1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/11(金) 00:49:36 ID:8eeTToyE0
以下、テンプレ
Q : 西郷さんは鐘のように大きな人格だと聞きましたが。
A :
西郷のことをよく知る人で、比較的手厳しいことを書いているのは
重野安繹(しげの・やすつぐ)がいます。
彼は西郷と同じ時期に奄美に遠島になっていた人です。
後世、「抹殺博士」の異名で有名ですが、西郷のことをよく知る人です。
『重野博士史学論集』下巻(薩藩史研究会編、雄山閣、1939年)のなかに、
「西郷南洲逸話」というのがあります。
彼から見た是々非々の立場からの西郷評論ですね。
豪傑肌に見えるけど、度量は大きくないと書いています。
重野も現地妻を娶り、二人の子供がいた。
放免になって鹿児島にもどった後、
当時の金で250円という大金をもって奄美に迎えにいった。
当時、「必ず迎えに来る」といった薩摩藩士で
迎えに来たためしはなかったので、
その女は、島の若者と再婚して妊娠中だった。
重野はしかたなく、持ってきた金を
全額、女に与えて帰っていったという。
この重野の誠実さに比べると
西郷の『敬天愛人』は、かなりいいかげんと見ていいだろう。
(西郷は、現地妻を捨てましたからね。)
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/11(金) 00:50:26 ID:8eeTToyE0
Q : 西郷さんは民百姓のために戦ったんでしょ?
A :
確かに西郷どんは薩摩や大日本帝国の将来のために
粉骨砕身した偶像であり鑑であるかもしれない。
しかしながら、実は西郷は単に薩摩や士族たちの
象徴であったにすぎないのではないのか。
それどころか、彼はだれよりも奄美と縁が深かったのに、
「敬天愛人」どころか義理も人情もなく奄美を
踏みにじった薩摩士族の大親分としか映ってこないのだ。
西郷はかつて大島・徳之島・沖永良部島に流されたが、
薩摩へあてた手紙では道之島の人々のことを
「毛唐人」「エビス共」「ハブ性の人」などと書き散らしている。
そして島妻アイカナとの間にもうけた菊次郎・菊子を
薩摩で教育する際、奄美出身者ということを他言するなと厳しく禁じた。
島に残された母アイカナは非業の死をとげる。
これは西郷という人間像の一コマではあるが、
実は次に述べる彼の政策論とも表裏一体をなしているとしか思えない。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/11(金) 00:51:13 ID:8eeTToyE0
旧藩時代、薩摩は植民地奄美の黒糖収奪によって
財政を建て直し明治政権を樹立した。
奄美の黒糖地獄をだれよりも目のあたりにしてきたのが西郷だが、
彼は、禄支給廃止にあった士族の生活権にしか思いはなかったらしく、
桂久武に命じて不法な独占「大島商社」を維新後に設立させたのである。
これによって薩摩は再び収奪をほしいままにすることができ、
奄美は旧藩以上の窮状にあえぐことになった。
そこで明治十年、奄美から「大島商社解散」を要求する
五十五人の嘆願団が上鹿したが、いきなり全員投獄。
老人などを除いた三十五人は田原坂から敗戦中の
西郷軍に強制出陣させられた。
うち戦死した者六人、残りは官軍に投降。
許されて島へ帰還する途中、二人を除いて全員遭難し、
結局生存者はわずかに二十四人であった。
(前田長英著『黒糖騒動記』参照)
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/11(金) 00:52:14 ID:8eeTToyE0
Q : 西郷さんが征韓論というのは間違いで、ほんとうは遣韓論なんですよね?
A :
鹿児島県が発行している『鹿児島県史西南戦争』第三巻(一九八〇年)のなかに、
広瀬為興稿「明治十年西南ノ戦役土佐挙兵計画」という文書が載っている。
これは高知県出身で板垣退助に近かった林有造の主張を記録したものである。
参議の西郷隆盛、副島種臣、板垣退助に加えて、
左院副議長伊地知正治が謀議に参加した征韓計画の謀議が載っている。
西郷は「先ツ兵ヲ北韓ニ上陸セシメ、平壌ヨリ京城ヲ包撃スルノ謀」を主張し、副島は賛成した。
しかし板垣は「先ツ其君主ヲ檎(とりこ)ニスルヲ主眼トスル」点では賛成しながらも、
北方からの包囲は難事とし、三分の一の兵を釜山に上陸させて、朝鮮軍の迎撃を待ち、
残り三分の二の兵力をもって江華湾方面に送って「突如京城ニ肉薄」し、その間に
釜山の兵力も海路平壌に送って敵の退路を断つという戦略を主張した。
伊地知正治は少し大規模の兵力派遣を主張したという。
西郷は板垣、伊地知を信頼して謀議を行なったようである。
「其進軍ノ戦略ニ就テハ板垣伊地知ノ二氏ニ委スヘシトノ事ニ門下中ノ領袖ニ漏洩シアリト云フ」
と記されていることも興味深い。
また当時司法省出仕だった有馬純雄(藤太)の回想『維新史の片鱗』によると、
有馬は西郷から朝鮮占領後の民政官任命を内示され、
当該地域の地図を探したという挿話を述べている。
西郷が征韓論を唱えた史実は、まったく揺るがないのである。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/11(金) 00:53:23 ID:8eeTToyE0
Q : 西南戦争は西郷さんと鹿児島士族にとって、
日本のために自ら滅び、武士の世に幕を引くのが目的だったいうのは事実ですか?
A :
敗色が決定的になると西郷は桐野と口をきかなくなり、
桐野のほうでも西郷を避けるような気配を示すようになったといわれる。
むろん、西郷の性格として桐野を責めたりなじったりすることはなかった。
この男に乗せられ、賊として最期を迎えるはめになった自分に対する嫌悪が、
西郷の桐野に対する感情を重くしたのではないかと思える。
さて新スレか
薩長それぞれに詳しい人多そうだし、薩長同盟って実際のところどんなものだったのか
それぞれの視点から話が聞きたいな
藩士レベルだったとはいえ水長同盟は血判状だとかなんとかの誓いだとか
「物語的に」なかなか熱いみたいなんだが、薩長同盟って木戸桂が言いださなかったら
明文化されたかもわからなかったんだっけ
薩摩的には密約を交わしたとはいえなにかあったら長州とは手を切る算段だったからなのかね
なんだかなー、やっぱり犬猿の仲だよなぁ
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 01:12:15 ID:+j0ZDRRwO
もしそうだとしたら薩摩的には龍馬が居たのは予定外か。
まあそこに至るまでの経緯から、長州に薩摩を信用しろったって無理ですよね。
これに関しては仮に桂でなくとも証人を立てようとしたと思うなあ。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 01:18:09 ID:yBuewJGj0
生麦事件が幕末維新史の一つキーワードということに最近気づきました。
薩長同盟6箇条って、長州が幕府に負けてたら薩摩から勝手に白紙にしても何も問題ない内容だよね
長州が持ちこたえたら朝廷工作お願いね、てだけだ。
桂が欲しかったのは薩摩が約束を反故にした時の保険ではなく、
長州側に京での協議の成果を証明するものだけだったんだろう。
だからこそただの薩摩寄りの脱藩浪人でも務まった。
龍馬の裏書があろうとなかろうと薩摩には何のダメージもない。
最近では同盟ではなく盟約と呼んでる書籍もある。
また来年の大河で過剰評価されそうだけど
あと、例の三島由紀夫のやつもテンプレにしておいてくれ。その後、コピペ禁てことで。
2の重野の話、知らなかった。乙
重野、岩倉使節に任命されるんだけど、給金に不満で行かなかったと言われている。
それで久米邦武になったので、岩倉回覧実記の陰の功労者かも、と。
知らんうちに木戸スレが消えてた orz
そうだよなぁ、薩長同盟って密約を交わした当人同士は
そんなに重要なもんだとは思ってなかったろうなぁ
いざとなったら難癖付ける材料にするつもり程度かね
坂本龍馬のすごさがよくわからない
いや、凄い人だったんだろうけど
次の大河は楽しみだけど
>>11 過疎ってたわけじゃないのになぜかdat落ちしてるな>木戸スレ
まあ、986まで埋まってたしそろそろ次スレは必要だと思ってたけど
一応テンプレ代わりに貼っておく
立てようと思ったが、規制でダメだったorz
木戸孝允(桂小五郎)について語ろう10
骨董品好き、植木好き、世話好き殿好き恩師好き。
そんな木戸について引き続き語っちゃげて。
木戸孝允(桂小五郎)について語ろう9
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1225044802/
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 12:36:25 ID:hRVJjzmv0
薩長同盟って薩摩が長州に救いの手を差し伸べた的な解釈で語られるが、
実際は、薩摩の申し出に長州が応じてあげた、というのが真相でしょうね。
長州が負けて一番困るのは薩摩だからね。
長州が消えれば必然的に幕府vs薩摩の構図が顕在化する。
その他の勢力(朝廷含めて)がどちらに付くかといえばまず幕府に付くでしょう。
そうなれば強兵自慢の薩摩でもかなわない。
長州からすれば薩奸の力を借りるつもりなどさらさら無かったが、
強兵の薩摩が不戦というのも悪い話しではないので受けてやったという感じかな。
盟約の場に薩摩は西郷、大久保、小松ら藩要人がズラリと居並んだのに比べ、
長州は木戸ひとりしかいなかったことを考えると長州の高姿勢が想像つくというものでしょう。
まあ、開き直ってるだけとも言えなくもないが・・・
長州としては朝敵解除が悲願というか
それをしてもらわんと、その先どうにもならんってのがあったんだろ
薩長会談に臨んだ長州川の要人が木戸だけだったのは
会談場所が京だったから
当時の京は長州人斬り捨て御免が許されていたから
薩摩側の手引きがあるとはいえ、入京は相当なリスクがあった
万が一の場合を考え、必要最小限の人間が選ばれた
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 12:59:40 ID:esF5+5Sv0
>>11 重野安繹の西郷評は少し差っぴいて聞いた方がいいんだけどね・・・
なんせこの人って遠島から復帰後は久光の近衆だし、堀次郎とも親しかったりで西郷に悪感情持ってるからねぇ。
特に久光と西郷が仲たがいの過程を知ってる(これは西郷側に原因がある)から仕方ないのかもだが。
もっとも久光没後は久光についても辛辣な評価をしてるから、さすがは抹殺博士の面目躍如といったとこか。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 14:29:25 ID:+j0ZDRRwO
>>12一昨日だったかたまたま、Yahoo!で『日本を変えた偉人』の一位が龍馬だったのをみて、司馬の影響力の凄まじさを感じると同時に、
『少しは勉強しなよ』と誰にともなく思ってしまった(苦笑)
>>14あれ?品川居ましたよね?要人じゃないか。
>>15 重野が西郷に悪感情持っていたという話は残念ながらどこにもないよ。
久光の近習って大久保だってそうだし。
重野は人に辛辣だから抹殺博士と呼ばれたわけではなく、
今まで史実と思われていた俗説や捏造を抹殺し、
本当の姿をあらわにしたからそう呼ばれたわけで。
だからこそ重野の西郷評価に重みがあるというわけさ。
>>13 同盟の時に大久保はいたっけ?京都にはいたとは思うけど。
小松邸にて西郷と木戸が話し合い、て形じゃないのか
むしろ、人材不足の時期に藩トップの木戸を寄越すあたりが長州の必死さを表してると思ってた
>>18 高杉井上が木戸行かせるのに賛成だったんだよな
大久保は同盟する前日まで京都にいたから同盟時には実際はいない
なんで去ったんだろう
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 18:54:16 ID:PoJwmgbQ0
薩長同盟のことは西郷と小松に任せて
大久保は薩長同盟のことを久光に報告するため
薩摩に行った。
だから坂本が到着する前に
既に薩長同盟って出来上がってたんだよな
あとは明文化するかどうかでモメてただけで
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 19:48:54 ID:PoJwmgbQ0
伊藤と井上が武器の調達を小松に要望したら
即答したのでふたりは喜んで長州に帰り
毛利敬親が島津久光にその礼状を送り
実質薩長同盟は成立した。
薩長同盟での龍馬の役割はあまりたいしたものではなかったということか?
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 20:14:00 ID:MJU2QE2mO
>>23 龍馬と小松の二人で概ね段取り済みだったって事ではないかい?
少なくても約定締結に関しては、木戸も西郷も『最後の仕上げのための顔』だったかと
浪人の龍馬が段取りできるとは思えないが
長州だってそんな権限を龍馬に与えてないだろう
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 20:32:39 ID:C5/si/s80
歴史に詳しくない物からの質問で悪い。
本人と面識無い外国人が弟と従兄弟をモデルに描いた西郷隆盛の有名なイラストは、
本人と似ているんでしょうか?
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 20:46:08 ID:k7KzNV7Z0
薩摩武士の座右の銘
「負けるな、弱い者をいじめるな、嘘をつくな」
> 「必ず迎えに来る」といった薩摩藩士で
> 迎えに来たためしはなかった
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 20:49:52 ID:MJU2QE2mO
>>25 そこは小松のバックあっての事かと
つまり基本的に薩摩側からのアプローチで薩長の関係は進行
同盟交渉の時点ではなし崩し的に、薩摩名義での武器調達が始まっていたわけだし
名目よりも実利が先行していたわけだから、あえて長州側が龍馬に権限を与える必要はなかった
んじゃね?
木戸と龍馬の個人的関係はともかく、長州側から見たら龍馬は薩摩側の仲介者なわけだし
小松は西郷・大久保以上の大物だから、これが龍馬の後ろ盾なら長州側は信用するだろ
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 21:54:51 ID:PoJwmgbQ0
その小松が病死してから薩摩閥が分裂した。
仲介役の小松の不在は大きかった…。
その存在を一番嘆いたのは大久保だと思う。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 22:12:50 ID:MJU2QE2mO
>>26 キヨソネの?
弟の従道がキヨソネの肖像画を複写して周囲に見せてたくらいだから
まぁ、それなりに似てるんじゃないかと
直接西郷に会った人物が描いた肖像画なら石川静正による作がある
西郷を知る人達から似てると評判だったと言われているそうな
あとは平野五岳によるものとか
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/14(月) 21:27:06 ID:HRyB/6pPO
話が綺麗に一段落したために流れが止まってしまったね。
じゃあひとついいかな?
明治当初、一番位が高かったのは木戸で間違い無いんだけど、(参議、これは西郷もだが木戸は総裁局顧問専任=全ての最終決定責任者)
卿の中ではどういう順番?
当時は司法等は一枚落ちると見られていたというけど。(江藤だね)
木戸、西郷。(参議
この下に卿が来るわけだけど。並べられる詳しい人居ますか?
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/14(月) 21:48:48 ID:WKwSfxV+0
>>31 初代の刑部卿は正親町三条実愛が務めてるくらいだから、序列で言うと大蔵卿に次ぐ位置にはあるでしょ。
まぁ内務卿が発足してからは次席に甘んじる位置にはなるんだろうが。
あの時代に、小沢と鳩山をJINさせたい!
>31
宮内省とかどうなんだろう?教部省とか、式部省とかってなかったっけ?最初?
そんなにいらねぇだろ?!ってくらい皇室関係の省庁がない?後で、寮とかになるけど。
木戸も、皇室関係、金かかりすぎ、どーゆー金銭感覚?!とかいって怒ってるよね。
久光と西郷っていうのは、仲悪いっていうのが定説なんだね?西南戦争のときは
久光はどういう立場だったの?
久光って、なんで藩主にならなかったんだろ。そんで、なんか勅状出ないと動かない
っつーのが、よくわかんないんだよね。
いってみれば、あの人の生麦からが幕末倒幕編だと思うんだけど。
「いつ将軍になれるのか」発言は、久光以外にも、長州のそーせー公、土佐の容堂も
あったとされてない?どんだけ馬鹿なんだよ。ありえねぇだろ。
おちおち冗談も言えないよね、歴史上の人物って。かわいそす。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/16(水) 17:57:01 ID:M2rXOWQkO
>>31 >>34 ちょっと見てみたら宮内卿だけは天皇に近い役職柄か正三位。他の卿は従四位。参議は明確な官位は決まって無いけど参議=三品位と扱われたから、やはり
宮内卿=参議>その他卿。
ちなみに従四位としていくつか並べられた卿の中に司法は無かったがひとつだけ位が落ちることはないだろうから、
実情はどうあれ官位上は同列。
実情として権限が集中したのは大蔵。(内務成立まではとくに)
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/16(水) 19:43:46 ID:nzLDL6zzO
>>35 司法省は元の刑部省だから従四位からなんじゃない?
新政府最初の刑部卿の正親町三条実愛は、この頃は権大納言だっけか・・・正三位クラスだな
初代司法卿の江藤は従四位で就任、直後に正四位に叙されとるね
確かに官位が直接省庁の力関係を表すとは思えんから、形式上の序列は概ね横並びなんだろうね
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/16(水) 21:12:53 ID:JSuyPveA0
2傑であった大久保と西郷の話だったのにいつの間にか逃げの小五郎がちゃっかり入ってきてるw
その前は
「なんで西郷が維新三傑なん?」
というスレでしたw
西郷って身長180と当時としては大男だったから
薩摩の郷中頭に選ばれたらしいね。
中身はともかく、顔つきも説得力あったんだろうな。
何が言いたいかというと、当時の指導者層はあからさまに高身長で
顔つきも人を魅了する何かを持ってる人ばかり。
今の昔風の人が言う「男は外見じゃなか」みたいな考え方はむしろ最近のもので、
維新の頃は「人の上に立つ者は見た目も立派でなきゃいかん」という考え方が濃厚にあったんではないかと思う。
中国の副主席を見てそう思いました。
>>38 それは思ってた。
久坂は、多分それだと思う。背が高くて大男で声も良い
確か大久保と木戸は外見を外国人に誉められてたな
久坂って色白でデカかったつー話と、黒くて小さかったっつー話とない?丸っきり正反対なんだがw
薩摩って上士と下士とどうなってんの?外城制度とか考えると、上の方はガチガチに
融通きかなそうに思えるけど、他の藩より身分差激しいことないの?
西南戦争って、上士もかなり入ってるのかな?
前原の方は城下出身の上士だけど、西郷とかって鹿児島じゃ身分低いよね。
佐賀の乱も基本的には上士ってことないの?江藤は除いて。秋月とか熊本とかは??
なんか、それまで格段に違う暮らししてたと思われる上士と下士が、維新で急に
手結んで一緒に反乱起こすものかね?
黒くて小さいのは山田じゃない?
薩摩は身分差別は激しいよ。土佐もね。
長州は薩摩や土佐に比べれば緩いほうだったけど。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/17(木) 16:09:20 ID:1OHsdwo5O
長州と比べたらいけない気はするが。
長州は本当に、活動しやすいという意味ではお国柄に恵まれたというか上司に恵まれたというか。
家老の周布が若手に理解あったのと、
丁度若手とお偉方の中間に立てる地位に、藩の中でもバランス感覚に優れた桂が居たからね。
加えて言えば井上、高杉は殿様の超お気に入り。
土佐と薩摩は規律が厳しいので有名だね。土佐が1番だけど。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/17(木) 21:16:51 ID:TE+Qvu0a0
西郷って、戦争もうまいし、政治も凄腕。おまけに情に厚く、公のために生きて死んだ。
人間としておそらく最高の人間。
西郷がすごいから、明治維新は成功した。
西郷の人望が厚いから不平士族が集結した。
西郷の能力があれば、明治政府を転覆させることもできた。
しかしそれをやると、日本は戦場となり、フランス英国の植民地分割統治になり、
日本人は西洋の奴隷になる。それを見抜いていた。
明治に必要な日本を生み出すために必要な病巣除去を自分の命を使って行った。
こんなすごい人、見たことも聞いたこともない
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/17(木) 21:37:01 ID:1OHsdwo5O
>>43 情云々はまあ確かに士族には、と思うがどこをどう解釈すれば西郷の政治が凄腕?
政治家としては木戸や大久保のほうが数段上だよ。
留守政府でだって政策的に主導したのは江藤や大木。
軍の面でも圧倒的に大村がすごい。
大村の才は特別だと思うが。
あと訳が解らんのは『公のために生きて〜』ってなにそれ?
それを言うなら一度も政府を離れなかった大久保は、日本という国の舵取りを一度も放り出さなかったのだからこれだって『国のため』だし。
人民主権、教育の充実を提言、推進し、地方議会など、採択された懸案が握りつぶされたとはいえ、
とりあえず議会というものを実例を作った木戸は人民のために生きたと言われるべきじゃない?
無理やり西郷を神扱いしないほうがいいよ。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/17(木) 21:58:17 ID:TE+Qvu0a0
木戸は特に凄いところはないよ。
明治以前でも久坂や高杉が功労者だし、明治後はなぜ長州人を優遇しないのかと
大久保に何時間もいやみを言って長州閥を守ってただけだし。
戦は板垣、軍政は山縣にも劣るだろうなあ
が、何故か人気なのがすごい。すごくないように見えるのに人がついて来てんのがすごい
>>45 幕臣や佐賀をどんどん登用していく木戸に対し、
薩長で固めるべきだと反対したのが大久保で、薩摩優遇する人事を要求したのが西郷だ
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/17(木) 22:09:17 ID:TE+Qvu0a0
西郷先生の圧倒的政治手腕で一夜で朝敵に落とされ、滅亡寸前のところを西郷先生に助けてもらったのが長州と木戸。
木戸は藩にも帰れず、かといって武士らしく死ぬ事も恐ろしくてできず、高杉のクーデターが成功するまで乞食に身を代え逃げ隠れしてました。
>>47 818や禁門が起こったのは西郷のせいではないだろ、
島から帰ってきたらすでに長州暴発寸前だったからな
むしろ長州に対してはギリギリまで傍観。いらん恨みを自ら買いにいく会津のように愚かではない
>>45 >>47信者が出たw
あのねわざわざ具体的に木戸のしたこと書いたのになぜ無理やり凄くないことにしたいのか。
薩摩を優遇しまくってた大久保には目を瞑るんかい。
そもそも木戸が藩閥越えて能力主義だったのは疑う余地なんんだけど。
幕末に関しては出てきた瞬間殺される状況だったんだし、最期には責任果たしている。
高杉は逆にクーデター後、事後処理を放り出したが、それも責任を果たしたってこと。
それぞれの責任の部分が噛み合っただけでしょ。
あとさ西郷の圧倒的な政治力とか言うのやめなよ?流石に虚しいから。
×疑う余地なんん
○疑う余地無いんだけど。
薩摩は身分の差にうるさかったと言われるが、
他藩だってうるさかったわけで、薩摩が特別うるさかったとは思わないな。
調所や西郷みたいな下級武士出身者が中枢に登れるわけですから。
郷士に対する差別も、土佐のようなものではなくて、
今で言えば鹿児島市内の人が市外の人を馬鹿にするのと同質のものかな?
ただし、百姓や奄美島民の奴隷ぶりはしゃれにならない苛烈なもので、
そのへんから薩摩は身分にうるさいというイメージが付いたのかも。
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 00:11:00 ID:jQGhueZDO
>>34 久光は西南戦争の時はとことん中立
最終的には桜島に移って、徹底的に『我関せず』を通した
ただ久光の腹心である大山県令が、県費を薩軍に提供したりと西郷に協力してるね
久光に伺いも起てずに協力したとは考え辛いんだよねぇ
ちなみに西郷と久光の不仲は主に西郷側に原因がある
西郷が久光を嫌っていたからね、そりゃ久光も西郷と仲良くやる気にはなるまい
もっとも西郷下野後は良好とはいかないまでも、以前のような険悪な関係ではなかった
久光の息子であり最後の藩主忠義と西郷は終始関係が良かったから、まぁ西郷が鹿児島に戻って
きてからは、お互いいがみ合い難かったのかもしれん
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 00:26:15 ID:b7N0Hrv40
維新三傑の一人・鬱の木戸
維新前⇒長州没落で逃げ隠れ
維新後⇒征韓論も逃げ隠れ
ほんと逃げ隠れしかしてないな
過去ログも読めない奴が信者になるんだな、西郷って
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 03:06:14 ID:/nW5lKPGO
>>54 だね。でもある意味、明らかに視点が平等じゃない“信者”なところを露呈するいい例が、
>>53のような
確かに征韓推奨だったが洋行で反対に転じ、(実際に西洋を見てくるのは確かに考え変えるだけの理由になるから矛盾ではない。)その後もきちんと征台にも反対し政治家としての理念を貫いて辞職した木戸が“逃げ”になり、
国力も資金も不足しているという理由で同じく征韓反対していたくせに佐賀の乱の後で国力を消費したあとに
征台は推奨する大久保を是とする矛盾。
単なる薩摩上げなのが丸わかり。
てか薩摩士族の不満を除くためとか言って出兵するくらいなら、初めから薩摩に向けて出兵すりゃいいのに。国内のほうが疲弊だって少ないし政府だってもしもの時に援軍だって送りやすい。
明らかに大久保の薩摩贔屓でしょ征台ってw
>>55 落ち着けよ、なんで急に征台にまで持ち出す?
>>53では大久保出してないじゃん。
しかも後半めちゃくちゃな事言ってるぞ。あのタイミングで薩摩に出兵て名目は何だよ。
前から貴女の書き込みには引いてたが、過剰反応すぎると気持ち悪いんだけど。
木戸は好きだけどこういう信者は恥ずかしい。
ちなみに征台あたりの問題は、薩摩贔屓よりも、
佐賀の乱の大久保の強行により統帥権独立のきっかけである参謀局が置かれたことと、
西郷弟による軍部の暴走への政府の追認という後々への悪影響の方が大きいと思うが。
文民統制の木戸上げにもなるし、大久保批判したいならここらへんつついたら?
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 04:55:22 ID:/nW5lKPGO
>>56 なぜ征台って。
>>53が征韓を逃げって言ったからでしょ。別に木戸を無理矢理正当化はしてないよ。
征韓を逃げと言う前に大久保の矛盾があるということ。(そちらのほうが矛盾がでかい。)
あと後半は別に無茶苦茶じゃないけど?
薩摩士族の不満を除くために征台なんてことをするのなら、初めから薩摩に出兵して不穏分子を除けば良かったでしょうよ。
何でこれが無茶苦茶なの?
どうせどこかに出兵するなら外国より薩摩に出兵したほうが援軍送りやすいし、
まだ国力の消費も少ないでしょ。
というよりあのタイミングの出兵はどこであれ間違っていると思うが、あえてどこかに出兵するのなら、だよ。
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 04:59:16 ID:/nW5lKPGO
薩摩なんて半独立状態で政府にしたがって無い部分があるんだからいくらでも名目は立つと思うよ?
