1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読みました。
脚色があるとは言え、立派な人物で ああ言う人だったと思います。
本当に、ちょっと田舎者で人の良い平和主義者だったんだと思います。
薩長同盟や大政奉還など、凄いことをされたと思います。
ただ、竜馬がゆく 以外にも、竜馬や新撰組や白虎隊などの映画や書籍も
見ました。 それから、思うに、人の良い竜馬は、薩長にうまく利用されていたのでは?
と思います。それで、用が済んだので暗殺されたと思います。
竜馬がゆくでは 薩長は新しく国を作る為に頑張っている国のように
書かれてますが、今で行ったらテロ国家で、国を乗っ取って支配しようと
と目論んでたのですから、事実、薩摩藩と共に長州藩は明治政府の中核になりました。
かたや、新撰組など竜馬がゆくでは、殺人集団のように書かれてますが
実際は、現在で言えば、テロ対策の特殊警察ですよね。
竜馬の念願の大政奉還が成功したにも関わらず。
薩長は鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争を起こす。
平和解決を望んでいた竜馬がもし、生きていたら さぞ悔しかったと思います。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/17(火) 18:36:36 ID:VBbvWIWc0
人の良いのは馬鹿のうちと言うし
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/17(火) 23:19:43 ID:HJfs1AVn0
そら暗殺したのは薩摩と長州ですよ。
明治政府で大きな顔してたとこです
一番龍馬をうまく利用したのは司馬遼太郎
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 00:50:31 ID:cyw4mzoUO
またくだらない陰謀説か・・・
京都見回り組が犯人説が一番可能性高いだろ
それに竜馬は決してお人好しな男ではない
むしろ狡猾な男だぞ
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 01:48:02 ID:nRx5kbQ80
>>5 実行犯は見回り組かも知れないが
竜馬の情報を流したのは 恐らく薩摩だろうな。
本当の黒幕と言うものは自分の手を汚さないのは
古今東西同じです。
また、竜馬は狡猾な男と言っても 所詮 学問も知識も無い男だ。
煽てられたら、すぐに騙されるだろう。恐らく薩長連合も
竜馬の考えではないだろうな。当時、薩摩、長州は敵対していた。
しかし、幕府を倒すには、一藩だけでは不可能だ。
当時、最強の薩摩、長州が合体しなければ勝てないのは、
知識人で無くても明白な事だ。
恐らく薩摩の西郷が、第三者の竜馬に入り知恵して
実現したのだと思う。
竜馬によって作られたと言われる大政奉還も 後 両藩によって
うまく利用されている。
どちらにしろ、武力衝突を嫌う竜馬がおれば、何かと煩いので
暗殺したのだと思う。
>>6 見廻り組が薩摩の情報を信じる理由がありません
薩摩説なんて鼻で笑われるような陰謀論を信じるな
いい加減松平容保と認めようよ会津人
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 09:47:17 ID:ojsl/tuF0
>>7 >見廻り組が薩摩の情報を信じる理由がありません
見回り組みに薩摩が直接言ったのではない。
町人の通報だ。 黒幕は薩摩
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 09:54:12 ID:i44uWZPP0
言動を見る限り、坂本龍馬は中岡と共に討幕路線だったと思われますので、
薩摩が狙う理由はないように思います。
むしろ、坂本を和平派と主張する人々に、政治的な偏見を感じます。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 12:00:43 ID:ojsl/tuF0
>>9 確かに坂本龍馬は中岡、薩摩も共に討幕路線だ。
しかし、坂本龍馬は中岡は大政奉還のような平和的解決を
求めていた。
しかし、薩摩は あくまでも武力で 幕府の息の根を止めようと
してた、その証拠に大政奉還後に 政権は朝廷に戻ったが
すぐには政治ができないので、朝廷が政治を出来るようになるまでの間に
旧幕府がしてた。その時、将軍のお膝元に江戸に、明らかに
薩摩の犯行の 放火、強盗、暗殺など江戸の町を騒がす事件が多発した。
立腹した旧江戸幕府は、江戸の薩摩藩邸を焼き討ちして、鳥羽伏見の戦いの
勃発につながったんだ。もし、竜馬が生きていて、権力を持っていたんなら
絶対、猛反対したと思う。
そう、なる前の 竜馬は暗殺された。
どう考えても、武力で幕府を倒そうと最初から考えてた
薩摩、長州がグレーだと思う。
>>9 龍馬は倒幕だけど新政権の首座には徳川慶喜を、と考えてたようで、そこが薩摩の邪魔になった。
>>11 龍馬にそんな権限ないしwww
薩摩陰謀説など幼稚な発言は辞めとけww
>>12 権限は無いが大政奉還は実現した。権限の有るものを自分の考える方に誘導する力は有ったろ。
実際山内容堂は小御所会議に慶喜が出席してない事に意見してる。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 16:51:42 ID:i44uWZPP0
どうも、坂本龍馬が和平派という意見は妄想に見えるのです。
此日才谷曰く、吾が藩は是迄幾度も藩論変じたる故、薩藩も未だ疑念解けず。
(中略)才谷・石川両人の考にも大政返上等の事を吾が藩主張し、其主人と相成り候はば、
薩藩も必ず信用すべし (土佐藩重役佐々木高行 薩土盟約時の記録)
ここでは才谷が坂本龍馬で、石川が中岡慎太郎です。
ここで坂本は、薩摩を信用させるために大政奉還で幕府から政権の座を奪うという成果が必要なのだ、と
主張しています。大政奉還は坂本にとって、和平目的ではなく薩摩との討幕同盟実現の手段だったのではないでしょうか。
一部の人が、坂本は和平派であったという主張をしているようですが、その根拠を私は見たことがありません。
>>14 それは佐々木に対するポーズって事はないの?よく知らないで書いてるけどさ。
>>14 間違えた。龍馬が幕府を残そうと思ってたとは誰も書いてないんじゃね? 薩摩の主張する武力討伐より
平和的な大政奉還による幕府の幕引きを考え、土佐藩もそれに乗った。これで何の問題があるの?
