大東亜戦争はだいたいこんな感じでいいの?3

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118名無しさん@お腹いっぱい。
満州事変後、国民党の排外政策は中止される。元々、一般のシナ国民は日本人に対する敵意などなく、
国民党が排日政策を強要したため、仕方なくそれに従ったに過ぎない。塘沽協定で日本−シナ関係が
改善されると、民衆レベルでも活発で親密な交流が行われることとなった。

もちろん、ごく一部の排外的国粋主義者が反日行動を継続したのは事実である。

しかし、一般国民レベルでは、親密な交流が続いた。特に、満州国の発展や、住みやすい環境、
合理的な課税制度は華北住民のフラストレーションを著しく高めた。なぜなら、華北住民は、
国民党の重税政策に苦しめられ、馬賊や匪賊も出没するような劣悪な居住環境だったからである。

彼らが満州国に憧れ、自分達の自治で住みやすい国をつくろうと、自治運動を始めたのは
当然と云える。華北の自治運動は、満州国の発展と表裏一体だったということを忘れてはいけない。
あと、華北住民の反日は国民党に押し付けられたものであって、本質的なものではなかった、
という事実も忘れてはならない。彼らは基本的には反国民党だったのである。