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 05:12:25 ID:/nW5lKPGO
連投ごめんね。携帯だからあまり長いと書きづらくて。
私が矛盾と言ったのは大久保個人のことであって政府全体ではないよ。
別に大久保批判を強引にしたいわけではなく、結果がどうなるにしろ大久保が征台を反対しないのは、木戸など関係無く、
それこそ西郷(征韓推奨派への)に対する矛盾だと言いたいだけ。
別に木戸上げするつもりもないよ。征台反対については、当たり前に筋を通したんだと思っているし、特に凄いとは思わないから。
nW5lKPGOさんは悪気はないのだろうけど、
場の空気を読むのが苦手なんだと思うよ。
落ち着いてほしい。
そんなんじゃ話をきいてもらえないと思うし
あなた自身にとっても損だよ。
木戸好きとしてあなたの振舞いはとても残念に思うよ。
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 19:01:31 ID:+AtpC/OO0
>>52 前スレの久光の人?
あれから色々と久光について調べてみたけど、世間で言われているよりも個性的かつ魅力ある人物ですね。
おかげで久光へのイメージが完全に変わりました。
ところで不仲の原因が西郷にあるってのは同意だけど、なぜ西郷はそこまで久光を嫌ってたのかな?
どちらかというと久光の方は恩讐を超えて西郷と接してる時期もあるけど、西郷は頑なって印象。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/19(土) 02:29:16 ID:LUfc7r4O0
薩摩嫌いで過激発言しまくっているnW5lKPGOにドン引きした。
日本のため、頼むから逝ってくれ。
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/19(土) 02:48:58 ID:r4StolJt0
nW5lKPGOはしごくまともなことしか書いてないじゃん。
信者が過剰反応してるだけでw
そこまで薩摩を上げたいのかって、こっちがドン引きしたわ。
テンプレの、西郷の実像を物語る資料を見てしまったあとでは、
信者が何書こうと説得力無いわw
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/19(土) 07:05:41 ID:oG0HQSXs0
セゴどんもこういう輩を統御してたんだから大変だなぁ
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/19(土) 08:28:52 ID:oSTu2n/8O
>>63 そのテンプレて事情や背景を書かずに、故意に誤解を招くよう抜き出して書いてあるよ
だから君みたいに勘違いをする人が出るんだろうね
どちらかというと西郷は好きじゃないが、そのテンプレは悪質な誘導だよ
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/19(土) 09:43:13 ID:r4StolJt0
>>65 誘導なことぐらい分かるけど、
信者の逆誘導にくらべれば、出典も明らかにしてあるし、
議論として意味のある内容だわなw
信者の主張はただの感想、想像レベルじゃないのか?
この指摘がおかしいと思うなら、どのへんが勘違いしてるのか逆に指摘してくれ。
初めてこのスレみたけど、凄いねw
一人が頑張りすぎでしょw
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/19(土) 19:52:54 ID:K6SeGvUX0
西郷上げが難しくなってきたんで、
木戸を下げて、相対的に西郷の地位保全を狙ってるよ、信者は。
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/19(土) 20:53:05 ID:bn2Bj48K0
まぁ、木戸よりは明らかにあらゆる面で西郷が圧倒的に上だろ
維新前の活躍も西郷の指導力の前に滅亡寸前まで追い込まれ、今度は頭をなでられ薩長同盟
西郷は反乱を起こした際も2〜3万だか動員してるが、木戸が例え反乱起こしてものせいぜい数百人規模だろ
前スレからずーっと同じ内容のレス繰り返してる
西郷信者って同じ人かな。複数いるとは思いたくないが
>>69 そうか、薩摩士族からの人望以外、西郷が木戸に勝てるものが無いということなんですね
さすがに不当に木戸を下げているレスは西郷信者というか
単に勉強不足かスレを機能させないための荒らしだと
思っているのだが。
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/20(日) 01:49:17 ID:9GldKLUp0
三傑を中心に語ると、何故か無意味に貶めあうパターンに陥るな。
明治はともかく、幕末はやはり藩主を中心として語ったほうが、面白くなるかな?
久光が初めて上洛するあたりなど、薩摩藩も長州藩も幕府も、かなり大きな動きが見られて面白いが。
西郷・大久保・木戸はひとまず置いて話すのもありかと・・・
敬親が久光を避けるように帰るんだよな、幕末の薩摩と長州の確執はここから?
話が飛ぶが、島津と毛利といえば、
大江広元と島津忠久の墓が隣あっててどちらも江戸時代に作られた、というのを知ったが、
その頃はある程度交流はあったのだろうか。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/20(日) 09:48:09 ID:XIJEbJukO
西郷といえば最近になって、岩山家の子孫のとこから面白い手紙が発見されたらしいわな
西郷が長男菊次郎(島嫁愛加那との子)に送った3通の手紙だが、うち2通には『愛加那に会いたい』だの
かんざしを送る段取りとか書いてあるわけだ・・・が、しかし!
この手紙が出てきた岩山家って西郷の本妻イトの実家なんだよなw
本妻に隠れてコソコソしてたのに、その手紙が本妻の実家に保管されてるとはww バレバレだったわけねwww
まぁ岩山家文書や西郷イトの義妹岩山トクさんの証言とか、西郷の人間的な部分を垣間見られて面白いね
西郷信者には掘り下げてみる事を薦めるわ
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/20(日) 10:24:57 ID:vox/6tOAO
どうでもいいじゃん
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/20(日) 10:35:46 ID:17EMY04TO
>>69 反乱動員数が多いと凄いわけじゃない。木戸なんか関係無く、西郷の人望も関係無く、理屈で考えても薩摩の反乱が大きいのは当たり前。
明治の反乱は明治にになって士族の特権奪われたという反乱が多いのだから、士族率の異常に高い薩摩の反乱が小さいわけないんだよ。
西郷に人望がないと言いたいわけではないが動員数がそのまま人望とかはあり得ない。
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/20(日) 13:51:02 ID:HH4U+u6e0
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/20(日) 16:19:51 ID:XIJEbJukO
>>78 いや、本妻にバレバレで情けない男だなって話で出したつもりだったんだが
そもそも紹介してるのは信者だが、元の投稿自体は現岩山家当主の岩山宏至氏だろ
西郷隆文氏と講演会にも出てる人だわ
岩山文書全体について真面目な話をするなら、西郷家の承諾が無ければ研究目的以外では公開され
ないだろうね
現在出てる岩山文書の多くは西郷没後100年記念の際、鹿児島県からの依頼で西郷家の承諾の
元に出たやつだから
現在県立図書館所蔵の資料を閲覧するときも別室の閲覧室に連れてかれたくらいだったわ
この手紙を見たけりゃ御当主に直接連絡とってみるくらいしか方法ないだろ
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/20(日) 19:51:48 ID:rHYNf7OR0
「弱い者をいじめるな、陰口言うな」
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/21(月) 21:47:03 ID:DQA61FGU0
岩山家当主は狂信的な信者ですよ
信者って比喩とか揶揄かと思っていたけど、
上の方でリンクされてるページなど見ると、実際いるんだな。
西郷南洲翁宣教師って・・・
このスレにいる信者が念仏みたいに西郷まんせー薩摩まんせーするのはそういうことか。
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/22(火) 08:50:43 ID:bnaKDTRyO
つまり自分のご先祖をクソミソ叩かない当主は、全て信者だから言を聴く価値がないと言うわけか
なら多くの『子孫や縁者の口伝』は無効ってわけね
こりゃ歴史教科書のページの半分くらいは無くなりそうだなww
つーか、自分の先祖上げは、一族の集まりとかでやってくれ、ということ
だと思うが。
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/22(火) 09:35:55 ID:bnaKDTRyO
>>84 ご先祖マンセーは特に珍しい話ではないが、その家の伝承にゃ価値があるものだってあるんだぜ
ご先祖マンセーだから、出てきた話や伝承全否定ってんじゃ話にならんわな
叩くネタだけ肯定で、擁護ネタなら難癖付けて全否定ってのがこのスレだからなぁ
普通なら信憑性や価値を量る方向にいくもんだがね
当主がご先祖をマンセーしてたら、叩くのに都合悪い話は全否定すんの?
そもそも西郷家が愛加那母娘を鹿児島に招こうとした話は、奄美の龍本家の子孫にも伝承あるから
今回の話は岩山家当主からもネタが出たとしても不思議な事ではない
龍本家の子孫の伝承と内容が多少違うが、愛加那母娘の招待の話は西郷隆文氏が講演会でも語ってたしな
妾とか別にプライベートはどうだっていいと思うが
西郷が人格者かどうかって意味で議論になってんの?
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/22(火) 11:46:52 ID:bnaKDTRyO
少なくても俺は岩山文書からの話の流れだが
信者も見苦しいがアンチも見苦しいわけよ
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/23(水) 00:47:58 ID:/+XbE5DD0
>>85 根拠のはっきりしない伝承に疑問を呈して何が悪いのかな?
だいたい全否定なんて誰もしてないのに、被害妄想もいいところ。
愛加那母娘を招く話しがあったのはいいが、だから西郷さんはやはり偉いって方向に
持っていこうとするほうがよほど見苦しくないか?
実際は招いてないのに。
75と79だけを読む分には西郷に好意的ではあるけど、言われているほど
信者的なレスでもないと思うぞ…。
度重なる無理な西郷アゲに頭にきているのかもしれないが、過剰反応じゃないか?
今のところそんな話もあるよというだけのことに対して噛み付いているだけのようにみえる。
疑問に思う点があることについて話をするのならいい。
>実際の文面はどうなんだろうね? あなたは読んだの?
>事務的な手紙を信者が曲解して、愛しき人を気遣う西郷像を捏造しようとしてない?
でも↑こういうのはさすがにおかしくないか?
話のネタを提供しているだけの人間に攻撃的なレスまで必要あるのか?
こんな話の仕方じゃ何も話せないだろ。
誰かを無理にアゲるためのスレでもサゲるためのスレでもないだろ。
維新三傑を中心に幕末・明治を語るスレだろ。
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/23(水) 01:41:37 ID:/+XbE5DD0
こういっちゃなんだが、無理に上げてるのも下げてるのも西郷信者だよ。
西郷マンセーして、木戸を鬱呼ばわり。
文句を言うとアンチとか。
マンセーを裏付けるソース出せと言っても、出したためしがない。
信者でも子孫でもいいからマンセーは宗教板でやれと言いたい。
妄信というのは怖いね…
薩長同盟って締結しても薩摩が直接加勢するわけではないから長州が負ける可能性が高いことに変わりはなかった
なぜ薩摩はあんな中途半端な同盟を結んだんだろ?支援するならもっと積極支援すべきだたのでは?
長州が負ければ立場が悪くなるだけだし・・
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/24(木) 17:12:05 ID:lT68XtGdO
言えてるね。武器の購入を薩摩藩士名でした意外は長州ってほぼ自力で苦境を抜けている。
長州は基本的に京の人に人気があったからだろうか?後々のために人心を味方につけるとか?
何だかんだ言って西の雄は長州だからね
>>90 前スレから、ずっとそういう流れだよな…
信者というのは恐ろしい。
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/24(木) 20:53:32 ID:CL7ravYW0
薩長同盟って倒幕のための同盟ではなくて
両藩にとってメリットのある部分に限り協力しましょうという提携みたいなもんでしょ?
この時点では薩摩は倒幕の意志は藩論としては持ってなくて、
長州を生かさず殺さず泳がしておき、薩摩が幕府を操るような状態を目指していたと思う。
薩長同盟はお互いに利用しあってうまいところをとったから
やっぱいい同盟だったと思うよ
長州は武器調達できて薩摩不参戦で四境戦争勝てたし
薩摩からすれば、長州が死ぬと自分たちがやばいし最後いいとことれたし
>>92 長州が負けそうな場合には西郷は出兵を準備してたという話もあるよ
実際は長州が自力で勝ったからいらなかったが
戦いが始まったらすぐ京都大阪に派兵してくれ、というのが桂の覚書の最初にあるのに、
実際には薩摩が派兵したのは長州の勝利が濃厚になってから。
ということは、負けそうだったらあっさり同盟破棄してたんじゃないか?
まあもともと
蛤では敵同士だったしな
最初から筋を通してたのは長州よ
某アニメ作家の四号戦車漫画の様に、避難民をエンジンルームに乗せて
戦闘すれば良いジャン。
誤爆、スマソ。
いい加減な同盟具合が長州にはよかったのでは
薩摩がもっと協力して戦争に勝ったりしたら、その後薩摩にでかい顔されそうだ
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/26(土) 15:22:27 ID:i2Yf4wjqO
>>102 どうかな?薩摩の独裁と言われるのを避けるためにも結局長州を遇したと思う。
なにかあった時薩摩にばかり批判が集中するのは避けたいだろう
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/26(土) 15:36:09 ID:F+zjsTh/0
筋を通したらとか、子供の喧嘩じゃないんだからw
薩摩が一番大人だなww
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/26(土) 16:22:22 ID:9t0TYh/N0
薩摩って、ようは長州の掌で踊っただけのブタだろ?
幕長戦争で長州が完勝。単独倒幕さえしかねないのを見た薩摩はあわてて倒幕戦を決断。
しかし、長州が大村指揮の近代軍隊で幕府を圧倒したのとは違い、
薩摩が用いた戦術はニセ錦旗を使ったダマし討ちであったw
>>105 いやいや長州はかなり慎重で薩摩が強引に武力討幕に張り切ってたんじゃないのか?
んで江戸で行き詰まってから真打ち大村登場
明治になってからも、筋を通すw長州に対しやりたい放題で新政府を振り回す薩摩
幕末〜明治と薩摩は長州を手の平で転がしていたんだよ
しかし結局西南戦争で人材が尽きて完全に長州の天下に。
薩長同盟で1番『大人』な決断をしたのは間違いなく桂、高杉、品川あたり、
薩摩憎しの個人的感情を抑えて決断した人達だろう。
政局判断を間違えなかったというべきかな。
明治の薩摩は長州を掌で転がしてはいないよ。
何だかんだ洋行前までは木戸がトップだったし、洋行後病がちになっても結局大久保は木戸を必要とした。
半独立状態の薩摩を何とかしろと木戸に苦言を呈されてもいるし、『転がした』とは言わないと思う。
主導権を大久保が握ったというほうが正しいと思う
薩摩は軍人が幅を利かしてただけで
使える官僚タイプがほとんどいないじゃん
そのせいか、新政府で薩摩がやりたい放題やってるような印象はない
そそ
薩摩軍人
長州官僚
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/26(土) 21:06:16 ID:F+zjsTh/0
薩摩が憎いとかいってる長州人はバカだよなw
きちがいじみた攘夷実行の詔勅をとりつけて、下関を通航する外国船に大砲ぶっ放したのは有名だが、
薩摩の商船まで撃沈するという決定的な失態までやらかしている。
京を追われた恨みをそんな形で報復するあたり、たいした筋の通し方だよw
その後の禁門の変にしろ、どう見ても熱にうなされた狂気集団の行動としか思えない。
薩摩藩が綿を外国に密かに売りつけていたせいで
国内で綿が高騰してたという実態が暴露されて
薩摩の方が評判を落とした長崎丸の件か
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/26(土) 21:19:08 ID:F+zjsTh/0
そうそう、攘夷派のバカが湧きたってた頃の話な。
品川品川といってるのがいるが、あの頃の品川はその他大勢の一人だろ
桂や高杉と並ぶべくもない
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/26(土) 23:13:19 ID:GfWKlSHtO
幕末維新の薩摩って、福島正則とダブる。
豊臣恩顧にもかかわらず、家康にさんざんコキ使われて、
利用価値が無くなると改易され、いなかったことにされた戦バカw
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/26(土) 23:16:47 ID:Lt+IFUkN0
>>108 松方正義(財政)、五代友厚(商人)、川上操六(陸軍)、山本権兵衛(海軍)
あれ?長州は
>>114 つまり
西郷隆盛=福島正則か
戦争には強いが
>>115 明治後活躍した長州の人材と比べたら
薩摩ってその程度の人材かよwってレベルだぞ
118 :
酷使:2009/12/26(土) 23:32:14 ID:Lt+IFUkN0
>>117 その程度ってw
こいつらより活躍したのって誰かいるの?www
財政は井上
軍は大村、山縣、山田
第一、川上や山本って活躍時期は明治初期とはちょっとズレるだろ
>>118 素人意見かもだけど初代総理大臣の伊藤とかいるじゃん
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/26(土) 23:42:58 ID:Lt+IFUkN0
財政は井上 ←松方のほうが全然上ですからw
軍は大村、山縣、山田 ←山型って川上に「あなたは兵を知らない」と言われた権力馬鹿でしょw
長州は倒幕派には人気あるよね
薩摩は西郷は人気あるけどそれ以外は何かあるっけ?みたいな感じというか
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/26(土) 23:54:17 ID:Lt+IFUkN0
聴取は無知だなw
明治日本の財政をリードしたのは松方です
日清戦争を勝利に導いたのは川上です
日清日露戦争を勝利に導いたのは山本です
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 00:05:13 ID:Uc2S+bCn0
>>124 松方はインフレを立て直したり、日本銀行の創立したり、金本位制度の確立したり、政界きっての財政指導者
川上は陸軍の至宝と言われ、日本陸軍を改革し日清戦争を勝利に見ちびた作戦の天才
山本は日本海軍の設計者で、日露戦争で必ず勝てる海軍を創設した天才的な建設者
明治全体で見ても伊藤山縣を越える人物は薩摩どころかどこにも居ないだろう
大久保は例外として
>>106の
>幕末〜明治と薩摩は長州を手の平で転がしていたんだよ
>しかし結局西南戦争で人材が尽きて完全に長州の天下に
に対する反論が
>>108なのに
日清戦争とか日露戦争で活躍した
薩摩人を挙げても仕方ないだろうに
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 00:18:35 ID:Uc2S+bCn0
木戸を見限った大久保の子分で弟子だった伊藤はまぁそこそこ活躍したなw
山型って自分の権力高めただけのあほだよな〜
日清戦争でも勝手な行動とったり、作戦に口出ししてうんざりした川上らに本国に帰国させられてるw
>>127 日清・日露のやつらは幕末から戦ってる連中だが?w
薩摩て政治家が皆無なんだな
政治家がいないのは頭でものを考えないからかい?
与えられた設定で何とかするレベルとかさ
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 00:23:06 ID:Uc2S+bCn0
西郷翁、大久保利通、黒田清隆、西郷従道、大山厳、松方正義
みな政治家ですが?
ろくな政治家がいないな
最初のぐらいだろ
幕末からずっと薩摩は頭使わないから仕方ないけどね
西郷>山縣>大山、西郷弟
大久保>伊藤>>>>>>>>黒田
井上>松方
こんな感じか、確かに薩摩が上ですね
薩摩は身内で派手な殺し合いをしたバカ
殺し合いはそこそこレベルにしとくべきだろ
頭悪いから仕方ないな
大人しく与えられた作戦に従事しとけ
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 00:32:35 ID:K9IhtWc90
松方正義(財政)、五代友厚(商人)、川上操六(陸軍)、山本権兵衛(海軍)
たしかに錚々たる面々だけど、この人たちってみんなアンチ薩摩じゃんw
薩摩出身でありながら薩摩信者、西郷信者が大嫌いな人たちなんだけどw
だから大成したとも言えるがw
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 00:32:55 ID:Uc2S+bCn0
松方正義、山本権兵衛とか財政家や軍人でもあるが政治家でもあるんだが?w
官僚タイプって実務能力があるタイプだろ?
井上より松方のほうが全然財政に精通してたし
山形なんか山本のほうが軍事行政に圧倒的に精通してたし
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 00:39:35 ID:Uc2S+bCn0
>>135 西郷弟は政治家としては兄以上と言われた明治を代表する政治家だぞw
>>137 山本は西郷に海軍やれと言われ海軍やったんだが?w
東郷平八郎も西南戦争のころ留学してたが、日本に居たら西郷側に参加してたよと言ってますw
山本は西郷尊敬してたじゃん
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 00:56:09 ID:K9IhtWc90
西郷’信者’が大嫌いと書いたんだぞ。
おまえらのような薩摩まんせー君が大嫌いだったんだよw
もうちょっと勉強しな。
随分レベル低くなったねここのスレ
西郷信者は西郷と西郷信者の見境がなくなったのか
143 :
140 :2009/12/27(日) 04:53:57 ID:2VSu3sTP0
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 08:12:27 ID:ZrWt7qm/0
>>141 松方、五代、川上、山本はアンチ薩摩なんだ?
戊辰で薩軍として従軍した薩摩出身者がアンチ薩摩っていうのも、おかしな話だぞ。
もしかして西南戦争で政府側についたって理由だけで言ってんのかな。
それなら伊藤、井上、山県等の長州人はアンチ長州ってことか?
生まれ故郷よりも国家を優先したって言い方ならわかるが、アンチはねーだろw
どうみても薩摩を全否定して、長州を上げたい意図に見えるが。
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 09:19:23 ID:aJfkrxEJO
>139 井上より松方の方が精通してた?
あり得ない。
井上って財政政策やらせたら右に出る者いないよ。
外交はノルマントンで失敗したけど。
明治はハッキリいって大蔵が誰であれ井上が“国庫”だよ。
日露の賠償金だかの有名な話知らないのかな?巨額の金を動かすには必ず井上の許可がいった。
財政面で井上に敵う者なんか居なかったよ
>>144 >それなら伊藤、井上、山県等の長州人はアンチ長州ってことか?
意味がわからん
西南戦争で長州閥が西郷側につくわけないだろ
>>141も不正確ではあるが
>>146 144は奇兵隊の暴走とか萩の乱で井上や山縣が鎮圧側に立ったことを言ってるんだろう
文脈でそれくらい読めよ
そもそも
>>141は長州のこと引き合いに出してないのに
>>144は誰と戦ってるんだ
あといちいちレスにwを使うのはやめてくれ
すごく子供っぽくてスレ全体の印象まで下がる
149 :
137:2009/12/27(日) 12:14:25 ID:K9IhtWc90
おれは100%誉めるつもりで書いたんだけどなw
政府人なら故郷より国家を優先するのは当然なのに、
同郷主義や縁故主義を優先しがちなのが薩摩人ではなかったのか?
そんな中で先述の人たちは無能な同郷人を大量リストラしたり、
おまえら薩摩age信者とは違って、明らかにアンチ’薩摩主義’な人たちだったねと言ってるんだが。
大久保しかり川路しかり、なにごとかを成し遂げた薩摩人ってみんなアンチ薩摩系じゃんw
150 :
144:2009/12/27(日) 15:23:41 ID:ZrWt7qm/0
>>149 どこが誉め言葉なのか皮肉なのかがさっぱりわからんが、まぁいいや。
それより薩摩主義って何よ?詳しく教えてくれ。
大久保、川路をアンチ薩摩とか言っているが、
144を100回読み返せば言ってる事がわかるかな?
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 15:35:03 ID:aJfkrxEJO
>>149 薩摩が殊更に郷里主義ってのは納得。
けど大久保も充分薩摩優先してたよ?
木戸に散々言われるまで薩摩の独立状態に目を瞑ったんだから。
ただやっぱり政治家としての一面は持っていたのか、最後には決断したからあくまでも薩摩士族のために生きた西郷とは一線を画すかもしれないが。
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 15:47:36 ID:aJfkrxEJO
ああごめん。今さら自分のレスミスに気付いた。145は139じゃなくて
>>138へでした。
長州は初代県令を旧幕臣に任せたのに対し、
薩摩の県令は薩摩人、しかも久光の腹心で独立国状態で新政府無視しまくりだもんな
>>149 ニュアンスの違いとか言葉の使い方によるのだろうが、
大久保たちをアンチ薩摩と表すのはちょっと苦しいと思うぞ
山口県令に旧幕臣を配置したのって誰の知恵?
薩摩に対してものすごくいいカードになったよね
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 17:00:03 ID:f3oNwlHg0
薩摩を無視できなかったのはそれだけ脅威の裏返しでもあるわけだ
萩の乱なんてしょっぱすぎたしな
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 17:13:10 ID:cEGNvK1WO
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 17:37:57 ID:SP7KYfm00
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 17:57:01 ID:aJfkrxEJO
>>157 いかに勝が単なる西郷贔屓か解る記事だと思う。
大久保はともかく木戸の罷免てなんだ。
木戸は前原を中心とした乱をきちんと鎮圧し処罰してるんだから鹿児島に対して苦言や意見を言う権利は充分ある。
西郷下野のきっかけになった征韓、その後征台を推奨した大久保への嫌悪は解るが
木戸は征台も反対しているし。
勝のいう事はまったく信用できんからなあw
仮に本当だとして、あの時期に大久保と木戸の罷免を要求って、
ただお前が行きたくなかったからじゃねーのかと。
西南戦争勃発時に、自ら乗り込んで西郷を説得する!と意気込んだ
木戸や大久保と比べなんてチキンなのか
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 18:46:14 ID:K9IhtWc90
>>150 おまえの書き込みを読みなおしてみたけど意味不明だったよw
薩摩信者にとっては、出身者が薩摩に否定的な態度をとるなどあるわけないってか?
当時の、西郷や桐野といった頑迷派といえるような人たちは十分アンチ大久保だったんだから、
大久保や川路の立ち位置をアンチ薩摩といって何が悪いんだ?
中途半端な中立派なら、木戸も伊藤も大隈も大久保支持してねえよw
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 19:58:13 ID:xPc8GI9V0
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 21:29:25 ID:ZrWt7qm/0
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 21:41:39 ID:aJfkrxEJO
>>160 基本的に大久保、西郷より木戸を指示している私にも貴方の言うことは解らない。
貴方の文脈の中の『薩摩』は、西郷及び薩摩士族だよね?
それと大久保が立場を異にしたのは解る。
けど大久保は貴方のいう中途半端な中立派どころか、明らかに『薩摩』を贔屓してはいましたよ。
だから散々木戸につつかれている。
164 :
160:2009/12/27(日) 22:05:19 ID:K9IhtWc90
>>163 それは贔屓というより、士族が薩摩を実効支配していて手が出せなかったということでしょ。
木戸の目には大久保が薩摩に遠慮していると映ったのかもしれないが。
薩摩士族にボロクソ憎まれた大久保が贔屓は無いでしょ。
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 22:17:47 ID:ZrWt7qm/0
>薩摩士族にボロクソ憎まれた大久保が贔屓は無いでしょ。
こういう事を言うからバカだと言うんだ。
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 22:37:28 ID:aJfkrxEJO
>>164 遠慮する=贔屓(郷里主義)では?