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 17:15:33 ID:i44uWZPP0
もうひとつ、後藤象二郎の徳川慶喜に対する大政奉還第二建白書提出時のエピソードも
挙げておきましょうか。
この時、坂本龍馬が後藤象二郎に書簡を送っています。この内容は激励ではあるのですが、
徳川慶喜が大政奉還を受け容れなかったら、坂本自身が徳川慶喜を襲撃して戦いを起こし、
土佐を薩長と共に反幕府の立場へ追い込む、という脅迫じみたものとなっています。
この手紙は、大政奉還が和平ではなく、幕府から政権の座を奪うということに力点を置いて書かれたものです。
坂本龍馬が和平推進であったとは、坂本の言行からは考えられないんです。
坂本が和平推進だったと主張しているのは、文藝春秋系の半藤一利と中村彰彦で、
両名共に会津武士道の熱烈な信奉者で知られています。
私は、この両名の主張は坂本暗殺犯の嫌疑を会津藩主松平容保から逸らそうとする曲言なのではないかと思っています。
現に、彼らの主張には何一つ証拠と言えるものが見つからないのです。
>>17 龍馬に慶喜を襲撃するような武力が有ったとはそれこそ思えない。後藤は大政奉還が拒否されて武力
討伐の口実を得るのが目的だったらしいから、龍馬もそれに合わせてポーズとっただけだろう。龍馬自身
には権限が無いから後藤に藩論と山内容堂を動かしてもらわない事にはどうしようもないんだから。
>>18 >慶喜を襲撃するような武力が有ったとはそれこそ思えない。
事故レス。思えないって言うか、将軍を襲撃って妄想以外の何者でもないだろ。
>>17 会津会津って言うけどさぁ。会津から見た龍馬って只の浪人じゃネェの?
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 17:44:28 ID:i44uWZPP0
>>18 あなたは話が出来ない人ですか。
この時点で土佐藩を代表して幕府重役と折衝している坂本龍馬が、
大政奉還を徳川慶喜が受け容れない場合、自身が兵を挙げて徳川慶喜を襲う、と
言っているのですよ。その意味を考えなさい。
坂本龍馬は土佐と薩摩との同盟のために、
幕府を政権から引き摺り下ろす事を土佐の薩摩への手土産にしようとしていました。
坂本龍馬を和平派とする意見は、妄想としか思えません。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 17:46:27 ID:i44uWZPP0
>>20 京都守護職・会津藩主松平容保にとっては、坂本は幕府転覆を企む思想犯罪者であったようです。
>>21 >自身が兵を挙げて徳川慶喜を襲う、と
>言っているのですよ。その意味を考えなさい。
だから妄想だって。
>>22 薩長同盟の裏で動いてたとか見えない訳で、只の浪人か貿易業者にしか見えないな。
>>22 思想犯ってのを否定する訳じゃないけど、小物。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 18:10:23 ID:i44uWZPP0
>>23 この書簡の内容は、坂本自身による脅迫なんです。
坂本が大政奉還をどう思っていたかについて、理解できましたか?
あと、坂本龍馬は寺田屋事件において既に京都見廻組の捕縛対象となっており、
この際捕り方一名を殺傷しています。またこの時所持していた書類を押収されており、
この中には薩摩への武器売却を示す書類なども含まれていたものと思われます。
龍馬は寺田屋で幕吏を殺してるからブラックリスト入り
慶喜や容堂と違って容保が龍馬って誰?なんて言ってるようじゃ職務怠慢もいいとこ
見廻り組は龍馬の行動なんて筒抜け(見廻り組の屯所は永井邸の近く)だったみたいだから薩摩の
情報なんて信用する必要もないし当時の薩摩はそんなことしてる暇はない
>>25 >理解できましたか?
何が言いたいのか理解出来ません。誰を脅迫してどうしようとしてる訳ですか?後藤ですか、山内容堂ですか。
後段は捕縛対象なのは判りましたが暗殺する必要が何処に有るのか説明してください。
>>26 だったら暗殺なんてしないで捕縛して晒し首にすべきでしょう。
>>28 っていうか暗殺しても持って帰って晒すべきだ。
殺した直後に殺すなと幕府上層部から命令が来て面目丸つぶれだからそんなことはしない
>>25 wikipediaによるとその手紙は失敗したら共に死にましょうって意味だそうですが?
つまり決死を覚悟を述べてるだけで、襲撃して何かが変わると思ってる訳じゃないでしょう。
>>30 暗殺を計画中や実行中に、このあと命令が下りてくる事が判ったの?エスパー?
>>30 って言うか、何処からの命令だよ、それ。容保よりも上なの?
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 18:32:49 ID:i44uWZPP0
>>28 ところが、当時は後藤象二郎が大政奉還の概略及び推進の意志を
土佐を代表して徳川慶喜に伝える役を負い、
坂本龍馬も土佐藩代表として、幕府重役に大政奉還の具体的な策と推進手法を提言していました。
坂本龍馬は土佐藩代表だったんです。
大政奉還の次の徳川慶喜の目標は、諸侯を従えた上で自らに新政府を作る勅がを下るようにすることでした。
土佐はその諸侯の代表のひとつです。徳川慶喜は土佐藩代表を殺害することは避けたい時期なんです。
しかし、坂本龍馬は京都見廻組によって殺害されました。これは種々の証拠があります。
ここに、幕府で大政奉還を望まなかった人間、京都見廻組の暗殺行動だということを隠蔽した上で
殺害を望んだ人間として松平容保が浮上してくるわけです。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 18:34:16 ID:i44uWZPP0
>>31 それは一般的ではない解釈です。wikipediaには時々、党派的な偏見が書かれています。
>>25 それが脅迫だと解釈するには大政奉還が拒否される事を望んでいる後藤に対して、
拒否されたら腹を切れと脅迫してると解釈するしかないが、同意か?
>>33 当たり前だろ
さっきから連投しすぎレスは支離滅裂で痛いんだけど
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 18:37:30 ID:i44uWZPP0
>>35 本気で襲撃して何とかなると思ってるんなら久坂玄瑞並みのバカ。
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 18:41:48 ID:i44uWZPP0
>>39 さあ、本当に実行するつもりだったかは不明ですが、
この書簡は、坂本龍馬の後藤象二郎への大政奉還を実現させるための激励且つ、
実現しなかった場合も実力で土佐を薩摩の側に組み込むという脅迫です。
>>34 >坂本龍馬も土佐藩代表として、幕府重役に
俺もしつこいなぁ。重役って誰?
