木戸孝允(桂小五郎)について語ろう10

このエントリーをはてなブックマークに追加
371名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/23(月) 02:43:01 ID:E8o4kK/20
>>368
うわあ、妻木忠太氏の木戸一連本だね!
自分も読みたいんだが、最寄りじゃない図書館まで行かねばならず、しかも閲覧のみなんだよ(涙
面白い逸話がいっっぱい詰まってるんだよね。
実物を手にとって読めてはいないんだけど、木戸の一次資料を全部ではないが割りと多い量掲載してるサイトさんがあって(具体名は出せないが)、そちらで『木戸松菊公逸話』の一部を読むことができたよ。
面白かったw
372名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/23(月) 18:53:35 ID:utZvD7L90
木戸孝允は信頼できる資料が残っているのだから
ドラマ化すればいいドラマが出来そう。
373名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/23(月) 19:43:49 ID:GLiNv2kV0
マツノ書店とかから『木戸松菊公逸話』復刊してほしいな。
374名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/24(火) 06:52:40 ID:Y+jkR9gY0
木戸孝允が維新関係の人物で一番凄いな。
375名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/25(水) 22:35:58 ID:U7EES6sY0
>>367
>忠太郎は小浜藩士・松本某と松子の妹・信の子って事でFA?

小浜藩士・松本某ってのがどこから出てきたのかは知らんが、
信は丹波亀山藩形原松平家の家臣、小関廣次(教孝)に嫁いでいる。
忠太郎については木戸と信の子説が濃厚。

それより歴史秘話ヒストリア10月6日は木戸の予定。
376名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/26(木) 22:25:11 ID:MuaJ7e2f0
347に書き込んだものです。
読売新聞の昭和29年11月2日朝刊14面に、
木戸忠太郎夫妻が写真入りで紹介され、本人のコメントが掲載され
「・・・私が若狭国小浜藩士松本家からもらわれて木戸孝允の養子となったのは
三歳のときで明治7年です。・・・」あるので。小浜藩士が父かなと考えました。

木戸日記に明治7年6月25日の項に
『(京都土手町の新しく買った家に管理のため)今日より木崎政太郎父子移住。
其の母姉等にも始めて面会す』とある。
姉とあるが、当時は妹も姉と表記している事があるから妹の信では?
信なら、このとき初めて妹に会ったと思うので、木戸が父である可能性は低いような。

信が小関氏にいつ嫁いだか知らないですが、この後と云う事は無いでしょうか?

読売新聞に書かれている記事は夫妻の笑顔で新聞をめくる写真も掲載され
事実だと感じます。
347にも書きましたが、大きな図書館ではヨミダス歴史館で明治大正昭和の
古い新聞がそのまま読めるので、是非読んでみてください。
377名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/26(木) 22:47:22 ID:qhnltgi/0
>>375
> それより歴史秘話ヒストリア10月6日は木戸の予定。

期待半分どうせまたあることないこと変な捏造されるんじゃないかという諦め半分…
378名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/27(金) 00:34:33 ID:PySACHd80
ヒストリアは松蔭先生の話が面白かったから期待しておくw
379名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/27(金) 06:36:34 ID:zZ7ZFaCf0
木戸が征台に反対して辞任しても追随して辞任する長州人はいなかった。
長州閥の性質か。木戸に人望がなかったからか。
380名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/27(金) 07:12:25 ID:LYxru1Qu0
人望のない人をあんな大騒ぎして政府に連れ戻そうとしてたんですか
明治政府もなかなか酔狂な人の集まりですね
381名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/27(金) 11:14:39 ID:zZ7ZFaCf0
藩閥均衡人事で長州閥の代表として政権のトップに立っただけ。
西郷、大久保亡き後の黒田、松方のようなもの。松陰、久坂、
高杉が早く死んでくれたおかげで長閥のトップに押し上げ
られたんだよ。
382名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/27(金) 12:45:56 ID:iCaE8VIU0
久方、高杉が生きてた時でも彼らより立場は上だったんだけど、
381は何を根拠にそう言ってるの?
383名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/27(金) 19:25:19 ID:mV83zKot0
人望が無いなら維新になってリーダーの一人になったり
下野したのを連れ戻そうとするわけが無いでしょうが。
384名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/27(金) 22:08:23 ID:XiCGon+r0
>>381
久しぶりだなぁ、お前。元気してたか?体をいとえよ。
385名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/28(土) 14:38:24 ID:s1Yxh+6F0
鶴亀レス申し訳ない。家からもWifiも駄目だ。。。>地方官会議
書記官マジかぁ。貴重情報いつもどうもです。