例えば木戸は、前原をすぐさま鎮圧し厳刑に処している。
廃藩置県も山口だけが旧幕臣。
井上の補佐として有名な渋沢栄一も旧幕臣だが木戸はこれを登用。
>>155さんがいうように山口県令の旧幕臣登用を井上が言い出したことからみても、長州は本当に体制を改めようとしているのが見てとれるが、薩摩はそうは見えない。
むしろ本気で薩摩士族をなんとかしようと思うのなら県令を薩摩と無関係にすべきだ。
久光の腹心なんか就けたら『変わらなくていい』と宣言しているようなもの。
もちろん廃藩置県の当時は西郷が大久保より立場が明確に上だったからともとれるが、後々いくらでも県令を変える権利を大久保は有していたのにしなかったよ。
明らかに薩摩は明治政府を無視したような状況だったのに。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 22:41:46 ID:aJfkrxEJO
↑の文中にでてくる155さんは156さんだ。すみません
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 23:01:05 ID:K9IhtWc90
>>166 それをしようにもできなかったんだろうと言ってるわけだよ。
日本が竹島から韓国人を追い出せないのと同じで。
それができるなら木戸が自分でやってるだろうよ。
このスレの薩摩派も長州派も、薩摩人をいっしょくたにするが、
薩摩には二派あって、薩長の対立以上の火種になっていたことをちゃんと認識すべきでは?
>本気で薩摩士族をなんとかしようと思うのなら県令を薩摩と無関係にすべきだ
無関係な他藩出身者を県令につければ薩摩士族が大人しく従うと?
それで済むなら大久保だってそうしてるよ
>>168 >それができるなら木戸が自分でやってるだろうよ
薩摩のことには長州の人間が直接、無遠慮に手を突っ込めないし、逆もまた同じ
そういう暗黙のルールというか、お互いへの遠慮が薩長政権にはあった
長州のことは長州人が、薩摩のことは薩摩人が対処するというのが基本
>>169 大人しく従うなんて思ってるわけではないが、久光の腹心を県令にしたら、明治政府が薩摩は変わらなくていいと容認したってことになる。
廃藩置県当時はまだ政府もかなり不安定だから仕方なかったとしても洋行後に早々に政府の意向に沿う人間を県令にすべきだったが大久保はそれをしなかった。
大久保が本気でやるつもりならそれこそ木戸が反対する訳もなく協力しているだろう
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 23:47:28 ID:K9IhtWc90
>>171 準備が整なわないうちに西南戦争になってもか?
実際の西南戦争は薩軍のほうが準備が不十分なのに蜂起しボロ負けしたよね。
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 23:57:34 ID:aJfkrxEJO
西南戦争って西郷が下野してあれだけの時間があったから人が集まってあの規模になったわけで。
仮に洋行後早々にならば確かに政府も準備が不充分だろうが乱そのものがあの規模にはならないよ。
その代わり1度では済まなかっただろうとは思うが、
政府が薩摩の半独立を容認するようなのが何年も続くよりは、『政府』としての意義と威厳を示すことにもなりよかったのではと思うのだけど。
>>173の仮定だと、その洋行後直後の乱は誰が起こすんだよ
征韓論で破れ下野したばかりの西郷か?
>>173 洋行後だからこそ大規模な戦闘は避けたいだろう、だから征観論に反対したんだし。
西郷の下野によって少しでも不平士族を抑えてもらうのを期待し放置した。
結局は問題先送り政治だけどな。
大久保ってそういうの結構多いような、木戸は几帳面だけど大久保はおおざっぱ
>>174 県令に他藩の者を置いたと仮定したら乱が起こる可能性はある
それこそ初代県令の大山とか?
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/28(月) 00:47:33 ID:+QOWxgMQO
>>175 うん、先送りだね。
うーん史実として佐賀の乱が起こることを考えれば確かに西南ほどではなくとも乱は避けたいか。
となると大久保はどうせ征台を推奨するのならそれを期に西郷に政府に戻るように説き伏せるか、
もしくは本人にその気が無くても乱の首謀者にされた(というかこれは大久保がさせたと言えるかもしれないが。)江藤の例を出して、
西郷が私学校という形で人を集めることへの危険性を説き、せめて私学校は解散させるべきだったね。
西郷を過信しすぎたか。
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/28(月) 01:10:29 ID:93oQjZOn0
過信もなにも、留守中に勝手に征韓を決めようとしてる時点で
西郷のことはあてにしなくなったと思うが。
西郷と大久保は国を思うことに関しては心は一つで、
鹿児島と東京で分かれても、お互いを信頼し合ってたなんて、幻想だろw
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/28(月) 01:19:01 ID:+QOWxgMQO
>>177 あ、そんな幻想は抱いてないから大丈夫。
私学校解散させて、その後の薩摩士族の扱いはどうするんだ
受け皿もないのに理想論ばかり言っても仕方なくね
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/28(月) 06:23:25 ID:+QOWxgMQO
おはよう。
>>179 受け皿っていうのは乱を回避出来た時に『西郷という受け皿があったおかげだね』と言えるのであって、それが出来なかった西郷が受け皿の役を果たしたと言えるだろうか?
むしろ西郷が鹿児島に居なければ、士族はあれだけ纏まることが出来なかったのでは?
西郷の私学校は結果的にかもしれないが乱を起こしやすい環境を整えてしまったと言えない?
だって西郷って、
新政府と意見を違えて下野した元参議にして地元で絶対の人気を誇る人物。
今、頭の中で考えても反乱軍の大将にこれだけ相応しい人物はなかなか居ないと思う。
そんな人物が自ら私学校という形で人を集めれば、当時の薩摩士族が期待して当然ではないですか?
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/28(月) 23:39:01 ID:3f1yVcOC0
大西郷翁が受け皿になったから西南戦争まで暴発を抑えられた
征韓論のとき暴発してたら大久保の首はとんじょる
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/28(月) 23:44:59 ID:3f1yVcOC0
へたれの長州と薩摩隼人を一緒にする馬鹿が居て困るw
木戸と同じようなへたれ長州が立ち上がっても満天下など動かせない
萩の乱程度www
いつもの人か
定期的に沸くなぁ
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/29(火) 01:50:21 ID:uD94f4Mr0
木戸は薩摩を長州のように公平に扱えと主張した
それは薩摩が反乱を起こしても長州と同等の規模や力と見ており、あくまでも薩長は同格と見ていたかったのだろう
現実はまったくもって全然違う
長州で例え木戸が立ち上がっても、規模は萩の乱程度でしかなく、木戸の個人的な糾合力ではせいぜい一間の人間が動くかどうか程度
木戸の目や主張は、常に長州の意地やプライドで薩摩を過小評価したいという願望があった
それは=自身の志士暦やプライドの誇示表れといってもよかろう
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/29(火) 10:00:58 ID:WV6/N4Es0
勝海舟は西郷贔屓だけど
大久保が江藤を酷い処罰をしたのは
ほとんどの政治家から批判された。
勝が大久保政権から距離を置くのは仕方ない。
江藤が大久保から憎まれたのは太政官に手を付けて
長州勢を追放したから、薩摩だけで回せるほど新政府は
磐石の基盤でもなかったようだし
内乱になって日本が列強の餌食になるのを恐れていた
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/29(火) 11:01:34 ID:WV6/N4Es0
江藤をあそこまで酷い仕打ちをするとは
誰も想定していなかった。
>>186 長州勢の追放は直接は関係なくね?
江藤が征韓論争で西郷を神輿扱いにして
洋行組(つまりは大久保)の排斥を目論んだ点と
江藤の才気が大久保にとって脅威だったからかと
写真見ちまったよ、かわいそうな江藤
福沢諭吉もわれわれはものが言えなくなったと
大久保を糾弾してるしね。
でも大久保の判断は上に立つものとしてまちがってはいない
大久保自身もうらまれて暗殺されるけれどね
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/29(火) 11:21:31 ID:WV6/N4Es0
それと肥前閥は優秀な江藤を明治初期に早々と抹殺されてしまい
その事件以降は思うように活躍できなかった。
江藤とくらべたら大隈、大木、副島は小物。
西南戦争で転覆事件を起こした陸奥も
執念深い大久保に起用されたかどうかは甚だ疑問ではある。
肥前閥と土佐閥の政治家にとって大久保はあまりよく思っていないだろう。
. -―- . さすが、冷血の独裁者大久保 !
/ ヽ
// ', おれたちにできない事を
| { _____ | 平然とやってのけるッ!
(⌒ヽ7´ ``ヒニ¨ヽ
ヽ、..二二二二二二二. -r‐''′ そこにシビれる!
/´ 〉'">、、,,.ィ二¨' {. ヽ _ _ あこがれるゥ!
`r、| ゙._(9,)Y´_(9_l′ ) ( , -'′ `¨¨´ ̄`ヽ、
{(,| `'''7、,. 、 ⌒ |/ニY { \
ヾ| ^'^ ′-、 ,ノr')リ ,ゝ、ー`――-'- ∠,_ ノ
| 「匸匸匚| '"|ィ'( (,ノ,r'゙へ. ̄ ̄,二ニ、゙}了
, ヘー‐- 、 l | /^''⌒| | | ,ゝ )、,>(_9,`!i!}i!ィ_9,) |人
-‐ノ .ヘー‐-ィ ヽ !‐}__,..ノ || /-‐ヽ| -イ,__,.>‐ ハ }
''"//ヽー、 ノヽ∧ `ー一'´ / |′ 丿! , -===- 、 }くー- ..._
//^\ ヾ-、 :| ハ  ̄ / ノ |. { {ハ. V'二'二ソ ノ| | `ヽ
,ノ ヽ,_ ヽノヽ_)ノ:l 'ーー<. / |. ヽヽヽ._ `二¨´ /ノ ノ
/ <^_,.イ `r‐'゙ :::ヽ \ `丶、 |、 \\'ー--‐''"//
\___,/| ! ::::::l、 \ \| \ \ヽ / ノ
>>188 それもそうだね、たしか使節団の派遣がぽしゃって
天皇の裁可がおりなかったんだよな。
江藤は実際に行動を起こすから危険視されたんだろうな
やはり実際に外国をみた差がでたんだろうね。
江藤が岩倉使節団に加わっていたらと残念に思うよ
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/29(火) 12:28:08 ID:DZOdaQ620
>>190 大隈、大木、副島が小物ってw
大隈は大久保亡き後、伊藤と並んで政府のリーダ格だぞw
急進的なイギリス型の政党政治主張したため内閣から去ったが
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/29(火) 14:33:31 ID:WV6/N4Es0
大久保は正当な裁判をせず江藤を処罰したから
批判された。
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/29(火) 20:26:14 ID:u1E1JOJM0
「国民リーダー 大隈重信」
大隈重信の本格史伝であると同時に、明治維新論の決定版。
これを読まないと、この時代は語れない。
>>193 それ、不思議だよね。大隈は、幕末維新の戦争関係には関わってないけど、三傑や伊藤たちより
ずっと長生きだし、三傑時代だって、そのすぐ次くらいの位置にはあるのに、なんか、
福沢よりちょっと劣る教育者、みたいな位置に評価されてない?違うだろ、と思う。
自分は、西郷たちが西南の役までおとなしくしてるのがわからん。つか、つまり
薩摩しか眼中にないといえばそれまでだが、佐賀の乱のとき、肥後の神風連のとき
あとは前原/秋月のときでも、結束した方がいいだろうに、しないとこに、
多少、西郷の意を汲んでやらないでもない、みたいな気にもなるが、西郷のことは知らん。
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/30(水) 10:43:39 ID:k/9B3Qzg0
大隈は維新初期外交関係で活躍して
その才能を認められ小松帯刀に推挙されて外国官副知事に起用され後参議。
でも肥前閥は倒幕運動に参加していないから
後ろ盾もあまりなく江藤も大久保に抹殺されたのが惜しい。
ちなみに大久保が暗殺された翌年には梟首刑は廃止された。
時期的にみても江藤の梟首刑はよくなかったといこうことだね。
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/30(水) 10:45:37 ID:BrscmBWH0
福沢VS大隈=慶応VS早稲田か…どっちでもいいけど。
西郷については、国内最強にして最大規模の野戦軍と目されていた薩摩士族を背景としているので、
佐賀や肥後や長州の反乱ような小規模な兵力に加担するのは論外、というか、きっと思考に入ってないだろう。
一たび薩摩が動けば天下を揺るがすという、大藩特有のある種の傲慢さは当然持っていたとは思う。
西郷自身も英雄扱いであったわけだから、かなり悠々と構えていたのではなかろうか?
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/30(水) 11:05:09 ID:1l0VbbJQ0
各地の不平士族が足並みを揃えて政府に立ち向かえば相当な脅威だったと思うけど、
そういうことができない二軍クラスの人材だから就職もできず不平士族化したんだろうな。
薩摩だって一軍クラスはほとんど政府に残ってる。
桐野とか西郷の後ろ盾が無ければ誰にも相手にされない二軍が帰郷してる。
足並み揃えて時の政権を倒したのが明治維新で
その直後にもう一回新政府が気に入らんから
維新をやり直すなんて無理だろ、スパンが短すぎる
足並み揃えた政治力持った人間の多くは新政府側だし
無知ですまんが
どっか別のスレのリンクからYouTubeの天皇もの見たら、川村純義って昭和天皇の養育係
つーか、そーゆーのだったんだって?!全然知らんかった。
そんなことするような人なんじゃ、三傑なんて言ってる場合じゃないな。。。
つか、第二次世界大戦に至る基地がい沙汰期に、明治はじめの頃のことなんか、
どんだけ曲がったかわからんよな。川村がそんな長生きしてるの知らなかったよ。
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/31(木) 16:29:39 ID:aZTTxKBo0
考えてみると、明治維新から60年で昭和になるんだよな。
川村なんかは薩英戦争にも参加していて、戊辰戦争では二十歳あたりか?
維新に参加した侍が昭和まで生きてるなんて、まるで化石のような人だな。
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/31(木) 16:31:39 ID:aZTTxKBo0
sorry。昭和天皇の養育係りであって死んだのは明治らしいね・・・
うーーーん・・・
いくら維新三傑中心といっても
大村益次郎の話題がなさすぎるなぁ
4傑にいれてもいいくらい倒幕のキーポイントになってるのに
大村は表舞台で活躍した期間が短いからなあ
密度は濃いけど
政治思想に関しては木戸とセットみたいなもんだし
大久保、仕事はできる度合いでいけば、日本史上最強だが、論理矛盾、私的感情むき出し滅茶苦茶
大村というと、なぜか寺島を思い出す。適塾がらみなんだろうけど。
大村が長生きして、留守政府が、大村、江藤、寺島(はまだ時期尚早ながら)で
参議だと、なんか日本の未来に希望が持てるんだが。
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/01(金) 13:03:06 ID:jUHSDxqk0
西郷は自分と大久保を比較して
武力は自分の方が上だけど
政治力は大久保の方が上だと発言していた。
当時国家プランナーとなりえたのは大久保と江藤
このふたりが対立せず共存していれば山県の軍閥政治は防げたかもしれない…
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/01(金) 13:48:41 ID:k6CEDK5C0
西郷は軍人としても政治家としても二流だよ。
実績皆無でしょ。
自分を実像よりも大きく見せる演出術は一流だったかもしれんが。
国家プランナーなら木戸もいるじゃないか。
薩摩人には悪いけど、木戸がトップで、大久保・西郷が汚れ仕事や荒事を請け負ってくれて、
未来につながる実務は江藤や大隈、伊藤らにまかせる。
そして大村が暗殺されずに軍を掌握、という形が最強の布陣だな。
実際、維新初期はこの形だったわけで。
>>208 長生きしても木戸がいる限り大村は参議になれないし、なろうともしないだろう。
そして陸軍の後継者は山縣ではなく山田だったろうな。
少なくとも明治の前半は文民統制は守られる。
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/01(金) 15:21:52 ID:jUHSDxqk0
>210
薩摩側では薩長同盟、大政奉還の功労者は小松。
小松のバックアップのおかげで西郷と大久保は活躍できた。
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/01(金) 17:48:24 ID:zS0A18f60
>>210 いや、西郷は志士として超一流だよ。
そもそも元勲の中の元勲といえる人だから、一流とか二流とか当てはまらない次元の人だとも思うけど。
幕末でいえば、第一次征長で長州を完膚なきまで叩き潰そうとした幕府の意向を完全無視して、和平を成立させたり、
背後に薩摩藩があるといはいえ、幕府の力を抑えて倒幕にまで持っていってしまうのだから、相当力のあった人でしょ。
この人は維新が成り、明治政府が成立した時点で役割を十分果たしているんだよ。
木戸―大村―山田体制だったら
かなり軍のあり方は変わってたかもしれんね
大村は政治家としてはどうなんだ?
上野総攻撃の時の薩摩側との軋轢見ると
調整とか根回しとか出来ないっぽいけど
>>214 大村は政治家としてはダメ
あまりにもむやみやたらと敵を増やしすぎる
もしも大村の権力が絶大でイエスマンだらけだったなら大賛成だが
日本ではそういう組織は絶対できないw
あの人は陸軍の最高権力者という史実通りのポジションが一番いい
あの人の統制する陸軍を見てみたかったが・・・惜しいことだ
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/01(金) 18:18:04 ID:zS0A18f60
日本陸軍の始祖としての大村の能力は確かに認めるけど、
大村に政治家としての素養はないと思うな。この人の本質は志士ではなく科学者でしょ?
この時代は政治が沸騰しきっていた時代だから、大村ではこの時代の政治家は無理だよ。
当時の日本の大部分の人間はは西洋についても無知だったわけだし、大村の理想はおそらく理解されない。
結果的に暗殺されてしまったのは残念な話だ。
>>216 いや大村益次郎は日本当時の最高峰の西洋通なので
政治家としてもかなり有能だったのは確実
恐らく海外視察組並の知識は幕末時点にはすでにもってた
が・・・性格があれすぎて政治家には向かない
本当にあちこちに敵を作りすぎる
なので階級が全ての軍隊こそこの人の天職
山縣有朋ではなく大村益次郎の陸軍を見てみたかった
前スレで誰かが書いてたが、江藤と大村って似てるな。
職人気質で、その分野でダントツに進んだ見識を持ってて、
根回し苦手で空気読まなくてやたら敵を作るのが。
しかし不平士族がうようよしてて、民度もまだまだ低いあの時点では、
漸進主義であった木戸でさえ、理想ばかりだ絵に描いた餅だと批判されるくらいだから、
この二人の理想は更に早すぎたんだろうなあ。
大村の思想はよくわからん
医者やって蘭学修めて畑違いの軍関係の翻訳とかしてたら
木戸に目をつけられて、長州の軍制を任されて
そのまま横滑りで新政府に登用って感じか?
徴兵制とかいつ頃からの発想なんだ
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/03(日) 07:26:48 ID:q4XCg5Sp0
大村やたらと過大評価されすぎだなw司馬の影響かw
彰義隊を駆逐したり戊辰戦争を指導したが大村は行政家・技術屋に過ぎない
倒幕維新が成功したのも、王政復古のクーデターによる政治的勝利とそれに伴う鳥羽伏見の戦いでの軍事的な勝利
鳥羽伏見は関が原に於ける徳川側勝利を決定つけた、小早川の裏切りみたいな位置付け
一にも二にも西郷・大久保という2傑の政治力の卓抜さと、軍事的には極めて不利である鳥羽伏見の戦いと言う博打を打てた見識・胆力の功績
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/03(日) 08:00:20 ID:cE6mWHu10
ちょっとまて、山縣は決して無脳でも陸軍を駄目にしたわけでもないぞ。
山縣軍部の暴走を抑えているし、三国干渉の時は、撤退を拒む現地の兵を自ら説得している。
日露の後で児玉が満州の権益を拡大しようとした時も、伊藤と一緒になって止めている。
むしろ政府が暴走して戦争しようとしても止めるくらいの人物だよ。
山縣は無能じゃないし政治家としても一流だが
文民統制という面で見ると疑問符がつく
大村山田とはそこが違うって話
>>219 村田の蔵六さんは蘭学を学んでいたときに医学の傍らで西洋の兵器や軍事事情の本を読み漁ってた
そして知れば知るほど楽しくなって医者をやりつつ趣味で軍事を勉強っていうか知識アサリしてた
簡単にいえば軍オタだった
そんな中、村田(大村益次郎)の名声を聞きつけた宇和島藩が
西洋の兵器(大砲や蒸気船)を作りたいので力を貸してくれと頼んできた
気はのらなかったが突然の仕官話に周りが薦めまくってくるんでしょうがないので了承した
んで西洋式の大砲作りや蒸気船の設計をしてるうちに
医者でありながら軍事オタクを超えて完全に軍事マニアと化した
この世界をもっと知りたいと思った村田さんは宇和島藩を用済みとなって追い出されてから(此処でもしっかり敵作ってる)
江戸に西洋軍事を知るために旅立った
ちょうど幕府は西洋の軍事事情を知りたがっていたので翻訳家として知られていた
村田さんを軍事書物翻訳家として召抱えることになった
軍事マニアだった村田さんは内心ラッキーと思いつつその任を受けた
以上村田さんの前生涯
思ったより長くなりそうなので続きはやめとく要望があったが後半も書くがw
>>223 そこまで書いておいて寸止めすんなよw
書いてくれよww
これを言わせたいのだろーがwwww
つーか書いてくれ…!頼む
中生涯
幕府の蔵書で西洋兵書を翻訳しているうちに
もはや日本でも最高峰の戦術家じゃね?と自負してたが
自分の身分では軍を統制できないとモンモンとしてた
そんな折に村田さんの名声を聞いた桂の小五郎さんがそろそろその知識を
君の故郷である俺ら長州で活用してくれよ
と願い出てきた
その願いにモンモンとしていた村田さんはヒャッホウと飛びついた
長州の軍事顧問として招かれた村田さんは奇兵隊という組織を西洋式にしてくれよ!と依頼された
奇兵隊をとにかく西洋式の戦術で動けるように訓練を始めた村田さん
そんな中で長州は禁門だの長州征伐のごたごたがあったんだ
でも村田さんはひたすら西洋式の軍隊育成に励んでた
なんか長州は内乱してた
倒幕派が勝った
いよいよもって長州潰さないとダメじゃね?と幕府は思った
そういうわけで大軍を幕府は長州に送ったその数5万
いよいよもって村田さんは5万の軍隊相手に千人で戦わなくてはならなくなった
なんやかんやで村田さんは千人で5万の軍隊を打ち破った
この時点で村田さんの評判は最高潮となる
以上中生涯
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/06(水) 00:17:33 ID:0/d3I5eu0
「鼻紙」のまんまじゃん。。 若干創作しているにせよ。
名声を確固たるものにした村田さん
っていうか千人で5万を倒すとかありえないだろうJK
当然のように周囲は倒幕いこうぜこのまま!といけいけモード
しかし村田さん確実性がないということで「慎重に動けや」と一喝する
そんな折に幕府は「借金でどうにもならんし薩摩と長州を討伐できんし」と朝廷に政権を返した
しかし徳川を残しては「日本統一などできんでごわす」と感じた薩摩は裏工作で徳川挙兵を画策する
そして鳥羽伏見の戦いが始まりなんやかんやで勝利した
大坂もなんやかんやで勝ってそのままの勢いで江戸城を無血開放までした我らが官軍もとい村田さん
しかし村田さんは小栗上野介の幕府の船で砲撃すれば薩長軍壊滅できるぞ作戦がぽしゃったことを後に聞き
「やっべーこれされてたら全滅してたわ・・」と焦る(でも中仙道を通ってたから砲弾が届かないため関係ない)
江戸城は無血開放されたけど納得いかない元幕府家臣(笑)は彰義隊という名の集団を作って薩長の出身者を無差別に殺しまくる
これに切れた薩長は彰義隊を殲滅することにして
村田さんは佐賀藩から届いた最新式の大砲(アームストロング砲)を使って一晩で壊滅させる
ちなみにこの時「てめえら彰義隊がどういう布陣とったか教えろやゴラァ」と発言した為、薩摩の人怒った
で落ち着いたところで戊辰戦争勃発
この最中に村田さんは上の功績で陸軍最高権力者になり
「刀?時代遅れだしイラネ」と侍に対しての廃刀例などや徴兵制を主張する
「村田さんちょっと横暴でごわすよ」と薩摩と意見対立してもう職やめるとだだっこになるが桂がなだめる
そんな折に侍の権利とられてむかついたと不平士族が村田さんに襲撃
数日後に死亡
以上村田さんの生涯
>>226 ってことは多分それは歴史に忠実だったという証拠になるんじゃない?
蘭学学んでて適塾の塾長になってたり
宇和島藩に仕官で招かれて大砲作って蒸気船の設計をした
その後、宇和島藩を去ったあとは幕府に招かれ西洋の兵学を翻訳した
そこから桂に招かれて高杉晋作の要請で軍の近代化を依頼される
禁門の変が起こり長州征伐が起こり長州の保守派が幕府の恭順する
高杉晋作などの倒幕派がクーデターを起こし倒幕派が主権を握る
危険視した幕府は第二次長州征伐〜とこういう流れになるからね
まんまと言われても正直歴史がそうだからなぁ・・・
否定するところあったか?
簡単にまとめたやつだから抜けが多いのは否定しないがねw
大村、塾頭なんだ?
やっぱ適塾ってすごいんだよね。あとの三大私塾は田舎(咸宜園は大阪出張所あるが)だけど、
適塾は大阪だし、松下村塾とか、比較になんの?と常々思ってるんだが。
橋本佐内から、大村、福沢、寺島....長与もそう?花房とかもそうだよね。
名簿とか見たいな。
誰か詳しい人、適塾関係の本とか紹介してほす。
福沢あんまり出てこないやつで、在校者、授業内容に詳しいやつ。
宇和島藩、幕末ではどのくらい評価されてるんでしょう?
「花神」と、アーネストサトウの日記に出てきましたよね。
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/06(水) 10:20:13 ID:0z9csR7a0
宇和島は日本でも一、二を争う開明藩だけど、
軍事力無いから維新の分け前にはあずかれなかったようだ。
高松稜雲とか日本赤十字の佐野常民も適塾なんだよね
出身地別名簿見てたら、山口が56人で一番多くて驚いた。(次点は洪庵出身地の岡山の46人)
大村は有名だが他にも塾頭が二人いるし、名簿が残ってない時期だと久坂玄機も塾頭だよな
なんかつながりがあったのかね
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/06(水) 16:42:12 ID:0/d3I5eu0
>>229 226は否定なんて全くしてないしな。まんまだと言ってるだけだろ?
何故そんなにムキになるんだ?
>>234 司馬史観に毒されてると思われるのは嫌だから
自分も竜馬がいくだけを読んだことがあるがあれは酷い
花神は見てないんだけど
>>220を見てるとやはり同じように誇張が入っていることは解る
で
>>226が花神と同じ と発言したってことは
花神をまとめたものと勘違いされるのが嫌だった
と同時に花神ってもしかしてかなり史実に忠実っぽいのでは?とも思ったわけ
>高杉晋作の要請で軍の近代化を依頼される
村田が近代化に着手できたのは
行方不明だった桂が帰還して長州藩を掌握して以降じゃないか?
高杉とはそんなに交流なかったような
司法卿までやって、各種法典を整備した、
開けた考えの持ち主だった江藤新平が乱を起こしてしまうのはなんでなんでしょうか?