>>41 妄想癖なんだねww
後藤は西郷や桂と違い藩の実権なんか握ってないらね
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 18:55:05 ID:i44uWZPP0
いつもの会津おじさんは妄想へ逃避、ですか
相手にした私が馬鹿みたいでした。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 19:04:57 ID:i44uWZPP0
坂本龍馬は大政奉還の実現のために、土佐藩代表として幕府重役、大目付永井尚志と数回面談をしています。
寺田屋のお登勢がこう言った、と後代にまとめられた資料には、坂本が永井尚志及び松平容保と会見したので
自らの身柄は幕府公認のものとなり安全である、という趣旨のことを聞いたという証言があります。
坂本は大政奉還にあたり幕府実務方と具体案を協議していました。
幕府は坂本の所在地を知っており、幕府は土佐の代表としての坂本を狙うはずはないはずでした。
しかし、坂本は京都見廻組によって殺害されます。
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 20:13:18 ID:GE56jR/q0
>>4 > 一番龍馬をうまく利用したのは司馬遼太郎
至言だ。
こんなことが言えるやつは坂本竜馬並にえらい。
なぜなら商売をよくわかっている。
>>45 だったら容保の陰謀より見回り組の陰謀の方が筋が通る。
>>47 これじゃ何言ってんだかわかんねぇナ。容保が命じたと見るより、見回り組が勝手にやったと見る方が筋が通る。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 21:16:17 ID:2LGSD89n0
本当の事を書きます。
竜馬は、いろいろな人を使い 平和的解決の
大政奉還を考え出しました 徳川慶喜が大政奉還を受理しなかったら
土佐藩代表で、大政奉還を薦めていた後藤象二郎は お城の中で切腹する
覚悟でした。
竜馬が 大政奉還を受理しないのなら 徳川慶喜を襲うと言った手紙を送ったのは
本当ですが、彼は、大政奉還に命を掛けてたのです。
大政奉還は、近代日本の為、徳川家の為、無駄な血を流さない為に
竜馬が考え抜いた傑作の案でした。 もともと、薩長は大政奉還など
せずに武力を持って江戸幕府を倒すつもりでした。
しかし、竜馬が、武力で決着する前に、平和的解決である 大政奉還の
案を提案して、努力の甲斐あって受理されたのです。
大政奉還が受理されなかったら、薩長は、武力で攻めるつもりでした。
坂本竜馬も、大政奉還が受理されなかったら、1人でも決死の覚悟で
将軍を襲ったでしょう。
しかし、大政奉還を徳川慶喜は受理し 丸く収まったのです。
将軍と言えども 徳川300年政治をしてきて 朝廷に返すと言うのは
死を覚悟の上の決断です。薩長からも、幕府からも命を狙われても
不思議ではありません。 大政奉還後、竜馬はそう言う立場の
将軍を命を掛けて守ろうと決意しました。
しかし、大政奉還後の一ヵ月後に 何者かによって竜馬は暗殺され、
その後 将軍のお膝元に江戸に、明らかに
薩摩の犯行の 放火、強盗、暗殺など江戸の町を騒がす事件が多発した。
立腹した旧江戸幕府は、江戸の薩摩藩邸を焼き討ちして、鳥羽伏見の戦いの
と繋がって行くのです。
おのずと竜馬を殺したのは誰かと言うのは察しが付きますね。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 21:21:40 ID:2LGSD89n0
追伸、薩長が武力で江戸幕府を倒そうと考えてた時に
竜馬が 大政奉還案を 持って来た。
大政奉還案を受理したのなら、国の主権は朝廷になるのだから、
お上ではなくなり。それだけ、遠慮なく武力攻撃がし易くなる訳です。
大政奉還を受理しなくても、最初から 武力攻撃をしようと
思ってたのだから、どちらに転がっても、薩長にしては構わない
訳です。 最初から、薩長は竜馬の考える
平和的解決は考えてなかったと思います。
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 21:50:34 ID:i44uWZPP0
>>48 いいえ、大政奉還の折衝をした時は、永井の屋敷に坂本は何度も足を運んでいますが、
永井の屋敷に隣接する京都見廻組は、坂本へ危害を加えていません。
大政奉還成立後、京都見廻組への命令を変更させた責任者がいるということです。
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 21:54:44 ID:i44uWZPP0
>>49 坂本が和平論者であったという主張は、妄想に思えます。
彼の言行からは、土佐と薩摩が同盟するために、幕府から政府としての地位を消し去り
これを薩摩への手土産とする、という見解しか浮かんできません。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 22:13:49 ID:2LGSD89n0
>>52 そしたら、何ゆえ 大政奉還を考えたのですか?
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 22:47:33 ID:i44uWZPP0
>>53 >>52参照、では分からないかもしれませんので、大政奉還の歴史的な経緯について説明しましょう。
大政奉還は、黒船来航以降の日本国の矛盾を、当時の日本の連邦国家制度(幕藩体制)に起因するとみなし、
新生統一国家に再編する際、歴史上国家元首であった天皇を、改めて中心となすという考えが根底にあります。
その為に、当時の政府であった徳川幕府から、来るべき統一国家の中心である天皇へ、政府としての権利を返上するわけです。
これによって徳川幕府は政府としての権利を失うことになります。
来るべき新政府は幕府を中心に再編されるべきだ、と京都の徳川慶喜らは思考していました。
(江戸の幕府の人々はこれとはまた別に、徳川幕府がそのまま諸藩を併合し日本の統一政府になるべきだという主張がありました。)
また、薩長は何とかして新政府から幕府系を排除する方策はないかと模索していました。
大政奉還は、天皇中心に日本国が再生した場合、徳川幕府が政府としての地位を失う段階が来るということを意味していました。
その為、薩長はこれを徳川から政権を奪う機会と考え、大政奉還は積極的に推進していました。
また、徳川慶喜は、これを自らの京都の政権が幕府より優越するために必要なことと考え、こちらも積極的に推進していました。
京都の慶喜と薩長はどちらも、幕府から政府としての権利を奪う方向に動いていました。
問題は、幕府から奪った政府の地位を、どちらが手にするかということでした。
>>54 説明になってない。龍馬にとって大政奉還にどういう意味が有ったの?
