1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
福沢諭吉翁は、皇室が日本にとってこの上なく重要であり、不可欠であることを説いた。
「時事新報」に掲載した諭吉の皇室論をまとめたものが『帝室論』(1882)と『尊王論』(1888)。
いかに諭吉翁が皇室を重視していたかは、尊王論のこの言葉に集約される。
事の利害得失は三、五年にして知るべからず、十年にして悟るべからずと雖も、
我輩は唯後世子孫をして大に悔ることならかしめんと欲するものなれば、
尊王の士人も今日に在て思想を緻密にし、接近の利害を離れて再三再四熟慮せられんこと、
我輩の切に冀望する所なり。
(現代語訳)
事の利害得失は三年や五年では分からない。十年でも分からないとはいえ、私はただ後世の
日本や我々の子孫をひどく後悔させたくないと思っている。だから、尊皇の人々も、今日にあっ
て思想を緻密にし、眼前の利益を離れて、再三再四熟慮されるよう、私は切に希望するものである。
福沢諭吉 帝室論
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5120245 福沢諭吉 尊王論
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5129355
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 13:23:06 ID:JJks4+g+0
福沢諭吉 尊王論 要旨
(原文)
天下後世社会の安寧の為めに尊王論の一編を記して子孫に遺すも亦無益の労に非ざるべし。
今その立論を三条に分つ。
第一 経世上に尊王の要用は如何。
第二 帝室の尊厳神聖なる由縁は如何。
第三 帝室の尊厳神聖を維持するの工夫は如何。
(内容の要約)
第一の論: 皇室はなぜ必要か
人心を調和し、努力すべき道を示し、民間の益、国益の基となる。
第二の論: 皇室はなぜ神聖か
比類なき古い家系だからである。
(人は実用にならないものを至宝とする。これは奇妙なことに思えるだろうが、それが人事の実相で
あるから、現世此の世に生存し、人の世に生きる限りは、このような奇妙な現実に従わざるを得ない。)
第三の論: 皇室を維持するにはどうすべきか
その一 尚古懐旧の情に依存すること
その二 皇室の恩徳を広く施し、文化、産業を奨励すること
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 13:30:34 ID:JJks4+g+0
福沢諭吉 帝室論(要約)
1.帝室は政治社外のものなり。
2.帝室は万機を統べるものなり、万機に当たるものに非ず。
3.我が帝室は一系万世にして、今日の人民が之に依りて以て社会の安寧を維持する所以のものは、
明に之を了解して疑わざるものなり。この一点は皇学者と同説なるを信ず。
4.帝室は直接に国民の形体に触れずしてその精神を収攬し給う者なり。
5.我が帝室は万世無欠の全壁にして、人心収攬の一大中心なり。
6.帝室は全国人心の中心栄誉の源泉なり。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 13:41:20 ID:JJks4+g+0
『尊王論』
・・・人間世界に至宝と称せらるゝものは、経済上に直接の実用を為す物にあらずして却て無用の
品に限るが如し。甚だ奇なるに似たれども、人事の実相に於て然るものなれば、如何なる理論者
と雖も、苟も今世に生々して人間に雑居する限りは、その奇に従わざるを得ず。
この部分に着目したい。これは賀茂真淵『国意考』、本居宣長『玉くしげ』、『直毘霊』に示される古の道、
まことの道、惟神の道であり、エドマンド・バークの『フランス革命についての省察』とも共通する部分である。
理神論の限界を認識し、厖大な叡智の蓄積である歴史、伝統、慣習を尊重する思想が現れており、これは
保守思想そのものである。即ち、福澤諭吉は所謂”進歩的知識人”などとは全く異なる保守思想を持った
啓蒙思想家だったのである。
また逆に、この保守思想を否定した科学的社会主義の結末は如何なるものであったか、を20世紀の壮大
な実験として思い起こし、比較すれば、理神論が如何に劣ったものであるか、誤ったものであるかが明らか
である。
そしてまた、理性、知性を超えた感性に訴えかけるものとして、西行法師の歌
「なにごとの おわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
は、まさにそうした日本の惟神の道(かむながらのみち)を表現している。
賀茂真淵 『国意考』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5000813 本居宣長 『直毘霊』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5015829 本居宣長 『玉くしげ』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5058142
一万円の人?
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。: