大久保)、「日本に悪影響がないよう慎重に」(木戸)
という対立的な会話があったのは事実らしいが。
それより、留守政権での改革に対し、西郷がどう関わっていたのか、自分はよくわからないんだ。
留守政権の改革は、多少行き過ぎた面もあったかもしれないが、
ほぼ使節団出発前に方向性を固めていったものだよね。
多少それが行き過ぎたからといって、あの政変につながるような対立の種になるとは思えないし、
しかも西郷がそれを理由に大久保と対立したとは思えないんだけど。
最近の毛利敏彦の本でも大久保はケチョンケチョンにされてて、相変わらずだなあと笑った
>>318 留守政府での西郷のエピソードで、大隈にハンコを預けたとか会議中も別室で板垣と男色の話にふけってた、
等の大隈の証言が有名だけど、実際どういう見解だったか分かんないなあ
どっちかというと長州や肥前中心に調べるので、西郷側からの情報が分からん
320 :
316:2011/02/20(日) 10:55:34.83 ID:QtX9kwHh0
毛利氏の論説が、江藤贔屓のせいでかなり歪んだものになっているってのは、
他の本や氏を批判する論説をそれなりに読んできたので私もそう思ってる。
ただ、六年政変の西郷と大久保が決裂した朝議に関しては、毛利氏の言説が
まるっきりの間違いであったとも言い切れない。
少なくとも事実として、最終的結論としては西郷の主張する意見が通って、
ほぼ全会一致で西郷の勅使派遣が明治政府の総意として成立、
その直後に三条が急病で倒れ、
それを引き継いだ岩倉が天皇に上奏の際に否決するように主張して、
それに西郷をはじめとして一緒に下野することになる板垣・江藤・副島らが
抗議したけど翻意させられなかったので連袂辞職することになった、
という流れそれ自体は、資料でも確かめられるようだし疑いを入れる
余地が無いと思ってる。
この一連の過程をどのように理解するかが、大久保・西郷・江藤らの行動が
複雑に入り組んだこの政変の実態を推測する足がかりになるんだと思うし、
今現在でも諸説入り交じって本当に正確なところが確定しきれない理由だと
感じてる。
うん、謎だね。
その流れを表面的に見た征韓問題だけではないのかもしれないけれど、
じゃあなぜということについて、いまだに納得する説に出会っていない。
西郷・板垣・江藤それぞれに別の思惑があったのではということはうっすらと感じるけど。
「俺たちが決めたことをあとからなぜ覆す」的な感情論もないとはいえないしね。
やっぱりいちばんわからないのは西郷だな、自分は…
322 :
321:2011/02/20(日) 11:34:58.52 ID:n8puUI8b0
対外問題に対する、洋行組と留守政府組の温度差は確実にあったと思うんだわ。
木戸なんか、洋行前は征韓論者だったが帰国後には考えを変えていたわけで。
まあ大久保は、基本的にそのときそのときの事態に対応することを優先する人間だから、
直後に征台推進して木戸に激怒されるわけだがw
まあ韓国と台湾じゃ、そのとき実際に何が起きていたかって面がちがうからな。
西郷下野対応ってのも頭にあったんだろうけど。
西郷はとにかく薩摩士族に仕事を与えたかったんじゃないの?
>323
てか、征韓派は板垣以外は誰も攻め込もうとは言ってないだろ。
西郷に至っては、首脳外交してくるって言ってるだけだし。
士族の仕事も、公務員系の仕事で充足されつつあったんじゃなかった?
遣韓論か。その説のこと考えると余計わけがわからなくなるんだよな。
なんで三条があんなにおろおろしてたのかとか。
>>324 政府中枢じゃないけど、桐野利秋や別府晋介らも強硬派じゃなかった?
西郷の側近的な位置の高官が強硬的な意見だから、西郷の遣韓論もそういう目で見られた面も
あるんじゃないかと思っている。
士族への配慮かどうかは知らないが、征韓論的な意識は西郷下野後も軍部内に燻ってて、
台湾出兵として再発したという見方も出来る。このときは大久保が上手く制御したけど。
これを幕末から維新を経て変化した攘夷論だとする解釈もあるみたいね。
>>326 >西郷の側近的な位置の高官が強硬的な意見だから、西郷の遣韓論もそういう目で見られた面も
>あるんじゃないかと思っている。
たしかに、西郷の真意がどこにあったかは脇に置くとしても、
西郷が遣韓だか征韓だかを言い出したことによって、
薩摩士族のムードがそっちに高まってきて、「征韓論」として世論に認識された、
っていうのは大いにありそうだね。
まずは使節を送るだけといっても通用しないぐらいに。
考えてみれば、征台で暴走する形で許可なく出兵しちゃったのは
六年政変で中央に残った西郷従道だというw
故郷に帰った連中に怯懦と思われたくないという心境が多分に影響したのか。
大久保はそうでもないが、西郷は挙兵時に大久保に相当に不信感を持ってる。
意外とこの頃から西郷が大久保に不信感や対抗意識を持つようになってたのかも
周りがいうほどあの二人仲良くないんだよなぁ
もともと大久保は西郷に振り回されてばかりだし、見解がまったく違うんだよね。
それはそれで東京と鹿児島をまとめる形で理想的だったのかもしれないけど、結局
折り合いつかなくなってるわけだし。
犬塚聞書見ると、西郷ってかなり大久保の行動に冷ややかだし腐芋連に大久保や川路
の名前列して笑ったり(芋連には自分や桐野篠原の名前書いて)。
案外西郷は大久保のことよく思ってなかったり。わからんけど
西郷は幕末の凄腕振りと明治の消極性に非常にギャップを感じるが、
それってやっぱり、最終的に斉彬の影から出ることができず、その気もなかったってことなのかな。
大久保って、頭はいいし実行力もあるんだがやっぱり学問がないって評判は本当で、
そのためか洋行前は将来の国のビジョンって具体的に持っていなくて、
側近の意見もひたすら政権の安定のために使おうとして、ビジョンがないから空振ってる感じ。
でも洋行によって具体的でわかりやすいビジョンを得ることができ、
側近だけでなく党派を超えて意見を取捨選択する判断基準を持てた。
大久保は結果的に脱皮できて、権力を握ったけど、西郷は脱皮する気もなかったという印象。
>328
閣議決定したことを、自分たちの都合で秘密裏に覆したら、そりゃ不信感を持つなという方が難しいだろ。
拒否権の所在が規定されていないのに、秘密裏に拒否を実行するって事は、これ以上無い背任行為だし。
>330
西郷は、新政府で権力から逃げてたから、権力を握るつもりは全くなかったんじゃなかろうか。
直接的な政策も農政以外は興味無さそうだし。案外、蝦夷・樺太で対露の屯田兵をやりたかったのかも。
示現流と鍬を振り下ろすのって似てるしw
やればよかったのにな、対露屯田兵。
鹿児島にこもってあれこれやって危険な状況つくるよりも、
よっぽど薩摩のためにも日本のためにもなっただろうに。
そのへんが明治の西郷はもの考えてないっていうか…
1つヒントになるのは、江藤が司法卿を受けた条件は海外留学だった。
なぜかと言えば洋行で箔をつけたかったから。そこに目を付けた井上が江藤を推挙した
やはりエリートコースの洋行組と、
そいつらの留守の間に内治を進めた留守組の間には複雑な感情があったんじゃないかな
>333
江藤は箔を付けたかったというよりも、好奇心と使命感で行きたかったんだと思うがな。
オランダ語とロシア語、英語少々の読み書きが出来て、海外事情はよく知ってたし。
佐賀出身者は、オランダ語以外の外国語の読み書きできる奴が多かったからな。
薩摩や長州出身者は、海外事情を知らないのがコンプレックスじゃなかったっけ?
>>334 佐賀にそういう傾向があったのはそうなんだろうが
薩長をそれでくくっちまうのは無理があるだろ
実際に洋行経験あるのは旧幕臣除けば薩摩が断トツじゃね?
長州の木戸なんかはそれこそ嘉永のころからの宿願でwktk状態
自分が思いの外政治的に重要になっちゃったから
文久のチャンスでは井上伊藤ら行かせて自分は我慢したし
>>334 伊藤なんかは英語喋れるってんで肩で風切ってたようなw
それに、幕末のころ薩摩藩と長州藩の留学生がイギリスで会ってうんちゃら〜
みたいな話もなかったっけ
1862−1867年留学生約130名の内訳。
幕府が57名、薩摩26名、長州16名、筑前8名、仙台4名、加賀3名、
肥前2名、肥後2名、越前2名、土佐2名、備前1名、他諸藩1名すつ。
長州藩は1863年に5人をロンドンに、薩摩藩は1865年に英国留学生15名を送り出している。
> 薩摩や長州出身者は、海外事情を知らないのがコンプレックスじゃなかったっけ?
たぶん何かの記憶違いか勘違いなさっているのでしょう。
>336
薩摩と長州の留学生同士がイギリスだかフランスだかで出会ったのは実際にあったことらしいけど、
長州と薩摩とでは洋行や留学に関する考え方がかなり違うからひとくくりには出来ないと思うよ。
長州は馬関戦争や第二次長州討伐を幕府と戦う過程で外国製の武器の優秀さに目を開かされてはいたけれど、
その上で大半の人間達の意識の上では攘夷気分が横溢してて、外国人への敵意は依然として激しかった。
薩摩の場合は優秀な少年達を集めて十数人規模の留学生団を送り込んだり、幕府の向こうを張って
パリ万博に薩摩藩単独で出展したりと、かなり旺盛に外国人と付き合おうとしてた。
んで、そういう両藩と比べてみても佐賀藩士たちの海外文明についての知識量と消化吸収具合は
薩長両藩の上をいっていた。
長崎海軍伝習所で教育を受けた人間の数も諸藩の中では群を抜いていたし、語学をはじめ、
物理学・数学・化学などの科学技術関連の知識を持った人間たちの層の分厚さは
本当に他とは比べものにならないレベル。
>337
何の素養もない人間が、半年やそこら海外生活しても、大した知識を吸収出来ない。
昌平黌や適塾等の出身者なら別だけど。
佐賀藩の場合は、欧米の技術、医学、政治、歴史の書籍、新聞などを輸入し続けたから、
佐賀藩士は、幕末の時点で語学だけでなく、工業や政治体制、各国の外交関係などもよく知っていた。
そういうところが、明治初年の佐賀閥の躍進に繋がってたと思うんだが違ったっけ?
>>338 >>339 うん、佐賀の賢人たちの実力は認めるよん。
ただ、
>薩摩や長州出身者は、海外事情を知らないのがコンプレックスじゃなかったっけ?
という乱暴な括りかたはちがうだろうっていっただけ。
まあ学問・知識として知ってるのと、政治家として行動するのは別だし、
岩倉使節団は、政治の中枢にいる連中が行ったことに意義があった。
佐賀からの参加者では久米邦武という燦然とかがやく星がいるなw
彼は漢学者で、佐賀の中では海外事情に通じてるって方でもなかったろうけど
広い視野と冷静な観察力で名著をものにしたよね。
木戸みたいに、幹部の中では抜きん出て目的意識を持って
精力的に視察したり学んだりした者もいた。
安場みたいに、保守的だから啓蒙のために参加させられたけど
どうしても西洋の風習に耐えられず早々に帰国、
しかし後には開明派官僚として活躍できた肥後人もいた。
伊藤みたいに調子に乗りすぎた長州人もいれば
地道に活動して敬意を勝ち取った肥田みたいな旧幕臣もいた。
佐々木みたいにいまいち調子が出なかった土佐人もw
薩摩に関しては、使節団に現地で合流した留学生や外交官の印象のが強いな。
皮肉な見方をすればコンプレックスのために洋行した連中もいたろうし、
主導権争いがメンバー選びに影響したのは事実だろうけど
佐賀びいきと先入観で 岩倉使節団への見方をゆがませてもなーと思うわけ。
それって、「幕臣のほうが新政府よりもずっと外国事情に詳しかったし開明的で知識もあった」
って論と同じじゃん。
そうですけど何か?だから新政府でも働いていただいてますが?
としかいいようがない。
>340
岩倉使節団は別だわ。
>337であげている洋行者数は、幕末の例で、
薩長の大半は、大した素養も無い奴が中心だったろって事。
岩倉使節団の中には、幕末にも洋行した面子がいるけど、
それは同じ国に行ったとしても、全く違った視点で見てるから、
特に専門知識がなくても意義がある。伊藤博文が良い例。
実際に、何の素養もないのに洋行して意義のあった人間は、
大久保利通と伊藤博文くらいだったろ?
>薩摩や長州出身者は、海外事情を知らないのがコンプレックスじゃなかったっけ?
の薩長出身者は、あくまで一般論。
実際に、大方の奴らが海外事情を知りたくても伝聞以外に知る術がないのが実情だっただろ?
伊藤は留学は意義があったろうけど岩倉使節団には同行させなかった方が良かったと思う
>>341 >>337であげている洋行者数は、幕末の例で、
>薩長の大半は、大した素養も無い奴が中心だったろって事。
>>薩摩や長州出身者は、海外事情を知らないのがコンプレックスじゃなかったっけ?
>の薩長出身者は、あくまで一般論。
>実際に、大方の奴らが海外事情を知りたくても伝聞以外に知る術がないのが実情だっただろ?
佐賀に詳しい人が陥りやすい見方だなあと思うけれど、
幕末の状況に対して、学問を重視しすぎていないか?
たとえば長州ファイブについていえば、
彼らは学問をしにいったというより、軍事・技術面で役に立つものを学びにいった。
長州を、ひいては日本を強くするものを得ようとしてね。
「生きたる器械とならん」って、有名じゃん。
結果的に、国際状況への理解も深まったけどな。
彼らにとっては日本の状況はあまりに切迫していたから、
手っ取り早く役に立つものをこそ求めていたんだろ?
しかし、そうやって外国に知識を求めるべきとか、海外事情を知るべきと思っていたのも、
一部の人間だったと思うが。
海外事情を知らないことをコンプレックスにしていた連中って、具体的にはどんな人?
>実際に、何の素養もないのに洋行して意義のあった人間は、
>大久保利通と伊藤博文くらいだったろ?
素養が何を指すのかはともかくとして、いろいろ切り捨てすぎだろ。
長いスパンで岩倉使節団を中心に洋行した人間を検証すれば
さまざまに効果が見つけられると思うが。
まあ、無駄な留学生多かったのは事実で、一斉帰国令がでたりするけどなw
コンプレックス云々って、箔付けのために流行のように洋行した連中のこと?
それってコンプレックスのせいか? わからん。
それとも、大隈率いる長州&旧幕臣開化推進メンバーズ(後援木戸)に
「お前ら何もわかってない!」と非難された保守な人たちか? <副島もここにいるんではw
それってコンプレックスになったの?
>>342 木戸好きの自分だが、必ずしもそうは思わんね。政治的にいろいろ学んだといえる。
素養も無いのがほとんど、って何見て判断したのかね?
井上馨は江川や佐久間に、山尾井上勝は武田斐三郎に師事してて、
当時としては進んだ学識があったと思うがなあ。
ちなみに適塾生を出身地別に分けると一番多いのが長州。
長州と薩摩の留学生の交流は面白いよね、山尾のグラスゴー行きの資金を薩摩全員でカンパしたり、
亡くなった長州留学生を一緒に弔ったりとか。
この交流が密航を取り持ったジャーディンマセソン協会経由で日本に報告され、
薩長同盟成立にも多少は影響したんじゃないかと思う
一般がそうだったろと言ってるのに何で数少ない例ばかりあげてくるかな。
それに岩倉使節団は別って書いてるのに(笑
だから一般っていつのどれよ。
どういう人びとがコンプレックスもってたの。
あと、ほんと学問を重視しすぎ。
学問はあれば役に立つが、才覚さえあればそれほど深くなくても何とでもなるもんだ。
深いのを誇るのはかまわんが浅い者を軽視すんな。
あ、すまん 熱くなって延々スレチやってた
六年政変の話にもどろうや
どうも洋行組=エリートって感覚に違和感があるんで脱線してしまった
http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/seikanronshi.htm ↑の一、留守政府の予算紛議、二、太政官制潤飾 に若干触れられているけど
・留守政府の盟約違反(省庁トップの参議増員、太政官制潤飾)の結果、
正院に権限が集中し、洋行組は意思決定から排除される形になった
・一方で留守政府の正院参議では大隈しか調整能力のある者がおらず、
省庁間の対立が激化した結果、省庁トップの江藤・大木(本来なら副島も)を参議として取り込んだので、
盟約違反もやむを得ないという認識が出来上がっていた
留守政府と使節団組の二重政府状態が生じたことが最大の原因だと思うんだなあ
そして、両者の認識が180度異なる「盟約違反」の象徴だったのが、対朝鮮外交での使節派遣決定だったと…
まあそのへんがいちばん納得しやすい解釈だな。
ただでさえ、盟約に署名していない者まで参議になって好き勝手やっていると見える状況で、
改革が先走りすぎて国内一般も政府もがたがたに見え、建て直しに手間隙金がかかりそう
大久保としては抑えに西郷を置いてきたつもりが改革は抑えてないどころか
先頭に立って外征に大金がかかる可能性が高い状況を作り出そうとしている。
外交の難しさやら彼我の地力の差を欧米で思い知らされてきたとこにこれだもんな。
ただ、洋行組が意思決定から排除されたとまで言えるかどうか。
幸い天皇が「岩倉が戻るまで待て」といったから、
政府の真の実力者、岩倉・木戸が戻るのを待って反撃に出ようと大久保が思っても無理はない。
大蔵卿の座が他者に占められていたわけではなく、
井上下野後は大隈が必死になってカバーしてた状態だろ?