>>237 西郷隆盛を心酔してたから
西郷隆盛は追放した政府が憎くて仕方なかったから
江藤は西郷のことバカにしてたんだろ
乱起こしたのは成り行き
江藤に主体性はあまりない
気づいたらなぜかそーなっちゃってたんだよ
ゲームを借りパクしたり、売り払ったりする。万引き自慢。不潔、異臭。
性格が悪い。嘘をよく吐く。暴力を振るう。パチンコ屋。暴力団。創価学会。
これに当てはまる人物には気を付けよう。
Λ_Λ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<丶`∀´> < レ○プ・放火はウリの国技ニダ!選挙権よこせ!
( ) \__________
「朴痴漢」
日本の凶悪犯罪のほとんどが 『 朝鮮人 』
日本人に成りすましている悪人が 『 朝鮮人 』
勝手に密入国したくせに、被害者を装うのが 『 朝鮮人 』
息を吸って嘘を吐くのが 『 朝鮮人 』
「在日,特権」で脱税するのが 『 朝鮮人 』
パチンコCM広告費でTV局を抱き込むのが 『 朝鮮人 』
ネットで正体をバラされ焦っているのが .『 朝鮮人 』
ネトウヨ!ネトウヨ!と連呼するのが 『 朝鮮人 』
日本に潜む在日韓国・朝鮮人は65万人。
帰化していない。日本の国籍を持たない外国人だ。
超凶暴!知らずに関わると後悔するぞ。
友達にも教えてあげよう。
http://www.youtube.com/watch?v=cjfppNK9ObI
>>239 なるほど。
そういう意味では桐野らにかつがれた西郷と似たようなかんじ?
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/09(土) 17:27:09 ID:/qYMcde30
西郷ほどバカにされた男もいないんじゃね?
木戸、大村、江藤、高杉、大隈、大久保、川路、山県、伊藤、
みんな西郷をバカだと思ってたんだろ?
自民党の森喜朗みたいなもんか。
みんなバカだと思っているが派閥の長ゆえに首相になっちゃった森さん。
みんなバカだと思っているが薩閥の長ゆえに参議・陸軍大将になっちゃった西郷さん。
では西郷、桂、大久保の履歴をまとめたやつを
と思ったが大村以上に長くなりそうなのでやめた
とくに西郷は信者に殺されそうw
でも大隈なんて維新の志士でもないし明治政府でもとくに
実績もないし、
山縣は上がずっこけたから上がれただけでしょ
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/10(日) 16:44:57 ID:ayL2OiEL0
これが信者というやつか
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/10(日) 17:41:15 ID:9XtkUpS50
山県は自分を優遇してくれなかった木戸を恨み
木戸の葬儀の時も涙もでなかったらしい。
木戸は軍人が政治に関与することを否定し続けた。
>>247 後に日本陸軍の暴走により
国際的に孤立しアメリカに資源ストップくらいハルノート
ww2に・・・と木戸の考えは正解だったな
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/11(月) 11:16:09 ID:l/e8z3ip0
しかし山県ではなく西郷と薩摩閥が陸軍を牛耳ることになっていたらもっと悲惨なことになっていたと思われ。
鹿児島士族が新政府に戦争をしかけたごとく、日本陸軍が欧米列強に戦争をしかけ日本は消滅し、かわりに朝鮮のような国ができていたと思う。
山県に問題は多々あれど、酷評されすぎだよ。
少なくとも西郷よりは評価してやるべきかと。
むしろなんで山縣をそこまで評価するのか解らない
功績は大村益次郎のいいとこどり
あとの後半生は権力の徹底的な独占化
美談として山縣がいなくなってから陸軍の制御ができなくなった
ってのを挙げられてるが
これは
権力の徹底的な独裁化による弊害であり
そりゃ後続を育てず分散させてなく
強力な独裁制強いてりゃそいつが亡くなった時暴走するのは当然だろう
まぁここは山縣を語るスレではないからほどほどにするけど
独裁というのは効率はいいかもしれないが、そいついなくなったときが問題だもんな。
大久保の時はまだ人材がいてよかったかもしれんが。
木戸はそういうのを否定するがゆえの言動が、当時の高官連中の目には煮え切らないように
映っていたように見える。
木戸についての悪評は都合よく動いてくれない人間に対しての憤りも含んでいるように見えるんだよなあ。
山縣が参議になるにあたって主なところで反対していたのは木戸だけだっけ?
薩長の感覚で言えば自分を守るはずの長州の長が認めてくれないんじゃ
憎むかもしれんね。
しかも考え方が浸透していない文民統制を理由にだもんな。
木戸もよくこの考えに基づいて反対できたもんだよ。
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/11(月) 15:38:51 ID:l/e8z3ip0
>>250 陸軍がもし薩摩的勇猛賛美か山県閥かの2者択一だったら
山県の方が普遍的な利で動いてる分ましだったんじゃないかと言ってるだけなんだが。
結局は山県死後、陸軍は薩摩型に傾倒していくわけだが。
当時の西洋先進国では文民統制は当たり前だったんだろ?
西洋化大好きな明治政府が、なぜ真似しなかったんだろう
山縣にしたって、木戸から参議になれない理由として
軍人が政治に介入することの危険性を指摘されて知ってたはずだと思うんだが
>>252 たとえ話にもならんよ
その思想を危険視した岩倉使節団の
メンバーらに危険視されて排除されたんだから・・・史実で
岩倉使節団のメンバーであった桂、大久保、岩倉具視がいる時点でお話にならない例え話
それと山縣が死んだあとは薩摩型ではなく東條英機などの東北勢だろう
山城屋事件で井上馨と同じぐらい追い詰められた山縣が敢えて慰留された理由は、
あいつがおらんと軍が纏まらんby大西郷とかそういう理由だった記憶がある。
>>253 敢えて統帥権の独立を入れた理由は、政治家による軍隊の私的利用を防ぐため。
近代から現代のアフリカなどで、一度は民主化しておきながらその後大統領独裁制に後退してる事例見れば、一理あると思われる。
つか、明治の民主化自体、激化する官僚vs民主化派の対立をなんとか調停してソフトランディングさせた
想像するだに疲れる難事業だからなぁ。
ここで失敗して軍事独裁政権に移行した国もある訳で。なんか色んな絡みがあったんだろう。
長州は維新以前から合議制で君主はお飾り、議員が話し合いで決めてく
体制だったと聞いた気が
高杉がクーデターおこしたあとも、政治には関わらず、議員たちが運営してた
桂は文民統制の考え方になじみやすかったのでは
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/12(火) 13:17:38 ID:M6DkMYuf0
木戸孝允→山県有朋(軍人が政治に関与しない方がよい。山県はトップで指導するべきではない)
大久保利通→桐野利秋(桐野の起用に関して西郷と対立)
小松帯刀→大隈重信(小松に才能を評価され参議に)
後藤象二郎(たいして出世できのではないか…)
人物の能力を見抜く能力に長けている木戸、大久保、小松には
長生きしてほしかった。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/16(土) 00:24:36 ID:rIQWkeDy0
大東亜が軍部の暴走なんてGHQの洗脳歴史だよw
アメリカが勝てるのわかって仕掛けた戦争に過ぎんし
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/27(水) 00:23:46 ID:pyCL/dJN0
>>252 それは鋭い指摘だなぁ。
旧来からの因縁も引きずる陸軍だからこそ、徹底的な実務家である山縣や長州閥の独断場となったかと。
因習をも取り込んで近代軍への道を模索するには、こういった美学に惑わされない実務家こそ向く。
逆に全てをぶち壊して新しい基礎を築く必要のある海軍には、ひたすらぶち壊し新しい道を爆進する薩摩人こそ向いている。
まさに必然。
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/27(水) 00:43:47 ID:ALBoo5X00
意味不明だよw
>ひたすらぶち壊し新しい道を爆進する薩摩人
薩摩人の性質はむしろ逆だろ。
明治の海軍がわりとまともだったのは、山本権兵衛という
薩摩人らしからぬ実務家がいたからだ。
陸軍が長州の独断場になったのは
征韓論で下野した西郷に従って
薩摩の陸軍系の軍人が一斉辞職したからじゃね
海軍は元々薩摩が握ってた印象
というか、長州で海軍って誰かいたっけ
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/27(水) 02:31:17 ID:nUu8xanY0
薩摩に萌え。
九州男児の魂は、いつの時代でも不滅です。
東北?どこの田舎もんですか?
薩摩と長州って、地域的にどっちが好きか、傾向があるんだろうか?
自分は東京だけど、長州はわかるが、薩摩はわからん。
好きになろうと心がけているが、厳しい。
人の話を聞いていると、長州はいい加減、みたいな意見の人が薩摩が好きそう。
自分は、長州の方が息がしやすいような感じがするが。
薩摩ファン、どこが好きなのか教えてほし。
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/27(水) 22:40:58 ID:iHaSfZ3PO
>>263 中高生の頃体育の授業で音をあげてたもやしっ子が、
二十歳過ぎてから軍ヲタになって米軍や自衛隊の新入隊員が
厳しい訓練でビシバシ鍛えられているのをテレビで観てホルホルしてたりするだろ。
たぶんそんな感じの感覚なんだろうとは思う。
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/27(水) 23:19:48 ID:r+AaIJ050
薩摩人は何をやるにも徹底的に命がけと云う感じの印象だな
西郷・大久保も徹底的に自分の意見突き詰めて言って妥協とか中途半端が無い
最後は両者激突して死ぬまでいった
西郷についてった連中もとことんついてったし
ただの権力闘争に命がけとか妥協しないとか
小説の読みすぎ
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/28(木) 00:51:38 ID:W712bT7W0
俺も東京だけど、薩摩はわかるが、長州はよくわからん。
薩摩は現実の力関係を見失わずに動いていて、一番リアリティを感じるんだよね。
長州だけを見ると、あたかも思想だけで明治維新が起きた錯覚を覚えるが、
薩摩を知ってくると、実力に裏付けされた革命だった事がわかって納得する。
知れば知るほど面白いのが薩摩。
幕末一番血を流したのは長州だろ
なんで思想だけに見えるんだ?
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/28(木) 01:11:44 ID:W712bT7W0
無駄に血を流してるよな。
思想偏重だからだろ?
だから戦って血を流してるわけで
思想だけで明治維新が起きたって見方は変じゃね
力も使ってるだろ
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/28(木) 01:21:42 ID:wD7wV1Dt0
長州はたしかに書生的な勢いで突っ走ったように見えるが、
経済力は薩摩以上だし、奇兵隊など諸隊も町人兵というよりヤクザのようなコワモテたちが構成員だからね。
頭でっかちなひ弱なイメージはまったくの誤認識。
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/28(木) 01:21:55 ID:W712bT7W0
そう。力関係を見失って暴発したのが幕末の長州。
明治維新は薩摩の力があったからな。
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/28(木) 01:35:04 ID:wD7wV1Dt0
何度も暴発できるだけの体力があったってことさ。
実際経済力は 長州>>>幕府 なわけで
経済戦争と見れば、べつに暴発でもなんでもない、
金持ちが貧乏人を叩いてる図式だよ。
力関係を見失った暴発というのは西南戦争や昭和の対米戦争のことをいうんだよw
久光や大久保はわかるが斉彬や西郷はわからない。
木戸や大村はわかるが松陰や久坂はわからない。藩主親子はもっとわからない。
容堂や龍馬はわかるが武市はわからない。
自分の価値観では当時の人望と言うものが理解できず、それで評価されてる方々が苦手だ。
やっぱりわかりやすい実務家の方に好意を持つなあ
長州はなんであんなに金持ちかてなぐらい金持ちだなw
実務家はどっちかというと人のあとをついていくタイプに見える
大久保や木戸が力を発揮できたのも、西郷や高杉が道を開いたからだろう
大村は木戸がいたからだろう
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/28(木) 04:31:16 ID:zGJj1ENtO
慶喜の子孫は
財務省主計局長=もうすぐ財務事務次官と世界銀行副総裁という兄弟
慶喜の知性を受け継いで実力でキャリアを重ねてる
大久保の子孫は先祖同様に頭が悪く去年不様な笑い者になってたが
木戸と西郷の子孫はなにしてんの?
木戸には子供がいない。好子さんのその後(その前も)はみんな知らないようだ。
木戸の家を継いだのは妹の子。それが木戸幸一に続く。
でも忠太郎くん(息子だと言われる達磨研究家)の子孫がいるという話を聞いたことがある...。
>267
その「興味深い」という魅力はわかる。背景を探る面白さは薩摩と幕府にしかないと思う。
で、幕府も薩摩ほどじゃないと思う。
長州は策士の部分が弱い。
でもそれは、薩摩の記録が曖昧だから、ってことはないだろうか。
長州は記録を残しすぎてると思う。一時史料もだけど、防長回天史みたいなものとか。
誰かがどっかの時点でまとめた記録が、長州のがマメってことない?
薩摩って、西郷のばっかりのように感じるんだけど。
だから、なんで西郷?と思うんだよ。そんなに好きなら、なんで西南戦争で殺したの?
反乱起こしたのになぜ殺したって言われてもな
誰を責めてんの?
討伐した政府?
それとも西南戦争を起こすに至った薩摩の情勢?
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/28(木) 10:57:11 ID:72GbHvbWO
維新前の大久保は国元での活動期間が長かった。
やはり西郷が幕末薩摩の顔だったのが大きいのでは。
>>275 家康が下関を直轄領にしなかったのは失敗だったと、斉彬が言ったらしい。
あと改革派と保守派が政権交代しても、商業振興という点での政策は一貫してたのもでかい。
田沼が開きかけた重商主義への道を定信ちゃんが埋め戻さなければ、
幕府もあそこまで悲惨を晒さずに済んだのでは。
まぁこれは、経済改革の背骨を担った撫育方が、毛利重就以来長州藩主直轄だったのがよかったのかもしれない。
その意味では、木戸の道を拓いたのは、村田・周布の系譜だと思う。
それは道をひらいたというより体力をつけたという感じ
西郷は斉彬、大久保は久光の下で実力を培ったけど
木戸はよくわからん
江戸の道場の塾頭やってたのを見込まれて藩の有備館の館長に抜擢
体育会系コースで出世したのに、なぜか政治もできた
木戸は8歳から桂家の当主としてやはり大人の中に混じることもあったからね。
基本的に癖がなく割りと人懐っこく誰とでも付き合えるタイプっぽいから周布とかに可愛がられるうちに政治感覚身に付いたんでは?
桂って年上に凄く可愛がられているし。
連投ごめん。
そういえば桂って自分を積極的売り込む動きしたこと生涯無いね。
漢詩だっけ?表彰受けてー、その後江戸に私費でいいから留学させてください。
そしたら才能あったのかなんなのか藩費留学生差し置いて練兵館の初代の塾頭に。そのおかげでコネと人脈がいつの間にか出来上がり。そしたらいつの間にかスッゴい評価されて外交官になりました。
京都の色々の後、時期を待っていたら高杉が一掃してくれて、『首相格が勤まるのはアナタだけ』とポンと丸投げされて。
明治には、岩倉から請われてただ1人総裁局顧問専任にはなるけれど、たった1人での参議就任は拒み続け。むしろこの先は
『辞めます』があるだけだもんね。
本当に権力に興味ないんだ。苦労しなくても周りが推薦してくれてたために権力に固執しない性格になったとか?
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/28(木) 17:47:49 ID:zGJj1ENtO
意外だなあ
農水とか国交なら分かるけど法務か
大西郷とはイメージ違うけど立派なもんだ
長州組の中では、桂とか高杉とか権力欲感じないのは上士に多い印象はある
井上とか山田とかもあっさりしてる
やはり生まれてのが関係するのか
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/29(金) 01:38:31 ID:OJnesJZS0
長州が金持ちなのはわかるが、薩摩より経済力が本当にあったのか?
軍艦買ったり、軍隊を洋式化したりは薩摩よりずいぶん立ち遅れているが・・・
幕末にあれだけ諸外国の軍艦が日本近海をうろついていたわりには、長州の対応は遅くないか?
長州の上士組は幕末、伸び伸びやれたからなぁ
上が若手に甘いし、ポカしても藩ぐるみで庇ってくれるし
薩摩と比べると土壌がだいぶ違う
権力に淡泊な美徳を育てた反面、
政治家として時に必要な権謀術数は身につかなかった
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/29(金) 01:47:15 ID:OJnesJZS0
それは薩摩と比較すると、長州は坊ちゃんってことかw
たしかに薩摩は上下関係が厳しいし、一般は貧しいからな。過保護とは程遠い野生児の集まりさ。
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/29(金) 02:07:21 ID:PtPyvfPp0
また鹿児島人の郷土誇りかw
薩摩人だって似たようなもんだろ。
藩を飛び出しても個人として信念を通すような薩摩人なんてほとんどいないじゃんw
徒党を組まなきゃ何もできない田舎の青年団員みたいなもんだろ。
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/29(金) 02:11:46 ID:OJnesJZS0
俺は東京人だけどなw 現代の鹿児島人など知らん。
藩を飛び出して個人で信念を通すのが長州的な志士なのか?
それも幻想に過ぎないと思うけどな。
そのタイプなら、薩摩では周知の西郷という人物が強烈に該当しているかもな。
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/29(金) 02:27:01 ID:ER/IqfzAO
長州がぼっちゃんでなくて、上士がそうだといったわけで
長州はリーダー層と上士がわりとかぶってたから、そういうのが目立つが
総理大臣になった伊藤山県は身分が低い成り上がり組だ
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/29(金) 04:06:58 ID:NMHJP+9LO
山縣なんて権力欲剥き出しの典型的な例だもんな
木戸や西郷が自分の地位を捨ててすぐに隠居したがるのに対し、大久保の最後までやり通す姿勢を見ると、
権力欲というのは政治家に重要なものだな。
山縣と山田見てたらわかりやすい。
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/29(金) 05:51:15 ID:3ypdKzw9O
けど木戸と西郷って根本的に違うよ。どちらが正しいとかではないけど、
薩摩が半独立国な立場が許されたせいもあり 西郷は本当に
「明治政府はあてにせずに薩摩は薩摩でやるぜ」な感じだけど木戸の辞表はあくまでも自分の目指す政治とは違うから距離をおきたい的なもので、
政府を常に心配している。
木戸は、自分の目指す理念とズレてしまっても日本という国に見切りをつけたことは無さそうだ。その点では大久保と同じ。
西郷の主眼が薩摩(士族)であったのに対し、大久保と木戸は国単位でモノを見ていたと思う
薩摩の藩政は久光派が握っていて
西郷が「薩摩は薩摩でやる」なんて
主体的な考えで薩摩に戻ったとは思えないんだが
西南戦争だって西郷の本意ではないだろう
薩摩に帰ってからはひたすら周囲に流された印象
西郷の信念て、処世とか進退とかそういうもので、
国家建設のロジカルなものではないでしょ。
精神的なものを評価対象にするのは、
それはやはり信者のすることだよ。
確かに西郷の国家像って謎だよな。
どういう国にしたいのかさっぱりわからん。
たぶん目標を持ってそれを推進にしていくというタイプじゃなく
与えられた状況の中で最善を尽くすようなタイプかと思う。
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/29(金) 14:03:56 ID:3ypdKzw9O
>>295 言われてみればそうかな。明治政府の主軸と意見を違えて地元に帰ったら時流に流されたってことになるのかな
>>296信者ではないが、時代の舵を握り続けた大久保の責任感や実力が評価されるのはわかるが、
別に西郷でなくとも、たとえ時代の本流にならなくても、いい意味で進んだ考えを持ってた場合はそれを評価されるべきだと思っている。
木戸や江藤なんかがそうだな。
木戸の場合提言したことのほとんどが現代に繋がっていて、どれだけ先見性があり性格に国の未来を見据えていたかがわかる。
私は正直木戸の思想は明治初期に主流化するには時代を超越しすぎているので、明治6年以降は大久保でよかったと思う。バタバタしはじめて乱も続く時期だから。
けど出来るなら木戸が長生きして、大久保の死後も生きていたら憲法の制定とか早かったかもと思うし(これは大阪会議で正院設置させたからリアリティーあると思うんだけど。)文民統制が少しずつされていったと思う。
ちょっと話ずれたけど確かに西郷はあまり国家建設に対するビジョンは見えないよね。つくる側には向いてなかったってことかな。
×どれだけ性格
○どれだけ正確。です。ごめん。
西郷は岩倉使節団に加わって外国を直に見てれば
もう少し明確な日本の国家像のビジョンが持てたかもな
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/29(金) 22:27:54 ID:ADCNmQAC0
また逃げの小五郎厨の妄想始まった
木戸はつべこべ評論してただけ正論なんて誰でもいえるよ
お、「逃げの小五郎」というフレーズ大好きな木戸アンチか、久しぶり!
木戸が評論だけとか、否、そうじゃないとかって議論はもうお腹いっぱいだから
特徴ある携帯の木戸信者もいちいち付き合わないようにな
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/29(金) 23:46:59 ID:3ypdKzw9O
うーんまあ私は木戸の思想の先進性はすごいと思ってて、三傑スレだから如実にそれが出ちゃう傾向があるのは認めるけど
ここの人って、木戸批判することで、その人が存命中に実現出来なかったら無価値、みたいな人多くて、それは違わない?
木戸だけの話ではなくて。時代が変わっていく始めってその時代の本流とは違う思想を誰かが言い始めるとこからじゃん。
『思想は正しいけどそれを実現するためにはこうするべきだった。それが出来なかったから評価低い』なら解るんだけど。そういう意味での木戸や江藤らの評価の低さは普通に解る。
木戸は、大村、江藤、大隈あたりを抜擢したことだけでも凄いと思うが。
西郷なんて誰を抜擢したよ?
たしか紀州かどっかの人を連れて来て政府の指導者にしようとしたものの、
そいつが金を使い込んで赤っ恥かいてたよなw
薩摩人なら川路に警察やらせたのが最大のヒットかな
藩外の人材登用は壊滅的だね
長州は尊皇攘夷やってた頃から藩こえて志とやらでつるんでたからな
高杉がクーデターしたとき従ったの他藩の人間ばっかだったしw
そういう空気が影響したんでは
大久保は他藩とつるんでないから、ある意味、ああいう英断的な行動を取れるんじゃない?
木戸は、進むべき道とか、10年20年先にあるべき日本を考えることは出来たけど
いま、この状況で、どーすんだよ。。。って時に、采配を振るえたのは大久保だと思う。
大久保は一度も役を下りたりしてないと思うし。
だからどっちもお互いを必要としたし、認めてもいた。
でも、さすがに大久保は顔が狭い。だから薩摩人ばっか使う。ここが意図的なのか、
たまたま他に考え付かないのか、わかんないんだが、木戸をムカっとさせたと思う。
みんなへんなとこで死なないで、まともな感情で明治維新だったら、
小松-木戸-慶喜(総裁)+横井/岩倉(顧問)
西郷-大村-大鳥(軍)+高杉(臨時勤)
大久保-広沢-勝(内務)+江藤(実務担当)
五代-井上-小栗(財政)+渋沢/富田
寺島-伊藤-榎本(外交)
かな。。。うーん、いい。
中岡とか久坂を入れたいけど、時代が違い過ぎてわからん。たった10年未満なのに。
個人的には、品川にもっとビシィっ!!とした適役を与えたいんだが。
>>307 財政あたりに大隈入れて。
あと、このスレでも山県はケチョンケチョンにけなされてるが、
軍政家としては西郷より大村より優秀だと思うんだ。
つーか土佐いないな、つくづく中岡は惜しい
山縣は能力的にはこのスレの上の方でも評価されてるぞ
汚職に関わったことや文民統制がわからなかった点でマイナス評価も受けてるが
単に権力の権化、というだけで貶されてるわけじゃない
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/30(土) 11:13:21 ID:n4qm6DHIO
大村益次郎は日本史上屈指の大軍人。
山県や西郷より上。
しかし、政治家としての能力は分からない。
西郷:統率
大村:作戦 指揮 軍制
山県:実務
こんなイメージ。大村がマルチ型で総合力トップかと
木戸と大村が似ていて、大久保と山縣が似てる気がする。
木戸、大村は分野は違うが持ってた先見性は群を抜くし、そうするためにはどうすればいいのかも本人の中では解っていた。
けど病だとか、性格的なもので地盤が固まりきらなかった。
大久保・山縣には前者ほどの開明性は無いけれど時流にあった動きをしつつ地盤を固め、結果的に権力を握って意のままに動かす能力は群を抜く。
>>312 木戸、大村の型には江藤も入るよね。
大隈は能力は先進開明だけど、政治的には計算高い感じで毛色が違うかな。
大久保、山縣は、目的実現のために権力を得る、という次元ではなく、
権力そのものに執着する亡者的な面があきらかにあると思う。
大久保が薩摩人に異常に叩かれたのも、薩摩人が閉鎖的で固陋という理由だけでなく、
当時から権力亡者的な匂いを感じとられていたせいもあるんじゃないかと。
最近の大久保再評価ブームは、私心の無かった鉄の宰相みたいな持ち上げられかたでちょっと気持ち悪い。
>私心の無かった鉄の宰相
「翔ぶが如く」の大久保像がまさにそれだからな
あれ読んだときは大久保かっけー、西郷なんじゃこのデブの塊は
って思った
大久保には実際私心は無かったと思うが、
いわば権力マニアというか、鉄の表情の奥で、権力の中枢に自分がいることに激しく恍惚とするようなあぶないタイプ、
そんな匂いを感じるよ。
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/30(土) 13:03:00 ID:6s3eAOmR0
薩摩藩の代表は西郷と小松。
大久保は裏方に徹して朝廷工作をしていた。
交際範囲が狭いと言われても仕方がないよ。
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/30(土) 13:09:50 ID:I8IjaMs4O
そう思うと何だかんだ言っても国を動かす政治家としては伊藤が1番かな?
木戸ほど国民主体の考え方ではないが、大久保・山縣ほどには自らの権力に固執せず、政治的ビジョンも持っていて、調整能力があり、現実と照らし合わせて算盤弾けるタイプ?
晩年はどうにもこうにも山縣閥の数に圧された感じはあるが。
大久保>木戸>>西郷>(超えられない壁)>その他
幕末も含めれば結局
大久保=木戸=西郷だよ
癸丑以来の志士暦最古参で生き残ったの木戸と西郷だけだし
しかしどの人も一長一短あって、日本の精神風土からは誰もが納得する
真のリーダーというのは形づくられにくいのかなと。
日本人は独裁者をつくらないと言われるが
独裁ができるようなキャラも出てこないよね。
やはり天皇制があるせいかな。
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/30(土) 21:31:54 ID:V609Qx390
>>307 なぜ板垣退助が居ないの?
大村は過大評価されすぎだと思うけどねw
このスレに集う猛者たちに聞きたいんだが、土佐閥で有能な人物はいたのだろうか?