龍馬の考える大政奉還しなかった場合の展開と、大政奉還した後の展開はどうだったの?
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 23:17:56 ID:i44uWZPP0
>>55 あなたの問いは、
>>52で充分でしょう。
大政奉還が成立しなかった場合は、薩摩の「倒幕の密勅」が進行することとなります。
朝廷が一方的に徳川幕府を罷免弾劾した、という内容の怪文書で、
薩長と、幕府としての地位を捨てていない慶喜との戦闘が開始するわけです。
土佐は薩長側を支持する乾退助ら戦闘部隊と、公武合体へ動く山内容堂で内部対立が起こることになります。
>>56 実際問題大政奉還しても薩長は怪文書を盾に武力を発動してる訳で、この点龍馬はどう考えてたのかねぇ?
土佐をまとめた上で薩長と同盟させるトコまでしか考えてなかった訳?ってかこの期に及んで公武合体なの?
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 23:57:09 ID:i44uWZPP0
>>57 大政奉還成立後に薩長は、政府としての地位を失った旧幕府を叩くことになります。
この時点で生きていた場合の坂本らの行動は、乾退助と同様、薩長側での参戦ではなかったかと思います。
中岡の著した戦略には、幕府を討つことが確かに記されています。
これを考えると、坂本、中岡の二人の本心は、やはり討幕だったと思うのです。
大政奉還は、徳川慶喜の江戸嫌いを利用して、京都の慶喜へ自身の新政府への夢を抱かせることで
幕府の政府としての地位を消滅させるという策略として、坂本が提言したのではないか、と思うのです。
>>58 だったら大政奉還が失敗したくらいで死のうと考えるのは変な話でしょ。仮に龍馬が将軍に切り掛かった
からといって、それで土佐は倒幕だってんなら水戸藩は何であんなにグダグダになってんの?
龍馬が襲撃しても土佐藩も水戸藩みたいなグダグダになるのが関の山。それよりも生き延びて乾なり
薩摩に合流する方が自然。
>>58 どっちにしても武力を使うんなら大政奉還に意味は無い。
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/19(木) 00:22:05 ID:90wOi0rD0
49 が真相だね。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/19(木) 00:23:03 ID:HKacjujd0
>>59 土佐藩の代表として幕府と折衝を行っていた坂本龍馬が兵を挙げて徳川慶喜を襲い、
そこには乾退助ら土佐藩の戦闘部隊もいるわけですよ。
山内容堂がなんと言おうとも、その時点で土佐は薩長と一体に行動することになったでしょう。
>>60 いいえ、「倒幕の密勅」はまともな署名もない怪文書です。
討幕に走る薩長内では動員などに通用しても、それ以外の人々が信じるような文書ではありません。
徳川慶喜が大政奉還によって自ら政権から降りたのなら、
その方が薩長にとっては、幕府が政府ではなくなったと公式に世間に主張するにあたって根拠があります。
大政奉還は、薩長にとって願ってもない恩恵となりました。
>>62 >それ以外の人々が信じるような文書ではありません。
別に錦の御旗みたいに見せびらかして歩く訳でもないんだから関係ないね。
現にそれを根拠に兵を起こしてる訳だし。
主張するも何も政権を返上したんだから薩長が宣伝するまでも無い。逆に政権を手放した慶喜を
武力討伐する大義名分は何処にあるの?
>山内容堂がなんと言おうとも、その時点で土佐は薩長と一体に行動することになったでしょう。
だったら水戸もグダグダしてないで倒幕だったろうさ。
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/19(木) 00:58:44 ID:HKacjujd0
>>63 >逆に政権を手放した慶喜を武力討伐する大義名分は何処にあるの?
天皇の命令ですよ。政府の首班ではなく一般個人を標的にするわけですから数段容易です。
>>山内容堂がなんと言おうとも、その時点で土佐は薩長と一体に行動することになったでしょう。
>だったら水戸もグダグダしてないで倒幕だったろうさ。
天狗党は、提携先が居らず尻すぼみになっただけのことです。天誅組と同じですね。
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/19(木) 01:05:54 ID:HKacjujd0
>>63 >別に錦の御旗みたいに見せびらかして歩く訳でもないんだから関係ないね。
>現にそれを根拠に兵を起こしてる訳だし。
署名もない政府弾劾文書を、薩長以外の他藩が信じるでしょうか?
新政府を作るための戦いです。他藩の賛同が欠かせません。
慶喜自身による大政奉還宣言が、幕府だったものを討伐するには重要だったのですよ。
>>64 >天皇の命令ですよ。
誰も信じない怪文書なんでしょ?理屈が通ってない。政治がちゃんとしてないから討伐するって命令なのに、
政権を手放した慶喜を武力討伐する大義は何処にあるの?
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/19(木) 01:23:46 ID:HKacjujd0
>>66 だから本当に天皇を擁することが必要なのです。
大義は天皇にあります。
>>67 じゃぁやっぱり龍馬から見たら大政奉還なんて何の意味も無いやん。小御所会議では山内容堂が
「何で徳川慶喜を呼ばんのか?」って怒ってるじゃん!?