大久保は大蔵卿に復帰し、他の卿に倣って参議になることだって可能だったろう。
排除されたというより体制を整えていたというべきではないかな。
少し遅れて帰国した木戸だって、岩倉待ち&大久保の帰京待ち&自分の病気ってやつで
別に参議に戻ってくるなといわれたわけじゃあるまい。
ついでにいうと、このころの木戸を仮病扱いする奴も多いが本気で病気だw
大久保利通みたいな狂人をマンセーする政治家って、選挙で必ず落とすべきだろう
歴史を知らない白痴とか罵倒する以前に、重大な人格的欠損があるとしか思えない
極悪人大久保利通を偉人のような書き方をしてる悪質な日本史教科書って
本来なら検定不合格にすべきだろう
>>263 単純史観を盲信できるってサイコーだよなww
>とにかく不平士族を鎮圧し、明治政府を国内的には安定させただけでも
「不平士族」(笑)
勝てば官軍だよな
強姦して放火殺害すれば、すべて歴史から消せるんだよな
日本一の強姦民族=福岡と並ぶ鹿児島のキチガイにはww
個人的に思う征韓論争のときの各人の思惑
大久保 約束違反は許せない、権力奪取のための反対
岩倉 権力バランスが崩れることから反対
木戸 西郷が信用できないから反対
西郷 不平士族の目をそらす目的で賛成
板垣 帝国主義マンセー
江藤・副島 明治初年からの非礼で使者派遣しない方がおかしいので賛成
という感じで、本気で朝鮮へ使者派遣を考えていたのであれば、副島を正使として、
清を巻き込んで、北京から清の使者と同道するなどで交渉に挑んでいたはず。
江藤の人間関係も、大久保以外とは良好な関係が続いていたのも納得できる。
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 11:01:23.42 ID:wg/EfLWc0
大久保の江藤にたいする憎悪みたいのはどこから来たの?
大久保と木戸の共通点、地元で人気ない
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 13:46:06.99 ID:Qzrhy8G00
>>354 大久保本人としてはウザいから虫けらを踏みつぶした。その程度の
認識だったんじゃねーの。
盟約違反で参議になり、正院に権限を引き上げる原因を作ったのは大木・江藤。
うち大木は明治六年政変の過程で大久保側に転んだが、江藤は最後まで反抗。
大久保が辞職した江藤の動向に対して警戒心を持つのは、ある意味で当然
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 14:21:27.59 ID:hHyN5j2D0
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/ i f ,.r='"-‐'つ____ こまけぇこたぁいいんだよ!!
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大木って地味だが不思議な立ち位置だなあ
大久保派になったけど伊藤や大隈みたいな舎弟って感じじゃないし、
江藤とも仲良かったし木戸から何故か敬意を払われてるし
萩の乱処理しても不平士族から嫌われたとも聞かないし
明治14年政変あたりではどんな動きしてたんだろう
確かに大木は面白い。あと、佐々木あたりも面白い立ち位置な気がするな。
佐々木って、木戸あたりもそうだけど、上にあったみたいに細かい日記残してるせいで
いろいろな歴史書に引用されまくっちゃって、愚痴屋不平屋っぽくとられがちだけど、
あんがいバランス感覚のある奴って感じ。
>>356 あのチンチクリンのナルシストが、そんな程度なわけねえだろ
司法界での活躍やあれやこれやを目の当たりにして
嫉妬の炎めらめら燃やしてたんだろ
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 18:55:22.40 ID:plbWao/60
>>362 > 何が「維新の三傑」だ。明治神宮なんて佐賀抜きでは歴史なんて全く語れないのに、喧嘩売ってるのか?
(°o°)
>362
佐賀藩は、倒幕では最新兵器、新政府では能吏を提供したのであって、歴史は動かしてませんよ。
佐賀で歴史を動かせる可能性があったのは江藤くらいでしょうが、江藤好きには大久保嫌いが、
大久保好きには江藤嫌いが多く、相手を不当に貶めることが多いので残念な事です。
どちらも、功罪比べれば、功の方が圧倒的に多いのですから。
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 19:48:01.13 ID:mwJpVSzY0
佐賀藩は有能なのいるのに派閥作らなかったからな。大隈とか江藤かばったりしなかったの?
>>359 大木はバランサーであり、実は江藤より実務家だね。江藤はどっちかと言うと制度設計屋
民法典編纂に関しても、江藤が強引に法典編纂を進めたのに対して、
大木はボアソナードや関係者との調整を取り、国情に合わせて編纂を薦めていってる。
大久保の面白さは、邪魔は嫌うけど、天才肌や硬骨漢を嫌うかと言えば必ずしもそうではないこと
米沢の千坂高雅なんかは旧賊軍の総督で鼻っぱしの強い男だったけど、大久保によく仕えてる
話ずれるが、天才肌といえば大久保が陸奥の陰謀はスルーしているのも面白いよね。
ってかなぜ陸奥はああもあちこちではねっかえりを目こぼしされているのかw
>>362 江藤だって西郷を頭に据えてたじゃん
>>365 大隈って、大久保亡き後だが有司専制派の筆頭として期待されてたらしいね
369 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 05:16:48.28 ID:TCXhC7E90
六年政変の議論をしてたはずが、
「江藤は箔をつけたくて洋行希望」の一言でこうも脱線するとは。
大久保好きだからここに来たけど、疲れた〜〜
つきあってた人達偉いですね。
佐賀藩が幕末のころかなり先進的だったのは、佐賀に住んでたこともあり、
知ってはいたけど、
ここでこんなにヒステリックに力説されたら、うんざりしてきた〜〜
>369
重点的に明治六年政変の話をしたければ、専用のスレを立てればいい。
定期的に特攻してくる江藤厨醜態笑止ナリ
>>362 大久保の死から半年後には既に西郷大久保木戸を三傑と呼んでたようなので、
今更ケチつけても仕方ない
(Wikiで知ったが近デジで検索したら確かに皇国三傑伝があった)
つか佐賀がどんなに貢献してても、その説明文の文脈的には江藤は登場しないんじゃない?
180越えの大男大隈ならともかく。
…江藤の身長しらんけどな
>>364 晒し首にされたのは、島義勇もいるわけだが。島の功績も凄い。
よって、2対1で、明らかに大久保の負け。大久保に少々の功績とやらがあったにしても
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 22:37:16.05 ID:VHHzkyWL0
江藤を江戸時代の法律で裁いたのはなんの意味があったの?
「俺に反抗するヤツはこうなるぞっ!」という恐怖を反政府勢力に与えるための
デモンストレーション、かな?
はっきり言えば、反乱を起こした場合の厳罰処置を見せて、薩摩の西郷周辺への威圧としたのだと思われる。
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 23:43:08.49 ID:VHHzkyWL0
大久保はどうなると思っていたんだろうな。西郷が主導者になるとは
思ってなかったみたいだし。
桐野あたりが首謀者になって薩摩で乱が起きると思ってたのかね。
あと板垣あたりも乱起こす可能性あったよね。ひやひやもんだよな。
西郷と同時に板垣が乱起こしてたら負けてただろうし。
板垣ってそのころそんなに蜂起に人集められたん?
>377
>西郷と同時に板垣が乱起こしてたら負けてただろうし。
いや、必ずしもそうとは言い切れないんじゃない?
土佐の反政府勢力は薩摩ほどの力を持っていなかっただろうし、
それまでの神風連の乱や萩の乱の鎮圧で自信を付けていたところだから、
最終的には勝てるという自信は結構あったんじゃないかと思う。
まぁ、実際に西南戦争が始まってみれば、かなりその読みが甘かったことが
分かったってところはあっただろうけど。
大久保にとって、一番危ない橋だと思ったのは佐賀の乱の時だったんじゃないだろうか。
あの時点では新政府内部が大久保支持で固まっていたとは言い切れない状態だったし、
強いリーダーシップ・有無を言わせない強権・敵対者に対する果断な処置などを
内外に見せつけることで権力を固める必要があったんじゃないかと思ってる。
>>378 板垣-土佐グループ-陸奥-紀州新政グループ-長州若手
この繋がりが怖かった模様。
西南戦争時には蜂起しなかったものの後にこの繋がりは自由民権運動の大勢力になっている。
陸奥は自由党の過激闘志には兄貴分として一目置かれながら幕末に海援隊で活動していた時期に伊藤・井上とも昵懇だった。
伊藤が政友会の党首に収まる手引きをしたり東京市議会を押さえるのに星等の新世代の抜擢もしている。
>380
うん、それらの集団が一致結束して反政府組織として立ち上がってきてなら、確かに脅威になったとは思う。
だけど、地理的な隔たりや思想的・感情的隔たり等もあって、一枚岩に纏まれるだけの強い求心力を持った
集団ではなかったと、やっぱり思うんだ。
西南戦争において、薩摩と気質的にも地理的に近い存在だった熊本や宮崎の士族達とすらも、
西郷軍は必ずしも連携を上手く運べていなかった。
強いリーダーシップをとって全体を纏める中心的存在がいなければ、どれだけの頭数がいても
軍勢としては強い力を持たないというのを、新政府は戊辰戦争での旧幕軍や欧州諸藩との戦闘で
充分に心得ていたから、2万という数の訓練され士気の高い集団を維持していた薩軍以外は
雑魚と考えていたんじゃないかと思うんよ。
卓越した交渉術や有力者との顔の繋がりというのは、物事が政治の段階で動いている時点では
大きな意味を持つけど、ひとたび武力発動という事態に立ち至ってしまってからは、
純粋に「軍事力」としての実力の大小以外の要素は吹っ飛んでしまうと思う。
>379
土佐は、林有造が、佐賀の乱のときも西南戦争のときも、土佐の不平分子を集めて挙兵しようとしたけど、
佐賀のときは、乱の終結が早すぎて間に合わず、自分の弟が佐賀士族を煽って暴発させたことを、江藤に陳謝している。
西南戦争のときは、挙兵前に検挙されて投獄されてる。このときの黒幕は板垣だったと言われている。
後世の目から見てるから言える事かもしれないけど、
土佐は政府に不満がある連中は多いが、
考えがばらばらすぎて事を起こすにはまとまりにくすぎる感があるね。
長州若手は、東京に来ている連中は官僚的な手腕があって
事を起こすよりほかにできることがあるし、って感じ。
だけど薩長土肥に限らずあちこちで士族の不満はくすぶっていたわけで、
それへの警戒と牽制が佐賀に向かったんだろうね。
江藤新平も島義勇も、「不平士族の反乱」に勝手に括られ、
捏造高校教科書で、百数十年もの間、さらし首にされたままだ。
毛利先生が言うように、「佐賀の乱」は「佐賀戦争」が正しい。
大久保が仕掛けたのだから、「乱」ではない。
江藤は立派な人物なのに信者がこれだもんなぁ
毛利の戯言を真に受けて特攻してるようじゃ会津厨と変わらん
>383
土佐は、結局維新後も、上士と下士や郷士の間で軋轢があったからなぁ。
特に、郷士系が職に恵まれず、かと言ってまとめるべき人物が全員死んでたし。
>384
佐賀の乱は、目的無く暴発したことで発生しているので、「乱」が正しい。
>385
いや、信者だから変なんだよ。
何年も前に、江藤スレでは大久保信者が大暴れして、誰も寄りつかなくなって
江藤スレ自体が何年か消えてた時期があるくらい。
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/01(火) 21:29:26.57 ID:ntEvy42R0
西南戦争に会津の士族を導入したのって大久保の功績なの?
毛利敏彦先生がネット使えないのをいいことに、
ネット最強の怪電波(一人ヲタでっちあげ事典ウィキペディア状態の)田村貞雄の爺さん、一匹で大暴れだからな
田村の牽強付会な糞長文なんて、いちいちまともに読んでる奴なんているのかよw
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
荒唐無稽な田村貞雄の珍反論・・・・佐賀戦争は士族反乱だとさw
http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/saga.htm ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
佐賀戦争は大久保利通による謀略だが、
日本史学会で長年跋扈、悪行三昧の在日朝鮮人系学者が、
征韓派の人間を徹底的に貶める工作活動を異常な執念で行ってきた
佐賀戦争を考える上でキーとなるのが、
大久保利通の便利な鉄砲玉として暴れまわった
岩村通俊&岩村高俊の土佐の狂犬二匹
西郷本人の意図が遣韓だろうと征韓だろうと大した違いないじゃん
当時征韓ってムードが盛りあがっちゃってたことには変わりないんだろ
毛利説の問題はむしろ、六年政変の背景に江藤VS長州閥の幻影を見てることじゃないの
その後の木戸と江藤の交流を説明できないだろうに
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 07:40:13.87 ID:PW9d8D+I0
その後の木戸と江藤の交流
何かあったっけ?
ああごめん、江藤の辞職前の話だな
辞職前だけど、江藤しょっちゅう木戸んちにきて話し込んでる 出典は木戸日記
そのことについて木戸が怒りを発散している気配もないし
とても長閥追い落とし中の行動とは思えんのだが如何
江藤の長州閥追放と言うのは、小野組転籍、山城屋和助、予算紛議
いずれも原因がまちまちだからね。長州を狙い撃ちにしたわけじゃない
(尾去沢銅山は捜査の端緒がその頃発生したに過ぎないし、
山城屋事件を追及する気なら山県を庇った西郷とも衝突するはず
また小野組転籍については木戸は裁判所寄りの立場で収拾を図っている)
だから木戸との関係が悪化するわけがないし、大久保も佐賀の4人と関係悪くなかったと思うんだよな…
江藤が予算を強引にかっぱらって、あげく10月閣議で自分が失脚する寸前までいくまではw
この頃の政局を汚職まみれ長州閥+薩長閥支配のためにそれを擁護する大久保
っていう構図で見るのって、いわゆる皇国史観否定のために都合よかったんだろうな
戦後すぐ〜80年代前半あたりまでの研究者にとって
ネットでも「木戸が長州閥の汚職をもみ消し、山県・井上はすぐ政界復帰」とかいうのよく見るが、
それ見るたびに
「山県かばったのは清廉潔白な西郷ですからw」とか
「井上復帰は約2年後、大坂会議の後ミイラ取りがミイラ取りになってしぶしぶですからw」
とか突っ込みを入れてしまう
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 20:50:34.66 ID:6S0Gdrwg0
山県も井上も高杉派閥だからな。
広沢、大村という木戸派閥が暗殺されたのが木戸が
洋行以後引きこもりぎみだったのも数少ない派閥がいなくなったからだと思う。
木戸は多分大久保と対立したかったんだろうけど有能な味方がいなかったんだろうな。
江藤とかも木戸は味方に引き込みたかったんだろうし。
今度は大久保スレまで荒らす気か
おや、木戸スレでボコられた派閥妄想厨ageタソがこんなとこでもだえてるw
高杉派閥なんてスレチな以上に頓珍漢で恥ずかしすぎるわな
ループしまくりでも征韓遣韓論争のほうがましだわ
只でさえ江藤厨がうざいのにまた変なのが来たよ…
大久保は最初、大坂遷都論だったけど、江戸を平定したら江戸遷都と言うのは
考えなかったんだろうか?
遷都をする先が簡単に見つかればいいけど、それはやっぱむずかしいんじゃない?
江戸は大人口を抱えていたから物流が発達していたし諸々のインフラが整備されてた。
各藩の大名屋敷が広大な敷地を持っていたから、新しく大規模な施設を建設するのも容易だったし、
初期には大名屋敷そのものを接収して官庁として使ったりもしてたし。
他の地方都市ではあれだけの便利な環境はそうは無かったと思う。
まあ大阪遷都という考えも物流の中心地で陸海の利便性重視からだからな。
ただ近代国家のポテンシャルとしては200年以上中央行政を担っていた江戸という都市の方が高かったという。
まあ、統治のための利便性を求めてってのと、帝を後宮より引き離して
朝廷の体制を一新し、且つ帝を民に見える統治者にするってのが遷都の目的。
手近にあるよいところが大坂だったから最初は大坂遷都を主張したけれど、
言われてみたら江戸のほうが、引越しの大変ささっぴいてもいろいろ条件よかったんで
遷都論者は江戸行幸で話をまとめたんじゃないのかな。
まあ新政府側の有力者はだいたい西日本出身だから、
最初は京都からそんなに離れるって発想がなかったんじゃ、って気もする。
鹿児島出身の大久保からしてみれば、江戸なんて地の果てだろ。
それ考えると、江戸詰めが長かった木戸はともかくとして、
大木あたりから江戸遷都論が出てきたのはたいしたもんだけど。
大坂より江戸の方が親徳川の気が強いのでそれを鎮撫するためという理由もある
そういえば真木和泉も大坂遷都論となえていたな
>大坂より江戸の方が親徳川の気が強いのでそれを鎮撫するためという理由もある
うん、それは大きい
現実的な必要があり、大きな効果が期待できたのと、
それゆえに、帝を宮廷から引っ張り出すに足る立派な大義名分になった
三条・岩倉・大久保・木戸ら、天皇を中心とする新政府を実質的なものにしようとする実力者たちには
格好の機会と映っただろう
まあ表向きは遷都どころか奠都とも言わず行幸だったわけだがw
その頃荒れてた東北にも目が届きやすいってのも大きいと思う
京都公家の圧迫からも逃れられるし一石二鳥的な
当時の距離って本当に大きいものなんだなあと時々愕然とする
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 23:50:08.33 ID:Z2yE3xcCO
大久保が一番日本に貢献してる
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 11:49:00.62 ID:ocvZQGND0
敬天愛人が信条の西郷信者のみなさん、
みなさんが大好きな「実行力」が生かせる時が来ましたよ!
今すぐ原発作業員に志願して、この国難を救ってください!
日本の隅っこで、議を言ってる場合じゃありませんよ!
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 01:31:44.71 ID:rpQ5a+R5O
大久保卿が祀られてる神社は地震の影響あった?