やっぱり、薩摩、長州に固まってるのかな・・・
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/30(土) 23:32:25 ID:6s3eAOmR0
武市、近藤、龍馬、中岡は優秀だけど
早死したのが残念。
残念ながら後藤は小松からもあまり評価されなかったみたいだね。
けど薩摩って大久保以降は国を主導する手腕は若干落ちるよね。
といっても長州も伊藤と山形だけなんだがね殆ど。
土佐じゃないが江藤や大隈は実際優秀だと思うよ。薩長に固まってるってことはない。
それとは数レスまえの権力云々の話に戻るけど一番労せずに権力握ったのは井上だと思う。
江藤に追い落とされたはずなのに実業界にいたことで完全に財界掌握。実質的には明治の“大蔵”
江藤に追い落とされたと言っても
その直後に江藤が政変で追い落とされたから無傷に近い
江藤が司法卿であり続けていたら銅山汚職で
政治家としても財界人としても息の根止められてたよ
江藤や大隈をおまけ的なイメージ持ってる人も多いと思うがぜんぜん違うぞ。
江藤はかなりの大男で西郷や大久保と並んでもまったく見劣りしなかったようだ。
大隈も180センチ級で迫力十分。
佐賀人なんで派閥的な背景は無かったが、西郷や大久保にふつうにタメ口聞いていた大物だ。
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/31(日) 02:52:47 ID:EQecT04L0
タメ口をきいていたから大物だというのは、若干疑問を感じるとろこだが、大隈が優秀なのは納得できる。
佐賀は最終的に維新に乗り遅れたが、フェートン号事件以降、近代化の側面で先端を突っ走っていたわけだし、
薩長に引けをとらない人材の宝庫だったと思うよ。高島秋帆の影響が大きい。
薩摩などは佐賀からずいぶん色々な事を学んでいる。
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/31(日) 10:05:14 ID:dLR/QTy90
大隈は江藤も悪いことをしたが彼の死は日本にとって損失であると発言している。
薩長、特に長州は幕末で死にまくったのに比べて
何もしてない佐賀は人材豊富で当たり前だわな
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/31(日) 11:09:23 ID:EQecT04L0
長州は血の気が多いからなw
佐賀は藩の方針で個人の志士活動は大きく制限されていたしな。
要するに維新後残ったのは雑魚ばっかってことだな
そうかな?高杉にしろ久坂にしろ、やるべきことをやって一番良い時に死んだと思うよ。
正直高杉は明治で活躍できたとは思わないし、久坂はちょっと思想が激しすぎて征韓とか推奨して身を落としそう。
木戸も理想主義だが洋行してからは急進から考えを改めるなど現実を見る目はあったと思う。
ただ最終的に木戸が唱えた国家思想ってのが当時にはちょっと浮きすぎるほどだっただけで。
長州は沢山死んだがあんまり無駄死にな感はない。久坂らが死んで正義派の爆発力になったと思うし。
高杉はいいが久坂や吉田稔麿がもったいない
とくに吉田の方
伊藤と同じ出身で同じ年に関わらず幕末では伊藤とまったく重要度が違う
伊藤自身も何でも俺より良く出来たと言ってたしな
品川も、吉田は生きてたら総理になってたとか言ったらしいしね。
吉田って近年研究だと、池田屋にはもともと来ていなくて、藩邸で事件知って
それを桂に知らせるために飛び出したところで会津藩士に斬られたって説が濃厚なんだよな。
…桂と吉田って仲良いの?上司として慕ってたみたいだけど。
しかし、確かに吉田はもったいない…。
しかし新撰組系作家による池田屋捏造ストーリーどうにかならんかww
>>323 板垣の評価はイマイチ(?)だし、佐々木高行、田中光顕、土方久元、吉村虎太郎、谷干城、中江兆民・・・
やっぱ龍馬、中岡、武市あたりに比べたらインパクト薄だね。
吉田はもろもろ見ると、確かに伊藤とは格が違う感じするし勿体ない
久坂は権謀の人だが、性格的に心配かもw
むしろ高杉のが柔軟だったりするし不気味なとこはある
まあ、長州については有能なのは殆ど死んだのはいえるな
そら木戸も孤独になるわ
吉田が生きていても伊藤は最終的にはそういう能力差を立ち回りの上手さと驚異的な人運で超越しそうな気はするが。
吉田や久坂って頭は最高クラスに良いんだろうけど立ち回りの上手いイメージ無いなあ。
年上組でいうと来原良蔵が生きてたら(中枢に居なくても生きてるだけでも)桂も伊藤も大分違っていたかもね。伊藤って来原の遺児を拾い上げて出世させたりしているし。
薩摩なんかは小松が生きてたらどうなったかな?西郷は変わらない気がするが大久保が。
吉田って具体的に何かしたか?
池田屋事件以外で
久坂とつるんでたんだっけ
吉田は桂の伝で幕臣の家で密偵のようなものやっていた
しかもそこで信頼され、出世もしてるから頭固いとは思えないな
小松が生きてたら大久保は随分楽だったろうな
矢面に立たなくて済むし、幾ら西郷信者でも小松をそこまで悪く言うと思えん
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/31(日) 16:28:42 ID:XZTH1CA+0
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/31(日) 16:47:32 ID:ivq2wj740
全人類に警告する。
悪魔があらわれ、全人類に「獣の数字」をつける。
獣の数字をつけられた人間は、巨大コンピューターで管理される。
全人類すべての個人情報を、書き込むコンピューターが
開発される。
レーザー光線で人間の皮膚に、目に見えないイレズミを
つける機械を、悪魔が発明する。
悪魔は、人類に獣の刻印を、ひたいと右手の手首につける。
「獣の数字」をつけられた人間は、
悪魔の奴隷にされる。
悪魔にさからう者は、生存権をうばわれる。
ここで予言する!!獣の刻印をつけられた人間は、
イレズミしたところから悪性の腫瘍(シュヨウ)ができる。
「獣の数字」にきをつけろ!!! ミカエル
小松なら半独立国化していった鹿児島をそうなる前に防げたかな
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/31(日) 19:56:45 ID:EQecT04L0
変わらないよ。
西南戦争は起こるべくして起きた戦争。
あれだけ士族比率の多い国で、反乱は避けらないだろ。
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/31(日) 22:02:17 ID:kV9RZudh0
>>334 なぜか世間では、長州が京都を焼き討ち計画をだして、
それをとめた新撰組になってるからなあwww
史実では新撰組につかまって拷問されている人物を救出するためなのに。
禁門でも京都を火の海にしたのは幕府側www
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/31(日) 22:45:19 ID:dLR/QTy90
小松は久光に信頼されていたから
西南戦争も長引かずに済んだかもしれない。
晩年に勝が優秀な人物はみんな早死にしたと言って嘆いた。
勝の愚痴は当てにならん
>>345 伊藤博文なんて生き残った奴が一番強いってのを
体現した人物だと思う、確かに名宰相だけど
アニメで例えるならコードギアスの玉城みたいな奴という印象
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/31(日) 22:59:08 ID:EQecT04L0
薩摩は西南戦争でずいぶん多くの犠牲を出してしまったね。
ある意味、一番気の毒なのは鹿児島だと思うよ。
彼らにしてみたら、何のための維新だったんだろうね。
薩摩は大西郷が腰を上げちゃったのが不幸だったな。
長州の場合の前原一誠なんか、人望が余り無かったせいで支持も殆ど得られず
m9(^Д^)状態だったんだし。
それにしても、大西郷本人は一体どうしたかったんだろうか。
>>347 生き残った奴が1番強い、は山縣だよ。
文民統制主張してた木戸が早々に死んでなかったらあんな権力握れてない。
例えば木戸が憲法制定まで生きてて、派閥の基盤もちゃんと出来ていなかったら、その後木戸が死んでもそこからあれだけ大きくは出来ないと思う
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/01(月) 00:25:43 ID:P9BK0oUa0
>>349 陸軍大将の自分が動けば、政府軍も容易に手は出せず、
まず戦わずして東京まで上れると思っていたんだろうね。
西郷の脳裏には鳥羽伏見のあと、東海道を戦わずして江戸まで上り
幕府を降伏させた成功体験が蘇っていたんじゃないか?
今度も街道筋の県庁が率先して食糧・軍資金やら宿泊やら提供してくれて
大名行列のごとく東京までいけると思っていたんだろう。
でなければあの時の薩軍の兵站のずさんさは説明つかん。
薩摩士族=当時の典型的な情弱層 と見ていいだろう。
しかも、もしも西郷の反乱が成功しても、それで、どんなことをしたいのかさっぱりわかんねw
皆の衆、天命じゃ!
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/01(月) 12:18:53 ID:EVwvhxrq0
>>352 それは勝に大久保に次ぐ者と言われた村田新八が考えることじゃい
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/01(月) 12:46:30 ID:g0MqBL5b0
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/01(月) 13:14:02 ID:g0MqBL5b0
>>351 取りあえず、熊本城は一日で落とすつもりだったんだろう。
敬神党の160ぐらいで、あの鎮台の弱さだったから、
日本最強の士族団と自負する、自分たちが熊本城をとれば、
大砲もとれるし小銃も食料も取れるし、熊本県の金だって取れる。
それがくるったんだりょ。
>>354 勝海舟の言や著作には、ほらと好悪と自分の都合が露骨に混じるので何とも……
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/01(月) 23:40:20 ID:jfH5mXu40
好悪はかまわんよ人間だから
勝の場合は懸命に自分を持ち上げるのがあけすけで気分悪い
恥ずかしいやつ過ぎるんだよ
明治後の勝はなぁ・・・
西郷は勝に迎合してから政治力ガクンと落ちた気がする
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/02(火) 00:09:39 ID:doDy5T6i0
薩摩士族なんて一番侍らしいじゃないか。
当時の日本全体の士族の1/10が薩摩士族の計算になるらしいから、相当な勢力だと思うよ。
やはり、武器弾薬を政府にあらかた運ばれてしまっていたのが、薩軍の敗因だね。
薩軍がアームストロング砲と最新式銃と十分な弾薬を持って進軍していたら、熊本城なんか落としてるだろうよ。
アームストロング砲すげぇええってのは司馬の誇張らしいぞ。
362 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/02(火) 00:21:27 ID:Ty6HNicL0
>>360 天守閣とか、ある程度おおきい構造物には効果あるだろうけで、あの石垣と緻密に錯綜させた城内部をポイント打ちすんのは無理矢理すぎじやないかな?
私学校の連中が弾薬庫襲撃したんだよな?
その時もう倉庫カラだったのか?
>>363 二箇所程度は、確保したはず。
何箇所か私学校生徒が襲撃したけど、襲撃されるのを予想した土佐出身の海軍軍人が火薬に海の水ぶっかけて、使用不能にしてなかったけ?
いい判断だな
海水ってのが芸が細かい
366 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/02(火) 13:56:20 ID:Ty6HNicL0
酔っ払った勢いで、襲撃するのはどうかと思う。
重火器使用したら大爆発して自分たちが吹っ飛ぶことまで考えて行動したか疑問だ。
牟田口に輸血したみたいな威勢の良さだな
>>333 〜
自分も吉田は残念。吉田、木戸、長井雅楽、姉小路(3人死んでるが)etc.って
つながりの長州-水戸-幕府連合というのがあり得たんじゃないか、と思ってる。
というか、池田屋は吉田暗殺が目的と思ってる。
最近の傾向としては、池田屋に関係なく、その日に殺されてる説じゃない?吉田は。
新撰組に殺されてる方が、テレビとか出てくるから嬉しいけど。
369 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/04(木) 01:04:53 ID:8K2r6J4V0
長州-水戸-幕府連合?アホかこいつはw
>>369 少なくとも長井雅楽が遊説していた時は水戸・幕府との繋がりは強かったからな。
まあ老中阿部が外様の有力者や優れた人士と親しかったということなんだが。
>>368 雅楽を追いこんだのはどこのどいつだっけ?
水戸は駄目だろ
吉田が生きていようがいまいが
戊午の密勅を巡っての藩内闘争で自滅した
しかも、維新の後も内ゲバを繰り返してるからなw
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/10(水) 12:59:19 ID:Ljj8w5rUO
後から歴史を振り返ればの話だけど長井よりは来原が生きていたら、木戸と伊藤の関係が違っただろうな。
仲介役にうってつけ。
というか来原が生きてたら伊藤の立ち位置が変わるだろうな、
下手したら本来よりも出世してないかも。
長州ファイブに伊藤ではなく桂か来原のどちらかが同行する可能性も。
来原は責任感が強いから、818か蛤で腹切っちゃうんじやないか。
第二次幕長戦争前の、正義派と世俗派の争いでもそうなりそうだ。
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/11(木) 00:16:37 ID:UuP9MSQuO
伊藤って来原と井上馨のことだけは悪く言わないし本当に恩を感じてたんだろう。
たしかに生きてたら違った。
てか来原って何で認知度低いんだ。
伊藤の幸運人生の始まりは松蔭より何よりまず来原の眼力のお陰なんだけど。
伊藤自身が評価されてないからだよ
特にこれといった功績ないし
伊藤の最初の恩人ってだけで名を売るのは厳しいんじゃね
松陰は伊藤以外にも門下生が名を残したし
380 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/18(木) 18:56:42 ID:67hmnbBGO
ちょこちょこ規制があったせいかしばらく止まってるね。
そういえば長州で誰でも知ってるような人間で、松蔭と全く関わってないのって井上くらい?
大村とか、あとで出てきたのは無しね。
廣澤もか。
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/19(金) 18:13:57 ID:mXVTJeedO
大村は松陰門下出はなくて緒方洪庵門下だからね。
長州で他に適塾出身の有名人いたかな?
久坂の兄貴の方が適塾でなかったっけ
すげー頭のいい印象が
大村の前の塾頭が久坂兄
後に久坂弟が大村の鳩居堂で学んでるな
後は有名ではないが手塚律蔵とか、井上を畳針で縫った所郁太郎とか、
いや所は長州で活躍したけど出身は違ったか
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/20(土) 01:12:45 ID:dKjFt0Nz0
東条英庵も短期間だが
杉田玄白き影響与えた栗山も長州藩だよ。
日本初の女体解剖やった医者。
解体新書にも影響与えてるんだよね。
維新の三傑がいつ頃から言われたか知ってる人いらんか?
くぐっても出てこないんだが助けてくれー
まさか徳富、なわけないよなw
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/25(木) 22:42:59 ID:487RMIZ40
>>386 何処くぐったんだよ。w
wikipediaの『維新の三傑』の項を見ると、徳富蘇峰の「近世日本国民史」最終巻に、三者を論じた『明治三傑』
があるのが出典と思わせる記述になっている。はっきり書いては無いけど。
徳富蘇峰が生涯をかけた大著「近世日本国民史」最終巻に、三者を論じた『明治三傑』がある。
とあるだけではないか!明治三傑という書名の本を出した、という意味に取れたんだよw
大体徳富の一存だけで、後の世で決定事項のように語られるもんだろうか……
教科書にも維新三傑の記述あった気がするし
維新三傑に限らず、他の三傑とかの選ばれ方もそんなもんじゃないの
誰かが言い出して世に周知されて有名になって後世にその名称が残る
そういう事。都市伝説とかギャル語とか、どうやって広まっていくのかってメカニズムを考察すると
誰かが言い出して面白いと思って広める人がいれば広まっていく。マスコミの力は大きいが最初
に言い出すのが権威者である必要は無い。
時に言葉が一人歩きして言い出しっぺの思いから外れてしまう事もままある。
まぁ初期明治政府の頭っつったら、どー考えてもこの3人は外せないから
納得できる所ではある。
西南戦争で区切りもいいしなwww
ヘー、既に常識だったんだ。
既に落ちてる様だけどそれって前スレ?現物に当たってもらえるとは素晴らしい。
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/04(木) 14:14:26 ID:CENQlFmx0
ある時、大久保が名刀を購入した。
西郷に見せたところ、その刀を褒め、貸してほしいと言う。
他ならぬ親友の頼みなので大久保は貸してあげたが、
その後いつまで経っても西郷は刀を返してくれない。
しばらく経って、大久保が西郷に返してほしいと言うと
「人にその刀を見せたところ、しきりに褒める者がいたので
その者に刀をくれてやった」とのこと。
大久保もさすがに瞬間ムッとしたが、咎めなかったという。
西郷の物に拘らないおおらかな性格を著したエピソードというが、
他人の物と自分の物の区別が付かない、また
人気取りを一番に考える西郷の悪い一面も出ていると思う。
(名刀をもらった者はそれが大久保の持ち物とは知らされていないはず)
まあ話の真偽の程は怪しいモノだが。
似たような話が木戸と井上であったような…
井上の場合、他人にあげるのではなく売ってるだろうから更に悪質だが。
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/04(木) 15:59:22 ID:YmCdqVKwO
それで木戸孝允はどんな態度をとったの?
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/04(木) 18:34:24 ID:eqx+Bk6jO
山内容堂と木戸の間でもあるなw
容堂が高い金で買い取った絵を、何故か木戸んちで見たから不思議がったら
木戸が欲しそうにしてたからやったっつー話
西郷が高島某を伴って洋行後の大久保を訪ねた。
旧知の二人ゆえ、最初は座敷に寝そべって穏やかに話をしていたが、
そのうち激した西郷が起きあがり、大久保も起きあがった。
激しい言葉を数言言い放った後、西郷は帰ろうとしたが玄関先で止まり
「さっきの部屋にあったカステラ、美味しそうじゃったな。もろてきてくれ」
とニヤニヤして高島に言う。高島は引き返し、部屋にまだいる大久保に
お辞儀をしてカステラを持ち出して引き返す。大久保は無言でそれを見送る。
玄関で待っていた西郷は「おお、持ってきたか」と大喜びだった。
このエピソードはどう解釈すればいいんだろう。
現場にいた高島の言だから事実だと思うが。
西郷は非常識に食い意地が張っている。あまりの事に大久保も切れそうだったが
高島の手前、国政を預かる自分がカステラの事でキレるわけにはいかず、無言で見送った。
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/08(月) 00:55:38 ID:1yZfUuNJ0
>>398 カステラ一つで機嫌が直る西郷って案外単純だな。
「短刀一本あれは済むことではないか」と言ったそうだが、
「カステラ一斤あれば済むことではないか」と言い換えできそう。
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/08(月) 22:38:38 ID:oFOZVxPl0
大久保の少年時代、父親が流罪で家計が貧窮してたとき空腹に耐えかねた大久保が
近所の西郷の家に黙ってあがり無言で茶碗に飯よそって西郷並び西郷の弟達と
一緒に食事してたというエピソードがある。まあ大久保もカステラぐらいで
西郷に小言も言えんだろう。もっともこのエピソードは西郷と大久保の子供の頃からの
深い絆を表したものであるのだろう。
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/09(火) 00:01:13 ID:sZn9eCOy0
>>403 大久保利通が幼少のころ西郷宅で飯を食ったと言うのは
デマだと言う人もいるね。
話は変わるけど、西郷隆盛が月照と一緒に死んでいたら
日本はどうなっていtだろう。明治は実現できただろうか?
怖いものがあるね。
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/09(火) 00:26:44 ID:p7f7gQiu0
大久保は1830年生まれで高崎崩れが1850年だから、父親が流罪になるのは成人してからの話だよ。
それにしても少年時代の親友と革命を起こしちゃうんだから、凄まじい二人だよね。
お隣さんの国なら、建国の英雄として大々的に映画化やドラマ化をしそうだw
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/09(火) 08:31:51 ID:b9S6Ul+y0
西郷宅で食わして貰ってたなんて、
信者がでっちあげたホラ話だよ。
世話になった西郷に弓引いた極悪人ってね。
そもそも少年時代から友達だったという話しも怪しいと言われているからな。
とにかく、西郷を持ち上げるような逸話は基本的に嘘っぱちか、
大幅に脚色してあると考えるべき。
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/09(火) 08:33:32 ID:4oVuaNXj0
西郷宅で大久保がメシ食って他という話なんだが、
一級の史料にでも載ってるんだろうか?
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/09(火) 21:08:39 ID:p7f7gQiu0
西郷と大久保が若い頃に飯を一緒に食ったかどうかなんて、どっちでも良い事だと思うけど。
ここのスレの住人は、西郷ネタに関してはアンチが過剰反応する傾向が強いな。
なんか恨みでもあるのかって思うw
>少年時代の親友と革命を起こしちゃうんだから、凄まじい二人だよね
こういうマンセーに対して、疑問を呈したら過剰反応になるんかね
恨みなんでどのレスからも感じないが
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/09(火) 23:22:09 ID:p7f7gQiu0
別にちっともマンセーしてないけどな。
凄いと思うのと、褒め称えるのとは違うだろ?
まあ、いいけど。
小説やドラマなどで持ち上げられてる歴史上の人物を、一方的に叩くのが流行りなのか?
西郷や坂本なんか、あちこちでクソみたいに叩かれて悲惨だな。
2chには、歴史小説やトンデモ仮説(これが一番性質悪い)を基軸に叩いてる人が多くて辟易する。
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/10(水) 11:41:17 ID:wz8ZC9cx0
あいかわらず信者の言い分は日本語になってないわなw
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/10(水) 21:41:30 ID:2qj5KnhR0
オマエは何信者だよ?
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/16(火) 00:18:43 ID:cuR85vgG0
維新三傑
榎本武揚、甲賀源吾、河井継之助
若い頃は、西郷は偉いんだと言われてもよく分からなかったが、
年取ってくると分かるようになった。
世の中理屈だけじゃ人はついてこないってことが、身に沁みて分かってくるからかな。
>>415 あおるわけじゃないけど、西郷のどのへんが偉いと感じるの?
>>416 あおるわけじゃないけど、おまん、偉いの?
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/17(水) 09:34:50 ID:oEyOkN1+0
理屈をこねられない頭の悪い人は西郷をモデルにするようになるということだろう。
楽だからね西郷は。どしっと座ってれば、若い衆が頭使って走ってくれる。
自分で頭使って動けないダメおっさんの逃げ口上だよw
貧相な奴がそれやっても、若い奴からは使えないジジイと陰口たたかれるよw
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/17(水) 11:32:09 ID:XY2cDGdr0
西郷隆盛はバカでそれも、とてつもないバカで、バカの幅が広く
小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響いたそうです。
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/17(水) 12:16:17 ID:oEyOkN1+0
西郷さんは偉い
↓
頭はいまいちでも重しの如く人の上に立てる人間は偉いのだ
↓
頭使うのは苦手だが面倒見はいいほうだと自負してる自分も偉いに違いないのだ
こういうこと
年功序列で昇進しただけのダメ管理職に多い
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/17(水) 22:07:25 ID:4GQNsacG0
若いな〜w
ちょっとしたら君もすぐに管理職の年齢になるんだよw(年上だったら謝ります)
西郷さんの人気の秘訣は、保身を考えずに部下の責任をかぶる器量の大きいところでしょ。
なかなかそういう管理職はいないぞ。たいていは責任を下に押しつけるオッサンばかり。
おだてられて良い気になってる若いうちは気付かないけどw
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/17(水) 22:20:47 ID:4GQNsacG0
あ、あとつけ加えると、上に対しても「田舎もん」呼ばわりできる度胸のあるところw
正しいと思う事は相手が殿様であれ、臆せず言える人って西郷さんくらいでしょ。
周りは超ひやひやするかもしれないけど、爽快だよねw
目上の相手に「田舎者」と言うことの何が正しいんだ?
それを言うことで、久光の何かを正せたの?
部下の責任を被るって私学校の暴走の時に神輿になったこと?
西郷一人が東京に出頭すれば薩摩側も政府側も
若者があんなに死ぬことはなかったんだけどな
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/18(木) 00:09:15 ID:g/mEdBaN0
久光が器じゃないのに上京を意気込んでいたから、世間を知らない「田舎もん」と言ったわけだ。
その結果、久光との仲は険悪になり、やがて島送りとなるわけだw
>それを言うことで、久光の何かを正せたの?
こういうつまらない事を言う奴にはわからんさ。
よく言えばクールなんだろうけどw
>西郷一人が東京に出頭すれば
西郷さんがこんな人だったら、どんだけ負け犬根性なんだよって話し。
前スレの972-979あたり読んで来い
久光と西郷の関係についての印象変わるから
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/18(木) 00:21:45 ID:SYj1NGl80
鹿児島人の、西郷マンセーには客観性が微塵も感じられない!
朝鮮人とまるで同じ思考回路w
>西郷一人が東京に出頭すれば
収まりつかないよ。私学校生徒が暴徒化してどっち道戦争だよ
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/18(木) 00:31:48 ID:g/mEdBaN0
うむ、たしかに客観性という点では欠けているな。
ただし、周りにエネルギーを与える人であったことは確かだ。
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/18(木) 00:41:42 ID:SYj1NGl80
やはり信者だったかorz
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/18(木) 00:48:24 ID:g/mEdBaN0
というか、現代の管理職にたとえて西郷をなぞらえるアホのせいで釣られた。
>>418 > 楽だからね西郷は。どしっと座ってれば、若い衆が頭使って走ってくれる。
チミもやってみればいい。
誰一人としてついてこないと思うけどw
客観性、論理性、、、w
こういうのを金科玉条のように言う奴って馬鹿じゃん。
小中学生を相手にしてるみたいだw
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/18(木) 02:00:59 ID:SYj1NGl80
客観性、論理性があったうえで
しかし理屈じゃない部分もあるね、というのと
馬鹿で客観性、論理性が理解できないので
世の中は金科玉条じゃないんだと言って逃げる、のとでは違うからね。
前者は木戸•大久保派、後者は西郷信者ってところかな。
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/18(木) 20:00:14 ID:SvoFdKdw0
木戸は薩摩に生まれていても、
それなりに指導者として頭角あらわしていたと思うけど、
西郷が長州に生まれていたら、どうなっていたかな?
内容:
明治政府官僚の多数が大久保至上木戸もまあ大久保には負けるけど素晴らしい
西郷阿呆かもな何あれわけ分からん
超絶に頭良い官僚や新聞記者などが木戸大変素晴らしい大久保もまあその次ぐらいには
西郷阿呆かもな何あれわけ分からん
とそんな印象だ、で西郷信者は地方のもんか、勝のような己の自慢をしたいやつ
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/18(木) 21:57:17 ID:g/mEdBaN0
433や435は、自身に客観性や論理性のない事に全く気付いていない所がイタイ
437 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/18(木) 23:00:25 ID:SYj1NGl80
そんな不得要領な書き方でイタイとか言われてもな。
信者さん。
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/18(木) 23:14:04 ID:g/mEdBaN0
論理性のあるところを見せて下さいよw
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/19(金) 01:39:20 ID:QOkMV6Py0
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/19(金) 07:31:43 ID:aRaYJR570
論理性w
>周りにエネルギーを与える人であった
こんなこと言う奴のどこに論理性が?w
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/19(金) 23:58:07 ID:aRaYJR570
>>441 え〜!?もしやアゲ足とるだけ?