忠太郎さん、明治7年で3歳?木戸が洋行する前に出てこなかったですかね?
なんか、病気になって横浜に松子さんといって云々みたいの。
それじゃないかも、だけど、洋行前に出てくるような気がする。
386名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/28(土) 21:45:26 ID:+DkxP0Vw0
それは、養子の正二郎では?
忠太郎は明治4年4月14日生まれです。
387名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/29(日) 15:06:32 ID:+31RVcTP0
新撰組に命を狙われながら果敢に活動する志士桂小五郎のイメージは
『鞍馬天狗』のたぐいの小説や映画が作った虚像なんですね。
388名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/29(日) 21:04:32 ID:ypFzEWG10
征台論は結果をみればやはり清国が介入してきて、木戸の意見の方が正しかった。
389名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/29(日) 22:01:22 ID:+31RVcTP0
木戸はチキン
390名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/30(月) 13:05:48 ID:ed7neMHG0
ところで「木戸孝允 子孫」でググると某人物の名前が大量に出てきますが、これは本当に子孫の方でしょうか?
木戸の嫡流だとしたら「孝○」と名乗るのが普通ではないでしょうか。 
次男以下だと話は別だけど。でも幸一の子供たちはみんな「孝○」が付いてる。
1969年生まれで幸一の曾孫というのがかなりの疑問です。一番年長の孝澄さんでも多分1920年代前半生まれでしょう。
大体華族の嫡男は結婚が遅いのが相場だし、普通に考えれば20代後半以降に子供をもうけたと考えた方が普通です。
孝澄さんの娘が十代で子供を設けて、離婚したから引き取ったとかなら話は別ですが。
391名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/30(月) 13:30:21 ID:ed7neMHG0
確かめました。孝澄さんは1917年生まれ、妻の舒子さんが1923年生まれ。上記は訂正しておきます。
微妙なところでしょうね。六歳差がありますから、
舒子さんが二十歳前半になってから結婚したと見た方が分かりやすいと思われます。
ですが、孝澄さんには子供が三人あり、どの方も女性でしたから、この人たちの子供である可能性はありえますね。
特に長女は養子を取らねばなりませんから、一番早くに結婚していてもおかしくない。
392名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/30(月) 16:09:41 ID:jGYOpYJu0
桂が生涯憎んだのは松平薩摩じゃなく容保、徳川家茂、徳川慶喜だよ
この3人は桂は許さなかった

実際この3人は幕末に好き勝手やってたからね

393名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/30(月) 16:10:54 ID:jGYOpYJu0
まちがえた

桂が生涯憎んだのは薩摩じゃなく松平容保、徳川家茂、徳川慶喜だよ
この3人は桂は許さなかった

実際この3人は幕末に好き勝手やってたからね

394名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/30(月) 16:33:41 ID:gnpVOMzw0
木戸は明治4年頃に徳川慶喜を政府に登用すると言い出してましたが
395名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/30(月) 19:16:33 ID:bDAF3x3I0
つうか家茂許すも何も一番先に逝ってると思うんだけど。墓を発いたり
したのか?
396名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/30(月) 22:07:58 ID:jGYOpYJu0
ちょっと北朝鮮に似てる(キム、関係者だけいい目に会う)制度を
本気になって変えたのは木戸