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/19(木) 01:34:40 ID:HKacjujd0
「倒幕の密勅」は、薩長内では動員などに利用できても、他藩への説得材料としてはあまりに胡散臭い怪文書でした。
だから大政奉還は薩長にとって、またとない旧幕府失墜のための道具となりました。
何しろ、先の将軍徳川慶喜自身が、徳川幕府は幕府であることを辞めた、と宣言し政府の地位を天皇に返却したのですから。
幕府は旧幕府となり、日本国は朝廷を政府とすることとなった、という論拠がこれで生まれました。
あとは天皇に自らの陣営に居てもらえば、自らの陣営が日本国の正統な政府ということになります。
大政奉還は薩長にきわめて有利な慶喜からの贈り物だったのです。
>>69 もう疲れたからこれで最後だけど。大政奉還したら即薩長が新政権じゃないよ。
wikipediaの記事の方が筋が通ってて納得がいく。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/19(木) 01:50:25 ID:HKacjujd0
大政奉還は実際のところ、天皇を擁する勢力に政府をゆだねるという内容でした。
これにより、王政復古を宣言して朝廷内を押さえた尊王攘夷派が
正統な日本国政府としての地位を有することになりました。
大政奉還は討幕行きのプラットホームでした。
徳川慶喜は、ここにいれば京都の自らの事実上の政権が幕府に代わって政府となる、と信じていたのに
やってきた列車は薩長を政府とする討幕号でした。徳川慶喜は乗ってしまいました。
慶喜を騙して連れてきた人間が坂本龍馬だったというわけです。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/19(木) 01:51:58 ID:HKacjujd0
>>70 どんな記述ですか?
大政奉還は坂本龍馬が徳川慶喜に仕掛けた罠であったと私は考えています。
>>72 関連する記事をアレコレ読んで矛盾が無いと判断した。
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/19(木) 01:57:07 ID:HKacjujd0
>>73 あなたは、私の見解を全面的に採用するのですね。
私の見解にあなたは矛盾を指摘できませんから。
>>74 いや全く賛同出来ません。密勅についての考えとか矛盾してるし、大政奉還から薩長が実権握るまでの
経過を安直に考えてる。
で、何で龍馬暗殺の話になってるのこのスレ
他にもスレはあるだろう
一番うまく利用した奴を決めるスレじゃないの
>>75 何よりも龍馬が大政奉還を主張した理由が全く納得出来てません。あなたは罠だというが、
その罠は成り行きが不確かすぎて成立してません。後世の目で見てるからそう見えるだけ。
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/19(木) 02:07:48 ID:HKacjujd0
>>75 賛同できない部分をお挙げなさい。さもなくば単なる中傷ということです。
>>52を参照。あなたが目をそむけたことが書いてありますよ。
じゃあ二位以下を決めるか
龍馬暗殺なんてどうせ煽り合いだけで結論なんて出ないし
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/19(木) 02:11:07 ID:HKacjujd0
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/19(木) 11:55:04 ID:KAxrb75U0
竜馬がゆく を読んでみなさい。
竜馬は戦争の嫌いな平和主義者ですよ。
彼の死後に
鳥羽伏見の戦い 戊辰戦争が起こったのは本意じゃないと思う。
そんな作者の勝手な解釈の「創作物」で人間性を語られても説得力は無いな
でも守銭奴。
>>81 武力倒幕一本なら大政奉還自体不必要だから
脳内解釈で吠えるな
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/19(木) 14:51:20 ID:HKacjujd0
薩長に大政奉還は利用価値がない、と叫ぶ人間は痴呆ですね。
薩長が単純に幕府を犯罪者呼ばわりして、天皇の命令かどうかも分からない文書に基づいて幕府を攻める場合と、
幕府自身が自分で政府の座から降りて、天皇の命令に従うと声明を出した後で、
薩長が天皇を擁して天皇の命令を振りかざして攻める場合とが同じだなんて。
>>85は、野獣としての精神を持つと根拠もなく主張したと言う点で、
>>85自身が嫉妬に身を焦がし狂獣と化した痴呆人の妄言なのだと受け取っておきます。
【レス抽出】
対象スレ:坂本竜馬ってうまく利用されてただけじゃ?
キーワード:薩長に大政奉還は利用価値がない
86 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2010/08/19(木) 14:51:20 ID:HKacjujd0 [11/11]
薩長に大政奉還は利用価値がない、と叫ぶ人間は痴呆ですね。
薩長が単純に幕府を犯罪者呼ばわりして、天皇の命令かどうかも分からない文書に基づいて幕府を攻める場合と、
幕府自身が自分で政府の座から降りて、天皇の命令に従うと声明を出した後で、
薩長が天皇を擁して天皇の命令を振りかざして攻める場合とが同じだなんて。
>>85は、野獣としての精神を持つと根拠もなく主張したと言う点で、
>>85自身が嫉妬に身を焦がし狂獣と化した痴呆人の妄言なのだと受け取っておきます。
>>86 煽り一辺倒で痛々しい…
>>86は王政復古のクーデター成功・錦の美旗に慶喜君戦意喪失って結果論からなる戯言
っあ!確かに武力倒幕路線に大政奉還が障害になるとは言ってないから
まぁ武力倒幕が成功する可能性なんて万に一つ
武力討伐が成ったって結果から遡るなら大政奉還など蛇足に過ぎないから
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/19(木) 20:21:09 ID:HKacjujd0
>>88 小説のイメージだけを押し付け、実際の史料を無視する人間は
痛々しさを通り過ぎ、虚偽を歴史の中で押し通そうと企んでいるということに気付くべきです。
それは、実際は犯罪者でしかなかった金喜老や松平容保を
小説内で人格者に仕立てようとするだけでなく、これを史実としたがる思い込みと同質の、卑劣極まりない試みでしょう。
史料を見る限り、坂本龍馬は和平派とは言えません。
坂本龍馬は、戦前は朝鮮半島進出の先駆者として持て囃され、戦後は一転して反戦平和の象徴扱いされてきました。
どちらも小説などで作られたイメージであり、真実性は感じません。
坂本龍馬は武力で徳川幕府を討ち、徳川幕府を崩壊させようと画策していました。
ところで、あなたの論には全く根拠がありません。
>>89 > 小説のイメージだけを押し付け、実際の史料を無視する人間は
〇〇認定ってやつかな?