そんなの期待外れもいいとこだよ。早く君の論理的なところを披露してよ。
>>439 アンチじゃないが吹いた
確かに西郷が長州に生まれてもやることねぇ、だがそれは大久保も同じだw
長州志士は酒飲めて女にモテモテじゃなきゃ尊敬されないイメージあるぜ
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/20(土) 11:31:05 ID:3lOvp8uy0
339
>
小松が生きてたら大久保は随分楽だったろうな
矢面に立たなくて済むし、幾ら西郷信者でも小松をそこまで悪く言うと思えん
同感。小松が長生きしていたら大久保は小松とはあまり対立することなく
政治活動ができただろう。
西郷は別格だけど部下の中では小松に一番信頼されていたのは大久保。
大久保は、軍の指揮官としてはどうなんだろう?
佐賀の乱とか見ると優秀な指揮官に見えるけど、戦歴が少ないから
イマイチわからない。
幕末では政治工作が主だけど大久保が参戦していそうな薩英戦争とかでは
大久保も戦っていたの?
>>446 大久保は前線の指揮官タイプじゃないことは明らかでしょ。
かといって西郷みたいな神輿的な指揮官でもないだろうし。
やっぱ山県タイプでは? いい意味で。
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/31(水) 14:18:26 ID:jFpU5uYP0
ある教育雑誌に、ある県会議員の教育改革論(?)が載っていた。
いわく「西郷隆盛(明治維新の元勲)こそが、私の尊敬する人物。
彼の思想にこそ、これからの教育の指針が隠されている」(雑誌「K」)と。
いろいろ理由は書かれていたが、私はこういう意見を読むと、生理的な嫌悪感を覚える。
イギリス人がトラファルガーの海戦(1805年)で勝利を収めた、ネルソン提督をあがめるようなものだ。
気持ちはわからないでもないが、どうしてものの考え方が、こうもうしろ向きなのだろうとさえ思ってしまう。
西郷隆盛が西郷隆盛であったのは、あの時代の人物だったからにほかならない。
西郷隆盛をたたえるということは、あの時代を肯定することにもなる。
もちろん歴史は歴史だし、歴史上の人物は、それなりに評価しなければならない。
しかし西郷隆盛に教育論を求めるとは……? 彼は、大久保利通、木戸孝允らと並んで、
明治維新の三傑とは言われたが、少なくとも民主主義のために戦った人物ではない。
平和や自由や平等のために戦った人物でもない。
わかりやすく言えば、武士階級の権威や権力の温存を求めて戦った人物である。
……というような反論をしても、この日本では意味がない。
私のほうが異端児になってしまう。
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/31(水) 14:20:57 ID:jFpU5uYP0
先日も、「あなたは日本の歴史を否定するのか。それでもあなたは日本人か」
と言ってきた人がいた。
しかし私は何も日本の歴史を否定しているのではない。
それに私は上から下まで、完全な日本人だ。日本の文化や風土、民族はこの上なく愛している。
しかしそのことと体制を愛するということは別のことである。
西郷隆盛にしても、明治から大正、昭和における歴史の教科書の中で、
そのときどきの体制につごうがよいように美化された偉人(?)にすぎない。
その結果が、あの軍国主義であり、さらにその結果があの戦争である。
だととするなら、なぜ今、西郷隆盛なのかという疑問を私がもったところで、
それは当然のことではないのか。
こうした復古主義は、社会の世相が混乱するたびに姿を現す。
今がそうだが、こうした復古主義がはびこればはびこるほど、「進歩」が停滞する。
しかし私たちがすべきことは、「新しい家庭観」の創設であって、決して復古主義的な家庭観ではない。
改革の思想は、いつも混乱の中から生まれる。混乱を恐れてはいけない。
混乱の中から何かを生み出すという姿勢が、この混乱を抜け出る唯一の方法である。
……何とも、カタイ話になってしまったが、
読者のみなさんも、こうした復古主義にだけはじゅうぶん、注意してほしい。
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/31(水) 16:27:49 ID:UYPmn0F30
>>448 >>449 今時軍国主義がどうこうという、歴史を単純化した馬鹿史観の方が頭を注意したほうがいいな
>西郷隆盛が西郷隆盛であったのは、あの時代の人物だったからにほかならない。
>西郷隆盛をたたえるということは、あの時代を肯定することにもなる。
鹿児島が唯一華々しかった時代ですね。
逆に、西郷を否定する書き込みに鹿児島人が大反応するのは、
西郷否定=鹿児島否定=自分たち否定、であると考えるからでしょうね。
現代の鹿児島のことなんて誰も言ってないのにね。
453 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/01(木) 01:10:14 ID:3eju8LZ00
鹿児島人に限らず、人気が根強いのは確かだよw
まあ、実際のところ実像がよく見えない人物ではあるよね。
日本人なら誰でも知っているほどの有名人なのに、写真すら残っていない。
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/01(木) 08:30:24 ID:J0ymSvZ30
鹿児島人以外の西郷人気って、ようは上野の銅像が名所化してることによると思う。
さらに言えば、銅像が犬を連れずに、鹿児島みたいに軍服姿だったら、
総スカン食らってた可能性もある。
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/01(木) 23:49:51 ID:3eju8LZ00
上野の西郷さんは、明治政府内の薩摩系閣僚のイメージ戦略だろうけど、
実物の西郷隆盛は、身なりに関してはきっちりした人だったらしいね。
まあ、そりゃそうだろうなw
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/02(金) 00:09:42 ID:CY92+fZL0
>>455 上野はあえて世捨て人的なビジュアルにして、
西南戦争は西郷の本意にあらずと。
反対に鹿児島ではわざわざ陸軍大将?の軍服着せて、
鹿児島士族は賊軍にあらずと。
「そのときどきの体制につごうがよいように美化された偉人(?)にすぎない。」
たしかにその通りかもw
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/02(金) 00:16:44 ID:6ThCR+dR0
>>456 深読みし過ぎじゃん?と思いつつ一理あるな。
まあ完全に賊軍扱いされたどこかとは違い、余裕は感じられるw
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/02(金) 09:45:37 ID:KUYjuLwQ0
まぁ西郷の偉大さを理解できないのは所詮生兵法
>>446 佐賀の乱には長州の天才用兵家山田顕義が指揮執ってた
藩士って結構、私大を創立してるよな。
山田は日大
大隈 早大
福澤 慶大
・・・・ん、 これだけか?
水戸学
幕末の志士達に水戸学の尊皇思想は大きな影響を与えることとなる。
吉田松陰や西郷隆盛をはじめとした多くの幕末の志士等に多大な感化をもたらし、
明治維新の原動力となった。
維新の先駆けである天狗党の浪士(水戸)たちこそ坂本竜馬や西郷隆盛以上に
評価されるべきである。
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/10(土) 08:57:32 ID:efKJmCQDO
>>386 もう見てるかわからんが遅レス。
久しぶりにwiki見たら出展が色々書かれてた。
んで近デジを検索したら確かにwikiにある通り、
明治11年11月に皇国三傑伝という大久保木戸西郷の略歴を書いたものが刊行されてる。
大久保暗殺の年には既に三傑と言われてたんだな、存命中は知らないけど。
>>455 > 上野の西郷さんは、明治政府内の薩摩系閣僚のイメージ戦略だろうけど、
あれ天皇の下賜金で造ったんだよ
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/11(日) 15:50:54 ID:Ux0F1kL80
>>463 天皇から下賜金をもらうということ自体が
イメージ戦略だということに気付けよ田舎者
人間の最も醜い感情は「嫉妬」である
西郷の個人としての能力はそんなにずば抜けてはいなかったよね。どうしても大村と比べちゃうからかもだけど。
西郷に人望があったのはわかるんだけど、
小松が生きてれば薩摩はそんなにバラバラにならなかった気が。
西郷は維新に不可欠って人いるけど、そう思えない。
大久保は、進めた方向が善かったにしろ悪かったにしろ国がとりあえず進むためには必要だっただろうし、
木戸の先見性も必要だっただろうが。廃藩置県とか提唱したの木戸だし。
西郷って人望だけな気がして、
『なら小松が生きてりゃそれで足りた』(かもしれない。と思う。
西郷が鹿児島戻ったからこそ士族も団結しちゃったし、人望が悪い風に作用した?
たしかに西郷が存在しなかったら、薩摩は割れず、
日本政府は実質薩摩政府という可能性もあったわなw
薩摩没落の元凶を、鹿児島人はわざわざ崇拝しているということかw
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/17(土) 12:16:21 ID:yEwoNE5l0
>>467 いや、西郷が帰郷してなくてもやっぱり薩摩は割れてたでしょ。
当時の薩摩氏族の不満は鬱積が進んでおり、西郷がいてもいなくても薩摩士族は暴発してたろうね。
西郷が鹿児島にいたから暴発は少し遅くなり、同時に組織だった行動になったので大規模になった。
まぁ、それくらいか・・・どのみち西郷無しの暴発では新政府に各個撃破されただろう、歴史の流れは変わらない。
そうなればちっと死ぬ人間は少なくなってたかなぁ・・・その程度の問題だ。
倒幕自体が在郷薩摩にしてみたらクーデターそのもので
革新派の大久保達と国元の門閥保守層とは以降気まずい雰囲気を引っ張っている状態じゃなかったのかな。
それが西南戦争を切っ掛けに、溝がなんとか埋まったという見方が出来ると思うんだけど
溝が埋まったつーより
戦争に負けて、いっぱい死んで
薩摩の発言力なくなっただけじゃ
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/17(土) 18:47:08 ID:P8AXtGFM0
大久保は小松が変わらず後ろ盾だったら
長生きしただろうね。
…結局、小松、西郷、大久保が早く亡くなったから
伊藤と山県の時代になった。
や、それより何より木戸が死んだからだよ山縣は。
なんだかんだ言っても木戸が生きてるうちは木戸が“長州”でしょ。
木戸が健康だったらって考えると全然勢力図違うよ。大久保に少なくともあそこまで権力片寄らなかっただろうし。
伊藤はどっちにしろ上手く渡ったかもしれないが。
伊藤の世渡り上手は凄まじいレベルだよな
まさに八方美人。。。
木戸が健康で発言力あったら、軍人の山縣は永遠に参議にはなれないだろうな
伊藤は木戸か大久保の後継者なのは確実だし、二人が長生きしようがいずれは出世しただろう
小松が生きてたら、西南戦争は避けられないとしても規模は小さいだろうし
西郷と大久保が相打つことは無かったかもな
小松となら木戸も薩摩に対して疑心暗鬼に陥らずに、うまく提携できそうな気がする
たらればを考えるのは不毛と分かりつつ、小松には無限の可能性を期待してしまう
伊藤の人運というか巡り合わせは凄い。
見いだしされたのが来原ってのがまずね。お陰で、藩の“顔”の桂の育みだもんね。
あとは井上馨に可愛がられたとこかな。正直伊藤を英国につれていくメリットなんか無かったのに。
それに高杉って実は身分意識強いから、『三人党』なんて言われるほど伊藤が高杉と一緒に居られたのも結局、井上繋がりだろう。
井上が何故、あそこまで伊藤を可愛がったのかは本当に謎。
小松はそんな凄かったのかね?
凄くなかったとは言わないが、早逝したせいか過大評価されてる気も。
土佐でいえば後藤象二郎とか板垣とかのポジションの人だろ。
大久保や西郷が小松に心酔してた的なエピソードも皆無だし。
藩の上役として立ててはいたが、死んだらすぐに、
まるでそんな人いなかったかのようになってるし。
小松が生きてたら、薩摩(大久保)と木戸の関係がもう少し改善されてたかもとは思うな
薩摩って考えてみると、伊藤みたいな周旋家タイプがいないような。
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/18(日) 10:24:38 ID:jrdMe9+t0
大久保が幕末の頃は小松と西郷の3人体制で活動していて
維新後も小松と西郷の3人でやっていきたいと発言しているし
小松の墓参りにも行って彼の早死を嘆いているわけだが…
ちなみに小松の養子は西郷従道の7男だよ
発言て、ふつうは相手をたてる発言するでしょw
墓参りだってするだろうし、「惜しい人を無くしました」ぐらい当然言うでしょ。
大久保にしたら小松が生きていたら
幾分でも緩衝材になったはずだから
そりゃ心の底から惜しいわ
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/20(火) 10:13:34 ID:YN/eOePf0
薩摩藩で脱藩者が少なかったのは
西郷、小松、大久保が上手く連携していたからだと思う。
>>481 それは違うと思う。つうか意味が分からん。
薩摩に脱藩者がほとんど出なかったのは、
斉彬以降、政局に関わるべしというのが藩是になって、
狂信的な攘夷論者以外は脱藩しても意味が無かったからだと思う。
薩摩藩士でいたほうがチャンスがあるというか。
それと郷土意識じゃない?
薩摩人は薩摩人の人間関係のなかでしか生きられない傾向あるから。
>>475この2人の友情は厚いもんがあるよ。
井上が内閣でポカしても伊藤が尻拭いしたりね。
渡英で苦労を共にした友情は、君が頭を捻らせても解るわけないよ。
当人達の間柄なわけだからね。
あと、よく言われるのは、伊藤の人柄ね。
藩で保守派が正義派を粛清した時に伊藤は
誰からも狙われなかった。
これは敵を作らない人間性が要因してるんじゃないかな?
全国的に見れば、伊藤はこの時期、小物だが
藩内では力士隊隊長、英国渡航、四国艦隊との講和
最前線で活動してたわけだし
粛清前後は高杉達と行動してたのに
粛清の的にならなかったのは
敵を作らない伊藤の人間性も外せないと思うよ。
>>483 その分、二人は松方とか黒田には冷たい…。
土佐派とは陸奥経由の人脈もあってかなり手厚い待遇もしてるし、
後藤や板垣が大臣になれたのも…
冷たいって? まあ、黒田に冷たいというのは分かる気がするが。
高杉、井上と狙われて伊藤だけ襲撃されなかったのは
身分が低すぎて相手にされなかったからだよ
あと木戸が帰ってきて三人組を付け狙ってた連中に説教したから
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/21(水) 01:11:27 ID:iTsUMoaF0
このスレは猛者が多いから聞きたいんだけど、
吉田松陰をどのように見てるんだろう。
決起後は伊藤も狙われてるよな、そこで匿ってもらったのが後の梅子夫人だし。
高杉、井上は藩主親子の小姓してたしこの頃は藩政に関わってる
んで伊藤は藩庁や城に入れるかどうかすらわからんような身分
既に活躍してたとはいえ二人と比べるのには無理がある
>>487 どのようにって、三傑がなのか、「おまいら」が、なのか主語が判らない。
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/22(木) 06:47:16 ID:IAy2i9j30
>>487 歯牙にもかけてない。
単なる「狂人」「理想論者」だよ。
竹島の重要性を説いたのが松陰
それが木戸の明治初期の征韓論に影響を与え
巡り巡って最後は西郷下野の明治六年政変へと繋がったと考えると
三傑にも少なからず影響を及ぼした人物だったと言える
松陰は信者が多いという点で西郷に似ているのかな。
ほんとかよ!?、という脚色されてるっぽいエピソードも多いし。
松陰信者って多いか?
脚色されてるエピソードの数々って?
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/29(木) 05:40:13 ID:NwOwBjO40
例えば童貞だったとかw
>>490 松陰先生が居たから明治維新がおきたのである
木戸が何か説いてもまた木戸かと無視されます
誰が欠けても明治維新は成り立たなかったと思うが、
唯一あげるとすれば、西郷隆盛以外にいないだろう。
あれだけの求心力を発揮する人が、西郷以外にあげられる?
べつに誰かが欠けても、西郷が欠けていても、
明治維新はふつうに成り立っていたと思うがな。
求心力(笑)
求心力で維新が達成されるなら、苦労はないわな
馬鹿か、求心力がなかったらあんな大きな動きになるかよw
西郷の求心力が引き起こした大きな動きって具体的に何を指してんの?
そうだな、言い方が悪かった
求心力だけで維新が達成されるかと言うべきだった
503 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/01(土) 09:00:08 ID:16K4DFZc0
西郷ってよ、自分自身にアイデアや行動力があるわけでもないのに、
なんか薩摩城下士の親玉みたいなポジションに座っちゃって、
西郷を通さないと城下士は動きません、みたいなことになってて、
本来は居ない方がスムースに事が運ぶんじゃないかってぐらい、
実は邪魔くさく思われてたと思うよ。
西郷だか大久保が久光を言い含めなきゃ
薩摩は動かなかったんじゃないか?
ごめん、歴史よく知らないんだけどねw
高杉晋作がいなければ長州も歯向かうことなく終了
英国領彦島を軸に日本も植民地になってたんじゃね?
まあ、西郷の派閥っても、同じ郷中を中心にせいぜい200〜300人なのかなあ?
それでも当時の武士層は事なかれ主義だから、
本気度の高い集団が数百人いれば相当な脅威だったんだろうな。
土佐勤皇党とか新選組なんかも200人程度で政局を動かすほどの存在感があったわけだし。
>>508 > それでも当時の武士層は事なかれ主義だから、
知ったような口きくじゃないかw
自分の意見を述べるわけでもなし
他人のレスを茶化すだけなら
いちいち書き込むなよ
>>506 高杉って講和の時、最初は魔王みたいだったけど
段々大人しくなって黙ってしまったんだろ
小説とかで「魔王」部分だけ切り貼りされて
毅然として講和談判に望んだつー高杉像が一人歩きしてるけど
よく租借を免れたな
まあ、この3人なら桂(木戸)が一番好きだよ。
歴史を知らないイメージ優先なニワカは西郷だろうけど。
512 :
鹿児島出身東京在住:2010/05/02(日) 11:15:25 ID:YRenkc7C0
西郷さぁは侍の将来のカタチに拘り、
大久保さぁは日本の将来のカタチに拘んなさったとです
そン死後、大久保さぁには予算のつかん国の事業に自腹ぁ切ィさった
多額の借金が残されちょいもした・・・
地元のやッどもはせなこたないも知らんで
大久保は権力に魅入られて西郷さんと故郷を裏切った冷酷漢じゃ極悪人じゃ呼ばわり
まっこて嘆かわしか話でごわんど
高杉はハッタリ野郎だし(そこが好きだがw)、
西郷は下野してから凡将、
木戸が一番政治家らしい。
実際動いたのが山縣側だったとしても、高杉は契機を作ったって点はやっぱり凄いだろう
高杉は生き残ったらifを考えるのがすごく楽しいw突拍子もないしなー
>>513 木戸は見識は高いけど、よく言われるように学者向き
行動力の大久保のブレーンなら、かなり理想的
>>513 いまの外務省の役人なんかハッタリすらできずに
国の利権をホイホイと外国に手放すのがおおいからなあ
山縣は最初保身の為に、高杉の挙兵に参加するのを遠回りに拒否したからね
その点伊藤は命を投げる覚悟で高杉にかけた
高杉の挙兵が第一弾に成功してから、高杉に従うべきという世論に押されてしぶしぶ立ち上がったのが山縣
これが後世の二人の人物の違いが出たところだろうね
伊藤は女好きだがまぎれも無く日本を代表する大政治家と言えるけど
山縣はそれなりに有能だが大政治家とはいえない
伊藤信者って山縣が嫌いなのか?
クーデターの件に関しちゃ、大した後ろ盾のない山縣が
いつの間にか奇兵隊のほとんどを掌握していたことの方が
破れかぶれで高杉に加勢して当てた当時の伊藤より凄みがあるだろ
この時の山県の判断は妥当だと思うけどな。
あそこで挙兵した高杉たちの方が普通じゃないw勝算がないんだからさ。
渋々だろうが何だろうがその後奇兵隊動かしたんだから、山県も筋は通してるんじゃない?
それに結局、高杉・伊藤組じゃなく山県の握ってた本隊が主に戦った訳だし。
総督を差し置いて奇兵隊を背負ってる山縣とせいぜい力士隊の伊藤じゃ状況が違うわな
政治家としては二人ともめちゃくちゃ慎重じゃないか
どちらも明治を代表する大政治家だ
>>512 大久保は過小評価されているのは認める。(全国的にね)
もっと大いに評価されるべきだと思う。
ただ、だからと言って相対的に西郷の評価が下がるわけではないし、下がるべきでもない。
522 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/04(火) 02:24:19 ID:RMRPqQNn0
むしろここ最近は大久保が過大評価されてる印象だがな。
近代化のお膳立ては大久保が全部やったぐらいの勢いだ。
鹿児島では今でも不当評価されてんのか?
>>522 > 近代化のお膳立ては大久保が全部やったぐらいの勢いだ。
でも、それ、事実って言ってもおかしくない。
あと、多分、鹿児島では、やっぱり正当に評価されるとか以前の問題が
根にあるんじゃないのかなあ。立派な人だけどさ、
結果的にせよ、故郷を戦場にしてしまった人だからね。
そう言えば、2,3年前、鹿児島に旅行に行ったときに、バスの運転手が
「私は西郷びいきです」と言ってた。
>> 近代化のお膳立ては大久保が全部やったぐらいの勢いだ。
>でも、それ、事実って言ってもおかしくない
そんなことねーよ
どんだけ過大評価だよ
525 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/04(火) 08:54:46 ID:kFLaE1Wq0
率先していったのは大久保だろう
もしあのヒトが生きていたらのイフで、現実何か出来そうな
人物は大久保ぐらいだと思う。
近代化推進したのは長州・旧幕系の開明派官僚群で
大久保はむしろ邪魔してたじゃん
外遊後は大久保も開明派に転向したけど
手柄独り占めすんな
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/04(火) 10:46:00 ID:RMRPqQNn0
>>523 > 故郷を戦場にしてしまった人だから
この時点できみの書き込みは読むに値しないと思いました。
鹿児島に旅行したんじゃなくて、住んでるんじゃないの?w
>>523 過大評価だなww
渡洋する前はどう考えても保守派、兵制改革さえ邪魔してるだろ
主導権を握れたのもあくまで政変後だから
というか思想方面で木戸が正しいのは司馬も認めている
軍人を参議にしてはならない、と木戸があれ程山県の参議就任を反対したのにな
下野した途端に許してしまうとか、大久保は自分に有利な官僚なら主義なく使う
上にもあったが、木戸をブレーンにして大久保が動ければかなり理想的だった
>>529 司馬w
おまいは司馬にケツを貸せ、と言われたら、ほぃほぃ尻を突き出しそうだなw
気持ちの悪い煽りはいらん
大久保が近代化のお膳立てを全部やったってのは
妄想レベルの過大評価
なんつー下卑たレス
司馬は傾向としてアンチ長州だぜ、そんな司馬ですら認めざるを得ない木戸の思想、と
>>529は言ってるんだろう
戦争体験した人間で、木戸の意見に同意しないやつなんて滅多にいないだろう
それに故郷を戦場にするってんなら、木戸も同じなんじゃ…
司馬読んだけどはっきり言って山縣のくだり
以外木戸好きにとって目もあてられなくないか?
木戸好きには司馬は評価高いほう?
司馬は史実好きには評価低い
歴史小説好きには評価高い、かな
木戸に限らず司馬にあんま理解されてないまま描かれてしまうと悲惨
司馬版の人物像がそのまま一般に浸透してしまう
そもそも高杉晋作がいなかったら長州は尊王派を粛清し
明治維新なんて起こりえなかったわけだが。
それを無視して大久保だ木戸だと論じるのはどうだろうか?
まさか高杉>大久保、木戸だって言いたいのか?
片腹痛いよ
高杉はそんな大物じゃねえと思うけど、
結果論として、維新の道筋を作ったとは言えるかもな。
長州が幕府に恭順すれば、幕府の威信も持ち直し、
かつ、今度は薩摩が孤立し
幕府中心の新政体で維新のようなことやってたかも。
相手の意見を否定するなら、罵倒じゃなくてそれなりの意見を持ってこようね。
そうじゃなきゃ、あなたこそが馬鹿にしか見えないよ。
その上でなら、話を聞いてあげてもいいよ。
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/06(木) 09:47:28 ID:x5CJz9X10
まぁ、あれだ。
誰か一人欠けてもいけないって事だ。
高杉は最近、人気?ないな
前はもっと革命児だの英雄だの言われてたような
過剰評価が見直されているのか
桂では元治の内乱を起こしても成功しなかったと思う。
また、長州征伐でも大島口を抜かれて芸州口が挟撃により壊滅し、
主力の小倉口も抜かれてしまっては
いくら石州口で優勢だった大村益次郎でも手を施せない状況じゃね?
成功するしない以前に、そもそも桂が内乱起こすifが有り得ないんじゃない?
高杉の功山寺挙兵は大きかったでしょ、そこは否定されないと思うけど
軍事的な功績はあっても
政治的な功績・手腕が皆無だから
このスレじゃ評価低くてもしょうがない
高杉は軍事的にも政治的にも功績高いだろ
高杉の他人では見抜けない物を見抜く見識、扇動能力、際どい奇策を成功させる天才性が無ければ、そもそも明治維新は無い
功山寺挙兵も高杉だけが、成功の見通しと法則持ってたし
他も山縣も状況は絶望的と見ていて立たなかった、どの道あのまま立たなければ倒幕派は粛清され奇兵隊も解散の運命で状況が好転するはずが無い
小倉口でも大村は、大島の価値を軍事的にしか考えず捨てるつもりだったが
あそこをとられては政治的にまずいと、幕府艦隊に奇襲しかけ撤退させてるし
政治的功績って何かあるか?
クーデター成功した直後に根回しなしで
下関を開港&毛利本家直轄にするとぶち上げて
藩内攘夷派、毛利支藩に睨まれて
亡命しなきゃならなくなったような政治オンチだぞ
>>548 大久保や木戸のように、平時の政務をこなす能力は無いが
政治状況を見極める目や、政治状況を大きく動かすことは高杉がやった
西郷のように天下や人心を糾合したりするのと近い稀有なタイプ
高杉に西郷ほどの人望がありゃ
山縣とかgdgd言わずに馳せ参じとるわ
動員力全くないのに西郷と比べるとはおこがましいにも程がある
西郷とまたタイプは違うけど、西郷に近く他人がまねできないタイプだよ
投機や博打の天才という感じかな
>>550 山縣は元から人望で動くタイプじゃないし、あくまでも慎重過ぎる計算高い保身家で
そもそも革命家というより実務家だし
つ教法寺事件
この件で高杉は更迭処分をくらった
人心を糾合?部下も満足に抑えられないのに
だから西郷のように人格や人望で、政治問題を処理するタイプじゃない
大久保や木戸のように、こつこつ着実に慎重に計算を積み上げてくタイプでもない
相場の変動が激しく動き一瞬の遅れや対応で大成功と大失敗が出る、投機の世界を見極められる様な目を持つ天才が高杉だよ
これは通常の計算家がついてける世界じゃなく、一瞬で答えを出せる直感レベル世界
西郷は政治家というより思想家、という評価を東大の教授がしていたな。
思想家、という表現は意外だったわ。
でも、言いえて妙かもしれない。
高杉が丙寅丸を勝手に購入したり、白石正一郎を利用していろいろやったこととか政治的要素が大きいと思うがね
「彦島の租借」については伊藤博文によるフィクション説もあるがw
死後に愛人が他の男についていこうとしたのを阻止して墓守をさせたりと
伊藤博文による持ち上げが尋常ではないことを考慮すると人望は悪くないと思う。
そもそも人望なければ派閥の中心にいることなんて無理だし、勝ち目のない功山寺に人は集まらないんじゃ?