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 19:51:17.45 ID:lInyHmql0
大久保だったらこの災難にどう対処するんだろうか
大久保の玄孫は被災地に赴いて放射能を浴びた野菜を食べて安全を証明しようとしましたな
一方、伊藤の子孫は韓国様ありがたや〜としきりに申しております。
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/28(月) 08:06:56.08 ID:SJNWekiz0
今週の風雲児たちに大久保出てたけどみなもとはあんまり好きじゃないんだろうなぁ
でも如何にも頭がキレそうなキャラだなw
みなもとさんが大久保の行動や考えに共感を持っていないのがよく伝わってくるが、
その大久保の方が正しそうに見えるのが何とも面白いね。
実際のところ、龍馬や西郷があれだけ活躍できたのも、大久保ががっちりと組織としての薩摩藩を掌握して、
面倒くさい宮廷対策や慶喜相手の政治闘争を繰り広げていたからこそだし。
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/03(日) 21:52:49.45 ID:mDg/rkOf0
実際のところ、龍馬や西郷があれだけ活躍できたのも、大久保ががっちりと組織としての薩摩藩を掌握して
>
この点は実際は小松が薩摩藩を掌握していた
大久保は龍馬との親密度は西郷と小松ほど親しいわけではない
小松の早死が惜しまれる…
確かに、大久保・西郷だけではなく、小松をはじめとした門閥層やこれまでお飾りと見られてすらいた久光らの存在も、
薩摩藩の中ではかなり大きなものだったというのが近年の研究で明らかになってきているみたいだね。
小松がいなかったら久光動かせなかったし、江戸や京都でばら蒔く金も工面できなかったからな。
他藩の要人と会うにもまだ無名だった大久保では具合が悪かった。
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 09:57:27.94 ID:eakQzQVU0
大久保は気がついた時には大体小松、西郷、自分の3人で行動していたらしい
とにかく小松は下級武士の面倒見がよくできる人だったらしく
土佐藩のような粛清劇はあまりなかった
土佐は粛清と暗殺のせいで使える人材がほとんど死んでしまってカスばっか残った印象
小松が生きていれば、西郷と大久保はあんな事にならなかったんだろうか…
門閥の小松が生きてれば、維新後久光があれほど邪魔者あつかいされることはなかったはず。
久光は権力を保持したまま史実以上にややこしい存在になっていたんじゃないかな。
海江田や大山綱良も実力者として君臨して、薩摩閥は内ゲバで滅茶苦茶になっていた可能性も。
いや、そこまでの力はないだろw
せいぜい小松が板ばさみになって心労で…
やっぱり死んじゃうわw
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/08(金) 19:16:04.62 ID:krQjBpQV0
421
小松が生きていれば、西郷と大久保はあんな事にならなかったんだろうか…
小松が長生きしていれば久光との周旋も上手くいきあの西南戦争も
あれほど大規模にはならなかったはず…
3人とも早死することはなかった
後輩の黒田と西郷従道らは3人が早く死ぬとは思ってもいなかっただろう。
薩長同盟から12年後には小松、西郷、大久保は死に伊藤と山県の時代になる…
425 :
【東電 87.3 %】 :2011/04/23(土) 22:30:28.96 ID:gEkJtybI0
だいたい明治時代はいい奴ほど早死にしとるよ。
小松帯刀など、西郷よりも賢明だったのになー
風雲児たちは大久保と作者がもはや漫才コンビ状態だな
なんとなく、みなもと太郎が大久保に対して愛着を持ち始めているような気がする。
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/05(木) 22:48:03.48 ID:Zy2dIAkdO
大久保は神
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/05(木) 22:52:33.61 ID:hhRinaGe0
西郷は豚
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/06(金) 12:39:34.83 ID:Iq2shj9k0
小役人たちは「お前たちが江戸や京都で無駄遣いばかりするから俺達が徴税で苦労
しとるんだろうが」とか考えてそう。
6月22日に大久保の評伝小説が出るらしい
著者紹介見たら新撰組ものばっかりで不安ではあるが…
>>431 その人長州ものも書いてるよ 高杉とか山田とか
人間関係重視の傾向があるから好き嫌いは分かれるだろうが
初期の作品ほどロマンに流れなくなってきてるのでちょっと期待してる
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/10(火) 23:10:18.39 ID:65ySBSfa0
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/11(水) 00:03:15.37 ID:xR/+BZkzO
KAWADE 大久保 ぐぐるべし。
かのたん
まあ大久保なんて武市先生が生きてたらただの小物
ぶっちゃけ能力や人物は中岡よりも下だし
芋の薩摩で恵まれてただけ
>437
武市瑞山かぁ。
能力的には武市が全てにおいて上回ってると思うけど、性格的にどうだろ。
自分が正しいと思った事は譲らないのと潔癖な性格で、確実に大久保と対立しただろうから、
遅かれ早かれ、江藤新平みたいに消されたんじゃないか?
武市って同時期に久坂の方が目立つからよく分からん
岡田とか田中新兵衛を飼ってる訳だし大久保みたいに手段選ばないタイプなのかね。
知識やら人望やらはそりゃあ大久保より上だろう、明治政府で張り合えたかどうかは知らんが
人望は西郷、政治は大久保・木戸に匹敵すると言われた武市が大久保にやられると思えんけどなぁ
武市が歯向かえないのは主君の容堂くらいだし
>440
その政治の部分がさ、行政や立法の能力なら武市が上回るけど、
政局という部分では大久保が遙かに勝る。
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/18(水) 22:39:23.59 ID:/70GfrOGO
大久保利通は神
大久保は政局強いけど運が良かっただけだろう
明治政府には大久保と敵対できるだけの政治家が居なかった
木戸は鬱病だし西郷は政局家であることを捨てたから勝っただけだし
西郷が大久保を潰す気だったら大久保は負けてたろう
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/19(木) 21:35:47.72 ID:htZi7ksKO
大久保利通は神
西郷が大久保潰してたら政局大混乱だな
その場合それほど政府関係者が西郷につくとは思えないけど
しかし木戸が鬱病っていってる時点で知識なさ杉w
西郷は欧米にいったこともないし、近代化をしきるにあたっては、大久保ほどの
能力知識はなかったんじゃ。 官僚組織をコントロールして、工業化、近代化を
すすめるのは、大久保じゃなきゃ無理だったろう。
薩摩藩の新型銃と旧型銃のコンペの際に一方的に守旧派を蔑ろにせずに
守旧派を長崎に留学させたり、一方で精忠組の突出を支持して一方で久光
との交渉を続けるというバランス感覚が武市瑞山には無かったような気がする。
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/20(金) 21:27:32.53 ID:Rp/oKqTx0
それは大久保利通ではなく小松なのではないか
西郷が大久保潰しても西郷下野ほど混乱ないでしょ
むしろ西南戦争やらが起きなかったかもしれない
実質明治維新を進めてたのは留守政府の方で行政は江藤やら佐賀閥が仕切って着々近代化を進めてた
洋行組は海外回ってる間、政局から置いてけぼりされてたからあせった
西郷に中央政治やる気があるのか?
あるならあるで開化派と衝突するだけじゃん
留守政府の改革が進んだのは西郷にやる気がなかったおかげだろ
廃藩置県前後に、どんだけ西郷が人事であほな口出ししたことか
それも含めて西郷隆盛に功績はあったと思うが。
明治維新における行政上の各種改革は、西郷隆盛の承認を原動力としていたのだから。
承認もしないのが普通の上層部であり、それでは誰も近代化を進められなかっただろう。
いやそういう話じゃなく、大久保潰した場合、西郷に事態コントロールの意思があるのか
西郷下野の混乱って、単に軍隊の混乱だろ
大久保潰した混乱は、政治全体の混乱になる
だいたい大久保を潰す西郷に長州はつかんだろう 混乱は増すばかりだ
大名や士族にとって最悪の廃藩置県や徴兵制やった西郷にやる気が無かったってなぁ
薩摩や士族をギリギリまで統御コントロールできたのも西郷だからだろう
西郷が下野してから士族の乱が頻発した
もし大久保が西郷の立場で廃藩置県だの徴兵制言ったら「おはんはなにいうてもす」と首が胴から飛んでた
西郷なかりせば、廃藩置県は実現できなかった。 これを認めるとしても
西郷自身が廃藩置県を企画したのか、廃藩置県をのぞんでいたのかとなると
これは明確な回答が難しくなるんじゃないかなぁ。 廃藩置県は完全な中央
集権をめざす政策だが、西郷は全然中央集権志向じゃないし。
廃藩置県を企画したのは大久保で、それを実現するために西郷を説得し
利用したってことはある?
廃藩置県を企画したのは木戸、西郷を説得しようとしたのは山県
大久保が引きこもったときはいずれも混乱は起きてないと思うが、それでも失脚した場合は混乱が起きるのか?
西郷が下野したのは、大久保と岩倉の天皇を利用した不当な行為に嫌気が差したからだと思うんだが。
実際西郷のが幕末から大久保より革命思想あったからな
他藩士と接触したりして影響受けたんだろうが
大久保は一貫して藩官僚だったから、明治維新も徳川から薩摩が天下取った程度の態度で洋行前は大久保のが党派的
久光が絶対あれだけは止せと言ったのを西郷が中央に薩摩兵引き連れ薩長土の武力を背景に廃藩置県を達成
廃藩置県を西郷が望んでやったかのような言い方は間違いだろ
廃藩置県が実行されたのは、あまりに政府ががたがたになっていたから、というのが真相だが
たとえば三傑の廃藩置県に臨んでの考えは、
西郷…廃藩置県が必要とは考えていなかったが、今の政府の状況では確かに必要だからやろう
大久保…廃藩置県はいずれは必要かもしれないがまだ早いと思っていたが、以下同文
木戸…廃藩置県をやりたくて仕方がないが反発が強いから根回ししつつ様子見してた、西郷が同意したならやろう
そんなとこじゃないのか?
西郷が兵を率いて上京したのはそもそも廃藩置県のためじゃないだろうが
西郷の実力は認めるが、どうも西郷を評価する人ってのは不思議な飛躍をするなあ
あと、幕末までの時点で西郷が革命的だったことが、明治政権にあって改革的であることとイコールではないのは
その他の志士の皆様の状況を見ても自明じゃないんですかね
明治初期の大久保に党派的な面があったのは事実だが、少なくとも大久保は学びつつあったんだよな
そういう意味では西郷は学習してませんがな
西郷は、廃藩置県そのものは、どうでもよいと思ってたんじゃないかな。
藩主や知事は、追々、世襲から公選制にすれば良いと思っており、それまでは、
藩主をクビにすることで、武士に余計な不満を持たせたくないと考えていたのでは?
本当に西郷がその程度にしか思ってなかったとしたら、
国の会計についてなにも分かってなかったってことだな
卒兵上京して中央政府に復帰してから、政府の業務量に驚いてたって
大隈証言もあるから、そんなもんだったかもな
今の世の中でも、中央省庁に「権限や財源をよこせ」って言っていた地方行政官が、
実際に権限を手にしたときにその責任の重さや増える仕事量の重さに気がついて逃げ腰になった
みたいな話はけっこうあるみたいだしね。
もっと解りやすく言えば、自民党に政見をよこせって云ってた民主党が、
実際に政権を担当してみたら「こんなに大変だとは思わなかった」って泣き言を
いっているようなもんだろう。
廃藩置県がどうでも良いその程度ってあり縁w
当時全国で重税に苦しむ農民らの蜂起一揆が続発し
それに加え政府腐敗で反政府行動や転覆を企てる連中も出てきて、廃藩置県なんての到底出来る人間は居なかった
それで薩摩にこもってた西郷を大久保と木戸が拝み倒して中央に呼んだ
西郷は廃藩置県について使者に来た山縣にそれは正しいと言ってるし
そもそも藩政改革者の津田出を過大評価したくらい
承諾した西郷は反乱を防ぐ為、親兵にするため薩摩兵5000を率い上洛し、
大久保と木戸に対し廃藩置県の事務的な手順がついているなら、
その後のことは、おいが引き受けるもそ、もし反乱が起これば、おいが全て鎮圧するとまで言ってる
ちなみに明治4年から明治6年までの2年、大久保らは大挙欧米を視察中であり、西郷首班の政府が実務を取り仕切った
留守を預かった西郷政府は廃藩置県につづき、学制頒布、国立銀行条例の公布、太陽暦の採用、徴兵令の制定、地租改正と明治維新といえる大改革はこの時期行った
その上これだけの大改革でも反乱はほぼ起こってない
その間内部でも江藤ら留守組の対立や、井上、山県らの不正が発覚したりしたが西郷は重要所でちゃんと政局を処理してる
洋行から帰った大久保らは、留守の間に大改革が行われ、江藤ら佐賀派が台頭し長州閥や洋行組が傍流になり愕然とし、反撃のための主導権握りに利用したのが遺韓論
大久保が将来的には議会制を考えてたとしても、明治6年から大久保政府がやったのは、表向きは近代化を唱えながら、民権を圧迫、言論統制、不平者や士族を罠にかけ反乱を煽り武力鎮圧、少数の人間が政治を動かす有司専制の体制
廃藩置県がなされたのは、明治4年7月14日、岩倉使節団の洋行は明治4年
11月12日だから、洋行の前だよね。廃藩置県の意思決定には、木戸や大久保の
洋行組もかかわってるわけだ。 廃藩置県やって中央集権体制を整えれば
中央の統制による近代化推進の土台ができるわけで、土台さえできれば、あとは
道に車を転がすように、物事は運ぶので、そこで西郷の政府内での役割はおわった
ともいえるかもな。留守居政府で近代化をしきっていたのは佐賀閥、江藤新平など
だろうけど、留守居政府で一番の重鎮だった西郷は農本主義者で、近代化にそれほど
熱心ではなかった。征韓論争で下野したあと、西郷と江藤は別々に蜂起して、別々に
鎮圧されたので、このふたりが結びついていれば、その後の歴史はかわったかもしれない。
そうさせずに個別に撃破できたのは、大久保の手腕というべきか。
重税に苦しむって…地租改正前と後をごっちゃにすんなw
卒兵上京前の西郷の周囲に重税に苦しむ農民がいたのなら、
それは鹿児島藩=西郷の責任だろ。
中央政府に責任があるのは府県の重税。そっちは腹心の情報で大久保のほうがよく知ってる。
もっとも、そっちを把握しすぎて、大久保は中央の財政を把握するのが
やや遅れぎみだったきらいはあるが、
どっちも西郷よりはわかってるだろ。
で、廃藩置県で全国の税収が国家に入るようになた後、
全国で一揆が起きちゃったのは、
洋行組に「やりすぎ」と批判された地租改正の結果で、
あんたの論法に則れば、西郷の責任なんじゃねえの?
もっとも鹿児島にはちっとも地租改正適用されなかったけどなw
しかも大久保木戸が廃藩置県のために拝み倒して西郷に卒兵上京してもらったって…
いまどきそんなことを言ってる歴史学者は 一 人 も い ま せ ん
勉強不足以前の問題。
三傑+岩倉それぞれの意図がありその背景に国家の危機があったのは事実だが、
それをいちいち説明しなきゃならんのかよこのスレで…
あと兵を出したのは薩摩だけじゃないよ
そして薩摩兵が多かったのは、中央(特に木戸)が鹿児島藩の兵力を削ぎたかったのもあるけど、
西郷も藩財政上、藩兵を持て余してたのもあるみたいだな。
大久保や木戸では版籍奉還がやっと
廃藩置県と並び徴兵制も大改革
それまで武士が担当してた武士たる所以の軍事占有権を奪い、一般に軍事負担を課す四民平等の大改革
西郷が熱心でなかったと言うけど、西郷はもともと天下の人心を糾合し統御することに長けてて実務家で無いだけ
西郷はそもそも蜂起する気がなかったし、板垣や江藤にもはっきり提携を断ってる
西郷が蜂起するなら下野せずに蜂起すれば良いだけ
当時参議兼陸軍大将の上に、政府の薩摩軍も握ってるんだから大久保らをやれと言ったら大久保らは死んでる
大久保が勝手に敵愾心丸出しで反政府の反乱煽って潰しただけ
大久保も木戸も私財を蓄えた、汚職してたってイメージはそんなに強くないけど
西郷は汚職と無縁、清廉というイメージが飛びぬけて強かったんだな。
地租改正後、地租改正反対一揆というのは、西郷が下野してからおきたので
汚職と無縁というイメージが強い西郷と、そういう農民一揆が結びつくことを
中央政府が警戒するのは当然だろうなぁ。
なんでまた征韓遣韓の話になってんだよ関係ないだろw
大久保は征韓論争の一方の立役者だから、大久保スレでも征韓論争について
論じられるのはしごく当然。
>>463 その大改革を急進した結果地方の士族の不満に→不満逸らしに遣韓論→反対されて下野
だろ?
大隈江藤らの「アラビア馬」の手綱をうまく引けなかった西郷の手落ちだな
そりゃ信頼して旅立った大久保も呆れるわ
遣韓論が不満そらしってw
単なる西郷の開国交渉案です
不満そらしってのは大久保の台湾出兵の方
朝鮮どころでなく清国と開戦直前まで行ってる
しかもその後遺韓大使所か江華島事件で朝鮮を武力開国させてるしw
だったら初めから西郷送っとけよ
だから自分がお得意の論題wだからって遣韓征韓問題に話をそらすなよ
卒兵上京前から留守政府にいたるおまえの歴史認識が西郷マンセー史観すぎるんだよ
史実としてみれば専制政治主義の大久保や木戸が民権派の西郷を嫉妬憎悪し殺したでしかないんだよ
政府も反政府もない、思想的に文明絶対主義の福沢諭吉ですら西郷哀れむべしと政府責めてるな
台湾出兵は、漂着民が惨殺された事件を処理するという名分もあるし、アメリカの後押しも
あったというしね。 西郷による使節派遣の結果、韓国とのあいだに武力紛争がおきたら
列強がどういう態度にでてくるのかわからないから、外遊組は反対したってことじゃない?
