幕末の国家戦略 橋本左内

このエントリーをはてなブックマークに追加
1名無しさん@お腹いっぱい。
橋本 左内(はしもと さない)は幕末の越前国福井藩士。

著書に『啓発録』。嘉永2年(1849年)、大坂に出て適塾で医者の緒方洪庵・杉田成卿に師事し
蘭方医学を学んだ後、水戸藩の藤田東湖・薩摩藩の西郷隆盛(吉之助)と交遊。他に梅田雲浜
や横井小楠らと交流する。越前・福井藩主の松平春嶽(慶永)に側近として登用され、藩医や
藩校・明道館学監心得となる。
一橋慶喜(徳川慶喜)擁立運動を展開。幕政改革、幕藩体制は維持した上での西欧の先進技術
の導入、日本とロシアの提携の必要性を説くなど開国派。安政6年(1859年)、井伊直弼が発令
した安政の大獄で小塚原刑場にて斬首。享年26。
墓は吉田松陰などのものとともに南千住回向院。

僅か26年の生涯。
藤田東湖の推挙によって福井藩中根雪江が取り立て、藩主松平春嶽に用いられたのが22歳。
僅か数年間の活動期間に偉大な足跡を残した侍。
西郷隆盛をして、最も影響を受けた人物として、先輩では藤田東湖、そして同輩(実は年下)で
は橋本左内を挙げていることはその傍証。

その資料の一部を見るだけでも、幕末に全地球規模の気宇壮大な戦略家がいたことが分かる。

橋本左内
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5110938
http://jp.youtube.com/watch?v=nx-ieAOSLjA
2名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 22:58:07 ID:PaAtveeX0
村田氏壽(うぢひさ)あて 安政四年十一月二十八日 (1857)
【抜粋】
 当今の勢ひ、日本の事務、国内の御処置と、外蕃御待遇との二件に帰すべく存知奉り候。
外蕃御待遇に付きては、海外の事情第一に御推察これ有り度く候。方今の勢ひは、行々は五大洲
一図に同盟国に相成り、盟主相立て候ひて四方の干戈相休み申すべく相運び候はんと存知奉り候。
右盟主は先づ英・魯の内にこれ有るべく候。英は剽悍貪欲、魯は沈鷲厳整、何れ後には魯へ人望
帰すべく存じ奉り候。
 さて日本はとても独立相叶ひ難く候。独立に致し候には、山丹・満州の辺・朝鮮国を併せ、且亜墨
利加洲、或るひは印度地内に領を持たずしては、とても望みの如くならず候。これは当今は甚だ六ヶ
敷候。その訳は、印度は西洋に領され、山丹辺は魯国にて手を付掛け居り候。その上、今は力足らず、
とても西洋諸国の兵に敵対して、比年連戦は覚束無く候間、かへつて今の内に同盟国に相成り然るべ
く候。
 然る処、亜国その外諸国は交り置き候も苦しからず候へども、英・魯は両雄並び立たざる国故、甚だ
以て扱ひかね申し候。その意は既に「ハルロス」口上にも歴然、その上近来争闘の迹にて明白に御座候。
これに依り、後日英より魯を伐つ先手を頼み候か、又は蝦夷・函館借し呉れ候旨願ひ出づべく候。
その時、断然英を断り候か、又は従ひ候か、定策これ有るべき事。
3名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 23:00:46 ID:PaAtveeX0
村田氏壽(うぢひさ)あて 安政四年十一月二十八日 (1857)
【抜粋】
 小拙は是非魯に従ひ度く存じ奉り候。その訳は、魯は信あり、隣境なり、且魯と我れとは唇歯の国、
我れ魯に従ひ候はば、魯我れを徳とすべく候。さすれば英怒り我れを伐つべし、これ我が願ひなり。
我れ孤立にて西洋同盟の諸国に敵対は致し難く、魯の後援有れば、たとひ敗るるも皆滅に至らざる
は了然に候。然れば、この一戦、我が弱を強に転じ、危を安に変じ候大機関に御座候て、これより我
が日本も真の強国に相成るべく候。その上、その戦争までには、是非魯国並びに亜国より人を倩ひて、
我が国の大改革始め、水軍陸戦とも精励致さすべしと存じ奉り候。
 さて魯に国を託し候までに、外より擾乱致され候ては相成らず候故、それまでは何分亜墨利加を願
ひつけ、英夷の跋扈強梁等は成るたけ拒み貰ひ候事。これ亦色々の工夫も御座候へども、何れも応
答言辞の間になくしては、口にも述べ難く存じ奉り候事。これに依り交易、ミニストル指置の二ヶ条相
許し、その中交易は矢張り官府交易に致し度く候間、勝手交易は相断り申し度く候事。阿片並に借地
の事は断り、港は堺・神奈川・箱館・長崎の四ヶ所位に極め置き申し度き事。何分亜を一ヶの東藩と見、
西洋を我が所属と思ひ、魯を兄弟唇歯となし、近国を掠略する事、緊要第一と存じ奉り候。
4名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 23:03:34 ID:PaAtveeX0
村田氏壽(うぢひさ)あて 安政四年十一月二十八日 (1857)