都合の良い先入観で人を見下さないと話しも出来ない輩なんですね
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/19(木) 21:03:43 ID:HKacjujd0
大政奉還は、日本国の政府の座を徳川幕府が放棄し、これを天皇及びその朝廷に返納するということです。
これによって、朝廷を押さえた集団が日本国政府として振舞うことが可能となりました。
この後の政治経過を単純に書くと、次の通りとなります。
薩摩は、二条関白へ従来から進言していた長州征伐失敗後の政治処理としての長州藩への朝敵認定解除を、
明治天皇即位に伴う尊王攘夷派公家特赦と併せて実行させることに成功しました。
朝廷内の王政復古が実行され、朝廷内の尊王攘夷派と薩摩は主導権を確保し、大政奉還後も暫定的に機能していた
旧幕府を完全に否定し、自らの派閥で朝廷内の人事を押さえ、尾張越前や土佐に薩摩芸州の軍で御所を固めました。
旧幕府はこれに反論する論理がなく、会津桑名も含めて一旦大阪に退去し、軍事政治圧力による朝廷の変化を待ちました。
朝廷は旧幕府の領地を朝廷のものとすることを決議し、旧幕府関係者が朝廷で発言することがないよう彼らの朝廷内での官位を否定しました。
(これは、すぐ後に慶喜の復権を望む勢力によって骨抜きになりました。)
長州藩の兵が到着しました。そして、江戸での薩摩藩の挑発に乗せられた旧幕府軍が朝廷警備の任務を所持していた薩長軍と戦争になりました。
これは、大政奉還によって徳川慶喜が日本国政府としての地位を自分から朝廷に返上してしまったから発生した出来事です。
幕府が政府の座を堅持しているなら、王政復古の際に幕府軍は軍隊を朝廷内に入れ、尊王攘夷派を排除する権能を有します。
また尾張越前土佐など、薩長芸以外の諸藩の行動も大政奉還によって変化しました。
彼らは大政奉還以前は徳川幕府を日本国政府として支持尊重していました。
日本国政府としての地位を徳川幕府が失ったため、彼らは朝廷の命令を日本国の意思とするようになりました。
倒幕の密勅は、大原や正親町三条の署名しかない、とても天皇自身の勅とは言いにくい文書です。
これを掲げても、討幕へ走る薩長内ならいざ知らず、他藩をこの勅で行動させることは出来ません。
先の徳川将軍自身が幕府を消滅させ政府の座を朝廷に返納した大政奉還は、その実薩長にきわめて有利なものでした。
坂本龍馬は和平のためにこれを推進したのではなく、薩長への手土産として徳川慶喜を詐欺に陥れたのですよ。
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/20(金) 00:12:36 ID:ZXUFQQnn0
結婚詐欺の被害者に、犯人の手口を告げたところで、
返ってくる言葉は「彼(彼女)はそんな人じゃありません」なんだな。
小説家は、歴史上の人物に史料にもない変な美化をした上で、
読者を騙すことは、なるべく慎むべきだと思う。そして読者は小説を史実だと思い込まないことが大切だ。
司馬も美化傾向が強い。まして他の小説家にいたっては男色だか紅顔の美少年だかわけが分からないことになっている。
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/20(金) 09:15:02 ID:FhNTE/q/0
そもそも、何で討幕派だったんですか?竜馬は?
薩長が討幕派ってのは
分かるんですが (国自体がそんな感じだから、)
>>92 > これを掲げても、討幕へ走る薩長内ならいざ知らず、他藩をこの勅で行動させることは出来ません。
> 先の徳川将軍自身が幕府を消滅させ政府の座を朝廷に返納した大政奉還は、その実薩長にきわめて有利なものでした。
>
> 坂本龍馬は和平の
これまた長々と…
結局「鳥羽伏見で薩長が勝った」って結果ありきじゃん
慶喜の戦意喪失・敵前逃亡なんて予期せぬことがあったから薩長が官軍になっただけ
普通に考えれば鳥羽伏見で薩長は敗戦し、朝廷は徳川に泣きついただろうよ
大政奉還なんか形式に過ぎないから
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/20(金) 11:31:32 ID:ZXUFQQnn0
>>94 尊皇攘夷の流れは、
水戸・草莽(非藩士)→土佐勤皇党→長州→薩摩 と主導権が移動していきます。
水戸藩攘夷勢力は、桜田門外の変で井伊直弼を暗殺して以降、東国で天狗党の乱を起こし自滅してしまいます。
次に京都で武市を中心とする土佐勤皇党が乱暴狼藉を働き、これを鎮圧するために新撰組が問答無用の殺人暴行を行います。
土佐が山内容堂の命令で勤皇党を処刑すると代わりに主導権をとったのが長州で、彼らは藩ごと尊王攘夷運動にのめりこみます。
薩摩の尊王攘夷派は桜田門外の変のころから活動しているのですが、事前に藩内で粛清したり、逃げるのが上手く
最後に幕府を実際に転覆させるまで、幕府勢力は彼らと協調したり対立したりして、結局利用されてしまいます。
坂本龍馬は土佐勤皇党の残党だったのですよ。だから土佐国内にいられなくなって諸国を回ることになった。
>>95 あなたが史料を捨てて小説に飛びついても、本人は苦笑するだけでしょうね。
大政奉還は、「倒幕の密勅」よりも優れた幕府破壊のための刃でした。
これを、京都での慶喜政権誕生という夢にすがる形で採用した徳川慶喜は、
>>14で示されているように、坂本龍馬の詐欺に引っ掛けられたのですよ。
坂本龍馬は討幕に走る薩長への手土産として、大政奉還を徳川慶喜に実行させることに熱意を燃やしました。
>>96 まだ根拠無き脳内妄想で騒いでるの?
因みに倒幕なんて思想は第二次長州征伐以降に出てきた思想
それまでは反幕だから
君は一つの史料だけに固執し、客観的に物事を見れない輩なんだよ
大政奉還しようがしまいが国力・軍事力共に圧倒的に徳川優勢
この客観的事実を忘れないように
そもそも龍馬が手土産って…(笑)
大政奉還が龍馬の手柄とでも思っているの?
っあ!それと一々アゲルなよ
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/20(金) 17:00:48 ID:pGjjg9KY0
坂本龍馬も大きくはこのメンバーでしょう。キリスト教的世界観をもった重商主義団体と理解しています。
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/20(金) 21:16:17 ID:Qo+SZW9T0
タイムマシーンで過去に行かなきゃ
分からんね。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/22(日) 09:40:32 ID:4+8dMuvy0
竜馬暗殺の下手人は
見回り組みと言うことになってるが
なんで、新撰組を装ったのでしょうか?