江華島事件のあたりになると、列強の反応も多少予測できるようになってきた、だから
武力開国をめざした、とかあるかなぁ。
木戸が専制主義って…
わー話にもならんわ
あーあ、前にこの板で議論した西郷にくわしい人こないかなー
あの人だったらちゃんとした知識の裏付けあるから議論が出来て得るところも多くてよかったなー
西郷好きもピンからキリまでいるよなー
結局列強が介入したのは台湾出兵の方で朝鮮なんてどうでも良かったんだよな
西郷や副島の見識のほうが正しかった
当時列強は清国を最大の利権としてたから日本との摩擦でパワーバランス崩れるのを嫌ってた
史実としてみれば洋行組が将来的にどんな理想を考えてたとしても、政府がやったのは、
表向きは近代化を唱えながら、民権を圧迫、言論統制、不平者や士族を罠にかけ反乱を煽り武力鎮圧、少数の人間が政治を動かす有司専制だからね
結局これがなされれば大久保が暗殺されるのは当然だった
批判するのはかんたんだよな
西郷はさぞ民主的な政治を鹿児島でやったんでしょうよ
国政ではちょ、だが土佐は改革した板垣のほうが百倍マシ
列強が朝鮮どうでもよかったというのは、ちょっとね。台湾にくらべて、朝鮮への関心が
うすかったという根拠はないだろう。 アメリカもフランスも維新前後に鎖国してる朝鮮へ
いろいろちょっかいだしてる。
留守政府時の西郷は、各方面に睨みを利かせてる以外は、
江藤と双方の自宅縁側なんかで、お茶を飲みながら、
「最近の政治家は贅沢だ」と愚痴ってた程度だからな。
維新前は、斉彬の意志を継ぐという意味合いで神がかった謀略戦もやったが、
性格的に謀略は卑怯だと考えてただろうから、維新後は昼行灯的な感じだったのかも。
明治帝から直接、「この国を頼む」的な事を言われていたら、
全く違った行動を取っていたろう。
西郷は明治天皇の教育係をきめて、自分も結構明治天皇の教育をしてたんじゃ
ないか、確か。
>481
明治帝にとって西郷は、臣下というより師匠のような存在だったと思うんだわ。
だから、明治帝から西郷に頼み事のようなことはしなかったんじゃないかと。
西郷が明治天皇の教育にかかわったのって、留守政府のほんの一時だろ。
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 19:04:02.47 ID:V/pXCpph0
明治天皇に山岡鉄舟を養育係として就けたのも、西郷隆盛の命令によるものであった。
明治天皇の回想によるとこのような話がある。
或る時、明治天皇が少し息を抜いて稽古をした。
すると西郷隆盛が即座にやってきて、激しく怒り天皇の資格を問い、
手を抜いた稽古が問題にならなくなるほどの追加の稽古を課し、
全てをやり遂げるまでその場を離れなかった、とのこと。
以来国家を優先し、自らが楽かどうかは放棄して一生を過ごした、と伝記にはある。
明治天皇の明治期の行動には、西郷が圧倒的な影響を与えることになったということになる。
そりゃ西郷も影響与えたけどね 政治に関しては木戸のほうがちゃんと指導してる
憲法制定の際、木戸の霊前に報告の勅使が立っている
これは制定した伊藤ではなく、天皇自身の意思で行われた
天皇は、憲法制定が木戸の宿願であったことをよく理解していたからだ
この手のエピソードを、西郷信者は拾っては大げさに宣伝しており
ほかの人物の研究をしている人は、政治活動研究に集中しているからあまり出てこない
それだけの話じゃねえのw
それに、西郷のそのエピソードのあとだって、天皇はしょっちゅうやる気をなくしたりひよったりしてる
そのたびに三条や岩倉や木戸が懸命に説得したり説教したり工夫して政治に興味を持つようにしたりしてる
伝記ってのはどういうスタンスで書かれているのか考えてよまなくちゃなw 丸呑みするなよw
西郷が影響与えたのも、明治天皇が西郷好きなのも事実であろうが、
「圧倒的」とか言っちゃうのがなw
普通に岩倉木戸伊藤、それ以上に山岡の方が影響力大だろ。それをも西郷のおかげにしちゃうのねw
薩摩なら高崎正風とかの方が影響与えてそう
つか大久保関係無くなってきたじゃんか、
西郷の話も良いが大久保スレなんだから大久保と関連もしくは対比させなけりゃ
うん。まあ天皇教育は維新当初から、三傑と岩倉三条の共通課題なわけで、
中では大久保は、天皇との直接のエピソードは少ないかもしれないが
天皇を御簾の向こうから引っ張り出すことにかけては、一番の働きをしたともいえる。
その後も、間接的にだがいろいろと天皇教育のためには動いてるんだよ
芝居がかったエピソードだけですごいとかえらいとか評価してたらいろいろ見落とすよな
東北行幸のときも、実際に供奉したのは岩倉と木戸だが
先行していろいろな調査下準備をしたのは大久保だった
あれも、東北の人心掌握策であると同時に、天皇の政治的教育のため
大久保ってさ、案外「すごかった」的イメージだけで語られることが多い気がするんだが
もっと丁寧に、大久保の関わった仕事一つ一つ拾っていって評価しなくちゃいけないんじゃないか
まああの意志力が最大の武器だってのは確かにそうなんだけどな
>>490 あれ、明治9年の話してるなら大久保も同行してなかったっけ?
>>491 ごめん今確認した。
先行して準備、向こうで天皇を迎え、また別行動とって天皇の代わりに視察したり、って感じのようだ。
>>439 創作ではそういうイメージが強いが、実際の武市は目的のためなら手段を選ばない系の人間では無い
テロ嫌いの正論家だと、高杉が久坂に愚痴ってる程にww
田中と岡田も別に武市から飼われていたわけじゃないしな
みなもとセンセ、大久保に対してツンデレすぎるw
>>440 実際に武市は、大久保の策謀にはまったのではないか?と党員が心配してる場面が有ったけどな
平井の所に党員からそのような手紙が届いてたようだし
案外簡単にやられてしまうかもしれん
496 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/29(日) 02:25:38.37 ID:recxy4xu0
大久保の子供といえば、牧野伸顕が有名ですが、
その他の子供たちのエピソードを教えていただけませんでしょうか?
四男の利夫氏は海軍兵学校出身ながら、海軍少尉で終わっています。
途中で転職されたか、若くして亡くなられたのでしょうか?
武市は目的の為なら暗殺手段も決行できる度胸の持ち主
単なる人格家の正論議論のみで世の中動くと思ってた青書生でないしょ
かといって無意味な暴走やテロ活動やる気もないだけで
>>496 子孫に東大教授、通産省事務次官、元首相等
がいるのは知ってる。
四男以降のエピは知らん。
大久保って政治手腕が卓抜しすぎてるため陰険陰謀めいてるようにされてるから昔から損だな
日記で心情を吐露してたら、見る目も変わったかもしれない。
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/14(火) 00:15:19.28 ID:5bqOZww3O
江藤のかわりに大久保が死んでりゃ、今頃世界に冠たる人権大国になってただろうな。
大久保専制ではなく、極楽浄土が現出していたであろう。
大久保って薩摩人には珍しく薩摩離れしてるように見えるが、
市民という視点が希薄なところがやはり薩摩出身者かなという印象はある
>502
そうは思わない。
国家運営というのはそれほど簡単なものではないし、議会制民主主義や国民主権といった思想は
国民の側の相応の成熟が必要とされるものだと思うから。
江藤が優れたビジョンの提示や制度設計の緻密さという実力を持っていたことは
重々承知しているけれども、現実に存在している難しい利害調整(既得権の奪い合い)や、
示したビジョンに向かって多くの人々の力を結集させて推進していく政治的なリーダーシップは
正直に言うと大久保に一歩も二歩も譲るところがあったと思う。
個人的には、大久保が政治のトップで江藤が官僚のトップとして、車の両輪のように
全体を統御してくれるのが理想だったと思っているんだが・・・
>>501 今の大河なら薩長は悪の権化として描かれるだろうなー
山本覚馬や新島襄は西郷や木戸には世話になってるけど、
大久保はあんまり関係なさそう
福島の応援なら安積疏水に触れてくれたら良いけど
大久保も将来的にはイギリス型の立憲君主制による議会政治を理想と目指してたようだが
その過程においては国権でもって産業を育成し民度や国民水準を引き上げる以外はないと確信してた用だ
もっとも途中で死んでしまったが
>>505 龍馬伝も仁もアレだったから最近のドラマには期待しない
薩長自体を悪く書くのは西郷、木戸の存在から微妙な線だが
>>502 江藤が権力握れば日本は往生してしまうとでも言いたいのか
江藤政権なるものが出来ていたら藩閥政治がずっと早くに解体されるだろうけど
いわゆる官僚主導型に切り替わるだけで大筋ではそう変化しない気がする
>509
いや、大久保政権が続いていたとしても、藩閥政治はもっと早く解体に向かったんじゃないかって気がするよ。
少なくとも、大久保は藩閥にこだわらずに実力のある人間をどしどし重要な位置に付けていったから。
大久保暗殺の報を聞いて、彼に実力を評価されて仕事を任されていた前島密や河瀬秀治なんかは、
その後の日本の行く末を思って暗然としたって言ってるし、実際その通りになっていったって。
昔の文献に、木戸が三権分立だの何だのと唱えても、
当時の政治ではそれぞれの国家機関は対立しあう政治勢力であり、
権力の分立=対立する政治勢力を増やす、ということと考えられ忌避された。
三権分立をちゃんと理解している者ははなはだ少なかった、とあった。
江藤の攻撃的な主張の通し方といい大久保の内務省に何でも取り込むやり方といい、
この論には大いにうなずけるところがある。
国家としての制度設計がまだまだ手探りな状態だったし、ヨーロッパでの議会制や三権分立だって
まだそれほど確固とした盤石な理論でもなかった頃だったしね。
それまでの数百年間にわたって築き挙げ受け継がれてきた伝統的な統治形態をぶっ壊して、
一から作り直そうとしているんだから、どんなシステムが良いのか、どういう制度を採るべきなのか、
判断するのは難しいことだったと思うよ。
どの省にどの権限を与えるのか、その時のその省のトップとその部下の面子を勘案して決める、
みたいなレベルで物事を考える部分を持っていないと、政府全体が瓦解しかねないぐらいに
危うい均衡で成り立っていた集団だったからね。
>>510 つか大久保政権が続いてたら、藩閥政治は起こらないんじゃないかな
大久保死後、強力なリーダーシップが無いから藩閥で纏まざるを得なかった訳だし。
打倒藩閥政治、ではなく打倒大久保政権という形で政党政治の気運が高まり、
伊藤や大隈らがスムーズに引き継いでいく流れだったかも
うーん、自分も大久保を信じたい気持ちはあるが、微妙だな。
六年政変以後の大久保は藩閥にはこだわらなくなったかもしれないが、
統制には終始一貫してこだわっている。だからこその内務省。
まあ当時それが必要な危機的状況だったのは事実だが。
西南戦争終わってほっとして軟化したみたいだけど、
政党が林立してぎゃいぎゃい論争するようになれば、
かえって「日本には議会制はまだ早い」って硬化する気もするんだわ。
木戸主導で地方官会議やったときも、
木戸的には議決出来たこともあるし一定の成果あった!って感じだが
大久保的には会議踊ってるしムダ!って印象だろ。
まあ薩摩県令大山の件が大きいんだろうが。
議会政治を理想としてた勝先生も導入は明治30年を過ぎたあたりと慎重だったからね
死んだ大久保とそう話してたのに、民権派の圧力で議会制を早めた伊藤らを
お前らはどこまで調子乗ってるんだと怒鳴りつけたらしい
>515
議会制民主主義に舵を切るのは相当に遅かっただろうけど、藩閥政治をいつまでも続ける気が
なかったのは確かだろうし、個人的にはそれで良いんじゃないかとも思うんだよな。
実際問題、議会が開設しても、政党の党首が首相になるって体制が固まるのはかなり後だったし、
実際には旧制高校→帝大というコースで鍛えられた官僚達が政策を練り上げていくことで
国家を運営する体制は変わらなかったのだから、「藩閥か/議会制か」という上部構造が
変わるだけで、官僚主導の国家運営という基本線は変わらなかったと思う。
だったら、藩閥みたく私利私欲や情実人事がまかりとおる体制よりも、大久保中心の
有司専制体制で、少なくとも「仕事が出来る人間が上に立つ」という仕組みがあった方が
良かったんじゃないかな、とも思うんよ。
まぁ、薩長の場合は維新の動乱をくぐり抜けてきた面子が相応に多かったから、
結果的に有能な人間が藩閥中に多くいたんで、明治日本の興隆もあったんだけどね。
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 17:24:57.41 ID:0paIjQuj0
藩閥についてはどうもなぁ。
大久保が最後まで手放さなかった木戸にしても、
民権派の信望と長閥筆頭としての力と
どちらが必要だったと断言出来るかどうか。
>>516 議会民主制導入が早まったのは、伊藤のせいというより
大久保亡き後有司専制派の領袖として最有力候補だった大隈が
一朝日にして民権派に寝返ったせいだと思うけどな。
それで五代は怒り狂って薩摩に帰るしw
大久保が木戸を必要としたのは木戸の維新元勲としての重みだけ
木戸本人の政治力は低いし必要としてない、むしろ政権構想から外れてて邪魔だった
下野して野党になった格上の西郷が明治維新を起こした筆頭だから
大久保一人の格じゃ格的に大久保政府を正当化できない
実務や政治は木戸が居なくても伊藤が居たから支障なかった
もっとも木戸は下野すると言っても自分が無視されると陰険になるんで伊藤もかなりまいったらしい
藩閥も批判されるが日露戦争までは薩長閥が日本をリードした
その薩長閥がつぶれ伊藤ら元老が死んだ後、大正デモクラシーが起こり関東大震災が置き政治不信で軍閥政権が生まれ大東亜戦争になる
あれ? この人西郷スレから腹いせに来てる?
みたいだね
大久保は伊藤なんてパシリとしては重宝したかもしれんが
長州閥のまとめ役としては眼中になかったっぽいけどな
ていうか廃藩置県では大久保たちが長州勢と秘密裏に進めてたことを知らずに
功に逸って暴露して邪魔したし
大久保のお陰で強力な明治政府が出来上がったのは確かだけど、その反動が藩閥政治と有司専制。
そして、江藤憎しでやっちゃった佐賀の乱のときの大久保の暴走が、天皇軽視の先例も作ってる。
これらの弊害は大久保死後数十年経ってから現れてるけど、その萌芽は大久保。
しかし、後世では弊害になった事も、当時では必要だった事も確か。
個人的には、留守政府の路線がそのまま続いたらどうなったかには興味があるな〜。
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/23(木) 00:15:18.74 ID:R/rN0dXjO
「醜態笑止なり」に大久保のすべてが現れてるね。男の嫉妬だわね。
しかも殖産興業は失敗、強大な内務省は戦前期を通して悪弊となった。
議会開設や人権付与に消極的で、お上意識を強く国民に押し付けたことはいまに至るまで悪影響を及ぼしている。
反論は認めない、というかあり得ない
佐々木克は、当時の薩摩では「笑止」は恥ずかしいとか困ったって意味で、
江藤を嘲ったってほどではなく大久保自身の失態も恥じているようなこと書いてたよ〜
昔は大久保好きだったけど、
大久保、西郷、久光の動向を並べてみると、
大久保は西郷を利用しただけなのが良く分かった。
西郷は主君や天皇・公家の方針に従っただけ。
農民を救いたくて建白してたら、斉彬に見いだされちゃって、
政治のゴタゴタに巻き込まれちゃった。
倒幕の方針は、西郷遠島中に大久保が工作して作っただけ。
大久保は、人を動かすのに西郷が必要になると、その時だけ呼び寄せる(幕末と明治3年)
大久保の木戸に対する行動もおんなじ。
大久保を擁護しておくと、革命後は恐怖政治・強権政治になるのは仕方がない
先に手を出して国民を虐殺しなかったことは褒めてやる
>525
それだと、江藤の醜態で大久保が恥ずかしがるという意味不明なことになるぞ。
やはり、そのまま「江藤の醜態恥ずかしいよね〜」という意味だと思うが。
講談社学術文庫の記述だろ?
言葉なんて複数の意味もあるし
佐々木自身が大久保信者だからな
言葉尻はともかく執務室に生首写真を飾った汚点
江藤厨醜態笑止なりと言えばいいのかこの流れ
江藤信者の皆さんも大抵毛利大先生の受け売りじゃん
江藤がトップに立ってたら日本はもっと民主的になってたとか妄想がキツすぎる
まぁとにかく巣に帰れ
まあ大久保におっかねー勘弁してほしー面があったのは事実だが
その事実を認識することで江藤や西郷の評価が高まるわけじゃないよな
ところで大久保が生首写真貼ってたのってソース何なの?
教えて君でスマソ
江藤が実権を握ってたら
法律を杓子定規に適用するような
生きにくい国になってたと思う
532 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/25(土) 17:10:28.38 ID:ZpV2UTNC0
「江藤、醜態笑止なり」の是非はともかく、その続きの文が
「今日は都合よく済み大安心」
だからなw
ここってたまに佐々木克と毛利敏彦の代理戦争みたいになるよな
純粋に学問的な意志から発した討論だったならそれも面白いんだけど、
単なる相手方への非難合戦になる場合が多いのがなぁ。
535 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/26(日) 10:38:24.43 ID:Zs9OyKpx0
テスト
人間なんて直接会わなきゃわからんだろ
史料(笑)文献(笑)
別に人柄とか相性だかを確かめる訳じゃないだろ(笑)
政治上の業績や国家への貢献という面で判断するのは、面と向かって会わなくたって可能だよ。
毛利敏彦さんも維新前夜の群像では大久保利通の事を評価していたのにね
>>538 それって、評価すべき点は評価して批判すべき点は批判してるだけでは?
