ttp://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200612160326.html ■ 「ラストエンペラー」溥儀の自伝、完全版が刊行へ 2006年12月17日
溥儀は遼寧省撫順にある戦犯管理所に収容中の57年から自らの罪を語る形で「わが罪悪の半生」の執筆を開始。
「わが半生」はこれをもとに、中国当局や専門家が内容を削除・修正し、64年に出版された。
すでに187万部近くに上り、日本語訳も出ている。今回出版されるのは、
当時削除された16万字近い内容を加えるなどしたものだ。
東京裁判では、溥儀が日本の傀儡(かいらい)政権「満洲国」の執政に就任したことについて、
日本人戦犯の弁護側が「自発的だったのではないか」と主張し、
その証拠として溥儀が南次郎陸相(当時)にあてた「宣統帝親書」を示した。
裁判に証人として出廷した溥儀はこれを「偽造だ」と否定した。
完全版では、うそをついたために日本の行為の徹底的な解明を妨げたと認めて「私の心は今、
彼(キーナン検事)に対するおわびの気持ちでいっぱいだ」と明確に謝罪している。
64年版では「証言を思い出すと非常に遺憾」となっていた。
また45年のソ連軍進攻の際、日本軍への支援を満洲国閣僚らに命じたことについて
「すべてを関東軍と吉岡のせいであるかのようにしたが、事実はすべて私が自発的に行ったことだった。
法令でも命令でも私が自発的にやらなければ、考えられないものだ」と告白している。
中国政府による戦後の尋問でも、当初は、「(中国)政府をだました」という。
64年版でも満洲国「皇室御用掛」だった吉岡への責任転嫁について触れていたが、
完全版は命令に対する自らの関与を直接認め、強く反省する形になっている。
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>「すべてを関東軍と吉岡のせいであるかのようにしたが、
>事実はすべて私が自発的に行ったことだった。法令でも命令でも私が自発的にやらなければ、考えられないものだ」と告白している。