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/22(日) 11:02:51 ID:qLRnj0mx0
>>100 そのほうが新鮮に感じられるからでしょう。
暗殺の黒幕はメーソンでいいよ
アホな日本人にはこっちのほうが都合がいい
憂国の志士たちを汚すわけにはいかもはん
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/23(月) 00:14:08 ID:k/RrbRdi0
小沢一朗って竜馬に似てませんか?リスペクトしてる様に見える
冗談w 小沢一郎は現職の国会議員で民主の実権を握っている幹部
どっちかと言えば西郷や桂みたいなもん
何の肩書きの無い田原総一郎みたいな輩が坂本龍馬にあたる
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/23(月) 01:26:47 ID:k/RrbRdi0
なるほど。でも自民、新進時代の彼は今の一郎さんじゃなかった・・
とおもうけど・・
坂本竜馬を利用してうまい汁を吸おうした連中の目論見が外れつつあるのは
間違いない。
>>106 NHKの目論みは当たってしまった様だ。見てないけど。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/23(月) 18:50:56 ID:utZvD7L90
坂本龍馬や他の過去に功績を残した人のことを利用しても
本人やそのグループが、それに伴う生き方をしていなかったら
目論見がうまくいくわけがない。
過去の偉人を利用する偽善的なものが見えて逆に不愉快。
109 :
安藤対馬さんの野望:2010/08/24(火) 01:25:23 ID:Mro5b/070
聞くところによると坂本某なんてのは昭和中期以降ぐらいから名前が人口に膾炙してきたらしいぞ。それまでは「は?」だったようだ。
志士といやあ聞こえはいいが気負いのみで実はなし権勢あって組織なし、
幕府に老中幕閣官僚の交代あって持続政策なし奥向あって毒殺権勢跋扈し、
内裏に叡慮あって英断なし補弼という名の魑魅魍魎あり、
水戸家に勤王憂国ありて大人既に死してなし、
薩摩に騒動ありてまことの賢候既になく三郎タンのおかげか陪臣またものの権勢が増し、
土佐に鯨候あるも既に隠居の身、市井の儒者蘭学者洋僻家のたぐい彦根の牛に食われ既に肥となり、
久世幕閣に断ありて参勤交代衣冠束帯なし、おおまつりごと還し奉るの端緒はこの愚断であり、ここより幕府は一途衰亡せしもの也哉。
つうか、志士程度がどうやって公方さんにプレゼンできんだ?つうか政権返上なんてのはそんなに目新しいことか?
誰が最初に企画したかなんて誰にわかんだよ、鶏卵の喩えだぜ。
ま、竹中重治の美濃一夜攻めみたいな創作ヒーロー伝説ディケイドみたいに解釈を信じた方が断然楽しいがな。
>>102 メーソン説はバカすぎ
坂本がジャーディン・マセソン商会の手先の工作員である可能性は高いし
坂本を利用して日本にクーデターを起こさせた状況証拠はある
でもそれはジャーディン・マセソン商会の対日進出、政治工作上のことだろう
それをフリーメーソンが云々なんて話にすりかえられるとただウサン臭いだけだ
ジャーディン・マセスン商会は確かにロスチャイルド系だし、
創業者のウイリアム・ジャーディンはメースンリーだった
確かにそれは歴史上の事実
でもだからといってフリーメーソンが云々なんて話は眉唾の陰謀説だ
ジャーディン・マセスン商会は鎖国徳川政権を倒して、開国させて
新政権に影響力を持ちたかっただけだろう
ジャーディン・マセスン商会からみると、坂本は最初こそ現地工作員・武器商人として
日本国内の反体制勢力(薩長)の同盟・組織化に貢献したが
晩年には大政奉還を工作して、日本の旧体制を守る側に立っていた
ジャーディン・マセスン商会はそれまでに長州5をはじめとする志士を欧州留学でオルグして
新政権の人材を育成してきたし、旧体制を武力革命で倒すことが規定路線だったはず
その上で坂本は寝返った邪魔者でしかなかったとすれば、暗殺する動機はあった
志士たちがオルグされていたというと抵抗感があるかも知れないが、現に樹立した新政権の
要職はその後もジャーディン・マセスン商会・英国との太いパイプがあったし、日本最初の
財閥である三菱財閥の創始者がグラバーとパイプをもっていたのも歴史的事実だ
ジャーディン・マセスン商会が対日工作として考えていたのは一言で言えば
クーデターによる親英傀儡政権の樹立だ
これは東インド会社以来、ジャーディン・マセスン商会がやってきた対インド、
対清工作の失敗を踏まえて最も洗練された統治体制だったといえる
インドでは大反乱を食らったし、アヘン戦争の件では英国議会で顰蹙を買った
これは少し調べてみればわかるが、実は創業者のウィリアム・ジャーディンこそが、
ロビイングの先頭に立ってアヘン戦争を実現にこぎつけた仕掛け人だった
ジャーディン・マセスン商会がアジアに対して野望を持っていたのは疑いようもない
極東の島国日本だけがその毒牙から逃れ得たなんて妄想こそ胡散臭い話だ
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/26(木) 00:54:04 ID:oXE8ipleP
>>109 >聞くところによると坂本某なんてのは昭和中期以降ぐらいから
>名前が人口に膾炙してきたらしいぞ。それまでは「は?」だったようだ
坂本龍馬を主人公とする映画は戦前の方がはるかに多いし、
『皇后陛下御瑞夢』という文部省唱歌も作られてますよ。
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/27(金) 11:52:39 ID:1aI1GmrC0
それが昭和中期だっつう。
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/27(金) 11:54:37 ID:1aI1GmrC0
言論統制、官憲特高による思想統制をかいくぐるにゃ非常にいい素材だったんだろう。
118 :
椎名さん@お腹いっぱい胸いっぱい。:2010/08/27(金) 11:57:13 ID:1aI1GmrC0
坂口安吾なんかも、コラムの締めは軍部の思想に同調してたりする。
119 :
椎名さん@お腹いっぱい胸いっぱい。:2010/08/27(金) 12:01:42 ID:1aI1GmrC0
素材は信長だけどね
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/01(水) 18:17:10 ID:VRf4SB6D0
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/03(金) 18:56:48 ID:Bv3hu70f0
坂本龍馬がうまく利用されていただけなら
幕末維新の革命をどう考えるのだろうか。
日本全体がうまく利用されたとでも言うのか。
龍馬が薩長に利用されたと言うのなら、
なぜ、薩長はそのような手の込んだことをする必要があったの。
納得いく理屈が成り立つかな。
政治ブローカーも、事件屋も、すっかり死語になったしなあ。
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/05(日) 01:04:50 ID:6u6bggL40
121>幕府はフランスに、薩摩はイゲレスに、上手く利用されとりますた。
坂本某がなにしたつうぅんじゃ、実際。まあおもしろげな感じのヤシではあるが。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/05(日) 09:45:23 ID:tD8pSUB20
坂本暗殺の黒幕は土佐藩。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/05(日) 20:58:12 ID:lzLXpWSX0
坂本竜馬と西郷隆盛って相性最悪だと思うんだけどどうだろう?