江藤に対して客観視出来ない限りそういう風には見られないね
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/26(日) 23:33:31.97 ID:MpzX+TRh0
どうでもいいことかもしれないけど、大久保利通の宗家は、次の女当主が
養子を取らない限り、途絶えるらしいね。
結婚してたんだけど、離婚しちゃったそうで、子どもいないから。
>540
大久保の業績に対しては公平な評価だと思うけど。
江藤が絡んだ場合の大久保の評価が辛いだけだろ?
それは、個々人の価値観の相違でしか無い。
>>541 無念の死を遂げた多くの人々の怨念がある家系...って板違いかw
大久保とみなもとの漫才はいつまで続くのだろうか
545 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/30(木) 02:48:28.45 ID:ZUVlSn6LO
門閥打破!
江藤の夢叶ったり!
なにが牧野、麻生だ。相続税300%にすべき
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/30(木) 02:51:55.16 ID:ZUVlSn6LO
杓子定規って。
私腹を肥やす井上や山城屋事件の山県、県令槙村をのさばらすのが生きやすい世の中と。
いまでも変わらんですな、利権政治家が力伸ばすのと。あほらし
まーた始まった
最近の江藤厨って会津厨と同レベルになってきたなぁ
>547
厨はどれも同レベル。
大久保厨も江藤スレで生首連呼して荒らした事もあるから同じようなもんだ。
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/30(木) 23:33:01.12 ID:ZhVpAx5H0
スレを見てると、人物の性格が信者にあらわれてるぜwww
やっぱ自分に似てる人に愛着が沸くからな
一番まとも(というか現実的)なのが大久保
木戸厨はなんかズレてる
西郷はあのまんま
髭毟るぞ!!
そういえば「大久保は神」とかいう変な人最近は見ないね
坂本龍馬は大久保利通のことをどう思ってたんだろうね。
坂本は天下の人物として徳川家〜大久保一翁・勝海舟、越前〜三岡八郎・長谷部勘右衛門
肥後〜横井小楠、薩摩〜小松帯刀・ 西郷隆盛、長州〜桂小五郎・高杉晋作
を挙げてるけど大久保利通は入ってないんだよなぁ。
ところが、坂本は別のところでは「天下の事衰頽救ふべからず、感慨の話多し。
一人薩の大久保なるもの事を共にすべし」とも評してるんだよな。
天下の人物に薩摩人を3人も入れることに遠慮したのかな。
>>553 人物として総合的に優れてるのは前者。
国政の事を話せるのは後者なのでは?
>>547 江藤ファンは江藤を東京地検特捜部長と勘違いしてるんだよ。
江藤は内閣法制局長官ポジションですよ。
>>553 「天下の人物」は各政治主体のコアになる人物(派閥の領袖的な)だが、
「事を共にすべき」は、実際に政治運動の実務を仕切れる人物と言う意味では?
天下の人物は龍馬の主観的人物評価、事を共にすべき人物は感情抜きでの客観的評価でしょう
毛利敏彦氏の「大久保利通」と佐々木克「大久保利通」を読んで感銘を受けたんだが、
ここを見る限り毛利氏は偏ってるのかな…?読んでて江藤上げとはあまり感じなかったが
557 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 23:04:49.81 ID:29cmTEY30
幕末までの薩摩閥の代表は小松と西郷(龍馬が生きている頃)
小松が病身となり西郷と共に薩摩代表になったのが大久保
維新後は小松が若くして病死、西郷は政府側と対立して下野した
木戸も病弱だったし
だから必然的に大久保がリーダーになった
ちなみに小松と木戸は病弱ということもあるけど
過労死したと言えなくもない
>>556 その本はそこまで偏ってないけど江藤メインの本だと露骨すぎる
559 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/06(火) 18:08:12.64 ID:whCEKeW30
上げ
大久保は元々誠忠組のリーダ格だろう
脱藩して井伊を斬る気だった
国許で藩政を動かす事が多かったが他とは結構あってるし
坂本とは接触ないんでないか
>>560 有名なエピソードとしては坂本に着物や刀をあげたり、
「義無き勅命は勅命に非ず」の手紙を坂本に持たせて長州にその意を伝えるよう頼んだりしてる。
小松や西郷のように私的に仲良かったかは分からないが、
交渉人としては重宝してただろう
562 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/11(日) 14:07:21.00 ID:aXmtwyNG0
新しい国の形を造り上げるために
嫌われ者になることを厭わず
「私」に生きることをしなかった大久保
イイよね〜〜〜
まあ西郷もそうだけど
大久保の敵側に立てばまた意見が違う
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/09(日) 11:22:52.60 ID:XHk8A1f10
あげ
565 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/16(日) 17:40:45.73 ID:ee4J6ehS0
大久保さあってイメージと違い度量広いよな中井弘や中江兆民の様な奇傑も受け入れてるし
基本的に試してから決めるタイプだと思う
西郷は選り好み激しいけど信頼したら丸投げしてたまに投げ返されて怒るタイプw
567 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/31(月) 23:21:46.32 ID:Azmenl9lO
大久保利通は真の政治家
佐々木克の「大久保利通」の中にあった、
「西南戦争の時の西郷、大久保の心事について、世の人の知らない秘密がある」
ってのがなんのことだったのか、気になってしょうがない
墓場まで持っていってしまったようだからもう永久に分からないんだろうけど、
新しい資料がひょっこり出てきたりすると面白いな
大久保って幕末期に小松と距離置き始めてる?
論文集読んでたら小松が後藤に同調した時期から西郷・大久保と分裂始まったみたいな感じ
570 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/11(金) 17:53:36.54 ID:OX0srNQt0
小松は大政奉還直後から体調を崩し
王政復古の大号令に参加できなかった
体調が回復しない小松を案じていた大久保と西郷
戊辰戦争には反対していたけど
資金不足の政府のためにイギリスと交渉して
資金を調達したのは小松
あの大きな薩摩閥をまとめていいたのも小松
大久保を研究している桐野作人さんの「膏肓記」が詳しいと思う。
桐野さんは龍馬暗殺は薩摩は誰も係っていないと論じている。
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/24(木) 18:42:51.50 ID:vXmM7YAg0
今の日本には優秀な政治家より、優秀な実業家や経済人の方が必要ではないか。
大日本経済帝国1億総玉砕も間近だなぁ〜。
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/05(月) 22:53:34.19 ID:BodNdljo0
維新の10傑
西郷隆盛 小松帯刀 大久保利通 木戸考允 大村益次郎
前原一誠 広沢真臣 横井小楠 江藤新平 岩倉具視
明治11までに岩倉以外は亡くなったのは
日本にとって不幸なことだと思う
所詮岩倉は公卿…
前原は別に…
というか何で入ってるの?
他は納得の人選だが前原だけ場違いだな
参議経験者だから?
575 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/07(水) 18:27:57.10 ID:Hr0FW16T0
西郷・大久保・小松は一心同体
決裂したのは朝鮮派遣だけ
576 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/07(水) 20:08:13.22 ID:mus28yRF0
討幕の密勅のことは龍馬は知らなかったみたいだし
小松と龍馬は一心同体というわけではなかった
577 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/12(月) 23:02:03.45 ID:aKcrFhAJO
大久保は政治家の鏡だ
江藤への粛清はよくでてくるけど、同じ政変で対立した副島種臣への対処がよくわからん
不穏分子を一掃するなら江藤とともに下野させればよかったのに副島だけ引き留めた。
しかし副島が清に旅立つと、スパイに後をつけさせた。
外交上かかせない人物だったから江藤の道ずれにしなかったのか、
それとも親しい間柄だから手をくだせなかったのだろうか
>>541 どうでもいいことだが宗家にフサフサ具合が遺伝しなくて一安心w
初めてこのスレ読んで一番心に残ったのは、信者はその人に似るっていう文だった
それを思うとこのスレの奴らも愛しくなってくるw
580 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/16(金) 22:04:31.83 ID:ntlAHLTDO
大久保はカリスマ性がある
カリ増す性なら欲しかった
>>578 副島って最初の頃は大久保のブレーンみたいになってるよね。
学があるからさ。
大久保や岩倉に知識がないとこ補ってるっていうか。
まあ江藤にも岩倉はいろいろやらせてるけど。
その過程で副島と江藤の性格の違いは把握してたんじゃね?
副島は担がれるようなことにはならんだろうと。
別に大久保が反対者軒並み粛清したわけじゃあるまいし。
583 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/31(土) 00:35:41.70 ID:m7U407dgO
大久保はブレないし、命懸けで日本を良くしていた
あけおめ
>>583 や、大久保はブレただろ?
方針転換を恐れなかったという言い方もできるが、ブレなかったってのはないわ。
>584
「ブレ」という言葉をどう取るかだな。
採った個々の政策や対応はわりかし臨機応変というか、部下が上げてきた意見でこれは良いと思ったら
自分のそれまでの考えと違うものでも取り上げることがあった。
ただ、一度正式に政権として「決めた」としたことは、最後まで貫き通すと言うだけの
覚悟なり決意なりはかなりしっかりと持っていたという点は、認めても良いと思う。
586 :
584:2012/01/01(日) 12:32:03.51 ID:ac1OKLK60
それは全面的に同意。
明治6年政変→征台のあたりの大久保はめっちゃブレたというか長いものに巻かれたというか、
後々の軍部に政府が引きずられる悪例の雛型になってると思う
いつも思うんだけど笑止なりは仕方ないとして江藤の生首部屋に飾ったって
ソースはどっから来たの?
589 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/01(日) 23:56:41.18 ID:WlmztwNaO
江藤が理不尽だったから、自業自得
>>588 江藤醜態笑止なり、は近デジで大久保利通日記を読んだら本当に書いてあったけど、
写真の件は何に書いてるんだろうね
新聞とかの誇張の可能性も無いのかな
部屋に飾った写真を見てほくそ笑んだ、は流石に脚色だろうけど、
みせしめの為に各省に配布なら大久保ならやりそうな気もする
後、田中親子惨殺疑惑の出典って何?
592 :
~:2012/01/02(月) 23:54:40.73 ID:mU4G+600O
>>587 征韓論も征台も副島がリシャンドルあたりにそそのかされた辺りからはじまってるんじゃなかったっけ
征台はもう少し慎重にいこうとしたけど小西郷が早漏だったばっかりに‥
>>588 跳ぶが如くの中では誰も写真をはがさなくて木戸の妹婿がそれを一人ではがしたって話だったな。名前があるちゅーことはどっかに資料があるんじゃね?
木戸の妹婿?
木戸の妹婿は幕末に死んだ来原良蔵しかいないけど、まさか死人が剥がせまい
恒例の捏造ならぬ司馬ソースか
妹婿ではなく娘(養子)婿なら河瀬真孝がいるけど、
Wiki見たら明治6年にイタリアとオーストリアに赴任してるらしいから剥がすのは難しいなw
もしその話が本当なら、妹婿は河瀬秀治の事じゃない?秀治の嫁は幾松の妹芸者
木戸日記広沢日記によると、木戸は明治になってから妹芸者たちを仲人して結婚させている
夫婦で木戸家によく来て泊まったり、木戸は晩年九段の家を建替える時も河瀬の旧宅に数ヶ月仮住まい
河瀬秀治は明治7年から大久保の下で内務大丞だったしね…
司馬の話が史実ならだけど…
597 :
592:2012/01/05(木) 23:52:38.12 ID:EofKO8ek0
跳ぶが如くじゃなくて江藤新八と明治維新って本だった‥すんまそ
写真をはがしたのは河瀬秀治で木戸の妹婿じゃなくて幾松の妹の夫と書いてあった。
江藤新平と明治維新…作者は大叔父が江藤新平
あとがきにまず薩長藩閥政治(特に長州)憎し、そして大叔父の名誉挽回の気持ちから
執筆始めたって書いてあるぞ
大久保がノイローゼ気味とか木戸が汚職者とか始めて聞いたわ
火の無い所に煙は立たないって言うなら、大久保が江藤の写真持ってたくらいはあるかも
しれないけど、こまごました根拠が噂や難癖レベルすぎて眉唾なんだけど
身内の書いた歴史本は個人的には微妙だな
大久保の孫が編者の日本近代史本を読んだことがあるが
佐々木克の師匠と知って吹いたことがある
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/06(金) 21:40:21.57 ID:E0pUcLkqO
江藤が邪道で、クズだったからしゃーない
601 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/07(土) 14:34:28.20 ID:2tImwbBK0
他のスレッド(龍馬暗殺の黒幕6)に出ている。
龍馬暗殺の新事実が本に出る。
確かに、アマゾンに仮だけど出ているよ。他のネット販売にも。
新聞社が動くのかな?
題名は、
「龍馬暗殺の黒幕は歴史から消されていた」 出版:彩流社
内容紹介(「彩流社」HPに出ている。)
・闇に葬られていた日記が語る衝撃的新事実!!
・暴かれた黒幕と新撰組の近藤勇らが複雑に絡み合った背後関係。
・巧みに仕組まれた暗殺の実行過程が詳らかに…。
龍馬暗殺の新資料らしいぞ。
おーい、本の宣伝するなw
リチャードコシミズかよ
江藤と佐賀の乱は民法編纂史研究もあって法学関係の人間までダブって著書書いてるけど、
毛利氏が比較的特殊なのであって、国権主義者ということで江藤批判してる人間も多い
(細かい指摘では面白いところもあるけど)
割と基本的な史実抑えてないから、やはり佐々木克あたりが一番穏当な指摘ではある気がする
>>601 そんなに発売直後にamazonで酷評レビュー書かれたいのかいw
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/12(木) 20:34:52.83 ID:Wss5FZNwO
Amazonはくそ
606 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/14(土) 20:19:42.34 ID:a6QMhXpFO
現代の政治家は大久保を見習え
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/14(土) 22:13:19.70 ID:XoWHb9m00
木戸は江藤を評価し頼りにしていたから
大久保が江藤を処刑して激怒し
久光にこれから大久保とどうつきあえばよいか相談している
江藤の処刑はやりすぎだろう
>>587 征台より西南戦争が最大のぶれだと思う
早い段階で大人数送り込んで県令とっかえてたら、戦火の拡大を抑えることができたんじゃないか?
宮崎の公金が薩軍に流用されることもなかった
戦争前私学校にかなりスパイ送り込んでるけどなんか後手に回った感じ
>>607 木戸は内務卿引き受けた時点で江藤がどうなるかはわかってたと思うがね
江藤死ねって思ってたのは大久保だけじゃないし、やりすぎだったのは
むしろそうなるまでの江藤だろう。世渡り的な意味で。
木戸が怒ったのは江藤の首がふっ飛ぶまでの過程だよ、司法が司法の役割をせず、
首が飛んだ後で東京に報告する、三権分立も何もあったもんじゃ無いってね。
死ぬ前も大久保に西南はちゃんと裁判してくれって言ってたけど。
たださ〜、木戸の主張はおりこうで結構だけど、物事には抜き差しなら無い時があんのさ〜
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/15(日) 13:27:37.79 ID:kXtyeCoMO
江藤は周りから、嫌われてたし、やり方が汚いから、誰も庇う奴いないだけだろ
611 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/15(日) 22:35:43.25 ID:BQY8EyCq0
そんな大久保を嫌い勝海舟は大久保が暗殺されても驚かず
勝は大久保の葬儀には参列していない
勝海舟の事を大久保や木戸は相手にしていなかったさ
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/18(水) 09:31:51.58 ID:juL1tLirO
つまり江藤は全員から嫌われてたと
614 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/23(月) 07:46:24.67 ID:UHAzB0vCO
江藤は陰湿だったのが目に浮かぶ
615 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/23(月) 09:02:03.49 ID:GhUzbd7j0
この携帯だいぶ前から江藤に粘着してるだろ
616 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/24(火) 17:46:42.45 ID:ByR5aKodO
大久保対江藤は大久保大勝利
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/28(土) 17:04:28.62 ID:dFMkllLkO
大久保利通は背が高かったんだって
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/12(日) 16:00:54.26 ID:Vik1beBXO
大久保が現代にいたら、日本を救えるのに
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/21(火) 09:55:49.18 ID:jmH9bFMDO
大久保利通は優れた政治家
. -―- . さすが!! 非情の独裁者大久保!
/ ヽ
// ', おれたちにできない事を
| { _____ | 平然とやってのけるッ!
(⌒ヽ7´ ``ヒニ¨ヽ
ヽ、..二二二二二二二. -r‐''′ そこにシビれる!
/´ 〉'">、、,,.ィ二¨' {. ヽ _ _ あこがれるゥ!
