【国務院】満州国スレ【執政】Part9

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564名無しさん@お腹いっぱい。
満州事変自体は塘沽協定で事実上終結していたから、「満州事変を裁くのはおかしい」
とパールは感じていた。

東京裁判所条例に基づいて裁くこと自体、法の遡及であって、罪刑法定主義に反して
いる明確な国際法違反だ。馬鹿でも分かることだろう。

満州事変はそれまで記憶のかなたにあったのに、突然東京裁判で取り上げられ、侵略戦争
のレッテルを貼られたのだ。そもそも、それまで世界中で満州事変が侵略戦争として
公式の場で公に語られたことは無かった(シナを除く)。

満州事変は、戦勝国の政治的思惑で裁かれ、史実を無視して「侵略戦争」に仕立て
上げられたに過ぎない。全ては、日本をナチスドイツ並みの侵略国家に仕立て上げるため
だ。今のサヨク学者連中は、後付の理由で満州事変を「侵略戦争」と決め付けようと
躍起になっているが、国連憲章3314は、後付けの定義であって、遡って
当てはめるのはおかしい。

現状、満州事変を侵略戦争と決定付ける決定的な証拠は全く無い。ただし、
当時の国際情勢に照らしての話だ。現代の定義だの言葉遊びだので歪曲すれば、
いくらでも侵略扱いできる。これが東京裁判史観に毒されたサヨクと中国大使館員
の手口だ。リットン報告書の解釈など、どうにでもなる。