西郷は武士が商人のように利益で動くの嫌ってた人でしょ?大政奉還も
大反対みたいだったし。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/05(日) 21:02:06 ID:CeyT+7yt0
大政奉還は、薩摩は大賛成でしたよ。
ただ、そんな自殺行為を徳川慶喜は選ばないだろう、と考えて別の手段を用意していただけですが。
あと、薩摩藩は藩公営の商売が盛んでした。
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/05(日) 21:16:42 ID:CeyT+7yt0
>西郷は武士が商人のように利益で動くの嫌ってた人でしょ?
いいえ、職務権限で自分の懐を暖める、職務以外のところに主を持ちその人間の利益を職務権限で図る
というのは職務違反、という考えの人でした。
藩乃至国家に利益を全てささげるなら、商売人としての振る舞いをむしろ賞賛したでしょう。
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/05(日) 23:19:58 ID:CeyT+7yt0
西郷の考える汚職批判とは実際のところ、国益を損なう選定や中間役人のピンハネへの批判であり、
儒教信者が短絡的に思いつくような商業排斥思想ではない。
薩摩藩の役人は藩の公営事業と不可分であった。
例えば、郡の役人が街路樹として櫨の木を道端に植えさせる、
実が成る頃に役人権限で地域住民を動員して収穫する、
買い付けに来た都の商人に、値段を地域住民には秘密にして販売し、利益を全て藩中央に持っていってしまう、
と、こんな具合。
藩中央に利益の全てを出すべきであり、郡役人が自分の手元に利益を置いておくことは絶対に許されなかった。
また藩の利益になるように地域住民がいつも働くよう仕事を考えるのが役人の仕事で、
地域住民とは働かせてナンボな程度の存在であった。
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/05(日) 23:40:14 ID:lzLXpWSX0
翔ぶが如く
みた感想だと西郷が竜馬を暗殺してても不思議じゃない感じしたけどな。
なんか後藤象二郎の大政奉還論(元は竜馬の策だが)に同調した薩摩の奴を
怒鳴り散らしたとかそんな記録あるみたいだし。
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/06(月) 00:11:21 ID:Vi+dhh8U0
司馬は儒教の塊として西郷を書いているが、実際はそんなものではない。
あれは「大人物」になろうとして、その通りに生きた一人の人間だ。
そして、そんな記録は見たことも聞いたこともない。
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/06(月) 00:21:48 ID:Vi+dhh8U0
司馬は情念を織り交ぜて小説を書いたが、後の人はこれを史実だと勘違いした。
実際のところ、彼の小説にはあちこち研究者の現在の研究結果とは食い違う部分がある。
でも司馬ファンは、司馬小説の方を信じてしまう。
坂本龍馬は反戦平和などは考えず、武力で徳川幕府を打倒するために武器を仕入れていた。
その程度のことを再三言わなければならないのだから。
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/06(月) 01:22:22 ID:ho06tmMRP
>>130-131 司馬は西郷隆盛のことをかなり批判しているぞ?
それに坂本龍馬のことを平和主義者なんて書いてないだろ?
お前、本当に司馬の小説を読んだのか?
海江田の公武合体路線に対し、「それは終わった、現在は討幕なのだ」、と注意をする文書はある。
しかし土佐による大政奉還運動が、幕府を政権から引き摺り下ろし討幕を容易にする運動として
当時薩土盟約交渉中の薩摩へ説明提示されていたことを考慮すると、
大政奉還と討幕は矛盾せず、むしろ表裏一体のものであった。
薩摩は、徳川慶喜が自ら政権から降りてくれたなら討幕がしやすくなる、とは思っていたが
政権を持っていることが幕府の強みであることを考慮すれば、
薩摩が幕府の大政奉還を望んでも、慶喜が受け容れるわけがないと考え、
天皇による一方的な幕府への朝敵認定で一気に大義名分を手に入れようと試みていた。
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/06(月) 01:35:45 ID:Vi+dhh8U0
>>132 どの小説を読んだのかな?
王城の守護者では西郷は悪役一辺倒だね。
花神ではわけの分からない巨悪だね。
一方、飛ぶが如くでは理想から混沌へ作者自身にも意味不明な行動を始めて自爆する。
司馬は結局、西郷を儒学で括ろうとしたが、上手く扱えなかった。
坂本龍馬に関しては、司馬の妄想が人物像に悪影響を与えているよ。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/06(月) 01:51:32 ID:9tecoXEq0
歴史上の人物を善か悪かで括ろうとするなよ。
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/06(月) 01:53:19 ID:Vi+dhh8U0
悪人に書いているのは、司馬だ。
史実とは懸け離れているのだが、司馬ファンにはその程度の小説上の脚色も分からないまま
史実と勘違いをして叩いて回る。迷惑なんだよ。
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
西郷が2000石 木戸、大久保が1800石
らしいけど。竜馬が生きてたら1500石ぐらいもらえてたのかね。