`r、| ゙._(9,)Y´_(9_l′ ) ( , -'′ `¨¨´ ̄`ヽ、
{(,| `'''7、,. 、 ⌒ |/ニY { \
ヾ| ^'^ ′-、 ,ノr')リ ,ゝ、ー`――-'- ∠,_ ノ
| 「匸匸匚| '"|ィ'( (,ノ,r'゙へ. ̄ ̄,二ニ、゙}了
, ヘー‐- 、 l | /^''⌒| | | ,ゝ )、,>(_9,`!i!}i!ィ_9,) |人
-‐ノ .ヘー‐-ィ ヽ !‐}__,..ノ || /-‐ヽ| -イ,__,.>‐ ハ }
''"//ヽー、 ノヽ∧ `ー一'´ / |′ 丿! , -===- 、 }くー- ..._
//^\ ヾ-、 :| ハ  ̄ / ノ |. { {ハ. V'二'二ソ ノ| | `ヽ
,ノ ヽ,_ ヽノヽ_)ノ:l 'ーー<. / |. ヽヽヽ._ `二¨´ /ノ ノ
/ <^_,.イ `r‐'゙ :::ヽ \ `丶、 |、 \\'ー--‐''"//
\___,/| ! ::::::l、 \ \| \ \ヽ / ノ
621 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/23(木) 09:50:32.04 ID:3wsy9Cg+O
日本初の内務公は評価高い
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/28(火) 21:54:58.78 ID:uNfMFR7r0
政治的に何もしてない坂本龍馬の名前を乱発利用し
耳目集めに奔走してる昨今の政治家は信用しない方がいい
政治家が手本にすべきは大久保利通です!
by堀井憲一郎[小島慶子キラキラ・・ポッドキャストでどうぞ(-_-)]
623 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/28(火) 22:58:30.79 ID:xV7N9peB0
いや、奴が手本にしようとしている人物は大久保だろ、本当のとこ。
大久保の名前を出すと角が立つから、一般ウケのいい龍馬に乗っかってるだけ。
奴が同志のように仰ぐ東京都知事も大久保信者。
625 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/23(金) 08:39:59.58 ID:2sLM89pGO
大久保利通は偉大
627 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/29(木) 09:59:58.12 ID:GmH/5pEr0
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/31(土) 18:14:50.88 ID:JIVyGQ7VO
大久保利通は神
629 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/18(水) 15:46:18.91 ID:JoPPdjgFO
所詮西郷の引き立て役。JINでは龍馬暗殺の黒幕にされた。
大久保は西郷が流罪になってる時期に政治的には西郷を凌駕してる。
まあ、遠島にされて政治的カンが鈍ってた西郷にそれを求めても酷なんだろうけど
最後の鳥羽伏見の段階でも大久保の分析の緻密さは光ってるな。
緻密すぎて多少動揺は見せたこともあるが…
>>608 西南戦争に関しては、大久保の西郷に対する信頼が楽観的すぎたのは事実。
千坂の回想では、玉石共に砕くことを覚悟しろと言う強い献言に「顔色を変じて」
とされているくらいだから、相当怒ったのは間違いない。
ただ、県令の交代は島津久光問題もあるから政治バランス的に難しいし
大久保のスタイルでもないという感じだな…
>>629 JINで龍馬暗殺しようとしたのは大久保閣下ではなく小物共だろ。
最初が久坂で、次が幕府に命じられた咲の兄貴、
結局殺したのはオリキャラの長州藩士。
龍馬を殺すのは誰にするかっていうので
各方面に気を使って、みんな迷うんだろうなw
JINは完全創作ドラマだからやりやすかったと思うよ
龍馬伝とか新撰組!よりは
そのてん雑魚か架空の人物にしておけばクレームこなくてすむからな
635 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/01(火) 08:19:07.14 ID:MAhq53+e0
まぁ普通に史料読んだら大久保が黒幕なんて与太話以外の何物でもない
636 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/10(木) 19:03:09.88 ID:K5KHy/n70
大久保のいちばんの悲劇は頼りにしていた小松が病没し
いやいやながらも旧薩摩閥の矢面にたたなければならなかったこと
小松が亡くなった時家老クラスの薩摩の要人を
新政府に迎えいれようとしたけど結局断られたらしい
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/10(木) 20:21:10.83 ID:GzHAcisE0
>>636 >小松が亡くなった時家老クラスの薩摩の要人を
大久保のような下級出身の無教養な成り上がり政治屋に、つきあう
上級武士はいない。恩人の久光も裏切って、大久保利通はゲス。
島津珍彦(うずひこ)とか、さっさと東京に招聘していれば助かった人もいたんですよ。
この人は島津久光の息子ですが、明治維新に関して意図的に全く関わらなかった。
(もし失敗した場合に血統を残す意味があったとされている。)
そのため薩摩大勝利で明治維新が進むと、今度は惰弱と鹿児島城下士から貶され続け、
終いには怒りが抑えられなくなって自分で切腹して死んでしまった。
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/10(木) 22:08:44.30 ID:K5KHy/n70
小松が亡くなってからは薩摩閥は分裂した←悲劇の始まり
彼が生きていれば大久保や西郷は長生きできただろう
小松と木戸ははっきり言えば過労死…
明治初年度の時でも木戸は体調があまりよくない状況だったらしい
だから奥さんの松子さんも木戸の渡米をずっと反対していた
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/12(土) 17:32:07.84 ID:BQwAaM0uO
それはある。小松は天才
641 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/12(土) 19:34:30.50 ID:mXRXnhkl0
小松は身分に係ることなく部下の面倒見が良くて
人望があった
大久保は親しい五代友厚とよく小松の墓参りをしている
642 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/15(火) 00:00:37.70 ID:MRBgA3N30
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/25(金) 23:19:43.82 ID:Kmypod8K0
大久保こそ日本史上最高の政治家。
もちろん欠点はあるがそれ以上の功績あり。
大久保の功績は確かに大きいね。
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/01(金) 13:53:29.55 ID:E6JQ+LVIO
大久保は史上最高の政治家で間違いない
646 :
葉月涼花:2012/06/25(月) 20:11:38.15 ID:njozHvhs0
子孫が児童ポルノに賛成派なので、ろくでなしなのでしょう。
先を争って靴を利通のガキが靴を脱がせたらしいですが、
そうしないとこの大久保のじじいがなっとくしなかったのでは?
大久保選手は、「っちなかなか洗脳されなぁ」
言葉遣いの悪い男ですねぇ。
維新の立役者か何か知りませんが。
子孫は、ただの国粋主義者ですよ。
助けるふりして見捨てる。
私は、当時五歳でしたがけつは、触る歯は
股の写真はとるは、死んだ方がいいのでは?
人の手がえらを横取りするような男です。
書の達人?
あんなもん練習すればいいんです。
塩塚部落とやりまん看護婦を従えた。
性格破綻者。
まだ、柔道家の大久保選手に夢を持っている方もいるかもしれませんが。
だだの児童ポルノ大好きな鬼畜野郎です。
647 :
葉月涼花:2012/06/25(月) 21:44:48.48 ID:njozHvhs0
最近まで鹿児島では納骨もしてもらえない。
多額の借金を残しても見栄を張りたいろくでなし。
妾の芸妓は、格好が悪いから養女にして。
愚の骨頂ですね。
土方歳三のような、伊達な男とはほど遠いくずのようなおとこでしすね。
この大久保利通はひがみ根性の強いおとこですよ。
おまけに征韓論に反対だったくせに。
征韓論者だった。
坂本龍馬を国粋主義のあこがれの的にする。
変態鬼畜の認否人ですね。
どっちつかずのくそ野郎です」。
武士のくせに、武士の誇りを忘れ。
不平士族に暗殺される。
昔の教科書には、
土方歳三が大悪人と描かれていたらしいですが、
あのお方は、蝦夷共和国で、仲良くくらしたあっただけです。
板東武者の家系で最後まで士道を貫いた男と。
同じ武士に暗殺されたろくでなし。
勝てば官軍負ければ賊軍。
寝返りが早い人間は、男女問わずろくでなしですよ。
大久保選手自体強姦されてできた馬糞みたいな。男なので
私が股の写真一発でびびるとおもったんですかね。
鼻で笑いましたけど。
歴史は、変わる物です。
あまり、ふざけてると、痛い目みますよ。
黒塗りのベンツで特攻すっぞこらぁ!!!
…ってやつですかね。
おこってますよええ。
648 :
葉月涼花:2012/06/26(火) 10:14:25.60 ID:46njNjsN0
ハバナブラウン(秋田県) 2012/06/25(月) 21:37:27.86 ID:iJjAy7WC0 BE:2030238465-PLT(12223) ポイント特典 [sage]
「明治維新三傑」の木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通の業績をパネルや掛け軸で紹介する特別展「維新三傑展」が、山口市天花の市菜香亭で開かれている。7月30日まで。
展示室入り口に銅像や写真を使った3人の等身大パネルがあり、誰でも撮影できる。直筆の掛け軸や、木戸が坂本竜馬に宛てた書簡の写し、
功績を示した年表のパネル13枚などを展示している。
「西郷の本名ミステリー」と題したパネルでは、八つある通称の変遷に焦点を当てた。幼名の「小吉」や「吉之助」などを経て「隆盛」に至る経緯を解説している。
掛け軸3点は、3人が会談したことで知られる湯田温泉の松田屋ホテルから借りた。入館料は大人100円、小中学生50円。火曜休館。
【写真説明】山口市の菜香亭で開かれている維新三傑展
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201206260004.html 馬鹿じゃねぇの!!!!
功績!!!
葬儀に勝がばかの勝つが参列線のだぞ。
こいつは、勝の愛人のいくまつといくいくいいながら
ション女郎抱いてたんだってば。
ごうかんやろうですね。
いくまつなんて、わしは勝愛人じゃあ
近藤勇にすごんだらしいですが、
私なら、腰巻きぬがして強姦生まず女野郎ってからかいますけど。
いくまつっ早くに痴呆症になったション便女でしょ?
649 :
名無し:2012/06/26(火) 11:20:11.47 ID:1wP4YJg+0
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/27(水) 02:15:22.45 ID:0NKYQDtR0
646-648は正真正銘の基地外w
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/27(水) 02:32:53.71 ID:McVyOAJ0O
大久保利通は神
652 :
葉月涼花:2012/06/27(水) 19:21:28.45 ID:CQIThM190
紙がないからはげですか。
なるほど。
すばらしい。
653 :
葉月涼花:2012/06/27(水) 19:26:10.92 ID:CQIThM190
基地外発言すると
土方恭平が飛んできますよ。
基地外という言葉は、他者に向かってはきかける言葉ではありません。
私が、本気になるとあなたの家をぶちこわしに行きますよ。
いっぺん死んでこい!!!
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/27(水) 23:04:28.56 ID:UgIUawu40
大久保さんこそ最大にして最強の政治家
655 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/28(木) 01:38:58.05 ID:HN82hdWDO
大久保は韓国嫌いで朝鮮とは関わらない姿勢だったから好感もてる
656 :
葉月涼花:2012/06/28(木) 16:29:12.64 ID:Ge/ro5vZ0
わかりました。
相手にしません。
交換でも強姦でも持って死んでいってください。
>>655 いやいや挑発して無理矢理開国させたじゃん
西郷の征韓論より稚拙
西郷に任せときゃ良かったんだよなあ
武士も潰せるし朝鮮潰せるし
658 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/29(金) 06:11:57.87 ID:05Qv7yWM0
基地外には無視という攻撃w
ここが大久保の本スレと考えていい?
660 :
葉月涼花:2012/07/03(火) 12:06:51.91 ID:m6I4rUuP0
よろしいです。
661 :
葉月涼花:2012/07/04(水) 22:25:14.24 ID:QPeuNFfS0
江藤新平に謝れ。
貴様、おおくぼが
かっこつけたから
プロパガンダの江藤新平が死んだんじゃい。
662 :
葉月涼花:2012/07/04(水) 22:35:57.62 ID:QPeuNFfS0
大久保利通率いる官軍が駆けつけてくると近代兵器の充実度(火力)と兵力の違いもあって敗戦に追い込まれます。
証拠物件。
660から書き込みが表示されない件w
664 :
葉月涼花:2012/07/05(木) 20:02:31.07 ID:bqYr70720
大久保選手は、わいせつまんこシャンしか。
どろくでなし柔道家!!!!
引きちぎるぞ!!!!
ちんこを!!!
665 :
葉月涼花:2012/07/06(金) 17:52:31.23 ID:lQ8My0qa0
マッチポンプ。
大久保利通。
この世の排泄物。地獄の底で、男妾をしています。
666 :
葉月涼花:2012/07/06(金) 19:23:23.44 ID:lQ8My0qa0
663さん、ご返答を…。
667 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/06(金) 21:54:29.31 ID:GF8zsL6uO
いや、大久保さんの韓国と関わらない姿勢は正しかった
伊藤博文も大久保の舎弟で反韓国よりが原因で韓国人に暗殺されたよな
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/06(金) 23:02:27.53 ID:gwyo3niH0
669 :
葉月涼花:2012/07/06(金) 23:10:26.35 ID:lQ8My0qa0
ロシアとの暗躍があったのでしょう。
国内で殺される方は、もっと認否人ですよ…。
670 :
葉月涼花:2012/07/08(日) 11:37:13.32 ID:QfCke4pK0
塩塚あゆみの母親のまぐそ看護婦長。
ホームヘルパーの実習の時は、よくもいじめてくれたな!!!
女子高生ひき殺そうとする暇があったら、整形でもしたら?
自分の娘の処女膜をさ。
671 :
土方恭平:2012/07/10(火) 11:11:49.93 ID:YlqT/8AV0
スケベな柔道家は、死亡しろ。
国体の梅毒マニア。
672 :
土方恭平:2012/07/10(火) 12:00:40.99 ID:YlqT/8AV0
すすぎえろ保体教師。
鈴木死ね!!!
673 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/10(火) 21:02:29.11 ID:4pCE6EpVO
大久保利通は史上最強の政治家
674 :
土方恭平:2012/07/11(水) 18:02:41.57 ID:P6eNF3q10
なるほど。
史上最強の大馬鹿物という意味ですね!!!!
すばらしいお答えです。
675 :
大久保一家の正体」:2012/07/11(水) 20:29:29.08 ID:P6eNF3q10
<emoji:sun>柔道の大久保国体選手は、大久保利通の嫡孫で、わいせつ股写真家。
児童ポルノ法違反。<emoji:sun>
676 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/13(金) 18:12:48.29 ID:dQoWS1lKO
大久保利通は神
677 :
土方恭平:2012/07/15(日) 21:00:14.39 ID:HSe0ZD0/0
なるほど。
史上最強の大馬鹿物という意味ですね!!!!
すばらしいお答えです。
678 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/17(火) 21:58:10.90 ID:niIFNqVOO
↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ゴミクズは窒息して死ね
679 :
土方恭平:2012/07/17(火) 22:43:45.88 ID:KGLErjhj0
なるほど。
史上最強の大馬鹿物という意味ですね!!!!
すばらしいお答えです。
680 :
おまえが死ね:2012/07/17(火) 22:45:14.58 ID:KGLErjhj0
子孫が児童ポルノに賛成派なので、ろくでなしなのでしょう。
先を争って靴を利通のガキが靴を脱がせたらしいですが、
そうしないとこの大久保のじじいがなっとくしなかったのでは?
大久保選手は、「っちなかなか洗脳されなぁ」
言葉遣いの悪い男ですねぇ。
維新の立役者か何か知りませんが。
子孫は、ただの国粋主義者ですよ。
助けるふりして見捨てる。
私は、当時五歳でしたがけつは、触る歯は
股の写真はとるは、死んだ方がいいのでは?
人の手がえらを横取りするような男です。
書の達人?
あんなもん練習すればいいんです。
塩塚部落とやりまん看護婦を従えた。
性格破綻者。
まだ、柔道家の大久保選手に夢を持っている方もいるかもしれませんが。
だだの児童ポルノ大好きな鬼畜野郎です。
681 :
おまえが死ね:2012/07/17(火) 22:48:50.09 ID:KGLErjhj0
まぁ、「ゴミくずは窒息して死ね」ですって、
ご教育をちゃんと受けてるのかしら?
じゃあ、どこがどうすばらしいのか。説明してください。
暗殺された痴呆老人の良さを。
682 :
おまえが死ね:2012/07/20(金) 21:33:09.35 ID:Nqc1LtLO0
大久保利通は鹿児島に帰れないとか非情とか悪い印象だけど成果はきちんと評価しなければならない
馬鹿の意見−。
不平武士に殺された、痴呆老人。
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/21(土) 01:11:01.77 ID:vexj7csA0
あんた歳いくつ?
警察まで一緒について行ってあげようか?
684 :
おまえが死ね:2012/07/21(土) 17:46:14.15 ID:cXTqBPPR0
うん。いいよ。
連れて行ってください!!!
大好きです!!!
685 :
おまえが死ね:2012/07/21(土) 18:16:06.13 ID:cXTqBPPR0
おまえが死ね:2012/07/17(火) 22:45:14.58 ID:KGLErjhj0
子孫が児童ポルノに賛成派なので、ろくでなしなのでしょう。
先を争って靴を利通のガキが靴を脱がせたらしいですが、
そうしないとこの大久保のじじいがなっとくしなかったのでは?
大久保選手は、「っちなかなか洗脳されなぁ」
言葉遣いの悪い男ですねぇ。
維新の立役者か何か知りませんが。
子孫は、ただの国粋主義者ですよ。
助けるふりして見捨てる。
私は、当時五歳でしたがけつは、触る歯は
股の写真はとるは、死んだ方がいいのでは?
人の手がえらを横取りするような男です。
書の達人?
あんなもん練習すればいいんです。
塩塚部落とやりまん看護婦を従えた。
性格破綻者。
まだ、柔道家の大久保選手に夢を持っている方もいるかもしれませんが。
だだの児童ポルノ大好きな鬼畜野郎です。
686 :
おまえが死ね:2012/07/24(火) 09:31:51.39 ID:5Z9L2Ia40
あのー。
警察まで大好きだらかつれてってよ!!
嘘つき!!!!
687 :
おまえが死ね:2012/07/25(水) 11:14:30.71 ID:hg/5gdxR0
おい!!
連れてけ言ってんだよ!!!
あれかあきこ女王か?
皇室嫌いだけど。写真見たら、ぶすで卑屈なババアじゃん。
早く死ねば?
688 :
おまえが死ね:2012/07/25(水) 11:21:11.23 ID:hg/5gdxR0
女性宮家創設する。
暇あったら、結婚しろ!!1
トシマババア!!