傲慢で自己中の「徳川」が終了
それにしても
あの傲慢な制度を見ると今の時代と一緒
上に立ちたがる人物はいい性格の奴はいないってことだよね

木戸や西郷は上に立とうという野心はなかったし
397名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/30(月) 22:53:21 ID:gnpVOMzw0
木戸は毛利の殿様大好き野郎ですが
世襲で上に立ってたから性格悪いなんて短絡的なことは思わないだろうよ
398名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/30(月) 23:31:45 ID:Z9aOUCGX0
木戸は封建制度を近代的な制度に変えようと命懸けで努力したよね。
それは、人々の幸福のため。木戸の願い、目指すところは人々の幸福だった。
そのために、より良い制度を模索し実行しようとした人。
ただ、旧制度で活躍していた人を悪いと切り離したり、急激過ぎる改革で
進もうとした人を良しとはしなかったよね。
目指すところは民主国家でも進め方も細心の注意を払っていたのだと思う。
399名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/31(火) 00:32:11 ID:UY4BSTZs0
人気が薄いと言われる木戸ですが、
名前を変えなかったら(桂小五郎→木戸孝允)、もちょっと人気あったと思う。

名前が変わって、イメージが分散して印象薄くなってしまった感あり。
別人だと思ってる人も少なからずいるはず。
400名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/31(火) 00:39:49 ID:VHaNRDxf0
>>399
名前を変えたのは藩の命令、命を守るため仕方なかったんだけどね。
401名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/31(火) 00:48:25 ID:uRo1V7mF0
とりあえずsageてね

第1級のお尋ね者だったことと、だから藩命で改名したってことがあまり結びつけられて認知されてないのかね
402名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/31(火) 01:02:49 ID:UY4BSTZs0
認知されてないですね。

それと「孝允」という字。普通読めないです。
これもイメージ薄くしてる一因かと思う。
403名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/31(火) 19:21:24 ID:VHaNRDxf0
>>402
こういん矢の如しと言う言葉をしってたかよしよし
と覚えよう。
404名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/04(土) 21:15:21 ID:zvaj/9pS0
大河スレ見てると、おめー木戸が小物化されてる創作物の時も同じ批判をしたんだろうな?と突っ込みたくなる時がある
まあ愚痴っても仕方ないが
405名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/05(日) 20:31:19 ID:lzLXpWSX0
木戸って戦とかしてないイメージだけど奇兵隊やっつけてるんだよね。
戦ベタではなかったの?
406名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/05(日) 22:29:27 ID:FLqcokylO
先頭切って戦うことは少ないけど下手じゃなさそうだ。
407名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/05(日) 22:39:54 ID:Lx9UoM7X0
江戸留学中に西洋兵学や砲術を習っていたらしいので、戦ベタではないと思う。
408名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/05(日) 23:01:31 ID:DJ2vWT8d0
戦上手であったかは、(特に実戦)う〜ん未知数。微妙w

ところで木戸の人気薄についてだが
例の大礼服の写真もいけないんだともうよ。
かくいう自分も子供時代に百科事典であの写真見るたび
「なんて暗い人(それもちょっと叔母さんちっく)」
と思ったものだ。
そこで説明文読めばよかったんだけど、暗い人=怖いと思って
スルーしていた。
のちに桂小五郎後年の写真と知った時のあの衝撃(涙)
必死に見比べて、
「ホントだ造作は同じだ〜。どうしてこんなことに。
よっぽどいろいろ大変だったんだなぁ…」(再涙)
…と納得した。
今となっては、激痩せ、激太り、間抜けな股引アンブレラ姿などなど
どの時代の写真を見ても面白く彼の人生をかみしめているけれど。
409名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/05(日) 23:54:37 ID:lzLXpWSX0
翔ぶが如くとか読んだけどなんで木戸がここまで嫌われてるかなって思うんだよな。

