大東亜戦争はだいたいこんな感じでいいの?3

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11名無しさん@お腹いっぱい。
シナ事変当時、日本はシナとの停戦合意を目指していたわけだが、
米英は露骨にシナを援助して、事変の解決を妨害したばかりか、
日本の資源獲得に対しても激しい妨害工作を行ってきた。

つまり、米英は、この段階で日本にとっては敵性国家だったのである。

しかし、敵性国家と言っても、本気で戦争などする気は無く、外務省
は対米交渉を粘り強く行って、対米戦争回避とシナ事変の解決を目指した。

軍部も「対米戦争を辞さず」という威勢の良い文句を並べた政策綱領を
作って強気の姿勢を崩さなかったが、シナ事変における姿勢は、米英を
刺激することを極力避け、英国植民地には接近しなかったし、仏印進駐も
あくまで平和的に行った。

仏印進駐にしても、フランスがドイツに占領され、いつ米英に占領されるか
分からない状況だったので、共同防衛を申し入れたに過ぎず、それが南部仏印
進駐である。その裏には、米国内での急激な軍備拡張と、米国高官や高級軍人の
度重なる日本挑発発言があった。こんな状況では、米国の警告などまともに
聞いていられない(信用できない)のは当然である。シナ事変完遂こそ全て
だったのである。対米英戦争など全く考えていなかった。

その間にも、外務省が対米交渉を粘り強く続けていたことを忘れてはならない。
日本が対米戦争に消極的だったのは「東京裁判弁護側史料」にみてとれる。