ぶす!
口が曲がってますよ。整形したら?
689 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/26(木) 02:29:25.44 ID:BNwWUpYX0
あんた歳いくつ?まだ皮もムケていない坊やなの?
いいこと? 連れて行ってほしかったら住所、氏名を言いなさい!
690 :
おまえが死ね:2012/07/26(木) 09:36:53.54 ID:vNoaF1mJ0
てめえが、いえ。
おまえ、階級と名前を言えー!!!!
691 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/26(木) 15:50:16.31 ID:BNwWUpYX0
大好きな警察に連れて行ってほしいんだろ?
迎えに行ってやるから、ゴネてねぇで住所と名前を早く言えや!
692 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/13(月) 00:20:24.01 ID:5G56X+Of0
偉大なる大久保利通のスレッドを汚すな!恥を知れ!
693 :
おまえが死ね:2012/08/14(火) 15:17:19.85 ID:UKsmweE70
偉大−?
はぁ?
じゃあ。何で。同じ武士階級に暗殺されたんだよ!!
馬鹿のウジ虫が語るな!!
偉大だって−!!っぷ。
っていうか、何、2チャンネルで本気になってんの?
694 :
おまえが死ね:2012/08/15(水) 07:29:24.18 ID:rCPMuRz50
偉大とか神とかは、ちゃんと歴史的背景を調べてから言ってください。
同じ武士階級に弾圧されて暗殺された大馬鹿物が、貴殿はよろしいと?
っていうか、個人情報保護法とか知らないの?
言うわけないじゃん。
っつかー。本当に迎えに来たら、殺すよ。
695 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/17(金) 01:05:42.21 ID:PxSG7EwJO
↑↑苦しみながら死にますように
呪われて死ねww
696 :
おまえが死ね:2012/08/17(金) 15:48:36.69 ID:q5FZg8r+0
はぁ、
ああ。言い返せなくなったら呪いをかけるんだ。
大久保利通を神とあがめてる割には低脳だね。
697 :
691:2012/08/17(金) 22:20:07.55 ID:xrQvLcxb0
こいつ↑は690と691が同一人物だと思っているらしい。
と、冷ややかに見つめる俺w
馬鹿に付き合ってやってるんだから感謝しろよ
698 :
691:2012/08/17(金) 22:21:55.25 ID:xrQvLcxb0
691と692だったわw
699 :
691:2012/08/17(金) 22:23:05.99 ID:xrQvLcxb0
691と692だったわw
700 :
おまえが死ね:2012/08/18(土) 16:24:07.93 ID:yWUCCFaK0
わたしも冷ややかにみつめる。
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/18(土) 17:28:51.07 ID:HEsxn3Wo0
. -―- . さすが!! 非情の独裁者大久保!
/ ヽ
// ', おれたちにできない事を
| { _____ | 平然とやってのけるッ!
(⌒ヽ7´ ``ヒニ¨ヽ
ヽ、..二二二二二二二. -r‐''′ そこにシビれる!
/´ 〉'">、、,,.ィ二¨' {. ヽ _ _ あこがれるゥ!
`r、| ゙._(9,)Y´_(9_l′ ) ( , -'′ `¨¨´ ̄`ヽ、
{(,| `'''7、,. 、 ⌒ |/ニY { \
ヾ| ^'^ ′-、 ,ノr')リ ,ゝ、ー`――-'- ∠,_ ノ
| 「匸匸匚| '"|ィ'( (,ノ,r'゙へ. ̄ ̄,二ニ、゙}了
, ヘー‐- 、 l | /^''⌒| | | ,ゝ )、,>(_9,`!i!}i!ィ_9,) |人
-‐ノ .ヘー‐-ィ ヽ !‐}__,..ノ || /-‐ヽ| -イ,__,.>‐ ハ }
''"//ヽー、 ノヽ∧ `ー一'´ / |′ 丿! , -===- 、 }くー- ..._
//^\ ヾ-、 :| ハ  ̄ / ノ |. { {ハ. V'二'二ソ ノ| | `ヽ
,ノ ヽ,_ ヽノヽ_)ノ:l 'ーー<. / |. ヽヽヽ._ `二¨´ /ノ ノ
/ <^_,.イ `r‐'゙ :::ヽ \ `丶、 |、 \\'ー--‐''"//
\___,/| ! ::::::l、 \ \| \ \ヽ / ノ
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/19(日) 02:04:07.96 ID:VbXHTyV8O
日本初の内務大臣大久保
703 :
一言だけ:2012/08/28(火) 23:15:59.90 ID:Xl9zgDUL0
お前よー。
いきなりなぐるんじゃねえよ。
大久保国体選手の股の稼ぎのくせによー。
身の程を知れ!!!!
しおづかかづひと、と、読みます。
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/29(水) 15:38:03.41 ID:Fvq0WyuPO
大久保利通は神
705 :
西郷:2012/08/31(金) 08:24:20.51 ID:C+zcSAMBO
明治維新と大阪維新の会に通底する、何か得たいの知れないものの正体を誰か教えてください。
その全容を誰か教えてください。
日本人の為に…
極めて抽象的な上に他力本願かよw
707 :
一言だけ:2012/09/05(水) 23:49:56.35 ID:HOTIETya0
お前らの神は、歴史ヒストリアにも
紹介されていませんね。
708 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/07(金) 16:50:06.47 ID:zcAwGvqXO
麻生総理も有能
現代日本のすべての行政組織に一人ずつ大久保利通がいればどれほど日本が救われることか・・・
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/10(月) 19:43:48.26 ID:MjIz1niNO
大久保さんはかっこいい全て
実際の明治維新といえるのしたのは留守政府だし
朝鮮を開国させる云々で西郷らを下野させ内乱に至ったのは大久保の責任もある
改革はポンポン進めりゃいいってもんでもないで
713 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/11(火) 01:03:33.86 ID:BU463TsM0
大河ドラマじゃ冷遇されるよねこの人
まともに描かれたのは翔ぶが如くぐらいだもんな
幕末大河でも西郷、桂が確実に出てくるのに大久保は出てこない
登場だけなら桂と同じ9作品に出てるけどね(西郷は10作品)
ただ、政局の中心となる江戸や京都に上るのが西郷・桂より10年ほど遅いし、
他藩の志士人脈も狭いから、薩摩主役以外で出番が遅くて少ないのは仕方ない
それに幕末大河のほとんどは明治が描かれないので大久保の活躍も分かりにくい
来年は明治も描かれるが、
覚馬の見識に感銘を受け助命した西郷や、
新島襄と仲良くて支援してた桂の方が目立つんだろなあ
大久保も一応同志社設立支援者ではあるんだが
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/11(火) 12:22:50.66 ID:HJi/GAgG0
大河への出場回数とかどうでもいいけどな
明治政府内での実力がピカイチだったことは誰も否定できないんだし
716 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/11(火) 16:50:38.79 ID:BU463TsM0
>>715 それは歴史好きなら分かるけども、そうじゃない人たちには大久保の凄さは分からんでしょ
西郷は知ってても大久保知らない人って結構いるぞ
木戸ファンだけど、大久保が維新において一番の政治家だったのは事実
ただ、一次資料や論文等の資料を読んだものでなければ凄さはわからない
自分も木戸ファンになって幕末維新の資料を読むまでわからなかった
一番凄いのは西郷さん
廃藩置県、徴兵制、集権化しながら反乱が起きなかった
西郷と大久保が何か大きな政策上の対立あったかというとさほど違いも無い
719 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/11(火) 23:50:34.10 ID:zVenDs2OO
薩摩は清い英雄
720 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/12(水) 08:37:39.45 ID:jwQIBU1L0
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/12(水) 19:55:52.10 ID:XVhFodrf0
>>720 要するに世間の人に大久保の凄さを知ってほしいわけ
そのためにはてっとり早く大河で主役でやってもらえばいいかな、という話
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/13(木) 00:48:04.03 ID:xyCH+AEAO
大久保利通は神
>>721 大久保は翔ぶで主役やったからなあ
清盛や義経、龍馬が40年くらい振りに主役になったのを見るに、
大久保主役大河がもしあるなら20年くらい待たなきゃならんだろうな
その頃大河枠が存続してるかは疑問だが
724 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/13(木) 03:30:54.17 ID:OXOgTKAW0
>大久保は翔ぶで主役やったからなあ
はぁ?w
725 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/14(金) 00:34:04.49 ID:+HKCcsT/O
大久保利通は神
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/15(土) 02:32:28.01 ID:yLIYaPce0
西郷さんは最期がまずかったけど、それまでは凄かったよな
大久保より花がある点は否めない
大久保は呼び捨てなのに、西郷は「さん」づけで呼ばれる点でも差は明らか
スレチ失礼、大久保信者にとっては一種のスパムだよねw
727 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/21(金) 00:44:30.74 ID:pT9dEv33O
大久保利通神
>>95 あの家系は外交に強いのかね
内政はどうも守旧派寄りの印象があるが
「大久保利通の肖像 その生と死をめぐって」
大久保ファンなら悶絶必至。ソースの確かな素敵エピソードが
てんこ盛りで、最強レベルの萌え本である。よくぞここまで
掘り起こしてくれたと感涙にむせんだが、逆に言えば史料を
漁らない限り魅力が伝わり難い人物なのね…。
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/07(日) 17:39:35.75 ID:EI7dCdi7O
俺たちの麻生総理
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/11(木) 02:27:51.92 ID:Xea8Md/AO
大久保利通好き
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/15(月) 01:55:41.58 ID:IZ4BlU72O
政界のカリスマ
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/17(水) 17:55:30.64 ID:rVV38/HbO
小沢に好かれるて、大久保さんはいい迷惑だよな
大久保のエピでいちばん感銘があるのは、高橋新吉だったかのエピだな。
部下を送る時に玄関に出て、膝をついて深々とお辞儀をするという
その大久保が唯一凄まじい顔色になって激怒したのが、西郷討伐を進言された時だったという…
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/19(金) 11:09:00.97 ID:TPyELTXPO
正に日本のクロムウェル、若しくはロベスピエールだね。
736 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/21(日) 01:24:10.49 ID:TmpM0SMOO
大久保さんは華がかりカッコいい
737 :
質問です。:2012/10/30(火) 23:45:16.43 ID:/wMt3CbY0
では、しつもんです。
そのように魅力的な政治家が何故、暗殺されたのですか?
738 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/31(水) 21:41:12.69 ID:Af6MsXcUO
俺たちの麻生総理
>>737 後世からの視点で良い政治家が、
必ずしも当時の人間から見て良い政治家とは限らないからな
菅や野田だって100年後には素晴らしい政治家として扱われてるかもしれん
鳩だけは祖父もポッポも永久に糞扱いだろうがなwww
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/02(金) 20:02:37.27 ID:tBwD1ybAO
>>733 なんで大久保なんだろうな。
小沢のキャラ的にはどう見ても西郷隆盛なのに。
741 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/03(土) 18:59:01.89 ID:evyrHLWsO
この人の銅像はかっこいいと思た
自分は小沢一郎を伊地知貞馨、清河八郎あたりに見てしまう。
743 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/04(日) 18:09:45.53 ID:pRnItH7XO
大久保利通は神
大久保卿は、冷徹無私の大宰相だと思う。
745 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/12(月) 15:39:48.88 ID:1uYtxnu9O
大久保こそ最強の政治家
746 :
質問です。:2012/11/26(月) 16:30:47.44 ID:AU0MR71I0
幼女の股写真、国体の梅毒マニア。
嫡孫がもってんだぞ。
廃藩置県断行した意味が分からないんですけど…?
武士の風上にも置けない男が貴方たちの神なのですね。
747 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/27(火) 02:19:03.88 ID:Z5ZNPip0O
お前が藩に戻せよ
748 :
質問です。:2012/11/28(水) 20:13:31.62 ID:+CT3gVE60
えー。こんぱんてなに?
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/02(日) 20:08:57.83 ID:xKK07teOO
義を重んじる薩摩隼人好き
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/04(火) 02:12:28.01 ID:a/X/TWoxO
薩摩隼人無敵
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/05(水) 00:53:25.46 ID:YXYWtpbGO
大久保利通は歴代一の政治家
752 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/08(土) 13:53:17.29 ID:KMDjcVKiO
大久保の無敵ぶりが凄い
753 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/24(月) 19:25:40.42 ID:YvKlZfdcO
大久保酒強そうだ
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/02(水) 00:59:21.96 ID:gwMJY4jOO
大久保の大河もありだろ
755 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/06(日) 14:29:18.57 ID:6QpZD7lh0
大久保利通の事を勉強するのに最適な本があったら教えてください。
amazonで手に入るやつで
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/12(土) 20:58:08.25 ID:+ToSFKQS0
>>755 @池田吉太郎「明治維新三大政治家 大久保・岩倉・伊藤論」(中央公論社)
…1975年頃の本。もう入手できないかな。
A佐々木克(監修)「大久保利通」(講談社)
B佐々木克「大久保利通と明治維新」(吉川弘文館)
…この2冊が王道というか、基本教科書なのだろう。
C佐々木克「大久保利通 明治維新と志の政治家」(山川出版社)
…まずライトに行くならこれ。
D横田庄一郎「大久保利通の肖像」(朔北社)
…やはり近刊を読むに越したことはないから、これ。
ただ、大久保の業績・人生に関し一通りの知識があった上で読むもの。
E坂野潤治「未完の明治維新」(ちくま新書)
F片岡寛光「大隈重信」(冨山房インターナショナル)
…他の志士や政治家との比較で、その思想・国家構想、人物像、時代の中の役割を見る。
この2冊は傑作。Fも単なる大隈伝ではなく、維新史論だ。
G司馬遼太郎「翔ぶが如く」(文春文庫)
…これを読破すれば、十分大久保の事もあの時代のことも、そして日本たるものが何かも分かる。
日本近代化(ひいては現代日本の存立根拠を作った)MVPは高杉晋作。
それに対し、
日本近代化過程、いや日本史上最も有能な為政者、
もっと言えばすべての分野で日本史上最有能(仕事の出来る)人間が、大久保利通。
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/14(月) 01:48:50.68 ID:HLotH7bAO
大久保利通好き
このスレ、初めて来たのだが、大久保の本は読んでいて面白いよね。
>>758 A佐々木克(監修)「大久保利通」(講談社)
→おれの、数年来の愛読書。この本は本当に何度読み返しても面白い。
B佐々木克「大久保利通と明治維新」(吉川弘文館)
→先週、図書館から借りてきた。購入を検討中。
D横田庄一郎「大久保利通の肖像」(朔北社)
→昨日、購入。坂本龍馬とのエピソードが良かった。大久保と坂本が仲良かった話が出てくる。
龍馬暗殺の薩摩(大久保)黒幕説とかありえんな。半藤一利は薩摩黒幕説を唱えてるが、バカ野郎だ。
>>53 > 異説はあれど坂本も大男
Dの本に龍馬の話が出てくる。鹿児島訪問の帰り、熊本の横井小楠宅に龍馬が遊びに来た時の話。
同席した徳富蘆花の父親の懐古談によれば、龍馬は大男で、着物や刀は大久保からもらったものだと
龍馬が言ったそうだ。刀も薩摩示現流の良い刀で、二人が仲が良いことがわかるエピソードになってる。
大久保も大男なので、大久保の着物を着ていた龍馬もやはり大きい人だったのだろうね。
大久保スレって書き込み詰まらんな〜
いや763みたいのはいいし、大久保は本人も関連書籍もおもしろいけど、
スレの書き込みの90%超は中身のないマンセーでつまらん
大久保利通の肖像は疑問に思ってた田中河内介の件も妄想で切り捨ててたな
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/26(火) 18:35:17.89 ID:m6ep1H3K0
リンカーンの立位置に類似している
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/26(火) 22:14:08.92 ID:1hAWAqAN0
このスレなんか寒いな。
大久保利通だとやっぱ、明らかに役不足だな。
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/11(木) 17:59:58.44 ID:5SH0KM2u0
林董
「維新直後に功臣は多く、無論大久保一人功績があった訳ではないが、しかしあの難局に当たって、
一切の責任を自分で引き受けて、難きは自ら任じ、易きは人にさせるという、あの態度は外の人の真似のできぬところである。
あの頃はほとんど難しいことだらけであったのに、公はその責めを一切自分一人で背負った。
由来難局はこれを人になすりつけ、易きを自ら行うて独り功を修めるというのが政治家の通弊であって、
随分偉い人でもこの弊には陥りやすいが、大久保は独りで難きを背負って立った。あの人は優に日本の大黒柱となり得る人だった。
『大久保利通』(佐々木克監修 講談社学術文庫)
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/11(木) 22:00:14.89 ID:lbMWwXUT0
もっとも維新の生き残りが死んだ跡
官僚機構統御できる奴いなくなったが
太平洋戦争の戦いは役人の戦い方だな
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/13(土) 18:42:57.94 ID:Ir7mqz+OO
軍人の役人の世話役の戦い
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/14(日) 18:45:12.24 ID:ezzbmTAE0
210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/21(金) 17:49:27 ID:7DKgJEFs0
幕末の大久保っていまいち存在感ないよね。
戊辰あたりでは京都でいろいろやってそうだけど。
幕末の薩摩藩
窓口 小松西郷
裏工作 大久保
外交交渉 薩摩閥まとめる 小松
明治以降も小松が長生きして薩摩閥をまとめてくれていたら
明治最良の官僚とういう人物は大久保だったと思う
明治最良の官僚は榎本武揚
大久保の最大の悲劇は小松の早死 西郷の下野で
旧薩摩閥の矢面に立たざるを得なかったこと…
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/15(月) 00:18:22.37 ID:7PRyfOxr0
榎本は函館で潔く死ぬべきだった
774 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/14(金) 01:14:00.90 ID:vD/EFmGW0
775 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/14(金) 07:59:09.32 ID:77ZpWYcl0
>>769 林と大久保の接点って明治4年からの岩倉使節団で、帰国後は伊藤の差配で工部省畑だったはずなのだが、
使節団でよほど近侍する機会があったのかね。幕臣登用には大久保は初期は比較的慎重だったはずだが。。
林や千坂のように大久保を賞賛してる人は内務省・大蔵省系か、外務省の書記官クラスだね。
幕臣でも中堅世代の榎本武揚や大鳥圭介が中央の要職に就いたのは西郷下野後だけど(たぶん西郷が残ってたら抜擢無理じゃないか)
中堅世代の技術官僚は接点がないのか、大久保にあまり感想残してる感じがない。
沼間守一みたいな司法官僚も、大久保の管轄と畑が違うので同様。
結局、大久保亡き後、これといった薩摩閥の首領がいないんだよね
黒田はあの通りだし、松方もイマイチ
結局、政界では伊藤、山県をはじめとする長州閥が独占した
ホントに小松が生きてたら色々かわってたよな
778 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/02(火) NY:AN:NY.AN ID:TbzBMpI70
俺は薩長は好きではないが、大久保だけは尊敬している。彼が居なければ
果たして明治が成功したかどうか、彼は織田信長や徳川家康クラスの名宰相
だと思う。
たまに薩長はテロリストとか言う輩がいるが、国家権力が移り変わる時はだいたいそんなもんだろ
家康も例外じゃない
徳川体制のまま近代化を進めても、保守派が多いから、明治政府のようにスピーディーに近代化はできなかっただろう
しがらみの少ない下士だから出来ることがある
780 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/03(水) NY:AN:NY.AN ID:PJ4Fb2Qz0
>>779 >>たまに薩長はテロリストとか言う輩がいるが、国家権力が移り変わる時はだいたいそんなもんだろう
家康も例外じゃない
確かにその通り、だから業績の全てを無批判に讃えるべきではない(勿論、評価に値する点は評価すべきですが)
維新後も大いに働いた人なのにな
近代の始まりなんだから落ち着くまでは独裁しても仕方ないじゃないかと
思うのだけれど
独裁って考え自体が間違ってる
確かに大久保は政府の最大権力者ではあったが、何でもできたわけではない
三条や岩倉、参議連中に反対されたらどうしようもなかった
薩摩閥の黒田や川村でさえ大久保の言いなりではない
台湾出兵も一度は政府内部の反対で一度は中止になっても、西郷従道は勝手に派兵するし、西南戦争の際の大久保の薩摩派遣も伊藤の反対で中止になった
>>758 >>763 ありがとう。夏休みに読みまして大変面白かったです。
正直歴史は苦手だったのですが、大久保さんのことは好きになりました。
猛暑だけど、冷えますなーw
大久保さんが東京の名付け親ってホント?