前原とかも乱起こしたとき木戸を名指しで批判したみたいだし。
大久保暗殺した奴も木戸を一番の悪人扱いしてたみたいだし。

なんでだろう?政界から引っ込んでた時期も多いのに。
410名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/06(月) 01:25:21 ID:xMio8DTk0
>>409
長州筆頭、開明派筆頭というのが大きいと思うよ。
政界から引っ込んでいた時期が多くても、影響力はでかかったと思うし、
だからこそ大久保もなんとしてでも引きとめようとしたのでは。

前原のことはよくわからないけど、大久保を暗殺するような人間に
してみれば木戸は極悪人の扱いになるのはわかる気がする。
411名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/06(月) 03:28:12 ID:ttw5SEO30
前原は木戸より一歳しか年下でなかったよね、確か。
過去スレでも前原の話は出てきてたと記憶してるけど、自分は木戸よりも前原自身に問題があったと思ってる。
彼は性格が閉鎖的で、理性よりも感情の量がはるかに多い。愛憎が激しく、視野が狭い。
才能の面でも木戸のように指導者としての資質もその優秀な手足となる資質も無かったように思う。
過去スレでは、前原は木戸に嫉妬してた、という書き込みがあったよ。自分も同意だ。
木戸(桂)の周りには自然に人の輪ができる。それは木戸自身の天性の資質と、努力があったためだけれど、前原には木戸の苦労や苦悩を理解する能力も意欲もなかったんじゃないかな。
大久保暗殺時、木戸の暗殺も同時に企てられてた件や、明治期の木戸の影響力の大きさについてもしゃべりたいが、ながあああくなりそうなのでここでやめとく。
412名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/06(月) 08:25:55 ID:MjiIrhbBO
前原が長州で流した悪評がそのまま今の評価につながってる気がする
松陰の批評は前原と伊藤に関しては外してると思う
413名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/06(月) 09:05:34 ID:pwmgpKyl0
まあ再三引き止められて忠告されてお目こぼしされても
それを乱を起こす時間稼ぎにしかしなかった人を誠実かというとね…
ただ人気云々に関しては前原がどうとかより
士族の不平不満を民衆の不満ってことにしたがる論調のせいだと思うよ
414名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/06(月) 17:25:02 ID:66v2pVaVO
>>411
影響力について教えてくださいな。
415名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/06(月) 19:58:53 ID:8Y1L1nmo0
前原の乱にはそんなに人は集まらなかったんだよね。
その前に奇兵隊の反乱みたいのあったけどあれと前原の乱が一緒に起こってたら
もっと大事になったんだろうな。

木戸がどれだけ長州藩の不平志士に嫌われてたのか分からないが
大久保よりうまく出身国の反乱を鎮圧できたわけだとおもうが。あんま評価されてないよね。
416名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/06(月) 20:20:42 ID:zpVb3hzg0
前原さんは良くも悪くも士族の反乱でしかなかったからな。それも極一部の。

諸隊反乱の大原因はリストラだから、両者が共同出来たかというと……
417名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/06(月) 20:22:50 ID:gtLz5ZZJO
木戸はきちんと自力するまでリストラ待ってって言ってたのに
418名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/06(月) 20:28:29 ID:8Y1L1nmo0
後、思うんだけど吉田松陰が生き残ってたら征韓論で西郷と同調しそうだよね。

まあ松陰が生き残ってたら幕末で長州藩は滅んでただろうけど。仮に安政の大獄でずっと獄に
入れられて明治にぽっつり出てきたらすごい無茶な事やりそうな気がする。
419名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/06(月) 21:52:13 ID:MjiIrhbBO
>>415
そりゃ長州は首謀者に西郷、久光みたいな士族の寄りどころになる人がいないし、長州の大半は政府支持だからね
420名無しさん@お腹いっぱい。
木戸って結構物語になると思うんだけどな、木戸主役で大河とかやってほしいな。

剣豪&松陰と同士時代。
高杉とコンビ時代。
大村益次郎とのコンビ時代
を経て西郷との対立

みたいな風に仕立てていけば結構ドラマチックだと思うんだけど。
最後西南戦争は大村の策で勝ったみたいにして。少年漫画みたいな感じにできるんじゃないかな。