【現代語訳】
 目下の情勢を見ますに、日本が取り組まねばならない案件は、国内政治の改革と外国人待遇問題の
二つに帰すと存じます。外国人の待遇、即ち外交問題については、まず現在の海外情勢を御推察いた
だきたく存じます。最近の海外情勢を見ますに、世界はやがて五大陸が一つに手を結んで同盟国として
まとまり、盟主を選んで四方の戦乱を収束する方向へ進んでいくことと思われます。その盟主となるもの
は、まずイギリスかロシヤ帝国のどちらかでありましょう。イギリスは素早く荒々しくて貪欲であり、ロシヤ
帝国は同じ強国でも重厚な落ち着きがあって厳整でありますから、いずれはロシヤへ人望が帰すものと
思われます。
 さて、目下の日本は、とても独立自存することは不可能です。独立を維持するためには、蒙古・満州の
あたり、朝鮮国を合併し、かアメリカ大陸、またはインド地域に属領を持たなくては、とても実現できるもの
ではないし、現況ではその実行も誠に困難であります。その理由は、インドは既に西洋列強に属領化され、
蒙古辺りもロシヤが手を付けかけているからであります。その上、今の日本は力不足で、西洋諸国の強兵
を敵に回し年々連戦しても、とても勝算はなく、それよりも、今の内に然るべき国と同盟国の関係になって
おくことが得策でありましょう。
 その場合、日本はいずれの国と同盟すべきか。アメリカをはじめとする諸国は、並立が可能でありますが、
イギリスとロシヤは、利害の対立する強国同士で、並び立つことが出来ないだけに、甚だその扱いが難しい
所です。それは、駐日アメリカ総領事ハリスの口上からも、はっきり窺えますし、近頃までの世界各地の紛
争の経緯などを見ましても明白であります。それらのことから考えると、イギリスは将来、必ずや我が国に
対して、ロシヤを攻撃する先陣の役を頼んでくるか、或いは蝦夷・函館をイギリス軍事拠点として借り受けた
い旨、願い出てくることと存じます。その時、日本はその要求を断然拒否すべきか、それとも従うべきか、今
からその対策を決定しておかねばなりません。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 23:07:32 ID:PaAtveeX0
村田氏壽(うぢひさ)あて 安政四年十一月二十八日 (1857)

【現代語訳】
 わたくしとしては、是非ともロシヤと同盟したいものと考えております。それは、ロシヤは信義ある国であり、
国境を挟んで隣り合う国であり、唇と歯のように利害関係の密接な国であるからで、我が国がロシヤと同盟し、
これに従えば、ロシヤは我が国を有り難い国であると思うことでありましょうし、イギリスはこれを怒って我が国
を討伐しようとするでありましょう。しかし、このことは我が国にとって、望む所であります。日本一国で、同盟関
係にある西洋諸国に敵対することは困難でありますが、ロシヤの後ろ盾があれば、たとえ敗れても全滅するま
でに至らぬ事明らかです。そうなれば、この一戦は我が国の弱を強に、危機を安泰に変える一大転機をもたら
す力となって、これにより日本も真の強国となることが出来ると思われます。その上、その戦争までには、ロシ
ヤからアメリカから、優秀な人材を雇用して、我が国の産業・軍事の大改革に着手し、海・陸両軍とも必死の訓
練に励まさすべきと考えております。
 ところで、右のようにロシヤと親交し、その援助を得るためには、ロシヤに対して、そうせざるを得ないだけの
恩義を感じさせなくてはなりません。それには、ロシヤへ日本の方から使節を派遣して和親を乞うべく、その為
の色々の対策を考えておりますが、手紙では申し上げることが出来ません。
 また、ロシヤと同盟して、その後援によって国の安全を維持する体制が整うまでに、外敵の侵入を受けてはな
りませんから、それまではアメリカの援助を願い、その力でイギリスの我が国に対するごり押しや我が儘を、出
来るだけ制止してもらわねばなりません。この点についても、色々の工夫がございますが、直にお会いした上で
なくては、なかなか御説明が困難であります。
 更にまた、目下アメリカが要求しております「貿易」と「外交官常駐」の二ヶ条を許可し、そのうち、貿易はやはり
政府の手によるものとして、諸侯・民間の勝手な取引は断りたく、阿片の持ち込みと、国土の一部を貸与すること
も拒否し、港は堺・神奈川・函館・長崎の四ヶ所くらいに定めておきたいものです。いずれにせよ、アメリカを東方
の一藩と見、西洋諸国を我が国に所属する地域とみなすくらいの気概を持ち、ロシヤ帝国を我が兄弟、唇と歯の
ように密接な関係を有する友好国として、近隣地域に勢力を拡張することが、今の日本にとって、最も緊急重要な
問題と考えております。
6名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 23:10:52 ID:PaAtveeX0
要約(手紙は1857年)

1.いづれ、国際組織が誕生し、大国が牛耳る
 1920 国際連盟発足
 1945 国際連合発足 常任理事国が支配

2.2超大国対立構造
 1854 クリミア戦争 (イギリス対ロシア)
 1945〜1989 東西冷戦 (アメリカ 対 ソ連)

3.日本が超大国となるための地政学的要件
 モンゴル、満州、朝鮮を併合、更にアメリカ、インドを領土とする
 →それは不可能であるから、超大国のいづれかにつくしかない、と。
 1873 征韓論
 1910 韓国併合
 1932〜1945 満州国(石原莞爾)

4.当面、超大国にはなれないから、いづれかと同盟すべし
 1902〜1923 日英同盟 → 日露戦争
 1940 日独伊三国同盟 → 大東亜戦争
   (松岡洋右らは本来、日独ソの同盟のつもりだった)
 1951〜 日米同盟

5.日本は大国を目指せ
 1889〜1947 大日本帝国
 1945〜 奇蹟の復興、経済大国
7名無しさん@お腹いっぱい。
左内は小心で狡猾な春嶽のパシリにすぎない。
そして春嶽の身代わりに処刑された。
もし左内が「全地球規模の気宇壮大な戦略家」だったとしたら、
まず愚かな日和見藩主を見限るべきだったね。