>>554 西郷のどこが思想家なのか?w
まったく意味不明w
胆力がある点ぐらいしか褒めるところがなくて、それを思想と表現してるなら分かるがw
776 名前:代打名無し@実況は野球ch板で :2010/05/07(金) 08:09:59 ID:5wnbCD+Q0
明治維新の急先鋒・長州藩で例えてみた。
巨人 伊藤博文 (初代総理大臣・維新最高の勝ち組)
阪神 井上馨 (伊藤と共に明治の祖を築いた大政治家)
中日 大村益次郎 (兵法のカリスマ的存在。長州一の変わり者だが天才肌)
横浜 吉田稔麿 (若くして散った松陰の門下生)
広島 高杉晋作 (維新屈指のカリスマだが早世)
ヤクルト そうせい公 (志士に操られた毛利の殿様)
落ちた高杉スレのマンセー住民が出張してきてるのか?
新しいスレ立ててこもってろよ
高杉に夢を見ている女臭いレスばっかで気持ち悪いわ
しかし高杉いなけりゃ長州は終わっていたぞ
代わりがいるのなら挙げてみなさい
>>554 政治家か思想家かといえば政治家だと思うぞ>西郷
思想があればそれを実現できる可能性のある立場にあったのに
新政府構想の中で発揮されてるとは言いがたいし
高杉が居なければ明治維新自体がなかったろう
高杉挙兵時の状況は、天下は公武合体に染まって、尊攘倒幕なんてもう絶望的な寝言
長州藩は天下の朝敵で、幕府は勢いを取り戻し15万の兵で長州征伐
長州藩内でも政変で佐幕派が政権を握り、尊攘派はどの藩でも弾圧粛清か、脱藩して新撰組なんかに路上で斬られる運命
高杉の同志である周布や久坂らも全員死亡で、木戸は藩外を逃げ回り潜んで自分の命を守るだけがやっと
都落ちして長州に身を寄せてた公卿も、九州に落ちようかと相談してたところで、頼みの山縣ら奇兵隊も沈黙してるだけ
高杉が唯一決起して、80数名でまた時代を転換し尊攘倒幕に持ってった
いくら薩摩でも薩摩単独でその後の維新は到底不可能だろうしw
562 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/07(金) 23:19:57 ID:WwXz0YuK0
西郷の魅力は当時の薩摩人でないと理解し難いのではないか。
佐賀人である大隈や江藤は西郷に対して辛辣な人物評価だし。
長州だと大村は辛辣で山県は好意的(汚職庇ってくれたから?)
もし高杉が西郷と面識があったらどう評していただろうか
他藩出身者から見れば維新に最も貢献した薩摩の大親分でしかないからな
邪魔でしかない
大村の西郷嫌いって何か原因ある?
結構、協力してくれてるような気がするんだけど
上野戦争とか徴兵制とか
大西郷は嫌われたというより
大西郷単体で新政府を超える力があったから恐れられた嫉妬され猜疑されただけ
明治維新と言える改革をしたのはほぼ西郷を首班とする留守政府だし
ヽ Y ∧ ,. | ,'//
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ヽ、 i ! 〉 ./
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ヽ,_ : :_, 1:;:;'' : : : : : : : :ヽ.、
i': : : : : : : : : : : : : ;`‐- .,
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i: : : : : : : : : : ,; ; : ; : ;: ; : : : ; :
>>566 留守政府の頃にはもうとっくに大村死んでるじゃん
大村は西洋人の事も凄く嫌ってたし他藩人
もそんなに好きじゃないんだろうなと思う
外遊期間中に留守政府で行われる改革は、事前に洋行組が打ち合わせてあって、西郷はその方針に沿ったに過ぎない
その範疇外の改革についても、それらの政策主導は西郷じゃない。
その下の大隈とか江藤とかだろ。
西郷単体が持ってたのは近衛兵と不平士族の期待だと思う。
それらに政府を超える力があったかどうかは疑問。
大村と西郷の不和は、志向する方向も正反対っぽい。
国民皆兵と武士身分保障。そりゃ仲いいわけないだろうな
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/09(日) 13:57:31 ID:p2ktsPuA0
廃藩置県をやったのは西郷、国民兵をやったのも西郷
明治維新といえる、大改革を実行したのは西郷
薩摩に戻ってた西郷を、政府の大久保や木戸が必要として頭下げた為にわざわざ一番の汚れ役を引き受けた
裏切り行為である、武士の権利剥奪も西郷がやった
西郷だったから、士族の暴発は抑えられたけど
その後、日本から離れ責任回避してた大久保や木戸らが政府の主導権を握る為に画策し征韓論で西郷を追い出し暴発内乱
そもそも征韓論の際に西郷がクーデター指示したら、簡単に大久保や木戸の首は飛んでたし
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/09(日) 16:55:07 ID:pb5DRxl90
570じゃないが留守政府は実質、江藤・大隈の肥前内閣だよ
長州閥は汚職で自滅
帰国した大久保は政府から弾き出されて木戸、岩倉が戻るまで逼塞
その間、西郷は渡韓に備えて健康管理してただけ
なんかしらんが山縣だけは大西郷に慰留されて残ってたような。
井上のことも茶化したぐらいでかばった感があるわ
山縣も井上も問責辞任してる(山縣はすぐ復帰したが)
江藤が正義を遂行しようとしたのと、
あと多分に権力闘争的な長州追い落としの道具に使った気配がある
高杉晋作
1839誕生
1857萩明倫館入学
1858昌平坂学問所入学
1859吉田松陰死去
1860長州師範代内藤作兵衛から柳生新陰流免許皆伝→長州軍艦教授所に入る→明倫館指導掛になる
1861長州藩世子毛利元徳の子姓→江戸勤務
1862上海訪問
1863下関防衛司令官に登用→奇兵隊結成
1864脱藩罪で野山獄入獄→下関戦争後処理の交渉→功山寺決起
1865藩政権掌握→下関開港をめぐり反対派から一時逃走後復帰
1866丙寅丸独断購入→大島沖幕府艦隊に夜襲→関門海峡を突破し小倉城占拠→吐血により罷免
1867病死
坂本直柔
1836誕生
1853剣術修行のため江戸千葉道場入門
1854帰国
1856江戸遊学
1858北辰一刀流長刀兵隊法初目録→帰国
1861土佐勤王党加盟
1862脱藩→勝海舟弟子入り
1863海軍塾塾頭→脱藩
1865海軍塾閉鎖→亀山社中発足→武市瑞山死去→武器転売→長州が購入した乙丑丸の引渡し拒否
1866寺田屋襲撃→薩長同盟の保証人として裏書→ワイルウェル号転覆→乙丑丸返却
1867亀山社中土佐藩傘下の海援隊に再編→いろは丸衝突で賠償金を獲る→薩土盟約締結→近江屋で暗殺
若い高杉の方が成し遂げたことが大きいな
龍馬人気に嫉妬、まで読んだ
西南戦争で質問
幕府は長州征伐の費用捻出に苦労しました。
明治新政府は西南戦争の費用をどこから調達したのでしょうか?
単純に考えて四方から攻撃できる長州よりも薩摩は攻めにくく遠征費用もかかり
幕府の長州征伐以上の負担があるとおもうのですが。
また、長州ですら自力で幕府の討伐軍を退けたのに、
どうして新政府軍が屈強な薩摩兵の鎮圧することができたのでしょうか?
580 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/13(木) 11:27:32 ID:WRocP0mI0
戦費調達のためにお札(不換紙幣)を刷りまくったんだよ
だから西南戦争後にインフレになった
結局インフレは松方正義が抑えることになる(松方デフレ)
兵数は政府軍が優勢
銃や大砲も政府軍優勢
政府軍が士族を集めて作った抜刀隊が活躍(特に旧会津兵がよく応募)
指揮官の山県有朋、大山厳、黒田清隆の活躍の賜物
長州征伐の軍費って諸藩の自己負担じゃなかったっけ
山田顕義の背衝軍を忘れないでやってくださいw
長伐の資金は上の方も書いているように諸藩の自己負担な上に
戦いに意義を見いだせず兵たちのやる気がさっぱりなかったのも大きいと思う
藩ごとに指揮系統も違うから、全く統率が取れなかったしね
あとは武器の新旧の差 新式の量も長州のがあったから
これは西南戦争にも言えそう
西南戦争については、ある程度訓練された兵同士なら
順当に数が物を言うってことじゃない?
流れぶった切りで申し訳ないですが質問です
吉川弘文館の「明治維新人名辞典」と新人物往来社の「幕末維新人名事典」は
どちらがおすすめですか
載ってる人数は「幕末維新〜」の方が多いようですが
幕末期に活躍して維新以降はそれほどでもない人、あるいは死んでしまった人の場合、
「明治維新〜」では記述量が少なかったりするのでしょうか
どっちかだけでも見たこと読んだことある人いましたら教えてください
どこで聞いたらいいかわからなかったのでこのスレで聞いてみました
584 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/19(水) 04:10:22 ID:4O5vFKDo0
静岡市収蔵庫に井上馨の遺品
御盾組血盟書などの尊王攘夷血判状、未開封外交文書など470点が
市埋蔵文化財センター収蔵庫に眠っていることが18日わかった。
収蔵前に詳細な調査を行っていないため歴史的新事実の有無は未解明。
市は「遺族が公開を望まなかった」として史料の受け取りを公表していない。
5月19日 静岡新聞朝刊一面
井上聞多ばかり有名だが
同郷の井上勝も評価してやってくれ
誰それ?
井上勝は長州の密航留学生(長州ファイブ)の1人
日本の鉄道の父と呼ばれている
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/24(月) 20:58:56 ID:C3IzSmrC0
昨日のN響アワーで岩倉使節団が聴いた
クラッシック音楽と言うのをやっていた。
多くの明治の元勲にとってはじめて聴く
クラッシク音楽だっと思うけど、
どのように聴いただろうか?
589 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/27(木) 18:27:43 ID:upOjp3nT0
指揮者が中央で体操しているみたいだと言うコメントがあったんだよね。
薩長同盟って幕府が知ったのはどのあたりのタイミングだったのでしょうか?
もし長州討伐軍派遣前に公儀隠密が嗅ぎつけていいたら
長州だけでなく薩摩も視野に入れた征伐を行う計画に変更されて
さらに大軍が動員されていたことにより征伐は幕府の勝利に終わっていたのではないでしょうか?
>>590 史実においても諸藩やる気が無くて統制が取れてない。既に幕府の求心力が落ちているからだ。
さらに大軍を動員する事など出来よう筈が無い。
あれがいっぱいいっぱいだろうに更なる動員とか無理だよな
そしてその最大限の動員で2000人の長州兵に負けた幕府
長州に国力がありすぎたんだよ。
たった一藩でスクラッチで2000の近代軍を起ち上げ運用してしまった。
それができる経済力があったということ。
兵への給料はもちろん、死傷した場合の保障なども約束されていたはずだ。
それに対して幕府はどうだったか。
幕府に金が無いのはみんな知っていたし、自分が死んだら家族はどうなるのか、
不安だらけで従軍させられていただろうことは容易に想像できる。
武士は戦争になれば自腹で従軍するのが当たり前だった
武士階級以外を兵隊に取り入れた長州の事情が特殊なだけ
すっごくどうでもいいことかもしれないけど初心者に教えてください
薩長連合とか薩長土肥とかの順番ってやっぱり勢力順になってんの?
薩長にするか長薩にするかでもめたりしなかったの?
長州は朝敵認定されて京に入れなかったから
その解除に動いてくれる薩摩を立てるのは立場的に仕方なかった
薩長同盟として薩摩経由で長州はミニエー銃4300挺、ゲベール銃3000挺の取引をしていますが
ミニエーは一挺18両、ゲベール銃は一挺5両で購入しています。
えらくボッタクられているのですがこれはグラバーに足元を見られたのか、
薩摩が中間搾取したのかどちらでしょうか?
薩摩自身が同じ物をいくらで買ったか調べて比較すりゃわかるでしょ
ここは質問スレじゃないし、自分で調べなさいな
ミニエーの相場は10両〜12両だなあ
ピンはねウマー
むしろ金持ちの長州が、手数料のつもりで薩摩に払ってやったんじゃねえか?
お使いご苦労さん、って。
長州必死だなw
実際は薩摩に拾われてるんじゃないかw
薩長同盟って薩摩が長州のあしもとを見ている感じが強いね。
長州の朝敵を許してもらうために薩摩は朝廷工作に協力するという抽象的な内容ばかりで具体性がない。
薩摩の京阪への出兵もあんまり意味がわからないし
幕府は密約を知らず薩摩を敵とみなしていないのだから牽制にならないし。
薩摩からしてみれば武器の転売だけして金だけ長州から絞りとって
滅亡したら知らん顔するつもりだったのかな?
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/12(土) 10:46:06 ID:qbdsUE2V0
>604
薩長同盟はもちろん龍馬と中岡の貢献度は大きいけど
やはり小松と西郷の貢献度が高い。
亀山社中の設立には薩摩藩による出資のもの
同盟後は桂は頻繁に小松邸に出入りして庇護されている。
606 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/12(土) 11:55:31 ID:b51lm+QX0
幕末第一の雄藩は薩摩。これ常識。
603からの流れ何?(笑)
どーした君達wwww丸で見てきたかのようにwww
608 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/12(土) 19:30:35 ID:b51lm+QX0
↑オマエもだろ・・・
609 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/12(土) 21:29:17 ID:+xvWnWp50
鹿児島人が必死なだけだろw
鹿児島から幕末薩摩をとったら何も残らんからw
死に物狂いでイメージ死守を図ってるんだろw
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/13(日) 01:04:40 ID:Cq3EJyJR0
↑お前が一番必死だw
倒幕に薩摩の力が大きいのはそうだけど、それ言ったら明治に日本リードしたの長州。
廃藩置県主導したのは間違いなく木戸。五箇条の御誓文も仕上げは木戸だし、結果的に木戸は正院設置もさせてる。
世代が移ってからなんてもっと如実で、伊藤、山縣がリードしたし、明治期ずっと財界と官界の繋ぎしてた井上の存在は相当大きい。
薩摩、長州どっちかは要らなかったってのはないよ
確かに。
しかし〜が一番とか最強とか言い出すやつはゲームでもやってろって感じだな
歴史ってその手の表現からは一番離れているべきものなのに
明治も中盤になってからの、政界における薩摩の後退にはどういう原因があるんだろう?
やっぱり個々の人材の問題なのか?
薩摩はおしなべて軍人向きって感じだが
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/13(日) 10:26:33 ID:gD3+BgeK0
>611
大村、小松、江藤、木戸、大久保、西郷が
早死にしたのが惜しまれる…。
>>611 >廃藩置県主導したのは間違いなく木戸
長州藩は大田絵堂の戦いで、既に藩内クーデターに成功していたために
藩内革命が終わっていたから、それを全国に広げただけ。
木戸よりクーデターに成功した高杉晋作の功績の方が遥かに大きい。
藩内革命が起きていなくて、島津久光が強大な権力を持っていた
薩摩と比べるのがおかしい。第一、それを言い出したら、
辞納官地から小御所会議、鳥羽伏見をリードしたのは
終始薩摩の西郷・大久保だよ。
>>612 伊藤の政治感覚はすごいなーと思う。
もともと国を動かすなんて無縁の生まれだったのに。その辺は伊藤の吸収力の凄まじさ。
井上の財政感覚はまさに天性というか、天才だと思うな。
借金せずに緊縮で黒字にしたり、資本主義の理解度。
あと井上ってネットワークがすごいんだよね
伊藤とはもちろん、桂太郎、原も。
薩摩は黒田が首相のときも実際の格は伊藤が上だし、なにより大きいのは、
伊藤が首相として大きなしていないのに対し、松形就任直後に大津事件とかあったから。
松形は根本的には財政家だけど、財界の実権はがっちり井上がにぎってた。
そもそも元老自体が伊藤のために作られたのだから、元老としての格付けもなんとなく違うんだろうね。
首相覚えの歌でいう いくやまいまい までの間にあらゆる面で長州が地盤固めた。
>>616 藩の中での話なんかしてない。全国に広めるように主導したんだったら、結局木戸の功績。
それに倒幕において薩摩の力が大きいってのは認めているけど?
617は伊藤は首相として大きな失敗をしていないのに対し松方は〜 だね。
連投ごめん。続けてレスしてるとミスが。気をつけます。すみません
鹿児島の人は子供のころから、幕府を倒したのは薩摩藩、近代日本を創ったのは薩摩人、
日本人のために戦った最後の武士は西郷隆盛、と教えられてきたからね。
今さら、実は長州や長州人佐賀人の功績が大きかったとか、
西郷は既得権益に固執した田舎者という現実を突き付けられても、受け入れられんのでしょ。
621 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/13(日) 13:50:12 ID:Cq3EJyJR0
伊藤、山県などは藩閥政治の権化のように言われているな
明治中期以降の薩摩は長州ほど政治権力に固執していない
大山巌、西郷従道などは何度も首相に推されていながら固辞している
西南戦争で西郷を殺した事を生涯悔やんでいたようだ
戦争を起こして負けた以上は
西郷がああいう最後を迎えるのは仕方ないと思うが
西南戦争を未然に防げていたら、って意味での後悔か?
623 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/13(日) 14:30:17 ID:Cq3EJyJR0
>西南戦争を未然に防げていたら、って意味での後悔か?
そんなこと俺が知るかw
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/13(日) 14:33:09 ID:MkHaRHFc0
血のつながった一族(親戚)のリーダーを自らの手でトドメを刺した事でしょ。
政治的な後悔より、私的な後悔だと思うよ。だから、彼らは決してそれを言わなかった。
ただ…「もう故郷へは帰れない。何で帰れようか…」
と言ったとか言わなかったとか
>大山巌、西郷従道などは何度も首相に推されていながら固辞している
>西南戦争で西郷を殺した事を生涯悔やんでいたようだ
固辞した理由は西郷に関する後悔と読めるんだが
じゃあ私情が先に立って国家は二の次だったってことか?
626 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/13(日) 14:53:06 ID:Cq3EJyJR0
物は言いようだね
首相になった=政治権力に固執していた、にはならないと思うが
それに、あの激動期に一国を背負う覚悟の上で政治やってる人間たちを「政治権力に固執」でくくるべきなのかね
首相をやるってことは、首相をやらないのに比べて格段に大変だし、責任も変わってくる
首相を誰もやりたがらずに、たらい回しにされていた時期だってあるんだしw
現実直視できない鹿児島人が議を言ってるだけだ。相手にする必要なし。
629 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/13(日) 17:16:43 ID:Cq3EJyJR0
>首相になった=政治権力に固執していた、にはならないと思うが
誰もそんなことは言ってないw
藩閥を批判するのがそんなに気にくわないかね?
首相固辞なら山田だってそうだよ。
山田は大津事件とか病、それと年齢でまだ任命されてなかっただけで、間違いなく元老クラス。
元老たちの首相決定会議にも必ず呼ばれているし。
満場一致で推された時も固辞してる。
それに首相固辞ってそんなに美化するほどのことか?有名どころだと他に平田東助がいるね。
“固辞”で関心したのは大蔵大臣断って民間に留まった渋澤栄一。
後から考えるとかなり日本史にとって大きなことだった。
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/13(日) 17:45:47 ID:Cq3EJyJR0
もともと美化などしてないしなw
お前らが過剰反応してるだけだろ?
長州厨は藩閥と言われるとやたらムキになるようだ
西郷従道、大山は首相の器でもなければ、
本人も首相になる気はないでいいだろ
山本のようになるのが目に見えてる
633 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/14(月) 22:11:42 ID:j7esHwW50
山県に関しては権力の亡者と言われても仕方ない
634 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/15(火) 01:47:03 ID:d1+51pq30
>“固辞”で関心したのは大蔵大臣断って民間に留まった渋澤栄一。
東の渋沢栄一と西の五代友厚だっけか・・・
五代友厚も開拓使官有物払下げ事件で黒田清隆と連座しているが、
官職を断って大阪経済の立て直しに残りの人生を投じ、「大阪の恩人」と称されたほどの人物。
にしても写真を見る限り、渋沢とは違い五代はびっくりするほどイケメンだな。
首相拒否だけで言ったら、井上だって入っちまうなw
渋沢いいじゃん、あのモチモチしてるところとか
井上が総理になるなら内閣に入ると言う渋沢って…
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/15(火) 23:19:47 ID:d1+51pq30
渋沢はお世辞にもイケメンとは言えないなw
チョンマゲをした若い頃の写真を見ると、後藤象二郎に似てなくもない
ま、どうでも良いことだがなw
638 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/16(水) 20:09:08 ID:uDF/8XZk0
大久保が長生きしていたら
もっと活躍したと思われる人物は
榎本武揚げと児玉源太郎かな。
特に榎本は薩長側の人物だったら
確実に首相になっただろう。
児玉源太郎は史実でも活躍してるだろ。
早死にしたが。
大久保の寿命とその二人に関係が?特に児玉
641 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/16(水) 21:47:36 ID:uDF/8XZk0
大久保が長生きすれば山県ではなく児玉源太郎は陸軍のトップになり
榎本は実力もあるし活躍したと思う。
は?
山縣と児玉はトップの座を争うような関係じゃないじゃん
大久保は山縣と組んで、陸軍から山田を追い出したくらいだし
軍隊関連で色々言われるのは決まって山県だが
大久保の頃から既に萌芽は始まってるよな
大久保と山県はいわば盟友でしょ。
大久保の軍事的後ろ盾が山県で、
山県の政治的後ろ盾が大久保。
榎本って大久保に重用されそうか?
条約改正に成功してたら一回ぐらい首相に……陸奥も小村もならなかったからないか
木戸が反対していた山県の参議就任をごり押ししたのが大久保
榎本は実際に実力に合った活躍の場が与えられてると思う
大久保が長生きしてたらもっと活躍できたのは…とりあえず大隈は失脚しないだろうな
大久保っつーか、山城屋事件直後にも関わらず、敢えて大西郷から慰留された辺りで既に萌芽が。
児玉に関しては、大久保云々というより単純に長生きしていれば……だろう。
あと榎本も、大久保というより黒田の天下が来ていれば……じゃないか?w
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/17(木) 18:54:52 ID:YiO1/eR20
榎本は函館戦争で官軍と戦っているし幕府側の出身だから首相になることは
なかったと思う。
ただ自分より後輩の伊藤や山県の行動をふたりに苦言することはあった。
>>643 >>647 佐賀の乱の暗黒裁判、台湾無断出兵とそれの追認とか、
早いうちから悪しき前例が作られていってるんだよなあ
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/21(月) 18:37:56 ID:bdRhgS/w0
首相にならなかった政治家
陸奥 小村/病弱で早死 病死は結核
榎本/幕臣出身で首相と言われても固辞するだろう
大山、西郷従道/西郷と縁戚関係なので首相になるのを固辞した
大久保、木戸、小松/いずれも明治初期で亡くなった…
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/21(月) 21:27:08 ID:FD6WaM8LP
会津戦争で無差別殺人・強姦・放火・拉致を指示したのは木戸?大久保?
>>650 木戸と大久保は実質的な首班経験者
初代が木戸、二代目が西郷(留守番内閣時)、三代目が大久保
>>651 そんな指示したやつはおらん
しかも当時、木戸も大久保も東京奠都でめちゃくちゃ忙しい
一地方の戦局に介入する暇もないし権限も無いだろ
会津戦争で無差別殺人・強姦・放火・拉致を指示したのは会津人
>>651まず、会津戦争の官軍大将は土佐の板垣。
オマエの指す蛮行は、会津が栃木・越後・郡山
函館でやった事じゃないか。
大久保は知らないが、木戸は広沢と共に
会津の処遇軽減に努め、移送先も猪苗代にしたりしてる。
まあ、会津の悪政に怒り浸透した会津領民の一揆で斗南に行ったんだけどな。
それでも2年で解放だぞ。
会津松平も2年で名誉回復して華族になった。
つかオマエさ、そろそろ厨房丸出しな質問止めたら?
しかも自分で納得したカキコしてるし(笑)
>>651 木戸は会津を助けるために尽力した
大久保は会津なんか眼中になし(会津側は西南戦争の時に尻尾を振っている)
ここは会津厨が来ていいスレじゃないから
個人的に明治に時勢に関わらず、一番安定して影響力を誇ったのは、財界掌握した井上では?と思う。
井上は権力にさほど興味無さそうだけど、結局、国を動かす=金をかすなんだよな。
薩摩には松形が居たけど、何でこんなに影響力に差が出た?
>>656 木戸って松平容保の首を最後まで要求してなかったっけ?
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/22(火) 22:34:26 ID:reKxILwzP
ナルホドな
薩長の連中は官軍大将板垣の指示を聞かずに
自身の判断で女を犯して子供を殺したのか
納得いったよ
>>659 そんな事実はないので板垣は問い詰めようがありません
>>651 大久保は安積の開墾や疏水工事に尽力し、それに感謝した住民によって神社が建てられた
大久保神社は鹿児島でも東京でもなく福島にある
領民に重税を課し一揆をおこされたり、城下を火の海にしただけの容保よりも遥かに
大久保の方が現在の福島県の発展への功績が大きい
>>658 木戸が松平容保の首を要求していたのは、上の人間が何らかの形で責任を取るべきだと考えたからで
配下の士族に対する処置はむしろ穏健
会津藩=藩主、とするなら、もしかしたら会津に対して暴虐を行おうとしたと言えるのかもな
会津藩の定義が松平容保のみを示すのならな
663 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/22(火) 23:34:42 ID:reKxILwzP
偽善ぶるなよ
官軍様なんだから好きなだけ賊軍を殺せばよかったんだよ
>>661 完全に恩を仇で返した形だな
大久保の神社の今後が心配
665 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/23(水) 02:35:36 ID:YWL05p7L0
スレチですまんが、大久保の墓は青山墓地だっけ?