東京の直接の名付け親は大木喬任
マジか
凍えますなー
大久保スレだから当たり前じゃ
北洋に浮かぶ氷壁のごとし~福地語る
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/11(水) 21:53:40.45 ID:ZUbDTWrN0
維新後若手の政治家が大久保と小松に何が一番大変だったのか問うと
久光公のお世話 西郷さんのお世話
久光公と西郷さんの間を取り持つのがすごく大変だったらしい
だから征韓論以降の薩摩閥がいかに混乱したか想像できるわけで…
だから西郷 大久保 小松の3トップはバランスが取れていたと思われる
793 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 17:08:00.14 ID:9ykfRRf/0
大久保の凄さは人類史上、同民族が同民族の衣食住をこれほどダイナミックに短期間で変えた前例が無いって事。
神か悪魔じゃないと無理。
日本だけが勃然と西洋化した時に世界中からキチガイと思われたのに
今ではアジアもアフリカも世界中があたりまえのように西洋化してる。
孫文もホーチミンもマンデラもキング牧師も、民族自立のために西洋の力を取り入れる行為は全部大久保のマネ
れsy
>>793 功績は凄いんだけど、優れたものは
素直に認めようという下地が日本国民にあったせいかもね。
いくら旗振っても人が付いていかないと意味ないだろう
維新モノだと、桂小五郎って人気あるけど
木戸孝允にクラスチェンジしたら、人気なくなる不思議
797 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/29(火) 14:57:48.10 ID://pbNaDY0
まあ、大久保の末路と現在の地元での扱いを見せつけられたら
国会議員が国家的見地より、地元エゴに烏合した政策ばかり取るのも無理ないか。
おっと訂正
烏合→迎合
799 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/31(木) 16:05:13.32 ID:b4HZd57w0
島津久光って狂ってたのか?
そう思う根拠は?
801 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/03(日) 04:22:51.94 ID:qDhnGRNp0
>>799江戸育ちで博識多才の斉彬と違い
薩摩生まれ薩摩育ちの田舎者で大久保の解説無しでは
時勢を理解出来なかっただけです
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/07(木) 12:17:59.42 ID:Gx7KTyw30
>>795 日本人は今では海外の良い物を素直に取り入れるよね
でも戦国の宣教師ヴァリニャーノは「日本人に進んだ西洋文化を教えても野蛮だとただ笑われるだけで
日本人は永遠に自分たちの文化を微塵も変えないと断言できる」といってるんだよね。
天正遣欧少年使節は西洋文化の素晴らしさを同じ日本人によって日本人に伝えさせる計画だったけど効果無かったし
やっぱ大久保みたいな超人的なモノスゴイ改革しないと無理だったと思う。
今から大久保の見よう見まねでこんどは日本をイスラム化しようとして
首都にイスラム建築建てまくって
天皇陛下にイスラムの衣装着せてターバンかぶせても
国民がついてきてくれる想像すらできない
>>801 たしかに久光の言動は真意が不明で後世から見ると暗愚に見えることが多いね
ただ久光の場合は時勢を理解できなかったというより
一度臣下に降った人間の限界に縛られてたってほうが近いと思う
藩内のパワーバランスの総意に従わざるを得ないので長いスパンで見るとブレブレになる
804 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/19(火) 19:25:04.35 ID:OeqkDTPJ0
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/20(金) 23:10:23.96 ID:hM9CVpOD0
久光と大久保が朝廷に建白した内容って
公武合体運動?幕政改革?
学校でレポートの課題が出たんだが
いまいちわかんない。
806 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/21(土) 11:45:45.48 ID:F9zFgsV90
公武合体派による幕政改革じゃなかったっけ
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 23:45:25.66 ID:iESsHenU0
808 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/02(木) 03:26:38.69 ID:VDR+hlDd0
,
夏に大久保の墓に行ってきた
紀尾井坂の近くの公園にあるんだね
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/06(月) 20:05:36.54 ID:o6TdgtZx0
「大久保は明治全期を通じての大宰相であり大政治家だった。
伊藤(博文)も大隈重信も山県有朋も、大久保の各々の面を継承している。
伊藤は内政と外交に、初期の大隈は財政に、山県は軍隊と警察に、大久保路線のそれぞれを分担し実践した」。
『史観宰相論』松本清張
>>797 てか大久保は政治方針とか関係なく、不器用な性格過ぎたのかも
薩摩からは薩摩を裏切った卑怯者扱いされ
薩摩以外の地方からは薩長贔屓の専制独裁家して叩かれるって
相当矛盾してるし。
逆に凄く器用で、どちらからも言うほど叩かれなかった矛盾した人もいるんだよね。
812 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 09:05:55.55 ID:vT9ZI1MB0
大宰相
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/04(火) 02:21:29.23 ID:zUPSXGMuO
大久保利通みたいな政治家になりたい
814 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/06(木) 11:07:12.83 ID:0ewOFlsM0
しかし、江藤の件だけは惜しまれるな。
815 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 21:36:27.02 ID:ESK/CvarO
薩摩藩士最強
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/13(火) 23:58:24.84 ID:/aFyT6770
>>確かにその通り、だから業績の全てを無批判に讃えるべきではない
業績とは無批判に讃えるべきものをいうんだシ
>>大久保利通みたいな政治家になりたい
ツウことはあなたは政治家ですカ
817 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/14(水) 20:48:07.52 ID:YSaiwRJw0
しかし、大久保の政治人生は維新後は西郷と三郎への対応に追われた人生だったな。
惜しむらくはやはり、明治20年近辺までの大久保の内務卿としての仕事を見てみたかった。
818 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/14(水) 23:42:54.89 ID:jwV4IVpu0
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/17(土) 02:06:51.76 ID:/5l/DI+q0
>>817 三郎が一瞬誰か分かんなかったじゃねーかwwwww
>>817 10年経ったら後進に任すという言葉は守られるか…
後、気になるのが明治14年の政変でどう動くか
中央集権的な政治を行ったとはいえ理想としてはイギリス流の政治にシフトしたかった辺り伊藤岩倉と割れて大隈と共に政府辞めてたかも(改進党にはいかんだろうが)
821 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/05(木) 06:39:40.53 ID:EL8GeNFg0
大久保利通と伊藤博文最高
822 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/05(木) 08:06:38.91 ID:mUIbW8Al0
823 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/05(木) 08:07:18.79 ID:mUIbW8Al0
>>823 マジなら鹿児島人ってホント陰湿だねという感想しか出ないよ
825 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/05(木) 19:40:10.71 ID:1FHo1Dca0
「利」の字が左にずれている。
おのれ〜かごんま人め!
大久保は油断をしていたね
最高権力者であるにもかかわらず、ほとんど護衛なしで出勤しようとするとは
しかも、あんなに血なまぐさい時代においてだ
大変な怨みを買っていることも、知っていたであろうになぁ
828 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/20(日) 09:03:03.56 ID:WEn0ugVh0
林周夏は低学歴のバカ
829 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/03(日) 11:55:11.59 ID:8DDEveTA0
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830 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/09(土) 23:41:27.86 ID:Zh9eMM/50
小林よしのり大久保disり過ぎだろ
今時あそこまでむちゃくちゃな大久保否定なんて年配の鹿児島県民すらやるかどうか怪しい
銀河英雄伝説で言うと
大久保利通がオーベルシュタインで
手代木直右衛門勝任はドヴィリエ大主教か
大久保利通の側近には、千坂高雅や山吉盛典とか旧米沢藩士が目立つのはなぜ?
>>833西南戦争で地元の鹿児島県民が使えなくなったから
米沢人つかった
835 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/05(金) 20:00:48.55 ID:2269jMF60
大久保が長生きしていれば、牧野伸顕も父の薫陶を受けもっと
違ったタイプの政治家になっていた。
黒田も酒に逃げず、もっとシャキッとしていただろうし、
松方ともども薩摩閥トップの重責を負うことなくもっと
伸び伸びとやっていただろう。
836 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/06(土) 23:38:16.34 ID:D5eyiVMi0
大久保が暗殺された紀尾井坂ってよく再現映像だと林なのですが
明治時代の紀尾井坂を見ると林ではないんですが
ぐたいてきにどういう箇所で殺されたの?
林、人通りの多い官公庁、住宅街?人通りのすくない屋敷?
837 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/14(日) 20:57:48.76 ID:NamhnvR+0
大久保の3大汚点:
赤松小三郎暗殺指令
田中河内介暗殺指令
江藤新平打ち首写真事件
>>837 上二つは憶測の域を出てないな
大久保ならやりかねんで決め付けるのはやめましょう
839 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/16(火) 19:58:21.62 ID:G/BZzt1j0
赤松小三郎暗殺指令:証人 有馬藤太
田中河内介暗殺指令:証人 小河一敏
840 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/17(水) 00:32:25.67 ID:IUKg+H/+0
田中河内介の暗殺に関しては、下手人は薩摩藩上層部の方針に従ったわけだが、
久光の側近の一人であった大久保なら結末を知ってはいただろうな。
寺田屋での粛正事件の直後であり、サムライの世界における処分とはこういうものだが、まあムゴい話ではあるな。
てゆーか寺田屋って店はどんだけ刃傷沙汰があるんだ
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/17(水) 17:22:03.78 ID:ooje4xe00
龍馬も襲われたしな。薩摩藩の定宿だから、捕り方も目をつけていたんだろうが。
しかし、今の寺田屋は立て替えた家で家主も当時と全く関係がないらしい。
何気に、いつの間にやら、会津藩公用方の権限が
伏見奉行所にまで
及んでるし
しかも寺田屋の龍馬一人を捕縛(生死は問わず)に百人も動員って
845 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/20(土) 22:13:19.93 ID:uXWl6rv/0
危機一髪だったな
846 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/20(土) 22:36:22.59 ID:Zumx6GwC0
田中河内介父子暗殺の指示を出したのは
島津久光の可能性が高い。
847 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/21(日) 16:16:17.67 ID:BU94LaMf0
>>837 大久保の3大汚点:
赤松小三郎暗殺指令
田中河内介暗殺指令
江藤新平打ち首写真事件
上の2件については大義のため、日本の将来のため、
私情を押し殺して行ったことかもしれないが、
打ち首写真事件は、江藤への激しい憎しみという感情に
負けてしまった結果、自らの評判を貶めてしまった。
848 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/21(日) 16:23:46.70 ID:vRQ/dIMl0
可能性が高いというか、明白じゃないのか?
寺田屋事件に関わってるし、薩摩藩士でもなく、他藩に引き取り手のある浪士でもない、
放逐してもまた似たようなことを企むだろうだから、公武合体を推進しようとする久光にとっては邪魔者
かくまっても面倒な存在だから、言いくるめて始末しちまえってね
小河は当時薩摩の尊攘派と組んでて寺田屋の一件で狙いを潰されたとはいえ寺田屋事件後の久光派の内情を細かく知ってたとも思えない
たまたま河内介の話を振られた時にちょうど当時久光と近しかった大久保がいたから細かい事情なんて知らないけどイヤミも込めて全部大久保がやったみたいなニュアンスで言ったんじゃね?
大久保の性格だと昔の話に一々弁解しないだろうし
850 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/24(水) 19:16:58.78 ID:mqI0NxKj0
おゆうさんの家ってどこにあったの?
今度、霞ヶ関のほうに行くんで
近くにあったらお参りしたい。
851 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/24(水) 23:11:01.81 ID:T9filElh0
青山墓地。大久保の一族が眠っている。
最寄り駅は乃木坂か青山一丁目だが、霞ヶ関からならタクシーで行っても近いし、赤坂や六本木をブラブラしながらでも行ける距離。
墓参りに行くなら夜に行け。楽しいから。
852 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/24(水) 23:16:59.68 ID:U/TKWvQx0
赤松小三郎の件は西郷どんと相談して決めた上で桐野にやらせたんでしょ
853 :
850:2014/09/25(木) 15:40:23.70 ID:5LtVvLZJ0
>>851 ありがとう!
夜にはならんとおもうがw行ってみる。
江戸から明治の頃に思いはせて来るよ。感謝。
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/27(土) 00:34:40.04 ID:GpOUMR5K0
墓参りか
行ってみたいな
856 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/01(水) 21:45:30.61 ID:1bmxbBVkO
ラストサムライの勝元は西郷、大村は大久保?
(その当時)サムライたちの指導者で影響力を持っていた人物が反政府にいたのか?
それが西郷隆盛。西郷が日本の歴史にい かに影響を与えたかを証明するかのように
東京の上野には彼の大きな銅像が建っている。 ――エドワード・ズウィック監督
ズウィック監督は、アイヴァン・モリスの『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』の
<第9章.西郷隆盛伝>に影響を受けたことを表明しており、「明治維新の実現に当初貢献しながらも、
やがて新政府に反旗を翻した西郷隆盛の美しくも悲劇的な生涯が、我々の架空の物語の出発点となりました」と語っている
勝元は西郷で間違いなし、大村は政府方にいた高官の混合した人物らしいです。
858 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/01(水) 23:10:04.35 ID:1bmxbBVkO
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/01(水) 23:25:35.60 ID:YEZku9YS0
大村と言ったら長州の大村だと思うが。。
もちろん西南戦争当時は他界しているが、ラストサムライのモデルとしては近代陸軍創始者の大村益次郎が有力。
あの映画は近代陸軍VSサムライの戦いを描いているのだから。
もっとも映画での大村の外貌は伊藤に近い気がする。大村益次郎の肩書きと伊藤博文の外見を混ぜているのでは?
大久保はもっと寡黙で威厳があるし体格も大柄だ。あんなに卑屈な小男ではないと思う。
860 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/01(水) 23:42:49.23 ID:+VqJves00
トムクルーズ=ジュール・ブリュネ(函館戦争で函館政府側についたフランス軍人)
勝元=西郷隆盛(榎本武揚風味)
大村=大久保利通、大村益次郎、岩崎弥太郎あたりの混合
普通に新政府の頭の大久保だろ
詮索なしに考えて
>>859 大久保の事をちゃんと知ろうとしない奴の大久保観なんてあんなもんだよ
小林某がいい例
>>836 現・赤坂プリンス側=土堤、草むら
現・ニューオオタニ側=桑畑、茶畑、草むら
864 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/12/30(火) 04:52:45.17 ID:ERG7d0Vi0
■■■
通名の方々:
テレビ局・新聞社・ラジオ局・出版社・
芸能人・テレビに出てる人・本を出している人・雑誌の表紙・芸術家・
スポーツ選手・アダルトビデオ・性風俗・ヤクザ・暴力団・部落(同和)・
教員・大学教授・ノーベル賞受賞者・医師・弁護士、検察官、裁判官・政治家・公務員・
経団連・経済同友会・公益法人・旧軍人・巣鴨プリズン・明治政府〜・
塾・予備校・専門学校・ 自動車教習所・ 商店街・飲食店・寺・2ちゃんねる・
■■■
>>859 いかにも
適当に明治政府あたり悪者にしとけ
ってな偏見の映画だったな