最近所用で乃木坂に行ったついでに墓地内を散歩したが、明治〜昭和戦前の大物の墓がたくさんあって面白かったw
自分の知っている著名人でも、後藤象二郎、黒田清隆の墓がすぐに目についた。
その他にも鹿児島藩士xxとか会津藩士xxとか海軍少将xxとかそんな墓ばっかりw
>>663またオマエか。偽善なのはオマエのような会津観光史学洗脳者だろ。
>>662 > 会津藩=藩主、とするなら、もしかしたら会津に対して暴虐を行おうとしたと言えるのかもな
> 会津藩の定義が松平容保のみを示すのならな
これは個人の妄想の範疇だろ。勘違いするバカがマジでいるから
個人の妄想の範疇はほどほどにしようよ。
実際オカシイのが来てるわけだしさ。
凄いのは西郷政権と大久保政権だね
西郷政権が明治維新らしい大改革をすべて実行し、大久保政権はその明治維新を保守し持続発展させたと言う感じかな
今度は西郷信者か
上の方のレス読んで出直して来い
西郷政権って留守政府のこと?
意味も分からず大隈たちに好き勝手させて、不平士族の反発を招き、
その収集に征韓論を持ち出して結局大半が下野した行き当たりばったりな政府のことか。
まあ岩倉使節団も大した結果も出せなかった行き当たりばったりな外遊だけどな。
大久保も尻拭いさせられて大変だなあ、そのおかげで巨大な権力を得られたんだろうけど
まぁ会津厨よりはマシだけど
なんで留守政府の功績が全部西郷のものになるんだか
>>667 えっごめん。キチには紛らわしい書き方はいかんってことでいいんだろうか
言い訳させてもらうと、俺は木戸が会津にやらかしたとは全く思ってないです。スマソ
>>670 岩倉使節団は大した結果も残せなかったとは思わないけどな
確かに行き当たりばったりではあるが
大久保が殖産興業に目覚めたり、木戸が憲法の方向性に明確な目処をつけただけでも大きな成果なんじゃないか
結果って何を意味してんの?条約改正?
ならそもそも当初の目的からは外れたことなんで失敗も何も…
なんだかんだで廃藩置県までの革命をやり遂げた初代宰相の木戸、
士族の不満をうまく収めて改革の流れを継続した二代目宰相の西郷、
その後を継いで近代化を完了させた三代目宰相の大久保、3人とも凄かった。
674 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/23(水) 22:56:34 ID:PPo0mcrSP
会津の大量殺戮という味噌がついたけどな
それは別にどうでもいいです
>>670 廃藩置県や徴兵制を実地できたのは西郷の功績
廃藩置県のために大久保が鹿児島から西郷を迎え、もっとも強力な薩摩士族を統御したのも西郷
さらに留守政府が徴兵制などの大改革を行い、なおかつ不平士族の抑えも成功した
すべて西郷の政治的威望あってこそ
士族に対して厳しい改革はほぼ西郷が行ってる(それが西郷の悲劇)
木戸や大久保は廃藩置県の後に、日本国内から逃げるよう洋行してるし
対韓問題も手付かずのを留守政府がどんどん処理しようとしたため、洋行組みのの面目が丸潰れしただけ
主導権を握ろうと権力闘争の末に西郷を追い出し、しかも士族を押さえきれず次々と反乱を起こされてしまった
西郷厨痛すぎ
まぁスレチな会津厨よりはマシか
678 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/24(木) 01:43:50 ID:H4KbuvJPP
日本版ホロコーストとも呼べる会津大虐殺を防げなかった輩を英雄扱いするな!!!!!
大久保卿は福島の復興に尽力して
福島に祀られるぐらいなのに
会津の忘恩っぷりときたら
>>676 >士族に対して厳しい改革はほぼ西郷が行ってる(それが西郷の悲劇)
なるほど、西南戦争で不平士族が西郷をスケープゴートにしたのはその恨みを晴らそうとした訳だ。
木戸って西郷のこと嫌ってたのかな
司馬のイメージが強くて何となく西郷との関係って悪い気がしてたけど
西郷よりも大久保の方が文句書かれまくってたような…w
そう考えるとあんま木戸って西郷に言及してなくない?どうでしょう
あ、書き忘れたどっかで見たんだ桂は西郷嫌ってたからうんぬんて
それで改めて考えてみたら疑問に思ったんで
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/25(金) 20:51:10 ID:wCOhbmn00
木戸は西郷には薩長同盟が下関で行われる予定だったのに
参加してくれなくて激怒した。
その際は高杉や伊藤、龍馬、中岡らに説得もあって
薩長同盟は成立した。
その頃は小松も健在だったしね。
西郷はわがまま?
いい意味で慎重、悪い意味で臆病
馬関に行ったら殺されるかもしれないからドタキャンした
仲介した中岡、坂本の面子丸つぶれだが
そんなことは知ったことではなかった
一度は承諾したのに取りやめたのと、中岡・坂本の仲介は事実
で、当時の長州は薩摩の憎悪に満ちていた
気が変わった理由として身の危険を感じたこと以外に何かあるか?
西郷に特にドタキャンするほど火急の別件はなかった
当時まだ薩摩内部で意見が割れてたし方針も定まってないから
西郷がうかうかと行って勝手に会談進めるわけには行かない
688 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/26(土) 00:09:48 ID:N4Gp3gN00
木戸も西郷も藩の面子を背負っているからな。
薩摩の立場だったら一度くらいはドタキャンくらいするだろ。
お互いおおっぴらに、さあ手を組みましょうよ!って相手じゃないし。
ドタキャンの政治的メリットって何?
中国の外相だかが前に日本の総理との会談ドタキャンしたけど
アレと一緒で自分の方が立場が上だという示威行為だったのか?
おれの勘違いかもしれないが、西郷はもともと長州との同盟に反対する意見を持っていて
同盟を主導した小松らに対する当て付けとして、ドタキャンに及んだと・・・
691 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/26(土) 03:28:53 ID:N4Gp3gN00
>>689 まあ示威行為の一種だろうと思うよ、知らんけど。
とりあえずは散々な状況の長州を一発からかってやりたかったんじゃない?
薩摩藩内部向けにも一回ドタキャンくらいした方が、格上同盟をアピールできるしな。
うーん、というよりさ、明治に入ってからの西郷と木戸の関係の方が知りたいんだよね
薩長同盟の頃はそりゃ反目してて当たり前だし
結構色んな本で、明治期の木戸の行動が幕末期の感情の文脈で語られてて(特に薩摩に寄った本に多い)
そんな単純に直結させていいの!?と思いまして…
明治に入ってからも色々あったろうし
それに、幕末の薩摩への反感を、そのまま後の西郷にスライドさせることにも違和感が…
木戸の心情に詳しい人がいそうなんで、聞いてみた次第です
>>690勘違いも糞もない。オマエの妄想。
それを勘違いとは言わない。
「俺の勝手な妄想なんだが」が正しい。
あと何故そんな妄想をしたか明記しないと
ただのバカだぞ(笑)
>>692知ってどうするの?そして何故知りたいの?
>>693 では史実的に本当のところを客観的なソース付きで実証してくれよ。
そういう根拠を明記しないと
ただのバカだぞ(笑)
>>692 >明治期の木戸の行動が幕末期の感情の文脈で語られてて
これは具体的にどの行動のこと?西南戦争時?
木戸の場合、西郷どうこうより鹿児島の状態を問題視してたと思うが
西郷がドタキャンした時は、まだ薩摩内部で長州と同盟組むべきという藩論は決まってない
薩摩内にも公武合体派はいるし、西郷も幕末時点じゃ薩摩の外交を担当する一人で明治のような絶対的存在じゃない
勝手に西郷が藩論を決めて薩摩内の意見無視して同盟なんて組めない
じゃあ何で一度は行くなんて気ィ持たせたんだ?
長州をからかってやるとかその程度のうっちゃりなら
薩摩隼人の風上にも置けないが
699 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/29(火) 01:59:10 ID:nYIrsiUA0
ドタキャンを根に持つ長州、というか桂・高杉が笑えるw
喉から手が出るほどに薩摩から救いの手を差し出して欲しかったくせにな
当時は西郷の方が遙かに多忙なんだから大目に見てやれよ
多忙だから、はドタキャンの理由にはなってないな
なら最初から断ればいいって話になる
何で一度は行くって約束を何故自ら破ったんだ?
>>699相手方の感情・背景を理解出来ないのなら
2ちゃんねるですら歴史を語る資格は君には無い。
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/29(火) 22:01:42 ID:nYIrsiUA0
>>701 は?まるで会津厨みたいなことを言ってるな
長州の置かれている立場や背景なんて十分にわかっている
というか
>喉から手が出るほどに薩摩から救いの手を差し出して欲しかった
→ >ドタキャンを根に持つ
って自然な流れじゃないか?
すっげー欲しいものを「くれる」って言われて超喜んでてその日を指折り数えてて
くれるはずの当日に「やっぱやらね」って撤回されたら腹も立たね?
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/29(火) 22:31:46 ID:nYIrsiUA0
>>703 やらないってわけじゃないのに、やらねって受け取ってるわけ?
例えがおもちゃを欲しがる子供のレベルじゃねーかw
やるって言われたのをドタキャンされて
本当にくれるつもりがあるって能天気に信じられるわけ?
あと、それはもちろん子供がおもちゃを欲しがる以上に欲しがってると思うよ
自分たちの命がかかってるからね
腹が立つのも子供のおもちゃ以上だろうね
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/29(火) 22:52:58 ID:nYIrsiUA0
>>705 わかったわかったw
相手方の事情を考える余裕がないのはどっちかも含めて、よくわかったよ
失礼ですが相手に足元を見透かされるタイプですね、君はw
政治上の駆け引きってものが自分のことで頭がいっぱいで理解できないのね
nYIrsiUA0はスルー推奨
この手の相手は論議するに値しない
708 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/29(火) 23:56:46 ID:nYIrsiUA0
↑サッカー見てないの君?
709 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/29(火) 23:57:31 ID:00Z11+K80
ドタキャンしたとはいえ、そもそも西郷が出向くってこと自体が、長州が薩摩を試している証拠だろ。
長州的にはどっちでもいいが、薩摩が同盟を望むなら、薩摩が長州に来いと。
長州と薩摩のそれまでの因縁からして、長州が薩摩に同盟をお願いするという姿勢はあり得ない。
場所と日時をセッティングしたのは中岡じゃなかったか
誰に長州からも薩摩からも頼まれたわけでもなく、
中岡が独自に考え、仲介に動いた結果
西郷は船で中岡と下関まで来たけど
やっぱ辞めたで下船せず、中岡だけ降ろして船は行っちゃった
中岡が独断で準備したとでも?
そして偶然西郷と同じ船に乗せてもらって、
何も知らない西郷は、何も知らないのにドタキャンしたことになったと?w
中岡が薩摩と長州が手を握るの害意と判断して
双方に働きかけ、西郷も長州に出向くのを了承
木戸もそこまで言うなら会ってもいいと了承
それで中岡と西郷が船に乗って以下略
言ってることがぜんぜん違うじゃんw
うそつきw
え、どこか違うのか?
悪いけど、あなた読解力なさすぎ
716 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/30(水) 11:58:03 ID:ZLUe3R/eO
幕末の話になって、大久保一翁が好きっていったら知らないって言われた。むなしい
スマンが、俺にもLC757brf0が何を言っているのかわからんかった
と思ってよ〜く見たら…
>中岡が薩摩と長州が手を握るの害意と判断して
害意→が良い、なら意味が通じる
運の悪い誤字ってことでFAだろうか?こりゃ反対にも取れるw
>>716そんなもんだよ。歴史好でも基本歴史ニワカなんだし。
史料を読んでるヤツは滅多にいないが、小説やトンデモ説を
史実・史料と思ってるヤツは多数。特に会津観光史学洗脳者。
幕末の話っていったって
坂本龍馬が好き、新撰組が好き、くらいの人の方が多いだろうし
ちょっと詳しくても薩長や幕臣の有名どころ(メディアに多く出てる人物)だろうから
まあ気にすんな
大久保一翁なら勝(てか龍馬)あたりと絡めて紹介すれば多少は盛り上がったかもよ
龍馬はまだしも新撰組は本当に理解できない
あいつらの何が面白いのやら
いろんな意味で土方の写真が残った影響は大きいわ
文久元年〜818政変のごちゃごちゃした薩長の関係がよく分からん
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/03(土) 01:21:42 ID:Eo1mdUXZ0
理解はできるさ
一時とはいえ、侍のまねごとして粋がっていられるのが気持ち良かったんだよ
本物の侍が世の中をひっくり返した途端に身を隠した偽侍たちさ
723 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/03(土) 01:24:35 ID:Eo1mdUXZ0
>>721 この頃から薩長は主導権争いが激化してきました
薩摩が動くと長州も競うように動いた
解った風に言ってるが、木戸・広沢・大久保の日記くらい読んでるんだよな?
まさか書店で数百円〜2千円程度で売ってるアレくらいしか読んでないとか言うなよ。
つべで桂小五郎で検索したらなんか政権動画があって笑ったw
○福○現党の政策には期待していなかったが笑いのセンスはあるかもしれない
>>692 仲が悪かったように見られる根拠としては、
1.木戸が薩摩の特別扱いに激怒(これは大久保も対象)
2.木戸が西郷の参議就任に激怒(政治的持論によるもので、山縣の場合もやっぱり反対)
3.西郷が江藤らの長州派追い落としを黙認
ぐらいかな。
個人的には直接的な絡みが少なくて良く分からんw
特に仲が悪かったとは思えないけどなぁ。暇見つけて関係文書辺り読み返してみるか……
なんで推測でそこまで断言出来るの?
いや、ただ単にそう判断できる可能性のある事例を列挙してみただけだが。
誰の判断?オマエのだろ?それはつまり主観。
陳列するならオマエの挙げた事柄を裏付ける史料を並べるか
オマエがそれらを陳列するに至った書籍を提示しなきゃ。
って事だよ。個人の判断なら何とでも言えるんだから。
え、でも、自分は
>>727じゃないがこの人の記述に主観故の誤りは入ってなくね?
抜けはあるだろうけどさ。自分の言ってる根拠は木戸の書簡と木戸日記だけど。
しかしそこまで噛みつくほどの内容か?
もし違う状況を想定しているのなら、それこそその意見を聞きたいわけだが。
>>731何故727じゃない人が出ばるの?
727が答えるべきだと思うが。
聞かれてもない731が木戸日記を参考にしてると言っても意味ないよ。
727が聞かれてるんだし、歴史を主観で語ると
会津系作家みたいに言いたい放題になるから
史料を提示して話さないといけない。
関係ないのに出しゃばった君が「噛み付いてる」事にまずは気づこう。
>>732 でしゃばるとかでしゃばんないとか、掲示板で言っても意味ないと思うがw
そんなに閉じた議論がしたいならメッセとかメールしてろって話になるわけで。
書き込んだ時点で、不特定多数の人間に突っ込まれる可能性が生まれるのが2chじゃん。
まあそれは置いといて。
出展が重要になってくるのって、それまでの定説とは反対の論だったりトンデモだった場合なんじゃ?
そりゃ論文だったなら話は別だが、ここは掲示板。
例えば、西郷は最初慶喜の処分に対しては強硬派でした、って書き込むことにまで史料の明記が必要なのか?
何が言いたいかって、ある程度皆に知られているであろうことには一々目くじら立てる必要はなくね?ってこと。
特に
>>727はかなり一般的かつ妥当なことを言ってるだけだし、
もし気になったなら、史料の出展聞いてみりゃいいだけのことだろ?
聞かれた方もいつもここに張り付いていられる訳じゃないんだし、他の人間が補足するのを拒絶する法はないと思うな。
史料持ってこーい、はたまにやって来る信者に言うべきかと。
今気付いた、スレチすまんw
>木戸が西郷の参議就任に激怒
廃藩置県の前に木戸ひとりを参議とし首班にしようとした
薩摩の動きに反対し、西郷の参議就任を求めたのは木戸。
木戸が怒ったのは西郷の陸軍大将(当初は元帥)就任。
>>734とりあえずオマエはウザイ。不特定多数が見るから何だ?
スッコンでろと言われてるんだろ?オマエは。解れよ。
この悪質クレーマーみたいなのは何なの?
他人のレスに偉そうに噛みついて
自分の意見は何一つ書きゃしない
何しにこのスレに来てるの?他人を不快にさせるため?
>>737寂しいのは分かるけどさ、半年ROMしよっか。
もはや何が言いたいのかもよく分からんので、
>>738あたりはスルーが一番かと
西郷は参議→近衛都督、陸軍元帥ルートだったか
最初は西郷も文官で、参議であることには何ら問題なかったろうが
ただ、これに関しての木戸の怒りが直接西郷に繋がるかどうか
軽率だとは思ってるんだろうが、現在西郷の考えを示すものがあまりないから難しいな
西郷は頭は悪くなかったろうし、薩摩では大久保とともに切れ者認定されてたと思う。
しかし新政府が樹立され、木戸や大村、大隈、江藤といった次元の違う天才たちと交わり、
自分が彼らの議論に全くついていけない普通の人なことを知った。
大久保はおそらく自転車操業的に勉強するうちにそのへんの壁を克服した。
西郷の弟や大山巌みたいな人は、難しいことは天才にまかせて、責任は自分が取るというスタイルで生き残った。
しかし西郷隆盛は勉強もせず、子飼いの薩摩人のみと付き合い、
責任を取るどころか征韓論で敗れて自分都合で帰郷したうえ、陸軍大将の位は離さないという前代未聞の醜態を晒した。
老害と言うには早すぎるだろう。
糖尿や肥満、もしくはフィラリアの影響などで脳に弊害が出ていたと思われる。
反応してるのにスルーしろは矛盾してるな。
本当にスルーするのなら反応すらしないはず。
で、妄想で過去を語るか・・・・。
妄想なら誰でも何でも言えるもんな。
普通は史料を提示して、根拠となる
一節を紹介するもんじゃないか?
例えば「頭がいい」と言うのなら
頭の良さが伺える史料を提示して
頭の良さが伺える一節を紹介すべきだよな。
個人の妄想で言われてもなあ(笑)
まるで会津系作家じゃん。
会津系作家に反論してる人たちはその根拠となる資料を提示するのになあ
単なる妄想だろと主張するならそう反論できる根拠となる一節を741が示せばいいんじゃないかな
743 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 09:39:27 ID:7F5yL4SA0
西郷はゴミって結論でいいじゃん
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 18:18:57 ID:yTv/MdATO
歴史の見方には時代、立場、思想、気分等により、
いろいろあり西郷隆盛を尊敬し日本に貢献大とする見方も
多いよ。
東国原知事怒りの会見
http://www.youtube.com/watch?v=qyxQN25n-I4 ここで出てくる南日本新聞の記者が典型的な鹿児島脳の持ち主で辟易した。
東に対して、議を言うばかりで実行しないのはなぜかとしつこく質問してるw
東が、今回の規模は国の協力が必要で自分の判断だけでは実行は不可能、と説明してるのに、
記者は、それでも知事であるあなたが何も実行しないのはおかしい、
と意味不明なロジックでしつこく食い下がってるw
何をどう実行すればいいのか自分では何も言えないのに、
相手を、実行できない欠陥者のように貶めるのは完全に鹿児島脳でしょ。
東に心底同情した。
きっと誤爆
747 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/26(月) 00:04:40 ID:WXqxYbCE0
西郷こそ最高の貢献者なのは明白
748 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/26(月) 00:38:07 ID:ObDcFsDo0
「尊皇」と「尊王」、「勤皇」と「勤王」
「尊皇攘夷」「尊王派」…
「土佐勤王党」「勤皇佐幕」…
「皇」と「王」どっちを用いるのが当時の主流だったのかな??
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/29(木) 23:04:19 ID:/EtapbJi0
西郷と大久保は木戸の事をどう思っていたんだろう?
なんか木戸って西郷大久保に比べて小人物に描かれる事が多いから
嫌なんだよな。
いがいと木戸凄いと思うんだけど。
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/29(木) 23:42:39 ID:czteHSpJ0
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/31(土) 18:53:31 ID:wl/QnSsM0
>>749 長州人は成功した出身者が多すぎて、木戸だろうがいちいちマンセーしないから印象薄くなってるだけだろうな。
鹿児島人は少ない成功者をこれでもかとばかりマンセーして虚勢を張るから、
西郷あたりはいちおう大物としてのイメージ操作に成功してる印象。
ま、しかし今後はネットで真実がすぐ分かる世の中だから、鹿児島人も大変だと思うよ。
752 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/31(土) 23:48:16 ID:biGa0QPG0
>>751 鹿児島は山口より宣伝がたぶん上手いですよ。
文化・芸能・スポーツの分野でも鹿児島が圧倒しているしね。
753 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/01(日) 00:13:33 ID:2Bnqig850
>>752 その認識、根本から誤解があるよw
長州は日本そのものになった。
長州=山口と考えてるのは、鹿児島人と会津人ぐらいだろうw
長州=日本、これ現実。
今の山口に長州の幻影を見て、鹿児島と山口どっちが上かと言ってる鹿児島人の滑稽さといったらw
鹿児島は長州人の下僚を輩出した功績は認めるが、
薩摩=鹿児島という鎌倉以来の発想捨てない限り、けっきょく中央では誰にも相手にされなくなる。
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/01(日) 10:22:03 ID:iK2/x1w00
>>753 長州=山口じゃなければ何なの?って感じで、
長州=日本とか言ってる奴は初めて見たんだがw
鎌倉以来の発想とか中央では相手にされないとか、言う事がオカルトすぎて意味不明です。
長州が今の日本の基礎を作ったって意味ならわからないでもないけど
>>753は752への反論としては色々おかしいw
山口が鹿児島より地元宣伝ヘタというのは現在での偉人知名度を見ればわかるし
(龍馬>西郷>>>>>長州人)
長州が日本だってことにすると日本より鹿児島の方が宣伝が上手ってことにw
山口も鹿児島もお互い中央へ人材流出した残りなんだから
そこはフィフティフィフティで考えてやれ
つまり偉人を宣伝に使って金儲けしろってことか?
長州嫌いにもほどがあるぞ
756の中では宣伝=金儲けみたいだけど
偉人の功績を広めることも宣伝に入ると思うよ
長州がやったことを存分に自慢すればいいのになんか謙虚だから…
金儲けが悪いこととでも思ってる?
観光誘致でもなんでももっとやればいいのに
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/02(月) 22:03:45 ID:38zzuFZN0
西郷ってなんで明治であんなに人気あったの?
薩摩の上士からも支持されてたんでしょ?西郷は郷士なのに、
江戸っこに人気あったってのは江戸無血開城で分かるんだけど。
759 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/02(月) 23:04:38 ID:gr4PbM9O0
花魁 : 『 何とアナルがお好きなお方でありんしょう 』
龍馬 : 振り向いてアナルを銃で撃つ真似をして
『 アナルを開発しないと停滞した日本は変わらんぜょ!!! 』
花魁 : アナルを両手で開き 『 ズッキュン!!! 』
760 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/03(火) 00:18:59 ID:42AEEfJy0
「龍馬伝」での薩摩人の扱いの酷さには笑うわw
西郷はぜんぜんカリスマ性無いし、小松はフリークスみたいなキモ俳優w
「龍馬伝」での薩摩人の扱いが、世間での薩摩人の評価なんだろうな
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/09(月) 21:22:29 ID:I7QCbw9/O
龍馬伝(笑)の扱い
あんな駄作の扱いなんてどうでもいい
ここは龍馬(笑)だの会津(笑)だのを語るスレじゃないんで
厚姫(笑)
いや篤姫(笑)も関係ないから
西郷の土下座外交(笑)
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/12(木) 10:36:52 ID:kxTJ4egj0
龍馬は小松と西郷のアシストのお陰で活躍できたのにね。
その小松も土佐の後藤ことを評価せず
大政奉還の際は岩倉と暗躍していた。
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/12(木) 10:46:09 ID:vMGv3HED0
>>765 そりゃ違うだろ
少なくとも小松帯刀は後藤象二郎と共に大政奉還に積極的だった。
徳川慶喜の回顧談では、二条城に重臣を集めた時に後藤はなにも將軍に進言しなかったが、
小松帯刀は、かなり堂々と発言して将軍を説得していたよ。と将軍本人が言っている。
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/12(木) 11:10:42 ID:kxTJ4egj0
小松の日記に後藤のことを批判していたり(後藤は新政府では出世できのでは…)
大久保の資料を読んでいたら
小松は大政奉還の時は岩倉と連携していたみたいだよ。
あくまで薩摩藩の家老だし。
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/12(木) 12:05:12 ID:vMGv3HED0
>>767 最後の将軍慶喜自身が「後藤と並んで大政奉還に積極的」だった事実を報告している。
岩倉と連携していた事実は否定しないが、薩摩藩家老として大政奉還に積極的だったのが事実だよ。
後藤と一緒に行動したことと個人的にあまり評価しなかったのは別問題だろ
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/12(木) 15:58:32 ID:kxTJ4egj0
小松は土佐藩ほど慶喜を慕う気持ちもなく王政復古の路線も
承認していた。
ただ武力討伐には消極的だった。
維新後は外国官副知事に任命されたが部下だった後藤を評価せず
自分の後継者には大隈を指名した。
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/12(木) 18:58:24 ID:vMGv3HED0
そりゃ、後藤ら土佐が提案した政治目標「大政奉還」が優れていたから、土佐の大政奉還に積極的になった。
政治方針じゃなくて、行政実務として後藤と組んだらダメだったって事でしょ。
後藤の”大風呂敷”は龍馬と並んで有名だからさw。
政治目標と行政実務は違うからな。
金銭感覚ぶっ壊れてるからなぁ後藤は
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/12(木) 20:35:19 ID:kxTJ4egj0
小松は薩長同盟の頃から後藤に信頼がおけなかったみたいだし
そのことは大久保や西郷にも言っていて
最終的には薩摩と土佐が合わなかったのは仕方がない。
774 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/05(日) 20:50:39 ID:lzLXpWSX0
西郷って木戸とかどう思ってたのかな?なんか司馬小説だと
西郷も大久保も木戸の事内心嫌ってたみたいなかかれ方してたけど
嫌いであるみたいな手紙でも残ってるの?
西郷も大久保も木戸の事を批評したような資料はあまり聞かないな
西郷はイマイチ読めないけど明治以降直接関わる機会の多かった大久保は内心腹が立つことも多かったんじゃない?
翔ぶで西郷は大久保と岩倉がいれは政府は大丈夫なんて言ってるあたり司馬遼の偏見を感じるけど
個人的に木戸に限らず西郷は微妙に長州勢に冷たい気がする。
なぜか、山縣有朋はかばってたけど。
まあ藩閥あるからね。けど人材登用に関しては木戸は本当に無私だと思う。
大隈・板垣、中江兆民とか。
井上も幕臣の渋沢を登用してるし。
県令にしてもそう。
やっぱり長州はあの時期としては特別、身分とか立場の差別意識は(他藩に比べて)薄いのかも。
ここは個人の主観レス?
それとも書店で気軽に買えるような
本を元に話を進めてるの?
史料を読んで話を進めてるなら
参考として史料のタイトル提示してくんない?